潜り込んだ異端
序、楽園追放
市役所に通報したが、まともに調べてくれない。
親も放っておけと言った。
そう言って、困り果てて相談をして来たのは、高校一年生の女子。水木蓉子だった。ちなみに、隣町の高校である。
何度か在校生に依頼された仕事を解決したことがある高校なのだが。
ここしばらくは、大きな問題も無く。
人脈を黙々と作るだけで良かったのだが。
久々の大仕事の予感だ。
私は、今回かなり面倒な人脈によって、依頼を受けた。
まずこの水木に話を持ちかけたのが、私が二年前に依頼を解決した人間。当時は中学二年生だった。
その伝手で、依頼が来たのだが。
これがまたややこしい。
この水木が相談した相手が、また自分の親に相談して。その親が隣の祖父に相談し。そしてゲートボール仲間を通じて私の所に話が来て。
連絡先を調査したところ。
向こうが渡りに船と飛びついてきた、と言う所である。
此処までややこしい経路で依頼が来たのは初めてだ。
そして、公園にて会うことになったのだが。
会ってみて、愕然とした。
何というか、無茶苦茶奇抜なファッションなのである。
私服らしいのだが。
ふりふりがいっぱいついている。
ピンキーとかそういうのではなくて。
とにかく襟にも靴下にもふりふりがこれでもかこれでもかとつけられているのである。靴や帽子でさえ例外では無い。
公園でそれが座っているのを見た時。
思わず私は呼吸が止まりかけたが。
まあこればかりは仕方が無い。
咳払いを二度して。
姿を見せる。
黄色パーカーの妖怪。
そう言われる私だけれど。
少なくとも、見た目のインパクトだけは今回ばかりは相手に負ける。というか、この私服で待ち合わせしたら、多分誰も間違わないし。
場合によっては急用を装って逃げるのではあるまいか。
とにかく全身をふりふりで武装した水木は。
意外にまともに。
ぺこりと一礼した。
「貴方がシロちゃんですね」
「そうだ。 依頼について詳しく聞かせて欲しい」
「はい。 実は、近くの山に、外来種が生息し始めた可能性があって」
「ほう……」
それはまた。
本当だとすれば厄介だ。
外来種という存在は、基本的にその地域の環境を荒らしに荒らす。
近年、これが非常に大きな問題になっている。
日本産の、海外にて迷惑を掛けている外来種もかなりある。
例えばワカメ。
これなどは、船の調整をするためのバラスト水に紛れ込んで海外にばらまかれ、世界中で大迷惑を掛けている。
他には葛。観葉植物として持ち込まれたものが勝手に大繁殖を開始し、辺り中の植物を駆逐している有様だ。
他にも鯉。金魚。
悪名高いブラックバスやブルーギルが、自称釣りマニアによって無節操にばらまかれたように。
これらも彼方此方の海外で繁殖し。
非常に大迷惑を掛けている。
意外なところではタヌキである。
欧州でタヌキが近年外来種として問題を起こしており、同じようなニッチを締めている狐を圧迫。環境をズタズタにしている。
それにしても。
こんな珍妙なファッションを着込んでいる奴が。
環境問題に興味を持っていて。
調査までしていて。
それで手に負えず、依頼しに来たと言うのは、何とも皮肉な話だ。
私は三十分もつ飴を咥えると。
順番に話を聞いていく。
まず第一に、目撃例が相次いでいる、ということである。
目撃されているのは、犬のようで犬で無く。猫のようで猫で無い生物だそうである。
そのまんまタヌキでは無いかと私は思った。
実際問題、この辺りにもタヌキは生息している。
ちなみにタヌキはかなり獰猛で、下手に手を出すと食いつかれるので要注意。勿論どんな病原菌をもっているか知れたものでは無いので、かなり危険だ。
また、似たようなものでアライグマもいるが。
アレは非常に獰猛かつ外来種として有名なので、もし見つかったら自治体で必ず対応している。
てか、アライグマの目撃例があったら流石に自治体も動く。
市役所が放置しているという事は。
何か良く分からない動物がいる、という事しか分からず。
手を回す余裕が無いから、だろう。
一昔前なら、UMAかと騒ぎになったかも知れないが。
とっくにブームは去っているし。
今は誰もが外来種を疑うだろう。
「他に詳しいデータは」
「それがどうにも。 近所にいる珍獣マニアの類は、きっちり管理をしているようですので」
そういえば。
以前異臭騒ぎで調べたクズ野郎は、水木とは違う街の住人だ。あっちだったらまだあの家から逃げ出したのでは無いかと言うのを疑っていたところだが。今回は違うと言う事なのだろう。
いずれにしても、水木は自力で一応頑張ってそれなりに調べたが。
人脈などの狭さから、どうしても断念せざるを得ず。
更に学業が忙しいこともあって。
とうとう私に話を回してきた、という事らしい。
それならば、仕方が無いか。
一応、今までに判明しているデータを、全て受け取っておく。
ざっと目を通すが。
一人でそれなりによく頑張って調べたデータだ。
それによると、現時点での目撃例は120件。
ただこの目撃例には、よく分からないもの、も含まれているため。
かなりの大多数が、ただの猫やら犬やらだろう。
写真もあるが。
殆どは一部しか映っておらず。
それが何なのかは、まだ解析できる状態ではなかった。
つまり、変な生物など存在せず。
ただの見間違いの可能性もある。
しかしながら、存在しないならそれはそれでいいのである。
存在しないなら、そう確認して欲しい。
それが依頼主の言葉であり。
実際私もそう思うのだから。
他にも幾つか話を聞く。
鳴き声なども、普通の犬や猫とは違っているという。
どんな感じかと聞いてみたのだが。
どうやら。
ギャッギャッと特徴的な声が聞こえるらしい。
はて。
それは狐か何かではないのだろうか。
しかし、狐はそれほど繁殖力の高い動物では無く、犬科の中では戦闘力が高いわけでもない。
わざわざ今更、地域を跨いで進出したりするだろうか。
なお、狐はコンコンとは鳴かない。
それに、そもそもである。
この辺りには普通にホンドギツネが生息していて。
地元民が見間違うとは考えにくい。
「とりあえず了解した。 調査はしてみる」
「お願いね」
「ああ……」
インパクト抜群の依頼主が行くと。
私は一度家に戻って、データを整理し直す。
まず謎の生物の出現地域だが。
山沿いが主体である。
まあこれは、人間の生息圏と被った所を行動しているときに、目撃されたかも知れないので。
実際に山沿いに住んでいるのかは分からない。
更に言うならば。
目撃範囲がかなり狭い。
此処は田舎だ。
何かしらの強力な繁殖力を持つ外来種の場合。
一気に山などを通って、行動範囲を拡げ。
数も爆発的に増やしていくケースがある。
今までに何度も類例はあり。
手遅れになると、在来種が深刻なダメージを受け。
そして気がついたときには。
手遅れになる。
今回のケースの場合、其処までの大規模被害につながるほど、謎の生物の目撃例は拡がっていないようだが。
いずれにしても。
何かとんでもない生物だった場合。
早めに対処しないと。
どんな病原菌を媒介したり。
或いは人間を襲ったりと。
どのような害が出るか分からない。
対処は早め早めにやっていかなければならないだろう。
他にもデータを精査してみるが。
この依頼主。
かなり真面目に、聴取を行っていて。
拡散されると想定される地域だけでは無く、その外側でも情報を集めている様子だ。それに関しては、素直に感心する。
だが、それでも。
特にこれといった情報は出ていないし。つまり、拡散はそれほど起きていない。少なくとも現時点で、という事で良いのだろうか。
軽く資料を調べる。
この近辺の地域で見られる外来種について。
まず有名どころはハクビシン。
これについては、昔からいたという説もあるらしいが。
いずれにしても有害な外来種である事には代わりは無い。
現在では駆除の対象で。
見かけたら保健所に連絡、というのが定石になっている。
続いてヌートリア。
大型になるネズミの一種で。
一時期各地で猛威を振るったが。
この近くでは、積極的に駆除を行った結果。
侵入を食い止めることに成功。
現在では、目撃例も無い。
目撃された場合も、即座に駆除される様子だ。
此奴らに関しては、考えなくて良いだろう。
アライグマ。
これは昔日本のアニメが原因で持ち込まれた品種で。
子供の頃は可愛い。
そう。
子供の頃しか可愛くない。
大人になると非常に獰猛になる。
これは人気の元ネタになったアニメでも、きちんと描写されていた事で。それなのに、どうしてか人気が出て、そして日本中に拡散。
案の場の獰猛性を発揮し。
辺りの生態系を食い荒らしに食い荒らした。
なお、タヌキと似ているが。
尻尾に縞模様があるので、それで区別できる。
逆に言うと。
狸の尻尾に縞模様は無い。
ざっとこの辺りだろうか。
推定される外来種は。
だが、写真などを見る限り。
確かに犬にも猫にも見える。
食肉目で間違いは無さそう。少なくとも恐らくはほ乳類と推察されるのだが。それでも、多分アライグマではない。
ヌートリアも違うだろう。
そうなってくると、未知の。此処で言うのは、外来種として初めて侵入してきた種類だろうか。
小首を捻る。
仮にそうだったとして。
入ってきた経路は、まず間違いなくペットが逃げ出したと見て良いだろう。
しばし考え込んだ私は。
目撃例が多発している地域のコネを使い。
ざっと調べ上げる。
人間を殺傷しうる動物を特定動物と言い。
これらを飼うには免許がいるのだが。
そういう人間がいないか。
確認をする。
田舎の老人ネットワークはおぞましいまでに強固だが。
これにも引っ掛かってこない。
という事は、知られていない。
少なくとも、情報は入っていない。
そして、こういった閉鎖的な地域では、趣味はすぐにバレる。
という事は、何処かのバカが飼いきれなくなって逃がした、という可能性はあるにしても。
それが免許が必要な特定動物か、となると。
微妙な所だろう。
写真を見聞するが。
一部しか映っていないものが多く。
サイズをはかるのは難しい。
更に写真は遠近法が狂うケースも珍しくなく。
とんでもなく巨大に見える写真が。
実際には、トリックや遠近法を工夫しているだけで。
実際のサイズの何分の一しか無い、というような例は枚挙に暇が無い。
逆に言うと。
意図しなくても、巨大に映ってしまうケースはある。
ふむ、と私は腕組みすると。
それでも写真に写っているパーツを組み合わせて考え。
その全てがホンモノではないとしても。
体長は90センチ以下。
体重は6キロから8キロと判断した。下手をすると十キロを超えるかも知れない。
これは、もし猫の仲間だったらかなり危険な数値で。
充分に人間を殺傷できる。
子供だったら殺す事も可能だろう。
思ったより、事態はまずいかも知れない。
繁殖が始まると厄介だ。
人的被害が出てからでは、遅いのである。
幾つかの準備をした後。近場の知り合いに声を掛ける。
「得体が知れない生物が目撃されています。 もしも自分も目撃した場合は、即座に通報してください。 写真などは無理に撮らなくても大丈夫です」
メールを回すと。
一旦今日はここまで。
後は、どうやって追い詰めるか。
そして追い詰めた後は。
正体をどうやって特定するか。
それらが重要になってくる。
1、得体が知れない影の道
さて、情報提供を求めるメールを出した後。
私自身も即座に出る。
電車代はあるので、現地に出向くのは難しくない。私の街よりも、更に山深く、田舎という空気そのものである。
周囲は鬱蒼とした森。
外来種が逃げ込めば。
あっという間に周囲に甚大な被害を出す。
依頼主が慌てるのも当然。
こういった森は、頑強そうに見えるが。
人間がちょっと余計な事をするだけで、あっという間に壊れる。
公害の時代、散々その教訓を得ているはずなのに。
人間はまったく学習していない。
その程度の生物なのだと、諦めるほか無いのだが。
いずれにしても、まずは全体的に調査を進めて、その得体が知れない生物が実在するか否かをまず確認。
そしてもし確認できてしまったら。
速やかに正体を特定しないといけないだろう。
メールを確認。
どうやら、目撃例が挙がってきているようだった。
「何だかよく分からない生物はいるねえ。 ギャッギャッて鳴いているのを聞いたよ」
「どの辺りですか」
「ここのところ、うちの近所でたまに。 山にはそんなに大きな動物はいないはずだけれどねえ」
メールの出し主の住所を確認。
早速調べに行く。
なお、護身用の道具は幾つかもってきているが。
いずれもが、効かない可能性もある。
相手がもしも、バリバリの武闘派の動物の場合、私では歯が立たない可能性があるので、要注意だ。
四つ足の動物は、人間とは出力が違う。
例えば、ある格闘家が、渾身の突きを牛の眉間に叩き込んだ事があるらしいが。
牛はそれをダメージとさえ認識せず。
平然と草を喰っていた、という話がある。
小型犬なら兎も角。
中型犬以上になってくると、よほど怠けた生活をさせていない限り、人間よりもほぼ間違いなく強いし。
大型犬になると。
人間をその気になれば、すぐに殺す事だって出来る。
長い年月を掛けて。
犬と人間は、共存関係を構築してきたが。
それは、役割分担が上手く行ったから、である。
生物としての強度は。
やはり、四つ足の動物の方が。
二足歩行する人間よりも、遙かに上なのである。
これは厳然とした事実であり。
もしも未知の四つ足動物がいる場合。
最大限の注意を払わなければならない理由も、此処にある。
目的地に到着。
近くに小さな川があるので、歩き回っていく。
目撃範囲からすると、かなり広いテリトリーをもっている可能性がある。しかしながら、今の時点では襲われた、という報告も上がっていない様子だ。
用心深いのか。
それとも。
木に登ると。
双眼鏡を使って、周囲を観察。
夜行性、というわけではないようなので。
ひょっとすると、ひょいと姿を見せるかも知れない。
しかしながら、しばし辺りを観察するも。
妙な鳴き声も。
姿も。
確認することは出来なかった。
木から下りると、場所を変える。
黙々と歩いて、川の上流に向かう。
この辺りはウサギもいるし、エサには事欠かないはずだ。キジがけたたましい鳴き声を上げて飛んでいったが。
あれは私を警戒して、の事だろう。
視線の類は感じない。
また、マーキングの類も見つからなかった。
はて。
何だか妙だ。
強い動物だったら、縄張りを誇示するために、マーキングをするのが普通だ。例の調査結果に、野犬やら野良猫やらが混じっているとしても。
遠くから地元民も知らない声が聞こえたり。
何かしらの不可思議な姿が目撃もされている。
つまり、自己主張は相応にするタイプの筈で。
木で爪を研いだり。
汚物をなすりつけたりといった。
マーキングをしないのは不自然だ。
また、想定されるサイズの糞尿も今の時点では確認できていない。
あれはマーキングの意味もある。
食物連鎖の下位になる生物でさえやるのだ。
上位の生物になると、それこそ無遠慮にやっていくのがマーキングである。
もしも、今までの話を総合し。
推定される生物になって来る場合。
マーキングくらいはしている方が自然だろう。
しばらく山の中を歩いた後。
他にもおかしい事に気付く。
野犬の類は一切見かけないし、
鳴き声なども、ほぼトリのものだけだ。
色々なトリが生息はしているようだが。
ごくごく穏やかで。
鳴き声も、警戒音は殆ど混じっていない。
私が近くを通りがかったときに、警戒音をけたたましくまき散らすトリはいるが。それくらいだ。
いずれにしても、そろそろ暗くなってくる。
一度山を下りると。
じっと見上げる。
何かが本当にいるのか。
今の時点では。
まったく確認のしようがない。
ただ、目撃情報があった地点を、今の時点で全て探せたわけではない。明日も休みだし、別の方向から調べて見るのが良いだろう。
黄色パーカーのまま歩いていると。
不意に、数人が前後に姿を見せた。
明らかに好意的では無い。
「何だ。 何用だ」
「お前、シロとかいうんだろ」
「それがどうかしたか」
「隣町でイキってるらしいな」
鼻を鳴らす。
どいつもこいつも小学生のようだが。
私に喧嘩を売ってきているのは、恐らく小学六年生だろう。非常に好戦的な目をしていて、体格も良い。
当然男子である。
「で、勝てそうに無いから三人がかりか?」
「巫山戯んな。 逃げないように見届け役だ」
「よく分からんが、お前をぶちのめせば良いんだな」
「やれるもんなら……」
最後まで言わせない。
すり足で間合いを詰めると、人体急所である鳩尾に肘を叩き込み、更に顎を掌底で跳ね上げる。
顎を跳ね上げると同時に足を踏み。
更に金的を膝で潰した。
流れるような一連の攻撃で。
相手が悶絶するまで数秒。
泡を吹いて倒れる相手を見下ろしながら。
私は逃げ腰になった残り二人に、顎をしゃくる。
「邪魔だから連れていけ」
「ひっ……!」
「連れて行けと言っている!」
吠えると、二人は泣き出した。
情けない。
嘆息すると、股間を押さえて悶絶しているバカの尻を蹴飛ばす。結構容赦なく、である。その結果、バカは顔面からコンクリの道路に激突。
鼻を潰したようだった。
「ひぎゃっ!」
「空手なりなんなりやってるんなら相手にもなったかも知れないがな。 ガタイだけで私とやろうなんて五年早いんだよ。 大体イキってるのはお前の方だろうが、あ?」
足を掴もうとした手を思い切り踏みつけると。
更に顔面に、容赦なく蹴りを叩き込む。
歯は折れないようにしてやったが。
それでも、鼻から盛大に血が噴き出した。
完全に逃げ腰になっている相手に。
私は、もう一度言う。
スマホで写真を撮りながら。
「お前、この映像は撮っておく。 親に言いつけるなら好きにしろ。 これをネットに拡散するだけだ。 三人がかりで襲おうとして、返り討ちに遭ったバカとでもタイトルにつけてな」
「ゆ、ゆるし、て」
「だったらとっとと失せろ!」
吠えると。
小便を漏らしながら、バカが子分と逃げていった。
まあこの程度の相手なら、どうにでもなるが。
軽く調べて見る。
どうやら、隣町の小学校の六年生のようだ。
私が着実に威名を拡げているのを、面白くないと考えていたらしい。
どうでもいい。
喧嘩を売ってきたのなら潰す。
それだけである。
というか、正直な話、私は今回とても優しく済ませてやったのだが。
もしこれで、親を介入させてきたり。
兄貴分とかを連れてくるようだったら。
それなら此方も対応のレベルを一段階挙げるだけである。
面倒だな。
呟くと、電車に乗る。
黄色パーカーについた返り血を、ウェットティッシュで落としながら。
私は、明日のスケジュールについて、既に考え始めていた。
翌日。
一人で黙々と歩く。
その間に、昨日のバカについて、情報をもう少し集めておいた。なお、奴のいる学校の裏サイトについては、パスもIDも取得してある。
確認すると、色々失笑モノの事実が分かった。
昨日のバカは、自称クラスのリーダー。
ガタイが良いことをいいことに、暴力でクラスを支配していたが。
他の学校の生徒にも喧嘩を売りに行き。
「縄張りを拡げたい」と思っていたらしい。
裏サイトの存在はそもそも感知していないようで。
裏サイトに出入りしている生徒達の間では、評判は最悪。
ゴリラと呼ばれていて。
非常に毛嫌いされているようだった。
教師がゴリラ呼ばわりされて毛嫌いされるケースはよくあるのだが。
同級生に此処まで言われるという事は、相当である。
まあ此処では、ゴリラは優しい森の守護者であり、むしろ理知的で大人しい動物だ、等という突っ込みは野暮なのでやめておく。
ともあれ、その暴力ゴリラが。
手下二人共々、小便を漏らしながら逃げていたことは、既に裏サイトでも話題になっていた。
やったのは、あの黄色パーカーらしいという言葉が出ると。
すぐに畏怖の言葉が溢れる。
称賛では無く、である。
「あのゴリラ、命知らずにもほどがありすぎ。 中学生を一方的にボコッたらしいぞ、あの妖怪。 勝てる訳ねーだろ」
「何だっけ、井の中の蛙だっけ。 正にそれだな」
「俺の親も、あの黄色パーカーには絶対逆らうなっていってる。 何か偉い人にまでコネがあるらしくて。 後IQ試験で170とかとんでも無い数字たたき出してるらしいぜ」
「それ、規格外にもほどがありすぎ。 ゴリラ乙だな」
やりとりを見ていて。
お前達はそのゴリラに手も足も出ず。
好き勝手されていただけだろうと言いたくなったが、やめておく。
また突っかかって来るようなら、暴力のレベルを一段階上げるだけだし。
そもそも三人で囲んでおいて、暴力を受けたと親に泣きつくようなら、証拠画像をネットに流すだけだ。
それにしても、また面倒な仕事中に、面倒なのに絡まれたものだ。
今日は昨日とは違う方向から、目撃例がある地域を探りに行く。途中、知り合いの老人に会ったので、軽く話をしていくが。
意外な事を言われた。
「ああ、例の噂の。 見たよ」
「本当ですか?」
「ああ。 此方を見ると、さっと逃げていったなあ」
「詳しく」
写真を幾つか見せる。
スマホにデータとして取り込んで格納してあるのだ。
その中の一つに。
老人が反応を示した。
「これが似ているなあ」
「……」
ちょっとまずいかも知れない。
想定していた中で最大サイズだ。九十センチほどだと思っていたが、ひょっとすると一メートルを超えるかも知れない。
食肉目で一メートル超えとなると。
昨日瞬殺したバカとは違う。
ホンモノの猛獣だ。
相手に殺意がある場合。
殺される可能性が出てくる。
ちょっとばかりまずい。
「見かけたのは何処ですか」
「あの川の、あの辺りだな。 草の茂みの辺りをウロウロしていたが、此方に気付くとさっと姿を消したよ。 動きが兎に角速かった」
「他に何か気付いたことはありますか」
「顔の辺りは見えなかったが、尻尾は長かったね。 それと、かなり毛づやは良かったよ」
そうか。
毛づやが良い、という事は。
慣れない環境で四苦八苦している、という事は無く。
環境に馴染んでいる、という事を意味している。
いずれにしても、この老人。
私に嘘をつくとは考えられない。
前から色々と話をしている仲で。
ゲートボールの大会などでも、この老人をアシストして点数を上げたこともある。
更に、私の評判も知っている筈だ。
黄色パーカーの妖怪。
だが、その恐ろしい名と裏腹に。
依頼を受ければ、必ず解決もする。
ならば、嘘をつく理由も無い。
幾つかの情報を得た後、その場を離れる。
ふと、メールが来た。
この近くの中学校に通っている、以前の依頼主からだ。
「シロちゃん、何かよその小学校の子をボコボコにしたって本当?」
「三人がかりで襲ってきたのでな」
「へえー」
「何なら証拠写真を見せようか?」
いや、いいよと。
相手が引くのが分かった。
どいつもこいつも。
溜息を零すと、川の方に出る。周囲に糞などの痕跡が無いか調べるためだ。
川に降りると、青大将がするすると泳いでいくのが見えた。一メートル半はあるかなり大きな個体だ。
最大で二メートルほどになる青大将だが。
毒は無いし、とても性格は大人しい。
小型のシマヘビも毒は無いが、こっちは性格が獰猛で、結構噛みついてくる。
いずれにしても、青大将は此方に興味も無さそうだし。
気持ちよさそうに泳いで行くのを邪魔するのも野暮だろう。
周囲を探して回る。
糞を見つけたが、サイズからして犬のモノだ。
野犬ではなく、マナーが悪い飼い主が放置したものだろう。既に蛆が湧いていたので、舌打ち。
ペットの世話くらい、きちんと出来ないのなら。
ペットなんて飼うんじゃ無い。
そう面罵してやりたいが。
相手がいないのでは、どうしようもない。
上流の方に移動。
今日はまだ時間がある。
今までの話を聞く限り、そして自分でも調べた限り。
相手はかなり用心深い可能性がある。
だが、こういう用心深い動物は。
一度相手を侮ると。
途端に凶獣と化すケースがある。
ニホンザルなどがその良い例で。
保護地域に住んでいるニホンザルは、人間に対して危害を加えるケースが珍しくもない。
一方、保護地域では無い場所に住んでいるニホンザルは、害獣として積極的に駆除されるため。
当然人間を恐れ、近づこうとはしない。
なお、この辺りにはニホンザルは住んでいない。
住んでいたとしても。
面倒だから、近づこうとも思わないが。
「む?」
思わず足を止める。
何かいる。
少し大きめの獣だ。
犬ではない。
猫でもないと見た。
当たりかと思ったが、相手が此方を伺っていること。そして距離を取っていることしか分からない。
深呼吸をすると。
慎重に相手との距離を保ったまま、ゆっくり下がる。
もし相手に害意がある場合。
更に、今探している相手の場合。
かなり危険な状態になる可能性がある。
先に発見された、というのが少しばかりまずかった。
勿論自衛のための道具は色々用意しているが。
対応は、慎重にやらなければならないだろう。
いずれにしても、緊張の瞬間は、それほど長くは続かなかった。
横っ飛びに私が逃れるのと。
石が私がいた場所に着弾するのは、殆ど同時。
更に、気配も消えていた。
かなり後ろの方。
昨日のバカが。
鬼のような形相で。
石を投げたまま、こっちをにらみつけていた。
「何だ、低脳。 まだ殴られたりないか」
「巫山戯んな! 昨日は奇襲を食らっただけだ! 今度はやり返してやる!」
「それで石を投げてきたと。 下手をすると死ぬが、分かっているのか」
「うるせえ!」
また投げてくるので、すっと避ける。
避けるな。
激高して吠えるバカ。
どうやら、今日は手下は連れて来ていないらしい。
さっと後退して、茂みの中に逃れる。
わめき散らしながら、追いかけてくる馬鹿だが。
私は、その時。
既に茂みから離れて。背後に回っていた。
そして、茂みに向けて、かなり大きな石を投げ込もうとしたバカの背後に回ると。躊躇無く蹴りを叩き込んだ。
石を抱え上げたまま。
川に落ちるバカ。
顔面を強か川の石にぶつけたようだが。
知るか。
今、仕事中だったのに、よくも邪魔してくれたな。
私は、そのまま、相手の頭を踏みつける。
がぼがぼと、悲惨な悲鳴が上がるが。
許さない。
しばしして、窒息寸前で足を離してやる。
顔を上げたバカが、息をした直後。
また踏みつけて、川に叩き込む。
何度か同じ事をした後。
泣き出す馬鹿。
私は襟首を掴んで川から引っ張り上げると。
もう身動きも出来ないバカに、顔を近づける。
悲鳴が上がる。
私の目をまともに見てしまったのだ。
まあそうだろう。
「今私は仕事中でな。 やっと手がかりが掴めそうになっていた所だった。 それを良くも邪魔してくれたな」
「ひ、ひいっ……!」
「昨日の子分二人はどうした。 今日は怖くて来てくれなかったか? 今まで暴力で無敵を誇っていたお前が無様だな」
ヘッドバッドで。
昨日潰した鼻を更に潰す。
鼻血を盛大に噴き出し。
悲鳴を上げたバカは、泣き出した。
映像に撮っておく。
「これが最後の警告だ。 次に邪魔をしたら、お前、学校にいられないようにしてやるよ」
抵抗できなくなっているバカのパンツを脱がせると。
裸の画像も撮る。
この手のバカは。
徹底的にやらないと、逆恨みするだけだ。
更に、二時間ほど時間を掛けて痛みを与え続け。
完全に恐怖で私の顔も見られないようになってから。
尻を蹴飛ばして、川からたたき出した。
転がるように逃げていく。
昨日ちょっと手ぬるすぎた。
それを今後悔している。
もう少しで、依頼の生物と接触できたのに。
それがあの馬鹿のせいで台無しだ。
いずれにしても、もう好き勝手は出来ないように、徹底的に圧力は掛けておかなければならないだろう。
手は打っておくことにする。
コネを動員。
あの馬鹿が、女子生徒(私である)を三人がかりで襲撃して返り討ちに遭ったこと。
更に、その後も後ろから石を投げつけて殺傷しようとしたこと。
そこまでして返り討ちに遭ったこと。
これらを証拠つきの写真も添えて拡散する。
恐らく、明日のあのバカは、学校の緊急集会で締め上げられるだろう。更に調べはついているが、あのバカは余罪も幾つもある。
良くて謹慎処分。
悪ければ転校だ。
まあ転校して、二度と戻ってこなければそれでいい。
それに、あれだけの恐怖を念入りに徹底的に叩き込んでやったのだ。
どのみち、もう「自称クラスのリーダー(笑)」とかは出来無いだろう。
それでいい。
家に着いた頃。
すっかり暗くなっていた。
まだまだコネが足りないな。
名前を聞いただけで、周囲が震えあがる。
ああいうバカをする奴が、絶対にいなくなる。
それくらいまで、威名を広めなければならない。怖れられなければならない。
今日のは反省しなければならない。
ああいうのが出てくると言うことは。
まだ私のやり口は、手ぬるかった、という事なのだから。
あのバカは、見せしめにする意味もある。
徹底的に潰す。
人格崩壊くらい起こす位は、追い詰める必要があるだろう。
家に到着すると。
父がぐったりした様子で寝ていた。
市役所の復帰プログラムから帰ってきたのだが。それでも体調の回復はあまり上手く行っていない様子だ。
十年以上、無茶な労働で酷使されてきた心身は。
まだ回復しない。
「みんな頑張っている」という言葉で奴隷労働が正当化され。
「根性が足りない」という言葉で倒れる人間が罵倒される環境。
普遍化したブラック企業は。
こうも人間を壊す。
「シロ、今日も夕食はいらない」
「死ぬよ」
「……食欲が無いんだ」
「いつもみたいにかゆを作るから」
父は返答しない。
私は、二つの事を考えながら、夕食を作る。
一つは尻尾をつかみかけたあの影。
何の動物なのか、特定をする必要がある。
もう一つは、あのバカの処理。
コネにメールをしているが。
既に奴の所属する小学校の方では、緊急会議が開かれているらしい。親も蒼白な顔で出席しているそうだ。
今までの悪行が全て表にさらけ出されただけではなく。
今回の二回の襲撃事件が証拠つきで突き出され。
更に私の背後に、近隣の有力者がずらりといる。
親は泣いているそうだが。
一緒に連れてこられたあのバカと子分達は、怯えきっていて。頭を抱えてまともに受け答えもできないらしい。
会議は既に三時間も続いていて。
その途中に。
参加している一人が、メールで様子を教えてきたのだ。
ただ、教えてくれたその一人。
PTAの幹部だが。
流石に辟易しているらしい。
前々から、この児童の問題行動は報告があったのに。
放置していたからこの結果だ。
投石は場合によっては簡単に人を殺す。
それを理解した上でやっていたとなると。
少年院行きである。
小学生は普通少年院に放り込まれる事は無いが。
今回のは悪質すぎる。
いずれにしても、学校からは転校処分を突きつけられることは間違いないだろう、ということだった。
ついでにいうと。
転校先の学校でも。
最初から腫れ物として扱われ。
完全に監視されることになる。
やったことがやったことだ。
文句を言う資格も無いし。
それでほぼ決まりだろう。
すぐに明日には街を出て行って欲しい。そういう話まで始まっているそうだ。親は反発する言葉も無いそうである。
或いは、もう育てきれないという事で、養育施設に飛ばされるかも知れない。
あまり知られていないが、この手の養育施設は地獄だ。
責任感のある教師が、子供を愛情によって包むなんてのは幻想。
そんな真面目な人間から、現実に押し潰されていく。
子供達は疑心暗鬼で反目しあい。
そして犯罪が内部で日常的に起こる。
飛ばされてくるのは筋金入りの問題生徒ばかり。
ガタイがいい、くらいのあのバカでは、対応など不可能だろう。
まあいい気味である。
明日からは。夕方に自分でちょっと調査しつつ、コネを伝って情報を集めていく事になるが。
これで邪魔は入らないだろう。
かゆが出来たので、父に出す。
父はもそり、もそりと食べ始めたが。
生気は殆ど顔に無かった。
もっと滋養がつくものを食べさせたいのだが。この状態では、どうにもならないだろう。
嘆息すると。
私は、こっちも研究がいるなと、考え始めていた。
2、閃
授業が終わって。
電車で調査地点に向かう。
姫島は、今回は食指が動かないのか。
調査にはついてこなかった。
桐川も、ジオラマの参考にはならないと思ったのか、ついてこない。
黒田に至っては。
バルク品を何処かからか仕入れてきたので、秘密基地で組み立てたいと、最初からその気が無い発言。
まあ仕方が無い。
今度は流石にバカの足止めも入らないだろうし。
調査も進められるだろう。
昨日の目撃地点を中心に探していく。
いずれにしても、タヌキやキツネではなさそうだな、という事では私の意見はまとまりつつある。
しかしながら、そうなると。
一体何だ。
近場にいる、特定動物を飼っているようなマニアは、私の方でも調査したけれども。いずれもが、しっかり飼っている動物を管理している様子で、何かしらを逃した様子はないと言う。
しかしながら、長距離移動してきて此処に居着いたとなると。
それは調査が大変に困難である。
それこそ警察か何かの調査網を使わなければならないだろうし。
そもあのサイズだ。
幾つか食肉目で該当する生物がいるが。
いずれも子供に対しては殺傷力を持っている。
いわゆる特定動物に分類される。
そしてあの慎重な性格。
人間に見つかったら終わりだと、理解している可能性が高い。
そうなると。
やはり何かしらの理由で、この国に持ち込まれた外来種の可能性が、極めて高いと判断するべきだろう。
「……」
追跡して来ている影はなし。
しかも時間帯が、そろそろ夕方。
調査に使える時間は限られる。
昨日見かけた辺りを調べて見るが。
マーキングどころか、毛の類さえ落ちていない。
厄介だなと、私はぼやく。
此奴は本当に慎重な性格だ、という事だ。
何があっても逃れられるように、非常に神経質な動きをしている。後方で私とバカが争っていたことにも気付いているのだろう。
だから、下手をすると。
もはや此処には姿を見せない可能性もある。
何かしらの獲物を捕っていたかも知れないが。
そういったエサの残骸も。
周囲には確認できなかった。
一度戻る。
夕陽がそろそろ地平の果てに沈む。
それ以降、この辺りにいるのは自殺行為だ。
この辺りは熊はでないものの。
流石に足下がかなり危なくなってくるし。
変質者が出る可能性もある。
今日の昼に来たメールによると。
どうやらバカは今朝の朝一で児童を預かる施設に放り込まれるべく、連れて行かれたらしいけれど。
それとは別に。
どんな変質者が徘徊していてもおかしくないし。
無駄な危険を冒す必要はない。
更に言うと。
例の動物が、実は夜行性という可能性を考慮しなければならない。
日中と夜で、獰猛さがまるで異なる生物はかなり多い。
フクロウなどは典型例で。
日中は鴉に追い回されるが。
夜間は立場が逆転。
鴉は一方的に狩られ、喰われてしまう。
あの動物も、その可能性がある。
ただ。今の時点では、人的被害は少なくとも出ていない。
逆に言うと。
人間の味を覚えられると極めて面倒な事になる可能性も高い。
早々に片付けないと。
非常にまずい事になるだろう。
一度、川から上がって。
情報を整理しながら駅に向かう。
途中、何人か知り合いに会ったが。
その内の誰も。
有力な情報は持っていなかった。
ただ、皆知ってはいるようだ。
何か得体が知れない動物が、この近辺で目撃されているらしい、という事を。
だが、そんな事はとっくに知っている。
一度戻るべく、駅に。
ホームで電車を待っていると。
ふと気になる記事を、ネットで見かけた。
全ての特徴が一致しているのだ。
だが、日本では既に生息域が無い。
ついでにいうと、元々寒い国に生息する生物だ。
生物としては。
オオヤマネコ。
時にはシカを狩る事もある、大型の猫科である。
鳴き声が極めて小さい上に用心深く、本職でないと痕跡を見つけられない上、非常に俊敏で姿を隠すのも上手い。
勿論夜行性で。
人間に対しては、ずっと一方的に迫害を受けてきたため。
非常に強く警戒している。
異常なまでに慎重に行動しているのも。
或いはそれが原因か。
しかし、どちらかといえば黒っぽい毛皮に見えたのだが。
オオヤマネコは、どちらかといえば斑点が毛皮に多数あるタイプのものだ。
何かしらの突然変異だろうか。
流石に大型の肉食獣だとは考えにくい。
その場合は、幼体なのだろうが。
それにしても、人間からわざわざ身を隠す、などと言うことはしないだろう。
オオヤマネコにしても、目撃されているサイズから見て、かなり小型なのである。ただもしオオヤマネコだとすると。品種の生息地域にもよるが。夏を越えられないかも知れない。
電車が来た。
いずれにしても、証拠になる写真なり痕跡なりをしっかり取らなければ、保健所は動かないだろう。
もしもオオヤマネコの場合は、貴重な動物と言うこともあって、いきなり殺処分にはしないはずだ。
ただし、何処かの動物園に送られることになるだろう。
だが、その方があの動物にはいいだろう。
さて、問題は。
本当にオオヤマネコか、という事だが。
いずれにしても、性格がアレでは。もうあの場所には姿を見せないと見た方が良いだろう。
もっと山奥を探すか。
それとも、別の川沿いを狙ってみるか。
いずれにしても、もう少し手がかりが欲しい。
此処まで痕跡を残さない相手だと。
正直な話、調査が厳しいのだ。
最寄り駅に電車が着き、降車したタイミングで。
メールが来る。
誰からかと思ったら。
例のバカの両親からだった。
丁寧な謝罪のメールである。
平身低頭と言う言葉が相応しいレベルで謝っているが。
そんなに謝るくらいなら。
彼処までバカになる前に、どうにかしておけよとぼやきたくなる。
実際問題アレは。
中学以降は、更に周囲に対して猛威を振るっただろう。
ガタイが良いだけのただのバカでも。
腕力が強ければ、周囲に害悪をばらまく事が出来る。
それも自由自在に、である。
親の教育の責任は重い。
私のように、そもそも親が教育などというものを出来る人物では無かった場合には、自分で何でもやらなければならなかったし。何もかもを自分で出来るようにしなければならなかった。
だが、あのバカは違ったはずだ。
「貴方方には怒っていません。 ただし、あの愚かな子供は二度と私に近づけないようにしてください。 メールでのやりとりでさえ不快なので、返信は必要ありません」
ぴしりと言い切ると。
それで終わり。
ふと、それで気になった。
どうしてあのバカ。
あの地点に、ピンポイントで現れた。
私をつけていたのにしても。
そもそも、私の噂は、恐怖とともに伝わっているはずで。
わざわざ仕掛けてこようとなど思うか。
嫌な予感がする。
まあ、何かしらの罠があるとしても。
噛み破るだけだが。
それにしても、警戒を一段階上げた方が良いか。
黙々と家に歩く。
明日、何処を探すか。
少し考えながら。
二日後。
探索地域を変えながら移動していて。
ついにビンゴを引き当てた。
私が隠れている葦の茂みの向こう側に。ほぼ間違いなく、数日前に目撃した例の奴がいる。
まだ向こうは此方に気付いていない。
黙々と何かを食べているが。
恐らくは魚だろう。
実のところ。
野生の猫科でも、魚を捕獲して食べる種類は実在している。
日本の家猫のイメージで、泳ぎが苦手、水が苦手、というものがあるかも知れないが。実のところ、巧みに泳ぐ猫科は珍しくも無い。
中には水辺に生息して、魚を専門に補食する種類さえいるくらいである。
恐ろしいほどに寡黙で。
まったく気配がない。
気付いたのも、餌を食べる音。
それもごくごく小さく。
隠れる事に全力を注いでいるかのような印象さえ受ける。
毛皮は黒い。
しかし、もはやこの黒い毛皮については、あまり宛てにしない方が良いだろう。突然変異の可能性が高い。
他の特徴を収めるため。
全身写真を撮らなければならない。
チャンスは一瞬だ。
飛び出した瞬間、向こうは此方を確認するために振り向く。そして性質上、そのまま逃げ出すだろう。
既に夕方近い。
この間の小競り合いもあって。
相手は警戒して、エサ場を変えるだろう。
その判断は当たったのだが。
まさか此処まで至近距離で、いきなり遭遇するとは思っていなかった。
更に、である。
これだけ慎重な性格である。
相手も、此方について、既に気付いている可能性は高い。
モンスターパニック映画の動物ほど、野生の動物は超絶スペックを持っている訳ではない。
近年は動物のスペックを過大評価して。
それによって能力バトルをするようなコミックも存在しているが。
その手の作品は、大体実物を五割増し六割増し、下手すると数倍で評価している。
本当にそんなスペックをもっていたら。
既にその生物によって地上は支配され。
人間なんて手も足も出ずに滅亡していることだろう。
実際には、文句なしに地上最強の戦闘力を持つアフリカ象が、人間の密猟で為す術無く蹂躙されているという現実がある。
確かに訓練を受けていない素手の人間は猛獣には無力だが。
逆に猛獣なんてものは。
武器を持った人間の前には、手も足も出ないのだ。
そして猛獣の側も。余程のバカか、或いはエサが足りない場合以外は、それを知っている。
猛獣の側が人間を避けるのも。
それが故だ。
葦の向こう側を覗く。まだ、体勢を低くして、何かを食べている。
体長は予想通り90センチから95センチというところか。以前の証言通り尻尾がかなり長い。
それに何ともしなやかな体で。
そして毛並みはまったく乱れていない。
つまり、余裕を持って生活できている、という事だ。
相当に賢く、用心深く。
天敵がいないこの地区でも、油断はしていない。
人間がどれだけ恐ろしいか。
把握しきっている、という事だろう。
一瞬だけ視線をそらす。
その瞬間。
火花が散るかと思った。
反射的に飛び退く。
黄色パーカーを、爪が掠めていた。
やはり此方に気付いていたか。
身を低く伏せ。
口の周りを舐めながら。
黒い影が。
此方を威嚇していた。
スマホを振るって。
写真を撮る。
そして同時に私は、パーカーのポッケに手を入れた。
黒い影は、それを見た瞬間。
未知の何かをすると判断したのだろう。凄まじい跳躍を見せて、バックする。一瞬で四メートルは跳んだ。
途中二回は跳躍を挟んだが。それでも凄まじい動きだ。
近年有名になったサーバルキャットなどは、二メートル近くを跳躍し、飛び立つ鳥を捕獲するという話があるが。
猫科のもつスペックはこれだけ高い。
ポケットに手を入れたまま。
更にスマホで写真を何枚か撮る。
ぶれていなければそれで充分。
見かけからして、耳がかなり大きく尖っており。
何より足が太い。
これは、恐らくやはり幼体とみるべきだろう。
要するに、更に大きくなるという事だ。
小さな声で鳴く。
威圧的な咆哮ではない。
警戒していることを、私にだけ伝えている。
そういう事だ。
私は体勢を低くしたまま、ゆっくり下がる。此方も、敵意が無い事を示さなければならない。
恐らくだが。
相手が殺す気になって掛かって来たら、私では勝てない。
猫は、体重三倍の犬に勝つとさえ言われている。
人間は、同じ体重の犬にはまず勝てない。
つまり、そういう事だ。
ようやく、間合いから逃れる。
もう一枚写真。
黒い影は、身を翻すと。
これ以上の長居は無用と判断したのか。
ようやく姿を消した。
まるでニンジャだ。
凄まじい動きで、一瞬にして川上へと消えていく。
そして、気がつくと。
いつの間にか、夕陽は沈み始めていた。
少しばかり長居をしすぎたか。
そして私は気付く。
背中を。
滝のように汗が伝っていた。
今までで、一番危ない瞬間だったかも知れない。不良生徒と相対するなんて、この状況に比べれば、危険でも何でも無い。
相手は野生の中で生きているホンモノのハンターだったのだ。
まだ子供とは言え、私を殺傷することは充分に出来ただろう。
いずれにしても、写真は撮ることが出来た。
ここからが。
本番だ。
3、山狩り
まず私は、依頼人に声を掛ける。
そして写真を見せると。
依頼人は、大きな声を上げて驚いていた。
「これ凄い! ぶれていないし、側の葦からも大きさがすぐに分かる!」
「それだけスマホ内蔵のカメラが進歩しているという事だ。 何の生物か特定はできそうか?」
「大きな耳からして、ヤマネコの一種だとは思うけれど……耳が小さいから、スナドリネコではないと思うなあ」
「いずれにしても、保健所に報告する。 足の太さからして、恐らくまだ幼体だ。 成体になると、多分死者が出る」
市役所では駄目だ。
一応連絡はするが、これは専門家が捕獲に動かないと捕まえられないだろう。
恐ろしいまでに慎重で。
しかも冷静に動いていた。
その上まだ幼体である。
幼体の時点でこれだけ動けるとなると、つまり何かしらの理由で海外から来た外来種である事は間違いなく。
そして何かしらの理由で、此処に居着いた。
勿論夏を越せない可能性もあるが。
それは希望的観測というもの。
あのスペック。
熊が生息していないこの近辺では。
成体になったら完全にバランスブレイカーになる。
生態系を徹底的に食い荒らし。
類を見ない害を出す事になるだろう。
そればかりか、下手をすると。
山に登ってきた人間を攻撃し。
死に至らしめる可能性もある。
あまり考えたくないが、あのサイズで幼体という事は、ピューマなどの猛獣である可能性も否定出来ない。
だとすると、それこそ場合によっては。
人食いになるだろう。
人間の味を覚えた猫科の猛獣ほどタチが悪い生物はない。
虎やライオンが人間の味を覚えると。
類を見ない被害を出すのも、それだけ戦闘力が高いからだ。
保健所は、以前連絡を入れたこともある。
すぐに写真を添付して、どうやら外来種らしいと言う報告を入れると。向こうも連絡を返してきた。
「この写真を何処で」
「場所は近場の川です。 具体的な座標は……」
「なるほど。 近場で何か妙な動物が目撃されているという話は此方でも聞いていたのだけれど、どうやらこれは何かの外来種で間違いなさそうだね」
「サイズについては、90センチから95センチ。 足の太さから考えて、まだ幼体の可能性が高いです。 このまま放置すると、人間に害を為す可能性が高いので、早めの対応をお願いいたします」
すぐに検討すると返事。
今は夕方。
気の毒だが。
多分これから会議になるだろう。
いずれにしても、此処からは専門家の仕事になる。私は、結果をしっかり抑えるだけでいい。
本当は、私も捕り物を見に行きたいけれど。
流石にそれは足手まといになる。
市役所の方にも連絡を入れる。
市役所は、まだ一応動いてはいたが。
露骨に面倒くさそうな対応をして来た。
保健所に連絡したという話をすると。
ほっとした様子である。
「それならば、保健所に任せるので」
「そうですか」
がちゃんと電話を切られる。
反吐が出ると思ったが。
まあいい。
ちょっと今の対応については覚えておこう。後で仕置きが必要だろう。此方にはそれが出来る手札がある。
家まで、無言。
そして、家についてパーカーを脱いで、気付く。
滝のような汗を掻いていると感じていたが。
それはどうやら、まだ比喩としては足りなかったらしい。
パーカーの下の私服はぐっしょりだ。
それだけ、あの一瞬。
私は今まで遭遇した事がない、自分を殺すつもりで、しかもそれが難しくない相手と相対していた事に。緊張していたのだ。
向こうはリスクを考慮して撤退してくれたが。
下手をしたら死んでいた。
溜息が零れる。
ちょっとばかり、今回は対応がまずかった。
こればかりは、反省しなければならないだろう。
父は珍しく、夕食を済ませていた。
市役所での研修の帰り、うどんを食べてきたそうである。栄養が高く、消化に良いという事で。自分なりに考えて食べてきたのだそうだ。
ただ、ちょっと食べきれず。
残してしまったそうだが。
「いつも手を掛けて済まない。 土産、食べるか」
「うん。 そうするよ」
土産と言っても、冷えたコンビニ弁当だが。
まあ温めればマシになるだろう。
先に風呂に入ることにする。
汗を流す。
服がぐっしょりと言う事は。
下着も同じ。
これは、自分は相当に本気モードに入っていたんだなと、苦笑してしまう。シャワーを浴びて汗を流した後。
風呂に入って、疲れを取る。
これでも相応に鍛えているはずなのだが。
四つ足の動物は出力が違う。
脳裏を死がよぎる。
正にその状況だった。
勿論人数を揃えて武装して囲めば、猛獣だってひとたまりも無い。どんな武術の達人だって、立ち回りで一人一人を常に相手にしていくのであって、複数を同時に相手にする訳では無い。
少しばかり、油断していたのかも知れない。
危険は分かっていたはずなのに。
頬を叩く。
スペックが高いといっても限度がある。
人間はライフルで打ち抜かれれば死ぬ。
猛獣だって、戦車砲を浴びれば即死だ。
恐竜でさえ、戦車砲には耐えられない。
そういうものだ。
しばし、ぼんやりしながら。
今後の事も考え。
油断は極力減らすように。
私は自分に、しつこく。何度も何度も。言い聞かせていた。
翌日。
ニュースになった。
山狩りが行われたのだ。
近隣の保健所からも動員が掛かり、例の謎の猫科が目撃された地域を中心に、包囲網が敷かれ。
丸一日がかりでの捕り物が行われた。
猟友会も参加していたから。
相当に本気モードである。
どうやら後で分かったのだが。
私が撮った写真から、動物が特定されたらしい。
予想の最悪というか。
やはり幼体のピューマだったようだ。
そして、幼体という事は、親がいる可能性もあると判断されたのだろう。
私は流石に其処までは考えてはいなかった。
実際問題、あのサイズは親の元を独り立ちするには早いし。
親がいるのなら、天敵のいる川下には行かせなかっただろうからである。
事実、もし親がいたら。
私が彼奴と対峙したとき。
必死の形相で、割り込んできたはずだ。
人間の恐ろしさは、知り尽くしているはずだから、である。
そうなっていたら、私はまず無事では済まなかっただろう。
いずれにしても、行動などから、親がいないことは分かりきっていたのだけれども。ともかく、猟友会と保健所は、万が一を想定して行動した、という事である。
ともあれ、一日がかりの捕り物の結果。
ついにあの黒いのは捕まった。
最後は麻酔弾を撃ち込まれ。
捕獲された様子である。
伸びている所を、テレビの取材班が無遠慮にフラッシュを浴びせ。
こんな小さいのに、これだけの人数を投入して馬鹿馬鹿しいとかニュースでは言っていたので。
反吐が出るかと思った。
小さいのは今だけだ。
ピューマは最大で二メートル近く、体重も百キロ近くにまで上昇するイエネコの仲間では最大種で、勿論条件が揃えば人間も襲う。ライオンのオスやトラのような圧倒的戦闘力はないが、それでもプロレスラー程度なら鼻で笑うほどの戦闘力を持つ。武器の無い人間では100%勝てない。
何しろ垂直に四メートル近くをジャンプする圧倒的な身軽さを持ち、その分パワーも凄まじい。それに水辺も平気で行動する。
私が実際に見た通りだ。
あの身体能力は、何のことは無い。ピューマという頂点捕食者に相応しい代物だったのである。
問題は、どうしてピューマなどがこんな所に入り込んでいたか、という事だが。
これについては、二週間ほど後に真相が分かった。
どうやら、密輸業者が持ち込んだものが。
誰かに売られる前に逃げ出したらしいのである。
ピューマにしてもそうだが。
猛獣の子供は、歪んだ「愛好家」に人気がある。
ゴリラほどでは無いが、トラやライオンもそうだ。
勿論ピューマもである。
そうして密輸されたピューマが、隙を突いて逃げ出し。近くの山にまで逃げ込んでいた、というのが真相らしい。
密輸業者はすぐに捕まったが。
それよりも問題なのは。
下手をすると人間を殺傷できる動物が近くの山に入り込んでいて、その危険性に気付いている者が殆どいなかったこと。
更に言うと、テレビ局が、その危険性を正確に認識出来ていなかったこと。
この二つである。
この二つが合わさったとき。
最悪の場合は、人食いのモンスターが、山に放たれ。
複数の被害者が出るまで、その危険性を誰も認知できないという、最悪の事態が到来していた可能性が高い。
この近くの山も、山菜採りで入る老人はいるし。
そもそも私有地になっていて、その人しか入らないような山だってある。
被害者の発見が遅れた場合。
人間の味を覚えた猛獣が、更に被害を拡大させていた可能性さえあったわけで。
それを考えると、マスコミの無能ぶりは責任が大きい。
これはまずい、と私は思った。
近場の街はいずれ私が支配するつもりだが。
地方局も改革しないといけないだろう。
こんな馬鹿なニュースを流しているようでは。
マスコミとしての役割を果たしていない。
暴力的な手段を用いてでも目を覚まさせないと。
此奴らは情報を伝えるどころか、被害を拡大させる方に回りかねない。
そして、捕まったピューマについての続報も無い。
マスコミは役に立たないなと認識している私の所に。
以前ネズミの死体を持ち込んだ保健所の職員が連絡を入れてきた。メールで、である。
「ピューマの捕獲に協力有難う。 猟友会の協力もあって、誰も怪我をせずに無事に捕まえることが出来たよ」
「それで、処分はどうなりますか」
「もう故郷に帰してあげられる状態ではないからね。 近場の動物園が幸い引き取ってくれる事になったから、其処で預かって貰うよ。 繁殖実績もある動物園だから、きっと不幸なことにはならないよ」
「それは何より」
それ以上の事は教えてくれなかったが。
ともあれ。
これで環境がズタズタにされる事も無くなり。
更にみんな不幸になる結末も避けられた。
人を襲おうものなら、殺処分は免れない所で。
それが稀少動物だろうと関係無い。
今回は、人を襲うほど成長する前に捕らえられた訳で。
幸運と言えば、幸運だったと言える。
もっとも、当のピューマにして見れば。
迷惑この上なかっただろうが。
密猟されたものか、それとも盗まれたものかは分からないが。
いきなり知りもしない土地に子供のうちから放り出され。
必死に生き延び。
痕跡を消しながら、一番恐ろしい生物から身を隠していたのに。
結局見つかって。
追い回され。
そして牢に入れられ、其処で過ごすことになったのだ。
それからの寿命は、野生のものより遙かに長くなるだろう。
ピューマの飼育は方法が確立している。
飼育方法が確立しておらず、いまだに動物園でさえ見る事が出来ない動物は珍しくないが。
ピューマは其処まで神経質ではなく。
繁殖も成功しているし。
一旦飼育方法が確立すると。
自由が一切奪われる代わりに。
寿命が倍近くになる。
これは野生の環境に比べると。
非常に豊富で安定した食糧と、周囲に警戒しなくても良くなることが原因である。
だが、その代わり。
無数の人間の見世物にされ。
ずっと狭い展示スペースから出られなくもなる。
最近はレクリエーション用の木とかも用意される場合が多いが。
それでも幸せかどうかは分からない。
それから、数日にわたり。
似たような外来種が生息していないか山狩りが彼方此方で行われ。
私の山も山狩りされた。
必要ないと言ったのだが。
それでもされた。
秘密基地については、私の監視下で中を確認させたが。猟友会の老人達は、見て驚いていた。
トタン小屋の中に、意外に近代的な設備が整っているからで。
私有地とはいえ、こんな家を持っている事に、驚きを隠せないようだったが。
まあ私としては、別に自慢するつもりもない。
見られて困るものもないからだ。
なお、妖怪黄色パーカーの名を知っている者もいたので。
流石だと、妙な関心のされ方をしたが。
あまり嬉しくは無かった。
他の山も順番に山狩りをされていく。
こんなに丁寧にやれるのなら。
最初から定期的にやれ。
そうぼやきたくなるが。
予算だの何だので大変なのだろう。
ちなみにうちの市役所は、予算に関しては余っている。
内情を知っているので。
要するに、予算を使う事に対して、色々文句が出るので。使うに使えない、というのが正しい。
面倒な話だ。
そして、一週間ほど山狩りが行われて。
アライグマが十三匹。
ハクビシンが七匹。
そして何故かコーカサスオオカブトが一匹捕まって、山狩りは終わった。
いずれも外来種(ハクビシンには諸説あるが)であるため。処分しなければならない。
コーカサスオオカブトは近くに存在する甲虫博物館に寄付。なお此処では生きた状態での展示をしているので、標本にはされない。
アライグマは殺処分。
これは仕方が無い。
何度も言うが、アライグマが可愛いのは子供の時だけだ。
大人になると非常に獰猛になる上、狂犬病のキャリアにもなる。
狂犬病は、潜伏段階なら兎も角、発症するとほぼ100%助からない極めて危険な病気である。
処分も致し方が無い事だろう。
ハクビシンに関しては、外来種かどうかも微妙な上、それほど危険性はないということで。
結局近場の動物園に引き取って貰った。
展示スペースに余裕があるらしく。
其処で育てるらしい。
まあその方が良いだろう。
いずれにしても、環境に対して割り込んできている生物であることには違いないし。
処分しなくても良いのなら、それでもかまわない。
山狩りが終わると。
ようやく周囲が静かになった。
姫島が、退屈そうにしていたので、こっちから話を振ってみると。
どうやら姫島の両親も、補助要員で繰り出されていたらしい。姫島も後方支援要員として参加したようだ。
「休日が台無しだよ」
「それは災難だったな」
「まったく、何処のバカだよもう」
「世の中には桁外れのバカがいるんだよ。 それと自分の刹那の快楽のために、周囲を全て滅茶苦茶にして良いと考えるエゴイストもな。 自称動物愛好家の中にも、そういうのがいる。 それだけだ」
ただ、山狩りの結果。
危険なアライグマがこの辺りから駆逐されたのは良い事だろう。
それだけは良かったとしか言えない。
それにしても。
至近距離から、幼体とはいえピューマと顔を合わせることになるとは。
今思い出しても冷や汗が出る。
相手が人間にまだ恐怖を感じている状態だったから良かったけれど。
もしも人間を怖れなくなっていたら。
溜息が一つ零れた。
いずれにしても、依頼は達成。
だが釈然としない。
今回は運が良かった。
もう少し、慎重に行動するべきだった。
写真などから、危険性がある事は分かっていたのだ。遠くから、望遠レンズなどを使って撮影するべきだっただろう。
少しばかり、調子に乗っていたのかも知れない。
反省しなくてはいけないなと、私は自省。
ぼんやりしながら、姫島の話を聞く。
「それでアライグマが捕まっててさ。 檻の中で暴れてたけど。 なんであんなの放したんだろ」
「昔子供の可愛いアライグマをペットにするアニメ作品があってな。 ブームになったんだよ」
「何それ。 無責任すぎない?」
「無責任すぎるな」
その上、そもそも原作でも。
大人になったアライグマが獰猛になりすぎて。
ペットには出来ず、手放すというオチを話すと。
流石の姫島も呆れ果てていた。
「それ、どっちにしても飼った奴馬鹿じゃ無いの?」
「バカだな」
「シロと一緒にいると、いろんなバカが見られるけれど。 今回のケースは何というか、本当にどうしようもないねえ」
「しかもそのバカは大概金持ちだからな。 救いようが無い」
手をヒラヒラと振って、どうしようもないというアピールをすると。
姫島も苦笑いした。
いずれにしても、事件は解決。
依頼人に、会いに行かなければならない。
今回は、本当に死ぬ所だった。
報酬が少しでも良ければ嬉しいのだけれど。
まあ、それも勝手な願いか。
死にかけたのは、自分の慢心の結果。
その慢心を、他人に押しつけるのはまた、随分な身勝手といえるのだろうから。
4、夏の幻
水木と公園で待ち合わせる。
水木は既に、報酬の品を作ってもってきていた。
「ありがとう、シロちゃん。 本当に助かったよ!」
「まさかピューマが出てくるとは思わなかったがな」
「本当だよ!」
他人事のような水木の発言には若干苛ついたが。
それも正直な話、私の油断があったのだから、怒るに怒れない。此処で怒るようでは、ただの身勝手な老害である。
子供のうちから老害にはなりたくない。
そもそも、一部の写真を撮れているのなら、其処で断念せずに、もう少し頑張って欲しかった。
確かに受験勉強は大変だろうが。
それとは別ベクトルで、今回は大惨事になる可能性があったのだ。
成獣のピューマが野放しになっていたら。
本当に人が何人も死ぬ可能性があったのである。
しかも今回は、私が何故か知らない奴から襲撃を受けることにもなったし。
面倒極まりない依頼だった。
いずれにしても、報酬を受け取る。
これは細かい。
「これは?」
「石膏像とかあるでしょ。 あれの材料に使う石を、彫刻刀で削ったものだよ」
「ほう」
手間暇が掛かっている。
話によると、美術部だそうで。
よくある立像とか顔像とかではなく。
こういうのも時々気分転換に作っているという。
なお、どうやらモデルは私らしい。
パーカーを被った子供の図である。
立像としてはディテールも良く出来ているし。
小さくてコンパクトだ。
色を塗らなくて、白いのが逆に良い味を出している。
これはお気に入りの品になりそうだった。
「今回は本当に助かったよ。 有難う。 だから気合いを入れて作って見た」
「ああ、こちらもこれだけのものを貰えれば文句は無いさ」
「うん。 また何かあったらお願いね」
「……」
ふりふりだらけの謎衣装で手を振る水木。
周囲の好奇の目が集まっているが。
まあそれはどうでもいい。
さっさと秘密基地に行き。
金庫を開けて、今回の戦利品をしまう。
なお、金庫の上に十五センチほどあるアズマムカデが這っていたので、箒ではたく。此奴に噛まれると、蜂に刺されるのと同じくらい痛いので、侮ってはならない。そのまま箒ではたいて、秘密基地の外にまで追い出した。
丁度少し遅れて、黒田が来る。
手にしている手提げ鞄には。
バルク品が色々入っているようだった。
「わ、おっきな百足」
「朽木の中に入り込んでいたりするケースが多いんだがな。 今回は秘密基地に入り込んで来ていたから、追い出した」
「殺して捨てないだけ優しいね」
「まあ、な」
元々森に生息している生物だ。
スズメバチのように機動力があって、刺されると死を覚悟しなければならないほどの危険があるわけでもない。
噛まれると痛いし。
何度も噛まれるとアナフィラキシーショックも引き起こすが。
百足にそう何度も噛まれるような間抜けな事には、余程油断していなければならないだろう。
外来種でもないのだし。
わざわざ殺す必要もない。
黒田は黙々とPCを解体し始めて。
バルク品を組み立て。
そして調整を開始する。
それを横目に。
ベットに横になった私は。
今回の顛末について話す。
黒田が知っているかどうか、微妙だったからだ。
黒田は知らなかったらしく。
ピューマと聞くと。小首をかしげていた。
だが説明を聞くと。
流石に青ざめたようだった。
「そんなヤバイのがすぐ近くの山を徘徊していたの!?」
「そうだ。 もう少し発見が遅れたら、山菜採りの老人とかが襲われていたかも知れないな」
「熊より怖くない?」
「純粋な殺傷能力は熊よりも高い」
熊は確かに強いが、大型の猫科の戦闘力はそれ以上だ。
狭い所で戦わせたところ、熊がトラを一撃で殺した、と言うような例もあるようだが。それはごく狭い所で、逃げ場がないから起きえたラッキーパンチに過ぎない。
実際は動きの鈍い熊に対して、猫科は非常に俊敏かつ狡猾で。
シベリアでは、熊がシベリア虎のエジキにされている。
勿論サイズが極端に違う場合は話が変わってくるが。
実のところ、映画とかに出てくるような超巨大人食い熊なんてものは、例外的な存在に過ぎず。
実際の熊は、そこまで巨大にはならないのが普通なのだ。
条件が整っているクマ牧場などでも、300キロ代の熊が普通なのだと言うと、400キロオーバーまで成長する熊が如何に例外的な存在かはよく分かるだろう。
「何だかボク達、もの凄く危ない橋を渡ってたんだね」
「現在進行形だ。 今回はアライグマが多数捕まってるが、あれは狂犬病のキャリアにもなる」
「ああ、前にシロが話してた病気だっけ」
「そうだ。 発症するとまず助からない」
どれだけ危ない橋を渡っているか。
分かっていないものが多すぎる。
私は少しばかり、今回の件で。
人間は平和になれすぎているのでは無いかと、実感してしまった。
それは私も含む。
実際問題、相手が如何に用心深いと言っても。
もしも後ちょっとでも油断していたら。
あの一撃で。
頸動脈を切り裂かれていたかも知れない。
幼体でも。
私を殺すには、充分な戦闘力があったのは間違いない。
相手は幼くても猛獣だったのだから。
「山で何か妙なものを見たら、すぐに絶対に逃げろ。 今回の件で、私もそれを痛感した」
「分かってるよ。 そんな話を聞かされるとね」
「時に、捕まったピューマは、動物園で展示されるそうだ。 しばらくは環境に慣らすそうだから、早くても二ヶ月後だそうだがな」
「ふふ、見に行くつもり?」
そのつもりだ。
そう答えると。
黒田は面白いなあと。
ころころと笑った。
家に戻ると。
静かだった。
父の部屋を覗きに行くと。
父が死んだように眠っている。どうやら体調不良で、市役所のプログラムも、今日は休んだらしい。
気持ちは分からないでもないが。
ただ、本当に死んでいるのでは無いかと、少し心配してしまった。
目に見えて危険な状態だからだ。
病院に行かせるべきでは無いのか。
何度もそう思う。
食が異常に細くなり。
気力も削られ切っている。
ブラック企業での労働は。
昔の奴隷労働と大差ない。
そして、奴隷労働はこうも体を心と一緒に壊してしまう。
昔、奴隷を大々的に使っていた国は。
奴隷が増えないと「困っていた」そうだが。
それも当然だろう。
こんな状態に置かれた人間が。
増えるわけが無い。
父が起きた。
ぼんやりと私を見ている。
しばらくして、ようやく私だと認識出来たようで、枯れたような声で言う。
「シロか……」
「夕食作ってあるよ。 食べよう」
「今……何時だ」
「六時半」
ぐったりした様子で、父が起きだす。
そして、食卓に着いた。
食欲はずっとない。
むしろ、悪化の一途をたどっている。
栄養に関しては、此方で考え抜いてはいるのだが。それでもどうしようもない。父に生きようという意欲が見えない。
そうなると、体は正直だ。
どんどん衰えていく。
そして、その内。
心が死ぬ。
もうこのままでは、父はどうにもならないだろう。市役所でやっているプログラムは、効果を上げているとは言い難い。
そうとしか、言えない。
「味がしない……」
「味をつけると食べられなくなるでしょ」
「ああ、そうだな……すまん」
「栄養はしっかり入れているから、安心して食べて。 何ならお代わりも作る」
父は首を横に振る。
そうか。
今でも、無理をして食べているのがよく分かる。
本当は、食べるのも厳しいのだろう。
食欲が完全になくなるというのは。
それだけ心身のダメージが大きいという事だ。それでも、食べなければならない。父の痩せ方は、もうレッドゾーンに入り込んでいる。
このままだと、確実に死ぬ。
「畑でも耕す? 商業ルートに何て乗せなくて良いから」
「そういえば、うちの土地にあったな。 もう何年も手入れしていないが」
「うん。 目標を持って動くと、少しは体も良くなるよ」
「……考えておく」
父は食事を終えると。
また死んだように眠り始める。
食事の最中も。
非常に辛そうだった。
こういった症状は、はっきりいって本職の医者に見せる他対応手段が無い。民間療法ほど役に立たないものはない。
ましてや、運動で改善するとか。
そんなものは迷信だ。
スポーツマンでも鬱病になる人間は幾らでもいる。
精神を壊して首をくくるものだっている。
体を動かせば何でも治るなんてのは。
一種のカルトだ。
それも極めてタチが悪い。
そんなタチの悪いカルトを強制的に押しつけておいて、自分が良いことをしていると考える人間が世の中には一定数いて。
消える気配もない。
カルトの厄介さは、この間の仕事で嫌と言うほど味わった。
私も、もうこれ以上は。
父を面倒見切れないかも知れない。
介護士を雇うか。
いや、それだと少しばかり金が掛かりすぎる。
医者に連れて行くか。
いや、この辺りに、信頼出来る精神科が無い。まともな精神科となると、県外になってしまう。
今の父を連れて行くのはかなり厳しい。
しかも相手は大学病院。
色々な面倒な手続きが必要になる。
下手をすると、診察の予約は一ヶ月後になる。
溜息が零れた。
心療内科や精神科は。
今これほど悲惨な状態になっている。
誰も彼もが地獄を見ているからだ。
心を病むのも当たり前。
そうなれば様々な不調が体に出る。
どうすればいいのか。
しばらく父に耐えて貰えれば。私が中学になった頃には、幾らか稼げる手段が出てくるのだが。
それも厳しい。
かといって、私が焦ったら。
全てが台無しになってしまう。
ベットで横になると。
しばらく考え続ける。
他人の問題を解決し続けて来た私でも。
心が完全に壊れてしまった家族の問題は。
そう簡単には。
解決できそうに無かった。
(続)
|