黄昏の地
序、死の砂浜
年に何度か死体が上がる。
そんな場所が、この街の近くの海岸にある。海流の関係で、身投げした人の死体が上がるのである。
殆どの場合事件性は無い。
いわゆる。
自殺の名所である。
身を投げる場所は、この街とはかなり離れているのだけれども。どうしてもそういう理由で、地元の人間は近寄らない。
だいたい近場に住んでいる人間が、異臭に気付くと。
死体発見、という流れになる。
それも、海に流された死体は。
いわゆる土左衛門である。
ぱんぱんに腐敗ガスで膨らみ。
彼方此方食い荒らされる。
それこそ、人間の尊厳を極限まで喪失したような姿になる。
検死も大変だが。
それ以上に、悲惨なのはその後だ。
遺族が見つかれば良いが。
そうでなければ、無縁仏に葬られることになる。
まあ、今の時代は。
大体は身元が判明するのだが。
おかしな話で。
トンネルとかは心霊スポットになるのに。
この死体が流れ着く場所は、心霊スポットしてそれほど有名では無い。
地元民しか知らない、という理由もあるのだろうが。
それ以上に、そもそも「死体が流れ着く」場所であって、「人間が死ぬ」場所ではないから、かも知れなかった。
いずれにしても、私は。
今その海岸に来ている。
慰霊碑は一応あるが。
地元の老翁が手入れしているくらいで、それほど花とかは供えられていない。というよりも、自殺した場所は花盛りなので。此処にも花を供える意味がないのだろう。
私は今回。
中学三年生の依頼者、山内潤一の依頼でここに来ている。
今回もまた面倒な依頼で。
此処に流れ着いたものについて、調べて欲しい、と言うのである。
自分が調べろよと言いたいのだが。
山内は自称「見える人」らしく。
此処は怖くて近づけないそうだ。
困った話だが。
こういった内容は、親にも相談できない。
まあ確かに、私は「見える人」については否定はしない。幽霊がいるかいないかは、正直分からないから、である。
私自身は見た事がないが。
見える人には見えるのだろう。
よく分からないが。
ともかく、馬鹿馬鹿しいと一蹴するのは、こういう状況では悪手だ。むしろ、恩を売るためにも、依頼を聞いてやる必要がある。
そしてその恩は。
後で使える。
さて、周囲を確認。
実は此処は、海流の関係で、死体以外もかなり色々と流れ着く。そのため、定期的に見張りをしている。
死体は殆どの場合地元民が発見するが。
それ以外にもゴミとしか言いようが無い漂着物がかなり流れ着くので。
それらを処理しなければ行けないのだ。
例えば船の残骸。
これは最大クラスの漂着物だが。
何かしらの理由で廃船になったものが、時間を掛けて海流に乗り、流れ着くケースがある。
実際に何度か流れ着いているそうで。
勿論中はしっかり確認し。
事件性が無い事は確認済みだそうである。
他にも浮き輪だのサンダルだの、浮きやすいものから。
どうやって流れ着いたのか、注射器やらオモチャの部品やら。
そういったものまである。
元々死体が流れ着きやすい海岸だ。
海水浴場としては開かれていない。
更に、である。
この辺りは深くなるのが非常に速いため。
海水浴場としては根本的に向いていないのである。
しばらく海岸線を歩く。
そして辿り着いたのは。
預かり場、と書かれた寂れた小屋だ。
中には老人が一人。
妖怪黄色パーカーの噂は、此処まで届いているのかいないのか。いずれにしても、人脈は流石に少し離れたこの街では、それほど広まっていない。
「何用かね」
「こういうものが流れ着いていないか、確認したいのですが」
「どれ」
老人が、分厚い手帳をめくり始める。
まだデータを電子化していないのかとちょっと呆れたが。
ざっと見たところ、電子機器も電話くらいしか見当たらない。それも、下手をすると黒電話のちょっと後くらいの世代の奴だ。
これは、何というか。
時代に取り残された場所だ。
この老人も、仕事としてやっているとは思えない。
明らかに、誰かに金を貰っている訳では無く。
自分の家か何かが近くにあって。
趣味でやっていると見て良いだろう。
実は、流れ着いたものを管理している施設がある、というのは事前に調べがついていたし。
それで此処に直行したのだが。
まさか此処まで酷いとは思っていなかった。
建物自体も、築で一体何年なのか。
四十年、いや五十年か。
もっと前からあるような気さえする。
トタンの小さな家。
其処に暮らす孤独な老人。
そして、流れ着いた死体の多くも、この老人が見つけていることだろう。時代から完全に取り残された場所。
山の中でもなく。
街から離れているわけでも無い。
それなのに。
此処には。
昭和どころか、大正の空気さえあるのではあるまいか。
「よく分からないねえ」
「分からないものは、まとめたりしていますか」
「ああ、それは大丈夫だよ。 基本的に洗って、部品の大きさごとにまとめている。 海辺を見回って、流れ着いたものを集めて、それを綺麗にしたり、まとめて置くことだけが生き甲斐でね」
「……」
何だろう。
この老人には、家族も友人も必要ないようにさえ思える。
ただ、此処にあり。
海岸に流れついた品を探して。
そして場合によっては警察に通報もする。
それだけで、存在感を持ち。
恐らくは、淡々と死んで行くのだろう。
自分の人生を後悔しているか。
そんな風にはとても見えない。
むしろ、コンテナに案内されたときには、老人は誇らしげでさえあった。
「分からないものは、其方のコンテナに。 大きさ別に分けて入れてあるから、好きに見てくれて構わないよ。 ただし理由が無いのに取って行ったら駄目だよ」
「私が探しているのはこの品です。 それ以外には興味はありません」
「さっきも聞いたけれど、これはなんだい?」
スマホで写真を見せる。
私は少し躊躇ってから。
応えた。
「私は依頼を受けて動いているのですが、依頼主いわく札だそうです。 木製の」
「オフダ」
「そうです。 オカルトは私の関知するところでは無いので、ただ探しに来ただけではありますが」
「そうか」
木製の、小さな札。
そういったものも、見つけ次第拾い集めてはいるらしい。
ただし、老人は私を完全に信用しきったわけではないのだろう。
調査を始めた私を。
コンテナの後ろから。
じっと見つめていた。
それにしても、凄い有様だ。
これは車のバンパーだろうか。
さび付いてしまっているが。
それでも埃は被っていない。丁寧に掃除されて、取りに来る人がいるかも知れないから、大事に確保している。
その様子がよく分かる。
壊れてしまった人形。
いわゆるソフビで。片腕が無いが。
近くにそれらしきものがあるのを見つけた。
嵌めてあげる。
ソフビは怪獣の人形だったが。
何かしらの理由で、海に投棄されたのか、それとも気付かず落としてしまったのか。何の怪獣かは流石に分からないが。
何となく、怪獣の人形は、私が腕をはめ直してやると、喜んでいるように見えた。
勿論主観だ。
ものには魂が宿るとはいうが。
あくまでそう感じただけである。
これは、なんだろうか。
まったく正体が分からないビーズのようなものを連ねた物体。大きさもそれほどではないが。
明らかに人工物で。
鈍い光沢を放っている。
何かの部品かも知れないと思ったが。
思い当たった。
多分これは風呂の栓だ。
かなり年期が入っている品だが。
これがどうして流れ着いたのか。
それははっきり言って良く分からない。
不法投棄を何処かの業者が、海に行ったのだろうか。
それだとすると完全に犯罪だが。
いずれにしても、この年季の入りよう。海に捨てられたから、というだけでは説明がつかない。
何十年も。
風呂桶と共にあり。
錆びることも無く。
朽ちることも無く。
ずっと誰かの入浴のために、栓でありつづけたのだろう。
それがどうして海に捨てられたのかは、本当に分からない。家が解体処分でもされたのか、或いは。
分からないものを見つける。
美術品だろうか。
小さな人の像のようなものだが。
日本製とは思えない。
造形が、東南アジアのシャーマニズムに使われそうな代物なのだ。
ポーズといい。
造形といい。
独自の味がある。
この木像も、どういう経緯で流れ着いたのか分からないが。
兎に角とても美しい。
現在も、この老人が。
漂着物一つ一つを、丁寧に掃除しているのがよく分かる。
ゆったり動いている枯れ木のような老人だが。
呆けている様子は無い。
毎日の日課が。
彼の頭をきちんと動かし続け。
そしてボケとは無縁の状態に保ち続けているのだろう。
ざっと他も確認。
大きなものをまずは見ていくが。
それは、隙間に入ったり。
或いはくっついたり。
そういった理由で、其方に入り込んでいる可能性があるから、である。
老人に途中で何度か聞くが。
船とか、あまりにも大きすぎるものに関しては、業者に処分を委託しているそうである。まあ流石にコンテナには入れられないか。
ただし、船の内装などは。
可能な限り外して、コンテナに入れているそうで。
そういう意味では、殆ど紛失の可能性は無いと、老人は自慢げに言う。
自慢なのだろう。
掛け値無しに。
この老人はそういう人物だと。
少し接しただけで分かった。
やがて、小物に移る。
小物のコンテナは、幾つもある。一つずつ調べていくが。いずれもが、綺麗に保たれている。
「これ、毎日掃除をしているんですか」
「毎日全てはしていないけれど、基本的に埃が溜まりそうなタイミングを見計らって、綺麗にしているよ」
「大変でしょう」
「だけれども、色々な理由で流れ着いているからね。 大事にしてあげなければいけないと思うんだよ」
遺品などは、死体の身元が分かった場合、遺族に引き渡すそうだが。
場合によっては、死体の身元が分かっても。
遺族に引き取りを拒否される場合もあるし。
遺族に何々が無いとか、食ってかかられる場合もあるらしい。
そういうときのために、漂着物を集め始めて、はや51年。
元々資産家だった老人は。
別にこれ以外に働く必要もなく。
そして警察とも馴染みになり。
死体が上がっているのを見つけると、名前を告げるだけですぐに通じるし。
何度か表彰も受けているそうである。
そういう意味では。
警察にコネを持っている訳でもあり。
コネを作っておいて損は無いなと私は思った。
「ありそうかね」
「今、幾つか候補を絞り込んでいる所です」
写真を撮りながら応える。
幾つか木片は見つけたのだが。
どうにもそれが一致しているものなのか、よく分からない。
そもそも依頼主が「見える人」だから、危険すぎて近づけないと言っているのも、個人的にはそういうものかとしか思っていない。
何故札を回収しなければならないのかも。
詮索はしない。
いずれにしても、それらしき木札は、十まで絞り込んだ。
木片は浮きやすい。
文字が書かれている木片も、その中には相応にある。
1から10まで番号を振って、依頼主に写真を送る。そして、この中のどれかかと電話で聞いてみるが。
依頼主は、悲鳴を上げた。
「何だよこれ! どれもこれも、洒落にならない悪霊ばかり映ってるじゃないか」
「そうなのか」
「そうなんだよ! どれだけ鈍いんだ君は! 背筋が寒くなったりしないか!?」
「生憎」
私は仕事をしに来ただけだ。
それを淡々と告げ、あるかどうか聞くが。
そうすると、七番、と怯えきった声で返事があった。
嘆息すると、照合する。
文字が書かれているが。
確かに貰っている写真と並べると、ハゲ掛かっているとはいえ、文字が一致しているのが分かる。
老人にも見てもらったが。
一致しているようだと言う事で、引き渡してくれた。
そして、他の木片は。
どれが何処に入っていたのか、完璧に把握していたかのように。コンテナに戻していった。
「時に、幾つか価値がありそうなものがありましたが。 譲る気はありますか?」
「いいや、誰か本来の持ち主が来るかも知れない。 だから、持ち主が来るまでは預かっておくつもりだよ」
「そうですか」
「僕の唯一の生き甲斐だからね」
それなら、取りあげるわけにもいかないだろう。
老人はコンテナに鍵を掛けると。
一緒に小屋まで戻る。
そしてあの分厚い手帳から。
何処に書かれているのかを理解しているのだろう。
迷いなくページを開くと。
「持ち主回収済み」と、達筆で書き加えた。
「時に、この持ち主が、悪霊が悪霊がと言っているんですが、幽霊の類を見た事は」
「全く無いねえ。 仏さんには手を合わせるけれど、警察が来るまでは触ってはいけないとされているし。 何より仏さんが彷徨うとしても、此処では無くて、身を投げたり亡くなった場所だろうしね」
「そういうものですか」
「幽霊そのものは見た事があるんだよ」
意外な言葉である。
私は見えない人間なので、ほおと思わず呟いていた。
「墓参りの時とかに、たまにね。 無念そうな人も見たことがある。 でもやはり、ここはただ抜け殻が辿り着くだけの場所で、幽霊が無念を訴えるのは、きっと死んだ場所なんじゃないのかな」
老人は、ただ淡々と。
そう持論を述べた。
1、お役所仕事
私は、苦虫を噛み潰しながら歩いていた。
勿論、比喩である。
実際には、「苦虫」という昆虫は明確には存在していない。噛んだら苦い虫、は幾らでもいるようだが。少なくとも「苦虫」と明確に名を持っている虫はいない。なお蟻に関しては、ギ酸の関係で酸っぱい。
とにかく、札を持ち帰って。
そのまま依頼主に渡そうとしたのだが。
そのままだと危険すぎて受け取れない、とか抜かすのである。
なお、持ち帰った後。
スキャナーなどで分析して、一致しているかは丁寧に確認。
完璧に一致していることを確認したので。
これが目的の木札である事は間違いないだろう。
それは別に構わないのだが。
料金は出すから、除霊をしてくれと言われると。
それこそ、なんで私がそんな事をしなければならないんだと、ぼやきたくもなる。なお、面白がって姫島はついてきた。
いつも此奴は。
面白そうなことには、首を突っ込んでくる。
「それで、それがユーレイの宿ってる札?」
「そうはいうが、これを保管していた老人は、何もその手のものは見えなかった、と証言しているがな」
「ふーん」
「私にはそもそも見えないから、何とも言えないが」
小さな木札だ。
どうやら書かれているのは梵字らしい。
そも、これをどうして海に流したかというと。
これを渡した人間が自殺してしまって。
回収しなければならなくなったから、というのが理由なのだそうだ。
ちなみに自殺の件は本当で。
調べて見たら、きちんと死体も上がっていた。
ただ木札に関しては、本人が渡されたもの、というだけであり。遺族も存在を感知していなかったのだろう。
更に死んだ後に、死体から離れてしまい。
別個に流れ着いたようだ。
「で、家ではユーレイとか出た?」
「ラップ音さえ鳴らんな」
「やっぱりかあ」
「?」
話によると。
どうも見える人、というのは。その大半が言っている事が支離滅裂らしい。まあそれについては分かる。
人間の脳みそが如何にいい加減かは、私も理解している。
幻覚をいつ見たっておかしくない。
幽霊がいるかいないかは別として。
そういった幻覚をとても見やすく。
そして全て幽霊と勘違いしている。
そういう「見える人」も多いそうだ。
「私、見える人は結構知ってるんだけれど、みんな言う事が違うんだよねえ。 それでその依頼主さん、特に頓珍漢な事を言うことで有名らしくて、周囲からも変人扱いされているとか」
「……そうか」
「シロも今回、そのくらいは聞いていたんじゃ無いの」
「変わり者だとは聞いていたがな。 だが、私は依頼は受ける主義だ。 仕事をきっちりこなすことが、私の威名を上げる」
さて、到着。
近場の神社だ。
除霊で有名な場所である。
なお、普通の寺とか神社に、除霊が云々という事を言いに行っても、基本的に迷惑な顔をされるだけである。
除霊とかを専門でやっている場所があり。
そういうのを情報を伝って探していくしかない。
勿論それはオカルトだ。
私も信用していない。
今回に関しては、依頼主が金を払うと言っている事。
除霊をして貰わないと危なくて触れないので、頼むと頭を下げてきていること。
何より私は、アフターケアまでばっちりやるのが主義な事。
それらが理由のため。
わざわざこんな事をしている。
本来だったら、お前で勝手にやれと、突っ返している所だが。
しかしながら、相手の怯えようが尋常では無かったこともある。
このままでは依頼を完遂できない。
姫島には、丁度良いので。
除霊の様子を撮影して貰う事にする。
表だって撮影すると断るかも知れないので。
隠れてこっそり、である。
神社に入り。
箒で掃除をしている、同年代の子供を見つける。勿論巫女の着る千早なんて着ていないが。
「何の御用ですか? ……て」
「ほう。 此処の子だったのか」
「っ!」
露骨に相手が動揺する。
此奴の名前は差恩寺由井。
別の学校にいる五年生だ。
別の学校とは言え、以前その学校で事件を解決したときに、ちょっとだけ関わった事がある。
そういえば。此処の神主は差恩寺とか言ったか。
田舎では、同じ名字の人間が珍しくない。
血族が、彼方此方に拡散しているからである。
だからひょっとして、くらいに思っていたのだが。
まあ今回ばかりは。
たまたま、と言う所だろう。
わなわなと震えているのは。
露骨に怯えているからである。
箒もその場で取り落としそうな勢いである。
「時にお前は「見える人」だったっけ?」
「な、何の話よ!」
「ほれ、これ」
相手に札を見せるが。
由井は小首をかしげるばかり。
「依頼でな。 金は払うから、除霊して貰えって此処を紹介されたんだよ」
「お父さんなら奥よ。 でもはっきり言うけれど、効果があるかは分からないわよ」
「インチキだって事か?」
「知らないわよ。 私だって見えないんだから」
ああ、そういうことね。
まあ私に取っては、それこそどうでも良いことだ。
今回の場合、依頼主の不安を取り除く事が大事なのであって。実際に幽霊がいるかいないかとか。
除霊が本当だとか。
そういう事は。
文字通りどうでもいいのである。
仕事だから処理するのであって。
信じているとか、信じていないとか、そういうのは文字通り管轄外だ。
奥に行くと。
神社の本殿がある。
神社は規模にもよるが。
生活をするための家が建てられているケースもある。
この神社はそうだ。
戦国時代にも、大規模な神社の家は戦国大名化することがあった。かの織田家などもその流れである。
つまり、神社は金持ちだったり。
地元の顔役だったりするケースもある。
あくまでケースもあるだけで。
今回、除霊を依頼する此処は、そこそこの金持ちなだけだ。
なお事前に調べているが。
一応悪辣なことはやっておらず。
ただたまに除霊とやらをやっているだけらしいので。
私としては、あまり敵意も脅威も感じない。
奥に行くと。
目がぎょろりと大きい。
痩身長躯の男性が立っていた。
「除霊をお願いしたいんですが」
「どれ、見せてみなさい」
どこかしら尊大な言い方だ。
そして札を見せると。
ふんと鼻を鳴らす。
「せっかく退魔の札として作ったのに、汚染されてしまっているね。 除霊はすぐに終わるから、待っていなさい」
「一応どうやって処理するかは見たいんですが」
「駄目」
あっそう。
呆れて呟きそうになったが。
姫島に目配せ。
向こうはきちんと既にカメラでの隠し撮りはしていた。
三十分ほど待たされただろうか。
戻ってきた神主は。
はいと、札を渡した。
「たいした悪霊では無かったから、すぐに払ったけれど。 あまりこういう危ないものは、持ち歩くんじゃあないよ」
「分かりました。 料金に関しては、この電話番号に請求してください」
「……」
すぐに電話を始める神主。
そして、相手は依頼主。
しばし話をした後。
合意が成立したようだった。
「面倒な事になっているね」
「はあ」
「おおかた頼まれて除霊しに来たんだろう」
「そうですが、それがなにか」
呆れたような。
同情したような。
そんな顔を、神主はする。
「彼は過敏に霊的なものを感じすぎるだけで、かなり大げさだからね。 今回の件も、そこまで危険な悪霊じゃあない。 だから小遣い程度ですむ料金でおまけはしておいたけれど、今後変なことに手を出さないように、君からも忠告してあげなさい」
知るか。
そもそも見える人でもないし。
どっちが言っている事が本当かも分からない。
チキンの言う事を鵜呑みにするつもりはないし。
仕事だからこなしただけだ。
一礼すると、神社からさっさと出る。
由井は、私の方がよっぽど悪霊なんかより怖いようで、じっと背中を見つめ続けていた。
さて、これでこの面倒な仕事も終わりか。
そう思って、依頼の品を渡しに行く。
さっそく依頼主を呼び出すが。
相手は真っ青。
怯えきっていた。
「除霊はして貰ったぞ。 ほら、これが例の品だ」
「分かっている。 でも、何も本当に見なかったのか」
「何の話だ」
「電話で除霊の話をしているとき、電話の向こうからずっと恐ろしい声がしていた! あの神主だと、手に負える相手じゃないかも知れない!」
依頼主はそう言うが。
私は眉をひそめるばかりである。
そもそもだ。
今回の依頼で受けたのは。札の回収。
それが、金を払うからとあんな大回りをさせられたあげく。
結局まだ依頼主は怯えている。
暗示でも掛けてやった方が良いのか。
しかしながら、このまま札を無理矢理返しても、依頼としては失敗になる。アフターケアをしっかりするのが私の流儀だ。
実は、私は。
この流れは予測していた。
そのために、準備していたものがある。
ひょいと木の札を出してみせる。
ひっと声を出して後ずさった依頼主。
私は、この木札が怖いのかと聞くが。
依頼主は怖いと言う。
「何だそれ! 凄いのが憑いてる!」
「それはない」
「どうしてだよ!」
「これは今朝、私が家に生えている木の皮をちょっと拝借して、即興で作った偽物の札だからだ」
唖然とする依頼主だが。
しかし吠える。
「僕には見えるぞ! きっとその木には、何か曰くが」
「私が最初から植えて育てた普通の木だ」
「土地に着いている悪霊が」
「そんなもん見た事もない。 そもそも私の家は、古戦場でも何でもないぞ」
此奴は恐らく。
神経過敏が過ぎて、見えない者も見えるようになってしまっている。
それでほぼ間違いない。
あの神主が除霊とやらを本当にしたかも怪しいが。
いずれにしても、この依頼主。
予想より、遙かに面倒だと考えた方が良い。
このままだと此奴。
妙なカルトとかに引っ掛かって。
根こそぎ財産を巻き上げられてしまうかも知れない。
カルトがらみの依頼は、解決が非常に面倒くさいのだ。つい最近も、大規模な捕り物になった。
こういう「見える人」を自称する連中が。
カルトのエジキにもっともなりやすいのは。
言うまでも無いことなのである。
「で、この除霊した札は?」
「まだ怖い……」
「お前が除霊を頼んだ相手が、除霊したそうだが」
「まだ悪霊の怨念を感じる! きっと、自殺の名所に流れた事で、正の力が負に反転してしまったんだ!」
もう知るかと匙を投げたくなったが。
まあ兎に角我慢だ。
此奴を納得させなければ。
依頼は完了とは言えない。
「で、ならばこの札をどうすれば受け取ってくれる」
「ち、近づけないでくれ! まだその札は悪霊に汚染されてしまっているんだ! ああ、見よう見まねで僕なんかが魔除けの札なんて作るんじゃなかった!」
「……そんなに危ない代物だったら、焼却処分でもするか?」
「そんな事をしたら、解き放たれた悪霊が何をしでかすか!」
手に負えない。
今回姫島を連れてきていたら。
さぞや面白がった事だろう。
だが此方としては。
もうげんなり。
おなかいっぱいである。
「分かった。 で、この札をどうすればいい。 除霊とやらは済んだのだろう。 それ以外にまだ何かして欲しいのか」
「この近くの山奥に、清浄な気の働いている泉がある……」
「はあ」
まあ山奥に行けば。
水源くらいはいくらでもあるだろう。
私の秘密基地がある山には無いが。
少し離れた山には、幾つか水源がある。
もっとも、私有地であるケースも多いが。
ただ、今回、依頼主である山内が指定したのは。
国立指定公園。
その一角だ。
名所としては知られているが。
そんな霊的な何か良く分からない凄い場所だとは知らなかった。
ざっと調べて見るが。
「スピリチュアル」だとか「パワースポット」だとか、そういったオカルト系の記事でも取りあげられていない。
要するに有名でもないし。
そんな霊験とかがあるとも分からない。
そもそもだ。
ざっと検索してみるが。
それらしい話は一切出てこない。
綺麗な水源には違いないが。
それ以上でも以下でもない、という事だ。
「其処に、しばらく木札を安置して欲しい。 最低でも一週間」
「分かったが、それで満足できるんだな?」
「け、結果を見ないと分からない」
どうしようもないチキンだなと思ったが。
少し考え込む。
考え込んでいる様子さえ。
山内には恐ろしい様子だった。
生まれたての子鹿か此奴は。
「分かった。 この様子だと、泉にそのまま札をおいても、お前は納得しないだろう」
「な、何だよ、どういう意味だよ」
「お前も来い。 納得するまでつきあってやる。 ただし、この貸しはかなり大きいからな」
いい加減私が苛立っていることに気付いたのだろう。
山内も、びくりと身を震わせたのだった。
2、思い込みの海
翌日。
姫島と山内と合流。
そして山へ登る。
指定公園である。
山登りをしている中には、珍しい動植物を目当てにしているのか、何処かの大学の教授やら何やらも目立った。
それにしても山内の腰の引けっぷりよ。
「どうした、清浄な空気なんだろう。 怯える要素は無い筈だが」
「そ、そんな事言っても」
「ちょっと怖がりすぎじゃない?」
「き、キミ達は、本当の恐怖を見た事がないからそんな事を言うんだ!」
山内は周囲の視線を感じたか。
口をつぐみ。
そして声を落とした。
「最初に幽霊を見たのは、まだ七歳の時だった。 その時の衝撃は今だって忘れられないよ。 ちまみれの得体が知れない人影が、ゾンビみたいな動きで此方ににじり寄ってくるんだ。 怖くて声も出なくて」
「何処の話だそれ」
「旅先の旅館だよ! 後で調べたら、案の定幽霊が出るって有名な旅館だった!」
半泣きの山内。
まあいいか。
旅館は幽霊話の定番だ。
とはいっても、この手の定番は、恐らくは自分の家とは違う場所に宿泊する緊張が産み出す幻覚では無いかと私は思うのだが。
まあ中には。
本当に幽霊が出る旅館もあるかも知れないし。
私は幽霊が見えないのだから何とも言えない。
「それから見えるようになって……」
「で、今日は」
「ここはその、清浄な場所だから、あまりいない。 いるにはいるけど、タチが悪いのはいない」
「ふーん」
姫島が思いついたのか。
不意に話を振る。
「で、その札は、どうして作ったの?」
「あまり霊障が酷いから、見よう見まねで作って見たんだ! そうしたら、学校で嫌な奴に取りあげられて! それからしばらくして、返してくれって頼みに言ったら、自殺した奴にくれてやったって言われて! 心臓が止まるかと思った!」
真顔になる。
そういう事だったのか。
依頼の時に話を聞いたが、まさかこんな真相が出てくるとは思わなかった。
何というか、予想外にもほどがありすぎる。
サッカーを見ようとテレビをつけたら、敵チームが全員ハンドで退場して、無条件で勝利を勝ち取ったチームが呆然としている様子を見ているかのような気分である。
いずれにしても、今の姫島の振りはナイスだった。
ようやく分かった。
此奴の場合。
要するに、問題は恐らく、幽霊云々では無く。
自分が作ったもので人が死んだという罪悪感だ。
なるほど。
見える云々は恐らく関係無い。
この異常な神経過敏が。
どこから来るのか、ずっと気になっていたが。
それがやっと分かった。それも合理的な形で、である。すとんと腑に落ちた。
此奴が怯えているのは、幽霊では無い。
自分の罪だ。
そして、それが故にこれは面倒だ。
除霊だの何だので解決するわけもない。
最初からアプローチが間違っていた。
今回だけは、浄化とやらでつきあってやるが。それでは恐らく、というか100%此奴の恐怖は解決しないだろう。
そうなると。
手は別の方向から打つしか無い。
姫島を手招き。
耳打ちする。
「合わせろ」
「良いけど、何するの」
「山内は、自分の札が自殺を招いたと思い込んでいる。 その思い込みを、取り去る必要がある」
「ふーん」
興味が無さそうだったが。
私が真顔なのを見て、それでやっと興味が生じたのだろう。
此奴、何処まで計算してやっているのか分からないけれど。意外に知能指数とか計算してみたら、凄い数値たたき出すのではあるまいか。
ちなみに私は今年に入ってからやってみたが。
171まで上がっていた。
まあ勉強は難しいと感じたことは一度もないし、高校1年の教科書くらいならそれほど難しくなく読めるから。
この程度が妥当か。
咳払いすると。
現地まで、何も喋らずに行く。
そして、清浄な水が湧いている場所で。相手が泉を見ている間に、札をすり替えた。
貴重な公園の清浄な泉に、しばらく汚い海に浸かっていた板きれを放り込むわけにはいかない。
ましてや国定公園だ。
まず清水で札(偽物)を洗った後。
それを山内に見せて。
そして隠すようにして、泉の側に置いた。そして石を載せ、誰も気付かないように偽装した。
勿論、「ホンモノ」は手元である。
青ざめている山内。
「で、浄化は大丈夫だと思うから、帰るよ」
「……」
「何、まだ何か心配が?」
「この泉が、汚染されないか不安だ」
知るか。
流石に頭が痛くなってきたが、それなら汚染されていくかどうか、見て確認していけば良いと提案。
山内は頷くと。
適当に離れた場所にある椅子に座った。
私は並んで座るのも嫌だし。
適当にストレッチしながら時間を過ごす。
なお、今日は黄色パーカーで来ているからか。
時々知り合いと会った。
依頼人の監視は姫島に任せておいて。
私は適当にそういった知り合いと情報交換をする。
なお、それらの中に見える人で有名なのがいないかと聞くと。何人か名前を挙げてくれたので。それを軽くメモしておく。
どうでもいいし。
本当かどうかは分からないが。
統計だけは取っておこう、と思ったのである。
二時間ほどして。
山内の所に戻る。
姫島は退屈そうにゲームをやっていたが。山内はそわそわしながら、泉の方をじっと見ていた。
「で? どう」
「だ、大丈夫だと、思う」
「そう。 じゃ一度戻ろうか。 来週もスケジュール開けておいて」
「……分かった」
来週は桐川でも連れていくか。
あいつもジオラマ組むときの参考にしたいとかで、あっちこっちの自然を見に行きたがるし。
いずれにしても、このあまりにも心臓が小さい依頼人は。
一度しっかり、目を覚まさせなければならないだろう。
問題はその方法だが。
それについても、段階をおいて実行していくしかない。
姫島が、小声で耳打ちしてくる。
「あの人、本当に見えてるの?」
「基本的に人間の脳みそはいい加減な代物だからな。 本人が見えると言うからには、本人には見えているんだろう。 だが、それが真実かどうかは別問題だ」
「ふーん」
「もっとも、人間の科学なんて多寡が知れているからな。 実際に幽霊が存在するかとか、あの世があるかとかについてはノーコメントだ。 そんなもん、実際に見てみなければ分からん」
山を下りる。
夕方に解散。
黄色パーカーの妖怪と呼ばれている私だが。
不思議な話、「見える人」相手にこれほど苦労している。
結局の所、理屈で理解出来る相手はどうとでも対処は出来るとしても。
本当に薄明の世界に足を突っ込んでしまっている相手に対しては。対処の方法が限られてくるのかも知れない。
何にしても、私に取っては。
解決できない事件、という時点で屈辱だ。
必ずや解決する。
家に戻るが。姫島はどうせ暇でしょと言って、結局ついてきた。
そして六時半くらいまで。
ゲームを部屋で遊んで過ごした。
「何だか面倒くさいね、今度の事件」
「だが、お前のおかげで解決できそうだ」
「そうなの?」
「そうだ」
此奴は本当に何をしでかすか分からないが。
おかげで助かる場面も多い。
トリックスターと言われる存在が。
神話で重宝されるのも。
私には何だか、分かる気がした。
6日後にまた山に登るとして。
その間に、昨日話にあった「見える人」について調査をしておく。そして、可能な限り実物を見ていく。
大半はただの虚言癖だと。
私は即座に看破した。
何というか、雰囲気が違うのである。
薄明の世界に片足を突っ込んでいる雰囲気がない。
自称「見える人」は、何というか、少し危なっかしい。
だが、これらの虚言癖の人に関しては、ただの状況によって言葉を計算して使い分けている、という事が何となく分かった。
或いは見た事がある、のかも知れないが。
いずれにしても、「見えている」事は無さそうだ。
一方で、明らかに雰囲気が違うというか。
薄明の世界に踏み込んでいるタイプの人達もいた。
こういう人達は、今回の依頼人と同じく、自分が見える事を完全に信じていると見て良いだろう。
つまり計算していない。
完全に自分の言葉を真実だと考え。
「幽霊がいる」事を前提で話しているし。
自分が見えているものを真実の存在だとも考えている。
言葉を疑っていないのだ。
私は、腕組みしてしまう。
世の中に絶対はない。
というよりも、人間は絶対に辿り着くのにはほど遠すぎる、というのが実情なのだろうと思う。
とはいっても、人間というのが総体としてカスだという私の結論には代わりは無い。
例外はあるかも知れないが。
精神病院の隔離病棟で今も全部私のせいにしてヒスを起こし続けているアレとかは、平均的な人間の普通の姿だとも考えている。
だが、「見える」人間は。
非常に危ういと思うのだ。
見ていると、自分の言葉を信じて疑っていない。
検証しようともしていない。
何かしらの理屈が完全に脳内にあり。
それが幽霊を全肯定する方向へと話を進めている。
私もひょっとして。
そうなのではあるまいか。
ふむ。
もしそうだとすると。
例外をもっと多く見つけていかなければならないのだろうか。
私は、自分の年齢にしては、非常に多くの人間を見てきた。
年若い子供も老人も。
それ故に思うのだが。
この幽霊が見えると自称し。そして信じて疑わず。幽霊を見る事が実際に出来る人々は。
人間という生物の、主観における完成形なのではあるまいか。
良い意味でも悪い意味でも、である。
人間観察がまだまだ足りないなと、少し悩みながらも。
情報にあった人を訪ねて廻り。
軽く話して回る。
ちなみに私が変なものを持っているのではないかとか、指摘して来た者は一人もいなかった。
そういう意味では。
山内とは、意見が全員異なっていて。
そして見えるものも違っている、という事なのだろう。
そういう意味では。
幽霊が見えるとして。
見えている幽霊は、全員に違う姿に見えているのではあるまいか。
人間の主観そのものは、恐らく全員が違っていて。
見えている世界もそうなのだろう。
実際問題、人間を止めてしまえば幸せになれる、なんて身も蓋も無い言葉もあるくらいで。
ドラッグ中毒だったり。
或いは重度のアル中だったりする場合は。
もう主観の世界で。
自分にだけ都合が良い世界を見ている事だろう。
一方、連日の仕事に追われ。
或いは虐待され。
マイノリティとしてマジョリティに圧迫され続けている人間は。
常時周囲が地獄に見えているケースも多いだろう。
なお私は。
周囲が地獄以外の何モノでも無いと考えている。
かといって、それは「気の持ちよう」でもあるまい。
実際問題、人間を止めなければ幸せになれない、なんて状況だ。
誰かが改善しなければならない。
改善出来る力がなければ、それは単なるメサイアコンプレックスだが。
改善出来る力を得れば。
雨が降り出した。
パーカーだから気にしない。
紹介された最後の「見える人」と会って、家に帰る途中である。
雨は好きか。
嫌いだという人も多いだろう。
だが好きだという人もいる。
雨が好きだという人にとっては、今の天候は心地よかろう。私は好きでも嫌いでも無いので、どうでもいい。
さて、どう考えるべきか。
いずれにしても、彼奴の。
依頼主の目をしっかり覚まさせるには。
あの依頼主の主観を砕き。
客観性を若干でも持たせなければならない、という事は良く分かった。
しかしながら、客観性を持たない人間が、客観性を不意に持った場合、どうなるのか。その影響も気になる。
私は依頼を失敗させないのが流儀だ。
依頼を成功させた結果。
相手が廃人になってしまっては意味がないのである。
まあ、仕事が完了した後。
紆余曲折を経て廃人になったとしても。
それは私の関知するところではないが。
家に着く。
パーカーを脱ぐと、夕食の準備を終えて。
自室で、黙々と主観と客観について調べていく。
かなり複雑な資料も読み込むが。
やはり繊細な作業が必要になる。
ほどなく、夕食の時間が来た。
父が帰宅する。
最近、市役所が勧めてきたリハビリの研修を受けているのだ。精神的なダメージが大きすぎて倒れてしまった父だが。
今、少しずつやり直そうと苦労している。
今の父に必要なのは。
受け入れてくれる場所。
そして穏やかな生活。
食事だ。
仕事では無い。
3、主と客
丁度期日が来た。
山内に、どう客観を理解させるかが問題なのだが。そもそもこれは口で言ったり、意識を変えたりという問題では無い。
山内の中では、幽霊が見えるというのが絶対的な主観として存在し。
それを変化させる事は不可能なのだ。
変えるのは洗脳に等しい。
故に、変えるべきは。
認識である。
以前、目の前にある盆栽を認識出来なくなった老人を治療した事があったが。結局はショック療法しかない。
我ながら芸がないが。
他に手が無いのだから仕方が無い。
色々と本を読んだのだが、どうもそれしか手段が無い様子なので。仕方が無いから、それを使う事にする。
いずれにしてもだ。
私は、二十歳過ぎたらただの人、になるつもりはない。
今後も経験を積んでいく。
そしてやがては。
思うとおりに、周囲を全て支配するのだ。
案の定、姫島は山内に飽きたらしく。
今日は来なかった。
今はもう、結婚そのものが減りつつあるが。
姫島の彼氏になる奴は大変だろう。
私はそんな事を、自分を棚に上げながら思い。代わりに来た桐川と一緒に、山内と山登りをする。
面倒だが。こればっかりは仕方が無い。
案の定、桐川はジオラマの参考になると、喜んでスマホの写真を撮りまくっていた。
止めない。
桐川が好きな事だし。
何よりも本人のライフワークだ。
それを否定する奴は友人とは言えない。
私の数少ない友人の一人だ。
大事にしなければならないのである。
山内は、案の定と言うべきか。
真っ青になっていた。
「山の清浄な気が薄れている。 やっぱりあの札の邪気が移ったんだ」
「今の言葉、記録しておく」
「?」
「というか、山の清浄な気があの札のせいで薄れているんだな?」
もう一度確認。
薄れていると、山内は言う。
此奴は一体、自分がどんな代物を作ったと思い込んでいるんだ。そんな凄まじい邪気を、二十人だか三十人だかの死人が発するのだったら、古戦場とかに入ったら一秒で死ぬのではないのだろうか。
いずれにしても、これは主観の問題。
否定しても仕方が無い。
さて、頂上に到着。
清浄な泉。空気が澄み切っていて心地が良い。
だが、案の定。
山内は、すぐに此処から逃げたい、と言う顔をしていた。
「悪霊がたくさんいる!」
「今のも記録しておいた。 それで間違いないんだな」
「……見える。 たくさんいる!」
「そうか。 ならば此方に来い」
手招き。
そして、私は見せる。
泉の。
札を隠した石の下には。
何も無い。
そして、ついでに見せる。
石を動かして、札を回収する私の姿である。
愕然とする山内に、その映像が、札を隠した翌日である録画時間の記録も見せた。
「二時間でほぼ変化無しと言っていたな。 あの後私は考え直して、一旦札を回収したんだよ」
「ど、どういうことだ」
「どうもこうも、見えている幽霊が幻、と言うことでは無いのか」
実は、一回すり替えた後。翌日色々考えたあげく、さっさと札を回収したのである。紛失する可能性もあるし、何よりおかしいとは思い始めていたからだ。
そして今日。
案の定である。
「つまりあの札のせいで、この山が汚染された、という事はこれでなくなったな」
「……」
「今見えているものは否定しない。 だがその見えているものはホンモノか? 自分にだけしか見えていないものではないのか」
「わ、わからない、そんな」
山内が、悲鳴に近い声を漏らす。
桐川は興味が無さそうで、彼方此方写真に撮って回っていた。
勿論心霊写真など映らないだろう。
「じゃ、じゃああの札は」
「教えない。 何故だと思う」
「危険だから?」
「ある意味そうだ。 お前がまったく幽霊が見えないと考えている場所に隠してあったら、お前も納得できるんじゃないのか。 何しろ浄化は一切していないんだから」
立ち尽くす山内。
依頼主である此奴は。
恐らく、今まで自分が見える体質である事を疑っても来なかったし。
それ以上に。
このような、実験めいた行動に巻き込まれる事など、考えもしなかったのではあるまいか。
桐川が飽きるまで写真を撮るのを待つと。
棒立ちしている山内を促して、山を下りる。
「で、山の汚染は」
「さっきいた幽霊達は、いなくなっている」
「そうかそうか」
「でも、汚染はされている気がする。 一日置いただけでも、やっぱり幽霊を呼び寄せたんだ」
すこぶるどうでもいいが。
とにかく、言いたいように言わせておく。
そして、下山。
まっすぐ向かったのは。
この間の神社だ。
「此処はどうだ。 悪霊がいっぱいいるか?」
「い、いや、そんなにはいない。 前よりは少ない。 だって此処は、神様が守っている領域だし」
「本当だな」
顎をしゃくって、連れていき。
そして、石を持ち上げる。
そうすると、其処には。
札があった。
あっと声を上げる山内。
「今見えていなかった、といったな」
ボイスレコーダーをかざす。
頭を抱えた山内が、蹲る。
ブツブツ呟きながら。
現実を直視できないでいるようだった。
「どうだ、急に見え始めでもしたか」
「と、トリックだ! 何か使ったに違いない!」
「ほら、みろ」
此処に、神社に断って札をしまう映像である。
動画で、撮影時刻もしっかり映り込んでいる。
もう、ぐうのねも出ない様子で。
山内は立ち尽くすのだった。
「お前の話によると、一週間かそこらで清浄な気に満ちた霊場が汚染されるような状態の札だったんだよな。 それなのに、神社においたら一週間おいたところで、何にも変わらないんだな」
「そ、それは神が加護を」
「此処の神は何だ」
「ええ……」
神社にはそれぞれ祭神というものがいる。
複数の神を祀っているケースや。
或いは、神仏習合で、仏を祀っているケースさえある。
ちなみに此処の神は全国的に有名な八幡神だが。
これは別に彼方此方に八幡神社があるので、不思議な事でも何でもない。
八幡神は正体もよく分からない神で。
一応軍神とされているが。
その起源は九州にある、くらいしかまだよく分かっていない謎の神だ。
霊験あらたかというには素性が怪しすぎるし。
何よりも此奴が。
八幡神について詳しく知っているとはとても思えない。
私も、少し八幡神について調べたが。
それでも、図書館でざっと調べただけでも。
相当な時間が掛かったのだ。
見える人というのは、勿論人にも寄るだろうが。
自分の主観で見える世界を、色々こじつけているケースが目立つ。二十人ほど実物と接触して話してみて、そう結論せざるを得なかった。
少なくとも幽霊に関しては。
そう結論しているとしか考えられなかった。
口をつぐんでいる山内に、ほれと札を突きつける。
ひっと、悲鳴を上げる山内だが。
実はこれ。
山内が蹲っている間に、ニセのそっくりな札にすり替えた品だ。
「で、まだこれは悪霊を呼び寄せるのか」
「怖い! 近づけないでくれ!」
「悪霊を呼び寄せているか聞いている」
「強烈な邪気を感じる!」
はあと嘆息すると。
ホンモノはこっちだと出して見せる。
山内は愕然とした。
桐川が証言する。
「シロ、さっき蹲ってぼーっとしている間に、入れ替えてたよ」
「そんな馬鹿な!」
「本当だ。 何なら動画を見せようか」
「……」
もう地面に倒れ伏しそうな山内。
神社の中で倒れられても面倒なので。
そのまま引きずるようにして。
外に連れて行った。
真っ青になっている山内をベンチに座らせると。さっきのニセ札について話す。
「あの札はな、元のをベースに今日作ったものだ。 元々大して複雑でもなかったから、すぐに作る事が出来た。 後はそれっぽく汚しただけだ。 つまり悪霊だの何だのが入り込む余地は無いし、そもそもあの自殺の名所を通過してもいない」
「……」
「さて、そろそろ検証の時間だ。 まだ幽霊は見えているか」
「……見えてる」
しかも、偽物の方に取り憑いているのが見えているという。
私は、ゆっくり。
噛み含めるようにして。
言っていく。
「これは死者の怨念とは無縁の代物で、しかも知識も何も無い私がそれっぽく作っただけのものだ。 悪霊が取り憑く暇も隙も無い。 つまりこれに取り憑いている幽霊とやらは、偽物という事だ」
「そんな! だって其処に!」
「人間の脳はいい加減に出来ていてな、その場にあろうが無かろうが「見える」んだよ」
「……っ!」
頭を抱える山内に。
更に追撃を掛ける。
やりすぎると壊れてしまうから。
現実を一つずつ。
丁寧に突きつけていくしかない。
認識なんて簡単には変えられない。
だから、少なくとも。
この札には、幽霊だの何だのを引きつける力は無い。
そして、幻覚が見えるのは。
自分自身の罪悪感が故だと言う事を。
気付かせなければならないのだ。
此奴自身の性格は変わらない。
ずっと今後も見え続けるだろう。
目の前でヒーローでも現れて。
絶体絶命の死地から、身を挺して救ってでもくれれば、考え方が変わったりはするかも知れないけれど。
生憎私はヒーローじゃ無いし。
生臭く泥臭い存在だ。
ヒーローが実在すれば、また結果は違うかも知れないけれど。
生憎この世には。
ヴィランはいても。
ヒーローはいないのだ。
だから、人間は。
邪悪の権化であるヴィランから身を守りつつ。
ちまちまとやっていくしかない。
「自殺したという奴な。 調べて見たが、非常に恐がりだったらしいな。 そして虐めをやっていた連中が、面白半分に渡したそうだ。 「天国に行ける札」だってな」
「そんな、その札にそんな効果は」
「そもそも何の効果も無かっただろうよ。 そいつは現に、もう限界だと感じていたのだろう」
ちなみにこの一件。
殺人教唆で、とっくに自殺に追い込んだ連中は少年院行きになっている。
死体も例の浜に上がっている。
私が介入する余地はない。
悪質な事件だった事もあり。
情状酌量の余地無しとして、主犯は無期懲役だそうだ。まあ妥当なところだろう。
「分かっただろう。 お前が悪霊よけだとして作ったこの札は、天国に行ける札として他の奴には認識され、そして実際はあの世行きの片道切符になった。 勿論この世はどうしようもないクズばかりで、ブラック企業が好き放題し、見た目で他人の人格を否定して悦に入る輩が大手を振って常識人を名乗っている腐った現実に代わりは無い。 だがこの札に関しては、再考の余地があるのではないのか」
無言のまま、ぼんやりとしている山内に。
札を握らせる。
山内はびくりとしたが。
やがて、顔を上げた。
私の目が。
山内の目を射貫く。
ひいと、悲鳴を上げる。
それはそうだろう。
黄色パーカーに隠れて見えていなかったが。
私の目を、まともに見てしまったのだ。
ドブのように濁り。
そして地獄が奥に宿っている。
その目を。
「見ての通り、生きた人間が一番怖いんだよ。 死んだ人間は、所詮出来る事に限界がある。 生きた人間は、あらゆる邪悪を好きなように出来るし、弱者を踏みにじる事だって何とも思わない」
「あ……ああ……」
「札よりも私の目の奥の地獄の方が怖いだろう。 それに気付いたら、もう後は簡単じゃないのか。 幽霊がいるかどうかはともかく、この札にはもうそんな力はない」
ぽかんと口を開けて。
そして、山内は。
操り人形のように、こくこくと。
首を動かしたのだった。
報酬について用意するように。
そう指示だけすると。
まるでゾンビそのものの歩き方で、山内は帰宅していった。
何もかもが、まだ頭の中で混乱しているのだろう。
桐川は、によによしながら周囲を撮っていたが。
やがて聞いてくる。
「シロ、随分手間取っていたね」
「人間の主観ってのは厄介なんだよ。 それだけだ」
「ふうん……」
「簡単に崩せる認識もある。 だがな、ああいう人格にまでヒモ付いている主観ってのは、簡単には壊せないし、壊してもいけない。 人は変われるとか簡単に口にする阿呆がいるがな。 アレは嘘だ」
人間は変わらない。
三つ子の魂百まで、なんて言葉も昔からあるように。
人格を簡単に変える事なんて出来ないのだ。
よくある、社会になじめないなら人格を変えろなんて言葉は、傲慢極まりない代物に過ぎない。
そもそも人格を変えられるのなら。
今の複雑化したコミュニケーション社会で。
誰もが簡単にやっていけるだろう。
努力すればコミュニケーションは成立するなんてのは大嘘だ。
何をやっても。
意思疎通が成立しない相手は多い。
ましてや今の時代。
定型文を組み合わせて、複雑怪奇な儀式になっているコミュニケーションである。ある人には通じても、ある人は激怒する。
そして、全員が。
自分のやり方が正しいと思っている。
平均的なやり方があるとしても。
精々一部単位でしか通用しない。
そんなもの、いちいち周囲に上手に合わせるのには、才覚がいるし。
出来る奴は出来るだろうが。
出来ない奴には絶対出来ない。
そういうものだ。
要するにストレスばかり溜まる仕様を敢えて自分たちで積極的に造り。それで苦しんでいるのが人間だ。
言語というツールのいい加減さもあり。
人間は今後。
まずこのコミュニケーションとかいういい加減な代物を。
どうにかしなければならないだろう。
実際問題。
幽霊が見える、という山内に対して。
現実を示すだけでも。
これだけの苦労が必要だったのだ。
「シロはあの人、嫌い?」
「依頼主だ。 好きも嫌いもない」
「へー、仕事人だね」
「仕事人だ。 そして彼奴は、もう誰にも相談できないから、私の所に話を持ってきたのだし、放置も出来ん」
恩を売るのが一番の問題だが。
彼奴は彼奴でマイノリティだ。
幽霊なんているかいないかも分からないが。
今の時点では、人間の貧弱極まりない科学技術を盲信する勢力が社会の大勢を占めている。その割りには妙なオカルトには変な同意が集まるのだが、これは要するに流行りやそれに類するものだろう。
ともかく、マイノリティである事は苦しみと一緒。
二次元の世界ではあるまいし。
変わり者は、いつでも苦労する。
場合によっては社会から排斥され。
殺されさえする。
魔女狩りのように、である。
そういったマイノリティに限って、妙な部分で高いスキルを持っていたりするし。それを使いこなせる人間は、非常に優秀なのだが。
それが理解出来ない人間は。
「コミュニケーション」だけに全ての価値をおいて。
どんなスキルを持っていても、「コミュニケーション」が出来なければ何の価値も無いとか、どや顔でほざいたりする訳だ。
そうして、どんどん社会から人材は失われる。
私は、そういった苦労している奴の依頼を受けるし。
見捨てもしない。
ただそれだけだ。
そこに好き嫌いは介在しない。
まあ正直な所を言うと。
もうちょっと客観性を山内は持つべきだと思うが。
しかしあれだけの強固な主観と人格。
簡単に変える事なんて出来ないし。
無理に変えればクラッシュするだけ。
努力云々の問題ではないのだ。
「時に、ジオラマに良さそうな資料は集まったか」
「良い感じ」
「そうか。 良いのができるといいな」
「私なんてまだ全然。 だけど、五年後には、コンクールで賞取って見せるよ」
中々に野心的で良い事だ。
私は頷くと。
最後に、この件で。
山内から、しっかり報酬を受け取ることに、考えを切り替えていた。
帰宅すると。
父がぼんやりとテレビを見ていた。
心霊番組特集だという。
そういえば、まだテレビでこういうのやってるんだなと、苦笑する。
この手の番組はとても闇深い。
一時期、疑似科学を振りかざして、ヒステリックに幽霊を糾弾する大学教授が有名になった事がある。
何でもかんでも持論で説明できるとし。
自著は科学的な間違いだらけ。
要するに、専門的な分野以外は、頓珍漢な事しか言えないタイプの奇人なのだが。
止せば良いのに専門分野以外でタレントもどきの活動をしていたこの人物が。
自分もエセ科学を振り回しているにも関わらず。
オカルト叩きを開始。
心霊番組で常連になっていた「霊能力者」を叩き始めたのである。
文字通り目くそ鼻くその代物なのだが。
しかしながら、世間には「科学」という言葉だけで、それを全て盲信するタイプの輩がいる。
だれも「どっちもエセ」という事を口に出来ず。
「霊能力者」に対して、「何をしてもいい」という「空気」が出来た。
その結果。
凄まじいバッシングと、あらゆる誹謗中傷が、「霊能力者」に浴びせられるようになった。
血に飢えたマスコミと。
血に飢えた視聴者は。
待っていたのだ。
「叩いて良い」オモチャを。
その「霊能力者」が、真実力を持っていたのかは私には分からない。幽霊が実在するか分からないからだ。
そんなものは科学的では無いから存在しないと言い切る人間は。
今だ月にコロニーさえ作れていない人間如きが、世界の真理を理解しているとでも思っているのだろうか。
それこそオカルトである。
ましてや、その「霊能力者叩き」を主導していた阿呆科学者は。
自分が気に入らないものを手当たり次第に叩くタイプで。
自著を客観的に批判した相手をカルト呼ばわりしたり。
そもそも自著を「世界でもっとも科学的な本」などと称したり。
とても科学的とも。
客観的とも。
ましてや、公平な立場でものを書いているとも言えない人間だ。
そんな教授が。
「科学」に基づいて否定しているという理由が起点になり。
やがて、バッシングは拡大。
科学的では無い番組は許されないという声が大きくなっていき。
凄まじいバッシングを受けた「心霊番組」は、夏のテレビで定番だったのが。徐々に姿を消していった。完全になくなった訳では無いが。それでも、主流だったエンターテイメントからは脱落した。
この国はいわゆるクレームに弱いが。
この教授は、見本のような愚劣なクレーマーであり。
エセ科学を振り回して、オカルトを否定するという、文字通り地獄のような光景を見せられる此方も苦笑しかないのに。
「科学」だから正しいという理由で。
それがエセだろうと。
世論が支持するというのは。
人間という生物が、如何に低脳で。
カスであるかという事を。
如実に示していると、私は思う。
だから水素水だのタキオンを封入しているだのに騙されるわけで。
実際問題。
エセ科学は、カルトが収入源にする一つである。
くだんの「霊能力者」はひっそり最近息を引き取ったが。
この人物が大々的に詐欺をして儲けていたわけでもないし。
逆にエセ科学を振り回して悦に入っていた大学教授の方は、「世界でもっとも科学的な本」とかいう嘘だらけの本で金を儲けていたことを考えていた事を考えると。
闇は深いし。
此奴を一とするエセ科学者と結託し。
エセ科学でオカルトを叩いて、血に飢えた視聴者に提供するという「エンターテイメント」を作り出したテレビ局は。
それこそやはり、金儲けのためには何をしてもいい。人命さえ奪っても問題は無いと考えていると言わざるを得ない。
文字通りどちらもクズであり。
現在凄まじい勢いでテレビが衰退しているのも。
ある意味当然と言えるだろう。
私も、今回、山内の認識を壊した。
彼が見ているものが真実ではないかも知れないと言う可能性を突きつけて。彼が強固に持っていた世界観を崩壊させた。
だが、それは「科学的では無い」から、ではない。
「論理的では無い」からだ。
実際問題、山内は理解した。
自分が見ていたものが真実ではないかもしれない、という客観を。
見えているものが全てでは無い。
それは当たり前の事だ。
逆に言うと。
他人に見えておらず。
自分にだけ見えているものも。
これもまた、真実ではないのかもしれない。
そう疑わなければならないだろう。
いずれにしても、この世には真実絶対の法則があるとしても。
たかが人間如きには。
それはあまりにも遠すぎるのである。
私はそれを良く知っているから。
あまりオカルト叩きには同調できないし。
かといって、エセ科学に乗っかって。
科学的では無いからと言う理由で、オカルトを否定しようとも思わない。
どっちもどっちだと思うし。
正直な話。
どちらに荷担しても、不毛なだけだからだ。
ぼんやりと見ている父に、聞く。
「面白い、それ?」
「いや、別に」
「そう」
しばしの沈黙。
父は最近、ようやく無精髭は剃るようになって来た。
頭も少しずつクリアになってはきているようだ。
生活時間帯も、少しずつ安定はし始めた。
それは良いことだ。
もう少し頑張れば。
更にリハビリは進展していくと言えるだろう。
「あの世って何なんだろうな」
「さあ」
「お前でも分からないのか」
「宗教によって全く違うからね。 同じ神でも、国によって解釈がまったく異なってくるケースは珍しくも無い」
別の国では神でも。
その国と対立する国では悪魔とされる。
珍しくもない話だ。
例えば、一神教では、他の宗教の神を、全て悪魔呼ばわりしている。
これは唯一絶対の神の思想だけが重要で。
それ以外は全て悪魔でしかないからだ。
故に、一神教では内ゲバが絶えず。
一神教の異端は、悪魔呼ばわりされて処刑されるケースも、今は兎も角昔は珍しくも無かった。
天国と地獄の解釈にしても同じだ。
北欧神話では、毎日毎日殺し合いを楽しむという、一見地獄だとしか思えない場所が、天国とされている。
いわゆるヴァルハラである。
仏教では、あらゆる快楽が満たされ、善政が行われている場所が、「第六天魔王」が支配する場所だとされている。
なお、此処はれっきとした天国だが。
仏教では徹底的に毛嫌いされている。理由は簡単で、仏教の思想的には、悟りを開いて輪廻の輪から脱するのが最終目的であるためだ。
その悟りを開くのの最後にして最大の壁。
それが現世の欲求を全て満たし、安楽に暮らせるという世界。
それを支配する第六天の支配者。多化自在天。
世界的に見ても、珍しいケースだろう。
天国と。
その支配者が、同じ宗教で嫌われるという話は。
第六天魔王と言うのは、そういう意味でおどろおどろしい邪悪な悪魔だとか、大魔王だとかでは決してない。
光側に所属する、れっきとした善意の存在である。
「なあ、シロ」
「なあに」
「俺はあまりもう長く生きられんかも知れん」
「医者の診断では、かなり改善しているみたいだよ。 あまり気にしない方が良い」
父はガンでは無い。
重病でも無い。
鬱病だ。
それは分かっているから、父の言う事を真正面から否定しない。
だが、父も自分である程度はわかっているようで。
悲しそうに俯くと。
休むと言った。
父は私を虐待しなかった。
だから私の敵意の対象では無い。
休む前に、かゆだけでもと勧める。卵も入れている栄養価は充分のかゆだ。
父は少しだけ食べると。
後はもう眠ってしまった。
どんどん食が細くなっている。
体重も二十キロ以上痩せた。
かなり手足も節くれ立って見えるようになって来ていて。
一時期とは別の意味で不健康にしか見えない。
溜息が零れる。
常識を振りかざし。
自分から見て気持ちが悪いと言う事を理由に、私を虐待した母は。今でも自分が常識人で、不当に拘束されていると考えているだろう。
天国と地獄があるのなら。
此処は間違いなく地獄。
そして私がそう思っていることを。
父は恐らく、気付いている筈だ。
先ほどの質問は、それが故だろう。
私も、主観はしっかり持っている。客観もそれに合わせて持とうと努力もしている。
いずれにしても。
他人の人格をその人間のもの。
今回の山内のケースのように、あまりにも主観に偏りすぎて、それが弊害を作り出しているような場合には、改善が必要だろう。
だが、それはあくまでそれ。
結局の所、人間が見えている世界なんて。
世界の真理にはほど遠いのだから。
4、幽霊は見えない
げっそりと頬がこけた山内と公園で会う。
山内が持ってきたのは。
なんとビーズ細工だった。
「これはまた、予想がつかないものを持ってきたな」
「き、気に入らない?」
「いや、別にこれで構わない」
受け取る。
というのもこのビーズ細工。
非常に手間暇が掛かっていることが、一目で分かったからだ。
そういった品を否定するような野暮はしない。
私としても、充分だと思える出来だ。
「それにしても、どうしてビーズ細工にした」
「あれから、自信がなくなってしまって」
「ふむ」
「僕が見ていたのは、何だったんだろう。 そう思っていたら、だんだん何も見えなくなって来たんだ。 でも、それでもたまに見える事はあるんだけれど、前みたいに街中幽霊だらけ、じゃなくなった」
そうか。
それは症状が改善した、という事なのだろうか。
いずれにしても、山内は。
幽霊に何もかも縛られた人生からは。
解放されたのかもしれない。
あの札を手にしていても。
以前のような恐怖体験は、しなくなった様子だ。
やはり罪悪感があったのだろう。
「それで、前から一応手先は器用で、少しずつビーズ細工はやっていたんだ。 それを思い出して、今は少しずつ自信を取り戻そうと思って、作り始めたんだ」
「そうか。 有り難く受け取っておく」
「何だか気分が晴れたよ。 僕はまだ世界に幽霊がいると思っているけれど、少なくともそれはそれで、ただの幻覚を思い込みでたくさん見てもいた。 それもまた、真実だと思っているよ」
「客観を身につけるのは良い事だ」
いずれにしても。
頬は痩けてしまっているが。
最悪のつきものは落ちた、と見て良さそうだ。
人間は言葉なんぞで変わるほど簡単にできていない。
環境に合わせて自分を変えろ、などと居丈高に言う人間は、それが理解出来ていない。非常に傲慢で残虐だとさえ言える。
弱者は死ねとかいう人間も。
人間が弱者を保護し。
その知恵とスキルを利用してきたから、発展できたことを忘れている。
人間を変えるには。
現実を変えるしか無い。
言葉なんてものは無意味だ。
言語というツールが不完全で、極めていい加減である事からも分かるように。
故に、誰かを変えたいなら。
まずは現実を変えなければならないのである。
言葉だけで誰かが変わるなんて事は無い。
ましてや、人格を周囲に無理に合わせて調整したら。
それは人間が歪んで。
取り返しがつかない所まで、おかしくなるだけだ。
そういう無理矢理な矯正を強要し続けた結果。
今は社会をドロップアウトした人間だらけになっている。
そしてドロップアウトさせた人間は。
自分が悪いことをした等とは、思ってさえいないのである。
これが地獄で無くて。
何だというのだろう。
山内と、その場で別れる。
いずれにしても、山内は。
側にある現実が変わる事で。少しずつ、客観を手に入れ。自然な形で変わりつつある。それはとても良い事だ。
幽霊なんていない。
科学的では無い。
そう居丈高に喚いて。
正義を主張するのは勝手だろう。
だがそれによって迫害を正当化するのは。
大量虐殺をした独裁者と同じだ。
正義の名の下に焚書をして。
文化の殺戮をした連中と同じだ。
私は、そうはならない。
そういう事をしでかす輩を。
全てこの手の下に。
ねじ伏せてやる。
学校に出ると。
姫島が喜んで、山で撮った写真を見せてくれた。心霊写真ぽいというのである。私にはちっともそうとは見えなかったが。
まあ心霊写真なんてものは。
大体がトリックか、そう見えるだけのものだ。
ホンモノもあるいはあるかも知れないが。
私は見たことが無い。
だから、私は肯定も否定もしない。
「この辺り、顔っぽいなあ」
きゃっきゃっと本人は喜んでいる。
まあ良いのではないだろうか。
別に私はそう思わない。
こういった無邪気な認識は。
いちいち目くじら立てて、ヒステリーを起こして否定するほどでも無い。ましてや、エセ科学で否定するなんて論外だ。
「それであのユーレイさん、上手く行ったの?」
「何とかな。 随分苦労したが」
「シロが手こずるなんて、筋金入りだね」
「全くだ」
机にもたれかかると、教科書類を出す。
勉強としては極めて簡単なものばかりだが。
それでも復習という意味では大事だ。
授業の合間には、既に独学で高校の勉強をしている私だが。これは、将来の選択肢を増やすためである。
後、頭をしっかり使っておくことで。
脳みそをだらけさせないためだ。
脳は幾らでも衰える。
自分は天才だ、などと認識すれば。
その衰えは加速する。
私より出来る奴は幾らでもいる。
だから、私は更に上を目指して努力する。
それくらいでいい。
実際問題、どんな天才でも、世界の一線級に立っている奴は、勉強を欠かさないし努力もしている。
何もしないで世界のトップに立てる奴なんていない。
プロくらいにはなれるやつもいるかもしれないが。
それどまりだ。
目的としては、海外の大学に留学したいが。そのためには金がいる。まあ中学から自分で色々な手段を用いて稼ぐつもりなので、その辺りはどうにか出来るだろう。
授業が始まる。
半分くらい脳を使って聞きながら、同時にさっきやっていた高校の数学Uの勉強について反芻する。
これなら、来年には大学で教える高等数学に着手できそうだ。
少し前に一般相対論は覚えた。
特殊相対論はちょっと難しくて、まだ覚えられないけれど。
これもそう時間は掛からないだろう。
授業が終わる。
小学校の授業終了はそれなりに早くて助かる。
あくびをしながら、姫島を誘って帰宅。
頭を半分くらい使いながら。
姫島と話す。
「シロはさ。 仮に神様になったとしたら、どうしたい?」
「そうだな。 まずは独裁体制を敷いて、絶対的な法治主義を作る。 そして監視システムを完備して、あらゆる犯罪が起こらないようにする」
「まるでディストピアだね」
「それくらいやらないと、人間の世界から犯罪はなくならん。 弱者を虐げるだけ虐げてそのまま嗤って逃げ切る輩が存在する限り、人類を宇宙に出すわけにはいかん」
地球規模でやっていた戦争が。
宇宙規模で再現されるだけ。
しかも場合によっては、平和的な文明を作り上げている他の生命体に、侵略行動まで仕掛けるだろう。
見た目がキモイと言うだけで。
大量虐殺だって平気でやらかす生物だ。
相手の見かけ次第で。
人間はそれこそ。
どれだけ残虐にも邪悪にもなる。
だからもしも神になるなら。
人間という生物に、枷を嵌めるところからである。
未来を信じる、等という言葉は。
極めて身勝手かつ、無責任な代物だ。
人間は進歩することが出来る、等という言葉は。
技術だけ進歩して、精神面は石器時代から何一つ進歩していない人間という生物の歴史を無視している。
昔の風習を残酷だ何だとほざく輩がいるが。
今でさえ、大量虐殺犯の人権を保護し。
被害者を死体蹴りするような社会的な巨大矛盾を放置し。
挙げ句の果てに殺人は非人道的だとかいう発言が出てくるのである。勿論代替案も用意せずに。
無差別犯罪のエジキになった被害者に対する死体蹴りは非人道的ではないのだろうか。
それとも、犯罪の被害に遭う方が悪いとでもいうつもりか。
結局の所、そういう考えを持ちたいなら。
裸でジャングルにでも行って、人間を殺傷できる生物たちの中で暮らすのが一番だろう。
弱い方が悪いという言葉の意味を。
それで理解できる筈だ。
私は人間の、そういう愚かしさを良く良く知っている。
だから神になったら。
躊躇無く、人間から今まで与えていた自由を奪うだろう。
自業自得だ。
今まであった自由を無法に変えて。
好き放題していたのだから。
そして私は権力を得次第。
神にはなれないが。
それに近い実権を得ることに対して尽力し。
行使すべく努力を開始する。
当然の話だ。
私はこの世の地獄を見てきた。
比較的治安が良いこの国でさえこれだ。
許されることでは無い。
メサイアコンプレックスでは終わらせない。
私は、世界を変えるのだ。
「シロなら、色々やりそうだね。 面白そう」
分かっているのかいないのか。
姫島は、そんな事を言うのだった。
(続)
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