流れよドブへ

 

序、難関

 

普通、私に来る依頼は、高年齢になるほど難易度が上がる傾向がある。当たり前の話で、親に相談できない子供の仕事、というものが。年齢が上がれば上がるほど、減っていくからである。

親に相談できなくても、友人なりなんなりに出来る。

それですらどうにもならないから、私に依頼が来るわけで。

高校生とかの依頼になると、余程しょうもないか、或いは難易度が高いか、どちらか両極になる。

勿論恩を売るには良いので。

私は依頼主が私を陥れようとでもしていない限り。

依頼を断ることは無いが。

ただ、今回は違っていた。

依頼をしてきたのは、小学三年生である。それにも関わらず、かなり運が絡む面倒な仕事だ。

とにかく今回は、小学三年生の男子。

雪村努が依頼主である。

年上が相手なら、女子にでもそれなりに言うことを聞く年代だが。もう少し年が行くと、もう言う事は聞かなくなっていく。

というか、一番女子と男子の仲が悪くなるのが、小学校高学年から中学くらい。

理由はいうまでもないが。

いちいち言う事でもない。

兎に角、姫島に言われて現場に赴くと。

かなり小柄で、弱々しい男子が。

公園のブランコに揺れていた。

栄養が足りないのでは無いのか。

そう疑ってしまった程である。

兎に角細く、小さい。

これは何だか、一瞬昔の私を思い出してしまったが。こればかりは、成長には個体差があるし、仕方が無いだろう。

名前を聞くと、おどおどと頷く。

そして、言われた。

「何でも解決してくれるって本当?」

「内容次第だ」

「……」

「大人に相談できる内容では無いんだな」

頷く雪村。

話によると、既に相談したけれど、一蹴されたそうである。

そうかそうか。

それなら仕方が無い。

報酬についてもきっちり姫島から話が行っていたので。

まあ問題は無い。

問題は。

意外に高難易度の内容だった、という事だ。

「靴をなくしちゃった。 僕のせいで」

「靴?」

「そう。 普段履く靴じゃないの。 おばあちゃんが買ってくれた、よそ行きの奴」

それも、普通になくしたのではないという。

川に流れてしまった、というのだ。

それは正直な話。

かなり厳しい。

私がまず確認したのは、どういう靴で。どういう状況で流れたか、という事だ。

靴はいわゆるサンダルスタイルのものだが。

とても古い職人が作ったもので。

厚底だという。

七五三の時に履いていったものだそうで。

出来れば取り返したいそうだ。

そして、どうしてそんな大事な靴を流してしまったか、というと。

クラスメイトにやられたというのだ。

ああ、何となく分かる。

この年代の子供は、兎に角地位確認をしたがる。それが虐めに発展するケースもある。相手が大事にしているものを破壊したり、取りあげたりは良くやる。正直な話をすると、子供は純粋などでは無い。

子供の頃から。

人間はクズなのだ。

子供が純粋、何て言っている奴は、子供の頃の事を忘れているだけ。

自分が子供の頃純粋だったか聞いてみて。

純粋だったと応えるなら。

それはただのアホだ。

そいつは、笑いながら去っていたという事だが。

まあそれについてはいい。

名前は聞いておく。

三年の橘川敬史郎という生徒だ。

ああ、覚えがある。

前からちょっと言動が不快だったし、今度シメておこう。このシメるというのは、叩き潰すという程度ではない。

恐怖を心にねじ込んで。

私の声を聞いただけで小便を漏らすようになる、という事だ。

ちなみに私の事も侮っているようなので。丁度良い。

死より怖い思いを味あわせてやる。

そうすれば多少大人しくなるだろう。

更に此奴の親についても、ちょっと弱みを掴んでいる。

今聞いたところによると、この捨てた靴の値段は小耳に挟んだだけでも4万円を超えるのだとか。

最低でもこれを弁償させるくらいの事はさせる。

それくらいは、やらなければならないだろう。

さて、話は聞いたので、川に向かう。

以前蛍の依頼を受けた川の、ちょっと下流当たりだ。支流が一本、小さめのがこの街にも流れているのだ。

どこからどういう風に捨てられたか。

それを具体的に聞く。

そうすると、予想以上に酷い話であることが分かってきた。

まず橘川は、雪村に一番大事なものを持ってくるように指示。

言うことを聞かなければ殴ると脅したそうである。

この時点で既にアウトだが。

拒否しようとした雪村を、殴ったそうである。それも、服を着ていると見えない所を何度も。

橘川はどちらかと言えば実家に金がある方で。

雪村はそうではない。

体も大きい。

だからこそ、こういう横暴が許されると勘違いしている。

反吐が出るゲスだ。

まあいい。

その心の方は完全にへし折って、再起不能にまでしておこう。そうしないと、今後も犠牲者が出続ける。

この手の輩は精神年齢が幼稚園児のまま止まって成長しない。

虐めを心底から楽しみ。

弱者が苦しむのを見て心から喜ぶ。

人間とはそういうカスの集まりだが。

その中でも特に酷いのがこの手の輩だ。

だから徹底的に叩き潰す。

精神を完全にへし折れば、その時点で再起は難しい。家の方も、手を回して、徹底的に潰す。

雪村は持って来させられた大事な靴を。

目の前で川に放り捨てられ。

悲鳴を上げた所を、橘川は心底楽しそうに見ていたそうである。げらげら笑っていたとか。

取り巻きも一緒に、である。

取り巻きについては、覚えがある。

此奴らもちょっと仕置きが必要だろう。

容赦は微塵もするつもりはない。

殆どの場合、この手のクズは、田舎ではやりたい放題を生涯続ける。

だがこの街では。

私がいる。

だからそれは許さない。

それだけである。

「分かった。 靴は探してやる」

「本当……?」

「可能な限り、だがな」

さて、死刑宣告を橘川と取り巻きの連中に心中で出した。肉体的にも社会的にも抹殺する事確定だが。

それはそうと。

まずは靴を探さなければならないだろう。

もし見つかれば、だが。

まず流れを確認。

ものが引っ掛かりやすい場所がないか、川に沿って調べていく。雪村は、遅くなるかも知れないからすぐ帰らせた。

川を調べながら。

同時並行でスマホを使い、川の流れについても確認しておく。

あまり遠くまで流されているようだとどうにもならないが。

意外とこういうものは。

近場に引っ掛かりやすいポイントがあったりするのだ。

投げ込まれた位置。

それと浮かびやすい靴だと言う事を考慮すると。

何かに引っ掛かる可能性は、決して低くない。

それだけが救いか。

歩きながら、足を止める。

無言でじっとみていた私は。

確信すると、すぐに土手に降りて、水際に行く。

片側みっけ。

どうやら、運が良かったようだ。さい先が良い。

調べて見ると、かなり良い造りだ。絹もふんだんに取り込んでいるし、靴の部分は、これは桐か。

補修しながら、何度も使った跡がある。

汚れてしまってはいるけれど。

これは数万の値段がつくのも当たり前だろう。

なお、流木に片方は引っ掛かっていた。

これなら上手く行けば、もう一つも引っ掛かっている可能性が高い。

それにしても橘川のクズは。

どうしようもないな。

歩きながら、土手を上がる。

後で軽く洗っておくとして。

もう一つも探しておきたい。

引っ掛かってしまえさえすれば、多分其処で止まってくれるが。もしそのまま流されれば。

それは下手をすると。

海まで行ってしまうだろう。

そうなれば手に負えない。

下流はこの後、本流に合流するが。

何度か曲がるポイントがある。

引っ掛かっているとすればその辺りだ。

勿論可能性の問題に過ぎず。

駄目な場合はどうあっても無理だろう。

雪村には、それを伝えてはある。

一つ目の曲がり角。

堤防になっている。

古い時代、治水は国を治めるのに非常に重要だった。今の時代もそれは同じで、水害による被害は計り知れない。

だから水害対策の堤防は、何処でも気合いを入れて作る。

作れなければ、とてつもない被害が出るからだ。

ざっと確認するが。

この辺りには流れ着いていない。

そう見えたが。

少し降りて確認すると、かなり面白い場所があった。

多分上から流れてきたものを意図的に堰き止める目的で作っているのだろう。ゴミがかなり溜まっている。

そしてすぐ側にゴミ箱。

なるほど。

川の汚れを緩和するために、定期的にゴミを処理している、と言うわけだ。

これはあるかも知れない。

しかも、水面近くに、金網を張っている。

下の方は魚やら水生生物やらが通過できるようにし。

上の方はゴミを押さえ込む、というわけだ。

この街の行政はどちらかというと無能だが。

これはよく考えている。

珍しく、上手くやっているじゃないかと、私は感心してしまった。

それはともあれ、である。

かなりたくさんあるゴミを探して、棒で探ってみる。

しばし、汚いだけのゴミを掻き回していると。

あった。

なるほど、これか。

周囲を確認。

最近は、癖になっている。

敵が増えてきているから、である。

まあそれは別に構わない。

私が選んだ道だ。

そして、気付く。

気配がある。

こっちを見ている。

中学生くらいの人間だ。

まあいい。気付いていない様子に見せて、さっさと調査を続ける。そうすると、見つかった。

どうやら、ビンゴだったらしい。

ただ、かなり手酷く汚れている。

これはそのまま返すわけには行かないだろう。

確認するが、左右がこれで揃った。

靴は回収完了。

問題は、影から伺っている奴だ。

さて、わざと隙を作ってやる。水面をしばらく覗き込んでいるように見せてやる。そうすると、案の定。

後ろから奇声を上げながら、襲いかかってきた。

私はすっと身を低くすると、足払いして、川に落とす。

襲撃者は。

悲鳴を上げながら、顔面から塵だらけの水面に落ちた。

鼻を鳴らすと、私はそのまま立ち去りなどしない。

そいつの顔を確認。

写真を撮る。

何処かで見た奴だなと思ったが、なるほど、そういう事か。

此奴。

橘川の兄だ。

弟が、私の事を言っていて。

そして噂も聞いて。

面白そうだと思ったのだろう。

隙を見つけて。

私を好き勝手にしようと思っていた、と言う所だろうか。

私は躊躇無く、その場にあった大きめの石を持ち上げると。

相手が立ち上がろうとした顔面に叩き付ける。

文字通りぐしゃりと凄まじい音がして。

鼻が砕けた橘川兄は。

悲鳴を上げて水面に背中からダイブした。

「いてえ! げぼ、がぼおっ!」

「痛いだあ?」

此奴も札付きのクズとして、中学校で知られている奴だ。

噂によると、レイプまがいの事をした事もあり。

それを周囲に自慢しているという。

今回は、私に対して。

そういう事をしようと思っていたのだろう。

だったら話は早い。

ブザーを鳴らす。

凄まじい大音量に、橘川兄は顔色を変えたようだった。

すぐにパトカーが来る。

私が、襲われ掛けたという話をすると。

橘川兄は、川の中に逃げようとする。

馬鹿な奴。

それは自分で認めるようなものだ。

所詮はバカか。

すぐに警官に取り押さえられた橘川兄。

私は、追いかけられて川に追い詰められ、そして襲われそうになったと証言。警官は、黄色パーカーの私を見て、何かを察したようだが。いずれにしても、此奴は多分、前から目をつけられていたのだろう。

そのまま引っ張られていく。

何か怪我はしなかったかと聞かれたが。

鼻を鳴らす。

笑っただけだ。

「特に何も」

警官は、その答えを聞いて。

鼻白むばかりだった。

 

1、補修の時

 

翌朝。

不安そうにしている雪村に、靴の話をしにいく。回収は済んだことをいうと、ぱっと雪村の顔は明るくなった。

良かった。

そう顔に書いてある。

分かり易い。

「靴については、かなり損壊が酷い。 修復してから返すから、それまでに報酬を用意しておいてくれ」

「うん。 ありがとう、お姉ちゃん」

「別に構わないさ」

さて、と。

やる事が幾つかある。

まず橘川だが。

早速教師に喚び出されているようだった。

それはそうだろう。

今までは虐めを見てみぬフリをして貰っていたとしても。

兄貴がレイプ未遂で捕まったのだ。

ジジババのネットワークによると。

橘川家にも警察が来ていた様子で。

兄が逮捕されたことは、当然橘川も知っているはずである。そして田舎の情報網は凄まじく。

あっというまに隅々まで拡がる。

元々クズ一家として知られていたのだ。

これが致命的になるだろう。

なお、橘川家はこの街に幾つもあるが。

今問題になっているのは、分家の一つ。

一家からヤクザ者も出している、筋金入りのカスである。

雪村には確認しておく。

「橘川には近寄るな。 特に今日は、早退しても構わない」

「ど、どうして」

「あの手のクズは、逆恨みで何をしでかすか分からないからだ」

真っ青になった雪村は、頷くと。

すぐに早退の準備を始めて。そしてさっさと帰宅していった。

さて、此処からだ。

兄貴の敵討ち、何て立派な理由ではなく。

ほぼ確実に、「教師に怒られた」事の腹いせに、橘川は取り巻きを連れて私を襲撃しに来る。

ならば返り討ちにするだけだ。

兄貴もろとも。

地獄に沈めてやるだけである。

その時間は。

意外に早く来た。

昼休み。

橘川が、凄まじい形相で、私の教室に来た。私を見ると、そのまま奇声を上げて、躍りかかってくる。

さて、窓から放り出しても良いが。

それでは駄目だろう。

馬鹿な奴だ。

取り巻きを連れてくれば、まだ勝ち目はあったものの。

私は立ち上がると。

つかみかかってきた橘川とすれ違うようにして足を払い。

一番痛い角度で顔面から床に激突するように、背中も軽く押してやる。

振り子の原理で、ただ倒れるのでは無く。全速力で顔面から床にたたきつけられればどうなるか。

説明の必要もない。

激突。

兄同様。

完全に鼻を砕いた橘川は。

悲鳴を上げて転げ回った。

流石に悲鳴を上げる他の生徒達。

私は間合いを取ったまま、冷然とその有様を見ている。

上級生の教室にカチコミに来たというのは、余程頭に血が上っていたのだろう。この手のクズは、基本的に自分はこの世で一番正しいと考えているので、何を言っても無駄である。

教師はそれが分かっていない。

児童保護法などとっとと廃止して、この手の輩は矯正施設に入れるべきだと私は思うのだが。

いや、どうせ無駄だろう。

矯正なんてするわけがない。

何をしたって。

此奴は一生クズのままだ。

そもそも努力なんて絶対しないだろうし。

他人から搾取することだけで人生を終えるだろう。

このままでは。

だったらその道を。

へし折ってやる。

「姫島」

「撮ってるよー」

襲いかかる辺りから、姫島はスマホで一部始終を撮影している。

どうみても、素人には。

バカが勝手に自滅して、床にたたきつけられたようにしか見えないだろう。

そうやったのだ。

私にもこれくらいは出来る。

もっとも相手が武術の知識を持っているようなら無理だろうが。

泣き始める橘川の首根っこを掴んで、引きずっていく。

私の腕力が想像以上に強い事に、橘川は初めて気付いたのだろう。今まで暴力を振るってきた女子と私が別物だと、初めて知ったのだ。

そのまま、一階の窓から外に放り出し。

自分も外に。

そして、手際よく用意しておいた猿ぐつわを噛ませると。

激痛にもがいている橘川の肩を掴んで。

外した。

ぎゃっと、情けない悲鳴が上がる。

もう片方の肩も外す。

気絶するほどの痛みが走っている状態だ。

そして、敢えて無理な形に、肩を戻す。

この時も、小便を漏らすレベルの痛みが走るのだが。

分かっていてやっている。

既に、橘川は両腕に力が入らない状態だ。というか、数時間は指をまともに動かす事も出来ない。

まだ抵抗するようなら、足の方も無茶苦茶にしてやるつもりだが。それは敢えてやらない。

そのまま、引きずっていって。

学校の裏手にある古井戸に放り込む。

猿ぐつわもつけたまま。

腕には力が入らない。

つまり橘川には。

脱出の手段がない。

それほど深い井戸では無いが。

井戸の口を塞いで。

そして石を載せた。

音は外に漏れない。

手がまともに動かないから、猿ぐつわを外す手段さえない。

つまり橘川は、これから擬似的な地獄に墜ちる事になる。

後は放置だ。

教室に悠々と戻る。

生徒達は私の友人達以外、全員顔面蒼白。

此奴らも、見るのは初めてだったのだろう。

ホンモノの暴力を、である。

私の年頃だと、男子と女子の体力差はあまりない。場合によっては女子の方が普通に強い。

差が出てくるのは中学からだ。

だから、一応とは言え、戦闘スキルを持っている私は、小学生や、中学生以上の女子でも、武術の知識がない相手には負けない。

中学生以上の男子で、武術をやっている奴が相手になると厳しいが。

それ以外の場合は。

隙を突けばどうにかなる場合もある。

いずれにしても、橘川が何処に消えたかまでは見せていないし。

教師も彼奴がいなくなったところで、気になどしないだろう。

そもそもレイプ未遂を指嗾しておいて。

それが失敗して、兄貴が警察に逮捕され。

更にそれが理由で教師に説教されたら。

逆恨みに襲撃に来る。

性根が根底から腐りきっているこんな奴に。

割く時間などないというのが事実。

それなのに、むしろ今はこういう輩がのさばるのが普通なので。

色々と終わっているとしか感じない。

まあ人間は根本的にカスだという結論は、強くなる一方だ。利用するだけ利用する。今後もそれで構わないだろう。

というわけで、私が直接拷問などせず。何もせずに地獄を味あわせる方法を実行して、そのまま放置である。インスタントに終わるし、これが手っ取り早い。

授業は何事もなく終わる。

そして八時。

私は、学校に足を運ぶと。

古井戸を開けてやった。

完全に真っ青になった橘川が、まだそこにいた。

どうせ彼方此方で兄貴と一緒に悪さをしていたのだろう。

この時間に戻らなくても、親は心配さえしていない様子だ。橘川の携帯を取りあげて、確認。

メールの一つも入っていない。

私が掴んで井戸から引っ張り上げると。

橘川は完全に恐怖の表情で私を見た。

失禁している。

大も小もだ。

ズボンを刷り下ろして、汚物に汚れているパンツを確認した後。

それをばっちりスマホで写真に撮っておく。

「今後何かあったら、この写真をネットに流す」

私の声は冷え切っていて。

容赦も微塵もない。

つまり、もしも状況次第では。

本当にやると言っている。それはこのノータリンにも伝わっているはずだ。ガタガタと震えている橘川の睾丸を蹴り潰そうかと思ったが、それは止めておく。物理的な暴力の痕跡が残ると面倒だからだ。

肩を外して、無茶な入れ直し方をした時点で。

此奴の腕力は、前の四分の一程度になっている。それも長時間放置した結果、固定化され、後は一生その貧弱な腕力で過ごすことになる。真面目にリハビリすれば治るかも知れないが、こんなクズが努力なんぞするわけもない。

しかも証拠となるような痣なども残らない。

完全な暗闇に人間は耐えられない。

暗闇に放置され。

恐怖のまま八時間過ごした橘川は。

もう以前のような暴君では無い。

暴力を振るわれる側の人間だ。

此奴がやってきた事を考えると当たり前で。

むしろこの程度で済ませてやったのは、むしろ私としてはとても優しい部類に入るほどである。

猿ぐつわをとったあと。

尻を蹴飛ばす。

「とっとと失せろ。 次に私の視界に入ったら、こんな程度では済まさないからな」

「! !!! !」

もう声も出せないようで。

橘川は転がるように、ズボン脱ぎかけ、上履きを履いたまま逃げていった。

これでいい。

これで、未来の災厄が一つ消えた。

この世には、災厄の種が一つでも少ない方が良い。

自明の理である。

そしてその次の日から。

橘川は転校した。

翌日情報網に流れてきた所によると。

どうやら家族も、この街ではこれ以上好き放題出来ないと判断したらしい。家財をまとめて、さっさと引っ越しに入ったようだ。

なお近所の人間には挨拶どころか。

見送りに来る人間さえいなかったらしい。

私が橘川を叩き潰したその日には。

取り巻き達さえ、既に見限っていたそうなのだから。

 

さて、此処でまずは第一段階だ。

次は取り巻きどもを呼び出す。

裏庭に、全員まとめてだ。

真っ青になっている取り巻きども。

面白がって、姫島が撮影しているが、それは止めない。

実を言うと。

虐めを率先して行うサイコパス野郎よりも。

それを助長するこの手のクズが一番タチが悪い。

いわゆるマジョリティを気取って。

マイノリティを迫害するのは。

いつも「普通の人間」だ。

そして此奴らは間違いなく普通の人間である。

虐めに荷担しないと。

今度は自分が虐められる。

それは此奴らの述べる自己弁護。

だがそれが何だ。

それは犯罪の自己正当化に過ぎない。それも、場合によっては相手を死に至らしめる犯罪の、だ。

つまり普通の人間は。

躊躇無く他の人間を殺す行動に手を貸す。

サイコパスが起点になるかも知れないが。

人間とはそういう生物だ。

そして此奴らは。

集団で弱者を痛めつける喜びを既に覚えた。人肉を覚えた猛獣と同レベルの存在である。

教師が説教しても無意味。

ならば。

体に叩き込むしかない。

勿論、橘川と違って、具体的な暴力などは振るわない。

精神に徹底的に傷を叩き込んで。

一生同じ事が出来ないようにする。

それだけだ。

本来だったら。

全員で襲いかかってくれば。

勝機があると思えるだろうに。

此奴らは、全員震えあがっていた。

それはそうだろう。

頼みにしていた橘川が。

昨日のうちに消えた。

しかも、私に瞬殺されて。精神も完全に破壊されたことは、既に田舎の情報網で、知っている筈だ。

一人ずつ、名前を呼んでいく。

既に泣いている奴や。

小便を漏らしている奴もいた。

「お前らがやっていたことは、今お前らが味わっている恐怖とは比較にもならないって事を理解しているか」

出来るだけ。

ドスを利かせて言う。

今まで我慢していた奴も。

ついに泣き始める。

私は続ける。

「弱肉強食だのの理屈で、弱い者には何をしても良いとか考えているのか? だったら今、私がお前達を殴り殺しても、何ら文句はないな?」

反論を待たず。

壁を蹴る。

此奴らとはパワーが違う。

正確には、パワーそのものではなくて。

パワーを掛けるタイミングと。その使い方の習熟が違っている。

ガゴンと学校の外壁が凄まじい音を立て。

立って並ばされていたクズ共は。

ついに泣き始め、崩れふした。

恐怖が限界に達したのだ。

「お前達の事は覚えておく。 次に何かやったら、すぐに田舎街だ。 私に報告が来る」

敢えて、言葉を切る。

そして、分かり易いように。

ゆっくりと。

順番に。

言う。

「次はないぞ。 次に同じ事をしたら、橘川と同じ目に会うと思え」

姫島を促す。

姫島が、撮影を終えた。そして、手を叩く。

「はいはい、聞いての通り。 ちなみにまだ悪さをするようなら、この画像ネットに流すからね。 全員おしっこ漏らしている様子が、全国のネットに晒されます。 それが嫌なら。 精々大人しくすることだね」

震えあがっているクズ共の尻を蹴飛ばして、帰らせる。

さて、これで雪村の周辺環境についてはけりがついたか。

それにしても、実際には結構危なかった、といえる。

中学生の不良が、完全に襲うつもりで私を狙っていた、と言う時点で、かなりの緊急事態だったのだ。

まあ相手がただの不良だったので。

どうにかなった、という事はある。

空手とかをやっている不良もいる。

そういうのは非常にタチが悪い。

道を踏み外す奴は何処にでもいるもので。

武道やら格闘技やらをやっている人間がこの手のクズになると、本当に対処が大変なのだが。

まあ今回は。

全部まとめてもカスだったので、対応がどうにでも出来た。

嘆息。

案外楽だったが。

これで雪村をもう少し監視していれば大丈夫だろう。

今度は雪村が彼奴らを虐め出すようなら、灸を据えなければならない。しっかり解決までしての、私の仕事だ。

解決までするから、きちんとした恩を売る事が出来る。

そしてその解決というのは。

イジメを行っているクズを消すだけではなく。

いじめられっ子が、いじめっ子にすり替わるような、中途半端なものであってはならないのである。

「相変わらず容赦ないねえ、シロ」

「今回は相手がバカだっただけだ」

「それにしても、徹底的だね」

「あの手のクズは、徹底的にやらないと逆恨みするだけだからな。 精神崩壊に追い込むくらいはやっておかないと、周囲にも迷惑が掛かるだけだ」

姫島は楽しんでいるようだが。

別に暴力を楽しんでいるわけでもない。

要領が良い此奴は。

私のやることを、いちいち面白がっている。

それだけだ。

典型的なトリックスターで。

それを怒っていたら仕方が無い。

トリックスターというのは。

そういうものなのだから。

さて、今回の件は。

もう一つ並行で解決しなければならない事がある。

そう。

雪村の。

靴の修復である。

 

2、汚された尊厳

 

靴の修復と一言で言っても、色々と種類がある。

革靴には革靴の修復があるし。

今回私が回収してきた靴は、また別の方法で修復しなければならない。

シャッター商店街を歩く。

年老いた靴屋がいて。

靴の修理もやっていると聞いたからである。

足を運んだその店は。

もう開いているようには見えなかったけれど。

それでも、きちんと営業はしていた。

亡霊のような店主が。

おくでのそり、のそりと動いているのが分かる。

近くに桐川が愛用しているプラモ屋があるのだけれども。

此処も一応、シャッター商店街の中では珍しく、動いている店の一つだ。

声を掛けると。

二度、無視してから。

店主は振り返る。

無視というよりも。

気付いていなかったのか。

耳が遠かったのかも知れない。

「ああ、どうしたね」

「靴の修理を頼みたく」

「ああ、そうかね」

見せてご覧と言われたので。

雪村の靴を見せる。

これは、大人になったから捨てる、というような靴では無く。

代々子供時代に使い。

そして大事なときに晴れ姿の一部となり。

次の世代にまた受け継がれる。

そんな立派な靴だ。

多分、そんな凄い靴だと言う事を、店主もすぐに見抜いたのだろう。何度か大事そうに触ってから。

はあと嘆息した。

「誰がこんな酷い事をしたのかね」

「この間引っ越しした橘川というのがいたでしょう。 彼処の馬鹿息子が」

「はあ。 ならば金は橘川に払わせるとしようかねえ」

実はこの老人。

県会議員にコネがあり。橘川が引っ越した街は、その県会議員のいわゆる「地盤」下にある。

それを調べた上でここに来ている。

要するに、金は。

最初からあのクズ親子に払わせる予定だったのだ。

しばらく靴を調べていた老人だが。

やがて頷く。

「この靴はね、200年も作られてから経過している、場合によっては美術館に飾られるレベルの品だ。 修復には時間も素材も金も掛かる。 こんな凄い品をどぶ川に投げ捨てるなんて、無体なことをするものだ」

「直りますか」

「直すよ」

何度か頷いていたが。

やがて、火が入ったのだろう。

順番に、電話を掛け始める老人。

まずは材料。

それが揃ってから。

修理をするのだろう。

実際美しい白だっただろう靴には、どうしても拭いきれない汚れが染みついてしまっている。

これを落とすのは苦労するだろうし。

ヒモも、左の靴は切れてしまっている。

実際問題、数万、数十万する品を破損した子供を、「子供のした事だから」で庇おうとするバカ親がいるが。

今回の件の場合。

文化財の破損だ。

子供に責任がないというなら。

当然親に責任を取って貰う事になる。

当たり前の事だ。

逃がすわけには行かない。

逃げた先まで。

しっかりと修繕費は回収しに行かなければならないだろう。

地獄の底まで逃げても、である。

闇金のクズ共は、人を陥れて借金を作らせ、骨の髄まで絞り尽くす文字通りこの世の悪逆の権化だが。

今回の借金回収に関しては。

事情がまったく異なる。

明確な悪意を持って行われた文化財の破損である。

その修復に、金を払うのは当たり前の事だ。

ましてや、私が予想していたよりもこの靴は貴重な品。二百年前の靴となると、江戸時代につくられたものだろう。

江戸時代の技術は侮れない。

戦国が終わった後、太平の世で日本では技術がもてあまされ、様々な魔改造とも言える技術が蔓延った。

錠前の凄まじい複雑さや、海外を魅了して止まなかった浮世絵の表現力、カラクリ人形の機構のすばらしさは有名だが。

こういった文化財に関しても、一級のものがあったのだ。

そして靴屋の老人は。

修繕費用を聞くと、楽しい額を教えてくれた。

「120万」

「ほう」

「この素材の痛んだ部分や、絹糸の修復。 いずれも、ちょっとやそっとで出来る事じゃない。 痛んだ部分の修繕にしても時間が掛かる。 かといって、これは文化財としても非常に貴重な品だ。 払えないなら警察に届けるだけだねえ」

ハッと、思わず失笑したくなる。

子供の躾をしっかりしなかった橘川家では。

結局こういう結果が待っていた。

世の中では、自業自得というのはあまり多く無いのだが。

これは珍しい、自業自得が機能した例だろう。

老人は容赦なく、弁償する金を取り立てるつもりらしく。

県議に連絡を入れていた。

ほどなくして。

完全にパニクった様子の橘川の親が、電話を掛けてくるのが分かった。スピーカーモードで聞こえるようにしていたからである。

「120万!? そんな金、払える訳ないだろ!」

「だったら家でも売るんだね。 貴方の息子がやったのは、200年も前の職人が作った美術品の破損なんだよ。 むしろ120万だと、修繕に掛かる費用が安すぎる位なんだけれどね」

「そんな金、すぐには用意できない! 巫山戯るな!」

「では警察に連絡するだけだよ。 君の所の息子達はレイプ未遂に窃盗、何人も虐めて、手酷く傷つけているそうじゃないか。 どういう教育をしたんだね。 警察の方でもその事実は把握しているんだろう? 警察に連絡すれば、当然後はどうなるか、分かっているんじゃないのかな。 そもそも君の家にその程度の金が無い筈はない。 君の所は地主で、相応の金持ちの筈だろう? 金が無いのは、パチンコだの競馬だので浪費したからで、君の自業自得だ。 そんなのに此方はつきあっていられないね」

明らかに電話先で声が怯むのが聞こえた。

既に会社の方でも針のむしろに座らされているはずだ。

此奴に、選択肢など無い。

やがて、恐怖に。

橘川親は声を震わせた。

「か、勘弁してくれ。 本当に金がないんだ」

「ならば借りてでも作るんだね。 言っておくが、この靴の修復、時間が掛かれば掛かるほどかかる金が増えていくよ。 もたついていると、修繕費が200万を超えるだろうね」

「そんなの、持ち主に払わせればいいだろっ!」

「この電話録音もしているからね。 払わないなら、すぐに警察に連絡するよ」

悲鳴を上げる橘川親。

電話を敢えてがちゃんと威圧的に切る老人。

よぼよぼに思えたが。

一応目にはまだ炎が点っていたか。

いや、或いは。

自分にとって商売としてつきあってきている靴に対し。

それも文化財級の靴に対し。

あまりにも非道な行為をし。

それを自覚さえしていない輩を見て。

本気で頭に来ているのかも知れない。

まあいい。

橘川家はこれで家庭崩壊だろう。

ざまあみろである。

兄弟そろってイジメを行うようなクズ。

更に親はその兄弟に相応しいカス。

それだったら。

これくらいの罰が降るのが、本来の社会。本来の自業自得。だが、現在は、神が昼寝でもしているのか、悪逆が好き放題横行し、弱者は泣くしか無い。

法律は機能せず。

そればかりか、弱者へのセカンドレイプを社会そのものが楽しんでいる有様だ。

こんな社会で。

推定無罪だのを口にするのがどれだけ虚しいことか。

わざわざ口にするまでもないだろう。

加害者ばかりが有利で。

被害者は死ぬまで追い詰められる。

つまりそれは社会そのものがおかしいのであって。

法と裁判に露骨な問題がある以上。

蹴飛ばしてでも。

きちんと動かさなければならない。

今はまだ私は、コネを使ってそれをやっていく段階だ。

だが、いずれ。

私は実力でこの街を支配し。

それ以上の地域も支配する。

そうなったときには。

この社会そのものを。

私が好き勝手に動かす。

反論は許さない。

社会そのものを滅茶苦茶にして行ったのは、周囲の大人達だ。それを見ていた私には。容赦をするという慈悲が失せていた。

翌日。

遠くから見ていたが。

蒼白になった橘川親が。金を届けに来ていた。

どうにかして金を作ったのだろう。

分厚い封筒を、靴屋の老人に手渡している。

そして震えながら、何度も謝っていた。

だが、ぴしゃりと。

冷徹に靴屋の老人は突き返す。

「謝る相手が違うだろう」

「……」

「儂は文化財を修理するだけ。 お前さんが謝るべき相手は、雪村さん家の子供じゃないのかね」

「な、なんで雪村なんかに」

まだそんな事を言っているのか。

呆れたが。

老人が、次の瞬間、怒鳴りつけていた。

「とっとと行ってこい! この犯罪一家の恥知らずが!」

周り中の人間が、それを見ていた。

いい気味だと。

私は思った。

故に介入もしない。

泣きながら、尻を叩かれたようにして、橘川親は逃げ去っていく。あの様子だと、雪村家に謝りに行くかどうかも怪しいが。

いずれにしてもその様子は映像に治めた。

場合によってはネットに流す。

何、謝りに来たかは。

明日雪村にでも聞いておけば分かるだけのことだ。

くつくつ。

思わず笑いが零れる。

おかしな話で。

今の時代、虐めを受けた側が、裁判で有罪になる等というケースがある。

イジメを行った側の情報を公開したとかで、名誉毀損だとかになり。

死体蹴りをされたあげく、それで自殺にまで追い込まれたという事例である。

更に、その自殺も、何ら犯罪にはならず。

裁判官も、いじめっ子も、無罪放免となった。

これが現実だ。

そんな法執行が正しいとでも。

本当に社会に住まう人間は思っているのだろうか。思っているのだろう。だからこんな狂った法と施行がまかり通る。改正されずそのまま残る。

法も裁判も問題がある。

どうして加害者の権利ばかりが守られ。

被害者に死体蹴りを嬉々として行う者達が、「法で保護」されなければならないのか。

こんなだからこの国は腐りきってしまった。

いや、この国だけでは無いだろう。

もうこの世界は、寿命が尽きかけている。

あの逃げていく橘川親を見ていると。

それをほんの少しだけ。

覆せて。

多少は気分も良い。

いずれにしても、家庭崩壊して、今後は最悪ホームレスになるか。下手をすると、何処かの海にでも沈められるだろう。

それについても、何ら同情に値しない。

とっととこの世から消えて失せろ。

そうとしか。

私からは、掛ける言葉がなかった。

 

さて。

バカが金をきちんと払ったことで。

ようやく修繕の作業が開始できる。

興味があったので。

私は靴屋に出向いて、修繕の様子を確認することにした。

まずは川に流されたことによって、生じた染みの抜きである。

使われている桐はとても貴重なもので。

代替が存在しない。

故に、汚れの染みを抜くしかないのだが。

クリーニングでどうにかできるようなものではなく。

じっくりと丁寧に。

時間を掛けて、修繕をして良くしかないと言う。その手段もかなり複雑になるそうだ。

更に絹糸だ。

どうやら雪村家の先祖は相応に格のある武士だったらしく。

代々の当主が、幼い頃にこの靴を履いて、七五三を祝っていたそうだ。

その結果、靴に使われている絹は、何度も変えられているそうで。

絹を通す部分に関しても。

かなりダメージが出ているという。

その辺りはニスを塗ったり。

或いは削ったりして。

補修をしていくそうだ。

作業を見て。

私はざっとメモをしていく。

靴屋の老人は。

興味があるのかいと聞いてくる。

私はあると即答した。

「これだけの技術、見ていて損はありません。 覚えるところは覚えてしまおうと思います」

「そうか。 黄色い妖怪と言われる君も、不思議な所があるんだねえ」

「知っていましたか」

「それはそうさ。 君が出てくると、どんな難題も手段を選ばずに解決するとね。 寂しい老人達の話し相手にもなるし、ある時は虐めを受けている子を助けもする。 だけれども、その濁った目はドブを通り越して地獄のようだとも」

手際よく、痛んでいる部分の修繕を進めていく老人。

老人は、嘆く。

靴が泣いていると。

「ずっと大事にされてきて、多くの子供の成長を見守ってきた靴だろうに、心ない愚か者のせいでこんな姿にされてしまって。 やったのが子供だろうが、許されることではないね。 君のおかげで、きちんと罰が降ったのは良かったよ」

「しばらくは逆恨みに気をつけてください」

「分かっているよ。 戸締まりはきちんとしているし、警備会社と契約もしているから、それほど気にしなくても大丈夫だよ」

足下を見て。

老人は言う。

そろそろ靴を変えてはどうか、と。

そういえば、ちょっと靴がきつくなっていたか。

実用性一辺倒で靴を選んでいることも、老人は見抜いていた。

そして、寂れた店だけれども。

相応に色々な靴が売られている。

中には、かなり高級なものもあるようだった。

「橘川のゲスを懲らしめることも出来たし、少し値引きしてあげよう。 どれがいいか、親と相談しなさい」

「いや、しばらく小遣いは貯めていたので、此処で買っていきますよ」

「そうかい」

幾つかの靴を見繕う。

スポーツシューズの中で、そこそこあったものを選ぶ。

激しいスポーツにも耐え抜く、良い靴だ。

それを選ぶと。

最低限の割引だけしてくれる。

結構ちゃっかりしているなと、私は苦笑した。

靴を履き替えるが。

前の靴はそのまま靴屋に引き取って貰う。

分解したりして、使える部品は残しておくという。靴の修繕などに使えるケースがあるそうだ。

なるほどと感心している私の前で。

手際よく修繕をする老人。

私もいつまでも靴屋に入り浸っているわけにもいかない。

一度家に戻る。

その途中。

不意に呼び止められた。

飛び退いて、間合いを取る。

声を掛けてきた相手とは距離があるが。

念のためだ。

更に私がレンチに手を伸ばすのを見ると、相手は流石に困惑した様子で、言い訳めいた言葉を並べた。

「ま、待て、待ってくれ!」

「……」

体勢は崩さない。

どうやら相手は。

橘川親だった。

まだこの辺りをうろついていたのか。

「た、頼むよ、もう許してくれ! 金も払ったし、これ以上は一杯一杯なんだ!」

「何の話だ」

「完全に村八分にされてるんだよ! あんたの差し金だろ!」

「何もしていないが」

相手は此方の話を聞いていないのは明白。

それに、都議が靴屋の知り合いだとすれば。

完全に敵に回した今。

村八分を食らうのは当然だろう。

私が知った事か。

「今まで散々やりたい放題をしてきたつけが回ってきたんだよ。 精々苦しむことだな」

「そんな! 家の格でもこっちの方が雪村なんかより上なんだよ! それなのに、どうしてこんな目にあわなければならないんだよ!」

「いい加減に失せろ。 ブザー鳴らされたいか」

「勘弁してくれよ!」

悲鳴混じりに、逃げていく橘川親。

反吐が出る。

こんな親だから。

橘川兄弟は、揃いも揃ってクズの中のクズになったのだろう。

どうでもいいとは言えないか。

私もアレのせいで。

此処まで性格が歪んだ。

私だって分かっている。

自分の性格が、極限まで歪んでいることくらいは。

溜息が出る。

結局の所。

尊厳を汚されると、それを修復するまで、散々に時間と手間が掛かる。そういうものなのだ。

あの文化財級の靴も。

それに、心も。

今回は、たまたま私が介入して。

報いをくれてやる事が出来た。

だが、現実の世界では。殆どの場合弱者は陵辱されるだけだ。今回は、因果応報が働いた希有な例なのだ。

そして陵辱する側が高笑いをする。

それが平均的な現実。

どうしようもない事実。

法も裁判も。弱者を蹂躙して、叩きのめすことしかしない。死体蹴りしか興味が無い。

そして、それを正当化し。

弱い方が悪いという理屈さえ、今はまかり通るようになってしまっている。

社会不満は極限に達し。

いつ爆発してもおかしくない。

もう一度、溜息が出る。

いっそのこと、私の手で。

この世界を焼き尽くすしかないのかも知れない。

だが、それもまだ先の話。

今は、力を蓄えなければならない。

そして、力を蓄えた暁には。

逃げていく豚の尻をもう一度、刺すようにして見る。

ああいう輩は。

この世から、一人残らず。

葬り去ってくれる。

 

3、修繕

 

雪村の様子を見に行く。

虐めを受けることは無くなった様子だ。

まあそれも当然だろう。

私が雪村を虐めていた連中を、揃ってシメた。その噂は、教室で話題になっているようだから。

何よりガンであった橘川が消えた。

そうなれば。誰も怖くて虐めなんて出来なくなる。

友人もいなくなるかも知れないが。

そもそもがマイナスだったのだ。

それがゼロになっただけで。

どれだけマシだろう。

孤独は耐えられるが。

「構ってやっている」という論理の元、加えられる暴力と虐待には、耐えられないケースも多い。

雪村の場合はそれで。

正直、孤独になってほっとしているようだった。

中間報告に行く。

「靴だが、今修理をしている所だ。 ただもう少し時間が掛かる」

「良かった。 直るんだね」

「ああ。 任せておけ」

実際には。

完全には直らない、という話を聞いている。

それはそうだ。

木のパーツで、代替が利かない部分もあるのだ。

文化財をドブに捨てるという暴挙が行われたのである。

完全な修復は。

どうしても難しい。

ただ、見かけは少なくとも綺麗になるし。元々痛んでいた部分もあったようなので、こればかりは仕方が無い。

雪村に噛みついた狂犬(橘川)は保健所に叩き込んだ。

それの処分は放置しておいても大丈夫だろう。

それよりも靴だ。

今後は、如何にメンテナンスを行うかだが。

200年家を見守り続けた靴だ。

今後も大事にして行かなければならないだろう。

「家族はなんといっている」

「靴が戻ってくるのは良かったけれど、気味が悪いくらい何もかも上手く進んで、何だか怖いって……」

「いいんだよ。 本来は悪逆には報いが降るべきだ」

「そうなの?」

だからお前も悪党になるなよ。

そう釘を刺すと。

周囲の子供達全員が、ぞっとした様子で視線をそらした。

私を怒らせればどうなるか。

よく分かったからだろう。

勿論、私も自分が悪逆だとは考えている。

いずれ何かしらの報いを受けるときが来るかも知れない。

だが、この世界で。

神はいない。

いるとしても、何処かで昼寝をしているも同然だ。

だったら誰かが手を汚してでも。

本来神がやらなければならない事を、きっちり執行していかなければならない。

本当だったら、法と裁判がそうなのだが。

今は法も。

裁判も。

まともに機能していない。

人間には法は早すぎるのかも知れない。

歴史上、繰り返されてきた腐敗と混乱を思うと。

私はそう考えてしまう。

さて、自分の教室に戻る。

ぼんやりとしていると。

姫島が声を掛けてきた。

「転校した橘川の話聞いた?」

「何の話?」

「兄の方は余罪が出るわ出るわで、特別少年院だとか」

「あれって16歳以上が入るらしいけれど、そうなるとよっぽどだった、って事みたいだねえ」

苦笑。

だが、正直な話。

中学生で特小ということは。

本当にどうしようもない犯罪者だった、という事だ。

私を躊躇無く襲いに来たところからしても。

恐らくレイプ関連で相当な余罪があったのだろう。

あの有様からも、それは明らかだ。

まあ私の場合は相手が悪かった。

それだけである。

ちなみに、強姦は殆どの場合、控訴が棄却される。その割合は7割とも言われている。

これは裁判で、被害者が何故か凄まじいストレスに晒されるからである。そういう欠陥まみれの仕組みだから、だ。

更に裁判で勝つのも難しく。

弁護士は示談を勧める。

こうして強姦魔は世に放たれる、というわけだ。

一方で痴漢えん罪は、異常に男性が不利になっていると言う現実があり。

この点だけを見ても、裁判なんてものが如何に不平等で。

弱者が泣く仕組みになっているかがよく分かる。

市原兄は、お礼参りに来るかも知れないが。

私はその頃、しっかり体を作っている。

刑務所の中でダラダラしていた奴に負けるような体にはしないつもりだ。

今の時点では、まだ私は子供だが。

特小ともなると、出てくるのに軽く数年はかかる。

その数年で、私は。

武術やらの知識がない相手なら、まず負けない程度には鍛えておくつもりである。今後の事を考えると、それくらいは必要だ。

「それでシロ、橘川弟なんだけどね」

「アレがどうかしたの?」

「精神病院でブルブル震えてるってさ。 何か暗闇になるだけで発狂するらしくて、ずっと同じ部屋で灯りをつけて、隅っこで頭抱えてるらしいよ」

「へー」

心底どうでもいい。

一生そのままでいろ。

そういう言葉しか無い。

どうせ社会に出ても、弱者を虐げるだけ虐げて、自分は高笑いしながら他人が苦しむ様子を見ているだけだろう。

そんなものは。

害悪以外のなにものでも無い。

むしろ私が殺しに行ってやりたいくらいだが。

まあ、今後立ち直れないなら。

それで万々歳だ。

橘川一家はこれで一家離散。

どのみち家族全員がDQN揃いだったのだ。

今後は全員が。

地べたを這いずり回りながら、地獄を見れば良い。

とはいっても。

私が見てきた地獄に比べれば。

天国に等しいだろうが。

「シロも徹底的だね……」

「ちょっと違う」

「ん?」

「あの手の連中は、徹底的にやらないと逆恨みするからね。 橘川兄だけがちょっと不安だから、特小にいる間に徹底的に潰しておくかな」

何、方法はいくらでもある。

刑務所は中に入れば税金で働かずに楽に暮らせる、何て考えているバカがいるようだが、まったく実情は違う。

砂を噛むような無意味極まりない労働。

そして刑務所の中ではヒエラルキーがあり。

ヤクザの関係者が上位を独占。

自由なんて無いに等しい。

しかも、班長だの何だのがあって、学校以上に厳しい人間関係が要求される上。

性犯罪者の類は、ヒエラルキーの最下層に置かれる。

特別少年院でも同じだ。

更正なんて絶対に不可能なのはこの辺りから来ていて。

まあ橘川兄は。

特小を出たころには中卒で二十歳半ば、と言う所だろう。

そして精神もボロボロになっていて。

とてもではないが、生きていける状態ではなくなる。

普通でさえそうだが。

ちょっと色々と後押しをしてやるとしよう。

刑務所内での立場が悪くなるように、情報を流すことくらいは幾らでも出来る。それくらいのコネは私も持っている。

延々とコネを構築していると。

こういう便利な事もできるようになるのだ。

刑務所を出てきたころには。

黄色パーカーを見ただけで、失禁して逃げ出すくらいには追い詰めてやる。

いっそのこと首を刑務所内でくくるようにしてやっても良い。

それだけの事をされて当然のことをアレはしているわけで。

私が同情する必要はない。

「まだやりたりないの?」

「必要な分だけ、罰を受けて貰うだけだ。 それ以外に何がある」

「ふふ、その辺りシロは面白い」

「そうか。 それは結構だ」

姫島はコントロールしやすい。

面白いと思わせれば。

此方にとって非常に有益な存在のままいてくれる。

私としては。

この厄介なトリックスターが、味方でいてくれれば、それでいい。

さて、また靴のことを考えるが。

少しばかりここしばらくは働きすぎた。ちょっと体が休憩を求めている。まあ油断をしすぎない程度に。

ぼんやりするのも悪くないだろう。

小さくあくびをすると。

いつのまにか。

授業もあらかた終わり。

そして、放課後が来ていた。

 

メールアドレスを交換した靴屋の老人と、軽くメールをやりとりする。自宅での事だ。今日は疲れたので、秘密基地には行かなかった。

ベットで横になって。

メールで進捗を利くと。

今50%くらい、ということだった。

「結構進展していますね」

「かなりハイペースで進めているよ。 こんなに良い靴を修理するのは久しぶりだからね、背が伸びる思いだよ」

「それは何よりです」

「靴には可哀想な思いをさせたけれど、儂は元気を貰えたよ」

確かに。

何というか、修理の話を持ち込む前の老人は、しなびた梨みたいな有様だったけれども。靴の修理を始めてからは、眼光も戻り。恐らく職人としての腕前に関しても、かなり取り戻した、という事で間違いないのだろう。

今回は色々と大変だったが。

排除されるべきクズが排除され。

元気になるべき人が元気になったのは。

それはそれで良い事だ。

他にも幾つか話しておく。

食事などはきちんととっているかとか。

そういう事を聞かれたので。

自炊していること。

父がかなりブラック気味の仕事をしているので、料理については自力で身につけていること等を話すと。

同情された。

まあ、そもそも靴屋の老人は、蓄えも相応にあるらしく。

少なくとも自分が死ぬまでは。

悠々自適の生活を出来ると言う。

靴屋を残しているのも。

あくまで趣味だからで。

もう完全に売り上げは度外視だそうだ。

なお、靴についての具合も聞かれた。

良い感じである。

山を歩くときなども歩きやすいし。

外で走るときも、かなりタイムが縮まる。

私はだらけるときと鍛える時の落差が大きいが。

鍛える時のために。

こういう靴はきっちり持っていると嬉しい。

ふと気付くと。

父親が帰ってきていた。

電話を切る。

一階に下りると、ソファで蹲っている父。

夕食を食べるかと聞くと。

父は呻くように言った。

「食欲が無い」

「食べないと死ぬよ。 朝食も半分残していたでしょ」

「……分かってる」

「何が良い」

しばし沈黙が流れた後。

父はヨーグルトが良い、と言った。

実は父はヨーグルトがそこそこに好きなので、準備してある。

市販品でも良いのだが。

せっかくなので、自前で買ってきた果物を使って、フルーツヨーグルトに仕上げる。これは栄養を多少でもとってもらうためだ。

「大丈夫? 味はする?」

「……全然」

「そう。 そろそろ、退職を考えたら」

「そうもいかない……」

父は呻く。

会社の様子が悲惨な事は簡単に想像できる。

無能な上層部。

何とか敵対的買収を乗り切りはしたが、その過程で多くの犠牲を払った結果、従業員が足りなくなった職場。

手が足りなくなれば。

他の人間がやっていた仕事もやらなければならなくなる。

ましてや田舎の小規模企業だ。

それこそ、事務から下手をすると営業までやらなければならないだろう。

ヨーグルトを食べ終えると。

ぐったりした父は、ソファに横になる。

タオルを濡らして額に掛けると、うめき声だけが聞こえた。

なお、アレの方は精神病院で隔離されていて。

今の時点では情報も聞こえてこない。

ちなみに、仮に父が私の耳に届かないように、情報を握りつぶしていても。

他に情報網があるので。

私の所には届くのだが。

「ちょっと小遣いを増やす」

「ああ、ひょっとして食材を買ってくる暇も無くなった?」

「……暇よりも体力がもうない」

「そう。 大丈夫、分かったよ。 買い出しくらいなら手間にならないから、私がやるよ」

実のところ。

父は気付いていない様子だが、買い出しについては既に私が幾らかやっている。小遣いを増やすから買い出しをやってくれ、という事については。

元々私が買い出しをしている事もあって。

その内申告しようとは思っていた。

だが、父は今既にストレスで体を壊しかけている。

それ以上に、精神は半壊してしまっている。

それを私が指摘したら。

更に苦しんだだろう。

アレと違って、父にはそれほど敵意を私は抱いていない。

まあアレによる虐待を止められなかった、という事は事実だし。そういう意味では父親として失格かも知れないが。

それでも、積極的に荷担はしなかったし。

自分の無力さを嘆いてもいた。

だから其処までは憎んでも恨んでもいない。

「歯磨いて眠って」

「情けない親ですまない」

「いいんだよ」

ちなみに、授業参観日が近々あるのだが。父には告げていない。

最近は、来ない親も多い。

まあそれもそうだろう。

このブラック企業大全盛のご時世だ。

授業参観で有給を取りたいなんて口にしたら。

それこそ企業から何をされるか分からないからである。

みんな頑張っているんだ。

仕事があるのに、葬式に出るなんて常識が無い。

そういった言葉が飛び交う地獄絵図である。

大手は更に酷い。

情報網から色々と話が入ってきているが。

それはもう。

目を疑い。

耳を覆いたくなるような話ばかりなのだった。

父が眠ったのを確認すると。

そういえば、髭も剃っていなかったなと思ったが。

それを指摘しても。

もはやどうにもならないことだった。

 

翌朝。

父は無精髭で。

血走った目のまま。

会社に出かけていった。

最近は髭を伸ばすことがトレンドになっている場合もあり。昔ほど髭は嫌われるものではなくなったけれども。

それでも、昔の父はこんな状態で仕事に出るような人間では無かった。

思うに、母は最初から狂っていたとしても。

父は此処まで酷くなければ。

止める余力もあったのではあるまいか。

父を恨んではいない。

だが私は。

この社会体制そのものを。

恨みつつある。

政党が変わろうと同じだろう。

もしこれを改善しようと思うなら、多分幕末みたいな、破壊的な変革が必要になる筈だ。

今アジャイルだのスクラムだの、働き方についての変な用語が飛び交っているが、そんなものどうやったって上手く行くはずがない。

当たり前の話で。

末端の労働者に、無茶を押しつけているからである。

経営者が変わらない限り。

この地獄絵図は終わらない。

子供でも分かる事だ。

それが今は。

大の大人が理解出来ないのである。

それも、社会を牽引しているはずの、エリートで、立派な大人様が、である。

顔を洗い。

歯を磨いて。

学校に出る。

朝飯を造り、給食が無い日には弁当も作るから。

朝起きるのは必然的に早くなっている。

それも数時間は、である。

帰ってからは洗濯もしている。

実際父親の下着なんて洗濯したくない、という年頃にそろそろなりつつあるのだけれども。

恐らく私は。

反抗期なんてやっている余裕は無いだろう。

こんな有様では。

とてもではないが、うだうだくだらない事をやっている余裕は無いし。

何よりそんな事をしていたら。

生活が立ちゆかなくなる。

私はエゴイストだ。

それは理解しているが。

それが故に。

今これ以上、自分が家庭に対して、バカをする訳には行かないという事も分かっているのだ。

この辺り、バカだったら。

髪の毛染めたり。

クズと一緒にバカやったりして。

それこそ何も考えずに。

この世の春を謳歌出来たかも知れない。

何しろ父はあんな状態だ。

やりたい放題出来ただろう。

だが私は、不幸にもというべきか。少なくとも周囲よりはスペックが高く生まれついてしまった。

それが却って不幸になった事は否めない。

勿論、友人は姫島にしても桐川にしても黒田にしてもいるが。

こればかりは。

友人にだって話しようが無い。

学校に着くと。

姫島が、ちょいちょいと指で招いてきた。

「何だか面倒くさい事になってるよ」

「何だ」

「橘川の子分達シメたでしょ。 あいつらが今度は虐められてるみたいでさ」

「雪村は?」

関係はしてないらしいと言うと。

そうかと、私は頷いた。

虐めに荷担している奴が誰かを確認する。

名前は挙がったので。

もう、その日のうちにシメておく。

なんでと、顔に書いている数人を並ばせると。

私は言う。

「私がなんで彼奴らを叩きのめしたと思う。 気に入らないからだとでも思っているのか」

「ち、違うんですか!?」

敬語になるアホども。

完全に顔が恐怖に引きつっている。

私は一人ずつ、ゆっくり見つめながら、言っておく。

「宣言しておくが、虐めなんてものはクズがやる事だ。 今後やったら顎かち割るからな、それが誰であろうとだ」

まあ、今回は対した内容ではない様子だから。

これで勘弁してやる。

だが、此奴らは。

悟っただろう。

私が自分の想像の外にある存在だと。

教室に帰らせてやる。

それにしても、情けない。

虐めを正当化する声があるのは知っている。

というか、かなりの数の人間が、それを指示している。

いわく、虐めは、される方が悪いというのである。

弱い方が悪い。

他と違っているのが悪い。

動物だってやっているのだ。

どうして虐めをやったらいけないのか。

そう開き直る声は、近年ますます堂々と聞かれるようになって来ている。

実際問題、アレが私に対してやっていたのも。

この理屈による、虐めの延長線上の行為だったのだろう。

つまるところ。

人間は虐めという行為が大好きだ、という事だ。

教室に戻る私。

憂鬱だ。

周囲はこういうカスばかり。

中学に上がっても。

高校に上がっても。

多分大学に行っても。

それどころか、就職したところで。

結局同じだろう。

私はずっと、人間の最下層に位置する業を見続けることになる。

普通、人間は此処まで考えない。

何処までも愚かな人間の業を理解もせず。

石器時代とまったく変わらない脳みそのまま。

強い者にはこびへつらい。

弱い者を痛めつけて。

その場の快楽に浸り続ける。

そして、弱い者を虐めている時の人間のツラは。

アレと。

私の母親と、同じ。

醜悪極まりない、最悪の快楽を満たしているときのものだ。

溜息が漏れた。

何度目だろう。

教室に戻り、授業をぼんやり受ける。途中何度か指されたが、さらさらと応えてみせると、教師は鼻白んで、授業に戻る。この程度の内容だったら、話半分に聞いていても問題ない。

ケアレスミスはするが。

私に取っては、学校の授業はもう。

問題にもならない。

そして、放課後。

靴が直ったと、連絡が来た。

すぐに、靴屋にとりにいく。

完全とは言わずとも。

ほぼ完璧に、修繕は済まされていた。

見た目も以前とまったく遜色が無い。痛んでしまった桐の部分も、きちんと修復されている。

どうやったのかと聞いたら。

かなり驚くべき話をされた。

「痛んでしまった部分は取り除いて、取り除いたのと同じ形の桐を入れて、特殊な接着剤で止めてあるんだよ。 更に、木組みも工夫して、組み込んであるから、簡単にははずれない」

「へえ……すごいですね」

鼻緒というそうだが。

絹糸の部分も、非常に美しく直っている。

これについては、綺麗に洗い直し。

どうしても駄目な部分は、絹糸を入れ替えたという。

金が掛かるのも当然か。

これは、流石に名人芸と言うほか無い。

「お疲れ様でした。 後は、これを届けに行きます。 それでも一悶着あるかも知れませんが」

「そうさな。 もうこれは、個人で扱うのでは無くて、美術館に収めるべきものかも知れない」

恐らく人生最後の大仕事だろうと、靴屋の老人は寂しそうに言う。

そんなと私は言おうと思ったが。

気付く。

力を使い果たした様子が。

老人から漂っていた。

そうか。

そもそも、売れない靴屋をずっと続けていたのだ。

好きでやっていただろうけれど。

それでも、ずっとストレスは体を痛めつけ続けていただろう。

ましてやこの年齢だ。

これほどの仕事になると。

そう来るとは思えない。

「また、遊びに来ますよ」

「……そうか」

力なく、老人は笑う。

禍根は色々残したが。

それでも、修繕は。

終わった。

 

4、靴の行方

 

雪村に靴を渡す。

そうすると、ぱっと雪村は目を輝かせて喜んだ。

良かった。

その場で泣きそうになる。

私は背中を叩くと。

これからだ、と言う。

「この靴の価値を、お前の親は知らない。 これからちょっと私も行く」

「?」

雪村について。

家に着いていく。

この街の端の方。

古くからある家の中では。

それほど金持ちでは無い家に、雪村は住んでいる。家の格が虐めにつながる、何てことが現在でもある。

驚くべき事だが。

それが事実なのだ。

雪村の家は一応武家の出なのだが。

しかしながら江戸時代の武士は苦しい台所事情に苦しめられ。

明治以降はそれが祟って。

かなりの貧困の中、それこそ苦労しながら過ごしていた様子だ。

それについては、本人達から聞いたのでは無く。

図書室にあった郷土資料館を見て知った。

家に出向くと。

兎に角気弱そうな両親が、此方を出迎えた。

この地方の武士は、勇猛とか言われるケースは殆ど無く。

むしろ周囲からは弱卒として侮られていたらしい。

江戸時代になっても、そういった悪しき風習はついて回った。

結局の所、強力な大名を出す事も無く。

更に言うと、明治維新で負け側についたこともあって。

とにかく散々だったという事だ。

元農家の人間の方が、この地方では土地も金も持っている。明治以降はそれが更に顕著になり。

今ではすっかり元農家の人間が、偉そうに土地の顔役をしている。

そういう状態が続いていた様子だ。

「お父さん、見て。 靴、綺麗になって戻ってきたよ!」

困惑している様子の雪村父。

なお、シフトで仕事をしているらしく、今日はたまたま両親が揃っていたそうである。世も末としか言いようが無い。

無邪気に喜んでいる雪村と裏腹に。

二人は生きた心地がしないようだった。

噂の妖怪。

黄色パーカーが、無言で家に上がっているからだろう。

勿論、土産は渡したが。

「シロさんが直してくれたの!」

「そう。 じゃあ大事にしまっておくんだな」

「……うん?」

小首をかしげながら。

雪村は自室に戻っていった

私は、あきれ果てた様子で、此方に怯えの視線を向けている雪村の両親に告げる。

「事情は知っていますね」

「……」

「あの靴、残った数少ない家宝でしょう。 それをドブに捨てられるような真似をして、どうして黙っていたんですか」

「橘川の家に……逆らえる訳が無いじゃないか」

なるほど。

こんなんだから。

子供が虐められるわけだ。

しかも、この様子では。

親が虐めを黙認していた可能性が高い。

情けない話だ。

だが、私の父も。

こんな感じで、母の凶行をどうにも出来ずに見ていたのだろうか。

それを考えると。

あまり強くは出られなかった。

「その橘川の家は私が追い出しました。 知っているでしょうが」

「バケモノ……」

「バケモノで結構です。 あの靴、もう本当はいらないんでしょう? 美術館を紹介します。 寄付してしまってください。 貴方方のような人間が、管理するべき品ではありませんよ、あれは」

そもそも七五三という行事が、廃れかけている。

あんな立派な靴も。

もう使い路は無い。

それだったら、美術館や、或いはレンタルで高級な着物などを扱っている店などに渡して。

それで有効活用して貰った方が遙かにいい。

雪村が二階から降りてきて。

満面の笑みで差し出したのは、白い絵。

真っ白い絵というわけでは無い。

赤い紙に。

白い絵の具で、何か良く分からない動物を描いたものだ。

「これは何の動物?」

「うさぎ!」

「そうかそうか」

受け取る。

青ざめている雪村の両親を一瞥すると。

雪村にも告げる。

「あの靴、もう恐らく大事にされる事は無いだろう。 この美術館にこれから両親が連れて行ってくれるから、其処で大事にして貰え」

「え……」

「もし捨てられるようだったら、私にいえ」

「うん……」

不可思議そうに、雪村が両親を見る。

両親は視線をそらそうとしたが。

私がじっと見つめたら。

恐怖を露骨に浮かべて、視線をそらせなくなった。

「つ、努、それじゃあ美術館に行こうか」

「うん。 靴、大事にしてくれないの? こんなに綺麗になって戻ってきたのに?」

「いいんだ」

「うん……」

凄く悲しそうに眉をひそめる雪村。

私は溜息が出た。

いずれにしても、靴を大事そうに抱える雪村を連れて。その両親はすぐに車で、何処かに出かけていった。

わざわざ釘を刺したのだ。

そして橘川の家の末路も見ている筈。もし靴を捨てたりでもしたら、雪村は私に報告するだろう。

あの目は。

私に対して、畏敬を抱いているものだった。

出来れば畏怖を抱いて欲しかったのだが。

まあこればかりは仕方が無い。

車を見送ると。

さっさと帰ることにする。

途中でスーパーに寄る。

コンビニでも食材は手に入るけれど。

量販店はどうしても値段での利がある。

もっとも、何処産かよく分からない得体が知れない食い物を、二束三文で売っているケースもあるので。

そういうのを警戒して、しっかりモノは見極めなければならないが。

買い物をして、しっかりレジで金を払い。

そして帰路につく。

途中、中学生達が、黄色パーカーの私を見て、噂しているのが聞こえた。

「あれ、例の妖怪だろ」

「襲った橘川先輩、一瞬で返り討ちにされて特小行きだってよ」

「特小?」

「特別少年院だよ。 普通の少年院じゃ無理な、凶悪犯罪を犯した子供が行く場所。 何か話に聞いたけど、橘川家そのものまで潰されたらしいぜ。 何か噂によると、ヤクザまで潰してるとか。 あれ、小学生だと思わない方がいい」

怖、とか声が聞こえるが。

良い傾向だ。

畏怖が広まるのは良い。

家につくと。

冷蔵庫に食材を入れ。

夕食の下ごしらえをする。

途中で何度かメールが入ったので。

内容を確認。

ものによっては返信もしておく。

父が帰ってきたのは、その時だった。

ただし、予想外の形で、だが。

玄関で、どさりと音がする。

下ごしらえが丁度終わった所で、玄関に出ると。

真っ昼間だというの酔っ払った父が。

其処でぐったりしていた。

「どうしたの」

「行政指導が入った」

「……はあ?」

「ようやく行政指導が入って、月350時間労働していることが分かって、それで家に無理矢理帰らされた。 でも帰ってもする事がないし、飲んで来た」

真っ昼間から。

余程の状態だったのだろう。

兎に角、寝室に引きずっていく。

凄まじいアルコール臭がした。

「明日は?」

「無理矢理休めって……」

「会社はどうするの?」

「知らん……社長は蒼白、取締役連中も全員が締め上げられてた。 ひょっとすると、一週間くらい休みになるかも知れない……」

良い機会だ。

少し休むと言い。

そう告げると。

父はもう起きていなかった。

フトンに潜り込むようにして眠っている父は。

むしろ気絶しているようにさえ思えた。

何というか。

哀れすぎる。

だが、行政指導が入ったというのなら。

これでやっと。

少しは休めるかも知れない。

もっと早く行政指導が入っていたのなら。

アレの凶行を少しは止められたのだろうか。

天井を見る。

もう、何をどう嘆いていいのか。

私には分からなかった。

 

(続)