光の行方

 

序、不可思議な依頼

 

姫島が持ち込んできた依頼は、隣町の小学校から。小学五年生の依頼主は、私の話を聞いて、困り果てた末に依頼をしてきたらしい。

ともあれ本人に会う。

小さな公園で、そいつは待っていた。

山下祐介。

どちらかといえばひょろっとした体格で。

背も私と同じくらい。

小学生くらいだと、男子と女子ではあまり体格差がないケースが多いのだけれども。ちょっと此奴の場合、フィジカルが脆弱かなと思う。

まあこれから成長期で育てば良いので。

別に問題はない。

むしろ女子は、これから背とか体格が伸びなくなる。

スキルでカバーできる分には限界がある。

ボクシングだと、一階級上がるとパンチの破壊力が三倍になる、とまで言われているけれども。

それくらい体格と重量は重要なのだ。

「お、お前が、その、シロか」

「そうだけれど」

「依頼を受けて、くれるって聞いてる。 中学生や高校生からも依頼を受けて、何度も解決してるとか」

「依頼を受けるかは、内容次第。 それに前提条件として、親に相談できない内容だって事」

しばし黙り込むと。

山下は、口を開いた。

何だか近くの川の様子がおかしいと。

「親に相談しても、何もしてくれそうにないんだ」

「どうおかしい」

「蛍が、その」

「……」

蛍か。

公害全盛期に激減した虫だ。

農薬に兎に角弱いという点では、タガメなども同じように激減した。タガメはもう絶滅危惧種だが。

蛍は華やかなイメージがあるからか保護がなされ。

今ではある程度だけ回復しているという。

日本ではゲンジボタルとヘイケボタルが有名だが。

どちらも幼虫期は獰猛な肉食で。

小型の淡水貝を捕食する。

そして成虫になるとあっという間に死んでしまう。

その点では共通している。

なお、ヘイケボタルの方が公害には強く。保護を要求されたのはゲンジボタルの方なのだが。

実際にはゲンジボタルはより大型で獰猛の品種。

この辺りは、昆虫という生物種の生態について考えさせられる。

またヘイケボタルは、海外にも生息しているという。これに対して、ゲンジボタルは日本の固有種だ。

蛍には面白い生態のものが多い。

海外の蛍になると。

何と他の種類の蛍のように見せかけて光り。

そして誘き寄せられてきた他の種類の蛍を補食する種まで存在しているという。

また、蛍はいつのタイミングでも光るが。

ルシフェラーゼという物質で化学変化を起こして光っている。

この位は一般常識。

小学生でも知っている程度の事だ。

私はこのくらいしか知らないが。

この山下に軽く状況を説明した後、口を開けている山下に、もう少し詳しく聞く。

「それで、どうしてほしい。 蛍がどうした」

「それが、ここ数年で、凄く減っていて」

「近くに工場か何かできたか」

「いいや、そんな事は……」

ふむ。

そういえば。

蛍が激減していた頃だが。

養殖している蛍に、農薬をぶち込むという犯罪が流行った事があったらしい。勿論愉快犯によるものだが。

しかしながら、今では似たような話は聞かない。

似たような事件としては。

学校で飼育しているウサギなどを惨殺する事件が相次いで起きていた時期があったらしく。

それらは「野犬の仕業」と説明されていたそうだが。

どうにも腑に落ちない。

本当にそうなのだろうか。

実際には、変質者が行っていたのではあるまいか。

「要するに私は、その原因を突き止めれば良い、というわけだな」

「あ、ああ。 出来るか」

「本当なら大人の仕事なんだろうが、大人が何もしていないだろうし、親に相談しても駄目だろうな。 少し状況を調べてみて、もしも分かったら連絡をする」

「……頼む」

山下が、不安そうに此方を見た後。

視線をそらした。

畏怖を感じているのが分かる。

それでいい。

私は怖れられているのが一番正常な状態で。

それが仕事をやりやすい環境でもある。

後は、仕事についての説明。

報酬について用意しておくように言うと。

分かったと、頷いた。

本来なら年下の相手に頭を下げるのは相当な屈辱だろう。特にこの年の小学生にとっては、だ。

だがそれでも依頼をしてきた。

それならば、私としても。

その意を汲むのがスジというものだ。

さて、帰りながら。

ちょっと蛍について追加調査だ。

家からスマホを持ち出せるようになった。

これは母の事件の結果、父が何かあったら困る、という理由で。私に持ち出すことを許可してくれたのだ。

ただし、ソシャゲの類は禁止。

それについては私もするつもりはない。

理由は悪名高いガチャだが。

元々私は据え置きや携帯ハードのゲーム派だ。

スマホのゲームは課金しない程度しかやらない。

この街に生息している蛍はいわゆるゲンジボタル。田舎と言う事もあって、水が綺麗で。それでゲンジボタルが生息しやすかったらしい。

ただしやはり公害の時代に、農薬などの影響もあって、田畑沿いの川では数が激減。一時期は全滅寸前まで追い込まれたそうだ。

それから三十年近く掛けて。

たくさんの人の努力もあって。

かなり数も回復。

今では、幾つかの指定地で。

蛍が舞う光景を。

時期によっては見る事が出来る。

市役所のHPにアクセスしてみると。

蛍についての情報などもある。

決してここの市長は有能では無いし、市民からの評判も良いとは言えないのだけれども。それでも此処まで数が回復したのは。

市からの援助と。

アピールがあっての事だろう。

しかしながら、である。

その一方で、嘲笑する声もある。

滅ぶような動物は滅べば良い。

公害対策など気持ちが悪い、というものである。

バカじゃねえのと言いたくなる。

そもそも、公害でダメージを受けるのは動物だけだとでも思っているのだろうか。

少し調べれば分かるが。

公害によって死ぬ人間は、昔は大勢いた。

有名なイタイイタイ病を一として。

公害が原因の難病は存在し。

しかも企業側が雇った腐れ御用学者が。

それらを「風土病」だとか抜かし。

被害者に対する侮辱を行うケースさえあった。

公害は身近ではなくなっただけで。

それがどれだけ恐ろしいかは。

ちょっと調べれば分かる事。

他人事では無いのだ。

公害で滅ぶような弱い動物が悪い、何て理屈を振りかざす人間は。それこそ毎日毒物でも飲んで、体を崩したら「自己責任」で死ねば良い。

何しろ、自分で口にした言葉だ。

有言実行してもらいたい所である。

環境汚染とはそういう問題で。

フロンのようなものによっては。

地球の極めて危うい環境バランスを根本的に破壊する危機さえもたらした。

それを無邪気に、弱い方が悪いだの。

環境対策は気持ちが悪いだの。

そんな寝言をほざいているから。

人間という生物はいつまで経っても駄目なのだろうと、私のような小学生でさえ呆れてしまう。

調べて見ると。

他にも色々とある。

一時期ルアー釣りが流行ったとき。

各地の川や湖等に。

ブルーギルやブラックバスを勝手に放流することが流行った。

そして、これら外来種が、在来種を滅茶苦茶に食い荒らすのを。

釣りマニアが、平然と肯定した。

弱い方が悪い、と。

それは早い話、例えば宇宙から強力な侵略者が来た場合。

人間は弱い方が悪いのだから。

食い殺されても構わない。

むしろ強い生物が外にいる場合。

弱い人間が地球に住み着いているのはむしろ悪なので。

どんどん呼び込んで滅ぼして貰おうとか。

そういう頓珍漢な理屈ではあるまいか。

実際問題、ある島に一種類のウサギを持ち込んだだけで、島の生態系が壊滅したというケースもある。

他人の趣味を否定する事は勿論悪だが。

自分の趣味のために、他人を踏みにじる事は更にまずいだろう。

ましてやそれによって、他の命を奪ったり。

環境そのものを無茶苦茶にする事を肯定するのは、文字通り言語道断。

それさえ分からない人間が。

平然と各地にブラックバスやブルーギルをまき散らし。

滅茶苦茶にしていった、というわけだ。

なお、子供達がそういう理屈を振りかざして調子に乗っていたが。

実際にばらまいていたのは「釣りマニア」を自称する大人だ。

こういう大人には。

釣りをする資格などないだろう。

環境問題に関しては。

ちょっと調べて見るだけで。

極めて身勝手かつ頓珍漢な理屈と。

傲慢にもほどがある人間の剥き出しのエゴ。

そしてバカ丸出しの数多の実例が。

嫌と言うほど出てくる。

呆れてしまう。

これでは異世界から魔王か何かが出てきて、人間を片っ端から殺し、地球上を荒野にしたとしても。

人間には文句を言う資格さえないのではあるまいか。

環境を滅茶苦茶にされた動物にとっては。

人間こそ、その魔王に見えているのだろうから。

苦虫を噛み潰しながら帰宅。

父がなにやら書いている。

離婚届のようだった。

まあそれはそうだろう。

夕飯の準備を始めると。

父は、私の目から。

離婚届を遠ざけた。

一応の配慮、というわけだ。

別に必要ない。

彼奴に十倍返しをしていくのはこれからだし。

あの腐れ外道は、刑務所から出られたとしても、一生精神病院の隔離病棟行きにしてやるつもりだ。

「グラタン作るね」

「ありがとう。 頼む」

「いいんだよ」

てきぱきと作業を進める。

材料は揃っているので。

作るのは難しくない。

レシピは頭に叩き込んでいるし。

何より、最近ではアレンジも出来るようになって来た。

好みに味を調整できるようになったのは大きく。

父も私も。

少なくとも、ファミレスで出てくる物よりおいしい食事を、毎日味わえるようにはなっていた。

少し前には、冷めたレトルト以下のものを喰っていたのが嘘のようだが。

これも苦労の甲斐あってのものだ。

「離婚届書いてるんだね」

「ああ。 問題は彼奴が、もう正気じゃないって事でな。 裁判が成立するかどうかもわからん」

「そんなに酷いんだ」

「拘束衣をつけられているそうだ」

それはそれは。

さぞや凄まじい暴れ方をしたのだろう。

更に、である。

警察の聴取中に、相手に拘束衣のまま飛びかかって、噛みつこうとしたり。

壁などに身を叩き付けて、此処から出せとわめき散らしたり。

凄まじい有様らしい。

それでいて、自分は正しい。

だから出せ。

出次第あのクソガキを食い殺してやると喚いているらしいので。

まあ何というか。

常識を振りかざす人間の末路とはこういうものかと。

私は失笑するばかりである。

「ハンコを押させるまでが一苦労だな」

「私も行こうか」

「駄目だ。 医者に止められている」

「本当に、なんであんなのと結婚したわけ?」

父が俯く。

前も口にしていたが。

あれでも平均的な人間だ。

良いところもあった、のだろう。

そして平均的な人間は。

「キモイ」相手には何をしてもいいと考える。

母はこの世界の「常識」に何よりも忠実だった。

だから自分の価値観と違う相手には。

何をしてもいいと思っていたし。

自分が理解出来ない相手は。

殺しても良いと本気で考えていた。

故に、私を理解出来なかった。

多少スペックは高かった。

それだけだ。

だが。それだけで、自分の理解の範疇を超えた。

本当に、平均から一歩も出られなかったのだ。

そして恐らく、学生時代にも。自分の価値観と相違する相手を、「キモイ」とレッテル貼りし。

相手の全人格を否定して嘲笑し。

単純に機会がなかっただけで。

相手を自殺させたりしても。

爆笑する事さえあれど。

何とも思わなかったのではあるまいか。

それに父は気づけなかった。

寛容。

それが決定的に母には欠落していた。

そして欠落しているのが当たり前だった。

常識がそうだったとも言える。

「寛容の欠落」

それが常識になり。その常識から外れた人間を激しく攻撃するのが平均化している今。母にとっては、私を攻撃して虐待するのは「正当な権利」であり。

自分が投獄されている方がおかしいという理屈が成り立っているわけだ。

とことんくだらない。

「分かってると思うけれど、私は一生アレを許さないからね」

「……そうだろうな。 彼奴もお前を認めないだろうし、それは仕方が無いだろうな」

「こんな程度では済まさないよ? 発狂死までは追い込んでやるから」

「あまり無茶はするな」

父は、悲しそうに目を伏せた。

何を勝手な。

もしも私があまり頭が良くなかったら。

彼奴に確実に殺されていただろうに。

殺すか殺されるか。

それだけの関係だったのだ。

夕食を終えると。

自室に戻る。

PCを立ち上げて、情報を確認。

蛍の生息地などを調べていくが。

依頼にあった川では。

ここ数年で変化が認められていない。

つまり、市などでは。

状況を把握していない、と見て良さそうだった。

そうなると実地調査だ。それと、情報を集める方が良いだろう。

さて、何だか妙な気配もしている気がする。

川の地図を検索して出し。

周辺に住んでいる知り合いに、メールを出して、今日は此処までにしようと私は思った。

 

1、輝く星の虫

 

昔。

まだ公害という概念も無かった時代。

人類は、汚染物質を際限なく垂れ流し。そしていつの間にか、世界が静かになっているのに気付いた。

普段だったら鳴いている虫がいない。

それをエサにしている鳥たちもいない。

普段だったら茂っている草も様子がおかしい。

農作物さえ異常だ。

やがて、人類は。

ようやく気付いた。

節操なくまき散らしてきた毒物が。

世界中を滅茶苦茶にしている、という事に。

そして、人間そのものも。

その毒によって、傷ついていった。

沈黙の春という本が本格的に警鐘を鳴らし。そして一気に公害に対する恐怖と、それによる害が世界に周知された。

調査を進めていくと分かったが。

私の親の世代くらいには。

この公害を扱った作品が非常に多かったそうである。

環境問題を扱った作品は、今ではゲテモノ扱いされる事もあるようだが。これは必死の努力で公害をどうにかした事を、すっかり人類が忘れ去った(たった一世代で!)からであり。

公害を扱った作品が大流行していた頃。

公害病は身近で。

公害による害も身近で。

そして、洒落にならない被害が。

周囲に蔓延していたのだ。

環境の汚染によって、滅亡していった種族は多数いる。

人間が踏みにじって来た種族はそれこそ多すぎるくらいだが。

人間は直接その生物を滅ぼさなくても。

間接的に好き勝手に動くだけで、生物を滅ぼしていく、この世界におけるバランスブレイカーなのだ。

バランスブレイカーと呼べる生物は地球の歴史上多数出現したが。

それでも、此処まで極端な生物は他に類が無い。

地球をもっとダイナミックに環境改変した生物と言えば。地球を酸素で満たしたラン藻などが存在するが。

それも、時間をゆっくりゆっくり掛けて環境改変していったのであって。

人間のように、わずか数年で、壊滅的な環境改変を引き起こしたわけでは無い。

勿論、隕石の落下や火山の大噴火など、人間の活動以上の超異変を引き起こす事態は自然界に存在するが。

それはあくまで宇宙規模での災害であり。

一生物が引き起こすことでは無い。

人間とはそれだけ破壊的な種族なのだ。

良くあるアニマルパニックもので、サメだの熊だのが恐怖の対象として書かれるが。確かに単独ではそういった猛獣は普通の人間には抵抗できない。

だが、もし人間がその気になれば。

熊なんて一日で地球から消え去るだろう。

サメだって似たようなものだ。

絶滅政策を人間が採り始めたら。

ひとたまりもなく地球からいなくなる。

それだけの過剰すぎる破壊力を。

地球人類は持っているのだ。

調べれば調べるほど。

人間という生物であることがアホらしくなってきて、私は頭を抱えた。

今は環境関連の書籍とか映画とかをゲテモノ扱いするケースが増えているのを見て、更に頭を抱える。

たった一世代である。

努力でようやく一部改善しただけなのに。

それを全部まるっと忘れ去り。

昔はこんな気持ち悪いものが流行っていた、などと嘲笑する。

こんな事をしている生物が。

自称万物の霊長。

一体何だこの世界。

一体何なのだこの生物。

秘密基地に足を運ぶと。

ベットに転がって、ぼんやりする。

メールが、ちらほら。

返って来始めていた。

そういえば、蛍を見かけなくなった。

去年も飛んでいたけれど、数が凄く減っているような気がする。

そういう返事が目立つ。

どうやら、嘘ではないらしい。

実地を見に行くとして。

まず、市役所の方に、連絡を匿名で入れておくことにする。どうせ動きは鈍いだろうが、こういうのはアリバイを作っておくのが大事なのだ。

それから、次の土曜日に。

川を実際に見に行くことにする。

ぼんやり横になっていると。

黒田が来る。

手にしている袋には。

バルク品を山ほど入れているようだった。

「おはようございます、シロ」

「もう夕方だよ」

「そうでしたっけ」

PCを触って良いかと言われたので、頷いて電源を落とす。

手慣れた様子で筐体を外すと。てきぱきと分解し始める黒田。そのまま、調整を開始する。

OSがXPになると同時に、PCの性能も爆上がりしたが。

今回は良いバルク品が入ったとかで、

更に根本的に性能を上げるという。

今までのHDDは外付けに変更。

OSからして入れ直すのだとか。

「で、何を入れるの?」

「悩んだんですが、Linuxで」

「それ、使えるかなあ」

「大丈夫、最近のは殆どGUI主体のOSと変わりませんよ。 勿論細かい設定とかはCUIでやりますけれどね」

ちょっと不安だが。

まあ此奴が言うなら大丈夫だろう。

それにLinuxの安定性の高さは私も良く知っている。

今まで、98SE時代には散々動作不良に泣かされていたのだ。

これを使いこなせれば。

多少は此処での環境も楽になるだろう。

インストール作業とかで、数日は通うことになると言われたので、好きにしてくれといい。スマホを取り出す。

ゲームをやるわけでは無いから、それほどパケットは喰わないが。

一方で、ネットはそれほど速いわけでも無い。

「なあ、黒田」

「何ですか」

「この近くの川なんだが、蛍が激減しているんだよ。 何か心当たりはないか?」

「いいえ」

だろうな。

此方でも、調べて見るが。

少なくとも検索エンジンなどを使って調べても、気になる情報は出てこない。というよりも、殆どの人間が。

蛍が激減していることを。

そもそも何とも思っておらず。

気付いてさえいないようだった。

まあそんなものだ。

「虫」というだけで拒否反応を示す人間も多い。

そして母同様。

「キモイ」相手には何をしても良いと考えるのが平均的人間だ。

つまり相手が「キモイ」ならば、何をしてもいい。

相手が人間であっても、である。

それならば、相手が昆虫だったら、なおさらである。

死のうがどうしようが知った事じゃ無いし。

死んだと聞かされても。

だから何、と応えるだけだろう。

別に驚くことじゃない。

「シロはどんどん目が濁ってますね」

「そりゃあそうだ。 うちのクズが、とうとう捕まった話はしただろ」

「まあ、当然でしょうね」

「彼奴、最後まで私が悪いってわめき続けていたし。 今も拘置所で拘束衣着せられて、私が悪いとわめき続けているそうだ」

てきぱきと作業を進めながら。

黒田は言う。

悲しいですか、と。

私は応える。

むしろ嬉しいと。

「彼奴を狂死に追い込むのが私の人生における当面の目標だ。 さっさと脳が焼き切れて死んで欲しいものなんだがな。 ああいうのに限って長生きする」

「さいですか」

「相変わらず淡白な反応だな」

「シロが変わり者なのは昔からですし。 それはボクも同じですから。 変わり者どうし、仲良くやっていきましょうよ」

無言で口をへの字に結ぶ。

ネットでは、どうやら情報収集に限界があるらしい。

少し悩んだ後。

川の近くに住んでいる桐川にメールを入れた。

土日に川を見に行きたいが。

案内してくれるか、と。

すぐに返事が来る。

OK、という事だった。

他にも幾つかメールのやりとりをやっていくが。

一つ気になるものがあった。

何だか知らない業者が、最近姿を見せている、というのである。

ゲンジボタルは水質汚染に非常に弱い生物だ。

変な業者とやらが原因と直接的には結びつけられないが。

しかしながら、少し気にはなる。

いずれにしても、現地に出向いてから、それからだ。

黒田を見ると。

一段落したようで、伸びをしていた。

「設定は明日やります。 まだしばらく触ることは出来ないですけれど、堪忍してください」

「構わないさ。 今までのデータもアクセスはできるのか」

「起動時にOSを選べるようにしていますから、大丈夫ですよ。 それに最悪の場合、外付けHDDですから、シロの家のPCにでもつなげばデータは吸い出せます。 それと、これにもデータをコピーしておきました」

そういって、小型の持ち運び式ポータブルHDDを見せる。

最近はこういうのでも、容量は1TBが標準規格だ。

だが、1TBからまるで進歩がない。

HDDの容量は、随分前から増加が止まってしまっている。

黒田に聞いた事はあるが。

PCの他の能力も、近々頭打ちになるかも知れない、という噂があるそうだ。

「それでは、帰ります」

「私も帰る。 一緒に行くか」

靴の中を確認。

ヒルはいない。

家に帰るのも。

前ほど嫌ではなくなりつつあった。

 

土曜。

桐川と待ち合わせして、電車で二駅。

近場の川に出る。

河原は整備されておらず、護岸工事されているだけ。むしろその方が、在来の生物には良いだろう。

本当は護岸工事しない方が良い位なのだが。

そうすると、事故や水害が起こりやすい。

元々日本には暴れ川が多いのだ。

川に降りて、軽く調べて見る。

水深は浅く。

川遊びをするには適していない。

ざっと周囲を見てまわるが。

それほど危険な動物は見当たらない。

青大将がするすると草の間を逃げていったが。別に放置で構わない。無毒の上あのサイズでは、人間にとって害にならない。

マムシやヤマカガシだったら兎も角。

ただ、青大将がいると言うことは、エサがいるという事を意味もしている。

小型のカナヘビや蜥蜴だけなら兎も角。

ウサギやら鼠やらもいるかも知れない。

さっと見て回るが。

糞の類は落ちていなかった。

川は田舎の川らしく。

さほど汚くは無い。

ただこれで遊ぼうかと思える程綺麗でもない。

蛍が生息できるかというと。

かなりギリギリだ。

「何して遊ぶの?」

「生態調査」

「……」

「だから、仕事だって先に言ったろ」

頭を掻く。

そもそもだ、今回は川に来たのも、仕事の一環。だから足下もしっかり固めるようにと、桐川にはメールした。

桐川もサンダルとかでは無くて、きちんとシューズを履いてきているが。

長靴の方が良かったかも知れない。

図鑑を片手に。

軽く生息している生物を調べて見る。

石にくっついている尖った貝はカワニナだ。

川に住んでいる巻き貝というとタニシが有名だが、あれはずっとカワニナよりも大きくて、ずんぐりしている。

カワニナは尖っていて。

ずっと小さい。

このカワニナが、蛍の幼虫の大事なエサである。

ちなみに蛍の幼虫は、肉を食い千切るのでは無く。

蜘蛛のように、肉を溶かして吸い出すようにして喰うそうだ。

昆虫の中にはこの手の捕食をする種類がそれなりにいる。

蛍もそれ、というだけである。

「カワニナがいる」

「お魚は?」

「あっちにハヤがいるね」

「釣る?」

首を横に振る。

釣りをしに来たのでは無い。

ついでにいうと、道具類だってないのだから。

川岸から上がると。

軽く川を見て回る。

捨てられているようなものはない。

一応、こんな誰もが見ているような場所に、塵を捨てて回る奴はいない、ということか。

昔は川での塵掃除をしていると、見せつけるように塵を捨てていくようなクズが珍しくなかったらしいが。

今は流石に其処までのクズは減ってきている、という事か。

後、ボランティアでの掃除をしている人もいるらしいが。

この川でそれが行われているのかは、正直分からない。

とりあえず見て回るが。

腕組み。

特に変な業者とかが、怪しい廃棄物を放置しているようなことは無い様子だ。いずれにしても、近辺で急激な異変が起きるとすると、ダメージを受けるのは蛍だけでは済まないはず。

さっきカワニナがいた。

カワニナは蛍よりも汚れに強いが。

それでも、生息しているという事は。

川にヤバイ汚れは浮いていない、という事だ。

川そのものにも、油やら何やらは確認できなかったし。

むしろ生態系は豊富だった。

汚い川によく見られる、ボウフラやガガンボの幼虫なども見られなかった。という事は、川そのものは汚染されていない、という事になる。

しかしながら、蛍の幼虫は確認できなかった。

いずれにしても、少し歩き疲れた。

適当な公園を見つけて休む。

この辺りの公園でも、例のスピーカーは取り付けられているが。昼間は音が出ていない様子だ。

面倒くさいと思うが。

いずれにしても我慢。

桐川と他愛もない話をする。

「さっき蛇いたけど、シロは大丈夫なの?」

「アレは無毒な青大将だ。 性質も大人しい」

「そうだけど、にゅるっとしてて怖い」

「まあ苦手なら仕方が無い。 だが無害な相手を、気持ち悪いって理由で殺すような事だけは止めてくれよ」

事実、某国の湖で。

ユスリカが大量に生息している場所があった。

ユスリカは人間に対しては無害な昆虫だが、「見かけが気持ち悪い」という事で、駆除が行われた。

具体的には猛毒の農薬をぶちまけたのだ。

結果ユスリカは壊滅したが。

生物濃縮により、湖に住んでいた魚の多くも被害を受け。更に湖における頂点捕食者である鳥のカイツブリが全滅してしまった。

挙げ句の果てに、農薬に耐性をつけたユスリカは。

数年で何事も無かったかのように復活した。

馬鹿馬鹿しい話だが。

全て事実である。

「気持ち悪いという理由で殺戮するために農薬をブチ撒いた結果がこれだ。 人間はその好き嫌いで平気で他の生物の命を奪い、単純に蹂躙する。 喰うためでも身を守るためでもなくな」

「シロは何だか魔王みたいな事を言うね」

「魔王で結構」

反吐が出る。

平均的な人間の醜悪さを見て育ったのだ。

魔王になれるのなら。

魔王になりたいくらいだ。

いずれこの街は私が支配するつもりだが。

その時には魔王として怖れられる位で良いだろう。

食事を適当に終えると。

また川を見に行く。

地図を確認しながら、支流も順番に見ていくと。

大体見終わった辺りで。

夕方になった。

なお依頼主の住んでいる辺りの川も見てきたが。

そこら辺にも、特に異常は無かった。

腕組みして、首をかしげる。

やはり妙だ。

蛍の幼虫について、調べて見る。生息していそうな場所も少し確認してみたが、数はそれほど多く無いにしてもいるにはいる。さっきは見つけられなかったが、蛍について検索しながら調べたら、見つけられたのだ。

そう、きちんといる。

なお、蛍は幼虫の頃から光る。

ルシフェラーゼという物質は、その頃から生成しているのだ。

「光ってるね」

「蛍だからな」

あくびが出てきた。

ちょっとここのところ、色々あって疲れも溜まっている。早めに引き上げる方が良さそうだと思うと。

今日は切り上げる事を桐川に告げた。

帰り道、軽く話す。

「それで、上手く行きそう?」

「蛍が激減する要素が見つからない。 少なくとも、毒物の類が流れ込んでいるということはなさそうだ。 後は天敵になるような生物が人為的に導入されでもしているか……それとも」

水の汚染に弱いゲンジボタルは。

何かがあったら、真っ先に川から姿を消すだろう。

獰猛な肉食動物が。

何があっても生きられるかというと、決してそうでは無いのである。

ほ乳類や鳥類などの恒温動物は。

変温動物に比べて、パワーが大きく、様々な面で優れているという長所がある。

大きさで言うと、自分より格上の相手に勝てるケースがあるほどで。

ホオジロザメの三倍も大きかったメガロドンなどは、二回り小さい鯱に食い尽くされて滅んだという説があるほどだ。

その一方で、明確な弱点もある。

それが、エサが大量に必要だと言う事だ。

変温動物は粗食に耐える。

人間にたとえるなら。

蛇は一週間に一回食事をすれば、平然と生きていけるほど燃費が良い。

つまり、「弱肉強食」何て言葉は。

極めて安易、という事だ。

もしもその通りだったら、地球は今頃、怪獣映画のような巨大生物だけが跋扈する世界になっていたかも知れない。

実際には違う。

強そうに見える生物も。

現実には、極めてデリケートだったり。

環境の変化には凄く弱かったりする。

実際問題、最強に思えるホオジロザメは極めてデリケートなため。

どこの水族館でも飼育には成功していない。

凶暴なことで知られるイタチザメ(サイズもホオジロザメとほぼ同等)は、多くの水族館で飼育に成功している事を考えると。

必ずしも、「物理的戦闘力が高い」事が強いという訳では無い。

そういう意味では、人間も同じで。

調子に乗って好き勝手やっていると、いずれ酷い目に会うかも知れないし。

その可能性は決して低くは無いだろう。

桐川と駅で別れる。

自宅へ向かい、その途中で電話を受けた。

父からである。

「今日は夕食を外で食べてくる」

「何かあったの」

「会社でトラブルだ」

それだけである。

会社でのトラブルで、これから緊急出社か。IT系の保守だと珍しくもないと言う話だが。

父の会社は違う。

ここ最近は、会社で問題発生して、急に出勤というケースは無かった。

ひょっとすると。

私に聞かせたくないだけで。

あれのことで、何かあったのかも知れなかった。

 

 

2、汚泥

 

結局父は遅くまで帰ってこなかったこともあって。

翌日は、朝からかなり疲れた様子で、父は起きて来た。

この様子だと、相当に大変だったのだろう。

話は敢えて聞かずにおく。

朝食にはあったかいトーストとポタージュ、サラダを用意する。

市販品にも負けない質のものだ。

父はしばらく無言で食べていたが。

やがて言う。

「今日も昼夜はいらない」

「大丈夫、会社の方」

「あまり大丈夫じゃない」

予想が外れた。

あれの関係ではなくて。

どうやら本当に会社の方の問題だという。

話によると、大手企業がいわゆる敵対的買収を仕掛けてきたらしく、かなりきわどい攻防が行われていて。

父もかり出されて。

関係各所に連絡を入れているらしかった。

いわゆる火消しにかり出されている状態だそうである。

下手をすると会社を乗っ取られる。

乗っ取られるだけなら良いだろうが。

首をスパスパ斬られるだろう。

そうなったら、生活が。

……いや、生活そのものは別にどうにでもなるか。

あのクズを切り離した今。

父と私だけで一生喰っていくくらいの余力はあるのだから。

ただ、父はそれなりに会社に対して恩義を感じているらしく、この危機に対して、しっかり立ち向かうつもりのようだ。

だが、それはそれとして。

実は私の予想もあたっていた。

「母さんのことだがな」

「どうかしたの」

「激しい自傷行為が見られるとかで、鎮静剤を打って今安静にさせているそうだ。 目を覚ますと激しく暴れるとかで、殆ど聴取も出来ないらしい」

「まあそうだろうね」

自業自得だ。

そのまま狂死してしまえ。

そう思うが。

父は、流石に其処までは割り切れないのだろう。口をつぐんでいた。

「片付けはやっておくよ。 会社にいってらっしゃい」

「すまない」

この様子だと。

重役連中は、徹夜で会社に泊まり込みなのだろう。色々大変だろうが、私にはそうですかとしか言いようが無い。

慌ただしく出かけていく父だが。

疲れが取れているようには見えなかった。

いつ母が。

怨霊のように、仕事の邪魔をしてくるか、知れたものではないだろうし。

職場の空気も最悪だろうし、だ。

もう通常業務どころでは無いだろう。

せっかくの休日だというのに。

私自身は、父が出て行った後、食器を食洗機に掛け。

それから軽くPCを立ち上げ、情報収集を行う。

返ってきているメールもかなりある。

この様子だと。

やはり蛍は、おかしなくらいに数が減っているようだった。しかし、どうにも原因が見えてこないのである。

市役所のHPにもチェックを入れるが。

特に変わった様子は無い。

ふむ、と鼻を鳴らす。

市の方ではまったく把握していないと見て良さそうだ。

蛍について研究しているサイトなどを軽く見た後。図書館に向かう。

研究文献をチェック。

それなりの数の本があるが。

適当に見繕って、目を通していく。

そうすると。

面白い事が分かってきた。

蛍は必ずしも。全ての川に元から生息している訳では無い。

確かに公害の時代に激減し。

その後の努力でかなり数が回復したが。

しかし、その過程で。

外来種として、元から住んでもいない川に導入され。

生態系を乱したケースがあると言う。

これは鯉なども同じ。

鯉の場合は、もとより相当な汚染に耐え抜く強靱な生命力を持っている種で。金魚などもそうだが。海外では、侵略性外来生物としてかなりの問題になっているらしい。

資料を漁ってみて、分かる。

なるほど。

どうやらこの付近の川の蛍も。

後から導入されたタイプのようだ。

本来はもっと上流に住んでいたゲンジボタルだが。

この辺りに無理矢理導入されたらしい。

川の方の浄化政策も進んだそうだが。

そもそも川というのは、下流に向かえば向かうほど汚くなる。

それを考えると。

清流に住まうゲンジボタルは、そもそも上流限定で住むべき生物であって。

美しいからと言う理由で。

川が汚れてくる下流に住むべき存在では無い。

勿論、水質汚染で数を減らした場合は、人間が調整する場合があるだろう。

だが、見かけがどうの。

美しく光るからだの。

そんな理由で、導入されては。

蛍も迷惑だし。

他の生物も迷惑だろう。

そういう事だったのか。

なるほど。とりあえず、状況は分かってきた。

昼過ぎに、図書館を出る。資料の内、幾つかは。司書に断って、コピーを取らせて貰った。

データから考えると。

この川における蛍は、明らかに無理のある環境で生息している。

しかも適応力が強い品種でも無いし。

他の品種を脅かすような生物でもない。

これがブルーギルやらブラックバスやらなら即座に駆除するべき対象なのだけれども。

蛍に関してはそうではない。

いずれにしても、人間の勝手なエゴで。

勝手に導入され。

そして今、また数を減らしている。

それはそれで。

大いに問題な気がする。

秘密基地に出向き。

まだ作業をしている黒田を確認。まだしばらく掛かりそうかと聞くと、黒田はこっちを見ずに言う。

「もう終わりますよ」

「それはありがたい」

「何か調べ物ですか?」

「まあな」

調整して。

CUIから、GUIに切り替えてくれた。

別にサーバにするわけでもない。

迷走著しいWindowsと違い。

Linuxは堅牢な上にシンプル。

非常に使いやすい。

作業をするにも違和感は無い。

ネットにも問題なくつながる。

軽く触ってみて。

感触はどうかと聞かれたので。

上々と応えた。

後は軽くレクチュアを受けて。

それで大体は把握した。

「相変わらず覚えるのが早いですね」

「これくらいなら簡単だ」

「本当に?」

「まあな」

妙なことを言ったか。

黒田はしばらくじっと私を見ていたが。

それもそうか、と妙なことを言って。

それで荷物をまとめて。

秘密基地を出て行った。

帰りは一緒に行くかと背中に声を掛けたが。

大丈夫、と言って降りていく。

まあいい。

私はまだ用事があるから。

これを使って、作業を幾つかやっていく。

メールなどのデータは、全て引き継いでいてくれたので。

それも私としては有り難い。

軽く目を通していくが。

面白い事が分かってきた。

どうやら、あの辺りに、蛍を放した人物について見当がつきそうだ。

早速メールを出し返す。

何回かやりとりをする。

相手もメールを返してくるのがかなり早い。

恐らくだが。

もうかなりの老人であるし。

話し相手がいなくて、寂しいのだろう。

話をつけてくれる、と。

私のゲートボール仲間の一人が言った。

これで、かなり話を進められる。

私一人の調査では。

色々と限界もある。

そしてこの小さな街だ。

思っている以上に。

人の交流関係は狭く。そして、何処に誰がいるというのは、すぐに分かってしまうものなのである。

家に戻る。

夕食を自分の分だけ下ごしらえしておく。

ネットでレシピを最初は漁っていたが。

今はもうその必要もない。

父はどうやら徹夜作業になったらしく。

私が起きている間は。

とうとう帰ってこなかった。

 

月曜。

学校が終わった後。

桐川が声を掛けてきたので、一緒に外に出る。そのまま一度家によると、荷物だけ降ろして、隣町へ。

電車代は大丈夫。

あのカスがいなくなってから。

幾つか分かったことがあったのだ。

実は、通帳から小遣い以上の金を、勝手に抜き出していたのである。

帳簿をチェックしていたら。

どうもおかしい事に気付いてしまったのだ。

これについても、警察に連絡。

父は窃盗にすると言っていた。

まあ余罪が多すぎる。

色々あって、精神の均衡を崩したのだとしても。

もう言い逃れは出来ない状態だ。

これでは執行猶予は100パーセントつかないだろうという話も出ているそうで。

また、母の方についた弁護士も。

会話が成立しないと、嘆いているそうである。

これが普通の。

平均的な人間の末路。

何処にでもいるクズが。

何処にでもいるからと自分を正当化して。

常識から外れている相手を殺して良いと考え。

そして反撃された。

普通だったら反撃されないのに。

理不尽だ。

わめき。

暴れて。

そしてこの結末だ。

普通というものを、私は憎悪する。

こういう希代の悪例を目の当たりにしているから、である。

常識というものを、私は軽蔑する。

最悪の例が、間近にいるからである。

ともあれ。

中抜きされていた通帳の状態を見て、父も思うところがあったのだろう。

電車代などを、工面してくれる、という話になった。

かといって、私もそれを好きかってに使うつもりはない。

何処に出かけたかは。

父に言うつもりだ。

そういえば、桐川はなんでついてきているのか。姫島はここのところ少し忙しいという事だったから話はわかるのだが。

桐川の方は、どうにもよく分からない。

それで話を聞いてみたが。

少し悩んだ末に。

桐川は言う。

「ジオラマ」

「?」

「ジオラマでちょっと詰まってて。 実際の川辺とかを観察して、生かそうと思ってる」「ああ、なるほど」

桐川の趣味はプラモだ。

まだそれほど凄い腕前では無いが。

自分でジオラマを組んだりもしているという話は聞いている。

そうなると、色々と苦悩もあるのだろう。

ものを作るというのは大変だ。

ましてや、ジオラマとなると。

その環境まで考慮して作っていかなければならない。

環境もストーリーになる。

ましてロボットアニメの舞台となると。

川辺での戦闘となると、それこそ色々とディテールが必要になってくるだろう。間近で見るのが、それは一番だ。

「川に降りなくてもいい?」

「別に良いけど。 側で見た方が良く分かるよ」

「それは昨日見たから。 今日はちょっと、俯瞰してみたい」

「なるほど。 分かった。 ただあまり遠くには行くなよ」

頷く桐川。

勿論ブザーについても完備している。

軽く河原に降りて。

周囲を調べる。

蛇がいるが、今日は青大将では無い。ちょっと珍しいシロマダラだ。

日本全国に生息しているのだが、夜行性の上に憶病で、身を隠すことを好むために、滅多に見つからない。

このため、幻の蛇などと言われている。

日本の蛇で有名なのは、青大将と蝮、それにヤマカガシとシマヘビ。沖縄限定でハブだが。

シロマダラは全国に生息しているにも関わらず。

それも数も少なくないにも関わらず。

見つけづらい、という理由で。

幻の蛇などと言われているのだ。

ある意味面白い蛇だが。

今は用は無い。

向こうも、此方に近づく意図はないらしく、するすると逃げていく。勿論私も、追うつもりは無い。

昨日より知識量が増えているので。

より精密に蛍を調べていく。

そうすると、なるほど。

川と言っても、支流があり。

比較的水流が穏やかになっている場所がある。

水深も浅い。

そういった所に。

蛍の幼虫がそれなりにまとまっている。

暗くしてみると。

うっすら光る。

大体見えてきたが。

もう少し調査をしておく必要があるだろう。

不意にスマホが鳴る。

父からだった。

「すまないが、今日も遅くなると思う。 夕食は食べておいてくれ」

「作るだけ作っておこうか?」

「頼めるか。 すまない」

「材料は適当に買ってきておいてね。 そうすれば食事については作るから」

通話を切る。

父の声は相当に疲弊していた。

私のスマホには来ていないが。

多分今、会社が潰れるか否かの瀬戸際で。

更に言えば、あのカスの問題でも、警察から連絡が来るはずだ。

それを考えると。

大変につらいだろう。

鬱状態になってもおかしくない。

そういう意味では。

私も、精神という点では。

とっくに壊れているとも言えるのだろうか。

顔を上げる。

桐川が手を振っていた。

手を振り返すと、もう少し周囲を調べていく。

ザリガニがいた。

それもアメリカザリガニでは無くて、ニホンザリガニだ。

勿論触らずにおく。

ただでさえ数が減っている品種だ。

触って何かあったら一大事である。

さて、と。

天然記念物に近いニホンザリガニまでいるのを確認した。

つまりこの川は。

状況的に異常とは言い難い。

農薬の類を入れられている事も無く。

ゴミとかが在来生物を苦しめていることもないだろう。

そうなると。

恐らくは。

川辺を上がる。

桐川はしばらく自分の手でスコープを作って観察を続けていたが。私が側に並ぶと、そのまま言う。

「もうちょっと変化が足りないなあ」

「何かしようか」

「助かるよ。 ちょっとあの辺りで、ポーズとってくれる?」

「ポーズってなんの」

スマホをぱぱっと弄って、見せてくれる。

それによると、川辺で水を蹴散らしながら、二体のロボットが戦っていた。

赤いロボットと黒いロボット。

私の服は黄色いパーカーだが。

「その辺は脳内補完するから」

「脳内補完」

「この黒い方が、これからミサイル食らってやられるんだけれど。 そのシーンがどうにもぴんと来ないの。 アニメ版でも、ミサイルで爆発するだけなんだけれど。 個人的には、小型のミサイルで粉みじんになるだけだとちょっと造形的なリアリティがないなあって感じて」

「それで、やられる様子をポーズしろと」

満面の笑みでこくこく頷く桐川。

困ったが。

まあそれくらいはいいだろう。

川辺に降りて。

さて、イメージする。

光り輝く剣で切り結んだ後。

ミサイルを乱射する赤いロボット。

複数を迎撃するものの。

迎撃しきれなかったミサイルが、多段ヒット。

ミサイルは装甲を破壊しながら爆発。

コックピットに乗っているパイロットを焼き尽くし。

ロボットを砕く。

そうなると、こんな感じかな。

後ろに飛んで。

受け身を取って、立ち上がってみせる。

一瞬、それっぽい動きになった筈だが。

桐川を見ると。

ぐっと親指を立てていた。

もっとやってくれ。

そういう意味らしい。

私としては、もうちょっと調査をしたいし。

みると、夕陽が地平に沈み掛けているのだが。

まあいいだろう。

桐川とのコネは、今後も維持しておいて損は無い。

何度か相手にあわせ。

ポーズを取った。

 

帰りの電車で。

メールが来た。

どうやら。この川に蛍を放流する計画を立てた人物が、分かったらしい。

市議の肝いりの養殖業者だ。

ゲンジボタルは養殖の技術が確立されていて。

今ではその気になれば、すぐに導入だけなら出来ると言う。

もっとも、清流で無いと生きられないデリケートな昆虫だ。

川が綺麗だったから。

導入は出来たのだろうが。

最寄り駅を降り、桐川と別れると。

家でチェック。

業者を調べるが。

あまり良い噂がない。

ゲンジボタルを導入した成果ばかりを強調しているが。数年で何かしらのトラブルを起こしているケースが目立つ。

養殖に関しては技術を持っているが。

定着には技術が無いか。

或いは。

しばし考え込んだ後。

私は以前導入をした別の市について、調べて見る。

そして、結論は。

意外に早く出た。

なるほど、そういう事か。

それならば、納得も出来ると言うものだ。

だが、生物をもてあそぶという行為にこれは他ならないのではあるまいか。

しばし考え込んだ後。

私は、ある人物に。

メールを入れることにした。

 

3、世に恐ろしきもの

 

依頼主である山下にメールを入れる。

調査の進展状況と。

それとどうもきな臭い事を、である。

山下はメールの内容を見て驚愕していたが。

それも無理は無い。

「そもそも、蛍はあの川にはいなかった!?」

「正確には、あの川の上流ともう少し下流にはいた」

「ど、どういうことだよ」

「簡単に説明すると、蛍には清流を好むゲンジボタルと、水が汚れていても平気なヘイケボタルが主に本州には生息している。 あの川の上流には今でもゲンジボタルがいて、公害の時代が終わって、今は数もかなり回復している。 山の方を見ると、ちかちか光ってるのが見えるが、あれがそうだ」

黙り込む山下。

気付いていなかったのか。

そして、下流だが。

細々と、ヘイケボタルが生息している地域がある。

この辺りの川は。

元々、工業汚染云々関係なしに。

蛍にとっては生息外。

つまり、ゲンジボタルにとってもヘイケボタルにとっても、住むのにはあまり心地よくない場所だった、ということだ。

むしろこの辺りに昔いて今いない昆虫というと、農薬などに非常に弱いタガメなどが上げられる。

私の親の、そのまた親の世代になると。

タガメは見た事があるようだが。

私の親の世代では。

タガメは非常に珍しい昆虫になっていたようで。

店で高値での取引がされていたという。

「公害の時代ってのがあって、私達の親くらいの世代では、それで色々な生物が死んで行ったし、人間もたくさん苦しんだ。 場所によっては工場から流された危険な廃液で多くの人が病気になって、今でも苦しんでいる人がいる。 そういった工場では金を掛けて御用学者を雇って、地元の風土病だとか言わせたりもしたんだけれどな」

「そ、それで」

「その後、みんなが色々苦労して、少なくともこの国では公害のダメージはある程度抑えられるようになった。 でも、それまでに滅びた生物はどうにもならなかった。 ただ、激減したけれど生き延びている生物はまだ結構いる。 例えば、蛍なんかがそう。 蛍は色々な苦労の末に養殖技術が確立されて、それで各地で乱れた生態系を直すために、養殖した蛍を放流したりしたのだけれども」

難しい言葉もあるが。

それは分かり易くかみ砕いてメールしている。

まあ、この辺りは苦労するが。

仕方が無い。

兎も角山下には。

意図さえ通じれば良いのだから。

「だれけれども、此処でおかしな事が起きた」

「おかしな事?」

「本来いもしない生き物を、無理矢理放すような事業が始まったんだよ。 鯉とかが特に有名だけれども、蛍もね」

「な、なんで」

理由は簡単。

環境回復をしていますよ。

これだけ環境が浄化されていますよ。

そういったアピールのためだ。

そういったアピールのためだけに。

無茶なものが幾つも作られた。

徹底的に護岸工事され、川底までコンクリにされた結果。

水は綺麗だけれども。

何も住んでいない川。

本来いもしない生物を導入した結果。

それによって回復し始めていた生態系が滅茶苦茶になり。

取り返しがつかなくなった川。

それに、釣りブームだとかでブルーギルやらブラックバスやらを勝手に放流する人間が出始めたのだから、末期も末期だ。

こうして、公害の時代が終わっても。

様々な生物は。

人間にもてあそばれ続けている。

そして蛍も。

その一種だ、という事だ。

「で、だとすると、俺が見ていた蛍は……」

「勝手によそから連れてこられて、ずっと此処にいましたってツラをしてのさばっていた、という事だ」

「そんな……だって蛍は綺麗で、それで」

「蛍がどうやって餌をとるか知っているか? カワニナって貝に襲いかかって、体内に消化液を注入。 肉をどろどろに溶かして吸うんだよ。 蜘蛛とかと同じだ」

絶句する山下。

少し、沈黙を置いた後。

咳払いを挟んで、説明。

「ただ、急にいついた蛍が減り始めた理由については分からない。 これについては、もう少し調査をしてみるつもりだ」

「わ、分かった……」

「とにかく、見かけの綺麗汚いで相手を判断するのは止める事だな。 蛍にしても獰猛な肉食動物って側面を持っている。 綺麗に光るから好きだとか、そんな考えは幼稚園児までにしておけ」

メールでのやりとりを終える。

鼻を鳴らすと。

父が丁度帰ってきた。

見ると、ゾンビみたいな顔色だ。

「まだまったく見通しがつかない?」

「……」

「夕ご飯温めるから、少し待っていて」

「……すまん」

ソファに横になると、そのまま寝そうになる父。

ぬれタオルを渡して。

額に掛けてやる。

ぼんやりとしている父の前に。

ぱっぱと準備しておいた夕食を仕上げて出す。

今晩は麻婆豆腐だ。

まああんまり凝ったものは作れなかったが。

これくらいがいいだろう。

ご飯も焚いたばかりだから美味しい。

父は無言で食べ始めるが。

顔色は死人のそれ同様だった。

「このままだと、倒れるよ」

「どうにか……会社は守れそうだ」

「そうまでして守るもの?」

「……」

父は今、二つの苦悩を抱えている。

完全にモンスターと化した母。

そして敵対的買収を受けている会社。

父はこれでも真面目に務めてきていて。

遅刻やら何やらをしたことは一度もない。

それについては私も知っている。

だが、それが報われるかというと、ノーだ。

父は正社員だが、給金は最底辺レベル。

勿論ボーナスも激安。

それでいながら、この労働時間。

都会に出れば違うかと言えば、それもノー。

都会でも、今は。

バイト並みの給金で、プロフェッショナルを使い潰せると思い込んでいるバカ経営者が、やりたい放題しているのが現実。

労基は完全に沈黙。

官僚と癒着した大企業や金融には手出しも出来ず。

裁判でも、過労死させた、つまり殺人を犯した企業重役に対して、罰金がちょっと出るくらいしか判例を作らない。

つまり、この国での労働者は。

奴隷になりつつある。

かといって、金そのものが無くなっているわけでは無い。

社会上層が、徹底的に吸い上げているのだ。

皮肉な話だが。

うちもその社会上層の一人と言えば一人だ。

大きな土地を持っていて。

その気になれば一生働かずに暮らす事も出来る。ささやかな生活に限れば、だが。

「そのままだと脳の血管切るよ」

「……分かってる」

「いっそもう、そのまま会社辞めて静かにくらす? 金ならあと何年かすれば私が稼ぐけど」

「バカ言うな。 会社では、まだ残って頑張ってる奴もいるんだ」

父はぼそぼそと話し始める。

既に過労で倒れた社員が出始めているという。

それはそうだろう。

父だってもう限界だ。

それなのに、頑張るという言葉で。

無理を正当化してしまっている。

完全な精神的トラップにはまり込んでしまっている。

ブラック企業はこういった人材を好き勝手にして。

使い捨てていく。

父は決して劣悪な精神の持ち主では無い。

実際平均から逸脱している私に対して、母と一緒に暴力を加えるようなことも無かった。それだけでも立派だ。

だが。今の父は。

使命感と、メサイアコンプレックスにも似た強迫観念に駆られて。自分を滅ぼそうとしてしまっている。

だから、反論しても駄目だ。

敢えて肯定し。

それから休ませなければならない。

父の言葉に頷くと、食事を終えた父を寝室に無理矢理放り込んで、眠らせる。風呂だの何だのは後回しだ。

私は父がベットに倒れ込み、寝息を立て始めるのを見ると。

大きく嘆息した。

一難去ってまた一難とはこの事だ。

少なくともあと10年は生きて貰わないと困る。

私が遺産を相続したとして。

周囲に寄ってくる鬱陶しい連中を払いのけるのが面倒で仕方が無い。

それに、あの様子。

父の会社も、あまり長くは無いだろう。

父も会社に義理立てして無理をしているが。

このままだと冗談抜きに死ぬ。

法律の勉強を。

もう少ししておくか。

実は六法全書は持っている。

司法試験突破には、最低5000時間の勉強が必須だが。

今からやっておけば。

それくらいなら、簡単に達成出来るだろう。

更に言えば、弁護士やら裁判官やらにならなくても、法の知識は役に立つ。政治家になるにしても。

他のと違って。

法知識を自分できちんと持っているのと、秘書だよりでは。

まるで違ってくるのだから。

黙々と、六法全書を読んでいく。

小さくあくびをして。

眠りにつこうと思った頃には、夜半を回っていた。

 

翌日から、また川を見に行く。

桐川はもうスマホでパシャパシャ写真を撮って。ジオラマの参考にするつもりのようだった。

姫島はついてこない。

川に嫌な思い出でもあるのかと思ったのだが。

今回は対人の依頼では無く。

地味極まりないから、というのが理由のようだ。

彼方此方を見て回る。

時々見かける天然記念物。

今では絶滅してしまったが。

これだけ川が綺麗だと。

昔だったら、カワウソとかがいたかも知れない。

残念ながらカワウソは日本では絶滅してしまった。非常にデリケートな生物だから、である。

更に汚染にも弱く。

川では上位の捕食者になるため、農薬などにも非常に脆かった。

その上皮などを目当てに狩られたら。

流石にひとたまりもない。

人間がその気になれば。

種を滅ぼす事など造作も無い。

凶暴なことで知られる熊なんて、人間がその気になれば一瞬だ。

何しろ問答無用の地上最強戦闘力で知られるアフリカ象でさえ。

人間が必死に保護していかなければ。

あっという間に滅ぼされてしまうのだから。

幸い生き延びている天然記念物達は。

川で悠々自適とは言わないにしても。

細々と生き延びている。

ルーペなども使って観察し。

踏みつぶさないように気を付けて歩きながら。

上流へと移動していく。

上流に行くに従って、生態系も豊かになって行く。

周囲からは人家も減っていくので。

ちょっと危険性は上がる。

変質者に襲われたらひとたまりもないから、である。

私は兎も角。

桐川はプラモ女子だが。身を守る術をブザー以外に持っていない。ブザーに誰かが気付いて通報して。

間に合うまでに殺されたら意味がない。

「桐川」

「うん?」

「撮影は良いが、ここから先は人気が少なくなる。 周囲を警戒しろよ」

「分かってる」

分かってなかった様子の桐川だが。

言われて気付いて。

頷いてくれたので、ちょっとだけ安心した。

川の護岸もなくなり。

周囲は草ぼうぼうになりはじめる。

ふむと、頷く。

この辺りは、石がかなり大きくて、目も粗い。

言う間でも無いが、川の石は、下流に行けば行くほど小さく丸くなっていく。転がって削れていくからだ。

川に浸かっている石をひっくり返してみると。

珍しい昆虫や生物をかなり見かけることが出来る。

その中には。

清流になって来たからか。

ゲンジボタルの姿も見受けられた。

「やはり問題は無さそうだな……」

「シロ、どう?」

「やはりどっかのバカ業者が廃棄物を捨てたり、というような事は無い様子だ。 この状況だと、ほぼ間違いなく、テキトウに導入したゲンジボタルが、水質を嫌がって上流に勝手に移動した、と見て良いだろうな」

「そんなものなんだ」

頷く。

流石に幼虫はそれほど機動力は無いが。

成虫になると、寿命は短いとは言え、空を飛ぶことも出来るのだ。

それほど高速では飛び回れないが。

彼らは一週間ほどの短い成虫としての命の中で。

子孫が繁栄できる場所を探す。

そうなれば、いうまでもなく。

自分たちが好む清流を、子孫の命を託す場所として選ぶだろう。

此処に無理矢理放たされた蛍たちは。

生き延びながら、自分たちが生きるに適した上流を探し。

そして此方に移動した。

元からゲンジボタルは減っていた。

だから、そこに入り込むには、丁度良かったのだろう。

ただし、問題もある。

カワニナがかなり減っている様子だ。

それはそうだ。

ゲンジボタルが減ったことで。

天敵がいなくなっていたのに。

今度は大挙して押し寄せたのだ。

ゲンジボタルにしてみれば、ごちそうが入れ食い状態なのである。徹底的に食い散らかすだろう。

この辺りに住んでいる知り合いは。

メールを入れて、確認をしてみる。

同時に、桐川を促して、川を離れる。

護岸もろくにしていないのだ。

危険は、相応にある。

ちょっと驚いたのは。

ケラがいることか。

地中にすむこの珍しい昆虫は。今では護岸工事のせいで、すっかり姿を消してしまったが。

この辺りには生息している。

つまり、これを見ても。

環境汚染は、既にもうない、ということだ。

メールを入れて確認していくと。

予想通りの答えが返ってきた。

「この辺りの蛍? そういえば最近はもの凄いねえ。 子供の頃を思い出すくらいいるよ」

「夜に外を見ると、これがまた綺麗で」

「画像か何かはありますか」

「あるよ」

メールを送った一人が、比較画像に使えそうなものを持っていた。

早速桐川と確認。

なるほど、これは露骨すぎるほどだ。

10年ほど掛けて。

蛍がどんどん増えている。

だが、一気に増えて、また少し落ち着き。

そしてまた増える。

そんな感じだ。

これはどうしてかというと。

エサであるカワニナの問題だろう。

つまり一気に増えて、カワニナを大量に喰ってしまう。

そうすると、蛍は餌が取れずに、激減する。

蛍が激減すると、カワニナは増える。

それを食って、蛍がまた爆増する。

そういう事だ。

「つまり、どういうこと?」

「生態系ってのは、人間が考えているより遙かにデリケートだって事だ。 最近無神経な、生態系のニッチは空白が出来てもすぐ埋まって問題ないみたいな寝言を言う奴がいるが、実際にはこんな風にガタガタに揺らぐ。 そしてその影響は、揺らぎ揺らいで人間にもいずれ降りかかる。 それだけのことだ」

今回は、たまたま蛍だった。

それだけだ。

もしこれが、病原菌を媒介する生物だったり。

或いは人間に殺傷力を持つ生物だったりした場合。

結果はどうなるか。

言うまでも無いだろう。

熊にしても。

本来なら、エサがたっぷりある山から下りてこない。

人間とは棲み分けがある程度出来ている。

だが、環境を滅茶苦茶にしたり。

バカが山にエサになるようなものを捨てたりすれば。

人間がエサを持っていると学習して降りてくる。

そうなれば、殺さなければ行けなくなる。

事故が起きれば、人間も殺される。

他の猛獣だって同じだ。

人間と接している動物ほど、人間の恐ろしさを知っている。頭が悪い動物になると話は別だが。

人間を猛獣が襲う場合。

もう他に手段が無い場合、というのが殆どだ。

或いは、バカが餌付けをした場合、か。

そういうものなのだ。

「帰るか。 これで状況証拠は充分に揃った。 統計か何かは、生物学者に任せるしかないだろうな」

「市役所に言わなくて良いの?」

「一応レポートをまとめて投書しておく。 今後、蛍の養殖業者に対して注意するように、てな」

勿論、大半の養殖業者は良心的なもので。

環境回復のために、心血を注いでいる業者も多い。

だが、今回。

この市に来た連中は。

そうではなかった。

そういうことだ。

ふと、振り返る。

もう少しすれば、この辺りを美しい蛍の群れが舞うだろう。一週間程度しかない命を、繁殖のために使い尽くすために。

ルシフェラーゼを全力で反応させ。

光をまき散らし。

パートナーを呼び。

そして増える。

決して手を入れてはいけないその営みに。

人間は勝手に手を入れ。

綺麗だからと言う理由で。

また余計な事をした。

げに恐ろしいのは人間だ。

ライオンだのトラだのは。

人間がその気になれば、瞬く間に滅ぼされてしまう。他の生物だって同じ。あまりにも人間はこの星で過剰すぎる力を持ちすぎているのだ。

ある天才的な科学者は言った。

人間にはもう時間がないと。

私も、それには同意する。

今回目にしたこの事件。

人間は、地球を滅茶苦茶にしすぎた。

そしてその反省さえ、忘れ去ろうとしている。

環境を題材にした作品は気持ち悪い。

そんな事を口にする者まで増えてきている。

小学生の私から見ても。

愚かすぎる。

どうしようもない生き物だ。

桐川と一緒に駅まで歩く。

ずっと満面の笑みだった桐川。理由を聞くと、良いアイデアを思いついたから、だそうである。

ジオラマの彼方此方に光るギミックを仕込んで。

蛍が光る中。

半壊したロボット同士が、最後の一撃を応酬するシーンを作りたい、というのである。

まあそれはそれで別に構わないだろう。

私が良いのではないかと言うと。

桐川は、無邪気に頷いていた。

 

4、光は闇の裏

 

山下を呼び、調査結果を見せる。

つまり蛍は減っていたのでは無い。

自分たちに都合が悪い環境から。

都合が良い環境へ勝手に移動していた。

それだけだった。

そして、しばらくは数もぐらつく。

下手をすると、安定するまで数十年は掛かるかも知れない。

それらを告げると。

山下は、俯いていた。

「何というか、その。 すまない」

「どういうことだ」

「俺、何も考えていなかった。 蛍が綺麗で好きだってのは、確かにあったけれど。 蛍がどうしているかだとか。 どうして蛍が光ってるのだとか、何も考えていなかった」

「……子供ならそれが普通だ」

一応市役所にも資料を提出した。

今後の環境浄化の方針と。

生物を指針とする際に。参考にして欲しい、ということで。

レポートを作って出したのである。

シカトされるかも知れないが。

一応大学の修士論文を参考に作って見た。

資料としても。

何処かの大学の教授が、この辺りの蛍の生息数を調べたものが見つかったので、それを使い。

更に資料映像として。

提供を受けた画像を添付もした。

この辺の資料は、知り合いに提供して貰った。もっとも古く仕事を請け負った相手だ。今は大学院にいる。ちょっとその伝手を使ったのだ。そう、決定打になる情報を得るために連絡したのは、この人物である。

これだけしっかり作ったのだ。

市としても無視はできないだろう。

というか、無視するようなら。

こっちで勝手にネットに晒させて貰う。

「俺、何をすれば良いんだ」

「見守る。 距離を取る」

「……」

「人間がちょっと手を入れるだけで、あっという間に何もかもが台無しになる。 蛍の数にしても、さっき言ったとおり数十年はがたつき続けるだろう。 蛍が綺麗だとか言って捕まえたりするのは言語道断だ。 川遊びは良いが、住んでいる生物の邪魔にならないようにしろ。 人間が、他の動物に対して、どれだけ圧倒的な殺傷力を持っているか理解出来れば、問題は起きない」

難しい単語を使いすぎたか。

だが。それでも。

山下は、ある程度理解する事が出来たようだった。

いずれにしても、である。

蛍が見たければ上流にいけ。

自分が住んでいる場所で蛍が見られないのが嫌だ、等というのはエゴだ。

それについては、しっかり説明したし。

山下も頷いた。

それでいい。

後は報酬を受け取って終わりだ。

「報酬は?」

「急いで作ったんだが、これだ」

「ほう」

受け取る。

木彫りのカブトムシだ。

年相応に若干洗い造りだが。小さな木片を彫刻刀で削って造り。ニスを塗ってしっかり仕上げた上。

白く塗装している。

白いカブトムシというのは斬新だし。

しかもこの造形。

ニホンカブトムシでは無い。

見覚えがあると思って脳内で検索して、思い当たった。

「コーカサスオオカブトか」

「凄いな、知ってるのか」

「知っている。 アジアに住んでいる森の暴君と呼ばれる大型カブトムシだな」

「好きなんだ。 強くて大きくて格好いい」

確かにそうだが。

その代わり、外来種として繁殖したら。

大変な事になるだろう。

いずれにしても、虫が好きな少年が作ったものだ。

誠意はこもっている。

貰っておく。

「大人に相談してもどうにもならないのに、本当にどうにかしてくれて嬉しい。 有難う」

「いや、これが私の仕事だ」

「すげえな。 俺より年下なのに」

「そんなものだ。 いずれ嫌でも、仕事なんてしなければいけなくなる」

また困ったことがあったら、依頼してくれ。

そう言い残すと、山下と別れる。

これで今回の依頼も完遂。

全てが綺麗に。

丸く収まった。

 

家に戻る。

父がソファで、死ぬようにして寝ていた。

まあ仕方が無いだろう。この状況だ。

どうしようもない。

毛布を掛けると。

夕食を作り始める。一人で食べる事になるかも知れないと思っていたけれど。父は目を擦りながら起きて来た。

「帰っていたのか」

「ただいま」

「……何処かの川にでも行っていたのか」

「どうしてそう思う?」

父が言うには。

川沿いに住んでいる知り合いが、黄色いパーカー姿を見かけた、というのだ。それも蛇やら何やらをまるで怖れずに、淡々と調べていたと。小さくて小学生くらいに見えたが、学者だったのだろうか、と。

それは私だ。

応えると、父は食卓に着く。

料理を出す。

今日はシチューだ。

簡単に食べられる上に栄養も豊富。

日本で定番のクリームシチューである。

いただきます。

二人で夕食にする。

アレがいなくなってから、本当に夕食が楽しくなった。自分で作っていて腕の向上が分かるし。

何より冷めたレトルト以下でないし。

温かい。

食べ物は、温かいだけでぐっとマシになる。

アレはレンジでチンすることさえせず。

自分のものだけ作っていた。

父が話す。

明らかに食事面でも虐待をしていたという話に対し。

母は唾を飛ばしながら喚いていたという。

キモイガキになんで食事なんか作ってやらなければいけないのか。キモイ奴を飼ってやっているだけ有り難く思え。

私の言うことを聞かないあのブタも、同じだ。

だから同じエサを出していた。

私は正しい。

みんなしている事だ。

名前だって、本当はキラキラネームにしたかった。

それなのに、邪魔しやがって。

そんな事を、アレはわめき散らしていたそうだ。勿論ブタとは父のことだろう。

なお、弁護士も呆れていたと言うが。

本当かどうか。

弁護士はこれだと、会話が難しいと思って呆れていただけで。

実際には同意していたのではあるまいか。

いずれにしても。

アレが私の敵であることは事実。

母親が子供を愛する事はあるだろう。

だがそれが、必ずしも常に起きる出来事では無い。

それを私は。

幼い頃から思い知らされていた。

「ごちそうさま」

「……ごちそうさま」

父は皿を片付けないが。

今更そんな事はどうでもいい。

食洗機に皿をぶち込むと。

後はぼんやりとした。

蛍の話は。

私に取っては他人事では無かった。実際問題、蛍が美しい光を放つ生物でなかったら。人間は保護などしなかっただろう。

見かけだけが全て。

人間は醜悪だな。

私は苦笑していた。

 

(続)