蠱惑の虫

 

序、その虫は

 

仕事が来た。

ただし、姫島が持ち込んだのでは無い。なんとメールを通じて、私に直接依頼が来たのである。

まあ私に直接依頼が来るケースはあるけれど。

そもそも私が非常に気味悪がられている事もあり。コネの広さの割りには、私に依頼を直接してくるケースは珍しい。

しかも今回は高校生だ。

高校生の仕事依頼を受けて、それを解決したことは何度かあるが。

仕事の内容を見て絶句した。

彼氏の浮気調査である。

ちなみに二つ隣街の高校に通う女子高生。高校一年生の女子からの依頼だが。噂を聞いて、私のメールを友人からゲット。

頼み込んできたらしい。

SNSを使わず、メールを使うというのが、実は最近ちょっと敷居が高い行為になっているらしいのだが。

その女子高生、二宮杏は、頑張って私のメールアドレスをゲットし。

連絡まで入れてきた。

単におちょくっている可能性もあったので、調べて見たが。

どうやら本気で困っているらしい。

此方に来ると言うことで。

近場の公園を指定。

私が待っていると。

何だか気弱そうな女子高生が、こっちに来るのが見えた。

しかも帽子を被り。

眼鏡を掛けて。

人相まで消している。

本当に一体、何をしに来ているのだろう。小首をかしげたくなったが、兎に角事前に決めておいた合図をして。

周囲に誰か潜んでいないかを確認。

そして、それから。

気配を消して。

背後から現れ、声を掛ける。

分かり易いほど吃驚して跳び上がる二宮杏。

「ひいっ!」

「驚きすぎだろう」

「だ、だって! いつそこにいたの!?」

「さっきから」

三十分もつ飴を咥えると。

近くのベンチに座る。

話を聞く体勢に此方が入った事を悟ると。

二宮杏は言う。

彼氏が浮気をしているかも知れないと。

「浮気調査ねえ」

「……駄目?」

「別に構わないけれど、どうして周囲に相談したりしないのかまだ聞いていない。 その返答次第では、協力は出来ない」

「ええと……」

困り果てた様子で、二宮杏は俯く。

それにしても背が低い。

小学生の私と、十センチ程度しか離れていないのではあるまいか。

私は平均程度の身長なので。

余計に背の低さが目立つ。

これだと、数年後には追い越しそうだ。

「実は彼氏と言っても、その……殆ど会ったことも無くて」

「?」

「許嫁で、存在自体つい最近知ったの」

「へえ」

許嫁。

まだそんな事をしている人間がいたのか。

田舎には希にいるのだけれども。ざっと見る限り、容姿も体型も月並み。引っ込み思案で、男受けしそうに無いこの女が。よくもまあ彼氏なんか作ったなと思ったら、そういうことか。

色々あった結果。

高校生なんてみんな経験済み、何て時代は終わっている。

勿論場所によってはあるだろうが。

昔と今では随分状況が違う。

私にとって学校での性教育はもう少し先だが。

それくらい、今時子供でも知っている。

ネットではいやというほど情報が溢れているし。

何より自衛しないと危ないからである。

まだ手もつないでいないという話をされて、ふーんと呟く。残念だが、未経験のまま年老いて死ぬ人間も今後珍しくなくなる。男女の価値観が離れ過ぎている上、色々と「コミュニケーション」とやらが面倒になりすぎているからだ。

まあそれはそれとして。

そんな許嫁なら、どうでもいいのではあるまいか。

そう思ったが。

二宮杏は言うのだ。

「うち、ちょっとした借金があって」

「借金」

「許嫁の家が、とても裕福で。 もしも許嫁を取り消されると、ちょっと困ったことになるの」

「……」

だから親は押せ押せ言うし。

逆に許嫁は、二宮杏を小便臭い子供くらいにしか見ていないことが丸わかり。

更にどうも「浮気」の気配があるとかで。

困り果てているという。

「で、実際の所、その許嫁が好きなの? 嫌いなの?」

「そういう問題じゃない」

「……まあいいか」

それが分かっているなら良い。

というか、好きだの嫌いだのだったら、それこそ借金を自分で返す覚悟で働けば良いことだ。

二宮杏は、覚悟の末に決断をしている。

でも、それだったら、どうして親に相談しないのか。

それに、許嫁なんて今更言われてもと相手側が困惑しているのかも知れないし。何よりもそんなもの、別に良いわけではないだろう。

なお、相手は既に社会人だそうである。

ちなみにこういう合意での許嫁の場合、未成年に手を出しても犯罪とはされないケースが多いらしい。

判例についてはちょっと事件がある度に調べているので。

私もその辺りは知っている。

ちなみに、実際の探偵でも、浮気調査はかなりの収入源らしく。

そして浮気調査の仕事が来た場合。

9割方浮気しているそうである。

ただ今回の場合、実際に手を出したわけでも無いそれどころか手すらつないでもいない相手との「恋人関係」における「浮気」という妙な話で。

更に言うと親が勝手に決めた許嫁。

許嫁の存在を知っていたとしても。

時代錯誤的だとして、恋愛結婚したがるケースもあるだろう。

もっとも、今の時代。

そもそも恋愛結婚が急激に廃れている。

結婚しない人間も多い。

結婚したとしても。

うちのように。

そう私の家のようになったら、不幸なだけだ。

それこそ地獄を過ごすことになる。

そういえば、昔のテレビだったか。

結婚を人生の墓場だとか。

中年女性をオバタリアンとか言って煽ったりしたのは。

ある意味、当たっているかも知れない。

今の状況を考えると、である。

「相手の名前などの詳しいデータを」

「うん、いいけれど。 本当に……調べられる?」

「まあ何とかね」

実は。

浮気調査は、初めてでは無い。

ただ、前は中学生のカップルで。

しかも浮気調査の依頼が来て、話を聞いた時点でこれはアウトだろうなと思ったが。実際にアウトだった。

その上彼女が浮気していたのはボーイッシュな女性。六歳年上。

現場写真を抑えて。

依頼をしてきた中学生の男子生徒に見せたときの顔を。

私は今も忘れられない。

アニメみたいに石になっていたが。

本当に人間ってこんな顔をするんだなあと、遠い目で見ていたものである。

その後修羅場になるかと思ったが。

男子生徒は元々脈が無かったとすごすご尻尾を巻き。

それなら別に事を荒立てることも無いかと、私はさっさと調査を打ち切った。

本人達が納得しているなら良いだろう。

なお、その後彼女たちは半年ほどで別れたそうである。

ふーんという言葉しか出なかった。

今回はそれ以上の修羅場になりそうだが。

相手側の情報を聞き出す。

必要なデータを入手し終えると、注意事項について説明。

報酬について話すと。

相手は頷いた。

「手作りの何か白いものって、本当に手作りなら何でも良いの?」

「私が欲しいのは金じゃ無くて誠意なんでね」

「……誠意」

「金は重要だけれど、私は金を稼ぐためにこの仕事してるわけじゃ無い。 私が欲しいのは、コネクションなわけ」

そういう話をすると。

相手は青ざめて、口をつぐむ。

私が想像以上にヤバイ相手だと、理解したのだろう。

そもそも小学生が話すような言葉を口にしていない。

成長が早い子はいるにはいるが。

私はその中でも異常すぎると言われる。

それには理由があるし。

その理由についてもはっきり分かっているが。

だからといって、同情を求める気は無い。今後の苦境は、自分で乗り越える。どうせ法は役に立たないのだから。

「というわけでよろしく。 ああそうそう、友人達には依頼のことは話さない方が良いよ」

「え、どうして」

「私、ちょっとばかり貴方の学校の生徒をシメたことがあってね。 私を試すようなフェイクの依頼をしてきたから、ちょっとばかり地獄を見てもらった。 私に仕事を依頼してるってそいつが知ったら、怖くて手を出せない私じゃ無くて、貴方に報復をしてくるかも知れない」

「……」

ぞっとした様子で、何も言えなくなる二宮杏。

私は頷くと。

仕事に掛かると告げて。

その場を離れる。

まだ夕方。

だが、家に着くと。

専業主婦の筈の母はいない。

洗濯をてきぱきと片付けて。夕食の準備。冷蔵庫は完全に手つかず。父が買ってくる食材が、そのまま入っているだけだ。

家にアレがいないだけマシ。

そう思って、料理も始める。

父が帰ってくるのは多分九時過ぎだろう。

家事を済ませて。

それから自分の事をやる。

母は幾つかの飲み屋で出禁を食らった後、彼方此方フラフラしているようで。目撃情報がメールで飛んでくる。

どっかのヒモか何か抱え込んだら即座に行動を起こすが。

まだそれはしていない。

離婚調停の場合、不倫をした方が示談金を払うことになる。

母がそうしてくれれば最高なのだが。

そこまで上手く行くかは分からない。

今私がやるべき事は。

彼奴がこの家に「必要ない」存在である事を示して行くこと。

私にしたことを、十倍にして返すには。

それくらいしないといけない。

なお、父が浮気する心配は無い。毎日遅くまで残業で、それどころではないからだ。

なお、情報網を使って、札付きのヒモやヤクザ関係者、詐欺師などについては動向もチェックしている。

もしも母と接触するようなら。

こっちも即座にそれが分かるようにはしている。

とはいっても、分かる範囲内で、だ。

如何に田舎で、何かあったらすぐに伝わるとしても。

それには限界がある。

ただ今の状態の母では。

隠密行動なんてとても出来ないだろうが。

父が帰ってきた。

夕食が用意してあるというと、無表情のまま頷く。

力ない動きでスーツをハンガーに掛けると。

適当に夕食を始める。

テレビが置物になって久しい。

一度あの母が。

私に暴力を振るっているときに、蹴倒して破壊し。

更にそれを私のせいにして。

散々殴った。

お前のせいでテレビが壊れた。

弁償しろ。

そう叫んで蹴りを浴びせかける母が、モンスターにしか見えなかった。幼児から見ても、理不尽なバケモノの理論にしか思えなかったからだ。

そして今。

奴は私の復讐のターゲットになっている。

そして復讐は成就しそうだ。

好機を逃すつもりは無い。

無音の中。

黙々と夕食を片付け。

そして父がフラフラと風呂に消えるのを見送ると。

食洗機に食器を放り込み。

洗う。

母は戻ってこないが。

どうでもいい。

しばらくして。この夜中だというのに、父の携帯がなった。

風呂上がりの父が、携帯を緩慢にとる。

まあ携帯と言っても、スマホだが。

「もしもし。 はい。 安城ですが……はい」

会社からの連絡か。

今時珍しくもない。

父の会社は、最低最悪と悪名高いITではないものの。トラブルで夜中に電話が来ることは珍しくもないのだ。

ちなみに、私がもう少し幼い頃は。

その度に母がヒステリーを起こして。

私に暴力の矛先が向いた。

「分かりました。 迎えに行きます。 済みません」

「何」

「母さんが泥酔状態で警察に保護された」

失笑するが。

父はそうしなかった。

流石にもう愛想が尽きたと顔に書いているが。

それでも、スーツを着直して、車で出かけていく。

あんなのに貴重な時間を割かなければならないとは悲惨だなとは思うが。考えて見れば、私も不要な家事に時間を取られているわけで。

反吐が出る状態に代わりは無かった。

しばらくして。

母を連れて、父が戻ってきた。

完全に血走った目の母は、警察でそうとうこっぴどく絞られたらしく。私を見て、いきなり金切り声を上げたが。

それで気力も失せたらしく。

完全に壊れた寝息を上げはじめる。

良い傾向だ。

この様子なら。

完全に精神崩壊を起こすまで。

そう時間も掛からないだろう。

さて、仕事だが。

二階に上がると、軽く調査を始める。

恐らく今回の仕事は、浮気は既に確定と見て良いだろう。浮気と呼んで良いかは非常に疑問が残るが。

その上で。

どう本人達を納得させるか。

解決に落とし込むか。

それが問題だ。

 

1、不倫調査

 

以前にも獲得した不倫調査のノウハウは、簡単だ。

相手の行動パターンを調査し。

そして隠し撮りをする。

それだけである。

相手に直に接触するのは悪手。

実際に調査されていると知られれば。

そのまま関係がグダグダになる可能性がある。

故にスニークしながら相手を調べる必要があるのだけれども。この辺りは。私に取っては有利だ。

大人が追跡してきているのなら兎も角。

雑踏に紛れた普通の子供なら。

相手には見つからない。

勿論黄色パーカーは却って目立つから、今回は使わないが。

故に、というか。

逆に私は雑踏に溶け込む。

ちょっと面倒なのは、相手が住んでいる場所が遠い事だが。

仕事場所はうちの近所。

それを考えると。

浮気をしているかどうかを調べるのは。

そうそう難しくは無い。

そう。

これは本来、色々と面倒くさい事が絡んでいなければ。

大人が出てきて、解決するべき問題だ。

だが探偵の依頼料は高校生に払えるようなものではないし。

更に本人が、許嫁という関係に納得していないのだろう。

それについては。見ていて何となく分かった。

もしも許嫁という関係に納得していたのなら。そもそも、両親に訴えて、何かしらの行動を取ったはずだ。

両親も、許嫁という関係を過去に構築したのに。

それは酷いのではないかとか、色々相手側の家族に交渉したり、といったことがあっただろう。

面倒な事に。

小便臭い餓鬼と思われている事を理解している二宮杏が。

自分自身がその通りだと判断していて。

更に相手側の事も考慮している。

故に、借金があって困っている両親の事に苦悩しつつも。

自分では相手に問いただせず。

困り果てて、最終手段に出た。

そういう事情は理解出来ている。

故に、私の出番と言う事だ。

実のところ、私としてもあまり気が進まないのだけれど。

こればかりは仕方が無い。

いずれ、この街の汚れ仕事は、全部引き受ける覚悟さえ持っている。街を支配するには、きれい事だけでは済まないからだ。

さて、相手は確認。

顔写真などはゲットしているが。

夜の街を歩いている。

酒を入れている様子は無いし。

居酒屋に出入りもしていない様子だ。

少し前から。

飲み屋でのコミュニケーションと称する強制飲み会に、批判が集まるようになりはじめたことを、私は知っている。

少し前までは、酒を飲めば本音が出ると言うことで。

ストレス発散も兼ねて。

盛大に各地で、会社終了後の飲み会が行われていた。

だが。

労働の過酷化。

更に実際には酔った後に盗難や貴重品の忘れ物など様々なトラブルが起きやすいこと。

そういったデメリットに加え。

就業後まで会社に縛られたくない、という人間も増えてきたことで。

飲み会の頻度は減りつつあると言う。

実際父の様子を見ていても分かる。

あれでは、飲み会どころでは無いだろう。

全員がゾンビみたいな顔色だ。

あの状況で飲み会だなんて言い出しても。

誰が喜ぶだろうか。

勿論、それでも飲み会をやりたがる大人はいるそうだが。

下手をすると炎上騒ぎにさえなる。

ターゲットも、飲み会とは関係無く、街を歩いているようだった。

ちなみに少し気むずかしそうな。

厳しそうな雰囲気の男性である。

私は相手を追跡するのには慣れているが。

かなり勘が鋭いようで。

時々周囲を確認していた。

私の気配を。

うっすら察知しているのかも知れない。

だとすると面倒だ。

勿論距離を取り。

しかも相手の位置をしっかり確認しながら追跡しているし。

もしも相手を見失ったと判断した場合は深入りしない。

深入りして相手に察知されると面倒だ。

これでも私は受けた仕事の達成率は、今まで100パーセントを一度も切っていないのが自慢。

それくらいでないと。

この仕事はやっていられないし。

恩を周囲に売り続けることだって出来やしないのだ。

「お兄さん、マッサージどう?」

「結構だ」

監視対象が風俗店の客引きに声を掛けられるが。

監視対象、つまり二宮杏のフィアンセは。すげなく断り、迷いなく進んでいる。

やがて、妙な廃ビルに到着。

中に入っていった。

流石にこれに入るのはリスクが大きいか。

しばらく観察した後。

住所などをチェック。

軽くネットなどで、この住所について調べて見る。

この街も、少し前に覚醒剤騒ぎがあったうちの街と同じで。

どんな魑魅魍魎が住んでいるか分からない。

なお、電車代を考慮すると。

あまり調査に回数は掛けられないのが実情だ。手早くぱっぱと済ませて、解決まで持っていきたいが。

廃ビルについて出た。

少し前まで、小さな会社の本社ビルだったが。

会社が倒産。

取り壊しの目処もつかず。

新しいテナントの話も出ず。

放置されている様子だ。

つまり中は空。

こんな時間にこんな所に来ると言うことは。

心霊マニアでもない限りは。

余程妙な用事があるか。

それとも私の追跡に気付いていて、罠を張っているか。

後者の可能性が高いと判断した私は距離を取る。

そして、以前恩を売った店に入ると。屋上を貸してもらう。別の、ゲートボール仲間の老人が経営している店も近くにあるのだけれど。

今回は監視には、こっちの方が良さそうだ。

店に入ると、熱帯魚がたくさんお出迎え。

この家の双子から依頼を受けて。

その結果、とんでもない大蛇がヤブから出てきて。

解決して、凄く感謝された。

双子(とはいっても、漫画なんかのお約束で出てくるような美形では無くて、ごつくて四角いが)に挨拶すると。

裏口から屋上に上がり。

其処から双眼鏡を使って廃ビルを観察する。

灯りさえつけていない。

というか、電気が通っていないのだろう。

だが、中で何か動きがある。

そもそもああいう廃ビルは、ホームレスやDQNのたまり場になっているケースが多く、一般人が踏みいるのは非常に危険だ。

私も素人の女だったら対応出来るが。

大柄な喧嘩慣れした男、くらいになってくるともう手に負えなくなる。

武術をやっている中学生男子以上には勝てない、というハンデは。

まだまだしばらくついて廻るだろう。

勿論独学で護身術は学んでいるが。

まだ中学生男子以上の武術をやっている相手に対しては、無力だ。体が固まっていないし。

何より質量とリーチが違いすぎる。

しばし観察しているが。

集音マイクを使って調べていると。

妙な音が聞こえてきた。

話し声のようだが。

後でマイクを解析するか。

二時間ほどして。

男が出てくる。

はて。

ちょっと衣服が乱れているが。

まさかあの中で浮気相手(というか恋人と言うべきか)と情事にでも及んでいたのだろうか。

ちょっと考えにくい。

よっぽどのマニアでもない限り、リスクが大きすぎる。

私は口を三角形に開けながら。

思わずぼやいていた。

「なにやってんだ彼奴」

口をへの字に閉じると。

腕組みして、考え込む。

なお、そのまま、ターゲットは帰宅。

そして廃ビルからは。

誰も出てくる様子は無かった。

 

翌日。

廃ビルについて色々調査する。倒産の詳しい経緯もそれで分かった。

家族経営の小さな会社が入っていたが、経営悪化したところを闇金につけ込まれて倒産、一家離散。

幸い、一家離散で済んだ様子だ。

昔だったら、確実に保険金を掛けられて、殺され。

女性達は風俗に売り飛ばされ。薬漬けにされて、完全に壊れて死ぬまで金を搾り取られ。

子供は東南アジア辺りに売り飛ばされて。内臓を取られてそのまま殺されていただろう。

闇金業者というのはそういう連中だ。

実際にそうして家庭崩壊したケースは、田舎街では幾らでも目にする事が出来る。

ギャンブルで身を崩して闇金に手を出す、何て例は自業自得だが。

実際の違法金融業者は、こういった気の毒な立場の人達の生き血を啜り、生肉を食らい。そして社会に害を為す、鬼畜外道以外の何者でも無い。

私が街を支配した暁には。

全員まとめて闇に葬ってやるが。

それはまだ先の話だ。

いずれにしても、今は。

力を蓄えなければならない。

様々な方向から例の廃ビルについて調べて見るが。

どうも変な話ばかり出てくる。

まずは定番の幽霊話。

実際には、あのビルにいた家族は一家離散しただけで、全員健在なのだが。

何故か首をくくって死んだことになっており。

廃ビルで幽霊が目撃されたとか。

まあよくある都市伝説で。

高校を中心に爆発的に広まったようだ。

都市伝説は流行し出すと、止める手立てが無いし。そもそも止めるために労力を使うだけ馬鹿馬鹿しい。

結局一月くらい前まではその噂で持ちきりで。

DQNが中に入り。

ビルの管理を現在しているヤクザとトラブルになる事が何度もあったそうである。

その後、DQN達がいなくなって。

今はホームレスが入り込む事もなくなり。

静かになっているようだが。

だとしたらあの男。

一体何をしていた。

経歴についても洗ってみるが。

今の会社は、普通の中堅企業。

特に問題を起こすこともなく。

「普通」に働いている様子だ。

とはいっても、今の「普通」に働くというのは、残業が40時間50時間ついてくるケースも多いし。

まともな感覚での普通では無い。

日本人は時間にルーズだという話が、よその国でされるらしいが。

これは終業時間が極めていい加減だから、だ。

とはいっても、今では海外でも。

ブラック企業やサービス残業、過労死は当たり前になって来ている様子で。

日本発のまったく誇ることが出来ない言葉として。

「カロウシ」は定着しつつあるらしい。

まあいずれにしても、過労死寸前と言う事も無く。

普通に働いている様子だ。

だが逆に言うと。

現在の状況で「普通」に働くと言う事は。

休日は疲れ果てて家でダウン。

夜に遊び歩く余力も普通はあまりない。

そうなってくると。

浮気なんてしている余裕はあるのだろうか。

少なくとも、あの廃ビルで。

ロマンチックな逢瀬(失笑)を重ねているとはとても私には思えないが。それは大人なりの雰囲気作りとかなのだろうか。

腕組みして、しばし考え込む。

今日は日曜だが。

昼過ぎになって、母が起きだし。

狂乱して、父に食ってかかっているようだが。

もうどうでもいい。

酒を寄越せ。

喚いているのが聞こえる。

あのバカのせいで、酒が無ければやってらんないんだよ。

吠えている。

バカねえ。

父が無言のまま、酒が無いときっちり告げているようだが。

隠しているに違いないだとか。

あのガキにくれてやって一緒に飲んでいるのだろうとか。

頭が沸いているとしか思えない理屈を垂れ流しているので。まあ良い傾向だと思って放置。

そのまま狂い死ね。

葬式の時には、心にもない涙を流してやるよ。

部屋の中で私は黒い笑いを浮かべながら、調査を続行。

さて。ターゲットだが。

SNSをさっそく特定。

政治などについての話は殆ど無く。

興味があるらしいフットサルについての話題が中心だ。

少し調べて見るが。

聞かれたくない話をするための鍵垢も持っていない様子で。

セキュリティ意識はガバガバ。

もしくは、かなり薄い様子だ。

会社の愚痴とかはどこで吐き出しているのだろう。

いずれにしても、だ。

追跡を開始するが。

艶っぽい話どころか。

女っ気さえない。

むしろ「リア充」に対する不快感をあらわにしているツイートまである。勿論フェイクの可能性もあるが。

しかしながら、許嫁がいる状態だ。

その気になれば手を出しても大丈夫な相手な訳で。

地味とは言えブスでも無いし、向こうもターゲットを嫌っている訳では無い様子なのに。

何だか妙だ。

下の狂騒をバックミュージックに。

腕組みして考え込む。

その時、電話が鳴った。

姫島からだ。

「やほー、シロ」

「どうした。 電話とは珍しいな」

「ちょっと面倒な事になってるんだけど」

「はあ?」

具体的に話を聞くと。

うちの母が、昨日泥酔して警察に保護され。それを父が迎えに行った件が、問題になっていると言う。

SNSで炎上しているそうだ。

さっと確認。

そうすると、確かに動画が上がっている。

むしろこれは好都合だ。

火に油を注いでやるか。

いや、止めておこう。

しばらくは静観。

それでいい。

「これは酷いね」

「でしょ。 多分学校で何か言われると思うよ」

「関係無いね」

小学生が相手だったら。

私は負ける要素がない。

空手をやってる六年生男子をねじ伏せたこともある。中学生が相手なら兎も角、小学生に喧嘩で負ける気はしない。今の学校なら、少なくともそうだ。

その六年は私に負けたことで自信喪失。

空手も止めた。

私はそういう意味では学校中から怖れられているが。

これはむしろ、放置しておけば+になるだろう。

なお、もしこれをネタに何かしてくるような奴がいたら。

死ぬよりも怖い目に遭わせるだけである。

何、合法的に死ぬより酷い目に遭わせる方法なんて。

それこそいくらでもある。

「それで、丁度いいや。 聞きたいんだけれど良い?」

「なになに。 シロが私に聞いてくるなんて珍しいね。 もっと頼れ」

「……まあそれはともかくとして」

例の廃ビルについて聞く。

少し悩んだ後。

姫島は言う。

まず幽霊話の件。

それについては知っていると話した。

そうすると、次に。

面白い事を言い出す。

「DQNが集まって、それがヤクザに追い払われてから、強面が見張りに立ってるらしいんだけれどね。 何だかその強面が、最近姿が見えないらしいよ」

「隠れてるだけじゃないの」

「いや、それがいるにはいるらしいし、仕事もしているらしいんだけれど。 夜に姿を消してるって」

「へえ?」

見張りというのは。

いる、ということを示すことに意味がある。

隠れていては見張りの意味がない。

少なくとも歩哨がそこにいる、という事で。

警備を敷いていることを。

侵入者に見せる意図があるのだ。

威圧のために姿を見せる必要があるわけで。

それが姿を隠しているというのは、どういうことなのだろうか。

姫島の情報網は広い。

話によると、その廃ビルの近くに知り合いが住んでいるらしくて。そういう細かい情報がくるそうだ。

メールも見せてもらう。

SNSのやりとりも。

確かにDQNが騒いでるとか。

急に静かになったとか。

ヤクザのおっさんにぼこぼこにされたDQNが泣きながら逃げていったとか。

シンナーの容器が捨てられてたとか。

生々しい話が書いてある。

それはまあそうとして。

ずっとビルの見張りをしていた強面がいなくなったというのが気になる。何かの非合法商売でもしているのではないのか。場合によっては警察に投げて、状況だけ確認して終わりにする必要があるだろう。

引き際をわきまえるのが重要だ。

私のように、リソースが少ない場合はなおさらである。

昨日集音マイクで集めていた音を解析してみる。

解析ソフトはフリーのだけれど積んでいるので。

それを使って調べて見るが。

内部で何か普通の会話をしている様子だ。

つまりあの廃ビル。

中に誰か二人以上いた。

声色も二人分で違っている。

つまるところ、余程上手に声を変えられる仕事、つまり声優か何かでもない限り、あの中には誰かいたと言う事だ。ボイスチェンジャーのような不自然さもない。

姫島の知り合いのSNSは、DQNが騒いでいる様子の動画もアップしていたが。

その後で、ヤクザがぎゃあぎゃあ喚いている動画も載せていた。

その動画から音を拾い。

データを解析。

調べて見るが。

どうやら一致しない様子だ。

つまり、ターゲットと、更にもう一人が中にいて。

話をしていた、という事らしい。

そしてその一人は。

少なくとも私が確認した範囲内では、ビルから出てくる姿を見せなかった。

少し考えてから。

集音マイクを仕掛けるべく、例のビルの側に行く。

当然盗聴だが。

本来は廃ビルだ。

廃ビルを盗聴して、何か問題があるのか。

具体的に聞きたい。

この手の盗聴ツールは、黒田が時々仕入れてくる。消耗品だが、回収が面倒なのと。仕掛けるのにコツがいるのがちょっとアレだ。

もっとも、仕掛けてしまうと。

効果は絶大だが。

電車代の方がむしろ痛い。

一時間ほど掛けて作業を終えると、家に戻ってくる。

その間。

私をつける奴も。

私に接触しようとする奴も。

姿は見せなかった。

 

夜。

さっそくデータを収集。

ターゲットは。今夜も来たようだった。

話し声を解析するが。

どうやら相手は女では無いらしい。会話をしているようだが、それも敢えて声を低くしている様子だ。

「例のものは……」

「まだ準備に時間……入手……しい」

「急がないと……ロシが」

「分かって……でもこちらも……」

どう考えても。

ちょっとまずい会話である。少なくとも逢瀬では無いだろう。解析を進めるが、会話はすぐに終わった。

そして、例のフィアンセ殿が出てくる。

ちょっと考え込んだ後。

フィアンセ殿のデータを洗う。

同時に、残っているだろうもう一人について調べたい。盗聴している状況だから、そもそもいつ建物に入ったのか。いつ建物から出てきたのか。確認しておいた方が良いだろう。

だが。妙だ。

フィアンセ殿が出てきてから。

もう一人、会話していたらしい相手が、ビルの中で気配を断った。

不審に思った私は、データを遡って確認するが。

周囲での喧噪は聞こえるが。

ビルの中に入ったらしい音がない。

ビルの中で生活している可能性もあるが。

それにしては生活音もしない。

かといって、荒事を経験しているヤクザ相手に逃げ切る自信は私にはない。建物に入り込むのは論外だ。

何より、である。

フィアンセ殿が何をしているか分からない以上。

犯罪と決めつけるわけにもいかないだろう。

さて。

ちょっとこれは妙な方向に話が進み始めている。

一旦二宮杏に連絡を入れる。

ただし。

メールでは無く電話だ。

「中間報告」

「はいはい」

「貴方の婚約者、ちょっと妙なことしてるかも知れない。 多分浮気じゃ無くて、別の事の可能性が高い」

「えっ」

周囲に誰もいないことを確認してからの会話である。

勿論、聞かれて困るようなことは言っていない。

「中間報告終わり。 調査が進展したらまた連絡する。 それまで、自分から動くような真似はしないで」

「分かった、けど。 まだ数日しか経ってないのに、もう其処まで調べたの」

「また連絡する」

通話を切る。

メールを送らなかったのは、リスクが高いと判断したからだ。二宮杏が妙なことをしていないとも限らないし。

もしも私を陥れるために何かしているのだとしたら。

メールという証拠を残すのはリスクが高い。

さて、此処からどう調べるか。

いずれにしても。

フィアンセ殿については、もう少し色々と調べて見た方が良さそうだった。

 

2、夜街の謎

 

三日ほど調査を継続するが。

その間、二回。

フィアンセ殿は、例のビルを訪れた。

いずれも時間は八時前後。

日中、管理をしているヤクザらしい奴がビルに入っている形跡があったが。そいつはすぐに出て行っていた。

つまり、中に誰かがいたとしても。

それはヤクザの公認だと言う事だ。

隠れている、と言うことは無いだろう。

人間が生活するには場所と物資が必要になってくるのだ。

盗聴器を使って集めた情報だが。

会話については、どうにも要領を得ない。

会話をしているはずなのに。

もう一人の気配がないのだ。

かといって、独り言とも思えないし。

誰かしらが何か会話しているとしか思えない声も入っている。

腕組みして、考える。

声の解析もしているが。

人工音声とは考えにくい、という事しか分かっていない。

どうも会話している相手は男性のようだが。

それだけだ。

いわゆるスピーカーモードで携帯などを使って会話しているのかとも思ったが。

それにしても妙だ。

しばし考え込んだ後。

以前出会った時のフィアンセ殿が、何かを持っていた様子は無い。そうなると、あのビルの中にある何かか。

もしくは持ち込んでいるスマホなどで会話している可能性が高い。

だが、そんな事をして何の意味がある。

やはりデータの解析が先か。

拾えたデータはいずれも最小限の会話で済ませていて。

文字通りエージェントか何かのようである。

本当に、ぱぱっと会話して。

それからすぐにビルを出てくる。

現状報告というか。

何というか。

そんな感じだ。

少し困ったが、まずは何をやっているのかを確認。

それが有害なようならば警察に連絡する。

連絡方法についても、具体的に何をしているかを突き止めなければならないわけで。

今まで集めた音声データの中には。

残念ながら、何かを特定出来るようなワードは存在しなかった。

また、フィアンセ殿のSNSも確認しているが。

フットサルを休日にやっている事や。

その写真ばかりで。

見ていて極めて退屈だ。

案の定フォロワーもフットサルの愛好者だけの様子だが。

しかしながら、殺伐とした会話もないし。

比較的平和で。

これはこれで良いのかもしれない。

私がいつも見に行くSNSなんて。これに比べればマフィアが跋扈するスラムだ。

殺伐とした会話とやりとりが乱れ飛んでいるし。

私が今住んでいる家なんて。これ比べれば、猛獣が住まうジャングルだ。

母親とは名ばかりのモンスターが酒浸りになっている。

これくらいの方が良いだろう。

ただし、偽装の可能性もある。

フットサルの試合を休日に結構やっているようなので、様子を見に行く。まあフットサルは私も知識として持ってはいるし。たまたま近場の運動公園でやる様子だ。見に行くには良いだろう。

ただし、私を誘い出すための罠の可能性もある。

様子を確認するのは。

近くのビルに住んでいる知り合いに部屋を貸してもらい。

空き部屋の三階の窓から、双眼鏡で確認する。

スナイパーか何かくらい用心深いが。

今の仕事を今後本格的にやっていくとなると。

これくらいは必要だ。

私はもっと背も伸びる。

自衛力もつく。

そうなったら、出来る事も増えるし。

リソースだって増す。

この街を支配する頃には。

だから、ミスをする訳にはいかない。

勿論ケアレスミスはどうしても出てしまう。仕事の際にも、最初につけたアタリが外れる事は結構ある。

だからこそに。

大規模な躓きはしないように、備えすぎるほどに備えるのだ。

早速様子を確認。

フットサルの試合は普通にしている。

上手いプレイヤーの試合を見た後見ているから、かなりへたっぴに見えるが。

それでも身体能力はそこそこ。

スポーツマンはもてるという幻想があるが。

今の時代、体育会系思想が嫌われる傾向が出始めているため。

恐らく今後、スポーツマンの人口は減る。

実際問題、社会問題にまでなりはじめているので。

スポーツマンは肩身が狭くなるはず。

おかしな話だ。

昔はオタク趣味を持つと、それだけで人間扱いされなかったらしいのだが。

今度はスポーツがやり玉に挙げられるかも知れない。

そしてオタク狩りをしていたのは。

主にそのスポーツを趣味にしていた者達だ。

勢力が逆転し。

そして更に社会に問題が発生して。

立場が結果的に逆転した。

この辺りは。

私としても、将来研究してみたいなと思う。

しばらく双眼鏡で観察していたが。

明らかに単にフットサルをしているだけだ。

その間。私は幾つかチェックをしておく。

身体能力の測定。

更に試合運び。

こういった試合では、もろに個人の性格が出る。

それを見る限り。

フィアンセ殿は、それほど考えずに試合をしている様子だ。とてもではないが、冷徹な思考が必要とされる企業スパイとか、或いは非合法な行動に手を染めて平然としていられる根っからのサイコパスとか。

そういう類の人間には見えない。

ふむと鼻を鳴らすと。

メモを取る。

あいつは多分だけれども、何か変な趣味をしているとみた。

問題は、ヤクザが管理しているビルをほぼ公認で使っていると言うことだ。しかもあんな真っ暗な、幽霊の噂があるようなビルを。

しかも、接点が少ない婚約者にまで疑われる始末。

つまりこれは、余程の旨みがあるか。

よっぽど好きなのか。

それとも全てがフェイクで、偽装を完璧にしているつもりなのか。

いや、最後はおかしい。

実際問題、私にさえあっさり此処まで追跡されているほどだ。

日本の警察は不祥事も起こすが、一般犯罪では世界的に見ても非常に優秀な方で。恐らく何かしらの犯罪に関しての対応力から考えると、あの隙だらけのフィアンセ殿は、とっくに尻尾を捕まれていてもおかしくない。

ましてや資産家だ。

非合法な事なんぞしなくても。

最悪寝て暮らせるのである。

金がなんぼでも幾らでも欲しいとか。

そういう貪欲な性格なら、試合を見ていれば分かる。

あれは、多分。

何も考えていないだけだ。

そうなると、前提から崩して考える方が良いか。

しかし、何も考えていないと、そもそもどうしてヤクザに接点が出てくる。

試合を観察し終えた後。

仮説を立ててみる。

例のビルに関わっているヤクザが何者か、それを調べ上げる。結果はすぐに出た。不動産を調べれば、別に合法的かつ安全に結論が出る。

この辺りに跋扈している中規模のヤクザだが。

いわゆる広域指定暴力団の三次組織だ。

別にそんなんとやりあうつもりはない。

実際今連中はこの間私が老人どもに手を回して潰させた覚醒剤の売人の件で、警察にかなり絞り上げられている。

向こうとしても、これ以上トラブルを起こすつもりは無いだろう。

となると。

ヤクザとしても、それほど危険度が高いシノギをせず。

堅実に稼いでいる可能性が高い。

あくまで可能性が上がっただけだが。

ビルを出ると、自宅に戻る。

休日だが。

母は昼間っから、キッチンで酒を飲んで寝込んでいた。とうとういわゆるキッチンドリンカーになったか。

失笑すると、邪魔だからどける。呻くだけで、抵抗するほどの力も残していなかった。泥酔状態である。

真っ昼間からこれだ。

写真を撮っておく。

時間が分かるように。

真っ昼間から泥酔状態で、しかもキッチンで酒瓶。それも得体が知れない安酒を握りしめている母。服も着崩しているその醜態は、目を覆うばかりのものだったが。まあ完全に身を持ち崩すと、こんなものだろう。

父は何も言わない。

もう無駄だと考えているのか。

だとしたら正解だ。

「自分が正しい」「自分は常識に属している」と考えた人間の末路がこれだ。

結局の所そんな風に考える人間は、自分の感性で相手を「殺して良い」と考えるような輩で。

最終的には此奴のようになる。

子供は親を選べない。

此奴にされたことを私は忘れないし。

醜悪な行動に対しては、徹底的に報復する。

積み重ねは。幾らでもしておくべきだ。

とりあえずどかし終えて。

料理をするスペースを確保すると。

料理をし始めた。

父が陰気な目で此方を見ている。

私の事を恐れはじめている事が、何となく分かった。

別に構いやしない。

母を追い出した後。

親権さえ父に取らせればそれでいい。

後は最悪。

謀殺する手もある。

それなりの資産はあるのだ。

「まっとうな」仕事に就かなくても、一生暮らしていけるだけの金には出来る。

勿論現時点で其処までするつもりはないが。

料理を終える。

卵を使って、色々作っているのだが。

今日はオムレツだ。

チーズとミルクを入れて、ちょっと贅沢に仕上げている。

オムライスにすると更に大変だけれども。

まあ其処までする必要はないだろう。

ご飯は別に用意し。

二人分だけを出した。

今まで母は、私と父のために冷えたレトルト以下の飯を出していたのだ。母の分なんて、作る必要も意味もない。

「どうぞ」

「……」

父は無言で食べ始める。

勿論味見をして作っている。

流石にプロの味には遠く遠く及ばないが。

それでも母よりはもう上手いつもりだ。

というか。

母は自分用の飯はそれなりに手を入れて作っていたが。

料理をより上手く作ろうと、研鑽は一切しなかった。

私は違う。

料理を常に美味しく作ろうと、創意工夫を毎回している。

その結果。

腕も上がってきている。

父も文句を一言も言わない。

味付けについても、父が好むものは熟知している。

私自身についても。自分が好きな味付けに出来るように、調整をしている。

レシピを下手に弄るのは自殺行為だが。

私の技量なら。

別にそれくらいは大丈夫だ。

「大丈夫? まずくない?」

「いや、充分に美味しい」

「そう。 それは良かった」

「今日は何をしに外に行っていた」

フットサルの試合を見に、というと。

そうか、と応える。

写真を見せたので。

父は黙った。

遠隔で、ズームしてとった写真だ。人間の顔は分かりづらいようにしている。

「フットサルに興味があったのか」

「フットサルそのものには興味は無いけれどね。 体をどう動かすか、集団でどうやって戦術を行使するかには興味がある」

「そうか」

「どっちもあまり上手なチームじゃなかったから、正直参考にはならなかったけれどね」

食事を終える。

食洗機に食器をぶち込んで。

食事関連は終わり。

見苦しく泥酔して寝こけている母は。

豚の鳴き声のようないびきを、かき続けていた。

いわゆる千年の恋も冷めるような姿だが。

一度羞恥心を無くすと。

人間なんてこんなものだ。

さて、今日はまだ時間が結構ある。

さっさと部屋に立てこもると、解析と分析を続ける。

その結果、幾つか面白い事が分かってきた。

例のフィアンセ殿。

SNSを解析していった結果、どうやら希にちょっとした会話をしている相手がいるようなのである。

フットサル関係者では無い。

しかも鍵アカウントだ。

会話の内容はちょっと詳しくは分からないが。

専門用語で一言二言。

それだけである。

なるほど。

何となく見えてきた部分がある。

これはひょっとして、だが。

そもそも、極めてしょうもない結末が待っているかも知れない。

街の喧騒に紛れて聞こえなかったが。

ある音を常に拾っていたのを、私は確認。

その音は。

恐らくだが。

分析を進めて。

そして、間もなく。

確信に至った。

 

3、隠れ隠れて

 

ふらりと姿を見せた私を見て。

ぎょっとした様子で、二宮杏のフィアンセ殿は、足を止めた。

黄色のパーカー。

まったく物怖じする様子の無い姿。

或いは、噂を聞いているのかも知れない。

私の事は都市伝説になっている事を、自身で既に確認している。黄色いパーカーを被った謎の子供が。街を徘徊し。

悪さをしている子供を、喰ってしまうとか。

それは幽霊で。

一度魅入られると、取り憑かれ殺されるとか。

何がどうしてか、この都市伝説。

私のいる街では無く。

隣の県で拡がっているらしい。

伝言ゲームの結果、私がばらまいた畏怖が変な風に拡散したのだろう事は想像がつくけれど。

それにしても人間の伝言ゲームというのは、滑稽というか妙というか。

まあ兎に角。

私を見て、フィアンセ殿は。

世間一般で、昔スポーツマンに期待されていた落ち着いた様子も見せず。困惑した。明らかに私が。

相手を通せんぼしているのが確実だったからだ。

しかも今は薄ら暗い夕方。

例のビルの近くである。

電車代を奮発して。

わざわざ来たのだ。

ついでに早めに来て、盗聴器の類も回収し終えた。

証拠品を残しておいても面倒だし。

結論は出たからだ。

「月島博さんですね」

「っ!」

「なんで知っているのか、という顔ですけれど。 この街で、私が知らない事なんて、何も無いんですよ」

「ひ……」

明らかに相手が気圧されているのが分かる。

小学生相手に、大人が何をびびっているのか。

まあこの状況だ。

相手は狐狸の類と勘違いしてもおかしくないし。

もしも都市伝説を聞いていて。

しかもそれを真に受けていたりしたら。

恐怖を覚えるかも知れない。

勝手に覚えれば良いが。

私の知った事では無いし。

恐怖で相手を支配できるなら、兎に角簡単で良い。恨みを買う事も多いから、それには気を付けなければならないが。

「月あたり残業も40時間を越えていて、休日出勤もある。 好きなフットサルも毎週出来るわけではない。 それだというのに、此処へは熱心に通っている。 不思議な行動ですね」

「な、なんでそんな事を知っている」

「だから言ったでしょう。 何でも知っているってね。 何なら貴方が今はいているパンツが、シルクの高級なブリーフだって事もね」

完全に逃げ腰になるフィアンセ殿。

情けない。

私が二宮杏だったら、この時点で見切りをつけているところだ。

ちなみにどうして此奴がブリーフ愛好家で、しかもシルクかというのは。

此奴の人間関係を調べているうちに分かった。

まあそれは良いとして。

話を進める。

「なんでこそこそ其処の廃ビルで、わざわざソシャゲなんてやってるんですか。 それもチームメイトと連絡するための携帯まで使って」

「……!!」

「今時ソシャゲは手軽に出来るゲームの見本でしょう。 どうしてこんな隠れるようにして?」

「ど、どうしてそんな事まで分かるんだっ!」

まだ社会人になって日が浅いだろう婚約者殿は。

ついに恐怖に耐えられなくなったのか。

完全に腰砕けになった。

顔には恐怖を浮かべ。

私のドブより濁った目から視線を外せないでいる。

その恐怖が伝わってきて。

心地よい。

ただし、恐怖を楽しむ趣味も。

相手を悪意によって破滅させるつもりもない。

勿論うちの毒親のようなのは破滅させるが。

此奴はただ趣味をしていただけだ。

そう。

此奴の謎の行動は。

ソシャゲをやるためだけ。

定期の途中で降りられる駅。

しかも実家と関係があるヤクザの管理している廃ビルで。

誰にも知られないように。

遠くの知り合いと。

チーム制で敵と戦うソシャゲをしていた。

ソシャゲについても、既に特定している。

わざわざスピーカーモードで会話していたのは。

それが一番タイムラグ無しで、チーム戦を進められるからである。

「ぽっぷんきゅーとですね、遊んでいるソシャゲは。 アカウントもすぐに特定出来ましたよ。 中堅所のそこそこ強いチームじゃないですか。 勝率も61パーセントと、この手のゲームにしては高い方だ」

「ど、どうして! どうして其処まで分かるんだ!」

「私には目がたくさんあるんですよ。 ああ、勘違いしないように言っておきますが、額に第三の目があるとか、そういうのじゃありませんよ。 私のコネは非常に広くて、たくさんの目が、常に彼方此方を見ている、と言うだけのことです」

完全に立ち尽くしている婚約者殿。

顎をしゃくって促す。

「チームメイトに連絡を。 今日のゲームプレイには参加できないと。 軽く話をさせて貰います」

「……」

「ブザー鳴らしましょうか?」

「わ、分かった、分かったよ!」

半狂乱になった婚約者殿は。

泣く泣く。

二つある携帯の内。

最低額で使える、ガラケーを使って。余程慌てたのか、スピーカーモードのまま、話し始めた。

 

スマホなどで遊べるソシャゲは、近年急激に台頭してきたゲームジャンルだ。ゲームハードは必要なく、電話として用いるスマホでそのまま遊べる上に。最近の高性能なスマホならば、最低限のゲームとして体裁も整えられる。

ガラケーの時代からも、廉価版のゲームとしかいいようのないゲームはかなり存在していたが。

スマホになってからは、独自のゲームハードが必要に無くなったこともあって、急激に普及。

ただし悪辣な集金システム、いわゆるガチャには問題も多く出て。

法改正まで行われた。

今では、電車の中で、サラリーマンがソシャゲをやっている姿も多く見られる。いわゆるオチもの系などのパズルゲームから。

純粋なRPG。

或いはアクションゲームやタワーディフェンスなど。

ソシャゲで遊べるようになったゲームは、相当数に達している。

その中で、どうしてこの婚約者殿が遊んでいるゲームを特定出来たかは。

極めて簡単な事だ。

今までに出てきたワードを抽出。

それらを使っているゲームプレイヤーを検索して特定。

そして、ゲームのシステムを調べて。

チーム制であること。

ある程度連携しないとチームでの勝利は難しい事。

一試合ごとの時間はそれほど掛からないこと。

更にもう幾つか必要だったのだが。

電子音などから、全ての状況証拠が揃った。

青ざめている婚約者殿は。

全てを認めた。

そして言う。

ちなみに、相手におごらせて。今コーヒーのチェーン店で話をしている。なお私はホットのブラックコーヒーだ。

クリームどばどば乗せている奴は、こういうときには必要ない。

相手に威圧を与えるためにも。

単純に子供らしくない飲み物が良いと判断したまでである。

「僕は資産家の息子で、うちの家族には敵も多い」

「そりゃあそうでしょうよ。 ヤクザと癒着しているくらいですしねえ」

「……その通りだよ。 それで、僕としても、自衛のために、ゲームをするのにも気を付けなければならなかったんだ。 電車の中でゲームをしていたら、この田舎だ。 誰に見られるかわかったものじゃ無いし。 家の中では何人かいる弟や親戚が、僕の地位を何時でも虎視眈々と狙っているしね」

そういうことか。

未だにゲームに対して差別的偏見まみれの視線を向けている家族がいて。

そいつらに弱みを見せるわけには行かなかった、という事か。

それでわざわざ。

ヤクザが抑えているこの廃ビルに入って。

高頻度で短時間だけ。

好きなゲームを楽しんでいた、と言う訳か。

しかもそのゲーム。

対戦形式のパズルゲームだが。

いわゆるポップ系の可愛いキャラクターが売りのゲームであり。

理解がない人間からしてみれば。

それこそ「オタクがやる」「気持ち悪いゲーム」以外の何物でもないだろう。

正直な話、そんな偏見を持つ方が恥ずかしいのだが。

そんな理屈は。

差別意識の持ち主には通じない。

「一緒にプレイしている人達も、フットサルで知り合ったんだ。 みんな気持ちが良い連中で、どす黒い実家の人間達とは違って。 会社も仕事がきついし、親には重役になる事が決められているから、周囲の視線も厳しいし。 ストレスを発散するために、時々遊んでいたんだよ」

「……念のために一部始終は録音していますので」

「僕を脅すのか」

「いいや。 共有情報にします」

なお、周囲の人間に知り合いがいない事は確認してから、小声で話している。

この会話は。

全部拾われていないはずだ。

盗聴器が無い事もきっちり確認済み。

もっとも、無作為に選んだ店だ。

私が敵側にいたとしても。

盗聴器を仕掛ける余裕なんて無かっただろうが。

「まず先に言っておきましょう。 貴方の不審行動、とっくにばれています」

「!」

「私はある人から連絡を受けて、貴方がおかしな事をしているから、調べて欲しいと言われて調査しました。 大人の探偵を雇うわけには行かなかったようでね。 もっとも、私にさえ突き止められるくらいです。 貴方の実家の人間がプロの探偵を雇ったら、あっという間に発覚しますよ」

「そ、そんな」

溜息が出る。

結局の所。

此奴は試合を見ていて判断したとおりの人間だった。

単純な頭の良くない男だった。

だから慎重になろうとして、却って目立つ行為を取ってしまった。

恐らくだが。

家督相続について目を光らせている他の兄弟や親戚達も、既に怪しみ始めているはずだ。

接点が少ない婚約者でさえ。

不審に思い始めているのだから。

「ゲームの遊び方については、考え直す方が良いでしょう。 ばれないように慎重になっているのは分かりますが、却って目立っています」

「で、でも。 あのゲームが無ければ、僕は爆発してしまう。 会社での仕事が、どれだけ悲惨かは、君だって聞いた事があるだろう」

「そんな事は分かっています。 それだったら、あるんじゃないですかね。 貴方の味方になってくれそうな人と、その家が」

「……」

絶句する婚約者殿。

まさかとは思うが。

私がそれを知らないとでも思ったか。

「今後は婚約者殿の所に顔を出して、其処でゲームをするのが良いのでは? いっそその場で、婚約者殿とチームを組んでもらって、一緒に遊ぶのもいい。 未成年に手を出すのが嫌なら、貴方はもう大人なのだから、自重も出来るでしょう。 それに貴方自身、婚約者殿を小便臭い子供くらいにしか見ていないのでは」

「……君は、本当に妖怪では無いのか」

「このくらい、プロの探偵ならもっとえげつなく調べてきますよ。 私はあくまで小学生です。 頭が多少他よりは良いですがね」

「分かった。 実際問題、実家からも婚約者を邪険にしているのでは無いかとか、邪推されていたんだ。 今後は君の言う通りにするよ」

レコーダーをもう一度見せる。

そして、念を押す。

「私がコネを持っている権力は、貴方が思っているより大きいですよ。 もしも私に不利益な事が起こるようなら。 弱みをついて貴方の実家を叩き潰します。 それをよく覚えておいてください」

「君みたいな怖い人間を敵に回そうなんて思わないよ」

「……そうそう。 フットサルですが、もう少し前に出た方が良いでしょう。 ちょっと控えめに動きすぎだと思いますので」

もう言葉も無い様子で。

青ざめた婚約者殿は俯いた。

そして、料金を二人分払うと。

店を出て。

その場で左右に別れた。

駅で電車に乗り。

自宅に戻る途中。

近くの人気がない公園に寄る。

とはいっても、ライトは照らされているし。

周囲には知人の家もある。

何かあった場合はブザーを鳴らすだけだ。

軽くメールを打つ。

二宮杏にだ。

「事件解決」

「えっ!? 本当!」

「本当だ。 近いうちに、婚約者殿が其方に行くはずだ。 詳しいことは婚約者殿と話して欲しい」

「わ、わかり……ました」

それだけでメールのやりとりは終わり。

私は鼻を鳴らすと。

自宅に戻る。

母はいなくなっていた。

起きだしてから、またどっかに酒を飲みに行ったらしい。多分私の顔を見るのも嫌なのだろう。

まあ彼奴は。

そういう奴だ。

今更何とも思わないし。このままだと醜態を更に重ねてくれる。

叩き潰すのは。

完全な問題行動を起こして。

警察沙汰になった、そのタイミングだ。

父は休日を楽しむ余裕も無いらしく。

むしろ母が帰ってきたのでは無く。

私が帰ってきたのを見て。

ほっとしたようだった。

「帰ったのか」

「夕飯作る」

「……すまないな」

「別に構わない」

その内、収入を得るために稼ぐつもりでもいる。

その時を考えると。

早めに自炊くらいは出来ないと話にならない。

材料は冷蔵庫にある。

賞味期限を見ながら、すぐに料理をしていく。

レシピは殆ど頭に叩き込んであるから、それを使った料理をその場で組み立てていけるけれど。

そういえば、あの敢えてまずく作った料理は何なのだろう。

彼奴は嫌がらせのためにそれをやっていたことは分かっているのだけれど。

冷めている、というだけでは。

あの味付けのひどさは説明できない。

しかも自分用にはまともな料理を作っていた。

どうやっていた。

ちょっと調べて見るか。

いずれにしても、虐待のために手の込んだことをやってくれたものである。

そして彼奴がやっていたことは。

現在社会では、「常識」であるため、「誰もが」やる可能性が高い、事も意味をしていると言える。

「キモイ相手には何をしても良い」

「キモイ相手の尊厳も人権も否定するのが当然」

それが現在社会における常識なのだ。

いずれ彼奴と同じ手合いには、嫌と言うほど遭遇する。

つまり、彼奴のような手合いを徹底的に叩き潰すには。

知らなければならない。

そしてその邪悪さを。

根元から理解しなければならないのだ。

夕食を作り終える。

今日はドリアだ。

野菜もふんだんに入れている。

話によると、これは日本人がアレンジした料理らしく、海外には存在しないそうだ。日本人の口に合うのも、それは日本人が作ったからである。実際問題、普通のグラタンよりも食べていて美味しいし。お得感もある。ただ、ちょっと個人で作るのはコツがいるのだが。

父も満足そうにしていた。

ずっといつも無表情だった夕食時だが。

あれがいなくなってから。

父は少しだけ、嬉しそうな表情を見せるようになっていた。

「うまい」

「そう。 良かった」

「シロ」

「何?」

父も私を最近はシロと呼ぶようになっていた。

姫島が私をシロと呼んでいるのを見てからだ。

それでいいと私は思うし。

むしろその呼び方は。

大歓迎である。

「母さんを嫌うのはもう仕方が無い。 すっかりおかしくなってしまっているのは、俺から見ても明らかだ」

「そう? アレが「常識人」を自称する輩の平均でしょう」

「確かに今、常識人を自称する人間にろくな奴がいないのは俺も実感はしている。 お前が言う通りだ。 だが、あれにも昔は良い所もあったんだ」

「その良い所は、私に何一つ向けられなかったね」

黙る父。

その通りだ。

育児放棄をする動物はそれなりにいる。

ウサギなども、育児放棄をするケースがあるし。

ストレスで狂う動物は珍しくない。

なんと蜂なども。

ストレスが原因で、女王が幼虫や蛹を惨殺して回るケースがある。

そういうものだ。

だが、動物がやっているから、人間もやって良いというのは。

理屈としては破綻している。

動物がやらないことをやっているから。

人間は文明を構築してきた。

ほ乳類という生物種は。

そもそも子供を手篤く保護することによって発展してきた種族で。

人間は子供だけでは無く、老人をも保護することによって。

知識と技術の継承を効率的に行い。

他の生物とは違う、圧倒的な力を手に入れる事に成功したのだ。

弱肉強食理論を持ち出すのは。

それこそ既得権益の正当化に過ぎず。

そんな理屈を持ち出した時点で。

人間の強みを捨ててしまっていると言える。

実際国が乱れたときか。

国が乱れる前にしか。

そんな理屈は意味を持たないし。

そんな理屈がまかり通っているときは。

何もかもが荒廃している。

歴史をほんのちょっとでも調べて見れば分かる事だ。

動物だからやっていい。

そんな理屈は。

自分は人間であることを放棄して、動物と同レベルになります。

そう宣言しているのと同じ。

だったら裸になってジャングルに行き、素手で暮らせ。

そう言いたくなる。

というか。父には。

それを丁寧に。

順番に説明していく。

私は怒りを覚えている。

身勝手極まりない理屈で。挙げ句の果てに、人類が掴み取った弱肉強食からの逸脱という強みを放り捨て。そして自分の醜い感覚を正当化し。

虐待を正当化し。

そして暴虐をも正当化する。

人間はそういう生物かといえばノーだ。

少なくともそういう生物だといいたいのなら。

裸でジャングルにいけ。

それが私の応えだ。

其処で生き延びたのなら。

人間は動物で。

そういう生物だと自称すれば良いのだろう。

もちろんそんな事をして生き延びられるわけもないが。

「分かった。 お前の言う事も正論だ」

「だったらどうしてあれの擁護をするの。 まさか父さんまで、私がキモイから排除したい、とかいうんじゃないだろうね」

「それは……ない」

「そうだろうね。 むしろ父さんが私に覚えているのは恐怖だ」

ずばり指摘すると。

父は、青ざめる。

そして、私はもう一つ付け加えておく。

「私もいつまでも子供じゃない。 彼奴を刑務所なり精神病院の隔離病棟なりに放り込むのはもう決定事項だ。 父さんに関しては、虐待に荷担しなかったから、そのつもりはないけれど。 中学になる頃には、私は収入も自活手段も確保するつもり。 その時にもし状況が違っていたら。 私は取るべき行動を取るだけだよ」

「お、脅すつもりか」

「いいや、身を守るために必要なコトするだけ」

「……」

絶句する父だが。

しかし、もしも私が無力で。

頭も周囲と同じくらいしか無かったら。

為す術無く母に虐待を今も受け続け。

毎日泣きながら過ごして。

精神を病んだあげくに。

手首を切っていたかも知れない。

私は、身を守る力があった。

だからこそに。

今、身を守っている。

それに対して後ろめたい思いを抱いたことは無いし。

異物として、「キモイから」という理由だけで虐待を正当化し。それが弾き返された事で狂気に落ちたあの毒親を叩き潰す事に何ら感傷もない。

死んだところで。

何とも思わない。

「覚えておいて。 私はこの小さな田舎街を支配する。 それは私が生き延びるために、必要だから。 それだけだよ」

「……分かった」

「邪魔になるようなら。 誰であろうと消す」

「……」

父はもう。

それ以上は。

何も言わなかった。

食事を終えて、自室に戻る。

PCをつけようとしたら。

家においているスマホが鳴る。

メールが着信したのだ。

二宮杏からだった。

「婚約者が家に来たよ」

「それで」

「色々と話してくれた。 浮気も何も、恋人を作る時間がそもそもないし、おかしな行動についても他に口外しないならって約束で真相を話してくれた」

「それは良かった」

二宮杏は。

どうやらゲームには理解があったらしい。

婚約者の苦悩についても、理解は出来たようだった。

田舎では。

未だにサブカルチャーと呼ばれるものに対する偏見が、都会以上に根強い。

それは真実で。

どう考えても理不尽なものだ。

勿論都会にだって偏見は残っているし。

近年でもSNS等で、偏見と差別が垂れ流されている。

だが、若い世代は。

むしろその偏見と差別に憤りを覚えている層もいる。

勿論そうではなく。

垂れ流されている偏見と差別を鵜呑みにして。

オタクはレイプを平気でするとか。

そういう発言をしている者もいる。

だが、二宮杏は違った。

そういう事だ。

「婚約者については、あまり良い思いが無かったのだけれど、ようやく一つ秘密を共有できて、少しだけ距離が近くなった気がする。 ありがとう」

「それならば事件は解決、と判断して構わないか」

「うん。 ゲームをするべき部屋として、うちを提供するつもり」

「それがいいだろう。 如何に関係が深いとは言え、ヤクザなんかを利用するのは良い事とは言えない」

それから、報酬についての話をして。

メールでのやりとりを終える。

嘆息すると。

私はベットに転がった。

さて、報酬は何が貰えるのか。

それよりも、また高校生の依頼を解決し。

更に大人の金持ちに大きな貸しを作ったのは大きい。

私が成人する頃には。

もっともっと。

広く広く。

コネを拡げておきたいものだ。

 

4、洞窟

 

以前会った公園で、二宮杏と会う。

あの後、婚約者殿と話し合いをしたらしく。

正式に交際をすること。

高校を出て成人するまでは性行為はしないこと。

それを話しあったそうだ。

勿論性行為云々についてはぼかして話していたが。

私にもすぐに分かったので、何も言わない。

ふうんと私は思ったが。

まあしっかり話しあった上で。

許嫁が、しっかりそういった行動を取って。

節度を守った行動をするのは、良い事だろう。

感覚だけで相手の人権を否定し。

殺す事まで正当化するうちの母とは偉い違いだ。遙かに理性的だとも言えるし。

それに、秘密を共有したことで。

ようやく互いに理解を深めることが出来たのだろう。

それもまた、良い事だと私は思う。

「それで、これ報酬」

「ふむ」

受け取ったそれは。

パズルだった。

自分で作るパズルキットが存在するらしいのだけれど。

それを利用して作ったもの、らしい。

軽く触ってみたが。

案外面白い。

幾らか動かしてみて。

充分に満足した。

全部白く塗られているのも。

これはこれで、難易度を上げるのに貢献している。

私が満足しているのを見て、二宮杏も安心したようだった。

「それにしても、シロちゃん、貴方本当に小学生? 婚約者が言っていたけれど、プロの探偵もびっくりの手腕で真相に辿り着かれたって」

「プロの探偵なら、私よりも取る事が出来る手段も多いし、リソースも費やせる。 私は子供だから、出来る事には限りがある。 だから工夫をしているだけだよ」

「その辺りが小学生とは思えないんだけれど」

「決して幸運な状況でこんな風になったわけじゃない。 後、もしもゲームに偏見を持っているようだったら、荒療治も必要だろうと考えていた」

口をつぐんで固まる杏。

私の目が濁りきっていて。

そして声もドス低い事に気付いたからだろう。

私は凶暴な魔物。

そう思われていた方が良いし。

親近感を持たれるよりは。

畏怖を覚えられる方が好ましい。

報酬を受け取ると、それで別れる。

コネは確実に拡がっている。

私の事をおもしろがっている姫島のような例外もいるが。

むしろ恐怖で支配する方が効率的な事を私は学習している。だが、その恐怖は理不尽であってはならない。

理不尽による恐怖は。

必ず非論理的な暴発を産む。

実際そうやって恐怖を利用してきた輩は。

例外なく滅亡してきた。

一度秘密基地に寄り。

それから家に帰る。

家には。

母が先に帰ってきて。

父に対して、わめき散らしていた。

「金寄越せよオラァ!」

「今月分の小遣いは渡した。 それも五割増しでだ」

「誰のおかげで生活できて……」

「そもそも俺の金だ! 金が欲しければ稼げ! だいたいお前がいつ生活のためになる事をした! 小学生に家事をさせ、俺とシロにレトルト以下の食事を出し、家事を一切放棄して遊びほうけているくせに!」

瞬間沸騰した泥酔した母が。

酒瓶で父を殴りかかろうとするが。

その瞬間をばっちり録画する。

父も泥酔した母に殴られるほど優しくは無いらしく、腕を掴んで押さえ。酒瓶は床に落ちて、がちゃんと派手な音を立てて割れた。

ギャーギャー。

母が発狂して喚く。

もう人間の声じゃない。

周囲の家にも聞こえているだろう。

だが、それでも母はわめき続け。

不意に、糸が切れたように眠り始めた。

もうこれは。

完全に駄目だろう。

ついに父も。

完全に愛想が尽きたらしかった。

「シロ、病院に電話。 これはもう手に負えない」

「アルコール依存症で連絡するよ」

「ああ」

電話をする。

病院の受付は、かなりしぶい顔を電話口でしたようだった。

「まずは警察に状況を話してから、ですね」

「分かりました。 そうします」

たらい回しか。

まあ家庭の事情とか問題とか。

面倒な事も関わってくる。

病院としても。

色々関わり合いにはなりたくないのだろう。

警察が来て。

暴れている動画などの証拠を全て提出する。

そうすると。

向こうも、母の顔を見て。

とうとうか、という表情を浮かべた。

それはそうだろう。

母がこの近辺の居酒屋で、オール出禁を食らったのは知っている。出禁が10件を越えた頃に。

ブラックリストに乗ったらしく。

全ての店が、母の入店を拒否するようになった。

その結果。母は店先で暴れ。

通報され駆けつけた警察につまみ出された。

その後も、数時間警察署で喚き続けていたらしく。

父が警察署に行って、小言を聞かされたらしい。

そして場合によっては。

逮捕することになるとも。

今回は暴行未遂。

家裁かなと警官は言っていたが。

私が満を持して集めておいた虐待の証拠を根こそぎ提出すると。

完全に真顔になった。

「これは、いつから」

「記録をつけ始めたのは二年前からです。 でも、私に対する虐待は、物心がついた頃には始まっていました」

そうして。

痣などの写真も見せる。

残しておいたものだ。

最近は攻撃を食らうことも無くなったから。

痣はないが。

更に、父と私だけに冷えたレトルト以下のメシを出していた事。

私に対して日常的にネグレクトを行っていたこと。

もう最近は、家事は全部私がしていた事を告げると。

警察は児相などに連絡を始めた。

証拠品も提出する。

凄い量だ。

「これは民事では無く、刑事事件になりますがよろしいですか」

「構いません」

「離婚を前提にしておいた方がよろしいでしょう。 手続きなどについては、市役所に問い合わせてください」

「分かっています」

母方の実家にも。

連絡は既に入れている。

向こうでも、母の狂態については既に知っていたらしく。向こうで祖父母は涙を流しているようだった。

だが、自業自得だ。

それに泣きたいのはこっちの方だ。

反吐が出る身勝手な理由でずっと虐待を行われてきた。

私には復讐をする権利がある。

だが、逮捕で復讐を終わらせるつもりはない。

これは復讐の第一歩。

徹底的に。

これから今までされたことを、十倍増しにして返してやる。

プランも既に立案してある。

さあ、地獄を見せてやる。

まず酒から冷めたとき。

自分が逮捕されたと知って。

あれが狂乱し、暴れるのが目に浮かぶようだ。

その後、警察側でも相当に此奴はヤバイと判断するだろう。

そして、膨大な証拠品が。

奴に情状酌量の余地が無い事を示す。

昔は母性信仰という謎の風習があって。

児童虐待をした母親が、それによって謎の減刑をされる判例があったようだが。

それも此処まで証拠が揃っていると。

もはやどうしようもないだろう。

舌なめずり。

警察が証拠品類を押収して帰った後。

私は部屋に戻る。

そして声を殺して嗤った。

鏡を見る。

私の目は、以前からドブのように濁りきっていたが。

今やその目は。

人の物とは思えなかった。

 

(続)