盆栽の落葉

 

序、唐突の始まり

 

あくびが出る。

ここ一週間ほど仕事がない。

この間発売された携帯機のゲームをプレイしていたのだが。エンドコンテンツまで攻略し終えて、やる事がなくなってしまった。

エンドコンテンツを突破すると、途端に気力が失せる事もあり。

私は大あくびをしながら、ベットに転がる。

レベルも限界まで上げたし。

最強のボスも倒した。

攻略本なんて今時いらない。

ネットで全て検索できる。最新作を最速攻略でもしていない限り、メジャーなゲームなら勝手にwikiが作られているのが普通だ。厄介なのはメジャーではないゲームで、そういうのに限ってバグがあったりするので面倒くさい。

いずれにしても、今私がやっていたゲームには。

そういうのは無かったし。

今やりきってしまった。

横になってゴロゴロしていると。

姫島がくる。

「シロー。 ダラダラしてるー?」

「見ての通りだ」

「そっか。 じゃあ丁度良いね」

仕事か。

秘密基地まで遊びに来ることも多い姫島だが。此奴もこの間、同じゲームをエンドコンテンツまでプレイしてしまったらしく。

もう飽きたと言っていた。

そうなると、仕事の話で来るのが普通だろう。

半身を起こして。

聞く姿勢に入る。

「今度の依頼相手は」

「山崎ゆうかちゃん。 6歳」

「幼稚園児か」

「うん」

腕組みする。

幼稚園児から依頼が来たケースはあまりない。

そもそも、親を嫌う云々以前の年代だし。

親に相談できない問題も滅多に起きないからだ。

虐待されていても。

それは同じ事。

昔の私もそうだったし。

覚えがある。

「どんな内容だ」

「おじいちゃんの盆栽が無くなったって」

「盆栽か」

言うまでも無く、老人の趣味としては定番だ。手間暇が掛かっている盆栽には、それこそ相当な値段がつく。

しかしながら、親に相談しないのは何故だ。

姫島は、それについても説明をしてくれる。

「まずおじいちゃんがかなりぼけちゃってるんだって。 それで盆栽がない、盆栽がないってふらふらしているらしいんだけれど」

「ふむ」

「親がおじいちゃんを嫌い抜いていて、探してあげようよって頼んでも、放っておけとしか言わないみたい」

「……厄介だな」

メールを出して。

早速周囲からの評判を聞いてみる。

山崎家の老人について、どんな人物だったか。周辺の人間の話をまず集めておきたいからである。

そうすると。

早速でるわでるわ。

あの偏屈爺。

それが最初の言葉ばかりだ。

「最近は呆けたらしいが、昔は近所に怒鳴り散らしていて、絶滅した雷親父の生き残りなんて言われていた」

「子供の頃、拳骨貰った。 何歳になってもおっそろしい爺さんで、遅くに出来た子供にも容赦無しで、よく家から泣き声が聞こえた」

これは色々面倒くさそうだ。

腰を上げると、依頼主に会いに行く。

姫島も。

おもしろがってついてきた。

途中で、更に話を聞く。

「それにしても、よくも幼稚園児からの依頼なんて来たな」

「この間の仕事で助けた松本さんちの妹さんいるでしょ。 それ経由で私に話が来たんだよ」

「へえ……」

「私には話しやすいみたいだね。 シロは何というか、見た目からして怖いから、相談はまず直接来ないでしょ」

それは意図的なものなのだが。

まあいい。

とにかく山を下りて。

目的の幼稚園に向かう。

大人が幼稚園に入ったりしたら問題だが。

私達は小学生だ。

別に幼稚園に入って、問題なんて起こるわけもない。

この辺りは土地が余っていることもあり。

住宅地から、幼稚園は少し離れた所にある。

住宅地の中に作ると、周囲からクレームがくるらしい。騒がしいだの何だの、と、である。

ちょっと寂しい道を行く。

送迎バスがギリギリ通れる道で、車二台がすれ違うのも難しい。

こんな場所にあったら。

何か事故があった場合、未来を担う子供達に取り返しがつかない事が起きるように思えるが。

それを何とも思わず。

「五月蠅いかどうか」がより優先される。

こういう馬鹿な事を大まじめに大人がやっているのが今の社会で。

常識そのものがもうどうしようもない所まで狂っているのは、私みたいな子供でも分かるのに。

誰もが常識こそ正しいと信じて疑わず。

どんどん泥沼に沈み込んでいる。

救いようが無い。

私が姿を見せると。

幼稚園児の一人が。

こっちにくる。

「シロお姉ちゃん?」

「そうだ」

「私、やまざきゆうか」

「知っている」

顎をしゃくって、場所を変える。

幼稚園の先生の一人が、こっちを見ていたが。

気にする事は無い。

私だって子供だ。

しかも性別も此奴と同じである。

「私に仕事を頼みたいと」

「うん。 でも、何だかよく分からなくて」

「ふむ?」

「盆栽、別に無くなったようには思えないの。 でもおじいちゃん、盆栽がないって、ずっと言っていて」

腕組みする。

単に呆けただけか。

だが、ボケが来ているとはいえ。そんな事を言い出すものなのだろうか。

両親は聞いたとおり。

知らんぷり。

「わたし、どうにかしてあげたいの。 でも、どうしていいか分からなくて」

「どんな盆栽が無くなったって言っているか分かるか」

「ええと、姫子」

「ふむ」

盆栽に名前をつけている、というわけか。

そういえば婿養子などで肩身が狭い人生を送っている人物が、盆栽に名前をつけて溺愛する、というケースがあると言う事を、何処かで聞いた事があるけれど。

しかしながら。

今こそ呆けているが。

ゆうかの祖父は雷親父として怖れられ。

傍若無人、傲慢不遜に振る舞ってきた人物だと聞いている。

そんな軟弱だろうか。

しかし呆けてくると、老人は弱くなる。

体の大きな子供になってしまうケースもあるけれど。

その一方で、今までには見せなかった弱みが露出して。

とても悲しそうに振る舞う場合もある。

これは、ゲートボールで老人に混じっているから分かる。

私は別に愛想が良いわけではないが。

それでも孫のような年の子供と接することが楽しくて仕方が無い老人は少なくない様子だし。

その中には、若い頃兎に角厳しくて。

周囲から怖れられていた人間もいる。

要するに。

老人になると、人間は優しくなる場合もある。

あくまで場合も「ある」、だが。

「分かった。 調べて見よう」

「ありがとう」

「それで、仕事でやる以上、きちんと報酬は貰う。 白い何かを作っておいてくれ。 白ければ何でも構わない」

頷くゆうか。

まあこれでいいだろう。

幼稚園から離れると、情報収集に入る。

まずは山崎家。

知人の老人に声を掛けて。その中で、山崎家と知り合いの人間を見繕う。そして一緒に足を運ぶ。

姫島は途中で抜けた。

老人の話を聞かされるのは面倒らしく。

いつのまにか、すっと姿を消した。

この辺りは何というか、姫島らしい。面白い事には興味津々だが、そうで無い事からはさっと逃げる。

タイミングを見極めるのが上手いのだろう。

そういう奴だ。

「山崎さんは、昔厳しくてなあ」

「知っています」

「自分にも厳しかったけれど、他人にはそれ以上厳しくて、子供達はいつも泣かされていたよ」

「聞いています」

老人は基本的に。

相手の話を聞いていないケースが目立つ。

それもあって。

話すのには根気が必要になる。

この辺りも姫島が面倒くさがる理由なのだろうが。

まあそれはいい。

山崎家に入る。

確かに盆栽がかなりの数あるが。

はて。

何だか若干あれているな。

盆栽は基本的に、手を掛ければ掛ける程美しくなると聞いているが。素人目から見ても、何だか雑に扱われているように見えるのだが。

ぼんやりと立ち尽くしているのが。

その山崎老人だろうか。

「山崎さんや」

「あー」

「お孫さんのお友達が来たぞ」

「うー」

ああ、確かに呆けているな。

すっかりしなびた老人が此方に振り返るが。

あまり元気そうには見えない。

目にも、光が宿っていなかった。

「盆栽が−、ないー」

「何の盆栽がないんですか?」

「全部ー」

これはひょっとして。

呆けているだけか。

一瞬そう思うが。

その割りには、ずっと盆栽を見つめているし。

何だか悲しそうにしている。

盆栽を見ていて、それでいながら大事な盆栽がないと言うのは。

何だか妙だ。

「大事な盆栽が全部無いんですか?」

「そうー」

「ふむ……」

ちょっと盆栽を詳しく確認する。

そうすると。

妙なことに気付いた。

木の棚に並べられているのだけれど。

盆栽を持ち上げてみると。

少し内側に。

埃がついていない綺麗な円が見えたのだ。

はて。

うーうー言いながら山崎老人が抗議するので、すぐに盆栽を戻す。これ、ひょっとすると。

呆けているのでは無くて。

本当かも知れない。

「無くなった盆栽は、幾つですか」

「ええと、一つ、二つ……」

「姫子もその中に?」

「うー。 うーあー」

頷く山崎老人。

ふむ。どうやらこれは、やはりただ呆けているだけでは無さそうだ。

子供夫婦らしいのが来て、山崎老人を連れて行く。出汁に使った近所の老人と歩きながら、軽く話す。

「いつくらいからあんな感じに?」

「去年の秋くらいからかのう」

「去年の秋……」

「正直、怒鳴り声とか聞こえなくなって、せいせいした部分もあるけれどなあ。 しかしあの壮健な山崎さんがと、みんな驚いたものだよ」

誰だって。

年老いる。

老人になれば。

何もかもが衰える。

老衰すれば、英雄だってただの呆け老人になる。

豊臣秀吉はそうして失敗した。

呆けて衰える事を知っていたから。

徳川家康はそれに備えていた。

私も、それくらいは知っている。あの山崎という老人も、ああ衰える前は、さぞや周囲を怖れさせていたのだろう。

だけれども、衰えてしまえば。

ああなってしまう。

人間とはそういうものだ。

私は今はまったく衰える可能性は無いけれど。

それでも、ああなってしまった老人を見ると。

少し悲しいなと感じてしまう。

自分だって、五十年後には。

ああなっても不思議では無いのだから。

付き添いの老人と別れると。

さて、どうするかと考える。

今回はちょっとばかり厄介だ。

確かに盆栽が動かされた痕があった。

だが、それだけで、盗まれたかどうかを判断するのは難しい。

ましてや見た感触で。

あの盆栽が、売り物になるほどすごいものなのかは、正直分からないとしか、言いようが無い。

ちょっとまず盆栽を調べるところから始めなければならないだろう。

どういった盆栽が売り物になるのか。

まずは其処からだ。

「少しばかり今回は面倒だな……」

私はぼやく。

依頼人はまだ読み書きも出来ない幼稚園児。

事件の当事者は老人。

ボケが進んでもいる。

私は、どこからアプローチして良いものか。

かなり悩まざるを得なかった。

 

1、虚実の果て

 

まず最初に、盆栽について軽く調べる。

やはりというかなんというか。

かなり手間暇の掛かる趣味だ。

剪定から水やり。

様々な要素を経て。

鉢植えの小さな木を。

芸術にまで育てていく。

本当に美しい盆栽は、確かに一目でこれは凄いと分かるのだけれども。ざっとコンクールなどを見た感触では。

山崎老人の名前は見当たらない。

つまりコンクールなどに出したことは無く。

出したとしても賞を取ったことも無い。

恐らくは、だが。

完全に趣味としてやっていて。

賞などには興味が無かったタイプなのではあるまいか。

軽くメールを回して話を聞いてみるが。

雷親父時代、山崎老人が盆栽についてどんな話をしていたか、分かる人がいないか確認する。

該当が三件。

いずれもが、賞なんぞ興味も無い。

そう言っていた、というもので。

内容は一致していた。

なるほど。

そうなると、山崎老人は。

実際に、本当に好きな事を好きなようにやっていた、という事か。

ただ、あの荒れた盆栽を見る限り。

ボケ始めてからは、手をつけなくなった、と言うのが事実なのだろう。

いずれにしてもだ。

単に配置換えをされた可能性もある。

そして、更に言うならば。

盆栽を用意してすり替えるなんて事をわざわざするのも、非常に面倒くさい話である。

如何に嫌っていると言っても。

其処までやるか。

ちょっと調べて見るが。

盆栽に使う道具類は、いずれも結構なお値段がつく。

それを考慮すると。

嫌がらせのためだけに、複数の盆栽を買い換える、なんて事は。家族だってやりたくないはずだ。

そうなると、何が起きた。

単に善意で掃除とかをして。

その時に位置を入れ替えた結果、老人が認識出来なくなった可能性は。

しかし、姫子がいないと老人は言っていた。

それだけ大事にしていた盆栽があった、というわけで。

如何に位置が変わったと言っても。

呆けただけで、認識出来なくなるだろうか。

いや、ボケは侮れない。

そうなっても不思議では無い。

少し考えてから。

ゆうかに連絡を入れる。

メールでのやりとりだが。

一応、ゆうかはやりとり出来た。

まあ無理なようなら、会いに行くつもりだったが。

手間が省けて有り難い。

「おじいちゃんから姫子って名前を最初に聞いたのはいつ?」

「ずっとむかしからそう言ってたよ」

「一番最初に聞いたのはいつか覚えてる?」

「幼稚園に入ったときには」

待て。

それが本当だとすると。

山崎老人は、溺愛している孫娘には。

姫子という名前を教えていた、という事になる。

本当かどうか証拠が欲しいと思ったが。

そうしたら、添付メールで送ってきた。

意外に機械を使いこなせているものだ。

その添付メールには、まだ頭が呆けていない頃の山崎老人の、厳しそうな文字が躍っていた。

「姫子が肥料を欲しがっているから、あのバカ息子どもに買ってくるようにお前から言いなさい」

ふむ。

孫娘にこんな言葉を言っているという事は。

姫子という名前は、恐らく子供夫婦も知っていたはずだ。

そしてこのメール。

やりとりが為されたのは、一年半以上前。

確かにゆうかが言う事は嘘では無いと見て良さそうだ。

そんな大事な盆栽。

無くしたことを忘れるか。

忘れたのだとしたら。

ボケが急激に進行したという事か。

私は自室でしばらく考え込んでいたが。

色々それにはおかしいと結論を出した。

あの動かした痕。

老人がやったのなら。

どうしてあんな偽装めいた真似をする。

老人が演技をしている可能性も考えたが。

それをする意味が分からない。

ましてやゆうかは。

まだ幼い。

親を憎むという発想も思いつかないだろうし。

本当におじいちゃんを心配して、私に依頼をしてきたと見て良い。

高校生くらいになると。

私を試したり。

馬鹿にする目的で。

依頼をしてくるケースがあるのだけれど。

そういう場合は、フェイクだと即座に見抜いて。相手を徹底的に叩き潰してきた。

だから私は怖れられたし。

今でも噂は畏怖に満ちている。

しかしながら、相手は幼稚園児。

そしてその家庭は。

ぐちゃぐちゃ。

さて、これは困ったな。

自宅のベットの居心地が悪い。秘密基地で考える方が、はかどるかも知れない。そう思ったが。

何だか、億劫で。

動く気になれなかった。

母親は相変わらずレトルト以下のメシを出してくるし。

父親はそれに構わず黙り。

冷え切っている夫婦仲は。

端から見ても明らかだ。

いっそ離婚してくれればいいのだけれども。

母親がいやがるだろう。

土地などの権利は父親が持っている。

軽く一財産である。

そもそも夫婦の不仲の原因は私にある。

母親が私を理解出来ないモンスターとして認識して。

それが原因で、色々な事をやり始めて。

ネグレクトもそれに含まれた。

もしも離婚するという話になったら。

私は躊躇無く児童相談所に、ネグレクトについて話をするつもりだ。

勿論普通に児童相談所に連絡しても、相手にもされないのは分かっている。どうやったら奴らを動かすか。

既に研究はしてある。

むしろ願ったりで。

私に対して虐待をしたあげく。

それで夫婦仲が悪くなり。

離婚したりだとか。

或いは養子として追い払おうだとかしたら。

即座に社会的に抹殺してやる。

私が独立するまでは。

精々部屋の維持にだけは利用させて貰う。

頭が少しばかり痛い。

風邪を引いたかなと思ったが。

ちょっとばかり違う。

どうも飴の補給が足りていないらしい。

舌打ちすると、飴を咥え直して。

仕事に戻る。

情報を総合する限り。

妙な違和感はあるが。

根本から何か間違えているような感触は無い。

つまり、今あるデータで解決できるのではないかと、勘が告げているのだ。

私の勘はこれでもかなり当たる。

勿論その勘を根拠にする訳にはいかないし。

何かしらの決定的な証拠は必要になるが。

しかし、それはそれだ。

実際、今までの仕事でも、迷宮入りになった場合。この勘が何か根本的な所からおかしい、と告げてきていたし。

今回はだんまりな事から考えても。

どうやら、身近な事と考えて良いかもしれない。

ゆうかにメール。

まだ起きていた。

「まだ何かあるの?」

「姫子の写真は残っている?」

「ええとね。 あったと思う」

少ししてから。

メールが来る。

添付ファイルを開いてみると。

まだ背筋がしっかり伸びている山崎老人が。自慢げに立っていて。

その隣には。

盆栽があった。

はて。

この盆栽。

あの場所に無かったか。

しかし、何処か違和感がある。

しばし記憶と照合して。十分ほどして、思い出す。

思わず、あっと声が出ていた。

植木鉢だ。

植木鉢が違っている。

 

翌朝。

ゆうかの家に出向く。

ゆうかが出迎えてくれたので、姫子を見に行くと。

やはり姫子そのものはきちんとある。

問題なのは、やはり植木鉢だ。

一回り小さくなっている。

これはひょっとすると。

呆けてしまった山崎老人は。

小さくなった植木鉢が認識出来ず。

違う鉢植えとして考えてしまったのか。

いや、まて。

それはちょっとばかり短絡的に過ぎるのではあるまいか。

相変わらずフラフラしている山崎老人。

呼び止めて、話を聞いてみる。

「姫子はこれですか?」

「違うー」

「植木鉢は違っていますが、前の写真を見る限り、姫子は変わっていませんよ」

「あー」

妙だ。

何か違和感がある。

根本的には間違っていない。

多分この盆栽は姫子だ。

かなり荒れているが。

それでも枝の伸び方などから考えて、間違いない。

そうなると、前の植木鉢はどこに行った。

もとより小さな植木鉢に押し込めるなんて真似。

盆栽にするのは、色々とおかしい。

根が傷むだろうし。

少なくともやったのは。

この山崎老人ではないだろう。

「これが姫子では無いと思うのは、なんでですか」

「苦しそう」

「……」

「姫子、喜んでいたはず。 苦しそうにしている」

喜んでいた、か。

植物にある程度感情じみたものがある、という俗説は聞いた事があるが。それはオカルトの域を超えていなかったはずだ。

かといって、ずっと盆栽をしていた老人の言葉だ。

聞き流すのも良手だとは思えない。

子供夫婦が来て。

山崎老人を連れて行く。

黄色のパーカーの私が、ゆうかと話しているのをみて。

心底嫌そうな顔をしていた。

「ゆうか、お菓子の時間」

「わたしシロお姉ちゃんと話したい」

「お菓子だって言ってるでしょ!」

いきなりヒステリックな声。

私がすっと視線を向けると。

怒鳴れば黙るだろうと思っていた山崎老人の娘。つまりゆうかの母親は。

ひっと小さな声を上げて押し黙った。

私の噂は聞いているはずだ。

得体が知れない子供。

妖怪の類かも知れないなどと言う噂まであるという。

まあアレだ。

いわゆるオタクを、妖怪か何かのように考えて、人間扱いしない連中だ。常識人などというのは、その程度の存在である。

得体が知れない相手を見て。

バケモノ扱いするのは。

むしろ普通の反応だと言える。

だから何とも思わない。

「ゆうかちゃんが嫌がっていますが」

「……」

「お母さん、いたい!」

「お菓子だから早く来なさい!」

吐き捨てると、ゆうかの手を離し、逃げて戻っていった。

知っている筈だ。

私が老人どもに大きなコネを持っているくらいは。

この田舎街で。

老人どもを敵に廻す事が、何を意味しているかも。

実際、周囲の老人達と親しく話しているのを、あのおばさんも見ている筈で。それならば、強くは出られない。

それにしても、結局は似たものなのだろうか。

あの荒れる様子。

雷親父呼ばわりされていた山崎老人も、あんな感じだったのではないだろうか。

「ありがとう」

「気にするな。 いつもあんななのか」

「ううん。 でも、機嫌が悪いと、ぶたれるの」

「まあそれくらいならな……」

私の場合は。

その程度では済まなかった。

子供に拳骨くらいは、まあ何処の親でもやるだろう。

ネグレクトまで行くと、流石に通報が必要になるが。

それにしても、だ。

あの親の様子。

何か隠していると見て良さそうだ。

連れて行かれる前に観察していたが。

ぼんやりしている様子の山崎老人は。

私の言葉にもまともに反応している様子が無く。ずっと突っ立って、盆栽達を見ていた。

その目はブラックホールのようで。

目の前にあるものさえ。

見えていないように私を錯覚させた。

 

姫島から連絡が来る。

進展はどうだ、というのである。

おもしろがっているのは明らかだが。

私としても、進捗については、仲間内には回すようにしているのだ。

だから、催促を受けたと判断し。

メールを回す。

「現在調査中だが、不審な点がいくつか見受けられる。 まず姫子と呼ばれている盆栽はその場に存在している。 偽物とすり替えられた形跡は無い。 しかしながら、どういうわけか植木鉢がすり替わっている」

「何それ」

「調査中だが、山崎老人は恐らく、植木鉢を見て、姫子ではないと盆栽について判断している可能性が高いな」

かといって。

どうしてそんな事をしているのかが謎だ。

それに、気になることはまだある。

ゆうかと話している時の。

あの親の慌てよう。

あれが犯人だとみて良さそうだが。

そうなると、私の噂を知っていて。

それで動揺していた可能性が高い。

ゆうかにメールを入れてみる。

向こうは、きちんと返事をしてきた。

「あれから何かされなかったか。 ぶたれたりとか怒鳴られたりとか」

「大丈夫。 おかあさん時々おかしくなるけれど、そんなことはされなかったよ。 でも、おじいちゃんは雨が降り出したのにまた外に出て、わたしが家に戻そうとしたら、少し暴れたけど」

「暴れた?」

「姫子は何処だ、姫子がいないって」

なるほどね。

少しずつ、もやが晴れてきた感触がある。

そうなってくると、もう少し踏み込んだ調査が必要になるかも知れない。

問題なのは。

筋金入りの偏屈だった山崎老人に。

友人がいないことだ。

少なくとも現在。

存命で。

頭がはっきりしている友人は一人もいないとみて良い。

そうなってくると。

私が今考えている幾つかのケースの内。

ある一つを証明するのが困難になってくる。

さて、どうするか。

まあいい。

ゆうかと仲良くしている様子を周囲に見せておけば。

山崎家に上がり込むのも難しくなくなるだろう。

その時に。

チャンスがある筈だ。

メールでのやりとりを終えると、PCをつけて、軽くデータの調査をする。盆栽について。更に植木鉢について。

すっと、部屋の戸が開く。

父だった。

「何?」

「……」

じっと私の背中を見ていた父だが。

不意に、妙なことを言った。

「あまり母さんを刺激するな」

「刺激なんかしていない」

「お前は頭が良すぎる。 母さんはそうじゃない。 母さんはお前を心底怖がっているんだ」

「そんな事は分かってる。 で、それが暴力振るったりネグレクトして良い理由にどうしたらなると? 彼奴は私をそもそも人間扱いしていない。 母親が子供を必ず愛しているなんて都市伝説だね」

ずばり。

私はそのまま真実を告げる。

父は黙り込んでいる。

考えているのか。

それとも。

これがネグレクトに当たることは。

父だってよく分かっているはずだ。

許しがたい児童虐待で。

法さえしっかりしていれば。

逮捕される可能性さえあることも。

母は今でこそ私を殴らなくなったが。

昔は殴った。

育児放棄だけではすまさず。

暴力も振るった。

昔はその理由が分からなかったが。

得体が知れない者に対している恐怖が原因だと理解出来てからは。

むしろ哀れな奴だとしか思えなくなった。

だが嫌いな事に代わりは無いし。

許すつもりもない。

散々暴力を振るわれ。

好かれようと子供なりに頭も使って。

その全ての結末が。

「お前キモイんだよ」である。

この言葉を聞かされたとき。

全てが無意味だと悟った。

母は平均的な人間で。平均的な人間は、キモイと感じた相手の全人格、全人権を否定して良いと考える。

これはこの国だけではなく。

人間という生物全てに共通する事だ。

相手が自分の子供だろうと関係無い。

自分の価値観を押しつけるのは当たり前。

価値観が違う場合、全否定して良いと考えるのも当たり前。

そんな程度の生物だから。

地球人は未だにどうしようもないカスのまま。

母は「キモイ」という言葉で。自分の理解が及ばない私の事を完全否定し。そして今も自分を正当化している。

誰が何を言おうと。

母が考えを改める可能性はゼロだ。

だからとっとと独立するし。

その後復讐は徹底的にするつもりだが。

それにはまだ私は幼すぎる。

まあ今後母の態度が先鋭化するようなら。此方としても幾つか手を打つことを考えているが。

今の時点では、まだ良い。

とにかく、自衛が出来るようになって来たのを見て、母は暴力を止めた。それだけでも充分だ。

母は別に体を鍛えているわけでもないし。

攻撃を避けるのはもう難しくない。

一時期は私が攻撃を避けるのを見て狂乱していた母だが。近所に聞きつけられると、ぴたりとそれを止めた。

そして私に対するネグレクトを更に加速させた。

今後、あの毒親は。

私にメシを出すのを止めるかも知れない。まあそもそも、彼奴のメシを喰うのも嫌なので、料理の勉強をしている訳だが。

「むしろ父さん。 貴方が説得するべきじゃないの」

「今の母さんが聞くと思うか」

「聞くわけ無いでしょ。 そもそも一方的に虐待を受けてるのは私なんだけど」

「……」

父はそれ以上。

何も言わなかった。

毎日レトルト以下のメシを出し。自分だけは美味しい夕食を楽しみ。

家事もさぼっていながら。

外面だけは良い母親。

都会では特に顕著なようだが。

「周囲と同じ」で「媚を売るのが如何に上手いか」だけが、この国では最重要視される。

そういう意味では。

母親こそまともで。

私は虐待されて当然という理屈が成立するのだろう。どうでも良いことだが。

いずれにしても、こんな事を言いに来たと言うことは。

父も自分がとばっちりを受けていることに、いい加減頭に来ていたのかも知れない。

いっそ離婚すればいいものを。

親権は父の所で良い。

正直な所、父もあまり良い親では無いと思うが。

それでもあの母親よりマシだ。

世間で「まとも」とされている人間がどういう存在か。

そろそろしっかり考えるときが来ているのでは無いのか。

私は。

そう思うのだが。

 

2、姫子の鉢

 

秘密基地に出向く。

姫島が持ち込んだ菓子を適当に食べながら、状況を整理していくが。

それにしても不可解だ。

暴君の末路。

老い衰えて呆けてしまった老人。

子供夫婦に復讐され。

何か大事なものを失った。

そう考えるのが素直な所なのだが。

どうしてもおかしいのだ。

復讐なら、それこそ盆栽を全て売り払ってしまえばいいことであって。

存在しない盆栽を見て、泣いている老人を見て、毎日嗤っていればいいだけだろうに。あの子供夫婦はそうしていない。

ボケ始めている親を老人ホームに入れるとか。

色々と遠ざける方法もあるだろうに。

そうしていない。

植木鉢だけが変えられているのは分かった。

だが、それがどうしてなのか。

どうにも理解出来ない。

そして植木鉢を変えたことで。

どうして大事にしていた盆栽を山崎老人が認識出来なくなったのかも、理由がよく分からない。

理由がないからボケなのかも知れないが。

それにしても不可解すぎるのだ。

「シロー」

「うん?」

「何見てるの?」

「盆栽の手入れ」

かなり奥が深い。

盆栽は小さな木を作るのと同じ作業で。

非常に趣味としては手間が掛かる。ざっとみただけでも、私がすぐに出来るような代物ではない。

今ではすっかり荒れてしまっているけれど。

姫子と呼ばれていたあの盆栽。

相当に手が入っていたのは間違いない。

「ひょっとして前提が間違っているのかな」

「前提が?」

「そう」

私はどうにもおかしいと感じているのだが。

そもそも盆栽が変わっていないのに。

どうして認識出来なくなった。

形で認識しているのか。

場所で認識しているのか。

そのどちらかが、衰えた頭では、精々だろうが。

そのどちらも。

あの状況では、考えにくいのである。

ましてや植木鉢である。

「貰った写真と、現在の植木鉢を比較してみたけれど、サイズがちょっと違うくらいで、そこまで大きな差異は無いんだよねえ。 ましてや山崎のおじいさんが見ている角度から考えても」

「盆栽の向きが違うとかは?」

「そんな事は確認した」

姫島が思いつくくらいのことは大体試している。

盆栽は5度くらいずつ角度を変えて見せているが。それでも山崎老人は認識出来ていなかった。

子供夫婦の冷たい視線を受けながら。

実験を色々とやっていくが。

それもどうにもうまくいかない。

山崎老人は姫子と呟くばかりで。

どうもそもそも。

何か前提が間違っているとしか、考えられない。

しかし姫子とは何だ。

虫の類が盆栽に住んでいるかと思ったが、それもいない。

というか衰えた視力ではそんなの把握できないだろうし。

そも盆栽に虫がついたら一大事だ。

ひょっとして、植木鉢が変更されたのはあくまでフェイクで。

何か他に、理由があるのではあるまいか。

姫子という人間がいるのでは無いのか。

山崎姫子。

検索して調べて見るが。

そういう人間は、この街にはいない。

少なくとも山崎家周辺に、姫子という名前の人間はいなかった。

それは間違いない。

こういう戸籍は、すぐに分かるのだ。

では、何か他のもの。

例えば。家に来ている鳥とか。

そういうのはどうだろう。

鳥だと、タイミング的にはウグイスとかだろうか。

だがその手の鳥はあまり長生きしない。

ましてや盆栽を見ている方向に鳥がいて。

それにずっと誰も気付いていないとかは、あまりも不自然だ。

腕組みする。

今回の謎は少しばかり大きいが。

少し試してみることがあるか。

ゆうかに連絡を入れて。

遊びに行く事を告げる。

遊んで貰えることを素直に喜ぶゆうかで。

事件がまだ解決していない事を。

それほど困ってもいないし。

困惑してもいないようだった。

姫島もついてくる。

「相変わらず好奇心の塊みたいな性格だな」

「違うよ」

「うん?」

「シロが珍しく手こずってるから、見ていて面白い」

呆れたが。

確かに苦戦しているのは事実だ。

そもそも、私からしてみても。今回の事件は色々と不可解だ。

多分だが、山崎老人は、何かしらの理由で。

今まで機械的にやっていた盆栽の手が止まるほどのショックを受けた。

或いは、そのショックで。

呆けてしまったのかも知れない。

そうなってしまうと、もうボケの理由とか、そういうのは関係無くなってしまう。寝たきりになっていないだけマシだし。

まだ粗相をするようにはなっていない様子だから。

それで充分なのかも知れないが。

もしもこのままボケが進行すると。

寝たきり老人ではなく。

寝かされ老人にされる可能性も小さくは無いだろう。

家に到着。

姫島が用意したお菓子を渡して。庭に出る。

そして、思いついた事を試してみる。

相変わらずぼんやり突っ立っている山崎老人の前から。

「姫子」と呼んでいる盆栽を。

取りあげて、降ろしてみる。

そうすると、ぼんやりとした様子で。

山崎老人は。

盆栽のあった地点を見つめていた。

目が見えることは確認している。

これは、ひょっとして。

もう、現実が見えていないのではあるまいか。

かなり重いが。

盆栽を元の位置に戻す。

その間も、山崎老人は一切動かず。

姫子、と呟くばかりだった。

さて、参った。

此処まで来ると、流石に私もお手上げだ。

専門家の医師に診せるのが一番の筈だが。

それが出来ないから、私の所に依頼が来ている。

勿論私も、医療行為なんて出来ないし。

出来るとしても、ネットの聞きかじりで専門知識が必要になる医療の真似事をする度胸は流石にない。

馬鹿な社長とかが。

筋トレで鬱病が治るとか。

睡眠障害が治るとか。

そんなアホな寝言を口にすることがあるらしいが。

それは鬱病や睡眠障害に苦しんでいる人を冒涜する発言だし。何よりも、医療の現場で取り組んでいる医者を馬鹿にする醜悪な言葉である。

私も医者になるのがどれだけ大変かは知っているし。

それについては、こういうだけだ。

バカだろ。

私はそんな発言をするバカどもと一緒になるつもりはない。

そいつらが例え、世間一般では「常識的」とされていてもだ。

「やはり山崎老人は、姫子という盆栽そのものを認識していない可能性が高い。 つまり盆栽がその場にある事さえ認識していない」

「ねー、それどういうこと?」

「何かショックな出来事があったのかもしれない」

ゆうかを呼ぶ。

そして話を順番に聞いていく。

「何かおじいちゃんがショックを受けるようなことがあった?」

「しょっく? びっくりするようなこと?」

「そうだ」

「……分からないけれど。 あ、そうだ……」

ゆうかが思い出す。

何でも良い。

ヒントが欲しい。

「お母さんが、盆栽落として、割っちゃったんだ」

「!」

「すぐに新しい植木鉢に入れたんだけれど、そういえば……それからおじいちゃんの様子がおかしくなったかも」

「それだ」

頷く。

そして、私は。

庭を見に行く。

おあつらえ向きに、捨てられた古い植木鉢が幾つかうち捨てられていた。幾つかには水が溜まって、ボウフラが湧いている。

植木鉢の水を捨てて。

ボウフラを汚物として消毒。

更に軽く洗って流すと。

山崎老人の前に持っていく。

山崎老人は、私が持ってきた植木鉢に反応を示さないが。

次の瞬間。

私が植木鉢を落とす。

勿論中に盆栽は入っていない。

がしゃん。

結構大きな音がした。

びくりと、身を震わせる山崎老人。

そして、しばしして。

その目に、焦点が合い始めた。

「姫子……?」

「姫子は其方に」

「……」

ぶるぶると震えながら、手を伸ばす山崎老人。

昔は雷親父と怖れられていても。

今はもう枯れ木のような老人だ。

すっかり荒れている盆栽を見て。

山崎老人は、涙を流し始めていた。

「無事だったか、無事だったのか」

溜息が出る。

やっと、これで。

第一段階クリアだ。

 

無心に鋏を取り出して、盆栽の手入れを始める山崎老人。不思議そうに、それを見つめているゆうか。

何が起きたか分かっていない様子だ。

まあこれは姫島もだから。

どっちも同じか。

「シロ、何。 どうしたの」

「ボケってのは何か大きなショックで発生する事があってな。 山崎のおじいちゃんの場合、それが姫子の破損だったんだよ」

勿論姫子は破損はしたが。

木そのものが駄目になったわけではなかった。

流石にゆうかの母親も、バツが悪かったのだろう。

見よう見まねで植木鉢を取り出して、姫子を入れ直し。出来るだけ土を元に戻した。嫌々ながら、だが。

だが、手塩に掛けていた盆栽が。

目の前で割り砕かれた。

その現実を見てしまった山崎老人は。

それを受け止めるには、既に老いすぎていた。

ショックが一気に脳をおかしくして。

目の前の現実さえ。

認識出来なくなった。

だからショック療法だ。

姫子は目の前に、荒れているとは言え存在している。

それが認識出来なくなっているのだから。

認識出来るようにすれば良い。

それには同じショックを与えればいいだけで。

余っている、それもボウフラが湧いているような植木鉢を使って。

ガシャンと、同じ音を立ててやれば良い。

それだけのことだ。

舌打ちして、こっちを見ている山崎の子供夫婦。

孫のゆうかが、じっと山崎老人を見ている事もあって。

何も手出しできないのだろう。

山崎老人にしても。

目に少しずつ光が戻り始めていて。

手元もしっかりしている。

「随分荒れてしまったなあ。 手入れが出来ずにすまないなあ」

「おじいちゃん?」

「ゆうか、ちょっと悪いが、じょうろを持ってきておくれ」

「うん!」

ぱたぱたと走り出すゆうか。

おじいちゃんと会話したのは随分久しぶりだから、だろう。

嬉しそうに走っていった。

すぐにじょうろを持ってくるが。

小さくて可愛いじょうろだ。

まあ盆栽に水をやるには、これくらいのじょうろで充分なのだろう。

山崎老人は。

急激にボケから回復しているようだった。

土の状態を確認し。

水もかなり細かく与えている。

植物にとっては、水の与えすぎは毒になる。

ましてや盆栽のような繊細なものにとっては、なおさらだ。

剪定をかなり時間を掛けてやっていた山崎老人だが。

多少ふらつきながらも。

縁側に戻る。

そして、遠くから盆栽を見つめて。

満足そうに頷いた。

「やっと一段落した」

「おじいちゃん!」

「どうした、ゆうか」

雷親父と怖れられていた山崎老人も。

他と変わらなく。

孫には甘い。

だが、孫には甘くても。

子供には甘くは無かった。

だから、こんなおかしな事態を引き起こした。

それに、である。

山崎老人は、かなりの長時間呆けてしまっていた。この様子だと、いつまたおかしくなっても不思議では無いだろう。

此方を苦虫を噛み潰しながら見つめているゆうかの母親に言う。

「お医者さんに連れていった方が良いかと思いますが」

「……」

「ボケから回復したとはいえ、一時的なものかも知れません。 専門家に見てもらった方が良いかと」

「……余計な事をしやがって」

冷酷な台詞。

私はそれを鼻を鳴らして聞き流した。

いや、違う。

見せる。

ボイスレコーダーだ。

「老人虐待の現行犯ですね。 警察に届けます」

「ちょっと待ちなさい!」

「だったら病院にさっさと連れて行けっ!」

怒号。

ゆうかが、思わず怯えて山崎老人にしがみつく。

山崎老人も、驚いたように此方を見ていた。

「好き嫌いで人間の生死を左右しやがって、そういうクズが虐待をするんだよ! 頭に何か障害でもあったらどうするつもりだこの腐れババア! とっとと病院に連れて行けやクズがっ!」

青ざめていたゆうかの母だが。

忘れていたように、そのまま救急に連絡を入れる。

すぐに病院に連れて行くべく、タクシーが来て。

ゆうかのおじいちゃんを連れていった。

ゆうかも連れ添いでついていく。

だが、ゆうかの母は。

山崎老人が拒否した。

「お前はついてこなくていい」

「し、しかし、お父さん」

「わしをボケさせるために、わざと姫子を落としたな……!」

凄まじい怒気に、すくみ上がるゆうかの母。

山崎老人は。

一瞬だけでも。

雷親父と呼ばれていた頃の気迫と迫力を。

取り戻したようだった。

私はその場に残る。

愕然と立ち尽くしているゆうかの母が。

盆栽を片っ端から壊しかねないから、見張る必要があったからだ。

姫島に耳打ち。

山崎老人に友人はいなかったが。

近所の老人に、私の知り合いのゲートボール仲間が何人かいる。

その一人を連れて来て貰う。

そして来た老人に。

状況を説明した。

「何、わざと盆栽を落として、山崎さんをボケさせていたのか」

「間違いありません」

「なんつー親不孝者じゃ!」

「山崎老人が厳しすぎた親だというのは事実でしょうがね」

私も。

将来は、あのクソババアに報復をするつもりでいる。

ただし、報復の方法は。

こういったやり方では無い。

こんな手ぬるい、不確実な方法をとるつもりは無い。

むしろ、今やっているような方法で。

「常識」からはじき出す。

今、うちの親が平然と「常識人」を気取っているのは。

私が「平均からずれている」のが理由だ。

平均的な人間は、「ずれている」人間を悪だと認識し。何をしても良いと考えるものなのだ。

だから虐待も正当化される。

母が私に虐待をして平然とのさばっているのは。

それが理由。

つまり私がずれているのが悪いので。

何をしても良い、という理屈で。

世間もそれを認めているのだ。

だったら、母がその「ずれている」側になったらどうなるか。

徹底的な排斥が待っているだろう。

その時の事を。

待っているが良い。

わいわいと老人達が集まって来た。

私が言ったことを鵜呑みにしたゲートボール仲間が、彼らに事情を話す。

「山崎のじいさんは確かに雷親父だったが、意図的にボケさせただと!? 人間のやる事か!」

「そういえば盆栽が荒れていると思ったら、この鬼が!」

「親不孝者!」

「鬼畜外道!」

凄まじい罵倒が浴びせかけられる。

私は姫島の手を引くと、庭から出た。

後は公開処刑の時間だ。

ゆうかの母親は震えあがったまま、凄まじい罵倒に晒され続けていた。しかも田舎で老人を敵に回すと言うことが何を意味するかは言う事も無い。

慌ててゆうかの父親に電話をしているようだけれど。

この様子では。もはやこの街に、この夫婦の居場所は無いだろう。

勿論老人達が全面的に正しいとは思わない。

山崎老人が、厳しすぎたのも事実だろう。

だが、これでいい。

第二段階クリア。

やはり、一度パズルが組み合わさると。

私は一気に物事を解決に向けて進めることが出来る。

私は猫や蛇に近い瞬発型だと言われたが。

こういうときに、それが事実だと実感できるのは面白い。

しばらく放置して様子を見て。

そして落ち着いてきたところで。

庭から怒って出てきた老人の一人を捕まえる。

ゲートボール仲間ではないから敬語で接する。

「どうですか、様子は」

「どうもなにも、警察に連絡したわ! すぐに来るだろう。 山崎のじいさんも確かに雷親父だったが、意図的にボケさせるなんて信じられるか!?」

「そうですよねえ」

内心ほくそ笑みながら私は応じる。

そんな下手を私は踏まない。

私がやるなら。

あのクソ親を。

社会から抹殺してくれる。

ゆうかの親も、同じようなやり方をやれば良かったものを。

目先の憎悪に捕らわれるから。

こんな非効率で。

見つかったらひとたまりもない方法に頼ることになったのだ。

愚かしい話である。

「シロ、すっごい悪い顔してるよ」

「大人のくせに、やり方が下手だなと思ってね」

「わお」

「うちの母親、いずれこんな状況の比じゃない目に遭わせてやるつもりだけれど、その時のために。 今回は良い実験になる」

やがて、警察が本当に来て。

慌てて戻ってきたゆうかの父親とそろって。

ゆうかの母親も連行していった。

勿論任意聴取だろうが。

これはれっきとした暴行罪が成立する。

直接暴力を加えたわけでは無いが。

それに近い状況だ。

しかも、呆けてからは、医者に積極的に見せるわけでもなく。幼稚園児であるゆうかがたまりかねて私に依頼をしに来た位である。

警察の側も。

あまりに酷い話だと言う事で。

多分軽い処分で済ませるつもりは無いだろう。

ゲートボール仲間の老人から話は聞いているが。

山崎老人には、まだ次男夫婦がいるはず。

あまり良い生活をしていないと聞いているし、子供もいないらしいから、引っ越してこいと言われれば、すぐに来る事だろう。

盆栽をやっていることからも分かるように、山崎老人は相応の資産家だ。

餌で釣るのが一番である。

そして、本来なら。

そのままで安楽に暮らせていたゆうかの親達は。

これで居場所を失う事になった。

あとは、ゆうかが虐待されないように幾つか手を打っておかなければならないが。それについては問題ない。

私は親を嫌えるようになってから。

虐待について色々と調べた。

自分については虐待の証拠をせっせと集めて、独立の時に備えているし。

他の子供についても。

虐待された場合の対処について、せっせと調べている。

なお、姫島は私が虐待を受けている事を知っている。

だが、敢えて何も言わないようにと釘は刺してある。

これは、一撃で母親を社会から葬るためで。

そのためには、「あんな普通の人が」「虐待を行うとは考えられない」とか、周囲のアホどもに認識させておく必要があるから、である。

山崎老人と、ゆうかが戻ってきたのは夕方。

精密検査を受けたが。

特に問題は無かったそうである。

むしろ、回復が驚異的だと、医者が驚いていたという。

人間の脳みそとはつくづく繊細なものだなと、私は思ったが。

それについては、何も言わない。

いずれにしても。

これで、最終段階までについても。

目星がついた。

 

3、孤独

 

自宅に戻る。

ゴミでも見るような母親の目。

口も利かない。

私は学校ではケアレスミス以外でテストで点を落としたことは無いし。

体育も成績5。勿論5段階中の5だ。

文句を言われる覚えは無い。

ちなみにIQテストでも155を今の時点でたたき出していて、コツを掴んだから多分次はもっと点数を上げられる。

学校の成績関係では。教師も私についてどうこうは言わない。少なくともテストでも勉強でも、私は文句の言いようが無い成績をたたき出しているからだ。伊達に仕事をしているわけではない。

ただ、私は大学に行くなら。

自分で金を稼ぐつもりだ。

此奴に金を払って貰って大学に行くくらいなら。

それこそホームレスになる方がマシである。

「おい」

「……」

声を掛けてきたので、振り向く。

それにしても、自分の娘においか。

流石だなと呟く。

暴力が当たらなくなってから、此奴は私を徹底的に嫌うようになったが。それは、「思うように」「教育が出来なくなった」からだろう。

自分の思想と違うから虐待をする。

それが此奴の教育であり。

虐待は虐待でも、「正当な」虐待というわけである。

だから何を言っても良いし。

してもよい。

多分此奴の脳内では。

私を殺す事も、正当化されているはずだ。

「言うことを聞かないから悪い」「言うことを聞かない相手を折檻するのは当然」という理屈でだ。

子供に人格も人権も認めていないという点では。

悲しいかな。

労働者に人格も人権を認めていない企業経営者と同じで。

それが今の「常識」なのかも知れないが。

「ドアの鍵外せ。 親舐めてるのか」

「嫌だね」

「んだゴラ! その口の利き方、ふざけてんのか!」

「だったら力尽くでやってみたら?」

ボイスレコーダーを見せる。

喚きながら襲いかかってきたが、ひょいと避ける。

中学生くらいの男子が、武術を習うと。素人の大人の女よりもう強い。

私は武術をやってる中学生の男子に勝てる自信は無いが。

一方的に暴力を振るう事しか知らないこの女の攻撃くらいなら。

回避は難しくない。

さっと避けると、母は勢い余って階段に激突し掛けた。

髪を掴んで、顔面を階段に叩き付けるのを防いでやる。

ぎゃあぎゃあ喚いていたが。

気付いていたのだろうか。

私がそうしてやらなければ。

今顔中血だらけになっていた事に。

もう日本語とは認識出来ない言葉で喚き散らしていたが。

この言葉も、全てテープレコーダーで記録されていると思うと、流石にまずいと思ったのだろう。

ナメクジ並みの知能はあると言う事だ。

私はさっさと部屋に引っ込む。

この鍵は黒田が買ってきた特別製。

彼奴には何をやったって開けられない。ペンチ程度では歯が立たない代物だ。勿論針金なんて通用しない。

ドアをチェーンソーで壊しでもすれば開けられるかも知れないが。

その場合は映像を撮って。

警察に送るだけだ。

児相はそのまま相談してもまともに動く事は無いが。

動かす方法なら知っている。

母はそれを怖れている。

だから、極端な強硬手段には出られない。

部屋に閉じこもると、PCを起動。

あくびをしながら、今日もまたまずいメシを出されるんだろうなと、呆れたが。そういえば、もう少し幼くて、私が暴力に対抗できなかった頃。私への食事を、彼奴はエサと言っていたか。

ボイスレコーダーに記録していなかったのが残念だ。

親の愛情か。

そんなものは欲しいとは思わないが。

ゆうかはどうだったのだろう。

おじいちゃんは好きだと言っていたが。

親が嫌いだとは言っていなかった気がする。

虐待も受けていたようには思えない。

私よりは幸せな人生を送っていると見て良いだろう。

溜息が零れた。

そういえば、溜息を零すのは失礼だとか言う理屈があるらしい。もう正直、この狂った常識の世界では、何がまともで、何がおかしいのかさえ分からない。

この世界はとっくの昔。狂気の邪神か何かに、乗っ取られているのではあるまいか。

メールが来る。

黒田からだ。

「いいバルク品が手に入ったので、近々秘密基地のPCをパワーアップしますよ。 OSもXPにします」

「XPで大丈夫?」

「大丈夫ですよ。 少なくともVistaや8よりは安定していますもの」

そうかそうか。それは頼もしい。

流石に98SEなんて化石OSだと困ると思っていた所だし。

XPも古いけれど、それでも今よりはマシだろう。

ベットで横になっていると。父が帰ってきたようだった。

母の機嫌が悪いことはすぐに察したのだろう。

なお、洗濯は既に私は自分でやっている。料理も、父の分も含めて、自分で作る事を考えている。

母があの有様だ。

それくらいしないと。今後は本当に毒でも盛られかねない。

「お前のせいであんな餓鬼に育ったんだよ! 責任取れよ!」

わめき散らしている母の声が聞こえる。これは今晩は、夕食を作るつもりも無さそうだ。

部屋から出ると。猿同然の醜態をさらしている母を無視して、台所に。

自分と父の分だけ料理を作る。

少し前から練習しているが。

ちょっと手を入れるだけで。

どうでもいい素材が、結構美味しくなるものなのだ。

刺し殺すような目で此方を見ている母だが。

そんなものは怖くもない。

さっさと仕上げて。自分と父の分だけだす。

少し困惑していたようだが。父も連日の冷めたレトルト以下には流石に辟易していたのだろう。料理を口に入れて、一瞬だけ驚いていた。当たり前だ。どんな下手でも、あんな冷めたレトルト以下よりはましだ。

更にこの家の収入は、父だけが賄っている。

母がどうこういう資格は無い。

青ざめて震えている母を背に。私は父ににこやかな、真っ黒な笑顔で言った。

「夕食は今後私が作る。 毎日冷めたレトルト以下食べるのもあれでしょ。 ああ、自分用のは自分で作るだろうから、二人分だけ作るわ」

母が跳び上がって、暴力を振るおうとしたが。

流石に父が押さえ込んだ。

もう母のわめき声は。

猿のそれとまったく変わらなかった。

外の家に聞こえるように、わざとやっているのだが。

本人が気づけていない。

児童虐待で此奴を家から放り出すための準備は。

着々と整いつつある。

黙々と夕食にする。

父はしばし無言で、それからもぐもぐ食べ始めた。

当然だ。

研究を重ねて、味も良くしていったのだ。

姫島の家で料理の練習をさせて貰ったし。

独学でも努力を重ねた。

既に母に腕では負けていない。

少なくともいつものレトルト以下より、遙かにマシなものを作っている自信はある。

それにしても、温かい夕食のなんと美味しい事か。

父もいつもより明らかに食べるペースが速い。

そして、食事を終えると。

食器を洗って。

食洗機に入れて。

おしまい。

何も残さない。

此方を刺し殺しそうな目で見ている母だが。

上等である。

もしも殺そうとでもしてきたら。

そのタイミングで通報する。

この様子だと、包丁か何かで突き刺しに来る可能性も高いだろうし。

そうしてある程度怪我してやれば、此奴を精神病院送りにすることは難しくないだろう。

父に対しても似たような事をしていた、という証拠も揃えているし。

何よりこの醜いバケモノは。

私に愛情など注いだことは一度もない。

自室に戻る。

母は家を飛び出していった。

外で食事でもするのか。

それとも不倫でもするのか。

どうでもいい。

不倫するのは最悪の手だ。

この街には私が情報網を拡げている。

勿論網の外にある情報だってあるけれど。

この田舎街で。

不倫の噂なんて、あっという間に拡がる。

別に探偵を雇うまでもない。

向こうが勝手に自爆してくれれば、こっちとしては言う事も無い。

自分が虐待されているとでも、他の家に駆け込めば。

明らかにおかしいと、自分で示すようなものだ。

更に、もしもそれで問題になるのなら。

こっちはこっちで、多数の証拠を何時でも開示できるようにしている。

私は今日も。

しっかり外堀を埋めていく。

それだけだ。

夜かなり遅くなって、母は帰ってきた。

喚きながら、外を走り回っていたらしいと、翌日になってとなりのお婆さんから聞かされた。

「毎日凄い怒鳴り声がしているし、暴力を振るっているようだけれど。 シロちゃん、大丈夫かね」

「身を守る術は心得ています」

「そうかい。 でも気を付けるんだよ」

頷く。

これでいい。

老人達の情報ネットワークに、既に母が完全に狂っていることは乗っている。

それならば、事件を起こせば。

彼奴はもう終わりだ。

 

学校帰りに。

山崎さんちによる。

無心に盆栽の手入れをしていた山崎老人だが。

どうやら手入れはあらかた終わったらしく。

満足そうに盆栽を見つめていた。

ただ、やはりそう簡単に話は進まないようで。

記憶には曖昧な部分も出ているようだ。

ゆうかも不安そうにしている。

「おじいちゃん、大丈夫かな……」

「問題はその後だけれどね」

「まだ何かあるの……?」

ゆうかの両親については。

あの後警察で徹底的に絞られて戻ってきたという。

ゆうかが不安そうにしている目の前で。

完全に憤怒の権化となった山崎老人が、凄まじい罵倒を浴びせていたそうで。怖くて震えていたそうだが。

だが、ゆうかから見ても。

悪いのは二人だと思うと言っていた。

私は実のところそうとは思わない。

長年掛けて、問題を蓄積させたのは山崎老人の方だ。

雷親父と言えば聞こえが良いが。

結局の所、子供夫婦にずっと辛く当たり続けていたのも事実なのだ。

うちとは違う。

うちのは、「気持ち悪いから」「虐待して良い」という、小学生から変わっていない脳みその阿呆が、本能のまま行動した結果だ。

山崎老人の方は、恐らく「厳しく接して」「将来の家を背負って貰う」という考えがあったのだろう。

結果として、その考えは。

完全に裏目に出てしまったが。

いずれにしても。

修復しなければならない時が来ただろう。

「ゆうかのおじいさん」

「……」

鋭い眼光。

完全に呆けていたときとは別物の視線。

この老人は、まだブランクはあるけれど。

それでも気付いてはいるようだ。

私がこの事態をひっくり返した事には。

ずっと呆けていた自分が。

元に戻る切っ掛けを作った事には。

勿論ショック療法には私だって自信があった訳では無い。

ただ、この老人が壊れる切っ掛けになったショックをもう一回与えれば。

改善が見込めることは分かっていた。

まあ此処まで一気に回復するとは思っていなかったが。

家の中からは、怖れるようにして此方を見ている視線が二つ。

それを、いとましく。

山崎老人は思っているようだった。

「今回は世話になったな。 頭がはっきりしてきてから、自分がどれだけの醜態をさらしていたか、よく分かった」

「それならば、もう少し子供夫婦に優しくすることは出来ませんか」

「人の家庭に口を突っ込むなと言いたいところだが。 しかし、話は聞くだけ聞いておく」

「今回の一件は、貴方にも原因があります」

はっきり。

真正面から踏み込む。

相手は額に青筋を浮かべたが。

それは分かっているようだった。

「言われなくとも」

「孫が可愛いのは分かりますが。 子供と接し方が違いすぎるのではないでしょうか」

「……」

「ゆうかがこのままだと、親によって虐待されるようになるかも知れません。 貴方がまだ健在の内に。 関係改善を図ってください」

しばし無言でいた山崎老人だが。

分かった、と言った。

さて、まだ手を打たなければならない。

その前に。

山崎老人が言う。

「小賢しいを通り越しているが、何者だ。 狐狸の類か」

「まさか。 そんな力があったら、親から虐待されていませんよ」

「……話には聞いたが」

「今は自衛できていますが、自衛できなかったときは悲しくて仕方がありませんでしたから。 分かるんですよ、そういう哀しみは」

私が異常に大人びている理由を。

悟ったらしい。

それでいい。

反省してくれれば。

それだけで充分だ。

此方は、だが。

じっと植木鉢を見ている山崎老人を残して。

ゆうかの両親の方に行く。

私を見て。

二人は明らかに恐怖を覚えているようだった。

黄色のパーカーで視線を隠している事は。

それだけで恐怖をあおり立てる。

小柄であっても。

私がやってのけて見せたことは。

明らかに小学生の範疇を超えている。

勿論武力では小学生の範疇を超えられないが。

「よろしいですか」

「な、なんだね」

「もうおじいさんは老い先短い身。 それでも復讐をしたい気持ちはまだ残っていますか」

「……っ!」

ゆうかが、青ざめて。

私にすがりつく。

分かっているのだろう。

とても怖い会話をしているという事は。

「そ、そんなつもりは」

「貴方たちには前科があります」

警察もマークしている。

私もボイスレコーダーにデータを記録している。

周囲の人達まで知っている。

それを順番に。

敢えてゆっくり告げていく。

二人は完全に押し黙っていた。

「ゆうかを可愛いと思いますか」

「そ、それは……」

「ならば羨ましい。 うちの母親とは偉い違いだ」

今後も。

その一件を忘れないでください。

そう告げると。

私は、二人から視線を外して。

ゆうかの手を引いて、外に遊びに行く事にした。

ゆうかはもう、私の事を守護神か何かと考えているようで。

見る目が明らかに年上のお姉ちゃん、に対するものではなく。

崇拝と畏怖が混じったものとなっていた。

「もしもおとうさんとおかあさんが何かするようだったら、すぐに私に連絡を入れてくるようにな」

「わかった!」

「それでいい。 いつでもなんとかしてやる」

「うん」

田舎の街の子供はあまり多く無い。

公園も遊べる場所では無い。

だから、遊べる場所は限られている。

ただ、私は遊べる場所を知っているし。

ゆうかは頼りにしてくれる。

それで充分だ。

とりあえず、今回の仕事はこれで充分だろう。

子供に植え付けた崇拝は。

簡単には消えない。

そして、それが消える頃には。

別の関係を、また構築すれば良いだけのことだ。

 

4、外堀の花

 

学校に持っていく弁当も、自分で作るようになりはじめた。前は明らかに嫌がらせ目的で、ろくでもない代物しか入っていなかった。うちの学校には給食が無かったので、前はとにかく昼メシが苦痛でならなかった。

だから自分で作るようにし始めたし。

それで充分に満足した。

父も思うところがあったのだろう。

会社帰りに、食材だけは買ってきてくれるようになり。

それで私としては充分。

あのレトルト以下を食べるくらいなら。

私の料理の方がマシ。

そう父も判断したのは。

間違いない所だった。

実際問題、父に言われたのである。

「俺は料理が作れない。 すまないな」

「残業上等の職場なんだから仕方が無いよ。 適当に帰りに野菜とか肉とか買ってきてくれれば、私がどうにかするから」

「そうか」

「それよりあれ、何とかしてね。 早めに」

嘆息する父。

分かってはいたのだろう。

結婚したときには、既に。

自分の感覚を何よりも優先する女だと。

理解が及ばない相手はキモイと罵倒し。

全人格も。

全人権も否定する。

むしろそれが普通で。

周囲もそうしているから。

自分が正しいと全面的に考え、疑うこともしない奴だと。

私は父にも母にも似なかった。

突然変異的に知能指数が高い子供が生まれるケースは珍しくも無いそうなのだが。私は正にそれだったのだろう。

勿論知能指数が高い親同士の子供が、知能指数が高いケースもある。

ただしその逆になる場合もある。

親の出来が良くても。

子供がバカになる例なんて、いくらでもある。

また、学校の勉強がなんぼできても。

実際にはただのバカ、何て例は枚挙に暇が無い。

例を挙げれば。

高学歴の集まりであるこの国の政治家などがそうだろう。

あんな連中、今では小学生にさえ馬鹿にされる存在だ。

狂っているのは。

「平均」からずれている人間なのか。

私のように。

違うだろう。

今狂っているのは。

むしろ「常識」のほう。

世間的に見れば、母の方が正しい、という事になるだろう。

なにしろ「キモイ」相手に、相応の対応をしているだけなのだから。

「キモイ」相手ならば何をしても良い。

そういう常識が作られている今。

その常識に沿って動いている母は。

むしろ狂乱している。

常識に沿わない私が。

自分が分からない事をするから、である。

哀れとしか言いようが無いが。

所詮常識何てそんなものであり。

そんなものに捕らわれて狂乱に陥っている母は、その程度の存在に過ぎないとも言えるだろう。

「お前は頭が良すぎる。 俺はIQも100程度しか無いし、母さんだって似たようなもんだ。 お前はその気になれば海外留学だって難しくないだろう。 それどころか、歴史的な科学者にも負けないんじゃ無いのか」

「さあ。 そこまでかは分からないけれど」

「可能な限り俺も何とかするが、母さんがお前を殺そうとするかも知れないのは事実だから、気を付けるようにな」

「分かってる」

そんな会話をする。

母は明らかに異常行動が目立ちはじめていて。

外泊もするようになっていた。

ちなみに財布は父が握っているのだが。

小遣いを寄越せとわめき散らしているようだった。

つきあいに必要だとか。

父は無言で、数千円を渡してはいるが。

引ったくるように金を奪い。

そして、酔っ払って戻ってくる。

自分は正しい。

あのキモイ娘がおかしい。

それなのに、どうして。

自分の正しさが報われない。

そう母は周囲に喚き散らしていて。

既に、何カ所かの飲み屋から、出入り禁止処分を食らったという話が出てきている。飲んで暴れて。

追い出されたそうである。

良い傾向だ。

そのままだと、警察沙汰になる日も近いだろう。

それにしても、小学生の娘に全ての責任を押しつけて、自己正当化する。

そんな事をやっている親が、「自分は正しい」と考える。

この世界がどれだけ狂っているか。

これだけでも、もう分かりきっているのではあるまいか。

 

秘密基地に顔を出す。

ゆうかから貰ったのは、消しゴムを削って作ったらしい何か良く分からないもの。

ペンギンらしいのだが。

ペンギンと言うよりは、何というか。

スペースシャトルに見えた。

ただ。一生懸命作ったものだし。

有り難く受け取っておく。

私は報酬については、相手が一生懸命作ったものだという事が分かれば、もうそれ以上何も言わない。

金銭的価値は期待していない。

幼稚園児が作ったものに、そんなものを期待する方が間違っているし。

幼稚園児が一生懸命作ったものなのだ。

それ自体を褒めるべきであって。

どうこういうべきではないだろう。

ベットに横になっていると。

黒田が来る。

この間XPにバージョンアップした秘密基地のPCに調整を加え始める。色々と弄っているのを横目にしていると。

黒田から話しかけてくる。

「ボクの両親から聞いたんですが、お母さんが何だかおかしいみたいですね」

「知ってるだろ。 最初からアレは狂ってる。 というか、あれが所属している「常識」が狂ってる」

「出禁になった店がボクの家のすぐ近くなんですけどね。 凄まじい暴れぶりで、警察が来かねない有様だったみたいですよ」

「だろうね」

躊躇無く私に暴力を振るい。

それが避けられるようになったら。

狂乱。

もうどうしようもない。

まあ、最終的には警察に世話になるか。

精神病院に幽閉か。

どっちかの運命だろう。

常識が狂っているのだから。

その犠牲者なのだ、という優しい解釈もあるが。

あれに物心つく前から虐待を受け続けた私としては。

そんな優しい解釈をしてやるつもりはない。

死ねばいいのに。

時々本当にそう思う。

だが私が殺すわけには行かない。

向こうが勝手に死ぬように仕向けるだけだ。

黒田が、面白い話をしてくれた。

「個人情報つきのSNSあるじゃないですか」

「ああ、フェイスノート」

「あれ、シロのお母さんがやってるらしいですよ。 その中では、家族に迫害される悲劇のヒロインだとか」

「ハ」

鼻で笑う。

即時検索して。

そして見た。

完全に自分に酔っている。

なるほど、脳内ではこんな風に考えていたのか。

流石は常識人。

反吐しかでない。

さっそく捨て垢を作ると、実際に何をしているのか、完全に暴露してやる。

暴れた店などの情報。

更に出禁になった事なども付け加えていくと。

同情してコメントをつけていた連中が。

掌を速攻で返した。

見ているだけで面白い。

母が気付いたときには。

「悲劇のヒロイン」は、「錯乱したバケモノ」にすり替わっていた。

笑いが止まらない。

狂乱している母の様子が伝わってくる。

シカトである。

さて、そろそろ王手と行くか。

いずれにしても、今までの借り。

十倍にして返してやる時が来た。

 

(続)