猫を探せ

 

序、暗闇の果てに

 

野良猫の平均寿命は二年。それも、都会での話。

死因は様々だが。

猫はそれほど悠々自適に生きている訳では無い。

元々ほ乳類を一とする恒温動物の弱点は、エサを大量に必要とする事。

これは以前、調べていて知った事だけれども。

そうなると、基本的にエサを得られない場所にいると何が起きるか。

餓死である。

子猫の内は天敵だって多い。

カラスなんかに狙われると、子猫ではひとたまりもない。カラスは猛禽には勝てないが、高い知能と戦闘力を兼ね備えた優れたハンターだ。親猫が何らかの理由で死んだ場合は、子猫が生き延びる術はほぼない。

人間に甘えればエサを貰えるとしても。

甘える相手を見つけられなかった猫に待っているのは。

過酷なエサの奪い合いと。

それにジャングルより過酷とさえ言われる都会の環境。

つまり地獄だ。

私が秘密基地でぼんやりしていると。

姫島が来た。

「やほー、シロー」

「んー。 どうしたー?」

「仕事。 それよりまずこれ」

「ああー」

受け取ったのは、30分もつ飴。

此奴は私が頭を使った後は、しばらく使い物にならなくなる事を知っている。そして立ち直るには飴が必要な事も。

しばらくもむもむしている内に。

頭がだいぶしっかりしてきた。

私は燃費が悪い。

非常に。

昔、格闘技の真似事を習ったときに、私は猫や蛇に近いと言われた。

イヌや人間とは離れているとも。

要するに、一瞬の一撃に全てを賭けるタイプで。

それ以外の時はだらだらしている。

しかしながら、一撃の鋭さに関しては、非常に高いものがあると。

今ならそれも納得できる。

蛇は体の殆どが瞬発力を司る筋肉の塊で、一撃必殺の動きを見せる反面、持久力はほとんどない。

猫もそれは同じ。

猫は三倍くらいのサイズまでなら、イヌに勝てるのだけれど。

それはあくまで、短期決戦のタイマンでの話。

イヌは長期戦を行い、しかも群れで狩りをすることが前提の生物であって。

単独で一撃必殺の狩りをする猫とはそもそも戦いの土俵が違うのだ。

私は猫か。

それを聞いて、何となく気に入って。

だらだらするのと。

頭を使うのを。

切り替えるようになった。

「で、どんな仕事?」

「それがねえ。 猫がいなくなったんだって。 家猫じゃなくてノラで、かわいがっていたらしいんだけれどね」

「へえ」

可能性は幾らでも考えられる。

保健所に連れて行かれたのかも知れないし。

カラスのエジキになったのかも知れない。

車に轢かれた場合は。死体をそのまま保健所が持っていく。

野良猫は増えすぎると処分される。

更に、猫の寿命は、野生だと案外短い。

飼っている猫だと十年以上生きるケースもあるけれど。

それは安定した環境で、エサもきちんともらっているからだ。

ただし、親に相談できない仕事が私の所に来る。

まずはベッドで半身を起こすと、座り直して靴を履く。

靴の中をチェックするのは。

こういうタイミングで、ヤマビルが入り込んでいる場合があるからだ。秘密基地はいつも危険と隣り合わせなのである。

「タイミングはいつ?」

「二週間くらい前から」

「まあいいか。 とりあえず情報を集めないと何とも言えないし」

「やってくれるんだ」

頷く。

普通、猫探しだったら、何かしらの方法を使う。親に相談するのが一番だろう。

だが、私の所に話が来た。

とにかく怖れられている私の所に、である。

ということは、親に話せない事情があると言う事で。

進退窮まって話をしに来た、という事である。

たかが猫、といっても。

人によっては家族同然に考えるケースもあるし。

ペットロスなんて言葉もある。

昔は、猫はそれほどかわいがられていた動物では無かったらしく。

私の持っている古い漫画では、猫の皮を剥いで売っているシーンが書かれていた。妖怪退治の専門家の漫画だけれど、三味線という楽器に使うらしく。つまり猫の皮を剥いだもものが、昔は売り物になっていた、ということだ。漫画がレンタルされるのが普通の、貸本時代から続いている作品で。五十年も六十年も前には、それが普通だった、という事なのだと分かる。

だが、今は違う。

イヌも実は昔は結構食べるケースがあったらしいけれど。

今ではアジアの一部にその習慣が残っているだけで。

イヌを食べる何て話をしたら、正気を疑われる。

多分習慣がいろいろ変わって。

それで常識とかいうのが変化したから、なのだろう。

もしくは、食べるものも増えたから。

選択肢から外されたのかも知れない。

実際今は、豚でさえそういう話が出始めているのだ。

昔だったら、考えられない事だっただろう。

帽子を被って。

パーカーを直す。

そして、姫島に着いていく。

「それで、依頼主の名前は」

「木下雪野ちゃん」

「ああ、あの」

「そう、あの」

あの、で分かる。

つまり同じ学校の生徒だ。

木下家はこの街での随一の金持ちで、もっとも広い土地を持ってもいる。木下というと、天下人を想像させるけれども。

流石に豊臣家の関係者では無い。

たまたま地主として土地をたくさん持っていて。

明治の初めに木下と名乗ったそうだ。

創氏改名という事件の時に。

地元のお坊さんに、名字をつけて貰った人はかなりいたらしいのだけれど。木下家もそう。

なお、単純に立派な楠木があって。

それが故に木下、という名前が付けられたらしい。

安直極まりないけれど。

当時学があったのはお坊さんくらいだったらしく。

檀家の人間が、名字をくれと一斉に押しかけてきたという話だから。

ある意味たまったものではなかっただろう。

かなり安直な名字をつけられた人も多かったらしいが。

負担を考えると。

流石に文句を言う訳にもいかなかったはずだ。

それにしても、田舎の金持ちというと、普通に働かずに生活できる場合が多い。シャッター商店街になっている場合でも、実はそれぞれの家に住んでいる人は、無理に商売を続けたりしていなければ、借金もなく、死ぬまで普通に生活できる、何てケースもあるのだ。

こういう真面目に努力していたお店の経営につけ込んで、ハイエナのように金を搾り取り、勢力を伸ばしたのがいわゆる闇金なのだけれど。

それもマスコミはほとんど報道せず。

そればかりか、一時期は高利貸しをかっこうよく書く漫画をプッシュしたりするとか、とんでもない事ばかりしていた。

私達は田舎に暮らしていたから。

それらの一部始終は全て見ていた。

何処の店が、闇金につけ込まれて、一家離散に追い込まれたとか。

全て覚えている。

勿論闇金の連中も、銀行などと通じていて。

それの資本を利用して、マスコミの尻尾を握って自分たちに有利な報道をさせていたわけで。

更には、イメージ宣伝までして、ダークヒーローを気取った作品を書かせるような真似までしていたわけだ。

アホか。

今では私達小学生にさえ馬鹿にされているのは。

マスコミが、エリート様の集まりの割りに。

こういったカネ第一の行動ばかりしているからである。

私も、仕事の際はカネを受け取らない。

もっと大事なものを受け取るようにしている。

それは畏怖と。

それに相手からの強烈な印象だ。

いずれこの街を支配するためには。

カネだけでは足りないのである。

いずれにしても、舐めきられている時点で今のマスコミはもう終わり。

今後の時代を考えると。

連中を鑑みる必要はない。

山を下りて、靴を脱いで。

ヤマビルをチェック。

姫島も同じようにする。

姫島も最初ここに来たときは、ヤマビルの恐ろしさを知らなくて。案の定ヤマビルに食いつかれていて、大慌てしたが。

今では慣れたもので。

ライターを使って、くっついていてもすぐに焼き落とす。

子供に山でライターの使用が例外的に認められているのは。

ヤマビルがそれだけの脅威だから、である。

「ヤマビルチェックOK」

「ヤブ蚊、アブ大丈夫?」

「問題なし」

「じゃいこ、シロ」

姫島が都会のものらしい、こじゃれた靴をはき直す。

アニメのキャラが履いていてもおかしく無さそうな、凝ったデザインだ。何処で買ってくるのか知らないが、高そうである。

利便性も思ったほど悪くない。

こういう高級品は、実用には耐えない事が多いのだけれど。

姫島の親は、一応その辺りは考えているのだろう。

「そういえば、面白いゲーム出るらしいよ。 携帯機で」

「わかった。 チェックしてみる」

「うん。 一緒にレベル上げしよ」

「そうだな」

待ち合わせ場所に急ぐ。

相手は困っているはずで。

早く話を直接聞きに行けば。

それだけ印象が良くなる。

そうすれば、出来るだけ具体的に話を聞くことも出来るからだ。

 

木下の長女である雪野は、不安そうに膝を抱えて、空き地の隅っこに座り込んでいた。良家の娘だけあって、身につけている品は相応の高級品だ。ただ都会で売ってるようなしゃれたものではない。あくまで高級品と言うだけで、何というかデザインはとても地味。

私は一目で悟る。

これは老人の趣味を押しつけられているものだ、と。

その気になれば、通販とかで、今は田舎でも都会のしゃれた服とかは手に入るし。

何よりも情報だって手に入れられる。

それなのに、町一番の金持ち令嬢が、そういう服を着ているという事は。

色々お察しである。

なお、雪野自身は、小柄で小作りで、とても背が低い。虐めとかにあっているとかいう話はないが、それも当然だろう。

この娘を虐めたりしたら。

虐めをやった奴の親は、多分街にいられなくなる。

周囲を見て、真っ先に目についた。

雪野の側にはカラのエサ入れ。

何となく状況は分かったが。

それでも順番に話を進めて行く。

雪野は、黄色いパーカーを被って、人相を隠している私を見て。ひっと小さく声を漏らしてから。

おそるおそる聞いてくる。

同じ学校にいるのだから。

顔をあわせる機会くらいあるはずなのに。

「あなたが、シロさん?」

「そう。 木下雪野?」

「え? うん……」

俯く木下。

泣きはらしたのか、目の下を擦った後が見受けられた。

私は顎をしゃくって、話を促す。

「猫がいなくなったというけれど。 家で飼っていなかったってこと?」

「うちはペットが厳しくて。 特におじいちゃんが、チクショウを家に入れるのは絶対に駄目だとかいうの。 チクショウって何?」

「畜生ってのは、動物を悪く言う言葉」

「そうなんだ……シロさん詳しいね」

「スマホで調べてご覧。 すぐに出てくるから」

続きを促す。

気が沈んでいるからだろう。

ぼそり、ぼそりと雪野は話す。

買っていた猫の名前はリンネ。

お気に入りのアニメのキャラから取ったという。まあ猫の名前だったら、それもありだろう。

人間の名前だったら駄目だろうが。

雨の日に震えて泣いているのを見つけて、そのまま家に連れて帰り。でも、おじいちゃんに見つかって、滅茶苦茶に怒られたという。

すぐに捨ててこい。

鬼の形相で、おじいちゃんは叫んだそうだ。

畜生に家の敷居をまたがせるとはどういう了簡だ。

この木下家は、ずっとこの街で最高の金持ちとして君臨してきた由緒ある家だぞ。

その家の敷居をまたいで良いのは、儂が認めた者だけだ。人間なら、まだ学校の友達ならいいだろう。

だが得体が知れない畜生などに跨がせるわけにはいかん。

そう吠えるおじいちゃんは。

普段と違って、鬼のような形相で。

家族も誰も庇ってくれなかったという。

そういえば、老人連中の間でも。

木下の家の爺は、という悪口が時々出てくる。

化石みたいな頭をしている老人を相手にしているケースがある。私は将来の事を考えて、現時点で権力を持っている老人層とコネを構築しているから、どうしてもそう言うのとかち合う事はある。

そういう、化石老人でさえ、頭が古すぎると言うほどの化石。

いつの時代の人間だと言いたくなる老人。

それが、この街の一番の金持ちなのだ。

正直頭が痛い話である。

そして、これはどこの限界集落とかでも、同じだろう。

「それで、外に出て、この空き地で飼ってたの。 人に見られないように、色々と工夫して。 ちっちゃい内は本当に大変で、でも何とか頑張ってご飯も持っていてあげて。 それなのに、急にいなくなって」

「ちなみにその猫何歳」

「今年で四歳になるはず」

「……」

考え込む。

野生の猫の平均寿命は二年。

家などで飼うと十年以上生きるケースはあるが。

それは環境が良いからだ。

そもそも、子猫の内に凍えていたという事は、捨てられたか、或いは親猫に何かがあったということ。

動物の世界でも、ストレス等が原因で、ネグレクトをするケースがあって。

その場合当然子供は死ぬ。

猫の場合は、雄猫が、別の猫の子供を殺すケースがある。

これは母猫を発情させるためで。

自分の遺伝子を残すための行動だ。

ライオンなんかでも有名だけれど。

家猫もやる。

前に読んだシートン動物記の猫を扱った話では、冒頭でいきなりこの子殺しが行われているほどだ。

猫は小さいけれど。

動物。

情とか、そういうものは。

人間とは違うのだ。

見かけだけ可愛いから可愛がったりしていると。

猫という生物の本質を見失うことになる。

いずれにしても、野生猫で四歳か。

そうなると、ひょっとして。

まあいい。

「分かった。 探してあげる。 ただし、生きているかどうかは分からないよ」

「うん……それは覚悟してる」

「ちなみにその猫の写真は?」

「うん、あるよ」

見ると、典型的な野良猫だ。雑種である。

写真を姫野のスマホに転送して貰う。私のスマホに、後でメールしてもらうためだ。私はスマホを家から持ち出せないのである。

家でプリントして。

後で使う。

他にも幾つかの情報を聞いた後、雪野には告げる。

「聞いてるかも知れないけれど、報酬は白いもの。 市販品は駄目だよ。 下手でも良いから、自分で作って」

「うん、頑張ってみる……」

「じゃ、よろしく」

既に思考を切り替えている。

私が最初に向かったのは。

保健所だ。

 

1、猫の末路

 

野良猫は、その生活が思ったほど優雅ではないし。

何よりも、病気を媒介する可能性もある。

漫画なんかでよく猫に引っかかれているシーンがあるが。

あれは実際にはとても危険だ。

どんな病気を移されるか、知れたものではないからである。

その程度の知識は、当然私にもある。

そして、その結果。

何が行われるか。

増えすぎた野良猫は、保健所に連れて行かれて。

処理される。

保健所などでは、去勢だけして後は放つ場合もあるのだけれど。

それだってただでは無い。

ただし、保健所では、基本的にデータは残しているし。処分するまでに引き取りに来てくれた人がいれば。

その人に猫を譲渡もする。

猫に飽きて捨てる飼い主もいるかも知れないが。

知っておくと良いだろう。

捨てられた猫の末路を。

家などで飼われていた猫は。

餌をとる術だって知らない。

他の猫の縄張りに入れば、当然追い出される。

つまり餌を確保することだってできないのだ。

その結果待っているのは。

餓死か。

もしくは保健所での処分か。

猫は外で生きていける生物だ、なんてのは、人間にとっての都合が良い理屈に過ぎない。家で十年以上生きる猫はいるが。

それは人間の家という、ジャングルより過酷な人間の街という環境とは隔絶した、楽園で生活しているからである。

保健所は、この街の隣にある。

駅でスイカを使って。

隣町に。

なお、姫島はおもしろがってついてくる事もあるが。

私が色々と考えて動くのを見ていると疲れるらしく。

途中で飽きて帰ってしまう事も多い。

結末だけは知りたがるが。

まあ、ゲームでもレベル上げの時間は退屈なだけだ。なんて口にする人も珍しくないように。

途中の過程には、興味を示せない人間は一定数いる。

それを私は、咎める気は無い。

保健所に出向くと。

入り口で。役所の人間らしいのに呼び止められたので。

飼い猫が、いなくなったこと。

ひょっとしたら保健所にいるかも知れないと、おじいちゃんに教えられたこと。

それを告げて、写真を見せる。

「首輪はつけていなかったの?」

「逃げたタイミングで切れちゃった」

「ああ、そうか。 それだと確かに保健所にいるかもしれないね。 ちょっと来てくれる?」

頷くと、ついていく。

なお、私は。

今意図的に、「自分の猫では無い」事は口にしていない。

そんな事を口にしても話がややこしくなるだけだし。

そもそも、子供にそんな知恵があるとしれると、ややこしいだけだからだ。

保健所では、処分待ちのイヌや猫が、結構な数収容されていた。

これも仕方が無い事だと、私は知っている。

特に野犬。

野犬は集団で狩りをする関係上、猫と違って本当に人間を殺傷する可能性がある。実際昔は、山などで増えた野犬が、人間を襲って食い殺すケースが結構あったそうだ。犬は狼と違って人間を怖れないため、一度野生化すると群れになった場合その危険度は熊にも匹敵するのである。

更に野犬は、狂犬病を媒介するケースがある。

狂犬病は、最近何だかネットで騒いでいるワクチン反対論者とかいうアホどもは知らないようだが。

かかるとほぼ死が確定している、あまりにも危険な病気だ。

潜伏期間の間に判明すれば助かるのだが。

もしも発症してしまうと、まず助からない。

確か発症してから助かった例は、数件しか無い筈で。

全世界で万を超える人間が今でも毎年死んでいる、とても恐ろしい病気なのである。

狂犬病のワクチンをイヌに打たなければならないのは、これが理由で。

更に、野犬をどんどん処分していかなければならない理由も、これが理由になる。

イヌも猫も。

どっちもこれから自分が何をされるか何となく理解しているようで。

訴えかけるような目で此方を見ているが。

残念ながら私にしてやれることは無い。

更に、最近処分された猫のデータも見せてもらう。

二週間前にいなくなったと言うことなので。

それ以前のデータはいらない。

写真と照合していく。

似ている猫はいるが。

多分当たりはいない。

首を横に振ると。

保健所の人は、そうかと言うのだった。

「猫だとふらっと戻ってくる事もあるけれど。 基本的に保健所で保護した場合は、処分することになるからね。 時々見に来るようにしてね」

「有難う」

ぺこりと頭を下げる。

去って行く私の背中に、にゃーにゃーきゃんきゃん悲痛な声が掛かる。

見捨てないでくれ。

このままだと殺される。

勝手に飼っておいて、捨てるのは酷い。

そう叫んでいるようだった。

だが、そう言われても。

此方だって、山にイヌやら猫やらを放すわけにもいかない。

特にイヌが野生化して繁殖するととんでも無い事になる。保健所だって、その辺りは良く理解しているのだ。

ちなみに最近では、殺処分に窒息死を用いるそうだが。

これは当然苦しいだろう。

金持ちの中には、ペットをブームにあわせて買い換えたりするような連中もいるそうだが。

そういう奴らは、この現実を知らないか。

もしくは知っていても、鼻で笑える連中、というわけだ。

反吐が出る。

畜生というのは。

むしろそういう連中のためにある言葉ではあるまいか。

ともかく、だ。

保健所に連れて行かれた、という可能性はこれでなくなった。

次に考慮する可能性は。

畜生に敷居をまたがせるわけにはいかないとか吠えていた。雪野の祖父だろう。

此奴が、猫を処分した可能性がある。

問題はアプローチの方法だが。

電車に乗り込んで、最寄り駅に向かいながら。

私は飴を取り出すと、口に咥える。

三十分もつ飴だ。

しばしもむもむしていると。

脳に糖分が染み渡る。

糖分は脳のエサだ。

取りすぎると太るけれど。

それはもう、そういうものだと諦めるしかない。

私の場合は、ある程度、これについては仕方が無い。頭を使う場合、脳は貪欲に糖分を要求してくる。

話に聞くが。

将棋とか囲碁とかのプロも。

豪快に甘いものを食べるという。

対局中などに。

そういうものだ。

甘い物を脳に入れれば入れるほど。

脳は元気になるのである。

最寄り駅に着く。

知り合いの老人がいたので、猫の写真を見せてみるが。知らないと言われた。まあそうだろうな。

軽く世間話につきあって。

それから、その場を離れる。

私は遠くから見てもすぐにわかると言うことで。

老人達には評判らしい。

よく分からないが。

いずれにしても、この黄色のパーカーが、実用的だという事が証明されているのは良い事だ。

 

一旦家に戻ると。

PCを起動して、ネットで検索を開始。

情報を幾つか集めてから。

すぐにPCを停止した。

外に出て行くのを見て、母親が咎めるような顔をしたけれど。

別に文句をぶー垂れることもない。

異物を異物として見ているだけで。

気味が悪いから声も掛けたくない。

そう顔に書いているのが明らかだ。

母親が男の子の育成に失敗するケースがあるが。

それは価値観が完全に違うから。

男子と話してみればすぐに分かるが。

考え方から価値観まで。

根本的に違う。

年齢が重なれば重なるほど、その差は大きくなっていく。

そして、大人になると。

子供の頃、自分がどうだったか。

思い出せなくなるらしい。

自分と違う価値観を持っている人間は悪。

そういう考えの下。

子供が大事にしているものを捨てろと強要する親は後を絶たないし。

自分と趣味が違う場合。

卒業して自分の趣味に合わせろと喚く親も見受けられる。

そんな事だから、今趣味の世界はアングラ化している。

私は親にどういう趣味を持っているか口にするつもりはないが。それは理解が得られないと知っているからだ。

雨が降り始めている。

パーカーがあればいらないけれど、念のために傘を差す。

老人による処分の可能性については後回し。

雪野が飼っていた猫はあまり頭が良くなかった様子だし、多分エサを片手に近づいて来たら、大喜びで自分を殺す気の相手にも寄っていっただろう。だから、雪野の祖父が何かしらの理由で猫を処分するのは、容易だったはずだ。

だが、その可能性は一旦置いておく。

この街最大の金持ちと相対するのはリスクが大きい。

まずはリスクが小さい方向から探していく。

私はそれなりに鼻が利く。

山で秘密基地と家を行き来していると。

ある臭いを、どうしても嗅ぎ慣れる。

それは、死臭だ。

猫は死ぬ間際になると、身を隠す。

病気だったり、或いは餓死寸前になると、である。

これは死ぬ姿を見せないために、といよりも。私の推察に過ぎないけれど、多分自分が最も安全だと考えている場所に移動することで、生存の確率を上げるためだろう。動物は人間と違って、喜怒哀楽を持っていても、感傷なんかは持たない。

静かに死にたい。

猫はそんな風には考えないはずだ。

まあ、私も猫みたいといわれても、猫になった訳じゃあない。

実際に猫になって見ないとそれが正解かは分からないが。

とにかく、あまり頭が良くない猫が。

身を隠すために使っていただろう場所。

それも、雪野が隠れて飼っていた場所の近くを探していく。

空き地の近くには、古い時代には土管が積まれていたりしたらしいのだけれど。

今の時代は、それもない。

猫はかなり狭い隙間にも入り込む事が出来る。

そういった場所に隠れていたら。

私では入り込めないだろう。

彼方此方を見て回るが。

少なくとも死臭はないか。

ふんふんと鼻を鳴らす。

イヌほど鼻が利くわけではないけれど。

いなくなったのが二週間前だとすると。

もし死期を悟っていたのなら。

とうに死んでいるはず。

一週間前に死んだとすれば。

私の鼻なら捕らえられるくらいの死臭が、漏れてきているはずだ。

それがない。

ということは、この近所では死んでいないか。

そうなると、続いては生きているケースを考えるべきか。

雪野の祖父が殺して処分したケースについては後回し。

リスク最大の件については、処理を最後に回すのが妥当だ。

それに、何より。

雪野の祖父にしても、動物虐待が明らかになると、世間体が色々良くないだろう。毒エサなどを使うケースの場合、死体の処理が大変になる。

厳しいと言っても所詮老人。

ばれないように猫の死体を埋める穴を掘って埋めたりするのは骨だろうし。

保健所には、雪野の飼っていた猫の死体の情報は無かった。

まあそうなると、手間が掛かった処理をした可能性もあるが。

いずれにしても、次は生存について考える。

さて、生存している場合、考えられるのは。

他の人間が拾ったケースだ。

何しろノラである。

更にいうと、猫は基本的に人間になつく、という事がない。勿論人間に慣れることはあるけれど。

それは所詮上下関係とか関係無しの話。

イヌと猫は違う。

群れの一員として人間を認識するイヌと違い。

猫はむしろどれだけ飼っても、人間に対してはそれほど深い感情を持たないケースが多い。

雪野には悪いが。

より良い条件でエサをくれたりする人間が現れた場合。

そっちに簡単になびくだろう。

猫というのは、そういう生物だ。

だから好き嫌いが極端に分かれるのである。

ただ、問題があるとすれば。

猫は場所にいつく、という事だ。

雪野が此処で猫を飼っていたとしたら。

誰かが連れて行って飼い始めたとしても。

多分家に密閉して閉じ込めでもしない限り、逃げ出して此処に戻ってくるだろう。

実際アメリカでは、数百キロを移動して、新居から元の家に戻った猫の記録がある。これは実話である。

つまり猫は恐らくだが。

雪野をエサをくれる便利な存在だと思ってはいても。

その場所以上に優先すべき存在だとは考えていない。

これはハンターとしての習性が故で。

安定してエサを得られる場所の方が、猫にとっては大事だから、だろう。

まあ生物としてそういうものなので、これは仕方が無い。その場合、誰が猫を拾っていって。

何処に飼っているか、になるが。

ふむ。

腕組みする。

この辺りをたまたま通りがかった旅行者が、猫を連れていった、というケースは正直考えにくい。

雪野に関しては溺愛ぶりから考えて。

朝と夕方。

つまり登校時と帰宅時には、この猫に会いに来ていただろう。

猫の活動時間的に。

昼辺りは寝ている可能性が高い。

雪野の飼っていた猫は、つまり朝と夜以外は身を隠していた可能性が高く。もしも連れて行かれたとしたら。

雪野とニアミスだったのではあるまいか。

腕組みして、考え込む。

そうなると、可能性は絞られてくる。

まず、会社などに出向くサラリーマンなどのケースはありえない。

この近所にはホームレスはいないし、いたとしても猫を密閉して飼うことは難しいだろう。

となると帰り道。

むしろ、猫を連れ帰ったのは。

雪野と同じように餌を与えていた子供。

それも、猫を飼える環境にある子供では無いのか。

要するに、中学生や高校生。

大学生などである。

情報網を使うか。

今まで世話をした人間にメールを流し。こう告げる。

最近猫を飼い始めた奴は、身近にいないか。

私が今まで仕事をした人間の中で、最年長の相手は高校生である。

そしてこの近辺の高校は思ったより遙かに少ない。

つまり。

メールを廻す事で。

案外活路が開けるかも知れない。

 

2、コンクリート地獄

 

私の目の前には、ズタズタに引きちぎられたハトが落ちていて。

カラスがそれを掴んで、飛んでいった。

よく見られる光景だ。

カラスはハトを掴んで、飛ぶ事が出来るほどの能力を持っている、ということである。殺傷力も高い。

良く拾ってくださいとか書いて、段ボールに猫の子供を詰めているケースがあるが。

その場合、良くてカラスのエサ。

酷い場合は、そのまま衰弱して、蟻や蠅のエサ。

ペットショップで売られている可愛い子犬や子猫だって。

適当に育ってしまうと、もう売れなくなる。

必死にペットの可愛いわんちゃんやにゃんこが愛想を振りまいているのは。

売れなかった場合の末路を悟っているからだ。

ペットのブリーダーも、優しい人間ばかりでは無い。

近親交配を派手に繰り返して、障害を持ったイヌを産ませたり。

まだ子供の犬猫を無理矢理発情させて、早いタイミングで子供を無理矢理作らせて、繁殖の期間を短縮したり。

ペットショップで売られている犬猫だって。

地獄にいるのだ。

可愛い犬猫の現実は。

私もこうやって、ちょっと調べるだけですぐに分かる。

血統書なんかも、敢えて英語で書かれているケースがあるが。

それをよく見ると。

ギリシャ神話の血統図みたいな。

どこにも、同じ名前が出てきたりもする。

そういうものだ。

つまり、理想的環境で飼われている可愛い犬猫は。

数限りない屍の中に浮かぶ。

例外なのだ。

ノラよりも酷い目に遭っている犬猫も当然いるだろう。

悪質ブリーダーに飼われている場合がそうだ。

たまに虐待の限りを尽くしていたような悪質ブリーダーが摘発されるけれど。

あんなものは氷山の一角。

所詮人間とは。

そういう生き物だ、ということである。

可愛い動物、か。

私は翌朝、秘密基地でぼんやり天井を眺めやりながら考える。

昨日の時点で、有力情報は無い。

ちょっと時間をおいてから、次のアクションに出るけれど。

いなくなった猫の一匹に。

これだけ時間を割くのは私くらいだろうか。

しかも、親に言えない子供の頼みを聞くのも。

同じく私くらいだろう。

あくびをする。

今、脳内で猫のいそうな場所の心当たりを調べているのだけれども。

どうにも決定打に欠ける。

保健所が空振りだった今。

どっかでのたれ死んでいるか。

誰かが連れて行ったか。

殺されているか。

この中のどれかが正解だろうと思うのだが。

そのどれもが。

正解だとは思えないのだ。

何というか、どうもぴんと来ないのである。

「シロー!」

姫島が秘密基地に入ってくる。

あくびをしながら身を起こし、飴を口に突っ込む。昨日は脳を結構使ったから、それなりに疲れた。

「どうした?」

「進展は? 雪野さん泣いてて」

「泣いてる?」

「大事な家族なんだって」

そっか。

大事な家族か。

ペットロスで、そういった感情を覚える人間は多いと聞く。もっとも、犬猫からしてみれば、それをどう受け取るかは分からないが。

人間同士でさえそうだ。

人間と動物は、コミュニケーションの方法が根本的に違う。

雪野が溺愛していても。

猫の方はどうだったのか。

「仕方が無いなあ。 ちょっと作業を早めるか」

「今までのんびりやってたの?」

「可能性が高い所から潰してたけれど、どうも手応えが無いんだわ」

「ふーん」

何か、見落としをしていないか。

今までに想定した以外の可能性は。

例えば。

何か雪野が、隠し事をしていたとか。

猫が自分で縄張りを離れるとすると。

死期を悟ったり。

或いは危険があった場合だ。

そして今の時点で。

どうにも手がかりがない。

仕方が無い。

これも仕事だ。

ひょいとベットから起き上がると、あくびをしながら靴をはき直す。姫島が面白そうに見ていた。

「探偵モード?」

「そんな大それたもんじゃないけれどね」

「ふふ、ミステリアスで格好いいよ」

「ありがと。 ただこれは作ってるキャラだからね、念のため」

オシャレだの何だのにその内興味を持つようになるのかも知れないけれど。

私の場合、見てくれはまず相手を威嚇するための武器だ。

そういえば、化粧もそういう用途があると聞いた事がある。

結局の所。

私の被っているこのパーカーも。

ある意味化粧なのかも知れない。

獣道を通って、街に降りる。

ふと、気付いた。

カラスが多数飛んでいて。

獲物を狙っていた。

鳴き声で分かる。

彼奴らはかなり高い知能を持っていて、鳴き声によって周囲に状況を知らせる。群れでの狩りもお手の物だ。

何を狙っているのかは知らないが。

正直な話、どうでもいい。

カラスにとっては生きるためなのだから。

さて、猫を飼っていたという現場に出向く。

周囲に住んでいる老人をピックアップ。

知り合いは何人かいるが。

話の聞き方を、少し変えてみるとするか。

 

姫島は先に帰らせて。

私は腕組みして、猫を飼っていた辺りをもう少し調べていた。そろそろ暗くなってくる頃だ。

ちょっとばかり面倒くさい事になってきている。

流石に変質者の噂がないにしても。

最近は治安も悪くなってきた。

もたついてはいられない。

今、調べているのは。

此処で猫の虐待が無かったか、というものだ。

つまり雪野にとって家族というのは。

歪んだ形のもので。

耐えきれなくなった猫が逃げ出した。

そういう可能性を想定したのだが。

どうもそうでもないらしい。

実は、此処を通りかかった人間から、雪野が甲斐甲斐しく猫の世話をしている様子を見たと、複数の証言が上がっている。

猫の悲鳴の類も聞かれていないという。

小首を捻る。

保健所は無い。

そして、メールの確認があらかた終わった現在。

誰かが猫を連れて行った可能性も低くなった。

後は変質者の可能性を想定しなければならないが。

それも可能性が低い。

ここしばらく、その手の話はないし。

もしも犬猫を殺して回っている変質者がいるのなら。

恐らくはすぐに騒ぎになる。

どうやったって、そういう変質者は、常習性を持つものだし。

基本的にやりかたがどんどんエスカレートする。

このエスカレートの中には、警察などを舐めて、やり口が大胆になるというのも含まれるので。

犬猫を殺して遊ぶようになると。

どうしてもずさんになり。

そして目立つようになる。

こんな小さな街で噂にならない筈も無い。

このケースもないと見て良いだろう。

やはり、そうなると。

何かもう一枚裏があると見て良さそうだ。

雪野の家族についての情報がいる。

雪野の祖父は手を出すのが少しばかり危ない。

まずは外堀を埋めていくのが良いだろう。

順番に、一人ずつ。

調べていく。

まずは雪野に会いに行く。

翌日の昼休みだ。

私が来ると、さっと人垣が離れる。

顎をしゃくって、雪野を連れ出した。

周囲からひそひそ声が聞こえた。

「彼奴、シロだぜ」

「可哀想に、雪野さん、殺されるのかな」

「聞いた? 報酬に、命を取られるって」

「何それ怖い」

勝手な噂話だ。

舐めた噂話をしているならその場でシメるけれど。

これらは畏怖による噂話。

だったら放置。

私は畏怖されていて上等。

子供の中では、いや人間の中では、舐められる、という事が一番致命的になる。つまり、このままの状態でいれば。

私は大丈夫だ。

別に友人ならいる。

アニメのキャラじゃあるまいし、学校の生徒全員が友達、何て状況を作る必要なんてない。

必要なだけ、いればいい。

私に取っては、それが交友関係だ。

人目につかない校舎裏に連れ出す。

「あ、あの。 私、何されるの……」

心底怯えきっている雪野。

私は三十分もつ飴を咥えると。

順番に話をする。

「まず調査の進展について」

「はいっ!」

「保健所を当たってみたけれど、例の猫は処分されていない。 つまり、保健所に連れて行かれた可能性は無い」

「……」

保健所について分かっていないか。

それについても説明すると。

青ざめながらも、雪野は頷いた。

「どうして可愛い猫を殺したりしないといけないの」

「イヌもそうだけれど、無節操に放置すると病気を媒介するし、場合によっては人も襲ったりする。 だから人間が捨てた動物は、きちんと管理しないといけないの。 保健所の人達だって、好きで犬猫を窒息死させているわけじゃない」

「窒息……」

「話を続けようか」

続いて、猫が死期を悟って、その場を離れたケースについても説明。

青ざめて俯いていた雪野は。

それは多分無いと思うと言った。

「どうして?」

「リンネは毛づやも良くって、私に甘えてゴロゴロしてたの。 いなくなる前の日だって」

「……」

「猫は年を取ってくると、毛繕いが出来なくなるって聞いた事があるよ。 もしもそうやってその、隠れてひっそり死んで行ったのなら、きっと私にも分かったと思う」

意外に観察しているな。

嘘の可能性もあるが。

続けて、誰かが連れて行ったケースについて説明。

首輪もつけていない猫だ。

人なつっこい様子を見て、誰かが飼い猫にしようと連れていった可能性について説明する。

それを聞いて、息を呑むのを、私は見逃さなかった。

「そ、そんな、どういうこと」

「朝、いなくなっていたと言う話だな」

「うん。 どんなに呼んでも出てこなくて」

「つまり下校時に見に行った後、誰かが連れて行った可能性だ。 しかし猫は、基本的に人間では無くて場所に居着く生き物だ。 もしも戻ってこられない場合は、部屋などから出られないようにされている可能性が高い」

じっと俯く雪野。

これは正解に辿り着いたかも知れない。

「小学生という事はないだろう。 ただ、今メールを回して調べているが、少なくとも最近猫を飼い始めたという話をしている中学生や高校生はいない。 そうなると大人だが、その線も違うとみている。 金を持っている大人なら、「きちんとした」猫を、ペットショップで買えば良いだけだ」

「……」

「そうなると、残る可能性に浮上してくるものがある」

「何、ですか」

雪野が顔を上げたタイミングを見計らって。

雪野の目を覗き込む。

ひっと、雪野が声を漏らしていた。

私の目はドブのように濁りきっていると言われた事がある。

覗き込むと、ブラックホールに引きずり込まれるようだ、というのである。

まあ母親に気味悪がられて。

自分がどうして愛情を向けられなかったのだろうと、本気で悩んでいた時期もあるのだし、それは当然だろう。

ネグレクトは心に傷を穿つ。

私が生き急ぐように情報を吸収し。

一刻も早い独立を目指し。

何があっても生きていけるように自分を鍛え抜いているのも。

ああいう親にはなりたくないと思い。

そして一秒でも早くあの親から離れたいから。

そういう思いが。

私の目を濁らせる。

そしてその濁った目は、相手を恐怖させる。

「雪野。 お前、何か隠してるだろ」

「な、なにも」

「リンネを虐待はしていないよな」

「し、していないよっ!」

首をブンブン振る雪野。

この恐怖に押し包まれた様子からして。

多分それはないか。

「どうやらその線は無さそうだ。 だがはっきりしたが、何か心当たりがあるな。 それも誰にも言えない」

「な、なんで、どうして」

「可能性が高い所から潰して行ったが、どうにも手応えがない。 それはつまり、前提からして何かがおかしいと言うことを示唆しているんだよ。 そうだな。 例えば、祖父以外にも、リンネの事を快く思っていない家族がいなかったか」

蒼白になってへたり込む雪野。

なるほど。

正解か。

「誰だ」

「……」

「もう18日が経過している。 このままだと、リンネの生還率は0に近くなる。 今の時点でも、多分生還率は一割を切っている」

私の予想では。

多分もうリンネという猫は生きていないだろう。

だけれども。

解決まで話を持って行くには。

きっちり真相にまでまずは辿り着かなければならない。

「その、お母さんが」

「母親が?」

「この間のテストの点数が悪かったのを見て、凄く怒って……あの猫が原因だろうって、ぶたれたの」

「ぶたれた、か」

傷を見せてもらう。

鳩尾に、青黒く痣が残っていた。

これはぶたれたと言うよりも。

殴られたのだろう。

それもグーで。

虐待されていたのは。

むしろ雪野か。

見えない所を殴るのは。

常習犯だと見て良い。

見えるところに暴力を加える奴は、イジメを行う場合でも素人だ。これは、虐待が常習化していると見て良い。

しかも雪野は精神的な発育が遅い。

まだ親を嫌えない段階にあるのではあるまいか。

「母親は嫌い?」

首を横に振る。

暴力を振るわれるのは多いのかと聞くと。

頷かれた。

そうか。

大体見えてきた。

「家に案内してくれる?」

「良いけれど、何をするの」

「多分リンネはそこにいる」

 

この街一番の金持ちという事もある。流石に広い家だ。

だが、私はあまり歓迎されていないようだった。

時代劇に出てきそうな和服をきた老人が、じっと庭で盆栽を見つめている。背筋もしっかり伸びていて、顔も四角い。今時カイゼル髭を伸ばしていて、重厚な岩みたいな雰囲気だ。

私が頭を下げて挨拶すると。

老人は鼻を鳴らす。

「安城の所の子か」

「此方お土産です」

「目が濁りきっているな。 小賢しい真似はせんでええわ」

ほう。

これはこれは。

予想とはちょっと違う。

此奴は臭いが違うのだ。

雪野は恐ろしいおじいちゃんだと言っていたけれど。これは単に自分にも他人にも厳しいタイプとみた。

要するに、雪野を怒ることはあっても。

その母親のように、暴力を振るったりする事は無いだろう。

或いは、知らないのかも知れない。

ちなみに雪野は母方の孫。

何処かで娘には甘いのかも知れなかった。

私が口の端をつり上げたのに、老人は気付いたのかも知れない。鼻を鳴らすと、とっとと行けと言う。

私はもう一度礼をすると、その場を離れ。

怯えきっている雪野の手を引いて、家には入らず、庭を案内して貰う。

あるとしたら。

多分この辺りか。

花壇。

違う。

死体というのは、案外強い臭いを出すものだ。

これについては、山で色々な死体を見ているから、私も良く知っている。

例えば殺人事件とかで、死体を埋めたとしても。

一メートル程度埋めたくらいでは、あっという間に動物に掘り返される。

最低でも、死体は二メートルの深さに埋めなければならない。

これは鉄則だ。

ヤクザなんかは、そうやって死体を処理した上。

ビニールシートまでかぶせて、臭いが漏れるのを防ぐそうだが。

逆に言うと。

そうまでしないと、死体は臭いをまき散らす。

花壇にはない。

次に物置。

暗くて静かな場所だと、案外死体は痛むのが遅れるケースがある。

だが、ここしばらく暑い日が続いた。

そして、死体をエサとする動物は。

痛んだ死体の臭いには敏感だ。

物置は流石に田舎の金持ちだけあって複数あったが。その内の一つ。

一番奥から。

死臭がした。

間違いない。

一旦物置から離れると、雪野の耳元に囁く。

「あの物置の鍵借りてきて。 出来るだけ母親にはばれないように」

「う、うん」

「急いで!」

急かす。

胡散臭そうにこっちを見ているのは、雪野の母親だろう。祖父同様に着物を着ていて、剣呑な目つきをしていた。

奴は、雪野が祖父から鍵を借りて戻ってきて。

私がまっすぐ物置に向かうと、文字通り跳び上がったようだった。

「何をしているの! 人の家で!」

「何も。 雪野、この中だ」

「うん!」

「止めなさい! この躾のなっていない泥棒猫!」

喚きながら、手を伸ばす母親だが。

私はあっさり回避。

つんのめった母親が、私を殴ろうとするが、そんなスローな攻撃当たりはしない。これでも母親はネグレクトの前は暴力を振るってきていたし、慣れている。

何より、自力で護身術についてはならっている。

中学生以上の、武術を習っている男子になら勝てないだろうが。

素人の。

それも喧嘩もしたことが無いような相手なら。ましてや相手が女性なら。

成人でもこの通りだ。

制圧は難しいが。

回避は難しくない。

雪野が物置を開けると同時に。

凄まじい勢いで、毛玉が飛び出してきた。

完全にパニックを起こしたそれを、私が素早く捕まえる。

雪野が叫んでいた。

「リンネ!」

物置の中には。

腐った魚の死体と。

鼠の死体。

恐らくは、この母親が、猫を捕まえた後。

申し訳程度に放り込んだエサに違いなかった。

猫を捕まえて体勢を崩した私に。

雪野の母親が、容赦なく蹴りを叩き込んできた。

ガードしなければ、肋骨がへし折れていただろう。それくらい、何の躊躇も無い蹴りだった。

「この、このっ! ふざけ……」

凄まじい音がした。

雪野の母親を。

雪野の祖父が。

背負い投げ一本で、地面に叩き付けた音だった。

 

白々しく泣いてみせる雪野の母親だが。

祖父は鬼の形相。

どうやら事情については。

私が話すまでもないようだった。見ればバカにだって分かる。

「人様の子供に暴力を振るったあげく、子供の猫を虐待死寸前に追いこむだと……!」

「そ、それは教育の一環で」

「娘を殴るのも教育の一環だと?」

ぎゅっとリンネを抱きしめて、雪野は泣いていた。

リンネは相当に衰弱していたが。

どうにかまだ生きている。

ただ毛並みは相当に乱れていて、これは多分救出が遅れたら助からなかっただろう。

雪野を促し。

立ち上がらせる。

流石に雪野も、今回の件で目が覚めたのだろう。

親が嫌えない年代は存在するが。

それもいつかは終わる。

多分今回の件で。

雪野は決定的な不信感を母親に抱いたはずだ。

それがきっかけになったのだろう。

母親が青ざめているその前で、雪野の服をめくってみせる。其処には、明らかすぎる青あざがあった。

「よく見てください。 大きさからして、子供が殴った跡ではありません。 それも、見えない所を巧妙に殴っています」

「お前ぇえっ! 佐枝、自分の子供に暴力を振るうような母親は、畜生と言うんだ! 畜生に成り下がったかあっ!」

「ひいっ!」

完全に羅刹と化した雪野の祖父が。

佐枝と呼ばれた、雪野の母親の首根っこを捕まえて、別室に連れて行く。これから多分、数時間単位で説教だろう。

何処で見ていたのか。

雪野の母親より若い女性が、部屋に入ってきた。

多分雪野の叔母だろうか。

「貴方、雪野の友達?」

「シロといいます」

「そう。 シロちゃん、長引くと思うから、今日は帰って。 それと雪野、その猫には、早くちゃんとしたエサをあげなさい」

「はい……」

雪野はまだ泣いていたけれど。

それでも、頷く。

衰弱していたリンネを見て、私は言う。

「虱や蚤なんかにくっつかれている可能性があります。 動物病院に連れて行った方が良いでしょう。 後ワクチンなんかも打って貰った方が良いでしょうね」

「しっかりしているわね」

「今の子供は、情報を簡単に得られるんですよ。 これくらいの情報は、今時小学生でも知っている、それだけです」

とりあえず、これで問題の根幹は分かった。

だが、どうしてこういう事態に発展したのか。

それを解決しないと。

何も終わらない。

そう見て良さそうだった。

 

3、毒親

 

翌日。

昨日と同じように、雪野を喚び出す。姫島も一緒に来て貰った。

顛末を聞き出すためだ。

言っておくが。

事件は、まだ何一つとして。

解決していない。

私は初動を誤った。

途中で気付いて良かったが。やはり前提からして、この事件は間違っていたのだ。猫がいなくなったのが重要では無かった。

それはあくまで事件全体の要素の一つであり。

完全に勘違いした母親による。

完全に間違った思想の押しつけが、全ての原因だった。

「あの後お母さん、もの凄くおじいちゃんに怒られて、しばらくは佐奈子おばさんが私の面倒を見る事になったの」

「で、そもそも、母親があんな風になった原因は」

「分からないけれど、私の知ってる限り、アニメとかに出てくる優しいお母さんなんて、見たこと無い……」

そうかそうか。

これは根が深そうだ。

父親についても聞く。

父親は話によるとエリートらしく、この街から一時間ほど掛けて通勤しているそうだ。何処ぞの外資系企業の課長らしく、部長への昇進も近いと言う。

家に帰ってくるのかと聞くと。

首を横に振られた。

「三日に一回帰ってくれば良い方。 会社に泊まるとか、ホテルに泊まるとかしてるみたい」

「通勤一時間で家に帰れない、か」

「凄く忙しいんだって」

「……」

それ、本当に外資系か。

父親の会社の名前を聞いて、姫島のスマホを借りてちょっと検索してみると。

案の場だ。

その会社は、いわゆるブラック企業。

一応外資も入っている様子だけれど。

それはあくまで一部。

基本的には日本企業で。

大手ではあるけれど。

顧客満足率は最低ランク。

国と癒着して仕事を独占しているから、なりたっているような会社で。

ちょっと調べただけで。

過労死やパワハラ、異常時間の勤務について。

ボロボロ話が出てきた。

勿論労基なんか動くわけがない。

国と癒着していたり。

大手企業の場合は。

労基は殆ど動かないのだ。

それこそ大騒ぎにでもならないかぎり。

それでか。

結局エリート様の旦那と結婚しても、そんな生活。

その上家にはコブ付き。

独立しようにも、そもそも長女という手前、家を出るわけにも行かなかったのだろう。見たところ、弟や兄がいるようにも見えなかったし。

だからといって、子供を虐待して良いわけがない。

ましてや。

「一番最近はどういう理由で怒られた?」

「テストで87点しかとれないからって」

「87点しか、ね」

この学校のテストは、それほど難しい方では無いけれど。それでも80点代も取っていれば充分な気がするが。

常に100点をとれ。

そんな無茶な事を要求してくる親がいたら。

人間はケアレスミスを必ずする生物だ、という事を頭から叩き込まなければならないだろう。

どんな天才でもミスはする。

あのアインシュタインでさえ、単純な計算ミスが原因で、相対論は間違っているのでは無いかと言う思いに取り憑かれていた時期があったという。IQ200のアインシュタインが、である。

それなのに。

このどう見ても、あまり頭も良くない雪野が。

ストレスフルな環境に晒されて。

80点代も取れていれば。

それは充分に大したものだろう。

子供に何を求めているのか。

「家では殴られる他に、どんなことをされた?」

「本とかアニメのDVD、全部捨てられた。 勉強に邪魔だからって」

「おじいちゃんは何も言わなかったの?」

「おじいちゃんは知らなかったの」

なるほど。

巧妙に隠れてやっていたわけだ。

母親の名前についても、ちょっと調べておく必要がありそうだ。同年代の娘がいる老人を何人か知っている。

ちょっとメールを回して、評判を確認しておこう。

「リンネがいなくなる前に、何かあった?」

「理科のテストが85点だったの。 そうしたら、家に帰った後、お母さんがもの凄く怒って」

「85点で?」

「まったく努力していない。 反省も成長もしていないって」

そうかそうか。

虐待がエスカレートする見本のような事例だ。

それで殴る蹴るを行ったあげく。

娘が可愛がっている猫を、取りあげたというわけだ。

取りあげれば少しは反省して勉強をするようになる、とでもいうのだろうか。

アホか。

少し前に、最悪クラスのサイコキラーが捕まった。

筋金入りのサイコ野郎だったけれど。

此奴は親にあらゆる娯楽を取りあげられ。

アニメは国民的な作品しか見る事を許されず。

ゲームもやったことがないという男だった。

雪野の母親は。

娘をサイコキラーにでもしたいのだろうか。

さぞやエリートなサイコキラーに育つことだろう。

温室栽培なんてしたって。

碌な事にはならない。

ましてや、こんなやり方で。

子供がまともに育つとでも思うのだろうか。

「今はお母さんはどうしている?」

「おじいちゃんが鬼みたいな顔で見張ってる。 お父さんにも話がされて、お父さんも怒られてた」

「それは酷だな」

「?」

その話を聞く限り。

父親は正直、生きるので精一杯の筈だ。

おかしな話で。

生きるために仕事をするのに。

仕事をするために生きるのが今の時代では当たり前になってしまっている。

三日に一度しか帰れないような環境だ。

家庭の事なんて顧みる余裕など無いだろう。

これで少子化だの教育崩壊だのいうのだから。

ちゃんちゃらおかしくて、へそで茶がわく。

うちでも似たような状況で虐待が始まったから、大体雪野の事情は分かった。ただ、解決にはまだ一手間二手間が必要になるだろう。

さて、どうするか。

幾つか、手を打たなければならないだろう。

このままだと、恐らく。

雪野は家庭崩壊に巻き込まれる。

 

雪野の家に出向く。

この間も厳しい雰囲気だったが。

今は更に厳しい状況のようで。

奥からは怒鳴り声が聞こえていた。

これは、原因がそもそもあの祖父にありそうだ。

多分あの人は。

他人にも自分にも厳しい人なのだろう。

雰囲気からしてそうだ。

雪野の虐待が分かった時点での怒り方。

それに、卑劣かつ残虐な行動を見た瞬間の反応。

この老人は、少なくとも卑劣漢ではない。

だけれども、その子供までそうかというと、違う。

蛙の子は蛙なんて言葉があるけれど。

それはあくまでスペックの話。

性格は正反対になるケースが多い。

この家でも。

同じだったのだろう。

つまりあの毒親は、自分に甘く他人にはとことん厳しく育ったわけだ。

データが来た。

メールを確認したが。

やはりそうだ。

学校時代から、あの毒親は評判が最悪だったそうである。主に同級生から、だ。

教師に対する外面は良かった。

しかしその反面。

陰湿な虐めに何度も荷担。

常に自分を正しいと考え。

周囲を自分より劣っていると常に公言していたという。

弱い相手は虐められて当然。

そんな事まで言っていたそうだ。

有名大出の夫と結婚したときも。

勝ち組だと勝ち誇っていたそうである。

アホらしい。

この金持ちの家に生まれたから、たまたまそういうチャンスが来ただけだ。今の時代、結婚しないケースさえ多いのに。

しかしながら、自分は優れている。勝ち組だという妄想は。

娘が完璧では無かった、という現実の前に打ち砕かれた。

娘は常に100点を取らなければならない。

学年一位で。

可能なら全国の学力テストでも最上位に食い込んでくるくらいの成績をたたき出し。

将来は東大に入るのも夢では無く。

何もかも理想通りで無ければならない。

何しろ完璧な自分と。

有名大出の夫の子供なのだから。そうでなければいけない。

そう考えたのだと、私は推察した。

まあ、異常なナルシストが、こんな環境に置かれたら、そういう妄想にも陥るだろう。更に言えば、そんな奴が、子供が自分とは別の人間であり、人格も意思も持っているなんて事に思い当たる訳も無い。

子供はアクセサリ。

そう考えるのがこういう奴だ。

DQNネームをつけなかったのは、祖父が怖かったから。

ただそれだけだろう。

それ以外の要素では。

自分の思うとおりに動かなければ許せないし。

自分の考えるとおりの結果を出せなければ万死に値すると考えていたのだとみて良い。

故に、現実を見せつけられ。

雪野が100点を取れず。

学年一位どころか、どちらかといえばどんくさい子で。

どれだけ「鍛えてやっても」「まったく進歩しない」事に激高したのだろう。

自分が常に全面的に正しいのだから、間違っているという発想さえ湧かない。

だから相手に、努力をまったくしていないとか、口に出来るのだ。

本当に努力をまったくしていなかったら。

テストでほぼ満点に近い点数なんて取れるわけがないだろうに。

学校でも、雪野の同級生に話を聞いてみたが。

授業は真面目に受けていて。

騒ぐようなこともせず。

とにかく絵に描いたような良い子、だったそうだ。

更に教師にも話を聞いてみたが。

雪野のいるクラスでは虐めの気配もなく。

祖父から既に話が飛んでいるらしい虐待の件については、気付いてさえいなかった様子である。

とはいっても。

何しろ街一番の資産家。

もしも虐待が発覚しても。

通報に二の足を踏んだかも知れないが。

幸いこの教師は変な思想団体に所属したりはしていないようだが。

田舎の金持ちは。

想像以上に権力が大きい。

大まじめにやりあおうとすると。

それこそ大変なことになるものなのである。

さて、どうするか。

厳しすぎる祖父に端を発したこの事件。

母親は元々どうしようもない毒親だったとしても。

それを排除してどうにかなる問題でもあるまい。

雪野は毎日泣いているようだが。

ぎゅっとリンネを抱きしめて離さないそうである。

登校もしていない。

クラスメイトが何回か見に行ったが。

そもそも、親を嫌えない年代の子が、こういう仕打ちを受けて、どれだけの精神的なダメージを受けるか。

わざわざ口にする必要もないだろう。

最悪の教育が。

最悪のタイミングで行われた。

そういうことだ。

「今日はお帰りください」

使用人にそう言われる。

雪野に会いに来たと言いに来たのだが。多分使用人は、私の事を覚えていたのだろう。だが、そういうわけにもいかない。

「まだ雪野「ちゃん」泣いているんじゃないですか」

「貴方には関係ありません」

「関係ありますよ。 そうでなければ、どうして今回の問題を解決したと思っているんですか」

「……」

人の心があれば。

少しは今の言葉で動揺するはずだが。

まあ、正直な話。

あまり期待はしていない。

人の心、か。

良心なんて、持ち合わせている人間はあまり多く無いのが現実だ。

雪野の母親にしてもそう。

奴にとっては、良心はあったかも知れないが。

それは全て自分に向いていた。

いわゆる独善だ。

むしろ、良心を持っていて、誰にも親切だと。

八方美人なんて陰口をたたかれたり。

尻軽とか言われたり。

偽善者なんて罵られる。

それがこの世では無いか。

小学生だって、その程度は知っている。

学校内での勢力争いが、子供時代からどれだけ苛烈か、言う間でもないだろう。女子なんて特に悲惨だ。

グループに所属できなかった女子は容赦なくはじき出されるし。

それそのものが悪とされる。

グループのカースト最下位も悲惨だ。

イジメのターゲットになるのは、大体そういう子である。

小学生からそういう事を人間はやる。

だから、私は。

最初から、他人に人間の心なんて期待はしていないのだが。

使用人は心を痛めていたのか。

掛け合ってくると言って、家に戻っていった。

これは意外だ。

あの毒親の家に住んでいる使用人だ。

人間の心なんて、存在するとは思えなかったのだが。

良心が咎めるのだとしたら。

どうして今まで雪野を放って置いたのか。

あの祖父は、見かけほど頭が鋭くない。

実際雪野の虐待には気付いていなかったのだ。

昔だったら気付いていたかも知れないが。

もう流石に年なのだろう。

衰え始めているのだ。

さて、家の前でしばし待つと。

さっきの使用人では無く。

肩を怒らせた、あの雪野の祖父が来た。

憤懣、という言葉そのままである。

「上がりなさい」

「此方、手土産です」

「そんな気遣いは覚えなくていい。 君には聞きたいことがあるのでな」

ほう。

それが理由か。

ひょっとして、あの使用人。

私が来たら通すように、雪野の祖父に言われていたのかも知れない。使用人なりに反発があって、私を帰そうとしたのなら。

この家の人間関係は。

色々、私の想像を超えてぐちゃぐちゃなのだろう。

 

居間に通される。

奥の部屋からは、半狂乱の声が聞こえていた。

私は悪くない。

バカで無能で、努力を一切しないあのガキが悪いんだ。

努力をしないから百点が取れない。

私が産んでやったのに、恥を私に掻かせやがって。

殴るのは当然だ。

この私に恥を掻かせて。

毎日毎日面倒ばかりかけさせて。

あのガキ、殺してやる。

雪野の母親はまるでバケモノだなと、その台詞を聞いて私は苦笑していた。

怒鳴り声は、識別が可能なギリギリのライン。もう、完全に頭がおかしいとしか言いようが無かった。

あの毒親は。

まだそんな事を喚いているのか。

「少し待っていなさい」

「はあ」

老人が腰を上げると。

奥の部屋に。

さっきの狂乱とは別物の。

凄まじい爆風のような怒号が聞こえてきた。

「黙れこの恥知らずが! お前なんぞ学業成績でも大した事がなかったし、学校ではくだらん虐めにうつつを抜かしていたただの無能だっただろうが! それでも見捨てずにいた儂の前で子供に虐待を繰り返し、それを棚に上げて自分は悪くないだと! 雪野はお前よりよっぽど出来が良いわ! それも、お前のおかげでなどではない! 康一のおかげだろうが!」

康一というのは、雪野の父親だ。

まあ多分、この人の言葉は正論だろう。

ちなみに、ボイスレコーダーに狂乱の声は収録している。

雪野の母親は黙り込み。

泣き出したようだった。

雪野の祖父の追撃は続く。

「お前は精神病院に入れる。 本当だったら警察に任せるつもりだったがな、お前のような奴に子供と接する資格は無い! 一生病院の隔離病棟から出すつもりは無いからな、覚悟しておけ!」

「それだけは、それだけは止めて! 私は何も間違ったことはしていない!」

「その腐りきった性根は一生治りそうも無いな。 もう顔を見ることは無いだろう」

すすり泣きが聞こえる中。

雪野の祖父が戻ってきた。

私は嘆息する。

「見苦しいところを見せて済まなかったな。 あれは一族の恥だ。 もう見苦しいところを見せる気は無い」

「雪野ちゃんはなんと」

「お母さん嫌いと言っている。 猫についてはもう仕方が無い。 とりあえず、明日からは学校に行かせるつもりだ」

「……」

本質的には。

この祖父も、あまり代わりは無いか。

私は辛辣な評価を下していた。

この祖父は気付いているだろうか。

自分に厳しいのは良いことだと思う。

だが、他人に厳しすぎる事が。

あのような陰湿なモンスターを。

毒親を作り出してしまった。

ましてや、自分に出来ないようなことを他人に要求し。

実際に成果を上げている人間に対し。

お前は努力をしていないなどと口に出来る人間は。

人間としての心がない。

もっとも、今の時代。

人間としての心がある人間の方が。

珍しいのかもしれないが。

「一つよろしいですか」

「何か」

「雪野ちゃんに会いたいのですが」

「……良いだろう」

まあ、あの毒親よりは話が分かるか。

雪野の部屋に行く。

びくりと身を震わせた雪野だが。

私を見ると、そのまま固まる。

青ざめてはいるが。

私が来なければ。

リンネが死んでいたし。

虐待も止まらなかった。

それを理解はしているのだろう。

祖父は降りていく。

多分精神病院に入れる手続きをしているのだろう。昔は隔離病棟というと、牢屋みたいなのがあったらしいが。

今は非人道的だとかで。

そこまで酷い状態ではないそうだ。

ただし、監視はされていて。

脱出は不可能だろうが。

まあ、あの母親は。

本来警察に捕まるレベルの事をしていた。

一生隔離されるというのなら。

相応の罰が降ったと判断して。我慢をするしかないのかもしれない。

本当だったら、もみ消されて。

立場が弱い雪野の方が、心が死ぬまで追い詰められていたかも知れなかったのだから。

部屋に二人きりになると。

腰を落として。泣いている雪野に視線を合わせる。

なお、リンネは風呂に入れたのか。

綺麗になっていた。

さぞや抵抗しただろうが。

ただ、リンネも相当に怖かったのだろう。

ぶるぶる震えて、雪野にしがみついていた。

あの毒親に監禁されていたのだ。

それはおぞましい暴力くらい、振るわれてもおかしくは無かったはずである。

「今いい?」

「……ごめんなさい」

「謝る必要はない。 幾つか聞きたい」

ボイスレコーダーをかざしてみせる。

上目遣いに、じっと私を見る雪野は。

哀しみが、闇に変わり始めているようだ。

この間の件で、決定的に母親に対しての不信感が芽生え。そして親を嫌う事が出来るようになった雪野は。

ある意味で大人へ一歩近づいたとも言える。

だが、その一歩は。

必ずしもいい一歩とは言えない。

まあ、私が人の事を言えた義理では無いが。

「まだお母さんのことは好き? はいかいいえで」

「いいえ」

「良い応えだ」

雪野は、じっと不安そうに此方を見ている。

リンネがにゃあと鳴いたが。

雪野の不安を感じ取ったのだろう。

「恐らく今後は、あの叔母さんが母親代わりになる。 それに対して不安はあるか。 はいかいいえで」

「はい」

「良い応えだ」

頷く。

実際問題、あれは中年女性に不信感を覚えても仕方が無いレベルの事だった。

ネグレクトだったらまだ良かったが。

暴力を伴った虐待である。

それは当然、こうなるだろう。

ましてや、親を嫌えない年代を抜けたのだ。

今までどうしても抗えなかった理不尽が。

一気に滝のように降り注いで、雪野を包んでいるはずだ。

この辺りは。

自分の経験からも。

よく分かる。

私の場合は、ネグレクトだけだったが。

そして今もネグレクトはほぼ継続しているが。

「私は、猫を探す事を依頼されたけれど。 このままだと、猫と一緒には暮らせるだろうけれど、雪野。 貴方の心がもたないだろう。 私の仕事は、猫と普通に雪野、貴方が暮らせる状況を作る事だ。 その時に報酬は貰うよ」

「……でも、どうやって」

「それについては、意思を聞いておきたくてね。 まず母親と一緒に暮らしたいとは思わないのは確認できた。 それについては問題ない。 あの母親は、一生精神病院の隔離病棟から出てこない。 それで、その代わりに叔母さんが母親代わりになると思う」

「……」

じめっと。

湿った視線だ。

それは、恐怖と哀しみに満ちたもの。

そして、宿りつつある憎悪。

「でも、それにも抵抗があるのも分かった。 ならば、代わりに埋め合わせがいる」

「埋め合わせ?」

「学校でも話を聞いたけれど、今まで一杯一杯で、リンネ以外に友達がいなかったでしょう」

「うん……」

私が友達になってあげる。

そういうと、雪野は。

顔を上げた。

「本当?」

「私は仕事はきっちりやる主義でね。 ただし、私の友達になるって事は、怖がられる事だって事は覚えておいて欲しい。 その怖がられる事を悪用して、虐めとかをやったら、あの腐れババアの比では無い制裁が下されると思って貰う。 私はあんなただのヒステリーババアとは違う。 私を怒らせたら、何が起きてもおかしくないと思って」

固まる雪野。

震えあがっているのが分かった。

それはそうだ。

雪野にとってはどうにもできなかった環境を。

私は一瞬で破壊したのだ。

私がどれだけ恐ろしいか。

雪野は身に染みて理解している筈。

その私が舐めたことをしたら潰すと言っているのである。

「分かった? 分かったなら、はいかいいえで」

「はい」

「良い応えだ。 最後にこれははいいいえで応えなくていいから、聞いておいて。 あの叔母さんも虐待をするようなら、すぐに私に言うように」

手を引いて雪野を立たせる。

そして、風呂に入ってくるように促した。

ずっと泣いていて、酷い顔だと指摘。

鏡を見せる。

雪野は鏡を見ると。

ぼんやりとしながらも。

風呂に向かって、ゾンビ映画のゾンビみたいに、歩き始めたのだった。

 

4、親の愛は絶対では無い

 

雪野が風呂に入っている間。

雪野の祖父とまた話す。

面倒なので、私は。

言うべき事を全て言うことにした。

「あの毒親の虐待は、私が見つけなければ発覚しなかったでしょう。 それは貴方にも責任があるかと思います」

「言われなくても分かっている」

「それならば、雪野「ちゃん」にはもう少し目を掛けてあげてください。 自分に厳しいのは良いことだと思いますが、他人にも厳しいと、「また」教育に失敗しますよ」

「子供とは思えぬものいいだが、正論だな」

思うところはあったのだろう。

雪野の祖父は。

頭さえ下げなかったが。

言う。

「感謝はしている。 あんな恥知らずを身内から出してしまったことに気づけないでいたのは、儂一生の不覚だ。 それにしても、とても小学生とは思えない知略は何処で身につけた」

「独学ですよ。 今はその気になれば、情報を幾らでも取り出せるのでね」

「ふむ、末恐ろしい子供だ。 だが、面白い。 将来は出来ればこの街を背負って立って欲しいものだ」

それだけ。

会話を終えると、この家を後にする。

その翌日には、雪野が学校に来た。

リンネを正式に飼えるようになった事。

母親が精神病院に連れて行かれて、二度と戻ってこないこと。

それを最初に言われた。

「せいせいした?」

「……」

雪野は首を横に振る。

そして、悲しいけれど。

助かったと思ったと、素直に言った。

それでいい。

闇が大きくなる前に、何とかなった。

もしもあのまま虐待を受け続けていたら。

この子は取り返しがつかない事になっていただろうから。

クラスに聞こえるように言う。

「で、雪野ちゃん。 何処かに遊びに行く?」

「えっ……うん」

どよめきが上がる。

私はそれを計算した上で、今のアクションを起こした。

姫島がによによして様子を見ているが。

それはいい。

怖れられている私が。

雪野を仲間として認識している。

それを此処で周知させる。

それに、意味があるのだ。

軽く話をした後。

雪野をクラスに戻させる。

私は、姫島に耳打ちした。

「タイミングを見て、あの子秘密基地につれてくから」

「おっけ。 どーせいつもシロか、私しかいないもんね。 妹分が増えるのは良い事だと思うし」

「妹分か。 まあそう考えてもいいけど」

なお、雪野からは報酬を貰っている。

白い木材を削って作った、猫の彫り物だ。

手先が器用らしく、私の掌に収まるサイズの彫り物なのに、きっちり猫の形になっている。

立派立派。

私より年下で、これだけ器用にものを作れれば。

それで充分。

あの毒親は、本当に見る目が無かったのだ。

なお、勉強も今後は見てやろうと思っている。

雪野はどんくさいが。

学校の勉強とは相性が悪くない。

頭が良くても、学校の勉強とは相性が悪いケースは珍しくないのだが。

それでも高得点を取れている。

異常なナルシストが。

色眼鏡を掛けてみた結果。

雪野は出来ない子に見えていた。

ただそれだけ。

どんくさいかも知れないが。

実際にはかなり出来る子だった。

独善や色眼鏡は真実から人を遠ざける。

いい年をした大人なのに。

そんな事も分からない輩が、この世界には多すぎるなと、私は失笑する。

それに今回。

私はこの街一番の金持ちであり。

事実上最大の有力者とコネを作った。

しかも認めさせた。

これは大きい。

今後、大いに役立てる事が出来るだろう。

この街をいずれ支配するときに。

この私に取って。

大きな力になる筈だ。

さて、今回も事件は解決した。

今後のプランを練る。

私がこの街を支配するための地歩は。

確実に。

堅実に。

作り上げられつつあった。

 

(続)