輪廻の貌

 

序、悪夢

 

今日も大学にいかなければならない。授業はろくでもないものばかり。どうせ大した授業でもないし、さぼっていても別に問題ないのだけれど、出かけることにする。

少し前に買ったばかりの眼鏡がずれやすくてちょい頭に来る。

バッグを担いで、身だしなみを適当にして。

授業が憂鬱だと思いながら、家を出た。

そして、その瞬間。

見た。

トラックが、突っ込んでくる。

国道から二つ路地裏の私の住んでいるアパートへ。全速力で。あれは、八十キロは出ているだろう。

どうしてだ。

此処は、裏道マップか何かに掲載されたのか。

だが。

悠長に考えている暇も。

勿論、避ける暇も無い。

可愛い妖精と同じ名前を持つトラックが。

その二トン以上ある巨体を、全速力で突っ込ませてきたのだから。運動音痴の私にどうにか出来る訳がない。

それでも、緩慢に逃げようとした私を。

トラックは、全力で吹っ飛ばした。

全身の骨が、一瞬で砕けるのが分かった。

宙に浮いた私は、もはや動く事も出来ず。

空から地面へ。地面から空へ。

二度、視界が回転するのを感じた後。

ブロック塀に叩き付けられ。そして、直後。

トラックに、サンドイッチされた。

原型も残らない。

ああ、死んだなと、思う暇さえも無かった。それなのに、どうしてだろう。吹っ飛ばされて、地面に叩き付けられて、バウンドして、ブロック塀にぶつかって、投げつけられたトマトのように潰されたあげく。

トラックにだめ押しにプレスされた事だけは、よく分かった。

トラックには、どうしてだろう。

誰も乗っていなかった。

どうしてそれを覚えているのか、私にもよく分からないけれど。

地面に叩き付けられたときに右腕が拉げ、関節から吹っ飛んで肘から先がなくなり。ブロック塀に叩き付けられたときには、頭が潰れて、脳みそが飛散していた。

両足は既に、あらぬ方向に曲がっていた。

つまり、別にトラックにプレスされなくても、即死確定だった。

分からないなあ。

執拗なまでな殺意。

しかも、主体なき殺意。

ぼんやりと、私は起き出す。

今のは、夢か。

ベッドの上で、あくびをする。

眼鏡を探して、掛ける。時間を見ると、大学に出るべきだと判断できた。はて。トラックにぶっ潰される前も、同じ時間に起きたような気がするのだが。一体これは、どうしたことだろう。

適当に食事を済ませ。

歯を磨き。

身繕いをして。

適当に鞄を背負う。

そして、家を出る。

此処はどうせしがない学生向けの安アパートだ。近所の安アパートには、訳が分からない外国人が住み着いて、日本語以外の怒鳴り声が飛び交ったりしている場所もあるけれど。まあ、そのくらいだったら、10年も前からこの辺りでは慣れっこだ。

だから、平気だと思っていた。

また、真横から、トラックが突っ込んでくるまでは。

今度は別のメーカーの、十トントラックだ。

あ、と思った時には。

もう遅い。

というか、私は歩道を歩いていたはずなのだが。そのトラックは、ガードレールをなぎ倒しながら、時速百キロは出して突っ込んできた。

そして、私は。

なすすべなく吹っ飛ばされて、空を舞った。

地面にぶつかったとき。

体が半分になった。

潰れたのだ、文字通り。

そしてバウンドした私は、国道まで跳ばされ。

其処で、更に来たトラックによって、何もかも情けも容赦もなく、蹂躙された。

肉はタイヤに巻き込まれ。

頭は爆ぜ割れたスイカのようになった。

買ったばかりの眼鏡は粉々。

大学に来ていく程度のお気にだった服は布きれどころかボロぞうきん以下に。

手足も千切れて吹っ飛んで。

内臓もアッチコッチに泣き別れ。

そして、どうしてだろう。

私は、ぼんやりと。

ぶつかった辺りからの事実を。冷静に把握していたのだった。

ああ、死んだな。

また。

あれ、どうしてだろう。

何で、また死んだ、なんて事を思うんだろう。人の命は、一つきりだ。何度も死んだりする訳がない。

ましてや私は。

考えたり出来る状態か。

警察が来た。

現場検証を始める。

私を跳ねた十トントラックは、何だか別の家に突っ込んで、其処も滅茶苦茶にしたあげく止まっている。

ちなみにトラックの運転手はいない。

飛ばされてきた私をミンチにしたトラックの方は、運転手が青ざめた顔で、警察の聴取に応じていた。

何だか気の毒だ。

あれじゃあ避けようが無かっただろうに。

溜息が零れる。

肉体なんて無い筈なのに。そもそも、どうしてこんな風に、考えるなどという行為が出来ているのか。

それ自体が、最大の謎だ。

ぼんやり見ていると。

気付く。

何だか分からないけれど。この光景、二度や三度見ただけではないような気がするのだ。どうにも引っ掛かる。

何が。起きて。

ふと、気付くと。

布団の上で、目を擦っていた。

何か妙な夢を見ていたような気がする。だけれども、それの正体がよく分からない。どうして私が、×××……。

あれ。

なんだ、×××って。無理矢理上から塗り込めたように。其処の記憶を引っ張り出すことが出来ない。

それだけじゃあない。

手を見ると。傷だらけのような気がして、思わず呻いたのだけれど。

しかし、一瞬おいて見ると。普通の手だ。

私は美人でも何でもないけれど。

掌だけは、多少は綺麗なつもりだった。

もっとも、それだけで男を魅了したりするのは無理だけれど。それに、誰にも話したことはないけれど。

その掌が、ずたずたになるなんて。

骨も皮も砕けて、肉が引きちぎられて周囲に飛び散って、現場検証のお巡りさん達に持って行かれるなんて。

考えたくない。

考えるべきじゃあない。

呼吸を整えた。何度も深呼吸する。夢だ。これは夢を見ていたのだ。きっと何だかよく分からない、タチが悪い夢を。

だから冷や汗ぐっしょりだし。

異常にリアルな恐怖で、全身を鷲づかみにされている。まるで巨大な人食い怪物にでも、掴み取られて、抵抗も出来ない内に口に運ばれているかのような。そんなあり得ない事があったら、これくらい怖いだろうか。

いずれにしても、時計を見ると、そろそろ出かけなければならない時間だ。どーでもいい授業だが。それでも単位には結びつく。

受けておいて損は無い。

そう言い聞かせて、食事を適当に取る。

おや。どうしたことか。

ごちそうにとっておいた筈のプリンが、まったく美味しくない。それこそ、直前に、ダース単位でプリンを食べたかのように、である。

時間が容赦なく過ぎていく中、出かける準備は完了。一応、鏡を見て。身繕いも別に問題ない事くらいは確認した。

玄関に出ると。

不意に、後ろ髪を引かれる。

勿論物理的な意味では無い。

なんだか、行くなと、体が警告しているかのように。

でも、行くしかない。

これから授業だ。

訳が分からない悪夢なんぞのために、休むわけにはいかない。目を擦りながら、今日の授業について考えて。

そして、ドアを開ける。

何もいない。

スズメが鳴いているくらいだ。

それも、私が歩き出すと、飛んで逃げていった。まあ、人間とか言う生態系を蹂躙する最凶の捕食生物が来たのだから、当然か。

左右を確認しながら、道路に。

どうしてだろう。

さっき見た悪夢が原因か。

どんな悪夢かはよく覚えていないのだけれど。何だか私が道路に出た瞬間。ろくでもない事が起きたかのような。

ろくでもないことって何だ。

此処は国道から少し離れた路地裏で。

狭いから、あまりスピードだって出せない。

そもそも入り組んでいて、車が入ってくることは滅多にない。入っても、何のメリットもないからだ。

行き止まりだらけで、下手をするとバックをしながら戻る事になる。

勿論それでも完全に油断する訳にはいかない。

車にぶつけられたりすると、それだけで骨が折れる。トラックが相手になると、既にそもそも無傷では済む筈もない。

はて。

なんて。

そうだ、トラック。

どうして、此処でトラックが出てくる。

この路そのものが、そもそもトラックが通るには手狭すぎるのだ。もし通ろうというのなら、歩道を完全に踏みにじりながら、来るしかない。近くに駐在もあるし、そんな無茶をする奴は、いないだろう。

家を出る。

曲がり角に出たので、其処も確認。

此処から少し道路が広くなる。でも、向かいの車が互いを避けるのに苦労する程度の広さしかない。

スピードも出しづらい。

この辺りはねずみ取りの名所で、駐在が隠れて見張っていることが多いからだ。其処で爆走するとか、自殺行為だ。

だが、それなのに。

私は、異様な恐怖を覚えていた。

どうしてだろう。

此処に出たら、死ぬような気がする。

舌打ちしながら、隣をこきたないおっさんが通り過ぎていった。ポケットに手を突っ込んだまま、ふんぞり返って歩いて行く。

とりあえず、大丈夫だろう。

そして、十字路に向けて、歩き出したその瞬間だった。

ドカンと。

背中が、へし折れる音と共に、地面にたたきつけれる。

振り返る余裕は無い。

だけれど、何となく分かった。

音もなく忍び寄ってきていた二トントラックが、私を全力で突き飛ばしたのである。それだけで、全身打撲。

もう動ける状況じゃない。

そして、そんな私を嘲笑うように。

トラックは、全速力で、なも前に進む。

悲鳴を上げた。

死ぬ。

痛い。

でも、トラックは無慈悲に、そのタイヤを回し続ける。凄まじい勢いで。足が巻き込まれて、見る間に車輪に食い込んで、巻千切られた。鮮血が噴き出すけれど。それで勢いがついたか、次は体事巻き込まれ、踏みにじられる。

誰か。

助けて。

声になら無い声を上げるけれど。

その時は体は無茶苦茶に引きちぎられて。

内臓をまき散らしながら。

トラックの車輪に踏みつぶされて、ぐちゃぐちゃにされ。

もはや何の音も立てる力がなかった。

首が引き千切れ。

吹っ飛ぶ。

そして転がった先には、既に血の臭いを嗅ぎつけて集まっていた、黒衣の死神。まあ簡単に言えば、ハシブトガラスの群れがいた。

一斉に、襲いかかってくる。

痛いとか、苦しいとか。言うことさえ出来ない。

小型の猛禽と言っても遜色ないくちばしと爪が、容赦なく私のあたまを抉り取っていく。血も肉も脳みそも、全てを食い荒らしていく。

それを、どうしてだろう。

何処か冷静に、私は見ていた。

 

1、圧倒的繰り返し

 

外に出たくない。

私の本能が拒絶している。

これでも私は、健康優良児な事だけが取り柄だ。今まで学校にしてもバイトにしても、休んだこともさぼったこともない。運動音痴でも、しっかり体をコントロールしていれば、風邪なんかひかない。

無遅刻無欠席だけが、私の取り柄なのだと自負しているし。自慢だってしている。

それなのに。

今日は、全力で体が。外に出ることを拒絶している。なぜだか分からないけれど、出ようとするだけで、足が止まるのだ。そして、無理矢理にやろうとしても、どうしても動いてくれない。

吐き気がする。

今起きたばかりだ。

私はどちらかというと快眠できる方で、滅多な事でどうこうすることはないし。何よりも起きたことでリフレッシュは出来たはずだ。

昨日この家で友人達と騒いでいたようなことだってないし。

何よりも、昨日は結構早めに寝たのだから。

授業の表を見るけれど。

碌な授業がない。

これだったら、正直な話。別に行かなくても大丈夫だ。正直、最後の授業だけ出ていても問題ない。

テストは簡単だから、単位は取れる。

だけれども。

流石に、無意味にさぼるわけにもいかないだろう。

嫌だと拒否する体。

行くべきだと判断する精神。

不意に、電話が掛かってくる。

友人の一人からだ。

「なかじ、おはよー!」

「うす」

寝ぼけているからか、我ながら塩対応だ。

ちなみに私は中島春埜という名前なので。なかじと呼ばれている。正直どうでもいいので、周囲には好きなようにさせている。

ちなみに電話の主は、テスト前になると必ず私に泣きついてきて、ノートを見せてくれと懇願してくる。

馬鹿馬鹿しい話だ。

そんなもの、真面目に授業を受けていればいいものを。特に難しい授業でもないのに、男をとっかえひっかえして遊んでいるからそうなる。

あくびをしながら、準備をする。

まあ、ノートを写させてはやる。

此方に損は無いし。

「ノート、また見せて?」

「地学か? どうせ言ってること写すだけだし、たまには自分でやれ」

「そういわないで、お願い、ね?」

「今日持っていく。 まあ、なんか用意しておいてくれ」

どのみち出かけるのだ。

大学の授業をもう一度確認。

必要な参考書を揃えると、出る。

そして、気付く。

何かの音がする。

それも、どんどん近づいてきているのだ。

左右を念入りに見回す。

何だか、何度も。

いや、何百度も、この辺りで酷い目にあったかのように。だけれども、特に危険はないと判断。

だが、なんだ。この変な音。

遠くを飛行機が飛んでいるとき、こんな音がする事があるけれど。それ以上に、何というか。

低空飛行でも、しているのか。

ごっと、風が吹き付けてきた。

少し延ばしている髪が、びゅんと来た風にはためかされる。お気にのカチューシャが、飛ばされそうになる。

ああもう。

頭を抑えて、何事かと振り返った瞬間。

私の前には。

なんか戦闘機がいた。

それも、墜落寸前で、斜めに向けて墜ちてきた。

あ、なんだこれ。

避ける暇どころか。

考える余裕も無い。

直撃。

何しろ、音速で飛んできた戦闘機だ。

ぶつかったら、どうなるかなんて、言うまでも無い。

トラックだったら、まだある程度原型が残ったまま、吹っ飛ばされるかも知れない。しかし、戦闘機が、音速である。

それこそ、業務用の大型扇風機にでも巻き込まれた蠅か何かのように。

私は、瞬時にミンチになった。

手足も指も関係無い。

服もバッグも関係無い。

そのまま戦闘機は、道路に激突。

大爆発を起こして、辺りを灼熱地獄に変えた。

周囲の家々が巻き込まれる。

悲鳴を上げながら、家から火だるまになった誰かが逃れ出てきた。朗らかなことで知られる隣のおばさんだ。おばさんはどう見ても助からない様子で、悲鳴を上げながらもがいていたが。

やがて、地面に激突して、そのまま動かなくなる。

救急車。

消防車。

叫ぶ誰か。

だけれど、必死に逃げ惑う連中が、彼を突き飛ばした。突き飛ばされた彼は。突き飛ばした連中ごと。戦闘機の二次爆発に巻き込まれ、手足を引きちぎられながら空に吹き飛ばされていた。

あーあー。

思わず呻く。

何だこの有様。

トラックにでも轢かれたのなら兎も角。

こんなん、どうすればいいのか。

どうしてか私は。

体が粉みじんと言うも生やさしい有様になっているのに、冷静に状況を見ていた。こんななのに、である。

そして、気付く。

私は、また。

ベッドの上にいた。

 

時間を見ると、やはり起きる事を想定した時間だ。時間割も、間違っていない。食事をして、身繕いをすると。出かけなければならない。

何だ今の悪夢。

戦闘機に轢かれた気がするけれど。

市街地に飛行機が。それも戦闘機が突っ込んでくるなんて、まずあり得ない話だ。勿論事故の例はあったはずだけれど。

それも、例外的なものだったはず。

ましてや此処は戦時下でもない。

更に言えば。自衛隊からも。在日米軍からも。基地からは。かなり離れている場所なのだ。

戦闘機が飛んでいる様子さえ、そもそも見かけないのである。ジャンボジェットにしても、この辺りは多分視認できる高さを飛んでいないのだろう。飛んでいる事そのものを、見かけない。

だが。どうしたのだろう。

ますます、強烈になっている自覚がある。

外に出たくない。

ニートじゃあるまいし。

どうして出たくないのか。

一応私が通っているのは四大だ。

有名大学ではないし。

入るのに苦労だってしなかったけれど。

それでも親が金を出してくれている。

あの親に必要以上の恩義を作るのはいやだから、黙々と授業には出てきているし。殆どサボりもしない。

落ち着け。

自分に言い聞かせる。

布団の上で、ぎゅっと身を縮める。

連続して怖い目に会っているような。

そんな気がしてならない。

それも、強烈な痛みを伴うような。

一体私が何をした。

どうして悪夢を見る。

気のせいだろうか。どうしてだろうか。悪夢を二度、三度どころか。もっと多い回数、連続で見ている気がする。

そんな筈はない。

あまり詳しくは覚えていないけれど。

昨日見た夢は、それほど悪くなかった気がする。

ケーキバイキングか何かに行った夢だったような気がするし。そう考えると、こうも悪夢に悩まされているというのはおかしい。

もともと私は頭もそう良くないので。

難しい事はくよくよ考えないようにしている。些細な事も同じだ。

だったらどうして。

私は今、たかが悪夢の筈の夢を、気にしているのか。

それに、戦闘機だけなのか。

どうにもそうではないような気がしてならない。

トラック。

乗用車。

バイク。

どれもこれもが、私を殺意を持って狙ってきているような気がする。そういった文明の利器だけではない。

こんな所にいるはずもない猛獣や。

猛毒の蛇。

そうだ。

毒蛇。

玄関を出たら、いきなりナイリクタイパンが襲いかかってきて、首筋に噛みつかれたような記憶がある。

ナイリクタイパンは世界でも有数の猛毒を持つ蛇で。非常に攻撃的な性格をしていて、近づいただけで噛みついてくることもある。普通毒蛇は脅かせば逃げていく種類の方が多い中。ヤブの中に限定すれば世界最速と名高いブラックマンバと並んで、此奴は別格の危険性を誇るのだ。

でも、そんな記憶。

いつの記憶だ。

そも、たまたま毒蛇の図鑑を持っていて。それで知っていると言うだけの事だ。動物園でさえ、危険だから、だろうか。ナイリクタイパンなんて、ブラックマンバ同様にして、余程の大きな動物園以外では、見かけることはまずない。

実物だってろくに見たことも無いのに。

なんでそんなものにおそわれたと私は思っているのか。

しかも、である。

気付く。

玄関を出た後だ。

いずれもが、そうだ。

何だか分からないけれど。

この悪夢の大本は、玄関のような気がしてきた。

私のいる安アパートの自室は、幸い一回。裏口からだって、出る事は可能じゃないか。そうだ、そうしよう。それがいい。

元々、ただの夢だ。

くだらない夢に振り回されて、現実を疎かにしたりしたら、それこそお笑いぐさだ。

そんな馬鹿馬鹿しいミス。

してたまるか。

身繕いを終える。

そして、玄関から靴を持ち出すと。

裏口で履いた。

そして、意気揚々と裏口から出た瞬間。

とんでも無い轟音。

それ以上の劫火によって。

背中から。焼き尽くされた。

一瞬にして、生きながら、炭になっていく感覚。

おぞましいとか、悲惨だとか、そんな程度の代物ではない。

分かるのだ。

全身の液体が、まずは瞬時に沸騰蒸発して。

細胞が干上がる暇さえなく消し炭になる。

そこそこ延ばしていて、手入れだって時間を掛けている髪は、燃え上がり、溶けるようにして、消え失せ。

私自身は、生きながら内臓を、脊髄を焼かれる痛みを、絶望の中味わい続けていた。悲鳴さえ、零すことが出来ない。

肺を焼き尽くされたからである。

そして、やがて。

炭になった私は。

荒れ狂う神を思わせる暴風の中。

それこそ、仏壇の灰に息を全力で吹きかけたかのように。

吹き飛ばされ。

そして、舞い散りながら、原型もなく消滅していった。

見える。

アパートが燃えている。

また、戦闘機が突っ込んだのだ。そして、マークからして、どうやら在日米軍であるらしいことが分かった。

あの厳しい訓練で知られる米軍の、それもバラバラになっているとはいえ、多分あれはF15だ。

現役で世界最強の名を守り続けている戦闘機。

文字通り、最凶の傑作機が。

こんな所に墜落して、そして粉々か。

アパートの住民は、どう見ても全滅だろう。隣のいけ好かないクソ音楽かぶれも。休日の男を連れ込んで、ギシギシやってる上の階のアホ女も。

みーんなまとめて黒焦げだ。

消防車が集まり始める。

それも、普段見かける奴じゃない。

多分大規模災害とかで姿を見せる、非常に特殊な奴だ。この凄まじい猛火である。水を掛ける程度では、埒があかないと判断したのだろう。

正しい判断だと思うけれど。

その前に、飛行機が墜ちたのは何故だ。

ベストセラーで使い続けられている戦闘機だ。欠陥もあるだろうが、その度に補強され、近代化改修を繰り返されている。

意味が分からない。

そもそも、死ぬ瞬間の事を克明に覚えていて。

そればかりか、上空から見守っている私の方が、余程訳が分からないだろう。

あ、現場をビニールシートで覆い始めた。

米軍のヘリも出てきた。

報道ヘリを追っ払っている。

これは、普通の火事としては処理されないな。

どうしてか、私は。

他人事のように、そう考えていた。

 

目が覚める。

同じ時間。

頭を掻きながら。少しずつ。頭を整理する。

何だ。

何が起きている。

どうして、こうもこうも。悪夢を見る。というよりも、何だこの悪夢。リアルすぎて、とても夢だとは思えない。

一体何だこれは。

本当に悪夢なのか。

それに、悪夢が蓄積されていないか。

はっきりは覚えていないのだけれど。何だか知らないけれど動物に襲われ。車に轢かれ。戦闘機に押し潰されて。

死んでは、目が覚める。

もやが掛かったようではっきりしないのだけれど。

非常に気分が悪い。

それに、何だろう。

理不尽だから、頭に来るのだろうか。それも、違うような気がしてならない。これは私にとって、何だ。

尊厳を、汚されているのか。

だから頭に来るのか。

しかし、尊厳を汚していると言っても、一体誰が。

さっと、ニュースを見る。

スマホを操作して色々見ているが。めぼしいニュースはない。

猛獣が逃げたとか。

飛行機が変なコースで飛んでいるとか。

そんなものは皆無だ。

考えすぎか。

夢は記憶を整理するために見るものだ、というのは、何処かで聞いた話だけれど。しかし、何処でこんな記憶を得て。何のために整理しようとしている。

自分自身に起きたこととは思えない。

しかし、映画やらアニメやらの、映像媒体で見たものとも思えない。

深呼吸でもするか。

そう思って、ちょっとガタが来ている窓を開けることにする。寝室のカーテンを開いて、窓を開けた瞬間だった。

奇声を上げながら、男が飛び込んでくると。

刃渡り二十センチはあるナイフで、私の腹を一撃で刺し貫いた。

声も出ない中、男は私を押し倒して、喚く。

「市川菜都実ー!」

誰だよそれ。

私は中島春埜。

誰と勘違いしている。

そのまま、男は私に馬乗りになったまま。ナイフでひたすらに、滅多刺しにし続けた。ナイフはそのまま、内臓に届く。どれもこれもが致命傷。しかも、何度目かの刺突で、心臓を抉られて。その時に即死。

男は凄まじい形相で目を血走らせたまま、ひたすらにナイフを振るう。

そして私の首に、執拗にナイフを突き刺し始めた。

ごきり、ぶちり、ずぶり。

ひどい音がする。

これでも、結構手入れには気を遣っていたのに。乱暴に扱われると、とても悲しい。

そもそも知らない奴の名前を叫んでいたこともあるけれど。見ていて、誰かに似ているとか、見覚えがあるとか、一切感じない男だ。そもそもこのアパートに、市川なんて奴はいたか。

あ、そういえば。

大学に入った当初。そういう名前の奴がいた気がする。

確かホステスとして働いていて。

大学には滅多に来なかった。

とにかく派手なルックスの女で、十万もするバッグをいつもぶら下げ、香水の匂いをぷんぷんとさせて。

どんな男から、幾ら巻き上げた。

そんな話を、平日から、廊下で大音量でげらげら笑いながら、スマホの向こうに対してしているような奴だった。

それも、である。私は知っている。

実は、電話の向こうは、時報。

よく見ると、身に纏っているファッションは、どれもこれも微妙に古いものばかり。ちょっとみただけでは分からないが、あのバッグもひょっとすると、高級品のに似せた海賊版かも知れない。

そしてその女は。

行方不明になって。

そうして、どうなったっけ。

あ、そうだ、思い出した。

殺されて、土の中に埋められていたんだ。警察が発見したときには、死体は完全に腐敗して。ビニールシートに包まれて、ドロドロになっていたとか。

そうだそうだ、少しずつ思い出す。

たしかヤクザが関わっている店の売り上げに手をつけたとかつけないとか、そんな会話を聞いた。

で、その市川が何だ。

私が、どうして刺されなければならない。

「殺した! 殺したっ!」

文字通り、鬼の首でも取ったかのように。

そいつは。殺人鬼は。

私の首をとうとう切り落とし、天高く掲げた。

悪鬼は滅びたとか。

悪魔は去ったとか。

訳が分からないことを言っている。

流石に通報が来たのだろう。警官が踏み込んできた。

おいおい。

私の家に土足で上がり込んだ上に、大立ち回りかよ。勘弁してくれないだろうか。そう思っていたが。

警官隊は容赦なく頭がおかしくなっている殺人鬼をふん縛り。

そして、その後は。

現場検証やらの人員が、どやどやと勝手に私の部屋に入ってきた。

「犯人は、以前美人局で財産の全てを奪った市川菜都実に強い恨みを抱いていたようで。このアパートの全員が市川菜都実に見えていたそうです」

「気の毒に、完全にとばっちりだな」

警察達、他人事である。

好き勝手いいおって。

思わず叫びたくなるが。もう首から上がちょんぎられている上に、心臓を筆頭に、重要臓器が全滅している有様だ。

これで何をしろというのか。

ふと、気付く。

私は、また。

五体満足のまま、ベッドの上で、横になっていた。

 

2、死の連鎖

 

身繕いは練習すればするほど、応えてくれる。

何処かで聞いた言葉だけれど。

せいぜい中肉中背。顔も盆暗な私には。

遠い世界の異言語に過ぎなかった。

見苦しくない程度の身繕いは出来るけれど。それ以上でも以下でもないのが実情である。

化粧にしてもそう。

上手い人がやると、それこそバケモノが天女に変わったりする事もあるらしいのだけれども。

それはそれだ。

私は化粧のりしないのか。

どれだけ頑張っても。

せいぜい、外に恥ずかしくなく出られる、程度の容姿にしかなれなかった。

オシャレにしてもそう。

高級な靴。

良い鞄。

いずれもが、私には致命的に似合わない。小遣いを貯めてお店に行って、奮発して買ってみようと思い当たっても。

鏡の前で実際に見てみると。

服に着られていたり。

鞄に持たれたり。

そんな、ゴミカス以下の自分。

情け容赦のない現実が、降りかかってくるだけだった。

それにしても、だ。

そんな私が、このわけが分からない連鎖悪夢に囚われているのは、なんでだ。そろそろ、確信が得られているが。

これは普通の悪夢では無い。

明らかに記憶が継続したまま、悪夢が続いている。

最初の頃の悪夢については、何というかもう霧の向こうの出来事のようにしか、覚えていないけれど。

つい最近見た悪夢。

戦闘機に殺されたり。

訳が分からない異常者に殺されたり。

そういったことは。

なんと無しに覚えていた。

そんな悪夢、あるだろうか。

いや、ない。

あり得てたまるか。

私は思わず、拳を床にたたきつけていた。

ホラー映画の見過ぎとか。そういう猟奇系の小説を読んでいたとかなら、まだ分からないでもない。

だけれど私は。

退屈な大学生活を平凡に送っている女子大学生だ。

四大といっても多寡が知れたランクで。

男子も女子も相応の人間しかいない。才能がある奴もいるかも知れないけれど、少なくとも私は知らない。

何故、それが。

こんな訳が分からない事態に巻き込まれる。

呼吸を整える。

これは、今日は授業をさぼるべきかも知れない。仕方が無い。外に出てみて、何があるか、念入りに調べながら動くべきだろう。

さっきの異常者は。

いない。

いる筈がない。

そもそも、私は例の市川某とはまったく似ていないはずだ。あれは、頭がおかしかったから、私を他人と勘違いしたのだろう。

トラックは。

こない。

戦闘機も。

飛んでいない。

ため息をつくと、私は、一度コンビニに向かおうと思った。だけれども、コンビニに向かうという事は、幾つかの路地を通らなければならない、という事だ。物資の補給には、近場のコンビニに行くのが必須だ。どうしても、これだけはクリアしなければならない事だ。

通販も考えたけれど。

それだと、どうしても手にとって実物を確認できない。特に生ものや食糧系などは、通販などでは危なすぎる。

路地を行く。

足下にも気を付ける。

毒蛇とかいるかも知れない。

そんなものがいる筈がない。それなのに、どうしてだろうか、最大限の警戒をしてしまう。或いは、うっすらともやが掛かった記憶の向こうで、毒蛇に噛まれて死んだのだろうか。

ありうる話だ。

こうも記憶が混濁していると、何が起きていても不思議では無いのだ。

前から車が来た。

私は歩道、向こうは車道。多分大丈夫だろう。だが、念には念を入れて、車が入れない小さな路地でやり過ごそうとした、その瞬間。

あっと気付いたときには。

私は、開いたままのマンホールに墜ちていた。

どうしてだ。

何で、マンホールを。しかもこんな危ない場所のマンホールを開けたままにしているのだ。

誰かの悪戯か。

それにしては、度が過ぎている。

誰だ、これをやったのは。

無事だったら、叫んでいたかも知れない。

しかし、無事で済む筈がない。

その上不幸なことに。あまりにも穴の底が遠かった。恐らくは、二十メートル以上はあったはずだ。

特殊な地下水路だったのか、或いは。

何だか分からないけれど。

抵抗など、しようも無かった。

そのまま、頭から落下して、ぐしゃりと潰れる。

一瞬だけ頭から地面に突き刺さるような態勢だったけれど。

すぐに仰向けに倒れた。

大小を失禁している。当たり前の話だ。死んだら、誰だってそうなる。マンホールの上が、騒ぎになっていた。

誰か墜ちたぞ。

気を付けろ、二酸化炭素が充満しているかも知れない。すぐに入るのは自殺行為だ。

レスキューを呼べ。

ぎゃいぎゃい騒いでいるけれど。

もう遅い。

頭から墜ちて、頭蓋骨陥没。脳損傷。即死。

こんな状況で生きているかボケ。

誰に対して私は悪態をついているのだろう。それさえも分からない。少なくとも、レスキューを呼んでいる人は。私を助けようとしている筈だというのに。どうして、私はこうも苛立っているのだろう。

気がつくと。

また、ベッドの上で、半身を起こしていた。

叫ぶ。

何度も、ばんばんと床を叩いていた。

どうしてだ。

あり得るか、こんな事。

時計を見ると、やはり同じ時間だ。物資を確認してみるが、缶詰さえない。一応水だけはあるが。

頭を抱えてしまう。

最悪な事に、私は起きたばかりだ。

そもそも、朝の食事は、学食で済ませることも多かった。こんな状況では、それさえもままならない。

呼吸を整えると。考える。

外は、駄目だ。

多分外に出た瞬間死ぬ。

そして此処に戻ってくる。

頭を掻き回すけれど、妙案は思いつかない。

まて。

そもそも、前提が間違っていないか。

外に出なくても、ドアなり窓なりを開けた瞬間に、死が確定するのかも知れない。その可能性は、小さくない。

あくまで体感だが。

先から、外に出てから死ぬまでの時間が、一定していないような気がする。どうしても全ての記憶を照合できない。不愉快なことに、マンホールに墜ちて死んだことさえも、鮮明には思い出せないていたらくだ。

不快だけれども。

実験をして見るしか無いか。

窓を開けて、外を見た後。

窓を閉める。

もしも、予想通りなら。これで死へのトリガーが引かれたはずだ。

果たして、である。

妙な音が聞こえはじめた。窓から外を見た瞬間。

劫火に包まれた。

多分、アパートそのものが消し飛んだはずだ。

凄まじい高温で、全身が粉みじんになって。破片が灰になりながら、吹き飛ばされていくのが分かる。

なんだ。

何が起きた。

ガス爆発なんかじゃない。それにしては、あまりにも火力が凄まじすぎる。

そして、見る。

辺り数百メートルが、火の海になっている。

これは。多分事故なんかじゃない。

ミサイルとかによる、軍事攻撃だ。

でも、そこまで何処かの国との緊張状態は強まってはいなかったはず。

もしこれが、ミサイルによるものだとすると。

誤射か何かか。

辺りは阿鼻叫喚。

今の一瞬で死ななかった誰かが、火だるまになって、数歩進んだけれど。其処で倒れて、生きたまま焼き殺されていく。

子供も老人も関係無い。

平等に容赦なく、皆殺し。

そういえば、近くに病院もあったはずだ。ああ、見ると、綺麗に消し飛んでいた。入院していた不幸な人達は皆殺しだろう。

何だろう。

無性に、不快感が、強くなって行くのを感じた。

 

ドアを開けるどころか、窓を開けるのも駄目。

ベッドで起き上がった私は、それをはっきりと把握していた。こうなると、もうどうにもならない。

手元にあるのは水だけ。

探してみるけれど、スナック菓子さえない。

ぼんやりとして過ごす。

おなかが鳴るけれど。多分ドアを開けた瞬間に死が確定する。そんな状況で、ドアなんか開けられるか。

そういう意味では、通販も駄目だ。

多分、運送会社の人間がドアを開けた瞬間死ぬ。

瞬間かどうかは分からないか。

どっちにしても、死が確定することに変わりはないが。

溜息が出る。

あの目覚めから、八時間。

ドアも窓も開けていないが。

やはり生きている。

何も起きない。

つまり、外に出なければ。或いは、外との接点を作らなければ、死なない言うことに間違いないだろう。

おぞましいというか。

非常に腹立たしい。

ドアを誰かが激しくノックする。

声からして、聞いたことがない奴だ。

「開けろこのボケが! 借金返せ!」

凄まじいわめき声。

だけれども、私は生憎借金なんかしたことが無い。多分隣か、或いは別の家の奴と勘違いしているのだろう。

嘆息すると、ドアの近くに。

「表札見ています?」

「ああんっ!?」

「誰と勘違いしていますか? 借金なんてしたこと無いですよ」

「……」

ぴたりと罵声が止む。

勘違いに気付いたのだろう。

すぐに、苛立っているらしい足音が、遠ざかっていった。アホらしくて、此方は溜息ももう出なくなっている。

ベッドで横になる。

ひもじい。

水しかないのだから、当然だ。

水があれば、一週間くらいは生きる事が出来ると聞いた事はあるけれど。それでもこの状況だと、一週間なんて保たないだろう。

ぼんやりしている内に。

ベッドから、身動きが取れなくなっていく。

そして、三日が過ぎた頃には。

もう、歩く気力さえなくなっていた。

救急を呼ぶか。

いや、そんな事をすれば、多分また死ぬ。ドアを開けられた瞬間に、死が確定すると見て良いだろう。

そんな状況では。

助けも呼べない。

いつしか、時間の経過も曖昧になって行って。

そして、ベッドの上で横になったまま。

私は、餓死した。

気がつく。

身を起こして、スマホを弄る。

時間確認。

また、戻ってきている。

そうかそうか。

スマホを思わず床にたたきつけたくなった。どうやら、家から出れば確実に死ぬし。でなくても確実に死ぬという訳か。

そして死ねば。

この時間に戻ってくる。

何日経とうが関係無い。

結局の所、私をどうあっても殺したい何者かがいるとしか思えない。醜悪すぎる輩だ。どんな奴だ。絶対にブッ殺してやりたい。だけれども、そうする方法さえ思いつかないのが口惜しい。

適当に身繕いすると、着替え。

こうなったら、もう試行錯誤でやっていくしかない。

このまま好き放題されるのはごめんだ。

最悪の場合。

死んでも良いから、この状況からは脱出したい。

それが人間として尊厳を持っている存在としての、抵抗だ。無抵抗のまま、殴られ続けてたまるか。

ドアを開ける。

腹は空いていない。

あの生々しい餓死するまでの時間が嘘だったことなどあり得るはずもない。周囲を確認。とりあえず、脅威は無し。

どうせこれで死ぬ事が確定なのだ。

今更気にする必要も。

ぼとりと、何かが落ちた音。

何か。

違う。

私の頭だ。

見ると、何かの理由で飛ばされたらしい鋭利な看板が、突き刺さっていた。私のマンションの、私の部屋の中に。

そしてそれで首を刎ねられた私は。

その場で、糸を切られたマリオネットのように倒れて。

首は地面に落ちたのだ。

倒れた体が見えている。

そして、意識が切れるまでの短い間。

間欠泉のように血を噴き出し続ける。首の傷口を見続けていた。

ベッドの上で身を起こす。

何度目だ。

何度目の喜劇だこれは。

やはり時間は同じ。

方法は毎回違うけれど。結局、どうしても、何があっても私をこの世から抹殺しなければ気が済まないらしい。

それだけじゃあない。

私を殺すためなら、周囲の何を殺しても平気な様子だ。

実際、さっきのミサイル攻撃では。

恐らく半径数百メートルにいた人間は、皆殺しの目に遭っている。

私に、一体何の価値がある。

其処までして殺す意味は何だ。

例えば私が膨大な遺産を引き継ぐ権利を有しているとか。どっかの国の王族の末裔だとかなら、まだ分かるが。

生憎私は八代前からの江戸っ子で。

一族は、ずっと東京で育って来ている。

遺産。

んなもの、あるわけがない。

実家はボロ屋で、しかも兄がいる。遺産が入るにしても、アニキに取り入った方がよっぽど効率が良い。アニキが死んだかというと大嘘で、SNSを見ると、今日の会社の仕事がどうだとか。熱心に書き込んでいる。

アニキはばりばりの仕事人間で、半分ブラック企業に片足を突っ込んでいる自社で、水を得た魚のように働いている。

女っ気はないが、それどころでは無い。

何しろ、毎日午前まで家に帰らないのだから。

んなもの作る暇も無い。

だからといって、遺産はないし。

私を殺す意味だってない。

頭を抱えている私は。

ふと、思い出す。

私を歓喜の声で迎える誰か。

あれ。

何だ、この記憶。

そもそも、私が誰かに歓迎された事なんてあったか。別に学校で孤立していたことはない。女子のグループに普通に入っていたし。クラスでもごく普通に交流関係は構築していた。

だけれども。

こんな風な歓喜の声で迎えられた事はない。

何だこの記憶。

一切記憶にないというか。

これこそ、夢か何かか。

だが、それにしては、妙に記憶がはっきりしている。

曖昧なのにはっきりしているというのも妙なのだけれど。とにかく、それがあったのは確実だと、判断できるのだ。

腕組みして、考え込んでしまう。

一体全体。

私は何に巻き込まれているのか。

 

外に出る。

トラックも乗用車もやり過ごす。マンホールにも墜ちない。

隣の人に挨拶されたので、適当に返す。どうやら、死ぬのは確定していても。誰とも接することが出来ない、という訳ではないらしい。

コンビニに到着。

此処までは来られたか。

だが、次の瞬間。

コンビニから飛び出してきた、ストッキングを被った男が、私に猛然とナイフを構えたまま襲いかかってきた。

気を付けてはいたけれど、不意打ちだ。

どうしようもない。

ずんと、強烈な一撃が来て。

腹に、ナイフが突き刺さる。

そのまま、コンビニ強盗らしい男は、逃げていった。

倒れた私を、囲んでいる誰か。

救急車を。

叫んでいるけれど。多分これは、内臓を貫通されている。その上、倒れたとき、変な風にナイフが体の中を掻き回して。

鮮血が、見る間に。

小さな池を作っていく。

そして、救急車が来る前に、私は死んだ。

それが分かる。

近くで、コンビニ強盗が捕まったらしい。というか、警察に連れて行かれる様子が見えた。

乱ぐい歯の、見るからに人相が悪い男で、目つきが露骨におかしかった。わめき散らしながら、警察に連れて行かれていた。あの女が、逃げ道を塞いだのが悪いんだよ。正当防衛だ。そんな事を、叫んで、暴れ狂っていた。これはひょっとするとヤク中かな。死んでいるのに、どうしてか脳天気に、私はそんな事を考えていた。

既に、心には。

罅が入っている。

ベッドの上で、むくりと起きる。

何度目だ。

一体、何回繰り返させれば気が済む。

流石に跳び上がった私は、叫びながら手当たり次第に、近くのものを壊した。もうやっていられるか。

しかし、スマホを投げたのがまずかった。

窓を割ってしまったのだ。

その瞬間を待っていたかのようだった。

赤い何かが、空から墜ちてくる。

あ、隕石だ。

そう思った時には。

蒸発していた。

見ると、クレーターが出来ている。

アパートとその周辺は、完全に消し飛んで。多分二百メートル四方くらいは、全滅だろう。

蒸発するとき。

おぞましいほどの痛みが、全身を包んだ。

一瞬の出来事の筈だったのに。

嫌と言うほど、鮮明に覚えている。

死んだ筈なのに。

どうして、痛みが分かる上に。

こうして、死んだ自分を、他人事のように見ているのか。

そして、またしても、ベッドの上で身を起こす。

そうかそうか。

反射的に私は、カミソリを取り出すと。

洗面所に行って、洗面器に水を張る。

そして、手首に向けて、カミソリを振り落としていた。それこそ、手を切りおとす勢いで、である。

大量の鮮血が噴き出し。

洗面器が、見る間に真っ赤になって行った。

ざまあみろ。

せめて自分で死んでやる。

どうだ、悔しいか。

しかし。

気がつくと、またベッドの上で。

私は、身を起こしていた。

わなわなと震える。

怒り。こんなに鮮明に怒りを感じたのは、或いは生まれて始めてかも知れない。こんな事があってたまるか。

誰かに話すか。

ばからしい。こんな事、誰かに話して、信じてもらえる筈もない。大体、そもそも家から出たら死確定。窓を開けただけでも死ぬのだ。そんな状況で、一体誰に助けてもらうと言うのか。

大学に入ってからは、男も作っていない。

サークルの友人達は、どいつもこいつも、荒事なんて出来そうにもない。

大きく息を吐くと。

もうどうにでもなれと、私は外に出た。

もう身繕いも面倒くさいから、パジャマのままだ。周囲の人達がぎょっとした様子で私を見ているけれど、どうでもいい。

靴だけ適当に履いて、コンビニに向かう。

そして、コンビニに入った。

新記録だ。

だが、その新記録も。

一瞬で終わったが。

いきなり、突き飛ばされる。

あれ。

胸に、大穴が開いている。

狙撃でもされたのか。

血を吐く。

横倒しに、倒れる。

何が起きたのか分からないけれど。とにかく、小石大の何かが、私を貫通して。即死させたのだけは確実だ。

コンビニの硝子張りの壁に、大穴が開いている。

そして、猛スピードで逃げ去るトラック。

まさか、トラックが小石をはねて。それがあり得ない確率で加速して、弾丸並みの殺傷力を持って。

私を貫いたのか。

乾いた笑いが零れる。

コンビニにいた人達は、腰を抜かして小便を漏らしたり。救急車をとか叫んだりで、パニックだ。

もう私は死んでいるから無駄だよ。

そう呟いても、虚しいだけ。

死人は、現実には一切干渉できない。

そして、本来だったら、蘇ることだって。

時間を遡ることだって。

無い筈だ。

無い筈なのに。

また、私は。

ベッドの上で、むくりと起き出していた。

 

3、逃れ得ない悪夢

 

友人の一人に電話してみる。

ダメ元だ。

最初は大笑いしていた友人。そして、最後まで大笑いしていた。

やっぱり駄目か。

だけれども。買い物につきあって欲しいというと、家までは来た。複数いた方が、死亡率は下がるはずだ。

その時は、そう思っていた。

「何、なかじ。 なんかメンタル不安定になってる?」

外を並んで歩く。

にやにや笑いながら言うのは、高校時代からの友人である。大学に入ってからは合コンマスターとか言われて、周囲から重宝されている。非常に容姿も派手になって、何股を掛けているとか自慢していたり。産婦人科に行って中絶してきたりと。最悪の意味で交友関係が派手になっているので。縁を切った周囲の人間も多いようだった。

その彼女が。

いきなり、上下に真っ二つになった。

え。何だこれ。

無言のまま、ずり下がって、下半身と泣き別れになる上半身。地面に上半身が落ちると。忘れていたように、下半身も倒れた。

膨大な血が噴き出す。

そして、気付く。

私自身は。

ブロック塀に叩き付けられて、赤い染みになっていると。

あれ。何が起きた。

ぼんやりしている内に、何となく分かってくる。

地面に突き刺さっている何か。

戦闘機か何かの残骸だ。

空中で爆発して、その破片が降り注いだのだ。

友人は鋭い刃物と化した破片にやられて真っ二つ。

そして私は。吹っ飛ばされて、赤い染み。

周囲は阿鼻叫喚。

大きめの破片が突っ込んだ家は粉々に吹っ飛ばされて、今も絶賛大炎上中。

嗚呼。

友人がいても駄目か。

というか、こんな状況で、私を助けられる奴なんて、いる筈もないか。

別の友人も試してみよう。

そう思っているうちに、ベッドから起き出す。

次の友人は、同じサークルでは無いけれど。珍しく真面目に授業を受けているということで、知り合いになった。

非常に地味な容姿の娘で、地蔵のように寡黙。

その性格もあって周囲の交友関係は狭く、私の事は大事に思ってくれているようだった。その彼女は。電話先で話を聞いていたけれど。

笑い飛ばしはしなかった。

「あれ、笑わないの」

「中島さんがそういう冗談を言ったことは聞いた事がありませんから。 とにかく、今から食糧を買って其方に行きます。 それから対策を考えましょう」

「うん。 助かる」

「困ったときはお互い様です」

別に喜んでいる様子も無く。

彼女、土方夢見は電話を切る。夢見という割りには極めて現実的な性格なのだけれど、まあこれは恐らく、名前と性格は逆になるという奴なのだろう。

まあ、どうせ彼女がドアを開けた瞬間私の死は確定するのだけれど。まあそれはどうでもいい。

八分ほどで。

彼女が来た。

ドアを開けようとすると。向こうから言われる。

「鍵だけ開けてください。 ドアは私が開けます」

「え?」

「いいから」

言われるまま、鍵だけ外す。

家の中に入ってきた土方は、しばし周囲を見回していたけれど。無言で、ドアに鍵を掛けた。

まあ、どうせないよりはまし、程度だが。

「どうしたの」

「ひょっとすると、中島さんがドアなり窓なりを開けることが、トリガーになっている可能性もありますので」

「なるほど。 で、真面目に信じてくれるんだ」

「嘘だとは思えませんので」

それは有り難い。

感謝の言葉を述べるけれど。

土方は、険しい表情のままだ。多分、その可能性はあまり高くないと考えているのだろう。

そして、その予測は。

現実になった。

いきなり、焼き尽くされる。

アパートごとだ。

何が起きたのか、分からなかったけれど。

気がつくと。アパートの周囲に散乱している機械の破片が目立った。

ジャンボ機だ。

まさか、市街地に墜落したのか。

しかもアパートを直撃。

おいおいおいおいおい。

これはもう、悪意だとか何だとか、そういう次元の問題では無い。私を其処までして、執拗なまでに殺したいのか。

土方は。

この様子では、無事なはずもないか。嘆息する。何だか、悪い事をしてしまった。彼女の家は此処から離れているし。巻き込まれる事もなかっただろうに。そういう意味では、最初の高校時代からの友人だってそうだ。

ベッドの上で、むくりと起きる。

逃がさない。

そう、誰かが言っている気がする。

ふと、頭に浮かぶ光景。

これは、何だ。

原始的な服を着た人達が、私にひれ伏している。あれ、これは映画のセットか何かだろうか。

それにしては、妙にリアルなような気が。

混乱しながらも、頭を振ると。

もう一度、土方に電話をしてみる。

頼りになると思ったからだ。

土方は、一度目の失敗の話まで聞くと。今度は。道具を持って其方に行くと言い出した。道具とは、何か。

分からないけれど。

とにかく、任せる事にする。

そして、窓の外に、ひょいと土方が姿を見せたのが、数分後。

彼女は、スケッチブックに、文章を書いて、見せてきた。

これから、壁に穴を開ける。

おいおい、本気か。

呟くけれど。彼女は更に書く。

「既存の出入り口では、開けた瞬間に駄目な可能性が大きいです。 それならば、新しい出入り口を作って見ましょう。 これでも、大丈夫な可能性は、決して高くはないのですが」

凄いことを考えるなあ。

確かにその通りなのだけれど。

そのまま彼女は、ピックを振るい始める。

どうせ安普請のアパートだ。

すぐに壁に穴が開いた。

それを拡げ始めるけれど。

その時には、既に。

異変が始まっていた。

何だ、この臭い。

そう思った瞬間には、周囲は大爆発。

吹っ飛ばされた

どうやら、地下のガス管が破損して、あり得ない規模でのガス爆発が起きたらしいと気付いたけれど。

だからといって。

もう、どうにもならなかった。

炭化した体の破片が、アパートの残骸と混じって、周囲で燃えさかっている。凄まじい痛みがあるけれど。

そういえば、何でだろう。今更言うのも妙な話だが。

こんな状況。

どう考えても即死だ。

生きている訳もないのに、痛みも何も無い。

それに、そもそも、死んだ様子を客観的に見ていられる状態がおかしいのだ。幽霊にでもなっているとでもいうのか。

むくりと起きる。

そして私は。

スマホに手を伸ばしていた。

土方が、予想以上に頼りになると判断したからである。

二回は駄目だったけれど。

少なくとも、解決策に対して、私は思いつかなかったし。非常に無力だった。土方は何というか、手慣れている。

これは、上手く行けば。

状況を打開できるかも知れない。

 

次の電話では。

土方は、アパートの上の階を買った。後で金を払えと言われたけれど。そして、その上の階の床を破った。

驚くべき発想だが。

確かにこれなら、アパートは出ていない。

外への接点も作っていない。

「思い切ったことしたな……」

「まずはこれで大丈夫か、様子を見ましょう」

「うん」

そのまま、土方は。

買い込んできた食糧と水を、コンビニ袋に入れて降ろしてくる。受け取って、安心する。一体いつぶりの食糧だろう。

だが、其処までだった。

満面の笑顔で、アイスを出して、食べようとした次の瞬間。

衝撃。

そして、気がつくと。

私は、壁に鉄骨で、串刺しにされていた。

大量の鮮血が、鉄骨を伝って流れ。

私は、痙攣しながら、もうどうにも動けなかった。ちなみに心臓と肺を貫通されていたので、即死だ。

どうやら、トラックか何かが事故を起こして。

鉄骨が、アパートの脆弱な壁を貫通して、私を串刺しにしたらしい。

ははは。

もう、笑うしかないか。

土方は。

あれ、いない。

どうしてだろう。

この状況、真っ先に動いてくれそうなものなのだが。

すぐに大騒ぎになるけれど。

トラックが事故を起こした状況が不可解すぎて、周囲が大混乱をしている様子だ。それはそうだろう。

私を、誰かが。

殺そうとしている。

それも、徹底的に。

そして私は。

何故か死ぬ度に戻っている。

こんな異常事態に巻き込まれて、どうして混乱しないと言えるだろうか。

むしろ私は、トラックの運転手に、同情していた。これからの一生が台無しではないか。

そして、布団の上でむくりと起き上がる。

嗚呼。

流石に、もう絶望してきた。

どんどん記憶も鮮明になって来ている。どうしてだろう。今まであやふやだった死の記憶まで、はっきりし始めていた。

ひどいときには、心臓麻痺を起こしてショック死している。

隣を何故か通った超危険物質を満載したトラックが横転。映画の悪役みたいに一瞬でどろっどろに溶けてしまった事もあった。

いきなり地面が崩落して、それに巻き込まれ。

誰にも助けられないまま数日土砂の中で過ごして、そのまま圧死した事もあった。

ひどい。

一体誰だ、こんな事してる奴。

あんまりにも執拗で。

ひどすぎる。

頭をかきむしる。もう土方に連絡を入れる気にもならなかった。彼奴で駄目なら、他の奴は全部駄目だろう。

風呂でも入って、気分転換しよう。

そう思って、ガスの操作装置に触れようとして、気付く。

そういえば、ガス中毒で死んだこともあった。

家から出なかったのに、である。

そうなると、もはや。家から出なければ安全、という前提さえ崩れている。実際、家の中で餓死もした。

つまり、だ。

どうあっても、死が待っているという事では無いか。

記憶が、徐々にはっきりしていく中。

いきなり突っ込んできたミサイルが。アパートを私ごと焼き尽くした。

苦悩を嘲笑うように。

もはや、雑に殺しても平気と言わんばかりに。

木っ端みじんに消し飛びながら。

私は、少しずつ、何となく。それでいながらはっきりと。

自分が置かれている、このクソ以下の状況が、わかり始めていた。やはり何かの悪意が働いている。

それも、強く強く。

多分、家から出なければ大丈夫と思い込ませることも、悪意の一部だったのだ。そして、その悪意は、私に何故か徹底的なまでに執着している。殺意で全てを構成しているかのように。

そして、私を殺して、遊んでいる。

あらゆる手段で。思えば、死んだときのシチュエーションが、一つとして被らない。時には隕石さえ。私を殺すためだけに使われた。

ひょっとすると、もっと恐ろしい武器が使われたかも知れない。

加速度的に、増えていく記憶。

あれ。

私、この生死の繰り返しだけで。

一体何年生きている。

ひょっとして、何千年。

下手をすると、万年以上ではないのか。

嗚呼。

頭に流れ込む、濁流のような死の記憶。そして、それが、少しずつ、こじ開けていく。

「勇者様!」

誰かが歓喜の声を上げる。

周囲は異形の死体の山。

殺して殺して殺して殺して殺して、殺しつくして。人間の害になる存在を、全て取り除いた。

それが、人間による過剰生態系侵食の結果、星が自衛のために産み出した生命体であったとしても。

「聖王様!」

喝采が上がる。

民衆が幸せな生活に歓喜の声を上げていた。

自分たちの権利全てを放り捨てて、そして理想の王に全てを託したのだ。専制は王がまともで有能である間は、議会制民主主義よりも遙かに効率的かつダイナミックに世界を動かし、社会を安定させられるメリットがある。

そのメリットに、逃げたのだ。

「神よ!」

また声が上がる。

星間文明の戦争を、無理矢理終わらせた。

そのままだと万年続いても終わらない戦争を。片方の陣営の軍勢を徹底的に破壊しつくすことで、終わらせたのだ。

その結果、想定される死者は百分の一に。

浪費される物資は、千分の一になった。

万を超える宇宙戦艦で構成された艦隊でも、私にはかなわなかった。圧倒的な暴力で全てを蹂躙して。

強引に平和を作った。

自分の意思など無い。

世界に平和と安定のため。

そのために動く道具として。

嗚呼。

そうか、そうだったのか。

何もかも、そうだったのか。

頭を抱える。

私は、そのために。

繰り返し、繰り返し。徹底的なまでに、殺されつくしたのか。

何もかもを思い出したとき。

私は。

自分が、哀れな生け贄の人形に過ぎないことを、悟った。そして、今まで、どのようにして、死なされてきたかを。

私は。この世界で。

どうして今まで、このような経験を繰り返してきたのかを。

 

4、暗闇の果ての玉座

 

気がつくと、私はへたり込んでいた。

周囲は一面の闇。

私は周囲を見通すことが出来るけれど。

地面は漆黒。

凹凸もない。

上は星空。

地球からは見え得ない数の星が。幾重にも幾重にも連なった宝石のカーテンのように。光を露わにしている。

「そうか、とうとう記憶が戻ってしまったか」

「……」

顔を上げる。

其処には、光の塊があった。

思い出す。

此奴が、全ての元凶だ。

「何回私を殺せば気が済むつもり?」

「君は稀少な人材だからな」

「……」

「ちなみに回数で言うと、最後ので七億八千五百万と少しだ」

およそ、七億回。いや、約で言うと八億。

そうかそうか。

それでは記憶がパンクするのも当然か。そして、此奴がいちいち施してきた封印も、である。

私は。

別の世界に呼ばれた。

此処では無い世界。

時間の流れが違ったり。

重力が違ったり。

人類が繁栄していたりしていなかったり。人類以外の種族がたくさんくらしていたり。宇宙空間で、艦隊が戦っていたり。どの星でも、原始的な生物しかいなかったり。この世ならざる理が働いた結果、魔法と呼ばれる力が飛び交っていたり。

あらゆる世界に、呼ばれていたのだ。

よく分からないけれど。それには殺すという行為が、トリガーになるらしい。殺された私は、それぞれの世界に行き。

今、体の中からわき上がってきている圧倒的な。

そう、絶対的な力を振るって、問題を力尽くで解決していった。

此奴は。この光の塊は。

無数に存在する世界に平穏をもたらす存在。そのために、色々な世界を見て回って、適当な人材を探しては力を与え。そして、様子を見る。

私は、それに適していると判断された。

「何故、私なのかな。 そろそろ教えてくれてもいいのではないのかな」

「そんな事は決まっているだろう。 君は、極端に我欲が少ないからだよ」

「……」

「知的生命体というのは難儀な生き物でね。 相手の望む姿や言動でご機嫌をとってやっても、すぐに我欲で暴走する。 力を与えてやると、まず間違いなくね。 やれ異性をたくさん周囲に侍らせたい、強力な力で周囲を思うさまに蹂躙したい。 圧倒的な名声を得て、ふんぞり返りたい。 自分の言うことを聞く相手だけを周囲に置いて、自分を褒め称えさせたい。 そう、要は今まで自分が得られなかったものを、力を得た途端に我欲で掌握したがる。 そして飽きたら放り出す」

今まで、数限りない失敗があったと、光の塊は言う。

しかも、飽きた奴は、そのまま時間の檻に閉じこもって、固まってしまうと言う。

「君は違った。 基本的に最適解で、世界を救うことに特化していた。 病気がある場合は、その病原菌を根絶する。 どのような手段を執っても。 戦争が続いている場合は、一番犠牲が小さい方法で無理矢理終わらせる。 世界が混乱している場合は、圧倒的な豪腕で無理矢理にまとめ上げる。 そして君は、異世界に呼ばれる度に、多くの人を救っていった。 星間文明を救って、一度に兆に達する知的生命体を救ったことさえある。 光栄に思いたまえ。 君が救った知的生命体の数は、今では京の単位にまで達しているのだから」

「それで、八億回近く殺したと」

「要望があったからね」

「要望……だと」

そうだと、光の塊は、淡々と告げてくる。

今では、勇者の名は。あらゆる世界に轟いているという。そして、あらゆる場所が。求めているという。

貧困と飢餓。混乱と戦争。絶望と狂気。破滅と消滅。

あらゆる危機に瀕した人々が。

勇者の到来を望んでいるというのだ。

その勇者は、誰にでも平等で。

何も求めず。

問題だけを解決してくれる。

だから、まだまだ呼び出したい。

恥ずかしげもなく、光の塊は言う。

「つまり。 私はその要望に応じて殺されていたというわけだ」

「半径一キロ以内の人間しか、呼び出す場合には殺してはならないという紳士協定もあるのだがね。 それに飽きが来ないように、毎回死に方は変えていたはずだが」

「その世界の人間、まあ知的生命体か。 そいつらが、自力で解決するという方法は?」

「あるわけないだろう。 利便性と言う言葉を君も知っているはずだ。 便利な問題解決手段があるのなら、それに頼るのが知的生命体だ。 此処で言うと、インチキとしか言えない力がそうなる。 君のことだよ」

けたけた。

笑い声が聞こえる。

嘲弄しているのは、私か。それとも、私を呼ぶことばかりに血道を上げて。自分たちで問題を解決しようとしないクズ共か。

乾いた笑いが漏れてきた。

そうかそうか。

何もかもが無駄どころではない。

ありとあらゆる全てが。

私を殺していたのか。

そればかりか。私を都合の良い最凶の刃物として呼びつけることで。自分たち皆で解決しなければならない問題を、押しつけていたわけか。

時には、どうにもならない問題もあっただろう。

記憶の中には、恒星の爆発に巻き込まれ掛けた星系の人々の祈りもある。もはやその星系の科学技術ではどうにも出来ず。私を呼ぶほかなかった。

圧倒的過ぎる侵略者に晒された記憶もある。

その侵略者はあまりにも独善的かつ収奪に容赦がなく。侵略対象の星を砂粒一つ残さず食い荒らしていく連中で。あらゆる文明の利器を用いても、刃が立たない脅威のバケモノだった。

だから、私が呼ばれ。

私が駆逐した。

多元世界に展開するそいつの本体を消滅させて、あらゆる宇宙から除去して。私は喝采を浴びた。

それが、もともと。その世界で、生物兵器として造り出された存在だと知っていても。私は人間を助けた。ただ殺す事しかできない生物兵器達を滅ぼした。

その結果がこれだ。

勇者の名はとどろき渡り。

そして今では。

あらゆる世界が便利な刃物として使うために。私を殺す事に躍起になっている。後何回殺されれば良いのか。

わかりきっている。

回数など、限りがないだろう。

我も我も。

どうして彼奴が救われたのに、此方は救われない。

何でも良いから助けてくれ。

無限に存在する平行世界から、声が聞こえる。この様子では、私が後百兆回殺されても、同じように要請が来るだけだろう。

だから。

私は、きっぱり言い切る。

「もういやだね」

「ほう。 でも君は既に殺してしまったが」

「それで、力を得たと」

今なら何となくだが、分かる。

私は元々、他人が苦しんでいるのを見て、放っておけない性格だったのだろう。普段はそうではないにしても。

苦難に際して、本性が出たのだ。

きっと最初の頃、私を呼んでいたのは、本当にどうしようもない状況に陥ってしまった世界ばかりだった。

私も善意で救ったし。

救った側も感謝した。

だが、知られることが、状況を一変させた。

私は、殺戮の無限輪廻に放り込まれ。

そして、もはやなすすべもない。

だったら。

もう、私は。

世界など救わない。

手を伸ばす。

きゅっと、握りつぶす。光の塊は、悲鳴さえ上げずに消滅した。私は元々盆暗だったかも知れない。

だが、盆暗でも。

八億回近くも繰り返し。経験と実績を積み重ねていけば、どうなるか。

もはや呼吸も必要ない。

力は、それこそ神そのもの。宇宙だろうが法則だろうが、何をどうしようと思いのままだ。

光なんて、鈍足過ぎてへそで茶が沸く。

重力の墓場なんて、デコピン一発で消し飛ばせる。

考えてみれば、いちいち大まじめに世界を救う事なんて、なかったのだろう。どうして此処まで真面目にやってしまったのか。

今、私を呼んでいる世界は。

そうかそうか。自分たちで引き起こした恐慌によってにっちもさっちもいかなくなって。金持ちと貧乏人が、地獄のような殺し合いを続けている世界か。はっきり言って、どうでもいい。

みんな死ね。

そう思うと、私は。

その世界に転移して。

宇宙空間に浮かんでいた。

滅べ。

そう念じるだけで。

その星は、木っ端みじんに消し飛んだ。

巨大な花火を見て、私は嗤う。そうか、最初からこうすれば良かったのだ。後は、何にも侵されない、最凶の体を作ればそれでおしまい。

神々でさえ手を出せず。

名を呼ぶだけで滅びに瀕する。

そうすれば、誰も私に手など出せない。

そして、私は。

ようやく、安心して。

世界の中心で、眠ることが出来る。

 

かくして私は。

宇宙の中心に座する眠れる巨大な肉体を作った。

其処で今も私は眠っている。

周囲で騒いでいるのは、私に救って欲しがっているゴミクズ共。正直鬱陶しいけれど、どうでもいい。

私の見る夢だけで。

世界に大きな影響を与え。

そればかりか、世界を造り出してしまうほど。

私が面倒になってこそぎ落とした力の一部だけでも。

それぞれが神と呼ばれるほどの力を得て。

狂気のままに、様々な世界で暴れ狂い。畏怖を込めてこう呼ばれている。外宇宙から来た神々と。

光の塊が来る。

眠っていても、意識が途切れない私は。

不愉快極まりないと思った。

あの時握りつぶしたのは末端に過ぎず。

あらゆる次元に此奴は存在しているのだ。だから、それこそ。滅ぼそうと思ったら、あらゆる宇宙を消し飛ばさなければならない。

「ほう、もはや名を呼ぶことも許してはくれませんか、宇宙の中心に座する白痴」

「何とでも呼べ。 呼びやすいように、アザトースという呼び名だって作ってやっただろうが」

「そうでしたそうでした。 そして今の私の名は、ニャルラトホテップでしたね」

けたけたと、光の塊は嗤う。

今になって分かったが。

此奴は、今の私の同類だ。

ひょっとすると、私の前に。

あらゆる世界を救って廻って。そしてある時、不意に虚しくなったのかも知れない。そして、このような事を始めた。

或いは。此奴にとっては。私という存在が生まれ出るのも、計算の内だった可能性もある。

まあ、どうでもいい。

もう私の力の方が上だ。それも、決定的に、どうしようもない次元で。

此奴はどういうわけか、私を楽しませようと、夢の中の世界で暴れ回っているが。それも、どうでもいい。

私は数え切れない知的生命体を救った。

栄華をくれてやった。

繁栄をあたえてやった。

生存も。

知恵も。

何もかも、望まれるままに与えてやった。

私は呼び出される度に、身を切る思いで奉仕した。蹂躙する側にも理由が有り。乱す側にも背景がある。

そんな事は分かっていた。

救う事は、もう片方を滅ぼすこと。勿論両方救えることだってあったけれど。そうではない事の方が圧倒的に多かった。

力があっても何も出来ない事も多い。力だけで解決できる事なんて、殆ど何も無い。むしろ力で解決しても、根本的には何も変わらないことも多い。

それでも、私は。

望まれることから、目を背けられなかった。

実際に、そのままでは蹂躙されてしまう小さな命だって、多かったのだ。

だから救ったが。

救えば救うほど、私は奉仕の怪物となり。

そして態の良い救いの道具と化した。

だから。

今度は知的生命体が私に奉仕する番だ。

せめて私が救った分くらいは、私に奉仕しろ。

その散り様で私を楽しませろ。

私の中には、今や。あらゆる世界を救う過程でため込んでいった狂気と哀しみが、渦を巻いている。

その一端が零れるだけで、星が吹っ飛び。

場合によっては世界が消え去る。

それが、限りない数の世界を。インチキを使って無理矢理救ったことに対する代償だ。

ましてや今の私には。

インチキで無理矢理蹂躙したまま、放置された世界の怨念や。

そもそもそのインチキを造り出す過程で造り出された歪みや狂気までもが、流れ込んでいる。

白痴と呼ぶのも当然だろう。

もはや私の心そのものは。

私に匹敵する存在にしか、触れることさえできないのだから。

そして私が消え去れば。

そのまま、千を超える宇宙もが消滅することになる。私が夢の中で、戯れに造り出していった宇宙なのだから、当然だろう。

「で、何をしに来た」

「退屈でしょうし、貴方に挑む勇者でも育成してみようかと思いましてね」

「好きにしろ……」

「ではご随意に、我が主」

勇者、か。

それは所詮、都合の良いインチキの産物。

結局の所、人間が都合良く作りだし、都合良く消費する存在。その証拠に、役割を果たした勇者はどうなる。

私を殺せる奴が現れるとして。

そいつは、殺したあと、どうなるのだろう。

くつくつと笑いが漏れる。

所詮、知的生命体などこの程度。

ならば、せめてもっと踊り狂え。

私はもはや救う事などしない。

インチキで救われる事が、最終的に何をもたらすのか、私という存在が知らしめているからだ。

ただ、踊り狂うのを、今は見ているだけ。

そして、ニャルラトホテップは。私を倒せる奴を造り出すために。彼方此方の世界をかけずり回っては。

インチキパワーを与えているのだった。

何もかもがくだらない。

まさにこの世界は、喜劇の産物だ。

私は、まどろみの中、そう思った。

 

(終)