八人の賢者

 

序、揃う賢人

 

最初にパルミラの降臨を見たとき、スールは正気を保つのが精一杯だった。だけれども、それからすぐにプラフタさんとアルトさんの作ってきた賢者の石で、パルミラがまた呼び出されて。

恐らく、パルミラを見た事で、深淵の最深部に触れたからだろう。

もう恐怖はさほど感じなかった。

そして、今。

ルーシャが、必死に脂汗を掻きながら、顔を上げている。

失神寸前なのは分かるが。手助けは出来ない。

気持ちは分かる。分かりすぎるほど分かる。

こんな存在と接して、普通だったら正気なんて保てっこない。相手は文字通り意思を持った世界そのものなのだ。

パルミラに、守護をする存在になりたいと願ったルーシャ。

嗚呼。

心底から優しいんだなと、スールは悲しくなった。リディーもスールもだが、「みんな」にはとことん愛想がつきた。自分が「みんな」と一緒だったことには、本当に今ではハラワタが煮えくりかえる思いである。

だが、ルーシャは。それでも「みんな」を悲しい存在だと思ったのだろう。

勿論「みんな」はそれを余計なお世話だとでも思うだろうが。

そもそもこの世界には未来もなければ可能性もない。

実際にこの世の果てを、訳が分からない回数見てきている存在が。試行錯誤を繰り返してなお、どうにもならないのだ。

それは確かに、正論であると認めざるを得ない。

ルーシャは何とか問答に耐えきったが。

パルミラが戻ると同時に、意識を失った。

それどころか、全身から出血し、その場に倒れ込む。スールも気絶したが、この反応は強烈すぎる。

すぐに駆け寄って、治療をする。急速にバイタルが低下している。手持ちの薬では、助けられるかどうか。

ルーシャは意識もない。

まずい。リディーも全力で回復魔術を掛けているが、これはとてもではないが、無理ではないのか。

唇を引き結ぶ。

ルーシャは多分無理だろう。

そんな事を、何処かで誰かが言っていた気がする。

才覚の学問だ。

錬金術は、何処までも才覚に左右される。賢者の石をルーシャが作る事が出来たのは、本来あり得ない事で。

無理に無理を重ねたから。

パルミラとの謁見で、その反動が全部出てしまった。

そもそもルーシャは、精神だって人間を超越している段階まで行っていたとは思えないのである。

そんな状況で、あのパルミラに謁見するなんて。

しかも会話をするなんて。

自殺行為だ。

嗚呼。どんどんルーシャが冷たくなっていく。口から流れ落ちている血も、ドス黒くて。感情が凍ったかと思ったスールも。思わずぐっと頭を下げてしまう。このままでは、ルーシャは。

だが、その時。

ソフィーさんが、此方に来る。

そして、掌から何かを零した。

分かる。恐らくこれは、エリキシル剤。死者も復活させるという、文字通り神域の薬。神秘の霊薬ですら足下に及ばない究極の秘薬だ。

それが掛かるだけで。

周囲に、ぶわりと、凄まじい生命の力が広がるのが分かった。

ルーシャのバイタルが回復していく。呼吸は既に止まっていたのだが。それが、息を吹き返す。

心臓の動きも、戻り始めた。

涙が零れる。

ルーシャは、こんなにも無理をして。いや、馬鹿なリディーとスールを守るため、ずっとずっと無理をしてくれていたのだ。

そして、究極の無理をして、此処までして。

恐らく、死ぬ事さえ意に介していなかったのだろう。自分の事なんてどうでもいいと、ルーシャは思っていたのだ。

昔のスールだったらどうしただろう。

ルーシャの真意を知る前だったら、なんでこうなったのか分からずに、混乱するだけだっただろう。

或いは、意味が分からないと馬鹿にしていたかも知れない。

だが今のスールは違う。

ともかく、容体が安定しただけで充分だ。すぐに医療室を借りて、本格的に休ませる。死にかけたルーシャが意識を取り戻すまで三日。

エリキシル剤を分けてくれたソフィーさんだが。それは同情からなどではなく、超越者八人体制を確立させるため。

賢者の石を作る事が出来る者なんて、そうそう出ないのが現実だ。

その状況を、これ以上崩したくは無かったのだろう。

意識を取り戻したルーシャの目には、光がなかった。

呼びかけても、応えない。

精神が壊れてしまった可能性もある。だけれども、きっとルーシャは何とかなる。そう信じて、看護を続ける。

二日が過ぎた頃。

やっとルーシャは、スールの方を見てくれた。

「スー、もう大丈夫ですわ」

「ルーシャ!」

「大丈夫、何処か痛くない!?」

「……壊れてしまった心を拾い集めていたのですわ。 やっと、言葉を発する事が出来るくらいまで……」

それから、しばらくまた次の言葉が出てくるまで時間が掛かった。

そうだ。本来パルミラと直接会話して、無事で済む筈があり得ないのだ。あんな存在、直視して正気でいられる訳も無い。

ルーシャはむしろ状態が軽い方。

下手をしたら、パルミラを呼び出しただけで、全身が爆発四散していたのかも知れないのだから。

「もう、大丈夫、ですわ。 二人とも、自分の仕事に戻って……」

「そんなの、無理だよ……」

「察してくださいまし。 こんな姿、見せたく……」

激しく咳き込むルーシャ。

まだ心も体も万全にはほど遠い。

そして、ルーシャがどれだけの覚悟の末に、パルミラと謁見したのも。無理をしたのも、分かりすぎるほど今のスールは分かる。

どうして此処までしてくれる人を、昔はバカだなんて思っていたんだろう。

本当に涙が出そうだ。悔しくて情けなくて。確かに表面を見るだけなら、滑稽にも思えるかも知れない。

だがルーシャは、いつも命がけで助けてくれていたし。

怖い目にも散々あっていたのだ。

きっと良いお母さんにだってなれたはず。

それなのにもうそれはかなわない夢だ。

守護なんて、もっとも大変な願いだろう。何かを守ろうとすればするほど、大変になる。お父さんを見ていてもそれはよく分かる。

英雄は孤独だ。

本物の英雄である先代騎士団長と直に会って、それはよく分かった。

あの人は尊敬されていたけれど。先代騎士団長自身の人柄そのものと、触れあおうとしている人はいただろうか。

多分みんな、生ける伝説として尊敬していたはずで。

先代騎士団長もそうあろうとしていたはず。

しかも先代騎士団長は上手く行っていた方で。下手をすれば、ネージュのように迫害されていた可能性だって高い。

佞臣達でさえ、獣の蔓延る荒野に先代騎士団長無しでは対抗できないのを理解していたから。先代騎士団長は迫害はされなかった。

庭園王のような桁外れの暗君でもなければ、それくらいは理解出来たのだ。

それでも、危うい橋を先代騎士団長は渡っていたはず。

ルーシャは、また自ら、そんな所に踏み込もうとしている。

バカだなんて間違っても言えない。

どれだけの覚悟の末に。どれだけの努力の末に、此処まで来られたのかは分からない程なのだから。

ギフテッドもないだろうし。

ルーシャは自身の才能について、リディーは勿論スールにも劣ると思っていたようだ。スールにはそうだとは思えなかったけれど。ともかくルーシャは、そう思い込んでいた。そんな中、賢者の石に手を出す事が、どれだけ勇気が必要だったのか。分からない程である。

何度も顔を擦った。

感情が希薄になっているのに、涙はどうしても出てきた。

それだけは、嬉しかったかも知れない。

人間を止めてしまっても感情はある程度残る事は分かっていた。

だが、それでも。

不安だったのだ。

完全にマシーンとなってしまうのでは無いのか。

それがただひたすら、スールの奥底には恐怖として存在し続けていた。今だって消えていない。

だが、イル師匠がそうであるように。

どうやらスールも、感情そのものは残っているようだった。

リディーに袖を引かれる。

ソフィーさんが、医療室の入り口にて。腕組みして、壁に背中を預けて待っていた。無言で、促されるまま外に出る。

医療室は、恐らく病気に二次感染することを防ぐためだろう。

かなり周囲を厳重に固められていて。

場合によっては空間ごと、素人でも隔離できるように。厳重に、調整を行われているようだった。

理論上、病気であればどんなものでも封じ込めができるだろう。

そして、ナンバーを切り替えることで、1000以上ある医療室を、切り替えることが出来るらしい。

深淵の者が、疫病対策をするとき。

此処をフル活用し。

更に時間停止なども使って、患者を助けるのだろう。凄まじい仕組みだ。前の深淵の者には其所までの力は無かったという話だから。多分ソフィーさんが考案して作り上げたのだろう。

「さっそくだけれど、そろそろ動いて貰うよ」

「待ってください、まだルーシャが」

「まずは実績を上げて、少しでも進展がなければ、賢者の石で事象固定はしない」

何のことだろう。

そう思って、気付いて。スールは、背筋を恐怖が走り上がるのを感じていた。

つまり、世界の果てまで行って。駄目だった場合。

ルーシャは、また今の地獄の苦しみを味わう事になる。

そしてソフィーさんは、気分次第ではエリキシル剤なんて使わない。

事象の固定については、スールも理解出来ている。

恐らくパルミラは、賢者の石をルーシャが使い、謁見を済ませた時点まで、世界を任意に巻き戻せるのだ。

つまり、ルーシャはまだ人質に取られている。

それが嫌なら、実績を上げることに協力しろ。ソフィーさんはそう言っている。そして昔は鈍くてバカだったスールでも、今はそれが理解出来る。ひたすらに悔しくて悲しいけれども。

やらざるをえない。

リディーがぐっとスールの腕を握る。

「せ、せめて。 ルーシャの容態が安定するまで待って貰えませんか」

「「素人」が側についていても、気休めにしかならないけれど?」

「……っ」

いつのまにか。ティアナさんがソフィーさんの後ろに立っていた。

今の状態でも、接近に気づけなかった。

この人、まだまだリディーとスールより上の実力なのか。というよりも、恐らく「殺人」に究極まで特化すると、此処までの実力になるのか。想像を絶する程の存在だ。多分伝説の勇者とか、絵本の中にいる存在が現実に出てきたら。こんなくらいの実力はあるのでは無かろうか。

スールは昔お母さんに読んで貰った絵本の内容が、一気に恐怖で塗りつぶされるのを感じながらも。

唇を引き結ぶしか無かった。

顎をしゃくって、ついてこいと促すティアナさん。

代わりにソフィーさんが医療室に入る。

あのエリキシル剤の効果も考えて、この人ならルーシャを確実に助けてくれる。それは分かる。

だが、まだソフィーさんは、リディーとスールを完全に御せるとは思っていない。

力の底上げが行われたといっても。

リディーとスールだけで、賢者の石を作るのはまだまだかなり厳しい。

悔しいけれど、優先順位は。

この世界の詰みの打開だ。

ソフィーさんが来ていると言う事は、恐らく医療に関わっていても、手出しが出来る状況なのだろう。

遠隔で色々操作したり見聞きしたり。

或いはティアナさんに指示をして何かさせるのかも知れない。

ほどなく、会議室に案内される。

イル師匠とフィリスさんと、それにプラフタさんとアルトさんが、既に揃っていた。

ソフィーさんはこの場にいないが、それはともかく三傑改め五傑とでもいうべきだろうか。

まだリディーとスールは、この四人に比べるのもおこがましい程の実力しか備えていないからだ。

イル師匠とプラフタさんが不愉快そうなのに対して。

フィリスさんはうきうきだ。

多分状況の打開が期待出来るからだろう。

フィリスさんは、昔はとてもまともで正義感が強かったと聞いている。少し感情の制御が下手だったらしいが、それはそれ。純粋で優しい人ほど、深淵の深みを覗いたときの反動が大きいのだろう。

ルーシャの事よりも。

今は、他の人達の方が悲しかった。

「それでは、まず順番に状況の整理から行おうか」

アルトさんが指を鳴らす。

前も訳が分からないほどの実力者だった。しかし、今は賢者の石の効果や、パルミラに能力上限を挙げて貰った事もあるのだろう。

前よりも更に訳が分からない実力を感じた。

「これが現在までに、深淵の者が辿ってきたおおまかな試行錯誤になる。 そして、どうしてこの世界が此処まで苛烈な状況に置かれたかの、おおまかな展望図になる」

ぐんと、一気に記憶がスールの頭の中に流れ込んでくる。

とんでもない量だ。

パルミラと謁見して、深淵の深奥の現物を見たときほどのプレッシャーではないけれど。それでも頭が割れそうである。

悲鳴を上げて、思わず頭を抱えるが。

誰も助けてはくれない。

当たり前だ。リディーだって、耐えているのだろうし。何よりも、ルーシャはもっと酷い目にあっている。苦しい目にもあっている。

このくらい。何でも無い。

そして、実際に何が起きてきたのか、スールは理解する事になった。

パルミラが目覚めて、この宇宙が意思を持った。普通の宇宙では無く、多元宇宙が交錯する、非常に他の宇宙から見ても重要度の高い宇宙であり。それだけにパルミラも強大な神だった。

パルミラは神としての責務。

全てを見守り、慈しむ事を考え。

そして世界を探り。知恵を持つにまで至った存在も含め、世界には生き物の苦痛の声が溢れていることを知った。

故にまずは実験として。滅び行こうとしている種族を四つ。己の作り上げた世界に招いた。

彼らをまず助けて。神としての実績を積みたい。それがパルミラの考えだった。

その四種族こそ、人間四種族だったのだ。

アルトさんにある程度は聞いていたし。実際に幾つかの例も見てはいたが。ダイレクトに見せられると。そのスケールの凄まじさに、頭が悲鳴を上げる。

パルミラは考えた。行動したからには責任を持たなければならない。

拾ってきた愛玩動物では無いのだ。

それぞれが自立的に意思を持ち。そして互いに尊重し合って、宇宙に出て行けるようになるまで見守る。

それがパルミラの意思。パルミラの愛。そしてパルミラの責任。

最初は楽園を用意した。破滅の運命を辿った人間四種族を哀れんだからだ。

だが、楽園に案内された人間四種族は、あっと言う間に滅びてしまった。試行錯誤を繰り返しながら、パルミラは知る。ストレスを掛けないと、知的生命体はあっと言う間に生物として堕落しきると。

かといって、ストレスを掛けると、今度は知的生命体は無意味に争い始める。種族単位でわかり合おうとは絶対にせず。同種族ですら相食み始める。

ならばどうすればいい。

気が遠くなるほどの試行錯誤の末、パルミラが至った結論は。

四種族がそれぞれ協力しないと、生きていけない世界、だった。

それが此処。この世界だ。

獣は例外なく強く、人間に対して牙を剥く。

ドラゴンという圧倒的存在が常に人間の総数を監視。しかもドラゴンは、一定数が常に世界に存在するばかりか、人間の文明レベルが上がると強くなる。

そして神の代理として、監視端末としての邪神が世界の各地に存在している。

緑は人間が自分で作り出さなければ基本的に存在しない。

更には資源も限られていて、人間が自己努力しなければ、あっと言う間に制限時間が尽きてしまう。資源が尽きれば、後は何をやっても滅びるだけだ。

思わず口を押さえた。

パルミラは殆ど全能に近い。

そしてパルミラ自身が、2700京年という、訳が分からない体感年数稼働を継続し。9兆回以上という意味が分からない回数の試行錯誤の全てで、あらゆるデータを検証し続けていた事は、スールも理解した。パルミラは文字通り人間四種族の「全て」を知っている。自分が関わった世界の、全ての人間の思考の動きから感情の動きまで何もかもログとして把握している。これ以上もないほど、人間を知っている存在なのである。

9兆回の試行錯誤という事は知っていたのだが。

その内容が、此処まで隙が無い事は流石に現在のスールには分からなかった。今、強制的に分からされたが。

いずれにしても、言葉で反論する余地はない。

圧倒的なデータの暴力で殴り倒されて。もはや立ち上がる事は不可能なまでに打ちのめされていた。

これに、抗わなければならないのだ。

限られた資源で、人間が宇宙に出る。しかも、互いに尊重し合い、更には他の知的生命体とも仲良くやっていける生物にならなければならない。それも、あまりにも過剰すぎる干渉は禁止。

超越者が干渉し改造して強制的にそう「させる」のでは意味がない。

人間が、自分の意思で。そうできるように促さなければ意味がないのである。

もしも、そのまま人間四種族を放置していた場合。

エゴのまま他の生物を蹂躙に蹂躙し。宇宙の災害となって、資源を食い潰しながらひたすら争いを続ける。

そうなることは、目に見えていた。

「さて、始めようか」

アルトさんが、悶絶しているスールに声を掛けて来る。

頭の中で、ぐわんぐわんと凄まじい音が響いているような気がした。もはや、引き返すことはかなわない事は分かっていても。この難題は。余りにも非情すぎる気がした。

 

1、最初の壁

 

時間を停止させた空間を貰う。

のっぺらぼうな部屋で、何も無い。机と椅子が二つ。そしてドア。それだけである。

机の中央には球体があり。

触ると、今までの作業実績。

つまり、パルミラがやってきた事。三傑がやってきた事。それをまとめたデータを得る事が出来る。

そこで、リディーとスールは、しばらくデータの本格的な取得を行う。これは、他の超越者達と持っている情報量が違いすぎるからである。

話を合わせるためにも。

行動を円滑にするためにも。

まずは知らなければならないのだ。先に頭に叩き込まれた知識は基礎も基礎。ここからが本番である。

「もう誰かが試している」事を、提案しても時間の無駄になる。深淵の者だって、持っている資源もマンパワーも有限だ。

やれることは限られていて。それをこなしきるには、相応の効率化が必要なのである。

昔読んだ絵本や物語に出てくる勇者が羨ましい。

何も考えずに無意味に世界を征服しようとする邪悪な魔王に対して。感情論で接したり。人間の可能性がとか、人間の意思がとか。無責任な人間賛歌を口にして、結局解決を先送りにする勇者。物語では、それでめでたしめでたしとなる。

だが現実はこれだ。

人間の可能性は有限だし。何よりも、魔王なんか存在しなくても、この世界は詰んでいる。

得られたデータの中には、実際にこの状態から、完全に深淵の者が手を引いてどうなるか。つまり、人間の可能性を見るものもあった。

残念ながら、あっというまに人間四種族は秩序を失い。

殺し合いの末に滅びてしまった。

此処まで過酷な世界でも、エゴを振りかざす愚か者は消えない。事実、スールだって庭園王のような愚劣な存在が、アダレットを滅茶苦茶にしかけるのを実際に見ている。ミレイユ女王のような人だっている。だけれども、あの人はあくまで例外だ。むしろ多くの人間は、庭園王と同じレベル。

だからこそ、深淵の者が出るまで世界には秩序そのものが存在しなかったのだ。

いびつな秩序だとも思わない。

データを取得する過程で見てしまうからだ。本物の混沌というものを。

襤褸を纏った難民の群れ。其所に容赦なく襲いかかる獣と匪賊。子供からさえ服も命すらも容赦なく奪い去って行く荒野。

親が子供を殺して肉をくらい。わずかにつないだ命を、荒野が容赦なくすり潰して食い潰していく。

そう、過酷な世界だと分かりきっているのに。誰も彼もが最低限の協力さえしない。

頭がいい人達が揃って、世界を良い方向に変えていこうと考えようともしない。

みんなこんな世界でも、利己的な利益ばかり考え。

利が無いと判断したら平気で他者を見捨てる。

それがむしろ普通で。

自分を犠牲に他人を助けられる存在は、むしろ異常な部類に含まれるのだと、スールは思い知らされた。

分かっている。

「みんな」が如何に醜悪かは。

実際に自分で見てきたし。自分がそうだったから、これらの醜悪な光景が何も間違っていない事は良く分かっている。

だけれども、それでもだ。

少しは、希望や可能性を感じさせるものを見せてはくれないのか人間は。多くの物語で喉が涸れるほど歌われてきた人間賛歌は、現実の前にあまりにも無力だ。

そも、楽園を用意された時点で。どうして其所で再起しようと考えなかったのか。ストレスがなければ駄目ならば、どうして切磋琢磨を考えず。独占ばかりを考えるのか。

社会を構築すれば、其所に生じるのは基本的に寡占だ。

外から手を入れなければ、真面目な人間が損をし、クズが全てを独占するようになっていく。

アダレットでもラスティンでもそう。

生真面目に社会を支えている人達はいる。鍛冶屋の親父さんのように、シスターグレースのように。或いはアンパサンドさんのように、マティアスのように。フィンブル兄のように。黙々と出来る事を、出来る範囲でしている尊敬できる人は確かにいる。

だがそういう人は、必ず尊敬されているか。

社会の上層でしかるべく活躍出来ているか。活躍に相応しい評価を周囲からされているか。

答えは否だ。

放っておくと胡麻擂りばかり上手い者が社会の上層に蔓延し。そう言った連中は胡麻擂りしかできないから社会を滅茶苦茶にしていく。

深淵の者が駆除しなければ、この手の輩は幾らでも湧いてくる。

それこそ死体に集る蛆のように。

情報の取得を一旦止めて、大きくため息をつく。アリスさんの同族らしい人が食事を持って来たので、有り難くいただく。

お父さんと話して、少し気分転換とでも思ったが。

この様子では無理だろう。多分、「基礎学習」が終わるまでは、この部屋から出しても貰えない。

リディーが、一旦情報の習得を止めて、話しかけてくる。

「大丈夫かな、ルーシャ」

「大丈夫だとは思う。 だけれど……」

「分かっているよ」

リディーは悲しげに目を伏せる。

ソフィーさんは、別にリディーとスールを虐めて楽しんでいるわけでもないし。ルーシャを苦しめて遊んでいるわけでは無い。

リディーとスールのモチベーションを引きだし、少しでも能力を底上げするために、もっとも合理的な方法を選んでいるだけ。

それが如何に非人道的であろうとも。

あの人は、人道なんて最初から気にしていないのだから、何の意味もない。

食事も、やはりおかしい。

美味しいお茶とお菓子の筈なのに、味の感じ方が違う。

情報としか感じていない。

多分これは、イル師匠やフィリスさんも同じ状態になっている筈だ。人間を止めるというのは、こういうこと。

覚悟は決めていた。

世界は詰んでいる。誰かが打開しなければならない。才能があるのはリディーとスール。だったら、そうするしかない。

やはり排泄に関しては必要なくなっている様子だ。

食べた分だけ、全て体の栄養に出来る、と言う事なのだろう。それも何一つ無駄にせず。毒物も、体内で分解できてしまう。

生物を超越した肉体。

勿論まだ超越者としてはひよっこだが。

それでも、やはり慣れなかった。

黙々と、情報の収集をこなす。

様々な試行錯誤を見ていく。

上手く行った例も、全て見ていった。

例えば文化の統一。

言語の統一は、非常に大きな試行錯誤の末の成功例だった。こうしてデータを見ていて分かったが、言語というものは非常に未熟な意思疎通のためのツールで。問題点だらけである。パルミラが改良を重ねた言語を、現在では人間四種族が全て使うようになっているのだけれども。

それでも、まだまだこの世界の人間達は、相互理解が出来ているとは言いがたい。

それだけではない。

人間四種族に、洗脳しない程度に、互いに協力しなければいけないという意識をパルミラは植え付けている。

これが植え付けられる前は。

基本的に魔族は自分達だけで好き勝手に「己の内の神」に全てを捧げていたし。

獣人族は戦う事しか考えず。

ホムは黙々と働く事だけしかせず。

ヒト族は他の三種族を徹底的に見下して、醜い奴らとまで呼んでいた。

冗談抜きに吐き気がする話だが。

これについては、一部を、深淵の者の幹部シャドウロードが過去の歴史のわずかな断片から発見している。

それが事実だったのだと、データを直接叩き込まれて見知ったが。

それにしても、本当にヒト族はどこまでどうしようもない存在なのかとスールは苦虫を噛み潰す。己もヒト族、いや元ヒト族でありながら、スールは恥ずかしくなった。ヒト族は己の世界を焼き滅ぼしてまで、万物の霊長という腐りきった選民意識を捨てなかった。

いや、いまだって心の深奥では捨てていない。

「みんな」がどれだけ醜いかは、スールもよく分かっているし。その「みんな」の中には、ヒト族の身勝手なエゴも相応に含まれる。

これでもマシになったというのが、強烈な絶望を後押しするが。スールは必死に耐え抜いた。深呼吸を何度もしなければならず。何度も咳き込んだが。

呼吸を整えて、目を拭う。

パルミラは少なくとも傲慢な邪神ではない。

確かにこの地獄を作ったが。

地獄を作らせたのは、人間四種族だ。

それについては、よくよくスールも理解出来た。

パルミラは己の失敗もミスもデータとして全て残しているし。それを隠すこともしない。人間が、上っ面を繕って。他人のあら探しばかりしているのとは根本的に違う。だから、データは非常に客観的だったし。パルミラも、条件だけは整えて、後は人間の自己努力に出来るだけ任せる方式をとっている事も良く分かった。

溜息が零れる。

パルミラは万能に近い。

だが、深淵の者のような超イレギュラーな存在が出現し。監査機能を持たなければ。人間というのは、此処までどうしようもない存在なのか。

確かに今まで見てきたデータは、全て理にかなっている。

だけれども、何か方法は無いのか。

いや、あったら既に先輩方がどうにかしている。

特にあのソフィーさんが、二十四万回近く最後までしっかり試行錯誤して、どうしようもないというのだ。イル師匠とフィリスさんも、一万回以上やりなおしていると聞いている。

新しい何かを考えるしか無い。

頭が破裂しそうだ。

脳が焼けそうになっている。スペックが根本的に変わった現在の状況でもこれだ。こうなると、これからソフィーさんやイル師匠、フィリスさんがどう世界を試行錯誤してきたかのデータも見るのが、とても気が重い。

しかし、やらなければならない。

少し横になって、休息を取る。リディーも、机に突っ伏して休んでいた。

時の止まった部屋だ。此処でどれだけ過ごしても別に何ら困らない。人間だったら、発狂してしまうような環境であっても。

もうスールは困らない。

お母さんのパンケーキが食べたいな。そう思った。

リディーがレシピを聞いて来て、再現出来るようにはなった。大体同じ味だ。だが、味そのものに、今はもう殆ど意味を見いだせなくなっている。

お母さん自身は、実体での干渉が出来なくなっている。

ある意味、本物のお母さんのパンケーキは二度と食べられない。

だが、今になって思えば。

あれはとても贅沢な品だったのだ。

しばし、横になって、ぼそりぼそりとリディーと話す。

「リディー。 何か、思いつく……?」

「厳しい……」

「そうだよね……」

分かっている。

リディーとスールが加わっただけであっさり解決するようなら、三傑が彼処まで血眼になって、活動を続けない。

リディーとスールを必死に育てようとだってしない。

どうにもならないから。手札を増やそうとした訳であって。パルミラもその過程で行われた非人道的行為には一切干渉しなかった。

スールにとって、守りたいものは幾つもあるけれど。

それを今後守り続けるためにも。この世界をどうにかしなければならない。

摂理がどうのと口にする資格は、少なくともこの世界の人間には無い。

楽園を貰っておいて、あっさり滅亡した時点で。介入されて当然の存在だからだ。

意思の力が重要だという言葉も、既にスールにはあまり心を揺らされない。

その意思の力で、人は一体今まで何をしてきたか。

人間の何を知っている。そう、絵本の中で、勇者は魔王に言っていたっけ。そんな勇者達に、このデータの束を叩き付けたら、どんな顔をするのだろう。

信じていたものを、全部根底からひっくり返されるのだ。発狂で済めば良いのだけれど。

しばし、勉強を続ける。

一から全てをやり直す気分だ。

その過程で、錬金術の更なる奥義についても、知識を得る。ソフィーさんが最初に作った全自動荷車が、どんな風な変遷を経て、改良されていったか。フィリスさんが見ている世界がどんななのか。

それらも知る。

違うギフテッドを持っている錬金術師は、世界の見え方も違う。ギフテッドが現れてから、世界の見え方が根本的に変わってしまったから、スールにもよく分かる。

フィリスさんの視点で、世界が滅ぶ様子を見た記録もあった。

最後は、残された資源を奪い合った人間が、何も解決できないまま滅び去っていった。

虚しい言葉だ。人間の可能性は無限大なんて。そんな事、あり得ない事くらい、少し考えれば分かるのに。

それでも、何か案を出さなければならない。

繰り返す世界の中で、全ての人が記憶を持ち越している、と言う事は無い。

無間地獄を味わっているのは、パルミラと、五傑と。深淵の者に所属する一部の者達だけである。今回からは、リディーとスール、それにルーシャが加わる。

どうやらティアナさんもその一人らしい。

強い事にはそれで納得がいったが。

しかしながら、やはり辛かった。

限界が来たので、ドアをノックする。アリスさん自身が出たので、外の空気を吸いたいと頼んだ。

リディーもぐったりしているのを見て、そろそろ良いかと判断したのだろう。

頷くと、アリスさんは別の場所に案内してくれた。

長い廊下を歩き続け。

そして、ドアが並んでいる場所に出る。

ドアの一つが、うちにつながっている。

それは分かっているが、今は帰ることが出来ない。ルーシャについて聞くが、アリスさんは応えてくれなかった。

知りたかったら、まずは義務をこなせ。

そう言われている気がした。

扉の一つを開けるアリスさん。

其所には、美しい緑の園が拡がっていた。獣も危険そうなのはいない。とにかくたくさんのみずみずしい植物が存在している。中央には泉。普通水場は危険で近づけないのだけれども、其所には小さくて可愛らしい魚や、蛙、水場の虫たちしかいなかった。

必ずしも心地よい香りばかりではないけれど。此処はとても濃い「森」なのだと分かった。

「此処はオスカー様が「お友達」方のために用意している空間です」

「お友達……ああ植物!」

「そうです」

オスカーさんは植物の声が聞こえるギフテッド持ち。インフラ整備の時に、たくさんの植物を持ってくる。

此処から持って来ていたのか。

もの凄く丁寧に手入れされているのが分かるし。入って良い場所と、駄目な場所がくっきり分けられている。

植物も区分けされていて。それぞれが互いに干渉しないように、注意深く丁寧に処理されているようだった。その区分けも極めて丁寧で、手入れも非常に細かかった。

休んで良い場所も用意されている。

元々、森の中は安全地帯。希に森の中で人間を襲う獣もいるけれど、それでも木々を傷つける事はない。

匪賊くらいだろう。この世界で森を傷つけるような生物は。

奥に、静かな広場があって。幾つかベンチがある。其所は小高く、周囲を見回すことが出来た。

鳥も少しいるらしい。

鳥と言えば、外ではアードラに代表される人間に敵対的な獣の一種で。放置すれば際限なく大きくなるけれど。

此処にいる鳥は小さくて、あまり怖くは無かった。

多分、植物にとって必要な存在なのだろう。或いは大きくなりすぎた場合は、駆除するのかも知れない。

ベンチには、深淵の者所属らしい人達が何名か休んでいる。魔族もヒト族も獣人族もいる。

ホムだけはいないが、多分タイミングの問題だろう。

空いているベンチを借りて、少し休む。アリスさんが、お茶を淹れてくれたので、有り難くいただくことにした。

しばし、ぼんやりする。

オスカーさんが来たらしいが。休憩所には近付かず、何か話しながら、植物の世話をしている。

ギフテッド持ちだ。本当に会話しているのだろう。

それを気味悪がる者もいない。

オスカーさんの、インフラ整備での実績を知っている者達からして見れば、当たり前の話だろうし。

何よりも、これだけの植物をみずみずしいまま保ち。各地の人々をダイレクトに救っているのである。

偉人という言葉が、これほどに相応しい人も珍しいだろう。

「オスカーさん、最近ずっと痩せているな」

「ああ、最近は植物にアドバイスを受けているらしいぜ。 短時間での体重の上下は体に良くないとかってな」

「気を抜くとすぐ太るって言ってたしな。 友人である植物のアドバイスじゃ流石に断れないんだろう」

「何でも良い。 オスカーさんが植えてくれた植物で、俺の故郷の村が豊かで平和になったのは事実だ。 俺はあの人を馬鹿にする奴を許さないし、あの人のためなら死んでもいい。 あの人には健康で幸せでいて欲しい」

話が聞こえる。

深淵の者からも、オスカーさんは尊敬されているらしいが。体重が上下しやすいことについては、ちょっと面白いとも思われているのだろう。そういえば思い出す。オスカーさんは昔は鞠のように太っていたのだとか。

すらっと痩せている今の姿からは考えづらいが、そういうものか。

「アダレットでの作業もそろそろ一段落か?」

「主要道はな。 これから辺境の整備だ。 ここからがデカイ獣もでるわネームドもいるわで正念場だぞ……」

「未熟な連中は連れていけないな。 危なくて仕方がねえ」

「ホムの護衛も気を付けないと危ないぜ。 匪賊はあらかた鏖殺が殺しきったらしいが、まだ辺境には生き残りがいるかも知れないしなあ」

アリスさんのお茶を適当にいただきながら、話を聞き流す。

ティアナさん、世界中の匪賊を殺し尽くしたのか。そう思うと凄まじいとも思うが。匪賊は世界の敵だ。その認識は、今も変わらない。

ティアナさんとダーティーワークをした時には、色々辛かった。

だけれども、ああやってエゴを優先して邪悪をする人間には、しっかり手を入れなければならない。

勿論過剰な罰を与えるのは厳禁だろう。

だが、法が機能しない場所で、罰を与えようがない場合は。相応の処置を、深淵の者のような第三者監査機関がとらなければならないのかも知れない。

ぞろぞろと、休憩をしていた人達が出ていく。

代わりに別のグループが入ってきた。敬礼をかわして、すれ違う。今度入ってきたグループには、ホムも何名か混じっていた。アルファ商会の関係者らしい。それも上層部だろう。

難しい数字を扱う話が始まったので、流石にそろそろ切りあげ時かと思う。お茶とお菓子を平らげると、さっきの部屋に戻った。

また、データの取得を開始する。

膨大なデータを頭に叩き込んでいく過程で、どうしても凄まじい疲弊が溜まるけれども。しかし、それでもやらなければならない。

深淵の者は、確かにティアナさんのような暴力装置も飼っている。

時には手段も選ばない。

だが、データを見ればみるほど分かる。

こういう第三者の監査機関がない限り、人間の社会は上手くやっていけない。深淵の者が腐敗することは現時点ではあり得ない。何しろトップにいる者がそも腐敗とは無縁だからだ。

大まかな流れを取り込むまで、実時間で一週間ほど。

これでも、ヒトだった頃とはスペックが桁外れに上がっているが。それでも、一週間以上掛かった。

時が止まった部屋での一週間だから、外に比べて一週間分余計に年を取ったとも言えるのだろう。

此処からは、自分で思いついた解決策を。メインのデータにアクセスして、出来そうかどうか調べて見る作業だ。

リディーはみんなの変革。

スールは選別。

方法論は違う。そして、その方法論を、今更変えるつもりは無い。ただ、選別と言っても、穏当な方法があるのなら、それを選択したいとも、スールは思う。選ばれた優秀な者だけを集める、なんてのは上手く行かない。

試しに検索してみたが。

実の所、人間のスペックは平均してみるとそれほど変わらない。

勿論ソフィーさんのような規格外もいるが。それは例外中の例外だ。何かが優れている人間は、それ以上に何処かしらが欠損している。

事実、ソフィーさんも、精神の壊れ方が最初から凄まじかったようで。

ある意味、特化した人間は、別の何処かが特化して壊れていると、証明しているようなものだ。

優秀な人間を選別する方法は幾つか試みられたようだが。

そも何をして「優秀」と判断するのか。

そしてその後をどうするのか。

万を超える例が出てきたが、結果はいずれも芳しくない。

そもそも頭脳や身体能力だけを基準にして優れた人間をピックアップしても、疫病でまとめてやられてしまうケースもあるし、何よりも子孫まで優秀とは限らない。考えてみれば、アダレットの王家を見れば一目瞭然。初代武王やミレイユ女王は優秀かも知れないが、庭園王のようなクズも出ている。歴代で見れば、優秀な王族の方が少ないだろう。

更に、優秀な人間ばかり集めても。何故かその中から脱落者が出る。そして脱落者を選別していくと。最終的には誰も残らない。

特に目を引く実験があった。脱落者を殺すような非人道的では無い方法で。注意深く人道に配慮しつつ300年がかりで行われたのだが。結局上手く行っていない。

実験の過程に問題があるのではないかと調べて見たが。そんな事もない。

2686回前の世界で行われたこの実験は、偏執的にまでに細部までデータを取っており。文句をつける余地も疑問点すらも存在しなかった。なお実験を主導したのはイル師匠であり。最終的には「優秀な人間だけを集めるという行動そのものが無意味」という結論が出されている。実験の全権はイル師匠が握り、ドロップアウトした人間にもきちんとアフターケアがされている。誠実すぎる完璧な実験は、完璧な結果だけを出していた。

感情的な反論は簡単だ。そんな建設的では無い行為は子供にだって出来る。よくある童話に出てくる王子様や勇者がするように。

だが今は、データという客観的資料で殴られているわけで。もしも反論するつもりなら、此方もデータを出してくるしか無い。

だいたいこの実験の正しさを裏付ける傍証は他にも幾らでも出てくる。

恐らくイル師匠は、優秀な人間同士を掛け合わせて、自然に超越的人間を出現させる試みを「創造」したのだろうが。それも、上手く行かなかったと言う事だ。なおプロジェクトの解散後、実験に使われた街はごく自然に元の生活に戻っている。何事もなかったかのように。この辺りも、イル師匠の人柄が分かる。

リディーの方を見るが、首を横に振られた。

リディーは、どちらかというとフィリスさんが行っていた試行錯誤を確認していたようだが。

フィリスさんの行っていた破壊的な実験の幾つかも、いずれもが上手く行っていない。

現状の地獄に等しい世界が、実はこれでも人間四種族を上手にまとめていると、証明するばかりであり。

パルミラの能力の高さがよく分かる結果にばかり収束している。

それでも、一定の成果を出しているのがフィリスさん。様々なデータを取得しては、次の世界にはしっかり反映している様子だ。

頭を使え。スールは自分に言い聞かせる。

実際、三傑は頭を使ってきた。

その補助に徹してきたアルトさんもといルアードさんや、プラフタさんだって、それは同じ事の筈だ。

感情論で相手を止めるのでは無く、悲しむ事はあっても現実的な観点から止めてきたはず。

それにはデータが必須で。

此方も、まずはデータを把握しなければならない。

最大の敵は、邪神でもなければ、パルミラでもない。

今まで人間四種族が散々積み重ねてきた業。

そう。業そのもののデータだ。

何とか抜け穴を探さなければならない。

ふと、スールは気付く。

1009回前、それに2216回前の世界。イル師匠が、少し独特な試みを行っている。その資料について見ていく。

ソフィーさんも興味を示したらしく、419回前の世界では、今度はソフィーさんが更に大規模に取り組んでいるが。

どうしても堕落を引き起こしてしまい、上手くは行っていない。

基本的に三傑は、毎回「世界に対する干渉を多めにするかしないか」で動いているようなのだけれども。

試行している世界では、基本的に「干渉を多めにする」戦略の下で動いている様子だ。

そしてこの計画。

破棄までの流れが、基本的に同じ。

案としては、これの欠点を改善できればどうにかならないだろうか。

リディーに話す。

リディーも興味を示した。頷き、示し合わせる。勿論、膨大なデータを確認し、穴を見つけていかなければならない。

試験も何処かでするとして。

出来ればリディーとスールは、相手には同意の上で試験に応じて貰いたい。

頼むのは、出来れば人間四種族全て。

アンパサンドさんやフィンブル兄、お父さん、それに魔族の誰かにも頼みたい所ではあるのだが。

いずれにしても、まずは計画を立てるところからだ。

スールが提案した計画を、リディーが徹底的に検索。やはり彼方此方で、規模こそ先の三例とは比べものにならないほど小さいものの、似たような計画が立てられている。頓挫している計画をリストアップしただけで、8900を超えていた。さっき出てきた二回のイル師匠の行った実験は、その中でも特に上手くいったものであり。ソフィーさんが行ったものに関しては、それ以上の改良を加えて再実験したものである。

まずは、此処から攻めてみたい。

先人の知恵を、完全にこうやって引き出せるというのは、とても大きい。もしも何か新しい計画を立案するのであれば、此処から即座に失敗例を引き出せるからだ。何度も繰り返せば成功するような計画であれば、とっくに実施されている。事実フィリスさんが始めたらしい深淵の者主体での、地下深くにある埋蔵鉱山資源の販売流通は、その後の世界では必ず行われている様子だ。アルファ商会を富ませるため。更に言えば、深淵の者の資金源として、有効活用するために。

頬を叩くと、最初の計画を出しに出る。出来ればルーシャにも協力して貰いたい所だけれども。

まだ、無理はさせられなかった。

 

2、初めての広域試験

 

ようやく一度家に帰ることが認められた。

お父さんは数日しか経過していないと認識していたようだけれども。実際にはもう半年以上体感している。

時間を止めた空間に入る事の意味。

それを今更ながらに理解した気がする。

お父さんは、お母さんといつでも会えるようになったわけで。

その分活力を取り戻したようにも見えるのだけれども。

その代わり、リディーとスールが深淵の者の幹部になり。更には人間を完全に止めてしまったことも理解した様子で。それについては、口にはしなかったが悲しんでいる様子だった。

幾つか話をした後。お母さんに会いに行く。

アドバイスがほしかったからだ。

リディーはリディーで、シスターグレースに会いに行く。

これから行う実験で、可能な限りのデータがほしいからである。

今回は、深淵の者で実験場を用意してくれているのだが。それ以外にも広域でデータが採りたいのである。

最初は上手く行くかも知れないが。

基本的に三傑が行う試験は、数百年単位でやるものだ。上手く行くケースもあるが、世界のあり方をひっくり返すほどの実験が上手く行った例は今のところない。今回考えたやり方は、かなりのビッグプロジェクトであり。これを上手く生かせれば、ソフィーさんも無茶を止めてくれるかも知れない。

使えると認識させなければ。

ソフィーさんは、どんどん圧力を強くしてくるだろう。

勿論潰すところまではやらないだろうけれども。それでもソフィーさんは、手段を選ばなくなっていくはずだ。

複数人から意見を聞いた後。夕食を家で過ごす。

ルーシャがまだ帰ってきていないと聞いて、目を伏せる。

お父さんも、何か大きな事があったことを察したのだろう。それで、以降は何も言わなかった。

家では実験の話はしない。実験の具体的な内容も、他の人には話さない。

翌日には、来月分の納品を全て調合してしまう。薬やら装備やら、インゴットやら。何もかもが前に比べて質が段違いに上がっている。まだ納品日は少し先になるが、今のうちにすませてしまう。

今後、自由時間なんて取れない。

だから、こういう作業については、手が空いた時にさっさと全て前倒しで片付けてしまわなければならないのだ。

更にはレポートも作成。

レポートは、深淵の者に提出するものと、アダレットに提出するもので、内容を変えなければならない。

ソフィーさんの場合、空間を切り取って其所で実験をしたりするらしいのだけれど。

あくまでリディーとスールは、深淵の者の人員を借りて、他と地続きの村で実験をする事になる。

村の人達は、深淵の者の関与を知らない。

とにかく、慎重に動かなければならない。

「みんな」が如何に愚かしいかはよく分かっている。

試験用に提供して貰った村は、既にインフラ整備が終わっていて、安楽に暮らす事が出来ている場所だけれども。

それでも下手な事をすれば、あっと言う間に深淵の者が鎮圧に出張らなければならなくなるだろう。

調合を終わらせたタイミングで、アンパサンドさんが来たので、軽く話をしておく。

深淵の者とのアクセスをアンパサンドさんもしているらしく。リディーとスールが何か始めるらしいと聞いて、様子を見に来たらしい。マティアスがいないのは、忙しいから、だそうだ。

丁度良いので、調合はリディーに任せて、軽く話を聞いて貰う。

しばし考え込んだ後。

アンパサンドさんは、小首をかしげた。

「案としては悪くないのですが、どうせそれ、頼りっきりになって駄目になるパターンなのです」

「ははは、同じ事言われました。 実際に膨大なデータでも、いずれも肯定的な結果は出ていません」

「それなのにどうして?」

「恐らく、これがギリギリのラインだと思うから」

スールは思うのだ。

人間四種族が駄目なのは分かっている。だけれども、あまりにも非人道的な改造を行ったり、スールの主観で強硬的に選別しても、どうせ上手く行かない。全体的な変革を行わなければならないし、選別だってしなければならない。

リディーとは方法論も違う。

だから妥協案を作る。

それが、これから行う計画なのだ。

「試作品についてはアンパサンドさんにも渡します。 使ってくれれば助かります」

「話を聞く限り、自分には必要なさそうなのです」

「……お願いします」

「はあ、分かったのです。 その代わり、騎士団の任務に協力するのですよ」

頭を下げると、今まで色々と共同作戦をとってきた仲だからか。それとも、或いはアンパサンドさん自身がこの世界に不満を強く持っている一人だからなのか。意外にもあっさり了承してくれた。

さて、此処からだ。

やる事をやった後、お父さんの手伝いを少しする。

薬用の素材を、オスカーさんにかなり貰ってきたので。それを提供。調合を手伝う。

お薬に関しても、お父さんの技量はかなりクリアに「見える」。ギフテッドで素材の声も聞こえるし、薬の出来についてもかなりわかり安く理解出来た。

やはりお父さんの実力は確かだ。

多くの人がお父さんのお薬で救われる。

だけれども、お父さんは此処までだ。無茶をすると、ルーシャみたいな事になる。そうは、させたくない。

薬をかなり多めに作ると、お父さんは喜んでくれた。

「助かる。 俺はアダレットから、薬の納品だけ頼まれていてな」

「そういえば契約内容が違うんだっけ?」

「特に俺のように飛び級でアトリエランク制度に参加した錬金術師は、皆得意分野に合わせて国への納品を頼まれている様子だな。 三傑もそうだし、アルトの奴もそうだ」

「そっかあ」

お父さんも、アルトさんには良い感情が無いのか。

一時期リディーが、アルトさんに気があったらしい事を敏感に察知しているのかも知れない。

もっとも、今は性欲そのものが消えて失せているので。

気も何もあったものではない。

それにアルトさんは今もモテモテのようだが。

その一方で、見かけに釣られてよってくる人間を、とことん冷徹に見ているのも今なら分かる。

アルトさんの過去の話を知った今なら、それも当然の反応だろうとも思うし。

何より「みんな」のあり方を知った今であるから、まあそれも当たり前だろうとしか思わない。

数日だけ家で過ごした後。

まず王宮にレポートを出す。そして、深淵の者本部に戻って、其方にもレポートを出す。レポートをイル師匠に精査して貰う間。提供された鉱石を使って、試作品を作る。

賢者の石を作ったアトリエは、もうリディーとスール専用に貸し出されているし。高品質の錬金術道具を作り出すなら、此処以外にない。

レシピを淡々と作り。

フローを作り。

タスクに沿って、処理を開始。

レポートを却下されたとしても、この道具そのものは作っておいて損は無い。時間停止も駆使して、タスクを一つずつ確実に潰して行く。

試作品が仕上がった頃。

イル師匠が戻ってきた。レポートについては、かなりの好感触であるらしい。早速試してみてほしいそうだ。

そして、告げられる。

ルーシャが、動けるようになった、と。

 

ルーシャはかなり顔色が悪かったし、まだ咳き込んでいた。ギフテッドがある今なら分かる。まだ内臓が滅茶苦茶で、動けると言っても、スペックの二割も出せないだろう。まずは療養からだ。

ソフィーさんの作るような薬なら、一発で治せるだろうけれど。

リディーもスールも、ルーシャの回復には手を貸してはいけないとお達しが出ている。

スールから見れば歯がゆいが。

ルーシャもこの道に足を踏み入れてしまったのだ。ならばこれくらいの苦境、自力で脱出しなければならない。

お菓子の差し入れくらいは良いだろう。

オイフェさんがお茶を淹れてくれるというので、オスカーさんの森に移動。三人で、しばし休息を楽しむ。

なお、この場で仕事の具体的な話は禁止されている。深淵の者も、ブロック化して動いているのだが。

これは派閥を安易に形成したり、腐敗が発生するのを防ぐため。

人員のブロックは定期的にルアードさんが入れ替えていて。安易なコネなどを作る事は出来ないようになっているし。

権力闘争の類をしようとしている者についても、監視が常についている。

深淵の者は世界に対する第三者的監視を常に行う組織。

深淵の者が腐敗しては話にならない。

徹底的な措置が、あらゆる場所で行われているのである。

「まだ具合悪そうだけれど、大丈夫?」

「大丈夫、ですわ。 それよりも、おじさまは元気でしたの?」

「うん。 お母さんとも会えるようになって来たし」

「それは、何より……ですわ」

咳き込むルーシャ。ハンカチに血がにじむ。悲しい話だけれども、まだまだ本当なら寝ている方が良いだろう。

ルーシャからも、わき上がるような魔力を感じるし。

ルーシャ自身が作った装備品で、常時回復が掛かっている。

もう、生半可な錬金術師が及ぶ実力では無くなっているのに。それでもルーシャの体は回復しない。

本当に、無理に無理を重ねてパルミラに謁見したんだ。

それが分かってしまって、とても悲しい。

ルーシャは、寂しげに微笑む。

「それで、何か相談があるんですのね」

「分かるんだね」

「分かりますわよ」

リディーに、ルーシャは影のある笑みを向ける。恐らくだけれども、ルーシャはあまりにも強烈な衝撃を受けすぎて、人格に影を抱えてしまったと見て良い。本来、常人がパルミラ本体になんて遭遇したら、精神が崩壊する。肉体もろとも崩壊する。かなり高度な錬金術装備で身を固めていたルーシャですら、この有様だったのだ。下手をすると、欠片も残さず消滅、だったかも知れない。

お茶を終えてから、リディーとスールの部屋に移動。

のっぺらぼうで。机の上には球体が浮かんでいるパーソナルスペースだ。ルーシャにも席を勧めて。オイフェさんには、外で見張りをして貰う。

オイフェさんを見送ってから、スールは咳払いした。

「補助システムを作ろうと思ってる」

「補助?」

「ヒト族の故郷の世界では、AIって呼んでいたらしいものが近いかな。 ホムの故郷の世界にも似たようなものがあって、そっちでは「邪神」って呼ばれていたらしいよ。 ただそれは、人間のいう事を聞かなくなって、圧倒的な力で暴走し始めたからそう呼ばれたらしいんだけれど」

「……詳しくお願いしますわ」

ルーシャは守護をパルミラに願った。

パルミラによる守護では無い。ルーシャが、弱き人々を守る存在になる事を、である。本調子になったら、それこそ絵本に出てくる護法神のように、人々を守る行動を始めるだろう。

精神の奥に、そう行動すべくくさびが既に打ち込まれていたし。

何よりパルミラによって、それが徹底的に顕在化したのだから。

だから。危険な実験を人々にすると判断したら、その主催者がリディーとスールであっても容赦しないし。躊躇もせずに反論してくる。

だが、今はその反対意見が聞きたいのだ。

咳払いをすると。リディーが話し始める。論理的な説明は、リディーの方が得意だ。

「まず此処で要件としてあげるものは、苦手分野をそれぞれ補えるという事」

「ふむ。 続けてくださいまし」

「ヒト族はその野心とエゴを押さえ込み、状況的に最適の判断を。 ホムは物理的に身を守るための術を。 魔族は内向きになる思考を、状況に応じて外向きに切り替えることを主体に。 獣人族は強すぎる闘争本能の抑制、が主体になるかな」

具体的な生成物を見せる。

人間四種族それぞれ別に作る予定だが。試作品は、いずれもが違っている。

「寄り添う者」という名前をつけようと思っているが。

そもそも実体としては、ベルト状のものを用意している。これならば、成長に合わせて身につけやすいからである。

ルーシャは即座に応じてくる。

「欠点を補うという発想は素晴らしいのですけれども、問題は利便性ですわね。 利便性が高すぎると、人々はあっと言う間にそれに依存しきりますわ。 ただでさえ名君が出るだけで、人々はその存在に依存してしまう傾向がある。 分かっている筈ですわね」

「その通り。 今までに似た実験は9000回弱行われていて、同じような結論が出ているんだよね」

「スー、何を持って問題を解決するつもりですの?」

「……本当に間違ったことをしようとしたときだけの抑止装置にしようと思ってる」

ルーシャは腕組みして。

考え込もうとしたが、しかしながら額から血が流れはじめたのを見て、慌てて止める。すぐに横になって貰う。ルーシャが自作の薬を自身に投与するが。すごく良い薬だと思うのに、あまり回復していない。

口惜しい。

今のルーシャの作っている薬、リディーとスールが全力で作るお薬と、あまり質は変わらない。

それでも、この程度しか回復しない。

と言う事は、リディーとスールが手伝っても結果は同じという事だ。

早く、もっと技量を上げないと。

スールは唇を噛む。

頬に、冷たいルーシャの手が触れた。

「良いんですのよスー。 笑っていてくださいまし」

「わらえ……ないよ」

「リディーも。 わたくしは、二人の笑っている姿が一番好きですわ。 きっとおじさまも、おばさまも。 わたくしはどうしても二人の笑顔を取り戻せなかった。 だから、これはわたくしの罰。 わたくしの事は気にせず、二人が笑ってくれさえすれば」

咳き込むルーシャ。

ともかく、参考になった。やはりルーシャも指摘してきたとおりだ。

資料を見る限り、ホムのいた世界にいた「邪神」は暴走した。

また、ヒト族の世界にあった「AI」は、結局データを集めて其所から判断をするだけの代物。人工知能どころか、いわば「人工無能」に過ぎなかった。

そして此方の世界で、9000回近く実験されているAIに近いものは。

いずれもが、人間をどうしても堕落させることが分かってしまっている。

その欠点を克服するためには。

やはり抑止装置として活動させるしかない。

例えば、児童虐待をしようとした親を止める。犯罪に手を染めようとした者を止める。せっかくの力を活用出来ない者を止める。獣に襲われて身を守れない者を危急の際だけに助ける。強すぎる戦闘本能を抑制して、不要な戦いはさせない。

だがそれらを実現するには、極めて高度な判断能力が必要になってくる。

恐らく最終的には、周囲の状況を把握しつつ、高度な客観的判断を下し。必要な時だけの抑止になる装置が必要になってくる。それも、押しつけであってはならない。例えば嗜好などに関しては、相当に慎重な吟味が必要になるだろう。

そして便利すぎれば堕落する。

事実、楽園に案内された人間四種族は、瞬く間に滅びてしまった。

堕落の結果だ。

此処からの実験は本当に難しいものとなる。多分年単位で、時間が止まった実験室で、調整を続けなければならないだろう。

ルーシャの体調が安定したので、戻って貰う。

オイフェさんに肩を借りて戻っていくルーシャ。実時間で数年は回復までにかかってくるだろう。

ルーシャは今、全身が酷く痛くて苦しいはずだ。

そしてこの世界で何も成果が上げられない場合。また同じ苦しみを味合わせることになる。

イル師匠に聞いた話によると、どれだけ頑張っても、この世界、特に文明はあと5000年もたないという。無理に引き延ばせば10000年を超えるらしいが、それはとても無理矢理な延命措置に近く、可能性を模索できる状態ではなくなるそうだ。

資源が枯渇してしまうのだ。

深淵の者は基本的に数百年単位で実験を行い、あらゆる情報を総合的に見ながら判断をする。

ソフィーさんの実験結果ですら忖度はされない。

そう考えると、これからの時間は、かなり厳しいものとなってくる。数百年単位での実験が基本になってくるとなると。5000年なんてあっと言う間だからだ。

徹底的に、妥協無く装置の調整を開始する。

まずは、人間四種族、それぞれ用に作っていく必要があるだろう。

ヒト族と獣人族はある程度精神性が似通っているから、基礎部分は同じで良いだろう。

問題は魔族とホム。

どちらもかなり他とは精神構造が違う。特にホムは、パルミラに接触して知ったが、元々は奉仕種族だったのだ。

自分の身を守ることに頓着が薄く、野心がほぼないのもそれが理由。

ホムの自尊自立が、恐らく一番難しいかも知れない。

途中、何度かイル師匠に試作品を見せに行く。

その時間すらも惜しい。

アダレットでの作業が終わり、まずはルアードさんが引き上げ。そしてソフィーさんも引き上げた。

深淵の者に所属してから。

既に実時間で数ヶ月、体感時間で十年が経過していた。

肉体はもはや一切成長せず。

衰えるどころか、じわじわと強くなるばかりだった。

 

3、抑止の力

 

久しぶりにアダレットの王都に出る。規模が拡大された騎士団が巡回をしていて、街そのものもかなり綺麗になっていた。

貧困層に積極的に仕事が与えられ。

その中には街の掃除も含まれている。

年老いた者や老病者には、優れた医療が国から(お父さんも薬を提供している)与えられており。子供や老人でも労力少なく働き賃金を得られる仕事も供与されている。その一方で、専門職には相応の優遇策が図られ。更には、各地の辺境に人材を派遣する制度も開始されていた。

ミレイユ女王の改革は矢継ぎ早で的確だ。

改革が早すぎると困惑する声もあるようだが。街は明るくなっているし、明らかに人々は笑顔になっている。

教会のある丘に上がってみるが。

堤防は圧倒的な存在感を放っていて。内海と外海を完璧に分けていた。内海には漁師が舟を出していて。たくさんの魚を網に掛けている。堤防そのものには強力なシールドが常時発生していて。外海の怪物のような獣たちも、手出しは一切出来ないらしい。

城門近くにあったフィリスさんのアトリエは既に引き上げられていた。

当然だが、もうリアーネさんもいない。

ただ、フィリスさんとは、深淵の者本部で散々顔を合わせる仲だ。今更此処にいなくても、寂しいとは感じないし。

何よりフィリスさんは、別の計画を今ラスティンで進めている。

人道的な計画とは言い難く。イル師匠と時々やりあっているのを会議で見かける。

とはいっても、破壊的なフィリスさんの発想は、明らかに世界のためにもなっているので。

あまり厳しく止めるわけにはいかないのも実情だったが。

深淵の者から来ている超越級錬金術師達のアトリエは既に引き払われているが、例外がイル師匠のアトリエで。

まだしばらくはいるつもりらしい。

これはアダレットに頼まれたのが原因であるらしく。

ミレイユ女王としても、厳しくとも非常に公正で人々に慕われているイル師匠には、いつでも相談を受ける立場としていて欲しい、と考えている様子だ。

騎士団の寮に出向く。

入り口で手続きをして、様子を見に行くと。

フィンブル兄が、従騎士達に稽古をつけていた。

此方に気付いて、手を振って来たので、振り返す。後で、稽古につきあうのも良いだろう。

今回は、副騎士団長に正式就任したアンパサンドさんに。

例のものの使い心地を聞くのが本命の目的だ。

寮の奥。幾つかある大きめの家の一つが、アンパサンドさんの屋敷だ。

騎士団の歴史でも珍しいホムの騎士。しかも副騎士団長。そういう事もあって、アンパサンドさんに対する不満と偏見は多い様子だが。その全てを実力でねじ伏せてきているアンパサンドさんである。

基本的に誰に対しても平等に厳しく、それはアンパサンドさん自身も例外では無い。

だからこそ。

「寄り添う者」の試作品には、客観的な評価をくれるはずだ。

アンパサンドさんの寮の周囲にいる騎士に、紹介状を渡して、寮に入れて貰う。既にリディーとスールはSランクアトリエの主として、国では相応の扱いを受けている。騎士達に敬礼も受けたので、敬礼を返す。騎士の中には、一緒に戦って、ネームドや獣を駆除した者も。インフラ工事で、ともに激しい獣の攻撃をくぐり抜けたものも珍しく無くなっている。

前はひよっこ呼ばわりされることもあったが。

今のリディーとスールに、その手の寝言をほざく騎士は、新人以外にはいない。

それに騎士は戦闘専門職。

特に今のスールの実力は見ただけで分かるようで。そういう意味でも、舐めた行動に出る者はいなかった。

アンパサンドさんは、明らかに大きすぎる「寮」を持て余しているらしく。殆どの部屋を空にしていて。必要な部屋だけを使っていた。会いに行くと、久々だと言ってくれたが。やはり表情は読みづらい。

「アンパサンドさん、忙しくないですか?」

「相応に。 書類仕事だけなら簡単なのです」

「ホムはその辺り有利だね」

「ヒト族の計算が遅すぎるだけなのです」

アンパサンドさんは容赦なく言う。勿論、ヒト族でも計算が速い人は速い。ただホムは元々、計算速度ではヒト族の及ぶ相手では無い。

戦闘の方がむしろ忙しく。

訓練もしかり。

副騎士団長は前線での指揮をほぼ取る事はないそうなのだけれど。それではアンパサンドさんの持ち味が生かせない。

其所で今でも、獣やネームドの駆除の際には、最前線で敵に真っ先に突っ込み、回避盾として活動しているそうだ。

ただここのところ、三傑が殆ど大物を駆除してしまったこともあって。

前にリディーやスールと一緒に戦っていたような強敵との遭遇は目だって減っており。

その意味では、腕が鈍りそう、と言う事だった。

軽く近況報告を終えた後。

例のものについて聞く。

少し考えた後、アンパサンドさんは、レポートを出してくる。

アンパサンドさんからレポートを受け取るのは初めてだ。なお、滅茶苦茶几帳面な字で書かれていて。

性格を反映しているようだった。

「まだまだ大幅な改良が必要なのです。 今の時点では試作品だというのは分かるのですが、警告だけなら兎も角、強制力については相応に備えていないと、どうにもならない場合が多いのですよ」

「それはこれから盛り込む予定です。 でも、レポート、細かいですね」

「ありがとうございますアンパサンドさん。 助かりますっ」

「……個人的に気になる事なのですが」

アンパサンドさんが、レポート外の話を始める。

これは、少し気を入れて聞かなければならない。

「ホムは一生を通じて殆ど背が伸びないのです。 子供と大人の個体差も、他の人間種族とは小さい。 その辺りを利用して、ベルト式では無く、別のもっとごついものをつけても良いかも知れないのです」

「……考慮してみます」

「以上なのです。 もう予定が入っているので、申し訳ないのです」

「いいえ、参考になりました」

二人揃って頭を下げると、アンパサンドさんの寮を後にする。

次の客は、どうやらキホーティスさんの後を継いだヒト族騎士。甘いマスクだが、もうツラで相手に魅力を感じることは、スールには無かった。ツラなんてどうでもいい。騎士団で必要なのは戦いの技量だ。

一礼だけして、フィンブル兄の所に行く。

軽く従騎士に稽古をつけてほしいと言われたので、リディーには下がって貰って、訓練用の棒を受け取る。

ただし棒は使わない。

打ち込んできた従騎士に残像を切らせると、背後から軽く膝の裏を蹴ってやる。それだけで、従騎士は脆くも体勢を崩して突っ伏す。

おおと声が上がる。

何人かそのまま相手をすると、魔族の従騎士が来た。期待の新人だと、フィンブル兄が紹介してくれる。魔族らしい寡黙な青年だ。いや、まだ少年なのかも知れない。スールの上背の1.5倍という所だ。普通の魔族なら二倍はある。青黒い体色は普通だが、角は四本で。いずれもヤギのように丸まっているちょっと特徴的な角だった。

大きな訓練用の棒を構える魔族。

何処かで見た事があると思ったが、多分これドロッセルさんの構えだ。何かの切っ掛けで、教えて貰ったのかも知れない。

打ち込んでくる。

さっきの従騎士とは段違いに速い。

残像を切らせて。更に後ろに回った所を、振り向き様に抉るように切り上げてくる。それも残像。

ひょいと背中をついてやる。

力の集まっている点を見きったので、それを押したのだ。

体勢を崩した魔族の従騎士が倒れる。驚いたように此方を見る魔族の従騎士に手を貸して、立たせた。

「流石だ。 更に腕が上がっているな」

「フィンブルさん、即応部隊は上手く行っていますか?」

「今は主にイルメリア殿と動く事が多いな。 ネームドとの戦いが主体だから、いつも気が抜けなくて冷や汗ばかりだ」

「フィンブル兄、頑張って」

スールの言葉に頷く。

魔族の従騎士に、今どうやったのかを聞かれたので、丁寧に答える。なるほどと頷くと、魔術を使ってメモを取り始める従騎士。かなり真面目で、向上心も強いようだ。フィンブル兄が期待の新人と言う訳である。

騎士団の寮を後にし、今度はミレイユ女王に会いに行く。

実験について、レポートを出さなければならないからだ。

まだ試験の最中だという事は分かっているが。

それでも、民を借りている以上。誠実に対応しなければならない。

フィリスさんは実験用にホムンクルスを使ったり、捕獲した賊を使って非人道的な行為をしているようだが。

リディーとスールがやっているのは「みんな」のための行為だ。

そして「みんな」がそのままでは駄目なことは大いに分かっていても。だからといって無為に虐げるわけにはいかない。

久々に王宮のカウンターに出向くと、即座に応接室に通される。

護衛にマティアスを連れて、ミレイユ女王が来たのは、すぐだった。

レポートについては、途中でもう目を通したらしい。全て記憶もした様子だ。この辺り流石である。

ミレイユ女王は「みんな」を守護する立場だ。

そういう意味では、ルーシャと立ち位置は同じである。

今回の実験は、ルーシャも監修に加わって貰っている。この間、やっと復帰出来たルーシャは、今はアトリエヴォルテールで表向き仕事しながら。実際には深淵の者の仕事に、その比重を移していたが。

「もう双子ちゃん、とは呼べないわね。 変革と選別の錬金術師、二人の資料は見せてもらったわ」

「如何ですか」

「まだこの段階だと問題だらけね」

やはりか。

周囲に身内だけだから、ミレイユ女王はかなりフランクに話してくれるけれど。その分容赦も無い。

だからこそ、有り難いのだ。

身内だとどうしても評価が甘くなるのはヒト族の平均的な感性。ミレイユ女王は、その辺り「みんな」とは違う。

故に信頼出来るし。こう言う場での話し合いも、建設的に出来る。

課題を幾つか提示されるが。アンパサンドさんとかなり内容は似通っていた。

やはり、現状では強制力が足りていない。

ヒト族の最大の欠点である無意味なエゴについても、現状では警告を無視する個体を無理矢理止めることが出来ない状態にある。ただ、警告をされて五月蠅いとだけ言ってくる村人もいる。

自分が常に正しいと思う、「みんな」の性質をもっと良く理解しないといけないのだと。

こう言うときには思い知らされるばかりだ。

かといって、あまり強権的に出ると、今度は人間の自主性を奪ってしまうことにもなる。

甘やかしすぎても駄目。強権的すぎても駄目。

色々と難しい話である。

幾つかの話を済ませた後。ミレイユ女王は結論した。

「現段階では残念だけれど実用的ではないわ。 もう少し改良を進めないと、とてもではないけれど国全土での採用には至れないわね」

「はい、ありがとうございます」

「ミレイユ女王。 何かアドバイスとかありませんか?」

「そうねえ。 もう寿命も何も関係無いみたいだし、それを前提で言わせて貰うのだけれども。 もしも人間を本当に変えるならば、この装置を完璧にまで仕上げた上で、それがあるのが前提の人生が必要なのではないかしらね」

前提の、人生。

なるほど、そういうことか。

だが、それだけではまだ何か足りない気がする。

失敗が人間を成長させる、という言葉もあるが。人間という種族そのものが、そもそも失敗を重ねすぎている。それで人間が成長しているかというと、それはノーだ。個々は成長するかも知れないが、種族としては成長などしていない。そもそも個としても、成長できる個体なんて滅多にいない。

世界に溢れている「みんな」の醜悪である理由はそれだ。

大人になれとか言っている人間ほど、その実態はエゴと愚かしい現実への妥協の塊である。

考えていると、咳払いするミレイユ女王。何かまだあるのか。

「ああそれと、マティアス」

「ん? ああ、例のことな」

「どうしたのマティアス」

「俺様、結婚しねー事に決めた。 子供も作らねー」

おや。またこれは、どうしたことか。

マティアスによると、今後アダレット王家は基本的に跡継ぎ争いを避ける方向で動くのだという。

ミレイユ女王は数年以内に結婚するらしく。

仮に子供が出来なかった場合、孤児院から頭脳明晰な子供を迎えて帝王教育を施し、跡継ぎにするつもりだという。

マティアスが結婚して子供が出来た場合、どうせ王族内での権力闘争につながる。

ミレイユ女王だっていつまでも明晰な訳では無いのだ。

「血統主義は私の代で終わらせるわ。 トップは有能であればそれでいい。 血統なんてどうでもいいのよ。 庭園王の事で思い知っているだろうし、今後は明文化するつもりよ」

「んー、マティアス、我慢できるの? ただでさえナンパ癖酷いのに」

「いや、俺様も何というか……」

「我慢させるわよ」

マティアスがびくりとして。ミレイユ女王がすっと茶を口にした。

まあ下手に女の子に手を出したら、その時点で殺されるだろうし。我慢せざるを得ないだろう。

それにマティアスの周囲には、アンパサンドさんとフィンブル兄がついている。とくにアンパサンドさんは公認スパイを自分で口にしている。

アンパサンドさんの目を盗んで、マティアスとくっつける女がいるとは思えないし。

いたとしても、命知らずだなあと呆れるだけである。末路は今から目に見えている。文字通り国難を呼ぶような相手、アンパサンドさんは容赦なく殺すだろう。そして対人戦闘でアンパサンドさんに勝てる人なんて、超越錬金術師を除くとティアナさんや深淵の者幹部の猛者達くらいしか思い当たらない。

「本当はマティアスが結婚する事も考えたんだけれどね。 マティアスが、まともな相手を見つけられるとも思えなかったし」

「姉貴はそれでどうするんだよ。 つりあう旦那候補なんているの?」

「既に探させているわよ。 最悪深淵の者に手を借りるつもり。 ただ、子供は必ずしも親と同じ能力じゃない。 子供が盆暗なようなら、廃嫡して出来る子供を引き取って育てるだけ」

ミレイユ女王はさらりというが。

此処でリディーとスールに話していると言う事は、深淵の者と既に緊密な連携を取っている、と言う事だ。

それに、とミレイユ女王はくすりと笑った。ぞくりとした。

「実の所、アダレット王家は直系で継続している訳では無いのよ。 武王の血脈なんて、とっくに絶えているの」

「えっ……」

「姉貴、それ言って良いの!?」

「この場はあのソフィー=ノイエンミュラーが防護しているし、彼女らはもう深淵の者関係者よ。 話しておいても同じだわ」

ミレイユ女王によると、七代ほど前の王族内でのもめ事で、対外的には知られていないが直系の王族は全滅。

今はそもそも初代武王とは血縁が無い遠縁が、王族となっているという。

それだから無能だなんて事は無い。

同じだ。

武王の子孫達にも、庭園王のような輩はいたし。

今だってミレイユ女王のような有能な統治者が出ている。

血統主義など滑稽なだけだと、鼻でミレイユ女王は笑うのだった。

ただ、政権を安定させるには権力の継承が必要なので。

血統主義を当面は表向き続け。駄目なようなら、養子を柔軟に取る態勢に切り替える。

発表は代替わりの際。

今後王族は基本的にスペアを残して最小限度だけ保持。王族に相応しくない者が王位継承を持ちそうになった場合、優秀な跡継ぎを余所から迎える。

そういう事らしい。

深淵の者もかなり深い所で噛んでいるらしく。今回は、アダレットを残すつもりなんだなと、スールは思った。

恐らくは、実験場として、二大国に混乱状態に入られると困るから、だろう。

かといって、二大国が国力をつけすぎると、戦争を始めるかも知れない。

戦争。

この周回では殆ど縁がない言葉だが。

古く、もっとパルミラの用意した世界が優しい環境だった時には、いつも起きていた大規模な殺し合い。

データで見たが、種族同士、同族同士で、凄まじい規模で殺し合う無意味の極み。

ヒト族の故郷はこれによって事実上滅び。

獣人族は故郷ではこれのみによって文明を構築していた。

それが何をもたらしたかは言う間でもないのだが。

いずれにしても、この現在の周回で、戦争を起こすことは絶対にあってはならない。まあ、ドラゴンや邪神の駆除を深淵の者が遅らせれば調整は簡単なので。戦争は起きることがないだろうが。

ミレイユ女王も、戦争については流石に思いが至らないだろう。この世界の状況から考えると。どれだけ優秀な人でも、思考が飛躍しすぎだからである。リディーとスールはたまたま知っているが。

知ったときには、大きな衝撃も受けた。

戦争がある世界の人間には当たり前の事なのかも知れないけれども。

常に人間より遙かに強い獣、それをも超えるドラゴンや邪神が闊歩するこの世界で。人間同士で戦争なんてやっている余裕は無い。

大規模な軍勢なんかだしたら、それこそ格好のエジキだからだ。

深淵の者が出来る前は、小規模な戦いはあったらしいが。それもずっと前の周回に比べればささやかな規模。ヒト族や獣人族の故郷で行われていたものと比べれば、子供の遊びのような規模に過ぎないのである。

ミレイユ女王は、素早く思惑を巡らしているスールに、すっと目を細める。

意図は分かった。

これだけ内情に噛ませているんだから、相応の見返りも寄越せ、という事である。頷くと、スールは協力を約束する。これから改良していく実験のデータは、どんどん還元していくつもりだ。

今まで上手く行かなかった9000回近いデータは無駄にはしない。

今までとは違うアプローチから攻めつつ。

「みんな」からの、人間の脱却を図っていく。

人間という生物そのものは、どの種族もそうだが、ちょっとやそっとで変わるような生き物ではない。

個体単位では変われる者もいるだろうが。

そう簡単な話ではないのである。

謁見を済ませると、王宮を出る。

後は、家に少しだけ寄って。お父さんと夕食をした後。すぐに実験場にしている村に戻る。

深淵の者の使う扉を介して、一瞬で移動。

移動先には、人間四種族が集められ。森で周囲をしっかり守られた、二百人ほどの規模の村が存在していた。

現在試作型の「寄り添う者」を有志につけて貰っていて。

毎日地味なデータを取得している。

村の人々は、リディーとスールが深淵の者の所属者だという事も、そもそも深淵の者の存在も知らない。

高位の錬金術師が、身寄りのない者達を引き取ってくれた、とだけ思っている。

身寄りがない者達を引き取ったことは事実なので。後の余計な事は喋らないようにしている。

ルーシャにも、この実験には参加して貰いたい所なのだけれど。

まだルーシャは、アダレットで主力級としての活躍が要求されている。

試験について見てもらうことは出来るけれど。

まだ本格的な参加は先になるだろう。

この村に来て貰った人には、現役を引退し、体の彼方此方を欠損している傭兵や。

両親も家族も失っているホム。

難病で村から放り出された貧乏人。

更には、匪賊のねぐらから奇跡的に生きたまま助け出されて、恐怖で記憶も何も失ってしまっている人など。

皆、訳ありばかりである。

長老をして貰っているのは、魔族の元騎士だが。彼にしても、翼を失い、右腕と顔の左半分をごっそり失っている。

荒野の獣との戦いの結果だ。

ネームドとの戦闘で、部隊の皆を守るために戦い続け。

そしてもはや戦う力も失った今は、此処で後進の育成のために余生を過ごしている。本来魔族はあまり村長をやりたがらないのだが。今回は実験の主旨を説明して、参加して貰っている。

どうせもはや前線には立てぬ身。

此処で少しでも未来のためになれるのならと、その老いた魔族サルガタナスさんは、喜んで長を引き受けてくれた。

その補助として、車いすでいつも移動しているホムのコロンさん。

彼女は匪賊に両足を食われて、質の悪い義足しか持っていない。まともに歩けたものではないので、車いすを今は使っている。

後は、どこでも二線級にしかなれないような戦士が数名。

それが、事実上この村を運営する全て。

実験中の「寄り添う者」がいなければ、とてもこの村は回らない。また、リディーとスールが構築した防衛システムがなければ、賊だって押し入ってくる可能性がある。現状ではアルファ商会だけが此処との物資取引をしているのだが。今後は「寄り添う者」の性能試験のために、通常の何も知らない商人とも取引をするつもりであり。

その場合には、あまり良くない事が起きる可能性も低くはないのだ。

リディーがまずは病人などを見て回る。

スールは軽くサルガタナスさんとコロンさんから話を聞いて。その後は、村の様子を自分でみて回った。

子供達は、「寄り添う者」について、「困ったときには助けてくれる」「ただし頼ろうとすると怒る」というものだとしか知らされていない。

孤児も多く、親代わりをしているヒト族や獣人族の者も負担が大きいが。

彼らにも、負担を減らすために「寄り添う者」をつけて貰っている。

データそのものは、手元にある錬金術装備にそのまま集まってくる。後は、具体的にどう働いているかを確認していくだけである。

走り回って遊んでいたヒト族の子供が、ぴたりと足を止めた。

一瞬遅れたら、転んで顔を思い切り地面にぶつけて、歯を折っていたな。動きを見て、それを判断。

メモを取る。

それだけではない。幼いホムの女の子が、追いついてきて。

大丈夫です、と声を掛けていた。

多分、危ない所だったのだと理解したのだろう。ヒト族の男の子は、大丈夫と返事をして、また走り始める。

なるほど、身体能力で劣るホムの子とも歩調が合わせられるように調整が掛かった、と言う事か。

この間少し改良したのだが。

基本的に「寄り添う者」は、今までの世界で集められた膨大な人間のデータとリンクしており。

間違いを犯しやすい部分について、すぐに確認。

判断を行って、それを未然に防止するために動くようになっている。

まだ未完成な要素も大きいが。

見ていると、普通の街では別れがちな、ヒト族、獣人族、ホムの子供達が。みな一緒に遊んでいる光景は見られる。

メモを取りながら、上手く行っている部分もあるなと、納得。

ただ、大人は其所まで簡単にはいかない。

ソフィーさんが持ち込んだ、自動で土木工事をしてくれる装置類を使って、壁の一部を補強している現場に出向く。

やはり此方では、まだ種族同士での壁がある。

勿論協力はしているのだが、協力止まりだ。

スールが出向いて、少し手伝う。

ひょいひょいと壁を乗り越えて、手を振って「クレーン」を誘導。操作自体は聞かされれば誰でも出来るものなので、勿論下で操作している人達にも出来る。石材を積むのも、「クレーン」自体が判断してくれる。戦略物資として扱われているだけあって、完成度が実に高い。

細かいモルタルの処置などはスールがやって、また手を振って次の石材を運んで貰う。

それを見ながら、大人達の様子を確認するが。やはり、ある程度の壁がある。また、「寄り添う者」に対して、反発を覚えている大人もいるようだった。

工事が一段落した所で、軽く話を聞いてみる。

「子供がイジメを行うような事はないですか?」

「みんな吃驚するほど手が掛からんですね。 うちの悪ガキなんて、別人のように大人しく賢くなって、驚いてますわ」

「教会で預かってる子供達も、みんな手が掛からないって評判ですよ」

「……」

その割りには、大人達は効果に対して内心反発している。時々手を止められることを煩わしい、とさえ思っている。

今のスールにはそれが分かる。

かといって、無理に強制したら駄目だ。反発が大きくなるだけ。

リディーとスールのように、「みんな」である事の脱却を、苦労をしながら行う事が一番なのだけれども。

それはあまりに多くの犠牲を払いすぎる。

見張り櫓から、鐘の音。大人達が困惑するのと裏腹に、子供達はすぐに教会に。あの鐘の音は、森の外に大きめの獣がいる時のものだ。

この村は自衛能力が低い。

リディーとスールが来ているときは良いが、そうで無いときはほぼ身を潜めて、自動防御システムに守りをゆだねるしかない。

スールはそのまま跳躍し、空中機動を駆使して空高くまで上がる。

ざっと見回すが、アードラは遠くで群れているだけ。それも多分、獣同士で争っているだけで、此方には興味を向けていない。

周囲を見回して、見つける。

体長がスールの50歩分以上はある大型の蛇が、森の方をじっとみている。

村があることは察知しているが。

森がある故に、攻撃するべきか、迷っているという所だろう。

着地。リディーと一緒に、サルガタナスさんと、かろうじて戦える戦士達が来るが。首を横に振った。

「大丈夫、問題ないよ。 しかけては来ないし、ネームド級でもない」

「良かった。 それなら安心なのです」

「コロンさん、次までには義足を作ってきますね」

「それもいいのだが、その車いすの車軸が少し悪くてな。 村の鍛冶屋がどうしても腕が良くなくて、いつもコロンが苦労している」

サルガタナスさんが視線を向けると、恐縮した様子で、まだ若いヒト族の男性が頭を下げる。くだんの鍛冶屋だろう。

頷くと、スールが直接鍛冶の作業を見に行く。リディーは手分けして、村の安全確認と、皆を落ち着かせる作業だ。

鍛冶の作業を見せてもらうが、ギフテッドの声を聞くまでも無い。単に数をこなしていないだけだと分かる。

鍛冶屋の親父さんの仕事を何回か見せてもらったが。比べるのもおこがましい程の未熟だ。

かといって、鍛冶屋の親父さんの所に弟子入りさせる余裕もないだろう。

仕方が無い。今の仕事量を聞いた後、此方から物資を提供し、その物資を加工する事を頼む。

「寄り添う者」のいう事をきちんと聞けば事故は起きないとしっかり言い聞かせた後。経験を積んで貰う事にするが。「寄り添う者」の事を言うと、案の定露骨な反発が目に宿った。

「これ、五月蠅いんだけど……」

「その五月蠅いのを聞かなかった結果、この間怪我をしたよね?」

「……」

鍛冶屋は怪我が絶えない仕事だ。鍛冶屋の親父さんも、若い頃に幾つか大きな怪我をしたそうである。

この若い鍛冶屋もそう。

そしてやはり分かる。大人ほど、「寄り添う者」に対する反発が強い。

恐らく、世代を跨がない限り、「寄り添う者」に対する反発を薄めることは厳しいだろう。

性能自体も足りていない。

例えば、現在だと、村での生活などを補助するのには役立っている。だが、荒野で獣と戦う時はどうか。

アンパサンドさんに聞いた話によると、ミスをしそうになると警告は飛んでくるらしいのだが。

それに対応出来る戦士ばかりでは無いだろうとも言われている。

ある程度の物理干渉力も必要か。

いや、そもそも判断のレベルを分けて、それで対応を変えるべきなのかも知れない。

咳払いをすると。反発を買わないように、丁寧に諭していく。

「いい、貴方はまだ実力が足りないの。 スー……私も昔は本当にダメダメな錬金術師で、みんなにとても迷惑を掛けた。 貴方にも鍛冶をしている意地があるのはわかるよ。 私もそんな錬金術師だったから。 でも、貴方は今、この村にとって生命線で、技量が足りない事は多くの人に直接迷惑を掛けるの。 拘りは、腕をつけてからでもいいんじゃないのかな」

「……あんたみたいな、国に特別扱いされる錬金術師にそう言われてもな……」

やはり反発は止まらないか。

この世界では無理かも知れない。

だが、可能な限りはデータを取得したい。それに、可能な限り急いで成果を上げないと。またルーシャを苦しめることになる。

ある程度諭した後は、リディーと合流。

深淵の者本部に戻って、自室で情報を交換。そうしていると、イル師匠が来た。実験の改善点についての話だ。

イル師匠はイル師匠で、自分の実験を進めているだろうに。此方を見る余裕もある、と言う事だ。まだまだ根本的に力量が違うのが分かる。

丁寧な説明を聞いている内に、幾つも浮かんでくる事がある。

咳払いすると、イル師匠は言う。

「アイデアは悪くないわ。 9000回近い失敗がなされている類例の多い実験の中では、まだ可能性がある方よ。 それに、人間を無理矢理壊したり洗脳したりせずに、弱点をカバーするという発想は個人的には好感が持てるわね」

そう言って貰えるだけで嬉しい。

「寄り添う者」の性能強化についても、幾つかアドバイスを貰う。今の力量なら、そのアドバイスだけで具体的なレシピが思い浮かぶ。

お礼を言って、イル師匠を送り出すと。

時の止まった部屋で、黙々と試行錯誤と、データの取得に励む。

今までの実験のデータを洗い直しながら、丁寧に改善点について模索していく。

勿論、駄目だと判断した場合は、別のプロジェクトを立ち上げる必要が生じてくるかも知れない。

今のスールは、柔軟に対応することを知っている。

「みんな」からの人間の脱却。

それをまず可能な限りの短時間で実施し。その後は人間の文明そのものを向上させる。文明の向上を果たした後は、退化しないように処置を施しながら。可能な限り超越者が干渉しなくても良くなるように体勢を整える。

深淵の者はあくまで外部監査機関に留まり。

主体的で強権的な干渉は可能な限り避ける。

ともかく、データが必要だ。

今回の世界では、なしえないかも知れない。

だが、少なくとも、希望の萌芽は作り出したい。

スールは頬を叩くと。雑念を払い、更に思考を先にと進めて行った。

 

4、賢者の共同

 

外での実時間が一年経過した頃、リディーとスールは時の止まった部屋で過ごすことも多かった事もあって。

体感時間は既に二十五年を超えていた。

勿論体に変化はない。肉体は全盛期で完全に固定されてしまっている。アンチエイジング処置など必要ない。

その間、500回を超える会議を行い。

他の超越錬金術師達が進めているプロジェクトについて、貪欲に情報を習得していった。

ルーシャも既にプロジェクトを開始している。

ガーディアンプロジェクトというのがそれだ。

このガーディアンというのは、自動操作で人間を守るもので。この守るというのは、何も獣やらドラゴンやら、疫病やらと言った人間の外敵に限らない。人間そのものの社会もガードする、大規模なシステムだ。

まだ不思議な絵を独自に作成して、その中で実験的に行っているのだが。

もしも完成した場合、世界そのものを覆う超巨大ネットワークになるだろう事が想定されている。

物資も膨大に使うが。

まだそれは心配の必要がない。現状ガーディアンシステムは極めて複雑で、ルーシャは四苦八苦を続けている段階だからである。なおフィリスさんが補助しているが、それでもまだ手が足りない様子だ。

フィリスさんは既存のシステムを壊す実験の途中。

此方も、深淵の者が所持しているかなり大規模な不思議な絵画世界で行っているのだけれども。

ドラゴンと邪神の数を調整するのと同時に。人間社会にも圧を加えて、いざシステムが完成して人間の絶対数を増やし、文明の発展を爆発的にさせる場合に備えた実験である。

上手くいくようなら、パルミラと連携して実際にこの世界の仕組みそのものを変えていくらしい。

なお、他にも幾つか色々小さめのプロジェクトを平行で進めている様子だが、内容はどれも血なまぐさいものばかり。人体実験を要するものも少なくない様子だった。素材には主に死刑が決まった賊を利用しているらしい。

イル師匠は、神を創造するプロジェクトを手がけている。

これは捕縛し集めて来た邪神を融合させ、パルミラとは別方向の神。すなわち、人間に対する罰を執行する抑止力としての神を出現させるのが目的であるらしい。神の名前はテルミナ。

深淵の者による抑止では限界がある。

目に見えてわかり安い「罰」を司るもの。

それが必要だ、というわけだ。

例えばティアナさんの場合、どうしても「鏖殺」として匪賊を怖れさせるものではあるのだけれども。

しかしながら、「得体が知れない」という欠点がある。

得体が知れないものは、正体を暴かれてしまうとあっと言う間にその恐怖が薄れるものである。

ティアナさんは超越錬金術師並みの殺戮兵器だが。

だが、あくまで人型。

存在そのものが、恐怖にはなり得ない。

其所で、そもそも超越錬金術師や、超一流の錬金術師が束にならなければ手に負えない邪神。それも、生半可な邪神ではなく、あのファルギオルをも遙かに凌ぐ邪神を抑止力としてわかり安く配置し。

更に罰が降されることを明確化すれば。

強烈な犯罪抑止効果を発生させることが出来る、というのがイル師匠のもくろみだそうだ。

テルミナについては、今不思議な絵画の一つで実験を進めており。

フィリスさんが以前倒した邪神なども含めて、大量の邪神のデータを掛け合わせ。場合によってはパルミラのアドバイスも受けながら、構築を進めているという。

プラフタさんは、未来を司るため、文明が成熟した後の事をシミュレーションしている。宇宙に出た後、更に別種の知的生命体と遭遇したときにやっていくための方法を、丁寧に模索している様子だ。

これについては、今まで得られた他の世界のデータを基にし。様々なシミュレーションを繰り返して、成功率を上げているそうである。

プラフタさんは、会議で話すようになって分かったが。とても真面目で潔癖だ。美を讃えられる事が多かったらしく、実際星の瞳を持つ凄い美人なのだが。周囲の視線と裏腹に、本人は人間の根源的な欲求からはとても遠い人でもあり。錬金術によって周囲をよくすることしか考えていなかった様子だ。元からこういう人だったのだろう。多分生まれついての、「みんな」とはかけ離れた精神性の持ち主だったのだ。話を聞く限りでもそうだったのだけれども。実際に話してみて、更によく分かった。

そしてルアードさん。

もうアルトさんという偽名で呼ぶ必要もないだろう。

ルアードさんは、現在を司る。つまり、深淵の者をフル活用し、現状の世界情勢を維持。プロジェクトによって効果が見られた新しいものを受け入れ、世界を変革できるようにもする。

ある意味一番大変な仕事ではあるが。

そもそも現在の深淵の者は、二大国に匹敵する力を普通に持っている。それも、超越錬金術師抜きで、だ。これらは特に難しい事では無いし。しかもルアードさんが超越錬金術師になった今。この最もある意味重要な第三者監査機関が、腐敗する可能性もない。

ルアードさんも、内臓疾患などの理由もあって、プラフタさんと同じように「みんな」からは最初からかけ離れていた様子だ。話には聞いていたが、会議で本性を現したルアードさんと話すようになってからは、それがよく分かるようになった。

そしてソフィーさんは、あらゆるデータを取得しながら、これら全ての状況を観測しつつ収束させる。

文字通り特異点としての総合指揮に当たっている。

内容が矛盾したプロジェクトも大歓迎。

今まで行われてきたプロジェクトを完璧に把握しているソフィーさんは。現在、人間四種族の故郷の世界に関する分析をシャドウロードと一緒に進めながら、統括した後の世界図を描いている。

これが賢者八人体制、か。

スールも息を呑むほかない。まだリディーとスール、ルーシャは未熟だが。残りの五人は、ファルギオルなんて問題にもしない使い手ばかりだと今なら分かるからだ。特にソフィーさんは桁外れに凄まじい。

会議が終わったので、疲れている様子のルーシャに声を掛ける。

今のところ、一番苦労しているのは、間違いなくルーシャだ。

「大丈夫?」

「平気ですわ。 それよりスー。 其方も上手く行っていないと聞きますわ」

「子供は素直に受け入れてくれるんだよ。 勿論ひねくれている子だっているんだけれども、しっかり「正しい」事が「正しい」って理解出来るようになるまで丁寧に……人間じゃむりな丁寧さで接するからね」

「正論を好まないのはむしろ大人と」

頷く。

リディーは先に戻っている。一年が外の世界で経過して、また色々と指摘点がミレイユ女王から上がって来ているからだ。それに、フィリスさんが主になってネームドや邪魔なドラゴンを駆逐しているとはいっても。アダレットから声が掛かる荒事もある。

「ね、プロジェクト統合してみる?」

「ただでさえ上手く行っていないのに、流石に実世界に持ち出すわけにはいきませんわ」

「いや、思うんだけれどさ」

スールは会議を重ねていて思ったのだ。

全員分のプロジェクトを有機的に結合させれば、ひょっとしたら可能性が見えるのでは無いかと。

特にリディーとスールが進めている「寄り添う者」と、ルーシャが進めている「ガーディアン」は相性が良いように思う。

そう告げると、ルーシャは考え込む。

「分かりました。 それならば、むしろ「寄り添う者」を此方で借り受けますわ」

「ガーディアンプロジェクトに取り込んでみるって事?」

「そういう事ですわね。 スーももう少し「寄り添う者」のアップデートをお願いいたしますわよ。 今後、互いにアップデートを繰り返せば、或いは……」

ガーディアンプロジェクトには、社会的な不正などの排除もシステムとして組み込まれる予定である。

だが、それは行きすぎると恐らくガーディアンプロジェクトに依存した人間が誕生してしまう。

ガーディアンプロジェクトは、もしも実際に動き出したとしても、存在を感知されてはいけないのだ。

深淵の者の活動を自動化するようなものであり。

深淵の者の存在が、現在おおっぴらに知られていないのと同じである。

そういう意味では、「寄り添う者」も同じだ。

ヒト族やホムの世界で猛威を振るったAIと同じように、人間が依存した結果破滅を招いては意味がない。

AIよりも更に先に行く者。

人間には感知されず。

そして人間は頼ることもなく。

自然と知られずに人間を支える存在。

そうでなければならない。

そして人間四種族全てに平等であり。宇宙に出て他の文明と接触した場合、致命的な結果を避けるセーフティにもならなければならないのだ。

まだまだ完成度が足りなさすぎる。

故に。擬似的に深淵の者の管理を自動化しているルーシャのプロジェクトとは相性がいい。

上手く行き始めたのなら、ルアードさんにも監査を頼んで、意見を聞きたい。

そしてイル師匠の作り出すテルミナが完成した暁には。

何重もの見えないセーフティが、どうしようもない「みんな」という枠組みに捕らわれ、無責任な人間賛歌を謳歌していた人間四種族を支えるようになる。

それは決して強制ではなく。

しかしながら、人間そのものの否定でもない。

むしろ人間が抱えていた大きな矛盾を、人間を越えた人間によって解消する。

それぞれの世界を場合によっては滅ぼしてきた事もある人間四種族にとって。

これを拒否することは許されない。

勿論作る側は傲慢であってはならない。

第三者としての視点から、徹底的に公平性を保たなければならないだろう。

幾つかルーシャと打ち合わせをした後、一旦家に戻る。

お父さんとリディーは夕食を始めていたので、それに参加。遅れたので少し冷めていたけれど。

お父さんは今のスールが、もう「実年齢」で自分を上回っていることを察しているのか。

それが何を意味するのか悟っているのだろう。

何も言うことは無かった。

食事を終えると、お父さんの調合を少し手伝う。リディーはその間、軽く家事をする。

お父さんには、短く聞かれた。

「上手く行っているのか」

「難しいね。 今回は無理かも……」

「そうか」

意味の全てが伝わったかは分からない。

だけれども、少なくとも成果は上げなくてはならない。まだ自力で賢者の石を作り出すには遠いからだ。

そして、この世界の詰みを打開するための作業は大詰めに入っている。

世界の外側に到達したリディーとスールは。

その力に相応しい行動を、常に行わなければならないのだ。

 

(続)