最後の昇格試験へ

 

序、最終準備

 

ついに届いたそれを、アトリエ内の予定地点に配置する。配置には、鍛冶屋の親父さんと、たくましい筋肉の男達が手伝ってくれた。

錬金釜としては最高の品であるもの。ハルモニウム製の錬金釜。

王水と呼ばれる最高の酸でも溶けることはなく。

どのような衝撃でも簡単に潰れることは無い。

文字通り世界最高水準の釜であり。

これを持っている錬金術師は、それこそ世界に二桁存在しない。一家三人で共有する形になるが。

それでも贅沢すぎる程である。

鍛冶屋の親父さんに、注意を幾つか受ける。

「とにかく汚れは丁寧に除去するようにな。 最強の金属だから故、釜は絶対に痛む事はないが、その代わり汚れがこびりつくこともある。 そうすると多分、釜の方がへそを曲げる」

「はいっ!」

「親父さん、ありがとう!」

「良いって事よ。 それに俺も儲かってるからな」

まだ外ではお祭り騒ぎが続いている。

それに乗じて一気に釜を運び込んだのだが。こう言う方が、却って誰も気にしないという話である。

確かにそうかも知れない。

運送した男性達は、鍛冶屋の親父さんに借りがある傭兵達らしく。まあ何も文句を言わずに運んでくれたのは嬉しい。

料金を支払うと。

咳払いした親父さんは、真面目な顔になる。

「ここからが正念場だ。 錬金術師はある程度以上の実力になるとどうしてもおかしくなるって話だ。 お前達も正直、かなり危ないと俺は思っている。 だが、それが力を得るために必要な代償なのだとしたら……そのおかしくなる事を、逆に制御するくらいの気持ちでいないと駄目だ」

「親父さん」

「人斬りになるのも多分似たような理屈なんだろう。 兎も角、此処からだ。 後は……お前達次第だ」

ぐっと握手をする。

スールの手から見て、大きすぎる手だったけれど。

いつのまにか銃を握り慣れ。

そして戦いで敵を殺し慣れていたからか。

堅い手だとは思わなかった。

親父さんが帰った後、ため息をつく。

お父さんは、アトリエに自動防犯機能が必要だなと、ハルモニウム釜を見てぼやく。それについては、既に考えてある。

幾つかの魔術を施してある。

それに、ハルモニウムなんてほぼ扱える代物じゃない。

素人では、どれだけハンマーを振るってもびくともしない。

釜を盗もうとしても、ハルモニウムが嫌がって動かなければ、どれだけの人数で掛かっても、微動だにしないだろう。

そういうものだ。

ギフテッドに目覚めた今は分かる。ハルモニウムは極めて気むずかしい。その一方で貪欲でもある。

他の金属は使い手なんて気にもしない。

だがハルモニウムは使い手を選ぶ。

例えばあのティアナさんは、ハルモニウムの剣に愛されているのが今なら分かる。つまり、ハルモニウム自体は善でも悪でもない。

純粋な力で。

それを振るう機会を待っているのだ。

では、いよいよだ。

生唾を飲み込むと、二手に分かれて調合を開始。

ヴェルベティスを作る。

ヴェルベティスの性能は、よくよく分かっている。今までつけていたモフコットによる強化とは比較にならない倍率が掛かる。

服の裏地に仕込む事で、恐らくはようやく超越の第一歩を踏み出せる。

勿論三傑には及ばない。

だが、それでも対抗できる第一歩に足を踏み出せる。

そして、力を手に入れれば。

発言権だって得られる。

そうなれば、ソフィーさんに、これ以上好き勝手はさせない。少なくとも、目の前のものを蹂躙はさせない。

ソフィーさんはあまりにも手段を選ばなさすぎる。

あらゆる全てを、詰みの打開のためには平然と犠牲にするだろう。

それを防ぐためにも。

そして、何よりも。

「みんな」という概念を粉砕するためにも。

スールは、此処で最後の力の根源を、手に入れなければならないのだ。

コーティング剤は極めて難しい。今まで作ってきた、モフコット用のものとは段違いの難易度だ。

これについては、色々レシピを研究。

見聞院で散々本を読みあさって、完成させた。

イル師匠も、出来る事は自分でやれと突き放してくるだろう。この間のギフテッドの対策のような、どうしようもない事以外では、自力でやらなければむしろ怒られる。

ヴェルベティスの資料は見聞院にも兎に角少ない。

試行錯誤を繰り返して、レシピを作ったけれど。これで本当に上手く行くかは分からないし。

安全な状態でなければ、糸繰りにも機織りにも渡せないのである。

黙々と調合を続けていると。

いつの間にか、夜になっていた。

明日まではお祭り騒ぎは続くだろう。国が黙認したお祭り騒ぎだ。経済もある程度大きく動く。

騎士達の負担は大変だろうが。

それでも、スールは何もできない。

せいぜい今まで納品した装備やお薬が役に立つことを祈るしかない。

ほどなく、試作品のコーティング剤が出来上がる。

声を聞く限り、充分そうではあるのだけれども。

ハルモニウムのピンセット(作るのにかなり苦労した)で摘んだ黄金の絹糸を近づけると、あからさまに拒否の声が聞こえた。

リディーも聞こえているらしい。

頷くと、成分を調整する。これは試すまでもなく駄目だ。

ギフテッドに目覚めるまで。

目覚めてからも。

散々悶着があった。

今でもスールは、まだ慣れきっているとは言えない。

だが、これが恐ろしく便利な事も事実で。

そして、ちょっとでも油断すると、理性も何もかもをごっそり持って行かれて。あっと言う間に精神が壊れてしまう事も理解していた。

もう人間とは言い難い状態になっているのだ。

これ以上壊れたら、どうなるかあまり想像したくない。

ソフィーさん達は使いこなしていてあの状態だ。

もしも使いこなせなかったらどうなるのか。

恐怖は常にある。

だから、徹底的に練習する。

昔のスールは、メモもロクに取らなかった。

本もリディーに読むのを任せっきりだった。

リディーとの差を埋めるのに、どれだけ苦労しただろう。反復練習を徹底的にやらなければ。

一生追いつくことは出来なかっただろう。

いや、まだ追いついたとはいえないか。

努力はリディーの方が遙かにしているのだ。スールは必死に追いすがっているに過ぎない。もしも手を抜いたら、一瞬でまた引き離されてしまうだろう。

姉妹と言う事は、もうあまり意識していない。

今するべき事は。

ただ、このギフテッドを、磨き抜く事だ。イル師匠も、これは持っていない。武器の一つなのだから。

コーティング剤が、良い感じに仕上がるまで三日。

何度か検証をする。

やはり凄まじい切れ味を誇る黄金の絹糸の繊維をコーティングするのは尋常ではなく難しく。

薄く均一に、なおかつ熱などでも安定して剥がれず。更に柔軟性も持たせ。落とすときには簡単に落とせる。

その全ての要件を満たす難易度は高い。

だが、複数種類の薬草を丹念に混ぜ合わせ。高品質の中和剤と混ぜ合わせることで。どうにか完成させる事が出来た。

一旦二人とも休憩を取った後。

黄金の絹糸を試験的にちょっとだけコーティング。

その後実験をする。

少なくとも人肌で触っても大丈夫だし。触ったところで切り刻まれるような事は無い事も判明したが。

声を聞きながら、だから。

下手をすると、ギフテッドが突然失われでもしたら。

錬金術師として、やっていけなくなるかも知れない。

だから、レシピは徹底的に細かく詳しく残していく。そうしなければ、いざという時に対応出来なくなる可能性があるからだ。

「スーちゃん、起きて」

「うん……」

言われるまでも無く、起きている。休憩時間に、予定通りの時間かっちり仮眠を取れるようになっていた。

昔は惰眠を貪ることも多かったのに。

鍛えに鍛えられたから、だろう。

いつ死んでもおかしくない状況で、ずっと過ごし続けて来たからか。或いはギフテッドに目覚めてもう人間を止めてしまったからか。

完全に睡眠をコントロール出来るようになっていた。

本格的に黄金の絹糸のコーティングを行う。此処からは糸繰りに出す事を想定しての作業である。

一旦黄金の絹糸を、煮沸した蒸留水で洗う。この作業さえ、ハルモニウム釜と、ハルモニウムピンセットがないと危なくて出来ない。

沸騰した湯程度でどうにかなるようでは、そもそも話にもならない。

湯で洗浄を終えた後。

洗剤を複数種類入れて、徹底的に汚れを落とし。

その後また蒸留水で洗い。そして、その後コーティングを行う。

少しずつコーティング液に通して、熱いうちにもう一つのコーティング液に通す。

一発でコーティングをすまさないのは、二つの成分を混ぜ合わせることで、簡単には分解されないようにするため。

繊維を通し終えた後、乾燥させ。そして触っても問題が無いことをしっかり確認した後、糸繰り屋に出す。

錬金術師の出してくる繊維を扱ったことがある糸繰り屋に頼むのは当たり前で。

繊維の正体も教えない。

これがそれこそ国宝になる品などと分かったら、泥棒が入る可能性もあるし。

何より、扱いを失敗するとその時点で大けがでは済まなくなるかも知れないから、である。

店に出し終えると、後は二手に分かれて、コーティング剤の調整を行い。

それが終わってから休む。

黙々と作業を進め。その合間に、爆弾なども吟味。

リディーが見聞院から取ってきた本を確認。

どうやら、究極の爆弾とも言われる、N/Aと呼ばれるものがあるらしい。調べて見るが、フラム、レヘルン、ルフト、ドナーストーン、全ての爆弾の長所を強引に高品質の中和剤で混ぜ合わせ。

熱でもなく、風圧でもなく。勿論雷撃でも無く。

相手の存在する確率に干渉して、そのまま削り取る、という代物らしい。

ただ、近年納入されたレシピと、昔のレシピでかなり違っているため。

或いは、昔のN/Aと現在のN/Aでは、根本的に違う可能性もあるが。

今はともかく、試してみるだけか。

コンテナから、それぞれ最高傑作の爆弾を出してきて。

ドラゴンの血の中和剤を用意する。

最初は工作だが。

組み合わせの方法が非常に難しく。

なおかつ爆弾の火力が、全て内側に向くように調整をしなければならない。

そう、爆弾の火力を、内側に引き寄せるのだ。

中和剤で変質させ。

火力そのものを、究極まで一点に向くように調整し。

ガワはむしろ柔らかい布を用いる。

これにより、爆弾と言うものから。

魔術も技術も遙かに超えた。

錬金術の深奥にまで迫る爆弾。爆弾を超えた爆弾に仕上がる。

勿論極めて繊細かつ慎重な作業が必要になる。

起爆のタイミングも、熱と風、雷撃ではそれぞれほんのわずかずつ違ってくる。レシピを見ると、恐ろしく細かい指定がしてある。

魔法陣を描く際に、徹底的に注意し。

なおかつそれを可能な限り吟味しつつ、実験も繰り返す。

そうしている内に、糸繰り屋から、繊維から糸になった黄金の絹糸が来る。

中和剤で変質させていることもあり、既に上品極まりない紫色に染まっている。

金や紫は、ちょっと油断するとあっというまに下品な色彩になってしまうが。

流石はヴェルベティス。

見るからに、美しい紫色だ。息を呑むほどである。

コーティングを一度落とす。

そして超危険物と化したヴェルベティス糸を、再度コーティングし直す。

この過程で、糸に緩みなどが出ては意味がない。

作業は丁寧に。

徹底的に妥協無くやらなければならない。

コーティング剤は、前と同じものを用いるが。ちょっとやそっとの熱やらで溶け出すようなものでは意味がない。

安定していなければ着ることさえ出来ないのだ。

着た瞬間、バラバラを通り越してミンチより酷い状態になる服になんて、何の意味があるだろう。

N/Aの研究はとりあえず後回し。

コーティングに全力投球し、徹底的に検証を行う。

やがて、ギフテッドを駆使して、ようやく満足がいく状態に仕上がった所で。

機織りに出す前に。

どんな魔法陣を織り込んで貰うか決める。

まあ鉄板は防御力強化、常時体力回復、身体能力強化、あたりだろう。服の裏地に仕込むのだ。体そのものに、直接影響を与えるものが好ましい。

ただ、正直な話、ヴェルベティスを直接肌に触れさせるつもりはない。

そこまでの勇気は無いと言うべきか。

モフコットと組み合わせるつもりで。

モフコットには、モフコットそのものの防御を極限まで増幅する魔法陣を仕込むつもりである。

そして、そのモフコットを薄く仕上げて。

ヴェルベティスを挟むようにして、三枚重ねの裏地にする。

勿論そのままだと暑くなりすぎるので。

温湿度安定の魔法陣も必要になる。

裏地に仕込む場合、肌側に防御力強化、外側に温湿度安定が安全だろう。なおヴェルベティスは、それそのものが凄まじい防御力を持つので、わざわざヴェルベティスそのものを強化する事は考えなくても良い。

試行錯誤の末に、魔法陣が仕上がるので。

モフコット糸と一緒に、ヴェルベティス糸を機織りに出す。

此方も、錬金術の布を扱っている店を使う。

割高になるが、コレばかりは仕方が無い。

お金はぽんと支払う。

金払いが悪ければ、働く人だってやる気を出さないし。

何よりお金は動いてこそ意味がある。

自分の所にお金を蓄え続けても仕方が無いし。

色々な形で、お金が回るようにしなければ。やがてお金が止まって、餓死する人まで出てきてしまう。

経済を回す。

それが重要なのだと、スールも今は分かっている。

しっかりした仕事をしてくれる職人に、相応の報酬を支払うのは。当たり前の事なのである。

さて、機織りには、かなり難しい注文をしたし。

仕上がるまで少し時間が掛かる。

そろそろ、Aランクの物資納入の時期だ。国からお仕事がきてもおかしくない。この間の王冠くらいは余技扱いされるはず。今はもうAランクのアトリエなのだ。国家中枢のインフラに関連する仕事が飛んできてもおかしくは無いのである。

アトリエに戻った後は、N/Aのレシピを徹底的に確認する。

夕方を過ぎた頃だろうか。

アトリエのドアがノックされた。

「うーっす、いるか」

「マティアス? あ、そろそろ呼び捨ては止めた方が良い?」

「いや、今まで通りに頼む」

アトリエに入ってきたのはマティアスである。

「王子」から正式に「王弟」となったマティアスは、少しばかり居心地が悪そうだった。

そういえば、鎧が替わっている。

多分ハルモニウムを相応に仕込んだ品なのだろう。

幾つか、話を聞かされる。

まず騎士団は半年以内に抜ける、と言う事。

今まで捨て扶持として騎士団に地位を貰っていたが、今後は王弟として、主に国賓の応対や。或いはミレイユ女王の代理として、仕事をする事が増えるそうだ。それは良かったと思う。

ただし大変だろうとも。

何しろ今後マティアスは、今まで以上に、ミレイユ女王の風よけとして動く事が要求されるのだ。

罵声も嘲弄も今まで以上に受けるだろう。

更に複雑怪奇な儀礼なども覚えなければならない。

重圧は尋常では無いはずだ。

だが、今のマティアスならきっと大丈夫。

誓いの儀式に立ち会った時。マティアスは覚悟を完全に決めている様子だった。

戦いの時も。今のマティアスなら、何処の騎士と比べても恥ずかしくないとも思う。

今でも、こうして気弱そうな言動を見せるけれど。それはあくまでそれ。マティアスは本番では出来る男になっていると、スールも思う。

「アンとブルにも言ったが、俺様は頭が悪いから、自分が偉いとか勘違いすると困るんだよ。 だから、これまで通りに話してくれ」

「うん、分かった」

「お願いします、マティアスさん」

「ああ。 それで、此方が今日の用事でな」

スクロールを渡される。

もしも、Sランク昇格試験だとしたら。

これが、マティアスが持ってくる最後のスクロールだろうか。

いや、試験の合格の連絡もあるし。

Sランク昇格後は、三傑やネージュと同格の存在として扱われる。もっとたくさんスクロールが持ち込まれるだろう。

ただし、アンパサンドさんは兎も角、マティアスは護衛騎士としてはもう来てくれないかも知れない。マティアスの護衛として声が掛かっていたフィンブル兄も同じだろう。

少し寂しいなと思って、スクロールを開くと。ほろ苦い声でマティアスは言った。

「厳しいと思うが、頑張ってくれ」

 

1、最後の試験

 

無言で、リディーと一緒に試験内容をみやる。

スールは、作為的だなと思った。

マティアスも、恐らくそう思ったのだろう。

だから、ずっと此方の反応を待っていた。

「黒い絵……」

「俺様よりももうお前達の方が詳しいだろう? レンプライアってあのバケモノ達に、不思議な絵画が食い尽くされると。 その絵は真っ黒になり果てるって話だ。 そして、一度徹底的に食い尽くされると、もう二度と元には戻らない」

唇を噛む。

お父さんの絵が、その寸前まで行った。

今も、隙を見て見にいっては、レンプライアを片付けてはいるのだが。やはりレンプライアは定期的に湧いている。

お母さんにも会いたいと思うが。

家は閉ざされていて。

お母さんの姿も見られない。

多分、Sランクに昇格するまでは来るなと、お母さんが言っているのだろう。

お母さんは怒らせると怖かった。本気で怒ったときのお父さんほどではないけれども、凄く怖かった。

そして、優しいけれど、厳しい人でもあった。

多分騎士団上がり、という事も関係しているのだろう。

レンプライアが湧くことはどうしようもない。

そして、不思議な絵画というあまりにも優れた存在の利点を甘受し続けるためには。定期的なレンプライアの駆逐が必要なのだ。

「お前達に出された試験は、既に黒く染まりきった絵の最深部に潜む、レンプライアの王の駆除だ」

「レンプライアの王……」

「完全に黒く染まった絵には、尋常では無い強さのレンプライアがわんさか湧くらしくてな。 絵の理を乗っ取ったレンプライアのボスが、王と呼ばれるらしい。 俺様も又聞きだから詳しくは分からないんだが、他の絵にまで侵食する可能性があるそうだ」

「……あり得ない話じゃないよ」

スールはぼやく。

お母さんが、他の絵に遊びに行っていたと。この間、あった時に少しだけ話した。今はもう無理な様子だが。少なくとも、レンプライアの大攻勢が始まって、捕らわれてしまうまでは可能だったらしい。

今のお母さんは、厳密にはお母さんでは無い。

お父さんの心の中にいたお母さんを、完全に再現したものに。お母さんの残留思念が宿った存在。

つまりお母さんの幽霊のようなものだ。

霊とはまた違うのだろうが。

それでも、お母さんそのものではない。お母さんの残骸とでも言うべきか。

お父さんの様子から見て、お母さんはいつまでもつか分からない。

出来れば、Sランクの試験を受けられるのであれば。

さっさと突破して。

後は出来るだけ甘えたい。

例え触れることが出来なくても、だ。

それを邪魔するんだったら。

あの、お父さんの絵に湧くレンプライアを遙かに凌ぐ、邪神レベルのレンプライアだろうが。

絶対に許さない。

粉々になるまで叩き潰してやる。

スールの様子を見て、マティアスは無言でいたが。

やがて咳払い。

「その黒い絵なんだが、実の所もう構造とかはあらかた分かっている。 AランクからSランクに昇格する錬金術師が現れたときに備えて、レンプライアの王も残してあったらしいんだ」

「はあ……!?」

ちょっと待て。

声に怒りが含まれたのに、敏感に気付いたらしいマティアスが。露骨に慌てて繕う。

「俺様の仕業じゃないし……」

「分かってる!」

「マティアスさん、詳しくお願いします」

「……実はな、騎士団の演習場に使われてるんだよ」

思わず真顔になる。

マティアスは、ゆっくり、此方を憤激させないように、丁寧に話してくれた。

「黒い絵には恐ろしい程高品質の錬金術素材と、それと強力なレンプライアが湧く。 三傑の誰かが一緒にいれば、騎士団は此処で三傑に対して給金代わりの素材を提供できるし、更には三傑と連携すれば死者を出さずに鍛錬も出来る。 最近騎士団を増員出来たのもそれが理由なんだ。 騎士団全体の質を上げて、一気に兵員を増やしても瓦解しない程度に、騎士の質を上げたんだよ」

「そんな……」

「いずれにしても、「王」は駆除してもまた再生するそうだ。 再生までは相応に時間が掛かるらしいがな。 三傑は「王」の影響力を抑え、その手足になるような強力過ぎるレンプライアは全部駆除してくれてもいる。 多分「王」とは、殆どベストの状態でやり合えるだろうよ」

「……」

そうか。やっぱり。

更に、今回の試験には、ソフィーさんも来ると聞いて。口を閉じる。もう、露骨すぎるし。隠す気もない。

「アルトや三傑は別の内容の試験を受けて、Sランクに昇格済みだ。 今回、ルーシャとお前、後はパイモンのおやっさんが、同時にこの試験を受ける事になった。 今後も、もしもSランクになりうる人材が出てきたら、三傑が「王」を復活させて……」

「もういい、ちょっとごめん。 黙ってくれる?」

「……」

「スーちゃん。 マティアスさん、ごめんなさい」

流石に言い過ぎと思ったから、スールもリディーに続いて謝る。

だが、すっかり冷え切った心が。

また煮立つかと思った。

どの不思議な絵画も。作者の理想と願望を、魂と共に込めた空間だった。

それを蹂躙しうるレンプライアを養殖し。

そして活用する。

合理的かも知れない。

だが、レンプライアの危険性を考えると、正気の沙汰では無いし。何よりも、不思議な絵画を描いた人達への冒涜だ。

しかしながら、合理的ではある。

それは認めざるを得ない。

普通の錬金術師にとっては脅威だろう。束になっても、勝てる相手ではない可能性も高い。

だが三傑くらいになってくると。

「王」たるレンプライアでも、もはや相手にもならないのだろう。

この間、お父さんの絵で見た。

フィリスさん、明らかに時間だけでは無く、空間までも操作していた。それも呪文詠唱も無しに。

そんな事が出来る錬金術師にとっては。

それこそレンプライアの「王」何て、単なる養殖動物に過ぎないのだろう。それが普通の人間にとって、どれだけ危険だとしても。

ましてや今は。そんな超越級錬金術師が、三人もアダレットに来ているのだ。

不要になったら封印でも何でもする手段も持っている筈。

或いは、不思議な絵画そのものを消滅させてしまうという手もあるかも知れない。

いずれにしても、三傑にとってレンプライアの「王」など脅威でも何でも無いし。むしろリディーとスールを痛めつけて育てるための材料に過ぎない、と言う事なのだろう。

虫酸が走る。

「それで、試験開始のタイミングなんだが」

「今、二つほど切り札を用意しています」

「切り札?」

「ヴェルベティスと、N/Aという爆弾です」

ヴェルベティスと聞いて、マティアスが顔色を変える。

まあ王族なら知っていても不思議では無いか。

イル師匠は当然のように扱っていたが、これもハルモニウム同様国宝になるほどの品である。

N/Aについては、恐らく三傑が改良に改良を重ねて、わざとレシピを流している。

才覚が無ければ再現はできないのがこの世界の錬金術。

レシピを流したところで、痛くもかゆくもないのだろう。

「マティアス、ルーシャやパイモンさんも、時間いるでしょ。 ちょっと……準備がみんな整うまで、待てないかな」

「あー、それについてだがな。 スクロールの一番下にあるとおりだ。 俺様にはどうにもできん」

「……」

スクロールを最後まで見る。

試験は二週間後。

試験に落ちた場合、再度の受験は二ヶ月後とする。

溜息が漏れた。

多分ギリギリになる。

二週間後に失敗した場合、お母さんをどうにかすることは、多分無理だ。お父さんが頑張ってくれるだろうが。

あんな不安定な状態。

いつまでも維持できるとは思えない。

リディーもそうだろうが。スールとしては、一刻も早くSランクになって、お母さんとずっと一緒にいられる方法を模索したい。

時間を操作する。

空間を操作する。

概念を操作する。

何でもいい。

出来る事は、三傑が証明してくれている。

それは、桁外れの経験を積んでいる天才が相手だ。即座に追いつけるほど甘い話では無い事も分かっている。

それでも、やらなければならないのである。

「分かった、どうにかする。 今すぐ全力で準備に取りかかるから」

「すまん、スー」

「マティアスは悪くないよ」

「うん。 だから、もう上がって」

頷くと、マティアスは帰って行く。

さあ、最後だ。

これで、悪意に満ちた試験からは解放される。Sランクのアトリエになれば、流石に三傑も今までとは対応を変えてくるはず。イル師匠は分からないけれど。フィリスさんとソフィーさんは、今後の事を。世界の詰みを打開する人材として。リディーとスールをカウントしてくれるかも知れない。

そうなれば無意味に使い捨てるようなことはしないはず。

発破を掛けるために、無茶苦茶をいう事だってなくなるはずだ。

そう信じて。

今は動くしかない。

リディーと頷きあうと、N/Aの調査を進める。兎に角、今までにないほど微細な魔法陣が必要になってくる。爆弾の組み合わせそのものも恐ろしく難しい。どのようにして、同時に極限まで圧縮された爆発が交錯するようにするのか。徹底的に確認していかなければならない。

リディーは計算を始める。

スールはギフテッドを活用して、爆弾を中和剤で強化していく。

そうこうしている内に、機織りの店から連絡が来た。

ヴェルベティスが仕上がるのは一週間後。

そうか。

機織りが終わって布にしても、その後加工するのが一苦労なのだ。コーティング剤も貼り替えないといけないし。何よりも、そもそも服の裏地にするために、加工するのが大変なのである。

生半可なハサミなんかじゃ、逆に一発でへし折られる。

堅いのではない。

繊維として、異常なまでに強いのだ。

この加工にも、数日を見なければならない。

要するに、N/Aを作るのは。

ヴェルベティスが届くまで。

期限は一週間だから、それまでに仕上げなければならない、と言う事だ。

お父さんが戻ってくる。かなり消耗しているのが分かるが。リディーとスールを見ると、無言でもう一度出て、出来合いを買ってきた。

夜はそのまま、出来合いでおなかを満たす。

はっきりいって美味しくないけれど。

とにかく今は、栄養を確実にとっておかなければならない。

多分ルーシャもパイモンさんも修羅場だなと思いながら、スールはさっさと必要量だけ眠り。

起きだしてから、N/Aの作業を続ける。

魔法陣をリディーが作り上げ。

スールも精査する。

わずかに疑問が出てくるので、それを二人で徹底的に問い詰め合った後。間違いだったとして修正する。

やはりダブルチェックは必要だ。

それにしても、スールほどの緻密な頭脳の持ち主でも、こういったミスをする程の繊細な魔法陣が必要になる。

その威力は想像を絶するだろう。

更にこれにバトルミックスを乗せたら。

どれだけ火力が上がるのか、想像するのも恐ろしい。

だが、三傑はそれくらいのことは、日常的にやっているはずで。

今更臆するわけにもいかなかった。

淡々と作業を続ける。

風呂にも入るようにお父さんに言われたので、しっかり体も温める。事実休憩を入れないと、作業効率はどうしても落ちる。

本来はそうだ。

人間を止めてから、どうもその理屈も揺らぎ始めている気がする。

ため息をつくと、何だかつかれているんだか温まっているんだか分からない体で、作業を再開。

N/Aに関しては、もし完成したらコルネリア商会に登録するつもりだけれども。

多分増やして貰う場合、目玉が飛び出すような価格を要求されるだろう。

それでも、作る価値はある。

そう信じる。

いずれにしても、レンプライアはスールの敵だ。リディーの敵でもあるが。レンプライアは絶対に許せない。

不思議な絵画の世界は、スールに色々教えてくれた。

お化け達は、何故お化けという者が存在していて、そして重要なのかを。

凍った世界では、人間という生物が如何に愚かで、それは終末までも変わらないという事を。

灼熱の世界では、人間と支配種族が存在した場合の関わり方を。

ネージュのアトリエでは、如何に「みんな」という存在が醜いかを。

キャプテンバッケンの世界では、願望の賊が、如何に現実と離れているかを。

砂漠の世界では、人間という生物が、昔から一切合切進歩していない事を。

星空の世界では、人間の心の奥底に潜む邪悪を。

そして、お父さんの絵では。

薄皮一枚の下に、人間がどれだけの狂気を秘めているのかを。

いずれにしてもはっきりしているのは。

普通の人間という存在が如何にどうしようもないもので。

もはや「みんな」に迎合することなど笑止でしかないという結論である。

そして、そんな結論を教えてくれた不思議な絵画達を、蹂躙しようとする「みんな」が共通で持っている悪意。

それこそがレンプライアの正体だ。

違うから何をしても良い。

理解出来ない相手はバカだ。

見た目気持ち悪いから殺して良い。

そんな風に考える「みんな」こそがこの世界を殺す。そう、レンプライアが、美しい不思議な絵画の世界を殺すように。

レンプライアの王がいるなら、徹底的に殺し尽くしてやる。

八つ裂きにして引きちぎってやる。

絶対に許さない。

今まで見てきた「みんな」の醜さを知るスールは。その決意を固めていたし。他人に異論を許すつもりもない。

気合いを入れ直すと。

作業を再開。

N/Aを徹底的に検証し。少しずつくみ上げていく。

だが、時間は有限だ。

まだ時間を止めるまでに至らないスールでは、こればかりはどうしようもない。ソフィーさんやフィリスさん、イル師匠は。時間を止めて、場合によっては年単位は掛かるような調合もやっているのかも知れない。

それが出来ても不思議ではない。

だが、リディーもスールも。

如何にからだがおかしくなっていたとしても。

まだ、時間という鎖は、どうにもできないのだ。

休むようにまたお父さんに言われた。

お父さんも、相当無理はしているが。それでも定期的に戻ってきて休んでいる。何の作業をしているかは聞かない。

多分お母さんの絵に何かしているとみるべきだろう。

スール達が、Sランク試験を受けるまで、或いは現状ではもたないのかも知れない。可能性は低くない。

だが、もしもそうだとしたら、お父さんはまた三傑に頭を下げてやり方を聞いた可能性もある。

口惜しい。

これ以上、お父さんに負担は掛けたくない。

今まで、苦しすぎるほどに苦しんできたお父さんなのだ。

これ以上は、酷い目にあわせたくは無い。

特にソフィーさんに頼んだりした場合。

どんな代償をふっかけられるか、分かったものではないのだから。

冷や汗を拭いながら。

仕上げた爆弾をくみ上げる。

声を聞く限り、これで完成の筈だ。問題は実験をする場所が存在しない、という事である。

しかもこれ、量産出来るような代物ではない。

いずれ質を上げることは出来るかもしれないけれど。それにも入念な準備が必要になってくる。

まず、コルネリア商会に出向く。

この間お父さんと再会できた事で、コルネリアさんは少し笑顔が増えたように思える。ホムだから、あまり表情は分からないのだけれども。そんな気はした。

N/Aを見せると。

コルネリアさんは難しい顔になった。

しばらくN/Aに手をかざしたりして、色々作業をしてから。

値段を口にする。

その価格は、ハルモニウムのインゴット、十個分に相当した。

思わずその場で膝から崩れかける。

精神が希薄になっている今でも、その価格は衝撃的だったからである。

「これは、複製するならば此方も相当に消耗を覚悟しなければならないのです。 うちにいる複製の能力持ちのホムが総掛かりでも作れるかどうか厳しい品。 簡単には増やせないのです」

「……リディー、ちょっと相談」

「うん」

頭がクラクラする。

今後、ヴェルベティスも増やさなければならないのだ。その出費も合わせて計算する。

ヴェルベティスは、ハルモニウムのインゴットと同じくらいと計算して。それでリディーとスールの分。後の人の分。

全員分の事を考えると。

今の貯蓄が、綺麗さっぱり消し飛ぶのが分かった。

「ごめんなさい、一個だけ……増やしてください」

「分かりましたのです。 二人とも、相当無茶をしているようなので、心配なのです」

「いや……大丈夫ですはい」

今の複製の話を聞く限り、そうとしか答えられない。

コルネリア商会でも、複製能力持ちのホムは、早々たくさんは抱えていない筈。しかも今回は、増やすなら全員がかりという話も聞いてしまった。

それを考えると、とてもではないが、値下げしろなどと言うことは言えない。

情に訴えた作戦というのは、相手がヒト族の商人の場合は考えられるが。

そもそもそんな事をホムはしない。

コルネリアさんもそれは同じ。

種族的特性で不正をしない。

それがホムという存在なのは、スールも分かっている。

と言う事は、提示された金額は妥当という事で。

妥当なお金を払うのは当たり前だという事をスールは分かっているから、それ以上何も言えなかった。

かなり厳しい。

少し前に国への納品も済ませたばかりだ。王冠を作った分の料金もこれで消し飛んでしまった。

「……あらゆる意味で、負けられない、か」

スールはぼやくと、アトリエへの帰路。

拳を固めた。

いずれにしても、レンプライアは殺し尽くす。

それに、代わりは無い。

だったら、殺し尽くすための準備をする。そのためには幾らでもお金なんか使える。

そう割切っていくしか無かった。

 

2、扉に手を掛ける時

 

ソフィーは不思議な絵画、「黒の地平線」の最深部に出向いていた。

周囲に護衛はいない。

必要ないからだ。

正確には、この不思議な絵画の題名は、「黒の地平線」ではない。ずっと昔にラスティンで作られたものの、不思議な絵画を描いた錬金術師が事故で死亡。アトリエに放置された結果、レンプライアに食い尽くされたものだ。本来の名前は残された数少ない資料によると、「人類の栄光」だそうである。ソフィーに言わせると笑止の極みだった。

この錬金術師は、調査によると古代の文明に憧れていたらしい。

古代の文明などと言っても、この世界では、錬金術師が出ては街を勃興させ。その錬金術師が死ぬと人々が離散する、という歴史が続いていただけだ。500年前、深淵の者が結成されてからそれが変わったが。

その前には勃興と破滅。それしかなかった。

各地で発掘される遺跡は、そういった「たまに出る天才が興したがやがて人間が増えすぎてドラゴンや邪神に滅ぼされた街」であって。500年前以上に優れた錬金術の文明が栄えていた、等というのは大嘘である。

たまたま、500年前に規格外錬金術師のプラフタとルアードが同時に出現し、各地の問題を解決したことが、過大に伝わっているだけだ。

だから、この絵も。

その過去へのあこがれを描いていても空虚で。

また、現在への不満も強かったことから。

レンプライアに食われるのも早かった、というわけだ。

もっとも現在は、今ソフィーの目の前にいる、完全拘束された「王」を用いて、高品質の錬金術素材を回収し。

アダレット騎士団の演習場に活用している、くらいの場所に過ぎないが。

それに王は殺しても殺しても幾らでも再生する。

だから試験内容に利用できる、と言う事だ。

「王」のロックを解除。

レンプライアの王は、既に量産型のレンプライアとは完全に姿が違う。巨大な四本の腕を振るって殴りかかってくるが。ファルギオルの全力攻撃でも傷一つつかないソフィーに、効くわけが無い。

不思議なものでもみるように、拳を叩き込んでも微動だにしないソフィーを見ているレンプライアの王を、逃げないように空間隔離すると。ソフィーはそのままその場を去る。空間ごと隔離するのは、他の絵への侵食をさせないため。

呆然と立ち尽くしているレンプライアの王は、ソフィーが何をしたのかも分からない様子で。

檻から出ようと四苦八苦していたが。

やがてそれも諦めた様子である。

力を蓄えて、内側から、と思ったのだろう。

だが、空間そのものが隔離されている状態だ。レンプライアごときではどれだけ背伸びしたって破れる檻ではない。

今までの実験でもそれは証明されている。

幾つか、高品質の錬金術素材を回収しておく。

此処まで酷い状態になっている不思議な絵では、それに反比例して高品質の錬金術素材が採れるのだ。

どうせ王は殺しても再生する。

だから、いっそのこと、全ての不思議の絵画を黒く染めてしまうのも手かも知れないのだけれども。

今の時点では、それはやらない。

やったことがある周回もあるのだが。

今後やる必要があるのなら、やればいい。

いずれにしても、どれだけ苦心しても人間は資源をそのままでは食い尽くす。高品質の錬金術素材を採れる土地を幾つか作った所で焼け石に水だ。

かといって、精神文明は何をやっても進歩しない。

どうしても湧くからだ。

ルールの穴をついて、おのれのエゴのまま振る舞うクズが。

どれだけシステムを整備しても。

どれだけ人間に手を入れても。

それは変わらない。

パルミラが自由意思による相互理解を最重視している以上。

人間を完全に拘束する訳にもいかない。

今まで繰り返して来た実験の中でも。

上手く行きかけた例は、殆どの場合人間の思考をほぼ完全に奪ってしまうようなやり口であって。

その場合、今度は人間は頂点が存在しないと身動きが取れない愚劣な群れと化す。

かといって好き勝手にやらせれば確実に滅ぶ。

今までの、超越級錬金術師三人体制では、どうしても無理がある事は、身を以てソフィーも体験している。

今回、一気に後五人、超越級の錬金術師を増やせる可能性が出てきている。

この面子でなら。

詰んだ世界を打開できるかも知れない。

ソフィー自身も、見てみたいとは思うのだ。

別の思想を持つ生物種と共存する事が出来。

互いを尊重しつつ、宇宙を目指せる生命体を。

現時点で、人間四種族はその全てが要件を満たしていない。

悲しい事だが、それが現実だ。

絵を出て、城の地下エントランスに。受付で、軽く役人に話をしておく。書類をその場で作成して、押印。

役人もソフィーの事はあまり良く想っていないようだが。

別に好かれようとも思っていないので、それこそどうでもいい。

ミレイユ王女、いや女王に即位したか。ミレイユ女王の所に手紙が届ければ、それで良いのである。

空間転移を使って、後は追跡が掛からないように移動し。

アダレットの端まで出てから、深淵の者本拠である魔界に入る。

今回回収した資源をコンテナに収めると。

自分用の研究室に。

シャドウロードの研究成果が上がって来ているので確認する。やはり参考に出来る資料がかなり綺麗に要約されている。

幾つかは、今回の周回で実験しても良いかも知れない。

いずれにしても、大詰めだ。

双子が賢者の石を完成させて、パルミラに謁見することを成功させたら。また事象を固定する。

その後は、この時代を起点にして。

世界の詰みを打開するのだ。

「少し良いかしら」

「んー、どうしたの」

後ろから声が掛かる。

イルメリアちゃんだ。

ソフィーの研究室に出張ってくるのは珍しい。研究室内部に多数飾られている資料を見て、気分が悪いといつも口にするのに。

余程の事が起きたという事か。

時間を止めて、さっさと資料を確認し終えると。

立ち上がって、振り返る。

イルメリアは腕組みして、もの凄く機嫌が悪そうな顔で此方を見ていた。

「四人同時にSランクの試験を受けさせるそうね。 しかも貴方が同行すると聞いたけれど」

「パイモンさんは妥当だとして、ルーシャちゃんは無理だと思ってる?」

「……そうじゃないわ。 何を目論んでいるの」

「ルーシャちゃんの成長が良いからね。 あの子も「こちら側」に引き込もうと思っているだけだけど」

イルメリアちゃんは口を引き結んだまま。

確かこの方針は知らせた筈だが。

「何を企んでいるのかしら」

「何を? 今の時点で計画に変更はないけれど。 今回の周回で出来ればけりをつけたいと思っているくらいかな」

「貴方の事よ。 また非人道的な事を考えているに決まっているわ」

「人道でこの世界の詰みを打開できるなら幾らでも聖人になるけれどね。 イルメリアちゃんが世界の詰みの打開に関わるようになってから、何回そういうケースがあったか覚えてる?」

言葉に詰まるイルメリアちゃん。

ため息をつく。

この子は、どうしてまだ人間であることにこだわろうとするのか。

深淵を覗いた以上、もう精神も人間とは離れてしまっている。

それに対して必死に抗おうとするのは、人間の精神に価値があると考えているからなのだろうが。

そんなもの、限りなく全能に近く、この宇宙に限れば未来以外の事は全知であるパルミラが九兆回も施行してどうにも出来なかった時点で。知れているのだ。

「気に入らない事があるならいってごらん?」

「……もう双子は完全に壊れているわ。 一万回も繰り返して、双子を散々痛めつけて、もう充分でしょう? このような事からは解放してあげられないかしら」

「今更何を。 駄目に決まっているでしょ」

「……っ!」

人材が代わりにいるならば解放しても良い。

賢者の石を作って、パルミラに謁見すれば、もうその時点で人間を完全に止め、理から外れる事になる。まだ中途半端な現在の状態では、ソフィーがちょっと手を入れればある程度まで人間に戻る事は可能だ。

だが現実問題として人材はいくらいても足りない。

今回ルーシャが異様な成長を見せているのも、殆ど偶然に等しい。

ましてやプラフタが人間に戻る事が出来た結果、超越級錬金術師を八人確保出来るかも知れないのだ。

こんな周回はまずあり得ない。

ましてや二人も超越級錬金術師を捨てる事は。

それこそ、可能性を放棄することそのものだ。

「ね、イルメリアちゃん。 ひょっとして、人類はこのまま滅ぼした方が良いと思っている?」

「そんな事は……」

「可能性を模索してみたいのはあたしも同じだよ。 イルメリアちゃんはそろそろ、人間性なんて捨ててしまう方が良いと思うけれどな。 億年単位で人間を見てきて、それでもまだ人間性に期待しているのは正直理解に苦しむよ」

「貴方のような、生まれながらの怪物には分からないわ」

拳を固めるイルメリアちゃんだが。

青ざめてはいても。それまでだ。

余計な事をしても無駄。

時間を戻して対応するだけだ。

場合によっては拘束する。

元々イルメリアちゃんとは同じ超越級錬金術師でも、経験も才覚も違う。絶対に勝てないのはイルメリアちゃんもよく分かっているはず。事実、今回も愚痴をいいには来たが、戦いには来ていない。

「じゃ、試験の準備があるからこれで」

「……これを見て」

「ん?」

資料を受け取る。

どうやら、独自のルートでイルメリアちゃんが調べていたものらしい。

パルミラが提供してくれた、今までの周回のデータについてある。その周回の中には、まだ調べきれていないものもある。

とはいっても、億年単位で調査しているのだ。

可能性がありそうだった周回についてのデータは、全て精査しているのだが。

今更新しい発見があったのなら、それはそれで興味深い。

「ごく初期にパルミラが行った実験の一つよ。 人間四種族で、互いに交配できるようにして、なおかつ混血をしないようにしたケースの一例」

「ああ、実験的に後に取り入れられたものだね」

そう。

獣人族がそれだ。

獣人族は、元々は多数の種族で成り立っていて、そもそも混血が起きなかった。犬顔の獣人族と猫顔の獣人族は混血しない。

そういうものだった。

だがパルミラが手を入れたことにより。

獣人族は、それそのものが一つの種族となって、混血が可能となった。

強く出る獣の性質に関してはヒト族の血液型のように、遺伝上で一番強い種が強く出るようになった。

要するに兎顔の獣人族は。

兎獣人族の血が、一番強く出ている、と言う事だ。

これは最初の頃、試験的に世界を回していたときに。

獣人族の何種かが、どうしても遺伝子プールの足りなさから衰退して滅びてしまうケースが相次いだからである。

また、ヒト族の繁殖力が高すぎる事もあって。

どうしてもヒト族が他の種族を迫害して、虐殺する展開になりがちだった。

コレを防ぐためにパルミラは様々な工夫をしたのだが。

その一つが、獣人族の遺伝子改造である。

ケンタウルス族も含めて、獣人族は交配可能なのだが。それはパルミラが手を入れたためなのだ。

今では深淵の者しか知らないことではあるが。

なお、全ての種族で混血可能にした例もあったが。

この場合はヒト族が他の種族を奴隷化するケースに更に拍車が掛かったため。

二三十回でストップしている。

その一つのデータだが。

何か、今更新しい発見があったのだろうか。

「見直してみたところ、面白いデータが見つかったの」

「ふうん……どれ」

ソフィーとしても、自分は完璧な存在であるなどと思った事はない。ミスだって見落としだってする。

だから、資料が出てくれば素直に嬉しい。

ただでさえ2700京年分の調査資料だ。

見落としがあるのは当然だし。

自分以外の人間が、見落としを見つけて指摘してくるのは大歓迎だ。

イルメリアちゃんが探し出してきた資料は。

少しだけ興味深かったが。

それ以上でも以下でもなかった。

「あまり興味は惹かないかな」

「……双子は恐らくこうなるわよ」

「その場合はちょっと手を入れればいいだけだよ。 過去の失敗例があるならば、それに基づいて修正をしていけばいい」

「貴方は……人をどれだけもてあそべば気が済むの!」

資料によると。

別種族で混血が行われた場合、どうしても思想の違いから上手く行かず、家庭が崩壊するケースが幾つもあった。

その中の一つ。

双子の家庭に似たケースがあったのだ。

そして、その家庭で育った子供は。

最終的に最悪のシリアルキラーとなった。

世界に災厄だけをもたらす存在となったのである。

まあ、資料だけは見ておく。

資料をイルメリアちゃんに返すと、記憶の片隅にだけ。完全にシリアルキラー化する危険性を留めて。

ソフィーは計画の最終段階を予定通り進める。

イルメリアちゃんはしばし何か言いたそうにしていたが。

やがて戻っていった。

すっと現れたのはティアナちゃんである。

「監視しますか、ソフィー様」

「放置で。 それにティアナちゃんでは勝てないよ」

「……それは分かっていますが、監視がついていると分かるだけでも意味があると思います」

口を尖らせるティアナちゃん。

流石にこの子でも、今のイルメリアちゃんには勝てない。

文字通り人斬りの究極完成型であり。剣士という職業に関しては最大適正を持つティアナちゃんだが。

それでも無理なものは無理だ。

監視はソフィーがやればいい。

不満そうなティアナちゃん。

それはイルメリアちゃんの首をコレクションに加えたいという気持ちは分かるが。それをさせては駄目である。

人材は幾らでも必要なのだ。

幸いティアナちゃんは、ソフィーのいう事なら絶対に聞く。

自死しろと言えば即座に自分の首を刎ねるだろう。

それはもう完全に狂人の域かも知れないが。

有能な狂人であるのも事実なのである。

一芸に特化していれば、人材としては充分なのであって。

ティアナちゃんに必要なのは、剣腕である以上。他の人間との意思疎通とか、料理だとか、書類仕事だとかは別に出来なくても良い。ソフィーは完全にティアナちゃんを把握しているので、それで充分だ。

さて、準備を幾つかしておく。

試験までの間に、双子がどれだけの準備をこなせるかも確認しておく必要がある。

双子がSランクへの昇格を果たしたら。

最後は賢者の石の作成だ。

ルーシャちゃんが賢者の石を作れるかは、ほぼ不可能だとも思うのだが。今回の展開なら、或いはあり得るかも知れない。

才能が全ての学問、錬金術。

その才能が、何に依存するかも分かっている。

だが、ルーシャちゃんは現時点で、その過去事例を超えてきている。極めて珍しいケースだ。

ならば観察する余地はあるというものだ。

幾つかの準備を終えた後、自室をソフィーは後にする。

試験当日までに。

まだやっておくべき事が、幾つかあるのだ。

 

イルメリアは鼻を鳴らす。

あれだけ挑発してやれば、ティアナがしかけてくるかと思ったのだが。ティアナは結局ソフィーのいう事を忠実に聞いた。

彼奴は本物の狂人だが。

同時にソフィーはその手綱を完璧に握っている。

有能な人材の生かし方に関しては、ソフィーの方がイルメリアより上だ。これは悔しいが、認めなければならない事実である。

ティアナがしかけてくれば、それを理由にソフィーに対して計画の変更を持ちかける事も出来たのだが。

そうもいかなくなったか。

双子の痛々しい壊れ方を見ていると。

どうにかしてやりたいという気持ちが強い。

フィリスの時はどうにもできなかった。

賢者の石を作った後。フィリスの精神崩壊は加速した。今ではすっかりソフィーと同じレベルにまで壊れている。

双子は更に精神が弱い。フィリスのように正義感が強かった訳でもなく、強烈な目的意識があるわけでもない。

あの二人に賢者の石なんて作らせたら。

もっととんでも無い事になる可能性もある。

双子を直接育ててきたイルメリアだから分かる。

何度も世界をやり直し育てる過程で、双子に色々と教え込んできたからこそ分かっている。

スールは選民思想に近い考えを持つようになって来ているし。

リディーは人間そのものを全て並列化しようとしている。

今までの周回でも。

ファルギオルに勝てなかったが。育てている過程で、どんどん人間そのものに対する不信感を強くしていくのは観察していて分かったし。ただそうとしてもどうしようもなかった。

むしろ途中からは、それもまた考え方の一つだから良いと、ソフィーに干渉を止められた。

そして懸念は現実と化した。

ファルギオルを打倒した後、双子の思想は更に先鋭化している。

双子は「みんな」と称しているが。いずれにしても、極めて強烈な平均的な人間への憎悪を持つようになって来ている。

確かにこの世界を詰ませているのは、平均的な人間の愚かしさではある。

だがイルメリアは可能性を見いだしたいのだ。

全ての人間を洗脳同然で操作したり。

精神を接続して一つの個体にするようなやり方はどうしても納得出来ないし、やりたくもない。

このまま人間を野放しにするのは最悪の悪手だ。宇宙に出て他の文明と接触したとき。最悪の惨禍を巻き起こすのは確実だろう。

何かしらの強烈な管理しか策は無いのかも知れない。

無責任な人間賛歌はイルメリアだって感心できない。

だが、それでも可能性を探したいのだ。

別の方向から。

ため息をつくと、双子の様子を見に行く。とはいっても、上位次元から、だが。

ヴェルベティスを作っている様子だ。

ギフテッドをフル活用している。

スールはまだギフテッドになれておらず、時々かなり苦しそうにしているが。それでも調合の質は相当に上がって来ている。

あれならば、特に口を出す必要もないだろう。頼まれない限り、もう助ける必要はない。

フィリスが様子を見ていたので、呆れて声を掛ける。

フィリスもまた、別の上位次元から双子を観察していた。

「何をしているのよ」

「ん、データ取得」

「何の?」

「イルちゃん気付いてない? 双子、欲求が殆ど無くなってるよ」

あ。

そうか。

青ざめる。

そういえば、双子の思想は極めて先鋭的だ。そして人間を止めつつある今、その体に、どんどん影響が出る。

恐らく性欲は近いうちに消滅するし。

食欲や睡眠欲もしかり。

栄養の完全吸収が出来るようになれば、多分排泄欲も消える。

例えば、最初の頃、スールはマティアスにある程度好意を持っていたようだが。今はすっかりそれも消え果てている。マティアス自身には敬意を払っているが、現時点では生殖の相手とは見なしていない様子である。

それが欲求が消失するレベルでの肉体変化の結果とは、盲点だった。

不覚である。

まさか、フィリスの方が、その辺りをよく観察していたとは。

「少し資料を見せて」

「良いけれど、イルちゃんずっと双子見てたでしょ?」

「別の視点からの資料も必要よ」

「ふふ、その辺りソフィー先生とそっくり」

愕然とするが、フィリスはによによと笑うばかりである。不覚だが、確かにその辺りは、ソフィーの影響を受けていることを認めざるを得ない。自分の欠点は認めなければ、克服も対策も出来ない。

客観的にものをみなければ。

解決の糸口など見つからない。

かろうじて人間であろうとしているイルメリアも。それは分かっているから、余計に口惜しい。

フィリスの資料は相変わらず豪快だが、その代わりとにかくわかり安い。

ため息をつくと、フィリスに資料を返す。

「どう、わたしの資料」

「良く出来ているわ。 悔しいけれどね」

「そっか。 イルちゃんは、双子にちょっと入れ込み過ぎなんじゃないのかな。 教育係としてずっと見てきたから、愛着が湧くのは分かるけれどさ」

「貴方だって、エスカは可愛いでしょう?」

小首をかしげるフィリス。

そうか。

可愛がっているのはもう見た目だけか。

「エスカちゃんへの入れ込み方と、ちょっと違うと思うけれどなー」

「今ので分かったわ。 貴方、エスカには何も期待していないのね」

「才能が打ち止めなのが分かりきってるからね。 弟子としては大事だと思うけれど、世界を変えられるほどの人材では無いね」

「……もう良いわ」

やはり、双子をこの世界に引きずり込みたくない。

イルメリアはそう思う。

あんなに正義感が強く、世界の理不尽に怒っていたフィリスが、此処まで変わってしまったのだ。

破壊の神は。

創造の側面をイルメリアに譲り。自分はあくまで既存のルールを破壊するための手段とあろうとしている。

それが世界の詰みを打開するためだとしても。

やはり比翼の友の変わり果てた姿をみて。

イルメリアは、悲しまずにはいられなかった。

だが、もはやどうしようもない。

双子が賢者の石を作れば、その時から、最後が始まる。

世界の詰みを打破できればいい。

出来なければ、人間はこの閉じられた世界で、永久に試行錯誤の実験台にされ続けるだろう。

それも善意での。

そして人間では、ソフィーには絶対に勝てない。

全員が束になっても勝ち目は0。

パルミラほどでは無いが、ソフィーの実力は、もはや全力状態のファルギオルでさえ、思考だけで滅ぼせるほどのものなのである。

自分のアトリエに戻る。

無言でアリスが茶を淹れてくれたので、しばし思考を停止して、茶を嗜む。

どうやらいい茶葉らしいが。

新しさや驚きはない。

ありうる茶葉は、全て飲み尽くした。

「アリス、一つ良いかしら」

「はい」

「もしも世界の詰みが打破できたら、何をしてみたい?」

「私はずっとイルメリア様のおそばに仕えてきました。 今後も、その意に沿って動くだけです」

そうだろうな。

アリスの正体が、ソフィーが送り込んできた本来の意味でのホムンクルスである事は分かっている。

だが、それ以上に。アリスには多く助けられたし。今後もそばにいてくれれば助かる。

客観的に見て、イルメリアは情を他人に掛けすぎるのだ。それは明白な欠点である。

アリスに対しては、捨て石と割切るべきだし。

双子が壊れることを悲しむのでは無く。超越級の錬金術師が増える事を喜ぶべきだ。

だが、どうしても割切ることが出来ない。

イルメリアは思考を巡らせるが。

もはや、万策は尽きているとしか思えなかった。

 

3、究極の布と

 

機織りに出したヴェルベティスが戻ってくる。同時に、N/Aの試験が完成した。ヴェルベティスの検証はリディーに任せて。スールは切り札であるN/Aのチェックを徹底的に行う。

これならば、生半可なドラゴン、少なくとも下級なら理論上苦労せずに倒せる。

問題は、これがきちんと爆発してくれるかどうか。

残念だけれど、試験するほどの余力が無い。

実戦で試すしかない。

最悪の場合、誤爆して自滅する可能性さえある爆弾だ。あまりにも火力が大きすぎるので、下手な使い方をしたらそれこそ何が起きてもおかしくない。

だが、声を聞く限り。

N/Aは完成している。

ギフテッドが出てから、この声が嘘をついたことは無い。少なくとも、調合した品が嘘をつくことは一度もなく。声に従って調合を行えば、完成品の品質は確実に上がった。その実績もある。

大丈夫だと判断。

今度はそれぞれ交代。

リディーにN/Aを見てもらい。

スールがヴェルベティスを確認する。

いわゆる反物の状態で上がって来たヴェルベティスは、美しい上品な紫色で。軽く柔軟でとても強く。

モフコットで挟んで服の裏地にするには、充分だった。

後一週間。

これをリディーとスール、アンパサンドさんとマティアス、それにフィンブル兄の分は作り。

そして、最後の試験。

黒い絵の攻略に望む。

幸い、皆の採寸は前にこなしている。

後はお裁縫をするだけだが。案の定、ヴェルベティスは尋常な強度では無く、ちょっと触るだけでその凄まじさが分かった。

触っていて熱くなってくるほど、凄まじい魔力を発している。

これは、もはや神域の布。

国宝になるわけである。

このような代物、とてもでは無いが生半可な錬金術師には扱えない。

ハルモニウムを作れる錬金術師は、本来一世代に一人出るかどうかだという話をされた記憶があるが。

ヴェルベティスもそれは同じだろう。

「スーちゃん、これで大丈夫だと思う」

「使わないで済む事を祈ろう」

「うん……」

この間、お父さんの絵に出たレンプライア。五体それぞれが、とんでもなく強かった。それぞれがまともに食らったら即死上等の攻撃と、生半可な攻撃では傷つかないインチキ同然の防御。それに明確な戦略を持って襲いかかってきた。

彼奴らは王では無い。

レンプライアの王となると、邪神並みの強さを持つ可能性が極めて高い。

そして、恐らく不思議な絵の具による世界の塗り替えでは、倒しきるのは不可能だろう。他の世界に侵食する可能性がある、というのだから。

或いは、多少は力は弱められるかも知れないが。

多少、だ。

黙々と、ヴェルベティスの加工に入る。先にモフコットの方を弄る。これについては、スールがやる。

今でも、一度やった事を繰り返すのは、リディーより得意だ。

お裁縫そのものはそれほど得意ではないけれど。

何度も錬金術の装備品を作っている内に、嫌でも慣れた。

生活がカツカツなのが問題だが。

お父さんが食糧は買ってきてくれるので。かろうじて生きていく事は出来る。勿論お父さんの稼ぎに手をつけるほど落ちてはいない。

お父さんはハルモニウム釜を使いたいと言ってきたので。

快諾。

今はしばらくヴェルベティスの加工にかかりっきりになるし。

その間、お父さんがハルモニウム釜を使う事には、何ら問題は無い。

勿論大事な調合の時はどいて貰うつもりだけれども。

しばらくは必要ない。

お薬も爆弾も足りているのだ。

国への納品はしばらく先。

その納品分も、既に調合し終えている。

昔のスールだったら、考えられない事である。

ダラダラギリギリまで作業を引き延ばして。

締め切り寸前に、泣きながら徹夜で調合をしていたことだろう。

ルーシャは。

今、どうしているだろう。

忙しすぎて、様子を見に行けない。

ハルモニウムを作る事が出来たのだ。ヴェルベティスも作れるかも知れない。だが、兎に角危険な調合だ。

大けがをするかも知れない。

ずっと無理ばかりさせてしまった。

お父さん以上に悲しませていたと思う。

今となっては後悔しかないし、哀しみしかない。最近では、深淵に落ちたリディーとスールを見て、いつもルーシャは悲しそうだし、何より諦観してしまっているのが一目で分かる。

もう、引き返せない。

だからこそ、負ける事も出来ない。

黙々と調合を進めて、それぞれの衣服の裏地を作る。

ヴェルベティスは間違っても、服の表地にする事は出来ない。

ヴェルベティスを知っている一般人がそれほどたくさんいるとは思えないのだけれども。

それでも、あまりにも見せびらかすには危険な品だからだ。

型どり終わり。切り取りも終わる。

ただし、ヴェルベティスの切り取りだけで数日かかった。

後は縫い合わせだけだが。これも苦労するのが目に見えている。

最初の縫い合わせはリディーに譲り。スールは余ったヴェルベティスを使って、装備品の強化が出来そうなものなら強化していく。

ハルモニウムの余りも少しあるので。

装備品を更改できるなら更改し。修正できるなら修正する。

頑強に、ひたすら強くし。能力強化の倍率を上げていく。

レンプライアの支配者がどれほどの強さか分からないのだ。更に言えば、Sランクの試験の相手である。

準備はどれだけしても、足りないと言う事は無い。

リディーが、あっと思わず声を上げる。

見ると、指先がかなり派手に出血していた。

ヴェルベティスの縫い込みの途中で、力の加減を間違えたらしい。薬を塗り込んで、すぐに傷を埋めるが。

リディーはしばし、呆然と指先を見ていた。

「かなり難しい?」

「うん。 声のする所から少しずれたらこうなって……」

「ちょっと洒落にならないね」

「これは危ないよ。 もう少し力が入っていたら、指が無くなっていたと思う」

ハルモニウム以上に危ないかも知れない。

それにしても、裁縫で指が飛びかけるとは。

金属加工は、超高熱もあって、昔はイル師匠立ち会いの下でやっていたほどだったし。危険性も良く理解出来た。

しかしヴェルベティスは布だ。

金属加工と同レベルの危険性を持つと思わなければならないだろう。

しばらくは、装備品の調整をして。

それから、リディーの作業に加わる。

アドバイスを受けながら、裁縫をしていく。ギフテッドを使って声を丁寧に聞かなければならないので、兎に角大変だが。

それでも、下手をすると指が飛ぶという言葉を聞くと。

真剣にならざるを得なかった。

深呼吸すると、丁寧に縫い込んでいく。コレを直接着込む勇気は無い。危なくて出来たものではない。

イル師匠やフィリスさんなら、最大限強化したヴェルベティスを直接着ても平気かも知れないが。

まだリディーとスールでは到底その領域には行けないのだ。

「よし、出来た……」

「リディーの?」

「うん。 まず、自分で着て確認してみる」

「気を付けてね」

リディーは頷くと、衝立の奥に消える。

スールは黙々と自分の分から縫う。

下手をすると、着た瞬間ミンチどころか液体になるような布だ。裏地に仕込む際も、前後にモフコットを挟まないと、危なくて仕方が無い。

まもなく、リディーが戻ってくる。

思わず、息を呑んだ。

コレは凄い。

魔力が立ち上っている。ヴェルベティスを服の裏地に縫い込んだだけなのに。こうも凄まじい効果が出るのか。

ハルモニウムの杖、リディーのための杖であるブルームスパイラルを手にした時と、同レベルの強化が掛かったのが一目で分かった。

確かに国宝になるのも納得だ。

この布の凄まじさは、尋常では無い。

だが、これを着ていても、まだ不安は残る。

相手は邪神並みの実力である事を前提にする。

前に戦ったファルギオルも、中位の邪神も、不思議な絵の具で徹底的に弱体化させてようやく勝ちが拾えたレベルだったし。

しかもファルギオルに至っては完全に病み上がりだった。

「リディー、格好いいね。 なんというか……」

「もう人間じゃない感じ?」

「うん……」

「スーちゃんも早く作って。 これを着られれば、多分ようやく……本当の意味での第一歩が踏み出せると思うから」

頷く。

そして、黙々と作業を続けた。

 

お父さんがアトリエに戻ってくる。かなり疲弊した様子だったが、多分お母さんの絵に何かしていたのだろう。

絵の具の臭いがするし。

何だか強い魔力も感じる。

貸した装備品で魔力のパンプアップをしているようなのだけれど。それだけが原因だとは思えない。

ヴェルベティスの裏地は、リディーの分が出来た後、スールの分、アンパサンドさんの分、マティアスの分が出来て。今はフィンブル兄の分を作っている所だ。

そのフィンブル兄の分も大体仕上がってきたので。作業には若干余裕がある。

だから今日は夕食をちゃんと作る。スールがやると食材を無駄にしてしまうので、リディーにやってもらう事になるが。料理は出来なくても、お手伝いくらいはする。

一応食材はそれなりにある。

ただ資金がすってんてんなので、次の納品がおわるまでは、贅沢は厳禁だ。余った装備品も、殆どは納品してしまったし。今お金に換えられるものがない。お父さんの方の状況は分からない。コンテナは別で使っているし、素材の在庫も分からない。

食卓を囲むと。スールは、お父さんに確認をする。

「お父さん、やっぱり絵に何かしているの?」

「……そうだ。 ちょっとまだ、色々と修理が必要でな」

「まだ修復は完璧ではないんだね」

「リディー、スー。 夕食の前にこれを渡しておく」

握らされたのは、ネックレスだ。

プラティーン製だが、かなり強い効果を感じる。

お父さんが作ったものだろう。

リディーとスールの分で、それぞれが違う。

リディーのは魔力の増強特化。

スールのは、身体能力の強化特化のようだった。

「黒く染まった絵の奥にいるレンプライアの王が、試験の対象らしいな」

「うん。 知っているの?」

「兄貴から試験内容については聞かされた。 もう俺が知ったところでどうにもできないし、知らせても良いと判断したんだろう。 レンプライアの王に関しては、ずっと昔に、見聞院で資料を見たことがある。 他の絵のコアにまで影響を与える強力なレンプライアで。 実力は下位の邪神に匹敵し、以前討伐がラスティンで行われたときには、十人以上の手練れの錬金術師が命を落としたそうだ」

此処で言う手練れというのがどれくらいの実力者なのか。

ドラゴン退治が出来る錬金術師とは思えない。

せいぜい弱めのネームドを数体狩ったくらいだろう。

ただ、ラスティンの錬金術師のレベルが、アダレットより高いこと位は分かっている。ただし、同時に邪神の計り知れない実力も、だ。

実際に戦ってみて分かったが、今のリディーとスールの地力では、弱体化が掛かっていない下位の邪神に勝てるかかなり怪しい。

ルーシャとパイモンさんも手伝ってくれるのは有り難いのだけれど。

パイモンさんは、本当の所何を考えているのだろうか。

伸ばせるところまで力を伸ばしたいと本当に考えているのか、少し疑問なのである。

スールから見て、あの人はアンチエイジングまでして、今余生を楽しんでいるというにはちょっと厳しい印象を受けるのだ。

悠々自適の好々爺という印象よりも。

自他共に厳しい求道者というイメージの方が強い。

戦闘での手だれぶりはとても頼りになる。

最近聞いたのだけれど、フィリスさんやイル師匠と共に苛烈な戦いをくぐり抜けてきた歴戦の錬金術師らしく。

確かに強いのも納得出来る。

だけれど、そんな人がどうしてアダレットに来ている。

多分深淵の者関係者なのだろう事は分かるけれど。それはそれとして、あの人の真意は何処にあるのか。こういう土壇場で、何かトラブルにならないだろうか。

少し考えてから。考えを横にどける。今は、猜疑心に捕らわれている場合では無い。まずは、この大事なプレゼントを試すべきだ。スールはさっそくお父さんのネックレスをつけてみた。確かにかなり強い効力がある。

Aランクアトリエ待遇を受けているのは伊達では無い。

お父さんが作った渾身の一作だろう。確かにこれは頼りになる。或いは、お母さんと会えたことで、奮起したのかも知れない。

お父さんを侮っていた昔のスールはもういない。

「うん、いいよこれ。 お父さん、有難う」

「リディーもつけてくれるか」

「うん。 ……似合う?」

「ああ。 俺の自慢の娘達だ」

そうか、そういう意味もあったのか。

わざわざネックレスにした意味も分からなかったのだが。そういう観点でのプレゼントでも、まあ嬉しい事は嬉しい。ただ昔ほど新鮮な喜びは無い。どんどん感情が薄くなっている今、少しだけ嬉しいと感じただけだ。

食事を終えると、明日からの事を軽く話す。

お父さんはまだしばらく忙しいらしい。お城での作業もあるし、お薬も納品するつもりの様子だ。

現役復帰したお父さんが加わって、このアトリエはマーレン家のアトリエとでもいうべきだろうか。一線級の錬金術師が三人になったのだから、ラスティンから声が掛かっても不思議では無い。

ただ、そもそも国のお仕事を基本的に受けているアトリエだから。

商売気に関してはあまり感じられないかも知れない。事実、一般人が見に来たことは殆ど無い。

「ねえ、お父さん。 やっぱり一番の孝行は生きて帰ることかな」

「当たり前だ。 だからこれを渡したって意味もある。 本当は嫁入り道具にでもと思ったんだが……その線はもう無さそうだしな」

「……有難う、お父さん」

「勝てよ」

頷く。これを貰ったからには、負ける訳にはいかない。リディーはずっと黙り込んだままだったけれど。

肘で小突くと、頷いていた。

リディーの方が、感情の希薄化が早い。それは分かっている。深淵を先に覗いたのもリディーだ。壊れるのだってスールより早いに決まっている。それも、より深刻にである。

お父さんは食事を終えると、さっさと休むと言いながらも、地下室に行く。軽く研究してから練るつもりなのだろう。

スールは頷くと、裏庭で軽く体を動かす。

アンパサンドさんほどではないけれど、今なら自衛くらいは十分できる。三傑みたいに裏拳一発で奇襲を仕掛けて来た強力なレンプライアを赤い霧にするような真似は出来ないけれど。

少なくとも、今低ランク帯のアトリエをやっている錬金術師よりは強くなった。

これは驕りでは無い。

単なる客観的な事実だ。

同時に、強くなったと言っても、三傑から見ればゴミクズに等しいし。前衛の支援が無ければ力を発揮しきれない。これもまた、客観的な事実だ。

今回もアンパサンドさんの足を引っ張ったり、フィンブル兄とマティアスの連携を阻害しないように頑張らないといけない。

リディーは黙々と休みに入る。

前は眠る前に二言三言会話する事も多かったけれど。

もう、最近はそれもほとんど無くなった。

自分がどんどん機械的になっている事を理解はしているが。それはそれでもう仕方が無い。こうなった以上、これから何をするかが重要だ。

少なくとも、次の戦いは。絶対に生きて帰らなければならない。

お父さんに対する親不孝にもなるし。何より、レンプライアの王を定期的に駆除しなければ、お母さんにも直接ダメージが行く。

あんな状態になっているお母さんだ。レンプライアの王の悪影響が、どんな形で出るかまったく分からない。

負けられないのだ。

眠って、起きる。

すっきり起きられると言うよりも、もう体が睡眠という機能をこなして、起きているだけに思える。

黙々と作業に掛かる。

後、フィンブル兄の服の裏地を繕えば準備は大体完了だ。目標の準備を終えて、後は追加で出来る事をすればいい。

フィンブル兄が、リディーとスールを見て、複雑な顔をしていることに。リディーは気付いているだろうか。

とっくに壊れてしまっていることに、フィンブル兄は気付いている。

兄貴分として慕った相手だ。向こうもスールの事を心配してくれていたし。それについては心も痛む。だから、一緒に生還したい。

リディーはどう思っているか分からない。

今までとは比較にならない程綺麗な連携をとれるようになってはいるのだけれど。

それとこれとはまた話が別。

もう、既に。

心の大部分は、何処かに消えてしまっていた。

心が通じ合っていれば、連携が上手く行く何てのは大嘘だ。昔のリディーとスールは、それこそ互いの考えている事が何でも分かった。

だが、だからといって連携して動けたかというとそれは別の話で。

調合で連携して動くのは、あまり上手にはやれなかった。

今は逆に、戦闘でも調合でも、連携して動く事は以前とは比べものにならない美しさで出来るけれど。

心は其所には介在していない。

「みんな」が嫌いになった事も同じだが。

リディーとはその後どうすべきかの方法論が違ってしまっているし。

今後のビジョンも違ってしまっている。

いつの間にか、心が真っ黒な闇の中にいる事に気付く。スールは、それでも、特に寂しいとか、怖いとかも。

感じなくなっていた。

作業を仕上げ終わる。

リディーももうコツを掴んだようで、一度の怪我以降は、特にミスをする事はなかった。スールもそれを見て、同じように出来るようになった。リディーより、かなり時間は掛かったけれど。

手分けして、それぞれ渡しに行く。

マティアスとアンパサンドさんの方は、リディーが。

フィンブル兄の方はスールが。

それぞれ打ち合わせなくても、そのまま動く事が出来る。

フィンブル兄はいつものように酒場にいて。珍しく、傭兵の仲間と飲んでいるようだった。軽く、だが。

既に王位継承の後のお祭り騒ぎは終わっている。

傭兵は常に仕事があるわけでもない。

フィンブル兄は、リディーとスールが専属で護衛として雇うようになってから、かなり経済的に余裕ができた様子で。

鍛錬をしない日は、日中から飲むこともあるようだ。

他の傭兵は、やっかみの目を向けてはいない。

錬金術師の護衛。

それを聞くだけで、ああと分かるらしい。

元々傭兵は使い捨てだ。

しかも、ネームドや、下手をするとドラゴンとも戦う錬金術師の護衛。しかも相手は噂の「雷神殺し」。

それは真似をしたいなどとは、誰も思わないだろう。

酒を飲んでいる傭兵仲間も、スールを見ると、さっと引くのが分かった。単純な恐れが伝わってきた。

「スー、どうした」

「フィンブル兄、これ。 服の裏地につけてきて」

「前のとは……違いそうだな」

頷く。

酔い覚ましを飲むと、フィンブル兄は、戦闘用の服の一つ(とはいっても、皮鎧の下につけている一種の下着だが)を持ってくると。裏地を受け取り、一緒に仕立屋に出向く。

一応、仕立てられるように、穴は何カ所かに開けてある。

仕立屋には、その辺りを説明しなければならない事は、途中で一緒に歩きながら、フィンブル兄に伝える。

頷くと、フィンブル兄は、周囲を見てから言う。

「これが、例の奴か」

「うん。 ヴェルベティス」

「楽しみだ」

仕立てそのものは、それほど時間は掛からない。仕立屋は、嫌に頑強な布だなと小首をかしげていたが。モフコットくらいは流通しているはずだ。ヴェルベティスをモフコットで挟んでいるので、正体にはすぐには気付かない筈。気付いたところで、盗んだりすれば即座に分かる。

ものの価値が価値なので、その場で相当な重罪になる。

ましてや、雷神殺しの錬金術師から、逃げられるなんて思いはしないだろう。

とはいっても、ヒト族の仕立屋だ。どんな風に魔が差すかは分からない。作業中、フィンブル兄と話しながら、気配は探り続ける。

仕立屋は、或いはフィンブル兄と一緒にスールが来た事で、何かあると悟ったのかも知れない。

さっさと、出来るだけ早く帰ってもらいたいのか。

大急ぎで仕上げてきた。

そのままフィンブル兄に試着してきて貰う。

皮鎧を着て戻ってきたフィンブル兄は、ハルモニウム武器を手にした時のように、もの凄く満足そうだった。

「い、如何でしょうか」

「悪くない。 受け取ってくれ」

「は、はい……」

怯えている店主に、フィンブル兄がかなり気前よく払う。

悪くないどころか、大満足している様子だが。

それを伝えてしまうと、余計な気持ちを起こさせかねないと判断したのだろう。

まあ流石に、荒くれの傭兵達の住処に踏み込む賊は、少なくとももういないとは思う。ある程度以上の実績や力を持つ賊は、既にアダレットからは掃除されてしまっているからだ。

「これは倍率が強烈すぎて、少し慣れるまで時間が掛かるな。 今度の試験で出るまでに、何とか慣れておく」

「うん。 フィンブル兄、これで何とでも戦えそう?」

「流石にドラゴンやネームドが相手になってくるとかなり厳しいな。 邪神が相手になると、これでも油断は出来ないだろう」

「うん、それを聞いて安心した。 俺は無敵だとか言い出したら、流石に困ったよ」

その時は、流石にスールも真顔になっただろう。

たまに、分不相応な装備を手にしてしまった使い手が、おかしくなる事がある。そのおかしくなる仕組みは、スールも、自分専用の銃であるスール・ザ・スターを手にした時に嫌と言うほど理解出来た。

だが、もうそもそもハルモニウムのハルバードを手にした事で、フィンブル兄には耐性もあったのだろう。

急激に上がった力に対して、特に心を狂わされることは無かったようだった。

声を落として、聞く。

「フィンブル兄は、深淵の者にもう所属するの?」

「ああ。 結局はそうすることにした。 それが一番良さそうだからな」

「やっぱり、待遇とかはいいの」

「雲泥だ。 深淵の者には恐ろしい使い手が揃っているが、それも納得した。 誰も使い捨てにしないし、専門の講師がそれぞれの得意分野を伸ばす事を中心にした教育制度を完備している。 世界の影に動く組織という事で、いざとなったら捨て駒にされることを警戒していたんだが、それはないな」

それを聞いて安心する。

勿論、場合によってはリディーとスールを従えるための人質にしたりもするのだろうけれども。

それでも、フィンブル兄が今後困る事は無さそうだ。

ましてやハルモニウムの武器と、ヴェルベティスの守りを手にしたフィンブル兄である。

好待遇だろう。

そして、本業は王族専門の騎士として、高給取りにもなる筈。

いずれにしても、将来は安泰だ。

勿論場合によっては汚れ仕事もしなければならないだろうが。

それは傭兵なら当たり前の事で。

昔と変わる事では無い。

後は軽く打ち合わせをした後、戻る。リディーも戻ってきていた。

裏庭で、リディーは杖の力をフルに引き出すために、魔術の練習をしていた。魔術に関しては飲み込みが早いリディーが、練習をしているのは珍しい。

マティアスとアンパサンドさんに渡してきたかを聞きながら。

スールも自分でうねうねと動いて、鍛錬をする。

無駄がなくなってきているのは分かるが。

まだ完璧じゃあない。

更に体を完璧に動かせるようになって。

もっと勝率を上げなければならない。

体内の筋肉は、自分の意思通りに何て動かない。そんな事は、昔は知る事さえ出来なかった。

アンパサンドさんに、このうねうね動く奴を教わってから、やっとそれを知った。

「二人とも、満足そうにしていたよ」

「そっか。 リディー、その魔術さ、前から思ってたんだけれど、複数同時に発動できたりしない?」

「うーん、例えばこの魔術を100とするでしょ。 他の魔術を一緒に発動すると、200の消耗で、それぞれ25ずつしか効果を発揮できない感じなんだよね」

「ああ、それなら一つを発動した方がいいのか……」

リディーは頷くと。

詠唱や魔術発動そのものを工夫して、消費の軽減や発動までの時間短縮には務めていると答えてくれる。

なるほど、それならスールも。

メテオボールを取りだすと。

軽く何回か蹴った後。

上空に全力で蹴り挙げる。

空気の壁を六枚ぶち抜くと、上空の雲が綺麗に円形に消し飛んだ。

しばしして、メテオボールが落ちてくる。

竜核を中心に使っているスールの必殺武器。消耗も前に比べて小さくなっているし。正確性も申し分ない。

残る時間はわずか。

二人でああでもないこうでもないといいながら、調整を続ける。

もう二人の心は、昔のように通っていないかも知れない。人間を止めてしまって、「人並みの幸せ」とは無縁かも知れない。

だが、この時間は。この時間だけは。前とは、変わらなかった。

 

4、決戦へ

 

王城に出向くと、皆集まっていた。

もうだいぶ騒ぎも落ち着いたので、受付で待たされることもない。応接室で、打ち合わせをする事にする。

錬金術師はリディーとスール、ルーシャ、パイモンさん。

全員が、Sランク試験の受験者だ。

パイモンさんは、まだやれるかも知れないと言う考えでこの試験を受けるらしい。

雷神の石の火力は凄まじいし、的確な判断で格上相手の戦闘でも慌てないとても頼りになる人だ。

才能がものをいう錬金術で。

一度は諦めた高みに、まだ挑戦しようと試みる。

その心意気は凄いと思う。

ましてやパイモンさんは、アンチエイジングを使っているとは言え、実質上老人なのである。

今はスールも、老いはまず頭から来る事を知っている。

この人は、老いても根本的な所が衰えていないのだ。

なお奥さんとは死別しているらしく。再婚は今後するつもりはないらしい。

この辺り、達観しているというか。

或いは、アンチエイジングで摂理を曲げているが故の行動なのかも知れない。

護衛は、アンパサンドさん、マティアス、フィンブル兄。オイフェさん。

全員が、前とは桁外れの力を放っている。

特にオイフェさんは、いつも使っている戦闘用のナックルをハルモニウムに新調したらしい。靴先にもハルモニウムを仕込んでいる様子である。

インファイターとして、恐らくこれで完成したはずだ。

そして、部屋に。

すっと、音も無く入ってくるソフィーさん。

それだけで、空気が変わった。

フィリスさんは半分遊んでいる雰囲気があった。破壊神と呼ばれる人であっても、である。

イル師匠は、皆に余計な圧迫感を与えないように、配慮してくれる。

アルトさんは遊び半分でもやる事はやってくれるし。プラフタさんはとても真面目で親切だった。

でも、ソフィーさんは違う。

遊びは一切無く。

目的のための最適解を最小の労力で行う。

それが目に見えている。

そして、ティアナさんも一緒に来る。

先代王を殺した下手人のご登場だ。勿論イル師匠ですらその証拠を捕らえられなかったが。この人以外に、先代王を殺せた人はいない。ソフィーさんがわざわざ出向くような案件でもないから、である。

見届け役兼。

余計な事をしたら、殺すための人員だろう。

逃げ道はこれで完全に無くなった。

生唾を飲み込む。

はっきりいって、此処にいる面子が総掛かりでも、ティアナさん一人に勝てるかさえ怪しい。

今なら分かる。

わき上がるような、凄まじい殺戮特化の力が。

ティアナさんは、文字通り殺戮のための技能を極めに極めきっている。それ以外の全てを捨てている。

だからこそ、圧倒的なまでに強い。

戦闘マシーンという言葉があるが。マシーンなどではこの人には勝てないだろう。死神という言葉があるが、あれは確か運命が尽きた人を迎えに来る存在で。殺しに来る存在ではない。

強いていうならば。ティアナさんは、絶対なる神の剣。振るわれる先には、文字通り何もかも平等な死だけをもたらす。

ソフィーさんが手を叩く。

それで我に返った。

「それじゃあ、Sランク試験を開始します。 あたしが先導するので、不思議な絵画の最奥にいるレンプライアの王を皆で駆除してください。 ……サービスとして、途中で現れるレンプライアは、あたしとティアナちゃんで対処します」

「……」

ティアナさんは無表情なままだ。

レンプライアは殺すと欠片になってしまう。首を狩る事が出来ない。

だから、つまらないのだろうか。

前にダーティーワークを一緒にやった時、ティアナさんは首を狩ることを何より楽しんでいるように見えた。

「パイモンさんは、Sランクの試験を受けた後どうします?」

「そうさな。 行ける所までいってみたい。 後世に雷神と呼ばれる……いや、雷神はあのファルギオルめがいたか。 何か、雷にちなんだ二つ名で呼ばれたいものよ」

「ふふ。 ルーシャちゃんは?」

「……今は、この試練を乗り切る事だけが目的ですわ」

青ざめながらも、ルーシャは答える。

嗚呼。それだけで、ルーシャがソフィーさんと相当な確執があり。徹底的な恐怖を植え付けられ続け、絶対に勝てないと認識させられている事が分かる。

「リディーちゃん、スールちゃんは」

「……お母さんを救うためです」

「まずはお母さんのいる絵に悪影響を与えるレンプライアの首魁を叩き殺します」

「ふふ、それで結構」

ソフィーさんが先導し、歩き出す。

地下エントランスに、荷車もろとも到着。荷車の中身は、事前に徹底検証してある。また、今回は、状況的に考えて、超高品質の素材が多数採れることが想定される。勿論分割する。分割出来ない分は、コルネリア商会に登録して、それぞれが買えるようにする。ソフィーさんが来る前に、打ち合わせは終えていた。

ソフィー先生が足を止めたのは。

真っ黒な絵の前だった。

本当に真っ黒になるんだな。

絵を見て、生唾を飲み込む。

絵そのものは、美しい遺跡のようなものを描いたものだ。

見た感じでは、ぐっと来るものはない。

他の不思議な絵画に比べて、素晴らしいとは感じない。

お父さんの絵は、美意識を詰め込んだものだという事が一発で分かるし。

他の絵も、出来はそれぞれ違うとしても。

それぞれの心が、一杯にキャンパスに詰め込まれている事は理解出来た。

だが、この絵は何というか。

己の都合の良い願望を詰め込んだように思える。

勿論、他の絵画にだって、それは側面としてあるだろう。この絵は、何というか露骨過ぎるのだ。

「この絵の名前は黒の地平線。 本来の名前は違ったのだけれど、今あたし達は便宜的にそう呼んでいます」

「黒の地平線……」

「確かに、終焉の土地という雰囲気であるな」

頷くパイモンさん。

ソフィーさんはによによと笑いながら告げた。

準備は良いかと。

今更引くつもりは無い。

試験は、今回脱落した場合、次は二ヶ月後だという。いずれにしても、お母さんがそれではもたない。

一発で、突破する。

ぎゅっと、拳を握りこむが。

ふと気付くと、ルーシャがそっと肩を掴んでいた。

「スー。 大丈夫ですわ。 いざという時は、わたくしを使い捨てにしてでも、お母さんを救ってくださいまし」

「……ごめん。 大丈夫。 ルーシャも、勿論一緒に試験突破しようね」

そうだ。忘れていた。

ルーシャの事だって、救わなければならない。

今後、ソフィーさんの望む超越級錬金術師になれば。スールのいう事を、全て無視することはソフィーさんにも出来なくなる筈だ。

その時まで、耐えて欲しい。

さあ、決戦の時だ。

レンプライアの首魁。

必ずや、八つ裂きにして、蜂の巣にしてやる。

スールは気合いを入れ直すと。

相手を絶対に殺戮するべく、意識を完全に切り替えた。

 

(続)