星空と極彩色

 

序、星空の絵

 

美しい星空だ。まるで深淵に宝石をちりばめたかのよう。今のリディーの心は、こんな感じの闇に満ちている。其処に宝石をたくさんばらまけば、こんな感じになるだろうか。

スールの様子が少し前からおかしい。スールは多分、この間のプラフタさんが人間になる所を見た事で、多分頭のほうがクラッシュしたのだろう。

それが切っ掛けで、どうやら深淵に染まった様子だ。

良かったね。

そう声を掛けたかったけれど。スールには、まだ慣れるために時間が必要だろう。闇に落ちて、力を使えるようになったのだ。

それだけで今は満足するべき。

それよりも、この力を有効活用していく事を考えなければならない。

美しい星空とは裏腹に、現れるレンプライアはどれもこれも大きいし強い。強いレンプライアの中には、ネームド級のもいる。

激しい戦いをこなしながら、少しずつ道を開く。レンプライアは削れば削るほど良い。それについては、以前から話に聞いている。この絵にレンプライアがどんどん湧くとしても。

最終的には、削る事は無駄にはならないし。

何よりレンプライアの欠片は、大事な火力ソースになる。

手をかざして、周囲を見る。

美しい木の実が、木からたくさんぶら下がっている。

非常に珍しい品だ。

ネージュの要塞の周辺でも、わずかには見受けられたが。此処は稀少度の高い錬金術の素材を中心に植えているらしい。

何度かの激戦を経て、少しずつ探索範囲を拡げていく。

強いレンプライアを片付けて、そして一旦外に出て、休憩を取り。

物資を確認し。

まだ戦えると判断して、不思議な絵の中に戻る。

一面の星空ばかりが最初目についたが。

辺りの草原も美しい。

このような場所で戦闘をしなければいけないのは悲しい事だが。

しかしながら、そもそも此処は不思議な絵。

外との法則が異なっているのだ。

だから仕方が無いとも言える。

非常に大きなレンプライアが歩いて来る。どうやらアレを片付けたら、今回の探索は終わりらしい。

かなりの素材を入手できた。その中には、見た事がない薬草や鉱物もある。残念ながら、狙っていた黄金の絹糸は見つからなかったが。それはまた、別の機会に探し出せばいいのである。

此処ならば。

ある可能性は低くないからだ。

苛烈な戦いの末に、絵を出る。

一旦応接室に、荷車と一緒に移動。

ルーシャと戦利品を分配して。そして、軽く話をした。

「装備を刷新した後だからいいけどよ、そうでなきゃ厳しいな此処……」

「殿下」

「分かってるよブル。 それよりスー、どんな様子だ。 欲しいものありそうか?」

「うーん、どうだろう。 もうちょっと調べて見ないと何とも言えないね」

またマティアスさんはスールと話している。

スールにその気が無いことは分かっているのだが。

単純に人恋しいのだろう。

またマティアスさんは、ナンパ癖はあるけれど。女の人を本気でたくさん侍らせたいと思っているようには見えない。

実際問題、フィンブルさんが側にいるときは、普通に話をしているし。

アンパサンドさんとも、ある程度は上手くやれているようにも見える。

種族の違いがあるからアンパサンドさんとはどうにもならないし。そもそももう人間を止めているリディーや止めかけているスールは対象外。いっそのこと、ルーシャとでも結婚すれば良いのではと思うが。

しかしながら、確かヴォルテール家からは王家に傍流とかで嫁いだりしている筈。この間、見聞院でちらりと見た。生き残るためにアダレットで何でもやってきたのがヴォルテール家だ。扱いがどうだったとはいえ、王家とは遠い親戚とも言えるのかも知れない。

となると駄目か。

変な風に血が濃くなると、あまり良い事にはならないだろう。

「とりあえず、次は三日後で良いのです?」

「はい。 それでお願いします」

「では解散だな」

マティアスさんが立ち上がり、それに続いて皆がぞろぞろと応接室を出ていく。代わりにパイモンさんが、アルトさんと一緒に地下へ降りていくのが見えた。別の不思議の絵を調査するのだろう。

或いは、お父さんの絵かも知れない。

可能性は、決して低くは無いだろう。パイモンさんは、この間も見たが、まだまだリディーやスールより格上の錬金術師だ。アルトさんは更に格上だとしても、連れて行くには申し分ないだろう。

解散した後、ルーシャと話す。

ルーシャは最近、笑顔がどんどん減ってきていた。

「二人とも、体に何か問題は出ていませんの?」

「大丈夫」

「問題ないよ」

「そう……」

ルーシャが眉を伏せる。

悲しいのは分かるけれど。もう人間を止めてしまっているのはどうしようもないことである。

多分だけれど、わざわざ何かしなくても、リディーは多分もう年を取らないのでは無いかとも思う。取るにしても、普通の人間とは加齢が全然違うはずだ。しかも最悪の場合、アンチエイジングをすればいい。

まだリディーの肉体は全盛期ではない。

だからもっと成長してから、年齢と肉体の固定をしたい所だが。

勿論その後も、可能な限り知識を詰め込んでいかなければならないだろう。

アトリエにつくと。

お父さんがお薬を調合していた。

多分絵の研究が終わったから、一気に国から注文が来たのかも知れない。

摂理に反しない範囲の薬であればお父さんはだいたい作れるし。

お父さんが作る薬はとても良く効く。

まだ、心の傷は回復しきっていないかも知れないが。少なくとも、全盛期の腕前は取り戻している筈だ。

食事にすることを告げると。適当な返事が返ってくる。

スールはフィンブルさんを誘って、例のメテオボールとやらの試運転がしたいそうで。お化け達の不思議な絵に行くそうだ。あのくらいの場所なら、もうフィンブルさんがついていれば大丈夫だろう。

フィンブル兄、と呼んで慕っている相手だ。

だが、そのフィンブルさんからスールがおかしいと聞かされた。

まあ、そう感じるだろう。

リディーもおかしい。

もう分かっている事だ。

「お父さん、何か必要?」

「いや、いらん。 スーは」

「道具の研究中」

「そうか」

お父さんの仕事を一瞥。手伝うことは無さそうだ。

夕食を作っていると、スールが帰ってくる。メテオボールとやらに改良を加え始める。

話を聞くと、蹴り出すときの衝撃は申し分ないのだけれど、当たったときにダメージが拡散しすぎるらしい。

当たったときに、相手に最大効率で、一撃必殺の衝撃を与えたいらしく。

空気などにダメージが吸われてしまう状況は避けたいそうだ。

スールを見て、お父さんは目を伏せる。

もう壊れたことに、気付いているのだろう。

娘が二人とも深淵に落ちてしまった。

そう気付いたお父さんは、悲しんでいるのだろうか。だが、錬金術師としてある程度以上先に行くには、深淵を覗き込むのは必須。

深淵は文字通りの深淵。

覗き込めば覗き返される。

当たり前の話だ。

力を得るのに代償を払うのは当然の事で。リディーもスールも、多分フィリスさんやイル師匠もそうだったはず。

ソフィーさんの場合は、多分最初から、もう深淵に近い存在だったのだろう。

「スーちゃん、それで改良は上手く行きそう?」

「次の大物との戦いまでには間に合わせたいけれど、どうだろう」

「ふーん」

「……」

お父さんは何も言わない。

どうせリディーもスールも、まだまだ大物とやり合わされる。この間は中級ドラゴン、邪神と続いた。

今度は連戦だろうか。

多分もっともっと今後は求められるハードルが上がっていくはずだ。それを考えると、スールの姿勢は正しい。

夕食の卓を皆で囲む。

お父さんは無言で食べていたが。スールが、その場に爆弾を投下した。

「お父さんさ、もう深淵の者に所属してるの?」

「っ!」

「もう大丈夫、スーちゃんもリディーも深淵の者については知ってるから」

「……いや、組織への所属までは……強要されていない」

お父さんによると、深淵の者は優秀な人材を集めるだけでは無く、育成もガンガンやっているそうだ。

それはそうだろう。

リディーとスールを見れば分かる。

流石にリディーとスールにしているような、無茶苦茶な試練のぶつけ方はしないだろう。ただでさえ人間が少ないこの世界だ。匪賊になって社会を脅かすような輩だって存在している。

そんな中、少しでもマシな社会を作り。

秩序を作ってきた深淵の者だ。如何に恐ろしい所がある組織であっても、人材育成に関してはこの世界随一だろう。

きっと人材に関しては、相当に大事にしている筈。

それもティアナさんのような人が重用されていると言う事は。恐らくは、一芸に特化した人材もきちんと育成しているはずだ。

何でも出来なければ無能。

そんな風潮は確かにある。

確かに何でも出来る人材はいる。ミレイユ王女なんかは典型例だろう。あの人はひょっとしたら、錬金術も出来るかもしれない。

だけれども、例えばリディーは接近戦が出来ないし。スールは頭を使うのが今でもやっぱりあまり得意じゃあない。

何でも出来る人なんていないし。

スペシャリストが欲しい場合は、教育するしかない。

お父さんにも需要はある筈だ。

或いは、今している仕事も。深淵の者から、手が回されているのかも知れない。

「お前達は、どうなんだ」

「関わってはいるけれど、所属まではしていないよ」

「そうか。 ……話しておくが、もうヴォルテール家は取り込まれている」

「……」

そうだろうな、と思う。

ルーシャは優秀な錬金術師だ。ハルモニウムを作れる錬金術師なんて、本来は同じ世代に複数出ないとこの間聞いたばかり。ルーシャはこの地獄の中で揉まれて来たという事情はあるけれども。

それでも、優秀な事に違いは無い。

パイモンさんだって、まだ伸びるかも知れないと思っているようで。今後Sランク試験に挑戦するのだと話をしていた。

だが、パイモンさんは圧倒的な経験値を持っている。

若くしてそれに近い実力を持っているルーシャの有能さは、言うまでもない事なのだ。

だが、それだけではないだろう。

ルーシャは性格上、必死にリディーとスールを守ろうとしたはず。

ソフィーさんに楯突いたりしたかも知れない。

ルーシャを配下にするだけではなく、御する。

それが深淵の者の目的だろう。

勿論人材としても有効活用するつもりなのだろうが。

「深淵の者は……確かに偉大な組織だ。 組織の規模も凄まじい。 アダレットに本格的に関与するようになってから、この国はどんどん良くなっている。 賊は減っているし、街はどこも活気づいている。 深淵の者も相応な対価を払っているらしい。 この世界の発展のために活動してくれていることは事実なのだろう」

だが、と。お父さんは区切る。

そして、しばらく長い間を持たせた後、吐き捨てた。

「俺は好かん。 協力はする。 だが所属までするつもりはない」

「そうだね、お父さんはそれでいいと思う」

「リディー?」

リディーは思うのである。

お父さんはそもそも、才能の限界に到達している。

今のままで充分優秀だ。

精神が決して強いとは言えないお父さんが。

深淵を覗いたら、きっと。完全に壊れてしまう。フィリスさんやソフィーさんとは違う方向に、だ。

そうなれば、どれだけの災厄がもたらされるか分からない。

普通の人間が匪賊になるのとは桁外れの災厄になるだろう。

昔、言われた。

錬金術師は、その気になればアダレットの王都くらい、簡単に滅ぼす事が出来るのだと。三傑ならそうだろうと思っていたけれど。今なら、リディーとスールでも、その気になれば出来ると思う。

勿論やらないけれど。

実力があまり変わらないお父さんが闇に落ちるというのは、そういう事を意味しているのだ。

こんなになってしまったけれど。

リディーだって、この王都には心も砕いている。

シスターグレースのいる教会だって守りたい。

彼処が無ければ、リディーもスールももっと悲惨な事になっていたし。

多くの人が更に不幸になっていたはずだ。

だから、深淵を覗くのは。

限られた人数だけで良いのだ。

夕食を終える。

スールは黙々と、背中を向けてベッドに入った。お父さんは、地下で何か研究をするという。

まだ自分で描いた絵に、満足していないのかも知れない。まあお母さんの残留思念が中にいるというのなら、当たり前だろうか。

「ねえ、スーちゃん」

「何……」

「こっちに来て、どう思った?」

「ソフィーさんがああなのにも納得したよ。 生まれてからずっと、こんな声聞き続けていたんでしょ」

その通りだ。

ソフィーさんがおかしいのも、今なら色々と納得ができる。

勿論、ソフィーさんにだって情くらいはあるだろう。

エゴと情が、完全に切り離されていて。

エゴが完全に制御されているというだけだ。

「もう、戻れそうにないね……」

「うん……」

会話はそれで終わった。

きっと、取り返しがつかない。

地下でお父さんは、本当に研究をしているのだろうか。変わり果てた娘達の姿を見たくだけなのではなかろうか。

眠ろうと思うと。

すっと眠れるし。

起きようと思った時間に起きられる。

スールはいつもの奴を裏庭でやっているけれど。リディーから見ても、驚くほど洗練されていた。

Aランクのアトリエに昇格した分のお金を使って、コルネリア商会からハルモニウムのインゴットを引き取ってくる。

そして、鍛冶屋の親父さんの所へ持っていった。

後回しにしていた、リディーとスールの、最終武器のためである。

勿論、これは現時点で作れる最終武器、と言う意味である。

今後、どうせおぞましい時間。

これから世界そのものの詰みを打開するために、戦い続けなければならない。その第一歩として。

自分達用のハルモニウム装備を、作っておくのだ。

鍛冶屋の親父さんは、頷くと、すぐに作成に取りかかってくれる。

もうリディーやスールは採寸もいらない。

それだけつきあいが長いからだ。

成長もおかしくなっている。

そもそもあわないなら自分用に調整すれば良い。もうそれくらい出来る筈だ。

アトリエに戻る。

そろそろ、ハルモニウムで錬金釜を作る頃合いか。

イル師匠もフィリスさんも、勿論ソフィーさんも。ハルモニウムの錬金釜で調合をしていたし。

更に、もっと高度な錬金術をするためには、空気を排除した特別な空間で錬金術をする必要があるという。

見聞院で仕入れた情報だが。

今のうちから、もう視野に入れないといけないだろう。

スールと並んで、お薬と爆弾の補充をする。

疲労がある程度溜まった、というのが分かるので、スールと交代。スールはスールで、的確な素材を完璧なタイミングで渡してくる。

場所を交代しても同じ。

お父さんが黙々と一人で調合をしている隣で。リディーとスールも淡々と調合をこなしていく。

ギフテッドを得て、もうものの声が聞こえているのだ。

その上、何度も何度も作った道具。

今更、作り方なんて頭に徹底的に叩き込まれている。

出来上がる薬は、いずれも納品用。更に余っている素材を使って、プラティーンを作り。騎士団に納入する錬金術装備や発破も作る。戦闘用の爆弾やお薬も作る。

一日でそれらを終わらせると、後は不思議な絵の中で何をするか会議。

お父さんは、勿論加わってこず。

黙々と、調合を続けていた。

「絵の中、果樹園があったけれど、どうしようか。 邪魔だよね正直」

「貴重な素材が取れるから、残すには残そう」

「じゃあ、敵を誘導しないといけないね」

会話がおかしくなっている事も承知の上。

不思議な絵画の中とは言え、森を傷つけるなんて本来は言語道断。果樹園でも同じ事だ。

だが今は、二人とも理屈で全てを割切っている。

感情の排除に成功しているのだ。

一度だけ、お父さんが此方を見た。

もう、お父さんに。

リディーとスールを、深淵から引き戻す手段は無い。だけれど、未練は残るのだろう。

お父さんの事は好きだ。

だから、これ以上死に急ぐような真似だけは、して欲しく無かった。

 

1、星彩平原

 

アンパサンドさんが突貫し、突入してくる大型レンプライアの頭を、数度切りつけて、わかり安い程に速度を落として攻撃を誘う。

巨大な腕が振り回され。

その場に、竜巻のようにかまいたちの渦が発生するが。

残像を抉っただけ。

モロに隙を晒したレンプライアの脇腹に、ルーシャの砲撃が炸裂。更に、スールが跳躍しつつ、空中軌道で足場を確保。

メテオボールを叩き込んだ。

空気の壁を四枚ぶち抜いたメテオボールは。

ルーシャの砲撃を耐え抜いた大型レンプライアの脇腹を直撃、一瞬の拮抗の末に、シールドを貫いて爆散させる。

地平の彼方まで飛んで行ったメテオボールだが。

まもなく、ゆっくり柔らかくとんで戻り。スールの手の中に収まっていた。

「凄いの作ったな、スー」

「そうでしょマティアス。 竜核が入ってるから、実質ドラゴンの攻撃並みだよ」

「回収を忘れてはなりませんわ」

「俺は警戒に当たる」

ルーシャとフィンブルさんにそれぞれ戒められ。

皆動く。

アンパサンドさんも、無言で警戒しているなか。ルーシャと、黙々と働くオイフェさんと一緒に、今倒したレンプライア達の欠片と。大型の中から出てきた大量の宝石や武具、それに装飾品などを回収する。

なんで装飾品が出てくるのか、最初は分からなかったが。

怒濤のように押し寄せるレンプライアを蹴散らしながら進む内に、何となく分かり始めてきた。

果樹園を越えた辺りから、多分レンプライアの絶対数が落ち着いてきたのだろう。

中型から小型のレンプライアが、間断なくしかけては来るものの。

数も質も落ちてきたから、対処に余裕が出始めた。

不思議な絵画の中での戦闘は、基本的に即時撤退が出来ると言う強みがある。この不思議な絵画では、それを有効活用し。敵が波状攻撃を仕掛けてくるのを逆手にとって、此方も適時撤退しながら、カウンター代わりに波状攻撃を仕掛けていく。

敵の消耗の方が大きい以上。

進めば進むほど楽になるのは道理である。

そして敵が減るほどに、周囲が見えてきた。

あれは、庭園だろうか。

良く切りそろえた木が、植木のように迷路を作っている。勿論レンプライアや、不思議な絵画の世界で生きている獣がいるから、処理していかなければならないが。周囲を片付けると、次が来るまでの時間はだいぶ減るようになりはじめた。ハルモニウムの錬金術装備と武具で身を固めているのだ。

本来はこれくらい出来て当然なのだろうし。

そう思うと余裕もある。

彼方に見えるのは、屋敷だ。

一旦撤退して、休憩を挟んで再調査。

屋敷の中に入ると、小型のレンプライアがわんさか襲ってきたが。今までの不思議な絵画に出るレンプライアのと大して変わらない。多分、初手で一番強いのを全部ぶつけてきたのだろう。

もう残りカスだけ、と言う訳だ。

あまり時間を掛けずにレンプライアを片付け、欠片を回収すると。屋敷の中を、丁寧に調べる。

そして、結論が出た。

フィンブルさんがぼやく。

「嫌に綺麗に整っているな……以前豪商の屋敷を警備したことがあるが、其所並みだ」

「でしょうね」

「リディー、何か分かったのか」

「絵の外で話します」

頷くフィンブルさんと、外に出る。

中に金目のものは無かった。

丘に出る。

レンプライアの大きいのは、幸いと言うべきか、それとも当然と言うべきか、もう殆ど見かけない。

奥の方に一際大きいのがいるが。

あれは次の探索時に処理すれば良い。

スールが何かみつけたらしい。ハンドサインで、皆を呼んでいる。呼ばれるまま集まると、ああなるほどと思った。

大きな家だ。

さっきの屋敷とは比べものにならないほど。

ただし天井がない。

雨も降らない不思議な世界だ。ずっと夜が続いているのだろう。

壁にはよく分からない絵画。

壁際には高級そうな壺。

生活出来そうなテーブルと椅子。

チェストもあったけれど、開けてみても特に何も入っているような事は無かった。

戸棚があるので調べて見るが、内部には書類が入っているばかりだ。錬金術師が、それも不思議な絵画を手がけた錬金術師が描いたものらしく、高品質のゼッテルである。触るだけで、暖かい魔力が伝わってくる。

「何て書いてある?」

「……外で話します」

「ああ、分かった」

マティアスさんが、周囲の警戒に戻る。

時々小さいレンプライアがしかけてくるが、もう人数が集まる必要もない。大きいのが近付けば、リディーもスールも感知できるくらい腕を上げている。もう今更、驚く必要もない。

奥にいる大きいのは後回しと言う事で、さっきハンドサインで皆に意思疎通した。

一度引き上げる。

また借りている応接室に引き上げる。その途中、アルトさんと、プラフタさんとすれ違う。プラフタさんは、美しい衣装を着ていたが。それがヴェルベティス製である事は明らかだった。それに、拡張肉体も、前同様に展開出来るようだ。

一礼だけして、通り過ぎる。

お父さんの話を聞く限り、多分二人は、今お母さんの残留思念がいる絵。つまりお父さんの描いたあの天国のような絵を調査して、レンプライアを片付けてくれているのだろう。邪魔は出来ない。

お父さんの描いた絵に土足で踏み込まれる、というような不快感はない。

今まで、リディーとスールだって、他の人が魂を込めた絵に足を踏み入れているのだ。当然の話だろう。

応接室に集まると、軽く話をする。

「まずあの絵、星彩平原ですが、描いた人の美意識を詰め込んだ絵だと思います」

「美意識を詰め込んだ絵?」

マティアスさんが小首をかしげ。

フィンブルさんが説明を促す。

頷くと、順番に説明していく。

「好きなものだけがある世界、ということです。 美しい夜空、豊かな果樹園、素晴らしい庭園、それに外から見て素晴らしい屋敷と、暮らすのに最適な屋敷」

「ああ、それで屋敷が二つ……」

納得がいったようで、マティアスさんが手を打つ。

スールはずっと、闇そのものの目で、口を引き結んで黙って立っている。

何となく気持ちは分かる。

こんな自分にだけ都合が良い絵で、何が美しいだとでも言いたいのだろう。だけれど、今はそんな事を言っても仕方が無い。

持ち帰った素材を吟味。

宝石類はルーシャと分ける。レンプライアの欠片は、今までルーシャは此方に譲ってくれていたのだが。

自分でも研究すると言い出したので、最近は三割ほど譲渡している。その内、五割欲しいと言うかも知れない。その場合は譲るつもりだ。ルーシャに助けられた回数は、数え切れない程なのだから。

一つ、美しい何か糸玉のようなものがあった。

ルーシャが、触らないでと、警告を発する。

そして、いそいそと取りだした、魔法陣を描いた高品質のゼッテルで包む。

「黄金の絹糸ですわ」

「!」

ついに、来たか。

最高位の錬金術布の素材、黄金の絹糸。触るだけでスパスパと行くらしい、超繊維。確かにそのまま触るわけにはいかない。

これについては、コルネリア商会に登録。

それぞれの持ち金で増やす事で、話を決める。ただ、ルーシャから見て、そこまで良い品では無い様子だ。

後で吟味する必要があるかも知れない。もっと奥には、更に良い黄金の絹糸があるのかも知れないのだから。

「それで、さっき持ち帰っていたゼッテル、あれはなんだ」

「……恐らく、あの不思議な絵画を描いた錬金術師は、アダレットの王族に近い立場の人だったんだと思います」

「……」

「機密にどうぞ」

マティアスさんに手渡す。アンパサンドさんが覗いて。すぐに視線をそらした。

これは、マティアスさんから、直に報告した方が良いだろう。

最初の方だけ読んだが、其所から先は読まない方が良い。

そう判断したのだ。

しばし読み進めた後。マティアスさんは、大きな。本当に呆れかえった溜息をついた。そして、周囲を見回す。

「他言無用に頼めるか」

「分かりました」

「此処にいる面子は、拷問されても秘密は漏らさぬよ、殿下」

「ああ。 分かってるが、それだけちょっと面倒でな」

話によると、だ。

どうやらこの絵を描いたのは、三百年前ほどにアダレット王家に仕えていた錬金術師。ヴォルテール家ではなく、既に絶えた家だという。

アダレットに来てくれていたのに。

二百年前の、ネージュへの迫害の土台は、既に三百年前には整っていた、と言う事か。すこぶるどうしようもない。

迫害しつつも。都合良く錬金術の成果物だけは欲しい。

そんな理由で王家に出入りしていた錬金術師は、ある日嫌気が差して暇を乞い。以降は隠棲した。

相当な嫌がらせを受け。

当たり前のように暗殺者まで送り込まれたようだが。

その辺りは不思議な絵画を作る程の高位錬金術師。

悉く返り討ちにして、天寿を全うしたようである。

此処には、そんな王宮の腐りきった様子を見てきた錬金術師から見た、醜聞が描かれているという。

そうなると。

リディーが思うに、恐らくはその錬金術師は、読まれることまで計算に入れていたのではあるまいか。

不思議な絵画がどういうものか熟知していたのなら。

それはあっても不思議では無い。

例えば、歪んだ形であっても、フーコと火竜の世界では人間とドラゴンが共存を果たしていたし。

今では理想的な形で共存を果たせている。

ただし、それはあくまでドラゴン主導、更に言えば設計者である錬金術師の思惑の範囲内での話であって。人間が無作為に増えたりしたら、あっと言う間に共存は崩れるだろう。

願望が形になり。

それぞれの夢の世界を作り出せる此処でなら。

自分が見てきた汚いものが、後世に残せるかも知れない。

例え、自分が殺されたとしても。

そう不思議な絵の制作者は、考えたのかも知れなかった。

「ちょっとなあ。 口には出来ないような酷い醜聞が多すぎる。 これは、姉貴の元に持ち込む。 皆にくわしい内容は話していないって姉貴には説明するし、深淵の者にも報告しなければならないかも知れない。 それは覚悟しておいてくれ」

「では、此処で今回の探索は一度打ち切るのです。 丁度物資も減ってきていた所ですし、その黄金の絹糸というのも試してみたいでしょう?」

アンパサンドさんの言葉に頷く。

有り難い話だ。

次は一週間後、と話をした後、解散。

さて、どんなろくでもない事が書いてあったのか。冒頭部分だけしか読んでいないが、さぞや酷い内容なのだろう。

ルーシャと一緒に、コルネリア商会に出向く。

丁度、ドロッセルさんが来ていた。

「ああ、丁度良かった。 どうやら調査結果が出たみたいだね。 聞いていくといいよ」

調査結果。

ああ、そうか。コルネリアさんの故郷の話か。

頷くと、ドロッセルさんは言う。

「コルネリアちゃんの故郷だけどね、結論から言うともうないみたいだね。 アダレットの腐敗に嫌気が差して、逃げ出したホムの一族がいたらしくて。 彼らが獣が少ない谷間に作り出した、ホムだけの独自のコミュニティだったらしいんだ。 防衛のために、わずかな傭兵を雇ってはいたらしいんだけれど、二十何年か前に匪賊どもに見つかった」

コルネリアさんが俯く。

きっと辛いだろう。

だけれど、顔を上げた。

コルネリアさんは、知っておかなければならないことだからだ。

「まだ鏖殺も匪賊の間で噂になっていない様な時期だ。 この辺りにも大勢匪賊がいたからね。 コミュニティは襲われて、皆殺しの憂き目にあった、って話だよ。 ただ、わずかな生き残りがいるって話もある」

「……」

「その一人らしい人が、今外れの教会で、細々と暮らしてる。 会いに行くかい」

流石だ。

まさか、其所まで探り当ててくれたのか。

ドロッセルさんに頭を下げて、是非とコルネリアさんは言う。リディーも、スールと一緒に、立ち会うことにした。店の下働き達が、閉店の支度をしているのを横目に、ルーシャは眉をひそめた。

「どこからそんな情報を」

「傭兵達は独自の情報網を持っているんだよ。 まず第一に、そういう特殊なコミュニティがあったって話を聞きだした。 ラスティンでもコルネリアちゃんは探していたらしけれど、何しろ隠れ里に近かったらしいからな。 そりゃあ見つからないさ。 其所から順番に当たっていって、もう引退していて、実際に警備をした事がある経験を持っている傭兵を見つけた。 それで、協力して貰って、惨劇を生き延びた人を見つけたんだ」

歩きながら話す。

ルーシャは、青ざめているが。

リディーは特にもう何も感じない。スールもだった。

いつも商売のことしか殆ど口にしないコルネリアさんが、珍しく早足になっている。今では、コルネリアさんといえば、この王都の顔役だ。ドロッセルさんは戦略級傭兵としてならず者には怖れられているだろうし、それに最近名を上げている、「雷神殺し」のリディーとスール。それにヴォルテール家のお嬢さんまでいる。アホでない限り、ちょっかいを出そうという輩はいないだろう。ドラゴンに素手で喧嘩を売るようなものだ。

「もう少し詳しく聞かせて欲しいのです」

「……惨劇の夜。 わずかなホムを逃したその傭兵は、何とか必死に匪賊を食い止めていたが、それでも匪賊共はホムを大勢「収穫」し、満足して帰って行ったそうだ。 大勢助けられなかった。 その事に悲しんだ傭兵は、心を病んでしまった。 そして町外れで、狂人としての余生を送る事になった」

「悲しい話なのです」

「ああ、そうだね。 だけれど、傭兵をするってのはそういう事なんだ。 戦略級にでもならなければ、傭兵は十把一絡げの使い捨て。 騎士団でも損耗率が激しいって話があるけれど、私達はそんな次元じゃない。 うちの父さん母さんみたいに、年老いても生きている傭兵ってだけで凄いんだよ」

その、心を病んでしまった傭兵をどうにか探り当て。

フィリスさんから借りた道具で、記憶を再現。

その結果、離散したホム達の内、一部はアルファ商会の手の者によって、アダレットに残り。

他は彼方此方の教会に引き取られ。もしくは商人の見習いとなったのだという。ごく一部は、商人として逃げ延びることも出来たとか。

顔を上げるコルネリアさん。

その商人は、自分の家族だと。

旅先でまた匪賊に襲われた。その時離ればなれになった。母は襲撃を受けたときに殺された。父は匪賊から自力で逃げ出したようだが、その後の行方が分からない。もしも父が生きているなら。そのコミュニティに戻ったはずだと。記憶を失っているのなら、父の形見のオルゴールの記憶を聞かせれば、記憶が戻るかもしれないと。

そうか、それでは記憶が曖昧なのも当然か。

劫火の中で記憶は滅茶苦茶になっただろうし。何よりも、そもそも幼い頃の記憶だ。

ヒト族より遙かに記憶力が優れているホムだとしても。そんな状況で、記憶を保持できているとは思えない。旅先で襲われた事が上書きされて、住んでいた場所なんて、詳しくは覚えていないだろう。

「手酷く負傷したホムの一部は、教会にまだいるらしい。 離散したコミュニティの構成者も、ぽつぽつ集まっているそうだ。 今から向かうのは、そんなホムの一人がいる場所だ。 もしコミュニティの壊滅を知ったら、此方に来ている可能性がある。 あくまで可能性だけだよ。 期待はしすぎないでほしい」

どんどん下町に入っていく。

あまり好意的では無い視線も跳んでくるが。すぐに外される。こそこそ話しているつもりだろうが、丸聞こえだ。

「あいつ、大斧のドロッセルだぞ」

「ドラゴンの頭をかち割るって噂の彼奴か!? 大物錬金術師と知り合いも多いって話だぞ。 匪賊の大物でも辺りに逃げ込んだのかもしれないな」

「距離を取るぞ。 捕り物に巻き込まれちゃたまらん」

「旦那にも話してこい。 ともかく、刺激だけは絶対にするな」

苦笑い。

ドロッセルさんは相当に怖れられているらしい。まあそれはそうだろう。フィリスさんと旅をしていたようだし、実際本気を出せば邪神との戦いでもかなり良い線まで行っていた。

ティアナさんのような人間を止めているレベルの規格外とは流石に比べられないが。それでも相当な実力者だ。

理解出来る範囲の実力者なら。それは怖れられて当然である。

ほどなく、教会の前に出る。

コルネリアさんは、頷くと。懐から小箱を取り出す。それがオルゴールと呼ばれるものである事を、リディーは知っていた。

教会は寂しげだったが、中には誠実そうなヒト族の老神父がいて、祈りを捧げていた。貧しそうな人々が、身を寄せ合って暮らしているようだ。その中にはホムもいる。恐らく深淵の者が庇護しているのだろう。そうでなければ、こんな治安の悪い場所で、こんな弱々しい人達が、そこそこ幸福そうにはしていられない。

祈りが終わるのを待つ。

ホムの中に、目が完全に濁っていて。正気を保っていない人がいる。

顔には酷い火傷の跡があって。指も何本か欠損している。

そして、周囲の何も見えていないようだった。

コルネリアさんが箱を開く。

そうすると。美しい音楽が流れ出した。いや、これは本当に美しい音楽だ。ただのオルゴールだとは思えない。

神父が顔を上げ。周囲の貧しそうな人達も、此方を見る中。

目が濁って、正気も保てていないらしいホムは、ゆっくりと顔を上げる。見分けはヒト族にはつきづらいけれど。

窶れている事だけは良く分かった。

「……コルネリア?」

「お父さん?」

「……っ! コルネリア、逃げなさい! 匪賊が来ているのです! お母さんはもう……」

「大丈夫、お父さん。 自分は、もう匪賊なんか、瞬く間に蹴散らせるくらい……強くなったのです」

ぎゅっと衰えきった父を抱きしめるコルネリアさん。

ルーシャが口を押さえて、視線をそらす。涙を流しているのが分かった。

小さなコミュニティだったとは言え。

生きていたのは奇蹟だっただろう。

オルゴールが流れ続けている。美しい、本当に美しい音色だ。

「自分の名前で、今は商会を持っていて、アダレットを任されているのです」

「そうか、そうか……」

「帰るのですお父さん。 お母さんのお墓も、立ててあげるのです。 それに、匪賊共はもう殆どこの世にいないのです。 みんなみんな、掃除したのです」

「そうなのか……」

少しずつ、目に光が戻っていく。コルネリアさんは、ホムらしくもなく静かに涙を流しながら。

宿願を、目の前で果たしていた。

 

その後、コルネリアさんがお父さんを教会から引き取る。アダレットで使っている自宅があるらしいので、そこで一緒に暮らすそうだ。そして教会に、金貨でどっさり今までの礼金を置いていった。

有り難いと神父が受け取る。深淵の者の加護があるとはいえ、この貧しい教会だ。足りないものは多いだろう。リディーも頷くと、まだ残っていた薬を取りだして、渡しておく。使ってくれと。神父はリディーとスールの事を知っているらしく、何度も感謝した。

「雷神殺しの錬金術師から、神秘の薬をいただけるとは。 英雄の行く手に幸多からんことを」

涙を流す神父に、シスターグレースに教わった最敬礼を、スールと一緒に返す。

その後、ドロッセルさんの護衛付きで、コルネリア商会まで戻る。コルネリアさんのお父さんは、ヒト族っぽいしゃべり方が抜けなくなっているが。じきに戻っていくことだろう。

足腰がかなり弱っているようなので、錬金術の装備を貸す。獣の腕輪が良いだろう。すぐに効果が出て、コルネリアさんのお父さんは、歩くのが楽になったようだった。

「本当に助かったのです。 今後、多少割引させて貰うのです」

「それじゃあ、早速で悪いのだけれど、黄金の絹糸を登録させてくれる?」

ルーシャが何か言おうとしたが。

目を伏せて、それっきり口をつぐんだ。

もう、変わってしまったことに気付いているから。自分がどうしようも出来ない事を分かっているから、だろう。

コルネリアさんは頷く。

「黄金の絹糸は複製が難しいので、少しお高くつくのです。 お父さんが見つかったのですし、三割ほど引かせて貰うのですよ」

「ありがとう」

「でも今回だけです」

流石にしっかりしている。

コルネリアさんの家に到着。思ったより静かな家だ。お母さんの遺品は取ってあったらしく。幾つか、古くて、とても大事そうにされている品があった。これは手を合わせなければならない。そう思ったから、シスターグレースに教わったやり方で、最大限の敬意を注意深く払いながら、一緒に手を合わせる。

精神が人間ではなくなってしまっていても。

これくらいの事をする配慮は働く。

コルネリアさんは家ではかなりの数のお手伝いさんを雇っているらしく。彼らはコルネリアさんから、余り良くない境遇から助けて貰ったという点で共通しているようだ。コルネリアさんのお父さんが見つかったのだと聞いて、もの凄く喜んでいた。色々な種族が雑多に混ざっているが、泣いている者もいる。

店ではとても厳しい顔を見せるコルネリアさんだが。

或いは苦労を知っているからか、家庭では別の顔を持っているのだろう。

すぐに看護の準備を始める彼らを横目に、コルネリアさんがいう。やるべき事は、先に済ませるという表情だ。

「まず此方、ドロッセルさんにお礼のお金なのです」

「ありがとう」

ドロッセルさんに、直接の報酬を渡すコルネリアさん。まあ、殆どはドロッセルさんが見つけてくれたのだから当然だ。そもそも、傭兵のネットワークを辿って、此処までの事が出来るのはこの人くらいだっただろう。

続いて、コルネリアさんが咳払い。

「これから、リディーさんとスールさんにはお父さんの看護用の医薬品をお願いするのです。 黄金の絹糸の複製費用の割引は、その代わりなのです」

「合点」

「分かりました」

そして、コルネリアさんは、ルーシャにも頼み事をする。

「お父さんの体は弱り切っているのです。 出来るだけ、体が弱ったホムの看護を出来る人員がもう一人二人欲しいのです。 ヴォルテール家の人脈でどうにか」

「分かりましたわ。 すぐに手配します」

「ならば、その分で割引を立て替えさせていただくのです」

とにかくしっかりしているなと、リディーは感心した。

後は契約書を書いて、それぞれが押印。ドロッセルさんにとっては、大したお金でもないのだろう。比較的無造作に懐にしまい込んでいた。

最後に、ルーシャが良かったですわね、と声を掛けると。

コルネリアさんは少し黙った。

何か問題でもあったかと思ったが。

コルネリアさんは、考え込んだ後に言う。

「自分が知っている錬金術師は、どうしてもある程度以上の力を身につけると、心の方が壊れてしまうのです。 最初から壊れている例外もいましたが。 後天的に壊れて行く人も多かったのです」

ああ、自分達のことだなと、リディーは思ったが。

何も言わない。

ドロッセルさんも、此方を一瞥した。

むしろ興味深そうに、コルネリアさんはルーシャを見る。

ひくりと、笑顔を引きつらせるルーシャ。

「むしろ、特別なのはルーシャさん。 貴方なのかも知れませんよ」

「わ、わたくしは……」

「自覚がないのなら別にかまわないのです。 ただ……いや、止めておくのですよ」

後は、軽く話をして、その場を離れる。

ルーシャは考え込んでいた。

アトリエの前で解散するまで。

ずっと、考え続けていた。

 

2、ギフテッドの闇

 

再び、不思議な絵画「星彩平原」に入る。平原という割りにはとても起伏に富んだ地形だが。

それは別にかまわない。

外から見ても、星空や果樹園、屋敷の美しさを強調している絵画だ。

入る前に、複製が終わった黄金の絹糸を少し回収しておいた。コルネリア商会でも、この超危険物は扱ったことがあるらしい。或いはコルネリアさんが、ソフィーさんに見せられていたのかも知れない。

触るときには気を付けるように、と何度も念を押された。

そしてコンテナに黄金の絹糸をしまってから、ここに来た。ルーシャはそこまで急ぐ必要を感じなかったのか。合流時、まだ回収はしていないと言っていたが。

「かなりレンプライアが減ったな」

マティアスさんが周囲を見回す。

最近はリディーも気配が分かるようになってきたが、確かに敵意が減っている。敵意と言うよりも、悪意か。

人間の悪意が形になると、こうなるのだなと思うのだと同時に。

この絵の描き手が何を考えていたのかを、何度も考える。

結論は本当に正しかったのか。

それを、深奥まで見に行かなければならないだろう。

今の時点では、自分の好きなものだけがある世界、で。それはほぼ確定だとは思うけれども。

しかし、最深部まで調査してみたら。

何か違うものが出てくるかも知れない。

黙々と、時々しかけてくる小型のレンプライアを処理ながら奥へ進む。前よりもかなり攻撃が減ってきているか、採取作業も楽で良い。無言で周囲を警戒してもらっているうちに、果物や鉱石、薬草などを採取する。

水たまりもあるので、釣り竿を持ち込んでいるが。

良い魚は釣れなかった。

これなら、キャプテンバッケンの島の方が、良い魚が釣れるかもしれない。

行くのに二手間掛かってしまうが。

もしも魚なら彼方だなと、リディーは釣れた魚を見やりながら思った。

回収したナマモノは、その場で処理してしまう。

調合に使える虫の類は、瓶詰めしておくが。

スールはもう、嫌とは言わなくなっていた。

自分と同じ、闇を覗いた目をしている妹を見て。

ほっとしていた。

どうしても拒絶反応に耐えられなくて、非常に辛そうだったからである。一時期はリディーにさえ怯えていたようだったが。

諦観したのか。

それとも、受け入れたのか。

今は静かだ。

ただ、問題もある。

目に見えて乱雑になっている。

「スー、それでは薬草が痛んでしまいますわ」

「……」

ルーシャの言葉に、無言で頷くと。

それでも、あまり優しくない方法で。薬草を引き抜いている。たまりかねてリディーが手を出すと、止めて、とかなり強い拒絶が返ってきた。

アンパサンドさんに睨まれている。

コレは面倒だなと思ったけれど。

もう、スールは何か入っているらしい。無言で、黙々と。此方のいう事を聞かずに、かなり乱雑な作業をしていた。

結果、質が落ちた薬草が、結構あった。

ハンドサイン。

アンパサンドさんが、一度出るようにと指示をして来たのだ。スールは拒否のハンドサインを出したが。アンパサンドさんが強制のハンドサインを出したので、皆がそれに従った。

絵を出ると同時に。

パンと、鋭い音がした。

アンパサンドさんが、身軽に跳躍して、スールの頬を一発はたいたのである。

スールはそれに対して、反発もせず。

ただ、真っ黒な。

深淵に落ちた者の目で、アンパサンドさんを見るだけだった。

「素人以下に戻ったのですかスール」

「ちょっと、アンパサンドさん。 スー、大丈夫ですの」

「触らないで」

「……何があったのです」

この間。コルネリアさんの家族が見つかったとき。

スールはそういえば嫌に静かだった。

黙っているスールを見て、邪魔になると思ったのだろうか。顎でしゃくって、アンパサンドさんが応接室に移動するよう促す。

ただでさえ、最近錬金術師が頻繁にエントランスに来ているのだ。

此処で喧嘩をするのは好ましくない。

応接室に入ると。

まず第一に、順番に話が為された。

「この間まで体調がおかしかった事は分かっているのですけれども。 スール、何が起きたのか説明して欲しいのです」

「五月蠅いの」

「ほう……」

アンパサンドさんがナイフに手を掛ける。ブチ切れたのが一目で分かった。

完全に真っ青になったルーシャが、必死にアンパサンドさんからスールを守ろうとするが。

血を見る前に、スールが付け加えた。

「ギフテッドに目覚めたの。 周り中から声が聞こえて、五月蠅くて五月蠅くて、もうおかしくなっている頭が更にどうにかなりそう」

「その割りには静かなのですね」

「暴れたいくらい」

「……今日はここまでなのです」

大きな溜息をアンパサンドさんがつく。

そして、リディーに座るように促した。

言われたまま座る。

ハラハラしている様子のマティアスさんと、無言で非介入を貫くオイフェさん。

フィンブルさんは思うところがあるのか、スールに対して守ろうともせず、口出しもしなかった。

リディーと視線を合わせると。

アンパサンドさんは、いつになく冷たく容赦の無い目で此方を見た。

この様子だと、本気で怒っている。

最近はかなり認めてくれているようだったから、この失態には逆に相当に頭に来ているのだろう。

アンパサンドさんは強い。

はっきりいって、一階級上の騎士隊長達にもう並ぶ達人の筈だ。本人が望んでいない、指揮官に向いていないと判断しているからから昇格がないだけ。

或いは、副団長くらいのポストは、国が用意しているかも知れない。

しばらくは有能な騎士団長と副団長がいるから、人事に動きはないとは思うけれども。

いずれにしても、実力に相応しい貫禄と落ち着きを、アンパサンドさんは身につけてきている。

あまり見分けがつかないホムとしては例外的に、一目で厳しい雰囲気が伝わってくる程に。

むくれているように向こうを向いているスールはひとまず無視し。

アンパサンドさんは、リディーに厳しい通達をした。

「リディー。 次の探索は無期限延期なのです。 こんな状態では、ちょっとしたアクシデントで誰が死ぬか分からないのです」

「強権発動ですか」

「強権発動なのです。 ともかく、ギフテッドとやらが辛いなら慣れる。 制御出来ないなら制御する。 どちらかが出来るまで、不思議な絵画には入れないし、探索にも同行しないのです」

「……分かりました。 しっかり話しあってみます」

スールを心配して見るが。

やはり、黙り込んだままだ。

どうフォローして良いのか分からず、おろおろしているマティアスさん。こう言うときは、まだまだ頼りにならないなあと思う。

最近は昔と違って、格好良くなってきていたのに。

この様子だと、副官代わりにフィンブルさんとアンパサンドさんがついて。二人の尻に敷かれる未来が、見えるようである。

殆ど収穫がないまま、一度戻る。

反省文はいらないと言われたので、それについては頷いた。そもそもリディーもスールも、Aランクに昇格してからも、それに相応しい貢献を続けているのだ。反省文などは確かに書く意味がない。

ただ、アンパサンドさんとマティアスさんの協力無期限停止は痛い。

出来るだけ早く何とかしないと、完全に干上がってしまうだろう。

アトリエに戻る。

そして、スールと、しっかり話し合う事にした。

お父さんはいない。

出かけているのだろう。

コンテナに、わずかな回収物をしまうと、テーブルで向かい合って話をする。

「スーちゃん」

「……」

「あまり責めるつもりは無いから、話して。 私じゃ無くても、シスターグレースにでもいいから」

「リディーさ。 どうやってこんな気持ちの悪い状況に慣れたの?」

直球だ。

自分が悪いことは分かっていると、スールは言う。

しかしながら、今までにないほど、世界が違うのだと言う。

「知らないかも知れないけれど、ギフテッドが出たって分かったとき、最初戻しちゃった」

「……!」

「頭はすっきりしてるんだよ。 メテオボールは良く出来てるでしょ? ああいうのを作れるくらいにはね。 でも、同時に常に周り中から声がして、気持ち悪くて仕方が無いんだよ。 どうすればこんな状態に慣れる事が出来るの?」

「私は……」

リディーは、いつの間にか馴染んでいた。

というか、やはりリディーも、ギフテッドが出始めてからは、何とも言えない気持ち悪さがあった。

しかしながら、これが調合に便利だと分かると。

自然に慣れていった。

多分、精神が人間から離れているから、だと思う。

「ね、スーちゃん。 久しぶりに二人だけで、暴れても大丈夫な場所に行こうか」

「そんなところある?」

「ざわめきの森」

彼処だったら。

今の実力なら、特に問題なく二人だけでも身を守れる。

木々を倒したりしなければ。

思う存分暴れる事が出来るはずだ。

「メテオボール持っていって。 それ、凄く気持ちいいでしょ」

「気持ちいいっていうか、暗い喜びが浮かぶ」

「それでもいいよ」

「……」

荷車を一つだけ持ち出すと、すぐに王宮に戻る。

地下エントランスには、プラフタさんと、深淵の者の戦士らしい獣人族と魔族が何名かいた。

プラフタさんは人間に戻った体の試運転中らしく。

そして、お父さんの絵の前で、色々と打ち合わせをしていた。

「絵の中の世界は繊細です。 戦闘では気を付けますが、貴方たちも出来るだけ注意してください」

「分かりました」

「では、行きますよ」

その場からいなかったかのように、プラフタさんと護衛達が消える。

外から見ていると、こんな感じなんだなと、リディーは思った。

スールが毒づく。

「お父さんの絵なのに……」

「お母さんが危ないんだよ。 確かに先に調査されていて嫌かも知れないけれど、それは我慢して。 私達が行って、プラフタさんやアルトさんくらい、綺麗にレンプライアだけ倒せるとは思えないよ」

「また理屈ばっかり」

今のスールは、混乱しているだけだ。

理屈の重要性はスールだって理解している筈。

昔の子供みたいだったスールに、癇癪を起こした結果戻っているだけ。

ましてやスールは、本来だったら発狂するような精神的なダメージを受けているのだ。この程度で済んでいるのなら、良しとするべきだろう。

ざわめきの森に入る。

お化け達がすぐに来たので、話をする。

そうすると、内臓をぶら下げたお化けが、すっと声を落とした。

「そうか。 俺には分からない話だが、いずれにしても二人でじっくり話し合いな。 邪魔が入りにくい場所を教えてやるから、其所でやるといい。 木々を無闇に傷つけないなら、多少暴れても全然かまわないぜ」

「有難うございます」

先に頭を下げたのはスールだった。

或いは、スールの方が、お化け達にはより感謝しているのかも知れない。

奥の丘を案内された。

レンプライアは定期的に掃除しているし。

ここのレンプライアはそもそもそれほど強くは無い。

この絵を描いた人は。

お化けというのが、子供達の守護神である事を知っていて。そしてお化け達に敬意を払ってこの絵を描いた。

だから、この絵のレンプライア……悪意は弱い。

自分に都合が良い絵ではなくて。

周囲に祝福を願う絵だったから、なのだろう。

こんな過酷な世界でも。

子供達の未来を願って、こんな絵を描ける人がいる。

そう思うとリディーは素直に尊敬できる。スールはもっと尊敬している、ということなのだろう。

丘で、しばらく二人並んで座る。

「思う存分吐き出して」

「うん……」

スールは大きく深呼吸すると。

拳を、地面に叩き付けた。

「うるっさい! うるっさい! うるさいっ! 耳を塞いでも四六時中ずっとずっと!」

叫ぶスール。

もう、本当に溜まっていたのだろう。

黙って、様子を見ている。

リディーは、じわじわ聞こえるようになって来たから、此処までため込む事はなかった。壊れて行くことは分かっていたから、それは怖かったけれど。

爆発する事はなかったし。

自然に抑えられるようにもなっていった。

だが、スールはいきなりだった。

いきなり聞こえるようになったと言うのは、多分スールの性質上の問題だったのだろう。

本人は気付いていない様子だったけれど。そもそも最近は、スールもリディーと同じくらい努力はしていた。

少なくとも、リディーが聞こえるようになった頃よりは。

錬金術の実力もついていた。

総合的に見て、新しいものを作り出したり、論理的にチャートを組んだりするのはまだまだリディーの方がずっと上だけれど。

一度把握したものをどんどん品質向上させていく手腕に関しては、スールの方が上だ。

深淵を何度もソフィーさんとフィリスさんに覗き込まされて。

嫌でも闇を見た。

だから、知識の深奥にも触れた。

その拒絶反応が出ているだけのスールを。

責めるつもりにはなれなかった。

メテオボールを取りだすと。

空中機動して、上空に蹴り挙げるスール。

空気の壁を四つぶち抜いて、空高くメテオボールは飛んで行った。竜核を使っているだけあって、とにかく強烈だ。素材を更に改良すれば、もっともっと凶悪な火力を出せるだろう。

ほどなく落ちてくるメテオボール。

すとんとスールの手元に収まる。

身体の素のコントロールそのものはアンパサンドさんに及ばないかも知れないが。しかしスールは、充分に前衛で戦う錬金術師としては、一流に達している筈だ。廻りがおかしすぎて、気づけていないだけである。

イル師匠だって言っていたのだ。

本来、ハルモニウムを作れる錬金術師なんて、一世代に一人出るか出ないか、だと。

今の時代、三傑だけでは無い。ハルモニウムを作れる錬金術師は大勢いる。それで勘違いするかも知れないが。

本来スールは、充分に凄い錬金術師なのである。

静かになるスール。

呼吸を整えているスールの目には、獰猛な闇が宿っている。

それを見て、何とも思わない自分が悲しいが。

それが、スールの錬金術師としての完成型なのだとしたら。

受け入れるのが、姉の役目だ。

座るスール。

ようやく、落ち着いたらしい。

「しばらくは、慣れよう」

「うん……」

「慌てずに行こう。 無理しなければ、二三ヶ月はもつくらいの備蓄はあるから」

実際には、食いつなぐだけならもう今の実力なら可能だ。

ただし、ソフィーさんが許しはしないだろう。

だから、時間は稼げても二三ヶ月。

そういう意味である。

しかし、スールは首を横に振る。

「そういう回りくどい言い回し止めて。 ソフィーさんを何とか引き留められるのが二三ヶ月って話でしょ」

「……ごめん」

「悪いのはスーちゃんだよ。 馬鹿な妹でごめん。 無能な妹でごめん。 役立たずで、何も分かっていなくて、それなのに常識人だと思っていて、身の程も分かっていなくて、本当にどうしようもなくて、ごめん」

心の泥を吐き出すスール。

リディーだって、それは同じだった。

気づけて良かったと想う。

「みんな」と一緒のままであったら、絶対に気づけなかった。

必死に常識にしがみついて、近視眼的に生きていたら。

絶対に愚かさに気づけなかった。

「少しすっきりしたけれど、現実問題、周り中から聞こえる声がすごくつらいの。 これが本当に神に授かったに等しいもので、気持ち悪いなんて思うのがどれだけバカだか分かっているのにつらいんだ。 本当にスーちゃんってどうしようもないね。 あんなに見てきた、見かけだけで決めつける「みんな」とまた一緒になりかけてる」

「そういうときは、決まっているよ」

「……」

「イル師匠に、相談しに行こう」

 

イル師匠は、国の役人と話し合いをしていた。それもアダレットでは無く、ラスティンらしい。

書記のホムを従えた、中年男性の錬金術師らしい役人と、かなり白熱した話し合いをしていたので、終わるまで待つ。

しばしして、役人が例のドアで戻っていく。

ホムは一礼していたが。イル師匠は機嫌が無茶苦茶悪そうだった。

「失礼します」

「気を利かせてくれたのは嬉しいけれど、何かしら。 今忙しいから「ながら」になるわよ」

「ギフテッドについてです」

「……」

イル師匠が指を鳴らす。

同時に、世界が停止した。

時間を止めたのだ。

もう、それこそ自由自在に出来るんだなと感心している内に、イル師匠は此方に向き直る。大きく嘆息する。

「リディーはかなり前から少しずつ育っていたようだけれど……スー、貴方は急に発現したみたいね」

「はい。 凄く苦しくて」

「それでイライラしてると」

「ごめんなさい」

二人で揃って謝る。

スールは悔しそうである。自分のせいで、リディーも謝っているから、だろうか。

イル師匠は、時間を止めて対応してくれた。つまり「ながら」で対応する事では無いと判断してくれた、という事である。

これだけでも、イル師匠には感謝しなければならない。

「私にはギフテッドがないから何とも言えないのだけれどもね」

「イル師匠にはないんですか!?」

「あれは規格外のものよ。 最初から持っていたソフィーやフィリスが異常なの。 フィリスに至っては、後天的に鉱物以外も聞こえるようになるしもう」

ため息をつくイル師匠。

三傑と呼ばれる程の人にもないのか。

だとすると。

ギフテッドとは、なんだ。

後天的に開花するとしても、何だか色々とおかしすぎる気がする。文字通り神様に与えられた才覚なのか。

しかしながら、アルトさん……ルアードさんに聞かされた限り、神様はそんな事をするだろうか。

「ともかく、コレを飲みなさい」

「これは……」

「感覚を鈍らせる薬よ。 フィリスが前に実験していたのだけれども、どうやら感覚を鈍らせることで、聞こえる声をかなり緩和できるらしいわ。 レシピはコレ」

レシピも渡される。

ちゃんとお金も取られたけれど。

スールはすぐにお薬に飛びついて、一気に飲み下す。そして、かなり楽になったと、胸をなで下ろしていた。

それをしらけた目で見つつ。

イル師匠は説明をしてくれた。

「あくまで仮説だけれども、私は、ギフテッドは才能では無いと思っているのよ」

「文字通りの天啓とか、そういう事ですか?」

「違うわ」

「……」

だとすると、なんだろう。このような規格外の能力、しかも滅多に発現できない力。才能以外のなんなのだろう。

しばし無言で考え込むが。

イル師匠は、現実的な話をする。

「この薬を飲むと、しばらくはまともに動けなくなるから、効果が切れた後は体を動かして調整しなさい。 貴方たちの監視役の騎士、アンパサンド。 あの人に教わった奴をするように」

「はい……」

確かにスールの動きが鈍い。これは、帰り道は手を引かないと駄目か。

頷くと、イル師匠は更に付け加えた。

「それと、稼げる時間は精々二週間よ」

「!」

「ソフィーの恐ろしさは身に染みていると思うけれども、はっきりいって時間を止めている今でも覗かれていると思った方が良いわ。 彼奴はもっと上位の次元から世界を見ているし、その気になれば二大国を一日で終わらせることだって出来る。 彼奴はとにかく人材を欲しがってもいる。 二ヶ月も三ヶ月も、ギフテッド持ちにまで成長した錬金術師を遊ばせておくつもりは無い筈よ」

そうか。

では、しばらくはリディーがスールの分も頑張らなくてはならないだろう。

少しプレッシャーが強いが。

何とかするしかない。

後は、幾つか細かい引き継ぎを受けてから、戻る。

やはり、手を引かなければならなかった。スールは茫洋としていて。薬が如何に強い効果を持つのか歴然だった。

いや、違う。

多分だけれども、フィリスさんが実験したのは。フィリスさん自身。

あの人がソフィーさんほどではないにしても規格外で。

そんな人に合わせた薬だから、だ。

イル師匠は勿論成分を弱めにしてくれてはいるのだろうけれど。それでも、今のスールには辛すぎるということだろう。

アトリエに戻る。

今の瞬間も、ソフィーさんに監視されていると判断した方が良い。

スールに、言われていたことは覚えているかと聞く。

ゆっくり、頷き返される。

ならば、一緒に乗り越えるしかない。

「まずは、ゆっくり調合をしてみよう」

「うん……」

動きこそ遅いが。

調合はしっかり出来ている。

増やしておかなければならない蒸留水などを、この機会に増やしておく。精度ももっともっと上げておく。

そして、スールが調合をしているのを横目に、リディーはヴェルベティスの研究を行っていく。

まず黄金の絹糸を、繊維としてほぐす。これがそもそもの難事だ。下手に触ると、手がミンチになる。

読んでいる限り、出来ればハルモニウムの錬金釜が欲しいと言う記述に行き当たる。

確かに、そろそろ頃合いかも知れない。

さっと、今動かせるお金を計算する。

少し前に納品を済ませたばかりだから、何とか必要量のインゴットは調達できる。ただ、加工費も含めると、ほぼ貯蓄が吹っ飛ぶ。

鍛冶屋の親父さんに頼めば、多分錬金釜は仕上げてくれるが。

ヴェルベティス作成の際の注意事項として。

幾つも厳しい記述があった。

まず今後は、そもそも調合時、余計な空気が混ざらないような配慮すら必要になってくる、と言う事。

超高度錬金術の世界の恐ろしさが分かる。

空気が入ると駄目、か。

最高品質の品を作るには、そもそも空気が無い世界で錬金術を行わなければならないそうで。

まずは空気が無い世界で活動するための準備なども必要になるし。

一人で行うにはあまりにも時間的に厳しい調合などもあり。

時間や空間を制御する技術も必要になってくると言う。

頭が痛くなってくる話だが。

ギフテッドにまで目覚めた今なら、決して出来ない話では無い筈だ。呼吸を整えると、スールを見る。

調合を、ゆっくりながら出来ている。

そして、やはり聞こえているのだろう。

動きは的確。

選ぶ素材も、的確極まりなかった。

薬が切れてきたのか、少し辛くなってきた。ベッドで横になって貰って、マッサージをする。そして、順番に結論を話していく。スールは目を細めて聞いていたが。やはり、辛いという。

「確かに聞こえづらくなるけれど、薬が切れるとぐっと声が聞こえるようになるよ」

「大丈夫、私が側についているから」

「情けなくてごめん」

「いいよ、情けなくて。 私だって、情けないんだから」

ハルモニウムの錬金釜を作る話を進める。

お父さんが帰ってきた。

丁度良い。

家族会議だ。

スールの具合がおかしい事は、お父さんも把握していたから、話は早かった。イル師匠に聞かされた話をして。

更に、今後の事も考えて、ハルモニウムの錬金釜を作る話もする。

お父さんは、しばし考え込んだ後。

出資してくれる、と言った。

「その代わり俺にも使わせろ。 薬の品質を上げたい」

「錬金術師としての野心が疼く?」

「バカ言うな。 ……ただな、俺にも出来る事があって、それをこなしたいだけだ」

頷いた。

それでこそ、戻ってきたお父さんだ。

お父さんが出してくれる金額を聞いて頷く。それならば、すってんてんにはならなくても済みそうだ。

どうせしばらくスールはまともに動けないのだ。

この機会に、最終的には絶対に必要になるハルモニウムの錬金釜を、作ってしまうのも手だった。

強かに考えなければ、そもそも生きていく事が出来ない。

そんな事は言われなくても分かりきっている。

だからこそだ。

機会は、徹底的に利用しなければならない。

すぐにハルモニウムを、コルネリア商会から回収してくる。そして鍛冶屋の親父さんに相談する。

スールが、ギフテッドに慣れるまでは。

出来る準備をしておく。

勿論、一週間では出来る事に限界もある。

逆に、それが故に、此処でやるべき事は全てやっておかなければならないのだ。

ハルモニウムの釜の加工については、鍛冶屋の親父さんは既にやった事があるようで。インゴットも見せて。これなら大丈夫だと太鼓判を押してくれた。

どうせ深淵の者関連だろうと思ったが。

それについては口にしない。

しかし、鍛冶屋の親父さんの方から教えてくれた。

「フィリスが今育てている弟子がいるらしくてな。 別の街にいるらしいんだが、そいつのためにハルモニウムの釜を用意するところに立ち会ったことがある。 他の街の腕利きの鍛冶師も集められていてな」

フィリスさんに弟子か。

どんな変わり者なのだろう。

顔に出ていたのか、親父さんが苦笑する。

「なんというか、とても可愛らしい子供だったな。 まだ若いが、二度もハルモニウムの錬金釜を作ったらしい若い鍛冶師と組んで仕事をするつもりらしくて、俺たちも随分と刺激を受けたよ」

それで、技術を覚えて。

以降依頼を受けて、何度かハルモニウム釜を作ったらしい。

いずれにしても一週間。

時間はそれだけ。

鍛冶屋の親父さんに、後は任せてしまって問題ない。

そして、思ったよりも速く催促が来た。

 

3、好きなものの形

 

まだスールは顔色が悪い。

感情がいつ爆発するか分からない様子だが。それでも、城の地下エントランスに集合していた。

アンパサンドさんが一番不機嫌そうで。

マティアスさんはずっと胃薬が欲しそうな顔をしていた。

これはいつ血を見るか分からない。

そう判断しているのかも知れない。

実際、アンパサンドさんは、怒ったら冗談抜きで容赦しないだろう。殺すまでしないにしても。

間違いなくスールは相当怖い目にあう。

本気でやりあったら、どうしても支援が必要なスールよりも、対人戦の経験が豊富なアンパサンドさんの方が遙かに強い。

これについては、多分この場にいる全員が同意するだろう。

強大な相手に対してのフィニッシャーとしての火力はアンパサンドさんは持っていないが。

人間に対しては、充分過ぎる殺傷力を持っているのである。

流石に三傑のような規格外が相手では厳しいが。彼女らはもう人間とは言い難いし。

今のリディーとスールなら充分だ。

「騎士団に大きめの仕事が入りました。 今回の調査で切り上げるように……という通達が入っています」

「大きめの仕事、ですか」

「勿論貴方たちも出るという事です。 つまり、調査を今回で終わらせろと言う意味です」

まあ、そう来るだろうな。

ソフィーさんが手を回したのだろう。

あの人はそれこそ手段を選ばない。

リディーとスールを、世界の詰みを打開するための人材にするためなら、それこそ何でもするだろう。

アダレットを好き勝手にしているのも。

本人のエゴからでは無く。

この世界のため。

そう考えると、あの人のいう事は正しい。だけれども、それに従っているばかりでは、口惜しい。

せめて一矢は報いたい。それには、毎回きっちり指定の課題をクリアする事が第一だ。

「スール、大丈夫?」

「うん……」

薬には頼れない。

レシピはさほど難しくはなかった。一種の精神制御剤で、今のリディーにも、お父さんにも作れる程度のものだ。

ギフテッドの抑制という、そもそもギフテッドを使いこなしているフィリスさんが何故作ったのかよく分からない薬だ。あの人が無駄をするとも思えない。或いは、ひょっとしてだけれども。

ギフテッドを人工的に作り出す計画があったのかも知れない。

万回単位で世界の終わりまで見ていて。そしてその記憶を残していると聞いている。

それならば、そういった薬を作る必要がある計画を立てた周回があったのかも知れない。勿論、上手くは行かなかったのだろう。上手く行っていたら、リディーとスールのようなポンコツ姉妹に、此処までの試練をぶつける必要なんてなかったのだから。

真っ青なスール。

鼻を鳴らすと、アンパサンドさんは先に言う。

「今回は採取は全般的に広く浅く。 戦力を温存しつつ調査し、その後は最深部を目指して、一気に不思議な絵画の調査を終わらせます」

「分かりました」

「スール、足を引っ張ったら……」

「いや、アン、もうちょっと手加減を……」

助け船を出したマティアスさんが黙る。アンパサンドさんに一睨みされたのだ。

最近態度が柔らかかったスールのフォローをしたいのは分かるが。此処のレンプライアは、結構強い。強いのはあらかた片付けたけれど、最深部には何がいるか分かったものではない。

一人の連携ミスで、全滅の可能性が出てくるのだ。

ソフィーさんが噛んでいる事は、アンパサンドさんも理解しているのだろう。要するにそれは。

何が奥に潜んでいるか知れたものではない、と言う事だ。

マティアスさんはこの辺り理解出来ていない。

アルトさんに、深淵の者との関係を聞かされたとき。

既にマティアスさんは巻き込まれている。

アンパサンドさんがあの時即時で戦闘態勢にそれが理由。

もっとも。

状況から考えて、ミレイユ王女も、深淵の者には逆らえないのだろうが。

絵に入る。

レンプライアは露骨に減っている。やはり、大物を倒す事には、大きな意味があるようだ。小物ばかりがいるが、いずれも今まで戦って来たレンプライアよりも小さいし。戦力に差も無い。

特徴はそれぞれ厄介だが。

だがどうもレンプライアというのはパターンが少ない存在らしく。

同じ能力を持っていてより強い、というものはいても。

獣のように、まるで別物のような能力をひっさげて強化された個体が出てくるような事はほぼない。

採集をしたいけれど、我慢する。

時々、アンパサンドさんが空中機動を使って、周囲を偵察。

地図を作り上げていく。

どうやら、あの砂漠の不思議な絵画「エテル=ネピカ」と違って、この世界は平面で出来ているらしい。

遠くは暗い壁になっていて。

地平線の類も確認できないそうだ。

また、時間とともに星が動く様子も無い。

要するに、この絵を描いた錬金術師にとって良いものだけを集めた世界という仮説は当たっている、と言う事だろう。

今まで見た所を、レンプライアを駆除しながら一通りみて回る。それほど強いのはやはりいない。

何か強力な敵が入ってきたと判断し、戦力を集中している可能性はある。

また、意図的に弱いレンプライアばかりをぶつけてきていて。

悪辣な罠に誘導している可能性も否定出来ない。

アンパサンドさんが少し先を歩いているが。

彼女も、徹底的に周囲を警戒してくれている。此方も、いざという時の攻撃に備えていなければならないだろう。

スールを心配そうにルーシャが見ている。

スールは青ざめてはいるが。

少なくとも、現時点で連携を乱すような行動は取っていない。

フィンブルさんが見かねたか、スールの側につこうかとリディーに視線を何度か送ってきたが。

首を横に振った。

駄目だ。

此処は、スールが。

自分で壁を越えなければならないのだ。

「!」

足を止める。

上空に上がって、降りてきたアンパサンドさんが。ハンドサインを出してくる。

どうやら中枢を見つけたらしい。

ここからが、恐らくは本番だ。

皆が気合いを入れる。ルーシャに至っては、傘の調子を確認している。どんどん拡張肉体も改良しているようだけれど。ルーシャはいつも相当な無理をしている。傘だって、毎回壊れているのを、必死に直しているのかも知れない。ハルモニウムを投入しているとなると、傘の修理費は、ヴォルテール家であっても無視出来るものではないだろう。

丘に、うねった道が走っていて。

そして、丘の頂上に出ると。

それが見えた。

虹色に輝く、巨大なる水晶の塊だった。

レンプライアは、少なくとも見かけられない。だが、嫌な予感がビリビリする。

先にアンパサンドさんが行く。

しばらく、周囲を固めながら警戒。

勿論、丘を迂回して背後からレンプライアや、絵に棲息する獣が強襲をしかけてくる可能性もある。

いつでもシールドを張れるようにしながら。

最大限の警戒を続けた。

ほどなく、アンパサンドさんが手を振って来た。どうやら、周囲に危険はないと判断したらしい。

巨大な水晶の塊に歩み寄る。

ああ、なるほど。

側に近付くと、分かった。

普通の水晶ではあり得ない、極めてぎらついた輝きである。他は、なんというか無難な美意識が再現されていた。

だが、心の深奥にあるこれは。

まさにこの絵を描いた作者の、真の願望。

ぎらついた欲望が、形を為している、というわけだ。

周囲に警戒を頼んだ後。

リディーは、スールの手を引いて、水晶の塊の周囲をゆっくり廻りながら確認。声を聞いていく。

スールにも聞こえている筈だ。

そして、恐らく此処だろうと思った場所に、杖を降り下ろす。

亀裂が走る。

もう一度。

元々のリディーの腕力では、絶対に何のダメージも与えられなかっただろうと断言できるけれど。

今の、ハルモニウムで作った錬金術装備を身につけているリディーならば。

そして、スールが呼吸を整えると。

渾身の蹴りを叩き込む。

水晶の一部がひび割れ。

そして砕け、吹っ飛んだ。

ぎらついた欲望の塊が、一部崩れて。其所から、泥のようなものが出てくる。触らない方がいいな、と思い。

リディーはスールと一緒に、水晶の欠片だけを回収して、一旦距離を取る。

水晶が血を流すようにして、しばし泥を垂れ流していたが。

やがてそれは収まった。

ぎらついた輝きは消えない。

それどころか、欠損した水晶は、確実に復元していくようだった。

泥も、それに伴って消えていく。

さて、何か罠か何かが仕込まれているか。

しばし警戒するけれど。

どうやら、そんな様子は無い。

スールが胸をなで下ろす。

まだ、人間的な動作をするんだなと、リディーは他人事のように思った。

いずれにしても、悪趣味な水晶は手に入れたが。

アンパサンドさんが顎をしゃくって促す。

これほどの大きさではないが、まだまだたくさん水晶の塊がある。

そして、順番に砕いて調べて見る。

ぼろぼろと宝石や、鉱石が出てくる。いずれも高級な品ばかりだ。

中には七色に輝くものもあった。

ルーシャが声を上げる。

「双色コランダムですわ」

「……?」

「極めて稀少な素材ですわよ。 これは残念ながらそれほど質が良くないようですけれども」

まあ、説明は後で聞けば良いだろう。

全ての水晶の塊を一旦砕き。

そして泥が流れるのを見た後。

その様子をメモしておく。水晶は復元していくが。木っ端みじんに爆破してしまった方が良いのではないかと、リディーは思った。

この絵は俗物的過ぎる。

魂は籠もってはいるだろう。

美しい夜空に庭園、果樹園に邸宅。

それぞれ、本当に好きなものが、これ以上ない程に再現されているのだから。

だが、実際にはどうだ。

深奥にあったのは、現世利益に対するド直球とも言える代物だ。

金貨や権力ではない。もしそうだったら、隠棲しなかったはずだ。アダレットの権力闘争に嬉々として参加していただろう。

このぎらつく輝きを放つ水晶。

更に水晶を砕けば流れ出るおぞましい泥。

総合して考えるに。

この絵を描いた人間は、早い話が承認欲求の塊だった、と言う事だ。普段は押さえ込んでいて、それを徹底的に抑圧していたのだろう。権力には興味はなかったが、名声には興味があった。それが得られなかったから、アダレット中枢から離れたのだ。

多分だが。

この絵を描いた人について調べれば、出てくるのは「慎ましやかな人」という評価だろう。

だがその実態はこれだ。

現実に聖人なんて呼べる人は滅多にいない。

確かに立派な人はいるが。

少なくとも「みんな」に聖人だと思われているような人間の正体は、大体こんな所なのだろう。

ますます「みんな」が嫌いになる。

顔を上げたのは。

どうやら、これ以上壊されるのを嫌がったらしい水晶から、泥が自動的にあふれ出したからである。

それはこの水晶の広間の中央に集まり。そして、見る間に巨大なレンプライアに「編み上がって」行く。

そうか、レンプライアはこんな風に出現するのか。

他の絵でもそうなのだろう。

絵にはどうやったって悪意が籠もる。

その悪意が、こうやって形になり、どんどん成長して行くことによって。

最終的には、レンプライアという怪物になり果てるのだろう。この絵では、その過程がよりわかり易い、というだけだ。

吠え猛る巨大レンプライア。

上半身だけの奴で、しかも頭部が複雑な形状をしている。一番手強いタイプだ。しかも、今まで見た中で一番大きい。

殆ど間を置かず、腕を振り下ろしに掛かるが。

真っ先に突進したアンパサンドさんが、顔面を切り裂きながら、後ろの方に出る。腕を振り上げたまま、悲鳴を上げるレンプライアの懐に飛び込んだルーシャがシールドを展開。腕を振り下ろさせない。

此奴らは、腕を地面に叩き付けることで、瞬間的に大規模な魔術を発動させる。

何度も見てきた。

今は、それを防げる動きが出来る。

だから、先手を打って動きを潰すだけだ。

シールドに弾かれた腕を、オイフェさんがけり跳ばし。

更に、渾身の力を込めて、マティアスがレンプライアを斬り伏せ、フィンブルさんが敵左二の腕を跳び上がりながら切りあげ。更に着地しつつ右腕を斬り下げる。

体勢を崩したレンプライアに。

中空に躍り上がったスールが、メテオボールを叩き込みに掛かるが。

瞬間、体勢を立て直すレンプライア。

不自然な動きで、体勢を立て直すと、傷をぼこぼこと泡を噴き上げながら修復しつつ、魔力を周囲に放ち、近くにいるものをまとめて薙ぎ払う。そして、顔に当たる部分に巨大な口が出来。左右に裂ける。

凄まじい光が撃ち放たれる。

狙いは、勿論スールだ。

だが、スールは唇を噛むと。

渾身の一撃で、メテオボールを光に向けて蹴り込む。

一瞬の均衡。

だが、それで充分だ。

地面に手を突き、リディーが魔術発動。

全員の身体能力を、極限まで上げる。

吹っ飛ばされつつも、躍り出たマティアスさんが、再び袈裟に斬り降ろす。フィンブルさんが、裂帛の気合いとともにハルバードを突き込む。拮抗していたメテオボールと光。アンパサンドさんが、敵の頭の上に降り立つ。そして、残像を残して、凄まじい回数斬り付けると、跳び離れた。

ハルモニウム製の刃である。

ナイフであっても、この通り。

頭が一瞬にしてグチャグチャに切り裂かれた巨大レンプライアが、流石に尻込みし、光をメテオボールがブチ抜く。

上半身を消し飛ばされたレンプライアが、大きくのけぞるが。

まだだと、ルーシャが叫ぶ。

空中へ躍り上がる。

空中機動が出来るようになっていたのか。

そして上空から、全力砲撃の体勢に入る。レンプライアはどろりと溶けて泥の海になると、そこから体を再構築。

無茶苦茶だ。

いや、恐らくこの絵の防衛機構と一体化しているレンプライアなのだろう。

この世界の神とも言える存在を半ば喰らっている訳で。

強いのは当たり前だとも言える。

「くそっ! じり貧だぞ!」

斬りかかろうとして、腕で弾き飛ばされ。ずり下がりながらマティアスさんが叫ぶ。リディーの支援魔術でも、捌ききれていない。

スールは渾身の一撃でとどめを刺せなかったこともあって、地面で大きく息をついている。人間用の栄養剤を口にして、必死に復帰しようとしているが。少し掛かる。

フィンブルさんとオイフェさんは必死にレンプライアの足止めをしようとしているが。

近付こうとする度に、腕や。腕からのびた触手に弾き飛ばされて、接近を許して貰えない。

更に、触手はリディーにも飛んでくる。

シールドを展開。弾き返すが、その隙を突かれる。

レンプライアがぐっと上を向き。その体が変形。巨大な長身銃のように、筒状になる。

まずい。

上空にいるルーシャが狙いだ。

間に合わない。

光が、一気に収束していく。ルーシャの大規模砲撃よりも、明らかに相手の攻撃の方が早い。

そしてさっきの攻撃を受けて学習したか、アンパサンドさんに無数の触手が常時まとわりつき。接近戦を許さない。

更にはマティアスさん、フィンブルさん、オイフェさんにも、同じように腕から伸びる触手が常時食らいつき続け、接近させない。

まずい。

リディーも、気を抜くと触手が貫きに来るのである。触手の先端は鋭い刃状になっていて、突き刺されたら多分死ぬ。

その時、動いたのは。

スールだった。

皆の間を、驚くべき速度で駆け抜けると。

フラムを一つだけ放り込む。

敵も、小さすぎる爆弾に、なんだと思ったのか、五月蠅そうに払おうとしたが。その瞬間。バトルミックスで、極限まで増幅されたフラムが炸裂。敵の体の四割以上を削り取った。

ぐらりと傾ぐ巨大レンプライア。

体勢を立て直そうと、触手を伸ばすが。それを切り裂いたのはアンパサンドさんである。ここぞとばかりに動いた。

絶叫しつつ、それでも砲撃の体勢を崩さないレンプライアだが。その横っ面を、今の隙を突いて突貫したオイフェさんが、拳で張り倒す。

全員が跳び離れる。

詠唱が乱れ。

体勢を崩したレンプライアに。

総力でルーシャが砲撃をぶち込んだからである。

きのこ雲が上がる。

呼吸を整えながら、ルーシャが降りてくる。

流石に、もはや。

巨大レンプライアは、再生する事もなく。さっきのより多少マシな品質の双色コランダムや、宝石をボロボロ落としながら。劫火の中、溶け消えていった。

 

4、終焉の鐘の音

 

不思議な絵画を出た後、応接室で軽く話をする。調査のレポートを出すこと、それは出来るだけ早い方が良いこと、などをまた言われる。もう何度も何度も言われたが。スールの状態を見るに、念押しした方が良いとアンパサンドさんは思ったのだろう。

咳払いすると。

アンパサンドさんは付け加えた。

「最終的に勝てたのはスールのファインプレーのおかげなのです。 失点を挽回したのです」

「ありがとう、アンパサンドさん。 迷惑掛けてごめんなさい。 まだ、完全には慣れていないけれど、出来るだけ早く適応するから」

「……」

頷くと、解散。

帰り道を歩きながら、双色コランダムについて、ルーシャから幾つか説明を受ける。

宝石としては、金剛石をも凌ぐほどの貴重品であり、魔力媒体としては深核や竜核に迫る程の価値があるという。

ヴォルテール家でも、仕入れた記録が限られた回数しかないとか。

残念ながらクズ石だが。或いは、もっと条件が厳しい不思議な絵画でなら、もっといいものが見つかるかも知れないと言われて、頷く。

「この一番良いのはルーシャにあげる。 他のは頂戴」

「……いいんですの?」

「正しい判断もフィニッシャーになったのもルーシャだったし」

「そうですか。 ではいただきますわ」

アトリエ前で別れる。

ルーシャの背中がつらそうだ。オイフェさんはまったく配慮している様子が無いが。誰か、ルーシャを支えてくれる人はいないのだろうか。

リディーとスールの助けを、ルーシャは良しとしないだろう。

多分だけれど。今の状況を見るに。この計画を深淵の者が始めた時に。最初にルーシャに脅しが入ったのではあるまいか。それもソフィーさん辺りから直々に。

それでは、ルーシャは誰にも相談できない。

必死にリディーとスールのために、命を削るしかない。

悔しい。

ソフィーさんのやり口は効率的で、正しい。だけれども、血が通っていない。もう、人間の視点では無いのだから当たり前かも知れない。だけれども、一矢報いたい。

とはいっても、「みんな」がどれだけ駄目な存在かはリディーもよく分かっている。だから、今は少なくとも。

対案でも見つけない限りは。ソフィーさんに従うしかない。例え、血の涙を呑んででも、だ。

アトリエに戻り、コンテナに戦利品をしまうと。

つかれている体にもうひとがんばりだと言い聞かせて、レポートを仕上げてしまう。スールとダブルチェックをしている間に、お父さんが出来合いを買ってきてくれた。とても有り難い。

スールがレポートを出しに行く。

今回の絵について話をすると、お父さんはそうか、と頷いた。

「絵画には……小説もそうだが、ある程度以上出来がいいものは作り手の心の鏡と言って良い存在になる」

「深奥のあのぎらついた欲望、あれが本質だというのはよく分かったよ」

「そうだな。 だが必死に取り繕って、美しく見せようと工夫する努力も斬り捨てることはしないでくれ」

「……」

お父さんがこんな事を言うという事は。

不思議な絵画について、関わっているからだろうか。

お父さんの理想とする天国を描いた絵。

あの中に入った時。

本当に美しいと思った。

だけれども、そんな都合の良い世界などあるわけが無い。美しさの影には、それ以上の醜さがあるのだ。

むしろ、あの砂漠の不思議な絵画のように。無理矢理に人の心を覗きたいという、直球の欲望が具現化していた方が、まだわかり易かったかも知れない。いずれにしても、もう彼処には入りたくないが。

スールが戻ってきたので、夕食にする。

もう、あまり時間がない。

リディーはそれを悟っていた。人である事が出来る時間は。残り少ない。

 

ソフィーはアルファと直接話をしていた。アルファ商会のボスであり、この世界の経済を実質的に握っている頂点であるホムは。吹っ切れて義眼も義手も、自然に見えるものを用いているが。

それでもこの世界への怒りは未だに強く心に燃やしている。

この世界において、経済などと言うのは脆いものでしかない。

人間の社会が全てを支配しているわけではないからだ。

経済そのものは勿論重要だが。

アルファ自身もそれは心得ている。

そして、欲望や野心が薄く。合理的に考えエゴを優先しないホムであるアルファだからこそ。

経済を統べる者に相応しい。

二十三万回以上世界の終わりを見てきて。

それまでに、深淵の者で四苦八苦をして終わりを止めるべく苦労を重ねてきたが。

アルファは毎回、誠実に最後まで己の仕事を続けてくれた。

だからソフィーとしても、信頼感がある。

アルファ自身はソフィーの事をあまり好いてはいないようなのだが。

それはどうでもいい。

利害の一致で、完璧に動ける。

それだけで充分過ぎる程、得がたい人材だという事である。

「なるほど。 今後は超越級の錬金術師を、更に二人カウント出来る可能性が高いという事なのですね」

「うん。 アルファさんも、今回の出費は厳しいと思うけれど、何とかしのげそう?」

「詳しくは会議で説明するのですが、アダレットがどうにか騎士団の再建を完成させる事で、負担を減らせそうなのです。 コルネリアも良く稼いでくれていて、まあギリギリの所で持ち堪えられそうなのです」

頷く。

そして、アルファとの会話を切りあげ。自室に戻った。自席に着くと、膨大なデータを並行処理しつつ、思考を巡らせる。もう素のスペックがそれを可能とさせるだけの段階に達しているのである。

さて、ここからが本番だ。

双子はどうにかなりそうである。今まで散々苦労させられたが。しかしながら、やはりファルギオルを超えられたのは大きかった。後は予定通りに事態を進展させれば、超越級の錬金術師に育てられるだろう。もうギフテッドに目覚めているのも確認している。理想的な展開だ。

そうなると、今後は人に戻れたプラフタと、ルアード。そしてルーシャが重要になってくる。

プラフタを人に戻そうという計画は、実は前の周回でもあった。色々条件が揃わなかったり、本人が望まなかったりで、実現しなかったのだが。今回は、プラフタは錬金術を行える体に戻った。既にアンチエイジング処置も施している。記憶の引き継ぎも、以前以上に完璧に出来るだろう。

ルアードも、恐らくは同じように処置が出来る筈。

ただ、流石に今更、だろう。

ルアードとプラフタは、もうなれるとしても、男女の仲になろうとも思わないようだった。お互い、容姿やら男女で親友関係だったことで、散々周囲に面倒な目にあわされたからというのもあるだろうし。そもそもずっと一緒に暮らしていたことで、互いを男女とは認識していないのが大きいのかも知れない。

別にそれで良いだろう。そういう関係があってもいいし。最大の信頼の末が、つがいになる事でもあるまい。

プラフタとルアードは、錬金術師になれば。今までの蓄積記憶分もあって、恐らくは超越級の錬金術師に近い実力を発揮できる筈。

そして、双子が育ちつつあり。もう殆ど手が掛からなくなってきた今。

ソフィーの興味はルーシャに移りつつある。

ルーシャが此処まで育つとは、正直想定外だった。

完全な当て馬だと思っていた。だがイルメリアちゃん以上の努力の末に、文字通り血を吐きながら、ハルモニウムまで完成させた。

もう少しちょっかいをだしてやれば。

上手くすれば、賢者の石に手が届く可能性もある。或いは、リディーとスールと一緒に、賢者の石を作らせる手もある。フィリスちゃんとイルメリアちゃんにさせたように。

最低でも五人、超越級の錬金術師が必要。

それはソフィーの計算で。恐らくあっている。

だが、もしこれが八人になれば。

本当に、今までどうしようも出来なかった世界の詰みを打破できるかも知れない。

ソフィーは勿論大まじめに世界の詰みの打破に取り組んできた。

そして、もしもそれを成し遂げたら。

他の知的生命体との共存を成し遂げられるのかにも興味がある。

一つ、思いついた事がある。やっておくのも良いだろう。

鈴を鳴らす。

即座に、その場にティアナが跪いていた。

「ソフィー様、何用にございますか」

ティアナは、仕事がない時には眠らせている。本人もそれで良いと言っている。人斬りが楽しくて仕方が無いのだし。それ以外の事は全てが退屈らしいのだ。

そのため、こうやって仕事が必要な時はすぐに呼び出せもする。流石に仕事中には呼び出せないが。

「ある人物を消してきて貰おうかと思ってね」

「はいっ! ソフィー様の命令であればすぐにでもっ!」

「うふふ」

指示をすると、嬉々としてティアナは飛び出していく。

さて、仕上げだ。

今度こそこの世界の詰みを打破してやる。

 

(続)