人を終える時

 

序、戦いに備えて

 

Aランクの試験を受けている最中といえど、国から仕事は来るし、物資の納入もしなければならない。今回、仕事はこなかった。多分ソフィーさんの試験を受けている最中だったから、国が考慮してくれたのだろうけれども。

その代わり、物資の納入は当然必要だった。

薬などの物資を全て納入。

更に、プラティーンを用いた錬金術の装備品を幾つか納品しておく。ハルモニウム製に切り替える際に、「お古」が出てきたのである。勿論自分達にとっては型落ちになるだけであって。

騎士団にとっては、そもそも錬金術の装備そのものが貴重なことに代わりは無い。

騎士三位は支給されれば良い方。

もうその話は聞いている。

従騎士にも出来れば装備品が行き渡れば。それだけで生存率は倍増しで上がるだろう。その話も聞いている。

だから、今回いつもの倍以上の装備品を納入したことで。

いつも受付をしてくれる、モノクロームのホムの役人は喜んでくれたようだった。

「これは有り難い。 お二人には感謝しなければならないのです」

「いえ。 活用してあげてください」

リディーが頭を下げているが。

作り笑いなのがスールには見えていて。

そして、膝の震えが止まらなかった。

そろそろ、自分もああなる。

分かってはいるのだけれど。この間ソフィーさんに直接脅しを掛けられて、それを嫌でも実感してしまった。

本来だったら恐怖で失神していただろうけれど。

それでも粗相する程度で済んでいたのだ。

要するにそれだけ精神がおかしくなってきている、という事である。

自覚はある。

匪賊などに対して、恐ろしい程冷酷になって来ているし。

戦闘時の攻撃性も高まっている。

だけれど、静かに狂っているリディーを見ると。

深淵に染まるという事が、如何に恐ろしい事を客観的に見せつけられて。そして必死にあがこうとする自分も感じてしまうのだ。

恐らく深淵に行かなければこれ以上の成長は無い。

それも分かっているのに。

どうしても、恐怖が先立つ。

リディーは多分、このまますとんと深淵に落ちていくだろう。それを阻止することはきっとできない。

スールは。

このままおいていかれるのか。

双子なのに。

錬金術師としての才能も。

あからさまに劣ったまま、おいていかれてしまうのか。

しかし、もうどうしようもない。

帰り道、ずっと冷え込んだ気がする街路を歩きながら、スールは思うのだ。

次に邪神と戦う時。

死んでしまったら、楽になるのだろうか。

いや、そうはならない。

万回も繰り返している、という話ではないか。

ソフィーさんは事故くらいにしか思わない。

どうせまたやり直しをさせられる。

そして今更ながら気付く。

きっと今までも。

何度も何度も死んでは、きっとやり直しをしていたのだ。ソフィーさんは、リディーとスールに期待しているような目をまったく向けていない。

それは早い話。

出来が悪いことを知っているからでは無いのか。

勘が告げているのである。

魔力が見えるようになって、何倍も冴えるようになった勘が。

深呼吸をしながらアトリエに。

お父さんが黙々と薬の調合をしていて。そして、入れ替わりに荷車を引いて納入に行った。

お父さんは別口で国から仕事を受けているので、こればかりは仕方が無い。研究にも力を入れているし、どうしてもこういう無駄は生じてしまう。何よりも、放置しておくとお父さんは外に出ない。

お仕事なりなんなりで、こうやって無理矢理にでも歩いた方が良いのかも知れない。

椅子に座って、机に突っ伏して、しばらく無言でいる。

お茶をリディーが淹れてくれた。

良い香りがするし。

美味しいお茶菓子だってあるのだけれど。

味がしないのだ。

「スーちゃん、少し休んだら、ハルモニウム作ろう」

「うん……」

「ドラゴン戦でもあれだけ大変だったんだよ。 邪神戦が控えてるんだから、力は全て出し切らないと」

「うん……分かってる」

顔を上げる。

ぞっとした。リディーが笑っていない。声だけは優しかったのに、目が一切笑っていないのだ。

グダグダしていないでとっとと動け。

そう言われている気がして、背筋が凍り付いた。震え上がっているスールにまったく頓着せず。

リディーは茶をさっさと飲み干し、作業に移る。

スールも恐怖には逆らえず。

それに従うしか無かった。

作業は嫌でも覚える。

これしか長所がないのだ。一度作ったものは上手に再現出来る。この特技がなかったら、スールなんてとっくにリディーに遙か先まで置いていかれていただろう。必死にだから磨いた。昔の馬鹿な自分は捨てた。今は。あれ。なんのために、こんなに頑張っているんだろう。

お母さんにいわれただろう。この国一のアトリエになってって。

それは分かっているけれど。この国には、怪物同然の三傑が既に来ていて。彼女らのアトリエがある。

みんなのために。それも違う。

そもそも「みんな」の醜さは、嫌と言うほど見てきたでは無いか。今更「みんな」のためなんぞに働けるか。

昔は、もっと前向きに動けていた気がする。

しかしながら、である。スールには分かるのだ。

この世界が詰んでいるという「事実」が。

想像以上にやばいという事が。

あの、手段も何も選ばないソフィーさんやフィリスさんがいて。あの人達は邪神やドラゴンを遙かに凌ぐ強さも持っていて。

その気になれば、全ての人間を無理矢理従わせて、好きにだって出来るだろうに。

それでも詰みは打開できない。

そもそも創造神が詰みを打開できないというのだ。

何とかして打開しようとあがいているという話だけれども。

スールには分かっている。

これからリディーとスールは、その悪夢の事業に参加させられる。

参加させるためなら、それこそソフィーさんはリディーとスールをこの国一の錬金術師にでも何でもしてくれるだろう。

だが全ては掌の上だ。

シスターグレースと、フリッツさんと、ドロッセルさんがやっていたような人形劇とは違う。

あれは命も籠もっていたし、愛情も籠もっていた。

愛情も何も無く。

命令の通りに動く事だけを要求される。

協調性という美辞麗句を元に、あらゆる人間的な権利も剥奪されるだろう。

実際問題、どんどん人間性が体の中から消えているのが分かる。

ソフィーさんやフィリスさんのようになる。

イル師匠だって、多分今は人間の皮を被って見せているだけに過ぎない筈。

それが分かるから。

スールはもう、怖くて、震えが止まらなかった。

ともかく、動く。

それはする。

最高の中和剤が出来たのだし、竜の鱗の質だって上がっている。ハルモニウムの再生産を、リディーと一緒に行う。

次は邪神戦。

手を尽くせるだけ尽くさなければ確実に死ぬのだ。

黙々と作業をしている内に。

リディーが、炉を調整しながらいう。

「少し調べて見たよ、邪神「青花の侵食神」」

「うん……どんな奴?」

「此処から馬車で一週間ほどいった、アダレットの辺境。 海近くにある、「自然林」に棲息する邪神だね」

「!」

この世界に、自然の森は殆ど無い。

規模が少し小さい林でも同じ事だ。

そういう森には、ほぼ確実に邪神が住んでいる。そいつらはドラゴンほど見境がないわけではないが。

人間に対しては極めて残忍で冷酷だ。

「邪神としての実力は具体的には確認できなかったけれど、多分この間のゴルドネアより強いと思うよ」

「どうやって倒すの?」

「本当はヴェルベティスが欲しいけれど、まずはみんなの武器の更改から……だね」

「……」

ハルモニウムを作り、登録する。

その登録したハルモニウムを鍛冶屋の親父さんの所に持ち込む。

加工に関しては親父さんに任せてしまってかまわないだろう。

そもそも邪神というのは、高位のものはあのファルギオルが分類されるほど存在で。ファルギオルが病み上がりの上に、極限まで弱体化してあの実力だった事を考えると。とてもではないが、本来人間が相手をする存在では無い。

はっきり言って怖い。

だけれども、それ以上にだ。

「この試験を突破したら、次にSランク試験が控えているんだよね」

「そうなるね」

「……きっと、もっと無茶をいわれるね」

「そうだろうね」

リディーが、適温まで炉が暖まったと合図を送ってくる。

即座に対応。

時間を計る。

適温でしばらく温めた後。

今度は温度を下げていく。

充分に温度を下げたところで、ハルモニウムを炉から出す。なるほど、確かにアルトさんの言う通りだ。

凄まじい魔力が立ち上っている。

熱気ももの凄いが。それ以上に、此処に我ありという存在感を、ハルモニウムのまだインゴットにもしていない塊が叫んでいるのだ。

あれ。

何か、本当に聞こえたか。

ともかく、塊をハンマーでかち割って、不純物を取り除く。

そして、また炉に入れて温める。

何度か同じ作業を繰り返して。充分に純度が上がったと判断した時点で、ハルモニウムを回収。

ハンマーを振るい、インゴットに加工した。

明らかに、前より段違いの出来だ。

鱗の品質が上がったこと。中和剤にドラゴンの血を使った事。それだけで、此処までの効果が出るのか。

確かに前とは比べものにならない。

だが、これをコルネリア商会に登録して、同じものを増やす場合。

出費も、恐らく意識が飛ぶほどのものになる筈だ。

それでも、やらなければならない。

すぐにコルネリア商会に行き、査定して貰う。ハルモニウムの鑑定については、コルネリアさんは慣れている様子で。淡々と値段をつけられた。

幸い、前の五割増しほど。

気絶するほどの金額では無かった。

ぎりぎり、蓄えも消し飛ばない。

ともかく、複製を頼んだ後アトリエに戻る。そして、増えるまでの二日間。返して貰ったハルモニウムで、装備品をもう少し改良しようという話をする。精神的に幾ら参っていても。自分達以外の命も掛かっているのだ。

こういう所では、頭も働く。

「作戦を立てておこう。 青花の侵食神だっけ。 もう少し詳しい情報は」

「邪神について共通しているらしいんだ。 ファルギオルの性質」

「ええと、超再生力と、コアをどうにかしないと死なないって事?」

「そうなるね」

なるほど。

そうなってくると、やはり不思議な絵の具を使うべきだろう。

「相手は植物なんだよね」

「一応花の神らしいけれど、森から生きて出た人間はいないみたいだよ」

「だったら、森を痛めるわけにもいかないし、もういっそ森ごと塗り替えて別世界にしちゃおうよ。 足枷つきで、ゴルドネアより強いようなのと戦って勝てる訳もないんだし」

「……装備を改良して、武器を改良しても、結果は同じだろうね」

頷くリディー。

森の性質について確認する。

邪神がいるような森だ。ひょっとしたら、灼熱の森かも知れない。ファルギオルの無茶苦茶ぶりを思い出すと、どんな森でも不思議では無い。

「年中恐ろしく冷え込んでいる森みたいだよ。 ずっと霧が出ているみたい」

「……そうなると、やっぱり単純にフーコと火竜の世界に切り替える?」

「それがよさそうだね」

「分かった。 不思議な絵の具について、ギリギリまで改良を試みてみる。 最初から森全部、灼熱地獄にしちゃった方が良いと思うし」

森の何処にその何とか神が棲息しているか分からないのだ。

それなら、いっそ森ごと世界を塗り替えて。

一気に畳みかけるのが吉だろう。

どうせ獣も山ほど住んでいるのだろう。出来れば手数は増やしたいのだが。

指定されている時期を考えると、多分ソフィーさんも、フィリスさんのように、特大の嫌がらせをしてくる可能性が大きい。

騎士団の一部隊も、多分出してはくれないはず。

パイモンさんが来てくれるらしいのはとても心強い。

多分、ドロッセルさんも雇えるはず。

出来ればもう一声欲しいのだが。

これ以上は予算的にも厳しいか。

ドアがノックされる。

マティアスだなと思って、出ると。やはりマティアスだった。この辺り、気配とか読めるようになって来ているので、もう分かる。

「よーっす。 ちょっとな、とんでもないミッションが来ていてな」

「邪神?」

「……知ってるとなると、深淵の者がらみか。 俺様、マジ泣きそう」

肩を落とすマティアスに、アトリエに入って貰って話を聞く。

やはり、騎士団の部隊は出せない。

三傑も忙しくて出られない。

そんな状況で。

辺境にいる邪神、「青花の侵食神」が動き出したのだという。

邪神はネームドとは完全に格が違う相手だ。

マティアスによると、現時点で三傑がかなり退治してくれたものの、まだアダレットとラスティン、あわせて国を挙げてもどうしようもできない邪神が十柱以上存在していると言う。勿論存在している付近では、出来るだけ集落は敵意を買わないように、気を付けて動かなければならない。

邪神の実力はドラゴンとも更に桁外れで。

あまりにも危険な存在のため、マティアスも勉強で教えられたという。

場合によっては、ラスティンに援軍を要求する相手だというからだ。国にとっての最大脅威である。王族が知らないわけにはいかないのだ。

現時点で、「青花の侵食神」は比較的脅威度が低い邪神らしいのだが。

それでも森の中に住んでいる事もあって手が出しづらいのだとか。

「下位の邪神は殆ど「エレメンタル」って呼ばれる連中なんだが、エレメンタルでもピンキリでな。 光や闇のエレメンタルになってくると、中位の邪神と同じくらいの実力になってくる。 再生力もファルギオル並みだ」

「ええと、エレメンタルでは無いという事は、「青花の侵食神」は中位……まさか高位邪神?」

「その通りだスー。 「青花の侵食神」は中位邪神、なんだがな。 少し前……アトリエランク制度が始まる直前くらいかな。 事前に打ち合わせに来てくれていた「創造」イルメリアが、森から出てきたところを軽く捻って弱体化させてる。 今はかなり弱っているらしくて、下位の邪神、それも真ん中くらいだそうだ」

「それでも、ゴルドネアよりは強い、ですね」

リディーの言葉に頷くマティアス。

幸い、動き出してはいるが、街に強襲をしかけようというそぶりを見せているわけではなく。

荒野に触手を伸ばして。獣を補食しているという。

監視班がその様子を確認して、連絡してきているそうだ。要するにイル師匠にぼっこぼこにされて、身動きも出来ない状況になっていた所から。体を回復させて、縄張りを拡げようとする段階に移ろうとしている、という所か。

本来なら、放って置いても森が拡がるのだから有り難いのかも知れないが。

その森が、獣だらけの危険な森となれば話は別だ。

街を守ってくれる森ならともかく。

多少凶暴性は落ちるとは言え、ネームドクラスの獣だらけの森なんて。

ふと思いつく。

そんな森なら、ヴェルベティスの材料が手に入るのではあるまいか。

挙手。

マティアスが頷いた。

「あんまり余計な事は言えないんだが、分かる事は出来る範囲で答えるぞ」

「ねえマティアス、邪神退治した後、どうせ森の獣もあらかた駆除するよね」

「あ、ああ。 そうなるな」

「それだったら、ある程度の期間滞在することになるよね」

頷くマティアス。

しかも好都合なことに、比較的近くに街があるという。補給拠点として活用出来る、ということだ。

大型荷車の出番らしい。

ドラゴンほどの巨体は誇らないはずだ。多分、素材は乗せきれる。

問題は人員だが。

これについては、ルーシャの方と手分けするしかない。パイモンさんも、或いは飛行キットつきの荷車を持っているかも知れない。あの人の実力なら、持っていてもおかしくはない。

フィリスさんと旅をしたと言うのだから。

「国庫の利用をする事を、事前通達できる?」

「ああ、まあそれくらいは俺様でやっておくけど」

「じゃあ後は、こっちでやっておくよ」

ともかくだ。生き残らなければならない。戦いが間近になると、やはり頭はどうしても働く。

深呼吸すると。変貌が酷くなってきているリディーの事は一旦忘れる。壊れかけている自身のことも忘れる。ルーシャとパイモンさんと、飛行キットについて相談しなければならない。

マティアスが帰った後、リディーと軽く話し。そして、スール自身が、ルーシャとパイモンさんのアトリエに出向く。二人にも既にこの仕事の話は行っているはず。ならば生き残るためにも連携しなければならない。

パイモンさんは、経歴から考えても深淵の者関係者の可能性が高い。

ルーシャはもう殆ど深淵の者に人質に取られているに等しい。

それは、今は忘れる。

皆で生き残るために。此処で、しっかり話し合いをしておかなければならないのだ。

 

1、邪神の森で

 

指定の日。城門に集まる。

そして、城門を出てから。森の中で、遮音の結界を張って。それから、周囲を確認し。気配がないことを念入りに調べる。

勿論ソフィーさんやティアナさんみたいな次元の人が潜んでいたら、それはどうにもならないけれど。

少なくとも騎士団員や、匪賊程度だったらいないと断言できる。

ため息をつくと。

飛行キットをつけてきているルーシャの荷車。それにパイモンさんの荷車を見た。

やっぱり二人とも、もう完成させているのか。

パイモンさんはフィリスさんと旅をしていたという話だし、作れていてもおかしくない。ルーシャはそろそろフィリスさんが追いつくと行っていたから、かなりギリギリだとは思ったのだが。

どうやら、問題は無かった様子だ。

裏庭においていた大型荷車の初陣である。

パイモンさんが咳払いする。

「飛行キットをつけて空を征く場合、幾つか注意することがあってな」

「聞かせて欲しいのです」

アンパサンドさんの言葉に、パイモンさんは頷いた。

まずシールドは常時展開する。一定以上の飛行高度を保つ。これは事故を避けるためである。

シールドはバードストライクや、空を舞う獣からの攻撃から身を守るため。

実は飛行キットをフィリスさんが開発するとき、この辺りはかなり試行錯誤を重ね。現在はかなり完成度が上がったレシピに切り替わっているという。

その代わり難易度も跳ね上がっているため。

旧式の飛行キットの場合、特にバードストライクなどに注意が必要になるそうだ。

「更に上空にも注意がいる。 ネームドにまで育ったアードラが、狙いをつけて一点突破を狙って来る可能性があるからな」

「分かりました。 シールドは常時展開しつつ、周囲にも警戒を払うのです。 戦闘になると判断したら、着陸した方が?」

「うむ。 ただし、着陸の瞬間を奇襲される可能性もある。 地面を調べる結界は使えるな」

リディーが頷いた。

なるほど、飛行キットつきの荷車で、相当な戦闘経験を積んで来ているというわけだ。本当に開発者であるフィリスさんと一緒に、彼方此方旅してきたんだなという事が分かる。昔はフィリスさんは、正義感が強くて純真だったという話も。この人の口から聞くと、信憑性が高くなる。

それから、他に幾つか注意がされる。

街の上空は出来るだけ飛ばないようにすること。

これは、街が防衛用の大型シールドを展開している事があるかららしく。下手をすると激突するそうだ。

昔はともかく、ここしばらくはインフラ整備作業をフィリスさんがやっている。

と言う事は、どの都市に防衛用のシールドが展開されていてもおかしくない。イル師匠も、その辺りは作業をするだろう。

ならば、街は避ける必要があり。

必然的に街道から外れた場所を通る頻度が上がる、というわけだ。

その代わり、移動速度は凄まじく。

それこそ一発で現地に到着できる。今回はかなり遠い辺境領に行くのだが、パイモンさんの話では、片道半日もかからないそうだ。

それはすごい。

これが誰も作れるものとなったのなら。

それこそインフラに革命が起きるだろう。

ただし、現時点では、シールドを破りかねないネームドの脅威があるし。荷車ごとに錬金術装備で武装した手練れも必要になる。

それらを考えると、とてもではないが、誰もをすぐに輸送する、と言う訳にはいかないのが実情だ。

他にも幾つか注意を受けた後。

それぞれ、飛行キットを展開した荷車に分乗する。

先頭はパイモンさんが。これは、経験者だからである。マティアスに一緒に乗って貰うのは、シールドを展開して貰うためである。

マティアスの着ている具足や盾には、今更聞かされるのだが、相応の錬金術での加工が施されていて。

それで今までシールドを展開出来ていたらしい。

まあそれはどうでもいい。シールド係として、初撃さえしのげればいいのだから。最近はアタッカーに回って貰っているが、マティアスのシールドは頼りになるのである。

次はリディーとスールの大型荷車。

これは操縦をスールが行い、シールドをリディーが担当する。ドロッセルさんも、これに乗って貰う。

邪神退治は久しぶりだと楽しそうなドロッセルさん。

色々此方は肝が冷えて仕方が無い。

更に後方はルーシャの荷車。操縦はオイフェさんがする。既に徹底的に仕込んであるので大丈夫だそうだ。

ルーシャはシールドを担当。

なお、アンパサンドさんは此方に乗る。

ドロッセルさんとアンパサンドさんが同時に潰されたら、生存の可能性が落ちるから、というのが理由らしい。

上空を行く場合、色々と注意がいるのだなと思った。

なお、荷車に乗る前に。

マティアスとアンパサンドさん、それにフィンブル兄に渡す。

それぞれの、ハルモニウム武器である。

アンパサンドさんに渡したのは、一対のナイフ。ハルモニウムの、美しく高貴な青紫。しかも刃紋が乗せられている。これは、アンパサンドさんが使うに相応しい武器にするため、という事なのだろう。確かに無骨なだけでは無く、美しさもある。

ただ切れ味が尋常ではなさすぎるため、特注の鞘が必要だった。この鞘を作るのがまた大変だった。

ナイフは前のより一回り大きいが、それは理由として、軽いからである。

間合いが少し伸びるが、その間合いの分、振るった範囲にあるものは全てが切り刻まれる事になる。

ハルモニウムの切れ味は尋常では無い。

少し演舞してみて、充分にアンパサンドさんは気に入ったようだった。

「元のナイフには愛着があるのですが、これは……」

うっとりした様子でアンパサンドさんがナイフを見つめている。

ああ、なるほど。

分かった気がする。

分不相応な人が、こういう武器を手にしてしまうと、人斬りに変わってしまう理由がである。

アンパサンドさんは大丈夫だろうが。

それでも、相当に魅了されている様子だ。

多分、すぐにでも試したいだろう。

続いてフィンブル兄。

ハルモニウムで刃を作り。柄はプラティーンで作ったハルバードである。

元々長柄に限らず武器は、最初鍛冶屋の親父さんが警告していたように。単純な方がはっきり言って強い。

ハルバードは色々出来る武器だけれども。

逆にその色々が、武器としての最終的な性能を引っ張るのである。

例えば同じ才能の槍使いとハルバード使いが、同じ時間練習をした場合。勝つのは槍使いだと鍛冶屋の親父さんはいう。

ハルモニウム製の刃を持ってもそれは同じ。

ただ、今のフィンブル兄は達人と呼ぶに相応しい経験を積み上げてきている。

今ならば。

ハルモニウム製の武具であり。

しかもそれこそ、生半可な使い手が触ったら人斬りマシーンになるような最高品質の武具でも、使いこなせるだろう。

「うむ……!」

もの凄く嬉しそうに目を細めるフィンブル兄。

なんというか、戦士として生まれてくる獣人族らしい喜び方だ。というか、本当は跳び上がって喜びたいのではないのだろうか。ホムであり、感情が薄いアンパサンドさんでさえ、わかり易いほどに喜んでいたのだから。

さて、最後にマティアスに渡す。

正当派のロングソードである。

マティアスの体格などは、親父さんが知っている。完璧な作りに仕上げてくれている。

ハルモニウム製のこのロングソードは、青紫の美しい刀身を見せていて。そして勿論魔術を柄に刻んでいるから。他の武器同様、文字通り下手な使い手が持ったら即座に人斬りマシーンに変貌するような次元の武器である。

マティアスが何度か剣を振るって。

そして、頷いた。

「これに、相応しいって、認めてくれるのか」

「格好いいよマティアス」

「そっか? 俺様かっこいい?」

「そういう事言わなければね」

すぐに落ち込むマティアスだが。まあ良いだろう。

ともかく、武器を渡した後、先にパイモンさんに指示された通りのフォーメーションで移動を開始する。

流石に空飛ぶ荷車で移動開始するとなると、やはり非常に緊張する。

安全なことは事前に分かっているとは言え。

それでも、だ。

確かにものすごく早い。ひゅんと飛んで行く。時々驚いたらしいアードラが避けたり。或いは面白がって追従してくるが。

あまりにもしつこい個体は、そのままパイモンさんが雷撃で叩き落とした。慣れられると困るから、なのだろう。

身体能力を強化して走っても、どうしても今までは速度的に限界があったが。

それこそ邪魔が一切無い状況で、この速度でいけるとなると。

極めて快適である。

しかも揺れないのだ。勿論接敵して戦闘になったら話は変わってくるだろうけれども。その時はその時である。

常に緊張する。

何があるか分からないし。

慣れているパイモンさんについていくために、相当に気を遣い続けなければならない。勿論リディーもそれは同じ。いつ真上から奇襲を喰らっても、シールドで跳ね返さなければならないのだ。

確かに半日で現地に到着。多少疲れたが、それは精神力だけ。体力はばっちりである。無駄な戦闘による物資の消耗を避けたのも大きい。

一旦街に入って、宿を取る。国庫も確認。使わせて貰うだけだが。錬金術師が来たと聞いて、街の長は震え上がっていた。

街の長は年老いた獣人族の男性で。街長を獣人族がしているのは珍しい。多分、昔は豪腕でこの辺りをまとめていた人物だったのだろう。

とはいっても現在はかなり年老いて、単に権力のパワーバランスの問題で長をしているようだった。

後進の育成を怠ったんだなとスールは思ったが。

しかしながら、後進の育成のために手段を選ばないソフィーさんの事を思うと。あまり、後進の育成について口を挟もうという気にはなれなかった。或いは、権力を保持し続けている間に、廻りをイエスマンだけで固めて、こうなってしまったのかも知れないが。しかしながら、どちらにしても、スールにはあまり関係の無い事だ。

「そ、その、邪神が暴れだそうとしているという話は聞いております。 このような小規模部隊で、どうにかできるのですか」

「今回来ているのはBランクの錬金術師が三人に、Aランクが一人。 アダレットとしては、最高の待遇を用意してくれているのです」

「し、しかし……」

「一応念のため、避難の準備を。 ああ、そうそう。 この三人はドラゴンを二体仕留めているのですよ」

パイモンさんはもっと倒しているだろうなと思いながら、一応にこりとして見せるが。

実の所、感情がどんどんおかしくなっている。

リディー程じゃないのだけれど。

ハルモニウムを完成させたあとくらいからだろうか。

散々怖い目にあって。

リディーも加速度的に壊れているのに引きずられているのか。

どうも様子がおかしいのである。

今のも、笑顔を浮かべてみた、という所で。

ひょっとして、この間。

モロにソフィーさんの目を覗いてしまった影響かも知れない。

地獄なんてものじゃない。

本物の悪夢が其処にあった。

あれから、まともに眠れないし。恐怖で体が動かなくなることもあったのだが。ここ数日は落ち着いてきていて。

代わりに、自分が何だか取り返しがつかない所に、足を踏み入れつつあるのが分かってしまうのである。

アンパサンドさんが、役人とも話をつけてくれた。

咳払いすると、耳打ちされる。リディーとスール、それにルーシャだ。パイモンさんは、聞く理由も無いからだろう。荷物を見張りしてくれていた。

「食糧が少し足りないそうなのです」

「邪神が出るから、ですね」

「……」

リディーは即答。

スールは少し考えて理解した。

邪神が活性化している街の近くなんて、怖くて商人は来ないだろう。

来る途中、街道はかなり緑化されている地点も多かった。移動そのものはかなり安全になった筈だ。

だが邪神もドラゴン同様に、人間にはまったく容赦しないのである。

街に入ったところを邪神に襲われたら、文字通りひとたまりもない。

アルファ商会や、コルネリア商会はあるいは来てくれるかも知れないが。

アダレットにいる商人はそれだけではないのだ。辺境になればなるほど、独自のルートや人脈を持っている小規模商人が力をまだ持っている。

そういう商人は、当然耳ざといし、邪神が近くにいることも知っている。

邪神が活性化しているのなら、近付こうとは思わないだろう。命知らずと言うよりも、ただの無謀だからだ。

ドラゴンと戦って見てよく分かった。

ネームドなら、まだ人間が多くの犠牲を出せば倒せる。

獣なら、街の人達でどうにか出来る。犠牲は出るだろうが。匪賊も危険だが、それは同じである。

だがドラゴン以上になると無理。

多分、商人達は、嫌になるほどそれを理解している筈だ。傭兵達も、である。

「分かりました。 どうせ青花の侵食神を倒した後、森にいる獣は根こそぎ退治する予定です。 肉は譲ろうと思います。 この荷車の数では、回収しきれませんから」

「スーちゃんもそれでいいよ。 ルーシャは?」

「わたくしもそれでかまいませんわ」

なんだろう。

ルーシャはちょっと諦めてきているような。まあ、気持ちは分かる。ルーシャが置かれている状況は、常人だったら発狂しかねない。深淵の者に殺されてこそいないけれど。きっと酷い目には何度も会わされているし。ソフィーさんあたりに脅かされたら、ルーシャはもう何もできないだろう。勇気をふるって立ち向かったところで、一矢も報いられないのは確実だ。

「それじゃあ、パイモンどのには自分から話しておくのです。 皆は討伐の準備を」

頷く。

多分今までで最強の相手だ。

装備類を確認。飛行キットは格納。そして、長期戦にも備える。邪神を殺した後、その庇護下にあった獣どもが、一斉に襲いかかってくる可能性が高いのである。

出来れば自警団から人手を出して欲しいのだが。

見た感じ、街の人達は邪神に怯えきっている。足手まといにしかならないだろう。

宿もフィンブル兄が確保してきてくれたので、頷いて作戦会議に入る。

時間はある。

さっきまでの強行軍で消耗した分もあわせて。

回復も、一緒に済ませておきたかった。

 

邪神が住まう森の近くに布陣する。近くは海。海風をモロに受けている森で。邪神がいなければ、こうも青々としていたかどうか。

邪神を倒した後枯れてしまわないかちょっと不安だ。

ただ、こんな貴重な森を放置は出来ないだろう。

多分フィリスさん辺りが出張るか。もしくはオスカーさんが来るか。いずれにしても、報告はしておいた方が良いだろう。

岩などを利用して。丁寧に森へと近付いていく。

途中、荒野で遭遇する獣は見かけ次第全て片付け、処理して荷車に放り込んでいく。それほど大きいのはいない。

というよりも、恐らくは。

大きいのは、森の中にみんないる、と判断して良いだろう。

ドラゴンのブレスを考えると、シールドをいつでも展開出来るようにしておかなければならない。

相手はドラゴン並みの火力と装甲に加え、更には超再生能力も持っていると判断した方が良い。

ファルギオルはあれだけ弱体化しても、超再生能力は健在だった。

下位相当まで力が落ちているとは言え。

相手が邪神であるのならば、似たような事が出来ても不思議では無いだろう。

逆に好都合だ。

今の時点で弱体化しているという情報が入っている。ファルギオルは最強クラスの邪神だった。

病み上がりの所を不思議な絵の具で更に弱体化させれば、手に負えるレベルにまで実力を引きずり落とせた。

そして今だ。

恐らくだが。

多分、世界の塗り替えにさえ成功すれば、森にいる獣どももろとも処理出来る。

作戦は幾つか決めたが。先行しているアンパサンドさんが、警戒しろとハンドサインを出してくる。

時々ちょっかいを出してくる小物は、ドロッセルさんがぷちっと潰し。

皆は出来るだけ体力を温存。

何かしらの広域攻撃が来た場合に備えて、ルーシャとリディーはまとまっている。アンパサンドさんは少し先行しているが。

今まで見てきた、ドラゴンや邪神などの実力を見る限り。

正直アンパサンドさんほどの実力者でも、回避盾には限界があるかも知れない。

いや、勿論アンパサンドさんは今まで殆ど完璧に仕事をこなしてきてくれている。だが、それでもこの荒野全域を一瞬で灰燼と化すような攻撃が飛んできた場合、狙いをそらすどころではないだろう。

黙々と移動を続け。

ほどなく、森の入り口近くに出る。

この辺りは殆ど獣がいない。

見張りについていた人によると。邪神は栄養補給のためか、触手を伸ばして獣を補食している、と言う事だが。

それが理由かも知れない。

森はかなり近いが、いつも見かける安全な森とは根本的に違う。なんというか、とんでもなく邪悪だ。

邪悪というのは間違いかも知れない。

気配がおかしいというか、歪んでいる。

何かろくでもないものが潜んでいるのは確実と見て良い。

生唾を飲み込む。

確かにこれでは、邪神がいるのも不思議では無い。

アンパサンドさんがハンドサイン。

いる、と言う事だ。それもかなり近くに。

絵の具を使うタイミングは任されている。近くにいるのであれば、使ってしまうのが良いだろう。

幸い、絵の具は改良を重ねている。

お父さんとも話して、実際に使って見せ。効果範囲や効果時間についても、かなり改良が進んでいるのだ。

お父さんはこれ以上自分は伸びないと言っていたが。

それでも、不思議な絵画関連については専門家。専門家の生の意見は、とても参考になった。

それでも念のためだ。

相手が植物に近い姿の邪神だという事もある。深く根を張っている可能性を考慮して、最接近したい。

生唾を飲み込む。

戦っている時は、素直に集中できる。

そうで無いときは。

もう諦めるしかない。

深淵に引きずり込まれるのは確定事項だ。

力の差もありすぎるし、どうしようもない。そして世界が詰んでいて、出来る事があるならやらなければならない。

分かっているから、此処にいる。

大きく嘆息すると。頬を叩く。邪神は近くにいるという事だが、動かない。アンパサンドさんの様子からして、地下から奇襲をしかけてくる、というような様子も無さそうだ。アンパサンドさんは敢えて気配をさらして相手を挑発している。

もしも邪神がその気なら。

仕掛けて来ているはず。

それとも、そこまで弱気になっているのか。そうとは考えづらい。

リディーが、不意に顔を上げる。何かに気付いたか。

同時に、スールも、背筋に寒気が走るのを覚えていた。

絵の具を握りつぶす。

視界が灼熱の赤に包まれたのは、次の瞬間だった。

 

2、邪神・青花の侵食神

 

灼熱の溶岩が流れ落ちる地獄に、周囲の生物全てが巻き込まれていた。絶叫しながら転がり回る獣。そして、何よりも、である。

螺旋状に枝をねじり上げて、射出する寸前の姿となっている邪神を、至近で確認していた。

ゆっくり動いて。

攻撃の気配を気取らせなかったのか。

それは文字通りの魔樹。

枝に無数の目がついていて、全身から触手を大量に展開している。それらは常に蠢いていて、環境の激変によって受けたダメージを回復しようと試みているからか、周囲の獣を捕獲し、体中にある口で捕食し始めていた。

勿論、即座に全員が動く。

最初に動いたのは、パイモンさんだった。

雷神の石……いや、違う。もっと凄くごつい。とにかく雷神の石の強化版らしい道具を振り上げると。

周囲に、無数の雷撃が叩き込まれ。小物の獣は、殆どが一瞬にして消し炭になっていた。流石に魔力の消耗は凄まじい様子だが。流石パイモンさんだ。恐ろしい火力である。

お返しとばかりに、邪神からぶっ放される螺旋。

これを、ルーシャとリディーが、気合いを入れてシールドを貼り。食い止める。

いきなりぶっ放されていたら、多分間に合わなかっただろう。

だが、この姿を見た後だ。

充分に対応は出来た。

突貫。

全員が、群がる獣を押しのけながら。灼熱の大地で、邪神へと突撃する。

根を地面から引き抜く邪神。

それが狙いだ。

地面の下から、根を使って好き勝手に攻撃されてはたまらない。だから灼熱地獄に世界を塗り替えたのだから。

しかしながら、相手は邪神。

どれだけ弱体化させたって、油断なんて出来るわけが無い。

直後、その実力を思い知らされることとなった。

何か、耳障りな音が響いたかと思った瞬間。

凄まじい量の雨が、辺りを乱打し始めたのである。

一気に周囲の温度を下げようというわけで。

そうでなくても、これはまずい。

案の定、溶岩が雨と反応。凄まじい蒸気が立ち上り始める。邪神はこれも想定している可能性が高い。

人間では戦闘不可能な状況を作り出す事で。

我慢比べに持ち込もう、と言う訳だ。

それと同時に。

そう、全くの同時に、空中に百を超える魔法陣が出現。

魔法陣の全てから、無数の枝が。

槍のように鋭い枝が伸び、一斉に全方位から襲いかかってくる。シールドを張ろうにも、魔法陣は現れては消え、現れては消える。そして槍を無差別に無茶苦茶に繰り出してくるのだ。

流石に邪神。

弱体化していても、これほどか。

「至近距離に来た攻撃だけ防げ! 陣形はもう意味を成さぬ! 近接戦で挑むぞ!」

邪神との戦闘経験があるらしいパイモンさんが吠え、ドロッセルさんが直後には、邪神に大斧を叩き込んでいた。

凄まじい音と共に。

文字通り爆破されて、弾き返される。

爆発で身を守っているのか。

ルーシャが射撃しようとする瞬間、スールがルーシャを背中から貫こうとした枝を蹴り折る。

そうだ。

この脚力、何かに生かせないか。

殆ど異次元な動きをしているアンパサンドさんに、身体能力はスールの方が上だと聞かされている。

ならば、魔力を上乗せすれば。

オイフェさんも戻ってきて、ルーシャとリディーのガードに回る。

頷くと、リディーもシールドは諦めて、攻撃に魔力を廻し。

ルーシャも、連続して魔樹を砲撃に掛かる。

だが、次々と巻き起こる爆発が、魔樹を攻撃から守る。

あれをどうにかしないと。

とても奴に直接打撃を通せない。

「……いいのです?」

前線から一瞬で戻ってきたアンパサンドさんが、後衛組に聞こえるように言う。

今も、丁度雷神の石での一撃が爆破に防がれて、パイモンさんが舌打ちしている所だった。

「どうやら魔樹が体を揺らしているのは、あの枝を出す詠唱のためだけでは無さそうなのです。 何か舞うのが見えているのです」

「……あっ!」

「リディー?」

「スーちゃん、ルフト!」

良いのだろうか。

ルフトなんか使ったら、蒸気を思いっきり浴びせて、奴に水をたっぷりくれて……。いやまて。

そういえば。あの魔樹が展開している雨の術式。

何故奴に直接降り注いでいない。

ルフトを取りだすと。

放り投げる。

同時に、ハンドサインを見た前衛が、全員飛び下がった。

ハルモニウム製の武具でも、相手に届かなければ意味がないのである。

妥当な判断だ。

勿論敵は迎撃に掛かるが、あの爆発、本体しか守っていない。何よりも、アンパサンドさんが突貫。

槍を全部、バターより容易く切り裂いていた。

速い。残像さえ作らず、瞬く間に切り裂いていく様子は凄まじい。勿論苛立った邪神は、アンパサンドさんに対して、向き直る。

何かするつもりだが、そもそもさせない。

敵至近に到達したルフトを。

バトルミックスで、フルに出力を上げて、炸裂させた。

暴風が、雨を全て吹き飛ばし、爆発を力尽くでねじ伏せて、上空へと舞い上げる。邪神は怒りの声を上げる。無数の目がうごめき、体中にある口が吠えた。奴は濡れているのに喜んでいない。

なるほど、分かった。

奴は動きながら、爆発する粉をまき散らしていたのか。

最初に突貫したのはフィンブル兄。

一刀に、大きめの枝を斬り伏せてみせる。

勿論相手は邪神。

目だらけの趣味が悪い枝も、即座に再生してくる。

だが、そんな事は承知の上。

攻撃が通ったことに意味がある。

ドロッセルさんの大斧が、幹を両断する勢いで叩き付けられ。更にマティアスの大剣が、枝をまとめて薙ぎ払う。

瞬時再生と、此方への枝での無差別攻撃を同時に行いながら。

邪神が、時間を掛けて詠唱をして行くのが分かる。

まずい。

元々邪神は詠唱を超短時間で済ませてしまうケースが多い。それだけ魔術と親和性が高い存在なのだ。

邪だろうと神だから、である。

それが、この時間の詠唱。

全力で何かぶっ放してくる、という事である。

しかも雨が降り注ぐことで、爆発は押さえ込めたが、その代わり敵の再生力は増しているのである。

蒸気も視界を塞ぐし、地味にいたい。

さっきから、何度も枝が鋭く体を抉っている。オイフェさんがどれだけ頑張ってくれても、スールがどれだけ勘を働かせても、真後ろや、至近から来た枝を即回避するのは不可能だ。動き回りながら、どうにかするしかない。

リディーのハンドサインを見て、頷く。

パイモンさんが、雷神の石をフルパワーでぶっ放すのと。

ルーシャが全力砲撃しつつも、体の何カ所かをえぐい抉られ方をするのは殆ど同時。

炸裂した二射で、邪神青花の侵食神の全身が派手に抉られるが。即座に回復していくし、詠唱も止まらない。

直後。再び前線に戻ったアンパサンドさんが、魔樹の全身にある眼を、殆ど全て、一瞬で抉り抜いていた。

流石ハルモニウム製の業物。

鍛冶屋の親父さんがいっていた。これは、魂を込めた一作だと。

余程に頭に来たのだろう。奴がアンパサンドさんに向き直る。フィンブル兄とマティアスさん、ドロッセルさんには、まとめて今まで以上の槍を叩き込んで距離をとらせつつ。詠唱を収束させる。

光が、一瞬世界から消える。

そして、極太の光線が、アンパサンドさんの至近を抉り。

炸裂していた。

空間が揺らぐ。

それほどの破壊力だった、と言う事だ。

しかも湯気で殆ど威力を落としていない。つまりあれは、光線と言うよりも、魔力砲の究極点だった、と言う事だろう。

アンパサンドさんを全力で狙いに行く。

それが隙になる事を承知で、奴は動いた。

アンパサンドさん。叫ぶが、返事はない。だが、リディーは冷静過ぎるほどに、動いていた。

ハンドサインを出しているのが見える。

頷く。

唇を噛みしめる。

アンパサンドさんが、何処にいるかはまだ確認できていない。

だが、この隙を逃せないのだ。

投擲するのは、オリフラム十個を束ねたもの。

これをバトルミックスで全力強化する。

さっきのルフトとは火力が違う。ましてやオリフラムは嫌になるほど作ってきたのだ。今なら、イル師匠にもそれほど酷評されない自信がある。

流石にコレはまずいと思ったのか、邪神が枝を出して防ごうとするが。

その体を、ドロッセルさんが無理矢理枝を突破。

全身血だるまになりながらも、一刀両断する。

文字通り幹を粉砕された邪神は、凄まじい雄叫びを上げながら、大量の槍をドロッセルさんに叩き込んで遠ざけ。

そして、立て続けに切り込んできたフィンブル兄を、無数の枝を盾にすることで、一撃を防ぎ抜く。

数を集めれば、ハルモニウムの斬撃すら防ぐのか。

続けてマティアスが突貫。

だが、ステップして下がる。

次の瞬間。

敵の至近に落ちたオリフラムが、バトルミックスで炸裂する。きのこ雲が上がる。

空間が、かなり危うくなってきている。

呼吸を整えながら、周囲を確認。

倒れているアンパサンドさんを確認。

やはり、かなり酷い状態のようだ。

すぐにオイフェさんが抱えて戻ってくる。

爆炎を斬り払うようにして、奴が姿を見せる。邪神だ。この程度で倒せないのは分かっていた。

だが、これは。

名前の意味が、漸くわかった。

奴は、幹を全て吹き飛ばされ。

その後、形態を変えたのだ。

いびつな人型で、頭の所には青い花がついている。

どうやら前の形態で撃退出来る相手では無い、と判断したのだろう。

光栄な話だが、さっきの一撃で死んでくれた方がもっと嬉しかった。此方は既に皆傷だらけなのだ。

ぎしり、と体を前向きに傾けると。

邪神が動く。

ドロッセルさんの背後を容易くとると、受け身すら取らせず、蹴りを叩き込み、吹き飛ばしていた。

リディーが、霊薬をアンパサンドさんの口に注いでいるのを見ながら、スールは突貫。

形態を変えてから、あの枝の暴力的な全方位攻撃が止んでいる。

この状態なら、動きを止めれば、多分パイモンさんの大火力攻撃を叩き込める。

そう思った瞬間。

地面に叩き込まれていた。

息が出来ない。

どうやら、瞬時に上に回り込まれた邪神に、背中を蹴られ。地面にめり込んだらしい事は分かったが。

ハルモニウムの錬金術装備であれだけ強化していたのに。

守りを、紙のように破られた。

必死に息をしようともがくが、体中が痺れている。

それほどの。

今まで浴びた中で、一番強烈な一撃だった、と言う事だ。

がつん。どがん。凄い音がする。

一撃ごとに、誰かがやられているのだと、本能的に悟る。

このまま寝ていてもいいのか。

良いわけがない。

起きろ。

必死に言い聞かせながら、立ち上がる。

雄叫びを上げながら、周囲を見る。ルーシャ、血を吐いて倒れている。リディーは、シールドを展開し、それごとぶち抜かれて吹っ飛ばされた。

前衛は殆ど限界。

冷静に目を閉じ、詠唱しているパイモンさん。何か大きいのを狙っていると見た。アンパサンドさんは。

パイモンさんの背後に、邪神が出現。

腕のようにねじり上げた枝を振るって、首を刎ねに掛かる。

だが、その枝が、派手に切り裂かれていた。

呼吸を整えながら、地面をずり下がるアンパサンドさん。口からは血が伝っている。無言のまま、突貫するアンパサンドさんは、一瞬だけ此方を見た。

分かっている。

取りだすのは、フラムだ。

相手は形態を変化した。

つまり、前の状態ではまずいと判断したと言う事だ。

要するに火はとても良く効く。

そしてこの環境下。

奴も短期決戦に切り替えないと、まずいと判断したという事である。

ならば、もう一度。

兎に角チャンスを作って、奴にフルパワーのバトルミックスを叩き込むしかない。

「ブル! 頼むぜ!」

「応っ!」

フィンブル兄が、地面にハルバードを突き刺すと。それをしならせて跳ぶ。

同時に、マティアスが、地面ギリギリに、フルパワーで跳んだ。

アンパサンドさんと苛烈な高速戦闘をしていた邪神がそれを見て、一旦アンパサンドさんと距離を取ろうとするが、横殴りにその体を襲ったのはドロッセルさんの大斧。倒れているドロッセルさんが、投擲したのだ。

空間が、もう持たない。

目を閉じると。魂を込めた一投に備える。

パイモンさんが、全力を解放。

周囲の音が消え。

爆音が、蒸気を全て薙ぎ払う。

今までに見た事も無いような太さの雷撃が、邪神を直撃していたのが分かった。

更に、其処へ、空中機動したフィンブル兄が、真上から振りかぶった一撃。

舐めるなとばかりに、魔樹が体をうねらせ、回し蹴りでフィンブル兄を吹っ飛ばす。

だが、それを待っていたかのように。

マティアスが、叫んだ。

「見せてやるぞ、王家の秘剣ッ!」

邪神が振り返りつつ、腕を振るうのと。

体を旋回させながら、一瞬で三十を超える打撃を叩き込むマティアス。

アインツェルカンプと聞こえたが。

恐らくは、そういう名前の技なのだろう。

体に力がみなぎる。

リディーの支援魔術だ。

同時に、邪神の体をシールドが覆う。

ルーシャが、気合いを振り絞って作り出したシールドだ。

逃げ出そうとする邪神を、オイフェさんがシールドの中に蹴り戻す。

立て続けの猛攻を浴びた邪神は、流石に再生仕切れていない。そこへ、スールは。針の穴を通す一投で。

残ったオリフラム全てをまとめた爆弾を投擲。

そして、バトルミックスで、全力強化した。

悲鳴を邪神が上げるのが分かる。

そして、それは。

爆裂の閃光と火力の前にかき消されていた。

 

爆発が、シールドを貫通。更に世界の塗り替えも吹っ飛ばして、何もかもを蹂躙。一撃は空へ伸び。雲をふっとばして、蒼天を作り出していた。

呼吸を整えながらも。

しかし、膝が地面につくのが分かった。

汗がダラダラ流れる。

一気に周囲が涼しくなったが。

だが、今の戦闘は、本当に厳しかった。パイモンさんが、黙々と負傷者を抱えて、手当を開始。

スールも担がれて、荷車に乗せられた。

荷車は戦闘前に、スール主人で、「固定」で命令を指定してある。

パイモンさんは、スール、ルーシャを担いで、それぞれ命令を解除させ。そして一旦街へと引き上げる。先頭をリディーとスールの大型全自動荷車に。後を追従にして。

その過程で、邪神が落としたらしい、美しい青い花を、しっかりパイモンさんは回収してくれていた。

冷静な老人がいてくれると助かる。

薬を惜しまず投入しながら、パイモンさんは回復の作業を進めていく。

リディーが一番最初に復帰したので、手伝いを開始。

怪我は予想通り、アンパサンドさんが一番酷い。おなかが破れて内臓が見えている。こんな状態で、邪神とガチンコをしていたのか。信じられない。今は目を閉じて、無言で静かに呼吸しているが。

普通だったら発狂するほどに痛いはずだ。

リディーを最初に回復させたのは、多分手数を増やすためだなと、冷静にスールは見ていた。

まず傷を丁寧に洗い流し。消毒を行い。

其処に、惜しみなくお薬を投入していく。

パイモンさんもよく見なくても傷だらけなのだけれど、殆ど気にしている様子が無い。文字通り場数の踏み方が違うからだろう。

前に処刑した匪賊の老人とはまるで違う。

アンチエイジングで若返っているとは言え。

この人の行動には、年を重ねて、錬磨を重ねた確かな安心感がある。

例え錬金術の腕で上回ったとしても。それは当面超える事が出来ないだろうと、スールは思った。

凄いなあ。

関心しながら、ぼんやりと手当を見ている。

渾身の一撃を繰り出したマティアスは、意識が戻らないが。命には別状が無い様子である。

フィンブル兄は、比較的早めに復帰。

手当の手伝いを開始。

荷車が街に到着。

同時に、荷車を降りたパイモンさんが叫ぶ。

「湯と肉入りか卵入りの粥を!」

「じゃ、邪神は」

「闘滅した! だが見ての通りの被害だ。 急げ!」

すぐに街の人達も動く。

邪神の恐怖で震え上がっていただろう所だ。これで、やっとある程度まともに動く事が出来るだろう。

すぐに荷車から宿に治療場が移される。

リディーがまず場を消毒。

更にシートを敷いて、治療するためのスペースを作ると。応急処置が終わっている者から、順番に手当をしていく。勿論状態が酷い者が優先だ。

「まだ寝ていなさい」

「ごめん、ルーシャ」

「いいのですわ」

ルーシャが歯がみしているスールを寝かせると、手際よく服を脱がせて、手当をしていく。

パイモンさんも、こう言う場ではああだこうだ言っていられないと知っているのだろうし、経験も積んでいるのだろう。

必要な場合は服を脱がせて。

薬を手際よく塗り込んでいった。

手慣れているなあと思ったが。

この人は、そういえば年老いてからやっと公認錬金術師試験を受けた、と聞いている。

ひょっとして、故郷の村ではずっと戦力の中核兼、医者として活動を続けていたのかも知れない。

だとすれば、これだけ慣れているのも納得か。

ドロッセルさんが、いつの間にか治療に加わっている。多少の怪我などものともしないという雰囲気だが。

邪神の人間形態によるフルパワー攻撃をまともに食らったのだ。

この人が規格外に頑強すぎるだけだろう。

二刻ほど、手当が続き。

程なく、意識をいつの間にか失っていたスールは。

叩き起こされるようにして、目を覚ましていた。

どうやら、手当は終わったらしい。スールも、リネンを着せられ、横になっていた。

戦いの中で、思いついた。

フルパワーの魔力と、筋力を一点に集中させる攻撃は出来ないか。射撃だけだとやはりまだまだ火力不足だ。

それこそ、相手に大穴を開けるくらいの火力を実現したい。

バトルミックスは、戦闘時に使える回数に限界がある。

だったら。

もう夕方になっていたらしい。いつの間にか来ていたリディーが起こしてくれて、粥を食べさせてくれる。

おかしくなっていても。

こういう所は、リディーだと思う。

卵の粥は温かくて元気が出る。味は残念ながら、殆どしなかった。こんな小さな街だ。塩もロクに手に入らないのだろう。

「パイモンさんと話したんだけれど、一晩経ったらもう一度あの森に行くよ」

「あの花の他にも、何か回収していないものがあるの?」

「ううん、邪神はコアを粉砕するのを確認したから、あの花だけだって。 花に関しては、貴重な品らしいから、コルネリア商会に登録して、後は皆で自由に買えるようにするつもりだって」

そうか。そんなに貴重な花だったのか。

しばし茫洋としている内に、また眠ってしまったらしい。体がそれだけ無茶苦茶な酷使に悲鳴を上げている、と言う事だ。

そのまま休む事にする。

次に目が覚めたのは、翌日の朝。

霊薬も含めて、錬金術の奇蹟の薬を惜しみなく使ったのだろう。だいぶ体は楽になっていた。

アンパサンドさんも起きて、外で例の奴をやっている。

スールも外に出ると、一緒に並んでやってみる。

流石にアンパサンドさんは、本当に全身を隅から隅まで制御しているのだなあと、感心するばかりである。

うねうね動き終わると。

宿に戻って、正装に着替えた。

この服も、ヴェルベティスで強化していたら。きっとあんな無様な戦いにはならなかった筈だ。

それを考えると口惜しくてならないが。

今は、自分の実力のなさを噛みしめて、反省する。それ以外にはない。

とりあえず、皆無事に降りてくる。胸をなで下ろす。一人も欠けていない。手足も失っていない。

あの邪神の凄まじい強さを見た後だと、それだけで充分としか言えなかった。

パイモンさんが最年長者だからか、手を叩いてリーダーシップを取ってくれる。そう思ったが、パイモンさんは、リディーにリーダーシップを取るように直接言った。これは後輩に経験を積ませるためか。

パイモンさんはルーシャにも言う。

「君はまだ危なっかしい双子の背中を守るのだ」

「はい、分かりましたわ」

「うむ」

それで良いとスールも納得する。ルーシャに背中を守って貰えれば、本当に有り難いと思う。

昔のスールだったら、此処で反発していただろう。ルーシャをバカにしきっていたからだ。

今は違う。

実力でも実績でもルーシャが先達で。リディーとスールの事実上の姉がルーシャだという事も。どれだけ心を砕いてくれていたかも。良く知っているからである。

まず、リディーが言う。

「それでは、皆の体の状態を見ながら、残党の処理に掛かります。 戦闘が無理そうな人はいますか」

「俺は問題ない」

「俺様も」

オイフェさんを見ると。無言で頷く。前に何も言わないオイフェさんがダウンする事があったので、リディーは一応丁寧に確認したが、大丈夫と言う様子だった。

ルーシャも極めて寡黙な、ホムが多弁に見えてくるほど何も喋らないオイフェさんとの意思疎通は難しいようだが。

それでも、何とかお薬をフルに投入した治療は、効果を示したとみるべきだろう。

「それでは残党処理を開始します。 スール、まだ不思議な絵の具は残ってる?」

「うん、ばっちり」

「それでは、森の中にいる獣を一旦全て駆除。 邪神を殺すと、その影響で力が漏出し、ネームドがしばらくは出現しやすくなるそうです。 少しでも被害を減らすために、今いる大物は、可能な限り駆除します」

無慈悲な言い方かも知れないが。

しかしながら、ネームドによる被害の大きさを考えると、これは残当である。

すぐに準備を整え、出る。

アンパサンドさんが、街の長に、邪神を退治したこと、それにこれから大きめの獣は全て駆除する事も、周囲の街に伝達するように指示。街長はすがるようにして、アンパサンドさんに感謝していた。

あれは、もういい。

後は、残党を処理して。Aランク試験は終わりだ。

 

3、概念の変化

 

城門で解散した後、アトリエに戻る。

お父さんは心配そうにしていたが。邪神は無事に倒す事が出来たこと。戦利品として、美しい青い花を手に入れたことを告げると、そうかとだけ呟いていた。なお花については、知らない品種だそうである。

伝説の花、ドンケルハイトに似ているかもとリディーは一瞬呟いたが。しかしスールは違うと思った。事実図鑑を調べて見ると、何カ所か違っている。その代わり、凄まじい魔力を持っているのは事実だ。近縁種か、或いは。

コンテナに、殺した獣の肉や皮、骨を収めていく。

残党処理で、周辺の獣はあらかた駆除した。ちょっとでも強いのが残っていると、それだけネームドの発生が早まるから、らしい。それに獣は放置しておいてもどうせ勝手に幾らでも湧くのである。

邪神がいるのだから、或いはとパイモンさんは期待していたが。

しかしながら、森の中にはそれほど高度な錬金術の素材は無かった。貪欲なあの邪神が喰らってしまったのかも知れない。いずれにしても、次に解放して貰えるという不思議な絵画で、貴重な錬金術の素材は手に入る、という事である。それに期待していれば良いだろう。

一休みしてから。

フィリスさんのアトリエに向かう。

ソフィーさんに遭遇できる可能性が一番高そうだったから、である。そして、その予感は的中した。

フィリスさんのアトリエに入ると、思考がクラッシュするような光景が展開されていたのである。

まず、ソフィーさんが、バラバラになったプラフタさんを、順番に並べている。

思わず、ひいっと小さな悲鳴が漏れたが。

しかし、フリッツさんも作業をしているのを見て、何となく悟る。

人形だ、と。

だがプラフタさんが偽物だとも思えない。

まさか、何か変だと感じていた魔力は。

これが原因だったのか。

フィリスさんが、声を掛けて来る。

「ああ、二人ともご苦労さんだったね。 今ソフィー先生ちょっと忙しいから、話しかけない方が良いよ」

「あ、あのあの……何をして……」

「プラフタさんはね、五百年前の戦いで肉体を失ったんだ」

フィリスさんがさらりという。

まさか。

あの不思議な絵の、砂漠で見た過去のことか。

ルアードさんとプラフタさんの戦いは、そういう結末になっていたのか。

まさか、ソフィーさんが人形で体をつくり。それでプラフタさんの魂を定着させるなりして、動けるようにしていたのか。

それは恐らくだが。

既にその時点で神域の錬金術のような気がする。

もう最初から、違っていたというわけだ。

乾いた笑いが浮かんでくる。

「それで、今から人形という概念を変更して、人間にするところ」

「凄いですね」

「リディー!?」

無感動に言うリディーに、スールは絶句するしかない。

駄目だ。リディーはもう完全に手遅れだ。スールは、間もなくこうなるのか。恐怖しか感じない。

スールだって、もっと技量を伸ばしたい。だけれども、少し先を行っているだけのリディーがこうなっているのだ。

怖くて、踏み出せない。

人形として体を動かすためのパーツを全て取りだしたらしいプラフタさん。組み合わせると、全裸のまま、横にされる。幾つかの作業を始めるソフィーさん。数えることも出来ない程の魔法陣が周囲に出現する。

この様子だと、どれだけ高度な錬金術なのか、想像もできない。

そもそも概念の変更なんて。

どうやってやればいいのかさえ分からない。

固唾を飲んで見ていると。

程なく、光がアトリエの中に満ち始める。フィリスさんが、右手を前に出して、シールドを展開。フリッツさんがシールドの守備範囲に移動。

さて、どうなるのか。

フリッツさんが、手をわきわきして楽しそうにしている。

本当に人形のこととなると目の色が変わるんだなと、少しだけ感心したけれど。それ以上にらんらんと光っている目が怖かった。

「ちなみにこの光に触れると、どうなるか保証できないからね。 ソフィー先生だから平気なだけだから。 空間も結構難しい方法で隔離しているんだよ」

「……はい」

「あの人、一体何者なんですか」

「知っている筈だよ。 この世界の特異点。 世界の詰みを打破する存在にて、この世界のあり方を根元から変える者。 そしてその特異点がいても、まだこの世界はどうにもならない」

ほどなく、光が収まり始める。

そこにいたのは。

星の瞳を持つ、美しい女性だった。裸にシーツ一枚。フリッツさんはどうなったか見たいと言うのを、無言のフィリスさんによって、外に放り出される。

用意されていたらしい美しい服を着直すと。

しばらく手を閉じたり開いたりしていたプラフタさんは。

錬金釜に向かい。

軽く調合をして。

そして、薬を作って見せた。

はらりと、プラフタさんの目から涙が零れるのが見えた。嬉しくて泣いている、ようには思えない。

無数の感情がミックスされていて。

一体何を思っているのか、まったく分からなかった。

「どう、プラフタ。 調子の方は」

「ええ、万全です。 死んだときの……全盛期の肉体ですね。 錬金術も出来ます」

「うふふ。 じゃあ後は、幾つか処置をしないとね」

「ええ、分かっています」

プラフタさんが、奥の扉に消える。

それにしても、何となく分かった気がする。ルアードさんは「醜悪のルアード」などと呼ばれて迫害され。

プラフタさんは何処でも特別扱いされたと言うが。

あの容姿、多分自覚は無いけれど。道行けば、男の大半はその場で振り返るほどのものだ。

地で綺麗なソフィーさんやイル師匠、リアーネさんとはまた違う、なんというか神々しい系統の美貌だが。

ただ、分かった。

容姿で人間を差別する「みんな」の愚かしさと。それをどうにかしなければならない現実が。

スールの中にも、まだ「みんな」が残っていることも。

「終わったか。 なんだ、もう行ってしまったか」

フリッツさんが戻ってきて、今までプラフタさんの体の中に仕込まれていたらしい部品を回収していく。

全裸にして全て見たかったなあとか呟いているので、思わず笑顔が引きつる。

人形師のさがなのだろうが。はっきり言って平然と口にしているのを見ると、流石に唖然とする。

筋金入りだなと、納得するしかない。

知り合いらしいフィリスさんとフリッツさんが話を和気藹々としているが。内容はとてもついて行けるものではなかった。

「いっそのことアルトさんに頼んでみては?」

「もう頼んだんだよ。 そうしたら変態と言われてしまってな」

「ははは、そりゃそうですよ」

「そうかあ?」

どうやら、アルトさんも普通の体ではないらしいとは知ってはいたが。それにしてもフリッツさん、これはちょっと色々度を超している。

ただ、正直な話。錬金術師も、得意分野に関しては周囲からこう見えているのかも知れない。だとしたら、あまり厳しい事は言えないだろう。

いずれにしても、ソフィーさんはしばらく戻ってこないか。

そう思った時には。

いつの間にか、目の前にソフィーさんがいて。しかも、周囲は暗闇の空間になっていた。

心臓が、止まるかと思った。

「さて、試験合格おめでとう。 貰った素材で、ちゃんとプラフタを人間に戻せたし良かった良かった」

「……はい」

「ありがとうございます」

「それじゃ、アダレットに、ルーシャちゃんもろとも、新しい不思議な絵画に入れるように便宜は図っておくよ。 多分最高位の錬金術素材が手に入るから、それで満足するようにね」

ひらひらとまったく目が笑っていない笑顔で手を振ると、ソフィーさんが消える。その場にいた痕跡など残らない。

スールは口を押さえていた。心臓が胸郭の中で跳ね回っていて、まともに呼吸も出来ない程だった。

分かるのだ。強くなればなるほど。何をやっても勝てないと。

力の差が広がる一方にさえ思える。

多分だけれども。ソフィーさんがプラフタさんを人間にしたのも、「利」があるからなのだろう。

人間にしか錬金術は出来ない。

世界最高レベルの錬金術師だったプラフタさんだ。人間の体を取り戻せば、戦力は数十倍に跳ね上がるだろう。

いや、もっともっと、か。

深淵の者は、戦力が足りていないのだ。世界の詰みを打破するには、幾らでも人材が必要なのだ。

それこそ、誰でも使う必要があるほどに。

気付くと、アトリエに戻されていて。

冷や汗が、止まらなかった。

翌日には、マティアスが来るな。そう思っていると、リディーが立ち上がって。大きく嘆息した。

「スーちゃん、大丈夫?」

「大丈夫なわけ……ないでしょ」

「そうだね」

あっさり言うと、リディーは疲れたと言って、ベッドに直行。

スールは無言でその背中を見送る。

どんどん遠くなる。

どんどん壊れていく。スールより速く壊れて行っている。ふらつきながら、錬金釜に辿りついたスールは、気付く。声が聞こえる。

僕はお薬になりたい、と。

その声に。震えが全身を駆け巡った。

何か声のようなものが聞こえてきていることは自覚があった。だが、此処までくっきり聞こえたのは初めてだ。

思わず吐き気がこみ上げてきて、外に飛び出す。

頭の中が、ぐちゃぐちゃの臓物を混ぜ合わせたように、混乱状態に陥った。

吐こうとして、出来ない。

通行人が、怪訝そうに見たが、それだけ。通り過ぎていく。

青ざめたまま立ち上がり、どうしようかさえ思い至らず。周囲を見回す。視界が歪む。まずい、倒れる。

アトリエの中に戻ると、へたり込む。

その時、やっと汚物を吐瀉していた。

聞こえてくる。何もかもの声が。はっきりと聞こえてくる。錬金術の根幹である「ものの意思」が。

頭を抱えて、絶叫する。

ついに、ついに来た。ギフテッドだ。間違いない。そして、スールも壊れるのだ。徹底的に。

リディーのように。

また吐き戻す。もう戻すものもなくて、胃液だけだった。お母さんが作ってくれた服を、盛大に汚してしまった。それだけでも、情けなくて涙が止まらず。そして、意識を失うまで、時間も掛からなかった。

 

気がつくと、ベッドに寝かされていて。

リディーがマティアスとやりとりをしていた。

「というわけで、正式にアトリエランクAだ。 お疲れさん」

「いいえ、ありがとうございます」

「スーは大丈夫か?」

「気を失っただけなので平気です」

どこか遠くから聞こえてくるようだが。その一方で頭は妙に冴えていて。話の内容は良く理解出来た。

あ、何となく分かる。

これだ。

多分この状態に、リディーはいたのだと。

以前から戦闘時とかには、苛烈な暴力性が牙を剥くことがある事は自覚していたのだけれど。

そういうときは、どうしてか不思議と頭も静かだった。

今は丁度そんな感触。

海には荒れている時と静かな時があるらしいけれど。

その静かな時だ。

「アトリエランクAの義務だが、今までよりも更に面倒な仕事が国から来ることがあるかも知れないから、気を付けてくれって事だ」

「例えば後進と一緒に不思議な絵画に入ったり、とか?」

「それもあるな。 いずれにしても既に相当な錬金術師の腕を持っていると判断されていると思ってくれ。 ドラゴン狩りや、邪神狩りもあるかも知れない」

「大丈夫です。 入念な準備と、人員の用意があれば」

リディーは淡々と応じているが。

これはひょっとして。

人員が足りないと苦戦するから、そういう事を言い出すなら、もっとマシな戦略的状況を作れと言っているのか。

まあマティアスが相手だから言えることだ。

リディーも図太くなっていると言える。

心はとても静かだ。

そして、マティアスが帰った後。リディーは此方を見もせずにいった。

「起きたんだね。 体の調子は」

「静か」

「そう」

「ねえ、リディー。 聞いても良い?」

リディーはじっと、感情のこもらない目で此方を見てくる。

いや、感情はまだあるけれど。

深淵に沈んでしまっていて、もうあるのかないのか分からない、というのが正しいだろう。

怖くない訳がない。

前だったら。

今は恐らく、スールも同じ筈である。

「声、周り中から聞こえるんだ。 リディーもそうだった?」

「スーちゃんは一気に聞こえるようになったんだね。 私は少しずつ、だんだん聞こえるようになって来て、今ではある程度聞こえていると思う」

「うん、聞こえているのは気付いてた。 鏡、見せてくれないかな」

手鏡を持って来てくれる。

そして、顔を見る。

疲弊しきった顔だ。

目の下に隈も浮いている。眠ってはいたが、恐らく相当にその間も消耗し続けていたのだろう。

今も周囲中からあらゆるものの声が聞こえている。

ものの意思が。

コレに沿って、ものを変質させる。

それが錬金術と言う技術。

錬金術にとってもっとも有利な、ギフテッド。

具体的には聞こえない。

願望が聞こえるだけだ。

フィリスさんは、前に話しているのをみたが。多分相当に細かい要望まで聞こえていると判断して良い。

そうでなければ、彼処まで的確に凄まじい道具を作れないだろうし。

あのソフィーさんが褒めるような品など作れる事はなかっただろう。

ぼんやりとしていると。

不意に聞こえる。

「君の力を最大限生かせる道具になれるよ」

ぐっと唇を噛む。

聞こえてきたのは、コンテナからだ。幾つかの素材が、そう口々に行っている。変化したい。だから変化させろ。そう言っているのだ。

昔だったら手鏡を投げ捨てていたかも知れないが。

今は、その気になれない。

とにかく、心が恐ろしく静かなのだ。

昔、悪戯をして。お母さんに閉じ込められた暗闇よりも。

彼処は虫の足音がずっとかさかさと言っていた。

今の心は、恐ろしい程に静かだった。

落ちたんだ。

そう、はっきり分かる。

ギフテッドとしての力がこれほどくっきり出ているのだ。元々、リディーに著しく才覚で劣っていたスールなのに。

そして、落ちたことで、あれほど取り乱したのに。

今はもう平気だった。

着替える。服はリディーが洗濯してくれていた。

その後、一緒にスクロールを見る。内容としては、マティアスが説明していたとおり。新たな納入物などは無い。ただ、出来るだけ品質が高いものを納入するようにと、敢えて但し書きがされていた。

研鑽を続けろ。そうミレイユ王女が言っていると判断して、間違いないだろう。

それについては望むところだ。

また、不思議な絵画についても、入れるように手配するという事も明言されていた。

アダレット王室の玉爾が捺されているのを見て、納得する。

アダレットにとって。

もはや手放せない人材になったのだと。

最近ずっと体を支配していた恐怖は静かに消えている。更に錬金術を上手くなりたいという欲求もある。

それに、だ。

リディーに追いついたのかもしれない。

勿論技量はリディーの方が当たり前のように上だ。

だが、ギフテッドによる補助。

そして、分かる程に分かる冴え渡る勘。

これらを活用すれば、技量に勝るリディーに追いついていくことが出来るし。何よりも、独自の方法性を詰めていくことも出来る。

早速レシピを書き始める。

スールがレシピを書くのは珍しい。

リディーがレポートを書き始めたが。スールがレシピを書くのを邪魔するつもりはないらしい。

ただし、チェックは求められた。

邪神戦のレポートについては、内容も細かい方が良い。復活が百年後か二百年後かは分からないが。

ファルギオルの時と同じく。

復活したときに、対応策が分からなければ。それだけ無駄に犠牲を出すことになるからである。

ファルギオル戦の後、ネージュを迫害したクズどもや。

それを止めもしなかったアダレット王室は唾棄に値するが。

今回、少なくともミレイユ王女は、しっかりとやるべき事をやってくれている。この辺りは、流石と言うよりも。

王族として、当然やる事を当然こなしてくれている、と言う事だ。

レポートを書き終わった後、リディーがレシピを見てくれる。小首をかしげた後、聞かれた。

「これは、球体?」

「銃弾を放つときに魔術を使っているでしょ。 それを利用して、このボールに全魔力を叩き込んで、敵にぶつけるの。 名付けてメテオボール」

「ふうん……」

「出来れば素材にヴェルベティスが欲しいけれど、流石にそれは欲張りすぎだから、ネームドの皮で我慢するとして。 どれだけ蹴っても壊れない柔軟性と、相手にぶつかったときの衝撃、更に自動で戻ってくる利便性が欲しいな」

腕組みして少し考える。

今、自分達を使えと言ってきている材料達を使うとして。

その精度を更に上げたい。

やはり内部にモフコットを仕込んで。それに魔法陣を色々突っ込むのが良いだろう。機織りをしている人に、注文をしてくる必要がある。

一連の流れは全て頭に入っている。レシピについても、リディーは問題ないだろうと言ってくれた。頷いて、更に改良を進めようと決めた。

「納品するけれど、チェックよろしく」

「合点」

二人で納品用のお薬などをチェック。いずれも、最初の頃とは雲泥の差にまで品質が上がっている。

特にナイトサポートは、非常に評判が良いと、アンパサンドさんから聞いている。

プラティーンも、かなり色をつけて生産している。プラティーンは鉱石さえ手に入れば、それほど難しく無くなっていた。鍛冶屋の親父さんが言うとおり、ハルモニウムを作るために散々作ったからである。多少品質が落ちるプラティーンでも重宝されるのである。無駄な在庫は、全て国に収めてしまう。

リディーが全自動荷車を連れていくのを見送ると。

スールは裏庭で一旦うねうねと動く奴をやってみる。

驚くほど、無駄が多いことが自分でも分かった。

アンパサンドさんが無駄が少ないんじゃない。

アンパサンドさんは、可能な限り完璧にこなしているだけ。

スールが無駄だらけだったのだ。

そうか、こんなに無駄が多かったのか。

そう、客観的に判断し。

動きながら改良をする。今度シスターグレースに、見てもらいたい所だ。

動き終わった後、レシピを精査していく。盛り込む魔法陣を確認した後、一番マシなモフコットの糸を取り出して、実際に詰め込むとどうなるかとか、手を動かして考えてみる。

素材は何がベストか一発で分かるのだが。

しかしながら、其処から先は自分でどうにかしなければならない。

この技能を最初から持っていたら。

多分スールは気が触れていただろう。

明確に落ちた、と分かる今ですら。時々煩わしいと思うのである。

そういえば、ソフィーさんは最初から大体なんでも聞こえて。フィリスさんは最初から鉱物限定で、声が聞こえていたんだっけ。

くすりと、とても邪悪な笑みが浮かぶのが分かった。

それはそうだ。

こんなものが聞こえていたら、それはおかしくもなる。ソフィーさんは今や深淵そのものだが。

それも納得がいった。これと生まれた時からつきあい続けていたのだったら、それこそ常人とは思考回路からして違ってくるはずである。

魔法陣を書き上げる。これについては、リディーと精査した方が良いだろう。

リディーが帰ってきた。

一緒に魔法陣をチェックして、問題ないとお墨付きを貰う。ただ、スールから書いた魔法陣だし、一応バステトさんに見てもらった方が良いとも言われた。

バステトさんの所に行き、魔法陣を見てもらう。

バステトさんはスールを見て、一瞬眉をひそめたが。

しかし、魔法陣はしっかり見てくれた。

「柔軟性の強化、着弾と同時の硬化、収束させた魔力を攻撃的に変換してぶつける、それに自動で戻ってくるようにする、か」

「どうですか」

「魔法陣としては無駄がないが、これは何に使う道具だ。 攻撃用のものだという事は分かるが」

「敵を蹴り殺すためのものです」

そうか、とバステトさんは言った。スールとはあまり絡む事がなかったのだけれども。少しだけ目に憐憫が湧いているようだった。

或いは、スールが壊れたことを察したのかも知れない。

本職に許可も貰ったのだ。

魔法陣と、更に糸を、機織りをしている人の所に持ち込む。出来るまで三日、という所だそうだ。

その後アトリエに戻ると。

ネームドの皮を加工し。

何重にも貼り合わせながら、球体に仕上げていく。何度か触って確認しつつ、柔らかさを重視。

必要なのは、ぶつかったときに凶悪に硬化すること。

そしてため込んだ魔力を爆裂させる事だ。

蹴り込む事自体は、スールがやらなければならないが。

これでも足癖の悪さには自信がある。直撃させることは、恐らくそうは難しく無いだろうとも思う。

弾丸はあくまで牽制用。フィニッシャーとならない事は今でも把握している。多分、作るのを後回しにしていたリディーとスール用のそれぞれのハルモニウム武器を作り。弾丸として、ハルモニウム製のものを作ったとしても。

一撃必殺の火力を出すのは無理だろう。

だから、こういった切り札を。バトルミックスを使わなくても致命打になり得る、必殺火力を手札に持っておくのだ。

ルーシャは拡張肉体による補助で、あの万能傘から砲撃も出来るし、シールドも出せる。その性能も桁外れだ。あれくらいはやれるようになりたい。

スールは今までは機動戦と、爆弾の投擲しか出来なかったが。

どちらもリスクが高い中距離から近接距離での戦闘を強いられもしていた。

このメテオボールが完成すれば。

それも過去の話になる。

遠距離から、敵にピンポイントでの狙撃が可能になるはずだ。

中和剤で変質させた皮も、凄まじい弾性を持っている。中和剤がドラゴンの血だからまあ当然だろう。

そしてコアには、今まで温存していた竜核を用いる。

これが極めて稀少な品だと言う事は分かっている。

だからこそ、此処で使うのだ。

ほどなく上がって来たモフコットを、球の内側に貼り付けていく。そして、球を閉じたとき。

マーブル模様の、スール用の遠距離狙撃武器。

メテオボールが完成していた。

裏庭で軽く蹴ってみる。

蹴る度にスールの魔力を吸収し。ぽんぽんと軽快に跳ねる。

跳躍しつつ、上空にフルパワーで蹴り挙げる。

ぼっと音がして、空気の壁をぶち抜いたのが分かった。それも三枚ほど。

しばしして、落ちてくる。

どうやらコントロールに関しては、問題が無い様子だ。

後は、次に入る不思議な絵画で、実戦での実用性は確認すれば良い。落ちてきたメテオボールを受け取ると。スールはにんまりと笑った。

もう、多分だけれども。

ソフィーさんやフィリスさんのように。

目だけ笑っていない笑顔を浮かべているのだろうなと、スールは思った。

壊れてしまったことは確実だ。

だが、同時に、どうしてもいけないだろうとは思っていた場所に到達することも出来た。

妙に気分は静かで。

そして晴れやかだ。

今まで苦手だった座学も、今ならこなせる気がする。大きく深呼吸すると、凄く晴れやかな気分。

まるで周囲に闇が満ちているようで。

スールは、笑みを浮かべ続けていた。これぞ、福音というものだろう。

深淵の、福音だ。

 

4、星の降る夜の絵

 

お父さんから連絡がある。

スールを見て、お父さんは大きく息を吐いた。それが、諦観から来る事は明らかだったが。スールももうこれについては受け入れた。

「オネットの残留思念がいる絵だが、国に納品した」

「どういうこと?」

「レンプライアの汚染が危険すぎるという判断だ。 現在、何人かの高位錬金術師が、内部で掃除を行っている。 お前達以上の、な」

「……」

Aランクのアトリエに到達しているのは、現時点では三傑を除くと、アルトさんとパイモンさん。それにリディーに聞いたのだけれど、ルーシャも到達しているそうだ。そしてどうやらプラフタさんも最初からAランク待遇でアトリエランク制度に参加するらしい。Aランク待遇なら、お父さんもそうだ。

そしてこの中でも、アルトさんとプラフタさんは、格上の存在であることはリディーもスールも分かっている。

多分三傑か。それともアルトさんかプラフタさんが。

それぞれ深淵の者の精鋭とともに、潜っているのだろう。

もう一つ。

重要な話があると言う。

「既にレンプライアに汚染されつくし、真っ黒になった不思議な絵画が見つかっているのは知っているか」

「ううん。 レンプライアの話を聞く限り、最悪そうなるだろうとは思ってはいるけれど、あるんだ。 廃棄とかはしないの?」

「……お前達には話せと言われているから話す。 俺の絵から、その絵にレンプライアのコア……つまり最強のレンプライアにして、レンプライアの支配者を移動させる計画を今動かしているらしい。 だが不思議な絵はそれぞれがつながっているらしくてな。 コアを移動させた後、即座に叩かないとオネットが危険だそうだ」

そうか。

それならば、仕方が無いだろう。

誰だか知らないが、不思議な絵画を作った。その不思議な絵画は、悪意によって塗りつぶされてしまった。

其処へ、あの天国のような世界に巣くったレンプライアを移すのであれば。

何ら問題は無い。

その後殲滅することに関しても、何一つ憐憫は無い。

レンプライアは殲滅するべきものだ。慈悲など掛けてやる必要などないのである。

「レンプライアのコアについて聞いた事はあるか」

「うん。 どんな絵にも存在していて、放置しておくと際限なく増殖していくって」

「ああ。 そして今話題に上がったコアは、その絵の法則を乗っ取る寸前まで強大化したコアだ。 邪神とそう実力は変わらないと見て良い」

邪神と変わらない、か。

そしてお父さんがこう言う話をしていると言う事は。

恐らく、いやほぼ確実に。

絵そのものは完成したのだろう。

スールがそれを聞くと。重苦しくお父さんは頷いた。完成が遅れたから、こうなったと思っているのだろうか。

それは違う。

今なら分かるが、あれだけ美しい世界だ。

闇だって当然深かったはず。

人間という生き物はそういう存在だ。

光はあるかも知れないが。

それ以上に闇の方が深い。

そして闇が深いが故に。

闇からしか光は産み出されないのである。

あんな美しい絵でも、ちょっと一枚剥がしてみれば、おぞましい闇が這いだしてくるのは道理だ。

むしろ美しいからこそ。

闇は深いのだと言いきってしまってかまわないだろう。

スールはそんな事を、自然に考えられるようになっていた。

「俺からは以上だ。 いずれにしても、今はまだ準備中だそうで、もう少しコアの殲滅作戦には時間が掛かるらしい。 オネットに関しては、心配しなくても良いそうだ」

「……お父さん、お母さんに会えなくていいの?」

「会えたとしても触ることも出来ない。 側にいるだけなんだから、大して変わりはせんさ」

「そうだね……」

リディーは頷く。

スールも同じように頷いた。

納得したから、である。

そのまま、作業に戻る。

マティアスが来たのは、二日後の事だった。

 

城の地下エントランスに案内される。其処で見たのは、美しい降るような星空の絵だった。

ルーシャは既に来ている。今回は、アンパサンドさんとフィンブル兄、マティアスと。ルーシャとオイフェさん。それにリディーとスールだけで入る。

この絵は、最近まである役人が死蔵していたらしく。

内部にどんな危険なレンプライアがいるか分からないらしい。

その代わり、絵の完成度は非常に高いため。

内部に極めて貴重な錬金術の素材がある可能性が高いそうだ。

勿論それはアンパサンドさんの視点での話。

ソフィーさんは恐らく、この絵の事を知っている。故に紹介してきたのだろう。

「そういえばアンパサンドさん。 まだまだ不思議な絵画はあるの?」

「幾つかあるのです。 Aランクにまで昇格しているのだし、教えて良いと思うのですが、どうします王子」

「ああ、かまわねーよ」

「それでは」

咳払いすると、アンパサンドさんは教えてくれる。

既に真っ黒になるまでレンプライアに汚染された絵があるという。多分お父さんが言っていた奴だ。これはコアを一度駆除したため、現在は適度な強さのレンプライアが徘徊し、高度な錬金術素材が取れる場所とかしていて。元の絵のルールは失われているという。

現在は主に三傑が利用しているほか。

レンプライアを獣に見立てて、騎士団で訓練をするのにも使っているという。

最近は騎士を増やしていて、部隊を三つか四つ増設する予定らしく。

現時点で、従騎士の中から人材を育て。

騎士一位の中から、騎士隊長を育てるために、この絵を利用しているそうだ。

「他には完成度があまり高くない不思議な絵が幾つか。 軽く調査はしてあるのですが、いずれもわざわざ足を踏み入れるほどでもないのです」

「後進の育成に使うの?」

「まあ、機会があればそうなるのです」

頷く。

マティアスが、何だかスールを見て青ざめているが。

どうかしたのだろうか。

「スー。 何かどうしたんだ? リディーも最近様子がおかしいが、お前も何か……」

「多分深淵に染まったんだと思う」

「はあ? お、おい、大丈夫かよ」

「うん、多分ね」

素っ気ないように感じたかも知れないが。

別に怒ってもいない。

マティアスは良くやっていると今でも思うし。好感が持てるとも思っている。

変わったのはスールの方であって。

それが力に結びつく以上、別に異論は無い。不満もない。どうしてあんなに怖れていたのかがよく分からない。

むしろ晴れやかな気分だ。

ルーシャは悲しそうに此方を見ているが。

理由は分かる。

しかしながら、別に同情して欲しいとは思わない。ルーシャには散々助けて貰った。そして、スールが深淵に落ちたのは、ルーシャのせいではない。

ルーシャは何度か目を擦っていたが。

慰めの言葉など掛けても意味がない。

今度は、お父さんとルーシャを、リディーとスールが守る番だ。今までお父さんは影で色々してくれていたようだし。ルーシャだって、死ぬような目に何度もあって、何度も怖い思いをしているはず。

二度とさせない。

リディーとスールが、深淵の者の要求に応え。

ソフィーさんの満足するレベルの成果を上げれば良い。

それだけで二人は安全なのだから。

では、と。不思議な絵画に踏み込む。

まだ、やる事はいくらでもある。

死ぬわけにはいかない。

 

(続)