神域の金属

 

序、ついに神域へ

 

自分達二人だけでは絶対に到達できなかった場所へ来たことをリディーは悟る。順番にレシピ通り、注意深く竜の鱗を調整していく。

ただ粉々にするのでは駄目だ。

この鱗、尋常な成分で出来ていない。下手に加工すると、あっと言う間に痛んでしまうのである。

鱗そのものは圧倒的頑強さを誇るのだが。それを加工するとなると、構造が壊れてしまい二度と元に戻らない。

故に、構造を壊さないように。

注意深く加工していく必要があるのだ。

まず最高品質の中和剤を用意。

ドラゴンの血液が好ましいという話だったけれど。今は流石にそれは用意できない。故に現状で用意できるもっとも優れた魔力を持つ素材。つまりネームドの血液を使用する。これを中和剤とし。

まず竜の鱗を変質させる。

この変質も極めて丁寧に、時間を計ってやらなければならない。

竜の鱗を中和剤から引き上げる。

リディーにはもう良いよ、という声が聞こえるが。

ハルモニウムを作れない人には、これは一生無理だとよく分かった。多分ここから先は、ギフテッド持ちか、とんでも無いセンスを最初から持っている者しか。立ち入れない領域なのだ。

変質させた竜の鱗を、丁寧に崩していくが。

この時も、無理に力を掛けてはいけない。

柔らかくしたのだけれども。

それも中和剤で一日がかりで変質させ、柔らかくしたのであって。実戦で使える状況では無い。

或いは金属の声が聞こえるギフテッドなら、このハルモニウムの構造をついてドラゴンに致命打を与える事が出来る、というケースがあるのかも知れないが。

そんなのは、世界に一人か二人、いるかどうかだろう。

フィリスさんなら或いはやれるかも知れないが。

あの人以外には想像も出来ない。

崩した後は、丁寧に、相手に負荷を掛けないように。優しく潰して行き。同時にわずかに混ざっている不純物も取り除いていく。

恐らくだが、ドラゴンの体内にある老廃物が積層化した部分だろう。

完全にいらないと分かる部分もあった。

或いは、鱗と体の間で緩衝材の役割を果たすのかも知れないが。

それは、今は調べる必要もない。

潰し終えて。

ようやく炉に入れる。

此処からは、炉の温度を徐々に上げていき。最終的に、プラティーンでさえ使わなかった高温に到達させる。

勿論非常に危険な作業だ。

炉はもつ。

鍛冶屋の親父さんに、手を入れて貰ってある。

だから大丈夫だ。

問題なのは、炉では無く自分達の力量。

薪をくべて、火力を上げていくが。その薪も、勿論素手で放り込むわけにはいかない。そんな事をしたら、一瞬で手が炭だ。

火力を上げるために特別に加工している炭と。

更に魔術での熱放出を避ける工夫。

いずれも、一筋縄ではいかない。

炉をリディーが見ている間に、スールが黙々と消耗した物資を補給していく。この間の、ほぼ一月がかりの戦略事業にて、爆弾もお薬も殆ど使い切ってしまったからである。こういう時間は、有効活用しなければならない。

やがて条件の温度に到達。

今度は炉の温度を適正まで下げる。

そうしないと、炉を開けた瞬間、アトリエが消し飛ぶからである。

あのドラゴン戦。

海竜との戦闘でも、ドラゴンの鱗そのものは、殆ど無敵に近い防御力を誇っていた。彼奴はそもそも海の中ですら無く、しかも極めて不利な環境で戦っていたにもかかわらず、である。

つまるところ、ドラゴンの鱗とは総じて無敵の装甲であり。

それを溶かすには、それ以上の圧倒的パワーか。

もしくは人知を越えた力が必要になる。

錬金術は後者。

残念ながら、前者は人間には再現出来ない。

錬金術による身体能力の増強でそれに近いことは出来るけれども、それも結局錬金術が必要になる。

ドラゴンを相手にするというのは。

そういう事なのだ。

炉の温度を下げてから、取りだす。

さて、上手く行ったか。

青紫の輝きが見える。確かに、コレで良い筈だ。生唾を飲み込んでから、ペンチで取りだし。用意しておいた中和剤につけて一気に冷やす。

そして固まった所で、ハンマーを振るって、不純物とかち割り分けた。

さて、どうだ。

しばし黙って、青紫の輝きを見るが。どうやら、安定してくれたらしい。中和剤もかなり作るのが手間だったので、駄目だったらどうしようと不安だったのだけれど。これならば、きっと上手く行っているはずだ。

呼吸を何度か整えてから。

いつもインゴットを作る時と同じようにして。

不純物を全て取り去る。

とにかくデリケートな金属なのだと言い聞かせながら作業。機嫌を損ねたら、一瞬でゴミになると思うと、本当に神経をすり減らされた。

インゴットに加工できるだけの量は出来たが。

それにしても、品質はどうなのだろう。

確かにまだ熱いうちにハンマーを振るって加工していても、おっそろしく堅い。その一方で非常に軽い。

強い、凄まじい魔力は感じる。

だが、これではまだ本当の力は引き出せていないようにも思える。

お父さんが地下室から上がって来たので、ハルモニウムのインゴットを見せる。眼鏡を直したお父さんが、しばしまじまじとハルモニウムを見ていたが。ほどなく、咳払いをした。

「まさかハルモニウムを見るとはな。 王宮に出向いたとき、ネージュが作ったという先代騎士団長用の鎧や武器を見て以来だ」

「質はどうかな」

「まだまだだな。 俺が見ても、ネージュが作ったものとは雲泥だ」

「そうだよね」

まあ、当然だろう。

実は今まで、ハルモニウムは何度か見ている。

フィリスさんのアトリエで見た釜もハルモニウムだったし。

最近では、あの恐ろしい剣鬼、ティアナさんが嬉々として振るっていた剣もハルモニウムだった。

ティアナさんの剣に至っては、ぎらぎらと殺気にも似た魔力が渦巻いていて。

どれだけの数の人間を殺してきたのだろうと、恐ろしく感じるほどだった。

感情がどんどん無くなってきているリディーでも、恐怖を感じるほどだったのである。

それら先達の作った超金属に比べれば。

今やっと何とか「ハルモニウムになった」代物なんて。

それはどうって事がなくても当然である。

ドラゴンの鱗はかなり消耗した。

正直な話、ハルモニウムを量産するのは現時点では不可能だ。試行錯誤できるほど、もう鱗が残っていない。

ましてやもっと良い品質の鱗となると。

それこそ、中級以上のドラゴンを狩らなければならないだろう。

現時点での実力では、下級のドラゴンに不意打ちをしかけられればどうにか、と言う程度の実力しか無い事はわきまえている。

不思議な絵の具による世界の書き換えを駆使してもそうだろう。

それも、ドラゴンに不利な世界なんて、そうそう作れるだろうか。

火竜には凍てついた世界が有効だろうし。

海竜には灼熱の世界が有利だろう。

だが、一般的なドラゴンには、それらが通じるとはとても思えないのである。

話に聞いて調べはした。

今世界に最も多い下級のドラゴンは、ドラゴネアという品種らしいのだが。

下級といっても当然弱点など存在せず。

錬金術で能力を意味不明なまでに倍率を掛けて上昇させないと、とても勝ち目がないレベルであるという。

つまり、下級の時点で。

走攻守が揃った万能選手という訳で。

ドラゴンの素材なんて、簡単に手に入るわけがない。

それはソフィーさんとかだったら、それこそ赤子の手を捻るようなものかも知れないけれど。

あの人はもうなんというか。

リディーが知る中では、多分創造神パルミラに最も近い実力者。

比べる対象にしてはいけない相手である。

「ねえスーちゃん。 これ、アルトさんの所に持っていく?」

「ハルモニウムだっていうなら、まずコルネリア商会が先じゃない?」

「うーん、そうだよねえ……」

煮え切らない様子に、昔のスールだったら多分イライラを見せていただろうけれど。どうしてか、最近スールは大人しい。悲しそうにしている事も多い。

理由は良く分からないと言うか。

もやが掛かったように、どうにも理解出来ない状態だった。

「残りの鱗も使って、もう少し試行錯誤してみよう。 このハルモニウム自体は、コルネリア商会に登録してくるとして」

「分かった。 じゃあ、スーちゃんがいってくるよ」

「お願いね」

手分けして動く。

今までの作業を見直して、何が駄目だったのか丁寧に分析していく。勿論、今できたハルモニウムが最底辺の代物だと言う事は分かっている。

中和剤か。

可能性はある。ドラゴンの血が一番好ましいという話だったのだ。そもそもハルモニウムは神域の金属。

多分、本格的なものを作るのであれば、ドラゴンの血肉が欲しい。血も良いが、肉をすり潰して、中和剤に出来ればそれもいい。

ただ、それにはドラゴンを仕留めなければならない。

そもそも騎士団の部隊を連れていって、更に其処に高位の錬金術師が加わっても勝てるかどうか怪しい存在だ。

三傑、イル師匠、フィリスさん、ソフィーさんだったら、確実に勝てるだろうけれど。

あの三人は、もうそういう次元の存在じゃない。

次点としてはアルトさんやプラフタさんが思い当たるが。

あの二人は、頼んで動いてくれるような存在ではないし。

何より深淵の者に大きな借りを作ることになる。それは、現時点ではあまり好ましい事ではない。

そもそもどれだけ無理難題をこれからぶつけられるか知れたものではないのだ。

できる限り、深淵の者との関わりは避けたい。

感情が薄くなってしまった今でも。

ルーシャとお父さんを人質同然にされていて。

その気になれば、いつでも彼らは二人を殺すと言う事くらいは分かっているし。

それに対して、抗う手段が無い事も分かっている。

深淵の者だけでも、王都なんか一日で滅ぼせるだろうし。

ソフィーさんに至っては、人間全部が束になっても勝てるかどうか怪しい。

「どうした、何か難しい事か」

「ううん、何でも無い」

「そうか。 俺は不思議な絵画の研究に戻る。 それと、明日から少し出かけるからな」

「うん」

一応説明はしてくれるが。

どうやらパイモンさんのA級昇格試験に立ち会うらしい。お父さんからの試験にはパイモンさんもルーシャも受かっているらしいのだけれど。ルーシャはフィリスさんの試験で、パイモンさんはソフィーさんの試験で手こずっているらしく。

素材集めなどで、手助けを頼めないかと声を掛けられたそうだ。

お父さんは戦闘要員としては役に立たないが。

錬金術の道具は使えるし。

お薬に関する知識などは豊富。

決していて邪魔になる存在ではないだろう。

「どこに行くつもり?」

「ラスティンだ」

「えっ……」

「それ以上は聞くな」

何となく分かった。

多分だが、深淵の者が使っているあの謎の扉を用いるのだろう。お父さんも、あまり深淵の者には良い気分を抱いていない様子で、それ以上は何も言わなかった。

レシピと行程を見直している内に。

スールが戻ってくる。

どんよりと表情が沈んでいたが。

「どうしたの」

「む、無茶苦茶だよう」

スールが嘆く。

コルネリア商会にハルモニウムのインゴットを持ち込んだ所。複製に、今まで聞いた事もないような金額を要求された、というのだ。

この様子だと、ヴェルベティスでも同じだろう。

あれも国宝級の品だと聞いている。

ハルモニウムはそもそもインゴットの段階で国宝になるケースがあるという品である。その扱いも当然か。

まて。値段を即座に指定されたと言う事は。

そして、コルネリアさんは、ソフィーさんと冒険をしていた事があるとも聞いている。

実はこの間、街のカフェで、二人で酒を飲みながら軽く話しているのを見かけた。ソフィーさんは上機嫌だったが、コルネリアさんはお酒を飲んでもまるで顔に出ないようで、普段と違うように見えなかった。

そうか、昔のソフィーさんと一緒にいたのなら。

ハルモニウムを見た事があってもおかしくないし。

或いは複製をした事があるのかも知れない。

コルネリアさん自身が複製能力持ちだと聞いている。

もしハルモニウムを複製したことがあるのなら。

それは大変である事を知っているだろう。

「どうしよう……」

「とりあえず、登録はしたから、最低限のラインは確保できたと言う事で満足しよう」

「うん。 もう少し試行錯誤するの?」

「今度はスーちゃんが主体でやってみて」

頷くと、交代。

スールが主体になって、作業を始める。

再現のうまさに関しては、スールはもう完全にリディーを超えている。最初に手を出すのがリディーなら。

後からそれの完成度を上げていくのはスールだ。

昔は怠け者だったが。

今では反復練習をしっかりやるようになっているので、腕の上昇も著しい。昔と違ってメモもしっかりとっているので、覚えも悪くなくなっている。残念ながら、本人に自覚はないようだが。

その間にリディーは、ヴェルベティスについて調べに行く。

見聞院に行ってレシピを購入。

出費は痛いが、これがないと多分安定してドラゴンと戦えるようにならない。

上級のドラゴンになってくると、騎士団が束になっても勝てるかどうか怪しいという話を聞いている。

三傑が来る前は、彼方此方に手に負えないネームドが闊歩していたという話は、騎士達から直接聞いている。

そう。ネームドでさえ、である。

ネームドでも最強クラスになると、下級のドラゴンに匹敵するケースがあるらしいけれど。

最強クラスで下級のドラゴンくらいという事でもある。

要するに上級のドラゴンが、どれだけ凄まじい超越生物かと言うことを、逆説的に説明しているとも言える。

レシピを購入してからアトリエに戻り。

内容に目を通す。

金の絹糸と呼ばれる、強い魔力を持つ虫が作る繭の糸が必要になる。

生息地域は、邪神が出るような場所ばかり。

正直かなり厳しいが。

今後の事を考えると、何とか入手しなければならない代物だ。

スールがハンマーを振るっている。リディーが試行錯誤していたのを見ていたからか、かなり飲み込みが早い。リディーはレシピを見ながら、問題になりそうな所を洗い出していく。

やはりまず最大の問題は糸の鋭さだ。

以前モフコットを作った時にも、コーティングの話がされたが。

ヴェルベティスに必要とされるコーティングは、あの時とはまるで別次元である。

何しろ糸が細い上に恐ろしく鋭い。

その切れ味たるや、何も考えずに糸を地面におとしたら。

その途中にあるものをみんなスパスパ斬り刻んで行くほどだというのである。

そんなものを衣服にしようという時点で頭がくらくらしてくるが。

これが異次元の魔力との親和性や強度を併せ持ち。

恐らくイル師匠もフィリスさんも日常的に着ている事を考えると。作らない訳にはいかない。

モフコットを使っていた道具にヴェルベティスを導入すれば。

恐らく数倍、下手すれば十倍以上に性能は跳ね上がる筈で。

ドラゴンに、正攻法で勝つ目が見えてくる。

そもそも海竜をあれほどオーバーキルしなければならなかったのも、実力差が大きかったからで。

もしも相手に実力が近付けば、血を採取できるくらいにまで、戦力差を縮められるかも知れない。

メモをとっていると、スールに時々質問される。

丁寧にそれらに答えているが。

ふと、変な質問が混じった。

「ねえリディー。 これって、いわれている通りに押しつぶせば良いの?」

「何の話」

「ううん、何でも無い。 勘に従って押し潰してみる」

「……」

リディーは多分ギフテッドらしいものにもう目覚めている。ものの声が弱いながらも聞こえるのだ。

最近はどんどんそれが強くなってきている。まだまだ弱いとは言え、調合の時はとにかく頼りになる。

スールだって、双子の妹なのだ。

スールはどうやら、お母さんの血が強く出たことで、自分には錬金術師の才能が出なかったのでは無いかと気に病んでいる様子で。前に、シスターグレースに愚痴を言いながら泣いているのを見てしまった。

だから、余計な事は言えない。

今のも、そのまま答えていたら、どうなっていたことか。

レシピを読みながら、今のは危なかったなと、自分に言い聞かせる。

そして、来るべきヴェルベティス作成に備えて。黙々と、必要な素材について、調べていくのだった。

 

1、残るはいずれも苦難の道

 

結局試行錯誤の過程で、竜の鱗は使い切ってしまった。また手に入れるとなるとー、フーコと共生関係にあるあの火竜に頼むか。或いは暴れている悪竜を倒すか、どちらか一つしかない。

火竜は厳格な支配者だった。

前に鱗をくれたのは、フーコ達とのよりよい関係を作る事にリディーとスールが主体的に協力したからであって。

顔を見せたところで、ホイホイ鱗をくれるほど、脳みそが花畑でもないだろう。

最近も「肉冷やし機」の様子を見にいっているが、調子が悪い場合は魔術で自力で直してしまう。

それだけの知能も持っている訳で。

簡単に言いくるめられるような相手では無い。

鱗を貰うのだとすれば、何か当然の対価が必要になってくる。気前よく譲ってなどくれないだろう。

幸いなことに、スールは残った竜の鱗を使って、最初に作ったものより品質があからさまに上のハルモニウムを作る事に成功。

これも登録して。

コルネリアさんの所で、本当に顎が外れるような金額を聞かされた。

そして、登録すると同時に。

最初に登録されたインゴットは返された。

コルネリアさんとしても、此奴の価値は分かっているのだろう。多分、これを売ってしまえば。

錬金術師を辞めても、あとの人生を寝て暮らせる筈だ。

その代わり、そんな事を言い出したら、ほぼではなく確実にソフィーさんに、これ以上もないほどむごたらしく殺されるだろう。お父さんもルーシャもセットで、である。だから、先に進むしかない。

少し悩んだが。

声を落として、聞いてみる。

「コルネリアさん、ハルモニウム、他に登録している人はいるんですか?」

「企業秘密なのです」

「あ、そうですよね」

「それに、このハルモニウム、存在するだけで色々ひっくり返る危険物なのです。 見せびらかして歩くのはお勧めしないのです」

まあそうだろう。

頷くと、しっかりしまって。

そして、鍛冶屋の親父さんに見せに行く。

小声でハルモニウムが出来たと言うと、親父さんはすぐに事態を把握して。奥の部屋に案内してくれた。

色々な服や武器があるが。

その中には、プラティーン製のものも珍しく無かったし。どうやらハルモニウムによるものもあるようだった。

多分だけれど。

三傑の誰かが持ち込んだものか。

或いは騎士団から整備が頼まれている、国宝だろう。

此処に泥棒に入る命知らずなんていないだろうが。この部屋には、そもそも強力な結界も張られている様子だ。

或いは、鍛冶屋の親父さん自身が深淵の者関係者で。

あのティアナさんのような、完全に色々な意味で狂っているような人が、護衛に影からついているのかも知れない。

この人くらいの腕だったら。

貪欲に人材を求める深淵の者が、欲しがらない訳がないのだ。

「ようやくハルモニウムを作れたな。 だがこれだと、ハルモニウムとしては最底辺だ」

「分かっています。 もう少しマシなのが出来たので、そっちはコルネリア商会に登録してきました」

「それでいい。 少しずつ、ハルモニウムの質を上げろ。 これは文字通り神域の金属で、ドラゴンに対抗できる数少ない武器だ。 加工次第では邪神だって斬れる」

生唾を飲み込む。

邪神を、斬れる。

勿論親父さんは、世界の書き換えについては知らないはず。つまり素の状態で、邪神に対抗できる武器を作れる、と言う事だ。

アンパサンドさんが使っている一双のナイフだって、ハルモニウムではないだろう。

あの人の速度にハルモニウムの切れ味がのったら。

回避盾から、大物にも通じる打撃を繰り出せるアタッカーへの切り替えを検討できるかも知れない。

とはいっても、あの人が回避盾でいてくれるから、今まで皆生き残れてきたようなものであって。

アンパサンドさんは、あくまでハラスメント攻撃特化の武器を欲しがるかも知れない。

その場合、ハルモニウムは身体能力強化とかの、装備品強化に回してくれというだろう。

顔を見なくても、その様子が目に浮かぶようだった。

「ただこの質のハルモニウムだと、まだまだだ。 何か作るのなら、その「もう少しマシ」な方のインゴットを持って来い。 これは国にでも納品してしまえ」

「えっ、でも」

「アダレットにはアダレットで、お抱えの鍛冶師が他にもいる。 こんな品質でも、プラティーンより数段優れている事くらいはお前でも分かるだろう。 国宝にはならないにしても、業物と呼ばれるような武具を作るにはこれで充分だ。 俺は正直この品質じゃあ満足できないがな」

鍛冶屋の親父さんが、自身の禿頭をなで回しながら言う。

頷く。

いずれにしても、これは一旦アルトさんに見せてもいいだろう。ハルモニウムを作る事が試験の課題だったのだから。

鍛冶屋の親父さんに、スールと一緒に頭を下げて。

その後アルトさんのアトリエに。

アルトさんは、あからさまにジャンクフードとしか思えないものをボリボリ食べながら、何か本を読んでいた。

多分気晴らしの最中だろうなあと思ったが。

それでも絵になるのだから色々と「分かってやっている」。

この人にとって「容姿」は逆鱗だ。

それは、あの砂漠の不思議な絵画、「エテル=ネピカ」でよく分かった。

「リディーとスーだね。 どうした?」

「アルトさん、背中に目でもついてるの?」

「魔力が見えるだけだ。 どちらの魔力も、特徴的だからね」

顔を上げると、もうジャンクフードも、漫画らしい本も消えている。何処に消えたのかは聞かないことにしておく。

アルトさんに、ハルモニウムを作った事。

そして、これが完成品だと差し出す。

頷くと、アルトさんはハルモニウムのインゴットを受け取り。そして、かなり容赦の無い事をいった。

「イルメリア風にいうならば9点かな。 100点満点で」

「きゅ……」

「一桁評価だね」

絶句するスールに、静かにフォローを入れる。

しかし相手は神話級の金属だ。

そもそも、本来だったら、リディーやスールでは拝めるのが精一杯の代物であって。作り出せたのが奇蹟に等しい。

イル師匠に手取り足取り教わった事。

何よりも、今まで過酷すぎる試練に散々晒されてきたこと。

それが、この神話金属を作る事に成功した最大の要因だ。

例え9点であっても。

「しかし、ハルモニウムを作る事が出来たことについては合格と認めて良いだろう。 僕からは、アダレット王国にレポートを提出しておくよ」

「分かりました。 お願いします」

「あの、アルトさん! コツか何かありませんか!?」

「これ、ドラゴンの血では無くてネームドの血を中和剤に使っただろう。 ドラゴンの血を中和剤に使うだけで、さっき風にいうなら20点代が狙える。 後はドラゴンの鱗の質も低いから、そこを改善すれば30点代。 それ以上の質を狙うのであれば、腕を上げるしかないね」

アルトさんの立て板に水を流す言葉に。

スールはメモをとって、頷いていた。リディーも癖でメモをとっていたが、まあその辺りはわかりきっていた事だ。

とりあえず、アルトさんの試験は突破。

だが、最大の難関は此処からである。

アルトさんはまだ話が通じる。

ここから先は、もう思考回路からして異次元の二人を相手に、試験を進めなければならないのだ。

正直色々と気が重いが。

それでもやらなければならない。

善は急げだ。

アトリエに戻ってハルモニウムをコンテナにしまう。

そして鍵を掛けて戸締まりをしっかりした後。

二人で頷きあって。

フィリスさんのアトリエに向かった。

 

フィリスさんのアトリエの外では、前にツヴァイと呼ばれていたホムが、台を使って背を補いながら、洗濯を干していた。とはいっても、もの凄く手慣れていててきぱきとやっていたし。動き自体もとても早い。

フィリスさんと一緒に旅をしているときは、戦闘での一点特化火力を担っていたという話だし。

当然、フィリスさんが。そう、あのフィリスさんが作った装備類を、身につけているのだろう。

だったら手伝いの申し出などは、却って失礼だ。

向こうも此方に気付いていたようで、すぐに声を掛けて来る。

「お姉ちゃんに何か用なのです?」

「はい。 Aランクの試験を受けに来て……」

「それなら、多分少ししたら帰ってくるので、その辺りで時間を……リア姉が近くでやっているお店で、買い物でもして欲しいのです」

「分かりました」

頭を下げて、素直にラブリーフィリスに出向く。

リアーネさんは最初こそ凄い美人がいるという話題になったのだが。しかしながら、口を開けば妹の自慢しかしない事や。何より本人が騎士団でも隊長を余裕でこなせる、要するに戦略級傭兵と同格の凄まじい手練れと知れ渡ってから、安易に口説こうとする者はいなくなった様子だ。

そもそも店の名前からしてエキセントリックぶりは充分に溢れまくっている訳で。

今ではラブリーフィリスには、美人目当ての男性客では無く。

普通に本や素材を求める錬金術師の方が姿を良く見せるらしい。

リディーとスールが出向くと、笑顔のままリアーネさんは出迎えてくれる。良さそうな宝石があったので、幾つか見繕う。

既に宝石なんて、高級品でも何でも無い。

金銭感覚が麻痺してきているのは認めるが。

しかしながら、ハルモニウムの価格を知った後だと、こんなものはゴミかカスにしか見えないのも事実だった。

大体魔力媒体だったら宝石以外にも色々あるわけで。

別に宝石にこだわる必要はないのである。

「後、この本いただけますか?」

「海の魚図鑑? 良いけれど」

「今後、海に入るかも知れませんので」

「ああ、そういう事ね。 その本ね、フィリスちゃんが監修しているのよ」

思わず硬直するスールを、肘で小突いて牽制。

分かっているだろうが、フィリスさんは今の時点でも、此方を監視していてもおかしくないのである。

下手な行動をしたら、その場で首をねじ切られかねない。

「それは参考になります」

「フィリスちゃんと一緒に、空飛ぶ船で湖底に潜ったのが懐かしいわ」

「何でも出来るんですねフィリスさん……」

「それはそうよ。 フィリスちゃんですもの」

嬉しそうなリアーネさん。

会計を済ませると、フィリスさんのアトリエに戻る。

丁度フィリスさんが戻ってきた所だった。

空中から、突然出現して、だが。

多分だけれど、気配を消して、空気にも影響を与えないように超高速移動してきたのだろう。

ツヴァイも驚いている様子は無かった。

「お帰りなさい、お姉ちゃん。 ああ、二人が用事だそうなのです」

「ちょっとやる事があるから、アトリエに入っていて貰っていて。 お菓子は適当に」

「はい」

洗濯を終えていたツヴァイに案内されて、アトリエの中に。

すぐに暖かい紅茶と焼き菓子が出てくる。

クリームまで載ったかなり豪華な焼き菓子で、もうこの辺りになってくると、相当な富豪でも中々食べられないレベルの代物だ。

フィリスさんからすれば、この程度の菓子は作るのは朝飯前、と言う事だろう。

リディーも食べて見て、素直に美味しいと思ったが。

同時に感動は一切無かった。

スールはそもそもフィリスさんのアトリエに入った事で緊張しきっている様子で、味も分からないようだったが。

「はいお待たせ」

「お邪魔しています」

悲鳴を上げかけたスールの口を押さえる。

後ろから、いきなり声が掛かったので、そうするので精一杯だった。紅茶を零したりしていたら、何をされていたか。

全然違う方からフィリスさんが出てきたが。

もうその辺りは気にするだけ負けだ。

時間を止めて背後に回り込んだのかも知れないし。

他にどんな隠し玉を持っていても不思議ではないのだから。

向かいに座ると、フィリスさんは熱めだった茶を平然とすする。溶岩でもそのまま食べそうな気がすると、リディーが思うと。

フィリスさんは、にやりと笑った。

思考を読まれたのかも知れなかった。

「それで、わざわざ来たって事は、Aランクアトリエ試験?」

「はい、お願い出来ますか?」

「ふーん?」

「スーちゃん」

青ざめているスールを揺り動かして。そして、スールが、震え上がりながらも、頭を下げる。

お願いします、と。

フィリスさんは目を細めて此方を見ていたが。

まるで獲物を狙う巨竜だ。

勿論、この人はドラゴンなんか問題にしないほど強い。

「ちなみにルーシャちゃんはこの間わたしの出したAランク試験を突破して今ソフィー先生の所。 パイモンさんは正式にAランクに昇格したよ」

「えっ!? は、はい」

「?」

「分からないかな。 ルーシャちゃんにもう実力が追いつくって事だよ。 パイモンさんは一緒に旅して実力を良く知っているから、試験を流したけれど。 ルーシャちゃんと、リディーちゃんスールちゃんに関しては、実力を伸ばすように試験を出すように指示が出ているからね」

本当に、獲物を狙う巨竜の目だ。

射すくめられて、感情が鈍くなってきていると実感しているリディーですら、悲鳴を零しそうになる。

もうこの人も、隠す必要もないと思っているのだろう。

ソフィーさんからの指示である事を、そのまま露骨に口にしていた。

或いはそうすることで。

プレッシャーを掛けようとしているのかも知れなかった。

「ドラゴンを倒して来て貰おうかな。 何処にいるドラゴンかは、此方で指定するよ」

「っ!」

「とりあえず詳しい条件の伝達は二週間後。 それまでに、準備を充分に済ませておいてね」

フィリスさんが席を立つと。

ツヴァイにそのまま、お客様はお帰りだから、と告げる。

なおフィリスさんはツヴァイちゃんと呼んでいた。

小間使いのように扱っているというよりも。

恐らくは、フィリスさんが信頼している数少ない人間だから、こう言う仕事を任せているのだろう。

急いで茶を飲んでお菓子も食べ終えて。

そしてアトリエを出る。

心臓がばくばく胸郭の中を跳ね飛んでいた。

スールは吐きそうな顔をしている。

これは、アトリエに戻った辺りで吐くかも知れないな、と思ったけれど。何とか、我慢して貰う。

帰り際に、ツヴァイに声を掛けられた。

「ドラゴン退治とは大変ですね」

「ええと、ツヴァイさんは経験が」

「上級とやりあったことが何度か。 お姉ちゃんがいるから、こわくなんてないのです」

そうか、上級とやりあった事があるのか。

ホムの戦士で、上級のドラゴンとやりあった事がある人なんて、殆どいないだろう。ホムの戦士そのものが稀少だからだ。

或いはコルネリアさんは。ソフィーさんと一緒に活動していたという話だし、あり得るけれど。

いずれにしても、レアケース中のレアケースの筈だ。

まず、戻る。

そして、真っ青になっているスールを急かして、現実的に出来る装備について、考えて行く。

まずは、主力級の装備品の更改。

最近作ったものではなく、昔作った獣の腕輪などの古い品から、優先的に更改していく。更にハルモニウム。

流石に現状の質で武器に使うのは好ましくないが。

装備品にするならば。インゴット一つで充分だろう。

コルネリア商会にいって、正式に増やして貰う。一週間かかるという事だったので、加工は一週間でやらなければならない。

また、プラティーンで補強していた装備品類は、これでお役御免となる。

部品を切り替えれば良いだけのものならそうするが。

いっそのこと、新しく現状の技術で作った方が、より強いものが作れるし。

何よりお古は騎士団に納入してしまえば、より強い装備を身につけて、騎士達が安全に戦える。

アンパサンドさんに聞いているが、現在騎士三位くらいだと、錬金術の装備を一つ身につけていれば良い方、というくらい装備が行き渡っていないらしい。従騎士に至っては、錬金術の装備が行き渡ることはまずないらしい。練度や装備で誤魔化してはいるが、騎士団の殉職率や損耗率を考えると、少しでも被害を減らす努力はした方が良い。

他のアトリエランク制度参加錬金術師も装備品をどんどん納入しているらしいのだけれども。

リディーとスールも、もっと積極的にやっていくべきだと思う。

実際問題、一つでも錬金術装備を身につけられれば、世界が変わるのである。

四つ五つと身につければ、ネームド戦でも互角に渡り合えるようになってくる。

お古であっても欲しい。

以前、騎士団員にはっきり言われた事もある。

納品すれば多少身体能力が上がる程度の装備でも喜ばれると聞いている。だから、どんどん更改して。完成品はお古でも良いから、騎士団に回す。

どれだけ彼らが過酷な仕事をしているかは。

マティアスさんとアンパサンドさんを見れば嫌でも分かる。

少しでもこの世界をよくするためには。

この作業は必要不可欠なのだ。

スールと話あって、この辺りの話を決めた後。まず、新しく更改する装備品を改めて作り直す。

一部はレシピも修正する。

鍛冶屋の親父さんに頼むようなものは、わずかしか作れないので、厳選する。

いきなり全てをハルモニウム製にするには厳しすぎる。

この作業で二日。

更に、パーツ造りで更に三日掛かる。

今まで作ってきたものだから、スールはてきぱきと作っていく。リディーより手際が良かったり、早かったりさえする。

「スーちゃん、作り慣れたのだと、私よりずっと上手いし早いね」

「え、そうかな」

「うん」

「……そうだね」

最近色々精神的に参っているようだから、姉としてフォローしなければならない。スールもそれで多少気分が紛れたのか。

残り二日を使って、お薬や爆弾を補充。

最近はハルモニウムの研究に掛かりっきりで、それらも疎かになっていたからである。

そして、一週間後。

インゴットの複製が完了。

とりあえず二つほど引き取る。

二つだけで今まで稼いできたお金が消し飛びかねない程の出費になったが、これは我慢するしかない。

最初に指定していたとおりに、装備品を更改する。

今回は武器に関しては更改しない。

ドラゴン狩りをするのだ。

次にドラゴンを殺すときは、高品質のハルモニウムに必須というドラゴンの血をどうしても採取したい。

もっと先に行くためには必要な事。

これから先に更に力をつけるには。

絶対に必要な事だからだ。

インゴットを加工開始。

やはり小型のパーツでも、相当に加工は大変だ。しっかり一週間時間があっても、終わるかどうかあまり自信が無い。それくらい難しい。

スールと手分けして、作業を行うが。

それでも中々終わりそうにない。

最悪の場合は、お古を引っ張り出してきて使うしか無いが。

ドラゴン戦でそれは厳しい。

海竜のように、世界の塗り替えで対応出来る相手ならいいのだけれど。あのフィリスさんが用意してくるドラゴンだ。どんなことをしてくるか。何をしてきてもおかしくないだろう。

それに、作った品の試運転もしたい。

時間は、出来るだけ短縮したかった。

人間用の栄養剤を時々のみながら、作業を続行。兎に角、休む事は交代で行いながら、作業そのものは継続していく。

徹底的にチェックを繰り返す。

何しろハルモニウムだ。

換えが効かないのだから。

一つずつ、装備品を作っていき。

何とか、指定日の二日前には装備品が揃う。次の戦いで、高品質のハルモニウムが揃ったら、いよいよ全員分の武器を更改したい。

キャプテンバッケンに貰った杖と、スール用の二丁拳銃でよく分かった。

やはり、お母さんのお古だけでは駄目だ。

自分達用にカスタマイズした武器を使わなければ、自分用の最強にはならない。

今でもお母さんは大好きだし。

今ではお父さんも大好きに戻った。

だが、それでも。

自分とお父さんとお母さんは違う。

今は知っている。好きと依存。好きと盲信。これらは全て違う。リディーとスールは、結局死んでしまったお母さんに依存していたに過ぎない。

お母さんのことは好きでかまわない。

だが、依存はもう終えるべきだ。

だから、装備も自分に合わせたものが必要なのだ。この辺りは、拘りで妥協していい部分ではない。

裏庭で一つずつ完成品を試す。

試運転はリディーが全て一つずつ試す。

やはり低品質のハルモニウムといえど、はっきりいってプラティーンとは雲泥だ。これが国宝になるのも納得である。完成品の性能が段違いなのだ。プラティーンはかなり上手に作れるようになってきていたのに。アルトさんに100点満点で9点とかいわれた品が、である。勿論これは9点よりマシのインゴットを複製して使ってはいるのだが、それでも15点以上という事は無いだろう。

本当に、今までの金属とは次元が違うんだ。

それを使い、実際の性能を試しながら、リディーは実感していた。

そして、使ってみて分かる。これならば、ドラゴンに対抗できるかも知れない。

指定日の前日。

慌てた様子で、マティアスさんがアトリエに来る。

話を聞くと、やはりドラゴン狩りだった。王都の近くに出たドラゴンが、街道近くの山に来ており。現在その街道は使用禁止になっているらしい。あまり大きな街道ではないので今の時点では影響は無いが、退治は必須だという判断がされたそうだ。

しかも三傑は全員出払っていて、騎士団もしかり。アルトさんとパイモンさん、プラフタさんも出払っている。

つまり、リディーとスールがでなければならない、と言うわけだ。

分かりきった話だが、フィリスさんが何かしら手を回したのだろう。或いはドラゴンの尻を蹴飛ばして、縄張りから追い出したのかも知れない。あの人ならやりかねない。

スールと頷きあう。

スールは青ざめながらも、頷いていた。すぐにアトリエを飛び出していく。

ドラゴン戦だ。流石にどれだけお金を掛けても良いだろう。ドロッセルさんに、声を掛けて来て貰う。勿論フィンブルさんにも。

てきぱきと準備を進めていくリディーとスールを見て、マティアスさんは乾いた笑いを浮かべた。

「どんどん進歩していくな。 俺様だけ置いてけぼりにされてるみたいだぜ」

「マティアスさん、強くなってますよ。 この間だって、自分の手で……」

「いや、俺様もせめてあれくらいはって思ったくらいだ。 とてもじゃないけれど、まだまだ、な」

邪魔になると判断したのか。

そのまま、マティアスさんは帰って行く。彼方は彼方で、確信犯でフィリスさんが用意したこの状況に対応しなければならない。先に済ませる書類仕事とかあるのだろう。

ルーシャは幸いいてくれたので、手伝いを頼む。

Aランク試験を受けていて、フィリスさんの所で躓いていたと聞いている。何とか突破は出来たようだが。今はソフィーさんの試験を受けているようだし、気は休まらないだろう。

或いは、試験内容は同じだったのかも知れない。

ドラゴン狩りと聞くと、ルーシャは快く受け入れてくれた。手抜き状態でもアルトさんもプラフタさんもいない現状では、騎士団の一部隊くらいは最低でも増援で欲しいのだけれども。

それすら望めない状況では、戦力はできる限り集めるしか無い。

予定通りに準備を進めていたので。

どうにか出来の悪いハルモニウムを使った装備品の調達は間に合う。試運転も、ギリギリ間に合わせた。

出来ればコンディションも完璧に仕上げたかったのだが。

これ以上は流石に贅沢だろう。

勝ちに行く。

身につけた装備品達は、ハルモニウムの威力を見せつけるように、今までの装備品の数倍の効果を体にもたらしている。

これだけの倍率があれば。

きっと、勝てる筈だ。

 

2、フィリスさんのA級試験

 

城門を出る。移動は、飛行キットを取り付けた荷車で行おうかと思ったのだけれども。今回はルーシャも来るので、少し人数が多すぎる。そのルーシャも、もう飛行キットは作ったようだったのだけれども。残念ながら、小型の荷車用の飛行キットだった様子で。行くだけなら良さそうだが。荷物を運ぶ帰りには上手く行きそうに無い。少し話しあった後、どうせ大した距離でもないので、全自動式を使う事になった。

まあ別に今は一刻を争う状態でもない。

ルーシャは三連連結の荷車で。リディーとスールは飛行キットつきの大型荷車で来ていたが。

大型荷車はしまって、二連結の全自動式荷車に切り替える。

その間に、ルーシャがもう一両荷車を出してきて。リディーとスールの荷車の後ろに連結した。

これで丁度良い。

幸いドロッセルさんとの契約が間に合ったので、今回は何とか戦力がそれなりに揃った事になる。

前に海竜戦をやったときに比べて、フィリスさんとアルトさんがいない。しかしどちらも滅茶苦茶手を抜いていたのは、当時から知っていたし。それなら、今の戦力でも大した差はない。

一旦森の中で止まり。

全員にハルモニウムを使った装備品を配る。

今回はドロッセルさんにも配った。

ルーシャはそれを見て、嘆息する。

まだハルモニウムは出来ていないのかなと思ったが。流石ルーシャだ。若干リディーとスールよりも質が良いのを作るのに成功していたらしい。

ルーシャ自身とオイフェさんの分しか装備品は用意できていない様子だが。

それではっきりいって充分である。

「倍率が強烈なので、先に試してください」

今まで、此処にいる面子は、錬金術の装備を試したことがある者ばかりだ。フィンブルさんが頷くと、まずは腰を落として、ハルバードを振るう。

いきなり風圧が地面を抉ったので、流石に慌てた。木を傷つける可能性があったからだ。いうまでもなくこの森は、王都を守る防衛線である。生木を傷つける事など、絶対にあってはならない。

マティアスさんもしばらく四苦八苦したり、手を握ったり開いたりしていたが。

青ざめているのは、想像以上にパワーの倍率が高いからだろうか。

アンパサンドさんは、もう空中機動まで試している。

この間、山二つをぶち抜く大規模インフラ工事にかり出されたときは、フィンブルさんも空中機動を使いこなしていたのだが。

それでも、アンパサンドさんほどには出来ていなかった。

とはいっても、アンパサンドさんの場合は、体を徹底的に鍛え上げた結果、それこそ隅から隅まで意図通りに動かせるようになっているだけの事で。

別に天才でも何でも無いだろう。

死ぬほど努力した結果がこれだ、というだけである。

「本当にパワーが大きすぎるのです。 ただ、使いこなせれば実に頼もしい。 これが騎士団に正式配備されたら、どれだけ被害が減ってくれるか……」

悔しそうにアンパサンドさんがいう。

それは、まだ残念だけれど、リディーとスールの腕では無理だ。今回も凄まじい出費の末に、何とか作り出した品である。更に言うと、これはハルモニウムとしては落第点レベルのもので。

もっともっと、マシな品を作っていかなければならない。

これについては、皆が一通り動けるようになってから説明をする。なお、恐らくだけれども。とっくにハルモニウム装備は使った事があったのだろう。ドロッセルさんだけは、平然と使いこなしていた。

「今回のドラゴン戦では、血をどうしても採取したいです。 手加減は出来ない相手だと分かっていますが、お願いします」

「血、かあ。 前はそれどころじゃなかったもんな」

「マティアス、無理そうだったら無理しなくてもいいからね。 相手はドラゴンだし」

「ああ、分かってる。 スーが最近優しくて俺様嬉しくて泣きそう」

そう大げさにいうマティアスさんだが。

案外本音かも知れない。

この人、恐らく王宮でも意図的に孤立しているだろうし。

何よりミレイユ王女が怖すぎて、佞臣だと目をつけられないためにも、怖くて声を掛ける官吏はいないだろう。

ホムの役人は声を掛けるだろうが。そもそもホムは野心が極めて薄く、権力欲もほとんどない。というか、あったとしても他人を押しのけてまで権力の座につこうと考える種族ではない。

その代わりホムは極めて寡黙で事務的だ。無駄な事はほぼしない。

マティアスさんの悩みを聞いてくれるような人もいないだろう。

「じゃ、注目」

不意に、手を叩くドロッセルさん。

ドラゴンについての説明を受ける。

ドラゴンは上級、中級、下級に分けられ。高位、中位、下位に分けられる邪神とは位階の分類からして違うと言う。当然高位、上級の方が強い。それも桁外れに。

これはあまり知られていないが、まあ当然だろう。

何しろ、下級のドラゴンでさえ、普通の人間には手に負えないのだ。

どうせ手に負えないなら、更に桁外れに強かろうが同じである。

ドラゴンについての解説に戻る。

下級のドラゴンは、ドラゴネアが殆ど。希に変異種などもいるらしいが、いずれにしてもドラゴンの大半はこれである。

中級のドラゴンになると、金属名と同じ名前を持つシルヴァリアや、金色に輝くゴルドネアなどの品種がいるが。これらは中級の名前に相応しく、圧倒的な火力と防御力を持ち、ドラゴネアより格段に強いと言う。

なお、この間戦った海竜は、珍しい下級の海棲ドラゴンだそうだ。

そして上級になると。

ドラゴンは名前を持つようになる。要するに、ドラゴンのネームド、というくらい危険な存在と言う事だ。普通の獣とネームドの実力差を考えると、怖気が背中に走る。

上級のドラゴンになってくると、物理的に強いだけだったドラゴネアなどと違い、天変地異も容易に起こすようになるという。

ドロッセルさんは、さらりと当たり前のようにいう。

「私が戦った上級は二体だけだけれど、片方は津波を起こして一万の人間が暮らす都市を湖底に沈めようとしたし、もう片方は砂嵐を常時起こして自分の縄張りを有利な状況においていた。 要するに、天候を操作し、天災まで操ると言う事だよ」

「ひえっ……」

「殿下」

「わ、分かってるがよう」

マティアスさん青ざめて、フィンブルさんにたしなめられる。

ルーシャは頷いてメモをとっていたが。

これは多分、ドラゴン戦の経験者の生の話は貴重だから、というのが理由だろう。リディーも勿論メモをとる。スールも、熱心にメモをとっていた。

「アンパサンド、今回のドラゴンの特徴は」

「今の話を聞く限りゴルドネアなのです」

「となると恐らく中級だね」

恐らく、というのも。

やはり、例外的に強い個体が出現する事があるらしく。

ゴルドネアは基本的に中級だが、ごく希に上級並みの実力者が出てくることがあるらしいのだ。

またドラゴンは生態も殆ど分かっておらず。

縄張りに入らなければ襲ってこない「比較的」大人しい者から。

人間の街を襲撃しに積極的に動く者まで様々で。

しかも、大人しかった個体がいきなり暴れ出したりするケースもあるため。何処にどんなドラゴンがいるかは、常に把握する必要があるのだとか。

そういえば、500年前より前。

世界には秩序さえ無かったという話をアルトさんにされたが。

要因の一つはこれではないのだろうか。

リディーが思うに、錬金術師と、錬金術の装備に身を固めた使い手達でなければ、ドラゴンが倒せない状況では。

ドラゴンが現れたら、余程の事がない限り人間は逃げ散るしか無い。

数をどれだけ集めたって無駄だ。

数を集めて勝てる相手では無い。

機械技術の類では、ドラゴンの鱗に傷一つつけられないのだから当然だろう。ましてやブレスはあの火力である。

「現地の地図を出して。 作戦はもう立てておこう」

ドロッセルさんが仕切る。

此処は、ドラゴン戦の経験を豊富に積んでいる彼女に話を聞く方が得策。

恐らく、アンパサンドさんはそう判断したのだろう。

ドロッセルさんはアダレットでも高名な戦略級傭兵の一人でもある。

騎士団としても、別に指揮を任せる事に抵抗はないだろうし。

地図を拡げると、ドロッセルさんはドラゴンの出た場所、街道などの位置から、小首をかしげる。

「本当に、此処に留まってるの?」

「現状ではそうなのです」

「まずいね」

ドロッセルさんが、すっと指先を地図の上に走らせる。

地図のかなり広い範囲が、指先によって囲まれた。

「感知範囲はこの辺りになると思う。 相手が中級だった場合だけど。 ドラゴンが気配を察知できる範囲と、視界に入る範囲を含めるとこんな感じだね。 どうしてこう、周囲を完璧に見晴らせる位置に陣取られたのか。」

「ここまで感知されるとなると……変な動きを相手が見せている以上、この辺りからはもう狙撃されることを覚悟して進むしかないのです」

アンパサンドさんが、リディーを見る。

リディーは、身につけたハルモニウムを使った装備を意識して。大きく深呼吸をしていた。

「分かりました。 何とかブレス、防いでみます」

「わたくしも手伝いますわ」

ルーシャもそう加勢してくれるが。

二人がかりでも、ブレスを何回防げるか。

相手は弱体化無しの中級となると、この間の海竜とは根本的に事情が違うだろうし。

それと、何よりも話を聞く限り、ゴルドネアに弱点は無い。

つまり不思議な絵の具は通用しないという事だ。

つくづくすこぶる厄介だが。それでもやるしかない。

錬金術師となって、Aランクになろうというのだ。Sランクがネージュ級だとなると、これくらいは出来なければ話にもならない。

頬を叩いて気合いを入れると。

ドロッセルさんとアンパサンドさんが幾つか打ち合わせをして。

それをリディーは頷きながらメモした。

イル師匠の所で、戦略と戦術を学んだ。それが今になって、大きな力になっている。すっと頭に二人の言葉が入ってくる。

スールも、熱心に話を聞いている。

多分、ある程度は理解出来ているのだろう。

「それでは、確認通りやるのですよ」

アンパサンドさんの言葉に頷く。

ドラゴンとの戦いを、はじめるときが来た。

 

ドラゴンの縄張りに入った。

それを察すると、背筋がぞわりと悪寒が伝う。

それはそうだろう。

人間には、ドラゴンには勝てないという本能が備わっているという説があるが。実際勝てないのだ。

気配とか読めるようになって来た今。

ドラゴンの計り知れない強さは、嫌でもリディーに伝わってくる。確かに人間なんか、なんぼ数を揃えても勝てる相手では無い。

錬金術が、偉大すぎるだけだ。

皆、一言も発さず。そのまま動く。

荷車はそのまま引くが、これは最後の時には盾にするためだ。当たり前の話だが、プラティーンの装甲である。これに全力での防御魔術を掛ければ、一回くらいは荷車そのものを犠牲に、ブレスを防げる。

撤退を判断した場合は、荷車を捨てる事になるが。

逆に言うと、最後の盾として、機能して貰う事になる訳だ。

ドラゴンがいるのは分かるが。

まだしかけては来ない。

好機。

可能な限り距離を縮める。

ちょっと先の空中を機動していたアンパサンドさんが、ハンドサインを出してくる。見つけた、という意味だ。

続いてのハンドサインを見て、右側に進路を移す。これは、ドラゴンがブレスで狙撃してくるまでに、可能な限り近付くために。進路を事前に幾つか設定した。

今、峠に掛かっている街道の中腹ほどに居座っているドラゴン、ゴルドネアの視界から外れつつ。

背後に回るように、砦を迂回して荒野を進んでいる。

獣はドラゴンの気配に威圧されたか殆どいないが、人間を見ればそれでも殆ど反射的に襲いかかってくる奴はいる。

ドロッセルさんは、今回はかなり危ない戦いだからか、いつもより本気だ。

獣を即座に仕留め、屠る。

残念ながら、今は回収している余裕が無い。本来この辺りは、そろそろ緑化作業をする予定候補に入っていたくらい、獣の駆除が安定していたらしく。ドラゴンが出るのはあり得ないそうだ。

やはりフィリスさんが追い立てたのだろう。

本当に、困った話だが。

しかし、どうしようも出来ないのもまた事実だった。

「シールド!」

アンパサンドさんが叫ぶ。

ハンドサインよりも先に意図を察したリディーとルーシャは、タイミングを合わせてシールドを張る。

アンパサンドさんとドロッセルさんは自力で何とかする。

これについては、事前に打ち合わせ済みだ。

なんと、峠ごとぶち抜いて、閃光が瞬く。

そして、周囲を一瞬にして焼き払っていた。

シールドへの負荷が尋常じゃあない。

前は本当に、弱体化しきってドラゴンとも言えないようなのを相手にしていたのだと、思い知らされていた。

ハルモニウムで強化された装備でこれだ。

手が痺れるようである。

煙が晴れてくると、周囲の惨状が明らかになってくる。

峠が抉られ。

其処から帯状に、此方に向けての地面が溶けている。そして、ドラゴンは既に宙に舞い上がり。口元に光を宿していた。

分かってはいたが、峠ごとぶち抜いても、これだけの火力が出る。

ドラゴンのブレス、第二射。

しかしそれは、大きく上にそらされる。アンパサンドさんがシールドの側に現れると、ハンドサインだけ残して、すぐに消える。

頷くと、突貫。

今、ドラゴンを蹴り挙げたのはドロッセルさんだ。ブレスを放った瞬間、全力で突貫し。至近から顎を蹴り挙げた、と言う訳か。

そのまま、ドロッセルさんに尻尾を叩き付けるドラゴンを見ながら、まず溶岩をレヘルンで冷やし。速攻で走り抜ける。そのまま皆で一丸となって走り、峠へと進む。

浮いたままの状態で、ドラゴンはドロッセルさんの猛攻をいなしているが。

しかしながら、ハルモニウム装備で強化された上、本気モードのドロッセルさんを即座に振り切れない様子だ。

かといって、ドロッセルさんだって、単独であいつに勝てるほどの実力は無いだろう。

急げ。

自分に言い聞かせながら走る。

ドラゴンが、此方を見る。

一瞬だけ視線が交錯する。

ブレスを吐こうとしたところを、その目を上からの閃光が抉った。アンパサンドさんが加勢したのである。

目を抉られても、眼球は破れなかったようだが、五月蠅そうに魔力を放出して、周囲全てを押し返すドラゴン。

この時を、待っていた。

上空に、スールが投擲。

束にして火力を最大まで上げたレヘルン。通称シュタルレヘルン。それを十個束ねたものだ。

勿論人間の、しかもヒト族の本来の腕力で投げられるものではないが。

今の装備による倍率なら可能。

更にこれを、バトルミックスで全力強化。

炸裂させる。

爆裂した冷気は、瞬時に周囲を極寒地獄に変えた。手加減無しの、冷気の究極の一撃だ。まずは、これで初撃。

空気すらもが一瞬凍り付いた中。

それをバリバリと砕いて、躍り出てくるゴルドネア。相当に頭に来た様子で、雄叫びを上げる。

ブレスを再び放とうとするが。

もうマティアスさん、フィンブルさん、それにオイフェさんの間合いだ。

今のは、効くことを期待していない。

接近するまでの時間稼ぎである。

ルーシャが腰を据え、周囲に拡張肉体を展開。

傘を構えると、全力での砲撃をぶっ放す。

更に、それにあわせて、スールが接近しつつ、上空の相手を横切るように動きながら乱射乱射乱射。

ぎこちないながらも空中機動を使いこなしたフィンブルさんとマティアスさんが、上空から大剣とハルバードを振るいかぶり。

真下から、腹にオイフェさんがナックルでの一撃を叩き込む。

ルーシャの砲撃と、スールの射撃。立て続けのオイフェさんの攻撃に気を取られたドラゴンの脳天に、マティアスさんとフィンブルさんの渾身の一撃が叩き込まれた事により、流石に中級ドラゴンも高度を保てず、地面に叩き落とされる。

同時に、作戦は次の段階に移行。

オリフラム十個を束ねた爆弾を、リディーが取りだし、投げる。残像を作り、動いたアンパサンドさんがそれを受け取り、スールへと投げ渡す。

リレーが成功し。

それを視線でしっかり追っているドラゴンの横っ面を、ドロッセルさんが渾身の蹴りで張り倒す。

勿論ドラゴンもやられっぱなしでは無い。

頭に来たのだろう。

ひゅうと、一瞬だけ音を立てると。

上空に、無数の石が飛来するのが見えた。

それが、文字通り雨のように辺りに降り注ぐ。一つずつの石が、それこそ爆裂するように地面を抉っていく。

思わずリディーはシールドを展開。ルーシャも全力で展開するが。

皆、直撃は避けても、衝撃波が重なり会う中、無事であるとは思えない。

耐えられないかも知れない。

だが、何とか。

今の装備なら。

祈るしかないが、そんな中。躍り出たのは、傷だらけのスール。今の空からの投石の中を抜けると。

立て続けにブレスを吐こうとしているドラゴンの至近に躍り出ていた。

スールが持っているのが爆発物、それも超特級の危険物であることを察知したか。

ドラゴンが、一瞬だけまどう。

それで充分。

スールを抱えて、空中機動したアンパサンドさんが離れる。今のアンパサンドさんなら、充分に出来る。

そして、その場に残された爆弾に対して、即座にシールドを展開するドラゴン。

その背中に、息を合わせてフィンブルさんとマティアスさんが、一撃を叩き込んでいた。

狙うは翼である。

更に、てこの原理で力が掛かるように。

下からオイフェさんが蹴り挙げる。

無茶な力が掛かった翼が。さきの冷気による冷凍もあるのだろう。勿論ハルモニウムによる強化もある。

へし折れる。

絶叫するドラゴン。だが、尻尾がまるで蛇のように動き、接近戦を挑んでいた三人を立て続けになぎ倒す。

ハルモニウム装備があってもこれか。

必死に次の手を準備しながら、尻尾を掴んだドロッセルさんが、凄まじい勢いで地面をずり下がりつつ。

その動きを止めるのを確認。

ドラゴンは爆弾に対するシールドを張りつつ。

跳び上がるようにして、尻尾を振るい。

無理矢理ドロッセルさんを振り払いつつ、此方に振り向こうとした。

その瞬間に。

空中機動していたスールが、ドラゴンの頭上から乱射。今のスールが手にしている銃は、昔の豆鉄砲ではない。弾丸に魔力も籠もっているし、キャプテンバッケンの魂の銃だ。ドラゴンが、一瞬だけ視線をそらされる。

同時に、翼の傷口を、アンパサンドさんが抉り。

更に空中機動し、まるで小さな箱の中で鞠が跳ね回るようにして、凄まじい数の斬撃を、瞬く間に傷口に叩き込んだ。

完全に頭に来たらしいゴルドネアが、ため無しでブレスをぶっ放し、アンパサンドさんを狙うが。

シールドを張る。

アンパサンドさんに、ではない。

ドラゴンの至近に、だ。

結果、ドラゴンのブレスが、その翼の傷を完全に焼き切る。悲鳴を上げたドラゴンが、思わずシールドを解除。

降り立ったスールが、落ちていたオリフラムを拾うと。

二回目のバトルミックスを叩き込んでいた。

きのこ雲が、その場に上がる。

呼吸を整えながら、様子を見る。流石に額からの汗が酷い。シールドを一緒に展開していたルーシャも、呼吸を整えるのに必死だ。

構えるのは、ルーシャの方が早い。

爆炎を蹴り破るようにして、姿を見せたドラゴンが。

そのまま、食らいつこうとしてくる。

だが、その鼻先に叩き付けるようにして、ルーシャが今日二度目の全力砲撃。しかも、これについては事前に打ち合わせていた。

先に冷気。

続いて熱。

これで仕留められないとしても、熱膨張破壊によって、ドラゴンには少なからずダメージが出る。頭に来たドラゴンは、錬金術師を狙いに来る。そして本能的に、積極的にアタッカーをしているスールではなく。能力強化とシールドの展開をしているルーシャとリディーを狙って来る。

ドロッセルさんの読み、完璧だ。

というか、それを誘発するために、わざと此処で動かないで戦っていたのである。

ルーシャの拡張肉体が、過剰な負荷に爆ぜ割れるのが見えたが。

その代わり、ぶっ放された砲撃は、ドラゴンがブレスを吐く前にその顔を直撃、一気に押し戻し。

そして、鱗を数枚、吹き飛ばすのが見えた。

同時にリディーが地面に手を突き、術式発動。

傷だらけになりながらも、今の爆破の風圧と、空中機動を利用して高く高く舞い上がったマティアスさん。その能力を、極限まで上げる。

文字通り、稲妻が落ちるような一撃。

鱗を喪ったゴルドネアの頭に、渾身の一撃が突き刺さる。

刺さるだけじゃない。

脳を破壊するほどの衝撃波が内部に通ったはずだ。

それでも、体を振るってマティアスさんを振り払うドラゴン。魔力を放って、周囲を吹っ飛ばすと。

詠唱無しで魔術を発動。

辺りの岩を一瞬で隆起させ、リディーとルーシャをまとめて吹っ飛ばした。

吹っ飛ばされながらも、見る。

横殴りに、フィンブルさんがドラゴンの喉を一閃。鱗が無くなった喉を、モロに抉る。

続けて、オイフェさんが踵落とし。

マティアスさんの剣を、ドラゴンの頭に更に深くねじ込む。

アンパサンドさんが、ついにこれ以上の負荷に耐えきれなくなったドラゴンの目にナイフをねじ込み。

引っこ抜く。

そして、満を持して、濛々たる煙の中から歩いて来たドロッセルさん。

舌なめずりすると、ドロッセルさんが跳ぶ。

ドラゴンは、この場で一番大きい戦気に反応。即応でブレスをぶっ放す。だが、確実に力は落ちている。

ブレスを、文字通りの豪腕で、ドロッセルさんは斧を振るって吹っ飛ばした。

人間業じゃないが、本命の一撃は次だ。

もう一発。

ドラゴンが気づき、絶叫する。

いつの間にか至近にいたスールが、首の付け根にあった傷口に、レヘルンをねじ込んでいたのである。

慌てるが、迫り来るドロッセルさんと、スールのどっちに対応するか、一瞬だけ迷う。

それが、ゴルドネアの最後のあがきとなった。

ドロッセルさんが、文字通り張り倒すようにして、ドラゴンの顔面を斧で殴り倒すと同時に。

スールが跳び離れる。

そして、ドロッセルさん自身も、空中機動して飛び退く。

突き刺さっているのはレヘルン一個だが。

ドラゴンの最強の守りである鱗も喪われた傷口に直接突き刺された状態で。

しかも、今回持って来ているレンプライアの欠片残り全部を突っ込んだ状況。

この一撃、耐え抜けるか。

三度、バトルミックスが発動。

その場に、氷の柱が出現したかのように見えた。

辺りが凄まじい冷気に漂白され。最後に残った力で、ルーシャがシールドを張ってリディーを守ってくれる。

情けない事に、もうリディーは、シールドを張る余力が無かった。

自分を抱きしめながら、シールドを張るルーシャの手が傷だらけな事にも気付いていた。多分、声には出せなかっただろう。

リディーは意識を失いながら、呟いていた。

ありがとう、私達のお姉ちゃん。

 

意識を取り戻すと、原型を保っているドラゴンの解体作業が行われていた。持ち込んでいる専用の桶に、大量の血が注ぎ込まれている。ほっとした。どうやら、最高級の中和剤の素材となるドラゴンの血は確保できそうだ。上級の血ならもっと良いのだけれど。正直、中級でこの苦労だ。

上級はまだ倒せないだろう。

全員ボロボロだ。特にここぞというタイミングで常に接近戦を挑んで相手の憎悪を引きつけてくれていたアンパサンドさんは、相当に酷い様子だが。比較的余裕があるらしいドロッセルさんが、せっせと手当をしてくれている。

リディーは頭を打ったわけでも無いし、そこまで酷い怪我もしていない。

体中痛いが。

我慢くらいなら出来る。

しばらく、作業は皆に任せ。そしてドロッセルさんに手当をして貰ってから、作業に加わった。

フィリスさんの思うとおりに動かされたことについては色々と思うところがあるが。

しかしながら、有害なドラゴンを倒せたのも事実である。

今はそれで満足するしかない。

鱗を回収。やはり質は、前に倒した海竜や、フーコと火竜の世界にいる火竜の鱗のものよりも格段に良いようだ。流石は中級、というところか。

今回は肉も回収出来る。

ドラゴン肉は王族でも口に出来ない代物だと聞いているが、流石に情報量が少ない肉をそのまま食べるのは危なすぎる。一旦燻製にして回収し、それから資料を当たって見るのが良いだろう。

尻尾も切り刻むと、一部を回収する。

また今回も、骨を回収出来た。前も骨は回収することが出来た。今後、何かしらに使えるかも知れない。

何しろ生半可な金属など及びもつかない強度なのだ。

点呼をとる。

皆、手足を失ったりはしていない。

ボロボロでギリギリだけれど、勝ったのだ。

ドラゴンとの戦闘経験者が本気で頑張ってくれて。しかも作戦通りにほぼ事は進んだのにこの被害。

決して完勝ではないけれど。

しかしながら、勝利は勝利だった。

呼吸を整えると、回収出来そうに無い素材について、少し相談する。今回は鱗と血を、充分回収出来た。またドラゴンの目については、ルーシャと一個ずつ確保できた。なお傷がある方、つまりアンパサンドさんがえぐり出した方は此方で引き取った。

荷車六両でもドラゴンの全てを回収するのは無理だが、肉を残すのは色々まずい。相談の結果、骨は一旦街に売る事にする。骨は前の戦いでもう確保できているからだ。それに、ドラゴンの骨は相当な値打ちものである。

街の住民もドラゴンは怖れていたのだ。

すぐにアンパサンドさんが出向いて、手伝いの人夫を呼び。街の自警団と連携して、骨を回収させる。

なお街からも戦いの様子は見えていたようで。

自警団と一緒に来た街の役人(比較的若いヒト族の女性)は、ドラゴンの骨の威容に震え上がっていた。

「世界の終わりかと思いました。 錬金術師というのはつくづく凄いですね」

「もっと静かに倒せなくて、すみませんでした」

「い、いえいえっ! ドラゴンを倒してくださっただけでもう、感謝の言葉もありません!」

目に恐れがある。

それを見ると、やはり暗い気持ちがより強くなる。

スールも、この時ばかりは同意な様子で。

冷たい目で役人を見ていた。

二人は「みんな」のためにと願った。

二人の方法論は違う。

だが、共通している事もはっきりしている。

二人が見ている「みんな」は、今生きている人間達では無い。そんな「みんな」は変えなければならない。

骨の回収までしっかり終わらせる。荷車には積みきれないので、肉の一部や内臓も、燻製が終わると街の国庫で預かって貰う。この辺りの手続きは、アンパサンドさんが役人としてくれた。まだ若い役人と言う事はやり手なのだろうが、流石にあの世界の終わりのような戦いが街の側で行われたからか動転していて。冷静過ぎるアンパサンドさんに、何度も間違いを指摘されていた。

書類手続きと、国庫への物資封印が終わる。

その後は、アンパサンドさんに呼ばれて、契約書を書く。

どうするか、と聞かれたので。

ルーシャとスールも呼んで、三人で話し合う。

「ルーシャ、どうしようか。 元から回収分は半分こにするって決めていたけど。 国庫に納めた物資、権利主張する?」

「リディーとスーはどうしますの?」

「私はいいよ。 国庫に入れたとなると、後の処理が面倒だし」

「スーちゃんも右に同じ」

ルーシャも頷くと。

今国庫に入れた分は、国に譲ると明言。

頷くと、アンパサンドさんはさらさらと書類を書いて、契約書にしてくれた。ただ、押印は王城でやるので、帰った後一日休んでから来て欲しいと言う事だった。

「いうまでもないのですが、口約束とはいえ騎士一位との約束で、書類についても残っているのです。 もしも前言撤回なんてしたらブッ殺すのですよ」

「わ、分かってるよ。 流石にアンパサンドさんを敵に回したくないもん」

「……うん」

「大丈夫ですわ」

アンパサンドさんはいつも通り軽くおっかない脅しを掛けて来たが。

どうしてか、リディーはもうそれほど心が動かされなかった。

後はアトリエに戻るだけだ。そして、フィリスさんに、結果を報告しなければならない。そして、である。

残っている。最後にして、最大の課題が。

ソフィーさんの試験である。

フィリスさんでこれだ。一体どれだけの無茶苦茶が要求されるのか、知れたものではない。今から覚悟は決めておいた方が良いだろう。

アトリエに痛む体を引きずって戻り。

そして翌日、王城で正式に、他の役人も立ち会いの下で契約を実施。

その日は何もする余力が残らず、後は寝ていることしか出来なかった。スールはいち早く回復して、そして裏庭でうねうね動く奴をやっていたが。

アレは、多分心を落ち着かせるためだな。

そう、リディーは、冷静に分析していた。

 

3、深淵の試験

 

フィリスさんのアトリエを訪れる。フィリスさんが、金属と会話していた。文字通りの意味である。勿論狂人の仕草では無い。

「ふーん、なるほどね。 じゃあコレなんかどうかな。 うんうん」

そう言って、インゴットを粘土のように自在に加工している。どう見てもあれはハルモニウムなのだが。

そしてリディーにも聞こえるのだ。

気むずかしいハルモニウムが喜んでいるのが。

ハルモニウムを加工しているときは、基本的に兎に角気むずかしい声しか聞こえない。それがフィリスさんが触るとどうだ。常に嬉しそうにしている。そしてフィリスさんには極めて具体的にハルモニウムの要望が聞こえている。これはほぼ確実だった。

しばしして、ハルモニウムをバングルに仕上げたフィリスさんは満悦した様子で、待っていたらしい獣人族の傭兵に手渡す。捧げ受け取ると、傭兵はいそいそと出ていった。深淵の者の関係者だろう。そして、深淵の者の関係者にも、フィリスさんが怖れられているのは、あの光景を見るだけで確実だった。

フィリスさんが調合や、それに類する事をしているのはあまり見ていなかったが。

やはりギフテッドなのだと再確認させられる。

それも超ド級の。本当に、鉱物やその類とは、友達も同然なのだろう。

山をつるはし1丁で粉砕するわけである。

「試験終わったってね。 お疲れ様ー」

「ありがとうございます。 フィリスさん、ソフィーさんに会いたいです。 どうすればいいですか?」

「あたしなら此処にいるけれど?」

背筋が凍り付く。

スールは、少しちびったようで。顔色が完全に真っ青になっていた。

後ろから掛かった声。

そして、いつの間にか至近距離の前に、ソフィーさんはいた。

順番に目を覗かれる。

その目は、まるで深淵の権化。

至近距離から覗かれると、そのまま心に黒い手が入り込んで来て。滅茶苦茶に陵辱されるかのようだった。

感情が薄くなってきている今でも、恐怖が胸郭の中を踊り回る。

ドラゴンなんか、比べものにならない。

中級のドラゴンですら、弱体化無しで下せたのに。

とてもではないけれど。この人に勝てる道筋なんて、見えるはずも無かった。

「リディーちゃんはもうちょっと。 スールちゃんはまだひと押しいるかなあ。 フィリスちゃん、どう思う?」

「わたしはもういっそ、予定の邪神よりももっと強いのと戦わせるべきだと思いますけれど、ソフィー先生」

「うーん、この実力だと流石に勝ちの目がないかなあ」

ソフィーさんとフィリスさんがさらりと恐ろしすぎる会話をしている。

邪神。

まさか、次の試験は邪神が相手なのか。

ファルギオルは、病み上がりの上、極限まで弱体化を受けていて、やっと勝負になった。それでも後ちょっとで負けていた。不確定要素も含めて、運がとても良かった。正直な話、現在の状況でも勝てる可能性は極めて低いだろう。

ましてや、他の。

病み上がりでは無い邪神と戦えというのか。

ひっと、スールが悲痛な悲鳴を上げた。

ソフィーさんがスールの目を覗き込みながら、恐ろしい事をいっているからだろう。恐ろしすぎて、身動き一つできないスール。嗚呼。リディーも、どうすることも出来ない。

「……とりあえず予定通りだね。 遅れは何かしらの方法で取り戻させよう」

「はあい。 それと、さっきのバングルは気に入っていただけました?」

「うん。 流石に金属加工は素晴らしいね」

会話を終えると。

フィリスさんはいつの間にかツヴァイが持って来ていた鉱石を手に取り。そして、また鉱石と話し始めていた。

ソフィーさんは目を細めてその様子を見守っている。

優しい先生の目だ。

この恐ろしい、邪神よりも恐ろしい深淵の化身も、あんな目をするんだ。そう思ったのも、一瞬だけだった。

不意に、周囲が真っ暗になる。

何か訳が分からない空間に連れ込まれたのは確実。

音もしなかった。

限界が来たのか。

スールが、へたり込んでしまう。

ソフィーさんは、ゆっくりと身動きできないリディーとスールの前を横切るように歩きながら、いう。

「さて、あたしからの試験だよ。 これから二週間後に、邪神を討伐して貰います。 相手は青花の侵食神。 下位の邪神だけれども、まあ今の二人には、準備をしてやっとどうにか出来る相手かな」

思わず小さな悲鳴が漏れかける。

下位とは言え邪神。

まともにやり合えというのか。ソフィーさんがやれば良いのに。だけれども、恐らくそうはいかないのだろう。

「それより意外なのはルーシャちゃんなんだよねえ。 もう少しであたしの試験を突破出来そうでね。 パイモンさんはもう突破したし、今回はみんな出来が良い」

後ろに回り込んでいるソフィーさんが、嬉しそうに言うが。

分かる。

顔は絶対に口だけしか笑っていない。

この人はもう、リディーとスールを何かしらの目的で利用することしか考えていないし。

深淵の者も、利益になるからそれに協力している。

その目的は、長期的には世界の詰みを打開する事、である事は知っている。

だがそれ以上の事は。

アルトさんに聞かされた話を、未だに良く理解出来ないのだ。話は聞かされてはいるけれど、どうしてもぴんと来ないのである。

深淵のものが紡ぐ言葉だから、だろうか。

いずれにしても、もはや闇の中に幽閉されているという意味では、リディーはこの空間に常時いるのも同じか。

スールもきっと、近々そうなる。

「とりあえず今回はルーシャちゃんだけではなくて、パイモンさんも行ってくれるように声は掛けておくからね。 その間に少しでもマシに仕上げたハルモニウムを使って、戦力を強化しておくように。 試験が終わったら、最上級の錬金術素材が仕入れられる不思議な絵画に入れるように、便宜を此方から図っておくよ」

「……」

「返事は?」

「はい」

殆ど、反射的に頷かされた。

逆らうという選択肢は絶対に存在しない。

もし下手な事をしたら、お父さんもルーシャもその場で即座に殺される。イル師匠やフィリスさんは一万回、ソフィーさんは二十三万回以上世界の終わりを見てきているというけれど。

だからだろう。

多分この人は、失敗なんて何一つ怖れてはいない。

駄目だったら方法を変えてやり直せば良い。

この人には、それだけなのだ。

普通の人間だったら心が折れる。

だけれどこの人は、もう普通の人間なんて、鼻で笑う存在でしか無い。ただ、それについてはリディーも少し分かる。

「みんな」に対する不信感は、強まるばかりなのだから。

いつの間にか、闇の空間から解放され。

フィリスさんのアトリエから放り出されたようで。近くのベンチに、スールと並んで座っていた。

スールは失神寸前。

肩を掴んで揺らすと。ようやく意識を取り戻し。

みるみる目に涙をため、そして顔を拭い始めた。

怖い。

素直にそう口にするスール。だけれど、多分普通の精神の人間があの状態におかれたら。精神が崩壊するはずだ。怖い、という程度で済んでいる時点で、スールはもう壊れ始めている。

そして壊れ始めている心にとどめを刺すために。ソフィーさんは、徹底的に、最善手をとっている。

そういう事だ。

ソフィーさんにとっては、自分すら駒なのだろう。

この世界の詰みを打開するための。

この世界が詰んでしまっていると言う事は何となく分かる。このまま世界が推移しても、良い時代が来るとはとても思えない。

話には聞いている。

優れた錬金術師がたくさんいるラスティンでさえ、フィリスさんが一年で百年分のインフラ整備を進めたという。

それは逆に言えば、しかるべきインフラ整備がなされていなかったという事である。

アダレットに至っては論外。

ミレイユ王女という不世出の傑物が出ている今はいい。

先代の庭園王のような無能な為政者が出れば、またこの国は駄目になる可能性が高い。深淵の者が尽力してさえ、リディーとスールが錬金術を始めた頃の状態にするのが精一杯だった状態に、いつでも戻りうると言う事だ。

スールが落ち着くのを待ってから。

アトリエに戻る。

しばらく考え込む。

まず、邪神の名前は出た。青花の侵食神。名前は聞いたこともないが、兎も角調べる。世界を不思議な絵の具で塗り替えられれば、対邪神戦は一気に有利になる。それは前にファルギオル戦で、病み上がりでも手に負えない状態だったファルギオルが、戦えるレベルにまで弱体化した事で実証済みだ。

続けてハルモニウムだ。

ドラゴンの血を入手したことで、最高の中和剤が作れるようになった。

話によると、三傑や、アルトさんも、ドラゴンの血を中和剤として用いているという。要するに、究極レベルの中和剤素材、と言う事だ。

入手したドラゴンの血を確認して見たが。

確かに炸裂するような魔力が籠もっているのがよく分かる。

ものを、ものの意思に沿って変質させるのが錬金術だ。

その基本となる中和剤として、最高の品が手に入れば。

それは土台がしっかりした建物を作るようなもので。当然素晴らしいものが出来上がる筈である。

そう。

今度は、武器に。

それも、恐らくマティアスさんや、アンパサンドさん用の武器としても。更改が出来る筈。

出来ればリディーとスールも武器を更改したいけれど。

二週間と期限を区切られた。ソフィーさんの事だから、アダレットもその期限で動かざるを得ないだろう。

あの人には。

アダレットが総力を挙げてもかなうまい。

深淵の者全てを凌ぐという話なのだから。

真っ青なまま下を向いているスールに、リディーは順番に、ゆっくり話をしていく。頷くと、スールはふらふらと裏庭に出ていった。

リディーはまずは、見聞院に。

邪神「青花の侵食神」について調べなければならない。

ハルモニウムについては、既に二度作っている。

此処にドラゴンの血を中和剤として用いる事で、更に品質を上げられることは確実である。

もう、誰にも助けなどは求められない。

此処からは、自分達でやらなければならないのだ。

 

スールも体を動かして、すっきりしたようなので、改めてチャートを組む。まず、二人がかりで、ドラゴンの血を使って中和剤を作る。これは凄いと、思わず息を呑んでいた。中和剤は、錬金術師が最初に作るものだ。流石にもう目をつぶってでも出来ると思ったのだが。ドラゴンの血が、あまりにも凄まじい魔力を持っている。だから、中和剤を作るのでさえ、緊張させられた。

冷や汗を何度も拭いながら、魔法陣に掛けていた中和剤を卸す。

これで、中和剤そのものは出来た。

問題はドラゴンの血がいつでも確保できるとは限らない事である。

そして、今までに得た深核が幾つかある。

今後の計画として。

装備品を、究極まで強化する事を考えた方が良いだろう。

そんなときには、コアには宝石では無く、深核を用いるべきだとリディーは思う。性能を文字通り極限まで上げられるはずだ。

多分だけれど、ソフィーさんを一とする三傑は。今のリディーとスールでは、考えられないような品質の装備を、考えられないような素材を用いて身に纏い。元から意味不明な身体能力を、理解不可能な次元にまで高めているはず。

フィリスさんはファルギオル戦で、口笛のような超短時間詠唱で魔術を連続発動していたが。あれすらも遊びだった可能性が高い。一万回以上も世界の終わりまで繰り返して、その知識や、世界の終わりまでに改良を続けた装備を身に纏っているというのなら。まあそれくらいは出来て当然なのだろう。

ましてやイル師匠もフィリスさんも、当たり前のように時間を止めることも出来るのだ。

実際に体感している時間は、想像より遙かに長いと見た方が良い。

ソフィーさんに至っては、更にとんでも無い事をやらかしそうである。もっと無茶苦茶な感覚の中で生きているだろう。

まずは、そういった人外の世界に、一歩踏み出し。

最低でも、対抗できるようになるためにも。

動かなければならないのだ。

スールと話しあった後、順番に動く。

まずリディーは、コルネリア商会に出向く。コルネリアさんのお父さんだけれども、まだ手がかりがないそうだ。

ただ。この様子だと、恐らく長い間探しているのだろう。

今更手がかりがないくらいで、落ち込むようにも見えなかった。

むしろ商売の話をすると、即座に頭を切り換えて、生き生きとしている様子を見せてくれる。

ドラゴンの血による中和剤を見せて、複製を頼む。

しばし目を細めて中和剤を見ていたコルネリアさんだけれども。頷いて、金額を指定してきた。

かなりとんでもない金額だったが。

粗悪品ハルモニウムに比べれば、それこそ何十倍も違う。ある程度は現実的な金額だった。

ちなみに、この金額、どうやって算出しているのか、少し興味がある。

そう素直に話してみると。

コルネリアさんは、表情も変えずに言う。

「自分くらいになると、ものを複製するときにどれくらい消耗するかが一発で分かるのです。 現在コルネリア商会で雇っているホム達に複製させるときに、消耗から回復するのも含めて工数として計算しているのです。 くだらないものなら即興で複製できるし、難しいものなら下手をすれば数日は動けなくなる。 うちの従業員達は優秀なのですけれども、だからこそ工数と回復に掛かる食料代などは高いのですよ」

「な、なるほど……」

「人材は無限などではないのです。 育てなければ人材にはならないし、そもそもどんな逸材だって万能では無いのです。 はっきりいうと、得意分野だけ出来ればそれでいいのであって、お店に立つのは接客に向いている人材がやればいいし、戦うのは戦うのが得意な人材がやればいいのです。 覚えがあるのでは?」

「はい、何となく」

頷くと、コルネリアさんは、顎をしゃくる。

どうやら客が来ているらしく。礼をすると、そそくさとその場を離れる。

そうだな。確かにその通りだと思う。

この間、一緒にダーティーワークをしたあのティアナさんという人。戦い以外には何一つ出来そうに無い人だった。そもそも会話が成立していたのかさえも、今になってみると怪しい。でも、あの人が匪賊に対してあげている戦果は、おそらくどんな戦士が束になってもかなわない程のものだろう。

人材としては、それで良いのだ。

ティアナさんは生き生きと仕事をしていたが。

余計な事はしなくていいから、そうなのだろう。

ホンモノのシリアルキラーであり、人を殺すのが大好きだろうあの人も。雇い主……恐らく深淵の者かソフィーさんは、完璧に使いこなしている。それで莫大な成果を上げている。

ティアナさんに余計な事を求めれば、多分戦果は著しく落ちる。

世の中にある、何でも出来なければならないという風潮が、どれだけ恐ろしいか。ティアナさん自身には一切合切感心も共感も出来ないけれど。しかしながらあの人が成し遂げている凄まじい戦果を考えると。考えざるを得ない。要するに、社会の仕組みに問題があるのだ。

少し考えながら王城に。

手続きをして、アンパサンドさんとマティアスさんにアトリエに来て貰う。武器について、確認しておく必要があるからだ。

時間についてはそれほどとらせない、という事を説明し。

出来るだけ早くに来て貰う事を約束する。

アトリエに戻ると、スールが呼んだフィンブルさんは既に来ていた。フィンブルさんは、ハルモニウムの武器を欲しいかと聞くと。

生唾を飲み込んだ後、しばし黙り込んだ。

「前に配布された装備品、あれだけでも凄まじかったが。 まさか、武器の方もハルモニウム製が作れるのか!?」

「はい。 ドラゴンの血が採取できたので、前のとは品質を一段階上げられるとも思います」

「それなら欲しいに決まっている!」

「……は、はい」

凄い剣幕だが。

この人はそもそも戦士だ。

そして、今は多数の戦闘経験を積んで。格上の相手とも嫌と言うほど戦い続けて着ている。

ならば分かっている筈だ。

そもそもあらゆる要素が戦いには絡み。

その全てが勝因になる。

良い武器を持っていれば勝てるという訳でも無いが。勝つための確率は少しでも挙げた方が良い。

ましてや、武具となれば。

この人の実力は、もう並みの騎士を凌いでいるだろう。それも遙かに。

ハルモニウム製の武器にも、力負けはしないはずだ。

あまりにも分不相応な武器を手に入れると、人斬りになってしまうような事があるらしいのだけれど。

これだけの戦歴を積み重ねた人が、そんなに簡単に落ちるとも思えない。

「分かりました。 出来るだけ早く用意します」

「うむ……うむ……! 頼むぞ」

興奮した様子で、フィンブルさんは大股でアトリエを出ていった。まあ、気持ちは分からないでもない。

流石にあの人も、ハルモニウム製の装備を持っているなんて口にするほどアホではないだろうが。

興奮を晴らすために色町にでも行くのか。それとも自室でひたすら飲むのか。まあ、その辺りは大人のやり方だ。リディーには関係無い。

程なくスールが戻ってくる。鍛冶屋の親父さんも、話をしておいて貰ったのだ。ひょっとしたら、三つ。武器が必要になる。

リディーとスールの武器更改は最後で良い。現時点でスールの銃は、充分な火力を持っているが。フィニッシャーになれるほどでは無いし、スールもそれは割切っている。また、リディーの杖に関しても、現時点の杖で充分。ハルモニウム製にすれば更に魔術の火力が上がるだろうが。それよりも、戦術の組み立てが現地では急務だ。

夕方近くになって、マティアスさんとアンパサンドさんが来る。

ハルモニウム製の武器の話をすると、マティアスさんが、半笑いのまま固まった。

「ま、待て待て。 この間の装備品、粗悪品のハルモニウムだって話だよな。 今度は、武器……!?」

「それも粗悪品じゃないよマティアス。 最低限の品質は維持できるはず。 ネージュの作ったものと比べるとどうかは分からないけれど……いつも使ってるその剣、国宝らしいけれど多分プラティーンだよね?」

「あ、ああ、多分そうだと思う。 最高品質のプラティーンを粗悪品のハルモニウムが上回る事は分かっているが、ちょっと待ってくれ。 心の整理をさせてくれ。 俺様、ちょっと今、興奮しすぎて頭が働かねー」

「アンパサンドさんは?」

少し考え込むアンパサンドさん。

此方は元々感情が薄いホムという事もあるのだろう。ホムの中では、アンパサンドさんは激情家になるようだが。それでも、ヒト族から見れば極めて冷静に見える。

「このナイフには思い入れもあるのですが、しかしハルモニウム製のもので、しかもあの鍛冶屋の親父どのが作ってくれる武具であるのなら……欲しいのです」

「分かりました。 次の戦いまでに、用意します」

「お願いしますのです」

マティアスさんは。少し悩んでいたが。それでも、やはり剣士としての欲が上回ったようだった。欲しい。そう言った。それだけで充分。頷くと、用意すると明言した。

さて、ここからが勝負だ。

一週間で、ドラゴンの血を使い、更に前に持っていた竜の鱗よりも品質が上のものを素体にして。品質が格上のハルモニウムを作る。そして鍛冶屋の親父さんに頼んで、主力になってくれている三人の武具を作成する。

ハルモニウムの次はヴェルベティスだが、それはまだ素材さえ手に入っていない。

今度紹介して貰えるらしい不思議な絵画で、手に入るだろうか。

もし手に入るのなら。

国宝の武と。国宝の守が。ともに手元に来る事になる。

呼吸を整える。

要するに、ここまで来た、と言う事だ。そしてここまで来たからには、やり遂げなければならない。

お父さんの研究がどこまで進んでいるかは分からないけれど。

レンプライアの性質を考えると、お母さんの残留思念がいる可能性が高いあの絵は、今非常に危険な事になっている可能性が高い。

準備は、どれだけしても足りないくらいだ。

頬を叩くと、改めてチャートを作る。もし時間が余るようなら、装備品の更改も少しはしたい。

相手は邪神。

それも病み上がりのファルギオルとは違う。下位とはいえ、侮れる訳がない。それに試験を出してきたのはあのソフィーさんだ。どんな罠があるか知れたものではない。

気合いを入れ直すと。

黙々とスールと一緒に、ハルモニウムの改良を始めた。

 

4、不思議な絵画の入り口

 

まだ双子には話していない。

だが、ロジェは既に、絵の修復を終えていた。地下室にて、天国をイメージした絵は。安定したゲートを作り上げている。

中から出てきたのは、アルトとプラフタである。二人とも涼しい顔をしているが。結果は分かりきっていた。

「コアが生まれつつある状態だね」

「やはり……」

レンプライアのコア。

聞いた事はある。不思議な絵画には入った経験もあるのだ。当然だ。

本来は、絵の中にうっすらと存在する程度のものらしいのだけれども。

あまりに不思議な絵画の中にある悪意。

つまりレンプライアが錬磨され濃くなると、コアと呼ばれる強力な個体が出現するという。

その戦闘力はレンプライアなどの比では無く、小さな世界である不思議な絵画のルールすらも乗っ取ってしまうほど。

つまり、小さな世界における神の座を、奪い取ってしまうという事だ。

「とりあえず、しばらくはこれ以上成長しないように処置はしておきました」

「……」

「絵には入らないように」

二人は姿を消す。

ロジェは、口惜しくて、何も言い返せなかった。

絵の中には、多分触れる事は出来ないだろうけれど、オネットがいる。残留思念だけれども、それでも充分すぎる位だ。

そしてオネットは苦しんでいる。

騎士団でも将来の幹部候補と呼ばれる程の使い手だったオネットだったけれど。それでも世界のルールにはかなうまい。レンプライアのコアが具現化しようとしているとなれば。苦しくないはずは無い。

そして敢えて「成長を抑える」止まりで、あの二人が止めたのは。

双子のエサにするために決まっている。

もしも、自分に力があれば。

今からでも、絵に入ってオネットを救うのに。勿論そんな事をしたら殺されるだろうが、知った事か。

自分にはコアまで成長したレンプライアを倒す実力がない。

どうしてこう、いつもいつも。

肝心なときに何もできないのか。

双子はついにハルモニウムまで作り始めた。この様子だと、ヴェルベティスまで手が届く日も遠くはあるまい。

それに対して、ロジェはどうだ。

それは、娘が自分を超えてくれるのは、誇りに決まっている。

だが、無力がこれほど口惜しい事だとは。

酒に手を伸ばしかけて、止める。

此処からは、罪と向き合い。

罰を受ける時間だ。

深淵の者のやり口は気にくわないが、しかし双子はもう助け出せない。そして才能の学問である錬金術で、もうロジェはこれ以上進めない。

こうして座して見ているだけ。

それがロジェに課された罰。

絵の前で、ロジェは。

虚ろな目で、じっと罰を受け続けていた。

 

(続)