英雄への階段

 

序、静かで苛烈な試練

 

スールは怖かった。

自分自身の目が死んで行く事も実感できていたし。自分以上の速度で、リディーが壊れているのも分かっていたからだ。

お父さんは静かに見守ってくれている。

もう、双子で決めたことだと思っているのだろう。

だが、覚悟を決めていても。

怖い事は怖いのだ。

実際、豹変していくリディーを見ていて、それは強く感じる。覚悟を完全に極めたと言うよりも、人間を止めつつあるリディーは。もう、なんだか別の世界の住人のようにも思えていた。

怖い。

素直にその言葉が出てくる。

でも、逃げる事も出来ない。

もし逃げようとしたら、お父さんやルーシャに危害が及ぶ。だから、逃げられないのである。

アルトさんは本当に狡猾で巧妙だ。

深淵の者の長を500年も伊達にやっていない。

小娘の二人や三人、掌握して逃げられないようにするのは簡単、と言うわけだ。

腹立たしいけれど、認めなければならない。

勝てないのだと。

だから、抗わなければならない。

分かっているのだけれども。あの邪悪な村や。匪賊を処理した時のリディーのあからさまにおかしい様子が。

どうしてもスールの心を痛めつける。

今後は、もっともっとおかしくなっていくはずだ。

それも分かっている。

そしてスール自身も。時々鏡を見ると、目が濁っている。そんな事は分かっている。自分も同じように、狂ってきていると言う事くらい。

恐らくコレは、人として、精神が最後の抵抗をしているのだろう。

最後の一線を踏み越えてしまったリディーと。

スールでは、其処で差が出てしまっている。

「スーちゃん、釜、空いたよ」

「うん……」

「少し休む?」

「いい、大丈夫」

調合を交代。リディーが今度は休む。スールは集中して、調合を開始。今更ミスをする事も無いようなものから始めて、少しずつならし。

徐々に難しいものへ挑戦していく。

程なく、良い薬が仕上がったので、満足してコンテナに入れる。

作るのに相当な手間暇が掛かるお薬も珍しくはない。

だから、何時でも気を抜けない。

一仕事終わった所で。

アトリエの戸がノックされる。

マティアスだった。

スクロールを持っていると言う事は、お仕事か。

そう思ったのだが、珍しく勘が外れた。

「よーっす。 二人とも、揃ってるな」

「どうしたの、マティアス。 お仕事?」

「いや、昇格試験だ」

「!?」

ちょっとまった。

まだルーシャがBランクにいると聞いている。今の状態で、どうしてAランク昇格の話が来るのか。

リディーも驚いていたようだが。

しかし、それでも話を聞かない訳にはいかない。

咳払いすると、マティアスはスクロールについて解説してくれる。勿論、開くのはリディーがやったが。

「Aランクの試験は、Bランクに入って実績を積んだら、大体すぐに始めるんだ。 それで、終わるまで時間が掛かる。 ルーシャ嬢ももう始めてるから、それは安心して良いんだぜ」

「長期試験と言う事ですか」

「そうなるな。 というか、Aランクはなんというか、特別で、試験がとにかく手間なんだ」

確かに、Aランク以上になると、国賓扱いだろう。

アトリエランクは最高でSランクまで。つまりSランクはネージュ級という事になる。

現在、イル師匠、フィリスさん、ソフィーさんはSランクを取得済み、らしい。まあ実力からして当然か。

アルトさんも今Sランクの試験を受けていて。

お父さんは今までの業績からAランク判定。

現時点では、Aランクの試験を受けているのは、パイモンさんとルーシャ。そして、これからリディーとスール、だそうである。

そうなると、本当に手間と時間が掛かる試験なのだろう。

内容を確認すると。

うっと、思わず声が漏れていた。

公認錬金術師、及びそれに相当する実力者。指定しているものから試験を受け、そして合格すること。

面子は、お父さん、アルトさん、イル師匠、フィリスさん、そしてソフィーさん。

この五人からの試験を受けて。

それぞれ全て合格しなければならないという。

しかも試験内容は、試験官に一任、という話だった。

なお、実のところパイモンさんも公認錬金術師らしいのだが、試験官の役割は断られたそうだ。多分、自分の技量を上げることに集中したいのだろうという事だった。本当に、アンチエイジングまでして技量を求めている人は色々と意欲が違う。

この面子の内、お父さん以外は全てが深淵の者関係者。

要するに、無茶苦茶を言われる可能性が極めて高い。

思わず血の気が引く音を、スールは聞いた気がした。試験と言うよりも、死刑宣告に思えた。

これを、無事に突破出来るのか。

出来るとは、とても思えない。

青ざめて、言葉を無くすスールに。マティアスが、同情の目を向けてくるけれど。もうどうしようもない。

やるしか、ないのだ。

「それじゃあな。 試験のタイミングは、受ける側に一任されているそうだから、まあ自分のペースでやると良いだろう」

「……」

無言のスール。リディーも、黙り込んでいた。

マティアスが帰る。

しかし、沈黙は継続する。

これは、本当に厳しい試験だ。どうすれば突破出来るのか、想像も出来ない。

事実上五つの試験を受けなければならない訳で。

しかもその間、今まで通り要求された物資も納入しなければならないし。国のお仕事だってやらなければならないのだ。

少しリディーと話し合う。

完全に目が死んできているリディーは、正直今のスールから見ても怖いのだけれど。

それでも、双子なのだ。

こう言うときは、真っ先に相談しなければならないとも思う相手だった。

「リディー、ど、どうしよう……」

「落ち着いて、順番に処理していこう。 難しい調合みたいに」

「でも」

「深呼吸」

確かに、その通りだ。

深呼吸して、少し落ち着く。そして、無言で裏庭に出ると、アンパサンドさんに教わった例のうねうね動く奴をやる。

今ではすっかり、息をするように一連の動きをこなせるようになっている。

アンパサンドさんが自分よりも遙かに上手なのも分かるけれど。

それでも、これを教わった頃に比べれば、雲泥の筈である。

しばし体を動かして、落ち着いたところで。

アトリエに戻る。

リディーも考え込んでいて。

そして、ゆっくり落ち着いて話し合う事にした。

まずソフィーさんの試験は最後。

これは意見が一致した。

まあ当然の話で。

一番の無理難題をふっかけられるのが目に見えていたからである。

最初はイル師匠かお父さん。

この二人を終えたら。

今度はアルトさん。フィリスさん。

この順番で良いだろう。

では、立ち止まっていても仕方が無い。スケジュールを確認。一週間ほど後に、物資の納品がある。

この間結構厳しめのダーティーワークをやったばかりだし。続けて難度が高い仕事が来るとは思えない。

あくまで希望的観測だが。

少しは、時間もあるはずだ。

次の納品に必要な品をチェック。

一通り揃っている。

それならば、後は試験に集中すべきだ。

勿論身内から始めるのも良いだろうが。此処は、錬金術の師匠である。イル師匠の所から始めるべきだ。

そう、リディーとスールは結論した。

イル師匠の所に出向く。

イル師匠は、丁度お仕事の最中だった。手酷い怪我……普通だったら助かりそうにない怪我をした人夫が運び込まれている。

どうやら土木工事の際に土砂崩れに巻き込まれた様子で。

体が半分潰れてしまっている。

内臓も飛び出していて。

普通だったら絶対に助からない状態だ。

狐顔の獣人族の人夫だが、家族らしい人達が祈っている。アリスさんがてきぱきと体の縫合を続けていて。

イル師匠はその間、体に付着した汚れを特殊な装置で除去。更に口元には、呼吸を助ける術式を展開。

汚れを取りきったところで、内臓を戻して体を縫い合わせ。

更には高度な回復薬を投入。

光と強い魔力が周囲に溢れ。

傷が。

内臓のダメージが。

潰れていた骨が。

見る間に回復していくのが分かる。まだまだ、リディーとスールでは、到底及ばない技量だ。

手を洗い始めるイル師匠。

咳き込む怪我人。アリスさんが、別室に移す。手伝えと視線を向けられたので、担架を揺らさないように担いで、リディーが前、スールが後ろを担当。

別室で、手をまず消毒した後。

怪我人を寝かせた。

「痛みは」

「……彼方此方いてえ」

「すぐに楽になります」

「いっそ殺してくれ……」

相当に辛いのだろう。負傷者がぼやくが。しかし、見ていると傷はどんどん回復していく。

何度か怪我人が咳き込む。最初は血が混じっていたが。やがて、咳き込む頻度も減り。そして、凄まじい疲労に襲われたのだろう。

ぐったりとして。寝息を立て始めていた。

イル師匠が診察をしていく。

映像を出していくのは、内臓の状態を確認しているのだろう。体内をそのまま、立体画像で見られるというわけだ。

血管なども損傷していたようだが、それらも全てつなぎ合わせ。

足りない血などは、神域の薬で増やし回復させた。

重要臓器から回復させ。末端を後にしたため、痛みが残ったようだが。

それも見る間に回復しているのが分かる。

言われるまま手伝う。

怪我人の額の汗を拭い。

消毒した布で、周囲に飛び散った血などをぬぐい取る。

リネンに着替えさせ。

そして、言われるまま栄養食を準備した。

「体が弱り切っている場合は、しばらくは錬金術の薬を投与しなければならないのだけれども。 今回は大丈夫そうね」

「それにしても、どうしてこんな……」

「先代王の作った無意味なオブジェクトを撤去する作業の最中、無茶なバランスの石材が倒壊したのよ。 芸術作品、というのなら兎も角、ただ無意味に積んだだけの石材で、よ」

イル師匠は相当に頭に来ている様子で。

乱暴に手の消毒を終えると。

負傷者の家族に、説明をしていく。

相手が動揺しているからだろうか。

多少いつもより口調は柔らかかった。

「峠は越えました。 明日には回復するでしょう」

「おお……!」

「ありがとうございます! 父ちゃんを助けてくれて、礼を言います!」

「治療費については、国が補填するので気になさらず。 明日から、また家族で暮らしてください」

まあ先代王の尻ぬぐいで死にかけたのだ。

当然の話だろう。

イル師匠もふっかけるつもりはないらしく。

まず家族を帰らせる。

そして、使った薬について、リディーとスールに説明。どうやって治療をしたのか、その経緯についても説明してくれた。

急いでメモをとる。

もうメモ取りは、完全に習慣になっていた。

昔のスールが見たら、うっそおとか呟くかも知れない。

だけれども、近年は極めて複雑な仕事や錬金術に関わる事が増えてきた。とてもではないけれど。

メモをとらなければ、やっていられないというのが実情なのだ。

「いずれ貴方たちもこういった仕事をする事になるわ。 ……裏技だけれども、どうしても厳しい場合は時間を止めて私やフィリスを呼びなさい」

「あの、まだ時間止められません……」

「それもいずれ教えるわ」

怪我人の様子を確認。

どうやら痛みは消えたようで、静かに寝息を立てている。今は動かさないようにと言われたので、そのままにしておく。

丁度来たのだからと、数刻ほど講義を受ける。

講義の内容は、今までになく難しく。

思わず何度も頭を抱えそうになったけれど。

ぎりぎりついていくことは出来た。

レシピを自分で作って良いと言われたけれども。

それでもまだまだ、学ぶことはいくらでもある。

良くそれが分かる。

勉強が一通り終わった頃、怪我人が目を覚ます。アリスさんが、手当をしているが。怪我人は痛みに呻くことも無かった。

イル師匠が顔を見せると、涙を流しながら怪我人は感謝の言葉を述べた。

「有り難い、有り難い……! あんな状態から、五体満足に戻してくれて……!」

「もうしばらくは寝ていなさい。 明日にはもう動けるけれども、数日は力仕事を避けた方が良いわね。 治療費に関しては、私の方から国に請求するから、気にしなくても大丈夫よ」

「本当に、感謝の言葉もありません。 貴方は神のようだ」

「勿論神などではないわ。 今は感謝などいいから、ゆっくり休んで、家族に元気な顔を見せてあげる事だけを考えなさい」

アリスさんが怪我人に粥を食べさせる。

卵入りの栄養価が高い粥だ。涙を流して感謝する怪我人を見ていると、スールは本当に良かったと思う。

そして、この間の匪賊討伐の事も思いだしてしまう。

殺すのはあんなに簡単なのに。

生かすのはこうも難しい。

失政は多くの人を苦しめ死なせる。

政治家の責任は大きいし重い。

「みんな」に対する不信感は、スールも根強い。リディーも相当に拗らせているようだけれども。

スールも、正直「みんな」という概念に、大きな不満を抱えている。

だが、今は。

救うべき命を救えた事を、喜べている自分もいる。

溜息をつくと。容体が安定した怪我人を、寝台ごとアリスさんが、施療院に運んでいく所を横目に見る。

後は施療院で充分、と言う事なのだろう。

施療院にも回復魔術を使える人間や、医療技術を持つ者はいる。

だが、あんな、体が半分潰れて、内臓も飛び出しているような状態から、五体満足に回復させるような真似は出来なかったはずだ。仮に一命を取り留めても、後の一生は極めて不自由な生活を送らざるを得なかっただろう。

施療院では到底無理な神域の技をイル師匠は使える、という事である。

一段落したからか。

イル師匠が聞いてくる。

「それで、貴方たちはどうしてきたのかしら?」

「はい、A級昇格試験を受けようと思って」

「まずはイル師匠からと思いました。 お願いします」

腕組みして考え込んでいたけれど。

程なくイル師匠は、頷いていた。

「分かったわ。 それではまず、指定のものを用意して貰おうかしら」

来た。

そして、その指定のものとは。

意外なものだった。

 

1、イル師匠のA級試験

 

イル師匠に指定されたのは、レシピに沿って道具を作る事。問題は、その道具というのが。先延ばしにしていた、荷車を飛ばせるようになる飛行キット、と言う事だった。

今までずるずる引き延ばしてきたが。

この間、移動に時間が掛かったときに思い知ったのである。

飛行キットを作っておけば。

もっと迅速に現地に到着できたはずだ、という事を。

また、飛行キットは取り外しが可能で。

戦略物資としても扱われる。

そもそも何故「キット」かというと、取り外しが容易で、色々なものを空飛ぶ移動装置に変貌させられるからだ。常識外の利便性を誇るのである。

大型の荷車に取り付けたものに、移動経路を設定しているものもあるそうで。

フィリスさんの本拠地にしている故郷の村では。

この移動経路を設定した飛行キットつき荷車が、移動手段として活躍しているそうだ。

運転手もいらないし、シールド発生装置もついている。しかも街道は緑にて整備されていて、匪賊も出ない。

そういう条件が整っているとは言え。

運転手もいらない、定時に来て運んでくれる上、空を飛んでひゅんと街と街を行き来できる。

そんな便利なものがあるのなら。確かに欲しいと思う。

フィリスさんの村には、大きな教育施設があるらしく。この飛行キットによる近隣の街からの生徒の移動を実施しているそうで。

いつもは怖い人だという印象のあるフィリスさんも。

インフラに関しては徹底的に手抜きせず。

暮らしている人が笑顔でいられる仕組みを作っているのだなと、つくづく感心させられる。

インフラ整備に関して世界最高とイル師匠は言っていたが。その言葉は伊達では無いという訳だ。

怖い人だけれども、世界全てから考えれば、間違いなく大きな貢献をしている。

そういう人でもあるのは事実なのだろう。

そして、これから。

その飛行キットを作る。

なお、レシピは自分で見聞院から買うようにと言われた。

これはまあ、仕方が無い。

必要経費だ。

リディーと手分けして、作業をする。

まず前提条件としてレシピが必要なのは当然だが、同時に高品質のプラティーンも必要だという。

流石にハルモニウムはいらないそうだが。

もう一つ必要なものとして。

大型の荷車、だそうである。

今まで連結して二台の荷車を試用していたけれど。

今後は、それ自体を移動手段として使える大型荷車が欲しいと言う事で。裏庭に降りられて、数人が乗れるものを鍛冶屋の親父さんに発注する。

飛行キットはサイズ次第では家を飛ばす事も可能らしく。

事実、この飛行キットを用いて、家のような大きさの荷車を飛ばし。

インフラを確保している場所もあるそうだ。

ラスティンは凄いなと感心してしまうが。感心で終わっていてはいけない。追いつくために努力するのだ。ましてやこれは試験である。

まずは、荷車。

そして、プラティーンの確保だ。

鍛冶屋の親父さんの所に行って、相談する。話を聞いた親父さんは、頷いた後、幾つかの指定をして来た。

「まずは前提として四輪。 更には、人間用のスペースと、荷物を積むためのスペースを区切るべきだな。 大きさとしてはこのくらいが妥当だ」

「うわ、こんなに!?」

「装甲としてプラティーンも使う。 内側には緩衝材も必要になる。 緩衝材の上には藁などを敷いて、更に撥水用の魔術を掛けたゼッテル。 ……これには強度強化を掛けた方が良いかも知れないな」

裏庭に降りられるように、という指定は満たしているけれど。

裏庭の半分くらいを占有してしまうくらいの大きさだ。

確かにいつも一緒に行動する面子。アンパサンドさん、マティアス、フィンブルさん。それにリディーとスール。

コレに加えて数人を乗せるとなると。

これくらいの大きさは、必要だろう。

ましてや安定して飛ばせることを考えると、荷車は一つの方が好ましい。地上を行くのなら兎も角。

空を行くのだから。

設計図を見せられた後、お金がどれくらい掛かるかを聞かされて。

そして、周囲の客達が愕然とするのが分かった。

スールも唖然として、その場に固まる。

普通の家なら、買える価格だ。

勿論プラティーンのインゴットは、自前で用意してこないといけない。

「どうだ、やるか?」

「ちょっと、ちょっと待ってくださいね」

「……」

計算する。

現状での資産を考える限り、決して無理な出費では無い。

問題は、このサイズだと、城の地下エントランスには持ち込めないと言う事で。

それについて、別に考える必要がある、ということだろう。

素材類をチェック。

ネームドの皮を利用できそうな箇所。具体的には緩衝材などの部分がある。これを此方で出したら、材料費などを値引きできないだろうか。交渉して見ると、親父さんは腕組みした。

「そういえばネームドの皮なんかの在庫があるんだな。 提供してくれるなら、その分は値引きするぜ」

「分かりました。 それじゃあ、お願いします」

「おう。 じゃあ、素材を持って来な。 素材が来次第、作成に入る。 まあ一週間ほどで出来るかな」

「はいっ」

ぺこりと頭を下げる。

アトリエに戻ると、今度は一番良く出来たプラティーンを持って、イル師匠の所へ。イル師匠の話によると、「30点」が最低ラインらしい。

現時点で、それを突破出来ていなければ。

まずは論外、というわけだ。

少し前に、ドロッセルさんに聞いたのだけれど。

フィリスさんが空飛ぶ船を作ったときには。

装甲の一部に、ハルモニウムまで使ったという。

空を飛ぶときに怖いのは、鳥とぶつかる事故、いわゆる「バードストライク」らしく。

生半可な装甲では、これを起こすと文字通り大破してしまうらしい。

それを防ぐためには、相応の品質の装甲が必要になってくるわけで。

そういう意味でも、最低限の品質を確保したプラティーンが必須、という事なのだろう。

イル師匠の所に、今最高の品質であるプラティーンのインゴットを持ち込む。

イル師匠はしばし目を細めてインゴットを確認していたが。

はあと、大きなため息をついた。

だめか、と思ったが。

違った。

「31点。 ギリギリ合格よ」

「やった……!」

「どうして31点で満足するのかしらね。 ハルモニウムを作るには、最低でも私基準で40点のプラティーンは作れないと話にならないわよ。 今回の試験は、嫌でも難しい調合を散々することになる。 精々、更に技術を磨きなさい」

厳しい事を言われて首をすくめるけれど。

しかしながら、認めてくれたことは事実だ。

とりあえず、準備は整った。

後は、リディーと一緒に、飛行キットを作成しなければならない。

そういえば。

鍛冶屋の親父さん、飛行キットを取り付ける荷車の話をしたときに、随分手慣れた印象を受けた。

ひょっとして既に作ったことがあるのか。

可能性は低くないと思う。

この街には、飛行キットを作成出来そうな錬金術師がもう何人もいるし。恐らく技術継承やお金を落とすという意味でも、腕が良い職人である鍛冶屋の親父さんは皆利用している筈である。

だったら、鍛冶屋の親父さんが知っていても、何ら不思議ではないだろう。

現在使っている荷車も、飛行キットを取り付けられるように改造したいと言ったら、或いはやってくれるかも知れない。

事実不思議な絵画に入るときは。

さっきの大きな荷車では無理なのだから。

アトリエに戻ると、リディーがレシピを見て、腕組みしていた。チャートを作ってくれているのだけれど。

かなり手間取っている様子だ。

スールが、鍛冶屋の親父さんの所に行って、荷車の作成を頼んで来たこと。イル師匠に、プラティーンの合格を貰った事を告げると。

リディーは頷いて。

大まかに作ったチャートを見せてくれた。

殆どは金属加工だ。

プラティーンに魔法陣を刻み、複雑な部品を作って、組み合わせる。

仕事としては以上。

鍛冶屋の親父さんに頼むべきではないかと一瞬思ったのだが。魔法陣の加工難易度が尋常ではない。

しかもこれは。

「ひょっとして、下手をしなくても、10以上の魔術が必要になる?」

「うん。 スーちゃん、これ彫る自信ある?」

「……待ってね。 ちょっと待ってね」

流石に尻込みする。

そもそもだ。

この飛行キットは、インフラ関連にて、ラスティンで巨大な功績を残している道具だと聞いている。

フィリスさんの拠点としている街でも。これを使って人々は快適な行き来を可能としているという話だし。

それほどの、世界のあり方に影響を与えるほどの道具なのだ。

そんなもの、簡単に作れてたまるか。

しばし悩んだ後。

頷く。

「わかった、やってみせる!」

「ありがとうスーちゃん。 じゃあ、私は部品の整理と、組み立て加工を順番にやってみるから。 それが終わり次第、魔法陣の彫り込みを開始して」

「合点!」

「じゃあ、始めよう」

そもそも、絶対に必要な作業だったのだ。

これをやれなければ、次にはいけない。

空が次の戦場になる。

そして、空をいけるようになれば。この間の匪賊のような連中を逃がす可能性も減るし。そうなれば、もっと多くの貢献を世界に出来る。

この世界は、詰んでいる。

その原因が人間に。正確には「みんな」にある以上。

リディーのように、「みんな」そのものを変えるのか。

それとも、スールのように、「みんな」を選別するのか。

いずれにしても、世界そのものに影響を与える程度の力は、絶対に必要になってくるのである。

偉大な先人であるフィリスさんが為して。

そして既にレシピがある品くらい作れなくてどうするのか。

スールは頬を叩くと。

まずはチャートを頭に入れ。タスクについて、確認をしていく。

殆どが飛行キットの部品についてだ。

飛行キットは幾つか革命的な機能がついている。

まず第一に、取り外しが容易であること。

ボルトを用いて固定する事で、箱状のものを何でも空飛ぶ移動装置に切り替えることが出来るのだ。

更に、普段は翼を立てるようにして畳む事により。

取り外しをしない場合でも、幅をとらない事。

そして何よりだ。

部品をそれぞれ分けることにより。

メンテナンスが容易で、一つの部品が壊れても、取り返しが利くというのも大きい。

複雑な部品は、脆弱性につながるが。

しかしながら使う金属は、最強金属の一角プラティーン。しかも、構造を見る限り、あくまで無理な力が掛かるような構造にはなっていない。大体ネームド戦でも充分な力を発揮できるプラティーンだ。

多少の衝撃くらいでどうにかなるような、柔な金属ではない。

スールは素早く計算を済ませ。

そしてかかる費用が、天文学的なことに頭を抱えたが。

しかしながら、これを一度完成させれば。後はその利便性は群を抜いている。多分だけれども。量産出来るようになったら、それこそ文明のあり方が変わってくるはずだ。

勿論、空を行く場合には、相応の備えがいる。

特に街道を外れた場合、ネームド級の獣に襲われる事も想定しなければならず。

その場合は、迅速に着陸して展開する必要もあるだろうし。

上空を飛んでいる時に奇襲を受けた場合、攻撃を耐え抜けるだけの耐久力だって必要になってくる。

勿論敵は積極的に「翼」を狙って来るだろうし。

その場合も想定して。飛行キットは頑強でなければならない。

ついでに護衛も必要になるだろう。

リディーは恐らく、常時シールドの展開に全力を注がなければならなくなる。ルーシャに来て貰う場合には、ルーシャにも手伝って貰う必要があるだろう。

要するに空を征くというのは。

自由であるとかそういう話ではなく。

相応な苦労も伴うし。

準備も人員も必要だ、という事である。

何とか一日掛けてチャートをリディーがくみ上げ。タスクについては、スールも頭に入れた。

その間に、コルネリア商会に出向いて、プラティーンのインゴットは可能な限り回収してきた。

出費は尋常ではないが。

それでもやるしかない。

まず、金属加工から。リディーと一緒に、プラティーンのインゴットを加工し。寸法を合わせていく。

必ずしも完成形の部品にいきなりする訳ではない。

組み合わせたりする事を考えると、最初からいきなり完成形にはできないのだ。

ねじなども必要になってくる。

それらの加工はより難しく。

更にねじにも魔法陣が必要になってくることを考えると、これは錬金術師にしかできない作業だ。

或いは、金属関連のギフテッド持ちだというフィリスさんだったら、ぱっぱとこなしてしまうのかも知れないけれど。

残念ながらスールはそうではない。

淡々と、レシピを見ながら。赤熱したインゴットをひたすら叩き。加工をしていくしかないのである。

「レシピを見ると、此処を丸くしないといけないね」

「合点!」

リディーが時々指示をしてくるので、それにあわせて加工する。チャートを少しずつ埋めていく。

昔は、本当にこのタスクの処理が、如何に重要な作業かさえも理解出来ていなかったし。チャートを作る事の重要性も分かっていなかった。

今は違う。

一つずつタスクを処理していきながら、その意味を噛みしめ。

更には、部品を完成させてからは。次の部品を、理に沿って順番に作り上げていく。

プラティーンの部品がある程度出来てから。

今度は、変形させる必要がない部分から、魔法陣を刻み始める。

なお魔法陣は、作用しないように、全てが完成してから、魔法陣が相互作用するように彫る。

しかも難しい事に、変形する部分などにも魔法陣は必要になってくるし。

組み合わせた後では彫り込めない魔法陣もある。

メンテナンスをする時に、取り外したりする事も出来るようにはなっているのだけれども。

その場合も、幾つか手順を踏まなければならない。

いずれにしても、高度錬金術の産物だ。

魔法陣そのものも極めて複雑で。

インクでプラティーンの翼に書き込んで、彫り込んでいくのが極めて困難だった。だが、勘が優れているスールの方が、この作業は適している。リディーは黙々と隣でハンマーを振るっているが。

此方には一切干渉しない。

額の汗を拭う。

鍛冶屋の親父さんは、上半身裸になって作業をしていることも多いけれど。それも分かる気がする。

暑い。部屋の換気はしている筈なのに、兎に角暑い。服を脱ぎたくなってくるほどに暑い。

不意に、それが楽になった。

どうやらお父さんが、環境安定の装置。そう、深海探索の際に使ったあれを、持ち出して来てくれたらしい。

後で感謝しなければならないだろう。

或いはお父さんも、自分の研究が邪魔されて鬱陶しかったかも知れないが。助かったのは事実である。

作業が終わったところで、次へ。

真夜中になるまで、魔法陣を堀り。ハンマーを振るい続ける。

タスクに×を付ける。チャートの進行状況を確認する。

組み合わせる。

動くか確認する。

簡単に終わるタスクもあれば。丸一日かかってしまうタスクもある。恐らく慣れれば時間は三分の一以下に短縮できると思うけれども。

それでも大変だ。

終わった後は、素直に眠る。

朝は起きた後、冷たい井戸水で顔を洗って。

目を覚ました後、手を消毒。

再びの作業に入る。

錬金術の加工がどんどん難しくなってきているが。その代わり、完成する品についても、どんどん便利になって来ている。

ソフィーさんやフィリスさん、イル師匠は、こんなもの朝飯前に終わらせるはず。

ずっと先を行っていて。

そして比べものならないほど難しいものを作っているはず。

だからああも強い。

それに、一万回以上世界の終わりを見てきている、とアルトさんから聞いた。その記憶を持ち越しているとなれば、強いのも当たり前だ。

どれくらいの年月、技量を蓄えてきたのだろう。

恐らくだが、イル師匠の採点は、甘々も甘々の筈。或いは、「本当に」リディーとスールと同じ年だった頃の自分の技量と比べて、採点してくれているのかも知れない。

いずれにしても、まだまだリディーもスールも、へっぽこぴーも良い所で。

世界に影響を与えるなんておこがましいにも程がある。

だから力をつける。

あの邪悪な村や。匪賊どものような、世界の敵を速攻で選別できるように。駆除すると決めたら、即座に消し去れるように。

これは、その一歩。

呼吸を整えながら、作業を進めていき。そして、魔法陣を彫り込んでいく。

タスクの処理も黙々と終え。

チャートに沿って、タスクを処理し続け。

ほどなく、最後の部品の組み合わせが終わった。

まだチャートは終了では無い。

幾つも試すことがある。

まず、普段使っている荷車。これに組み合わせてみる。

組み合わせる方式は、ねじを使って締めるような形でやるのだけれども。

そもそも、魔法陣が機能しているか、全て確認することもタスクに含まれている。全てを順番にやっていかなければならない。

リディーが支え。

スールがねじを締める。

「リディー、軽い?」

「うん。 まるで綿みたい。 スーちゃんも持って見る?」

「後で。 少なくとも「軽量化」は働いているみたいだね」

ねじを締め終えた。

丁度翼を立てた状態で裏庭に。荷車を出した後、翼を展開。一つずつ、魔法陣が機能しているか確認していく。

浮くのは最後だ。

遠くから石を投げる。

接触事故を起こさないようにする。勿論此方からぶつかるのは論外。向こうからぶつかられるのも防ぐ。

これらについては機能している。石は弾かれる。ぶつかりそうになると止まる。バードストライクで、致命傷を受けることは避けられそうだ。

頷くと、いよいよ本格的な作業に入る。

浮遊についての実験だ。

お父さんも裏庭に出てきていた。作っているものがなんなのかは、ある程度分かっているのかも知れない。

浮け。浮かべ。

そう念じるが。勿論それで浮かぶわけでは無い。ワードを指定通り、触った後に唱えることで、浮かぶのである。

最初は反応が無かったので、ひやりとしたが。

やがて、確実に浮き始め。そして、指定通りの地点で停止する。最悪の場合飛び降りなければならなかったのだが。きちんと指定の高さで止まってくれたので。ひやりとした。

後は風などが吹いても姿勢を保つかどうか。また、状況に応じて、意図通りに車体を傾けられるかどうか。

しばらくは空中で様子を見なければならない。

この姿勢制御も魔法陣に組み込まれていて。勿論姿勢が崩れたら全員投げ出されてしまうのだから、極めて重要だ。

風は吹いている。

なお風の軽減の結界も展開しているのだが。だからこそ、そこそこの風が吹いている事が分かる。

頷くと、次の実験。

前進、後退。

上昇、下降。

接触の回避。停止。順番に、一つずつ、試して行く。やはり、幾つかの機能は動作しない。だけれども、もう昔のスールでは無い。何処の魔法陣が、どう作用しているかは把握している。

メモをとり。

一旦着地した後、翼をチェック。魔法陣に不備がある事を確認し次第、修正する。修正し次第、もう一度チェック。

既に周囲から人が集まって、空飛ぶ荷車を見つめていた。

気にしない。むしろ、今実験中だという話をして追い払いたい位だけれども。其処までの無様なミスはしないつもりだ。

まだ一つ上手く動作していない魔法陣がある。

チェックして、丁寧に堀り直す。ねじも外して確認。丁寧に丁寧に処置をする。

これについては、「不良規格品」は許されないのだ。

もしも何か問題が起きたら、その時点で大勢人が死ぬのである。

それだけは許されない。

夕方を過ぎた頃。

見物人も飽きて、まばらになっていた。

漸く、全てのチェック項目をクリア。

飛行キットは完成した。

勿論、一度外して、つけ直して。それで再度チェックして、完璧に動作することも確認。翼を折りたたんでみたりもしたが。

動作については、いずれにしても完璧だった。

これでいい。

呼吸を整えると、一旦荷車にしまう。

明日、イル師匠の所で。

万全の状態で、現物を見せなければならないのだから。当然、機能についても証明しなければならないだろう。

疲れがどっと出たので。

あまり食欲は無かったけれど。お父さんがかなり多めに出来合いを買ってきてくれていた。

「食べなさい。 こう言うときこそ、食べておかないと駄目だ」

「おなかすかないよー」

「ちょっと私も……」

「いいから。 オネットがこの場にいたら、きっと同じ事を言うだろう」

それを言われると弱い。

それに、此処でこそ、しっかり食べておかなければならないことは、スールも分かっているのである。

明日には、外用の大型荷車も出来る筈。イル師匠の所で、飛行キットの合格を貰ったら、回収してこなければならない。勿論そのまま裏庭には入らないから、さっそく飛行キットを使って入れる事になる。

食事を済ませると。

後はぐっすりと眠る事が出来た。

そろそろ、国に物資の納入の時期でもある。それについては、既に準備も済ませてある。

一晩眠って、気力を回復すると。

スールは勝負を行うべく、リディーと一緒に、イル師匠のアトリエに向かう。

イル師匠は、気合いの入ったリディーとスールを見ると、頷き。

自身の荷車に飛行キットを手慣れた様子で取り付けると。

一つずつ、用件をチェックしていった。

落ちたとしても、この人ならそれこそ何ともないだろう。

圧倒的な能力があるからこそ、余裕の顔をして出来る実験である。リディーとスールの時は冷や冷やだったのだが。イル師匠は、弟子が作ってきた、自分のものから見ればゴミクズ同然の代物でも。

平然と、実験につきあってくれた。

ほどなく降りてきたイル師匠は頷く。

「合格よ。 次の試験に行きなさい」

やった。

小さな声が漏れるが、リディーに肘で小突かれる。まだ最初の試験なのだ。しかも、恐らく一番簡単な。

二人揃って頭を下げると。

その場を後にする。

飛行キットを荷車に取り付け直して、そして翼を立てると。後は、次の試験を受ける前に。王宮に、今月分の納品物を納入するべく、作業を開始したのだった。

 

2、お父さんのA級試験

 

二番目に回す事にしたお父さんの試験。開始は、国への物資納品を終えてすぐ。国への物資納品も、これで何度目か分からないが。いずれにしても、役人は笑顔で受け取ってくれる。もう、質については心配されていないようだった。

それはありがたい。

そして、ここからが本番だ。

いつ国の事業への参加が要求されるか分からない。いわゆる三傑ですら、相当に忙しい状態なのだ。

この間のような、ダーティーワークの依頼がいきなり来る可能性も、決して低くは無いのである。

だからこそ、仕事は的確に。

かつ素早く終わらせなければならない。

お父さんに、試験の話をすると。

しばらくレシピを黒板に描いてああでもないこうでもないと呟いていたお父さんは。静かに振り返った。

「そうか、そんな時期か。 パイモンというベテランと、ルーシャの次はお前達か」

「二人はもう受かったの?」

「ああ。 それほど難しい試験にはしなかったからな。 見たところ、どちらもAランクに相応しい実力は有していたし、それならそれを見せてもらうだけでいいだろう、というのが俺の判断だ」

確かにそれは、ある意味合理的である。

頷くと、試験をして欲しいと、もう一度言う。

お父さんは少し考え込んだ後。

試験内容を口にした。

「俺と出来を争った霊薬あっただろう」

「うん。 あれがどうかしたの?」

「もう一度作れ。 ただし、半分の時間でな。 それを試験とする」

「えっ……うん」

言葉に詰まる。

実のところ、作る事自体は簡単だ。入手が難しい素材や、中間生成液などは、コルネリア商会に登録してある。

今でも欲しいと言えば、すぐに出してきてくれるはずだ。

問題は、お父さんの事だから、半分の時間で。

前よりも質を上げてくることを要求してくる、という事である。

それくらいは、お父さんが正気に戻った現状、スールでも分かる。

お父さんは実際に使える薬を求めている。

緊急時に、あの霊薬を使えないと意味がない。

そういう風に考えて。

即座に用意できるかどうか。

それをテストにして来た、と言う事だ。

必要な時に。

必要な薬が作れなかった。

お父さんに取っては、それはとても悲しい過去の出来事だ。それによってお母さんまで喪っている。

それはお父さんの責任では無い。

摂理に反しない範囲の薬では、どうしようもない病気だったのだ。それこそ、三傑にもっと早く出会っていれば、どうにかなった、というような状況であって。多くの不幸が満ちているこの世界には、ありふれた不幸の一つ。

それを今のお父さんは、受け入れられている。

そして、それについて。

スールも不満を零すつもりは無い。

昔は駄目親父とか思っていたが。

そんな風な思考は、もうとっくに捨てたし。昔の自分に今出会ったら、問答無用で殴り倒している。

スールは人の哀しみも痛みも、もう知ったからだ。

だからこそ、お父さんは。

お薬を必要な時に作れる事を要求してきた。

それならば、その試験、受けて立つだけである。

リディーと頷きあうと、すぐにコルネリア商会に出向く。リディーはリディーで、前に使ったチャートを引っ張り出してきて。そこから、またお薬を作るためのタスクを精査するのだ。

中間生成液も、どうしても必要なものだけ。

現状、手元にない薬草を使ったものや。時間が極めて掛かるものだけを買い取る。

それだけでも結構な出費になるのだが。

お金を落とす事は、それだけ周囲の益になる。

お金は独占するべきものではない。

周囲に流れるようにするべきものなのだ。

そんな事も理解出来ていない馬鹿が、お金を独り占めして、多くの人々を苦しめることになる。

阿呆共の真似をするつもりは無いし。

稼いだお金はどんどん周囲に流す。

勿論必要な貯金はするけれど。

使う時にけちるつもりもない。

それだけだ。

中間生成液を必要な分購入して、戻ると。

既にリディーがチャートを作ってくれていた。此処からは、時間との勝負になる。

前はほぼ一月ほどだったけれど。今度は二週間で、同じ事をしなければならない。幾ら一度やった事を再現するのがある程度得意とは言え。前にこの薬を作ってから、そう時間は経っていない。

かなり厳しい勝負になるけれど。

それでもやらなければならない。

お父さんの事だから、何度でも挑戦しろと言ってくるだろうけれども。しかしながら、そもそもお父さんは、必要な時に必要なお薬を作れずに、お母さんを喪ったのだ。それを考えると。

一度で試験は成功させたかった。

摂理を越えたお薬は、その内何とか手がけたい。

ソフィーさんくらいになると、死んだ人を蘇生させることも可能だろうか。

いずれにしても、この間見たイル師匠の使ったお薬。

あのレベルになってくると、もう完全に摂理を越えていたし。

イル師匠よりも更にソフィーさんの方が格上という事だから。

きっと、死者を復活させることに近い事が、出来る可能性は高い。

だが、それでも限界はあるだろう。

外で顔を洗い。

手を消毒殺菌すると。

作業開始。

釜を綺麗に洗っているリディーを横目に、自分もチャートを確認。

この間以上の質で。

神秘の霊薬を作り上げなければならない。

そして作ったお薬は死蔵させるのでは無く。

騎士団に納入して、現場で使って貰う。

実際問題、前回の試験でお父さんとリディーとスールが納品したお薬は、激戦の中で騎士団が利用。

重傷者を助けることに成功したという。

お礼の手紙も来ている。

本当に助かった。騎士を引退しなければならない程の傷だったが、それも帳消しに出来た。

感謝してもしきれない。

それどころか、持病まで幾つか治った。

奇跡の御技に乾杯。

そう短い手紙が届いて。

二人で感激したのを、よく覚えている。お父さんは、少し寂しそうな顔をしていたが。悲しい訳ではないようだった。

呼吸を整えると、調合を開始。

此処からは、交代しながら、一気に作業をしていくことになる。

最初の方の作業は飛ばすけれど。

それはそれ。

以前とは技量も違ってきているから。

それも可能な限り生かす。

「この素材使って」

「合点」

薬草を丁寧にすり潰し、不純物を全て落とし、固形分を濾し取った液体を、リディーから受け取る。

やはり、どうもリディーは素材の声が聞こえているらしい。

薬草を採るとき。

何ら迷いが無かったからである。

また、以前は代用品として用いていた素材の内。

本来のレシピに記載がある、必要な薬草も幾つか確保できている。例えば、以前踏破した雪山や。

或いは、不思議な絵画の中で。

それぞれ回収出来たのだ。

これらも用いる。

代用品とでは、やはり薬の出来が根本的に違ってくる。これは素晴らしいと、思わず呟いていた。

釜から光が溢れるようだ。

三日間、交代で作業をほぼぶっ通しで行う。

その間、スールはプラティーンを作成して、今までよりも更に純度が高いものを作る事に成功していた。

ハルモニウムには、まだ技量が足りない。

そう言われていたことは覚えている。

だから作業引き継ぎの時に、気付いたコツなどを聞いて。それを参考にする。リディーが作ったプラティーンのインゴットを見て、新しく使った技量も、ある程度勘で分かるようになってきている。

四日目。

少し休憩を入れるようにと、お父さんに言われた。

言われた通り、少しまとまった睡眠を取る。

現状では、多少余裕のある状況で、タスクを処理し続けられている。無理をすれば、失敗する確率も上がる。

そんな事で失敗するくらいならば。

しっかりベストのコンディションで、成功させなければならない。

今作っているお薬は、趣味のものではない。

戦いの最前線で使われ。

多くの人の命に、実際関わるものなのだ。

焦って作ってはいけないし。

勿論手を抜いてもいけない。

休憩を終えた後は、再び作業に戻る。リディーが調合をしている間に、スールは裏庭で体を動かし。

また、受け取ってきた大型荷車に飛行キットを取り付けて。

自分で操作を実施。

きちんと動くかどうかを確認しつつ、トラブルが発生したときの対応についても、低高度で試していた。

実際問題、傾けすぎて落ちると言う事は無い。

重心が崩れたと判断した場合、飛行キットが自動的に立て直すようになっているのである。

このレシピ、相当洗練されている。

故にスールではまだ手を入れられないなと思うだけなのだが。

それでも、一つずつ危険かも知れない事については、試しておかなければならない。

何が出来るのか。

それは全てメモにとっておく。

速度を上げながら壁に突っ込もうとしたり。

或いは地面スレスレで傾けて、翼が地面に接触しそうな状況を作って見たりと。

色々試してみるが。

あらゆる悪意に満ちた実験を。

するりするりと、飛行キットはかわしていく。

実験内容をメモにとり。

そして、荷車を着地させ。そして油紙と皮でカバーを掛けて覆っておく。全自動荷車の機能もついているので。

基本的に盗まれる恐れは無い。

スールの指示で、停止を掛けているからだ。

荷車に何か積んでいれば、それをとられるかも知れないが。少なくともこの荷車は、スールの言う事しか聞かない。

アトリエに戻った後。リディーにメモを見せ、幾つか話し合う。頷いたリディーは、実験内容について、幾つか質問をして来たので。それについても話をしておく。

それから引き継ぎを受けて、調合を開始。

前は三人がかりでやっとお父さんに勝ったが。

一度やった事は、上手に再現出来るのがスールの強みだ。

こういう失敗が許されない薬については、その強みを最大限に生かせる。

今度はリディーが裏庭に出て、飛行キットの実験を開始する。一度だけスールは外に出て、荷車の主導権をリディーに引き渡して。それから調合を続けた。

更に三日。

再び休むようにお父さんに言われる。

チャートをしっかり確認し。

問題が無いことを再確認。

タスクは確実に処理出来ている。

また、薬の品質も確実に上がっている。

以前も自分で作ったものなのかと、信じがたいほどの魔力を放っていたが。今回もアトリエが暖かくなるほどの強い魔力を感じる。

昔は魔力なんか分からなかったが。

今はそれも違う。

見る事も感じる事も出来るから。

以前より更に凄い薬になっていることが分かるのだ。

中間生成液を回収して、一旦また休む。

疲れが溜まってきていたからか、ほぼ一日、二人揃って眠ってしまった。この辺りは、まだ体力のペース配分が甘いと思うけれども。

それでも、以前より雲泥の速度で作業をやれている。

ルーシャの補助も無い事を考えると。

格段の進歩だとも言える。

短期間でこうも腕が上がった理由は。

あまり考えたくないけれど。

恐らく、深淵に引きずり込まれて。世界の真実を見せられてしまったことが原因なのだろう。

リディーに至っては人格まで大きく豹変しつつある。

スールも、きっと。

自覚がないだけで、狂気に蝕まれつつある筈だ。

首を横に振って、雑念を追い払い。

あらゆる技術を駆使して、徹底的に細かく作業を進めていく。

そして、十三日目。

中間生成液が、全て揃った。

最後の仕上げだ。

前に作った霊薬とは、比べものにならない品質……とまではいかないが。ぐっと品質が上がっている自信はある。

これならば、きっと。

前以上に。酷い怪我をした人だって、助けられる。酷い病気だって、体から追い出す事が出来る。

そう信じ、二人で最後の調合を行う。

混ざり合い。そして、本来ならあり得ない要素が混じり合った結果。

霊薬が完成する。

安定しているのを見て。

ほっとした。

最高純度まで高めた蒸留水で洗った薬瓶に、霊薬を移していく。お父さんは地下室で作業をしていたが。

どうやら薬が出来たと察したらしく。

上がって来た。

「どうやら、仕上がったようだな」

「うん。 今瓶に移しているところ」

「見せてみなさい」

「これ、どうかな」

スールが手渡すと。

お父さんはしばしお薬を上から下から見ていたが。目を細めて、やがて頷いてくれた。これなら良いだろう、と。

「前はルーシャと三人がかりで俺を越えたが、二人がかりで俺よりいいものを作れるようになったな。 これならば、もう何処に出しても大丈夫だろう。 Aランクのアトリエを任せるのに相応しい人材だよ」

「ありがとう、お父さん!」

「やるでしょ、スーちゃん達!」

「調子にのるな。 まだまだ世の中には上が幾らでもいることを、お前達自身が良く知っているだろう」

しっかり釘を刺してくるお父さんだが。

少しだけ、笑顔は優しかったかも知れない。

相談をした後。

お薬の三分の一はコンテナにしまい。

残りの三分の一は、コルネリア商会に売りに行く。神秘の霊薬は非常に貴重な品だと言う事で、コルネリアさんも喜んでくれた。

勿論、かなりのお金を払ってくれたので。

喜んで受け取る。

これは正当な売買で得たお金であって。

受け取る資格がある。

そして受け取ったからには。

きちんと生かさなければならないお金でもある。

無能な金持ちなんかと同じように死蔵させてはいけないし。お金が足りない人の所には、回るように工夫しなければならない。

更に三分の一は、直接王宮に持っていく。

お薬は幾らあっても足りない。そういう話は聞いているし、喜んで貰えると思ったのだけれども。

案の定喜んで貰えたので、嬉しかった。

後で品質を検査した後、代金を払ってくれるという。

まあこれについては。それほど不安視しなくても大丈夫の筈だ。

お金の一部を使って、本と布、それにお菓子を幾らか買った後。

シスターグレースの教会に持っていく。

服を直に買うよりは、布を買っていった方が良い。今いる子供にあわせて、シスター達が服にしてくれるからだ。

以前そういう話を聞いていたので、こういう処置をしたのだが。

シスターグレースは、気が利いていると言って喜んでくれた。

そういえばパメラさんがいない。

その話を聞くと。

シスターグレースは言う。

「パメラであれば、力が必要とされて、今この国三番目の都市に出向いています。 来月までは帰って来ないでしょう」

「パメラさん、魔術か何か使えるんですか?」

「使えるも何も、凄まじい使い手ですよ。 此処でずっと働いてくれれば、子供達に食事の種になる魔術を教えてくれるのですけれど」

残念そうにシスターグレースが言う。

後は、多少のお薬もついでに引き渡しておく。応急処置などの時に役立つだろうという判断からだ。

これも随分喜んで貰った。

お世話になったのだし、これくらいは当然である。

後はうちに一旦戻る。

アトリエでは、お父さんが珍しく料理をしていた。ちゃんと美味しい料理を作ってくれる。

リディーやお母さんほどではないけれど。

少なくともスールが作る料理とも呼べないナニカよりはぐっとマシだし。ちゃんと食べていて美味しい。

だから、今では。お父さんが作る料理も、スールは好きだった。

しばし、三人で食卓を囲む。お父さんも心の傷が少しずつ回復しつつあるのか。食事の時に、喋る事が多くなってきていた。

世間一般で言われているように、大勢で食卓を囲むのが一番だというのは。それは価値観としては偏っているとしかいえない。

一人で楽しみたい食事だってある。

ただ、スールは今、こうしてリディーとお父さんと食卓を囲むのが嬉しい。

他の人には強制しない。

それだけで充分だ。

「そういえばお父さん。 この間調べた不思議な絵画でね、お父さんとお母さんの過去の映像が出てきてね」

「そうか、変わっていないんだな」

「え……!?」

「俺も昔彼処に調査で入ったことがあるんだよ。 エテル=ネピカとかいうタイトルの絵だろう?」

待った。

確かお父さんが現役だった時代となると、恐らく先代王の頃の筈だ。

そうなってくると、先代王の時代にも。錬金術師の調査が、不思議な絵画に入っていたのか。

「オネットと一緒にな。 ただあの先代王の強欲爺めが、直接金になりそうにないと判断すると即座に俺たちを引き上げさせやがった。 今は幽閉されているという話だがいい気味だ。 永遠に閉じ込められていろとしかいえんな」

「……」

「今話題にしたと言うことは、俺とオネットが幸せだった頃の映像だろう? どうだった」

「……それ以上、言う事は無いかな」

そうか、というと。

お父さんは、それ以上その話には触れなかった。

それにしても、本当に先代の庭園王は。芸術家を気取って、要塞の機能を持っていた王都を滅茶苦茶にし。

挙げ句の果てに近視眼的な行動で、不思議な絵の真の価値も引き出せさえしなかったのか。

確かにミレイユ王女が幽閉したのも納得だし。

二度と出てくるなという言葉しかない。

いっそのこと、誰も気付かないうちに餓死でもしてくれればいいのだがと思ったが。流石にそれはやり過ぎか。

もしも死ぬのであれば。

正式に法に沿って裁きを受け。その結果、死んで欲しい所だ。

いずれにしても、この間の事故を見ても思ったが。国の最上位に立つ人間が無能だと、それはそのまま災厄になる。

王という存在一人に全てを押しつける仕組みが正しいのかは、議論が続いているらしい。見聞院でちらっと読んだのだけれど。そういう議論については、古い時代からあるそうだ。

ただ現在の状況では、どうしても王が権力を握るのが現実的。というのが結論であるらしく。

もしも権力をもっと分散して、凡人でも国を動かせるようにするためには。

もっともっと世界が安定して。

人間が安全に暮らせる世界が来なければ無理だろう、という結論も出ていた。

それについてはスールも同意だ。

そもスールも、リディー同様「みんな」何てものはこれっぽっちも信頼していないし。彼らに任せてこの世が良くなるなんて幻想だとさえ思っている。

「みんな」の一人だったからこそ分かるのだ。

夕食が終わった後、リディーに声を掛けられる。

「難しい顔で考えてたけれど、どうしたの?」

「誰か一人が国の最高責任者になるとして、別にそれは血縁者で無くても良いよね」

「うん。 でも、前に見聞院で読んだでしょ。 色々と問題も起きるって」

「……いずれにしても、まだスーちゃん達でどうこう関与できることじゃないね」

頷かれる。

眠ろうと言われたので、提案に従う。

そろそろ、国のお仕事がある筈だ。時間もごっそり取られる。

アダレットも、三傑が大暴れしているとは言え、末端までその凄まじい力は行き届いていない。

人手はまったく足りていないし。

幾らでも物資は必要な状況。インフラの整備だって不十分だ。

だから、力を得たからには。

働かなければならないのである。

案の定、翌朝。

マティアスが来て、仕事である事を告げてきた。

やはり来たかと思いながら、飛行キットつきの荷車の試運転とする。

城門前に降り立った、翼持つ荷車を見て、マティアスは驚き。フィンブル兄も、流石に困惑したようだった。

「こういうものがあるとは聞いていたが。 これに乗って移動するのか」

「低空で移動するので大丈夫です。 大物以外なら、攻撃も初撃は確実に防げます」

不安そうなフィンブル兄。

アンパサンドさんは逆に、興味津々に色々聞いてきて。そして、機能に満足したのか、頷いていた。

今回はルーシャとオイフェさんがいないが、代わりにパイモンさんがいる。

パイモンさんは、この飛行キットを何度も使ったらしく、とても懐かしがっていた。目を細めて、色々な思い出話をしてくれる。その思い出話は少し長かったけれど、どれも参考になった。

さて、仕事の内容だが。インフラ整備作業の護衛である。ちょっと厄介な山の中に道を通すらしく、その途中で襲い来る獣を全て駆除するのが仕事だ。騎士団の部隊が既に現地にいるらしく、彼らとの連携任務になる。

お薬は充分。爆弾もばっちり。

では、このお仕事が終わってから。

次はアルトさんの試験を受けよう。そう、スールは、事前にリディーと決めていた。

 

3、アルトさんのA級試験

 

Bランクのアトリエになってから、国から来る仕事の内容が一段階難しくなったとは感じていたが。

帰宅したときには、フラフラだった。

飛行キットつきの荷車で行って大正解である。

現地でも、この荷車は大活躍だった。

今回の仕事は、どうやらパメラさんの仕事と関係していたらしく。アダレットでも二番目の都市と、三番目の都市の間に直通路を作ると言う大胆なもの。しかも、その間にある山を二つほど丸ごと崩し。

そして道を開通させるという、大胆極まりないものだった。

しかしながら、この山脈の間にある荒野は人間が手を入れていない土地であり。騎士団の部隊が合計四つ出動し。更に既に現地にはフィリスさんの他にプラフタさんとルーシャが先に出向いていたことからも。

アダレットがこの事業に、どれだけ力を入れているのかは、スールにさえ分かった。

現地で行った「護衛」に関しても、尋常な苦労ではなく。

先にフィリスさんとプラフタさんがネームドはあらかた片付けてくれてはいたようなのだけれども。

それでもひっきりなしに襲ってくる大型の獣を捌き続けなければならず。

戦闘での疲弊を癒やす時間もなく、次々に獣が来るため。

殆ど休む事も出来ず。

負傷した騎士を後方の拠点に輸送するためにも、飛行キットつきの荷車はフルに活用せざるを得ず。

二週間ほど働いて、一度戻ったが。

すぐにまた、現地に出向かなければならなかった。

今までの戦略事業で、一番現地に長く貼り付いたかも知れない。

落ち着くまでほぼ一月がかかり。

今まで蓄積していた爆弾、お薬、いずれも殆ど使い切った。

在庫にしていた錬金術の装備品も、あらかた現地にいた騎士達に配ってしまい。

負傷者を治すために惜しみなくお薬を使用した結果、在庫もすってんてんに。

フィリスさんがガンガン山を崩して、オスカーさんがバリバリ緑化しても。それ以外の所では獣に襲われる。

そうなれば、犠牲者が出る。

どうしようもないその状況は、間近で嫌と言うほど見せられることになった。

結局一段落して、驚くべき事に絶対無理にも思えた直通路が一月で出来た頃には、騎士団も支援の戦力も、何よりリディーとスールも、ルーシャも疲弊し切っていて。平然としているパイモンさんが凄いとしか思えなかった。

貰った褒賞も膨大だったし。

山を崩す過程で出た鉱石もたくさんもらったが。

それでもとても間に合わないくらいの物資を消耗したし。

アトリエに戻ってからは、数日間疲れから身動きできなかった。

お父さんも、裏方としてお薬をフルスピードで作り続けていたらしく。リディーとスールが戻ってきたのを見て、ため息をついたようだった。

「アダレットが今までさぼってきたつけとはいえ、少しばかり忙しすぎたな今回は」

「お父さんも一杯お薬作ったの?」

「ああ。 今までにないほどたくさんな」

「ふええ……」

情けない声を出してしまうスールだが。

リディーは。そんな声をだす元気も無く、ベッドで青ざめて白目を剥いているので。まだ体力に関しては、スールの方があるのかも知れない。陣頭指揮をミレイユ王女が執っているのを何度か見たので。其処から考えても、今回の戦略事業は、余程重要なものだったのだろう。

まああれだけの人員投入規模から考えても。

無理もないか。

むしろああいう所で、しっかり陣頭指揮を執る辺り。先代の無能な庭園王と。現在の有能なミレイユ王女との違いが明白すぎる。

無意味に陣頭指揮を執るのでは無く。

しっかり戦略作業を廻し、各人の負担もきっちり減らしながらミレイユ王女は動き続けていた。

滅茶苦茶疲れたが。

ミレイユ王女の指揮が無ければ、多分疲れるでは済まなかっただろう。

ともあれ。

数日休んで、街に出ると。

相当な物資が出回り。お金も動いたらしく。街に賑わいが出ているのが分かった。

先代王が無意味に集めた石材とかも、今回の事業で殆ど前線に投入したらしく。街の彼方此方に積まれていた石材とかは、綺麗さっぱり消え去っていた。

どうやって運んだのかはよく分からないけれど。

この間の怪我人も。

ひょっとして、この戦略事業の下準備のために、作業をしたのかも知れない。

まずコルネリア商会で、登録しておいた物資を幾らか買って、最低限の物資を揃えておく。

爆弾やお薬のうち。

良く出来たものは、コルネリア商会に登録するようにしているのだ。

また、中間生成液なども同じ。

こういったものを登録することにより、より品質が高い物資を、比較的短時間で再度揃える事が出来るし。

国がくれたお金を。

それこそ無駄にせず、きちんと活用して。更にお金を、経済活動として回す事も出来る。

コルネリアさんに聞いたのだけれども。コルネリア商会は基本的に庶民向けの錬金術道具を主体に扱っていて。今後はアダレットでのアルファ商会の業務を、少しずつ肩代わりしていく予定だという。

ラスティンにはコルネリア商会と同じような商会をもう一つ作り。

アルファ商会はその上で、統括的な作業をする組織に変更する予定だそうだ。

機密なのではないかと一瞬思ったが。

実際にはもう周知の事実らしく。別に話しても、何ら問題が無いことだという。それを聞いて、スールも少し安心した。

買い物を終えたので、少し聞く。

お父さんについて。

前にコルネリアさんが、お父さんを探しているという話だったけれど。まだそれについては、見つかっていないという。

まあそうだろう。

コルネリア商会ほどの組織に、情報が入ってこないのである。

簡単に見つかるわけがない。

自分の方でも、何か分かったら連絡すると話をした後、アトリエに戻ると。

何故か、アルトさんが来ていた。

リディーが苦笑いしている。

とはいっても、実際には少し引きつり気味の笑いだが。

アルトさんの正体を知っている今。

あまりこの人に、なれなれしくしようとは思わない。

文字通り世界の深淵を支配する存在なのだ。お父さんとルーシャは、アルトさんに人質に取られているといっても良い。

お父さんは気分が悪いのか、地下室に行ってしまい、戻ってこない。

お父さんも事情をある程度知っているのであれば。

まあ当然の行動だとも言えた。

「さて、Aランクのアトリエになるべく試験を受けているそうだね。 今の進捗状況はどうだい」

「ええと、指定された内、イル師匠とお父さんの試験は突破しました」

「そうか、では今度は僕から試験を出そう」

笑顔のまま、アルトさんが目を細める。

嫌みな程の美形だから。却って怖かった。

この人が、昔は醜悪のルアードという酷すぎる渾名を付けられて迫害され。偏見から暗殺者まで送りつけられ。

それが故に、意趣返しにこんな嫌みなまでの美形のガワを作っていることは、スールも知っている。

はっきりいってそれに関しては、アルトさんを迫害した「みんな」が悪い。

当たり前の話だ。

どうして弱者が迫害された場合、弱者に対して責任を求める言説が出てくるのか。常に多数派が正しいとでもいうのか。

プラフタさんに後で聞いた。

アルトさん。昔のルアードさんは、賢者とまでいわれた昔のプラフタさんと、力量でも互角。生来の疾患での「容姿」によっての理不尽な差別が無ければ、時代を確実に動かした錬金術師だったという。

そんな人材を「見た目が気持ち悪いから」という理由で迫害し。

そればかりか暗殺未遂まで起こした「みんな」が正しいというのなら。その「正しい」こそが間違っている。

ただ、今のアルトさんがその結果、この世で最も怖い人の一人になっているのも事実だ。これに関しては、スールに責任はない。

スールは、愚かしい「みんな」と一緒にはならない。

それでしか、責任をとることは出来ない。

色々皮肉な話だが。

この世界に秩序を、「みんな」は作る事が出来なかった。

この世界に秩序を作ったのは、「みんな」が「気持ち悪い姿」だと嘲弄したルアードさん。つまりアルトさんだ。

アルトさんには、或いはこの世界に曲がりなりにも生じた秩序を壊す権利さえあるかも知れない。

それをしていないこの人に。

「みんな」は文句を言う資格は無い。

もちろん、ちょっと前まで、「みんな」だったスールも、それは同じだ。

アルトさんは肩をすくめると、軽い口調で課題を出す。

「ハルモニウムを作ってきて欲しい」

「!」

「素材ならある筈だよ。 それにそろそろ君達も、ハルモニウムくらいはつくれないと困るからね」

「……はい」

ハルモニウムくらい、か。

いよいよ来た。

インゴット単品が国宝になる超金属。それで作った武器も勿論国宝クラス。文字通り神域の金属。

プラティーンよりも、更に格上の金属である。

錆びない、軽い、魔法との親和性が高い、何より竜の鱗由来の圧倒的強度。全てにおいて、あらゆる金属の長所を混ぜ合わせたような代物。

そもそも一般には流通していない、ごく限られた素材によって作り上げられる、摂理を外れた金属。

布としてはヴェルベティスがこれに対応するが。

いずれにしても、もはや作ると言う事自体が、並みの錬金術師には手が届かない行為である。

少し前にティアナさんと仕事を一緒にしたが。

あの人が使っていた剣はハルモニウム製で。攻撃を受けようとした相手の剣をそのまま相手ごと真っ二つにしたり。

空気でも斬るかのように人体をバラバラにしていた。

また、最高品質の釜はハルモニウム製らしい。

フィリスさんやイル師匠が使っているものなどはそれで。

偽装はされているが。

或いはアルトさんが使っているのも、そうかも知れない。

「品質は問わないから、作って来てごらん」

「合点!」

「スーちゃん?」

「良い機会だよ。 どうせ作らなきゃいけなかったんだから」

頷くアルトさん。

その通り、というのだろう。

スールもそう思う。そもそも、もっとプラティーンの純度を上げろとはいわれていた。その純度を上げる目的は、ハルモニウムを作る事、なのである。

残念ながら、現時点では、まともな方法ではドラゴンを倒せない。

ハルモニウムはドラゴンの鱗から加工する超金属だから。本来ならばこの辺りジレンマになるのだが。

幸いリディーとスールの手元には。

以前フーコと火竜の住んでいた不思議な絵画から譲り受けた鱗や。

キャプテンバッケンの島に住み着いていた海竜の鱗など。

運が良かったり。

或いは勝てる条件が揃って、倒せたドラゴンの鱗がある。

これらを用いて、ハルモニウムを作っていくしかないだろう。

まず見聞院に出向き。

レシピを買う。

このレシピそのものが結構とんでも無くて、やはりお屋敷が建つくらいのお金は取られた。それも魔術でガチガチにガードされている。

最高機密というわけだろうか。

と思ったのだが。アトリエに戻って、レシピのスクロールを開いて見て。違うと分かった。

作成難易度が尋常では無いのだ。

目を通しただけで、頭がくらっとした。

それはそうだろう。

確かにプラティーンを湯水のように、しかも高品質で作れるくらいの技量はないと、文字通り話にもならない。

レシピを見なかったことにしたいくらいだが。

そうもいかない。

隣で無言のリディーと一緒に、どうするかしばし思案。最初に口を開いたのは、リディーだった。

「試験期限はない」

「うん、まあそれは、そうだけれど」

「だったら、まずはイル師匠と鍛冶屋の親父さんの言うことを、素直に聞くべきだね」

「……そうだね。 分かった」

イル師匠観点で、40点のプラティーンを作れ。

それでハルモニウムに手が届く。

鍛冶屋の親父さんに前に話を聞きに行ったときには、今の倍はプラティーンの加工に習熟しろといわれた。

それも納得である。

ハルモニウムの現物を、多分親父さんは触った事があって。

そこから導き出された、ごくまっとうな結論だったのだろう。あの人は本職の中の本職である。

「まずは、嫌になるほどプラティーンを作って、技術の底上げをしよう」

「まずは私から作るから、スーちゃんはそれを後追いで」

「……うん」

悔しいけれど。

スールは、一度作ったものを、上手に模倣する方が得意で。新しいものを作ったり。試行錯誤で完成品の質を上げるような行為はあまり得意じゃない。それはリディーの得意分野だ。

そしてリディーはそうだとは口にはしないけれど。

もうギフテッドに目覚めている可能性が高い。

ギフテッド持ちだからなのだろう。時々すっと素材に手を伸ばして、それがどう見ても最適解だったりする。

スールがどれだけ頑張っても、まだ全然ギフテッドなんて目覚めていないのに。

結構前から、その行動自体はしていて。

今では、もう流れるように作業をしている事がある。スールがじっと見ている事に、気付いていないこともあった。

持つ者と、持たざる者。

錬金術は残忍な話で、才能の学問だ。

ルーシャのお父さんより、もうリディーとスール、それにルーシャの方が技量は上だと、話は聞いている。

これはお父さんから聞いたことだから、多分間違いないとみて良いだろう。これは努力や経験を、才能が凌駕する学問だという事である。

またイル師匠はフィリスさんに必死に努力で追いついていったそうだが。

そもそも読み書きを習う頃から錬金術をしていたイル師匠を、フィリスさんは一年足らずで一度追い越したらしい。

それは、もはや不平等の域に達すると思う。

出来ない人間は何をやっても出来ない。

それが錬金術と言う学問なのだ。

魔術もそういうところがあるが。

錬金術はより極端だ。

魔術の場合は、自身が魔術を発動できなくても、道具類で代用できる。錬金術を使えば、更に何十倍も増幅できる。

しかし錬金術の場合は、ある一線をどうしても才能が無ければ越えられなくなるのである。

知識があろうがなかろうが関係無い。

そういうものなのだ。

しばし無言で作業を続け。

スールはお薬を。

リディーはプラティーンの品質上げを行う。

そうして、リディーは何か気付いたことがあると、情報を回してくるので、二人で共有する。

「思うに、鉱石をより細かく砕いて、最初に不純物を取り除く事が重要なんじゃないのかな」

「砂粒を顕微鏡でも使って選別する?」

「それも手だけれど……重さとかそういうので分けた方が早そう」

「うっ、そ、そうだね」

頭はどうしてもリディーの方が良い。

スールはどうしても戦闘向きの体をしている。これについては、お母さんの血をより濃く継いでいるのだろう。

それ自体は自慢なのだが。

錬金術師としては、足枷になってくるのが悔しいし、悲しくもある。

スールの提案通り、まず順番に一つずつ作業。

試行錯誤を繰り返す。

最終的に、以下のようなやり方が導き出された。膨大な試作品プラティーンがその間に作り出されたが。それ自体は、別にかまわない。

この作業に、二週間掛かった。

徹底的に細かくプラティーン鉱石を粉砕する。この粉砕作業も、今までとは更に別次元の段階にまで密度を上げる。

粉塵が舞い上がるようだと、人体に毒になるから。

ほどほど、を考えなければならない。

プラティーン鉱石はかなり軽いので。

やり過ぎると多分埃のように欠片が舞い上がり、それが体に入れば当然体組織を傷つける事になるのだ。

砕いた後、乳鉢ですり潰すのだが。

この乳鉢もすりこぎも、強化魔術で何十倍も強度を上げている。金属音のこすれる音がきついので。音も漏れないようにしている。

こうして徹底的に細かくした鉱石を。

今度は遠心分離器に掛ける。

あまり大きくない遠心分離器を用いるので、一度に取れる量は微々たるものだけれども。

遠心分離器を用いれば、確かに重さで選別が可能になる。

それぞれ、重さごとに分けた後。

顕微鏡で確認。

レンズを重ねて作り上げる機械だが。機械技術者がいるアダレット王都では、高いものではあるが手に入る。その気になれば、アルファ商会から購入してもいい。コルネリア商会では、残念ながら注文してから手に入るまで時間が掛かる。

レンズも魔術で強力に倍率が掛かっているが。

これも必要な出費だ。

錬金術は、極めれば極めるほどお金が掛かる。

それは分かっていたのだけれど。

確かに、本当にとんでもないお金が最近は一発で動くようになって来ているので。色々と違う世界に来てしまったのだなと、思うようになってきていた。

幸い。身体能力関係はスールの方がリディーより優れている。あらゆる意味で。

プラティーンの細かい鉱石をより分ける方法は大体顕微鏡を見る事で分かった。

分割した分を更に遠心分離器に掛け、更により分けつつ。

純度を上げたプラティーン鉱石粉末を、炉に入れる。

熱についても、特別に圧縮した強力な薪を用いて、プラティーンで無ければ液体さえ保てない状態にまで上げる。

コレが一番早いのである。

炉の温度を冷やし。

そして取りだす。

マーブル模様になっているプラティーンのインゴットを、ハンマーで叩いてかち割り、不純物を取り除く。

この炉での作業は何度か行うため。

枯れ木などを、色々な手段で入手してこないといけない。

基本的に街の外の森のものは、王都の人達用。

主に不思議な絵画に入って枯れ木は入手してくることになる。

最近はお化け達の森にいって、枯れ木をとってくることが増えた。定期的にレンプライアを退治して回っているのだけれども。

その時ついでに、ごっそり枯れ木を貰っていくのだ。

お化け達もレンプライア退治のついでに、色々含蓄のある話をしてくれる。ちょっと説教臭いこともあるけれど。

おかげで、もうすっかりスールはお化けが怖くなくなっていた。

彼らの言う通りだった。

子供の守護神であるお化け達は、本来は敬わなければならない存在なのだと、今でははっきり理解出来ている。

多分、スールは子供を産んで育てることは無い。

リディーもだ。

これは、もう錬金術師として人の道を踏み外しているからであって。それ以上でも以下でもない。

ただ、知っておかなければならない事ではあった。

炉に何度か入れて、その度に純度を上げていくプラティーン。今回は、前に無い程細かく鉱石を粉砕し、選別も神経質にやったのだ。

これなら、どうだろう。質は、上がるか。

充分に純度を上げたプラティーンを、今度はインゴットに成形。

成形が終わった時。

わ、と声が上がっていた。

これは、今までとは違う。

また、少し質が上がったはずだ。

作業の時に、マスクは念のためにしていた。空気が変なふうに漏れないようにも処置はしていた。

それだけの準備を徹底的にしていたほどなのだ。期待だってする。だから、炉から取りだしたインゴットが、更に美しい鈍色を放っていたときには感動の声も漏れた。

しばしインゴットを冷やして、そしてまずは鍛冶屋の親父さんの所に持ち込む。自信作だといって見せる。

親父さんは、今日は細かい作業をちまちまとやっていたが。

インゴットを見せると、目の色を変えた。

しばし布越しにインゴットを触り、鷹のように鋭い目で見つめていたが。やがて結論していた。

「これなら、もう充分だろう。 お師さんの所に持っていきな」

「やった……やったよリディー!」

「うん……」

反応が薄いリディーに抱きついて、スールは思わず泣き出す。

壊れ掛かっている姉の分だけでも、自分は泣こうと思ったのだ。勿論、自分もどんどん壊れてきている事は承知の上で。

麗しい姉妹愛を鍛冶屋の親父さんにたっぷり見せつけた後。

イル師匠の所に、インゴットを持っていく。

プラティーンのインゴットの要求点、40。

さあ、鍛冶屋の親父さんは太鼓判を押してくれたけれど、イル師匠はどうだろう。幸い、アトリエにいてくれた。

そして、現物を見せると。

目を細めてしばし見つめた後。咳払いした。

「43点」

「や、やった……!」

「ついに40点越えだねスーちゃん」

「うん!」

ため息をつくイル師匠。

まだ満点の半分にも達していないだろうと、顔に書いている。だけれども、出来たものは出来たのだ。

頭を下げて礼を言うと。

イル師匠は、もう一つ大きなため息をついた。

「どうせこれを見せに来たと言うことは、ハルモニウムにこれから取りかかるんでしょう」

「はい。 アルトさんからの指示です」

「覚えておきなさい。 ハルモニウムは本来、一世代に一人、作れる錬金術師が出るか出ないかという代物よ。 今の世代が色々とおかしすぎるだけ」

「えっ……」

ぴたりと、喜びが冷える。

そう、だったのか。

ひょっとして、既にラスティンの公認錬金術師と同レベルか、それ以上まで実力がついていたのか。

喜びではない。

錬金術師は、技量が上がれば上がるほど、人間から離れていく。ソフィーさんがその最もわかり易い例だ。

そうか、もうそんなところまで。

「ハルモニウムはもうレシピを見たから知っているだろうけれども、尋常な作成難易度じゃないわよ。 心して掛かりなさい」

イル師匠は、そんな心情を知ってか知らずか。

リディーとスールをアトリエから追い出す。

まだ、試験は二人分しかこなせていない。

そして、ハルモニウムを作る事が出来たとしても。まだまだ、最大の脅威だろうフィリスさんとソフィーさんが残っているのだ。

意外とリディーは落ち着いている。

どうして、この状況で落ち着いていられるのか。

より、壊れてしまっているからなのか。

そう考えると、スールは悲しくてならなかった。自分だって壊れてきている自覚はあるけれど。それでも悲しかった。

 

4、見え始める暁

 

フィリスは顔を上げると、リア姉にアトリエを任せて、外に出た。

声が聞こえる。

か細いが、ハルモニウムの声だ。

鉱物だけなら、ソフィー先生にも負けない。そういう自負を持っているフィリスである。鉱物に関するギフテッドだけなら、世界最高という自信もある。だから、聞こえるのである。新しく生まれ出るハルモニウムの声は。

ソフィー先生の作ったものでは無く。イルちゃんがつくったものでもない。フィリスくらいになると、その金属を作った人間も声である程度判別できる。

アルトさんことルアードさんでもないだろう。パイモンさんの可能性も薄い。あの人は新しくハルモニウム装備を作る事を今はしていない筈。

だったら、考えられるのは。

今、ハルモニウムに手を掛けようとしている双子だ。

ルーシャちゃんはプラティーンの品質上げに相当手間取っていると聞いている。そして、プラティーンの方は、どうやらギフテッドを覚醒させたリディーちゃんの事もあって。先に双子が必要品質に達したようだ。

様子を見に行こう。

ハルモニウムを作れる錬金術師なんて、一世代に一人出れば良い方なのだ。

そもそもソフィー先生が無茶苦茶な試練を課して、フィリスとイルちゃんを無理矢理育てなければ。

実際問題、今の世代では、一人もハルモニウムを作れる錬金術師はいなかった可能性が高い。パイモンさんも、フィリスとイルちゃんと旅をする過程で、結果としてハルモニウムに手を掛けられたというのが近いからだ。

ひょいひょいと家の屋根を飛んで渡る。

勿論音も残さない。誰にも気付かせない。

ほどなく双子のアトリエに到着。

壁に貼り付いて、窓を覗き込むと。やってるやってる。ハルモニウムを作ろうと、四苦八苦している。

まずはドラゴンの鱗を細かく砕く所からだが。

其処から躓く。

フィリスも辿った道だ。

ハルモニウムはとんでも無く気むずかしい金属で、完成さえすれば圧倒的利便性を誇る一方。

その完成までの苦労は尋常なものではない。

ドラゴンという存在が如何なるものか理解した今ならば納得出来るのだが。ドラゴンはそもそも「生物」にカテゴライズするには微妙な存在で。当然、その体を覆う鱗も、同じなのである。

「やっぱりおかしいよ。 何だか砕くと、すぐ変になる……」

「鉱石と同じ扱いはやっぱり出来ないね。 ちょっとレシピをもう一度最初から読み直そう」

「うん……」

半泣きになっているスーちゃんを、リディーちゃんが慰めているが。

ふむ。

リディーちゃんの方は、すっかりもう「墜ちて」いる。スーちゃんの方はまだもう一押し足りない。

これは、先輩が一肌脱ぐか。

そう思ったのだけれど、止める事にする。

壁を這って後ろ向きに天井に上がると、ひょいと屋根の上で立ち上がり。そして振り返った。

腕組みして立っているのは、ソフィー先生だった。

「ソフィー先生、気になって見に来たんですか?」

「うん、フィリスちゃんの事がね」

「ああ、やっぱり」

「ふふ、駄目だよ。 深淵には、自分で墜ちないといけないんだから」

苛烈な試練を与えているのもそのためだ。

勿論今までちょっかいは散々出してきているのだが。

それでも、最後に墜ちるのは、自分から出なければならない。

深淵とは知識の底。

知識とは力。

錬金術は知識の学問。

すなわち錬金術を極めると言う事は、深淵に自ら至らなければならないのだ。最初は嫌がっているのを後ろから深淵に蹴り込む荒療治でいい。だが最終的には自分から、深淵に身を任せるようにならなければならない。

勿論フィリスもそれは分かっているのだけれども。

それでも、やはり手っ取り早く済ませたい、というのも本音だった。

「さあ、戻ろうフィリスちゃん。 ちょっと大きめの仕事を頼みたくてね」

「はい。 大きめの仕事って、例の概念操作ですか?」

「そういう事。 双子にも問題は出ていないし、プラフタを「人間に戻し」たら、一回状況の固定もしようと思ってる」

「確かに細かく調整していけば、その分後でつぶしが利きそうですね」

軽く話をしながら、時間を止めて、その中を移動する。

そして、深淵の者本拠である魔界に到達すると。

時間の停止を解除。

既に待っていたイルちゃんと合流し、軽くレシピの確認をした。

レシピの調合そのものは難しく無い。

正直、この調合なら。

今のフィリスでもイルちゃんでも、片手間に出来るだろう。ソフィー先生だったら、それこそ朝飯前の筈だ。

材料はそこそこ複雑だが、今更手に入らない素材でもない。

深淵の者がソフィー先生と接触する前は、賢者の石の素材も揃わなかったという話だけれども。

それから「十年ちょっと」でこれである。

如何に特異点ソフィー=ノイエンミュラーが凄まじいのかは。こういった実績を見れば獣でも分かる事だ。

「この素材について、双子に用意して貰おうと思っていてね」

「待ちなさい、これは……!」

「ふふ、そう。 邪神の深核」

イルちゃんが思わず立ち上がるが。

フィリスは賛成だ。

そもそもファルギオルは、病み上がりの上に、極限まで弱体化が掛かった状態。しかもお目付にルアードさんまで一緒にいて倒したのだ。

そして今回、双子はハルモニウムの作成に着手した。

ハルモニウムは出来損ないでも、プラティーンとは比較にならない強度を誇る神話級金属である。

これで装備品を刷新したら。

ドラゴンに届く。

まずはドラゴンを倒させて。

次に邪神を倒させれば。その過程で、嫌でも邪神の深核は手に入る事になる。

まだ駆除していない邪神が何匹かいる。その中で、人間に有害な奴を思い浮かべる。丁度良いのがいる。

駆除させるには、頃合いだろう。

どうせ邪神は世界の監視装置。

殺しても、ファルギオルのように完全抹殺しなければ、その内復活する。パルミラがそういう仕組みとして作り上げたからである。まあ復活には数百年とか千年とかかかるのだが。それはそれだ。

「私は反対よ! これ以上やったら流石に潰れるわ!」

「弟子には甘いね、イルちゃん」

「非人道的だっていってるのよ!」

「人道はこの世界を救わないよ」

そうフィリスが指摘すると。

イルちゃんは青ざめ。そして、ものすごく悲しそうに、口を閉じた。理由は分かるが、追い打ちはしない。

ソフィー先生が咳払い。

「それでは、双子がハルモニウムを作り次第、次の段階に。 フィリスちゃん、準備はしておいてね」

「はい、分かっています」

「……特異点。 貴方は正しいと思う。 でも、いずれこんな事ばかりしていたら、報いが来るわよ」

「報いくらいでこの世界の詰みを打破できるのなら、安いものだと思うけれどね」

イルちゃん、まだ分かっていないか。

ソフィー先生は、もうエゴと自分を完全に切り離している。

感情はある。

時々暗い凶暴性に身を任せている事もある。

だけれど、それはもはやソフィー先生という思考装置とは別の所にあるのだ。

人を超越するというのはそういう事で。

イルちゃんだって本当はもうその段階に入っている。

それを拒否し続けても苦しいだけなのに。

かといって、苦しむのはイルちゃんが望んだことだ。フィリスには、これ以上何もしてやれることは無かった。

アトリエに戻る。

リア姉が食事を作ってくれていた。ツヴァイちゃんと、姉妹三人水入らずで食事を楽しむ。

さて、双子がハルモニウムを完成させるまで、一月は掛かると見た。

その間に、もう一つくらい大規模なインフラ整備作業を終わらせておこう。勿論その手伝いは、リア姉にもツヴァイちゃんにもして貰う。

食事を終えると、その話を軽くして。

二人は頷いた。

インフラ整備がどれだけ重要かは、二人とも良く知っているのだ。この世界のためにとって、である。

さて、腕が鳴る。

今少し、双子が次の試験に取りかかるまで。

世界の治療を、進めるとしよう。

 

(続)