青い砂漠の果て

 

序、弱気な騎士王子の過去

 

スールの目の前で、その光景は容赦なく流れていて。

頭を抱えているマティアスの事も分かった。

だけれど笑うつもりはない。

マティアスは出来が悪かった。

勉強も武術も。

幼い頃から、ミレイユ王女は大人の騎士を相手に火が出るような猛烈な訓練をしていたのに対し。マティアスは大人の騎士が、何度も同じ訓練をさせる程に遅れていた。

勉学も同じ。

十代の半ばの頃には、ミレイユ王女は既に政治に関与し。無能な庭園王を幽閉するための準備を進めていたが。

マティアスは、そんなミレイユ王女に、いつも叱られていた。

やがて馬鹿王子の噂は王都にまで広がり始めていて。

騎士達が、馬鹿にしているのを柱の陰で聞いて、じっと幼いマティアスは黙り込んでいた。

光景が消える。

知ってはいたが。

実際に見せられると、厳しい話だ。

「だからいやなんだよ」

ぼやくマティアス。

まだ砂漠の探索は継続中だ。ずっと同じ方向に進み続けているけれど。誰かしらの過去が浮かんでは消える。

さっきはフィンブル兄の過去だった。

フィンブル兄はろくでなしの両親と生き別れて教会のお世話になった。スールと知り合ったのもそれが故だ。

親がろくでなしだったからこそ。

フィンブル兄は立派な戦士になりたいと思った。

だが騎士団は堅苦しすぎていやだったから。

より自分の資質が試される傭兵になりたいと思ったのだ。

シスターグレースにしっかり鍛えられたという点では、アンパサンドさんの姉弟弟子とも言えるかも知れない。

そう。

見かけからは判断がつきづらいが。

アンパサンドさんの方が年上なのである。面識は教会にいた時期が被らないのでないのだが。

どんな過去が現れるかまったく分からない。

だから、この砂漠に入ってから、ずっとマティアスは青い顔をしていたし。

スールは、何も声を掛けられなかった。

しばらく進んだところで、またレンプライアの群れに襲われる。

この砂漠のレンプライアは大きな規模の群れで一気に攻めてくる。多分砂漠だから、なのだろう。

獣には見向きもせず。

ただ人間だけを狙ってくるのは。

それが悪意の具現化であるレンプライアだから、なのだろう。

それに対して今更どうとも思わない。

手強いし、物資も消耗する。

今までに無く手強いレンプライアばかりで、戦いは毎回厳しく。負傷者も常に出た。四度目の探索で、一度切り上げる事をルーシャが提案。

オイフェさんが、珍しく手酷く負傷したからである。

本人が自己申告しないし、痛いとも言わないので、気付くのが遅れ。

結果として、更に怪我が増えたのだ。

珍しく寝かされて手当を受けているオイフェさんは、それでも痛いとも苦しいとも漏らさない。

感情が薄いのは色々と問題もあるなと、スールは思う。

マティアスが、ぼやいた。

「俺様、何かこの絵にしたのかな。 なんでこう俺様の悲しい過去ばっかりみんなに見せつけるのかなこの絵」

「マティアス、苦労したんだね」

「スー、お前何だか最初の頃より優しくなった?」

「優しくはなっていないけれど、自分の感覚で相手を馬鹿にする愚かしさは理解したつもりだよ。 マティアスは立派にやってるし、頑張ってるし、頼りになるよ」

マティアスが愚痴をこぼしてくれたから。

却って言いやすくなった。

スールがそう言うと。

フィンブル兄も、あわせてフォローしてくれた。

「殿下、貴方はミレイユ王女に劣っているかも知れないが、劣等感で非行に走ることも無かったし、今では立派な騎士だ。 比べる相手は悪いかも知れないが、貴方は出来る範囲で出来る事をやっている。 それで充分だろう」

「そっかあ。 良かったよ、俺様評価されてて」

「ただあの見境無しのナンパは止めた方が良いな。 シスターグレースの時に懲りただろう? ヒト族の習性だとしても度が過ぎている。 正直俺から見ても見苦しい」

「うっ……」

真っ青になるマティアス。

そういえばマティアスってば。

シスターグレースが五十越えている事を知らずに(確かに極めて若々しいが)ナンパした事があったっけ。

フィンブル兄が今まで暴露されたどの過去の幻影よりも一番容赦が無い気がしてきた。

ともかく、オイフェさんの手当が終わる。

だが、出来れば引き上げた方が良いと、アンパサンドさんも顎をしゃくった。

いずれにしても、この間の雪山探索から時間も経っていない。

それほど焦らなくても大丈夫だろう。この絵の中に強力なレンプライアが多数いる事も分かった。

或いは、パイモンさんの助けを要請しても良いかも知れない。

マティアスが泣きそうになっているので、色々手助けもした方が良いか。いずれにしてもリディーに話して、撤退を決める。

いずれにしても、初回に比べてかなり順調に調べられたのだ。今度は東では無く北に行ってみるのも良いだろう。

この砂漠の調査は時間が掛かる。ほぼ間違いなく。

それならば、腰を据えてやれば良いだけのことなのだから。

一度絵を出ると。

一旦応接室に向かって、其処でミーティングをする。

「次の探索は三日後に行います。 今回の探索で、装備は充分だと分かりましたので」

「此方はそれで異存無しなのです。 王子も」

「俺様!? いや、出来れば入りたくないけど……アン、怖いからその目止めて」

「とりあえず準備はお願いします。 後出来れば、増員出来ませんか?」

リディーが提案。

スールも同意してみせる。

殆どこの辺りはツーカーで動けるのだけれども。それでもやっぱり違う人間。考えはずれ始めている。

それで良いと思う自分と。

やっぱり双子なんだから、同じように考えて欲しいと思う自分も何処かにいる。

それは傲慢だ。

分かっているのだけれど。

まだ、どうしようも無いのが実情だった。

「この砂漠、レンプライアの数と戦力から考えて、装備は充分でもやっぱり兵力が足りないよ。 騎士団は無理だろうし、パイモンさんは?」

「パイモン氏は残念ながら、現在かなり難しい案件につきっきりなのです」

「ええ……」

「戦力をもう少し充実させるしか……」

珍しくアンパサンドさんが言葉を濁す。

多分此方の言う事が正しいと認めてくれていて。

しかしながらどうにも出来無いとも考えているのだろう。

錬金術布の服を渡したことで。

アンパサンドさんもマティアスも。フィンブル兄も。

動きが前とは格段に違っている。

特にフィンブル兄は水を得た魚のように、剽悍な動きを見せて、敵の懐に勇敢に飛び込んで行く。

獣人族らしい戦い方を、獣人族らしく出来る。

それが嬉しくてならないらしい。

それでも、戦力が足りないのだ。

何か、見直すべき事があるのか。

いや、これ以上は流石に厳しい。少しずつ、現有の戦力でやっていくしかない。

ずっと会議を続けるわけにもいかない。

応接室での話し合いを切り上げて、一旦帰る事にする。

三日後また再出撃をするとして。

戦力不足を補えないなら、何か手を考えなければならない。

帰り道、リディーと歩きながら話す。

ドロッセルさんを雇うか。

Bランクに昇格し。雪山の探索のレポートを提出してから、またごっそりお金が入っている。

ただしお金は本当に錬金術をやっていると幾らでも使う。

確かに一番簡単なのはドロッセルさんを雇うことだけれども。

高いのだ。

活躍をしてくれるけれども。

その分すっごく高い。

口をつぐむスールに、リディーは言う。

「それなら、第二案として残しておこう」

「うう……でもさリディー。 適当にやとった傭兵だと、あんな危険地帯死なせるだけだよ」

「それも分かってる。 イル師匠に相談して、アリスさん借りてみる?」

「イル師匠がOK出すわけ無いよ」

スールは即答して。

自分でも溜息をついてしまった。

アリスさんはイル師匠の言う事なら何でも即座に実行するレベルの有能な補佐役で、メイドとはかくあるべしという感じの人物である。戦闘力も同じようなメイドであるオイフェさんとは段違い。何度も戦うのを見たけれど、三傑と呼ばれるイル師匠の腹心に相応しい実力者だ。

もしいてくれたら本当に頼もしいけれど。

しかしながら、あの忙しい。

そう、リディーとスールとは比較にもならない忙しい環境で働いているイル師匠が。貸してくれる訳がない。

イル師匠の立場になって考えてみれば。

腕一本貸してくれと言うようなもので。

出来ない、と即答できる程の状態である。

大きな溜息を二人でつくと。

アトリエに到着。

お父さんが何か難しい調合をしていた。

なお、錬金釜を二つに増やした。

わざわざアルファ商会に出向いて、プラティーン製のを買ってきたのだ。

これ以上の錬金釜となると、ハルモニウム製のものしかないと言われたが。

お父さんはお父さんで、かなり難しい研究をしている。

仕方が無い出費だ。

ましてやお母さんの残留思念に関わる事だ。

お金が掛かるのも仕方が無い。

「戻ったか。 その様子だと、探索は芳しくなかったようだな」

「うん。 あの砂漠、地味に厳しいよう」

「せめて戦力がもう少しあれば……」

「お前達はもうBランクの錬金術師だ。 話には聞いているが、同時期にアトリエランク制度に参加した錬金術師は一部の例外を除くとまだみんなEランク前後で足踏みしていると聞いている。 それだけの逸材では、仕事も厳しくなるのも仕方が無い事だ」

悪い夢から覚めたから、だろうか。

お父さんは背筋もしっかり伸びているし。

無精髭ももうない。

前愛用していた眼鏡を取りだしてきて、今は眼鏡姿。視力を高めてまで、かなり微細な調合を常にしている。側で見ていて、まだ自分達より上だなと、スールは何度も感心させられた。

そして今喋っていたように。

喋る事も極めて論理的でまともになっている。

それならば、此方もそれに答えなければならない。

「お夕飯作るね」

「じゃあ、スーちゃんはお洗濯取り込んでおくよ」

「すまないな。 ……少し配合を変えて見るか」

「イル師匠に相談してみる?」

お父さんは首を横に振る。

実は、既に相談をしているそうである。

だが、不思議な絵画は、技術よりも才能に依存する所が大きいらしく。不思議な絵の具の調整には、どうしても本人の微細な勘。理屈を越えた霊感的なものが必要になってくるらしいのだ。

錬金術は才能に依存する学問で。

こればかりはどうしようもない。

そしてお父さんは、どちらかというと戦闘向きでは無くて、支援関連の錬金術が得意なのだ。

不思議な絵画関連に関しては。

任せるしかない。

スペシャリストとしてはネージュが浮かぶが。

あの人は絶対に協力はしてくれないだろう。そもあの人が、会話してくれた事が奇蹟のようなものなのだ。

ソフィーさんも不思議な絵画くらい描けるかも知れないけれど。

ただあの人の場合、協力を申し出た場合の代償が大きすぎる。

そう考えると、お父さんが一人で試行錯誤しているのは、正しい判断としかいえなかった。

家事をぱっぱと済ませて。

夕食を食べる。

リディーは少し家事の腕が上がったのか。お夕飯が結構美味しくなっている、気がする。ただお父さんは別においしいともいわないので、単に家族で食卓を囲んでいるから、かも知れないが。

やっぱり家事だけでも手伝ってくれる人が欲しいな。

そうスールは思うが。

まあいずれ何か機会があるかも知れない。

その時に、家事手伝いを雇えば良い。

夕食を終えると、それぞれで動く。

スールはひたすらプラティーンを作る。鉱石は幾らでもまだある。品質を、ひたすら上げていくのだ。

今の倍は金属に触れ。

鍛冶屋の親父さんに言われた事だ。

あの人以上のスペシャリストはいないのだから、言う事は素直に聞くのが一番良いだろう。

そして錬金術は才能の学問だけれど。

同じ才能なら、やればやるほど上手くなるのは自明の理。

少なくとも、スールは成長は遅くとも、伸びが止まったとはまったく感じる事がない。

ならば、どんどん練習していくのみだ。

寝る前に、一つインゴットを仕上げる。

前より更に質が上がっている。

だけれど、わずかに、だ。必ずしもこれが絶対ではないだろう。

その間、リディーはお薬の調合を続けていた。

お父さんから時々アドバイスを貰いながら、霊薬と同格のお薬を作っていく。今作っているのは、潜在能力をフルに引き出すお薬。

勿論非常に危険なお薬である。

「作り手によってこの手の薬は色々と名前が違うが、基本的に潜在能力を限界を超えて一時的に引き出す事では変わりが無い。 だがその反動は凄まじく、下手をすると内側から爆発してしまう。 つまり強化しながら押さえ込む作用も必要になる。 或いは体が壊れる速度以上に回復するか、だな」

「うん、それでこの薬草を……」

「そういう事だ。 人間の頭のねじが完全に外れると、それはもう魔の領域だ。 確かに究極の力を手に入れられるだろう。 だが同時に、体の方ももはや人間ではいられなくなる。 一時的に魔の領域に都合良く踏み込むなんて事は出来ないんだ」

そう、だろうな。

最近はこう言う話も、聞いていて理解出来るようになってきた。

実際、その魔の領域に踏み込んでいるだろう三傑の様子を見ていると。

とてもではないけれど、精神構造が自分達と同じだとは思えない。肉体強度の異常さだって、同じ事なのだろう。

ドアがノックされたので、顔を出すと。

フィリスさんだった。

思わず青ざめるが。

フィリスさんは、すっとまるでスールがいないようにアトリエに入ると。

笑顔で手を叩く。

「はい注目」

「!」

「フィリスさん」

お父さんが真っ青になる。

リディーも、露骨に青ざめた。

多分この様子だと、お父さん、一人で深淵の者と何かぶつかるようなことをしていたのかも知れない。

フィリスさんは基本的に自分の実力を隠そうとしない。凄まじい力を見せつけながら、それを露骨に手抜きして見せる。

というか、手抜きしないと。

視界に入る全てを破壊し尽くしてしまうからなのかも知れない。

力がつけばつくほど、この人の恐ろしさが分かってくる。

破壊神と呼ばれていると聞いたけれど。

それも納得だ。

つるはし1丁で山を粉砕するなんて、この人にとっては児戯に等しいのだ。

「今調査して貰っている砂漠の絵、エテル=ネピカだけれども。 増援がいなくて困っているんだって?」

「は、はい」

「それなら、増援を此方から出させて貰うね」

フィリスさんが顎をしゃくると。

アトリエに入ってくるのは、以前雷神と戦った時顔を合わせた人。

プラフタさんである。

非常に美しい女性だが。どうしてか、なんというか人形っぽいと感じた。

それにしても瞳に星があるのは不思議な風貌だ。希にそういう容姿の人がいるらしいとは聞いた事があったが。

「記憶を呼び覚ます砂漠、少し興味があります。 私も同行しましょう」

「プラフタさんは強いよ−。 手伝って貰えるのは羨ましいなあ」

「フィリス、貴方は既に」

「うふふ」

プラフタさんが何か言おうとしたのを遮ると。

可愛らしく掌を振って、フィリスさんは文字通りかき消える。

大きくため息をつくと。

プラフタさんは、アトリエを見回した。

「ソフィーの部屋ほどではないですが、少し散らかっていますね。 協力体制を敷かせていただくのですし、せっかくですから少し家事くらいはして行きましょう」

「あの、良いんですか?」

「私は一時期記憶喪失になった事があります。 記憶というものの仕組みは難しく、錬金術師として高位にいる今の状態でも分からない事もあるほどです。 法則の異なる異世界であるとはいえ、データがとれるのなら好ましい事です」

そうか。

それにしても、フィリスさんが認めるほどの実力者。

思わぬ援軍だ。これは、次の探索が、はかどるかも知れない。

まずは手札を見せて、戦力について説明する。説明は一度で全てプラフタさんは飲み込んでくれる。

フィリスさんのような残酷さは感じないが。

プラフタさんからは、怜悧な冷たさと、同時に優しい温かさを感じた。

矛盾しているはずなのに。

どうしてか、この人の中には。

それが同居しているように、スールには思えた。

 

1、砂漠縦横

 

エントランスに集合。アルトさんとプラフタさんは知り合いらしく、にこりと笑みをかわし合うだけだった。

或いは深淵の者の幹部なのかもしれない。二人揃って。

アルトさんはそうだと確定しているし。

プラフタさんも、フィリスさんが強いと認めるほどであるならば、その可能性が低くは無いのだ。

「プラフタ殿の話は、騎士団でも噂になっているのです。 非常に精密な仕事をする錬金術師だとか」

「ちょっと気が利かないけれど、優秀な錬金術師だよ。 才覚なら僕より上かな」

「コホン、アルト。 貴方は私と才覚で同格の錬金術師と何度も言っているでしょう」

「ふふ、そうだね」

なるほど、古いつきあいなのか。

どちらもまだ若く見えるのだけれど。

アンチエイジング処置をしているのかも知れない。

ともかく、装備を確認し。

不思議な絵画に入る。

ルーシャはもの凄く警戒しているようだけれど。生真面目で精密なプラフタさんは、あまり気にしていない様子だった。

なお、不思議な絵画に入ると。

以前雷神戦で展開していた、一対の巨大な腕を空中に展開する。

拡張肉体としてはかなりの異形だが。

まあ実用性があれば何でも良いのだろう。

「それで、どちらに進むのですか」

「東から順番に攻めてみようかと思っていて、前から方位針の示す通りに東に進んでいます」

「……此処が不思議な絵画だと言う事は分かっていますね?」

「えっと?」

プラフタさんは、少し目を細める。

それだけで、強い威圧感を感じた。

スールは思う。

怖い。

この人、きっともの凄く厳しい人だ。まあ性格からも分かるけれども。アンパサンドさん並みに厳しいかも知れない。

「す、スーちゃん。 きっとだけれど、不思議な法則が働いて、それでも無駄に終わるかも知れないんじゃないかって、プラフタさんは言っているんだよ」

「でも、不思議な法則ってなんだろう……」

「この瓦礫、壊しても再生すると言っていましたね」

「はい。 試した後です」

頷くと。

プラフタさんは、自分用らしいポーチから絵の具を取りだすと、瓦礫に目立つ赤色で丸を書いた。

瓦礫が破損したわけではないから、丸は消えない。

なるほど、こう言う手もあるのか。

いや、違う。

瓦礫に書かれた丸は、強い魔力を帯びていて。

むしろ空中に、丸という図形が固定されているように見えた。

「液体の空中固定ですわ……」

「行きましょう。 もしも仮説が正しいのなら、探索をある程度短縮できるかも知れませんよ」

「はいっ」

有無を言わさず、移動を開始。

あまり好戦的ではないとはいえ、大きな蚯蚓の獣もいる。

それにレンプライアが此処には兎に角多いのだ。

プラフタさんは見たところアルトさんと同格くらいの実力者のようだし、不安はないけれど。

しかし、それでも戦力が足りるかどうか。

砂丘を一つ越えた辺りだろうか。

早速周囲をレンプライアに囲まれた。

真っ先に敵陣に突入するアンパサンドさん。フィンブルさんとマティアスがそれに続く。

敵を攪乱した所に突入。

包囲を撃ち抜き、追いすがって来る敵に、ルーシャが光弾を連射、アルトさんが大量の剣をばらまく。

見るとプラフタさんは本を拡げ。

寄ってくるレンプライアを巨大な拡張肉体の拳で右へ左になぎ倒しながら、詠唱を実施。

凄まじい魔力が収束していく。

銃を乱射しながら戦っていたスールだが、思わず危険を感じて跳び離れる。

瞬間で、敵陣が溶けた。

超高出力の魔力砲がぶっ放されたのだと、遙か向こうが大爆発して気付く。からからとアルトさんが笑った。

「容赦しないね、相変わらず」

「醜い悪意の塊に容赦する必要などありませんよ」

「……そうだったね」

プラフタさんはあまり表情を見せなかったが。

この悪意に対する凄まじい怒りは別だった。

レンプライアに対しては徹底的な怒りを感じるらしく。

文字通り、容赦なく殲滅した、という訳だ。

いずれにしても、これは心強いかも知れない。

回収出来る範囲のレンプライアの欠片を集める。

乱戦の中、多少の負傷者は出ていたが。

そもそもお薬の質が段違いに上がっているのだ。

不意を突かれたルーシャの手当を終えると、すぐに次へ。

黙々と、砂漠を東に進む。

大きな砂丘に出た。

アンパサンドさんが先行して周囲を調べるが、すぐに戻ってくる。構えていると、案の定かなりの数のレンプライアを引き連れていた。

兵士の奴だ。

かなりの数が槍を揃えて突貫してくる。

スールは試してみたいと思ったことがあるので、リディーに頷き。

そして空中に躍り上がると。

足場を作成する。

新しい靴で出来るようになった、空中での足場作成。

アンパサンドさんはもう完全に使いこなして、空中を自由自在に跳躍して敵を攪乱しているけれど。

彼処まで出来ないにしても、砂漠に足を取られること無く、空中を行くと。

明らかに柔らかい砂の上を走るよりも早い。

真横に回り込むと。ルーシャとタイミングを合わせて、十字砲火の中心に敵を引きずり込む。

一気にマガジンにある弾丸全部を敵陣に叩き込み。

更にルーシャが光弾を連射。

十字砲火に晒された敵は、こうも脆いのか。

モロに体勢を崩し。

其処に踊り込んだオイフェさんとフィンブルさんが、一気に薙ぎ払った。

マティアスは。

マティアスは、近くで大きいのを一人で食い止めてくれていた。一動作で砂嵐を起こすような奴だ。放置は出来ない。

横っ飛びに空中機動しながら、弾丸を再装填。奴の脇腹に集中して連射連射。体勢を崩した上半身だけの巨大レンプライアに。渾身の唐竹割りを叩き込むマティアス。

だが、それでも死にきらず、体を半ば真っ二つにされつつも、豪腕を振るってマティアスを吹っ飛ばす巨大レンプライア。

だが、その体に大穴があく。

飛んできたプラフタさんの巨腕だった。

爆発四散するレンプライア。

宝石が、周囲にぼろぼろと散らばった。

着地。

この瞬間を、一番気を付けろ。

そう、鍛冶屋の親父さんにも言われた。

魔術で空中機動する戦士は、いないこともないらしい。

だけれども、空中機動を終えて、着地した瞬間、どうしても感覚の違いから、油断してしまう。或いは頭の切り替えが出来ない。

その隙を突かれて、敵に刺されたり。或いは地面から躍り出てきた獣に食われたり、というケースがあるらしい。

周囲を念入りに伺ってから、皆の所に戻る。

レンプライアを片付けて、戦利品を回収中。

兵士型の中からも、貴重な鉱石や薬草がかなり出てきていた。

リディーは状況に応じて、支援魔術を皆にかけていたから、へとへと。

巨大な砂丘の下にいた敵も一掃したので。

砂の流れを確認。

砂に埋もれない位置で、小休止をとる。

戦利品をルーシャと分割しながら、軽く話した。

「どうだった、さっきの十字砲火」

「良い感触ですわ。 銃弾の火力が上がっているから、敵の注意をそらせますし」

「レンプライアも、流石に多方向からの同時攻撃には対応しづらいみたいだね」

「今後はもっと錬磨していきましょう」

頷く。

ルーシャとの連携技になるのか。

こんなに綺麗に決まるとは思わなかった。やってみるものである。

マティアスの怪我もそれほど酷くはなく。

怪我の手当が終わった所で、再び砂漠を歩き始める。瓦礫が相変わらず山のようにあるけれど。

どれも共通して。

破壊しても即座に修復されるようだった。

足を止めるプラフタさん。

釣られて足を止める。

そして、思わずあっと声を上げていた。

「リディー、止まって!」

「どうかしたの……て、ああっ!」

「やはりそうでしたか」

プラフタさんがぼやく。

其処の壁には。

最初にプラフタさんが書いた丸が、くっきりと残っていた。

 

一度不思議な絵画から出て。

応接室を貸してもらい、安全に休憩する。

合計六回、レンプライアと戦い。その間ずっと空中機動で苛烈な回避盾をこなしてくれていたアンパサンドさんは。

やっぱりこういう小休止休憩があると、その度に横になって休む。

やはり弱みは見せたくないのか。

毛布にくるまって、向こうを向いて眠ってしまうし。寝息も聞かせない。

プラフタさんはそれを一瞥だけして。

そして話し始めた。

「恐らくあの不思議な絵画ですが、東西、南北でつながっていると見て良いでしょう」

「いつのまにか絵の端から端へと飛ばされてるって事ですか?」

「違いますよスール」

「うっ」

次の探索で説明すると言う。

いずれにしても、物資の残りを確認。六回の戦闘を経ても、まだまだ充分な物資がある。

爆弾やお薬は毎回仕事の合間にせっせと作っている。

現在はドナーストーンを更に圧縮した雷撃爆弾、ドナークリスタルや。

レヘルンを更に増幅させた氷爆弾、シュタルレヘルンも製造している。

これらは今後、状況に応じて戦闘に投入していくつもりだ。

今回も持ち込んできているが。

バトルミックスをする必要性もないレベルで戦闘が安定していたので。結局試す必要がなかった。

やはり一線級の人が一人来てくれると助かる。

「それでプラフタ、君はどう見る」

「絵のタイトルはエテル・ネピカと言いましたか。 500年以上前の不思議な絵画だと言う事を考えても……描き手があの砂漠と代わらない世界に求めていたのは、恐らく「永遠」でしょうね」

「永遠……あの砂漠がですか」

「そうです。 人がいない、静寂の世界。 そして記憶だけがそこにある都合の良い自分だけの永遠。 それを形にすると、ああいう砂漠になるのでしょう」

なんだそれ。

思わず不快感が喉からせり上がってきた。

スールも、世の中にはろくでもない人がたくさんいることくらい分かっている。匪賊だって実物を見たし。そもそも、自分達が昔はそうだった。今だって、それから脱し切れているかは分からない。

だけれど、例えばネージュのように、外敵から身を守るために要塞を作るというのならまだ分かるのだ。

あの絵は、なんというか。

全てに対する虚無というか。

破滅的な思想の塊に思える。

むっとしているのに気付いたのか。

スールがフォローしてくれた。

「スーちゃん、今此処にいるみんななら、きっと聞いてくれるよ。 話してみて」

「……うん。 プラフタさん。 この世には、本当にどうしようも無い人がたくさんいるとスーちゃん思うんです。 スーちゃんも、自分から見て気持ち悪いとかそんなどうしようもない理由で、多くの人を苦しめたりもしました。 今ではそれが本当にどうしようもないことだったと思っています。 でも、世の中では、自分から見て気持ちが悪い相手には何をして良いって本気で考えている人間がたくさんたくさんいて、それがむしろ当たり前だってのが事実だと思うんです」

「その通りです。 人間という生物が平均的にどうしようもないのは事実ですね」

「ふふ、スーも分かってきたね」

プラフタさんは反発するかと思ったけれど。

ぶちまけてみると、意外に綺麗に同意してくれた。

そうか、それならば。

何か答えが見つかるかも知れない。

「あの絵はその結実に思いました。 自分から見て気持ち悪いから、みんな消えちゃえ、みたいな。 そんなのって、ありなんでしょうか」

「考えるだけならどんなことでも自由です。 ただしスール。 貴方が思ったように、気持ち悪いと思っただけで相手を迫害する。 それほど邪悪な人間の性質は他にありませんし、人間は何年経ってもまったくその愚かな性質から抜け出せていないのも事実です」

「プラフタさんも、何か見ているんですか」

「私の比翼とも言える錬金術師は、容姿が「気持ち悪い」という理由で、実力をまったく評価されませんでした。 あげく嫉妬され、暗殺者まで送りつけられたことがあります」

アルトさんは笑みを浮かべているが。

何となく分かった。

ひょっとしてそれ。

アルトさんの事ではないのだろうか。

というか、アルトさんを見ていて、前から不思議だったのだ。

この人、イケメンにしてもあまりにも出来すぎていないか、と。

アルトさんのアトリエの周囲には、女の子が集まってキャーキャー騒いでいるが。

実際にアルトさんと話してみると、おじいさんみたいな言動だとリディーも指摘するように、老成している。

アルトさんは多分だけれど、見た目通りの年齢でも姿でもない。

口をつぐむスールに。

プラフタさんは、なおも言う。

「記憶が呼び起こされるという事でしたね。 あの砂漠を歩いていれば、きっと色々と発見があるでしょう。 いずれにしても、先ほどの探索で、大まかな広さについては大体見当がつきました。 全体の探索には、恐らく四日……五日ほどはかかるでしょう」

「ほう、プラフタ、流石だね。 もう其処まで見抜いたのか」

「ええ。 それよりもアルト、もう少し戦闘に参加しなさい」

「ふふ、相変わらず君は厳しい」

アルトさんは余裕のある笑みを浮かべるが。

マティアスは引きつっていた。

マティアスからしてみれば、暗殺者とか、色々洒落にならないから、なのだろう。

ルーシャが挙手して、技術的な問題を幾つか聞き始める。

立て板に水を流すようにプラフタさんはそれに答えてくれて。

非常に参考になるので、スールもリディーと一緒にメモをとった。最近はかなり専門的なことも分かるようになってきた。用語はまだ苦手な部分もあるけれど、勘である程度は補完できる。

話を少しした後、フィンブル兄に休むように言われて。

頷いて、横になる。

そういえば、フィンブル兄は、今傭兵としての評価はどんな感じなんだろう。

まあ休めと言われた以上、今聞くのはあまり良い事ではないか。

しばし眠って。

時間と同時に、プラフタさんに起こして貰う。

第二ラウンド開始だ。

 

絵の中に入る前、アンパサンドさんとプラフタさんが話をしていたが。

絵に入ると、二人は即座に行動を起こした。

いきなり二人して、上空に飛んでいったのである。

これは打ち合わせていたことらしい。

まあプラフタさんだ。

空を飛べてもおかしくない。何しろ普段から、浮きながら移動しているくらいなのだから。

しばし飛んで行ったのを見送り。

そして、降りてくるまで周囲を確認。

壁に書かれた丸は、今では大きな存在感を放っていた。

程なく、二人は戻ってくる。

「やはり仮説は間違いないですね」

「……高い山の上に上がると、確かに地平線はうっすら丸みを帯びている事があるとは聞きましたが」

「え、何の話」

「簡単に説明すると、今我々は球体の上に立っています」

プラフタさんが説明してくれる。

ぽかんとしてしまった。

一度絵を出る。

そして、エントランスで、話を詳しくされた。

プラフタさんが取りだしたのは、球体。地球儀、というらしい。

「こう言う話を聞いたことはありませんか? 高い山などの上から地平線、水平線を見ると、丸みを帯びていると」

「あ、それ聞いたことがあります」

リディーが挙手。

そういえば、そんな話を聞いた気もする。

頷くと、プラフタさんは教えてくれる。

「驚かないで聞いてください。 この世界そのものが球体なのです。 我々は、巨大な球体の上に立って歩いている、と思ってください」

「えっ!」

「ええーっ!」

驚くリディーとスール。

プラフタさんは地球儀を浮かせると説明してくれる。

ものが集まると重力というものが生じる。

更に回転すると遠心力というものも生じる。

この我々がいる世界は、あまりにも巨大であるが故に引きつける力が生じていて。故にその上を歩いていられる、というのである。

確かに、山の上から地平線を見ると、それがうっすら丸みを帯びているのであれば、それはあり得る話ではある。

だが、あまりにも凄すぎる話だからか。

スールは頭がくらくらした。

「ええと、世界は丸くて、それで……」

「仕方が無い事ではあります。 一部の学者や高度錬金術では当たり前の事なのですが、そもそも知識というのは必要がなければ触れません。 知らないのは、仕方が無いとも言えます」

「うう、なんだろう。 この凄く恥ずかしい気分……」

「まあそれは良い。 とにかく、頭を切り換えて」

アルトさんは優しく言うが。

目が笑っている。

この状況をあからさまに楽しんでいる。

悔しいけれど。

しかしながら、そういう物的証拠があるなら認めなければならないし。

何よりも、プラフタさんが嘘をつくとも思えなかった。

そのまま、順番に話を聞く。

どうやらこの不思議な絵画では、その世界が忠実に再現されているらしい。本来の世界ほどの大きさではないが。

さっき、上空から計測したところ。

丁度直径にして50000歩ほどの球体の上に立っているという。

上空から地平線の様子を計測。

それに、先ほどプラフタさんが、丸から丸に戻るまで、歩いて掛かった距離などを計算すると、ほぼ間違いないとか。

その球体の上を調査し尽くすとなると。

確かに四日や五日はかかってくる。

「勿論、全ての箇所を調査する必要はないでしょう。 何カ所かで上空から状況を確認し、何か目だった場所があれば其処を調べる。 それでかまわないかと」

「わ、分かりました……」

「頭がおかしくなりそう」

本音を零すスールだが。

ルーシャもそれには苦笑いした。

悔しいが、ルーシャは知っていたのだろう。

フィンブル兄は小首を捻っていたが。マティアスとアンパサンドさんは平然としている。或いはマティアスは知っていたのかも知れない。

不要な知識は。

基本的に趣味でもない限り取り込まないのが人間だ。

別に知らなかった側の方が異常、と言う事は無い。

ただ、リディーとスールは、知識を必要とする立場だ。

最初から、きちんとした師匠についていれば。

こんな恥ずかしい勘違いをする事も無かったのかなと思うと、少しばかり悔しかったのも事実である。

逆に言うと、自分達が馬鹿だともっと早くに気付いていれば。

此処でこんな恥をさらすことも無かったかも知れない。

かなり悔しい。

本当に昔の自分達を、助走をつけて殴りたかった。

まっさらの球体を出してくる。プラフタさんは。そこに線を引いて。幾つかの点を打っていった。

「この通り、全部で16箇所ほどの上空から調査すれば、絵の全体は把握できるかと思います。 それで地図も作れるでしょう。 記憶が呼び起こされた地形に、何か特徴はありましたか?」

「強い魔力が通っていたくらいです」

「なるほど、それは私が上空から探査しましょう」

「プラフタ、いいのかい? 過保護にするとソフィーが怒るよ?」

アルトさんが肩をすくめて、スールはぞくりとした。

プラフタさんとソフィーさん、やはりあまり上手く行っていないのか。

ただ、アルトさんとプラフタさんがやると言っている以上、仕方が無い。此方に責は無いはずだ。

再び、砂漠の絵に入る。

そして、プラフタさんの言うとおり、まずは北に向かって歩き出す。

レンプライアは多いが、プラフタさんが加わってから、格段に楽になった。

勿論加減はしているのだろうが。

それでもアルトさんよりも、ずっと積極的に戦闘に参加してくれる。

近距離では一対の巨碗で。

遠距離では高火力の魔術で。

不意を打たれようが乱戦だろうが、確実に安定して戦ってくれる。好戦的かというとそうでもないが。

ただ、敵には容赦も呵責もなかった。

相手がレンプライアだと言う事もあるのだろうか。

それより何より。

この人は、人の悪意に対して、凄まじい怒りを覚えているようにも思えるのだ。戦いを見ていると、なお強くそう感じる。

予定の一箇所目に到着。

かなり精密な測量を要求されたので、凄く緊張した。プラフタさんは教え方が丁寧で論理的だけれど、その分イル師匠以上の鬼教官だ。

上空にプラフタさんとアンパサンドさんが最初に上がる。

どうやら計算をアンパサンドさんに頼んでいるようで。

ホムの得意分野の有効活用である。

降りてきたアンパサンドさんが、難しい計算を暗算でぱぱっと片付けると、地図を開いて、其処に色々プラフタさんが書き込んでいく。

そして、東を指さした。

「彼処で、また記憶を見られると思います」

 

2、暴き出す絵

 

どうやら、この場にいる人の過去に対応して。

絵は「見せてくる」らしかった。

今、見せられているのはアンパサンドさんの過去。

見覚えのある教会で、アンパサンドさんがシスターグレースと話をしている。シスターグレースは、余談だけれどまったく老けていない。昔と姿が殆ど変わらない。驚異的な若作りを通り越して、やはりアンチエイジングをしているのだろう。

騎士になりたい。

そういうアンパサンドさんは引かない。

感情が薄い。計算は得意で不正もしないが、身体能力が極端に低い。

魔術も使えない。

ホムは戦闘にはとことん向いていない人間種族なのだ。

それでもアンパサンドさんは、戦う道を選んだ。

固い決意を見て取ったシスターグレースは、どうしてもというのならと答え。そしてアンパサンドさんはどうしてもと即答した。

以降は、ストイックな自己鍛錬が開始される。

それは精神論を廃した極めて合理的な鍛錬で。

シスターグレースが、上背がヒト族の半分しかないホムで、どうやって戦うのかを徹底的に考え抜いて。

そして基礎体力をつけた上で。

アンパサンドさんが、血のにじむような努力の末、身につけていった力だった。

最初はアンパサンドさんが前に言っていたように馬鹿にする者も多かった。

痛みを知っている筈の教会出身者でさえ。

自分より弱い者を探して痛めつけたがる。

本当にどうしようもないと、スールは思う。

だがアンパサンドさんは気にもせず。

黙々と鍛錬を続け。

二回、試験に落ちてもなお。

屈しなかった。

騎士になってからも、必ずしも評価されたわけでは無いが。現騎士団長に、味方の被害を減らし敵の被害を増やすアンパサンドさんの戦闘スタイルが見いだされ。やっと従騎士を卒業。

そして、今に至る。

鼻を鳴らすアンパサンドさん。

露骨にびびるマティアス。

まあアンパサンドさんの尻に敷かれているし、仕方が無いとも言えるかも知れない。アンパサンドさんは、露骨に不機嫌だ。

この人は、理不尽な世界と戦うために。

本物のスペシャリストに教えを請う機会を得た。

そしてその機会を利用して。

今の実力を得た。

だからこの人は強い。

でも、アンパサンドさんのような人は、本当に少ないのだ。それはスールが身を以て知っている。

別の場所では、フィンブル兄の記憶がまた出る。

フィンブル兄は強さを求めていた。

教会で、幼い頃は意外にもかなりけんかっ早かった。今の落ち着いたフィンブル兄からは想像も出来ない有様である。

獣人族は基本的に戦いを好むが。

その悪い性質が、子供の頃はモロに出ていたらしい。

シスターグレースはフィンブル兄をしかりつけるのでは無く。

その戦闘本能を、制御出来るように。

そして何が戦闘本能を引きだしているのか。

丁寧に調べ上げて行った。

他の子供達も疎かにせず。

しっかり一人ずつ調べていく。

この辺り、シスターグレースの手腕は凄い。子供に接した経験が桁外れなのだろう。

やがて、しっかりした武術を教わって行き。

同時に、シスターグレースはそれと並行して、フィンブル兄に精神の制御方法を教えていった。

教会の教えにそったものではない。

単純に技術に沿った教え方だ。

だが、それは功を奏して。幼い頃の単なる暴れん坊は、スールとであった頃にはすっかり落ち着いていて。

周囲に怖れられることも、周囲を無意味に傷つける事もなくなり。

立派な青年へと育っていった。

記憶が消えると。

バツが悪そうに、フィンブル兄は頭を掻く。

「幻滅したか」

「いえ、全然」

「そうか。 俺はシスターグレースには今も感謝してもしきれん。 もし出会えていなければ、今頃ただのチンピラだっただろう。 教会で育った経緯は今の俺にとってはどうでも良い。 結局、俺は強すぎる好戦性を、どうにか自力で押さえ込んでいるに過ぎないのさ」

狂気を包む薄皮の正気。

だが、それは。

狂気を押さえ込めているとも言える。

フィンブル兄は立派だ。

マティアスも、それに異論はないようだった。

また、別の記憶を見せられる。

今度はリディーとスール。

お母さんが死んだときだ。

お母さんは最初こそ、流行病と言われていたが。後でルーシャに言われたように、「癌」と呼ばれるどうしようもない病であったらしい。

それにお父さんが気付いたときには手遅れ。

摂理の範囲内では、もはやどうしようもない状態になっていた。

騎士団でも期待の若手と言われていたお母さんが。

すっかりやせ衰えてしまった手で、泣くだけの双子の頭を撫でる。

貴方たちは私とロジェの宝物よ。

いい。

これからロジェと、ルーシャお姉ちゃんの言う事を良く聞いて、しっかり夢を叶えるの。

それだけが、私の望みだから。

記憶は、そこでぷつんと切れた。

言葉も出ない。

本当に、ルーシャにも、お父さんにも、謝罪の言葉も無い。

勿論、お父さんが壊れた後、世話をしてくれた人達。

見かねて教会に連絡してくれた鍛冶屋の親父さんにも。

そして世話をしてくれたシスターグレースにも。

本当に駄目だったのはお父さんでは無い。

お母さんが言った一番大事なことをすっかり忘れていた、リディーとスールなのだ。

冷静に分析をするプラフタさん。

「ふむ、此処にいる人間の記憶を再現していくようですね」

「ふふ、どうするプラフタ。 ミステリアスな僕の過去が暴かれてしまうかもしれないな」

「……それは「大丈夫」でしょうに」

「へ?」

リディーが間抜けな声を上げるが。

ルーシャが慌てて口を塞ぐ。

何となく、スールもそれには突っ込まない方が良いと思った。

そもそもアルトさんは深淵の者の大幹部。

もしも下手な記憶が表に出たりしたら。

それはこの場にいる全員が口封じに会う可能性に直結する。

大体。これだけアルトさんが平然としているのだ。

多分記憶を表に出さない何か手段があるのだろう。

また、次の記憶が出てくる。

今度はルーシャだ。

板挟みになるお父さんをずっと見て育つ。

才能は弟。つまりリディーとスールのお父さんに持って行かれ。

無能な先王の時代に跋扈した無能な役人には賄賂を要求される。

金を作れ。

そう言われて、何度もため息をついている姿を見ながら、ルーシャは育つ。

そんなとき、帰ってきた弟。つまりリディーとスールのお父さん。

ラスティンで公認錬金術師になったのだと言うと。

誰よりも、ルーシャのお父さんが喜んだ。

ルーシャは、自分のお父さんが喜んでいる姿なんて殆ど見なかったから。それを見て、本当に嬉しかったのだろう。

事実幼い頃は、ルーシャは殆ど笑うことも無かったのだ。こんなに寡黙な子だったなんて、スールも知らなかった。

だが、それもその日以来変わった。

そして、まもなくリディーとスールのお父さんは、お母さんと結婚。

リディーとスールが生まれて。

ルーシャはどんどんしっかりしていった。

窶れたリディーとスールのお母さんに。ルーシャは頼まれる。

あの子達をお願い。

ルーシャは決意を込めて頷く。

何があっても。

何が相手でも。

双子を守り抜くのだと。

ルーシャは首を横に振る。

恥ずかしいというのだろうか。

「ルーシャ」

「……」

「もう、謝るのはしないよ。 今のルーシャは、スーちゃんとリディーの誇りだよ。 それだけ言わせて」

「ありがとうございます……ですわ」

気持ちは分かる。

ルーシャはきっとだけれど。

リディーとスールを守れていない現在の自分を恥じているのだろう。

それは悲しい事だと思うけれど。

だけれども、そもそももう一人前に位置する錬金術師にまでなっているのだ。

今度はリディーとスールが。

今まで散々掛けた迷惑の分、ルーシャを助ける。

それについては、リディーとスールは。最近意見が対立することも起きる様にはなってきたけれども。

一致した見解だった。

そして、次で例外が来る。

リディーとスールのお父さんの記憶だった。

お父さんは、兄。ルーシャのお父さんの苦悩を見ながら育った。無能な庭園王と、その腰巾着達。

どうしようもない国政。

打つ手が無い程に腐敗した社会と国家。

板挟みになって、家族を守るために苦悩する兄。

その上、才能はお父さんの方に持って行かれてしまっている。その過程で、どれだけ兄が侮辱されたか。お父さんは哀しみと共に、それを見ていた。

俺が少しでも負担を減らさなければならない。

そう思ったお父さんだけれども。

どうしても宮仕えには向いていない。

だったらラスティンとの人脈を作りたい。

そう考えて、公認錬金術師試験を受けに行った。

ラスティンに辿りつくだけでも命がけ。

崩壊したインフラを、何とか辿りながら王都まで行く。推薦状が必要だと、ラスティンの街の一つで公認錬金術師に聞かされて。それで大慌てで推薦状も集めた。本当に見切り発車で。

いつ死んでもおかしくない旅路だったのだ。

その過程で、お父さんは知った。

自分が天才などでは無い事を。

記憶が一旦途切れる。

プラフタさんが、腕組みして考え込んだ。

「これは初めてのケースですね。 今のは?」

「私とスーちゃんのお父さんです」

「ああ、なるほど」

プラフタさんは多分お父さんの顔を知っている筈だが。

此処は話を合わせておく。

その方が良いだろう。

リディーに目配せしたのが効いて。リディーは、ちゃんとそういう風に取り繕ってくれた。

「この様子だと、この場にいる人間の家族の話も記憶として出力される可能性が高そうですね」

「……何か利用は出来ないです?」

「記憶の探り出しであれば、別に錬金術の道具を使えば良いだけの事。 わざわざレンプライアだらけの場所に来る必要などありませんよ」

「なるほど。 確かにその通りなのです」

そういえば、裁判などでは。

そもそも偽証を避ける為に、記憶の引き出しを行うケースがあるという。

捕獲した匪賊を特定する場合にやっているのをスールも見た事があるが。

確かに裁判でそういうものが使われるとなれば。

抑止力にはなる。

少し考え込んでから、プラフタさんは探索の続きを促す。

此処までの過程で。

既に二度の休憩を挟み。

次の調査地点を見に行った後には、眠りたいくらいには疲労していた。物資も少しずつ、確実に減っている。

だがプラフタさんはさくさくと砂漠を踏みしめながら平然と歩いている。

この人、想像以上に厳しいかも知れない。

ほどなく、次の記憶が出現する。

さっきの話の続きだ。

リディーとスールのお父さんが、公認錬金術師になって戻ってきて。最初に接触したのは騎士団だった。

まだこの時代は先代騎士団長が健在で、お父さんに騎士団長が直接会いに来た。流石に恐縮するお父さん。

何しろあの雷神を倒した伝説の英雄である。ネージュと一緒にこの人が戦わなければ、雷神には勝てなかったのだ。

騎士団長はパレードなどで姿をスールも見た事があったが。

ヒト族の四倍の上背を持つ、魔族のレア種族である巨人族は。流石に圧巻。

武を体現するような姿だった。

騎士団長に頼まれて、多くの装備の更改を頼まれるお父さん。言われるままに、身につけてきた技術でどんどん騎士団の装備の更改をしていく。プラティーンなど、加工できるものや、お薬も納入する。

ナイトサポートも。

実はナイトサポートの作成コストを三割ほど下げたのがお父さんだと、この時の記憶を見て知った。

昔は作り方の過程に無駄があったのだけれど。

お父さんがその無駄を発見。

お薬として更に完成度を上げたのだ。

騎士団とお父さんとの間にはつよいパイプが出来。

そして、それはお父さんのお兄さん。つまりルーシャのお父さんの立場を強くする事にもつながった。

お父さんが安堵する中。

元気の良い、若い女性と出会う。

ああ。

そうか。

これが、若い頃のお母さんか。

綺麗な人だ。騎士団として、ヒト族としては最強の騎士の一人、ともこの時代から言われていたらしい。

キホーティスさんの若い頃らしい人も少し映った。今では愉快で物わかりが良い有能な騎士だが。当時は堅物だったようで、どうもお父さんとお母さんの中を良く想っていなかったらしい。

うちには人材が足りないんだ。そう過去の映像では言っている。

どうやら騎士団でも、これほど有力な騎士を結婚退職させるのは惜しいと判断していたようである。

いずれにしても、二人は恋に落ち。

やがて多くの祝福の中結婚した。

結局は、キホーティスさんも納得した様子だ。騎士団長は、結婚式にも顔を出し、有望な騎士の未来を祝福した。お父さんが恐縮している姿が初々しい。お母さんは常に堂々としていた。

リディーとスールが生まれて。

ヴォルテール家の立場も良くなって。

何もかもが上手く行くようにさえ思えた。

しかし、幸せは長くは続かなかった。

後の悲劇は、目を背けるようだった。

ナイトサポートの改良実績もあり。むしろ薬の作成を得意としていたお父さんが、何をやってもお母さんの病気を治せなかった。

癌だと気付いたときには手遅れ。

やがてお母さんは天に召され。

そしてお父さんは。

怖くて錬金術ができなくなった。お酒に溺れて。ぼんやりと、何もできずに蹲ってしまうことになった。

スールは涙を拭う。

こんな状態になったお父さんに、どれだけの暴言を浴びせてきたか。本当に、本当にどうしようもない馬鹿だった。

リディーも涙を拭っている。

どうしてこの時に。寄り添ってあげられなかったのか。

だからずっとお父さんは、孤独の中彷徨い続けたのではないか。

しばしして。

プラフタさんがいう。

「もう少し調査を進めたら、切り上げましょう」

「分かりました……」

「気持ちを切り替えなさい。 貴方たちの様子を見れば分かりますが、既に周知の事実の筈です。 今此処でするべきは、怪我をせずに生きて帰ること。 違いますか?」

「プラフタさん、流石にそれは……」

マティアスが助け船を出そうとしてくれるが。

視線を向けられただけで黙り込む。

何となく、プラフタさんという人が分かってきた。

この人、多分自分というものにたいして、痛みをどれだけ浴びせられても何とも思わない人なのだ。

他人の苦しみは分かる。

苦しんでいるのは分かる。

だけれども、自分自身は何をされても基本的に平気。

だからこそなのだろう。

他人に対してもとにかく厳しくなりがち。

ひょっとして、だけれども。

或いはそれで手遅れになった事が、何度もあるのではあるまいか。

憶測で推察してしまったけれど。

あくまでそれは憶測だ。

言われるまま砂漠を調べて、また記憶を引き出す場所に出る。

今度は、オイフェさんだった。

ちょっと驚く。

オイフェさんの世界は、灰色だった。

一つだけの言葉は、時々脳裏で繰り返される。それだけである。

ルーシャに対して。

従い、支えよ。

それだけ。

灰色の人だなとは思っていたけれど。これほどまでだとは思わなかった。背筋が凍るかと思った。

オイフェさんは、それを見ても何とも思わない。ルーシャも何となく事情を知っている様子で。

特に自分の忠実な護衛に対して、何かを言うことは無かった。

気まずい中、一旦撤収する。

プラフタさんの調査がかなり手際が良かったこともあり、もう一回、砂漠に入れば調査は完遂できそうだ。

また、砂漠を調査している過程で。

鉱石の類は、かなりたくさん拾う事が出来た。

特に記憶が呼び覚まされる場所の近くには。高純度のプラティーン原石だけではない。多くの貴重な鉱石が散らばっていた。

ハルモニウムの材料となる竜の鱗は既に充分な量を確保できている。

ならば、今度はプラティーン作成の腕を上げていって。

もっとマシなものを作れるようにする。

それが先だ。

「物資の消耗、どれくらいで補給できますか」

「ええと、四日もあれば……」

「わかりました。 それでは五日後に再集合で。 次の探索で、この砂漠の調査を終えましょう」

プラフタさんが、巨碗を何処かに格納。

拡張肉体とは便利だ。

手を叩いて解散、と宣言して。

皆それぞれ帰路につく。

リーダーシップをとってくれるのは有り難い。リディーは元々リーダーシップをとるのに向いていない。それはリディー自身が、時々スールにぼやいたりもするくらいだ。

とはいっても、スールはもっと向いていない。

かといって、マティアスはリーダーをやりたがらないし。

アンパサンドさんは立場が微妙すぎる。

フィンブル兄が、スールの頭にぽんと手を置くと。帰るぞと言ってくれたので。ぐるぐる回る思考からは解放された。

もう全自動荷車は、力仕事を必要としないので。後はそのまま流れで解散する。

回収した素材もルーシャと文句なく分け合ったし。

これでいい。

アトリエに戻ると。

お父さんが、貴重な素材を使って、高度なお薬を作っていた。

何でも昨日(缶詰状態でリディーとスールが不思議な絵を探索中)、王城に出向いて。

必要な薬を作る事を交渉してきたらしい。

役人はロジェ=マーレンの実績を知っていたからか。

すぐに喜んで、依頼をして来たそうだ。

片手間に作ってはいるが。

それにしても凄い腕だ。ぱっぱと仕上げていく様子はある意味芸術的ですらある。

天才、と呼ばれたのも、無理はないことなのだろう。

お父さんは謙遜していたが。

「よし、こんな所だな……」

釜からお薬を引き上げ、瓶に詰め始める。

これだけの高度な薬をホイホイと作れる腕前。リディーとスールが勝てたのが、奇蹟だとしか思えない。

「分量のダブルチェックを頼めるか」

「試用はいいの?」

「俺が散々作った薬だ。 必要は無いさ」

「そう、なら……」

二人で重さ、量を確認。

更を瓶をちゃんと蒸留水で洗ったかも確認。お父さんはしっかり洗ってあると、頷いてくれた。

なおお父さんも、最近は蒸留水を作ってくれるので。

非常に手間暇が減って助かる。

蒸留水の作成は、案外手間暇が掛かる物なのである。

「全自動荷車を借りるぞ。 納品してくる」

「行ってらっしゃい」

「ああ」

お父さんは、だいぶ顔も晴れやかになっている。確実に立ち直りつつあるのだろう。

また、研究も進んでいる様子だ。

ため息をつくと、今度は爆弾とお薬の補充を手分けして開始する。

そろそろ、もっと強力な爆弾を作りたい。

というのも、今の状態で無茶な仕事をさせられていくことになると。どうせドラゴンとの戦闘を想定しなければならないからだ。

現状、バトルミックスを用いても、ドラゴンを確殺出来る爆弾はない。

ドラゴンのブレスの火力を考えると、戦闘は出来るだけ短時間で終える方が良いはず。

海竜との戦闘で思い知らされたが。

ドラゴンは戦術を知っている。

知能はないらしいのだが。

少なくとも、下手な人間よりも遙かに高度な戦術を使いこなしてくる。獣としての勘も鋭い。

つまり戦いが長引けば長引くほど不利になって行く訳で。

戦闘では。それこそ一撃必殺の火力を持つ爆弾を作りたい、というのが本音だ。

今、イル師匠に相談したり。

或いは見聞院に足を運んだりもしているのだけれども。

どちらも決定打がない。

イル師匠は今までの知識を応用しなさいと、ごくまっとうな話をしてくるし。見聞院にあるのは、それぞれ完成形の爆弾ばかり。要するに、量産を前提とした爆弾であって。ドラゴン戦を想定したようなものはない。

勿論、凄腕の錬金術師がそれらのレシピに沿って爆弾を作れば、当然ドラゴンにも有効打を与えられる爆弾を作れるのだろうが。

残念ながら現状のリディーとスールにそれは無理だ。

結論としては、腕を磨くしかない。

そういう事である。

黙々と爆弾とお薬を補充しているうちに、お父さんが戻ってくる。金貨の袋を無造作に渡すと、地下室に。

ちょっとひやりとしたが。

すぐにレシピを持って戻ってきたので、少し安心した。

家にいないか、地下室に籠もりっきり。

お父さんがああなったのは、お母さんの悲劇が原因だけれども。リディーとスールにも責任はある。

だから、今はもう。

同じ事が、繰り返されないことを祈るばかりだ。

疲れも溜まってきたので、スールが出来合いを買ってくる。

そして、皆で夕食にした。

「まだ店売りの方が美味しいな」

「もう、お父さんったら」

「当然だよ」

「……そうだな。 店売りより良いものをお前達が作れたら、外食産業の人達が食いっぱぐれてしまうからな」

リディーは相応に家事が出来るが。

流石に店売りより良いものが作れるとはうぬぼれていない。

お父さんはあるいは、そうやって釘を刺してくれたのかも知れない。

そういえば、だけれど。

昔からお父さんは、滅多に怒らない代わりに。怒るとお母さんよりも怖かった記憶がある。

これから、ちゃんとしたお父さんになろう。

今、そう思っているのかもしれなかった。

勿論、リディーとスールも、もうそろそろ子供ではなくなる。

つきあい方には、今までとは違うやり方が必要になるだろう。

その辺りは、シスターグレースにでも相談してみるのが良いかも知れない。

夕食を終えると。後はすぐに眠る。

お父さんの過去を見た事は、言わない。

リディーと帰り道、話しあって決めた。

砂漠の記憶で見たけれど。お父さんはお母さんに、不器用なプロポーズをして。そして快諾されていた。若い頃のお母さんは、とにかく綺麗だった。

お父さんはそういう意味では人間で。

人間を止められなかった事が、イル師匠やフィリスさん、それにソフィーさんのような人外の域に達した錬金術師になれなかった理由でもあるのだろうと。

才覚はどうかは分からない。

ともかくお父さんは、人間だった、と言う事だ。

リディーとスールは、それではいけない。

やろうと思った事がある。

この国一番のアトリエになって、それから何をしたい。

聞かれて、気付いた。

そもそも、この世界みんなのために、誰かが動かないといけないのだと。

ミレイユ王女はとても良くやっているけれど。

それは人間に出来る範疇で、だ。

リディーとスールは、驚天の神技である錬金術を極めることによって、この世界を根本から変えたいのだ。

「ねえ、スーちゃん」

「うん……」

「まだ起きてる?」

「うん」

リディーが眠れないのか、話しかけてくる。頷きながら、話を聞く。

「時々、聞くんだよね。 破壊神フィリス=ミストルート。 創造イルメリア=フォン=ラインウェバー。 特異点ソフィー=ノイエンミュラー。 これってひょっとして、そのまんまの意味なんじゃないのかな」

「神に等しい力って事?」

「ううん、世界に対する接し方って事」

「!」

そうか。

確かにフィリスさんの豪快極まりないインフラ整備。あれは世界に対して、「破壊の力」を振るっているに等しい。

イル師匠の理論的な錬金術。

あれは世界に新しい道筋を創造しているに等しい。

そして、ソフィーさんの凄まじい力。あれは、文字通り特異点として君臨する力だ。

二つ名ではなく。

世界に対する三傑の存在そのものだったのか。

「もしも、力が欲しいと欲するなら……」

「そうだね。 何か、具体的なビジョンが必要なんだろうね」

だとすると。みんなのためにというのは基本として。

リディーは変革。

スールは選抜、だろうか。

いずれにしても、まだ全然力が足りない。今後も話しあって、考えて行かなければならない事だ。

それから少しだけ会話をして。

後は眠った。

今は休息が必要だ。

それは、分かりきった話だった。

 

3、砂漠の奥に

 

荒野を、二人の子供が彷徨っていた。

二人ともボロボロの服を着て。

一人は酷い皮膚病で、見ているだけで悲しくなるような姿だった。

ぞろぞろと群れを成して歩いている人達。

ネームドなどに街がやられると。街道をこうやって人が逃げ惑うことがあると聞いた事がある。

だけれども、これは。

ずっと荒野を彷徨っているのが普通、という雰囲気。

ひょっとして。ずっとずっと昔の光景なのか。

生唾を飲み込むリディーとスール。

言われた事を思い出す。

500年前。

この世界には、秩序そのものが存在しなかった、と。

そんな世界では、こんな風に人々はボロを纏って、凶悪な獣が徘徊する荒野を歩き回り。

そして命すらつなげずに、死んで行ったのではあるまいかと。

光景が切り替わる。

偶然手に入れた本。

タチが悪いけれども、字が読める男。

男にものを貢いで、字を読めるようになった二人の子供は。

必死になって本を解読していく。

それは錬金術の本。

ほどなく、二人は錬金術を身につけ。

そして集落の中で、敵性勢力を撃退し。けが人を助ける。そんな中核的な役割を果たすようになっていった。

だが、容姿がそれでものをいうようになった。

美しく育った女の子の錬金術師。

多くの病気で、とにかく周囲から見て「醜かった」男の子の錬金術師。

二人は非常に仲が良く、文字通り比翼として活動していたのに。

周囲は女の子の錬金術師には神に接するように崇め。

男の子の錬金術師のことは徹底的に馬鹿にした。

目を覆いたくなる。

これが現実だ。

そして、誰の過去なのかも大体分かった。

女の子の方の瞳に星があるからだ。

やがて、二人のおかげで集落は安全になり、大きな街になって行くが。その過程で、どんどんろくでもない人間が流入し。

やがて女の子の錬金術師は政略に利用されるように。

男の子の錬金術師は、そいつらにとって邪魔と判断されるようになった。

暗殺者が送り込まれた。

記憶が切れる。

「アルト、これ一体……」

「さあ?」

マティアスが聞くが。多分、マティアスだって分かっている筈だ。これはアルトさんと、プラフタさんの過去だ。

アルトさんが、嫌みな程に美形で。

それで女の子を相手にもしない。

その理由が分かった気がする。

こんな経験をすれば。

それは徹底的に人間嫌いにもなる。はっきりいって、リディーやスールだって、この場にいたら、周囲に迎合していたかも知れない。

見ていて痛々しいほどの皮膚病と異形。

錬金術の才覚は確かに見ていて互角に思えた。

それなのに、周囲の扱いは正反対。

二人は互いに理解し合っていても。

これでは、おかしくなるのも当たり前だ。

無言でプラフタさんが調査を続ける。

その過程で、他にも色々な記憶を見た。

ルーシャのお父さんの記憶。

凡才と言われた錬金術師。無能な王とその取り巻き、錬金術の装備が足りずに多くの死傷者を出している騎士団の板挟みになり。苦悩し続けた人の苦悩。

何度も手首を切ろうとして。

そして、ルーシャが悲鳴を上げてその場で顔を覆って蹲ってしまった。

すぐにルーシャにリディーが駆け寄って、抱きしめるけれど。首を横に振るばかりで、ルーシャは正視できないというのだった。

元々無理をしているのだルーシャは。

こんな光景を見せられたら、それこそたまったものではないだろう。

イル師匠の昔の光景。

フィリスさんと。そう、目が濁っていない、優しくて正義感も強かった頃のフィリスさんと一緒に戦っている姿。

だが、フィリスさんは目に見えて分かる程の天才。ギフテッド持ちであり、しかも才能を鼻に掛けず努力を続け、機会にも恵まれた。

本来なら、同時代に何人も存在し得ない天才。

文字通り輝ける星だ。

それに比べて、努力家で知識もあるとは言え、所詮凡人のイル師匠は。ずっと苦悩し、嫉妬し続けてもいた。だけれども、その愚かしい自分を必死に押さえ込み。自分が勝つために、それこそ血がにじむ努力を続けていた。

それは論理の権化になる訳だ。試行錯誤を、誰よりもこなした人なのだから。

血を吐くような光景ばかりが現れる。

今度は、多分マティアスつながりだろう。

ミレイユ王女の記憶だった。

無能そうな、眠そうにしているおじさん。

着飾っている様子からして。

コレは恐らく。先代庭園王だろう。

武門の王とは名ばかりの男で。

騎士達が命を賭けて人々を守っているのに、前線に出て指揮をするとか鼓舞をするとか一切せず。

それどころか、騎士団の予算を削って庭園趣味に王都を改造。

元々あった強力な獣への備えなどを、庭園趣味に沿って排除したり。

場所によっては、王都を守る森まで斬り払おうとしていたらしい。

王妃との仲も冷え切っていて、佞臣達が用意した側室を、毎日名前も知らずにとっかえひっかえ。

文字通り、国を滅ぼしかねない無能だった。

ミレイユ王女はまだ幼かったのに。

その現実を目の当たりにする。

そして其処に現れたのが。

深淵の者達だった。

元々深淵の者は王宮にかなりの影響力を持っていたのだが。流石にこれは目に余ると判断したのだろう。

利害が一致したミレイユ王女と、元々宰相を務めたこともある人物を中心とした深淵の者達は連携。

佞臣を根こそぎに粛正。佞臣と連んで暴利を貪っていた悪徳商人もまとめて粛正。更にそいつらと連んでいた賊も根こそぎ処理。

更に王を幽閉した。

庭園を造りたい。

醜い王都を美しい庭園都市にしたい。

そうわめき散らす先代王を、文字通り幽閉したミレイユ王女の目は冷え切っていた。血の粛清はしばし続いたが、勿論佞臣も黙っておらず。ミレイユ王女を暗殺しようとしたり。よりによって深淵の者の関係者に暗殺者を送ろうとさえした。

下手をしたら、アダレットは一度焼け野原になっていたかも知れない。

ともかく、ミレイユ王女の尽力によって、アダレットに巣くっていたゴミ共は処理され。今は墓の下か、海の底か。生きている場合も権限を全て奪われた上で、閑職に回されている状態である。

記憶が消えた後。

マティアスはぼやく。

「俺、あの時何もできなかったよ」

沈んだ口調。

誰も、それを責めなかった。

マティアスには、佞臣が接近し。ミレイユ王女に代わる旗頭にしようと当然工作を仕掛けていたが。

それを見越したマティアスに。

ミレイユ王女は、先に言っていたのである。

暗愚になっていろと。

周囲から馬鹿にされるほどに暗愚な様子を演じていろと。

それは弟に対しては、あまりにも過酷な言葉であるかも知れない。

マティアスは、今ではスールも知っているけれど。努力家で、自分がミレイユ王女に及ばないことを知った上で、出来る範囲で出来る事をやっている人物だ。騎士としては、既にもう騎士一位の名前に負けていない実力も持つ。

捨て扶持として騎士団に置かれているマティアスだけれども。

少なくとも一戦士としての称号、騎士一位としては、もう既に申し分ない実力だと、あのアンパサンドさんが保証しているのを何回か見ている。

政治家としての能力はないかも知れない。

だが、有能な姉に嫉妬せず。嫉妬したとしてもその心を押さえ込み。

そして、全てを良い方向に動かすため。

バカ殿になる事が出来る人物でもある。

はっきりいって、何も考えないで、自分の主観で相手の良し悪しを決めつけたあげく。心の底から馬鹿にしていた昔のリディーとスールとは、その頃からして雲泥である。

だから、スールは言う。

「マティアス、ミレイユ王女は英雄で、凄く良い王様だと思う。 でも、マティアスは立派な騎士で、一緒に仕事が出来るのが今のスーちゃんの誇りだよ」

「すまないな、スー。 ありがとうよ」

「……もう少し探索を進めましょう。 少し厳しいですが、これで大まかな情報は明らかになる筈です」

此処は戦地だ。

そう、静かにプラフタさんはたしなめているように思えた。

その通りだ。

まだまだレンプライアは湧いてきている。

もたついていたら、多分不意を打たれるし。

或いは戦闘で無駄に消耗する。

戦闘は精神論では勝てない。

戦力が欠けている状態では、どうしても無駄な被害が増える。

それはスールも、戦場に立って良く理解出来ている。

プラフタさんの言葉通り。

今は可能な限り、戦地での調査を早く終わらせて、そして安全な場所で話すべきなのだ。

黙々と砂漠を歩く。

先頭にいるアンパサンドさんが、ハンドサインを出してくる。

どっと、しかけてくるレンプライア。

よくもまあ、次から次へと湧いてくるものだ。本当に、何処にこんな数が潜んでいたというのか。

しかも、左右から、2時10時の方向から、どっと押し寄せてくる。

砂丘の影に潜んで気配を消していて。

待ち構えていた雰囲気だ。

勿論後退する。後方は既に調査済み。そっちにまで回り込んでいる可能性は小さい。後退しながら、乱戦になりつつも敵を引きつけてくれているアンパサンドさんに時間稼ぎを頼みつつ。

敵を一掃する準備を整えるが。

しかし、直後。

事故が起きた。

砂丘を乗り越えて、無理矢理に一体が、至近距離に躍り出てきたのである。

それも、下半身がない大きい奴。

サイズも特大である。

口に当たる部分を開くそれ。

それだけで、次の瞬間、特大威力の魔術が飛んでくると分かる。腕を振り下ろすだけで魔術を発生させるような奴である。

まずい。対応が、間に合わない。

即応したのは。

マティアスだった。

跳躍して、相手が魔術をぶっ放す前に、口に剣を突き立てていた。

あれは、空中に足場を作って、空中機動したのか。

確かに靴にその機能はつけていたが。

アンパサンドさんじゃあるまいし。マティアスも、凄く影で努力していたというのか。

負けていられない。

一瞬遅れて、スールもマティアスの至近に躍り出ると、レンプライアに至近距離から魔力の籠もった弾丸を連射連射連射。

のけぞるレンプライア。

剣を引き抜きつつ、けり跳ばすマティアス。

その先には、既にルーシャが、全力砲撃をぶっ放していた。

怨念の声を上げながら、光に消えていく巨大レンプライア。更にとどめと、スールがフラムを空中で放り、バトルミックスで起爆。

砂丘が文字通り消し飛んだ。

流石にレンプライアでは、今の怒濤の攻撃に耐えきれないだろう。

更に、乱戦の上空に出ると。

上空から、レンプライアの頭を次々撃ち抜いていく。

勿論レンプライアだ。即死しない奴もいるけれど。アンパサンドさんが、隙を見計らって飛び退けるほどの時間を稼げる。

其処に、プラフタさんが、極太の魔術砲をぶち込み。

敵を文字通り掃討した。

更に生き残りを、フィンブルさんとオイフェさんが一気に仕留め。

わずかに逃げようとしたものも、アルトさんが片付けた。

着地。

砂の一部が溶岩になっている。

今のプラフタさんの砲撃が、それだけ桁外れだったと言う事だ。大きめの砂丘が、砲撃の先で消滅しているのも見る。

冷や汗である。

アルトさんより実力を出しているだろうとはいえ、まだまだ手加減しているはず。

それでも、とても勝てる気がしない。

それに、この人は。

アルトさんが、数百年前から。恐らくは、500年以上前から。秩序のない世界を知っている事を考えると。

「戦闘の後始末を」

「はいっ!」

アンパサンドさんに声を掛けられて、慌てて虚脱から引き戻される。

すぐにレンプライアの欠片をまとめ、けが人を確認。

物資も。

アンパサンドさんは、一瞬だが二十近い数のレンプライアを同時に回避盾で引き受けてくれていたので。当然ながら、かなりの手傷を受けていた。

接近するだけで手傷を受けるあの翼鎧も、その中には混じっていたのだ。

仕方が無い事だろう。

動きに支障が出るような傷は無かったが。

それは強化した装備品や、既に渡している錬金術製の服による強化を、アンパサンドさんが上手に使ったからである。

すぐに手当をする。

傷薬で溶けるように傷が消えるが。

一部の傷には砂が入り込んでしまっていたので。

水を使って傷を洗って。

更に殺菌した後、薬を塗らなければならなかった。

「痛くない?」

「痛いに決まっているのです」

「そ、そうですよね……」

「さっきの連携、見事だったのです。 このアトリエランク制度が終わったら、正式にアダレットに雇われてくれると助かるのです」

驚いて、手当の手が止まりそうになった。

リディーも目を丸くしている。

きょとんとした様子のアンパサンドさん。

この人は自他共に厳しいが。

故に評価するときはしてくれる。

とはいっても、こんなに評価してくれているとは思わなかった。ちょっと嬉しいかも知れない。

「そうなったら、アンパサンドさんとは同僚?」

「そうなるのです」

「アンパサンドさん、騎士隊長にはならないんだよね」

「そもそも隊の指揮をするのにはむいていないのです」

そうだろうな。

手当を終えると、最後の調査地点に向かう。傷も既に完治。残る物資を考えると、戦闘はもう何度も行えない。

少なくともさっきの規模の戦闘は、後一度で限度だ。

プラフタさんが、迷いなく歩き始める。

さっき手傷を受けても、全然アンパサンドさんは臆することも無く、すぐに先頭に立って敵の攻撃を真っ先に受ける立場に立ってくれる。

ならば、此方も。

それに答えなければならない。

無言で、後に続いて。

最後の地点の調査を開始。

幸い、もうレンプライアの大規模な攻撃は無く。

最後の地点で、よく分からない光景を見せられることになった。

顔をフードで覆った人。

既に姿は異形とかしている。

もう片方は、恐らく昔のプラフタさんだ。

瞳に星があるから分かる。

二人は、静かに。悲しい応酬をしていた。

「この世界には現在すらもない。 だから未来を消費してでも、今を生きる事を考えなければならない」

フードを被った人。

恐らくはアルトさんの昔だろう。

その人は、そんな事を言う。

だが、既に致命打を受けて蹲っているプラフタさんは、口から血を吐きながらも、答える。

「どんなに過酷な世界であっても、未来を奪うことはあってはならないのです。 ルアード、その禁断の技……根絶の力を使うことは絶対に許しません」

そして、プラフタさんは。

恐らくアルトさんの過去の姿に対して。

自爆特攻。

何が起きたのかは分からないが。

相討ちに持ち込んだらしかった。

アルトさんはじっと黙り込んでいる。

プラフタさんは、静かに目を背けていた。

「これで調査は終了です。 引き上げましょう」

「ああ、双子には後で話がある。 僕のアトリエに顔を出すようにね」

ぞくりとした。

アルトさんはいつも通り笑みを浮かべているが。

これはひょっとして、深淵の者の機密に触れたか。

さっきの光景。明らかに尋常なものではなかった。プラフタさんがあれだけ悲しそうにしているのもおかしかったし。

何よりも、あの自爆特攻。

どちらも無事で済んだとはとても思えないのである。

絵から出る。

点呼を済ませると、アンパサンドさんに、レポートを出すようにと、一言だけ言われる。同時に、アルトさんに咳払いもされた。

多分だが、深淵の者から見て、知られるとまずい内容があるのだろう。

後で話をするのかも知れない。

とはいっても、アンパサンドさんが大まじめにレポートを書いたとして、受理するのはアダレットだ。

其処まで深刻な話になるかは分からないが。

ともかく、である。

一度、アトリエに戻る。

二人、顔を見合わせたのは。

アルトさんとプラフタさんが、とても悲しい過去を背負っていると言う事が確実になった事。

そして恐らくは、世界の命運を担う戦いを、比翼の友ともいえる関係でありながら、しなければならなかったということだ。

秩序無き世界から。

深淵の者は此処まで秩序を作った。

その大いなる実績は誰にも真似できない。

でも、それには当然大量の血塗られた歴史もあった筈。さっきさらりと流されていた、ミレイユ王女の粛正劇もそう。あれだって、レポートに書いたら、国家機密に抵触しかねない。

アトリエで、回収した素材をコンテナに収めると。

頬を叩く。

リディーは、冷たい井戸水で顔を洗っていた。

多分、気分を転換すると言うよりも。

覚悟をするためだろう。

お父さんに、戻るのが遅くなるかも知れないと告げる。お父さんは、様子を見て、静かに頷いていた。

砂漠の探索はどうにかおわったけれど。

きっと本番はこれからだ。

アルトさんがとても怖い人だと言う事は、とっくに分かっている。

だが、だからこそに。

今、その真の姿と、向き合わなければならなかった。

 

4、深淵の長

 

アルトさんのアトリエには、先客がいた。マティアスとそれにアンパサンドさんである。

プラフタさんはいない。

あの人も相当に忙しそうだし、仕方が無いのかも知れなかった。

さて、何の話をされるのか。

覚悟はしているが。アルトさんは、まず最初にアトリエに押しかけてきていた女の子達を、多分催眠を使ったのか、全員回れ右させ追い返す。

そして指を鳴らして。

アトリエの扉を固定。

どうやら、異空間へと移動させたようだった。

というのも、窓から見える外の光景が、いきなり真っ暗になったからである。この人なら、それくらい出来てもおかしくは無い。

アンパサンドさんは、いつでも武器に手を掛けられるようにしながら聞く。

「レポートには国家機密になるような事は書かないつもりなのです。 それについては、ミレイユ王女に直接……」

「これをまず見てくれるかな」

蜜蝋付きのスクロール。

四人で見て。

げっと、マティアスが声を上げた。

ミレイユ王女の直筆。しかも印も捺されている。署名の上には魔術的措置もされていて。その高度さから、これが偽造では無い事がすぐに分かった。

「エテル=ネピカにて、記憶の引き出される地点を確認後、その地点には人が立ち入れないように処置をする。 なお、引き出される記憶についての詳細は、どのような資料にも残さないこと。 レポートへの記載も禁じる」

「……」

「そういう事さ。 そも、プラフタをなんで連れていったと思う? 場合によっては、君達を排除しなければならないからだよ」

ぞくりと、恐怖が背中を走った。

多分アルトさんは本気だ。

目を細めるアンパサンドさん。すっと手を横に出し、マティアス王子を庇うようにする。

上背が倍の相手を庇うアンパサンドさんに。

ふっとアルトさんは笑みを向けた。

「大丈夫、余計な事を口にしないことは分かっている。 それに、砂漠に入った面子は、君達以外は全員深淵の者関係者だ」

え。

それって。

つまり、フィンブル兄も。

そうか、もう。

深淵の者のスカウトを受けていたのか。

その方が、スールにはショックだった。リディーに、手を握られる。それで、やっと意識を何とか引き戻す。

くつくつと笑うアルトさん。

話を始める。

「昔の話だ。 あの記憶の通り、僕とプラフタは同志だった。 いや、血はつながっていないが、家族であり、比翼の友だった。 僕の本当の名前はルアード。 当時は醜悪のルアードとも呼ばれていた」

「醜悪って、おい……」

「酷い話、か? 星として輝くプラフタの側に僕がいることは、周囲の人間達の嫉妬を買ったのさ。 僕がどれだけインフラを整備し、疫病を根絶し、危険な獣を退治しても、彼らはその呼び名を変えなかった。 挙げ句の果てに暗殺者まで送り込まれた」

人間は、どうしようもない。

分かってはいたが。

何となく今理解出来たことがある。

この人はネージュに力を貸したが。

その理由だ。

自分と同じだったから、なのだろう。

ネージュよりも更に悲惨な境遇にも、スールには思えたが。

「世界も人間も駄目だと思った僕は、深淵の者を組織した。 プラフタとの喧嘩別れの後、僕も流石に思うところがあってね。 プラフタの言う通り、未来を奪ってはいけないのか、それとも未来を消費しても現在を作るべきなのか。 500年かけて深淵の者と共に世界に秩序を作りながら、情報と同志を集めていった」

まって。

そうか。いや、確かにそうだ。

今までの情報を総合する限り。

そう、ルアードというアルトさんの本当の姿は。

深淵の者の長。

世界を裏側から事実上動かしている組織の長にて。500年以上も、この世界に秩序をもたらすべく尽力している組織の指導者。

各地で匪賊を潰し。

危険なドラゴンや邪神を退治し。

インフラを整備し。

何よりも、そもそも秩序さえ無かった世界に、二大国を作り上げ、その体勢を安定させてきた最大の功労者。

それがこの人だ。

「ソフィーという究極の才覚の持ち主が現れて、深淵の者との全面協力体制が出来てから、一気に時代は動き始めた。 現在僕やプラフタをもしのぐ、本来だったら現れ得ない、神に等しい錬金術師が三人いることは君達も理解していると思う。 いわゆる三傑だ。 そしてソフィーは、更に二人。 世界の改革者となり得る錬金術師を欲している」

「それがこの二人だと?」

「ご名答。 そして深淵の者は、君達全員を有能な同志として迎えたい。 無論リディーとスーは未来の改革に必要な錬金術師として。 マティアスとアンパサンドは、有能な戦士としてだ」

生唾を飲み込む。

返答次第では。

即座に殺される。

アルトさんは余裕の様子。

まあ当然か。この場の全員を同時に相手にしても、秒で殺せるくらいの実力者なのだから。

「これより、深淵の者との連携体制をとることを了承して欲しい。 できるかい?」

「……深淵の者がこの世界に対して行っている計り知れない貢献については理解しているつもりなのです。 しかし、何を求めているのです? それが自分には分からないのです」

「ああ、目的次第によっては、差し違えてでもあんたを倒さなければならない」

震えながらも、マティアスが言う。

マティアスは、剣に手を掛けて前に出た。

リディーとスールを守るように。

でも、守られてばかりのつもりもない。

スールも、青ざめながらも、マティアスの隣に歩み出る。

「理由次第では協力するけど、理由次第では絶対に協力しない!」

「うん!」

リディーも、スールと意見を同じにしてくれるか。

此処で、殺されるかも知れないけれど。

それなら悔いはない。

ふふと、アルトさんが笑う。そして、答えてくれた。

「この世界は詰んでいる」

「どういう意味なのです」

「文字通りの意味だよ。 いいかい、大体あともっても三千年……何とか無理をすれば五千年ほどかな。 この世界は資源を使い尽くして滅びてしまうのさ。 僕達の目的は、それの回避だ」

絶句。

世界征服だとか、そんな事は目論んでいないことは分かっていた。だが、まさか。

生唾を飲み込む。

嘘をついているとは思えなかった。

「それを回避するには、「天才」では無理だ。 文字通り「天災」となりうるレベルの錬金術師が、案を出しつつ試行錯誤していかなければならない」

「まるで見てきたような言い分なのです」

「見てきたんだよ」

「っ!」

流石にアンパサンドさんも続けて絶句した。

この人が絶句する所なんて、初めて見た。

「ソフィーが僕達に協力するときに、僕達は君達が教会で崇めている神……創造の存在とアクセスした。 そう、パルミラと呼ばれる、この世界の創造主だ。 そのパルミラですら、この世界の詰みを打開できずにいる。 パルミラは人間に協力的な神で、今は此方と、綿密に打ち合わせながら詰みを回避するための作業を実施中さ。 そして歴史の転換点ごとに記録をとり、世界が滅びたらその時点まで巻き戻している。 パルミラの話によると、すでに9兆回。 僕自身も、そのログの一部は閲覧したし。 ソフィーは破滅の歴史を二十三万回以上、フィリス、イルメリアは一万回以上見て戻ってきている。 記憶も共有させて貰っているよ」

話が、大きすぎる。

とてもではないが、ついていけない。

気絶しそうになるのを、リディーが支えてくれた。

「いいかい、もうこの世界には、余裕は無いんだ。 待っているのは確実な滅亡。 僕達はそれを回避するために動いている。 全能に最も近い、この世界の創造神でもどうにも出来ない滅びをね。 ……今一度問おう。 協力は、してくれるね」

唇を噛む。

何となく理解出来てきた。

今までの異常な試練の数々。恐らく、この人達が仕込んできたものだ。人間を超越した錬金術師を育成するために。

そして今、リディーとスールに手札を開示したと言う事は。

そろそろ、手札を隠す必要がなくなった、という事である。

アンパサンドさんは、しばし考えた後、頷く。

「分かりましたのです。 そういう理由なのであれば、利害が一致する限りは協力するのです」

「アン!」

「この世界が理不尽なのに、怒りを覚えているのは王子も同じ筈ですよ」

「……そう、だな」

マティアスも剣から手を離す。

スールは呆然としていたが。

リディーが、手を握った。

「もう、ルーシャとお父さんをもてあそばないで貰えますか。 私達、精一杯努力しますから、だから!」

「……スーも同意見かい?」

「……はい」

理は相手にある。

スールは、頷くしか無かった。

アルトさんは、素直に解放してくれる。多分、あの砂漠の世界の探索そのものも、計画に織り込まれていたのだろうな。

そう、スールは察していた。

 

(続)