薄氷の器
序、古代の風景
エントランスに集まる。今回は、秘蔵の品である不思議な絵画を公開してくれるという話である。しかも、それを調査して欲しい、と言う事だった。
既に何人かは入っているのだが、調査は出来るだけ大人数で、しかも戦闘力が高いメンバーが良い。
先行調査した錬金術師は、そう結論したそうである。
誰だかは分からないが、多分三傑の誰かだろう。
いずれにしても、エントランスには、リディーとスール、マティアスさんとアンパサンドさん。フィンブルさん。ルーシャとオイフェさん。後はアルトさんが来ていた。
案内してくれるモノクロームのホム。
既に此処にいる四人の錬金術師は、全員がBランク以上である。
それを全員投入すると言う事は、余程これから調査する不思議な絵画が面倒だと言う事で。
リディーも覚悟は決めていた。
それは、何というか。
不可思議な砂漠のように見えた。
荒野を通り越して、砂漠になっている場所は、アダレットの一部や、ラスティンの辺境に存在すると聞いている。
実物は見たことが無いので、こんな感じなのかなと思うしかない。
奇妙なのは、無数の建物が砂漠から生えていて。
その全てが破損している、と言う事だった。
まるで廃墟が砂漠になったような。
砂漠に廃墟が飲み込まれたような。
その廃墟も妙で。
これが元々どんな建物だったのか分からないものばかり。
それどころか、空中には奇妙な球体が浮いていたりもする。
ふうんと、アルトさんが唸った。
「これは恐らく、相当に古い不思議な絵画だね」
「ご明察なのです。 これを調査して欲しいのです」
「……分かった。 何とかやってみよう」
不思議な絵画の調査には、錬金術師の側にも利がある。
とはいっても、これは相当に古い不思議な絵画と言う事は、強力なレンプライアの巣窟になっている可能性も高い。
真っ黒になっていないと言う事は、汚染されきってはいないという事だとは思うけれども。
油断はしない方が良いだろう。
まず、アルトさんが手を叩いて、衆目を集める。既に役人は戻っていった後である。
「僕が見たところ、これは500年前後前の不思議な絵画だね」
「500年!」
「アダレットの武王の時代なのです」
口々に驚くマティアスとアンパサンドさん。
頷くと、アルトさんは続ける。
「この時代より前には、大きな「秩序」というものが存在しなかったんだ。 たまに出現する錬金術師が集落を大きくするが、錬金術師が死ぬと集落は獣に壊滅させられてしまうし。 そもそも錬金術師は力に驕って好き勝手なことをすることも多かった。 空中に要塞を作って自分だけ安楽な生活を謳歌したり、或いは他の人間を奴隷化したり、とね」
「……」
確かに。
今は深淵の者という強力な抑止組織がある。だから、悪党の類は好き勝手が出来ないはずだ。
ソフィーさんは文字通りの魔人だ。あの人に、通常の倫理観念とかは通用しない。
だけれどあの人は悪党ではない。
少なくとも、何かしらの秩序のために動いている事は分かるし。そもそも、その秩序が何かしらの未来を指向しているのも確かだろう。
その過程で多くの血は流しているが。
少なくとも私利私欲のためでは無い筈だ。
しかしながら、ソフィーさんは魔人にしてそもそも例外。
錬金術師は人間の時点であまりにも力が強すぎる。
秩序無き時代に、錬金術師が暴威を振るったら。
たまに大きな集落が出来て。
それ以外は人々は彷徨い続け。
そして獣に襲われ、ドラゴンに焼き払われ。命を落とし続けるしかない。それは文字通り、地獄と言うのも生やさしい光景だっただろう。
秩序には、それほどに大きな意味と力があるのだ。
「これは、そんな古き時代の錬金術師の遺跡を描いたものと考えて間違いない。 だが、意図が読めないな」
「この絵画を描いた意図ですか?」
「その通りだ、リディー。 ともかく、意図が読めない以上、気を付けて中に入るしかあるまい」
それは全面的に同意だ。
皆に準備を確認して貰う。今回は、ルーシャは全自動荷車を二連にして持って来ているが。
それほどの大量の物資を運び込む事も。
搬入することもないと判断したからだろう。
すぐに、絵に入る。
入った場所は、砂漠のど真ん中。
早速周囲を警戒する皆。
どうやら、砂丘が連なっている中。点々と遺跡が、何処までも続いているらしい。
どこから何が現れてもおかしくない。
しかも足下が柔らかい以上、地下からの奇襲は、普段の野外より更に警戒しなければならないだろう。
足下に結界を展開。
これについては、前から考えていた事だ。バステトさんと相談して、完成させた。
最近はバステトさんに相談する事も減ってきたが、感知力を上げる結界を常時展開する魔術となると、流石に実戦を知っている魔術師に相談したい。今の装備類と衣服によるブーストであれば、この結界を常時展開するのは、やり方さえ分かれば難しく無い。
今回は砂漠と言う事で。
早速実戦投入である。
レンプライアの性質は分からない事も多い。それに不思議な絵画の中にも獣は出現する。
備えは、しすぎると言うことはないのだ。
アンパサンドさんは頷くと、若干下がる。
普段通り餌になってくれているのだけれども。
足下からの攻撃があった場合、リディー達錬金術師が対応するまでの速度と、アンパサンドさんの位置関係を見直した方が良いと判断したのだろう。
そのまま、ゆっくり歩いて行く。
砂漠の上、似たような光景が延々と続いている状態だ。
これは下手をすると、迷うかも知れない。
何か対策がいるかも。
ただ、絵から一瞬で出られる強みもある。それは生かさなければならないだろう。
浮かんでいる球体を見上げる。
空には太陽らしきものはなく。
影も球体の下にしか出来ていない。
これも小さな異世界である不思議な絵画だからこそ、出来る事なのだろう。
砂丘は出来るだけ避けて歩く。
これについては、一度アンパサンドさんが見せてくれた。
下手をすると、一気に埋まってしまう。
それくらい危ないものなのだ。
展開している皆を、リディーは常に確認しながら、ゆっくり進むが。不意に、フィンブルさんがハンドサイン。
全員が戦闘態勢に入る中、砂を蹴散らすようにして、何かが迫ってくるのが見えた。
蚯蚓のような奴。
何度か外で交戦した獣だが、それらと比べてもとんでもなくデカイ。ネームドに匹敵する程だ。
すぐにシールドを展開。
相手の出方を窺う。
蚯蚓のような獣は、凄まじい勢いで砂丘も瓦礫も蹴散らしながら進んでいたが、どうやら此方には興味がないらしい。そのまま、通り過ぎていく。
しばしして、シールドを解除。
進路上にいなければ襲っては来ないのだろうか。
「見てくださいまし」
ルーシャが声を上げる。
見ると、蚯蚓が吹き飛ばして行った瓦礫が、見る間に修復されていく。ただし、元の壊れた家屋に、だ。
なるほど、これは厄介かも知れない。
ぴんとしていない様子のスールに教える必要もあるだろう。
マティアスさんに頼んで、その辺の瓦礫を壊して貰う。
案の定。
マティアスさんの剛力で粉砕された瓦礫は、見る間に修復されていくのだった。
「あっちゃあ、こりゃあまずい……」
「え? どういうこと?」
「目印の類をつけられないって事だよ。 棒とか立てても、あの蚯蚓みたいな獣がうろうろしているなら、倒されちゃうでしょ。 それに瓦礫に印をつけても、すぐに消えちゃうだろうし」
「あ……」
やっとこの絵の厄介さが分かったか。
ともかく、これはまずい。
一度、マティアスさんが、アンパサンドさんを上空に投げ上げる。
マティアスさんの剛力が上空へ投げ上げると同時に、アンパサンドさんが跳躍。二人分の力を相乗効果で上げて、一気に躍り上がったのだ。
勿論着地地点にはシールドを用意する。
下が砂では流石にアンパサンドさんでも埋まってしまうからである。
シールドに降りてきたアンパサンドさんは(流石に柔らかく着地していたが)。首を横に振る。
「少なくとも、視界の範囲内には、特徴的なオブジェクトや地形は見つからないのです」
「迷子になってくれというようなものだな」
「一度出ましょう」
皆、異議無し。
リディーの合図と同時に、不思議な砂漠から出た。
エントランスに出ると、一旦靴に入った砂などを落とす。柔らかい砂だけれども。直接靴に入ると危ない。
これはアンパサンドさんに教えて貰った。
砂漠の砂は、鋭い。
柔らかくもあるけれど、それは空気を含んでいるからで。
靴などに直に入ると凶器になる。
だから、入る前に靴下をはいたのだ。最初は出来るだけ軽装でいこうともしたのだが、止めた方が良いとも言われた。
まず一旦エントランスを出て。
城の応接室を貸してもらう。
これくらいは、Bランクに上がっている今は、許可されていた。
「この間海中で使った使い魔の術、使ってみます」
「それもそうだけれども、まず周囲に何も無いのをどうにかしないといけないのです」
「はい」
「あとあの飛んでる球体だよね。 何だろあれ」
下手に触ると危ないかも知れない。
少し考えた後。
浮遊式避雷針を持ち込むことを考えた。
以前ブライズウェストに持ち込んだアレだ。まずアレを使って触ってみた後。マティアスさんに協力して登ってみて調べる。
他にも色々と考える。
靴について。
そろそろ錬金術製の布を作れるようになってきている。
木靴ではなく、皮と布を使って、強力な靴を作れるようになってはいるのだけれども。
本格的に、必要な人数分。足の保護と、能力強化を行える靴を揃えるべきだろうとも考える。
更に、である。
前から考えていた、フィンブルさん用の武器の更改。
皆への錬金術布の服の提供。
これを行って。
戦闘力の底上げをしたい。
これらをリディーが話すと。アンパサンドさんは、頷いた後聞いてくる。
「具体的に時間はどれくらい掛かるのです」
「浮遊式避雷針は、元々灯りにも改良したものがあるので。 そうですね、レシピを弄ってすぐにでも。 靴は鍛冶屋の親父さんに頼んで、数日以内に作ってもらいます。 材料については、此方で用意します」
皆の足のサイズについて確認。
マティアスさんは、鎧と一体化している靴。いわゆる脛当てをつけているので、必要はないという。
そうなるといつものメンバーに加えて。
ちょっと柔らかそうな靴を履いているアンパサンドさんか。
だがアンパサンドさんは、注文をもう一つつけて来る。
「靴底にはプラティーンを仕込んでほしいのです」
「……ちょっとまってくださいね」
考え込む。
強靭な獣の皮は幾つも仕入れている。強度はこれで充分だと思ったのだけれど。薄く加工したプラティーンを入れて、其処に魔法陣を仕込むのもありか。
薄くした所で、何しろプラティーンである。
魔法陣が踏んで潰れたりする事もあるまい。
むしろ、問題なのは足を圧迫する事だが。
これについては、靴底に直接プラティーンを仕込むのではなく、緩衝材をいれるか。或いは、プラティーンを複数の細かい板状にして仕込み、柔軟性を作るか。両者をセットにする方が良いだろう。
鍛冶屋の親父さんと相談はするが。
多分出来る。プラティーンの質も上がってきているのだ。出来るはずである。
「分かりました、それも数日以内に」
「後は服なのです」
「採寸をさせて貰えますか?」
「服の採寸なら、騎士団に情報があるぜ。 明日持って行ってやるよ」
だとフィンブルさんだけか。
丁度良い。
装備の一斉更改のタイミングだ。
それに、この砂漠。探索はそもそも尋常では無く難しいだろう。そもそも、何を目的に作られた不思議の絵画なのかもよく分からない。
しばらく黙って見ていたアルトさんだが。
アドバイスを幾つかくれた。
「浮遊式の避雷針を基にしたレシピだけれども、常に同じ方向を向くようにしておいた方が良いだろう」
「ええと、どうして?」
「スーちゃん、同じ方角を向くようにしておけば、ぐるぐる砂漠を回らなくても良くなるからだよ」
「あ、なるほど……」
スールは相変わらずこういう所は駄目か。
でも、スールはそのだめな所を認められるようにもなった。
「では一度解散なのです。 それと、次の探索の準備をする前に、近くの山の調査が入るかも知れないので、それは認知しておいて欲しいのです」
「山の調査?」
「あー、前に言ってたやつな。 この世界には、確認されているだけでも何カ所か変な気候の山があるんだよ。 ラスティンにもあるらしいが、アダレットにもある。 いつもかんかん照りに暑かったり、逆に雪が積もっていたりな。 今度調査を頼む奴は、雪が降ってる方だ」
「ひえ、何だか大変そう」
麓に街があるらしいが、その辺りは雪も無く。
山の調査はその環境もあって、あまり進んでいないらしい。
ドラゴンを見かけたという話もあるので。騎士団としては、三傑が彼方此方を調査したり、手を出せなかったネームドを駆除してくれているタイミングである今のうちに、調べてしまいたい、と言う事らしかった。
「優先事項としては、其方になるのです。 現在騎士団の部隊がイルメリアどのと一緒に別の場所の調査に出ていて、その部隊が戻り次第、調査に出て貰うことになりそうなのです」
「分かりました、服もあわせて急いで揃えます」
「優先順位としては、靴を先にして欲しいのです」
頷く。
あと、そろそろアンパサンドさんとマティアスさんの武器についても更改を考えたいのだけれども。
どちらも多分プラティーン製か、もしくは合金製だ。
業物というに相応しい代物で。
もしもこれ以上となると、ハルモニウム製の武器しか考えられない。
いずれにしても、今回の調査はこれでおしまいだ。
解散して、各自戻る。
お城の入り口で、アンパサンドさんに呼び止められる。
「家庭の方で色々あったと聞いているのです。 もしも厳しいようなのであれば、調査は別の錬金術師に頼むのですよ」
「いえ、大丈夫です」
「お父さんとは仲直りしました。 今は一緒に夕ご飯も食べています」
「そうですか。 それならば」
珍しい。
アンパサンドさんが気を遣ってくれたのは、初めてかも知れない。
いずれにしても、顔を見合わせてしまった。
アトリエに戻る。
収穫は無かったが、こればかりは仕方が無い。
やる事はいくらでもあるし。
これからは、公認錬金術師であるお父さんにアドバイスも貰える。勿論イル師匠の所にも足を運んで、アドバイスを貰った方が良いだろう。特に靴については、専門家に話を色々聞いた方が良い。
脛当てというのは、話を聞いたことがあるのだけれど。足にもの凄く負担を掛けるらしく。かなり高度な技術で作られているという。
多分今のリディーとスールに求められるものも、それくらいの高度技術の産物である筈だ。
ならば、プラティーンもたくさんいる。
それも、出来るだけ高品質な奴が、である。
お父さんはアトリエに戻ると、ずっと何かのレシピを真剣な表情で見つめていた。お酒が完全に抜けて、仲直りもしてから、お父さんは無精髭がなくなった。表情も、昔真面目に錬金術をやっていた頃のものに戻った気がする。
「帰ったか」
「うん」
「砂漠、何処まで行っても何にも無くて。 対策してから出直すことになった」
「そうだろうな。 だが、今のお前達ならどうにかなるだろう」
レシピを横から覗く。
お父さんはいやそうにはしなかった。
どうやら前にネージュに教えて貰った、不思議な絵の具を使ったもの。要するに不思議な絵画に関するものらしい。
お父さんは絵画の才能に関しては、いっぱしである。
これについては、実際に地下室で描いたものを見ているので断言できる。
だが問題は、錬金術でその絵画を変質させることが出来るか、で。
現時点では、中途半端にしか出来ていない。
「此方は俺がやるから、お前達は自分の事をしろ。 大丈夫、金を使い込んだりはしないし、簡単な作業くらいならお前達がいないときに片付けておく」
「そうだ、お父さん。 それで考えたんだけれど」
「何だ」
「お手伝いさん、雇おうと思っていて。 ヴォルテール家にはオイフェさん、それにイル師匠の所にはアリスさんって、優秀なお手伝いがいるでしょ。 家事だけでも手伝ってくれる人がいたら違うと思うんだ」
しばらくお父さんは黙り込んでいたが。
それならばホムが良いだろうと、一致した見解をくれた。
錬金術師の所で手伝うには専門的な知識がいる。大人のヒト族か獣人族、或いはホムが好ましい。
何にしても性格は真面目で無ければならないので。不正を絶対しない上に記憶力が良いホムが最適だろうとも。
「その辺りは二人で話して同じ結論が出たんだ」
「やっぱり親子だね、スーちゃん達」
「……そうだな」
少し寂しそうにすると、お父さんはレシピの研究に戻る。
リディーは夕食を早めに作り。その間に、スールがプラティーンを鋳造し始める。もう、お父さんは。
地下の住人では無く。
夕食も一緒にとってくれるし。
話をすれば、答えもしてくれる。
家族に戻ってきていた。
1、砂漠探索の前に
イル師匠の所に、リディーだけで顔を出す。
前はアリスさんに散々絞られていたのだけれど。最近は、授業の内容も高度になった一方で、非常に短くもなった。
ドラゴン戦をこなしたリディーとスールだ。
もう応用を幾らか覚えれば、授業は終わりだとも言われた。
それはそれで嬉しいのだけれど。
逆に言うと突き放されているわけでもある。
ちょっと不安なのは、隠せない事実だった。
授業が終わった後、靴のレシピを見てもらう。
イル師匠は、空間を移動する扉を使って、調査地点とアトリエを行ったり来たりしているらしく。かなり忙しいようだが。
それでもきちんとレシピを見てはくれた。
一瞬で、だが。
前やったように、時間を止めているのかも知れない。
「なるほど。 この浮遊式方向確認装置……浮遊式方位針とでも言うべきかしらね。 これについては、良い出来よ。 アレンジレシピとしては申し分ないわ」
「ありがとうございます」
「靴の方はちょっと工夫がいるわね。 鍛冶屋の親父さんは脛当てに関しても知識があるはずだから、アドバイスを聞きなさい。 具体的には……」
レシピの図面の何カ所かに、添削を入れられる。
頷いてメモ。
その話が終わった後。
イル師匠に言われた。
「もう良いでしょう。 レシピについては、自分で考えたものを使うようにしてかまわないわ。 もう前からそれが出来るだけの実力はあったし、試行錯誤も自分でするようにしなさい」
「ありがとうございます!」
「ただ、本当に難易度が高いレシピについては私の所に見せに来なさい。 今の時期が、一番大きな事故を起こしやすいのだからね」
「はいっ」
頭を下げると。
そのままアトリエに戻る。
レシピを修正。
アトリエでは、スールが機織り屋から引き取ってきたモフコットを仕上げている所だった。
仕上がっているプラティーンと、モフコットを幾らかとると、すぐに武器屋の親父さんの所に。
スールも一緒に行くと言い出したので。
作業を一段落させて。
それで二人で足を運んだ。
どうやら、今後想定している空中機動戦の際に靴が重要だと考えているらしく。
親父さんのアドバイスを聞きたいらしい。
それに空中機動戦が靴を利用して可能になるなら。
アンパサンドさんも欲しがるはずだ。
現時点で、アンパサンドさんは、強化された身体能力だけで回避盾をやっているに等しく。
事実ドラゴンのブレスが擦っただけで、かなり危ない状態になった。
あの時は、リディーとスールの力不足を実感したし。
アンパサンドさんが空中機動戦を出来るようになったら、その戦力は倍増する。プラティーンくらい、どれだけ突っ込んでも惜しくない。
イル師匠に、もうレシピは完全に好きにして良いと言われて。
スールも喜んだが。
しかし、試行錯誤はきちんとしろと言われた事も告げると。
意図は理解してくれた。
「要するに、まだ即座に完成品を仕上げられる実力じゃあないってことだね」
「うん。 今が一番危ない事故を起こしやすいとも言われたよ」
「そっか……」
「ともかく、やれることだけは全部やらないと」
雪山の探査、というのもある。
この後の事を考えると、装備関連はどれだけ充実させても損はしない筈だ。
武器屋に到着。
若い傭兵が、意気揚々と出ていった。きっと貯金したお金で、良い武器でも見繕って貰ったのだろう。
ちょっと心配になりそうな程だった。
親父さんは、炉の前で、遮光グラスをつけてハンマーを振るっていたが。待っていろと、声を掛けて来る。
集中して何かを仕上げていたらしい。
ほどなく、それが終わって、振り返った。
汗を掻いている親父さんは、満足そうだった。きっと会心の出来、と言う奴なのだろう。
「親父さん、来たよー」
「応、それで」
「まずこのインゴット見て」
Bランクの義務。
プラティーンの納入。そして、それは一定以上の品質でなければならない。鍛冶屋の親父さんは、その品質を見極めて良いと国に太鼓判を押されている人間の一人だ。だから、今ついでに見てもらう。
親父さんは即座に意図を察し。
差し出したプラティーンのインゴットを確認。
他に客もいたけれども。
親父さんは、うむと唸った。
「よし、腕を上げてきたな。 これなら国に納入できる」
「やった……」
「ただし、まだまだこの腕だと、ハルモニウムには遠いぞ。 そうだな、これよりもっともっと……倍は金属に触る時間を増やせ」
「分かりました」
厳しい言葉だけれども。
この人は本物のスペシャリスト。この街でも、戦う職業にいる人は、この人に頭が上がらない。
それほどの実力の持ち主なのだ。
だから、その言葉には千金の価値がある。
まず、同じ品質のインゴットを渡して、幾つか頼む。
フィンブルさん用のハルバード。
ついに合金では無く、プラティーン製のハルバードを作る時が来た。魔術への親和性が高い上に軽く鋭い。勿論錆びることもない。要するに強い。
インゴットを受け取ると、すぐに作ってくれると確約してくれる。
そして次に。靴の相談をする。
レシピを見せると。
少し考えた上で、親父さんは言う。
「これはイルメリア嬢のアレンジが入っているな」
「誰のアレンジかも分かるんですか!?」
「金属加工ってのはそれぞれの癖が出るんだよ。 例えばフィリス嬢の作る奴なんかは、金属が喜ぶようになってる。 賢者ソフィーの作る金属レシピは何回か見たが、あれは金属を従える造りだな。 イルメリア嬢のは、金属を理屈でねじ伏せる感じだ」
何を言っているのかさっぱり分からないが、親父さんには分かるのだろう。事実イル師匠のアレンジだと一目で当てたのだし。
リディーとスールのレシピはと聞いてみると。
まだまだ金属の理解が足りないと一蹴されたので。
ちょっと悲しかったが。
「いずれにしても、これを四足造れば良いんだな。 一つはホム用、一つは獣人族用、それでお前達用と」
「皮と布はこちらで用意しました」
「どれ。 ふむ……これなら良いだろう」
脛当てを出してきて。
親父さんが説明をしてくれる。
話を、客も聞いていた。
「良いか、靴ってのは堅ければ良いってものじゃなくてな。 足が関節と一緒に動くのを、阻害しないようにしないといけねえんだ。 高度な脛当てになると、魔術で足にあわせて自動で動くようになってる。 まあそんな凄い脛当ては、それこそ騎士の二位以上にでもならないと支給されないがな」
「貧しい人が履いている木靴って、あんまり足にも良くないんですね」
「ああ。 足を小石とかから守るためには役に立つが、あれは足を痛めるだけだ。 かといって布製毛皮製では強度や耐久力がたりねえ。 結局の所、色々妥協しながら、足を守りつつ、足と一緒にあるように作らなければならないのが靴、更に言えば靴と一体化した脛当てなんだよ」
頷く。
とても参考になる。
親父さんは幾つか見せてくれる。
小さな靴。これは、前にフィリスさんの所にいるホム。フィリスさんの血がつながらない妹であるツヴァイが使っていたものだという。
今は更に高度なものを使っているらしいが。
出来が良いので、引き取ったそうだ。
これは今回持ち込んだレシピと違って、防御能力を極限まで上げて、集中力も高める仕様にしているらしく。
ツヴァイが戦闘では、要所で一撃必殺の攻撃を叩き込むポジションにいたらしく。
それに特化した造りであると言う。
なるほど。
フィリスさんの所では、そんな風に活躍していたのか。会計の類は一手に引き受けているようだったけれど。戦闘でも、それこそ緻密な計算の末に、一撃必殺を最高のタイミングで叩き込むポジションにいた。
そういう事なのだろう。
装備品の支援があれば、戦闘ではホムも活躍出来る。
それが分かって、少しリディーは感心した。
そういえば、コルネリアさんも相当な武闘派だと聞いている。
或いは、同じような靴を使っていたのかも知れない。
「こういうのが見本だな。 文字通り、本人のための靴だ。 いずれ、この世界の皆が、こんな靴を履けるようになると良いんだがな」
親父さんは少し寂しそうに言うと。
大事そうに靴をしまう。
これはツヴァイのための靴。
他の誰のためのものでもない、と言う事なのだろう。
よく分かった。靴の大切さが。
全員の足のサイズを説明。
その後で、親父さんはまずは二人の分をと言って、採寸してくれた。
「申告より少し大きくなっているな。 調整しておくぞ」
「あ、はいっ」
「もうそろそろ背が伸びるのも終わる頃だが、まだちょっと伸びるだろうな。 このレシピなら対応出来るだろうが、子供向けの道具は基本的に採寸が必要になる。 レシピに柔軟性を持たせる事が出来るようになったらもう完全に一人前だ」
この人の言葉にはいちいち重みがある。
後は、任せて戻る事にする。
プラティーンを大量に預けては来たが、何、此処に強盗に入る馬鹿なんかいる訳がない。どうせ深淵の者と親父さんは何かしら関係があるだろうし。大体親父さんを怒らせたら、仕事なんて来るわけもなくなる。この街中の武闘派を敵に回すことにもなるだろう。考えるだけでも恐ろしい。
「うーん、まだまだなんだね私達」
「そうだね。 本当に、昔どうして調子に乗ってたんだか。 昔とは比べものにならないくらい力つけたはずなのに、頂は全然見えないよ」
「……そうだね」
頂が見えた時には。
多分二人とも、深淵の底で闇に包まれているはずだ。
ソフィーさんやフィリスさんのように。
きっとイル師匠も、表には出さないがそれは同じ筈。
事実、この間も。
霊薬を完成させた後の実験を見て。
ルーシャがとても悲しそうにしていた。
リディーは何とも思わなかったけれども。やはりその辺りから考えても、もうリディーもスールも壊れてしまっている、ということだ。
アトリエに戻り。
今度は服の仕上げに入る。
鎧の下に着る服だから、やはり湿気と温度調整が絶対に必要になる。更に、防御力を強化したりと、色々魔法陣を仕込みたい。しかしながら欲を掻いても、鎧の下に着込める服には限界がある。
色々考えながら、出来る分だけ下布を入れて行くしか無い。
スールには、浮遊式方向指示器を二つ、作ってもらう。
これはあの丸いのに触ったとき、壊れることを想定しての複数作成だ。
リディーは黙々と服を作る。
既にリディーとスールの分はあるので、後はマティアスさん、アンパサンドさん、フィンブルさんの分。
採寸のデータは後で騎士団からマティアスさんが持って来てくれるとして。
フィンブルさんの分は、自己申告通りすぐに作ってしまう。
使用人を雇うことについては、教会に相談しに行くとして。
別にそれは今日では無くてもいい。
今は少しばかり時間が足りない。
いつ国からの仕事が来るか分からない状況だ。
それも、インフラ整備よりもある意味厳しい、未踏の地の調査。
どんな危険な獣が出るか、知れたものではないし。
ブライズウェストに侵入したときと同じくらいの危険を、最初から覚悟しておかなければならないだろう。
それが終わった後にでも。
使用人を雇うことを考えれば良い。
お父さんもレシピに取りかかりっきり。
しばし三人が黙り込んでいると。
不意にノック音があった。
「おーい、リディー、スー。 いるかー?」
「はい、ちょっとお待ちください」
どうやら採寸のデータが来たらしい。
扉を開けて、マティアスさんである事を確認。細かいデータを受け取った後、頷いた。
これならば、一週間以内に、想定したものを全て揃える事が出来るだろう。
そう告げると、マティアスさんは少しバツが悪そうに笑った。
「あのな、良くない知らせが一つある」
「なんですか?」
「これから調査する雪山に、ドラゴンの目撃情報だ。 それも上級らしい」
「!」
上級。
しかも雪山に。
ちょっと最悪のタイミングという他ない。だって、あれだけ弱体化させた海竜でさえ、あの強さだったのだ。
しかも雪山と言う事は、恐らく空を飛ぶタイプのドラゴンで、海竜ではないだろう。どうすれば弱体化させられる。
ちょっと、想定できない。
「まともに戦う事は想定しなくて良いらしいが、ともかく行動を調査して欲しいと言うことだ。 そもそも、麓にある街も、お世辞にもインフラが良い状態とは言えないらしくてな。 場合によっては、街ごと引っ越すことも考えなければならない、ということだそうだ」
「街ごと……」
「三傑もあっちこっちでそれ以上の仕事をしてくれている。 本当に、200年前のネージュに対する愚行が、今でも彼方此方で爪痕を残しているって、王族として悔しく思う」
マティアスさんは、そう言って本当に悔しそうにしている。
多分この表情は、嘘ではないだろう。
ともかく、分かった。
「ええと、探索の予定は……」
「多分雪山が先になる」
「分かりました。 それに備えておきます」
時間に余裕は幸いある。
雪山について、見聞院で調査をしておくのもいいだろう。
イル師匠に話も聞いておきたい。
ちょっとばかり、色々とやる事が増えるけれども。
それでも充実はしている。
まだまだ伸びる。
力はつく。
それならば、これからも続けていきたいし。今後世界に抗う力を得られるのであれば。苦悩は無い。
マティアスさんが帰ると。
夕食を作る。
お父さんもきちんと一緒に夕食の卓を囲んでくれる。
そして、夕食後は、黒板を囲んで、明日について色々と話し合いをした。予定通りに行けば、雪山の探索までに時間があまる。その余った時間で、備えをしておきたい。とはいっても、イル師匠に話を聞く必要もあるし。イル師匠のアドバイス次第では、また色々と作らなければならなくなる必要も生じるかも知れない。
だが、別に話し合いは紛糾することも無く。
比較的穏やかに終わった。
静かに作業を終えた後。
静かに休む事にする。
お父さんが帰ってきて、やっとなんというか。
少しだけ、落ち着いた気がする。
壊れてしまったお父さんは、もうこれ以上壊れることは無いだろうと言う安心感もしっかりある。
後は、終わっていない事を一つずつ終わらせて。
それから。
いつの間にか、眠っていた。
眠れる日は眠るべきだ。
そうとも思った。
イルメリアは、杖を降ろす。眼前には巨大な剣で串刺しにされたネームド。山のような巨体を誇る猪も。今のイルメリアの展開するシールドを突破することは出来なかったし。降り注ぐ巨大な剣に全身を貫かれて、生きてはいられなかった。
どうしてこんなになるまで放って置いた。
怒鳴りつけたくなるが。
しかし、我慢するしかない。
何度周回しても。こういうネームド退治は気が滅入る。ラスティンもろくな状況ではないのだが、アダレットは輪を掛けて酷い。
本当にネージュを迫害した200年前の愚行が、大きなダメージを国中に残し続けたのだとしか言いようが無い。
当時のアダレット首脳は騎士団長を除き、度し難い無能だらけだったのだ。皮肉な話で、その大半がヒト族だったというのには乾いた笑いしか出ない。野心的である、というヒト族の特性が、どうしても種族混合社会の足を引っ張る。ホムは役人として理想的な存在なのに、野心がないから出世出来ない。そんな状況は、さっさとどうにかしなければならない。
王都ですら、深淵の者がしっかり手を入れなければ、陥落していたかも知れない。
このネームドを見ると、そう思う。事実200年前、ファルギオルを倒した直後の歴史書を見ていると、そうなってもおかしくなかった危険なネームドの記録が幾つも出てくるのだ。
深淵の者も、当時は今ほどの力はなかったから。
本当に極めて危険な存在の討伐しか出来なかった。
その結果がこれだ。
こんな巨大になるまでネームドを放置しているから、被害が出る。この巨大猪のネームド、殺戮の車輪は。今までに小さな村を三つ文字通り挽き潰し、住人を皆殺しにして喰らった怪物である。
戦闘力は小型のドラゴン並み。
大きさは、最大級の陸魚であるイサナシウス並み。
だが、それも。
今、過去の存在となった。
周回によっては放置したり、或いはフィリスやソフィーが仕留めたりする此奴も。今回はイルメリアが倒す番だった。
騎士団が生唾を呑み込み、立ち尽くす中。
とどめとばかりに、アリスが首を叩き落とす。
もう死んでいるが、それでも念のため。
ネームドはもう、摂理から外れている存在なのだから。
「解体を始めなさい。 消化器系は調査。 被害者の遺物が残されているかも知れないわ」「は、はい」
騎士団が動き出す。
従騎士の中には、吐いているものもいた。
血に当てられたのではない。
強烈すぎる、殺戮の車輪が放つ殺気に耐えられなかったのだ。情けないと一喝するのは簡単だが。
此処でより重要なのは。
二度とこういうネームドに成長するまで、獣を放置しない事である。
事後処理をアリスに任せた後。
騎士隊長と話す。
時々顔を合わせるキホーティスである。
ヒト族の騎士隊長だが、力量は高い。愉快そうな人物にも見えるが、騎士としての手腕は確かだ。
「騎士団の討伐を三度も退けた怪物を、こうも簡単に仕留めるとは……流石ですな、賢者創造のイルメリア」
「ネームドは放置すると際限なく巨大化するのよ。 こうなる前に、どうにかするべきだったわね」
「まことに返す言葉もない」
「いいのよ、少なくとも貴方のせいではないわ」
幾つか、後処理について話す。
巨大な深核が見つかったので、それは回収しておくが。強い魔力を秘めた毛皮や骨、それに肉などは、騎士団に譲渡する。
別にドラゴンの鱗など、コレを凌ぐ素材はいくらでもある。アダレットは今かなり経済的に苦しい状況で、それをアルファ商会から支援までしている。多少の経済的な旨みくらいは、くれてやるべきである。
続けてもう二匹、ネームドを始末する。
今のイルメリアの敵ではないが。
どっちも、フィリスと一緒に公認錬金術師試験を受けた頃だったら、苦戦していた相手だった。
要するにドラゴン並みである。
今いるのはアダレットの辺境だが。
200年前の錬金術師の大迫害の影響が。
この国の辺境を、文字通り人外の地へ変えてしまっているのだ。
複頭の蛇を片付けた後、騎士団に深核以外は譲渡してしまう。
この蛇皮は少し惜しいかとも思ったが。まあ良いだろう。
処理の間、しかけてくる獣くらいは騎士団に処理させる。どれも大きいが、まあフィリスが事前に騎士団に再訓練を施している。
どうにか出来る。というか、これくらいは専門訓練を受けている騎士なのだ。対応して貰えなければ困る。
弱者の盾になる。
それが兵士、戦士、騎士、傭兵。呼び方がどうであろうと。戦う者の仕事なのだから。
「処置を急げ!」
「また四匹!」
「魔術班、足止めだ!」
ネームドを片付けても、獣が逃げ散る訳では無い。むしろ弱っているのではないかと思って、積極的にしかけてくる。
騎士団は一時期フィリスが鍛え上げていただけあって、全員練度が上がっている。
魔族は魔術で。
獣人族はその戦士としての勇敢さで。
ヒト族は組織戦で。
上手に戦闘を回している。
ネームドの解体と回収が終わる頃には、周囲には獣の死体の山が出来ていた。それも勿論回収する。
一度これは、深淵の者の会議に掛けた方が良いだろう。
この近くの集落は守りきれない。
騎士団の戦力を充実させ。
アダレットの錬金術師の質を上げてから。
もう一度この辺りに進出するべきかも知れない。
そもそも殺戮の車輪一体相手に騎士団は三度も討伐を失敗し、その度に大きな被害を出しているのだ。
人員をある程度まとめ。
辺境への進出は、控えるべきだろう。
レポートをさっさと書き上げると、キホーティスに渡す。
流石に苦笑いするキホーティス氏。
めぼしい獣を片付けた後、引き上げ。近くの街で、備蓄食糧として、燻製にした肉を引き渡す。
一部は騎士団の兵糧にする。
千人程度の規模の街だが。
この街の自警団も、殺戮の車輪はどうにも出来ず。その姿を見るだけで怯えて逃げ散るような有様で。
年に何人も食われている、と言う状態だった。
ましてや周辺の村などは、維持が厳しいだろう。
いずれにしても、一段落はした。後は騎士団に任せて、一旦深淵の者本部魔界に戻る。レポートを此方にも提出しなければならない。
ルアードはいるが、フィリスとソフィーはいないか。プラフタがいるので、多少は話をしやすいかも知れない。
レポートを即座に出す。
ルアードはしばらく黙々とレポートを読んでいたが、大きく嘆息する。
「やはりあの地域は一旦人員を引き上げるべきか」
「ラスティンでも厳しい状況よ。 一線級の錬金術師の少ないアダレットが欲を掻くべきではないわ」
「ふむ、一利ありますね」
「我々と同じようにネームドを蹴散らせる人員は深淵の者にも多く無いし、我々にラスティンやアダレットが依存するようでは困る。 それを、何度かの周回で身に染みて分かっている筈」
周回ごとに記憶の持ち越しが出来ているのは、ソフィー、フィリス、そしてイルメリアだけだが。
深淵の者幹部は、基本的にソフィーの開発した道具類で、記憶の擬似的な引き継ぎを行っている。
だからこういう会話も通じる。
しばし考え込んだ後。
ルアードは頷いていた。
「分かった。 イルメリアの言葉にも一利ある。 少なくとも今回はその方針で行ってみよう。 此方からもアダレット王室に働きかけてみる」
「お願いします。 人材の浪費は、もっとも避けるべき事だわ」
「分かっているとも」
深淵の者とて、無敵という訳では無い。
人材を適材適所に配置してきたからこそ、これだけ勢力を拡大はしてきているが。それでも危険な邪神やドラゴンと足りない戦力でやり合えば被害だって出す。
この間、ついにフィリスがルーシャを半ば無理矢理勧誘したが。
それにだって、イルメリアは反対するつもりはない。
むしろ普段の周回では心が折れてしまうルーシャが、良くも頑張ったと感心しているし。人材として活用出来るなら、するべきだとも思う。
幾つかの戦略会議に出た後、アトリエに戻る。
アリスが先に戻って、食事を作ってくれていたので、有り難くいただくことにする。ソフィーが矢継ぎ早に双子に試練を送り込んでいるが、あまり良い気分はしない。兎に角急いで育てる。それは分かるのだが、性急すぎるように思うのだ。
大きくため息をつくと。
食事を終えて、外に出る。
満点の星空。
まだ「今の時代」は、こんな美しい星空が見られる。
フィリスと旅をしている時は、こんな無限とも思える時を彷徨いながら、人間の業を見続けることになるとはとても思えなかった。
それでも始めたことだ。
投げ出すわけにはいかない。
過激すぎる手を採るようになったフィリスには心も痛むが。しかしイルメリアも、人間が如何にどうしようもない生物かは、万を超える周回で見てきている。人間賛歌などクソ喰らえである。
頭を振ると。アトリエに戻る。
やはりイルメリアは、残酷にはなりきれない。
悔しいが、ソフィーのアドバイスは的確だ。人間をやめてしまわない限り、この苦痛が終わる事はないだろう。
そろそろ、双子には自力で成長できる力が備わり始める。
それに伴って、イルメリアは要所要所で、試練を渡す側に廻る。
要するにそれはソフィーと同じ事をしなければならないと言う事で。気は、重かった。
2、雪山探索
言われてはいたことだけれども。
実物を見ると、唖然とせざるを得なかった。
騎士団の一部隊と移動。イル師匠と一緒に行動していた部隊の半分らしい。イル師匠の仕事は非常に大変だったらしく、隊長が二人出ていたそうだが。この仕事に来る前に、部隊を分けたそうだ。本当に忙しいのだなと同情する。
今回は、ルーシャとアルトさんが来てくれている。パイモンさんもいてくれれば心強かったのだけれど。
流石にそうもいかないだろう。
あの人も既にBランクらしく。
彼方此方で声が掛かる、一線級の戦力だから、である。
雪山まで四日。
そう、わずか四日で。
常時雪が降っているという、異常な山を目にすることが出来た。
壮観というか、異常である。
まず、その山を中心に数峰の山が、真っ白。完全に雪に閉ざされている。連日雪が降るという話でもある。
山から雪解け水が流れ出てきていて。
麓にある街が、その水を活用しているらしいのだけれども。
ちょっとした大きな音を立てるとすぐに雪崩が起きる。その上、ドラゴンの目撃例もある。
山を越えた向こうは、完全に荒野になっているらしく。
人間が進出出来ていない。
一番厄介なのは、一応アダレットの領地と言う事になっているこの土地が、匪賊などのねぐらになる事で。
現状でも無策な拡大は愚策だという話が出ている中。
かといって、危険地帯を放置も出来ず。
実態を把握しなければならない、と言う事だった。
ドラゴンを倒せという指示は出ていない。
調査しろ、という指示だけである。
しかしながら、遠目に見ても、かなり大きい獣がいる状況である。いきなり雪山に踏み込むのは、愚策としかいえない。
勿論準備は幾つもしてきている。
海底探索の際に使った温熱フィールド。
深海の極寒にも耐え抜く程である事は、実際に使って確認済みだ。
そして実戦投入が間に合った靴。
分割したプラティーンを靴底に仕込み。
更にモフコットを主体とした緩衝材も。
それぞれの足に合わせて、鍛冶屋の親父さんが作り上げてくれたこの靴は。靴単品で、錬金術の装備品に匹敵する性能を持っている。
具体的には、多分慣れれば空中機動が可能になる。
まだスールは上手に出来ないようだが、アンパサンドさんは靴を受け取ってから。実際に空中で何度か移動して見せて、コツを掴むべく努力しているようだった。騎士団の方でも欲しいという声が上がっているようで。或いは、これを量産する価値があるかも知れない。しかも素材が素材なので、成人が相手ならそれこそ何年でも保つ。
刃物が散らばるような戦場でも、この靴は充分に耐え抜くし。
何よりも魔術に寄る増幅効果をある程度カスタマイズ出来るのが大きい。
魔族の騎士隊長が見せて欲しいと言ってきたので、街でキャンプを張っている最中に見せる。
何度か頷いて、レポートを書いていた。
或いは、正式備蓄品として登録すべきだと、具申するつもりなのかも知れない。
手分けして、街で雪山に関する情報を集めていた騎士達が戻ってきたので。
一度会議を開く。
騎士隊長がリードしてくれるので。
大変に有り難い。
リディーはこういうので、リーダーシップをとるのは今でも苦手で。
出来れば、他の人に丸投げしたいのだ。
「やはり空を飛ぶ巨大な影が目撃されているか」
「人里にしかけるつもりは無い様子ですが、形状からしてドラゴンであることは間違いないかと思われます。 色から考えても、多分ドラゴネアではないでしょう」
「厄介だな」
ドラゴネアというのは、最下級のドラゴンだと捕捉してくれる。
三傑が来てから、連携してドラゴンと戦う事が増えている騎士は多いらしく。
必然的にドラゴンとの戦闘経験は増えているそうだ。
今までどうしようもできなかった凶暴なドラゴンを駆逐できるというのはとても大きく。三傑に対する騎士団の評価が極めて高い一因である。フィリスさんが凄まじい豪腕でインフラを整備しているだけが、騎士団が三傑を評価する理由ではないのだ。
「山の様子は」
「不規則に吹雪が降るようですね。 ラスティンにも常時雪が降る不可思議な山が存在しているそうですが、そちらともまた随分と違うという話です」
「具体的に」
「はい。 ラスティンの方は、実は人為的に吹雪が起こされているらしく……」
思わず目が丸くなる。
咳払いすると、かなりの年配の騎士は、調べてきたらしい情報を披露してくれる。
ラスティンにもある常時雪が降っている山は、リッチと呼ばれる道を踏み外した魔術師達が隠れ住む土地となっていて。既に死体も同然の彼らが、人間の接近を阻むために常に雪を降らせていた、という状態だったらしい。
雪を降らせるなんて大魔術、凄まじいと思ったが。
なんと百年単位での詠唱を続けて、それで環境改造をしているらしく。
要するに「凄い魔術」というよりも、「呆れてものが言えない魔術」としか言いようがないものである。
なおこれらの情報は見聞院にレポートとして収められているらしく。
現地では、リッチ達と人間が、ある程度上手くやれているそうだ。
騎士隊長は頷くと、話を続けろと促す。
「現状から考えて、同じ状況では無いと推察はされますが……しかし下手に踏み込めないのも、また事実だと思われます。 特に爆弾や大規模な魔術を下手に使うと、雪崩がいつ起きても不思議ではないでしょう」
「……なるほど、了解した」
此処で、初めて意見を求められる。
まずアルトさんに。
アルトさんは、によによ笑いながら言う。
「偵察だけが目的だろう? 騎士団の物資に、空飛ぶ荷車は? あれは、さっき話題に上がったラスティンの雪山でも利用されているものなのだが」
「数が少なく、今回投入は無理だと判断されたのだ」
「ふむ、それならば徒歩で調べるしかない、と」
頷くと、次へ。
次はルーシャだ。
「雪山から獣が襲い来る事は」
「街にまで来る事は滅多にない、という話だが、しかしながら雪山に近付いた者が一瞬で食われる、という事件は何度か起きているらしい」
「厄介ですわね……」
「一番厄介なのは、匪賊が此処や、此処を超えた先に根城を構築することだ。 ともかく、最低でも巡回路くらいは確保するか、それも厳しいなら地図でも作らなければならないだろう」
最後に、リディーとスールに話が振られる。
昔だったらスールは居眠りしていたかも知れないが。
もう今はそんな事もない。
「山越えだけなら、装備があるので出来ます。 ただドラゴンに襲われた場合が……」
「ドラゴンを見かけたら、即座に逃げる方針でかまわない」
「……分かりました」
いずれにしても、それならば大丈夫だ。
温熱フィールドを麓で試し。
出現する獣の実力を測った後、本格的に探索する。
それで問題は無いだろう。
持ち込んでいる幾つかの装備について説明。
温熱フィールドを実際に展開してみせる。深海で使ったものとほぼ同じなので、騎士団の一隊を丸ごと包むことが出来る。
雪山の麓を、そのまま探索。
アンパサンドさんが前に出て、周囲を睥睨。
逆にマティアスさんは殿軍だ。
フィンブルさんにも来て貰っているが。
今回は、腕利きの騎士達が一緒にいるので、ある程度の安心感はある。逆に言うと、この戦力を投入する案件という事で。
かなり規模の大きいプロジェクトでもある。
騎士の数は限られている。
予算も。
それである以上、こんな任務に繰り出したと言う事は。アダレットとしても、膿出しや危険地帯の確認は、この機会に全て済ませておきたいのだろう。
流石に騎士団の精鋭。
誰も私語一つ発しない。
ハンドサインについては、既に確認済み。
黙々と、麓を調べる。
雪に覆われた木。このあたりは珍しく植物がある程度存在する。
温熱フィールドが、急速に雪を溶かしていくが。途中、何度か川があった。雪の下を流れているらしい。
少し気になったので、温熱フィールドの外に手を出してみる。
なるほど、そういう事か。
雪は降るけれど、温度そのものはそこまで強烈に寒くは無い、ということだ。
スールには、爆弾は使わないようにと指示はしてある。
獣に襲われても、出来るだけ静かに相手を仕留めるように。
これも周知はしてある。
黙々と麓の地形を調べていき。
その間に、専門家らしい騎士が、着実に地図を作っていく。予想された寒さの脅威がなく。更に雪が高速で溶けていく好環境もあって。騎士達は測量も地図造りにも、苦労していないようだった。
獣は、現時点では仕掛けて来ていないが。
コレは恐らく、雪崩を警戒しての事なのだろう。
視線はずっと感じる。
荒野の獣は、基本的に人間を襲う。
雪山でも、海でも、それは例外ではない。
この山でも、それは同じ筈。
それがしかけてこないと言う事は、この大人数と戦闘になった場合、雪崩に巻き込まれることを知っているからだと見て良い。
ただ、雪崩を敢えて起こし。
此方を攻撃する事を試みている獣もいても不思議では無い。
知性が無いと言う話だが。
獣が戦術を使いこなす場面は何度も見てきている。
それにしても、砂漠に似た環境だ。
足下はとても柔らかく。
いつ奇襲を受けてもおかしくは無い。
温熱フィールドのおかげで、ちょっと周囲に蒸気が立ち上り続けている。常時雪が溶けているからだ。
雪に足を取られない代わり、足下がぬかるんでいて。
戦闘をするときに、此方も有利だとはとても思えない。
探索は、可能な限り迅速に。
なおかつ、要地を徹底的に抑えるべきだろう。
そう判断した。
麓はあらかた回ったので、一旦戻る。
街に戻ると、見る間に雪が降り始め。雪を溶かして回った辺りを、どんどん白雪で埋め尽くしている。
風情もなにもあったものではなく。
どかどか雪が降って、それこそ「埋め直している」ような感触だ。
悪意すら感じるが。
それがなんで起きているか分からない以上、何とも言えない。
初日は一旦これで解散。
街の中なので、交代で見張りをする事も無い。騎士団はそれぞれ宿を確保していて。リディーとスール、ルーシャとアルトさんも、それぞれ宿を確保して、ゆっくりと休む事にした。
ルーシャとアンパサンドさんとオイフェさんとは、大部屋で一緒に泊まる。
靴の具合を確認するけれど。
アンパサンドさんは、頷くだけである。
「耐水性も問題無さそうなのです。 錆びないというのは強いのです」
「撥水も魔術で展開しているから、泥沼に入っても洗うだけで大丈夫ですよ」
「心強いのです」
幾つか、話し合いをしておく。
まず山をこれからどうやって攻略するか、だが。
一番険しい道を、先に上るべきだろうと、アンパサンドさんは提案。明日朝一番の会議に掛けてみるという。
「まず、王子に爆弾を山頂付近に投げさせるのです」
「雪崩を意図的に起こすんですね」
「そうなるのです。 それも、雪崩が起きなくなるまで爆弾を放るのです」
「……」
過激だが。
しかしながら、獣も処理出来る。戦闘時に、雪崩を気にしなくても良くなる。
問題はドラゴンを刺激する可能性だが。
今の時点では、ドラゴンは山にはいないと判断している。というのも、あの下級とされるドラゴンでさえ、凄まじい魔力を感じたのに。
今の山からは、そういった強烈な気配は感じ取られないからである。
「でも、アンパサンドさん、あの様子だと、すぐに雪でまた台無しになるんじゃないの」
「それを確認する意味もあるのです。 雪崩に怯えながら雪山を探索するよりは、そもそも雪山の謎と性質を見極める方が先なのです」
「……確かに」
アンパサンドさんの発言に、ぐうもでない様子でスールが黙る。
ルーシャは、しばらく黙っていたが。
きちんと意見も出してくれた。
「問題は雪山で動けなくなった場合ですわ」
「全自動荷車がスタックした場合とか?」
「そんなのは、騎士団が総出で動かせばいいだけのこと。 温熱フィールドを獣に破壊されるとか、そういう状況ですわね」
「……その時は、あれを使って何とかするしかないかな」
スールが、指さすのは。
砂漠探索のために作り上げた、常時同じ方向を指す、浮遊式方位針。
避雷針と同じ仕組みだから、雪の中でも大丈夫。
というか、あの過酷なブライズウェストで平気だった代物だ。雪の中でも大丈夫だろう。
ただ、準備はするべきだとも思う。
「最悪の場合は、一気に山を降るしかないのです」
「縄を準備しておきましょう。 それを掴んで、皆で一気に山を降って退避する他なさそうですわね」
「此方で縄は準備しておくのです」
「お願いしますわ」
一通り明日の話を終えると。
遅くならないうちに眠る。
スールもすぐに眠り始める。昔はおしゃべりとかをしたがったが。最近はアンパサンドさんの良い影響を受けているのだろう。プロ意識が見えてきている。リディーも負けてはいられない。
早々に眠る事にする。
朝、起きだして。
スールがいないのを見ても慌てない。
窓から外を見ると、いた。
裏庭で、アンパサンドさんと一緒に、朝の体操をやっていた。
あのうねうね動く奴である。
アンパサンドさんと、殆どシンクロするくらい上手になっている。スールは錬金術師としては極めて攻撃寄りで、場合によっては肉弾戦もこなす。アレは必須だと言う事だろう。
アンパサンドさんが、それでも幾つか指摘をしていて。
スールは素直に頷いて、その指摘された部分を直している。
食堂で食事をしていると、二人が入ってきた。ルーシャはまだ眠っているようだけれど、最近心労が酷いようだし、寝かせておいてあげる。どうせルーシャの部屋にはオイフェさんもいるし、危険は無いだろう。
「スール、体操どんな感じ?」
「まあまあ。 まだアンパサンドさんほど体を制御出来ないや」
「錬金術師がこれだけ動ければ充分なのですよ。 そもそも回避盾くらいしかできない自分と同じに動かれてはたまらないのです」
「いや、アンパサンドさんの勇気と判断はとても真似できないよ」
スールも、昔はアンパサンドさんに反発していたけれど。
その性格の違いがホムとヒト族の違いである事や。
そもそもアンパサンドさんは言う事は厳しくても、誰よりも自分に厳しい事や。
戦闘でも、自分が被害を受けることは一切合切気にしない、文字通り「みなを勝たせる」ための戦いをしている事を知って。
反発は尊敬に変わっているらしい。
ほどなくルーシャもオイフェさんと一緒に起きて来た。寝癖の一つも無いのは流石である。
同じ宿に泊まっていた、アルトさんも降りてくる。
どうやら外で、別の場所で鍛錬していたらしいフィンブルさんと、マティアスさんも、丁度食堂に来た。
ちょっと賑やかになって嬉しい。
アルトさんとマティアスさんは、どういうわけかある程度虫があうようで。
仲良くしているのを時々見かける。
アルトさんはさらりと毒針を刺すような皮肉を言う人だけれども。
マティアスさんは、負の思念を向けられるのになれている様子だし、平気なのだろう。
フィンブルさんは黙々と鍛え、黙々と戦いに向かうから。
最初に一緒に外に出たころよりも、少し大きくなっているように感じる。筋肉がそれだけ鍛え抜かれた、と言う事なのだろう。食事も寡黙にしているが、やはりヒト族とはかなり嗜好が違う。ある程度血の味がする肉の方が好きのようだ。
皆で軽く打ち合わせしてから、会議に。
アンパサンドさんの提案は受け入れられ。
早速雪崩を引き起こす。
雪崩の勢いは凄まじく。
山にどれだけ雪が積もっているのかと、驚かされるばかりである。いや、温度自体はどうということも無い事を考えると。
降雪量そのものが、この山を魔境と化しているのかもしれない。
二度目の爆弾での雪崩は小規模だったが。別の場所で雪崩が起きる。
大きな音だけで、デリケートな状態になっている山は雪崩を起こすらしい。
四度目の爆弾の時には、既に雪崩は起きず。
しんとした状態になっていた。
すぐに騎士隊長が判断を下す。
「最速で山頂へ。 地図を作り、出来れば山越えを」
「最悪の事態の場合は、全員ロープを握って、吹雪の中を降りる事になりますわ。 気を付けて」
「合点!」
スールが元気よく答えたので。
騎士達も、少し元気が出たようだ。
そのまま、山へ突撃。凄い量の雪が、辺りに飛散している。荒野になっている部分にまで、雪崩として吹き下ろしてきた雪が積もっていた。
雪の中には獣の死体も散見されたが。
それはもうしばらくは放置。
帰りにでも、余裕があれば回収すれば良い。
山を急いで登りながら、測量、調査を行っていく。
それにしても、マティアスさんの豪腕は大したものだ。それも、見た感じ、四度目の投擲でも全然飛距離は落ちていなかった。
今は無駄話をしている余裕は無い。
温熱フィールドで残った雪を溶かしながら、兎に角地図を作っていく。
クレバスを発見。
アンパサンドさんが注意を促し、すぐに迂回する。こう言う場所が、本当に一番危ないのだ。
地図を作っている騎士は、多分従騎士だろう。
眼鏡を掛けている女性のヒト族騎士で。
集中して、黙々と作業を行っていた。
「間もなく山頂です」
「ドラゴンが来るかも知れない。 シールド準備」
周囲を確認しつつ、マティアスさん、ルーシャ、それにリディーで備える。
正直な話、下級の、それも弱体化させたブレスであの火力だったのだ。上級のブレスなんて、耐えられるとは思えないけれど。
それでも何とかしなければならない。
冷や汗が流れる中、ついに山頂に到着。
泥に滑りそうになった騎士を、同僚が助けているのを横目に。
周囲を警戒し続ける。
いきなり躍りかかってきた、虎のような巨大な獣。キメラビーストではない。真っ白な毛皮で、牙がすごい伸びている。
シールドで弾き返すと、無言で騎士達が一斉に槍で突き刺す。暴れ狂った虎だが、しかし数の暴力にはどうにもならず。
さらに五月蠅いとばかりにアルトさんが本から放った剣で、背中から串刺しにされて、その場で倒れる。
まあ巨大といっても、大したサイズではない。
恐らくだけれども。
この雪だらけの環境では、獣も強くなれる余裕が無いのでは無いのか。雪崩もそこそこ頻繁に起きているようだし。
騎士団が虎っぽい獣を解体している間に、周囲を探索。
リンゴがあった。
こんな雪山の中にも、リンゴが。
木そのものが珍しい世界だ。ドラゴンがいる影響かも知れない。
回収していく。
ひんやりしていて、とても強い魔力を放っている。或いは、特異な環境で育った品種なのかもしれない。
暖かくしてもまったく溶けない氷の塊もある。
これは凄い。
どうやら魔力が定着していて、水が形を保っているらしい。後で調べて見るとして。一応、硝子瓶に入れておいた。
他にも、珍しい薬草が何種類もある。
雪の下から顔を出した薬草たちは、どうやって生きているのかよく分からないのだけれども。
ともかく、不可思議な生命力で、この雪の中生きていたのだろう。
その中には、以前お父さんが描いた不思議な絵画の中でだけ見つけた、稀少な薬草もあった。
これは凄い。
鉱石類も、いいものがゴロゴロある。
回収を急いでいる内に。
騎士隊長が、声を掛けて来る。
「そろそろ、向こう側に山を下りる」
「あ、済みません」
「いや、良いのだ。 だが、正直此処は危険すぎる。 それらの素材が、我等のためにもなる事は分かっているが、危険と天秤に掛けるとな」
急いで山を逆方向に降りる。
此方も雪崩で雪はある程度安定していたけれども。その先には荒野がある。ここからが本当の本番だとも言える。
一応山頂で、二度爆弾を中腹に向けて投擲。
もう雪崩は起きないことを確認してから、一気に降る。地図を作りながら降りきった。
荒野が拡がっている。
この山脈に阻まれ、人間が到達できなかった未踏の大地だ。
周囲を確認。
人影無し。
獣は多数いる。それも、雪山の奴とは比べものにならないほど大きく、危険そうな奴らばかりだ。
こっちはただの荒野。
獣たちにとっても、暮らす事は難しくも無いのだろう。
「撤収」
騎士団長が急いで周囲の地図だけ作ると、撤収を指示。来る時に使った道を使って、一気に戻る。
山頂辺りで、雪が降り始める。
まずい。
最悪の事態だ。
ただし、このペースなら、山を下りきるくらいまでなら大丈夫のはず。そして、トラブルさえ起きなければ。
一度、岩を踏んで全自動荷車ががくんと行った時には冷や汗を掻いた。スールに至っては文字通り跳び上がった。
生命線である温熱フィールド発生装置がやられたら、ロープを掴んで必死に駆け下るしかないからである。
雪がつもり始めている中、慌てず、ゆっくり、山を下りる。
アンパサンドさんは早速空中機動を試していて。
泥だらけの地面を直接踏まず、枯れ木などを飛び移り、空中を足場に移動しながら、周囲を伺ってくれている。
途中、点々と獣の死骸を見る。
やはりこの山の環境はおかしい。
獣ですら、急激な環境変化に耐えられない、と言う事なのだろう。
ともかく、今回の探索での目的は達している。
山を越えるための地図と、そのノウハウの確保。
ここで戦う理由は無いし。
勿論命なんて捨てる意味もない。
急ぐ。
「ドラゴンだ!」
声が上がる。
思わずシールドを全力展開して周囲を見るが、遠くを飛んでいる状態で。しかも、山頂辺りをくるくる回っているようだ。
縄張りに誰かが入った。
それを察知して、調べているのだろう。
騎士隊長が、冷静に指示。
「刺激しないように山を下りる。 奴の行動そのものは観察を続けろ」
「はっ!」
雪が更に激しく降り始める。
温熱フィールドでも溶かしきれないかも知れないと思ったが。それよりも、アンパサンドさんが、騎士達を制止。
そうだ、此処にはクレバスがあった。
もう雪がどかどかつもり始めていて、見えなくなってきている。こんな状況で、よく分かるなと感心。
クレバスを避け降る。その間、アンパサンドさんは、空中機動を試しながら、ステップを踏むようにして。温熱フィールドの最外縁で見張りを続けてくれていた。
雪の中から獣が飛び出してきたとき。
真っ先に自分を狙わせるためだ。
方位針を確認。
もう、温熱フィールドの外は、真っ白である。方角がまるで分からない。だから、方位針を見て、麓へ向かうしかない。
温熱フィールドの中には雨が降り注いでいて。
それで体力を奪われ続けている、というのもある。
海中で使ったシールドは、水を跳ね返す効果もあったが。あれは流石に大気中では使えない。
雨は、我慢するしかない。
「もう少しだ、全員で生きて降りる!」
「応っ!」
騎士隊長が点呼をとりながら、皆を常に確認してくれる。
本当に心強い。
こんな人が、ネージュの時にもっといたら。
アダレットは、此処までの状態にはならなかったのかも知れない。
一部の尊敬できる人だけ。
どうにかしたい。
ふと、スールの言ったことを思い出す。みんなのためにと言っても。スールは、みんなを助けるといっても。みんなというのが大半ろくでもないと、諦めている様子だった。リディーはそれに対して。みんなをどうにかするには、洗脳を使う方法すらも検討しなければいけないと思った。
ふと、気付く。
ひょっとして。
今、まがりなりにも四種族が一緒にやっていけているのは。
こんな風に、世界が地獄だからなのではあるまいか。
丁度今、此処には四種族が勢揃いしている。
皆、それぞれの強みを生かして、この地獄の雪山からの生還を測っている。荒野でも、それは同じなのではあるまいか。
不意に。
視界がクリアになった。
雪の範囲を抜けたのだ。
まだ油断できない。
雪崩が起きたら、思い切り巻き込まれるからである。すぐに騎士隊長が点呼をとる。全員いる。大丈夫だ。
だが、直後。
山頂付近で閃光。
爆裂音。
そして、雪崩が起きた。凄まじい雪が、怒濤となって此方に押し寄せてくる。
リディーは飛び出す。ルーシャも。マティアスさんも。
他にもシールドを展開出来る騎士は全員。
騎士隊長も、大きく手を回して、巨大な魔法陣を展開。
地面に手を突いて、巨大な禍々しい模様のついた壁を召還した。
直後、雪崩が、何重にも展開したシールドを直撃する。
更に、強烈な手応え。
雪崩を貫通して、何かがシールドにぶち当たってきたのだ。凄まじい熱量で、周囲が何も見えなくなる。
皆のシールドが軋む中、リディーはフルパワーで魔力を絞り出す。額の血管が切れる。だが、それくらいなんだ。
ごうと、凄まじい熱風が吹き抜けた後。
顔を上げると。
もう真っ白にしか見えない雪山が、そこにあった。
意識を失っている騎士が何人かいる。シールドの負荷が凄まじかったのだ。リディーも正直足腰が立たないレベルで消耗している。
マティアスさんも、へたり込んで、大きく息をついていた。
「今のは恐らく、上級ドラゴンのブレスだな……雪崩をぶつけて、それを視界封じに使った上で、更に狙撃してきたという事だろう」
騎士隊長が、説明してくれる。勿論騎士隊長も余裕など無い。
騎士隊長が撤退を指示。
すぐに、皆をかついで、街の中に逃げ込む。街の中だから安全と言う事はないが。いずれにしても。
これ以上、上級ドラゴンが仕掛けてくる事はなかった。
恐らく縄張りを侵されたと判断して腹が立ったのか。
そんな程度の理由だろう。
ドラゴンは人間の敵対者。あのフーコの世界にいた火竜はあくまで願望の産物。本物は気分次第でこれだけの破壊をまき散らす。下手をすれば数十人が死んでいた。いや、シールドを抜かれたら、ブレスが街に直撃していた可能性もある。
いずれにしても、あのドラゴンが危険な事は良く分かった。レポートに記さなければならないだろう。
それから一日、ドラゴンの様子を見るために街に留まる。
交代で様子を見張るが。
ドラゴンは単に虫の居所が悪かっただけでブレスを吐いただけで満足したのか、それ以外の理由か。
もう仕掛けてくる事はなかった。
3、山と砂漠と
王都に引き上げた後、騎士の部隊とはすぐに別れた。次の任務に出向くのだろう。あんな大変な仕事だったのに。休む暇も無いと言うわけだ。
騎士達を見送った後、リディーは思わずぼやく。
「この世界って、教会で教わった地獄よりも酷くない」
「……そうは思わないのです。 少なくとも、ヒト族の先祖が焼き払った世界よりは、マシだと思うのです」
アンパサンドさんはずばりと言う。
その通りだとリディーも分かる。何しろ、そもそも生存が出来ない状況になっているのだから。
過酷だ。
人々は常に人外の脅威にさらされている。
そもそも三傑だって、もう人外の領域に踏み込んでしまっている訳で。
正直な話、三傑がその気になったら、この世界を滅ぼすことは難しくないのでは無いかとリディーは思う。
レポートを出すようにとアンパサンドさんは促すと。
マティアスさんを促して、さっさと詰め所に戻っていく。
マティアスさんは頭を掻いてしばらく居心地が悪そうにしていたけれど。多分、世界が過酷なのは自分達のせいでもあると思っているからなのだろう。
先代の庭園王だけじゃあない。
ネージュを迫害した連中を、止めようともしなかった200年前の王。
もっと多くの愚かな王もいたはずで。
その責任はとても大きい。
錬金術師の人材育成や、ラスティンとの協調政策をもっとやっていれば、こんな事にはならなかった筈で。
確かにマティアスさんが気に病むのも仕方が無いのかも知れない。
ましてやマティアスさんは、今後国民からの不満を向けられるのだ。憎まれ役というよりも、むしろ嘲笑われる訳として。
ルーシャの負担を見ていると。
たった二人にあれだけ精神を疲弊していたのに、と感じてしまう。
一旦その場で解散。
アルトさんが、肩をすくめた。
「道具類の有用性がはからずとも証明できたね。 リディー、スー、出来るだけ急いで砂漠の絵の調査をした方が良いだろう」
「そうですね、装備やお薬の消耗もほぼ無いし、疲れも取れています。 レポートを書いて……三日後には再度出たい所です」
「うんうん。 あと、シールドは複層構造にすると良いかも知れない。 今の君なら出来る筈だ」
「分かりました、検討してみます」
実は複層構造のシールドについては、既に少し調べている。バステトさんにも聞いているのだけれども。
一枚の凄く頑丈なシールドよりも。
複層の、色々な特性を持ったシールドを重ね掛けする方が、攻撃に対しての守りは強くなるそうだ。
そういえば、意図しての事では無かったけれど。
ブレスを防いだのは、複数人が展開した、特性も性質も強度もそれぞれ違っている多重シールドだった。
確かに言われたとおりである。
後はアトリエに戻り。
お薬などを作り足し、そして今月分の納入に向かう。
プラティーンのインゴットや、更に評判が良かった脛当ても納入すると、受付の役人は喜んでくれた。
ナイトサポートなどの薬品類も、以前とはまったく質が違っていると評判である。
あまり自覚は無いのだけれど。
力はついてきている、と言う事なのだろう。
レポートも一緒に出す。スールと相談しながら、短時間でレポートは書けるようになってきている。
イル師匠に頼らなくても良くなったというよりも。
この辺りは慣れてきたと言う事だろう。
一応お父さんにも見てもらったけれど、殆ど改善点は指摘されなかった。
お父さんはお父さんで、お薬などを作ってくれていて。
それをコルネリア商会に卸して、お金に換えてくれている。かなり高度なお薬も作れるようなので。
或いはこれを国に納入したら、もっと喜んでくれるかも知れない。
アダレット自体は信用できないけれど。
ミレイユ王女の手腕は信用できる。
きっとお父さんの優れたお薬を、きちんと生かしてくれる筈だ。
ついでに、三日後に出る旨を伝えて、アンパサンドさんとマティアスさんのスケジュールも調整して貰う。
幾つかの事を全てこなす必要があったのでメモをとってきていたが。
それで正解だった。
全ての手続きを済ませると、アトリエに。
その間にスールには、別行動でフィンブルさんへのお手伝い依頼を頼んでおいた。ついでに、教会へのお使いも。
教会では、数日後にまた人形劇をやる、と言う事で。
お菓子や何かの作成を依頼されたという。まあお菓子くらいなら、今なら片手間に作れる。
一方、スールがシスターグレースに聞いたところ、適切な人材はいないそうだ。
ここしばらく、匪賊の類は徹底的に駆除されている上、街道の安全度が今までとは比較にならない程上がっているそうで。
教会で面倒を見なければならない孤児などは激減しているという。
それはとても良い事だ。教会で数ヶ月暮らしていたからそう素直に思える。リディーとスールには人手が必要だが、それは別問題。不幸な人は少ない方が良いに決まっている。
更にはホムの孤児には殆ど先約で商人などから雇用の声が掛かっており。
かといってヒト族や獣人族の孤児もそれは同じ。人手はこの世界、幾らでも必要なのである。
お手伝いさんを雇えればいいなと思ったのだが。
流石にこの世の中、其処まで甘くは無いか。
それに、お手伝いさんと上手くやっていけるかも分からない。
今回は一旦諦めて、別の方法を考えるとする。
ともかく、空いた時間で出来る事は全てしておく。
今後仕事が見つかっているとは言え。
子供達が、お菓子を楽しみにしているのも事実なのだ。すぐに可能な限り美味しいお菓子を作る。
お父さんには駄目出しされたが。
そもそも甘味自体が高級品で。
子供達には、これ自体がご褒美に等しいと言う事を、リディーは知っている。だから、それでもしっかり出来る範囲内で作った。
何もかもが常に上手く行く訳がない。
だからリディーは、出来る範囲内で、やれることをやっていく。そしていずれ、この世界に関与できるだけの力を手に入れたい。
みんなのためという方法論は、スールとは違ってしまっているが。
きっと、その方が。リディーの未来のためにも良い筈。
少なくとも、深淵の者とやりあうには。
力は必要なのだから。
教会での人形劇を一緒に見に行って。子供達にお菓子も配った。
人形劇はやっぱりドロッセルさんとフリッツさん、それにシスターグレースも加わって行った本格的なもので。
珍しくこの教会出の出世頭の一人であるアンパサンドさんも見に来ていた。
元々あまり教会は好きでは無いらしいのだが。それでもシスターグレースに誘われて顔を出し。更に彼女は子供達に支援までしているらしいので。シスター達は、騎士一位に出世したアンパサンドさんを丁重にもてなしていた。
人形劇は素晴らしい出来だったが。
後でアンパサンドさんに聞かされる。
「教会にいた頃は、馬鹿にされていたのです。 ホムが騎士になるとか、何の冗談だ、てね」
「……」
何となく分かる。
違うものを迫害するのが人間だ。昔のリディーもそうだった。だから、アンパサンドさんが、ホムでありながら決定的に向かない戦闘職、しかもその中でも頂点に位置する騎士を目指すと言えば、馬鹿にされるのも必然だろうと。
だが、それではいけないのだ。
いけない理由を山ほどリディーはスールと一緒に見てきた。
自分から見て気持ち悪いだとか、自分と違うだとかで、迫害を正当化する。そんなんだから、人間はずっと進歩していない。それを今のリディーとスールは嫌と言うほど思い知らされている。
アンパサンドさんの言葉も、だからすっと受け入れられた。
「だから教会には顔をあまり出したくなかったのですが、シスターグレースには戦い方のイロハを全て仕込まれたのです。 それに、この理不尽な世界と戦うための力を得るために、本気で自分に向き合ってもくれたのです。 顔を出したのは、それだけの理由なのです」
子供達とは話もせずに、さっさとアンパサンドさんは切り上げる。
子供達も、アンパサンドさんの雰囲気が怖いのか、あまり話しかける事はなかった。ホムでありながら一線級の騎士という、アダレットでも殆ど他にいない人材なのに。
スールは何も考えずに子供達と遊んでいたけれど。
ただ、帰り道。
話をされる。
やはり、アンパサンドさんの事だった。
「リディー、アンパサンドさん無茶苦茶不機嫌だったね。 シスターグレースに対する恩があるから顔を出したって雰囲気だった」
「仕方が無いよ。 ホムで騎士を目指すって口にしたら、周囲からどう見られるか何て、分かりきってるもん」
「やっぱり尊敬できる人って本当に少ないね」
「……うん」
リディーとスールの、みんなに対する観念は、其処で食い違っている。
みんなまとめて尊敬できる人にするか。
それとも、尊敬できる人だけ何かしらの方法で選別するか。
いずれにしても、今はまだ夢物語だ。
とっととアトリエに戻る。
明日には、砂漠に出かけるのだから。
砂漠の絵に入る。
この間と違って、方角を示してくれる浮遊式方位針がある。やはり効果は絶大で、くるくる回る恐れが無くなるのはとても大きな意味があった。
入る面子はこの間と同じ。
リディーが地図造りを担当し。
他の皆で、周囲を警戒しながら進む。
最初は殆どレンプライアも獣も見かけなかったのだけれど。
大きめの瓦礫を抜けた辺りから、不意にレンプライアが出始める。それも、今までに無く大きいのばかりだ。
此方を見つけると。
赤い目をらんらんと光らせた、翼を持つ鎧が。十を超える数、好戦的に飛んでくる。しかも、今まで見た奴よりあからさまに強い魔力を放っている。
それだけじゃあない。
兵士みたいな奴も、下半身がない大きいのも、鎌を持った奴も。今まで見てきたレンプライアはどれも揃っている。
数も多い。
無言で迎撃を開始するアルトさんとルーシャ。更にスールが爆弾を放り込む。リディーは叫んで、手を振るった。
「後退! 敵の速さの違いを利用して分断します!」
「良い判断なのです」
アンパサンドさんがバックステップ。皆飛び下がりながら、方位針の指し示す方向と逆に走る。走りながら、反撃を続け、敵を少しずつ削って行く。勿論その間レンプライアどもも黙っていない。
乱射してくる光弾が、リディーが展開するシールドを何度も叩く。
遠くで、砂漠を叩く下半身がない巨大な奴。
詠唱さえ必要しないのは知っていたが。
傷ついた他のレンプライアを平然と巻き込みながら、凄まじい砂嵐を即座に発生させてきた。
ごっと押し寄せる砂嵐は。
この間の雪崩を思わせた。
うっと思わず呻くけれど。
複層構造にしたシールドは、そう簡単には破れない。ただ、消耗が激しい。かなり走って距離を離した。そろそろ反撃のタイミングだ。
剣が多数降り注ぎ。
殺到してきていた翼の鎧をまとめて叩き落とす。味方の射撃だけでは無く、今の魔力を含んだ砂嵐でも相当傷ついていた様子で。
流石に耐えきれず。
アルトさんの剣に串刺しにされて、砂漠に次々墜落していく。
更に生き残りは、ルーシャの、周囲に浮かんだ球体と連携しての射撃が、全て叩き落とした。
続けて兵士みたいなのが殺到してくるが。
アンパサンドさんが突貫。
敵の中央に出ると、十体以上を同時に相手しながら、なおかつ挑発を上手にこなして注意を惹く。
遅れて突撃したフィンブルさんとマティアスさんが。
新調したプラティーン刃のハルバードを振るい。
国宝らしい剣を横薙ぎに振るって。
兵士らしいレンプライアを、次々に薙ぎ払っていく。
数匹が飛び退くと、連携して魔術を唱え始める。
その瞬間、その中の一匹の背後に回ったアンパサンドさんが、口を押さえて喉をかっ切る。
獣が相手なら兎も角、人間大の相手ならこの通りという訳か。
背丈は低くとも、アンパサンドさんの機動力ならこの戦法も難しくは無い。
喉をかっさばかれて、集団詠唱を止められた兵士達を、それぞれフィンブルさんとマティアスさんが、即座に斬り伏せる。
後は奥にいる大きい奴だが。
また大きいのを、詠唱無しでぶっ放してくる。
あれは手強い。
だが、今度はスールの判断が速かった。
山ほど作ったフラムを改良し。
ピンポイントフレアの火力を強化した、見聞院でレシピを見て作り上げたオリフラム。
放り込み、更にバトルミックスで火力を上げる。
文字通り、砂漠の一部が消し飛び。
一瞬早く発動していた魔術の砂嵐ごと、巨大レンプライアを粉々に消し飛ばしていた。
呼吸を整えながら、シールドを解く。
消耗は大きいが、戦闘の流れは理想的だった。
普段何かしら言うアンパサンドさんも、納得したらしく一言も言わない。
すぐにレンプライアの欠片を回収した後。
アンパサンドさんが見張りに立ってくれて、さっきの大きな瓦礫の影で休む。
その間、空中に浮かぶ球体を。浮遊式方位針で触ったりして調べて見るが。触っても、特に害はないようだった。
スールが提案。
「ちょっと危険だけれど、直接触ってみる?」
「ああ、空中機動を試してみるの?」
「うん」
流石にいきなり実戦投入できるほど、スールはセンスがない。アンパサンドさんは雪山でやって見せていたけれど。あれは歴戦の勇者だからだ。積んでいる経験と、肉体を徹底的に制御出来ているからである。
少し躊躇った後、スールは練習していたとおりに、空中機動を試してみる。
ちょっとぎこちないけれど。
それでもしっかり上空に躍り出る。
これなら敵の頭上も取れるだろう。
更に言えば、敵からして見れば、ヒト族がいきなり空中起動をしたら度肝を抜かれるはず。
魔族ならともかく。ヒト族が、である。
優れた魔術師でもそう簡単には出来ない芸当。文字通り、錬金術師だから出来る事なのだから。
やがて、球体に達したスールが。
足場をちょっとふらつきながらも維持しつつ。
触って状態を確認する。
ナイフで削り取ろうとしたが、上手く行かないらしい。
しばしして、降りてきた。
降りるときは、登るときよりも難しい様子で。
かなり手間取っていたが。
「アンパサンドさん、これすぐに使いこなすとかずるいよ」
「しかたねーって。 アンの奴、訓練の量も実戦の量もスーとは桁外れなんだから」
「それは分かるけれど、作ったのスーちゃんとリディーなのに」
「アンパサンド殿はもうこの国でも上位に食い込む騎士だろう。 戦闘職なのだから、それくらい出来なければ面目も立たぬ」
フィンブルさんの言う事は、スールも良く聞く。
しばらく口をつぐんでいたが。
やがて練習しますと、素直に反省した。
アルトさんが咳払い。
「それで、どんな感じだった?」
「めっちゃくちゃ堅いです。 冷たくて、なんというか拒絶される感じ」
「ふむ……要するにこの不思議な絵画を描いた人間は、錬金術の産物を、人間の及ばざるものとしてイメージしていたようだね。 空中に浮く、不可思議な加工が施されている、そして尋常ならざる強度。 ……もし僕の想像が当たっているなら、この不思議な絵画の中には、とてつもないお宝があるかも知れないよ」
アルトさんの言う事だ。
確かに、それを疑う理由は無い。
利害の一致を考えれば、今嘘をつく必要もないからだ。深淵の者といえど、流石に此処を先に念入りに調査などしていないだろう。手が不足しているという話をしていたくらいなのだから。
フィンブルさんが、マティアスさんを誘って、アンパサンドさんと見張りを交代。
ルーシャが代わりに聞いてくる。
「そのナイフ、プラティーン製でしょう? それでも傷一つつかなかったんですの?」
「うん。 ルーシャの砲撃も浴びせてみる?」
「いや、少し今は消耗を回復したいですし。 明確な攻撃と判断したら、何を返してくるか分かりませんし」
「……それもそうか」
ルーシャの発言は一見憶病にも見えるが。
絵の性質を考えると、妥当だろう。
装備の状態を確認しているアンパサンドさん。ようやく分かってきたけれど、どうやら彼女のナイフはプラティーンを混ぜた合金らしい。ならば、もしも彼女に新しい武器を渡すのだとしたら。
ハルモニウムを作れるようになってから、だろう。
人間や、人間大の相手なら。さっき兵士型のレンプライアに見せた暗殺技術がそのまま刺さる。ましてやハルモニウム製の刃だったら、ドラゴンにだって通用する筈だ。
多分騎士団に支給されている凄い武器なのだろうけれど。
もし国宝にもなる剣を作れるなら。
アンパサンドさんには、今まで世話になった礼も兼ねて、最高の剣を渡したかった。
休憩を終えて、砂漠を歩く。
レンプライアは先程の規模ではないにしても、時々姿を見せる。欠片は回収しながら、各個撃破していく。
ふと、気付く。
何か、踏み込んだらしい。
顔を上げると、其処には手をつないで走るリディーとルーシャ。そして、後ろで泣いているスールの姿があった。幼い頃の三人だ。お母さんがいなくなる前の。
言葉を失う。
待って、お姉ちゃん、ルーシャちゃん。スールが泣いている。すぐに戻って手を引くのはルーシャである。リディーは、まだ気が利かなかった。
そうだ、幼い頃は、スールが泣き虫で。リディーはむしろ気が強い方だった。
性格が逆転したのは、お母さんがいなくなって。色々と精神に致命的なダメージを受けてから、なのだろう。
程なく、幻は消える。
皆、口をつぐむ中。
マティアスさんがぼやく。
「報告にあったとおりだな。 先に錬金術師に調査をしてもらったんだが、これを見てすぐに戻ってきたんだ」
人には、誰にだって見られたくない過去の一つや二つある。
それを考えれば、妥当だろう。
だが、この不思議な絵画をしっかり調査すれば、有益な何かが見つかるかも知れない。悪い事ばかりとは限らないのだ。
アルトさんが肩をすくめる。
「これは僕のミステリアスな過去も暴かれてしまうかな?」
あまり洒落にならない。
深淵の者として、冷徹な行動をしているのを見られでもしたら、何をされるか分からないからだ。
普段手を抜きまくっているアルトさんだが、本気を出したら今此処にいる全員がかりでも止められないだろう。
「ともかく、余力はまだある。 調査を進めるのです」
アンパサンドさんが咳払い。
その通りだと思い直し。砂漠の奥へ、更に足を進める事にする。
このくらいの事。今までの過酷な不思議な絵の探索に比べれば、何でも無かった。
4、蠱毒の果てに
深淵の者本拠地。魔界にて、軽く会議が行われる。
今回は首領であるルアードが仕事中なので、リーダーシップは事実上のナンバーツーと見なされているプラフタがとる。
彼女は対立の末に500年かけて和解したとはいえ、元々ルアードの比翼の盟友。しかも互角の実力を持っていた錬金術師。
現在でも、自身が錬金術を使えなくても、その知識と道具を使いこなすことに関しては、屈指の腕前である。
ルアードが最も認める錬金術師。
それだけで、深淵の者が従うには充分だ。
ソフィーはあくまで食客であり。最高顧問という形の存在である。
ソフィー自身も深淵の者を好きに動かそうと言う行動は取っていない。別にそんな必要もないし。
何より、利害が一致しているからだ。
まず最初に発言したのは、シャドウロードだった。
「獣人族の故郷の世界に行って来たよ。 資料は可能な限り集めて来た」
「うむ。 聞かせて欲しい」
「良いんだね、聖獣王」
「かまわない。 先祖の罪を知る事も、我等獣人族の王たるケンタウルス族のつとめだ」
頷くと、シャドウロードは、残された遺跡から集めて来た情報を開示してくれる。
獣人族達の世界は、戦いと強さだけを求める世界だった。
それ故に、力によって滅びてしまった。
皮肉な事に、個人の武力ではどうにもならない、技術力という力によって、だったが。
ヒト族に似た猿の獣人族が作り出した数々の兵器は、屈強な獣人族でもどうにもならず。いずれもが、徹底的な殺戮の報復として容赦なく獣人族達に向けられ。
そしてそのわずかな生き残りがパルミラに救出されてからは。
同族に向けられた。
そもそも、相手を服従させるという概念がない世界だったのが災いだった。
殺すか殺されるか。強いか弱いか。
そういう単純な価値観の世界で、強力すぎる兵器が作り出されたのが最悪だったのである。
かくして獣人族の世界は。
新しい覇者が立つも、それから百年とせずに滅びてしまった。
「遺跡はどれも激しく損壊していてね。 最後に生き残ったらしい連中の痕跡も見つけたけれど、我々は最強だとひたすら書き残していたよ。 そしてそいつらの間でも、最強を巡って殺し合っていたらしい」
「……獣人族の悪しき面を凝縮したような世界だな」
「いずれにしてもはっきりしたことがあります。 暴力を最上とする価値観では、すぐに世界は滅びると言う事です」
プラフタが指摘。
確かにその通りだろうと、ソフィーも思う。
だからこそに。
毎回の周回で、新しい方法を模索しているのだ。
勿論人間の可能性を信じた周回もあるが。
その全てで裏切られた。
「続いてソフィー。 貴方は」
「此方があたしの調査結果」
すっと指を動かすと、データが出る。
一応、まだ魔族の先祖がいた世界は滅びていないが。
其処はあまり目に優しくない世界になっていた。
とにかく白い。光に満ちている。
世界に存在するのは規律のみ。完全な規律に沿って世界は動いていて。唯一神を自称する至高神と、その下僕たる「天使」によってのみ管理が行われ。人間は思考する事すら許されず、命じられたまま行動するようになっていた。繁殖すらも、指示通りに行わされ。わずかでも反抗すれば、その場で塩の柱にされる。そんな世界だった。
「あたしが侵入した途端、前にこの世界に攻め寄せた天使とやらがわんさか仕掛けて来たから全部返り討ちにしたけれど、まあそれは別に良いよね。 とりあえずこの世界は、参考にはできないわ」
「同感ですね。 これは一個の最強による自己満足の世界です」
「……パルミラはこうしてみると、まだ我等に好意的で、しかも平等な神であるのだな」
「そうなるね。 問題は人間の方だってことだよ」
ソフィーが肩をすくめると、イフリータさんが不快そうに鼻を鳴らす。
気持ちは分かるが、こんな神のために魔族は忠誠を尽くしていた。あげくに用済みになったら消された。それでは良い気分などしないだろう。
これらの世界の調査については、実は今までの周回ではあまり積極的にはやってこなかった。
手持ちのデータを整理しながら試行錯誤するのが精一杯だった、というのもある。
パルミラほどの処理能力があるのならともかく。
ソフィーも人間を逸脱しているとは言え、あくまで限界がある存在なのだ。
だからデータを精査していくのには、どうしても時間が掛かる。
そして、今。
ようやく外の世界を見られるようになった。この世界の詰みを打開するために。
「後はホムの故郷の世界を、あたしが確認してくれば終わりかな。 その間の此方はプラフタ、任せるよ」
「……あまり無茶はしないように」
「ふふ、平気。 まあちょっと偵察した感じだと、一度壊れた後に復興した世界みたいだし、今までにない貴重なデータが取れるかも知れない。 戦いになるなら、その時はその時だしね」
くつくつと笑うと。
会議をプラフタが締める。
そして、解散の後。
プラフタは大きく嘆息した。
「ソフィー。 貴方なら、別に他世界の住人に気付かれずに調査するくらいは出来たでしょうに」
「ああ、ばれてたか」
「どうせ天使や神の実力を知りたかったのでしょう?」
「流石に長いつきあいだねプラフタ。 結論から言うと、あの世界を滅ぼして移住するのもありだよ。 なんなら一日であたしが滅ぼしてくる。 とはいっても、どうせ対処療法にしかならないけどね」
天使はすっかり平和ボケしていて、抵抗できない人間を管理する事しか出来ないデク人形になり果てていた。
今のソフィーなら、文字通り薙ぎ払うことが出来る程度の相手だ。実際に四大だの七大だのえらそうな肩書きの天使も一息に薙ぎ払った。
神も、そもそも多重次元が重なりあった宇宙そのものであるパルミラには到底及ばない程の力しかない。
以前攻め寄せた天使の軍勢が、瞬時に全滅したというのも納得である。
パルミラには、今のソフィーでも勝てない。
だが、あの世界の神。唯一神と不遜にも名乗る存在になら圧勝できる。実力は、実際に見てきた。
ただ殺してしまっては、世界そのものを壊す事になる。
それは流石に傲慢だ。故に力だけを見て、抵抗した者だけを殺し。神に力を見せつけ怖れさせて、戻ってきた。
それだけである。
「じゃ、早速ホム達の故郷を本格的に調べてくるよ。 その間、双子の事はよろしく」
「……」
口を引き結んでいるプラフタ。
ああ、とソフィーは一つ付け加えた。
「魔族の故郷の世界で面白い情報を見つけてね。 概念そのものを操作する力を、更に強化出来る可能性が高い」
「!」
「プラフタ、人間に戻れるよ。 まあ少し後だけれどね。 検証もしたいし」
無言のままのプラフタ。
軽く手を振ると、その場をソフィーは後にする。
さて、一度滅びから立ち直った世界。興味がある。
この先のためにも。周回をこれ以上無意味に増やさないためにも。
情報は幾らでも必要なのだ。
(続)
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