宝物と世界の果て

 

序、その光は一つではなく

 

エントランスに集合する。アンパサンドさんの事が心配だったけれど。しっかり傷も治って出てきていた。ただ装備品は幾つか駄目にしてしまっていたので、作り直したけれども。

元々更改の時期も来ていたし。

何より、どんどん良い出来に作り直してもいる。

騎士団の支給品である鎧なども傷んでしまっていたので。

此方で補償して、鍛冶屋の親父さんに直して貰った。軽量の鎧だが。それでもあると、多少の傷は防げるし。アンパサンドさんには、その多少の傷の有無が文字通り命取りになるのだから。

モフコットの生産も続けていて。

今度、これを裏地に使った、プラティーンを主体にした鎧か、或いは戦闘用の服を作ろうと思っている。

鎧の下に着るものだが。

モフコットなどの錬金術布が、如何に大きな効果を出すかは、この間の実戦投入でよく分かった。

それならば、今後は量産して。

効果をより出していくだけだ。

さて、皆集まったところで。

順番に話をする。

「今回は、何回かに分けて出入りします。 かなり時間が掛かると思うので、それは覚悟してください」

「ういー」

マティアスさんは若干機嫌が悪い。

フィリスさんがいない。

勿論もう監視の必要無しと判断したから、なのだろうが。

それでも、やっぱりアンパサンドさんの必死の戦いを見ていながら。最後の最後まで手を貸さなかったことが、相当に頭に来ているのだろう。

感情論だと分かっていても。

納得出来ないことはある。

だが、感情論でものを動かせば。

後に出来るのは地獄だけだ。

時間を掛けて、ゆっくりと何とかしなければならない。

大丈夫。

マティアスさんは、それくらい出来る人だ。

「まずドラゴンの死骸を確認して、有用な部分が残っていたら回収します」

「目立つものは回収したし、後は骨くらいかな?」

「はい。 骨も出来れば全部」

「……要するに、荷車で何回かに分けて運び出す度に、島まで行くって事か」

フィンブルさんに、頷くと。

流石にうんざりした様子でフィンブルさんもため息をつく。

今回は、気を利かせてくれたのか。

ルーシャも荷車をもってきてくれている。

それも二連の奴を、である。

これで手間は半分になる筈である。

「続いて、キャプテンバッケンからお宝を受け取ります。 ただで受け取れるかはわからないので、気をつけてください」

「ああ、あの島何というか、おもちゃ箱みたいだもんな。 宝に罠とかあっても不思議じゃないし」

「そういう事です」

「ハハ、ドラゴン退治して、まだ色々やらされるかと思うと、ちょっとげんなりするけどな……」

マティアスさんが肩を落とす。

だけれども、これも必要な作業だ。

そして最後。

これが一番重要である。

「最後に、海の調査を可能な限りして、それで切り上げます」

そう。

これこそが本命。

ドラゴンがいるので、危険すぎて出来なかった海の調査を、これより本格的に実施する。

現実世界の海は危険すぎて入れない。

だから、この不思議な絵の、危険度が小さい海を調査して。現実世界の海を調査する際の手助けにする。

現実世界の海ほど危険ではないとしても。

内部で、おぞましい魚に散々襲われた事もあって。

安全でも無い。

ともかく、海の中での活動のノウハウを可能な限り積み重ねて。それをレポートにしたい。

もしレポートが出来れば。

それは人間の、海に対する大きな一歩になる筈だ。

とはいっても、まだ浅瀬に踏み出したくらい。

本格的に海に入るには、まだまだ時間がたっぷり掛かるだろうけれども。

作業時間は、丸二日を想定。

勿論休憩は入れるが。

それは節目で戻るタイミングで、という形になる。

特に後半一日は、殆ど海の中をずっと歩き回ることになるだろうし。非常に危険でもあるので。

気を付けなければ危ないだろう。

暗闇の中をずっと這いずり回れば。

精神に変調もきたすかも知れない。

何か危ないと思ったら、すぐに言って欲しいと、皆に声を掛けておく。

「面白そうなことをしているね」

不意に掛かる声。

振り返ると、アルトさんだった。

フィリスさんの代わりに、監視役に来たと言う。

まあ、この人はフィリスさんよりは、能動的に戦ってくれるし、いいか。フィリスさんはこの人より恐らく更に強い。だから、下手に戦いに関与できないのだろう。そう、リディーは前向きに考えもした。

「アルト、頼むよ。 手伝ってくれな」

「僕も海の中には興味があるからね。 心配しなくても手伝うよ」

「はあ。 だといいんだがな」

とりあえず、これで面子は揃ったか。アルトさんの手伝いは正直な話想定外だったけれど。

戦力は多い方が良い。

ドロッセルさんは今回の調査が終わったら丁度契約の期限切れ。

契約をまたするとしたら、次の試験次第だろう。

では、さっそく作業を開始。

今回は何度も何度も不思議な絵に入る事になる。

アルトさんも、面白がっているようだが。

或いはこの人も、何百年も生きてきて。

それでいながら、海の中に生身ではいるのは、あまり経験が無いのかも知れない。

ネージュと面識があるようだったから、それこそ何百年生きているか分からないけれども。

それでも、分からない事に興味を持てるのは立派だ。

リディーも注意深く見てきて。

「平均的な人間」が、自分が知らないものを見聞きした場合、まず間違いと決めつける事。知らない事を耳にした場合、情報源の好感度によって信用するかどうかを決める事。そして場合によっては相手を嘘つき呼ばわりして迫害する事も理解している。

この人は、深淵の者の偉いさんだろうから。

きっと後ろ暗い事は散々やってきている。

だがそれでも、自分の地位に驕ること無く。

知識を全てと信じる事もなく。

興味があったらどんどん見に行く。

そういう人である事は。

とても好感を持てる。普段やっている後ろ暗い事は別にしても、だ。

アルトさんと一緒に海の絵に入るのは初めてなので、仕組みを説明した後。

不思議な絵に入る。

海底に、灯りが点る。

今回も、しっかりシールドと、エアドロップは機能している。頷くと、マティアスさんに声を掛けて。

印を更に引き直して貰いながら。

深淵の海の底を歩く。

いつ獣がしかけてくるか分からないので、要注意。そして今回は、まずは島に辿りつくことを最優先する。

相も変わらず飛んでくる槍のような魚。

流石に慣れてきているのか、ルーシャもマティアスさんも、アンパサンドさんも反応が早い。

数匹ずつまとめて飛んでくる事もあるが。

アドバイスを受けて、海中でシールドを拡大するようにしてからは。

更に余裕を持って対応出来るようになった。リディーも、とっさに何度か弾き返してみせるし。

スールも自分に飛んできた魚を避けて、通り抜け様に撃ち抜いたりして見せた。

大丈夫。

弱っちいリディーとスールだけれど。

ちゃんと経験は積めている。

もっと貪欲に強くなって行けば、きっと先に先にへと行く事だって出来るはずである。

今日はちょっといつもより魚が多い気がするが。

この魚、食べると意外にもとても美味しいし。大きいから骨もとりやすいという事が分かっているので。

持ち帰るのは、むしろ積極的にやりたかった。

アルトさんは、頷きながらしきりに海底の様子を楽しんでいて。

だがそれでも、自分に魚が飛んできた時は、振り向きもせず本から出した剣で串刺しにして、海底に縫い付けたりもする。

背中に目がついているかのような反応速度だ。

しかも本から出した剣を、一度頭上に打ち上げて。

後ろから飛んできた魚を、串刺しにするという二重の難しい芸当をこなしているのである。やはりこの剣、拡張肉体の一種なのだろう。いずれにしても、アルトさんが余技を見せる度に、その強さがよく分かる。

「リディー、スー。 この貝はたまに真珠を持っているものの一種だよ。 持ち帰っておくといい」

「真珠ですか!?」

「ああ、開けるのは後でね。 もっているかも知れない、というくらいだから。 他にも真珠を持っている貝はあるが、これもだ」

スールが露骨に落胆するが。

まあそれは仕方が無い。

フィンブルさんが、顔を上げて、耳をぴんと立てる。

精悍な犬の顔をしているフィンブルさんだ。

獣人族らしい感覚の鋭さで何かを感じ取ったのだろう。スールも、即座にそれに反応していた。

「何かいるね」

「おいおい、もうすぐで島なのに、俺様ついてない」

「……敵意は、無さそうだな」

フィンブルさんがハルバードを降ろす。

何かはいたようだが、いずれにしてももういない様子だ。胸をなで下ろすと、島に急ぐように皆を促す。

足を速めて。

海底の移動を早めに切り上げると。

島に上陸した。

キャプテンバッケンは、此方に気付くと、陽気に手を振って迎えてくれる。

頭を下げて、遊びに来た旨を告げて。

まず、ドラゴンの骨を見に行く。

案の定と言うべきか。

殆ど食い荒らされていて、残っていなかった。

黒焦げになっていたとは言え、それでもナマモノだったのだ。拾えそうな部品はあらかた拾ったし。鱗も殆ど回収はしたが。

肉や内臓はほぼ消滅。

とはいっても、これらは残っていても、酷く腐り果てていただろうが。

消し炭になっている肉まで漁って行くのだから、この絵の中でも獣は獣、ということか。浅ましいを通り越して、凄まじい。

骨も、殆ど無くなってしまっていた。

だが、わずかに残っているので、ルーシャと手分けして、荷車に回収していく。改修前に軽く水で洗うけれど。これはコンテナに入れて、後で本格的に洗わないといけないだろう。

水を汲んでくるのは、ドロッセルさんに頼み。

その間、多分腐敗しているだろう事を想定して持ち込んできたものの一つ、デッキブラシを使って、ごしごしと骨にこびりついた炭化した肉を落とす。

掘り返してみると、砂浜の中にめり込んだドラゴンの鱗も多少はあって。

それらもしっかり回収していった。

前にフーコと火竜の世界で、火竜に貰った鱗と、どっちが上品質なのだろう。魔力はどちらも普通に凄いと思うのだけれど。まだリディーには判別がつかない。いずれにしても、ドラゴンの鱗は稀少品だ。出来るだけ回収した方が良いだろう。

大きな骨は切り分けようと思ったけれど。

マティアスさんが支えて。

ドロッセルさんが大斧を振るっても。

がつん、がいんと、もの凄い音がする。

一応大きなパーツごとには分けたけれど。やはり、それでも一度で持ち帰るのは不可能そうだった。

キャプテンには事情を話しているので。

何度かに分けて持ち帰る。

持ち帰る度にコンテナに運んだので、時間はかなり掛かってしまったけれど。これは仕方が無い。

それをするだけの価値がある品だ。

ドラゴンは、基本的に無駄にする部分がないと聞いている。

前回の戦いでは、消し炭にしてしまったから回収は出来なかったけれど。

ドラゴンの血は、中和剤として最高の素材になるらしいし。

いずれはまた、別のドラゴンとも戦わなければならないだろう。

海の道を何度も行き。

骨を回収。

頭骨を最後に回収して、上半分はリディーとスールで。下あごは、ルーシャに譲った。ルーシャの方でも、やっぱり加工して錬金術の材料にするという。まあ、当然だろう。ドラゴンの素材は、お店に並ぶとそれこそ天文学的な値打ちがつくという話も聞いている。それだけ価値があると言う事だ。

爪なども回収はしたかったが。

残念ながら海棲ドラゴンだからか、無理だった。

確かに彼奴の手足の部分にあったのはひれだ。

それでは、爪は回収出来ないだろう。残念な話だけれども。ただ、牙は回収出来たので、それは有り難い。

牙だけでも使い路は色々あると聞いているので。嬉しい話だ。

また、魚に関しては、そのまま魚市場に卸してくる。

味についても既に食べて確認済みだ。魚市場では、見た事がない魚だと言いつつも、大きくて肉も上質と言う事で、そこそこのお値段で買い取ってくれた。

ようやく、ドラゴンの残骸を回収し終えたのが夕方。

続けて、今度はキャプテンバッケンのお宝を貰えるという話なので、見せて貰う事にする。

バッケンは、カカカカと笑いながら。島の奥にある洞窟へ案内してくれた。

そういえば、心なしかレンプライアが減っている気がする。

誰かが来て、掃除していったのだろうか。

例の子分Aだろうか。

あまり心当たりがないのだけれども。

洞窟の手前には、大きな岩がある。一応動かせるようだけれども。ドロッセルさんが、腕組みした。

「ちょっと……大きいね」

「カカカ、そうだろう? 此奴を動かせないと、宝は手に入らないんだ。 俺みたいに、持ち主であるか、或いは剛力の持ち手でないと、宝は渡せない、ってわけでな」

「見張っているので、さっさと済ませるのです」

アンパサンドさんは、速攻で見張りを宣言。

ルーシャも困り果てた様子で大岩を見た後、アンパサンドさんに習った。

オイフェさんは言わないと何もしてくれないだろうし、ルーシャ一人だとちょっと見張りも不安だ。

もちろんだが、ルーシャが弱いというわけではない。

ルーシャは兎に角不幸体質なので、オイフェさんが側についていてくれたほうが此方としても安心なのだ。

実力はあるのに、不運で酷い目にあう事が多いルーシャに関しては。何というか、不幸にあわせている半分がリディーとスールという事もあって。いつも本当に申し訳ないと思っている。

アルトさんは、興味津々の様子だけれど。

勿論手伝ってなどくれない。

結局、マティアスとドロッセルさん、それにフィンブルさんで、岩を動かす事になる。リディーとスールは少し岩から距離をとって、何があっても対応出来るように、構えをとっていた。

まさか中にドラゴンがいるような事は無いだろうが。

大型の獣が奇襲をしかけてくる可能性は否定出来ない。

何しろ中がどうなっているか、キャプテンにしか分からないのだから。

しばらくうんうん唸っていた三人だが。

ドロッセルさんが気合いを入れると、岩が動き出す。

負けじと力を込めて。

マティアスさんが一気に押し込み、岩をずらすことに成功していた。

フィンブルさんは、岩がおかしな方向に行かないように、丁寧に調整してくれる。この辺り流石である。

「カカカカッ、流石だな。 でも宝物庫は一定時間で閉じちまうからな。 出来るだけ急いで中のチェストを運び出せよ」

「ええっ!?」

「キャプテン、酷いよ!」

「防犯機能だ、仕方ないだろ」

まあキャプテンバッケンのものなのだ。

善意で譲ってくれるというのだし、文句も言えない。

すぐに一目でそうだと分かる宝箱を運び出す。ルーシャにも手伝って貰い、その間、岩はドロッセルさんとマティアスさんに支えていて貰う。

宝箱の鍵は掛かってはいたのだけれど。

もう壊れてしまっていて、そのまま開いてしまった。

中には金貨がざっくざく。

ドラゴン退治の報酬としては、こんなものだろう。リディーは嬉しそうにしていたが。あれ。

昔だったら、よだれを垂れ流して飛びついたはずだ。

やっぱり、感情が薄くなっているのか。

とりあえず、金貨をまず荷車に移す。取り分については、人数分で割る、でいいだろう。一応枚数を数えて、人数分で割り切れる分だけ貰うことにした。

他にも宝は幾らかある。

凄い大剣。これは、マティアスにあげるか。

だが、マティアスは首を横に振る。

「この剣、一応国宝なんだよ。 流石にこれは受け取れない。 もし貰うとしたら、今持っている以上の国宝でないと……」

「それなら国庫に納めるのです」

「ああ、他の騎士用に……というのならいいな。 じゃあすまん。 貰うな」

勿論かまわない。

更に、キャプテンバッケンは、色々なものの中から、二つほどくれる。

一つは杖。

錬金術師用のものだろう。

そしてもう一つは、拳銃だった。見るからに凄い業物だと分かる。

生唾を飲み込むリディーとスールに、キャプテンバッケンは、持っていくようにと言うのだった。

 

1、新しい銃と杖

 

一度戻って、金貨を分ける。この時点で一時解散。なおアルトさんは、金貨が出てきた時点でいらないとはっきり言ってくれたので(監視役だから、というのもあるのだろう)、計算の時点で揉めずに済んだ。

金貨ともなると、命のやりとりに関わるような金額にもなるのに。

即答でいらないと口にする辺り。

アルトさんが、生半可なお金を普段目にしていない事がよく分かる。あの程度の金で揉めるのは馬鹿馬鹿しい、というのだろう。

一度全員に帰宅して貰って、休憩にする。

本番は明日だ。

海底の本格的調査。

明日は、今まで避けていた大型の海底獣と、水中での戦闘もやってみるつもりである。そうでなければ、レポートは中途半端になってしまうからである。

皆と別れて、アトリエに戻ってから。

スールは貰った拳銃を、裏庭で取り回し始める。

口を引き結ぶスール。

お母さんの形見だからと、頑なに今までの拳銃を手放さなかったスールだけれども。

明らかに、使いやすいのだろう。

しかも拳銃はおあつらえ向きに二丁。

力も強くなっているスールである。

更に、この拳銃も、多分お母さんが使っていたものと同じ。魔力を流し込んで、弾丸の火力を上げるタイプだ。

スールがぶっ放すと、あからさまに前より威力が大きい。

リディーは、貰った杖。

多少古いけれど、多分プラティーンを要所に使っている杖を振り回してみる。

これは、魔術の発動を、更に短縮できるかも知れない。

魔力もかなり増幅されているのが分かる。

今までのお古の杖よりも。

明らかに強かった。

しばらく二人で無言になる。

夕食にするが。

最初にスールが口を開くまで、随分と時間が掛かってしまった。

「ね、ねえリディー」

「新しい杖、使いやすいよ。 新しい拳銃も、使うべきだと思う」

「……そう、だよね」

「あの拳銃は、お母さんのために作られたもので、スーちゃんのために作られたものじゃないもん。 この杖だって、お父さんのお古で……」

分かっているけれど。

何故か、涙が出てきた。

スールも目を擦っている。

しばらく無言で過ごす。

こう言う形で、親離れの時は来る物なのだなと、感じてしまい。しばらくは、言葉も無かった。

大きくため息をつくと。

頷く。新しい武器を使うと。親父さんの所に行って、拳銃の弾を補給してくる。そういえば、家には拳銃の弾の在庫があったが。それも、何もいつも使っているもののばかりではなかったのだ。

お母さんも、或いは今の拳銃にするまで紆余曲折があったのかも知れない。

そう思うと、お母さんの形見にこだわって。自分に使いやすい道具を使わないのは。色々本末転倒なのかも知れなかった。

悩んだ末だけれども。

武器を変えた事を、後悔はしない。

そう二人で話して決める。

新しい拳銃の規格にあった弾丸をたくさん購入してくる。試し打ちもしてみたけれど、今までと変わりない動きで、火力は何倍も増している。これならば、お母さんもこっちにしなさいと絶対言うだろう。

リディーも、これでよりみんなを守れるはずだ。

少しでも力を増さないと。

人はすぐに死ぬのである。今後の事も考えて、拘りを持つのは良いが。その拘りで、強さを縛ってしまうようでは意味がない。

後は、疲れも溜まっているので休む。

眠るとなると、スールはこてんと落ちる。

リディーも少し寝苦しかったけれど。

それでも寝なければならないと分かっているからか。

明日の準備だけはしっかり確認した後。早々に寝床に入った。

 

翌朝。

再びエントランスに集合。今日が本番だ。

内海、つまりキャプテンバッケンの島の周囲を徹底的に調べて回った後。外海について、調べられるようなら調べる。

絵の中に外海に相当する場所があるかは分からないけれど。

ルーシャが言うには、外海の深さはリディーやスールの背丈の数千倍だとも言う。

昔、錬金術師が何かしらの方法で調べたのかも知れない。

多分内海ともまったく違う状態の筈で。

調べられるのなら、大きな価値がある筈だ。

まず、内海に出る。

魚を捌きながら、事前に打ち合わせしていたとおり、巨獣を探す。クラゲや亀を見かけていたが。

ほどなく見つける。

巨大なヒトデのようなのが、また巨大な貝に覆い被さって、貪り喰っていた。近付くと、もりもりと音を立てて動きながら、威嚇してくる。水からある程度出ても平気なのだろうし。

獣である以上、人間を見れば襲ってくる、と言うわけだ。

戦闘開始である。

即座にルーシャが傘を構え。複数の球体が魔法陣を作り出すが。

ぶっ放された光の束が、ヒトデを打ち据えるより先に。

無数の棘が、ヒトデから打ち込まれる。

前に出たリディーが、シールドで弾き返すが。連射される棘があまりにも凄まじい密度で近づけない。

見ると、棘は射出する度に再生している様子だ。

多分肉体を本当に飛ばしているのでは無く。

魔術によって棘を生成している、と言う事なのだろう。しかもあの巨獣の棘だ。毒なりなんなりあっても不思議では無い。

幸いホーミングしてくるようなことは無いが、壁から出られない。猛烈な制圧射撃が、尋常では無いからだ。アンパサンドさんでさえ、出ようとしない中、距離を保ったまま、我慢比べにヒトデは持ち込もうとしている。つまり我慢比べなら勝てる自信がある、と言う事だ。

「リディー。 もう少し押し込んでくれるかな」

「はいっ!」

アルトさんに言われて、少し前進。荷車も自動でついてきて。積んでいるシールド発生装置によって、少し此方に来る。

だが、ヒトデはその分、意外に身軽に後退。

制圧射撃を更に続ける。

まずい。

下手に進むと、あの棘を踏むことになる。

それに、シールドを内側から棘がブツブツ貫いているのだ。変な影響が出てもおかしくはない。

その時だ。

ドロッセルさんが、ずっとはかっていただろうタイミングで。

大斧を投擲していた。

曲射で、である。

ヒトデは逃れようとするが、しかしドロッセルさんの方が早い。

一瞬で大斧が突き刺さり、殆ど半分こにされたヒトデが、悲鳴を上げながら、斧を抜こうとする。

文字通り金属をすりあわせるような音で、思わず耳を塞ぎそうになるが。

ルーシャが叫んだ。

「シールド解除っ!」

「うんっ!」

シールドを解除し、ルーシャが砲撃をぶっ放す。

更に、アルトさんが、無数の剣を手にした本から射出。ヒトデに、容赦の無い攻撃が炸裂した。

流石にひとたまりもなかった。

バラバラになったヒトデの残骸の一部を回収。トングで掴んで、棘もアンパサンドさんが回収してくれた。

次。顎で促されたので、先に進む。

手強いとは感じない。

多分だけれども。此処が「願望の海」だから、なのだろう。現実の海にはもっと強い訳が分からない獣がウヨウヨいる筈だ。

そして手強いと感じなかった一方で。

兎に角戦いづらいと感じた。

シールドの範囲を拡げてみるか。

それとも、一気に間合いを詰めて、総攻撃で仕留めるか。

どちらかを、判断しなければならないだろう。

島の廻りをゆっくり回っていく。

今度は巨大なクラゲを発見。

クラゲの中には、空中を浮かぶ種類もいるのだが。それはそれとして、海中でも巨大なのが普通に泳いでいる。

此方にさほど積極的に近付いてこないが。

やはりある程度近付くと、容赦なく襲ってくる。

しかも、クラゲは近付きながら、魔術を展開。人間の十倍は重さがありそうなクラゲだ。傘の直径だけで、リディーやスールの背丈の倍はある。

クラゲの周囲に出現した、無数の光の槍。

また飛び道具かと思ってシールドを張るが、無言でアンパサンドさんが飛び出す。

放たれた槍が、ホーミングしながら、アンパサンドさんを全て掠めて、地面に連続して突き刺さる。

あの様子だと、曲射して、シールドを迂回してきたり。

或いは一点集中してくる感じか。

槍を放ち終えたクラゲが、突貫してくる。

海中だけでは無く、空中でもまるで問題ない様子で動いている。流石に何というか、魔境で生きているだけの事はある。

生唾を呑み込みながら詠唱。

触手を振り回して、アンパサンドさんとフィンブルさん、マティアスさんを同時に相手にするクラゲ。

触手には雷撃が纏わり付いていて。

三人も、迂闊に近付くことも、攻撃を受けることも出来ないでいる。

しかも海底に触手を突き刺して、雷撃を拡散させることまでやってきている。あのクラゲ、自分の力を知り尽くしている。

ドロッセルさんが大斧を投擲するが。

しかし、分厚いクラゲの傘に突き刺さるだけで、浅い。

「あっちゃ、柔軟性高いな……」

「だったらっ!」

スールがフラムを投げようとした瞬間。

圧縮した詠唱で、また多数の光の槍を放ってくるクラゲ。慌ててルーシャが全周囲シールドを張るが。

狙いはアンパサンドさんだった。

この行動を読んでいたのか。

ジグザグに不可思議なステップを踏んで後退し、全てを回避しきるアンパサンドさんだったが。

同時に振るわれた触手が、もろにマティアスさんとフィンブルさんを直撃。

更に、スールが投げつけたフラムを、クラゲは即応で掴み。

触手一本と引き替えに、その場で爆散させてしまう。

老獪という他ない戦い方だ。更にクラゲが、多数の魔法陣を出現させる。光の槍は。まずい、気配が真上だ。

アルトさんが多数の剣を放つが、クラゲに突き刺さるものの、致命打にはならない。柔軟だと言う事が、こうも強いとは。

だったら。

詠唱し、フルパワーでマティアスさんに術式を掛ける。

マティアスさんは雄叫びを上げながら立ち上がると、触手を薙ぎ払う。雷撃で凄まじい痛みだろうに。それを無視。

更に、真っ向から、クラゲを斬り伏せていた。

流石に真っ二つになると、どうにもならない。

大量の体液をぶちまけながら、クラゲが海底に落ちる。

同時に、上空にあった、恐らく数十を超える光の槍の気配も消えた。

光源の向こう側にいた光の槍を、正確に防ぎ切るのは難しかっただろうし。更に言えば、防げたとしても、また魔力にものを言わせて第二射を放ってきた可能性が高い。

その場で、軽く手当をする。

フィンブルさんが見てくれたが、何とか大丈夫そうだ。雷撃によって受けた傷は、何とか今まで作ったお薬でどうにか出来た。

魔力の消耗が小さくない。

だが、もう少し探索して行きたい。

周囲を調べていくと。

前にクラゲを一撃で喰らっていた亀のものらしい、巨大な甲羅が横倒しになって落ちていた。

つまり、あのクラゲを瞬殺した亀を、捕食した奴がいるという事だ。

ぞっとする。

サメだろうか。

内海にでる獣の中でも、巨大なサメの危険度は群を抜いていると漁師のおじさん達に聞いた事があるが。

今戦った、多数の魔術を使いこなすようなクラゲより二段階くらい格上となると、冗談じゃないとしかいえない。出来れば陸上で戦いたいが。そう簡単にはいかないだろう。

とにかく、今は考えても仕方が無い。

移動を続ける。

皆、口数が少なくなっているが。それは、この魔境が、想像以上に恐ろしいからだろう。笑みを絶やさないのは、アルトさんくらいである。ドロッセルさんですら、冷や汗を掻いている様子なのに。

「いやあ、実に興味深い。 今度僕一人で来るとしよう」

「アルトさん、こんなの拾った」

「うん、スー、見所が良くなってきたね。 これはとっておくといい」

アルトさんは、スールが嫌がらせのように拾ってきたものを褒める。後で図鑑で調べて見るとしよう。

この人は深淵の者の顔役にして。

リディーやスールよりも遙かに格上の錬金術師。口から出任せに、いい加減な事をいうような事も無いだろうから。

黙々と歩き続けている内に。

クレバスに遭遇。クレバスを避けて歩いていると、やがて出発地点に戻ってきていた。

一度戻る。

リディーがそう発言すると。

誰も、異を唱えなかった。

移動中に、さっきのクラゲやヒトデの同族と、合計四回戦ったからである。いずれも手強く。

あれが捕食される側であると言う事実が。

この先の探索が、容易ではあり得ない事を、嫌と言うほど示していた。

 

一度アトリエに戻って、回収した素材をコンテナに。

皆にはその間、休憩を取って貰う。

お薬も補給する。

一刻ほどお城の一室を貸してもらって、其処で休む。アンパサンドさんは仮眠を取り始めるが。毛布を被ってそっぽを向いている。寝息も殆ど立てていない。弱みは出来るだけ他人に見せたくないのだろう。

この中にはホムの男性もいないのだし、気にする必要はないと思うのだけれど。

多分アンパサンドさんは、ずっと騎士として厳しい生き方をしてきたし。こういう風に、弱みを見せない行動が、習慣として根付いているのかも知れない。

「マティアス、さっきの一刀両断凄かったよ」

「腕がもげるかと思ったよ。 雷撃でいてえし、俺様怖くて泣きそう」

「えー。 今後要所要所でやってよ」

「殿下、スーの言う通りだ。 あの一撃、頼りになる」

フィンブルさんの事を、マティアスさんはとても信頼しているらしい。

多分フィンブルさんが、時々呆れながらも、マティアスさんにとても真摯に接しているのが理由だろう。

王宮のどろどろな陰謀まみれの世界を見ている訳で。

しかも外ではバカ王子扱いが固定化している。

王宮ではいつも馬鹿にされているマティアスさんが見られるくらいで。

本人もそれを受け入れて。

むしろミレイユ王女への悪評が起きないように、負の部分を一手に引き受けている雰囲気さえある。

だからこそ、こうやって公平に物を見てくれる出来た相手は、マティアスさんにとっては新鮮なのかも知れない。

マティアスさんはやりたくてやっているわけで。

時々、馬鹿にされているマティアスさんを見たり。あるいは流れてくる悪口を聞くと、一言言いたくなるのだが。

反論してしまうと、多分藪蛇になる。

悔しいけれど、現状を受け入れて、活用しているマティアスさんの努力を無駄にするわけにはいかない。

「マティアスさん、改善する点があったらしますので、何かあったら上げてください」

「そうだなあ。 あの筋力上げる魔術、凄い効果なんだけど、反動ももの凄くって……何というか、もっとこまめに回復してくれない? 俺様いつも腕が痛くて痛くて泣きそうなのよ」

「分かりました。 ちょっと工夫してみます」

「よろしくな」

ドロッセルさんは会話に加わらず、黙々と斧を磨いていて。

アルトさんは、図鑑を出してくると、さっきの何か良く分からないものについて解説してくれた。

海底に棲息している生物の一種で。

かなり特殊な魔術の媒体になるという。

体の構造的に、大量の魔力を蓄える事が出来るらしく。

貴重な品で。

市場に出ると相応の価値がつくとか。

「網を使った漁が一般的だが、地引き網も一応あるからね。 ただし獣も一辺に引き上げる事になるから、危険が大きい。 故に海底で得られる素材ってのは、基本的にとても高価なんだ。 欲しくても手に入らない事も多いだろうから、大事にするんだよ」

「分かりましたっ」

「アルトさんにとっても貴重品なんですか」

「そうだね。 僕としても、一人で探索しているときに見つけたら嬉しいかな」

なるほど、譲ることには何ら躊躇は無い、という程度と言う事か。

オイフェさんがお茶を淹れてくれたので。

起きているメンバーだけで飲む。

体が温かくなる。

ルーシャが錬金術で作った茶葉を使ったものだろう。とても体の中がみずみずしくなる気がした。

決めた時間通りに、ぴったりアンパサンドさんは起きだしてくる。

幾ら装備品でパンプアップしているとしても、あの回避盾という戦い方。少しでも、休めるときには休みたい、というのが本音なのだろう。

戦闘準備を始めるアンパサンドさんに言う。

「鎧の下に着る服、作ってきましょうか。 錬金術の布製の奴です」

「……効果はどうなのです?」

「身体能力の強化と、後は体力の自動回復ですね」

「精神疲労の自動回復が欲しいのです」

「……調べて見ます」

そうか、ストレスの回復か。

ちょっと今まで考えたことが無かった。そろそろ、バステトさんに聞きに行っても、二人で悩むことが多くなってきている。

もっと凄い魔術の使い手がいればいいのだけれど。

多分イル師匠やフィリスさん、そしてソフィーさんになるだろう。

この間小耳に挟んだのだけれど。ソフィーさんは元々魔術師として凄まじい実力者で、これに錬金術の技量が加わって、文字通りドラゴンに錬金術装備状態になったらしい。最近は幸い姿を見ていないが、ひょっとすると何かヒントが貰えるかも知れない。

また、エントランスに行き。

装備品の補給や状態などを確認した後。

絵に入る。

今度は、島から離れて。

深海に。

そう、外海に出向く。

多分、不思議な絵であっても、外海は存在している筈。もしもあるようならば、少しでも見に行かないと。

せっかくドロッセルさんを雇ったのである。

最大限に生かさなければならない。

今までとは逆方向に。島から離れた方向へと行く。ほどなく、崖のようになっている場所に出た。

これが、外海だろう。

生唾を飲み込む。ルーシャが、肩を叩いてくれた。

「降りられそうな場所を探しましょう。 それと、海の獣には地形なんて関係ありませんわ。 崖の上も当然気を付けて」

「うん、ありがとうルーシャ」

「……」

崖に沿って歩き始める。

ルーシャは口を引き結んでいて。ずっとそれから、何も喋らなかった。

程なく、多少はマシそうな傾斜を見つける。これにそって、可能な限り下へと降りてみたい。

不思議な絵画は所詮小さな世界。

あまり深い海は再現されていないだろう。

何しろ、誰も行った事がないのだろうし。

行ったことが仮にあったとしても。少なくとも、キャプテンバッケンの描写から見て、この絵の描き手が外海、ましてや深海に出向いた事があるとは思えないからだ。だから、ここから先には、本物の深海よりも遙かに緩い環境しか無い筈。

だが。

それでも、なんでだろう。

人間が本来行くべき場所ではないからか。

凄まじい威圧感を、全身で覚えていた。生唾を飲み込んでしまう。この深淵。まるで、そう。

ネージュと接して。

深淵の者と接して。

事実を知って。そして覗き込んでしまった、闇の中のまた闇。だが、この先に行かなければならない。いつも深淵の中にこそ、真の知識があって。錬金術は、知識が無ければまったく進歩しない学問なのだから。

最初にスールが歩み出る。

頷くと、アンパサンドさんが前に出た。傾斜を降っていく際も、ヌルヌルに滑るので気を付けなければならないけれど。

踏ん張っているところを奇襲されるのが最悪だ。

何かあったら、即座に撤収。

これは全員に、先に周知してある。

無言で、黙々と潜り行く。

最初の坂を下ると、少し広い場所に出た。シールドから異音が聞こえる。少しシールド発生装置を調べて、出力を上げるべきかなと判断。

多分だけれど、水の圧力が、強くなってきているのだ。もっとずっと強くても大丈夫なように作ったのだけれど。

或いは、想像以上に、水の圧力というのは過酷なのかも知れない。

ぬっと、此方を除いている一対の目に気付く。

信じられないくらい巨大な魚だ。

それはしばらく此方を見ていたが。やがて興味を失ったか、闇の中に泳ぎ去って行く。何だあれは。

多分リディーの歩幅の数百倍はあった。

あんなのが、海の中には平然と住んでいるのか。

しかも此処は実際の海でさえない。

本当の海だったら、あんなのが襲いかかってきたのだろう。多分、問答無用で、である。

言葉も無く、しばらく絶句して立ち尽くすしかない。

今のは、興味も持たなかったから、去ってくれた、と言う所だろうか。

アルトさんは、肩をすくめて、楽しそうに此方を見ている。

やっぱり、この人、外海に直接潜ったことがあるな。

それが、何となく分かった。

スールもそう感じているようで。

唇を悔しそうに噛んでいる。

「足を止めるな。 実態を出来るだけ早く調査した方が良い。 改善点があるなら、急いで割り出すべきだ」

フィンブルさんがごくまっとうな指摘をしてくるが。

この人も、冷や汗を掻いているのがよく分かった。

頷くと。

すぐに、先に進むべく、皆を促した。

 

2、アビス

 

下り坂のようになっている海底を。

黙々とただひたすら降りていく。

言葉も無いくらい怖い。

当然地面はドロドロ。坂道だけれど、転げ落ちたらアウトだろう。それに、地面にも獣は潜んでいる。

手をドロッセルさんに引かれる。

いきなり、リディーが立っていた場所が、ばくんと巨大な口によって噛み合わされた。手を引かれていなければ、即死だった。

即座で全員の攻撃を浴びせ、仕留めるが。

空気が露骨に濁ったのが分かった。

ドロッセルさんとマティアスさんで、協力して、ずたずたになったそれを引っ張り出すのだが。

どうやらいつも食べているヒラメの仲間らしい。

海底では、こんな風に待ち伏せしていたのか。

というか、あれがどうやって生活しているのか分からなかったのだけれど。こんな風に過ごしていたのか。

槍のように、突貫してくる魚は殆ど姿を見せなくなったが。

その代わり、とんでもない巨大な魚が、悠々と泳いでいるのが見える。

それだけじゃあない。

こうやって奇襲してくる奴もいるし。

完全に真っ暗で、灯りによって照らされた先には。

想像を絶する巨大な巻き貝や二枚貝。

或いはカニや海老などが。

此方を見ると、威嚇の声を上げ。その後、距離をとるとそのまま去ってくれる場合もあったが。

戦いになる場合は、とにかく相手の巨大さもあって、やりづらいったらなかった。

今も、高さはリディーの背丈の二倍半、横幅は歩幅の十倍はある巨大なカニを仕留めたのだけれど。

動きは速いわ、当然のように魔術を使うわ、金属を弾き返すほどの甲羅を持つわで。とてもではないが手なんか抜ける相手では無く。

無言で解体して、荷車に乗せたが。

ルーシャが持ち込んでいる荷車もほぼ一杯一杯。

更に戦闘で呼吸が荒くなったから、だろうか。

露骨に、頭がくらくらする。

「リディー、撤退しよう」

スールが言う。

廻りを見ると、全員が同意している。そうか、ならばそれが最善手だろう。頷くと、一旦撤退。

エントランスに出る。

反省点を互いに述べ合うが。

まず最初に出たのは、やはり戦いづらい、という事だった。

更にである。

アンパサンドさんが、具体的な話をしてくれる。

「深海に入ると、しかけてくる生物も異常に巨大化するのです。 それと、もう気付いているかも知れないですけれども、寒くなっているのです」

「そういえば、坂を下りきった後、息が白くなっていたな」

「多分日光が届かないから、では?」

フィンブルさんに、ルーシャが答える。なるほど、確かに日光が届かない夜は、とても寒くなる。

それに、深海の水も冷たいし。

持ち帰ったカニやヒラメに触ってみると、おぞましい程冷たかった。

「今回は此処までにするべきだろう」

フィンブルさんが提案してくる。

苦虫を噛み潰して、スールが俯く。リディーは、ドロッセルさんの契約延長の件だろうなと思って、フォローを入れた。

「分かりました。 一度解散します。 次までにクリアする点として、まずは空気がすぐ濁るのを改善、海水を防ぐシールドを頑強に、任意に大型に出来るように。 更に温度の調節機能の追加。 ドロドロの地面の対策ですね」

「おいおい、大丈夫か? 何だかCランクの錬金術師にやらせる事じゃないように思えてならねーよ。 そもそもドラゴンとの戦闘だって」

「殿下」

「……分かってる。 姉貴の言い出した事だし絶対だ」

ぼやくマティアスさん。だが、やっぱりフィンブルさんの事は信頼しているのだろう。自分に言い聞かせるようにしてぼやく。

フィンブルさんは、正式に騎士になって貰って、マティアスさんが雇うのが良いのではあるまいか。

多分バカ王子の腰巾着とか言われるかも知れないが。

しかし、それでもマティアスさんには支えてくれる人が必要だ。

辛い役回りになるだろうが。

フィンブルさんがそれを嫌がるとは思えなかった。

解散。

一旦魚市場に行って、お魚を分ける。

巨大なカニとヒラメを見て、漁師達は驚いていたけれど。

ボロボロに傷ついているのを見て、簡単に捕った訳では無い事を悟ったのだろう。何も言わずに、そこそこの高値をリディーとスール、ルーシャに支払ってくれた。

解決すべき問題の内、濁る空気についてはエアドロップの量の改善。シールドについては、装置の機能拡張で何とかなる。

温度調節だが。

これについては、装備品で補うか、或いはシールド発生装置に手を入れるか。

いや、しかし多機能にしすぎると壊れやすくなるし。

難しいところだ。素直に周囲の温度を変える装置を作るか、装備品を人数分作るべきだろう。

カニやヒラメでも、強い魔力が籠もっている殻などは売らずに残しているので。

これを活用する手もある。

ただ、カニは甲羅を剥がしているとき、凄い数の寄生虫が出てきて、文字通り絶句したが。

ただ、スールももう虫でピーピー泣き言を言わないのだ。

リディーが泣き言を言う訳にもいかなかった。

ドロッセルさんは、コンテナに戦利品を格納してくれるまではつきあってくれたが。その時に言われる。

「分かってると思うけれど、契約は一旦解除。 次はどうする?」

「延長は……」

「契約書の変更はトラブルが多いんだ。 だから、もしもやるんなら、契約のし直しだね」

「分かりました、次回、一週間後に一回だけ護衛をお願いします」

まだ掛かるかも知れないが。

ともかく、一週間後、一回。

それで、話をつける。

料金は割り増しになるが、こればかりは仕方が無い。此処まで厳しいとは思わなかったのだ。

考えが甘かった自分への勉強料、という所だし。

危険なのだから撤退した。

その判断に間違いは無かったはずだ。

「それにしても、あの大型が襲ってくるんだろうな海だと……」

「湖に潜ったことがあるって聞きましたけれど」

「それはね、フィリスちゃんの作った船でね」

「フィリスさん、何でも作るんですね……」

自慢げなドロッセルさん。

フィリスさんと旅をしていたときより少し年を取ったけれど。

あの頃が一番楽しかったと、目を細めて笑っている。

今ではすっかり戦略級の傭兵として、騎士団からも声が掛かるほどの戦士に成長しているドロッセルさんだけれども。

フィリスさんと旅をしている頃は、まだ戦略級傭兵ではなかったらしい。

なお、湖で見かけた生物は、さっき深海で見た者に比べると、だいぶ小さかったそうである。

コンテナへの格納を終えると。

ドロッセルさんに夕食を振る舞って。

その後は、作業を黙々と始める。

出来るところからだ。

まずは硬化剤。

これについては、土木工事をしているときに、レシピを聞いている。二種類の薬剤を混ぜることによって、地面を瞬く間に固めることが出来る。上手くやれば、地下からの奇襲も防げるだろう。

これをそれなりの量作っておく。

これでドロドロの地面については解決。大量にいるので、スールに頼む。

リディーは装置類の改良を開始。

まずはシールド発生装置。

エアドロップ。

灯りも、シールドの範囲拡大にあわせて、増やした方が良いだろう。

それに加えて、必要なのが。

温度を一定に保つ事だ。

これに関しては、別にもうバステトさんと相談しなくても、自分で魔法陣を書ける。温度を感じ取り。寒くなっているようなら暖かくする。以前フーコと火竜の世界に行ったときに、温度調整のアクセサリを作ったが。あれをそのまままた引っ張り出してきても良いだろう。

問題は、どれくらい気温が下がるか分からない事で。

荷車に積んでおくとしても。

荷車が吹っ飛ばされたりしたときに紛失しても困る。

少し悩んだ末。

前に使ったネックレスを引っ張り出してきて。

それにちょっと改良を加える。

宝石に魔法陣を刻んで。

更に荷車に、縛り付けるようにして固定。

これで多分、温度調整については、気にしなくても良い筈だ。今後の事を考えて、この温度調整宝石は、荷車に標準装備としてつけておいても良いだろう。

改良を進めていく内に。

一週間は容赦なく過ぎた。

イレギュラーな事態は嫌でも起きる。

一応、できる限りの準備はした。マティアスさんとフィンブルさんの分も、服の下地に仕込むモフコットとクロースは用意した。アンパサンドさんには既に渡しているので、これで充分だろう。

他のメンバーは、自前でそれくらいは補えるはず。

後は布の質を上げながら。

ヴェルベティスを作れるようになるまで、精進を続けるだけだ。

一週間が経つ前に、フィンブルさんにも声を掛け王城でも手続きをして。更には、服の下地に仕込むモフコットも渡しておく。

これで後は、各自で何とかしてくれるだろう。

さあ、これで決める。

元の海よりも条件はかなり温いはずなのだ。

これを超えられなければ。

先になんか進めない。

 

エントランスで集合し、海に入る。今回も来ているのはアルトさん。多分、単純に楽しいのだろう。にこにこしている。何というか興味津々の若者と言うよりも、好々爺という風情だが。

ルーシャが何だかげんなりしている様子なのは。

多分その辺りが、違和感を強く感じるから、なのだろう。

多分ルーシャも、アルトさんが深淵の者の幹部である事くらいは勘付いているはずで。下手な事はしないとは思うけれども。

しかしながら、最近どんどんアルトさんは本性を出してきているようにも見えるので。今後何が起きるかは分からない。

海の中に入ったら、対水シールドの拡大。空気の量を調整。更に、温度も状況に合わせて調整。

硬化剤を使って、地面を歩き易くすること。

これらを説明すると。

皆、ある程度納得してくれた。

「シールドが大きくなれば、奇襲に対応するのも楽になる。 問題は深く潜ると、シールドへの圧力が尋常では無い事だが……」

「それについては、シールド発生装置を強化することで対応はしてきました」

「無理そうだったらすぐに引き上げるのです」

「分かっています……」

ただでさえ、今回はかなり赤字が出始めている。

来月に入ればまた給金が振り込まれるけれど。

それは逆に言えば、また義務をこなさなければならない事も意味しているし。

何よりも義務の中には戦略事業への協力も含まれる。

もたついていると、多分永遠に此処で足踏みしたまま、先へ進めなくなるだろう。それだけは、避けなければならない。

海に入る。皆で同時に入らないと危ないのが問題だ。

シールドを入ると同時に展開、拡大。エアドロップも補充してきてあるし、今の時点では問題は起きていない。

頷くと、全員揃った事を確認。

そういえば今回、ルーシャは全自動式荷車を四連にして来ている。

流石お金持ち……と言いたいところだが。

多分、リディーとスールの荷車では足りないと判断。

戦略的に海底を探索する準備をしている間に、準備をしてくれていたのだろう。

てきぱきと、ルーシャとオイフェさんが、四連目の荷車を、リディーとスールの二連の後ろにつけ直してくれる。

これで移動にムラが出ないはずだ。

全自動荷車のレシピは同じ筈なので。

動かすのも、何ら問題は無いだろう。

「前回の移動経路に沿って、行ける所までいってみます」

リディーが声を掛ける。

アンパサンドさんが周囲を見回し、頷くと少し離れて前に立つ。これなら、ある程度は戦えると判断したのだろう。それにドラゴンのブレスを余波は受けたとはいえほぼ完璧に回避した彼女だ。ちょっとやそっとの獣の奇襲くらい、どうにでもなる。

深海へと、移動開始。

硬化剤の準備もしておく。

これは坂になっている場所で使う。

前にも実際に硬化剤で固めた場所は触った事があるのだが。つるつるではなくざらざらになるので。

荷車を移動させるには、充分な状態だと言える。

移動しながら、ちょっかいをかけてくる獣を片付け。

処理が終わったら、また進む。

坂につく。

本当に、奈落の入り口、という感触だ。

ひえーと声を上げながら、マティアスさんが覗き込んでいるが。文字通りのアビスへは、此処から挑むのだし。

今後、此処の比では無い魔境に行く可能性も高い。

この程度で、尻込みなんてしていられない。

そもそも、アルトさん見たいな超格上が側にいてくれるだけでも、かなり探索条件が温いとも言えるので。

あまり贅沢も言えない。

硬化剤を流す。

まず最初のを流した後。

二種類目を流す。

瞬間的に硬化する。

先に降りたアンパサンドさんが、確認をしてくれて。

その後、出来るだけ急いで、移動を行う。

以前移動した経路を辿って、どんどん移動していく。巨大な魚に目をつけられて、攻撃を受ける前に。

可能な限り深淵を進みたいのだ。

この間の到達点は、比較的簡単に到着できた。更に深くに潜れるように、周囲を探していくが。

完全に崖同然の場所ばかりで。

緩やかに降っていく地形が殆ど見当たらない。

散開する訳にもいかず、ゆっくり、じっくり、丁寧に周囲を這うようにして調べていかなければならない。

崖崩れの危険もあるし。

最悪の場合は、即時撤退。

撤退し損ねたら死ぬ。

それも皆に周知し。

それぞれ認知して貰っている。

比較的緩やかな坂を発見。硬化剤を流し込む。しばらく硬化剤を流し込んでいるが。先を見てきたアンパサンドさんが、急いで戻ってくる。

巨大な海老が、もの凄い勢いで突貫してきた。

ルーシャがシールドを張って突撃を防ごうとするが、一気に押し込まれる。でかすぎるのだ。

アルトさんが多数の剣を本から召還。

海老の周囲に突き刺し、一瞬だけ動きを止めると。

リディーがマティアスさんに筋力強化の魔術を掛け。

ドロッセルさんとマティアスさん、更にフィンブルさんで、一斉に関節の継ぎ目を狙って、一撃を降り下ろす。

更に、顔面に、掌底をオイフェさんがたたき込み。

跳躍したスールが、海老のヒゲをへし折ると、海老はハサミをしばらく振り回していたが。

やがて動かなくなった。

図体だけの相手で良かった。このサイズで魔術を使う獣も多いのだから、冗談ではない。またハサミは恐ろしく鋭く。アンパサンドさんが顔面至近で気を引いてくれていたから良かったが。

ルーシャのシールドを潰されていたら、どうなったか知れたものではない。

荷車に死骸を積み終えると、更に坂を下る。坂を硬化剤で固めるだけでも、かなり時間が掛かった。何度かに分けてやらなければならなかったのだ。それだけ深い深い坂だったのである。

途中で何度か無理矢理坂の途中で足を止め。

硬化剤の散布作業をせざるを得ず。

その途中での作業は、非常に緊張した。

いつどこから襲われてもおかしくないのである。やはり、生身で深海に来るのは、無理がありすぎるのかも知れない。

のそのそと歩いて来る姿。

ユーモラスな顔立ちをしているが。崖のような場所を、横に立ったまま、重力を無視するように近付いてくる。

近づいて見ると、それが大量の触手で構成されていて、人とは似ても似つかないが。此方に敵意はないことだけは分かった。

ハルバードに海老の肉をつけて、フィンブルさんが差し出すと。

触手の塊生物は、肉を美味しそうに食べて、満足したのか引き揚げて行く。

戦わずに済むのならそれで良い。

見ると、触手生物がたくさん近づいて来ている。

多分海底では、弱い方の生き物なのだろう。

それでも、リディーよりもずっと大きいし。多分何かしらの自衛手段も持っているのだろうけれど。

此処は不思議な絵の中。

外と違って、獣は必ずしも人間の敵ではない。

少なくとも海中の獣は。

「食べたら引いてくれよ」

そういいながら、フィンブルさんは、マティアスさんと協力して、海老肉を分けていく。

工事を終えて、更に坂を下る途中も、エサをねだって触手の塊達は集まって来ていたが。海老肉が尽きたのを察すると、さっと消えていった。

現金な生物たちである。

でも、それで良いのかも知れない。それで生き残れるのなら、何でも良いのだろう。

合計七度、坂の舗装工事を行い。

荷車が滑り落ちないか冷や冷やしながら作業をし。

そして、ついに深淵の底に辿りつく。

使い魔を飛ばして確認。

かなり、深く潜ってきていることが分かった。使い魔が、中々水面に出ない。やがて、水面には出たが。

キャプテンバッケンの島が、もう見えないほど遠くになっているようで。全周囲に確認できなかった。

「推定深度……私の背丈の2000倍」

「それならば、外海と遜色ないのです」

「はい」

アンパサンドさんの言葉に頷く。

周囲はやっと平面になっていて、探索するなら此処しかないだろう。やっと、徹底的な調査が出来る。

地面の泥も採取。

小さな生物も、ある程度採取していく。

シールドがギシギシ言っているのを見て、アンパサンドさんが急ぐように声を掛けて来る。

これは、改良案件だ。

まだ予想よりも、シールドが脆かった、と言う事だろう。

それに空気が肌寒い。

一応、温度は安定させている筈なのに。

これも予想を遙かに超えて、アビスとも言える此処が寒かった、と言う事に他ならない。

探査を急ぐ。

上の方を、とてつもなく巨大な何かが、ゆっくり泳ぎすぎていく。此方には興味も無い様子で、それだけは助かる。魚のようにも蛇のようにも見えるが。ドラゴンではなさそうだ。あの圧倒的な殺意というか戦意というか、そういうものが感じ取れない。

海底の地面は柔らかく。

また、採取した水も、かなり成分が普通の海水と違うようだった。澄んでいる。

それぞれ少しずつ回収して、荷車に積んでいく。

「ちょっと、あれ」

ドロッセルさんに言われて、気付く。

雪のようなものが降ってきている。

海底でも、雪が降るのか。

シールドの外側では、雪を求めて、小さな海老とか蟹とか、それに近い姿をした生き物が、それぞれ動き回っている。

つまりアレは雪と言うよりも、何か違うもの、ということだ。

シールドを移動させて、海底の雪をちょっと回収。多分見た感触だと、小さな生き物の死骸だろう。

海底の雪は。

地上の雪と違っている。

それは死体で出来ている。

少しばかり、面白い結論だった。

獣も、この過酷な環境ではあまり戦いたがらないのか。

それともそも、この絵を描いた人が、それほど深海を緻密に想像できなかったのか。それは分からない。

だけれども。

はっきりしているのは、調査している間、獣は襲ってこなかったし。

調査そのものは、無事に完了した、と言う事だった。

 

一旦絵から出て入り直し。

キャプテンバッケンの島に赴き。キャプテンに挨拶する。これで調査は終わりだ。時々素材を取りに来るかも知れないが。

この人には、色々お世話になった。

礼を言うと。

キャプテンバッケンは、カカカと笑った。

「また暇なときにでも来てくれや。 俺の宝は世界中から集めたものだからな。 また子分が増えたら、分けてやるぜ」

「はい、ありがとうございます!」

「また来ますね!」

「ああ。 だが、命がけとか、無茶をしてまで此処に来るんじゃねえぞ。 此処はあくまで楽しむために来る場所だ。 それは、理解しておいてくれ」

多分キャプテンは、荷車に積んでいる大がかりな装置などから、察したのかも知れない。深海の危険な調査をして来たばかりだと。

苦笑いすると。

もう一度キャプテンに頭を下げて、絵を出た。

エントランスで、話をする。

「分かっていると思うのですが、レポートを出すのです」

「はい。 すぐに準備します」

「いやはや、中々刺激的な体験だったよ。 これは是非書物に書き残さないといけないね」

アルトさんが、そんな脳天気な事を言っている。

肩をすくめると、ドロッセルさんは、契約終了でいいねと確認して。それで、戻っていった。

後は、荷車をルーシャに返して。

巨大な海老を一とする戦利品の本格的な解体と分別。

やっぱり寄生虫はたくさん出てくるだろうと思ったので。内臓とかの取り出しは、キャプテンの島で済ませてある。

殻などは、それ自体が強い魔力を帯びていたし。

ハサミはとても鋭く、なおかつ頑強。

加工すれば、そのまま武器にできるかも知れない。

だが、多分だけれども。

実際の深海は、環境が更に厳しい。

そう考えると、色々と陰鬱な気分にもなる。

不思議な絵画の世界ですら、あれだけ厳しかったのだ。獣の攻撃はゆるめだったけれど。それ以外は、いつ死んでもおかしくない程だった。

エントランスで解散すると、後はアトリエに。

荷車を三連にしようかとリディーは思ったが。

スールは、見越したように言う。

「まだ二連で良いんじゃないのかな、荷車」

「うーん、でもそろそろ、出てくる獣を積み込めなくなりつつあるよ」

「それはそうだけれど……」

「ドロッセルさんに聞いたんだけれど、フィリスさんはアトリエを自由に移動させることが出来たんだって」

えっと、スールが驚く。

リディーもそれには驚かされた。

何でもソフィーさんから貰った折りたたみ式のアトリエを使っていたから、らしい。

そういえば、あのテントみたいなあれがそうか。

山を丸ごと飲み込むという話をしていたが。

あのアトリエを移動させながら、山を前見たようにつるはし一丁で粉々に砕き。鉱石をガンガンコンテナに流し込んでいたのだろうか。

だとすると凄い話だ。

残念ながら、リディーとスールに同じ事は出来ないけれど。

コンテナへの入り口を、いつでも作れるようになれば。或いは。

だが、空間系統の錬金術は、最上位に位置すると聞いている。

それこそ、フィリスさんやイル師匠がやっと着手できる領域だとも。

だとすると、今の双子では到底無理。

しばらくは諦めるしかない。

コンテナへの収納を終えると、レポートに着手するが。やっぱり少しずつ書き始めて分かるが、今回は兎に角大変だ。

ドラゴン戦の経緯。

海底の環境。

海底を探索するのに必要なもの。

全てをまとめていかなければならない。

考えた末に、ドラゴン戦と探索は、別レポートにして出す事を決定。不思議な絵の具についても、しばし考えた後、最高機密扱いでレポートに記載することとした。

不思議な絵の具のレシピはそれほど極端に難しくはないのだけれども。

残念ながら自分の身をもって知っている。

あくまで力の差を多少埋める程度の効果しか無く。

相手に絶対勝てる必殺の道具などでは無いと言う事を。事実、ドラゴン戦では、相手が海竜としては小さい方……つまり弱いとフィリスさんが断言していたにもかかわらず、アンパサンドさんを死なせかけた。

もっと強ければ。あんな事には。

そう思うと、今でも悔しくて、涙が流れそうになる。

だけれど、強くなろうとすればするほど、あのアビスのような深淵に、どんどん首を突っ込まなければならなくなる。

レポートを手分けして黙々と仕上げる。

黒板にまずチョークで書いて。

それからゼッテルに書き写すのはいつもの作業。

ゼッテルにインクで書くと取り返しがつかないからである。

気分転換にと、スールが蒸留水を作り始めるので、好きにさせる。アレは定期的にやらなければならないし。時間も手間も掛かるから、誰かが開いている時にやらなければならないのだ。

ドラゴンの血を回収出来なかったのは致命的だったなあと思う。

フィリスさんもソフィーさんも、イル師匠も。

重要な調合で使う中和剤には、ドラゴンの血を用いているらしいから、である。

レポートを真夜中まで書き。翌日の昼前までに何とか第一稿を仕上げ。スールと互いにチェックし合い、修正点をそれぞれに書く。そして推敲を重ね。夜までには、何とか書き上げた。

リディーがレポートを出しに行くと。

途中で、隣のおばさんに呼び止められる。

一時期は、ずっとあのろくでなしがと、お父さんの悪口を言っていたおばさんだ。昔はそれに同意していたが。

今はむしろ腹が立つ。

お父さんの哀しみを知っているからである。

「ちょっと風邪薬が欲しくてね。 作ってくれないかい。 最近、評判が凄く上がっているんだろう?」

「分かりました。 後で作って持って来ますね」

「今すぐは作れないのかい?」

「ちょっと王宮にレポートを出しに行かないといけなくて」

レポートを見せる。

蜜蝋で止めているスクロールを見ると、不愉快そうな顔をしたおばさんも、それ以上は止めなかった。

風邪薬とは言われたが。

実際に症状を見ないと何とも言えない。

状況次第では、もっと高度なお薬が必要になる可能性もある。

そう考えると、とてもではないけれど、安易に依頼は受けられなかった。

レポートを提出して。

そして、結果は後で報告させると、不慣れな様子のヒト族の役人に言われる。今まで見たことが無い役人だが。或いは人員を増強している結果なのかも知れない。

後は淡々と帰る。

昔は、夜に歩いていると、嫌な視線を感じることもあったけれど。

今はもうそれもない。

リディーとスールがドラゴンを倒したという噂は、雷神を倒したという噂と一緒に広がっていて。

流石にしかけるのは命知らずすぎるだろうと思っているのだろう。

ドラゴンを倒せる騎士なんて、いない。

錬金術師、それも相当な凄腕と連携して、やっとドラゴンとは戦える。

この街の人達は、錬金術師が少ない世界で生きてきたから。

ドラゴンの脅威度についての認知は高い。

騎士団だけではどうにもならない。

それを知っている。

だからこそ、雷神に続いてドラゴンを倒したという話が広まっている今。もう、リディーやスールに無意味にしかけてくる輩はいないだろう。

夜道を歩いて、アトリエに辿りつくと。

お薬を調合しているスールを横目に、必要そうな道具類を持って隣の家に。熱を出している子供を診察。変な病気では無さそうなので、必要と思われるお薬を何種類か出しておく。

それだけ。

お金も勿論請求するが、同時に言っておく。

「お医者さんには診せましたか?」

「そりゃあもちろんだけれど、貰った薬が効かなくてね」

「……」

とりあえず、他の薬とバッティングするような薬は渡していない。明日、もう一度様子を見に行く必要があるだろう。

後は、アトリエに戻る。

丁度スールが、調合を切り上げたところだった。うがいをして、手洗いも済ませて。後は寝るだけ。

軽く寝る前に、スールと話す。

「キャプテン、自分がどういう存在か、分かっているみたいだったね」

「……自分が道化だって分かっていても、その生き方を貫けるのは、凄い事だとスーちゃん思うな」

「うん……そうだよね」

「キャプテンには色々お世話になったね。 未来に好きな人が出来て、子供が出来たら、連れていきたいな」

そんな日、来るだろうか。

そもそもリディーもスールも、どんどん力をつけている。そして力をつけた先にあるのは、人間離れしていく錬金術師の真実だ。

良い例がソフィーさんやフィリスさん。イル師匠も、多分あまり好んではいないだろうけれど、人間の枠組みからは外れてしまっているはず。

そうなったら、子供なんて作れるとはとても思えない。

年も取ることが出来ず。

錬金術師として、深淵に挑み続けるのだろう。それは、幸せなことだと言えるのだろうか。

もうスールは疲れが溜まったのか、寝てしまっていた。

リディーも目を閉じる。

不安がどんどん大きくなっているのを感じる。

アビスは文字通り暗闇の世界だった。

そして錬金術を極めた先にも、同じような深淵の闇が拡がっているのは確実だ。

戻ったら。

生きて帰れる自信は、あまりない。

いつまで人間でいられるのだろう。

それも、もうよく分からなかった。

 

3、星空の世界

 

翌日、マティアスさんが昼少し過ぎに来た。

レポートを受理したこと。

晴れてBランクの試験を受ける資格ができた事を告げに来てくれた。

やはりこのCランクが振り分けの一種の線引きとなっているらしく。

此処に関してだけは、やたらと難しくなっているそうである。

少し前にルーシャは何とか突破。今ではBランクらしいのだけれども。

その先はまた難しくなるらしく。

まあ、イル師匠やフィリスさんが既にSランクになっているという話は実力の次元が違いすぎてまったく参考にならないので。

ただ、マティアスさんからスクロールを受け取るしか無かった。

「Bランクの試験については、結構難しいのを準備しているらしくてな、ちょい待って欲しい、だそうだ」

「分かりました」

「合点!」

「相変わらず元気が良いなスー。 俺様、試験の度に死にそうになるから、おなかがきりきり痛んで辛いよハハハ」

本当に気の毒になったが。苦笑いしか浮かべられない。

どうせ試験内容に深淵の者が噛んでいるのは間違いないだろうし。

リディーもスールもそれに巻き込まれているだろう。

マティアスさんが、深淵の者の存在を認知しているかは知らないけれど。

知ったところで、多分どうにもできない。

王族だけれど、あの人に権力は無い。

汚名を被るための笠であり。

ミレイユ王女の輝きを引き立てるための添え物に過ぎない。

「みんな」の不満を向けるための矛先であり。

公認でバカにして良い存在として認知されている存在だからである。

昔の自分や、スールを殴りたくなるが。

今更どうにもできない。

肩を落としてマティアスさんが戻っていくのを見届けると。

今のうちにやれることをやっておこうと、話をしておく。

Bランクの試験がどんな内容になるかは分からないが。

今までにしてきた事を、更に磨いておく必要があるだろう。少なくとも、今度同じ条件でドラゴンとやり合ったときには。

もう少し簡単に勝てるように。

誰も死なせないように。

フィリスさんの介入が無くても勝てるように。

力を磨き上げなければならない。

「まずはプラティーンをもっと上手に作れるようにして、量産出来るようにならないと駄目だね……」

「モフコットの上位の布も作りたい」

「うん。 騎士団に納入する装備に関しても、もっと良い物を納入できれば。 現場の騎士達も、ぐっと楽になるはずだもん」

「何より私達のためになるしね」

順番に決めてから。

既存の手札を更に充実させることを、まずは前提に動く。

数日は、何も予定は無い筈で。

その開いた数日を使って、やるべき事をこなしておくべきである。技量が足りない。だから、いつもみんな怖い目に酷い目にあわせている。それは中核戦力であるリディーとスールが頼りないから。

それを払拭するためには。

力をつけるしかないのだ。

まず中和剤だが。

ここしばらく入手してきた品の中では、この間得てきた深海の水が一番良いかも知れない。

不思議な絵の中の品と言う事もあるけれど。

とにかく不思議な成分で。

強い魔力も含んでいる。

多分だけれども、不思議な絵を構成している魔力が、圧縮されて詰め込まれているのだろうと思う。

今度機会があったら、また取りに行きたい所だ。

中和剤を作るにしても。

まずはできる限り最高品質の蒸留水をベースとして準備する所から。

そして中和剤も。

魔法陣を書いて、魔力を注ぎ込む過程で。

スールがそれを出来るようになったので。

手分けして、作れるだけ作る。

深海の水も、何に使うか分からないし。

或いは思いも寄らない使い路があるかも知れないので。

全ては使わないようにする。

手分けして動くのは。

双子だから難しく無い。

一人一人は無能だけれど。

二人がかりなら、ある程度は出来る。

そう信じて。

少しでも、作業を進めていく。

錬金術は覚えていくと分かってきたが。どんどん際限なく先がある。あらゆる全てを極めているだろうソフィーさんがとんでもないという事が、知識がつけばつくほど分かってくる。

作業を進めていく内に。

あっと、スールが声を上げた。

失敗したらしい。

仕方が無いと声を掛けて、駄目になってしまった鉱石を廃棄する。この廃棄一つをとっても。

最近はイル師匠に、周囲を汚染しないようにとやり方を教わって。しっかりコーティングして庭に埋めている。場合によっては廃棄しないで再利用もする。

どんな駄目になった素材でも。

活用法はある。

声が聞こえたりするのだ。

こんな風に使えるよ、と。

聞こえる声はどんどんクリアになって来ている。

スールは多分傷つくだろうから言わないけれど。これは多分ギフテッドだ。スールに目覚めるかはよく分からないけれど。

リディーに目覚めたのだ。

スールが目覚めたって、おかしくは無い筈である。

しばしして、プラティーンのインゴットが仕上がる。

会心の出来とスールは言っていたが。

まだちょっと粗いところがあるように見える。

聞こえる声が、イル師匠が作るようなインゴットだと、澄み渡った本当に美しい声なのだけれど。

まだ雑音が混じっているのだ。

それでも、確かに最初の頃のと比べると、雲泥に思えるが。

「これ、コルネリア商会に登録してくるね」

「うん。 それじゃあ私は、ラブリーフィリス見に行ってくる」

「合点」

そのまま二人、別れて行動する。

フィリスさんのアトリエはぽつんとあったが。

外に洗濯物が干されている。

てきぱきと作業しているのは、以前ツヴァイと呼ばれていたホムだ。フィリスさんの血がつながらない妹。

仲よさそうに、リアーネさんと一緒に洗濯をしているが。

かなりの量である。

声を掛けて、手伝うことを口にすると。少し考えた後に、リアーネさんは了承してくれた。

これでも家事が全部駄目なスールの代わりに、家事を回してきたのだ。

それなりに出来るが。

リアーネさんは年期が違うと言うか。

ツヴァイさんとの連携も美しく。

リディーの倍は速く作業をこなしていく。これは正直な話、いわゆる家庭的な作業でも勝ち目は無さそうだ。

ちょっと悔しいが。

こればかりは、現実を甘んじて受け入れるしかない。

作業が終わると、ラブリーフィリスの出店を出してくれたので、品を見る。幾つか、本が入っていたので、中身を見せてもらった。

占い関連や。

魔術の本もある。

これは嬉しい。魔術は毎回バステトさんに聞きに行くのだけれど。そろそろバステトさんでも、厳しい局面が出始めていたからだ。

勿論彼女は実戦で魔術を磨いてきた本物の魔術師だが。

それはそれとして、自分でも本格的に魔術を学びたい所なのである。

攻撃系の魔術は、リディーには決定的に適正がないとも聞いている。

ならばシールドや、筋力強化などの支援魔術を、更に独学で磨きたい。

本を何冊か購入。

活版印刷が機械技術者の手で普及しているとは言え、本はお高い。ただ、前に比べて動かせるお金が増えているので。

そこまで厳しい買い物では無かったが。

リアーネさんが聞いてくる。

「この間、フィリスちゃんとドラゴン退治に行ったんだって?」

「はい。 初手で、フィリスさんがドラゴンの動きを封じてくれたので、随分と戦いやすかったです。 それと、最後に大けがも治してくれて」

「ふふ、フィリスちゃん、大成する前にも上級を倒しているからね。 最近はもう凶暴なドラゴンは一人で倒して来ちゃうみたいだけれど」

「一人で!」

信じられない。いや、分かってはいるけれど、身内からそういう言葉が出てくるという事は、相当な話だ。

それにさらっと上級とも口にしている。

そうか、上級か。

ネームドでも強いのは下級のドラゴンに匹敵するケースがあるらしいという話は聞いたことがあるけれど。

流石に上級は、もはやネームドの及ぶところではないとも聞いている。

大成する前からそんなのと戦っていたのだとすれば。

それはフィリスさんが強いのも納得である。

「フィリスちゃんは厳しい事を言うと思うけれど、それは必ず意味があることだから、理不尽だとは受け止めないで。 フィリスちゃんとずっと旅をしてきた私だから言えるのだけれど、いつだって困った人を見捨てることは無かった。 どんな厳しいインフラ工事からだって、フィリスちゃんは逃げなかった。 ラスティンでは、一年で百年分の仕事をしたと言われているけれど、それは嘘でも何でも無いのよ」

「……」

「早く力をつけて、フィリスちゃんの助けになってあげてね」

笑顔で言われるが。

ああなるほどと悟る。

この人も、深淵の者関係者。それもずぶずぶと言う訳だ。

そして、今のはそう悟るようにあえて誘導している。フィリスさんの足を引っ張るなと、暗に釘を刺し、牽制もしてきている、と言う事なのだろう。

年の離れた妹であるフィリスさんを、この人が溺愛していることは分かる。

しかしながら、それはそれとして。

きっとこの人は、何処かで歪んだフィリスさんの事を悲しんでもいるし。

フィリスさんのためなら、何でもするのだろう。

愛する家族なのだから。

本を受け取って、アトリエに戻る。

もしも、自分が同じ立場だったら。

スールのために、何ができるだろう。

同じように、修羅になれるだろうか。

なれるかも知れない。

実際、ルーシャが手段を選ばなかったのを、間近で見ているのだ。家族への情愛が、必ずしも相手に伝わるとは限らないし。

何よりも良い方向に作用するとは必ずしも限らないのだから。

アトリエに戻ると。

スールがコルネリア商会での手続きを済ませて、薬を作り始めていた。

この間の深海探索である程度お薬を消耗したので、その補給である。

更に上級のお薬を作るためにも。

良い素材や、基礎的な技術は必要になってくる。

それを横目に、リディーは本を開いて、魔術の勉強。装備品を作るにしても、錬金術の布で服の裏地を作るにしても。

徹底的に知識を増やして。

改良を重ねなければならない。

事実下級のドラゴンを相手に、更に相手を弱体化させた状態でも、あれだけの苦戦をしたのである。

今後は更なる力が絶対に必要不可欠だ。

戦いの中で身につく力もあるかも知れないけれど。

リディーは戦いの中ではいつも真っ先に伸びてしまう。

魔力も足りないが。

それ以上に、魔術の使い方とかの配分が下手なのだと思う。ならば、練習して、磨き抜くしかない。

魔力量を増やす修行について詳しく書かれていたので。

早速やってみることにする。

かなり厳しい修行のようだが。

今、相当に増幅しているのだ。

魔力量が増えれば、それだけ使える魔術も増えるし。更に味方を有利にすることだって出来る。

シールドが強化出来れば強力な攻撃だって防げるし。

味方の能力を上げられれば、それだけ敵に対して攻撃が鋭さを増す。

二割攻撃力が上がるだけで、全然結果は違う。

そういう話をアンパサンドさんから聞かされている。

それならば、ちょっとでも魔力を上げられれば。

それに、スールだって裏庭で、拳銃を使いこなすべく、毎日特訓をしているのだ。弾代をつぎ込んでまで。

それにスール式のやり方で。

魔力をああやって鍛えているとも言える。

ならば、リディーは。

リディー式のやり方で、自分を鍛え上げるしかない。

座禅を組み。

全身を流れる魔力を練り上げる。

魔力を練り上げるというのは、本を見ながら詳しくやり方を覚えていくが。

最終的には、魔法陣を書き。

その上で更に効率的にやるらしい。

今はいきなりそこまでやっても体を吃驚させるだけだと思うので。丁寧に、基本からこなして行く事にする。

しばしして、魔力を放出して。

疲れたと思いながら、スールの方を見ると。

お薬が仕上がった所だった。

出来を確認するが。

最初の頃とは雲泥だと思う。

同じナイトサポートでも。これならば、もう割り増しで売値がつくはずだ。使う騎士達も喜んでくれるだろう。

ただ、コンテナにお薬を入れると。

腰砕けになってしまう。

どうやら今の魔力の練り上げ。やはり最初から無理をすると、大変な事になるらしい事がよく分かった。

慌てたスールに支えられるが。

苦笑いしてしまう。

「やっぱり私駄目だね。 魔力量が増えれば、もっとみんな守れるのに」

「無理しないでリディー」

「無理しないと、もっと今後無茶苦茶言われたときに、耐えられないよ」

「……っ」

スールも分かっている筈だ。

あの試験内容。

明らかに深淵の者が手を入れている。主体的に動いているのは多分ソフィーさんだ。あの人がどれだけ無茶苦茶しているかは、直接見なくても想像がつく。アルトさんの言葉はよく覚えている。

深淵の者でさえ、食客として扱っていて。

しかもその実力は、深淵の者全てをあわせた以上だと。

そんな人の出してくる試練だ。

まだ手加減している可能性は高く。今後、可能な限り力をつけないと、それこそ皆をゴミのように死なせる事になってしまうのは確実である。

ともかく、ベッドに横に寝かされる。

本については、スールも見るという。

拳銃の火力はだいぶ上がってきた。

専用の、魔力を流して銃弾をぶっ放すタイプの拳銃に、かなりなれてきたという事らしい。

今後は、空中機動をやってみたい。そうスールはいうのだ。

「獣の中にもいるでしょ、空中機動する奴。 あれが出来れば、スーちゃんももっと色々に戦えると思って」

「空中に足場を作って移動する奴だね」

「うん。 せめて立体的に動いて相手の頭の上とか背中とか狙えれば、更に戦術の幅を広げられると思うし」

「……」

そうだ。

スールも今、爆弾を使う時以外の火力不足を補おうと努力しているのだ。

リディーも寝込んではいられない。

明日以降、これをもっとやっていく。

そして、少しでも魔力量を上げる。

自分に言い聞かせながら。

スールに、この辺りが参考になりそうだと。

本を一緒に読み、説明を続けた。

 

4、帰還

 

深淵の者本部。

様々なデータを見つつ、茶を楽しんでいたソフィーの所に、ティアナちゃんが戻ってくる。

各地で匪賊を処理させてはいるが。

今回は、ある人口一万都市で、違法薬物を販売していた組織を皆殺しにさせてきた。なお出所は幸い錬金術師ではなく、野草を用いたものだった。

面倒なのは、背後に複雑なつながりがあった事で。

しかも薬物を用いた洗脳で、売人を操っていたため。

背後関係を洗い出すのに苦労した事だろうか。

いずれにしても全容を掴んだ後は、番犬をけしかけるだけ。ティアナちゃんが、一晩で全部片付けて終了。

後始末は、深淵の者の後処理専門部隊が行う。

昔は手が回らなくて、こういった悪逆をどうしても見逃してきたが。

今はもうそれもない。

処理すべき悪は処理する。

本来は法曹がやるべき事だが。

今の人間に、其処までの事は出来ない。

否。

恐らく人間の文明がある程度発達しても、どうやっても社会の裏側を上手に悪用して、自分だけ稼げれば良いと考え、動く輩は出たはずだ。

その証拠に、今ソフィーが見ている記録。

ヒト族の先祖の故郷のデータにも。そんな邪悪な輩が、法の隙間をついて、悪の限りを尽くしていた記録が残されていた。

ヒト族は何ら進歩していない。そう結論せざるを得ない。

「ソフィーさま、お仕事終わりました!」

「うん、それじゃあコレクションを飾ってきて良いよ」

「わーい!」

無邪気に喜ぶと、ティアナちゃんはスキップしながら自室に戻っていく。これから刈り取った首に防腐処置を施し、コレクションに加えるのである。その作業は猟奇的だが、喜んでいるティアナちゃんは無邪気な笑みを浮かべるばかり。

あれが社会のゴミを処分して来た後だと、誰も気づけないだろう。

データを確認しながら、今後の計画を練る。

多分だけれども、パルミラはこのデータを確認していない。

助けた知的生命体達を、新天地からやり直した存在として、全て初期値から判断していて。

それぞれがどうして破滅したかの大まかな流れは理解していても。

それを改善させようとは、思っていなかった可能性が高い。

とはいっても、過去のデータを参考にしたからと言って。やり直す度に、全ての個体の記憶データのログを全精査していたパルミラが、知的生命体を知らないとはとてもではないが言えない。

よく出てくる無責任な人間賛歌の物語では、人間を知らないとか何とか、他の知的生命体やら上位次元の存在に罵倒を浴びせたりするが。

実際にはパルミラは、どんな人間よりも人間を知り尽くしている。

脳内の全データを完全にログ化して確認しているのだ。

まあ当然の話ではある。

だがそれにしても、このデータを回収していなかったのは少しばかりもったいないかも知れない。

確か調査によると、ホムの故郷の世界は滅びていないはず。

獣人族の故郷の世界では、ヒト族に似た種族が天下を取った後、滅びてしまったらしい。

魔族の故郷の世界は、絶対神が、自分が「正義」と信じるルールを強いて、天使と呼ばれる種族による完全管理体制を敷いているらしい。

もしもデータを更に集めるとすると。

獣人族と、魔族の世界のデータか。

この二つの世界からデータを集めてくれば、更に今後役立てる事が出来るかも知れない。

いずれにしても、大体の解析は終わった。

プラフタが来る。

軽く、解析内容について話をする。

プラフタは眉をひそめたが。

しかしながら、大きくため息をついた。

彼女も、だいたい予想は出来ていたのだろう。プラフタだって、嫌と言うほどヒト族の業を見てきた存在なのだから。

「ヒト族は、己が滅ぼした世界でも、同じように振る舞っていたのですね」

「んー、自分達に拮抗する存在がいなかったから、余計に傲慢だったかもね。 むしろ同胞にレッテルを貼って、悪逆を押しつけていたみたいだけれど」

「それでソフィー。 貴方はどうするつもりなのです」

「今後は獣人族と魔族の世界のデータも回収してくるつもり。 獣人族の世界の方はシャドウロードに任せる。 ルートについてはあたしが確保するよ。 問題は魔族の世界の方で、パルミラほどではないにしても、そこそこに力のある連中が仕切っているから、侵入には注意がいるかな。 あたしが行くしか無いかもね」

眉をひそめるプラフタ。

悲しそうに、星の瞳がソフィーを見る。

敵対勢力に、ソフィーが容赦をまるでしないことをプラフタは良く知っている。勿論ソフィーとしても、相手が戦いを挑んでくるなら、容赦なく消し飛ばすつもりだ。

「ソフィー、一つ情報が入りました」

「ん、何?」

「ロジェがアダレット王都に帰還を開始しました。 錬金術の腕前を取り戻して、何かするつもりのようです」

「ふふ、意外に早かったね。 丁度良いかな」

立ち上がる。

プラフタに、ヒト族の世界のデータを譲る。マスターデータは勿論とってある。プラフタにも見る権利があると判断して、引き渡すだけだ。頷くと、プラフタは確認を始める。愚かしすぎる歴史を。

ソフィーは何人かを連れて、ロジェの前に出向く。

深淵の者本拠「魔界」から、ソフィーの世界につながるドアは至る所に設置してある。ロジェの前に回り込むくらい、朝飯前だ。

街道でソフィーと、数人の傭兵に出くわしたロジェは。顔を上げる。

一歩も引く気は無い、という顔だ。

「これ以上、双子を貴方の好きにはさせない! 貴方がどれほどの賢者であったとしてもだ!」

「うん、良い心がけだね。 で、どうせ双子に錬金術の勝負でも挑んで、自分が勝ったら錬金術師を辞めさせよう、とでも言うんでしょう?」

「……っ!」

「その話、乗ってあげるよ」

ソフィーとしても、ロジェの思考を読むことくらい造作もない。

なんで此奴が今頃になって、さび付いた腕を磨き直していたのか。ちょっと考えれば分かる事だ。

そして双子のエサとしても丁度良い。

駄目だったら、その時はその時。

次の周回でやり直せば良いだけのこと。

なに、そもそも事象の固定は雷神撃破後である。双子の育成の基礎はもう出来ている。世界の終焉までいたって巻き戻してもそれは同じ。

海底宝物庫のドラゴンで試練が足りなかったのなら、もっと強烈なエサを用意すれば良いだけ。

「本当、だろうな」

「本当だよ。 あたしとしても、貴方に負ける程度だったら、双子にはもう興味も湧かないしね」

「……そうか」

「さ、行くといいよ。 ああ、一つ言っておくけれど、課題は此方で用意するから」

Bランク昇格試験そのものは、実のところ難しく無い。

まあ一応には難しいが、本命はそもそもCランクからの昇格を認めさせるかどうか、であって。Bランクの実力があると認めた錬金術師には、相応のものを作らせるだけである。意外にも、ルーシャはこれを突破して見せた。思ったよりも出来る子だったのだと、今では評価を上方修正している。

ロジェの背中を見送る。

気合いが入っている。

ソフィーの掌の上から、双子を解放できると思っているのだろう。

それでいい。

それくらいの気迫で向かってくるロジェ。公認錬金術師としての資格を持つ者を超えられなければ。

そろそろ双子も話にならない段階まで来ている。

エサとしては丁度良い。

では、次の準備だ。

この試練を乗り越えられないようなら、双子にもう興味が無いのは事実。

その後に双子に浴びせる試練を、今のうちから準備しておく。無駄になったらその時はその時。

次の周回で生かせば良い。

それだけの事だ。

ソフィー=ノイエンミュラーはもはや特異点。

その思考は、既に人間の領域からは。

大きく外れているのだった。

 

(続)