死闘海竜

 

序、少しでも先へ

 

レシピを仕入れてきた。全自動荷車は、基本的に戦略物資として扱われるという話は聞いていたが。

レシピはやはりかなり高かった。普通に生活している人が買えるものではない。

荷車を引くのも相応の労働になるのだけれども。

これは命令さえすれば、子供でも安全に大質量を輸送することが出来る。

そういう事もあって、田舎の街など。

子供も働かなければ生きていけないような生活単位だと。

どうしても欲しいという話も出てくる。

そのため、戦略物資としてこの道具は扱われる。

他にも、全自動で土木工事を安全に行うための装備類は多数開発されているらしいのだけれども。

その全てが戦略物資認定されている。

現時点では、アダレットでもかなり持ち込まれている様子なのだけれど。

基本的に、それらの殆どはフィリスさんの「私物」らしく。

使用するために、フィリスさんがレンタル料を取るか、場合によってはアダレットそのものが国家予算で買い取っているらしい。

事実、荷車を引いて彼方此方を回ってよく分かった。

自動で追従してくれる上。

衝突事故を避け。

障害物も自動で避け。

更に命令した人間以外の指示では動かない。

そんな荷車は、本当に便利だ。

空を飛ぶ荷車はその発展系らしいのだけれど。

まずは手が届く範囲からやっていくのが王道である。

レシピを見ながら、まずは装甲を作る。

これについてはプラティーンが望ましいらしいけれど。現時点では合金で良い。問題は、核になる、自動操縦の仕組みを担う部分。

これはプラティーンで作る必要がある。

またコルネリア商会で増やして貰って。

それを使う。

プラティーンはまだ現状の力量では少量しか作れないし、時間も掛かってしまうので。こればかりは仕方が無い。

作業を進める。

荷車を親父さんの所に出してきて。

そして、丁度良い機会なので、車軸なども新調して貰う。

全自動にする仕組みについては。

レシピに記載されているので。

それに沿ってやっていくだけだ。

問題は、魔法陣がえげつなく難しい事で。

しかも全自動荷車として普及しているものは、どうやらソフィーさんが作ったらしいのである。

最初はもっと色々複雑だったものを、短時間で改良し。

非常に作りやすく仕上げたらしい。

それでもこの難易度である。

あの人がどれだけのバケモノだったのか、今ならよく分かる。スールが一生掛かっても追いつけない気がする。

そもそもあの人、もう多分人間の枠組みを外れている。

強いていうならば魔人だろうか。

「リディー、この魔法陣、分かる?」

「全然……」

「解析してからじゃないと、作るの危ないね……」

「うん……」

二人とも沈んでいるが。

まあそれはそうだろう。

この全自動荷車が、戦略物資として各地の大規模な工事に繰り出され。貧しい生活をしている人達にも仕事とお給金を渡している。

子供でも使えるのだ。

その便利さは、言うまでも無い。

そして戦略物資と言う事は、国が管理している訳で。

盗まれるような場所では使わない。

周囲には騎士などが見張りにつくし。

そも治安が悪い場所では。治安を乱している輩を掃除してから、作業を始めるようにと但し書きまである。

例えば、賊がこの物資に目をつけたりする。そうしたら、フィリスさんが絡んでいる以上、深淵の者が出てくる。

深淵の者に目をつけられたら。

それこそ賊なんて、秒も掛からず、街にいる全員が赤い霧だろう。

ぞっとするが、今大事なのはそこでは無い。

ここしばらく、ようやく騎士団も仕事が落ち着いてきた、と言う話だし。フィリスさんがまたインフラ整備に本腰を入れるまでかなり近いはず。

もたついてはいられない。

後一回か二回で。

ドラゴンを仕留めたい所だ。

手分けして動く。

スールは見聞院に。

リディーはバステトさんの所に。

スールは本を読むのが苦手だけれど。魔力が使えるようになってきてから、勘は更に冴えている。

使えそうな本を見つけるのは得意になった。

勿論確実に当たる訳では無いけれど。

十冊手に取れば、三冊くらいは使える。

順番に確認をしていって。

使えそうな本を見繕い、そして受けつけで手続き。そしてアトリエに持ち帰る。リディーはメモを見ながらブツブツ言っていた。

多分バステトさんでも、かなり理解が厳しい魔法陣だったのだろう。

「戻ったよ」

「うん。 それで本は」

「これくらい借りてきた」

「じゃあ、交代だね」

リディーは解析を開始。

その間にスールが、プラティーンを作る。幸い鉱石は増えているので、それを加工していくだけ。

そしてリディーによると、スールは一度やった作業を繰り返すのが上手らしいので。

おだてに乗る。

プラティーンを黙々と作る。

本当に気むずかしい金属だが。

それでも、何とかレシピ通りにやっていくと、鈍色の輝きが見えてくる。少しずつ、品質も上がっていると思う。

プラティーンまでなら、作れる錬金術師はそこそこいるという。あくまでイル師匠の言葉だから、「そこそこ」がどのくらいのレベルかは分からない。或いは最低でも公認錬金術師……錬金術師の本場、二大国のもう一方ラスティンの首都ライゼンベルグで、難しい試験に受かっているくらいで「そこそこ」かも知れないけれど。

最上位錬金術金属のハルモニウムになると、インゴットでさえ国宝になるらしいから。

まだとても手が届かないのは言われなくても分かる。

出来る順番に、やっていくしか無いのである。

注意深く何度も鍛造して。

インゴットの純度を上げていく。

無駄になった鉱石も、きちんとコンテナに入れておくのは。

後でやり方を変えれば、また金属を取り出せるかも知れないからである。

炉の温度も徹底的に管理する。

最近では、炉の温度を管理するために、調整しやすいように、燃えやすい薪を作るようにもなった。

薪の燃え方をコントロールするために、いわゆるタールをしみこませるやり方で。

これによって、高温の安定した火力が保てるようになった。

だがそれでも。

プラティーンは、イル師匠の所に持っていくと、10点代をつけられる。

すぐに腕なんか上がらない。

一歩飛ばしで成長していくような天才だったフィリスさんとは、比べてはいけないのである。

スールは天才なんかじゃ無い。

ボンクラだ。

だったら努力を重ねて。

少しでも差を埋めていかなければならない。

昔はこんな簡単な事さえ、分かっていなかった。

「インゴット上がったよ」

「其処に置いておいて。 後はそうだね、騎士団に納入用のナックルガードを……」

「合点」

ささっと作り始める。

シールド発生装置は既に作ってあるので、納入物を順番に作っていけば良い。

作業を手分けしてこなしていると。

マティアスが来る。

「おーっす。 元気か」

「マティアス、少し顔色良くなった?」

「ああ、俺様慣れてきたというか、うん」

まあ、気の毒な話だけれど。

海底に行けとか無茶苦茶言われた後は、今度はドラゴン退治である。

それは何というか、色々諦観するのも仕方が無いのだろう。

そしてマティアスが来たと言うことは、お仕事の話である。

それにしてもタフだな。

そうスールは感心していた。

もし「平均的な人間」だったら、とっくに胃に穴が開いているだろうに。バカ王子と言われながらも。マティアスはやるべき事をきっちりこなし続けている。

マティアスによると、どうやらインフラ整備のお手伝いの依頼らしい。出立は三日後。期間は二日間。現地にはパイモンさんが来ているという。

心強い話だ。

インフラの整備も、既にCランクのアトリエになっているリディーとスールにとっては、義務の一つ。

こなさなければいけない。

如何に大変でも、だ。

「とりあえず今回は、大量の土砂を移動させる必要があるらしくてな。 人夫をかなり動員する。 ファルギオルの爪痕はまだ残っているって事だ。 まったく冗談じゃあないよな」

「これ、全自動にしようと思っていて」

「お、例の引かなくても動いてくれる荷車か」

「はい」

マティアスもインフラ整備の現場などで見ているから知っているか。

最初期の型は凄く怖い顔がついていたらしいのだけれど。

最近は模様が刻まれただけの荷車である。

それだけ汎用性が増している、と言う事だ。

魔術的な意味とかがあったのを。

魔法陣に落とし込んだりしたのだろう。

そう好意的に解釈しておく。

「もし量産できるようになったら、国に収めればいいかな」

「それやってくれるんなら凄く姉貴も喜ぶと思うぜ。 毎回あれ、アルファ商会に頼んで借りてるんだけれど、バカにならない値段でな。 まあ子供から老人まで使えて、お給金も払えるんだから、お高いのは当然だけどよ……」

「……」

そうか、アルファ商会が貸与しているのか。

だとすると、イル師匠に相談した方が良いだろう。

どうせ深淵の者がらみだ。

下手な事をすると、殴られる程度で済む筈も無いし。

「じゃあな。 スケジュール開けておいてくれ」

「分かりました」

リディーが頭を下げて、マティアスを見送る。

加工が終わったので、見てもらうけれど。かなり良いできに仕上がっていると、リディーは喜んでいた。

そして、今までレギュラーで使っていたのと入れ替えるという。

古いのを納品して。

今度はこっちを使う、そうだ。

まあ別に古いと言っても、汗がしみこんで臭うわけでも無い。性能的に劣るわけでもない。

充分に使える品なのだし。

それで別に構いやしないだろう。

納品するものを揃えて、スールは出かける。リディーには、全自動式荷車について、集中して欲しいからだ。

まずは王城に出かけて。

Cランクのアトリエの錬金術師として必要な納品物を、そのまま全て納入。

一通り揃っている事を確認すると。

モノクロームを掛けたホムの役人(やっぱりあらゆる意味で手際が良くてヒト族の役人よりも仕事ができる)は、指定通りにお金を払ってくれる。

お金の袋が、文字通りずっしりと重い。

この重みが、仕事の重みである。

「流石に雷神を倒した貴方にしかける強盗はいないとは思うのですが、それでも油断は禁物なのです。 帰り道は気を付けるようにするのです」

「分かってます」

「品質についても、どんどん評価が上がっているのです。 騎士団員の生存率を上げるために、もっといい薬や装備品を納入して貰えると助かるのです」

分かっている。

薬に関しては、騎士団があくまで保有しているだけで。災害現場などでは、被災した民間人などにも用いられる。

本来はナイトサポートという名前の通り、戦場で深手を負った騎士を補助するためのものなのだけれども。

しかしながら、騎士の手となって、弱き者を助ける薬にもなるのである。

ファルギオルのせいで発生した災害の被災者のために。

疫病対策用の薬や化膿止めなどもたくさん納品したが。

其方の方はどうやら一段落したらしく。

もうこれ以上は注文も来ていない。

各地のインフラ整備が再開されたと言う事は、壊れたインフラなどの修理は終わっているという事なのだろう。

まあフィリスさんが手伝いに来ている事からも。

それは明らかすぎるくらいだが。

王城からの帰り道。

フィンブル兄が行きつけにしている酒場に出る。

今日はフィンブル兄はいなかったので、マスターに用件だけ告げてでる。前はあまり良い視線を向けられなかったのだが。

最近は、そうでもなくなってきている。

荒くれ達が、スールを拒否するような視線で見なくなったと言うことは。

実績を認め始めた、と言う事だ。

ただ、下手をすると、ネージュと同じようになる可能性もある。

いざという時に備えて。

自衛は常に考えておかなければならなかった。

出来合いを買って、アトリエに戻る。

案の定リディーは集中してプラティーンを細工していて。

料理どころでは無かった。

冷えてもまずくならない出来合いにして正解だった。

仕事に集中しているリディーを邪魔しないように、コンテナを確認して、在庫をチェックしておく。

ドロッセルさんとは専属契約を二ヶ月結んでいるから、多分インフラ整備の仕事にも来てくれる筈だが。

そうなれば心強い。

どこのインフラ整備の現場でも、非戦闘員を守りながら緑地を増やすのは、とても大変なのだ。

ほどなく、リディーが作業を一段落させる。

「後どれくらい掛かりそう?」

「明日中には何とか出来そう」

「そう……」

流石だな、と思う。

リディーとの力量差は縮まらない。

相変わらず、どれだけ努力をしても追いつけない。

分かってはいるけれど。

そしてリディーは、ますます錬金術に関する勘のようなものを強くしているようで。素材を選ぶときには、殆ど何も迷わずに手を伸ばしたりしている。

錬金術とは。

ものの意思に沿って、ものを変質させる力。

ごく希に、直接ものの声が聞こえるギフテッドがいる。

ギフテッドは後天的に目覚めることもある。

そして、あのフィリスさんも。

昔は金属だけだったのが。

今はだいたい何でも聞こえてくるらしい。

リディーも、そうだとしたら。

いや、恐らくそうなのだろう。

スールには、そんな力、目覚めるわけもないと、何処かにあきらめがある。

それでも、何とかしなければならない。

「あのさ、明日ドロッセルさんと、一緒に素材集めてくるよ。 せっかく高いお金払って契約したんだし」

「うん、分かった。 少し鉱物足りないし。 でも、まだ海の絵は危ないから二人で行ったら駄目だよ」

「大丈夫、それくらいは分かってるよ」

そう、それくらいなら。

スールは頭が悪いことだって自覚している。

この間、双子だけで話をして。

今後、「みんなのために働く」として、その「みんな」とは何なのかとはっきり定義を確認し合った。

その時、二人の間には。

明確に差異が出ていた。

リディーが絶対に正しいとは思えなかったけれど。

スールだってそれは同じだ。

むしろ、リディーの方が、ずっとしっかり考えていると感じた。勿論、その思想には危険な要素もあるとは思ったけれど。

拳銃は、やっと前線投入できるようになった。

やっとだ。

お母さんの形見なのに。

成長が遅いと、はっきりドロッセルさんにも言われた。

そんな事は言われなくても分かっている。リディーも言われていたけれど、少なくともスールよりは早い。

無理矢理笑顔を作ったまま、スールはベッドに横になり。ぼんやり天井を眺めやる。

結局の所、まだ何一つ。

スールは、手が届いていない気がした。

 

1、外せないお仕事

 

城門で待っていた、マティアス、アンパサンドさん、フィンブル兄と。

ドロッセルさんと合流。

今回はルーシャはいない。ルーシャは、別方向の作業にかり出されているらしい。ルーシャは頼りになるので、いないとちょっと不安だけれど。

代わりに現地にパイモンさんがいる。現地にはフィリスさんもいるらしいので、戦力に不安は無いだろう。

とりあえず、皆に見せる。

完成した全自動荷車である。

しかも二連。

これで、以降は荷車をスールが引かずに良くなる。

結果として手数が空き。

戦闘でも、初動で多くの火力を敵に浴びせることも出来るし。

何より装甲の要所をプラティーンに変え。

更に車軸などを鍛冶屋の親父さんにバージョンアップして貰った事もあって。

荷車としての信頼性は、更に増している。

作業の軽い確認をした後。

城門での手続きを終えてくれていたマティアスと合流。

流石にこれは顔パスとはいかない。

手続きをした後、皆で森の中を走る。

今回は、かなり大規模なインフラ整備らしく。

コレが終わらないと、そもフィリスさんも、海の絵に同行してくれない、と言う事だった。

まあそもそも、フィリスさんは見張り役。

ドラゴン戦で主力として活躍してくれるようなこともないだろう。

そもそも、あの人がドラゴンごときに遅れを取るとも思えないし。

戦力としては数えられない。フィリスさんは文字通り見ているだけ。ブレスの直撃を受けても、傷一つつかない可能性さえある。

森の中を走る。

飛ぶように走るが、リディーは普通についてきている。

ドロッセルさんが、軽くついてきながら教えてくれる。

「全自動式に手が出せたなら、次は空飛ぶ奴だね。 また難易度がかなり上がる事になると思うけれど」

「レシピそのものは買いました。 ちょっと今は厳しいですね」

「だろうね」

この人はフィリスさんと一緒に戦っていたらしいし。

実物も見ているのだろう。

走りながら、森を抜ける。

さて、此処からは事前に決めたハンドサイン通りに皆で動く事になる。

獣はいつ仕掛けて来てもおかしくない。

幸い蠢動していた匪賊は騎士団があらかた片付けてくれてはいるらしいのだけれども。獣はそうもいかない。

時々しかけてくる獣はどうしてもいるので。

その度に足を止めて駆除。

ささっと捌いて。

毛皮や肉を処置。

そしてまた走り出す。

獣は見かけ次第、出来るだけ倒しておいた方が良い。

街道まで出てくるような危険性があるわけだし。何よりも放置しておくと危ないからだ。

普段は行かない方向の街道に行く。

山深くなってきた。

荷車は平然と着いてくる。

問題は、獣がどんどん大きくなってくることで。

戦闘の痕跡らしいものも、彼方此方で見受けられた。これは、人夫が移動するのを騎士団が護衛して。

獣を撃退しながら進んだ跡と見る。

怖いなあと素直に思ったけれど。

戦うすべが無い人はもっと怖かったはず。

貧困層の子供などにも、人夫としての仕事はある。

主に全自動荷車を扱うのは、力が無い子供や老人だ。

つまり、騎士団が獣を取りこぼせば。

そういう子供や老人が、獣の爪や牙に掛かる、という事である。誰も犠牲になっていないことを祈るしか無い。

アンパサンドさんが手を横に出して、自身は横っ飛び。

丁度岩で視界が防がれている場所で。

左右から、どっと獣が襲いかかってくる。

右にアンパサンドさんが。

左にはドロッセルさんが飛んで、それぞれ獣を食い止め始める。獣の中には、巨大なグリフォンもいる。

巨大な蛇や百足、蠍などに前衛を攻撃させ。

グリフォンは上空から、一気に錬金術師を狙おうとしたようだが。

スールは無言で、ルフトアイゼンを放り込んでいた。

爆裂した風圧が、グリフォンのシールドを貫通して、翼をへし折る。だが、それでもグリフォンは墜落せず、空中から雷撃で反撃してくる。

リディーがシールドを張って雷撃を完璧にそらすと。

シールドが消えると同時に、スールが連射連射連射。翼を穴だらけにする。流石にこれにはどうしようもない。。

悲鳴を上げて、絶叫しながら落ちてくるグリフォンを。

即応したマティアスが、跳躍しながら切り上げる。

落ちてくる勢いと、マティアスの腕力が完璧に合わさり。

地面に落ちたグリフォンは、体を真っ二つにされていた。

残りも大型の獣ばかりだったが、一匹も残さず全て蹴散らし、皆殺しにして戦闘終了。フィンブル兄が、ハルバードを振るって血を落とす。

けが人を確認。

アンパサンドさんは、四匹以上の大型を常に相手にして、気を引き続けていて。

それでも無傷で生還している。

とはいってもこの人の場合、傷を受けたらそれが即死につながるわけで。

無傷で無ければ相当に危ないのだが。

すぐに処置を始める。

途中の移動は、今までよりもずっと早いけれど。

こうやって、危険な獣がでる地点を通らなければならないから、結局どうしても時間は掛かる。

騎士団の護衛を受ける訳にもいかないし。

この辺りは、どうしても厳しい所だった。

荷車を直接引かなくても良い事だけはありがたいが。

それくらいしか利点はない。

まあ、荷車の装甲を盾にも出来ると考えて。

多少は妥協するしか無い。

「戦闘に関してはかなり安心感が出てきたが、この先はもっと危険だと考えて手を抜くなよ、スー」

「うん、分かってる」

「殿下も、そろそろアタッカーとして意識してみてはどうだろうか」

「俺様がアタッカー? うーん、たまーにチャンスがあればそう動きたいとは思うけどなあ、やっぱ怖いし……」

フィンブル兄が頭を振る。

情けない、というのだろう。

まあ、それについては仕方が無い。

ただ、マティアスの馬鹿力を生かせれば、或いは戦闘がもっと有利になるかも知れない。しかしながら、マティアスが展開するシールドは、非常に強力なのも事実で。そうなると、代わりに何か守りが必要になってくる。

戦略から練り直さなければならなくなる。

ただでさえ、現時点でリディーの負担が大きいのだ。

魔術を色々切り替えながら戦っているが、それは常に複数の魔術を使えることを意味はしない。

スールが守りに入るのは本末転倒。

そうなると、やはり司令塔としてリディーが更に成長して。

守りと攻めを意識して、切り替えながら戦闘を更にスムーズに回していくしかない、と言う事か。

街道を更に行く。

緑化された道が見え始めて、ほっとする。

手を振っているのはオスカーさんだ。どうやら、この辺りを緑化しているらしい。久々に顔を見たので、安心した。

もう少し先で、フィリスさんが大規模なインフラ整備をしていると言う。

手間がたくさんかかっているし。

何より騎士団の護衛では足りていないとかで。

すぐに向かって欲しい、と言う事だった。

オスカーさん自身は、護衛なんてたくさんは必要ないのだろう。一人で黙々と土いじりをしている。

一応騎士達が警戒をしているが。

それほど心配はしていない様子だ。

まあフィリスさんと協力してインフラ整備をしていた、という話である。

オスカーさんが声を荒げる所は殆ど見ないが。

この人が戦闘力においても相当に優れている事は、何となく想像もつく。生半可な騎士よりずっと強いだろう。

だったら、見張り以上の事を、騎士がする必要はない、と言う事だ。

低木で守られた街道を走る。

やがて低木が木になり。緑できちんと街道が守られるようになってくると、完全に空気が変わった。

獣がしかけてくる可能性はなくなり。

人が行き交っている。

指定された通りに土砂を捨てたり。

或いは、食糧や水を配布したり。

様々な作業を人夫がしていた。

向こうで、凄まじい音がして。大きな岩が、真っ二つに割れる。

文字通り小山のような大きさだったのだが。それが一瞬で、真っ二つである。

思わず瞠目するが。

もう慣れているようで、人夫達は黙々と働き続けていた。

とりあえず、フィリスさんの手伝いをさっさと済ませなければならない。

騎士団の詰め所に行って話を聞くのが一番早いだろう。

もたついている暇は無い。

ドラゴン戦の事も考慮すると。

あまり時間はないのだから。

 

パイモンさんと合流してから、手伝いを開始する。リディーとスールが到着してから、人員が他にも動いたようだ。戦略的に色々人を動かしているのだろう。

フィリスさんは無心につるはしを振るっていて。つるはしで巨岩どころか、岩山を粉砕していた。

冗談のような光景だが。

本当なのだから仕方が無い。

破壊神という二つ名は伊達では無いなあと思う。弓矢なんか使わず、つるはしで戦った方が余程強いのではあるまいかとも思う。

弓矢でもネームドを殆ど一方的に叩き伏せていたが。

それでもあの人にとっては、余技に過ぎないのではと感じるのだ。

騎士団の詰め所では、騎士隊長をしている魔族の騎士に言われる。

「フィリスどのには近付かないように。 基本的に作業中は殺気立っていて、下手な事を聞くと叱責ではすまされん。 周囲にフィリスどのが連れてきている護衛らしい傭兵がいるから、彼らから話を聞くことになる。 それによると、君達はこの地点を護衛して欲しい、と言う事だ」

そう言われたのは。

途中、人夫が行き交っていた場所ではなく。

今激しい土木工事をやっている地点とは全く違う、人気のない森の外側。

川が森に流れ込んでいて。

インフラ整備を行っている地点の、水源になっていた。

この辺りの川から、どうも大型の獣が作業場に入り込もうとしているらしい。

森を傷つけないように、川から入り込んで、人夫を襲おうというつもりらしかった。

騎士団は手が足りない。

だから手配された、というわけだ。

そもそも今回の作業は、街を守るのでは無く。要所となる宿場町を新たに作る仕事で。フィリスさんは文字通り山を粉砕して、道を作っている、という事である。

粉砕した山は何処とも無く運ばれて行っているらしく。

人夫が捨てている土砂は、更に固めて後で活用するらしい。

街を作るのにも使うのかも知れない。

いずれにしても、危険な街道を少しでも減らし。

主要都市に何かあった時のためにも。

フィリスさんのお仕事は必須、という事である。

そして、今の時点では。

スールには、そのお手伝い、くらいの事しか出来ないというわけだ。

川はそれほど大きくは無いが。

水中の獣は、基本的に強い。

魔術で結界が張ってあって、獣が近付けば分かるようになっているので。

常に見張り。

獣が近付いたら追い払う。

追い払えないようなら殺す。

そうして、二日を過ごす。

念のため、持ち込んだシールド発生装置も使って、キャンプを守るけれども。

かなり頻繁にアラームが鳴るので。

休む暇も無かった。

近付いてくる獣も、相当数の人間が働いているのを気付いているのだろう。

まあ、あれだけ派手に山が崩されていれば、その音で嫌でも分かる、というものだけれども。

二日間、交代で見張りを続け。

追い払えない獣との交戦回数は二十回を超え。

獣を倒して捌いている間に次のがきたりして。

まったく休む間もなかった。

見かねたかドロッセルさんが、一人で見張るから休んでいて良いと途中で言い出したが。それは流石に心苦しい。

人間用の栄養剤を胃に流し込んで。

見張りを続ける。

マティアスが、見張りを続けながらぼやく。

「本当に二日で終わるのかよ……」

「世界最高の専門家が言っているのだし、信じよう殿下」

「……わしはフィリスどのと一緒に旅をした事があるのだがな」

不意にパイモンさんが言う。

普段、滅多に自己主張はしないので。

見張りをしながら驚いた。

「最初はとにかく頼りなくてモヤシとか呼ばれたりしていたが、途中からは本当に素晴らしい錬金術師になってな。 今ではほれ、見ての通り、つるはしで山を崩すほどにも成長している」

「うん、成長しすぎ……?」

「錬金術は神域の技だ。 そしてわしには、結局此処までしかこれなかった。 一緒に旅をした若き天才が、何処までも成長して行くのを見るのは、本当に心地が良いことだ」

そうか。

この人は出来た人なんだなと、本当に思う。

後輩が圧倒的な高みに登っても、嫉妬しているどころか、むしろ一緒に旅したことを誇りにさえ思っている。

どれだけの人が。

この人と、同じように考えられるのだろう。

やはり「みんな」には到底無理だ。

リディーは洗脳してでも、と口にしたが。

スールには、「みんな」をどうにかするのは、やっぱり無理だとしか思えない。

かといって、リディーの言う事も分かるのだ。

人間全部と面接する訳にもいかない。

いずれにしても、仕事はきっちり終わらせる。

ネームドこそでなかったものの。

大きな獣ばかりでて。二日で本当に激しく消耗し。全てが終わった事を告げるように、フィリスさんが来る。

「はいお疲れ様。 わたしの出番終了。 もう大丈夫だから、上がって良いよ」

「ありがとうございます……」

「パイモンさんは流石ですね。 わたしと旅していたときも元気でしたけれど、アンチエイジングしてからますます元気」

「ふふふ、まだまだこれからよ。 ひょっとしたら才能の上限を引き上げる方法だってあるやもしれんしな。 外法以外でもしそういった方法があるのであれば、是非ともやってみたいものだ」

パイモンさんに対して、フィリスさんは言葉遣いが丁寧だ。

一緒に旅して。

何度も助けられたから、なのだろう。

パイモンさんも世界を代表する賢者に対して言葉遣いが砕けている。

その成長を、側で見続けてきたからなのだろう。

すぐに切り上げて帰る。

荷車は、積載量ギリギリまで肉やら骨やらを積んでいたので。

途中で、新しい宿場町を作っている騎士団に、殆ど引き渡してしまう。食糧になるからである。

向こうは喜んでくれた。

変わりにと、フィリスさんがくれたらしい鉱石を分けてくれる。

いずれも相当な品質のものばかり。

あれだけ派手に山を崩していれば、それはこんな良い鉱石も出てくるのだろう。大量の燻製肉と引き替えだから、ほんの少しだけだったが。それでも充分すぎるくらいである。それに、此方としてもこんな大量のお肉は持ち運ぶのが負担でならない。いわゆるどっちも嬉しい交換だ。

後は、引き上げるだけだが。

パイモンさんは、すぐに次の仕事が入っているらしく、王都に戻る前に別れる。

あの人は、その辺の獣に敗れるほど弱くは無いだろうが。一応、ちょっとだけ心配になった。

しかし、それも一瞬に過ぎなかった。

なんと、自前の何か道具を取り出すと、それに乗って飛んで行ったのである。今まで使わなかったのは、見た感じ一人乗りだからか。

「あんな隠し札を持っていたのか。 流石は歴戦の錬金術師だ」

「てかもう何というか……人間?」

「マティアス」

「あ、すまん。 そうだな、そういう風に考えた奴が、ネージュをあんなめにあわせたんだもんな。 今のは失言だった」

素直に頭を下げるマティアス。

それ以上怒る気にはなれなかった。

マティアスは、ネージュに首まで差し出す覚悟だったのだ。

本当に謝っているのは分かったし。

それ以上追求するのもいけない。

後は、無言で王都に戻って、其処で解散。

全自動式荷車の初陣としては、殆ど完璧だった。

続いて、少しずつ続けていた布の研究。

まずはモフコットからやって見ろとイル師匠に言われていたとおり、其処から初めて見ることにする。

後は、ドラゴンとの戦いに備えて、情報収集。

雷神は極限まで弱体化していたから勝てたのであって。

相手はいつでも海に逃げ込める状況。

弱体化もしていない。

戦いは、同じくらいは厳しくなるかも知れないし。

工夫次第では、もっと簡単に済ませられるかも知れない。

一つ、試してみたいことがある。

スールは、リディーに提案。

しばらく悩んだ後、リディーは頷いてくれた。

「分かった。 でも、無理はしないでね」

「せっかくドロッセルさんを雇ってるんだし、活用しないと。 じゃあ、さっそく行ってくるよ」

「あ、待って」

待たない。

何だかスールは、自分でも自覚しているけれど。

生き急ぎ始めているのかも知れない。

スールは、パイモンさんほどの器は持っていない。

後輩に追い抜かれても、誇りに思えるほどの人物じゃ無い。

「平均的な人間」は軽蔑できるようになった。

気持ち悪いという理由だけで相手を殺傷し。

命の恩人を死に追いやるような輩では無いと今では言える。

でも、それでも、あれほどの領域には行けない。

だから、少しでも。

これ以上リディーに離されないためにも。

頑張らなければならないのである。

夕食中のドロッセルさんの家に出向き。明日の朝、ちょっと実験につきあって欲しい旨を告げる。

ドロッセルさんとフリッツさんは、小首をかしげ。

そしてフリッツさんが咳払いした。

「君は確か、今日結構な仕事から戻ったばかりだろう。 少しは休まないと、体を壊してしまうぞ」

「大丈夫です、体力だけが自慢です」

「……分かった。 ただ、実験は明後日の朝」

「え……」

ドロッセルさんの目は。

驚くほど冷たかった。

ひ、と悲鳴が漏れ掛かる。

フリッツさんも背中を壁に預けていて。腕組みしたまま、一切口出しをせずに見守っている。

スールに非がある。

それは分かったけれど。

理由が分からない。

ただ、はっきりとした拒否は感じた。そして、それがとても悲しくなった。

「今日の夜は休んで、明日気分を入れ替えて。 実験にはつきあってあげるけれど、焦ると絶対に碌な事にならないよ」

それだけ、ドロッセルさんは言う。

返す言葉も無い。

焦っている、か。

そのままとぼとぼとアトリエに戻る。

感情が薄くなってきているのは感じているけれど。

それでも悲しかった。

見透かされたし。

何より焦っているという図星を、思い切り突かれたからだろう。

このまま、スールはリディーに一生追いつけないかも知れない。もしかしたら、当て馬としての人生だけが待っているのかも知れない。

そして改めて思い知らされる。

自分が当て馬になる事で、リディーとスールに生きる力を与えようとしたルーシャが。

どれだけの覚悟で行動していて。

どれだけ悲しんでいたのかと言う事を。

本当に情けないな。

スールは、自分の情けなさを、心の底から呪い抜いていた。

 

2、竜狩りの準備

 

実験は成功した。

思いつきだったけれど、やってみれば出来るものだ。これで、一つ勝機が出来た。この勝機を、更につなげていく必要があるけれど。それはそれ。相手はドラゴンなのである。普通に戦ったら、人間では絶対に勝てない。

錬金術の装備で出力を上げ。

道具で火力を上げ。

やっと倒せる究極最強の獣。

戦う前に、あらゆる準備をしておくのは、当たり前である。

実験につきあってくれたドロッセルさんに礼を言うと、アトリエに戻る。モフコットの研究を続けているリディーが、音を上げていた。

お料理は出来ても。

どうもお裁縫はあまり得意ではないらしい。

元々糸繰りというのは、専門の技術者がいるくらいで。

布を作るのは更に難しい。

そして錬金術で強化した糸で、魔法陣を織り込むようにして布を作るのだから。

その難易度は格別だ。

モフコットは、錬金術の布としてはごくごく低ランクのものらしいのだけれど。やはり初見はリディーでも苦戦するか。

まだまだだ。

こればかりは、仕方が無い。スールも一緒になって悩む。

素材はある。今まで羊や山羊は、散々野外で殺してきた。毛皮から毛糸を刈り取るのは難しく無い。

「ねえリディー。 糸繰りは専門の人に任せようよ」

「繊維だけ刈り取って?」

「うん。 ただ、繊維も多少は加工しないと、門前払い貰うと思うけれど」

「そうだね……」

一応レシピにもそうあるのだけれども。

加工がえげつなく難しいのだ。

糸繰りの人に渡すまでもがそもそも大変。

下手に繊維を強化していると、糸繰り機そのものがバラバラになってしまう。

最高位の錬金術布として知られるヴェルベティスなどは、この傾向が非常に強いという事で。

そのまま繊維を糸繰り機になんか掛けたら。

瞬時に機械をバラバラにしてしまうそうだ。

ましてや糸繰りは人の手も介在する。

指から先が無くなるだろう。

レシピを幾つか見てみるが。

基本的に繊維が柔らかいものに関しては、糸にしてから加工するのが簡単、とある。

しかし繊維の状態で既に加工していると、最終的な完成度が跳ね上がるらしい。

今度の戦いでは、防御面で錬金術装備以外の追加が欲しい所で。

モフコットにしてももっと上位の布にしても。

野外の獣の毛を繊維として用いると。

強い魔力を最初から帯びているし。

どうしても危険になる。

諦めて、最初は普通の羊毛を毛糸に加工し。

それをモフコットに加工し直すという手もあるのだが。

そうするとやはり、強靱さに桁外れの差が出てきてしまうと言うのだ。

リディーが困り果てているのを見て。

スールも困る。

最初の加工の段階で。

それくらい分からないのに、このレシピを見るなと言うような感触で、突き放しているものが多いのである。

最初に市販の糸を使う初心者向けのレシピと。

いきなり繊維から加工する一人前向けのレシピで。

あまりにも差がありすぎるのだ。

もっと早い段階から、布の加工に手をつけるべきだったと、今更ながらに後悔するけれど。

しかしながら、出来ないものは出来ない。

時間もあまりない。

元々あの絵の調査が出来ないと、Cランクからの昇格試験は受けられないという話だし。

何よりドラゴンがいつまであの場所でのんびりしていてくれるか分からない。

もたついていると、移動を開始して。

海の中でばったり遭遇、という最悪の事態になりかねない。

その場合戦いにさえならず。

向こうが一方的に此方を捕捉して。

あげくブレスでアウトレンジ攻撃。何もできずに全滅、という可能性も想定しなければならない。

そんな事になったら、フィリスさん以外誰も生き残らないだろう。

あの人は、ドラゴンのブレスが直撃した程度でどうにかなるとも思えないが。他の人まで気前よく守ってなどくれない筈である。

やむを得ない。

イル師匠の所に行く事を提案。

しばししてから、リディーも承諾した。

もうこれは悩んでいる場合では無い。分からないと言うよりも、今までこの分野には触れてこなかった。

ならば触れてきただろう、努力の人であるイル師匠の所に行くしか無い。

悔しいけれど。他に方法が無いのである。

すぐにイル師匠の所に出向く。

今回は、時間がないのだ。そもそも、ドロッセルさんだって、専属契約の期間が限られているし。

国からお仕事だって来る。

戦略事業になると、一週間くらいはすぐに吹っ飛ぶ。

自分の思い通りに出来る時間は、今後アトリエランクが上がるほど減ると考えるべきであって。

逡巡は敵だ。

イル師匠は、話を聞くと。

すぐにため息をついた。

「錬金術の基本は?」

「ものの意思に沿って、ものを変化させる技術です」

「ですっ」

「よろしい。 それならば、今回の件は、どうしてレシピが分からないのかしら」

口をつぐむスール。

リディーもそれは同じだ。

イル師匠はしばらく様子を見ていたが。やがて顎をしゃくって、実例を見せてくれるという。

今回は単純な布。植物繊維を使ったものを見せてくれるそうだけれども。

これも、最初の繊維の段階で変に加工してしまうと、糸繰り機と使い手の人間をもろとも切り刻む恐怖の殺戮糸と化すと言う。

かといって、最初に加工をしないと、市販の布に毛が生えた程度の性能しかでない。

ならばどうするのか。

「答えは簡単。 まず最初に、ものの意思については、区別して考える」

「区別」

「そう区別よ。 最初に繊維を、こうやって加工すると、繊維は「強靭になりたい」という意思を持っているわけ。 でも此処で強靭に加工してしまうと、繊維を糸にすることが出来ない。 まず最初にするのは、繊維を加工した後、その繊維をコーティングする事よ」

「あ……」

そういう、事か。

つまり繊維を危なくない状態にすれば良い訳だ。

続けてイル師匠は実例を見せてくれる。

幾つかの素材。

スールと並んでメモをとる。

煮込んで成分を抽出し。

これで繊維を煮込む。

そして、糸繰り屋に出せる繊維の完成だ。

続けて、イル師匠は完成した糸を見せてくれる。糸繰り屋が、糸にしてくれた状態である。

今度は此処で機織りをするのだけれど。

糸の状態で、コーティングをし直すという。

「コーティングが入ったままだと駄目なんですか?」

「駄目。 何故かというと、本来の糸に不純物が紛れている状態だから。 まずコーティングを落とし、また糸の上からコーティングをし直すの」

「うわ、手間暇が……」

「その分の効果は出るわよ」

イル師匠が、作業について説明。

繊維の時よりも、更に大変だが。

それでもまずは、順番にこなして行かなければならない。コーティングをした糸を、今度は機織りに出す。

機織りに出す時、そもそも布に魔法陣を刻んで貰う。

防御強化や体力の継続回復が基本だが、身体能力の増強を組み込むことも出来ると言う。勿論布を加工するとき、魔法陣を切らないようにする必要がある。

そうして出来た布がこれと、イル師匠が見せてくれる。

まあ糸繰りや機織りは本職の仕事だし。

此処でリディーとスールが見る必要もない、と言う事なのだろう。

それに、とイル師匠は追加で言う。

「今、貴方たちはとてもお金を持っているの。 そのお金を、糸繰りや機織りをしている人の所に流通させるのは、とても大きな意味を持っていることよ」

「ええと、つまり」

「一部の者だけが贅沢をするためにお金を蓄えても、経済というのは動かないの。 貴方たちは扱うお金が大きくなっているから感覚が麻痺していると思うけれども、貴方たちがお金を使うことで、そのお金で生活が出来る人が出てくるということよ。 教会にお金を入れて、孤児達の生活費になるのと似ているわね」

なるほど。

お金は蓄えるだけでは駄目で。

的確に使っていかないと、むしろ周囲に害を為すという事か。

確かに欲を掻いたヒト族の役人や商人が、碌な事をしないという話は良く聞くけれども。それには理論的に説明できる駄目な理由があった、と言う事か。

メモをとる。

そして、クロースと呼ばれる、簡単な布。

モフコットも見せてもらう。

イル師匠が作った品だ。勿論見ただけで別格と分かる。クロースでさえ、強い魔力を帯びていて、輝くようである。魔力が見えるようになった今はなおさらだ。

以前一度見せてもらったヴェルベティスも改めて見せてもらうが。

凄い魔力が満ちていて、近付くだけで暖かくなるほどだ。

生唾を飲み込んでしまう。

これを服の裏地に仕込めたら。

確かに、ドラゴンとの戦闘も出来るかも知れない。

フィリスさんやイル師匠は、元から異次元の実力があるのに加えて、これらの布の助けも借りている、と言うわけだ。

ヴェルベティスの場合は、布にした後も特殊なコーティングを施すらしいのだけれども。

その上で、下位の布で守る事によって、直接肌には触れないようにするのが安全であるらしい。

コーティングそのものも、非常に高い技術を使うそうで。

生半可な錬金術師では、材料が揃っても到達できないのは、それが理由だとか。

そもそもヴェルベティスの材料自体が、極めて貴重らしいのだが。

なるほど、納得がいった。

メモを取り終えると、イル師匠に頭を下げる。

イル師匠は、あまり嬉しそうにはしていなかった。

「悔しいけれど、やはり師匠がいなくても良い天才と凡才には大きな差があるわね。 私も後者なのだけれど、嫌いで仕方が無い実家にいた頃覚えた事が、随分と後で力になっているのを感じるわ。 貴方たちはどちらも私と同じタイプよ。 とにかく何でも良いから、情報を徹底的に頭に入れなさい」

「はい……」

「いい、貴方たちは選ばれた天才じゃ無い。 それを何度も思い出しながら、試行錯誤を繰り返しなさい。 今の事も、私は自分で見つけた訳じゃ無い。 先人達の知恵を借りたり、天才達のやり方を見て覚えたのよ。 私が自力で見つけた法則は殆どない……それが三傑なんて言われる私の現実よ」

イル師匠は、決して自分を凄いとは言わない。

だから、厳しい言葉も、耳にしっかり入ってくる。

二人で家に戻る。

まずはコーティング用の液剤の調合から始める。

モフコットからやるのではなく。

普通の植物繊維を使ったクロースからやるべきだろう。

それについても、二人で意見が一致した。

凄い師匠がいるのだ。

話を聞いて良いのだ。

ならば、その利点を最大限生かして。凡人としてできる事を最大限までやっていくだけの事。

イル師匠は謙遜していたが、あの人は弱体化していない雷神とまともに渡り合うほどの実力者。

いや、あの戦場では、手加減していた可能性もある。

そんな人が、直接教えてくれているだけで、とんでも無い幸運なのである。それを生かして、更に先に行くべきだろう。

それからしばらくはクロースを作る事に専念。

糸繰り屋と。

機織り屋にも足を運んだ。

大きめの街には何処にでもあるらしいのだけれど。

公認錬金術師がいる街になってくると、錬金術師が錬金術製の繊維や糸を持ち込む事があると周知されているらしく。

リディーとスールが足を運んだ場所でも。

すぐに色々質問された上で、受けつけてくれた。

どうやら、他にも利用している人がいるらしい。そして、此処で働いている人には、何年か前にリディーとスールがお世話になった教会をでた人も混じっていた。

お金はしっかり払って。

まずは糸に。

布にして貰う。

最初に布を作るまで一週間かかった。

それから、やっとレシピが理解出来た。

多分だけれども、中間地点くらいにいる錬金術師は、布は買ってしまうのだろうと思う。或いは、ノウハウが無くて、色々作る程の知識を身につけられないのかも知れない。リディーとスールには、師匠がいて。論理立てて教えてくれる。それが如何に幸運なのか、こう言う時も思い知らされる。

ほどなくクロースから、モフコットに移行。

外ででる、強大な魔力を纏った獣の毛から繊維を取りだし。

これを布にするまでの過程は、クロースの比では無い難易度だったが。

しかしながら、強い獣由来の強力な魔力。

中和剤でそれを更に強化。

魔法陣を組み込むことで、更に更に強化という過程を経て。

それぞれ何種類か、モフコットを作って見ると。

確かにこれは必須だという結論しか出なかった。

服の裏地に仕込むだけで、能力を錬金術師の装備品一つや二つを遙かに超える強化を持ち込める。

全員分は作る時間がないが、少なくともリディーとスールの分だけでも作りたい。更に上位の布に手を出している余裕は無い。最上位のヴェルベティスに至っては、それこそ今まで散々やってきた金属加工の最上位、ハルモニウムより難しいと考えるべきかも知れない。

ともかく、このモフコットの質を可能な限り上げて。

服の裏地に仕込む。

念のために触ってみたけれども。

やはり肌に直接触れるとあまり好ましくないという結論になる。

元は獣の毛なのだ。

強い魔力を帯びているとは言え。

肌に直接触れると、やはりちくちくする。

とはいっても、コーティングをしている状態だと、これはこれでちょっとごわついて肌触りが良くない。

肌触りなんて、それこそどうでもいいと思えるかも知れないが。

長時間の戦闘では、こういった要素がどうしても問題になってくる。

考えたあげく。

リディーは魔力の強化と体力継続強化。

スールも魔力の強化と、防御力の強化。

これをモフコットに仕込んで。

服の裏地に貼り付け。

更にモフコットの下地にクロースを入れることにした。このクロースには、「温湿度低下」の機能も入れる。

モフコットはかなり熱を蓄えるので。

その熱を相殺するためだ。

ただ、二重に裏地を入れた結果。

少し服が大きくなった。

このため、採寸をちょっとやり直さなければならなくなり。

それでも時間を取られてしまった。

この服そのものは、お母さんが作ってくれたもので。絶対にこの服から変える気は無い。少なくとも錬金術師としての正装は、この服以外にあり得ない。だから、どんな凄い布を入れるとしても、あくまで裏地に、である。

準備が整ったのが。

ドロッセルさんと契約した期限の一週間前。

予想通りというか。

途中に何度か入ったインフラ工事や。

試行錯誤の結果。

相当に時間が掛かってしまった。

ドラゴンが、まだあの場所にいてくれればいいのだが。それについては、祈るしか無い。

準備はこれで充分な筈。

皆の戦力は足りている。

後はバトルミックスと、このモフコットによる強化。

更には。今までの装備品の刷新。

モフコットによって、今まで毛皮を使っていた装備品を、数段強化出来ることが分かったので。

それらを全て更改。

これで戦力は、出来る範囲で極限まであげる事に成功したはずだ。

だが、それが主観では意味がない。

二人で検証。

実際に使ってみて、本当に効果があるかは、何度か試す。

ドロッセルさんに手伝って貰って。

不思議な絵の中に入って、素材を集めつつ。

何度も検証試験をして。

問題ないと結論が出るまで、客観的にデータも集めた。

リディーとスールは、所詮凡人。

錬金術の才能はリディーの方が優れているけれど。それでもフィリスさんのような天才ではないし。

ソフィーさんのような規格外でもない。

ならば、データを積み重ねて。

それで戦いを有利に運んでいくしか無い。

徹底的な準備をしても。

予期せぬトラブルで、地獄絵図が顕現すること何て、珍しくも無い。

それは経験として、今まで戦って来た獣や、ファルギオルで。嫌でも思い知らされている。だから不安要素を、徹底的に削り取るのだ。

スケジュールの調整もあって。

ドロッセルさんの雇用期限一週前に、皆に集まって貰い。

そして海の絵へ再び挑む。

今度は、この戦いで。勝負を決める。

気合いはどうしても入る。

エントランスに集まった皆に、更改した装備品を渡す。特に獣の腕輪は素材をモフコットに切り替えた結果、更に色々な能力を強化出来るようになった。その他にも、ナックルガードを一として、他の装備品も前より性能を上げている。時間を掛けて準備したのである。ドラゴン戦なので、当たり前だ。

先に安全なネージュの要塞に入って。

要塞の外側の、平穏な場所で、皆にそれぞれ動いて貰う。

一番最初にコツを掴んだのは流石アンパサンドさん。

体を徹底的に動かし尽くして知り尽くしているからだろう。

スペックが変わっても、それで困る事はない、というわけだ。

逆にフィンブル兄はかなり四苦八苦していたが。

それでも半日ほどで、どうにか慣れてくれた。

マティアスはというと、マイペースに剣を振るっていたが。ある程度でコツを掴んだらしく。

大丈夫と頷いてくれる。

ドロッセルさんは、現状の装備で問題ないらしい。

現状の装備で、既に皆より強いのだから色々反則な気もするが。まあそれだけ、昔フィリスさんに貰っただろう装備が強いのだろう。

フィリスさんは、ルーシャと話があるとかで、絵の外で待っていて。

そして準備が終わった後。

エントランスで再合流した。

さあ、此処からだ。

嫌でも緊張する。

更に。

戦いの前に、フィリスさんが笑顔で言うのだった。

「前に見せられたあのドラゴン、海棲ドラゴンでは異例なほど小さいから、それは覚えておいてね」

「えっ……」

「確かに前に交戦したドラゴネアと大差なかったのです」

「でも、すげえ強そうだったぞ」

アンパサンドさんとマティアスが口々に言うが。

フィリスさんは優しげな笑顔を浮かべているだけ。

さあ、どう攻略する。

そう言っているように、スールには見えた。

目が濁っているフィリスさん。

前は多少情緒不安定だったけれど、純真だったと、パイモンさんに聞かされている。

ということは、だ。

やはり錬金術を極める過程で深淵に触れていき、こうなったのだろう。

「……行きます。 ドラゴンが移動しているかも知れません。 海底ではくれぐれも注意してください」

リディーが音頭を取る。

さあ、此処からだ。

いよいよ、錬金術師としての鬼門となる、ドラゴン狩りの時が来た。

 

3、蒼海死闘

 

海の中に出る。前と環境は変わっていない。周囲からのプレッシャーも。マティアスがつけた印も。×印も、しっかり残っていた。

前に比べると、シールドの外側にある海流が比較的緩やかに感じる。

或いは今日の海は、機嫌が良いのかも知れない。

不思議な絵画の中でも、時間は流れている。

そして此方の世界と、時間の流れ方は違うようだった。

例えばフーコにこの間会いに行ったのだけれど、随分久しぶりに会ったと言われた。

あの世界では、フーコ達あの世界の人間と、火竜との関わり合い方を見直しているらしく。

今では村の位置も移動することを検討。

火竜の世話をする係として巫女は役割を変え。

レンプライアを狩る班。

獣を刈る班と、村では編成を行い。

静かな生活を送るようにしているという。

それで良いのだと思う。

あのイケニエの悪習が、ほぼ理想的な共存関係に切り替わっているのだ。これ以上此方が口を出す事なんて、一つも無い。

火竜はあの世界の神として君臨して、過酷な環境もコントロールしている訳なのだし。

元々、かなり危うい所で、世界のあり方に介入したのだ。

これ以上は、あの世界の人々と、火竜が決める事。

少なくともリディーとスールのような外野に、口を出すことは許されないし。

自分達のやり方を無理矢理持ち込んで、押しつけたりしたら。

それは文字通りの侵略だ。

悪しき風習は止めて貰った。それだけで満足すべきなのである。

海の中を黙々と歩きながら、そんな風に思う。

リディーはどうなのだろう。

もっと過激に考えているのだろうか。

実のところ、「みんな」こと、「平均的な人間」に関しての考え方は、むしろスールよりリディーの方が過激だと言う事は、この間腰を据えて話してみて思った。

むしろ今のリディーの本音を聞いたら。

ソフィーさんは大喜びするかも知れない。

あの人が何を目論んでいるかは分からないけれど。

きっと、ろくでもないことだ。

どんどん目が濁ってきているリディーもスールも。ソフィーさんから見れば、とても望ましいのではあるまいか。

また、魚が飛んでくる。

今度はマティアスの反応が早く、シールドで弾き返し。

そして、ぐわんと凄い音がした直後には、アンパサンドさんが魚を斬り伏せていた。

荷車に乗せると、すぐに先へ。

あの魚。灯りに引き寄せられているのでも無く。

単に獣として、人間を殺しに襲ってきているのか。

だとしたら、外の世界の獣と発想は同じか。

あくまで外の世界よりは環境が優しいと言うだけで。

この海が危険であることに、まったく変わりは無い。

直線距離で、迷う事もなかったので。

キャプテンバッケンの島までは、それほど苦労せずにたどり着けた。途中で三回魚の襲撃は受けたが、それだけだった。

巨大なクラゲや亀もいたが。

危ないと思ったので、最初から近付かなかった。

上陸すると、キャプテンバッケンは、ついこの間にあったかのように、その場に普通にいた。

「よう、待ってたぜ。 ドラゴン狩りの準備は整ったか、子分C、D」

「はい。 やれる限りの準備はしてきました」

「それは頼もしいなあ。 ちょっと前に子分Aが来てな。 ドラゴンは無理でも、って、レンプライアってお前らが呼ぶ黒いのを掃除して行ってくれたよ。 欠片は其処に積んでおいたから、持っていきな」

「ありがとうございます」

誰だろう。雰囲気が似ている、と言う事だけれど。

錬金術師に、リディーとスールに似た人なんているのか。

一瞬お父さんを思い出したが、お父さんってアトリエランク制度に参加していただろうか。

それに確か、お父さんは戦闘向けの錬金術師ではなかったと聞いた事がある。

だとすると、違うような気がする。

いずれにしても、バッケンにはその場に待機して貰う。

この人はかなり強いけれど、世界のルールを書き換えた場合、無事でいられるか分からないからだ。

そう。

今回も、世界のルールを書き換えて勝負する。

既に、不思議な絵の世界でも、世界のルールを更に書き換えられることは実験して検証済み。

ドロッセルさんに手伝って貰ったのがそれだ。

そしてドラゴン、特に海棲ドラゴンにとって最も不利な、灼熱地獄での戦いを挑む。

この作戦については、エントランスで既に皆に話してある。

大胆な作戦だとアンパサンドさんは言ったけれど。

ドラゴン狩りに参加したこともある彼女いわく。

効果は見込める、ということだった。

ならばやる価値はある。

密林を抜けて、入り江に。

ドラゴンは相変わらず、長大な体を丸めて、その場にいた。

ほっとする。

何とか、第一段階はクリアか。

次は第二段階。

ブレスに狙われないように、遮蔽物を利用しながら、接近する。

遮蔽物といっても、その辺の岩程度では駄目だ。ブレスで一瞬で貫通される。それこそ、丘をまるごと遮蔽物として扱って、接近するくらいでないと話にならない。

そして恐らくだが。

もうドラゴンは、此方に気付いている。

いっそのこと、石でも投げて、此方に近付かせるか。

そう思ったが、止める。

土壇場での作戦変更は、皆を混乱させるだけ。

何か問題でも起きたのならともかく。

そうではないのだから、独断で変なことをするべきではない。そう、スールは判断して、思い直す。

荷車は既に引かなくても良い自動式。

大きく回り込んで、ドラゴンが寝そべっているすぐ側まで移動。

先にアンパサンドさんに行って貰い。

動きは監視して貰っていたので、不意打ちを受ける可能性は無い。

ドロッセルさんが、不意にルーシャの口を塞いだ。

どうやらくしゃみをしそうになったらしい。こう言うとき、オイフェさんは何もしてくれないので、助かる。

丘を、降りきる。

アンパサンドさんと合流。

ドラゴンは丸まってはいるが、微動だにせず、と言う事も無く。ずるりずるりと動きながら、周囲を威嚇している。

此方に気付いていて、位置も分かっているだろうに。

あえて気付いているだけを装っている、と言う事だ。

ハンドサイン。

頷くと、皆、体勢を低くしたまま、でる。

ドラゴンが、此方に向き直ると、凄まじい咆哮を上げる。まだ、もう少し、距離が足りない。

当然のように浮かび上がるドラゴン。

その時、放たれた矢が。

上空から、ドラゴンの脳天を、一撃していた。

フィリスさんが放った矢だ。ただの矢ではない。

凄まじい雷撃を帯びていた様子で。

ドラゴンが悶絶して、動きを一瞬だけ止める。これは或いは、フィリスさんが、唯一してくれる援護、と言う事か。

その隙に、間合いに到達。

リディーが、不思議な絵の具を握りつぶしていた。

瞬時に、世界が切り替わる。

ドラゴンが、周囲を見て、絶叫する。

何だこれは。

そう叫んでいるようにも思えた。

辺りはあの火竜とフーコ達の灼熱地獄に切り替わっていたからである。凄まじい熱気が、周囲全てを包んでいる。ごうごうと、マグマが流れる音も聞こえた。

フィリスさんは飛び退くと、後は傍観の姿勢。最初に接近する隙を作ってくれたのだ。相手は監視役。これ以上の手伝いは望めない。

だが、これで充分。

一気に、仕留める。

戦いが、始まった。

 

最初にしかけたのは、一番間合いが長いルーシャだった。

腰を落として傘を構えると。

同時に、複数の球体がルーシャの周囲に浮かび上がる。拡張肉体か。

それが巨大な魔法陣を形成。

極太の光線を撃ち出す。

空間を蹂躙した光線がドラゴンの巨体を直撃するが、それでもなおドラゴンの防備は厚い。

鱗が、光線を弾き散らす。

だが、体勢も崩させる。

その隙に至近に踊り込んだアンパサンドさんが、相手の目に海底の泥をブチ撒け、頭を蹴って向こう側に向ける。

ドラゴンが、次の瞬間。

視界など知るかと言わんばかりに。

ブレスをぶっ放してきていた。

海竜らしく、ブレスは水。それも、文字通り切り裂くような凄まじい代物だ。そして、圧力が高すぎるからか、着弾点が高熱で爆裂する。

思わずうめき声が漏れるが。

リディーが即応。

モフコットの裏地の強化効果もある。

全力で展開したシールドが、ドラゴンのブレスを相殺。水が滅茶苦茶に飛び散って、灼熱の空気で瞬時に蒸発。

煙幕を切り裂くようにマティアスとフィンブル兄が躍り出ると。

それぞれ渾身の一撃を、ドラゴンの長い体に叩き込む。

しかし、だ。

やはりドラゴンの鱗。

激しい火花と共に、一撃が弾き返される。

強度だけなら、フィンブル兄の武器はプラティーン並みの筈なのに。

それでもやはり、ドラゴンの鱗は格が違うというのか。

巨体を振るって、ドラゴンが二人をはじき飛ばす。

擦っただけで、吹っ飛ばされる二人に代わり、オイフェさんが前に出て、顔面に拳を叩き込むが。

効いている様子が無い。

飛び退くオイフェさん。

そして、ドラゴンの周囲に。

五十を超える魔法陣が出現していた。

ブレスだけでは無く、魔術も使えることは予想していたが。

その魔法陣全てから、辺りを薙ぎ払うようにして、光線が射出されると。流石に閉口せざるを得ない。

必死に回避しながら、バトルミックスを叩き込む機会を狙う。

二発目のブレスが、続けてくる。

嘘とぼやきたくなる。

あれだけの凄まじい制圧魔術を発動しつつ、ブレスまで同時に撃てるのか。しかも防御は鉄壁。

やっぱりドラゴンはドラゴン、と言う事か。

リディーのシールドが相殺され、ブチ砕かれる。

悲鳴を上げて尻餅をつくリディー。

その隙に、ドラゴンが突貫してくるが。

ドラゴンの頭を、真上から殴り、地面に叩き付けたのは。

ドロッセルさんだった。

流石だ。

そのまま回転しながら、更に追撃。

斧での強烈な一撃が、ドラゴンの頭に突き刺さり、火花を散らせる。

「鱗を剥がすように意識して!」

「分かった!」

フィンブル兄が突貫。

そのままハルバードを振るって、さっきルーシャの大火力砲撃が直撃した地点を狙う。

タイミングを完璧にあわせて、マティアスが躍り出て。

鱗をねじりきるようにして、剣を振るう。

火花が散るが。

まだ鱗を剥がしきれない。

そうこうする内に、ドラゴンが遊びは終わりだと言わんばかりに、全身から魔力を放出。接近戦を挑んでいたメンバーを吹っ飛ばす。海竜は苦手な灼熱の環境だろうに、平然と動き回っている。はっきり言って、冗談じゃあない。これが最強に君臨する超越生物か。

再び制圧射撃を始めようとするドラゴンだが。

その瞬間。

閃光のように、一撃が走り。

着地したアンパサンドさんが、ナイフを振るっていた。

弾き飛ばされた鱗。

今だ。

スールが前に出る。

ルーシャが支援に切り替え。ドラゴンが制圧射撃をスールに集中してくるが、ルーシャのシールドが全力で守ってくれる。

至近に飛び込む。

ブレスの体勢を整えているドラゴン。

だが、全力でタックルを浴びせるマティアス。その後慌てて飛び退く。

五月蠅そうにマティアスを見るドラゴンだが。

それが命取りだ。

全力で、束ねたフラムを放り込む。

そして、バトルミックスで、全火力を極限まで増幅した。更に此処は、灼熱の環境である。

離れて。

リディーが叫び。

バトルミックスでの、全力強化フラムの熱波から皆を守るために、シールドを展開する。

スールは殆どギリギリで退避。

マティアスも。

至近距離で、灼熱を通り越して、太陽か何かが出現したかのような暴力的な熱量が荒れ狂う。

さあ、どうだ。

陽炎が立ち上る中。

それでも、ドラゴンは原型を留めている。

全身を灼熱に焦がされ。

何より鱗を剥がされた地点から、モロに熱を体内に叩き込まれている筈なのに。

怒りの声を上げているドラゴンは、正に暴威の魔そのものだった。

まずい、撤退するか。

いや、これ以上の準備をする時間も余裕も無い。

リディーは流石にそろそろ限界だ。全力のシールドを二回も展開したのだ。三回目は、多分ブレスを喰らったらぶち抜かれる。

だったら、スールがやるしかない。

立ち上がれ。

自分を叱咤して、無理矢理意識を維持。震える膝を怒鳴りつけて、体勢を立て直す。

アンパサンドさんが、スールの至近に一瞬だけ降り立つと、猛り狂ったドラゴンに真っ正面から突貫。

意図を理解。逡巡している暇は無い。

ドロッセルさんが投げた大斧が、ドラゴンの頭に突き刺さる。相当に鱗が脆くなっているらしい。

制圧射撃の魔術を展開するドラゴンだが。

ルーシャが、また全力砲撃を、顔面に叩き込み。

それが、一瞬だけ詠唱を阻害する。

フィンブル兄とマティアスが、気合いを入れて連携。さっき剥がした鱗の場所に、ハルバードをつっこむフィンブル兄。更に、踵落としをドロッセルさんの大斧に叩き込むマティアス。

体を振るって二人を追い払うと。

至近に見えるアンパサンドさんに、ブレスをぶち込むドラゴン。

抉ったのは残像だが。

しかしながら、爆裂はアンパサンドさんを完全回避させなかった。

思い切り爆風に吹き飛ばされる小さなからだ。

だけれども。

その瞬間、ドラゴンに完全な隙が出来た。

今度は雷撃。

ドナーストーンを束ねて、ドラゴンの至近に放り込む。

同時に、リディーが地面に手を突き、残る全ての魔力を注いで、ドラゴンをシールドで包み込む。

バトルミックス二回目。

フルパワーのドナーストーンを、炸裂させた。

閃光が、一瞬だけほとばしり。

シールドの上部をぶち抜いて、空へと光が迸る。

凄まじい雷光が、文字通り木のように拡がりながら、空を蹂躙し。そして、不思議な絵の具の脆い異空間を、完全に破壊し尽くした。

周囲が砂浜に戻る。

呼吸を整えながら顔を上げるスール。

どうだ、これで駄目なら、もう。

ドラゴンが、全身から煙を上げながら、黒焦げになった砂浜に倒れ伏す。

まだだ。

上空に、多数展開される魔法陣。

制圧攻撃をするつもりか。

何人か道連れにするつもりなのだろう。

リディーは。

もう駄目だ、完全に地面に伏している。頭から出血しているのは、魔術を使いすぎたからだ。

フィンブル兄とマティアスは。

吹っ飛ばされて転がっている。あのブレスの余波を受けたのは、アンパサンドさんだけではなかったのだ。

ドロッセルさん。無事だ。走りながら、次の攻撃に出るべく動いている。

スールも走りながら、銃を乱射。もはや鱗も彼方此方剥がれている瀕死のドラゴンに、弾丸をありったけ叩き込む。

もう動けるのはスールとドロッセルさん、それにルーシャくらいか。

いや、まだいる。オイフェさんが動く。

突貫すると、真上から、空気の壁をブチ抜きながらストンプをドラゴンの頭に叩き込む。それでも、制圧魔法陣は消えない。

ドロッセルさんが投げたらしい斧が、ドラゴンの首に突き刺さった。

まだ駄目か。

大量の鮮血を砂浜に噴き出しながらも、ドラゴンはまだ生きているのか、魔法陣が消えない。

だったら、もうやるしかない。

集中。

息を吐いて。顔を上げると。

ありったけの銃弾を、魔法陣全てに叩き込む。

もともと乏しいスールの魔力。

拳銃に込めて弾丸を撃ち込むことで、魔力を伴った銃弾を撃ち込み。更に発射するときの火力も長身銃並みに上げる。

それは、瀕死のドラゴンが相手だったら。

その、最後のあがきの魔法陣が相手なら。

魔法陣が、次々砕ける。

集中しろ。

全てを撃ち抜け。

あれが一発でも放たれたら、リディーも、倒れている前衛組も全滅だ。

後十。

魔法陣に光が点り始める。

後五。

もう手が動かなくなりつつある。

モフコットを服の裏地に貼り付けておかなかったら、多分とっくに継戦能力を失っていた。

あと一つ。

吐血。あまりにも、普段使わない魔力を、過剰に酷使しすぎたのだ。

見える。

魔法陣が、光を放とうとしている。

「させるかああああっ!」

絶叫すると、同時にスールは跳躍。

魔法陣を蹴り砕く。

同時に、魔法陣の爆発に巻き込まれてもいた。

意識が薄れる。これは、足の一本は無くなるかも知れない。でも、他の誰かが死ぬより、ずっとマシだ。

エゴの塊だったと、思う。だけれど、今は、こうやって動けた。

それを、光の中で、スールは満足しながら思った。

 

気付くと、キャンプで寝かされていた。

飛び起きる。

確認するが、手足はきちんとある。かなり体中が痛いが、これは無茶苦茶をしたのだから当然である。

それに、だ。スールなんてどうでもいい。

幾ら瀕死の相手とは言え、ドラゴンのブレスに対して回避盾をするという正気の沙汰では無い行動に出たアンパサンドさんが一番心配だ。

余波を喰らったフィンブル兄とマティアスは多分大丈夫。

ドロッセルさんやルーシャは動いているのを見た。オイフェさんも。

フィリスさんは、多分ブレスの直撃喰らっても死なない。リディーは倒れていただけ。かなり酷い目に会うだろうが、それでも命に別状はない筈だ。

慌てて周囲を見回して、見つける。

まだ目を覚ましていないアンパサンドさんに、フィリスさんが何か薬を飲ませていた。黄金に輝く薬だ。何だか分からないけれど、凄く輝いているのが分かった。

「スーちゃん、まだ起きちゃ駄目!」

頭に包帯を巻いているリディーに、そのまま寝かされる。リディーは散々泣きはらした目をしていた。

雷神戦以来の、いやそれ以上の被害だ。無理もない。

アンパサンドさんは、と聞くと。

リディーは黙り込み。

ルーシャが説明してくれる。

「フィリスさんが秘薬を分けてくれましたわ。 我々では手が届かない神域の秘薬をね……」

ルーシャの声が非常に不愉快そうなのは。

最初から手伝って欲しかった、という意味だろう。

だけれど、そも先手を敵がとれなかったのは、フィリスさんの援護射撃があったからで。

監視役で来ているフィリスさんに、戦力である事を期待する方が間違っている。

だから、口惜しいけれど、ルーシャの言葉は感情論だ。感情論では、残念だけれどフィリスさんみたいな半分、いや恐らく完全に人間止めてる相手には届かない。

アンパサンドさんは体の彼方此方が焦げていて、凄惨な有様だったけれど。体の内側から光が漏れて、肉が盛り上がるようにして治っていく。

ホムの、小さな、筋力も弱い体で。極限まで己を磨き抜いて。

そして皆を守るためにドラゴンの気を引き。歴戦の錬金術師ですら怖れるドラゴンのブレスの、直撃を避けて見せた。

どこの誰よりも立派な騎士だ。

唇を噛む。フィリスさんは、そんな凄い相手だからこそ、秘蔵の薬を使ってくれたのかも知れない。

言う事は厳しいし。

時々理不尽にさえ思うけれど。

アンパサンドさんが敵に臆したことは一度もないし、何よりあんな戦い方、生半可な覚悟で出来はしない。

あの冷酷なフィリスさんでさえ。

アンパサンドさんには心を動かされた、のかも知れない。

「それじゃマティアス王子、アンパサンドさん数日は起きないと思うから、それは騎士団に伝えておいて。 あと、このお薬の代金は気にしなくても良いからね」

「……ああ、分かった。 姉貴に伝えておく。 俺様も死ぬほど嬉しいよ」

「じゃ、わたしはこれで戻るね。 ドラゴンの素材は、何回かに分けて持ち帰ると良いよ」

可愛らしく手を振ると、フィリスさんは不思議の絵から消える。

なるほど、それはそうだろう。

あのドラゴン、あからさまに異物。

そしてフィリスさんは深淵の者関係者。

ドラゴンを不思議な絵に持ち込む事なんて、深淵の者にしか出来ないだろうし。そも持ち込んだらどうなるかも知っているのだろうから。

包帯を巻いて諸肌を脱いでいるマティアスが、思いっきり渋面していた。此処まで不愉快そうにしているマティアスは初めて見た。しかも相手はどちらかと言えばとても可愛いフィリスさんなのに。深淵に沈んでいる目を除いた見かけだけなら、の話だが。

無言でマティアスの側で腕組みしているフィンブル兄。

多分こう言うときは、側で無言でいた方が良いと思っているのだろう。

スールもその意見に賛成だ。

ルーシャとリディーが手当をしてくれて、とりあえず動ける状態にはなる。なお、お薬などの処置は、ドロッセルさんがもの凄く手際よくやってくれた。一通り、応急処置が終わると。

キャプテンバッケンが姿を見せる。

「済まなかったな。 俺は異物に手を出せる状態じゃなくて。 本当なら、俺がどうにかしなければならなかったのにな」

そう、陽気なキャプテンは言う。キャプテンも、とても心苦しそうだった。

この人は、この不思議な絵の中核。

この人が滅びたら、きっとこの世界は崩壊してしまう。それは、不思議な絵の死を意味する。

だからあの異物、ドラゴン相手には戦えなかった。それを責めるつもりは無い。

少なくとも、レンプライアに対して自衛できる。

それだけで、充分だ。

「俺には、彼奴を彼処に縛り付けておくだけで精一杯だった。 本当に苦労を掛けたな、子分CとD」

「いいえ、キャプテンに責任は……」

「キャプテン、むしろ凄いよ。 よくドラゴンを縛り付けておけたね」

「あー、それなんだがな。 あれ、多分ドラゴンとしてはもの凄く弱い奴だ。 だから、世界そのものには抗えなかったんだろうよ。 もっと大きい奴だったら、どうにもできなかっただろうな」

そうか、あれで弱かったのか。背筋が凍るような話だが、キャプテンの言葉と状況証拠からしても本当なのだろう。

そして、まだまだこの絵の調査そのものは終わらない。

これから、まず宝というのを受け取れるのなら受け取る。

更に、海底を念入りに調査する。

ドラゴンはもうでないとしても。

巨獣との戦闘は予想されるし、今後もとても油断できる状況では無い。海中でドラゴンに襲われるという最悪の事態だけは、これで回避できる。それだけだ。

「また来ます」

「今日はちょっともう限界っぽいから、絵から出てまた怪我を治して来るね、キャプテン」

「おう、待ってるからな。 次は宝も準備しておくから、楽しみにしておけよ」

カカカカと笑うキャプテン。

その間に、ドロッセルさんが手際よく、海岸でドラゴンの鱗や深核を回収して、持ち帰ってきてくれた。ドラゴンのだから、確か深核では無くて竜核か。いずれにしても非常な貴重品である。ルーシャと三分割することになるだろう。

後は骨や焦げた肉なども回収出来るだけはした。

巨大な眼球も。

左側の眼球だけは無事だったらしい。

ドラゴンの眼球は、良い素材になると聞いている。

錬金術師と命がけの旅をしたドロッセルさんだから、知っていたことだったのだろう。

皆で頭を下げてから、一度絵を出る。

アンパサンドさんはまだ意識を取り戻していないので、騎士団を呼んで、施療院に連絡して貰う。

命に別状は無い筈だし。

あのフィリスさんの薬を投与されたのだ。

死ぬとは思えないけれど。

万が一もある。

専門家に確認はして貰った方が良いだろう。

マティアスとは、少し話しておく。

「一週間後に入って、その時にドラゴンの残りがあったら回収。 宝も譲って貰えるようなら回収。 あと、海中の調査も済ませようと思いますけれど、それで良いですか?」

「俺様はそれでかまわないが、レポートはどうする?」

「調査が終わってからで良いと思います」

「それにしても、破壊神という二つ名は嘘でも何でも無かったんだな」

ぼそりとフィンブル兄が呟く。

分かっている。

だけれども、今更どうこう言うつもりも無い。

フィリスさんは昔は優しい純真な人だったと聞いている。

錬金術を極めていくと、人はどんどん壊れていくとも聞いている。

仕方が無い事なのだろう。

理性をとるか、力をとるかと聞かれて。

フィリスさんは、世界と戦うために、力をとったのだろう。

リディーとスールだって、どんどんおかしくなってきているのだ。フィリスさんを、責められなかった。

「それでは、一週間後に」

後は、全自動荷車もあるので、その場で解散。

エントランスを後にする。

ドラゴンほどではないにしても、巨獣が襲ってくる事を想定しなければならない。準備はしっかりする必要がある。

それにアンパサンドさんの事も心配だ。

今回の戦闘が、今までで一番損害が大きかったかも知れない。

ドロッセルさんは、契約が切れる最後の最後で、活躍してもらいたい所だが。

さて、何処まで力を貸してくれるか。

今回の戦いでも、要所要所では力を貸してくれたけれど。

それでもフィリスさんほどでは無いにしても、かなり手を抜いていたように思える。

海の絵は。

まだまだ、油断などさせてくれる場所ではないのだ。

アトリエに戻る。

不安要素は幾つもある。

大きくなり続けているものもある。

だが、それでも。

前に進まなければならない。

色々と、知りすぎた。

これ以上、立ち止まってはいられなかった。

 

4、黒い影

 

キャプテンバッケンは、腰を下ろすと、大きくため息をついた。

自分が作られた存在であることは、この世界のコアであるバッケンもある程度認識はしている。

違和感があるのだ。

本当に自分は人間や、その成れの果てなのか。

それが不思議でならなかった。

島に現れたドラゴンを見て。

疑惑は確信に変わった。

それはそうだろう。

この島に入り込んだ異物。

レンプライアの比では無い脅威。

そして、島全体が、警告を発している。それが、手に取るように分かったのだから。

七つの海なんてものも実際には存在しない。そんなものは、絵の中で「愉快な海賊」である自分が発するただの記号。

バッケンは。

ただの人を楽しませるアトラクションであり。

そしてこの島を守護するための存在でもある。

海を旅した事なんて無い。

あのボロボロの海賊船だって、本当に部下を乗せて海を移動した事なんて、一度もない。

だって、部下達なんて。

一人だって、名前も顔も思い出せないのだから。

骨になった、というのは原因では無いだろう。

島にいて、何をしていると言う記憶ははっきりあるし。

子分ABや、CDと話した事もしっかり覚えている。

あの子分CD。

恐らくは。

また、レンプライアが湧いているのを見かけたので、即座に処理する。かなりの数が集まって来たが。銃弾は無限。剣は朽ちない。

ちぎっては投げ。ちぎっては投げる。

大きいのが来た。

振り向き様に、数発の弾丸をくれてやるが。

上半身だけのレンプライアは、平然と突貫してくる。今までの中で、一番大きい奴だ。

何か聞こえる。

海なんて、出られるわけが無いだろう。

内海に出るだけで命がけだ。

海の中は巨大な獣だらけ。錬金術の金属で装甲を作った船でさえ、撃沈されるようなバケモノ達。

そんな中、海賊なんて滑稽だ。

自分だって分かっているさ。この絵が子供じみた夢の欠片である事くらい。だけれども、夢くらいだったら見てもいいじゃないか。

レンプライアは悪意の塊だと、子分Bに聞いた。

なら、この世界を作った奴が。

そんな風に考えた。

勿論この絵に愛情も持っていたのだろう。だが、心は色々と動くものだ。そんな染みがあっても不思議ではない。

詠唱も無しに、広域攻撃の魔術を連発してくる巨大なレンプライア。

近づけたものではない。

飛び退いて距離をとろうとしたら、残像を作って、後ろに回り込んでくる。

振り上げられる豪腕。

まずいな。

これは子分共に、宝をくれてやれないかも知れない。

苦笑いした瞬間。

レンプライアの頭が、横殴りに銃撃を浴び。吹き飛ばされていた。

「キャプテンバッケン、腕落ちた?」

「おお、子分Aじゃないか。 ありがとうよ」

二丁拳銃をクルクル廻しながら、腰に収めるは。

巻き毛が印象的な、すらっと背が高いヒト族の女。充分な美貌を持つ、才気ある戦士。

子分CとDの面影が確かにある。

そして動きを見るだけで分かるが、戦闘関連の仕事をしていた者だ。多分騎士だろう。あの勇敢なホムと同じように。

本来だったら、賊と騎士が相容れる筈が無い。

だが、この絵の中でなら。

「この間、お前達によく似たのが来てな。 子分CとDと名付けてやった」

「それって、リディーとスールって名乗ってなかった?」

「ああ、そうだが」

「ふふ、そう。 もうこの絵に入れるくらいに力をつけたのね。 錬金術師としてやっていけるか心配だったけれど、国一番のアトリエを開けそうだわ」

目を細める子分A。

レンプライアの残党はもういない。しばらくは処理しなくても良いだろう。

軽く話す。

子分Aは、同じような世界……不思議な絵画の世界というらしいが。それを移動して、自由に暮らす事が出来るという。

だから、他にも幾つもある不思議な絵画の世界を見てきているそうだ。

悲しい話だが、既に子分Aの命は世界から離れてしまっている。

かりそめの命だけが、不思議な絵の中で、存在を許されている。

いや、バッケンと同じような存在が。

更なる完成度を経て。

同じような、不思議な絵の世界を行き来できるようになった、というのが正しいらしい。

それが証拠に。

ある一時期から、子分Aの体が「変わった」事を、バッケンも悟っていた。

前は生身で入ってきていたのだが。

今はどちらかというと、バッケンのような概念的な存在だ。

同じような存在は他にもいるらしいが。

残念ながら、バッケンには他の絵に行くほどの力は無い。

キャンプで焚き火を囲む。

酒を呷りながら、話を聞く。

ここずっと子分Bの姿を見ていない。どうやら、子分Aの命が体を離れた事で、相当な衝撃を受けたらしく。

殆ど廃人になってしまったそうだ。

とても心配だそうだが。

流石に絵の外には出られないらしく。

子分Aにはどうすることもできないそうだ。

「あの子達の顔も見てあげたいし、抱きしめても上げたいけれど、流石にこればかりはどうにもならないわね」

「この絵にいれば、近いうちに来ると思うが」

「残念だけれど」

「ああ、そうだったな……」

人間ではなくなってから、子分Aには色々制限がついた。

絵を移動出来るようにはなったが。

基本的に、本来の住処である絵に戻って、其処で力を蓄えなければならない。

そして力を蓄えても。

感じるという。

総量としての力が、少しずつ落ちているのが。

器に力を貯めるのだが。

その器が壊れ始めている、と言う事らしい。

「お前さんほどの騎士でも、死ぬときには死ぬんだな」

「後で色々聞かされたのだけれども、どんなに屈強でも、人間であるかぎりどうしようもない病だったらしいわ。 流行病なんかだったら、あの人の作る薬で一発だったでしょうけれどね」

「あいつ、腕が良い錬金術師だったもんなあ」

「腕っ節はからっきしだったけれどもね。 それこそ、人間止めてるような錬金術師でも無い限り、どうにもできない病気だったのに、あんなに悲しんで」

ため息をつく子分A。

そろそろ行くか、と聞くと。

頷いて、子分Aは腰を上げた。

「そうだキャプテン。 あの子達には、あの銃をあげてくれないかしら」

「スールは二丁拳銃で戦っていたし、そもお前さんの形見だろう」

「そろそろ親離れも必要な時期よ。 それにあの銃はね、私用に調整された最強の銃であって、スール用に調整された最強の銃ではないの」

「……そうだな」

とはいっても、バッケンの持っている銃だって、それは同じ筈。

火力は今子分D、つまりスールが使っているもの以上だけれども。それでも、スールは受け入れられるかどうか。

子分Aが消えると。

大きく溜息をバッケンはついていた。

親子、か。

とうとう、最後まで自分とは縁がないものだった。

海賊に対する夢を詰め込んだこの絵の番人として、バッケンはずっと存在し続ける。この絵がある限り。レンプライアに負けない限り。

もしも、この絵に誰かが加筆したら。

或いは子分達が現れたり。

嫁と子供が現れたり。

肉体を取り戻せたりするのだろうか。

いや、それはいい。

バッケンは結局、「愉快な海賊」のままで良いのだ。

騎士アンパサンドが最初にバッケンが海賊だと名乗ったとき、非常に険しい顔をしたのをよく覚えている。

つまり絵の外の賊が、どんな連中かは想像もつくし。

そもそも海で好き勝手に出来るようになったら、どれだけ残虐な行為をしでかすかも、考えなくても分かる。

今のままで。

海賊に夢を持った者が、たまに此処に遊びに来て。

それをもてなすくらいで、バッケンには丁度良いのである。

さて、あの双子。子分CとDに宝をくれてやったら。

後はまた、誰かが遊びに来るのを待つだけだろうか。

たまにはやられ役とかもやってやる必要があるのかも知れない。

カカカと笑うと。

骨だけの姿で、バッケンはまた酒瓶を傾けていた。

幾らでも、宝物庫に湧く酒瓶を。

 

(続)