最凶の復活

 

序、雷鳴の園で

 

四日間でどうにか準備は整った。必死に準備を進めて、騎士団への納入も済ませたし。アンパサンドさんとリディーの分のネックレス。レシピ通りに測定装置「ドナーエンデカー」も作った。更にはイル師匠から教わって、浮遊避雷針と、足につける雷撃緩和装置も作った。

もう殆ど寝ている暇も無かったけれど。

兎に角間に合わせることは出来た。

これでどうにか、指示されているブライズウェストでの作業には間に合うはずだ。

浮遊避雷針は、仕組みが正直よく分からない。

レシピ通りに作れとイル師匠に言われて作って。そして本当に自動で上空を守ってくれたので、驚くしかなかった。

雷撃緩和装置も、イル師匠が平然と雷撃の魔術を使って、その威力を確認することが出来た。

確かによっぽど至近で雷が直撃しない限り。

これで大丈夫だろう。

城門で、ドロッセルさんとルーシャがいるのを確認。オイフェさんも、相変わらず無口で置物のようにしてその場にいる。

かなりの出費だけれども。

今回は試験を兼ねた緊急任務だ。

相当の報酬が出るはずなので。

回収は出来る筈。

この間の、アンフェル大瀑布の一件で、すってんてんになるまでお金は使い果たしたので。

金に五月蠅い事を自覚しているスールは、少しイライラしていたけれど。

今はそれどころじゃない。

雷神ファルギオルの復活が間際だというのである。

もし伝承の雷神が復活したら。

どうやったら止められるのか、さっぱり分からない。本当に倒せるのか、最高位の邪神を。

最近、とうとうリディーがおかしくなりはじめた。

それをスールは敏感に察知していた。

力を得れば得るほど深淵に近付くという話だったけれど。

スールより覚えが早いリディーが、深淵に近付くのが早いのは、ある意味では当たり前とも言えた。

きっと、狂っていくんだ。

そう思うと、胸が張り裂けそうに苦しい。

お父さんはあんなになってしまった。

お母さんはこの世から去ってしまった。

リディーまでおかしくなってしまったら。

スールはどうすればいいのか。

怖い。

本当は、シスターグレースの所にでも駆け込んで、ずっとめそめそしていたいくらいには怖い。

でも、今はそれより先に。

多数の人命が掛かっている、危険な仕事を片付けなければならないのである。出来る人は、そう多くない。

やらなければならないのだ。

打ち合わせを軽くする。

以前使った街道を利用して、ブライズウェストに行く。

ドナーエンデカーを配置する場所。

測定の方法は聞いている。

一日ぴったり配置して。

その後、持ち帰って納入すれば良い。

現地まで、急ぎ足で一日。つまり往復で二日。

ブライズウェストでドナーエンデカーを置くのに一日。

諸作業で一日。

合計で四日という所だろう。

四日前に、二週間後に雷神が復活すると聞かされている。既に四日経過している。予定通りに進んだとしても、ドナーエンデカーを納入して六日後には雷神ファルギオルが復活する事になる。

見ると、確かに城門には騎士が多数いて。

順次ブライズウェストに出発する準備を整えているようだった。

これは、冗談抜きに。

本当に、十日後には復活するという噂は、嘘では無いのだろう。

王都内でも、雷雨が間断なく到来していて。

色々と状況がおかしい。

体調を崩している人も多いようで。

更には、年老いた、一線を退いた騎士達まで出張って、避難訓練を始めている有様である。

噂は本当なのだと。

スールにさえ分かる程だ。

「それでは、駆け足で現地までお願いします」

「よし……」

フィンブルさんが頷く。

アンパサンドさんは、無言で頷いた。

それからは、手続きを済ませて。

城門を出る。

後は一直線に、雨が降る中を走る。雷もドカンドカン落ちていて、スールは時々首をすくめた。

二連に連結している荷車も、時々嫌な音を立てる気がする。

その内、この荷車も、浮くようにしたい。

数年前から、「飛行キット」というものが出回っているらしく。

取り付けるだけで、荷車を飛ぶように改良できるという。サイズによっては、船を浮かせることも出来るのだとか。

作成難易度は高いものの。

もう少し腕が上がれば、多分作れる筈で。

もし作れたら、悪路でも荷車を引く苦労がほぼ無くなる。引く必要さえ生じなくなるかもしれない。何しろ、指示を出せば、それに従って動いてくれると言う話なのだから。

そうなれば、こういう状況でも、走るだけで良い。

リディーも、最近は装備品による補助で、走るのを苦にしていない。スールも、ずっと楽だ。

体力が常時回復するというのはとても大きい。

ひたすら走り続けるが。

緑化作業の成果か、三つ目の。ブライズウェストの近くの街まで、街道は緑によって守られていた。もう此処まで作業が進んでいたのか。

雨は凄まじいが。

緑化された森はびくともしていない。

この辺りは、あのオスカーさんという人の腕が単純に凄いのだろう。

ただ、街に入ると。

既に周囲は傭兵と騎士で一杯。

街の中も外も、天幕だらけになっていた。

そして街の住民は、既に避難している様子で。

宿に入ると、一斉に此方を見られる。

見てきたのは、騎士か、従騎士か。いずれにしても、そういう軍属の人達ばかりのようだった。

咳払いしたアンパサンドさんが、騎士二位である事を告げて、此処の責任者に会いたいという。

本当は騎士一位のマティアスが動くべきなのだろうけれど。

もう期待していないのか。

或いはミレイユ王女に、動かないときは自分で動いて良いと言われているのか。

戦闘で指揮を執るつもりはないようだけれども。

アンパサンドさんの方が、騎士として頼りになるのは事実だったし。

それに、珍しいホムの騎士がいて。

回避盾として活躍を続けていると言う話を聞いてもいるのだろう。

すぐに騎士達は態度を改めて、動いてくれた。

二階から窮屈そうに降りてきたのは、魔族の騎士である。騎士一位だそうで、敬礼をアンパサンドさんとかわす。マティアスも一瞥したが。事情を察しているか、何も言わなかった。

状況について話しあった後。

少し休憩したい旨を告げる。

いきなりブライズウェストに直行することは流石にしない。

今回は出来るだけ急いでドナーエンデカーを置いてくるだけのお仕事だけれども。それでも彼処は行くだけで余りにも危険なのだ。

此処まで走ってくるのに、少しとは言え消耗している。

回復してからでも遅くない。

騎士は頷くと、暖炉の前を開けてくれた。助かる。リディーとスール、それにルーシャが休んでいる間に。

アンパサンドさんは、愛用のナイフの手入れをしている様子だ。

そろそろ、聞いても良いかも知れない。

この間認めてくれたようだし。

「アンパサンドさん、そのナイフって、ひょっとしてプラティーン?」

「……騎士二位に昇格した時に、支給された業物なのです」

はぐらかされた。

だが、支給されたという話は嘘ではないのだろう。

見ると、上位の騎士は、皆それぞれ、自分にあっているだろう武器を手にしている。それぞれが、大事な軍事力として見なされているというわけだ。戦略級傭兵ほどの信頼はおかれていないにしても、それでも騎士団としては、歴戦の猛者に相応しい装備を支給したいのだろう。

ドロッセルさんが、タオルで頭を拭きながら、視線で外を指す。

「それで、この間より多分更に雨と雷が激しいけれど、いつ出るの?」

「休憩が終わったらすぐに。 もう時間がありませんから」

リディーの言葉にひやりとしたが。

まあ周知の事実だろう。

マティアスはまったく信頼されていない。姉のミレイユ王女からも、である。

そのマティアスの所まで、雷神復活の日時について情報が降りてきているのだ。

此処にいる騎士達が、知らないとも思えない。

ドナーエンデカーを置く場所。

回収する時間。

それらについては、しっかり決められている。

ドナーエンデカーは、筒状の形状をした装置で、ただ置くだけで周囲の電気について調べてくれる優れものだ。

そして、配置するのは。

200年前の戦いで、雷神ファルギオルを倒したとされる場所。

地図としては、ブライズウェストの端に当たる。

要するに、端まで追い込まれたという事だ。

このブライズウェストの防衛線を突破されたら、王都までもうロクな戦力がなかった状態らしかったので。

本当にギリギリの戦いだったのだろう。

退屈な本を、無理矢理読んで事前に調査しただけの意味はある。

事前に地図を開いて、場所を確認。

最短ルートと。

川を出来るだけ避ける方法を考えて、移動路を先に決めておく。

二階にいつの間にか上がっていたフィンブル兄が降りてくる。

「二人とも、いいか」

「はい」

「何?」

「偵察から話を聞いていたが、殆ど橋は駄目になっているそうだ。 何か川をやり過ごす手を考えなければならないかも知れないな」

それは、そうだろう。

この豪雨続きである。

雷もたくさん落ちている。

地盤は緩みきっているだろうし。橋が駄目になっているのは、予想できていた。

頷くと、皆で地図を囲んで、ルートを決める。

少し迂回して、街の南側から移動。少し西に行くと、大きめの橋がある。そこからぐるっと回り込んで、ブライズウェストに行き。

さっさとドナーエンデカーを置き。

そして帰る。

相当数の獣が、道中に出ることが推察される。

ネームドもいるかも知れない。

だが、此方も戦力を上げている。その筈だ。

だからきっと。

怖れるには足りない。

弱めのネームドが相手だったら、もうルーシャもいるし、対応は出来る筈。ドラゴンとかが出てきたら逃げるしか無いが。

後は幾つかの戦略について話した後、宿を出る。

そして、もうこの時点で。

用意してきた、浮遊避雷針を展開した。

皆の靴にも、雷緩和のためのバッチをつけて貰ってある。

これで、多少の落雷には対応出来るはず。

恐らくイル師匠が頼まれて納品したのだろう。

前線基地となっている街の上空には、三十を越える浮遊避雷針が漂っていて。

街に落ちる雷を、完全に防ぎ切っているようだった。

時間は、一瞬でも惜しい。

油紙で守った荷車を引いて、走る。

街から出て、少し南に行った後、予定通り西へ。川が増水して凄まじい事になっているが。

何とか其処にある大きめの橋は無事だった。

基礎からして、何か強力な錬金術の処置をしている様子で。この強烈な水害にもびくともしていない。

橋を渡りきった後。

一気に泥沼を蹴散らしながら走る。

途中、雷が何度も至近に落ちる。

目の前が見えないほどの豪雨だ。

それでもなお、先に進まなければならない。雷神が復活する事を、しっかり確認しないと。

どんな不意打ちを食らうか分かったものではないからだ。

雷神は文字通り稲妻のように動く事が確認されている。

そんな相手に不意打ちなんて喰らったら。

文字通り騎士団は全滅する。

イル師匠でも危ないかも知れない。

あらゆる不測の事態を防ぐためにも。

イル師匠達一線級の下にいるリディーとスールが。

全力で頑張らないといけないのだ。

止まれと、声がした。

アンパサンドさんだ。

この豪雨、前もロクに見えない状態。

ハンドサインを使える状態には無い。

危険度は増すが、短く言葉でやりとりするしかない。

足を止めたのには理由がある。

どうやら決壊したらしい川から、水が流れてきて、路を塞いでいる。それほど深くは無さそうだが、流れは速い。

気合いを入れないと、危ないかも知れない。

「飛び越せる?」

ドロッセルさんが聞いてくるので、頷く。

今なら、装備品の強化もある。荷車無しなら、飛び越すのは難しくないはずだ。此処にいる全員が、である。

ドロッセルさんは、それを聞くと。

荷車を担ぎ上げて、跳躍。

濁流の向こう岸に、降り立っていた。

うっそおと声を上げたくなるが。

岩を放り投げていたような人である。これくらいは出来て当然、と言う事か。色々凄い。勿論錬金術装備による強化もあるのだろうけれど。

だとしても、二両目の荷車も担ぎ上げて、ひょいと濁流を飛び越えているのを見ると、生唾を飲み込んでしまった。

「続くのです」

アンパサンドさんも、ひょいと濁流を飛び越える。

ネックレスで身体能力を更に数倍に引き上げたことで、動きのキレが上がっている。それでも、魔族には自力で劣るだろうが。アンパサンドさんは、ヒト族の半分、魔族の四分の一しかない上背で、前線でバリバリに戦うほどの技巧派だ。それがこれだけ身体能力に倍率を掛ければ、もう多分隊長クラスの騎士より強いのではあるまいか。

他の皆も濁流を飛び越える。

ルーシャもひょいと余裕を持って飛び越えていたので。

相応の身体能力強化をしている、と言う事だ。

ただ、ちょっとリディーだけは危なっかしくて。

しかも濁流を飛び越えた直後、至近に落雷が直撃したので。

思わずひやりとした。

リディーも真っ青になっていたが。

こればっかりは、憶病だなんてとてもいえない。ドロッセルさんでさえ、閉口した様子で耳を塞いでいた程である。

手を引いて、濁流から遠ざける。

まだ、予定の設置地点は遠いのだ。兎に角急ぐ。

そして、此処に時間をおいて、もう一度来なければならない。

邪神が復活すると言う事は、これからもっと雷雨が激しくなることはほぼ確実というか絶対だろうし。

もはや何も言うことも無い。

無言で走る。

獣の姿は殆ど見かけなかったが。

時々すっとアンパサンドさんが飛び出て。

そして、一瞬置いて、凄まじい戦闘音が響きはじめることが何度かあった。勿論真っ先に気付いて、囮になってくれている、という事である。すぐに加勢して。決して弱くない獣を集中攻撃して仕留め。乱暴に荷車に乗せて、次へ急ぐ。

ライデン鉱も拾っておきたかったが。

正直その時間さえも惜しい。

ドナーエンデカーを配置する地点が見えてきたが。

うわっと、思わず声を上げたくなる。

周囲には、円形にえぐれた地形だらけ。当然其処には水がたくさん溜まっている。

此処でどんな戦いが行われたのか、正直考えたくも無い。

人もたくさん死んだだろう。

ドナーエンデカーを取りだすリディー。

スールも、少し遅れて、設置に協力。設置している間も、雷は周囲に、ドカンドカンと落ち続けていた。

時計を確認して、時間をメモ。

後は、予定通りの時間になったら、回収すれば良い。

戻ろうと、振り返ると。

其処には、普通のより三倍も大きいキメラビーストが、ゆっくり歩いて来ていた。

交戦は避けられないだろう。

雷雨の中でも響き渡るほどの凄まじい雄叫びを。

キメラビーストが上げていた。

 

1、暴悪顕現

 

全身グシャグシャになりながらも、何とかアダレット王都に帰還する。ドナーエンデカーを急いで王宮に届ける。向こうにも解析班が控えている筈で、すぐに動いてくれるはずだ。

少し、王宮前の受付で待たされる。ルーシャも同じ任務を受けていたようで、同じく待たされる。

フィンブル兄には、待機していて欲しいと頼んだ。

ドロッセルさんは、フリッツさんともども、国から仕事が来ているらしい。多分この後の、雷神との決戦に声が掛かっている、と言う事なのだろう。

まだ少し時間はあるけれど。

それでも、受付で、待たされている時間が、色々ともどかしくてならなかった。

ミレイユ王女が来る。

いつ以来だろう。

アトリエランク制度に参加したとき以来だろうか。

王族用らしい青い鎧を着ていて。

非常に険しい表情だった。

「三人とも、ご苦労様でした。 総力での解析の結果、恐らくファルギオルは137時間ほど後に復活すると結果が出ました」

「それで、私達は……」

「勿論戦って貰います。 既に「三傑」は前線に出向いています。 貴方たちは、ファルギオル復活のあと、第二陣として出て貰います」

休むようにと言われて、頷くと。

すぐにミレイユ王女は戻っていった。

庭園趣味の上、太りきっていた先代の王様の娘とはとても思えない。勿論ミレイユ王女は前線に出るのだろう。

隣で青ざめているマティアス。

スールは疑問に思って聞いてみた。

「マティアス、逃げないの?」

「バカ言え。 ……第二陣の先陣は俺様だ」

「ええっ!?」

「ファルギオルを通したら、どの道アダレットはおしまいだ。 王族が最前線で指揮を執るのは当たり前だろ。 姉貴は当然その役割。 俺様は、もしもの時の保険だよ」

先代の王様だったら、すっ飛んで逃げていただろうに。

青ざめて震えてはいるけれど。

それでも少しだけマティアスを見直した。

ともあれ、一度解散。

アトリエに戻ると、準備を徹底的にする。

既に外では、避難訓練が始まっているが。

ブライズウェストの防衛線を喰い破られたら、多分逃げる暇も無く王都は黒焦げだろう。あくまで皆を安心させるための行動であって。こんな事をしても無駄な事は、スールにも分かった。

アトリエに戻ると。

後は黙々と、ネックレスを作る。

まずはスール用。

スールはバトルミックスを駆使しての、メインアタッカーになる事が要求される。スール自身の身体能力を上げても仕方が無いので、伝承にある雷神の一撃を、一瞬でも良いから防げるようにしたい。

其処で、ネックレスに仕込む強化はシールドにする。

続けてマティアス。

此方も最前線で戦って貰う。

回避盾のアンパサンドさんと違って、マティアスは動きもあまり早くない。ならば、スールと同じく防御強化で良いだろう。

フィンブル兄は、身体能力強化で。

多分これしか選択肢は無い。

ネックレスを黙々と作る間に。

浮遊避雷針を増やす。

戦闘中に、雷撃を防ぐためのものだ。戦闘前に落雷で死んだりしたら、話にもならない。

刻まれている魔法陣はレシピ通りに作るが。

この魔法陣、バステトさんも分からないと小首をかしげていたほど複雑で。

正直まださっぱり仕組みが分からない。

分からないものをそのまま言われた通り作っているので。

ちょっと悔しい。

リディーは何とか解読したいと言って頑張っているが。

それはファルギオルをどうにかした後にするべきだろう。

勿論、イル師匠がファルギオルに遅れを取るとは思えない。

保険として、最大限の準備をするという事だ。

フィリスさんも、更に恐ろしい三傑最後の一人も戦場には出向くという話だし。

多分問題は無いと思うのだけれど。

それでも徹底的に準備をしなければならないのが。

悲しいところだった。

準備を黙々と進め。

体調を崩さないように、徹底的に気も配る。

その間に、騎士団の大半が前線に出向いた様子で。

傭兵も相当な数が集まり、ブライズウェストに出向いている様子だった。

ただ傭兵の中には、雷神の名を聞いて怖れて逃げ出したものもいるようで。街の治安維持のために、既に一線を退いた騎士達まで動員されているようだ。

食事は全て出来合いで。

こんな状況でも、お店はやっている。

ネックレスをどうにか作り上げる。

そして、眠って、起きて。

呼び出しが来た。

マティアスが急いで来るようにと言う指示を出してきたので、悟る。スールも、びりびり感じる。

ブライズウェストの方に、何かとんでも無いものがいると。

雷神が、復活したのだ。

 

王城のホールには、錬金術師が数人と、騎士が数名いた。

揃っているのは。リディーとスール。ルーシャ。それにアルトさんと、パイモンさん。

ルーシャのお父さんは前線に行っているという話だ。

騎士はアンパサンドさんとマティアス。

それに魔族の騎士が数名。

いずれもが、多分ルーシャやパイモンさん、アルトさんの専属護衛として働いている人なのだろう。

咳払いしたのは。

モノクロームのホムだった。受付を時々してくれる役人である。

「現在戦力になると判断した錬金術師に来て貰いましたのです。 三傑は前線で、騎士団と共に雷神と戦闘を開始しています。 ミレイユ王女は既に前線にて、戦闘の指揮を執っている状況です」

「すぐに行かなくて良いんですの!?」

「此方は第二陣です。 本命戦力は最初から全部ぶつけています。 もしも戦況が悪いようなら……」

「伝令っ!」

飛び込んできたのは、黄色い肌をした魔族の騎士だった。

騎士三位らしいが。

騎士が伝令をしていると言うだけで、この戦いの重要性が分かるというものである。

「雷神ファルギオルとの交戦開始! 現在三傑の内イルメリアどの、フィリスどのが雷神を相手に攻勢を掛け、一進一退の戦いを繰り広げております! 三傑最後の一人、ソフィーどのは遅れている模様!」

「分かりました。 援軍要請は」

「現時点ではありません!」

「わかりました、引き続き伝令を」

頷くと、伝令は大雨の中、戦場に戻っていく。

あの人は、生きて帰れるのだろうか。

不安になる中、王宮に残っていたらしい獣人族の侍女が、暖かい紅茶を入れてくれる。ずっと緊張状態にあっても、心が切れてしまう。

だから、少しは良いだろう。

紅茶を飲んで、少しだけさっぱりするが。

その後、第二陣が来て、思わず腰を上げる。

「伝令!」

今度は若いヒト族の女性騎士だ。

ずぶ濡れだが、荒々しい姿で、臆している雰囲気も無かった。

「ファルギオルの猛攻にて、現在乱戦状態が続いております! 騎士達を集中的にファルギオルは狙い、負傷者が続出! ミレイユ王女から、出撃要請が出ました!」

「分かりました。 すぐに出るのです」

「はっ!」

「ふん、弱点から狙いに来たか。 邪神らしい姑息なやり方だ」

肩をすくめてみせるアルトさん。

手を叩くと。

役人は、若干緊張を声に含ませた。

「それではみなさん、出撃してください。 ご武運を」

敬礼されたので。

ぎこちなくだけれども、敬礼を返す。

そして、雨の中、飛び出した。

パイモンさんとアルトさん、ルーシャもいる。生半可な相手に負けるような面子ではない。

更に前線にはイル師匠とフィリスさん。

フィリスさんは怖い人だけれど、実力に関しては圧倒的だ。それはスールの身に、恐怖とともに刻まれている。

この面子だったら、ドラゴンだって恐るるに足りないはず。

そう自分に言い聞かせながら。

雷と豪雨が降り注ぐ中を走る。

城門は、此方を見て、すぐに通してくれた。

そのまま全速力で前線に急ぐが。

その途中で、豪雨にもかかわらず、見えてしまう。

嫌でも見えるのだ。

とんでもない雷撃が、前線で飛び交っている様子が。

復活したばかりで、弱体化しているという話の筈なのに。

何だあの雷撃。

横方向に飛んでいるし、自然発生した雷だとは思えない。

あれじゃあ、200年前。

騎士団が壊滅寸前まで追い込まれるわけだ。

イル師匠が動きを止めてくれると言っていた。

それならば。それを信じる。

作戦はリディーと話しあった。

動きを止めたところに、全力でバトルミックスによる、ルフトを束ねた爆弾を叩き込む。今までに集めたレンプライアの欠片全てを投入する。

それで勝負を決める。

敵の攻撃は、一瞬でも食い止められればいい。

最悪、相討ちに持ち込む覚悟で。

風を散らし。

大気を乱す。

雷にとっては、もっとも相性が悪いだろうルフトの総力強化に全てを賭ける。

攻防走ともに最強。

そんなバケモノに勝機を見いだすには。

それ以外に方法などないのだ。

一つ目の街を走り抜ける。

けが人が多数出ていて、後方にどんどん下げられているようだった。

馬車がひっきりなしに行き交っている。

これは、例え勝ったとしても。

騎士団は半壊状態なのではあるまいか。

200年間準備をしてきたはずなのに。

復活したての状態でこれか。

一体200年前に、全力で暴れていたときは、どれほどの怪物だったというのだろうか。まさに究極最強の邪神だ。

二つ目の街を通り過ぎた頃には。

雷撃が飛び交っている様子が、はっきり見えるようになった。何かがとんでもない雷撃を撃ちだしていて。

それをシールドが防ぎ抜いている。

それも、右や左から、見境無く雷撃が飛び交っている。

伝承の通り、稲妻のようにファルギオルが動いては、雷撃を滅茶苦茶に放っているのはほぼ間違いない。

ぞっとする。

あんな所。

足を踏み入れて、生きて帰れるとはとても思えない。

それでも行かなければならない。

アルトさんを一瞥する。

多分この中で最強なのはアルトさんだ。

だけれども、この人もスールが見たところ、手を抜いているくさい。

実際の所、前線で戦っているイル師匠とフィリスさんだって。

何処まで本気で戦ってくれているか。

正直、あまり自信は無い。

三つ目の街に到着。

呼吸を整えながら、増援到着と叫ぶ。馬に乗ったまま此方に来たのは、ミレイユ王女だった。

相変わらず、青黒い、重厚な鎧を着ているが。

それが稲光を受けて、まるで軍神のような威厳ある姿を見せつけている。

普段はすらりとした体型なのに。

こんな鎧を着て戦えるほどの武闘派だと言う事も、ミレイユ王女は示していた。

「現在ファルギオルとの戦闘が続行中です。 前線に急いでください」

「はいっ!」

「お父様は!」

ルーシャの言葉に。

ミレイユ王女の側にいた騎士が、負傷して後方に下がった、とだけ教えてくれる。

そうか。

死んでいないのなら、何とかなるかも知れない。

むしろ、こんな悪夢みたいな場所にいるよりかは。

負傷して、下がった方が、どれだけマシか分からなかった。

ともかくだ。

自分の頬を叩く。

雨の中だから、あまり決まらなかったけれど。

それでも、これからやらなければならない。

出来る準備は全てしてきた。

どう戦えば良いかも、何度も何度も話しあった。

これで駄目なら。

もう他に方法は無い。

皆にも伝達はしてある。

後は戦うだけだ。

リディーに促されて。戦場に急ぐ。

とはいっても、ファルギオルが超高速移動を繰り返しながら戦っているようだし、何処が戦場なのか。

ブライズウェストに出ると、もう人はいない。獣さえいない。

騎士団は戦闘で殆どが負傷して下がったのだろう。

或いは、あまりに動きが速すぎるファルギオルに、ついていけていないのか。

風の音がして。

気付くと、目の前にイル師匠がいた。

ボロボロである。

ぞっとした。

この人が、此処まで痛めつけられるほどの相手なのか。時間を止められるほどの錬金術師なのに。

「増援として来てくれて感謝するわ。 今フィリスが戦っているけれど、多分そろそろ来る筈よ」

「アリスさんは」

「……来た」

イル師匠が振り返るより先に。

光る剣を手にしたアリスさんが、大上段から降り下ろされた輝く一撃を、受け止めていた。

数合渡り合った後、跳び離れる。

それは、間違いなく。

資料にあったままの。

リディーが作ったままの。

あまりにも、あまりにも恐ろしすぎる姿をしていた。

虫に似ている。足は四本。

手には巨大な剣を握っていて、それはスパークしていた。頭などはやはり虫にしか思えない。

究極まで強くなったカマキリ。

表現するならば、それが適切だろうか。姿を見るだけで、意識が消し飛びそうになる。

唸り声を上げながら、ファルギオルが叫ぶ。

その叫び声だけで。大地が揺れる。風が叫ぶ。雨が消し飛ばされる。

もう一度、失神しそうになる。必死に耐え抜く。姿だけで、声だけで。違いすぎるのだと、分かってしまう。まさに目の前にいるのは雷の支配者。神、なのだ。

一瞬遅れて、フィリスさんが来る。

此方も、多少の手傷を受けているようだった。

フィリスさんがひゅうと口笛を吹いたように思ったが。

それは呪文詠唱だった。

ファルギオルの残像を、岩が押し潰す。

ファルギオルは超高速で移動しながら、フィリスさんが次々に繰り出す岩の雨をかいくぐり。

接近戦を挑みに掛かる。

アリスさんが横殴りに一撃を浴びせるが。

それも金色の剣で全て防ぎ抜く。剣が余りにも速すぎて、動きが見えない。

イル師匠が、置き石で剣を多数出現させるが。

その全てが、ファルギオルの体をすり抜ける。

違う。回避されたのだ。

もう、介入できるレベルの戦いじゃない。

「おのれ人間共! 絶対に許さぬぞ!」

怒号がぶちまけられ、一瞬後に意味を理解する。

それほど、あまりにも強烈すぎる声で、聞いているだけでまたしても意識が飛びそうだった。駄目だ、今まで見てきた相手と、何もかもが違いすぎる。

でも、やるしかない。

「イル師匠、彼奴の動きを止めてくださいっ!」

リディーが叫ぶ。

同時に、ルーシャとアルトさんが動いた。

ルーシャが光弾を乱射。ファルギオルは、盾でそれを全て弾き返す。光弾を、盾で。どうやっているのか。アルトさんが、無数の剣を放つが、それも全て回避される。

上空に躍り出るファルギオル。

同時に、パイモンさんが、雷神の石から、極太の雷撃をぶっ放す。

嘲笑ったファルギオルが、雷撃を吸収しようとするが。

それは途中でかき消えた。パイモンさんが、むしろ嘲笑い返す。

「効くわけが無かろう。 分かっておるわ」

至近。アリスさんが、雷撃に隠れて接近。

ファルギオルの顔面に一太刀入れた。

触っただけで感電するという話だ。

あの光る剣、何か細工がされているのだろう。

イル師匠が放った剣が、直後。

一斉に、前後左右から、ファルギオルに突き刺さった。

アリスさんが跳び離れる。

この時を待っていた。

ルフトを束ねた爆弾を放り込む。

今まで集めたレンプライアの欠片を、全て投入した、究極の風爆弾だ。勿論リディーとスールが作れる範囲内での。

剣を全てはじき飛ばしたファルギオルが、何か叫ぶが。

次の瞬間。

ファルギオルの全身を、爆風が蹂躙していた。

雷雲が消し飛ぶ。

地面がえぐれる。

それほどの凄まじい風が、天地を一瞬にして貫き、つないでいた。

アンパサンドさんが躍り出る。

マティアスとフィンブルさんも。

とどめを刺す。

しかし、あまりにも。あまりにも雷神は強大だった。

絶句したのは、今の究極ルフトで、ファルギオルが傷一つ受けていなかったから。いや違う。多分超回復力によるものだ。

あんな程度の傷では。装甲を削りきれなかった。

今の火力では、とても倒せない、と言う事だ。

「リディーッ!」

リディーを、叫びながら突き飛ばす。

リディーが、いやにゆっくり飛んで行くように見えた。

次の瞬間、至近に降り立ったファルギオルが、金色の剣を降り下ろしてくる。

見上げながら弾丸を撃ち込んでやるが、効くわけが無い。

一瞬だけ抵抗したシールドも即座に破れた。

今までの比では無い死の臭い。濃すぎる。あまりにも。

死んだな。そう思った瞬間、アンパサンドさんがスールに飛びつくようにして、突き飛ばす。

地面が、雷撃に爆裂していた。

あの剣、やはり雷撃を常に纏っている、と言う事か。

アンパサンドさんが、傷だらけになりながら立ち上がる。もう、動けそうには見えない。戦略的に見て、スールを生かした方がまだ勝機がある。そう考えて動いてくれたのだ。ボロボロなのに、それでもナイフを構える。この人は厳しい事ばかり言うけれど、真の戦士だと分かる。

真の戦士の小さなしかし大きな背中。

それに応える事が出来ないのが、悔しすぎる。

「小賢しい真似を。 あのネージュを思わせる小虫どもだ……」

「くそっ! これ以上好き勝手させるかバケモノッ!」

マティアスが斬りかかる。

駄目、と叫ぼうとして、届かない。

マティアスの一撃は、確かにファルギオルに突き刺さったが。しかし、一瞬後、吹っ飛ばされる。

多分雷撃対策はしていたのだろう。

だが、それを超えた雷撃が、マティアスを吹っ飛ばしたのだ。

更にフィンブルさんが、突き刺さったマティアスの剣を蹴り込んで押し込むが。同じように吹っ飛ばされて動かなくなる。恐らく同じ原理だろう。

とどめの追撃を二人に掛けようとするファルギオルの顔面を、アンパサンドさんが縦二文字に切り裂く。最後の、渾身の一撃の筈。痛々しくて、見ていられない。そして、案の定、殆ど痛打にはならない。

ナイフは何か加工されていたのだろうが、それでもマティアスやフィンブルさんのように、アンパサンドさんの手からはじき飛ばされた。戦士が武器を手から簡単に離すわけがない。それだけ、もう力が残っていなかったのだ。鬱陶しそうにアンパサンドさんを払うファルギオル。直撃はしなかったが、風圧だけで、ボロボロだったアンパサンドさんが吹っ飛ばされて、岩に叩き付けられ、動かなくなる。一瞬でも視界を塞がれたからか、ファルギオルが不快そうに唸る。

ファルギオルが無造作に体に刺さっていた剣を引き抜いて捨てると、やはり一瞬で傷が回復した。そうだ、あのルフトも、超回復でいなしたんだ。

何てことだ。攻撃、防御、速度だけじゃない。超絶の、瞬間回復も備えている、と言う事。

それを突破しない限り、勝ち目なんて無い。

先のルフトが最大火力だった。これ以上の攻撃なんて。

「はああっ!」

リディーが叫ぶと同時に、地面に手を突き。巨大な魔法陣を出現させる。アンパサンドさんにとどめを刺そうとしていたファルギオルが止まる。

頷くと、アルトさんが一斉に剣を投擲。

余裕を持ってそれを受け止めようとしたファルギオルが、全身串刺しになった。

「何ッ!」

更に其処へ、パイモンさんとルーシャが息を合わせ、魔術の光弾を連続して叩き込む。およそ数百発の光弾が叩き込まれ、辺りは煙に包まれる。

リディーが力を使い果たして、その場に崩れ伏す。

今の魔術、多分拘束用のものだ。それも、相当無理して、ネックレスの力も借りて、無理矢理引きだした超高等魔術と見て良い。

後は。スールがやる。フラムを束ねる。回復する前に、此奴を叩き込めば。

だが、煙が晴れる前に。まるで最初からそこにいたように。スールの至近に、ファルギオルが。金色の剣を振り上げて立っていた。

勿論無傷だ。

雷神が振り上げた黄金の剣に、纏わり付いている稲妻が。

一瞬後に、スールが黒焦げになる未来を、嫌と言うほど予見させる。

あれ。なんだか、何度も何度も、此奴に炭クズにされた気がするような。

ゆっくり、時間が流れるように動く中。

ルーシャがオイフェさんと一緒にファルギオルに躍りかかり。吹っ飛ばされ。パイモンさんが張ったシールドが、秒で引き裂かれ。そして、もう動けない皆が見えた。イル師匠とフィリスさんは姿が見えない。アルトさんもいない。

あれ、どうしてだろう。どこに行ったんだろう。そういえば、そもそもパイモンさん達の護衛の騎士は。いつからか姿が見えない。

ファルギオルが、宣告を下した。絶対の、死の宣告だった。

「終わりだ。 忌ね」

剣が、降り下ろされる。

だけれど、スールは、寸前、雷神の顔面にフラムを放り込んでいた。

爆裂。

多分、完全にとどめを刺すつもりだったのだろう。敢えて狙ってゆっくり剣を降り下ろしたのがあだとなる。

爆裂するフラム。

顔面を更に傷つけられて、激高するファルギオル。

凄まじい怒気が、スールを痛打していた。それだけで吹っ飛ばされて、何度か地面をバウンドして、転がる。

呼吸を整えながら、立ち上がろうとする。

倒れて立ち上がれないルーシャ。側に倒れているオイフェさん。

リディーは、無理に高度な魔術を使って、気を失っている。

もはや、為す術は、ない。

だけれど、それでも。

立ち上がろうとするスールを、ファルギオルは剣など使わず、その巨大な足で踏みつぶした。しかも殺さないように、敢えて手加減して、だろう。ひぎゃっとか、情けない悲鳴が出る。

愉悦にファルギオルの声が揺れている。

「徹底的にいたぶってやろう。 寸刻みにした上で、その後に黒焦げにしてくれようか」

「……」

痛みが酷すぎて、もう何も返せない。

更に足に力が込められ、めりめりと、体中が潰れていく音がした。

抵抗さえさせない気だ。

目の前に、黄金の剣が突き刺される。

強烈な電流が、スールの全身を走った。

もはや、悲鳴さえ上げられなかった。

「まずはその顔面を切り裂いてやるとしようか」

勝手にしろ。

でも、ただで死ぬもんか。

みんな動けない。スールも動けない。だけれど、まだ意識はある。だったら。少しでもスールに注意を向けさせれば、イル師匠かフィリスさんが。何かしてくれるかも知れない。だから、必死に、押し潰されながらも言う。

「……不細工な三下雷神」

「……なんといった人間」

「お前なんて大っ嫌い」

「ハッ。 増殖するしか能がない下等生物の分際で、我を侮辱するか。 良い度胸だ」

意識が薄れる。

今の声を発するのが、最後の力だった。

もう動けない。

意識も、途切れた。

 

2、雷神を飲む深淵

 

思わず大興奮である。

一万回以上失敗した。そして、今回、ようやく成功した。やっと、ノウハウがあるにも関わらず、どうしても上手く行かなかった双子が。

気絶するまでファルギオルの攻撃を生き抜くという。予定通りの壁を、突破することに成功したのだ。

ソフィーは笑う。

心の底から。

久々だ。フィリスちゃんがものになった時以来だろうか。イルメリアちゃんもあの時は同時に上手く行った。

あれから随分体感で時も経った。

万を超える人類の滅亡も見てきた。

それでも、なおも揺れなかった心が。

ついに、動いた。

雷神の側に、高次元空間を通って出現。

そして、スールにとどめを刺そうとしている雷神を、軽く払う。

それだけで、雷神は消し飛んでいた。

正確には、地平の彼方で、爆裂して、粉々になっていた。

舌なめずりする。

「プラフタ。 イフリータさん。 双子と負傷者の回収をよろしく」

「……っ! みな、急ぎなさい! イルメリア、フィリス、ル……アルト! 全力でシールドを!」

意識を失っているか、気絶寸前まで追い込まれている者達を。

深淵の者の精鋭が担ぎ上げ、戦場から離脱していく。そんな中、ソフィーは久しぶりに「本気で遊ぶ」ことにした。

故にプラフタは叫ぶのだ。

「防がねばアダレットが丸ごと消し飛びます! 急いで!」

ファルギオルが戻ってくる。

超再生力を駆使して、一瞬で回復して。

そして激高し。

苦戦していたフリをしていたイルメリアちゃんと、フィリスちゃんが、シールドを全力で張る。

二人とも、表情に余裕が無い。

ルアードさんも同じく。

今のソフィーが全力で暴れる事の意味を。

皆知っているからだ。

深淵の者が、バトルフィールドから離脱。

雷神が、吠え猛った。

「おのれ、貴様何……」

素手で。

雷神の顔面を打ち砕く。拳を叩き込んだだけで、雷神の上半身が消し飛んだ。

黄金の剣が吹っ飛んで、近くの地面に突き刺さり、消えていく。

勿論その過程で膨大な雷撃がソフィーを包むが、はっきりいってかゆくもない。

「ほら、再生して? 急いで急いで」

「お、おのれっ! 我はら……」

再生途中のファルギオルの顔面にもう一撃。

言葉を発しきるまでもなく。

雷神の体が、木っ端みじんになる。

それで、流石に完全にブチ切れたのだろう。

瞬時に全身を再生させると。

黄金の剣を復活させ。

雷神が斬りかかってくる。唐竹割りにしようと、剣を振るい下ろしてくる。

その剣が、ソフィーの頭で止まる。そう、手で掴んで受け止めるまでもない。笑みを浮かべたままのソフィーの頭にて。

地面が凹むことさえない。

雷撃も、通常の雷の数万倍に達するものがソフィーの全身を通っている。雷神もそれを知っている。

それなのに、笑顔のままのソフィーを見て、雷神は硬直した。

無造作に拳を振るい、鬱陶しい黄金の剣を粉々にすると。

息を吸い込み。

10万発の拳を、瞬時に叩き込む。

勿論手加減して。

そうしないと雷神は哀れこの世から消滅してしまう。

周囲が爆裂するが、フィリスちゃんとイルメリアちゃん、ルアードさんの展開したシールドが、どうにか破壊の波及を食い止める。

再生しようとする雷神の頭を掴むと。

恐怖の声を雷神が上げた。

「き、貴様っ! パルミラ様ですら、これほどの力は……っ!」

「普段はあの双子が駄目だから、次元を圧縮して倒しちゃうんだけれどね。 今回は、「ある程度弱って貰う」必要があるから、こうやって遊んでるんだよ」

「ひっ!」

雷神から漏れる悲鳴。

駄目だ。

笑いが止まらない。

雷神の頭をそのまま握りつぶすと。

成層圏まで蹴り挙げ。

一瞬で追いついて。地面まで蹴り落とす。

更に加速して追い抜くと。

落ちてきた雷神を、拳で迎撃して。ぺしゃんこになるまで叩き潰す。

一回、全力での一撃を許してあげたのだ。

しばらく遊び相手になって貰わないと割に合わない。

雷神は再生する度に、一瞬で木っ端みじんになる。

勿論、その度に作り替えてやる。

痛みを感じるように。

此奴のコアを壊さないように、粉みじんにして行くのは色々骨だが。

しかしながら、面白いのだし。

やる価値はある。

双子は、見事に壁を突破した。

ならば細工をして行くのはソフィーの仕事だ。

「な、何者だっ! き、貴様の背後に! パルミラ様の姿がっ!?」

「覚えておくといいよ、三下雷神」

拳を叩き込み、地面に雷神をめり込ませる。

もう相当脆くなっているので、地面が吹っ飛ぶと同時に、瞬時にファルギオルもバラバラになる。少し再生を待ってやる。

周囲の雷雲は減り始め。

雨も収まりつつある。

此奴から放出されている力が。

それだけ弱まっている、と言う事だ。

「錬金術は深淵の学問。 深淵とは知識。 そして知識の中心点にいるのは?」

「そ、そんな、そんなっ! 貴様は、特異点とでもいうのか!」

「ご名答」

もはや狙いもなく振り回された黄金の剣を掴むと、そのまま素手で握りつぶしてやる。悲鳴を上げた雷神が、とうとう逃げようと背中を見せるが。

雷より早く動く雷神より、ゆっくり歩いて先回りし、顔面に蹴りを叩き込み。

止まった所を、無造作に左右に引き裂いた。

もはや身動きも出来なくなった雷神に告げる。

「さて、どうやって殺してあげようか?」

「ひ、ひいいっ!?」

「冗談。 三週間後、もう一度あの双子が来る。 その時まで此処で大人しくしていれば、殺さずにおいてあげる。 ついでにその時にあの双子に勝てれば、生かしておいてあげる」

返事など聞かない。

そのまま、再生途上の顔面を蹴り砕く。

舌なめずりしているソフィーを見て。

全力で恐怖を刺激されたらしいファルギオルは、泣きながら虚空へと消えた。

追いつくことも簡単だが。

今いったとおりにするだろう。

笑いが漏れる。

そして、やがてそれは爆笑に変わった。

「あはははははははは! あーっはっはははははははははは! あは、はははははははははははは!」

実、に!

愉快!

これほどの悦楽はいつぶりか。

ふと周囲を見ると、シールドは崩壊寸前だった。

ソフィーが戦闘態勢を解除すると、イルメリアちゃんと、フィリスちゃんがへたり込むのが見えた。

ルアードさんも相当消耗しているようだった。

「ソフィー! 本当にアダレットが消し飛ぶ所だったわよっ……!」

肩で息をつきながら、悪態をついてくるイルメリアちゃん。

実に可愛い。そのまま引き裂きたくなるほどに。

フィリスちゃんは、青ざめたまま、肩で息をついている。

「ちょっと戦闘時の動きが不自然だったかな、二人とも。 もう少し自然な苦戦を装わないと、双子に疑問を持たれていたよ」

「……っ! 分かっているわよ……」

「そういうな、ソフィー。 二人とも、嫌になるほど双子がエサに返り討ちにされるのを見ているんだから。 それは毎回毎回、迫真の演技なんて出来はしないさ」

「それもそうか」

ルアードさんのフォローに肩をすくめると。

一度引き上げる事にする。

二人には此処に残ってもらう。

イルメリアちゃんが、空に打ち上げたのは、雷雲を発生させる道具。雨も間もなく降り始める。

しばらくは、二人が「雷神を抑えている」という話で進める予定だ。

そして双子には、ネージュの描いた不思議な絵である、「凍てし時の宮殿」に入って貰う。

彼処には、まだ。

ネージュの残留思念が残っているのだ。

既にリディーの方は深淵に濁り始めているという朗報を得ている。

ならば。

ネージュの残留思念と接触し。

ネージュがファルギオルを退けるために使った、「世界の塗り替え」の技術を獲得すれば。

更に双子は深淵に近付く。

計画を大きく前進させることが可能になるだろう。

そして、雷神の力は、これからイルメリアちゃんが吸収し続ける。

さっきまで苦戦していたのは勿論フリ。

既にイルメリアちゃんには、ファルギオル程度、単独で倒せる実力が備わっているのである。勿論フィリスちゃんもそれは同じ。

その力の回復を阻害し続けるくらいは簡単簡単。

そして雷神は狡い奴だから。

さっき言ったとおりに、三週間後に、また姿を見せるだろう。

それ以外に、生き延びる道がないからだ。

本来は世界の監視装置である邪神なのに。

ファルギオルは強い自我を持ちすぎた。

だから、死も怖れるし。

幽閉されていたことも逆恨みしている。

他の邪神はこんな事は無いのに。

ある意味失敗作と言えるだろう。

それにしても、世界に働く四つの力。強い力、弱い力、電磁力、重力のうち。一つを管轄している程度で、よくもまあ彼処まで偉そうになれるものだ。

ソフィーでさえ、自分が偉いなどとは思っていない。

多分パルミラもそれは同じだろう。

いずれにしても。

ようやく壁は、越えたのだ。

すっきりした。

一度、深淵の者の本部に戻る。

此処までで良いだろう。一度事象の固定を行う。今回以上に、双子の育成が上手く行くことは、今後十万回繰り返しても起こりえない。それは確信できた。そして双子は、ファルギオル相手に、彼処まで戦えた。ならば充分。

さあ、計画を。

次の段階に進める。

賢者の石を使って、パルミラを呼び出すと。ソフィーは、ついに上手く行ったことを告げ。

パルミラも見ていたと言って、にんまりと笑った。

「やっとここまで来たね。 後半分って所かな」

「では事象の固定を」

「了解。 後も任せるよ、特異点」

「お任せあれ」

少し冗談めかして言う。

それくらい。

今のソフィーは、機嫌が良かった。

 

目が覚める。

どうやら、フィリスさんのアトリエにいるらしい。知らない綺麗な女性が、手当をしてくれていた。

「目が覚めましたね。 もう動けるはずです」

「……みんなは」

「大丈夫。 あの戦場にいた者は、皆無事です。 貴方が一番最後に起きました」

「スーちゃんっ!」

いきなり抱きつかれる。

リディーだった。

そうか、意識を失っていたし。傷もそれほど酷くはない、と言う事か。

勝てなかった。

勝つとか、そういう次元の相手では無かった。

みんなのために、気を反らすのが精一杯だった。

でも、どうして生きているのだろう。

見回すが、周囲には綺麗な女の人と、ツヴァイさん以外は、誰もいない。綺麗な女の人は、プラフタと名乗る。美しいプラチナブロンドの、穏やかな雰囲気の人だ。優しそうだなとスールは思ったけれど。何だか、それ以上に厳しい人であるように思えてしまう。

粥を貰ったので口にする。

あれから、一日が経過しているという。

色々と聞きたいことがある。

「どうして、スーちゃんたち、生きているんですか」

「三傑最後の一人が来てくれたから、ですよ」

「!」

フィリスさんより恐ろしいという人か。

そして、その人は。

ファルギオルを撃退してくれた、と言う事なのだろう。

怖気が走る。

あの状態から、誰も死なせずに、ファルギオルを撃退した。本当に一体、どうやったのだろう。

次の瞬間。

背筋が凍るかと思った。

リディーが、青ざめてぎゅっと抱きついてくる。

スールも、全身の震えが止まらなかった。

誰かが、来た。

それは、ヒトの形をしていたけれど。

ヒト族とは思えなかった。

何というのか。

目が違う。

深淵にまで濁りきった目。

笑顔を浮かべているし、とても綺麗な人だけれども。

同じ生物だとは思えなかった。

ファルギオルを遙かに超える力を持つのではないのか。そんな気さえしてくる。震えが、止まらない。

「ソフィー、遅れましたね。 ファルギオルは?」

「適当に痛めつけてお帰り願ったよ。 後はイルメリアちゃんとフィリスちゃんに見張りを頼んで来た」

「そうですか……」

「ああ、もう目が覚めたんだね」

優しい声。

ソフィーと呼ばれた人が微笑むが、目はまったく笑っていない。

どうしてだろう。

助けて貰った筈なのに、まったくそんな気がしない。

もうその場で漏らしそうなほどの恐怖が。

全身を駆け巡っていた。

邪神を目の当たりにした時の比じゃない。

邪神に踏まれていたときでさえ。もっと絶望感は薄かった気がする。

この人は、本当に。

一体何なのだ。

思い当たるのは。

三傑最後の一人。

マティアスが、フィリスさんの比では無いほど恐ろしいと言っていた人。だとすると、この世界最強の錬金術師がそうだろう。ほぼ間違いなく。

「改めて。 あたしはソフィー=ノイエンミュラー。 通称特異点の錬金術師」

「リディ=マーレン……です」

「スール=マーレン……、……ですっ」

挨拶を返すので精一杯。

意識を保っていられるのが奇蹟に近い。

全身を脂汗が流れ落ちているのが分かる。

あの状況から。

単独で、ファルギオルを撃退し。誰も死なせなかったような人だ。一体どれだけの異次元の存在なのか。

特異点という言葉が何を指すのかはよく分からないけれど。

異次元過ぎて、今のリディーとスールでは、及びもつかないことだけは分かった。

「早速で悪いんだけれど、ファルギオルにとどめを刺すためにプランがあってね。 出来るだけ急いで身支度と道具類を整えて、王城のエントランスに来て貰えるかな。 あたしはファルギオルの見張りに戻らなければならないから。 その代わり、アルトさんに必要な話はしてあるからね」

「……はい」

「じゃ、よろしく。 プラフタ、面倒は見てあげてね」

「分かっています」

プラフタさんは頷くと。

暖かい内に、粥を食べるようにと頷いた。

それにしても、どんな薬を使ったのか。

ファルギオルに痛めつけられた体が軽い。コンテナから道具類を取りだしたら、即座に出られそうだ。

プラフタさんに頭を下げると、フィリスさんのアトリエを後にする。

急ぎ足で、自宅に。

荷車は、多分誰かが届けてくれたのだろう。コンテナに、残った装備品なども格納されていた。

安堵の声が漏れる。

腰が、抜けそうになった。

また、外で雨が降り始めている。ファルギオルは健在だと言う事だ。

あいつは。

絶対に倒さなければならない。

分かっている。

とんでも無い事に巻き込まれていることくらいは。

そして、恐らくあのソフィーという人は。

その中心に、極めて近いと言う事も。

だけれども。

ファルギオルを倒さなければならないことは事実だ。彼奴は、絶対に許してはおけない。騎士団も壊滅状態。戦える人も、そう多くは無い筈だ。

身繕いをして。

装備品の確認をして。

それから、王城に出向く。

すぐに役人が手続きをしてくれた。騎士団は人員の殆どが行動不能。戦死者は想像以上に少ない様子だが、それはフィリスさんとイル師匠が庇ってくれたから、なのだろう。フィリスさんが恐ろしい人だというのは分かっている。

でも、騎士団の人は。

その恐ろしい人に、たくさんが救われたのだ。

やらない善よりやる偽善である。

エントランスに出向く。

アンパサンドさんがいて。フィンブル兄と、マティアスもいた。

良かった。

本当にみんな無事だ。

パイモンさんとルーシャ、オイフェさんもいる。

そして奥から歩いて来たのが。

アルトさんと、プラフタさんだった。

この様子なら、多分アリスさんも無事だろう。ファルギオルとまともに渡り合っていたほどなのだから。

はて。

そういえば、イル師匠やフィリスさん。それにアリスさんは、どうして途中から戦闘時姿が見えなくなったのだろう。

いや、そんな疑問は後だ。

今は、まず。

あの雷神を、どうにかしなければならない。

アルトさんが咳払いし、若干劇場的に言う。

「やあ皆無事で何より。 それでこれより、この絵にて、調査を行って貰いたい」

「この危急時に、不思議な絵の調査などしている暇など……」

「それが必要なんだよパイモンどの」

パイモンさんが、真っ先に正論を言うが。

それに対して、アルトさんは余裕を持って返す。

納得出来る内容を返せるという自信があるのだろう。

見せてきたのは、宮殿のような絵だった。

あれ、これ、宮殿と言うよりも。

何だか、要塞と言うか。

外からの攻撃を、一切受け付けない、城のように見える。

何だこれ。

「これはネージュが描いた絵でね。 アダレット王家に伝わる秘蔵の品だよ」

「!」

「勘が良い人は気付いたかも知れないが、この中にはネージュの残留思念がいる。 不思議な絵画は、描いた人間の心が反映されることは、この場にいる全員が知っている事だと思う。 ネージュは知っての通り、アダレットに迫害されて王都を離れた。 その後は寂しく孤独な余生を送ったが。 この絵の中に、孤独な心が閉じ込められている、というわけさ」

肩をすくめてみせるアルトさん。

そもそも、ネージュをアダレットが迫害しなければ。

ファルギオルにどう対抗したのか、具体的な話が伝わっていた可能性が高い。

そもそもネージュにして見ても。

今更アダレットを助ける義理なんてないだろう。

残留思念がこの中にいるとしても。

助けを頼むなんて。

あまりにも、あまりにもムシが良すぎる話だと、スールでさえ思う。もしスールだったら、帰れと一喝するかも知れない。

つまり、土下座して。

ネージュに雷神にどう対抗したかを、確認しなければならない、と言う事か。

マティアスが前に出る。

「その……俺様が、最悪の場合は首を差し出すよ」

「えっ……」

「マティアスさん!?」

「ネージュを迫害したのは、アダレットだ。 主に腐敗した文官達だったと聞いているが、アダレット王家はそれを止めなかった。 理由は簡単で、雷神を倒したネージュを怖れたからだ。 いつかは蘇るって分かっていたのにな。 だから、俺様には、ネージュに首を差し出しても、謝罪をしなければならない責任もあるし。 何より、ネージュが雷神を倒せる方法を知っているなら、それを記録しなかった先祖の責任もとらなければならない」

また少しだけ。

マティアスを見直したかも知れない。

自分をミレイユ王女のスペアに過ぎないと知っていて。

それでこれだけの行動が出来るのは。

立派だと思う。

確かに残念イケメンだけれど、これだけの行動が出来る人がいるか。恐らくそんなにはいない。

すくなくとも。

少し前のリディーとスールなんかよりもずっとずっと立派だ。

リディーが前に出る。

「まずは、その前に話を聞いてみるべきです」

「……」

「ネージュが、どんな気持ちだったのか、分からないですし」

「そうかもな」

或いは、王宮のような魔窟から離れられて、清々したと思っていたかも知れない。

残留思念があったのなら。

それに聞いてみなければ、分かるものも分からない。

ただ、である。

この絵は、何というか。

来る者を拒んでいるような、強烈な威圧感を発しているのだ。

そして、である。

そもそも最初から、躓く事になった。

絵に近付くと、強烈な斥力を感じる。

一瞬後。

リディーが思いっきり吹っ飛ばされて。アンパサンドさんが、それを身を挺して受け止めていた。

エントランスに、激しい摩擦音が響く。

ふうと、アンパサンドさんがぼやいた。リディーは失神していた。装備品のシールドがなければ、死んでいたかも知れない。アンパサンドさんも、上手に受け止めてくれたものだ。

普段は回避専門だが、最悪の場合はこうやって受け流す事も出来るのかも知れない。ただ、かなりやっぱりきついようで、すぐにプラフタさんが、回復の薬を使ってくれていたが。噴霧するだけで、見る間に楽になるようなので。リディーやスールが使っているものより、数段格上の薬と言う事だ。

アンパサンドさんは、治療の間も。

眉一つ動かさなかった。

そして、自分の傷などどうでもいいというかのように言う。この辺り、徹底しすぎていて、もはや少し怖いかも知れない。恩人に対して失礼だと、すぐに思い直したが。

「どうやら、まずは入る所から、のようなのです」

「この絵、要塞みたいだなって思ったんだよね。 ファルギオルがいつ戻ってくるかも分からないし、急がないと……」

「まずは調べて見ようか?」

アルトさんが肩をすくめる。

何だか、この人。やっぱり中身はお爺さんだと、スールは思った。

 

3、拒絶の絵

 

まず、最初にしたのは。

アルトさんについていって、見聞院に行くことだった。ルーシャも来てくれたので、非常に助かる。

アルトさんの指示を受けながら。幾つか難しい魔術の本を探す。

斥力を生じさせる魔術。

シールドとは似ているが違う。

あの絵からは、何というか。

そもそも中に入る以前に。

絵そのものから、強烈な拒絶を感じた。多分だけれど。ネージュは、アダレット王家の末裔であるマティアスが首を差し出したくらいでは収まらないくらい、ハラワタが煮えくりかえっているのではあるまいか。

文字通りアダレット消滅の危機だったのに。

それを救った英雄。

それなのに、迫害を受け。

下手をすれば、暗殺されたかも知れない。

追われるように王都を出て。

余生を寂しく過ごした。

そんな人が、怒っていない筈が無い。

あと、色々な考えがこの世にある事を、スールは理解し始めている。そして相容れないように見えても。或いは解決の糸口がある事も。

アンフェル大瀑布での出来事で。

それをよくよく思い知らされた。

ならば、今回だって。

何冊かの本を集めた後、皆で目を通す。アルトさんも目を通しているが、動きが凄く的確で早い。

本を扱うのになれているというか。

熟練の手際だ。

「そういえば、プラフタさんは?」

「彼女は今、ミレイユ王女に頼まれて、負傷者の手当をしているよ。 騎士団が半壊するほどの被害を受けているからね。 死人は少ないと言っても、動ける人員を可能な限り確保しなければならないのさ」

「スーちゃんも、あんな酷い怪我だったのに……」

「正確には、今のプラフタには錬金術を使う事は出来ないんだよ」

えっと、顔を上げる。

あの人、錬金術師ではなかったのか。

だが、アルトさんは意地の悪い笑みを浮かべたまま言う。

「彼女は世界でも上位に食い込む錬金術師さ。 それも世界の歴史という観点から見て、ね。 それでもある事件のせいで、錬金術が使えなくなった。 しかしながら、錬金術の知識は健在。 だから道具も使いこなせるし、今も最前線で活躍する事が出来るんだよ」

「……」

「さて、続けようか。 何か見つかったかい?」

「これなんて、どうでしょう」

ルーシャが本を出してくる。

魔術についてのかなり難しい本だ。

スールにはまだ理解出来ないが。

リディーは、何とか理解出来るようだった。

「ええと、嫌いな相手を追い返す魔術……」

「ふむ、でもこれは意思を変えさせる魔術だね。 あれは明らかに物理的な斥力を伴っていたけれど」

「ううん……だとすると」

「これは?」

続いてスールが本のページを指し示す。

それは、相手を押し返す魔術だ。

仕組みは簡単。

しかしながら、この二つを組み合わせるのは、とてつもなく難しい。

更に言うならば。

これをどうやって突破するのか。

魔術を中和するのか。

魔術の中和は極めて高度な技術だ。

せめて、この魔術だけでも無効化できれば。

組み合わせている魔術は分かった。

リディーは言う。

「ねえ、絵の外まで、こんな高度な魔術が飛んでくるんだよ。 それも恐らくは、自動で発動する仕組みだと思う。 こんなの、絵の中に入ったら、どうなるんだろう……」

「ファルギオルを倒すためには、やるしかないよ」

「そうですわ。 まともに戦っても勝ち目がないのは分かったでしょう。 ネージュだって、同じだった筈です」

少し疑問はある。

本当にそうだろうか。

そもそも、ファルギオルは起きたばかりで、本調子とはとても言えない状態だったはず。それであの強さだったのだ。

何か、根本的に。

違うというか。

皆、勘違いをしているのではないのだろうか。

そんな気がしてならない。

もしその間違いが早く分からないと。

致命的な事になる気がしてならないのだ。

ネージュでさえ、200年の時を稼ぐのがやっとだった。

自分達に、あんなバケモノを、本当に殺せるのか。

「これは……どうですの?」

「どれどれ。 おや、面白い発想だね」

アルトさんが笑う。

ルーシャが出してきたのは、いわゆる魅了の魔術についてだった。危険なので、使用については気を付けるようにとされている。

なお、人間の魔力出力だと、人間を完全に魅了するのは無理である。多分魔王と呼ばれる魔族でも無理だろう。

錬金術の道具を使って何十倍にも増幅すると、以前匪賊にやったように頭の中を完全に覗いたりすることも出来るのだが。

魅了で拒絶を相殺。

そうなると、斥力をどう相殺するべきか。

いや、拒絶さえ相殺できれば。

後は、斥力も働かないのではあるまいか。

兎も角、試してみるべきだろう。

頷くと、一旦アトリエに皆で戻る。イル師匠は今回はいない。だから、ルーシャのアドバイスを受けながら、一緒に調合する。

外の雨はまた激しくなってきている。

ぼそりと、リディーが呟いていた。

「お父さん、大丈夫かな……」

「叔父様も大人ですし、きっと……」

「うん……」

そんなの、あまり関係無いと思うけれど。ルーシャが気を遣ってくれたのは分かるから、頷く。

心が壊れるのに、子供も大人も関係無いと思う。

だから、本当にお父さんが無事かどうかは、はっきり言うと分からない。

問題は、お父さんが何をしているのか、何をしたいのか、さっぱり分からない事であって。

ひょっとすると、リディーとスールの冷たい態度が。

更にお父さんを追い詰めたのではないか、と言う事だ。

リディーとスールは前科持ちだ。

ルーシャがどれだけ良くしてくれていたか、分かっていなかったという。

だから、その可能性も充分にある。

どうしたらいいのだろう。

スールは胸を痛める。

リディーもスールも昔お父さんに対して酷い事を言っていたが。

今は、それがどれだけ傲慢な言葉だったのか、色々分かる。

普通の人間の観点では、「相手が悪い場合は何をしても良い」とか、「相手が自分の価値から見て劣っていたら何をしても良い」とかいうのがまかり通っている。リディーとスールもそんな風に考えていた。

だがそれが如何に愚かな事だったかは。

ここしばらくの出来事で、徹底的に心身に叩き込まれた。

むしろ普通の人間の方が愚かなのであって。

一緒になってはいけないのだ。

「みんなやっているから」という理由で容認していたら。

それこそ、アンフェル大瀑布でのイケニエの儀式を、そのまま全て認めなければならなくなる。

自分より立場が低い存在を作って。

それを嘲笑いながら、自尊心を守る。

そんなくだらない生き物だから。

人間はずっと、ロクに進歩も出来ず、インフラも整備できず。

荒野の中で、苦しみながら生きているのでは無いのか。

そんな風にさえ、スールには思える。

自分がそうだったからよく分かる。

そして廻りもそうだったから、よりよく分かる。

だけれど、立派な人達は。

みんな違っていた。

負の意味で違っている人だっていたけれど。少なくとも、昔の愚かでどうしようもないリディーとスールに戻ってはならない。

その筈だ。

「魅了だと弾かれるかも知れないから、敵意を削ぐ魔術を強化してぶつけてみようか」

「良いですわね。 ただし、それはもっと高度ですわよ」

「バステトさんに相談してくる。 あと、見聞院で資料探しかな……」

「とにかく、手札はたくさん用意しておこう」

リディーはバステトさんの所に行く。

スールは、ルーシャと一緒に見聞院に。

やっぱり本は苦手なので。

ルーシャに手伝ってもらうしかない。

見聞院で精神魔術の本を調べながら、ルーシャと話す。

「敵意を削ぐ魔術って、どういうときに使うの?」

「高度な使い手だと、例えば外交の時などに使うという話は聞きますけれども。 それでも、やはり魅了同様、人間の出力で相手の精神を完全支配するのは無理だという話ですわね」

「そうなると、やっぱり増幅するしかないか……」

「あの絵画は他とは別格とみるべきですわ。 雷神を三傑が抑えてくれているとは言え、あまり時間はありませんわよ」

頷く。

ルーシャの言葉も、今はすっと頭に入ってくる。

そのまま作業を続けて。

夕方には、アトリエに戻る。リディーも戻っていて、レシピを書き始めていた。

写し取ってきた魔法陣などを精査して。

リディーが悩んだ後、幾つかの改善点をレシピに加える。

いっそのこと、幾つかの精神操作系魔術を切り替えられるようにする仕組みにするのはどうかという話が出たので。

それも盛り込んだ。

まず、インゴットを用意する。

それに溝を幾つか彫り込む。

そしてその溝に、魔法陣を彫り込んだ板を差し込む。現在では、溝は八つほどで良いだろう。

このうち三つに増幅の魔法陣。魔法陣の出力源は宝石で良い。宝石については、有り余っているからである。

続いて防護の魔法陣。これは斥力対策。二つもつければ良いだろう。

後は、魅了の魔法陣、敵意喪失の魔法陣、それぞれ二つずつ。様子を見て、付け替えればいい。

溝は八つあるので。

もし出力が足りないようなら、増幅の魔法陣を増やせば良い。

レシピはこんなものでいいだろう。

イル師匠のアトリエに行く。

いない。

プラフタさんの言っていたことを思いだして、アルトさんのアトリエに切り替える。

しばらくは、アルトさんに代役を務めてもらうしかないだろう。あの人も三傑とまでは言われていないが、ずっと格上の錬金術師である事は確実。あのファルギオルにも、普通に攻撃を通していた。それもバトルミックスなど一切無しで、である。

ドラゴンを倒せる錬金術師は一握り。

邪神とやりあえる錬金術師は更に少ないと聞いているが。

その例外中の例外に、あの人は多分入るだろう。

ちょっと気になるのが、面食いのリディーが興味を持っている様子なのと。どうも得体が知れない事なのだけれども。

今は手段を選んではいられない。

すぐにレシピを見せに行く。

普段、女の子がきゃあきゃあ黄色い声を上げているアルトさんのアトリエだが。

今日は流石に静かだ。

静かというのは語弊があるかも知れない。

大雨で。

外は雷がドカンドカン落ちているのだから。

アルトさんは何だか体に悪そうな出来合いを口にしながら、何やら本を見ていたが。錬金術の本かと思ったら漫画である。

漫画も勿論高級品だ。貧しい人達が読むものではない。

意外だなと思うが。

アルトさんは気にしていない。

勿論、この人が漫画を読んでいるという意外な一面を、馬鹿にするつもりもない。

「どうしたんだい」

「はい、レシピが出来たので」

「まだイル師匠に目は通して貰っているんです。 今日はイル師匠もいないし、みんな格上の錬金術師で知り合いは出払ってしまっているので。 お願いします」

二人で頭を下げる。

ルーシャはルーシャで、別の作業があるとかで、戻っていった。多分ファルギオル戦のリベンジを見込んでの対策を練っているのだろう。

頷くと、アルトさんはレシピを見てくれる。

ふうんと感心した様子で、レシピを返してきた。

「拡張性に優れた設計だが、構造が脆弱だね。 この基礎部分、インゴットを二段重ねにするといい」

「なるほど……」

「あと、板も一枚板ではなくて、噛み合うように工夫をするべきだね。 その辺りは鍛冶屋の親父さんと相談すると良いかな。 こう、横からスライドして、組みあわせる方式の方が、頑強さが増すよ」

「有難うございます!」

リディーが目をきらきら輝かせて頭を下げるので。

ああと思ったが。

スールも、頭を下げて礼を言う。

とにかく、今は急ぎだ。

そのまま、レシピを言われるまま修正して、そして許可を貰う。そして、インゴットの在庫を確認。

板を作る分。

土台にする分。

何とか合金はある。

ただ、親父さんに作業料金として収めるインゴットが足りない。少し悩んだ後、インゴットを作りながら、その間に爆弾やお薬を補充しておく。インゴットが出来たので、より論理的に説明が出来るリディーが親父さんの所に行く。スールはその間、ルフトを中心に、爆弾とお薬を兎に角作り続けた。

材料はある。

だが、ファルギオル戦を想定して、最初から火力を極限まで上げ。

なおかつ束ねた方が良い。

あまりにも大きくしすぎると、投げられなくなってしまうので。

それも工夫がいる。

身体能力が装備品で跳ね上がっているとは言え。

それでも、限界というものがある。

更に構造が複雑になりすぎると、迎撃されたり、不発だったときの衝撃が大きい。分かっているのは、普通のルフトを束ねて、レンプライアの欠片を塗りたくっただけでは駄目、と言う事。

その程度の火力では。

彼奴を殺せない。

もっと強い殺意がいる。

そう、あのファルギオルが、此方に向けてきたような。

気付くと。

思った以上にたくさんのルフトを作ってしまっていた。三つずつ組み合わせて、投げるとどんな感じか確認する、

これなら充分。

とどめの火力にはちょっと物足りないだろうから。

それは、更にこの大型ルフト、いうならルフトアイゼンとでもいうべきものを、更に三つ組み合わせて、レンプライアの欠片をたっぷり塗りたくったものを準備する。

九つのルフトをまとめたものは、この間使ったものより五割増しの火力になる筈。

投げて見るが。

どうにか、投げる事自体は出来る。

でもこれは、文字通りとどめの火力用だろう。

どうにかして、ファルギオルを削る方法を考えなくてはならない。

多分だけれど、雷以外の攻撃で攻めていくしか無い。

レヘルンで足を止める方法は。

レヘルンで足を止め。皆で集中攻撃。ピンポイントフレアつきのフラムを徹底的に投げ込み、相手に打撃を与え。

相手の頭に血が上ったところで、ルフトのとどめ。

足を止めるのは、イル師匠やフィリスさんにやってもらうしかない。

最初にレヘルンで足を止めても。

それがどれだけもつかもわからない。

リディーが、全力を使い果たす魔術で、一瞬動きを止めるのが精一杯だったのだ。

何より、あの超回復力。

ちょっとやそっと傷をつけたくらいで、どうにかなるとは、とても思えない。

考え込みながら、ルフトを束ねていると。

リディーが帰ってきた。

「スーちゃん、親父さん、一晩でやってくれるって」

「ありがとう。 ちょっとスーちゃんさ、戦術考えてるから、しばらく放っておいてくれる?」

「珍しいね」

「うん……彼奴、絶対殺さなきゃいけないから」

リディーが息を呑むのが分かった。

怖がられるのは仕方が無い。

どの道、作業が出来るのは明日以降。その間、戦術を少しでも考えて。今までの情報から、ファルギオルを殺す事をどうにか模索しなければならない。

ソフィーさんが戦えば良い気がするのだが。

いや、あの人は。

多分何か思惑があって動いている。

或いはファルギオルより遙かに危険な存在かも知れない。

あんたが戦え、何て口が裂けてもいえない。

そんな事言ったら、その場で殺される。

その確信はあった。

「そ、それとさ……リディー」

「どうしたの?」

「あの、マティアスが……ネージュが本当に、マティアスの首を寄越せって言ったら、どうする」

「……っ」

口をつぐむしかない。

アダレット王家の歴史上、最大の失態。

ファルギオル撃退の最大功労者に対する、最悪の待遇。

そして追放し、死なせたも同然の行為。

確かに王族の首を要求してくる可能性はある。

そして王位継承権を持っているマティアスである。事実上の王はミレイユ王女だが。だからこそ、こんな時にスペアでしかないマティアスが役に立てる。

だけれど、それは。

あのアンフェル大瀑布で起きた事と同じ。

きっと誰かが、200年の罪に対して、責任をとらなければならないのだろうけれども。それは死という形でなければならないのだろうか。

ネージュを迫害した連中は、悉く墓の下。

多分その子孫も、もう今はみんな散逸しているだろう。

アダレットは貴族制のようなものが殆ど無くて。

役人は大体、能力で抜擢されると聞いている。特にミレイユ王女の代からは、その傾向が強いという。

勿論ネージュに対する蛮行の責任はアダレットの王族にある。

だけれども。

「フラン=プファイルはそもそも人間に対して中立の立場だったから、何とか懐柔は出来たんだと思う。 でもネージュは、多分本気で心の底からアダレットの人間を憎んでいるよ。 どう説得したらいいのか、分からないよ……」

「マティアスの事だから、多分首を寄越せって言われたら、そのまま首をあげちゃうと思うし」

言葉が見つからない。

どうすれば良いのだろう。

ネージュ自身に会わなければならない、というのは余りにも楽観的だ。

どうにか、事前に対策を練っておかなければならない。

楽観がロクな結果を招かないのは。

今までの失敗の数々で、散々スールも学んだ。リディーだって、学んでいるはずだ。

足りないものを調合で増やしながら、二人で話をする。

絵に入るための道具を作るのには、どうせ二人がかりで手分けしても二日三日は掛かるはず。

その間に。

対ファルギオルの戦術と。

ネージュをどう説得して、ファルギオルとどう戦ったのかを聞き出す。

これを確認しなければならない。

もう分かっている。

多分あのソフィーさんが中心になって、この巨大な何かとてつもなく恐ろしい事が主導されていると言う事は。

だけれども。

それでも、やらなければならないのだ。

大事なものがたくさん出来た。

「普通の人間」がどれだけ愚かだったか。

「普通の人間」を気取っていた自分達がどれだけどうしようもなかったのか。

よく分かった。

そして、愚かな自分に戻らないためにも。

できる事を、出来る範囲で、全力でやらなければならない。

ふと、気付く。

スールの心の奥に、何か黒いものが蠢いていないだろうか。

気にするほどの違和感ではないけれど。

それは、確実に。

スールを、蝕んでいる気がした。

 

4、深淵の掌の上で

 

深淵の者の本部で会議が行われる。

深淵の者幹部及び、重要な協力者はあらかた揃っている。ただし、その場から皆いなくなると不自然だから、時間を止めてそれで会議をしているが。

一瞬だけ持ち場を離れ。

そして会議を終わらせたら帰る、という寸法だ。

ソフィーはまず最初に。

事象の固定をした事を宣言。

万を超える繰り返しに。

ついに終止符が打たれたことを知ると。

おおと、声が上がった。

苦虫を噛み潰しているイルメリアちゃん。

少しほっとした様子のフィリスちゃん。

イルメリアちゃんは、双子が上手く行かず、ファルギオルに惨殺される度に心を痛めていたようだったので。

今回の結果で、それがなくなり。

比翼が心を痛めなくても良くなった結果を見て、フィリスちゃんは安心しているのだろう。

もっとも、これで半分。

まだまだ双子用のエサは用意してある。

元々双子の素質はフィリスちゃんどころかイルメリアちゃんにも劣る。

苛烈に激しく試練を叩き込んでいかないと。

成長なんて見込めないのだ。

「まさか弱体化を極限までしているとはいえ、あのファルギオルの攻撃に死なずに耐え抜くとは……」

「今後の展開が期待出来る」

幹部達が口々に言うが。

咳払いしたのはアルファさんだった。

「あー、ちょっと問題なのです。 予想以上に資産の放出が早いのです。 このまま行くと、蓄積してある資産だけではなく、表経済で動かしている資産にまで手を出さなければならなくなるのです」

「ふむ、何か対策は」

「双子の負担は増えますが、アダレットに対して、今後も新規でアトリエランク制度を続けるように宣告するのです。 新人錬金術師をもっと取り込ませて、予算の圧縮をさせるのです」

「……なるほど。 確かにそれが一番良さそうだ。 ファルギオル戦を越えた後であれば、後は高出費はインフラ事業だけになる。 フィリスどのに任せれば、その辺りはかなり余裕を持って捌けるだろう」

フィリスちゃんに、期待の目が向けられ。

フィリスちゃんも頷く。

挙手したのは、最近深淵の者の食客として扱われているオスカーである。

痩せたり太ったりが激しいが。

今は痩せている。

この辺りは、幼なじみだから良く知っている。

なお、フィリスちゃんとイルメリアちゃんを育てる頃からの、24万回近い繰り返しの中で、オスカーがアンチエイジングを選んだことは殆ど無い。

全世界の植物と友達になりたいと言う巨大な野望は。

一度もかなっていない。

それは毎回事象固定の時、つまり滅びから戻ってきた時に告げてはいるのだが。

それでもオスカーは、アンチエイジングに興味を見せることが殆ど無かった。

「フィリスの腕は知ってるが、おいらから言わせると、今までアダレットがさぼりすぎていたツケがあまりにも酷い。 今後もインフラ整備作業に関しては、当面おいらが貼り付きで見ないと駄目だろうな。 さっさとファルギオルで遊ぶのも終わらせて貰わないと、おいらとしても困る」

「ああ、それなら大丈夫。 三週間後に終わるから」

「本当かよソフィー。 まあ、お前が言うなら大丈夫か」

ソフィーに洒落臭い口を利くのは、もはやこの場ではオスカーしかいない。

同じ幼なじみのモニカは、最近はソフィーの事を悲しそうな目で見るだけで。深淵の者に誘っても首を横に振るだけ。

他の周回でもそうだったが。

モニカは、キルヘン=ベル周辺の仕事を手伝ってくれることはあっても。

ダーティーワークなどは嫌がるし。

どんどん闇に染まっていくソフィーを見て、一番悲しんでいたからか。

深淵の者を積極的に手伝ってはくれない。

それはそれで残念ではある。

あれほどの人材を捨てるのは、ソフィーとしてももったいないと思うからだ。

「それと、報告が」

立ち上がったのはシャノンである。

公認スパイとしてアダレット騎士団に潜り込んでいる彼女は。

最近は会議でも話をする。

なお兜に細工がしてあって、声を切り替えられるようにしている。外では恐ろしい声で部下を威圧するが。実は素の声は、結構可愛かったりする。

「双子の父親であるロジェですが、居場所を掴みました。 どうやらブライズウェスト近くの街で、状況の推移を見ている様子です」

「記憶は消し飛ばしてやった筈なんだけれどなあ。 まさかファルギオルに挑むつもり?」

「そうされると困るので、騎士団から手を割いて監視をつけていますが、腐っても公認錬金術師です。 本気で抵抗されると、一介の騎士では手に終えないかと。 かといって、人員は今かなり厳しい状態ですので」

ルアードが、それならと。

顎をしゃくる。

ティアナを監視につけろ、というのである。

ソフィーは少し考え込んだ後。

ティアナちゃんに言う。今、周辺の匪賊は大体殺し尽くしたし。それにティアナちゃんが殺す必要のある汚職官吏や腐敗錬金術師もいない。手は確かに開いている。懐刀だが、別にこの子がいなくても、ソフィーはまったく戦力的に困らない。ファルギオル戦でも、「本気で遊んでいた」だけで、「実力」は殆ど出していなかったのだ。

「ティアナちゃん、監視を頼めるかな。 専属で」

「えー。 ソフィーさまのご命令ならやりますけど……。 あ、そうだ、斬っても良い?」

「あのおじさんは今後使い路があるから駄目。 そうだなあ、今度邪神狩りに連れていってあげるから、それでいい?」

「えっ! 邪神狩りっ! 分かりましたあっ!」

よだれを拭いながら目をきらっきら輝かせるティアナちゃんを見て、眉をひそめる幹部もいるが。

それでいい。

多くの思想が此処にあり。

その思想に基づいて意見が出せる。

そんな状態でないと。

この完全に詰んだ世界を打破するのは不可能なのだ。

此処に超越級の錬金術師となった双子を加え。

それでやっと完全に詰んだ世界と勝負が出来る。

ティアナちゃんは狂犬に等しい存在だが。

剣術の腕前で言うと、現在恐らく世界最強。人格に問題があろうと、こういう人材も使いこなしていかないと。

この詰みは打破できないのである。

ヒュペリオンさんが咳払い。

「それでは、後は双子が上手くネージュに接触して、世界の塗り替えの技術を手に入れられるか、だが……」

「その辺は僕が監視する」

「分かりました。 それではお任せいたします」

「うむ」

ルアードが頷くと、皆を見回した。

「万を超える試行錯誤の末、ようやくこの時が来た。 皆の努力がようやく実ったのだとも言える」

プラフタはぐっと唇を噛んでいる。

双子をもてあそんでいると、いつも批判をしていた。

だが、双子を効率よく育てるには。

これくらい厳しくやらなければ駄目だったのだ。

そしてその理論は。

成功例で、実証されたのである。

「これより、世界の終焉を打破するために、一丸となって我等は動く! あのパルミラですら、9兆に達する試行錯誤を経てどうにもならなかった世界の終焉! 我等でそれを打破し、無だった可能性に有を生じさせる! それには皆の力が必要だ! 協力して欲しい!」

「おおっ!」

喚声を挙げて、イフリータさんが立ち上がる。

ティオグレンさんも、拍手しながら雄叫びを上げる。

皆が燃え上がる中。

ソフィーは静かだった。

さて。ここからも手は抜けない。

何しろ、超越級の錬金術師が五人揃って。やっとそこから、本番が開始できるのだから。

世界を詰みから打破する、世界に可能性を作る、その本番が。

 

(続)