共存の形

 

序、灼熱地獄

 

最近酷い目にばかりあう。

スールはそう感じていた。

この間も、とうとう虫嫌いにブチ切れたアンパサンドさんに、超気持ち悪いナメクジみたいな獣の解体をさせられて。その体内から、たくさん虫が出てくるのを見せられてしまった。それだけじゃない。夕食を食べた後、あのナメクジと寄生虫の肉だと言われて、吐いたら殺すとも言われた。

アンパサンドさんは、脅すような雰囲気を作らず。

淡々と言う。

いつも冗談は言わないし。

実際にやるといったらやる。

前衛で回避盾なんて恐ろしい戦い方をしている事からも分かるように。吐いたら本当に何をされるか分からなかった。

だからずっと涙が止まらなかったけれど。

泣くことは禁じられなかったので。

どうにか耐えられた。

しかもその後、リディーが虫みたいな邪神像を造って。

それにずっと触って慣れるとか言う訳が分からない苦行を強いられた。何か呪われているのではないかとさえ思う。

一応、昨日人形劇を見たりもした。シスターグレースが行ってくれたとても楽しい人形劇だったけれど、沈んだ気分はどうにもならなかった。

そして、今日である。

呆然と立ち尽くす。

今、お城のエントランスにいるけれど。

目の前にあるのは、見るからに今までで一番ヤバイ絵だった。

溶岩が煮えたぎり。炎の滝が岩の間を流れ落ち。

そしてドラゴンが吠え猛っている中。

角の生えた人達が、何事もないかのように生活している。角が生えているといっても翼はないので、多分魔族では無い。見た感じ、ヒト族や獣人族くらいの上背にも見える。

この絵に入ると言うのか。

「よーリディーにスー。 これがこの間話題になったアンフェル大瀑布だ。 暑さ対策はした方がいいぜ?」

「……」

絶句したまま固まっているスール。

これ、中に入ったら多分、溶岩とかが流れている奴だ。本当にいつでも一瞬で外に出ることを意識しないと。

文字通り秒で消し炭になる。

しかもドラゴン。

ネームドにさえ四苦八苦している今のリディーとスール程度で、どうにか出来る相手ではない。

描かれている以上。

中に入れば出てくるのは確実だ。

今回はフィリスさんが監視役として来てくれる。

アルトさんもいると言う事は。

相応に危険な絵、という判断なのだろう。

パイモンさん辺りがいてくれると、話しやすくて嬉しいのだけれど。まあそうもいかないか。

生唾を飲み込んだ後。

今回も手伝わないと笑顔を浮かべているフィリスさんを見る。

やっぱり監視役であって。

手伝って戦ってくれるわけではないのか。イル師匠は、あれだけ色々してくれたというのに。

まあ、この人の破壊力が振るわれたら。

多分周囲が地獄絵図になるのだろうし、色々仕方が無いのだろう。

そう思って、我慢することにする。

「ま、まず今日は下見と言う事で……」

「別に良いけれど、わたしはいつも来られる訳じゃあないからね?」

リディーの言葉に。

フィリスさんが笑顔のまま、とても凶悪な圧力を掛ける。

何度もモタモタ探索しているようだと、試験を落とす。

そう言っているのと同じだ。

そして多分試験を落とされたら。

次の試験は、更に厳しい条件でやる事になるだろう。フィリスさんは、この間のインフラ整備の時以来、少しずつ厳しい面を出し始めてきているけれど。この人は元々こうだったのか。

それとも後天的にこうなったのか。

それはよく分からない。

ただ、ツヴァイさんの話を見る限り、世界の汚い、邪悪なものをたくさん旅の過程で見てきた筈で。

それで変わったのだとしたら。

この人を責めることは、出来はしないだろう。

「ええと、荷車の中の準備は問題なし……ドナーストーンも試運転してみる、リディー」

「う、うん……」

「それじゃあ行こう?」

「……」

今度はリディーの腰が引けているか。

だったらスールが何とかしなければならない。

この間醜態をさらしたのだ。

今度は挽回しなければならない。

スールがリディーの手を引いて、最初にアンフェル大瀑布に入る。そして、入った瞬間。

痛いと感じた。暑いではない。既に痛い、である。

これは灼熱とかそういう話では無い。

夏の一番暑い時期でも、此処まで酷い状態ではないと思う。

アンパサンドさんでさえ、鉄仮面な顔を一瞬歪めた程である。

マティアスは意外に平気そうだ。

鎧に多分冷却機能でもついているのだろう。

フィンブル兄は、うんざりした様子で周囲を見回している。

なお、フィリスさんとアルトさんは、平然としていた。まあ、先に教えたら試験にならないし、仕方が無いのかも知れないが。何か一言言って欲しかった。

「何コレ……暑いとか、そういう話じゃないよ!」

「……」

アンパサンドさんが、ハンドサインを出してくる。

村のようなものが見えた。

絵に描かれていた人達だろうか。

それよりも。

周囲を見る。

地獄と言うのも生やさしい有様だ。

ぐつぐつと煮立つ溶岩。

峻険な山岳地帯。

しかも溶岩は川になって流れていて。その行く手にあるもの全てを焼き尽くしているようだった。

話に聞く活火山、だろうか。

それだけじゃあない。目に入る山の全てが、あんな調子で噴火している。激しく溶岩をぶちまけているような山はそうはないけれど。

どの山からも、さながら水源から水が湧き出すように。

溶岩が流れ出し続けていた。

これは、尋常では無い恐ろしさだ。

更に、黒い影。レンプライアの姿も見える。

数はさほど多くはないようだけれども。近付くだけで、問答無用で襲ってくると考えて間違いないだろう。

ぞっとする。戦闘中、溶岩を浴びたりしたら、絶対に助かるわけがない。

こんな恐ろしい世界だったとは。

氷の世界は恐ろしく寒かった。

だけれど、分厚く服を着ればどうにかなった。

此処は、何というか。

裸になっても、暑くて溶けそうだ。

彼方此方で陽炎が見える。

空気がゆらめいているのだ。あまりにも暑すぎて、である。

最初に入ったこの場所は、ちょっとした丘のようになっていて、周囲を見回せるのだけれども。

ともかく、まずはさっと地形を書き起こして。

溶岩の流れについて、書き記さなければならなかった。

コンパスを使おうとしたら。

ぐるんぐるんと回って役に立たない。

絶句するが。

コレは正直、どうしようも無いかも知れない。

何とか周囲を見ながら、地図を少しずつ作りつつ、進んでいくしかないだろう。レンプライアの脅威をどうにかしつつ、である。

情報収集が最初だ。

リディーがハンドサインを出して、村のような場所へと向かう。

丘からまっすぐ降りていけば良い。

途中には幸いレンプライアも殆どいなかったが。此方に気付いた数匹。兵士のようなのが、向かってくる。

暑くて、頭が朦朧としている中でも。

とにかくやらなければならない。

真っ先に突貫するアンパサンドさんが注意を惹いてくれている内に。

リディーが支援魔術を掛けて。

順番に、一人ずつ支援してくれる。

兵士は氷の世界にいた奴よりも強かったが。

ハンドサインを出してから、ドナーストーンを放り込み。

ある程度傷つけてから直撃させると、びくりと痙攣して。

それで動かなくなる。

死ぬと、溶けて欠片になって行くのは。

他の不思議な絵に棲息するレンプライアと同じか。

うんざりしている様子の人と。全然平気そうな人との温度差があまりにもありすぎる。

リディーはその場で倒れそうな顔をしているし。

スールも呆然としながら歩いている感触だ。

体に触る部分の服すらもが熱い。

空気が焼け付くようなので、それはもう仕方が無い、としか言いようが無いのかも知れないけれども。

村に辿りつくと。

歩哨らしき人が、槍を向けてきた。

絵画の世界だから、なのか。

みんな同じ顔をしていた。

或いはホムのように、ヒト族には見分けがつかないだけかも知れない。ともかく、良く焼けた肌に。ヒト族に角を生やしたような姿。薄着で、胸と腰だけを覆っていて。基本槍と弓矢で武装しているようだった。

全員が女性である。

「誰だ! ……む? 貴方は」

「お久しぶりです。 状況はどうですか?」

「おお、奇蹟の技を使う人フィリスどの。 それらはまた貴方の従者ですか」

「うーん、そんなものかな」

そうか。多分ルーシャやパイモンさんも含めて、試験で監視役としてこの絵に何度も入っているのだろう。

フィリスさんは、友好的に門番らしい人達と話をしてくれる。

しかし幾ら薄着とは言え。

この人達、この世界で暑くないのだろうか。

氷の世界だったあの絵とは真逆に。

今度は灼熱地獄だなんて、色々と趣味が悪すぎる。

「フィリス殿の知り合いであるのなら、中にどうぞ。 ただし奥にある池の辺りには、危険な獣が出るので気をつけてくだされ」

「うん、大丈夫。 出たら駆除しちゃうから」

「は。 頼もしい限りです」

挨拶をされると、村の中に通して貰う。

村の中にも、やはり女性しかいない。みんなハンコを押したように同じ顔で、服装にも違いは一切無かった。

コレは所詮、絵の中の世界という限界なのだろうか。

家はどれもとても開放的な造りで。

雨露さえしのげれば良い、という思想が表に出ている。

というか、この暑さだ。

密閉された空間なんて作ったら、それこそ中で蒸し焼きになってしまう。

「話が通じるのは幸いなのです」

「……」

そうは思えない。

何だか嫌な予感がぴんぴんするのだ。

そしてそれは、すぐに適中した。

空を横切る影。

アレは、間違いない。

ドラゴンだ。

絵に描かれていたのだ。多分出てくるだろうとは思っていたが、思ったよりもずっと早かった。

ドラゴンが現れると同時に。

村の人達が、一斉にひれ伏し。

そして何やら歌い始める。

この言葉だけはまったく聞き取れなかったが。

皆同じ声なので。

揃っていると非常に美しくもあるし。

同時にとても何処かで不可思議で、恐ろしくもあった。

やがて歌が終わる。

一人を呼び止めて聞いてみると。

ドラゴンはこの世界では、人を襲わないという。

条件が整えば、だが。

絶句。

ドラゴンと言えば、理不尽と暴力の権化である。

手練れの錬金術師が数人、錬金術師の装備を身につけた手練れの壁役と連携して総力戦を挑み。

やっと倒せるかどうかの相手。

魔術師では絶対に勝てない。

出力が違いすぎるのだ。

技術者でも無理。

どんな強力な武器でも、そもそもドラゴンの装甲は、ハルモニウムの材料になるほどなのである。

だから、ドラゴンと言えば誰もが怖れる存在なのだが。

この世界では、どうやら違うらしい。

村の中を歩き回って。

それで気付く。

村のすぐ側で、溶岩が煮立っている。

ぞっとするが。

この世界では、それが当たり前の事なのだろう。だから何でも無い、と言う事だ。勿論近付くだけで蒸し焼きになりそうに暑い。

奥の方には水たまりがあったが。

水たまりには、半身をつけるようにして、巨大なオオトカゲのような生物がいて。周囲を睥睨している。

この村の人達が水を必要とするときには。

別の水源を使うか。

あれを追い払うか。

どちらかなのだろう。

一通り村を歩き回った後。

村の外に再び出て、一旦周囲を探索しようという話をしていたとき。村の人が一人、此方に来る。

「フーコを見ませんでしたか?」

「ごめんなさい、その……誰が誰か、見分けがつかなくて」

「ああ、そうでしたね。 フィリス殿にもそう言われました。 フーコは……」

特徴を言われるが。

基本的によく分からない。

例えば、顔の型を取ってみれば。少しずつそれぞれ違うとか、そういう違いはあるのかも知れないが。

それ以外に違いは見て分からないのである。

いずれにしても、話を聞いていくと。

フーコという子が、村の外に出て、帰っていないという事だけが分かった。

それはその。

どうすればいいのか。

この状況である。

レンプライアだらけ。

周囲は溶岩の川。

生きているとは、とても思えない。フィリスさんはしらけた様子で此方を見ていたけれども。

ともかく、気力を振り絞るしかない。

対策をしようにも、レヘルンでも周囲に放り投げながら歩くくらいしか思いつかないし。

そんな事をやっていたらあっと言う間にレヘルンも尽きる。

頭がクラクラするが。

リディーが、とにかく探してみると言うのを聞いて、意識が飛びかけた。

フィンブル兄も、うんざりした様子で、犬の顔で苦虫を噛み潰している。獣人でも、何となく表情は分かる。

「次までに対策はしてくるよ、フィンブル兄……」

「うむ、頼む……」

「とりあえずどう探す?」

「さっきの丘に戻りましょう」

リディーが提案。彼処なら、かなり高い位置から、周囲を見渡せる。上手くすると、そのフーコという子も、見つかるかも知れない。

一度戻る。

流石にレンプライアは、立て続けに襲っては来なかった。

そして、丘から、周囲をじっくり観察。

かなり起伏が激しい土地で、周囲が分かりづらくはあったけれど。

遠くに、何か人影のようなものが見える。

槍もなく、素手で何かしているようだった。よく見ると、レンプライアと戦っているのではあるまいかアレは。

リディーが走り出すが、即座にばてる。

スールも、彼処まで走る自信はあまりない。

仕方が無い。

レヘルンを地面にぶちまけて、一旦クールダウン。何度も使える手ではないが、こればかりは仕方が無い。少し遠くに投げないと、凍ってしまうのだけれど。その辺りは磨いた勘が助けてくれる。

アルトさんが手をかざして、にこにこしつつ言う。

「おっと、相手が二体に増えたね」

「ちょ、ちょっと、待ってください……」

「レンプライアに言わないと」

「……っ」

確かにその通りだ。

呼吸を整えて、少し涼しい中、必死に体力を整え直すと。

スールは頬を叩いて。

真っ先に走り出していた。

 

1、フーコと灼熱の世界

 

こんな灼熱地獄に生きている人だ。

相応に逞しいのだろうとは思ったけれど。

フーコと呼ばれているだろう人は、レンプライア。それも両手に鎌を持ち、下半身が蛇に似ている厄介な奴二匹を相手に、一歩も引いていなかった。だけれど、既に全身傷だらけである。

素手でどうして戦っているのだろうと思ったのだけれど。

槍らしきものが、側に砕かれて落ちている。

まあそれでは、素手で戦うしかないか。

やっとのことで、交戦しているフーコの側まできたけれど、既にスールは暑さでへろへろである。フィリスさんは平然としているが。手伝ってはくれないはず。自分達だけで何とかするしかない。

アンパサンドさんが突っ込んでいき、傷だらけで脇腹を押さえているフーコらしき人に、鎌を降り下ろそうとしたレンプライアの顔面に蹴りを叩き込む。威力は小さいが、充分に怒らせることは出来る。

更に、残像を作って加速。

もう一体の目を、抉るように斬った。

目そのものは潰せなかったようだが。

それでも怒らせるには充分過ぎる程だ。

フーコらしき人から、レンプライアが注意をそらした隙に。その場でへなへなと腰砕けになるフーコらしき人を、抱えてマティアスがこっちに来る。流石にお嫁さん抱っこしている余裕は無く、背負っていたが。見ると傷は想像以上に深く、脇腹の傷からは内臓が見えかけていた。

フィンブル兄が、すぐにいざという時のために持ってきている蒸留水で傷を洗い、ナイトサポートを塗りこんで手当を始める。

その間にリディーが支援魔術を発動。掛ける相手はスール。

アルトさんが本を開き、複数の剣を投擲。

一匹のレンプライアに集中的に剣が突き刺さり、雷撃が走って、爆散させた。

更にもう一匹に、スールが残った力を込めて、渾身の蹴りを叩き込む。

怯んだ隙に、アンパサンドさんが喉を切り裂き。

其処へドナーストーンを放り投げ。

ゼロ距離で爆破した。

雷撃爆弾の直撃を受けたレンプライアは、しばし痙攣した後、爆発四散する。

どうやら、何処の不思議な絵でも、レンプライアには何かしらの弱点というものがあるらしい。

此処では雷、と言う事か。

呼吸を整えるが。

いっきに熱による疲労が出てくる。

意識がもうろうとしているフーコらしき人の手当を、リディーが行うが。幾つか深い傷がある。

ナイトサポートを持ってきていて良かった。

しばしして、傷が溶けるように消えるが。

あまり状態は良くない。

村にまで運ぶべきだろう。此処にいると、いつレンプライアがまた来るか知れたものではないからだ。

フーコさんらしき人をマティアスが背負い。

黙々と村に歩く。

時々倒れそうになるリディーをスールが支えるが。

単に体力がリディーよりあるだけで。

スールもいつ倒れてもおかしくは無い。

村の歩哨が、フーコらしき人を見て、慌てて駆け寄り。そして担いで奥へ連れていく。あれがフーコかと聞くと。そうだと言われた。

「まったく、やんちゃな子で、いつも何処かに勝手に出かけてしまうので、困っていたところです。 巫女だというのに」

「巫女?」

「ドラゴンと心を通わし、村の守護を行う者のことです」

「へえ……」

ドラゴンと。

心を通わす。

頭がくらくらするが、とにかく顛末は確認しなければならないだろう。

フーコという人の様子を見に行く。

追加でお薬がいるかと思ったが、目を覚ました様子で。少しいたがってはいたが、半身を自力で起こしていた。

最初、あからさまにリディーとスールを警戒していたが。

周囲が説明をして。

やっと納得したようだった。

「あの黒き邪悪達を倒してくれたのは感謝します」

「あ、はい」

「それにしても、どうして一人で無茶を?」

「黒き邪悪が多くなってきて、ドラゴンの状況が心配なので。 様子を見に行こうと思ったのです。 ドラゴンには、巫女しか会うことが許されないので」

そうか。

どうやら、それが今回の仕事と、という事になるらしい。

いずれにしても、フーコを救出できたところで、一旦此処で引き上げたいところだ。話を確認すると、ドラゴンは「どうも様子がおかしい」程度の状態で、すぐにどうにかなる状況ではないらしい。

それなら緊急性はないはずだ。

次に数日後に来るので。

その時一緒に見に行こう。手伝う。

そういう話をすると、フーコはしばし警戒していたが。

全身の傷が回復しているのを確認して。

それで、まだ少し警戒している様子で、それでも頷いてくれた。

「分かりました。 しかしドラゴンはその、とても気が難しいので、出来るだけ怒らせないようにしてほしいです」

「えっと……」

「努力します……」

スールの言葉に。

リディーがフォローを入れてくれる。

ともかく、もう無理はしないように念押しして。

一度絵から出た。

同時に、気温が一気に変わったので、くしゃみが何度も出た。

これは体がおかしくなりそうだ。

気温差がどれだけあるのか。

焼け付きそうだった絵の中と違い。

エントランスは、むしろひんやりしているほどなのだから。

アンパサンドさんは、流石に修練が足りないとは言わなかった。

こればっかりは、精神論でどうにかなる話では無い。

「準備が終わったら、また数日前には声を掛けるのです」

「ああ、次は僕じゃなくてルーシャ嬢が一緒に行くかも知れないが、それは了承してくれ」

「はあ……」

「じゃ、わたしはこれで」

フィリスさんが、さっと姿を消す。

一瞬で、もういなくなっていた。

フィリスさんはずっと見守っているだけだったけれど。一度だけ、レンプライアの攻撃が向いたとき。視線だけで威圧して。レンプライアが慌てて下がるのを見た。朦朧としていたけれど。

あの意思も何も無さそうなレンプライアが。

あからさまに視線だけで逃げた。

フィリスさんの実力を、一瞬で悟ったと言う事なのだろう。

そういえば、ブライズウェスト平原で、イル師匠を見たコカトライスがその場で撤退を選んでいたが。

あれと似たようなものなのかも知れない。

単純な生物だからこそ。

圧倒的な実力には、むしろ敏感という事なのだろうか。

ともかく、戻ったらやる事がある。

暑さ対策だ。

あの中に入った後、凶悪なレンプライアにでも襲われたら、確実に死者が出ていたことだろう。

それほど、あの灼熱は強烈で。

体の自由を奪うものだった。

中に住んでいた角が生えていた人達は。小麦色に肌を焼いているだけでは無く、口の中に牙もあったような気がする。剣歯がより鋭い、と言う感じだろうか。

角に牙。

それにドラゴンと心を通わせる。

全てが本当だと鵜呑みにはできないけれど。

まさか、あの人達。

ドラゴンの要素を持った人間なのか。

可能性はある。

ドラゴンが人間と仲良くすることは絶対にあり得ない。一番大人しいドラゴンでも、積極的に街を襲撃しないだけで、近付けば襲ってくるとスールは聞いた事がある。ドラゴンは人間を見ると、見境無く襲ってくるものなのだ。それはこの世界における絶対の法なのである。

だが、逆に考えてみると。

或いは、ドラゴンが襲ってこない世界を夢見た人がいて。

そんな世界を、不思議な絵に託したとしたら。

ドラゴンが好む熱の世界に。

ドラゴンの要素を持つ人間達が住んでいる。

それならば、或いは共存が可能だと、思ったのかも知れない。

ヒト族に似ているのは、錬金術師の素質を持つのが、ヒト族だから。つまり筆者がヒト族だから、なのではあるまいか。

一旦解散して、アトリエに戻る。

収穫はちょっとだけ。

レヘルンもドナーストーンも消耗したが、コレばかりは仕方が無い。ナイトサポートの消耗は痛いが、そもそも絵の中の存在とは言え、人を救えたのだから、良しとするべきである。

アトリエについた頃には、ようやく調子も少し回復していたが。

お父さんはいない。

少し前まで、地下室で腐っていたようなのだけれど。

あれからまた外にフラフラ出ていって。

そしてまた帰ってくる様子が無い。

外に女でも作っているなら、それはそれでいい。

正直な話気分は悪いけれど、まだ何というか生きているだけ良い。

しかし、お父さんがどんな無茶をしているか分からない現状。

生きているか分からない、という事を考えると。

ぞっとする。

あんなになってしまっていても。

お父さんだ。

前は本当にどうしようもない駄目親だと思っていたけれど。

スールはここ最近で、多くの哀しみを知ったし、知識だって増やした。

憎悪が人を変えてしまうことも。

絶望を目の当たりにしている人が珍しくもない事だって知った。

お父さんだって、最愛のお母さんがいなくなってしまったのだ。壊れてしまうのは仕方が無いと、今では何処かで割り切れている。

今は、話をしたい。

そして、アトリエに戻ってきて欲しい。

一緒に晩ご飯を食べたい。

そう思うのだった。

地下室の戸をノックするが、やはり錬金術で封鎖されているようで、叩いてみてもまるで手応えがない。

諦めて、戻る。

リディーは少し休んでから。

レシピを書き始めていた。

「それって、この間書いてたアクセサリ?」

「うん。 宝石については、もうお店で買っちゃう。 合金は鍛冶屋の親父さんに加工を頼む。 それでね、これからバステトさんに話を聞いて、周辺気温の安定の術式を刻み込もうと思って」

「人数分、それ作るの?」

「ううん、私を中心にかなりの広さ、暑さを緩和するようにするつもり。 それで充分でしょ。 他の……例えば魔力を上げたり、速く動けたりするようにする別のも作ろうと思ってるけれど、時間がないからね」

確かに。

これが一番現実的か。

まず、イル師匠のアトリエに。

また、騎士団の人が来ていた。あの怖い鎧の人だ。ぼそぼそと話しているのが聞こえたけれど、立ち聞きは良くないだろう。離れて、少し待つ。そうすると、怖い鎧の人が、アトリエから出てきた。なお、槍を手にしている。この人、本来は槍が武器なのかも知れない。

そして驚くべき事に。

リディーとスールに話しかけてきた。

「リディーとスールだな」

「は、はいっ!」

「よろしくお願いします!」

「騎士団の副騎士団長、シャノンだ。 いつも王子が世話になっている。 これからも頼むぞ」

凄く怖い声だった。

或いは鎧を使って声を変えているのかも知れないけれど。

声だけで強さがびりびりと伝わってきた。

アンパサンドさんも、一緒に戦えば戦うほど、その勇敢さと強さが分かるようになって来たけれど。

だからだろうか。

その桁外れの強さが、少し話してみただけで、よく分かった。

副騎士団長か。

凄く偉い人だ。

そして今の騎士団長はヒト族で、伝説ともなっている先代に勝るとも劣らない実力だという。

もっと強いのだろう。

いずれ会ってみたいけれど。

それはまた、別の話になるのかも知れない。

ともかく、イル師匠のアトリエに。

灼熱の世界、アンフェル大瀑布の話をした後。

レシピを見てもらう。

少し考え込んだ後、イル師匠は幾つかの部分に、細かい手直しをした。

「この鎖だけれど、もう少し太くしなさい。 此処で重要なのは、見栄えよりも実用性よ」

「はい。 おしゃれな方が良いかなと思ったんですが……」

「おしゃれと強さは共存できないのよ。 残念だけれどね」

「……はい」

ちょっと凹むリディー。

それから、アドバイスを幾つか貰って。

レシピには許可を貰った。

最初に、幾つか言われたけれど。

最終的には褒めて貰った。

「拡張性の高い道具を思いつくのは良い事よ。 ナックルガードも拡張性が高いけれども、これも悪くないわ。 色々と派生して、実用的な装備品を考えなさい」

「ありがとうございます!」

「イル師匠に褒められて嬉しいですっ!」

「ただ、最後のこの魔法陣加工はまだ貴方たちだけでの作業許可は出来ないわ。 此処に持ってきてやりなさい」

そして厳しく締められもする。

ともかく、これで一段落。

前と比べると、即座に対策を思いついて、そしてイル師匠に許可を貰えるようになっただけ進歩しているとも言える。

手分けして動く。

リディーはバステトさんの所へ。魔法陣について、相談しに行く。

魔術の中には、周囲の環境安定をさせるものもあった筈なので。

これは大丈夫だろう。

スールは鍛冶屋の親父さんの所へ。

機嫌が良いのか、鍛冶屋の親父さんは酷い声で、自作らしい歌を歌いながらカンカン金属を叩いていたが。

これについては、客も閉口しているようだった。

「親父さーん」

「おー、スーか」

「はい。 このインゴットで、鎖作って貰えないですか?」

「ふむ、見せてみろ」

インゴットを渡す。

シルヴァリアとゴルトアイゼンの合金である。何度も作っている内に、少しずつイル師匠の評価も上がって、今では21点を貰えている。

親父さんは厳しい目で見ていたが。

頷く。

「まあこれなら、最初の頃とは雲泥だ。 良くもこれだけ良いインゴットを作れるようになったな」

「練習しましたので」

「調子に乗るな。 まだまだだ」

こつんと叩くふりをされたので。

首をすくめる。

お父さんが駄目になってしまったとき。

本当に親父さんには世話になった。親父さんのほうでも、伝手を辿ってお父さんの事を調べているらしいのだが。

どうもよく分からないらしい。

かなり危ない所をフラフラ歩いている、という目撃証言はあったらしいが。

危ない薬とかを試したりとか。

女を買ったりとか。

そういう事はしていないようだ。

何かを探しているようで。幽鬼のようなその雰囲気が恐ろしくて、路地裏に潜んでいるような連中も、怖がって手出しをしないらしい。

「三日前に目撃証言があったが、他の街に出ている傭兵から見たって証言も上がってるからなあ。 まったくロジェの野郎、何をしてやがるんだか」

「その、生きていれば良いです。 生きていてくれれば……」

「ふん、まあ少しは、子供じゃなくなってきたな」

「もう」

レシピを取りあげられると。

そのままじっと親父さんは見る。

鎖の作成だが。

明日には終わらせてくれるという。ついでに取り付けの金具も作ってくれるそうだ。ロケット部分についても、やってくれるそうだが。その代わり、これは実際に宝石を手に入れてから、になるらしい。

そして作業費用を聞いて、思わずうっと唸る。

ドロッセルさんの雇用費並みだ。

仕方が無いとはいえ、こればかりはしようがない。

いずれにしても、泣く泣くだが、頼むしかない。鍛冶師は他にもいるのだが、この人より信用できる人は、少なくとも王都にはいないのだから。

それから、コルネリアさんのお店と、ラブリーフィリスを見に行く。

コルネリアさんのお店の方に、良さそうな宝石が幾つかあった。

これは後でリディーと一緒に見に来るのが良いだろう。

スールは魔力が殆ど見えないので。

宝石として質が良いものかは、何とも判断が出来ないのだ。

それなのにどうして勘ばかり備わっているのか。

色々よく分からない。

リディーが戻ってきたので、コルネリアさんのお店に行く。宝石はちょっと高いけれども。

奮発して、大粒のエメラルドを買う。

支援金もあるし、これくらいの出費は許容範囲内だ。まだまだお金は余裕があるので、大丈夫である。そもそも、毎月の義務を果たす度に、相当なお金が振り込まれる。エメラルドくらいはすぐに買える。

そして、翌日は。一旦鎖が出来るのを待つと同時に。

楽しみにしていた事があるので、一旦休憩にする。

そう。

教会で、人形劇がある、と言う話だ。

孤児達の慰問のために、本職が来てくれるという事だが。

教会で過ごしたことがあるリディーとスールにとっても、シスターグレースは大恩人である。

シスターグレースは子供が好きそうなことを色々把握していて。

そして、自分でもゲームやら何やらが大の得意だった。

子供達を自立させるためのスキルを叩き込むのと同時に。

子供達の支えになるためには。

同じ目線で、色々な事が出来ないと行けないと。

シスターグレースは知っているのである。

恐らくは、そういう事なのだろう。

或いは、見かけ通り。

心の方も、若作りなのかも知れないが。

ルーシャも誘って、翌日人形劇を見に行く。

きっと。

たまには、気晴らしになるはずだ。

ここのところ、怖い事や、嫌な事。危ない事ばかりあったのだから。

 

2、その家族は戦鬼

 

驚いた。教会で人形劇は何度も見た。だが、今回のは、ちょっと特別だった。

数日前に見たのは、演者がシスターグレースだけだった。人形も二体だけだった。

だが今日、教会に来ていたのは、あの怖い高笑いおじさんと、ドロッセルさんだったのである。そしてシスターグレースのことを、人形劇の前に、ドロッセルさんはお母さんと呼んでいた。お母さんが生きていて羨ましい。人形も、かなり大きなものを複数使うようだった。

シスターグレースが腕利きの傭兵だったことは知っている。

それも、家族揃って戦略級傭兵だった事も。

ただ、揃って人形好きとは。色々と、あらゆる意味で変わった家族である。

ともかく、だ。人形劇の前に、少し話を聞いてみると。色々と教えてくれた。

シスターグレースは、家族で昔は各地を回って、戦略級傭兵として活躍していたのだという。

多くの敵を屠り。

匪賊を壊滅させ。

場合によっては、錬金術師と連携して、ドラゴンを殺したりもした。

獣は数え切れないほど殺したし。

多くの隊商を守って、匪賊を返り討ちにしたり。

或いは街の中に巣くった賊を皆殺しにしたりもしていた。

旦那さん。おっかない高笑いおじさん。フリッツさんというらしいけれど。その間に出来た子供のドロッセルさんも、概ね似たような人生を送っていたが。

最初に「疲れた」のが、シスターグレースだったという。

犯罪組織の中には少年兵もいる。

悪辣な匪賊の中には、子供だって混じっていることがある。

たまにいるのだ。

子供の頃から、どうしようもない悪事に手を染める外道が。そして街にはいられなくなり、匪賊に落ちる者が。

一度匪賊に落ちると。

子供だろうが何だろうが、復帰は不可能。

見敵必殺するしかない。

だが、そうやって殺して殺して殺している内に。何もかも嫌になったと言う。

どこかで割り切れなかったのかも知れない。

これは匪賊であって、人間では無いと。

匪賊も元は人間であると。

子供が好きであったから、余計に辛かったのだろうか。

何もかも嫌になったシスターグレースは、夫と娘に話をして。一旦アダレットの王都に入り、傭兵を辞める事にした。

そこで、多くの理不尽に見舞われ、家族を失った人間を守る事を考え。

アダレットの王都でシスターになったのだそうだ。

罪滅ぼしのつもりだったのかも知れないと、シスターグレースは言っていたが。

殺して罪になるような存在を、シスターグレースは手に掛けてはいない。

匪賊の鬼畜働きについてはスールだって見た。

彼奴らは、人間が墜ちるところまで墜ちた最悪の姿だ。

それでも疲れ果てたと言うのだから。

シスターグレースは、きっと優しすぎたのだろう。

ドロッセルさんとフリッツさんは、その後も戦略級傭兵を続けて、各地で様々な戦いに参加していたが。

フリッツさんの一線からの離脱を契機にして。

アダレットに移り。

そして今では、家こそ違うものの。

家族として、再び集まって暮らしているという。

血塗られた戦鬼家族の。

最後の穏やかな居場所が、この教会というわけだ。

「はいみんな、人形劇を始めますよ」

シスターグレースが手を叩くと。

黄色い声が上がる。

そういえば、恨みも買っている筈だが。

この人に対して人質を取ったりしたら、それこそ賊は次の瞬間にバラバラだろう。多分普通の賊が反応できる速度では無い。

ドロッセルさんの実力は良く知っているし。

この人も、異様な見かけの若さ。後進指導の的確さからしても、実力が落ちているとは思えない。

或いはお礼参りに来た賊もいたのかも知れないが。

全員がもう、獣の腹の中か、土の下、なのだろう。

そんな事を考えもしない子供達。リディーもスールも、一時期あの中に混じっていた。

だから、人形劇を、少し離れて見守る事が出来た。

フリッツさんは、高笑いおじさんの時が嘘のように、落ち着いたイケボで安心感のあるナレーションをしてくれる。

話によると、ラスティンに生まれた偉大な錬金術師の物語、だそうだ。

苦労して育ち。

おばあちゃんに錬金術を習ったその錬金術師は。

ある日偉大な師匠にであって。

ぐんぐん力量を上げていった。

やがて様々な襲いかかる悪夢のような障害を撃退して行き。

地固めをしていく。

そして最後には、錬金術の究極にまで手を届かせ。

長く続いていた、不幸で不毛な戦いを終わらせたのだった。

難しい話ではあったけれど。

掛け合いなどがとても生き生きとしていて。

見ていてぐっと来る物があった。

子供達も最初は騒いでいたが。

人形のあまりにも生き生きとした動きや。

息もつかせぬ展開に、途中からはじっと黙って人形劇を見ていて。

劇に出てくる怖くないように考え抜かれた獣やドラゴンの人形も、その精巧な出来に驚いているようだった。

これで、人形劇はおしまい。

わっと歓声が沸く。

歓声は、子供達が騒がないように見張っていたシスター達さえも、笑顔で。手を叩きながら上げていた。

リディーもスールも例外では無かった。教会で今までみた人形劇で一番凄かった。

今だから、何となく分かる事もある。

その錬金術師の家庭はきっとくらかった。

だって、おばあちゃんしか出てこないのだ。

おじいちゃんは仕方が無いかも知れない。

だけれども、どうしてお父さんとお母さんには一切合切触れない。何か問題があったのは分かる。

そのおばあちゃんも亡くなって。

独学で苦労していたところに。

師匠になる人が現れたのだろう。

才能がそれによって開花したのだ。

息をつかせぬ面白い話だったけれど。そういう暗い背景も色々と脳裏に浮かび上がってくる。だけれども、それでも面白い話だった。

片付けを手伝う。

その途中で、やっとフリッツさんと話が出来た。

それまでは高笑いおじさんのイメージが強くて、怖くて話しかけられなかったのだけれども。

向こうは此方を認識していた。

「何だか怯える気配があるとは思ってはいたが、君だったか。 今日は怯えていないようで何よりだ」

「ごめんねー。 お父さん、人形造りの時はああなっちゃうから」

「はっはっは、娘よ。 お前も脚本を作り出すと、寝食を忘れてしまうではないか。 最近も小説を売り出したが、締め切り前には三日三晩寝ていなかっただろう」

「そうだったね。 あはははは」

なんだか、目の前で恐ろしい会話がされている。

三日三晩寝ないとか、どういう体力だ。

ドロッセルさんが色々おかしいのは分かっていたが。

何というか。その実力が裏付けられる一言だった。

シスターグレースとも、上手く息が合った片付けをしている。今度はまた、別の人形劇をやるという話なので。

それもまた、とても楽しみだった。

ただ、少し気になる事を言われた。

「あの人形劇を気に入ってくれたのは嬉しいよ。 ただ、あの話は殆ど実話でね。 多少わかり易いように登場人物を減らしたり姿を変えたりはしているが、あの中に私もいたんだよ」

「フリッツさんの体験談なんですか」

「ああ。 錬金術師として現在世界最強である事は間違いない人物と、私は色々な仕事を一緒にしたんだ。 戦略級傭兵としては、一番大きな仕事の一つで。 そしてとても衝撃的なことを知る事にもなる事件だった」

何だろう。

フリッツさんの目は。

歴戦の傭兵らしい、鋭い光に満ちていた。

戦略級の傭兵になってくると、腕っ節だけではやっていけないと、ドロッセルさんは言っていた。文字通り戦略級の活躍を要求されるからだ。

腕力もだが、それ以上に老獪さが必要になるという。

フリッツさんは剣術に関しては、騎士団で時々声が掛かって教導をするほどの腕前らしいのだけれども。

それでも言う。

「錬金術はね。 もう知っているかも知れないが、世界の真実に触れる学問なんだ。 何でも出来る夢の学問かも知れないが、その夢が何処につながっているかは、少し考えた方が良いかもしれない」

「……難しくて、よく分かりません」

「今はそれでいい。 だけれども、そもそも君達は、錬金術で何をしたい? 知っていると思うが、ドラゴンや邪神さえ条件が整えば倒せる力が手に入るほどの学問だ。 それをどう使う?」

片付けが終わったという声に、鷹揚に応えているフリッツさん。

リディーは黙り込んだまま。

スールも同じだ。

頷くと、フリッツさんは言う。

「多分、同じような事を、近いうちに身内に聞かれるだろう。 そして、当分答えは出せないと思う。 考えてはおいた方が、良いかも知れない。 さもないと……」

「な、何ですかっ」

「深淵に引きずり込まれるかも知れない」

人形劇の最後で。

錬金術師は、ずっと仲違いをしていた二人を仲直りさせ。

みんなで仲良く一緒に生きていけるようにした。

それはとても素敵な話だと思った。

だけれども、フリッツさんは、どうしてあの暖かい終わりをした人形劇の後で、こんな話をする。

ひょっとして、だけれども。

真相は、もっとおぞましくて。

そしてくらいものなのではないのだろうか。

フリッツさんはほぼ実体験だと言っていた。

何かとんでもないものを見て。そして経験したのでは無いだろうか。

子供達にお菓子が配られていた。

これはリディーが錬金術で作ったものだ。

殆どスールはこの手のができない。

錬金術でも同じだ。

みんな美味しい美味しいと喜んでくれるので。リディーは目を細めて喜んでいたけれど。

スールは、帰って行ったフリッツさんと、意味ありげに手を振っていたドロッセルさんの事が気になる。

二人とも、何かとんでも無いものを経験し。

見聞きしたのではないのだろうか。

あの人形劇は。

ひょっとして。

ぞくりと背筋に悪寒が走った。

深淵に引きずり込まれる。

その言葉が、嫌に強烈に、耳に残り続けていた。

フリッツさんがその言葉を口にしたときの表情。とてもではないけれど、冗談を言っているものではなかった。

或いはフリッツさんは。

深淵に落ちる錬金術師の姿を実際に目にしたのかも知れない。

一瞬で落ちたのだろうか。

徐々に落ちていったのだろうか。

それは分からないけれど。

もしも、錬金術を極めることが、深淵に落ちる事だというのなら。それは、どういう意味なのだろう。

人間性を喪失していくのだろうか。

それとも、何かもっと別の恐ろしい事なのだろうか。勘が告げている。本当に恐ろしい事が、其処にあるのだと。

リディーに帰ろうと言われたので。

頷いて、帰る。

数日は錬金術の練習をしながらも、あのおっかないファルギオルの粘土像に触って虫になれるようにと言われている。

凄く嫌だけれど。

虫嫌いはどうにかしなければならない事は良く分かっている。

だから、克服しろと言われた事に反発はない。

むしろ虫なんかを怖がっている自分に腹が立つくらいだ。

それよりも、気になり続けた。

深淵に落ちるというのは、どういうことなのだろう、と。

 

フリッツがドロッセルと共に自宅に戻ると。

見慣れた顔があった。

壁に背中を預けて、腕組みしているその姿。

ドロッセルも一瞬だけ緊張したようだけれども。

相手に敵意がない事は分かっている筈だ。

もしも相手に敵意があったら、この家に入った瞬間、知らないうちに死んでいたのだろうから。

「久しぶりだね、フリッツさん。 それにドロッセルさんも」

「ソフィーか。 久しぶりと言っても、時々家に来ているでは無いか」

「まあプラフタのメンテを頼まなければならないからね。 それに……」

「戦略級の話か」

頷く。

幾つかの話をした後。

フリッツはソフィーに聞かれた。

双子はどう仕上がっているか、と。

「……そうだな。 親離れに失敗した子供が、必死に何とか大人になろうとして、もがいているように見えるな。 君とは別方向でいびつだ」

「ふふ、そう」

「彼女たちが例の双子だろう。 まだ姿は見せていないのか」

「手札が揃っていないので」

そう。

フリッツは、ソフィーと以前一緒に戦略級傭兵として仕事をした事がある。

そして深淵の者とプラフタの歴史的な和解にも立ち会ったし。

あの創造神パルミラの顕現も目の当たりにした。

創造神の言葉は今も忘れていない。

下手をすると発狂していたかも知れない。

それほどまでに圧倒的なまで恐ろしい真実を、目の前に突きつけられたのだった。

人間四種族という存在は。

あまりにもおかしい。

そういう仮説は何処かで聞いた事があった。

この苛烈な世界で。

互いに交わることがない四つの種族が、どうして共存できているのか、どうしても分からない。

そういう研究書も読んだことがある。

だけれども、だ。

真相を知ってしまうと。

そんな疑問が、消し飛んでしまった。

文字通り四種族は、滅亡の寸前にこの世界に招かれた。

そしてどうにもならずにこの状態で生きている。創造神は別に苦にもしていない様子だが。

あまりにもおかしい数字がポンポン飛び出していて。

思わずフリッツは。

いつも飄々としているフリッツさえ。

口をへの字に引き結ばざるを得なかった。

「そろそろ考えてくれないかなと思って。 フリッツさんもドロッセルさんも、アンチエイジング処置を受けて、深淵の者に加入してくれないかな。 もしも加入してくれるのなら、その場で「世界の固定」をしてもいいくらいなんだけれど」

「今まで協力はしてきているだろう。 アンチエイジング処置は、私の性にはあわない」

「同じく」

「そう。 まあ協力してくれているだけでも良しとするかな。 二人と敵対するのは、あまりにももったいないからね」

ソフィーは他に幾つか重要な事で意見を求めてくる。

この娘が。錬金術をやっていく過程で。腕を上げれば上げるほど、加速度的に病んでいったのをフリッツは知っている。

幼なじみのモニカとオスカーが眉をひそめるほどに。

元々苛烈な性格だったが。それさえも生ぬるくなるほどに壊れた。

今のソフィーは、深淵そのもの。

もはや人間と呼ぶのは、無理がありすぎるかも知れない。

意見に答え終わると。

ソフィーは頷いた。

「うん、あたしとしても参考になった。 流石に年の功だね」

「いや、お前さんはもう私よりも遙かに長生きしているも同然なんだろう?」

「視点の違いというのは有効なんだよとても。 あたしが前も話したけれど、この世界の終焉を打破するには、後二人は超越級の錬金術師がいる。 そして、あたしと決定的に意見が異なる存在がそれには相応しい」

「……」

ドロッセルが唇を引き結んでいる。

双子に対しては不満を零しているドロッセルだが。

ドロッセルなりに双子を心配しているし。

何よりドロッセルの方は、ソフィーではなく、フィリスが錬金術を極めれば極めるほど病んでいく過程を見てきているのだ。

親子二代で因果なものである。

超越級の錬金術師が壊れていく姿を、ともに見る事になったのだから。

そして深淵に近付けば近付くほど錬金術師は力を増す。丁度、ソフィーやフィリスのように。

「じゃあ、またプラフタのメンテか、意見が聞きたいときに来るよ。 それはお土産だから、使って」

「ああ……」

机の上には。

最高級の布であり。

国宝としても扱われる事がある、ヴェルベティスの反物がぽんと置かれていた。

流石に人形劇の人形に、そのまま着せるわけにはいかないから。裏地に使うのだけれども。

場合によっては国宝ともなる品を。

ぽんとおいていくとは。

この反物一つで、屋敷が一つ二つ簡単に建つ。

しかもこの反物で作った服は、それこそ生半可な攻撃など、受付もしない。

そういう布なのだ。

嘆息すると、フリッツは黙り込んでいる娘に聞く。

「久々の家族揃っての人形劇だったが、つまらなかったか」

「いや、人形劇は楽しかったよ」

「ああ、そうだな。 ソフィーがどうしてこのタイミングで姿を見せたか、だな」

「多分何かしらの問題が近いんだろうね。 そして十中八九それは、雷神ファルギオルの復活に絡んでいる……」

フリッツには何となく分かる。

ソフィーは。

あの双子を雷神と戦わせる気だ。

勿論勝ち目なんてある筈が無い。

それでも、何かしらの条件を満たすまでは戦わせるはずだ。死のうがかまわないのだろう。死んだら多分次を模索するはずだ。

前に聞いた。

既に双子の育成は、一万回以上やり直していると。

そしてその壁の大きな一つが。雷神ファルギオルなのだろう。そして普段よりも、今回はソフィーが望む達成条件が近い。

今回わざわざフリッツに話を聞きに来た、ということは。そういう事だ。

「ねえお父さん。 深淵の者に協力するのは良い事だと思う。 実際、この世界の裏側から、二大国にまとまるまで、人間を導いた集団だしね。 私利私欲でも動かないし、何より実際に多くの民を救ってきている。 でも、解せないよ。 アンチエイジング処置まで受けて、この世の終わりまで手伝うことを、どうしてお母さんは選んじゃったんだろうね」

「罪滅ぼしのつもりだろう。 グレースはあれで優しかったからな。 私も犯罪組織を処理した時に、相手が子供だったりした場合は心を痛めたことがあったが、グレースは私以上に苦しんでいたのだろう」

「罪滅ぼしで、其処までする? 永劫の地獄と何が違うの?」

「自分で自分を罰している。 そういう事なのかも知れないな」

ドロッセルは、それからその日は、一言も口を利かなかった。

フリッツも外に出ると、剣の手入れを武器屋の親父に頼む。

この街の武器屋の親父は、音痴なのが玉に瑕だが。とても腕が良い。ハルモニウムで出来たフリッツの剣を見て眉一つ動かさず。きちんと手入れをできる程には、実力もあったし。それにハルモニウムの剣を見て、何一つ言わないほどに口も堅かった。ただ、どれくらい人を斬ってきた剣なのかは、一言で当てたが。

今も、仕事によっては。

匪賊を斬っている。一線級を退いても、仕事は来る。

騎士団は手が足りない。

たまにくる大きな仕事では、ドロッセルともども出て。

大きめの街に巣くった犯罪組織や。

匪賊などを処理している。勿論、匪賊の場合は逃げる暇も与えず皆殺しだ。

一人で騎士一部隊分以上の仕事をするフリッツやドロッセルは、騎士団からもここぞと言うときに活用する切り札として扱われていて。そして自分達で出来る範囲で世界を良くしようとも想っている以上。

それを断る理由も無かった。

人形の手入れを始める。

ドロッセルも気持ちを入れ替えたのか、脚本を書き始めた。

今度はフィリスの話を人形劇にするか。

フィリスも劇的な人生を送っている。

側でフィリスを見てきたドロッセルが証言しているが。

やはり深淵に引きずり込まれていくような人生であったらしい。

世界を旅していく内に。

どんどん世界のおぞましい闇に触れて。

加速度的に病んでいった。

そして今のフィリスは。

破壊神と渾名されるほどの存在になってしまっている。

それが良い事なのかは。

フリッツにも分からない。

ドアがノックされる。

騎士団の人間だ。それも隊長クラスの魔族騎士である。隊長クラスが直接話をつけに来る程の扱いを受けている。それがフリッツとドロッセルである。

「お二人ともいたか。 丁度仕事が舞い込んでいてな」

外に雨が降り始めている。

これは本降りになるな。

仕事の内容を聞きながら。フリッツは、そう思った。

 

3、灼熱地獄との共存

 

突貫工事での調合を行って。

どうにか、リディーを中心とした周囲の温度を安定化させる道具を作り上げた。ネックレスの形にして、首からぶら下げる。これによって、熱による消耗を避ける事が出来るのである。出来たのは一つだけだが、それが限界だ。

鎖と、エメラルドを収める部分は鍛冶屋の親父さんにやってもらった。

スールがエメラルドの研磨を行って。

その後、鍛冶屋で組み合わせて貰う。

そして、ガワに魔法陣を刻み込む。

魔法陣はバステトさんにアドバイスをリディーが受けて来たものだ。

これをイル師匠の所に持ち込み。

そして、立ち会いのもと。

ペンチで丁寧にスールが挟みながら。

リディーが魔法陣を刻み込んでいった。

魔法陣については、イル師匠も合格を出してくれたので。まず満足して良い出来だとは思う。

ただしその後が大変で。

殆ど徹夜の泊まり込みになった。

最終的に中和剤につけて変質させ。

更に効果を倍増させて完成。

出来たには出来た。

実際問題、以前作った超劣化人工太陽と考え方は同じ。機能を更に縮小して、その代わりコンパクトにしただけだ。

今回は温めるのでは無く、温度を一定に保つ、だが。

いずれにしても、小さくするだけでこれほど難しくなるとは思わなかった。

とにかく、騎士団には声を掛けてある。

急いでアトリエに戻って、眠れるだけ眠って。

そして、王城のエントランスに出向いた。

既に皆待っていた。

今回はフィリスさんと、ルーシャがいる。アルトさんは、別口で仕事が入ったらしく、今日は来られないそうだ。何しろ超格上の錬金術師。そういつも此方には来られないだろう。

リディーは残念がったが。

スールはあの人何処か苦手なので、むしろこっちの方が安心した。

ルーシャも当然この絵には入った事があるようで。

対策はばっちりしているようだったが。

アンパサンドさんが、冷え切った声で言う。

「それで、熱対策は」

「はい、してきました」

「温度を一定に保つので、周囲一定範囲は熱くも寒くもないです!」

「それなら安心なのです」

フィンブル兄に、アンパサンドさんが、リディーとスールの護衛につくように指示。

頷くと、フィンブル兄は、今回は支援に徹することを明言。

先に軽く打ち合わせをしておくと。

戦闘はやりやすくなる。

スールが突貫しなければならない場面はどうしても出るが。

フィンブル兄と連携してなら、多分かなりやりやすくなるはず。

その一方で。

敵が罠を張っていた場合、密集していると一発で全滅、という可能性が出てきてしまうので。

それについては、暑さ対策が出来ているらしいルーシャやマティアス、アンパサンドさんを、それぞれ離れた場所に配置して、警戒して貰う事で対応する。特にアンパサンドさんは、かなり陣列より前に出て貰う事で、敵の攻撃を集中的に受けて貰う予定だ。

フィリスさんは今回も監視だけ。

アルトさんがいなくなって戦力低下は仕方が無いが、代わりに今回はオイフェさんがいるので。近距離戦での手は足りている。

勿論ルーシャの実力が、オイフェさんを足してもアルトさんに及ばないのは承知しているけれど。

それをいうならば、今の双子ではセットでルーシャに及ぶかさえ怪しい。

だから、我慢するしかない。

絵の中に入る。

以前は、入った瞬間に「痛い」と感じるほど厳しい暑さだったが。

今度は、瞬時に周囲の温度が下がっていき。ある程度の所で安定した。これなら大丈夫だろう。

すぐに、丘の下に見えている村に行く。

フーコは、まだ包帯を巻いていたが。

それでも、起きだして歩いている様子で。

まったく姿が同じように見える一族の人達に、心配されているようだった。

「あ、みなさん。 待っていましたよ!」

「フーコさん、もう動いて大丈夫ですか!?」

「包帯してるけど!」

「大丈夫大丈夫。 戦ったりしない限りはへっちゃらです。 良く効くお薬ありがとうございました!」

快活に笑うフーコ。

そして笑うとわかるのだけれど、フーコの口の中には、やっぱりヒト族としては大きすぎる牙がある。

角が生えているし、これで背中に翼と。おしりに尻尾があれば。完全にドラゴンと人間の合いの子だ。

勿論それを言うつもりは無い。

そもそもこの絵の中では、ドラゴンと人間が上手くやっているという話である。

フーコが巫女だかの仲介役だというのなら。

信用するしかない。

「それにしても寒いですね?」

「あ、フーコには寒いんだ……」

「フーコちゃん、その、私達には暑すぎるから、ちょっと錬金術で温度を一定に保っているの。 もしも辛いようなら、少し後ろからついてきてくれる?」

「いや、耐えきれないほどではないので、大丈夫です!」

元気いっぱいである。

こんな包帯だらけの痛々しい姿で。

ともかく、側から離れないように念押しすると。一旦丘の上に戻って、何処へ行けば良いのか確認する。

コンパスが役に立たない状況だ。

地図を作りながら、少しずつ進んでいくしかない。

「ええと、彼方に行って、ずっと奥に行ったところです。 殆ど一本道なので、迷う事はないと思います。 それにフーコが何回かドラゴンの所には出向いていますので……」

「良くレンプライアに襲われなかったね!」

「最近増えてきたので、困っていたんです。 処理してくれるなら助かります」

「見かけた奴は全部やっつけるよ」

スールはそう安請け合いしたが。

レンプライアは、新しい絵に入る度に強くなっている気がする。

弱点はあるものの。

多分だけれど、雑兵しかまだこの絵の中では戦っていない。

強力な奴が出てくると、相応に苦戦する事になるのではあるまいか。

そんな嫌な予感が、止まらなかった。

 

少し前をアンパサンドさんが歩き。

右側に少し離れてルーシャ。

左側にマティアス。

そして、そのちょっと後ろにフーコ。

真ん中にリディーとスール、フィンブル兄。

そういう変則的な、少し大きめの陣形で進む。なおオイフェさんは、影のようにリディーとスールの少し後ろに着いてきていた。ルーシャの指示なのだろう。

やはりというかなんというか。

レンプライアが、どんどん姿を見せる。

暑くてもまるで気にしないらしい。

此奴らにドナーストーンが有効なのは分かっていたが。

それだけで突破出来るほど。

やはり状況は甘くなかった。

すぐに通用しないのが出てくる。

まず、下半身がない奴の、上位種らしいのが姿を見せた。前は丸っこい頭だったのだが。今度は頭に角が生えていて、少し魔族を想起させる姿である。此奴は大きさも凶悪で、見上げるような巨体だった。

早速しかけるが。

レンプライアは即応。奴が雄叫びを上げるだけで、一瞬にして周囲に炎の弾丸が降り注ぐ。それも、抱えるような巨大なものが、無数にだ。

慌ててルーシャがリディーとスールの前に飛び出してシールドを張るが。

次の瞬間には、空中に奴はいた。

しかも至近。

一瞬で、間合いを詰めてきた、と言う事か。

シールドと激突。

ルーシャが悲鳴を上げて吹っ飛ばされ。奴は左手を振り上げていた。

息を合わせて、マティアスとフィンブルさんが、左右から切り込み、突き掛かるが。しかし、それでも止めきれない。

横っ面にオイフェさんが強烈な蹴りを叩き込み。

皆が離れた瞬間、ドナーストーンを叩き込んで、跳び離れる。

しかし、雷が炸裂した後。

奴はまだ無事で。

そして、唸り声を上げながら、息を吸い込んでいた。詠唱だ。

アンパサンドさんが、ふわりとレンプライアの顔面に布をかぶせ、飛び退く。

うなりを上げて、頭を振り払うレンプライア。詠唱中断。視界も塞いだ。

その時には、リディーとスールは、右側に移動。

そして、ドナーストーンを準備していたが。

死の臭いを至近で嗅ぐ。

残像を作って移動したレンプライアが。

真後ろで、腕を振るい上げていたのだ。

あ、これは。

死ぬ。

前に、ネームドの尻尾の直撃を受けたとき以上の衝撃が来る。それを悟ったスールの前に、ルーシャが飛び出し、傘を開いて押し潰す一撃を受け止める。

周囲にクレーターが出来る。

この圧力。

尋常ではなさ過ぎる。

マティアスとフィンブル兄が間断なく攻撃を繰り返しているし。

アンパサンドさんが嫌がらせを続けているが。

レンプライアはどうも、リディーとスールを優先的に殺すつもりらしい。そのまま、ルーシャごと押し潰しに掛かってくる。

その時。

オイフェさんがすっと構えをとると。

ジグザグに移動後、地面を踏みしめ、跳躍。

レンプライアの腕の関節を、蹴り折っていた。

レンプライアが悲鳴を上げながら下がる所に、数個のドナーストーンを放り込む。爆裂。まだ足りないか。

だが、マティアスが渾身の一撃をレンプライアの顔面に突き刺し。

更に脇腹に出来ていた傷に、フィンブル兄が体ごとぶつかった事で、ハルバードが体の奥にまで食い込み。

それがとどめになった。

崩壊していくレンプライア。

呼吸を整える。

辺りの破壊跡が凄まじい。

岩も崩れて。

珍しそうな鉱石が、たくさんでていた。

ルーシャが傘を見て、苦虫を噛み潰したような顔をする。自慢の防御道具も、相当なダメージを受けたのだろう。

「みなさん、大丈夫ですか?」

「フーコこそ平気!?」

「平気です。 でも、あんなやばそうなの、良く倒せましたね」

「……」

苦笑いが浮かぶ。

正直、さっさとバトルミックスのドナーストーンで消し飛ばすべきだった。

イル師匠に指定された条件を満たしていない。

そう最初に判断したのが間違いだった。

勘は鋭い方なのに。

まだ敵の適切な戦力分析はあまり出来ているとは言えない。この辺りは、未熟が故である。

レンプライアの欠片を回収。なんと、それに混じって宝石がゴロゴロ落ちていた。

死ぬと、魔力が結晶化するのかも知れない。

また、辺りの岩の中にも、珍しそうな鉱石がたくさん入っていたので、全て回収する。或いは使い路があるかも知れない。

カーエン石も豊富に落ちている。どれも非常に品質が高いようで、触ると熱いほどだった。

「あの辺りで一旦休憩するのです」

アンパサンドさんが、見渡しの良い場所を指さす。

一緒に移動して、警戒態勢を取ると。

少し休憩にする。

それからフーコに話を聞くが。

レンプライアがどんどん強くなり、そして数が増えているそうだった。

さっきのような奴も、何度か見かけているという。

どれも別個体のようだった、と言う話で。

そうなると、非常にまずいかも知れない。

ルーシャはお手伝いという立場上、教えてくれる事はないだろうし。此処で試験を受けた錬金術師は、皆こんな地獄を生き抜いたのだろうか。想像するしか無いのが厳しい所である。

手当を終えると、後は無言で先に進む。そうすると、凄まじい光景が目に映る。

溶岩が文字通り、滝となって流れているのだ。

大瀑布とは滝の、それも凄く大きな滝のことだという話は聞いていたけれど。

これは凄まじい。

溶岩のしぶきも散っているようなので、危なくて近づけたものではない。

溶岩が降り注いでいる下は、グツグツ煮えたぎった灼熱の池になっていて。落ちたら100%助からない。ぞっとして、崖から離れる。崖下では溶岩の川が流れていて、何処かへまた流れているようだった。

この世界は。

あまりにも苛烈すぎる。

ドラゴンと心を通わせる人間がいる、というのは凄い事だと思うけれど。

しかしこれでは、普通の人間はとても生きていく事など出来ないだろう。多分、あの村に辿りつくことさえかなうまい。その後も、とてもではないが生きていく事は無理だ。

それにリディーと一緒にスールは調べた。

火山が噴火するときむしろ危険なのは、噴出する溶岩よりも、その前に押し寄せてくるガスらしく。凄まじい熱を持ち、猛毒も持つという、悪夢のような代物だという。

この様子では、噴火の度に恐ろしいガスが押し寄せてきているのではないかと、心配になる。

辺りには、外にもいるような獣もいるが。

今、丁度レンプライアが、その側を通り過ぎる。

獣は無視。かなり好戦的な大型の熊なのに。

レンプライアも、相手がいないものとして、扱っているようだった。

それなのに人の姿に近いフーコは攻撃するのか。

レンプライアの正体は、絵に宿る悪意らしいという話は聞くけれど。

この絵を描いた人の悪意は、どんな風に作用していたのか。正直、よく分からない。

ハンドサインで指示を出し合った後、一気にしかけて、獣もレンプライアも、一緒に仕留めてしまう。

今のは弱めのだから良かったけれど。

フーコと一緒に進む度に、どんどん凶悪なレンプライアとの遭遇率が増していく。

駆除しなければ、害を為す存在だ。

とにかく見かけ次第片付けなければならないが。

三度目の、下半身がない牛頭との戦いが終わった頃には、物資が尽きた。

二度目以降は、最初ほど大きいのは出なかったが。それでも万一を考えて、ドナーストーンを惜しみなく使って、速攻で仕留めたのだ。故に物資も尽きた。

フーコを此処に放置して戻る訳にはいかない。

一度フーコと一緒に村まで戻る。地図は覚えたので、次は今回より楽に行けるはずだが。

帰り道も、結局途中、時々レンプライアが出るし。

フィリスさんは一切手伝ってくれないし(たまにレンプライアの攻撃を素手で弾き返したり、襲いかかってきた獣を素手で捻り殺していたが)、行きよりはマシとは言え、帰りも辛かった。

村に辿りついた頃にはへとへと。

ただし、目につく範囲の獣とレンプライアは全部処理したとフーコが説明すると。

村の人達は、喜んでくれたようだった。

まあ、命が掛かっているのだ。

素朴だからというのもあるだろう。

それに、フーコが何かしら特別な立場にいるのも分かる。

ただ、どうしても。ルーシャは黙りこくっていて。それが嫌な予感にしかつながらないのだった。

一度切り上げて。

また三日後に、と言う事で話をする。今回は、先に次の探索予定を話しておく事で手間を減らす。それに道具類を計画的に増やしておくことで、次は更に動きやすくもなるはずである。

レンプライアの上位種には色々驚かされたが。

しかしながら、多少の金銭的損額は被ったものの、人的被害は出していない。

それだけで充分。

初見の、まったく分からない能力持ちが相手だったのだ。

それで満足しなければならない。

アトリエに戻ると。

無心に二人でドナーストーンを作る。材料は、まだまだ山ほどある。安易にブライズウェスト平原に行く訳にもいかないが。

そして、イル師匠の所に行って、宝石を見せる。

ルーペを取りだして確認しつつ、イル師匠は言う。

「カットからして、即座に使えるわね。 これがルビー、これはサファイア、これはエメラルド……金剛石はないわね」

「これ、レンプライアの体から出てきたんですよ」

「恐らく他にも出てくるわ」

「?」

イル師匠によると。

レンプライアが悪意の具現化だとすると。

その体内には、触媒として人間の悪意を増幅させるものが詰まっている可能性が高い、というのだ。

例えば黄金。

見た目が似ていても、ゴルトアイゼンと違って、通貨にしか使えない代物だが。

それでも、多くの人間を喜ばせる。

換金できるからだ。

武器や鎧。

悪意によって相手を殺すためのもの。

身を守って相手を圧倒するためのもの。

人間の営みに必要なものが、悪意の具現化から出てくるのは、不思議では無い、というのだ。

でも、今までのレンプライアは。

そう言いかけて、思い出す。

どんどんレンプライアが強くなっている。

と言う事は、今後は。

更に人間の悪意の産物に近いものが出てくるのだろうか。

強いレンプライアを倒すほど。

宝石は好きだ。

ざくざく宝石が出てくると思うと、嬉しいとも感じる。

だがその正体が、人間の悪意だと考えてしまうと。

ちょっと嬉しさも、四半減してしまう、と言うのが本音である。

人間の悪意の恐ろしさは、あの氷の洞窟の絵で、思い知らされた。

ルーシャを助ける過程で。

自分達の中に宿っていた悪意のおぞましさに、何度も涙した。

ぞっとして、宝石を投げ捨てたくなるが。

イル師匠が、ぴたりという。

「それは出自がどうであろうと宝石よ。 コルネリアの所に売ってもお金には換えられるし、錬金術の道具を作るのにも充分な性能がある。 どんなものでも使いなさい。 事実、今までも獣の毛皮や肉を、色々活用してきているでしょう。 レンプライアがどうそれらと違うと言うの?」

「いえ、違いません……」

「でも、イル師匠。 その、怖い……」

「怖いから何。 恐怖を感じるのは人間なら当たり前よ。 恐怖と上手につきあっていく方法を覚えなさい」

怖いものは、誰にでもある。

最近聞いた言葉だ。

きっとイル師匠にも。

こわごわだが。

聞いてみる。

「イル師匠は、どうやって恐怖と向き合っているんですか」

「……まだ少し早いと思ったから教えていなかったけれど、良い機会だから教えておこうかしらね。 私には絶対に勝てない相手がいる。 それが恐怖よ。 その恐怖と向き合うには、事実を受け入れるしかなかったわね」

「……」

「勿論これは方法の一つよ。 恐怖を克服するのには、色々な方法がある事を認識しておきなさい」

お礼を言うと。

アトリエに戻った。

後は無心に調合を続ける。

この間見た、人形劇が。

良い感じで、心に優しさと勇気をくれている。勿論そんな精神論だけでは解決しない事も分かっている。

ただしそれをいうのであれば。

恐怖も精神論の一種ではないのだろうかとも思う。

レンプライアが悪意の権化だというのなら。

悪意を上手く利用することさえも。

考えなければならないのか。

ぞくりとした。

悪意を、利用する。

そんな恐ろしい事、今まで考えたことも無かったのに。

あまりにもさらりと、心の中にその考えが滑り込んできたからである。悪意を利用するって、どういうことか。

勿論、敵を殺すために、敵の心理を読んで罠を張ったりする。

それについては、散々今まで実地で習ってきた。

だが、それはそれだ。

スールにドナーストーンの作成を任せ。

代わりにリディーが合金を作り始める。

作成の完全許可が出たのだ。

その許可が出た日に、アリスさん立ち会いで、炉を徹底的に綺麗にして。使い方をもう一度徹底的に習い。試運転もしっかりした。

合金を作り始めるリディーを尻目に。

スールは、黙々とドナーストーンを作る。

悪意を利用するという考えを。

リディーに話すべきなのか。

いくら双子でも、話せない事はある。

一番精神的に追い詰められていたとき、リディーの首を絞めて殺そうとしたことまであったけれど。

それを話してはいけないように。

何度となく。スールは思い知らされる。

少し前までの自分が如何にバカで、どうしようもない子供だったか、を。

そして今、必死に一人前になろうとする過程で。

どうしてもどうしようもない恐ろしい現実を徹底的に見せつけられ、それにとても抵抗できていないという事実も。

呼吸を整える。

ドナーストーンは、見た目で分かるように、雷を思わせる意匠をしているが。

これを放り込んだあと、雷撃が爆発するのを見ていると。

むしろ雷撃というのは、ジグザグだとか枝分かれとかではなくて。

動けるところに動いているのではないか、という気もしてくる。

深呼吸をもう一度。

丁度リディーも、ゴルトアイゼンを作った所らしかった。

良い品質の鉱石が、アンフェル大瀑布からはゴロゴロ採れる。今までのシルヴァリアやゴルトアイゼンよりも、数段品質が良い。

シルヴァリアとゴルトアイゼン、ツィンクがめちゃめちゃに混ざっている鉱石もあって。

それらは使う時、熱で最初に分離しなければならなかった。

殺そうとしたことは、とても口にはできない。

だが、この考え、悪意の利用は。

共有しなければならないとも思った。

「リディー、ちょっといい?」

「どうしたの、スーちゃん」

「あのさ、レンプライアが悪意の塊だとするでしょ。 イル師匠は事実を受け入れる事も必要だっていっていたでしょ。 だとすると、悪意を利用する事も、考えなければならないのかな」

「……」

リディーは、拳を固めて俯いているスールをじっと見つめていた。

冷ややかと言うよりも。

哀れみを向けているように思えた。

何だろう。

心の中に。恐ろしい程冷えた何かが浮かんでくる。それは嫉妬だろうか。それとも、怒りだろうか。

どれだけ練習しても絶対に錬金術が追いつかない相手への。

ドロドロした感情だろうか。

失敗しただろうかと思った矢先に。

リディーは言う。

「剣は相手を殺すためのものだよ。 武器はみんな基本的に全部そう」

「そんな事……分かってる」

「悪意の利用も、同じなんじゃないのかな」

「……」

そうだろう。

何となくだけれど。

リディーはそう答える気がしていた。

納得は出来た。

それで今は、良しとするべきなのかも知れない。

とにかく、三日後だ。

また、レンプライアと戦いつつ。

フーコと一緒にドラゴンの様子を見に行く。

気になるのは、ルーシャの様子だ。

どうしてあんな口を引き結ぶような事を。あれでは何か、知っているかのようではないか。

「次の戦いまでに、もう一つ今私がつけているペンダントを作るよ。 スーちゃんも手伝って」

「がってん。 あ、フィンブル兄の分?」

「そうなるね」

「……うん。 そうだね」

フィンブル兄は、元々一傭兵。それも名前が売れている訳では無い。腕は良いかも知れないけれど。良い腕の傭兵止まり。

ドロッセルさんやシスターグレース、それについ最近正式に知り合いになって色々話もしたフリッツさんほどの規格外じゃない。

経済的にも知れているし。

温度緩和の術式を常に掛けられた鎧とか、そういう装備を自前で用意するのは無理だ。

更に言うと、前の戦いでは、そのせいでフィンブル兄に動きの不自由を強いてしまっていた。

今度は此方が手を回して。

戦術の自由度を上げなければならないだろう。

一緒に、フィンブル兄の分のネックレスも作る。

このネックレス、刻み込む魔法陣を強烈に増幅することが出来るから。

範囲内の味方全員の能力を強制的に引き上げたり。

常時回復の空間を周囲に展開したりと言った事が出来るかも知れない。

魔法陣を工夫して、範囲を絞れば。

魔力を極限まで跳ね上げる事も出来るかもしれないし。

リディーにそれをつければ。

強力な能力強化の魔術を。

更に数段、強烈に進化させられる可能性もある。

リディーは広域回復の魔術を覚えたいと前々から言っていたが。

魔力量のブーストが出来れば。

それも不可能ではなくなるだろう。

このペンダントを作るノウハウを蓄積しておけば。

いずれ必ずや、大きな力になってくれるはずだ。それは、確信的に言えることである。だから、ペンチで掴んで。加工するリディーを見守る。

イル師匠に、金属加工の完全許可をせっかく貰ったのだ。

確実に、ものにしていかなければならない。

副産物と言えるのかどうか。

金属加工をしている時、リディーがペンダントをつけていることで。

もの凄い炉の暑さからは。

ある程度解放された。

ただし、下手をすれば手足を失うレベルの大けがをする事に代わりは無い。恐ろしさは嫌と言うほど分かっているので。

常に恐怖とは、向き合い続けなければならなかったが。

一生懸命努力を続けて。

当日までに、ドナーストーンを必要量と。

ペンダントをもう一つ揃える。

実際に使ってみて、効果を確認する。

外は大雨で、雷がドカドカ落ちていて。

相変わらず不安定そのものだったけれど。

それで寒いくらいだったのが。

丁度良いくらいまでに、気温を切り替えることが出来た。

文字通り、抜群の効果だ。

これならば、行ける。

頷いて、準備は整ったと思った。時間的にも、徹夜をしなくても、間に合わせることが出来た。

ただ疲れたので、リディーが出来合いを買ってくる。

近所のパン屋さんがセールをしていたとかで。安くて、暖かくて、美味しいパンを仕入れてくる。

小麦粉はちょっと高い事もあって。

良いパンはそれなりに値が張る。

お母さんがいなくなるまえは。

時々利用していたパン屋さん。

しばらくご無沙汰だったのだけれど、経済的に余裕が戻ってきたから、また利用できるようになりはじめた。

其処で買ってきたパンと、

干し肉、それに卵。

後は野菜を使ったスープ。

随分と食事の品も増えてきた。体も健康になって来た気がする。

ただ、寝る前に、あの恐ろしい邪神像に触るように言われたので、泣きそうになったが。これも仕方が無い。

慣れるんだ。

そう言い聞かせながら、必死に邪神像に触って。体の震えを押し殺す。兎に角今は、この虫嫌いをどうにかしなければならない。

言われなくても分かっているのだ。

今後、巨大なムシの姿をした獣と戦う可能性だって少なくない。実際にも、今までにもあった。

その時、皆の助けがあったから何とかなっていたが。

今後は、怖れずに戦えなければならないのだ。

その事実を、受け入れなければならない。

イル師匠の言葉を思い出しながら。

スールは必死に。

邪神像にさわり。恐怖と戦い続けたのだった。

 

4、竜の村の真相

 

予定通りの日時にお城のエントランスに集まり。

そしてフィンブル兄にネックレスを渡す。

おうと、フィンブル兄は喜んでくれた。

戦力がこれでますと。

勿論おしゃれなものではないので。

皮鎧の内側にしまうようにして、いそいそと毛皮の中にしまい込んでいたが。

獣人族は、毛皮で身を守っている分。

寒さにはヒト族より強いが。

暑さにはヒト族より脆い一面もある。

更には。これで戦術に幅も出る。

アンパサンドさんが、多少見直したと口で言ったけれど。表情はまったく変わらなかったので。

相変わらずの鉄仮面だなあと思った。

今回はアルトさんとルーシャが揃っている。

フィリスさんもいるが、基本的に降りかかる火の粉を払う以上の事はしてくれないだろう。

後一回か二回。

それで決着を付けなければならない筈だ。

軽く戦術について話す。

灼熱地帯が更に減るので、動きやすくなるのは確実だ。スールもガンガン前衛に出て行ける。

それぞれ守りを固める位置を決めると。

アンフェル大瀑布に入る。

そして、村でフーコと合流。

フーコは。包帯も殆どとれていて、快活な笑みで迎えてくれた。

怪我の跡も残っていない。

ナイトサポートを使ったとは言え。

大した回復力である。

「じゃ、行こう」

「はい! お願いします!」

フーコに笑顔で頭を下げられて、悪い気はしなかった。

そう、この時までは。

 

手伝ってくれる戦力が単純に増え。

更にルーシャは、この間の戦いでの苦戦が悔しかったのか、傘を強化してきていた。

レンプライアも見かけ次第駆除して行くが。三日前にあの上位種らしいのを三体倒したからか。

前よりはだいぶ少ない。

これは、ひょっとしてかなり楽に、奥にまで行けるか。

そう思っていた。

事実、前回撤退を決めた場所よりも、更に奥に行く時、荷車を確認したが。かなり道具類に余裕がある。

これならば。行ける。

そう判断して、先に進む。

周囲はますます魔境になって行く。

溶岩の川が流れていて。その上に自然の橋が架かっている。というよりも、溶岩が岩の下に穴を開けた感じだ。

「ふーん」

フィリスさんが頷いている。

通れると言われたので、通るけれど。後で聞くと、岩に話を聞いていたという。

これくらいの重さまでは耐えられるよ、上では戦わないでね、とかいうような事を聞かされていたとか。

ギフテッドというのは凄いなあと思ったけれど。

実際、荷車は滑落することもなかった。

また溶岩の滝だ。

先に見た大瀑布ほどではないが。

此処では山が常に噴火し続け。

そして溶岩が流れに流れている、と言う事なのだろう。

恐ろしい話だ。

ただ、そのおかげで。

この世界の範囲は、狭いようにも思える。

何処まで行っても山と溶岩。

入れる所は限られるだろう。

ほどなく。

げっと、マティアスが声を上げる。そして、アンパサンドさんが、前に出て構えをとる。

広い場所に出た。

辺りに散らばっている無数の巨大な獣の骨。

そして、あからさまに巨大すぎる足跡。

嫌な予感しかしない。

その予感は、即座に適中した。

舞い降りてくるのは、翼を持つ巨大なる存在。姿は蜥蜴に似ているが、足は下に出ているし。顔も威厳というか、恐怖を感じるものだった。トカゲが怖くないというのではない。此奴が別格に恐ろしすぎるのだ。

一目で分かる。

ドラゴンだ。

「ドラゴネア……の変種なのです。 肌が赤い」

「こ、この面子なら、ドラゴネアくらい……」

そうマティアスが、アルトさんとルーシャをみるので。流石にちょっと露骨すぎるとスールも思った。

笑顔で、前に出たフーコが、頭を下げる。

「みなさん、ありがとうございました。 これで役目を果たせます」

「……っ」

「役目って、そういえば具体的に何をするの?」

「ドラゴンは人間に対する上位存在なので、我々はその地位確認をするために、定期的に巫女を選んでドラゴンに捧げます。 フーコが巫女に選ばれたのは、とても名誉な事なので、嬉しいです。 次に会うときに身を捧げることになっていたんですよ。 これで役目を果たせます」

絶句。

思考が一瞬、クラッシュした。

目の前が暗くなる。

待って、と反射的に叫んでいた。

ドラゴンは口からよだれを流していて、早く食わせろと促している。

フーコは、ドラゴンに食べられることを、名誉だとまで思っている。

ドラゴンとの共存というのは。

そういう事なのか。

「待って待って待ってっ!」

「?」

「か、仮にそのドラゴンを倒したら、どうなるの?」

「ドラゴンは山の怒り。 自然の力の権化。 一瞬で溶岩が村を押し流し、皆を焼き尽くしてしまうでしょう」

マティアスが、無表情のまま、俯いている。

さてはこの残念イケメン。前に入ったときに、誰か、あの村のフーコじゃない誰かがドラゴンに食われるのを見たな。さっきのは、或いはドラゴンを無力化出来るかと思ったのか、今フーコが言った事を知らなかったのか。

ドラゴンを殺しても一瞬で破滅。

かといって、ドラゴンはエサ……つまり「巫女」との関係性がなくなれば、或いは村を襲って威を示すかも知れない。

リディーが、真っ青になりながらも、手を上げた。

フィリスさんは、薄笑いを浮かべながら、様子を見ている。

それがまた。

とてつもなく恐ろしかった。

「フーコちゃん、ドラゴンと、意思疎通は出来る?」

「はい、出来ますが」

「お願いがあるの。 ドラゴンが、何を望んでいるか聞かせて欲しいんだけれど」

「え? うーん、分かりました」

リディーは怖がっているが。

それでも、ドラゴンを前にして、スールよりはまともに動いてくれた。

ヒスを起こして戦闘を開始するのでもなく。

ドラゴンに為す術無くフーコが食われるのを見ているのでも無く。

フーコが話しかけると。

ドラゴンは、キーンという空気音の後。頭の中に、直接語りかけてくる。

「異邦の民よ。 我はフラン=プファイル。 この土地の支配者であり、この「竜の民」の主である」

「フラン=プファイル……さん。 竜の民を食べるという以外で、上下関係を確立することは出来ないんですか!?」

「この地の理に異邦の民が介入しようというか」

「竜の民も納得しているようではありますが、絶対にいずれ良くない結果になります!」

もし竜の民に、戦える力が備わったりしたら。

竜の民に、誰かがドラゴンを倒せる力を渡したら。

この世界そのものが破綻してしまう。

この関係はいびつだ。

搾取と被搾取だけで成立している。

そう、リディーはゆっくり、言葉を選びながら説明した。フラン=プファイルという赤いドラゴンは、ドラゴンとも思えない理性的な返事を返す。

「では対案は?」

「……っ」

「竜の民が我を崇め、我はそれに何を持って応える。 我の気分次第でこの世界は溶岩に沈むが、我がいなくなってもこの世界は溶岩に沈む。 我は殺されぬ限りは死なぬ」

対案か。

それもそうだ。

何かを解決するには、ヒステリックに噛みつくだけでは駄目だ。何か、対案を示さなければならない。

スールはバカだ。

何も思いつかない。

拳を固めているスールの前で、リディーは言う。

「三日だけ、時間をお願いします」

「ほう」

「竜の民を食べずとも良く、竜の民も納得出来る。 そんな案を考えてきます」

「面白い。 我も退屈していたところだ。 せめて我を楽しませよ」

ドラゴンが飛び去る。

フーコが、不思議そうに言う。

「ドラゴンに巫女として食べられることは、ドラゴンと一つになる事、つまり意思を通わせることで、とても名誉な事なのですが……どうしたんですか?」

「な、なんでもないよ……大丈夫、だから」

「?」

まったくフーコは分かっていない様子で小首をかしげる。

フィリスさんは、恐ろしい程冷たい目で此方を、薄笑いのまま見ていた。

さて、どうする。

この間のトカゲの王と違い、今回は相手が何が欲しいかという、具体的な話さえもしていない。

そしてあのドラゴン、フラン=プファイルはこの世界の法則。殺せば絵の世界が終わるというのも、多分事実だろう。

完全に理屈が違う世界なのだと。

徹底的に思い知らされる。

それでも、何とかしないと。

「辺りにいるレンプライアを狩るだけ狩ったら、フーコちゃんを村まで守って引き上げます」

リディーが言うと。

マティアスが頷き。アンパサンドさんが、しばししてから頷いていた。

フィンブル兄が、ぽんとスールの頭を叩く。

「大丈夫だ。 リディーを信じろ。 お前自身も信じろ。 フーコをドラゴンの餌になんかしなくてもいい方法が、絶対にある筈だ」

唇を、血が出そうなほど噛みしめながら頷く。

これほど悔しく、悲しい思いは。

ひょっとして、お母さんが死んだとき以来かも知れない。

死ぬ事を何とも思っていないフーコが痛々しすぎる。法則が違う世界だからと言って、こんな事許されて良い筈が無い。

絶対に何とかする。

決意を、スールは固めていた。

 

(続)