凍てついた世界の風景

 

序、終焉の形の一つ

 

わたしフィリス=ミストルートは知っている。

人間四種族は、この世界に「救い入れられた」事を。

そしてその中でもヒト族は

そう。

今いるこの不思議な絵画の世界。

「氷晶の輝窟」のように。

世界を凍り漬けにして、終わらせてしまったと言うことを。

パルミラが生まれ。

世界が意思を持ち。

そしてその前後の出来事である。

色々と細かい情報を仕入れていく過程で知ったのだが、簡単に言うとヒト族の欲がそれを招いたらしい。

自分だけは豊かな生活をしたい。

自分のものを他人に渡したくない。

やがて身勝手なエゴは暴走を開始し。

世界レベルでヒト族は己の住む土地を蝕み。

世界を滅ぼす兵器を互いにたたき込みあった。

それは世界を熱で焼き尽くし。

あらゆる資源を使い物にならないようにし。

そして噴き上げた粉塵が。

世界の全てを氷漬けに。

そうでないものも、兵器の毒が汚染し尽くして。もはやどうにもならない状態にしてしまった。

自分の手に入らないなら。

焼き尽くしてしまえ。

その過程で死ぬ者などどうでもいい。自分さえ良ければどうでもいいのだ。

そんな風にヒト族が考えていたから。

世界が一つ死んだ。

笑えない話だった。

そしてそんなヒト族にさえパルミラは手をさしのべた。

そいつらの子孫であるという事を思うと、わたしはあまり良い気分はしない。事実現在でも、ヒト族はもっとも匪賊に落ちやすく。もっとも身勝手で。もっとも野心で周囲を踏みにじる事を平然とやらかす。

数だけは増えるから。

人間四種族の中でもっとも平均的でも。もっとも存在感を放っている。

ただ増える。

それだけの理由で。

平均的なヒト族は。

錬金術師がたまに誕生するという事を抜きでも。

この過酷な世界でのさばっている。

結局の所、パルミラがやるべきだったのは。

このヒト族という生物に、もっと根本的な改良を加える事、だったのではないかとわたしは思うのだが。

勿論試してはいるだろう。

9兆回。

世界を施行した存在だ。

人間が思いつく程度の事は、全てやっている。

それならば、もう何も言うことは無い。

それだけやってもどうにもならなかったカス生物が人間で。

わたしはイルちゃんやリア姉、ツヴァイちゃん。お父さんやお母さんのためにも。この世界をどうにかしなければならないのだから。

一緒にこの世界に入った騎士が敬礼してくる。

「作業全て終わりました」

「設置は大丈夫ですか」

「はい。 しかしあのようなものを配置して……大丈夫なのでしょうか」

「……」

苦笑いしか返せない。

ソフィー先生の指示は絶対だ。

前回の戦いで、双子の成長が予想以上だとソフィー先生は判断した。

本来、双子にとって二つ目に本格的に調査することになるこの氷晶の輝窟で、戦う相手はどうと言うことが無い相手の筈だった。

だが、今わたしが配置した装置類によって。

これより此処は地獄と化す。

双子が此処を乗り切れるかどうかは。

もはや分からない。

とはいっても、双子に優しくした周回も。双子に厳しくした周回も。

いずれも全て無駄に終わった。

ならば、ソフィー先生が言うように。

やっていないことを試して行くしか無いのだ。

最近イルちゃんの様子がどんどんおかしくなっている。周回を重ねるごとに苦しみが増しているのが分かる。

前から苦しんでいたのは分かっていた。

だが最近は特に酷い。

ずっとふさぎ込んでいる事が増えたし。

嘆いている事も増えた。

わたしにだけは本音を話してはくれるけれど。

それ以外では、冷酷な仮面を被って、殆ど心を隠してしまっている。

無理もない。

双子の面倒を直接見ているのだから当たり前だろう。

更にこれでも人間でありつづけようとしているんだからなおさらだ。

人間なんて早く止めた方が楽。

ソフィー先生はそう言う。

事実その通りなのだと思う。

わたしはもうある程度、人である事は諦めている。故に多少は気も楽だけれど、それも厳しくなりつつある。

イルちゃんはそれが出来ずにいる。

故に苦しいのだろう。

痛いほどイルちゃんの気持ちは分かる。

そしてそれ以上に。

どうしようもない人間という生物そのものに怒りが湧く。

状況を確認すればするほど、悪いのは人間だ。

そもパルミラに救助されなければ滅びていたし。

時間が経てば勝手に自滅する。

生物として根本からして救いようが無いのだ。

事実どうしようも無いことは、ずっとずっと繰り返す世界の中で見てきた。記憶を正確に繰り越しているのはパルミラを除けばソフィー先生とわたし、イルちゃんだけだけれど。

既に万回繰り返しただけで。

わたしも人間に対する強い不審を嫌と言うほど植え付けられてしまっている。

イルちゃんはそれでも抗おうとしているのだから立派だ。

わたしは、どうにか支えてあげたいけれど。

しかし。

一方で、ソフィー先生が言う事が正しい事も理解出来る。

故に、もうすっかり自分の目が光を失っていることを。深淵に濁りきっていることを理解している上で。

こうして、言われるようにやっていくしかない。

騎士団に退避を指示。

元々この氷の絵画は。

適切な危険度で、錬金術師達のランク制度における試験で活躍してきた。何人もが此処を抜けて、的確な危険度の洞窟で経験を積み。そして一人前の錬金術師になった。まあせいぜい「何人」程度なのだけれど。わたしやイルちゃんは、「繰り返している」のでその見ている回数が違う。

だがそれも此処まで。

古き時代。

ヒト族の先祖が作り出してしまった地獄へ。

此処は変わるのだ。

ついでだ。

双子を守るために、あらゆる手段を採ろうとしているルーシャにも、同じように地獄を味わって貰おう。

勿論わたしも入る。

無意味な事故死は避けなければならないからだ。

双子が周回時、死ぬのは仕方が無い。

だが、それは意義がある死にしなければ。

つぎ込んだリソースの意味がなくなる。

この作戦、裏で数千人もの人間が動いている。

世界のどん詰まりを打破するためにだ。

この世界の人口規模から考えると、とんでも無い人数である。

故に、その作戦が仮に失敗するとしても。

ただで失敗させてはならないのである。

意義ある失敗を。

ただ、そのように考えている時点で。

わたしももう、ヒトとは。勿論人間とも。言えないことは、分かりきっていた。

選択肢はない。

騎士団の退避を見届けると。

設置したものが。

稼働開始するのを確認。

データをとっていく。

勿論事前に確認はしてあるが。

まあ大丈夫だろう。

事実、予定通りに動き始めている。

頷くと、データを取得した後、一度時間を凍結して動きを止める。

此奴は無節操に活動されると困る装置なのだ。

此方の管理できる範囲内で動いて貰わないと困る。

そして、管理できるのだから。

管理する。

それだけである。

いずれにしても、わずかな時間動いただけで。

既にこの不思議な絵画は、もはや半人前錬金術師がのうのうと入れる場所では無くなった。

わたしにはしかけてはこないが。

周囲には、以前の数倍も強くなったレンプライアが這い回り。

極寒の洞窟は、文字通り生命を拒む場所と化している。

そして最深部には。

準備してきた。

アレが首をもたげていた。

これでいい。

此処を抜けられないようなら。いずれにしても双子は、ファルギオルの攻撃に耐えられっこないのだから。

絵画をでると、指示を出し。

以降この不思議な絵画を、双子の試験以外では使用禁止とする。あくまで一時的な処置ではあるが。

外では、イルちゃんが待っていて。

いざという時の処置を、既に済ませていた。

レンプライアが不思議な絵画から逃げ出した場合。

このアダレット王城を直接汚染することになる。

現在施されている結界など何の役にも立たない。

イルちゃんが処置をしておかないと。

文字通り周囲は地獄と化すのである。

「準備終わったようね。 此方も終わったわ」

「うん。 イルちゃん、大丈夫?」

「いいえ。 さあ、一度戻りましょう。 双子がそろそろスクロールを受け取っている頃でしょうし」

「そうだったね」

歩きながら話す。

今回から、わたしが双子に同行する。

ただし、監視役兼試験官として、である。

戦闘には参加しない。

わたしが参加してしまうと。

文字通り何のためにもならないからである。

ましてや双子はわたしの戦闘能力を既に見ている。頼られるようだと困る。あげくわたしの力を前提に動かれるようだともっと困る。

元々がいい加減な性格なのだ。

手抜きをこんな早い段階で覚えられると。

後に悪影響を及ぼす。

「スーちゃんはどう? 様子がおかしいけど」

「今までに無い速度で病んでいる、としかいいようがないわね。 それに、リディーも壊れはじめて来たわ」

「ああ、そうだろうね……」

「いずれにしても、まずはファルギオルを越えられないと話にもならないわ。 人間関係の修復はその後ね」

冷酷な話をしていることは分かる。

ずっと一緒に生きてきた双子を。

引き裂くも同じなのだから。

そも双子は、錬金術などしない方が、幸せな人生を送れたはずである。

錬金術は文字通り魔の学問。

力には。

代償が伴う。

深淵を覗けば。

深淵には覗き返される。

力を欲すれば欲するほど。

深淵に深く深くもぐることになる。

そう、ソフィー先生のように。

彼処まで深遠の深奥に到達してしまうと、もはやどうにもならない。

だが、双子まで、あのような状態にはしたくない。

皮肉な話だ。

知識というものは、力そのものであり。

そして深淵そのものだ。

何かを為すための力は。

そのまま何かの心を壊してもいく。

更に言えば、ソフィー先生が為そうとしているのは。

世界征服でもなければ、人類の抹殺でも。己に都合が良い世界の創設でもない。

この完全に詰んでしまっている世界の打開。

つまり、未来を切り開くための作業なのだから。

深淵というのも生やさしい恐ろしい存在と化している今のソフィー先生でも、それに変わりはない。

だからこそ。

救われないのだ。

イルちゃんのアトリエに入ると。

アリスさんが茶を出してくれた。

温まるために、という名目だが。

実のところ、絶対零度の空間に行った所で、今更何ともならない。

温まるという行為自体が必要ない。

その気になれば、数百年絶食しても平気な状態である。

絶対零度や、数万度の熱量くらい、それこそ何でも無い。

ソフィー先生ほどではないにしても。

わたしも大概人間は止めてしまっているのだから。

それでも有り難く茶はいただく。

記号的にしか味は分からないが。

それでも心はこもっているのが分かる。

それだけしか分からないが。

「んー、おいしいね。 わたしに唯一残った人間らしい趣味が、食事だって話だから、おかしなものだよね」

「旅行は?」

「ははは、何を。 もうこの世界なんて、隅から隅まで歩き尽くしちゃったよ」

「そうだったわね……」

わたしは。

自分が壊れるのを自覚していくうちに。

ストレスを少しでも解消するため、世界中のありとあらゆる場所を、何度も周回しながら回った。

そしてこの世界は、全て踏破してしまった。

文字通りの意味で、である。

もう行くところが無いから、自分で不思議な絵画を描いて。

その中に入って遊んだりもした。

もはやそれすら飽きてしまったが。

今では、たくさん食べて、人間らしいフリをすること。

それがわたしの、唯一の趣味になってしまっていた。

イルちゃんの場合は、それがぬいぐるみ集めだが。

わたしほどの執着がない所を見ると。

多分元々、イルちゃんはわたしに比べて欲や希望が薄かったのだろう。

コルネリアさんが来る。

イルちゃんにレポートを渡すので、受け取って二人で確認。

双子がコルネリアさんの所で買っていったもののリスト。これにリア姉のお店の分も含める。

そうすると、二人が錬金術をどれくらいしているか、大体分かる。

頷くと、コルネリアさんは戻っていく。

彼女を父親に会わせてあげる事も、このしばらく後に行ってはいる。

毎回の周回で、記憶を持ち越していないので。

毎回涙を流して喜んではいるが。

もう飽きた。

ソフィー先生が、わたしが公認錬金術師試験に受かったとき。おぞましい程の冷酷さで言い放った言葉だが。

今はわたしがそれを口にできるようになってしまっている。

もうわたしはあらゆる意味で。

ソフィー先生と同じ側の存在だ。

「フィリス」

イルちゃんが、わたしの服の袖を掴んでいる。

震えているのが分かった。

口を引き結んでいる。

ぐっと。

唇を噛み切って、血を出しそうな程に。

「お願い。 双子を、お願い」

「……イルちゃん」

「分かってる。 私はこのままだと壊れるかも知れない。 ヒトであり続けているから、余計にそれがまずい。 あんたは私よりヒトを捨ててる。 だからそうやってへらへらできているのも分かってる。 でも、だからこそ頼むわよ。 あの子達の側にいるというのなら、お願い。 壊さないで。 少なくとも、できる事は、あんたもしてあげて」

「分かってる。 イルちゃんは、わたしにとって、お父さんとお母さん、リア姉、ツヴァイちゃんと、もう一人の家族だよ」

震えているイルちゃんの手。

哀しみ。怒り。慟哭。嘆き。あらゆる感情が交じり合ったその手を優しく握り返すと。

わたしは、イルちゃんのアトリエをでる。

まだヒトであろうとしている。

わたしの大事な比翼のアトリエを。

 

1、牙を剥く冷厳

 

この間の試験で。

最後に試験の合格を告げられて、驚いていたリディー。だけれど、スールは実のところ、それほど驚いていなかった。

あの試験が、想定外のトラブルだらけだったのは。

確実だったからだ。

本来騎士団の演習を手伝う、くらいの内容だった筈なのに。

ネームドに二度も襲われ。

下手をすれば、部隊が壊滅していてもおかしくなかった。

それなのに、途中からあからさまに実力がおかしい錬金術師が救援に来る。

それを前提としているとしか思えない状況が続く。

試験官はそれを知らされていなかった可能性が高い。

キホーティスといったか。

あのおじさんも、道化だったというわけだ。

スールと同じように。

暗い笑いが浮かんでくる。

何かにもてあそばれている。

そう、勘でわかり始めているのだけれど。

ほぼ確実と見て良いだろう。

もてあそんでいる何者かは、あまりにも強大すぎて、逆らう事さえ許されない。もし逆らおうとしたら、即座に殺される。

それくらいの強大な存在で。

多分アダレットが総力を挙げても逆らう事は無理だ。

あのフィリスという人一人でさえ、多分単独でアダレットを焼き払う事くらい、容易に成し遂げるはず。

それより黒幕だと思われる存在は高位にいること確実で。

つまり、である。

リディーもスールも。

逆らう事なんて、出来る筈も無いのだ。

何をさせられるんだろう。

何かのエサにされるんだろうか。

それとも。

ぼんやりベッドで横になっていると。

いつの間にか朝になっていた。

裏庭でうねうね動いて体をほぐすと、

リディーが起きだしてきたのを横目に、簡単な調合の復習に入る。

レンプライアの欠片を使った切り札。名付けるならバトルミックスを使う許可は、まだイル師匠に貰っていない。

これも何か作為的なものを感じる。

この間の試験。

もしもバトルミックスを使っていたら。

それこそ、一発で免停まであったのではないのだろうか。

そんな気さえするのだ。

追い込んでおいて。

きちんと教えた事を守りながら。

それでいながら生き残れるか。

そんな事を試されている気がする。

不愉快だけれど。

逆らう事さえも許されない。

「スーちゃん、朝ご飯できたよ」

「うん」

「今日はスクランブルエッグだよ」

「ありがとう」

別にリディーに噛みついても仕方が無い。

だから、朝ご飯は普通に食べる。喧嘩をしているわけでも無い。リディーは心配して話しかけてくるけれど。

ただ、掌の上で踊らされているのを理解出来ているから。

腹立たしいだけだ。

逆らう事さえ許されないのが、余計に腹立たしい。

それ以上でも以下でもない。

そして頭が良いくせに。

それに気付いてもいないリディーにも、余計に腹が立つ。

「多分今日か明日だね、試験の結果が正式に来るの」

「レポートは出したから、待つだけだね」

「うん!」

リディーは嬉しそうだが。

気が知れない。

あの試験内容、明らかにおかしかった。

今後はスールの予想では、更に試験内容は加速度的に過酷になっていくはずだ。それも、確実に此方を殺すつもりで。

何が目的なのかは分からない。

だって、リディーとスールを殺す気なら。

アリスさんがその気になれば。多分二人は瞬きする間に死んでいる。

死体の処理だって簡単だろう。

匪賊の死体をそうしたように。

何も残さず処分する事だって簡単なはずだ。

この状況を作り出している誰かは。

何を目的としているのか。

遊んでいるのか。

それだったら、まだ反撃のチャンスがあるかも知れない。

だが、そんなのとは全然違う、もっともの凄くタチが悪い目的があるのであったら。

それは恐らく。

逆らうとか、そういう話ではなくなってくるはずだ。

「調合してるね」

「うん。 私は見聞院で本借りて来る」

「勉強?」

「そうだよ」

この間の演習で遭遇した二体のネームドについても、情報提供すれば、小遣い稼ぎにはなるのだ。

また、戦闘のどさくさでかなり失ったが。

あの演習で得た素材も。

活用方法が分かるかも知れない。

そう嬉しそうに言うリディーは真面目極まりない。

頭も良いのに。

しかしスールとは違う方向でバカだなと思う。

悪い意味で疑う事を知らないのだ。

スールが闇ならリディーは光だ。

ものの表面しか見ていない。

双子だから、それでいいと思うのだけれども。

だが、今後、それが原因で悲劇が起きるとしか思えないのである。

うきうきの様子で見聞院に出かけていくリディーを見送ると、黙々と釜を掻き回す。発破もお薬も補充しなければならない。腕も上げなければならない。

漠然と作るのでは無く。

作ったものは全て記録して。

何処が駄目だったのか。

どうすればよりよくなるのか。

全てチェックしていく。

そうしなければ、上手くなんかならないのだ。

スールは元々どれだけ練習しても、ちょっとだけしか実践していないリディーにさえ勝てない程度の腕前である。

リディーが遊んでいる間にも。

少しでも練習を重ねなければならないのだ。

しばし調合を続けていると。

いつの間にか、側で誰かが笑顔で見ていた。

びくりと身を震わせ。手を止めるが。

その一人がそっと手を添えると、調合を再開する。

「筋は良いね。 もう少し、此処はこうやって力を込めてみてね」

「は、はい。 だ、誰……」

「おや、二回も命を助けたのに、もう忘れちゃった?」

「!!」

思わず跳び上がりそうになるが。

しかし、とにかく心臓が飛び出しそうになるのを必死に堪えて、調合を続け。そして薬を仕上げる。

ほんのちょっと、側で手を入れられただけなのに。

今まで作ったのとは別物としか思えない出来だった。

へたり込んで、恐怖のまま見上げる。

凄まじい手際で、ネームドを殆ど一方的に殺戮していた恐怖の錬金術師。そう、こう呼ばれていた。

破壊神フィリス=ミストルート。

今アダレットに来ている最強の錬金術師三人の一人で。

通称三傑の一角。

そうだ、見覚えがある。

若干小柄だけれど。メリハリが利いている体型で。

優しそうな笑顔と裏腹に。

スールには分かる。

この人は。

何か、とんでもない闇を抱えている。今のスールなんて、比べものにならないほどの。

「スーちゃん、お菓子買って……あれ? お客……さん?」

「お久しぶりだねリディーちゃん」

「あ、この間助けてくれた、ええとフィリスさん!」

「うん。 扉が開いてたから入っちゃった」

嘘だ。

リディーが扉の鍵を掛けずに出るわけが無い。

鍵なんて、この人の前には無いのも同じなんだ。

それを悟ったスールは、腰が抜けたまま。今、目の前にいる文字通りの破壊神を見上げるしかなかった。

優しいように見える笑顔が。

破壊神が、己の所行を楽しんでいるそれにしか見えない。

呼吸を整え、生唾を飲み込むので精一杯。

漏らしかねなかった。

「良いアトリエだねー。 んー、見たところ二人と、もう一人たまに帰ってくる人がいるのかな」

「すごい、そんなのも分かるんですね」

「うふふ、これでも旅のスペシャリストだからね。 この間健闘していた錬金術師達がどんなかなって思って、様子を見に来たんだよ。 この様子なら、まあ二人暮らしでも大丈夫かなー」

彼方此方を見ているフィリスだが。

絶対におかしい。

スールは冷静に見抜く。

此処を知っているとしか思えない動きだ。

此処に何度も侵入されていたのか。

それとも。

違う理由なのか。

不意に手をとって、立たされる。

フィリスは凄まじい力で。スールを立たせるのも、とても簡単にやってのけた。この人の腕力、下手をすると城壁くらい素手で砕くのではあるまいか。

そういえば、腰にぶら下げている小さなつるはしが怖い。

今はキャップがついてはいるが。

それはそれで。

この小さなつるはしが。

多数の血を吸ってきた、恐ろしい武器にしか、スールには思えなかった。

リディーがお茶とお菓子を出して、歓待を始めているけれど。

スールはとてもではないが、作り笑顔以上のものは作れなかった。

どうして気づけない。

リディーの絶望的な鈍さに怒りさえ感じる。

目の前にいるのは、あのネームド二体をゴミクズのように蹂躙した、怪物を越える怪物だ。

多分その気になれば、騎士団ごとアダレット王都を瞬く間に焼き払ってのけるはず。

どうして、気づけない。

いつの間に、フィリスのアトリエに案内して貰うと言う話になっていて。

リディーはきゃっきゃっと喜んでいた。

もうスールは。

生きた心地がしなかった。

そして、城門近くに連れてこられる。

そうだ。

ハンカチのように畳まれていたはずなのに。いつの間にかできていたテント。中に入ってと言われて。

入ってみると。

あからさまにおかしな空間が拡がっている。

民家三つ分くらいはある広さ。

中には快適な空間が拡がっていて。どう考えても、あり得るものではなかった。

一人ホムがいて、てきぱきと仕事をしている。

無言のまま挨拶されたので、挨拶を返すけれど。

一瞬だけ視線が交錯したとき。

此方を鋭く観察する目に、スールは気付いていた。

あの子、見かけ通りのホムじゃない。

多分アンパサンドさん同様、相当な戦闘経験者だ。

「今の方は」

「ああ、わたしの血がつながらない妹のツヴァイちゃん。 前に色々あって、わたしの妹になったんだ」

「そう、ですか」

「今は大事な家族だよー」

こう言うときは聞かないのがマナーだ。

リディーもそれは分かっているようで、後は適当にアトリエを見せてもらって、そして帰ることにする。

実は、次の試験の際。

試験官として同道してくれる、と言う事を言っていた。

背筋が凍るかと思った。

多分あの人。

監視役なんて生やさしいものじゃない。

何か目的があって、側で見張るつもりだ。

場合によってはその場で殺される。

リディーは、それを理解出来ていない。

「ネームドを瞬く間にやっつけたほどの人だよ! 頼りになるね!」

「……うん」

「スーちゃん?」

「リディーさ、バカ?」

帰路で。

ずばり口にしてしまう。

流石にリディーも唖然としたようだった。

「ちょっと、何か文句があるなら言ってよ! 言ってくれないと分からないよ!」

「文句も何も、本気であの人が善意で助けてくれてるって思ってる?」

「え……」

「あの人、すっごい怖い目してたの気付かなかった? イル師匠のは厳しい目だけれど、あの人の目、荒野の獣を更に獲物として狙うような目だったよ。 どうしてそういうの、気付けないかな」

ようやく分かったのか。

硬直しているリディーに、冷たく言う。

「何か動いてるんだよ、私達の側で」

「何かって……私達、ただの半人前の錬金術師だよ」

「それにしてはおかしいよ。 だってイル師匠みたいな人が、本来時間なんて割いてくれる筈無いでしょ」

「そ、それは……」

気付いていなかったのか。

あの人、本来なら存在そのものが国宝以上だ。

国宝級のハルモニウムをポンポン鋳造し。

それを使った道具を作り出す。

文字通りの超越存在である。

そして、あのフィリスという人。

もし三傑という言葉通りだとしたら。

更に気になる事がある。

前の演習で、マティアスが言いかけていたこと。

思い出した。

フィリスという人は、騎士団から滅茶苦茶に評判が良い。それはそうだろう。あの暴力的な戦闘力で、獣狩りをしてくれるなら。命がけで騎士団が戦っていた相手が、みるみる荒野から削られて行っているのだろうから。

だが、マティアスは言ったのだ。

本当にヤバイのは。

三傑最後の一人。

もう一人の三傑がイル師匠だとすると。

最後の一人。

誰だか分からないけれど、最大限の警戒を払う必要がある。

そして今、スールは確信したけれど。

あの人、フィリスも相当に危険だ。

実力もそうだが。

やっぱり間近で見て確認したが、明るく振る舞っている表の顔の裏に、何かとんでも無いものがある。

そしてフィリスでそうなのなら。

残る一人は。

背筋が凍りそうになる。リディーは、完全に青ざめていた。そろそろ自覚して貰わないといけない。

リディーが、どれだけ危険な所に足を突っ込んでいるかを。

でも、もし気付いているとばれたら。

その時点で殺されるのではあるまいか。

呼吸を整える。

多分、それについては。もうばれてしまっている。最悪の場合は、覚悟を決めるしか無い。

勿論逃げる事なんて無理だ。

今の時点では、アリスさんが「殺そう」と思うだけで、リディーもスールもひとたまりもなく殺される。

逃げる事なんて、できっこない。

アトリエに、死人のような顔色のリディーと一緒に戻る。

そして、其処では。

マティアスが待っていた。

「よう、どうしたリディーにスー」

「フィリスさんのアトリエに、お呼ばれしていて……」

「そっか。 凄い人だし、頼りにするんだな」

「うん……」

小首をかしげながらも。

マティアスがスクロールを渡してくる。

そう。

試験二つ目が記載されているスクロールである。

アトリエに入ると。

開いて、中を確認する。

やはり内容は。

不思議な絵画の調査だった。

「不思議な絵画、氷晶の輝窟」の調査。

それが第二試験の内容だった。

ざわめきの森同様、護衛についてはいつもの面子に加え、傭兵を連れて来ても良いと言う話である。

更にベテランが同行する。

ルーシャだろうなと思ったけれど。

マティアスが、何気なしに言う。

「今回はフィリスさんが来てくれるらしいぜ」

ああ、そうか。

騎士団も公認の事実ということか。

死んだな。

スールは、自分の命がもうすぐ尽きる事を悟った。多分もう、近いうちに死ぬような目にあうと言うことだ。

青ざめているリディーと。

完全に乾いた笑いが止まらなくなったスールを残して。

マティアスは帰って行く。

終わった。

何もかも。

もう頼れる人もいない。

イル師匠も、多分この件には噛んでいる。

もう、覚悟して、死を受け入れるしかない。スクロールを見ると、三日後に試験を行うとある。

今回も一発クリアでなくても良いだろうけれども。

それでも、もはや命運は尽きたとみるべきだろう。

リディーが泣き始める。

スールは、無言のまま、イル師匠のアトリエに向かう。

せめてバトルミックスの許可が欲しい。

最後くらい。

抗いたいから。

それが理由だった。

そして勿論。バトルミックスの使用許可は下りなかった。

 

2、ヒトの結末

 

アダレット王城の地下エントランスに集合。アンパサンドさんもマティアスも既に来ていて。

そしてルーシャとオイフェさん。

更にフィリスさんと呼ぶべきか。

三傑の二人目。

一瞬にしてネームドを倒す超絶の英傑が。

其処で弓を背負って、にこにこと笑顔を浮かべ立っていた。

リディーとスール、それにフィンブルさん。

これで中に入る面子は揃ったか。

その後、マティアスに案内される。

案内されながら、説明を受けた。

「氷晶の輝窟」って言われている絵は、元々どこだかの遺跡から発掘されたものらしい。描いた作者は不明。アダレット王家に所蔵されてはいたが、どうも暗い噂のある絵らしいのだ。

確認すると。

その絵は、寒々しい洞窟を描いた絵だった。

全体が凍り付いてしまっている。

此処まで寒い場所が他にあるのだろうか。

「うわー、懐かしいなあ。 人工太陽作った山思い出すよ」

「へえっ!? じ、人工太陽!?」

「ええとね、太陽の役割を擬似的に果たす熱空間だけどね。 インフラが雪に閉ざされて死んでたから、暖かい空間を作り出して、其処に道を……」

「う、嘘……」

絶句しているルーシャ。

リディーとスールより格上の錬金術師が絶句するような行為を。

それこそ「楽しい思い出」感覚でやってしまうと言うことか。

そして、ルーシャの反応からも。

それがあまりにもあり得なさすぎる事だと言う事は良く分かった。

「ほ、本当に人間ですの……? 三傑の一角とは聞いていますけれど」

「うふふ、どうだろうねー」

「……」

真っ青になっているルーシャをからかうように。

いつの間にかルーシャの後ろに回った(まったく動きが見えなかった)フィリスさんは、背中をなで上げる。

「うん、凄く教育を受けている体だね。 背筋ぴったり、格好もちゃんとしてる。 うーん、骨格とか骨とか内臓とか見てみたいなあ」

「ご、ごごごご、ご冗談をっ!?」

「凄く上等な絹服。 でも此処はベルベティスでもいいかな。 色々着せてあそんでみたいなあ」

いきなりスカートをめくり出すフィリスさん。ひいっと本気で怖がって悲鳴を上げるルーシャ。

色々自由すぎる。

マティアスが嬉しそうに目を細めていたが、即座に踵落としが入り、床で悶絶する。

踵を入れたのは、アンパサンドさんだった。

「今の事は報告書に書いておくのです」

「ひっ! やめてマジでやめて! 姉貴の仕置きがどれだけ怖いかアン知らないだろ!」

「知っているから書くのです」

「ぎゃああああああ」

頭を抱えるマティアス。

咳払いしたのは。

フィンブル兄だった。

「そろそろ、周囲を警戒した方がいいのでは」

「……」

嘆息するアンパサンドさん。

オイフェさんは最初から周囲を警戒していたけれど。それにしても、主人が色々陵辱されているのに、助けようともしていなかった。

ルーシャがもうお嫁に行けないとか呟いているので。

こういう所は自分より線が細いなあと笑ってしまう。

ヴォルテール家は、アダレットに尽くした数少ない錬金術の家だ。

冬の時代と呼ばれるほど、錬金術師が迫害された時代もあったらしいけれど。

そういう時代にさえ。

錬金術師が一人もいなくなったらどうなるか。

その事を想像できない阿呆はいなかった。

だからヴォルテール家は、冬の時代にさえ大事にされ。

今も脈々とつながっている。

それは逆にとても過保護にされていた、と言う事も意味するのだろう。

ルーシャについては、もう馬鹿にしていない。

尊敬さえしている。

格上の錬金術師で。

本当に苦しいときには、裏から支援までしてくれていた。

謝る機会を早く見つけないととさえ思っている。

それなのに、それ一つできない自分が情けなくて仕方が無い。

ともかくだ。

ぱんぱんと、手を叩くフィリスさん。

「前も言ったけれど、わたしは監督だから、戦わないからね。 勿論攻撃が飛んできたら自衛するけれど、基本的に他の皆で身を守ることは考えてね」

「はい、分かりました」

「分かりましたあ」

「指揮は今回も貴方たちが執りなさい」

ルーシャが少し突き放すように言う。

何でもDランクの試験で手こずっているとかで、このままだと追いつかれるかもしれないと、この間ぼやいていた。

勿論そう簡単には行かない事は、スール自身が一番よく分かっている。Fランクの通常任務だけでさえひいひい言っているのだ。

この昇格試験だって。

少し早すぎるのでは無いかと思っているくらいである。

ルーシャの方が錬金術師としてずっと格上。

その考えには、今も変わりは無い。

だが、ルーシャはどうなのだろう。

他人の考えは。

分からない。

或いは、まったく別の事を考えているのかも知れない。

それにしても。

凄まじい寒さだ。

声は白く凍るし。

冬の一番寒い時期よりもきつい。

空気そのものが、一気に吸い込むとおかしくなりそうなほど冷たいし。

それになんだろう。

どうしてここ、明るいんだろう。

洞窟の中のように思えるんだけれど。

周囲は明るくて、特にカンテラの類は必要なさそうである。

此処が不思議な絵画の世界だから、だろうか。

いや、そんな安直な理由ではないような気がする。

「スーちゃん、見て」

「!」

洞窟の上の方。

何か灯りを発している。

天井が高い洞窟だけれども。

そういえば妙だ。

洞窟らしい曲がりくねった構造も見当たらないし。

凍っている場所は兎も角。

全体的に丸くなく、四角い場所が目立つ。角っこなどに至っては、何かの金属素材かと思うほど、鋭角に尖っている。

何だ此処は。

警戒しながら、進む。

咳き込んだのはリディーである。

寒すぎて、どうも上手く動けないらしい。意識が飛ぶ前に、一度寒さ対策をした方が良いかも知れない。

一度ハンドサインを出して。

全員外に出る。

まだ戦っていないが。

これは、戦うどころではないと判断した。一度絵の外に出る。絵の外に出る方法は、ざわめきの森や。

アトリエの地下にある、お父さんが描いた絵と同じだった。

「まだ敵の姿も見ていませんのよ」

「いや、もし戦ったら死人でると思う」

「うん。 ちょっと準備くらいはしないと……」

「確かに寒すぎる」

毛皮のフィンブル兄がそういうくらいである。

意外に平気そうな顔をしているのはマティアスである。

鎧なんてきんきんに冷えそうなのに。

聞いてみると、やっぱり特殊な加工がしてある鎧らしくて。

ずるいと、内心で思ってしまった。

「ごめんなさい、一刻くらい待ってください。 ちょっと防寒具をアトリエから持ってきます」

「いってらっしゃーい」

楽しそうに手をヒラヒラ振るフィリスさん。

そういえばこの人も、ミニスカで平然としている。

多分服が違うのだろう。

ルーシャも平気そうだし。

ある程度の備えはしている、ということか。

ずるいとは思うけれど。

多分これは。

あの絵に入る錬金術師、皆が入る道だ。

その証拠に、アンパサンドさんは何も文句を言わなかった。

もしも此方に不備があったのなら。

何か文句を必ず言ったはずである。

ともかく、マフラーとかセーターとか、防寒具を取りだしてくる。

フィンブル兄と、リディーとスールの分だけで良いだろう。

他の人は、誰一人として寒そうにしていなかった。

知っているから。

対策していたのだ。

ただ、これも試験の一環だろうし。

こればかりは仕方が無いとも思う。

すぐにエントランスに戻り、防寒具を着込む。フィンブル兄にも渡す。お父さんのお古だけれど、それほど窮屈そうでは無かった。お父さんはそれなりに背が高いので、伸びさえすれば大丈夫なのだ。

「うむ、多少はこれでマシになるか……」

「ごめんね、フィンブル兄、待たせて」

「無理に突っ込んで怪我をするよりはなんぼもマシだ。 それにこれでは、初見殺しも良い所だし、仕方が無い」

リディーもスールも防寒対策はしたが。

あの凍えるような空気。

これだけで足りるかどうか。

中に入ってから。

何か色々と、対策はしなければならない。

もう一度、絵に入る。

先ほども観察したが。

やはり自然の洞窟にしてはあらゆる意味でおかしすぎる。ちらっと動くものが目に入ったが。

間違いない。

レンプライアだ。

即座に戦闘態勢に入る。

幸い一匹だけだけれど。

あの翼が生えた鎧のような奴。

つまり近付くだけで切り刻まれる奴だ。

即座にルフトを放り投げて起爆。

動きを止めたところに、ルーシャが光弾を放って貫く。それでも、レンプライアは動いていたが。

もう1丁、ピンポイントフレアつきのフラムを放り込んでやり。

灼熱の劫火に包むと、流石にバラバラになって砕け散った。

落ちてきた死骸を調べて、欠片を見るが。

純度が、ざわめきの森のとは段違いだ。

ずっと濃い。

ぬらぬらと動いているようで。

何だか、瓶に入れておかないと、不安になりそうだ。

見ているだけで、心が何かおかしな方向に引っ張られそうと言うか。

あまり良い気分がしない。

有り体に言うと、怖い。

壁を見ると。

すごく大きなトカゲが、かさかさと這っていた。

大きいと言っても、人間を脅かすほどのものではない。

でも、随分大きい気がする。

此方のことは気にもしていないようで。

さっと物陰に隠れてしまう。

興味津々の様子で、目を細め、手をかざして彼方此方を見ているフィリスさんだけは楽しそうだけれど。

他の皆は、この異様な光景に、沈黙するばかりだった。

移動を開始する。

彼方此方につららが見える。

それも鋭く尖っていて。

転んで刺さりでもしたらと思うと、ぞっとしない。

壁に妙なものを見つけた。

何かの機械だろうか。

見た事も無い文字が書かれている。少なくとも統一言語では無い。ひょいとフィリスさんが覗いてくるが。

びっくりするスールを完無視。

むしろ、嬉しそうにメモをとっていた。

「カルドさんに後で見せてあげようっと」

「カルドさん?」

「研究が得意な人なんだよ。 標の民って言ってね。 今では先生してるんだ」

昔の戦友らしい。

なるほど、友達のために、そういうものを集めていると言うことか。

ただ、不思議な絵の中の文字なんて、喜ぶのだろうか。

それはちょっと、スールには分からなかった。

道が狭くなってくる。

先行していたアンパサンドさんが、警戒のハンドサイン。

壁に貼り付いて、向こうを伺う。

レンプライアだ。

球体の奴が二匹。

確か、たまに姿を見せる、一番弱い奴だが。

あれでも確か、ブレスを吐いたり、わけがわからない超短時間詠唱からの広域攻撃をぶっ放したりしてくる。

危険であることに変わりは無い。

頷くと。周囲に廻り。

一斉攻撃を仕掛ける。

まずフラムで爆破して。

生き延びているなら、周囲から一斉攻撃、だが。

フラムで二体とも、平然としていた。

とんでもないタフさだ。

ピンポイントフレアが直撃したのに。

マティアスが、リディーの支援を受けて一閃するが、剣撃が途中で止まるほどである。

堅い。

ブレスを吐こうとした一体を、頭上からアンパサンドさんが蹴りを叩き込み。動きを止めて、注意を惹く。

更にもう一体に、フィンブルさんとマティアスが連続して斬撃と刺突を叩き込むが。

斬られてもまるで平然と動き回っている。

ルーシャの光弾も殆ど効果がない。

まずい。

こんなにレンプライアが強くなるのか。

至近に飛び込むと。

蹴りを叩き込み、わずかに揺らがせ。

傷口にルフトを突っ込む。

飛び退いて。爆破。

内側から吹っ飛んだ球体レンプライアだが。

それでもまだぴくぴくと動いている。

残り一匹に皆で攻撃を集中するが。

倒すまで、たっぷり四半刻掛かってしまった。

肩で息をつきながら、まだ動いている肉片を踏みつぶして、ぐりぐりとやるが。それでもまだ動いている。

どれだけタフなんだ。

フィリスさんはというと、戦闘の途中で飛んできた攻撃を、あろうことか素手で弾き。弾いた攻撃は傷の一つもつけられなかった。

火力も人外だが。

守りも同じと言う事か。

正直ぞっとするが。

ただ、敵に回らないだけでも、今は良いとするべきだろう。

辺りの素材も回収する。

確かコレ。

ハクレイ石。

リディーと一緒に図鑑で見た。

強烈な冷気を発する爆弾の材料になるものだ。上手く使えば、レヘルンと呼ばれる氷結爆弾を作れるかも知れない。

ただ、無造作に辺りに散らばっているのが気になる。

この洞窟。

何だか人工物の雰囲気があるのに。

どうして資源を放置しておくのだろう。

狭い所を抜ける。

天井が抜けている場所があったが。

あっと、思わず声が出てしまう。

真っ白だ。

凄まじい音と共に、風が吹き荒れ。

見た事も無い凄い雪が飛んでいる。

何だアレ。

あんな雪、見た事も無い。

おおーと、フィリスさんが嬉しそうに言った。

「こんなに密度の高い雪、見るの久しぶりだなあ」

「れ、例の山、ですか」

「他にも何カ所かで見たことあるけど、滅多に見られないんだよね、ずっしりつもるような雪。 対策できないとそのまま死んじゃうけど、対策できると色々遊べて楽しいんだよ!」

無邪気な子供みたいに言うフィリスさんだけれど。

対策云々の辺りが怖すぎる。

この人には何でも無い事なんだろうけれど。

他の人には絶対違う。

ともかく、周囲を見晴らせる。奇襲も受けづらい。そして天井に穴が開いているにしては、此処は寒くない。

焚き火を熾して。

一旦休む事にする。

うんざりした様子で。

マティアスが、剣の手入れをしていた。

「さっきの手応え、冗談じゃねえよ。 この剣で彼処まで切れないなんて……。 アン、お前はどうだった」

「自分はそれほど苦労は感じなかったのです」

「まあ避けてれば良いもんな」

「ほう?」

マティアスが、冗談と引きつった笑いを浮かべて、視線をそらす。

知っている筈だ。

回避盾が如何に危険で、技術的に高度な戦い方か。

それに、なんだかんだ言って、敵が引きつけられる程度の攻撃はしっかりアンパサンドさんもしている。

この間外で戦ったハサミムシみたいな規格外は仕方が無いにしても。

さっきのレンプライアは、何か戦い方を間違えた気がしてならない。

それにしても、此処は何なんだろう。

そう思ったら、リディーが先に聞いていた。

「フィリスさん、此処って何なんでしょう」

「んー、何だろうね。 でも、この様子だと、そとはずっと全部吹雪なんじゃないのかな」

「えっ……」

「それじゃ生きていけないよね」

笑顔で言うフィリスさんだけれど。

今、とんでも無い事を言わなかったか。

外が、ずっと吹雪。

想像もしたくない世界だ。

確か見聞院の本に書いてあったとかでリディーが教えてくれたけれど。どんなに寒い地域であっても。

短くても、暖かい季節はあるという。

此処にはそれがない。

つまるところ、世界そのものがおかしい、と言う事だろうか。

ともかく、少し休んだ後、更に奥へと進む。

奥へ行けば行くほど、壁は崩れ。空が吹雪いているのが見えるようになりはじめる。天井も、まるまる壊れている場所があった。

そして、見てしまう。

凍っているヒトの死骸だ。人間の中でも、間違いなくヒト族。

いや、格好からして、アダレットの住民や、錬金術師ではない。

この絵の世界の住人、なのだろうか。

あの、ざわめきの森のお化け達のように。

いや、あのお化け達は、番人だった。

だったら、この死骸は。

葬ろうにも、完全に凍ってしまっているし。それどころではない。

中には、折り重なるようにして。

氷の中に閉じ込められてしまっている可哀想な死骸もあった。

子供のものらしきものもある。

妙だな。

小声でフィンブル兄が呟く。

スールも同意だ。

ヒト族の死体しか見当たらない。

見えない壁にぶつかった。

どうやら壁が本来はあったらしい場所が、崩れた様子だ。

吹雪は入ってきていないけれど。

むしろ暖かいほどなのだけれども。

もしもこの吹雪に入ったら。

視界を奪われ。体力は一瞬でなくなり。

秒で死ぬ。

それが一目で分かるほど、ヤバイ場所だった。

また大きなトカゲが、かさかさと歩いて行く。此方は完全に無視している。レンプライアは避けているようだが。それだけだ。

何なんだろう此処。

「スーちゃん」

袖を引かれる。

紙だ。

だけれど、ゼッテルじゃない。

異常なほど白くて、文字も、人間のものとはとても思えなかった。

解読の魔術があると聞いている。

バステトさんがいれば、或いは。

いずれにしても、此処はおかしい。

棚のようなものが林立しているのだけれど、その全てが未知の金属だ。ツィンクに似ているけれど、どうも違うように思う。

雑に散らばっている鉱石。

ハクレイ石だけでなくて、色々なのがたくさんある。

そして、奥の方には、トカゲがたくさんいて。

卵をたくさん守っていた。

近付いても、警戒の声一つ挙げない。

フィリスさんが、無造作に捕まえると、ばたばたはしたけれど。抵抗はしなかった。

「フィリスさん!?」

「ふーん、人間に抵抗しないようになっているみたいだね。 ほら、触っても噛みつかないよ」

「ほんとだ」

スールも、言われたままトカゲを触ってみるが。

確かに抵抗もしない。ちょっと目を閉じるくらいである。

こんなに大きくって、爪も鋭いのに。

トカゲを離してあげると、卵の方に戻っていく。

そのトカゲを蹂躙しようとでもいうように。

奥から現れるレンプライア、それも複数。

どうやら、もう此処では。

ゆっくりはしていられないようだった。

 

3、その箱庭はなんぞや

 

襲ってこない獣なんて初めて見た。

あの大人しいトカゲは、殺そうという気にはとてもなれなかった。

冷たい中にも、不思議な植物は咲いていたし。

たくさんの鉱石もあった。

ハクレイ石は急いでコンテナに入れないと質が落ちそうだったけれど。

見た感じ、珍しいものがたくさんあったので。

結局、寒すぎてこれ以上はまずいと判断した時には。

荷車は一杯になっていた。

以降の調査は次に。

そう決めて、一度戻る事にする。

マティアスは何度もため息をついていた。

「どうしたの?」

「あのたくさんあった死体な。 みんなガリガリに痩せてただろ」

「!」

「あの絵を描いた奴が何を考えたのかは分からない。 何を意図したのかも分からないが、はっきり言って気分が悪りいよ。 俺様だって捨て扶持で貰ってるとは言え、騎士の地位は持ってる。 だからああいう悲惨な死に方をする奴がでないようにするのが役目だってのに……見せつけるように死体をばらまかなくてもいいだろうによ」

フィリスさんは此方を一瞥だけしたが。

次の調査の時にと言い残すと、すぐに帰って行った。

此方も、コンテナに荷物を入れなければならない。

ルーシャも不機嫌そうだった。

フィリスさんに好きかってされたから、かと思ったのだが。

違うと言う。

「あの絵の中に使われていた技術、まったく分かりませんでしたわ」

「それは、不思議な絵だし」

「相変わらず頭がおめでたいのですのね」

「なっ」

流石に其処まで言われると頭に来る。

確かにルーシャの方が格上の錬金術師だけれども。ただ、ルーシャは唇を引き結んでいて。結構真剣に腹を立てているようだった。

だから、腹の虫が怒り出す前に。

感情を抑える事も出来た。

「ありもしない技術を作れば、流石に不思議な絵の中でも再現出来ませんわ。 あの絵の中にあった技術は、何かしら別系統の技術と言うことですのよ。 強いていうならば……機械技術の究極ですわね」

「機械技術って、銃とか印刷とかの」

「そうですわ。 だけれども、あんな異次元に発達した技術、絵の書き手はどうやって……」

はて。

この絵に、ルーシャは入った事がないのか。

聞いてみると、ルーシャは首を横に振った。

「今まで使われていた絵画とは、寒いという点でしか共通点がありませんわ」

「えっ、どういうこと……」

「不思議な絵画の中身が変わる事がある。 或いは、違う座標に移動する事がある。 そういう話は聞いていますけれども、これほど極端な例は……」

首を横に振るルーシャ。

ともかく、アトリエに戻ると。

コンテナに、まずはハクレイ石から詰める。

そして、手分けして動く。

リディーはイル師匠の所に。防寒対策が必要だ。

スールはバステトさんの所に。

解読の魔術が必要だ。

ゼッテルなのかよく分からないたくさんの紙を持って、すぐに教会に出向く。そろそろ夕方だけれど。逆に言えば、このタイミングなら、まず間違いなくいると見て良いだろう。

バステトさんは、魔術を使って、湯を沸かしていた。

当たり前の話で、井戸水を直飲みなんてしたら死ぬ。

子供達が使う水をたくさん確保するためにも。

燃料なんて使わないで。

魔術を使って湯を沸かすことで、コストを節約するのである。

この教会には、たくさんの子供達がいるのだから。

「スールか、どうした」

「バステトさん、その、解読を頼めないかって」

「解読か。 ちょっと待っていろ」

お湯を沸かすと。

力自慢の、魔族の老戦士が、湯桶を持っていく。

戦士として引退した後、教会で働いている元騎士だ。

アダレット王都で見かける魔族は信仰心が強いのだが、その一方でシスターや神父のような、「信仰をリードする」側になりたがらない様子で。

教会で姿を見かけることはあっても。

殆ど教会を運営している姿は見かけない。

これは恐らくだけれど。

ヒト族よりも権力欲が極めて薄く。

信仰を使って人々を縛るようなやり方を好まないのだろう。

信仰によって自分を試すことはしたいと思っても。

或いは、そういう意味では、教会さえ魔族達には必要ないのかも知れない。

何というか、考え方が根本的にヒト族と違うのだ。

獣人族とも。ホムとも。

彼らはとても数が少ないが。

魔族とは、あまり腹を割って話した事がない。

数が少ないという事もあるのだけれど。

元々口数が少なく。

そしてあまり余計な事を喋りたがらない種族だ、というのもあるのだろう。

ホムもある意味とても気むずかしいが。

魔族はそれ以上に偏屈だとも言える。

湯沸かしを何回か行い。必要な分のお湯を確保すると。

腕まくりした猫顔の獣人族、バステトさんが、紙を見てくれる。この人も傭兵崩れらしく、戦場で血を見るのが嫌になって、シスターグレースに誘われて今ではこの教会にいるらしい。

昔は超凄腕の魔術師だったらしいので。

戦場ではさぞや血の雨を降らせたのだろう。

今はその償いをしているのだろうか。

「ふむ、これは日記だな」

「日記ですか」

「ああ。 単語には解読不能なものも多いが、毎日何を食べて、何が起きて……これといった難しい事は書いてはいない。 この紙についてはよく分からないが、何処で手に入れた?」

「錬金術で」

そうか、とバステトさんは紙を返してくれた。

日記、か。

それでは何の役にも立たないだろうか。

だが、バステトさんは気になる事があると、付け加えてくれた。

「日記のその日の最初に、終わりの日から何日が過ぎた、と必ず書いている。 しかも千数百日という単位でな」

「千数百日というと、何年、ということですか」

「そうなる。 その日記を書いた奴は、何年もそれを続けていた、と言う事なんだろう」

「……」

できすぎている。

バカのスールでも分かる。

いくら何でも、絵の中の世界で、そんな作り込まれた設定が生きているか。

あの絵の世界はおかしい。

そのまま、イル師匠の所に出向く。

丁度、リディーが色々と教わっているところだった。氷爆弾であるレヘルンについても、教わっているようだった。

そこで、まず先に日記について説明する。

話をすると、イル師匠は紙を受け取り。

そして嘆息。

「これは機械技術で作った紙よ。 それも超高度な、ね」

ルーシャの言う言葉と一致する。

そして、問題はその後だった。

「そしてこの文字だけれど、見た事があるわね。 統一言語前に使われていた文字よ」

「えっ……そんなのあるんですか」

「遺跡の深奥に、ごくごくたまに見つかることがあるのよ。 これほどたくさんあるのは流石に不思議な絵画、と言う所かしら」

あれ、何だろう。

今、妙な違和感があった。

イル師匠。

ひょっとして、何か嘘をついたか。

ともかく、防寒具について教わる。獣の腕輪をベースに、常時温度保全の魔術を刻み込んで、それでおしまい。

使ってみると、寒くも暑くもない環境が周囲に作り出される。

これは便利だ。

ただ、流石に応急処置。

もしも本格的な耐寒対策をするとなると。気合いを入れた調合が必要になるそうだが。

そして、ついでにスールも来たので、レヘルンの作り方についても教わる。

レヘルンはどちらかというと、極限まで強化した冷気を、周囲全体に吹き付ける、というタイプの爆弾であるらしく。

ハクレイ石を中和剤で変質させ。

それを爆破して周囲に噴出。

辺りを一気に凍らせる、という使い方をするらしい。

なるほど。

熱で焼き尽くすのと。

氷で完全に固まらせるので。

方向性は違うものの。

やる事自体は変わらない、と言う事か。

言われたまま、調合を行う。

散々発破は作ってきたのだ。

素材が変わるだけで、あまり内容は変わらないこともあって。殆ど失敗する事もなく、完済させることはできた。

ただしイル師匠の採点は16点。

いつもとあまり変わらなかったが。

「最初で16点なら充分よ。 これから精進しなさい」

「はい……」

「あれ、スーちゃん?」

「うん。 なんでもない」

イル師匠は或いは、嘘を見破られたことに気付いたかも知れない。

いずれにしても、次の再挑戦は三日後。

次は踏破する。

それと同時に、この違和感について。

突き止めなければならない。

何か、とてつもなく。

嫌な予感がするのだ。

 

準備を丁寧に行い。

必要はないとは思ったけれど、レヘルンも持っていく。作った分は全て。何が効果があるか、分からないからだ。

エントランスで皆と待ち合わせて。

不思議な絵画に入る。

丁度エントランスに入るとき、以前見かけた嫌みな程のイケメン錬金術師を見た。向こうは帰りのようだった。

パイモンさんも一緒にいたが。

パイモンさんは、あまり機嫌が良く無さそうだった。

あの二人、或いは。

ムシがあわないのだろうか。

まあ、あるのかも知れない。実直の極みみたいなパイモンさんと、派手極まりないあのイケメンだと、それはムシがあわなくても仕方が無い。

ともあれ、不思議な絵画に入るが。

やはり、少々のレンプライアが湧いている。

それも、ざわめきの森の個体より遙かに強い。

順番に片付けながら進むが。

氷漬けの死体。

時々見かける敵意を持たないトカゲ。

そして、彼方此方破れている壁や天井。

凍り付いた風。

吹雪。

それはまったく変わることがなかった。

前と違って、多少歩きやすくなったこともある。体力の消耗も抑えられるようになったので、彼方此方を丁寧に見て回る。

そうしていくと。

だんだん分かってくる事がある。

天井が破れている、最初の休憩地点。其処で、アンパサンドさんと話す。

「これ、建物だよね」

「恐らくはそうだと思いますが」

「階段とか無いね」

「……そういえば」

これだけ巨大な建物だ。

横に広いとしても。いくら何でも、ものには限度がある。

地下室とか二階とか。

縦に多少は構造があっても良さそうなものなのに。まったくという程、上下が変わらないのである。

そして彼方此方に点々としている死体。

やはりヒト族のものしか見当たらない。

休憩をした後、奥へ。回収出来そうなものは回収していくが。まったく使い方が分からないものも珍しく無かった。

完全に建物らしき構造体が壊れてしまっているところは見えない壁になっていて。

先に進めない。

或いは、進むと死ぬから、かも知れない。

不思議な絵画には分からない事もかなり多い。

レンプライアは個体個体がかなり強いが、それでも何とか対応はできる。そして意外な事に。

レヘルンで凍らせることで。

相当簡単に仕留める事ができる様子だった。

理由は分からない。

そもそも、レンプライアの正体がまだよく分からないのだ。使えるものは使うしか無い。

休めそうな場所を見つける。

三つ目だ。

多分最深部が近いが、それしか分からない。

一体此処は。

何だ。

その言葉だけが、闇に消える。

冷え切った空間の最深部には、広い場所があった。たくさんのトカゲが住んでいるが、それだけだ。

いずれもとても大人しく。

レンプライアも足を踏み入れようとはしない。

山のようにある卵。

だが、どうにも妙だった。

まるで無造作に、積み上げられているかのようなのだ。

前にも、卵を抱えているトカゲは見かけた。

だが此処では、それさえしていない。

点々と散っている死体。

いずれもヒト族に思える。

だけれど何だ。この服装は。

金持ちや王族でも着ているとは思えない奇抜な服装で。何よりも、素材が何なのかさっぱり分からない。

錬金術の布ではない。

何しろ魔力をまるで感じないからだ。

此処で見つける紙のような、機械技術の産物か。

それにしても、おかしな点が多すぎる。

トカゲも、卵を大事にしているようには見えない。無造作に積み上げて、それっきりである。

この違和感、何だろう。

前は、お化けが語りかけてきたから、まだやりやすかった。

トカゲ達は、此方を無視するだけだ。触ってもちょっと嫌がるくらい。噛みついてくる事さえない。

意を決して卵に触ってみるが。

じっと此方を見るだけ。

それだけだった。

「スーちゃん!」

リディーが手を振って来る。

この広い空間の奥に、死体を見つけたらしい。やはり年老いたヒト族に見えるが。薄汚れた白い服を着て。そして事切れていた。

ぞわりと、おぞましいまでの違和感を覚えた。

トカゲはそも。

何を食べて生きている。

これらヒト族の死体に手を出す様子も無い。

かといって、あれだけの数のトカゲが生きていくためのエサがあるようにも思えないのである。

荒野に生きている獣のようなものか。

それにしては、人間に敵意を示さない。

この絵に入ってから襲ってきたのは。

レンプライアだけだ。

「おかしいよ、この人」

「全部おかしいよ、ここ」

「そうじゃないの、見て」

リディーが、凍り付いた死体を横に寝かせて、そして腹の辺りを見せる。

ごっそり。

肉が無くなっていた。

匪賊か何かが食べたのか。

いや、違う。あまりにも痩せすぎていて、そうなったように見えている、と言う事だ。

ルーシャが青ざめて、指さす。

そういえば、ルーシャも此処はいつもと違うと言っていた。

オイフェさんはぼんやり棒立ちしているが。

それは危険がないからだろう。

散って調べていた皆も、集まってくる。

ルーシャの指す先には。

この死んだ老人らしい姿が。

お化けか。

いや、違う。魔術に近いものだ。その証拠に、何か機械が動いていて、それにあわせて音が出ている。

「実験は失敗だ。 地下に閉じ込められた我々のために用意されたトカゲたちは、あからさまな失敗作だ。 外に這い出てエサをとってきて、そして栄養価の高い卵を産むはずだった。 我々に攻撃をしないところまでは上手く行った。 だが、その卵には、高濃度の×××が含まれていた」

「……×××?」

「音が壊れているように聞こえたのです」

「ああ、俺様にもそう思えた」

アンパサンドさんとマティアスの言う通りだ。

何だか今の音。

壊れていたとしか思えなかった。

その音だけ、聞かせないようにするために。

「栄養価だけは立派な卵を食べて、血を吐いて倒れる者が続出し、検出されたものを見て誰もが絶望した。 トカゲそのものも強い×××を含んでいた。 従順で抵抗しないとしても、所詮は醜い爬虫類か。 この世界が浄化されるまでどうにか世代をつなぐ計画は失敗に終わった」

「世界が浄化……世代をつなぐ!?」

「ふーん、なるほどね」

フィリスさんが頷くが。

理由は教えてくれそうにない。

「我等偉大なる××類の文明はもはやこれにて潰える。 愚かしい拝金主義者どもと、人権屋どもが始めた熱核戦争のせいで、むこう1000年はこの××は雪に閉ざされたままだ。 最後の救いは外に適応出来る世代の出現だが、近親交配で弱り切った××類にもはやその力は残されていないだろう」

「……」

「忌々しいのはあの醜いトカゲどもよ。 下手な希望を与える事が、却って絶望につながると知っていたとしか思えん。 醜く汚らしい爬虫類に呪いあれ」

何だろう。

その言葉には。

もの凄く、醜いものを感じた。

そして、後ろから声がする。

「勝手な事をほざきよる」

振り返った先には。

巨大な翼を持つ、トカゲがいた。

他の大人しい者達と違って。

明らかに知能があり。強烈な敵意を向けていた。

「自分達を勝手に万物の霊長と定義し、この世界を滅茶苦茶にしておいて、なおかつその妄想から抜け出ることができなかった。 生物としてもっとも優れていると錯覚し続け、そしてこのような有様に世界をしておいて。 それでいながら、我々を更に弄くり回し、自分達の失敗でこうなったにも関わらず、我々を醜い失敗作呼ばわり。 何故に神はこのような者達に救いの手をさしのべた」

「何の話」

「とぼけるな愚かな××類の子孫共! そこに数体他の出自の者がいるようだが、お前達だ!」

翼持つトカゲは、器用に前足を上げると。

リディーとスール。ルーシャとマティアスを差す。

ヒト族を差しているのか。

あれ、オイフェさんとフィリスさんは指ささない。

どういうことだ。

「此処は我等の聖域。 お前達が滅ぼし尽くした世界の一端。 我等は雪が晴れるとき、外に出てやっと我等の新しい世界で、静かに暮らす事が出来る。 それを邪魔しようというのなら、絶対に許さぬ!」

「何を言っているのか分からないよ!」

「黙れ! 分からぬ筈が無い! 現にそこにいるのは……!」

ぐぐっと、トカゲが顔を上げる。

発言できないようで。

悔しそうに顔を歪める。

そして二足で立ち上がると。

翼を拡げ、咆哮した。

蜥蜴たちが、卵を抱えて、さっと逃げていく。器用に後ろ足だけで走って逃げる事が出来るのか。

「聖域から出ていけ世界を食い尽くした悪魔よ! 我等に世界の汚染を押しつけ、挙げ句の果てに醜いと罵りながら消えていった悪魔よ! 例え種として憎むことができず、傷つける事が出来ないと設定されていても、我は貴様らを絶対に許さぬ! どのような手を用いたとしても、貴様らを聖域に入れはせぬ!」

「待って! 落ち着いて!」

「此処から出ていけば良いならでていくよ。 攻撃をしなければいいんでしょ」

「黙れっ! 信用できるか二枚舌の悪魔共が!」

ごうと、風が吹き付けてくる。

何だろう。

切り裂くように痛い。

寒いのじゃない。

何か、とんでもないものが含まれている気がする。荒野の土のような。いや、もっと違う、もっと濃い。

そうだ。

あの沼地で、感じた毒のような。

リディーの手を引く。

必死にこの空間からでる。

ルーシャ。

リディーが叫んだ。見ると、ルーシャが傘を広げて、必死に恐ろしい風を防ぎ止めてくれている。

広い空間から逃げ出す。

叫び声が聞こえた。

それは怒りと言うよりも。

怨嗟の声に思えた。

部屋から飛び出す。

翼持つトカゲ。

ドラゴンと言うにはあまりにも小さすぎるそれは、追っては来ない。ただ、凄まじい憎悪の言葉を、まだ並べ立てているようだった。その内容を、殆ど理解はできなかったけれども。

ただ分かるのは。

理不尽を押しつけられ。

それを許すつもりがない、と言う事だった。

二つほど部屋を抜ける。

最後尾に、ナイフを構えながら残ってくれていたアンパサンドさんが戻ってくる。平然としていた。

「どうやらヒト族にだけ効く毒か何かのようなのです。 自分にはまるで平気でした」

「ルーシャが!」

意識を失っているルーシャは青ざめ、冷たくなっている。

オイフェさんは平然としているが。

どうしてだ。

主君がこんなになっているのに。

そういえば。

どうしてオイフェさんも平気なのか。

「でよう! 今すぐ!」

スールの言葉に、皆が頷く。

最深部までしか行けなかったけれども。今回はもう調査どころじゃない。

不思議な絵画を飛び出す。

気温は普通に戻ったが、それでもルーシャが何か得体が知れない訳が分からないものを山ほど、リディーとスールを庇って浴びたのは確実だ。薬を飲ませるが、まるで効いている様子が無い。吐き戻す。血も混じっていた。

「……」

フィリスさんがメモをとっている。

この人は、イル師匠と同レベルの使い手の筈だ。

だったら。

でも、この人が平然としていると言う事は。この毒みたいななにかの正体を知っていて。どうにでも出来ると言う事だ。

そして恐らく。

スール達にも。

まず、エントランスを飛び出して。

イル師匠の所に、ルーシャを運び込む。真っ青になっているルーシャは苦しそうだったけれど。

うっすら目を開けると。

リディーとスールを見て、微笑む。

「無事で、何よりですわ……」

「無事って、何を……」

「もし二人に何かあったら、おばさまに申し訳が……」

「ルーシャっ!」

笑顔のまま、意識を失うルーシャには。

もう聞こえていないようだった。

駄目だ。

このままだと、ごめんなさいさえ言えない。

スールは、何度も涙を拭った。

憎まれ口しか言えなかった。

どうしてだろう。

どうしてルーシャに対しては。

こんな風にしか接する事ができないでいたのだろう。

口惜しくて、拳をルーシャが寝かされている台の側に叩き付ける。

側では、イル師匠が、手際よくルーシャの状態を確認し続けていた。

 

4、凍り付く毒の姿

 

ルーシャは人事不省に陥ったが、イル師匠のおかげで小康状態になり、落命の心配はなくなった。

とにかく話し合いだけはしておく。

あの絵の奥に、何だかよく分からない毒を使う番人がいる。正体が分かるまでは、絶対に入らないように、騎士団から要注意喚起。

マティアスは頷き。

アンパサンドさんが付け加えてくれた。

「此方でレポートは出しておきますのです。 二人はルーシャさんの治療に全力を」

「レポートは……」

「全てが解決してからまとめて出すのです。 ほら、王子」

「ああ。 とにかく……ルーシャ嬢を頼むぜ」

ルーシャが庇ったのは双子だけじゃない。

マティアスもだ。

マティアスも、相当な責任を感じているのだろう。

フィリスさんは、自分で報告書を出すと言い残して、ふらりと去る。

イル師匠は、双子とオイフェさんだけが残ると。聴取を順番にしていった。リディーは頭に来ることに、あのトカゲもどきの言った言葉を、全て覚えていた。

「ふうん、なるほどね……」

「何か、分かりそうですか」

「いや、もう分かったわ。 あの絵画の世界の正体もね」

「……」

嘘だ。

勘だが、分かる。

イル師匠は、絶対に知っていた。

イル師匠が本を出してくる。それは、何やら、得体が知れない文字で書かれているものだった。

見覚えがある。

不思議な絵画の中で見つけた、あり得ない品質の紙に書かれていたのと同じ文字だ。

翻訳の魔術を自動発動するらしい道具で、さっと本をなぞるイル師匠。

説明をしてくれる。

「これは遺跡から発掘された、恐らくもっとも古い本の一つよ。 人間四種族が、まだ統一言語を使っていなかった頃の貴重な遺産ね」

「続きをお願いします」

「恐らく此処ね……ええ間違いない」

イル師匠が手をかざすと。

翻訳の魔術が、自動で読み上げを開始する。

「我等は神に救われた。 あの呪われし凍り付いた地底の世界から」

「凍り付いた地底……!?」

「既にhkldhasfkljdafhlakwdhは動かず、作り上げたlassdjhflkjqhfqfhdfも機能しておらず、我等は滅びを待つだけだった。 神は我等を救い上げてくれた。 この究極の末法の世に、神が降臨するとは何たる皮肉か。 もっと早く現れてくれれば良かったものを」

何だろう。

よく分からないが。

とんでもなく身勝手なことをほざいている事と。

そしてあの絵に、話が直結していることは、何となく分かる。

「あの絵は、変わり者の錬金術師が、この古文書を自分なりに解釈して書いたものに間違いないでしょうね。 今までは無害だった。 しかしながら、何かしらの理由で、古文書に記された真実に近いものへと変化を遂げた」

「分かりません、どういうことですか!?」

「ヒト族の先祖が、あの世界みたいな場所にいたって事ですよね」

「スーちゃん……?」

リディーが、此方を見る。

イル師匠は、頷いた。

「我々の間でも諸説があるのだけれど、神話は一部嘘では無いとされていてね。 滅び掛けていた人間の先祖を、神が救い上げた、というあれよ。 そうでないと、人間四種族が、この世界に同時に存在している事の説明がつかないの」

「あのトカゲの言う事が本当だとすると」

「……こういうことでしょうね。 ヒト族の先祖は、自分達を万物の霊長と勘違いしたあげくに、世界を滅ぼすほどの愚行をしでかした。 その結末があの雪に閉ざされたトカゲの世界。 トカゲたちは、その世界のヒト族が作り出した、エサ兼世界の浄化装置だったのでしょう。 でも、トカゲたちはヒト族がばらまいた毒をため込む事はできたし、ヒト族に逆らう事もなかったけれど、ヒト族が満足するほどの速度で毒を浄化することもできなかった」

イル師匠が取りだしてくるのは。

レシピだ。

獣の中には、毒袋と言われるものを持つ者がいる。

強烈な毒を作り出すと言われているものだが。

それに対する解毒作用を記載したものだ。

「この今いる世界はね、調査をしている者の間の中では定説が出来つつあるのだけれども……人間四種族の「元いた世界」の要素を混ぜている、という噂があるの。 そしてこの毒袋を持つ動物は、世界にある毒を凝縮して、武器にしている。 後は……分かるわね」

「これを解毒する薬を造れば良い、と言う事ですね」

「状態の悪化は私が食い止めておくわ。 できるだけ急いで作ってきなさい」

「……」

リディーはすぐに飛び出していった。

スールは、じっとルーシャを見つめる。意識を失う前、ルーシャは言っていた。

おばさまに申し訳が立たない、と。

ルーシャはそういえば。

どういう関係だったっけ。

幼なじみ。

それにしては、関係が深すぎる気がする。何だろう、何かとても大事な事を忘れている気がする。

「貴方も。 薬を作る基礎は散々やったはずよ。 素材も今まで集めているはず。 早くアトリエに戻りなさい」

「イル師匠、何か隠していませんか」

「……仮に隠していたとしても、今貴方がするべき事は、私を問い詰めることではないわ」

「そうですね、その通りです」

スールはきびすを返す。

そうだ。

今やらなければならないのは。

あのトカゲの怨嗟を浴びて。

死の境をさまよっているルーシャを救う事だ。

疑念は山ほどある。

だけれども、今は。

それより先に。

ルーシャを救わなければならない。

走る。

そして、唇を噛む。

もし、イル師匠の言葉が全てあっていたとしたのなら。今ヒト族がいる此処は地獄で。

それを恨む資格さえ、ヒト族にはないのではあるまいか。

 

氷晶の輝窟の最深部。

卵の山がまた作られ。

そして、それはそこにいた。

自動で言葉を。そう、統一言語前の言葉を通訳する装置を起動して。

わたしフィリスは話しかける。

「環境調整装置バルバトスα44。 さっきのはちょっとやりすぎだったんじゃないのかな」

「……神の眷属よ。 いや、神になりし者よ。 死なぬ程度に手加減はした。 奴らに罪を思い知らせるには、痛みをもってする他は無い」

「分からないでもないよ。 此処は、未だに氷に閉ざされている。 知性を持った貴方たちには、それは許せないだろうからね」

「当たり前だ。 己を万物の霊長などと驕り高ぶったあげくのこの凶行。 この星地球がどれだけの被害を奴らの手で受けたと思っている。 この星の環境を此処まで破壊した生物は、他には……」

手を上げて、言葉を遮る。

ぐるるると、喉を鳴らして。

ドラゴンに似た姿をした、この世界を元に戻すために作られた存在は、怒りを収めた。

わたしに怒っても仕方が無いと知っているし。

怒ったところで勝ち目がないとも分かっているからだ。

「わたしがきた理由は、分かっているね」

「落としどころ、であるな」

「そもそも限定的に「地球」と此処をつなげたのも、此方の世界の未来のため。 貴方たちの未来のためでもある」

「分かっている。 この世界の未来のためにも、超濃度の放射能汚染は何とかせねばならぬ。 そうしなければ、我等はずっと単為生殖で、乏しい栄養から己をコピーし続けなければならないだろう。 いずれそれでは限界が来る」

分かっているならよろしい。

そうわたしは手を振ると、その場を去る。

そして、世界を直すための生物は。

姿を変えはじめる。

ばりばりと音を立て。

より人間に近い姿に。

より恐怖を与える姿に。

奇しくもその姿は。

わたしの知る、上級ドラゴンに似ていた。

次の調査で、双子がきちんと真実にたどり着ければ。ルーシャは助かる。

それにしても、本当に鈍い双子だ。

今回の調査だけでも、どれだけルーシャに助けられていたか、まるで分かっていない。

ルーシャが必死になって双子を助けようとしている理由が分からないのは仕方が無いにしても。

勘が鋭いようでいて鈍いのだから、どうしようもない。

雄叫びを上げる環境調整装置、バルバトスα44。

わたしはふっと鼻を鳴らすと。

絵をでる。

さて、今回は確かにイルちゃんの言う通り上手く行っている。だから「この絵画」で、更にステップアップをして貰う。

人間は万物の霊長などでは無い。

それをしっかり自覚して貰わなければ。

ましてや自分達は天才などでは無いとしっかり理解して貰わなければ。

双子は先の段階に進めない。

人材は揃っている。

だったら、後は双子次第なのだ。

わたしもすっかり冷酷になった。

それは自分でも自覚はしている。

でも、この先にある未来を、文字通り万回見てきた身としては。

これ以上、悲劇を繰り返したいとは思わなかった。

だからわたしはどんな手でも使う。

例えそれが、悪夢のような手であっても。

それが人道に著しく反する手であってもだ。

恨まれようとかまうことはない。

誰かが手を汚さない限り、この世界には、このままでは未来など来ないのだから。

 

(続)