何故語り継がれる

 

序、久々の会話

 

二つ目の試験の開催通知をマティアスが持ってきて。スールはそれを受け取ると、内容を見て小首をかしげ。

それからようやく異常に気づいて驚いた。

「二つ目の試験は、お城の地下エントランスで行う!?」

「それなんだけれどな、俺様とアンも出るように言われてる。 フィンブルにも声を掛けておいた方が良いと思うぞ」

「ちょっとまって、それって戦闘が想定されるって事ですか!?」

「そういう事になるな」

リディーの言葉を聞いて、スールは考え込む。

城の地下で。

わざわざ錬金術師を招き入れて、しかも戦闘を想定する。

城の地下に獣の巣窟がある筈が無い。獣は荒野の何処にでも湧くが、街の中に湧くという話は聞いたことも無い。何より万が一を考えて、一番最初に駆除を行って、綺麗にしている筈である。

そもそもイル師匠とか凄い錬金術師が来ているのだから。

城の内部のようなクリティカルな拠点には、真っ先に凄腕が当たるはず。へっぽこ錬金術師のスールやリディーが配置される筈が無い。それも一秒でも早く、ではなく。試験などと悠長な形で、である。

ともかく、リディーが咳払い。

「分かりました。 準備はしておきます。 明後日、で良いですか?」

「ああ、それでいい。 じゃあ明後日って事で此方も手続きしておくわ」

「お願いします」

ぺこりと頭を下げるリディーに。

片手を上げ挨拶すると帰って行くマティアス。

はーあと、思わずスールは声を上げていた。

「わけがわかんない。 城の地下で、リディーとスーちゃんだけならともかく、どうして護衛まで?」

「いずれにしても戦闘の準備した方が良さそうだね」

「それは同意だけれど」

「フィンブルさんに声かけてきてくれる? 私は道具類の整理とかしておくから」

そう決まれば、手分けして動く。

まずフィンブル兄に声を掛けて来ると。

そのまま、コルネリア商会と、ラブリーフィリスを見に行く。

まだフィリスという人は見ていないけれど。

既に凄い名前の店があると周囲では噂になっているらしいので。

此処に姿を見せたら、きっと色々驚くだろう。恥ずかしくて外に出られなくなるかもしれない。

どちらの店にも、新しい本などは入っていなかった。

ただ。みずみずしい薬草や、新鮮なお魚が少し入っていたので。

買って帰ることにする。

薬草は使い路が幾らでもある。スールには魔力はあんまり良く見えないけれど、リディーなら見えるはずだし。何よりアルファ商会から商売を任されているお店で、インチキな素材を掴まされるとは思えない。

アトリエに戻り、リディーがスケジュールを立てているのを確認すると。

薬草とお魚を見てもらう。

お魚については、かなり新鮮な良い品だったので、リディーが料理してくれるという。ただ薬草については、小首をかしげられた。

「これ、なんだろう」

「あれ、リディー分からない?」

「図鑑でも見た覚えないよ。 後でイル師匠に聞いてみよう」

「うーん、何だか釈然としないね」

とにかく、一束をコンテナに入れると。

後はお魚の料理を食べて、明後日に備えて休む。

明日はクラフトを作り足し、お薬を作っておいて。そして試験に備えて早めに休む必要がある。

まだイル師匠から、金属加工を一人でやっても良い、という許可は出ていない。

スールはまだまだ基礎を反復練習。

リディーは戦略と戦術のお勉強。

それを一日みっちりやる。

疲れ切って帰ってきたリディーが、薬草については分かったと教えてくれた。

「これ、まだかなり手にするには早い代物だったみたい。 かなり高度な調合に使うものだって」

「それだとコンテナからは出せないね」

「うん、こればっかりは仕方が無いね」

「はあ」

肩を落とす。そして、まずは明日に備える。

グリフォン戦は相当に厳しかった。あれで街の人達は少しは安全に暮らせると信じたいけれど。

それでもドロッセルさんが言っていたように。

獣がいくらでも湧いてくるのが、この世界の理なのだ。

それならば、対処療法にしかならない事も分かっている。

かといって、危険な獣がみんないなくなったら、その時にはどうなるのだろう。多分世界の理が全てひっくり返るのではあるまいか。

ぞっとしない話である。

安易に獣を全部駆除、というのができてしまっても。

あまり良い結果が想像できない。

あくまで勘だが。

獣という存在があって。

ある程度、人間はやれているのではないか、という気がしてならないのである。これについては、勘以上でも以下でもないのだが。

スールの勘は当たるのだ。

食生活にも余裕が出てきたので。

夕食にも力が出るものを、リディーは準備してくれた。

もう肉も卵も珍しくない。雑草やら裏庭に生えていた茸やら食べていたのが嘘のようである。

そして、今回試験を突破出来れば。

更に生活を改善出来る可能性が上がる。

悪夢も見なくなったし。

確実に生活は改善している。

後もう少し頑張れば。

もっと良い生活が出来るようになるし。錬金術師としても、そろそろ半人前は卒業できる筈だ。

そう言い聞かせて。

翌朝。

お城に、万全の体勢で向かう。お城の前でフィンブル兄と合流。荷車を引いて受付を済ませると。マティアスが出てきて、地下エントランスに案内してくれた。そういえばアンパサンドさんはいないけれど。マティアスとだけ一緒に行くのだろうか。

階段はそれほど広くはなかったけれど。

荷車を降ろすためのスロープはついていた。ただこのスロープ、後から工事でつけたようにも見える。

これはひょっとすると。

錬金術師が来ることを、想定しているのかも知れない。

荷物や素材を運ぶためには、リュックはあらゆる意味で不利だ。

どんな錬金術師も、どのような形であれど、荷車は使う。

そういうものである以上。

この先は、錬金術師のために用意されている何かがある、という事である。

リディーもその辺りは分かっているようで。

緊張しているのが、スールにもすぐ分かった。

問題はこの先に何があるか、だが。いずれにしても、獣の臭いとかは感じ取ることができない。

ただ、漠然と。

凄く嫌な予感がした。

意外に長い間階段を下りていた気がする。

アダレットの王城とは言え、こんな巨大な地下施設があったというのは驚きである。

いや、何だか途中同じ階段を何周もしたような気がしたけれど。

気のせいだろうか。

ともかく階段が終わって、スロープから荷車が降りる。

がこんという音が計四回鳴って。

二連の荷車が降りきると。

ちょっとだけ安心した。

辺りは錬金術製らしい光を発する道具が置かれていて、昼間のように明るい。地下だろうと関係無い。

そして、エントランスの奥の方には。

何か、絵がたくさん展示されていた。

その手前に、三人の人影が見える。

一人はアンパサンドさんだが。

二人はあまりにも意外すぎる存在だった。

「ルーシャ!?」

「何ですの。 此処はお城でしてよ。 あまり大声を出さないでくださいまし」

「い、いや、なんで此処に」

「……」

口をつぐむルーシャ。

側にいるオイフェさんは相変わらず置物である。

代わりに、説明をしてくれたのはマティアスだった。

「お前ら、不思議な絵って知ってるか?」

ぞわりと全身が総毛立つ。

知っているに決まっている。

地下室にあったあの絵。

吸い込まれて、死にかけた事は、今でも恐い。

リディーが冷静に対応していなければ、多分確実に死んでいただろう恐怖。

忘れるわけがない。

「此処にあるのが不思議な絵だ。 これらの調査が、試験の第二段階って奴でな。 不思議な絵の中には今踏みしめてるこの世界とは別のルールがあって、内部からは貴重な資源も得られる。 だから自衛力のある錬金術師と、騎士団の精鋭、更に腕利きの傭兵なんかで調査をしているんだよ」

「あ、あう、り、リディー、帰って良い?」

「?」

「分かりました。 調査に、同行します」

ぐっと、リディーに手を握られ、引き戻される。

スールの様子がおかしいことはマティアスもすぐに察したようだけれども、小首をかしげるだけ。

悲鳴を上げそうになるが。

リディーは目配せする。

「出る方法は分かってるから、むしろチャンスだよ。 良い素材が手に入るかも知れないし」

「だ、だって、あんな見た事も無いバケモノが」

「殺せる事も分かってるし、何より前と今では全然違うよ」

そう言われて。

すっと落ち着いた。

そうだ、獣の腕輪を手に入れて。

強力な爆弾も作れるようになって。

手当のためのお薬だって、市販品なんて問題にもならないものを作れるようになったのだ。

アルファ商会の品にはまだ劣るが。

騎士団で正式採用しているナイトサポートを作っているのである。

千切れた腕くらいならくっつけられる秘薬を、である。

深呼吸して落ち着く。

そして、歩み出した。

アンパサンドさんが冷めた目で見ている。

ルーシャは、ずっと唇を噛みしめたままである。

「何よルーシャ。 追いつかれそうで悔しそうなわけ?」

「今此方はDランクの試験をもうすぐ受けられそうな状態ですのよ。 追いつくなんて到底無理ですわ」

「むっ……バカのくせに」

違う事は分かっている。

それなのにどうしても憎まれ口が出てしまう。

なんでだろう。

お母さんがいなくなる前は、ルーシャと凄く仲が良かったような記憶があるのに。どうしてこうなってしまったのか。

リディーもスールも分かっている。

ルーシャがずっと先を行っている錬金術師で。

その実力は確かで。

そしてリディーはまだ知らないかも知れないけれど。

一人前の錬金術師としての財力を生かして、悲惨なリディーとスールの生活を下支えしてくれていたことだって。

本当は、二人でごめんなさいといわなければならないのだろうに。

どうして憎まれ口ばかり出てしまうのか。

「何だか知りませんが、内部で喧嘩なんてしている余裕は無いのです。 ハンドサインの確認を」

「此方はもう覚えましたわ」

「いつものと同じだったら大丈夫」

「そうですか。 では行くのです」

アンパサンドさんに促されて。奥の絵の一つの前に行く。

ひいっと、思わず小さな声が漏れた。

其処に書かれていたのは、森。

ただし普通の森では無い。

お化けがたくさん徘徊していて。

腐りきった人間の死体や。

もっとおぞましいものがたくさん這いずり回り。

我が世の楽園を築いている。死者の世界の絵。

その迫力は凄まじく。

まるで、中にいる死者達が。此方を見ているかのようだった。

この中に入るのか。

かたかた足が震えているのが分かる。

「あら、スー。 まだお化け嫌いが治っていないようですわね」

「そういえばお化けが嫌だとか泣き言を言っていたのです」

「アンパサンドさんでしたわね。 スールってば、お化けがとても苦手ですのよ」

「そうなのですか。 誰にでも苦手なものはあるとはいえ、相性最悪の相手と戦うことに関しては同情はするのです」

容赦するとは一言も言わないのが平等なアンパサンドさんらしい。

リディーは頷くと、スールの手を引いて、絵の前に出る。

いや、と言おうとしたけれど。

もう次の瞬間には、荷車ごと、絵の中に吸い込まれていた。

 

気がつくと、其処は。

おぞましい臭気が立ちこめる、闇の森だった。

遅れて側にルーシャとオイフェさんが。

マティアスとアンパサンドさん、フィンブルさんが入ってくる。

びりびり感じる。

非常に危険な気配ばかりだ。

リディーにくっついて、がくがく震える。涙目になっているスールに、リディーは優しくしてくれない。

「ルーシャが指揮を執るの?」

「いいえ、今回はわたくしは護衛ですわ。 貴方が指揮を執りなさい」

「そう。 ほら、スーちゃん、立って」

めそめそしているスールを非情にも立たせると。

リディーはハンドサインを出す。周囲警戒、の意味だ。

絵の中には別世界が拡がっている。

それについては分かっているが。

それにしても凄まじい。

またあの黒いバケモノどもは出るのだろうか。

獣とはまた違う姿をしていて。

だが同じように、リディーとスールに情け容赦なく殺気をむき出しにして襲いかかってきた。

オイフェさんはガントレットをしているが。

まさか拳で相手を殴るのだろうか。

ルーシャは傘を差したまま。

この様子だと、何か拡張肉体を使って戦うのかも知れない。ずっと格上の錬金術師だし、できてもおかしくない。

呼吸を整えながら、ゆっくり周囲を見回す。

ダメだ。

お化けしかいない。

思い出してしまう。

パメラさんに教会で見せられた恐怖の宴を。

昔はお化けの話はむしろ大好きなくらいだったのに。

あれ以来。

実在すると。そして得体が知れないと思い知らされてから。

恐怖の対象となってしまった。

うけけけけと声を上げながら、生首が空を飛んで行く。ひいっと声を上げてしまうが、リディーにすぐ口を塞がれた。

試験開始。

アンパサンドさんが、視線を送ってくる。

此処を調査し。

踏破する。

それが、Fランクに昇格する条件。

逆に言うと、此処の環境くらいで生き残れないなら、話にならないという事なのだろう。

リディーはいつになく険しい表情だが。

それも当然だろう。

周囲の気配が森とは思えない。

無関係に、襲ってくる事は確実だ。

いつでも外に出られるように。

常に備えておかなければならなかった。

 

1、ざわめきの森

 

ねじくれた木々。

其処からは、光る不気味な木の実がぶら下がっていて。

時々、おぞましい形容しがたい生き物がかさかさ這い回っている。虫でもなければ獣でもない。

殆どの場合、人間の部品を持っていて。

それがとてもおぞましかった。

声を出さないまま進む。

平然としているルーシャは。ここに来たことがあるのかも知れない。むしろ堂々としていた。

此方を伺っているバケモノはたくさんいるが。

いずれも、此方に対してしかける隙をうかがっている、という感触。或いは脅かしているだけ。

今までの時点では。攻撃は受けていない。

しかしながら、いつ豹変するかわかったものではない。それに、お化けが本当に苦手なスールには、此処は地獄以外の何物でもなかった。

少し開けた場所に出る。

其処で人影を見る。

ただし、それらは近づいて見ると。

人のようで人に非ず。滅茶苦茶に崩れていて。うめき声を上げながら、襲いかかってきた。

戦闘開始。

ハンドサインを出すと、アンパサンドさんが突っ込んでいく。多数の人影の、人体急所から青黒い血が噴き出す。

ハンドサインを見て、涙目でクラフトを放る。

爆破。

ちょっと近すぎたけれど、冷静に動いたルーシャが、傘を広げて立ちふさがると。

マティアスが展開しているシールドよりも強烈なのが一瞬で拡がり。爆圧を全て押さえ込む。

フィンブル兄とマティアスも今の爆圧に耐え抜いた敵に斬りかかり。

此方に接敵する前に。

全てを仕留めきった。

オイフェさんは最後まで側に控えていて。

動く事はなかった。

呼吸を整える。

何あれ。

お化け話の定番、動く死体じゃないか。

でも血の色が変だったし。

人間四種族どれとも違うような気がした。

「霊が取り憑いて人間を襲う死体は実在するんだが、此奴らはちょっと違うな」

「この絵を描いた作者が、あくまで人間を驚かす存在として作り上げた想像の産物ですもの」

「話には聞いているが、まあそうなんだろうな。 手応えがねーし」

「油断していると、喉を噛み裂かれるのですよ」

皆普通に話し始める。

どうやら此処は以前からキャンプとして使っている場所らしく。

今のような弱いのを集めて、定期的に駆除すると。しばらくは安全に使える、ということらしい。

そういえば木々からも離れているし。

周囲にはあまり敵影もない。

手慣れた様子でキャンプの設営を始めるアンパサンドさんとフィンブル兄。ルーシャも、結構手際よく手伝っている。

悔しいけれど、まだ足が震えている。

そういえば、あのバケモノ達は。

死ぬと消えてしまうようで。もう何も残っていなかった。

ルーシャが親切にアドバイスしてくれる。

「スー、辺りには結構品質が良い薬草がありますのよ。 集めておいた方が良いですわ」

「うん……」

情けない。

錬金術師が調査に入り、試験に使われるくらいだ。

少なくとも、安全な絵では無い。

そして、前に偶然入ってしまった絵と同じように。

見た事も無い素材が、たくさんちらばっていた。

草も見た事がないものばかり。いずれも、貪欲に集めていく。

鉱物もある。

無造作に散らばっているそれらは、品質からして、王都周辺に散らばっている残りカスとは別物にしか思えなかった。

とにかく、荷車に詰め込んでおく。

後でイル師匠に教わって、色々と加工できるかも知れない。

薬の材料、爆弾の材料。

或いは高度な金属。

まだシルヴァリアを作ってはいけないと言われているが。

この試験を突破出来たら。

でも、この森。

生きて帰れるとは、とても思えない。

また、うけけけけと笑いながら、生首が飛んで行く。しかもその生首からは、内臓もぶら下がっていた。

かさかさ歩き回っているのは、人間の顔がついたムカデだ。それも、ご親切に頭とおしりの両方に、人間の頭がついている。

平然とレーションを口にしているアンパサンドさん。

流石に嫌そうな顔をしているマティアス。

差は大きいが。

フィンブル兄も結構平気そうなので。

この辺りは個人差が大きいのかも知れない。

「嫌ならば、一旦外に出てから休みます? ただし不思議な絵は共通して、入ると同じ地点に出るようになっているようなので、また歩き直しなのですが」

「ううん、いい! さっさと調査終わらせたい!」

「気持ちは分かりますが、此処には致命的なのもいるのです。 さっきから周囲をうろうろしている虚仮威しと違って、本気で殺しに来る奴は来るのです。 お化けが苦手か何かはよく分かりませんが、無理をしていると絵の中で死体になって、此奴らの仲間入りなのですよ」

絶句。

そのまま気絶しそうになるが。

アンパサンドさんは容赦しない。

「ともかく。 せっかく卒業した足手まといにまた戻りたいのなら、止めはしないのです」

「アン、相変わらずお前きついな……」

「事実を言っているだけなのです」

「ハイ、確かに」

マティアスが助け船を出してはくれたけれど、それも一発で撃沈された。取りつく島もないとはこのことだ。

慣れてきたらしいリディーが、ルーシャに聞く。

「ねえルーシャ、ここに来たことあるの?」

「ええ最初にアトリエランク制度に参加したときに。 Fランクから始めましたし、戦闘力があるかどうかを確認するためにも必要でしたので」

「はー。 思った以上にルーシャって凄いんだね」

「オーホホホ、当然ですわ」

まあ、言われなくても分かる。

ルーシャは情けないリディーとスールの護衛役として、ここに来てくれているのである。護衛役が現地を知らなければ、話にもならないだろう。

「それで、そろそろ先に進みたいのですか?」

アンパサンドさんの声がいつになく厳しい。

ここのところの戦いで、スールが動けるようになって来ていたのに、また腰が引けてしまっている。

それに対して、怒っている様子だ。

ホムとしてはとても感情豊かなアンパサンドさんである。

この辺りの発言にも。

他のホムでは希薄な、意思が感じられた。どちらかというと負の意思だが。

「いこ、スーちゃん。 いつまでももたついていられないよ。 行ける所まで行ったら、一度戻ろう。 この森かなり広そうだし、一回じゃ調査はしきれないと思うし。 だからこそ、できるところまではやっておこう」

「分かったよリディー」

腰はまだ引けてしまっているけれど。

兎に角慣れろ。

自分に言い聞かせて。

負の思念がざわめく森を歩く。

周囲からは、ひっきりなしに恐いものが姿を見せるけれど。

それらは虚仮威しだと、スールにも分かる。

問題なのは、それらに混じって、本物の敵性勢力が出てくる事で。それが、此処の危険度を相対的に上げているのかも知れない。

いきなり、人間大の蝙蝠が襲いかかってきて、強烈な音を放とうとするが。

一瞬早く反応したフィンブルさんが、口を突き抜いていた。

更にスールが真上から首を蹴り折る。

相手が蝙蝠だったら恐くも何ともない。

少しでも情けない所を挽回しないと。

倒した蝙蝠を、即座にその場で解体する。

確か蝙蝠の翼は、大きな肉食種になると、強い魔力を秘めている。ある程度以上の大型種でないとダメらしいのだけれど。これは、本来の力だけでは飛べなくなるからで。このことについては、グリフォンの羽毛や、大型のアードラの翼などにも同じ事が言えるらしい。

彼らは力で空を飛ぶのでは無く、魔術の力で浮いているのである。

この蝙蝠もそれは同じ。

切りおとして見ると、確かにじんわりと熱かった。よく分からないけれど、強い魔力を秘めているからなのだろう。

荷車の積載量にはまだ余裕がある。

ゆっくり、時々脅かされながらも。確実に進む。

アンパサンドさんが足を止めた。

森の中。

普通だったら、大規模戦闘なんて起きない筈だが。

どうやら、此処ではそんな約束は通用しないらしい。

周囲に見える黒い影。一つや二つじゃない。

カマキリと人間を足したようなの。

下半身がない奴。

槍を持った兵士のような奴。

翼を持った鎧のような奴。

間違いない。

地下室の絵の中で見た奴らだ。

この戦力ならいけるか。でも、凄いプレッシャーだ。お化けとはまったく別ベクトルで恐い。

というよりも、お化けがあからさまに怖がって黒いのを避けている。

どうしてだろう。それを見て、少し心が痛む。此奴らは、何というか。この暗い森の世界にさえそぐわない、何かおかしな異分子だ。

アンパサンドさんからハンドサインが出る。

下半身がないのが一番手強い。

戦うなら引きつけるから、他のは自分達でどうにかするべし。戦術は指示しろ。

頷くルーシャ。

リディーは一瞬だけ時間をおいて、すぐに判断した。

撤退、である。

即座に、絵の中から放り出される。

外に出たいと思うだけで絵から出られるのは、それはそれで便利だった。

 

エントランスで、アンパサンドさんは、リディーに対しては怒ることはなかった。スールに関しては、もう怒ったから良いと思ったのだろう。何も言わなかった。

「判断が早かったですね。 ひょっとして、あれと交戦経験があるのです?」

「凄く強い事は分かりました。 それで、今は戦うべきではないと判断して」

「……まあいいのです。 それよりもどうするのです? もう一度行くのです?」

「いえ、今回は此処までにします。 試験は一度で突破しなくても良い、ということですので」

ふうと嘆息すると。

最低でも前日に知らせるようにと言って、アンパサンドさんはマティアスを連れて戻っていく。

ルーシャは、特に何も言わず去ろうとしたけれど。

スールは、思わず呼び止めていた。

「ルーシャ」

「何ですの」

「あの、クラフトの爆風から庇ってくれて、有難う」

「オーホホホ、後進のミスをカバーするのは先達の当然の義務ですのよ」

ルーシャがオイフェさんを連れて、エントランスからさっさと切り上げていく。

そうか、当然の義務か。

今は、庇われて当たり前の立場と言う事だ。

悔しいけれど、何一つ言い返すことができる状態にない。

何よりきつかったのは、また足手まといに戻るつもりか、という発言だった。

確かにその通りだ。

フラムを作って、グリフォンの群れを駆除して。

それで何か強くなった気になっていた。

甘かったのだ。スールはまだまだ半人前。全然一人前じゃない。

フィンブル兄が、側で咳払いする。

「荷車押して戻るの大変だからな、手伝うぜ」

「ありがとうございます、フィンブルさん」

「ごめん、フィンブル兄、色々恥ずかしいところ見せて」

「気にするな。 初陣で漏らす奴なんて珍しくもないし、ましてや苦手なお化けだろう?」

もう初陣じゃないのは、フィンブル兄も触れなかった。

情けないけれど。

この悔しさを、少しでも糧にしたい。

そうスールは思った。

 

アトリエに戻った後、回収した素材を、図鑑を見ながら吟味する。

鉱石はとても凄い。外で採れるのとは段違いの品質のツィンク鉱石だったり、或いはシルヴァリア鉱石だ。苔むしているけれど、間違いない。割ってみると、鈍色の輝きが見えてくる。

ゴルトアイゼンの鉱石もあるかも知れない。それらしいのは、避けておく。後でイル師匠に見てもらいたいところだ。

ウイングプラントという珍しい草もあった。

これは強い風の魔力を帯びていて、高山地帯などでしか見つからない珍しい草だという。

種をその魔力によって飛ばし。

遠くに運ぶ性質を持っているのだとか。

その魔力を利用して。

風の爆弾を作る根本素材にする、という事である。

つまり、フラムを火の爆弾の材料だとすれば。

これは風の爆弾の材料、と言う事だ。

更に、カーエン石もある。割ってみたが、殆どしけっていない上に、何よりぎっしり詰まっている。

すごい。

錬金術師に調査をさせた本当の理由が分かってきた気がする。

これは、生半可な錬金術の素材とは格が違う。

不思議な絵は危険ではあるが。

それ以上に、一瞬で行く事が出来る、極めて近い素材採取地でもあるのだ。

凄腕の錬金術師に調査を命じる訳である。

錬金術の道具を低コストで手に入れる事が更に簡単になるし。

今まで騎士団などの予算を圧迫していたコストを、更に圧縮することが可能になってくる。

不思議な絵は恐い。

まだずっと恐い。

でも、克服しないとダメだ。

近場には、ロクな採取地がないことは、スールも分かっている。嫌と言うほど、思い知らされている。

ならば、良い素材を手に入れるには不思議な絵の中の世界を利用するしかない。

恐かろうが何だろうが、彼処に行くしか無いのだ。

ぐっと顔を枕に押しつける。

今は力が足りなさすぎる。

イル師匠が使っているような拡張肉体なんて天の遙か彼方にある道具だし。

何より、怖いと言う感情が、冷静な判断力を上回ってしまっている。

しばらく悶々とした後。

顔を上げて、井戸水で顔を洗う。

そして、リディーに告げた。

「シスターグレースの所いってくる」

「うん。 あ、そうだ。 パメラさん、帰ってきてるよ」

スールは思わず絶息し。

その場で気絶しかけたが。

かろうじて立て直す。

呼吸を整えて。そして、生唾を呑み込み。そして、深呼吸を三回すると、もう一度決意を込めて言った。

「いってきます」

もう夕方前だけれど。

これは、今日中に解決したい問題だ。アダレット王都。メルヴェイユなんて気取った名前の街を急ぐ。

先代の王様がつけ直したこの名前。

スールは大嫌いになる一方だ。

王都の外は茶色の荒野が主に拡がっている。荒野に点々としているのは灰色の街。

しっかり整備された街道は限られていて。

それから外れた集落は、いつ獣に滅ぼされてもおかしくないし。皆極貧の中、怯えきった生活をしている。騎士団どころか自警団さえ足りない。傭兵を雇える街の方が珍しいくらいだろう。

錬金術師の絶対数も少ないのに。

今更アトリエランク制度なんてのを始めている始末。

今のミレイユ王女が有能だからどうにか立て直してきてはいるのだろうけれども。

それでも先代の王様が、庭園趣味に何て走らなければ。それで無駄にお金を使わなければ。

もっとみんな良い生活をできていた可能性が高い。

何より、伝説のネージュを迫害なんてしていなければ。

今頃ラスティンからもっと錬金術師が来てくれていて。

もっと街道の整備とかが為されていたかも知れない。

そう思うと、本当に情けなくて。

悔しくて仕方が無かった。

そして自分の無力さは、それ以上に腹が立って仕方が無い材料だ。リディーは皆の中核になって指揮を執れるし、錬金術だってスールより上手い。悔しいけれど、上手い。練習量が違うのに、やっと追いついていくのが精一杯と言うくらい違う。それに加えて、どんどん戦略とか戦術とか難しい事も覚えている。

スールは勘は鋭いけれど。

それだけだ。

多少身体能力は高いかも知れないけれど。

アンパサンドさんみたいな体力も度胸もないし。何よりあんなに見事に全身を制御して、回避盾になるような事は出来ない。

爆弾を指定の位置に投げる事はできるけれど。

多分それ、他の人でも出来るはず。

何一つ。

自分にしかできないこれ、が存在しないのだ。

教会を訪れると。

シスターグレースが。パメラさんと仲よさげに話していた。それだけで足が竦みそうになる。

スールは知っている。

パメラさんが、本物のお化けだと言う事を。

少なくとも尋常な人間ではないことだけは確実だ。

魔術の類を使ってもいないのに。

壁もドアもすり抜け放題。

パメラさんはスールに凄く恐い話をたくさんして。

そしてお化けとしての怖さを散々見せつけていった。

故に今でもスールはお化けの話には足が竦んでしまう。恐くて動けなくなってしまう。

でも、今。

それを乗り越えなければならないのだ。

「あら、スール。 どうしたのですか」

「シスターグレース!」

「はい?」

「お化け嫌い、克服したいです! 勿論一日二日で克服なんて出来ない事は分かりきってます! でも、見るだけで足が竦むような情けない事には、ならないようにしたいです!」

あまりにもスールが真剣だからか。

シスターグレースは笑わなかった。

パメラさんは笑顔でその場を後にしてくれる。

そして、シスターグレースとスールは、教会の奥の部屋に行く。

まず話を聞かせるように。

そういつもシスターグレースは言う。

だから、話す。自分が如何に情けない足手まといであるかを。

この人にしか話せない。

リディーには対応出来ない。

この人にしか、対応出来ないのだ。

お母さんがいなくなってしまった、今では。

まずシスターグレースは、スールの話を頭ごなしに否定も拒否もしない。その安心感がある。

シスターグレースは歴戦の傭兵で。

たくさんの孤児を自立するまで育て上げた子育ての達人だ。

スールは涙を何度も拭った。

情けない自分に対する怒りで、涙がどれだけ拭っても湧いてきた。

シスターグレースは、スールに全て話をさせてから、順番に言う。

「スール、分かっていますね。 貴方が泣いているのは自分自身に対してであって、お化けが恐いからでは無いという事を」

「はい。 それなのに、足が竦んでしまって」

「人には向き不向きがあります。 いいですか、どれだけ強い戦士でも、とうとう最後まで犬系統の獣が苦手だった、という実例があります」

そんな実例があるのか。

話によると、なんとあの伝説の先代騎士団長だという。

巨人族の伝説的騎士が。たかが犬が苦手だったのか。

頷くと、シスターグレースは言う。

「貴方がお化け嫌いを克服するのは不可能でしょう。 パメラが何故に貴方にお化け嫌いを叩き込んだか分かりますか?」

「いえ、その……」

「貴方は好奇心が先立って、後先考えずに動くからです。 貴方はそのままでは、大けがでは済まない事になる。 そう思ったから、パメラは貴方にお化けの話をたくさんしたのです」

どういう意味だろう。

咳払いすると、シスターグレースは言う。

「何故子供にお化け話が広まるか知っていますか?」

「ええと……」

「実際に霊は存在していますし、それが憑依して人間を襲う死体も実在します。 私も傭兵時代に倒しています。 しかしお化け話というのは、それら現実の怪異とはまったく別次元の話です。 お化けというのは、子供を危険から遠ざけるために存在しているものなのです」

「!」

そう、だったのか。

確かに、子供を近付いては行けない場所に近づけないために、お化け話が作られるという話は聞いている。

それで、過剰なくらいにパメラは。

パメラがあからさまにお化けである事は此処ではどうでも良い。それは、別問題のまた別問題。

問題は、子供の恐怖を利用して。

お化けというものは、子供を危険から遠ざけている、と言う事だ。

恐ろしい顔をしていても。

お化けは子供の守り神なのだ。そう、自分が悪役となる事で、子供を守る者。

それがお化け。

もうスールは子供では無い。だから話すのだとシスターグレースは言う。

「荒野で獣と戦って分かったはずです。 彼らは危ない事を示しません。 不意打ちだまし討ち何でもあり。 人間の詐欺師も同じです。 これに対してお化けはどうですか?」

「最初から、恐いです」

「それは子供に近付いてはいけないと示すためなのですよ」

何だか、すっとつきものが落ちた気がする。

確かにまだお化けは恐い。

だけれども、もしお化けがその恐ろしさで、子供を危険な所に近づけないようにして。そして遠ざけているのだとすると。

お化け達は、子供のためにいるのではあるまいか。

理屈では無い。なんというか、頭の中がクリアになった気分だ。

得体が知れない恐怖だったお化けが。

スールの頭の中で、確かに色が変わった気がする。流石はシスターグレースだ。目を何度も拭った。

ごめんなさい。

謝るのはみんなに対して。

ごめんなさい。

もう一つ謝るのは、お化けという存在に対してだ。

あの絵も思い起こしてみれば。本当に悪意によって描かれたものだったのだろうか。

絵でも小説でも、芸術というものは魂を込めないとただのゴミだという話は聞いたことがある。

立ち上がると、礼を言い。

走って帰る。

リベンジマッチは三日後だ。次は、同じ醜態を、絶対にさらさない。

家に戻る。

リディーは心配していたようだけれど。

すっきりした様子のスールを見て、ほっとしたようだった。

「リディー、お願いがあるんだけれど」

「何、スーちゃん」

「思い出せる限りで良いから、恐いお化けの話して」

シスターグレースの言葉が正しいなら。

そのお話には。裏に隠された意図があったはずだ。

一つずつ話を聞いていく。

勿論恐くて仕方が無いけれど。それでも、聞いていると、前提があればすっと頭に入ってくる。

そうだったのか。

スールは一つずつの話を噛みしめながら。

痛感していた。自分の弱さ。自分が子供だったこと。そして、恐ろしい姿をした守護神たちの事も。

自分の情けなさを反省しながらスールは思う。あの絵の意味。あの絵を描いた人の意思が何処にあったのかも。

次に、失敗しないためにも。

 

2、森の真意

 

二日おいて、再び不思議な絵にチャレンジする。

心配そうにしていたルーシャだけれども。スールはもう恐い話は克服した。いや、まだお化けは何処かで恐いけれど。

それでも、前提について分かっているのだから。

もう大丈夫だ。

絵の前に集合。アンパサンドさんは何も言わなかった。

スールの様子を見て、何かあったと悟ったのだろう。

厳しい人だけれど。だからこそに、公平でもある。単に厳しいだけの人では無いことを、スールは知っていた。今までも的確なアドバイスをしてくれたし。叱責だってされたけれど、それは理にかなったものだった。

分かっていなかったのはスールの方だった。

真っ先にスールが絵に入ったのをみて、ホム以上に感情が見えないルーシャのメイドであるオイフェさん以外の全員が驚いた。リディーでさえ、心配していた様子だったのに。リディーは肝心なところが抜けているから、気づけなかったのかも知れない。

いずれにしても、周囲にいる恐ろしいお化け達は。

もう前とは違うように見えていた。

グロテスクだ。

とても恐ろしい姿をしている。

でも、それは。よく観察すると、踏み込むと危ない沼地の上を旋回していたり。あの黒いなにか得体が知れない奴らから遠ざけるようにしていたり。

けたけた笑っているのも。

笑いが恐怖を誘発するから。

お化け達は、子供を守って。

真実を知った頃には、笑っていなくなってくれる。

そんな守護者だ。

勿論それだけではなくて、本当に悪意があるお化けもいるのかも知れないけれど。

しかし、お化けに殺された人が、実在しているだろうか。

そんなのスールは聞いた事もない。だったら、そのまま堂々と、お化けの警告を聞けば良い。

リディーがハンドサインを出してくる。

あの黒いの。カマキリみたいな姿のが、単独で這いずっている。お化けは明らかに嫌がって離れている。

多分あいつは。

お父さんの絵の中だけではなくて。

此処でも異分子なんだ。そうスールは思うと、色々と頭に来た。

一体なら問題ない、行ける。

そう判断したのか、リディーが攻撃の合図。皆で一斉に襲いかかる。

最初に突貫したアンパサンドさんが、残像を作りながら斬り付け、一瞬の気を引いたところにマティアスさんとフィンブルさんが、タイミングを合わせて斬りかかり、突き込む。一瞬気は取られたが、カマキリっぽい奴は双の鎌を振るって二人の攻撃を同時に捌く。しかしその時にはスールが後ろに回っていた。

至近に、クラフトを落とし。

全員が一斉に飛び退いていた。

爆裂。

悲鳴を上げて、ずたずたになった黒い体をのたうち回らせる黒い影に。

傘を向けたルーシャが、光弾を放つ。

それは光弾ではあったけれども。

途中で分裂し、複数の角度から、カマキリみたいな奴をズタズタに切り裂き。再び傘へと戻っていった。

近付いて、死体を調べて見る。

何だかよく分からない欠片みたいなのがある。一応、油紙で包んで回収しておく。多分これも持ち帰る事が出来るはずだ。

あいつ一匹でも、クラフトの至近爆破に耐えた。

多分複数が相手になってくると、かなり厳しい戦いになる。戦いはできるだけ避けるか、それとも分断するか、考えなければならないだろう。

前回のキャンプに到達する前に、二度蝙蝠の襲撃を受け。

二度とも撃退。

一旦キャンプで休む。

アンパサンドさんに、その時聞かれた。

「スールさん、どうしたのです。 お化けが恐い恐いとあれほど騒いでいたというのに」

「ちょっとお化けってどういう存在なのかなって考え直してみてね」

「ほう」

「そうしたら、まだ恐いけれど……足が竦む程じゃなくなった、かな」

アンパサンドさんはしばらく鋭い目で此方を見ていたが。

頷いて言う。

「もう大丈夫なようですね。 少し休んだら先に進むのです」

「分かりました」

リディーが応えて、皆の応急処置を済ませると、先に進む事に決める。

途中、沼地に出て。

その上には、特に気色が悪い姿をしたお化け達が、たくさん踊り狂っていた。それはそうだろう。

あの沼地、一目で分かるほど危ない。

今回は革袋を持ってきている。

革袋に、沼地の水を汲んでおく。

猛毒か、それともよく分からないが。

いずれにしてもリディーによると、凄く強い魔力を感じるという。持ち帰る事が出来れば、或いは錬金術の役に立てるかも知れない。

しばし歩いて。

看板を見つける。

あからさまに悪意のある配置である。周囲にはお化けはいない。これそのものには危険は無い、と言う事なのだろうが。

それでも、遠くには相当に大きな蝙蝠が飛んでいるのが見えるし。

森の奥の方では、人影が蠢いている。

間違いなくあの黒い奴らだ。

ルーシャは少し距離を取って見ている。

ああなるほど。大体分かった。

リディーが近付いて看板を読み始めるので。スールもそれに近付くが、まあどうせ碌な事が起きないだろう。

こう言うときの勘に関しては、スールは自信がある。

もっとも、前だったらそれを察して取り乱していただろうけれど。

今は特にそうでもない。

「ええと、この看板を読んだ貴方は……呪われてしまいました。 呪いを解除するためには、森の奥にある墓場に向かってください」

「ふーん」

「あれ、スーちゃん、反応薄いね。 キャーキャー泣くと思ったんだけれど」

「うん。 だってこれ、明らかに意図が分かりきってるもん」

もし本当に危険で悪意があるのなら。

もっと巧妙なやり方で殺しに掛かってくるはず。

そう、荒野に満ちている獣たちのように。

だけれどここにいるお化け達はそうしない。

ならば、違うと言う事だ。

ひょいと、隣に飛び降りてくるアンパサンドさん。

ハンドサイン。

此方の方向に、何か大きな石を並べた場所がある。

木の上に登って、周囲を確認してくれていた、と言う事なのだろう。

頷くと、すぐに其方に行く。

むしろマティアスの方が慌てている程だった。

 

途中、二度。

群れからはぐれたらしい黒いのと遭遇した。

一度は兵士みたいな奴。

小柄だったけれど、槍を振り回して、非常に的確な攻撃を繰り出してきた。しかも、二体だけだったのに。連携を極めて巧妙に行って、マティアスの攻撃もアンパサンドさんの陽動も防ぎ続け、爆弾やルーシャの傘の光弾を警戒して常にインファイトに持ち込み続け、相当に倒すまで消耗した。

もう一度は、翼が生えた鎧みたいな奴だったけれど。

此奴は兎に角動きが素早くて。

木々を切り裂くようにして戦う上。

体にかまいたちを纏っているのか。

近付くだけで、アンパサンドさんの手足が切り裂かれるのが見えていた。

仕方が無いのでマティアスに防いで貰い、無理矢理爆破して倒したが。

今後同種と戦う時はかなり厄介かも知れない。

気をつけて行かないと危ない。

そう実感させられた。

戦いが終わった後。

傷ついた森を見て、何とも言えない気持ちになる。木々を痛めつけるというのが、これほど罪深い事だったのかと、見て感じてしまった。

お化け達が、周囲に集まって。

心配そうに木を見ている。

あの様子だと、黒いのは森なんて関係無し、と言う事なのだろう。何もかもを破壊し尽くし、顧みることさえしない。

まるで本物のバケモノだ。

いや、本物のバケモノなのだろう。

少し開けた場所に出たので。

またキャンプにする。

アンパサンドさんの手当をしつつ。話を軽くする。

「あの木、どうにかできないかな。 あんなの酷いよ。 あの鎧みたいな奴、許せない」

「栄養剤でも作って見ます? ああ、でも二人にはハードルが高いかしらね」

「む……」

挑発的に言うルーシャ。

分かってはいても、ちょっとむっとする。

栄養剤か。

イル師匠の授業を受けているときに聞かされた。錬金術師の大事な仕事の一つ。それは緑化である。

荒野の世界を少しでも緑で覆う事には大きな意味がある。

街を森で守れば、獣による襲撃を著しく減らす事が出来る。アダレット王都が、何よりの見本だ。ドラゴンや邪神ですら森には攻撃しないと言う事だし、森を作ることにはそれほどの意味がある。

街道を森で守れば。

匪賊以外の危険は気にしなくても良くなる。護衛も最小限で行き来できるようになるのは素晴らしい。

だが、荒野は。

簡単には緑に覆われてくれない。

栄養剤には難しい材料が必要だとかで。

余程優れた錬金術の技術があるか。それとも、ネームドなどの体内にある高圧縮された素材を用いるか。

そのどちらかの条件を満たさなければならないという。

「それにしてもあの黒いの何? 許せない。 ファンガスくらいしか、森の中で暴れる奴はいないと思ってたのに」

「レンプライアと呼んでいるらしいですわ」

「レンプライア……」

聞いた事もない。

少なくとも獣では無い、と言う事だろうか。

そんな名前の獣は、少なくとも知らない。

森を平然と傷つけるような獣だ。

少なくとも、危険度という点では尋常では無いはず。そんなのがいたら、知られている筈だ。

フィンブル兄を見るが、知らないと首を横に振る。

「ルーシャ、詳しく教えて」

「な、何ですの急に」

「お願い」

「……く、詳しくはわたくしも知りませんわ。 ただ、どうやら全ての不思議な絵に共通して姿を見せる、という話らしいですが」

そうか、やっぱり。

いずれにしても、はっきりしている事がある。多分あれは不思議な絵に出現する特殊な存在で。

もしも外の世界に出て来でもしたら。

それこそ大変な事になる、と言う事だ。

この世界は今でさえ過酷すぎるほど過酷なのに。

あんなのが外に大挙して出てきたら、それこそ世界の法則が粉々に壊れてもおかしくはないはずである。

ましてや、一匹ずつであの強さ。群れがどれだけの規模かは分からないけれど。全ての絵に共通して現れるとなると、ちょっとやそっとの規模じゃないだろう。

ドラゴンや邪神と比べると弱いかも知れないが。

森を平然と破壊する事や。

人間に対する異常な攻撃性を考えると。

森に何の配慮もしない分、普通の獣よりも危険度は高いと考えなければならない筈である。

手当も終わったので、先に行く。

いずれにしても、奥にある墓地とやらに招かれているのだ。

其処でさっさと作業を済ませなければ、調査終了とはいかないだろう。

荷車を確認して、まだ余力はあることはしっかり見ている。

これならば多分大丈夫なはずだ。

そしてこの不思議な絵では、即時撤退が出来ると言う強みもある。今の時点では、そこまで気にしなくても大丈夫な筈だ。

そして、姿を見せる。

この間群れを成していた黒い奴ら。

その中で、間違いなく最強だとアンパサンドさんがいっていた。下半身がない大きな人型。

それが森の中を這いずっている。

それにしても大きい。

腕は太く強靱で。

あれが暴れ狂ったら、辺りの森は滅茶苦茶にされてしまうだろう。せめて、森がない所に引きずり出せれば。

うけけけけと、声を立てながら。

生首がスールの前に降りてくる。

流石にまだまだ至近で見ると、お化けは恐い。ひっと、小さな悲鳴を漏らしてしまうが。それでも何とか耐え抜く。

「おいお前ら。 錬金術師だろ、けけけ」

「な、何!?」

「あのデカイの、どうにかしてくれよ。 彼奴森を傷つけ放題で、手に負えないんだよ」

生首のお化けは、かくかくと極めて気持ち悪い動きをしながら言うが。

それが理由あっての事だと分かっているから、スールは生唾を呑み込みながら、話を聞く。

アンパサンドさんが周囲を警戒。

彼奴がいるという事は、他に黒いのがいる可能性が高い。レンプライアか。まあともかく、そいつらが伏せていてもおかしくないという事だ。

リディーが咳払いする。

「他の黒いの、引きつけて貰えますか?」

「引きつけるだけなら良いが、あんまり時間は稼げないぞ。 彼奴ら生き物だろうが俺たちお化けだろうが、見境なく殺しに来るからな。 ま、俺たちは死なないけどな。 森はそうはいかねえし……」

「それなら、あの大きいのやっつけた後、他のを連れてきてください。 全部やっつけます」

「そうか、それはありがたい。 ただ彼奴ら、他の錬金術師がやっつけても、また湧いてくるんだよなあ」

そうか。

荒野の獣と同じ、ということか。

厄介極まりないけれど。

それでも、あんな大きいのを放置しておくわけにはいかないだろう。

一つ分かっている事がある。

絵の中とは言え。

此処はきちんと形を為している、一つの世界だ。

ある程度の修復機能はある様子だ。

その証拠に、この間持ち帰った草の分、また草が復活していたからである。

だけれども、流石に大規模に壊されると、簡単には元に戻らないだろう。あのでっかいのは、やっつける意味が充分にあるはず。

「合図を出しますので、そうなったら残りを全部集めてください。 では、黒いのを引きつけ始めるのを確認したら、此方でも大きいのにしかけます」

「できるだけ、森は傷つけないでくれよな」

「分かっています」

リディーが頷くと。

生首のお化けは、空中に飛んで行って。

何だか凄い金切り声を上げた。

耳を塞いでしまうが。それと同時に、森が一斉にざわめき始める。文字通りのざわめきの森だ。

そして、あの黒い大きいのの周囲に、一斉にお化けが姿を見せ。そして案の定隠れていた黒い奴ら、レンプライアが姿を見せる。十体以上はいると思う。これは安請け合いをしてしまったか。

お化け達が挑発しながら、レンプライアを引きつけ始める。

大きいのもゆっくり追い始めるけれど、なにしろ巨体だ。どうしても時間差が出てきてしまう。

タイミングを見て、リディーがハンドサイン。

攻撃開始の合図だ。

丁度沼地に大きいのがさしかかり。平然と沼地を泳ぎ渡り。対岸に出た瞬間を狙った。木も生えていない箇所だ。奴が移動する途中で、木々をなぎ倒していたのが心苦しいのだが。

ともかく叩き潰す。

フラムを投擲。

爆破。

悲鳴を上げながら、黒いのが右手を振り上げる。何だかまずい。全力でマティアスがシールドを張るが。

奴が手で地面を叩いた瞬間。

強烈な衝撃波が、周囲を蹂躙していた。

何だアレ。

詠唱の類をしていた様子も無い。シールドを一撃貫通されて、マティアスごと何人か吹っ飛ばされる。スールもその一人だ。

アンパサンドさんは木の一本を蹴って上空に躍り出。

そして、果敢に大きいのに挑んでいるが。

あれはまずい。

人型には口もないし、というか急所らしいのが殆ど見当たらない。

体を振り回し、腕を振るうだけで、凄まじい業風が噴き上げる。

グリフォン以上のパワーだ。

しかも、攻撃で繰り出される風に、強い魔力が籠もっているようで。風が起きるだけで、辺りの地面が抉られ、或いは爆ぜる。

アンパサンドさんも、長時間は保たないはず。

フラムを浴びても、殆ど効いている様子が無い。

「オイフェ!」

「はい!」

頭を振り振り立ち上がったルーシャが、オイフェさんをけしかける。両手にナックルを嵌めたオイフェさんが大きいのの至近に踊り込むと、コンビネーションブローを鮮やかに叩き込む。

ああいう戦い方をする人だったのか。バリバリのインファイターだったわけだ。確かに支援専門らしいルーシャの従者としては、それが適切な戦い方か。

更に、完璧なタイミングで、ルーシャが光弾を放つ。

貫通。

だが、巨体の傷が、見る間に塞がっていく。流石にルーシャもうそおと叫んでいた。

これは、一気に潰しきらないとだめか。

多分、リディーも同じ事を考えたのだろう。ハンドサイン。

頷くと、飛び出す。

オイフェさんとアンパサンドさんを同時に相手にしている大きいのに、更にリディーの強化魔術支援を受けたマティアスが躍りかかり、斬り伏せる。

そして、腕を振るい上げた所を、フィンブルさんが全身ごとぶつかるようにしてチャージし。動きを一瞬でも止める。

其処に踊り込んだスールが。

マティアスが作った傷口にフラムをねじ込み。

そして叫んだ。

「引いてっ!」

「オアアアアアアアアッ!」

拳を振るい、傷口が塞がる中、叫ぶ大きい奴。致命的な異物をねじ込まれたことに気付いたのだろう。

皆飛び下がる。

その拳が擦って、スールは思いっきり吹っ飛ばされて、木に叩き付けられ。ずり落ちる。スーちゃん。リディーが悲痛に叫ぶのを聞きながら、スールはぐっと拳を握り込み、起爆ワードを唱えた。

爆裂。

流石に内側から爆破されてはどうにもなるまい。

大きいのが、消し飛び。そして、流石に再生出来ず、塵になっていく。あの変な欠片も、少し残していく様子だ。

駆け寄ってきたリディーがスールを抱き起こすが、呼吸を整えながら、大丈夫と応える。

痛みで体中バラバラになりそうだけれど、まだメインディッシュが残っているのだ。

合図の魔術を、ルーシャに打ち上げて貰う。

同時に、どっと十体前後のレンプライアが、此方に殺到してくるのが見えた。彼奴らを此処で。森に可能な限り迷惑を掛けない場所で始末して。

それで。

意識が飛びそうになる中。見える。

あの巨大なのと戦い、一撃ごとに体中に傷をつけられていたアンパサンドさんが、真っ先に敵陣に踊り込んでいく。

厳しい事を言う人だけれども。

あの勇敢さ。

騎士として、皆の盾となるあり方。

本物の騎士で。だからこそに、スールも悔しいけれど、その言葉には重みがある事を感じる。

リディーが指示して、一体ずつ各個撃破に持ち込んでいく。

勿論その間、回避盾としてフルに暴れ回ってくれるアンパサンドさんの立ち回りが、皆の負担を減らしてくれる。

完璧なタイミングで相手に隙を作り。

そこをマティアスやオイフェさん、フィンブル兄がついて、次々と敵を屠っていく。スールも無理矢理傷薬をねじ込んで後半からは参戦。

最後の一体は、リディーの支援魔術を受け。

首を蹴り折ってやった。

呼吸を整えながら、戦いの跡を見る。

レンプライアとやらの残骸が多数と。

傷だらけの皆が。

誰も欠けず立っていた。

 

3、墓場の意味

 

キャンプを張ってしばらく休む。さっきのお化けが来て、うけけけけと笑いながら、報告してくれる。

「あいつらをやっつけてくれてありがとうよ。 森はかなり酷い事になったが、この森は良い土にも恵まれているし、じきに回復するだろう。 俺たちも手入れするしな。 うけけけ」

「ごめんなさい」

「どうして謝る」

「その、やっぱり一杯木を傷つけてしまったから」

そうかと、お化けは神妙に言う。

そして、少しだけ時間をおいてから言った。

「俺たちは憎まれ役だ。 子供を危険から遠ざけ、そして守るべきものを守らなければならない。 それなのに俺たちには思われているほど力がない。 だから今回は力を貸してくれて助かったぜ、錬金術師。 お礼に、墓場で呪いを解いてやった後、ちょっと良いものをやるよ」

けけけと笑いながら。

お化けは去って行く。

傷はとりあえず皆回復させたが、体力まではそうもいかない。何より、傷薬は使い切ってしまった。

アンパサンドさんは、かなり手傷を受けていたが。

直撃は一発も受けていなかったし。

肌を裂かれる事くらいは、何とも思っていないのだろう。

傷の手当ての時も、顔色一つ変えなかった。

誰もが分かっていたのだろう。

今回は、一番奥まで一気に行くと。ただでさえ森を傷つけたのだ。回復はするといっても、絵の世界でも流石に一瞬でとまではいかないだろう。

できるだけ、体勢はできるだけ急いで整える方が良い。

一通り手当を終えてから。

さっきアンパサンドさんが示した方へ行く。

森を抜けると、草原に出たが。たくさんのお化けが。非常に恐ろしい、とても危険そうな姿をしているお化け達が。楽しそうに歌ったり踊ったり、笑ったりしながら。空を飛び交っていた。

此処はお化けの楽園だ。

あの黒いのは、お化けの楽園を傷つける邪悪。

そう、人間社会における匪賊のような存在。

だから、それがいなくなって。

皆喜んでいる、と言う事なのだろう。

やっぱりお化けは恐い。気持ち悪いと聞かれれば、うんと応える。だけれど、お化けの存在する意味を知った今は。

お化けが気持ち悪いから排除するとか。

気持ち悪いから吹き飛ばすとか。

そういう考えを持とうという気には、絶対になれなかった。

そんな考えは傲慢の極地。そんな考えを持つような人間は文字通り恥さらしだ。

お化け達がいない所を歩きながら。

鉱石や薬草を採取して、歩く。

お薬の材料も鉱石も、必要なだけあった方が良い。それに、レンプライアの破片。何かの役に立つかも知れない。

歩いて行くと。やがて見えてきた。

墓場だった。

墓場にはまた看板がある。お化けは遠巻きに見ているし、多分此処は安全な場所なのだろう。

呼吸を落ち着けながら、看板を見る。

其処に文字が浮かび上がっていくのを見ても、もう恐いとは思わなかった。

「呪いを解きたければ、お墓を綺麗に掃除するのだ、だって」

「……そうだね。 やろう」

「すまん、俺たちは見張りをするが、それでいいか」

「お願いします。 またレンプライアに襲われたらたまりませんので」

マティアスに、リディーはそう返すが。

アレは多分、マティアスが墓をただ掃除したくないとみた。

ルーシャは手伝ってくれるようだが。

オイフェさんも見張りに回ってくれる。

さっき、あの大きいの相手に、インファイトを挑んで、一歩も引かなかった戦闘力。非常に頼りになる。

ルーシャが常に側に置いている訳である。

相棒として完璧な存在なのだろう。

そういえば、どうもあの無表情ぶり、それにあの無機質なまでの忠義。どうもイル師匠の所のアリスさんを思わされるのだが、気のせいだろうか。無体なまでに強いのも共通している。

メイドはみんなあんななのだろうか。

いやいや、ありえない。

ともかく、お墓の掃除は慣れている。

お母さんのお墓の掃除は、教会に行くたびにしているのだから。

途中で、井戸を見つけた。

もの凄く澄んだ綺麗な水で、思わず生唾を飲み込んでしまうほどだ。これも革袋で確保しておく。

湧かさなくても飲めるかも知れない。

こんな綺麗な水、街中の井戸水とは比べるのも失礼なくらいだ。

ともかく、確保しなかった分を、そばに合った桶を使って撒いていく。墓を丁寧に綺麗に掃除し終えると。

お化けが降りてきた。

「よーし、合格。 お前達、墓の掃除は手慣れてるな。 理由は、聞かない方が良さそうだな」

「……ありがとうございます」

「墓はどうして掃除すると思う?」

「えっと、その……亡くした大事な人を思うため、ですか?」

違うと、お化けは言う。

そして、少し真面目な口調になった。

「人間ってのは、俺たちみたいなのを産み出さなければならないくらい脆弱な存在なんだよ。 精神的という意味では特にな。 だからこそに、過去の積み重ねが人間にとっての武器になっている。 そんな武器を作り出してきたのは、お前達の先祖なんだぜ。 墓を大事にするって言うのは、この荒野に対抗できる力を、積み上げ作り上げてきた先祖全てへの感謝のためなんだ」

「……そう、なんですね」

「そうなんだ。 だからこれからも墓参りはするようにな。 人間の歴史は愚かな争いの歴史でもあるが、その一方で偉大な先人もたまにいる。 匪賊のような屠るべきクズもいるが、偉大なる発明をする者もいる。 だから、せめて偉大な先人にだけは感謝を忘れるな。 俺たちの世界を作った奴も、そんな意図を込めたんだぜ」

生首に内臓がぶら下がったお化けは、少し茶目っ気を込めて言う。

説教臭いとは感じなかった。

すっと頭に入ってくる言葉だ。

シスターグレースに聞かされた言葉とも被る。

お化けはどうして産み出されるのか。

それは、人間の知恵の一つなのだ。

「お前達はあの厄介ものどもをやっつけてくれたし、歓迎するぜ。 ……多分また定期的に湧くと思うから、処理しに来てくれよな」

「分かりました!」

「ありがとうございます!」

「これが約束の礼だ。 持っていけ」

何か、黒い球体を渡される。

ルーシャがうっと呻いたが。それほど凄いものなのか。

やがて、辺りが光に満ちて。

絵から追い出されていた。

絵は、変わった様子は無い。ただ、何となくだけれど。

やはり、前見たときとは。

印象がまったく変わっているように、スールには思えた。

ルーシャが心底悔しそうに言う。

「そんな良いものを貰うなんて……」

「えっ!? ルーシャ、これそんなにいいものなの?」

「スー、それは深核というものです。 詳しくは貴方のお師匠様にお聞きなさい」

「う、うん……」

もの凄く悔しそうなルーシャが、オイフェさんを連れて、先に切り上げる。咳払いすると、アンパサンドさんがそれを見送りながら言う。

「此方から報告書は出しておくのです。 自分達でもざわめきの森調査完了については、レポートを数日以内に出すのですよ。 レポートの書き方は、「お師匠様」にでも聞くのです」

「はい」

「今回もありがとうございました!」

「おーう。 じゃあな」

マティアスが片手を上げると、あー恐かったとかぼやきながら帰って行く。そして、フィンブル兄が、苦笑しながら、荷車を階段の上に押し上げるのを手伝ってくれた。スロープがあるとはいえ、結構重労働なのだ。ましてや二連結なのだし。

お城を後にして、アトリエに戻ると。フィンブル兄に頭を下げて礼を言う。気が利かないマティアスと違って、この人は何というか、きちんと気を遣ってくれて嬉しい。

後はゆっくり眠る事にする。

流石に勝手が違う相手との死闘だったし、兎に角疲れた。

それにしても、リディーの判断は的確だった。

最初にレンプライアと戦った時。そのまま戦闘継続していたら、恐らく死者が出ていただろう。

あの大きい奴、それくらい強かった。

他と引き離さなければ、きっと倒せなかった。

ベッドでぼんやりしているスールは、リディーに揺り起こされる。夕食だ、というので。起きだして、適当に食べる。

その途中で聞かれた。

「スーちゃん。 どうやってお化け嫌い克服したの?」

「シスターグレースに聞いて来た」

「……」

「シスターグレース、教えてくれたの。 お化けってのがどういう存在で、なんで恐いのかって。 墓場で言われた通りのことを言われたよ。 そうしたら、怖い事は怖いけれど、すっと何処かでらくになった」

しばらく黙っていた後。

リディーは、何度か言葉を飲み込んだ後、言う。

「良かった。 私じゃどうにもできなくて、困ってたんだよ」

「へへ、シスターグレースは流石に凄いよね」

「そうだね」

「あの人、本物の霊や霊が動かす死体と戦ったこともあるんだって。 でもお化けって言うのは、そういうのとは完全に違う存在だって話してくれたよ」

食事を終えると、今度こそ休む事にする。

まずは深核について聞いて。

鉱物や薬草についても聞いて。

それからそれから。

そうだ、風の爆弾の作り方と。

レポートの書き方も聞かなければならない。

まだ出来ない事だらけだ。

夢の中に落ちながら。

スールはまだまだ半人前は抜けられそうにないなと、自分に苦笑いしていた。

 

イル師匠は、事の経緯を聞くと、頷いた後。まずは回収した戦利品を一つずつ見てくれた。

やはり鉱石は相当な品質らしい。ツィンクの高純度鉱石。シルヴァリアの鉱石。更には、ゴルトアイゼンも低純度ながら含まれているという。

凄い。

一気にゴルトアイゼンの鉱石を手に入れられたか。

薬草も珍しいものがたくさんあったが。その中には毒草も含まれていて。思わずひやりとした。

更に、糸の素材にできる強固な蜘蛛の糸。スールは流石に触るのは嫌だったが、蜘蛛は虫では無いとイル師匠に断言されて、以降は反論を許されなかった。

ウィングプラントについても、褒められた。

これは相応の貴重品で。

ラスティンでは彼方此方にあるらしいのだけれれど。アダレットでは相当に珍しい品なのだという。

Fランクに上がったあとにこれを材料とした風爆弾、ルフトの作り方を教えてくれるというので。

それはとても嬉しかった。

そして、深核を見せると。

イル師匠は思わず押し黙り。

入手の経由を話すと、そうかと大きなため息をついた。

「これはね、ネームドの体内から採れるものよ。 ドラゴンの体内から採れる竜核ほどではないけれど、極めて貴重な品ね。 並みの錬金術師が容易く手に入れられるものではないわ」

「えっ……」

「そして、荒野に緑を満たすために必要な栄養剤の貴重な素材にもなるの。 覚えておいて、これは戦略級の物資。 一つ一つが、下手をすると何十人の命を消耗して入手するような代物よ。 そして街を守り、街道を守る事が出来る植物の苗床にもなる。 雑な扱いをしたら絶対に許されないほどの貴重品よ」

そんな凄いものなのか。ルーシャが悔しがる訳だ。

そしてスールは怖くもなった。

それほどの貴重品を手にしたのだ。

雑に扱ったりしたら、それこそイル師匠に殺されるだろう。この人が怒ると怖い事は、何となく勘で分かっていた。

続けて、座学に入る。

レポートを出さなければならないのだ。

そして騎士団側のレポートともあわせて精査するため。

レポートに美辞麗句を連ねたり。

都合が悪いことを書かないことは許されない。

そうはっきりも言われた。

アンパサンドさんは、何しろホムである。不正は絶対にしない。自分のミスだって何の躊躇も無く申告するだろう。他人に厳しいだけでは無く、自分にも同じように厳しい人なのだ。多分一番自分に厳しいのでは無いか。

それならば、確かに。

自分に都合が悪いことを書くことは当然だ。

勿論成果についても書かなければならない。

此処も、謙る必要はないと、イル師匠は言う。

何が起きたかだけを書け。

そういうことだった。

「ええと、蝙蝠を二匹、いや三匹狩った以外は、レンプライア……だっけ。 あれを合計で何匹倒したっけ」

「ええとね……」

「レンプライア、やっぱり出たのね」

「はい」

イル師匠は腕組みして考えていた。

まずはレポートを仕上げる。

何があったかだけを箇条書き。これは黒板を使って行う。ゼッテルは貴重品だ。試し書きなんてとてもできない。

人によっては魔術によって空中に文字を浮かばせることもできるけれど。

そこまでリディーの魔術はすごくない。

ともかく四苦八苦しながら、お化けに言われた事まで、きっちり書き。回収した素材もリスト化する。

そういえば、深核は戦略物資だと言われていた。

返せ、と言われるのだろうか。

だとしたらちょっと悔しいけれど。

思考を先回りしたように、イル師匠に言われる。

「心配しなくても、不思議な絵画で回収した物資は、錬金術師のものよ。 ただし悪用した場合のペナルティは尋常じゃあないわ」

「……ハイ」

「はいじゃない。 深核はあらゆる使い路があって、使い方次第ではこの王都を根こそぎ吹っ飛ばす事も可能よ。 自分達が手にしている力の大きさを、もう少し理解して、しっかり把握しなさい」

ちょっと逆鱗に触ったか。

イル師匠にがみがみ怒られてしまった。

勿論ちょろまかすつもりなんてないけれど。もしも悪事に使ったらどうなるか。師匠であるこの人にとっても、他人事ではないのだろう。

その後は、箇条書きにされた出来事を、レポートにまとめていく。

レポートについては、仕様をイル師匠が見本として作ってくれていた。

すぐにリディーがメモを取る。

ざっと見るけれど、なるほど。

とてもわかり安い。

ただ蘭を埋めていくだけで良いし。

特に書き方に工夫も必要ない。

何があったかだけ分かれば良い。そういう事に特化したレポートだ。そして、イル師匠の話では、それで良いと言う事だった。

言われるまま、レポートを埋め。

そして何度かチェックして貰う。ゼッテルの場合、インクで書くので、取り返しが利かないのが厳しいが。

これはもう、慣れるしかないだろう。

リディーに書くのは任せて。

サインだけはスールもする。

今はそれでもいいだろう。

そう、イル師匠は言ってくれたけれど。

いずれスールにも、これは出来るようになら無ければならないことだと言うことは、嫌と言うほど分かった。

夕方近くまで座学をして、レポートを書いて。

その後は城の受付に出しに行く。

レポートを受け取って貰った後。

やはり、結果は翌日にという話をされた。

まあ、即座に判断するわけにもいかない。

それにテストは二段階。

どちらも合格だったのかは。

正直分からない。

流石に一段階目の試験であるグリフォンの営巣地討伐がダメだったら、二段階目の不思議な絵の調査が入るとは思えないし。

後は調査のレポート次第か。

とにかく、疲れたので家に帰って休む。

お父さんは、帰ってきていなかった。

どんどん帰ってくる頻度が減っている。そういえば、もう少しでお母さんの命日だったっけ。

夕食をリディーが作るのを目で追う。

「ねえ、リディー」

「何? メニューはね」

「いや、手伝おうか」

驚いたようにリディーが手を止めるが。

やがて咳払いすると。

魔力を注ぐと熱を発する道具。錬金術の器具らしいものに触れる。昔のお父さんが作ったキッチン用具だ。今も現役で動いている。

これのおかげで、うちは枯れ木を一とする燃料を必要としない。

アダレットではこれの普及率があまり高くなく。

王都のそこそこ裕福な家や。

重要な施設にしかない、と聞いている。

スールがその事実を知ったのは、一人で外を見て回っていたとき。

最貧民は暖を取る方法にさえ苦労していて。

熱の魔術を使える有志が、回って貧民を救助していたくらいだった。

リディーが極貧生活だと思っているようだが。

こういう所からも、うちは極貧じゃない。

「いいよ。 スーちゃん戦いで頑張ったし、お化けにも頑張って接したし、だから休んでて」

「うん……でもさ、スーちゃんもそろそろお料理くらい出来るようになら無いと、ダメかなって」

「食材は高いって忘れてる? 今はまだ考えなくて良いよ」

「……」

確かにスールが料理したって、ロクなものが出来る筈もない。ただでさえ大きい負担をこれ以上大きくする必要はない、というリディーの判断は正しいと思う。

しかし、料理くらいできないと。

今後何かあった時、対応出来なくなるのでは無いのだろうか。

夕暮れの裏庭に出ると。

アンパサンドさんに教わった動きを試す。

最初は意味不明にうねうね動いているだけだと思っていたけれど。

やはり試していると、少しずつ、確実に分かってくる。

使っていない筋肉を使い。

使っている筋肉は引き締め。

大味だった動作を細かく制御出来るようにし。

どの筋肉をどう使っているのか、自覚できるようにしていく。

それを意図している動きだ。

勿論他人に見せると不気味がられるだろうし。

事実シスターグレースが人前でこれをやっているのを見た事はない。

一通り動きを追えてから。

残心。

残心も、今までは殆ど意識していなかったが。

こう言う一連の動作を終えてから、残心をすることによって。体に「終わり」という事を告げる効果があることが、何となく分かり始めていた。

無意味な事ではないのだ。

家に入ると、丁度夕食ができていたので。

おいしくいただく。

その後は、調合を軽く復習して。

本を読んでいるリディーを横目に、今までやってきた事を、順番に丁寧にこなして行く。

もうクラフトは自力で作れるようになったし。

蒸留水は、ここぞの時に使うために徹底的に蒸留した切り札を、幾つもコンテナに用意している。

リディーは錬金術に関しては明らかにスールより呑み込みが早く。

本で読んだことを実践できる。

悔しいけれどスールにはそれができないから。

手数を増やして練習し、少しでも追いついていくしかない。

でも追いつけるのか。

パイモンさんが言っていた。

錬金術は才能の学問。

たどり着ける場所は決まっていると。

もう、スールがたどり着ける場所についてしまっていたら。

いや、それはない筈だ。

もし其処までいってしまっていたのなら。

イル師匠に、反復練習と復習をしろなどと言われることは無いはずなのだから。

後は寝るまで。

スールは調合を。

リディーは読書をする。

どちらにしても、試験の結果が届くのは明日の昼以降だろう。

焦る必要などない。

多分アトリエランク制度の決済については、ミレイユ王女がしている筈で。そういう意味でも結果がすぐに来る筈もない。

適当な時間に、休む。

やはり今日も。

お父さんは帰ってこなかった。

 

予想通り。

翌日の昼を少し過ぎた頃。調合をしているスールと、本を読んでレシピを書いているリディーが、同時に顔を上げる。

ドアがノックされ。

マティアスが来たからだ。

勿論、蜜蝋で封じられたスクロールを持っていた。

「よー、リディーにスー。 ほら、お届けものだ」

「ありがとうございます」

「マティアス、完全に使いっ走りだね」

「はあ、お前の暴言には慣れたけどな。 俺様一応王族なんだけど」

違うな。スールは内心で思う。

まずミレイユ王女にとって、マティアスは有事における万一のスペアでしかない。

アンパサンドさんに告げている言葉からもそれは確実だ。

今はアダレットの王宮は落ち着いているらしいけれど。

腐敗が酷かった時期があったと聞いてもいる。

もしもそんな時期だったら。

ミレイユ王女は、容赦なくマティアスを消していたかも知れない。

そしてミレイユ王女が誰かしらと結婚して子供を作ったら。

王位は其方に移る。

まあ即位がまずは先だろうが。

今は忙しいし予算も厳しいしで、即位どころではないだろうし、まあそれはそれだ。

ともかくマティアスは余程の事が無い限り。

王座に就くことはないはずだ。

だからこそ、いわゆる捨て扶持で騎士団に在籍しているし。

監視役までつけられている。

ただ、マティアスはマティアスで。

多分その危うい立場を理解出来ているはず。

だからこそ、ひょっとして。

バカだと自覚した上で。

バカをやっているのではあるまいか。

少なくともミレイユ王女に反抗するような態度を取ったら、それこそ闇に潜んでいる前王のシンパ。

つまり国が腐敗している方が都合が良い連中が、這い出てきて。マティアスを担ごうとするかも知れない。

マティアスの態度を見ているからこそ。

ミレイユ王女は前王を殺さないし。

マティアスも殺さないのだろう。

公認スパイも受け入れているのだ。

マティアスに叛意がないのは、それこそ誰にでも分かる。

この辺りの難しい話は、勘と、色々な人の話を組み合わせて作った推察だけれど。スールは時々こういう難しい結論がすっと出てくる。

勘というのは強いもので。

理屈を時々越えてくる。今回も、結論に理屈をヒモづけただけで。実際には違うと言う勘による判断が先に来ていた。

「とにかく、渡したぜ。 それじゃな」

それっぽく格好良いポーズを取ると、マティアスが帰って行く。

はあと嘆息するリディー。

本当に嫌いなんだなと、色々察してしまうが。

まあいい。嫌いでも、「触ったものを触るのも嫌だ」とか、幼児じみただだをこねる訳でも無いし。戦闘ではきちんと戦力として適切に運用している。自分の嫌いは横に置いて、きちんと対応はできている。

……嫌いというだけで、足が竦んでお化けに震えあがっていたスールとは偉い違いである。

ともかく、スクロールの中を見る。

「これよりリディーとスールのアトリエをFランクとして認可する」

最初に合格を告げる文言があった。

まあ、分かってはいた。

不合格になるのだったら、もっと色々酷い展開になっていただろう。

死者を出したり。

或いは最後にお化けに怒られたり。

レンプライアを退治できずに、逃げ回って森を傷つけるばかりだったり。

そんな事になっていたら、不合格だったかも知れない。

「今までの義務に加えて、以下の義務を追加する。 1、騎士団との合同討伐任務。 2、騎士団への戦略物資(発破)の納入」

「えっ!? 二つも!」

「落ち着いてスーちゃん。 発破なら、フラムで大丈夫な筈だよ。 ただこの様子だと、多分戦闘用じゃなくて、土木工事用の発破だと思うけど」

ちょっとフラムのレシピを変えなければならないかも知れないと、リディーは考え込む。

そうなると、問題は。

騎士団との合同討伐任務か。

嫌な予感がする。

すぐに城にリディーと一緒に行って、詳しい話を聞く。

そして、その予感は的中した。

モノクロームのホムの役人が出てきて、細かい事を教えてくれる。

「合同討伐任務では、獣の他匪賊も狩るのです」

「……っ」

「本来なら匪賊だけなら錬金術師の力を借りるまでもないのですが、獣の討伐任務のついでに行う場合には錬金術師にも来て貰うのです。 まあ保険なのです」

ついに。

この時が来たか。

人間を食うようになった、最低限にまで落ちた人間、匪賊。

戦わなければならなくなる時が来る事は分かっていたが。

Fランクに昇格したと言う事は。騎士団の任務に同行して、匪賊を殺さなければならないと言う事か。

「ちなみに討伐任務での消耗物資については、後で請求して貰えれば給金として支給するのです」

「分かりました。 それで発破ですが、これは戦闘用のものですか?」

「いえ、掘削用のものです」

「分かりました。 ありがとうございました」

リディーが頭を下げると。

さっとスールの手を引いて、城を出る。

ショックがまだ抜けない。

家に戻ると、呼吸を整えながら、へたり込んでしまった。

殺さなければならないのだ。

人間を。

しかし、相手は獣同然、いや森を平然と傷つける時点で獣以下の相手。あのレンプライアと同レベルの存在。

殺す事を躊躇していてはいけない。

荒野で一番弱い生物は人間だ。

だから人間を殺して喰らうようになる匪賊は、出現するのがある意味当然とも言えるけれども。

それでも、やはり怖くて手が震える。

ましてや匪賊のアジトを潰すと、エジキになった人達の骨がゴロゴロ出てくる。場合によっては加工中の肉や内臓も。

震えているスールを、リディーが抱きしめる。

分かっている。いつかは通らなければならなかった道なのだ。

でも、まだ少し。

心を落ち着かせるのには、少し時間が必要だった。

 

4、処理

 

不思議な絵画はそれほど世界に多く存在していない。そもそも錬金術の奥義に近い場所にあるものであり。

最低でも一流と呼ばれる錬金術師にしか、作れないものだからだ。

何しろ、中に別の世界を作るのである。

あのパルミラの力の一部を行使しているのが錬金術の真実だとしても。

それを極めて高レベルに行わなければならない。

文字通り神の御技という奴で。

今、人間とは言い難い状態になっているわたし、フィリス=ミストルートでも。描けと言われたら、それなりに準備がいる。

丁度今。

威力を絞った矢を放って、レンプライアをまとめて串刺しにし、処理した後。

リア姉とツヴァイちゃんが警戒する中。

連れてきた騎士達が残敵を掃討するのを見届ける。

こうやって定期的に処理しないと、レンプライアが絵を汚染する。

そして最終的に絵は、今いるここのように、真っ黒になってしまう。

真っ黒になった絵は元に戻ることは無いが。

皮肉な事に、そんな絵でも高品質の素材は手に入るので、全くの無駄ではない。むしろ貴重な素材を手に入れられる良い場所であったりもするほどだ。

満ちあふれている悪意に耐えられれば、だが。

騎士達には、わたしが作った特別製のマスクをつけて貰っている。

此処に出るレンプライアの実力は他の絵の比では無く。

わたしが介入しないと、一戦ごとに死者が出るだろう。

ともかく、小物の処理を騎士団が終えたので。

荷車に素材を詰め込んでいく。

本来だったら、秘境に足を運ばなければ手に入らないような素材が幾らでも手に入るこの場所は。

確かに、廃棄してしまうには惜しい。

ソフィー先生の苛烈な発想には時々閉口するが。

此処を廃棄するべきでは無いと言う言葉に関してだけは、賛成だった。

「次に行きます。 負傷者はいますか」

「此方A班、全員問題なし」

「此方B班、同じく」

「はい、それでは此方に行きます」

絵の奥にはコアと呼ばれる強力なレンプライアがいるが。

これについては、雷神を倒せたら、双子のエサにする予定だ。もっとも、まだ雷神戦を一度も双子は乗り越えられていない。

万を超える回数繰り返して、である。

そろそろこの方法ではダメかも知れないとわたしは思い始めているけれど。

イルちゃんの話によると、今回は極めて成長が良いとかで、上手く行くかも知れないと言う。

その言葉を信じるのでは無く。

信じたかった。

またレンプライアが姿を見せる。

他の絵に出るのよりもずっと大きくて、威圧感も強烈だが。今のわたし達の相手じゃあない。

強いと言ってもネームドほどじゃないし。

ドラゴンとは比べるまでもない。

ドラゴンが出る絵もあるのだが。

それも本来のものよりかなり弱体化している。

それでいながら、竜核や竜の素材は凶悪な外のドラゴン同様採れるのだから。

不思議な絵が如何に便利な品物かは、よく分かるというものだ。

蹴散らした後、採取をし。

その後は、巡回がてらに、増えすぎているレンプライアを駆除。

コアが際限なく産み出すといっても。

所詮は下等。

今までの周回で、苦労する相手に出会ったことは無い。もしコアと同等以上のが出てきたとしても、別にどうとでもなる。

そして騎士団の演習相手に丁度良い。

ネームドほど凶悪ではなく。

その辺にいる小型の獣ほど弱くもない。

騎士団を鍛えるにはもってこいの相手というわけで。

利害は一致している。

ミレイユ王女も、この探索によって、被害なく騎士団の練度を上げられるという事実については、満足しているようだった。

適当な所で切り上げる。

今回も死者は無し。

騎士団の団員達は疲弊しきっていたが。それでも、充分な演習代わりになった筈だ。木剣やらを何も抵抗しない相手に振るうよりも。この方が遙かに良い。

エントランスに出ると。

イルちゃんが待っていた。

騎士団には先に引き上げて貰い。

リア姉とツヴァイちゃんにも、荷車を任せる。二人きりになった後、時間を止め。盗聴を避けてから、話を聞く。

「それでどうしたの?」

「想像以上に成長が早いわ。 これは今回が仮にダメでも、次以降に生かせるかも知れない」

「そろそろわたしが支援する頃かな」

「ううん、まだダメ。 次はほら、例の奴だから」

そうか。

確かにそうなると、余計にわたしが出るのは駄目か。

頷くと、幾つか打ち合わせをした後、時間停止を解除。今度は代わりにイルちゃんが、一人で絵画に入る。

レンプライアの掃除と。

恐らくは、双子とレンプライアの戦いで痛んだ森の回復のためだろう。レポートはわたしも読んだが、レンプライアは森を傷つける事を躊躇しない。まあそれもそうか。なぜなら、奴らの正体は。

首を振って雑念を追い払うと。

わたしはアトリエに戻るとする。

リア姉もツヴァイちゃんも、もう物資をコンテナに格納して、夕食を作ってくれている筈だ。

今は無心に。

家族との時間を楽しみたかった。

或いはそれは、わたしがまだほんのちょっとは人間であるから、なのかも知れない。

 

(続)