狂猛なる獣

 

序、巨体

 

話を聞き終えると、私イルメリアは、大きくため息をついた。成長がかなり良い。だからもっとストレスを掛けろ。簡単に言うとそういう内容だった。

比翼と言って良い親友であるフィリスも、心苦しそうにしていたが。

それでもやらせるしかあるまい。

少し早くなるが。

火薬の作成について教える時期だろう。

Fランクアトリエの試験には、最低でも火薬を用いた爆弾が必要になってくる。それだけ危険な敵と戦わなければならない、という事である。

適切な採取地は、この辺りについてはもう嫌と言うほど調べ尽くしてある。

今回も定番の場所で良いだろう。

問題は、火薬の調合は、今までの錬金術と比較にならないほどやばいという事だが。最悪、時間を止めて介入する必要も生じてくる。

勿論双子にそれを悟らせる訳にはいかない。

いずれにしても、前倒しで進めると言うことは。

それだけ危険も増すという事であって。

あまり楽観できる状態ではないのも事実だった。

しばし考え込んだ後。

アリスと話す。

「リディーの仕上がりは」

「まだまだ全然ですね。 筋は悪くないのですが」

「……厳しいわね。 誰か助けを追加しようかしら」

「ドロッセルさんはどうですか? 既に王都に来ている様子ですが」

ドロッセルか。

イルメリアも世話になった凄腕の傭兵。豪腕の持ち主で、巨大な斧を振り回す。近隣では有名な戦略級傭兵、フリッツの娘である。

なお教会にいるシスターであるグレースはフリッツの妻で。

三人揃って人形劇マニアという、人形劇一家でもある。

最近ではドロッセルもほぼ戦略級の傭兵として扱われるほどの実力になっており。

一家揃って戦略級傭兵という、ちょっと変わった三人である。

なおフリッツは相応に老けて見えるが。

シスターグレースは五十代にもかかわらず、二十代にしか見えないという超絶若作りである。

流石にアンチエイジング処置をしているらしいのだが。

それでもいくら何でも若すぎると言うことで。

時々口説こうとして、年齢を聞いて呆然とする奴がいるという話を聞く。その上子持ちの人妻である。

事実、この間も。

バカ王子として有名なマティアスが。

口説こうとして年齢を聞いて唖然とし。

口から魂が抜けたまま、教会を出て行くのを目撃した。

「ちょっとドロッセルを護衛につけるのは早いわね。 今アンパサンドが丁度良い具合に機能しているから、それで様子を見ましょう」

「しかし一段階強い火力の爆弾の製造方法を教えたとしても、相手がグリフォンとなると……」

「現状の戦力では厳しいわね。 何かいい手はないかしらね」

少し考え込む。

まだ双子とネームドがかち合うのは早い。

それはフィリスと意見が一致している。

故に、このグリフォン狩りでかち合う可能性が出てきていたネームド、疾風のかぎ爪は早々にフィリスに処理して貰った。

ならば、常に一対一の状況を造り。

それでもしもどうしても手に負えない場合は介入する。

それで良いだろう。

「アリス、先にアンパサンドに話をしておいて。 貴方の隠行に勘付く可能性があるのは現時点であの子だけよ」

「分かりました。 騎士団との連携強化の一環と言う事で話をしておきます」

「お願いね」

アリスがかき消えるのを見届けると。

イルメリアは調合を進める。

億年の記憶と経験。

錬金術がスムーズに進むのは当たり前だ。

なお双子に対する得点の開示は、双子と同年代の時の自分の作る薬を基準としている。そうしないと双子の心が折れるからだ。

数限りなく見てきた双子の死と錯乱と破滅。

今回は。

今回こそは回避したい。

私はいつも苦しんでいると、フィリスに指摘されている。

それについてはそうなのだろう。

一番厳しい立場。

双子を育て、指導する場所にいるのだから。

双子に対して愛着だって湧く。

心を捨てたつもりでも。

どうしても双子が死ぬ度に心は傷つく。悲しいとだって思う。その度に、消せない傷が心に増えていく。

今の私は怪物であろうとして。

人間を抜けきれない中途半端な状態だ。

フィリスはある程度割り切れているようだが。私は其処までの境地に達することはできない。

勿論何度だってやり直す覚悟はできている。

この世界が詰んでいるのは事実なのだ。

対応出来ない人間は、勿論それに対応しなくて良いだろう。

私もフィリスも。そして悔しいが、あのソフィーも。対応出来る力を持ってしまっている。

ならば対応しなければならない。

自分に扱えない力を求め、世界を救おうとすることをメサイアコンプレックスとかいうらしいけれども。

イルメリアの場合は、可能性としてそれができる。

できる以上、やらなければならない。

簡単な理屈だ。

アリスが戻ってきた。

アンパサンドは、話に乗ってくれたそうである。

「過保護ですねと、失笑されました。 元々かなり甘やかしているように見えているようですね。 ただ負担が減る事については、不満はないようです」

「変わったホムね。 其処まで闇が深い心を持ったホムは初めて見るわ」

「次回からも護衛を頼みたい所ではありますが」

「……そうね」

アリスはいつもあっさりと世界の最後までついてきてくれる。

ソフィーに反旗を翻すと言えば、躊躇なくしたがってくれるだろう。

昔はその献身を不気味がった事もあったが。

今では最大級の信頼に変わっている。

だからこそ。

信頼には応えなければならないのである。

手を幾つか回した後。

とにかく、少し早いがグリフォンを狩る事が出来るように、手配はしておく。手始めに火薬式の爆弾を教える事から、だろうか。

クラフトではどうしても限界があるが。

上手く置き石戦法を使えば、フラムの大量投入で、今の双子でもグリフォンを仕留められる筈だ。

もしもガチンコの戦闘になったときに備えて。

そろそろ頃合いか。

インゴットを加工し。

能力を引き上げるための装備品を作れるように、指南をしておく時期だろう。

ただし、自分から言い出さない限りは教えない。

手取足取りで教えていくと上手く行かない。

もう一万回以上やっていると。

双子をどうすれば育てられるかは、分かってきている。

問題は壁である雷神ファルギオルをどうしても超えられないことで。

そのためには最適解を選んでいくしかない。

最適解の中の最適解を選べば。

きっとファルギオルを超えられる。

全力状態のファルギオルを実力で倒せとまではソフィーも言っていないのだ。

活路はある筈。

そして、二十万回を超える繰り返しをして世界の果てを見ているソフィーの言う事は、悔しいが私よりずっと先を行っている。

双子に関する知識もしかり。

バケモノであっても、其処は認めなければならない。

幾つか準備をしていると。

双子が揃って来る。

「どうしたの?」

「イル師匠、幾つか聞きたいことがあって」

「なに、言って見なさい」

スールが頷くと。

鉱石が採れる良い場所、を聞かれた。

まあそう来るだろうなあとは思っていたが。

実のところ、アダレット王都メルヴェイユ近辺に、鉱石の穴場はない。数日行った所にブライズウェスト平原というのがあるのだが、其処は今の双子には色々な意味で危険すぎる。

獣の戦闘力も高いし、匪賊も出る。

まだ、人間を殺すのは早いだろう。

相手が人間以下に落ちた存在だとしても。

充分な品質を持たない鉱石だったら、ぶっちゃけその辺りの荒野でも拾う事が出来るのだが。

そんな鉱石では、できるインゴットも爆弾も知れている。

ジレンマだが、仕方が無い。

一番この辺りで安全で。

なおかつ鉱石が採れる場所を教えるか。

鉱石の品質は必要最低限だが。

それでも今双子に必要なのは鉱石だ。インゴットを作るか、爆弾を作るか、両方なのか。

双子が考えている事はまだ分からないが。

そう判断する。

なお今回から、アリスを影から護衛につける。

その事については、双子には言わない。

「ええと、此処から少し先にある廃鉱山がいいかしらね。 近くに宿場町もあるし」

「は、廃鉱山っ!?」

メモを冷静に取るリディーと、震えあがるスール。スールは万回以上育ててきたから良く知っているが、筋金入りのお化け嫌いだ。

廃鉱山の類は。

あり得ないとは言え、絶対に子供が近付いては行けない場所である。地盤は緩んでいるし、獣も匪賊も住み着く。興味本位で子供が入り込んだら、99%以上の確率で死ぬと判断して良い。

故に廃鉱山を題材にしたお化け話は幾つも作られ。

便利なので親がばらまく。

中には非常に陰惨で恐いものも多数存在していて。

子供の頃聞かされて、大人になってもトラウマになっているケースがあるとか。

私の故郷の辺りでは、そんな噂話は流れてこなかったが。

アダレット王都では普通に流布されていたのだろう。

一部を除けば、親は分かった上でそれを子供に教える。

そして子供が、その噂話の意味を知った頃には。

自分に子供ができる、という仕組みだ。

「廃鉱山と言っても、露天掘りの跡地よ。 危険性は小さいわ」

「露天掘り?」

「山を丸ごと掘り崩す事よ。 鉱脈がある山を粉々に砕きながら、丸ごと全部資源化していくやり方」

「凄いですね……」

唖然とするスールだが。

私の比翼であるフィリスは、最初から鉱石の声が聞こえるギフテッドだった。だから、目の前で、下手をするとつるはし1丁で岩山を崩す所を何度も見せられてきた。感覚が麻痺してしまっているので、凄いとはちっとも思えない。

リディーは露天掘りについて知っている様子で。

幾つか聞かれる。

「そ、それで。 露天掘りだと、湖になっていたりとか、鉱石が尽きていたりとかは……」

「湖については平気。 鉱脈は幸い山の中にしかなかったから、今は丘のような感じになっているわ。 鉱石は残念ながら最底辺のものしか残っていないけれど、掘ればそれなりに出るわよ」

「そうなると……」

「ええ。 周囲から丸見え」

つまるところ。

どうあっても、獣に襲われると言う事だ。

より強い獣と戦うために。

より強い武器が必要になる。

爆弾も、武装も。

結局の所、敵を殺すために必要な道具だ。

ジレンマである。

より強い獣を倒すために。

強い獣がいる場所へ行かなければならない。

そもそも強い獣を倒すのは。

良い錬金術の素材を得るため。

危険を冒さなければ、良いものは得られない。錬金術師の世界では、完全なジレンマになっている。

フィリスと旅をした頃は。

装甲船二番艦で、空を飛んで行った。

炉を皆で作ったあの装甲船は。

今ではラスティンで、深淵の者の管理下でバリバリ現役で働いている。この先の未来でも、当面現役で使われる。少なくとも今までの繰り返しではそうだった。

まだ双子には、自走式の荷車でさえ荷が重すぎる。

げんなりする様子の双子に。

幾つかアドバイスをしたあと、帰らせた。

今双子が使っている荷車を見てきたが。

もう少しで、最低限の品には仕上がりそうだ。

インゴットがあれば装甲板で覆う事が出来るし。

更に言えば皆の力の底上げをするための装備品を作る事が可能になる。グナーデリングはいきなり少しハードルが高いから、幾つか良さそうなレシピが自然に手に入るように手を回す事にする。

それともう一つ手を打っておくか。

アトリエを出ると、フィリスの所に出向く。

まだ王都には来ていないが。

打ち合わせのために、時々アトリエには出向いているのだ。

二人とも忙しい身。

話し合いをしなければ。

基本的に顔を合わせることはない。

フィリスのアトリエに足を踏み入れると。最初は険しい顔をしていたリアーネが、すぐに表情を緩める。

フィリスの血がつながらない姉は。

私の事を味方と認識してくれている。

色々な事があったからか、リアーネも相当に心が荒んでいるようだが。

それでも、何があってもフィリスの味方だと公言している私には。心を開いてくれているようだった。

「イルメリアちゃん、フィリスちゃんに用?」

「ええ、少し話が」

「ごめんなさい、今騎士団に出ていて、ネームド討伐の作戦会議中よ」

「そう、では貴方にお願いが」

少し時期は早いが。

今回は双子が上手く行っている。成長が早まっているのなら、そろそろリアーネにも出て貰って良いはずだ。

ただし、リアーネは純粋な戦闘要員では、アリスやドロッセル同様戦闘力が高すぎる。あまりにも度が外れた使い手が側にいると、双子の成長に悪影響を及ぼす。あの双子は根が真面目じゃない。手を抜けると一度でも考えるとダメになる。

故に、リアーネは、影働きに徹して貰う。

これは毎回、何度繰り返しても同じだ。

「例の店を開いてください。 此方では、コルネリアに声を掛けてきます」

「あら、予定より少し早いようだけれど」

「双子の育成が上手く行っているので、前倒しです。 レポートは此方で書いて深淵の者に提出しておきますので」

「そう。 まあ貴方の判断なら大丈夫でしょう」

リアーネは強いが、今回は戦闘要員としては参加して貰わない。双子にそれとなく、レシピや物資を流す役だ。

コルネリアはアルファ商会側からの支援を。

リアーネは、アルファ商会が扱わないような物資の支援を。

それぞれ担当して貰う。

もう少し双子が育って来て、ネームドとやり合えるようになって来たら。その時はドロッセルなどの戦略級傭兵に護衛について貰うのだが。それはいずれにしてもまだ先である。

リアーネは嬉しそうに、いそいそと露店の準備を始める。

露店の名前はラブリーフィリス。

すっかり目が濁ったフィリスでさえ青ざめる名前だが。

正直な所、変わり果てたフィリスを見て一番悲しんでいるのはリアーネだ。外に出すべきでは無かったと、愚痴を聞かされたことが今までの周回で何回かある。

これくらいはっちゃけないと。

本人としてもやっていけないのだろう。

そして王都で如何にフィリスが素晴らしい美少女かを喧伝しまくるのだ。既に「少女」という年ではないのだが。それでもリアーネには美少女なのだろう。

呆れた様子でツヴァイがそれを見ている。

匪賊に親を目の前で食い殺され。

フィリスに救われて、今ではフィリスの血がつながらない妹になっているホムは。

戦闘支援で活躍する内に。

肝も据わり。

トラウマも克服し。

使用する際に綿密な計算が必要な、一撃必殺兵器である神々の贈り物を使いこなす、後方支援役としてすっかり大成している。

だからこそ、リアーネにも呆れられるようになっている、というわけだ。

「リア姉、お姉ちゃんが恥ずかしがるのです」

「いいのよ、フィリスちゃんは実際とってもラブリーなんだから」

「お姉ちゃんが嘆く姿が目に浮かぶようなのです」

「うふふ、フィリスちゃん……」

声が聞こえていない様子で現実逃避しながら、露店の準備をてきぱき進めるリアーネ。なおツヴァイはこの辺りから単独行動を開始。主にフィリスの支援に回ることになる。

双子が知らない場所で。

世界は大きな掌の上で、転がされている。

私もそうだし。フィリスもそうだ。絶対的管理者であるソフィーが、全てを意のままにしていて。悔しいが逆らえない。

世界の破滅を打破するためには、逆らっている場合では無い。

私は、リアーネの現実逃避が、哀しみから来ている事を知っているから。

無言で、フィリスのアトリエを後にしていた。

 

1、鉱石と熱

 

スールは朝に弱い。

昔のように悪夢は見ないが。それでも、体質的な問題で、どうしても朝はいつも酷い目に会いながら起きだす事になる。

頭はぐらぐらするし。

これに月の物が重なると最悪だ。

低血圧というらしいが。

ともかく、井戸水で顔を洗った後。

裏庭で、アンパサンドさんに教わった基礎の動きを再現する。

自分でも何がどうしてこんな風に動くのかはよく分からないのだが。

教わったとおりにうねうねと動くと。

普段使っていない筋肉が適度に使われ。

非常に引き締まる。

筋力では、アンパサンドさんより上。

そう明言された。

しかしながら、今でも一緒に走ったら、絶対に追いつかれる。多分目にもとまらぬ間に喉を掻ききられる。

その差は、動きの細かさ。動きを理屈で制御しているか。

やるためには、体に叩き込まなければならない。

アンパサンドさんはリップサービスをするような人では無い。

上手く行けば達人にもなれる。

そういわれたのなら、いっちょやってやろうじゃないかと奮起するのがスールだ。

しばし体を動かしていると。

アトリエの中で、朝食を作っている音がし始める。

騎士団にアードラの首を納品したり、お薬を依頼で納品したりし始めてから。生活に、最低限の余裕が出来はじめた。

お父さんも生活費に手を出さなくなったし。

今では朝に卵が出てきたり。

お肉が出てきたりする。

健康状態が良くなれば、力だって当然いつもより出る訳で。またリディーの美味しい料理を食べれば、元気だって出る。

アトリエに戻ると、席に着く。

もうリディーも、スールに料理を手伝えとは言わない。

その代わりスールも、料理をねだらない。

程なく、燻製肉と、焼いた卵。それに昨日作った野菜のスープを温め直したものが出てきたので。

スールは満面の笑みで、いただきますと、まずはお肉から頬張った。

リディーも、同じように、いただきますと口にしてから食べ始める。

それが終わった後は。

スケジュールを二人で再確認した。

「出発は二日後。 Fランクの試験を受けるためには、国で実績を認めて貰わないとダメみたいだから、どんどん国のお仕事をしないとね」

「それには、より行動範囲を拡げるための素材がいる。 具体的には鉱石」

「そうだよスーちゃん」

「うん、大丈夫。 何度も口にして、頭に叩き込んだから」

残念なスールの記憶力だが。

ハンドサインを覚える必要性が生じてからは。

必死に覚える努力を開始した。

今では、こういう絶対に必要な事は何とか覚えられるようになっては来ている。

逆に言うと。

それ以外はかなりまだ怪しいが。

「でも、イル師匠は、この辺りにはロクな鉱石がないって言ってたね。 それに獣も出るって」

「仕方が無いよ。 それで、これ見て」

「……」

国の依頼を、取ってきてくれたらしい。

また獣の駆除だ。

今度はヤギである。

出た、噂の凶暴草食獣。

どういうわけか非常に大型化する傾向がある草食獣で、荒野に住んでいるものは雑食の傾向も強い。

ネームドの中には、人間の子供を好んで喰らう外道も存在するらしく。

強い獣の中では、かなり厄介な相手だという。

今回は、そんなネームドに成長する前のヤギを何体か仕留めてくる必要がある。幸い今回出向く荒野に姿を見せるらしいので、一緒に狩る事が出来るだろう。

そろそろ、採集と討伐任務を、一緒にこなせるようになるべきだ。

ペースが遅いと、もたもた時間ばかり掛かってしまう。

いつまでも時間が掛かってしまうと、その内Gランクの認可さえ取り消されてしまうかも知れない。

最初の一歩は基礎だ。

基礎を固めて、ようやく次に行ける。

基礎を崩さないようにするためにも。

少しずつ、確実に力をつけていかなければならない。

錬金術も、戦闘の手腕もである。

そして都合が良い事に、このヤギの討伐依頼の場所は、以前イル師匠が多少ましな鉱石が採れると言っていた廃鉱山の近くだ。

「スーちゃん、少しは動きとか向上した?」

「クラフトの投擲についてはもうばっちり。 狙ったところに投げられるよ」

「そっか。 じゃあ後はスーちゃんがどれだけ動けるかだね。 肝心なときに」

「……うん」

スールだって分かっている。

肝心なときに腰が引ける悪癖は。

だからいつも皆に負担を掛けている。

リディーは逆に、肝心なときには殆ど完璧というほど動けている。本番に強いタイプなのである。

とはいっても、スールも指示さえちゃんと受ければ、その通りに動ける。

指示待ち人間とか言う言葉があるらしいが。

それで何が悪いと、イル師匠は言っていた。

勝手な判断で勝手に動いて、戦況を悪化させるようなタイプの方がまずい。

状況が分からないときは動くな。

勿論その場合は、状況分析に全力を注げ。

そも指示は指揮官の仕事で、適切な指示を飛ばさない指揮官の方が悪い。

そういう風に言われた。

だから、少なくともリディーが出してくれた指示通りには動けるようにする。

「リディーは、戦略と戦術……だっけ、どんな調子?」

「つらいけど頑張ってる」

「そっかあ」

朝食を終えて、片付け。

その後は手分けして動く。

スールはフィンブルさんがいる酒場と騎士団の詰め所に行って、話をしてくる。傭兵のたまり場の酒場は多少恐いけれど。鍛冶屋の親父さんが此処の顔馴染みらしく。リディーとスールに手を出したりしたら、それこそ何をされるか分からないと言う話で。傭兵達は比較的良くしてくれる。

荒くれ達を其処まで黙らせると言う事は。

あの親父さんは、多分リディーとスールが思っているよりも、ずっと凄い人なのだと思う。

フィンブルさんはいなかったけれど。

酒場のマスターである、トカゲ顔の獣人族に話をしておく。

こういった荒くれのまとめ役は、戦士としてのプライドを持っている獣人族がつく事が多いらしい。

ヒト族がつく場合は。

それは、相当な歴戦の戦士だけだそうだ。

何回か話した相手だ。

フィンブルさんへの言づてを頼むと。

マスターは、少し考え込んでから言う。

「フィンブルは上手くやれているか?」

「えへへ、スーちゃん達と同じで、まだまだ半人前みたいですね……」

「死なせないでやってくれよ。 彼奴は俺が見たところ、相当な腕利きになる筈だ」

「はい。 誰も死なせません」

これについては決めている。

目の前では。

できる限り、誰も死なせない。

頷くと、マスターは言づてを受けてくれた。

騎士団の方では、ホムの役人に事務的な手続きを済ませる。後はアトリエに戻って、練習だ。

リディーは今頃、アリスさんにぼっこぼこにされて鍛えられているんだろうし。

スールだって少しは勉強して、錬金術を上手くならなければならない。

あまり考えたくは無いが。

リディーはスールよりも、錬金術が上手かも知れない。

だって、スールが明らかにいっぱい勉強しているのに。リディーは同じくらい出来ているのである。

このままだと、差がついてしまうかも知れない。

その恐怖が、少しずつめくり上がり始めている。

いやだ。

リディーまで離れたら。

スールは本当に、一人になってしまう。

お母さんが死んだときのことは、今はもう滅多に夢に見なくなったが。死んだ直後の頃は、ずっと涙が止まらなくて。食事も喉を通らなかった。ガリガリに痩せて。回復魔術を一杯掛けて貰って。それでやっと生き延びた。

立ち止まり、地面を見つめる。

今は丈夫になった体だけれども。

本当に、丈夫になったのだろうか。

顔を上げる。

何だか素敵な露店があった。

荷車式のお店で、ちょっと興味が引かれる。店番をしているのは、長い髪の綺麗なお姉さんだ。

「いらっしゃいませー」

「えっと、ラブリー……フィリス?」

「ええ、私の妹の名前よ。 とっても可愛いの。 だからお店の名前につけているのよ」

うふふふふと、恍惚たる笑みを浮かべる綺麗なお姉さん。

ぞくりと背中に恐怖が走るが。

多分地雷さえ踏まなければ大丈夫なタイプだろう。地雷を踏むと、酔っ払ったおじさんよりタチが悪そうだが。

並べられている品は錬金術の素材が主体で、本もある。

本は機械技術者がいる王都などでは比較的安く手に入るが、それでも高級品だ。ただ、並べられている品には、値札がなく、「要相談」と書かれていた。

「えーと、この要相談って何ですか?」

「貴方は錬金術師かしら?」

「は、はいっ! まだ半人前ですけど」

「それなら此方の値段になります」

ひょいと値札をひっくり返すお姉さん。

値段はそこそこだ。

ごくりと生唾を飲み込むと。

さっとだけ、見せてもらう。

装飾品の作り方についての本だけれども。

これは、或いは役に立つかも知れない。

かなりの散財になるが。

これは錬金術のレシピに応用できるのではあるまいか。ちょっと相談したい。

「あ、あの。 これ、欲しいんですけれど、今の手持ちだとちょっと不安で……」

「そう、じゃあ予約しておきましょうか」

「お願いします! すぐ戻ってきますので!」

名前を聞かれるので、スール=マーレンと応えると。

お姉さんは、リアーネ=ミストルートと応えた。

お辞儀をすると。

即座にアトリエに飛んで帰る。

リディーはいない。となると、イル師匠のアトリエか。すぐにそっちに行くと、リディーが防御魔術の上から掌底をくらい。

吹っ飛ばされて、壁に叩き付けられ。

むぎゅうと言いながらずり落ちている所だった。

掌底を放ったアリスさんは、呼吸を整えて、いわゆる残心をしている。

リディーの防御魔術は、弾丸くらいは弾き返すのに。素手でそれをぶち抜くというわけか。

確かにリディーが、アンパサンドさんより強いと言う訳だ。

「リディー! 大丈夫!?」

「いたたたた……何とか。 どうしたの?」

「ちょっと露店で、錬金術の参考になりそうな本見つけて。 買うにしても相談しようと思って」

「……ちょっと待って」

リディーは立ち上がると、アリスさんに頭を下げる。

アリスさんも頷くと、一旦の訓練中止を認めてくれた。

すぐに二人でさっきのお店に行く。

城門前に開いていた露店には。やっぱりラブリーフィリスと書かれている。フィリスさんという妹さんが、凄く迷惑しそうだが。それでも店主は満面の笑みで、誇らしげでさえある。

過保護って恐いな。

そうスールは思った。

「あら、其方が相談の相手?」

「はじめまして。 リディー=マーレンです。 スールの姉です」

「リアーネ=ミストルートよ。 それで、この本が欲しいと言う事だけれど」

「ちょっと見せてもらって良いですか?」

頷くリアーネさん。

リディーがさっと本を見ていくが。何度か驚いたように手を止めていた。

素材についても、今は手が出せないが、珍しいものが幾つもある。

いずれ、お金が貯まり始めたら。

欲しい。

「この本、ください」

「はい。 少し高いけれど、錬金術師はお金が掛かる学問ですものね」

「ええ。 錬金術師の知り合いがいるんですか?」

「うふふ、秘密よ」

可愛らしくいうお姉さんだが。

ふと、スールは気付く。

この人、スールの同類かも知れない。

この異常なフィリスという人への偏愛ぶり。何だか常軌を逸したものを感じる。何処か壊れてしまっていて。

それをどうにかするために。

自分を狂気の中に敢えて置いているのではあるまいか。

考えすぎか。

頭を振って、その考えを追い払うと。

なけなしのお金の中から、かなりの額を出して、本を買う。

これなら、きっと役に立ってくれる筈だ。

アトリエに戻ると、スールはまた錬金術の反復練習。リディーはイル師匠のアトリエに戻る。

少しだけ本に目を通しても見たが。

やっぱり活字は苦手だ。

どうしても眠くなってしまう。

だけれども、この本は役に立つ。

勘だけではない。

装飾品というものは、錬金術の装備において基本になると聞いている。指輪だったら、その気になれば十個でもつけられるのだ。腕輪は二つ。足輪も二つ。ネックレスだって、たくさん。

装飾品で身体能力を上げる事が出来れば。

そう、イル師匠の所で見たグナーデリングみたいなのをたくさん作れるようになってくれば。

全体的な戦力の底上げにもなるし。

何よりできる事の幅だって増える。

体力を常時回復していく魔術もある。

普通だったら、魔術師が相当に魔力を消費してしまうので、結局あまり意味がなかったりするのだが。

錬金術の装備で、自動発動できるようにすればどうか。

継戦能力は嫌でも上がるし。

何より戦闘時に、消耗を気にしなくても良くなる。

頬を叩く。

まだ先の事だ。

先の事を考えすぎだ。

今は、とにかく、手の届く範囲にある事をやっていく。それで、まずは半人前から一人前になる。

少し前にルーシャが自慢しに来た。

FランクからEランクに昇格したらしい。

負けてはいられない。

勿論、今はルーシャとは比べものにならない程腕が落ちる事くらいは分かっているけれども。

それでも、まずは追いつくことを考える。

ひたすら、反復練習を繰り返し。

夜になってリディーが戻ってきてから。

一緒に本を読んだ。

宝石は好きだが。

今は錬金術に生かす方法をむしろ考えてしまう。

リディーもそれは同じなようで。

スールが興味を持っている場所について、説明を細かくしてくれた。

活字を読むのは苦手だけれども。

説明をして貰えれば、多少は理解もしやすくなる。

リディーもそれは分かっているのだろう。

スールのことを考えて、丁寧に説明してくれるので、とても助かった。

さあ、次はヤギ狩りだ。

寝る前に、クラフトの在庫確認、持っていくお薬の用意、全て済ませておく。

今後も討伐任務が増える。

戦力の底上げのためにも。

手は抜けなかった。

 

2、ヤギの山

 

城門で集合してから、イル師匠に教わった廃鉱山に出向く。そういえば、コバルト草の場所は教えてくれなかったのに、廃鉱山について教えてくれたのはなんでだろう。鉱石を試行錯誤して探すのは、危険だからだろうか。スールには分からなかったけれど。とにかく、スケジュールは一泊二日。

今回はちょっと厄介で。

森で守られていない街道を行かなければならない。

距離そのものは短いが。

当然のことながら、危険度は段違いだ。

更に言うと、鉱山のそばに合った小さな宿場町は、自衛だけで精一杯の状況。

何が起きていても不思議では無い。

王都の周囲にも、ほろぼされた集落は点々としているが。

その一つに加わっても、おかしくない。

そんな場所なのだ。

王都に引っ越そうにも。

そもそも、集落から出れば、獣に狙い撃ちにされる。

獣からして見れば、エサが自ら目の前に出てきてくれたようなものである。遠慮も容赦もしてくれないだろう。

森を出る。

既に皆無言だった。

スールはクラフトを何時でも投げられるように構えているし。

小走りのまま、街道というただ踏み固められただけの場所を行く。

前の方から、傭兵に守られた商人の馬車が来るのが見えた。かなりの大所帯だが。多分アルファ商会ではないだろう。

街道を行く場合。

ああやって傭兵をやとって守って貰うか。

騎士団に要請するしかない。

それでも無事にたどり着けるか分からないのだ。

この世界は。

過酷なのである。

一礼して、ヒト族の商人とすれ違う。傭兵は獣人族が主体の様子だった。魔族がいれば多少はマシになるのだろうが。

そもそも魔族はどの集落でも守りの要扱いである。

簡単に外征には出してはくれないだろう。

傭兵団にいるとしても、多くの場合相当な高給取り。

今の規模の商人には雇えない。

そういう事と、見て良さそうだった。

街が見えてきた。

ささやかな森がちょっとだけあるが。街を守りきれているとはとても言えない。城壁もぼろぼろ。

王都側の街でこうなのだ。

辺境がどうなっているのか何て。

とてもではないが、考えたくも無い。

街の中に入ると、何もかもがくすんでいた。

色が灰色だ。

家も何もかも。

華やかな王都とは何もかも違い。

人々に気力もなく。

何かに怯えるような目が目立つ。

獣に常に脅かされているのだと思うと、当たり前の話である。自警団ではとてもではないが、獣の対処だけで精一杯。

子供がさらわれでもしたら、その瞬間諦めるしかない。

そういう場所なのだ。

アンパサンドさんに言われる。

「宿では盗人が出る可能性があるので、気を付けるのです。 荷車に貴重品も残さないか、或いは宿を使わない方が良いのです」

「つまり野宿ってこった」

「野宿……虫……」

マティアスの心ない発言にスールが青ざめるのを見て。

フィンブル兄が呆れる。

「スー、まーだ治ってなかったのかそれ」

「だってえ!」

「ともかく、リディーさん。 どうするか決めるのです」

「ええと、宿を使いましょう。 クラフトとお薬は、手元に。 荷車に関しては、見張りをつけましょう」

はあとため息をつくスールだが。

フィンブル兄は意外と落ち着いている。

もっと酷い宿が当たり前だったのかも知れない。

宿に入ると。

虱だらけのベッドに。

食事も出ないと言う。いずれにしても、出たとしても、腹を下すようなものが来る可能性は低くない。

ただ、街の惨状を見てしまうと。

それに対して、どうこう言う事はとてもではないが出来ない。

アンパサンドさんが、部屋に入ってくる。

そして、説明してくれた。

「話を聞いて来たのです。 ヤギのいる丘については、現時点ではネームドは出ていない、との事です」

「良かった……」

「いや、喜んでばかりもいられないのです。 ヤギの数がかなり多いそうで、どうにか駆除して欲しいと泣きつかれたのです」

「えっ……」

今回の予定駆除数は8。

アードラのような空中戦を得意とする相手では無い。大きいとは言っても四足だ。クラフトの置き石戦法などで充分対応出来るかと思っていた。

だがヤギは獰猛な上に、群れを作る生物である。

その群れの規模によっては、話がだいぶ変わってくる。

「街は見ての通りの有様で、周辺の小物の獣に対応するのが精一杯。 錬金術師と騎士が来たのなら、仕事をして欲しいと懇願されたのです。 さて、どうします?」

「スーちゃん、これは……」

「やろう」

「うん」

リディーが頷く。

スールだって、こんなのは見過ごせない。

人手が足りないのは分かっている。だけれど、この街は完全に灰色だ。

獣が多すぎて畑仕事ですら命がけ。

その畑だって枯れかけている。

城壁も不安だし。

本来なら、国が力を入れるべき場所なのではないのか。

そんな予算もない。

とても守りきれない。

他にもっと守らなければ行けない場所がある。

あの冷酷そうだけれども、リアリストの極みであるミレイユ王女である。恐らく、そう言った理由で、此処には時々騎士団を派遣する、位のことしかしていないのだろうとは思う。

いずれは此処にも何か手をさしのべてくれるのかも知れない。

いや、違う。

その手が、スール達なのだ。

ならば、少なくとも。

できる範囲の事は、しなければならない。

「それで、どれくらいのヤギがいるんですか?」

「街の周辺には、少し大きめのが三十。 魔術を使うほど成長した個体がいるかまではわかりませんが、多分群れなのです。 恐らく攻撃を仕掛ければ、一斉に反撃に出てくると思いますです。 多分一回り強いボスもいるでしょう」

「地図はありますか?」

「地図?」

マティアスが不思議そうに聞いてくるけれど。

当たり前の話だ。

爆弾の使い方については、イル師匠に習った。

投げるか、置き石戦法か。

相手の来る場所を予測して、発破する手を、今回は使う。

つまり釣り出して、何かしらの形で集め、それで一斉に爆破、ズドンである。

これで一気に主力を潰して。

残りを殺す。

「そう行きたいと思います」

「……少し村長と交渉してくるのです」

「お願いします」

アンパサンドさんは、マティアスさんを連れて宿を出る。

フィンブル兄が、それを見送ると、話を振ってきた。

「下に知り合いがいた」

「本当ですか?」

「ああ。 どうもこの街に自警団として帰化したらしいな。 情報を貰えるかも知れない」

「私も行きます」

リディーが立ち上がる。

スールも、と声を掛けたが。

休んでおいてとリディーに言われる。

余計な事を言うことを危惧されたのかも知れないけれど。まあそれは、もう何というか、仕方が無い。

しばらく黙っていると。

程なく、年老いたヒト族男性と。

自警団の長らしい、中年を過ぎた獣人族の男性が来た。

どうやらアンパサンドさんとマティアスさん。それにリディーとフィンブル兄がそれぞれから声を掛けて。

来て貰った、と言う事だろう。

「錬金術師どのということで、ありがたい。 それで、地図の提供をして欲しいと」

「はい。 お願い出来ますか」

「確か貴方の権限なら出来る筈なのです」

「……分かりました、簡単なものしかありませんが」

自警団団長は、態度が真逆だ。

不審そうに此方を見ている。

錬金術師には、若くして大成する者もいるらしいと、スールも聞いた事があるけれども。大半は相応の年で一人前になる。リディーやスールみたいな小娘が、一人前の訳がないと、疑いの目で見ていた。

悔しいけど、返す言葉も無い。

実際問題、一人前ではないのだから。

「自警団から手を貸せと」

「犠牲者を出したくありません。 ヤギの数が多すぎますし、一網打尽にするには人手が足りないので……」

「ふん、錬金術師の台詞とは思えんな」

精悍な豹の顔をした自警団長は。

予想通り相当頭が固い様子だった。

アンパサンドさんが咳払いする。

「この子らは確かに半人前なのです。 しかしながら、既に大火力の発破を作るくらいの腕前はあるのです」

「ああそうでなければ騎士どのが護衛してここに来ていないだろうよ。 あんたもホムで騎士になってるって事は相当な使い手とみるが、それなら村の守りで精一杯、ということくらいはわからないか」

「それをどうにかできる好機なのです」

「……そうかも知れないな。 だが、失敗した場合、村全体がやられる可能性の方が高いんじゃあないのか」

こりゃ、ダメだな。

自警団の団長は、失礼すると言って、部屋を出て行った。

マティアスが頭を掻く。

「向こうが言うことも正論ではあるな。 こっちが何かしらの実績を見せていれば、信用してくれるのかも知れないが」

「仕方が無い、我々だけでやるのです」

「いや、アンパサンドどの、マティアスどの。 二人だけ、力を貸してくれるかも知れない」

フィンブル兄が言うには、昔の傭兵仲間が、賛意を示してくれたという。

だが、団長があんな様子では。

無理に力を借りるとしても、どんな無理難題を言われるか。

難色を示すリディーに。

フィンブル兄は、頭を下げる。

「ちょっと待っていてくれ。 俺が話をしてみる。 昔の仲間の伝手だ」

「……無理、しないでよ?」

「ああ、分かってる」

名を上げたくて、無理をして死ぬ傭兵はたくさんいる。

最初の戦いで死んでしまう従騎士や傭兵は、大体そういう手合いだという話を聞かされてもいる。

しばしして。

部屋に戻ってきたフィンブル兄は、少し疲れた様子だった。

あの団長に、土下座でもして頼んだのかも知れない。

兎も角、二人。

兎顔の獣人族戦士と。

魔術師らしいヒト族の男性を連れていた。

どうやらこの二人が昔の仲間らしい。

「無理を言って、手を借りてきた。 獣人族の方はピッター。 ヒト族の方はクラップだ」

「よろしくおねがいします」

「よろしく」

ヒト族の男性はもう中年だろう。

厳しい傭兵団での生活を切り上げて、帰化したとみた。

兎顔の戦士は、まだ若い女性戦士だが。

多分傭兵団の荒々しい生活に嫌気を覚えたのかも知れない。

「もう少し錬金術師としての実績を積めば、向こうから諸手を挙げて協力してくれるのかな……」

スールがぼやくが。

リディーは口をつぐんだまま、何も言わなかった。

 

半日ほど掛けて、貰った地図を頼りに、アンパサンドさんが、土地勘のあるピッターさんと一緒に、周囲を見てきてくれた。

その結果。

地図がかなり間違っている事が分かった。

まあ、こんな状況だ。大まかな地図しか作れないだろうし、それは正直な所仕方が無いと思う。

「これなら国が昔作った地図でも持ってくるべきだったのです」

「でも、近くに川があるし、かなり地形が変わっている可能性も……」

「いずれにしても。 もしも殲滅するなら、此処なのです」

アンパサンドさんが、地図の上で指を動かす。

そして行き着いた先は。

谷だった。

「此処に誘いこんで相手の足を止め、一気に爆破」

「うん……でも、まずどうやって誘いこむか」

「囮は自分がやるのです」

「足はどう止めるの?」

スールが聞くと、リディーは頷いて、先に仕掛けをする必要があると教えてくれた。

崖の一部にクラフトをしかけて。

タイミングを合わせて発破をしかける。

そして、崖崩れを引き起こし。

ヤギが引きつけられて崖になだれ込んだところで、地面にしかけておいたクラフトを一気に爆破する。

つまり、二段階の爆破で、敵を壊滅させると言う事だ。

しかしながら、今手元にあるクラフトで、そんな器用なこと、できるだろうか。

多分全部まとめて、一気に爆破してしまう可能性が高いと思う。

セーフティの解除は、基本的に爆弾に触った状態で行う。或いは、誰かが触っていないといけない。

そう説明すると。

魔術師のクラップさんが頷く。

「ならば俺がやろう。 これでも実戦仕込みの魔術だ。 総力をつぎ込めば、崖崩れくらいは引き起こせる」

「……クラップの旦那、大丈夫か」

「ああ、若造。 これでもまだ何とか一発くらいはデカイのを撃てるさ」

「そうだな。 昔のあんたは凄かったもんな」

フィンブル兄の話によると。

クラップさんは大火力の爆発を起こす魔術を得意としていたらしく。

傭兵でもそれを売りにしていたそうだ。

ただし、今では年老いた結果、全盛期のフルパワーの破壊力は、一回再現するのが限界だという。

なるほど、そうなると、厳しい戦いになるが。仕方が無い。

アンパサンドさんが、ピッターさんに聞く。

「ヤギと競争して勝てる自信は」

「い、いや流石にそれは」

「ならば囮は自分一人でやるのです。 リディーさん、全てのタイミングの判断は任せるのですよ」

「分かりました」

側でリディーが生唾を飲み込んでいるのが分かる。

自分を含めて七人の命を預かることになったのだ。

緊張するのは当然だろう。

まずは下見に行く。

崖の周辺にも小物の獣がいたので、全て先に追い散らす。流石に小さいのばかりだったので、苦戦はしなかった。

殺した後、風下に死体を集めて、先に処置。

荷車の容積が早くも危ないので。

肉類や骨などは、皆村に分けてしまう方が良いだろう。

羊毛は欲しいけれど。

ヤギの羊毛は品質に問題があるし。

作戦の性質上、どれだけ無事に残るか分からない。

爆破に適当な場所も確認。

魔術の詠唱と、発動のタイミングについても確認した。

その上で、緻密な作戦を立てる。

スールは先にクラフトを埋めに行き。

そして、崖の上から逆落としを掛ける場所についても、先に相談。敵は爆破されたら、生き残りが逃げに入るだろうから、先回りする必要がある。崖を駆け上がるような事が出来るヤギもいるらしいが。

流石に其処までの強力な個体はいないと判断するしかない。

一応、リディーが、崖の出口に防御魔術を展開すると言っていたが。

それも多分、長い時間はもたないだろう。

アリスさんに鍛えられて魔術の腕は上げているだろうけれど。

それも限界があるはずだ。相手を混乱させる事が出来れば、勝率は上がるはずだが。

「それでは作戦開始。 誰が失敗しても死人が出るのです」

「おう。 分かってる」

「リディーさん、作戦開始の合図、後は指揮を」

「分かりました」

リディーが震えているのが分かる。

スールだって恐い。

だけれども、大型化したヤギの群れが、それぞれの個体が凶悪化したケースなんて、考えたくも無い。

今のうちに駆除しておかなければ。

本当に大変な被害が出る。

下手をすれば、あの街は滅びてしまうかも知れない。

それだけは、絶対に許されない。

リディーが頷くと。

残像を作ってアンパサンドさんが消える。

詠唱を開始するクラップさん。

ほどなく。

地鳴りのような音が聞こえはじめた。

アンパサンドさんが、ヤギの群れに散々嫌がらせをし。そして、完全に怒らせたのだろう。特に群れのボス個体を、である。

凄まじい唸り声が聞こえる。

ヤギの雄叫びとはとても思えないほど、おぞましく、殺意に満ちたものだった。

子供だけ、狙って喰らうヤギのネームドがいる。

荒野のヤギは雑食で、当然人間も襲って喰らう。

それらの恐ろしい話を思い出して、スールは生唾を飲み込むが。

リディーは既に目を閉じて、全力で詠唱中。

クラップさんもだ。

先にリディーの詠唱が完了する。

クラップさんも、詠唱を完了。いつでも行けると、目配せしてくる。

さて、後は。

敵が姿を見せるタイミングで。予定通りに、全員が動く。トラブルへの対応もする。

「来やがった!」

フィンブル兄が叫ぶ。

数は、思ったより少ないが、だがどうやら群れが縦に伸びている様子だ。何度か切り返して、まとめようとアンパサンドさんがしかけたようだけれど、敵の群れのボスが思ったより冷静らしい。

何かあった時に備えて、群れを想像以上に上手に制御している、と言う事なのだろう。

まずい。一気に群れがなだれ込んでくることを想定していたのに。

だが、リディーは、谷に入り込んで来たヤギの群れを見ると。

アンパサンドさんに手鏡で合図を送り。

そして叫んだ。

「クラップさん!」

「おうっ!」

印を切り。空中に巨大な魔法陣を出現させるクラップさん。

全身の魔力を絞り出すような一撃だが。

それでも錬金術師が作る強力な爆弾には及ばない、のだろう。でなければ、錬金術師は此処まで重宝されない。

ただ、崖の脆くなっている一点を集中爆破し。

粉みじんに砕いて、落盤を起こさせるには充分だった。

爆発し、脆くなっていた谷の壁面が一気に崩れ始める。怒濤のように、土砂が降り注ぎ始める。

アンパサンドさんは残像を作ると、その岩の下をさっと抜けて、向こう側へと退避。

対してヤギの群れは、悲鳴を上げながら逃げ惑い。後続が駆け込んできたことで、混乱に陥った。

「スーちゃん!」

頷くと。

ワードを唱えて、起爆。

谷が。

光と、爆裂と、血に包まれた。それは情け容赦ない死の具現化だった。

クラフトの上にいたヤギたちの残骸が、谷の上まで跳んでくる。首だったり足だったり内臓だったり。

思わず真っ青になるけれども。

今の爆破に耐え抜いたのが、まだ十頭以上いる。特にボスヤギが、手負いのまま、どうやってか生き延び。

崖を蹴り上がって、姿を踊らせた。

太陽を遮るようにして姿を見せたそれは。

他のヤギよりも明らかに大きく。

そして猛り狂っていた。崖を乗り越えてきたのだ。戦闘力も侮れない筈である。

「フィンブルさん、ピッターさん、マティアスさん、残敵の掃討を! 生き延びていても、手傷は受けている筈です! スーちゃん、時間稼いで!」

「おうっ!」

リディーが防御魔術を展開。

分厚い魔術の防壁が、崖の出入り口に展開。敵の生き残りを更に分断した。

二の足を踏んでいた後続のヤギたちが、それを見て一瞬足を止める。谷の中にいたヤギは全滅、もしくは瀕死。後続集団のヤギは無事だが、しかしボスと引き離されて殆ど無防備状態だ。其処へ、更に分断工作が入り。崖上から躍り上がるようにして、マティアスさんとフィンブル兄、ピッターさんが襲いかかる。

クラップさんは、肩で息をついていて、もう戦えそうにない。

リディーは壁の維持で精一杯。

スールは指先で来いと、ヤギのボスを挑発。

小娘が、舐めるなと。ヤギのボスは、体勢を低くして突進してきた。

自慢の機動力を生かして戦うべきだが。

自分の身の程はわきまえている。

拳銃を乱射しながら、横滑りに走る。

ヤギのボスが、至近の地面を抉りあげた。

目が合う。

ヤギの目は、瞳孔が人間とは向きが違っていて。それが一種の威圧感を作り出す。スールも一瞬、ぞわっと来るのを感じた。

立て続けに、竿立ちになったヤギが、足を踏み降ろしてくる。

踏まれたら、背骨を一撃でへし折られて即死だが。

ずり下がりながら、また弾丸を乱射して浴びせてやる。

傷ついている毛皮には、小さな弾丸でも少しは効く様子だが。

苛立ちながら、ヤギはインファイトをどんどん挑んでくる。その蹄も角も、喰らえば一撃確殺は確定。何度も掠める。その度に内臓が縮むようだ。こんな恐い戦い方を、アンパサンドさんはいつもしているのか。ぞっとする話だ。

まだか。とにかく、ヤギとの戦闘が長く感じる。

下では苛烈な戦闘が続いている。

ボスと分断された烏合の衆、それも奇襲を受けた状態だ。どうにかなると信じたい。

後は、スールが持ち堪えさえすれば。

悲鳴が下で上がる。

味方のものではない。

ヤギのものだ。

立て続けに上がり始める。どれもが断末魔なのは明白だった。

恐らくは、谷を迂回しきったアンパサンドさんが、味方に加勢し始めたのだ。

集団戦で真価を発揮する戦闘法。

相手をひたすら攪乱し続け。

そして味方に必殺の機会を作っていく。

アシスト特化の、何て言ったっけ。

そうだ、回避盾だ。

リディーが盾の魔術を解除。敵の残存勢力を分断する必要もないと判断したのだ。

そろそろか。もう少し耐えれば、勝ちだ。

ヤギが怒りの声を上げた。群れが全滅寸前になっている事を悟ったのかも知れない。ぐっと間合いを詰めてくると。一気に巨大な角でカチ上げてきた。

喰らったら即死確定。

もう余裕も何も無く、必死に飛び下がるが、少し足りない。

擦る。

それだけで、吹っ飛ばされて、岩に叩き付けられる。

背骨が軋む音がした。ぎゃっと、情けない悲鳴を上げてしまう。

頭を打たなかっただけ上出来か。

更に、突っ込んでくるヤギ。フルパワーで、全力で突貫してくる。

押し潰す気だ。

あ、死んだなこれ。

スールは、ゆっくり見える、突っ込んでくるヤギを見て、そう静かに思ったけれども。その瞬間、雷霆のように走った光があった。

ヤギを横切るようにして。

アンパサンドさんが、その目の一つを抉ったのである。

流石に荒野のヤギ。その頭目。

目を一瞬で潰される、とはいかなかったようだが。

それでも苦悶の声を上げて、竿立ちになる。

ひゅうと呼吸を整えながら、アンパサンドさんが、両手に血染めのナイフを持ったまま、左右にステップする。

「良く持ち堪えたのです。 下はもう大丈夫だから、此方に来たのです。 さあ三下、後はお前を自分がズタズタに切り刻んでやるのです」

「キギャアアアアアアッ!」

ヤギが絶叫。

余裕を見せているアンパサンドさんが気にくわないのか、真っ正面から叩き潰しに行く。

だがこのヤギのボス、全身傷だらけの上に、この間の喰人植物よりかなり弱い。ならば結果は見えていた。

それよりも凄いのは、敵を攪乱して釣り出し、危険地帯を駆け抜けた上に谷を迂回して敵の後ろに回り込み。更に味方を支援した後、崖の上に平然と戻ってきたアンパサンドさんだ。

一発でも貰ったら終わり。

その弱点を克服するために。まず圧倒的な体力を身につけている、と言う事だ。

速さもそうだが、まずは体力。

そういうことだったのか。

案の定ヤギの攻撃は、どれも空を抉るばかりで。手傷が次々に増えていく。リディーが詠唱を開始。

スールは頷くと、呼吸を整えながら立ち上がる。

そして。筋力強化の魔術を受けて、全身の力が一気に膨れあがったのを感じると、体勢を低くし。

アンパサンドさんに翻弄されているヤギの土手っ腹に、渾身のドロップキックを叩き込んでやる。

流石によろめいたヤギの、喉を。恐らく十回以上、アンパサンドさんは切り裂いたのだろう。

血がしぶく。

だが、それでも致命傷にならない。

攻撃が軽いのだ。

だからスールは、ヤギの背中に跨がると、首を掴み、一気に力を込める。めりめりと音がして、首の傷が拡がっていく。

悲鳴を上げるヤギだが。

その全身に、更にアンパサンドさんが容赦なく傷を増やしていく。抵抗する事も出来ず。関節も耳も多分おしりなどの毛が少ない肌が露出した場所も。どんどん傷を増やされて、絶叫するヤギの首を。

ついにスールは、リディーの魔術の支援もあってねじり上げた。

傷口が盛大に開き。

鮮血が噴き出す。

ヤギが横倒しになり、巻き込まれ掛けたが、間一髪で戻ってきたマティアスが支えてくれた。

マティアスも肩で息をついていた。

フィンブル兄とピッターさんも戻ってくる。フィンブル兄のハルバードは折れてしまっていた。ピッターさんのロングソードはのこぎりのように歯が零れてしまっていた。武器とは言え相棒。悲しい姿だ。

そして全員例外なく返り血で真っ赤だった。

マティアスが、無言のまま、まだぴくぴく動いていたボスヤギの首を刎ねる。マティアスの剣だけは、まったく傷もなかった。

本当に一発の威力は大きい。あんなにアンパサンドさんが切っても、首に致命打を入れられなかったのに。アードラのように、防御が脆い獣ならともかく。こういう装甲が厚い奴にも、一撃で此処までのを入れられるのを見ると、マティアスは力だけは強いのかも知れない。それとも、相当な業物を渡されているのか。多分両方だろう。

ぼんやりと、スールはそう思う。

「スー、大丈夫か。 目の焦点が合ってないぞ」

「うっさい残念イケメン……」

「お、おいっ!」

そのまま、前のめりに倒れる。

リディーが抱き留めてくれなかったら、地面に顔面をぶつけて、歯を折っていたかも知れない。

意識を失ったのだと。

何となく分かった。

 

目が覚めると、街の宿だった。

虱だらけのベッドだと思って、思わず飛び起きたが。驚くほどベッドは清潔になっていた。

側にはリディーがうつらうつらしていて。

そして、スールの目が覚めたのに気付いて、話をしてくれる。

「アンパサンドさんが村にひとっ走りして、話をしてくれたの。 そうしたら、村の方でも、流石に思うところがあったんだと思う。 シーツとか急いで洗濯して、待ってくれていたよ」

「あの後街までひとっ走りしてくれたの!?」

「うん」

「体力底なしだね……」

絶句するしかない。

アンパサンドさんの本当の武器は、多分体力だ。敵の群れの中で常時嫌がらせを続け、そして味方に必殺の好機を作り続けるには、ホム特有の高い計算能力に加えて。その頭と、体の動きを維持するための体力が必須なのだろう。

街に出ると、大量のヤギの死骸を、嬉々として捌いていた。

毛皮の一部と、首は回収したが。

それ以外は全部あげてしまったという。

まあそれもそうだ。

うちの荷車の積載量だと、とてもではないけれど回収できない。

更に、である。

これから、急いで鉱石類を拾って戻らなければならない。ヤギの群れが全滅した今が好機だ。

クラップさんは腰を痛めたようで、しばらく休むと言うことだったが。

今回の功績を認められたらしいピッターさんは、新しいロングソードを貰ってご満悦。街の財政状況から言うと、これでも相当な褒美だろう。問題はハルバードをダメにしてしまったフィンブル兄だ。

悲しそうにしていたので、声を掛ける。

「ごめん、フィンブル兄。 それ、大事な相棒だったんでしょ」

「ああ。 だが、弱き民を守れたのなら、此奴も喜んでくれるだろう」

「あの、これから鉱石を集めるんだけれど。 それが終わったら、鍛冶屋の親父さんに鉱石からインゴット作って渡そうと思うんだ。 それで……スーちゃんから頼んで、直して貰うよ」

「嬉しいが、これ結構高いぞ」

頷く。だが、あまり素直にこれを使うべきだとも思えない。

ハルバードは斧槍とも言われる、それぞれの特徴を持った複雑な機構の武器だ。

銃ほど複雑な訳では無いが、こういった武器を作るには、相応の冶金技術が必要になってくる。

実のところ、スールはフィンブル兄には普通の槍か、或いは長柄の斧か、どちらかが良いのではないかと思っている。

前にシスターグレースに聞いたことがあるのだが、ハルバードを一とする「何でもできる武器」というのは、構造的にも脆く扱いも難しい。普通の槍と立ち会うと、余程の達人でない限り遅れを取る事が多いという。本末転倒である。槍も実のところ、殴るという機能を充分に持っているからである。

勿論スールも二丁拳銃にこだわっているのだ。

フィンブル兄の拘りにケチを入れるつもりは無い。

フィンブル兄もリディーのもやもやを察してくれたのか。

やがて、有難うとだけ、呟いた。

 

3、粗悪品から

 

廃鉱山に出向く。廃鉱山と言っても、露天掘りで丸ごとほった場所だから、元鉱山というのは、言われないと分からない。

今度は自警団が数人人員を出してくれた。

ヤギを全滅させた礼だという。

実績を積み重ねれば信頼も得られる。

そういう事なのだろうか。

だけれども、何というか、掌を返されたというか。はっきり言ってあまり良い気分はしなかった。

「廃」鉱山である。

高品質の鉄鉱石とか、落ちている筈も無い。

とにかく、図鑑を見ながら鉱石を拾っていくが。いいものは殆ど無かった。だが、最低限でも良いから、鉱石を集めていく。

それが大事なのである。

もっと良い鉱石は、いずれ別の機会で手に入れれば良い。

ただ、それが何処になるのかは分からない。

遠征しなければならないとすると。

虫が出るのを覚悟の上で、野宿しなければならないのだろうか。

お化けも出るのかも知れない。

恐くて悲しいけれど。

他に手が無いならば。

やるしかない。

「スーちゃん、動きが遅くなってるよ」

「だってえ、石をひっくり返すと虫がいるんだもん!」

「虫さんも石の下に住んでるんだから仕方ないでしょ」

「やだあ! 虫触りたくない! 見たくも無い!」

泣き言だと自分でも分かっている。

そもそも虫を嫌いになったのは、昔やった悪戯が原因だ。お母さんを本気で怒らせて、物置に閉じ込められて。

その物置で。

周囲中から虫の足音がして。

暗闇の中、恐怖と絶望の中。

虫が徹底的にダメになった。

それまでは、むしろ虫を平気で触って。捕まえていたりしたくらいだったのだけれど。一度恐怖がすり込まれると、どうしようもないのが事実である。

スールは憶病なのを自覚している。

だから、やはり虫は普通に恐いし、触りたいとも思わない。

情けないけれど。

それが事実だ。

ともかく、一定量の鉱石を集めると、ずっしり重くなった荷車を引いて、そのまま帰路につく。

街の人達は、手を振って送ってくれたけれど。

もしもヤギの退治に成功しなかったら。

ヤギの肉を気前よく譲らなかったら。

あんな態度は取らなかったはずだ。

ちょっと気分が悪いけれど、できるだけ笑顔を保ったまま、街を出る。街道をまだ行かなければならないから、ちょっと不安も大きい。途中で獣に襲撃される可能性が充分にある。

更にクラフトも尽きてしまっているので。

戦闘になったら、かなり厳しい勝負になる。

だから、急ぐ。

夕方近くまで小走りで急いで、森の中に駆け込んだときは、思わずへたり込んでしまった。

けろっとしているのはアンパサンドさんだけで。

リディーに至っては、目から光が消えている。

途中でマティアスが見かねて背負おうかと言ったくらいである。

とはいっても、リディーはマティアスが嫌いなようなので。

そんな事するくらいなら、荷車に乗ると言い出して。そして結局最後まで走りきったのだった。

「アンパサンドさん、し、質問……」

「スールさん、何ですか」

「そ、その体力、ど、どうやって作ってる、の?」

「日々の鍛錬なのです」

そうだろうと思った。あまりにも即答だったので、もうぐうの音も出なかった。

分かりきっていた。

ホムは身体能力が低いが、感情が薄くて不正もしない。或いはもし本気で体力を鍛えることを考え始めたら、こういう風になるケースもあるのかも知れない。ヒト族だったら手抜きするところを、絶対に手抜きしないのだから。

足ががくがくするが。

ともかく、荷車を引きずって、王都まで。王都に入って、解散した頃には、マティアスもフィンブル兄も無言になっていた。

アトリエに戻って。

スローな動きで、荷物をコンテナに。ヤギの頭は多分痛むので、明日の朝に早々に納品しないと向こうも迷惑するだろう。

その後は、夕食を食べる気にもなれなかったが。

リディーがふらふらしながら夕食を適当に作って。

吐きそうになるのを我慢しながら必死に食べる。

リディーもかくかくと不自然に動きながら食べ。

そして必死に吐くのを堪えていた。

真っ青なまま、ベッドで転がって、そのまま眠る。

翌朝は、寝坊しかけた。

リディーは途中から気絶していたと自己申告。

夕食を作った記憶がないという。

何だか色々恐いが。

まあとにかく、一応大丈夫だろう。多分。

ともあれ、朝練はきちんとする。アンパサンドさんがけろっとしていた様子からも、日々の鍛錬が如何に大事かはよくよく分かった。

更に言うと、教わったあのよく分からない動き。

あれで、普段使っていない筋肉を使って。

今回のヤギに対する時間稼ぎが、かなりスムーズにやれたと思う。つまり、言われた事は、全て正しかったと言う事だ。

黙々と、裏庭でうねうね動く。

本当に何だか分からないのだが。

ふと気付いた。

これ、何処かで見た事があるような無いような。

全ての動きを終えた後。

あっと気付く。

確か、この動きの一部。

シスターグレースが何かやっていたような気がする。

だとすると、ひょっとしてアンパサンドさんは、シスターグレースの所にいたことがあるのかも知れない。

しかし、教会にいた頃の頃は、あまり思い出したくない。

ずっと泣いていたこと。

リディーが先に立ち直って。根気よくスールにはシスターグレースが接してくれたこと。色々な戦い方について教えてくれた頃の事は記憶に強く残っているが。多分この妙な動きは、涙の向こうで見た光景だった気がする。つまり、自分の中では思い出したくない記憶だ。

頭を振って、気持ちを切り替えた後。

リディーと一緒にヤギの頭を納品しに行く。途中、荷車には布を掛けて隠した。流石にこれを見せびらかすつもりにはならなかったからだ。

破損しているものも含めて三十。

役人は流石に目を丸くした。

「八頭の依頼でこんなに!」

「群れごと駆除してきました」

「ご褒美は!? ご褒美は!!?」

「こら、スーちゃん、行儀悪いよ」

役人は慌てた様子で、上役に耳打ち。ホムの役人が来て、何やら難しい計算を始める。周囲でも騒ぎになっていた。

あれ、例のポンコツ双子だろ。

何だよあの数のヤギ。しかも滅茶苦茶になってるぞ。どんな殺し方したんだ。

よっぽどいい傭兵でもやとったのか。

そんな声が聞こえてくる。

まあ、ポンコツと言われるのは仕方が無い事は自覚している。だから、黙って周囲の雑言には耐える。それに、報酬は、驚くほど出して貰った。

「危険だったでしょう。 その分の手当も含みます」

「ありがとうございます」

「こういった依頼を受けていくことが、国への貢献と見なされますので、今後も積極的にお願いします。 騎士団の手が足りていないことは周知かと思いますが、とにかく新しい錬金術師が育つ事を我々は歓迎します」

投資をしてくれるのは嬉しい。

久々にいいものでも買って食べようかと思ったが。

ぐっと堪える。

まずは、鉱石を師匠に見てもらって。

いいものが作れるか確認しなければならないだろう。

お世話になった鍛冶屋の親父さんにもいわれた。

錬金術はお金が掛かる学問だ。

お金がちょっとでもたまったのなら。

計画的に使う事を考えなければならないのである。

今回も本当にギリギリの戦いだったし。

今後は更に危ない相手と戦わなければならなくなってくる。アトリエランクが上がったら、ネームドの駆除も依頼されるかも知れない。

それを考えると。

散財なんてありえなかった。

イル師匠のアトリエに出向くと。

誰かが先に来ていたらしく。

アリスさんが、お茶の後片付けをしていた。

イル師匠はまたよく分からない調合をしていて。

言われるまま、ソファに並んで座って待つ。また、美味しいお菓子とお茶を出してくれるので、とても嬉しい。

「それで今日は?」

「はい、鉱石を集めてきたので、それで……」

「ごめんなさい、イル師匠。 図鑑見ても、よく分からなくって」

「そう。 ちょっと待ちなさい」

何だろう。

少し寂しそうな声だが。

何か鉱石に思い入れでもあるのだろうか。よく分からないけれど、まずは話を聞いてみる所からだ。

ぱっぱと調合を終わらせるイル師匠。

勿論手抜きをしている様子など無い。

根本的な実力の次元がリディーとスールとは違う。

それだけだ。

「見せてみなさい」

「はい、此方です」

「妙に血なまぐさいわね」

「討伐依頼で、ヤギの群れを狩ってきて、首を納品した帰りで……」

ふうんと、イル師匠は特に眉をひそめることもない。この人くらいになると、荒野の獣を蹂躙するように狩っていくのだろう。

だから、平気という訳か。

「ろくなものが無いわね。 ツィンクの質の悪いものを少し作れる……これはシルヴァリアが少しあるけれど純度が低い。 ゴルトアイゼンがあればましなものが作れるのだけれども」

「ええと、図鑑で見た事しか分かりません」

「まあ流石に渡した資料以上の予習は無理ね今の段階だと。 ツィンクは簡単に説明すると鋼鉄よ。 今もっとも流通している金属だと考えて頂戴。 傭兵が持っている武器は基本的にこれね。 機械技術で使われるのもそうよ」

幾つかの鉱石をイル師匠が並べて。

頷いてメモを取るリディー。スールは特徴の見分け方を聞いて、図鑑と見比べる。そうすると、覚えられるからだ。

「正確に言うと、この鉱石から取り出せるのはただの「鉄」。 鋼鉄にするには、何段階かを経なければならないわ。 それでもどうしようもない問題があって、錆びるのよ」

「そういえば、フィンブル兄も、手入れが大変だって」

「そう。 その上強度も、錬金術金属に比べると劣る。 故に普及はしているけれども、大物相手には力不足になる」

「なるほど……」

続けて、イル師匠が、さっきよりずっと少ない鉱石を並べた。

「含有率は低いけれど、シルヴァリアがこれに少し入っているわ。 シルヴァリアは錆びやすい代わりに、鋼鉄よりも遙かに強度が勝るわ。 更に強みとして、魔術に対する親和性がとても強い」

「ええと、それはつまり」

「安物の錬金術の装備は、大体シルヴァリア製よ」

「あうう」

そうか。リディーが呻いたが、つまり今のリディーとスールには、安物を作るのが精一杯、と言う事だ。

更にと、今度はイル師匠が奥から別の鉱石を取りだしてくる。

それは、見るからに雰囲気が違っていた。触らせて貰うが、ずっしりと明らかに重さからして違う。

「これはゴルトアイゼン。 絶対に錆びないという特徴を持っている金属よ。 錬金術の手を入れないと強度は上がらないけれども、錆びないという特徴は非常に有利。 シルヴァリアとの合金で、この上に位置するプラティーンに匹敵する強度のものを作り出す事が出来るわ」

「ゴルトアイゼン……と」

「重いですね」

「それも欠点の一つね。 錆びないという事には、相応の代償があるという事を覚えておきなさい」

はいと、声を揃えて応える。

そしてイル師匠が持ってきたのは。

更にレアそうな金属鉱石だった。

「そしてこれは滅多に採れない貴重な金属よ。 プラティーン。 強度においても今まで見せたものとは別格で、更に言うと絶対に錆びないわ。 その上ゴルトアイゼンよりも軽いし、魔術への親和性も高い」

「す、凄い金属……」

「でも超がつくほどの貴重品よ。 この小さな鉱石で家が建つわ。 インゴットに仕上げると、豪商の屋敷くらいにはなるわね」

「……」

もうついて行けない世界だ。

そしてそれを平然と持っているイル師匠にも、である。

更に更に。

究極を師匠が出してきた。

インゴットである。

布で包まれていたそれは。布を開くと、あからさまに他とは別格という輝きを見せつけてきた。青紫というか何というか。紫は失敗すると下品になってしまうのだけれど、驚くほど上品な色だ。

これが。話に聞く。

伝説の金属、ハルモニウムか。

名前だけは聞いている。ドラゴンの鱗から抽出するという最高の金属。

アリスさんが、イル師匠が頷いたので。ハンマーをインゴットに降り下ろすが。まるでびくともしない。

がいんと、凄い音を立てて弾かれていた。

「こ、これが伝説のハルモニウム!?」

「そうよ。 教えたわよね。 復唱して見て」

「はい。 ドラゴンの鱗から作り出す事が出来る、今錬金術で最高の金属、です」

「ですっ」

思わず背が伸びる気分だ。

これは話によると、国宝クラスの品。ハルモニウム製の武具となってくると、それこそアダレットでもラスティンでも。そう、錬金術師がたくさんいるというラスティンでさえも国宝になるという。

それを今、イル師匠は見せてくれている。

この人が如何に凄まじい錬金術師なのか、それだけでもよく分かるというものである。

「見ての通り、ハルモニウムは最強の金属よ。 錆びない、最強の硬度、軽い、その上魔術への親和性の高さも超絶。 その代わり、加工からして生半可な腕前ではそもそも門前払いよ」

「ひえ……」

「とりあえず、今回はシルヴァリアが少しだけ採れたようだから、それで良しとしましょうか。 まずはツィンクをインゴットに加工しましょう。 ……鉱石については、遠くに行かないと穴場がないから、少し考えないといけないわね」

それと、と更にイル師匠は付け加える。

幾つかの石を取りだして、それを別に並べた。

「これはカーエン石。 表面がしけってしまっているけれど、内部はまだ使えるはずよ」

「こっちはどういう金属になるんですか?」

「爆弾の材料よ」

さっと引く。

谷で、ヤギの群れが消し飛んだ光景を思い出してしまう。

気が弱い者だったら、多分吐いていただろう。

それくらい、凄まじかった。

確かクラフトは基本中の基本と聞いている。

そうなるとこれは、基本より少し上の爆弾の材料、と言う事で。

当然火力もクラフトより上、という事になるだろう。それはすぐに分かる。

そんな恐ろしいものが目の前にあると思うと。

震えが来るのを自覚してしまう。

「……疲れているようだし、火薬爆弾の作り方は別の機会にしましょう。 まずはツィンクを作るから、準備をしなさい」

「はい」

「わかりましたっ」

頷くと、イル師匠は。

基礎から、丁寧に教えてくれた。

まず鉱石を徹底的に砕く。砕きながら、不純物を取り除いていく。分からない内はどれが不純物なのかさえ分からない。

だから、いっそ最初は。

細かく砕くだけで良いと言われた。

兎に角、言われた通りに細かく砕いていく。

これが相当な重労働で。

ハンマーを振るわなければならないので、少なくともリディーには無理だ。スールが担当する事になるだろう。

鍛冶屋の親父さんが、いつも凄く大きなハンマーを振るっていたけれども。

アレは何というか。

序の口だったのだろう。

錬金術師は、更に別の方向から、加工をするわけだ。

そして細かくなったものを中和剤につけ、変質させる。この時つかう中和剤は、当たり前だが品質が高い方が良い。

そして次。

炉に入れる。

この辺りまでの流れは、前にインゴットを作った時と同じだ。あの時は漠然と作ったが、此処からは明確な「金属」を意識して作っていく事になる。

炉に入れた後、取りだすと。

明確にマーブル模様で別れていた。

「これは、金属は溶ける温度が種類によって違うから起きる現象よ。 まず砕いて、分けておいて」

「はい」

明らかに黒ずんでいる方を捨てて。

少し光沢が出ている方を残すのかと思ったが。

それぞれをまた、別に炉に入れるという。

そしてまたしばらく炉で熱し。

砕いて分けるのを繰り返す。

無言でその様子を見ているイル師匠。

その内、どんどん純化されていったのか。砕いて分ける大きさが、明らかに違い始めてきた。

光沢も目に見えて違っている。

これが、金属の。本物のインゴットという奴か。

「此処から一工夫するわよ」

イル師匠が大きな金ばさみを持ってくると、蜜と中和剤を入れた水に、まだ熱いインゴットをつける。

ジュッと凄い音がして、思わず顔を手で守った。

「これを焼き入れと言って、ツィンクの場合はこれで「鉄」から「鋼鉄」になるの。 錬金術では中和剤を水に混ぜることで更に硬度を上げるけれども、鍛冶師には鋼鉄を作り出すので限界ね」

「あ、暑くないんですか!?」

「この服は見た目通りの絹服じゃないのよ」

実際、イル師匠は汗一つ掻いていないし。何より重いインゴットを平然と扱っている。筋力も上がっているのだろうか。

そしてまた熱する。

また水に入れる。

それを何度か繰り返すと。

鈍色の輝きを持つ、良く知る鋼鉄が仕上がっていた。

「危険だから最初に手本を見せたけれど、次は貴方たちがやってみなさい」

「はい!」

すぐにリディーがメモを読み上げて、スールが動く。

粉々に砕いて、熱して。

分離して、熱して。

それを繰り返して純度を上げていき。

そして蜜を入れた水につける。何度か注意が入ったけれども、それでもイル師匠は怒っている様子も無く、兎に角丁寧だった。ただ焼き入れをする時だけは本当に危ないという事で。

錬金術の道具で。

スールに防護の魔術を掛けてくれた。

「まだ貴方たちの力量だと、本格的な金属加工は厳しいわね。 やるときは私を呼びなさい。 立ち会うから。 ミスをすると冗談抜きに手足を失うわよ」

イル師匠はそうはっきり言うが。

だが、それでも最終的には、何とかツィンクが仕上がった。

シルヴァリアはまだダメと言われたので、今回はこれで我慢するしかない。もっと難しい金属なのだろう。

手が届かないのなら。

今の時点では、諦めるしかない。手足を失うというのは、脅しでも何でも無く、本当のことなのだろう。

まずはツィンクを安定して作れるようになって。

全てはそれからだ。

「イル師匠、錆を止める方法って無いんですか?」

「例えばさび止めの魔術を刻み込むというのがあるけれど、ツィンクでそれをやると、武具の硬度が落ちるわね。 切れ味を上げたり硬度を上げたりと色々魔術を刻み込んでいくと、その内簡単にぽっきり折れるようになるわよ。 本末転倒ね」

「ああ……なるほど……」

「でも、体につける装備品なら、それでも良いのではないかしらね」

理解出来た。

いずれにしても、今作ったツィンクは、フィンブル兄のハルバード用だ。

それについても話すと。

少しイル師匠は腕組みして、考え込んだ。

「……まあ良いでしょう。 その代わり、一刻も早く身体能力を上げられるような錬金術の装備品を作れるように考えなさい。 レシピができたら見せに来て。 戦力の底上げには、武器を強くするのも良いけれど、まずは身体能力の倍率を上げる事よ」

イル師匠によると。

リディーが使うような補助魔術なんて、錬金術の装備品だと、複数で同時に常時展開する事が出来るという。

身体能力も何倍にもできるとかで。

場合によっては何十倍、もっと倍率を上げられるとか。

凄まじい話だが。

イル師匠やアリスさんの動きを見ていると、あながち嘘だとも思えない。全て、心に刻むことにする。

とにかく、一度アトリエに戻ると。

リディーと手分けして動く。

フィンブル兄はスールが呼びに行き。

リディーは鍛冶屋の親父さんの所に行って、ハルバードを直す準備について話をしてくる。

フィンブル兄を連れて来て、鍛冶屋の親父さんにハルバードを見てもらう。

そしてツィンクのインゴットを渡すと。

親父さんは少し難しい顔をした。

「フィンブル、お前まだハルバードでやるつもりか」

「ああ。 俺の師匠の形見でもあるから」

「前にも言ったが、何でもできる武器は何にもできない。 欲張れば欲張るほど、武器は弱くなる。 格好いい武器よりも、シンプルな武器の方が強いんだよ。 よっぽどの達人にならないと、色々ギミックがついている武器はむしろ足を引っ張る。 良いんだな」

「かまわない」

その強い拘り。

分かる。

頷くと、鍛冶屋の親父さんは、ハルバードを直してくれると明言した。お金についても、此方で出す。

依頼任務での武器破損だ。

補填義務は雇い主である此方にあるのだから。

二つあるインゴットを見て。親父さんは即座に見抜く。

「ちったあマシになったな。 だがまだまだだ。 こっちのツィンクは、お前さん達が作ったものじゃないだろ」

「はい、それはイル師匠が」

「あー、そうだろうな。 酷い鉱石だったろうに、相当な業物に仕上がってやがる。 これはとっておけ。 多分、その内良いものを作る時に必要になる」

返された、イル師匠製のインゴット。

後はやっておくと言われたので、鍛冶屋を後にする。

アトリエに戻ると。スールは思わず叫んでいた。

「あー! あーあーあーあーもう! 無力だ! 無力! 無知! 足りない! 何もかもー!」

「ちょっとスーちゃん、落ち着いて」

「今叫んで落ち着いた。 もうこうなったら、手当たり次第に獣を狩って、鉱石集めてくるしかないね。 Gからランクの降格は避けられると思うけれど、まずはFランクになる事を考えないと」

「それと、カーエン石からもっと強い爆弾を作れるようにならないと……」

その通りだ。

あの谷での戦いでも、クラフトでなければ、一気にヤギどもは全滅させられていた可能性が高い。

まずは力だ。

スールには、それが足りない。

 

4、工夫開始

 

この間の肉食植物の残骸から、会心の出来のゼッテルを造り。それにリディーが慎重に魔法陣を描き込む。

筋力強化の魔法陣だ。

魔術の知識があるリディーだけれども。失敗したら何もかも台無しだから、非常に緊張する。

仕上がったので、今度はこのゼッテルを、この間リアーネさんのお店から買ってきた本に書かれていたアクセサリに仕込む事を考える。

腕輪が良いだろう。

指輪はまだハードルが高い。ネックレスは魔法陣を仕込むには小さすぎる。

まず、この間少量採取してきた、ボスヤギの皮をなめす。皮をなめす液や、なめし革の作り方については、この間覚えたばかりだ。

しっかりなめした後。

その分厚く頑強な皮の裏側に、ゼッテルを仕込もうと思ったが。

そうすると気付く。

多分汗でゼッテルが痛んでしまう。

なめし革自体もある程度の湿気を帯びているので。

ゼッテルがダメになってしまう。

さてどうするか。

帯状のなめし革を二つ用意して。それで挟むことは考えたのだが。そこからが上手く行かない。

二人で試行錯誤して、そして考えついた。

まず、ヤギ皮そのものに、魔法陣を仕込む。

リディーは考えた末に、防御魔術をなめし革の内側に仕込んだ。

そしてそのなめし革に、油紙を貼り付ける。これで、水分そのものを飛ばす事が出来る筈だ。

更に油紙で挟み込むようにして、先ほどのゼッテルを仕込み。

ヤギ皮を二つあわせて、縫い合わせ。

そして腕輪にまとめる。肌触りが良いように、毛皮の外側が肌に触れるようにもする。長時間の戦闘では、ちょっとしたストレスが命取りにつながっていくことを、もうスールは知っていた。

腕輪は調整出来るように、ベルト式にするが。この時魔法陣を傷つけないように、加工をするのがかなり大変だった。なお金具は流石に作れないので、小物屋で買ってくることにした。

さて、此処からだ。

レシピをイル師匠に見せに行くが。

そうすると、幾つか指摘された。

「発想は悪くないわ。 ただ、耐久力が足りなさすぎるわね。 このヤギ皮は良い品のようだけれど、この魔法陣を此処に刻みなさい」

「これは?」

「防腐と防水の魔術」

「あ、なるほど……」

できれば金属で覆うのが一番だと言われたが。まだそれはちょっとリディーとスールの手に余る。

それを理解しているからか、イル師匠は、さっきの魔法陣だけを加えて、完成させて持ってくるように、と言ってくれた。

試行錯誤しながら何とか完成させる。

そして手につけて見ると。

確かに効果は明らかだ。

詠唱しなくても、魔術の効果が最初から体にみなぎる。ただし、筋力が上がっているので、腕輪がぶちっと壊れてしまいそうだ。確かに耐久力が足りなさすぎる。イル師匠の言ったとおりだ。

リディーにもつけて貰うが。

やはり同じ感想を抱いたようだった。

「どうするリディー」

「そうだね、必要なのは柔軟性と、傷を受けてもすぐに壊れない強度だよね。 やっぱり金属で外側を覆うべきなのかな」

「もう一重ヤギ皮で覆ってみる? 同じように加工して、耐久強化の魔法陣仕込むの」

「……分かった、試してみよう」

何しろ大きなヤギだった。皮は余っている。丁寧に加工して、留め金の部分も工夫していく。

やがて、仕上がった腕輪は。

随分としっくり腕に馴染んだ。

師匠にレシピもろとも見せに行く。イル師匠はまだ渋い顔をしていたが。まあ最初はこんなものだろうと、許可を出してくれた。

良かった。

これで、最初の錬金術装備の完成だ。

ただ、イル師匠には言われる。

「ネームドと戦う位になってくると、これよりずっと良い装備を、体に四つか五つ身につけないとそもそも戦闘にならないわよ。 品質を上げていくこと、量産できるようにすること、能力を更に高められるよう工夫すること。 どれも意識しなさい」

「はいっ」

頭を下げる。

とりあえず、これでまた一歩、一人前に近付くことができた。

まだまだ半人前なのは自覚しているが。

それでも小さな一歩ではないはずだ。

次は火薬爆弾。

その前に、まずはこの腕輪を量産する。アンパサンドさん、マティアス、フィンブル兄、それとリディーとスールの分。

作っていく内に欠点も見えてくる筈。

反復練習と復習が進歩の近道。

その言葉を何度も思い出しながら。

まずは人数分。

この獣の腕輪とでも呼ぶべき装備を作るところから、スールはリディーと協力して作業開始した。

 

(続)