身の丈にあった仕事

 

序、初仕事

 

ごくりと息を飲み込むと。

リディーは手を伸ばして、掲示板に貼られている仕事を取った。

アトリエランク制度、最下層、Gランク。

Gランクの義務である、騎士団に納入するお薬の作成。

それをやるためには、素材がいる。

薬効成分の強い草で。

アダレット王都周辺にある森にはなく。

少し離れた草原にまでいかなければならない。勿論其処は獣のテリトリーである。

更に言えば、国に貢献していけば、やがてFランクの試験を受けるための査定をして貰える。

獣の駆除作業は。

錬金術師にとっては勿論登竜門になる。

確か、騎士団でも大物を狩るときには、錬金術師と連携し、部隊を繰り出すという話である。

いずれ騎士団との連携任務は出てくる訳で。

この間ファンガスと戦った時と同じ戦力では。

話にもならない。

イル師匠の所で、戦略と戦術を勉強しているリディーは。

メイドであるアリスさんに徹底的にしごかれながら。

まず経験を積めと言われていた。

机上論からそのまま実践に移せる人もいるが、それは天才の領域に入る存在であって。まず普通には存在しないという。

戦闘も錬金術と同じ。

場数を踏まないと、できる事も出来ない。

後の時代に名将と呼ばれるような人でも、最初の戦いでは、自分が何をしていたか分からなかったと恥ずかしそうに述懐する事があるという。

そういうものだ。

最初の戦いはとても恥ずかしい戦果に終わったが。

それは大いに恥じる。

そして、その恥を生かし。

救える人を救え。

徹底的に鍛えながら、無表情のまま、アリスさんは言う。そして、戦いが終わった後、アリスさんはこの傷はどうできた、どんな風に敵と戦ったと、注意深く自慢にならないように、教えてくれるのだった。

リディーは戦いが好きじゃ無い。

むしろスールが聞いて喜びそうな話だと思ったけれど。

アリスさんの体に残っている傷はとても生々しい。

死にかけた事も何度もあると言う。

昔はイル師匠との仲も良くなかったと聞いて、驚かされた。

だが、アリスさんは献身的に尽くして。

やがて全面的な信頼を寄せるようになった。

アリスさんはそう口にはしなかったけれど。

色々な情報を総合していくと。

そういう事が分かってきた。

とにかくだ。

やる事を、順番にやって、自分を強くしていかなければならない。スールは錬金術を徹底的に勉強しているし。リディーは戦いについて教わっている。どちらもまだまだ半人前になったばかり。

まずは、Gランクを維持するためにも。

この仕事を、こなさなければならない。

剥がしたお仕事を役人に告げて、認可を貰う。

Gランクのアトリエになった事は、掲示板の側の役人も知っていて。依頼内容を見た後、認可の印を押してくれた。

だが、注意もされる。

「この獣は、討伐依頼が出るような獣、と言う事です。 つまり騎士団が通常任務で狩っている獣より強いです。 気をつけてくださいね」

「はい」

「それでは気を付けて」

生唾を飲み込む。

相手はさらりと言っていたが。

つまりこの間戦ったファンガスよりもずっと格上の相手、と見て良いだろう。

だけれども、いわゆるネームドでさえない。

まだまだ、ネームドは更にもっともっとずっと強いと言うことである。

錬金術師と騎士団が連携して戦わなければとても倒せない。

そうだとして、倒せるかは分からない。

そんな次元の存在だと聞いている。

いずれドラゴンや邪神と相まみえる日が来るのだろうか。

そいつらに至っては、もっともっと次元が上だろうし。

正直想像もできない。

恐いのは確かだ。

体に震えが来ているのは、どうしても自覚できる。だが、少しずつ踏み越えていかなければならない。

はじめのはじめの一歩。

アトリエランク制度に参加したことで。

自分の実力の程が分かってきた。

これからそれを伸ばすためには。

確実に壁を越えていかなければならないのだから。

アトリエに戻る。

スールが真剣な顔で錬金釜に向かっていた。昔だったら、信じられない光景だ。だから水は差さない。

黙々と、スケジュールを練り始める。

ほどなく、大きくため息をついたスールが、出来上がったらしいお薬を見せに来る。

「リディー、見て。 毒消し作って見たよ」

「うん。 出来はどう?」

「レシピ通りにやってみたけれど……」

「試し方は分からないね。 毒って言ってもどうすればいいのか……」

まあ、とにかく瓶に詰めて。

一旦コンテナにしまう。

このコンテナも、保存の強力な魔術が掛かっている様子で。中に入れたものが腐る様子が無い。

実際に本格的に使うまで。

そんな事さえ、殆ど分からなかった。

お父さんが作ったのだとすれば。

全盛期のお父さんには、まだ遠く及ばない。それはどうしようもない事実だった。

手分けする。

まず、スールには足りない手を補うべく、この間話題に上がったフィンブルさんを探してきて貰う。

雇用についての話は、スールがやった方が良いはずだ。

フィンブルさんは獣人族らしい荒々しい性格で、やはり戦いが大好きな様子だったし。

やっと半人前とは言え。

名前を挙げる機会、となれば、よろこんで食いついてくるだろう。

問題は雇用時の契約内容だが。

それについては要相談でいくしかない。

金についてはスールに任せた方が良いだろうし。

リディーは別の方からやる。

スケジュールは練り上がったので。

毒消しを持って、イル師匠の所に行く。

そしてその途中でやはり思い知らされる。

現状の荷車ではダメだと。

確かに二輪だと取り回しが聞くけれど。安定しない。ぐらぐらする。

四輪にして。

箱状にし。

更には箱の底に柔らかい毛皮などを敷き詰め。油紙などで水を吸わないように対策をしないと。

今後は繊細な素材を持ち帰る際に、問題が出てくるだろう。

油紙はまたかなり値が張る。簡単に使えるものではない。

これもまた、頭が痛い問題だった。

そもそも、錬金術で紙を作れるという話だし。その延長線上でやれるのかも知れないけれど。

今はただ。

順番に丁寧にやっていくしかない。

イル師匠は今日も忙しそうに調合をしていたけれど。

残念ながら、今のリディーでは、イル師匠が何を作っているのかさえ分からなかった。

もの凄く複雑な過程を経て、難しい薬を作っているようなのだけれど。

それが毒なのか回復剤なのか。

それさえも分からない。

見た目は禍々しいが。

それしか分からない。

「もうすぐ終わるから、其処に座っていなさい」

「はい」

「アリス、茶でも出しておいて」

「分かりました」

手際よく調合をしていくイル師匠。

ソファに腰掛けて、出して貰ったお茶をすする。このお茶がとにかくとても美味しい。ついでにいうと、これも錬金術で作っているというのだから本当に困る。

分かってはいるけれど。

無理なのは知っているけれど。

お母さんが病気になった時。この人くらいの錬金術師が、アダレットにいたら。或いは助けて貰えたかも知れない。

そう思うと、悔しくも感じる。

でも、どうにもならないことは、どうにもならないのだ。

「よし、できたと。 アリス、騎士団に納品してきて。 明細もきちんと受け取ってくるように」

「分かりました。 直ちに」

「頼むわよ」

イル師匠は、手を洗うと。此方に来る。

向かい合って座ると。

毒消しを出して、確かめて欲しいと確認した。

イル師匠は驚くことに。

何の躊躇も無く自分の手を傷つけ、其処に何かを塗り込む。痛がっている様子も無い。むしろ血がしぶいているのを見て、リディーの方が小さく悲鳴を上げそうになった。

「これは毒よ。 効くかどうかは試してみるのが一番早い」

「そんな、傷が残ったりしたら」

「問題ないわ。 今は体をパーツ事に管理していて、その気になれば切りおとして作り直すだけだもの」

「……っ」

貧血で卒倒しそうになったが。

イル師匠は手際よく、リディーとスールが作った毒消しを傷口に塗り込み、ふむと頷いた。

「13点」

「ぜ、全然効かない感じですか」

「一応効いているわよ。 少し時間は掛かるけれど、毒はこれなら消えるわね。 ただし、この薬で消せる毒の種類には限りがあるから気を付けて」

そして、自分製らしい薬を傷口に塗り込むイル師匠。

あっと言う間に傷が溶けて消え。

血も止まった。

毒の効果で青ざめていた傷口付近も元に戻っていた。

声も出ないくらい恐かった。

この人が図抜けていることは分かっていたが。

何処か頭のねじが外れていることも、今更ながらに思い知らされる。分かってはいたことだけれど。

或いは錬金術を極めていくと。

いずれこうなっていくのかも知れない。

「実験に関しては、どうしても危険なものは動物実験をしなさい。 豚は人間と近い耐性を持っているから、必要な時は農場で子豚を貰ってくると良いわ」

「子豚さん可哀想……」

「そうね、だから使った後は無事だったらきちんと育てて、大人になったら食べてあげなさい。 ダメだったらきちんと感謝して埋葬してあげなさい。 家畜の命に責任を持つというのはそういう事よ」

言葉も無いほど恐いが。

それが正論だと言う事は良く分かった。

アリスさんが帰ってきて。

それから、いつもの訓練を始める。

まず座学。

戦略とは準備。

戦力を整え。

相手に簡単に勝てるようにするための行為。

戦術とは実践。

実際に現場で、どう戦うのか。

要するに人員や道具を揃える段階が戦略で。

その人員や道具でどう戦うのかが戦術だ。

それについて、徹底的に教え込まれる。

逃げる場合の手段や。

敵の気を反らすための方法。

相手をどうやって効率よく殺戮するか。

匪賊と戦う場合はどうするべきか、などを。丁寧に教わっていく。

座学は得意な方だけれど。

しかし血なまぐさい内容が多くて。

とてもきつかった。

スールは体を動かすのに難儀していると思っているようだけれど。実際には、毎回精神を痛めつけられてへとへとになっている。

戦闘の基本は。

如何に効率よく殺すか。

これ以上でも以下でもない。

それをまだ割り切れるほどリディーは頭が戦闘慣れしていない。結局の所、平和な王都で暮らした平和な子供なのだ。

如何に家庭環境が荒れていたとしても。

少なくとも、街の外に拡がっていた荒涼とした場所で暮らしている人達に比べれば、何百倍もマシだったのだ。

それを考えると。今から、なのだ。

徹底的に鍛えてメモを取り。そして頭に叩き込んでいく。

色々な状況で、どう戦えば良いかも叩き込まれる。

リディーは錬金術も勉強したかったけれど。

それよりも、まずは戦闘で中核になる事を覚えろと言われて。師匠の言う通り、やっていくしかなかった。

実際問題、今後も戦略級の傭兵を雇えるようになるまでは。

リディーが指揮を執らなければならないだろうし。

戦略級の傭兵を雇えるようになったとしても。

最低限の戦闘知識がないと話にならない。

スールにハンドサインについて覚えて貰わないと行けない、という事もある。

勘は鋭いのに。

覚えは良くないから。

今後が思いやられるのは、どうしようもない事実だった。

「では此処まで。 スケジュールを見る限り、傭兵を一人追加して、薬の材料を採りに行くようですね」

「はい。 この間森の外縁でファンガスに襲われて……手が足りないと実感しました」

「傭兵を雇うなら、人間関係を構築していくと良いですよ。 ある程度人間関係を良好に保つと、戦闘がスムーズに廻せます」

「は、はい……」

機械的なアリスさんの言葉だが。

この人がイル師匠を、致命的な攻撃から命がけで守り。

戦闘では常に最前線で、激しく火が出るように戦って来たことを、リディーは知っている。

多分アリスさんは、イル師匠の命令があれば、この場で何の躊躇も無くリディーを殺すだろう。

それくらいの強い意思力を感じる。

「と、とにかく、頑張って来ます」

「精神論は無為です。 全ては論理的に廻すように」

「はいっ」

立ち上がると頭を下げて。

アトリエに戻る。

丁度、フィンブルさんが来ていた。

昔、救貧院で会っていた頃。年上の獣人族戦士、くらいにしか思っていなかったが。

久々に会う成人したフィンブルさんは、精悍な犬の顔を持つ戦士になっていた。

ただまだ傭兵としては名も売れていない様子。

装備もあまり高くは無さそうな皮鎧と、使い古したハルバード。

あまり経済的には良くない事がよく分かった。

「久しぶりだなリディー。 今、スールと契約について話をしているところだ」

「はい、お久しぶりです。 お元気、でしたか」

「ああ。 其方こそ、元気なようで何よりだ」

暗い笑みが浮かんでしまう。

お母さんがこの世を去って、リディーとスールが文字通り最低のどん底にいたとき。

お父さんはリディーとスールにかまう余裕どころか、完全に錯乱していた。

その時、鍛冶屋の親父さんが見かねて、救貧院に通報。すぐにリディーとスールは一時引き取って貰った。

お父さんが落ち着くまで、数ヶ月ほど、救貧院で過ごして。

その時にリディーはバステトさんという猫顔の獣人族シスターに魔術を習い。

スールはシスターグレースに色々な生きていくための戦闘技術を習った。

丁度その時、スールと一緒にシスターグレースの教えを受けていたのがフィンブルさんで。

年上のお兄さんと言う事で、スールも随分慕っていた。

とはいっても、ヒト族と獣人族なので。どうしても超えられない壁のようなものはあったのだが。

なお聞いた話だが、スールの初恋は10歳の頃見たイケメンの山師で。

そいつが話している内容を聞いて、初恋は木っ端みじんに砕けたそうだ。ちなみに今でもそいつは牢の中である。何をやらかしたかは知りたくもない。

「こんなんでどうフィンブル兄」

「よし、こんな所だな。 専属契約って事で頼むぜ」

「うす。 じゃあ、錬金術の装備ができたら、回すようにもするね」

「有り難い、頼む。 腕利きの傭兵でもないと、錬金術の装備なんて、とても手にはいらないからな……お前達が何処まで腕を伸ばせるかは分からないが、俺としてもとても助かる」

スールと握手して契約を終えると。

フィンブルさんは帰って行く。

とりあえず、これで準備は整ったか。

「それでリディー、いつ外に出る?」

「三日後」

「分かった、それじゃ明日、フィンブル兄に伝えてくるね」

「よろしくね」

さて、その間は、ひたすら準備だ。

クラフトをたくさん作っておく。

ハンドサインを確認しておく。

スールは真剣だ。お荷物は卒業しろと言われたのが、相当に応えたのだろう。ただし、リディーだって、大して役には立てていなかった。

裏庭で、クラフトを投げる練習をする。

スールは正確に投擲ができるので、頼んでしまうか。リディーは置き石戦法でクラフトを使う事にする。

いずれにしても。森の中とは、比較にならない獣を狩り、素材を集めなければならない。

ここからが、正念場だ。

 

1、ようやくの巣立ちと見せつけられる現実

 

城門でマティアスさんとアンパサンドさん、それにフィンブルさんと合流。

そしてその時には。

なけなしのお金をつぎ込んで、箱状にした荷車、それも四輪のを仕上げていた。

ただしこれはまだ完成品では無い。

荷車が揺れると、瓶とかが割れてしまう可能性があるので。

これから獣を仕留めて毛皮を敷き詰め。

そして油紙も敷かなければならない。

だからまだ、荷車には籠を詰め込んでいる。

こうすれば、少しはクッションとして役に立つからである。

何とも不格好だけれども。

今は格好を気にしている余裕は無い。

「騎士団との任務は久しぶりだ。 よろしくお願いします」

「ああ、よろしく」

「戦歴を軽く話して貰えますか?」

「騎士団と一緒に外で獣狩りをしたのは八回。 民間人の別の街への護衛が六回。 後は警備任務だ」

具体的な戦歴を聞くと。

フィンブルさんもそれほどたくさんは戦っていないことが分かる。

まあそれは仕方が無い事だろう。

最初の戦いで命を落とす傭兵や従騎士は、珍しくも無いと聞いている。むしろ年齢的には充分な戦歴なのではあるまいか。

ただ、傭兵業にしても、十代半ばから働くのが当たり前なので。

既に二十歳を超えているフィンブルさんは、生き延びている中ではごく平均的なのかも知れないが。

「ふむ、まあ最低限の経験は積んでいそうなのです」

「二人とも騎士なのか」

「其方の王子は騎士一位、自分は騎士三位なのです」

「うわ、空の上の相手だな。 失礼なことがあったら言って欲しい。 何しろ駆け出しなものでな。 後、何か技術が足りないと思ったら、遠慮無く言ってくれ」

フィンブルさんは向上心も高い様子で、アンパサンドさんに、外に出る照会の最中に色々と話をしていた。

騎士の実力は、良く知っているのだろう。

逆に言うと。その限界も知っている筈だ。

錬金術師がメイン火力として動かなければ、その力は発揮できない。

荒野に住まう獣の戦闘力は。

普通の人間では、どうにもならないレベルなのだから。

戦闘時の役割についても話をしていたが。

アンパサンドさんの事を聞くと。

フィンブルさんは、聞き慣れない言葉を口にした。

「回避盾か。 たまに手練れにいるって噂は聞くが、本物は初めて見た……」

「回避盾?」

「そういう用語があるのです。 相手の注意を徹底的に引きつけて、その攻撃を回避し続けることで味方を援護する。 口で言う程簡単ではないので、殆どやる奴はいないのです」

「ホムの回避盾で騎士にまで成り上がるとは……凄いな。 最大限の敬意を払う。 後頼りにさせて貰う」

改めて敬礼するフィンブルさん。

そうか、どうやらリディーが思っている以上に、アンパサンドさんはレアな戦い方でのし上がったらしい。

それにしても本当に評価されづらいだろうに。

何というか、苦労については、それを察してしまった。

門を出て、歩く。

今回は、森の外にまで行く。其処で獣を数体狩る。

今回狩って欲しいと言われているのは、アードラと呼ばれる鳥だ。鳥と言っても、子供をかっさらっていく位のことは平気でする獰猛な獣で、爪も嘴も鋭い。戦闘力は高く、上位種になると魔術も使う。

獣には知能がないらしいけれど。

魔術は平気で使いこなしてくる。

強いネームドにもなると、数十の魔術を同時展開するとんでもないバケモノまでいるらしく。そういうのが相手になると、腕利きの錬金術師と、手練れの戦士が連携して、ようやく戦いになるのだとか。ドラゴンは更にその上を行き。邪神はドラゴンが束になったより強いとか。

あまり想像もしたくないが。それでもやるしかない。

とにかく幸いなことに、今回縄張りを作ったらしいアードラは、街道付近に姿を見せるものの、魔術まで使う上位種ではないらしい。

クラフトの出番だ。

「スーちゃん、投げるのは頼むよ。 セーフティの解除と爆破私がやるね」

「俺たちはどうすればいいんだ?」

「マティアスさん達は、敵の攻撃を防いでください。 叩き落とした後は、迅速な処分もお願いします。 それに、獣はアードラだけとは限りませんし、周囲の警戒もお願いします」

「ああ、分かった」

マティアスさんが若干青ざめているが。

それもまた仕方が無い。

リディーは急速に言動が物騒になっている事を自覚している。戦いに勝つと言う事は、相手を殺す事だ。

ましてや獣の場合は、下手に手負いにして逃がすと、大変な被害を出す事がある。

獣は際限なく大きく育ち。

大きくなればなるほど危険度が増す。

更に荒野からは際限なく湧き出してくる。

だから狩り続けなければならない。

森を朝の内に出る。

少し鍛えているからか、それほど苦労はしなかった。既に皆黙り込んでいる。スールはしっかりハンドサインを覚えさせた。流石に駆け出しとは言え傭兵。フィンブルさんも、すぐにハンドサインを覚えてくれた。

後は、アードラだが。

上空、雲の影などにいて、いきなり急降下攻撃を仕掛けてくると聞いている。

今回は四羽仕留める事がノルマだ。

仕事としては、それほど緊急度は高く無いのだが。街道近くを縄張りにした個体が増えてきているのが問題視されている。

まだ街道を行く民は襲われていないが。

襲われてからでは遅い。

そして騎士団では、もっと危険な獣を狩るために人員を出しているため、手が足りないのである。

基本的に前衛にアンパサンドさん。最後尾をマティアス。荷車をスールが引いて、その前をリディーが歩く。右側にフィンブルさんについて貰う。陣形は現在は、基本的にこれで動かす。

勿論問題が発生したら都度変えるし。

現状では人員が足りない。

火力は今回やっと用意できた。

だが、できれば錬金術の装備を作りたい。

まだインゴットもロクに作れない現状では、手が届かない話ではあるのだが。

皆の能力も上がってくれば。

相応に助けにはなる筈なのだから。

しばらく無言で歩く。

そして、アンパサンドさんが、手を横に。

とまれ、という合図だ。

遠くに何かいる。地上だ。

見ると、狼である。数頭が群れて、何かを貪り喰っている。見た感じ、人間ではないだろう。

多分大型の牛とか羊とか、ヤギとかだ。

どちらも荒野では雑食性のものが存在していて。

人間を襲う。

特にヤギは非常に凶暴な個体が時々出るらしく。

大型のヤギは、下手な肉食獣より凶悪で手強いと、以前アリスさんに聞かされた。恐らく交戦経験があるのだろう。

一度下がるように、リディーは指示。

森の辺りまで戻る。

街道を外れると、其処は死地だ。アンパサンドさんは大丈夫かも知れないが、マティアスさんやフィンブルさんを含めて、他は皆いつ死んでもおかしくない。

地下からいきなり強襲してくる獣もいるらしいし。

この間スールがファンガスにあっさり絞め殺されそうになった事から考えても。

獣はその戦闘力で人間を大きく凌駕している。

とにかく、石橋を叩きながら行くしか無いのだ。

一度森の辺りまで戻り。

それから、また別方向に移動する。

幾つかある街道を、順番に行くのだが。

こうやって、エサがいるぞと、自分達で釣りをするのである。

そして、日が真上に上がって来た頃。一羽目が釣れた。

アンパサンドさんの合図と殆ど間を置かず。

太陽の中から、急降下してくるアードラ。凄まじい速度で、アンパサンドさんが合図してくれなければ、とても間に合わなかった。

セーフティ解除。

スールが投げる。

空中で爆発は非常に広く拡がる。

炸裂した爆風は、鳥の翼に致命傷を与える。

爆裂。

ドガンと、凄い音がして。

悲鳴を上げたアードラが、そのまま体勢を崩して落ちてきた。

地面でぐしゃりと嫌な音がして。

それでもまだもがいているアードラを、ハルバードを手にしたフィンブルさんが真っ先に躍りかかって、勇敢に突き伏せる。アンパサンドさんは、何度も突き刺しているフィンブルさんを横目に、ナイフ一閃。

アードラの首筋の血管を切り裂き。

鮮血が噴水のように噴き上がった。無駄な攻撃と、適切な致命打。違いは一目瞭然だ。

すぐに森の中に引き上げて、吊して捌く。

羽根もむしる。

アードラは大きくて、ヒト族の子供くらいならそのままさらっていくことが出来ると言うのも納得だ。間近で死体を見るのは初めてだが、凄い。とても恐い。

「スールさん、少しクラフトを投げるのが遅れたのです。 リディーさんは、もう少し早い爆破なら完璧だったのです」

「すみません」

「次は気を付けます」

「とはいえ投擲は完璧。 躊躇無い爆破はもっと完璧だったのです。 前とは雲泥なのです」

お、褒めて貰った。

スールと顔を見合わせる。少し嬉しい。

そのままアードラを解体し、肉を取り、骨も分解し、内臓もより分けていく。火を焚いて防腐処置をし。

使えそうなものはそのまま分別して籠に入れていく。

特に羽根は非常に役立ちそう。

色々な用途がありそうだ。売ってもお金になりそうである。これだけ大きな羽だと、羽毛布団にもできそうだ。

後三羽。

気を入れ直す。

太陽の中から、急降下攻撃をして来たアードラは、文字通り一瞬の勝負だった。もしもクラフトによる爆破をし損ねていたら、一瞬で爪に掛かっていた可能性が高い。

首から上はそのまま残す。狩ってきた証拠として役人に納品するからだ。

森の中で燻製をしている間に、薬草などを採取しておく。

今回できれば一緒に、Gランク維持のための素材が欲しかったのだけれど。

流石にそれは欲を掻きすぎだろう。

まずはアードラを狩って日銭を稼ぎ。

戦闘経験も増やして。

スールはハンドサインを一とした集団戦術になれて貰い。

リディーは自分で教わった戦略と戦術について実践していく。

続けて、外に出ると。

比較的低空飛行していたアードラを発見。

此方に気付くと、威圧的に、地面スレスレにまで高度を下げ、一気に加速して来た。凄まじい速度で、獰猛な殺気がびりびりと叩き付けられるかのようだ。

「王子!」

「おうっ!」

ハンドサインを出すと、マティアスさんが飛び出す。

そして印を切る。

騎士は錬金術の装備を支給されているらしいが、その力を解放したのだろう。

剣を地面に突き立てると、シールドの魔術を展開。

それを見て、アードラは正面突破は無理と判断したか、急激に角度を変え、上に逃れようとしたが。

其処には既にスールが投擲したクラフトがあった。

爆破。

今度はタイミングも完璧。

煙を吹き飛ばして、きりきりまいしながら落ちていくアードラ。

二羽目は、上手く行った。

大きくため息をつくフィンブルさん。

保険として連れてきているのだ。

出番がないのは、むしろ良い事なのだと、二羽目を捌きながら話をする。

三羽目もすぐに釣れた。

そして、次で。

試練が訪れた。

 

夕方近く。

もう少しアードラを探したら切り上げようと話をし始めたタイミングだった。

アンパサンドさんが、ハンドサインを出し、体勢を低くする。

ハンドサインの意味は、最大限の警戒。

ぞわっと、背中に悪寒が走った。思わず叫んでいた。

「撤退! 森の中へ!」

殿軍はアンパサンドさんに任せるしかない。

同時に、地面を吹き飛ばして、複数の触手が躍り出てくる。あれは恐らく、肉食性の植物。森を形成することがない、純粋な捕食者だ。獣の一種である。

地面から這い出ながら、凄まじいうめき声を上げる植物。それが呪文詠唱だと気付くよりも早く。

リディーを、マティアスさんが突き飛ばしていた。

地面から多数の杭が突きだし、

辺りを地獄へ変える。

リディーが顔を上げたとき見たのは、地面で呻いているフィンブルさんと、動けないでいるマティアス。

また詠唱を即時開始している植物と。

それに果敢に挑んでいるアンパサンドさんだ。

スールはあわあわしているばかり。

こう言うとき、本当にスールは役に立たない。

それを分かっているから、リディーは怒らない。

持ってきた薬を取り出しながら、スールに言う。

「クラフト、指示するからタイミングに合わせて投げて!」

「で、でも、巻き込むって」

「いいからっ!」

まずフィンブルさん。

装備が薄いから、傷が酷いかと思ったが、その通りだった。皮鎧だと、どうにもならかったようで、脇腹を激しく抉られている。傷薬をねじ込むと、呻く。

「くっそお、面目ねえ……」

「大丈夫、ターゲットを分散してくれたから、みんな生きてます!」

「……」

傷口が見る間に回復していくが、血をたくさん失ったのだ。いきなり戦闘するのは無理だろう。できても短時間だ。

続いてマティアス。

鎧は今の錐を防ぎ抜いていたが、目を回している。

リディーを庇ってくれたのだから、どうこうはいえない。

うんうん言いながら引っ張って、何とか擱座しなかった荷車の影に。

アンパサンドさんは。

多分相当に本気なのだろう。

無数の蔓を振るい、猛攻を仕掛けて来ている植物相手に、一歩も引かずに接近戦を挑んでいる。今の様子からして、かなり強い相手だ。それでも。

一発でも貰えば終わり。

その言葉が耳に残っている。

危険すぎる戦い。

分かっている。だから、一秒でも早く援護しなければならないのだ。

詠唱開始。

ハンドサインも出す。

そして、詠唱を終えると、地面に手を突いた。

筋力強化。

対象はフィンブルさん。

ハンドサイン通り、フィンブルさんがハルバードを投げ。

残像を作ったアンパサンドさんが、すり足で真横に逃れる。

植物のど真ん中に、ハルバードが突き刺さるが、貫通まで行かない。強烈に堅い、と言う事だ。

まずい。少なくともスールの銃なんて役に立つ相手じゃない。だが、此方にはクラフトがある。

続けてスールがクラフトを投擲。セーフティ解除。

鬱陶しそうに植物が触手で払った瞬間に爆破。

触手を数本吹っ飛ばすが。

しかし、植物は即座にそれを再生、また凄まじい声を上げはじめる。

まずい。同じ広域攻撃魔術の詠唱だ。

アンパサンドさんが、真上から蹴りを叩き込み、植物の動きを一瞬阻害するが、それが更に危険な結末を呼ぶ。

どうやら動きを読んでいたらしい植物が。

アンパサンドさんを、無造作に払ったのである。

飛び退いたのは見えたが、今のは多分擦った。

一撃でも貰えば終わり。

そう言っていたのを思い出す。しかも歴戦のアンパサンドさんが擦った。そんな敵だと言う事だ。

リディーは、その時。驚くほど冷静になっていた。

ハンドサイン通りに、スールが動く。

フィンブルさんも。

そして詠唱を終えたリディーが、地面に手を突く。

植物が、錐をぶっ放すが。

一瞬早く、筋力強化の支援を受けたスールが、錐の飽和攻撃を受けたアンパサンドさんを抱えて死地から飛び退く。間一髪間に合い、アンパサンドさんが全身串刺しにされるのを阻止。

立て続けに、飛びかかったフィンブルさんが、文字通り獣のような唸り声を上げて、ハルバードを更に押し込む。

傷口を抉られ、植物がうなりを上げながら触手を振るうが。

その口に。

スールが投げたクラフトが飛び込んでいた。

起爆。

流石にこれは、ひとたまりもない。

煙を上げながら、横倒しになる巨大な植物。

呼吸を整えながら、叫ぶ。

「トリアージ! 急いで!」

普段ならこう言う状況で右往左往するスールには期待していなかったが。スールは煤だらけのまま、アンパサンドさんを担いで連れてくる。一皮剥けたのかも知れない。フィンブルさんも傷だらけだ。爆発は植物が全部受けたとは言え、かなり耳も調子が悪い様子である。

二人ともクラフトの爆発が近かったのだ。

まあこうなるのも仕方が無い。

森の中に待避。

ファンガスが出たらもう諦めるしかないが、幸い奴の影はなかった。

間もなくマティアスさんが目を覚まし。

足の辺りを派手に抉られたのに、眉一つ動かしていないアンパサンドさんを見て、絶句していた。

「おい、リディー、スー! 誰か死んでないだろうな!」

「今日はこれで引き上げます」

「……」

「死者はないです」

マティアスさんは、気絶していたことで悔しそうだったが。

あれは仕方が無い。

むしろ助けてくれた事に、礼を言わなければならない。

強めの獣が相手になると、魔族の騎士が中心になった部隊でも、返り討ちに遭うことがある。

その言葉の意味を、嫌と言うほどリディーは思い知らされていた。

とりあえず、アンパサンドさんの足。擦ったときに抉られた傷は。かろうじて回復させたが。

しかし機動戦をいきなりやるのは止めた方が良いだろう。

街も近いのだから。

一旦引き上げる事にする。

別に一日でアードラ四羽を仕留めろという話ではなかったのだ。

二回に分けても問題は無いし。

フィンブルさんに払う報酬の事を考えても、アードラ四羽を仕留めればお釣りが来る。

色々思うところがあったのか。

マティアスさんが、植物の残骸を抱えて引きずって来た。フィンブルさんもそれを手伝う。

後は、二人が黙々と植物を解体。

かなり良質な木材や良くしなる蔓。それに薬草としても使えそうな、みずみずしい草を解体しつつ渡してくれた。また内部から採れた体液はとても澄んでいて、甘い匂いがした。硝子瓶に体液は入れられるだけ入れる。

今日は引き上げだ。

それ以上は、言う事も無かった。

継戦は不可能。

誰の目にも、それは明らかだった。

悔しいけれど。

これが現実。

もっと強かったら、あんな奴、好きかってさせなかった。

他の錬金術師だったら、あんな奴、簡単にやっつけていた。

そう思うと、涙が出そうになる。

アンパサンドさんだって死ぬ所だったのだ。回避はできたかも知れないが、怪我は更に悪化していただろう状況だった。

無理は絶対にできなかった。

 

2、少しずつ前に

 

結局三日をおいてもう一度アードラを狩りにでて。

合計六羽を仕留めた。

この手の獣の駆除任務は、指定の数以上を仕留めれば、それだけ報酬が上がるようになっている。

四羽の依頼で六羽。

報酬にも色をつけて貰った。

その代わり、クラフトはほぼ使い切ってしまったし、せっかく作ったお薬もだいぶ減ってしまった。

何よりも、一回目の作戦では、アンパサンドさんを死なせるところだった。

殿軍を買って出たアンパサンドさんは、自分が死ぬことを何とも思っていないようだったし。

傷の手当てをするときも、苦痛の声どころか、眉一つ動かさなかった。スールだったらピーピー泣いていただろうし。リディーだって、多分其処は変わらなかっただろう。

ただ、歴戦の戦士でも、痛い時は痛いらしいし。

幾ら感情が薄いホムでも異常だ。

だが、そもそもリディーがしっかり指揮を執れていて。錬金術師として腕があれば。あんな目にはあわせずに済んだのであって。

全部リディーが悪い。

異常かも知れないが、そんな事は一切関係ない。

スールはむしろ指示通り今回はきちんと動いた。

次は、絶対に同じ失敗をしない。

メモを取って、何度も読み返す。

そして得られた素材については、しっかり分別して、コンテナに格納した。後は、国に納品する薬品だ。

月に一回。

必ず納品しなければいけない。

これがかなりのネックになる。つまり素材を安定して入手できるようにならなければならないからだ。

他の錬金術師達は、恐らく独自のルートで素材を入手しているはず。

イル師匠も、場所は教えてくれなかった。

図鑑によると、此処から少し離れた湿地帯(勿論危険な獣が山と出る)や。街道を抜けた先にある山の中などにはあるらしいのだが。

其処まで行く戦力があるかどうか。

とにかくクラフトを作る。

細かい作業はリディーが。

勘がいる作業はスールが。

それぞれ担当し。

遠征用の準備を整えていく。

スールは昔、自分の力が分かっていなかった頃は。また上手くなったとか、馬鹿な事を抜かしていたが。

今はもう、黙々と釜に向かうようになっている。

それは当然だろう。

現実を次々に見せられているのだ。

対応だって、自分で変えて来る。

スールでさえそうなのだ。

リディーも、もっとしっかりしていかなければならないだろう。

「これで、良しと……」

リディーは、荷車の底に。アードラの羽根を敷き詰めて。そして、その上に古くなっていた布を乗せた。

これで良いクッションになる。

問題は側面で。

今後糸繰りに頼んで、糸を作れるようになったら。

布を造り。

側面にも、同じようなクッションをつける必要があるだろう。

現状は、古くなっている籠をばらして。

荷車の側面に、貼り付ける形で、釘で打っておく。

これで荷車には、多少の衝撃があっても。デリケートな瓶などが、割れることは無い。

衛生面の問題があるので。

植物の繊維をばらし。

中和剤で変質させた後。

スノコで繊維を何度も行き来させながら水を飛ばし。

乾いたところに中和剤を注ぐ。

そして日光に当てて乾かし。

ゼッテルを作り上げる。

この間の強力な肉食植物から、良い素材がたんまりとれたので。それを使ってゼッテルにしたのだ。

このゼッテルに、イル師匠に教わりながら、防御強化の魔術を書き。

そしてクッションの上に貼り付けた。

触ってみたが、確かにただのゼッテル(紙)の割りには、破れる気配もない。

もっと腕利きになってくると。

このゼッテルを片手間に造り。

様々な用途で応用していくのが基本となる。

また布などにも、魔法陣を編み込むようにして。

強固な道具を作ると言う。

金属も同じように加工するという話で。

頭がクラクラする。

兎に角技術が足りなさすぎる。

荷車はこれで現時点でのベストを尽くした。後は装甲板を外側に貼りたいけれども。それもまだ先になるだろう。

「スーちゃん、騎士団に手続きに行ってきて。 明日出る」

「わかった。 フィンブルさんにも声かけてくるね」

「お願い」

ぱたぱたアトリエを出ていくスールの足音を背中に。

リディーは薬とクラフトの最終調整を行う。

普段行くのとは逆方向。

東の方には、街道を森で守っている場所が合って。

丸一日ほど行った所に、草原が存在している。

たくさんは採れないと思うが。

此処になら、必要な薬草がある筈だ。

普段使っている薬草には、トーンと呼ばれる魔力を込めた草を使うのだが。

騎士団が要求している薬は、コバルト草と呼ばれるもっと魔力の強い草を要求してくる。

品質は当然相応に要求されるが。

中和剤の素材として、この間の強力な肉食植物から、良い体液が採れた。

ものの性質を変化させるために重要な基礎となる中和剤には。

強力な魔力が籠もったものが必要になってくる。

極論すれば、コバルト草を中和剤の素材にしても良いわけで。

ただ、これから行こうと考えている草原に、そんな良いのがあるかどうか。

「手続きしてきたよ」

「じゃあ、此処までだね。 スケジュールは練っておいたから」

「そっか、じゃあ自由行動で」

「うん」

最近。少しずつ、別々に動く時間が増えてきた。

リディーはイル師匠の所に行って。正確には、アリスさんの所に行って、座学をする。

スールは危険度が少ない調合を兎に角反復練習。

このため、精度の高い蒸留水などに関しては。コンテナの中にかなりの量が揃ってきている。

イル師匠に言われた通りに徹底的に蒸留した結果。

師匠も満足する品に仕上がってきている。

蒸留水は正直で。

使う器具を毎回丁寧に洗い。

蒸留すれば蒸留するほど。

良い品に仕上がっていく。

この辺りは、技量はほぼ関係無いのだけれど。

ただ井戸水を汲んでくる。

水を湧かすときに使う燃料。

道具の手入れ。

いずれにも、それぞれ手順が当然必要になってくる。

スールは細かい作業が苦手だから、それらの手順を徹底的に叩き込む必要があるわけで。自主的に、苦手分野を埋めようとしていた。

リディーも負けてはいられない。

勿論スールと離れて暮らす、なんて事は考えられないけれど。

何をするのも一緒、というのもおかしいだろう。

それぞれ苦手分野を補うために。

それぞれで勉強をする。

当たり前の事だ。

今日も、アリスさんから、様々な状況での戦略と戦術についてならう。イル師匠は黙々と、よく分からない錬金術を後ろでやっていて。それもとても気になるけれども。今はまずメモだ。

座学の後は、勿論体を動かすトレーニングもする。

リディーは体が弱いので。

魔術でまず防御壁を展開することが基本になるが。

アリスさんは素手で、その壁を簡単に抜いてくる。

何度も吹っ飛ばされては、受け身を必死に取るが。

それだけで痛くて泣きそうだ。

傷の手当てをイル師匠にして貰うけれど。

その度にまた頭を下げて、お願いしますとアリスさんに打撃をして貰う。

防御魔術の精度を少しでも上げる。

攻撃補助もそうだけれど。

司令塔が潰されたら、戦闘はその時点で終わるのだ。

だからまず生き残る。

それがアリスさんに、絶対だと言われた事だった。

立ち回りも覚えなければならない。

だが、後々には錬金術の装備でガチガチに守りを固め。

何があっても、司令塔は常時立っていなければならない。

今は防御の魔術で。

少しでも生存率を上げる。

そのために、防御魔術を一撃で抜いてくる打撃に、少しでも対応出来るようにならなければならないのだ。

しばらく防御魔術を展開しては。

打撃を受けて。

吹っ飛ばされて、受け身を取る。

これをひたすら繰り返す。適当な所で、イル師匠が回復の薬を使ってくれるが。傷が治るだけの今のリディーとスールの薬と違って。

体力の疲弊も消える。

これは凄い薬だと思うが。

イル師匠は、そんなものをリディーに使ってくれている。要するに投資してくれている、と言う事だ。

本気で面倒を見てくれているのだ。

泣き言は言っていられない。

そこまで、と声が掛かるまで修練を続けて。

それから、アトリエに戻る。

スールはその時、機材を洗っていて。

夕飯は、と開口一番に言った。

勿論買って帰ってきた。

流石に作る余力は無い。

「相変わらずぼっこぼこにされてるね」

「この虚弱体質、どうにかしないとね……」

「具体的に何してるの?」

「座学と実習」

座学と聞くだけで、スールはうえっと言ったので。リディーは苦笑いするしかなかったけれど。

しかしながら、そんなスールでも、こうやって機材の手入れをきちんと出来るようになっている。

やはり、負けてはいられないのだ。

スケジュールについて、退屈そうではあるけれど、スールには話しておく。

「この間のアードラ狩りで分かったと思うけれど、まだ人間の生存圏から露骨に出るのは危険すぎると思う」

「うん、本当に死人出す所だったもんね」

「そこで、此処に行く」

「此処……」

珍しい機能している街道の先にある草原だ。

森で街道を守っている理由は、その先にラスティンがあるから。

まったく機能していない街道は、命がけで行かなければならないが。こうやって森で守られている街道は、獣も大人しく、雇う護衛も最小限で済む。匪賊についても、こういう主要ライフラインの側からは、騎士団も徹底的に駆除しているらしいので、危険度は他の街道に比べると段違いに低い。

ということだ。

いずれも、アンパサンドさんに聞いた話である。

「ただ、此処一つ問題があるんだ」

「お化けはやだよ」

「そんなんだったらどれだけよかったか。 此処、グリフォンが出るらしいの」

「え……」

絶句するスール。

当然だ。

グリフォン。鳥の頭と獅子の体を持つ、獣の中でも強力な存在。一番弱いものでも、生半可な獣では歯が立たないほどの実力を持っている、と聞いている。何よりからだが非常に大きく、背丈でも魔族以上、体の長さはその更に二倍半という事だった。

グリフォンとキメラビースト。

この二種が、獣として迂闊に手を出してはいけない両筆頭。

そういう話を聞かされている。

その一方が出るのだ。

ぞっとする話だが。

営巣期には、これが群れを成して草原に出ると言うことだ。

幸い今は違う。

だが、いつまでもGランクでもたついていたら。

いずれ営巣期が来てしまうだろう。

「とにかく、今は危険を覚悟でやるしかないよ。 できるだけコバルト草を手に入れて、当面は大丈夫なようにしよう」

「やだあ、こわい……」

「もう、まだそんな事言って。 足手まといは卒業したいんでしょ。 私だってまだ足手まといだけれど、そんなんじゃいつまで経っても足手まといだよスーちゃん」

「そんな事分かってるよう。 でもお」

泣き言を垂れ流すスールに呆れるが。

でも、仕方が無い。

スールは体こそ頑丈だが、甘えん坊なところが昔っからあった。お母さんが死んだときだって、立ち直ったのはスールの方が遅かった。

あの凶悪な肉食植物との戦いでも。

相当に恐かったはずで。

また目の前で人が死にかけたのであれば。

その恐怖も一際だろう。

後は、軽くミーティングをした後。

荷車にクラフトや傷薬を詰めて、出る準備を済ませ。早めに寝る。リディーは最近兎に角激しく体を酷使しているからか。

すっかりよく眠れるようになった。

スールはというと、朝に弱いのは相変わらず治らず。

いつも朝方はフラフラしている。

お姉ちゃんなんだから。

スールを守らなければならない。

どこかで、リディーはまだそう思っているけれど。

スールが守られているばかりでは、駄目だと言うこともはっきり分かっている。

それにリディーも、勘が足りない事は自覚している。

普通魔術を使える人間は、勘が優れている事が多いのだが。

どうしてなのだろう。

その辺り、リディーにはよく分からなかった。

 

いつもと違う城門前に集まり。

そしてスケジュールについて説明をもう一度する。

フィンブルさんは話を聞いてむしろ安心したようだった。

「あっちにいくのか。 あっちはある程度安全だからな、助かる」

「いや、街道は安全なんですが、目的地はグリフォンが出るらしくて」

「うえ……本当かよ」

「もし見かけたら、即座に逃げるのです。 現状の戦力では、死人が出るのです」

露骨に青ざめるマティアスさんと、当然のように言うアンパサンドさん。

当然殿軍を買って出るつもりだろう。

この人は、自分の命を何とも思っていない。

それが分かってしまう。

あの肉食植物との戦いでもそうだったが。

暗い目をしているという事には。

相応の理由がある、と言う事だ。

勿論死なせる訳にはいかない。誰だって、目の前で死なせる訳にはいかないのだ。

「と、とにかく、さっと行ってさっと帰りましょう。 街道の先にある宿場町で一泊するので、行程としては一泊二日、帰りは明日の夜になります」

「採集には時間をそれほど掛けないんだな」

「グリフォンに遭遇する確率が跳ね上がりますので」

「……そ、そうだよな。 やばい獣にはあいたくない」

マティアスさんは、スールにそっくりだな。

不謹慎だが、そんな事を思ってしまった。

だだのこね方とかがよく似ている。

不覚にも、だが。

今のお父さんとも被る。

スールは能力ではお母さん似だが。

性格は何処かお父さんと似ている部分もある。

特に、戦闘関連では、お父さんにびっくりするほど似ている所がある。勿論お父さんが戦っている所は見たことが無いが。その辺りは、性格面がどうしても出てきてしまう。

手続きを終えて。

城門から出る。街道の左右に木々が生えていて、空気が露骨に違った。森の中を歩く逆方向とは違って、明らかに手を入れた街道が続いていて。最小限の護衛を連れた馬車が行き交っている。

それだけ安全、と言う事だ。

とはいっても、場所によっては街道にも匪賊が出ると聞いている。

森関係無しの匪賊は、場所によっては獣より危険だ。特にホムにとっては死に等しい。

匪賊がホムの肉を好んで食らう事は、誰でも知っていることだ。

アンパサンドさんみたいに自衛能力のあるホムはごく少数。

肉が美味い上に狙いやすいとなれば。

それは匪賊も嬉々として狙う。

最低限まで落ちた人間にとっては。

同じ人間も食糧に過ぎないのだ。

時々、傭兵が巡回しているのが見える。騎士だと分かると、マティアスさんとアンパサンドさんに敬礼していく。

軽く話を聞いて、状況を確認もするアンパサンドさんは隙が無い。

アードラが遠くを飛んでいるのが見えたが。

やはり森を傷つけるのは好まないのか。

此方に近付いてくる様子はなかった。

昼少し過ぎには隣街に到着。

街と言っても宿場町なので、宿と、周辺施設と。城壁に守られているだけの小さなものである。

宿を取る。

こう言う場所の宿は、騎士団が巡回しているので、盗人も入らない。王都から離れるとかなり危ないらしいけれど、此処は流石に安全だ。

事実、巡回中の騎士団も見かけた。

従騎士ばかりだったが、それでも率いているのは騎士。

生半可な盗人など、速攻で捕まるだろう。

馬車とかがあれば、もっと積載量は増えるのだけれども。いずれにしても、まだそんなものは求めようがない。

陽が落ちる前に、草原に出る。

草原に出ると、当然この辺りは木も無いからか、かなり遠くで獣が既に威嚇している。下手に近付けば、すぐにでも襲いかかってくるだろう。

言葉は既に皆発しない。

必死にハンドサインを覚えたスールも。

既に、緊張したまま、ホルスターに手を掛けていた。

リディーは図鑑を取りだすと。

辺りを徹底的に調べ始める。

この辺りには小さな川も流れているが。

川の中には、陸上とは比べものにならないほど巨大な獣がいて。しかもとてつもなく凶暴だ。

絶対に川には近付くな。

この採取場に行く前に。

イル師匠に言われた言葉だ。

少しずつ暗くなってきた。岩陰を探すが、確かにそれらしい草はある。

コバルト草は、名前の通り青っぽい薬草で。非常に強い薬効があるため、使い方によっては毒にもなる。逆に言うと、薬効を制御すれば、とても頼りになるお薬になる。騎士団では、アルファ商会から相当量を買い込んでいたらしいのだが。それを今回のアトリエランク制度で緩和し。

そして騎士団の規模を拡充。

治安の維持に、更に力を入れるのだろう。

何しろ、首都近辺でも、あれだけ強力な獣が出るのである。

国家予算だって限られている。

騎士団の規模拡大は急務だし。

それはリディーやスールにとっても他人事ではないのだ。

アンパサンドさんがハンドサイン。

引き上げ、の指示だ。

獣から距離を取りながら採集をしていたが。

それでも何度か鋭い声で獣に威嚇された。

巨大な兎や、もっと大きいぷにぷにが徘徊していて。

戦闘になったら、一斉に襲いかかってきた可能性も高い。兎に角、初日は戦闘を避けられた。それで良しとするしかない。

宿に戻った後。

回収してきた薬草を調べる。

多分コバルト草だろうと思って取ってきたものを見てみるが。図鑑を見ると、特徴が違っているものが幾つも紛れていた。

思わず呻いて、違うものは分ける。

スールはこの辺鋭くて。

図鑑を見て、現物を見た後。

これは違う、これはコバルト草と、ひょいひょい分けていく。リディーも確認するけれど。確かにスールの勘は頼りになる。

マティアスさんは言う。

「どうだ、必要量には足りそうか」

「はい、何とか……。 ただ、予定通り、明日の朝も、少し採集したいです」

「一応足りたんなら、もう危険を冒す必要なくないか?」

「いえ、毎月納入しないといけない事を考えると、回収出来るだけ回収した方が良いかなって」

幸い、コバルト草はあの広大な草原には、相応量が生えている。どんなにリディーとスールが頑張っても、取り尽くすことは無理だろう。

それにしても。

お世辞にも、品質が良いとは言えないコバルト草だ。

早めに持ち帰らないと痛む。

コンテナに入れてしまえば大丈夫だが。

そういう意味でも、早々に戻る必要があるだろう。

勿論宿の部屋は男女別。

二部屋に別れて寝る。疲れ切っているので、ガールズトークもあったものではない。すぐに眠くなってきたが。スールはアンパサンドさんに色々聞きたがった。

「アンパサンドさんってもてるほう? 彼氏いる?」

「特定の異性はいないのです」

「あれ、ホムの戦士って珍しいし、もてそうだと思うんだけれどなあ」

「万年発情期のヒト族と違って、ホムは欲望が薄いのです。 ヒト族で言う男女交際も、ほぼ同じ形ではあり得ないのです。 そもそもホムは生殖によって欲望を発散することもないのです」

感情が薄いからか。

思わず真顔になったスールが口をつぐむような単語がドカンドカン出てくる。

リディーも、ホムが子供を産まず、文字通り「作る」事は知っているが。

それでも根本的に考え方が違いすぎる。

アンパサンドさんは平然としているが。

ませていてもまだ子供なスールは、真っ赤になって、以降は何も言わなかった。多分ヒト族の女子とするようなガールズトークは無理だと判断したのだろう。

そういえば。

確かホムは、環境が安定するまで子供をまず作らないと聞いた事がある。欲望に負けて無計画に子供を作るヒト族とはその辺りからして違うのだろう。しかしながら、商人になって成功したりすると、かなりたくさん子供を作ったりするらしい。考え方が違うのだと思う。

欲望の形も。そのあり方も。

ヒト族とホムは違いすぎるのだろう。

だから役人や商人には向いているが。

その一方で野心に著しく欠けるから、出世はしづらいとも聞いている。

評判が悪いヒト族の役人が出世する傾向にあるのも。

野心が強いから、なのだろう。

一晩眠って。

翌朝、コバルト草を集める。

遠くに巨大な影が見える。絶対に近付かないようにと、ハンドサインを出された。恐らく、相当に危険な獣なのだろう。

頷くと、黙々とコバルト草を集める。

昨日と違って、スールが手伝ってくれる。コツを覚えたのか、リディーの倍くらいの速度で、コバルト草を集めてくれた。ただし、途中で二回、虫を至近で見た様子で、ひゃあっとか悲鳴を上げて。

アンパサンドさんに睨まれていたが。

ともかく、戦闘は回避し。

そのまま帰路につく。

「あー恐かった」

情けない事を言うマティアスさん。

フィンブルさんは、戦いたかったと顔に書いてあるが。フィンブルさんがいてくれたおかげで手数が増え、多分回避できた戦闘もあったはずだ。いつ襲われてもおかしくない緊張感の中に身を置くのは、決して無駄では無かったはず。

「時にアンパサンドさん、遠くに見えたあのおっきいのは」

「ネームド、疾風のかぎ爪なのです」

「!」

「おいおい、アレが……」

マティアスさんが呻く。

騎士団なら知っている程度の相手、と言う事だろう。

フィンブルさんが話を聞きたがったので、アンパサンドさんが応える。

「比較的最近確認されたネームドで、グリフォンのネームドなのです。 ネームドの好戦性は非常に高く、人間が視界に入ったら躊躇無く殺しに来るのです。 彼奴は縄張りが街に近すぎる。 恐らくですが、近々錬金術師も交えた討伐作戦が展開される筈なのです」

「グリフォンだけでも厄介なのに、グリフォンのネームド!?」

「戦闘力は並みのグリフォン十体分以上と思って良いのです。 魔術も当然使ってくるのです」

「か、帰ろ! いそご!」

スールが真っ青になり。

マティアスがそれに同意して、こくこく頷く。

リディーは呆れたが。

だが、分かる。

ネームドは、そこまで危険なのか。多分あの肉食植物なんて、虎の前の子猫も同じなのだろう。

森に守られた街道を通っているからか。

帰り道で獣に襲われることはなかった。

予定通り夜には王都に到着。門で別れる。

フィンブルさんに給金を渡すと。少し悩んだ末に、言われる。

「なあ、俺役に立ててるか?」

「はい。 手数が増えるだけで、戦闘が回避できています」

「そうか。 手数、か」

「その内良い装備を作ります。 そうしたら、きっと活躍も今よりずっと出来る筈ですよ」

しばし黙っていたフィンブルさんだが。

言う。

「俺たち……まあ獣人族には普遍的な価値なんだが、とにかく戦士としてのある程度の実績はみんな欲しがるんだ。 俺も欲しい。 やっぱり強い獣を倒せば、傭兵としても箔がつく」

「何となく分かる気がします」

「とにかく、強い武器とか装備が作れるなら……くれると嬉しい。 貰った分の活躍はして見せる」

頷くと、後はその場で別れる。

今日は重い荷物もなかったし、コンテナへの搬入は手伝いも必要ないだろう。

家に戻ると、珍しくお父さんがいたが。

娘の顔を見ると、それだけで地下室に戻っていった。

後は何をしているのかも分からない。

ただ、表情は消えていたし。

何を考えているのかもよく分からなかった。

さて、後は。

最低限の義務をクリアしなければならない。アダレットだって、余裕がある訳では無いのだから。

まず取ってきたコバルト草を、コンテナの中に整備。

後はイル師匠に相談しながら、調合を試してみなければならない。

問題は強すぎる薬効の制御だ。

明日が、本番になる。

スールにも言い聞かせる。

次の調合は、今までに無いほど難しいと。スールも、緊張した顔で頷いていた。

 

3、最初に手に触れる奇蹟

 

イル師匠は、コバルト草を見ると、かなり険しい表情を作った。これだと品質が厳しいと感じたのだろう。

中和剤には自信があるが。

それを見ても、表情は変わらなかった。

「これはギリギリの品になるわよ」

「はい、分かっています」

「よろしい。 ではまずコバルト草の加工から」

レシピ通り、丁寧に葉脈を取り除く。

ピンセットを使って、隅々まで。

その途中で言われる。

「植物は、部位によって毒があったり薬があったりするのよ。 芋などが有名ね。 このコバルト草はそれが顕著で、葉脈は猛毒よ。 取り除くときには要注意して。 そして取り除いた後も捨てないで取っておきなさい。 毒の材料に出来るわ」

「イル師匠、質問」

「何かしら、スー」

「毒なんてどう使うんですか? 飲ませるのは難しそうだし……」

素朴な疑問だ。

イル師匠は、即座にスールが真っ青になる答えを返す。

「例えば、クラフトの内部に仕込む。 爆圧だけではなく、致死毒が敵を襲う事になるわ」

「ひっ……」

「相手を殺す以上、手段はどうあれ結局は同じよ。 他にもクラフトに尖った石などを仕込むと、殺傷力が倍増する。 覚えておくと良いわ」

恐い。

だが、それは確かに事実なのだろう。

相手を殺すための道具だ。

其処には残酷も何も無い。

とにかく、丁寧に葉脈を取り除き。そして、貸してもらった顕微鏡で確認。問題なしとイル師匠が太鼓判を押してくれるまで、三回失敗した。コバルト草はたくさん持ち帰ってきたが。

それで正解だっただろう。

一発で上手く行くはずはないと考えていたが。

これはちょっとやそっとでは出来そうに無い。

更に、葉脈を取り除いたコバルト草をすり潰し。

中和剤と混ぜる。

そして、一旦熱を通して。

ゼッテルを使って、固形分を濾し取る。

「コバルト草の薬効は、葉の部分の内部にあるの。 葉の「身」は邪魔だから、こうやって濾し取るのよ」

「なるほど……」

「凄い手間が掛かりますね」

「騎士団がこれを貴方たちに要求する理由が分かる? 一回に使用するこの薬、アルファ商会から買うと傭兵を一月雇える額よ。 それもベテランをね」

思わずフラスコを取り落としそうになる。

確かにそれは、コスト圧縮という点で重要だ。

そしてできた液体だが。

これも完成ではないという。

「これは中間生成液。 今後、難しい調合を行うようになると、こういう単体では何の役にも立たないものを扱うようになるわ。 覚えておきなさい」

「はいっ」

「ラベルを貼るんでしたね」

「そうよリディー。 続けて、次の処置に入るわよ」

釜を蒸留水で洗い。

丁寧に綺麗にした後。

トーンを中心とした薬草を煮込み。

薬効成分を抽出する。

それも中和剤を使って変質させ。

そしてある程度温める。

方法としては湯を沸かして、フラスコを温めるのだけれど。この時に温度計を使い。更に温める時間もしっかり計る。

きっちり時間を計らないと。

同じ温度にはならないのだそうだ。

厳しい作業が続くが。

二つの中間生成液を温め、同じ温度にした後。

一気に言われた通りに混ぜ合わせる。

液体だった二つの液が。

一気に固体になる。

見ていて、声が漏れるほどの変化だった。

混ぜ合わさった二つの液を、急いで掻き回すように指示を受けて。頷いて、硝子棒で混ぜる。

しばしして。

固体化した生成物が。

青黒かった色から、白が掛かった赤へと変化していった。

できた。

悟り、腰が抜けそうになる。

アリスさんが、後ろで受け止めてくれた。

呼吸を整える。

早速、イル師匠が躊躇無く自分の腕をナイフで傷つける。それも結構派手に。ひっと悲鳴を上げるスールだけれども。

だらだら血が流れる腕に、イル師匠が少しだけできた薬を塗り込むと。

今までの比では無い。

まるで輝くようにして、傷口が埋まり、溶けるように消えていった。

「まあまあね。 21点」

「そ、その、これで納品は……」

「まあギリギリだけれども、これならば大丈夫な筈よ。 そうね、今作った分を全て使えば、多分ちぎれた腕くらいならくっつくわ」

「……っ!」

それは、アルファ商会で売っていた薬に近いと言う事か。

思わず歓喜が漏れそうになるが。

しかし、他の錬金術師は誰でもできる事なのだと思い出し。

気を引き締め直した。

「では基本よ。 反復練習と復習。 分かっているわね」

「はいっ!」

「今度は口出しをしないから、自分達だけでやってみなさい。 さっき作ったのが一月分くらいになるわ。 後の事も考えて、半年分くらいは作っておくべきでしょうね」

「分かりましたっ!」

二人で声を揃える。

今まで作っていた薬の比じゃない。

文字通りの奇蹟を起こす薬だ。元々の性質を変質させて、何十倍にも強化している。

そして、悟る。

これでも、まだあの時のお母さんを治せる次元にない、と言う事だ。

お父さんは全盛期には、これを超える薬くらい簡単に作っていたはずで。それでもお母さんは天国に行ってしまった。

まだまだ。

まだまだ全然足りない。

取りに行くのが難しい材料ほど、いいものを作れるようになるのは自明の理。

そういうのを取りに行くには、あの恐ろしい獣たちを蹴散らすような実力も必要になってくる。

貪欲になってくるのが分かる。

でも、一度や二度で上手く行くはずが無い。

二人で徹底的に練習する。

それから二日間泊まり込みで、イル師匠のアトリエにて調合をずっと繰り返し。

騎士団に納入するお薬を造り続けた。

一度作る度に、途中では口出ししなかったイル師匠が、丁寧にアドバイスをくれる。それは精神論を一切廃したもので。

論理の塊だった。

具体的にどうすればどうなる。

その話を徹底的にされた。

そして明言もされる。

根性論は敵だ。精神論は有害だ。理屈に沿って体を動かし、理屈に沿って薬を作っていく。

それはイル師匠の理論ではない。

錬金術の理論だ。イル師匠も、同じように理論に沿って体を動かし、理屈に沿って錬金術をしている。そう何度も言い聞かされた。

そして、出来についても、最終的に点数を言われて。

何処でどうなったので、質が落ちた。

何処の調合で良くなかったから、こうなった。

そういう論理を、まとめたレポートを渡された。

見ながらいつレポートを書いていたのか気になるのだけれども。しかしながら、実際に読んで見るとぐうの音も出ない。

ならばそれに従うしかない。

とにかく、納品できる品質のものを。

半年分造り。

それでコバルト草は尽きてしまった。

「薬効成分が強い植物だから、機会があったらまた採取してきなさい。 別に生えているのは一箇所だけではないから、見つけ次第採取する形でかまわないわ」

「はいっ」

「分かりました!」

「よろしい。 それでは、最初の義務を果たしてきなさい。 アードラ狩りは貴方たちでなくても、腕利きの戦士でもできる。 でも、その薬を作るのは、貴方たち私たち錬金術師にしかできないのよ。 錬金術師としてするべき最初のことをやりとげなさい」

送り出される。

そして、お城に行く。

受付で、指定のお薬を納品しに来た事を告げる。

薬の名前はナイトサポーター。

そのまま、騎士の助け手。

アダレットで古くに活躍した錬金術師が開発した薬らしく。

あまり良い扱いを受けてこなかったアダレットの錬金術師や、依頼を受けたアルファ商会に頼んで騎士団が代々使い続けて来た薬。

前線で手傷を負った王族や。

騎士団長がこれで傷を癒やしたという逸話もあるという。

受付の途中に、話をされる。

薬としか聞かされていなかったので。そんな凄いものなのだとは、思いもしなかった。

そして、自分がやり遂げて。

この薬がこれから、前線で獣や匪賊と戦う騎士達を救うという事を考えると。

やっと、役に立てるようになった気もした。

受付で対応してくれたのは、モノクロームのホムの役人だったが。

この話をしてくれたのはヒト族の役人だった。

まあ気が良さそうな人だったし。

退屈では無いかと、気を遣ってくれたのかも知れない。

ただおじさんにそんな話をされても、喜ぶ女の子はあまりいない事を理解してくれると嬉しい。

モノクロームのホムが戻ってきた。

そういえばこの人、性別も分からない。

ホムは殆ど見た目で性別が分からないので、自己申告を聞くまで何とも言えない。嘘はまずつかないだろうから、自己申告は信頼出来るが。聞く理由も無いし。この人は男女どちらなのかは気になる所ではある。

「合格なのです。 来月にも納品はお願いするのです」

「分かりました!」

「なお、これはどうせ後になれば知らせるので今のうちに行っておくのです。 Gランクのノルマは、基本的にFランクでも引き継がれるのです」

「?」

「スーちゃん、要するにどんどんノルマが難しく、しかも増えていくって事だよ」

「そういうことなのです」

無表情のまま、ホムの役人は告げる。

まあ概ね知ってはいたから。

驚きは少ないけれど。

「Fランクへの昇格は、それはそれでまたかなり難しいのです。 充分な実力がつくまでは、まず薬をしっかり蓄えておくのです」

「分かりました!」

「はい。 それでは、次のお仕事をしに来るのを待つのです」

城を出る。

スールがぼやく。

「もう分かってるよそんなの」

「違うよスーちゃん」

「え?」

「イル師匠に教えて貰って分かったんだよ。 もし不意打ちで聞かされていたら、きっとスーちゃん取り乱したんじゃないのかな」

不思議と、スールは静かだった。

そうかもね、とだけ言うと。

早く帰ろうと促される。

少しだけ、お小遣いにも余裕ができた。

だから、そのお金を使って、夕食を買ってアトリエに帰る。

その途中で、幾つか話をした。

「インゴット作ろう」

「うちの炉、作るとすると整備しないといけないね」

「そういうことだね。 それに、インゴット作れるようになると、錬金術の装備品作成にぐっと近づけるよ」

「あ、そうか……」

騎士団の強さの秘密の一つは。

錬金術で作られた装備品を支給されていることにある。

それでも、限界があるのだが。

ともかく、傭兵より数段強いのは事実だ。

獣がそれ以上に強いので、騎士団は苦戦している、というだけであって。もしもリディーとスールが装備品を造り、同行してくれる護衛に渡せれば。それは大きな戦力強化につながる。

今はまだ、難しい。

まずは親父さんに合格を貰える位の品質のインゴットを作るところから始めなければならないだろう。

それも、インゴットと一言で言っても。

色々な種類が存在している。

最高位の錬金術金属であるハルモニウムに至っては、竜の鱗を素材として必要とすると聞いている。

そうなると、ドラゴンを撃ち倒さなければならないか。

或いはアルファ商会に、下手するとお城が買えるようなお金を払ってドラゴンの鱗を手に入れなければならないわけで。

いずれにしても前途多難だ。

まずは最底辺であるツィンクの作成から、だろう。

この辺りでも素材は採れるはず。

ただし森の中で見つけるのは難しいから。

必然的に荒野に行かなければならないが。

そうなると、また獣の駆除任務に出ないといけない。

クラフトの作成を先にやる必要があるし。

戦闘慣れも必要になってくるだろう。

家に帰るまでに、そんな話をして。スールはぼやく。

「やる事が多すぎるね」

「こう、土台をしっかり積み重ねていかないと厳しいんだと思うよこの世界。 多分だけれど……天才って言われているような人は、土台を素早くぱぱっと作れる人なんだと思うな」

「そうだけどさ……」

「いきなり難しいのに手を出しても、火傷するだけだよ」

その通りだと思ったからか。

スールはそれ以上、何も文句は言わなかった。

家の中は暗く。

お父さんもいなかった。

地下室にいる様子も無い。

多分だけれど、何処かに出かけているのだろう。何をしに、何処に出かけているのかは。もう詮索するつもりは無い。

もしもお父さんが錬金術師としてやる気を取り戻してくれたら。

こんなに頼りになる話はない。

だけれども、もう無理だろう。

今のお父さんはやっぱり嫌いだ。

買ってきた夕食で、適当に食事を済ませると。

体を動かし始めるスールを横目に、軽くスケジュールを組み始める。

まず鉱石類を手に入れるには何処が良いかを図鑑で確認。

近場、一泊二日で行ってこられる場所に、幾つか良さそうな所がある。

その内の一つに目をつけて。

出る獣などをチェックするが。

うっと声が漏れた。

ネームドの出現報告があるのだ。

この図鑑は、少し前に見聞院から借りてきたものだから、情報がかなり新しい筈。

騎士団が駆除してくれていると良いのだけれど。

はてさて。

スールは何だかうねうねよく分からない動きをしているけれど。

あれはこの間の採取で、アンパサンドさんとガールズトークしようとして暖簾に腕押しだった後。

アンパサンドさんに教えて貰った、基礎の一つらしい。

筋肉をどう動かすかを、体で学ぶやり方らしく。

スールは筋力については充分あるので、上手く制御すれば或いは達人になれるとアンパサンドさんは言っていた。

ただ、アンパサンドさんがやっていたのと比べると。

ものすごくたどたどしい。

此方もまだまだ道は遠いか。

それにしても、こんな技、誰が教えたのだろう。

「ふええ、何か普段使ってない筋肉が悲鳴上げてるう……」

「情けない声を出さないのスーちゃん」

「だってえ」

「ほら、もう今日は休もう。 明日、また騎士団に依頼出してきて。 採取に行くよ」

スケジュールは組んだ。

クラフトは幸い前回の探索では殆ど使わなかったので。

新しく、更に品質が良いのを造れば良い。

型落ちになって来た品は、もしも余って邪魔になるようだったら、騎士団にでも納品すれば良い。

どんな道具でも、使えるなら歓迎してくれるはずだ。

まだ道は遠いけれど。

先に行くには、一歩ずつ、足を踏み出していくしかない。

リディーは、まだまだやっと半人前になった所なのだ。

これから先の道は。

あまりにも長すぎる。

 

4、荒涼たる野にて

 

ぎりぎりと弓を引き絞り。

向かってくるグリフォンのネームド、疾風のかぎ爪へ矢を撃ち放つ。

ハンデとして丁度良い。

そう言われて、弓を使うようになったわたしフィリス=ミストルートは。こうして今では、弓矢をメインウェポンとして使っていた。

勿論錬金術で色々仕掛けはしているから。

矢を放つと、大火力の物理攻撃に加えて。

冷気、雷撃、真空波、熱、魔術による爆裂、様々な副次攻撃を同時に巻き起こし、敵に飽和攻撃を叩き込む。

勿論たかがネームド如きが耐え抜ける攻撃では無い。

一瞬にして展開される、驟雨の如き攻撃と。

何より、超火力の矢の一撃を前に。

思考停止した疾風のかぎ爪は。

シールドを展開しようとして、間に合わず。

瞬時に爆裂四散した。

護衛の騎士団は、周囲の獣を散らすだけで良かったが。それさえも、お姉ちゃんが黙々淡々と片付けていく。

たまにツヴァイちゃんが神々の贈り物で支援もするが。

改良に改良を重ねた結果、以前より更に火力が増している。

黒焦げになったネームドの残骸に歩み寄ると。

深核をとりだし。

まだ残っている肉や羽根などをむしっていく。

後の黒焦げになった残りは、溶解液を掛けて焼却。

それで全て終わりだ。

騎士団は仕事を見届けるだけ。

もう、周囲にいるめぼしい獣も、駆除は終わった。

予定より四刻も早いが。

早く終わるのは良い事だ。

「はい、街に引き上げます。 みなさん、準備をしてください」

「はっ! 皆、急げ! 獣の解体、処置、他の獣が姿を見せる前に終わらせろ!」

魔族の騎士が声を張り上げ。

作業を始める従騎士達。

ひそひそと、声が聞こえてくる。

「あのイルメリアと双璧だって噂は本当らしいな。 完全にバケモノだぜ。 あんなの俺たちに向けられたら、秒で全滅だな」

「あれでも力を抑えているらしいぞ」

「マジかよ。 伝説に出てくるネージュの再来か」

「それ以上かもな……一体どうなっているんだか」

ひそひそ話をしているつもりらしいが。

全部丸聞こえだ。

イルちゃんはしっかりやれているだろうか。

わたしが双子の支援に回るのは、もう少し先になるけれど。

いずれにしても、「小石拾い」はせっせとやっておかなければならないだろう。

双子が思わぬ強敵に遭遇して死んでしまっては意味がないのだ。

だからこうやって。

対処不可能な相手は、先回りして駆除しておく。

どうせ次の試験は討伐任務だ。

それも相手はグリフォン。

そして双子がネームドを相手するのはまだまだ早すぎる。

ソフィー先生は限界までストレスを掛けろと指示してきているけれど。

無理すぎるストレスを掛けると壊れてしまう。

何度もそうして壊れてしまう双子を見たわたしとしては。

どうしても、その言葉を、全て丸ごと聞くわけにはいかなかった。

宿場町まで引き上げ。

仕留めた獣の肉と、酒を入れて騒ぎ始める従騎士達。彼らを率いて来た魔族の騎士は、礼をした。

「ありがとうございます。 おかげで死者を一人も出さずに済みました」

「あの人、少し動きが悪かったですね。 もう少し鍛錬をしっかりさせた方が良いと思います」

「彼奴はどうにもやる気が……」

「何かきっかけがあれば化けるかもしれません。 目を配ってあげてください」

自分についてはどうでもいい。

今後の事を考えると。

世界には一人でも有能な人材が必要だ。

わたしは、もうそういう枠組みから外れてしまった。

アドバイスはできるが。

それだけだ。

お姉ちゃんは壁に背中を預けて腕組みし、わたしに余計なちょっかいを出そうとする者がいないか、鷹のような鋭い目で騒ぐ従騎士達を見ているが。

いずれにしても、あの戦闘を見た後だ。

わたしに声を掛けようなんて。

とてもではないけれど、恐くてできないだろう。

袖を引かれる。

ツヴァイちゃんだった。

「お姉ちゃん、神々の贈り物が少し調子が悪いようなのです。 メンテナンスをお願いするのです」

「分かった。 ちょっとまってね」

宿を出ると、自分のアトリエに。

ソフィー先生がくれたこのアトリエの中には。今では深淵のもの本部につながるものや、イルちゃんのアトリエにつながるもの。更には、既に「鉱山の街」ではなくなった故郷エルトナにつながるものなど。空間を飛び越えてつながった扉が幾つもある。

いちいち空間転移を使うのも面倒くさいので。

アトリエの中に配置して、いつでも移動出来るようにしているのだ。

だからむしろ騎士団などと歩調を合わせて移動する時は、ゆっくりできる数少ない機会だったりする。

奥の作業場で。

神々の贈り物をチェック。

何度も改良を加えて、敵を確殺する兵器として完成させたこれも。

今ではすっかりツヴァイちゃんの相棒だ。

計算に強いホムの特性を最大限に生かし。

一撃必殺の攻撃を叩き込む必殺兵器。

今回も、さっき魔族の騎士につげた、動きが悪い人を救っていた。ツヴァイちゃんの援護射撃がなければ、今頃首と胴体が泣き別れだっただろう。

メンテナンスを終えて、ツヴァイちゃんに引き渡す。

事情は話してある。

だから、わたしのために幾らでも働くと、ツヴァイちゃんは言ってくれている。

そしていつも、世界の終焉までつきあってくれる。

それが嬉しいと同時に。

わたしには悲しくて仕方が無かった。

ツヴァイちゃんがアトリエをぱたぱた出ていくと。

代わりに。

世界が停止した。

「ソフィー先生、普通に出てきては?」

「ああ、ごめんごめん。 今はもう、時間を止めて動くのが基本になっていてね」

「……」

振り返ると。もう至近にソフィー先生がいる。

手にぶら下げているのは、誰かの生首だ。血は出ていないが、もうその辺りは加工済み、と言う事か。

眉をひそめるわたしに。

説明してくれるソフィー先生。

「仕事のついでによったのだけれど、ちょっといいかな」

「はい、なんですか」

「今回、双子の育成がいつもより上手く行っていてね。 少し早めにイルメリアちゃんの支援に回ってくれるかな」

「はい、わかりました」

YES以外の言葉は無い。

もし断れば、お姉ちゃんやツヴァイちゃんに危害が及ぶ。

今のソフィー先生は完全に怪物だ。

分かっている。

怪物にでもならなければ、この世界の詰みを打開することはできないと。

自分だって怪物になりつつあるのだ。

ソフィー先生を悪く言う資格は無い。

今のわたしでは何をやってもソフィー先生には絶対に勝てない。理想的な状況で、イルちゃんと協力したとしても無理。

不意打ちそのものがそもそも成立しない。

それは、もうどうしようもない事実なのだ。

具体的な話を幾つかされた後。

聞いてみる。

その首は、と。

最近、ダーティーワークは、もはや世界最強の暗殺者に育ったティアナちゃんに丸投げしているソフィー先生だ。

直接人の首をもぎ取ってくるのは珍しい。

ソフィー先生は、いつもの笑顔を崩さないままいう。

「アダレットで麻薬の流通網を作ろうとしていた人物でね。 今回ちょっと此方の動きが速かったからか、バタフライ効果で少し動きを活発化させていたの。 それで、組織もろとも狩ってきた、それだけだよ」

「ティアナちゃんにやらせれば良かったのに」

「それがこれ、普段は一般人に紛れて生活していてね。 記憶操作も必要になったから、あたしが出たの。 まあ何の問題も無く処理は終わったから、記憶も全て回収してこの件は完了。 関係者も皆殺しにしてきたから、もうフィリスちゃんは何もしなくてもいいよ」

「……」

ひらひらと手を振ると。

ソフィー先生はもういない。

同じ時を止める力でも。

次元が違いすぎる。

ため息をつくと、アトリエを出て。

そして、雨が降っているのに気付いた。

億年以上、この世界を打開しようとしてきて。

まだ成果は上がらない。

わたしの目はすっかり濁りきった。そんな事は分かっているし、はっきりいってどうでもいい。

仮にこれから上手く行ったとしても。

双子を育てきれば。

双子もこの永遠の地獄に巻き込むことになる。

ソフィー先生が言う通り、最低でも後二人、超越級の錬金術師が世界に必要なのは事実だけれども。

でも、一回で上手く行くとは思わない。

双子は「まだ顔を合わせてはいない」けれど。

ソフィー先生の指示では、少し今回は早めに接触する必要がある。

まあEランクくらいまで上がったら、だろうか。

いずれにしても、イルちゃんと連携して動かなければならない。

雨の降る中歩き。

宿場町の周囲を見回る。

時々獣を見かけるので。

無造作に仕留めて、死体はアトリエに回収。吊して捌く。

空いた時間は、今ではこうやって、少しでも安全を確保できるように動いているけれども。

この世界の仕組みそのものが。

安全なんてものを許してはくれない。

創造神には色々腹が立つけれど。

もっと腹が立つのは。

こんな状態にでもならなければ。

互いに協力しようという気さえ起こせない人間そのものだ。

エルトナの人達の醜い本性を見てしまった今は。

人間に対して、夢も希望も抱く事はできない。

今できることは。

どうやって現実的に。

この世界の詰みを打開するか。

それだけだ。

宿に戻り、後は大丈夫なので休むようにお姉ちゃんとツヴァイちゃんに告げる。

わたし自身は、アトリエに戻ると、膨大な情報を一瞬で自分の中に取り込める超高度錬金術の装置に入り。

今後のスケジュールをくみ上げる。

イルちゃんも同じ事をしているので。

ある程度データの同期も取れる。

確かに双子は今までに無く良く育っている様子だ。

やはり指導役をつけたのは正解だった。

後は、可能な限りの負荷を掛けつつ。

壊れないように調整を続ける。

わたしには、それしかできない。

もはやこの世界は、何もしなければ確実に終わる。

それはもう確定してしまっている。

ならば。どうにかしてあがかなければならない。

それが如何に非人道的な方法であっても。

わたしには。

もう涙など、残っていなかった。

 

(続)