最初の小さな試練

 

序、練習

 

イルメリアという人は、スールから見ても凄い錬金術師だと一目で分かる存在だった。自分の頭が良くないことはスールも理解している。直感でどうにかしていくタイプだという事も分かっている。

それをイルメリアさんはすぐに察して。

スールにも分かるように、非常にわかりやすく全てを教えてくれた。

本当に分かるのだ。

どんな本も、見ていると眠くなってしまうスール用に。

わかりやすく、レシピを書き下ろしてもくれる。

どんな材料が、どれだけ必要か。

それも全て描かれていた。

まず最初に、騎士団に頭を下げて、この材料をこれだけ取ってくるように。それが最初の宿題だった。

何に使うのかさっぱり分からない素材もあったけれど。

それらは多分、試験のためのレシピで使う素材なのだろう。

一部の素材は持ち合わせがあったので、それについては敢えて取ってくることもないと言われている。この辺り柔軟な先生だ。

考え込むリディーを見ていると、少し不安になるけれど。

とにかく、やっていかなければならない。

「リディー、まず動こうよ。 最初の数回は採集をただで手伝ってくれるって言ってくれていたし」

「うん、でもね。 この素材、見ると多分森の中の草原だと手に入らないと思う。 アルファ商会だと売ってるとは思うけれど、すっごい高いよ」

「え、じゃあ……」

「アンパサンドさんに怒られるのを覚悟した上で、また「丸腰」で、しかも危ない場所に出ないと」

うえっと、思わずスールは声を上げていた。

アンパサンドさんはとても厳しい人だ。

お目付とは言え、王族相手に躊躇無く強烈な突っ込みを入れていた。多分それを許されているのだろうが。それにしても、まるで躊躇が見えなかった。

ミレイユ王女に言われているのかも知れない。

彼奴には、容赦するな。

調子に乗らせると、碌な事にならないから、と。

ということは。リディーにも、スールにも。アンパサンドさんは容赦なんてしてくれないだろう。

「一番の問題が木材だね」

「森は傷つけてはいけない、だっけ」

「いや、枯れた木は切って良いってなってるはずだよ。 枯れ木も、枯れ枝を集めるでしょ。 問題は二つ。 一つは枯れ木が都合良く生えてないこと。 森の中を結構歩かなければ見つからないよ。 もう一つは、重いって事」

籠を見る。

ぼろぼろの籠だ。

持ち運べる量には限界がある。

やっぱり荷車が欲しい。戦闘時に動きが阻害されてしまう籠は、どうしても色々と厳しいからだ。

しばし悩んだ後。

リディーが、裏庭から荷車を出してくる。

或いはお父さんが昔使っていたものかもしれない。ぽつんとあるのを、思いだしたのである。

ただしアルファ商会で売っていたような奴とは違い。板に車を着けただけのような代物で。

これに籠を固定する事くらいしか、今は出来そうに無い。

仕方が無い。

知り合いの鍛冶屋さんの所に行くしか無いか。

まずは其処からだ。

勿論ただでやってくれるはずもない。

お小遣いを出してくる。

非常に厳しいが。

これでやってくれと、頼むしかなかった。更にこの荷車、ボロボロで完全にガタが来ている。

今回の採集、もつかどうか。

それでもどうにかしないと行けないのが、悲しくてならない。

朝一番に、荷車を引いて、鍛冶屋さんに。

色々荷車は壊れかけていて。

取っ手の辺りは苔がついていた。

しかも虫が這い回っていたので。

スールは触りたくもなかったけれども。

リディーが虫はとったからと言って、リディーにも押すように指示。

泣く泣く、従うしかなかった。

昔からリディーは大人しいけれど。

どうしてもいざという時は、頼ってしまう。

精神的には、リディーに逆らえない。

殴り合いの喧嘩をしたらスールの方が強いに決まっている。口げんかだってリディーはしたがらない。

それでも、どうしてかリディーには素直に頭が下がる。

これはよく分からないけれど。

胃袋を握られていたりするのが、大きいのかも知れなかった。

鍛冶屋さんは朝早くから開いている。

つるつるの禿頭で。

筋肉ムキムキ。

酷い音痴の鍛冶屋さんは、ハゲルさんという。何でもどこか遠くから来たらしいのだけれど。詳しくは知らない。昔からの、お母さんが健在だった頃からのつきあいで。お母さんの葬式ではわんわん泣いてくれた。

それからも時々お世話になっている。

スールの銃の調整も、鍛冶屋さんはしてくれていた。それも格安で、である。頭が上がらない相手だ。

「よう、ひよっこ共。 どうした」

「親父さん、この荷車直して欲しいんだけれど。 それと、この籠をくっつけられない?」

「できるが、応急処置にしかならないぞ。 これ二輪だが、できれば四輪の、しかも箱形の奴の方が良いな。 どうせ錬金術の素材集めに使うんだろ?」

ずばり見抜かれている。

リディーが頷くと。

親父さんは大きく嘆息した。

「まあお前の所がどんな状況かは分かってるから、今回はただでやってやる。 その代わり、インゴット作れるようになったら、納品してくれな」

「インゴット?」

「分かるようになったらでいい」

「あ、はい」

何もかも、まだまだどうしようもない。それだけが、今の会話でもよく分かる。とりあえず、半日で仕上げてくれるというので、一旦家に帰る。その途中でインゴットって何だっけとリディーに聞いてみると、向こうは知っていた。

「延べ棒のことだよ。 金の延べ棒とかあるでしょ。 親父さんが言っていたのは、金属の延べ棒だよ。 鍛冶だと金属は幾らでもいるし、錬金術師が作る良質の金属のインゴットだったら、騎士団でだって欲しがるはずだし。 親父さんの腕だと、騎士が持つような剣も作れるんじゃないのかな」

「ああ、なるほど……」

「なるほどじゃなくて、この間イル師匠に貰った本に基礎だって書いてあったでしょ」

「うー、読書苦手ー」

大きなため息をつかれる。

気持ちは分かるけれど、どうしても読書は苦手なのだ。

アトリエに戻ると、リディーと一緒に本を読む。確かにインゴットの事については、書いてあった。

なるほど。

実際に手元でその話が出てくると案外素直に分かるものだ。本だけだと、どうしても分からない。

一度それを確認してから、今度は騎士団の詰め所に出向いて手続きをする。

明日護衛を頼みたいという話をすると。

すぐに受付をしている役人のホムが対応してくれた。

ミレイユ王女との引き継ぎをしてくれた、モノクロームのホムではないけれど。不正をしない役人としてホムはとても信頼されている。ヒト族の役人だと、どうしても不正が疑わしいし。獣人族だと気が短すぎる事が多い。魔族は逆に頭が固すぎて、説教が長くなったりする。戦士としてホムはまず見かけないけれど。後方支援要員としてはどの種族よりも頼りにされるのだ。

いずれにしても、明日に仕事という事で受け付けて貰う。

実際に頭を下げるのは明日のことになるだろう。

アンパサンドさんに、前に言われた。

火力を担えない錬金術師を護衛するほど、騎士は暇では無いと。

それがぐうの音も出ない正論だと言う事は分かっている。それでも頼まなければならないのだ。

明日、とにかく爆弾の材料と。それにイル師匠に言われた宿題の素材類を集めてこなければならない。

貰った本を読んで、念入りにリディーはメモを取っている。

そして夕方。忙しそうにしているリディーをアトリエに残して、スールは一人、鍛冶屋に足を運ぶことにした。

途中、髪の長い綺麗なヒト族の女の人と、ホムが一緒に歩いているのにすれ違う。ホムの方が、あからさまにヒト族の女の人をお姉ちゃんと呼んでいたので、驚いて振り返ったが。もうその時には二人はいなかった。

ごくたまにだが。

養子などで、別種族の人間が、家族になることはあるらしいのだが。

そのケースだろうか。

スールは、正直な話。

今のお父さんが大嫌いだし。お母さんが死んでしまったことで、この世の事を恨みもした。

だけれども、それでも。

何とかやっていきたいと思う。

自分でもダメダメで、半人前以下だと言う事は分かっている。

ルーシャが自分達にアドバイスをしてくれている事も。心の何処かでは分かってはいるのだけれども。

どうしても素直になれない。

本当は多分とても失礼なことをしている事は。

理解はできている。

スールは昔から、時々単独行動をしていて。

本当に貧しい人が、どんな生活をしているかは、色々な理由から知っている。

うちなんて、貧しい内に入らない。

お父さんが浪費しているのに、どうして最低限で踏みとどまっていられるのか。そんなの、ルーシャが影で支援してくれているからに決まっている。リディーは賢いのに、肝心なところで抜けているから、そんな事も分からない。

スールは分かっていても。

それでも、どうにも出来ないのは、自分でも情けなくて仕方が無かった。

鍛冶屋に着く。

荷車ができていた。親父さんは、汗を拭いながら、幾つか説明をしてくれる。

「スー。 覚えておけよ。 錬金術師はな、金が掛かるんだ。 色々な薬を自分で全部作る訳にはいかないから、時には他人から買う必要もある。 材料もそうだ。 一人だとどうしても戦いに限界があるから、護衛も雇わなければならない。 この荷車にしても、本当は金が掛かるものなんだ」

「うん、それは分かってるつもり」

「……とにかく、早めに投資して、もっとマシな荷車にするんだな。 俺の知っている錬金術師だと、荷車を装甲板で覆って、いざという時には盾に出来るようにしている奴もいた」

「うん……」

分かる。

親父さんも、其処まではサービスしてくれない。

さっさと自力で稼げるようになれ。そういう風に言われているのだ。

荷車だって、本当は結構直すのにお金が掛かっていたはず。それどころか、板を追加して、籠が落ちにくいようにまでしてくれていた。

頭を下げると、家に帰る。

スールは自分の頭が悪いことは知っているけれど。

勘には自信がある。

アトリエに戻ると、リディーがリストを作り終えてくれていた。荷車を持ち帰ると、嬉しそうにする。

「わ、これで籠を背負って歩かなくていいね」

「早く四輪のにしろって親父さんに言われちゃった。 稼いでも、お金は多分投資でどんどん消えちゃうね」

「それは仕方が無いよ」

「それに、この家も何とかしないと……」

お父さんの生活の荒れ方。

この間思い知ったが。

お父さんは力はあるのに、それを完全に自分で封じてしまっている。あのままだと、多分何かの切っ掛けで死んでしまうかも知れない。

それはいくら何でも、スールだって嫌だ。

ダメ親父、バカ親父と面と向かって罵ることだってあるけれど。

それはそれとして、お父さんまで死んだら、この世にリディーと二人っきりになってしまう。

リストを見る。

「うにか……ちょっといつも行ってる森の中だとないね」

「森の一番外側にある、人間を襲うような獣の出る場所に行かないとこの辺りだと採れないみたい。 一応街の中にもあるけれど、品質はこの本に載ってる爆弾……クラフトっての作るのには、とても足りないよ」

「そんな危ないの、街の中に植えられないもんね」

一応実を非常食として使うため、街の中にも木はある。中にはうにの木もある。

うにはとげとげの実をつける木だ。実には色々な使い路があって、美味しかったりまずかったり。

うには何処ででも採れるらしいけれど。

図鑑を見ると、色々な亜種が存在しているらしく。

ものによっては、強い魔力を秘めているのだそうだ。

多分おいしいまずいも、品種によって違うのだと思う。

魔術が使えるリディーと違って、スールは殆ど魔術が使えないので。

見た目では殆ど分からないけれど。

いずれにしても、今後は図鑑を持っていく必要があるだろう。

二人で手分けして、籠を荷車に入れる。板である程度補強してくれたので、籠を並べて入れるだけで良いのが嬉しい。またこの荷車の横幅なら、アトリエにそのまま入る事が出来る。試してみて、確認。荷車を外に野ざらしにしなくて済むし、何よりコンテナに直通させられる。

一応治安はしっかりしている。

匪賊の話は殆ど街の中では聞かない。

でも、盗みをする人はいる。

流石に生命線である荷車を、今アトリエの外に放置して、盗まれる訳にはいかないのである。

一通り明日の準備をリディーと一緒に済ませると。

後は早めに夕食を取って、休む事にする。

アンパサンドさんが言っていた通り。

バカ王子はともかくとして、一線級で活動している騎士が、わざわざ護衛をしてくれているのだ。

騎士は人手が足りていない。

そんな状態で、である。

早く錬金術師として、一人前にならなければならない。

爆弾くらい。或いは、何かしら身を守るための錬金術の道具くらい作れるようにならなければ。

そんな人手を出して貰う資格は無い。

或いは、研究を専門にする錬金術師もいるのかもしれないけれど。

その場合は後方支援として役に立っている筈で。

いずれにしても、今のスールでは話にもならない。

勿論民を守るのは騎士の仕事だが。

民の我が儘を聞くのは騎士の仕事じゃないし。

不必要な我が儘を言うべきでもない。

そんな事は、先代の王様がこの国を荒らしに荒らして滅茶苦茶にしたのを、幼い頃に目の当たりにした事で。

スールだって分かっていた。

さもしい食事を終えると。後は休む事にする。

「ねえスーちゃん」

薄暗い中、隣に寝ている双子の姉に聞かれる。

なに、と気のない返事をすると。リディーは。少し考えてから。

一つ、絞るようにして言った。

「錬金術師って、何でもできそうだよね」

「……そうだね。 あの絵のことを考えると、そう思うよね」

「でも、お父さんはお母さんを治せなかった」

「……」

そうだ。

錬金術師の技量によって、できる事がある。多分お父さんは。自分の力量が足りなくて、お母さんを死なせたことで。錬金術への情熱を、全て失ってしまったのだ。

全盛期のお父さんはお金だって持っていた。

その気になれば、アルファ商会から良いお薬だって買えたはず。

確か相当にレベルの高い神聖魔術の使い手も呼んで、回復魔術を掛けて貰っていた。それでもダメだった。

つまりお母さんはそれだけ難しい病気だった、と言う事で。勿論今のリディーとスールに、治せる訳がない。

今のリディーとスールには。

少なくともお父さんをどうこういう資格は無い。

感覚で分かっていても。どうしても、理屈では納得出来なかった。

「早く何でもできるようになろう、リディー」

「うん……」

先に眠ったのがどちらかは分からないけれど。

いずれにしてもはっきりしている事がある。

また悲劇が起きる前に。

早く、自力でどうにかできるようにならなければいけない、と言う事だった。

 

1、殺し合い

 

バカ王子マティアスとアンパサンドさんは、約束の時間に、城門で待ってくれていた。スールとしても、相手が王族である事は分かっている。流石に面と向かってバカ王子とは言いたくはないけれど。

流石に待っている最中に通りがかりの女の人をナンパし始めて。

アンパサンドさんから、稲妻みたいな強烈な蹴りを側頭部に食らって悶絶している様子を見ると。

お目付も大変だなとしか言葉が出てこない。

呆れ果てていると、立ち上がりながらダメ王子は言う。

「なんだ、双子じゃないか。 見てたのか」

「リディーさん、スールさん、ご心配なく。 ミレイユ王女には許可をいただいているのです。 王子が馬鹿な真似をした場合には、相応の処置を執って良いと」

「お前なあ……」

「もしも国の威信を汚すような真似をした場合は、殺しても良いそうなのです」

あまりにもアンパサンドさんがさらりと言うので。

マティアスが真っ青になって硬直する。

勘で分かるが。これはマティアスは、本当だと知っている。

要するにミレイユ王女は、マティアスの事をどーでもいいと思っている。双子の弟だろうが、最悪の場合の自分のスペアくらいにしか考えていない。

そして場合によっては本当に消せと、指示もしているのだろう。

まさかあとリディは笑っていたが。

スールはとてもではないが、笑う気にはなれなかった。

ついでにいうと、多分今の時点でアンパサンドさんの方がずっと強い。これも何となくだけれど分かる。

下手な事をしたら本当に死ぬ。それでマティアスは真っ青になったのだ。

何だか大変だな。

少しだけ、スールはマティアスに同情していた。姉があの血染めの薔薇竜である。比べられるだけでは無い。

場合によっては、何の情も無く殺されるのは確実。

それは怖れるのも当然だろう。

門を出る許可は、アンパサンドさんが取ってくれていた。この辺りは、流石に数字に強いホム。

下準備もぬかりない。

ただし、照会などで、手続きがいる。

逆に言うと、それだけ外は危ないのである。

門を出る手続きの途中、軽く話をされる。

「危ない場所に行く場合は、傭兵を雇うと良いのです。 手が足りなくなる可能性もあるのです」

「前はそうしたこともあったけれど、高くって……」

「もし腕を上げていくつもりなら、すぐにそんな事は言っていられなくなるのです。 強めの獣になると、魔族の騎士を中心とした部隊でも、返り討ちにされる事があるのですよ」

「ひえっ」

リディーが声を上げる。

門を荷車を引きながら出る。荷車を引くのは、スールがすることにした。リディーの判断である。

リディーは力が弱すぎる。

騎士二人は、常に戦える状態になっておいてほしい。

そういう話で。スールも納得したし。騎士二人も納得してくれた。というか、マティアスは何でも納得しそうだったが。

「あの、アンパサンドさん、指揮は任せても良いですか?」

「ダメなのです。 自分は騎士三位、王子は騎士一位。 時には騎士三位が指揮を執る事もあるのですが、上位の騎士に命令をするようでは規律が保てないのです。 アダレットの騎士団は、少なくとも其処まで柔軟な組織ではないのです」

「そういうこった。 かといって俺だって、指揮は向いてない。 リディーだったよな、お前がお姉ちゃんなんだろ。 判断して指揮しろよ」

「スーちゃんもそれでいいよ」

えっとリディーは声を上げたが。

自覚しているほどに馬鹿なスールが指揮なんかしたら、滅茶苦茶になるのは目に見えている。

かといって騎士二人が指揮を執るのはまずいだろう。

アンパサンドさんは、外で自分が王子を指揮しているのを見られたら、というのを懸念している。

仕置きに関しては、王女公認だから良いのだろうとしても。

流石に戦闘指揮まではダメ、という判断なのだろう。

バカ王子が指揮を執る事は論外。ならば、消去法でリディーしかない。

「でも、戦闘の指揮なんてどうすれば良いのか……」

「最初は誰でも素人なのです。 ……どうしても向いていないのなら、お金を払って、戦略級の傭兵を専属で雇うのです。 戦略級の傭兵となると、騎士団でも指揮を受けることを嫌とは言わないのです」

「確かに凄い強い人ばかりだよな。 今も何人かアダレットに来てたっけ」

一応前線に出たことはあるのか。

マティアスがそんな事を言う。

スールはふーんと聞き流しながら。

荷車を引いて、森の中を行く。

確かに安定しない。

二輪は小回りがきくという長所があるけれど。その代わり石を踏んづけただけでがくんと揺れる。確か四輪だと、此処まで激しくは揺れないはずだ。

森の中を通っている街道は、お世辞にも丁寧に整備されているとは言えず。

時々石を踏んで、荷車が激しく揺れるのが分かる。

その度にちょっと痛いので。

次第にスールも口数が減っていった。

ほどなく森の密度が薄くなってくる。

森の外側になると、上手に森に守られた農園などがあるが、あれらは国の直轄で。麦などは専門業者に直接卸していると聞いている。クズみたいな取れ残りだったら分けて貰えるかも知れないが。それも、蔑む目で見られながら、場合によっては無茶も言われるだろう。

そして、あからさまに獣が大きくなってくる。

兎でさえ、角が生えてスールと同じかもっと大きいのが、彷徨いているし。

ぷにぷにがうめき声を上げながら、触手で不定形の体を引きずって、ずるりずるりと這いずっている。

「視界内でも襲ってこないのは、森の中だから、なのです。 ただし近付きすぎると、攻撃してくる可能性はあるのです」

「は、はい」

「すぐ済ませよう」

「分かってる」

リディーが震えているのが分かる。

それはそうだ。

スールだって正直恐い。

この間絵の中の世界に吸い込まれたとき。スールは足が竦んでしまって、恐ろしいバケモノ達を前に、震えあがる事しか出来なかった。

今視界内にいるくらいの獣だったら、全力で攻撃すれば倒せるかも知れないけれど。

それはあくまで可能性の話で。

死んだり怪我をしたりするかも知れない。

「その、周囲を警戒してください。 スーちゃん、採取を始めるよ」

「うん。 虫が出るのはやだよ」

「そんなこと言ってると、時間掛かるよ」

「やだあ……」

手を引かれて。

まずはうにの木を見上げる。

街の中のものよりも、良い養分を得ているのか、とてもみずみずしい。

傷つけるのは御法度。

そう思い出しながら、木に登る。木登りに関しては、シスターグレースにやり方を色々教わった。リディーはどうしても出来るようにならなかったけれど。スールは大丈夫だ。問題は虫がいた場合で。その場合はどうしてもどうにもならない。

小さなはさみを使って。

しっかり成熟したうにの実を一つずつ落としていく。

結構しっかり木についているので。

これだけでも相応な重労働だ。

木を蹴ったりして実を叩き落とせばいい、と考える人もいるかも知れないけれど。

この世界で、森は貴重だ。

だって、此処から見ても分かる。

王都の周囲を守っている森を出ると。

真っ茶色の世界がずっと拡がっている。

草原もすぐに途切れて。

木なんてロクに生えていない。

獣でさえ、木を傷つけるのを嫌がって、戦いを避ける位なのだ。木に酷い事をすることなど、許されない。

手元におっきな芋虫が来たので、ひゃあっと悲鳴を上げてハサミを落としてしまう。

下で、即反応したアンパサンドさんが、ハサミを空中でキャッチ。

更に跳躍して、身軽にスールの側の枝に立つと。

ハサミを渡してくる。

木の枝に降り立ったのに。柔らかく降り立ったからか、殆ど木は揺れなかった。

「危うくリディーさんの頭に刺さるところだったのです」

「ご、ご、ごめ、ごめんなさ……」

「これは食べられる虫なのです。 外ではああだこうだ言っていられないのです。 虫の食べ方、食べられる虫の見分けかたは、今のうちに学んでおくのです」

絶句して。

気絶しそうになる。

この人達は作戦行動中にサバイバルをしているわけで。それは当たり前に、こう言う言葉も出てくるか。

身軽に木を飛び降りるアンパサンドさん。猫のようにふんわりと着地する。

それにしても虫を。

食べる。

恐怖で手が震えて、効率が半分になった。やっと木から下りたときには、震えが止まらなくなっていた。

「スーちゃん、大丈夫?」

「む、むし、むしたべる、たべるのやだ……」

「錯乱してる」

「線が細いのです」

マティアスは呆れた顔で此方を見ていた。

それでちょっと頭に来て、少し精神の均衡を取り戻す。とにかく、今虫を触ったわけではないし。

食べたわけでもないのだ。

まず忘れるべし。

続けて、薬草を採る。何種類かの薬草を集めていくが。その取り方についても、アンパサンドさんがアドバイスしてくれた。

丁寧で、とにかく親切な教え方だ。

アンパサンドさんが、リディーとスールをあんまり良く想っていないことは知っているけれど。

仕事に私情を持ち込んでいない。

それだけでこの人はとても立派だと、スールは思う。

それに対して、虫を怖がってハサミをリディーの頭に落としかけたスールの、なんと情けない事だろうか。

口をつぐんで、薬草を順番に集めていく。

少し小高い丘に出る。

しっと口をつぐむ動作を、アンパサンドさんがした。

もうかなり危ない場所に出ている、と言う事だろう。

近くに泉が見えて。

其処に信じられないくらい大きなぷにぷにがいるのが見えた。

スールはぷにぷにが昔から何となく好きで、色々な種類について図鑑で見るのが楽しみだった。

本は苦手だけれど。

図鑑を見るのは嫌いじゃなかった。文字が殆ど無かったので。

アレは確か、あどみらぷにと呼ばれる上位種だ。ただ、森が近いからか、かなり大人しいようだけれども。

しかしながら、獰猛な猛獣である事は間違いない。

絶対に近付かない方が良いだろう。

マティアスも流石に黙り込んで、剣に手を掛けたまま、そわそわ周囲を見張っている。

リディーもスールを促すと。急いで薬草を集めに掛かる。

爆弾も持ってきていない今。

此処にいるのは、非常に危ない。

そういう事は、リディーも理解しているのだろう。

そうして、イル師匠が言っていた素材を集めるけれども。

どうしても一種類が見つからない。

既にお日様は真上。

これからは、どんどん危険度が上がっていく。夕方にもなれば、この辺りでも、非常に危なくなる。

そんな事は、スールにだって分かる。

急いで探して回るが。

どうしても一種類だけ必要な薬草が見つからない。しかもアンパサンドさんは、周囲を警戒中。

手伝いだって頼めない。

冷や汗が背中を伝うのが分かった。

「リディー、まずいよ。 この草、図鑑だとこう言う場所にある筈だよね」

「スーちゃん、声大きいよ。 二人とも凄く気を張ってるでしょ。 此処、凄く危ないって事だよ」

「分かってる、でも」

「とにかく、慌てないで探そう」

時期がまずいのだろうか。

いや、そんな筈は無い。そんな素材を、イル師匠が探してこいと言うはずが無い。後から聞いたが、あの人はいきなりBランク待遇でアトリエランク制度に参加しているという。ルーシャがFランク待遇だという話だから、桁外れの実力者だ。多分だけれども、腕利きだと噂のルーシャのお父さんでも歯が立たないだろう。

アンパサンドさんが、サインを出しているのが見える。

移動中に幾つか決めたハンドサインの一つだ。

スールの残念な頭では覚えられなかったけれど。

リディーは覚えていたのか、即応する。

すぐに手を引かれて、移動を開始する。森の中に戻ると、どっと冷や汗が顔にまで出てきて。

呼吸も乱れた。

「やだあ! 見つからない! お外恐い!」

「ぴーぴー情けない泣き言いうなよ……」

「五月蠅い残念イケメン! ダメ王子!」

「おま、面と向かって……」

マティアスも流石に呆れたが。確かに今のは言い過ぎだったと思う。涙が出てきたので、ちょっとリディーにハンカチで拭いて貰う。

気は強いのに。

虫もお化けもダメで。

肝心なときにはいつもこうだ。

情けないけれど。

でも、どうにもならない。お母さんが見たら多分嘆くだろうなと、今でも思ってしまう。

「さっきのハンドサイン、スールさん覚えていなかったですね?」

「ごめんなさい」

「泣いていても始まらないのです。 戦闘時は、グダグダ喋っていられないのです。 どんな戦闘単位……傭兵や、匪賊でさえも、ハンドサインや短縮した言葉で、戦闘はスピーディーに回すのです。 ハンドサインを覚えないという事は、死ぬと言うことなのです」

「アン、ちょっと脅かしすぎじゃ……」

マティアスが黙る。

既に日が落ち始めている。

そして、森の中で。

二つの影が蠢いているのが分かった。

人間と同じか、それ以上の大きさのキノコだ。それが体を揺らしながら、ゆっくりと迫ってきている。

あれは、確かファンガス。

前に遠くから見たときには、護衛の騎士さんが、近付くなと言っていた。

森の中で遭遇する獣の中では段違いに強く危険で。

しかも例外的に、森の中でも高い攻撃性を見せるという。

幸いなことに、夕方以降にならないと姿を見せないそうだけれども。

此処は森の辺縁。

騎士団でも駆除していない個体が、姿を見せてもおかしくない。しかも、左右から、此方を挟むように迫ってきている。

あっと、リディーが声を上げる。

ファンガスの向こうに。

探していた薬草が見える。アレはひょっとすると、夕方以降に花を咲かせるようなものだったのか。

イル師匠のいけず。

ぼやきたくなる。

多分、ある程度の危険をくぐって来いと言う意味が宿題にはあったのだろう。

いずれにしても、こんな調子じゃ、もう見つかるか分からない。

排除するしかない。

リディーが、すっとハンドサインを出す。

頷いた騎士が、別方向に飛ぶ。それぞれが、ファンガスを相手に、武器を振るい始める。

見ると、マティアスは動きこそあんまり早くないが、鎧の左手につけている小さな盾を使って上手にファンガスのぶっとい腕を受け止めながら、剣でファンガスの傘に斬り付けている。

そしてアンパサンドさんは、ファンガスの周囲に残像をたくさん造りながら、とにかく時間を稼いでくれている。ファンガスは斬撃の連打を浴びて、あからさまに嫌がって、なおかつ怒っている。ファンガスの注意は完全にアンパサンドさんだけに向いていた。

前は獣とも呼べないような相手だった。

兎を仕留めたときに、アンパサンドさんはそう言っていた。

本当だったのだ。

あの兎を一瞬で仕留めた攻撃が、束になってもファンガスには致命打になっていない。

「リ、リディー、どうしよう」

「落ち着いて。 いい、片っぽから集中してやっつけるの。 アンパサンドさんはまず大丈夫だから、あっち! 二人でマティアスさんがもっている内に叩くよ!」

「わ、分かったよう」

覚悟を決めると一気に走り出す。

マティアスと交戦していたファンガスの横っ腹に、加速して跳躍、ドロップキックを叩き込む。

もの凄い重い手応え。

ヒト族だったら転ばせるくらいはできたと思うけれど、ファンガスはちょっと揺らいだだけだ。

逆に拳が振るわれて、慌てたスールの前に飛び出したリディーが、杖でどうにか受け止めてくれるが、スールもろともまとめて吹っ飛ばされる。パワーが違いすぎる。これが獣の強さ。人間じゃとてもかなわない。

マティアスが、シールドバッシュでファンガスを押し込みに掛かるが。

腕一本でそれを受け止めると。

キノコのバケモノは、全身から手をたくさん生やし。それで一斉に逆にマティアスを押さえ込みに掛かる。

地面に手を突くと、リディーが詠唱開始。

スールは飛び起きると、銃をホルスターから引き抜き、乱射乱射乱射。

多数の弾丸がファンガスに食い込むが。

ぶすり、ぶすりという鈍い音は。

それが決定打になっていない事を、残酷なほどに示していた。

それでも、少しは此方に気を引くことが出来。

一瞬の隙を突いて、マティアスが振りかぶった剣が、ファンガスの傘に大きく食い込んで、体液が派手に噴き出す、

悲鳴を上げるファンガス。

ひいっと声を上げたのはマティアスも同じ。

ファンガスは滅茶苦茶に腕を振り回し始めるが。

その時、リディーの魔術が発動した。

一気に体が素早く動くのが分かる。

筋力強化の魔術である。大した倍率は掛からないが、さっきよりずっとマシ。

無言で跳躍すると。

もう一度、ドロップキックをファンガスに叩き込む。

今度は大きく揺らいだファンガスだが、同時に無数の腕がスールに絡みついて、一気に締め上げに掛かる。骨が軋む音がする。息ができない。まずい。死ぬと感じた。

だがその時。マティアスが渾身で放った突きが、ファンガスの体を貫いていた。

致命傷だ。

ファンガスの腕から、力が抜けていく。

地面に投げ出され、スールは悲鳴を上げたが。骨は折れていない。呼吸を整えながら、アンパサンドさんの方を見る。

アンパサンドさんはひたすら時間稼ぎに徹していたが。

ほどなく、呼吸を整えながら立ち上がったマティアスが加勢。細かい傷だらけになっていたファンガスを圧倒し始める。致命傷はなくても、あんな傷だらけでは、動きも鈍る。

不利を悟ったか、逃げようとするファンガスの背中から。リディーの魔術による支援を受けたマティアスが一閃。

斜めに切り裂かれたファンガスが。

大量の鮮血を噴き出しながら、斜めにずれて、二つに切れて倒れた。

スールは絞め殺され掛けた痛みもあってへたり込んでしまっていて、腰が上がらない。

リディーは這うようにして薬草に辿りつくと。図鑑を見て調べ始め、声を掛けてくる。

「スーちゃん、確認お願い! ランタン出して!」

「やだあ! もう動けない!」

「早くしないとお化けが出るよ! 虫だっていっぱい出るから!」

「やだあ! どうしてそんなこというの! いじわる! もう帰りたい!」

悲鳴混じりに、慌ててリディーの方に行くと。一緒に薬草を確認。

その間に、アンパサンドさんとマティアスは、ファンガスを捌いていた。

体液は毒らしく、近くの川から汲んできた水で、乱暴に洗い流してしまう。剣やナイフも応急手入れしている。

一方で、ぶら下げて血抜きをした後は。

身を剥いで、切り分けていた。

「これ、毒抜きをすると食べられるのですけれど、いります?」

「いらないいらない! 恐い!」

「ちょっとスーちゃん!」

「やっぱり線が細いのです。 獣の解体くらい自分でやってのけるのです」

あからさまにアンパサンドさんが嘆息した。

とにかく、散々な宿題は、やっとこれでどうにか終わった。

すぐに帰る事にする。

もう日が落ち始めていて。

帰りは、自然に駆け足になった。

森の中でこれなのだ。

森を出てしまうとどうなるかは、正直な所もう考えたくも無かった。

 

アトリエに入った後、素材を確認しながらコンテナに入れる。整理は明日の朝で良いだろう。其処まで、マティアスとアンパサンドさんは手伝ってくれた。

マティアスはそこそこ手傷を受けていたので、リディーが魔術で治療する。まあこれならば、お薬を使うほどでもないだろう。アンパサンドさんは無傷だったが。しかしながら言われる。

「自分は攻撃を受けたら一発でやられるのです」

「ええっ! それなのに、ファンガスとまともにやりあったんですか!?」

「いつもは乱戦の中で敵を攪乱するのが基本なのです」

「ひ……」

それが如何に恐い戦い方なのかは。

側で聞いているスールでも嫌と言うほど分かった。

頷くと。

スールは聞いてみる。

「アンパサンドさん、どんな風に鍛えれば、あんな風に動けるの?」

「スールさんは自分と大して身体能力では変わらないのです。 むしろ強いのです」

「えっ」

「試してみるのです」

コンテナに素材を詰め終えた後。

テーブルで、腕相撲をして見る。間近で向かい合ってみると分かるが、とても小さな体だ。ホムなのだから当たり前だけれども。

腕相撲を始めると。

最初は拮抗したが。やがてじりじりとスールが押していき、自然と押し倒した。

まあそれは、当たり前か。

アンパサンドさんは、自分の身体能力はホムとしては普通だと言っていた。それに、鍛えていると言っても、ホムでは限界がある。

つまり、何かコツがあるのか。

「見ての通りなのです。 単純な力はスールさんの方があるのです。 腕だけでなく足も同じなのです」

「じゃあ、何かコツが……」

「コツなんてないのです。 理論なのです。 簡単に言うと動きを細かくしているのです」

「動きを。 細かく」

ぽかんとするスールの前で。軽くアンパサンドさんが動いて見せる。

ゆっくりやってみせると言ったけれど。

動きが、とにかくぬるりぬるりとしていて。どう動いているのか、よく分からなかった。リディーは、目を回しそうな顔をしていた。確かに見ているだけで酔いそうだ。

「良いですか、力を出すポイントと、そうでないポイントを切り替えているのです。 体の制御を徹底的に仕込むと、こう言う動きが出来るのです」

「いや、アンと同じような動き出来る奴、騎士団でもそういないぞ……」

「それはみんな力に頼っているからなのです。 自分は非力だから、こうやって足りない分を技術で理論的に補っているのです」

マティアスの言葉に、アンパサンドさんが応える。

スールには、少し分かった気がした。

多分だけれど、アンパサンドさんは、さっき言ったような危ない戦い方で、ずっと足りない身体能力を補い、速度で敵を攪乱する事に徹してきたのだ。強い。間違いなく。派手に敵を真っ二つ、というような強さはないけれど。兎に角地味に強い。

でも、評価される強さじゃない。

騎士として出世が遅れたと言っていたけれど。

それはこのわかりにくい強さが原因なのだろう。

「ええと、理論っていうけど、具体的には……どうすればいいの?」

「体の操作を細かくする……といっても、自分の場合はそれこそ幼い頃から徹底的に本職に仕込まれて出来るようになったのです」

「ええ……そんなのどうしようもないよう」

「戦闘ではセンスがものをいうのです。 だから覚える事が出来れば、或いはすぐにでもできるのです。 理屈そのものは、聞きたいというのであれば教えるのです」

なるほど。

そういうものなのか。

確か喧嘩は、どれだけ体が頑丈でも、弱い人は弱いとかお母さんが言っていた気がする。

逆にどれだけ体が弱くても、強い人は強いそうだ。

そういえば、お母さんも。

スールは首を横に振ると。

頬を叩いて。

考えを入れ替えた。

「分かった、今度から外に行く時に教えて!」

「……」

「間違えたっ! 教えてください!」

「分かったのです。 ただ、いきなり全部は無理なのです。 それと、お荷物になるのはすぐにでも卒業するのです」

厳しい言葉だが。

アンパサンドさんの言葉は正論だ。

普段はなかなか正論は飲み込めないスールだが。

自分が犯した醜態の数々を思うと。今後はそんな事、多分言ってはいられないと思う。

「爆弾は、材料が揃ったから、次から作って来る!」

「期待しているのです。 王子、帰るのです」

「わーったよ。 じゃな、まあ元気でな」

マティアスを連れて、アンパサンドさんが帰って行く。

はあと嘆息すると。

スールは自分が如何に弱いのか。今更に思い知らされていた。

リディーでさえ、頭を切り換えると、的確な判断ができていた。

それなのに。

生命線になる筈のハンドサインは覚えられていなかったし。

戦闘でだって、初撃の蹴りでも、弾丸を浴びせても、ホンモノの獣にはまるで歯が立たなかった。

身体能力には自信があったのに。

このままじゃダメだ。

スールは、嫌と言うほどそれを思い知り。

そして、力をつけなければならないと、今更ながらに感じていた。

 

2、はじめのはじめの第一歩

 

イル師匠(イルと呼んで欲しいと言われたので、そうしている)の所に、命がけで取ってきた素材を持っていく。

頷くと、師匠はそれらの素材によって何が作れるのか。

順番に教えてくれた。

まずはお薬から。

師匠立ち会いの下で、二人で調合をする。

二人がかりで調合をするやり方については、イル師匠は何も言わなかった。今の時点では、言う事も無い、と思ったのかも知れない。

順番に一つずつ。

丁寧に行程を積み重ねていく。

その説明についても、駄目なときは即座にストップが掛かり。

やり直しをさせられた。

「精神論は有害よ。 覚えておいて。 大事なのは、ミスをしないための工夫。 どの素材をどの順番で、どういう風に入れるか。 それぞれをどうやって加工するか。 徹底的にチェックして、特に投入前には絶対に間違わないように。 今は一目で分かるけれど、そのうち一目ではわかりにくい中間生成物も使うようになるから、ラベルをフラスコに貼るのが基本になるわね」

「分かりました、師匠」

「よろしい。 もう少しゆっくりかき混ぜなさい」

それにしても、釜が違うと。

やはりできる薬も違ってくる。

また、蒸留水にしても。

イル師匠の話によると、本格的に良い品を作ろうと思うのであれば、二回の蒸留では足りないという。

作った実物を見てもらったが。

まだまだ全然純度が足りないと、はっきり言われてしまった。

悔しいけれど。

この人はいきなりアトリエランク制度に加入して、しかもBランク待遇を受けているような人だ。多分その気になればすぐAランクにでもなれる筈。

まずは全部聞いて。

その通りにやっていくしかない。

汗を落としそうになるが。

アリスさんという赤毛のメイドが、目にもとまらない速さで動いて、スールの汗を受け止める。

気を付けて、とイル師匠に言われて。

スールははい、としか応えられなかったが。

イル師匠は、頭を振る。

「マスクをつけて調合した方が良いかも知れないわね。 とはいっても、まずはそのマスクが作れないか……」

「ごめんなさい……」

「良いのよ。 まずは少しずつ技量を上げていきましょう。 最初は誰もできないのが当たり前なのだから」

「はいっ」

憎まれ口ばかり叩くスールだけれども。

流石に今はそうもいっていられない。

自信があった戦闘ですらあの有様だったのだ。

錬金術はもっと頑張らなければならないだろう。

程なく、薬が出来る。

今までと同じものを作ったはずなのに。作っただけで分かる。まるで別物だ。

うわっと、リディーが今日初めて声を上げた。

「こ、これ、私達が作ったんですか!?」

「そうよ。 そうね、これならば23点という所かしら」

「これで23点……」

「ちなみに100点の基準は私の薬よ。 私の知っている一番上手い奴は、3000点くらいの薬を片手間に作るわ」

ぞっとしたが。

それが現実なのだろう。

まずは薬を最初に。

それから中和剤を色々作っていく。

言われた通りに取ってきた薬草は、その過程で嫌でも消耗していった。

そして、三日がかりでイル師匠の所に通い。

錬金術の勉強を徹底的にして。

それが終わった後、挙手する。

「爆弾を作りたいです」

「スーちゃん」

「あの、戦闘で今は役に立てないです。 だから、錬金術の爆弾で、せめて前衛を援護しないと」

「何も爆弾だけが錬金術の道具ではないのだけれどもね。 例えば」

イル師匠が顎をしゃくると、いきなり数本の剣が浮かび上がって。リディーとスールに向けて剣先を向けた。

それも、剣はどこからともなく現れたように見えた。

合図さえしていないのに。

剣には雷撃が走っていて。

刺さったらどうなるか何て、考えたくも無かった。

「これは拡張肉体と言って、自分の肉体の延長線上で動かせる道具類よ。 身体能力に劣る錬金術師は、これを使って自衛したりするわ」

「すごい……」

「拡張肉体の種類は様々で、巨大な腕だったり、本だったり、球体だったりするけれども、それについてはおいおい学んでいけば良い。 それと」

指輪を出してくるメイドさん。

アリスさんというらしいけれど。

イル師匠とは、もうツーカーの間柄の様子で。

イル師匠がいちいち口頭で言わなくても、意を汲んで動けるようだった。

コンテナから取り出してきたらしい指輪をつけるように言われたので、おそるおそるつけてみる。

とたんに体が軽くなる。

「これはグナーデリングと言って、基本中の基本装備よ。 錬金術師は一緒に戦う戦士に装備を配って戦力の底上げをする事が多いけれど、このグナーデリングはわかり易く能力を上げられるから、よく使われるわね。 今の貴方たちでは手が出ないから、まだ考えなくていいわ」

「はい。 凄い……」

普段だったら持ち上がらないような重い石材が、簡単に持ち上がる。

でも降ろしてみると、ずしんというので。その重さがよく分かる。

それだけじゃなくて、体がぽかぽかする。

或いは、回復力が増幅されているのかも知れない。魔力も。

スールには魔力は殆ど無いけれど。

何か力がわき上がってくる、と言う事だけは良く分かる。

銃を見せるように言われたので。

手渡す。

しばし銃を見ていたイル師匠だったが。

頷いた。

「二丁拳銃がどうしてもいいというのなら止めないけれど、獣に痛打を浴びせるつもりなら、長身銃の方が良いわよ」

「ええっ、でも……」

「何かしらの拘りがあるのかしら」

「はい……」

リディーがフォローを入れてくれようとしたが。

敢えて遮る。

自分で説明したいからだ。

お母さんとお揃いなのである。

お母さんも二丁拳銃で戦う戦士だった。騎士団では、速度を武器に、弾丸を雨霰と浴びせて、敵と渡り合っていたらしい。

それを聞くと、イル師匠は言う。

「恐らくそれは、普通の弾丸じゃないわ」

「でも、まだ家にはお母さんが使っていた弾丸の在庫が」

「錬金術の道具で弾丸に魔力を込めていたのか、或いは本人の魔術で弾丸の威力を上げていたのか、どちらかね。 この弾丸の様子からすると、恐らくは後者でしょうね」

「ええ……そんなの知らなかったよう」

そんな事お母さんは、一度も言っていなかった。

ガッカリしてしまうけれど。

それはそれ。

今は、イル師匠に一つずつ話を聞いていくしか無い。

「それに爆弾は勿論フレンドリファイヤもするわ」

「フレンドリファイヤ?」

「味方も巻き込むって事よ。 乱戦で爆弾なんて使ったら、それこそ味方ごと敵も木っ端みじんよ?」

「……」

確かに、その通りだ。

イル師匠は散々脅かして満足したのか。

それから、始めて爆弾について、作り方をレクチュアしてくれた。

なお、イル師匠に言われた素材はまだ残っている。

多分これが、さっと師匠が目を通していたレシピに必要なのだろうと言う事だけは。勘で分かった。

 

更に数日。

必死にイル師匠のアトリエで勉強をする。

本を読むのは眠かったけれど。

体を動かして、錬金釜をかき混ぜるのは、個人的にはとても楽しかった。錬金術をしていると言う感じがしたからだ。

イル師匠のアトリエには、リディーとスールの家にもあるけれど、埃を被っている上に何に使うか分からない道具もあって。何よりそれが現役で動いていた。だからどう動かすのかを学んだ後。

家に帰って、その道具を掃除してぴかぴかにしたり。

色々と、勉強以外にやる事があった。

基礎さえできていなかった。

それを思い知らされながら。

少しずつ、勉強を進めていく。

「いい、錬金術の基礎をもう一度復唱して」

「ものの意思に沿って、ものを変質させる技術です」

「ですっ」

「はい、その通り。 いい、行き詰まったら何度でもこれを復唱しなさい。 錬金術に近道はないわ。 錬金術は才覚の学問だけれども、どんな天才でも反復練習と復習で上手になるのよ。 その回数が違うだけ」

ルーシャが言っていたのと。

寸分違わない、同じ言葉だ。

唇を思わず噛んでしまう。

色々ルーシャを馬鹿にする言葉を浴びせていたけれど。

本当にバカだったのはどちらだったのか。

その現実を、今突きつけられている。

そしてそれを怠ってきたから。

今まで上達なんてまったくしなかった、と言う事も。

素材については、足りない分はイル師匠が提供してくれたけれど。何がどうなっているのか、イル師匠のアトリエのコンテナは明らかに容積がおかしくて。お金持ちのお屋敷より広いくらいだった。

どう考えてもあり得ないが、イル師匠は空間を弄っている、と教えてくれた。

要するにイル師匠は錬金術師として次元が違いすぎて、考えるのも馬鹿馬鹿しい高みにいる、という事である。まずはそんなのは考えない事にする。

一つずつ、言われた事を順番にこなして行く。

ほどなく、イル師匠立ち会いの下、爆弾の作成に入る。

「錬金術師が使う爆弾の基本は、任意のタイミングでの爆発よ。 まずセーフティを解除して、その後起動する。 逆に言うと、どんなに危ない爆弾でも、セーフティを解除しなければ、火に放り込んでも大した爆発はしないわ」

「ええっ! そうなんですか!?」

リディーが驚く。

スールはあんまり驚かなかった。

色々凄すぎて。

ついていくのがやっとだからだ。もう驚く余裕も無かった。

「爆弾の基本は、敵に投げつけるか、それともしかけるか。 基本はこの二択よ。 どちらにしても、使う人間の任意のタイミングで爆破できなければ使い物にならないという事は覚えておきなさい」

「それで、具体的にどうすれば」

「まずはガワから作るわ」

うにの実の、トゲトゲをまず綺麗に刈り取る。

それを二つに割ると。

内部に言われた通りの魔法陣を書く。

そしてうにの実に詰まった身を腐らせて。それを加工する。

臭いガスが出てきたけれど。

これを逃がさないように、瓶に集める。

そして、魔法陣を書き上げたうにの実に閉じ込める。

更に外側にも魔法陣を書き上げて。

それでできあがり。

簡単なように思えるが。

実際には実の身を腐らせるのに、かなり時間が掛かっているし。

実の加工には、更に手間暇が掛かっている。

途中で検証作業を挟んだので。更に大変だった。

色々四苦八苦をしたあげく。

検証作業もする。

イル師匠立ち会いの下、城門の外で(なおイル師匠は騎士団同様外に出るのは手続き一つですぐに、だった)発破もして見て。

その火力に驚かされる事になった。

小さな実だというのに。

爆発したときには、ドガンと、聞いた事もない音がした。攻撃魔術だとどうしても限界があるのだけれど。

これ、多分魔術で再現するとなると、相当な腕前が必要になってくる。

至近で爆発したら、即死確定。

獣の場合だって、無事では済まないのは確定だ。

側でアリスさんが、メモを取っている。

「クラフトは14点ね」

「うわあ、厳しい……」

「イル師匠、まけてくださいよう」

「ダメ。 ただ、きちんとセーフティロックは効いていたから、戦闘では使えるはずよ」

後は使い方次第と言われ。

色々な使い方を教えて貰った。

また、大型のクラフトに関しても、作り方と使い方を教えて貰う。やりようによっては岩などを爆破もできるらしい。

火薬を使った爆弾については、まだ早いという事で教えて貰えなかったが。現時点では、とりあえずこれで充分だとは思った。

後は一週間徹底的に復習しろ。

そうイル師匠には言われたので。

言われた通りにする。

面倒なのは大嫌いだけれど。

師匠にきちんと教えて貰ってから、あからさまに腕が上がったのはスールも嫌と言うほど分かったので。

素直に言う事には従った。

その間、リディーはイル師匠に連れ出されていたけれど。

今は錬金術の腕を磨くことが大事だ。

だから、それを気にしている余裕は無かった。

リディーも。

イル師匠に連れ出され。

何をしているのかは、教えてくれなかった。

ただ、何となく分かる。

帰ってくると、リディーは毎度へとへとになっている。

体力がない、筋力もないリディーだ。

何か疲れることをしている、と言う事だけは分かった。

それと、夕食も持たされていた。

もうリディーが料理をする余裕も無いと、イル師匠は判断したのかも知れない。

言われた分の調合をこなす。

それも基礎ばかりだけれど。

徹底的にこなす。

今まで雑にやってきた作業を、丁寧にこなしてみると。まるで別の作業のようなのだと、スールも今更分かってきた。

そして少しずつだけれど思い出す。

お父さんも、錬金術をしている時は、もの凄く丁寧に手を動かしてきたと。

セピア色の過去の向こうで、ぼんやりと見えていたお父さんは。

確かこんな風に。

丁寧に。

徹底的に。

細かく細かく。

作業をしていた。

ため息をつく。やっと、お父さんの本当の背中が少しだけ見えてきた気がする。錬金術をしていた。そうとしか、漠然と思えていなかった。

自分で、専門家に教わって、錬金術をやってみて。

やっとの事で、少しだけ意味がわかってきた。

夕食を無理矢理おなかに詰め込んだ後。

ベッドで死んでいるリディーに聞く。

「外でしごかれてる?」

「スーちゃん、アリスさんってメイドさんいるよね」

「うん」

「あの人、滅茶苦茶強いよ。 多分アンパサンドさんよりずっと強い」

えっと声が漏れたが。

それは早い話。

あのメイドさんに、コテンパンにされている、と言う事なのだろうか。

言う間でも無く、リディーは言う。

「大体想像している通り。 まずは最低限の戦術と戦略について覚えろって。 後、いざという時のために、体鍛えろって」

「大丈夫? リディー、腹筋一回もできないでしょ」

「何とかする……」

「……」

心配になって来た。

でも、リディーの虚弱体質は。救貧院でお世話になっていた頃、シスターグレースも嘆いていた。

魔術を教わったのは、それを補うためだが。

外で本格的に活動するためには。やっぱり欠点もしっかり補わないとダメ、と言う事なのだろうか。

それに、戦略と戦術って。

何がどう違うのかさえも、スールには分からない。

リディーは分かるのだろうか。

だとしたら、戦闘の組み立ては、リディーに任せるしかない。少なくとも今の時点では、戦略級の傭兵なんて雇ってる余裕は無いのだから。

イル師匠の出してくる課題は現実的な量で、終わった後は片付けて、きちんと寝る余裕もある。

疲れたので眠る事にするが。

リディーはもう寝息を立てていた。

お父さんは何処に行っているのか、姿も見えない。

ただ、お金を無駄遣いしている様子はもうない。

少なくとも、お小遣いが消えている様子は無かったので。

何処かで稼いでいるのだろうなと言う事だけは、何となく分かった。

いずれにしても、生活費まで手をつけていたダメ親父だ。

少しは大人しくなってくれたことだけは、嬉しかった。

スールの隣で目を閉じる。

少しだけ、希望が見えてきた。

後は、まず最初に。

アトリエランク制度の試験を突破することから、考えなければならなかった。

 

3、門前払いは二段構え

 

錬金術の基礎になる事を、徹底的に勉強し始めて。

イル師匠の所で練習をして。

三週間が過ぎた。

そして、ようやくGOサインが出た。

長かったが、むしろ短かったのかも知れない。

今まで半人前以下だったのが。

やっと半人前になった、という事なのだろうから。

まだ他の錬金術師には並んでさえいない。

ただ、お薬に関しては。

今までと違って、明らかに塗れば目に見えるほどの速さで、傷が治っていくのが分かる程に質が上がっていた。

また、鉱石を貰って。

インゴットも作った。

これも基礎だからと言って。イル師匠立ち会いの下、炉を使って、鉱石を溶かし。不純物を何度も取り除き。

そしてできたインゴットは。

鍛冶屋の親父さんの所に納品しに行った。

お礼だと言うと。

品を一瞥だけして。

親父さんは、まだまだだなと、厳しい評価をくれた。普段は陽気な人なのに。別人のように厳しい顔だった。

まあそれは当然だろう。

この人の所には、アルファ商会や、後はルーシャの所から、一人前の錬金術師が作ったインゴットが納品されている筈で。

半人前のリディーとスールが作ったインゴットなんて。

ロクな出来では無い事くらい、一目で分かるはずだ。

何しろ本職なのだから。当たり前と言えば当たり前である。仕事に関しては本職なら厳しいのが普通だ。

めげることは無い。結果は分かりきっていたのだから。

一通り、基礎の勉強をした後。

イル師匠の立ち会いの下、レシピを見る。

今までは理解もできないないようだったけれど。

今では、少しずつ読めるようになりはじめていた。リディーに至っては、もう読めるようだった。

「ええと、これ……絵筆、ですか?」

「まずは作りなさい。 木材はこのために確保したのよ」

「はいっ!」

「分かりました、イル師匠!」

二人喜び勇んで家にまず帰る。

それはそうだ。

半人前として、認めて貰ったと言う事なのだから。だが、イル師匠はまるで嬉しそうにはしていなかった。

その理由については。

すぐに悟ることになったが。

まず、木材を削りだし。中和剤につける。この中和剤は、四回蒸留した蒸留水を使って、これに以前殺したファンガスの体液を混ぜて作り出した。これで木材を変質させ、強い魔術の力を持たせる。

木材そのものはその前に、レシピ通りに削ったのだが。

何だろうこれ。

思わず小首をかしげてしまう。

ねじくれているというか。

曲がっているというか。

指定通りに作ったのに、まるで悪夢か何かを見ているかのような造形である。スールは思わず口にしてしまう。

「何これ」

「でもレシピだとこうだよ」

「うーん……」

中和剤に一日つけ。

その間に筆の部分を作る。

丁寧に繕って。

残っていた、以前狩った兎の毛の一部を使い。(毛皮は売ってしまったが、少しだけ毛は残してあった)

これも中和剤につけ込んで変質させるのだが。

ここからが大変だった。

中和剤から上げて乾かした後。

魔法陣を紙に書いて、その上で丁寧に魔術の力を仕込む。リディーはその作業に集中。スールはその間に、ハンマーを振るって、絵筆の柄の部分を作り出す。

だが、どうレシピを見ても。

このぐねぐねした曲がり具合。

とてもではないが、実用的な品だとは思えない。

程なく、接着する。

丁寧に柄に毛を植え込んでいく。

魔術により吸着の力を持たせた毛を、一本ずつピンセットで柄に植え込んでいくのだけれども。

この作業が恐ろしく手間暇が掛かった。

それで出来上がった絵筆だが。

やはり何かの呪いにでも掛かった木か何かにしか見えない。

見ていると、悪夢でも見そうなおぞましい造形で。

思わず真っ青になるリディー。

リディーは体調を崩して、ベッドで横になる。

スールも、どういう顔を作って良いのか分からず、困り果ててしまった。

「ねえリディー、これ何に使う道具なんだろう」

「分からないけど恐いから近づけないで?」

「スーちゃんだって恐いよ!」

「イル師匠に聞いてみよう。 ちょっとこれ、尋常なものだとは思えないもん」

見るのも嫌なので。

布に丁寧に包んで、見えないようにした後。木の板に乗せて、持っていくことにする。何というか、持っているだけで周囲の人達がぎょっとして此方を見るような代物だからである。

ただでさえ、お客なんて誰も来ないアトリエだ。

これ以上評判を落とすわけにはいかない。

ただ、こんな不気味極まりないものでも。

それでも、丸一日以上掛かって作ったのだ。

大事には、扱いたかった。

周囲を伺いながら、できるだけ早く話を聞きたいと思って、イル師匠の所に急ぐ。そして、あまり長い距離でもないのに。

随分と、長い間歩いたような気がした。

アトリエの戸をノックして。

アリスさんに引き継いで貰う。

アリスさんは下手なホムより感情が薄い様子で。

本当にこの人はヒト族なのかと疑いたくなったけれども。どうみてもヒト族なので、何か理由があるのかも知れない。

ともかくだ。

イル師匠に、完成品を見せる。

イル師匠はぐねぐねした絵筆らしき物を見ると、手にとり、しばらく見つめた後、容赦ない評価をくれた。

「17点」

「うう、イル師匠、それでこれ何なんですか」

「不気味でさわりたくないー」

「ああ、これはね。 レシピそのものが引っかけ問題になっているのよ」

えっと思わず声を上げてしまう。

リディーも、スールも。

こう言うときは双子だ。

流石に綺麗に声が被った。

「半人前以下だった貴方たちが、半人前になる時に学ぶ最後の一つがこれよ。 レシピは必ずしも正しいとは限らない。 むしろ悪意を持って、レシピを改ざんしているケースがあるの」

「うっそお……」

スールがぼやくが。

リディーは、すっと静かになった。

「ひょっとして、機密保持のためですか」

「そうよ。 錬金術は基本的に才能がないとできないけれど、ろくでもない奴が才能を持つことはあるの。 これは強い戦士が人格的に高潔とは限らないのと同じ事よ。 それぞれの錬金術師の秘伝になってくると、他人に情報が流出するのを避ける為に、敢えて暗号化したり、嘘を書いたりする事があるくらいなの」

「そんなのどうして? わかんない!」

「いい、錬金術はね、その気になればこの街くらい、簡単に消し飛ばす事が可能な技術なの」

イル師匠の声が沈む。

スールは、思わず息が止まるかと思った。

今、イル師匠は。

戦士としての、いや現実を散々見てきた大人として話している。

茶化すことは許されない。

「今回は、どうすれば正しくレシピを読み解けるかを教えるけれど、それで最後よ。 以降は課題は出すけれど、レシピについては時々嘘が混じるわ。 それは自分で見抜けるようになりなさい」

「はい」

「分かりましたあっ」

「よろしい。 それでは、まずは……」

レシピについて。

本当の所はどうなのか、教わる。

そして思い知らされる。

多分アトリエランク制度に参加している人は。

恐らくルーシャも含めて。

このレシピの嘘は、見抜けるくらいの力は当然持っている、と言う事だ。

なるほど、半人前以下だ。

それを徹底的に叩き込まれる。

少しずつ上手くなってきたと思ってきた。

事実技術は上がっていた。

でも、はっきりいって。

今分かった。

今までは、半人前以下どころか、ひよこ以下だったのだ。

そして、そんな程度の力量しかない錬金術師を門前払いするために、こういう試験が出される。

そういう事だったのだ。

なるほど、やっとミレイユ王女の真意が分かった。

此処からの世界は、実力主義の地獄。

其処に踏み入れる資格があるのは。

嘘を見抜ける存在だけ。

イル師匠に丁寧に順番に教わらなければ、それさえも分からなかっただろう。リディーもスールもだ。

そして、レシピの嘘については。

すっと理解する事が出来た。

そして、イル師匠はこうも言う。

「まだ少し早いと思うけれど言っておくわ。 一人前になる頃には、レシピは自分で作り出せるようにならないとダメよ」

「自分で!」

「そう。 アルファ商会で自走する荷車、見たことあるかしら。 あれって比較的最近作り出されたものなのよ。 作り出したのはある天才錬金術師……荷車の世界に、それ以降革命が起きたわ。 でも、最初に誰かが作り出せば、同じものは比較的再現する事が容易なの。 ある程度実力があれば、なるほどと思って理解すれば。再現出来るのが現実なのよ」

頭がくらくらしてきた。

凄い世界だ。

でも、これからやっていくつもりなら。

錬金術師として歩いて行くつもりなら。

当然、できなければならないことだ。

一度、アトリエに戻る。

そして、今日はもう休む事にした。

二人とも何も言わない。

壁が高すぎる。

あまりにも。

閉口しているというよりも、尻込みしてしまっている自分がいる。このテストだって、自力で突破したとは言えないと思う。

自力で、どこまでやれるのだろう。

実際、二人だけで頑張っていたときには、半人前どころかひよこ以下だったのだ。

それを思い知った今。

スールの中にあった、何処か漠然とした自信は。

木っ端みじんに消え去っていた。

現実はとても苦い。

自分はまだやっと入り口に立ったところなのだと、スールは何度も言い聞かせなければならなかった。

驕り高ぶった今までの自分に。

 

レシピの正しい解読を教えて貰った後。

絵筆を直す。

絵筆を打ち直して。

毛も植え直して。

丸二日時間を掛けた。

木を入れ替える事も想定したが。

レシピをよく見ると、変質させて打ち直すことで、まっすぐにできる事が分かったので、そのまま使う事にする。

コンテナはまだいくらでも入るし。

何よりも素材は一つだって無駄にはできないのだから。お父さんの浪費を見てきたスールは。勿論リディーも。浪費が如何に悲しいかは、よく分かっていた。

そして最終的に、絵筆らしいものができた。

毛一本ずつに強い魔術が籠もっていることもあって、使ってみるともの凄い。絵の具は余っているから、それを余ったキャンパスにぶつけてみると。するりと絵の具がキャンパスに吸い付き。

絵筆には一切残らない。

はあと、溜息がつくほど美しい。

なるほど、本当のレシピでは。

こんなに凄いものができたのか。

二日がかりで直した絵筆は、きらきらと輝くようだった。

綺麗に洗い直すと。

イル師匠の所に持っていく。

今度は、前と違って。

布で隠しはしたけれど。周囲の目が怖い、と言う事は無かった。この絵筆だったら、誰に見せても恥ずかしくは無い。

そう断言できるからである。

イル師匠に現物を見せると。

師匠は、点数は告げずに、これならまあ大丈夫だろうと言ってくれた。少なくとも17点よりは評価が高い、と言う事なのだろう。

即座に納品しに行く。

試験開始から時間はかなり経っていたが。

それを問題視されることはなかった。

勿論、即座に試験の結果が出ることは無い。

ミレイユ王女は錬金術師ではないし。

多分国側でも、誰か錬金術師がいて。採点をしているのだろうから。

受付には、最初ミレイユ王女と会わせてくれたモノクロームのホムの役人がいて。

納品しに来たと言うと。

モノクロームを直し。

絵筆を受け取ってくれた。

いそいそと奥へ行く役人。

なお、受付は一人じゃない。

補助の受付をしていたヒト族の役人が、それを見送りながら言う。

「実は山師みたいな錬金術師が何人か試験を受けたんだが、殆どはその場で突っ返されてたんだよ。 試験免除されてる錬金術師を除くと、君達双子はまだ受け取って貰えた中では三人目……いや三組目だな」

「いいんですか、そんな機密情報口にして」

「機密でも何でも無いよ。 此処には大勢来て、試験内容でつまみ出される錬金術師が結構いるんだから。 ミレイユ王女は容赦ないからなあ」

はははと笑うと。

モノクロームのホムが戻ってきた。

「二人とも、お疲れ様なのです」

「あ、はいっ」

「ありがとうございます」

「結果については明日には知らせるのです。 それまではゆっくり休むと良いのです」

一礼すると。

王城を出る。

開放感などない。

だって、分かりきっているからだ。

ここから先は、更に更に厳しくなっていく、という事を。

楽しいなんて事は、微塵も感じなかった。その内楽しくなってくるのかも知れないけれど。

今はとにかくひたすらにきつい。

一応、他にもランク制度の参加を、試験を突破してもぎ取った錬金術師はいるという話だから。

この試みそのものは成功しているのだろう。

イル師匠の所にまっすぐ出向いて。

試験を受け取って貰えたことは告げる。

イル師匠は、一言だけ言ってくれた。

「全てはこれからよ」

頷いて、頑張りますと二人で応える。

もう、漠然とした自信は木っ端みじんに砕け散った。世の中を甘く見ていた馬鹿な自分はもういない。

戦闘ではアンパサンドさんが。

錬金術ではイル師匠が。

現実を見せてくれたからである。

此処からは、少しずつでも良いから、現実に沿ってやっていかなければならない。自分の正確な技量を把握した今。

まず目指すのは一人前。

そして次に目指すのはレシピを自分で作れるようになること。

最終的には国一番。

イル師匠を超える、と言う事だろうか。

いやいや、それは厳しいと思う。

あの人は、ラスティンからわざわざお呼ばれしているようだから、超えなくても国一番にはなれるだろう。

いずれにしても、今は一番に尻込みしている。

お母さんに言われた言葉。

一番を目指せというのが、もの凄く重い意味を持っていたことが、今更ながらよく分かった。

負けん気を持つのは大変だ。

そして今の技量では。

夢の中でさえ、一番になどなれないだろう。

アトリエに戻ると、今日は休む事にする。

受かった自信はある。

だが今後、求められることは加速度的に難しくなっていくのが分かりきっているのだから。

油断など、絶対にできなかった。

すぐ眠ろうかと思ったけれど。

中々寝付けない。

イル師匠の所に通うようになってから、食事代くらいは稼げるようになった。何しろ練習の過程で質が良いお薬が作れるようになって。それを国のお仕事で納品したら、今までとは比べものにならないお金が入るようになったからだ。

「スーちゃん、眠れない?」

「うん……」

「私ね、ちょっと恐いんだ……」

「スーちゃんもだよ……」

リディーの言葉は他人事じゃない。

入り口でこれだ。

錬金術がどれだけ奥深くて凄まじい学問なのかは、嫌と言うほど分かってしまった。悪意のある錬金術師だっているだろう。

そういうのに遭遇したらどうなるのか。

はっきり言って考えたくない。

「まずはルーシャを超える事を考えようか」

「ハハ、いきなり壁が高いね……」

「うん。 今なら分かるもん。 ルーシャがバカなんかじゃなくて、凄く良い腕の持ち主だって」

「……謝らなきゃいけないんだろうけれど、そのタイミングが掴めないね」

ぼんやりと話をするが。

やがてどちらともなく眠りに落ちる。

何だか。

何もかもが、遠くに感じる。

始まったばかりの錬金術は。

リディーとスールが半人前以下という事実を叩き込んでくれただけではなく。周囲の人間に対する客観的な視点もくれた。

スールは思うのだ。

知る事は、やがてとても恐い何かにつながるのでは無いかと。

でも、もうとまるわけにはいかない。

ルーシャもいっていた。

今だからまだ許されていると。

もたついていたら、もう許されなくなる。

その時には。

きっともう、手の施しようがなくなっているはずだ。

「まだ起きてる?」

返事はなかった。

そういえば、リディーは体も酷使していたのだ。

スールは無言のまま、寝息を立てている姉の横顔を見ると。

自分も目を閉じて。

果てしない眠りの深淵に落ちていった。

 

4、追加される試験

 

ぐったりと眠り込んでいたリディーとスールは。

当然ながら寝覚めも悪かった。

スールは特に朝に弱いのだ。

この辺りは、お父さん似だったっけ。

お母さんは朝から全力で動いていたような気がするから、多分そうなのだろうとも思うけれど。

正直、よく分からない。

お父さんがふらふらと家を出ていくのが分かった。

無精髭を剃ってもいない。

服もぼろぼろ。

あれが元は腕利きで。騎士団にも装備を納入していたなんて、誰が信じるだろうか。そして、本当だったら。

声を掛けて、家に引き戻すべきだ。

でも、できない。

散々酷い事を言ったし。

少しずつ分かってきている。

錬金術が、これほど凄い学問だというのに。それでもなお愛する人を救えなかった絶望を。

お父さんもお母さんも、互いが大好きなのは知っていた。

子供でも分かる程だった。

だからこそ、その絶望の深さも、少しずつ分かってきている。

声を掛けなければならないのは、リディーとスールなのだ。

だけれど、どうしても。

スールには出来そうに無かったし。

リディーも、口をつぐんだまま、お父さんの背中を見ているだけだった。

今日は家で復習をしよう。

試験結果がいつ来るか分からないし。

そうリディーが提案してきたので。

言われたままそうする。

確かに、一日くらいで結果が出るという話だったから、それが一番良いだろう。そして、暇つぶしが来てくれた。

ルーシャである。

例の無表情なメイドさんを連れて、ルーシャはアトリエに様子を見に来た。

「聞きましたわよ。 試験を受け取って貰えたんですってね」

「危なく引っ掛かるところだったけどね」

「で、何、嫌みでも言いに来たの?」

「ま、相変わらず粗野ですこと」

メイドさんが、無言でバスケットを差し出してくる。

差し入れだろう。

「此方、ライバルができた私からのささやかなプレゼントですわ。 二人で仲良くお食べなさいまし」

「その妙ちくりんなお嬢言葉、色々変だよ……」

「スーちゃん、しっ……」

「ではこれで」

ルーシャは聞いてもいないようで、バスケットだけ押しつけて帰って行く。

中には焼き菓子がたっぷり。

流石に錬金術で作れるようなものはくれないか。

いや、まて。

本当にそうだろうか。

少し考え込む。

これ、錬金術で作ったものではないのか。

王都には当然お菓子屋さんもあるけれど。お菓子は基本的に高級品だ。理由はお砂糖を簡単に作れないから。

果実の甘みなどを利用して作るお菓子が多いのだけれど。

これは小麦粉以外は、何を使っているのかよく分からない。

食べて見るととても美味しいけれど。

同時に、リディーも気付いたようで。

しばし無言になった。

これは、或いは挑戦状なのかも知れない。

ルーシャからしてみれば、ライバルが誕生したと言う事なのだろうか。

いや、リディーは気付いていないだろうけれど。

うちが貧乏生活ながらも、ギリギリ生きて行けたのは、ルーシャが後ろから支援してくれていたからだ。

それを考えると。

この焼き菓子にも、何かしらの意味はあるのかも知れない。

ふうと大きく嘆息すると。

いずれにしても、ルーシャは此方をライバルなどとは思っていないなと、結論した。

とりあえずお菓子は有り難くいただくことにする。

子供舌だから美味しい。

というよりも、だ。

リディーとスールが好みそうな味を、ルーシャが熟知していると言う事だ。多分だが、このお菓子はルーシャが錬金術で作ったのだろうから。

食べ終えると、リディーは図鑑を見始めて。

スールもそれを隣で見る。

まだ頭には上手に入ってこないけれど。

実際に調合したり。

触ったりしたものに関しては。

分かるようになって来ている。

それはとても進歩していると言う事で。

それで進歩と感じている時点で。

まだまだ半人前だという良い証拠だ。

「よーっす。 いるか双子」

「あ、王子」

「マティアスで良いぜ。 ほら、スクロール」

配達か。

しかも今日はアンパサンドさんがいない。

マティアスの話によると、今日アンパサンドさんは、錬金術師と一緒に討伐任務に出ているらしい。

イル師匠と同格くらいのすごい錬金術師らしく。

その錬金術師が支給してくれた装備で身を固め。

他の騎士達も同じような装備で武装して。

強力なネームドを狩りに行っているそうだ。

「というわけで今日は俺様自由。 いや−、久々に体が軽いな!」

「あのさ、えーと、マティアスって呼んで良いんだよね」

「そうだぞスー」

「あそ、じゃ言っとくよマティアス。 あのミレイユ王女が、アンパサンドさん以外の監視役をつけていないとでも?」

無言になったまま。

見る間に真っ青になっていくマティアス。

まさか気付いていなかったのか。

スールがミレイユ王女の立場だったら、それこそ迂闊な行動をしたら、一瞬でマティアスくらい殺せる手練れに見張りをさせる。

スールでも考えつく程度の事だ。

あのミレイユ王女がやっていない筈が無い。

「お、俺様、死ぬの!? 殺されるの?」

「落ち着いてマティアスさん。 悪い事していなければ大丈夫だと思うけど」

「あ、ああそうだよな。 一応仕事はしてるし、殺されないよな、ハハ……」

目に見えて動揺するマティアス。

そういえば、昔。

この国が武門の国で、猛々しいルールが蔓延っていた頃。

王様の弟が。王様が死んだ後、ぼそりと漏らしたという言葉が伝わっている。

兄は恐ろしい人だった。

いつ殺されるか分からなかった。実際、処理された兄姉が何人もいた。だから兄の前に出るときは、密かに鎖帷子を着込んでいた。

それは笑い話なんかじゃないと。

マティアスの様子を見ていると分かる。

ミレイユ王女は面と向かって話したのは一度だけだが。

それでもあの炸裂するような圧迫感は、恐怖とともに染みついている。ましてやマティアスは、日常的に会っているだろうし。恐怖も別格だろう。

「じゃ、じゃあ配達は済ませたからな。 見回り行ってくるわ」

「イッテラッシャーイ」

どうしてか冷めた声で見送ってしまう。

リディーはため息をついた。

「リディー、そういえばマティアス嫌いだよね」

「ああ、分かる?」

「うん。 どして?」

「今のお父さんに被るから」

ああ、なるほど。

それなら嫌うのも当然か。

スクロールを開いて、中身を見る。

まず、合格という文字が浮かんで来た。

これからGランクの錬金術師として認めると。ただし、二人セットでGランクだとも書かれている。

結構厳しい採点なのだろう。

採点基準については、非常に細かく書かれていた。

技術点などもしっかり記載されていて。

非常に厳しい内容だった。

ただ、総合では合格と言う事で。

多分かなりこれでも甘い配点なのだろう。

厳しい試験になってくると、一つでも項目をクリア出来なかったら、失格というケースもあるらしいのだから。

兎に角、それは良い。

合格結果は当然だと感じた。イル師匠に教わったのだ。最初で躓くはずがないという確信はあった。ただし、そこまでの確信しかなかったが。

次だ。

まず最初に、支給品があるという。

お金だ。

当面の生活費などが支給されるというが。

その代わり、実績も日常的に上げる事を要求される、と言う事だった。

Gランクの場合、騎士団に納品する薬がそれに相当し。

合格品質の薬を、毎月一定量納品しなければ、Gランクの資格を即座に取り消すという厳しい内容だった。

その代わり、今後は申請があれば、騎士達を無料で護衛に貸し出してくれる。

まあ厳しいけれど、妥当とも言えるか。

薬のレシピも記載されていたが。

今作っている薬よりもかなり凝っている。

なるほど、アルファ商会から買い付けているお薬を、多少でもコスト圧縮したいわけか。何となく、事情は分かった。或いは騎士団の規模を拡大するつもりなのかも知れない。騎士団は手が足りていないと言っていたし、装備のコストを減らせれば、規模の拡大を行えるはずだ。そうすれば、多少は状況も改善出来る筈。

お金儲けにはある程度興味も知識もある。

だからそのくらいのことは、わかるのである。

続けて読み進めていく。

次の試験までには、まだ実績が足りない。

実績を上げて、次の試験を受けても良いと国に判断させろ、とある。

実績には、獣や匪賊の討伐任務の参加。

街道警備。

更には、最低限ではなく、実用性のある錬金術の道具の騎士団への納品などがあるという。

なるほど。

本当に此処からは実力主義の世界。

イル師匠に泣きつくわけにはいかない、自分でどうにかしていかなければならない世界という訳だ。

まずどうしようか。

「スーちゃん、まずはこのお薬作って見よう。 傷薬だけれど、今まで私達が作ってたのより難しいし、多分作るだけで勉強になると思うし」

「それもそうだけれど、やっぱり実用性のある爆弾作りたい」

「外でもっと良い素材を採集したいって事?」

「うん」

即答する。

流石に拡張肉体はハードルが高い。

でも、爆弾だったら。

それに爆弾の使い方については、イル師匠のレクチャーでよく分かった。後は判断はリディーに任せれば良い。

「銃弾の強化については……」

「しばらくはそれは考えない方向で行こう。 お母さんは今の銃弾でやれていたんだし、多分支給されていた錬金術の道具が、或いはお母さんが魔術を使っていたのか、どちらかだと思う」

「どっちもじゃないのかな」

「いずれにしても分からないから、後回し」

頷く。

なんだかんだで結構考え方が違うリディーとスールだが。

こう言うときは息もぴったり合う。

まず、師匠に相談しに行く。

最初からいきなり未知の薬をプロレベルで作れると考えるほど、頭が花畑ではない。まず話を聞き。

作ったものを見てもらって。

それで問題が無いようなら、騎士団に納品する。

まずはGランクの維持を当面の目標とし。

そしてそれが問題なくこなせると判断したら。

Fランクへの挑戦を視野に入れて、動き始める。

イル師匠は、やはりというか。

二人で気づけなかったことを、幾つも指摘してきた。流石にひっかけレシピではないようだけれども。

やはり足りない材料がある。

危険を承知で、外に出なければならない、と言う事だ。

そうなると、作ったクラフトがいよいよ役に立つ時が来たのだ。というか、どうにかして役立てなければならない。

「戦略と戦術とかいうのはどうにかなりそう? スーちゃんどう違うのかもよく分からないんだけれど」

「うん、でも手数が欲しい……」

「傭兵雇う?」

「そうしたいけど、でも見て。 支給金額。 これだとギリギリだよ。 まずお薬を作るための薬草を、森の外に採りに行くとして……」

それがまずハードルがとんでもなく高い。

だけれど、どうにかしてやらなければならない。

アンパサンドさんは頼りになるけれど、マティアスは文字通り壁にしかならないし。

いずれにしても、手助けが必要か。

そういえば。教会でシスターグレースに世話になっていた頃、戦士になりたいと言って鍛えていた人がいた。

獣人族の戦士で、犬顔の真面目な青年だった。

今戦士としてやっているなら、多分傭兵になっている筈。騎士団には行きたくないと言っていたし。時々街で見かけるから、まだアダレット王都にいる。メルヴェイユなんて名前よりも。やっぱり王都と素直に言う方がスールは好きだ。

「えっと、あの人……フィンブルさん」

「ああ、この間見かけたよ」

「手が借りられないか頼んでみようか。 騎士ほどじゃないにしても、多分役には立ってくれる筈だよ。 少なくともスーちゃんよりは強いと思うし」

「……そうだね。 まだ若いし、実績もない傭兵だから、安く雇えると思う。 ただ、向こうも錬金術の装備を欲しがるんじゃないのかな」

勿論今の状況では、親しいわけでもない相手にあげるわけにはいかない。

仕事の時に貸与するだけだ。

だが、もしも一緒に腕を上げて、専属で雇えれば。装備を譲ってもいい。

ギブアンドテイクである。

「分かった、少しずつだけれど、やってみよう」

「うん。 じゃあ、まずはお薬の材料を採りに行くスケジュールを立てなきゃね」

「スケジュールは私が立てるよ。 手続きもしておく。 スーちゃんは体温めといて」

「ラジャ」

ああそうだ。

その前に、一つやっておきたい事がある。

荷車を四輪に。

箱形にするのだ。

これで無理矢理籠をつけて、荷車の体裁を保っている状態からは脱することができる。

やっと。

外に行く準備が整うとも言える。

ようやくスタートラインだ。

スールは、今。

朝日が昇るのを、見た気がした。

 

(続)