底辺錬金術師の生活

 

序、崩壊家庭

 

リディー=マーレンは、アダレット王国首都メルヴェイユに住んでいる。一緒に住んでいるのは二卵性の双子の妹スール。半分廃人になっている父親。

黙々と手を動かして、食事を作る。

料理がからきしな妹の代わりに。

もはや動く事さえ辛そうな父親の代わりに。

家事関係はリディーが賄わなければならない。

昔は世界はきらきらしていた。

お父さんの事だって嫌いじゃなかった。

今は違う。

世界はくすんで見えるし。

お父さんだって大嫌いだ。

何もかも、お母さんが死んでしまってからこうなってしまった。

優しくて強かったお母さんでも、病気には勝てなかった。お母さんを助けられなかったと呟いて、お父さんは錬金術を捨てた。正確には、腕が良い錬金術師だったのに、殆どまともに頭を使うことが無くなってしまった。

酒に溺れて、リディーとスールを殴ったり、もっと酷い事をするような事だけはなかったけれど。

それでもいつもフラフラと出かけたり。

地下の部屋に籠もって何かをしていたり。

無精髭だらけで。

昔は凄い錬金術師だったらしいという話も、とても信じられないほどに落ちぶれてしまっていた。

可哀想だとは思う。

だけれど、今のお父さんは大嫌いだ。

それも事実だった。

「リディー。 おなかすいたあ」

「待っていてね。 今何とか作るから」

「はやくう」

妹のスールが、ベットでうだうだ呻いている。

手伝えと言うのはもう諦めた。

スールは昔はやんちゃで可愛いいたずらっ子だった。悪戯をしてはお母さんに怒られて、それをお父さんがなだめる。そんな暖かい光景の中にいた。

今は違う。

すっかり壊れたお父さんの様子を見たからか。

スールは何もかもやる気を無くした。

今では本を読むのも億劫らしく。

錬金術の勉強をしたがりもしない。

興味があるのは金儲けだけ。

確かに生活費を稼ぐのはとても大事だ。それについてはリディーも異論がない。苦しい生活をしてみて、はじめてお金の価値は分かった。

だけれども、それでもだ。

錬金術の技量を上げられれば。

ひょっとすれば、もっと良い生活を出来るかも知れない。

そんな事も忘れてしまったのだろうか。

誓ったはずだ。

この国一番になろうと。

お母さんは常に言っていた。

基本的に一番を目指すくらいで良いと。

ダメだったらその時は仕方が無い。色々な要素が絡んでくるし、どうしようもない。

でも、二番を目指すような妥協をしてしまうと。

どうしても伸びは其処で止まってしまう。

やるなら一番を目指すように。

お母さんは時々真面目にそんな事を言った。

苦労を重ねてきたからかも知れない。

お母さんの言葉には、とても重みがあった。騎士として、多くの戦いを経てきて。引退した後も、子育てをして来たからだろうか。

スールはどちらかというとお母さん似で。

勘が鋭く身体能力も高い。

リディーはいやだけれどお父さん似で。

勉強が得意だ。

料理がやっとできたので、スールと二人で食べる。スールは、料理と呼んで良いのか分からない、雑草の炒め物を心底まずそうに食べながら言う。

「ホットケーキ食べたいね」

「お母さんが焼いてくれたの、いつも美味しかったもんね。 お店が開けるくらい美味しかった」

「あのろくでなしが稼いでくれば少しはマシなのになー」

「せっかく錬金術の仕事を取ってお小遣い稼いでも、いつの間にか使っちゃうんだから」

お父さんの悪口を言う事は。昔は絶対にあり得なかったのに。

くすんだ毎日が続く中、いつもの日課になっていた。

昔は大好きだった。

愛妻家で、少し抜けたところもあって。でも錬金術師としては凄くて、画家としての才覚もあった。

それが今ではどうだ。

お母さんがいなくなって悲しいのはリディーもスールも同じだ。

だがお父さんは完全に潰れて。今では娘が稼いできたなけなしの生活費を、ろくでもない事に無駄遣いするようにさえなっている。

錬金術の腕前も怪しくなり。

変なものばかり研究しては。

お金をドブに捨てている。

ろくでなし。

穀潰し。

実はスールも大して変わらないことについては、リディーは口にはしない。それにはっきりいって、リディーだって独学で身につけた錬金術は、ゴミ同然の力量。

幼なじみのルーシャとは、天地の差がある。

此処アダレット王都でも、アトリエは二つしか存在せず。

それ故に大事にはされてはいるが。

ルーシャのアトリエ、アトリエヴォルテールは毎日行列ができる程流行っているし、国にも納品していると聞いている。前線で戦う騎士。お母さんと同じように、外で匪賊や獣と命がけで戦う騎士達が使う錬金術の装備を任されていると言う事で、それは命を預かっているのと同じ事。

それに対してリディーはどうだ。

王城前の広場を見に行って。

アルファ商会が売っているような高い良く効く薬では無くて、粗悪品でもいいから薬が欲しいと言うような、貧しい人の依頼がないか見に行き。

それで何とか糊口をしのぐ。

錬金術の腕が上がれば、状況も変わるかも知れないけれど。今のところ、どうやって腕を上げれば良いのかさえも分からない。

仕事を見に行くと、騎士団用の装備の納入依頼とかだと、とんでもない額がついている。

腕さえ良ければ、一日であんなお金を稼げるのだろうと思うと。

自分の非力さが悲しくてならない。

「食べたら、お仕事探しに行こう」

「えー、めんどくさいー」

「スーちゃん。 またこれ食べたい?」

「……分かったよもう」

稼ぎがないから、適当な野草を取ってきて、炒めて食べるしかない。たまには肉くらい食べたい。

信じられない話だが。これが錬金術師の生活なのだ。

錬金術師と言えば。

奇蹟のような力を駆使して。

もののあり方さえ変える技術。

凄かった頃のお父さんの錬金術は、本当に出来ない事はないのではないかとさえ、思わせる代物だった。

それが今では、日々の糊口を凌ぐために。

かろうじてその残滓を自分で舐めて使う。

それ以上でも以下でもない。

情けなくて言葉も出ない。

スールも少しはやる気を出してくれればいいのだけれど。

実際には明るく振る舞っていても、スールが半ば焼け鉢になりかかっている事は、リディーもよく分かっていた。

仕事を探しに行く。

一応それなりに社交的なリディーは、スールの着替えも手伝って、見栄えだけは良くして行く。

昔豊かだった時代の名残で。

外に着ていく錬金術師の正装はある。

というか、これは売るわけにはいかない。

本当にこれを売ってしまったら。

家を持っているだけで、乞食と何ら変わらなくなってしまう。

何よりも、錬金術師は本当に数が少ないのだ。

アダレットでも、お父さんが健在だった頃にも、十万都市であるにも関わらずアトリエは二つだけ。

流れの腕が怪しい錬金術師が来ることはあったけれど。

腰を据えて活動しているアトリエはたった二つだったのである。

今は、事実上稼働しているのはアトリエヴォルテールだけ。

バカで間抜けな幼なじみのルーシャのアトリエだけだ。

悔しいけれど錬金術の腕前では勝てっこない。

そしてルーシャが間抜けで見ていて面白いからか。

アトリエの客は途切れる事もない。

さぞや儲かっているのだろう。

そう思うと、腹も立つし。

頭にも来るのだった。

知り合いに挨拶しながら歩く。

昔は知り合いに会う度に、大変ね、頑張ってねと言われたが。

今ではすっかりそれも減ってきた。

向こうは挨拶を返してくれるが。それだけ。

関わっても何の利益もない。

それを知っているのだ。

錬金術師の知り合いがいれば、病気になれば薬を作ってくれるし、大概の無茶も解決してくれる。

そういう下心があったからこそ、昔周囲は優しくしてくれた。

今は違う。

リディーとスールのお父さんが廃人同然になり。

リディーとスールがポンコツ以下の半人前錬金術師である事を悟ると。

さっと周囲は距離を置いた。

それが現実だ。

「あ、リディー。 アルファ商会!」

「どうせ何も買えないよ」

「いいの、リサーチリサーチ!」

錬金術の道具も扱っている、この世界最大の商会、アルファ。アルファという名前のホムがトップにいるらしい、と言う事しか分からないが。少し割高になる代わりに、錬金術の道具を売ってくれるお店である。

勿論爆弾など危険な品を一般人には売ってくれないが。

冗談のように効くお薬や、便利な道具は、山のように売られている。

今日は馬車の側に組み立て式の出店を出していて。

気むずかしそうな護衛を連れたホムが店番をしていた。

見るだけには、ホムは何も言わない。

ヒト族だったらそうもいかないのだが(冷やかしはお断りと露骨に言われる事もある)。少なくともホムは、誰に対しても平等で。誰に対しても値引き交渉に応じることは絶対にない。

数字に強いホムは、実はリディーは少し苦手だ。

ホム達は平等で、不正を絶対にしないが。

逆に情けを掛けてくれるようなことも滅多にない。

困窮しているのを察しておまけしてくれるような、気を利かせることをしてくれた事がない。

ただ、そうだからこそホムは誰にでも平等に接してくれるとも言える。

故に、苦手ではあっても。

嫌いでは無かった。

「うわー。 凄そうな薬……」

「その薬は、腕くらいなら切った直後であればすぐに塗ればつながるのです」

「ハハ、リディー、とてもじゃないけど勝ち目がないね」

「そうだね……」

肩を落とすスール。リディーも薬に触ることも恐れ多くてできなかった。

他にも幾つか話を聞く。

自走する荷車。

命令を幾つか出す事が出来、それを聞いてくれる。見ると値段の側に、「要相談」と書かれていた。

前に話を聞いたが。

爆弾などと同じ戦略物資だという。

街や国などの行政単位に話を通して、それで買う品物だそうだ。

「そういえばこの荷車って、そんなに凄いの?」

「使っている所を見た事がないのですか?」

「うん、庭園趣味の前の王様、もう幽閉されちゃって。 工事ラッシュ、物心つく頃には終わってたから」

「そうなのですか。 この王都を出ると、近くの集落でも使っている所は使っているのです。 ただし、役人同伴で、ですが」

それを聞くだけで、どれだけの性能なのかは分かった。

マニュアルを見たいなと思ったが、スールが退屈そうにしているので、頭を下げて商会の前を離れる。

どんな品があるかはリサーチしている。

そうしないと、自分で作る時に、参考にできないからだ。

ただ、傷薬も満足に作れない今の状況では。

夢のまた夢なのだが。

仕事掲示板を見に行くと。

あるにはあった。

掲示板の側には、基本的に役人と騎士がいる。

トラブルを避けるために、基本的に控えている役人に成果物を納入することになっている。肉体労働などの仕事もあるが、その場合は手続きをしなければならない。役人は納入者の名前を逐一記録。もしも住民として登録されていないものだったりすると、その場で捕らえられてしまう。住民としての登録は簡単だが、その代わり登録すると当然色々な面倒事も発生する。

仕事を受けるためにも。

登録は当面解除できなかった。

「仕事、あるにはあるけれど……どれも難しそう。 騎士団がまた爆弾を欲しがってるけれど、爆弾なんて、今の技量じゃ作れないよね……」

「釜ごと二人で木っ端みじんだね。 銃弾だって買ってる位なのに」

けらけらとスールが笑う。

幸い、十万都市だけあって、この王都には技術者もいる。銃は存在していて、スールは母親譲りの銃使いだ。戦士だったお母さんの血を濃く継いだスールは、錬金術の腕前はリディー以上に怪しい一方でとにかく身体能力が高く、高速機動を生かして銃弾の雨を浴びせる戦法を得意としている。

とはいっても、それも並みの傭兵以下。

外に出るには、護衛が必須だが。

錬金術師は貴重な仕事なので、申請すれば国がきちんと格安で護衛はつけてくれる。税金も安い。

だけれども、リディーとスールが、そんな恩恵を受けられるほど錬金術師をできているかというと。

リディー自身が、首を横に振ってごめんなさいと応えるしかない。

「あー、ちょっとリディー! 見て見て!」

「うん?」

お触れだ。

スールが興味を持つ事はよくある。そして、スールは勘が鋭くて、その興味は大体良い方向に当たる。

錬金術師限定。

そうお触れには書かれていたので、一枚剥がして貰う。

その隣で。

身なりのいい赤い服に身を包んだ、赤毛の女の子が。当たり前のように、今のリディーとスールでは手が届かない、騎士団用の依頼を剥がしていった。

「あら、お久しぶりですわね、リディーにスール」

「ルーシャ!」

「何よ、また悪口言いに来たの!? バカのくせに!」

「まあ失礼ですわね。 とにかく忙しいのでこれで。 それと、少しは錬金術の腕はあがったんでしょうね」

此奴がルーシャだ。

一目で分かる育ちの良さ。大繁盛しているアトリエヴォルテールの一人娘。

お父さんは難しいと聞く公認錬金術師試験の突破者で、ルーシャ自身も今の双子では束になっても及ばない実力者。

「今は二人ともまだ十代半ばだから周囲も甘い目で見てくれますけれど、もう少し年を取ったら錬金術師失格の烙印を押されますわよ。 もっと勉強しなさい。 前に勧めた本は読みました?」

「読んだけれど、上手く行かない……」

「本なんて大嫌い!」

「だーから底辺から抜けられないんですのよ。 本をしっかり読んで知識をつけて、それを反復練習なさい。 いつまでもそのままでいたくなければね。 オイフェ、行きますわよ」

落ち込むリディーと、反発するスール。

ルーシャはオホホホとギャグみたいに笑うと。

無表情な赤毛のメイドであるオイフェさんを連れて、その場を去っていった。

はて。

そういえばあのヒト族のメイド。いつからルーシャが連れていたっけ。随分前から、まったく変わらない姿のまま、控えているような気がする。でもあのメイド、まだ若いように見えるのに。

「悔しいよ! バカに馬鹿にされて! リディー、戻って調合の練習しよ!」

「その前に、生活費をどうにかしないとね」

バカ、か。

何だろう。ルーシャは最近挑発的な言動を繰り返すようになったが、いつも決まったことを言う。

悔しかったら勉強しろ。

実践を積み重ねろ。

近道なんてあるわけが無い。本を読んで知識を身につけて、少しでも場数を踏め。

これってひょっとして、ぶきっちょなルーシャなりのアドバイスではないのか。だが、スールは正論を聞けるような度量もない。リディーもそれはあまり変わらない気がする。

薬草が欲しい。

安めの薬が欲しい。軽い傷を治せればいい。

そういう依頼が幾つかあったので、剥がして貰っていく。役人に仕事を登録して、その後は騎士団の詰め所に。

外に出ることを告げると。

大体はいつも違う騎士が出てきて、護衛をしてくれる。

あのチラシについては、今回の仕事が終わったら読もう。

そう思って、今は忘却していた。

騎士団の詰め所で、話をすると。

ほどなく騎士が出てくる。

驚いたことに、ホムだった。皮鎧に、腰の両側にぶら下げているナイフ。信じられないほどの軽装である。

「えっ!?」

「街の外に行くと言う事でしたね。 スケジュールを見る限り、日帰りのようなので、すぐにすませるのです」

顔を見合わせる。

ホムは戦士に向かない。だがこの人は、騎士の勲章をぶら下げている。ホムは見かけで性別や年が分かりづらいが、多分リディーとスールより年上だ。

ともかく、行くしか無いか。

底辺錬金術師は。ありとあらゆる意味で、何も選ぶ資格がないのだから。

 

1、花の都の城壁は

 

アダレットは武門の国で、昔から勇壮なお話が幾つも伝わっている。

武王と呼ばれた初代国王の、伝説的な武勇のお話。

先代の騎士団長は、魔族のレア種族である巨人族。伝説の錬金術師と一緒に、この地方出身者であるなら誰でも知っている雷神ファルギオルを撃ち倒した。

騎士団の勇壮な活躍の数々。

ドラゴンを倒し。

邪神を退け。

匪賊をやっつける。

昔はスールはそんな話を良く聞きたがって。

リディーは苦笑いしながら、お母さんに話をせがむスールの側で。お母さんの話を聞けるだけで幸せだなと思っていた。

そして、お母さんがいなくなって。

お父さんがダメになって。

自分で外に出るようになってから、現実を知った。

花のように綺麗なアダレット王都の城壁から出ると。

其処に拡がっているのは、まず森である。

森は静かだが、絶対に傷つける事は許されない。最初に出たとき、この森は何だと聞いてみたら。

その時護衛についてくれた魔族の騎士は、応えてくれた。

これは守りの森だ。

城壁なんて、この森に比べたら何の役にも立たないと。

森は獣を大人しくさせ。ドラゴンや邪神も森には攻撃しない。

その答えを聞いたときリディーは悟った。

伝説が大嘘だと言う事を。

騎士団は強く何てない。

もし強かったら、獣が大人しくなる森なんて周囲に作るわけがない。獣を自力で駆除して、王都に近寄らせさえしないはずだ。

その証拠に、森のすぐ側には、滅ぼされた集落が点々と見える。

いずれも復興の見込みさえなさそうだ。

これが現実。

スールはぴんとこないようだったが。

王都の側でさえ。

騎士団は絶対防衛圏を確立できていない。多分街道を行くのも命がけの筈だ。

人間の力なんて、そんな程度のものなのだ。最初にメルヴェイユの外に出たとき、リディーはショックだった。

今回は、日帰りコースと言う事で。

森の中にできた、小さな草原に出向く。

此処に出る獣は小型のぷにぷにや兎などの、比較的大人しい獣で。しかも森の中だから、更に性格も大人しい。

騎士団も、森の中の大人しい獣まで駆除するつもりは無い様子で。

ホムの珍しい騎士も、無言で双子が採取するのを横目に。周囲の警戒を続けていた。

一応小物の獣はいるが。

一度だけ、近づいて来たのを。

目にもとまらぬ速度で騎士が切り刻み。

そして倒してしまった。

ヒト族の子供くらいの大きさの兎だったけれど。それでも殆ど瞬く間に、である。

スールがあんぐりと口を開けている。

スピードには自信があるらしいスールなのだけれども。

そもそもホムの騎士と言う事でどこかで侮りがあった所に。

こんな実力を見せられれば、それは唖然ともする。

はっきりいって、足が速いと自慢しているスールなんて、及びもつかないスピードだった。残像ができるのなんて初めて見た。

戦士として決定的に向いていないと言われるホムだが。

こんな凄い人もいるのか。

採取を一旦終える。持っている籠はそれほど大きく無いし、図鑑を見ながら薬草や茸を集めていると、すぐに一杯になってしまう。

できれば荷車が欲しいのだけれど。

アルファ商会で売っていた荷車は、目が飛び出すような値段だった。それも戦略物資だという話で、国に話を通さないと売って貰えない。

それは早い話。

今のリディーとスールには、とても手が届かないという事だ。

お日様が真上に来た。

朝二番くらいに外に出てきたので、丁度良いタイミングだろうか。

「騎士さん、お昼にしましょう」

「アンパサンドなのです」

「アンパサンドさん、ホムには確か例外的にたまに凄く身体能力が高い人がいるって聞いたけど、それ系?」

「ちょっと、スーちゃん」

いきなりずけずけと聞くスール。

なおお昼だが。

経験的に食べても大丈夫なキノコを、そのまま焼いて食べるだけだ。それを見て眉をひそめたか。

アンパサンドと名乗った騎士は。

無言で先ほど仕留め、血抜きをしていた兎を。

捌き始めた。

手慣れた様子で皮を剥ぎ、肉を切り分けていきながら、淡々と説明をしてくれる。作業は非常に手慣れていて、血も一滴も無駄にしていない。

「自分は残念ながら、身体能力に関してはホムの中でも平凡なのです」

「でも、さっきヒュンって凄い動きしてたじゃん」

「それは鍛錬の賜なのです。 幼い頃から、騎士になるために効率を重視して精神論を排除して論理的に徹底的に鍛えて来たのです。 それでも他の騎士達よりも出世は遅れに遅れ、ようやく騎士に就任した今も、周囲からは先輩と呼ばれて馬鹿にされているのです」

「あ、その……ごめんなさい」

ぴんと来ていない様子のスールの代わりに、リディーが謝る。

そもホムの騎士が護衛につくという時点で、リディーとスールは錬金術師としては半人前以下、護衛を出すとしてもみそっかす、という判断をされているのかも知れないと思ったが。

このアンパサンドさんは、護衛もしっかりやってくれているし。立派な騎士だ。強いししっかり仕事もしてくれている。

何よりも、それだけじゃあない。

獣の捌き方。

焼き方。

後処理まで、丁寧に教えてくれる。こっちのことを、良く想っていない筈なのに。教え方はとても丁寧で、メモを取るときとても分かり易かった。

「本来は少し寝かせて、美味しくなるのを待つのですが、今日はすぐに食べるのです」

「え、そうなの」

「肉は腐りかけが一番美味しいのです。 後、どうせ管理できないので、今食べない分は燻製にするのです。 燻製にすれば一冬くらいはもつのです。 錬金術師は外で野営もするのだし、覚えなければならないのです」

「野営ってまさか野宿? やだあー」

スールが嫌がる。殴りたくなるが、ここは我慢するしかない。

スールは二つのものが生理的に大嫌いだ。

一つは虫。

一つはお化け。

外での野営となると、どっちも出る可能性がある。特に虫は絶対と言って良い確率で出るだろう。

焚き火を囲んで、兎の肉を焼いて食べる。煙を使って、食べない分を燻製にする方法も教わる。メモを取る。内臓も、食べられる部分は全て燻製にしてしまう。骨を割って軟骨を取り出して、それも焼いて食べる。非常にワイルドな調理だったが、一応何とか吐かずに耐えられた。

それに、だ。

新鮮なお肉なんていつぶりだろう。

おいしくて、つい焼けたばかりのお肉にむしゃぶりついてしまう。

ホムらしい無表情さで。美味しい嬉しいと言っているリディーとスールに対し、アンパサンドさんは冷ややかに言う。

「時に二人とも、護身用の爆弾は。 錬金術の道具は」

「え、持ってないよそんなん」

「……二人とも、外を舐めているのですか。 今のは獣とも呼べないような相手でしたが、大物の獣は強い騎士でも、それこそ魔族の騎士でも手こずるのです。 ネームドになると、手練れが討伐隊を組んでも倒せないことがある程なのです。 ましてや人間を喰らうつもりで襲ってくる匪賊に囲まれたらどうするつもりですか。 ……今の状態、外に死にに行くようなものなのです」

「そ、そんなつもりは」

気付く。

アンパサンドさんは、ホムにしては感情が豊かだ。今も、目の奥に、明らかに怒りが宿っている。

騎士団は人員の損耗が激しいと何処かで聞いた。

つまり手だって足りていないはず。

ヒラの従騎士ではない。戦いをくぐり抜け、武勲を積んで来た騎士が護衛に出てきているのだ。

それならば。確かに爆弾もロクに作れないような半人前以下錬金術師の護衛など、腹が立って仕方が無いだろう。

「外で仕留めた獣は、騎士が私物にして良い事になっていますが、今回は二人にお譲りします。 獣の爪も皮も肉も骨も、錬金術に応用できると聞いていますのです」

「え、くれるの? 気前がいいじゃん」

「……」

更に苛立つ様子のアンパサンドさんに、リディーは平謝りするしかなかった。

いずれにしても、貰った毛皮やら骨やらで、籠は一杯になってしまった。食糧も薬草も、薬とは言えないようなゴミを作るための材料も、一応揃った。少し早くに切り上げられる。

食事を終えた後、焚き火の後始末をして、その場を離れる。

アンパサンドさんとは城門で別れ。

そして、スールが開口一番に言った。

「何だか気むずかしい人だったね。 職場のストレスかな」

「スーちゃん。 あの人、ホムでしかも自分は凡庸で、努力して騎士になったって言ってたでしょ」

「うん」

「騎士団って、従騎士から始めて、騎士になるまで相応の武勲を重ねなきゃいけないから、騎士って凄い人達だって、スーちゃんいつも目きらきらさせて言ってるよね。 スーちゃんがいつも自慢にするお母さんもあの人と同じ騎士だったんだよ。 あの人さっきの小さな兎を倒した時に見せた動きも凄かったけれど、多分すっごく訓練して、武勲積んで、周囲に馬鹿にされても無視して頑張り続けて、やっとその凄い騎士になったんだよ」

ぴんと来ない様子のスールに。

順番に説明していく。

「騎士団の手が足りてる訳ないよね。 それが私達みたいな半人前以下のために、従騎士ではなくそんな努力家の責任感もある騎士が一人、出てきてくれたんだよ。 そして実際に私達を見てみたら、爆弾も作れない半人前以下。 騎士はみんな仕事が命がけで忙しいのに、どう思う?」

「バカンス?」

「スーちゃんのバカぁっ!」

身体能力はリディーの方が低いけれど。

どうしてか、精神的な優位はリディーの方にある。

スールが首をすくめる。

家に戻るまで口をきいてあげない。

それに、あの人が獣の皮やらを、換金できる筈なのにくれたのは、多分見かねての情けだ。普通、ホムはそんな事しない。あのリディーでも分かった重苦しい怒りからも。アンパサンドさんは、かなりホムとしては変わり者なのだろう。

情けを受けている方ではいけない。

錬金術師は驚天の技を操る者であって。

そもそも困っている人を助ける側の存在の筈だ。

お父さんが元気だった頃に、聞いた事があるけれど。

錬金術師と戦士が組む場合。

錬金術師は火力要員を担当する。

つまり、ロクな爆弾も、錬金術の道具も作れない今のリディーとスールは、護衛する価値も意味も無いと言うことだ。

悔しいが、ルーシャが言う通り。

しっかり勉強して、力をつけていかなければならない。

家に戻ると、お薬を作る。

お師匠様がいれば良いのだけれど。

お父さんは地下室に籠もりっきりか。

外をフラフラ。

お酒を飲んで暴れないだけましと考えるしか無いし。

どっちにしても、錬金術を教えてくれる訳も無い。

独学だと限界がある。

見聞院で頭を下げて、初歩の錬金術の本は借りてきて読むけれど。どうしても試行錯誤になってしまう。

時間を浪費している。

その焦りが強い。

スールは感覚がするどくて、釜の火加減などを見るのが上手いけれど。

それでも薬草をすり潰したりする作業は苦手だし。

細かい作業は更に苦手だった。

中和剤を作るのも一苦労。

ぼろぼろの器具を使って、あまり精度が高いとは言えない蒸留水を作るのだってそうだ。井戸は少し離れた所にあるし、其処から汲んでこなければならない。

兎の血を使って中和剤を造り。

参考書に書かれている通り、薬草をすり潰し。

中和剤を媒介にして混ぜ合わせる。

しばしして、出来上がった薬は。

やっぱり、とてもではないが、アルファ商会で売っている品には、及びもつかないような粗悪品でしかなかった。

大きな溜息が出る。

一応小さな傷に塗ってみると、良く効く。錬金術の薬なんだから当たり前だ。一応、最初に作った、その辺で売っている効きもしない薬と同レベルの代物に比べると、明確に傷が治るようにはなった。

「はー、まーた上手くなっちゃったかー」

調子に乗っているスールを小突く。

そして、お薬と薬草を納品に行く。

お父さんが無駄にある程度使ってしまうだろうけれど。

それでも、生活費はこれで稼げた。

幸いなことに、燻製肉はあるから、今晩はしのげる。日持ちする食材を近くのお店で買い込んで、久々に雑草の炒め物ではないまともな食事にする。

ふと、思い出す。

あのチラシだ。

あくびをしているスールを横目に、チラシを取り出してみる。

其処には。

アトリエランキング制度開始、という説明が書かれていた。

 

翌朝。

起きだしてきたスール(低血圧で朝に猛烈に弱い)に、ゆっくり説明していく。

アトリエランキング制度。

アダレットは錬金術師が少なく、その恩恵を受けることもまた少なかった。近年ではラスティンから錬金術師を呼んで仕事をして貰う事も増えたが。いずれにしても、手は足りていない。

そこでアトリエのランクを作成し。

報奨金を出すことで。

錬金術の恩恵を、より強く受けられるようにする。

それがこの制度の目的である。

おお、と思わず声が漏れた。

勿論支援金も出るという。

支援金と聞いて、目を輝かせるスールだけれど。リディーは小突いていた。

「スーちゃん、忘れたの、私達の夢」

「忘れるわけないじゃん。 国一番のアトリエ、でしょ」

「これで上手くアトリエのランクを上げていけば、国一番になれるかもしれないよ」

「アハハ、底辺錬金術師のスーちゃん達が?」

頭を振りたくなるが。

妹に愛想を尽かす訳にはいかない。

それにスールは何処か焼け鉢になっている。

昔は可愛いいたずらっ子だったのに。

今では言動に棘が露骨に出るようになってきているのを、リディーは感じていた。勘が鋭い分、ものの本質を見抜く力が強いのだろうけれども。

咳払いをする。

強く。

それで、スールも真顔になった。

「今のお父さんは頼りにならないし、お母さんとの約束を守れるのは私達だけだよ」

「そうだけどさ……ルーシャにだって勝てっこないよ」

「だから鍛えるの」

「でも、勉強はしてるし、お薬だって作ってるじゃん。 ぜんぜん上手になってる気配ないよ」

その通りだ。

スールは頭は悪いのに。

こう言う本質はずばりと突いてくる。

だからリディーも時々助けられることがある。要するに直感が鋭いのである。きっとお母さんの血なのだろう。

「多分、お師匠様になってくれる人がいるね。 独学で限界があるのは事実だと思う」

「だよねー。 でも誰に頼むの?」

「このアトリエランキング制度ってので、凄い人がひょっとして来てくれるかも知れない」

ルーシャに頭を下げて教わるという発想はない。

アトリエヴォルテールが流行っているのは、ルーシャの実力では無い。

ルーシャは確かに今のリディーとスールよりずっと格上の錬金術師だけれども。本当に凄いのはそのお父さんだ。

昔、お父さんがまだ凄かった頃、言っていた事がある。

ヴォルテールの大黒柱は、ルーシャの父親で。

実際に騎士団に頼りにされているのもそうだ、と。

「とにかく、錬金術を教えてくれる人を探すしかないよ」

「他人任せだね情けない」

「情けないよ。 でも、スーちゃん。 アンパサンドさんに言われて、思うところ無かった?」

うっと、スールが口をつぐむ。

一晩経って、やっと分かったのだろう。

アンパサンドさんは、錬金術師の驚天の技で、少しでも騎士団の被害を。更に言うならば、脅かされる人々の被害を減らしたいのである。

街の外はあんなだ。

脅かされている人は幾らでもいる。

恐ろしい獣。

更にそれを超えるネームド。

人間を喰らうようになった鬼畜ども、匪賊。

ドラゴン。

そして伝説に出てくるような邪神も実在しているという話だ。

そういうバケモノから、人々を守れるのは誰か。他ならぬ錬金術師では無いか。それが爆弾も作れない。

怒るのも無理はない。

騎士達は充分に命を張って戦ってくれている。

それならば、彼らの奮戦を無駄にしないように頑張るのが、錬金術師の責務であって。

火力要員として、人々を虐げる暴悪を退ける者こそ。

錬金術師であるべきだ。

「スーちゃん銃上手で私と違って運動神経もいいけど、それでも騎士団の人に勝てると思う?」

「100パー無理」

「でしょう。 錬金術師はあくまで錬金術があっての錬金術師なんだよ。 どんな手を使ってでも、強くならなくちゃ。 お父さんみたいになりたい?」

「うっ……それは嫌……」

言った後。

若干の自己嫌悪に襲われるが。

それはもう仕方が無い。

今のお父さんを見て、好きになれるわけが無い。お母さんが生きていれば、きっと今でもキラキラした平和な世界が続いていたのだろうし。或いはお父さんに錬金術をしっかり教われたかも知れない。

でも、死んだ人はどうにもならない。

お母さんが生きていれば。

泣いてもお母さんは戻ってこない。

そんな事は分かりきっているのだ。

それに、錬金術を止めたりしたら、リディーとスールに未来はない。錬金術師だからある程度特別扱いがされているのであって。

それも終わる。

ロクなスキルもないリディーもスールも。

社会の底辺で生きていくしかなくなる。

それはきっと、今より何倍も酷い地獄になるだろう。十万都市であるアダレット王都でも。近付いてはいけないと言われる場所は普通に存在している。お母さんにも何度も注意された。

そういう場所で、身も心も腐りきって。

命を投げ捨てて行くに違いなかった。

「まず何とか凄い錬金術師に接触しないと……」

ふと。その時。何か声が聞こえた気がした。

気のせいかと思ったが。

それは、地下室。

今お父さんがいないはずの、地下室から聞こえてきたように思った。

 

2、箱の中の楽園

 

リディーはスールと一緒に、アトリエランキング制度の紙を持って、王宮に出向く。

既に山師を含めて、よく分からない人も何人か来ているようだったが。それらの人は、さっといなくなっていった。

つまり何かしら、錬金術師とも呼べないような人間は、門前払いする仕組みがあるという事だ。

それは当然だろう。

今、アダレットを統治しているのは、「血染めの薔薇竜」とも呼ばれる女傑、ミレイユ王女だ。

今はまだ王様が幽閉されている状態なので「王女」だが。

その内強制的に王様を退位させて女王になると言われている。実のところ退位はさせているのだけれど、正式な「即位」をしていないので、未だに王女だそうだ。この辺り、国の面倒な決まりがあるのだろう。

この国の人は、誰も先代の王様が戻ってくる事なんて望んでいない。

国が腐っていたら望んでいる人もいたかも知れないけれど。腐った役人もそれと連んでいた商人もミレイユ王女が全部掃除してしまった。だから血染め。だけれども、その血染めがなければ、税金ばっかり取られて、恐ろしい獣や匪賊から皆を守るための街を壊して「美しくする」なんて事は、とまらなかったのだ。

血染めかもしれないけれど。

みんなミレイユ王女には感謝しているし。

その辣腕も知っている。

そんなミレイユ王女が盗人に都合が良い仕組みなんて作る訳がない。

受付で、軽く話をすると。

受付にいるホムの、モノクロームをつけた役人は身柄を照会した後。奥に一旦消えていった。

そういえば先代の王様の時は、おべんちゃらが得意な役人ばかりを重用していたらしいけれど。

今では有能な事で知られるホムが、役人としてかなり活躍しているらしい。

まあ、噂に過ぎないけれど。

確かに今みたいに、ホムが役人として仕事をしてくれれば、がっちり国は回ってくれると思う。

そして代わりに現れた人を見て。思わずリディーは息を呑んでいた。

無能な前の王様、実の父親を玉座から追い払い。

圧倒的な豪腕でこの国をまとめ上げた女傑。血染めの薔薇竜、ミレイユ王女。鎧はつけていないが、最小限の化粧だけして、豪華すぎない動きやすい絹服で、それでいながら圧倒的な炸裂するような迫力を放っている。

容姿の美醜とは関係為しに、オーラが違う。いや、凄く綺麗な人だけど、ただの飾りの美貌ではない。美しい金髪も、整った顔立ちもメリハリの効いた体型も。オーラの飾りにしかなっていない。

多分、背負っているものが違う。

味わって来た経験が違いすぎる。

ぞくぞくした。恐い、という意味でだ。

この人は綺麗だけれど、そんな事は関係無い。竜と言われるのも納得だ。

「貴方たちがロジェ師の娘ね。 自己紹介の必要はあるかしら」

「ひいっ! あ、ありませんっ!」

「ス、スーです! よろしくお願いしますっ!」

失礼なことをほざきまくるスーちゃんだけれど、今日は流石に違う。

この人の機嫌を損ねたら、文字通り一瞬で首が飛ぶ。翌日には城壁の外で獣に死体を荒らされているだろう。

なるほど、そういう事か。

これでは、山師の類が逃げる訳だ。文字通り国を掛けたプロジェクトで、故にこの人が主導しているというのだろう。

「アトリエランク制度については、読んできましたね」

「はいっ。 アトリエとして実績を上げていけば、国として補助金を出してくれる制度だって」

「生活が苦しいもので……」

余計な事をスールが言いかけたので、脇腹を小突くが。

笑いを維持したまま、ミレイユ王女は言う。

さっきより更に恐い。

「元々アダレットは錬金術師が少なく、此方でも事情は把握しています。 腕利きで知られ、一族でもトップと言われたロジェ師の没落は悲しい限りです。 貴方たちには、その挽回を願います」

「は、はあ」

一族。

なんだろう。

リディーは小首をかしげそうになったが。

すぐに咳払いを受けて、背筋を伸ばす。

真っ青になったスールは、ずっとブルブル震えていた。

勘が鋭いスールだ。

とんでもなく怖い人の前にいると、肌身で感じている、と言う事なのだろう。リディーでさえ恐いくらいなのだから。

「まずは試験を受けて貰います。 その試験を突破したら、アトリエランク制度への参加を許可します。 ランクは8段階。 Gが最低ランク、FEDCBAと上がっていって、Aの上のSが最高ランクです。 なお、貴方たちは実績がないため試験を受けて貰いますが、ラスティンから招いている錬金術師の中には、飛び級で高ランクに最初からなって貰っている方もいます」

「飛び級、ですか」

「既にラスティンから招いて、多くの実績を上げて貰っている方々です。 世界の宝とも言われる錬金術師が既に数名来ています。 その方々はあくまで牽引役。 この国で実力を持つ錬金術師を育てるために、指導を兼ねて来ていただいている方々です。 くれぐれも失礼がないように」

最後の所を強調されたので。

また背筋が伸びる気がした。

試験の内容については、おって伝える、と言う事だったが。

それと同時に、もう一つ伝えられる。

「貴方方は、実績さえ上げていませんが、それでもアダレット出身の貴重な錬金術師である事には変わりはありません。 近々護衛を手配します」

「護衛、ですか」

「資金面の援助はそれほど大規模にはできませんが、騎士を二人つけます。 意味はわかっていますね」

「はいっ!」

やっぱり一言一言が恐い。

騎士を護衛につけるのだ。

実績を上げろ。

そう厳しい言葉を浴びせられている、という事である。

だが、リディーとスールは、最低限の薬もまともに作れない腕前だ。

やっぱり感じていたように。

師匠になる人が必要だ。

「何か質問は」

「え、ええと。 そのラスティンの凄い錬金術師さんに会えますか」

「ええ。 それがどうかしましたか」

「その、情けない話ですけれど、私もスーちゃ……妹も、独学では限界を感じていましたから、その……」

しらけた目で見られる。

息を飲み込みそうになるが。

堪える。

呆れられていることは分かったが。

此処で露骨に怯えたら、王宮からつまみ出されるかも知れない。そうしたら、試験どころじゃあない。

「良いでしょう。 手配はしておきます」

「有難うございますっ!」

「それでは下がりなさい。 試験内容については後日連絡します。 その時に、錬金術師についても話をしておきましょう。 護衛についても、詳しい内容は一緒に知らせます」

後は有無を言わさず、帰る事になった。

リディーは、城を出ると。

腰が抜けそうになる。

相手がいつでも此方を殺せる事は分かっていたし。

何よりもだ。

ずっと見られていた。

事情は知っていると言っていたからには、当然知っていたはずだ。

リディーとスールが、まだ半人前以下だという事を。

お髭の目立つ中年に足を踏み入れたばかりの錬金術師が、城に入っていく。堂々とした人物で、年を重ねるべくして重ねたという雰囲気があった。山師では無いだろう。従騎士らしい城の衛兵が挨拶をしている。

「パイモンどの、朝早くからお疲れ様です」

「うむ。 依頼されたものを納品に来た。 品を確認して欲しい」

「わざわざ城までですか。 ありがとうございます」

パイモンと呼ばれたおじさんが、指を鳴らすと。

自動で荷車が此方に来て。

荷物を、魔族も含む騎士達が改め始める。

薬に爆弾、それに武器もあるようだった。おおと、声が上がっている。

「今活動しているヴォルテール家だけでは手が足りないという声が上がっていたところです。 質もヴォルテールのものにまるで劣りません。 助かります」

「そうか、此方も被害を減らせるならなんでもしよう。 勿論討伐任務にも声を掛けてくれ」

「分かりました」

隠れて見ているしか無い。

あの人は、多分相当な凄い錬金術師だろう。

騎士団の反応からしても、それがすぐに分かる。何しろ騎士団が腰を低くして、心からの感謝を述べているのだ。

「あのおじさまに頼んでみる?」

「リディー、時々バカだよね」

「何よ」

「あのおじさん確かに凄そうだけれど、私達みたいな小娘弟子に取ったら、どんな噂が流れるか分からないよ。 ただでさえこの国じゃ錬金術師の立場が悪いのに」

「あ、そっか……」

リディーは時々抜けていると言われる。

勘が鋭いスールは普段は頭が良くないが。妙なところで切れる。二人揃って一人前なんて言われるのは、それが理由だ。

「女の人の錬金術師を探すしかないね」

「うん。 スーちゃん、時々本当に鋭いね」

「リディーが肝心なところで抜けてるんだよ」

「そうかも知れないけど」

これで、もう少し真面目に家事とかやってくれれば。

溜息をつきながら帰宅。

とにかく疲れ果ててしまったので。その日は適当に夕食を食べる。貰った兎の肉の燻製がまだ残っていたので。

それと野草を炒めて、食べてしまった。

お父さんは帰ってきていたけれど。

地下室に籠もりっきり。

顔もあわせなかった。

ベッドで寝る。

アトリエはそれなりに広く。

今は極貧生活をしているけれど。

昔は違ったと言うことが良く分かる。

ベッドもそれなりに広くて。

少なくともお父さんのと。リディーとスールが使うのと。二つのベッドがきちんとある。

勘が鋭いスールは特に消耗したからだろう。

ベッドに横になると、すぐにこてんと落ちてしまった。

お母さんに絵本を読んでとねだっていた頃の事を思い出す。

あの頃は。

リディーも幸せだった。

お母さんの手は柔らかくなくて。

戦士の手だったけれど。

それでも嬉しかった。

スールに銃の使い方を教えてくれたのはお母さんだ。

弾もまだまだたくさん残っている。

でも、弾は確か結構高いと聞いている。

すっかりケチになったスールも、弾を売り払おうという話だけはしない。外で身を守るために、最後に必要になることを、良く知っているからだ。

ほどなく、リディーも眠くなってきたが。

不意に声がまた聞こえた。

地下室の方から。

お父さんの声じゃない。

しかも断片的な声だ。

何だろう。

分からなかったけれど。

ただ、酷く懐かしい。

そんな気がした。

疲れていたのだろう。いつの間にか眠ってしまったけれど。はっきり分かっていることがある。

あの声は幻聴ではない。

起きだして、朝ご飯を何とか無い材料から四苦八苦して造りながら。

リディーは、何か嫌な予感を覚えていた。

 

お父さんがまた浪費していた。絵筆と絵の具に、生活費をつぎ込んでしまっていたのだ。

お父さんと話しても無駄。

リディーとスールの共通認識である。

昔だったら違っただろう。

お母さんが生きていた頃のお父さんは、本当に立派な錬金術師で。とても穏やかで優しかった。

今は荒れている。

暴力さえ振るわないけれど、リディーとスールの言葉は届かない。

最初はショックで散々泣いたけれど。

涙が涸れると、すっと愛想が尽きた。

だから、もう何も期待していない。

仕方が無いので、クソ親父ダメ親父と罵るスールを引っ張って、仕事の掲示板を見に行く。

毛皮の納品のお仕事があったので。

あのアンパサンドという騎士の人に分けて貰った兎の皮を納品してしまう。

思った以上に良い値段になったので驚く。

外に出ると言うことは、それだけリスクが伴うのだけれど。

アンパサンドさんの処置が良くて、毛皮の状態が凄く良かったのが原因でもあったらしい。

手放すのはもったいなかったかな。

そう思ったけれど、背に腹は替えられない。

悪い事に、今日は粗悪品でも良いお薬の依頼はなかったのだ。

一瞬、一番お父さんがダメになっていたとき、世話になっていた救貧院のシスターの所に仕事がないか聞きに行こうかと思ったが。

それはいくら何でもプライドが許さない。

泣いてばかりだったリディーを励まして、立ち直らせてくれたシスターグレースは、本当に良い人だった。

元々歴戦の傭兵だったらしいのだけれど。

やんちゃなスールに戦い方の基礎を教え直してくれて。

それでスールも立ち直るのが早まった。

そんな大恩人に。

金を集るなんて、許される訳がない。

そして、救貧院を兼ねている教会には、訳ありの子供。主に親を失った孤児がたくさん生活している。

彼らのためになるものを。

今のリディーとスールでは作れない。

たまに、世話になった教会に、子供達のためにと寄付をして行く出身者もいるらしいのだけれども。

今のリディーとスールでは、生きていくので精一杯。

とてもではないけれど。そんな余裕などありはしなかった。

あんなにお世話になった教会に粗悪品の薬なんて納入できない。

人として絶対に超えてはいけない線くらい。

リディーだってわきまえているつもりだった。

「ねえリディー」

「なあにスーちゃん」

「あのさ、爆弾作ろう」

「この間、アンパサンドさんに言われた事?」

スールは頷く。

確かにその通りだ。ホムにしては暗い目をしている人だったけれど、あの人の言う事は正論だった。

お母さんも言っていた。

正論は耳に厳しい言葉がとても多い。

だけれども、正しいから正論なのだと。

王様は正論を聞けるようなじゃないと、とてもではないけれど王座に座る資格は無いし。

普通の人でも、正論をきちんと聞けるようなじゃなければ、バケモノになってしまう。

だからリディー、スール。

正論を言われたら、反論をするのではなくて。

その言葉が正しいのか考えて。

そして正しいなら、どんなに苦しい言葉でも、きちんと飲み込むようにしなさい。

そう何度も言われた。

スールはきちんと、飲み込んでいると言う事だ。

「でも、爆弾難しいし、危ないし……」

「やってみようよ。 この間、騎士が出てくれたのは事実だし、今後は専門の護衛がつくって話なんだよ。 今後は森の中なんて安全な場所じゃなくて、騎士でも危ない場所に出ることだって増えるでしょ」

「それはそうだけれど、スーちゃん、釜を何度爆発させ掛けたか、覚えてる?」

「うっ……」

爆弾は。

師匠ができてからにしよう。

そう決める。

そして、判断をする。

「師匠になってくれる人をまずは探そう。 その間数日はあると思うから、また外に行って材料集めて、お薬を少しでも上手に作れるようにしよう。 前にルーシャが言ったこと覚えてる?」

「ええと、はんぷくれんしゅうとふくしゅう?」

「そう、反復練習と復習が、結局は近道だって話をしていたよね。 悔しいけれど、事実だと思う。 生活に一杯一杯で、それさえロクにできていなかったし。 それに、古いけれど参考書もある。 もう一度読み直して、しっかり勉強しよう」

「本やだあ……でも仕方が無いよね」

スールがだだをこねかけるが。

しかしながら、それでもその言葉を飲み込んだ。

お母さんがいたら何というか。

二人とも、そう考えるように常にしている。

お父さんがあんなになってしまった今。

二人を支えているのは、もういなくなってしまったお母さんなのだ。

一度家に戻る。

いつも作っているお薬のレシピをもう一度読んだ後。

どうして今までロクな薬が作れなかったのか、きっちり調べ直す。

幾つも原因は出てくる。

分量がいい加減。

ロクな中和剤を使っていない。

薬に使う薬草の葉脈などを丁寧に取り除いていない。

更には、使っている器具を、きちんと蒸留水で洗浄していない。

素材の質が低い。

全部クリアするのは大変だけれど。

やるしかない。

リディーは少しは魔術が使える。

教会でシスターグレースが。正確には、シスターグレースの指示で、何人かいるシスターの内、猫顔の獣人族シスターが教えてくれたのだ。獣人族は魔術に関してヒト族に劣るが、あの人は魔術の名手で、教え方も上手だった。回復魔術一本でやっているという話だったし。

少なくとも、あの人の回復魔術を超えられなければ。

薬として納品はできないだろう。

子供達が使うのだ。

それを考えると、とてもではないが。恥ずかしくて、そんな事は出来なかった。

まず、蒸留水を作ろう。

幸いコンテナはある。

内部に強力な魔術が満たされていて、中に入れてしまえばまず品質は落ちない。

何にでも蒸留水は使う。何度も蒸留すれば、質はどんどん上がっていく。質の高い蒸留水で丁寧に器具を手入れすれば、手入れするだけできる薬の質だって上がる。

錬金術師だったら基礎の基礎。

ルーシャに前、馬鹿にされながら言われた事だ。

でも事実だと思う。

ならば、それをしっかり守って行くしか無い。

「スーちゃん、お湯湧かして。 蒸留水、今のうちにできるだけ作ろう。 それも一回湧かすだけじゃなくて、今回から蒸留水を更に蒸留しよう」

「ええー、面倒」

「そう思ってたから、薬がダメだったんだよ」

「うっ……分かったよう」

スールを急かして、黙々と湯を沸かす。

湯を専門の器具で捕らえて冷やし。蒸留してできた水で、まずフラスコを徹底的に洗う。

そして蒸留水をフラスコに移す。

その間、水汲みはスールにやって貰う。

湯を沸かしていると、すぐに分かってくる。湯を沸かすのに使っている鍋が、すぐに汚れていく。

つまり井戸水は。

これだけ汚れていると言う事だ。

基本的に水は湧かして飲む。

誰でも知っている事だけれども。

こうやって煮詰めてみると。

どれだけ汚いか、よく分かってくる。

半日がかりで蒸留水を造り。

そして更にその蒸留水を使って鍋を一度綺麗にし。そしてまた蒸留する。見た目はよく分からないけれど。

これで前とは、桁外れに質が上がっているはずだ。そう信じる。

大きくため息をつくと。

マスクもした方がいいかと思う。

だけれど、そうなると。

多分アトリエを徹底的に綺麗に掃除することも必要になるはずだ。

埃とかが蒸留水には入り込んでいる筈で。

それを考えると、今後はアトリエそのものも、綺麗にしていく工夫が必要になってくるだろう。

そして、である。

腕を見る。

細い腕だ。

獣の攻撃を食らったら、それこそひとたまりもない。折れるどころか、消し飛ぶかも知れない脆い腕。お母さんは散々外で色々な敵と戦ってきた、騎士である以前にまずホンモノの戦士だった。スールも天性の勘の持ち主で。流石にこの間本職の騎士を見て驚いていたけれど。それでも運動神経は抜群にいい。

リディーは違う。

スールや、ましてやあの騎士アンパサンドさんみたいに動けない。

動けないのだとしたら。

なおさら爆弾とかを投げて、味方を支援するか。

それとも騎士団が使っているような、自分の力を高める道具で、魔術の力をめちゃめちゃにパワーアップして。

それで味方を支援するしかない。

とりあえず、充分な量の蒸留水はできた。丸一日掛かってしまったけれど、仕方が無い。コンテナにしまい込む。それだけでかなりの重労働だった。

「やだー、腕パンパンー」

「スーちゃん、思うんだ」

「何が?」

「今まで、こういう手間暇を掛けてこなかったから、錬金術上手にならなかったんだと思う」

スールはベッドで横になったまま聞いている。

リディーは、自分の手に回復の魔術を掛けながら、続けた。大した回復はしないけれど、やらないよりはマシだ。

蒸留水を作る過程で、ちょっと火傷していたのだ。

「お師匠様ができたとして、何て言われるんだろうね」

「天才って褒めて貰えるかな」

「絶対無い」

「そうだよね……」

楽天的な所はスールの良い所だが。

最近は、それもリディーにとっては、情けなく思えてきていた。

 

3、絵の中の楽園

 

蒸留水を作った翌日。

幽鬼のような足取りで、お父さんが家を出ていった。

ご飯を食べるかとリディーは聞いたけれど。

完全に無視された。

いや、恐らくアレは聞こえていない。

お酒は入れていないようだけれど。

それでも人は壊れてしまう。最初は恐くて泣いたけれど。今はそれよりも嫌悪の感情が強かった。

「ねえ、スーちゃん」

「んー?」

「あのさ、地下室から声が聞こえない?」

「はあ」

スールはしばし唖然としていたが。

見る間に真っ赤になる。

憤怒に頭が沸騰したのだと、一発で分かった。

スールはキレると、見境がなくなる。

こう考えたのだろう。

「商売している」女を連れ込んだのでは無いかと。

「あんのクソ親父! 娘のささやかな稼ぎで、さもしい欲望満たそうとか考えるか!?」

苦笑いしかないが。

そういうクズが幾らでもいることくらい、リディーだって知っている。

スールももちろんだ。

だが沸騰したスールは、地下室への扉に突撃。

一撃で蹴破った。

まあ、流石に本職の戦士には及ばないが、こんなものだ。お母さんも拳銃使いだったが、機動力を駆使して獣と大立ち回りを散々していたと聞いている。その血を強く受け継いだスールは、普通にこれくらいできる。

地下室に入ると、スールは獣みたいに荒く息をつきながら、殺気だった目で周囲を見回したが。

後から入ったリディーが見た限り。

情事の跡は無いし。

女の臭いもしなかった。

何よりとにかく無骨な空間で。

書き殴られたキャンパスと。乱雑に放られたイーゼル。それに、何よりも。

スールが黙り込んでいる。

リディーもだ。

壁に掛かっているその絵は。

あまりにも美しかった。

天海の楽園。

そう書かれている。

その言葉通り。まるで天国のような花畑を描いた、神秘的なまでに美しい絵だった。

幾らになるだろうとか、そういう事は頭に浮かばなかった。

値段とかをつけて良いものではない。最初にそうとさえ感じた。

「何この絵。 あのクソ親父が描いたの!?」

「……」

聞こえる。

小さな声で。

か細いけれど。

確かにこれだ。この絵から、ちまちまとした声が聞こえる。何を言っているかはとても分からない程微かだけれど。

無言で、手を伸ばしてみる。

スールが、あっと声を上げるのがわかったけれど。

それだけ。

意識が、ぐるんと反転して。

落ちていた。

 

気がつくと、まばゆい光に満ちた世界にいた。

一面の花園だ。

周囲には美しい青空が拡がっていて。

其処には何の苦悩もないように思える。

スールは呆然と側に立ち尽くしていて。

リディーが声を掛けると。

我に返った。

「あの絵に吸い込まれたんだよ」

「えっ……」

「どうしよう。 あれきっと、錬金術の道具か何かだったんだよ。 昔はあのクソ親父、錬金術の腕確かだったでしょ。 殆ど売っちゃったみたいだけれど、まだ凄いのが残ってたんだよ!」

スールがまくし立てる。

確かにそれだと、非常にまずい事になる。

高度な錬金術は、魔術を何十倍にも、下手をするともっともっと増幅させると聞いている。

本当に何が起きるか分からないから。

分からないものには絶対に触るな。

そうまともだった頃のお父さんに、叱られたことがある。

「ど、どうしよう! さっきなんか訳分からない黒い影もみたよ!」

「……」

まずい。

一瞬で花園の美しい世界が、悪夢の牢獄に思えてきた。

だが、こう言うときこそ。

落ち着くべきだ。

お母さんは言っていた。

苦難に直面したときこそ落ち着け。

慌てて行動すると絶対にドツボにはまる。全てを試してから、最後の最後で勇気を振り絞れ。

深呼吸すると

頬を叩く。

「この辺りの花見てみて」

「え、何言って……」

「良いから。 こんな不思議な世界の植物だよ。 凄い薬の材料になるかも」

「……」

籠は、ない。

だけれども、此処で採れる材料を使えば、或いは。

丁寧に摘む。

見た事がある草も。そうで無いものもあった。いずれにしても、みずみずしさが尋常ではない。

足音。それも、明らかに脅威を感じるものだ。

何か神殿のような柱があったから、身を隠す。

真っ黒で、見た事も無い巨大な人型が、歩いていた。

他にも、上半身だけしかない人型が。両手で這いずっていたりした。

いずれもみんな真っ黒。

人とカマキリと蛇を足したようなのとか。

翼を生やして、人間と虫を足して二で割ったようなもの。

それに、槍を持った兵隊みたいなのもいる。

どれもこれも、黒くて恐くて。

花園を我が物顔に荒らして。

好き勝手に振る舞っているのが分かった。

許せない。

そう思ったけれど。分かってしまう。

今のリディーとスールでは、とてもではないが、勝ち目なんてあるわけ無いと。あれらの一匹すらどうにもできないと。

ふと、気付く。

躍り出た人影が、槍をもっていた兵隊みたいなのを蹴り挙げ、銃で撃ち抜く。

一斉に気付いて躍りかかっていく黒い何者か達を。

その人影は、ちぎっては投げちぎっては投げ。

打ち抜き、叩き伏せ。

やがて敵性勢力を全滅させると、銃を回転させ。

ホルスターに収めた。

あれ。あの動き。まさか。そんな筈は。

スールはブルブル震えていて見ていなかったようだけれど。リディーは確かに見ていた。

後ろ髪の特徴的な巻き毛。

あれは。

お母さんでは無いのか。

でもその人は、気付くともういなくなっていた。

「すぐに出よう」

「で、でもどうやって! あんなバケモノ、勝てる訳ないよう! 獣だって勝てそうにないのに、獣より強そうだった! スーちゃん、あんなのに勝てないよ!」

「分かってる。 でも、これ入る事出来たんだから、出ることだって出来る筈だよ」

それが希望論で、楽観論に過ぎないことはリディーだって分かっている。でも、今はそうやって、くすんくすんと泣いている妹を慰めるしかない。

スールを守って。

死ぬ間際、お母さんはそう言っていた。

お姉ちゃんは力も弱いし戦闘のセンスもないけれど。

それでもスールを守らなければならない。

また黒いのが出現し始めている。

もう、一秒たりとも時間はない、と判断して良い筈だ。

「いい、入るときのことを思い出して。 私、絵に近付いたと思う。 他に何かなかった?」

「綺麗って、言っていたと思う」

「……」

絵に入るトリガーが近付いただけというなら。

リディーだけ気絶して、離れたスールは意識があるまま吸い込まれた説明がつかない。何よりお父さんは地下室に籠もっていることも多かったのだ。無差別に吸い込むはずがない。もっと簡単に考えるべきだ。

それなら、出るには恐らく。

「この絵から出たい」

「えっ? う、うん」

「強く願って! 早く!」

「分かった! 分かったあ!」

悲鳴混じりの声でスールが言う。それもそうだ。こっちに黒い人影が殺到してくるのが見えたからだ。気付かれたのである。

素人でも分かる程の殺意をむき出しにして、殺到してくる得体が知れない何者か達。

巨大なのも。

下半身がないのも。

カマキリみたいなのも。

一斉に襲いかかってくる。あんなの、一匹だってどうにもならないのに。リディーとスールみたいな底辺錬金術師がどうにかできるわけがない。

リディーに抱きついて、完全に震えるばかりの妹の頭を抱えて。

リディーは願う。

この絵から出して。

もう此処にはいたくない。

光がその場を包む。

そして、気がついたときには。

あの暗い、荒れた地下室に放り出されていた。

呼吸を整える。

さっき採取したみずみずしい植物はある。ということは、夢では無かった、という事になる。

すぐに絵から離れる。

これをお父さんが描いたのだとすれば。

全盛期のお父さんの実力は、ひょっとすると、ルーシャどころか、ルーシャのお父さんを更に凌ぐのではあるまいか。

「スーちゃん立って。 ドア直して。 すぐに此処を出よう」

「その必要は無い」

冷え切った声。

いつぶりだろう。

正気に戻ったお父さんの声だ。

お父さんは無精髭だらけの顔だったけれど。

ずっと見せなかった、本気での怒りの顔を向けてきていた。

背筋が凍る。

ろくでなしと馬鹿にしていたけれど。確かにこの人は、一流の錬金術師だった時代があるのだ。

それを今更ながらに思い出させられた。

お父さんはお母さんと違って、滅多に悪戯をしても怒らなかった。昔は優しくて、とても好きだった。

でも怒るときは、お母さんよりも恐かった。

それも、ようやく思い出していた。

「二人ともすぐに部屋から出て行きなさい。 ドアは私が直す。 後、二度とこの部屋には入らないように」

その言葉には。

有無を言わせぬ迫力があった。

いつもだったら、スールはクソ親父とか怒鳴っただろうけれど。

泣きながら頷く。

リディーも反論なんてとてもできず。自分から、ずっと恐怖に泣いている妹の手を引いて、地下室から出て行くしかなかった。

 

地下室の扉は、何か普通では無い方法で閉められたらしい。

あの後試しに調べて見たら。

ばちんと、魔術で弾かれた。リディーの今の実力では、とても突破出来ない。やっぱり凄い人だったんだなと思う。

今は荒れに荒れているけれど。

お父さんが少しでも正気になれば。今でもこんな強固な防壁を、すぐに展開することが出来るのだから。

ただ、持ち帰った草は。

使ってみると、凄いものだった事がすぐに分かった。

丁寧に葉脈を取り除いて、お薬に使ってみる。そうしてできた薬は、蒸留水の質をがつんと上げたのも理由ではあるのだろうけれど。

触るとじんわり暖かいほど魔力が籠もっていて。

何よりも、傷口に塗ると。

見て分かる程の速度で、傷が治っていくのが分かった。

これは、すごい。

「うっそ。 こんな凄い薬、スーちゃんが作ったの!?」

「私も作ったけどね」

「まーたうまくなっちゃった、じゃないよね……」

「うん。 これ、凄い素材だと思う。 ここぞという時のためにとっておくべきなのかな……」

あまりにも衝撃的な出来事だった。

あれからお父さんは、また幽鬼のような有様に戻ったけれど。

一度だけ、絶対にあの絵には近付くな、口外もするなと、有無を言わせぬ雰囲気で告げて。

それっきりだった。

スールは落ち着くまでずっと泣いていて。

リディーは涙を堪えて、側についているしか無かった。

恐かった。

でも、何となく思う。

城壁の外で暮らしている人は。

この程度の恐怖、日常的に味わっているのではないのだろうか。

それはリディーもスールも弱いままな筈だ。

生ぬるい環境で平和に暮らして。

本当の恐怖を知りもしていない。

今日、やっと本当の恐怖を知った。

そして、思い知らされた。

超常の技を持っていても。

今のままでは、その欠片さえも引き出すことが出来ないのだと。真価に触れるどころか、その表面さえなぞれないのだと。

普段はやんちゃで強気なスールも。

流石に今回の件では懲りたらしい。

地下室に近付こうとは絶対しなくなった。

うちひしがれている双子の元に。

手紙が届いたのは、その時だった。

手紙の配達には幾つか手段がある。

特別に訓練されている鳥を使う時。

これは急ぎの時の最終手段である。何しろ獣に襲われて、食われてしまう可能性が高いのだから。

だからリディーも、そういう配達があるとしかしらない。

後は配達夫が送る場合。

これは殆どの場合アルファ商会が十把一絡げに扱っていて。

信頼性が高いアルファ商会に任せてしまっているケースが多い。しかもアルファ商会は、データを保全することには絶対の信頼をといううたい文句を掲げており。手紙が届いたことを確認してから料金を受け取ること、手紙が途中で開封されていないようにと独自の蜜蝋を使う事、などから定評がある。

ただしこの手紙は、確実に届くのと裏腹にとっても高い。

本当に大事なときにしか、使えない手紙だった。

王都で一番普及しているのは。小遣い稼ぎ代わりに、その日雇われた人が手紙を王都内限定で配達するものだが。

当然ながら、その日に雇われた人が配達するので。

手紙の中身を見られる可能性もあるし。

きちんと届くかも怪しい。

ただ王都と言っても広い。

安かろう悪かろうでも、利用する人はいる。

実は小遣い稼ぎに、リディーとスールもやった事があるのだけれど。広い王都の中で迷子になって閉口したし。

何より裏路地の危ない所に入り込みかけてしまって。

それ以来懲りて、このタイプの日雇いには手を出さないようにしている。あの時は、今回みたいにスールもわんわん泣いていた。

そして例外中の例外。

騎士が届けに来る。

今回は、そのケースだった。

言う間でも無いが、国が絡んでいる手紙で。しかも絶対に相手に届けなければならない場合の配達手段だ。

そして、アトリエに来たのは。

すらっと背が高い、金髪のイケメンだった。

その残念さはアダレット全体に知れ渡っているという、姉に全部才能を吸い取られているとも言われるダメ王子。

マティアスである。

遠くからその残念ぶりは何度か見たことがあるが、騎士団でもお荷物扱いされていると聞いている。

武門を自称する王家に生まれながら、ヘタレのへっぴり腰で。戦闘でもまるで役に立たず。

捨て扶持として、騎士団に入れられ。

迷惑を掛けないように隊長にもせず。

真っ昼間から街中をふらつきながら、ナンパを無節操に繰り返している。そして悪評が広まって、ほぼどんな女の子にも相手にされていない。

見た瞬間に萎えたが。

それでも、ドアを開けた相手が、一応王族で。騎士であり。しかも今後の命運を握っている手紙を持っている以上。

対応しなければならなかった。

「よっ。 お前達が錬金術師の双子姉妹か?」

「あハイ」

「何だー、こんなちんまい錬金術師かー。 流石に俺様もこれは口説く気になれない……」

マティアスが黙り込んだのには訳がある。

一緒にいた見覚えのある騎士。

そう、ホムの騎士アンパサンドが、脇腹に掌底を叩き込んだのである。

踏み込む時に、ドンと凄い音がした。

何かコツがあるのか。

鎧の上からも打撃が通ったようで。

マティアスが真っ青になって蹲る。

咳払いすると、泡を吹いているマティアスから手紙を奪い取り、アンパサンドさんは手渡してくる。

「失礼したのです。 またお目にかかったのです。 この方のお目付役を命じられているアンパサンドなのです。 手紙にアトリエランク制度についての詳細などを記載しているので、この場で開封して確認して欲しいのです」

「お、おう、アン、お前、俺様王族……」

「武門の国の王族なら、如何に浸透打撃を受けたとしても、我慢して耐えるのです。 大体こんな付け焼き刃、獣には小物でも通じない程度の技なのです」

「む、無茶苦茶言うなよ……俺様吐きそう」

立ち上がろうとしてできず、青い顔のままブルブルしているマティアスは放置しておいて。

スールを促し、蜜蝋を切って一緒にスクロールを見る。

それには、以下のような事が描かれていた。

このレシピを完成させ納品せよ。それを試験とする。

また、今後我が国の貴重な錬金術師を護衛するために、手紙を配達させた二人を護衛としてつける事とする。

ただしアトリエランク制度は厳正に行う。

制度に参加するには試験の突破を必須とするし。

突破出来ない内は、騎士の護衛には料金を払って貰う。

これは富国強兵のための国策である事を忘れないように。

アトリエランクが上がれば、支給する賃金も増やす。また、生活費も担保する。

現状での必要な情報は、他にも幾つか記載されていたが。

大体そんなところだ。

真顔になって口をつぐむリディー。

眠そうにしているスール。

活字には本当に弱いんだなと思わされてしまうが。まあこれは仕方が無い事なのだろう。昔からリディーはこうで。そんなの一朝一夕で治るはずがないのだから。

「それじゃあ俺はこれで……」

「マティアスさん」

「何だ、デートのお誘いか? 俺は子供には……」

「違います」

即座に断る。

例え玉の輿を狙えるとしても、リディーもこんなのはお断りだ。大体首尾良く玉の輿に座れたとしても、あの血染めの薔薇竜の気分次第で処分される。はっきりいって、冗談じゃあない。

「護衛については、このスクロールに書かれている通り、騎士団の詰め所に申請しておけば良いんですね?」

「おう。 しばらくはサービスで、ただで護衛してやるよ。 見た感じ、このアトリエの状況だと、生活費もカツカツなんだろ?」

「……」

アンパサンドさんは何も言わない。

多分、リディーとスールの現状を知っているから、なのだろう。

「ただ、それも数回だけだぞ。 さっさと試験に受かっちまえば、後は大手を振って俺たちをただで護衛に連れて行けるからな。 俺もおっかない姉貴の膝元から離れて好き勝手にできるし、頼むぜ本当に」

何だか切実な言葉だ。

出来の悪い弟に、ミレイユ王女がどう接しているのかが、何となく分かる。

あった時も恐いと思ったが。

あの人は役立たずの父親を幽閉して、実権をむしり取った女傑だ。

勿論奸臣がいれば、その時弟を使って悪さをしただろうに。それらも全て押さえ込む事に成功している。

隙なんぞない。

「分かりました。 それではお願いします」

「おう、じゃあな」

ぺこりと一礼するアンパサンドさんがドアを閉める。

ヒト族から見るとどちらかというと可愛いホムなのに。アンパサンドさんは、目に闇をたたえているのが露骨に分かるし。何よりも凄くしっかりしているという印象を先に受ける。騎士として仕事をしているという事は、もの凄い苦労をしているのだろうし。色々と無理もない。

スールが大あくびする。

そしてずばり言った。

「リディー、何あの残念イケメン」

「マティアス王子」

「知ってるよ。 でもアレじゃ、操り人形にしようにも、そう考える人さえいないんじゃないの」

「そうだね。 アレじゃ誰もついてこないね」

それよりも、大事な事がある。

ミレイユ王女が付け加えてくれたらしい資料に、記載があったのだ。

先生になってくれそうな錬金術師のアトリエについて。

ごく近所である。

最近まで廃屋だった筈だが。

錬金術師である。ぱぱっと廃屋をアトリエに改装してしまったのかもしれない。

「ええと、錬金術師イルメリアさん。 まだ若いみたいだけれど、女性の錬金術師みたい」

「イルメリアさん。 覚えた」

「うん。 とりあえず、会いに行ってみる? 今のままだと、そもそもどうしようも無いんだし……」

「そうだね、すぐに行こう!」

数日前にあんな事があったのに。

すぐに切り替えられるのだけは凄い。

リディーはまだ、あの絵に吸い込まれたときの事を考えると、足が震える位なのに。それなのに、少なくともスールはもう元気になっている。この切り替えの速さは、本当に凄い。

歩きながら話す。

良い人だといいね。

きっと良い人だよ。

でも、まずは基礎を教わったとして、それからどうするべきなのか。さっきちらっと見たレシピ。今まで見たことも無いような難しい内容だった。山師を排除するために、当然厳しい内容なのだろう。それは分かるが、それでも手加減も何も無かった。

程なく、廃屋だった家の前につく。

思わず、唖然とした。

街は歩き慣れている筈なのに。

其処は、いきなり光景が変わっていた。

汚い潰れかけた家屋が綺麗に撤去され。

こぢんまりとはしているけれど。とても綺麗な家に変わっていたのだ。白磁の壁に、赤い屋根。そして、窓から見える色々可愛い小物。

手入れがとても行き届いている。

少し躊躇してから、戸をノックする。

しばしして。

顔を見せたのは、無表情な女性だった。メイドらしい。

「何用ですか」

「あの、此処にイルメリアさんという錬金術師がいると聞いて……」

「それで?」

「あの、あの……私達、錬金術師なんです。 それで、少しでも色々教えて貰えたらって」

アリス、と奥から声が掛かる。

声そのものは幼く聞こえるが。

ゆっくりしたしゃべり方は、とても落ち着いていた。

「通してあげなさい」

「分かりました。 お二人とも、此方です」

頷くと、中に入る。

綺麗な絨毯。入り口で靴を脱ぐように言われたのでそうする。アリスというメイドさんは、てきぱきと靴を揃えていた。ルーシャの所のメイドさんも有能だけれど、それを思わせる。

錬金釜の前で、調合作業をしている小柄な女性の後ろ姿。

白を基調とした服を着て、大きなリボンを頭につけている。複雑な造りの絹服で、すぐにお金持ちなんだなと理解出来た。ただ、体につけている装飾品は、どれも嗜好品の類には見えない。

或いはだけれども。全部錬金術の装備。体の能力を上げたり、自動で魔術を展開したりするものなのかも知れなかった。

「もう終わるから、其処に座って待っていなさい。 リディーとスールね。 此方にも書状が来ているわ」

「あ、はいっ」

「いきなり来てしまってごめんなさい」

「いいのよ。 自習に向いていなくて、才覚を伸ばせない人はどうしてもいるわ」

後ろから見ているだけでも分かるけれど。

もの凄い手際だ。

釜からして違う。

一体何の金属でできているんだろう。

程なく、複雑な調合を超人的な手際で終えると。手際よくぱっぱと薬に詰めていき。荷車に綺麗に並べていく。

「アリス、納品してきて頂戴。 数は数えてくれる?」

「はい、揃っております」

「よし、では納品」

「行って参ります」

アリスさんがすっとアトリエから、荷車を引いて出ていく。

というか、あの荷車、くるまが動いていない。というよりも、今気付いたけれど、浮いている。

アリスさんが重そうにはしていなかったから、車がいらない荷車なのだろう。

もう、何から何まで、世界が違うのだと、思い知らされた。

「さて」

イルメリアさんが振り返る。

厳しい表情だった。どちらかというと可愛い人なのに。目つきは鋭く、容赦なくリディーとスールの本質を見極めようとするように、視線は射込むようだった。

「私はイルメリア=フォン=ラインウェバー。 今回アトリエランク制度に牽引役の一人として、ラスティンから赴任したわ。 よろしくね」

「よろしくお願いします!」

「しますっ」

ラインウェバーというと、リディーでも知っている。確かラスティンで名家と呼ばれている一族だ。

その御令嬢なのか。

だが、その反応を知ってか。冷めた笑みをイルメリアさんは浮かべる。

「あいにくだけれど実家とは縁を切っていてね。 名前だから残してはいるけれど」

「え、どうして……」

「スーちゃん」

妹の口を塞ぐ。巨大なコネを自分から潰しているというと言うのは、余程の事だ。きっとのっぴきならない事情があるのだろう。

それでも、関係無い。

この人はアトリエランク制度の牽引役だという話だ。

それに、腕前もさっき見た。

アトリエの中は可愛いものだらけ。少女趣味の極みだ。だが、それでも実力は間違いなく超凄い。多分ルーシャでは及びもつかない程の筈だ。

二人で居住まいを正すと、土下座する。

「私達を、弟子にしてください」

 

4、地獄開門す

 

今回も来たか。

私、イルメリアは気が重い。弟子にして欲しいと言う言葉は即決で受けた。毎回そうだし、別に其処までは良い。

双子は非常に難しい弟子だ。

育てるのもそうだし。それを最高率化するのも。万を超える試行回数を経て、ようやくコツは掴めてきたけれど。

それでも、幾つもあるハードルを一つずつ越えていくのは、本当に大変だ。

まず最初に二人の腕前を見る。

いつもそうだが、論外レベルである。半人前どころか、ひよこ以下だ。

どうダメなのかを、順番に丁寧に説明していく。

騎士団は深淵のものと連携しているので。

試験に受かる前でも、最初の数回はただで護衛してやるという話は既についている。

後は、数回の護衛分で採取できる材料で。

この二人が、試験を突破出来る所まで、実力をつけさせなければならない。これが最初のハードルだ。

何度か、いっそのことと思い。二人のアトリエに住み込みで指導したことがあったのだが。

それは上手く行かなかった。

だから今は、アトリエから宿題を出して。それをクリアさせていくように切り替えている。

「すっごくわかり易いです!」

「そう、じゃあ試してみて」

「はい!」

目の前で調合をさせ、丁寧に教えていくと。

呑み込みはそれなりに早い。

あのソフィ=ノイエンミュラーも。最初は驚かされたのだが。実は書籍学習が苦手なタイプで。プラフタと出会うことで才能を開花させたらしい。もっともソフィーの場合は、最初から魔術師として一流レベルの実力を持っていたらしく。戦闘での手腕には事欠かなかった事も大きいそうだが。

この双子も、書籍学習が苦手だとしても。

馬鹿にする理由は無いのだ。

まあ嫌になるほど繰り返しているから、この双子にどう教えれば良いのかは、知っているだけ、という事もあるのだが。

「弟子にするといっても、私はさっきみたいに仕事が忙しいから、四六時中ついている訳にはいかないわ。 宿題を出すから、必ずそれを欠かさずやるように。 期日もつけるわよ」

「うわ、き、厳しいですね」

「……いい、錬金術は数字を管理する学問なの」

これは基本だ。

あの天才と私が認めるフィリスでさえ、天然とは言え無意識にやっていた。

どれだけの素材をどういう日程とコストで集めるか。

分量をどう管理するか。どう調合するか。

全て緻密な数字が関わり。

その数字が重なりあった先に、錬金術の花が咲くのである。花を大輪に、より美しくするには。

より細かく数字を管理していかなければならない。

「宿題をきちんとこなすのは、数字管理の第一歩よ。 ましてやその格好だと、お金を稼ぎたいとも思っているんじゃないの?」

「うっ、その通りデス」

「スーちゃんっ!」

「いいのよ。 錬金術師は、蹂躙者ではあってはならないけれど、貪欲なくらいでいいのだから。 お金を稼ぎたいというのが理由でもかまわないわ。 ただし、必要以上に奪うことはあってはならない」

すっと、私は声を絞る。

双子の操縦術は。

嫌と言うほど繰り返した中で、充分に覚えていた。

「さあ、教えたことを元に、宿題をやってきなさい。 それと、分からない事があったら、何度でも聞きなさい。 何度でも教えてあげるわ。 一度で分からない事、分からない事を聞く事、失敗する事、謝る事は恥ずかしい事でも何でも無い。 むしろ分かっていないのを分かったつもりになって、大惨事を引き起こす方が目も当てられないわ」

言い聞かせると、一旦二人を帰らせる。

まず順番に、やらせるべき事は決まっている。

次の採集に出る前に。

簡単な護身用の爆弾を作れるようにする所までは育てる。魔術が得意な錬金術師は、爆弾を一とした、道具にこだわる必要は最初の内はない。だが、この世界は過酷だ。どれだけ魔術が得意でも、ネームドレベル以上の獣になってくると、素の力では対抗不可能になってくる。

だから爆弾にしても拡張肉体にしても、魔術の増幅道具にしても。

己の火力を凌ぐ攻撃手段は、早い内から確保しなければならないのだ。

アリスが戻ってくる。

「騎士団への納入終わりました」

「そう。 ご苦労様。 命じておいたヴォルテールの方との連携は」

「済ませてきました。 上手くやっているようです」

頷くと、調合に戻る。

騎士団には、今までアトリエヴォルテールからしか、必要資材の納入がなかった。アルファ商会からも提供するという案が上がっていたのだが。先代王の時代は、腐敗商人の既得権益とつながった汚職官吏が、それを邪魔していた。先代の時代にアダレットの宰相をしていた深淵のもの幹部「毒薔薇」も、全ての腐敗を除去できていた訳では無かった。

ミレイユ王女を旗頭に大なたをふるって。

ようやく害虫の駆除が終わり。

そしてやっと今では、風通しが良い状態になって来ている。

双子を育てた後に、力を使い果たしてしまっていると、それはそれで問題だ。

今回もアルファ商会は、蓄積してきた資産の六割を作戦に投入するが。

逆に言うとそれ以上の資金投入はできない、という事も意味している。

アトリエヴォルテールには、本人達も気付かないうちに、ソフィーが手の者。つまりホムンクルスを紛れ込ませているが。

私もラインウェバー家にそれをされていた事はもう知っている。

ただアリスは、文字通り命がけで私を助けてくれた。

だから今は。アリスを全面的に信頼しているし。

アリスもそれに答えてくれている。

アンチエイジング処置をしているアリスは。

世界の終わりまで。

私と一緒に戦ってくれている。

今回失敗したとしても。

それに変わりは無いだろう。

悔しいが。

ソフィーが張り巡らせた蜘蛛の糸は。

もはやアダレットを覆い尽くし。

そして全てが彼奴の目的通りに動き始めている。それがもっとも効率が良いことは、私もフィリスもはっきり分かっている。非人道的だが、このまま放置すればもっと非人道的な事になる。

誰かが犠牲にならなければならない。

私は、その犠牲になるつもりだ。

他に方法がないのだから。

さて、順番に一つずつ。

今回もこなして行こう。

今度こそ。双子を育てきりたい。

そう考えているのは。

記憶を引き継いでいる私もフィリスも。話を聞いている全員も。それに、恐らくは、あのソフィーも同じなのだから。

凄惨な世界の終末を避ける為。

私は敢えて。

今回も手を血に染める。

 

(続)