あまりにも強固すぎる壁

 

プロローグ、悲鳴すら上がらず

 

またダメだった。死なせてしまった。

大雨の中俯いているわたしフィリス=ミストルートの前で、高笑いしている雷神。最強の邪神、雷神ファルギオル。四本の鋭角的な足と、節に別れた体、鋭い剣と盾を持ち、どこか昆虫を思わせる凶暴な姿。弱い、弱すぎる。そう喚いて勝ち誇っているそいつは。

悲鳴を上げる暇すらも無く。

一瞬で「線」になった。

左右から押し潰されたのだ。

そして今度は「点」になった。

上下前後から押し潰されたのである。

きゅっと音がして。何もかも残さず消える。

飽きるほど見た雷神の最後だった。

雨が晴れていく中。

雲が割れ。光が差し込んでくる。

その中を歩いて来るのは。雷神と呼ばれる最強の邪神を、一瞬で手さえ動かさずに屠ったこの世界最強の錬金術師。特異点ソフィー=ノイエンミュラー。

わたしの師匠であり。

そしてこの惨劇を引き起こした張本人の一人でもある。

彼女は濡れてさえいない。

これだけ激しく雨が降っていたのに。

ソフィー先生の冷徹な目は。まさに地獄の、いや地獄さえ天国に見える深淵最深部の顕現。その視線は。

呆然と歩いている、傷だらけの若き未熟な錬金術師。

スール=マーレンに向けられていた。

既にスール、スーちゃんは正気を保っていなかった。

隣では、俯いたままわたしの親友、イルメリア=フォン=ラインウェバーが。唇を噛んだまま立ち尽くしている。この事態を防げなかった事への。自分への強い怒りを覚えているのが分かった。

わたしはひたすら悲しかったが。

もう涙は涸れ果てた。

皆の視線の先で。

焦点の合っていない目で。

スーちゃんがイルちゃんに話しかける。

「イル師匠。 リディーが半分しかないの。 半分見つからないの。 一緒に探してよう」

スーちゃんが引きずっているのは。

下半身を失ったリディー=マーレーン。

スーちゃんの二卵性の双子の姉。リディーちゃんの変わり果てた姿。

勿論生きている筈が無い。雷神との戦いで、一瞬で吹き飛ばされたのだ。

これでもう八千回を超えたか。

どうしても此処を突破出来ない。

ソフィー先生が用意した「壁」。

世界の終末を打開するために必要なエサを、どうしても双子は食い破れない。必ず此処で死ぬ。運が良くても一人は死ぬ。どちらかが死ななくても生き残りは再起不能になる。

ソフィー先生は、顎をしゃくると、どこともなく歩いて行く。

今回は失敗だ。

だから、世界の終焉まで打開策を探し。

ダメならまたやり直す。

そういう事である。

もう双子には完全に興味を無くし、見てもいなかった。もはや十億年を超える時間を、世界の詰みを打開するために動いている錬金術師には。人の心はないとしか言いようがなかった。

へたり込んで泣きじゃくっているのは、双子の従姉妹。ルーシャ=ヴォルテール。ルーシャちゃん。

最初にソフィー先生が手を回して。

双子を守ると決意させたもの。

どれだけ双子に馬鹿にされ続けてもめげず。

必死に努力を続けて、ソフィー先生の魔の手から双子を守ろうとあがき続けた決意の子。

だけれどこの子は。

今回も双子を守りきれなかった。

わたしの時も。ソフィー先生は、20万回以上繰り返したと聞いている。

それくらいの苛烈な試練でないと、とてもではないが世界の詰みを打開する人材を育てられない。

そういう判断なのは分かる。

だが、わたしは。

恐らくイルちゃんも。

ソフィー先生の師匠だったプラフタさんも。

その苛烈すぎる行動には、今では強い反発を感じている。

確かに全てが終わってしまう。

それは事実だ。

わたしだって見てきた。

一度で上手く行くはずが無い。

最初から覚悟はしていたが、それでも此処までの地獄だとは思っていなかった。いや、地獄などというものはもはや天国だろう。

地獄と言う言葉が生ぬるく思える程の、凄惨な未来の有様を嫌になるほど見てきた。もう八千回以上も。合計して、もう数千万年分の経験も積んで来た。

だから理解出来る。

理解は出来るが、納得出来るとは、別の話だ。

正気を失ってふらふらしているスーちゃんを見かねて。

ルーシャちゃんが飛び出し、抱きしめて叱咤する。

「スール! もうリディーは、死んでしまったの! 死んでしまったのよ! だからせめて、お母様と一緒の場所に埋葬してあげましょう! ね!」

「ルーシャ、何言ってるの? リディーは半分残ってるじゃん。 錬金術があれば、何でもできるんだよ。 半分あれば、治せるよ。 本は苦手だけど、治す方法、今から調べなきゃ。 眠らないように頑張らないと」

「スール! ああ……私が弱いから……っ! ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

慟哭の声が雨の止んだブライズウェスト平原に響く。

イルちゃんの手をわたしは引いた。

少し躊躇ったが。

イルちゃんは言う。

「せめて……あの二人を無事に家に届けてくるわ」

「ごめん。 辛い思い、させるね」

「……今回のではっきりしたわ。 戦力が足りないのよ。 二人を育てても、多分追いつかない。 そもそも彼奴の攻撃で死なないようにするためには、ターゲットを分散させるしかない」

さっきまで、怪我をしているフリをしていたイルちゃんも。

既に綺麗な姿に戻っている。

もうわたしもイルちゃんも。雷神ごときに遅れを取る実力では無い。

だからこそ、次こそは。何度もそう言い聞かせ、すり切れそうになりながらも。頑張って来た。

そしてこれから。

また見なければならない。

何をしても無駄という事実を。

人類が資源を食い潰し。

滅びていく有様を。

そして最後の一人が死んだときには。

やり直す。

時間が戻り。

わたしとイルちゃんが、賢者の石を作って、パルミラに謁見した時まで戻る。

そしてソフィー先生が何があったかを皆に説明し。

それから戦略会議を開いて。

嗚呼。何という地獄だ。

ソフィー先生が地獄と言うのも生やさしい目をしているのもよく分かる。最初からおかしかったという証言も聞いているが。それでも、人の心はあった筈だ。だが今の先生は。もはや合理主義の怪物以外でも何でも無い。

わたしも。そうなりつつある。

イルちゃんは必死にまだ抗っているが。

だからこそに、すり切れかけている。

完全に壊れてしまった双子を連れて、帰るイルちゃん。片方は体が死に、片方は心が死んだ。

犠牲者は出たが、あのファルギオルを倒したのだ。アダレットでは、死ぬときまで面倒を見てくれるかも知れない。少なくともイルちゃんが、そう手を回すはずである。

だがどちらにしても。

ファルギオルとまともにぶつかるようにし始めてから。双子は揃って生き延びた試しが無い。

前回に至っては、戦闘開始七秒で二人揃って消し炭だった。

今回は一人と半分残っただけでも、大きな進歩なのかも知れない。

頬を叩く。

そんな風に考えてしまう自分が、とことんおぞましく感じたし。

何より壊れてしまったスーちゃんがあまりに可哀想でならなかったから。

あの子は頭がお世辞にも良い方ではない。

だけれども、あの子が鍵を握っているのは事実だ。

ソフィー先生はいう。

本来潰れてしまうような育成はするべきではないが。

あの二人に関しては、そうしないと大成できないと。

それは既にあらゆる方法を試した上での言葉。

強烈な相依存と。

あからさまに違う才能。

それ故に、二人にはあまりにも過酷すぎる試練を叩き付けないと、未来の光さえ見えないのだと。

反発したいけれど、できない。

目の前で、その言葉が事実なのだと。

散々見せつけられているのだから。

ソフィー先生は正論でフルスイングしてくる。

そして正論は正しいから正論なのだ。

もはやわたしには。

二人の墓参りくらいしか、出来る事はない。

勿論この世界が終わるまではあがくつもりだ。最後の人類になるまで、手は徹底的に尽くしてみる。

だが、それでも無理だと。

何処か心の隅で諦めてしまっている自分も、確かにいた。

いつのまにか、お姉ちゃんと。ツヴァイちゃんが、側にいた。

お姉ちゃんは何も言わず、雨に濡れたわたしの頭を布で綺麗に拭き取ってくれた。

ツヴァイちゃんはぐっとわたしの手を握ってくれていた。

あれから少し背も伸びたツヴァイちゃんは、ヒト族と成長速度が違うホムだけれども。こういう優しさを見せてくれている。

後遺症もない。

お姉ちゃんは普段は過保護な姉を演じているけれど。

それはわたしに対する警戒を双子にさせないため。

今ではすっかり影役に徹して。

わたしの負担を減らすために、あらゆるダーティワークを平然と行うようになっていた。

それでも、こう言うときは優しい。

だからわたしには。余計に悲しかった。

 

ファルギオルとの戦いで双子が死ぬのは、もう嫌になるほど見た。

歴史を何度もやりなおし。

ずっと戦いを見続けてきたわたしも。

心が痛む。

双子の父であるロジェさんは、完全に酒に逃避。

「英雄の葬儀」でも、喪服を着て、ぼんやりと自分の世界に逃げ込んでしまっていた。

喪主はイルちゃんが務め。

完全に正気を失ったスーちゃんには、ルーシャちゃんがついていた。

葬儀はアダレット式らしく戦士のもので。

勇敢に戦い。

ファルギオルを倒した。

そういうことにして、最後の尊厳を守った。

以前の戦いでファルギオルを封じた錬金術師ネージュも、戦いの後には不幸しかなかったことをわたしは知っている。

そもそも、最上級の邪神であり。

単独で幾つも街を文字通り焼き払ってきたファルギオルを、一人の犠牲で倒す事が出来た。

というだけでも、国家的偉業である。

一錬金術師の葬儀でも、国葬になったのはそれが故だ。

虚しい話である。

それですら、完全に作り物。

道化の踊りに過ぎない。

全てソフィー先生の掌の上で踊らされているに過ぎず。

わたしはそうだと分かっていても止められない。実際に地獄を見ているから、止められないのだ。止めてはいけないのである。打開の方法が見つからないのだから。

もしもこれから現れる人材で、未来が切り開けるのなら。

とっくにそうしている。

だがあらゆるデータが。

この双子以降、それ以上の才能を持つ錬金術師が現れないことを示している。

人工的に作り出す事も試してみたが。

それでもダメだ。

天才となるように作り出したホムンクルスでも。

どうしてもこの二人の才能を超えられない。

そしてこの二人にはそもそも根本的な欠陥があって。

生半可な方法では才覚を切り開けないのだ。

ソフィー先生と同格の錬金術師。正確には賢者の石を造り、創造神に直接謁見する実力を手にした錬金術師が後最低でも二人。

しかも全員が、それぞれ違う考え方で。

世界の終焉を切り開く方法を模索して。

やっとこの世界の、完全に詰んでしまった状況は打開できる。

あの全能に最も近い創造神パルミラでさえ無理なのだ。

それくらいの無茶苦茶でないと、どうにもならない。

リディーちゃんの葬儀は父も妹も従姉妹さえも不在なまま執り行われ。

そして虚しいまま終わった。

涙を流しているものもいたが。

殆ど馴染みがない錬金術師だ。殆どはうれし涙だろう。

知らない人がちょっとだけ死んで、あの雷神が消えたのだ。

喜ぶに決まっている。

それが分かるから、わたしは悲しくてならない。

イルちゃんが来て、葬儀の片付けをしながら、教えてくれる。わたしもそれを手伝う。

完全に壊れたスーちゃんは、リディーちゃんの人形を抱きしめたまま、けらけら笑っていると言う。今は以前お世話になったドロッセルさんのお母さんが経営している救貧院で、世話を受けているという。

元々二人は崩壊家庭の出。

この救貧院に世話になっていた事もある。

だから、馴染んではいるようだ。

ロジェさんは完全に体を壊して、もう長くない。

そうイルちゃんは冷静に言う。

それはわたしも知っている。

双子が死ぬ場合。

ロジェさんはだいたいの場合、二年と生きられなかった。

愛妻家だったロジェさんは、奥さんがなくなった時点で壊れた。

そして最後の生き甲斐だった双子を失う事で。残っていた線がぶつりと切れてしまい、生への執着を完全に失う。

見に行くと、わずか数日で老人のように老け込んでいた。

何度見ても、気の毒な姿だ。

「……次で決めるわよ」

「うん。 それと、今回も、できるだけ最後まであがこう」

「分かっているわ。 悔しいけれど、ソフィーの言う事が正しいのは事実よ」

「そうだね」

一度、アダレットの首都。最近メルヴェイユという可憐な名前に変わった都市を離れる。

昔はもっと無骨な名前だったのだが。

庭園趣味の先代王が、街を全体的に作り替え。

そう名付け直したのだ。

浪費のせいで国は傾きかけ。

結果として、わたしも今所属している「深淵のもの」の介入によって、有能な王女が国政を見るようになり。

無能な王は幽閉された。

「まずはどうしていこうか」

「蓄積した技術と知識の整理からね。 私は時々スーの様子を見に戻るけれど、それは許して」

「もちろんだよ。 その分はわたしが頑張るから」

「ごめんなさい。 私、どうしても甘いままだわ。 もう何千万年も生きていると同じなのに」

イルちゃんが目元を拭う。

とっとと人間なんて止めないと。

苦しいだけだよ。

ソフィー先生が、何の感慨もなくそう言ったことは、よく覚えている。

そしてそれは全くの事実だ。

イルちゃんも苦しんでいるし。

わたしだって苦しい。

それでもわたしは最後の最後まであがいてやる。

この世界が詰んでいるというなら、それをぶっ壊してでも、その先に進むべきなのだから。

まずは深淵のものの本部「魔界」に出向き。

今後の事の話し合いからだ。

恐らく、もっと入念な仕込みが必要になってくる。

双子を壊さないためには。

念入りな、徹底的な仕込みが必要なはずだ。

勿論今回も、最後まで諦めるつもりはない。この世界の詰みを我々だけで打開できるならそうする。

そうしなければならない。

力を持っているのだから。

その義務が、当然わたしにはあった。

だが、時々不安になるのだ。

本当にわたしでいいのか。

わたしに成し遂げられるのか。

イルちゃんと一緒だったら、何でもできるつもりでいた。

もう、その自信は。

消え去りかけていた。

 

1、終焉の怪物

 

ルーシャ=ヴォルテールは錬金術師である。それも父親が公認錬金術師で。父親の弟に当たる叔父も、というサラブレットだ。

錬金術師はこの世界では超常の力を持ち。

ものの声を聞いて。

ものを変質させる力を行使する。

ゆえに錬金術師の作る道具は驚天の効果を発揮し。

普通の人間四種族がどれだけ頑張っても倒せないドラゴンや邪神にも。

一流の戦士と、一流の錬金術師が手を組む事で対抗することが出来る。

若い頃から将来を嘱望されていたルーシャは。

父に英才教育を受け。

ある程度自信も持っていた。

だが、その自信が、一瞬で打ち砕かれていた。

時間が停止している。

そして、その停止した時間の中。

かつてしったる筈の自分のアトリエの中で。

歩み来る存在は。

あまりにも異次元過ぎる魔力を全身から放出し。

目には邪神ですら逃げ出すほどの闇を蓄え。

そしてルーシャは。

悲鳴すら上げることかなわず。

へたり込んで、その歩み来る絶対的死から、目を背けることさえできなかった。

「「はじめまして」、ルーシャ=ヴォルテール。 あたしが錬金術師だという事くらいは理解出来るかな?」

そういって、そのヒトの形をした邪神でも逃げ出しそうな異次元の存在は。

ルーシャの至近で足を止めた。

そして、時間が消し飛んだかのように。

いつの間にか後ろに回られている。

瞬きさえ恐怖でできなかったのに。

後ろから、すっと抱きしめられ。頬をなで上げられる。

おしっこをちびった。

外で戦ったネームドなんて、この威圧感に比べれば料理に使う豆粒も同じ。つまり存在しないも同じだ。

「あたしはソフィー=ノイエンミュラー。 はあ、こうやって名乗るのも「もう」面倒くさいなあ」

「な、なんなのです、わたくしを、どうするつもりですの」

「発言して良いって許可したっけ? そんな覚えはないんだけれど。 まあいいか」

きゅうと、音がして。

心臓が締め付けられた気がした。

失神しそうになる中。

まったく抑揚が変わらない口調で。

後ろでいつでもルーシャを殺せる怪物は言う。

「いい? 貴方の大事な馬鹿な二人の従姉妹。 あの子達を守りたかったら、必死に努力してね」

「い、今までだって、おばさまを失って悲しんでいる双子のために……」

「そんなのは努力に入らないよ。 これから双子はそのままだと確実に死ぬから。 それを防ぎたかったら、必死に強くなってね。 戦闘の経験を徹底的に積んで、馬鹿な双子が何があっても死なないようにきっちり見張って。 勿論過保護にならないように、成長も促して。 以上」

ふつりと。

気配が消えた。

いつのまにか時間が動き出していて。

それと同時に、ルーシャは後ろに倒れていた。

腰が完全に抜けた。

ルーシャが倒れて、しかも漏らしていることに気付いたメイドが、慌てて駆け寄ってくる。

恐怖で凍り付いているルーシャは、まともに受け答えすることもできず。

粗相を自分で処理することもできなかった。

ともかく公認錬金術師である父が慌てて薬を処方し。

熱を出したルーシャを介抱。

そしてようやく数日して落ち着いてから、話を聞かれる。

適当にはぐらかすことしかできなかった。

アレは間違いなく幻覚ではなかった。

何かとんでもないものが、アトリエ=ヴォルテールに現れたのだ。

このアダレット王都メルヴェイユに存在する、稼働している唯一のアトリエ。

凄腕の錬金術師であるルーシャの父と、もう一人前になったルーシャで回しているアトリエに。

多分何かあった事は察してくれたのだろう。

昔ある意味で弟と別離することになったルーシャの父は。

その哀しみをある程度察してくれたが。

しかし、ルーシャは恐くて、あの存在が何か未だに頭の中で理解出来なかったし。思い出したくも無かった。

そしてはっきりと悟った。

双子に。

危機が迫っていると。

自分より年下で。

半ば廃人とかしている父親の下で、荒んだ生活をしている従姉妹の双子。一族の恥さらしなんて声もあったが。ルーシャにとっては大事な妹たちだ。

だからこっそり生活費の支援もしていたし。

少しでも自活できるように、それとなく錬金術のコツも教えてきた。

だが、二人とも凡庸なはずだ。

伝説に残るような、「ものの声が聞こえる」ような超ド級の錬金術師ではないはずだし。

あんなバケモノに目をつけられる理由なんて無いはず。

ようやく精神が落ち着いてきたのは、更に数日後。

父に、聞く事が出来たのは。

夕食のタイミングだった。

「お父様」

「何かね」

「ソフィー=ノイエンミュラーという名前に聞き覚えはありますの?」

「……っ!」

目に見えて父が狼狽する。

そうか、知っているのか。

無言で返答を待つ。

しばらく狼狽していた父は。額の汗を拭った後。周囲を見回してから、教えてくれた。

「その名前を何処で聞いた」

「凄い錬金術師がいるという噂を聞きましたの」

「……凄いなんてものじゃない。 文字通りの特異点。 この後の時代を変えていくと言われる程の怪物錬金術師だ。 天才なんて言葉が霞むほどの凄腕だよ」

「それほどに……」

いや、そうは言ったが。

今の言葉でさえ、あのバケモノが本当にソフィーだったとしたら。

まだ足りない気がする。

話を聞かされる。

数年前、彗星のように現れたソフィー=ノイエンミュラーは。

錬金術師の世界に、革命を幾つももたらしたという。

特に大きかったのが、空間転移を自在に行う扉の普及。

世界中に支部を持っているアルファ商会は、この扉を積極的に導入し。他の商会にはできないネットワーク構築で、物資の搬送に圧倒的な差をつけているという。

幾つもの新しい道具がソフィーによってもたらされ。

開発されたそれらは、各地で錬金術師を驚嘆させているという。

ライゼンベルグの錬金術師が束になってもかなわない。

そんな噂さえあるそうだ。

「此処アダレットでも、ソフィーは訪れる度に大きな業績を残していく。 騎士団がどうにもできなかったネームドを秒で始末していったりとね」

「そういえば、時々アンタッチャブル扱いだったネームドが消えていたのは……」

「ソフィーの仕業だ。 戦う所を私も見たが、まさに神域の技だった。 私が見たのは、凶暴な上級ドラゴンと戦う所だが、拡張肉体を数千も展開してね、しかも一人で一瞬で撃ち倒していたよ」

「す、数千!? 上級ドラゴンを!?」

拡張肉体の概念はルーシャも知っていたが。

まさかそれほどだったとは。

その数千の拡張肉体、ソフィーの場合は本だそうだが。

その本から、神々の雷もかくやという雷撃を放ち。

ドラゴンを一瞬で撃ち倒す姿を見たと言う。

ドラゴンを。それも上級を。

一瞬で。

しかも一人で。

手練れの錬金術師と、その作り出した装備品で身を固めた傭兵が挑んでも勝てるか分からないドラゴンを。

言葉もない。

もしあの、時間が止まったアトリエに現れたのがソフィーだったのなら。

それも頷ける。

時間を停止する技術は、確か超高度錬金術に存在すると聞いているが。

まるで息をするようにそれを扱えるとしたら。

そんな次元の怪物しかいまい。

「若手には他にも凄いのがいる。 例えば、近年壊滅状態だったライゼンベルグ周辺のインフラを殆ど一人で立て直したルーキーの話は知っているかい?」

「ええと、はい。 確か破壊の錬金術師と名高い」

「そうだ。 フィリス=ミストルート。 此方も相当な実力者で、空を飛ぶ船を作ったり、邪神を撃ち倒したりしているそうだ。 インフラの構築を得意としていて、孤立している集落への安定したインフラを、幾つも完成させている。 それも超ド級の技量でだ。 彼女が救った集落は幾つもあるし、新しく開拓した安全な道も数え切れない」

「凄いですわね……」

そんな凄いのがいるのか。

しかも話によると、フィリスはまだ二十歳にもなっていないという。

それは、ルーシャでは悔しいけれどとても及ばない。

数年で其処まで行けるはずがない。

「そのフィリスと双璧と言われているのが、「創造の錬金術師」と呼ばれているイルメリア=フォン=ラインウェバーだ」

「ラインウェバーというと、あの錬金術三大名家と言われる!?」

「不思議な事に、その名家と縁を切っているそうだ。 ともかくイルメリアは非常に有能な錬金術師で、各地で創造的な活動をしている事で名を挙げていてね。 フィリスと組んで活動している事も多く、それぞれ「破壊」と「創造」を担当して動いているらしい」

凄い錬金術師もいたものだ。

話をした後。

大きく嘆息するルーシャの父。

「たった数年で、錬金術師の世界は変わりつつある。 立て続けに現れた三人の超新星が、何もかもを変えてしまった。 ここ五百年だと、かろうじて雷神ファルギオルをアダレット騎士団の先代団長と一緒に封じたネージュが比肩するレベルか。 ともかく、この三人の名前は覚えておきなさい。 ルーシャ、お前がこれ以上名を挙げたいと思うならば、超えなければならない壁だよ」

「分かりましたわ、お父様」

「それにしても、ソフィーの名を何処で。 ソフィーは特異点錬金術師とも呼ばれていて、異次元の凄腕であると同時に、度が外れた現実主義者で向かい合った相手を恐怖に陥れるという話もある」

「い、いえ、噂に聞いただけですわ」

「それならば良いが……。 フィリスやイルメリアは、匪賊に対しては強い怒りを示す一方で、弱き民には手をさしのべる善良な錬金術師だと聞いている。 手本にするならば其方にしなさい。 もしも会う事が出来たのなら、教えを乞うと良いだろう。 きっと力になる筈だよ」

できればそうしたい。

だが、ルーシャは。

もうソフィーに目をつけられてしまっている。

そして短時間に現れたという三人の超新星。

いずれも若い錬金術師ばかり。

とても偶然だとは思えない。

ともかく、考え方を根本的に変えるしか無い。

今までは漠然と、双子を守り、自立できるようにするにはどうすればいいかと考えてきた。

ルーシャは残念だけれど、錬金術師としてはともかく。自分でも自覚しているほど頭が良くない。

だから双子には馬鹿にされてきたし。

助けても感謝されたことも一度だってない。

三文芝居ではあるまいし。

助けられたからって、人間は感謝なんてしない。感謝するのはレアケースだ。

相手の見かけが悪ければ、助けられようと気持ち悪いと思うだけだし。

相手を馬鹿にしていれば。

助けられたら却って逆ギレする場合もある。

それが平均的な人間というものだ。

ヒト族は特にその傾向が強い。

ルーシャはそれくらいは分かっているから。

もう双子に感謝されることは期待していない。というか、人助けに見返りも求めてはいない。

錬金術師は力ある存在だ。

ルーシャだって、もうこの年で騎士団に装備を納入し。少しでも人間に害ある獣や、獣の領域を超えてしまった怪物であるネームド、更には人間の道を踏み外した匪賊と戦う騎士達の生存率を上げるべく頑張っている。

自身が騎士団の支援をするべく、戦場に赴くこともある。

その過程で人間が死ぬ所はいやというほど見てきた。

騎士団の損耗率は低くない。

匪賊は人間を喰らう。

だから、匪賊のアジトを殲滅したときには。

吐き気がするような悪鬼の所行や、その結果も散々見てきた。

見ない方がいいと騎士は言ってくれたが。

力ある者の責務だからと全てを見届けた。

ルーシャの納入した装備のおかげで死なずに済んだ。

作った薬のおかげで腕を失わずに済んだ。

そういった感謝の言葉もたまには聞くが。

それはそれだ。

むしろ、お前の作った装備がダメだったせいで死人が出た。

そう罵られたことだってある。

いずれにしても、甘受しなければならない言葉だった。

ルーシャにとっては、できる事をできる範囲内でしているに過ぎない。万能でも全能でもない。

でも、これからは。

それではダメなのではあるまいか。

翌日。

王都にある見聞院に出向く。

ラスティンにも存在しているらしい、あらゆる知識を蓄えるための組織。情報を提供することで、本を貸し出したり、色々な貴重な素材を提供してくれる。其処で、今までの力量では手が出なかった本を幾らか借りて来る。

これから、爪を隠しながら。

実力を伸ばさなければならない。

もっと力をつけなければ。

きっと双子は。

ソフィーに殺される。

あの怪物が何をするつもりなのか分からないが。

いずれにしても、そのまま放置しておくことは絶対に許されない。

本をメイドに半分持って貰う。

どこからか来て、いつの間にか雇われていたヒト族のメイドは。

そういえば、素性が分からない。

とても良く出来るメイドなのだが。

時々できすぎて恐い、と思う事もあった。

「ルーシャ様、かなり難しい本のようですが、よろしいのですか」

「かまわないわ。 それと、双子にこの話はしないこと」

「はい」

そのままアトリエに戻ると。

少し無理して、徹夜して本を読み切る。普段は此処までは絶対にやらない。

頭に入ったかは微妙だが。

重要な箇所は全てメモした。

呼吸を整えると。

徹底的に、練習を開始する。

ルーシャは物覚えも良くない。

父親が公認錬金術師。叔父も公認錬金術師。今叔父は完全に廃人になってしまっているが。それでもあの難しい公認錬金術師試験を突破しているのだ。才覚の学問である錬金術で、その最低限のスタートラインである才覚はある筈。

だから努力して、才覚を磨き抜くしかない。

分かっている。

自分は父すら超えられない凡庸な錬金術師だと言う事は。

それでもできる範囲で。

大事なものを守りたい。

生意気で、感謝という言葉もしらなくて。自分達がどれだけ周囲に守られているかも分かっていない双子でも。

大事な妹たちなのだ。

あんなバケモノに、好きなようにさせてたまるか。

凡人には凡人の意地がある。

絶対に守り抜いてやる。

ルーシャは難しい調合を続けながら、ひたすら反復練習と復習を行う。これが上達の近道だと知っている。

天才は一足飛ばしでいけるのだろうが。

ルーシャはそうではない。

だから一歩ずつやっていくしかないのである。

あの恐怖の日からしばしして。

父が話をしてくる。

国が重要な決定をした、と言う事だった。

「重要な決定、とは」

「この国では錬金術師を優遇してこなかったことは知っているね」

「はい。 ラスティンからもっと錬金術師を招いて、各地で活躍して貰うべきだという声も聞いていますわ」

「実情から言うと、ラスティンにさえ公認錬金術師は足りていないのだ」

「……」

父は悔しそうに俯く。

特異点ソフィー=ノイエンミュラーが現れる前。

ラスティンの首都ライゼンベルグは、腐敗した錬金術師達の巣窟となっていた。

それから改革が進み。

現在では実力主義が導入され。

年ばかりとった無能な錬金術師は、少なくとも錬金術の最前線である現場からは遠ざかっているし。

実力があっても匪賊と結託したり。

或いは錬金術で民を苦しめているようなクズは減った。

だが、人材は湧いてくるものではない。

超新星三人のような活躍が出来る錬金術師を育成するノウハウもない。

錬金術は才能の学問で。

才能がなければ、そも何もできないのだ。

「そこで、ラスティンで実績を上げた錬金術師に大金を払い、此方で活動してもらうという計画が持ち上がっている」

「大丈夫ですの? 確か……」

「ああ、ネージュの逸話だね」

数百年前。正確には200と少しの年前。

この地方を灰燼と化しかけた雷神ファルギオルを魔族の中のレア種族である巨人族の先代騎士団長と共に倒した錬金術師ネージュは。

この地方では、悲しい伝説と共に伝わっている。

強すぎる力は怖れられる。

ネージュは騎士団長が庇護したにも関わらず。

周囲から拒絶された。

邪神さえ倒した錬金術が自分に向けられたら。

それを怖れるものが多かったのだ。

結局人間と関わるのが嫌になったネージュは、追い出されるようにしてアダレットの首都を出ていった。

当時はメルヴェイユなんてしゃれた名前では無く。

無骨な城塞都市だった首都を。

そして一人寂しく亡くなった。

騎士団長はその哀しみからか、国葬をするべきだと訴えたらしいが。

それに同意する文官は殆どいなかった。

それからも、この国アダレットは、武門の国を自称したいが故に、錬金術師の育成を行わず。

結果として騎士団にも民間人にも。

甚大で余計な被害を出し続けてきた。

近年では、ようやくラスティンから来た錬金術師を歓迎する風潮が出来はじめたが。

それまでには本当に長い長い苦労があったと聞いている。

ルーシャが聞いているくらいだ。

事実は、もっと生臭かったのだろう。

「具体的には、三人の超新星と他にも腕利きを招き、アトリエランク制度というものを作る予定らしい」

「ランク制度、ですの?」

「ああ、競争した方が人材を育成できるという話らしくてね」

アトリエランクについては、父が担当するという。

だが、ルーシャは首を横に振った。

多分あの双子も、それに参加するはずだ。

この手の制度には、金がつきものである。

本人達は理解出来ていないが、双子には最低限の生活費をルーシャが支援している。それにもかかわらず、双子は自分達が極貧だと思い込んでいる。

最近は特に金に貪欲になって来ている。

必ず食いつくはず。

そうなれば、見張るのも容易になる筈だ。

危険に近付かせるわけにはいかない。

ただでさえ、生半可なネームドなど豆粒にしか思えないようなバケモノが、側で爪牙を研いでいるのだから。

「わたくしがやりますわ」

「だがお前は一人前になったばかり。 最低より少しマシ、くらいの評価しかしてもらえないぞ」

「かまいませんわ」

「そうか……では好きにしなさい」

父も哀しみを知っている人だ。

弟、つまりルーシャの叔父が嘆いている姿を、一番近くで見ていたからだろう。

ルーシャは呼吸を整えると。

決める。

双子には、絶対に素の姿を見せないことに決めている。道化だと思われているのなら、別にそれでもかまわない。

あの子達を、死なせる訳にはいかない。

叔父様のような悲しい目には絶対にあわせない。

例え相手がどんなバケモノだろうと。戦いを挑まなければならない時はある。

それが今だ。

ルーシャは覚悟を決め直すと。王城へ出向くことを父に告げる。まずは、その制度の詳細を聞き。

そして、双子が確実に食いつく事を知った上で。

 

2、向かない仕事

 

人間四種族。この世界にいる人間と呼ばれる四つの種族である。互いに混血する事はなく、それぞれ特徴がある。

魔族。

もっとも体格が大きく、平均的なヒト族の倍もある。悪魔族とも呼ばれ、例外なく魔術を使いこなす他、夜になると能力が倍になる。非常に個体能力が強力なため、街の自警団や傭兵、アダレットにおいては騎士団の主力として重用される。一方、数が少なく生殖能力にも劣る。魔族の中でも、巨人族という者達は、更に倍も大きく強いが。更に繁殖力が劣る。寿命は限界で200年。巨人族は更に寿命が長い。

獣人族。

獣が直立したような姿で、ヒト族と良く比べられる。顔は様々な獣で、例外なく毛深い。ヒト族に比べて平均的に身体能力が高い分、頭と魔力は弱い傾向にある。各地の街で自警団の主力を務めることも多いが。匪賊に落ちる事も多い。戦闘を好むと言うよりも、武人としての誇りを持つ事が多いある意味で真面目な種族だが。その分匪賊に落ちたときは徹底的に凶暴化する。寿命は限界で100年。獣人族の中でレア種族であるケンタウルス族は、巨人族並みの実力と、同レベルの寿命を持つ。ただし例外的なほどに数が少ない。

ヒト族。

もっとも数が多く、スタンダードな種族。身体能力も普通で、魔術も使える場合とそうで無い場合がある。良くも悪くも器用貧乏な種族である。他の種族に似ていて、それでいて違う。特に優れた点は、単純な能力では見当たらない。

その一方で、錬金術の才能を希に持つ者がいて。この世界を打開する切り札になる。

ドラゴンや邪神には、錬金術師の助力がなければ、人間四種族が何をやっても勝てない。

それがこの世界の厳しい現実なのだから。

その一方で、野心が強く、エゴが醜く。もっとも匪賊に落ちる事が多い種族でもある。

汚職官吏や悪徳商人は、十中八九ヒト族だ。寿命は限界で100年。

そしてホム。

もっとも特殊な種族である。

身体能力は四種族中最弱。体自体もとても小さく、ヒト族の子供ほどしか無い。

その代わり非常に数字に強い。

魔術を使えることも殆どないため、戦闘ではほぼ役に立たないとまで言われ。更に肉が美味しいらしく、匪賊に狙われるとまず助からない。

また他の人間種族が獣と同じ方法で生殖するのに対して、ホムは男女がそれぞれ力を放出することによって、コピーを作る事で増える。生殖器も機能しない。

商人としての適性が極めて高いホムは、生真面目で殆ど不正もしない。

また感情が薄い。悪意や野心も薄いため、ホムの商人は信頼される傾向が強いが。数字にも厳しいので、値引き交渉の類にはほぼ応じない。

また役人としての適性も高いとされてはいる。事実何名か、歴史的に有名な、有能な官吏を輩出している。

しかしながら野心が強いヒト族とやり合うのは流石にホムも嫌がるのか。

アダレット、ラスティン。

二大国のどちらでも、ホムの役人はあまり多く無い、というのが実情のようだ。

ただホムの役人は、不正をしないため手放しで信頼もされる。寿命は人間四種族でもっとも長く、限界で250年。

これらが人間四種族。

この世界にいる、「人間」だ。

その中でもっとも戦士に向かないと言われているのは、当然ホムである。

体はとても小さい上に、身体能力も低い。ヒト族でも普通に魔術使いはいる。獣人族でも珍しくないのに。ホムは殆ど魔術を使えない。

戦闘で、身体能力の低さを魔術で補う戦士は幾らでもいる。

ホムにはそれさえ許されないのだ。

勿論例外はいるもので。身体能力が高いホムも、ごくごく希にいる。

ただ、身体能力が仮に高くても。

背が低いと言う事は、リーチが短いという事で。

どうしても魔族が相手になってくると、どうにもならない。上背からして四倍もあるからだ。大型の獣が相手になると、更にそれ以上に厳しい事になる。

アンパサンドは、そんなホムとして生まれた。

両親はもういない。よくある話で、行商として移動中に、匪賊に殺されたのだ。

幸い食われる事はなかったらしい。

護衛についていた傭兵団が死体だけは守り抜いて、埋葬された。それだけでも幸運なことだったと聞かされている。感情が薄いとされるホムでも、それには色々思うところもあった。例えもう両親の顔も思い出せないとしても。

孤児になったアンパサンドは、アダレット王都の救貧院に引き取られた。

必ずしも子供をきちんと育てる救貧院ばかりではない。

だが、アンパサンドを引き取った救貧院はとても良心的で。子供にも生きていくためのスキルを積極的に教えてくれる場所だった。

そこでアンパサンドは言った。

騎士になりたいと。

そう思った理由は分かりきっている。

アンパサンドだけではなく、周囲には親を失った子供がたくさんいた。

みんな理由は違ったけれど。

いずれにしてもはっきりアンパサンドは理解していた。

この世界が理不尽なのだと言う事を。

獣の異常な強さ。

匪賊になると人間を食うようになる人間。

もはや暴力の権化としか言えないドラゴン、更にそれを超える実力を誇る存在であり、人格を持った災害とも言える邪神。

理不尽と戦える力が欲しい。

それが理由だった。

救貧院は教会も兼ねている事が多い。そこのシスターは、若く見えるヒト族の女性だったが。実は傭兵の経験がある歴戦の猛者で。あらゆる戦闘技術を持っている優れた戦士だった。

だからこそ彼女は言った。

ホムは戦士には決定的に向かない、と。

しかもアンパサンドは数字にも普通に強かった。ホムであるならば、商人を目指すのが一番速い。

どこの商店でも大喜びで雇ってくれる。

更にはヒト族より二倍半も長生きだから、ヒト族の商人に雇用されれば、最終的に寿命差で店を持つことも可能だ。

そういう現実的な話を最初にした上で。

なおも言った。

どうしてもというならば止めないと。

だからアンパサンドは言った。

どうしても、と。

 

アンパサンドは、両親の形見を常に身につけている。理不尽を忘れないために。

一つは母がつけていた髪飾り。

花をあしらったものらしい。

血まみれだったものを、長い間丁寧に繕って、綺麗にした。

アンパサンドも女だ。ホムは見かけで性別が殆ど分からないが。だからこそつけろと、シスターは言った。故にわざわざ髪を伸ばして束ね、つけた。

父の形見は簡易な計算機だ。

数字に強いホムだが、どうしても絶対的な信頼を必要とする計算に直面した場合、暗算では無く道具を使う。

持ち運びしやすい小さいものなので。

アンパサンドも、常に懐に入れておくようにした。

シスターは色々悩んだ末に、小さなナイフを渡してくれた。

歴戦の猛者である彼女は、昔は家族で旅をしていたらしく。戦略級の傭兵をしていたらしい。

十把一絡げに使われ、死んで行く普通の傭兵と違い。街などで全員の指揮を執ったり、ネームド討伐、下手をすると錬金術師とともにドラゴンと戦ったりする力量の傭兵のことだ。

戦いに嫌気が差して。傭兵を止めたらしいのだが。

スキルはまるで衰えていなかった。

効率の良い教え方も心得ていた。

シスターはいわゆる貫頭衣に身を包み、教会が信仰する創造神のシンボルを持ってはいたが。それはそれとして、動きにくそうな服装なのに、まったく動きが鈍ることはなかった。ヒト族としてはかなりの高齢な筈なので、何か仕掛けがあるのかも知れない。

「いいですかアンパサンド。 貴方は小さく力も弱い。 武器もそのようなものしか持つ事は出来ません。 錬金術師と組むようになれば特殊な武器を用意して貰えるかも知れませんが、現実問題としてまずはその小さな体で戦う事を考えなければなりません」

「はいシスター」

「よろしい。 小さいと言う事はリーチが短いという最大の弱点になりますが、攻撃が当たりにくいという点では武器にもなります。 まずは誰よりも速く動く方法を考え身につけましょう」

それから、鍛え始めた。

ホムなのに騎士になりたい。そういう話をすると、廻りの子供は馬鹿にしたが。シスターが組んだトレーニングメニューは、どれだけきつくても絶対にこなした。きつくて吐いたことも何度もある。

だがそれでも止めなかった。

それをみて、馬鹿にする周囲の子供はどんどん減っていった。

周囲の子供達も境遇は似ている。

だからこそ、分かったのかも知れない。

怒りが、アンパサンドの原点だと言う事を。

一通り基礎を学んで。

幾つかコツを覚えていく。

周囲の子供は、スキルを身につけると、社会に出て行く。中には救貧院に仕送りをしてくれる子もいたが。殆どの子は自分の生活で精一杯。

アダレットの首都は、ラスティンの首都と並んで、世界に二つしかない人口十万都市らしいのだが。

生活が楽だという事は決してないのだ。

それでもしっかり面倒を見て、就職先まで手配してくれるというのだから。

此処の救貧院に行き着いたのは幸運だったのだろう。

アンパサンドが十三になった時。

シスターの紹介状を貰って、騎士団の試験を受けに行った。元戦略級傭兵の紹介状だ。きちんと騎士団でも受理してくれた。

騎士団の試験といっても、試験に受かればいきなり騎士になるわけではない。

まずは従騎士という見習いになり。それから騎士に。

更に騎士団隊長。副団長。団長、と階級がある。騎士の数は合計四百人ほどである。戦闘が起きる場合は、これらに加えて傭兵が大量に雇われる。

実際には、従騎士や騎士の中にも格があり、それぞれ三位から一位まで三段階に別れているのだけれども。試験に受かると、例えば何かしらの条件で最初から騎士団にスカウトされているようなケースや、或いは特別な理由でも無い限り、従騎士三位になる。

その最初の試験で、アンパサンドは教わった事を全てだし。

そして落ちた。

磨き抜いてきた速さについては合格点を貰った。

だが致命的に力が足りないと言う事が問題視された。

最終試験で、相手になったのは重武装の騎士。武器は自由にして良い(勿論模擬戦用に用意されたものだが)という話だったので、シスターに貰い慣れ親しんだナイフを選んだ。

相手に計三十七回の斬撃を入れたが。

一発、フルスイングでの一撃をもらっただけで立ち上がれなくなった。

結果は不合格だった。

ヒト族や獣人族の試験を受けに来た奴からも笑われた。ホムがなんで騎士の試験を受けに来ているんだよ、と。ホムそのものが馬鹿にされている訳では無い。実際商人や役人として極めて有能な事は知れ渡っている。ホムが決定的に向いていないとされるバリバリの戦闘職をやろうとしている事が笑われたのだ。それも、例外的に身体能力が高い訳でもないのに。

だが試験官は笑わなかった。何か思うところがあったのかも知れない。

翌年も試験を受け。そして落ち。

そしてその翌年、漸く試験に受かった。

最終試験で一撃も貰わず、相手に合計二百七十七回打撃を入れた。相手は魔族だったのでびくともしていなかったが、試験官はそれを見て何か思うところがあったのだろう。

従騎士三位として、正式に採用された。

救貧院を出たのは廻りの子供達より少し遅めになったが。シスターには礼を言い。頭を下げた。本当に助かった。見捨てないで騎士としての道を応援してくれたのは、本当に嬉しかった。

だが、シスターが言ったとおり。ここからが、いばらの道だった。

従騎士も実戦に出る。当たり前の話だ。

だが、そこでは現実が嫌と言うほど見せつけられた。

攻撃が軽すぎる。

匪賊が相手の場合は良い。首なり目なりを切ればナイフで充分だ。だが獣が相手の場合は、軽すぎて相手の気を引くのが精一杯。それについてはシスターに言われていたが、何度も笑いものにされた。最初からそれは想定の内だったが、馬鹿にされたら気分も悪い。

それだけじゃあない。錬金術の装備を渡されている騎士は、速さでもアンパサンドを凌ぐほどの力を発揮した。

錬金術の装備はこれほどのパンプアップを行うのか。驚きを感じたが。それでも黙々とやっていくしかなかった。

武装は軽い皮鎧とナイフだけ。途中から二刀流にしたが、武器がナイフだけである事には代わりは無い。勿論投げナイフでは無く切る専門。

速いかも知れない。だがそれだけ。

故にアンパサンドは、徹底的にシスターに教わった事を磨き抜いていった。だが同期にはどんどん追い越されていった。わかりにくいのだから仕方が無いと自分には言い聞かせた。騎士団に入って五年。従騎士一位にようやく昇格した時には、既に同期は皆騎士になっていた。周囲は後輩ばかりで、どうしてホムがいると、不思議な顔をされる事も多かった。

周囲が発する先輩、という言葉は。アンパサンドを馬鹿にする言葉になっていた。

そして、転機が不意に来た。

 

匪賊のアジトを討伐した翌日のことだった。その日の戦闘では匪賊三人を殺した。人間を喰らうような連中だ。両親も殺された。何も情けを掛ける理由など無かった。

騎士団の詰め所に戻り、一眠りして。朝食を取った後、朝練をしている途中に騎士団長に呼び出しを受けた。この間、伝説的な巨人族の騎士団長が引退し。その後を継いだヒト族の男性だ。ジュリオという名前で、剣腕は前任のお墨付き。ただし寿命が短いヒト族だ。前任者ほどの活躍は出来ないだろうとも言われていた。同時に副騎士団長もヒト族の騎士が就任したが。此方は沈黙の戦鬼と渾名される人物で。常にいかめしい鎧兜で姿を隠し、一言も発しないので種族さえヒト族か怪しいと噂されていた。

騎士団の本部に出向く。城の中にある本部は、流石に庭園趣味の前王も手を入れず、実務的な要塞状の構造になっている。

騎士団長にあったのは、前に一度だけ。試験に受かって従騎士三位になったとき。巨人族の(今では)前騎士団長が。色々と訓戒をくれた。

面倒な手続きをした後、騎士団長の部屋に通される。勿論ナイフは見張りの騎士に渡す。アンパサンドの事は騎士団でも話題になっているらしく、何か間違えて騎士団に入って来ただの、笑いの種になっているそうだ。だから、ナイフを渡すときには、騎士もにやにや笑っていた。

何か不始末でもしただろうか。そう思ったアンパサンドだったが。

騎士団長に敬礼し。二人きりの部屋で、話をされた。

騎士団長はヒト族だが、凄まじい強さが見るだけで分かった。落ち着いた雰囲気で、かなりまだ若い。前線で武勲を重ねていると聞いていたが、それも納得である。そんな騎士団長は、意外な事を言う。

「昨日の戦闘を見せてもらった。 その上で言うが君は過小評価をされている」

「そうなのですか」

「そうだ。 まず気になったのは君の戦闘データだ。 君が出る場合と出ない場合を比較したが、同じ規模戦力の部隊の戦果が平均三割から四割違っている。 被害も二割以上違う。 勿論君がいると良い方向に変わっている」

「アシストに徹していますから」

そう。シスターはこう言った。

アンパサンドは、集団戦闘で真価を発揮できると。

小さい体と、速度に特化した戦闘スタイルを磨き抜け。とにかく敵の気を一瞬でも逸らせ。目をふさげ。死角から軽くても良いから打撃を入れろ。そうすれば、怯んだ相手に隙が出来、其処を他の仲間が仕留めてくれる。

具体的なやり方も、散々組み手で仕込んでくれた。

敵が死ねば味方が助かる。

気付いて貰えないかも知れないが。守るというのはそういう事だ。

故にアンパサンドは、アシストに徹する戦闘スタイルを磨き抜いてきた。実戦でも、シスターの教えは十分通用した。それこそ、戦闘でずっとメシを食ってきたから、なのだろう。

獣相手だと相手の気を反らすのがやっとだ。

だが、匪賊が相手なら、不意打ちで頸動脈を切ったり、目を両断したり。それなりの戦果も上げている。少ないながらも匪賊は斬ってきた。従騎士一位になったのも、それが故である。

「やはりな」

「しかしアシスト主体だと理解はなかなかして貰えないのです」

「ああ、それは仕方が無い。 だが君はアシスト主体で本領を発揮できる。 私がそれを理解している。 故に今後は評価を改めたいと思う」

差し出されたのは。錬金術で作られた装備だ。

まずはナイフ。とはいっても、触ってみるだけで分かった。じんわりと心地よく熱い。これは恐らく、ただの鋼鉄だった今までの支給品ナイフとは別物だ。俗に言う「業物」である。思わず、おっと声が漏れた。本職だし、良い武器に触れればそれは嬉しい。その上嬉しい事に一対である。重さも丁度良い。

もう一つはバングル。つけて見ると全体的に体が軽い。更に速く動く事が出来そうだ。また、若干の防御能力向上の機能もあるという。

これは嬉しい。騎士にならないと、錬金術の装備は基本的に支給されない。

理由は簡単で、従騎士は殉職率が非常に高いからだ。高級な装備を支給できないのである。

「君に支給する。 それとこれから君は騎士三位に昇格だ」

「ありがとうございます、なのです。 しかし目立った手柄は……」

「今までのアシストで、どれだけの戦果を上げたか検証し直した。 君は得がたい人材だと判断した。 勿論昇進理由についても正式に告知する」

「……」

何だろう。

裏がある、と思った。そして、その予想は当たった。

「二つほど、専属で任務をこなして欲しい」

「専属ですか」

「ああ。 一つは、見習い錬金術師の護衛をして欲しい」

目を細める。アシスト主体の戦闘スタイルを得意とするアンパサンドに護衛任務。意図が分からない。決定的に向いていない任務である。或いは別の騎士も一緒につくと言うことか。

「もう一つは、ある騎士のお目付役だ。 ちょっと問題のある騎士で、君がお目付に適任だと判断した」

「問題のある騎士」

腕が良いが問題を起こす騎士は何人か心当たりがあるが。

ちょっと思いつかない。誰と組まされるのか。

というか、大体分かった。恐らく錬金術師の護衛の主役はその騎士。アンパサンドは、監視役兼その騎士と錬金術師達のサポート役だ。

名前を聞いて唖然とする。

その騎士は。

この国を代表する人物でもあり。更には、大問題児として有名な存在だったからだ。

 

庭園趣味の先代国王が浪費した結果、敵を取り囲んで迎え撃つことを想定した城門付近の地形はすっかり変わり。

今では噴水などがある、しゃれた場所になっている。

城門を出ればすぐに獣が出るし、

匪賊だって出る。

城門の内側は安全かも知れないが。

ロクな守りもない集落も、王都の周囲にはいくらでもある。騎士団はそういった場所に出向いては、獣を殺す。匪賊を殺す。そして自分達も殺される。

そんな現実が分かっていない人間の浪費が、此処を作った。

そう思うと、綺麗に見えてもあまり嬉しくない。

騎士にアンパサンドが昇格したことは、すぐに騎士団で噂になった。

騎士に昇格。あのホムが。

陰口をたたく声もあったが。今の騎士団長は品行方正で、人格的に隙が無く、何より圧倒的に強い。常に前線に出て体を張り、凶悪なネームドを何体も倒している。アンパサンドに陰口が向くことはあっても、騎士団長の悪口は殆ど聞こえなかった。

陰口などどうでもいいとアンパサンドは思う。

アンパサンドは今でもこの世の理不尽を許していない。怒りは強く燻っている。

その前には、些事だ。

城門前に、問題の人物はいた。一応騎士一位だから、上役扱いになるのだけれども。しかしながら、そういう問題では無い。

背の高い金髪のヒト族青年で。甘いマスクの持ち主である。

マティアス=フェリエ=アダレット。

この国で最も知られている男子だろう。当たり前の話だ。

バカ王子。

その言葉が、マティアスの全てと言っても良い。

双子の姉であるミレイユ王女に才能を全て吸い取られた。

そんな陰口が広まっているほどで、実際ミレイユ王女が無能な前王(実の父)を退位させ幽閉したクーデターの時も、声さえ掛からなかったと聞いている。

騎士としても錬金術の装備つきでかろうじて合格点。王家の人間だから騎士団に入れた。

その噂は本当だ。戦闘でのへっぴり腰ぶりや、女を口説いては袖にされているその様子から、バカ王子の噂は留まることを知らない。あまり気分は良くないが、アンパサンドもバカ王子よりはあのホムのがマシだろとか、とても光栄な陰口をたたかれているのを聞いた事がある。騎士団を産廃の置き場にするなと言う陰口まで聞いたことがある。ミレイユ王女が慕われている一方、マティアス王子の評価は文字通り底辺だ。

相変わらず見目麗しい女性に声を掛けて袖にされ、がっくりしているマティアス。

此奴は悪名が広まりすぎて、せっかくのルックスがまったく生かせていないという珍しいタイプである。口を開かない方が女を口説けるのでは無いか。そんな噂さえある。

玉の輿を狙う女がこう言う手合いには寄ってくるものだが。

姉のミレイユが、「血染めの薔薇竜」と渾名されるほどの女傑である事もあって。とてもではないがそんな勇気がある女はいないのだろう。下手な事をすれば冗談抜きに翌日には城壁の外で獣の餌だ。

「マティアス王子でいらっしゃいますね」

「ん? 俺に声を掛けてくる美女は……てホムじゃないか」

「お目付役を命じられたアンパサンドです。 これでも騎士三位です。 以降よろしくお願いしますです」

「オイオイ、マジかよ……」

暗い笑みが浮かびそうになるのを堪える。流石にバカでも悟るか。

女好きでも手を出しようが無いホム。人間四種族は混血しない。つまりヒト族とホムは子供を作れない。しかもホムに実際に欲望をぶつけたヒト族は外道呼ばわりされるのがこの世界だ。しかも陰口をたたかれているとは言え、アンパサンドは速さ一本で遅いながらも出世し、何より戦場に出て生き残っているのだ。バカ王子も話くらいは聞いたことがあるはず。

つまり、これ以上無い程厄介な監視役である。しかも一応ナンパ男を気取っているのだ。ヒト族とは違うホムとはいえ女の子の前で、下手な事は出来ないだろう。それも王族が、である。

近くで見上げると、マティアスの上背はアンパサンドの丁度倍だ。だが、今やりあったら勝てる。普通にそう判断した。逃げようとしても追いつくことは難しくない。

その気になれば何時でも殺せる。そう思うと心に余裕が生まれることを、アンパサンドは知っていた。

「恐らく聞いていると思いますが、これからある制度が開始されます。 その時に、王子はある錬金術師の護衛に専属で当たる事になりますです」

「ああ、分かってる。 この国の数少ない錬金術師だもんな。 見習いでも大事にしなければならないんだろ」

「まだ小娘です。 手を出さないようにとの事で、お目付がつけられたのだと思いますです」

「俺だって分別くらいあるってーの! 流石に子供には手をださねーよ!」

しらけているアンパサンドの前で、全力で自分は大人の女が好みだと主張するマティアスだが。

あれだけ見境なくナンパをしかけている様子からは説得力が皆無である。大体女に手を出すも何も、基本的に相手にもされていないくせに。

咳払いすると。

周囲の冷めた目線に気付くように、顎をしゃくって見せる。

流石にバカ王子の名をこれ以上広めると、姉に殺されると思ったのだろう。

ミレイユ王女は騎士としても名高く、騎士団長が相当な実力を持っていると太鼓判を押しているのだ。

もはや名前だけとなってしまっているが。

武門の国という名目を守るに充分な女傑なのである。

それなのに此奴は。

頭を掻くと。

「それで、護衛って、お前と俺で?」

「錬金術師も多分手が足りない場合は傭兵に声を掛けるでしょうが、専属護衛は王子だけです。 そして私は王子のお目付役です。 それでおわかりかと」

「はあ。 分かったよ……」

ぐったりした様子のマティアス。

良いご身分だ。

泣きたいのは此方である。

ただ、実力を認めて貰ったから騎士三位に昇格したのだし。

一応、ミレイユ王女に何かあった場合のスペアとしての価値はある王子の守り役に抜擢されたのも同じ。

だから此処はぐっと言葉を飲み込まなければならないだろう。

一度場所を変えて、城内に移る。

軽く、騎士団のテリトリーである、詰め所の廊下を並んで歩く。

「ホムの騎士がいるって話は聞いていたが。 お前、数字にも強いんだろ。 経理目的で入ったのか?」

「自分は剣腕を生かして騎士としてやっていきたいのです」

「変わってるなお前……ホムで剣腕を?」

「良く言われるのです」

王子の言葉には、揶揄はなく。驚きがあった。

揶揄が籠もっているかどうかは、嫌と言うほど聞いてきたから分かる。

どうやらこの王子。

バカであっても悪意はないらしい。

ならば良いか。他の騎士よりも、或いは伸びればマシになるかもしれないし。

今日はミレイユ王女が詰め所に来ている。彼女は非常に忙しく、安定しているとはとても言えないアダレットの領土中を飛び回っている。

だから、着任の挨拶を王子と一緒にする。

王女はしっかり武装していて。

それでいながら化粧も怠らず。同じ顔が整っている二卵性の双子とは言え。暗君と呼ばれた父王とも。マティアスとも。あまりにも差がありすぎた。カリスマが一目で分かるほどだ。

双子なのにこの差。親子なのにこの違い。

才覚とは残酷なものだ。

敬礼をして、着任の挨拶を済ませると。

王女は頷き。そして言う。

「これからラスティンが宝としている錬金術師三名が来てくれます。 彼女ら三人はいずれもラスティンの、いやこの世界の宝です。 恐らく護衛をする双子の錬金術師と関わる過程で、必ず顔を合わせることになるでしょう。 くれぐれも、失礼がないように」

「はっ。 この騎士団の魂に掛けて」

「騎士団のたましいにかけてー」

隣の気が入っていない声を一瞥だけすると。

王子を促して、すぐに外に出る。まだ正式に護衛任務は開始されていない。

翌日くらいから、早速噂が流れ始めた。

とうとうバカ王子に監視がつけられたらしい。

男のお目付だと言う事を聞かないだろうから、女の、それもホムの騎士だそうだ。

笑い話混じりのその噂を。

アンパサンドは気にもしなかった。いつもの噂よりは、まだマシだからだ。

 

3、下準備開始

 

およそ五百年ほど前。

世界最高の錬金術師二人が、諍いを起こした。

一人は主張した。

この世界には未来どころか現在さえない。だから未来を消費してでも現在を作らなければならない。

もう一人は主張した。

例えどんな理由があろうとも、世界から未来を奪うことはあってはならない。

そして比翼の友であり。

互いに背中を預けて、世界の理不尽と戦い続けて来た二人の英雄は殺し合いになった。

勝ったのは、前者の方だったが。

しかし前者にも思うところがあった。

それはそうだ。

幼い頃から一緒に世界の理不尽を知り。

一緒に戦い続けて来た相手の言葉だ。

心に届かない筈も無い。

虚しい勝利に酔うことも無く。

その錬金術師。醜悪のルアードと呼ばれて侮蔑されていたものは。

世界に不満を持つ者達を集め。

世界を裏側から動かす組織を作った。

通称深淵のもの。

深淵のものは世界最高の錬金術師の支援を得て、各地で都市国家すら満足に形成できていなかった人間世界に秩序を造り。獣と戦いネームドを倒し。ドラゴンや時には邪神さえ退け。

五百年掛けて、アダレットとラスティンの二大国にまとめ上げた。

深淵のものの尽力により、この世界に初めて「秩序」が誕生したのである。

それだけではない。

アルファ商会という強力な流通網を作り上げ。

世界の流通をスムーズにし。

更には汚職官吏や腐敗商人、悪行を行う錬金術師の処理。

ある程度安定した後も、定期的に危険なネームドやドラゴン、邪神の駆除を積極的に行い。

更には膨大な情報を集めて。

世界を少しでも良くすべく活動を開始した。

世界とは位相がずれた場所に本拠を構築し。魔界と呼ばれるその本拠は、既に二大国の首都を越えるほどの巨大さを誇るものとなり。

所属人員はいずれも人外の精鋭ばかり。

そしてつい最近には。

五百年前に喧嘩別れした二人の錬金術師がついに歴史的和解を果たし。最高の人材を複数得て。

ある最高の後ろ盾さえも得た上で。

そして今に至る。

歴史の表には絶対に出ない。腐敗と直接関わるからだ。だが二大国の首脳部は深淵のものの存在を知っている。無能な指導者が消される事は珍しくもないからだ。そして今は、共存の道をはかり。ある程度は上手くやれている。ある程度は。

イルメリア=フォン=ラインウェバーは、錬金術師である。現在その深淵のものの幹部扱いを受けて、一緒に行動している。盟友であり、比翼の友とも言えるフィリス=ミストルートも同じである。高純度の賢者の石を作った、歴史上三人しかいない錬金術師のそれぞれ一人だ。

そしてあの恐ろしき特異点。

錬金術師ソフィー=ノイエンミュラーもまた同じ。

此方は賢者の石をほぼ独力で作ると言う偉業を達成した怪物。歴史上最強の錬金術師である。間違いなく。

この世界では、人間同士で争っている余裕など無い。

人口十万を超える都市はたった二つだけ。

人口一万を超える都市は十のみ。

あまりにも過酷な荒野と。

凶暴な獣。

人間が増えすぎると襲い来るドラゴンに邪神。

それらが人間の文明構築を著しく阻害している。

そしてこの世界は詰んでしまっている。

深淵のもの幹部は皆知らされている事だ。

ある理由から、この世界には未来がない。

未来を切り開くためには人材が必要で。

そのためには、あらゆる手段を用いても、人材育成をしなければならなかった。

「今回」も。

やらなければならない。

アンチエイジング処理にて、既に年を取らぬ体にはなっている。

体を色々弄くって、膨大な記憶が流れ込んでも頭が壊れないようにもなっている。

だがそれでも、億に達する年数戦い続けるのは。

はっきりいって苦しい。

何度やり直してもどうしてもダメ。

今回も、最初からやり直さなければならず。

どれだけの無茶苦茶をやっても、悪夢のような光景を見ても、平然としているソフィ=ノイエンミュラーの狂気に当てられて。気を抜けばすぐにでも落ちそうな自分を叱咤しつつ。

必死に戦うべく心を奮い立たせなければならなかった。

今回は会議を行う。

これよりアダレットに介入を開始する。

目的は人材の確保。

そのためにあらゆるものを利用する。

世界の詰みを打開するには。

後二人。

超絶級の錬金術師が必要になる。

その持論はソフィーのものだが。

間違っていない事はイルメリアもその身で知っている。

フィリスと一緒に錬金術の奥義、賢者の石の作成に成功してから「数年」。実際には全く違うが、少なくとも賢者の石を作った時から見ると、世界的には「数年」経過している。

フィリスともども苦労を重ねたが。

心労が祟ったか。

イルメリアは背がまったく伸びなくなり。

フィリスと一緒に戦っていた頃と、殆ど容姿は変わっていない。

子供と勘違いされることも多い。

元から背はかなり低かったが。

それでもこれだけはどうにかならないのか、本当に不愉快だ。

真っ暗な空間。

周囲に錬金術で作った灯りと。手すりで守られた通路を歩く。この先に、会議室がある。会議室には、既に幹部が勢揃いしている筈だった。それだけ重要な会議なのである。

広い空間に出る。

最上座には、巨大な人影。

通称魔王。

魔族の中でも、魔力が特に強い戦士のことを称号として魔王と呼ぶが。

それとは違い、対邪神用に作り出された最強の生物兵器である。

今までも何度となく投入され。

多くの邪神を葬り去ってきた、深淵のものの切り札だ。だが今回の戦いでは、恐らく出番は無いだろう。「今まで」と同じように。

その左右に並んでいるのは。

嫌みな程に美形の青年のガワを纏った、ルアード。

人間、特にヒト族は相手の容姿で反応を変える。

昔ルアードは、皮膚病や多くの疾患のせいで、偉大な業績を多数残し、多くの人々を救ったにもかかわらず、醜悪のルアードと呼ばれ苛烈な差別を受けた。暗殺され掛けたことさえあるという。

今回は、本人がその意趣返しという事で。

嫌みな程美形なガワを纏い。

そして周囲の反応を見て鼻で笑うつもりだそうだ。

悪趣味とは言えないだろう。

実際に、ヒト族の基準から見て「醜い」ルアードを徹底的に差別し、追い込んだのは多数のヒト族なのだ。

もしも容姿を変えただけで掌を変えたのなら。

それはヒト族の方に問題がある。

そしてもう一人は。

ソフィーの師匠であり。

五百年前の戦いでルアードに敗れた錬金術師、プラフタ。

現在は肉体を失っており。

極めて高度に作り上げた人形の体に魂を憑依させているため、錬金術そのものは使う事が出来ないが。

昔双璧と呼べる実力にまで達した錬金術師だ。

豊富な知識を持ち。

錬金術の道具の使用にも精通している。

そしてプラフタの隣には、ソフィー。

ソフィーの反対側にはフィリス。イルメリアも、フィリスの隣に並んだ。

「それでは、会議を始める」

深淵のものを率いているルアードが、声を張り上げると。

左右に並ぶ、いずれ劣らぬ怪物的な実力者達が、頷いた。

皆超高度錬金術の装備で身を固め。

文字通り一騎当千の強者ばかりである。

アンチエイジング処置を受けて何百年も生きているものから。

最近加入したものまで様々だが。

この組織は驚くほど風通しが良い。

理由は簡単。

皆これから世界がどうなるか知っていて。

争うだけ馬鹿馬鹿しいと知っているからである。

更に500年の夫婦喧嘩を収めたルアードとプラフタは息もぴったり。

最強の手札であるソフィーの実力も誰もが納得するもの。

カリスマに劣る組織はどうしても内部が上手く行かない傾向があると聞いた事があるが。

深淵のものは500年にわたって頭が劣化していない最高の指導者と。その最高の指導者が各地で集めて来た有能極まりない部下達で構成された、組織としては理想型に近いものである。

悔しいがイルメリアもそれは認めなければならない。

「アダレットでこれから行う作戦には、深淵のものの総力を投入する。 今後の未来を切り開くために必要な事だ。 理解して欲しい」

「勿論存じております。 まずはアルファ商会からですが、今回の作戦に備蓄資金の六割を投入するのです」

深淵のものの幹部の一人、アルファ。

名前の通り、アルファ商会。世界最大の商会のボスである。

深淵のものに入ったいきさつは、よくあるホムの悲劇。

目の前で家族を匪賊に皆殺しにされ。

自身も片腕と片目を躍り食いと称して生きたまま食われた。

それ以降、怒りを忘れないため義眼と義手で過ごしていたのだが。

「最近」ソフィーにホンモノと見た目からしても遜色ない義眼と義手を作ってもらい。今では普通のホムに見える。ただ、アンチエイジング処理を受けているので、ホムの限界寿命はとっくに超えて生きているが。

深淵のもの幹部の中でも最強の魔族、イフリータがアルファに言う。

「金は使い方次第で薬にも毒にも武器にもなる。 貴殿のような有能な商人が味方にいると助かる」

「多くの有能な部下達のおかげなのです。 勿論私には武力はないので、イフリータさんのような戦士の助けは絶対に必要なのです」

「そうだな。 互いに助け合わないとどうにもならん」

アルファは謙虚だ。

人間の商人のような貪欲さはなく。

ただひたすら無言で数字を管理する。

それが自分にできる世界への復讐だと知っているから、なのだろう。

アルファは物怖じせず、ソフィーに話を振る。

「ソフィーどの。 貴方の連れて来たコルネリアが今回のアルファ商会側からの作戦を主導するのです。 お願いするのです」

「うん。 コルちゃんとは「長いつきあい」だからね。 任せておいて」

コルネリアは、ホムとしては異例の身体能力を持つ変わり種で。ホムのレア能力である、複製能力も持っている。

ホムの中には、自分の質量と引き替えに、ものを複製できるレア能力者が希にいるのである。ホムの間では、それを「別系統の錬金術」と呼んでいる。複製できるものは高度な仕組みのものほど消耗が激しくなる。恐らくホムが子供を作るのに使っている能力は、本来はこれだったのではないかという説もあるらしい。

コルネリアはソフィーと一緒に戦い。

そして共に世界の深淵を見た仲だ。

現在アダレットの方面で、アルファ商会の傘下にコルネリア商会を開き。その頭目として活躍している。

若手のホムだが、実力は確かで。

深淵のもの古参幹部でも、その実力は認めていた。

今度は、ルアード。次の作戦ではアルトと名乗るらしいが。イルメリアとフィリス、それにもう一人に話を振ってきた。

「実働部隊としては、「僕」が後から。 そしてイルメリア、フィリスが先陣。 更にもしも上手く行くようなら、ソフィーも介入する。 その間邪魔が入らないように、ティアナ。 実戦部隊を率いて、めぼしいネームドの駆除を頼みたい」

「はーい。 邪魔が入らないようにします」

「頼むぞ」

幹部達の末席で無邪気な笑顔を浮かべている、ショートヘアのヒト族女性。笑顔は可愛い……むしろ大人っぽい見かけに反してあどけないほどだが、目元はまったく笑っていない。

此奴はティアナ。

匪賊を殺す事を生き甲斐にしていて。

それだけではなく、殺しが大好きという筋金入りのシリアルキラーだ。しかも殺した相手の首を防腐処置してコレクションしている。部屋は入っただけで吐くような有様らしいが、流石に入る気にはなれない。

ティアナはソフィーを崇拝しており、指示次第で誰でも殺すが。

基本的に匪賊と獣狩りが主な仕事である。

此奴はフィリスも気に入っていて。

自分の部屋に来ないか誘っているらしいが。

フィリスも流石にその誘いに乗る気にはなれない様子だ。

それはそうだ。入った事はないが、ティアナの私室なんて、入ったら普通の人間なら秒で発狂する事が確信できる。今のフィリスでもきついだろう。

「イルメリアには既にアトリエを用意してある。 「僕」用にはこれから用意する。 フィリスは例の移動式アトリエを引き続き使って欲しい」

「分かったわ」

「はい」

フィリスは寡黙になった。

昔から、世界の醜さに傷ついていく様子が痛々しかったが。

世界の深淵を見てからは、明確に寡黙になった。

シリアルキラーになるような事はなかったが。

それでも匪賊には容赦を一切しないし。

敵を殺す事にまったく躊躇もしない。

フィリスの姉も妹も、その事に心を痛めている様子だが。

それでももはや取り返しがつかない。

フィリスは二人に深淵の真相を話している。

だから、二人もフィリスを止める事が出来ない。

イルメリアだって。

あんな世界の終焉を、もう嫌になるほど見てきたのだ。他に良い方法があるのなら試している。

今、こんな悪辣な作戦をソフィーの筋書き通りに進めているのも。

他に方法が無いからだ。

文字通り邪悪の所行。

だが、地獄があるとしたら。

とっくにイルメリアは其処に落ちている。

延々と繰り返し続けるこの悪夢こそ。

地獄以外になんと表現すれば良いのか。他に言葉が見当たらない。

何度もあの地点。

賢者の石を作り上げ、創造神と謁見した直後に戻った。

世界の終焉まであがき続け。

どうにもならず滅びる世界に涙して。

そして創造神に戻される。

奴は時間を巻き戻す事くらい平然とこなす。

淡々と作業を行う様子は。

責任ある行動とも言えるが。

純粋な狂気とも思える。

今ではイルメリア自身がおかしくなってきている自覚がある。それは時間にして一億年以上の経験を頭に詰め込めばおかしくなる。

前は、ソフィーの狂気がどうしても理屈ではともかく感覚では理解出来なかった。

今は不愉快なことに理解出来てしまう。

フィリスは感覚的に理解はできていたようだったから。

イルメリアよりも更に落ちるのが早かった。

今後、イルメリアも相手を殺す事を躊躇わなくなるのだろうか。まあそれは当然そうだろう。

今だって、敵性勢力を潰すことにはあまり躊躇はしない。

だが人間として捨ててはいけない最後の一線はあるはずだが。

それについても、よく分からない。

ただ、努力はする。

しなければならない。

挙手する。発言を認められたので、頷いて、皆を見回す。

「今回は此方でも補助用の人員を用意しています」

「双子の護衛役ということだな。 しかし、護衛役をつけると、却って戦闘慣れが遅くなるのではないのか」

不安視するのは深淵のものの幹部イフリータだが。

此奴のように誰もが強いわけではない。

赤い体を持つ、恐らく世界最強だろう魔族に対して、イルメリアは咳払いをした。

「今までもそういう考えから、二人だけで護衛をつけずにやらせたこともありましたが、結局「あの壁」を超える成長はできませんでした。 やはり実力的に適切で、見本になる指導役が戦闘面でも必要かと思います」

「それだと錬金術の方が疎かにならないか」

「それについてはルーシャに色々仕込みをさせます」

これから育てなければならない二人の錬金術師。

双子の錬金術師、リディー=マーレンとスール=マーレンは、それぞれ明確に才覚に差がある。

戦士だった母親に似た妹のスールは、明確に姉より錬金術の才覚がない。

この双子は不幸な生い立ちから相互依存の傾向が強く、才覚の差で錬金術の技量に差がついて来始めると、明確な人格面でのクラッシュを起こす。

つまるところ、スールにより多く錬金術の経験をつませつつ。

戦闘面ではリディーをもっと鍛えなければならない。

そうしなければ、あの壁。

雷神ファルギオルは超えられない。

勿論、未熟な錬金術師がどうにか出来るわけ無い。色々弱体化のお膳立てはするが。ソフィーがするお膳立てでは、双子にとっては壁が高すぎる。

画像を出す。

「適切な人材が見つかりました。 彼女は珍しいホムの騎士で、名前はアンパサンド」

「ホムの騎士とは確かに珍しいな」

「はい。 速度を最大限に生かし、敵の動きを潰すことを専門にした、アシスト特化の戦闘スタイルを取る騎士です。 彼女を護衛任務につけることで、スールの戦闘面での負担を減らします」

「なるほど。 以前から護衛につけていたマティアスに、もうひと味加える訳だな」

前から、バカ王子として知られるマティアスを双子に護衛としてはつけていた。

だがマティアスは戦闘に性格的に向いておらず。

剣技には光るものがあるのだが。究極的にその才能を生かせない。

ただ、攻め込めない性格が故に。いわゆる壁としては機能してくれる。

このへっぴり腰でどうしようもない壁を上手に生かすように立ち回る事が、リディーには求められる。そして今回は、戦闘面で更にそれにアレンジを加えると言う事だ。

総合的な戦術判断能力を磨くには丁度良い。

錬金術師の中には、前線でバリバリ敵を殴るものもいるが。

基本的には壁を上手に活用するのが戦い方の基本になるのだ。

「今回はこの方法を試します。 試算では、前回よりも更に効率よく二人の成長を促せる筈です」

「なるほど。 いずれにしても、今までの試行でダメだった部分は改善しなければならない。 試していないことがあるのなら、どんどんやってみるべきだろう」

アルトがそう言うと。

幹部達も好意的に受け取ってくれる。

イルメリアは嘆息すると、席に戻った。

フィリスが今度は挙手する。

「今回もわたしは支援に徹しますが、よろしいですか?」

「ああ、頼む。 君は天才肌で基本的に人にものを教えるのに向いていない。 支援が一番適任だ。 手本を見せたりするのなら良いだろう」

「分かりました」

フィリスは確かに図抜けた才能の持ち主だ。

どれだけ努力しても、イルメリアはフィリスを超えられなかった。たった一年で、フィリスはイルメリアを追い越した。才覚の差。そういう残酷な学問が錬金術だと、教えてくれる存在。

だが凡才にも意地がある。

二人で錬金術の究極、賢者の石を作ったのも。

その意地が作り上げた結果だ。

そして錬金術ではフィリスが上であっても。

教えるのはイルメリアの方が向いている。

何でも出来る奴なんていない。だから、それで良いのである。今は、そう割切ることが出来るようになっていた。

他にも幾つかの事を決めると、会議はお開きになる。

それぞれが、これからこの深淵のものの総力を挙げたプロジェクトのために動く。

アルファ商会も、利益以上のもののために、今までの蓄積した富を放出する。

当たり前の話で。

富は使ってこそ意味があるのであって。

個人が独占しても意味などない。

富は適切に使うために適切に集めるものであって。

富を集めるために暴悪を振るうなど論外。

アルファ商会は、必要な時は年単位の利益をぽんと放り出す。それをすることができる集団だ。

この辺り、アルファ商会のトップがホムであるのは、深淵のものにおける絶妙な采配だったと言えるかも知れない。

ヒト族の商人だった場合。

どうしても富を個人で独占する事を考えてしまうのが、世の常なのだから。

「ではフィリス、私は先に行くわ。 予定通りに少し遅れてお願いね。 リアーネさんとツヴァイちゃんにも、予定通り動くように指示をお願い」

「うん。 イルちゃん、その……」

「大丈夫よ。 貴方と同じ。 人間を止めるつもりはないけれど、毎回いちいちもう傷ついたりしないわ」

「傷ついているよ毎回。 わたしもそうだけれど、イルちゃんはわたし以上に。 だって、双子の先生してるんだから」

ずばり見抜かれるが。

しかし、それでもどうにかしなければならない。

終焉の時の、凄惨な光景は。

どうしてもイルメリアの脳裏に焼き付いてしまっている。あのおぞましすぎる光景から考えると。

あれを阻止するためには。

あれを打開するためには。

どんな事でもしなければならない。

それは真理なのだ。

今回こそ。今回こそ辿りついてみせる。終焉のその先に。

そしてそれ以上に。どうやってもどうにもならない双子を、きちんと育て上げて見せる。

何度も誓い。

何度も果たせなかった。

イルメリアにとっての。

今は何よりも大事な、それこそが全てだった。

 

4、深淵からの手

 

もう、人と呼ぶには無理があるかも知れない。

ソフィー=ノイエンミュラーは、それを自覚していた。だが、だからどうだとも思わない。

幼い頃から世界の全てが気に入らなかった。

周り中からする声。

理解者はオスカーとモニカだけ。ソフィーの事を大事にしてくれたおばあちゃんも早くになくなった。

父親は考えるだけで殺意で頭が塗りつぶされるろくでなし。

母親なんて知りもしない。

孤独に生きてきた。

理解者がいるだけでもマシかも知れないが。

それでもはっきり言って。錬金術師として大成してからは、更にこの世界が嫌いになった。

世界そのものを動かして見て。

そして分かった。

本当に人間という生物がどうしようもないという事を。

今では完全に人間を超越したソフィーは。

枷を全て失っている。

どんな残忍な事でも出来るし。

相手の事を掌の上で転がす事も何とも思わない。

エゴを充足させるために力を振るうつもりは一切無いけれども。

そもそもソフィーには、既にエゴというもの自体が存在していない。

まだ賢者の石を作る前は人間だった。

そうプラフタには。

本の状態で出会い。

人形の体に魂を写した、大錬金術師はそう言う。

既に繰り返しの回数は、フィリスとイルメリアを育てるときに22万回を超えていたが。

リディーとスールを育て始めてから、更にそれに一万回を加え。

時を止めて行動する事が増えたため。

実体感時間は、二十億年を超えていた。これは、フィリスとイルメリアにも話していない事だが。

「ソフィー。 今回は、貴方はできるだけ裏方に徹するのですね」

「そうだよ。 雷神の復活タイミングにずれがあるのと、復活したときの強さにムラがあるから、それの調整が最初の仕事。 もしも雷神を超えられたら、私が作ったあの絵を超えられるように育てるのが次の仕事」

「……」

プラフタは悲しげに、人形だから当然だとも言える美しいまつげを伏せるが。

もともとこのプラフタの体は、生前の姿に似せて作ったもの。

本人を知っているルアードお墨付きの姿である。生き写しだそうだ。

ルアードの本来の姿も、ソフィーは知っている。

「歴史的には」およそ500年少し前。

ルアードは「醜悪のルアード」とまで呼ばれ、差別された。

プラフタは逆に神格化されて持ち上げられた。

ルアードは先天的に内臓に多数の疾患があり、生殖器も機能していなかったらしく。プラフタとは幼い頃から一緒にいて、錬金術の腕を磨き合ったパートナーであったらしいのだが。

男女の関係ではなかったそうだ。

ルアード自身は男性機能を持っていなかったし。

プラフタも恋愛ごとに殆ど興味が無い気むずかしい性格だったから、それは必然だったのかも知れないが。

いずれにしても、救われない話だった。

この世界の真実同様に。

「ソフィー。 貴方はもはや、この世界を動かす機械の一つとでも、自分を設定しているのですね」

「あたしが好き勝手に振る舞ったら、それこそ世界を一夜で焼け野原にすることも難しくないからね。 そう振る舞わざるを得ないね」

「その力を強引に振るって、最終戦争を止めようとしたこともありましたね」

「うん。 でも上手く行かなかった」

人間四種族。

考え方も違い姿も違い。何よりも互いに交わることがない四種の「人間」が、どうして上手くやって行けているか。

それはこの世界があまりにも過酷すぎるからだ。

協力し合わないと生きていけない。

それについては同意する。

だが危ういバランスでその協調は保たれていて。

終焉の時。

他の文明と共存する事が可能になるまで文明が成熟することなく。

この世界の資源を使い果たした時には。

バランスは崩壊する。

そして世界は終わる。

その回避のためには、後二人。

どうしても、賢者の石を作る事が出来るレベルの、しかもソフィーとは考え方が決定的に違う錬金術師がいる。最低で後二人だ。できればもっと欲しいが。それは恐らく無理だろうと。遺伝子プールを調べ、その中から現れうる可能性を全て試した結果結論出来る。

創造神は。

あらゆる可能性を試行した。

人間に思いつきそうな事は全てだ。

だからこそ、創造神は、ソフィーよりも更に桁外れの回数。9兆という回数、世界をやり直している。

自己申告によると、体感時間は2700京年。

宇宙など何度滅びるか分からない程の時間である。

人間よりも次元が幾つも違う存在である創造神がそれだけしてもどうにもならなかったこの世界。

人間の延長線であるソフィーが十万回や二十万回やり直したくらいで、どうにかなる筈も無い。

だからこそ、同格の超越者がいる。

結論は簡単極まりないが。

その可能性をたぐり寄せるのは。

那由多の彼方に潜む可能性をどうにかして引きずり出すほかない。

更に言えば時間ももう限られている。

繰り返しは何度だってできる。

だが、世界に残っている資源を考えると。

どれだけ引き延ばしても、いずれ限界の時が来てしまう。

ソフィーが無理な壁を用意して。

無理矢理にでも双子を育てようとしているのは。

それが理由だ。

さて、ではまず順番に話を進めて行くか。

アダレット方面で工作していた深淵のものと接触。状況を見せてもらい、細かい指示を幾つかだし。道具も貸し出す。

ミレイユ王女は完全に深淵のものとの協調路線を貫いているが。

何しろ切れ者だ。

深淵のものが何を目論んでいるか、気付かせてはならない。

気付いた場合、人間らしい思考によって、どんな反撃を試みてくるか分からない。

得がたい人材だが。

必要になったら消さなければならない。

今までの繰り返しでも。

何度も起きた事だ。

ルーシャの所に。イルメリアを育てたときと同じように、ホムンクルスのメイドも配置済みである。

記憶を弄ってあるからばれない。

ルーシャを監視するには丁度良いし。

イルメリアを育てきった時に比べて、ホムンクルスの完成度も段違いに上がっていて、より人間らしい言動をするようになっている。

また、どうしてもルーシャが頑張りきれない場合は。

支える事が出来るようにもしてある。

稼働は問題ない。

時間を止めて、様子を確認。

バグが出ていたら修正する。

それだけだ。

後は、双子の様子を見に行く。

時間を止めて行動しているから、気付かれない。気付きようがない。

姉のリディーは、錬金術師としての才能はあるが、兎に角ひ弱だ。戦闘どころか、ろくに逃げる事も出来ない。

妹のスールは戦士であった母譲りのそこそこ優れた戦闘センスを持っているが。

錬金術師としての才能が足りていない。

そして共通して、頭があまり良くない。

どちらも育て上げるには。

非常に厳しい工夫がいる。

一人ずつ順番に育てようとも試みたが、上手く行かなかった。

引き離すと相互依存が強いから壊れてしまう。

かといって一緒に育てると、才能の差が相互依存の関係にクラッシュを引き起こす。

難しい二人だ。

この二人を育てきらないと、どうしても最後の終焉を突破出来ない。

だからやるしかない。

今日も、外で取ってきた雑草を使って、薬とも言えないようなゴミを作っている様子であったが。

口出しはしない。

半ば廃人とかしている父親が、もう少ししっかりしていれば。ソフィーの手間も減っただろうが。

この父親が廃人化したときには、既に最初の「世界の固定」が行われた。つまりソフィーが賢者の石を作ったタイミングだった。

流石に其処から遡って干渉することは、時間を巻き戻す事さえ出来るソフィーにも無理だ。

いつもと変わりなし。

それを確認すると、アトリエを出て。

メルヴェイユ、つまりアダレット王都を歩く。

何がメルヴェイユだか。

無駄に国力を浪費して、要塞だった首都を庭園趣味に変え。強固だった防御力をドブに投げ捨て。実用性を放り投げて美しさを重視した。

先代アダレット王は現実を知らない男だった。

騎士団がどれだけ苛烈に外で戦い。

獣や匪賊、ネームドと戦って命を散らせているか。

それを理解もできていない男だった。

此処がもう少し、戦士としての気風を残した国であったのなら。

或いは双子も、もっと育てやすかったかも知れない。戦闘面での教官役にできる人材も、色々見繕えただろうに。

いずれにしても、此処もいつもと変わりなし。

最後に、雷神の封印を見に行く。

いつもよりちょっと封印が解けるのが早くなりそうなので。

少しだけ封印を強化しておく。

雷神の力そのものも削っておく。

フルパワーになった場合、雷神はこの世界を構成する四つの力。電磁力、重力、強い力、弱い力のうち。電磁力を操作するとてつもない邪神となる。実戦闘力で言うと、端末パルミラの四分の一ほどだ。

だからこそ丁度良い。

此奴の攻撃を死なずに耐え抜き

そして不思議の絵の力を使って対処する事を覚えれば。

見えてくるのだ。

那由多の先にある、未来を切り開く可能性が。

時間停止を解除。

後は予定通りに、一つずつ進めていくだけだ。

ソフィーはくつくつと笑うと、一旦アダレットから姿を消す。

ここからが地獄の始まり。

そして地獄が始まることにより。

地獄が終わる可能性を探し出す旅も始まる。

今度こそ、双子を育てきりたい。

そう考えているのは。

ソフィーも同じなのだ。

 

(続)