すのーもーびる

 

序、白と赤

 

わたしが見上げている先には、山があった。ただし形は露骨におかしい。途中から大きく抉られていて。更に、麓の一部には現在進行形でスキュラーが多数貼り付いていた。

赤い奴に派遣されて来たここは。

まだ人間が暮らしている街だ。

ビルの中で静かに潜んでいる者も多いが。

川沿いの其所では、まだでんしゃが通っていて。

人が出ていったり入ってきたり。

空には人間がいる事を想定してか、おおあほうどりが多数飛んでいる。ズーの姿は見えないが、たまに姿を見せるかも知れない。

ジャガーノートが引くバスが行く。

でんしゃは此処でも一日一回来れば良い方のようだ。

人間に対する考え方が決定的に変わった。

だからわたしは、可能な限り一日でも早く、ブロックを食べる事と、水を飲むことをやめようと思っている。

水だってもう必要ない。

わたしの体は、全て赤い奴と同じもので出来ている。

大気中の水分を吸収して、充分に必要な水を得る事が出来る。

食事だって同じ事。

そもそも大気中に大量に満ちている赤い奴が、常にわたしに栄養を供給しているのだ。

必要などない。

それなのに、今バイクにつなげた荷車には、浄水器を乗せているし。ブロックも少しはある。

人間性はまだ消えない。

人間だった頃の習慣も。

排泄はもう完全に必要なくなったが。

それはそれ。

わたしにとっては、まだ体の一部が人間である事は。

もはや不快なことでしか無かった。

そして見上げている先が。

今回の調査対象だ。

あの山の中腹。

山自体は真白いが。

あの白い中に、大きめの設備が埋まっていると言う事だ。

具体的な正体は分からない。

赤い奴は存在こそ察知したが。

そもそもあの白いのが雪だと言う事や。

雪も当然強い酸を含んでいること。

対抗策として、アルカリ性のワックスを渡されたこと。靴も普段のじゃ無くて、登山用のものを用意されたこと。

それら様々、いつもと違う。

さて、此処から山登りだ。

無気力な半死人として。

いや生物としては既に滅びを間近にして。

もはや周囲を一切気にせず、言葉も発せず生きている人間達の街を行く。

昔人間は異様に清潔にこだわったらしいが。

もはや清潔など何処にも無い。

だけれども、わたしも死ぬまではそうして過ごしていたのだ。

別にそんな事は気にならない。

淡々と街を抜ける。拠点がほしい所だが、しばらくは雨が降らないと臭いが告げてきているので大丈夫。

それにだ。

この少し先に行くと。

人間が動いている様子が無い廃墟がある。

そこをまずは調べて。

駄目そうだったら、一旦少し戻り。

拠点を確保する予定である。

それにしても傾斜が凄いなと思う。

雪も今まで行った地域では経験していない。追加記憶でそういうものがあるとは知っているのだけれども。

現在の雪と昔の雪は違う。

昔の雪はともかく、今の雪は酸を強く帯びている。

そうなると、極めて危険な代物と考えた方が良いだろう。

周囲を見回す。

どうもこの辺りはビルよりも人家が目立ったが。

殆どが潰れてしまっていて、役に立ちそうにもない。

ビルはあるにはある。

入ってみると、据えた臭いがしていた。

点々としている人骨。

かなり古いものだろう。

そう、核による戦争が起きる前に、この辺りでは何かがあったのだ。山の様子からして、恐らく核も直撃したが。それのダメージはいまスキュラーが緩和してくれている。

緩和はしてくれているが。

その前に何かとんでも無い事が起きたとして。

何が起きたのか、もう正確に知る術は無い。

見た感じ、弾痕も残っている。

殺し合いをしたのだ。

それも軍の装備によるものではあるまい。

世界が崩壊する前、此処はかなり治安が悪い地域だったらしいのだが。

要するに此処は、武装した集団が詰めていて。

その手の連中が殺し合いをしていたのだろう。

見た感じ、数人分の死体があり。

関わろうとしない感じで、周囲の住民はそれを無視していたのだろう。

文字通り世も末、と言う奴だ。

わたしにはそれこそどうでもいいことだが。

使えそうなものを探すが、周囲には何も無い。

死体を片付けて。残っていたものをあらかた荷車に乗せると、赤い奴のところにまで持っていく。

此処でいいだろう。

拠点としては広さも充分。

意外に丈夫に作られているのは。

恐らく、殺し合いがある事を想定していたからなのだろう。

ドレンや浄水器などを取り付けて、憮然とする。

水なんていらない。

そう思っているのに、どうしても癖でやってしまう。

腹だって減らないのに、時々ブロックを囓っていることに気付く。

わたしも、ただ生きる事だけを考えていた時代には。

これらの行動が習慣になっていた。

簡単に習慣は消えない。

こればかりは、仕方が無いのかも知れない。

だけれども、不愉快だ。

悪徳の館のあと老人の墓場を見て。

悪徳の館には、世界を動かしていた金持ちがたくさん集っていたことや。

老人の墓場はあくまで孤独で。

周囲の人間から嘲笑されていたことが。

どう客観的に見ても明らかだった。

だから、わたしは思う。

老人の方が例外で。

平均的な人間こそ、あの悪徳の館を大喜びするのだと。

暴力と性を何よりも好むのが、赤い奴に頭を弄られる前の人間の病的な性質であって。だから、暴力を振るうための大義名分を血眼になって探していたのだと。

そんな人間的な習慣である、食事。

他の生物だって食事はするが。

必要なだけしか食べない。

わたしは、無駄に食べている。

この時点で、無意味極まりない行動だ。

少し前から時々調べているが、わたしの背は伸びるのが止まった。

その代わりに密度が上がっているようだ。

体型そのものは変わっていないが。

少しずつ、確実に重くなっている。

人間とはもう完全に違う体なのに。

習慣は消えない。

不愉快極まりない。

ブロックを捨てる事だけは絶対にしない。

それは究極の無駄だからだ。

無言のままブロックを囓り終えると。

わたしは立ち上がっていた。

更に、周囲を見て回る。

何かあるという事だが。

もっと上の標高の方は、分厚く雪が積もっていて、行くだけで大変だろう。

耐酸をこれでもかと施した靴のつま先で、とんとんと地面を叩く。

少し登って見て。

それで対応を考える。

ただ、雨が降り出すとどうしようもない。

服はもう体の一部だから再生するし。多少の雨なら大丈夫だが。

この先は山だ。

雨がどんな風になるか分からないし。

追加記憶を調べて見ても。

どうも深い雪山にはいりこんだ端末はいないらしい。

そうなると、わたしの行動の全てが、今後の指針になる可能性が高い。

文字通り草分けをしなければならない訳だ。

光栄の極みとでも言えばいいのだろうか。

よく分からない。

評価されている事は事実だろう。

わたしは単に自分の運が良いだけだと思っているし。それはどう客観的に見ても事実だけれども。

赤い奴はそれ以上のものを、わたしに見ているように思える。

この辺りはよく分からないが。

まあ端末として行動する事に代わりは無い。

少し登って見る。

雪がうっすら積もっている場所に出始めた。

踏むとサクサクと音がして面白いが。

それ以上に、目を細めて周囲を見回すことになった。

とんでもなく寒い。

それともう一つ重大な問題がある。

恐らく雪が常時積もっているから、だろう。

雨が降っても、すぐに外が乾くのが今の世界である。

これだけ雪が降って積もって、残っていると言う事は。気温だけでは無く、湿度も高いと言う事だ。

靴だけじゃ駄目だ。

合羽の類も必要になってくる。ガチガチに耐酸の対策を施した特別製の奴が、である。

もう少し周囲を歩き回ってみる。

雪は思った以上に硬い。

雨というのは、元々上空では雪で。

降ってくる間に雨になるという。

要するに寒ければ、雪の状態のまま降ってくる、というわけだ。

だがそれは、元々の。人間が汚染しきる前の世界の話。

今の世界では、雨は強酸性で。汚染物質もたくさん含んでいる。

雪も当然性質が違ってくる。

強酸性だからか、それとも汚染物質の影響だからかは分からないが。

雪は硬いと感じた。

それも中途半端に、である。

この様子だと、追加記憶にある「雪崩」という現象。

降り積もった雪が、音などの切っ掛けで一斉に崩れ。それが麓にいる人間などを襲う現象が起きる可能性は下がるか。

いや、やってみないと何とも言えない。

雪が硬い分、普通の雪崩よりも更に強烈なのが来るかも知れない。

雪を少し手にとって、確認して見る。

冷たいけれど、やはり凝縮されている分酸が強烈なようだ。

冷たさ以上に痛みが来る。

痛みと言うよりも、体が欠損しているという信号なのだが。

ともかく体にダメージが来る。

これは、予想以上に厳しいかも知れない。

このまま登るのは無謀に過ぎる。

わたしはそう判断していた。

もう少し、周囲を調べてみる。高度は上げない。雪の積もった山というものを知らなければならないからだ。

それに件の施設とやらは、ここよりもずっと上にある。

見た感じ、麓の人間の街にはおおあほうどりは寄りついているけれど。

山の方には行こうとしていない。

人間がいない事を悟っているから、というのもあるのだろうが。

何よりも無駄に死ぬ可能性が高いからだろう。

おおあほうどりも赤い奴が作り出した存在だ。

普通の生物とは違っている。

だから、好奇心のまま身を滅ぼすような事はしない。

つまり逆に言えば、そういう事だ。

わたしは手の雪を払う。

確かに手がかなり赤くなっていた。

皮膚に相当する部分が、酸にやられて傷ついているのだ。

勿論、すぐに修復していくが。

これはまともに雪を浴びると、回復が間に合わないだろう。

その場合は、恐らく次のわたしが来る事になる。

慄然としながら、必要な物資について、リストアップしておく。

完全記憶能力があるから、忘れる事はないけれども。

これは、長期戦を覚悟しなければならないなと、わたしは覚悟していた。

そうこうしている内に、臭いで分かる。

降る。

雨が降るときも退散するのはお約束だけれども。

雪の場合はどうなるのか。

更に言えば、此処から直線距離で、人間の単位で言うなら数qは目的地まである。

本来はこの山は、温かい時期には雪は積もっていなかったらしいのだが。

今では地球規模で気候がおかしくなっていて。

年中雪が積もった状態になっている。

つまりはそういう事だ。

体が冷える分には別に良い。

わたしの全身は脳と同じ。筋肉とも同じ。要するに思考すればするほど、行動すればするほど、熱を持つ。

やがて行動しているだけでは冷やしきれないほど熱が溜まりこむ。

冷える分には大丈夫だ。

オーバーヒートするくらい、行動なり思考なりをすればいいだけの事。

対策は容易である。

問題はその他が対策できないと言う事で。

一旦データを集めて、対策案を練っておかなければならないだろう。

拠点に戻ると。

降り始めた。

ちょっと高度が変わるだけで雪だったり雨だったり。

本当によく分からない状況だ。

見ていて、どの辺りで雪か雨かに変わるか、確認をしておく。

この辺りはかなり標高が高いようなのだが。

いずれにしても、近場の川。つまり赤い奴が来ている所の辺りでは、安定して雨が降っているようだ。

その一方で、この辺りはいわゆるみぞれ。

雨と雪が混ざったものが降っている。

眉をひそめる。

みぞれの臭いがちょっと強すぎる。

雨が降るときはだいたい臭いで分かるようになっているのだが。

そんなレベルでは無い。

この様子だと、降ると思ったら即時撤退が基本かも知れない。

それくらい、これから行く場所は危険だと言う事だ。

考え込む。

強酸の湖に浮かぶあの溶けたビルの島。

あれですら。降る雨が普通だった。

今度は雨の時点で普通ではない。

そう考えてみると。

雪の性質を確かめるまでは、危険すぎて登るのは無理だ。そもそもとして、装備をどうすれば良いのかさえ分からない。

拠点の影から、空を見やる。

降ってきているみぞれは、分厚い雲から降り注いでいるが。

どうやらその雲は、巨大な山岳地帯に対流し。その山岳地帯に阻まれるようにして雨を降らせているようだ。

追加記憶に照会すると。

どうやら山で雪が降りやすいのは、むかしからそういう理由からだったらしい。

そういうものなのか。

地球がこれだけ滅茶苦茶になっても。

まだそういう理は働くわけだ。

ただ強酸の雨が降るという状態である。

やはり、それらの基礎的な理についても。

昔とは、色々変わってしまっているのかも知れないが。

みぞれが止む。

雨と混じっているだけあって、積もることも無かったが。

とにかく雨の臭いが全く消えない。

しばらくして、地面が乾くには乾いたが。

湿度そのものが極めて高いのだろう。

やはり臭いで雨なり雪なりが降るのを察知する能力は、相当に制限が掛かると判断した方が良さそうだ。

ため息をつくと、調査に戻る。

雪山を登って、徹底的に強酸性の雪というものについて調べていく。

これは本当に、登り切れるのか。

不安では無くて疑問が心中に浮かぶが。

端末である以上、やるしかない。

そして他に誰も出来なかったことを、わたしは何度もやってきている。

つまりわたしの強運に、赤い奴も期待している、と言う事だ。

黙々と周囲を調べている内に、また雨の臭いがし始めた。

これは調査の時点で大苦戦確定だろうな。

そう思いながら、わたしは後方の拠点を一度だけ見て。

どうやって調査を進めていくか。

念入りに考え続けていた。

それには、どんどん冷えていく体を、温める目的もあった。

 

1、今までに無い険路

 

わたしが色々抱えて赤い奴の所に戻る。

バイクで荷車を引いて、赤い奴の所に戻ったのは、最初に出向いてから三日目の事だった。

その間散々みぞれに降られたけれども。

それでも調べられる範囲では調べた。

何よりも、強酸性の雪の危険性については、自分の体でよく分かった。

そして体で分かった事は、赤い奴は意思疎通すれば即座に完全理解する。

赤い奴に、ちょっとだけ物資を引き渡した後。

軽く意思疎通をする。

現時点で必要な物資を並べると。

赤い奴は承知してくれた。

赤い奴は意思を伝えてくる。

時間は掛かってもかまわないから、確実に攻略しろ、と。

了解とわたしは返す。

赤い奴の端末になってから、もう半年が経過しようとしている。

この辺りのやりとりは、もう慣れている。

問題は、もう半年も経ったのに。

まだ人間的な習慣が抜けていないと言う事。

心にも、悪い意味で人間性が残っていると言う事だ。

それにしても、赤い奴が端末にしたとき。それらは消す事も出来たはずなのだが。消していないと言う事は、何か目的があるのだろう。

あるいは、人間の英知の結晶を探すには。

人間の要素が残っていた方が良いと言う考えなのかも知れない。

わからないでもないが。

此方としては、色々なギャップで毎回苦しくて仕方が無い。

端末としての作業は、別に嫌いでも何でも無いが。

この辺りのずれから生じる苦しみは。

多分経験しないと分からないし。

他の端末と接触する事がないため。

結局自分という個の内部で解決しなければならない事なのだろうとも、わたしは思っていた。

一旦拠点に戻る。

様々な物資を補給したが。その中には、自分が今まで何と無しに回収していたものも多かった。

いずれにしても、合羽を被る。

合羽はガチガチに耐酸の対策をしてあるが。

これは調査用に、複数貰ってきている。

要するに消耗品という扱いだ。

他にも色々貰ってきているが。

それは調査の過程で随時使って行くことになる。

目的地については、赤い奴に方向を知らされているので。

まっすぐ進んでいきたいところだが。

雨が降っている間に追加記憶を整理していたところ。

こういった雪山にはクレバスという危険な地形があり。

端から見る分には全く分からないと言う。

要するに、本格的につもり始めたら、後は一歩一歩進んでいくくらいの覚悟が必要だと言う事だ。

面倒な話だが。

それでも、なんども新しいわたしを寄越すよりは早いだろう。

早速調査を進めていく。

分厚い長靴は、前より調子が良い。

手袋も調達した。

酸に対応出来るように、ばりばりに耐酸の対策をした奴だ。

とはいっても、全身にもろに浴びたりとか。

或いは雪に埋まったら、どうなるか分からない。

手探りでやっていくしかないだろう。

スコップを手に、わたしは外に出る。

このスコップは、前にF35を回収したとき。軍基地にあったものを持って来た。あの時は殆ど物資を回収する余裕が無かったのだが。このごっついスコップは、使えると思ったのだ。

案の定非常に硬くて、尋常では無くさくさくと掘ることが出来る。

これを使って、雪をかき分けながら進んでいく。

雪をかき分けながら進むと。

見えてくる。

やはり、外から見えてくる地形と。

山の中は、全く違っているようだ。

クレバスにはまだ現時点で遭遇はしていないけれども。

ちょっと雪の積もり方がおかしいなと思うと。

その地点は、凄まじい勢いで地形が隆起していたりする。

直線距離で数qと。

その数qに到達するのでは。

文字通り天地の違いがあると言う事が、わたしにはよく分かった。まだ十分の一も行っていない時点で、である。

これは大変に厄介だ。

わたしは苦笑いしながら、どんどんスコップで掘り進める。

スペックは上がっているし。

何よりオーバーヒートする先からどんどん体が冷やされるので、殆ど問題にはならないけれども。

ただ、雪がどんどん降り重なるのは問題だ。

つまるところ、ほってもほってもキリが無いという事である。

これは追加記憶にある除雪車とかがいるかと思ったが。

そもそも除雪車は、回収されたものがない。

赤い奴には再現出来ない。

そもそも、強酸性の雪なんか除雪したら、あっと言う間に壊れてしまう事だろう。

それくらいこの強酸性の雪は。

追加記憶にある雪とは、別物なのである。

オーバーヒートすると体の動きが鈍くなるが。

コートを着て、多少厚着をしていても、その心配はまったくない。

しかも、山を登れば登るほど、その傾向が強くなって行く。

ある程度進むと、安全に進める地形に、持ち込んだ杭を打っていく。この杭は帰りに回収するが。

赤い奴から貰った。

赤い奴で出来ているので。

酸で溶けることは無いし。

仮に溶けたところで、大気中に満ちている赤い奴を吸収して、その場で形状を保全し続ける。

つまり生きた杭だ。

非常に便利なので、彼方此方に突き刺していく。

とにかく雪ばっかり降るので、これがあるのとないのでは、作業効率も段違いである。要請しておいて良かったと、わたしは思うばかりだった。

臭いが強くなってくる。

雪の臭いだ。

限界だな。

そう判断して、わたしは拠点まで戻る事にする。

この道中に拠点を作る事も考えたのだけれども。

それはやめた。

というのも、道すがら確認したのである。

わたしが拠点を作った辺りで、人間の街の残骸は終わっていなかったのだ。

今進んでいる道の辺りにも普通に存在していた。

それが強酸性の雪で全部まとめて溶かされて。

殆ど何も残っていない。

地面には、わずかに残骸があって。

それらを見て、わたしは察することしか出来なかった。

拠点を作っても、すぐにこうなると。

今使っている生きた杭みたいなものを使う手もあるけれども。

それでも、埋まることからは避けられない。

結局の所、安全圏と危険圏を行き来するしかない。

そういう場所だと、覚悟をとっくにわたしは決めていた。

いずれにしても、この臭いはもうすぐ降り出す。

それに、どうしてもこの状態だと、体にダメージが常時入り続ける。

湿度が高く。

強酸の雪の上なのだ。

口の中とか鼻の中とかが。

常時ダメージを受け続ける。

それは回復速度を上回る。

だから、口を拭いてみると血だらけになっていたり。

鼻血が出ていたりと。

しょっちゅう、ダメージが大きい事に気付かされて、うんざりしていた。

かといって、ガスマスクの類をつけてもあまり改善はしないだろう。

ガスマスクをつけるだけ体が重くなるし。

何よりガスマスクが消耗品になるからかさばる。

意思疎通する際に。

ガスマスクを要求しなかったのは、その辺りが理由だ。

ただ、当然目もダメージを受ける。

これが厄介だ。

今も視界がかすれている。

当然、雪が降る直前は、ダメージも更に強烈になってくるので。

早めの下山をしないと、回復にえらく手間取ることになるのだった。

杭を突き刺すと、早めに荷車を引いて降りる。

バイクは拠点に置いてある。

何か回収出来たときに、これを使ってひとっ走りするためである。

また、もしも目的地まで到達できた場合には。

その時は赤い奴にフォークリフトなりなんなりを要求するつもりである。

ヘリを使うのも良いかも知れない。

目的地に、重要な物資があった場合は。

赤い奴も検討してくれるだろう。

拠点に到着。

同時に霰が降り始めた。

霰か。

みぞれとはまた別。

かなり大きめの粒の雪が降ってくる現象だ。

更に大きめになると、雹という。

これは物理的な殺傷力があり。

文明が終焉を迎えようとしていた時代。

世界中の天候が既におかしくなっていたらしいのだが。

この雹は時々彼方此方に降り注いでは。

その度に甚大な被害をもたらしていたらしい。

追加記憶によるものだ。

今は赤い奴がある程度気候をコントロールしているので、山間部くらいでしか雹は降らないのだが。

逆に言うと、此処では降る可能性があると言う事だ。

杭の様子を見る。

今の時点で、進捗13%というところか。

分かりきっていたが、進めば進むほど雪が深くなって行く。

杭ももっと長いものが必要になってくるかも知れない。

帰りに回収することを考えると、ヘリで物資を運び出すにしても。

帰りはまた雪かきをして、全部回収する作業が必要になってくる、と言う訳だ。

面倒かも知れないが。

必要な事だ。

少なくとも、赤い奴はどうこうしろとは意思を伝えてきていない。

ならばわたしとしては。

端末として、やるべきことをやる。

それ以外にはない。

いずれにしても、杭は長さを色々揃えてきている。

まだしばらくは大丈夫だという自信がある。

また、どうやらこの辺りは空気がかなり薄くなってきているようだけれども。

真空でもない限り、活動には問題ない。

わたしの体内は、人間のものとはだいぶ違っている。

呼吸という行動そのものが必須では無いのである。

霰がやがて雨になっていき。

周囲のうっすら積もった霰を容赦なく溶かしていく。

気温は非常に低い。

麓の街にいる人間なら、ばたばた倒れて死んでいるだろう。裸で活動している者も多いし。薄着なら気が利いているくらいなのだから。

この気温なら、裸の人間は短時間しかもたないな。

わたしはそう冷静に判断して。

手袋を外し。

手に息を掛けて、憮然とした。

こんな習慣もあったっけ。

だとしても、今出てこなくても良いだろうに。

例外的な善良な人間はいても。

平均的な人間とは邪悪であると学習したわたしは。

今では、こういう人間的行動を。

忌避するようになってきていた。

 

追加記憶を可能な限り整理する。

この拠点は風呂もあったのだが。なんだか非常に不衛生な液体がたまっていたので、一度ひっくり返して、洗わなければならなかった。

その不衛生な液体は、明らかに他殺された人間の死体の残骸も含んでいて。

まあそういうことだったのだろうと簡単に推測はできた。

風呂に入るには入るが。

別に必要ないかなとも感じる。

代謝がない。

此処は非常に寒くて、オーバーヒートを冷やして緩和する必要がない。

だから、である。

とはいっても、まだやはり人間的習慣がどうしても残ってしまっている。それはもう、仕方が無いのかも知れないが。

綺麗にした浴槽を使って、風呂に入って。

それから着替えて、出かける。

スコップに、アルカリのワックスを塗ってからのお出かけだ。

そうしないと、これだけ強力なスコップでも、あっというまにボロボロになってしまうのである。

雪山に出る。

最初から大変だと言う事は分かっていた。

しかし、今では想像以上だと言わざるを得ない。

ゴーグルだけでも貰ってくるか。

そう考えたが。

しかしながら、そんなものをつけても大して変わらないだろう。

それくらい、厳しい状態だと言う事である。

また道を掘り返すところから作業再開だ。

身体能力はかなり上がっているが。

それでも人間を圧倒的に凌駕する、と言うほどでも無い。

一人が通る道を掘っていくのがやっと。

杭を目印に、どんどん進んでいくが。

アドバンテージになっているのは、身体能力よりも疲労しないという特性だろうと思う。

熱はどんどん周囲に奪われているし。

活動環境としては、雪さえなければむしろ相性が良いのかも知れない。

そういえば、だが。

追加記憶を整理しているときに知ったが。

人間が使っていたサーバルームも。

冷房を極端なほど掛けないと、使い物にならない状態であったらしい。

機械と低温は相性が良く。

わたしの体は、地球そのものの量子コンピュータの一部。

要するに、そういう事だ。

ただ、この酸まみれの雪と、強烈な湿度はそうではない。

これさえどうにか出来れば、と思うが。

正直、赤い奴にはこんな所に割いているリソースはないのだろう。

もしもあるのだったら。

わたしなんか派遣していないで、触手でも伸ばしてぱぱっと必要なものを回収しているのだろうから。

どんどんスコップを振るい、雪をどけていく。

どれだけ雪をどけて道を作っても、ちょっと降るとあっと言う間に元通りなのだから意地が悪い。

そういうものだと分かっていても、である。

まあ自然に意地が悪いもなにもないか。

自然は勝手にあるがままある。

人間がそれから逸脱しすぎていただけ。

そういうことだ。

黙々と掘っている内に、やっと前回の到達点に。

かなり曲がりくねりながら進んでいるが。

これは案の定、クレバスに当たったからである。

本当に、溝が出来ている。

落ちたら次のわたしが来るしかないだろう。

また、不意に強烈な段差が出来ている場所もある。雪のつもり方がおかしい場所は、だいたいそうだ。

今、40%という所か。

時間は掛かっても良いと言われているが。

何というか、非常に苦労が絶えない。

1%分進む度に、膨大な時間をロストしているようで。

わたしは無駄では無いかこの作業と思いながら、黙々と進める。

だが、無駄では無い事はわかっているので。

次の瞬間には、やむを得ないと頭を切り換え。

黙々とスコップを振るう。

体が冷える方が早くなってきたので、作業速度を上げる。

下手に作業速度を上げすぎると、オーバーヒートして色々大変になるのだが。今はむしろ作業速度を上げないと危ない。

どんどん作業を進めていき。

杭を打ち込み。

雪が降ったら戻る。

進捗が遅れ始める。

標高が上がれば上がるほど、山の地形が複雑になって来たからである。

これは、危険だ。

言わなくても分かるほどである。

崖と言う程危険では無いが。

何処に何があるのか、さっぱり分からない。

一度などは、スコップが硬い物に当たって。

掘り出してみたら、尖った槍のようなものが埋まっていた。

何だかよく分からないが、恐らく樹木の残骸か何かなのだろう。

この山は核攻撃のあおりを受けたのだ。

変な風に樹木の残骸がねじ曲がっていてもおかしくは無い。

樹木の残骸自体が珍しいが。

それはこの分厚い雪のおかげで、残っていたと言う事なのだろう。

これは、赤い奴が欲しがるかも知れない。

そう思って、回収はしておく。

ただ。今回の道中。

道中で回収出来るものは、普段に比べても極端に少なかった。

まあそれもそうだ。

酸の湖を直接泳ぐほどではないにしても。

凍った酸の湖を、切り分けながら進んでいるようなものだからである。

それは当然時間も掛かるし。

得られるものだって多いわけがない。

進んでいく内に、また臭い。

雪が降る。

それも、急速に臭いが強くなってきている。

淡々とスコップをしまうと、帰路に。

帰り道、凍っている箇所がある。

この短時間で凍ると言う事である。

このため、下手をすると転ぶ。荷車を傷めてしまう可能性もある。

わたしは元々ぶきっちょなので。

余計に気を付けなければならない。

体を破損しても特に問題が無いことだけは救いではあるけれども。逆に言うとそれしか救いがない。

急いで駆け下りて。

そして拠点に入る直前くらいから、ざっと降り始めた。

雨量が多いな。

そう思いながら、拠点に駆け込み。ぞうきんで物資を全て拭う。外を見る限り、雪もどかどか降っている。

かなりやり直しになる。

分かってはいるが、どうしようもない。

もう一度やるだけだ。

水を飲む。

ブロックを囓る。

横になると、ぼんやりと降っている雨の様子を見やる。

麓ではそこまで降っている様子が無い。

街の辺りは小雨程度だ。

山の中は。

こうも天気が変わるのか。

雲がかなり分厚くなってきている。

あの様子だと、しばらくは降るだろう。

やはり、山に阻まれて雪がどんどん降るというのは本当の事らしい。追加記憶の中には、学者のものもある。

まあ、そういう事なら仕方が無い。

赤い奴にも急がなくて良いと言われているのだ。

だから、このままやっていく。

それだけである。

目を閉じて、追加記憶の整理に集中する。

わたしに役に立ちそうな追加記憶を検索してピックアップしていく。

赤い奴の中にいるときに、どんどん追加記憶は増えているので。

検索は大変になる一方だが。

わたし自身の性能も上がっているので。

大変ながらも、やりがいはある。

しかも此処は気温が低いので。

オーバーヒートの懸念もない。

ざあざあと、凄い音で雨が降り続いている。本当に、急いで山を下りておいて良かったと思うばかりである。

目を開けると、風呂にする。

別に必要もないのだけれど。

やっぱり気分で入りたくなる。

これに関しては、わたしが生きていた時の習慣ではない。入った事はあったが、回数はとても限られていた。

それでも、何となく一度やってみたら面白かったので、以降はずっとやっている。

風呂から上がって、服を着る。

もう体の成長は完全に止まった。

だから、別にどう成長したかを、鏡で見ることもなくなった。

服を着た後横になって。

ぼんやりと雨を見つめる。

たまに、こういう風にぼんやりと過ごしてしまうのも。

或いは人間的なそれ、なのかも知れなかった。

 

2、極寒地獄

 

人間だった頃のわたしからは考えられない凄まじい勢いで雪を掘り返しているが、それでも追いつかなくなってきた。

それだけ凄まじいのである。

積雪量と寒さが。

わたしは既に目的地まで70%の地点まできた。

だけれども、いたちごっこはまだまだ続いている。

兎に角、起伏が激しい。

進んだと思ったら岸壁にぶつかり。

迂回したと思ったらクレバスがある。

この先に元々どんな施設だったのかよく分からないが。

赤い奴がわたしを派遣するほどなのである。

到着した後は膨大な物資を運び出す作業が待っているかも知れない。

ヘリを使うべきか。

いずれにしても、まだ先は長い。

此処から、大回りしなければならない可能性だってあるのだ。

直線では、進ませてくれない。

最悪、良い感じに進めていた進路を諦めて、途中から大幅に迂回しなければならない事も二回あった。

その度に大幅に時間をロスしたけれども。

しかしその度に思い出す。

追加記憶にあった。

ステイツの偉人の言葉だ。

失敗例を発見したのだ。

これは決して無駄な時間では無かったのだと。

そう自分に言い聞かせて、淡々と雪を掘り返し、杭を打っていく。

この杭もある意味生きている杭なので。間違った箇所に打ってしまったものは、勿論回収する。

何度も迂回して上を目指す。

この先には何があるのかさえ分からない。

今までわたしは強運に恵まれて、色々なものを見つけてきているが。

それでも今度は上手く行かないかもしれない。

そういうものだ。

だいたい、何かしら凄いものを見つけたとしても。

この強酸性のどか雪が降り続ける魔郷で。

積もっている雪も猛毒と酸が高濃度で圧縮されている地獄で。

運び出すのなんてどうすれば良いのか。

ヘリを使うにしても簡単な話じゃあない。

何にしても、苦労が絶えないのは当然だ。

掘り当てた先の地面が少しおかしいので、わたしは目を細めた。

しばらく無心に掘り続けて。

そのまま作業を続行する。

やはり、元地面だった場所が少しおかしい。

これはひょっとしてだが。

道路か何かだったのではあるまいか。

強烈な酸と毒でグズグズになってしまってはいるが。

元々は此処を何かが通っていた可能性は低くない。

幸い、今日はこの山は多少機嫌が良い。

周囲を探り。

一気に進みたいところである。

雪を徹底的に掘っていくと。

不意に、雪を放り捨てた箇所から。どっと雪崩が起きた。

思わず飛び退いたが。

即時に連鎖的に雪崩が起きていたら、どうしようもなかっただろう。いずれにしても、雪崩が起きている場所から全力で離れる。

予想通り強烈な地鳴りと音で雪崩が連鎖する。

わたしは無言で走り続ける。

雪が凄まじい勢いで飛んできた。

合羽を被ってなければ、前にステイツで酸の濁流に落ちて半分くらい体を失ったときと、同じような目にあっていただろう。

いずれにしても、荷車を引きながら全力疾走して、その場を逃れる。

人間時代のわたしは、まともに走る事も出来なかったことが、今ならば分かる。

今は追加記憶もあって、体の動かし方が分かっている。

人間の領域は越えられないが。

人間の領域の極限くらいの速度では走れる。

凄まじい雪崩が、一気にわたしの後方を席巻し。

蹂躙し尽くしていた。

全身がオーバーヒートしているが。一気に周囲の冷気で冷やされていく。また、雪が崩れた事により、猛毒と酸を含んだ霧が、周囲に立ちこめていた。

口を閉じる。

呼吸は人間時代の習慣でやっていたが。

これは口の中が悲惨な事になる。

鼻も手で覆い、目も閉じる。

しばらくは、この場で立ち尽くす。

せっかく丁度良い感じで作業が進んでいたのに。

また一つ、分かった。

こんな状態で。

昔とは雪が全く違うものになっていても。

雪崩は普通に起きる、と言う事だ。

全身に酸による強烈なダメージが入り続け。体中を空気中に漂う赤い奴が補い続ける。

回復がダメージを上回り始めるまで、たっぷり一時間ほど掛かった。

目を開ける。

体中のダメージが甚大だと言う事がわかる。

周囲を確認。

杭を打った辺りには、それほどダメージは出ていないが。

さて、どうなった。

今雪崩が起きた辺りをよく見てみる。

完全に切り立った崖になっていた。

なるほど。

非常に不安定な状態で雪が積もっていた。

わたしの追加記憶にある雪よりも、此処にある雪は、有毒物質や酸のせいか、非常に硬い印象がある。

それでもなお、不安定な状態に耐えられなかったのだ。

今までは耐えられていたが。

それも限界が来たのだろう。

要するに、である。

あの道を行くのは無理と言う事だ。

道路か何かがあった頃は、本来の雪の性質を前提として作っていて。

定期的に雪も処理していたのだろう。

今は違う。

降雪量も違うのかも知れない。

いずれにしてもはっきりしているのは。

仮に道路があったとしても。

もはや無用の長物であり。そこを辿ったところで、何もできない、という事である。ましてや物資があったら運び出さなければならないし。運び出すときはどちらにしても赤い奴に状況報告をしにいかなければならないのだ。

おおあほうどりなどの空中をいける生物や、ヘリなどで目的地に直接行くのは論外だというのは分かっていたが。

それがますます補強された。

これは現地まで地道に道を開拓しなければ。

それこそ現地に行っても、その度に次のわたしを呼ぶ事になるだけである。

道を変える。

これで、三度目か。

上手く行きかけたと思ったけれど。

此処は前向きに考えなければならない。

上手く行ったのだ。

駄目な道を発見できたのだから。

ステイツの偉人は、人格的には決して褒められたものではなかったそうだが。何か大きな事を為した人間はだいたいそういうものだったそうだ。

わたしが探しているのは、その偉人が作り上げた英知の結晶。

また、偉人が残した有益な言葉も、使えるなら使う。

人格なんてどうでもいい。

平均的な人間がどれだけカスかなんて、あの悪徳の館で思い知ったのだから。

今更、人間に何て何一つ期待していない。

それだけである。

わたしは無言で、途中の杭まで戻り。淡々と作業を開始する。駄目だった方向はもう完全に無視。

速度は落ちるが。

それでも目的地に進む。

崖があったら迂回する。

クレバスがあったら迂回する。

そうやって、確実に進んでいく。

斜面についても、さっきので学習した。

これは雪崩が起きる、と思う場所には近寄らないようにする。

雪崩は一度起きると連鎖的に起きるし。

此処では舞った雪が、全身を蝕むほどの凄まじいダメージになるのだ。

この体でも、である。

だから、慎重すぎるほどに行かなければならない。

どうせ時間はどれだけ掛けても良いと言われているのだ。

他の端末を派遣しなかったのは。

実績からして無理だという判断があったから、なのだろう。

黙々とスコップを降り続け。

雪をどかし続ける。

たまにスコップにアルカリのワックスを塗りたくって、メンテナンスをする。

全身を固めているのに、それでも常時ダメージが入り続ける。

服も時々溶け落ちたりしているが。その度に回復はしている。

肌が露出したりもするが。

元々今のわたしは全身が脳。全身が筋肉。

痛みも、ダメージとしてしか感じない。

だから、今の赤い奴に脳を直接握られている人間ならともかく。

昔の人間が見たらどう思うかはともかくとして。

わたしも、服が溶けても変なところの肌が露出しても。

何とも思う事はなかった。

次だ次。

杭を打ち込むと、先に進む。

ちょっと起伏が厳しいだけで、迂回する事を強いられる。

こんな厳しい山岳地に、本当に何を作っていたのだか。

シェルターだろうか。

追加記憶によると、色々可能性が出てくる。

ICBM等を格納している機密の軍事基地だったり。

或いは何かしらの、外に出るとまずいものを扱っていた研究施設。

幾つも可能性は出てくる。

どれも、通常の人間が入ったら、どうなるかしれたものではない場所である。人間ではないわたしが行くにはうってつけだ。

まだ無事なICBMでも見つかったら、赤い奴にどう報告するべきか。

勿論欲しがるだろう。

これを作ってはまずい。

そういうものを、赤い奴は知りたがる筈だからである。

わたしはその場合、どう運び出すかなと考えながら。

同時並行で、手を動かして、雪をどけながら進んでいた。

また、杭を打つ。

地面はグズグズだが。

比較的それでも、この辺りはしっかりしている方である。

それでも、長靴はそれなりに沈み込むし。

いざという時は踏ん張ることも難しそうである。

標高が上がるほどこの傾向が強くなっている。

地面が凍っているなら、やりやすかっただろう。

だが、有毒成分のせいなのだろうか、地面は凍っていない。多分氷結する温度が変わっているのだろう。

或いは何か別の理由か。

口を閉じたまま、作業を続行。

雪が降りそうになって来たので、すぐに拠点に走り帰る。

帰路は意外に短い。

今までどれだけ四苦八苦して道を作ってきたか、それだけでも分かる。

幾つもある駄目な分岐を総当たりで潰しながら進んでいるようなものだから、である。

拠点に戻ると、合羽を脱いで、ぱんぱんと雪をはたく。

実際にはそんな事をしても無駄なのは分かっているが。

追加記憶による余計な動作だ。

人格にまでは影響しないが。

最適化した行動を幾つも取り込んでいくと、どうしてもこういうのが入ってくる。

雪が降り出した。

幸いにも、それほど激しい雪ではない。

雪崩が起きたばかりだ。そんなに激しい雪は降って欲しくはないのだけれども。

いずれにしても、雪は嫌いだ。

全身が痛む。

掘り返すのがオーバーヒートを起こすほどの重労働だ。

上手く行って、後二週間という所か。

わたしは脳内で皮算用する。

だけれども、それもあくまで皮算用。

二週間程度で目的地までたどり着けたら、それはむしろ万々歳と言えるだろうなと、わたしは思った。

服を脱ぐと、風呂に入る。

風呂に死体が入っていたこと何て、気にしない。

この辺りは、わたしが人間だった頃。

そもそも風呂なんて滅多には入れなかったし。

追加記憶で知った衛生観念なんてものが存在しなかったことも原因だろう。

そもそも衛生観念なんかあったら、ブロックなんか食べられない。

あれは汚水を加工して、栄養の塊にしているものだ。

平均的な人間は人間の死体から加工して作った食べ物、というだけで精神崩壊を起こすと聞いている。

おかしなものである。

背徳の館で、あれだけ同胞に残虐の限りをつくし、それを娯楽にしているような生物なのに。

いずれにしてもわたしには関係がない。

風呂に入るのも、全て気分だ。

風呂から上がったあとは、服を着て、横になる。

ぼんやりと空を見ているが。雪はそれほど積もらないだろう。

好機かも知れないが。

今まで分岐を総当たりで潰しながら進んでいたのだ。

簡単にいけるわけがない。

雪崩が起きた辺りから行くのは論外だし。

今後も、雪崩が起きそうな場所は、近付いて見ないと分からない。

下手をすると、雪崩で退路が塞がれる可能性すらある。

その時は、諦めるしかないだろう。

今のわたしが駄目になっても、次が来るだけ。

それは分かってはいるが。

時間を大幅にロスすることになる。

ともかく、一度目的地に辿りつくまでは、歩みは止められない。

目を閉じると、追加記憶の整理をする。

雪山を行くのに有利な知識は、なんぼあっても足りない。

更に言えば、今の雪山は、人間が万物の霊長を気取っていた頃とは根本的に違ってもいる。

知識はそれこそ、どれだけあっても足りないのだから。

 

三週間ほど掛けて、ようやく目的地の目前まで来る。

本当に三週間掛かった。

赤い奴が示した場所は、この少し先である。

だが積雪量が凄まじく。

また途中に、下手をすれば雪崩を起こす場所が何箇所もあったので、はっきりいって油断など出来る状態では微塵もなかった。

今日で、目的地にまでは辿りつく。

杭を地面に叩き込む。

今までで一番長い杭だ。

これで終わりにしたいが。

また、迂回路をいかなければならないかも知れない。

幸い、分岐を片っ端から潰してきたこともあって。

現状復帰までの作業は、かなり楽になってはいる。

それまでが、本当に大変だったのだが。

勢いを増して、一気に掘り進む。

全身がオーバーヒートしかねない勢いだが。

周囲の冷気がそれ以上に凄まじいので、気にならない。

むしろ舞い散った雪が、全身に与えてくるダメージの方が気になるくらいである。わたしは口を引き結びながら、どんどん雪を掘り進めていく。

やがて、硬い何かにぶつかった。

どうやら、辿りついたらしい。

周囲を慎重に掘り返していくと。

何だか分からない金属で出来た構造物だ。

相当に大きい。

雪を排除していくと、それが入り口だ、と言う事が分かってくる。

酸にやられていないと言うことは。

余程特殊な合金なのだろう。

杭を近くに叩き込むと、徹底的に辺りを調べていく。

どうやら完全に当たりだ。

ヘリポートらしいものもある。

恐らくだが、麓へは本来道は通っていなかった。

或いは、治安がまだ良い頃にこの施設を作ったのか。

それとも、現地の武装勢力が手を出せないほどの軍事力で此処を制圧して、突貫的に何か作ったのか。

どっちかは分からない。

ともかく此処が入り口だと言う事は分かったので。

わたしは無言で、周囲を片付けていく。

グズグズのヘリポートの残骸には、溶けた何かが散らばるようにして雪に埋まっていたけれど。

多分これは此処に置かれたままのヘリの残骸だろう。

核攻撃で破損したのかも知れない。

この山は核で攻撃されたのだ。

その時に粉々になったか、或いは飛べなくなったか。

それで放棄されたものを、この毒の雪が蝕んだ。

そういう事だろう。

無心に周囲を調べていくが。

入り口らしいのは、三角錐の金属の構造体で。入り口に電子ロックらしいものがあって。其所に扉がついていた。

扉自体は大きい。そして、入り口部分は余程強力な合金なのか。全部まとめて雪に埋まっていたのに、全く溶けている様子も無かった。

まあ、この入り口は、後で赤い奴が雑に回収してもあまり関係無いだろう。

どうやって入るか。

電子キーを触ってみるが、当然生きている筈も無い。

またこの合金、当然地下まで達しているようで。

横から無理矢理内部に入るのも無理そうだ。

内部の電気は死んでいると見て良い。

だけれども、当然それは想定済み。

荷車には懐中電灯も入っている。

試行錯誤しているうちに、見つけた。

どうやら、ハンドル式の開閉装置らしい。

ロックがかかっていて、厳重なことだ。

内部の電気系統が死んでいる場合。

これを使って、外部から入るのだろう。

こんなものがあって大丈夫なのかと不安にはなるが。

ヘリポート以外にも、恐らく軍が駐屯していたらしい施設(潰れてしまっていた)や。

鉄条網というものの残骸らしいのがあった(とけちっていた)ので。

そもそも、内部の電気が死ぬという異常事態は想定していなかったし。

想定していても、外部の守りは万全という自信があったのかも知れない。

それでも、ハンドル式の開閉装置は、複雑な機構になっていて。

試行錯誤しながら、何度も回しているうちに。

恐らく特定順序で左右に回さないと開かない金庫式になっていると推察できた。

いずれにしても、総当たりでそれを調べている余裕も無い。

そしてハンドルの廻し方を知っている人間も、もう生きてはいないだろう。

ならば、やる事は決まっている。

レーザーカッターで焼き切るだけだ。

荷車から、レーザーカッターを取りだす。

そして、入り口を斬り割きに掛かる。

レーザーが入り口を一気に焼き始める。わたしはもう此奴の扱いには慣れっこだ。

彼方此方に派遣されて来たが。

数日で戻るような派遣先もあった。

レーザーカッターはいずれの場所でも猛威を振るい。

本来だったら力業で突破出来ないような場所も、無理矢理突破してきた。

半端な爆弾ではびくともしないだろう扉でも。

斬ることに対しては、驚くほど耐性が無い事もあり。

特に金属はレーザーカッターの前には、どうしようもない場合が多かったのだ。

ただ、この入り口は凄まじい強度で。

F35が格納されていたシャッターよりも更に硬い。

それでも、淡々と斬っていく。

半日ほど、掛かっただろうか。

何度か同じように円形に斬り続けていたのだが。

内側に、扉が落ちていた。

まだ、雪の臭いはしない。

溶けた金属が如何に危険かはわたしも良く知っている。

だからしばらく待つ。

ましてや此処の扉は。

半日もレーザーカッターに耐えたような、凄まじい代物なのだから。

 

3、眠る

 

充分に扉が冷えてから、内部に入り込む。

後で更に入り口を広げなければならないかも知れないが、それはそれだ。

入り口近くにはしごがあり、それを降りていく。

これは運び出すときは、全部抱えていくしか無いか。

リュックは持ってきてあるので、それを抱えて降りる。

一番下まで降りると、円形に切り取られた扉の残骸に。白骨化した死体が潰されていた。

白衣というのを着ている。

こういうのがいるということは。

此処は研究施設だったのだろうか。

内部に入ってから、懐中電灯で周囲を照らす。

入り口だけでは無く、セキュリティは強力だ。いずれもが、カードキー必須の扉で塞がれているが。

レーザーカッターで焼き切るだけだ。

ともかく今回はざっと内部を見て回るだけだが。

一つ目の扉を開いた後。

内部に入ってみて、すぐに此処の正体が分かった。

膨大な硝子シリンダに、色々なものが入っている。いずれもが抱えて持って帰れる程度のサイズであるが。

内部に入っているのは何だろう。

触ってみると、硝子シリンダは非常に冷たい。

そして内部にはカプセルが入っていて。

硝子シリンダには、説明が書かれていた。

何とかいう植物の遺伝子だという。

ざっと見る限り、数万以上はある。もっと多いだろう。この部屋だけで、である。

なるほど、これは宝の山を見つけたと判断して良さそうだ。

運び出すのはヘリでやるか。

いや、雪が降ることを考えると。それにものの貴重さを考えると、別の方法を検討したい。

入り口近くを調べる。

こう言う場所は、内部に入ると必ず手がかりがあるとわたしは知っているが。

やはり此処も、例外では無かった。

施設全体の見取り図だ。

出口が他にある。

正確に言うと、最悪の場合の避難誘導路だ。

恐らく、それさえ使えないと判断し。

今此処で潰されている白衣の白骨死体は。

電気が止まった後も此処に残り。

朽ち果てたのだろうが。

見ていると、雪に埋もれやすい場所に倉庫がある。

其所に、大型のスノーモービルがあると記載されていた。

スノーモービル。

追加記憶を当たる。

どうやら、雪上車の事であるらしい。

避難経路についても記載されていたが、それは使えないと判断した方が良さそうだ。何しろ、道路側が雪崩を起こすような状況である。

此処は、文字通り未来に向けての宝の山。

恐らくだが、人間が滅びたときに備え。

学者がこういう施設を用意し、地球復興に備えていたのだろう。

その備えは虚しく。

人類を完全に潰すつもりになった地球によって、もはや復興はかなわなくなったが。

ただその地球も、このデータは垂涎の筈。

人間を一切排除した新しい地球に。

新しい生態系を構築するためには、このデータは恐らく必須だろう。

黙々と外に出ると。

スノーモービルが格納されているのは、この辺りだと見当をつけて、淡々と掘り進んでいく。

周囲を掘り進めていくと。

シャッターに出くわした。

恐らくだが、そもそも最初から偽装されていて。

スノーモービルなんか盗んだところでどうにもならないと判断されていたのだろう。

偽装は強酸性の雪にやられて溶けてしまって。

合金製のシャッターだけが残っていた。

シャッターは地面に水平に張られていた。

地面に埋まるようにして、このスノーモービルは隠されていたのだろうと、それで分かった。

シャッターを引いて開ける。

あった。

とても巨大なスノーモービルだ。

車輪はいわゆる無限軌道になっているが、速度はそれなりにでそうである。また操縦者が剥き出しになるものが多いスノーモービルとしては例外的に、自動車の用に体をガードできるようになっている。

触ってみると、ドアは開く。

ガソリン式か。

追加記憶を当たる。

調べて見る感じ、軍事用のスノーモービルというものは存在していたらしいのだが、これは恐らく特注品。

この施設のために作られたものだろう。

格納庫の内部は斜めになっていて。

スノーモービル以外にも、色々な物資があった。

最初にスノーモービルを試運転する時に、まとめて持ち出すとしよう。

遺伝子データの入った硝子シリンダは後回し。

このスノーモービルも、普通の雪の上なら兎も角。

猛毒と強酸の雪の上で、どれだけ進めるかはわかったものではない。

アルカリのワックスである程度中和できるかも知れないが。それでも多分もたないだろう。

下山までもてばいい。

わたしは、スノーモービルに乗り込む。

前だったら手足が届かなかっただろうが。

充分に背が伸びきった今は。ハンドルを握ることも、アクセルを踏むことも余裕を持ってやれた。

マニュアルが助手席にあったので。

内部を確認して見る。

動かし方は分かった。一発勝負だから、仕方が無い。しっかり見ておくしかない。

あの施設は大丈夫だ。

そもそもあの硝子シリンダの群れ、強化硝子の上に、電気が死んでも内部の物資を保管できるように、低温の液体で満たされていた。

このスノーモービルが駄目でも。

最悪、リュックに積んで運び出せば良い。

万回単位で往復することになるだろうが。

それもまた、仕方が無い事だ。

ヘリを使うのはハイリスク過ぎる。

トロッコを敷くのも現実的では無い。

だったら、このスノーモービルでやるしかないだろう。

荷台にはサスペンションがあって。

かなりデリケートな資材を運べるようになっていた。

サスペンションはかなりバカになっているようだが。それでも、この格納庫にある物資を運ぶなら大丈夫だろう。

一応、荷車からロープを出して固定する。

銃器類、爆弾らしいもの、薬品類など。

どうしてこういうラインナップなのかは分からないが。ともかくあったものは全部回収して、詰め込む。

そしてわたしは。

スノーモービルを発進させた。

非常に重厚な音と共にエンジンが掛かる。

スピードはそれほど出ないようだが、斜面に掛かっても余裕の様子だ。

地面がグズグズで、車両に重量があるから、かなり危険な帰路を想定していたのだけれども。

そもそもこのスノーモービル、サイズがサイズである。

あの施設にあった貴重な物資を運び出すために、特注で色々と設計上の工夫がされているのだろう。

だが、それでもだ。

強酸の泥と雪。

何より斜面を行くのだ。

今回は、次のわたしが来ることを覚悟の上での試運転である。ともかく、赤い奴が満ちている川まで行ければ良い。

今まで来た道を、ぐんぐん下っていく。

想像以上に調子が良い。

わたしが、何度も何度も安全経路を通っている、という事もある。

それとハンドルを握ると性格が変わるタイプの人間はいたらしいが。

わたしはもともと、原付とも呼ばれる小型のバイクでぽくぽく行くのが好きなくらいだ。無意味なスピードは出さない。

斜面でぐんと車体が傾く。

此処が最大の難所だろうとわたしは思ったが。

それでも、そこまで苦労せずに抜ける事が出来た。

曲がるのも、余裕を持って出来る。

スピードを出しすぎなければ、こんなものである。

ただし、焦りはある。

今進んでいる間にも、膨大な強酸性の泥を踏みつけながら進んでいるし。何よりも、それを巻き上げて車体全体に浴びているからだ。

車輪がやられても。

或いはエンジンがやられても。

一向に不思議では無い。

ぐんぐん降りていく。

帰路はいつも楽だったなと思いながらも、わたしはあくまで運転に殆どの意識を集中させる。

交通事故は、何か意識を余所にとられた瞬間に起きていたことが多い。

追加記憶でそれは知っている。

スノーモービルを調べているときに、何度も思い出した。

車そのものはフォークリフトくらいしかほとんど運転したことは無い。

だが、この軍用規格の車は。追加記憶に運転の方法があった。

だからいける。

追加記憶を、今では何の問題も無く使いこなせる。

雪が降り出している。

臭いで降ることは分かっていたが、これは更に急がないとまずい。

普通の雪だったら、このスノーモービルはものともしないだろうが。

それでも、この強酸性の雪は耐えきれない可能性がある。

加速はしない。

あくまで黙々淡々と、安全にいける速度を保ち続ける。

本当は、斜面を登る方も試してみたかったのだが。

それどころではないというのが現状だ。

スノーモービルに乗った時点で。

そもそも、雪が降り出すことは分かっていた。

帰路の途中で降られることも。

だが、雪の規模はどか雪では無い事も臭いで分かっていたし。

機会はもう無いとも判断していた。

雪が積もっている地点を抜けた。

後は道路だけだ。

だがこの先は雨に降られることになる。

まだ油断なんて、とても出来る状態ではない。

加速したい所だが。

車体を痛める可能性が高い。

だから、あくまで速度は均一を保つ。

追加記憶によると、見本のような安全運転と言う事だ。ならば、このまま安全運転で、なおかつ最高速度で目的地を目指す。

それだけである。

拠点の横を通る。

拠点にちょっとだけため込んだ物資は後回し。今までは不調は出ていない。だが、此処で足を止めることだけでも不安な位なのだ。

無限軌道という奴は、そもそも外れる事を前提としていると追加記憶にある。

取り替えも比較的簡単に出来ると言う。

消耗品なのだ。

だが、消耗品も含めて、完品を赤い奴の所に届けたい。

これは単純に、わたしの作業が楽になるからだ。

赤い奴は惑星規模の量子コンピュータである。

このスノーモービルを突っ込めば。

耐酸対毒の機能を追加した上で、わたしに戻してくれるだろう。

そうすれば、山までの行き来がかなり楽になる。

楽になってもなお。

あの膨大な物資を運ぶのは、困難を極めるだろうが。

それでもやるしかない。

やるしかないのだ。

わたしは地球の考えに賛成だ。

人間は滅ぼす以外にはない。

ただし環境の再構築は必要だし。

人間が作り出した英知の結晶には価値がある。

故に、わたしは行く。

雨が降り始める。

山の天気は気まぐれだ。

それをわたしは身を以て味わったばかりだが。

山を下りる途中、雨はどんどん強くなって行った。

まずい。

もたないかも知れない。

多分雪で相当ダメージを受けていたはずだ。このスノーモービルは、そんな中頑張ってくれた。

それでもこの雨は厳しい。

ワイパーも動いて視界を確保してくれているが。

それもいつまでもってくれるか。

冷や汗が流れる体なら。

冷や汗が流れていただろう。

わたしは全力で集中していたから。

体が若干オーバーヒート気味になるのを感じて、直線部分で頭を振るって。合羽から頭を出した。

少しはこれでマシになるか。

基本的にこのスノーモービルは、自動車と同じように操縦者を保護できるフレームがついているが。

軍用だから、なのだろう。

それに悪路を行くのだ。

つぶてなんかが飛んできても、致命的である。

故に守りが固められているのだろう。

わたしはもってくれよと思いながら、スノーモービルを走らせる。

やがて、赤い奴が見えてきた。

川に到着した、と言う事だ。

もはやなりふり構わず、そのまま赤い奴にスノーモービルごと飛び込む。

意思疎通だの何だの。

しているヒマは、はっきり言ってなかった。

 

一瞬だけ意識が飛んで。

その後、わたしは赤い奴に意識だけで浮かんでいる事に気付いた。

恐らくだが。

赤い奴は、わたしの見て来たものを、全力で解析していたのだろう。

それでわたしの意識は飛んでいた、と言う事だ。

意識が戻ってくると、赤い奴が意思を伝えてくる。

非常に有意義な発見だった。

あの場所は探していた。回収した人間の記憶の断片から、候補地点を四ヶ所にまで絞り込んでいた。

他の三箇所にも、実績を上げている端末を派遣していたが。

見つかるかどうかは五分だろうと判断していた。

発見できたのは大いなる功績だ。

そのまま内部の物資を全て回収するように。

スノーモービルについては、全て対酸コーティングをしておく。回収作業にすぐに当たるように。

了解。

わたしは意思を返す。

すぐに外に出ない。

どういうことなのだろうと思うと。

あえて追加で赤い奴は意思を伝えてきた。

あの場所は再生後の地球にとって極めて重要な場所だ。

可能な限り確実に持ち帰れ。

幾らでも時間が掛かってもかまわない。

とにかく、一つも取りこぼすな。

了解。

もう一度意思を返す。

まあ、そう考えるのが妥当だろう。

地球は一旦全部の資源を再回収し。地球全土を修復するつもりだ。

其所に人間はいないが。

生態系を構築していた他の生物全ては必要だ。

人間に依存していた家畜の一部などは滅びてしまう可能性が高いが。

それらについても、原種は基本的に存在している。

その原種から、また発展していくことになるだろう。

わたしはいつの間にか、合羽を被った状態で立っていた。側に、赤い奴が触手でスノーモービルを引き上げて、置く。

中を覗くと、荷台はきっちりあった。

そして、それ以外の、スノーモービルの格納庫にあった物資は全て回収されていた。

この辺り赤い奴は有能だ。

わたしの意識を直接覗いているという事もあるのだろうが。

やはり惑星そのものが量子コンピュータというのだから。

人間が作っていたポンコツAI等とは比較にならない性能、と言う事なのだろう。まあそれだけの話だ。

わたしは黙々と、スノーモービルでまずは拠点に行く。そして荷車に、先に回収した物資を詰め込んでいた。

後は何往復すれば、全ての硝子シリンダを持ち帰れるか、だが。

既に雨が降っている。

このスノーモービル、余程赤い奴が気合いを入れて改修したのだろう。

雨程度ではびくともしない様子だが。

それでも、数回往復する度に、自分でメンテはした方が良いだろう。

アルカリのワックスはまだ残っている。

時々自分で塗ってやる必要がありそうだ。

拠点は全て引き払う。

内部には、もう必要な物資は残しておかない。

まずは、杭を目印に、そのまま踏破能力を試すことも視野に入れて、山を行く。

目的地点まで、苦労する事も想定していた。

また、雪かきもこれは必要だろう。

何回かに一回は、雪かきをする必要があるな。

わたしはそう判断していた。

目的地に到着。

此処からは手作業だ。

わたしは、入り口を塞ぐ必要があるかも知れないと思ったので。

少なくとも雪は防げるようにするべきだと判断。

レーザーカッターで、スノーモービルを格納していたシャッターを切り裂いておいた。

後で被せれば良い。

はしごを下りていくと。

内部に雪がかなり積もっている。

下に落とした扉を、苦労してひっくり返して。

下敷きになっていた白衣の死体を回収しておく。

雪にやられてかなり状態が悪くなっていたが。

蓋に潰されていた部分は、逆に全く影響を受けていなかった。

この死体を回収した後は。

リュックに詰めて、どんどん硝子シリンダに保管された遺伝子データを回収していく。

最初に見つけた部屋だけでも、軽く数万どころじゃない数はあった。

この施設全部で億あるかも知れない。

少なくとも、環境を再現するために必要な分の遺伝子データはある筈である。

そう考えると、百万やそこらでは到底足りないだろう。

人間のデータもあるかも知れないが。

別にそれは赤い奴が一杯持っているだろう。

まあ、持ち帰るのは無作為にだ。

調査は、地球そのものが量子コンピュータになっている、赤い奴が自身でやればいいのである。

わたしは知らない。

一度リュックに入るのは硝子シリンダ五十本。

強化硝子とは言え、割れないようにする必要があるから、無理は出来ない。

黙々と硝子シリンダを運んでいくが。

一往復で五十ずつ。

二十往復しても千。

その度に、決して低くは無いはしごを上り下りしなければならない。

このはしごも合金製のようだが。

蓋になっていた合金より脆いかも知れない。

ちょっと悪手だったかなと、わたしは今更ながらに反省していた。

とはいっても、スノーモービルを赤い奴に届けるには、最速で行く必要があったのも事実だったが。

雪が少し降っている。

二百往復して、一万ほどサンプルを回収した。

スノーモービルの荷台は、恐らく五万ほどサンプルを詰め込めるようになっているとみた。

有事には、此処からサンプルを手動で運び出して、対応するつもりだったのだろう。

どう対応するつもりだったのかは分からない。

実際問題、クローンに関する技術は、核戦争が始まる前は完成していなかったようなのだから。

赤い奴は違う。

無駄だらけだった人間のテクノロジーを、解析し次第発展させる力まで持っている。

再生は容易だろう。

兎も角作業を急ぐ。

体がオーバーヒートし始めてきたが。

雪の状態次第では、早めにスノーモービルを動かさないといけないだろう。

確実にこのデータを赤い奴の所に届ける。

それが重要なのだ。

雪の積もり方次第では、また雪かきを手動でしなければならなくなる。

わたしの判断は、重い。

追加で端末を派遣するつもりは、赤い奴にはないようだから。

全部わたしでやらなければならない。

他の端末は他の端末で、色々作業をしているのだろう。

それを考えると、わたしだけが苦労している訳では無い。

それにしても、だ。

端末として選ばれた基準は何だったのだろう。

病気を克服したことだと最初に素直に思っていたけれど。

どうもそれだけとは考えにくい。

わたしは今でもぶきっちょだ。

だから、硝子シリンダを落とさないように、何度も気を配っている。追加記憶から、二重チェックのやり方をわざわざ引っ張り出して、それに沿って作業をしているほどなのである。

何故、わたしは選ばれたのか。

それが分からない。

作業を続ける。

二万のサンプルを回収したところで、雪がそろそろ限界だと判断。

蓋のあった所に、さっき切り出したシャッターを被せて、内部に雪が落ちるのを防ぐ。

そして安全運転で、スノーモービルで山を降り始める。

経路はもう頭に叩き込んである。

だから、擱座の危険は無い。

アルカリで頑強に酸から守られているとは言え。

どうあっても、この道は冷や冷やする。

赤い奴の指示と言うよりも。

未来のため。

擱座したりするわけにはいかないのだ。

本来はこんな感じのスノーモービルを数台とか。

或いはヘリとかを使ってのピストン輸送を予定していたのだろうけれども。

この状態だ。

ヘリも核攻撃で消し飛んだのだろうし。

もう他に手段は無い。

これでも、リュックに背負ってサンプルを50ずつ運ぶよりは遙かにマシである。そう思って、ひたすらにスノーモービルを走らせる。

赤い奴の所についた。

すぐに回収したサンプルを引き渡す。

解析しているようなので、待つ。

やがて、赤い奴が触手を伸ばしてきた。手を伸ばして、意思疎通する。

充分な状態で保存されているデータだ。

これならば問題はまったくない。

この調子で全てのデータを回収せよ。

時間はどれだけ掛かってもかまわない。あらゆるデータを余さずに回収するように。

了解。

意思疎通を終える。

さて、次だ。

また登らなければならないけれども。

多分大丈夫ではあるだろう。

途中で、人間の住んでいる街を通るけれど。

もう誰も此方を見ていない。

ジャガーノートが、何かわめきながらバスを引いているが。

あれは多分、ジャガーノートなりの警告なのだろう。

スノーモービルにむしろ興味を示すのはおおあほうどりやジャガーノートだが。

同類だとすぐに判断して、離れていく。

わたしは、敬礼をするまでもなく。

淡々と山を登り。

本降りになって来た辺りで、目的地に到着していた。

周囲の雪かきをすると。

サンプルを回収に掛かる。

五万のサンプルを回収。

だが、その頃には、周囲は完全に雪で真っ白になっていた。雪かきをちょっとさぼっただけでこれか。

まだ雪は積もっている。

身動きできない今のうちに、施設内を調べておくとする。

奥の方を調べていくと、入り口を中心に六角形に施設が構築されていて。部屋は一つずつ電子ロックがかかっていた。勿論電気が動いていない今は、焼ききるしか無い。

もうちょっと体が強かったら蹴り破っているところだが。

いや、それは止めた方が良いか。

此処には貴重な生物のサンプルが嫌と言うほどあるのだから。

全体をざっと見てみるが。

部屋の数は三十五。

それぞれの部屋に、二百万くらいずつサンプルが保管されているようだった。

予想以上にサンプルの数が多いが。

それでも、元々繁栄していた生物の数から比べると、少ないのかも知れない。

つまり、一部屋最低でも40回往復する必要がある。

雪さえ降っていなければ、一日十五往復は出来るが。

それでも三日掛かる。

それに部屋数の三十五を掛けるのだから105。

当然雪の処理も考えると、105日ではとてもではないが足りないだろう。

半年は此処に磔だな。

それをわたしは覚悟していた。

勿論、空の硝子シリンダはない。

更に言うと、六角形に組まれている部屋の中央部分には、それなりに重要そうな書類もある。

これは助手席に積んで、運び出してしまうとしよう。

また、荷車については拠点にする此処に置き。

詰めるサンプルの量を増やすべきかも知れない。

色々考えている内に、雪が止まった。

すぐに雪かきを始めて、スノーモービルがいけるように道を作る。

これだけでかなり時間が掛かってしまうけれども。

今後昔の基準で言うと半年は掛かる作業である。

仕方が無いと言える。

何とか雪を排除できる方法がないだろうか。

結論から言えば、ない。

スノーモービルが幾分、雪はある程度積もっていても大丈夫だとは思うけれども。それでも限度がある。

この有毒物質まみれで、強酸性の雪だ。

どれだけスノーモービルが頑強でも、限度があるだろう。

作業終わり。

運搬開始。

一度に五万ずつ運び出す。運び出す硝子シリンダの順番は、さっき見て回った時に決めた。

合計で七億の硝子シリンダに入った遺伝子データを未来に託す。

そう思えば、この作業もそれほど虚しいものではない。

むしろこんな作業をする必要がある世界にしてしまった人間にこそ、憤りを感じるけれども。

まあそれはもうどうでもいい。

わたしは淡々と作業を進める。

それだけだ。

スノーモービルで麓まで降りる。

このルートは、完全に頭に叩き込んでいるが。

何しろ地盤が緩いのだ。

ひょっとしたら、途中で整備とかが必要になってくるかも知れない。ショートカットルートとかを作れれば、かなり作業は楽になるだろうが。

しかし確実性を考えなければならない仕事だ。

時間よりも、安全性を優先しなければならない。

淡々と作業を実施し。

日付が変わる前に、六往復を果たした。

赤い奴が引き渡しの際に触手を伸ばしてスノーモービルの状態を確認しているけれども。

それは好きなようにやってもらう。

わたしは引き渡しの間に。

自分の体の状態を調べて。

ダメージが酷くなっていたり。

オーバーヒートしていないか、確認するだけだ。

その間、赤い奴はわたしの足首とかに触手を伸ばして、わたしの意識からデータを吸い上げているようだが。

好きにさせておく。

服越しでも記憶を吸い上げられるようだが。

まあそれはそうだろう。

服もわたしの一部なのだから。

作業は雪が降っていない間は不眠不休で続ける。

本来はヘリでの輸送が本命だったのだろうな。

わたしはそう思う。

だが、核戦争を始めたバカ共のせいで、こんな苦労をしなければならなくなっている。本当に人間はこの世界にいらなかったんだなと、わたしは思う。

わたしは元々人間だったのに。

その考えは揺らぎそうにもない。

更に作業を続けていく。

雪が降り出すまでに、更に七往復をし。

膨大な量の遺伝子データを赤い奴に届けた。

未来のため。全てはそのための作業だ。連続作業でかなりオーバーヒート気味だが、これはもう外気で強引に冷やすしかない。

休む時間がないから、風呂に入りたいとも思わない。

なお、新しい拠点には。

風呂は存在しなかった。

シャワーだけがあった。

勿論水道はもう使えないので、使用は出来ない。

代謝はないのだから、どうしても人間的な欲求で体を綺麗にしたくなったら、入り口部分につけたドレンと浄水器から得た水にぬらしたタオルで。体を拭くしかないだろう。

まあこの辺りは。

仕方が無い事だとも言えた。

 

4、未来のために

 

最後の硝子シリンダの運び出しを始める。

掛かった時間は合計127日。

途中、大きなトラブルが何回かあった。

一番ひやりとさせられたのは、雪崩が起きたときだ。幸い通路にしている山道は大丈夫だったのだが。

雪崩というのは一度起きると連鎖的に続くようで、一部は麓の人間がまだ暮らしている街にまで襲いかかっていた。

雪崩に飲み込まれた人間はどうしようもない。

此方では何もできない。

また、何度も通っている道のすぐ側がクレバスになっている事にも途中で気付いて戦慄したが。

そのまま道は使い続けた。

現状は安定している。

崩れるおそれはない。

何より、下手に道を変えるとそれだけリスクが上がる。

それらの理由からである。

淡々と作業を続けていき。

その結果、わたしはついに最後の硝子シリンダを回収し終えた。

勿論施設内部は、雪が降っていて動けないときに徹底的に天井壁床全てを調べ尽くしている。

隠し部屋などはないと断言できる。

何より、この施設内にある遺伝子データの目録も発見している。

赤い奴は発見していない遺伝子データがあると指摘してきていない。

だから恐らくは大丈夫だろう。

最後の遺伝子データを積んだスノーモービル。これも六回、根本的に改修をした。

まあ本来はヘリで輸送するのが本命だったのだ。

それも仕方が無いだろう。

何より、本当だったら道路を行けただろうに。

それも出来なかった。

痛むのが早かったのも仕方が無いと言える。

更に言えば、遺伝子データだけでは無い。

施設内にあった機械類の内、使えそうなものは全て回収しておいた。それで良いのだろうと思う。

この施設を作った人間は、人間の愚かさを知っていた。

自分の愚かさを理解出来ていたのなら、平均的な人間よりは立派だと言える。

そして人間がやらかしかねないことを理解していた。

だから施設を作って、徹底的に対策をしたのだ。

それでいいとわたしは思うし。

他に対策も無かったのだと思う。

ただし、人間の愚かさはそれをも超えていた。

施設に対する核攻撃は。

それを物語っているだろう。

どうせ重要そうな施設だから壊しておこうとでもいう考えだったのだろうが。

はっきりいって、人間の指導者層はその程度のオツムしかなかったという事である。

万物の霊長などとは片腹が痛いという奴である。

まあわたしはもう。

笑うという行為とは無縁だが。

赤い奴に、最後の遺伝子データを引き渡す。

触手を伸ばしてきたので、手を伸ばし、意思疎通。

良くやってくれた。

これで地球の環境再生はなるだろう。

猿の仲間は排除してしまうことになるだろうが、その分のニッチを埋めることは可能だと算出できている。

良くやってくれたな。

戻るように。

了解。

わたしは、ひょいと赤い奴に飛び込む。

スノーモービルその他は、赤い奴が全て回収してくれるだろう。

すぐに体は分解されて。

意識だけになる。

わたしはそうして、意識だけになって、追加記憶を整理し始めた。

結局の所。

核戦争が起きた理由はよく分からない。

人間が愚かだった。

それはまあ確定事項だが。

複雑な要因が絡み合って、それで起きたのだろう。

本来はやってはいけない事、で一刀両断できる内容なのに。

いたずらにものごとを複雑にして。

余計な事態を引き起こした。

その結果地球そのものを叩き起こし。

更にエリートだけいれば良いと言う傲慢極まりない思想が決定打になり。

人類は滅ぼされることが確定した。

それにしても、こんな生物が宇宙に出ていたら、どうなっていたのだろう。

恐らく見つけたあらゆる星を食い荒らしながら宇宙中に拡がり。

地球で繰り返した殺し合いを宇宙でも延々と続け。

他の生物は全て食糧か奴隷としか見なさず。

ひたすらに殺戮を続けていたのだろう。

人間は生物の理から外れてしまった存在となっていたが。

結局の所、ありのままの人間が一番素晴らしいと言う考え自体が全くの大嘘だった事からも分かるように。

滅びて良かったのだとも言える。

しかしながら、地球人類の英知の結晶には価値があるのも今回再確認できた。

あの膨大な遺伝子データはその見本だろう。

平均的な。

つまるところ大多数の人間は、結局クズだった。それは事実だ。

だが平均から逸脱した人間の中には。

価値がある存在もいたのかも知れない。

だが、そういった人間だけ集めても、結局また駄目になっただろう。

人間は最終的に、完全な欠陥生物だったのだと言える。

思考している内に、赤い奴が意思を伝えてくる。

次の仕事だ。

すぐに向かってほしい。

了解。

わたしは、次の仕事に向かう事にする。

赤い奴が地球を飲み込み始めるまで、時間はあと数年程度しか残っていない。

それに、この環境であらゆる全ての劣化と腐食が激しい。

出来るだけ急がなければならない。

それはわたしも、分かっている事だった。

 

(続)