くるま

 

序、バイクに乗って

 

赤い奴から這いだしたわたしは、何度か咳払いした。

体がまた完全に再構築されたから、体内がちょっと様子がおかしい。すぐに最適化されたけれども。

バイクはある。

わたしが持っていくべきだと思ったものも。

浄水器も。

荷車もだ。

これで、かなり行動の幅が拡がる。

この間分かったが、もう人間は群れることも無ければ、集団で襲いかかってくる事もない。

つまり恐るるに足らず。

一世代前だったら怖れる必要があっただろう。

だけれども、もうその心配は無い。

だから、わたしは。

追加された知識のまま。

黙々とバイクに跨がると。

バイクをふかして。

進み始めた。

荷車を引いているバイクだが、馬力が思った以上にある。

頭の中では、まだ原付だのバイクだのと知識が争い続けていたが、はっきりいってどうでもいい。

動けば良いのだ。

それ以上のものをわたしは求めない。

細かい所が気になる奴は、自分で調べれば良い。

わたしには必要ない。

それだけの話である。

黙々、ぽくぽくとバイクを動かす。

前使っていたときよりも、動きが良いくらいだが。

多分赤い奴が取り込んだときに、調整してくれたのだろう。性能が全体的に上がっていると言う事だ。

そらをおおあほうどりが飛んでいる。

それだけじゃない。

右手を見ると。

凄まじい赤い光景が広がっていた。

全部、赤い奴か。

分かってきた。

あれが、海というものの残骸だ。

此処からは見えないが、浄化が終わった辺りは、澄んだ「海水」が轟々と音を立てて流れているのだろう。

或いは海の生き物もいるのかも知れない。

どんなのがいるのかは知らない。

いずれにしても、今は知る手段がない。

だいたい、人間が一度滅茶苦茶にしたのだ。

海にいる生き物だって。

無事だったとは思えない。

或いは、一度全滅したのを再構築しているのかも知れない。

可能性は低くないだろうなと、わたしは思った。

海に沿ってしばらく走る。

こんな所でも、でんしゃは動いているようで、ちょっと驚いた。

いや、むしろこんな所だから、なのだろう。

赤い奴がでんしゃを動かしている可能性が高い。

そうなってくると、こんなところだからこそ。

むしろ電車は動けている。

そういう事なのかも知れない。

それにしても凄まじい光景だ。

真っ赤、である。

右側は、人間が近づける状況では無い。

逆に言うと、地球という星が総力を挙げて修復中という訳で。それくらいむっちゃくちゃにされたのだろう。

まあ、これなら人間が滅びようとしているのも道理か。

わたしは色々納得しながら。

バイクを進ませる。

やがて、街が見えてきた。

今度は彼処で色々探せ、と言う訳か。

これは有り難いかも知れない。

というのも、すぐ近くが赤い奴だ。それこそ、精査が終わったら、そのまま放り込んでも良いし。

飛び込んでも良い。

わたしとしては、もう赤い奴そのものであるという意識があるので。

別にそれらに抵抗は無い。

溶けかけた街に入る。

人間は相変わらずの有様だ。

わたしがバイクで行く事を見て、ぼんやりと見ている奴もいるけれど。それは例外である。

ぼんやりとしている。

それだけだ。

わたしが何者か。

着ているものがなんなのか。

何に乗っているのか。

全てに興味を示していない。

それはつまり。

最低限の好奇心という、向上に必要な意識さえ、人間が失った事を意味している。

わたしは適当な家を覗く。

中には、案の定死体。

かなり新しい死体だが。

既に虫が派手に食べ散らかし始めていた。

死体を引きずり出すと、赤い奴に投げ込む。

虫はわたしが近付くだけで、きいきいと音を立てて死体から離れていった。

さてはこいつらも。

赤い奴の一部なのか。

逆に言うと、こういう分解者すらも補わなければならないほど、赤い奴が世界を細部に至るまで再生している。

つまり、人間がそこまで世界を滅茶苦茶にした。

そういうことか。

一体どれほどの愚行を犯したのか。

わたしの中に追加された知識の中では、まだ曖昧にしか分からない。

暴動の記憶が印象的だが。

知識が追加されないのは。

必要がないから、なのかも知れない。

赤い奴は恐らくだけれども。

わたしと同じように端末にして使っている奴に、それぞれ違う目的を与えて動かしている。

そうなってくると、わたしの目的は英知の中でも。

恐らくは乗り物を集める事なのだろう。

死体をビルから捨てて。

新居を確保。

周囲を見回す。

酷い臭いだけれども、別にどうでも良い。

本当はもう水もいらないけれど。浄水器をドレンにつけたい。

最低限の水も、容器に入れて持って来ている。

それを使ってドレンに水を流してみる。

一応まだ詰まってはいない様子だ。

浄水器をつけて、旗を出して。

当面の活動拠点を作る。

これも必要ないけれど。

ブロックを囓る。

水で柔らかくする理由もない。

そのままかりかりと囓っていると。ただ酷く虚しくなる。

もう人間では無いのに。

人間の時の習慣をそのままなぞっている。

わたしは何なのだろう。

地球の端末そのものだ。

それはよく分かっている。

だけれども、どうして人間のような事をしているのだろう。これが正直、よく分からない。

もう生物として完全に終わった存在の習慣を真似して意味があるのか。

だが、過去の習慣は簡単には消えてくれない。

ブロックを囓り終えると、外で雨が降り始めたことに気付く。

靴を履くようになってから。

雨の降る外には、出たくなくなった。

人間の体でも溶けるような酸なのだ。

靴なんかひとたまりもないのである。

この靴は、実用性だけを考えて作ったもののようだけれども。それでも酸を相手にするとひとたまりもない。

そういう、ものなのだ。

家の中を丁寧に調べる。

入り口から、ずっと果てまで拡がっている赤い奴が見える。

あの向こうに、浄化され、試験的に回復が始まっている「海」があるけれど。

此処からは見えない。

追加された知識は少しずつ増えてきている。正確には、頭の中で整理が進んでいる。

人間だった頃のわたしは、あまり頭が良い方では無かったらしくて。

この知識の整理も一苦労なのだ。

その追加知識によると。

太平洋上の中心部と。大西洋上のごく一部で。

今は海が再生開始しているらしい。

汚染が酷すぎてまともな生物も住めなかった状態なので。

微生物から順番に再生しているそうだ。

よく分からない単語も多いので。

頭の片隅にだけ入れておく。

今は、家の中を徹底的に調べていくだけだ。

虫はわたしが来た事で逃げ出したのか、全く見かけなくなった。

がらんとしたビルで。

殆ど何も中には無い。

テナントと言ったらしいが。

元はこういうビルには、店を入れる場合があり。

広さからいって、このビルはそうのようだが。

それが見事に空っぽなのである。

人間の文明が、全て終わる前。

世界中がメタメタになっていて。

「経済」というわたしが生きていた頃に経験したことがないものは完全に停止状態だったらしいが。

それを、この空っぽぶりが、示しているのかもしれなかった。

このビルも三階より上は駄目か。

雨が降っているから、階段の隅から覗いてみる。

彼方此方水たまりが出来ているが。

何とかドレンに水は流れ込んでいる。

まあ良いだろう。

一階、二階とすっからかんなビルだが。

逆に言うと、何でも出来るという事だ。

ただ物資が持ち込んだもの以外は何も無い。

新しく何か手に入らないかなと思ったので。

それはちょっとばかり残念である。

何でもかんでも、上手くはいかないか。

地下も見に行く。

地下もすっからかん。

というか、不自然に広い。

ああ、これは分かる。

駐車場という奴だ。

追加された記憶にある。

このビルは、たくさんのくるまが乗り付けて。そして経済が動く事を想定して作られたビルだったのだ。

今はすっからかんである。

一部、燃え滓みたいなのがあるけれど。

もう元が何かは分からない。

一部は酸の雨が流れ込んではいるが。

水没するような事にはなっていない。

隅の方にある排水管が生きていて。

其所から下水に流れているようだった。

問題は、それじゃない。

さび付いた扉があったので、開けてみる。力は強くなっているので、開けるのに苦労はしなかった。

蝶番がバカになっていたらしく、扉は少し力を入れるだけでがつんと凄い音を立てて外れた。

中を覗き込んでみると。

よく分からないものがあった。

骨だ。

たくさん組み合わされている。

何だか分からないものが作り上げられていた。

小首を捻る。

折り重なって死んでいる死体はこの間見たけれど。

これは何だ。

何だというのも、骨を明らかに人為的に集めて、何か作った様子があるのだ。

他の人間の死体から、骨の部分を集めて来たのだろうか。

赤い奴に追加された記憶によると。もう人間は、他の人間と関わらないようになっていると聞く。

だとすると、人間がまだ元気に文明を動かしていたときのように。

軽率に他人の全てを否定して、殺すような事は今の人間はしないということか。

いや、出来ないのだろう。

そもそも他人に関わらないのだから。

どんな生物でもやる子孫を作ると言う事さえしない状態である。

そうなってくると。

これは何なのだろうか。

しばらく見ていて、ああなるほどと分かった。

これは信仰だ。

死体をかき集めて来て、骨をくみ上げて。

そして自分なりに、何か信じる存在を作り上げた。

そういう事なのだろう。

追加された記憶の中である。

信仰というものが。

人間が道徳の基幹として作り出し。

文明が終わる時までついに克服できなかったもの。

それを、ここに住んでいる奴は。

一人で作り出した、と言う事か。

組み合わされた骨は、何だろう。

何か分からなかったけれど。彼方此方、探してきたらしい紐やらワイヤーやらで止めた形跡がある。つまり何か形を意図的に組んでいると言う事だ。

それに埃の積もった床に残った痕跡からして。

此処の家主が生きている間は。

毎日祈りに来ていたようだ。

これは何の形だろう。

しばらく考えて、ああと悟る。

宝蜘蛛だ。

電車を動かす電線を張っている、あの巨大な凶暴な蜘蛛。

赤い奴が作り出した、世界を維持するための仕組みの一つ。

なんで宝蜘蛛、と思ったのだけれど。

恐らくだが、これを信仰の対象とした、このビルに住んでいた人間は。

一番強そうな生物で、身近な存在として宝蜘蛛を思い浮かべたのではないのだろうか。

ズーは大きすぎてぴんと来なかったのかも知れない。

おおあほうどりは積極的に加害してくる。

だったら、線路に立ち入らなければ襲ってこない宝蜘蛛、か。

それなら回収車やバスを引く奴でも良いような気がするが。

恐らく此処の元住人には、宝蜘蛛が「響いた」のだろう。

いずれにしても推測でしかない。

これはもはや神体では無い。

死体の山だ。

雨が止んだら、片付けに行くとしよう。赤い奴に投げ込んでしまえば良いだろう。

一階に戻ると、今回持ち込んだ道具の整理を始める。

この街に出たと言う事は。まだ調査がされていないと言う事なのだろう。

何かあるかも知れない。

昔は海が側にあって。

今ではその海を、赤い奴が埋め尽くしている果ての街。

海は、前は物資を運ぶための最も重要な場所だったらしいけれど。

それすらも、人間は何も考えずに汚し続けた。

わたしにとってはもうどうでも良いことだ。

わたしに色々教えてくれた人ですら、名前はなかった。

わたしにも、人間としての名前は無かった。

人間は文明を失った時。

それぞれの名前さえも失ったのだ。

わたしは文明が存在しない時代に。最後の世代として産まれ、そして死んで行った人間。そう死んだのだ。

だから、もはや人間ではないし。

人間に対してはそれこそどうでもいい。

恨みもなければ。

別に凄い生物だとも思わない。

この辺りは、ただいつ来ても分からない死を目前に。

静かに生きていたから来る思考なのだろう。

なお、今更知ったのだけれど。

わたしは死んだ時、17年産まれてから経過していたらしい。

文明の最盛期には、13年生きたのと同じくらいの背丈しかなかったようだが。

荷物の展開が終わり。

外を見ると、雨が本降りになりはじめている。

一日は動けないな。

そう思うと、わたしはフードを脱いで。

ポケットが一杯ついている、実用的な服のまま。

横になって、ぼんやりとすることにした。

もう睡眠さえ必要ない身だが。

やはり習慣は、簡単には消えてくれない。水も飲みたいと、ぼんやり思った。

 

1、果ての街

 

雨が止んでから、最初にやったのは。

死体を組み合わせて作ったらしい神像を赤い奴に投げ入れること。

元々わたしが生きていた頃ですら、埋葬という概念は失われていた。

死体はのざらしのままか。

気が利いている場合は、こうやって処理していた。

道路に出して、バスを引く奴に食わせる事もあった。

バスを引く奴は。

此処が元海の側だからか、あんまりいない。

いるにはいるが、もっと街の奥の方を、奇声を上げながら通り過ぎていた。少しだけ、利用している人間もいるようだった。

家の中を完全に整理した後は。

街を出歩く。

安全には一応気を遣っているからだろうか。

赤い奴が充満している、元海の側に住んでいる人間はあまりいないようだ。

そうなると、わたしが新しく拠点に定めたビルに住んでいた奴は、余程の変わり者だったのだろうか。

あり得る話である。

不思議な事では無い。

街を歩く。

元海の比較的近くを、でんしゃが一日一回、或いは二回通って行く。

さび付いていて、おおあほうどりの襲撃を受けることもあるようだけれども。

それでも数人が乗り降りしている。

また、その電車が止まる「駅」を境に。

街は大きく別れているようだった。

海側にはビルが。

その向こうは、殆ど朽ち果てて何も残っていない。

ひょっとして、小型の家屋がたくさんあったのかも知れないけれど。

それももう分からない。

いずれにしても、見晴らしがとても良い街だ。

元はどうだったのか、見当もつかない状況だった。

歩きながら、探していくと。

工場を見つけた。

荷車を引いて行き。

ブロックを回収しておく。

食べる必要なんてないのに。

これの材料は知っているのに。

それでも、時々食事をしたくなる。

むしろ、人間を止めてから。

その渇望は強くなった気がする。

ひょっとすると、だけれども。人間だった時は、生物として完全に終わってしまっていたから。

あらゆる渇望が薄れていたのかも知れない。

食欲と睡眠欲は、全てに優先する欲望で。

繁殖欲が赤い奴によって完全に奪われてしまった状況で。

それでもわずかに残った食欲と睡眠欲は。

頭の中で、必死に抵抗を続けていて。

それが故に、今人間を止めたわたしの中で。

鎌首をもたげているのかも知れなかった。

ブロックを山盛り持ち帰った後は。

一端壁に背中を預けて、ぼんやりとする。

街の構造を頭の中で整理しているのだ。

昔は出来なかった事だが。

頭のスペックが上がったからだろう。

少し休んでから。

埃がたまっている部分の床に、街の大まかな地図を書いた。

良い出来だ。

我ながら分かりやすい。

工場の向こう。

宝蜘蛛がたくさん住み着いている、大きめの穴がある。

人間は近寄らない。

正確には、近寄っていた人間は、みんな食われてしまったのだろう。

線路の一部がその穴の近くに寄り道していて。

それが故に、宝蜘蛛が住んでいるのだろう。

もう少し探せば、回収車が住んでいる場所もあるかも知れない。

探してみても良いが。

問題はそこでは無い。

腕組みする。

なんか、宝蜘蛛が住んでいる向こうに見えた。

大きめの建物だったように思えるけれど。

それが何だったのかはよく分からない。

とりあえず、現時点では回収出来たものもない。

明日からはバイクを活用して、ぽくぽくとゆっくり進んで見に行くとしよう。

荷車もつけると、本当にぽくぽくと音を立てながらバイクは進む。

元が壊れかけ。

動いているのが不思議なくらい。

赤い奴が修復してくれたけれど。元々荷車を引くようには出来ていない。

だから、速度は出ない。

だけれども、わたしにはそれでいい。

計画を立てると、もう地図は記憶したので。

持ち込んでいた箒を使って、家の中を徹底的に綺麗にする。

本来は必要ない作業だけれども。

わたしは今、服を着込んでいて。

その服を汚したくない。

前のように、もう服の意味を成していないボロを着込んでいる状態だったら兎も角。

この服は実用品だ。

ポケットが一杯ついていて、色々こものを入れる事も出来る。

この服は奇跡的に見つかったものだから。

大事にしたいのだ。

掃除を終えると、浄水器にたまった水の状態を確認。

服を脱ぐと、体を拭いたり、頭を洗ったりもする。

これも習慣としてはたまにやっていた奴だが。

あらゆる意味で余裕が出来た今では。

やっておきたいことの、一つとなっていた。

 

翌日。

もう遠慮は必要ない。

朝から出かける。

ぽくぽくと音を立てながら、バイクで行く。

荷車にはほとんど何も積んでいない。

水と少しのブロックだけだ。

これは何故かというと、何かあった時に最大限活用したいから。

小物は服のポケットに入れている。

それで充分なので、もう何も問題は無い。

わたしは駅を抜けると、今度は線路に沿って、宝蜘蛛の巣がたくさんある場所に出向く。

宝蜘蛛はわたしを一瞬だけ見たけれど。

興味が無さそうに巣穴に引っ込んだ。

同じ赤い奴に作られ。

そして別に互いに侵害する存在でも無い。

興味が無いのだろう。

赤い奴に作られたものといっても。

互いに喰らいあったりはしているようだが。

わたしや、恐らく活動範囲が被っていない別の端末は。

赤い奴が手出し不要と指示しているのだろう。

この星そのものを覆う超巨大量子コンピュータだ。

それくらいの処理は難しくは無い、と言う事だ。

ちょっと地面がでこぼこ。

また、地面が少し粘着性がある。

宝蜘蛛が糸を張っているから、だろうか。

宝蜘蛛は、徘徊性と呼ばれる巣を張らない蜘蛛をベースに赤い奴が作り出したようだけれども。

そういう徘徊性の蜘蛛も、移動などに利用するために糸は使う。

そんな糸が、今バイクにちょっと貼り付いたりしているのだろう。

どうでも良いことではある。

辺りに散らばっているのは、食い散らかされたおおあほうどりの死体。

上空を、ゆっくり飛んでいる巨大なズーを見る限り、この辺りはおおあほうどりがたくさん来るのだろう。

重点的に、人間を殺す必要があるのかも知れない。

理由は分からない。

そういえば。

なんで宝蜘蛛の住処がたくさんあるのか。

ちょっと小高い場所があったので、見てみると。

何だかよく分からないけれど、たくさんたくさん穴が開いていた。

それらの穴に、宝蜘蛛が住み着いているらしい。

線路も不自然に途切れている。

追加された記憶を漁るが。

何か乱暴なことが行われた、以上の事は分からなかった。

ただ、はっきりしているのは。

あんな大きな宝蜘蛛が巣にするくらい大きな穴が、たくさん出来るような事が此処で行われて。

多分この街がやたらすっきりしているのも、それが理由の一つだと言う事だ。

暴動の実体は、追加された記憶の一部にあるが。

暴動程度では、こんな圧倒的な破壊を産み出す力は生み出せない。

もっととんでもない事が行われたのだ。

そしてその爪痕が。

今も残っているというわけだ。

わたしは先に進む。

ほとんど人は住んでいないし。

池だらけである。

勿論たまっているのは酸の水。

落ちたら、今のわたしは兎も角。

服もバイクも台無しである。

地面がぬかるんでいるかというとそうでもない。

水はけは良いと言う事だ。

ということは、これは自然の地形では無い。

見回すが。

この辺りに、何かがあって。

跡形もなく消し飛ばされた、と言う事なのだろう。本当に、文明を失う前の人間は、何をしていたのだか。

小さくあくびをすると。

ゆっくり周囲を回りながら、昨日記憶を整理した地図を更新していく。この辺りは地形の関係からも、昨日の探索では見えなかったのである。

鼻を鳴らす。

雨の臭いだ。

これは、後数時間ほどで降り出すな。

そう判断したわたしは、もう少しだけ進んだら戻る事にする。

人為的に穴だらけにされた辺りを抜けると。

今度は何だかよく分からないものを見つけた。

押し潰されている、とでもいうのだろうか。

この間見た量販店だかスーパーだかよりも更に大きくて平べったい建物が。

破壊されて、ぐしゃぐしゃに潰れている。

雨に晒されて更に滅茶苦茶になっているようだけれども。

何となく、これは面白いかも知れないと思った。

ちょっと近付いて見てみると。

一部の構造物は、何だかよく分からないけれど、非常にしぶとく原型を残しているようだった。

だがそれでも。

中心部分は徹底的に壊されて。

池になっていたり。

或いはもっと深そうな、大穴になったりしているようだったが。

ここはバイクで調べるのは無理だなと判断。

調べるには、かなりの時間が必要だとも思った。

まずたくさん瓦礫がある。

これらをどけて、少しずつ道を作っていかなければならない。

持ち込んだ服の中に、幾つかこういう乱暴な作業向きのものがあった。

それに着替えてから来るべきだろう。

手をかざして見る。

赤い奴が作ったものは住み着いていない。

それも、何となく分かってきた。

つまり、此処には現時点で、守護者や監視者は必要ないと言うことだ。なる程と思いながら、きびすを返す。

人間のままだったら、もう少しもう少しと考えて、雨に降られていたかも知れない。

だけれども、今は思考の構造が違っている。

躊躇無く帰る。

途中、点々と散らばっている骨があって。

それを虫が囓っていた。

虫を追い払うと、骨を拾って荷車に乗せていく。いずれもが、人間の骨だったからである。

そして雨が降り出す前に、家に入り。

骨は、赤い奴の満ちる元海に投げ入れておいた。

埋葬という習慣はもはやない。

だけれども、野ざらしにしておくよりは。

この方が良いだろうと、わたしは何処かで考え始めていた。

或いは、これは人間的思考という奴なのだろうか。

それもよく分からない。

人間なら、埋葬するのだろうか。

だが、もはや世界中が人間の死体塗れだ。

埋葬には意味がない。

そうとも感じるのだった。

既に誰がこんな世界にしてしまったのかと、憤る段階では無い。

終わる世界から、少しでも英知を回収することを考える段階だ。

人間は致命的な事をやったから地球に滅ぼされる。

地球自体は、どういう理由か人間の英知だけは回収するつもり。

故にわたしは動く。

その理屈に。

わたしは別に、今更疑問を持っていない。

雨が降り出す。

この臭いからして、三日は降り続くだろうと判断。雨が吹き込む可能性がない場所まで、バイクを入れると。

経年劣化しているタイヤの状態を確認したり。

錆びている場所は、磨いておいたりした。

どうせ赤い奴に戻れば初期化されるのだけれども。

これも或いは。

人間らしい行動、と言う奴なのかも知れない。

 

雨が降り続く中、ぼんやりと赤い海を眺める。

それしか出来ないからだ。

人間が作り出したあらゆるものを、この雨は台無しにする。

赤い奴も別に調査を急げとは言ってこない。

時々戻れとか干渉はしてくるけれど。

過剰な干渉はしてこない。

元々地球そのものなのだ。

感覚としてはゆっくり、なのだろう。

或いは、わたしがやっているのはそれほど優先度が高くない調査なのかも知れない。

もっと優秀な端末が、重要度が高い調査をしている可能性は高い。

別にそれはそれだ。

そもそもわたしは、疫病からたまたま生き延びただけの個体。

疫病には耐えたけれど。

その時点でわたしの肉体は死んでいた。

それだけの事だから。

わたしより優れている端末がいる事や。

もっと重要な調査をしている端末がいる事も、何とも思わない。

それにそもそも、わたしが最初の端末でもあるまい。

だから、膝を抱えてぼんやりと雨を見る。

排泄は必要なくなったが。

それでも時々喉は渇く。

必要はないけれど、水は口にし。

原材料が汚物のブロックを口にする。

髪は、洗わなくてもいいか。

風呂もいい。

別に汚れるような事はしていない。

代謝がそもそもないのだ。

服は、外を彷徨いて汚れたときに洗えば良い。

ただでさえ酸性が強い水で洗うのだ。

洗い続ければ、痛むのだって早くなる。

そういう事が追加で与えられた知識で分かるようになっている。

それはそれで、ずっと同じ服を着ているのは、気持ち悪いと感じもするのだった。

もう少し背が伸びていればいいなあ。

そう思うことはある。

手が届かないから、棒とかを使って高い所にあるものを動かす時。

体格が小さいから。

力は強くなっていても。大きなものを運び出すのに難儀するとき。

そういうときに、手足がもっと長くて。背が高くて。

体格があれば嬉しかったなあ。

そう思う。

だが栄養状態が悪い中、人間最後の世代として産まれ。

何もかもが足りない中育ったのだ。

小さいまま育ちきったのも、仕方が無い事なのだろう。

そして今はもはや育つという概念もない。

どうしようもない、事ではあった。

やがて雨は止む。

雨の間、赤い奴は元海で、ずっとうねうねと動いていた。

まるで海であるかのように。

いや、海はもっと違う動きをするのかも知れない。

追加された記憶で、なんとなくぼんやりした映像はあるのだけれども。

それとは似ていない。

あれは何をしているのだろう。

蠕動しているように見えるが。

ひょっとすると、量子コンピュータとしての機能を活用して、計算したりとか。

或いは何かしらの操作を地球に加えているのかも知れない。

何しろ地球そのものなのだ。

それくらいは、出来るだろう。

雨が止む。

水はけは、今の時代は恐ろしくいい。

生活用水がしっかり溜まっている事を確認すると、わたしは外の臭いを嗅いで。しばらくは降らないと判断。

外はもう乾いている。

これも、きっと何かしらの作用が働いているからなのだろう。

バイクに乗ると。

ぽくぽくと行く。

原付だバイクだと頭の中で争っていた声は、もう聞こえなくなった。

荷車を引いてゆっくり行くだけだし。

別にそれに対してけちをつけても仕方が無いと思ったのだろう。

特に理由も無く。

不意にブレーキを掛けていた。

無意識的な行動だった。

目の前を、バスを引く奴と。バスが怒濤の勢いで行く。

あれも今はわたしを襲おうとはしないだろうけれども。

そのまま行っていたら、接触事故は避けられなかった。

わたしはどうでもいいが。

バイクが壊れるのは嫌だ。

バスとバスを引く奴が奇声を上げながら通り過ぎるのを見送ると。

わたしのバイクはぽくぽくと音を立てながら、また行く。

周囲の人間はまばらにいるけれど。

わたしに見向きもしない。

バイクも。

ボロではない格好も。

引いている荷車も。

どうでも良い様子だ。

これについては分かる。

前はわたしもそうだったのだから。別に責めるつもりもない。

やがて、前回探索できなかった瓦礫の山に到達。

今回は、汚れても良い服を着てきている。

前に着ていた、ポケットが多い服では無くて。

とにかく頑丈な奴だ。

瓦礫の中を歩きながら、どんどん奥へ行く。

さびついた何かがたくさんある。

見ていて面白いなあと思ったけれど。

すぐに追加された記憶が、警告を放ってきた。

これは。軍事工場の跡だ。

これは150ミリ滑空砲。

世界が終わる前に主流だった戦車砲。

こっちは実弾は入っていないがアサルトライフル。多数の人間を一気に殺傷できる恐ろしい武器。

そういった情報が、頭に入ってくる。

アサルトライフルとやらを手にとる。

溶けかけていて。わたしが触ると壊れてしまった。

酸の雨に晒され続けていて。

強靭さを求められる武器であっても。

流石にどうしようもなかったのだろう。

そして、なっとくできた。

この街は、人間によって徹底的に壊されたのだ。恐らく、この街や、それが所属している集団と、敵対する集団によって。

何が起きたのかは分からないけれど。

兎に角、とても頑丈に作られていたこの建物は、徹底的に潰された。

作られていた武器も。

それはそうだろう。

人間はずっとずっと。

文明を作って以降、ずっと。

戦争ばかりをしてきた生き物だ。

人間以外が相手にならなくなると。人間を相手に殺し合いを散々続けて来た生き物である。

ましてや武器を作る場所となったら。

徹底的に壊しに行くのは、不思議な話ではない。

爆弾が残っているかも知れない。

気を付けろ。

そんな風に、追加記憶に警告されるけれど。

まあ爆弾というのも、辺りを粉々にするもの、位にしかわからない。

それに、爆発されたところで。

どうしようもない。防ぐ手段もない。それにわたしは、勝手に再生されるだけだろうとも思う。

周囲を何度も丁寧に探る。

その過程で目に入ってくるのは、使い物にならないものばかりだった。

さび付いたものだらけ。

徹底的に壊されているものばかり。

持ち帰ろうにしても、大きいものばかりで、どうしようもない。

でも、ひょっとしたら。

これだけ頑丈なものが揃っているのなら。

何かあるのかも知れない。

隅から隅まで、入れそうな場所が無いか探していく。

建物はどれも徹底的に潰されていて。

此処まで壊さなくても良いのではと、小首をかしげるくらいまでやられているものも珍しく無かった。

これでは、誰も近付かないのも納得である。

今はもう酸の雨に散々侵されているから良いけれど。

それでも、前は。

爆弾とやらが不意に作動して。吹っ飛んだ人もいただろう。実際問題、よく分からない死体の残骸は何回か目にしたのだ。

とはいっても、わたしはもうその辺りは頓着がない。

手足が吹っ飛んでも再生するだろうし。

わたし自身。端末として来ているだけ。

もしもわたしが何かしらの理由で壊れたら、端末として再構築されて、また此処に寄越されるだけ。

それをわたしは別に否定しないし。

それでかまわないと思っている。

実際問題、元からわたしはこの世界を気にくわないと思っていたし。

何よりこの世界をこんなにしたのは人間だという事実を知った今では。

地球に対しては別に敵意は感じていない。

元から感じていたのは恐怖だったが。それもない。

端末として行動する事に、不満は無い。

黙々と探しているうちに。

ふと気付く。

一部、壊れていない建物がある。

隅も隅だ。

まあ、見ておく価値はあるか。

小さな建物だった。

ビルではない。

平屋で、それもごくごく小さい。

爆弾とやらの影響を受けたのか、半壊はしているが。まだ建物としての原型は保っている。

何かあるかもしれない。

内部を覗いてみると。

面白そうなものが、埃を被っていた。

 

2、動くくるま

 

わたしはそれを、虫か何かかと最初思った。

だけれども、機械であることはわかったので。虫に似せる意味がよく分からなかった。

その小さな建物は、とても小さく。

この大きな建物群の中で、生き残ったと言うよりも。

大事なものがないから、狙われなかったという理由で今もあるようにしか思えなかった。

その事実を裏付けるように。

この小さな機械に、何か大事な事が出来るとは思えなかった。

追加記憶から、似たものがないかを探しながら、機械を綺麗にしていく。

まずぬらしたぞうきんで拭って。その後に乾いたぞうきんで拭って。埃を取り除くが。

その作業だけで、随分とかかった。

マニュアルはないだろうか。

そう思って辺りを探してみるが、残念ながら見つからない。

機械としては車だと思う。

タイヤは四輪。

やたらと頑丈なタイヤで、今まで見てきた自動車の残骸についていたタイヤは殆ど駄目になっていたのに。

このタイヤは、劣化もかなりマシだった。

機械そのものも傷ついていない。

恐らく、この全て壊れた場所で、唯一残った壊れていない機械ではないのだろうか。

まだ全てを調べた訳では無いから、何ともいえないが。

いずれにしても貴重な品だ。

わたしは埃を取り去ると、乗って見る。

自動車は、残骸をたくさん見たから、バスが小さくなったようなものだろうなという事は分かる。

だがこれは、そもそも最初から骨組みに硝子がついていないように感じるし。

それに前面部に、虫の牙のようなものが一対伸びている。

虫に似せて作った車なのだろうか。

小首をかしげていると。

やっとマニュアルを見つけた。

乗り込んで色々弄っているうちに、椅子の近くが空いて、其所から出て来たのである。

紙のマニュアルだけれども。

尋常では無く難しい漢字がたくさん使われている。

バイクのは追加知識で何とか読めたのだけれども。

コレはちょっと怪しいかも知れない。

しばらく四苦八苦して読む努力をしてみたが。

無理と判断。

わたしは一度撤退する事にする。

空模様が少しおかしくなりはじめているし。

此処はどうせ雨も降り注がないだろう。

少し手間は掛かるが。

これを読めるようにする手はある。

故に、一度撤退する。

マニュアルだけを回収すると、建物から出る。マニュアルはこの不思議な車にしまわれていたおかげか、痛みはそれほど酷くなく。読むことも難しく無かった。紙だけれども。空気にさらされていないから、痛みが酷くはないのだろう。

破壊の園とも言える場所から、持ち帰ったのは紙のマニュアルだけ。

だけれども、このマニュアルがあれば。

あの不思議な車を動かせるかも知れない。

バイクに乗ると、ぽくぽくと音を立てて、拠点に戻る。

どんどん空気がしけっていくが、まあ間に合うはずだ。

背後では、何か崩れる音がした。

大丈夫。

あの不思議な車が入っていた建物は、崩れるほど痛んでいなかった。

何か別の建物が崩れたのだ。

それならそれで別にいい。

わたしは小さくあくびをすると。

そのまま、余裕を持って拠点に戻った。

誰かが入り込んでいる事も無い。

今の時代。

他人と争う余力なんて、誰も残していない。

前は不安があったのだけれど。

今はもう、それがはっきり分かる。

実際問題、ボロだらけの人間の中で。

比較的しっかりした格好をして、バイクにまで乗っている上。目立っているのにおおあほうどりに襲われないわたしを。

周囲の人間達は気にも留めていない。

違う。

前のわたしがそうだったから分かるが。

もはや気にしている余裕そのものがないのだ。

雨が降り始める。

必要もないのに、水を飲み。

ブロックを囓る。

わたしの小さな手には、このブロックはちょっと大きいと言う事がようやく今頃分かってきたのだけれど。

ブロックの密度が小さいからか、軽い。

黙々と食べていると、外で雷が鳴った。

雷は赤い奴にモロに落ちているけれど。平然と蠢いている。

まあ酸の雨を散々浴びても平気なのだ。

雷ぐらい、どうとでもなるのだろう。

雷が落ちるくらいだ。

雨は本降りになりはじめる。

バイクを丁寧に磨きながら。

わたしは何となく不安に思う。

わたし自身はどうでもいいが。

あの不思議な車が無事か、ちょっとだけ、それが不安だった。

 

雨がたくさん降るから、別に雨自体はどうでもいい。

すぐに乾くし。

暑いから、というわけでは無い様子だ。

追加された知識によると。

大気中の水分を、赤い奴が直に取り除く事で。雨が乾くのを促進しているらしい。赤い奴の成分の大半が水らしくて。大気中に漂っている細かい奴がどんどん水分を回収して、海や川であった場所にいる本体に届けているようだった。

夜のうちに海に行く。

わずかに光が差し込んでいる。

今夜は曇っていて、星明かりがあまり届かない。

別に星明かりが届かなくてもかまわないが。

少しだけ、歩きづらいとは感じた。

うめき声を上げながら、全裸の男性が歩いている。

もう老人と言っていい年だ。

わたしには目もくれない。

わたしも、気にせず通り過ぎた。

昔は知っている人間に出会った時には、挨拶というのをしていたらしいが。

人間は何もかも失ってから、他者と関わる最低限の挨拶というのもしなくなったそうである。

まあ赤い奴に蓄えられた知識からだ。

それに人間をある程度弄くったのも赤い奴だ。

此処まで滅茶苦茶にされた地球を。

人間にこれ以上滅茶苦茶にされてはたまらないと判断したから、かも知れない。

何にしても。

自覚あるなし関係無しに。

もう人間は、赤い奴に支配されているし。

物理的にも精神的にも逆らえないと言う事か。

わたしは海際に立ち。腕まくりをする。

赤い奴は即座に触手を伸ばしてきて。

わたしの手をとった。

そういえば、わたしの手。

前はガリガリに痩せていたのに。

今は多少ふっくらして来ているかも知れない。

肥満というほどではないけれども。

正常に肉付きして来ている、という印象だ。

これはひょっとしてだけれども。

元からあった肉体をベースに。とる必要もない栄養を取っていたら。肉体がある程度、正常化してきているのか。

可能性は、あるかも知れない。

情報を交換する。

破壊され尽くした建物を確認。

明らかに人為的なもの。

それは恐らく軍事基地だろうと、赤い奴は言う。

軍事基地の情報が入り込んで来て、なるほどと納得した。

集団同士が争うためだけに作られた施設か。

昔の人間が暴動をしていた事は知っていたが。

あれよりも更に残虐かつ徹底的に相手を殺戮するために、作られていた施設で。

あのような施設から、世界を滅茶苦茶にした兵器がたくさん飛び立ったり出ていったりしたのだろう。

そういうものだと知っているから。

今は別に何とも思わない。

マニュアルを読みこなすための知識も追加される。

ちょっと頭が痛いかも知れない。

わたしの素のスペックでは、元々追加された知識を一気に解読することが出来ないらしいのだ。

赤い奴に指摘されたのだが。

これは元々、わたしが非常に栄養状態が悪い状態でそだったかららしく。

頭の方も、そもそも考えると言う事をあまりしてこなかったのが要因で、育つ事はなかったらしい。

訓練を重ねれば、全然違ってくるらしいのだけれど。

わたしは昔の事を教わったくらいで。

それですら幸運だったのだろう。

いずれにしても、数日がかりで知識を自分なりに取り込めと指示されたので。

わたしは頷いて、拠点に戻る。

マニュアルを読む。

やはり知識を少しずつ引き出して読んでいくので大変だ。

だから、時間を掛けながら。

ゆっくりとマニュアルをめくっていった。

時々水を口にする。

ブロックを囓る。

必要もないのに。

だけれども、体に染みついている。

前はあんなに嫌だったし。

今だって嫌なのに。

ただ体型が少し変わってきていて。

良い意味で頑強になって来ている状況を考えると。

今後もこれは続けていきたい。

わたしはかなり赤い奴に強化されたとはいえ。

そもそも貧弱すぎるのだ。

だから、もっとベースとなる肉体を強くしたい。

それには栄養を取らないと。

そういう風に、考えられるようになっていた。

二日ほどで、何となくマニュアルの大意は理解出来た。

あの車は、フォークリフトというらしい。

ものを運搬する事に特化していて。

あの二本の牙を上下に動かして、ものを運ぶ事が出来るようだ。

軍事基地にあったのは、物資を運ぶためであるのだけれども。

実際には、軍事基地ではすごく重いものを扱う事も多いので。

フォークリフトではパワー不足になりやすく。

結果、隅に置かれていたのではないかと、わたしは思った。

たくさん知識が流れ込んでくるので、とにかく頭が熱い。

正確には今までロクに使っていなかった頭を使っているので、色々と頭が熱を持ってしまっているのだろう。

考える。

それを今わたしはしている。

幼い頃から、ずっとそんな事をする余裕は無かった。

漠然と、破滅が確定している世界でただ生きていたからだ。

わたしに教えてくれた人の話はよく覚えているけれど。

その人もあっさり死んでしまってからは。

もうわたしが、何かを学ぶと言う事はなくなった。

頭を使ってこなかったのだ。

バイクを直すときもそうだったが。

最近は兎に角頭を使っている。

それで、多分今まで使ってこなかったツケが廻って来ている、と言う事なのだろう。

わたしはぼんやりとしてきたので。

横になって、少し休む事にする。

もう生物ではないのに。

おかしな話ではあった。

雨は降ったり止んだり。

水は充分にある。

時々頭を洗ったり。

体を拭いたりしてさっぱりするが。

そうしてくると、他の人間の体臭が気になってくる。

考えてみれば、昔のわたしもあんなだったんだろうなと思うと、別に嫌だとは感じないけれども。

確実に滅びに向かっている事は、実感できてしまう。

自業自得とは言え。

人間の終焉をリアルタイムで見ているのだと思うと。

わたしは、色々と複雑だった。

眠ったり起きたりしながら、学習を繰り返す。

五日で、マニュアルを読み終えた。

後はガソリンか。

一応、ちょっとだけ予備はある。

フォークリフトには、色々なタイプがあるらしいのだけれど。わたしが見つけたのはガソリン式だ。

とりあえず動くかどうかを確認して。

駄目なようならば、マニュアルに沿って色々やっていくしかない。

丁度晴れて、外も乾き始めた。

動くなら今だろう。

わたしはぽくぽくとバイクで行く。

わたしがいくと、人は無関心そうに側を通ったりする。

時々奇声を上げた人が、赤い奴に飛び込んで、それっきりという事もある。

勿論分解されておしまいだ。

頭が壊れてしまったんだな。

そう思うと、気の毒だった。

だけれども、この世界に正気を保っている人間なんて、もう殆どいないだろう。

正気がある程度あったとしても、生きる事だけで精一杯。

他人に関わっているヒマなどない。

わたしは、どうなのだろう。

まあわたしは、もう人間じゃない。

だから、滅び行こうとする人間を見て哀れむことはあっても。

どうすることも出来なかった。

それに、わたしの世代が最後だ。

これ以降は子供も生まれない。

何をやっても繁殖は成功しない。

繁殖の意図を持つ人間すらいない。いただろうが、それも10年も前に死に絶えている。赤い奴の知識に依れば、だが。

世界の隅々まで端末を伸ばしている赤い奴による追加知識だ。

疑う余地はない。

色々複雑な気持ちを抱えながら。

軍事基地の跡地に到着。

フォークリフトの所に急ぐ。手にはガソリン缶。

これも、今回の調査のために持たされたものだ。

他にも、服のポッケにはレンチをはじめとする小道具をたくさんいれている。

これで多少は動けるだろう。

フォークリフトの小屋は。

幸い壊れていない。

中に入ると、フォークリフトは無事だった。

頷いて、まずは動かす事を試してみる。

まずは電源を入れてみようとするが。

案の定、入ってくれなかった。

バッテリーが駄目なんだろうな。

そう思って、新しいバッテリーを探す。

専用のバッテリーを使うらしいけれど。

多分フォークリフト関係は、この建物に全て集約されているはず。

壊されている区画も含めて、黙々淡々と探していく。

外は晴れたままだ。

有り難い事だ。

だから、探す事に集中する。

途中でやっぱり何度か手指を抉られるような怪我をする。

わたしは相当にぶきっちょらしい。

だけれども、別にかまわない。

すぐ再生するし。

フォークリフトのバッテリーらしいのを見つけたので。四苦八苦しながら交換を開始する。

これも使えるかどうか分からないから、色々と賭けになるけれども。

ともかくやってみる。

何度か、電源を入れてみるが。

一つ目は駄目。

バッテリーを取りだして、振ってみる。

こうすると使えるようになるという噂があるのだけれども。

やってみても駄目だった。

二つ目を試す。

今度はどうだろう。

そう思って、何度か電源を入れてみたら。

エンジンが掛かった。

おっと、嬉しさに声が漏れるけれども。

幾つか警告ランプが出ている。

特にガソリン切れが痛い。

電源は、すぐに落ちてしまった。

ガソリンを入れる。

他にも色々と調べて、動かせそうなものは動かし。治せそうな部分は直しておく。

今すぐに、現役でこれを使えるとはわたしは思っていない。

これは赤い奴の所に運んで。

其所にある知識を元に修復し。

次の調査で使えれば良い。

それくらいの考えだ。

ふと気付く。

何かが此方を覗き込んでいる。

振り返ると、ズーだった。壊れた建物の上にその巨体を載せ。いつもおおあほうどりを捕食している口を開き。その口からは、触手が複数出て蠢いていた。

今更気付く。

触手の先端に目がついている。

それも人間のものそっくりである。

おおあほうどりの一部に、人間そっくりの足を持っている者がいることをわたしは知っていたけれど。

ズーを間近で見て。

その触手に目がついている事を知ったのは、初めてだった。

じっとわたしを見るズー。

作業の手を止めて。わたしもズーを見返す。

しばし、ズーはわたしを見ていたが。

触手を伸ばしてきたので。それに触る。

知識が、流れ込んでくる。

恐らくは、おおあほうどりが喰らった人間の知識だろう。

そういえば、だ。

おおあほうどりは人間を殺戮してばらばらにするけれど。

共通して頭だけは完全に喰らっていた。

他は雑に残していたのに。

ひょっとするとだけれども。

生きている人間の脳の知識だけを集めるのが、おおあほうどりの目的なのかも知れない。

宝蜘蛛なんかもその可能性はある。

人を襲う場合。

頭が無事に残っている事は、滅多に無かった。

ズーが、勢いをつけて空中に跳び上がる。

恐らくわたしは同類とみられたのだろう。凄い風圧で、吹っ飛びそうだったけれど。気にせずズーは飛んで行った。

わたしの頭に入ってきた知識は、知らない土地の知識ばかり。

役に立ちそうなものは殆ど無いノイズばかりだった。

逆に言うと。

現状人間が持っている英知なんて、こんな程度でしかないという事でもある。

それはとても悲しい事なのだと思う。

人間という生き物は、此処まで衰えたと言う事なのだから。

フォークリフトは。

無事だ。ひっくり返ったりはしていない。

わたしは頷くと、修理に戻る。

雨が降り始める傾向が出て来たら、バイクをこっちに移した方が良いだろう。

時々怪我をしながら、わたしは修理を続ける。

追加された知識は豊富で。フォークリフトを動かしたことがある人間のものもあって。修理には随分助かった。

ただそれらの知識を引き出すのがとても大変で。

今まで脳が如何にさぼっていたのかが、よく分かってつらい。

一度などは、指が二本、作業の段階で吹っ飛んだが。

くっつけると、すぐに元通り動くようになった。

ため息をつく。

別にくっつけなくても、動くようになっただろうなこれはと思ったのだ。生えてきた可能性も高い。

数日、水も飲まず食事もしていない事に気付いたので。

持ち込んできていた水を飲み干し。ブロックをがっついた。

そして、作業に戻った。

淡々と、フォークリフトを直していく。

昔はありふれた機械で。

どんな工場にでもあったらしい。

だけれども、今は。

これが最後に生き残ったものの一つ。

極めて貴重な道具だ。

夜明け。

雲が多くなってきているので。それほど光は差し込んできていない。

フォークリフトの電源を入れる。

エンジンは掛かる。

計器も、エラーは出していない。

リフトを上下させてみる。

ちゃんと動く。

重さはどれくらいまで大丈夫だろう。

試しに、さっそくフォークリフトで繰り出す。ぶきっちょなわたしなので、スピードはださないように行く。

そして、最初に抱え上げたのは、バイクだ。

バイクは荷車を外して、並べておく。リフトで持ち上げやすいように、である。

バイクを荷車ごと抱え上げてみて。

力持ちなのだなと、わたしは感心していた。

これでも力が足りないというのだから。

此処は本当に重いモノばかり扱っていたのだろう。

そうとも思った。

一度戻る。

次に来る時は、このフォークリフトを使って、だ。

雨が降りそうになっている。

今から戻ると、丁度良いくらいだろう。

バイクを抱えたまま、拠点にフォークリフトで戻る。

途中、宝蜘蛛が巣の近くから、わたしとフォークリフトを不思議そうに見ていたが。

視線を返すと、巣に戻っていった。

きいきいと声を上げている。

多分、不思議だとか面白いとか言っているのだろう。

人間よりも、或いは。

宝蜘蛛の方が、今は余程感情が豊かで。

知恵もあるのかも知れなかった。

 

3、力持ちの車

 

拠点に戻る。

途中で、わたしとすれ違った人間は、みんな無関心だった。

自分の死にすら無関心なのだ。

それもまた、仕方が無いだろう。

おおあほうどりが空を旋回しているが。

それでも平然と歩き回っていて。

時々襲われて、八つ裂きにされている。

海の側の街は。

ただでさえ少ない人間が。どんどん減って行っている。

やがて人はいなくなるだろう。

それはいなくなるべくして、いなくなるのだ。

フォークリフトを拠点に入れてから。

徹底的に調べる。

まずリフト部分が、どれくらいまで重量を持ち上げられるのか。

調べておく必要がある。

それに、持ち上げたところで。

重量が大きすぎると、多分車が前のめりに倒れてしまうのでは無いかと思う。

追加で入れられた記憶の中に。

そういう事故がある。

あくまでぼんやりとしか浮かんでこないのだが。

赤い奴が取り込んだ人間が。

実際にそういう事故を、経験したのかも知れない。だとしたら、同じ事は避けなければならないだろう。

これは最後の一機かも知れないフォークリフトだ。一台、だろうか。それとも一両。

記憶が増えてきた分、どんどん色々と曖昧になって、分からない事も増えてきているけれども。

逆に分かる事も増えてきているから。

脳が酷使されている。

拠点に戻ってきてから、物資の備蓄を確認。

一時的な拠点とは言え、ブロックと水は蓄えておく必要があるからだ。

水は充分。

ブロックが少し足りないが。

此処での活動は、恐らくもう少しで終わりになる。

そう考えると、補充は必要ないか。

どうしてもほしくなったら補充してくればいいが。

そもそも、食べなくても良い身である。

それに、今は食べる事がプラスになっているようだけれども。

追加記憶にある肥満体になってしまうと、色々と動きづらくなってしまうだろう。

背は、もうちょっとほしいけれど。

食べて伸びるものだろうか。

それも分からない。

ため息をつくと、身繕いをする。

服を脱いで、体をスーパーから持ち帰ってきた布で拭いて。頭も洗う。体はすぐに乾くので、服を着直すと、横になる。

スーパーから回収出来た着られる服はちょっとしかなかった。

眠るときに着るパジャマというのもあったらしいが、それは見つけられなかった。

だが、贅沢は言っていられない。

仕方が無いものだと思って、諦めるしかない。

何というか、周囲が充実していくと。

どんどん思考が贅沢になっていく。

こう言う点では、まだわたしは人間らしい。

まあ必要もないのに食事をしているのでお察しだが。

それでも、気分はあまり良くない事だ。

目を閉じて、眠る。

眠って、起きる。

機能的に作業をこなして、そして立ち上がると、外の様子を確認。

雨が降っている。

雨が上がったら、あの軍事工場だとかに出向いて、まだ何か使えそうなものがないか、探ってみるか。

銃火器とかはどうしよう。

機関銃とかは、この世界ではもう無用の長物だ。

おおあほうどりに効かない事はわたしも知っている。

元々人間が作り出した武器の大半は人間を効率よく殺すためのものだ。

ならば、いらないかな。

いや、何かの役に立つかも知れない。

持って帰るのはありだと考えておこう。

フォークリフトを動かして、荷車だけ乗せておく。

戦利品は、コレに乗せて回収するつもりだ。

フォークリフトがあれば。

万能とまではいかないにしても。

崩れた建物の一部くらいは、除去できる可能性も高い。

そうなれば、見つかるものも多いだろう。

死体ばかり見つかるかも知れないが。

それは赤い奴に放り込んでしまう。

わたしには分からないけれど。

何かの役に立つかも知れないから。

雨が止むのを、フォークリフトの側で膝を抱えて座って待つ。

何だか、色々と酷く虚しいけれど。

それでも、待つ。

時間は、どれくらい残っているんだろうか。

今、もう人間の寿命は40年を切っている筈だ。

追加知識から知ったのだけれども。生物としての人間の寿命は40年。生物として弱体化の極限を極めた人間の寿命は更に低い。

そして人間の子供が生まれなくなったのが17年くらい前。

要するに人間の生物としての寿命は。

後20年ほど、ということである。

雨が止んで、虹が出る。

どこまでも拡がる赤い奴の上に掛かる虹。

ある意味示唆的だなと思った。

さて、乾いてからフォークリフトで出かけよう。

あの軍事基地を探せるだけ探して。

持ち帰れそうなものを持ち帰って。

それで今回の調査は終わりだ。

次は無いかも知れないけれど。

別にどうでもいい。

生への執着そのものが、今のわたしからは消えている。

前はあれほど死にたくないと思っていたのに。

きっと、あの病気で事実上一度死んだ事も大きいのだろう。

外が乾いたと判断。

フォークリフトに荷車を乗せて出かける。

動かして色々遊んでみた感触だと、バイクより馬力はあるが遅い。勿論速度が出るものではないのだから仕方が無いのだろうが。

そして何より車体が思ったより重い。

動かしていて重量感があるので、失敗してぶつけたときのダメージが大きいだろうなと言う危惧がある。

わたしはただでさえぶきっちょなので、その辺りは気を付けないといけないだろう。

またリフトは下げておかないと、視界が遮られて危ない。

基本的に重いものを動かすためだけにある存在で。

外を走り回るものではない。

利便性という点ではバイクに大きく劣る。

ものとしては欠陥が目立つなとわたしは思ったけれど。それでも、これは欠陥を補って余りある程便利だなとも思う。

事実、バイクではどうにもならない事が。

フォークリフトでは簡単にできる。

ただ、乗っていて楽しいのはバイクだと、フォークリフトを走らせながら思う。

ぽくぽくという、バイクを動かす時の音が案外気に入っていたのだなと、自分でも気付く。

フォークリフトは作業の時だけに使うようにして。

それ以外はバイクを使いたい。

これは、バイクが始めて自分で直した乗り物だから、愛着が湧いているのかも知れない。いずれにしても、作業効率とは関係がない話だった。

軍事基地に到着。

それにしても、何度見ても本当に徹底的に破壊されている。

もう此処の構造は覚えたので。最初に何とかなりそうな場所へ行く。

小さな建物の跡地がいい。

潰れてしまっている建物を、フォークリフトで掘り返してみる。

結構頑丈だったらしい建物だけれど。

酸で散々に弱っているし。

何より爆弾で壊されているので。

潰れている瓦礫は文字通りぼろぼろ。

後はフォークリフトを使えば、どける事は難しく無かった。

ぶきっちょなわたしだけれども、慣れてくると習熟そのものは早い。

ただフォークリフト自体が、経年劣化で痛んでいる可能性がある。

もしもこれを持ち帰れなかったら本末転倒だから、可能な限り無理をさせるわけにはいかない。

慎重に、フォークリフトを動かす。

やがて、建物一つの残骸を取り除く事に成功。

何だろう。何も無い建物だ。

床に一つ、歪んだ扉みたいなのがある。

これなら、持ち込んだレンチで開けられるか。

レンチを使って開けると、更に下へ降りられる。降りてみる。そうして、何となく此処が何だか分かった。

内部には、死体が幾つか。

よく分からない道具類がそれなりの数ある。壊れてはいないけれど。腐敗した死体の側にあるものは、死体と一緒になってしまっていて動きそうに無かった。

多分これは。

あの金持ちが逃げ込んだ地下と同じものだったのだろう。

だけれど、基地の出口が潰されてしまって。此処に逃げ込んだ人達は、どうにもならなくなって。

そして死んだと言うことだ。

無言で、全てを外に引っ張り出す。

何度かに分けて、街に運んでいく。最初はフォークリフトを使ったが、次からはバイクで。

死体を最初に赤い奴に放り込む。

完全に乾燥してしまった死体だから、不衛生も何も無いし。

そもそもわたしがもう不衛生なものを触ってダメージを受ける状態ではない。

前はそういう観念すらなかったが。

今は、追加知識で、不衛生が如何に健康を損なうかは知っている。

わたしはもう人間では無いので。

関係無い、と言う事だ。

後は、状態が良いまま保存されていた、よく分からないものを片っ端から赤い奴に放り込んでいく。

壊れそうなのは出来るだけ丁寧に渡す。

何往復もしながら、荷車に積み込んで運び出しては。

どんどん引き渡す。

赤い奴とは、その度に触手を掴んで知識をやりとりする。

それによると、引き渡したものは主に娯楽品だったようだ。

いずれも電気がないと役に立たなかったり。

或いは単純に現在では遊び方も伝わっていなかったり。

そういうものばかりらしい。

そうか。

しかも逃げ込んで死んだのは、あのおおあほうどり相手に籠城を決め込んで食われた金持ちのように。

昔世界を滅茶苦茶にした元凶達。

そんな連中の一部だったそうである。

だからといって、わたしには関係無い。

引き渡したのだから、赤い奴が好きにすればいい。赤い奴というか、地球の意思が、だろうが。

まだまだ持ち運べそうなものはあるので、どんどん持ち込む。

紙がたくさん束ねられているものがあった。

これは見覚えがある。

わたしに色々教えてくれた人が、一つだけ持っていた。

本というらしい。

マニュアルよりもずっと分厚いけれど。

中身に目を通してみると、書いてあるのは一目でありもしないと分かる事だった。

赤い奴に引き渡すと、娯楽小説という娯楽の一種らしく。

読む娯楽であるそうだ。

そうか、と思う。

あの地下に引きこもった者達は、自分の娯楽品はたくさん持ち込んだのに。救えそうな人は誰も救わなかったわけか。

それはもう。

死んで当然だったのだろうな、と思う。

ただ娯楽品に罪は無い。

どうせ今の滅び行く人間に引き渡しても、価値も分からず焼いたりするだけだろう。

だったら赤い奴に渡して解析させた方が良い。

わたしはそう判断して。

計十二回軍事基地と海辺を往復。

運び出せるものは、あらかた運び出し。

赤い奴に引き渡した。

重くて難儀した箱が最後だった。

追加記憶によると、どうやら「金庫」というらしく。

世界がこんなになる前に流通していた「金」などの大事なものを入れておくものであったらしい。

金庫なんて持ち込んで、どうにかなるとでも思ったのだろうか。

開ける事は出来なかったが、別にどうでもいい。

そのまま引き渡して終わり。

軍事基地に戻る。

他にも何か、フォークリフトで動かせそうなものがないか探してみるが。

残念ながら、フォークリフトで動かせそうな瓦礫は殆ど無い。

壊されている建物が頑強すぎるのだ。

一部の脆い建物は完全に消し飛んでいるし。

頑強な建物は逆に壊れてはいるが、素材が重かったり頑丈だったりして、フォークリフトでは歯が立たない。

もっと強力な、ものを動かす事に特化した車だったら話は別だったのだろうけれども。

残念ながら、これではもう探す事は無理だろう。

それでも、徹底的に軍事基地を調べ上げる。

時には瓦礫の隙間にわたしが潜り込んで、中を調べて見たりもした。

どうせ死なない身である。

潰れても全く同じ代わりがここに来るだけだろうし。

わたしは大胆に瓦礫の間に潜り込むと。

わずかだけ、何か使えそうなものを取りだしてきていた。

機関銃よりずっと小さいけれど。多分その仲間。

使い方が分からないので、下手に触らないようにして、持ち出すだけ持ち出す。

他にも細かい何かの部品みたいなのとか。

瓦礫をひっくり返したら出て来た死体とかを、片っ端から運んでいく。

その間、バイクの出番はない。

やはり重いものを動かすのにはフォークリフトは便利だ。

とはいっても、乗っていて楽しくは無い。

それはよく分かった。

くまなく徹底的に軍事基地を探る。

一度瓦礫の中を探っているとき、瓦礫が崩れて右腕が丸ごと潰れた。

だけれども、引きちぎってしまうと。右腕は一日掛けて再生した。

そういうものだと、わたしは納得する。

その間血液もそれほどの量は噴出しなかったし。

多分わたしの体は、根本的にものが変わってしまっているのだと思う。それについては、別にどうとも思わない。

また、身体能力を試そうとも思わない。

何より、服ごと再生したので。

恐らくこの服も、赤い奴が作った事で。

わたしと一体化した、元とは別のものとなっているということなのだろう。

服も含めてわたし。脱ぐことも出来るが、それでもわたしの一部。

そういうことだ。

最後の仕上げに、軍事基地をもう一度丁寧に見て回る。

ここで、どれくらいの数の人が死んだのだろう。

そう思うと、不思議な気分だ。

多分今、拠点にしている街で暮らしている人とは、比べものにならない数の人が此処にいて。

戦争とかいうものに巻き込まれて死んだのだ。

一部はそうやって死んで行く人を見捨てて、自分達だけ地下に逃げて。それも物資が尽きて飢え死にした。

そう思うと、おかしなものだなと思う。

無意味極まりない事をやっているし。

その結果世界がこんなになっている。

人間とは何のためにこの世界に生まれ出たのだろう。

わたしに色々教えてくれた人は、本当に熱心だった。

最後まで抗おうとしていた。

だけれど、あの人は例外だった。

実際問題、わたしはあの人のような例外は、もう見ていない。

大半の人間は。

最初から最後まで駄目だったんだな。

そう結論するしかない。

わたしが軍事基地を、最後に回収したわずかな品を手に離れると。

宝蜘蛛が、大勢巣から這いだしてきた。

とにかくとんでもなく大きいので、ちょっとわたしの側を通り過ぎていくと、威圧感がある。

宝蜘蛛達は、電車に関係する仕事をしていないときは、ずっと巣穴でじっとしているかと思ったのだけれど。

それ以外にも仕事をしているのかと言う意味でも驚いた。

見ていると、残った軍事基地の瓦礫に、どんどん糸を掛けて真っ白にしていく。

知っている。

あの糸はとんでもなく頑丈だ。

電線を張ったり。電車のレールを直したりする宝蜘蛛だけれども。

普通に糸を出す事も出来る。

その糸で、ガチガチに軍事基地だった場所を固めてしまう。

恐らくだけれども。

彼処にまだ残っている爆弾とか、そういうのを。

ああして封じ込んでしまうためなのだろう。

最後までみていても仕方が無い。

わたしとは別の仕事をする者達が。わたしとは別のやり方で仕事をしているだけであるし。

わたしとは関係が無い事だ。

フォークリフトを繰って戻る。

十回以上そうやって往復したのに。

街でうろうろしている人達は、何の興味も最初から最後までわたしに示さなかった。

昔は、違う存在や知らないものは迫害しても殺しても良いと考えている人間が普通だったという情報を追加知識で得ている。

追加知識で得た暴動の有様を見る限り。

それに各地で残されている破壊の限りを尽くされた状態を見る限り。

全くの事実だったのだろう。

しかしながら。

今の人類は、逆の方向で駄目なんだなと思う。

まあこれは、滅びに向かっているのだから仕方が無いのだろうとも思う。

拠点について、雨が降り出す。

もう雨がいつ降り出すかは。

手に取るように分かるようになっていた。

わたし自身が、自分の体について分かってきている、と言う事だ。

わたしの体は、もう人間とは違う。

細かい赤い奴の集合体で。

そこにわたしの人格が擬似的に再構成されているにすぎない。

腕を失った後に分かったのだけれども。

多分今のわたしは、頭を失っても死なない。

なぜなら脳が入ってはいるけれども。

わたしの体全部が、思考をしていて。運動をしているからである。

要するに赤い奴が作ったわたしの完全コピーであり。

全身が思考し運動する、完全上位互換と言う事だ。

知恵熱っぽい状態になったり、頭が痛くなったりしていたけれど。それは恐らく。残った感覚による「それっぽいだけ」の現象。

栄養についても、本来は摂取の必要がないのだけれども。

わたしは習慣としてただブロックを食べ、水を飲んでいる。

それは恐らく、貧弱すぎる体に問題があると内心で考えているからで。

その思考に応じて、少しずつ体が変化している。

背は短時間で人差し指一本分くらい伸びた気がする。

服もそれに応じて変化したので別にどうでもいいが。

手足も少し伸びただろうか。

体は細身のままだが。

力そのものは強くなった。

傷の回復速度も分かるようになってきた。

ぶきっちょは相変わらずだけれども。

怪我をする度に学習はしているので。

バイクやフォークリフトの修理は、前よりも格段に速くなっている。

わたしは。

替わってきている。

例えこの体が作り物であっても。

わたし自身が。

一度死んだ存在だとしても。

それは、わたしにとっては良い事だと思う。

水を飲み干す。

酸っぱくてまずいなあ。

そう思うけれど。

やはり水は飲んでおきたい。

ブロックを囓る。

前は歯が弱くて、水で柔らかくしないととてもではないけれど口に入れられなかったのだけれども。

今はそのまま囓り倒せる。

無言で食べ終えると。

雨が止むのを待つ。

この街は、これで離れる事になるかな。

そう思ったけれど。

個人的には、それで何の問題も無い。

恐らく赤い奴は。

誰かしら使っている端末に、あの軍事基地から何か回収出来ないかと思って、わたしを寄越したのだろう。

わたしもそれに答えた。

それだけである。

或いは、わたしよりもっと過酷な仕事をしている端末もいるのかも知れない。

わたし自身も、今後はもっと赤い奴の要求が上がって行くのかも知れない。

いずれにしても、どうでもいい。

今回の件で、わたしは乗っていて楽しいものと楽しくないものがあるのを知ったし。

それだけで充分だ。

小さくあくびをすると。

わたしは横になって、そのまま眠る。

眠るときは、靴を脱ぐことが増えていた。

足先だけでも解放して寝ると、随分と違うのだ。

眠っている間は。

恐らく擬似的な記憶の整理が為されている。

追加されただろう記憶を。夢としてみる。

見ているのは夢だと分かっていても。

興味深かった。

今見ているのは、何か良く分からないもの凄い爆発が起きる夢だった。

この記憶は、それを見た人間を。赤い奴が回収して、得たものなのだろう。

ICBMという言葉がある。

あの爆弾の名前だろうか。

否。

すぐに違う事が分かる。

あの爆弾を乗せた乗り物の名前だ。

爆弾を乗せて、空を飛んできて。

そして大爆発したと。

あの軍事基地をこわしたのも、似たような爆弾だけれども。それとは完全に規模が違うみたいである。

そういうのをたくさん飛び交わさせて。

世界は滅んだ。

やがて、完全に死に向かい始めた夢の主は。

ふらふらと世界を彷徨って。

堪忍袋の緒を切った赤い奴に、食われて果てた。

目が覚める。

半身を起こすと、靴を履く。

あの爆発を見た本人は、痛い痛いと呻いていたな。

そう思う。

人間は、如何に相手を苦しめるかという事を考え始めると。とにかく徹底的に思考のブレーキが外れる。

ICBMだとかに乗って飛んできた爆弾も。

そういう悪意の凝縮体だった、と言う事だろう。

わたしにはよく分からないが。

住んでいる場所をここまで滅茶苦茶にするほどのものを使って。

本当に何の意味があったのか。

全く分からないと言うのが本音だ。

伸びをすると、外を見る。

まだ雨が降っている。

しばらくは動けないなと覚悟を決めて、横になってぼんやりとする。

まだ追加された記憶を整理し切れていない。

フォークリフトの運転中は、危なくてそれどころじゃないし。

こうやって横になっている時くらいしか、それは出来ない。

追加された記憶には、とても専門的な用語を使うものもたくさんたくさんあって。

わたしはそれらを理解するのに、逐一時間を掛けていた。

やがて雨が止む。

身を起こす。

この街を離れるときが来た。

もう準備はしてある。

この街も、そう長くはもたないだろう。

完全に終わったと判断したら、赤い奴が丸ごと飲み込んでしまうはずだ。

そして全てが無に帰す。

再生のプロセスに入る。

そこに人間は一切関与しない。

自業自得とは言え、哀れなものだなあと。

もう完全に仕組みの一部になったわたしは、考えたのだった。

 

4、漂いながら

 

赤い奴に漂いながら、意識だけのわたしは聞かされる。

今回回収してきたものには、思わぬ収穫品がたくさんあるという。

特にフォークリフトの完品が手に入ったのはとても大きいのだそうだ。

さいですか。

そうわたしは呟く。

こんな風な言葉は、生きている間は使った事がなかった。

追加記憶で、どんどん語彙が豊かになって来ている。

そういうことだろう。

また、仕事をして貰う。

そう告げられて。

それっきり。

後は、赤い奴の巨大な体内で、わたしは意識だけになって漂っていた。

他の意識とはアクセス出来ないので。

自分という形のない意識だけの塊の中で。

自分を整理する。

この瞬間も、どんどん追加の知識が増えている。

それを整理するだけで一苦労だ。

専門用語もたくさんある。

理屈だけは分かる事もたくさん増えてきた。

文字も読める。

喋る事も出来るけれど。

恐らく人間と会話する機会は、今後は殆どないのだろう。

記憶の一部で知る。

どうやらわたしは、日本という国があった場所で主に活動しているらしい。

他にも端末は千五百ほどが活動していて。

それぞれ活動地域、目的が違っている様子だ。

中には、人間とは全く違う形になって活動している端末もいるらしい。

いずれにしても。

わたしには関係のない話だ。

他の端末とは接触する機会もないのだから。

赤い奴の中にいると。

処理速度が上がっているからか。

こういった思考が、瞬間的に流れていく。

普段のわたしは、赤い奴が擬似的に作り出した体であり。

分離した弱体化バージョンである。

だから思考速度も全然違う。

今は赤い奴そのものの中で、わたしが思考している。

だから、まあ思考速度が上がるのも当然である。

不意に、印象に強く残る記憶がわき上がってくる。

追加された記憶の一つだ。

あの軍事基地。

其所に務めていた者らしい。

まだ人間が文明を保っていた頃のもの。

かなりぼやけているが。

それは赤い奴が、死体を喰らったから。記憶の再現が曖昧なのだと思われる。

「このような小規模基地を死守することに何の意味がありますか! 無防備な市民が無差別攻撃に晒されているというのに!」

「軍の指揮系統はまだ崩壊していない! さっさと持ち場に戻れ!」

何だか不毛な会話をしているのが分かる。

だけれども、はっきりいってそれこそどうでもいい。

会話の内容も理解は出来なかったが。

軍隊に所属している人が感情を剥き出しにするほどだ。

余程理不尽な事を言われたのだろう。

虚無になる前は。

こんな風に人間は、理不尽とエゴをぶつけあっていて。

それで滅びが確定した訳か。

滅びを待つばかりになった今と。

理不尽とエゴで傷つけあっていた昔。

どっちにいた人間の方が、よりマシだったのだろう。

恐らく、大差ないだろうな。

わたしは、この憤怒の感情の一端を味わいならが、苦笑していた。

苦笑なんて感情も、前は殆ど無かったのだが。

意識が向く。

どうやら新しい仕事らしい。

次もまた、日本という国があった場所で、何か探せと言う事だろう。

人間の唯一の価値は英知とそれが作り出した道具のみ。

赤い奴はそう結論しているが。

わたしもそれは同意だ。

次の仕事について。

前より詳しい説明が為される。

とはいっても言葉によって、ではなく。

直接意識を伝えられるのだが。

理解したわたしは、そのまま次の仕事に取りかかる事にする。

また、望むだけの装備を持っていって良いそうである。

現在では、赤い奴の内部には。

人間が文明を地球中に広げる過程で浪費した物質があらかた取り込まれている。わたしが持ち帰ったものを再現する事は難しく無いそうである。

ただし、一度現物を取り込まないと難しいという事でもあるので。

赤い奴も万能ではないという事だ。

フォークリフトとバイク。それに小道具類。それだけでいい。

銃はいらないかと言われたが。

いらないと答える。

現時点で人間に襲われる可能性は0。わたしを襲う生物の存在可能性も0。何しろ、もう人間に全て滅ぼされるか、赤い奴に取り込まれてしまったのだから。

ではいけ。

そう言われたので、わたしは動く。

わたしは仕事をするだけだ。

そしてその仕事は。

世界を食い潰していただけの、昔の人間がやっていた事よりも遙かに有意義で。

未来を作るものだ。

 

(続)