でんしゃ
プロローグ、さび付いたもの
軋みと共にそれがやってくる。
でんしゃだ。
レールの上を走るそれは、火花を散らしていた。何もかもが劣化しすぎて、もう直せない。
レールを作る技術なんてとっくに失われた。
それはそうだ。
みんな奴隷を使いたがった。
安いものへと変えていった。
その結果がこれだ。
激しい軋みの音と共に、三両だけのでんしゃがやってくる。昔は十両以上が当たり前だったらしいけれど。
今ではこれでも長い方。
窓硝子はバリバリ。
酷使したからだ。
人がたくさん降りてきたのは昔の話。
今は青白い顔の人が、少しだけ降りてくるだけ。
わたしはでんしゃにのる。
窓は全部開いているも同然。
雨の日とかは中がぐしゃぐしゃになる。
そもそも雨は酸と毒だらけ。だから危なくてでんしゃになんか乗っていられない。
そんな日は、家にいても大変だ。
「はっしゃしまーあす」
言葉も怪しいしゃしょうさんが、でんしゃを動かし始める。まともにお金を払わないから、どんどん専門家がいなくなっていった。
こういうだいじなインフラも、今ではこの通り。
このしゃしょうさんは、ちゃんとでんしゃを止められるだけまし。
酷い場合は、でんしゃを止めずに次の駅に行ってしまうこともあるし。
そもそも、でんしゃをまともにうごかせない事もある。
つり革が少しだけ残っているけれど。
酷くさび付いているのは天井も同じ。
とても汚くて。
触ると病気になりそうだった。
ぐんと凄い音がして。軋みながらでんしゃが動き始める。今の駅で乗った人は五人だけ。降りたのは四人か。
降りない方が良かったのに。そうわたしは思うけれど、声は掛けない。
ドアは開きっぱなし。
でんしゃが動き始めてから、思い出したようにしゃしょうさんがしめようとした。でも、こわれてしまったようで動かなかった。
何だか悲鳴のような音が聞こえるけれど。
でんしゃも泣いているのかも知れない。
こんな姿になって、まだ走るのか。
乗っている人達はたいへんじゃないか。
そうでんしゃが泣いてくれているのなら。
わたしはまだ嬉しい。
しばらく行くと、朽ちた駅があった。
ぼうどうで壊されたのだ。
駅の彼方此方は粉々に砕かれていて。
誰かのものらしい骨もそのままにされていた。
でんしゃはもうあまりスピードが出ないから。
行く時に、駅の看板が半分落ちているのが見えた。片側だけでぶら下がってる。
この辺りの駅は止まらない。
いや、しゃしょうさんが止まるべき駅を覚えているとは限らない。
だから、でんしゃはもう殆ど誰も使わない。
遠くに行くときは仕方が無いけれど。
それでもいったりきたりは覚悟しなければならない。
「つぎのえきー、とまりあーす」
しゃしょうさんの声、少しおかしい。
のどかなにかやられているのかもしれない。
だとしたら可哀想だけれど。
今の時代、当たり前だ
前から、ぶわっと風が吹き込んできた。
凄い酷い臭いだけれど。
この辺りは仕方が無い。
何とか言う爆弾が使われたとかで。川が丸ごと真っ赤になって。今でもそれは治っていない。
その上をでんしゃが通って行く。
すごくゆれる。
落ちても誰も助けてくれない。
でも、これしか行く方法が無い。
ぐらんぐらんとゆれると。
何が面白いのか、しゃしょうさんがけたけたと笑った。
「ゆれてまーす、ゆれてまーす、あひゃひゃひゃひひひひゃひゃ」
誰も何も言わない。
こういう人は珍しく無い。
もう学校も殆どないんだから。
誰だかが随分前にいったのだ。
努力なんて無駄。
頭が良い人は最初っから何でも出来る。
だから学校なんていらない。
国はそうして、学校を全部なくした。
みんなよろこんだらしい。
でも、その結果、みんなこうなった。
いや、あるいはその前からこうだったのかも知れない。世界は、ずっと前におかしくなってしまったのだ。
川をなんとかでんしゃがとおりすぎた。
でも、ぐらんぐらんと揺れる。
レールが歪んでいるのだろうと思う。
誰も何も言わない。
ただ落ちないように、必死に何かに掴まっているだけ。
その何かだって、いつ壊れてもおかしくない。
降り下ろされたら。
赤い川の周りに一杯蠢いている、いやむしろ赤い川そのものであるなんかよく分からないものに群がられて。あっと言う間に食われてしまう。
それだけはいやだ。
わたしも必死にそばのなんだったか分からないものにつかまるけれど。
いつ振り落とされるか。気が気じゃなかった。
「おちるとー、しにまあす。 きをつけてくらさああい」
けたけた笑いながらしゃしょうさんが言った。
最初から誰も言わない。
この人はまだマシな方。
ひどいしゃしょうさんになると、わざと乱暴な運転をして人を降り下ろそうとしたり。
もっと酷いと、運転の仕方がよく分からなくて。この辺りで立ち止まったりしてしまう。
そういうでんしゃは、うごめいているよく分からないものが、よってたかってあっというまにバラバラにしてしまうらしい。そして、中にいる人間ごと、情けも容赦もなく持っていってしまうそうだ。
でんしゃとは。
そういうものだ。
だから、あきらめるしかない。
誰も使いたがらないけれど。
そもそも、動いているのがおかしいくらいなのだ。
外をあまりみたくないけれど。
窓もろくにない。
戸も殆ど開きっぱなしなのだ。
いやでもみえてしまう。
今日も川の周りには、赤いのが一杯群れていて。
蠢いて、こっちをみていた。
赤いのは遠くから見ると、全部で一つのようにみえるけれど。
あれがいざ動くとなると、一杯触手を伸ばして、手当たり次第に捕まえて食べてしまう。人間だろうが鉄だろうがお構いなしだ。
どんな爆弾があんなのを作り出したのかしらなけれど。
とにかく、あれは人間にはどうにもできないし。
近寄ればしぬだけのものだった。
そんなのがいるなかを平然と行く。
このでんしゃがおかしいのか。
みんなおかしいのか。
或いは両方かも知れない。
駅が見えてきた。
だけれど、ここが最後の山場だ。
ここから、レールの調子が悪い。前に乗って、確かめたのだ。
もう赤いのは遠いけれど。
前に確認のため乗ったとき、どっちも酷く揺れた。
前よりも最近酸の雨が降ったはずだから。
更に酷く揺れるはずだ。
だから、必死にでんしゃに掴まっているけれど。
やがて、しゃしょうさんがとんでもないことを言い出すのだった。
「レールがとぎれていまーす。 おちてしんだらごめんちょねえ」
おいおい冗談じゃない。
誰かがつぶやくけれど。
わたしにはどうにも出来ない。
間もなく、でんしゃがとんでもない揺れ方をした。
ひたすらしゃしょうさんはけらけら笑っていたけれど。
こっちは生きた心地じゃあない。
ぐわん、どかんと酷い音が二度して。
それから、持ち直した。
胸の中で心臓がばくばくはねている。
げらげら笑っているしゃしょうさんだけれども。
その声が止まった。
みると、「おおあほうどり」と呼ばれている、とても大きな鳥が、しゃしょうさんをくわえてとんでいた。
時々飛んでくる、人食いのおそろしい鳥だ。
昔のあほうどりは、名前の通り簡単に掴まってしまう鳥だったそうだけれども。
その恨みを晴らすべくか。
人間がたくさん訳が分からない毒を流した結果強くなって。
あんな風に、人をさらって持っていく恐ろしい鳥になったのだ。
勿論さらった後は食べてしまう。
だれかが、先頭車両のしゃしょう室に入る。
ブレーキのかけ方を知っているらしい。
必死にブレーキを掛ける。
駅は間近だ。
もう、此処でとめるしかないだろう。
酷い軋みをあげながら、でんしゃがやがて止まる。
駅以外ででんしゃから降りるのはとても危ないのだけれども。もう、そんなことは言っていられなかった。
でんしゃからわたしも降りる。
でんしゃは、放っておくと。
回収車というのが取りに来る。
これが怖い。
そもそも回収車というけれど、これはでんしゃでは無くて。
訓練された動物だ。
レールの側を動き回っていて。
動かなくなったでんしゃを見つけると、かみついてはこんでいく。
大きさはでんしゃなんか比べものにならないほどで。
鉄とかで出来ているでんしゃを、何の苦労もせずに引っ張っていくほどだ。
姿はムカデに似ているけれど。
家の中に出る二の腕くらいしかないムカデより、何十倍も大きくて。
ちかくを人間が通ると、容赦なく襲って食べてしまう。
だから、急いでいかないといけない。
回収車に出くわしたら、おしまいなのだから。
他の人にかまっている余裕すらなく、私は走る。
どんと、重い音がした。
おおあほうどりだ。
でんしゃの天井に止まったのだ。
でんしゃの天井には、でんきが流れる線がついているけれど。
そんなのおおあほうどりには痛くもかゆくもない。
鉄砲でうってもびくともしないのだ。
今度のおおあほうどりは首が二つもある。
よく分からないけれど、大きくて人を襲う鳥をおおあほうどりと呼んでいるだけという話もあるらしくて。
さっきしゃしょうさんをたべてしまったおおあほうどりとは、種類が違うのかも知れない。
がっと、でんしゃから逃げ遅れた人を口に咥えると。
そのままばらばらにして食べてしまうおおあほうどり。
助ける余裕なんか無い。
今は誰でも、こう言う光景を見慣れている。
努力なんて無駄だから、学校をなくそう。
みんな平等にするために、お金もなくそう。
そうすれば、とてもかしこい一部の選ばれた人達が、世界をとても素敵で住みやすくしてくれる。
だけれど、そんな選ばれた人達なんていなかった。
それどころか世界中で戦争がはじまって。
訳が分からない生物兵器がたくさん使われて。
世界中がこんなになったそうだ。
それだけじゃない。
今では、もう国とか政府とか、どう動いているかも分からないらしい。
でんしゃのしゃしょうさんだって、どうやって探しているか分からないそうだ。
でんしゃをどううごかしているかも。
不思議とまだでんしゃは動いているけれど。
理由は分からない。
とにかく、何人か食べられているうちに、おおあほうどりからは逃げ切り。駅に逃げ込んだ。
間一髪だった。
回収車が。とてもおおきなムカデが、もの凄い勢いでレールの上を走っていくのが見えた。
駅ではどうしてか人を襲わない。
きっと、動かなくなったでんしゃを見つけたのだろう。
目がとても良いのだ。
呼吸を整えるけれど。
生き残った人は、あんまりいなかった。
わたしは着の身着のまま。
ほとんど何も持っていない。
住んでいた場所が。
すぐ近くまで、あの赤いのにせまられていたから。
でんしゃに乗って、まだ安全だという「都会」に来たのである。
都会といっても、まだましなだけ。
近くにおおあほうどりがとんでいるように。
安全なわけがなかった。
駅から出る。
さびついた大きな銃が彼方此方で空に向けられている。昔はこれでおおあほうどりを迎撃しようとしていたらしいけれど。
きかないとかいうことで、今はもう使っていないらしい。
線路の方を、何かおおきなのが行く。
電線やレールを張っていく「宝蜘蛛」だ。
回収車よりももっと大きい姿をしているけれど。回収車とは喧嘩しないらしい。
レールを巡回して、電線が切れていたら張っていく。
赤い奴らも回収車やこの宝蜘蛛にはかなわないらしくて。
レールの上を、宝蜘蛛は我が物顔に歩いている。
勿論宝蜘蛛は人間も襲うので。
逃げるのが遅れていたら、食べられてしまっただろう。
生物兵器が世界中に溢れてしまった今の世界では。
インフラを支えるのも、生物兵器が行っている。
噂には聞いたけれど。
そういうことだそうだ。
「都会」に出る。
人がちらほらいるけれど。
無気力に、すすけたビルの影に座り込んでいる人ばかりだ。
彼方此方に点々と、朽ちたくるまやバイクが乗り捨てられている。
どれもこれも酸の雨にやられたのだろう。
新しい奴は、中にガソリンが残っているから、危なくて近づけないけれど。
見た感じ、どれもこれも燃え尽きたり。
或いは朽ち果てていて。
近付いて爆発したら、運が悪かったと思って諦めるしかない。
基本的に誰かが住んでいるビルには、目印として、旗がぶら下がっていて。
これがちゃんとぶら下がっていない家は、入って良い事になっている。
酸の雨が降るから。
ビルに人がいなければ、すぐに旗は朽ちてしまう。
雨の日に旗を外に出していて。
旗が駄目になってしまっているようなビルは。
無人になっている、ということだ。
大きなビルは安全かというとそうでもなくて。
酸の雨に散々痛めつけられて、崩れてしまっていることが珍しくもない。
だから、小さなビルの方がまだ安全だ。
酷い話だと思うけれど。
それでもわたしは、死にたくないから必死にでんしゃに乗った。下調べまでして、住処を変えた。
そしてここに来たのである。
新しい街だ。
なまえは分からない。
標識が、むかしは車が行き交っていただろう道路にあるけれど。
酸の雨で錆びてしまっていて、何が書いてあるかさっぱり分からない。
だから、新しい街と勝手に呼ぶことにした。
近くで、壊れた音がなっている。
横断歩道というのから出る音だ。
道路をそのまま歩くのは自殺行為。
「バス」が通るからである。
正確には、バスを引いているのが危ない奴なのだけれど。
ともかく、横断歩道が青になっているのを確認して、渡らなければならない。
そうしないと、バスを引いているあいつに食べられてしまう。
凄く苦しい死に方をするらしいので。
出来れば避けたい所だった。
いいビルを見つけた。
旗も出ていない。
中を確認する。
入り口に、旗を入れる箱がある。これは昔、まだ何とか政府が動いていた頃、配られたものだそうだ。
今では勝手にそれぞれで使っている。
中を覗くと、朽ちた死体があったけれど。人を喰らう奴はいなさそうだ。
ほっとする。
死体を何とか片付ける。慣れっこの作業だ。
死臭がするけれど、人間を喰う奴らに襲われるよりはマシ。
わたしは新居を確保出来ていた。
1、あたらしい生活
着の身着のままで来たわたしは。
でんしゃで色々疲れきった体に鞭打って。
新居を確認する。
電気はだめ。
発電機はない。
水は、雨だより。
酸の雨を、飲めるようにする道具。それもない。
前の家にはあったけれど、街のすぐ側まであの赤いうごめくのが迫っていたのだから。放棄するしか無かった。
一人で持ち運ぶには重すぎるのだ。
だから、そればかりは仕方が無かった。
外に出て、旗を掲げる。
家の人は病気で死んだのだろうか。
それとも何も食べられたのだろうか。
死体は酷く崩れていたから、それは分からない。
ただ道路に死体を出しておくと、バスを引いているあいつが残さず食べてしまうので、それでいい。
ずっと昔に、死者を弔うという行為を人は止めた。
人が死にすぎて、それどころじゃなくなったのだ。
旗を出した後は。
必要な物資を集めなければならない。
本当に急いで街を出たのだ。
わたしの後に、街を何人が脱出できたかはわからない。
でんしゃにのるのはリスクが高すぎるし。
何よりも、自力で動ける人自体がすくないのだから。
もうみんな疲れきっている。
わたしはまだ動けるけれど。
動けない人はたくさんいた。
きっと近いうちに、あの赤い奴のエジキになってしまうか、それとも餓死してしまうのだろう。
こんな世界に誰がしたのだろうと思うこともあるけれど。
決まっている。
人間みんなが、こんな世界にしたのだ。
努力は止めようというスローガンが流れ始めて。
世界公正仮説を滅ぼそうという運動が始まって。
それを偉い人達が大まじめにやりはじめてから。
一気に世界はこうなったらしい。
前に教わっただけなので、くわしくは分からない。
いずれにしても、今の世界で人間はもう世界の支配者じゃない。
どれだけ生きているのかも分からないし。
他の人は基本的に競合相手ばかりだ。
歩き回りながら、旗が朽ちたばかりのビルを探す。
見つけたら、浄水器を探す。
いいのを見つけた。
中に入ると、浄水器もある。助かる。
ただ、一人で運べる大きさでは無いから、運ぶための道具も探す。
死体はない。
ということは、ここに住んでいた人は。
外出しているときに、何かしらの理由で死んだのだろう。
おおあほうどりに食われたのか。
それとも道路に出てしまって、バスを引くあいつに食われたのか。
それは分からない。
分からないけれど。生活は出来ていたのだ。
台車くらいはあると思いたい。
調べていると、地下に台車があった。
わたしは最近三日何も食べていないから、殆ど力が出ないけれど。
それでも、何とか水だけは確保しなければならない。
必死に四苦八苦して、台車に浄水器を乗せる。
後は台車ごと階段を下る。私がしたで。ゆっくり降りていく。
台車に浄水器をくくりつけたけれど。
わたしが足を踏み外したら一巻の終わりだ。
冷や汗が流れるけれど。
それでも、力が出なくて、何度も意識が飛びそうになる。
一階まで下りたが、それで力を使い果たしてしまって、壁により掛かってぐったりする。
しばらく、うごけなかった。
ぼんやりしているうちに、外をバスが通る。
「ばしゅがとおりましゅ。 ばしゅがとおりましゅ」
警告音が聞こえる。
あいつがならしているのだ。
あの声は何度もぞっとさせられた。
道路に出ると、人を食べて良いとあいつは考えている。横断歩道が青で無いときも、だ。
朽ちてしまっている横断歩道は、殆ど色が識別できない。
だけれどあいつは、そんな横断歩道の色が分かるらしくて。
ルールを破った人間を、容赦なく食い散らかしていく。
おっかないけれども。
そもそも人間だけではどうしようもない世界なのだ。
だから、我慢するしかない。
外に出ると、がらがら、がらがらと音がする。
ああ、まだこの街にはあるのかと思った。
「赤食い」だ。
外にいる赤い蠢く奴を掃除する殺し屋だ。
回収車や宝蜘蛛はあの赤い奴を相手にしないけれど。
この赤食いは、赤いのを積極的に襲って食べる。
でも赤いのは増えるのが早いので。
赤食いが一度に食べられる量には限界があるし。
結果として、どんどん街に近付いてくる。
赤食いは、人間を守る事には興味が無く。
赤いのを食べるだけなので。
最終的には街を捨てなければならない。
酷い場合は、赤食いがいない街もある。
この間までわたしが住んでいた街がそうだ。
そういう場所は。
もっと早く、赤いのに食い尽くされていくことになる。何故かレールや動いているでんしゃは大丈夫だけれど。
その辺りの理屈は分からない。
少し頭がはっきりしてきたので。
浄水器を、自分の新居に運ぶ。
同時に、朽ちた旗を降ろしておいた。
もう此処には誰もいない。
基本的に人間が少なすぎるので。
もう争う理由も意味もない。
道具の奪いあいは経験したことがない。
人なんて、もう奪い合うほどいないのだから。
家に戻る。
裸足になって久しいけれど。
それでもやっぱり、外を歩くのは緊張する。
都会でも、尖った石は落ちているし。
踏むのは致命的だからだ。
だからずっと下ばかり見ている事が多くなった。
ただでさえ酸の雨が降るし。
その酸の雨には、酸だけではなく毒も入っている。
だから、足の皮が傷つくのはまずい。
昔は靴を履いていたのだけれども。
それももうない。
靴屋を見つけられればいいのだけれど。
それはこの街の状態次第だ。
おおあほうどりに襲われないことを祈りながら、歩いて自宅に。
中に浄水器を運び込むと。
前の住人が使っていたらしいドレンを確認。
ドレンが詰まっていないことを確認するのに、丸一日かかった。
疲れ果ててしまったが。
これで、少しだけ命はつなげたことになる。
本当に少しだけだ。
悲しいけれど、それは分かっている。
多分人は滅ぶのだと思う。
だけれども、わたしはまだ死にたくないと考えている。
誰のせいといえばみんなのせい。
努力は無駄だと誰かが言い出した時点で、この世界は終わりが確定したのかも知れない。少なくとも、わたしに色々教えてくれた人はそう言っていた。
わたしは分からないから、ぼんやりと出来る事だけして過ごすだけだ。
水の在庫は無いだろうか。
住人が死んでいたから、かなり厳しいと思ったのだけれど。
一応あった。
水は腐っていないか。
大丈夫だ。なんとかなりそう。
水をぐびぐびと飲んで。
やっと一息つく。
その後は、何とか食べ物をさがさないといけないなと思って。
横になって、力を蓄えた。
夜になると、おおあほうどりは出なくなる。
危ないときは昼間でも出歩かなければならないけれど。
今は、何とか余裕がある。
そろそろ四日。
何も食べていない。
食べないと、死が見えてくる頃合いだ。
何か口に入れないといけない。
こんな荒廃した世界だけれども。
人間が食べられそうなものは一応ある。
例えば、街の外れにまで行けば、酷い臭いを放つ「工場」がある事がある。
この「工場」は、よく分からないけれど。
戦争をやっていた時代の遺産だそうで。
栄養を全部詰め込んだものを、そのまま垂れ流しているらしい。
当然虫とかが集っているけれど。
工場にある筒から出てくる食べ物「ブロック」は堅く。
出たばかりだと、地面に落ちても表面に集っている虫を払えば食べられる。
酸の雨が降って柔らかくなると、中にまで虫が入ってしまうので、流石に食べられなくなってしまう。
筒から出て来たブロックを直接受け取れればいいが。最悪落ちたのを、虫を払って持っていく事になる。
夜になると、流石にぽつぽつと人を見かけるが。
殆どがはだしだ。
これは靴屋は駄目だなと、わたしは諦めながら。黙々と歩く。
やまは、あるらしい。
これは戦争の頃、大きめの街には必ず作ったらしいので。
ここは間違いなく「都会」ということだ。
酷い臭いがしてきた。
間違いなくやまだ。
歩いて行くと、腐り果てて虫が大量に集っている崩れたブロックつまり「やま」と。
新しいブロックを次々に吐き出している筒があったので。
運が良かった、と思った。
並んでいるので、その後ろに並ぶ。
別に慌てなくても、すぐにブロックは出てくる。
やがて順番が来たので、ブロックを受け取る。
四日食べていないので、二つ受け取った。
かなり重いので、当分は大丈夫だろう。
家に持って帰る。
流石に筒から出たばかりのブロックは、虫を心配しなくても良い。
このブロックが何を材料にしているかは、知らない方が良いとか言われたので。考えないようにしている。
わたしに色々教えてくれた人は、ずっと前に死んでしまったし。
その教えを生かそうと頑張ってはいるけれど。
その教えを生かしてもなお、どうにもならないのが現実だった。
家についたので、ブロックにかじりつく。
がっつくと歯が折れてしまうので注意だ。
ゆっくり、唾で柔らかくしながら囓っていく。
おなかがすいて頭がくらくらするほどだけれども。このブロックは、一度柔らかくなると虫が集って囓るくらいにはなる。
だから、ゆっくり柔らかくしながら食べていく。
その間、確保している水を何度か飲むけれど。
少し古いと思った。
次の水が確保出来そうになったら、今の水は捨ててしまうか。
それがいい。
ブロックを一つ完食するまで時間が掛かったけれど。
終わった後は、だいぶからだが楽になった。
必要な栄養は全部入っているらしいので。
これで大丈夫だろう。
トイレを見に行く。
つまっていない。
有り難い事だ。
ただ流すほどの水を浄水器で利用はできないだろう。
排泄は外の排水路にするしかない。
昔は、豊富に水を使えて。
電気もあったから。
トイレは水洗を自動でやってくれたらしいけれど。
今はもう昔の話だ。
横になって眠る。
回復させるのだ。体を。
少しでも動けるようにならないと。
生存率が上がらない。
明日もブロックを取りに行こう。
そう思いながら、私は。
四日ぶりの食事が、全身に栄養を行き渡らせるのを感じていた。
それから、数日かけて、身の回りのものを集めていく。
爪切りがあったのは嬉しい。
爪を切って、多少すっきりした。
雨も降った。
浄水器を活用して、水を入れ替える。結構強めの雨だったので、たくさん水が手に入った。おかげで髪を洗うことも、体を拭くことも出来た。流石に一張羅を洗濯することはできなかったけど。裸で長時間いるのはリスクが高すぎる。
生き返る気分だ。
雨が上がったあとは、一日は外を歩かないのが基本。
酸が残っているから、足をやられてしまう。
そして毒も入っているから、高い確率で死ぬ。
死にたくないから、ブロックはたくさんもらって持ち帰っておいた。
これでしばらくは生きていける。
他にも、周囲の空き屋を漁って、余っているものを貰っていく。
たまに、同じ目的で動いているらしい他の人をみたけれど。
着の身着のまま、ボロボロなのは同じだ。
昔は男女でつがいになることもあったらしいけれど。
いつ頃からか、誰も子供を作らなくなり。
今の時代は、みんな「動くだけ」で精一杯という有様。
子供なんて見た事も無い。
余裕がなさすぎて、みんなそれどころじゃないのだ。
だから、基本的にすれ違う相手を、気にする事はなかった。
なんとなく、誰かが荒らしていると感じた家には近寄らない。
そうすることで、無駄な争いも避けられる。
争う余裕もないのだ今は。
だから、だれもがそうする。
背が比較的高い男ですらそうするのだ。
背があまりたかくない女のわたしも、それは同じだった。
ハサミを見つけたので。
伸び放題だった髪を切ってしまう。
後は髪を洗うやつ。シャンプーだったかなんだったかも見つけたので。
家で髪を洗って、だいぶすっきりした。
髪なんて伸びなくてもいいのに。
そう思うくらいである。
自宅で壁に寄りかかってぼんやりする。
生きる確率を上げるためには、夜に動く方が良い。
今やおおあほうどりは何処にでも出るし。
でんしゃやバスに乗っていても襲ってくる。
昔は人間のせいで滅び掛けていたらしいけれど。
その仕返しをするためなのか。
執拗に人間を狙いに来るからだ。
何をしても倒せないから。
基本的に誰もが迎撃は諦めた。
なお人間をバラバラにして喰うくせに、結構残していく。
それはやはり。食べる事が目的ではなくて。
おおあほうどりが人間を恨んでいるから、なのかも知れない。
雨の翌々日。
駅を見に行く。
勿論夜にだ。
最近は、夜はでんしゃが動いていない。
昔は真夜中でもでんしゃが動いていたらしいのだけれども。
そもそもしゃしょうさんを確保出来ないのだろう。
でんしゃを動かしている本部が何処にあるのかさえもわたしは知らないけれど。
噂によると、もっと都会の街だとか。
しゃしょうさんはそういう街のひとらしい。
いずれにしても、この街でも赤いのが近くまで来ているし。
ずっといるわけにはいかないだろう。
いずれ、更に都会に移らないといけないし。
その時には、またおおあほうどりや赤いのに怯えながら、でんしゃにのらなければならない。
もう、死んでしまって楽になれよ。
そんな声が、たまに幻聴となって聞こえてくることがある。
きっと、わたしは本音では、もうこんな生活いやなんだろう。
人類は滅びようとしている。
だけれども、わたしはまだ生きている。
眠るように死ねたら一番なんだけれど。
わたしが知る限り、赤いのに襲われても。
おおあほうどりに襲われても。
みんな死ぬまで、酷く苦しみながら悲鳴を上げていた。
バスを引くあいつに食われても、だ。
だから、食われて死ぬのはいやだな。
そういう気持ちしかない。
駅は下見した。
いちおう。更に都会にいくでんしゃはあるようだ。
ただ、でんしゃには持ち込み禁止。
これはそもそも、何か持ち込もうとしても無理だというのがある。
この街に来た時に乗ったでんしゃでも、あれだけボロボロだったのだ。
重い浄水器なんて持ち込めないし。
私物を持ち込むにしても、そんなポケットが色々ついた上等な服なんて、今時見つからない。
むかしは余った服は燃やして処分していたらしいけれど。
その一割でも残してくれていれば。
わたしはこんなボロボロの着た切り雀でなくて良かったのかも知れない。
でんしゃの時刻表はさび付いていて殆ど読めなかったけれど。
どうせ一日一本くれば良い方だ。
近くに潜んで、おおあほうどりをやりすごしながら待つ。
それに代わりは無い。
家に戻ると、水を飲む。
酸っぱい。
だけれども、のめるだけマシだ。
水がないと、人間は本当にあっというまに動けなくなる。
まず食べ物より水を優先しろ。
これはせんせいに教わった事だ。
だけれども、そのせんせいも。水を確保出来なくて弱って行ったっけ。
それに、だ。
そもそも、ここより都会にいくと。
人がたくさんいて、浄水器も水も食べ物も確保出来なくなるかも知れない。
そうなればぞっとする。
後の末路は、想像もしたくなかった。
人間同士で争うなんていやだし。
そもそも争っても勝ち目はない。
食べるべき時に食べないと、人は背が伸びないらしいのだが。
わたしはその例だ。
昔はおなかがもっとすいてもっとしんどかったのだけれど。
今は昔よりは、食べたいと思わなくなってきている。
それにブロック以外の食べ物は食べた事がない。
おいしいという言葉が昔はあったらしいが。
そんな味。
知らない。
横になって、少し考える。
この街を出る判断は、いつするか。
まだ赤い奴を始末する掃除屋赤食いは動いている。
ということは、まだ時間はあると言う事だ。
もう少し、周囲を見て回ってもいい。
ひょっとしたら、噂に聞く地下街とか。
或いは赤いのが防げる「しぇるたー」とかがあるかも知れないのだから。
2、夢は潰れる
何日も掛けて、街を歩く。
雨は比較的多い。
浄水器は大活躍。
まだ新しい浄水器らしくて。前に住んでいたビルにあった浄水器とは比べものにならないほど、しっかりした水を出してくれた。
多少酸っぱい水だけれど、それくらいはどうでもいい。
前に住んでいた場所の浄水器は壊れかけていて。
先にボロ布を入れて見ると、一瞬で溶けるなんて事がしょっちゅうだったから。
良かったと思いながら。水を有り難く使う。
昔はほとんど無尽蔵に水を使えたらしいけれど。
今は切り詰めて切り詰めて、やっとの状態だ。
地下への入り口を見つけたので、覗いてみるが。
入り口に壊された機関銃が散らばっていたので、嫌な予感しかしなかった。
だから、中に入ってみて。
潰されたバリケードや。
食い散らかされた人の死体……もはや残骸というべきか。
そういうものを見つけても、驚くことはなく。
ただ悲しかった。
奥まで見て回るけれど、何も無い。
どうやら金持ちが此処に逃げ込んだらしくて。
入り口をバリケードで塞いで、自分だけ助かろうとしたらしい。
でも、落ちているデカイはねから考えて。
おおあほうどりに狙い撃ちにされたのだろう。
あれが本気で攻めてきたら、人間なんかどうしようもない。
機関銃でも手も足も出ないのである。
それでは、手の打ちようが無い。
頭を振る。
わたしは地下を探して、物資を漁る。
同じ事を考えた人がいるかも知れないと思ったのだけれど。意外に此処に踏み行った人はいないようすで。
中には缶詰とか色々残っていた。
消費期限とか書かれているけど関係無い。
何回かに分けて運び出す。
此処に眠らせておくくらいなら。
きちんと活用した方が良いだろう。
夜明けが近付いているので、急いで家にしているビルに戻る。おおあほうどりが動き出す頃合いだ。
おおあほうどりが、遠くの空を舞っているのが見える。
そのおおあほうどりも無敵では無い。
赤いのが触手を凄い伸ばして、飛んでいるおおあほうどりを捕まえるのが見えてしまった。
勿論落下。
後はバラバラに引き裂かれてエサだ。
機関銃が効かない相手でも。
でんしゃをばらばらにする相手には、どうしようもない。
それが現実だ。
あの赤いのを作り出した爆弾。
ミサイルに載せられて飛んできたらしいのだけれど。
一体何が目的で、あんなのを飛ばしてきたのだろう。
世界中に赤いのは拡がっているらしいので。
多分世界中で互いに撃ち合ったのだろう。
だけれども、意図が分からない。
あんなのをばらまいたら、みんな死ぬ。
現に人間は此処まで追い詰められている。
何処か一杯まだ人がいて。
好き勝手をで来ている場所があるのだろうか。
だけれども、そうとはとても思えないのだ。
おそらく、あの赤いのは。
世界中何処にでも拡がっているのだから。
でんしゃをつかって、幾つもの街を見て来たけれど。
あの赤いのは、何処ででも脅威になっていた。
本当にどうして、あんなのをばらまいてしまったのか。
分からない。
分からないし、やはり考えたくない。
家に何とか缶詰とか色々運び込む。
他にも分からないものがたくさんあったので、それも運び込んでおく。
わたしがこの家を出ていった後。
誰かがこの家に住み始めたら。
その時に、ひょっとしたら使い路が分かるかも知れない。
缶詰は開けてしまう。
あんまり中身は美味しくないし。
そもそも何が入っているのかもよく分からなかったけれど。
貴重なブロック以外の食べ物だ。
ブロックばかり食べているから。色々と新鮮である。
生まれてこの方、ブロックしか食べた事がない人だって今は多い。
わたしも殆ど缶詰は食べた記憶がない。
こういうものがある事は知っていたし。
開け方は聞いていたから分かるけれど。
知らない人は知らないだろう。
また、雨が降り出した。
旗を雨が掛からない所に入れる。
流石のおおあほうどりもこう言うときは出てこない。
膝を抱えてぼんやりしている。
彼方此方雨漏りしているけれど。
雨漏りを体に浴びるとあまり良くない事になる。
だから、気を付けないといけない。
何かしら体をおかしくしたら。
もう元には戻れない可能性が高いのだから。
雨が止んだのは翌日。
かなり道路の状態もひどくなっていたけれど。
関係無しにバスは走っている。
バスを引いているあいつは、このくらい何ともないのだろう。
恐ろしいいきものだけれど。
ああいうのに頼らないと、もう人間は生きていけない。
だから、仕方が無い。
雨を蹴立てて、あいつが走っていくのが見える。
入り口近くから、ちょっと距離を開けて、二階との間にある階段に移る。
流石に飛んできた水を浴びて死ぬのは避けたい。
前に、入り口近くでぼんやりしていたら。
あいつが蹴立てた水をモロに喰らって、苦しみながら死んでいった人を見た事がある。
今はそういう世界なのだ。
だから、少しでも事故の可能性は減らさなければならない。
一日、待つ。
籠城できるだけの食事はある。
だから、それをたべながら。
水が乾くのを待つ。
昔は、こんなに水はけは良くなかったらしいのだけれど。
ここ最近の世界は、とても乾いているとか聞いている。
だから、雨が降ってもドンドン乾いていく。
せっかく浄水器で飲める水を蓄えても。
気を付けないと、あっと言う間に乾いて無くなってしまう。
夜になったので、外に出て。
食べ物を取りに行く。
缶詰があるからといって、すぐに消耗するのは良くない。
後の事を考えて、ブロックは補給するべきである。
並んで、ブロックを貰う。
昔は横入りというのがあったらしいけれど。
今は、列を乱す人もいない。
誰も、そんな気力もないのである。
そういうものだ。
「あー、うあー、あー」
誰かが呻いている。
頭が壊れてしまったのかも知れない。
こんな時代だ。
頭が壊れる人だって多い。
それは当たり前だろう。
それでもブロックをもらいに来ているのだ。
だけれど。
きっと、遠くない未来にこの街が赤いあいつに飲み込まれる時。
どうにも出来ないだろう。
声を上げているのは、もう何も服を着ていない裸のおじさんだ。
痩せこけていて、目の焦点もあっていなかった。
大きな声を出している訳では無い。
そんな声を出す元気もないのだ。
ちゃんと列には並んでいるから、別に誰も文句は言わない。
ブロックもちゃんと受け取っているようだった。
わたしは横目でその様子を見ながら、家に戻る。
何回か往復して、ブロックを蓄えておく。
夜の間に動けるようにするのは大事だ。
だけれども、いざという時は昼に動かなければならないし。
でんしゃが来るかどうかもきちんと確認しておかなければならない。
もうでんしゃが来るかは分からない。
あの赤いのは元気になる一方だからだ。赤食いも対処し切れていない。
でんしゃはいつまで動いているんだろう。
それも、分からなかった。
余裕が出来た。
いつも気だるいし、時々からだが重くて嫌になるけれど。
それでも、いつもより動ける気がする。
気を付けながら。駅に移動する。
街の何処におおあほうどりがひそんでいるか分からない。
あいつらは人間を如何に殺すかしか考えていない。
襲うのにリスクがあるバスを引くあいつがいるから。バスは襲われ「にくい」けれども。それでも襲いかかってくる事がある。
バスはバスで危ないから。
其所に逃げ込むわけにもいかない。
結果、わたしは。
誰も住んでいないビルの影を移動しながら。
昼間のうちに、駅に行くしか無かった。
駅に辿りついたときはほっとする。
いずれこの街も出る。
その時に、でんしゃが来ないのでは、話にならない。
歩いて行くなんて論外。
赤いあいつが、彼方此方にいる。
街の外は、みんな赤いあいつが占領しているといってもいい。
そんな状態では。
まだでんしゃにのっていった方が、生き残れる可能性がある。
軋む音。
懐かしい。でんしゃだ。
わたしのいた街の方から、でんしゃがきた。
前に見たのより、更にぼろぼろだ。
なんとか、そのまま無事にこの駅にはいれたのか。
誰かが降りてくるけれど、その数は多く無い。
二人か三人くらいだ。
途中でおおあほうどりに襲われなかったのだろうか。
それとも。
いずれにしても、生きている人がまだ向こうにいる、って事か。
何人かが乗り込む。
だけれども、でんしゃが出るやいなや、おおあほうどりがでんしゃに飛び乗った。
駅の中なのに大胆な奴だ。
宝蜘蛛がいた。
宝蜘蛛が、即座に飛びついて、おおあほうどりの首筋に牙を突き立てる。
その間に、でんしゃが出る。
おおあほうどりが、血まみれの嘴を振り回しているから、だれか殺されてしまったのだろうけれども。
それでも全滅はしなかったはずだ。
宝蜘蛛にしても、別にでんしゃを守ったわけでもないだろう。
ただ、おいしそうなエサがいた。
だからおおあほうどりに襲いかかったのだ。
バケモノが激しく争っていたけれど。
しばらくして、勝ったのは宝蜘蛛だった。
バリバリと凄まじい音を立てて、毒を入れ殺したおおあほうどりを食べ始める。
凄いにおいがしてきたので、わたしはその場を離れた。
レールの上を歩いていない限り襲ってこないとは言え。
宝蜘蛛に殺されると、悲惨な事は良く知っていたし。
出来れば近寄りたくは無かった。
はっきりわかったのは。
でんしゃはまだ来る、と言う事だ。
そうなってくると、いつこの街を離れるか、だけれども。
まだ、赤いあいつは街の側にも来ていない。
赤いあいつを殺す赤食いも、毎朝出かけていくのを見る。
まだ、当分は大丈夫。
だけれども、ぎりぎりになったら遅い。
いつも計画的に動け。
そう、言われてわたしはそだった。
行きと同じ道で帰るけれど。
途中で、おぞましい音を立ててバスが通って行った。
バスを引いているあいつは、よだれを垂れ流しながら、足を動かして、バスをひいていく。
昔は自力で走れていたらしいバスも。
今は引いて貰えないと動けない。
わたしは、あいつに出来るだけ近寄りたくないので。
四苦八苦して、避けながら家路につく。
おおあほうどりも危ないから。
本当に気が気じゃない。
それに乾きやすいと言っても。
水たまりが時々残っている。
踏み込みでもしたら、足を失う覚悟をしなければならない。
何とか、家に辿りつく。
誰かが悪戯をした様子も無い。
さいわい、今は何もかも余っている。
だから奪う必要はない。
余っているのは、豊かではなくて。
もう人間が殆どいないから、だけれども。
ブロックを水でふやかして、それで食べる。
栄養はあるというのだから、それでいい。
黙々とブロックを囓っていると。
おおあほうどりが、飛んで行くのが見えた。
珍しく何羽も飛んでいる。
なんだろう。
そう思っていると、ああ、なるほどと思った。
おおあほうどりは殆ど無敵の空の王者だけれども。
それをも超えるのがいるのだ。
空を飛んで行くのは、もっともっと大きい鳥。
雑多な姿をしているおおあほうどりを、それはゆっくり確実に追い詰めていく。
翼を広げると、わたしがひそんでいるビルなんて包んでしまうだろう大きさのそれは。
理由は分からないけれど、ズーと呼ばれていた。
ズーは頭がなくて。
代わりに其所に大きな口があって。
其所から触手を伸ばして。おおあほうどりを捕まえる。
口は円形になっていて。
鋭い牙がたくさん生えていて。
口元まで引き寄せられると、流石のおおあほうどりもどうにもならず、ばりばりと食べられてしまう。
下の方から見ると、たくさんの足が生えていて。
ズーはとても恐ろしい。
ぎゃあぎゃあと悲鳴を上げるおおあほうどりを、さっそく一羽捕まえたらしい。
そのまま食べているのが見えた。
空中で食べつつ、更に次を追っていく。
食べている途中に落ちてきたおおあほうどりの残骸が、地面に落ちる。
足の辺りだったけれど。
その足は、どうしてか人間のものにそっくりだった。
ただ非常に巨大だ。
足がしばらくうねうね動いていたけれど。
やがてその足を内側から突き破って、たくさんの虫が出て来た。
おおあほうどりの中に住んでいた虫たちだ。
虫たちは、もうおおあほうどりが終わりだと知ったのだろう。
そのまま、おおあほうどりの足をバリバリと食べて行き。
やがて骨も無くなると。
排水溝に飛び込んで、消えていった。
酸も平気なのかも知れない。
おっかない虫たちだなあとわたしは思った。
息をひそめて隠れていたけれど。
やがて、顔を出す。
何羽かズーにやられたようで。
血痕が、彼方此方に残っていた。
みんな、内側から出て来た虫に食べ尽くされてしまったのだろう。
怖い世界だ。
あんなおっかないおおあほうどりでも。
体の中にはたくさん虫がいて。
おおあほうどりが死んでしまえば、用済みとばかりに体を食べてしまうのだから。
そしてそんなおおあほうどりには、機関銃も爆弾も効かない。
人間は、恐ろしすぎる相手が殺し合うのを、見ている事しかできないのだ。
それにしても、間にあってよかった。
ズーは大きすぎるからか、人間には興味を見せないけれど。
それでも、でんしゃは襲うかも知れない。
逃げてきたおおあほうどりが、錯乱して襲ってくるかも知れない。
おおあほうどりが死んだ事を喜ぶ余裕なんてない。
自分が生き延びたことを喜ぶ事しかできない。
わたし達人間は。
今や、そこまで弱い生き物になっているのだ。
そして取り返しもつかない。
誰がこんな世界にしたのか。
それは、みんなだ。
人間みんながこんな世界にした。
だから、恨む事も出来なかった。
駅への道は分かった。
だからもう大丈夫。
小さくあくびをすると、奥に引っ込んで、膝を抱えて眠る。
昼のうちに動いたから、酷く体がだるい。
眠っておかないと、倒れるかも知れない。
今のうちに少しでも回復しておかないと。
そのうち動けなくなる。
動けなくなると、しぬ。
当たり前の話だ。
今は誰にもかまっている余裕なんてないのだから。
ちいちい、ぎいぎい。
なんか嫌な音を立てて、虫が這っていった。
虫といっても、わたしたちと同じくらい大きい。そいつは、道路に出て。
バスを引くあいつが、一口に咥え、かみ砕いた。
体液が辺りに飛び散って、すごく嫌な音がした。
わたしはぼんやりと。
ああしんだんだなと、それだけ考える事しか出来なかった。
3、兆候
咳が出る。
よくないなあと思う。
だけれども、咳はまえから時々でた。
風が吹いていると、咳が出る。
これは、前から同じだ。
理由は恐らくだけれど。
赤いあいつがばらまいている毒のせい。
いや、元から毒があって。
赤いあいつが住み着いていられる場所があるのかも知れない。
でも、どっちにしても関係無い。
風が吹いているから。
わたしが弱る。
その事実だけが大事だ。
風が入らない場所に移動する。
だけれども、外はいつでも見られるようにしておかないと。
家におおあほうどりが襲いかかってくるかも知れない。
おおあほうどりを殺す手段は無いし。
何よりとても奴はすばしっこい。
もしも襲われたら逃げられないけれども。
それでも、逃げられるわずかな可能性はあげておきたい。
咳き込みながら、水を飲む。
酸っぱいなあと思う。
そして、膝を見て愕然とした。
いつの間にか、青い痣が出来ていた。
腕の方も何カ所か。
コレは恐らくだけれども。
わたしの体が、何かしら良くない状態になっている、と考えた方が良いはずだ。
だけれども、どうにもならない。
ブロック以外の食事はないし。
ブロックには栄養が全部入っている。
立ち上がろうとして、また激しく咳き込む。
モロに、風に乗って飛んできた毒を吸ってしまったらしい。
呼吸を整える。
深呼吸は厳禁だ。
また水を少しずつ飲んでいく。できるだけ呼吸の回数を抑えながら、伏せる。
前に聞かされたのだ。
風に乗って飛んでくる毒は軽いのだと。
だから伏せていれば、少しはましになると。
横になってしまうと、周囲が把握できなくなる。
だから、伏せて、周りを伺う。
何度か咳が出た。
家の前を、バスが通って行く。
バスには虚ろな顔をした人が何人か乗っていたが。
かまっている余裕なんてなかった。
一日、横になって。
少しずつブロックを水に浸して食べる。
咳は収まらず。
翌日になっても、咳は出続けた。
毒の影響だ。
排水溝でおしっこをすると。
凄い色だった。
血が混じっているのかも知れない。
これは、まずい。
わたしのからだは、保たない状態になっているのかも知れない。今の毒だけではないだろう。
きっと、寿命が近付いているのだ。
今の時代、寿命なんていつきてもおかしくない。
病気になる。
それはすなわち、寿命なのだ。
むかしは風邪を引いたくらいだと、すぐに治せたらしいのだけれども。
今は風邪なんか引いたら。即座に終わりだ。
咳が止まらない。
ブロックを少しずつ食べながら、頑張る。
もしも病気だったら。
もう助からないだろう。
ただ体が弱っているだけなら。
或いは何とかなるかも知れない。
そう思って、何日か耐える。
途中、熱が出たらしい。
体の彼方此方も痛い。
それでも、何とかする。
多めにブロックを集めておいてよかった。水で柔らかくしながら食べる。栄養を体に入れていく。
それで治るのを待つ。
ぼんやりしていると、おおあほうどりが飛んでいるのが見えた。
エサを探しているのだろう。
でんしゃを追って此処まで来たのかも知れない。
あっちいけ。
呟くけれど。
ゆっくり我が物顔に飛んでいるばかりで。
去る様子も無い。
古びた機関銃を思い出す。
機関銃を使っている所は見たことがある。
正確には何かむずかしい名前があるらしいのだけれども。
わたしは覚えられなかった。
凄い勢いで火を噴いて、弾が出て。
狙ったものを粉々にしていた。
そんな機関銃でも。
もう今の時代は、人間や虫を殺す事くらいにしか役に立たないのである。
だから、拾ってこなかった。
重いし使いこなせないからだ。
おおあほうどりはやがて行った。
或いは、だけれど。
わたしの死の臭いをかぎ取ったのだろうか。
ぐっと手を握りしめるけれど。
力が入らなくて。
何だか凄く悲しくなった。
この街は、前よりましだ。
前はもっと赤いあいつの脅威が間近で。
追い立てられるようにして、街から逃げ出したのだ。
でんしゃに乗ったのも、それが故だ。
でんしゃなんて、恐ろしくて普段だったら絶対乗りたくないのだけれども。それでも乗ったのは、死にたくないから。
だけれども、このからだの様子では。
でんしゃにのろうがのるまいが。
結局同じだったかも知れない。
或いは、駅の近くに住処を移そうかと思ったけれど。
まず元気にならないといけない。
そうしなければ、動くどころじゃない。
ぼんやりとしているうちに、また一日が過ぎる。
頭にゆっくり手をやるけれど。
熱が出ている。
咳もずっと続いている。
それどころじゃない。
体に出来ている擦り傷が、どれもこれも治る気配がない。
せっかく髪を洗って。
体を拭くことが出来たのに。
それも台無しだなと思って、熱で働かない頭の中で、ぼんやりと悔しさを感じた。
何度か深呼吸。
毒はもう追加で入っていないみたいだけれども。
それでも、厳しい状態だった。
何日かして。
ブロックがつきた。
不衛生にすると死が近付く。
そう言われたことを思いだし。排泄はきちんとしにいく。
だけれども、そもそもこれでは、死が近付くどころか。
もう死は間近なのかも知れない。
缶詰を開ける。
ブロック以上にまずい。
何より缶詰を開けるのに、本当に苦労した。
何とか食べる。
水はあるので、それだけは救いだけれども。
古くなっているのか、美味しいとは全く感じなかった。
必死に這いずって、食べ終えた缶詰は一箇所に積んでおく。
一度水で洗っておくと良い。
そうすると小さな虫が湧かなくなる。
それも教わったな。
教えてくれた人は、もう名前も覚えていない。
簡単に死んでしまったからだ。
この世界では命はとても安い。
誰も彼もすぐに死ぬ。
昔は、「じゃくにくきょうしょく」の世界が正しいとか、好き勝手を言う人がいたらしいけれど。
そんな人が、この世界を造ったのかも知れない。
確かにじゃくにくきょうしょくだ。
じゃくにくきょうしょくの世界が良いとか言っていた人は、自分が食べられる側に廻るなんて、思いもしなかったのだろう。
人間で一番強い人だって、おおあほうどりには手も足も出ない。
それが現実だ。
まさにじゃくにくきょうしょく。
もしも、こう言う世界を願った人がいるのなら。
それは責任を取ってほしいなと、熱に浮かされながらわたしは思う。
横になったまま。しばらく過ごすが。
そろそろ限界だ。
もう、やるしかない。
夜を待つ。
雨が降ったのは数日前。
外は大丈夫の筈だ。
立ち上がると、外に出る。台車を引いていったのは、ブロックを何度も持ち帰る自信がなかったからだ。
世界が歪んで見える。
それでもいかなければならない。
足の裏がなんかざらざらする。
ふわふわ体が浮くように感じる。
横になっていなければいけない事は分かるのだけれども。
このままだと、水も飲めなくなり。
栄養もなくなって。
わたしは死ぬ。
それは、いやだ。
だからあがく。
簡単な理屈だ。
わたしは死にたくない。
それだけなのだ。
黙々と行く。
やがて工場について、驚いた。
誰もいない。
普段、行列が出来ているのに。
ブロックを排出する筒の下には、虫が集ったブロックがたくさん積み上がっている。それで、気付く。
ひょっとして、街中の人間が、わたしみたいになっているのではないのだろうか。
いや、もしかすると。
もう、わたししか生きていないのかも知れない。
ブロックを受け取る。
兎に角重かった。
台車に乗せる。
たくさん乗せる。
多分一度だと運びきれないし、運びきれなければ死ぬと思う。
だから、家に戻って、何とか動けるところまで体を回復させたいけれど。
これはどうしようもないと思う。
ブロックを積めるだけ積む。
凄い臭いがして、その場で失神しそうだ。
雨でふやけたブロックを、たくさんの虫たちが貪り喰っていて。腐ったブロックや虫の死骸で、頭がおかしくなりそうな臭いになっているのだ。
台車を動かして、家に戻る。
旗が出ている家をちらりと覗くけれど。
ああ。
やはり死んでいるのが見えた。
旗が朽ちている家もある。
つまり随分前に死んでしまった、と言う事なのだろう。
新しく街に来た人がいるはずだけれども。
それもブロックを取りに来ていない様子からして。
恐らくだけれども、新しくでんしゃで来た人も、ブロックが何処で出ているかたどり着けていないのか。
それともみんな死んでいる様子を見て、すぐに逃げていったのだろう。
嗚呼。
なんということか。
全てが終わろうとしている。
だけれど、死にたくない。
必死に台車を押して、家に。
家に辿りついたときには。
心底ほっとした。
倒れ込むようにして、家の中に入る。
バスはまだ動いているけれど。
そういえば、バスの中に人影がない。
これ、ひょっとして「でんせんびょう」か。
風に吹かれてやってきた毒かと思っていたのだけれど。
もしも違うのだとしたら。
きっともう駄目だ。
それでもあがいてやる。
ブロックを水につけて、囓る。
熱っぽくて、ひたすら苦しい。とにかく栄養を腹にいれなければならない。栄養がないと駄目なのだ。
わたしは、死にたくない。
何で死にたくないのかはよく分からないけれど。
とにかく死にたくない。
死にたくないと思うのは、悪い事なのだろうか。
わたしが生きていると言う事で、何かあるというようなことはない。
人間が子孫を残さなくなって、随分経つときく。
わたしも例外じゃない。
こどもをうめるわけでもないし。
つくれるわけでもない。
だけれども、だから死ぬべきだと言うのだろうか。
わたしにはそうは思えない。
生きたいと思って、生きて何が悪いのだろう。
力が入らない手で、手を伸ばす。
水を飲む。
酸っぱい。
まずい。
だけれども、少しだけ力が戻る気がする。
熱が酷いのが分かる。
多分これは助からないという冷静な気持ちと。
出来るだけ楽に死にたいなと言う気持ち。
そして、絶対に死んでたまるかという気持ちが。
混ざり合ってぐちゃぐちゃになっていた。
いつの間にか、眠っていた。
見上げると、おおあほうどりが飛んでいるけれど。
街の方に注意を払っている様子は無い。
あれは、ひょっとしてだけれども。
もう街には、誰も生きていないというのが分かっているのかも知れない。
あいつは動物だ。
動物は人間よりも鋭い。
だから、分かるのだろう。
赤い奴を殺しに行く赤食いが、街を出て行くのが見えた。かなりボロボロだけれども。それでも、ぼんやりしているうちに戻って来た。
多分たくさん殺してきたのだろう。
赤食いは仕事熱心だ。ぼろぼろになっても回復して。
そしてまた殺しに行く。
殺すだけが目的の存在。
でも、そんなものが正しいのだろうか。
いずれにしても、あれは世界が滅茶苦茶になってから産み出された生き物だとか聞いている。
本当だとすると。
何だか、救えないなと思った。
熱が酷いままだ。
何とかブロックを口に入れて、飲み下す。食欲はないけれど、耐えなければならない。そうしなければ、死ぬ。この街の、恐らく他の人達全部のように。
わたしは何度か吐き気を覚えたけれど。
今吐いたら、多分栄養が全部出て行ってしまう。
だから必死に耐える。
ぐっと丸まって、ただ耐える。
いつの間にか、意識が飛んでいて。
朝になっていた。
少し眠っている位置をずらす。
頭が朦朧としていて気付かなかったけれど、此処はおおあほうどりの嘴が届くかも知れない場所だ。
八つ裂きにされたくない。
這いずるだけで、膨大な努力が必要になる。
必死に物陰に隠れて。其所で横になるが。
床を這ったことで更に手足に傷が増えた。
血が出ているが。
止まる気配もない。
涙が流れてくる。
頭が朦朧としているからか。
それとも、もうからだが根本的に駄目になっているからか。
水を口にする。
すっぱい。
外で雨が降り出している。
雨漏りが酷くて。体のすぐ側に危険なままの水が流れていたけれど。
もう、動く余裕も無かった。
幼い頃は、まだ人間同士で会話している光景が見られた。
そんな事をふと思う。
でも今は。
もう、そんなものはどこにも見られなくなった。
現に今だって、わたしはこうして一人で死に行こうとしている。
必死に抗っているけれど。
それでも、どうにもならない。
わたしは死ぬ。
恐らくそれは確定だろう。
だけれど、それまではあがきたいなあ。
熱っぽい頭で考える。
手足の感覚がなくなってきている。
雨が降っているからだろうか。
とても寒い。
他の人も、こんな風に苦しみぬいて死んで行ったのだろうか。
みんながよってたかって世界をこんな風にしたのだとすると。
わたしはわたしの先祖全てを恨む。
誰も彼も幸せになれなかった。
それが確実なのだから。
ぼんやりとしていると、また意識が戻っていた。
全身ぐっしょり汗を掻いている。
ただでさえ汚い一張羅なのに。
それがまた酷く臭うようになるだろうなと、ぼんやり思う。
洗濯なんて滅多に出来なかったし。
今だってそんな事する余裕は無い。
横になっている目の前を、虫がかさかさ歩いて行った。
とても大きくて、拳大くらいはあった。
わたしには噛みついては来なかったけれど。
そういえばここ数日で、虫が増えている気がする。
必死にブロックを水で柔らかくして食べようと、半身を起こすけれど。
それだけで、どれほど苦労した事か。
体が変に軽い。
もう何となく分かるのだけれど。
全身がもの凄く熱くて。
その一方で、何の感覚もない。
手足は傷だらけで血も出ていて。傷口も塞がる様子もないのに。
痛くも痒くもない。
今も、虫を無意識の内に踏みつぶしていたけれど。
足の裏には感覚が無くて。
ぐちゃりという音を聞いて。
緩慢に振り向いて。大きな虫が潰れているのに気付いていたのだった。
額の汗を乱暴に拭う。
傷に汗が染みそうだけれども。
そんな事もなかった。
いや、染みているはずだけれども。
痛くないのだ。
痛みというのは、体のダメージを伝えてくる機能だと聞いている。そうなると、わたしの体はもう死んでいるのかも知れない。
水でブロックを柔らかくして、食べる。
食べているとき、ブロックに血がついているのが分かった。
多分歯茎から血が出ている。
それでいて、食欲ももうなんだか分からない。
むしゃむしゃ食べているうちに。
なんだかどうでもよくなって、二つ目、三つ目とブロックを柔らかくして口に入れていた。
普通、一個も食べれば満腹になるのに。
そんなに食べて吐き戻す事もない。
一体何がおかしいのか、よく分からない。
昔だったらお医者さんがいたのかも知れないけれど。
努力が禁止されて、学校が全部廃止された後くらいから、お医者さんもいなくなっていった。
優秀だったら、何もせずにお医者さんになれるはず。
そもそも、今までは無理矢理医者をやらせていたのだ。
そんな風に、元々いるお医者さんをみんなやめさせて。
優秀な人がお医者さんになれるようにしたとか聞いている。
だけれども、誰もお医者さんにはなれなかった。
なれた人もいたらしいけれど。
そんなのは本当に少しだけだったそうだ。
かくしてみんな。
病気になったら死ぬだけになった。
そしてそれは自然の摂理だから正しいとか言う話になった。
狂っている世界は。
もう何もかもが壊れる前から。
狂っていたのかも知れない。
これらの話は、わたしがもっと小さいときに聞かされた話。
多分、誰かに何かを教わった最後の世代であるわたしも。
今、死のうとしている。
いや、わたしはそもそも、それ以前に一番若い世代だとおもう。
理由は分からないけれど。
人間は子供を作らなくなった。
川で繁殖して街を襲いに来る赤い奴だけじゃない。いろんなのがばらまかれた戦争で、人間は激減したけれど。
その時くらいから、だそうだ。
わたしに色々教えてくれた人は。
人間から欲求を奪う。例えば子供を作りたくなくなる兵器を誰かが使ったのかも知れないと言っていたけれど。
どんどん減っていく人間を見ていると。
それもあり得るのかも知れない。
食事を終える。
横になる。
水もがぶがぶ飲んだ。
浄水器はずっと動いてくれているけれど。
かなり水は減ってしまった。
わたしはよこになると。
もう、左手がほとんど動かせない事に気付いた。
でも、それでも最後まであがいてやる。
そうきめたのだ。
考えよう。
思い出そう。
少しでも、人間としてあろう。
死ぬその瞬間まで。
努力は全ての悪だ。
優れた人間は努力なんてしなくても何でも出来るはずだ。
公平世界説何てのは大嘘で、凡人は何をやっても無駄だ。
そんな理屈が世界の普通になった時点で、人類は終わった。
わたしにものを教えてくれた人は、そう嘆いていたけれど。
今なら、この全てが終わった世界で。
その本当の意味が分かる気がする。
昔から、人間はどうしようもない生き物だったらしいけれど。
わたしは、そのどうしようもない部分全ての結末を。
今、見ているのかも知れなかった。
それにしても、どうしてあんなに食べたのだろう。それに、食べた分はどうなっているのだろう。
しばらくすると、猛烈な眠気が襲ってきて。
わたしは、意識を失っていた。
気がつくと。何かがりがりと音がする。
わたしの動かなくなった左手を、大きな虫が囓っていた。
街の外にいるような、人間を貪り喰うような虫じゃ無いけれど。
それでもかなり大きい。
私は右手で、無造作にそれを握りつぶしていた。
甲虫だから堅い。それに拳大もあったのに。
虫はぐしゃりと潰れて。
体液と中身を、盛大に周りにぶちまけていた。
左手がかなりけずられちゃったなあ。
そんな風にわたしは思う。
体そのものは、随分と楽になっていた。熱っぽくもない。立ち上がると、ぼんやりとしたまま、わたしは外に出る。何となく、外に出たくなった。
まだ外は明るい。
おおあほうどりが飛んでいる。
でも、わたしはぼんやりそれを見ているだけ。
おおあほうどりも、わたしに襲いかかってこなかった。
人は誰もいない。
この街は死んだんだ。
それは嫌と言うほど分かった。
だから、無言でただ歩く。
ひたすら歩いて、ブロックが生産されている場所まで行く。
相変わらず虫だらけで酷い有様だったけれど。
わたしはそれを手で無造作に払いのけて、邪魔な腐ったブロックと虫を、全部避けていた。
あれ。
なんだか随分力が強くなった気がする。
同時に、凄く体が軽い事にも気付いた。
虫もわたしに威嚇さえしない。
ただ、わたしが来ると、逃げ散った。
生産されているブロックが筒から出て来ているので、それを手にとる。
あれ。
そういえば、辺り中水浸しじゃ無いか。
わたしはこんな所で素足でいて、大丈夫なのか。
足は。
見下ろすと、平気だ。
すぐにどろどろに溶けてしまう筈の水に。それも水たまりに浸かっているのに、全然大丈夫だ。
ブロックも、水に浸す必要がない。
そのまま、がりがりと食べ始める。
普通だったら、歯が砕ける。
それだけじゃない。
歯茎から血だって出ていた。
歯がおかしくなっているのは感じていたから。
多分、自殺行為だった筈だ。
それなのに、囓る度にブロックが柔らかいと感じてしまう。
しばし無言でブロックを囓った後。
ふらふらと、駅に向かった。
途中で、バスを見た。
バスを引いている奴が死んでる。
なんでかは分からない。
寿命かも知れない。
あれだけ凶暴でも、寿命があるとか言う話は聞く。
それで死ぬと、体の中にいる小さな子供がたくさん出てきて。
親を喰らって成長して。
今度はそれがバスを引くのだとか。
そういえば、今がりがりと音を立てて、小さいのがたくさんバスの周囲にいて。死んだ親を囓っている。
でも、わたしに襲いかかる様子はない。
何だろう。
わたし、人間ではなくなったのだろうか。
そうかも知れない。
或いは、死ぬ間際にみている夢だろうか。
その割りには、嫌にリアルだった。
駅に向かう。
でんしゃにのろう。
そう思った。
でんしゃといっても、都会に行く奴じゃない。昔いた街に向かう奴だ。おおあほうどりは襲ってこないのだ。
だから別に問題も無いだろう。
歩いていて気付く。
わたしは、こんなに歩くのが速かったか。
足は滅茶苦茶。
左手は動かない。
どうしてこんなに素早く動ける。
どうしてだろう。
左手も、なんだか熱くて。
動かないのに。
見ると、びくりびくりと、普段とは違う動きをしていた。
駅に着くと、でんしゃがくる。
錆びていて。
凄い軋みを挙げながら、こっちに来た。
しゃしょうさんは乗っているけれど、頭が半分なくなっていて。その分が機械になっているようだった。
誰も降りてこない。
この先が危ないって、知っているのかも知れない。
前はまだ、此方に来る人はいた。
だけれども、もう。
或いは、都会にも人がいないのかも知れない。
でんしゃに乗る。
中身はすっからかん。
ドアも窓もないでんしゃが動き出す。
行く先には、赤い海のような光景。
赤食いが殺す速度を上回って、赤い奴がどんどん増えていると言う事だ。
鉄橋を渡る。
赤い奴が、何故かでんしゃをよけた。
わたしは、まどからぼんやりと外を見ていて気付く。
揺れが激しいのに。
なんでか知らないけれど、わたしはゆれない。
鉄橋を抜けても、赤いのが一杯いる。
でも、そいつらもでんしゃを避けた。
どうしてだろう。
しゃしょうさんが、壊れた声を上げた。
「つぎのえきにツキまス。 降りるトきはお気をつけクださい」
レールは時々壊れているけれど。
それも、無理矢理でんしゃは押し通って行く。
ほどなく、真っ赤な街が見えてきた。
ああ、わたしが離れた後に。
赤い奴に食い尽くされたんだな。
それを悟った。
でも、今更どうとも思わなかった。
駅でおりる。
赤い奴が、何もかもを食い尽くして。街は完全に真っ赤になっていた。
ビルも道も。
バスも。
バスを引いている奴も。
何もかも、赤い奴が喰らってしまっているようで。街全てが赤くなっていた。
でんしゃがいく。
無言で、わたしはそれを見送る。
赤い奴は、どうしてかわたしがいるところにはよってこない。
わたしがまずそうだからだろうか。
酷い臭いの服を着ているからだろうか。
まあ、それもどうでもいい。
でんしゃを見送る。
もっとこの先は赤いようだけれど。
しゃしょうさんは、ケタケタ笑っていて。それが此処まで何故か聞こえるのだった。
4、何もかもの末路
わたしは自分の家があった所に歩いて行った。
そこはもう、なにもなかった。
ビルごと赤い奴が喰らったのは間違いなかった。
完全に更地になっていた。
こんなものをばらまいて、何をするつもりだったのだろう。
何も考えること無く、わたしは歩く。
この街にも、ブロックを作る工場はあった。
其所に出向いてみた。
そこは、更地になっていなくて。
わたしが歩いて行くと避ける赤い奴は。
其所だけは、壊さないようだった。
赤い奴は何だ。
何が目的なんだ。
ただ増えて喰らって殺すだけだと思っていたのだけれど。
違うのか。
ブロックを作り出す機構はまだ生きていた。
ぼんやり立ち尽くしていると、気付く。
赤い奴が、周囲で触手を蠢かせている。
そして、一斉に。
わたしを喰らうようにして、襲いかかってきた。
勿論、逃げる余裕なんて無かった。
わたしはぼんやりとしていた。
赤い奴に取り込まれたというのは何となく理解出来たけれど。
だけれど、どうしたらなんで意識があるのだろう。
体の感覚はもう一つも無い。
だけれども。
何となく分かってきた。
赤い奴は。
全部で一つ。
体は増えるのでは無くて。
大きくなっている。
無茶苦茶になった世界を一度更地にして。
そして完全に更地になった場所からは去る。
いろんな知識がほしい。
なぜなら。
赤い奴は、世界を更地にするだけではなくて。
人間が無茶苦茶にした世界を、綺麗にするために生まれてきた存在なのだから。
わたしは見る。
赤い奴の目を通して。
人間とは違うけれど。
見る事が出来る。
赤い奴が去った川。
綺麗だ。
酸の水なんて流れていない。
赤い奴で埋め尽くされた場所。
昔は海と言われていたらしい。
その一部は、澄んだ水が渦巻いていた。とんでも無い量の水だ。川なんて比べものにもならない。
そうか。
赤い奴は。貪欲に、新しいものがほしかったのか。
全てを浄化するために。
わたしは、あの街で一人生き残った。
みんな死んだ。
多分病気だったのだろう。
その病気を克服した。
だから、赤い奴はわたしを見て、殺さなかった。
何故なら、わたしの情報が欲しかったからだ。
それで観察を続けて。
観察が終わったところで、取り込んだのだろう。
もうわたしは赤い奴に溶けた。
人間ではなくなったのだ。
だけれども、それはそれでいいと思う。わたしはもう、飢えに苦しむ事もないし。汚い一張羅で歩くこともない。
おおあほうどりに怯えることも無ければ。
理不尽に挽き潰されることもない。
安全だ。
それだけは確かだった。
ただ、この世界全て。汚染されつくしたこの世界そのものを全て浄化したら、わたしの役割は終わる。
その時は、星に帰る。
そうか。
赤い奴は、爆弾によってばらまかれたのでは無かった。
この星が。
あまりにも目に余る人間を排除するために産み出したのか。
爆弾は、爆発的に拡がる赤い奴を殺すために使われたのだろう。
だけれど無駄だった。
それはそうだろう。
赤い奴にとっては、汚染は全て爆発的に増えるためのエサだったし。
全てで一つだから。ちょっとやそっと削られても、何でも無かったのだ。
わたしの意識は溶けていく。
あの病気から生き延びたわたしは、少しだけ人間を止めていたみたいだ。
でも、それはほんの少しだけ。
病気のデータだけ、赤い奴は必要とした。
もう、どうでもいい。
わたしは溶けて消えて無くなるが。
それでも、わたしが必死に生きようとして。
それで得たものは無駄にならないのだから。
それに、わたしは。
あの病気を克服した時点で死んでいた。
最後の力を振り絞って、帰巣本能に従って動いていただけだったのだ。
もう、まずいブロックも食べなくていい。
酸っぱい水も。飲まなくていい。
そう思うと、わたしの意識は。
溶けていきながら、歓喜に満ちていた。
(続)
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