カグツチの脈動

 

序、緩やかなる膠着

 

砂漠で、ヨスガ軍とニヒロ機構軍が向かい合って、しばしの時が経つ。守護の光臨によって士気を取り戻したニヒロ機構軍と、大きな損害を受けながらも体勢を立て直したヨスガ軍は実力伯仲で、互いに仕掛ける隙を見つけられず、にらみ合いが続いていたのである。双方の損害は鰻登りであり、蓄えてきたマガツヒを使い切りそうな勢いであったが、未だ両者の戦意は衰えていない。

腕組みしたまま、前線を睨んでいるのは鬼神トール。連日の戦いで、敵将カエデの心胆を寒からしめ、サマエルと五分に戦い、今また鉄壁の肉体を誇示するように、全軍の先頭に立って開戦の合図を待っている。

戦いで消耗したバアルが、補給物資を待っているのも、戦闘が続行されない要因の一つである。ニヒロ機構側も再編成に躍起になっているのがトールからは見て取れる。戦いを仕掛ければ、双方共倒れになる。そうなれば、裏でこそこそ動き回っているムスビだけが有利になる。

それだけは避けたい。そうバアルが考えるのも、無理からぬ話であった。

「トール将軍」

「何だ」

「は。 それが、カグツチの件について、西王母様より、重大な報告があると言うことです」

魔術的な話は、トールにはほとんど専門外だ。退屈でなければ良いのだがと思いつつ、前線を後にする。ここのところ、あまりに楽しい戦いばかりで、拳が疼いて仕方がない。さっさと暴れ回りたい欲求はあるが、自制できないほどトールは愚かではない。

巨大なテントが、砂漠に建てられている。テントの最上座にあるバアルは、白磁のティ−カップを傾けて、芳醇な味と香りを楽しんでいる所であった。その側では、毘沙門天が難しい顔をして、上座についている。他の幹部達も、大体そろっていた。

既に四天王寺が陥落したことは、トールも知っている。カブキチョウはミカエルとミズチが秩序の回復に当たっており、シブヤも同様に襲撃を受けている形跡がある。それらの説明を聞き終えると、トールは挙手した。

「それらについては分かった。 要はムスビの狙いは、我らの戦力を消耗させて、隙を作ることだ。 そして隙が出来れば、バアル様を直接狙ってくることだろう」

「そうでしょうな。 ただ、援軍を出さない訳にもいきますまい」

「いや、捨て置け」

冷酷にも思えるバアルの発言だが、トールは賛成した。元々、守備部隊にはそれなりの戦力が残されているのだ。守備隊は自分の仕事をこなすべきである。ニヒロ機構の主力を前にして、今戦力を削く余裕はない。

そうトールが説明すると、バアルは満足げに頷いた。

「トール将軍の説明は、まことに余の意にかなうものだ。 あれだけの戦力を預けながら、まともに留守を守れぬ者に用はない。 失点は己の力で回復するべきである」

「……」

「それよりも、カグツチの事はどうなっておる」

「は。 それについては、興味深いことが分かりました」

連日の激戦で、顔色が悪い西王母が、皆の前に書類を出す。急いでいたらしく、代筆ではなく手書きであった。それを魔術で複写したらしい。

一読した所、西王母はものすごいくせ字だ。一時期流行した丸字という奴で、まるで漫画に出てくるようなかわいらしさだ。しかもびっしり紙を埋めるように文字が書かれていて、非常に読みにくい。ヨスガの才媛も、意外な所に欠点があったものである。バアルも流石に書類を見て、一瞬絶句していた。毘沙門天はまるで珍獣でも見たような目で、書類を見ている。咳払いして、バアルが言う。

「カグツチが、目覚めようとしている? どういう事だ」

「はい。 光の波長を分析したところ、睡眠から目覚めるときの脳波に酷似していることが分かってきました。 その傾向は、此処の所、更に強くなってきています。 今まで一定していた灯りの強さと、持続時間も、大きく乱れ始めています」

つまり、カグツチは時計代わりにならなくなるという事だ。だが、もっと重要なことが、裏にはあるはずだ。トールは身を乗り出すと、目を光らせる。

「それで、具体的にカグツチが目覚めたら、どうなるのだ」

「……おそらく、これは、仮説なのですが。 皆様も知っての通り、カグツチはこの世界の頂点。 コトワリによる創世という仕組みの中核を担う存在です。 それが目覚めると言うことは、創世が最終段階に入ると言うことなのでしょう」

「おう、それは本当か」

ざわめきが起こる。結論から言えば、トールも心が躍った。なるほど、それは実に素晴らしい話だ。ヨスガの理想が実行されれば、トールにとっての楽園が到来する。しかも、それを自分が育て上げた存在が成し遂げるというのが素晴らしい。

もっと光をと、どこかの詩人は今際に訴えたと言う。トールは、もっと力をと訴えたい所だ。

「ならば、なおさらアーリマンを屠らなければならないな」

「御意」

真っ先に頷いたのは、アーリマンによって中軍を蹂躙され、大きな被害を出した毘沙門天であった。フラウロス隊を相手に互角に戦っていた中軍は、その一撃で守勢を余儀なくされ、バアルは後退を指示した。あのタイミングでアーリマンが出てこなければ勝っていたという見解は、皆が共通して持っている所であった。丁度トールが激戦の中補給を求めて後退していた所であったから、被害はなお大きくなったのである。

「それで、カグツチが目覚めて、何かしらのアクションを起こすとしたら、いつだ」

「かっての基準時間で、そうですね。 450から750時間後と言うところかと思います。 ただ」

「ただ、何だ」

「はい。 今後、カグツチの光はますます安定しなくなり、悪魔の体に及ぼす影響も強くなっていきます。 私としては、次のアクションまで待って、様子を見てから開戦すべきだと思うのですが」

慎重な西王母らしい考えである。トールとしても、分からない話ではない。

実際に、ヨスガの軍勢は傷ついている。カブキチョウが攻撃に晒されている今、効率的なマガツヒ採取も難しい。その上、カグツチが訳の分からない変動を起こして、味方の軍に被害が出たら、勝てる戦いも勝てなくなる。

しかし、被害が大きいのは敵も同じだ。精鋭であるフラウロス隊は消耗が激しいし、拠点となっている国会議事堂は半壊状態。ギンザからこの戦場はかなり遠く、敵としてはあまり戦いやすい状況ではないはずだ。それに、ムスビの悪魔によるゲリラ的な襲撃もある。状況に、優劣はない。

今此処で、勝負を付けるべきだ。トールはそう思っていた。

「ふむ、西王母の言うことにも一理はあるな」

しかし、バアルの見解は違った。バアルは立ち上がると、居並ぶ幹部を見回した・

「一度、後退して陣を再編する。 一刻も早く、マガツヒの補給経路を回復させよ」

「は。 それならば、カブキチョウに増援を送る必要があるかと思いますが」

「やむをえんな。 5000の兵を送り、補給経路の警戒に努めよ。 指揮は持国天が取れ」

「御意です」

ほっとした様子で、持国天が応える。持国天が、バアルを苦手としているのは、ずっと昔から分かっていた。特にここのところは、和楽器でクラシックを演奏するという無茶をずっとやらされていて、相当に滅入っていた。

それにしても、残念な話だ。しかし、ヨスガで主将の命令は絶対である。会議が終わり、各将はそれぞれの持ち場に戻る。不満を抱えながらも、トールは大きく消耗した自分の部隊に戻り、後退を指示した。

 

最初に、アーリマンはユウラクチョウの司令部である有楽町マリオンに幹部達を集めた。ビルに入りきらないアーリマンは、ユウラクチョウの一角の空き地を占拠するようにして座り、周囲に映像取得用の魔術を持つ悪魔達を配置した。そして、今琴音がいる会議室に、情報を送ってきていた。面白いのは、その巨体に合わせたパイプ椅子をアーリマンが氷川司令の時から製造させていたことだ。もちろん心地よさそうに、アーリマンは用意させたビルがごとき巨大パイプ椅子に座している。

丁度、一部の企業で行われていたテレビ会議のようだと、琴音は思った。事実アーリマンはそのつもりで会話を進めているのだろう。

物珍しそうに、映像に見入るニヒロ機構の悪魔達。その様子を、琴音はじっと見ていた。

人修羅が去って後、琴音は日本武尊を撃退。確かに心臓を貫き、首をへし折って倒したが、黒い影になって消えてしまった。手にしていた禍々しい剣も、一緒にである。恐らく日本武尊は、自分を何分割にもできる存在なのであろう。

問題は其処ではない。日本武尊に貰った脇腹の傷だ。

あまり深くはないのだが、回復魔法が受け付けない。ずっと傷口がふさがらず、血が流れ続けている。感じた禍々しい雰囲気は、本当だった。相当に強い呪いが、剣を介して体に流し込まれたのだ。痛みも酷く、時々眉をひそめる琴音。アーリマンの声が会議室に響き始めたので、慌てて顔を上げる。

「諸将よ、激しい戦いの中、奮戦ご苦労であった」

「は。 光栄の極みにございます」

代表して頭を下げたのは、死闘の中でもっとも敵を効率的に倒したカエデだ。ミトラの死によって、彼女の権力は決定的なものとなった。もっとも、それを喜んでいる様子は全くないが。口調も、少したどたどしい。

「うむ。 特に敵と戦い続けたカエデ将軍、寸前のところで余を守ったサマエル将軍、それに苦しい防衛線を指揮し続けたスルト将軍の功績はめざましい。 前線から戻ってきたら、フラウロス将軍もそれと並ぶものとして、評価するところである」

「ありがたき幸せにございます」

スルトが一礼する。琴音もそれに釣られるようにして、深々と頭を下げた。恐ろしげな顔のアーリマンだが、意外と口調は穏やかで、威厳もある。この辺りは、無機質でありながら最後までオセの刀を大事にしていたという、氷川に通じる所があるのかも知れない。

「さて、皆に告げておくことがある。 私のコトワリの名についてだ」

「コトワリに、名を付けられたのですか」

「うむ。 些細なことではあるが、マントラ軍がヨスガと名を変えてから一気に士気が高まったという事例もある。 末端の兵士達も、コトワリに名があり、守護が降りたことによって心機が一転されたことが伝わる方が良かろう」

アーリマンは、シジマと言った。静寂。なるほど、確かにニヒロ機構に相応しいコトワリの名だ。ただ静かであれば良い。法によって完璧に管理された、雑音のない世界。

そこでは、恐らく自由はない。だが、弱者も生き残ることが出来る。力を得てから豹変する者は少なくないが、どうやら氷川は初志を貫徹するつもりらしい。琴音は胸をなで下ろす。皆の反応もおおむね好評で、ただカエデだけが、少し寂しそうであった。

「それで、今後はいかがいたしましょう」

「ヨスガ軍が後退を開始した事に合わせ、我が軍も再編を行う。 敵は撤退したのではなく、決着を付けるために下がったのだ。 我が軍も油断することなく、決戦の準備を整えておいて欲しい」

「御意にございます」

どうやら、まだ血なまぐさい宴は終わらないらしい。後は幾つかの細かい打ち合わせをすると、会議は終わった。

パイプ椅子を片付ける琴音に、カエデが近付いてきた。善良なこの娘は、心底から心配そうに見つめてくる。

「琴音将軍、傷の様子はどうですか?」

「痛みが強いです。 流血も止まらないのですが、何とか戦うのに支障はありません」

「そうですか。 念のために、後で傷を見せてください。 私が診療します」

現代医術に関してはともかく、治療魔術に関してカエデはエキスパートだ。恐らくその知識と技術は、今やボルテクス界随一だろう。呪いに関しての知識も、元々東南アジア系の悪魔である彼女には期待できる。東南アジアは、複雑怪奇な呪術の宝庫であった。

一通り作業を済ませると、有楽町マリオンを出る。カエデは琴音以上に忙しいので、しばらく診療までには時間がある。その間に、ユウラクチョウに居を構えているマネカタ達の様子を見に行く。

国会議事堂は半壊してしまったが、ユウラクチョウは殆ど無事だ。マネカタ達も、西が真っ赤に燃えるのを見て怯えていたようだが、護衛の悪魔達の戦力も士気も高く、大きな混乱には到らなかった。警備に、軍以外の悪魔達を割く余裕もあるのが、ニヒロ機構の、シジマの底力を示している。琴音に着いてきた悪魔達も、それぞれの力を生かしてシジマに仕える事を由としていた。

「サマエル様」

呼びかけられて、振り返る。アサクサから着いてきた、老いたマネカタの一人だ。かっては議会で覇権を醜く争っていた一人なのだが、今はすっかり萎えてしまっている。無理もない話で、悪魔を相手に権力など争える訳がないからだ。ユリを怖がらせてしまった事を思い出して、出来るだけ笑顔を作るとサマエルは応えた。

「如何しましたか」

「なんとも恐ろしい戦いが行われているようじゃが、儂らは大丈夫なのかのう。 いざというときは、捨てられたりしないかのう」

「大丈夫ですよ。 ニヒロ機構の、シジマの思想は、全ての存在が役割を果たして生きていく世界です。 貴方たちもその一つですから、見捨てられることはありません。 もちろん私の手が届く範囲でも、皆さんを守りますから」

地獄の牢獄で産まれたマネカタは、井の中で蛙になり、そして今はサマエルに依存することで、生き残ることだけを考えている。

弱者とは、そういうものだ。肉体的な弱者だけがクローズアップされがちだが、精神的な弱者もまた多い。弱者を救いたいと思った、あのシブヤでの事件は、今でも脳裏に焼き付いている。

世界の多くは弱者で構成されている。それを許そうと、琴音は決めた。だから、如何に腹が煮え繰りかえろうとも、精神力で押さえ込む。もちろん、出来る範囲内での努力はして貰うつもりだ。そうでなければ、シジマに組み込んで貰えないだろう。

「そ、そうか。 サマエル様、貴方だけが頼りなんじゃ。 お願いだから、見捨てないでくれ」

「分かっています」

「わ、私も、見捨てないで」

「俺も、殺さないで、殺さないでくれ」

いつの間にか、マネカタ達が集まってきていた。男も女も、老人も子供もいた。皆、フトミミを失って、どうして良いのか分からないのだ。懇願の光が、目に宿っている。無数の手が伸びてきて、琴音の手を、服を掴もうとした。

助けてくれ。助けてくれ。悲鳴が、聞こえてくる。マネカタ達は恐怖のどん底にいる。彼らにまた槍を取れと言うのは酷すぎる。

琴音は騒ぎを聞いて駆けつけてきたスルトにその場を任せると、カエデの所に向かうことにした。

また、いつトールや、秀一と戦うことになるか分からない。

アマラ経絡から上がってきた強豪悪魔の呪いだ。簡単には解除できないだろうが、少しでもマシな状況にしなければならない。

休んでいる暇など、一秒たりとてなかった。守らなければ、死ぬのだから。いつしか、また笑顔を忘れていた。脈動が早くなりつつあるカグツチが、琴音を照らし続けていた。叫びたくなる衝動に駆られる。

だが、我慢した。

琴音は何が欲しかったのか、ふと思い出せなくなっていた。頭を振って雑念を払うと、カエデの所に向かうことにした。まだまだ、戦わなければならない。先は、果てしなく長かった。

 

砂漠を越えて、アサクサに秀一は戻ってきていた。砂漠を蹴立てて皆を乗せてきたニーズヘッグを始め、誰もが疲れ切っていた。

まだリコは目を覚まさなかったが、呼吸は安定していて、不安はなかった。帰り道、カズコが出してくれたマガツヒを皆で喰らって、傷は癒し続けていたからだ。サナの回復術も合わせて、アサクサに辿り着いた時には、どうにか全員が戦えるまでに回復していた。

亡くなった祐子先生から受け継いだヤヒロヒモロギが、手元にはある。マガツヒを蓄え、生け贄の役割を果たす道具だ。これを使って、守護を呼び出すことは難しくない。心当たりのある場所は幾らでもあるし、今やニヒロ機構もヨスガも、守護には興味がないだろうから。それに極めて小規模な勢力である秀一が今更守護を呼び出したところで、何が出来るとも思っていないのだろう。

燃え落ちた城門をくぐる。少しは復興でもしているかと思ったのだが、とんでもない話であった。みな、燃え落ちるに任せ放しである。焼けこげた家々の中に、点々と散らばっている泥の塊。マネカタにとって同胞の亡骸であるはずだが、それさえ片付いていない。雑然としながらも、質素でありながらも。発展を続けていたアサクサの、今の姿がこれであった。

街の中心部には、生き残りのマネカタ達がいた。点々と焼け跡に散らばっている彼らの数は、一万に足りていない。酷く傷ついている者が多く、秀一が来ても顔を上げる気力さえ無いようだった。この様子では、アンドラスも琴音と一緒にニヒロ機構に行ってしまったきりだろう。

恐らく、二から三万ほどは、琴音と一緒にニヒロ機構に保護されたと秀一は計算した。此処にいる数を考えると、四割ほどはあの惨状の中で生き残ることが出来た訳だ。たった四割だけとも言えるが、それでも琴音の死闘の甲斐はあったのだなと、秀一は思った。彼女は、きっと喜ぶことは無いだろうが。

秀一は、この件に関して、自分を一切評価していなかった。あの戦いで、本当に頑張って傷ついたのは琴音だと思っている。だから、袂を分かっても、同情こそすれ憎んではいない。リコが未だに目を覚まさなくても、だ。

マネカタ達の間を歩く。たまに秀一を見る奴もいたが、それだけだ。敵意も恐怖も、興味さえも示さない。

「踏みつぶさないように、気をつけろ」

「ラジャ」

昔はニーズヘッグが来たら避けようとしたが、今はそれさえない。秀一が、ニーズヘッグにわざわざ注意を促さなければならなかった。皆、気力を完全に喪失してしまっている。自分が殺されても、起きようとはしないかも知れない。

琴音は、弱いままでいいと思っている。だが、秀一は。琴音と、その仲間達が命を賭けて守った此奴らが、このままいじけているのを、見過ごしたくはなかった。

「人修羅殿か?」

懐かしい声。振り返ると、カザンだった。手にしているのは、焦げた材木だ。みると、僅かながら、片付いている場所がある。どうやらカザンだけがいち早く気力を取り戻し、少しずつ働き始めている様子であった。

「カザン。 どうだ、状況は」

「見ての通りだ。 俺も、正直な話、まだ心の整理が着いていない」

「無理もない」

あれだけのことがあったのだ。己の存在意義に疑念を呈していたカザンが、立ち直れただけでも秀一には嬉しかった。

カザンに、自宅に案内して貰う。焼け残った材木を利用した、小さな家。ミフナシロのすぐ側に建てられた其処は、皆が入るには少し狭かった。だから家の側で、輪になって座る。

「サマエル殿に、会うことが出来たか?」

「ああ。 ニヒロ機構で、用心棒のような仕事をしていた。 おそらく、マネカタ達を庇護して貰ったのだろう。 それに、マネカタが生き残るには、ニヒロ機構のコトワリしか無いとも言っていた」

「あんな状態でも、サマエル殿は、マネカタの事を気にしてくださっているのだな。 情けない。 本当に、俺は弱いマネカタであることが情けなく思う」

カザンはそれを聞くと、顔をくしゃくしゃにして俯いた。マネカタの中で、唯一豪傑とも呼べたこの男も、随分涙もろくなったものだ。

サナは他のマネカタとは視線も合わせなかったが、カザンとだけは普通に話す。ニュートラルらしい、痛烈な現実主義者のえぐみを持つ彼女は、基本的に自分が認めた相手としか話さない。

「で、カザンは、いつまで腐ってるつもり? 今は手が幾らでも欲しいから、良ければ着いてきて欲しいんだけどなー」

「いや、サナ。 それも良いんだが、カザンには、その前に是非やって貰いたいことがあるんだ」

「シューイチ、何か考えてる? でも、カザンやカズコはともかく、他のマネカタとかいう虫どもに、何かまともなことが出来るとは、僕には思えないけどなあ」

「出来るではなくて、させるんだ」

琴音が命がけで守ったというのに。あれほど血涙を流しながら、己を殺して戦い抜いたというのに。それなのに、この街の連中は。

秀一も流石に、そろそろ本気で堪忍袋の緒が切れそうだった。

だから、させる。ひっぱたいてでも、目を覚まさせなければならない。もしこのまま事態が推移したら、琴音も、死んだクレガやフォンも、あまりに気の毒すぎるからだ。

「シロヒゲは、いるか」

「ああ。 無気力になってしまってはいるが、まだ生きているよ」

「そうか。 まずはシロヒゲからだな」

秀一は、ヤヒロヒモロギを懐から取り出す。

まだ、秀一は諦めてはいない。しかしながら、あの圧倒的なヨスガやニヒロ機構の物量に、正面からは戦えない。奇襲を仕掛けるとしても、ものには限度がある。かといって、秀一に守護を降ろす気はさらさらなかった。

この世界の法則には従う。だが、全てを受け入れる気はない。残虐な神には鉄槌を降してやらなければ気が済まない。コトワリを開く気はあるが、神に懇願するのではない。ねじ伏せて力づくで開かせる。

神に人格がある場合だろうが、法則そのものである場合だろうが関係ない。今なら秀一には、堕天使長の気持ちが分かる気がした。もっとも、秀一には、人間性を捨てる気は無かったが。

「カズコ」

「何?」

「マガツヒを、後で少し多めにくれ。 戦力は増やしておきたい」

「いいよ。 でも、無駄にはしないでよ」

秀一は短く頷く。事実、有効活用するつもりだ。

この間倒したマダは、戦力として活用できる。元々超一流の使い手であったし、今後は物量差を少しでも補ってくれるはずだ。

後は、マネカタ達を活用すること。

それさえ成し遂げられれば、活路は開ける。そのはずだ。秀一はシロヒゲを呼びに言ったサルタヒコ夫妻の背中を見送ると、まだ目を覚まさないリコを見た。

混沌の世界で、無数に積み重ねられた悲劇。これ以上、繰り返させる訳にはいかなかった。

 

1,水面下での死闘

 

シブヤで暴れ狂っていたダゴンは、相手の指揮官が替わったことに気付いた。今まで混乱していた指揮系統が急速に束ね上げられ、実に効率的な攻撃を仕掛けてくるのだ。防御陣も砂の壁のようで、突き破っても突き破ってもきりがなかった。

ぐるりと、人間のものとよく似た目を回して、辺りを見る。四本ある細い腕を回して、空気を揺らす。それによって、周囲の状況を探るのだ。そろそろ引き時かと、ダゴンは思い始めていた。シブヤの軍事的な能力をある程度潰したし、民間施設にもある程度の被害を与えた。しかし、未だ大物は仕留めていない。引き上げるのなら、将官を一匹くらいは潰しておきたかった。

ビル街を進む。不意に真後ろから、無数の雷撃が飛んできた。空間に穴を開けて、その全てをやり過ごす。穴に雷撃が吸い込まれていくが、ダゴンが振り返った時には、もう敵はいなかった。

「五月蠅い蠅どもが」

手を振るって、辺りの建物を片っ端から潰す。重力の嵐が荒れ狂い、脆弱な建物を押しつぶし、或いは吹き飛ばした。敵はまた静かになったが、進もうとすると今度は正面から無数の氷の槍が飛んできた。苛立ちに、ダゴンは思わず吠えた。

「出てこい、蠅ども。 出てこなければ、この街を平地にしてやろうぞ!」

返事は無し。武人の誇りとやらを持つ者は、ただの一騎もいないらしい。ふと、疲労を覚えていることに、ダゴンは気付いた。挑発に乗り、力を使いすぎた。しかも、かなり敵の奥に潜り込んでいる気がする。無駄に火力を浪費したことも痛い。

急激に、ダゴンの頭が冷えていく。これは、罠の可能性が高い。そういえば、シブヤの指揮官は、知将で知られるミジャグジさまだ。この分厚い防御陣、奴が直接指揮を執っていると見て間違いないだろう。

司令部が特定できれば、少しはマシになるのだが。どのみち、此処は引くべきであろう。ダゴンの得意技は、空間操作と洗脳だ。中級か、上級くらいの悪魔を捕らえることが出来れば、殆どの情報を引き出せるのだが、今までの様子から言って、その隙が出来るとは思えない。元々、最初から狙いは奇襲と戦力の減殺だ。これ以上の作戦行動は無意味であろう。

ダゴンはきびすを返すと、地下へ戻るべく、ゆっくり空中を泳ぎ始めた。体をくねらせる度に、細長い人間の腕がゆらゆらと揺れる。顔の横に着いている目は、ほとんど360度全てをカバーし、死角はない。何度目かの曲がり角を通り過ぎた時。その視力が、不意に飛来した何かを捕らえた。

空間を渡ることで、超加速。物理を超えた速度で、飛来した棒状の武具を回避する。それは一つではなく、二本、三本と、轟音を上げて突き刺さる。ダゴンは高々と舞い上がると、敵を探すべく体を捻る。その背中から、激しい痛みが走った。

体を捻る瞬間を計算しきっていたのだろう。電磁ネットが、被せられていたのだ。人間の目をぐるりぐるりと回して、ダゴンは絶叫した。

「ぎゃあおおおおおっ!」

ぐらりと体が泳ぎ、地面に叩きつけられる。更に数本の何かが飛んできた。ぎょろりと目を泳がすと、ダゴンは視認したそれを木っ端微塵に消し飛ばした。体に掛かった電磁ネットを、無理矢理引きはがす。その隙を狙って、また飛来する何か。至近に突き刺さる。よく見ると、それはひび割れた白木の柱であった。とても強い魔力を含んでおり、直撃を受ければ流石のダゴンも危ない。

ダゴンは気付く。襲撃者の正体に。柱をシンボルとする神格で、これほどの力を持つ相手は、間違いない。ミジャグジさまだ。

なるほど。此方の攻勢の限界点で、反撃を仕掛けてきたという訳だ。恐ろしく粘り強い用兵の後に、怒濤の反撃を仕掛けてくる。なかなかに手強い相手ではないか。ダゴンは舌打ちし、すぐに感嘆した。続けてほくそ笑み。無数の感情が、魚の顔と、目に浮かんでは消えていく。やがてそれは、おぞましい狂気へと取って代わった。

「ひひひひひ」

跳ね起きると、辺りを見回す。これほどの精度で攻撃してきたと言うことは、必ず近くにいるはずだ。しかも奴を倒せば、敵の指揮系統は崩壊する可能性が高い。守勢が一転、一気に勝ちを収めることも出来るだろう。

空を泳ぎ回りながら、ダゴンは攻撃を誘う。相手は蛇。古き神々の形を持つもの。八つ裂きにして喰らってくれようぞ。涎を垂れ流し、ダゴンは笑った。落ちた涎が、瓦礫に当たって、煙を上げながら溶かしていく。食事はあくまで嗜好だが、ダゴンにとってそれは重要なものだった。下級悪魔を捕食するのは、彼の喜びである。生きたまま、悲鳴を上げてもがく悪魔を喰らうのは最高に楽しいのだ。

再び、柱が飛来した。空間をゆがめて、そのまま反転させる。飛んできた勢いのまま、発射地点に帰っていった柱を追って加速。敵との距離を、一気にゼロとした。

ぴたりと、加速を止める。敵の気配がない。そればかりか、其処にあったのは、ただのカタパルトであった。

しまった。やられた。そう思った時には、辺りは強い破壊の魔力に満ちていた。絶叫するダゴンを、炸裂する炎が包み込んだ。

 

ミジャグジさまの隣では、シブヤ駐屯各部隊の指揮官達が勢揃いしていた。ダゴンに情報を渡す訳にはいかなかったから、わざわざ集めたのだ。そして、ミジャグジさまの遠距離投擲攻撃で敵を誘いつつ、反撃に転じるタイミングを計算して、罠にはめたのだ。

シブヤの一角、避難が住んだ辺りでキノコ雲が上がる。爆風はミジャグジさまの所にまで届いた。熱風が、白い蛇体を撫でる。ゆっくり鎌首をもたげると、舌をちろちろと出して、情報を収集に掛かる。

蛇はそうして情報を集めるのだ。

「敵、罠に掛かりました。 そのまま、攻撃を続行しますか?」

「いや、しばし待て。 念のために、司令部を移動する」

ミジャグジさまは、もとより非常に粘り強い防衛線を得意とする。これは元々の神格であるミジャグジさまが、様々に名を変えながらも、ついに性質を守り抜いたことに起因している。あれほど押し寄せた新しい宗教の流れの中で、山深いことや様々な戦略的条件を利用し、ほぼ原形を保ったまま近代にまで到った業績は特筆すべきものがある。ミジャグジさまは部下達を連れながら、少し距離を取ろうとして、その者に気付いた。

「ミジャグジさま」

「おう、そなたは」

「はい。 クロトにございます」

ぺこりと一礼するのは、かってオベリスク塔の守備を任されていた存在。モイライの三姉妹が末、クロト将軍であった。人修羅に破れ、更にクーデター騒ぎの際に行方不明となっていたと聞いている。あれにはムスビの陰謀が関わっていたことが分かってきており、事情聴取のために探していたのだ。もっとも、生きている可能性は低いと見なされていたのだが。

「いままで、どうしておった」

「人修羅に匿われ、アサクサで精神的な治療を受けておりました。 姉二人の死が、大きなショックとなって、幼児退行を起こしていましたから」

沈鬱な表情であった。

以前のクロトは、年相応に言葉づらいも荒く、危なっかしいところも多々あった。だが、今では非常に落ち着いた雰囲気があり、発言も安心して見ていられる。兎に角、今は作戦行動中だから、あまり長くは構っていられない。話を切り上げて先に行こうとするミジャグジさまを、クロトが呼び止める。

「お待ちください」

「見ての通り、今は作戦行動中ぢゃてな。 後で、色々話は聞かせて貰いたいのぢゃが」

「彼処にいるダゴンは、姉達の仇にございます。 直接は人修羅に倒されましたが、狂わせ、全てをおかしくしたのは奴です。 あの魔力、姉二人が放っていたおかしな力に相違ありません」

是非、私を捨て石に。そう頭を下げるクロトに、ミジャグジさまは感じ入る所があった。年を取って、涙もろくなっているのかも知れない。

「良し。 それならば、仕掛ける時は是非先鋒となってくれ。 その心意気を買おう」

「有難うございます」

「ミジャグジさま、敵が、動き出しました」

煙を切り破り、それが現れる。周囲が息を呑むのが分かった。

体高十メートル以上はあろうか。巨大な魚の体躯から、無数の人間の腕が生えている異形が、煙の中から現れたのである。目は体の左右に無数に着いており、口には人間の歯が生えていた。背びれは長く鋭く、鋼鉄でも切り裂きそうだった。

ダゴンが大きく息を吸い込んでいく。危険を感じたミジャグジさまが避難命令を出す。だが、その口から放たれた光弾は、容赦なく辺りをなぎ払う。炸裂した爆圧が、ミジャグジさまをしたたかに打ち据える。吹っ飛ばされながらも、ミジャグジさまは巻き付いている柱を立て直し、周囲の無事を確認。司令部は無事だが、被害は甚大きわまりない。

「メギドラオンです!」

「分かっておる! おのれ奴め! 無差別攻撃を、更に拡大するつもりぢゃな!」

第二射。内側から撃ち抜かれた城壁が、煙を上げながら崩落していく。外に逃がした非戦闘員達にも、このままでは被害が出る。流石にアマラ経絡から上がってきたというだけの事はある。とんでもない火力だ。

更に、ダゴンの口が光り始める。第三射を放つつもりだろう。そして、奴は恐らく、生きて戻るつもりが無いと見た。己の身を滅ぼしてでも、シブヤと、駐屯軍を道連れにするつもりなのだろう。

手負いの獣ほど面倒な相手はいない。さっきのトラップで仕留めきれなかったのは失敗だった。此処で一気に仕留めなければ、更に被害は拡大することになる。もはや、命を捨てて掛かる他無い。

「総員、攻撃開始! 奴は手負いで、それほど耐久力は残っていないはずぢゃ。 一気に攻撃して、とどめを差す!」

「応っ!」

今までこそこそ逃げ回りながら狙撃を繰り返してきた部下達が、一斉に喚声を上げた。反撃の時が、来た。さっと散ると、四方八方から猛烈に攻撃術を浴びせかける。ダゴンは体中で咲く炎の花に悲鳴を上げた。腕が灼け、千切れ飛ぶ。尾びれが燃え上がり、背びれの一部が吹っ飛んだ。体を上に反らしたダゴンが、空に向けてメギドラオンを放つ。断末魔の奇行かと思ったミジャグジさまだが、残念ながら、アマラ経絡から上がってくるほどの強豪に、そのような事はあり得なかった。

空へ放たれた閃光は一瞬後に炸裂、流星雨となって、辺りに降り注いだのである。

無数の火球が直撃し、辺りが火の海となる。火だるまになって転げ回る悪魔が、えぐり取られるようにして消えた。ダゴンの目の一つが、そちらを見ていた。ゆっくり口を動かしているダゴン。空間を操作する能力を使って、貪り喰らっているのだろう。

ミジャグジさまは、無数の柱を周囲に出現させる。生き残った悪魔達も、残った力を振り絞り、攻撃を続けていた。巨体に直撃した攻撃は着実に効いている。ダゴンの体を覆う鱗が吹き飛び、、尾びれが消し炭になる。

「よおし、行けいっ!」

ミジャグジさまの咆吼と共に、無数の柱が、四方八方からダゴンに襲いかかる。或いは背中に、或いは腹に。或いは目を貫通して、奴の体に潜り込む。悲鳴を上げてのけぞるダゴンは、だがミジャグジさまの位置をついに特定したらしい。ぎろりと、目の一つがミジャグジさまを見た。

その時。

敵の至近に迫ったクロトが、棍を振るって、その目を叩きつぶしたのである。クロトの至近の空間が、次々えぐり取られる。だが、クロト自身は無事だ。理由は、ミジャグジさまにも分かった。

「目ぢゃ! 目を狙え! 奴は目で見たものしか、潰せぬらしい!」

司令がすぐに四方に飛び、目に火力が集中し始める。雄叫びを上げ、もがきながらダゴンは閃光を二度、三度と放つ。シブヤの街が、猛火に包まれていく。だが、こうなったらもはや我慢比べだ。

並の司令官であれば、燃え落ちていく街を見て、心が折れてしまったかも知れない。だが、ミジャグジさまは、困難な状況で生き残ることをずっと続けてきた存在だ。街の基礎的なものは、既に完成している。物資さえあれば、いつでもまた再建することが出来る。人的資源だって、創世がなればどうにでもなるのだ。

ダゴンの目が、また一つ潰れた。上半身をのけぞらせたダゴンが、口からまた閃光を放ち、辺りの空間をめったやたらにえぐり取る。だが、その動きは、確実に鈍くなりつつあった。

「ニヒロ機構の木っ端どもよ。 我の怒りに触れたこと、後悔せよ」

「構うな、断末魔の戯れ言ぢゃ!」

部下達を叱咤しながら、ミジャグジさまは気付く。ダゴンが用意している、非常に強力な術を。多分破壊力が大きい攻撃系の術ではない。もっとおぞましい何かだ。途轍もなくいやな予感がする。

詠唱がミジャグジさまの所まで流れ来る。それを聴いて、流石に顔色が変わるのを、ミジャグジさまは自覚した。これは、呪い。しかも非常に原始的な分、絶大な効力と持続性を持つ、プリミティブな呪術だ。

奴は恐らく、この土地そのものを呪うつもりである。それで、このシブヤを完膚無きまで滅ぼすつもりだろう。それだけは、させる訳にはいかない。空に向けて首を持ち上げて、辺りのマガツヒを吸い込む。一か八かだ。やるしかない。

「いいか、奴があの術を発動したら、全て終わりぢゃ! それまでに、倒しきる! 総員、最強の技を用意せい!」

「はっ!」

ミジャグジさまは、柱に魔力を込め、すっと浮き上がった。中空で、方向を変える。ダゴンがもがきながら、また閃光を放つ。詠唱しながらだというのに、まだ火力が衰えていない。街の一角が吹っ飛ぶ中、ミジャグジさまは吠えた。

「行くぞ、ダゴンっ!」

「来るがいい。 返り討ちにしてくれようぞ」

柱と共に、特攻を掛ける。今まで飛ばしていたような、ダミーの柱とは訳が違う。ミジャグジさまが巻き付いているのは、神体として長きにわたって奉られた柱。本体そのものといっても構わない。ミサイルのように加速するミジャグジさまの至近を、光弾が掠める。鱗が吹っ飛び、鮮血がぶちまけられる。

狙うは、ダゴンの中枢。今、呪いのエネルギーが溜まりつつある、腹だ。ダゴンは此方に向き直ると、また閃光を放とうとする。狙いは完璧。流石にあれの直撃を受けたら、ミジャグジさまも耐えきれない。だが、棍を回しながら跳躍したクロトが、脳天から一撃を叩き込む。ぎゃっと悲鳴を上げながら、ダゴンが体を反らす。

火の粉を上げながら、ミジャグジさまは、更に加速。

ふと、思い出す。

戦後と呼ばれる時代から生きてきた。焦土の中で立ち上がり、燃え尽きた街の中で、小さな銀行を造った。先祖から受け継いだ財産を活用したのだ。

偉大な過去を持つ先祖達に恥じないように。また家の名を上げるように。そればかり考えていた。何度か危機もあったが、驚異的な粘り強さで生き残ってきた。バブル崩壊の時が一番危なかったが、それでも陣頭指揮を執って、見事に乗り切ったのである。

いつしか、不死身の銀行と言われるようになっていた。小さな銀行だったが、確実に生き残ってきた実績から、預金額は高かった。だが、いつのまにか、思考が膠着していた。家ではなく、小さな銀行そのものを守ることに、拘泥するようになっていたのだ。

思考が膠着化すると、発展はあり得ない。銀行は発展もせず衰えもせず、怪物のように衰えていく経済の中に立ちつくしていた。いつのまにか、怪物とか、戦後の亡霊とか言われるようになっていた。だが、それでも。銀行を守ることだけが、全てだった。

ふと、我に返る。ダゴンが、もう至近に来ていた。雄叫びと共に、そのどてっぱらを突き破る。これは、他の誰にも出来ない。全ての目を潰されていたダゴンが、悲鳴を上げる。その巨体が、倒れかかってきた。その先に、クロトがいる。さっきの渾身の一撃で、力を使い果たして、へたり込んでいた。

柱を回す。そして、ふわりとクロトを安全圏に投げ飛ばす。小さな体は、苦もなく飛んでいった。仮にも上級悪魔だし、死ぬことはないだろう。

逃げ遅れたミジャグジさまを、影が覆っていく。ふと、拘泥していた自分を思い出す。辺りを見る。焼け野原になってしまったシブヤだが、部下達の殆どは生き残った。これで、いいではないか。

何だか、全てをやり遂げたような気がした。

倒れてきたダゴンに下敷きにされる寸前。ダゴンに残っていた力が、爆発を引き起こした。激しい熱の中、ミジャグジさまは満足し、微笑んだ。

 

カブキチョウが燃えていた。必死の防衛戦を指揮するミズチは、隣で腕組みするミカエルと共に、敵を待ち受けていた。ミカエルは余裕綽々の様子で、味方が大きな被害を出しているにも態度を変えない。それも、ミズチには腹立たしかった。この大天使が優れた使い手であることは分かってはいる。だが、配下の天使でさえ捨て駒と考えているその冷酷さにはじまり、エゴの塊であることが透けてみえるこの男を、どうしてもミズチは好きになれなかった。

敵はオズであることが判明している。至高神であるオーディンの原型となった存在であり、交戦した部隊のことごとくが連絡を絶っている。感じる力も凄まじく、何故となりにいるミカエルが自信満々なのか、ミズチには分からない。何しろ、仕掛けた幻影が、ことごとく突破されてきているのだ。

偵察に出ていた兵が戻ってきた。全身傷だらけで、蒼白である。命がけでの任務だったことが、これだけでもよく分かる。

「ご注進です」

「うむ。 状況はどうなっておる」

「収容所の一部が、崩壊しました。 しかし、収容されているマネカタ達もまとめて殺されているようで、脱走してくるものはいません」

「……」

恐らくは、補給を断つつもりなのだろう。しかし、無体なことをする。オズほどの力を持っていながら、マネカタのような吹いて飛ぶ弱者を殺戮するとは。

もともとマントラ軍の幹部であり、力のコトワリであるヨスガに属するミズチである。弱者に対して決して好意的な視線は持っていないが、妙に気になる。この間アサクサの攻略戦で、マネカタを大量虐殺するバアルを見てからである。何だか、マネカタの死屍の上に築かれたヨスガにいることに、忸怩たるものを感じるのだ。そして今、オズがしている好き勝手な蛮行に対しても、同じように怒りを覚える。自分はどうしてしまったのだろうかと、ミズチは不思議にも思う。だが、この怒りは本物だ。

下で爆発音。怯える偵察兵に、生き残りを連れて逃げるように伝える。ミカエルが鼻を鳴らした。

「ヨスガのコトワリは、力のコトワリ。 雑魚どもなど、囮に使えばよいだろうに」

「そのような心がけで、よく天使軍を率いてこられたな、天使の長よ。 力の劣る兵士にも、それなりの役目というものがある。 手数で劣る我が軍が、ニヒロ機構にどれだけ手を焼かされてきたか、知らぬ訳でもあるまい。 貴公のオベリスク塔とて、奴らに落とされたのだからな」

「ほう、言いたいことを言ってくれるな」

それ以上は応えず、ミズチは幻覚を解除した。もう展開しても無駄だと判断したためである。伝承によると、オーディンはルーン文字の開発者だと聞く。知恵の泉の水を飲み、片眼と共に膨大な知識を得た存在。一つの体系となる魔を作り出したくらいだから、それに長けているのは当然であろう。ミズチも幻影の術には自信があったのだが、上には上が居たと言うことだ。

「徐々に、近付いてくるようだが、どうする」

「わしは此処で敵を迎え撃つだけだ。 貴公こそ、支援に来たと言いながら、何もしようとしないではないか」

「なあに、敵の実力をもう少し見極めてから、出るさ」

それで、ミズチにはこの男の狙いが読めた。競争相手となる上級天使や、ミズチがオズに殺されてから出るつもりなのだろう。元々七天委員会の中でも、実力よりも悪い意味での政治力を利用して指揮を執っていたと聞くし、性根は腐りきっている。バアル様が此奴を認めていなければ、今すぐにでも喰い殺してやりたいところなのに。それが出来ない自分が、歯がゆかった。

それにしても、ミカエルの自信はどこから来ているのだ。この手の男は、ある程度の勝算がなければ、絶対に出ては来ない。これほどの自信を持っていると言うことは、古代の神々にも勝る何かタチが悪い手段を得ているとしか思えない。

足音。もう阻む者がいなくなったことに、気付いたのであろう。オズが来たのだ。司令部の扉が開かれて、真っ正面からオズが現れる。

今司令部にしているのは、カブキチョウの中央にある、大きな建物だ。かっての東京にあったビルの残骸を利用して作り上げられたものであり、この空間は高さ二十メートルほど、奥行き五十メートルほど。大型の悪魔が多く集うことを想定して、人間では大きすぎるほどに造られている。

だから、人間大のオズが入ってくると、巨人の庭に迷い込んだ小人のように思えた。オズは北欧風の鎧を身に纏い、眼帯で片眼を隠していた。手にしているのは名高い名槍グングニルだろう。ミズチは半透明の体をくねらせると、戦闘態勢を取る。ミカエルも炎の巻き付いた剣をようやく抜き放ち、構えを取った。

「高名なオズ殿とお見受けする」

「おう、儂がオズだ。 そちらは確かミズチ殿だな。 噂には聞いているぞ。 マントラ軍が苦しかった時、カブキチョウに侵攻してきたニヒロ機構軍を撃退する原動力になったとか」

「恥ずかしい話だが、確かにその通りだ。 それにしても、貴公は誇り高い戦士とお見受けするのに、見苦しい戦いをするものだな」

「何のことだ」

オズが怪訝そうに眉をひそめたので、ミズチは違和感を感じる。そうなると、今カブキチョウにいるのは、オズだけではないと言うことか。ただでさえ厄介な相手なのに、更に敵が増えたら手に負えない。窓から外を見る。撤退をしている味方の姿。イケブクロにはまだまとまった戦力と何騎かの上級悪魔がいるから、そこまで行けば多少の攻撃にはびくともしない。

めまぐるしく計算を巡らせるミズチの隣で、ミカエルが不遜に笑いながら剣を揺らす。わざと隙を作って、挑発しているのだ。

「それで、オズ殿の愛馬はどうしたのかな?」

「それならば、其処だ」

ミズチが飛び退く。ミカエルは、反応が遅れた。

突如、何もない空間から現れた八本足の馬が、鋭いいななきと共にミカエルを蹴飛ばしたのだ。したたかにけりつけられたミカエルは地面に叩きつけられ、蛙のような声を漏らした。ミズチは己自信に蜃気楼を何重にも掛けながら、するりと床を滑る。己の姿を何重にも錯覚させることで、敵の攻撃に誤爆を誘発するのだ。

ひらりとオズは愛馬に跨ると、手綱を繰って加速する。この広い空間も、騎兵にとってはとても狭い。チャージに備えようとシールドを展開するミズチ。だが、オズの戦い方は、予想とは違っていた。そのまま、その場から槍を投擲してくる。一定距離を保ったまま戦うタイプか。そう言えばオーディンの槍グングニルは必殺の神具として知られている。また、神話でオーディンの近接戦闘能力がトールに及ばないことから考えても、原型のオズがそれに合った戦い方をするのも、あり得る話だ。

槍が、ミカエルにまっすぐ飛んでいく。跳ね起きるミカエルは、まだ余裕を崩さない。というよりも。

「ハッ!」

手を一振りしたミカエルが、体の周囲に、シールドを展開。淡い光の膜が、全身をシャボン液のような光沢と共に覆う。直撃、炸裂。爆圧はミズチをたじろがせ、数メートル退けるほどのものだった。

煙が、晴れてくる。回転しながら、オズの手にグングニルが戻った。ミズチは双方に感嘆した。あの外道が、どうして此処まで力を得たというのか。晴れてくる煙の中から、ミカエルが現れる。傷一つ、ついてはいなかった。

グングニルによる攻撃が、全く、通じていない。

不遜に微笑むミカエルと、槍を構え直すオズ。ミズチはもう少し距離を取ると、仕掛けるタイミングを計ることにした。ゆっくりオズの左に回り込んでいく。ミカエルはそれに対して、悠々と歩を進めていく。

「無駄だ。 もはや私に、異境の神の力など通じぬ」

「ほう。 妙に魔力量が多いようだな。 さては、相当量のマガツヒを、無理矢理に喰らったか」

「さあて、それはどうだろうな。 分かっているのは、貴様にはもう先がないと言うことだ。 果てて貰うぞ、異境の神オズ! このミカエルの、覇道の礎となれい!」

ミカエルの全身が燃え上がる。手にしている剣までもが、赤熱していく。

辺りのものが、根こそぎ燃え上がり始めた。ミカエルが翼を拡げて、浮き上がる。オズが言ったとおり、備蓄分のマガツヒを大量に私物化したとなると、これは大逆ではないのだろうか。しかも、今の台詞。ミカエルの覇道とは、どういう意味だ。

「ミカエル、貴様!」

「下がっていろ、蛇の下級神! オズを殺し、守護クラス悪魔のマガツヒを喰らえば、もはやこのミカエルに敵はない! ヨスガのコトワリは、この私ミカエルが継いでやろうではないか!」

ミカエルが、高笑いしながら、オズに躍り掛かる。オズは冷静に印を切ると、体の周囲にルーン文字を並べた。指を鳴らすと、或いは光の槍となって飛び、或いは光の盾となる。体に向けて飛んできた数本の光の槍を、ミカエルは剣を振るって無造作にはじき返す。そして、オズを守る光の盾に突進、ただの一太刀で打ち砕いた。

「ははははは! 脆い! 脆いぞ!」

オズは無言である。そのまま手綱を繰ってミカエルの突進を巧みにかわすと、愛馬を走らせる。ミカエルも空中で無理な方向転換をして、それに続いた。吠える。繰り出された剣が、オズの頭を掠めた。司令部の天井を突き破り、二騎が外に出る。空中で、激しい追撃戦が続く。

ミズチは目を閉じると、他の敵がいるとしたら、何処に控えているかをしっかり確認しておこうと思った。

あの様子では、ミカエルは負けるだろう。オズは歴戦の猛者であり、相当に戦い慣れている。それに対してミカエルは力こそ大きいが、それに舞い上がってしまい、己を見失っている。実戦経験も少なく、油断も多い。力の量はミカエルが勝っているかも知れないが、総合的な優劣は明らかだ。もし上手くいっても、せいぜい相打ちが関の山だろう。

オズは此方の戦力を減殺だけしていたが、もう一騎隠れているほうは、マネカタを虐殺して補給路を断った可能性が高い。厄介なのは其方の方だ。どうにかして、其方はミズチの方で仕留めておきたい。

幻覚は解除したが、彼方此方にその発生源となる術式を掛けてある。それは未だに生きており、手繰れば敵の発見に役立てることが出来る。時々飛んでくる戦いの余波である攻撃術を回避しながら、じっくりカブキチョウ全体を探っていく。

マネカタの生存反応は、殆ど無い。今までも無茶な拷問とマガツヒの絞り取りでかなり数が減っていたが、これはもう本当に、皆殺しだろう。アサクサに逃げた者達は、殆どが死んだ。此処で残っていた者達も、また皆殺し。マネカタは、この世界で淘汰され、殺戮される運命にあるらしい。歎息すると、実行者を捜す。

ふと、感覚に、鋭い悪意が潜り込んできた。

空間を通して、此方を見ている。狙いは、恐らく。ミカエルだけではなく、オズも。ミズチは気配を消すと、その場を後にする。

元々、ミズチは非常に古いタイプの龍だ。龍は洋の東西を問わず蛇を原型としていた。古くは虹の象徴としても崇められ、その性質はあくまで静。故に、隠密行動には非常に適している。

こっそり司令部を出る。迷いはすっかり消えていた。このボルテクス界に、善も悪も無いが、それでも許せない相手はいる。ミカエルがそうだし、こそこそ影から弱者を大量虐殺していた奴もそうだ。クズどもを排除するためであれば、迷いは断ちきることが出来る。ましてや、ミズチはこのカブキチョウを長年に渡って治めてきたのだ。

敵の位置を、捕捉。動かず、戦況を静かに見守っている。部下達が待避済みなのが幸いである。周囲に生命の気配はない。

敵が潜んでいる収容所に潜り込む。

マガツヒが、漂ってきた。影から覗き込むと、見えた。黒こげになったマネカタが、転がっている。しかも、無数に。積み上がった、焼けこげた泥の山。まるで空襲を受けた街のようだと、ミズチは思った。

奧へ行くと、周囲が真っ赤になるほどのマガツヒが漂っている。その中に、いた。息をするのもはばかられるほどの威圧感の中、トーガを纏った逞しい老人が立ちつくしている。手には光る杖。

特徴から言って、ギリシャ系の神族だろう。そして、光る杖。周囲の死骸の状況から言って、間違いない。あれは、ゼウスだ。もしくはその原型となった神であろう。

ムスビに所属している神族は、何かしらの理由で信仰の中心から追い払われたり、或いは隅に追いやられた存在が多い。ゼウスも、原型では悪神の側面も持つ天空神だったものが、信仰の中心として飾り立てられたものだと聞いている。

ギリシャ神話では珍しい話ではない。戦の神アレスにしても太陽の神アポロンにしても似たようなもので、色々な民族の信仰する神々を、無理にごったにした歪みが出ているのだ。

ゼウスの全身には、いかづちのスパークがまとわりついている。集中して、ミカエルとオズの隙を狙っているのは間違いない。オズは同じムスビの幹部の筈だが、権力闘争の邪魔になるとでも考えているのだろうか。或いは隙あれば滅ぼそうとでも思っているのであろうか。いずれにしても、救いがたい下郎である。

だが、恐らくは。ゼウスを其処まで追い込み堕としたのは、身勝手極まり無い旧世界の信仰そのものだろう。同情は出来ないが、それだけは理解することが出来る。そして、これから、奴を打ち倒す。

右手を、ゼウスが持ち上げた。光の槍から、雷撃がそちらへ移っていく。恐らくは、狙いを付けたのだろう。同時に、空に巨大なプラズマ球が作り出されていく。激しい戦いに身を置いているミカエルとオズも、すぐに気付くはずだ。そうなると、ゼウスの手とシンクロしているであろうプラズマ球は、囮か。

空で激しい戦いを繰り返していた二騎が、離れる。気付いたのだ。ゼウスは口の端をつり上げると、右手を振り下ろした。爆裂したプラズマ球が、流星群となってカブキチョウに降り注ぐ。残っていた街並みを、容赦なく焼き尽くしていく。

耐えろ。自分に、そう言い聞かせる。狙うは、ゼウスがオズとミカエルを討とうとする瞬間だ。

ゼウスが、槍を投げる形に、腕を構える。投擲用の槍は、クロマニヨン人の頃から、弓矢が発展するまで戦場の主戦力だった。古代の神々に、投擲用の槍を使う者が多いのはそのためである。

投擲用の槍の弱点は、兎に角隙が多いことだ。威力は絶対的だが、全身を使って投擲する必要があるため、特に投擲後の隙が非常に大きい。だが、敵の様子から言って、投擲のモーションに入れば、その場で貫けそうだと、ミズチは判断した。

背後に回り込んだミズチは、そのまま待つ。ゼウスが、体を大きくしならせ、投擲の体勢に入った瞬間。尾を繰り出す。

そして、ゼウスの胸板を、一息に貫いていた。

「む、ぐううっ!?」

「油断したな、策士ゼウスよ」

もの凄い形相のまま、ゼウスが振り返る。憎悪と悪意、野心と敵意が混じり合い、感情の坩堝となった顔だ。ミズチが尾を引き抜くと、膨大な鮮血が噴き出す。更に二度、三度、尾を繰り出す。全身を貫かれたゼウスは、天に向けて絶叫した。

「わ、私が、このような下等に!?」

「貴様は確かに強い。 だが、足下を見ることを忘れては、もはや誰にも勝てぬ。 ましてや、ここカブキチョウは、わしの巣だ。 わしの巣で好き勝手な殺戮をしてくれたこと、体で贖って貰うぞ!」

動きが鈍ったゼウスの首を、後ろから貫く。圧倒的な力を持つ古代の神も、不意を突いてしまえば、こんなものか。

いや、いくら何でも、脆すぎる。

倒れたゼウスが、マガツヒとなって消えていく。その総量が、あまりにも少なすぎる。これは、術によって作り出した分身体か。そういえば、ゼウスには体の部品を外したり外されたりと言った逸話が幾つか残っていたことを思い出す。恐るべき力を持つ古代の神だ。それくらい、出来てもおかしくはない。奇襲には、分身で充分だと判断していたのだろうか。

今まで辺りを確認しているから、分かっている。幸いなことに、周囲に本体はいないようだ。ただ、生き残っているマネカタももう見あたらない。奴は力の何割かを失ったのだろうが、それでも戦略的な目標は達したという訳である。

食えない敵だ。分身のマガツヒを残らず吸い込むと、一瞬の虚脱の後また激しく争い始めたミカエルとオズを見やる。せいぜい共倒れになってしまえばいいと思う部分もあるのだが、そう言う訳にも行かないだろう。

また気配を消すと、闇に潜んでミズチは行く。

龍になりきれなかった蛇の神は、所詮は闇の中を這いずる存在であった。その心が、どうであろうとも。

 

オズはプラズマ球の性質から、奇襲を仕掛けてきていたのがゼウスの分身体だと気付いていた。燃えさかる辺りの様子からも、それは明らかである。相も変わらず、手段を選ばぬ奴よと、オズは歎息した。四天王寺が早々に片付いたから、此方に手を出してきていたのだろう。

オズが原型となったオーディンも、手段を選ばぬ非道な所が多々ある神である。荒々しい北欧の民によって作り上げられた神格であるから当然ともいえる。だがオズ自身は、武人としての性質が強く出ている存在で、今はただ、無体な行いに胸を痛めていた。

「はははははは、動きが鈍っているぞ、異境の神ぃ!」

大上段に振りかぶったミカエルが、高笑いしながら躍り掛かってくる。確かに動きは速い。剣も恐ろしく重い。だが、戦いの駆け引きには疎い。今の奇襲も、オズの術だと思っていたらしく、背後から本命の一撃が狙っているとは思ってもいなかったようだ。

所詮、多数派に支えられた神の僕か。一神教の圧倒的な後ろ盾があって、はじめて最強を名乗ることが出来た天使ミカエル。結局の所、神話には多数登場人物が必要である。神の最強を如何に述べ立てても、その手足となる神格的存在は必要なのだ。よって天使は着目された。元々、神話ではさほど高い価値の無かったミカエルも、そうして持ち上げられた存在の一つだ。

神々しさが協調されていく中、いつしか人間性が失われていった一神教の登場人物達。故に、様々な解釈が為された。ある意味気の毒な存在だなと、オズは思った。社会が複雑化するにつれて、必要となったであろう道徳の規範としての存在。だが、厳格になればなるほど、潜んでいる闇もまた、強くなっていったのだ。

オズは愛槍グングニルを構えると、振り下ろされる剣をはじき返し、また距離を取る。ミカエルは笑いながら、剣を突き込んできた。一応、グングニルが投擲用の槍だと言うことには気付いているという事だ。距離を取らせないようにして、戦ってはいる。だが、其処までだ。

ミカエルの剣が首を掠めた瞬間、オズが指を鳴らす。

今まで仕掛けておいた無数のルーン文字が、一斉に反応。ミカエルの全身に張り付いた。ずっと離れず戦っていたからこそ、ミカエルには見えなかったのだ。戦いながら、オズがばらまいていた無数の罠に。

「ぐうっ!?」

「ミカエルよ。 汝は確かに強い。 潜在能力も高いし、今手にしている権力も武力も強大だ」

ぐっと、拳を握る。ミカエルの全身が、締め上げられていく。ルーン文字によって造られた高硬度のワイヤーによって、炎が完全に押さえ込まれていく。炎という性質を吸収するように構築した文字列だ。もがくミカエルの表情が、徐々に焦りと絶望を含んでいく。さっきまで盾に使っていたルーン文字の列とは、強度も出来も違うのだ。もがけばもがくほど、締め付けはきつくなっていく。

「だが、それでは勝てぬ」

「お、おのれ、おのれえええええっ!」

ミカエルが、更に炎を燃え上がらせる。だが、ルーン文字の性質が力で破れるようなものとは根本的に違うのだ。

ミカエルは元々、かなり頭がよいはずだ。だが、政治闘争に使う頭脳は、あくまで戦場で必要とされるものとは別だ。グングニルで突き殺してやろうかと思ったが、やめた。さっきの様子から言って、敵には、ゼウスを屠り去った、ミカエルより手強いミズチがいる。しかもミズチは、巧みに此方の追求を逃れて、気配を消している。このまま隙が大きい必殺術を出すのは、かなり危険だ。

それに。このまま生かして置いた方が、ミカエルにはより無惨な末路が待っていることだろう。

「命拾いしたな、ミカエルよ」

罠をそのままに、オズは手綱を引いた。今度は自分が高笑いしながら、燃え落ちていくカブキチョウを後にする。

無念の悲鳴を上げ続けるミカエルが、その場に取り残されていた。

 

アマラ経路の深奥に戻ったオズは、待っていたゼウスの言葉で、ダゴンが戦死した事を知った。また、氷川を仕留めに行った日本武尊も戻らないという。奴は分身体を造ることを非常に得意としており、簡単に死ぬようなものではない。何かしらの理由で、此処には戻っていないと言うことだろう。

ゼウスに二言三言言ってやろうかと思ったオズだが、戦略的な目標は大体達成できた今、内輪で揉めても仕方がない。ノアはオズとゼウスが揃ったところで巨体を持ち上げる。もう一騎の古代神は、控えとしてずっとノアの側にいたからだ。ノアの体は、まだ完全になっていないようだった。

「大体報告は聞いたぜ。 ダゴンは残念だったが、まあよくやった方だな」

「次は、ニヒロ機構のオベリスク塔辺りが狙いですか?」

「いや、それはもういい。 どうやらカグツチが活性化し始めたみたいなんでな。 多分、ニヒロの氷川がコトワリを開いて、シジマって組織の連中に名乗らせ始めたからだろうよ」

なるほど、そのようなことになっていたとは。日本武尊は、そうなると完璧に暗殺に失敗したと言うことだ。戻れない訳である。もっとも、あの日本武尊が、簡単に敗れるとも思えない。奴の剣の呪いは強烈で、かすり傷でも着けば、ただでは済まないのだ。

カグツチが活性化し始めたというと、やはり創世が近いと言うことか。日本武尊が駄目なら、ゼウスかオズか、もう一騎かでどうにかして、氷川とバアルを弱らせなければならない。単体との戦いならノアと五分としても、双方と戦って消耗したところを襲われたらひとたまりもないからだ。もちろん、成し遂げるには二つの組織の死闘の隙を突くしかないだろう。或いは、両者が消耗する機会を狙うしかない。それには、高度な忍耐と判断力が必要となってくる。

なかなか、これからも苦労しそうであった。

「それでノア様、これから如何なさいますか」

「そうだな。 今は力を蓄えて、カグツチの出方を見るしかないだろうな」

シジマと名を変えたニヒロ機構も、ヨスガも、充分に戦力は削り取ることが出来た。後は対応能力を身につける前に、戦術を切り替えるだけだ。思った以上に切れ者だと、オズはノアの事を内心で評価した。だが、隣でほくそ笑んでいるゼウスは、どうもそうではないらしいというのにも気付いている。

ノアの前から退去しながら、創世の前に一波乱はありそうだと、オズは思った。

 

2,塔

 

琴音は、まどろみながら思い出していた。

ずっと昔。小学生だった頃。人間の世界がまだ存在していて、滅びるとは思ってもいなかった時の話。世間的には、何不自由のない生活というのをしていた。既に両親の愛情は側になかったが、それでも静かなことが好きだった琴音には、苦ではなかった。

その日は、学校を上げての行事で、大阪に来ていた。クラス別の行動が許されており、それぞれが投票で行きたいところを決めた。様々な史跡や店を回り、お買い物をして。夕方には、関西国際空港に集合することになった。最近造られたばかりの空港のロビーで、琴音は一人静寂を楽しんでいた。この空港は規模の割に人が少なく、級友とも距離を置きがちだった琴音には、非常に心地の良い空間だったのだ。

前を、通り過ぎていく無数の人間。同じクラスの生徒達は疲れて眠っているか、余力をもてあまして騒いでいるか、そのどちらかだ。以前、倍も体格がありそうないじめっ子を投げ飛ばしてからというもの、琴音を虐めようと考えるものは一人もいない。その上五月蠅く構ってくる者もいないので、こう言う時琴音は至福を感じることが出来た。

ただ、静かであればいいのだ。強い者は弱い者を守り、法は執行されて犯される事無く。それだけで、何もかもが上手くいくのではないのか。この頃から、琴音はそんな事を考えていた。今になってみれば、ニヒロ機構、いやシジマは本来琴音がいるのに相応しい場所だったのだろう。だから、抵抗なく入ることを決意できていた。

顔を上げたのは、妙な気配に気付いたからだ。ゆっくり辺りを見回すと、それはいた。黒づくめの男で、手には鈍い銀色のアタッシュケース。顔は目深に被った帽子で隠していて、露骨に挙動不審だった。

別の小学校の生徒らしい団体が、その場を通り過ぎる。誰もが、挙動不審な男を、見て見ぬふりをしていた。だが、そう思っていない者がいた。当の、不審な男本人である。彼は琴音から見ても気の毒なほどに怯えきっていた。禍々しい気配が、どこから来るのかは分からなかった。だが、すぐに思い知らされることとなった。

何の前触れもなく。アタッシュケースが、爆発したのである。

十メートル以上吹き飛ばされた琴音は、一瞬意識を失った。受け身を取る暇など無かった。気がつくと、全身はばらばらになったような痛みに見舞われ、辺りは悲鳴が飛び交っていた。

濛々たる煙。その中に立ちはだかる、黒い影。人間とはとても思えない。なぜなら、背中には翼があり、頭には角があったからだ。爆発で、黒装束の男は、瞬時に木っ端微塵になってしまったらしく、姿はない。辺りには、ばらばらになった死骸や、悲鳴を上げてのたうち回る怪我人が転がっていた。

影がうなり声を上げて、ぬっと煙を破って顔を出す。悲鳴が上がった。琴音も見てしまった。それは、あまりにも巨大な山羊の顔をしていたのだ。半裸の体を剥き出しにしたその山羊は、無造作に転がっている怪我人の一人をつまみ上げると、口に運んだ。山羊の口が動き、怪我人の上半身が消滅すると、更にパニックが広がった。身動きできない琴音は、奴の足下に倒れている同じ年くらいの少年を見ていた。今になって思えば、彼が榊秀一だったのだろう。

そして、場に割って入ってきた者がいた。突如現れた、二メートル近い巨漢が跳躍、山羊を巨大すぎる拳で殴り飛ばしたのである。巨体が冗談のように揺れて、地面に叩きつけられる。雄叫び。どちらが怪物か分からない。立ち上がろうとする山羊の角を掴むと、巨漢が無理矢理引き抜いた。鮮血が飛び散り、山羊が苦痛の悲鳴を上げた。

毛むくじゃらの手が、巨漢をはじき飛ばす。だが、巨漢は綺麗に受け身を取り、逆にその手を取って、孤を描いて投げ飛ばす。そして、腰を落として正拳突きの構えを取った。逃れようとする山羊へ、炸裂する拳。血を吐いてのけぞった山羊の胸が、陥没しているのが琴音からも見えた。地響き立てて、山羊の怪物が倒れる。その体から、マガツヒに似た赤い何かが、周囲に降り注いでいった。

巨漢が振り返る。金剛力士像のような、何の笑顔もない、修羅そのものの顔だった。倍もありそうな巨大な怪物を、真っ正面からの勝負でねじ伏せたというのに。まるで満足した様子がなかった。そればかりか、怪我人を救ったという感慨もないようで、つまらなそうに、崩れて消えていく怪物を見ていた。

この男が、徳山徹であった。後に、トールの核となった存在である。後で執事の薦めで武術を教わった時に聞いたのだが、人外の者と戦ったのはこの時が始めてであったという。この当時から、既に並の悪魔よりも遙かに実力があったという訳だ。

ゆっくりと、視界がクリアになってくる。自分を覗き込んでいる、カエデが見えてきた。カエデにすがりついている、ユリの姿もある。

「大丈夫ですか? 琴音将軍」

「昔の、夢を見ていました」

半身を起こす。手術着を纏っているので、体中がスースーした。脇腹の痛みは、まだ消えていない。カエデが難しい顔をしていることからも、状況が悪いことは分かった。

「ユリ、ケルベロスさんの所に行っていてもらえますか?」

「コトネ、凄く辛そうだよ。 大丈夫?」

「私は、大丈夫ですから」

しばらく躊躇していたユリだが、頷くと、隣室で待っているケルベロスの所へ向かう。この間琴音の行く末を見届けたいと言って現れたケルベロスは、そのまま居着いてしまった。邪険にする気も起こらないので、好きなようにさせている。事実、ユリの世話もしてくれるので、琴音にはありがたかった。旧マントラ軍の仲間と戦うことにも抵抗はないようなので、シジマの皆も黙認している状況だ。もちろん、スパイである可能性もある。だが、琴音はそれは低いと思っていた。ケルベロスは典型的な武力に誇りを持つタイプの悪魔であり、そのように卑劣な行為を申し出るとは思えない。

今、琴音はカエデによる呪術の検査を受けていたのだ。麻酔の術式を掛けて、その間に大規模な全身の検査と、手術をしたらしい。側にはチューブの類や、CTスキャナーに似た機械類が林立していた。ユリが隣室に消えたことを見計らうと、カエデは助手の悪魔達を下がらせて、ゴム手袋をバケツに捨てながら、声をおとした。

「もう気付いていられるようですが、状況はよくありません。 普通の悪魔だったら、受けた瞬間に即死するような呪いでした。 本来は地域ごと汚染するような戦略級威力の呪いが、凝縮されていたのです。 内臓系に巣くっていた大本は除去しましたが、今や血液にまで呪いが浸透しています。 貴方の快復力なら、しばらく安静にしていればいずれは治るでしょうが、しかし大きな怪我をしたらすぐにでも勢力を盛り返すでしょう」

「でも、これからトールやバアル、それにムスビの悪魔と戦うことを考えると、そうも言っていられません」

「そう、でしょうね。 貴方はそう言う方です」

だから、応急処置はしたという。カグツチの動きがおかしい今、本格的な処置手術をしている暇がないというのが事実らしく、カエデは歯がゆそうにしていた。

無理をすれば、死ぬと宣告されたに等しい。琴音は脇腹の傷をさすると、寝台から起きる。手術衣から普段着に着替えて、隣室へ。ケルベロスが待っていた。ユリはずっと手術に立ち会っていたらしく、座っているケルベロスに寄りかかって、眠り込んでいた。ライオンに子兎がなついているようで、妙に癒される光景だ。

「サマエル、あまり無理ばかりするな」

「あまり自覚はありません。 私は、無理をしているのですか?」

「している」

即答されたので、琴音としても返す言葉がなかった。今まで体力のギリギリまで働くことは珍しくもなかったし、個人的な休暇にもあまり興味はなかった。守れるものを守るために、琴音は出来ることをしてきたつもりだ。あのシブヤでの悲劇以来、その姿勢に変化はない。

だが、それがいつの間にか無理になっていたのだというのなら。確かに、ある程度自粛はするべきなのかも知れない。

「サマエルは、多くの者を守ってきた。 だが、今はサマエルを守る者がいない」

「力を得た者が、そうでない者を守るのは当然です」

「そうか。 だが、俺には、サマエルを守る者がいてもいいと思うのだがな」

やはり、自覚はない。かって、クレガとフォンがそうであったような気もする。

壁に掛けておいた、治った愛用の虎徹を手に取ると、外に出る。器用に背中にユリを乗せて、ケルベロスが着いてくる。白銀の体毛が、不安定になってきているカグツチの明かりを反射して、きらきらと輝いていた。

虎徹を構えて、何度か振るう。体の方は、それほど重いとは思えない。精神を集中すると、世界に自分だけしかいないような気分になってくる。そうすると、とても落ち着く。何度か、気合いと共に刀を振るった後、目を閉じる。

究極の無の中、己を極限までとぎすます。

しばし無の中にいた後、目を開けた。ケルベロスが、側でじっと見ていた。

「貴方は、どうして私を見届けたいと思ったのですか?」

「人修羅もそうだが、サマエルの生き方はとても強いものだ。 だから、俺は心が惹かれた。 それに、サマエルには、何か感じ入るものがある。 これからも、良ければ側で見届けさせて欲しい」

自分に近しい存在などいただろうかと、琴音は小首を傾げた。だが、今はユリを守ってくれる戦力も、マネカタ達を守ってくれる悪魔の人手も欲しい。

「分かりました。 これからもお願いします」

何か、ケルベロスが言いかけた瞬間だった。

煌天に近い輝きだったのに。不意に、世界の全ての光が、消えたのである。

 

額の汗を拭いながら、小走りでカエデはシジマ本部へ急いでいた。ギンザにある本部は、元々大型の悪魔も入れるように設計された施設である。多少狭いが、アーリマンも入ることが出来る。

辺りは、静天の時のように真っ暗だ。騒ぎが既に始まっていた。親衛隊を伝令代わりに使って、辺りの治安を確保させてから、カエデは本部へ向かった。途中で、ニュクスがカエデを見つけて手を振ってきた。

「あら、遅かったわね」

「はい、すみません」

「罰として、さっき発掘してきたお洋服を、後で着て貰おうかしら。 今度のはすごくおっかないのだから、ちょっと嫌がるかもと思ったけれど、良い機会だわ」

真っ青になるカエデを見て、ニュクスは冗談だとけたけた笑った。多分冗談ではないのだろう。後で着せられるに違いない。可愛いお洋服を着ること自体は嫌ではないのだが、怖いのはちょっと困る。それに、今は一刻が惜しいのだ。

会議室にはいると、少し手狭の中、幹部が集まっていた。最上座に座ったアーリマンは、少し心地が悪そうである。天井に頭がつっかえそうなので、それも無理はない。カエデが自席に座ったことを確認すると、術式を展開。どうやら、木人形を意思通り動かすものらしいと、詠唱の性質からカエデは見抜いた。事実、アーリマンの足下にある木人形が指を動かして、キーボードを叩き始める。氷川司令は指が見えないほどにキーボードが早かったが、それに勝るとも劣らない。

末席にクロトがいることに、カエデは気付いた。泣きはらした目をしている。アーリマンが巨体を揺すり、周囲に声を掛ける。

「皆も既に知っているだろうが、カグツチが不意に輝きを失った。 観測班の話だと、なにやら内部で巨大な力が動いているという。 恐らく、創世の時が来たのだ」

おおと、声が上がる。カグツチの様子がおかしいことは、随分前から分かっていた。だがそれが、このような結果に結びつくとは。

だが考えてみると、無理もない話である。コトワリの頂点に立つのは、太陽がごときカグツチであることは自明の理。今、コトワリが出そろった状況で、そのカグツチが動き出すのは当然であろう。

「そしてこれはまだ未公開情報なのだが、オベリスク塔から、既に守備隊を避難させた」

「何かありましたか」

「ああ。 どうやら彼の地だけ、カグツチの輝きが未だ届いているらしい。 何かが起こる前兆だと考えて良いだろう」

「すぐに、アマラ輪転炉から、情報を採取します」

カエデの発言に、アーリマンは頷く。続いて、定常報告が入る。シブヤは、ほぼ壊滅。襲撃を仕掛けてきたダゴンは討ち取ったが、しかし司令官をしていたミジャグジさまも死んだという。

ムスビの強大な悪魔を相手にして、相打ちに持って行けたのだ。よく戦えた方だと言える。だが、悲しいとカエデは思った。ミジャグジさまは多少粘着質な所があったが、それでも優しいおじいさんだった。シジマというよりも、任されたシブヤを守ることに拘泥はしていたが、必要な時は助けてくれたし、カエデも随分よくして貰った。一緒に肩を並べて戦ったことだってある。

しばし黙祷して、カエデはミジャグジさまの死を悼んだ。

クロトは、その時に戦線復帰して、ダゴンの目を潰すなど、奮戦したという。だが、ミジャグジさまを救えなかったと、ずっと泣き通しであった。サマエルは複雑な表情である。何でもダゴンに洗脳された姉二人に殺され掛けた後、クロトはずっと精神が崩壊していたらしく、アサクサで療養を受けていたという。今シジマで医師として旧アサクサの者達を主に診察しているアンドラスが手を施した後、何らかの切っ掛けで回復したらしいことは分かっているのだが、本人が黙して語ろうとしない。

「クロト将軍には、また前線に戻って貰おう。 それで意義はないかな」

「はい、氷川司令……いや、アーリマン様」

「うむ。 では、後はユウラクチョウ近辺に布陣しているヨスガの軍勢に対する戦略だが」

その時、不意に地面が揺れた。震度に直すと、三以上はあるだろう。天井から埃が降ってくる。不快そうに眉をひそめるアーリマン。最初に声を張り上げたのは、スルトだった。

「どうした、何者かの攻撃か!」

「今、調べています!」

ばたばたと親衛隊が走り回る。今の感触からして、かなり遠いとカエデは思った。少なくとも、本部に対する攻撃ではない。連続しないことからも、バアルやヨスガ悪魔によるユウラクチョウ襲撃でもないだろう。

「状況が、分かりました!」

「何があった」

「そ、それが。 映像を見ていただくのが、一番だと思います!」

メインモニターに、その光景が転送される。カエデは、思わず口を両手で塞いでいた。

アーリマンの判断は、正しかったのだ。

オベリスク塔が、消滅していた。正確には、押しつぶされていたのだ。

カグツチから伸びた、巨大極まる塔によって。無惨に、周囲に散らばる残骸が、その破壊の凄まじさを告げていた。

ざっと見たところ、塔はオベリスク塔に比べ、十倍前後の直径がある。高さは文字通り天にも届く代物で、そのままカグツチに伸びている。いや、逆だろう。この状況からいって、カグツチからあの塔が伸びてきたのだ。

「何という凄まじさだ。 塔に誰か残っていたら、ひとたまりもなく全滅していただろうな」

戦慄を含ませながら、フラウロスが言った。シジマ随一の豪傑がこれほどに驚いているのである。他の者達の驚愕と困惑は、雀蜂に襲われた蜜蜂の巣を思わせる程であった。カエデもしばらくは思考停止に陥っていたが、すぐに論理的な思考構造を取り戻す。

「すぐに、出陣の準備をしてください。 恐らく、ヨスガやムスビも即座に出撃してくるはずです」

「お、おう。 そうだな。 それなら、全軍を出撃する準備をしなくては」

「あの規模から言って、すぐに出撃しても混乱するだけだ。 まず偵察隊を出して、内部を探らせるべきだろう」

カエデの言葉に、早速議論が開始された。多くの人材は失ったが、まだシジマは内部が非常に健全な状態だと、これでよく分かる。アーリマンが、膝を一打ちする。巨大な牙が生えている顎を動かして、言った。言葉遣いは氷川司令とは違うが、威厳は以前の通りである。

「カエデ将軍の言葉や良し。 まず全軍を、塔の近辺まで進める。 ブリュンヒルド将軍は一足先に出撃し、ヨスガとムスビの動向を探れ。 出来るだけ、塔の中も確認し、戦略的な拠点も抑えるようにせよ」

「御意」

「フラウロス将軍は精鋭を率いて、敵の先鋒を出来るだけ抑えよ。 私はカエデ将軍と共に、主力を率いて塔に向かう。 今回は、各組織にとって、最後の戦となるだろう。 戦力となる存在は、全て駆り出す必要がある。 普段は警備に回っている悪魔達にも、戦って貰うことになる。 総員、出撃の準備にかかれ!」

全員が立ち上がると、一斉に敬礼した。

カエデは思う。この煉獄、ボルテクス界にも、いよいよ終わりが来る。そしてコトワリを開く者が出たら、全てがそれに従わなければならなくなる。

ニヒロ機構の、シジマの思想は、正直カエデにはベストだとは思えない。だが、シジマにいる皆のことは好きだ。守りたいとも思う。膨大な恩義もあるが、皆が好きであると言うことも大きいのだ。だから、命を賭けて戦う。カエデを受け入れてくれたこの組織は、今や家だ。皆は家族だ。

だから、守る。守り抜く。

偵察に出ていた兵士達からも、報告が上がり始めた。よくしたもので、ヨスガも各拠点の防衛戦力まで繰り出して、カグツチの塔へ向かっているという。多分カグツチに先に辿り着いた方が勝ちなどと言う単純な話ではないだろうから、塔の周辺で、今までにない死闘が発生することだろう。

文字通り、最後の戦いだ。

慌ただしく、戦いの準備が始まった。攻城兵器も、あるだけ持ち出される。戦いに仕えそうなものは、根こそぎ動員される。今まで蓄積していたマガツヒも、根こそぎ持ち出されることになった。

本部から出てきたアーリマンを見て、皆が喚声を上げる。巨大な赤い魔王が空に向けて吠えると、一斉に雄叫びが上がる。カグツチが、再び輝き始めていた。今までにないほどの強い明かりが、周囲を照らしている。

戦闘本能が、全身から引き出されるような感触だ。元々平和主義の性向が強いカエデでさえこれだ。精神が弱い悪魔に到っては、同士討ちをしかねない。

カエデはこの間の戦い以来乗騎にしている蛇の悪魔に跨ると、サマエルが来たことに気付く。側には、ユリを背中に乗せたケルベロスの姿もあった。

「その子も連れて行くんですか?」

「危険であることは分かっています。 でも、マガツヒを生み出す能力は、役に立つと思います」

本人も同意の上だと、血を吐きそうな顔で、サマエルは言った。

弱い者は、弱いままでいいとサマエルは言う。だが、強くなろうとする者を、止めようという気もまた無いらしい。ユリの目には、強い決意の光がある。どんなに幼くても、この光を持つ者を止めるのは野暮だ。

まず、フラウロス隊が出撃していく。前回の戦いでかなり消耗しているが、それは敵も同じだ。今回は各部隊から精鋭を選抜して加えている。カエデ隊からも、何名か譲渡した。ギンザの街の入り口で、兵の編成を続けるカエデに、フラウロスは敬礼した。

「行ってくる。 敵を出来るだけ引っかき回してくるが、援軍は急いで送ってくれ」

「分かっています。 今回は敵も総力を挙げてくるでしょうから、気をつけてください」

「ああ。 トールの野郎が来た場合は、俺だけじゃあどうにもならんかもしれんからな」

冗談めかして、フラウロスは口の端をつり上げる。サマエルを着けたいところだが、それでは作戦が破綻する。まず敵の出方を見るのがフラウロス隊の仕事。トールと死闘を行うのはカエデ隊の役割だ。

そして、万全な状態のアーリマンに、バアルと戦って貰う。

バアルさえ倒せば、ヨスガは終わりだ。守護である以上、カエデの貫通もいざというときには役に立つと思うが、奴の実力は文字通り桁違いだ。正面からぶつけては、無為に死者を出すばかりである。守護に迫れるのは、ムスビの悪魔の他は、多分三騎のみ。サマエル、トール。そして、人修羅。人修羅は、ミトラを殆ど独力で屠り去ったと聞く。他のデータからも、サマエルやトール級の実力が今や備わっている事が分析できる。手強い相手だ。だが。不思議と敵意が湧かない相手でもある。

第二陣が出陣していく。続いて、第三陣。消耗の大きかった師団は、分散して編成し直した。指揮官が戦死した部隊も、同じように処理する。マダの率いていた精鋭部隊も、フラウロス隊とカエデ隊に半々で分けた。

第四陣は、ニュクスが率いる。ニュクスも急ぎで出て行ったので、お着替えはさせられずに済んだ。と言うことで、少し前から薄い紺のブレザーをずっと着た切りである。袖に手が半ば隠れてしまうほどぶかぶかなのだが、それがニュクスには良いそうだ。ニュクスの考えることは、いつもよく分からない。

ゆっくり翼を拡げたアーリマンが動き始める。カエデは中軍に進発するように命令をして、蛇の悪魔に跨った。

振り返ると、ギンザの街は、光も人気も消えていた。非戦闘員だけが残った。いざというときには、避難できるように訓練はしてある。しかもこの状況で、非戦闘員だけしかいない街を襲っても、何ら意味はない。ヨスガにとってもそれは同じ筈。各地の守備隊をかき集めて、全力で勝負に出てくるだろう。

兵員は、予備役兵を加えて十万を切っている。前回の戦いで、それだけ消耗したのだ。ヨスガは六万五千程度であろうと試算が出ていた。敵の総合力から考えて、かなり良い勝負が挑めるはずである。

ケルベロスは最後尾の予備部隊に配置した。サマエルはすぐ側にいて貰う。敵の大型悪魔というと、毘沙門天、ミカエル、メタトロン、それにトールが残っている。今回はカエデ自身の手で、このうち二騎は屠りたい。そうすれば、敵将への道を造ることが出来るだろう。

「琴音将軍」

「何でしょうか」

「負担が大きくなってしまって、申し訳ないのですが。 トールの相手をしていただけませんか」

「無論です。 私はあの男を斬るために、此処にいますから」

首を振ると、カエデは横を飛んでいるサマエルに、時間を稼ぐだけで良いと告げる。トールは確かに強い。だが、一騎の強さには限界がある。1000騎の兵には匹敵するかも知れない。しかし、10000の兵の前には無力だ。この間戦って、それがよく分かった。奴は最強の戦士だが、それが故に限界もある。

そして、一騎であるが故に、複数の戦場で猛威を振るうことは出来ない。サマエルが抑えておけば、それだけで無力化できるのだ。

毘沙門天は恐らく敵中軍の指揮を執るだろうから、此処はミカエルとメタトロンを狙いたい所だ。ミカエルには、勝てる自信がある。もちろん手強い相手だが、油断さえしなければ、今のカエデなら勝てる。問題はメタトロンだ。天軍最強の戦士であり、神の剣とも呼ばれる天使。その実力は、様々な神話によって裏付けされている。

戦場に着くまでに、戦術を幾つか練っておく。後、問題になるのが人修羅だ。直接顔を合わせると、かなり面倒そうである。連れているのも一騎当千の強者ばかりで、対処が難しい。

それについても、もし正面から戦う場合は、作戦を造っておかなければならなかった。

 

ヨスガは全軍で行動を開始していた。

各地の守備隊を動かして、本隊に合流。そして今まで虎の子だった空中城塞、シナイ塔を移動。内部の戦力と共に本隊の機動支援要塞として活用していた。位置も大きく動かしており、かってオベリスク塔があったカグツチ塔の近くに、全軍で布陣している。今、空軍が敵の空軍と激しく戦っている他は、偵察部隊が少数、カグツチ塔の中を探っている状況だ。

まだ全軍は塔に攻め込んでいない。しかしトールの前で、面白い見せ物が始まっていた。鎖を巻き付けられたミカエルが、バアルの前に引きずり出されてきたのだ。

蒼白になっているミカエルを、かっての部下である天使達でさえ見下している。ミカエルに鎖を掛けたのは、カブキチョウからゼウスとオズを追い払ったミズチであった。

バアルは表情を全く動かさずに、無言でミカエルを見つめている。ミズチの告発は苛烈を極めた。マガツヒの過剰な私物化。さらには独立の示唆。しかも、それだけの事をしておいて、結局オズに破れたこと。

幾つかの部隊を秘密警察化していたことも、幾つかの証言から分かっていた。その中には、ミカエルが信頼しきっていた天使からの告発もあった。怪しいと思った毘沙門天が、手早く手を回していたのだという。

呻くだけで、ミカエルは反論しない。圧倒的な力を得たと思っていたのだろう。それがオズ一騎に破れたばかりか、こうして鎖を掛けられて、今ヨスガ幹部に囲まれている。得意の絶頂から、死地への転落である。

トールにはあまり覚えがないので、どんな気持ちかはよく分からない。ずっと拳を磨くために生きてきたからだ。自分より強い者がいると常に思っていたし、おごり高ぶったこともない。最強だとか周囲が言っているが、そう思ったことはただの一度もない。事実、バアルには勝てない可能性が高いと思っている。

玉座にて足を組んでいたバアルは、神像そのものであった。冷たい視線が、ミカエルを射貫く。その側には、肩身が狭そうに、四天王寺を壊滅させられたオルトロスが縮こまっていた。

「何か、申し開きはあるか」

「こ、これは陰謀です! 私は自力で、奴に、オズに勝てるはずでした! それが」

「実戦では、相手の戦術次第で、戦力差はひっくり返る事もある。 戦略がしっかりしている場合はまず無いが、お前の場合はそちらも穴だらけだった。 歴戦の相手に油断したばかりか、ただ力だけが大きいことに舞い上がってしまった。 負けは順当なところだろう」

冷然と指摘するバアルに、ミカエルは絶句。トールも正論だと思って頷いた。バアルにとって、力とは単純なパワーではない。頭脳や操れる術式も含めた総合的なものであるらしい。ただ腕力にものを言わせるだけの輩よりも、遙かに現実的で、かつ厄介な代物だ。だが、それがいい。

「それで、このままだと貴様は死罪だが」

「そ、そんな! バアル様!」

鎖を揺らして、ミカエルは懇願。情けないを通り越して、あきれ果ててしまう。ミズチの話だと、世界最強になったと誤認した挙げ句、不遜な台詞まで吐いていたというのに。ミズチは鼻を鳴らすと、ミカエルから視線を逸らしていた。この場合は密告ではない。正当な告発だ。

「今、我が軍の戦力は枯渇しつつある。 お前のような低脳であっても、活用しなければならないのが辛いところでな」

俯くミカエルに、バアルは足を組み替えながら言う。声は、氷点を遙か下回っていた。バアルは無能者を憎む。弱者と同じか、それ以上に、だ。

「最後のチャンスをやろう」

「……あ、ありがたき幸せに、ございます」

「オルトロス」

「はいですだ!」

慌ててお座りをしていたオルトロスが立ち上がると、側にあるプレートをくわえ、尻尾をふりふり持っていく。つぶらな目は他の悪魔達には愛らしく映っているようだが、バアルは心を動かされている様子がない。プレートを取り上げると、バアルはそれに目を通しながら言う。

「現在、ガブリエル率いる空軍が、シジマと名乗り始めたニヒロ機構の先発隊と交戦している。 また、砂漠の向こうでは、フラウロス隊が攪乱を開始していて、本隊の到着までに此方の戦力を出来るだけ削る動きを見せている」

「ぎょ、御意」

「此奴らを完膚無きまでに叩いていては、敵の本隊が来た頃には、我が軍は息切れしてしまうだろう。 そこで此方は、フラウロス隊には押さえだけを置いて、本隊をカグツチ塔に急行させる」

カグツチ塔を上り詰めれば、コトワリが開かれるなどと言う簡単な話ではないだろう。トールが見たところ、バアルが狙っているのは、敵の本隊を先に内部を把握したカグツチ塔で迎え撃つ事だ。聳え立つカグツチ塔の規模から言って、内部を完璧に抑えるのは無理だろう。しかしながら、位置的な有利を占めれば、敵に対して五分以上の戦いを挑むことが可能だ。

「捨て石が、其処で必要になる。 お前には、その捨て石になって貰おうか。 嫌だといえば、その場で首を落とす」

ミカエルは真っ青なまま俯く。嫌だと言えば、バアルは発言を実行するだろう。この場で有無を言わさず、間違いなく首を落とされる。しかし、はいと応えても、カエデ率いるシジマの本隊と、寡兵で真っ正面から戦うことになるだろう。そればかりか、フラウロスを抑えることだけでも、ミカエルごときでは可能かどうか。

面白い見せ物だと、トールは思った。

バアルは指先を動かす。それだけで、ミカエルを抑えていた鎖は粉々に砕け散った。結構強い魔力で構成されていたはずなのに。バアルの力は、この一瞬にも、更に高まりつつあるようだった。

「メタトロン」

「はい」

「お前もミカエルに加勢せよ。 出来るだけ敵の足を止め、力をそげ。 敵の上級士官を一騎でも多く仕留めてこい」

「御意」

言葉少なく応えたメタトロンは、ミカエルを軽蔑の視線で見つめていた。失笑している悪魔も周囲にはいる。完全に自業自得で、捨て石にされたのだから無理もない。だが、彼らにとっても明日は我が身なのだ。

バアルは誰に対しても、同じように接する。古参だろうが無能だと判断すれば使い捨てるし、有能なら新参でも愛でる。唯一特別な存在だったベルフェゴールでさえも、あまり厚遇はされていなかった上に、使い捨てられた。

あまり笑っている場合ではないのになと、トールは思う。もちろんトールも、いざとなったら容赦なく斬られるだろう。怖い怖いと、トールは含み笑いと共につぶやいていた。その怖さこそが、トールにとっては心地よいのだ。

ミカエル、メタトロンに加えて、あまりバアルが評価していない悪魔10000程がその場に残される。

程なく、フラウロス隊が現れた。数はおよそ12000。

死闘が始まるのに、そう時間は掛からなかった。

そして、勝負がつくのにも。

 

3,マネカタのいる意味

 

アサクサで、秀一は塔の降臨を目撃した。巨大なオベリスク塔を、轟音と共に更に巨大なカグツチの塔が押しつぶす光景は、兎に角凄まじかった。砂漠が核爆発でも起こったように吹き上がり、砂塵はアサクサまで押し寄せてきた。一瞬闇に覆われた世界の中、マネカタ達はただ呆然と、あまりにも及びがたい世界の出来事を、見つめ続けていた。

地鳴りが収まってくると、辺りで囁き声がかわされ始める。今までは、それさえもなかった。秀一は良い傾向だと思った。だが、まだ足りない。

カザンが引っ張ってきたシロヒゲは、十歳は老いたようだった。彼もカグツチ塔の降臨を見つめ続けていた一人である。秀一に向けて、老人は言った。

「あの塔を登り切れば、カグツチに文句を言えるのかのう」

「文句を、言いたいのか」

「わしらは、マガツヒを絞るためだけに産まれてきた。 死ぬ思いで逃げ出してみれば、今度は愚かな連中同士で内紛になりかけた。 それに、その挙げ句に、街は悪魔に灼かれてしまった。 確かに自業自得ではある。 だが、こんな悪魔だけが生きられるような世界に、何でわしらのような弱者を作り出したのじゃ。 それくらいの文句は、言ってもばちは当たるまいて」

シロヒゲの目に、生気が戻り始めている。怒りと、それ以上の悲しみが宿った老人の目は、見ていて悲しかった。慰める訳ではないが、秀一としても、今後の抱負を語っておきたくなった。

「カグツチは、創世と共に、俺が叩きつぶす。 その時には、シロヒゲの分も、一発殴っておく」

「そうしてくれ。 それで、人修羅殿。 わしらのような弱者には、一体何が出来るんかな」

「まず、皆を集めて欲しい」

出来ることは、ある。

もともとマネカタは、悪魔にはどうやっても出来ない特殊能力を備えている。そう、マガツヒを自力生産するというものがそれだ。マガツヒの生産は、人間にも出来る。マネカタは気の毒なことに、人間ほどのマガツヒは、生産できない。

しかし。これだけの数が揃えば。そして、魔術の力を借りれば。

ぎらぎらと輝いているカグツチの下で、カザンとシロヒゲに集められたマネカタ達が、秀一の前に並び始める。あまり演説の類は得意ではない。だから、彼らの情念にだけ訴えたい。

台が用意された。持ってきてくれたのは、サルタヒコだ。アメノウズメはまだ目を覚まさないリコに尽きっきりである。サナも回復術を掛けると言って、この場から離れている。多分、腐っているマネカタ達と接するのが嫌なのだろう。

演説の前に、しておくことがある。秀一は小指を軽く傷つけると、血を地面に垂らした。そのまま、大きく円を描いていく。二重の円の中心に、生と一文字。これだけで、充分だ。魔術的な補佐は、今まで喰らったマガツヒの中に知識がある。

印を組み、術を完成させていく。詠唱をしながら、舞うようにして体を動かす。胸の前で、手を一打ち。そして、円の中心に、手を置くと、つぶやく。

「よみがえれ、邪神マダ。 我が助けとなれ」

ずるりと、全身から力が吸い上げられていく。元々かなり高位の邪神である。さっきカズコが出してくれたマガツヒが、根こそぎ消耗されている。目を閉じて、歯を食いしばる。辺りの地面が揺れ始め、ほどなく、至近に大きな気配が誕生していた。

呼吸を整える。顔を上げて、立ち上がる。

円の外に、四本の腕を持つ、巨大な邪神が立っていた。視界を塞ぐほどのその体躯は、国会議事堂で打ち破ったマダだ。英傑が揃ったニヒロ機構でも豪傑として名高かった悪魔である。マダは辺りを見回すと、大きく歎息した。

「何だかしらねえが、お前に俺は再生されたって事か」

「ああ。 今後は、力を貸して欲しい」

「……嫌だって言いたいところだが、そうもいかねえよな。 分かった、良いぜ。 ただ、一つ条件がある。 俺は弱い奴を無意味に殺したくはないんだがな」

「いいだろう。 それについては、俺も最初から命じるつもりはない」

意外とぐずらなかったので、秀一は安心して、マダと握手した。それに、かなり好感が持てる男である。以前から聞いていた、気の良い男だという噂は本当であったらしい。今後は頼りになる仲間になりそうだった。

周囲に集まってくるマネカタは、増える一方だ。一万弱と言えば、それなりの数になる。マダに頼んで、大きな材木を運び、辺りに文字を書いていく。この辺りを、巨大な魔法陣へと変えるのだ。

マダにどう文字を書くかは指示し終えたので、秀一は台に乗って、マネカタが集まるのを待つ。殆どが無気力そうな顔をしていたが、ある程度思考力を取り戻している者もいるようだった。皆粗末な服を着ていて、少数だが子供もいた。カズコはリコの所に行っているから、秀一の側にいる人数は少ない。皆、遠巻きに秀一を見ていた。大人の中には、秀一の姿を見て、罪悪感を感じている者もいるようだった。

琴音も、秀一も、マネカタのために戦って傷ついた。そして今、この誰も顧みなくなった街に、秀一は来ている。マネカタのために働いてくれたのに、何一つすることが出来なかった。マネカタ達も、忸怩たるものを覚えるのだろうかと、秀一は思った。

一通り、マネカタが集まった。台の側に、カザンが立つ。秀一は咳払いすると、無数に立ちつくすマネカタ達に、呼びかけた。

「今、皆に俺は問いたいことがある」

反応はない。最初から、期待はしていない。だから、そのまま続ける。

「このまま、弱者で良いのか。 負けっ放しで良いのか。 君たちに、俺は聞く。 いいのか、このまま負けていて」

マネカタ達が顔を見合わせる。中には悔しそうにする者もいたが、ほんの一部だった。それも、仕方がない話である。

アサクサを襲った、あの悪魔の大軍勢。圧倒的すぎる力の差。必死に戦ったマネカタ達を蹂躙する攻撃術。鉄のような拳。その全てが、此処に生き残ったマネカタ達にはトラウマであることだろう。

マネカタは、人間の愚かさと弱さを凝縮したような存在だ。もっとも、彼らが人間であっても。反応は多分、同じだろう。あれほど圧倒的な力に踏みにじられて、なお物理的に戦おうという者など、どれだけいるというのか。

少なくとも、秀一が暮らしていた東京に、そんな気概のある者はいた記憶がない。威勢が良い者ほど、尻尾を振って強者に媚びただろう事は想像に難くない。近年ではインターネットなどの相手が見えないところでだけ調子が良いような者もいた。

だから、マネカタの反応に怒りは湧かない。怒りを覚えるのは、彼らが立ち上がろうとさえしないことだ。自分なりの方法で、一矢を報いようと考えないことだ。

「もちろん、悪魔と直接戦え等とはいわない。 俺が見たところ、君たちには、君たちなりの強みがある。 それを生かして、彼らに一泡吹かせたい。 そう、思わないのか」

「そ、その。 僕たちの強みって、何ですか?」

やっと、聞き返す勇気のある者が現れた。この空気を逃してはならない。戦いの中、場の流れを読めるようになってきている秀一は、更に話を核心へと進める。

「それは、人間と同じように、感情からマガツヒを作り出す能力だ」

「で、でも、僕たちは前も貴方やサマエルさんに、力を分け与えてきました」

「だから、一矢も二矢も報いることが出来た。 あの戦いで、ヨスガの上級悪魔は何体も命を落とした。 鬼神増長天、熾天使ウリエル、熾天使ラファエルもだ。 皆、君たちが力を貸してくれたから、倒せたのだ」

それは、事実だ。マネカタ達が気付いていない、あの戦の真実。

アサクサという強力な補給施設がなければ、秀一も琴音も、彼処までの奮戦は出来なかっただろう。秀一がアサクサを大事にしてきたのも、それが理由である。事実、マネカタ達から集まったマガツヒで、随分力を上げることが出来た。

そして、今。

此処は誰もが知りながら、誰もが顧みないという、補給基地としては最高の立地条件を得ているのだ。

秀一は、手にしている円盤を掲げる。もちろん、祐子先生の形見である、ヤヒロヒモロギだ。

「此処に、ヤヒロヒモロギという道具がある。 マガツヒを内部に蓄え、生け贄の役割をも果たすものだ。 本来は守護を呼び出すために使う道具だが、これを俺は電池として使いたい。 君たちが放出したマガツヒを此処に蓄えて、最後の戦いに出向くんだ」

戦闘では、マガツヒは幾らあっても足りない。

カズコが放つ膨大なマガツヒでさえ、戦闘時は物足りなく感じてしまうほどだ。ユリがいても同じだろう。だが、これを使えば、それを解決することが可能だ。大量のマガツヒを、実に容易に運搬する事が出来る。

そして、其処に詰まるのは、マネカタ達の命の結晶。悪魔達がゴミと蔑ずんだ、マネカタ達による反抗の牙なのだ。

数は、一万。しかもそれを、魔法陣によって増幅する。想像を絶する量のマガツヒを、一気にヤヒロヒモロギへ蓄えることが出来る。

「俺は、君たちの力を使って、他のコトワリを倒す。 力を貸して欲しい」

「その、人修羅さんのコトワリだったら、僕たちは生きられるんですか?」

「それは、君たち次第だ」

創世の後、ボルテクス界に生きる者達がどうなるかは分からない。一度全ての者が死に、再構成されるのかも知れない。だが、そうなってしまうのなら、誰もが生き残れないことになる。考えても仕方がない。

秀一の考えるコトワリは、かっての世界の延長。人間が、宗教に頼らずとも生きていけるほど強い世界。このボルテクス界でも、宗教に近いものはあった。マネカタ達は、フトミミを神として崇めた。悪魔達による、守護を降ろした指導者達に対する崇拝も似たようなものだ。

それが無くとも、各人が生きていける世界であれば。

マネカタのように弱い者達でも、必ずや生きていけるはずだ。ただし、彼らの努力次第であろう。

「わしは、やるぞ」

声が上がった。シロヒゲが挙手していた。曲がった腰の老人は、しかし瞳に強い光を宿していた。

「わしは悪魔よりも、むしろカグツチを引きずり下ろして殴ってやりたい。 だが、それは人修羅殿がやってくれるというのでな。 喜んで協力させてもらうわい」

「俺もやる。 このまま、やられッ放しってのは性に合わないんでな」

今度はカザンだ。困惑しっぱなしであったマネカタ達も、それを見て、ばらばらと挙手し始めた。

やがて、誰の目にも、光が宿り始める。魔法陣を書き終えて、戻ってきたマダが、大きな口に笑みを浮かべた。

「マネカタってのは弱い連中だと思っていたが、意外にまとまれば、マシな力を発揮できそうだな」

「そうだ。 彼らは腕力も精神も弱いが、それでもきちんと数と意思さえそろえば、戦う方法もあるんだ」

「そうか。 俺もはっきり言って、マネカタはあまり好きじゃなかったんだが、考えが変わりそうだな」

千晶。見ていろ。君は、軽蔑していたマネカタ達によって、破れる事になるだろう。そう、秀一はつぶやく。アーリマンも、同じだ。ただ管理すればいいと思っている弱者が、切っ掛けさえあれば自主的に牙を向けることが、彼の命取りになるだろう。

マダと、台の後ろで様子を見守っていたニーズヘッグに、マネカタ達を案内して貰う。魔法陣の線上に立ち、互いに手を握って貰う。魔法陣の中心には、ヤヒロヒモロギを置く。こうすることで、互いの力を増幅し合うのだ。そして放出されたマガツヒは、ことごとくヤヒロヒモロギに吸い込まれていく事になる。

カザンがマネカタ達を指導して、手をつながせる。自身も魔法陣の中心近くに立つと、音頭を取った。

「皆、行くぞ! 悪魔どもに一矢を報いるんだ!」

「おおっ!」

「おーっ!」

弱々しい声もある。だが、一万のマネカタが声を張り上げると、壮観であった。

最初はカザンとシロヒゲから、マガツヒが放出され始める。やがて周囲のマネカタ達も。更に周囲に広がっていく。

辺りが真っ赤になっていった。途轍もない量のマガツヒだ。それが渦を巻きながら、ヤヒロヒモロギに吸い込まれていく。多分、マネカタを理想的な環境で拷問しても、これほどの量は引き出せないだろう。苦境を生き残ってきたマネカタ達の、万感の念が籠もっているからこそ。

最後の戦いに望めるほどの、マガツヒがあふれ出したのだ。

「スゴイリョウノマガツヒダ。 トテモタベキレナイ」

「ああ、そうだな」

ニーズヘッグが蛇体を揺らめかせて、感心しきった声を上げた。マダは腕組みして、ただその光景を見ている。足音。振り返ると、カズコだった。

「シューイチ、リコが目を覚ましたよ」

「そうか。 此方も、準備は整ったところだ」

これで、一気に敵の中枢に殴り込むことが出来る。もっとも、正面から行ったのではこのマガツヒでも足りないだろうから、工夫する必要が生じてくるが。

遠くカグツチ塔には、既に悪魔が集い始めているのが見えた。

戦いは、既に始まっているのだ。

ヤヒロヒモロギは、底なしにマガツヒを吸い込んでいく。今、マネカタ達の心は、完全に一つになっていた。赤い渦は、途切れることなく、ずっと緩やかに回転し続ける。秀一は傍らにいるカズコの頭に手を置く。

「ここまで、上手くいくとは思っていなかったな」

「そうだね。 私も、思ってなかった」

じっと手を見る。これで、彼らの全てを受け取ったことになる。

負けられない。そう秀一は思った。

 

4、幕引きの始まり

 

カグツチ塔は、途轍もなく広大な構造になっていた。先遣隊は戻ってきて、口々にその凄まじい規模を告げる。あまりの規模に感動しきっていて、巧く言葉を紡げない者もいた。首脳部には毘沙門天を始めとして、懸念する者も多かったが、バアルは構わず輿を進ませる。

それが、ヨスガのコトワリだからだ。常に覇王たるものは最強であり、皆の先頭に立たなければならない。

バアルは新しく造らせた輿を担がせ、コトワリの担い手としては、一番乗りを果たした。周囲を見回す。確かに、とんでもなく広い。

「ほう。 確かに広い。 我が王座に相応しき塔よな」

「御意」

独り言に、側にいる鬼神が応える。特に追従の雰囲気はない。今ではヨスガの殆どの悪魔が、自然にバアルに従えるようになっているのだ。

石造りで、雰囲気は旧時代のビルの残骸を活用したヨスガの建物に似ている。だが、壁には古今東西の魔術的な模様がびっしりと刻まれ、所々に大きな穴が開いていた。其処からは、天に向けてマガツヒが登り続けている。奔流は激しく、止まる気配もない。もちろん、行く先はカグツチだろう。アマラ経路から吸い上げているのは一目瞭然。カグツチが、この世界の頂点に立つ存在なのだと、これだけでも分かる。

もっとも、それも今だけだが。

現時点で判明しているだけでも、階層は500を軽く超えており、状況から言って下手をすると1000を凌ぐかも知れない。各階層は天井高が10メートル以上はあり、中には40メートル以上ある場所も珍しくなかった。そう苦労せずに、メタトロンが動き回れるほどの広さである。

シジマの悪魔も少数は入り込んでいるようだが、斥候の域を出ていない。彼方此方で起こる小競り合いは、バアルがいちいち指示を出すほどのものでもない。むしろ今は、戦略的要所を見て回る方が重要だ。

兵が詰めるべき要所を確認しながら、自分で周囲を見て回っていたバアルの脳裏に、突如声が響き渡った。

「コトワリを開きしものよ」

「何者か」

「我は、カグツチ。 この世界の中心にあるものなり」

周囲の悪魔達も、騒ぎながら周囲を見回していた。外で戦っている悪魔達も、一度手を止めて、空を見上げている。

どうやら、ボルテクス界の全ての存在に、声は届いているらしい。冷静に分析するバアルに、なおも声は語りかけてくる。

「我はこの塔の頂上にて待つ。 他のコトワリ全てを打倒し、我の前に道を開くが良い」

「なるほど。 強きコトワリだけを、受け入れるという訳か」

「このボルテクス界は、新しい世界を生きる強いコトワリを選別するためだけに造られた胎盤である。 汝らは鮫と同じように、同胞と喰らいあい、時には騙し合い、此処まで見事生き抜いてきた。 さあ、最後は己のコトワリこそ最強であることを証明し、新世界への礎とするがいい。 我は待つ。 塔の頂上まで、必ずや登り来るがいい」

これは面白いことになったと、バアルはほくそ笑む。何ともバアル好みな展開ではないか。

敵は全て殺す。それだけで、道は開けるというのだ。

「塔の中枢、出来れば上に近い場所を制圧する。 急いで兵を展開せよ」

「御意」

覇王としては、下から来る連中を余裕を持って迎え撃ちたいところだ。下にいるミカエルとメタトロンも、仮に生き残ることが出来れば、自分で飛んで追いついてくることが出来るだろう。ミカエルには全く期待していないが、メタトロンは違う。あの寡黙な力の権化は、シジマ相手に見事な戦いをすること疑いない。

輿を運ぶ速度が上がる。バアルは辺りの構造を立体的に把握しながら、頂点を目指す。他のコトワリの到着が遅いようなら、先にカグツチを殺してしまってもいい。カグツチを殺して喰らえば、高い確率でその力を取り込むことが出来るだろう。それもまた一興である。

カグツチ塔は彼方此方壁も無く、開放的な作りである。外では空軍同士の死闘が行われていて、敵味方ががっぷり四つの攻防を繰り広げていた。めまぐるしく飛び回っているブリュンヒルドの姿が目立つ。また龍族が一騎おとされた。

鼻を鳴らすと、バアルは先を急がせる。今更小鳥が一羽暴れたくらいで、戦況に変化は無いのだ。

 

カグツチ塔の周囲に展開しているヨスガの軍勢を視認したフラウロスは、髭を弄りながら不可解な布陣を見て唸った。何を敵が考えているのか、さっぱり分からないのだ。

塔を背後にして、後ろに回られることを防ごうとしているのは分かる。問題は敵が突撃型の陣形を組んでいることだ。しかも先頭には、あのメタトロンが剣を構えている。シナイの神火と呼ばれる剛剣は、かなり離れているにもかかわらず、内臓を押し込むような威圧感を放っていた。

副官達も、顔を見合わせている。敵の様子が、不可解だからだ。

「中央突破の後、背面展開を狙ってくるつもりでしょうか」

「それにしては敵兵の質が低いように見受けられるが。 それに中央部分にいるのは、多分ミカエルだろう。 上級将官を二騎も孤立無援の状態で外に展開して、何かの罠を張っているとしか思えない」

参謀達が口々に言う。フラウロスはそれらを吟味してから、部下に問う。

「バアルが混じっている様子は」

ありませんと、部下からの応え。

空軍から、伝令の堕天使が降りてくる。ブリュンヒルドからの連絡によると、敵は主力が塔を登っており、あまり下の方に布陣するつもりはないそうである。内部は軍団が肉弾戦を行えるほど広いと聞いているが、情報を分析する限り、上の方で待ち受ける気なのだろう。

これは厄介である。巨大すぎる要塞の中で、立体的に戦わなければならない。かの混迷を極めたスターリングラードの戦に近い。しかもその規模を何倍にも拡大したような雰囲気だ。

「そうなると、外の連中は捨て駒か?」

「そう考えるのが自然だろうな。 しかし、それにしては大物が二騎もいることが気になるな」

特にメタトロンだ。天軍最強の戦士だったあの男は、死に場所を求めているようにさえ見える。

ほどなく、フラウロスは結論を出していた。

「敵は恐らく、捨て石であるように見せかけて、此方に被害を強いるつもりだろう。 そして一撃した後、塔の中の部隊と合流する腹だとみた」

「なるほど。 して、如何に」

「カエデ将軍が率いる本隊が、接近している。 一旦中央を突破させて、本隊とで挟み撃ちにする。 今後は戦力が幾らでも必要だ。 この機会に、更に敵との戦力差を大きくしておいた方が良い」

「なるほど、合理的な考えかと思います」

さっきの話を聞く限り、カグツチに辿り着いた者が、即座に創世を行える訳ではないらしい。ならば、無理に急いで損害を増やす必要はない。

まず、仕掛けてから、わざと隙を見せる。突入してきた敵を、後退しながら塔より引きはがす。そして平原に入ったところで、反撃に転化。集中攻撃を浴びせ、更にカエデ隊との連携で一気に屠り去る。

すぐに作戦が周囲に伝達された。自らも剣を抜くと、フラウロスは砂漠を踏みしめて、敵に迫っていく。近くで見ると、やはり敵の質はかなり低い。だが、どの兵士も、目は必死だった。油断すると大けがをするだろう。

ある程度、近付いたところで。

メタトロンが、大きく翼を拡げるのが見えた。戦る気になったのだ。フラウロスは吠えると、突入を開始させる。

敵は10000。味方は12000。戦力は、ほぼ互角。だが、決定的に違うのは兵の質。それ以上に、指揮官の質だ。別にこれは不遜でも何でもない。ミカエルは元々後方指揮官で、メタトロンは一戦士。フラウロスも一戦士だが、それを補うために、副官を多く用意して、部隊が円滑に動けるようにしているのだ。敵にはそういう工夫が見られない。

メタトロンに続いて、敵が突進してくる。フラウロスはまずは一当てするべく、敵軍の中に躍り込む。そして自ら大剣を振るい、雑魚どもを次々に斬り伏せていった。剣が唸る度に首が飛び、腕が千切れ、足が無くなる。メタトロンの前にだけは立たないように、部下達には周知済みだ。奴は後で、じっくり遠巻きにして弱らせてから仕留める。逆にミカエルは、見かけ次第潰すつもりである。

敵が、意外な行動に出たのは、その直後だった。

「フラウロス将軍!」

「どうした!」

「ミカエルが、此方に突進してきます! 将軍を狙っているようです!」

「……面白い」

いかなるつもりかは分からないが、あの計算高く後ろで指揮をする事を好むミカエルが、大胆な行動に出たものである。感じる力は、フラウロスが想像していたよりもずっと大きい。それがミカエルを走らせた原因かも知れない。何にしても、手間が省けた。此処で仕留めておく。

部下に指揮を任せて、メタトロン隊はまず予定通り中央を抜かせる。ミカエルは、自身で迎え撃つ。

巨大な火球が飛んでくる。フラウロスは跳躍すると、愛剣を一閃、たたき落とした。続いて、次々と火球が飛来。避け損ねた下級悪魔が吹っ飛ぶ。見えた。ミカエルだ。燃える剣を構えて、一直線にフラウロスに迫ってくる。その顔は夜叉のように歪み、恐怖と絶望を湛えていた。

何か失敗したのだなと、フラウロスは即座に悟った。そうでなければ、計算高いミカエルが、此処まで自殺的な行動には走らないだろう。味方は、敵を順調に蹂躙しつつある。後はミカエルを倒せば、仕上げは終了だ。メタトロンはその後で、ゆっくり狩ればいい。

「フラウロス! 見つけたぞ!」

「それは此方の台詞だ。 熾天使ミカエルよ、此処で屠らせてもらう!」

剣を振り上げたミカエルが、打ち掛かってきた。フラウロスは下段から剣を振り上げ、上空からの一撃を受け止める。確かに凄いパワーである。数メートルずり下がったほどだ。だが、しかし。肝心の剣は、素人そのものだ。

二合、三合と打ち合う。ミカエルは翼を拡げて、上空からの立体的な攻撃を仕掛けてくる。だが、剣の技がそれに伴っていない。このパワーで、ブリュンヒルド並みの剣技があれば、フラウロスを圧倒することも可能だっただろうに。

フラウロスは少しずつさがりながら、ゆっくり相手の限界を見極めていく。この手の臆病者は、勝ちを確信すると必ず隙が出来る。また、戦いが長引くと、恐れ始めもする。其処を突くつもりだ。

十二合打ち合ったところで、ミカエルが勢い余って体を泳がせる。其処でフラウロスは踏み込んで、通り過ぎ様に脇腹を叩ききった。振り返ると、唐竹割にするべく、体勢を無理にねじ曲げて躍り掛かろうとする。振り向いたミカエルが、壮絶な笑みを浮かべていた。

灼熱が、フラウロスを包む。

ミカエルが、自分ごと周囲を爆破したのだと気付いたのは、砂漠に投げ出された後だった。

 

「ひ、ひひひ、ひははははははははははは!」

ミカエルが爆笑した。全身の火傷が、むしろ気持ちよくさえある。これほど上手くいくとは思っていなかった。

もう終わりだ。それはミカエルにも分かっていた。ミカエルはオズとの戦いで、己の分を悟った。とてもではないが、シジマの将官を何体も屠るようなことは出来ない。メタトロンは元々ミカエルに不満を抱えていた男であり、今は聖書に対する信仰も否定されて完全に自棄になっている。ミカエルを助けるようなことはないだろう。

残された手は、一つ。自分が弱いと言うことを利用して、敵将を一人でも道連れにすることだ。

だから、敵の先鋒であるフラウロスは絶好の相手だった。

元々ミカエルは、ずっとレールに乗って人生を送ってきた。父祖の栄光に支えられた財産を使って、名門の学校に入った。其処で学ぶのに、頭の出来は少し足りなかったが、裏口から入学することが出来た。父は学長の知人だったし、教師に社会的な圧力を掛けるのはとても簡単だったのだ。やがて必要な大学を出て、何も学ばないまま政界に転身。親の人脈を使って歩き回りながら、順調に出世していった。

何もかもが、親の敷いたレール。そして自分も、子供のためにそれをいずれ敷くことになる。

親がセッティングした見合いの相手と結婚して子供が生まれた時。それを強く感じた。何かがおかしくなったのは、その頃からだ。反発が今頃になって、心を突くようになった。親の人脈を無視して、派閥を作り始めた。やがて色々な場面で幸運が作用して、官僚に。そして、総理にまで上り詰めた。

我に返った。そして、思い出す。どうして、七天委員会の者達と、つるんだのか。

そうだ。あれは全て、元は政界にいた連中だ。ウリエルは防衛庁、ラファエルは財務省、ラグエルは内務省、ラジエルは社会保険庁。それぞれの大臣をしていた者達であった。そしてメタトロンはチルドレンと呼ばれる子飼いの議員を多数抱え、政界の黒幕と恐れられた人物だった。ガブリエルだけは思い出せない。あいつは一体、何処の誰だったのか。

メタトロン以外は、元の性質を強く残していた。どの天使も基本的に陰湿だったのは、政治の意味を取り違えている連中ばかりだったからだ。政治闘争を政治と勘違いしている連中ばかりが、日本の上層に巣くっていた。ミカエルもその一騎であった。しかも、積極的にそれを楽しんでさえいた。

だから、この世界にはなじめなかったのかも知れない。

メタトロンだけは、強く元の悪魔の性質に侵食されていた。これはどうしてなのだろう。元々本人が、おぞましいまでに力への強い渇望を持っていたからだろうか。ミカエルには、分からない。

フラウロスが立ち上がる。不意の攻撃に、全身が焼けただれているが、まるで闘志は衰えていない。これが真の戦士というものか。こんな風に生きる道は、ミカエルには無かった。羨望よりも、憎悪が沸き上がってくる。

レールから外れれば、即座にはじき出される世界は、過酷なものだ。常に苛烈なプレッシャーが肩にのしかかってくる。世の中では自分で道を開く方が難しいなどと言われているようだが、実際には違う。ミカエルは代わって欲しかった。誰かに、自分の苦悩を肩代わりして欲しかった。

だから、フラウロスが憎い。剣を大上段に構え上げる。フラウロスは地面に剣を突き刺すと、目を光らせた。

「最後で、やっと己の命を賭けて戦えたな、ミカエル」

「残念だが、最後になるつもりはない。 最後は、むしろ貴様の方だ、堕天使フラウロス!」

ミカエルは直上に舞い上がると、上からフラウロスに襲いかかる。あれは多分、地面の摩擦を利用して、倍加した速度で斬りつける技だ。それならば、真上からならどうにもならないだろう。

だが、フラウロスは指を鳴らす。それだけで、地面に刺さっていた剣は消え、手に戻る。跳躍したフラウロスが、首筋を狙って突き込んできた。ミカエルは悟る。これは、駄目だ。避けることも出来ない。相打ちも無理だ。

スローに、全ての光景が流れていく。突き刺さったフラウロスの剣が、体を貫通する。フラウロスの体を掴む。術を発動するのももう無理だ。それならば。せめて。

突如、巨大な雷が飛来して、自分ごとフラウロスを貫いた。

絶叫するフラウロスを見て、ミカエルはざまを見ろと思った。そして、全身に安堵が満ちていく。

もう、迷走の時間は、終わったのだから。

 

カエデ隊が戦場に到着した時、其処は大混乱の坩堝にあった。飛来する雷が、両軍関係無しに焼き尽くしている。特にヨスガの部隊は混乱が著しく、剣を振るって必死に周囲を叱咤しているメタトロンが気の毒にさえ見えた。

サマエルは先行させている。トールの居場所を探らせるためだ。側にいる副官が、不安そうに言った。

「何が起こっているのでしょうか。 味方の被害も、かなり大きいようです」

「恐らくは、ムスビの悪魔でしょう。 攻撃の射出位置を特定してください。 私が貫通を打ち込みます」

「は! 即座に調査します!」

カエデ自身は、最精鋭を率いて、突入を開始する。フラウロス隊の動きが鈍いのが気になるのだが、今はそれ以上に、メタトロンを仕留める絶好の機会だ。混乱するヨスガの悪魔達を、ゼリーでも切り分けるかのように蹂躙する。メタトロンが此方に気付く。騎乗している蛇の悪魔の背中を叩いて、小声で伝える。

「予定通りにお願いします」

「分かっています」

蛇の悪魔も、緊張を隠せない声で言う。メタトロンの実力は、何度か交戦して天軍最強の名に恥じないものだと分かっている。特に手にしているシナイの神火は、大きいという事もあるのだが、ボルテクス界最強の剣の一振りである。魔術も優れていて、下手をすると一度に数百の悪魔を屠られかねない。

その巨剣、シナイの神火が、大上段に構えられる。

カエデが蛇の悪魔の上で手を振ると、さっと部隊が左右に分かれた。トールとの戦闘で、カエデの部隊は超上級悪魔のあしらい方を学んでいる。シールドが即座に展開され、高速で包囲が形成される。メタトロンはメタリックな光沢が生える巨体を躊躇無く動かし、カエデだけを見て、剣から炎の渦を叩き込んできた。

判断としては、間違っていない。

巨大な炎の龍が、カエデの至近に直撃する。熱量の凄まじさは、砂漠に悲鳴を上げさせるかのように、膨大な量の砂を瞬時に蒸発させた。プラズマ化した空気が渦を巻き、シールドが軋みを上げた。

だが、空気の渦を切り破ってカエデは突進する。蛇の悪魔が四枚ある翼をはためかせて、加速。メタトロンは眉をひそめ、剣をまた振り上げかける。其処へ、カエデは、手を横に振った。

部下達が、攻勢に転じた。

「斉射!」

「よし、討てえっ!」

誰も、シナイの神火の凄まじさに動じていない。数千の攻撃術が、メタトロンの桁違いな巨体に殺到する。最初に炸裂した無数の火球。続いて氷の柱が砂漠から伸び、最後にいかづちが貫く。鬱陶しそうにそれらを払おうとするメタトロンに、大型の悪魔達が決死の肉弾戦を挑む。足に組み付いた悪魔を蹴り飛ばそうとするメタトロンの背中に、別の誰かが剣を振り下ろした。殺到してくる膨大な数の悪魔。メタトロンの部下など、ものともしていない。

「おのれ、雑魚どもが!」

地獄の底から響いてくるような低音で、メタトロンが吠える。元々メタトロンとは、天界におけるサタンの姿とも言われる戦闘的な天使で、他の宗教でいう軍神的な存在に当たる。カマエルという似たような存在もいるが、メタトロンはそれよりも更に残虐性が強く、より戦闘に特化した性質である。ミカエルよりも実力は上とキリスト教でも言われているが、ボルテクス界に顕現しているこのメタトロンは、他の七天委員会が束になっても敵わないほどの使い手だ。

だが、あのトールに比べれば、威圧感も小さい。翼を無理矢理拡げ、追いすがる何体かの悪魔を蹴散らして、メタトロンが舞い上がる。

その至近に、既に詠唱を終えた、カエデが肉薄していた。

手には、メギドラの光がある。メタトロンの分厚い防御壁は、今までの高密度火力の斉射にもさほどの打撃を受けていなかったが、それでも何カ所かには傷がついている。ガードを取って、衝撃に備えるメタトロンの脇を、カエデは無言で通り過ぎる。困惑して振り返りかけるメタトロンは、屈辱に顔を歪ませる。

カエデのメギドラが、ようやくまとまろうとしていた彼の部下を、百以上まとめて蒸発させたからだ。

「貴様あっ!」

鬼の形相を浮かべたメタトロンが、爆炎を切り破って飛ぶカエデを全速力で追ってくる。それでいい。連続して攻撃術を放ち、めぼしいメタトロンの部下を潰しながら、カエデはメタトロンを、敵の中央部へ誘導していく。散発的にメタトロンの部下も攻撃してくるが、蛇の悪魔は巧みに飛翔して、その全てを巧くかわして見せた。既に、メタトロンの部下は、壊滅しつつある。この様子だと、ミカエルは既に戦死していると見て良いだろう。

後ろに殺気。メタトロンが、剣を大上段に振り上げたのだ。味方ごとカエデを吹き飛ばすつもりだろう。流石に青ざめるが、しかし。カグツチの光の中、直上から落ちてくる影を視認。詠唱を開始。

流石に、メタトロンも歴戦の強者である。それで気付いて、身を捻る。

「せあっ!」

「おおっ!」

直上から斬りかかったサマエルの一撃を、メタトロンの剣が、辛くも受け止めていた。砂漠に衝撃波が走り、小物の悪魔が数体吹っ飛ぶ。巻き上がる砂の中、カエデは距離を保ったまま詠唱を続ける。乱戦の中、追いついてきた部下達が、シールドを準備した。数合斬り合ったサマエルとメタトロンが飛び離れる。メタトロンの目が凄絶な色を帯び、開いている左手に光が集まり始める。

メギドラオンだ。

ボルテクス界でも最強とも言われる術式、メギドラオン。ゴズテンノウはそれによって、千の天使を瞬時に蒸発させたという。見たところ、メタトロンの力もそれに勝るとも劣らない。だから、カエデは詠唱を緻密に練り上げることで、それに対抗する。

メタトロンの顔に、驚愕が浮かぶ。

「ま、まさか!」

カエデが、両手に宿った高密度の魔力を、胸の前で合わせる。直上に持ち上げて、目をつぶって、最後の詠唱に掛かる。

「出来るというのか! 貴様のような、何ら神話的背景の無い、雑魚に!」

全身が吸い上げられるような感覚の中、術式が完成していく。最大の懸念はこの瞬間だった。だが、サマエルが戻ってきた現状、ムスビの悪魔による狙撃を気にする必要はない。全力で、メタトロンとの勝負に注力できる。

手を左右に広げながら、目を開く。詠唱の最後の一節をくみ上げるのは、同時だった。

「「メギ・ドラ・オン!」」

ようやくカエデの部下達がシールドを張っていた意味に気付いたヨスガの悪魔が逃げ出すが、もう遅い。

戦場の中枢で、戦術核に匹敵する火力が二つ、真っ正面からぶつかり合った。

閃光が全てをかき消し、互いに押し合って空へと登る。巨大な十字架が、カグツチ塔のすぐ側に顕現した。砂漠がえぐり取られ、大量の砂が気体へ変わり、待避が遅れた悪魔をまとめて光が飲み込んでいく。外側にいた悪魔は大きく吹っ飛び、空中で分解したり、軟らかいはずの砂漠に亜音速で突っ込んで砕け散ったりした。カエデの部下が張ったシールドに叩きつけられて、そのまま果てる者もいた。

暴虐的なまでの力がぶつかり合い、互いを押しのけ合うと、弱き者は翻弄されるばかりである。カエデ自身も、途轍もない力の奔流の中で、身を守るのに必死だった。飛んできた剣の欠片が、数ミリずれていたら頸動脈を掻き斬っていたのに気付いて、冷や汗が流れる。

徐々に、光が収まってくる。

砂漠の真ん中に出来た、巨大なクレーターの上に。全身から煙を上げるメタトロンの姿。肩で息をつくカエデは、意識が遠のくのを感じたが、必死に立て直す。流石は天軍最強の戦士。恐るべき実力だった。

「貴様、一体何者だ。 神の祝福を受けたこの私の、聖なる炎を打ち砕くとは」

メタトロンの体が崩れ始める。金属質のプロテクターが腐食して、地面に落ちていく。右腕が千切れて、マガツヒになりながら消えていった。

「私は、ただのカエデです。 貴方たちに街を灼かれ、かってニヒロ機構と呼ばれていたシジマに救われ、その恩義を果たそうと、今まで頑張ってきただけの、一騎の悪魔です」

「特別ではない存在だというつもりか。 なんと言うことだ。 この私が、神の寵愛を受けた私が。 まさか、名もない有象無象に敗れることになるとは」

有象無象、か。そして自分は神の祝福を受けた特別の存在だという。何という思い上がった言葉であろうか。

メタトロンに限らず、天使は結局、殆どの存在を、そう思っていたのだろう。

だから破れたのだと、カエデは思う。怒りも恨みもある。だが、消えていくメタトロンを見ると、哀れみも感じてしまった。

「今、楽にしてあげます」

「神の使者たる私を殺して、無事に済むと思うな」

「貴方はもう神の使者ではなく、バアルの僕の筈です」

そう指摘すると、崩れゆくメタトロンの顔に、凄絶な後悔が浮かんだ。だが、もう全ては遅い。メタトロンの中に残っている、唯一神への敬慕が、彼に最大限の絶望をもたらしたのだ。

神がいるとしても。もう、メタトロンのために何かをすることは、無いのだ。

放っておけば、メタトロンは自壊しただろう。だがカエデはその絶望が頂点に達する前に、圧縮した火球を叩き込んで、巨大な頭部を吹き飛ばした。崩れかかっていた体である。脆くも消し飛んだ頭部に続いて、体全体が崩壊していった。殆どの部品は、砂漠に落ちる前に、マガツヒに溶けて消えてしまう。

唯一、シナイの神火だけは、砂漠に元の姿のまま、突き刺さっていた。

凄い量のマガツヒが、辺りにあふれ出る。カエデはそれを、出来る限り吸い込んでいった。怒り、悲しみ、絶望。そんな感情ばかりこもったマガツヒであった。

アカサカを焼き尽くし、ランダ様を殺した七天委員会も、これで残るは一騎だ。

戦意を失ったヨスガの悪魔達が逃げ出す。サマエルが見張っているのを確認していたからか、それからムスビの悪魔による狙撃はなかった。部隊をまとめ上げる。

フラウロスが行方不明になっているのが不安だ。カエデは補給に差し入れられたマガツヒを飲み干すと、残敵を掃討しながら、フラウロスの捜索に当たるように、指示を飛ばした。

 

カエデが現れてから、シジマの軍勢には隙が無くなった。特にサマエルが厄介で、下手に狙撃をすれば即座に勘づかれる。これでは、隙を見て戦力を削るどころではない。折角ヨスガの一部隊を壊滅させて、占拠したこの区画に居座る意味も無くなってしまった。

鼻を鳴らしたゼウスは、カグツチ塔の中層部へ向かおうと、身を翻しかけた。その足が止まる。背後に現れた存在に、気付いたからである。

「見つけたぞ、ムスビの悪魔。 その姿から言って、天空神ゼウスだな」

「ほう。 貴様、生きておったか」

「生憎と、そのような腑抜けたいかづち、痛くもかゆくもない」

剣を杖に、ようやく立っているという様子のフラウロスが、其処にいた。全身から煙を上げているシジマの重鎮は、それでも衰えない戦意の光を、ゼウスに向け続けていた。

放っておいても、此奴は死ぬ。悪魔としてもっとも重要な核の部分に、致命傷を受けているからだ。だが、ゼウスにも、古代神なりの誇りというものがある。まさか、致命傷を受けている悪魔の挑戦を受けて、逃げ出すなどと言う選択肢は存在しない。

狡猾な者にはそれなりの、矜恃と誇りというものがあるのだ。

ゼウスも、それほど有利な状態ではない。先ほどから、二万を超える軍勢に対して、大威力のいかづちを叩き込み続けていたのだ。敵を壊滅させる代償に、力の半分程度は使ってしまっている。しかも今回は、脆弱なマネカタが相手ではないから、本体を使っている。それが、戻ろうとした一因であった。

ゼウスは短く詠唱すると、手に三つ叉の矛を具現化させる。フラウロスは大上段に構え上げた。古代神相手に、随分大胆な構えだ。いや、違う。決死の一撃を打ち込むつもりなのだろう。この男は、自分が致命傷を受けていることを知っている。故に、自分が信じる者達のために、道を少しでも開くつもりなのだ。

少しばかり、リスクが高い戦いだ。だが、今更退くのも、誇りを傷つける行為である。ゼウスは舌打ちすると、慎重に間合いを計る。奴の力は、どのみち僅かしか残っていない。あの剣さえかわせれば。

だがフラウロスは、ゼウスの予想を超える、驚くべき行動に出た。

いきなり剣を放り投げたのである。

そのまま、全速力で突進してくる。剣を遠隔操作して、自分を囮にするつもりか。それならば。まずいかづちを放つ。フラウロスはもう避ける力もなく、真っ正面からゼウスのいかづちの直撃を喰らい、立ちつくして絶叫した。更に、剣を探す。あった。真上で回転して、ゼウスに向けて突進してきた。矛を振るい、剣をはじき返す。これで、終わりだ。ほくそ笑む。

しかし、ほくそ笑んでいたのは、フラウロスのほうだった。

無理矢理いかづちの拘束から抜けると、はじき返された剣を掴み直す。そして、床を蹴って、体ごとぶつかってきたのである。

意表を突かれたゼウスは、フラウロスの体を矛で貫くので精一杯だった。フラウロスの剣は、ゼウスの脇腹に突き刺さっている。絶叫したのは、今度はゼウスの方だった。

「き、貴様、きさ、ま! そ、その剣に、何を、仕込んだ!」

「さっき喰らったミカエルの力は、それなりに大きかったのでな。 半分はお前の攻撃を防ぐのに使った。 残りの半分は、今、お前に流し込んでやった!」

体に、黒い斑点が広がっていく。思わずゼウスは悲鳴を上げていた。大天使の、断末魔の執念が籠もった呪いの剣を、直接体に受けたのだ。もがく。もう体中に広がった呪いを、押し返すのは不可能だった。

そればかりかフラウロスは、矛で貫かれた状態から、自分の分身である剣を、振り抜いて見せる。更に体を深く抉られたゼウスは、白目を剥いて絶叫した。更に、もう一度体に剣を突き刺される。体から、膨大なマガツヒが流れ出していく。戻そうにも、もう無理だった。

「お、おの、れ! 守護ならともかく、貴様のような、下等に、このわし、が!」

「至高神としての天空神ゼウスになら、通じなかっただろうな。 戦ってみて分かったが、お前は所詮、憎悪と嫉妬を蓄えた、歴史によって使い捨てられた影にすぎん。 この俺の相手程度で、充分だったという、ことだ」

数歩さがりながら、ゼウスは剣を抜く。既にフラウロスは壁により掛かり、立ち上がる余力も無い様子だった。ゼウスは奥歯を噛みながら、せめて僅かな分身だけでも脱出させようと、意識を集中させる。

だが、抜いたはずの剣が、再び深く突き刺さってくる。

フラウロスが、笑みを浮かべながら、指先を此方に向けていた。そうだ。確か此奴は、オセ亡き今、シジマ最強をうたわれる剣士。剣は文字通り体の一部であり、これくらいの芸当は、出来ても不思議ではない。

それが、致命傷となった。呪いが、全身に、一気に広がってくる。

「こ、この、このわしが、わしがああああああああっ! ぐぎゃああああああああっ!」

自分でも、無様だと思う絶叫を上げながら、ゼウスは消滅していった。

己の願いを果たす機会を得ぬまま。ムスビ最大の姦雄は、志半ばにて、果てた。

 

秀一が、力尽きたフラウロスと出くわしたのは、両軍の死闘の隙に潜り込んだ、カグツチ塔での事であった。同僚だったらしいマダが、慌てて駆け寄る。フラウロスはもう動くことも出来ないようで、秀一とマダを見て、笑みを浮かべるばかりだった。ただし、もうはっきり見えていないようであったが。

「マダ、か。 貴様、何故いる」

「お、俺は、其処にいる人修羅の力で、再生されたんだよ。 フラウロス! そんなことより! どうしてそんな姿になっちまったんだ!」

「……何、陰険な天空神相手に、命がけの勝負を挑んだんでな。 あいつは放っておけば、カエデや氷川司令をこそこそ狙ってきただろう。 シジマにとって最大の害悪だ。 奴を潰せたんだから、俺としては、まあ満足できる死に様だよ」

氷川のコトワリにシジマと名がついたのだと、秀一はやっと知ることが出来た。だが、それももう、今はどうでもいい。

サナを見るが、首を横に振る。秀一から見ても、致命傷を受けているのは確実だった。

フラウロスは何度か顔を合わせたが、尊敬できる大人の男だった。リコは絶賛していたし、冷酷なサナでさえ侮れない奴だと言っていたほどだ。戦士としては、オセに比べると多少荒々しい面が表に出ていたし、性格的にも雑な部分が目立った。が、それでもニヒロ機構の、いやシジマの英雄の一人であったことに違いはない。

陣営は何処であろうが、英傑の死を間近にすれば、悲しいのは人としての性だ。

「何か、言い残すことはないか」

「人修羅か。 そうだな、その剣は、俺が死んでも残る。 だから、カエデ将軍にくれてやってくれ。 あいつは、俺達シジマの馬鹿どもには過ぎた娘だ。 何か、残してやりたい。 その剣で、残った天使どもを斬ってさっさと恨みを果たせとも言ってくれ。 あの優しい子が、恨みを原動力にしているのは、正直見ていて心苦しい。 ずっと言いたかったが、やっと好機が巡ってきたよ」

「心得た。 必ず伝える」

フラウロスが、大量に吐血する。マダが人目をはばからず泣き始めた。サルタヒコが、泣き始めたリコの肩を叩いて、アメノウズメがハンカチを渡していた。フラウロスは目を閉じると、むしろ静かに言った。

「……オセが、迎えに来やがった。 ふん、確かに俺の剣は、お前とは違って剛過ぎたし、肝心なところで小技に頼りすぎたよ」

「そんな事はない。 貴方の剣は、ボルテクス界でも随一のものだった」

「……オセ、お前が羨ましい。 ……剣を……極めてみたかったな」

最後に、フラウロスは手を伸ばした。剣を探しているのだと思って、秀一は側に落ちている剛剣を拾ったが、間に合わなかった。

そのまま、マガツヒになってフラウロスは散る。

秀一は無言で、漂うマガツヒを見つめ続けていた。

 

5、コトワリ割拠

 

塔上層。バアルは途轍もなく広い空間を見つけた。幅が数百メートル、天井も同じ程度にある。この高度でも、空軍は死闘を繰り返していて、特にブリュンヒルドの凄まじい活躍はバアルの元まで伝わってきていた。

だが、所詮奴は、空でしか本領を発揮できない。実力も、バアルに迫る事は出来ない。鳥は、何処まで行っても鳥だ。

上層に横付けさせたシナイ塔からは、着々と各種物資が搬入されている。決戦の準備は、整いつつあった。

玉座を据えさせると、バアルは全軍の状況を確認する。跪いた毘沙門天が、あまり良くない報告を持ってきた。

「ミカエル、メタトロン、両将の戦死を確認しました。 シジマの主力は道を開き、カグツチ塔内部に入り込んできています。 外部の捨て石部隊は、ほぼ全滅しました」

「そうか。 それで?」

「は。 トール将軍が先行して、敵を仕留めるべく動いています。 サマエルは今回で仕留めると、意気込んでおりました」

「ふむ、流石よな」

バアルは上層部に戦力を集中させ、攻勢の準備をしていた。それに対して、シジマは下層部から、着実に兵を進めてくる構えだ。味方の陸上戦力は既に40000弱程度にまで目減りしている。敵はそれに対して、六万を超えていた。空軍の戦力も、差が開き始めている。合わせた戦力は、ヨスガ53000。シジマ88000という所だ。

だが、それは「現状」である。今、此方は位置的な有利を占めている。それにムスビがどう出るかが、此処からの戦況を大きく変えるだろう。守護が相手になる場合、千や二千の兵ではぶつけるだけ無駄だ。それに何より、人修羅の動きも気になる所である。

かって、この地が世界最大のメトロポリスだった頃には。大量破壊兵器という言葉があった。

今、このカグツチ塔の中には。存在そのものが水爆に匹敵する存在が、ごろごろしている。

伝令のケルビムが飛び込んでくる。激戦の中を突っ切ってきたようで、背中に数本の矢を生やしていた。

「ご注進! 中層部より連絡です! 途轍もなく巨大な悪魔が、強引に入り込んできました! 支えきれず、数部隊が撤退しています!」

「恐らくは、ムスビの守護だな。 ふふふ、両勢力の真ん中に入り込んだか。 愚かな輩よ」

多分シジマとヨスガの動きを見るためだろうが、それにしても浅はかな。攻勢に出ているシジマの軍勢を、真っ正面から受け止める位置に布陣してくるとは。これでだいぶ対策が立てやすくなった。

かって、ムスビのコトワリを開いた新田勇は、千晶にとって玩具の一つだった。今でもそれは変わらない。下手に手を出せば食いちぎられる可能性はある。だが、どんなに背伸びしても勇は勇だ。

「サマエルを叩いたら、すぐに退くようトールには伝えよ。 ヨスガの軍勢は、しばし力を温存する」

「御意」

伝令が四方に散った。足を組み直すと、バアルは今後の作戦を練り始める。

覇王として勝つためには、猪突するだけでは駄目だ。狡猾で邪悪な頭脳は、フル回転を開始していた。

 

塔中層。巨大な空間にいたヨスガの部隊を壊滅させたノアは、其処に定座を落ち着けていた。何も装飾がないその空間は、数百メートル四方の広がりがある。何よりも、全く外の音が入ってこない。

静寂ではない。外界の拒絶だ。それがノアには心地よかった。

側にいるのは、スレイプニルに跨ったオズ。体を隠している影。そして少し前に戻ってきた日本武尊だ。何故奴が戻ってきたかは分からない。警戒する必要があるかも知れないと、ノアは考えていた。

ゼウスが死んだことはもう分かっている。シジマの最精鋭を壊滅状態に追い込み、豪傑フラウロスを倒したのだから、まずまずという戦果だ。後、残っている手札は三枚。いずれも一騎当千の兵だが、しかし数は確かに足りなかった。

常識的な案を、まずはオズが述べ立てる。

「ノア様。 現在下層からはシジマの軍勢が迫りつつあり、上層ではヨスガが待ち受けております。 一旦此処は塔から退去し、両勢力の動きを伺うべきかと思いますが」

「俺がアーリマンごときに敗れるとでもいいたいのか?」

「いいえ。 しかし、戦えば確実に消耗しましょう。 其処をバアルに襲われたら、ひとたまりも無いかと思われます」

「ならば、消耗しなければいいんだよ」

ノアが巨体を傾ける、その巨大な顔を近づける。日本武尊が、頷いた。

「オズ、日本武尊を全面的にバックアップしろ。 アーリマンにその呪いの剣をぶち込めば、勝負はつく」

「は。 しかし、可能でしょうか」

「お前の武勇と、日本武尊のハイド能力が合わされば可能だ。 元々そいつは暗殺のエキスパートだ。 その上分身体でもサマエルとある程度まともに戦えるほどの腕前と来てやがる。 しかも此処は国会議事堂と違って、シジマのホームグラウンドじゃねえ。 まあ、出来なかったら、ムスビの世界は作れない。 それだけだ」

けたけたとノアが笑う。自棄なのではない。狂気でもない。

ただ、自分のことがおかしくて、笑っている。もはやノアは、外に感情が向いていないのだ。

誰もが、彼を弱いという理由で拒絶した。

故に、今古代の神々に、都合が良いコトワリが開かれつつある。

「アーリマンに圧勝できれば、そのマガツヒを喰らって、俺が最強になれる。 そうすれば、お前達も幸せになれる。 簡単な事だろうが」

「御意。 すぐに下層へ向かいます」

オズは一瞬だけ何か言おうとしたが、すぐに頭を下げた。日本武尊を伴い、下層へ向かう。側に控えていた影が、顔を上げる。

「よろしいのですか?」

「もし、殺られるようなら、あいつらもそれまでって事だ」

「相変わらず無計画な」

フードの影から覗くのは、鳥によく似た影であった。

 

下層にて頑丈な陣地を構築しつつあるシジマの軍勢は、着実に勢力圏を拡げていた。

元々強靱な組織力を持つシジマである。人材においても他のコトワリを圧しており、装備も物資も段違いである。今まで確実に積み重ねていたものの成果が、此処で結晶化しつつあった。

だから、秀一は迂闊に仕掛けられない。元々この塔は巨大すぎて、死角があまり見あたらない。ある程度登ってからシジマの軍勢が入り込んできたから良かったが、今や降りることも難しい状況だ。

「人修羅殿、これは大丈夫か?」

ぼやいたのは、最後まで見届けたいと言ったカザンである。カズコの護衛を任せることが出来るので、サルタヒコにはかなり自由な裁量を任せられる。彼自身は中級悪魔程度の実力とは言え、専守防衛の人材としては充分な実力である。むしろ補給路の事を考えると、総合的な戦力は、相当に上昇したと言える。

「今までも、大勢力とやりあってきた榊センパイッスよ」

「そうだね。  正面からやり合うんじゃなくて、いつも隙を突くようなやり方だったけど。 いい加減慣れてきたよねー」

「だが、今回は厳しいな。 ムスビかシジマが仕掛けた隙を突くしかない。 それまでは出来るだけ体力を温存しないと、難しいだろう」

無責任に言うリコとサナに応えると、秀一は先を目指す。空間を把握する度に、シジマの軍勢が如何に進んできているか分かるので、掛かるプレッシャーも尋常ではなかった。だが、それでもやらなければならない。

戦闘時以外は仕事がないアメノウズメが、退屈凌ぎに聞いてくる。秀一としても、自分の頭脳をまとめる意味でも、会話は望むところであった。

「ところで秀一。 今、状況はどうなっているのかしら」

「混沌の中に、秩序が産まれている」

現在、感じる力を分析すると、塔の三層は、綺麗に勢力が別れている。下層はシジマが抑え、中層はムスビ。そして最上層には、ヨスガが迎撃の態勢を整えていた。三つの勢力とまともに戦っても勝ち目はないから、せめて各個撃破に持ち込まないといけない。それさえも、難しいのが現状だ。

カグツチ塔はギミックだらけだ。魔法的な模様が彼方此方に刻まれていて、オベリスク塔と似たものを感じる。秀一は足を止めると、部屋の一つに入り込んだ。

「この辺りが良いな」

「どうするつもりじゃの?」

「此処で、アーリマンを待ち伏せて、戦いを挑む。 アーリマンが滅びれば、シジマは動きが取れなくなる。 堅陣の中であれば、敵を崩すのは却って楽になる」

何も考えず、塔を登ってきた訳ではない。巨大なアーリマンが通れる通路を吟味しながら、上がってきたのだ。もちろんニーズヘッグの巨体を参考にもして。

「サナ、入り口を幻術で偽装してくれ。 狭い通路で戦闘を挑めれば、かなり有利に戦える。 念のために、内側からフォルネウスの氷壁で塞いで欲しい」

「了解。 シューイチ、敵に見つかったらどうする?」

「その時は、やれるところまでやる。 場合によっては、一時的な撤退も視野に入れなければならないが」

「なるほど、シジマもヨスガもお前さんを倒せなかった訳だぜ。 武勇以上に、その冷静な頭脳が、俺には恐ろしく思える」

マダが頭を掻きながら、そうぼやいた。

部屋に入り込むと、入り口を塞ぐ。奇襲を受ける心配はない。だから、気配を消すことだけを考える。

後は、好機を逃さないことであった。

サナは幻術を展開し、壁を偽装すると、外に確認用のビットをいくつか置いた。不鮮明だが、内部に情報をもたらすことが出来る魔術的な装置だ。見破られないように、これも偽装する。

全て終わると、流石に術の専門家であるサナもかなり消耗した。だが、今はヤヒロヒモロギに蓄えているマガツヒを使うのは望ましくない。カズコに出して貰って、補充する。もふもふとマガツヒを口に入れるサナは、色々思惑をめまぐるしく動かしているようだ。

塔に入ってから、全く喋らなかったカズコが、不意にズボンを引く。

「ねえ、秀一」

「どうした」

「ううん、何でもない」

「そうか」

会話は最小限。だが、カズコの不安は分かる。

琴音はこの戦いで、多分死ぬだろう。出来るだけそうはさせたくないが、手加減などとても出来る相手ではない。もしぶつかり合うことになったら。その時は。

それに、シジマにいるのは、琴音だけではない。フラウロスから受け取った剛剣を改めて見やる。恐らく、カエデには恨まれるだろう。

一つのコトワリの下には、無数の屍がある。それには善も悪も関係ない。

決戦の時は近い。

破れた世界が造られない以上、負ける訳にはいかない。

今の目標は二つ。

コトワリによって、創世すること。

そしてこの巫山戯た世界の法則を作り上げ、中心にふんぞり返っている、カグツチに鉄槌を降すことだった。

被害は、最小限に押さえ込む。

出来れば一つの勢力を根絶やしにするような真似は、したくなかった。

 

(続)