オベリスク墜つ

 

序、出陣の時

 

カエデは貸与された象の魔物ナラギリの背にて、整然とならぶニヒロ機構の軍勢を見下ろしていた。巨大な象の背には、小さな輿が据え付けられていて、跨らなくても指揮を執ることが出来る。また、ナラギリは高い知能を持ち、声を掛けるだけで動いてくれる。

いよいよだ。望んでいた時が来た。思ったよりも、ずっと早く。

この日のために生きてきたと言っても良い。ランダ様の、アカサカのみんなの、仇を討てる機会が来たのだ。

誰もが知っていたことではあったが。

マントラ軍よりも被害が小さく、首脳部も健在であったニヒロ機構は、いち早く陣容を立て直した。被害の大きい部隊を再統合し、訓練を施し、流入してくる人材を配置して。野戦軍を、出陣できる体制に整え直したのである。

ユウラクチョウ近郊に整列した兵力は、30000を超えている。野戦軍に編成されていない部隊は、各地の守備についており、編成中の部隊はギンザで訓練を続けている。主力となる中軍はミトラ将軍が率い、補佐にスルト将軍が着く。空軍は傷が癒えたブリュンヒルド将軍が率いる。

そして今回の作戦の要になるのが、カエデが率いる魔術部隊であった。数は5000。近接戦闘は苦手だが、強力な術を得意とする悪魔で編成された部隊である。本来は空軍と陸軍の支援を受けながら、長距離殲滅砲としての活用を前提にしている部隊だが、今回は目的が異なる。2000ほど、戦闘には向かない工作部隊が配置されているのだ。

攻撃対象は、マルノウチ近辺に設置されている、天使軍の要塞オベリスク。そして其処に巣くう、天使どもだ。

事前に三十回を超える作戦会議を行って、細部までトラブルシューティングは詰めた。失敗がないとは言えない。だが、もし最悪の状況になっても、味方の大半を撤退させることは可能だ。

ニヒロ機構は、最高の舞台を用意してくれた。アカサカで凶行に手を染めた天使軍に、いよいよ鉄槌を降すことが出来る。

だが、そのニヒロ機構も、イケブクロに対して同様の行為を行った。それを考えると、胸が痛む。悩みは、まだ晴れない。二度と同じ事はさせてはいけないとは、思っている。だが、どうして良いのかは、よく分からない。

そして、誰に相談して良いのかも、よく分からなかった。

良くしてくれる者は、周囲に多い。ニュクスはまるで親のように世話を焼いてくれるし、マダやフラウロスもかわいがってくれる。ミトラは敵意剥き出しだが、それはある程度の力を認めて脅威だと考えてくれているからだ。ブリュンヒルドも、冷たい目で見ることはあっても、意地悪をすることはない。

恵まれている環境、なのだと思う。だが、どこかでカエデは孤独を感じていた。

悪魔が飛んでくる。伝令をしている中級堕天使だ。少し前から、伝令は金色の縁がある鎧を着るようになっていた。元々伝令に選抜されるのは、ある程度の戦術眼と自衛能力があるエリートなのだという。マントラ軍には親衛隊がいたが、それと同じようなものなのだろうと、カエデは考えている。

「カエデ将軍!」

「はい」

「一時間後に、前進を開始します! 陣形を崩さないように着いてくるようにとの、ミトラ将軍のご指示です!」

「分かりましたと伝えてください」

一礼すると、四枚の翼を持つ蛇に似た堕天使は飛び去っていった。すぐに指揮杖を振るって、声を張り上げる。

「全軍、前進開始!」

「前進開始ィ!」

中級指揮官達が唱和し、全軍が進み始める。カエデは最前列に近い、三列目だ。強力な防御術を展開することも出来るし、主力となる作戦を間近で確認しなければならないという意味もある。第一、カエデは新参だ。のうのうと後ろで指揮を執るようでは、誰も着いては来ないだろう。

この間の大会戦でも、カエデは火力を最大限に生かして、中軍の戦線で戦った。敵の攻撃は凄まじく、何度も腰が引けたが、そのたびに奥歯を噛んで、自分を叱咤した。逃げるな。戦え、戦え。言い聞かせて、踏みとどまり、何騎も鬼神を倒した。カエデのいた戦線では、圧され気味だった中軍が、唯一善戦していたのだと、後で聞いた。

ニュクスは戦後、褒めてくれた。戦果も認められて、上級将官に出世もした。でも、実感がない。褒めてくれる人は、今までも幾らでもいた気がする。

でも、誰もが。

失敗しても褒めてくれたのだ。

分からない。カエデには、どう反応して良いのか、知識がない。無能だった自分の記憶と、今のギャップが、苦しみの元だ。天才などと言われても、どうして良いのか、見当もつかない。

ただ、今は目的があるから、やっていける。

だが、目的が無くなった時。自分はどうなるのだろうか。それを考えると、時々震えを感じてしまう。

巨象の一歩ごとに、輿が揺れる。最前列には大きな盾と槍を持つ、大柄な悪魔が多く配置されている。カエデのいる辺りも、それは同じだ。術を得意とする悪魔は敵の打撃に脆いから、分厚い防御で、奇襲を受けた時に耐え抜くのだ。非常に組織化されている前面に対し、後方の部隊は体格も装備も雑多だ。どうにか行軍の速度は合っているが、それだけである。

影が出来た。大きな影で、カエデの部隊を覆い尽くすほどだ。ブリュンヒルド将軍の空軍が、出撃し始めたのである。白い馬の悪魔に乗ったブリュンヒルド将軍を見上げると、点のように小さい。

敵に接触するまで、まだ時間はある。

それまでに、集中して、悩みを押さえ込んでおきたいと、カエデは思った。

 

オベリスク塔に拠点を構える天使軍は、ニヒロ機構の機動部隊が出撃したことを、すぐに察知した。すぐに臨戦態勢が整えられ、七天委員会が会議室に集まる。最上座についたミカエルが、皆を見回した。

「ニヒロ機構の軍は、三万強と聞いている。 出て打ち払うべきか、守って隙をうかがうべきか、どう思う」

もちろん、これはポーズに過ぎない。ミカエルは、ニヒロ機構の堕天使達を、クズだと考えている。戦っても負ける訳がないし、隙など伺う必要もないとさえ思っていた。

「放っておきましょう。 近付いてくるようならば、要塞砲で追い払えば良いことです」

最初に口を開いたのはウリエルである。ラファエルもそれに賛同して頷く。それに対して、ガブリエルは眉を寄せた。

「私は反対です。 此処はまず部隊を一当てして、敵の実力を計った後に、方針を決めましょう」

「相変わらず消極的ですね、ガブリエル殿」

嘲弄の声を上げたのは、ラグエルであった。この間ゴズテンノウ一匹に派手に蹴散らされたラジエルは、今日は黙りである。あまり立場を悪くしたくないのだろう。会議の様子を見て、勝ち馬に乗るつもりという訳だ。

ガブリエルは不快感をあらわにすることもなく、ラグエルを説得に掛かる。馬鹿な女だと、ミカエルは心中で嘲笑した。陰険なラグエルが、己の利にならない発言をする訳がない。それを、論理的な言葉などで、動かせる訳がない。

「ラグエル殿、私が懸念しているのは、敵が何故この時期に、しかも我が軍とほぼ同等の戦力で攻めてきたかと言うことです。 正面攻撃三倍則等という基本を、ニヒロ機構が把握していないはずがありません。 まして、此方は空中です。 いいですか、敵は、何か強力な切り札を用意しているとしか思えません。 敵の実力を知りもせずに油断するのは、あまりにも危険です」

「ははは、ニヒロ機構ごとき、人間に支配されているような骨抜き堕天使どもに、何が出来ようか。 我らは光の守護を受けた存在! ただでさえ堕天使などに負けるはずがないであろうに」

「俺は、出て戦いたい」

ふいに、上から声が降ってきた。滅多に発言しない、メタトロンだ。三十メートルもある巨大な天使は、驚くラグエルに顔を近づける。

「俺の仕事は、悪魔を殺すことだ。 こう言う時こそ、俺に働かせて欲しい」

「メタトロンも、こう言っています。 彼なら堕天使の100や200、ものともしません。 一当てするだけでも、試しては見ませんか」

ミカエルは唸る。メタトロンの発言力は無視できない。それにこの男の戦力を欠くと、いざというときとても困ることになる。ミカエルを遙かに凌ぐ実力の持ち主であるし、天使の中にはその圧倒的な力に心酔している者もいる。

メタトロンは、普段は全く発言しないことで、ミカエルの支配構想の一翼を担っている。逆に言えば、この寡黙な男がいざへそを曲げれば、ミカエルとしてもとても困ることになるのである。

「まあ、一当てくらいなら、いいかも知れぬな」

「有難うございます」

胸をなで下ろすガブリエルに一瞥もくれず、メタトロンは立ち上がる。やはり、三十メートルを超える巨体は、圧倒的な威圧感を誇っていた。ミカエルは、軽く恐怖を感じた。簡単に制御できると思っていたのに。不意にそいつが、制御不能の自己主張を開始したのだから、当然かも知れない。

メタトロンの麾下5000と、ガブリエルの麾下3000、それにラグエルの麾下3500が出撃していく。敵の空軍は10000程度だから、まず負けることはないだろうと、ミカエルは思っていた。

会議室を出て、他の七天委員会と共に、モニター室へ移る。正面に巨大なモニターはあるが、後は古代イスラエル風に統一されている、とても趣のある部屋だ。

モニターに、戦況が映し出される。悠然と進んでくる敵陸上部隊。その後方には、魔術部隊が続いている。上空に展開している航空部隊は10000前後と言うところか。これならば勝てると、ミカエルが思った瞬間であった。オペレータの中級天使であるヴァーチャー(力天使)が叫ぶ。

「敵空軍、密集隊形で突撃してきます!」

殆ど一瞬にして、高密度の雁行陣をくみ上げた敵空軍が、常識外れの速度で、味方空軍の斜め上から襲いかかったのである。メタトロンが反応する暇もなかった。

瞬く間に中央部を突破された空軍に、地上から驟雨のごとく攻撃術が襲いかかる。後方にいた魔術部隊が、完璧なタイミングで斉射を浴びせたのである。整然と陣形を組んでいたことが徒となり、被害が更に拡大した。立ち直りかけたメタトロンに、雄叫びを上げながらブリュンヒルドが挑み掛かる。そうこうする内に、見る間に味方は落とされていった。

落ちていった天使が、地上部隊に槍で串刺しにされる。ガブリエルが必死に秩序を立て直そうとしているが、ラグエルの動きが鈍く、対応し切れていない。また、敵空軍が突撃してきた。鋭い突撃は容赦なく防御陣を切り裂き、味方の兵力が見る間に削り取られていく。

巨大な爆発が、天使達をなぎ払った。殺虫剤を浴びた蠅のように落ちていく天使達。今の術は、メギドラか。敵には、上級の攻撃術を使いこなす奴がいると言うことか。天使達の反撃は散発的で、殆ど効果を上げていない。それに対し、敵の空軍は、まるで一匹の大蛇のように、完璧な連携を見せている。魔術部隊もその動きを読んで、巧みに火力を調整していた。

「ひ、退けっ! 退けっ!」

たまらず立ち上がったミカエルは、果敢に挑み掛かってくるブリュンヒルドに手を焼いているメタトロンが、メギドラの直撃を受けるのを見た。流石にそれでも落ちないメタトロンだが、タイミングを合わせてブリュンヒルドが全力で繰り出してきたチャージを浴びて、よろめく。ミカエルは、それを見て、小さな悲鳴を上げていた。あのメタトロンに、二人がかりとはいえ、あれだけの打撃を浴びせるとは。

もはや、開戦前に満ちていた余裕など、どこかに消し飛んでいた。

味方は続々と帰還し始めていた。メタトロンはあれだけの攻撃を浴びたにもかかわらず、ほとんど怪我らしい怪我もしていなかったが、それでも不満そうだった。部下が、損害を報告してくる。

「今の戦闘で、2000騎を失いました。 兵力の再編成を進めます」

「た、たったあれだけの時間で、出撃軍は二割の戦力を失ったというのか!?」

「はい」

機械的に返答するオペレーター。ミカエルは返答に困り、何も言うことが出来なかった。

モニター室に、ガブリエルとラグエルが入ってくる。ガブリエルは、右の二の腕に鋭い傷を貰っていた。二度目の交錯で、敵の堕天使によるチャージを連続で浴びたのだという。まあ、すぐに治る程度のものだ。

「無様だな、ガブリエル」

「今は、そのようなことをいっている場合ですか! 敵の戦力は見たはずです。 総力を挙げなければ、撃退など到底不可能です!」

「分かっておる!」

今更ながらに、ミカエルはガブリエルの発言が正しかったことを思い知らされていた。しかし、この判断ミスを誰に押しつければいい。もちろんガブリエルには責任を取って貰うとして、他にももう一人ぐらい、責任を取らせる相手を考えなければならないだろう。めまぐるしく思考を動かすミカエルに、ガブリエルは冷静な口調で言った。

「建造中の、シナイ塔への撤退準備をしておいた方がよろしいでしょう」

「好きにしろ、臆病者の、役立たずが!」

「分かりました。 司令部の機能だけでも、移動します」

ガブリエルは汚い罵声にも反抗することなく、モニター室を出て行った。ミカエルはどうにか、常識的な命令だけを出す。

「オベリスク、全防御機能活性化! 各要塞砲、発射準備に入れ!」

「防御機能活性化開始! 要塞砲、発射可能まで、あと三十分です!」

ミカエルは、モニターを見る。着実に、敵は包囲を始めている。今の交戦で、殆ど被害が無いことが、一瞥しただけで分かる。

どういう事だ。光の加護を受けている天使達が、どうしてこうも簡単に打ち払われた。闇はそうまでも強大だというのか。

神は、偉大なる唯一至高の存在は、この世界にいない。

そんなことは分かりきっている。だが、それでも。天使達は、大いなる力の加護を受けているはずだと、ミカエルは考えていた。

「要塞砲、発射準備整いました!」

「よし、一番、二番、三番! 発射……」

「こ、これは! 要塞砲のエネルギー、低下していきます!」

「オベリスク要塞、全機能50%まで低下! 30、20、低下止まりません!」

唖然と立ちつくすミカエルに、オペレータが機械的に言った。

「マガツヒの供給機能が、停止しています!アマラ経路との霊的接続が、遮断された模様です!」

「そ、そんな、そんな」

「オベリスク塔、降下開始!」

がくんと、モニター室が揺れた。隣に立っていたラファエルが、大きく歎息した。

「全軍、白兵戦準備。 要塞砲が無くとも、このオベリスクは簡単には落ちぬ!」

「は! 全軍、白兵戦を準備します!」

警報が鳴り響く。立ちつくすミカエルを一瞥して、ラファエルとウリエルが部屋を出て行った。ラジエルも、それに続く。

後は、絶望的な報告ばかりが、オペレーターから届くばかりであった。

 

1、アサクサに走る罅

 

気に入らないが、認めるしかない。リコはそう思って、小高い丘からアサクサの様子を見守っていた。

アサクサに流入する、マネカタの数は増える一方であった。既に、人口は一万を超え、二万に近付いている。その殆どは、イケブクロ壊滅に乗じて逃げ出した者達や、それ以前に運良く逃げ出すことが出来た者達であった。

無言での、役割分担が出来つつある。秀一は、流入するマネカタ達の護衛。琴音は戦う意思のある者の訓練と、マネカタそのものの組織化。不思議なことに、ほとんど話し込むことが無いのにもかかわらず、二人は見事な連携を見せている。

むずむずする。琴音の実力は認める。だが、素直にそれを受け入れられない自分がいる。秀一は琴音と殆ど自主的に会話さえしない。琴音も、秀一に敬語で語りかけているし、笑顔も見せているが、違う。

自分が感じているような意識を、琴音が秀一に対して持っていないことが、どうしてか分かるのだ。

今でも、リコは自分がマントラ軍の一員だと思っている。だから、力を至上とする考えには、素直に馴染んでいる。それなのに、どうして認めることが出来ない。琴音は強い。しかも利害関係が一致していて、戦うこともない。目的のために、共同作戦を採ることだって出来る相手だ。それなのに。

素振りをすることにした。悩みが多い時は、体を動かすに限る。しばらく剣を振るう。何も考えずに、戦うことだけに集中する。

ほどなく、ノルマ分の修練が終わった。マネカタどもが上納してくるマガツヒを口に入れる。やはり、少し味が薄い。満足できるとは、言い難い代物だ。ただし、量は多いから、力はつく。

「リーコー。 どうしたの、こんなところで黄昏れて」

「あ、サナさん」

サナがいつのまにか側に来ていたので、笑顔で応じる。何だかよく分からないのだが、妙にこのピクシーとは気が合う。実力が同じくらいだと言うこともあるからか。それに、下っ端だった時期が長いので、先輩達に囲まれていると落ち着くというのもある。

「サナさんは、琴音さんの事、どう思います?」

「有能な奴だね。 戦士としては、シューイチと同等か、それ以上じゃない? それに自分に厳しいし、見てて不快じゃないかな」

「……そう、ッスよねえ」

「最初にあった時は、嫌いだったんだよね、あの子。 口にすることは理想主義ばっかで、聞いてて苛々した。 今はとても悪魔の頭領らしい行動を取ってるし、ひょっとするとそのうち大勢力の長になるかもね」

けたけたとサナが笑った。笑ってはいるが、多分本気だ。したたかなサナの事である。もし琴音の方が有望だと思ったら、乗り換えるかも知れない。

カグツチの光が強くなり始めている。そろそろ、自由時間は終わりだ。これから、会議に出なければならない。アサクサの上空を、フォルネウスが飛んでいるのが見えた。

雷門を通って、アサクサに入る。既に通貨らしきものも使われ始めていて、原始的な経済が動き始めていた。街は急ピッチに形が出来はじめていて、誰もがせわしなく働いている。

マネカタは、臆病で無能だが、結束だけは確かだ。子供は子供で、大人は大人で、集まって行動していることが多い。見ていて微笑ましい時もあるが、しかし、輪にはいることはない。彼らは一様に、リコに対して恐怖心を感じているようだ。子供も同じである。マントラ軍出身の悪魔であることは、それに拍車を掛けているらしい。別に、どうでも良いことである。積極的に虐げようとは思わないし、逆に何かしてくるようならその場で殺すだけだ。

片腕がないナーガとすれ違ったので、軽く礼をする。琴音の部下の一人だが、かってはマントラ軍にいた悪魔だ。脱走したことを気に病んでいるらしく、リコを見ると少し申し訳なさそうにする。

リコは、別に気にしていないのだが。生き残るためなら、何をしても良いというのが、マントラ軍の思想だった。仲間を裏切ったのは確かに問題だし、臆病は唾棄すべき欠点だが、死んでしまっては意味がない。或いは、死に場所を間違えては意味がない。

広場の一つで、サイクロプスのフォンが、マネカタの若者達に武術を仕込んでいた。フォンはかなり有能な戦士だ。寡黙で、だが強さへの執着はないらしい。片腕の腱が切れていて、力は殆ど発揮できないようなのだが、それでもかなり強い。両腕が健在だった時には、今よりもずっと強かったことだろう。単純なパワーでは、現在でも及ばない。また、スキルも結構高いし、意外に博識でもある。

極端な平和主義者だったという話なのだが、マネカタ達に戦い方を教えるやり方には、力が入っていた。今日は体が大きな悪魔と、どう戦うかを教えているらしい。熱が入っているフォンに対して、マネカタ達は皆腰が引けていて、見ていて無様だった。

フォンが此方に気付いたので、礼だけして通り過ぎる。今は秀一に呼ばれているから、そっちが優先だ。ただ、後で時間が出来たら、あの腰が引けたアホどもはしっかり鍛えておきたいところだ。まずは走り込みを三十本入れて、腕立て伏せをして、素振り三百回という所か。正拳突きも百回くらいやらせておきたい。

「リコ、ひょっとして、頭の中で訓練用のメニュー組んでた?」

「え? そうッスよ。 榊センパイの判断次第じゃ、しばらくアサクサにいることになりそうッスから」

「何だかんだ言って、真面目だなあ」

「性分スよ」

クレーター状になっている街を、螺旋状に道と家屋が取り巻いている。今日は時間があるから、道に沿ってゆっくり下りていく。途中、子供がぶつかってきた。走っていて、前が見えていなかったらしい。

手を貸すようなことはしない。そのまま、見ている。子供は悲鳴を上げたが、何もしない。一言、声を掛けるだけだ。

「自分で立つ」

他の子供が、建物に隠れて、此方を伺っているのが見えた。マネカタの子供は人間で言うと五歳くらいだろうか。泣きそうになりながらも、何とか立ち上がる。しっかり両の足で立つのを見届けてから、腰をかがめて、粗末な着衣の埃を払ってやった。

「よく出来たッスね」

「う、うん」

笑顔を、浮かべていたかも知れない。子供はぺこりと頭を下げると、仲間の所に駆けていった。

もう、秀一のいる会議場は、すぐ其処だ。サナが隣で十五センチほど浮きながら、言った。小柄な彼女は十五センチの浮遊を考慮しても、リコの肩くらいまでしかない。

「なんだ。 嫌い嫌いって言ってるのに、ちゃんと面倒見てるじゃん」

「あたしが嫌いなのは、他力本願なマネカタッスよ。 マネカタそのものが、嫌いな訳じゃないッス。 そういうサナさんだって、マネカタ達の怪我を治してやったりしてるじゃないスか」

「そりゃあ、そうだよ。 だってあいつら、僕の非常食だから」

あまりにもさらりと言い切られたので、リコは思わず転びかけた。

ひょっとすると、サナがこのアサクサにいる中で、一番冷酷な存在なのかも知れない。多分、今の発言も、冗談ではないはずだ。ぞくりとする発言を、時々してくれるサナは、今もいつものように、天真爛漫な笑みを浮かべていた。

 

かっては掘っ立て小屋程度の規模しかなかった会議場だが、今は二階建てになっていて、常時槍を持った護衛が張り付いている。一応マネカタの中では使える方なのだが、リコが本気で攻撃を仕掛けたら、全員数秒であの世に逝く程度の力量しかない。彼らが特別に弱い訳ではない。マネカタの母集団そのものが、極めて脆弱なのだ。

小屋の前では、もうフォルネウスが待っていた。フォルネウスは多分リコよりもずっと優しい。子供のマネカタの世話をするのが好きらしく、時々背中に乗せてやったりしている。今日も子供のマネカタ数人にまとわりつかれて、楽しそうににこにこ微笑んでいた。

「おお、来たか。 もう琴音嬢と秀一ちゃんは、中で待っとるぞ」

「うん、分かった」

どうも会議は苦手だ。サナに続いて、会議場にはいる。既に長い机には、秀一とサマエル、それにマネカタの幹部四人が着いていた。秀一は腕組みして目を閉じていて、サマエルはその向かいで、書類に目を通していた。サマエルの隣に座っているのは、レプラコーンの老人、クレガである。サマエルと一緒に会議に出るのは、いつもこの老人だ。

更に二人、マネカタが入ってきた。一人は見覚えがない。隣に座っているサナに聞いてみると、何でもこの間400人ほどのマネカタを連れてアサクサに到着したグループのリーダーだという。壮年の男性の姿をしているそいつは、マネカタにしては精悍な顔つきをしていて、動きも隙が少ない。カザンと言うそうだ。

「遅れて、すまなかった。 会議を、はじめて、欲しい」

「シロヒゲ、今日の議題から頼む」

「おお、すみませんな。 それでは、会議を始めますぞ」

秀一の声を受けて、シロヒゲが咳払いをした。このアサクサの、復興最初期メンバーのリーダーであるシロヒゲだが、最近は肩身が狭いのだという。後から来たマネカタの中には、権利を主張するものが多く、特にサマエルの配下の悪魔達との折衝が難しいのだそうだ。

「早速ですが、ニヒロ機構が天使軍と激突しました。 現在、オベリスク要塞は、地面に突き刺さっていて、それを取り囲んでいるニヒロ機構軍と、内部籠城している天使軍が、激しく戦っております」

「もう、ニヒロ機構は、動き出したのか。 恐ろしく、早いな」

「情報を総合するに、規模は30000超。 稼働中の機動部隊を、全てつぎ込んでいると考えて良いだろう」

「だいぶ、同胞は集まってきたが、そのような軍勢に、襲われたら、ひとたまりもないな」

少したどたどしいが、しっかりした口調でカザンが言う。秀一は頷くと、皆を見回すようにして言う。

「マントラ軍は、それに対して、まだ動きがない。 勢力の維持と守りを固めるのに精一杯で、侵攻する余力がないのだろう」

「だが、内紛が起こらない限り、時間が経てば経つほど、カブキチョウの守りは、厚くなるのではないか」

「その通りだ。 カブキチョウに関する情報は、些細なものでも欲しい。 今も集め続けてはいるが、侵入するには少し不足だ。 皆も、知っている情報があったら、何でも良いから提供するようにして欲しい」

わざわざご苦労なことである。マネカタどもの指導者なのだから、連中が救うべきなのだ。それを、情報を得るためとはいえ、わざわざ助けようとしている秀一。それに頼り切りで、ろくに情報も集めてこられないマネカタ。

やっぱり此奴らは嫌いだと、リコは思う。

話し合いが一段落すると、今度はサマエルが挙手した。それを見て、さっとマネカタ達の顔が曇る。

「私の仲間がスカウトしてきた悪魔が、三十騎ほどアサクサに入ります。 いずれも戦いを好まず、或いはもう戦えない体になった者達です。 ただし、戦闘のスキルは高いものがありますし、他にも様々な術の知識を持っています。 受け入れの準備を、進めておいてください」

「し、しかし、サマエル殿」

「俺も賛成だ。 この街が発展してきたのは、白海さんと、その配下の方々が、尽力してくれているからだ。 マネカタだけで、この街を作ることが出来たか? 守ることが、出来たか?」

狼狽したシロヒゲに、秀一が一言。眉が跳ね上がるのが、自分でも分かった。これだ。特に心が通じてもいないのに、秀一がサマエルの味方をすると、むずむずするのだ。サマエルの言葉も、秀一がそれに味方をするのも、正しいと分かっている。なのに、どうして反発を感じるのだろう。

「しかし、その」

「結局悪魔が上層部にいれば、マントラ軍にこき使われていた頃と同じだとでもいいたいのか?」

秀一がずばりと核心を突いた。シロヒゲが蒼白になる。カザンは、小さく頷いた。他のマネカタ達は、青ざめて視線を右往左往させるばかりである。

「その通りだ。 皆、恐れているのだ。 今は、ギブアンドテイクの関係が、巧く成り立っている。 だが、それがいつまで続くか、分からない」

「現実的な考えではない。 俺は、究極的には、情報さえ得られれば、マネカタの国家運営や組織構成には興味がない。 だから、もしマネカタが自立できる体制が整えば、それを拍手で祝福してもいいとさえ思っている」

でも、今はまだ無理だと、秀一は言い切った。

当然の話である。これだけ、戦乱と混乱の時代において、軍事的な空白地にいるというだけで、国を保持できている現状が、そもそも異常なのだ。マネカタには確固たる組織も、防御のための施設も、戦える軍事力もない。上級悪魔並みに成長したサマエルと、秀一がいるからこそ、保たれている平和なのだ。それなのに、かりそめの平和の中で、非現実的な恐怖感を募らせて、肝心の組織の核を追い出しに掛かるなど、言語道断である。

比較的冷静に話をしていたカザンは、また躊躇無く地雷に踏み込む。

「そもそも、邪神サマエル。 貴方の目的は、なんなのだ。 俺には、それがよく、分からない」

「何度も言ったはずです。 私は、戦いを望まない者を、戦いから守りたい。 ただ、それだけです」

「それが分からない。 悪魔である貴方の言葉だとは、とても思えない。 だから、マネカタ達は、怖がっているのだ。 貴方が、いつ心を変えて、ゴズテンノウのような暴君に変わるのでは、ないかと」

「自分達でサマエルを招いておいて、随分勝手な話スね」

思わず口を出してしまったリコは、驚いて此方を見る秀一に赤面しかけた。だが、そのまま不満をぶちまける。

「あたしは尊敬するトール様に言われて、視野を広げるために、榊センパイの部下になったッス。 だから、今でもマントラ軍の思想が正しいと思っているし、それが故かも知れないけれど。 はっきり言って、力がない奴は、この世界では発言する資格が、最初から無いんスよ。 もし、文句を言いたいのなら、サマエルを出し抜くくらいの力を手に入れてからにしたらどうなんスか」

カザンでさえ、それに答えることは出来なかった。秀一が、手を叩く。

「此処で今回の会議は終了。 リコの発言通り、マネカタが何か主体的に言うのは、まずまともな軍事力が整ってからだ。 外にいる者達が、一番まともに戦えるマネカタだという時点で、既にこのアサクサの状況は、風前の灯火だと言ってもいい。 もっと訓練をして、組織的に戦える状況になったら、そう言う提案をして欲しい」

ぐうの音もないらしく、カザンでさえそれには反論しなかった。そのまま会議はお流れになる。

サマエルが笑顔で一礼してきたので、むっつり頬を膨らませたまま、軽く頷く。正しいと分かっているのに。この娘を手助けするのは、やはり嫌だ。会議場を出ると、秀一が無表情のまま言った。

「驚いた。 君は白海さんの事を、嫌っていると思っていたが」

「そんなの、良く分からないッス」

「ははは、若いのう」

どうしてか、フォルネウスの言葉に、赤面してしまう。何だか、よく分からない事が、自分の妨げになり始めているような気がした。

 

2、オベリスク会戦

 

マルノウチ近辺に足を運んだトールは、その光景を見守っていた。ニヒロ機構の精鋭機動部隊が、あのオベリスク要塞に猛攻を仕掛けている。しかも、威容を誇った空中要塞が、地面に引きずり落とされているではないか。

ニヒロ機構が、カエデという優秀な術者を手に入れたと言うことは、トールも掴んでいた。術者としては優秀でも、体術は並の人間以下とか言う話だから、別に戦いたい相手ではない。だが、この光景を見ていると、そそるものがある。この大規模な作戦は、カエデの力によって成り立っているのだから。

塔の形状をしたオベリスクは完全に機能を停止して、原始的な肉弾戦が繰り広げられている。塔の周囲を完全に包囲したニヒロ機構軍は、外壁に激しい攻撃を加えながら、突破口を探しているようだ。天使軍は慣れない地上戦を強いられて、見る間に被害を増やしている。しかも制空権を抑えられており、反撃もままならない様子だ。

この戦いは、どう見てもニヒロ機構の勝ちだ。天使軍は大打撃を受けて、撤退せざるを得なくなるだろう。ますます、このボルテクス界は混沌を深めていく。実に良い傾向だと、トールは思った。

「こんな所におられましたか」

「どうした、サルタヒコ」

「は。 幾つか、情報を仕入れましたので」

振り返ると、寡黙な部下が、妻と一緒に跪いていた。他の鬼神はいない。多分、それぞれ情報収集の任務に当たっているのだろう。危険を冒しての任務、ご苦労なことである。トールは顎をしゃくって、情報の提示を求める。

「アサクサで、マネカタ達が集まり始めています。 数は、既に20000を超えたようです」

「ほう。 集まりが早いな。 組織の核になっているのは?」

「どうやら人修羅とサマエルらしいと分かってきました」

なかなかやるなと、トールは心中にてつぶやいた。多分利害関係が一致して協力しているのだろうが、面白い展開である。既にどちらも上級悪魔並みの実力を得ており、しかも万単位のマネカタからマガツヒを供給されれば、その実力は更に跳ね上がることになる。今後、大きな脅威になるだろう。

それでこそだ。是非、更に力を付けた人修羅とは戦ってみたい。オセの最期を看取ったという情報もあるし、敵になる可能性もある。ぞくぞくするほど、楽しみだ。

「さもありなん。 マネカタどもに、主体的な組織構築は無理だろう。 これは、カブキチョウに捕らえているフトミミを放してやったら、面白いことになるかもしれんな」

「……」

「冗談だ。 では、引き続き、新たなるマントラ軍の核となりうる者を探せ」

「御意」

二人を見送ると、背後で大きな爆発音がした。壁の爆破を試みているのだろう。今の術式は、メギドラか。だが、煙が晴れると、無傷のオベリスクが姿を現した。さすがは天使どもが精魂込めて作り上げた要塞である。地上に引きずり落としたくらいでは陥落しないか。

徐々に包囲を縮めるニヒロ機構軍に、天使軍は籠城策に出たようだ。天使軍は他にも各地に散っている戦力がいるから、巧くすれば背後を突くか、ニヒロ機構の拠点を圧迫できると考えているのだろうか。浅はかである。ニヒロ機構の戦力から言って、背後を固めるくらいの余剰兵力くらいはあるはずだ。

だが、ニヒロ機構軍も、動きが鈍い。指揮官は多分ミトラだろう。古参幹部の一人で、中東の偉大な司法神である。実務能力は高いと聞いているが、やはりオセに比べると見劣りがする。攻撃も若干単調であり、壁を破るのにも手間取っているようだ。

何をやっているのだと、トールは口中でつぶやく。どちらに肩入れすると言うことはないが、鈍い動きをする軍を見ると苛々する。神話的な設定よりも、核になった人間の意識が能力に大きく影響するという、見本である。

しばらく見ていたが、状況は膠着した。しばらくは動きそうもないので、トールは一旦その場を後にする。

単独行動をするようになってから、制約が色々と無くなって、やりやすくなった。ニヒロ機構の領地に逃げ込んでいる脱走兵を見つけては拳で死なない程度に制裁を加え、本国に引きずって戻る事もしばしばである。既に彼らの間では、脱走するとトールが地獄の底まで追って来るという噂が流れているらしい。良い傾向である。そのまま噂が広がれば、脱走兵は自発的にマントラ軍へ戻ることであろう。

結局、マントラ軍のためになる事をしている。それは、力の理論が、トールには心地よいからだ。

ほくそ笑むと、トールはその場を後にした。戦いは、未だ終わる気配を見せない。

 

およそ2000の工作部隊が、オベリスクとアマラ経路との霊的リンクを切断し、供給されるマガツヒを遮断。更に全体のエネルギー経路も攪乱して、殆どの機能を沈黙。地上に引きずり落とすことに成功した。カエデの仕事は、これで半ば終わったと思っていたのだが。予想外の事態が発生していた。

中軍司令部に呼ばれる。天幕にはいると、野戦用の組み立て式長机と、パイプ椅子が並べられていた。機能的で持ち運びにも便利なパイプ椅子が好まれるのは、ニヒロ機構の伝統である。会議が終わった後、自分で片付けるのも、伝統の一つになっている。

既にブリュンヒルドも呼ばれていたらしく、不機嫌そうなミトラの前で、腕組みして座っていた。何だか空気がきりきりしていて、肌が痛い。スルトは座ったまま、真っ赤な愛剣を手入れしており、その隣ではモイライ三姉妹がこそこそと耳打ちしあっていた。

モイライ三姉妹は、ギリシャ神話における運命を司る女神である。面白いのは、古代では重要だった糸を紡ぐ作業に、それぞれの役割が代表化されていると言うことだ。末の妹のクロトは、糸巻き棒から、糸を紡ぐ。これは言うまでもなく、運命の発生を意味する。中のラケシスは、糸を運び、人間達に分配する。これは運命の提供を意味する。そして長女のアトロポスが、糸を切ることで、人の寿命を管理するのである。

この辺りは、北欧神話の運命の三女神ノルンと役割が共通している点が多い。この役割を反映してか、クロトは糸巻き棒をあしらった真っ白な服を着ている。また、ラケシスは人生の情熱を意味する赤い服を。そしてアトロポスは、武器として巨大な鋏を持っており、裁縫箱を意識してか、全体的に服がごつごつしている。クロトはカエデと同じ年くらいに見えるが、ラケシスは大人と言っても遜色ない容貌である。アトロポスに到っては、子供がいてもおかしくない風格を備えていた。姉妹だからか、三人とも顔はよく似ている。とても整っていて、少なくともカエデよりは美しい。

彼らは、カエデに配属された部下だ。しっかりいることを確認すると、ぺこりと一礼する。

「遅くなりました」

「ああ、座ってく……」

カエデを見たミトラと、モイライ三姉妹が一斉に飲んでいた茶を噴き出した。スルトはカエデを見て固まっており、平然としているのはブリュンヒルドのみである。

今日、カエデは体操着ルックである。下はもちろんブルマーで、術の媒介に使う杖はリレー用のバトンに偽装している。もちろん、ニュクスに着せられたのだ。

こんなものが一体何処にあったのかよく分からないのだが、ニュクスはカエデにお着替えさせた後大喜びしていた。流石に少し恥ずかしい格好だが、ニュクスも喜んでいるし、悪い気分はしない。もちろん、胸にはゼッケンがついていて、「にひろきこう」と書いてある。

ちなみに、当のニュクス本人は、会議の間の総指揮を代行しているため、此処には来られない。しばらくの沈黙を、ミトラがようやく打ち破る。

「きょ、今日は一段と凄いですね、カエデ将軍」

「そうなのですか? ちょっと恥ずかしいとは思いますが、でもニュクス将軍が用意してくださったものですから」

「またか。 ニュクス将軍も、一体どこからそのようなものを持ち出してくるのだ。 その情熱を、少しは他のことに傾けてくれれば良いものを」

淡々となおかつ生真面目にブリュンヒルドが言ったので、ミトラはまた固まった。モイライ三姉妹はさっきからずっとフリーズしっぱなしである。

パイプ椅子に座る。金属部分が腿に触れて、流石にひんやりした。砂漠だが、天幕の中は術によって、適温に保たれている。何度か咳払いをしてから、ようやくミトラは本題に入った。

「状況は知っての通りです。 オベリスクは地面に引きずり落としてやったのですが、しかし壁が分厚く、中に突入できない。 打開策を考えないとまずいですね」

「天使軍は、増援を明らかに期待している。 包囲網を外部から攻撃されると、あまり面白くない事態が到来するな」

スルトが、ミトラの言葉を補足した。確かに、あまりよろしくない状況である。一度叩きのめされ、なおかつオベリスクに完封された天使軍は、此方に対する認識を改めたはずだ。このまま一気に崩すのは難しくなりつつある。

その上、オベリスクの壁も、危険だ。今は術で内部の機能を停止しているが、それもいつまで保つかは分からない。主砲の制御が戻ると、至近距離から掃射を浴びることになる。そうなると、大きな被害が出るだろう。

幾つか、既に戦術は行使したらしい。ミトラ自身が放ったメギドラが、壁を灼いた。熱膨張破壊も試したし、あらゆる種別の攻撃術も展開された。酸も掛けたし、強塩基もである。それなのに、壁はびくともしない。

「どこか脆い場所を探すか、或いは壁を崩す術を見つけ出すか、どちらかだと考えています。 皆の意見を聞きたいのですが」

ミトラが皆を見回した。ようやくフリーズが解除されたモイライ三姉妹は、失点を作りたくないらしく、視線が合いそうになる度に顔を背けてしまう。スルトは腕組みして思考中であり、ブリュンヒルドは指先で小刻みに机を叩きながら、何か思案している。カエデは少し考えてから、挙手した。

「すみません。 よろしいでしょうか」

「何でしょうか、カエデ将軍」

「攻撃を行った場所と種類のデータを見せていただけますでしょうか」

まずは、其処からだ。ミトラが指を鳴らすと、何体かの術式を得意とする悪魔が天幕に入ってきて、立体映像を作り出した。高さ二メートルほどのオベリスクが立体で机上に作り出され、その周囲にまんべんなく赤点が灯る。

神経質なミトラらしい、均等な攻撃だ。特に、天使達が出撃に使った穴を重点的に攻撃しているのがよく分かる。

攻撃の種類に、データが移行する。そうすると、不均衡を見つけた。オベリスクの上の方には、あまり豊富な種類の攻撃を加えていない。

「塔上部への攻撃が、均一ではありませんね」

「ああ、それは、術が届かなかったり、まだ制圧していなかったり、色々な理由からですよ。 制空権を確保したのも、つい先ほどの事ですからね。 それも、いつまで保持できることか」

「なるほど、そうですか。 ……恐らく、塔に侵入できるとすれば、上部からかと思います」

ミトラが目を見張る。スルトが、上司に代わって、顎をしゃくった。続きを喋るようにと言うことであろう。

「このオベリスク塔は、構造、マガツヒの流れや術の様子から言っても、下部、或いは側面からの攻撃に耐えることに主眼をおいた作りとなっているかと思います。 そこで、塔の上部、特に頂点部分に総攻撃を掛けられないでしょうか」

「なるほど、面白い意見だ」

スルトが賛同してくれた。ブリュンヒルドはしばらく塔の模型を見ていたが、頷いてくれる。

「確かに、現状ではそれしかなさそうだな」

「……そのよう、ですね」

ミトラの声に、苛立ち以上の殺意が籠もるのを、敏感にカエデは感じ取っていた。最古参の幹部であり、今や事実上ニヒロのナンバーツーであるミトラだが、何故か余裕がない。オセと違って、権力にがつがつした様子がうかがえるような気がするのも、その理由であろうか。氷川司令もそれに気付いているようで、ミトラに二人きりの時叱責を加えることがあるようだ。

すぐに、細かい部分の調整が行われる。主力はブリュンヒルドの部隊で、大火力を持つ魔術部隊の主力が、何名かそれに随伴する。カエデはもちろん、モイライの三姉妹も同行することになった。それと同時に、歩兵の部隊が陽動攻撃を仕掛ける。此方の指揮は、スルトが執る。伝令が八方に散る。指示が行き渡ったところで、作戦が開始される。

天幕の外には、ブリュンヒルドの愛馬がつながれていた。おとなしい馬だが、非常にプライドが高く、ブリュンヒルドの言うことしか聞かないそうである。馬の首を抱きしめて、ブリュンヒルドが何かささやいている。不意に振り向いたので、カエデはちょっと驚いた。

「乗れ。 私の後ろだ」

「は、はい」

「ミトラ将軍は、企画力と構成力には確かなものがあるが、戦闘指揮はあの通りだ。 だから、塔の上部には、私が責任を持って届ける。 だから、お前も責任を持って、壁を確実に破れ」

すぐ側で見ると、馬はとても大きい。これが人間の倍以上の速力で突進してくると思うと、脅威である。軽々と跨ったブリュンヒルドのようには行かず、よじ登るようにして、何とか鞍に這い上がった。

鞍の前に跨っているブリュンヒルドの背中にしがみつく。無機質な鎧の感触が冷たい。モイライの三姉妹も、ムカデのような姿をした大きな堕天使の背中にそれぞれ跨る。流石にミトラ将軍は、企画力は優れている。部隊の配置転換は、瞬く間に終了した。

「よし、行くぞ!」

ブリュンヒルドが剣を抜き、馬の腹を足で蹴ると、本陣を離れる。そして、彼女の陣へ。生真面目な性格を反映するように、整然と整えられた陣である。中では、空軍の悪魔達が、今か今かと出を待っていた。翼を手入れしている者が多い。鳥の姿をしている者は嘴を使っているし、虫のような悪魔も薄い注ェを丁寧に手入れしている。人型に翼を持つ堕天使達も、器用にブラッシングしていた。ブリュンヒルドは彼らの真ん中で、鋭く一声をあげる。

「聞けい!」

周囲の悪魔達が、一斉に此方を見た。ブリュンヒルドはただの一言で、彼らの精神を、戦闘態勢に切り替え、なおかつまとめ上げたのだ。凄い気迫だと、カエデは驚かされる。元々、指揮官に自分が向いていないことは知っている。だが、この気迫の十分の一でも欲しいと思ったのは、事実だ。

「これから、攻撃方針を転換する! 我らは敵の制空圏をかいくぐり、カエデ将軍と、モイライの三姉妹、他に何体かの魔術部隊を、オベリスク頂上部へ搬送する! 厳しい任務となる! 抜かるな!」

「サー! 私に先鋒を!」

ブリュンヒルドに跪いたのは、インドクジャクの姿をした堕天使アンドレアルフスであった。ただし、姿は同じでも、翼長は五メートルを軽く超えている。高々度での戦いを得意とする悪魔だと、カエデも聞いている。彼もまた、最近将官に昇進した若手だ。しばらく派手な尾羽が風に揺れるのを見ていたブリュンヒルドは、覚悟を試すかのように言った。

「敵は恐らく、メタトロンが出てくる! 持ちこたえるのは難しいが、やれるか!?」

「イエッサー!」

「その心意気やよし! だが、メタトロンは、天使軍最強の戦士だ! お前の他にも、上級の悪魔を何体か付ける! かならず私が戻るまで持ちこたえろ!」

「イエッサー! 必ずや、サーが戻るまで持ちこたえるであります!」

何故かちゃきちゃきの軍人口調で言うアンドレアルフス。ブリュンヒルドの配下には、こういう生真面目な人材が揃っているのかも知れない。類は友を呼ぶと言うが、こういう意味でなら、歓迎すべきではないかと、カエデは思う。

本幕の方から、花火が上がった。作戦開始の合図だ。ブリュンヒルドは剣を抜き、天に向けて一声。

「行くぞ! 勝利は我らにあり! 卑劣なる天使軍どもを、これから蹴散らしに赴くぞ!」

「おおーっ!」

喚声が上がる。それはうねりとなって、ブリュンヒルドの陣に波及していった。

馬腹をブリュンヒルドが蹴る。走り出した白馬に続いて、無数の悪魔達が翼を拡げ、飛び立つ。砂漠で徐々に加速していく白馬の後ろを、雲霞のような悪魔の影が追い始める。やがて、砂丘を跳躍台にして。ブリュンヒルドが飛び上がった。追いついてきた悪魔達が、分厚い方陣を組んでいく。壮観だ。

先陣は、さっきの言葉通り、アンドレアルフス。そのほかにも、数騎の上級悪魔がついた。厳しい表情で唇を引き結んでいるブリュンヒルドは、しがみついているカエデに言った。

「アンドレアルフスは、死ぬかも知れない。 そしてそれは、作戦を提案したカエデ将軍、貴殿に責任がある。 分かっているな?」

「はい。 覚悟は、しています」

「そうか。 忘れないで欲しい。 戦いに臨む、アンドレアルフスの姿を」

ブリュンヒルドの白馬は、空を蹴って、どんどん加速していく。

やがて、迎撃のために、無数の天使達が、オベリスクから出撃してきた。その先頭には、やはり、メタトロンの姿があった。大きい。三十メートルはあると聞いていた。遠距離砲撃で、メギドラを叩き込みもした。だが、間近で見ると、その威圧感は凄まじい。メタトロンは低いうなり声を上げながら、十メートル以上ある光り輝く剣を抜いた。さっと展開した堕天使達が、防御術を組み始める。少し遅い。カエデは、ブリュンヒルドに言う。

「少し前に!」

「力は温存しろ!」

「大丈夫! マガツヒは、たっぷり受け取っていますから!」

印を組む。詠唱を進める。大上段に構えたメタトロンが、鋭い光の軌跡を残しながら、剣を振り下ろす。噂に聞く、シナイの神火と呼ばれる剛剣。振るうだけで、数百の悪魔を蹴散らすと言う。

だが、そうはさせない。

アカサカの悲劇は、もう再現させない。

メタトロンの剣が閃光を放つのと同時に、カエデが術を展開。淡い紫色の壁が、味方の前衛を包み込む。真っ正面からそれが、閃光と激突。

強烈な衝撃波が、辺りを蹂躙した。

 

地上から戦況を見上げていたミトラは、舌打ちしていた。カエデが展開した防御術が、メタトロンが放った一撃を、防ぎ抜いたのである。一瞬遅れて、衝撃波が地面を叩く。砂が舞い上がり、弱い悪魔が悲鳴を上げた。

「うろたえるな!」

一喝。舌打ちしたミトラは、攻撃を開始したスルトの部隊を見た。スルトは火炎術に関しては、恐らくニヒロ機構随一の使い手だ。自分と同じように、火炎の術を得意とする悪魔達を集めて、先ほどからオベリスクの一カ所に集中砲火を浴びせている。最初に、直径十メートルを超えるスルトの火術が壁を舐めあげた。ラグナロクと呼ばれる術で、火術と言うよりも、殆どプラズマの固まりに等しい代物をぶつける必殺技である。続いて部下達の火球が数百ほど炸裂。熱気が、ミトラのいるところまで届いてくる。凄まじい火力だが、それでもオベリスクの壁は破れない。スルトの攻撃を支援するためにも、味方の部隊を動かす。背後を突かれないように、しっかり布陣する。

油断するなと、氷川司令に言われた。そんなに自分は油断ばかりしているだろうかと、時々自問する。油断するのは、権力に目が行きすぎだからとも言われた。それは、あるかも知れない。だが、権力は欲しい。誰もがその欲求は持っているはずだ。それなのに、何故周囲から白い目で見られるのか、よく分からない。

ミトラは野望を持っている。ニヒロ機構で、必ずや頂点に上り詰める。今は実質上のナンバーツーだが、それでも足りない。もっと大きな権力を得て、何もかもを自由に出来るようにしたいのだ。人事も、軍事も、そして政治も。己の裁量で、思うがままに、何もかもを動かしてみたいのである。

それは、不遜な野望なのであろうか。ミトラには分からない。いつも心の奥底から沸き上がってくる野心が、ミトラを突き動かす。権力を握れ。全てを掴めと、己をそそのかす。だが、分からないのだ。氷川司令は、確かに仕えるに値するお方だ。それに、周囲の将軍達は、悔しいが自分よりも器量にて勝っている。特に、最近上級将官にのし上がってきたカエデは、あの若さで、誰もが認める術の天才だ。しかし、野心も、指揮能力もない。多分、ナンバーツーとしての立場を奪われることはないだろうが、しかし不安だ。

閃光が、空で瞬き始める。メタトロンに、何騎かの堕天使が捨て身で戦いを挑んでいるらしい。その隙に精鋭が、屋上の天井を破りに走る訳だ。皆、命がけで戦っている。だが、権力を取るために全てを掛けているミトラは、それに参加できない。

歯がゆいと、思う。同時に、そうやってライバルが適度に減っていけばいいと思う自分もいる。自分自身で、理解できない部分が多々あるから、ミトラは己の制御を巧くできていないのかも知れない。二つの感情が、常にせめぎ合っている。だからミトラは、いつも判断が遅れてしまう。

「スルト将軍の攻撃、効果ありません!」

双眼鏡を覗き込んでいた副官の上級堕天使が言う。ミトラは頷くと、部隊の細かい再配置を命じた。

どちらにしても、今回の総指揮はミトラだ。負ける訳にはいかない。悶々とするミトラの隣で、副官が脅威を言葉にして吐き出した。

「七天委員会のラファエル、ウリエル、出撃確認! 上空の部隊の迎撃に向かった模様です!」

「全軍、オベリスク塔への突入準備を整えなさい」

「は、しかし」

「今は空軍を信用するのです!」

心にもないことを言っていると、ミトラは思った。

だが、それが本当に心にもないことなのか、ミトラには自信が無くなり始めていた。

 

鋭い叫び声を上げ、アンドレアルフスがメタトロンに躍り掛かる。鋭い爪も、嘴による攻撃も。あまりにも巨大すぎるメタトロンには、有効打には成り得なかった。機動力を生かし、何度もヒットアンドアウェイを行っているが、殆ど傷は付けられない。

光り輝く巨大な翼を拡げ、巨大な剣を振り回すメタトロンは、浮かぶ要塞にも思える。至近距離で攻撃を続けるアンドレアルフスが必死に足止めをしていなければ、もっと被害は増えていただろう。必死にブリュンヒルドにしがみつき、突入の機会をうかがっていたカエデは、何度も戦慄した。こんな化け物に、本当に勝てるのだろうかと。

「アンドレアルフスを信用しろ!」

「はいっ!」

弱気を見透かしたか、ブリュンヒルドが鋭く一喝した。しかし、状況は決して楽観出来るものではない。敵はラファエルとウリエルも出撃してきているため、全線で味方は圧され始めている。もともと、天使軍は空の戦いを本領としている上に、恐怖を感じないような輩が殆どだ。いざ油断を取り去ってみれば、良く訓練されているニヒロ機構の空軍でも、簡単に撃ち抜くことは出来ない。

剣を抜いたブリュンヒルドが、立ちはだかる中級天使ヴァーチャーを、真っ向から切り下げた。半透明の天使は、マガツヒをまき散らしながら消えていく。雄叫び。ブリュンヒルドの突入するところ、天使の手足が、翼が切り裂かれ、次々と撃墜されていく。当然迎撃のために無数の火球やいかづちが飛んでくるが、それらの殆どをブリュンヒルドは巧みな手綱捌きで乗り切り、或いは正面から強引に突破した。

本来臆病な生き物だというのに。ブリュンヒルドの愛馬は、火が飛んでこようが巨大な天使が迫ってこようが、全く恐れる様子を見せない。主君に絶対的な忠誠を捧げているのだ。凄い馬だと、思う。知能が高い悪魔だって、なかなかこうはいかない。唇を噛む。落ち着け。落ち着いて、機会を計れ。

躊躇すると、却って被害を増やしてしまうことになる。戦場では、あくまで冷静になれ。冷酷でさえあれ。それでこそ、味方を守り、勝つことが出来る。目を閉じて、深呼吸。びゅんびゅん飛んでくる火球の音。だが、それも、落ち着いて神経をとぎすますと、気にならなくなった。

目を開く。ブリュンヒルドが、ラファエルの指揮する防御陣を、力づくで突破した所であった。追いすがるウリエルの部隊を無視し、塔の屋上めがけて突入していく。見る。魔力の流れを、解析していく。

やはり、屋上部分の魔力は、とても流れが弱い。

オベリスクの強度の秘密は、膨大な蓄積マガツヒをそのまま防御術に切り替えて、守りを固めている事だと、これを見て看破した。浮遊機能を沈黙させた今でも、防御術そのものは生きている。だから、スルトの火力でも貫通することが出来なかった。

だから、壁そのものの弱い部分に触れて、マガツヒの流れを操作してやれば。全体に通っている防御術を、無力化できる可能性がある。もちろん、カエデだけでは無理だ。

ちらりと振り返る。モイライ三姉妹も、ムカデの堕天使と一緒に後を追ってきている。ムカデの堕天使はかなり傷ついているが、攻撃と防御を切り替えて巧みに連携しているモイライの三姉妹は無事だ。

「突入するぞ!」

「お願いします!」

立ちはだかろうとするラファエル。鋭く立った髪型が見えるほど、もう距離は詰まっていた。幾多の天使の生き血を吸った剣を構えると、名乗りながらブリュンヒルドは突入する。

「私はニヒロ機構将官、ブリュンヒルド! 勝負を所望する!」

「汚らわしい劣等種族が、私と勝負だと!? 図に乗るな、この売女が!」

一瞬、息が詰まった。

同時に、むくむくと怒りが沸き上がってくる。こんな低劣な輩が、天使軍の指揮官なのか。凶暴だったマントラ軍でも、指揮官達は皆誇り高い武人だった。それなのに、天使軍は、上からして腐っているというのか。

やりきれない。しがみつくカエデを背に、目に怒りを燃やしたブリュンヒルドが、ラファエルと交錯する。

両者、鋭く弾き合う。実力は、ほぼ五分か。

同時に、カエデは飛び降りた。落下制御の術を使って、着地のダメージを最小限に抑える。旋回したブリュンヒルドが、ラファエルに向かってまた斬りかかる。激しい火花が散るのを、カエデの位置からも確認できた。

オベリスク屋上には、特に目立つ迎撃戦力がいない。詠唱、発動。火球を放ち、時々降下してくる天使を、無表情でたたき落とす。直撃を受けた天使が、マガツヒになって散っていく。後続の到着を待つ。最初に下りてきたのは、モイライの三姉妹だ。ムカデの悪魔は傷が酷く、そのまま屋上に不時着した。次々と、それに続いて、配下の悪魔達が下りてくる。すぐに、100騎ほどの悪魔が、陣を組む。素早く指示を飛ばした。

「私を中心にして、六芒星の陣を組んでください!」

「何か分かりましたか?」

「直接至近で見て分かりました。 オベリスクの防御能力の秘密は、蓄えている膨大なマガツヒを、そのまま永続式の術に切り替えている事です。 この巨大な塔そのものが術の増幅装置であり、蓄積装置なんです。 浮遊能力や、要塞砲は、それの攪乱で沈黙させる事が出来ました。 しかし壁に張り巡らされている防御術は、自動式のようです。 だから、直接壁の中を流れている、マガツヒに起因する魔力を攪乱してやる必要があります」

モイライの三姉妹が、戦慄を顔に浮かべる。最年少のクロトが一番最初に立ち直り、落下してきた天使を手にしている棍で弾き返しながら、カエデを睨んだ。クロトはカエデに近い外見年齢だが、性格は正反対だ。気性は荒く、挑戦的な言動も多い。

「それで、どうするつもり?」

「これから、防御の弱い屋上部分に穴を開け、マガツヒの流れを攪乱します。 それで、壁を貫通できる筈です。 でも、私だけでは無理ですから、皆の力を分けて貰います」

「それで、六芒星の陣か」

「はい。 空では、味方が苦戦しています。 急いでください」

味方が、急いで陣を組む。渋々モイライ三姉妹もそれに従う。

屋上に、大きな円が描かれた。その中に、三角形を二つ、逆さに重ねて描く。中心にカエデが立ち、六芒星の頂点にモイライ三姉妹と、上級悪魔達が立った。

詠唱を開始する。手にしているバトン状の杖を、鋭く尖った杭に切り替える。

そして、振り下ろした。

膨大な魔力を秘めた杭が、天井の石材に突き刺さる。手応え。腰をかがめたまま、魔力の流れを把握していく。周囲の魔力が、全て自分に流れ込んでくる。徐々に、臨界点に近付いてくる。

体が、熱い。内側から破裂しそうである。分かってはいた。凄い魔力量だ。この塔が浮かぶ訳である。

額の汗を、拭う暇はない。しっかり、流れを解析する。集中力を維持する。何も、考えない。こう言う時は、何も。

その時、視界の隅で、見えた。

炎に包まれ、落下していくアンドレアルフス。メタトロンが、巨大な剣を振るって、荒れ狂っている。もう、時間は、そう残されていない。

失敗すれば、味方は大損害を受けて撤退。マントラ軍に再建の時間を与えるばかりか、天使軍まで勢いづかせることになる。下手をすると、この間の勝利が全て帳消しになりかねない。

心を揺らすな。アンドレアルフスは、勝利のためにその命を捧げてくれたのだ。ならば、それに答えなければならない。

目を開ける。

把握したのだ。

杭を突き刺したまま、立ち上がる。両手を左右に拡げて、詠唱開始。

「イェソドの樹より外れし者達の長よ、その闇の力を、我に貸し与えたまえ。 金星と、その眷属の名において、我は命ず。 今此処に、その大気に近し、炎の息吹を顕現させる事を。 流れを断ち切り、澱みの中に、全ての美を封印せん」

詠唱を続ける。すぐ上で、ラファエルの咆吼。続けて、ブリュンヒルドが吠え猛る。剣戟の音。激しい戦いを繰り広げている。メタトロンが、抵抗を排除しながら、ゆっくり近付いてきているのが分かる。焦るな。塔に突入できれば、勝ちは確定だ。

詠唱を更に続ける。加護を借りる対象は金星。酸の大気を持ち、世界各国で禍々しい存在として、或いは畏怖の対象として崇拝された存在。今も存在しているかは分からないが、魔術的には有効だ。何度か印を組み替え、胸の前で掌を打ち合わせ、時にくるりとステップを踏む。

膨大なマガツヒを喰らった。その中には、多くの術の知識もあった。ランダ様に教わったものとそれらを組み合わせ、再構成した。それを、最大限に活用する。

詠唱が、終わる。体全てが、炎の固まりになったかのように、熱い。拳を合わせると。振り上げ、そして杭に叩きつけた。

「砕け、散れ!」

次の瞬間。佇立する巨塔オベリスクに、衝撃が走った。

 

「やったか!」

ブリュンヒルドが叫ぶ。塔を閃光が包み、揺動する。スルトが放った火術が、その側面を打ち砕いたのは、次の瞬間であった。

展開していた地上軍が、突入していく。それに対して天使軍は、退却を始めた。ブリュンヒルドは腿に力を入れて、愛馬に意思を伝える。旋回。高度を僅かに上げ、一瞬、判断を迷ったラファエルに、斜め上から突撃。温存していた魔力を使い、速度を、最大限まで、一気に引き上げる。

「てあああああああっ!」

「お、おのれええっ!」

閃光。交錯。

ブリュンヒルドは、剣を振るって、まとわりついた白い羽を散らす。ラファエルの六枚ある翼の一つを、切り落とした。

ぐらりと揺れるラファエル。切り落としたのは、翼の一枚だけではない。脇腹から、盛大に鮮血が噴き出す。

旋回して、とどめを刺しに入ろうとした。だが、下から飛んでくる大量の火球。左右に避け、或いは剣ではじき飛ばす。飛来したウリエルが、ラファエルを支えて、逃げに掛かる。舌打ちして、左右の戦況を見る。天使軍は、逃げ始めていた。メタトロンさえ、孤立を恐れて、撤退を開始している。

勝った。この戦いは、ニヒロ機構の勝利だ。

だが、それだけではいけない。もう少し、傷に塩をすり込んでおかなければ、簡単に再起を許してしまうだろう。

「ブリュンヒルド様!」

「追撃戦だ! 天使どもを容易に逃すな!」

死闘を耐え抜いた側近の上級堕天使に、指示。視界の隅に入ったのは、どうやら脱出が遅れたらしいラジエルであった。人畜無害そうな青い肌の男の子の姿をした奴は、手に巨大な望遠鏡を持っている。ラジエルは、噂によると天使軍に所属するスパイの元締めである。此処で叩いておけば、かなりの損害を与えることが出来るだろう。

それに、話によると、かなり膨大な知識を圧縮したラジエルの書なる神具を持つとも言う。倒しておいて、損はない相手だ。情報戦の重要性は、身に染みている。このオベリスク攻略戦だって、情報がなければもっと時期を遅らせる必要があったのだ。

「全員、ラジエルに集中攻撃! たたき落とせ!」

「は! 総攻撃開始!」

相手は上級天使だ。幾ら注意しても不安は残る。ブリュンヒルド自身は、手綱を繰って、旋回。上空へと躍り上がる。高度を稼ぐ。もっと稼ぐ。カグツチからの光が、とても強くなってくる。そこで、一転、自由落下に身を任せる。

高度は、速度に変えることが出来るのだ。

それに、この位置からだと、戦況がよく分かる。地上部隊からの援護射撃が本格化し、天使軍は彼方此方で粉砕されていた。

天から一気に駆け下りる。狙うは、ラジエルの首一つ。猛攻撃に晒されたラジエルは、必死に逃れようと、左右に術を乱射していた。どれも凄まじい火力だが、流石に一騎では、出来ることも知れている。

「覚悟!」

「……っ!」

上から躍り掛かるブリュンヒルドに、ラジエルが気付く。術を放ってくる。雷撃の、最大級の術だ。ジオ・ダインであったか。直径二メートルにも達するいかづちの束が、巨大な白い蛇となり、ブリュンヒルドを直撃。

全身を、神のいかづちが蹂躙する。思わず、呻く。だが、此処で屈する訳にはいかない。一瞬、オセの姿が脳裏に浮かんだ。そうだ、あの方が愛したニヒロ機構を、今度は自分が守るのだ。吠える。残った力の、全てをつぎ込み。

そして、強引に、突き破った。

ラジエルの顔が歪む。子供のような無邪気さはかき消え、老獪な男の、絶望が浮かび上がってくる。子供に見せていたのは、擬態だと言うことか。卑劣な奴だと、ブリュンヒルドは思った。ラジエルが、恐怖に絶叫した。

「ば、ばかな! ばかなあああっ!」

通り抜け様に、一太刀を浴びせる。

唐竹割になったラジエルに、集中砲火が浴びせられて。爆発が連鎖した。それが収まった時には、奴の姿は残っておらず、ただ膨大なマガツヒが漂うだけであった。

落ちてきたものがある。一つは、奴が使っていた望遠鏡。手で受け止める。

それに引っかかっていたのは、青い石が着いたペンダントであった。ラジエルが死しても形を残しているのだから、どちらも戦利品としては充分な代物であろう。とても強い魔力を秘めている。或いは、これがラジエルの書か。

天使軍が、散り散りに逃げ始めた。それを見ると、頭も少し冷えてきた。翼をはためかせて、寄ってきた副官に、指示。

「追撃はもういい。 切り上げさせろ」

「は、しかし」

「それよりも、オベリスクから逃げ出してくる天使を出来る限り潰せ。 それでいい」

見れば、副官も、深傷を何カ所かに負っていた。

これ以上の追撃は、逆撃にあう可能性がある。この辺りが、潮時であった。

 

煙を上げるオベリスク。足を踏み入れたカエデは、まだ気を失うなと自分に言い聞かせながら、下を目指す。

脱出する天使達は、片端から狩られた。最後まで残っていたガブリエルが包囲網を抜けた時には、戦いは終わっていた。

オベリスクのコントロールセンターは、100階ほどにあった。更に、最上階は160階を超えていた。一階が5mくらいあるとしても、相当な巨塔である。カエデは他の者達とは逆に、魔術部隊と共に天井を破って上から侵入したのだが、その時には既に内部の制圧は完了していた。だから、危険物の除去と、内部構造の把握くらいしか、やることがなかった。

護衛を連れて、ミトラは悠々と入城して来た。先に入城していたカエデが、コントロールセンターで、指揮官を迎える。ぺこりと一礼。

「お先に失礼しています」

「ご苦労でしたね。 まさか、あの壁を本当に無力化するとは、思っていませんでしたよ」

毒のある言葉にも、カエデは反論しない。

七天委員会が使っていた会議室も、既に制圧している。だが、ミトラは彼方此方を見回った上で、このコントロールセンターに腰を据えた。幾つかの部屋は、臨時の野戦病院となっている。中には、アンドレアルフスも担ぎ込まれていた。生きてはいたが、シナイの神火の直撃をまともに受け、予断は許さない状態だ。

貰っているマガツヒは、あらかた喰らってしまった。精神力も、限界近い。殺気だって走り回っている堕天使も多く、彼らの邪魔にならないようにするのが精一杯だった。

ふと気付くと、ブリュンヒルドがいた。手にしているのは、膨大なマガツヒが入った瓶だ。

「食え。 今回の作戦の、最大の功労者はお前だ」

「有難うございます」

見れば、ブリュンヒルドも傷だらけだ。アンドレアルフスは、まだ意識が戻っていない。躊躇している暇はない。カエデは一気にマガツヒを飲み干す。体中が痛い。現に、彼方此方から出血もしていて、体操着は朱にまみれていた。

あの時。カエデは魔術的にオベリスク塔と一体化して、マガツヒの流れを乱す術を直接叩き込んだ。

もちろん、無理のある行動である。現に、体にも極端な負担が掛かった。皮膚は何カ所かで破れ、筋肉や内臓も傷ついた。足からも腕からも、血が出ている。だが、実際に戦っていた者の苦労は、そんなものではないと、カエデは考えている。だから、最低限の術式を掛けて動けるようになったら、後は味方の事だけを考えた。

額の汗を拭うと、ハンカチも血に汚れていた。よろめき掛けるが、自力で踏みとどまる。ブリュンヒルドは意思を尊重してくれたのか、何も手出ししなかった。

「今回の戦いは、どういう結果に終わったんですか?」

「私が知る限りでは、味方の損害は2000弱。 1850から1900の間くらいだろうな。 敵は私の見たところ、ざっと17000ほどを失い、殆ど壊滅したと言ってもいい。 各地に散っている天使どもをかき集めても、すぐには再起できないだろう」

ブリュンヒルドの言うとおりである。その上、この大型要塞オベリスクも手中にしたのである。誰が見ても、完勝と言っても良い状況だ。だが、それでも味方は死ぬ。敵だって、多く死んだ。

この世界は、殺し合いをすることだけのために、成立している。創世のためのコトワリを掲げて、存在そのものの価値を掛けて殺し合う。結局勝つのと、生き残るのは同義であろう。

深傷のものから順番に回復術を掛けながら、周りを見る。

生活の跡があった。どんなに機械的に統率されていたとしても、天使達にもそれぞれ生活や個性があったはずだ。洗面所や、寝所。レクリエーションルームらしい場所もあった。散らばっていたのは、多分トランプだろう。禁欲的な生活をしていたはずの天使達にも、息抜きは必要だったのだ。酒を飲んだ天使も、いたかも知れない。

アカサカを、思い出す。お店ではいつもお酒が出されていて、カエデを口説こうとする酔客までいた。ランダ様はいつもそんなお客を巧くさばいて、情報を集め、それを武器にして大勢力と渡り合っていた。みんな生き生きとしていて、とても楽しくて。

そして、灰燼に帰した。

「ランダ様」

つぶやいてしまう。天使軍をあれほど憎んでいたのに。決定的な打撃を与えた今、むしろむなしさが先に立っていた。

多分、巨悪なんて呼べる者は存在しない。

世界の作りが、そのまま悲劇を量産する。きっとそれは、人間達がこの地にいた時と、同じ。

殺し合わなければ、生きてはいけない。

それは、世界そのものが孕む業なのだと、カエデは思った。

 

3、惰弱

 

ニヒロ機構、オベリスク要塞を攻略。天使軍は七天委員会の一角ラジエルを失い、四分五裂。建設中のシナイ要塞に敗走。損害は、20000とも25000とも言われており、無事な者も全てが負傷している。

その情報は、カブキチョウから逃げてきたマネカタを保護して、帰る途中の秀一の元にももたらされた。

これで、機動部隊を駆使して周辺諸勢力を脅かしていた天使軍は、行動不能に陥った。ニヒロ機構は更に戦力を増やし、覇道を進めること疑いない。ただ、以前のマントラ軍との決戦で受けた傷はかなり大きいはずで、今回の天使軍攻撃に用いた機動部隊が対外攻勢用の全戦力だろう。

マネカタ達の情報が、どれくらい正確なのかは、まだ疑念が残るところだ。だが、コミュニケーションによってもたらされる情報は馬鹿に出来ない。何しろ、マネカタは基本的な数が桁違いに多い。現時点でも、悪魔の倍はいるのではないかと噂されている程なのだ。

砂漠で、必死に逃げてきたマネカタ達を見回す。数は300ほど。うねうねと続く砂丘に身を隠しながら、必死に逃げてきた彼らは、ぼろぼろだ。ただでさえ、彼らは耐久力が低い粗末な衣服を身につけている事が多いので、余計に外見は哀れである。

何度か近くまで行ったが、カブキチョウは強大な要塞地帯だ。それでも、やはり混乱は大きい。指揮官が替わったことや、兵力の再編成に必死だと言うこともあるのだろう。時々、脱出に成功したマネカタ達が、こうして砂漠を逃げてくる。それどころか、カブキチョウに再度潜り込んで、連絡を取り合っているマネカタまでもが、出始めていた。

あのカザンもその一人である。彼は決して秀一や琴音を良くは思っていないようだが、言うことを良く聞いて、部下の組織化と訓練を始めている。寝首を掻こうとしているのかも知れない。それでも、別に構わないと、秀一は思っている。それくらいの強さがないと、この世界を生き抜けはしないだろうから。

もちろん、いざ刃を交えることになった場合。容赦するつもりはない。

リコが、手を振って小走りできた。何だか、最近笑顔を向けてくることが多くなった。何か企んでいるのではないかと、勘ぐってしまう。

「榊センパーイ」

「リコ、どうした」

「それが、妙なことを言ってるマネカタがいるんスけど、どうします?」

「どんな事だ」

リコが言うには、逃げてくる途中に、仲間を何人か悪魔に食われたというのだ。

マネカタは泥で出来ている。他の悪魔と違い、殺してもマガツヒにはならないのだ。だから、食べる意味がない。食べても口の中が泥だらけになるだけで、なんの栄養も得られない。悪魔の中に、デトリタス食に特化している者などいないのである。こういう点からも、以前トールが言っていた事が正しいのだと分かる。まともな生態系が、この世界には存在しないのだ。

だから、マネカタを襲う悪魔はいても、マガツヒを絞るためにさらう場合が殆どだ。わざわざ食べるために、マネカタを襲う物好きな悪魔などいない。それなのに、食われた。もちろん世の中には多くの例外があるが、何か、嫌な予感がする。

「警戒を強めた方が良いな」

「確かに、本当だとすると、妙な話っスよ」

「どんな悪魔だったか、見ていた者はいるのか」

「それが、臆病な奴らッスから。 どいつも、要領をえなくって」

それが、ネックだ。姿が分かれば、種族も類推できる。そうすれば、行動パターンも、ある程度推測できるのだが。

今のところ、逃げるマネカタを保護する時、マントラ軍の悪魔との交戦は発生していない。多分、追撃部隊を出す余裕がないのだろう。ざっと全員を見て回っていたサナが、戻ってくる。

「負傷30。 衰弱しているのが17。 回復術を掛けてきたから、多分アサクサまでなら保つよ」

「急いで、戻るぞ」

「はいはい、すっかりマネカタ達の守護者なんだから」

「情報が欲しいだけだ。 彼らが俺を利用しているように、俺も彼らを利用する」

サナはじっと秀一を見た後、意味深な微笑みを浮かべる。

「ま、たくさんマガツヒ食べられるから良いけどね。 マントラ軍がやってたことを、僕達もやれば、もっと効率がいいと思うんだけどなあ」

「……そうかも知れないな」

サナの言葉は、いつも冷酷なまでに中立的だ。現実的で、それが故に非情でもある。

秀一は思う。自由とは、結局こういった残虐なまでの現実主義が伴わなければ、なんの意味もない事なのではないかと。自由と暴虐は別である。どうも、受胎が起こる前の東京では、その二つが混同されていたような気がする。しかも、それに触れる事自体が、タブーとかしていた感さえある。

そして、現実を見なければ一歩も進めないこのボルテクス界では。そのギャップが、秀一をいつも困惑させていた。

リコが声を掛けて、アサクサに向かう。一緒に連れてきた30程のマネカタ達は、何とか槍を使えるようにはなったが、まだまだとても悪魔とは戦えない。非戦闘員を逃がすための盾にさえなれない状況だ。今は、複数の目を利用しての、早期警戒要員としてでしか活用できない。だが、マネカタ達は、彼らがいると安心するようなので、全く無駄とも言えないか。

アサクサまで、後十キロ弱まで歩いた頃だろうか。

上空を旋回していたフォルネウスが、合図を送ってきた。渡してある手鏡を、カグツチの光に反射させるものだ。秀一は、声を張り上げた。

「警戒しろ! 悪魔の襲撃だ!」

腰が引けるマネカタ達。散り散りに逃げられると、非常に面倒だ。フォルネウスの合図から、距離と方角を読み取る。事前に何度も打ち合わせたとおり、フォルネウスはやってくれている。

連れてきた連中は、右往左往している者も半分くらいはいた。だが残りはまとまるように、非戦闘員の周りを走り回って、指導してくれている。これだけでも、進歩だと考えるべきだろう。

気配を感じる。かなり大きい。秀一だけで、押さえ込めるかどうか。見た。砂漠の中に、何かがいる。

砂の盛り上がりが、高速で移動してくる。まるでサメか鯨が、砂漠の中を泳いでいるかのようだ。それくらいスムーズな動きであった。砂は、マネカタ達を追い込むように、右から回り込んでくる。秀一は大きく息を吹き込むと、その予想移動地点に、先回りして火球を吹き付けた。着弾。爆発。

手応え無し。気配は消えていない。どうやら、とっさに深く潜ってやり過ごしたらしい。さっきの移動速度から考えて、現れる地点を予想する。パニックになりかけているマネカタが一人、逃げようとして、足をもつれさせて転んだ。まだ若い女のマネカタだ。再び、気配が強くなる。そのマネカタを小脇に抱えて、飛び退いた。

砂漠から突きだした、黒い手。一瞬遅れていたら、マネカタを捕らえていただろう。女のマネカタが、悲鳴を上げた。砂漠におくと、構えを取り直す。砂漠で蹲って震えているマネカタを、構う余裕はない。一言だけ、声を掛けた。

「はやく行け」

光が飛んでくる。フォルネウスが、相手の居場所を知らせてくれている。走りながら、印を組む。熱を操作する術を、くみ上げる。

高速で移動する砂の盛り上がりの前に、躍り出た。そして、砂に手を突いて。体内に蓄えた冷気を、解放する。

自分を中心に、氷の結晶が、巨大な華が咲くかのように作り出された。

多くのマガツヒを取り込む過程で身につけた、新しい技の一つだ。冷気を操り、爆発的に叩きつける。こうやって直接何かに触れて発動すると、周囲一体を凍らせるだけでなく、氷による打撃効果も見込める。

体の中心を凍らせて、それを手から移動させるようにして、術を放つ。あくまでイメージ的なものなのだが、ひょっとすると本当にそうしているのかも知れない。この体は、既に人間とは随分違うから、否定も肯定も出来ない。

立ち上がって、砂漠に咲いた氷の花を見る。今のは、手応えがあった。敵の動きが、変わる。秀一を排除すべく、動き出したのが分かった。

砂が吹き上がる。縮み上がったマネカタ達を飛び越えて、砂漠に降り立つ。

全身真っ黒の鬼神である。背丈は秀一の倍はあるだろう。目には既に正気が無く、更に右腕は肘から先がなかった。口の周りは泥だらけである。見たところ、間違いない。此奴が、マネカタを襲撃していたのだろう。

黒い鬼神は、秀一を見ると、うなり声を上げる。傷だらけの全身は筋肉の固まりであり、左腕だけでも侮れそうにない。歩み寄ってくるそいつに対して、左右に軽くステップを踏みながら間合いを計る。追いついてきたリコが、驚愕の声を上げた。

「オンギョウギ!」

「知っているのか、リコ?」

「トール様に、マントラ軍を追放された奴ッスよ。 まさか、こんなところでまた見るなんて」

「そうか、分かった。 リコ、マネカタ達をフォルネウスと一緒にアサクサに誘導してくれ。 此奴は、俺とサナで引き受ける」

マネカタだけで逃がすのは、危険すぎる。此奴は囮で、先に待ち伏せしている奴がいてもおかしくはないのだ。

雄叫びと共に、殴りかかってきた。ちらりと見るが、サナはまだ来ていない。或いは奇襲の機会をうかがっているのかも知れない。拳は速く、しかも連続で繰り出されてくる。左腕だけなのに、変幻自在だ。

左右にステップしながら、腕を上げてガード。或いは弾く。口から泡を吹きながら、オンギョウギは蹴りを叩き込んできた。大量の砂が舞い上がり、飛び退いた秀一の視界を隠す。顔を上げると、踵落としを叩き込んでくる。両腕でのガードが間に合う。だが、砂漠に、腰の辺りまで埋まった。

「むっ!」

更に、横殴りに、蹴りが飛んできた。ガードの上からも、痛烈に効く。吹っ飛ばされた秀一は、砂漠で数度バウンドして、転がった。オンギョウギが飛び掛かってくる。無言で、横っ飛びに退く。オンギョウギの拳が、砂漠に突き刺さった。砂が吹き上がる。

顔を上げたオンギョウギ。顔面に、飛来したいかづちが炸裂したのは、その瞬間であった。

「ギャアアアアアアッ!」

顔を押さえて、鋭い悲鳴を放つオンギョウギ。砂を払って立ち上がった秀一は、砂丘の上で第二射を用意しているサナを見た。どうやら、オンギョウギが必殺を確信する瞬間を待っていたらしい。狩りの基本だ。

オンギョウギが、サナを見る。跳躍した秀一は、砂を蹴散らして、オンギョウギの前に立ちはだかる。

唸りながら、再び鋭い拳が飛んできた。悪いが、もう動きは見せて貰った。拳を弾きながら、懐に潜り込む。

そして腹部に、直接ヒートウェイブを叩き込んだ。

完全に入った。十メートル以上吹っ飛んだオンギョウギは、悲鳴もなく、砂漠に叩きつけられる。其処へ、サナが放った第二射が直撃。海老のように、巨体が跳ねた。勝ち目がないと判断したのか。オンギョウギはそのまま砂漠に潜り、姿を消す。気配が小さなくなり、やがて消えた。

「ちっ、逃がしたか。 美味しそうだったのになー」

「いずれ、また機会はあるだろう」

「シューイチ、腕大丈夫? さっきもろに喰らったでしょ」

「平気だ。 骨にも筋肉にも異常はない」

倍以上の体格の相手から、もろに一撃を受けたのに。しかも、腕の数倍の力がある足による打撃だったのに、である。サナの心配はもっともだが、大量のマガツヒを喰らい続けた結果、非常識なまでに力は強くなっている。

ただし、無敵ではない。炎の息、冷気の放出、更にヒートウェイブと放ったから、力そのものはそれなりに消耗した。出来るだけすぐに補給したいところである。それに、やはり気になる。単独での襲撃ならば、良いのだが。

「急いで、リコ達の後を追うぞ」

「いいじゃん、少しくらい、食われたって。 あの二人がついてるし、最低でも半分以上はアサクサに送れるんじゃないの?」

「……いいから、急ごう」

サナの言葉には反論できない。だが、やはり理性が、どこかで拒絶する。サナはそうやって悩む秀一を、おもしろがっているようであった。

 

マネカタ達を急かして走っていたリコは、アサクサが見えてきたので、やっと気を緩めることが出来た。この距離であれば、敵の襲撃があれば、サマエルも気付く。サマエルの実力は、悔しいがリコよりも上だ。最悪でも、半分以上は助けられるだろう。マネカタなどあまり気にならないが、被害が出れば秀一が嫌がる。それが、リコにはたまらなく嫌になっていた。

砂漠は終わり、岩と石だらけになりつつある。裸足のマネカタも多いので、気をつけるように声を掛けておく。腰のポッケに入れている信号弾を打ち上げる。襲撃が予想される際に、早期警戒をさせるための合図だ。

槍を持っているマネカタ達は、リコが睨むと、点呼を始めた。フォルネウスが見張っていたから、脱落者は多分いないとは思うが、不安はある。今までも、こうやってアサクサにマネカタを送ってきたが、何度かは脱落者が出た。そのたびに戻って探したりしたので、随分苦労したものである。

「脱落者はいません!」

「全員無事でーす!」

「おう、そうかそうか。 それは良かったのう。 それなら、はやいところアサクサへ急いでくれ」

フォルネウスが応じている。リコはどうもマネカタ達と喋るのは苦手だから、任せてしまっている。フォルネウスはどうも子供と喋るのが嫌いではないらしく、その延長線上でマネカタにも平気で応じているらしい。どうもその感覚が、よく分からない。確かにマネカタ達は、子供に近い存在だが。

はて。子供とはなんだ。そういえば、人間で言えば五歳くらいだとか、思ったことがあった。それは一体、どういう意味だ。

今更ながらに、リコはそんな事が分からなくなった。

その思考によって、一瞬の隙が生じた。

鋭い痛みが、全身に走る。空に投げ出されたと思った時には、取り返しがつかない状態になっていた。

「ぐあっ!」

一瞬おいて、やっと自分に起きた事が理解できた。

地中から襲いかかってきた何かに、噛みつかれたのだ。一気に持ち上げられたように感じたのは、それが全長二十メートルはあったからである。勢い余って、空高くまで持ち上げられたという訳である。

白い悪魔、巨大な龍の口に生えているのは臼歯である。口は幅三メートルはあるだろう。右肩から左腰に掛けて、半分体は飲み込まれてしまっている。巨体であるが故に、凄まじいパワーだ。やっと気付いて、必死に口をこじ開けに掛かるが、駄目だ。パワーが違いすぎる、

めりめりと音を立てて、歯が体に食い込んでくる。圧迫された内蔵が、損傷したのが分かる。骨が折れる。筋肉が千切れる。全身に激痛が走る。くぐもった悲鳴が漏れる。何とか、腕をてこにしようとするが。駄目だ。抗し得ない。分厚い歯のパワーは、万力も同然だ。

ぞくりとした。

今までにない、濃厚な死が、近付いてきている。オンギョウギと一対一で戦った時も、秀一とコロシアムで戦った時も、これほどではなかった。骨が砕ける音がした。吐血する。まずい。そのまま、押しつぶされて、食われる。

もがく。もう、悲鳴も出ない。口の中に、得意の蹴りを叩き込むどころではない。腹に加えられている圧力が強烈で、筋肉が動かないのだ。下半身の感覚がない。涙がこぼれてくる。おかしい。死とは、こんなに恐ろしいものだったのか。戦士として死ぬのは、怖くなかったはずなのに。

秀一の事を考えてしまう。

あれ。おかしい。何だか、光景が変だ。秀一は、高校の制服らしいものを着ていて、あのヘタレ男や、高慢そうな女と一緒に歩いている。そしてそれを、自分は影から隠れながら見ている。

なんだ、この光景は。

そういえば、何で榊センパイと秀一を呼んでいた。その呼び方は、すんなりと体のおくから出てきた。なじみもあった。そして、変える気も起こらなかった。

センパイとは、なんだ。そもそも、高校とは、なんだ。

自分を呼ぶ声がする。意識が、ぐらついてきている。このまま、かみつぶされる。そうだ、死ぬのだ。

トール様に、詫びる。結局自分は、強くなれませんでしたと。折角戦力を削いでまで、修行に出してくれたというのに。何一つ為すことが出来ませんでしたと。それは、きっと、極限の精神状態がもたらした逃避行動。本当は助けて欲しいのに。だが、そんな事は、最後のプライドが許さなかった。

また、自分を呼ぶ声。

情けないことに、すがろうとして、手を伸ばそうとする。

圧力が、ひときわ強くなった。激しく吐血したのを、感じた。

どうやらもう終わりらしい。そう思った瞬間、悔しくて、それ以上に怖くなった。力を至上とする世界に生きてきたはずなのに。なんと情けないことか。あの人に、きっと笑われてしまうだろう。そう思った。

 

白い、ミミズのような悪魔が、リコを咥えていた。全長は軽く二十メートルはあるだろう。やはり、待ち伏せがいたのだ。秀一は歯がみする。結果的に、敵の誘いにまんまと乗ってしまった。

リコはもう意識もない。もはや、一刻の猶予もない。加速。オセのように、風を操って、一気に速度を上げた。オセのマガツヒから、得た能力だ。

「……おぉおおおおっ!」

辺りの光景が、後ろに吹っ飛んでいく。悲鳴を上げて逃げまどうマネカタ達を、するりするりと避けながら、それでいて更に速度を上げる。悪魔が、此方に気付く。だが、対応できない。

激しく、胸の前で手を打ち合わせる。そして体当たりと同時に、冷気の固まりを直接体内に叩き込んだ。悪魔の巨体を突き破って、氷の華が咲く。大量の鮮血が、ぶちまけられた。

「ぎゃあおおおおっ!」

悪魔が絶叫、リコを放す。白い巨体が苦痛にくねるなか、秀一は叫んだ。

「フォルネウス!」

「おう! 任せい!」

空中に投げ出されたリコを、フォルネウスが背中で受け止める。サナが、そっちへ向かうのを見届けてから、秀一は構えを取り直した。

油断したのだろう。リコにも責任がある。だがそれ以上に、何だか非常に不愉快だ。逃げまどうばかりで、何もしないマネカタ達にも腹が立つが、それ以上に隙を作ってしまった自分に一番腹が立つ。

そうだ。部下が傷ついたのは、自分の判断ミスが原因なのだ。

誰もかもを守るのが不可能だと言うことは分かっている。ミスをしないのも、恐らくは無理だろう。だが、今回のミスは、回避できたはずのものだ。つまり、自分により大きな責任がある。

白い悪魔が、土の中から這いだしてくる。巨大な芋虫に似た奴である。腹部には無数の足があり、それらは人間の手に形が似ていた。背中には退化したらしい小さな翼と、鋭い背びれがある。白い体だが、よく見ると淡い模様が、筋状に走っていた。

この悪魔には、敵意も悪意も、不思議と感じない。ただ、戦うべき相手としか、考えていない。

そして、相手も、その様子であった。

めきりと音がした。悪魔の腹部がふくらみ、それが口へ移動してくる。何をするつもりか。対応しようとした瞬間、その正体が分かった。大量の酸を、吐き出してきたのである。飛び退く。分厚く太い尻尾が、振り回され、飛んでくる。何人かの逃げ遅れたマネカタが風圧だけで吹っ飛ばされ、地面に叩きつけられた。秀一は、無言で掌を胸の前で合わせ、そして尻尾を受け止めた。

地面に、罅が入る。

轟音。

悪魔が、驚愕する。秀一は、全身の筋肉をバネにすることで、衝撃を地面に受け流したのだ。更に、踏み込みもそれに加味した。知っている。震脚と呼ばれる技術だ。

そのまま、尻尾を掴む。そして、気合いの咆吼と共に、振り回す。

地面に叩きつける。悲鳴を上げる悪魔に、躍り掛かる。顔を上げた悪魔が、炎の息を吹きかけてきた。強い魔力を伴った炎だから、圧力も獰猛である。不意の一撃に、弾かれて、地面に叩きつけられる。そのまま振り下ろされた尻尾が、したたかに体を打った。

背骨が軋んで、息が一瞬止まった。ふと、マネカタと目が合う。さっき、助けた女のマネカタだ。腰を抜かして、逃げられなかったらしい。

「早く行け! 俺は勝つ!」

こくこくと頷くと、女マネカタは這うようにして逃げていった。連戦で、マガツヒが枯渇し掛けている。だが、此奴にだけは負けるべきではないと、どこかで決めている。もう一度、尻尾が叩きつけられてくる。横っ飛びに退く。

地面を揺るがし、叩きつけられた尻尾。加速。跳躍。悪魔の、顔面の至近に。再び炎を吐こうとする悪魔に、逆に火球を吹き付けてやる。不意を突かれた悪魔は、悲鳴を上げて絶叫した。その顔面が、炎上する。

拳を固めると、炎に包まれた悪魔の顔面を、殴りつける。空気を振るわせる、轟音。二度、三度、拳を振るう。ヘッドバッドを叩き込んでくる悪魔。ずしりと、胸に鋭い衝撃が来た。だが、そのまま持ちこたえる。逆に悪魔の口に手足を入れて、ぐっと拡げに掛かる。此方の意図を悟ったのだろう。悪魔がもがく。全身を横倒しにして、秀一をはじき飛ばそうとする。がちがちと音を立てて、口を閉じようとする。

だが、もう遅い。

開いている右腕を、悪魔の口中に向ける。

そして、ヒートウェイブを、叩き込んだ。

逃げ場のないエネルギーが、白い悪魔の体内で、乱反射しながら炸裂した。全身が内側から破れ、鮮血が噴き出す。一瞬、動きが止まる。

だが、第二射を叩き込もうとした瞬間、再び体を捻り、地面に叩きつけてくる。辺りの地面が揺動し、土が吹き上がる。ハンマーを振り上げるように、再び悪魔が体をしならせる。勢いから言って、今度は秀一ごと地面に潜り込むつもりだろう。

地中に逃げられたら、恐らくもう追えなくなる。

飛び離れた。目を閉じて、詠唱を続ける。地面に降り立つ。詠唱完了。目を開けると、ヒートウェイブを警戒したか、口を閉じたまま突進してくる白い悪魔が見えた。

右手を上に、左手を下に、構える。深く踏み込むと、息を吐き出す。

「はっ!」

ため込んでいた、力を放出。天に向けて。

突進してきた悪魔を、左手と、体で受け止める。凄まじいパワーであるから、十メートル以上もずり下がった。めりめりと体が鳴った。悪魔はその全ての体重を掛けて、地面に押し込もうとしてくる。だが、其処までだった。

「ぉおおおおおおおっ!」

右手を握り込む。放出する力を、操作するためである。そして、地面と体をてこにする形で、悪魔の猛撃を、受け止めきる。唖然とした悪魔は、必死に下がろうとするが、そうはさせない。左手と体で押さえ込んで、逃がさない。

悪魔の長大な体に、二メートルほどある光の槍が、無数に突き刺さったのは、次の瞬間であった。槍は悪魔の体を完全に貫き、さっき以上の鮮血が噴き出した。とどめとばかりに、槍が一斉に爆発する。辺りを閃光と轟音が蹂躙した。

ジャベリンレインと名付けた技だ。ヒートウェイブの応用で、ため込んだ力を空に放出、任意の地点に空から叩きつける。大技だけあって消耗は大きいが、威力は見ての通りである。対上級悪魔用に、秀一が今まで蓄えた知識と技術をつぎ込んで作り上げた技である。実戦投入は初めてだが、嫌と言うほど訓練は積んだ。その時間が、あったからだ。

断末魔の悲鳴を上げた悪魔が、何度かもがくように体を捻る。

そして、地響きを立てながら、横倒しになった。

白い悪魔が、消えていく。マガツヒになって、散っていく。

膨大なマガツヒを、体に取り込む。今までの消耗が、全て帳消しになるほどの量だ。野良悪魔としては、かなり強い奴だったのだろう。

ニーズヘッグという名前が、脳裏に浮かんだ。しかも、相性が良さそうだ。再構成が出来るだろう。傷だらけの、自分の体を見る。尻のポケットから、携帯を取り出す。無事であった。歎息一つ。

リコはどうなっただろう。辺りを見回すと、マネカタ達の被害も、小さくない。だが、致命傷を受けた者はいない様子だ。ふわりと、側に着地した者がいたので、驚いた。琴音だった。どうやら、空を飛ぶ術を、身につけていたらしい。どんどん強くなっている。琴音は、三日会わなければ、刮目しなければならない存在だ。

「襲撃ですか?」

「ああ。 今、倒したところだ。 リコが、酷い怪我をしてしまったが。 それに、マネカタ達にも、被害が出た。 死者は出ていないはずだが」

「マネカタ達は、私の部下に任せてください。 酷い怪我をしている者は、すぐに回復術を試します。 貴方はリコさんの側に着いていてください」

「了解した」

マネカタ達が、畏怖を込めて此方を見ている。身勝手なものだ。リコが窮地に陥っても、助けようとする者は一人も居なかった。所詮マネカタだというような事は言いたくないが、しかし失望に似た思いはある。

彼らがこのままでは、救われることはないような気がする。しかし、マネカタ達が変わるには、どうしたら良いのか、分からない。

琴音がてきぱきと指示をする。怪我をしているマネカタ達が、順番に地面に横たえられる。琴音に遅れて到着した象の悪魔アイラーヴァタが、高々と鼻を上げる。淡い光が、辺りを包む。中級の回復術である。リコを癒すには力不足だが、倒れているマネカタ達の傷なら、これで充分だろう。

更に、到着したシロヒゲが部下達に言って、泥と水を配る。マネカタに力を与える、「お歯黒どぶ泥」だ。衰弱していたマネカタ達が、粥のようにそれを啜り始めた。見る間に、状況が収束していく。大したものである。

マネカタ達から少し離れたところに、リコは裸にされて横たえられていた。マネカタ達の様子を見終えた琴音が、術式で湯を沸かして、更に布を出した。肩から腹に掛けて、酷い傷がある。食いちぎられる寸前だったようで、肌は破れて、まだ出血が止まっていない。傷口は酷い有様で、内蔵が見えている場所もある。骨もかなり砕かれているようだ。サナが最大級の回復術を使っているようだが、厳しいかも知れない。

「フォルネウス、どうだ」

「厳しいかも知れんの。 覚悟は、しておいた方が良いかもしれんて」

「……」

「はあ、はあっ! ご、ごめん! 無理! 限界!」

胸を押さえて、サナが蹲る。額にびっしり汗が浮かんでいる。一目で分かる。魔力がもう無い。蓄えているマガツヒを使い果たした。アイラーヴァタはマネカタの治療で掛かりっきりだ。立ち上がった秀一は、周囲で見ているマネカタ達に叫ぶ。

「すまん! 急いでマガツヒを出してくれ! このままでは、リコが死ぬ!」

返事はない。マネカタ達は、凄惨な治療の現場を見て怯えるばかりだ。怒りが、むくむくと沸き上がってくる。

リコは、このままでは死ぬ。

彼らを守って、こうなったというのに。こんな時にも、恩を返そうとは思えないのか。何かを守れる時には、守ろうとはしないのか。

思わず、天を仰いだ。マントラ軍は、彼らを奴隷として作り上げた。だが、心まで奴隷になってしまったのは、マネカタ達の責任ではないのか。どうすれば、彼らを変えることが出来る。リコは、このまま死んでしまうのか。

絶望に包まれ掛けた瞬間。

ズボンの裾を掴む者がいた。小さな手だ。

振り返ると、カズコだった。

 

カズコは、冷たい目をしていた。周囲の怯えきっているマネカタ達とは、明らかに違った。琴音と一緒にいたことで、肝を鍛えたのだろうか。いや、違うような気がする。元々、この子はこうだったのではないか。だから、他のマネカタと、露骨に違うと認識できた。

ともかく、今はカズコしか、望みの綱がない。

「カズコ、頼む」

「うん。 世話になってるからね。 任せて」

頷くと、サナの側で、祈るようにして小さな手を合わせ、目を閉じる。

膨大なマガツヒが、その体からあふれ出た。むせかえるほどの、もの凄い量だ。ひょっとすると、今ニーズヘッグから喰らった以上かも知れない。視界が、マガツヒで赤く染まる。思わず生唾を飲み込んでいた。

気を取り戻す。呆けている暇はない。琴音から話は聞いていたが、これほどとは。これは、助かるかも知れない。

「サナ!」

「分かってる!」

大きく息を吸い込んだサナが、凄まじい勢いで、膨大なマガツヒを体に取り込んでいく。カズコは流石に汗を流していたが、それでも桁違いの能力である。補給を完了し、魔力量の上限を大幅に向上させたらしいサナが、複雑な印を組む。さっきよりも一段階上の回復術を発動させるつもりらしい。

目を見開いたサナが、どっかとあぐらを組んだ。そして、九字を切った。道教などに見られる、退魔の意味を持つ詠唱である。この場合は、死という魔を退けるのが目的であろう。元々西欧の悪魔であるピクシーのサナがこの術を使えるのは、膨大なマガツヒを喰らって、力を増してきたからであろうか。サナは大げさなくらいに、気合いの籠もった声を発する。

「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前! オオン!」

辺りを、物理的な圧力さえ伴った、膨大な光が包む。リコの傷が、少しずつ埋まっていく。海老のように跳ねたリコが、大量に吐血した。簡単に回復とはいかないのだろう。もがくリコを、無言で琴音が押さえつけた。

やがて、目に見えていた大きな傷は、ゆっくりふさがる。露出していた内臓も、見えなくなった。だが、この傷は、一生残るだろう。

「う、うえっ! おえっ!」

混濁状態の意識で、リコはもがいていた。時々吐血して、そのたびに琴音に押さえ込まれる。琴音は大したものだ。手が飛んでこようが膝が飛んでこようが、平気な顔をしている。あれから途轍もなく冷酷になったと思っていたのだが。献身的な愛情は、残っていたと言うことなのだろう。

街から、粗末な槍と弓矢で武装したマネカタ達がぞろぞろ来た。シロヒゲが彼らを指揮して、アサクサから逃げてきたマネカタ達を誘導して行く。やっと落ち着きを取り戻したマネカタ達は、親鳥に引率される雛のように、アサクサに入っていった。その中には、二度助けた若い女のマネカタもいた。心配そうに此方を見ていたが、怒りを覚える。心配なのは、むしろこっちだ。

ゴズテンノウのやり方や考え方は、絶対に容認できない。ニヒロ機構の極端な法治主義も、間違っていると断言できる。だが、これも同じだ。自由の名の下に、惰弱を許すこともできないと、秀一は思った。弱者を蹂躙するのを容認するのでは、もちろん無い。ただ、彼らに強くあって欲しいのだ。

最低でも、恩くらいは返せるように。自分には返さなくても良い。でも、琴音や、今身代わりになったリコには。

吐血の量が減ってきた。少し、顔色も良くなってきた。どうやら、命はとりとめたらしい。汗でぐっしょりした様子のサナは、ふらふらになっていた。浮く余裕すらない様子である。

「大丈夫。 何とか、持ち直したよ。 後はしばらく休めば、歩けるようになるよ。 ただ、戦うには、少しリハビリがいると思うけど」

「良かった。 少し、休んでくれ。 リコは俺が運んでいく」

「運ぶ時には、ちゃんと担架使ってよ。 一人で抱えていくなんて、今の状態からは論外だからね」

「分かっている」

フォルネウスが渋めの和服を術式で作ってくれたので、リコに被せる。額に浮かんでいる汗を、ハンカチで拭ってやった。マネカタ達の槍を、二本借りる。それにさっき琴音が出した布を組み合わせて、担架を作った。体を揺らさないように、慎重にリコを乗せる。ぐったりしているリコを傾けないように、体格が近いマネカタを呼んで、持ち上げた。

そのまま、アサクサに運ぶ。医療施設があるから、其処で本格的な治療をするのだ。

若い娘の裸体を見たはずなのに、まるで色気を感じなかったのは。多分、気のせいではないはずだ。性欲自体が、殆ど残っていないのであろう。そういえば、ここしばらく、それに限らず性欲を感じたことがない。石部金吉という奴とは、多分違う。根本的に、何か抜け落ちてしまっているのだ。

精神は、まだ人間の要素がある。だが、体は、殆ど悪魔と化していると考えて、間違いないようであった。

 

4,さらなる戦いの予兆

 

ケルベロスは、砂丘に立って、その光景を見下ろしていた。

ニヒロ機構の軍勢が、整然と隊列を保ったまま、凱旋していく。制圧したオベリスク要塞に派遣される守備部隊と入れ替えに、機動部隊は再編成を行うべく、本拠地であるギンザへと引き返していくのだ。

損害は殆ど無し。誰がどう見ても、ニヒロ機構の完勝だ。話に聞くところによると、中級以上の将官に、戦死者はいない。新しく手に入れた要塞オベリスク塔には、モイライの三姉妹が防御司令官として駐屯するという。その分の兵力が差し引かれているはずなのだが、相も変わらず圧倒的な大軍であった。

マントラ軍は勝てないかも知れないと、ケルベロスは思った。

誇り高い戦士であるケルベロスだが、それは非現実的であることと、イコールではない。今は少しでも戦力を回復するべく、各地でスカウトを行っているが、なかなか難しい。求心力を失ったマントラ軍は、現状維持がやっとで、殆ど兵が集まらない。マガツヒを食えると喧伝しても、戻ってくる悪魔は僅かだ。

誰もが、思想よりも、命が大事なのである。

このボルテクス界でも、それは同じだ。トールや毘沙門天のような上級は違う場合もある。だが、下級になればなるほどその傾向は顕著になる。ケルベロスは、彼らを責める気にはなれなかった。

身を翻して、砂丘を駆け下りる。

今回は、弟のオルトロスに頼まれて、用心棒代わりに此処に来ている。諜報員として有能な弟は、ニヒロ機構内部に飼っていたスパイと連絡を取ろうと必死になっている。だがその多くが通信途絶してしまっており、寸断されてしまった情報の再構成は難作業だ。倒されたのでは、ないだろう。殆どが、マントラ軍に見切りを付けて、ニヒロ機構に寝返ってしまったのだ。

崩れかけた建物に入る。図太く横になって眠っていたオルトロスは、兄の到来に気付いて起き上がった。

「兄ちゃん、戻っただすか」

「ああ。 ニヒロ機構の機動部隊が近くを通ったから、見てきた。 状況は、情報通りだったな。 被害は殆ど無い」

「全く、大変な話だす。 部下達とも連絡がとれねえだし、ニヒロ機構が侵攻してきたら、どうなる事やら」

「お前のような将官が、そんな事を言ってどうする。 多少の敵なら、俺が蹴散らしてやるから、気にしないで情報を集めろ」

こんな仕事はガラではないのに。つい、余計な口が出てしまう。

強い主君の元で、思うままに戦いたいと、ケルベロスは思う。守るべき価値のある存在を、守りたいとも思う。

悪いが、今のマントラ軍に、その価値があるとは思えない。マントラ軍の思想そのものには、価値があると今でも考えているが、毘沙門天が崩壊を食い止めている組織には、興味を感じないのだ。

トールが新たなる首領を探していると言うが、間に合うかどうか。不安は、ケルベロスも隠しきれなかった。ケルベロスでさえそうなのである。部下達の不安は、相当に深いだろう。誰も戻ってこないのも、仕方がないのかも知れない。

「そういえば、兄ちゃん。 おもしれえ話聞いただすよ」

「なんだ」

「マネカタどもが、アサクサに集まってるらしいけど、其処の中核になってるのが、兄ちゃんと戦った人修羅とサマエルっつー話だあ。 どっちかを勧誘できれば、マントラ軍の力になるんでねえか?」

「いや、それは無理だろう」

戦ったから分かるが、あの二騎は、どちらもマントラ軍の思想とは相容れない部分があった。特にサマエルは駄目だ。あれはニヒロ機構の思想に近いものを持っていて、絶対にマントラ軍に協力することはないだろう。惜しいが、味方に引き入れるのは難しい。むしろ、第三勢力として存在してくれていれば、それが一番望ましい。防波堤として使えるかも知れないからだ。

それに、どうしてかは分からないのだが。サマエルとは、距離を置いて見守りたいのだ。すぐ近くにいると、むずむずした変な感触を覚える。己の戦士としての誇りを守るためにも、今は距離を取りたい。

「他に、有望な奴はいないか」

「アマラ経路の深部に潜れば、何か上級の悪魔が潜んでるかもしれねえけど、あぶねえだよー。 スペクターはこの間の決戦でニヒロ機構の本部に攻撃して、大打撃を受けて逃げてったらしいだけど、他にもあんなのが潜んでないとはいいきれねえしなあ。 あ、そうだ」

「何か、面白い情報か」

「ちょっと精度は低いだけど、面白い人間がいるって話だ。 なんでも上級の堕天使と一緒にいて、魔術をある程度使えるとか。 それで、力づくで下級を従えて、部下を増やしてるそうだすよ」

何だか面白そうな奴だ。ちょっと興味が湧いてきた。少なくとも、今カブキチョウに捕らえて拷問を加えているあの役立たずに比べれば、ずっと使い出がありそうだ。

強い意志を持って、生き延びている人間ならば、創世は容易かも知れない。もし、創世が出来るのであれば、多少の戦力差ならひっくり返すことが出来るだろう。

何体か、オルトロスの配下の悪魔が、建物に入ってきた。どれも下級の悪魔ばかりである。小さな蛇の姿をした悪魔に耳打ちされて、何度か頷いていたオルトロスは、渋い顔になった。

「一旦、戻った方がええみてえだから、帰る」

「状況が変化したのか」

「ああ。 何だか、ニヒロ機構がカブキチョウへの侵攻計画を練ってるらしいだ」

ついに来たかと、ケルベロスは思った。確かに天使軍に決定的打撃を与えた今、次に叩くべきはカブキチョウだ。無数のマネカタを生産し、マガツヒを搾り取っているあの街を落とせば、ニヒロ機構に抵抗できる勢力は存在しなくなる。

実際問題、オベリスクが落ちたことで、既にボルテクス界の半分は、ニヒロ機構の実質的支配下に落ちている。今はまだ決戦の損害が残っているが、完全に兵力が整ったら、抵抗できる存在はいなくなる。

「さっき、お前が言っていた人間が何処にいるか、分かるか」

「この間、アサクサの近くで見かけたってきいただ。 人間の足から考えて、まだニヒロ機構の領土には入ってねえと思うだよ」

「そうか、それで充分だ」

臭いを察知できれば、それで追うことが出来る。トールも頑張っているはずだが、ケルベロスも全力を尽くしたい。

やはり、法で全てが決まる世界は嫌だ。どうせなら、力が評価される、マントラ軍の思想に殉じたい。

オルトロスに、その人間を捜すことを告げると、ケルベロスは隠れ家を出た。カグツチの光が強くなり始めている。心地よい興奮に体が満たされ、力がみなぎってくる。

遠吠えすると、ケルベロスは砂漠を蹴る。一気に加速したケルベロスは、力を求めて、ただひたすら走った。

 

ギンザに戻ったカエデは、ゆっくりする暇もなく、会議に呼び出された。そして、思わず我が耳を疑った。議題として、氷川司令が発した言葉は、あまりにも受け入れがたいものであったからだ。

「ナイトメアシステムを、また使う!?」

「そうだ。 そして、一気にカブキチョウを陥落させる」

氷川司令は言う。その声には、何の感情も籠もっていないように思えた。

原理は、理解できる。この間、イケブクロに用いたナイトメアシステムの発動により、ニヒロ機構の備蓄マガツヒは、その多くを失った。ナイトメアシステムは発動時の燃費が極めて悪く、イケブクロを壊滅させた際に吸い上げたマガツヒは、殆どがアマラ経路に消えてしまった。だが、膨大なマガツヒごとオベリスクを手に入れた事により、第二射が可能となったという事だ。

しかも、オベリスク塔は、それ自体がナイトメアシステムの媒介として用いることが出来る事が、分かっている。何かしらの寄り代を用いれば、更に威力は上がるだろう。場合によっては、マントラ軍の領土そのものを、一気に消し飛ばすことも可能となりうる。そうなれば、ニヒロ機構の勝利は、確定する。

だが、それは。それは、絶対にやってはならないことだ。

「不満そうだな、カエデ将軍」

「……」

「だが、考えてもみたまえ。 まともに戦って、多くの兵を失うのと、手を汚しても一気に勝負を付けるのと、どちらがいいと思う」

これによって吹き飛ぶのは、あくまで敵なのだとも、氷川司令は言った。そして、創世を行えるのも、一人なのだと。

創世によって、思想に基づいて世界は作り替えられる。破れた思想は滅び去る。かって、人類が繰り返していた戦争と、今行われているものは、根本的な存在次元が異なるのだ。

効果的な反論は、見つからなかった。確かに理屈として、氷川司令の言葉が正しいことも分かる。だが、それは絶対にやってはいけないことなのだとも、感情は告げている。感情に従うのは、子供のやり方だとは分かっている。だが、此処は、感情に従うべきなのだとも、思う。

その言葉が出たのは、意図しての事ではない。だが、不思議と、効果はあった。

「オセ将軍は、きっと喜ばないと思います」

余裕に満ちていた氷川司令が、一気に青ざめた。罵声が飛んでくるかと思って、カエデは思わず身を縮めたが、だがそうはならなかった。しばし停止していた氷川司令は、カエデの目をゆっくりと見た。

「ふむ。 確かに、オセは喜ばないかも知れないな」

「他に方法は見つからないのでしょうか。 正面から攻略するのは難しいとしても、ナイトメアシステムを用いるのだけは、反対です」

「ならば、君が攻略案を考えてみるかね?」

言葉に詰まる。カエデは魔術と個人戦術には長けていても、戦略立案は苦手である。というよりも、さっぱり分からない。勉強はしているが、まだまだ素人レベルで、とても実戦投入できる代物ではない。それに。自分の提案のため、傷つき、未だ病院から出られないアンドレアルフスの事を思い出してしまう。下手な作戦を立てれば、多くの兵士が、命を落とすのだ。

挙手したのは、ブリュンヒルドだった。

「氷川司令、私も反対です。 ナイトメアシステムを使ったことで、部下達には動揺も広がっています。 上級将官の中にさえ、私も含めて、あれを使うことに反対する者も多いようです。 これ以上の乱用は、取り返しがつかない事態を招く可能性が大きいかと思われますが」

フラウロスが頷く。ロキも、それに同意した。ニヒロ機構は、絶対王権の組織ではない。指導者への反論も、理がある場合ならば許されている。

「かといって、効果的な戦術はあるのですか? 空に浮くことと術による防御力に頼り切っていたオベリスクと、スペクターの襲撃から立ち直り念入りにマントラ軍が構築したカブキチョウ要塞はものが違いますよ。 情報を総合する限り、防衛能力はオベリスクの三倍強という試算も出ています」

ミトラが氷川司令をフォローするように言った。多分ミトラの場合、氷川司令の不興を買わないようにした、政治的発言であろう。今まで中立を保ち、腕組みして考え込んでいたニュクスが、彼女らしくもない鋭い発言をした。

「それならば、効果的な戦略案をまず考えて、ナイトメアシステムはそれの予備として用意するのはどうでしょう」

綺麗に、意見がまとまった。しばし顎に指先を当てて考えていた氷川司令は、折れてくれた。

「それが無難だな。 しばらくは、機動部隊の再編成もしなければならん。 その間に、カブキチョウ攻略作戦の案を各将は練るように」

「はっ!」

其処で、会議は終わった。会議室から出るところで、フラウロスに肩を叩かれたカエデは、彼がオセと親友だったことを思い出して、青ざめた。怒っているかも知れないと、思ったのだ。

「良く、言ってくれた」

「え? あ、の?」

「オセの奴が生きてたら、第二射は絶対にやらせなかっただろう。 あんな兵器、絶対に使っちゃあいけないんだ。 使わなくったって、ニヒロ機構は絶対に勝てる」

最近は酒浸りと言うことだが、それでもフラウロスの言動はしっかりしていた。救われた気がするのは、オセの親友である彼が、カエデの言葉に共鳴してくれたことだろうか。あの人とは、もっと話をしたかったと、カエデは思う。命の恩人という以上に、惹かれるところのある、武人だった。

「ニヒロ機構の次代を背負うのは、お前なんだって、よく分かったよ。 カエデ将軍、俺は、これからお前を可能な限り支援する。 だから、ミトラなんかの好きなようにはさせるんじゃねえぞ」

「ありがとうございます。 自信は、あまり無いですけれど」

「帰ったら、ミジャグジさまに相談してみるよ。 あいつは防御戦の専門家だからな。 逆に言えば、要塞攻略についても詳しいはずだ」

フラウロスは、オセの親友だったこともあり、信頼できる武人だと評判である。あのトールともまともに戦って殺されなかった武勇の持ち主であり、とても心強い。味方が増えてくれたことで、カエデは安心できた。

フラウロスは、ギンザにあるコーヒーショップに寄ってから帰るという。丁度カエデも其処に寄って来ようと思っていた所なので、つきあうことにした。地上に向かうエレベーターに、二人で乗り込む。しばし談笑していたが、不意に、フラウロスが表情を引き締めた。

「ところで、だ」

「はい」

「天使軍への復讐は、これでなったと、思っているか?」

「……正直、実際に行ってみると、よく分かりません。 ランダ様の仇は討てたんだなって思っているんですけれど。 とても、虚しいです」

地上に出た。カグツチがまぶしい。相も変わらず、光は定期的に強くなったり、弱くなったりを繰り返している。地上で殺し合う、悪魔達をあざ笑うかのようである。

キリスト教は、神の掌の上で、悪魔と天使が殺し合う宗教だ。カグツチは日本神話の出身者だが、性質はキリスト教の唯一神に近い気がしてならない。

「そうか。 これからは、ニヒロ機構に、尽くしてくれるのか?」

「はい。 それは絶対に。 ランダ様の仇を討てたのは、ニヒロ機構のおかげですから」

それが虚しくても、関係ない。

恩をくれた相手である。それに報いるのが絶対だと、カエデは考えている。

それに、ニヒロ機構は、カエデを必要としてくれている。こんな無能で、臆病な自分を、である。それならば、絶対に裏切れない。

仇を討たせてくれた今。ニヒロ機構は、カエデの、新しい家だった。

少しコーヒーを飲んでから、フラウロスは帰っていった。何だか、落ち着いた。味方になってくれるという人が増えたのは、とても嬉しい。

店に、ロキが入ってきた。カエデを探していたらしく、一礼して隣に座る。悪戯の神様という事もあり、ちょっと警戒していた相手なのだが、話してみると思ったよりも真面目で、好感が持てる。

「すまん。 少し、いいか」

「何でしょうか」

「オベリスクを落としたいきさつは聞いている。 俺も術には自信があったが、カエデ将軍には、正直かなわん」

面と向かってそう言われると、流石に気恥ずかしい。赤面してしまうカエデに、ロキは真面目な表情で言った。

「そこで、力を借りたい」

「私に、出来ることなら、いいのですけれど」

「……今、この世界の敵は誰だと思う」

「ええと、それは」

ロキは、目に怒りを宿らせた。それは、多分、カエデに向いたものではない。

「スペクターだ」

「! 同感です」

スペクターについては、カエデも知っている。何より、オセ将軍の、死の原因を作った奴だ。どういう考えを持っているのかは、分からない。だが、許すことは、出来ない相手だとも思う。

天使軍も、同じだ。実際に会ってみると、スペクターも印象が変わるのかも知れない。だが、行動が許せないことに代わりはない。一体どれだけの破壊を繰り返せば、気が済むというのか。

「奴は、高い再生能力と、分身を作る力を持つ。 その上、かなり頭が良い。 ただ、アマラ経路からは、あまり長く出られないことも分かってきている。 もっと、色々と調べたい。 奴を屠り去るために」

そういえば。

シブヤを支配していたロキは、スペクターによって全てを失ったのだ。

「分かりました。 私で良ければ、協力させていただきます」

「ありがたい。 俺の分のマガツヒは、貴方に提供する。 仕事も大変だと思うが、それで何とか手伝って欲しい。 俺は、奴を必ず仕留める。 それが出来るのであれば、マガツヒなどいらん」

ロキの覚悟は本物だった。それだけ言うと、アドレスを交換して、ロキは店を出て行った。

ふと思う。今のロキの性格は、スペクターによって全てを奪われて、後天的に変化したものではないかと。だとすると、とても悲しいことだ。

まだ、体は治りきってはいない。だが、あまりのんびりもしていられない。

コーヒーを飲み干すと、カエデは決意を、新たにした。

 

(続)