その時歴史がまた動かなかった

 

序、暗殺が成功した世界

 

ゴールデンバウム朝銀河帝国で、まだ幼年学校を出たばかりの子供が殺された。名前はラインハルト=フォン=ミューゼル。

軍に配属されたばかりだった。

一応表向きは戦死だったが。

しかしながら、実際には暗殺だと言うことは誰もが知っていた。

ラインハルトは姉が後宮に入れられたことで閨閥になり、軍にての出世が確約されていたのだが。

それを快く思わない者もまた多く。

そして、それらの暗殺の手が、幼い命を奪ったのだった。

その場にいて生き残ったキルヒアイスという同期の少年兵は衝撃を受けていたようだが、平民である。

誰も気にしなかった。

ラインハルトの死の報告を受けたその姉。

寵姫であったアンネローゼは、それからまもなく衰弱死。

これも暗殺説があったが、真相はともかく闇の中だった。

更に、である。

それらの報告を聞いた老帝フリードリヒ四世は、元から皆無に等しかったやる気を完全に喪失。

以降、皇帝は事実上いなくなったと見た門閥貴族。

ブラウンシュバイク公、リッテンハイム候、リヒテンラーデ公をはじめとする面々が動き出し。

それらが、帝国を混沌の渦にたたき込んでいくことになる。

誰も知らない。

ラインハルトが時代を変える英傑に育ったことなど。

それだけではない。

この暗い時代を変える、唯一の希望になったかもしれないことを。

一人だけ知っていたキルヒアイスという子供は、それからも軍属としてしばらく働いていたが。

やがてふっと姿を消した。

軍での行方不明や不審死はよくある話だ。

ただ、キルヒアイスがいなくなる前の兵士達は、こぞって証言している。

あれには、悪魔がついていたようだった、と。

しかしながら、戦場でおかしくなってしまう兵士などいくらでもいる。気の毒な例が増えただけに過ぎない。

ましてや平民の一人の兵士など。

帝国の軍の中では、誰も気にすることもなかった。

それから数年後。

自由惑星同盟に、ジークフリード=キルヒアイスという青年が亡命し。

士官学校で首席をとり。

軍人となるのだが。

それを行方不明になった兵士であると認識する者は一人もいなかったし。

何より、気にしたところで、何の意味もないことだった。

人類は四百億。

百五十年、二大勢力である帝国と同盟は戦争を続けており。

その過程で、数え切れない不幸が生じた。

今更、一人の命に誰も興味を示さない。

そういう時代だった。

そしてそういう時代だったからこそ。

悪魔と化した復讐鬼が、解き放たれたことに誰も気づかなかった。

このときは、まだ。

 

エル=ファシルからの民間人の救出作戦を終えたヤン=ウェンリーは、中佐に昇進。参謀本部にて仕事を任されることになったが。

帝国からの亡命者だという青年を紹介されて。

部下として扱うようにと言われていた。

その青年は、士官学校を出たばかりだが、戦闘で凄まじい活躍を見せており、既に大尉にまで出世しているという。

ヤンはそのキルヒアイスという青年を見て、生唾を飲み込んでいた。

ヤンも戦場にいる人間である。

運動神経はからっきし。

間違っても前線に出るような人間でもないが。

それでも、恐ろしい兵士はいくらでも見てきている。

だが、今目の前にいる長身の青年は、赤毛の悪魔としか形容ができない恐ろしさだった。

目つきにしても何もかもがおかしい。

精神のバランスを崩してしまっているのは明らかだった。

「ジークフリード=キルヒアイスです。 以降よろしくお願いします」

「よろしく。 私は見ての通り格闘戦ができるようなタイプではなくてね。 前線での戦闘は任せるよ」

「承知いたしました。 いくらでも作戦行動を御命じください。 貴族どもの首なら、いくらでもねじ切ってきましょう」

「そうか……」

帝国から何かあって亡命してきたらしい。

そういう話は聞かされている。

それにしても、なんという凄まじい目だ。

ヤンは不安になって経歴を確認したが、軍紀違反などはない。むしろ丁寧すぎるほどの戦闘をしている。

士官学校の成績を見るが、とにかく圧倒的だ。

戦史研究などは優れていたが、戦闘実技などが落第寸前だったヤンとは違い、全ての分野でトップに近い成績を独占している。

ただ、戦闘シミュレーションの艦隊戦では、極めて苛烈な戦闘をすると言うことで有名であり。

キルヒアイスとのシミュレーション戦をした者は、圧倒的に徹底的に叩き潰されて、自信を失うと評判だったそうだ。

変わり者が嫌いではないヤンだが。

ちょっと心配になる。

だが、このときは心配止まりだった。

問題は、その後だった。

ヤンは後方勤務でしばらく過ごすと思っていたのだが。帝国の状況がおかしいという報告を受ける。

老帝フリードリヒ四世が危篤らしい。

そういうことだった。

まあ、老帝である。

しかもゴールデンバウム朝は医療を軽視してきた歴史がある。

歴代の皇帝は地球時代の人間より寿命が短かったくらいで。

むしろフリードリヒ四世は長生きした方だろう。

キルヒアイスはその報告を聞くと、ぼそりとつぶやいていた。

もう少し長生きしていたら。

必ず首をねじ切ってやったのに、と。

恐ろしい言葉で、背筋に寒気が走ったが。だが、キルヒアイスは冷静極まりない人物で、少なくとも関係ない兵士に手をかけたりすることはなかった。

ただ、笑ったところを一度も見たことがない。

さらには何かのロケットを常に身につけていて。

それについては、聞くことすらはばかられる雰囲気だった。

兵士達は怖がっているが、ヤンから見て特に問題行動を起こしているわけではない。今の時点では、問題なく使っていけるだろう。

ヤンが前線に出るように指示されたのは。それから。

ティアマト星系に帝国軍艦隊が侵攻してきた。

一体何度目かわからない。

ヤンは第四艦隊の参謀として、作戦立案の一つを任された。これだったら、まだ巡洋艦辺りの指揮の方がよかったかなと思ったが。

しかしながら、そうも言っていられない。

敵の数は一個艦隊程度で、同盟も同数程度。

敵には戦意が欠けているが、それでも正式艦隊だ。

だとすれば、参謀の判断が全てを決める。

第四艦隊の司令官はパエッタ中将だ。

パエッタは良くも悪くも無能でも有能でもなく、ごく普通に出世してきた人物である。ヤンから見て少し能力が物足りないとは感じるが、それでも極端に無能と言うわけではない。

正面からの戦闘を主張するパエッタに対して、参謀も概ね同じ意見を出していたが。

ヤンとともに参謀にいたキルヒアイスが、ヤンに話を振ってきた。

「ヤン中佐。 このような策はいかがでしょうか」

「ふむ。 ……これは随分と過激な策だね」

「相手はエル=ファシルでアーサー=リンチ少将を破り、中将に出世した指揮官です。 おそらく同盟艦隊は弱いと考えているでしょう。 其処に乗ずる隙があるかと」

「……確かにそれもそうだ」

ヤンがいくつか案を修正して、キルヒアイスと練る。

それでわかってきたが、キルヒアイスは極めて聡明で、少なくとも復讐で何もかもに狂っている訳ではないということだ。

作戦案を出す。

そうすると、パエッタ中将は、策に驚いていた。

「いつも堅実な策を提案する君とは思えないな」

「今回の敵は、アーサー=リンチ少将を破り、調子に乗っているところです。 帝国の国内の事情が怪しいと言うこともあり、おそらくここで手柄を立てて後の身の振りを立てるつもりなのでしょう。 調子に乗っている指揮官、勝てると思い込んでいる心。 足下を掬います」

「……わかった。 いずれにしても、この策だと完勝が狙えるわけだな」

「はい。 できるだけ、今は帝国の戦力をそいでおくべきかと思います」

完勝という言葉に気をよくしたのだろう。

パエッタは長いこと艦隊指揮官をしている「歴戦の将」だが。艦隊指揮官である中将に出世してから、ずっとこれといった戦果を挙げていない。

それによる焦りもあるのだろう。

キルヒアイスの提案だった。

そこを突くべきだろうと。

悪魔じみた発想だ。

味方をそういう形でだますのはあまり好きではないが、エル=ファシルでの脱出行で、ヤンはリンチ少将の身勝手な逃走劇を推測。リンチ少将をおとりにして、民間人を全員救出したという過去が至近にある。

あまりこういう腹芸は得意ではないが。

やれるなら、やっておこうと思った。

翌日から、戦闘が開始された。

戦意に欠ける帝国軍艦隊だが、指揮官は逸っている。

これに対して、第四艦隊は、何度も何度も戦闘が繰り返されたティアマト星系での地の利を生かすようにして、分散した艦隊でゲリラ戦を挑むようにして、それでうまくいかずに蹴散らされている、という様子を装う。

第四艦隊は被害を出し、支えきれなくなって後退。

その様子を見て、敵の指揮官は明らかにいきり立った。

全軍突撃。

そうとでも命じたのだろう。

分散した同盟艦隊の一部に襲いかかる。その艦隊は、即座に後退を開始。ティアマト星系にいくつかあるガス惑星の影に逃げ込もうとする。それを、勝てそうだと思った帝国軍艦隊が追う。

そして彼らが気づいたときには艦列は伸びきり。

逆にバラバラだった筈の同盟軍第四艦隊はまとまり。

さらには、ガス惑星を利用して、同数であるのに敵の包囲を完成させていたのである。

猛反撃が開始された。

凄まじい火力の滝にさらされた帝国軍は、伸びきった陣形を再編しようとしたが、それもうまくいかなかった。

敵が罠にはまったと気づいた瞬間。

ガス惑星に潜んでいた伏兵が、主砲を斉射。

それが旗艦を貫いていたからである。

リンチ少将を破った貴族出身の提督は、同盟軍は弱いと錯覚したまま、艦橋で爆発に巻き込まれ。

帝国軍旗艦級戦艦の艦橋にはなぜか配置されている柱に押しつぶされて死んだのだった。

後は一方的な戦いになった。

司令部が壊滅したことにより、艦隊は壊乱して逃げることもできなくなった。

四千隻以上が完全破壊され、残りのほとんどは逃げることもできずに降伏した。

完勝である。

伏兵を指揮したのはヤンだが。精密な狙撃を成功させたのはキルヒアイスだった。巡洋艦の一隻を任せていたのだが。凄まじい精度の狙撃で、ヤンも瞠目させられていた。

わずかにちりぢりに逃げた部隊は千隻程度に過ぎず、帝国は一艦隊を丸々失ったのである。

パエッタはヤンの作戦と、それによる完全勝利を喜んだ。

歴史が少しずつ狂い始めていることに、気づいている者は誰もいない。

 

イゼルローン要塞を攻略したヤンは、キルヒアイスが抵抗した帝国軍将兵を容赦なく殺したのを見て、眉をひそめていた。

キルヒアイスと組んで二年。

ヤンは少将となり。

今までどうしても成功しなかった帝国の要衝。同盟と帝国の間にあるイゼルローン回廊を守る、イゼルローン要塞を制圧に成功した。

作戦ではキルヒアイスが陸戦部隊の指揮を執り、名高いローゼンリッターとともに作戦を遂行したのだが。

ヤンは無血占領策を立てたのに。

キルヒアイスは、抵抗の意思を示した帝国軍の士官。特に貴族の士官を容赦なく撃ち殺したのだった。

勿論正当防衛だったのはある。

だが、ヤンはベレー帽を押さえて、どうにもまずいなと思っていた。

キルヒアイスはとにかく有能だ。

だが、ここ二年でわかってきたことがある。

その復讐心は明らかに人格に暗い影を落としている。

作戦に同行したシェーンコップが、戦後処理をしているヤンの元に来て、軽く話をした。

「あの青年はまずいですな。 確かに極めて有能で、一緒に作戦をしていて困ることが一度もありませんでした。 しかし心に悪魔が住んでいるように思います」

「キルヒアイス准将は確かに危うい。 それは私もわかっている。 だが、少なくとも無抵抗の相手に手をかけるような真似はしていない。 軍律を破る気配はないし、それについては私も認めているさ」

この勝利で、ヤンは中将に昇進が確約。

キルヒアイスも少将に昇進するだろう。そうなったら、分艦隊を率いてもらうことになると思う。

帰還したキルヒアイスは、相変わらず愛想笑いの一つもなく、淡々と戦果のみを報告。報告書も出した。

内容はヤンも非の打ち所がなかった。

それはそれとして。

ヤンは、キルヒアイスを他の将官の下につけない方がいいなとも判断した。

キルヒアイスは、ヤンをある程度信頼してくれている。だが、無能な指揮官と判断した相手には、恐ろしく冷徹になるのを時々見ている。

まるで誰かが乗り移ったように人格が変わる。

いわゆる解離性同一性障害なのかもしれないが。

それにしては、どうにも妙なところも多いのだ。

にこりともしないところを除けば非常に端正な顔を持つ青年なので、女性兵士や士官にはもてるらしいのだが。

キルヒアイスは迷惑そうにするだけで、まるで色に興味を見せない。

これはヤンもあまり差はないので、それをどうこうと言うつもりはないのだが。

それにしても、キルヒアイスの色々と欠落した様子には、不安を感じてしまうのも事実だった。

ハイネセンに凱旋する。

それから程なくして、知らされる。

帝国で内戦開始。

リヒテンラーデ公が殺害され、ブラウンシュバイク公とリッテンハイム候が戦闘状態に突入。

帝国軍のほとんど全てがどちらかに加担し、戦闘を始めた。

だが、これに乗じてクロプシュトック公などの一部勢力は、独自の動きを見せ、独立勢力として活動を開始。

帝国の大壊乱が始まった。

「やれやれ、参ったね」

ヤンはつぶやいた。

これで同盟は当面安泰だ。

ブラウンシュバイクもリッテンハイムもどちらもただの門閥貴族で、軍事の専門家にはほど遠い。

まともな軍事専門家がどちらかにつけば話は変わるだろうが、先だってメルカッツ提督が不審死したという話がある。

どうもブラウンシュバイクが抱き込もうとしたところを、先手を打ってリッテンハイムが暗殺したらしいのだ。

帝国にもミュッケンベルガー元帥などの指揮官はいるが、いずれにしても其処までの脅威ではない。

これは帝国には苦難の歴史が始まる。

勿論同盟にとっても侵攻の好機ではあるのだが。

ヤンから言わせれば、今はその時期ではない。

長年の疲弊を立て直す好機だ。

今は兵の再編を進め、経済の再建をするべきだろう。

それに、である。

これから大量の民が逃げ込んでくる。

それを取り込むことで、同盟は膨れ上がる。

対処を間違えば、更に腐敗が加速する。

今の同盟政府はお世辞にもクリーンとはいえない。それができるかどうか、ヤンには不安だった。

大侵攻作戦を。

そういう声がすぐに上がったが。

しかしながら、帝国の内乱から逃げ出してきた民がイゼルローン回廊に殺到し始めたことで。

それどころではなくなった。

逃げ込んできたものには武装したままの艦艇や軍人も多数おり。

それらを丁寧に処理するだけで、イゼルローン要塞の機能はパンク寸前に陥ったのである。

幸い、まだまだ未入植の星はなんぼでもある。

ただし、大量に流れ込んできた民が、同盟を変質させた過去もある。

うまくそれらを捌けるかどうか、ヤンには不安だった。

最前線のイゼルローンからいずれにしてもヤンは動けなくなり。

デスクワークの達人であるキャゼルヌ少将が支援に来てくれたので、全て丸投げしたものの。

それでも大量の仕事をこなさなければならず。

とても侵攻作戦どころではなくなった。

事実最高評議会も、あまりにも多すぎる避難民を前にして、侵攻作戦どころではないと悟ったのだろう。

何しろ、内戦が開始されてから三ヶ月で、十二億人が同盟に流れ込んできたのである。

正式四個艦隊が派遣され、それらはイゼルローン回廊およびその周辺で、流れ込んできた民の武装解除、戦艦などの回収をしなければならず。

一度ならず小競り合いも発生していた。

ほとんど不眠不休で働くことになっているキャゼルヌ少将を見て、ヤンは後でどれだけおごらなければならないのだろうと思いつつ。

長蛇の列をなす避難民を見て、これは同盟も無事では済まないなと思うのだった。

 

1、分裂と膨張

 

帝国の内乱は片付きそうにもない。

貴族達がブラウンシュバイクとリッテンハイムの両派閥に分かれて争い始めたが、どちらも軍事の専門家よりも、貴族の家名を重視した人事を行ったからだ。

リッテンハイムに取り込まれたミュッケンベルガー元帥も、ほとんど作戦に口出しを許されず。

大軍を動員しても両方が無様な消耗戦をするばかりで、無駄に損害ばかりが増えていく。

明日の権力を握るのが誰になるか。

そればかり貴族達は考えていて。

勝てないかもしれないとすら思わず。

ひたすら領土を荒らしながら、終わりも見えない戦いを続けていた。

ブラウンシュバイクとリッテンハイムの娘は女帝候補と言うこともあり、皇夫となりたいと申し出る大貴族が後を絶たず。

それをブラウンシュバイクとリッテンハイム双方が、まったく捌けない状況であり。

そんな状態を見た兵士達は多数が脱走。

イゼルローン回廊に逃げ込み、膨大な艦艇が同盟の手に渡っていた。

内乱が開始されてから二年。

同盟に逃げ込んだ民は50億人に達し、あまりにも急激すぎる人員の膨張に同盟政府も悲鳴を上げていた。

未入植惑星に多数の民を配置して、同盟の国力を上げようとしたのだが。

問題ばかり発生して、いずれにしてもうまくはいかなかった。

キャゼルヌ少将はとうとう何度か倒れてしまい。

ヤンも疲労がたまって、完全に辟易していた。

小競り合いがまた起きた。

二千隻ほどの艦隊が、同盟に入ってやるから地位をよこせと恫喝してきたのである。

それを鎮圧する過程で、民間人の乗った商船やシャトルが巻き込まれ、大きな被害を出した。

一度や二度ではない。

ヤンも流石にこういうことが続くと、疲弊がたまる。

それだけではない。

これを鎮圧したのはキルヒアイス提督の分艦隊だったのだが。

この戦いがあまりにも容赦なく、指揮系統を文字通り消滅、粉砕していた。

これもあって、相手は恐怖して早々に降伏したのだが。

キルヒアイス提督の凄まじい戦いぶりは噂にもなり始めていて。

赤い悪魔と一部で恐れられるようになり始めている。

普段も一切笑わないどころか、ますます鬼相が強くなってきている。

それもあって、同盟でももっとも若い将官の一人であるのに。

女性人気は全くないと言って良いほどだった。

とにかく、無事だった民を回収して、後方に送り届ける。小競り合いを起こした兵士達は捕虜扱いだ。

軍法会議にかけた後、場合によっては収容所送りだろう。

いずれにしても、同盟政府はもはやパンク寸前である。

豚を丸呑みにした大蛇と同じで。

当面はまともに身動きもできないだろう。

通信を入れてきたのは、ウランフ中将だった。

「ヤン提督、忙しいところをすまないな」

「いえ、何かありましたか」

「ああ。 植民星で暴動が起きているらしい。 陸戦部隊が鎮圧に当たっているが、このままだと他の星でも似たようなことが起きるかもしれないな」

「これだけ急激に人が増えたのです。 混乱は致し方ないでしょう」

逃げてきた民だけで五十億だ。

帝国では貴族同士の仁義なき戦いで凄まじい被害が出ている。兵士だけで一千万を既に超える死者が出ており、報復攻撃の応酬で民間人は既に20億人以上が死んでいるという話まである。

帝国と同盟の人口は逆転したのではないのか。

そういう噂まであるそうだ。

首都星オーディンは現在ブラウンシュバイク公が押さえているようだが、二ヶ月前はリッテンハイム侯が押さえていて。それも数ヶ月おきに所有者が代わり。所有者が代わるたびに戦場になって、踏み荒らされている。

その過程で、悪名高い新無憂宮も焼け果てたそうである。

オーディンの市街地の数割が灰燼と化しているという話もある。

このままでは、オーディンからも避難民が来る可能性すらある。

そういう話だった。

「それと、流石に貴官は交代だそうだ。 これだけ長期間、よく最前線で働いてくれたな。 休暇も短いが出るらしい」

「それはありがたい話ですね。 後任はどうなりますか」

「キルヒアイス提督を中将に昇進の上で、新しく創設される第十四艦隊を任せるらしい」

それを聞いて、無言になる。

ちょっとこれはまずいのではないか。

そう思ったのだが、ウランフ提督も声を落としていた。

「貴官の部下であったな。 あまりよい評判は聞かないが」

「極めて優秀な提督です。 民間人に対する攻撃などもしません。 ただ、あまりにも苛烈すぎる行動をとるため、注意をしてください」

「わかった。 本来なら頼もしい筈なのだが……」

「……」

あまりにも激務が続くため、最高評議会に居座り続けていたトリューニヒト議長が、倒れたという話があるらしい。

権力を得ることにだけ特化した怪物だとヤンは思っていたのだが。

この状況では、トリューニヒトは権力だけにしがみついてもいられなくなったようなのである。

それで仕事をさせられて。

ついに倒れたという訳か。

今、病院で治療を受けているらしい。

後任は穏健派で知られるジョアン=レベロ議員だが。

この状況に対して、軍縮を訴えるジェシカ=エドワーズ=ラップ議員が票を伸ばしており、最高評議会にまもなく就任するらしい。

ヤンの昔なじみであるジェシカは、ヤンの親友のジャン=ロベール=ラップと結婚し、それでも反戦派議員として精力的に活動している。ちなみに子供が一人いる。

ラップはこの間第十三艦隊の指揮官に就任したので、夫とは真逆のことをしている訳だが。

それはそれとして、夫婦仲はとてもいい。

ヤンとしても、たまには二人の家庭に出向いて、手料理でも食べたいところではあるのだが。

どうにも歴史が暗い方向に動いているようにしか思えなかった。

ともかく、現在指揮している第四艦隊を率いて、ハイネセンまで戻る。

年単位で留守にしていたが。

それもまた、軍人としては仕方がないことだった。

ハイネセンまで戻ると、ヤンが驚かされたのは、治安の悪化である。

帝国の公用言語でプラカードを抱えた暴徒が、道を練り歩いている。

仕事はあるはずだが。

待遇改善と、もっと権利をよこせというものらしい。

ニュースで知ってはいたが、かなり衝突が発生しているようである。

それは無理もないことだ。

合計五十億というと、元の同盟総人口の三割を超える人数だ。それが一気に流れ込んできて。

今後更に増えるのが確定なのである。

元門閥貴族だった連中には、星をいくつかよこせとかほざくような輩もいるとかで。

評議会も頭を抱えているらしい。

こればかりは。

嫌っているトリューニヒトにすら、ヤンも同情してしまう。

幸い、家はそれほど汚くなっていなかった。

留守司令官を自称する(まあ、実態がその通りだし)被保護者のユリアンが、丁寧に掃除などをしてくれていたからである。

ユリアンは前会ったときとは別人のように背が伸びていて。

ヤンも思わず二度見したほどだった。

だが、成長期なのだから当然であろう。

ともかく、疲れ果てたので、二〜三日は寝ようと思って。ユリアンに留守を守ってくれたことに感謝しながら、ベッドに潜り込んだ。

それは、残念ながら、かなわなかった。

 

翌日、ハイネセンで大規模な暴動が発生した。

鎮圧はされたものの、警官隊にも暴徒にも大きな被害が出ていた。刑務所はとっくにパンクしている。

とうとう軍が鎮圧に繰り出されることになり。

ヤンのところにも、MPが来ていた。

ヤンに対する視線は複雑極まりなかった。

イゼルローン要塞をヤンが落としたから、膨大な難民が同盟に流れ込んできた。そういう風説があるらしい。

それは聞いてはいたが。

こういうMPにまでそういう風説が言っているのは、想定外だった。

「二年間最前線で休暇なしで働いていたんだ。 寝かせてくれないかな」

「そうですな。 イゼルローン要塞を見事な手腕で陥落させた武勲、更にその後の活躍も聞き及んでいます。 しかし、暴徒はまた暴れ出す可能性もあり、聴取は必要なのです」

「わかった。 手短に頼むよ」

ヤンとしても、流石に追い返すわけにもいかない。

いくつかの話をしたあと、MPは帰る。

それから連絡が来た。

ジェシカだった。

「ヤン、やっと戻ってきたのね。 無事?」

「ああ、どうにかね。 ジェシカは相変わらずだね。 娘さんは元気かい?」

「ええ、かわいい盛りよ。 それよりも、この状況大丈夫なの?」

「大丈夫ではないね。 帝国は長年の無理が一気に来たんだ。 今は大貴族達が滅茶苦茶をしているが、おそらく平民達がそろそろ怒りを爆発させる。 そうなったら、帝国は本格的に大乱の時代になる。 同盟もこの有様だ。 とても兵を出して救援どころじゃない」

ジェシカもつらそうにうつむく。

最高評議会の議員達が、今まで賄賂を受け取って利権争いだけをしていればよかった時代が懐かしいとかほざいていると聞いていたが。

それが過労死寸前まで追い込まれているのだ。

ジェシカは今度、それを背負わされる。

勿論家政婦くらいは雇えるだろうが。それでも莫大なストレスが心身をむしばむ。子供がネグレクトを受けないか心配だ。ジェシカほど聡明な女性でも、キャパを超えたら、どんなことになるかはわからないのだ。

「帝国からの難民に対する敵意が膨れ上がる一方よ。 しばらくは危険だから、できるだけ外出しないで」

「いきなりこんな人数が増えたんだ。 今の同盟政府では、とてもさばききれないだろうね。 ハイネセンとともに同盟を建国した政治家達がいれば、話は別だったのだろうが」

「ええ、本当に」

「ジェシカも無理をしないでくれ。 ラップを悲しませたくないからね」

士官学校の頃から世話になっている相手だ。

ヤンとしても、親友もジェシカも失いたくない。

ちなみに昔はヤンもジェシカが好きだったのだが。

相手がラップだったら仕方がないとも思っていた。まあ今では、ラップと呼ぶと、ジェシカのことも指してしまうが。

ユリアンに茶を頼む。

そして、眠れる間は寝ておこうと思って、更に布団に潜り込んだのだが。

更にまた連絡が来た。

軍のトップであるシトレ元帥だった。

「休暇のところすまないな、ヤン中将」

「元帥こそ、どうしたのです」

「疲れているところ申し訳ないのだが、明日会議が行われる。 ハイネセンに連れてきた難民を、それぞれ植民星に移す。 それに軍事行動を伴う。 おそらく十年単位で、軍はその監視と監督に当たらなければならないだろう」

「……」

完全にキャパを超えた。

そういうことだ。

今後帝国からの難民は、まだ開発が途上の星。

それも恐らくは、テラフォーミングが終わったばかりの星などに危険分子として配備されることになる。

当然内乱を見越してのことだ。

「帝国の惨状は聞いていると思うが、同盟を同じ状態にするわけにはいかない。 勿論帝国からの亡命者は助ける。 だがそれはそれとして、同盟市民を守らなければならないのだ」

「亡命してきた以上、彼らも同盟市民ではありますが」

「ああ、わかっている。 だが、ルールが違う国で生きてきた者達だ。 貴族出身者は自分が特別扱いされないと暴動を煽り、農奴出身者はとにかく自意識があまりにも薄く、命令されることに慣れきってしまっている。 彼らには教育と同化が必要だ。 参政権などはそれからになる」

グロテスクな話だ。

誰でも自由に暮らせる国。

だが、自由と無法は違う。

激しい混乱の中から逃れてきた者には、無法と混乱の区別がつかない者も多い。

「勿論素直に同盟になじむ者は優遇する。 軍出身者には、軍に加わってももらうことになるだろう。 希望者を募って、な」

「わかりました。 ただし私は、あくまで民主主義国家の軍人です。 弾圧の類には、加担はできません」

「わかっている。 可能な限り配慮する」

通話を切る。

そして、ヤンは大きくため息をついていた。

 

イゼルローン回廊。

第十三艦隊を率いるラップ中将は、凄惨な光景に息をのんでいた。

逃げ込んできた民間船の群れを、「ハンティング」と称して門閥貴族の私兵達が皆殺しにしようとし。

それを獰猛な鷹のように襲いかかったキルヒアイス提督の第十四艦隊が。

文字通り瞬殺したのである。

勿論民間人に手をかけようとした外道だ。それも狩りと称しながら。門閥貴族は平民を人間だとは考えていない。

それはラップも知っていたが。

ただ、それでもなお。

キルヒアイス提督は、相手を文字通り全滅させた。

その手腕はあまりにも鮮やかであり。

徹底的で、容赦がないものだった。

傷ついた民間船を保護し、それでなおラップはキルヒアイス提督と通信回線を開く。モニタに映し出されたキルヒアイス提督の目からは、既に狂気しか感じられなかった。

「キルヒアイス提督。 相手は許しがたい外道の集団だったのは事実だ。 だが、降伏を受け入れると言っていた者達もいたのだが」

「残念ながら通信の傍受が遅れました。 それに」

「それに?」

「あの者達は人間ではありませんでした。 人間を守るため、人の味を覚えた獣を狩るのは仕方がないことです」

敬礼をすると、キルヒアイス提督は通信を切る。

それから、第十四艦隊は単独でイゼルローン回廊の周辺を積極的に警戒して回り、貴族の私兵などが近づいた場合は、情け容赦なく爆砕した。

抵抗を諦め、降伏する艦隊にも容赦しなかった。

その代わり、逃げ延びてきた民間船は誰よりも多数を救い出した。

手際は完璧で、誰も文句をつけようがなかった。

同盟に逃げ込んでいく民達は、キルヒアイス提督に感謝しているようだったし。

その活躍は、ヤン以上かもしれないほどだった。

ラップは戦慄する。

キルヒアイス提督は危険だと、ヤンに聞かされていた。

だが、これは想像以上だ。

おそらくキルヒアイス提督は、民や民間人相手には手を出さないだろう。

しかし貴族とその走狗に対しては、文字通りの破壊神となるはずだ。

帝国は既に事実上瓦解している。

最低でもこの状態が収束するのには後数年はかかると言われており。それはラップも意見が同じだ。

同時に同盟も、あまりにも多数の難民でパンクしかけている。

こちらも最低でも数年は動けないだろう。

暗澹たる気持ちになる。

どこかでこの世界は、歴史を間違えてしまったのではないのか。

そうとさえ思うのだ。

それから、キルヒアイス提督は情け容赦のない武勲を立て続けた。

とにかく国内の不満が高まっていることもあり、英雄が必要だった。それからキルヒアイス提督は大将に昇進。

ヤンも同じように大将に昇進して、イゼルローンの司令官に就任するのと同時に。宇宙艦隊の統合作戦本部の長に就任していた。

人事としては申し分ない。

ラップから見ても、二人のコンビはおそらく同盟史上でも屈指の力量だからだ。

だが。今のキルヒアイスは。

海賊討伐で名を挙げ。

降伏する海賊も、まとめて焼き殺して滅ぼしていたルドルフ皇帝と同じなのではないかと、思ってしまうのである。

イゼルローンに赴任してきたヤンと久々にあったラップは、敬礼して、軽く話をする。

ヤンも話は聞いていたらしく、顔色は暗かった。

「無能な指導者よりはましだとは思って我慢はしているのだけれどね。 有能な指導者がいるはずなのに、この不安感はどういうことなのかわからない」

「ああ、俺もだ。 これからこの宇宙は一体どうなるんだ」

「……」

ヤンは苦笑する。

ヤンは歴史に知識が深いが、それでもわからないのだろう。

少し黙ってから、ヤンは言う。

「もしキルヒアイス提督が独裁をするようになり始めたら、気をつけなければいけないだろうね。 暴君というのは、最初は英明な改革者であろうとしたことが多いんだ。 あのルドルフ大帝ですら、最初はそうだったのではないかと私は思っている」

「ルドルフもか」

「ああ。 ましてやもしもキルヒアイス提督が、復讐などを心の源泉にしていた場合……」

ぞっとした。

ラップは口をつぐまざるを得なかった。

それからも、キルヒアイス提督の鬼神のような活躍は続いた。

戦いに出れば負けると言うことは一度もなく、瓦解しかかっている帝国が繰り出してくる正規艦隊を、何度も容赦なく粉砕した。

降伏勧告を出そうとしないことも多く、幕僚達が慌てて進言すると。

恐ろしく冷たい目でそれを見てから、ようやく出すことも多かった。

一年間で、大小十四回の会戦で完全勝利したキルヒアイス提督は。第十四艦隊を率いて、合計して三万隻以上の帝国軍艦隊を完全破壊し。同数の艦艇を捕虜にし。倒した将兵の数は五百万を超えた。

捕虜も六百万を超え。

同盟の政治家達は、明らかにキルヒアイス提督を恐れるようになり始めていた。

帝国の兵士からも、赤い悪魔という言葉が出れば、キルヒアイス提督のことだと知られるようになり始めた。

必死の内政も、これだけの状態では実を結ばない。

帝国が破綻して、壊滅の坂を転げ落ちていくのに、同盟も無理矢理付き合わされ続ける。それだけではない。

この壊滅的な不況で、破綻しかけている勢力は、もう一つあるのだった。

 

フェザーン自治領では、地球との連絡が途絶えたことが、大騒ぎを起こしていた。

同盟と帝国の間で立ち回り、地球を黒幕に暗躍し、戦争を長引かせ両方を消耗させる戦略の元に行動してきたフェザーンだが。

流石にこの状況だ。

各地に投資した貴重なインフラも何もかもが完全に焦げ付いて回収どころではなくなり。

さらには地球との連絡すら途絶えた状態である。

青ざめた顔の参謀達を前に、この間自治領主になったばかりのニコラス=ボルテックは。困惑するばかりだった。

「地球はどうなっている!」

「わ、わかりません。 少なくとも門閥貴族達が私兵を繰り出して、血みどろの内戦を繰り広げていることはわかっているのですが」

「すぐに情報を集めろ! フェザーンは同盟と帝国の全ての情報を掌握していると豪語していたのはお前達だろうが!」

怒鳴っても、威厳も何もない。

それに、ボルテックの部下達もそうだが。

ボルテック自身も、どうしていいかわからずおろおろするばかりだった。

やがて、連絡が入ってくる。

必死に内戦まみれの帝国領から逃げ出してきた地球教徒達の話によると、恐ろしいことが起きたことがわかったのだ。

「太陽系が会戦に巻き込まれた!?」

「は、はい。 リヒテンラーデ派の伯爵とブラウンシュバイク派の将校数人が、戦いを開始して。 陸戦部隊が地上に降下して、其処で血みどろの戦闘を繰り広げ、地球教の本部はそれに巻き込まれて、略奪の限りを尽くされるばかりか、総大主教猊下も……」

「な、なんということだ……!」

地球は古くに人類社会の中心であり。

あまりの搾取からその座から蹴り落とされた後も、膨大な富を隠し持ち、歴史に裏から関与してきた。

フェザーンも、そもそも中枢部しか知らないが。

この膨大な金が設立に関わり。

様々な事業などがこの金で行われ。

同盟や帝国の内部に浸透するためにも用いられてきた過去がある。

ボルテックはそれを知っている立場だ。

ここで雁首を並べている連中も。

若い参謀の一人。

先代の自治領主の隠し子であるルパートが挙手していた。此奴も青ざめていた。先代自治領主がいた頃のルパートを知っているボルテックだが。

明らかに覇気がなくなり、ただの青年になってしまったことを見ている。

今はそれもあって警戒はしていない。

ただ、同時に期待もしていなかった。

「それでいかがなさいますか。 帝国はもはや立て直しは不可能、同盟は飲み込んだ豚のせいで身動きできないニシキヘビも同然の状態。 暴れ回っているキルヒアイス提督はこのままでは狂犬のように帝国軍を破滅させるでしょう。 あの功績では、現在以上の地位を得てもおかしくありません。 しかも恐ろしく用心深く、何よりこの状況では暗殺も何もありませんが」

「わかっておる! せめてブラウンシュバイクとリッテンハイムのどちらかが戦死でもしてくれれば」

「それについて、情報を得ました」

ルパートが皮肉まみれの笑顔を浮かべるが。

だが、それは昔の邪悪な知性に裏打ちされたものではなく、明らかにやけくそ気味のものだった。

「アルテナ星域で、両者が激突して、壊滅的な被害を出したという情報が入ってきています。 現場からは箝口令が敷かれています。 凄まじい被害を出した会戦のようで、両者ともに慌てて戦場から逃げ出していく様子が確認されています。 しかも、その後、どちらも完全に動きが止まりました」

「な、なにっ! まさか……」

「おそらく相打ち同然の状態で、二人とも命を落としたとみて良いでしょう。 どちらもまともな戦術顧問もいなかった状態です。 さぞや華麗な戦術を披露し合った結果、ダンスで二人とも同時に転んでしまったのでしょう」

絶句する皆。

今の冗談すら、受け止める余裕がなかったのは明確だ。

ブラウンシュバイクも、リッテンハイムも、どちらも無能だった。

それでも二百年前の帝国だったら、幼い皇帝の後ろ盾として外戚として振る舞うならば、なんとか帝国を多少傾ける程度で済んでいただろう。

五百年もった王朝は、歴史的にみてあまり多くない。

だが、五百年の間で、ゴールデンバウム朝は腐敗をあまりにも蓄積させすぎた。

一応フェザーンもここ最近は延命治療をしていたのだが。これはもう手の施しようがない。

「少し考えさせてほしい。 それと、今の情報については確報を得るまで調査を続けろ」

ボルテックがそういうと、一応は目的ができた部下達が散っていく。

だが、その中の何人が次戻ってくるか。

ボルテックも、あまり自信がなかった。

 

2、地獄の大混乱の中で

 

前線に出ていたヤンは、今は第三艦隊の指揮をしていた。統合作戦本部長と兼任である。まあこれくらいならどうにかなる。

同盟では誰かしらの提督が私兵化をするのを避けるために、艦隊指揮官を交代していく伝統がある。

今は第三艦隊の指揮官であるが。

いつ別の艦隊の指揮官になってもおかしくはないだろう。

いずれにしても、威力偵察に出て、そこそこ大きめの貴族領に侵入したのだが。疲弊しきった帝国軍は迎撃すらしてこない。

キルヒアイス提督が来る。

それを恐れて、出てこないのだろう。

確かに徹底的に殺し尽くしていたから、無理もない。

とにかく、居住惑星の確保。周囲の安全を確保したヤンは、後方に連絡を入れる。星系の制圧完了。

これから調査に入る、と。

支援のために、今は第六艦隊を指揮しているラップが来てくれる。

心強い話だ。

ラップは参謀にしているフォークという人物に手を焼いているらしいのだが。まあ、ラップなら大丈夫だろう。

陸戦部隊を降下させ、ヤンはしばらく周囲の警戒をさせる。

幕僚の一人であるラオが、不安そうに言った。

「偵察艦隊から入ってくる情報は、会戦が激しく行われて、残骸だらけになっているというものばかりです。 領主らしい貴族の旗艦も、先ほど完全破壊された状態で発見されました。 しかし、他の貴族がここを制圧したようにも思えません」

「ああ、いやな予感がするね」

「焦土作戦か何かでしょうか」

「そんなことをする余力は今の帝国にはないよ。 目端が利く者は、どんどん同盟に逃げ込んだ。 今ここに残っている者がいるとしたら……」

程なく連絡が来る。

艦隊を編成したとき配下に組み込んだ薔薇の騎士連隊だが、現在は規模が拡大され、指揮官であるシェーンコップは少将に昇進。中将に出世する日も近いと言われている。

いくつかの連隊が陸戦部隊のプロフェッショナルとして艦隊に分散されている。シェーンコップはそれもあって、陸戦部隊の事実上のトップである。

今第三艦隊にいるのは、シェーンコップ麾下のリンツ大佐の部隊であるのだが。

そのリンツ大佐が、青ざめた顔で連絡を入れてきた。

「こちら陸戦部隊。 言葉よりも映像を見ていただいた方がよろしいかと思います」

「ああ、出してくれ」

「こちらです」

どよめきが艦橋に広がる。

それは、地獄そのものだった。

貴族の象徴だった領館は完全に焼き払われている。其処には黒焦げの死体が、大量に雨ざらしのまま放置されていて。もはや蛆も集っていなかった。

あちこちでは、餓死した、或いは餓死寸前の民が多数いる。

死んだ人間の肉をかじっている幼い子供は、腹が膨れ上がり、まるで仏教の伝承にある餓鬼だ。

吐く兵士が出る。

降下してきた薔薇の騎士連隊を見ても、民は何もしない。

また何か来た。

そういう表情で、もはや興味すらないようだった。

「領主館があるこの星の中枢区ですらこの有様です。 農業区などは今兵を派遣していますが、一体どんな有様なのか……」

「わかった。 すぐに専門家を派遣する。 抵抗はないとは思うが、警戒してくれ」

「はっ」

リンツ大佐が敬礼する。

ヤンはムライやパトリチェフらの幕僚を集めると、すぐに救援物資を手配させた。これは。人道以前の問題だ。

帝国が悲惨な状態なのは理解はできていた。

だがこれは。

或いはパンドラの箱を開けてしまったのかもしれない。

一応、帝国から逃げ出してきた者達から、証言は出ていたのだ。

もはや法も何もないと。

しかもこの間、アルテナ星域で行われた会戦で、かろうじて帝国の貴族達をまとめていたブラウンシュバイクとリッテンハイムが共倒れした。

ブラウンシュバイクがまず暗殺され。

直後にリッテンハイムの旗艦が流れ弾に当たり、そのまま爆発四散したらしい。らしいというのは、情報が混乱していて、どっちも死んだと言うことしかわかっていないからである。

まともな皇族も、その後ろ盾になれる大貴族もいなくなった。

それで加速した混乱は、帝国をもはや昔は帝国だった存在に落としつつある。

話を聞いたラップが、即座に連絡を入れてきた。

軽く話す。

その間も実直にムライが、医療班と物資を手配していた。

「ヤン、これはまずいぞ。 この有様、どうにかしなければならん」

「ああ、それはわかっているさ。 だが領主館がこんな状態で、代わりの領主も来ていない。 物資は最後の麦一粒まで、徴収……いや略奪されたんだろう。 それにこの民は……」

命令されることに慣れきっていて。

自分で何かをすることができない。

ずっと支配され、統治されてきた弊害だ。

ぞっとするほど残酷な現実だった。

これが焦土作戦だったのなら、まだ救いはある意味ある。戻ってきた帝国軍が、後で物資を分け与えるだろうから。

映像が出ている。

栄養失調の人間が多すぎる。

明らかに食べてしまってはいけないものを食べた者も多すぎる。

狂牛病というのが地球時代にあった。

牛などに、いわゆる肉骨粉。栄養として、死んだ牛の骨や屑肉などを粉にしたものを混ぜて雑に与えた結果。

プリオンが悪さをして、脳を滅茶苦茶にする恐ろしい病だ。

同族食いをするとこれが起きることが時々あり。

人間も例外ではない。

人肉食をする民は昔は少なからず存在していたのだが。

彼らはそういった病気に苦しめられ続けていたのだ。

今、この地方領には、文字通り人肉しかくうものがない。

地球時代。

圧政やら戦乱やらで荒廃した地域の人間が、子供を交換して食べ合ったという歴史的事実が存在している。

当然ヤンはそれを知っているので、ラップに説明したし。

それ以上の問題がある。

今の同盟は、大量に抱え込んだ難民を、各地の植民惑星に振り分けるのにリソースをほとんど使っている。

小競り合いも日常的に起きていて。

現在十四ある艦隊のうち、八個は護衛部隊であるガーズとともに、国内の監視でいっぱいいっぱい。

残りある六つのうち三つは、首都星ハイネセンに張り付いて、何があっても対応できるように即応体制を整え。

今、イゼルローンにいるキルヒアイス提督が指揮している第十四艦隊を除くと、ここにいる二艦隊くらいしか、身動きがとれない。

ここ数年で、同盟軍の兵力は億の大台に乗ったが。

ほとんどが訓練中の部隊か、旧帝国の艦船をそのまま利用した部隊で、敢えて後方に下げられている。

帝国出身の将兵をいきなり前線に投入する訳にもいかず。

同盟政府は、完全にリソースを使い果たして窒息寸前の状態だ。

国内の経済も最悪の一言。

各地の植民惑星の整備のために、ハイネセンからすら物資をどんどん供出し、国庫は空寸前。

前線の兵士達が、飯がまずくなったといつも嘆いている有様だ。

当然、同盟に逃げ込んできた旧帝国の民に憎悪が向く。

今や両者はばちばちと火花を散らしている状態で。

だから小競り合いが絶えないのである。

流石に艦隊船規模のものはないが、暴動が起きない日など、今や存在していないとも聞いていた。

輸送部隊をそれでもキャゼルヌ少将が手配してくれる。

イゼルローン要塞は膨大な食料をどんどこ自動生産できる能力を持っているのだが。その自動生産された物資は、今や後方で消費されている。

なお、経済の王者ともいえるフェザーンでも何か問題があったらしく。

今はだんまりである。

同盟政府が支援を再三呼びかけているようだが。

フェザーンはまるでお通夜のように黙り込んでいて。

連絡さえまともに通らず。

自治領主は連絡にここ数ヶ月応じてこないとか。

医療班を率いているタナカという大尉待遇の士官が連絡を入れてくる。老齢の男性であり、大尉待遇ではあるが、本職は医師である。

「これはここにおいてはおけませんな。 連れて行かないと、餓死するだけです。 すぐに手配をしてください」

「わかりました。 輸送艦隊を手配します。 病院船もできるだけ。 ラップ提督、手伝ってくれ」

「任せろ。 護衛はこちらでやる」

この星系だけで民は八百万いるのだが、そのうち七百万以上が餓死寸前で、残りも重度の栄養失調だった。

そして散らばっている死体は、合計して四百万はくだらないという話である。

死体は不衛生なため、荼毘に付すしかない。

豪胆で知られる薔薇の騎士連隊ですら、あまりの惨状に吐き戻すものが絶えないようだった。

ムライがどれだけの物資が必要になるか、冷静に計算して出してくれる。

ヤンもそれに対して当たり散らしたりするつもりはない。

それに、この状況を連絡すれば、おそらく最高評議会の議員達が文句を言ってくるはずだ。どうしてこの状態で、更に余計な難民を抱え込んだのだ、と。

連中はとっくにハイネセンが掲げた民主主義、自立自活の概念を忘れてしまっている。

だが、それでも一応民主主義の議員だ。

だから、ヤンも意見は無碍にできない。

口惜しい話ではあったが。

輸送部隊が来たので、医療班とともに悲惨な状態の民を後送させる。

わかりきっている。

帝国中がこんな有様だ。

首都星オーディンですら、地獄絵図だと聞く。

しかも皇族がいなくなり、ブラウンシュバイクとリッテンハイムが共倒れした今となっては。

イゼルローンに戻る。

第三艦隊を追ってくる帝国艦隊はおらず。

完全に無人になった星系は、荼毘に付され簡易に埋葬された膨大な墓だけを残し。人間の愚行をあざ笑うようにして、沈黙しているばかりだった。

イゼルローンで、普段は悪口を言い合う不思議な仲であるキャゼルヌ少将が出迎えてくれた。

なんだかんだで家族ぐるみの仲なのだが。

今日ばかりは、そんなことを言っている場合ではない。

キャゼルヌが夕飯に案内してくれたので、相伴に預かる。

ヤンが被保護者をしていたユリアン少年が、そろそろ軍人になれる年齢であるというのもある。

今士官学校にいるが、とても優秀な成績だそうだ。

もう少しで、イゼルローンに越してくる。

だが、それを喜んでいる余裕などなかった。

キャゼルヌの娘二人を寝かしつけてから、二人で話す。

ヤンが見てきたことは、キャゼルヌもわかっているようだった。

「あまりにもおぞましいものを見てきたようだな」

「ええ。 まったく……」

「お前さんの得意な歴史学だと、よくある話ではあったのだろう」

「わかっていても、納得できるかは話が別です」

階級で追い抜いた今でも、ヤンはキャゼルヌに対して、プライベートでは丁寧な対応である。

これはキャゼルヌが先輩であるからだ。

まあ専門分野の違いもある。

キャゼルヌはデスクワークの達人であり、どうしてもヤンのような派手な武勲に恵まれる機会がなかった。

それでも少将だから、立派な話であるだろう。

「それでどうする。 いや、どうするべきだと思う」

「仮に今、大遠征をしたとします。 各地の民を全部同盟に収容するとして、植民星、医療資源、それに物資。 持ちますか?」

「今その植民星で大増産をかけているんだがな。 あらゆるリソースを投入して、プラントを大量に作り、そこで帝国からの亡命者に働かせている。 だが元貴族だったりする輩は、このような仕事は貴族がやることではないだとか抜かして、周囲から袋だたきにされていたりしてな」

「もたないんですね」

ああと、キャゼルヌはいう。

それはそうだ。

同盟の人口は帝国を追い抜いた。だが、人口が凄まじい伸びをしていた初期の自由惑星同盟は、指導者も優秀であったし、こういった大規模人口増加は予測もしていた。

今回は違う。

権力闘争にしか興味がない無能な世襲議員達と、それをまとめる権力の亡者ヨブ=トリューニヒト議長。トリューニヒトは倒れてからまた復帰して、それで議長に居座り続けている。それを何回か繰り返して、権力へのぎらついた執着を画してもいなかった。ただ往年の怪物ぶりは薄れ始めている。これほどの怪物でも、異常な激務では病む。ましてや実務能力に欠けるのならなおさらだ。

ハイネセンとともに一万光年の旅路を乗り越えた人々が見たら。

子孫どもの醜態を、大きく嘆くだろう。

「だが、道義的にも見過ごせる状態ではない。 何かしらの手はあるか」

「この内戦で、門閥貴族達は、蓄え続けた膨大な富を全て吐き出しながら戦争を続けています。 おそらく、誰かが勝つこともないし、物資が先につきるでしょう。 一年程度で内戦が片付くのであれば、或いはその物資をこちらで差し押さえて、復旧活動と開発に投資もできたのでしょうが」

「これは或いは、地球が覇者から脱落していらいの混乱が始まるかもしれないな」

頭をかき回すヤン。

キャゼルヌは、声を落としていた。

「不平をため込んだ元貴族の亡命者などが、不満を煽っているという話もある。 軍はMPを動員して押さえ込んでいるが、どうしても限界がある。 国内に物資を回すのですら厳しい状態だ。 もしも大動員などかかったら……」

「同盟は帝国と共倒れになりますね」

「ああ。 この有様なら、まだブラウンシュバイクかリッテンハイムのどちらかが勝った方がましだったのかもしれないな。 ただそれでも、既に帝国の命運はつきていたのだろうが」

「……」

気が重い。

あの有様を見て、PTSDを発動してしまった兵士は少なくないらしい。実際、映像が衝撃的すぎて、流すのは避けるべきだとムライが進言したほどだ。ムライがそれを言うほどである。

ヤンとしても、慄然とするばかりだった。

 

翌日、酒がまだ残る頭でデスクに出ると、キルヒアイス提督が来ていた。

非常に険しい表情だった。

敬礼をかわす。

「ヤン提督、多くの無辜の民を救出していただき、ありがとうございます」

「いえ、実質何もできませんでした。 ひどい状態の民は、イゼルローンの病院機能を最大活用して、それから後送することになります」

「ヤン提督。 この状況をどう思いますか」

「帝国が立ち直ることは無理でしょう。 しかし、残念ながら、今のありさまでは同盟にも救援する余裕は……」

キルヒアイス提督は頷いていた。

その目の奥に、暗い喜びが浮かんでいるのに、ヤンは気づけなかった。

「実は、最高評議会のジェシカ議員が来ています」

「ラップ提督の妻だから、まあ不思議ではないですね」

「いえ、最高評議会の議員としてきたようです。 ヤン提督、ラップ提督と私も含め、話をしたいと」

「……」

ジェシカは反戦を常に掲げている議員だ。それでいいとヤンは思う。

だが、このタイミング。

しかもこの状況でイゼルローンに。

いやな予感しかしない。

とりあえず、すぐに会う。

二日酔いは消し飛んでしまった。はっきりいって、それどころではなくなってしまったからだ。

すぐにジェシカと会う。

昔は好きだったな。ラップの方が好きだったと知って諦めた。結婚して幸せそうにしていて、子供も生まれたのを見てベレーを下げた。

今は。諦めもついている。

とりあえず四人で会う。

ジェシカは多少老け込んでいたが、それでも子供が二人もいる(あれからまた娘が生まれた)とは思えないほど若々しかった。

老け込んでいるのは。

むしろ連日の激務が原因だろう。

キルヒアイス提督がいることもある。

社交辞令から入って、軽く話をする。

「現在、同盟国内の経済状況は極めて厳しい状態です。 帝国領への侵攻はとてもしている余裕がない、それが現実です」

「わかっている。 だが、亡命者を保護するために、イゼルローン周辺での警戒は欠かすことができない」

ラップがそれを告げる。

頷くと、ジェシカは声を落とした。

「イゼルローンを封鎖する案が出ています」

「!」

「最高評議会の議員達は、これ以上の難民の受け入れが、同盟をパンクさせるだけだとやっと気づいたようです。 帝国に侵攻しても意味がないことは、先のヤン提督の戦果でも明らかになりました。 しかも、このままだと彼らは選挙で合法的に、新しく来た難民達の票によって落とされるでしょうね」

ジェシカも勿論それはそうだ。

だが、ジェシカは権力に固執している様子はない。

一度権力の味を覚えると、人が変わる人間はどうしてもいる。これは古くからそうで、高潔だった人物が、至尊の座についた途端に豹変する例は珍しくない。

ジェシカが自分の権力などどうでもいいと思ってくれているのは。

ヤンにとっては幸いだった。

「これを主導しているのはトリューニヒトよ。 奴は間近で接してみてわかったけれど、本当に得体が知れない怪物のような男だわ。 皆、気をつけて。 どんな陰謀を弄してくるかわからないわ」

「わかった。 ジェシカ議員も気をつけて」

「ええ」

後は、いくつか細かい打ち合わせをして。

それで会議を解散する。

キルヒアイス提督はむしろ良識派として知られているのもあるのだろう。ジェシカは全て話したようだが。

ヤンはそれが不安だった。

本来だったら、キルヒアイス提督は、そうするに値する人物だったのかもしれない。だが、戦場でのやり口を見ているヤンは。

これが悪手だったとしか思えないのだ。

「それで、いかがなさいます」

「私は民主主義国家の軍人です。 上からの命令には従わざるを得ません」

「そうですね。 いずれにしても、これで帝国への大規模侵攻はなくなった、と見て良いでしょう」

「それだけは幸いなのだろうが、しかし帝国に取り残される民は大変な時代を送ることになるな」

ヤンは気づいた。

それを聞いた瞬間、キルヒアイス提督の口元が笑みに浮かぶのを。

ぞくりとした。

キルヒアイス提督がたまにいやな気配を放つのはわかっていたのだが。それが明確に可視化された瞬間だった。

「キルヒアイス提督?」

「どうかしましたか?」

「いえ、何でもありません。 ともかく、難民の後送をお願いいたします」

「ヤン、それは良いから、数日休め。 あの有様で、ずっと指揮を執っていたんだ。 それくらいは許される」

ラップのありがたい言葉に甘えることにする。

その数日後。

「献身的な難民の救助」が理由で、ヤンは統合作戦本部長から異動。キルヒアイスとラップを麾下に入れて、「イゼルローン方面軍」を任されることになった。

第三艦隊の指揮は、同盟中枢からルグランジュ中将が派遣されてきたことで、それを任せることとなった。

多少軍国主義の思想があるが、ヤンから見ても有能な将帥で。真面目なため、独断専行もしないだろう。

副官であるフレデリカ少佐に調べさせたが、醜聞の類はなく、信頼できる指揮官だそうである。

いずれにしても、ヤンはこれは身動きがとれなくなった。

それに、キルヒアイス提督が、直後にイゼルローン要塞の指揮官も兼任するように指令を受けたことで。

実質上の二頭態勢が発動し。

その意味でも、更に動きにくくなったといえる。

トリューニヒトの目的はわからない。

或いはだけれども、同盟内部の壊乱に乗じて、ヤンが下手な動きができないように前線に縛り付けたのかもしれない。

陰謀と空虚な演説で知られるトリューニヒトだが。

その割には陰謀のキレが薄い気がする。

だとすると、本気で同盟内部の大混乱に辟易しているのかもしれない。

いずれにしても現在最高評議会に人材はいない。

ジェシカはあくまで反戦派の議員として入ったのであって、それをするのが仕事だ。民政をダイナミックに改革するのは議長の仕事。

皮肉な話だが。

この有様になって、やっと化け物の底が知れたということであるのだろう。

「これは、帝国の状況が、同盟にも波及するかもしれないな」

ぼそりとヤンはつぶやいていた。

それから、一年ほどはずっと逃げてくる難民をヤンは艦隊を率いて助け続けた。

かろうじて逃げ込んで来る難民は減る一方。

また、もはや帝国艦隊が仕掛けてくることすらなくなった。

エルウィン=ヨーゼフという幼い皇族がいたらしいが、暗殺されたと報告があり。

更に最後に残っていた乳幼児女子の皇族まで暗殺されたらしく。

実質的にルドルフの血統はつきたそうだ。

もはやゴールデンバウム朝は完全に滅亡し。

帝国には宇宙海賊まではびこるようになり始めた。

ヤンは同盟国内の惨状を見て。

何もできないことを悟ることしかできなかった。遠征も救出も、もはや不可能だった。

 

3、延焼

 

フェザーン自治領からの商船が同盟に逃げ込んできた。

それを拿捕ではなく救助したのは第五艦隊を率いるビュコック提督であったのだが。ビュコック提督は、その話を聞いて慄然としていた。

フェザーン、デフォルト。

早い話が、国家破産である。

帝国に投資していた資産がほとんど全て回収できなくなった。

これは同盟も同じだ。

同盟は今や、ほとんどのリソースを難民をどうにかするための事業につぎ込んでおり、最前線の三個艦隊と、ハイネセンに残った艦隊や将兵以外は、ほとんどがいつ暴れ出してもおかしくない難民のいる植民星の監視をしている有様だ。

これでは、どちらが専制国家で抑圧者なのかわからない。

ビュコックの副官であるチェン准将はそうぼやいていたそうだが。

ビュコックもそれに内心同意しつつも、たしなめることしかできなかった。

ともかく、同盟最高評議会に連絡を入れる。

同時に同盟の最高弁務官に連絡を取るが、連絡を取れなかった。

不審に思ったビュコックが、艦隊の一部をフェザーンに向けたのだが。

その結果は、あまりにも凄まじいことだった。

フェザーンが。

燃えている。

二十億の民を抱える、経済の星であるフェザーン自治領の首都星フェザーンが、全土で炎上していた。

すぐに陸戦部隊を降下させるが、侵略を受けたのでもなんでもない。

国家破綻の結果、暴動が発生。

自治領主館は燃えさかっていて、誰も中にはいなかった。入り口付近でへたり込んでいたのは、自治領主ニコラス=ボルテックだが。

最初、それを見て、本人だと誰も認識できなかった。

それもそのはずで、まだ四十代の筈のボルテックは、七十代の老人同様に老け込んでいたのである。

ぞっとした兵士達は、とにかくフェザーンの暴動をどうにかすべく走り回り、ビュコックも同時に同盟に救援の依頼を入れたが。

返事は極めて冷淡だった。

余剰戦力なし。

ビュコックはキレたが、しかし続けての話を聞いて、黙るしかなかった。

三つの植民星で、同時に反乱が勃発。

第二、第九、第十二艦隊が鎮圧を開始しているが、すぐに収まりそうにもない。更に、他の植民星でも大規模暴動の気配あり。

帝国を灰燼に帰しつつある暴動の波は、一足先にフェザーンを飲み込み。

こうして火の海にしつつある。

既にフェザーンの通貨は紙くずになりつつある。

同盟の高等弁務官事務所は。

ビュコックが聞くと、これもまた破壊され尽くしていて。弁務官はその辺をうろうろしていたが。警備兵も逃げ散ってしまい。同盟の兵を見て、泣きついてきたほどだった。

なぜこれほどの事態で連絡をしなかったのか。

旗艦に連れてきた弁務官に、ビュコックは面罵したが。

なんか重量感がないおデブという不思議な体型をした士官とともに逃げてきた弁務官は、真っ青なままいう。

「で、電気が切られたのです」

「はあ! 電気が!? 弁務官事務所だぞ!」

「帝国側もそうだったようです。 しかし帝国側の弁務官事務所は、そもそもずっと無人だったようなのですが……」

「馬鹿な……」

流石のビュコックも唖然とする。

それから、フェザーンを制圧した部隊から連絡が来る。

どうもフェザーンでデフォルトが発生するや否や、全土で暴動が発生したのは確かだが。

その前後でよくわからないことが起きているという。

いずれにしてもボルテックは廃人同然で、なんかの妄想を見てけらけら笑っている状態で、とても聴取できる状態ではない。

更に言うと、フェザーンが有していた資産類は枯渇していた。

レアメタルなどの類すら全てである。

どうもデフォルトの前くらいから、貸し付けていた金がことごとく焼け付いてしまい、国内の経済すらまともに回らなくなったらしい。

それもあって、長年同盟帝国の両方から巻き上げてきた資産がことごとく逆に流出するかゴミと化し。

今では誰が何を持っているのかすらわからないとか。

ビュコックは慄然としていた。

あれほど巨大な経済国家として、同盟と帝国を手玉にとっていたフェザーンの、最後かこれが。

そう思うと、もう何も言えなかった。

第五艦隊は帰投する。

フェザーンからは、急速に人が離れていっているようだ。

彼らはどうするつもりなのだろう。

ビュコックには、それはなんともいえなかった。

 

フェザーンがデフォルトしたことで、同盟は大量にしていた借金から解放されて経済が楽に……はならなかった。

フェザーンの投資で行っていたようなプロジェクトが軒並み凍結。

それだけではない。

フェザーンがデフォルトしたことによって、今までどんな風に賄賂が送られていたかとか、そういう情報がネットに一気に垂れ流されたのである。

この瞬間、最高評議会は致命傷を受けた。

何しろ賄賂を受けていたのは、トリューニヒト閥のほぼ全員だったからだ。

出て行けトリューニヒト。

そう垂れ幕を掲げたデモが発生した。軍部ですら、それを取り締まろうとしなかった。ハイネセンの民が全部反乱でも起こしたら、どうにもならないからである。

トリューニヒトはその日のうちに最高評議会を辞職。

その部下達も、それに従った。

何度も入退院を繰り返しつつも、権力にしがみついた怪物の末路は、あまりにもあっけなかった。

そのままトリューニヒトは老人性痴呆症を発症してしまった。以降は、ついに病院から出られなくなった。

代わりに最高評議会議長にはジョアン=レベロ議員が就任。ホアン=ルイ議員と、さらには新進気鋭のジェシカ=エドワーズ議員がその左右を固めることになり。

市民は少しだけ落ち着いた。

だが、少しだけでしかなかった。

植民星での暴動は鎮圧の様子も見えない。

困っていたところを助けたのに、恩知らずな連中だ。

そう叫ぶ同盟国民は増え続けた。

その意見に同調する同盟兵士もだった。

暴動は鎮圧できる様子もない。

せっかく植民惑星に投資した設備は、植民惑星の亡命者を養うためだったのだが。衝動的な暴力によって次々と火中に蹴り込まれていった。

ヤンはそれをイゼルローンで聞く。

同盟艦隊は、陸戦部隊と連携して鎮圧に当たっている。

だが、暴動は潰しても潰しても次が起き。

もはや制御不能の状態だ。

植民星をいっそ刑務所惑星にしてしまうのはどうだろうかという過激意見すらささやかれ始めている。

そんななか、ヤンは疲弊しきったジェシカが、モニタに出るのを見た。演説をするらしい。

「非常に厳しい状況です。 現在官民軍一体となって崩壊を食い止めようとしていますが、下手をすると同盟では帝国と同様の内乱がおきるでしょう。 兵士達の中には、帝国から大量に流れ込んできた難民を帝国に追い返すべしだという声も上がっています。 ですが、これを見てください。 これは去年、ヤン=ウェンリー大将が救出した星での映像です」

そこで流されたのは。

衝撃的すぎるので、公開は避けた方が良いとまでムライが言ったほどの。あの映像だった。

現在の帝国の状況がいかなるものなのか。

それは同盟市民に、これ以上もないほどにたたきつけるほどの内容だった。

ヤンは呻く。

反戦派で、良識的だったジェシカの顔に浮かんでいる鬼相。

トリューニヒトがいなくなった後、どれほどの負担がかかっているのか、一目でわかるほどだ。

「しかも現時点で、同盟にはこれ以上難民を受け入れる余力がないのも事実です。 経済的な観点では、フェザーンが破綻したことで、今までの借金はどうにか帳消しにはなりましたが、それは同時に、これ以上の融資はないことも意味しています」

「ジェシカ……」

ヤンはぼやく。

ジェシカは闇に落ちようとしている。

政治の世界は、政で治める世界だ。だが同時に、政治闘争の世界でもある。政治闘争は、何の利益もない。

その上、国力も人的資源も損ねる。

誰も得しないのに。

ずっと人間は、これを続けてきた。

今ジェシカは、荒海の中に放り出されている。レベロもルイも良心的な議員だ。だが、それでも。

この状況は、あまりにも厳しすぎる。

それはヤンがわざわざ言わなくても、わかることだった。

「これから同盟がすることは一つ。 この状況の収束です。 これから予算の全てを投じて、現在暴動を起こしている難民を鎮圧しつつ、生活の支援を行います。 国内のインフラを立て直し、人員には協力的であれば帝国からの難民も抜擢します。 市民権は当然、参政権も徐々に付与します。 ただし、それには同盟法などの教育についても受けてもらうことが必須となりますが」

まあ、それしかない。

同盟はこれから、一世代、下手すると二世代以上かけて、ハイネセンの建国以来の国家膨張に備えなければならない。

失敗すれば国は終わる。

複数に分裂して、仁義なき殺しあいが始まるだろう。

地球で散々おきてきたようにだ。

歴史を知っているヤンは、それがおきたとき、どこの陣営に着けば良いのだろうと暗澹たる気持ちになる。

幸い、同盟の艦隊は健在だ。

そればかりか、規模を拡大さえしている。

ただし拡大された艦隊の多数は元帝国製で、現在同盟のソフトウェアを入れている状態で。

それすら終わっていない。

艦隊ごと逃げ込んできたような将兵も多く。

その武装解除だって、一苦労だったのだ。

そして、ついにイゼルローン回廊近辺にまで宇宙海賊が現れ始めている。

帝国領内で現れているという話はあった。

宇宙海賊が出るほどに治安が悪化していると言うことだ。

しかも駆逐艦や砲艦ならともかく、巡洋艦や戦艦の姿まで見えるという話すらある。

連日キルヒアイス提督とラップが出て片付けてはいるが、数日に一回は遭遇するらしく、元貴族の私有品だったらしい船までいるそうだ。

この混乱が同盟に波及しつつる。

食い止めたとき。

銀河系宇宙にいる人間は、一体何人生き残っているのだろう。

そうヤンは思い、いくつかの政策を並べて。そしてモニタから消えたジェシカの顔を思い出す。

ラップとヤンで馬鹿をしていた頃、世話をしてくれていた優しい人の面影はなく。

既に其処には、壊れ始めた理想家の姿があったのだった。

 

ユリアンが少尉として赴任してきて、それでヤンはようやく身の回りを任せられるとは思った。

よかったのかどうかはわからない。

とにかく、ユリアンにも場合によっては戦ってもらうことになるだろう。

幸い練度が低い宇宙海賊が相手になる可能性は高い。

暴動の話は、連日続いている。

泣きわめく子供。

怒鳴り合う大人。

もはやどうにもならない。

イゼルローンに来たシェーンコップが、女を口説く余裕もないとぼやいていた。女と一緒でないと寝られないとまでほざくくらいの色情狂として知られる男であるのにだ。ヤンはとりあえず、話を聞く。

やはり、状態はよろしくないようだった。

「帝国から来た難民は、隙を見てこの国を乗っ取ろうとしている者がいますな。 とりあえずMPと連携して行動していますが、奴らの穀潰しぶりときたら」

「昔の私もよく穀潰しと言われたよ」

「ヤン提督は首から下は無能ですからな。 ただ首から上だけあればいいのです。 クローンでも作ってヤン提督を増やして、全てに艦隊を任せれば昔の帝国にも圧勝できそうですな」

「無茶苦茶を言ってくれる」

ただ、そんな冗談を言った後、シェーンコップは咳払いしていた。

最高評議会の様子がおかしいと。

どうもかなり強行的な手段を執る可能性があるらしい。

軍の中の過激派が、いくつも提案を持ち込んできているようだ。

特に不満分子が多い植民星の人間を、まとめて帝国に移住させるとか。そういう案まであるらしい。

実際、いくつかの帝国側の辺境惑星は、無人に等しい状態だ。

現在ラップとキルヒアイス提督と、それにルグランジュ提督が巡視をしてくれているが。たまに宇宙海賊が根拠を作ろうとしているのを除けば、それほどの脅威ではなく。ただ誰もいなくなった植民星が点々としているようだ。

それらの星系に、まとめて不穏分子を移してしまう。

そういう案があると聞いて、ヤンはベレー帽に手をやる。

それでは、何のための民主主義国家の軍隊か。

基本的に暴力装置であることなどわかっている。

それでも、それはやってはいけない最悪のラインを簡単に踏み越えてしまっているとしかいえない。

まさかジェシカがこれを判断するのか。

そんな落ちたジェシカは見たくない。

「確か最高評議会のジェシカ議員は、ヤン提督の昔なじみでありましたな」

「ああ、ラップの妻だよ。 そういえば……」

「どうしました」

「最近ラップがジェシカの話をしない。 娘さんたちは顔も見かけないな」

何かよくないことでもおきているのかもしれない。

ラップはキャゼルヌと同じく、家族ぐるみの付き合いだ。

イゼルローンに駐留している三個艦隊は、基本的に同盟側のいざこざには関与しないというか、基本的にはそちらが管轄ではない。

何かがあったのなら、ヤンに話が来そうなものなのだが。

それから二ヶ月後、ハイネセンから輸送されてきたのは、宇宙要塞だった。とはいっても、小型の防衛用の無人要塞である。

首都星ハイネセンの防衛機構であるアルテミスの首飾りは有名だが、それの廉価版はあちこちに存在している。

帝国のガイエスブルグのような巨大な有人型要塞は移動、特にワープ航法が難しいのだが。こういった小型の防衛用無人要塞は比較的移動が簡単である。衛星兵器の領域を超えないからだ。戦力もこの型は、カタログスペック的な観点ではいちおう分艦隊くらいなら真正面から相手にできる。

これを運んできたのは、昔の上司であるパエッタ中将だった。

敬礼してヤンが出迎えると、いくつかの打ち合わせをする。

パエッタ中将は一応の指揮能力を持ってはいるが、其処まで有能だとヤンは思っていない。

間近で何回か指揮を見たが、どうにか中将級の人材としては合格というところだろう。

若い頃はもっと優秀だったという話もあるのだが。

いずれにしても、既に地位で追い抜いたヤンを、あまりよくは思っていないようではあった。

「これを持ち出すのですか」

「そうなる。 護衛として、駐留艦隊をガーズから三百隻ほど出す。 現在帝国は内乱の最中で、仮に艦隊が出てくるとしても、この防衛要塞と駐留艦隊で対応可能という判断だ」

「しかし、今になって帝国領への侵攻ですか」

「君たちが巡視した結果、事実上放棄された星系を正式に抑えるだけだ。 テラフォーミングも既に完了している惑星を、放置しておくのももったいないという判断だそうだ」

違う。

あの案が、飲まれたんだ。

そうヤンは悟った。

思わず呻く。

イゼルローン要塞で守られている同盟側はまだいい。外側に、従順ではない難民をまとめて放り出すつもりだ。

それから少し遅れて、ラップに聞かされる。

ジェシカと離婚した。

娘達は、ラップが引き取った。そういう話だった。

ついにそうなってしまったか。

ヤンは思わず呻いていた。ラップは言う。

「ジェシカは連日のストレスで限界だった。 俺が支えられていれば」

「ラップのせいじゃない。 ここまでひどい状況では、誰だっておかしくなるさ」

「そうか。 いずれにしても、娘達をこれ以上泣かせるわけにはいかない。 俺は何があっても生き延びなければならないな」

「二人ともよろしいですか」

不意に来たのは、キルヒアイスだった。

敬礼して、話に加わってもらう。

まあ私的な話をしていたのだが、軍務の最中ではあるのだ。

キルヒアイス提督は言う。

「これより少しばかり遠征して、数星系ほど巡視をしてきます」

「急な話ですね。 どうしたのですか」

「最高評議会からの指示です。 偵察用の小型衛星の散布と、周辺星域の状況の確認、それに宇宙海賊や貴族の艦隊がいるようならば排除が目的となります」

そうか。

キルヒアイス提督は、一切それらの星系の民については触れなかった。

だから、ラップが触れた。

「病院船や物資については俺の艦隊からも出そう」

「ありがとうございます。 余裕があったら、住民を助けるかもしれません」

「キルヒアイス提督」

「何しろどういう状態かわかりませんからね。 あくまで今回は軍務が優先です」

今、帝国では。

以前潜り込ませていたスパイですら、根こそぎ引き上げてきている。

それくらいに状態が悪いのだ。

国家が破滅寸前にまで機能停止しているどころか、完全に破綻している。政府は存在していない。

強いて言うならいくつかの地方貴族はある程度の勢力を持っているようだが、身を守るだけで精一杯の状態だ。

それら以外は、宇宙海賊が根こそぎ荒らし回っているらしい。

完全に、時代が1000年以上逆行した状態。

たった数年前まで、こんなことになるとは誰が予想できただろうか。

そしてキルヒアイス提督は、明らかにこの様子を喜んでいる。最近は隠すことさえしなくなってきた。

出立する第十四艦隊。

ちなみに配下の統率は完璧で、士気も高い。

ダーティーワークも基本的にやらせることはないそうだ。

ただ、それらの兵士達の間からも。

キルヒアイス提督が、時々怖いという声が上がるという話はあるのだが。

「ヤン、俺が一緒について行こうか」

「いや、少なくともキルヒアイス提督は貧しい民に手をかけることはないだろう。 ただ問題は……」

その問題は、すぐに的中することになった。

遠征先の星系で、宇宙海賊が拠点を作っていたのだが。

ルドルフの再来がごとく。

キルヒアイス提督は、情けも容赦もなく、降伏も許さず、完全に殲滅したのである。一人も逃れることはできなかった。

そういう報告が来ていた。

これに宇宙海賊達は震え上がった。

キルヒアイスとか言う奴は、貴族も海賊も容赦なく殺す。とにかく恐ろしく強いらしい。そういう話が飛び交うと、後は簡単だ。

海賊なんてのは、相手が弱いときにだけ居丈高になる連中だ。

とにかく、同盟領近くには近寄るべきではない。

そういう噂が流れると、即座に離れていったようだった。

ヤンがあまりにも苛烈な殲滅戦を見て鼻白んでいると、ついでにキルヒアイス提督から連絡が来た。

巡視した星系に生存者なし。全員奴隷として宇宙海賊に売り飛ばされた模様。

宇宙海賊の基地は完全破壊したが、データベースは解析済み。

売り飛ばした先は、いくつかのまだ健在な門閥貴族。

これらの情報については、わかった。

確かに許しておけない相手ではあろう。

キルヒアイス提督は、そのまま予定通りに任務をこなして戻ってきた。そして、キルヒアイス提督が掃除した星系には防衛要塞が置かれ。

そして、膨大な輸送船が来て、大量の「反抗的な」難民達を運んでいった。

プラントが設置され、其処で仕事をするように監督官がついていたが。

いざというときには見捨てるという態度が露骨すぎるほどだった。

ヤンはこれにジェシカが同意したのかと思うと、慄然とする。

人は追い込まれるとこれほどに壊れるのか。

ジェシカはあれほど鼻っ柱が強い女だったじゃないか。士官学校のごつい男達相手にも、相手が間違っていると判断したら一歩も引かなかった。

それが、子供を産んで、年をとると。

こうも堕落してしまうものなのか。

いや、闇落ちというのか。

無言になってしまう。

キルヒアイス提督の精神も、加速度的に壊れているように思えてならない。確かに許すべき相手ではない存在はいる。

だが、いくら何でもものには限度がある。

そして、キルヒアイス提督から、作戦案の具申が来ていた。

先に海賊のデータベースにあった門閥貴族。

これの討伐作戦書だった。

ヤンは内容を確認したが、実現不可能なものではない。ただ、キルヒアイス提督にこれを任せるのは危険な気がした。

「キルヒアイス提督」

「いかがなさいましたか、ヤン提督」

「この作戦を貴方に任せた場合、裁判にかけるべき人間を殺すのではないかと私は心配しています。 門閥貴族とはいえ、降伏した相手はしかるべき裁判にかけるべきです」

「そうですね。 ただ彼らは、それこそ私財で艦隊を持てるほどの富の持ち主。 裁判を買収する可能性は決して低くないと思います」

それは確かにそうだ。

そしてキルヒアイス提督は、今。

明確に、殺すつもりであることを口にした。

である以上、ヤンとしてはこの作戦案は修正せざるをえない。

「今回、キルヒアイス提督には後方での支援を頼むつもりです。 最近の活躍もありますし、人事のバランスという奴です。 何よりこの作戦で貴方を貴族にぶつけるわけにはいかない。 勿論門閥貴族が戦場に出てきたのなら、私も容赦せず討ちます。 しかし、そうでない降伏した相手にまで、武器を向けるわけにはいかないのです」

「それは武人の誇りですか?」

「いえ、民主主義国家の軍人としてです。 あくまでシビリアンコントロールと法の下にある。 それが私達です」

「理想家であらせられる。 しかし、私は見てきました。 帝国で、法を金と暴力で踏みにじる人間達を。 人間の皮を被った獣である門閥貴族の実態を」

それは、わかりすぎるほどわかる。

ヤンだって、この作戦案で討伐すべしとされた門閥貴族どもに関しては、何をされても仕方がないとは思う。

門閥貴族なんてものは、制度化された盗賊といってもいい。

それが今では、虚飾を投げ捨てて、文字通りの盗賊の長と化してしまっている。

その邪悪さは、地球時代のニューヨークマフィアや南米のカルテルなどとほとんど変わらないだろう。

だが、感情にまかせてリンチを行ったら。

それは法治国家のあり方ではなくなってしまうのだ。

そしてヤンはキルヒアイス提督の深淵に触れた気がした。

「誰か、大事な人を奪われたのですね」

「ええ」

「わかりました。 キルヒアイス提督の能力は一切疑っていません。 その良心も、です。 ですからこそ、今回はイゼルローン要塞をお守りください。 もしも作戦案が通った場合は、私がラップ提督とルグランジュ提督を率いて、問題の門閥貴族を討滅してきます」

「わかりました。 よきようになさってください」

頷くと、ヤンはオフィスに戻るキルヒアイス提督を見送った。

この間、ヤンは副官であるフレデリカと婚約した。

フレデリカの父であるグリーンヒル大将もそれを祝福してくれた。

こんなご時世だからこそ。

そう言ってくれた。

キルヒアイス提督は、ずっと闇の中にいる。

失った人が、本当に大事な存在だったのだと思う。

少し前に調べさせたが、キルヒアイス提督は別に邪悪な策謀の限りはしていない。自分と配下ができる範囲内で、復讐をしているだけだ。

それでもあれほどの能力を持つ人が復讐に走ると。

歴史は悪い方向でこうも動くのか。

背筋が寒くなる。

だが、それでも。

これ以上、滅茶苦茶をさせないためにも、ヤンが奮励しなければならなかった。

 

結局この作戦案は通った。

それについては、相手が相手だから仕方がないとヤンは思った。

遠征はそれほど難しくなかった。ラップもルグランジュ提督も、ヤンの指揮に従って、的確に動いてくれた。

これが氷山の一角だと言うこともわかっている。

奴隷貿易なんてことをやっていた腐れ門閥貴族は、軍を率いて出てきたが。その有様はまるで訓練を受けていない山賊の群れ。

精鋭となっている同盟の二個艦隊相手では、文字通り赤子の手をひねるようなもの。

正式艦隊の残存部隊らしいのも出てきたが、本当に正規軍人が乗っているかすらも怪しい。

四つの貴族領を回り。

そのうち二つの貴族領で、門閥貴族は宇宙艦隊で自分の艦もろとも爆散した。一人は部下を盾にして逃げようとしたところを、ルグランジュ提督の部下達が撃ち抜いていた。

残りは降伏したので、捕虜として連行させる。

たくさんの民が飢餓状態にあり、それでも貴族達は富を吸い上げていた。

輸送船団を手配して、奴隷にされていたり、飢餓状態にある民を救出していく。おそらく相当面倒な顔をされるだろう。その数は五千万にも達した。門閥貴族の一人は十三歳の娘を孕ませていて。それを見たムライが顔をゆがめて怒りを珍しく浮かべていた。

「羞恥心を失った人間はどこまでも醜悪になれるものなのですな」

「帝国の門閥貴族はずっとこれをやってきたのさ。 五百年間ね。 ルドルフは何十億人も自分が気にくわない人間を虐殺したし、そのやり方がずっと続いていただけだよ。 地球時代の東南アジアの国家には、国民の四分の一をそうやって虐殺した専制をしいた悪党がいた。 比率で言えばそれよりは小さいけれど、それはあまり意味のある比率ではないね」

「問題があるとしたら、更に五千万も増えた民を、同盟が抱え込めないという可能性があると言うことですな」

「暴動が加速するかもしれないね」

おそらく、同盟が安定するのは、数十年後だ。

レベロ評議会議長が、体調を崩しているという話がある。

その後を継ぐのはおそらくジェシカだけれど。

ジェシカは精神の均衡を崩し始めている。

昔は反戦を願っている人だったけれど。

今では、完全に闇の底なし沼の淵に立っていて。いや、闇に両足首まで捕まれてしまっている状態だ。

同盟の未来だって明るくない。

いつこのような状態になってもおかしくはないのだ。

この征服作戦の過程で、多数の宇宙海賊を容赦なく撃破したが、それでも降伏するものはそのまま逮捕した。

後は連行して、同盟の裁判に任せる。

ほとんどは死刑だろうが、それでも法による統治に意味がある。

それがヤンの結論だ。

馬鹿みたいに豪華な屋敷からは、膨大な金などの資産が回収されたが。それでも予想されている量よりもずっと少なかった。

軍を拡大するために、無茶苦茶な使い方をしたのだ。

それが一目でわかった。

領内の映像を、薔薇の騎士が撮影して、戻ってくる。

この世の地獄というのも、生やさしい有様だった。

おそらくこれから、このような遠征を何度もしなければならないだろう。

帝国は破滅的な内戦で、死者よりも生存者を数える方が楽になりつつあるという試算すら出ている。

下手すると、この時代で人類の数は半減する可能性すらある。

フェザーンも廃墟になってしまった。

フェザーン商人はだいたいが同盟に逃げ込んできたが。さっそく商魂たくましく、様々なビジネスを開始しているらしい。

あまり褒める気にはなれないが。

それでもこの門閥貴族達よりはましだ。

とにかく、精神を削られる遠征から帰還する。こんな遠征で、ほとんど被害を出さずに済んだことだけはよかっただろう。

連れて行った医療チームも良い仕事をしてくれた。

途中から、第五艦隊のビュコック提督が輸送部隊の護衛をしてくれて。それでより効率よく民を救えた。

だが、救えなかった民もたくさんいた。

門閥貴族の一人の屋敷からは、有角犬と言われる遺伝子操作で作られた凶暴な犬がたくさん見つかったのだが。

その犬たちがかじっていたのは、数千を超える人骨だった。

この曰く付きの犬は、帝国最悪の暴君として知られた流血帝も飼っていた(そして最後はこの犬に食われてしまった)もので。

門閥貴族が、民をこの犬の餌にして、その逃げ惑い命乞いをする様子を楽しんでいたのは明確だった。

薔薇の騎士はいずれも荒々しい戦士達だが。

彼らが。こんな奴は即座に死刑にすべきだと息巻くのを止めるのに、ヤンは本当に苦労しなければならなかったのである。

なお、流石に有角犬は全て始末させた。

生かしておいていい生物ではないからだ。

イゼルローンに戻ると、ジェシカが演説しているのがスクリーンに映った。ジェシカの目は、既に濁りきっていた。

ジェシカは今回の遠征で、大いに同盟の正義を示したこと。門閥貴族が邪悪であることを口を極めて罵っていたが。

既にその有様は。

在りし日のヨブ=トリューニヒトとほとんど代わらなかった。

隣にいるラップの顔を、ヤンは見ることができなかった。

ラップの家でその日打ち上げをしたが。ラップの娘達はずっと泣いていた。ママがおかしくなった。そう言って泣いている娘達に、ヤンは何も声をかけることができなかった。

混沌の時代は更に加速していく。

まるで、呪いと憎悪が、歴史すべてを焼き尽くそうとしているかのようだった。

 

4、壊乱の果てに

 

キルヒアイス同盟軍総司令官とともに、同盟軍四個艦隊がオーディンを制圧したのは。キルヒアイスが五十三歳になったときである。

キルヒアイスは、やっと戻ってきたかと思った。

オーディンを制圧する過程で四度の戦闘があったが、既に帝国軍は事実上存在しておらず、海賊同然の者達や、雑多な門閥貴族の私兵を蹴散らしただけだった。

そしてオーディンに降り立ったキルヒアイスは見た。

既に其処は、完全な廃墟だった。

見渡す限り、焼け野原。

時々ルドルフの像の残骸が散らばっている。

誰も住んでいない。

オーディンには大きな市街区がいくつも存在していたが。それらはどれもこれも。門閥貴族のためのものも、市民や帝国騎士のためのものも。

等しく焼き払われて、再建もなにもなかった。

新無憂宮の跡地に向かう。

既に完全に焼き払われ、略奪されつくしたそこには、多数の雑草が生えていて。昔宮廷で飼われていたらしい鹿が草を食んでいた。

野生化した有角犬が散見されたので、始末するようにキルヒアイスは指示しておく。

あれは人を襲う。

ただ、人などもう、ここにはほとんどいないだろうが。

実家の跡地も見に行った。

ラインハルトとアンネローゼの家があった場所も。

きれいに何もかもがなくなっていた。

キルヒアイスは、ふっと笑った。

兵士達が周囲でおびえているのがわかった。

これが帝国首都星の今のありさまだ。

一部のレスキューは、必死に生存者を探して駆け回っている。

あれから年月がたって、今ではユリアンミンツが同盟の元首をしている。その過程で、同盟はなんとか空中分解を免れた。

だが何度も独裁者まがいの最高評議会議長が出て、クーデター未遂まで起こった。

キルヒアイスは見ていただけ。

自分が同盟元首になっていたら、或いはもっと早く惨劇を収束させることができたかもしれない。

だが、その気はなかった。

豚を丸呑みした大蛇は、しばらく身動きすらできなくなる。

そういった状態になった同盟は、一世代以上かけて、やっと膨大な難民を同化させ、そして民として定着させた。

キルヒアイスとしては内乱でも起こってくれれば面白かったのだが。

そうはならなかった。

だが、それは別にどうでもいい。

胸元のロケットをいじる。

ラインハルトとアンネローゼの髪がそれには納められている。

二人の魂もだ。

ラインハルト様。

宇宙を手に入れることはできませんでした。

でも、宇宙を貴方に捧げることはできました。

貴方は喜ぶことはないでしょう。

これほどの惨禍、これほどの地獄。

ですが私は、あなたたちを無惨に奪い、その命を省みすらしなかったこの宇宙が許せなかったのです。

故に私なりの復讐をさせていただきました。

私は地獄に落ちるでしょう。

ですが、その時は。

天国から、私という道化の滑稽なダンスを、楽しんでいただければ何よりです。

そう、内心でつぶやく。

そしてキルヒアイスは、わずかにあちこちで生き延びていた市民を救出すると。その中に紛れていた門閥貴族の……今では見る影もない乞食を、容赦なく引っ立てさせた。

同盟はどうにか安定したが、統一勢力としてはあまりにも無惨な国力だ。

そして、今帝国を制圧して回っているいくつかの艦隊からは、あまりの惨状に目を背けるばかりだという報告が来ている。

近々全ての制圧は終わる。

だが、試算で現在の人間の数はおよそ二百十億。

人類は過半を失ったことになる。

これでエイリアンでも攻めてくれば面白いことになるのだがとキルヒアイスは思う。だが、それすらもはやどうでもいい。

帝国の完全制圧まで、オーディンを制圧してから一年少しかかった。

それが終わったとき、キルヒアイスは私費を投じて、オーディンに墓標を立てた。

その墓標には、私の愛する者達とだけ刻んで、ずっと身につけていたロケットをしまった。

兵士達が困惑している中、キルヒアイスはブラスターを取り出すと。口にくわえて自分の脳髄を撃ち抜いていた。

誰も、反応すらできず。

満足げに死んで行ったキルヒアイス同盟軍総司令官の様子を、見守ることしかできなかった。

 

ヤンはキルヒアイスの死を、統合作戦本部長の席で聞いて。年老いた頭をかき回していた。

おそらくキルヒアイス提督は復讐を達成したと思ったのだ。

自分もあまり長くはないだろう。

帝国領は全て支配下においたが、ほとんどが空白地帯だ。疲弊しきった上に、帝国の門閥貴族が蓄えていた膨大な富は苛烈な内戦でほとんど全てがちりと化してしまった。

同盟も状況はよくない。

今ユリアンが必死にまとめているが、空白地帯をこれからどうするか。

国内に抱え込んでしまったいくつもの爆弾をどうするのか。

それらを一つずつ片付けていかなければならない。

ユリアンも昔の優しい青年だった頃から、明らかに様子がおかしくなっている。

ジェシカも最後は凄まじい形相を常に浮かべていて。

最終的にはストレスが原因で脳の血管を切ってしまったのだが。

ユリアンもそうなるのではないのか。

そうヤンは心配していた。

「ヤン提督」

「どうしたんだい」

まだ若い准将が、声をかけてくる。

同盟による勝利のパレードが行われる。

それに出てほしいと言うことだった。

これほどむなしいパレードは、他にあるだろうか。

誰も勝利などしなかった。

この歴史は呪われた世界線なのかもしれない。

歴史学者を志望していたのに。今ではヤンはそんなことすら考えるようになっていた。

空虚なパレードに出る。

市民は冷め切っている。

誰もが知っているのだ。空白地を大量に抱えたこと、門閥貴族どもをたたきのめしたところで、どうせ経済なんて改善しないことを。

完全破壊されたもいいところな帝国のインフラは、いちから再構築しなければならない。

それは誰がやるのか。

市民の税金でやるのだ。

それでも、ヤンが姿を見せると、わずかながらの歓声が上がる。

ヤンはそれを受けながら、死ぬまでになんとか少しでも状況を改善できるだろうか。

そう、かないそうにないことを思うのだった。

 

(終)