その時歴史がまた動いた

 

序、亡命者

 

銀河帝国首都惑星オーディン。人間力の過剰信仰による無駄だらけのその星から、一隻の駆逐艦が飛び立っていた。

小型の駆逐艦はこの時代の宇宙戦争では最小戦力に過ぎず、銀河帝国で用いられている有人戦闘機ワルキューレを除くと、戦場での最前列に配置され、ミサイルや機雷などを用いて敵を数でたたく兵器に過ぎない。

銀河帝国の敵である同盟の艦艇に比べて図体はでかいが能力は互角かやや下。

見栄えだけはいいが。

ただそれだけの代物だ。

そんな駆逐艦が飛び立つ。

飛び立った際に軍用の暗号コードで、極秘任務を告げていたので、誰も不審には思わなかった。

だが。

一月ほど後。

その駆逐艦を通した管制官は、血相を変えた憲兵に取り囲まれる事態となっていた。

不幸な管制官は、威圧的な壁を作る憲兵に取り押さえられ、しかも連行された。

銀河帝国の腐敗した体制では、人道的な対応などあり得ない。

管制官はさっそく拷問を受け、ボロボロにされたあげく、その後で質問をされたのだった。

拷問というのは、基本的に相手に正しい情報をはかせるためではなく。

拷問をさせる側にとって、都合が良い情報をはかせるために行う行動だ。

だが、それでも、そもそも「まっとうな」答えなど出てこず。憲兵総監は困惑しながら報告書を提出していた。

帝国宇宙艦隊総司令官であるミュッケンベルガー元帥は、それを眉をひそめながら聞くしかなかった。

「するとこういうことか。 わずか十五歳の少年二人が、言葉巧みに駆逐艦に家族とともに乗り込んだあげく、艦長をあっさり制圧し、巧妙な話術で部下達を懐柔したあげく、暗号コードを聞き出し、逃走したと」

「は、シャトルで後から宇宙空間に貴族出身の士官達とともに放り出された艦長である大尉の発言からして、そうとしか考えられません」

「超光速通信でイゼルローン回廊に通信は送ったか」

「残念ながら、極秘任務と言うことでくだんの駆逐艦は通してしまっています。 既に自由惑星同盟に逃げ込まれたかと」

ミュッケンベルガー元帥は呻くと、皇帝であるフリードリヒ四世に報告に出向く。かなり気が重い話だ。

理由は簡単。

駆逐艦が子供二人に制圧されて、同盟に亡命された。

その程度のことはどうでもいい。

現在でも同盟に亡命する者は一定数おり、そのルートは様々だ。中立勢力であるフェザーン自治領を介すようなケースは比較的ましで、中には戦闘中にそのまま裏切るような輩もいる。

帝都オーディンから家族ごと軍艦を盗んで逃げ出すというのも、実のところ過去に例がないわけでもない。

そうやって権力闘争に敗れた貴族が同盟に亡命した例は、今までに何度かあるのだ。

問題は、その駆逐艦で逃走した中に。

皇帝フリードリヒ四世が目をつけた、寵姫候補。

アンネローゼ=フォン=ミューゼルがいたことである。

アンネローゼは一月ほど前に不意に行方知れずとなった。今回問題になっているミューゼル家の人間と、その隣の平民の一家もろともである。

元々帝国騎士と言われる最下級貴族と、たかが下級官吏の平民の一家なんてどうでもいいのだが。

問題は寵姫として召し上げようとした矢先の失踪。

その後で発生した駆逐艦の行方不明事件(腐敗している帝国では、軍需物資の横流しや貴族による私物化が後を絶たない。 このため、この程度のことは問題視もされていなかった。 ゆえに二つの事件を結びつけるのに時間がかかったのである。 勿論憲兵の無能もあった)。

これがつながっていると、なかなか誰も気づけなかったことだ。

皇帝フリードリヒ四世は無気力な老人で、バラを愛でるばかりである。

昔は子供をたくさん作ったのだが、二人を除いて早世してしまい。

今ではわざと若い娘を寵姫にして、敢えて孕まないように気を遣っている節すらあると聞いている。

バラの世話以外に何一つ興味を示さない灰色の老人。

しかし、ミュッケンベルガーは、皇帝がその評判通りの人間だとはどうしても思えなかった。

本来はもっと違うことを考えていて。

それでいながら、敢えて無能となっているような。

そのように思えてしまう。

玉座の前にてミュッケンベルガーは跪く。

説明を全て終えると、皇帝はそうか、とだけ言った。

おとがめはなし。

逃がした寵姫にも、もはや興味はないようだった。

このとき、逃がした二人の子供のことで、帝国が大後悔するのはもう少し後の話になる。

 

自由惑星同盟。

銀河帝国から逃げ出した亡命者達が建国した国であり、既に150年近くも抗戦している。

人口は現在帝国の半分程度だが、兵の士気は高く、軍艦などの兵器も実用性を重視していることもある。指揮官に関しても、帝国よりもだいぶ質が高い。

それでも地上専用の戦車などで帝国に後れをとる技術もあるのだが。

全体的に互角に戦っている星間国家である。

其処に駆逐艦ごと、二つの家族が亡命してきた。

軍は驚いた。

駆逐艦を動かしていた平民の兵士達は、すっかり二人の子供の片方。鋭い青い目を持つ金髪の子供。

ラインハルト=フォン=ミューゼルというらしいのだが。

子供を脱しつつある年齢に過ぎないのに、圧倒的な威厳を持つその者に信服してしまっていた。

更にその家族。

父親は無気力極まりなく、真っ青な顔で酒をずっとあおっていた。

もう一人の子供の両親も、どうしたら良いのかわからない様子で、真っ青になっておろおろするばかりだった。

問題は、そのラインハルトの姉。

アンネローゼという娘が、アイドルも裸足で逃げ出す絶世の美貌の持ち主であったことである。

ラインハルトの方も、とんでもない美貌の持ち主であったこともある。

同盟では、勇敢極まりない二人の子供を、「新時代を求めて同盟に来た若き英雄」としてプロパガンダに利用した。

そして、何を求めるかとラインハルトは聞かれ。

即座にこう答えたのである。

「士官学校への入学を求める。 俺とキルヒアイス、二人ともだ。 駆逐艦は引き渡す。 その金で、姉上とキルヒアイスの家族を養ってやってほしい」

ラインハルトを完全になめてかかっていた政務官は、その言葉に強烈な意思を感じて、ぞっとしたと後に供述している。

いずれにしても駆逐艦を売り払えば、家族二つを養う金なんてなんぼでもでる。

このとき、ラインハルトが父親に一切言及しなかったことを、誰かが不審に思うべきだったのかもしれないが。

いずれにしても、同盟はこの意見を受け入れ。二人を士官学校に入学させた。

その結果、二人は瞬く間に主席を独占した。

ラインハルトは歴代最高の成績をたたき出し、言葉の違いなど問題にもしなかった。キルヒアイスはラインハルトには及ばなかったものの、常にその次の二位を独占し続けていた。

プロパガンダに利用しようとした同盟は、この成績は冗談か何かではないのかと士官学校の教師に確認もしたが。

教師達は一切不正をしていなかったことが後の調査でも発覚した。

アンネローゼはその美貌で最初は注目を集めたが。

本人が静かに暮らしたいと言うことを望んだこともあって。

それでやがてプロパガンダの熱は冷めていった。

そして、ラインハルトは士官学校を当然のように主席でそのまま卒業すると。後方任務に就けたがった軍の上層部の提案を一蹴。

キルヒアイスとともに、最前線への配置を望んだのである。

そのときにヤン=ウェンリーというごくつぶしで知られていた青年と二人が出会っているのだが。

それはそれである。

それから二人の活躍は凄まじく、初陣から戦果を立て続けに上げた。

ラインハルトとともに亡命してきた兵士達は、ラインハルトの下に配属してほしいと懇願し。

彼らを直下に据えたラインハルトは、周囲のプロパガンダで持ち上げられているだろうという偏見を実力で一蹴。

見る間に地位を上げていった。

同盟もさすがに長年の戦争で腐敗しており、余程強力なコネを軍部中枢にでも持っていない限り、若年での出世は難しいのだが。

ラインハルトとキルヒアイスのコンビによる戦果は凄まじく。

戦闘に出るたびに二人は出世していき。

やがて、ヤン=ウェンリーとともに、長年同盟の悲願であったイゼルローン要塞の制圧を無血で成功させると。

ついに同盟軍の大将に昇進したのだった。

このときわずか24歳。

同盟史上最年少の大将である。

そして、参謀長にはヤン=ウェンリー。副官にはキルヒアイスを添えたこの布陣は。

後に同盟史上最強と言われることになるのだった。

このとき。

歴史が既に動いていたことを。

知る者はあまりいなかった。

 

大将に昇進したラインハルトは、同盟の首都星ハイネセンへ凱旋する。其処でラインハルトは舌打ちしていた。ラインハルトは絶世の美貌の持ち主であるが、キルヒアイスの前では特に結構辛辣で毒舌である。

そんなラインハルトが不快感を示したのは。

極めて不愉快なものが目に入ったからである。

全長五十mのハイネセンの像だ。

アーレ=ハイネセン。自由惑星同盟を建国した不屈の男。ドライアイスの船で、長征一万光年とも言われる旅を経て、同盟を築いた英雄。

ハイネセンについては、ラインハルトは敬意を払っている。

自分も似たような帝国からの逃避行をした身だし、あのときが人生で一番危なかったことも理解している。

だが、ハイネセンの神格化は許しがたい。

ハイネセンに対する敬意があるからこそ、こんなアホしか喜ばないような仕打ちをされている有様を見て、ラインハルトは怒りを覚えるのだ。

凱旋パレードには、大量の人が集まっている。道路の左右には多数の女性が黄色い声を上げてラインハルトを迎えている。振っているのはペンライトとかサイリウムとかいうらしい。

今やどんな男性アイドルよりも女性人気が爆発的であり、ラインハルトの麾下で働きたいというだけで軍に志願する女性兵士までいるらしいとラインハルトは聞いて、苦々しく笑っている。

それにしても迷惑な話だ。

ラインハルトは医者がびっくりするほど性欲が薄く、特に興味がない女はどうでもいいと考えている。

士官学校を出る前から、ラインハルトに言い寄る女はたくさんいたが、一人も相手にされなかったことは語り草になっているらしい。

キルヒアイスと仲がよすぎるので、そういうことではないかという噂まで流れたようだが。

その手の噂をしている者が、ラインハルトに制裁されなかったためしがない。

ここしばらくの戦いで、同盟については理解した。

帝国よりはましだが、それでも腐りきっている。

いずれにしても、焼け付くようなラインハルトの野心は体の中でくすぶり続けており、大将程度で終わる器ではないとも訴えている。

ヤン=ウェンリーという男を見いだしたのは行幸だった。

キルヒアイスとヤンが配下にいる限り、何が相手でも負ける気はしないのだが。

それはそれとして、敵が弱すぎてつまらないのである。

しかも帝国では、今年初めにフリードリヒ四世がくたばった。

ラインハルトが母以上に慕っているアンネローゼを奪い去り、陵辱しようとした腐れ外道である。

ラインハルトがもう少し早く出世していたら、それこそ考え得る限り最大の苦痛を与えて責めさいなんで殺す予定だったのだが。

勝手に老衰死した。

しかも帝国は、無能な門閥貴族が跡目争いを始めている。

ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯、それにリヒテンラーデ公の三人が争っている状態だが。

何度か交戦した限り、現在ラインハルトとまともにやり合える一線級の将帥は相手にはいない。

一応メルカッツという歴戦の将がいるが、メルカッツは一司令官としては極めて優秀であっても、大軍を率いてラインハルトとやりあうような大軍略家ではない。

だったら膨大な軍事力差を如何に切り崩すか、だが。

その前に、まずはあのような不愉快な代物。

ハイネセンの像をぶち壊すことについて、ラインハルトは考えていた。

パレードを終えて、オフィスに入ると。

ラインハルトは嘆息する。

少将(正直こちらも異例レベルの出世である)になっているキルヒアイスは、ラインハルトには態度がいつも穏やかだった。

「流石にお疲れのようですね」

「くだらんことばかりをしているなと思ってな。 特にあのハイネセンの像は許しがたい」

「確かに町中に配置されていたルドルフ大帝の像を想起されますな」

「ああ」

独裁者あるあるで。

自己顕示欲の塊だったルドルフは、首都星オーディンの至る所にルドルフ像を造らせ、しかもその目には監視カメラを仕込んでいた。

これに敬礼しないと即座に秘密警察がすっ飛んでくる。

古くさい名前をはやらせたり、自分の身長や体重を新しい基準にしようとしたり。何より自分が健全でないと思ったものを本当に皆殺しにしたりと。

救いようがない輩だ。

だが、同盟もそれと同じ思想に足下をすくわれている。

ハイネセンの馬鹿でかい像なんて、ハイネセンが望むだろうか。ラインハルトには、あんなものは破壊する存在以外に思えなかった。

「キルヒアイス、俺は近いうちに政治家に転身しようと思っている」

「政治家にですか」

「この国でもくだらん権力闘争をやっているがな。 幸い俺は優秀な部下をたくさん得ることができた」

「合法的に権力を握るおつもりなのですね」

ラインハルトは頷く。

この国の政治制度は、表向きは誰でも最高権力者になれる。ただし、それにはいくつも嘘がある。

同盟に来てから、ラインハルトは軍事ばかりやっていたのではない。

プロパガンダに利用しようとする政治家とは必ず会って、むしろその知能の程度は常に見てきた。

はっきりいって、民主共和制は、言っているとおりの民のための政治ではない。貴族制ほどではないが、愚か者を容易に政治家にし、それらに民の運命を握らせてしまう欠点がある。

参謀にして重宝しているヤンは、民主共和制の軍人であることを誇りとしていて。それで時々ラインハルトと対立する。

ただ、ヤンの言うこともわかるのだ。

ヤンは博識で、民主制の欠点をしっかり理解している。その上で、専制主義が如何にまずいかもはっきり理解している。

それらの話を聞くと、なるほどと何度もラインハルトは頷かされる。

ヤンと話す機会が多くなった。

これは同盟に来て、とてもよかったことだとラインハルトは考えている。

「俺は大将になった。 ある程度作戦の起案に関与できる立場だ。 フェザーンが勝ちすぎている同盟を負けさせようとそろそろ画策してくるだろうが、そうは行くか。 次はかなり不利な条件で戦わされるだろうが、それを一蹴して、まずは元帥となる」

「今一番危ないのは足下でしょうね。 周辺警護は万全にいたします」

「ああ。 あのカスはどうでもいいが、姉上とキルヒアイスの両親はしっかり守るように頼むぞ」

カスとは当然ラインハルトの父親のことだ。

あの意志薄弱なゴミカスは、ラインハルトの姉であるアンネローゼを、何の抵抗もせず老醜の皇帝に売り渡そうとした。

救いようがないゴミ野郎だ。

アンネローゼがお願いと頼むから、一緒に連れてきた。

今では病院で治療を受けているが、医療資源の無駄だからさっさと死ねば良いのにと本気でラインハルトは思っている。

「政治家に転身するのは、元帥になってからだ。 この国の頂点……議長をとってから、帝国もフェザーンも滅ぼす。 俺は宇宙を手に入れるぞ、キルヒアイス」

「ラインハルト様、私はどこまでもついて行きます」

「ああ。 お前がいれば。 そうだな、ヤンもいれば大変に心強い。 いずれにしても、何が出てきても勝てるだろう」

そういえば。

キルヒアイスとアンネローゼが互いに思い合っていることを、ラインハルトは当然知っている。

誰よりもアンネローゼを愛しているからこそ。

その伴侶には、キルヒアイスしかいないともラインハルトは思っていた。

ラインハルトが政界に転身した後は、軍事の最高位をキルヒアイスに任せるつもりだ。そしてヤンにはその参謀を頼むことになるだろう。

「キルヒアイス。 俺は例えばだが……俺の子孫などが宇宙を支配し続けることに興味はない。 俺自身が宇宙を支配することだけを望んでいる。 帝国にあのままいたら、皇帝となる道を選んでいただろう。 だが、同盟に来た以上、最高評議会議長となって、人間が住む宇宙全てを手に入れられれば十分だ。 勿論同盟の改革は行う。 俺も貧民の出だ。 この国の民が、決して楽をしていないことは見ればわかる。 改革を行い、現状を打開し、俺の統治を確固たるものとする。 だが、その後は、また選挙とやらで別の者が指導者になればいい」

「ラインハルト様による独裁を望む者が現れたらどういたしますか」

「俺には興味がないと告げるだけだ」

ふっと、ラインハルトは笑った。

キルヒアイスは能力的にも分身に等しく、理解してくれる最高の友。何よりも、間違った時には止めてもくれる。

諫言を受け止められず、甘言に流されるようでは終わりだ。

あの帝国の、腐った貴族どもと同じになる。

反吐が出る。

アンネローゼが目をつけられたのは、管区にいた貴族による報告が原因らしいと、ラインハルトは知っている。

その時点で。

奴らには存在する意義がない。

この宇宙から消し去るだけだ。

「帝国の人口は同盟の倍。 さらには土地の広さもある。 まずは俺が改革を進めて、同盟の経済状態を回復させ、その上で征服をしなければなるまい。 その過程で、帝国の軍を叩きに叩いて消耗させる。 フェザーンも滅ぼしてその富を獲得すれば話は早いだろうが、まあ簡単にはいくまい」

「おっしゃるとおりです。 一つずつ進めなければならないでしょう」

「ああ。 その助けは頼むぞキルヒアイス。 俺も民や軍の者達を苦しめることは本意ではないのだ」

盗聴器の可能性がある。

だから、しゃべるときには戦艦などにも搭載されている遮音フィールドを展開している。

技術者は何名か囲っている。いずれもラインハルトに忠義を誓ってくれている得がたい者達だ。

連絡が来た。

どうやら、帝国領への侵攻作戦が始まるらしい。

ふっとラインハルトは笑った。

フェザーンが同盟と帝国とフェザーンでバランスをとり続けようと活動していることは読めている。

今回は邪魔なラインハルトを始末し、帝国側に国力を傾けるつもりだろう。

今最高評議会の議長をしているヨブ=トリューニヒトはフェザーンとつながっている節すらある。

全ては排除する。

苛烈すぎるラインハルトの思考は、常に野心とともにあった。

 

1、帝国領侵攻作戦

 

イゼルローン要塞が落ちた。

さらには帝国では現在、大規模な内戦の可能性がある。

ここ数年、同盟軍はラインハルトの存在もあって勝ち続けており。何度も行われたイゼルローン回廊での戦いでも、帝国軍に同盟軍以上の損害を必ず強いていた。そしてこの間のイゼルローン要塞攻略により、帝国兵だけではなくイゼルローン要塞にいたその家族、合計して五百万近い捕虜を得た。

今回こそ、帝国攻略の好機。

そう唱える最高評議会議員達が数名いたが。

その中で、議長であるトリューニヒトは、反対の意思表明をしていた。

ラインハルトからしてみれば見え透いていた。

ラインハルトを始末し。

ついでにさらなる名声を得るための行動だ。

このような作戦がうまくいくわけがない。

普通だったらそのはずである。

大将となったラインハルトが、中将級……艦隊指揮官達がいる会議室に。ハイネセンに凱旋後、中将に昇進したキルヒアイスとともに出向くと。

「軍事のバランス」とやらで艦隊司令官に収まっている無能も含めて。

同盟を代表する将帥達が、席に着いていた。

その中にはラインハルトができると判断しているウランフ、ボロディン、ビュコックに加えて。

ついにここに座る地位になったヤンもいる。

いずれにしても、彼らから畏敬の視線がラインハルトに向けられた。

既に場の空気をラインハルトは支配していた。会議室に入るだけで。

その圧倒的な容姿はグリフォンに例えられることが多いが、その苛烈すぎる視線が怖いという声もあるそうだ。

ただ、ラインハルトはそれすらも武器にしていたが。

キルヒアイスとともに席に着く。

作戦の音頭をとるのはワイドボーンという男である。現在准将をしている。

士官学校で十年来の秀才とまで言われたようだが。

ラインハルトからすれば、凡将に過ぎなかった。

恐らくは、最高評議会の意思を伝えられてここに来ているのだろう。その隣には、フォークという頬のこけた病的な視線の男がいる。

興味をラインハルトは感じなかった。

「それでは作戦についての会議を始めます」

「その前に作戦の戦略的意義を知りたい。 イゼルローンを制圧し、ここ数年で我が軍は画期的な勝利を積み重ねている。 それでも帝国の人口は同盟の倍。 領土の広さにもかなりの差がある」

そう苦言を呈したのはウランフだ。

なんでも草原の遊牧民の末裔らしく、極めて精悍な顔をしている。

同盟を代表する猛将であり、ラインハルトの力を認めて何度もフリーハンドで作戦を任せてくれた。

ラインハルトもその結果成果を効率よく出すことができ。

階級で追い抜いた今でも敬意を払っている。

「迎撃に出た敵を撃破して撤退するのか、それとも恒久的に拠点を構築するのか。 いずれなのか、説明を願えるか」

「はい、懸念は最もでしょう。 参謀本部の作戦はいくつか提案されましたが、同盟の軍勢の大半を主導して帝都オーディンを直撃すべしというものもありました。 しかしこれは現実的には不可能だと判断して、却下しております」

そうか。

最低限の判断はできるらしい。

ラインハルトはそのまま様子を見守る。

視線を向けられて緊張したのか、何度かワイドボーンは咳払いをしていた。

「長年の疲弊もあり、現在稼働できる艦隊は正式十二艦隊のうち十一個。 そのうち今回は三つを動員して、それで帝国領内にくさびを打ち込みます。 狙いとするのは、この星系です」

「ほう、これは」

「カストロプ公爵領です。 数年前に、激しい反乱があり、二度にわたって帝国の鎮圧軍を撃退しています。 三度目に帝国の正規軍を当時の総司令官であったミュッケンベルガー元帥が討伐軍を率いて鎮圧。 しかし、以降も政情不安が続いています。 現在、対立が続く帝国内にて、ここでの問題が加速し、隙が生まれているようなのです」

土地としては悪くないか。

名前はこちらに来てから調べた。

先代カストロプ公爵が「見事な奇術」とまで言われるほどの蓄財の達人で、膨大な資産を懐に入れていた怪物的な輩だった。

それもあって、その跡をついだカストロプ公マクシミリアンが、不正蓄財を追求した帝国に反発し、反乱を起こしたのだ。

マクシミリアンには一定の軍才があったようで。それで帝国軍は苦戦したが。しかし、それにしても帝国軍が無能だっただけだとラインハルトは見ている。

たまにそれなりにできる指揮官が出てくることはあるのだが。

特に大貴族出身の将官は完全にカモだ。

それに、である。

カストロプ公は蓄財の裏で、フェザーンとつながりがあったという話も既に調べている。

同盟内でラインハルトは既に権力の根を張っており、それらの情報を獲得はしていた。

ただし、である。

その作戦がうまくいくとはとても思えなかったが。

「三個艦隊というとかなりの大軍だ。 指揮は誰が執るのか」

「ロボス元帥にお願いする予定でしたが、ロボス元帥は糖尿が悪化して、現在治療中です。 そこでラインハルト大将にお願いいたしたく」

「そうか。 それはかまわないが、この作戦は失敗するぞ」

ずばりラインハルトが言うと、会議室がざわめく。

ウランフはまあそうだろうなという表情になる。

老練の名将であり、同盟の戦歴が服を着ているような提督であるビュコックも頷いていた。

「常勝無敗とまで言われるラインハルト大将とは思えない発言ですな」

「私を持ち上げるのは結構だが、私も人間だ。 失敗もすれば能力に限界もある。 まずこの作戦では、かなりの長距離を進まなければならず、途中にあるいくつかの星系を経由しないとワープも厳しい。 補給路の確保、カストロプ領の確保を長期間するとなると、駐留軍や場合によっては巨大な軍事基地も必要になるだろう。 三個艦隊でカストロプ領を制圧するのは極めて簡単だ。 私とここにいる提督達が連携すれば、何の問題もなくできるだろうな。 問題はその後だ。 長年の戦争で疲弊が蓄積し、遺族年金だけでも国家予算を圧迫している状況で、そのような資金を出す余裕があるのか?」

「そ、それは……」

ラインハルトの発言に、ワイドボーンは明らかに視線を泳がせる。

フォークとか言うのが、それに対して言う。

「これは最高評議会の意思です。 我らは民主主義国家の文民統制の思想に従って、上の指示には従わなければなりません。 上が勝てと言えば勝ち、占領作戦を成功させろといえば成功させるのが仕事です」

「私もラインハルト閣下の発言に賛成する」

ヤン提督が援護射撃。

頷くと、ボロディン提督も意見を述べた。

「ラインハルト大将の言うとおりだ。 一戦して勝てというのであれば、勝って見せよう。 今の帝国にたいした将帥はおらず、貴族出身の指揮官など我々の敵ではない。 ただし、数が同等ならばだ。 敵の領内奥深くに誘い込まれ、補給をたたれでもし、更に分散したところを各個に攻撃でもされたら負けるとまでは言わないが、勝つのは厳しいだろうな」

「そのような発言は利敵行為です! 慎んでいただきたい!」

「誰に対してものを言っているか、若造が!」

ビュコック帝国が机を叩いて、寝言をほざいたフォークを一喝。

それでフォークはひっと声を漏らして黙り込んだ。

頼りない後輩を見てため息をついたワイドボーンが、一時休憩を提案。それで、一旦解散となる。

三個艦隊で帝国領奥深くへ侵攻か。

カストロプ領を奪う策については悪くはない。

というか、準備が整ったのなら、オーディンを強襲するのは立派な策の一つだといえるだろう。

頭を潰してから、他を制圧して回ればいい。

辺境の貧しい民が暮らす惑星を制圧しても、ろくな物資は出てこない。

帝国の門閥貴族を叩き潰して、連中が五百年間搾取して蓄えこんだ利権や資金を回収すれば、改革なんぞいくらでもできる。

ただ残念ながら、今の同盟にはそれができる資金も体力もない。

ラインハルトは、それを冷静に見ていた。

ヤン提督と話す。

「さてヤン提督、どう見る」

「そうですね、この作戦は失敗するでしょう。 ラインハルト提督がおっしゃった通り、敵に勝つことはともかく、長期的な制圧は非常に難しい。 ましてや政情不安の星系を押さえても、治安維持の専門部隊まで必要になります。 民主主義の正義を掲げてそれらを制圧しても、民がそれを納得してくれるかは別問題。 最悪反乱や暴動まで発生するでしょう」

「うむ。 ならば、こういうのはどうか」

遮音フィールドを展開。

それで、話をする。

ヤン提督はなるほどと言うと、頷いていた。

「私の先輩のキャゼルヌ提督に相談してみます。 おそらく今回の補給作戦の指揮を執るでしょうから」

「キャゼルヌ提督と貴官は仲が悪いという噂もあるようだが」

「本当に極悪人ですよあの先輩は」

「そうか」

よくヤンはキャゼルヌの悪口を言っているのだが、それが本心からの憎しみだとはとても思えないのだ。

ラインハルトは癖がある人材が嫌いではない。

部下の私事に口を出す気はないし。

ましてやまだ同僚であるヤンの交流関係にどうこうと口を挟むつもりはなかった。

休憩時間中に、いくつかの資料について目を通しておく。

凄まじい集中力で、ラインハルトは余人の数倍の速度で資料を読み、記憶していく。ラインハルトの記憶力は高く、今までの戦役で同僚や上司の能力については容赦なく判定し、それらを記憶している。

ちなみにフォークは失格だ。

最高評議会の議長の座をとったら、即座に解任する。

あれは国を潰す寄生虫である。

休憩時間が終わる。

そして、ワイドボーンが提案をしてきた。

「専門家である提督の方々の意見を総合しますに、まずは威力偵察がよろしいかと思います。 予定通り三個艦隊を用意します。 総司令官はラインハルト=フォン=ミューゼル大将。 動員する艦隊は、第二、第五、第十。 ヤン提督、ビュコック提督、ウランフ提督がそれぞれ指揮をお願いいたします。 部隊はカストロプ公爵領を目指して、直進。 相手の反撃能力を見極めてください。 内戦がいつ始まってもおかしくない帝国の状況から考えて、おそらくそれほどの迎撃戦力は出てこないとは思いますが、念のために」

第二艦隊は、何度かの戦闘で消耗し、規模は一万隻ほど。代わりにヤン提督が新たに司令官に就任している。

今までは参謀を任せていたが、司令官か。

お手並み拝見というところである。

人事に関しても、ヤン提督には総司令部が便宜を図ってくれるはずだ。

ビュコックとウランフの両提督は、充分に実力を認めている。単独行動をすることもないだろう。いくつかの会戦で見事な連携を見せており、その点でも安心感が強い。

また二つの艦隊はそれぞれ一万五千隻ほどの規模を有しており。正式艦隊として恥ずかしくない戦力である。

これに千隻ほどのラインハルト直営艦隊が加わる。この艦隊の指揮はキルヒアイスに任せる。

合計しての戦力は、四万二千二百隻。動員兵力は六百十三万五千人。イゼルローン回廊攻略戦で今までに動員された最大の戦力とほぼ同規模である。

しかも近年は勝利が続いていた結果、消耗に回復が追いついてきている。

兵の質は問題がない。

ラインハルトは、キルヒアイスと三人の提督とともに、会議室を出る。

ビュコックが早速悪態をついていた。

「馬鹿馬鹿しい作戦だ。 無駄に資材をドブに捨てるも同じではないか」

「同感です。 カストロプ公爵領を制圧するのはできるでしょうが、それ自体に現時点では意味がありません」

ヤンが同意する。

ラインハルトは、そこで爆弾を投じていた。

「おそらく今回の会戦、罠とみてよかろうな」

「ほう」

「詳しく聞かせてほしいのだが、ラインハルト提督」

ウランフに頷く。

まずはこの作戦だが、できすぎている。

同盟は選挙が近づくと好戦的になる。そう帝国の兵士達は噂しているが、それはラインハルトが見る限り本当だ。

選挙で勝つために、画期的な軍事的成果を求めたがる。

そんな連中が政治家をしているのだ。

軍事的成果のためにどれだけ人が死ぬかなんて、連中はどうとも思っていない。その点では、帝国の門閥貴族と同じゴミの山だ。

ラインハルトも戦いは好きだ。

宇宙を武力で奪い取るつもりでもいる。

だが、無辜の民を無意味に傷つけるつもりはないし。

部下を無意味に殺すつもりもない。

「フェザーンの動きがおかしい。 フェザーンにとって大事なのは、帝国と同盟の軍事的バランスだ。 帝国が勝てば同盟が勝つように仕組んでいる節がある。 そうして疲弊したところを、経済力で侵略していく。 それが奴らの戦略だ」

「なるほど、確かに同盟が大負けした後は、同盟が勝利するケースが多い。 今回、イゼルローンを帝国が失ったことに対して、フェザーンは同盟の戦力を削ろうともくろんでいると」

ウランフが言うが、実はそれよりもっと大きいだろうとラインハルトは見ていた。

この戦い、同盟を代表する猛将であるウランフと、歴戦のビュコック。

それに明らかに軍事的なバランスブレイカーであるラインハルトとヤン。

この全員を、フェザーンは始末するつもりだとみてよかった。

去年、辣腕で知られたフェザーンの指導者、ルビンスキーが倒れた。黒狐と言われる陰謀の達人も、病気には勝てなかった。

後を継いだフェザーンの指導者はニコラス=ボルテックという男だが。この男が後を継いでから、どうもラインハルトの周りでうごめいている陰謀の切れが落ちたように思う。

ルビンスキーと比較されている可能性もある。

だとしたら、大規模な策を弄してくるはずだ。

焦りもあるだろうから。

「だが、問題はない。 卿らは戦闘で全力を尽くすことだけを考えてほしい。 必ずや卿らも将兵も勝利した上で可能な限り故郷に帰そう」

「随分と自信がおありのようですな」

「いくつか既に策は考えてある」

そのまま、オフィスにキルヒアイスと戻る。

そして、策の細かい部分を、二人で調整した。

さて、ここからだ。

ここからは、全てで裏をかかなければならない。

同盟軍は全軍で五千万という規模だ。流石にラインハルトでも、全てに目が届くわけではない。

キルヒアイスと相談を終えてから、直下の艦隊を見に行く。

手配された旗艦があるのだ。

同盟の最新鋭戦艦、旗艦級の中でも最新鋭のトリグラフ級の三番艦。アジ=ダハーカ。

三つの艦首を持ち、それぞれに強力な主砲を備えている極めて高い戦闘力を持つ旗艦級戦艦である。

現在同盟の旗艦は、レオニダス級から順次トリグラフ級に更新を進めている。レオニダス級はかなり強力な旗艦だったのだが、それも超火力を持つトリグラフ級には及ばないと言うことで、順調な更改ではある。

それまでに乗っていたユリシーズは老朽艦で、ただ幸運艦でもあったので、ラインハルトは気に入ってはいたが。

これはなかなかに美しく壮麗な艦だ。

ラインハルトも、黒を主体とし、赤のラインが入った猛々しいデザインを見て、一目で気に入っていた。

「これはよいな。 キルヒアイス、あの赤いラインはお前の赤毛のようだ」

「お恥ずかしい限りです」

「ただ金色の塗装……いや白か。 それもほしいな」

「カラーリングについては、ある程度融通が利くでしょう。 デザインが崩れない程度に、発注をしておきます」

頷くと、ラインハルトは中に入ってまずは安全面を確認する。

この時代、どれだけ単艦で強力でも、艦隊規模の相手をするのは不可能だ。それに、である。

今回は作戦の内容が内容だ。

勝利を確信した瞬間、背後から撃たれる可能性を常に想定しておかなければならないだろう。

忠誠心が高い部下達に徹底的に調査をさせる。

爆弾やバックドアなどの仕掛けはないようだ。あったとしても、不安要素は全て排除させておく。

それからしばらくして、艦体に白のラインを加えて塗装した。黒をあくまで主体としているが、そこに赤と白が鮮やかに加わっている。

デザイナーはいかがでしょうかとラインハルトに恐縮した様子で頭を下げたが、ラインハルトは満足したと伝え、旗艦に乗り込む。

この戦いに勝ち。

ラインハルトは、元帥になる。

ただ、おそらく今回は倍以上の敵と、敵地で戦うことを想定しなければならない。作戦は、先にいくつでも練っておかなければならなかった。

 

フェザーン自治領では、既に亡くなった前自治領主、アドリアン=ルビンスキーの指示による、ラインハルトの排除がうまくいかないことで。現自治領主、ニコラス=ボルテックの参謀達が右往左往していた。

フェザーン自治領はそもそもとして、背後に地球教が存在している。

遙か昔、地球を祖とした人間だが。

あまりにも傲慢に地球から旅立った人々を搾取し続けたことが徒になり、袋だたきになって滅びた。

ただ、そのときの出来事があまりにもやり過ぎ……億人単位の無差別殺戮が発生したこともあり。

地球は長年恨みを充溢させてきたし。

蓄えていた富の一部を守り通したことで、腐敗した銀河帝国に賄賂を送ることで。帝国と同盟の間のパワーバランスを保ち、共倒れさせて最終的に地球がまた支配者になる。そういう目的で、フェザーンを作り上げたのである。

イゼルローン回廊とフェザーン回廊だけしか同盟と帝国の接点はないが。

その一つをフェザーンが押さえていることで、このつぶし合いはうまくいっていた。

うまくいかなくなり始めたのは、帝国の先代皇帝であるフリードリヒ四世がなくなってから。

それに何よりラインハルトが戦歴を重ね、特に艦隊指揮官をするようになりはじめてから、帝国の消耗が加速度的に増えていったこと。

青ざめた顔でデスクについているボルテックに。

参謀の一人であるルパート(先代自治領主ルビンスキーの私生児である)が、データを提出していた。

「帝国で大規模な内乱が始まる兆しがあります。 フェザーンの諜報員がディスカッションを開始していますが、おそらく来年には開始するでしょう。 しかも、同盟内部は意気が上がり、インフレが解消し始めています。 ラインハルトの力が、今までの五分に近かった戦況を覆しつつあります。 帝国との国力差が近接し始めており、今までは48対40だったのが、46対42になりつつあります」

「わかった。 とにかく対策を練らなければならん。 フェザーンの国力には限界がある。 ここで帝国が内乱を起こしたら、無能な指揮官しか残っていない帝国は泥沼になり、国力の過半を喪失する。 同盟では勝利が続いていることもあり、クーデターの類を起こさせるのは難しいだろう。 例の計画はどうなっている」

「準備はしておりますが、いかんせんあのラインハルトに参謀はヤンです。 そばについているキルヒアイスも隙なく周囲を固めており、暗殺者など送りようがありません」

「……」

昔、自由惑星同盟の全盛期。ブルース=アッシュビーという名将がいた。

アッシュビーの手により当時の帝国は司令部が全滅するほどの壊滅的な被害を受け、結果として門閥貴族以外の将官が出世する土壌が醸成されたのだが。

優秀な非門閥貴族の将官は、ここ数年の戦闘であらかた戦死するか、同盟に亡命してしまった。

それもあって、打つ手が限られてしまっている。

今回は同盟の面倒な将帥をまとめて葬る策を立てには立てた。

だがボルテックも、血で血を洗う権力闘争の経験者だ。

ルビンスキーほどではないにしても、陰謀には自信もある。

少し前までルパートはきな臭い動きをずっと続けていたのだが。

ルビンスキーが病気になり、病室で管につながれて頭痛を訴えながらもがき苦しんで死んで行くのを見て、何か思うところがあったのか。

それとも、私生児として自分を省みなかった父親の無残な死を見ることが目的だったのか。

すっかり毒気が抜けてしまい。

今は真面目に権力を求めて働いている。

いっそ、いずれ此奴に権力を譲って良いともボルテックは思っている。

というのも、このまま事態が推移すると。

同盟が帝国との力の差を逆転する日が来る。

そして、ラインハルトが同盟の議長にでもなれば。

フェザーンに軍事侵攻でもしてきかねない。

あのラインハルトという男、最初はプロパガンダに利用されているだけだとボルテックは思っていた。

整いすぎた容姿もある。

だが、フェザーンの工作員が情報を集めれば集めるほど、化け物に等しい才覚の持ち主だと言うことがわかってきていた。

最近では議員とテレビで討論をすることがあるが。

民主主義にも精通していて、専門家である議員にズバズバと現実的な改革案を提示し、それで議員が黙り込んで恐縮してしまうことがよくある。

それもあって、同盟でもラインハルトの政界進出を望む声が強くなってきている。

同盟を食い荒らしていた腐食剤ともいえるトリューニヒトも、排除に向けて動こうとはしたようだが。

既に手遅れであり。

現時点では、地球教徒が裏から支援していても、焼け石に水。ラインハルトの圧倒的な人気が同盟を覆い尽くしつつある。

だからこそ、ここで仕留めなければならないのだ。

「帝国で現在動かせる戦力を全てたたきつけるように、とにかく賄賂を渡して動かせ。 指揮官はできればメルカッツがいいだろうが……」

「メルカッツは現在、ブラウンシュバイク公が身元を押さえており、戦線に出すことを恐れているようです。 おそらく対抗馬であるリッテンハイム侯に暗殺されるのを警戒しているのではないかと」

「……」

ブラウンシュバイクは凄まじい金持ちで、それこそ一人で一個艦隊を私兵として持っているほどである。

生半可な賄賂では動くまい。

それでもどうにかするしかない。

同盟帝国双方から吸い上げてきた、そして地球から供給されてきた金をかなり失ってしまうことになる。

そしてフェザーンの力は金だ。

金を失うだけフェザーンの力は落ちる。

「ミュッケンベルガー元帥もリッテンハイム候に押さえられているという話だ。 だとすると。後は大貴族出身の将くらいしかおるまい。 とにかく、必ず勝てる状態を作り出せ。 このままだと……」

ラインハルトに宇宙全てを飲み込まれる。その恐怖が、ボルテックの中には確信として燃え上がりつつあった。

 

2、帝国領侵攻作戦

 

イゼルローン回廊を出立した四万隻強の同盟艦隊が動き出す。この艦隊は帝国に対する威力偵察を兼ねているという対外的な名目を掲げており、できるなら帝国の圧政に苦しんでいる民衆を救い出すというものも目的には掲げていた。

だが、現時点で帝国と同盟では政治制度が異なり、何よりも長年の格差によって、帝国の民は無知無学のままだ。

帝都オーディンですらその傾向は強く。

ましてや辺境の民となると、下手すると識字率すら怪しい。

更に言えば、農奴などとして配置されている人々も多い。

艦隊の総指揮艦であるアジ=ダハーカの指揮シートに座ったラインハルトは、それらのデータを見て、鼻を鳴らしていた。

民主主義をいきなり導入するのは不可能だ。

まずは農奴制、過酷な税制度、それらを撤廃させることが第一だろう。

地球時代のデータを見ても、いきなり貧困国に民主制を導入しようとして、大失敗した例がいくつもある。

それはそもそも、民主主義が万能などではなく。

多くの民が知識を適切に持っていて。

その上で、ある程度社会が成熟して初めて機能する制度だからだ。

五百年にわたる帝国の圧政は、ラインハルトが肌で知っている。

ラインハルトも電気を止められるほどの貧困家庭で生まれ育ったのだ。帝国貴族でも最下等である帝国騎士は、他の民と代わらない。

中には商売で成り上がって、門閥貴族と結婚して家を乗っ取るような者もいるにはいるらしいが。

それはあくまで例外。

ラインハルトの母は早くに死んだ。

交通事故死だったが、相手が大貴族だったと言うだけで無罪放免。

ラインハルトの父……あのカス野郎はそれで廃人となったという話もあるが。

ラインハルトにしてみれば、それで家庭がめちゃくちゃにされて。姉アンネローゼがずっと苦労してきたこと。

下手をすると、老醜の皇帝の後宮にいれかけられたこと。

それが絶対に許せなかった。

資料を見つつ、指示を出す。

少なくとも敵の抵抗は今のところない。

イゼルローン回廊の外に大規模艦隊を展開してくる予想もあったのだが、ラインハルトはないと判断していた。

現在帝国はブラウンシュバイクとリッテンハイムの外戚による派閥抗争が激化しており、軍はそれで二分されている。

ただでさえ練度が低い艦隊が、それで一触即発に近い状態だ。

それに、だ。

ずっとちらついていた、ラインハルトを排除しようとする連中が仕掛けてくるなら、必殺の機会を狙ってくるはず。

それは同盟領から離れた、帝国の奥地だ。

「ラインハルト様」

「どうした、キルヒアイス」

「偵察部隊の情報をまとめました」

「聞かせてくれ」

半身に等しい盟友のことを、ラインハルトは全面的に信頼している。格闘戦に関しては、おそらくあの帝国のオフレッサーを除けば宇宙でも一位を争えるほどの力量。これだけはラインハルトですらかなわない。

それに、艦隊指揮能力、参謀としての能力、あらゆる全てで超一流である。

基本的に失望させられたことは一度もない。

「やはり不自然なほど兵がいません。 恐らくは、艦隊を引きずり込んで、補給を断って全滅させる戦略と見て良いでしょう。 地方の警備艦隊すら出払っています」

「ふっ、見え透いたことだ。 もしも俺が逆の立場でもそうするだろうな。 問題は、敵に俺がいないことだ。 その策を誰が立てた。 ブラウンシュバイクやリッテンハイムのような低脳ではあるまい。 強いて言うならメルカッツか?」

「可能性はあります。 メルカッツ提督は非常に優秀な提督です。 警戒は怠らないようにしてくださいラインハルト様」

「ああ、言われるまでもない」

何度かメルカッツとは対戦したが、粘り強い戦い、油断しない用兵、いずれも敵にしておくには惜しい男だと評価していた。

確か現在大将の筈だが、下級貴族の出身と言うことで、大将止まり。現在もこれ以上出世することは望めないようである。

できれば部下にしたい。

ただ、現在ラインハルトには人事権がない。

帝国を亡命してきたり、捕虜にした有能な将官は何名かいるのだが、彼らを子飼いにして扱うのは同盟の制度ではラインハルトでも無理だ。

それもあって、ラインハルトは出世が遅れた。

たまに、ひりつくような野心が身を焼きそうになる。

だが、ラインハルトのそばではいつもキルヒアイスがいるし。

家に戻れば姉上が笑顔で迎えてくれる。

それもあって、焼け付くような怒りと野心が身を滅ぼすのを防いでくれている。

それがなんとなくラインハルトにはわかるのだ。

「司令部より連絡。 グリーンヒル大将です」

「つなげ」

「ラインハルト提督。 報告は受け取った」

アジ=ダハーカのメインスクリーンに、几帳面そうな中年男が写る。グリーンヒル大将だ。

現在同盟の裏方をまとめているグリーンヒルは、責任感が強い真面目な男だ。

ただし、それ以上でも以下でもないとラインハルトは酷評していた。

良い仕事はできるが、独自にものを考え、行動するには少しばかり能力が不足していると評価している。

ただ、ラインハルトは他人を厳しく評価しすぎていると、キルヒアイスにもヤンにもたまに言われるので。

今の時点で、それはちゃんと受け止めているつもりだ。

「現時点では敵影なし。 やはりラインハルト提督が言っていたとおりの、誘引策とみてよさそうなのだな」

「ええ。 最高評議会の議員達がどうせいくつか星系を制圧せよと言ってきているのでしょう。 これは明確な罠です。 現時点では、制圧の余力はなし。 目的地に一直線に向かう。 そうとだけお伝えください」

「わかった。 そちらにはビュコック提督とウランフ提督、君と組んでずっと活躍していたヤン提督もいる。 生半可な相手に負けるとは思わないが、くれぐれも気をつけてくれ」

「了解しました」

敬礼を交わして、通信を切る。

さて、ここからだ。

いくつかの星系を完全に無視して進む。航路については、この辺りのデータくらいなら、同盟と帝国の長年の戦争もある。

互いにスパイ網くらいは確立しており。

同盟もしっかりこの辺りのデータくらいは把握している。

カストロプ領まで数日はかかる。

それまで、作戦を詰めておく必要があった。

 

カストロプ領に到達した。

ここは以前反乱騒ぎがあってから、鎮圧後も帝国艦隊が駐留している。不自然さがないようにとでもいうようにか。

やっとここで、帝国艦隊が戦闘を仕掛けてきた。

相手の規模は一個艦隊。

やはり、形だけ当てて、それで油断させるつもりか。

舐めてくれたものだな。

ラインハルトは冷笑する。

ただし、不幸な撒き餌に対して、容赦するつもりもない。

相手はカストロプ領を背後に布陣していたが、三倍の艦隊の接近を前に恐れて算を乱し始める。

そして、ラインハルトが攻撃の指示を出すと。

三十分も持たずに陣列は瓦解。

後は逃げ惑うだけだった。

「降伏勧告を出せ」

「わかりました」

瞬く間に包囲を完成させたラインハルトは、徹底的に相手を叩きながら、それでも降伏勧告を出す。

残存戦力である六千隻ほどは、驚くほどあっさり従った。

四千隻ほどは逃げ散り、完全破壊した艦艇は五千隻を超えた。

これに対して味方の損害は三百七十三隻。それも、大破中破も含めた数で、完全破壊は百十七隻に過ぎなかった。

文字通りの完勝である。

だが、これは撒き餌だ。

ラインハルトは一切油断せず、捉えた艦隊の武装解除を進めさせ、即座にグリーンヒル大将に連絡。

護衛の部隊をよこさせ、即座に後送させた。

護衛としてきたのは、ボロディン提督の艦隊で、即座に捕虜を引き取って戻っていく。

有能な男である。補給も追加で受けたので、心配はない。

打撃を受けた艦は即座に補修させる。損害が大きな艦はイゼルローン要塞に戻させた。兵員の補充は必要ない。

そして、ラインハルトは、制圧用の地上軍をカストロプ領の各地に降下させた。

制圧は順調である。

前の戦いで苛烈な戦いの舞台となり、領内は荒れ果てていた。

前線で指揮を執っているローゼンリッター(帝国から亡命した貴族の子弟で構成された陸戦特化部隊であり、ヤンがほしがって艦隊結成時に麾下に加えた)が連絡を入れてくる。

指揮官のシェーンコップという男は、極めて高い格闘戦能力を持っており。

キルヒアイスが自分と互角とまで言っていた。

盟友がそれほど言うほどの相手だ。

ラインハルトも敬意は払う。

また、陸戦指揮官としても有能で、制圧は極めて短時間で終わっていた。

「こちらローゼンリッター。 制圧は終わりました。 事前に言われていたとおり、国庫は空。 貧民がじっとこちらを見ておりますな」

「予想通りだな。 焦土作戦のつもりだろう」

「いかがなさいますか」

「略奪は厳禁。 とはいっても、略奪する物資もないだろうがな。 当初の予定通り、彼らが生活するのに必要な物資を供給しろ」

「イエッサ……」

全て予想通りだ。

もっと大規模な侵攻作戦を当初は考えていたらしいし。さらには、今まで無視して進んできた星系も似たような状態だっただろうことは容易に想像がつく。

この策。

やはり貴族どもが考えたものではないな。

ヤン提督が連絡を入れてくる。

ずっと参謀として共闘してきた男だ。ラインハルトも、即座に連絡を受けていた。

「ラインハルト大将。 ここまでは予定通りですね。 それで、ここからはいかがなさいますか」

「予定通り、こちらの窮状を示す通信を同盟領に送れ。 そして、予定通りのものを派遣させろ」

「わかりました。 可能な限り被害が出ないように、確実に行います」

「ああ」

ヤンにこれは任せる。

さて、しばらくは退屈な作業になる。

カストロプ領で、民主主義の啓蒙なんて無駄なことはしない。

最高評議会が、民主主義の啓蒙のためと称して、専門の弁舌官を艦隊に同行させているのだが。

そいつらは待機だ。

理由としては、治安が極めてよろしくないというのを挙げておく。

実際、ローゼンリッターが制圧するのは簡単だったが。

飢えた民は、兵士達を恨めしそうに見るばかりだったという。

帝国の民にとって、同盟の兵士なんて、人間として認識しているかどうかすら怪しい存在である。

無学な民は、「選挙とか言うものがあると好戦的になって戦争を仕掛けてくる連中」くらいにしか思っていない。

これはオーディンで駆逐艦を奪って、帝国領に逃げ込む過程でも、心酔させた兵士達から実際に聞いた。

そういう兵士達は、同盟に行くことを不安に思っていたりもしたのだ。

そういった不安はラインハルトもわかる。

実際に同盟に出向いてみて、民主主義の限界も理解した。

だから、今の時点では啓蒙などしない。

飢えないように物資を提供する。

それだけである。

さて、敵が次の段階の作戦に出るまで、一ヶ月ほど。その間に、工作班に映像を用意させる。

ラインハルトはその間、ヤンとキルヒアイスを呼んで、作戦の詳細を詰めておく。今の時点では、それで問題はなかった。

ちなみに、カストロプ領の民を悪いようにはしない。

ラインハルトだって貧民だったのだ。

同じ貧民を苦しめるようなまねは、絶対にするつもりはなかった。

 

最高評議会の議員であるウィンザーが、ヒステリックにまくし立てている。これはどういうことか、と。

ラインハルトが、カストロプ領の民の映像を用いて作らせたのは、反乱を起こしている民の様子だ。

ローゼンリッターが石を投げたり農具で襲いかかってくる貧民に辟易している様子が映し出されている。

苦境にいる民を救う。

それがこの出出征の大義だった。

根底からそれが崩れ去った様子から、出兵を主導したウィンザーは、激怒していたのである。

ラインハルトはしばらくヒステリーを起こしている見かけだけは整えている中年女の言葉を聞いてから。

ずばり言った。

「故に小官はこの出征に反対したのですよ。 小官が提出した作戦書に、まさか目を通していないと言うことはありますまいな。 不可能と事前に記載したはずです。 それでも作戦を強行したのはあなた方最高評議会議員でありましょう」

「……っ」

これは本当だ。

ラインハルトは実際に何が起きるか正確に記載して、事前に最高評議会に提出したのだが。

実はこれすら作戦の一部である。

ラインハルトが内心で笑っているのにも気づけず。

それどころか、ラインハルトの苛烈なアイスブルーの視線と、何よりウィンザーのような色から離れた年齢の女性でもはっとさせられる美貌。これで主戦派の女議員は、完全に圧倒されたようだった。

「ともかく、こちらではベストを尽くしますが、それでも限界が近いでしょう。 最悪、三個艦隊が敵地で孤立し、そのまま全滅する可能性すらあります。 どうすれば良いかは、事前に報告書を出してあります。 それに従って、対策を願いたい」

「……わかりました。 検討します」

「できるだけお急ぎください」

通信を切る。

ふっと、ラインハルトは笑った。

キルヒアイスが、そばで苦笑いを浮かべている。

全て予定通りである。

実際には、カストロプ領では問題など起きていない。

実はボロディンが捕虜を受け取りに来たときに、事前に蓄積していた物資を同時に届けていたのだ。

それは補給物資を補ってあまりあるほどの量である。

そして、問題はこれからだ。

既に作戦は立ててあり、グリーンヒルも了承している。

フォークだったらともかく、真面目なワイドボーンは指定通りの物資を送り込んでくるはずだ。

そこから、一気に全てをひっくり返す。

勿論。今までの航路に、予定通りの仕掛けは全てしてある。

ビュコックとウランフにも、作戦は伝達済みで。

二人とも呆れていたが。

それでも、問題はない。

ただ問題があるとしたら、貴族どもの背後にいる連中だ。十中八九フェザーンだが。フェザーンは軍事の専門家ではない。

戦争は数学である。

それは一面としてただしい。

同じ兵力がいたとしても、それが装備している武器、乗っている艦船などで、戦況は大きく変動する。

有名なランチェスターの法則などもあるが。

フェザーンは計算で、絶対に勝てる状態を作ろうとするはずだ。

だが、それはあくまで机上論である。

ラインハルトは知っている。

士官学校で習った戦術は、実戦であらかた試した。戦史に詳しいヤンから、色々な話も聞いた。

勝てるはずの戦いが、勢いで圧倒されて負けたり。

最新鋭の兵器で武装した部隊が、原始的な武器しか持たない民に一方的に鏖殺されたり。

そういった事件は、歴史上いくらでもある。

結局のところ、戦場でものをいうのはその場の臨機応変。

戦略までは、臨機応変は必要ない。

だが、指揮官の力量差が大きい場合は話が変わってくる。ラインハルトは、戦場で何度もそれを実施してきた。

「一ヶ月分ほどの生活物資を残して、ローゼンリッターを撤退させろ。 おそらくまもなく来るだろう。 ヤン提督、ビュコック提督、ウランフ提督には、それぞれ指示を出しておくようにな」

「わかりました。 ただ、この戦いが終わった後には、カストロプ領の民は苦労することになるでしょう」

「問題ない。 カストロプ領の民に映像を流す。 つなげ」

カストロプ領の民には、物資を配るだけではない。

民主主義の啓蒙なんてどうでもいい。

農作物の効率的な作り方、身を守る方法など、自活のための手段を教え込んできた。

これらはヤンが選抜した専門の士官達が行った。

そして、皆に伝えてある。

今回は、偵察に来ただけだ。

だが、いずれ貴族と違って、これらの食料をいくらでも食べられるようにできる新しい「領主」がやってくる。

農奴はそのときいなくなり、誰もが食料を腹一杯食べることができる。

ラインハルトは立体映像で、民に伝える。

カストロプ領のあちこちにある立体映像で、皆に伝える。

「同盟軍大将ラインハルト=フォン=ミューゼルである。 諸君らに伝える」

それから、淡々と述べる。

民もラインハルトの顔は知っている。誰もが、その威厳にうたれている様子だった。ラインハルトは、淡々と告げる。

今は、戻らなければならない。

だが、待つように。

必ずや戻ってくる。

諸君らが真面目に仕事をして作り上げた作物を取り上げ続け、虐待を続けた門閥貴族どもは、まもなく滅びる。

帝国も同じようにして滅びるだろう。

その後に新しい秩序とともに、私は戻る。

そのときには、諸君らに新しい生活と自由を約束しよう。誰の悪口を堂々と言ってもいい。

どのようなことを考えてもいい。

そういう時代のために、私は一度戻る。諸君も生き延びよ。私も諸君らとまた会うことを楽しみにしているぞ。

そう民に告げると、わっと歓声が上がった。

これでよし。

ローゼンリッターが引き上げてくる。ちなみに農奴として扱われていた民のうちで、同行を望む者は全て連れ帰らせた。

数は十万を軽く超えていた。

農奴制が特に辺境ではまだまだ健在であることはわかっていたが、痩せこけ、道具として消費されている彼らの姿は、キルヒアイスも怒りを覚えていた。

これから、皆で戻る。

引き上げが終わった直後、偵察班から連絡が来る。

「帝国艦隊出現! こ、これは……」

「正確に報告せよ」

「ほ、報告します! 帝国艦隊、最低でも十万隻以上!」

「ふっ。 どうやら、必死に兵力をかき集めたようだな」

おそらく十万隻だけではあるまい。

ヤンが事前に試算したが、三倍程度の戦力を出してくる可能性がある。

そしてその指揮官には、ブラウンシュバイクとリッテンハイムが必ず混じっている筈だと。

それでいい。

フェザーンは補給が枯渇するのを待ち、さらには三倍の兵力、地の利を味方につけたつもりだろうが。

それが机上の空論に過ぎないことを見せてやるだけだ。

更に連絡。

物資の枯渇(フェイクだが)をうけて、同盟から進発していた輸送部隊が攻撃を受け、全滅したと連絡が来る。

これも予定通りだ。

そもそも敵地に直線的に進軍したのだ。仮に同盟の全軍を出していたとしても、その戦力でも補給部隊は守り切れなかっただろう。

ちなみに補給部隊は基本的にほとんど無人の艦隊で、護衛の二百隻も軽武装。輸送船で運搬していたのは気体爆薬ともいえるゼッフル粒子だ。

補給部隊を指揮する艦隊には、帝国艦隊が襲ってきた場合は即座に指定のコードを入れて逃走せよと命令が下されている。

作戦を指揮したのはモートンという提督で、それなりに優秀な男だ。フェザーンに与するようなこともないだろう。指示通り逃げるはずだ。それでいい。

この報告が届くタイミングで敵の空前の艦隊が来襲。

ついでに心も折りに来る、というわけだ。

だが、ラインハルトは立ち上がると、全軍に号令をかけていた。

「予想通り敵艦隊が出現した。 敵の艦隊規模は空前だが、だが事前に備えをしている。 更に相手は大貴族が指揮する数だけの部隊で、寄せ集めに過ぎない。 常に最前線に立ち続け、数が多い帝国艦隊を打ち負かしてきた貴官らの敵にあらず! これを一戦して打ち破り、我らは凱旋する!」

「おおっ!」

「ラインハルト提督! すてき!」

女性兵士達が黄色い声を上げる。

ラインハルトとしては迷惑極まりないのだが、まあ士気が上がるのなら良いだろう。実際ラインハルトのブロマイドだかなんだかいう写真をコレクションしている女性兵士は多いとか。

まあ、ラインハルトはおつむがさもしい女には興味を持たない。勝手にやっていればいい。ラインハルトが女に興味を持つことがあるとしたら、最低でもラインハルトをうならせる知性の持ち主くらいだろう。それだけの知性があるなら、相手がどれだけ醜かろうとどうでもいい。

程なく、敵の状態がわかり始める。

敵は艦艇十三万。おそらく帝国正規艦隊の半数を無理矢理動員してきたとみていい。

だがこれらはここ数年のラインハルトとキルヒアイス、ヤンとの連携によって損耗しており、指揮官が特に消耗がひどい。

敵の陣形を見るだけで、ラインハルトは負ける要素がないと判断した。

「全艦隊、後退開始。 ヤン提督」

「はい。 できるだけうまくやってみます」

ヤン艦隊の得意技の一つは、見苦しく逃げるフリだ。これは小規模艦隊の頃からお家芸としていて、敵の誘引に絶大な効果を示してきた。

そして実戦経験がない馬鹿門閥貴族がそれを見たらどうなるか。

予想通り、既に勝ったと思い込み、我先にと追いすがってくる。更にラインハルトは下がらせる。敵の艦列は乱れに乱れ、ただ無駄に伸びるだけになった時。

ラインハルトは、一斉反撃を開始させていた。

 

3、カストロプの会戦、そして……

 

追撃戦。圧倒的な兵力差。

それを信じていた帝国軍の前衛は、突如として降り注いだ高密度の攻撃の前に、文字通り蒸発していた。

ヤン艦隊のお家芸。

一点集中砲火。

これはヤンがずっと訓練をさせていたものであり、その集中砲火の密度は類を見ない。

ボタン戦争が終了して久しい現在だが、それでもこれだけの火力が集中すると、文字通りどうにもならないのだ。

更に、ヤン艦隊に敵の前衛を粉砕させつつ、ラインハルトは全軍を紡錘陣形へと再編していた。

我先にと追撃戦をしようとすれば、ただでさえ無能な指揮官に率いられている艦隊など、三次元世界だろうが二次元世界だろうが、棒のように長く伸びる。それに対して、練度も火力も段違いの精鋭艦隊が一斉に火力投射をすればどうなるか。

「全艦突撃せよ! 狙うはブラウンシュバイクとリッテンハイムの首だ!」

「イエッサ!」

「突撃! 突撃!」

戦意を刺激された艦隊が動き出す。

地球が支配者の座から蹴り落とされた時。六万の艦隊が八千隻の艦隊に敗れるという醜態をさらした史実がある。このときの戦果は流石に誇張だという話もあるが、いずれにしても地球艦隊が各地で醜態を繰り返したのは事実で、数が相手より大幅に勝っているのに負け続けたのも事実だ

追っている筈が。

勝っている筈が。

いきなり超火力にさらされて、文字通り木の葉のように吹き散らされる。

不可解すぎる事象に帝国艦隊は困惑し、陣形を建て直す前に猛々しい攻撃で破壊されていった。

猛将で知られるウランフ提督の突撃は凄まじく、文字通り敵艦隊を滅多斬りにしながら突き進む。

これは勇将だ。

残念ながら政治家に転身するつもりのラインハルトだが、キルヒアイスに任せる軍でも、ウランフは片腕になるような司令官として役立てるべきだろう。

そう判断していた。

伸びきった陣列を砕きに砕いたところで、帝国艦隊がやっと困惑しつつも陣形を整え始める。

ただそのときには既に帝国艦隊のうち二万五千隻以上が失われ、逆に同盟艦隊は二百隻も損耗を出していない。

更にラインハルトは不意に後退を開始する。帝国艦隊はそれを見て、追撃は流石に控えようとした。

だが、それすら罠だった。

その作戦行動は、後続の部隊や、出遅れていたりした部隊との合流のため。更に陣列を整えたラインハルトは、既に雑多に散らばるばかりで、右往左往する帝国軍の急所を見極めていた。

真正面から敵全軍とやりあったら、負ける。

流石に質がいくら勝っていても、相手はこの数である。

更に言えば、味方は物資だって潤沢とはいえない。勿論この会戦を勝ち抜き、そして同盟領に戻るだけの戦力はあるのだが。

それでも限度というものがある。

砲火を交えつつ、ラインハルトは紡錘陣形の切っ先を向ける。それは分厚い……形だけは分厚いが、実態は隙だらけの敵陣だった。

ブラウンシュバイクを守ろうと、秩序もなく艦が集まろうとしている。

其処にラインハルトは、集中砲火を指示したのである。

ヤン艦隊が先頭に、猛烈な一点砲火が行われる。

無数の艦の主砲が一点に向けて放たれ、次の瞬間、二千を超える艦が爆発四散し、更にその余波で多数の艦が揺動する。

穴をこじ開けたラインハルトは、更に突撃を開始。

敵は囲むなり包むなりしてくればいいものを、指揮系統がうまく稼働していない。それもあって、敵の八割以上が遊兵となり。

そればかりか、先の突撃からの粉砕で逃げ散った帝国軍が味方に逃げ込もうとするため、それで帝国軍はまともに射撃もできず、精密な同盟艦隊の砲撃の餌食になるばかりだった。

「旗艦ベルリンを確認!」

「討て」

旗艦ベルリン。

ブラウンシュバイクの旗艦である。盾艦という、いざというときには壁になるだけの戦艦を左右に配している非人道的な艦だ。その盾艦を切り離して逃げようとするベルリンを、容赦のない主砲斉射が貫いていた。

戦場に巨大な火球が出現する。

完全破壊。

更に、通信を入れさせる。

諜報部隊がフル活動していた。

「総司令官戦死! この戦いは負けだ!」

「敵が追ってくるぞ!」

無数の通信が飛び交う中、集中砲火で次々とまだ交戦を試みる戦線が崩される。同盟艦隊は三倍の相手に一歩も引くどころか、圧倒していた。質が如何に優れていると言っても、だ。

ただ、それでも物資に制限がある。

そろそろとどめを与えなければならない。

「リッテンハイム侯爵の座乗旗艦オストマルクを発見! 戦場から逃走を図っている模様!」

「臆病者が」

ラインハルトは吐き捨てた。

リッテンハイムのことは調べてある。典型的な門閥貴族で、どうしようもない無能な男だ。

ただ無能なだけならいい。

膨大な富を持ち、その富の使い方を知らず、搾取を繰り返して自分と一族だけ楽に暮らしている。

許しがたい存在だ。

ラインハルトは無能は軽蔑しない。ほとんどの者は無能だからだ。

だが、無能でありながら、不相応な地位に就いている者は許さない。

リッテンハイムは、見本のようなその輩だった。

「キルヒアイス」

「はい」

「全艦隊、ブラウンシュバイクの残存艦隊に突撃。 敵を蹴散らしつつ、背後に抜ける。 遅れたら死ぬぞ。 総員、駆け抜けよ。 損耗が大きい艦艇は、僚艦に援護と牽引を頼め! 輸送艦は艦隊中央に! 中には避難民もいる! 何があっても守り切れ!」

「おおっ!」

全軍が突撃を開始する。混乱の局地にある帝国軍はそれをまともに迎撃すらできず、特に不幸なブラウンシュバイクの艦隊にいた艦艇は、文字通り道に散らばった小石が屈強な騎馬隊に蹴散らされるようにして吹き飛ばされていた。

敵中突破を果たしたラインハルトは、味方から離れて逃げようとするオストマルクを正確に発見。

敵がいない方向に逃げようとする。

その洞察を正確に的中させていた。オストマルクは至近距離で同盟艦隊の射程に捕らえられることとなった。

ヤン提督が、指示を出すまでもなく、集中砲火を指示。

盾艦を装備していようが、どうにもならない。

オストマルクが火球になるまで、三十秒とかからなかった。

「戦艦オストマルク爆沈! 完全破壊です!」

「よし、戦場を離脱する。 さて……」

全艦隊が、そのままの勢いで撤退を開始。逃げ遅れた艦もどうしても出るが、それはビュコック提督がかばいながら、可能な限り救出しつつ撤退戦を進める。見事な手腕だ。キルヒアイスの片腕として、軍を率いてもらいたいところである。

問題はここからだ。

まだフェザーンは何かしらを仕掛けている可能性が高い。

キルヒアイスに頷く。

キルヒアイスが指示を出した瞬間。

一瞬遅れて、どこからか放たれた大威力の主砲が、アジ=ダハーカを直撃していた。

艦橋が激しく揺動する。

帝国艦隊の一部に、妙に動きがよい部隊がいる。

フェザーンは傭兵として、プロフェッショナルの部隊を派遣している。これは同盟も帝国も同じだ。

それによる狙撃。

しかも、このタイミングだ。狙っていたとみて良いだろう。

「左舷損傷! 第13,第17ブロック、死傷者多数!」

「ダメージコントロール急げ!」

「ラインハルト提督!」

「無事だ。 我は健在! 全軍に繰り返す! 我は健在である!」

ラインハルトはスクリーンに叫ぶ。同時に、追いついてきたビュコック提督の艦隊が、更に攻撃を加えようとしていたフェザーン傭兵と思われる小規模艦隊を、文字通り消し炭に吹き飛ばしていた。

キルヒアイスが事前に信頼できる艦隊を周囲に配置してくれていた。

それもあって、狙撃の隙、クリティカルな場所への着弾を防いでくれていたのである。

更に問題は内部にスパイの類がいることだが。

音もなく忍び寄ってきた下士官。

閣下。

そう叫んだのは兵士の一人。その下士官が、ブラスターを引き抜き、ラインハルトを射撃しようとした瞬間。

額を打ち抜かれて、倒れていた。

下士官をブラスターでためらいなく撃ったのはキルヒアイスだった。

「助かったぞキルヒアイス!」

「いえ。 それよりも、周囲にお備えを」

「警備を固めよ! おそらく暗殺目的の兵がまだいるはずだ!」

艦橋が慌ただしくなるが。

艦隊の動きに問題はない。

右往左往をする帝国軍は無視。撤退できそうな部隊を救出しながら後退を続ける。最後尾にヤンの艦隊が入り、追撃してこようとする敵をまとめて蹴散らしてくれている。そのとき、警告音。

さらなる敵艦隊だ。

「前方より敵艦隊、およそ一万五千!」

「ほう。 一個艦隊か。 誰の指揮下のものだ」

「おそらくあれは、メルカッツ提督のものです!」

そろそろこちらは矢玉がつきる。

おそらくメルカッツの艦隊は、輸送部隊を叩いてからこちらに来たのだろう。

輸送部隊はそのまま自爆するように仕込んでいたが、見た感じトラップに引っかかったようには見えない。

キルヒアイスが周囲を警戒しながら言う。

「そろそろ継戦能力の限界かと思われます」

「そうだな。 各艦隊、道を塞ぐようであれば一当てだけせよ。 この戦いは、ここでしまいとする!」

完勝に水を差されるつもりはない。

そのまま、ウランフの艦隊が先頭になり、獰猛に相手に仕掛ける。メルカッツの艦隊は小規模艦艇と空挺部隊の組み合わせによる高速機動戦を得意としており、今回も巧みに攻撃を受け流しながら、正面からの戦闘を避け。後方で滅茶苦茶になっている帝国軍の救援に向かったようだった。

わずかにすれ違っただけ。

どちらももとより本気ではない。ただし、メルカッツが粘った場合、最悪態勢を立て直した敵が後方より追いすがってくる。滅茶苦茶であっても、砲門の数はそれなりにある。滅多打ちにされたら壊滅は避けられないだろう。

「追いますか」

「無用。 引き上げるぞ」

「了解しました」

味方の士官に告げると、警備として派遣されてきたシェーンコップが、周囲を警戒してくれる。

地上戦が終わった今は仕事もないので、ヤンが回してくれたらしい。

キルヒアイスが敬礼して、それから警備を任せる。

キルヒアイスに興味を持ったので聞いてみた。

「やはり強いか」

「はい。 私でも勝てるかどうかは微妙でしょう」

「ならばお前が二人になったのと同じだ。 心強い話だな」

そのまま、一気に同盟領に戻る。

この戦いで、物質的に得たものはあまりない。

ただし、帝国の中枢に致命傷を与えた。

それで十分だ。

おそらくこの戦闘の膳立てをしたのはフェザーンだとみていい。この膨大な敵戦力に加え、最後のあの狙撃なども間違いなく奴らの行動だ。

だが、それが却って帝国の寿命を縮めた。

現在外戚として国を壟断しているブラウンシュバイクとリッテンハイムの死。

残されたフリードリヒ四世の子孫は二人。更に皇帝候補に担ぎ上げられた皇族の子供が一人。

そのうち二人は、それぞれブラウンシュバイクとリッテンハイムの娘であり、これで完全に後ろ盾を失った。

残る一人エルウィン=ヨーゼフはまだ幼児に過ぎず。

後ろ盾になっているリヒテンラーデ公爵には軍事的な後ろ盾がない。

つまり、これから。

帝国は大分裂の時代に突入する。

これをまとめられるものは存在しない。

まあ、放っておいても帝国を二分する内乱をブラウンシュバイクとリッテンハイムが始めていただろうが。

それすら失われた、本物の混沌がこれから帝国を飲み込むのだ。

同盟が体勢を立て直すには十分な時間が得られるだろう。

何人かを、シェーンコップが逮捕して、船を下りていった。既に安全圏に移り、各艦が補修を開始している。

キルヒアイスが指示を出して、更に警戒をさせているが。

まあ、もう大丈夫とみて良いだろう。

イゼルローン回廊近くで、今回の会戦の被害が大まかにまとまっていた。

同盟艦隊の損害、完全破壊、敵地に取り残された艦を合計して2190隻、戦死および非生還者三十万六千。

この規模の会戦としては極めて少なく、ましてや敵の損害はブラウンシュバイク公、リッテンハイム公を失い、最低でも撃沈大破合計四万隻と試算されているため、完勝と言って問題ない。

いずれにしても、敵の十万隻を遙かに超える大軍勢を四万隻で翻弄し、完勝したことで。カストロプ領を手に入れなくても、ラインハルトはこの戦いで元帥に昇進するのが確定となった。

これからだ。

ラインハルトの野心は燃え上がる。

この宇宙をつかみ。

ルドルフが作り上げた馬鹿げたゴールデンバウム朝などという代物を滅ぼし尽くす。

そのためになるのは、皇帝であろうが、最高評議会議長であろうが、どうでもいい。

またラインハルトの子孫に権力を継がせるつもりだってない。

実力あるものが上に立てば良い。

そう考えるラインハルトにとっては、むしろ人望がなくなれば即座に免職される議会制度は本望ですらあった。

イゼルローン要塞に帰港する。

アジ=ダハーカは中破し、乗組員1055人のうち84名が戦死した。その中には、キルヒアイスに討ち取られた暗殺者もいた。

いずれにしても、修復して、以降はキルヒアイスに預けるつもりだ。

ゾロアスター教における最強の悪竜の名を持つ艦は。

生還し。

そしてこれから、帝国を飲み下すのである。

 

メルカッツは惨状に閉口していた。

戦いの前。ブラウンシュバイクとリッテンハイムとで、つかみ合いのけんかをしていた。どちらが作戦の主導権を握るか。それが理由でだ。

メルカッツに作戦指揮を任せてはどうかという声もあったのだが、どちらもが即座に却下した。

どちらも、この大規模会戦で勝利することだけを考えていて。その後の主導権を握ることだけを目的としているのは、火を見るよりも明らかだった。

メルカッツは輸送部隊の襲撃に艦隊を回させられ。

それが罠だと悟り、戦場に急行してみればこの有様。

ブラウンシュバイクとリッテンハイムはどちらも戦死。

さらには、どうにか秩序を取り戻して戦力を計算したところ。

参戦兵力十四万二千隻(メルカッツの艦隊も含む)のうち、完全破壊された艦だけで四万五千隻。大破した艦艇も三万隻を超えていた。さらには二万隻以上が、帝国は終わったと判断したのか、それぞれが勝手に離脱した。これらがこれから宇宙海賊にでもなるのか、それとも同盟にでも逃げ込むのか、それすらわからない状態だった。

戦死者は判明しているだけで七百万と、おそらく帝国戦史で最大の規模。

これに加えて、帝国はかろうじて存在していた秩序の柱が完全に折れたのである。どちらも傾いていたが。それでもだ。

メルカッツが戦後処理を進めていると、門閥貴族が何人か押しかけてきた。メルカッツの旗艦ネルトリンゲンに土足で上がり込んできた貴族達は、戦後処理を不休で続けているメルカッツに、詰め寄ってきた。

「今まで何をやっていた!」

「作戦に従って、敵の補給部隊を叩きに赴いていました。 作戦については把握しておられませんでしたか」

「黙れっ! 貴様が遅れたせいで、ブラウンシュバイク公が戦死なされたのだぞ!」

「どう責任をとるつもりだ!」

そうか。

この後の責任を誰に押しつけるかでもめている訳だ。

副官のシュナイダーが前に出ようとする。怒りに震える副官を、メルカッツは視線で押さえていた。

「いずれにしても、そもそもオーディンにまず無事に帰還せねばなりますまい。 この艦隊の惨状、生きて帰ることすら困難です。 更に同盟が第二次攻撃を仕掛けてきて、この艦隊が敵に遭遇したらいかがなさいますか。 敵はまだまだ兵力を出す余力があるでしょうな。 あり得ないことではありません」

「ひっ!」

「お、覚えておれ! 後で軍法会議にかけてやるからな!」

「この屈辱は忘れぬぞ!」

貴族達がネルトリンゲンから出て行く。

ため息をつくメルカッツに、シュナイダーは言う。

「どうなさいますか」

「我が艦隊の病院船は無事だ。 ともかく艦隊を糾合し、一人でも多くオーディンに生還させてやらねばならぬ」

「はい。 しかしその後は。 門閥貴族達の集団リンチの餌食にされるだけでございましょう」

「……」

その通りだ。

あの貴族達は、自分たちが悪いなどと思考できる知能を持っていない。

貴族は貴族であるから富を甘受し、搾取してよい。そのように考える者達だ。

もしもこれで帝国が終わったと兵士達が判断した場合、内乱がここで始まってしまう可能性さえある。

そもそもオーディンにはまだ半数ほどの帝国の艦隊が駐留しているが、それらももはやこれでは軍としての秩序をなすかどうか。

「オーディンに戻り次第、ご家族を自分が保護します」

「どういうことか」

「もはや帝国に閣下の居場所はございません。 同盟に亡命なさいませ。 おそらく……閣下が行動をなされば、同様の判断をする者は多数出るかと思います」

「そうだな。 沈む船に、皆を残していくわけにもいくまい。 リヒテンラーデ公に国をまとめる力はなく、各地の門閥貴族が内部での武力闘争を始める時代がやってくる。 そんな場所からは、一人でも救い出さねばな」

シュナイダーの提案を、メルカッツはのんだ。

その後、メルカッツは残存艦隊をかろうじてまとめ、オーディンへ急いだ。貴族達は途中で離脱し、そのまま自分の領地に戻る者も多かった。

銀河帝国は終わりだ。

それを誰もが悟っているのかもしれない。

これで遠縁の成人した皇族でもいればまだ再起の可能性はあったのかもしれないが。

もはやその可能性すらなかった。

メルカッツはオーディンに戻ると、即座にシュナイダーが動き、メルカッツの家族を保護した。

そしてメルカッツはネルトリンゲンを降りることなく、そのままオーディンを出た。それに、ビッテンフェルト、ミュラー、シュタインメッツらの提督が従った。それに加えて同盟に向かう途中、一隻の戦艦が加わった。

それはクロプシュトック事件で、姿を消していたロイエンタールという若い少将だった。

クロプシュトック事件は、当時公爵だったクロプシュトック家がテロを直接行った事件であり。

それで多数の貴族が巻き込まれ、大規模な討伐軍が組まれた。

この指揮をしたのがブラウンシュバイク公で、兵力数分の一のクロプシュトック公の私兵相手に大苦戦をしたあげく、ピクニック同然に戦後の領地で略奪虐殺陵辱の限りを尽くした。

そのとき、ミッターマイヤーという少将がこれに反対し投獄されたのだが。ミッターマイヤーはロイエンタールの比翼の友だった。しかし救い出す手段がなかったのである。

しかし、ついに好機が生じた。

ロイエンタールは、この隙を逃がさず、長年とらわれていた友をその家族ごと救出し、はせ参じたのだった。

ただし長年の投獄と拷問によりミッターマイヤーは右足を失い、左目もほとんど視力を失ってしまっていたが。

メルカッツの艦隊は逃走を続けたが、追撃の艦隊は一隻も来なかった。そればかりか、先の戦いで離散した艦隊が加わりさえした。

こうしてそれなりの戦力になった艦隊がイゼルローン回廊にたどり着き、そのまま同盟に投降。

以降、音を立てて、ゴールデンバウム朝銀河帝国は、崩壊の坂を転げ落ちていくことになる。

 

首都星ハイネセンに帰還したラインハルトは、元帥の地位を獲得。戦果から考えて当然のことだった。

ラインハルトに対して握手した最高評議会議長トリューニヒトは、無意味な美辞麗句を垂れ流して、同盟の勝利は近いなどとほざいていたが。

ラインハルトはこのとき、既に準備を整えていた。

同時に大将に昇進したキルヒアイスに信頼できる部下達を預け、そして内偵を開始させたのである。

三ヶ月後。

ラインハルトは元帥の座を返上して、政界への転身を発表。

同時に、ヨブ=トリューニヒトの地球教との癒着。

フェザーンへの軍事機密の横流し。

膨大な政治資金がフェザーンから流れ込んでいたこと。

そればかりか、他多数のスキャンダルが全て同時に明らかになったのである。

無敗の元帥であったラインハルトは、一瞬にして市民達の注目の的になり、特に女性有権者はラインハルトになら何をされてもいいとまで言う者が多数いた。

選挙が開始され、結果は明らかだった。

瞬く間にラインハルトは最高評議会の議長の座に就任。

トリューニヒトを蹴り落とすと、同盟の改革を開始したのである。

帝国は案の定、千々に分裂しての凄惨な内戦が開始されており、しばらく同盟に侵攻してくる可能性はない。

ラインハルトは議長の権限、さらには軍部への強力なコネを使って、改革をダイナミックに進めていった。

それをルドルフの再来ではないのかと懸念する声もあったが。

ラインハルトの改革は極めて公正であり。

今まで見逃されていたような汚職が摘発され、マンパワーの不足で滞っていたようなインフラの弱体化が解消され。

同盟は見る間に国力を回復していった。

そして、ラインハルトが三年をかけて同盟を再建させた頃には、もはやトリューニヒト派閥の居場所は同盟にはなくなっていたのである。

そしてそれは、フェザーンの終了も意味していた。

 

完全に状況が制御できなくなったフェザーン自治領は、あらゆる手段でラインハルトの排除を試みていたが。それ以前に、帝国の壊乱をどうにもできず、結果として安全な航路から得られる収入をほとんど喪失。

それは賄賂で得られていた販路や、各地での不正蓄財を失うことを意味していた。

そして、その日が来たのである。

その日、フェザーン自治領の自治領オフィスでは、一人の男が死んでいた。撃ち殺されたのである。

撃ち殺されたのはルパート=ケッセルリンク。

先代自治領主ルビンスキーの私生児だった。

ルパートは少なくとも能力の範囲内では誠実に務めていたが。手を下す判断をしたボルテックは、そうは思っていなかった。

既に地球との連絡も途絶。

理由は簡単で、貴族同士の争いで、船も超光速通信も行き来できなくなったのである。それだけ帝国の状態が悪いと言うことだ。

既に独立国を自称する貴族領だけで五十を超えるという有様で、既に地球と連絡などできる状態になかった。

その結果、ボルテックは完全に指標を失った。

元々ルビンスキーの死で繰り上がって自治領主に成り上がっただけの男である。能力は先代にまるで及ばず、商魂たくましいことで知られるフェザーン商人達からは「黒狐の尾」(黒狐とはルビンスキーのあだ名である)などと言われていたほどだ。

それ故に、ボルテックは恐怖した。

指標を失い、同盟からも見放され、帝国とも安定した交易を構築できなくなったフェザーンから、商人達が逃げ出していく様子を。

しかも商人達はラインハルトの下に財産を持って走っている。

それらが、フェザーンの機密を持ち出しているのも確実であり。しかも止める手段が存在しなかったのである。

混乱の中、些細な暴動が起きた。

それはすぐに鎮圧されたが、サイオキシン麻薬で錯乱した暴徒を見たボルテックは完全に取り乱し。

誰かが命を狙っているに違いないと思い込んだ。

そして、その誰かは、ルパートだと確信したのである。

更に言えば、ルパート自身もクリーンだったわけではなく、ルビンスキーの時代には父親を蹴落とそうと画策していた証拠が出てきた。

既に過去の話であったのだが、ボルテックはそれを見て決断。

ルパートを呼び出すと、護衛のガードマン達に撃ち殺させたのだった。

「自治領主様、こ、これでよかったのでしょうか」

「他に手段もなかった! こやつは確実に私の寝首をかきに来た! それにこやつが私を無能だ、自治領主にふさわしくないと言っているのを、複数の人間が耳にしていたのだ!」

「……」

困惑するガードマン達。

そのときだった。

警報が鳴り響く。

ひいっと悲鳴を上げたボルテックがへたり込む。

空から、一個艦隊はある同盟の艦隊が、降下を開始していたのである。

同盟軍に仕官し、過去の軍歴も買われ、軍事の拡大と再編成の中で頭角を現したミッターマイヤーの率いる第一艦隊だった。

ミッターマイヤーは義足に片目になっていたが、皮肉なことにそれでも行軍速度にまるで変化はなく。

さらにはフェザーンの終わりを悟った商人達は、艦隊を見てさっさと降参するばかりで、危機を故郷に知らせようとはしなかった。

ラインハルトが同時に、フェザーンがこれまで同盟の経済の影で暗躍していたことや、地球教というカルト団体を使嗾して暗躍していたこと(実際は逆だったのだが)などが知らされ。

同盟も、軍事介入に踏み切らざるを得なかったのだ。

ミッターマイヤーが指揮する、極めて軍規の高い軍勢が降りてくる。

フェザーンが制圧されるまで、ほとんど時間もかからない。

自治領主のオフィスは最優先制圧目標なのは目に見えていた。

抵抗しますかとガードマン達は青ざめた顔で言ったが、ボルテックは既に半分失神しており。

それを見てガードマン達は、抵抗の意志を諦めた。

フェザーンは半日で陥落。

ボルテックはその場で拘束された。

ボルテックが処刑を命じたルパートは、後に軍警察が調査をしたが、反乱をもくろんでいた形跡はなかった。

だが精神病院に入れられたボルテックは、それを聞いてもそんなことはない、いつか殺しに来るはずだと、錯乱し。さらにはルパートの亡霊まで見て、恐怖で失神する有様だった。

ラインハルトはこうしてフェザーンを制圧した。

同盟市民には、フェザーンへの攻撃は侵略であり、やり過ぎではないかと懸念を示す者もいたが。

フェザーンの自治領主オフィスからは、長年同盟で暗躍していたフェザーンのスパイのデータだけではない。

同盟の軍事機密を帝国に、その逆もあったが。横流ししていた膨大な証拠。

歴代の最高評議会議員がどれだけの賄賂を受け取っていたかの具体的なデータ。

さらには、同盟を代表する英雄である、ブルース=アッシュビー元帥の暗殺をフェザーンが行わせた証拠まで出てきたため。

それらの懸念は、怒りに踏み潰されたのだった。

 

こうしてフェザーンが落ちて、そして一年も経過しないうちに。

キルヒアイス提督が率いる五万隻の艦隊が、長駆して帝国の首都星オーディンを強襲。わずかな守備兵を蹴散らし、制圧。

そのとき、皇宮である新無憂宮の玉座には、栄養失調寸前の幼帝エルウィン=ヨーゼフ二世がただ座らせられており。

まともな世話すらもされていなかった。

キルヒアイスは幼帝を保護し、同時にわずかに生き残っていた文官達から事情を聞く。

内乱でリヒテンラーデ公爵が暗殺され。以降は完全にオーディンは機能不全に陥った。

わずかな有志だけで新無憂宮を維持していたが、連日の暴動で身を守るだけで精一杯だった。

それが、彼らの言い訳だった。

ラインハルトは、それを聞くと。

幼帝を退位させ、そしてまっとうなしつけと教育をするようにとだけキルヒアイスに指示。

こうして、帝国もラインハルトの手に落ちたのである。同時に、ゴールデンバウム朝銀河帝国は歴史から消えたのだった。

そのとき、ラインハルトが同盟に亡命してから、実に十五年が経過し。

ラインハルトは三十になっていた。

ヤンが率いる五万隻の艦隊と、オーディンに駐留軍を残したキルヒアイスが各地を制圧して回り。

帝国領が再統一されるまで、一年が更にかかった。

そのときには、既に。

帝国と同盟とフェザーン。

さらには地球が背後で糸を引いていた長い長い戦いは、過去の話となろうとしていた。

 

4、帰ってきた英雄

 

幼い頃、ハンナは見た。

空から降りてきた人たちが、貴族の軍をやっつけたのを。

貧しい中、生きていくすべを教えてくれたのを。

それからしばらくは、ひどい時間が続いたけれど。

大人達は信じていた。

助けてくれた人。ラインハルトという人が、必ず戻ってくると言っていた。

それを希望にし頑張ろうと。

そしてハンナは、希望を信じた。

そのラインハルトという人の映像も見た。

見たことがないくらいきれいな人で、でもとても怖い目をしていた。

すごい人だなと思ったけれど、天使というよりは悪魔に思えた。

でも、悪魔でもなんでもいい。

勝手なことばかりする貴族達よりはましだからだ。

それから時間がたって。

貴族の軍隊がまた追い払われて。

同盟というところの軍隊が来た。まだ幼くて前に来たときのことはよく覚えていなかったけれど。

記憶の奥底から思い出す。

確かに、この制服を着ていたと思う。

それから、ここに昔住んでいたという人たちが来て、色々と支援してくれた。

昔は農奴だったというおじさんは。

今では色々なことを知っていて、聞けば何でも答えてくれた。

そして少しずつ住んでいる土地がよくなっていって。

ハンナが十五になった頃には、国が「自由惑星同盟」になったことを理解した。現在は同盟の駐留財務官という人が統治しているのだけれど、とても親切で、貴族とは大違いだった。

今まで貴族に取り上げられていた作物も、だいたいは自分のものにできた。しばらくは貴族から取り上げたお金で皆の生活を支援してくれるので、税金はいらないと言う話だった。

これは元々不当に取り上げられていた税金だから、気にすることもないと言われた。

ただ、ずっと言われたことを覚えている。

生きていく力を自分で身につけるように、と。

だから、補助されたとしても。

自分で生きていくことを、忘れてはいけなかった。

ある日、ハンナが果樹園の手入れをしていると、きれいな女の人が来た。元は貴族だったらしいけれど、同盟になった時に貴族を捨てたらしい。

ヒルダというその女性は、いくつかの質問をして。

ハンナが全てに問題なく答えると、頷いていた。

「ラインハルト議長がここを視察に来ます。 もしも不満や、足りないことがあったら何でも言って良いそうです」

「わかりました。 それでは遠慮なく色々言わせてもらいます」

「ふふ、失礼がないようにしてください」

女性としてはいわゆる女盛りだろう。

だけれども、子供を産んだことのある体だと、ハンナは一目で見抜いていた。

相手は誰だろう。

ただ、とても聡明そうな人だった。

それに不幸そうには見えなかった。

きっといい人が相手だったのだろう。

ほどなくして、三つ首の竜みたいな艦が降りてくる。それを見て、アジ=ダハーカだと大人が騒いでいた。

ラインハルト議長が、軍人時代に乗っていたものであるらしい。

今では同盟軍の殊勲艦であり。

この艦が来ると、ジークカイザーと叫ぶ大人と。

いや、議長万歳だという突っ込みが入り交じる。まだ、人々は民主主義というのをよく理解していないのだ。

ラインハルト議長が降りてくる。

護衛を連れているが、若い頃の姿から全く衰えがない。

充溢していて、人生を静かに楽しんでいる雰囲気だ。

ただ、目の苛烈な光は衰えているように思う。

悪魔みたいだった昔と違って。

今は年老いた獅子王みたいだなとハンナは思った。

まだ三十路の筈だろうに。

不思議な話である。

議長は、昔カストロプとかいうろくでなしの貴族が屋敷にしていた場所で、会談をする。

あまり長くはなかったが、ハンナも時間をもらったので会う。

丁寧に礼をすると、落ち着いた雰囲気でラインハルト議長は言う。

「何か不安や足りていないものはあるか」

「はい。 私は良いのですけれど、村の東の川が荒れ放題で、このままだと近いうちに氾濫すると思います。 大人達は気づいていませんけれど、大雨の時とかは堤がぎしぎしいっていて」

「ほう、よく気づいてくれたな。 即座に測量官を派遣させよう。 聡明なお嬢さん、私にも最近息子ができてな。 お嬢さんのように聡明に育つことを願うばかりだよ」

「ありがとうございます。 私は幼い頃、あなたに救われました。 また今回も救われることになりそうです。 救われてばかりですね」

それでいいとラインハルト議長は言う。

昔、ラインハルト議長は、弱い者は弱い立場に甘んじていれば良いと思っていたそうである。

自分が弱い立場から這い上がったからだそうだ。

だが、今では弱い者のことがわかるようになってきたのだとか。

帝国と同盟を見て。

荒れ果てた地球に降りたって。

銀河系で、人間が版図にしている隅々まで回って。

結婚して、子供もできて。

大事な盟友と姉が結婚して、甥と姪ができて。

それで色々と思うところもあったそうだ。

「問題があったらいつでも頼るように。 頼られて、それでしかるべき存在であることが、私たちの仕事だ。 指導者がそれをできなくなったときは、お嬢さんが立ち上がるといい。 そしてそんな情けない指導者を打倒するのだな」

「わかりました。 そのときは頑張ります」

「うむ……」

やはり、優しくなったようだ。

昔の苛烈な瞳とは、全く違った。

ハンナは戻ると、すぐに来てくれた測量官に、堤を示す。確かに問題が発生していたらしく、すぐに手を回してくれるそうだった。

大人でも気づけなかったのに立派だ。

そう褒めてくれた。

だけれども、これからは。

ハンナが自分の足で歩く番だ。

きっと、あのラインハルトという人は、皆がそうすることを今は望んでいる。

そういう気がした。

 

(終)