博麗の巫女苦悩する

 

序、呪術の実態

 

蠱毒。

古くから伝わる邪悪な呪術である。内容は、多くの毒虫を相食ませ、生き残った一匹を贄に用いて呪術を行うと言うものだ。

似たような例は幾つもあるが、酷いものになるとこれを人間でやる事もあるのだという。

しかしながら、そもそもである。

これを実際に行った記録はあるのだろうか。

勿論やった奴はいるだろう。

だがそれは、本当に効果を示したのだろうか。

呪術というものは、言葉と密接に関係しているという。

つまり、相手に投げかけるもの。

その場で何か邪悪な儀式をした事によって、それが相手に届くものなのだろうか。

幼い頃浴びた暴言はいつまでも心身を蝕むし。

大勢から浴びせられた悪意は人を簡単に壊す。

呪いというものは、むしろそういうものなのではないのだろうか。

此処は幻想郷。

未だに妖怪が実在し、人間を怖れさせる秘境の中の秘境。

場所は日本の何処かとも言われるが、結界で隔離されており、内部に侵入する手段は限られている。

人間は人間で、妖怪に打ち克ち、打倒する。

人間と妖怪のバランスが取れてようやく存続している土地である。

実際に炎や光が出る魔法が存在しているのだ。

呪術も当然存在しているのだろうが。

しかしだ。

どうにも、呪術について調べていて、ぴんと来なかったのである。様々な文献を読んでみて、そして不可解だなと小首をかしげたのは。

幻想郷の管理者。

人間最強を謳われる存在、博麗霊夢であった。

幻想郷の東端に存在する博麗神社の巫女であるが。自分が何の神を祀っているのかさえ知らない。

妖怪に対しての知識はてんこ盛りにあるが、努力が大嫌い。

戦闘経験だけで底なしに強くなる、歴代最強の人間サイドの幻想郷管理者の一人。

赤いリボンを常につけ、赤白の巫女服をいつも着ている彼女は。呪術よりはむしろステゴロの方が得意。行動力も単純な強さも様々な意味で規格外。

本人もそれは自覚しているが。

そもそも、幻想郷を隔離する「博麗大結界」の管理者という立場であり。戦闘では呪術の類も使っているのに。

こんな事を考えるのは、妙な話ではあった。

あまりにも勉強不足なのだ。

ここ最近色々あったから。博麗の巫女は、今変わろうとしている。自分の立場を自覚して、故に変わらなければならないとも思っている。

ちょっと気を緩めると、あっと言う間に淀みはたまる。

たまった淀みは弱い者をすぐに蝕む。

蝕まれた者は死ぬ。

畜生界での戦いで、弱い者が蹂躙される世界の醜さを見た。そんな世界が如何に不安定で、いつ滅びてもおかしくないことも。

実際問題、畜生界に顕現した荒神の御霊を鎮めなければ良かったと想いさえした。

それと前後して、間近だったはずの妖怪の山で。組織が腐敗するとどうなるのかを、最悪の形で見た。

この世は簡単にできていない。

腕力で殴れば解決する事ばかりでは無い。

それは分かっていたつもりだったのだが。

本当に分かっているつもりだっただけ。そう思い知らされた。

だから今、重い腰を上げて、本気で努力しているのである。努力なんか大嫌いだというのに、だ。

そもそも戦いに使える技や術。現実に結界を維持するためのノウハウ。時々行うための神事。

それら以外の呪術については、あまりにも知識がなさすぎる。

だから今。迷惑そうな顔をして此方を見ている稗田家の現当主。稗田阿求の家に押しかけて、その蔵書を確認して勉強していたのだが。

見ればみるほど、呪術が分からなくなってきた。

大きくため息をつくと、別の本を見る。

稗田の蔵書は製造技術も様々。

手で紙に書き写したものもあれば。外から入ってきた、守矢が持っているようなぴかぴかの本もある。

妖怪退治屋に解放されている蔵書の数々だけれども。

その内容は、基本的に賢者の検閲が入っている。

以前此処の蔵書に書かれている事をそのまんま妖怪に知らせたら、豆鉄砲を喰らった鳩のような顔になった事がある。

此処の蔵書はあまり宛てにならないか。そう霊夢は判断した。

「ありがと。 参考になったわ」

「いえいえ。 それにしても不勉強なことで知られる博麗の巫女が、どういう風の吹き回しですか?」

「あー?」

「……」

阿求との間に電気が走る。

いつも食い物を無心しに来る霊夢を良く想っていないことは知っていたが、此処までストレートな嫌みを言うか。

此奴が襲われても助けなければならない……というか。阿求を襲うような妖怪は幻想郷にはいないか。賢者に直接通じている事を、幻想郷の誰もが知っている。そういう意味では霊夢も同じだが。阿求の場合は、よりストレートに、賢者から絶対に襲わないようにと通知が入っている筈だ。

だが、絶対に安全だと思って貰っても困る。

「帰ろうと思ったけれど気が変わったわ。 しばらくこの倉庫にいるからよろしく」

「……どうぞご自由に」

阿求は色々な意味で人間離れしている。

身体能力は低く、自衛力もないに等しい。

だが絶対記憶能力の持ち主で、転生し続けながら記憶を記載し、それをずっと引き継いでいるというどちらが妖怪なのか分からないような存在だ。なお稗田阿礼から順番に数字が繰り上がっていって、今「9」である。要するに現在の阿求は9回の転生を果たした十代目と言う事だ。

阿求の体力がないこと、霊夢が来たなら当主が見張らなければならない事を承知の上で。霊夢もこういう反撃に出た。悪口の言い合いだと実際には超長生きしているも同然の阿求に勝てる訳がないので、体力勝負である。

やがて阿求が完全にばててきたのを見計らい、切り上げる。

本当に倒れるまでやったら紫に説教される。それに、阿求の場合体が冗談抜きに弱いから、そのまま死んでしまう事もありうる。

だからこれくらいで許してやることにする。

いずれにしても、書物を確認はしたが、まともな情報はほぼ得られないに等しかった。どの書物にも、具体的なやり方が書かれてはいるが。試したところで効果がありそうにもないものばかりである。

妖怪に直結する呪術については幾つか知っている。犬神などはそうだ。

だが、それはあくまで妖怪を発生させるものだから。

今霊夢が興味があるのは、遠隔で人を殺すような、危険な呪術についてである。妖怪や、魔法の類例ではない。

そもそも霊夢は直感で使う術や技の類は得意だ。

ノウハウさえ教えて貰えば再現出来る。

だがその理屈が今一分かっていない。

だからこそ、調査の意味があると思ってきてみたのだが。空振りだったか。

稗田家をでると、一度博麗神社に戻る。

出来る事はたくさんあるのに。

その理屈が分からないと言うのは、色々な意味で危ないのかも知れないと、霊夢は思い始めていた。

そもそも妖怪退治も。

妖怪の特性と、退治方法については嫌と言うほど知っているけれど。

どうしてその妖怪がそうやって退治できるのかは、正直な所良く知らないのが現実である。

以前霊夢は二度、月に行ったことがある。

一度は迎撃に現れた月の武神にコテンパンにされ。

もう一度はスペルカードルールに乗ってくれた仙霊とその友人である地獄の女神を相手に、何とか総力戦で勝利することが出来た。

その時だって、相手に対する知識が不足していた。

実際問題、月の武神に対しても、知っている弱点については対応出来たのだ。それ以外の力が違いすぎたから勝てなかったが。

スペルカードルールのような、戦闘センスと直感がものをいう戦いならいい。正直現状霊夢は戦力不足を感じていない。

問題はそれに乗ってくれない相手。

特に神々や、邪神の類を相手にする場合。

相手がスペルカードルールに乗ってくれず。なおかつ未知の能力で攻めてこられた場合、対応出来ない可能性がある。

それが幻想郷内部で悪戯をしているような相手ならいい。

問題は幻想郷の外部から、悪意を持って侵略してきたような相手の場合。

もっと知識を増やして、基礎的な力を増さないと。今後は、どうしようも無いのかも知れない。

そう思って、霊夢は知識を増やそうとしているのだが。

どうにも上手く行かないのだった。

横になって、くすねてきたせんべいを頬張る。

呪術の仕組みか。

修業時代、ノウハウだけは教わった。というか、理屈も実は教わったのだけれど、覚えられなかった。

努力をしても馬鹿を見ただけだった人を間近で見ているから、努力は大嫌いになり。

結局、使える術を使うようになって。

戦闘はセンスだけで乗りこなしてきた。

今のままではまずい。

そういう焦燥が霊夢の中にはある。

この幻想郷を安定維持させるために、紫がどれだけ苦労しているのか、最近はやっと分かってきた。

天狗の組織の腐敗を直接目にしてからは、霊夢も黙ってはいられなかった。

今までは、結局の所。

観音菩薩の掌の上の孫悟空と同じ。

何も考えずに、言われた通りに相手を殴っていただけ。

紫だって疲弊が酷いようだし、常に最善手を取れるわけではないだろう。霊夢自身が考えて。

そして幻想郷の問題に対応出来るようにしなければならないのだ。

身を起こすと、今度は紅魔館に出向くことにする。

吸血鬼が住まう幻想郷の一勢力。

内部には巨大な図書館が存在しており、膨大な知識が蓄積されている。話をすれば、読ませてくれるかも知れない。

善は急げ。

さっそく紅魔館に出向き。面食らった様子の門番に用件を伝えると。紅魔館の正体不明なメイド長が出てきた。

霊夢を全力で警戒しているのが分かるが。

ただ、話は聞いてくれた。

「勉強? 貴方が? 以前勉強嫌いで努力嫌いを公言していたのに、どういう風の吹き回しですか」

「いつまでも無知でいる訳にもいかないと思ったのよ。 魔理沙みたいに本を盗んだりはしないから、見せて貰えないかしらね」

「……お嬢様に確認を取って参ります。 しばしお待ちください」

指を鳴らすと、その場から消えるメイド長。

時間空間操作の能力を持つ此奴は、本当に人間なのか疑わしい。しかも、事実上の紅魔館の主は此奴である。

紅魔館の名目上の主、吸血鬼レミリア=スカーレットは幼い少女の姿をしているが。その姿とあまり変わらない精神性の持ち主で。結局の所は子供である。五百年くらいは生きているらしいが、妖怪としてはかなり幼い部類にはいるようだ。

だから後見人のあのメイド長、十六夜咲夜が事実上紅魔館を取り仕切っているのだが。

そういえば、彼奴の事を霊夢は何も知らない。

本名では無いらしい。幻想郷の出身では無いらしい。能力についても、時間操作をしていると言う話と、実際にはただ高速移動しているだけという話があって。どっちが本当なのかも分からない。

分からない事だらけだ。

紅魔館を見上げる。

洋風の建物。大きな時計台が目立つ、名前通り赤い煉瓦造り。

呪術以前に、何もかも分からないことだらけではないか。

頭を掻く霊夢の前に。

また、前触れもなくメイド長が戻ってくる。

「お嬢様の許可をいただきました。 図書館にご案内いたします。 ただし、図書館では静かにするように、との事です」

「分かっているわよ」

「此方です」

心配そうに背中を見送っている門番。

彼奴もいつも彼処に立ちっぱで大変だ。

案内されて、図書館に出向くが。紅魔館の内部はいつも空間を弄くっているらしく、あからさまに迷子になっている妖精のメイドを何人も見かけた。メイド長は涼しい顔をして最短経路を進んでいるが。

それも実は疑わしい。

時間空間を操作できるのなら。

迷子になっているのを、誤魔化したりも出来るのでは無いのか。

とはいっても、時間空間を本当に自由自在に出来るなら、そもそもメイド長が霊夢に負ける理由が無いわけで。

自己申告の能力には、限界があるのだ。

非常に広大な図書館に通される。

外の世界にも、此処まで巨大な図書館は希だそうである。

内部は広々としていて、明らかに外から見える紅魔館の内部構造に収まるものではない。此処も、空間を弄くっているのだろう。

それではとだけ一礼すると、メイド長は姿を消す。

そして代わりに、パジャマのようなゆったりとした服を着た。この図書館の主が姿を見せる。

魔法使いパチュリー=ノーレッジ。

紅魔館の古参の一人で、レミリアとは友人関係にあるらしい。恐らく利害の一致で、紅魔館の食客のような立場にいるのだろう。

喉が悪いらしく、魔法の詠唱が苦手だそうである。故に戦闘はあまり得意ではないのだが、時間を掛けて調査する事についてはスペシャリストだそうだ。もっとも、限られた時間で素早く成果を出すような事は苦手で、そういう意味でも戦闘の適性はあらゆる意味で低い様子だが。

「珍しいわね、博麗の巫女。 あの金髪の泥棒魔法使いに、本を返すように言ってくれないかしら」

「ああ、今度会ったら言っておくわ。 それよりも、呪術について調べたいのだけれども」

「呪術? 呪術と言っても東洋系西洋系のメジャーなものから、各大陸、或いは少数民族に伝わるものまで色々あるけれど?」

「そんなにあるの?」

面食らう霊夢に、パチュリーは薄く笑う。

戦闘では勝てない霊夢に優位を取った事が嬉しいのかも知れない。

元々パチュリーは社交的な性格ではなく、戦闘も苦手。つまり戦闘力がものをいう幻想郷において、あまり存在感が大きくない。

本来は学者として時間を掛けてじっくり研究をするには理想的な性格なのだろうけれども。

理解がない周囲、幻想郷の環境にはあまりなじめないようで。この図書館から滅多に出てこない。

故に動かない図書館などと揶揄されたりもするのだが。

そもそも寿命が存在しない「魔法使い」に取っては、そんなに急いで何がしたいと言いたいのかも知れない。

呪術の基礎らしい本を、幾つか見繕って渡してくれる。

分厚いものばかりだが。それでも基礎の基礎らしい。

頭を抱えたくなるが、自分から言い出した事だ。静かにするようにとも言われたし、図書館で問題を起こすつもりは無い。

しばし、大量の文字列と格闘するが。

知っている呪術はたくさん見かけるのに。

その仕組みについては、さっぱり分からない事だらけだった。

手を握ったり閉じたりしてみる。

戦闘で使っている術と、どうも此処に書かれている術の仕組みがヒモ付かないというか。ぴんと来ない。

こうやって、こう出す。

そんな感じで霊夢は、札にしても空間移動にしても、相手に対して撃ち出す針にしても扱っているけれど。

それらの理屈を見ると、どうも分からないのだ。

パチュリーが薄笑いを浮かべて来たので、幾つか質問をしてみるが。

この程度の事は何を聞かれても分かる自信があるのか、平然とパチュリーは全てについてすらすら応えてくる。

立て板に水である。

しかし、話を聞いてどうもはぐらかされているようにしか思えないのだ。

本当にこれらの理屈は正しいのだろうか。

小首をかしげている霊夢に、静かにパチュリーは言う。

「私は百年程度しか生きていないから魔女としてはまだ若い方だけれども、ただこれだけは言い切れるわ。 もしもこの理屈が間違っていたら、私達は魔法など使えないわよ」

「そういうものなの?」

「私はどちらかというと魔術よりは呪術よりの魔法使いだからね。 そもそも紅魔館が幻想郷に来るまで、どれだけ苦労したか……」

「ああ、それについては分かっているわよ」

幻想郷の外で、一神教というものの関係者に、レミリア達は目の敵にされて追い回されてきたという。魔女も迫害の対象だったとパチュリーは言う。要するに、実際に迫害されたのだろう。戦闘適性が低いパチュリーには、それこそ恐怖でしかなかったに違いない。

既に妖怪に対する恐怖が失われている外の世界では。

レミリア達も、力など発揮できなかったことは容易に想像がつく。

レミリアやその妹のフランドールが幻想郷で生き生きとしているのも、此処で発揮できる力が外とは比較にならないからだろう。

パチュリーもそれは同じ筈。

戦闘は苦手でも、魔法の一発一発は火力が大きいし。扱い方を間違えなければ、パチュリーは充分に戦力になり得る存在なのである。

ただ、外ではどうだったのか分からない。

やはり、必死に本人曰く呪術寄りの魔術を使って、追跡をかわしてきたのだろうか。

いずれにしても、此処でも得られるものはないなと、霊夢は判断。

本を返すと、紅魔館を後にする。

さて、どうしたものか。

専門家に順番に話を聞いていくのが良いか。それとも核心から迫るのが良いか。

霊夢はしばし考え込んだ後。一旦、博麗神社に戻ることにした。

 

1、脳筋巫女の苦悩

 

自分は何も知らない。

霊夢は最近、それを漸く自覚できていた。

退治すべき妖怪や、退治するための方法。どうやったら術を使えるか。そう言ったことについての知識はある。

幻想郷に現在存在する勢力や、どんな存在が所属しているかも分かっている。

だが、それだけだった。

妖怪の山でゴタゴタが起きている事は分かっていた。だけれども、まさか妖怪の勢力の一つである天狗が、彼処まで腐敗しているとは思ってもいなかった。

人里でも、今は管理を妖怪がしている。

人間が政治をするようになると、どうしてもあっと言う間に腐敗する。

だから、というのが昔紫に聞いた理由で。今はそれについて納得もしている。

だが、妖怪の側も、ああも腐敗してしまうと言うのは予想外だった。

本当に幻想郷の事を。そしていつも自分が使っている力を理解しているのか。

それが、最近不安になって来ていたのだ。

空を飛んで移動する。

これも、能力の一つ。出来ない妖怪の方が少ないし。人間でも出来る奴は幻想郷にたくさんいる。

だが、昔はどうだったか。

人里に降り立つと、露骨に距離を取る奴もでる。

博麗の巫女は怖い。

人里でも、そう認識されている。

幻想郷の管理者であり。仕事をしているときは絶対に近付くな。人間であろうと何をされるか分からない。

そういう噂も流れている程だ。

昔は、そうやって怖れられることが、霊夢にとってはあまり心地よくなかったのだけれども。

今は怖れられた方が好ましいと判断している。

だが、何故なのだろう。

元々他人との接触をあまり好まない霊夢だ。来る奴は拒まないが、去る者だって追うことはない。

だからこれで困ったことはないし、寂しいと感じたこともないのだけれども。

それはそれとして、これも分かっていない事、なのではないのだろうか。

適当に見回りをする。人間に化けた妖怪がかなりいるが、博麗の巫女がいる、というのに気付くと例外なく一礼してそそくさと去って行く。

最初から人里に溶け込んでいる妖怪……座敷童などは特に霊夢を怖れてはいないが。

それは利害関係が存在しないから。

座敷童は人に福をもたらす存在で。

霊夢は基本的に人に害をもたらす存在を駆逐する。

そうでなければ、力が弱い座敷童は、霊夢が人里に来るたびに、怖れて逃げ惑っていただろう。

ため息をつく。

苦手だが、仕方が無い。

寺子屋に出向いて、上白沢慧音の所に顔を出す。

霊獣ハクタクの獣人であり、数少ない、妖怪でありながら人里に受け入れられている存在である。座敷童はあくまで福の神としての受け入れられ方だが。慧音の場合は、同格の人間と変わらない存在として、人里で受け入れられている。

見かけは若々しく、中華風の帽子と、動きやすい服装をした女性だが。

妖怪だけあって、見かけと年齢はまったく一致していない。

なお寺子屋でずっと教師をしていて。

霊夢も幼い頃は、慧音先生に色々と教わり。時には怒られたものだ。

当時とまったく姿が変わらない慧音先生を見に行くと、丁度授業が終わった所だった。

「どうした、霊夢。 久しぶりだが」

「あー。 少し聞きたいことがありまして」

「そうか、入るといい。 少し片付けを手伝ってくれ」

「ただで教えるとはいきませんよね。 分かりましたよ。 手伝います」

どうも苦手だ。幼い頃に苦手意識を植え付けられたからか、どうしてもやりづらいというのが実情だろうか。

見かけはとても女性らしいが、中性的なしゃべり方をする慧音先生は。とにかく授業が退屈で。しかも怠惰な生徒には容赦しなかった。

教える事は教えてくれるのだが。

生徒は慧音先生が怖いのと、眠いのの板挟みになって、いつも苦労するのが常だった。

最近多少授業が分かりやすくなってきたとは聞いているが。

それなら最初からそうしてほしかった。

子供達が散らかした後を片付ける。その間、慧音先生は他の教師と話をしていたが。その教師の事は分からない。

霊夢がここに来なくなってから、教師をするようになった人物だろうか。

そういえば慧音先生の事も良く分からない。

確か獣人は、先天的なものと後天的なものがいるらしいのだけれども。どうやら後天性らしいという事は分かっている。

つまり若い頃に獣人になり。

そのまま姿を維持している、と言う事なのだろう。

かなり年配の人間も慧音先生の授業を受けたことがあるらしいので、ずっと昔から幻想郷にいるのだろうけれど。

昔の事は話してくれないので、よく分からない。

それに慧音先生もどちらかと言えば賢者の息が掛かった人間。

人里という場所で、富の不平等が起こらないよう。差別や対立がおきないよう。人間を監視し管理する立場の存在。

ある意味、霊夢と同じ立場なのだけれども。

それはそれとして、どうにも霊夢とは、学業が終わってからは接点が薄れがちだった。

片付けが終わった頃、慧音先生が来る。

お茶を出してくれたので、有り難くいただくが。慧音先生のお茶は、基本的に恐ろしく苦いことを思い出した。

これは好みなのか、或いは客として霊夢を見ていないのか。どちらなのかはよく分からない。

「それで、今日はどうした」

「色々分からなくなりましてね」

「詳しく聞かせてくれ」

「はあ。 今まで私、自分の力で解決してきたんですよ大体の事は。 妖怪については知識もあるつもりですし、妖怪に対応出来る力だって持っている。 だけれども、もっと色々知らなくてはならないと思って、ふと気付いたら。 自分が何も分かっていないことに気付きまして」

慧音先生は苦手だ。じっと見つめてくること。相手の本質を見抜こうとしてくること。霊夢にとっては天敵と言って良いかも知れない。

幼い頃から喧嘩でも霊夢は負け知らずだった。

ガキ大将ではなかったけれども、同年代どころか一回り年上の男の子にも、喧嘩で負けた事なんて一度だって無い。

むしろ敗戦を経験したのは、実戦を経験するようになってから。

博麗の巫女に正式に就任するまでに、敗戦を経験しておいて良かったと、今でも霊夢は思っている。

そんな戦闘適性の高い霊夢でも。

戦闘の実力云々抜きに、やはり慧音先生は頭が上がらない相手だ。はっきり言って苦手である。

今でも、座っていて居心地が悪い。

視線をそらした霊夢に、慧音先生は言うのだった。

「迷いがあるのなら好きなだけ勉強をするといい。 お前は充分な実績を上げているのだから、そのまま感覚に頼ったやり方で戦っていくのもいいだろう」

「……聞いているかも知れませんが、妖怪の山のゴタゴタ」

「それがどうかしたのか」

「気づけなかったんですよ」

それが、霊夢には悔しい。

勘には自信がある。霊夢にとって勘は生命線。これにかなり頼って来たし。戦闘でも、勘がものをいって初見殺しの能力を回避できた事だって多かった。

妖怪の山がきな臭い事になっていることは分かっていた。

そして霊夢は、基本的に問題ごとは腕力で全て解決してきた。

だけれども、腕力では解決できない問題だった。

勘で分かっていても、実際に見てみると、その問題は力で解決できるものではなかった。紫が一緒に来てくれなければ、更に問題をややこしくするばかりだっただろう。それが霊夢には悔しいのだ。

幻想郷の管理者として。霊夢は多くの命を預かっている身である。

人里の人間達は特にそう。

霊夢が妖怪に舐められたら、それだけで死ぬ人が出るかも知れない。

勿論紫も手を回してくれるだろうけれど。霊夢という抑止力がある事で、人里に余計な事が出来ない妖怪はたくさん存在している。

しかしだ。

妖怪の山の、天狗の組織の腐敗を見て心底思い知った。

腕力だけで解決できる事は限られると。

「もう少し私が出向くのが遅れていたら、妖怪の山は守矢に完全掌握されて、幻想郷を二分する戦いが始まっていたでしょうね。 それも気づけたのは完全な偶然からで、周囲の助けがなければ無理でした。 ……妖怪達の賢者ですら、それには気づけていなかった」

「……続けなさい」

「私は努力が大嫌いで、今までは感覚に頼って来ました。 先生が言う通り。 でも、感覚に頼るだけだと限界があるとはっきり分かりました。 それで勉強しようと思ったんですが。 ともかくどうにも上手く行かなくて」

「言いたいことは大体分かった。 それならば、私の授業を久しぶりに受けてみるか?」

うっと思わず声が出て。

慧音先生が眉をひそめた。

「どうかしたか」

「ええと……」

「私の授業が退屈で眠くなると言う話は妹紅に聞いている。 それで苦手だから受けたくないというのか?」

ずばり本質を突いてくる。

こういう所が苦手なんだよと、霊夢は心中で呟くが。勿論口にすることは出来ない。

大きなため息をつくと、慧音先生は言う。

「ずばりか。 まあ仕方が無い。 お前は昔から勉強が苦手だったからな、ある一点を除いて」

「ある一点?」

「感覚が通用する事だ。 体育などの運動関係や、それに勘がものをいう術なんかはそうだった」

そういえば、人里でも自衛用の対妖怪用の術は教える。

これはあくまで妖怪にしか効かないものだが。

それでも、最低限教わることで、色々と便利なのだ。

一瞬だけでも相手を怯ませられれば、逃げる隙が出来る。

そして妖怪も、相手に逃げられたという風を装って、「人間への襲撃」を切り上げる事が出来る。

人間は基本的に勇気を振り絞って妖怪を打倒しなければならない。

かといって、妖怪も人間を怖れさせなければならない。

その二つを両立させるには。

人間がある程度の自衛力を持っていることが大事なのである。妖怪側も、人間が本当に脆弱すぎて無抵抗だったら、そもそも加減も何も無くて困る。

勿論退治屋がおそわるような本格的な術は、慧音先生は教えてくれないが。

「だが、苦手を克服しようというのは良い事だと思う。 それで、手応えがないと言っていたな」

「はあ、まあ。 理屈について聞いても、どうしてもなんというか、ぴんと来ないんですよね……」

「それはお前の体がやり方について覚えているからだ。 頭ではお前は一切理解していない」

厳しい物言いだが。

確かにその通りなのかも知れない。

元々霊夢は術よりステゴロの方が得意で、人間妖怪関係無く、幻想郷で上位に入ってくる。

流石に鬼などの最上位勢と素手で殴り合えと言われたら、術無しだと厳しいが。それでも、術を体術に混ぜること前提なら、勝つ自信もある。実際霊夢の拳骨は、幻想郷最強の鬼である伊吹萃香が涙目になる代物だ。

「そうだな。 アドバイスをするならば。 戦闘に関して、お前はそのままで良いだろう」

「戦闘に関して?」

「それ以外については駄目だ。 もっと直接、相手を知るべきではないのかな」

「……分かりました」

それもそうかも知れない。

今まで霊夢は、異変を解決するにはしたが。その異変を起こした相手をぶん殴るだけで、それ以上の事をしては来なかった。一緒に酒は飲むが、それだけ。宴会で相手が分かるというのは迷信だ。あれはただ楽しいだけ。それも、酒が好きな者にとっては、である。べろんべろんになっている時、人間も妖怪も本音は確かにでる。だけれども、それが腹を割って話し合う事と同義かは別問題だ。食事に関しても、それは恐らく同じだろう。

霊夢は基本的に他人との交流が苦手で。

面白がって寄ってくる相手には対応するけれど。

此方から相手の所に出向くことは滅多になかった気がする。

必ずしも、相手は良い奴とは限らない。

だけれども、それを見極める必要もあるのではないのか。

クズだとしても、どうクズで。

そしてどのように距離を取るべきなのか。

それを理解しておくべきなのか。

慧音先生が言っているのは、そういう事だろうか。

とりあえず確認して見ると、慧音先生は結構優しい笑みを浮かべてくれた。

「概ねその通りだ。 とりあえず、今まであまり接点がなかった相手と、話してみるのも良いだろう」

「分かりました。 この間の件で、色々と私も思い知りましたので」

「……」

一礼して、寺子屋を出る。

やはり勉強は性にあわない。

だけれども、慧音先生は丁寧に最後まで接してくれた。

今でも慧音先生は、授業は退屈だと言われていても。それでも、しっかり最後まで面倒を見てくれる。

人里には、悪い事をする奴があまり多く無いと聞いているけれど。

そういえば、慧音先生が、一人ずつしっかり見て、丁寧に対応しているから、かも知れない。

それでもたまにどうしようもない奴がでるのは。

それはそれで、仕方が無い事なのかも知れないが。

まず霊夢は何人か思い浮かべると。

恐らく一番接点が無い相手。聖徳王の仙界に向かう事にした。

 

聖徳王。

古い時代。日の本がやっとまともに形になった頃の、伝説の王族。外の世界ではお札になった事すらあるという。

伝承と違って女性であり。更に伝承と違って仏教徒でもなく、道教徒である。これは高度な政治判断の結果仏教を利用していただけの事で、道教が自分にとって都合が良いと判断したから、だそうだ。

宗教すら自分にとっての利害で判断する。

なんというか、聖人君主のイメージがある聖徳王なのに。現物は、随分とまたリアリストなのだなと、霊夢は驚かされた。

仙界の場所は霊夢に知らされている。

高位の仙人が作り出せる、自分だけの空間を仙界と呼ぶ。仙人は妖怪にとっては自分の格を上げるための格好の獲物(ということになっている)であるため、基本的に警備は厳重だが。

そもそも聖徳王自身が人里で人気がある事もあって。現在、聖徳王に弟子入りして、仙人を目指している人里の住民はそれなりの数がいる。

人里に対する影響力では、命蓮寺につぐかも知れない。

ともかく人間心理の把握が極めて得意な聖徳王は、天性の政治家であり。絶対に人里の管理に関わらせてはいけないと紫が断言していた存在でもある。

また、霊夢には監視するように指示が来ていて。

時々、様子は見に来ていた。

聖徳王自身には以前勝った。ただ、元々聖徳王は戦士として其所まで強い訳では無いので。これについては自慢にならないかもしれないが。

聖徳王自身は、霊夢が来ても小揺るぎもしない。

雲の上に浮かんだ宮殿のような己の仙界。空間の穴をくぐると誰でも行ける其所で、悠々と霊夢を出迎えると。

豪華な茶菓子まで出してくれた。

「それで、今日は何用か、博麗の」

「あんたという人間……もう人間じゃないか。 ともかくあんたという存在を知っておきたくてね」

「ほう」

「おのれ博麗の巫女! 無礼であろう!」

聖徳王の部下その一を自称する物部布都が噴き上がるが、聖徳王が右手を上げるとすぐに黙って引き下がる。

大した調教ぶりである。

以前見た事があるが、側に使えている物部布都と蘇我屠自古は、どちらも聖徳王に心酔している。

その忠義は狂信の域にまで到達していて。

はっきりいって、聖徳王が自分のために死ねと言えば即座に実行しかねない程である。

まあ此奴は、そんな事は言わないだろうが。

「私の事を知りたいとは、また面白い事を言い出すな。 基本的に来る者は拒まず去る者は追わず、興味が無い相手には近寄らないと言う態度を貫いているように見えたが」

「ずばりその通りよ。 だけれどもね、そうも言っていられなくなってきてね」

「ふ、妖怪の山の話か」

「……」

流石だ。

聖徳王は人間心理把握の達人である。会話していても、すぐに此方の意図を読み取ってくる。

これで強大な戦闘力まで持ち合わせていたら文字通り手に負えなかった。

幸い聖徳王は頭脳労働よりの存在で、純粋な戦闘は其所まで得意ではなかったから、まだ手に負えたが。

もしこれで優れた武勇も持ち合わせていたら、はっきりいって手に負えなかったかも知れない。

魔力やら霊力やらがどれだけ高くても、強いとは限らない。

聖徳王の霊力は非常に高く、霊夢が知る中でも上位に食い込むほど強い命蓮寺の住職でも押さえ込めなかったが。

戦闘の手腕が高いかというと、そうでもないのである。

集団戦の指揮なら得意かも知れないが。

どんと、酒を出す。

人里で買ってきた、度数の強い酒だ。霊夢も時々買いに行っている、宴会で良く口にする酒である。

酒は基本的に繊細なもので。丁寧に作れば作る程美味しくなる。

どこの国でもそれは同じと聞いている。

古い時代には口食み酒なんてものもあったらしいが。

今では幻想郷でも、米を発酵させて作るものが主流である。

「軽く飲みましょうか。 貴方について聞かせて頂戴」

「酒については断る。 これから弟子達に修行をつけなければならないのでな。 私も忙しいのだ」

「そう、じゃあどうしましょうか」

「戦い、とは言い出さないのだな」

苦笑する聖徳王。

戦えば何となく相手のことが分かる。そういう考えもある。

だが、霊夢は実際問題として、分からなかった。それが大きな問題につながった。だから、今回は戦い以外でやりたい。

聖徳王は立ち上がると、ついてくるようにと言う。

頷くと、彼方此方が不思議な感じの和風の建物の中を歩く。布都と屠自古は、黙々と後をついてきた。

「私の事はどれくらい知っている?」

「いつも話していることくらい」

「まあそうだろうな。 現在とはそもそも根本的に仕組みが違う古き世界で、私は国をまとめなければならなかった。 積極的に異国の仕組みを取り込んでいったが、それは国を強くするため。 そもそもそうしなければ、国を守る事も、まとめる事も出来なかった」

国を守る、か。

聖徳王の時代には、色々な事があったのだろう。

歴史にはあまり詳しくないが、古い時代の王族だとすると。それは妖怪やら何やらの問題にも対処しなければならなかっただろうし。

色々としなければならない事も多かったはずだ。

奥の間に通される。

一応罠を警戒するが。

しかし、そのような事は、聖徳王は仕掛けてこなかった。此処で博麗の巫女を始末しても、利が無いと判断しているのだろう。

結構雰囲気の良い間だ。

黙々と嫌そうな顔で屠自古が茶を出してくれたので、有り難くいただく。酒はもう、そのまんま渡してしまった。

ケチだの貧乏巫女だの言われる霊夢だが。実際には生活費は保証されているし。必要な出費は厭わない。酒の一瓶くらい、話を聞く手数料だ。

くれてやる事は、惜しいとは思わない。

向かい合って座ると。咳払いする。

不意に、今までとは別物の圧迫感が、目の前に出現した。

王。

そう呼ぶしか無い。聖徳王が、如何に普段威厳を抑え、周囲に接しやすく振る舞っていたか、霊夢はようやく理解した。びりびりと、威圧を感じるほどで。思わず笑みが引きつる程である。

「では、余の事を話してやろう、この世界の守護者よ」

「望む所よ……」

飲まれたら負ける。

そう霊夢は判断し。ゆっくり、ゆっくりと聖徳王の話を聞くのだった。

 

とにかく疲れた。

博麗神社に戻ると、霊夢は布団に直行。気をずっと張っていたからか、非常に疲れた気がする。

ぐったりしたまま、ぼんやりする。

夕食を取らなければならないと思うけれど。作る余力も無かった。

戦う相手としてはむしろ聖徳王はやりやすい方だ。

先読みを兎に角してくる分手数は多いのだけれども、単純な力勝負に持ち込んでしまえば、勝つのは難しく無い。また、先読みしようが無いような攻撃や、大火力の攻撃勝負に持ち込むのもいい。戦闘で勝つ手段はいくらでもある。

だが、「王」としての聖徳王と、至近で話すのは。戦闘よりずっと大変だった。

ずっと気圧され、そして心を保つのに精一杯。流石は歴史に残る偉人と言う奴だ。あんな凄まじい姿を隠していたのか。

それは屠自古や布都が心酔もする。

政治家としては、あの威厳を常に放っていたのだろう。

何処かで聞いたが、中華とモロにやり合う立場にいたという話である。それでは確かに、あれくらいの威厳がなければやっていられないだろう。

正直侮っていたことを認めざるを得ない。聖徳王は、聖徳王だったのだ。何処かでそれを認識出来ていなかった。

しばらく休んでから、食事を作って、適当に平らげる。

着替えだけして、それで後は眠った。フロは明日の朝で良いだろう。年頃の女の子が何をしているのかと、紫に怒られるかも知れないが。

ともかく今日はもう限界だ。

一晩休み。

そして目を覚ます。覗き込んでいる奴がいたので、うんざり。相手は、紫だった。

「起きたかしら」

「……風呂入ってくるわ」

「そうして頂戴」

紫は笑顔だったが、多分寝る前に思った事。年頃の女子が云々と言いたかったのだろう。霊夢が先手を取ったので、満足してくれたのか。

紫も恐らくだが、自分の激甚な負担をどうにかしたいと思っている筈。

霊夢も最近はうすうす勘付いているが。紫は神隠しをする事はあっても、多分現在人は喰らっていない。

その辺りは、霊夢が得意な勘の出番だ。

臭いとか、そういうので分かるのである。

フロから上がると、紫が料理場に立って、手料理を作ってくれていた。

有り難いけれど、若干迷惑だ。

紫に過剰な借りは作りたくないのである。

食事を出される。充分に美味しいけれど。なんというか、作り物臭が凄い。妖夢辺りだと、真心が籠もったものを出してくるし。魔理沙辺りだと、豪快で野性味の溢れるものを出してくる。

紫が出してくる料理は、人間用に調整した栄養という感触だ。

文句を言う資格は無いので、黙々と食べる。その間に、紫は言う。

「あちこちを飛び回っているようだけれど、何かあったのかしら?」

「心配は無用よ。 自分があまりにも無知すぎることに気付いてね。 知らない奴を知ろうと思っただけ」

「あの半ハクタクの入れ知恵かしら」

「そうよ。 慧音先生の言う事はいちいち分かりづらいけれど、飲み込むことさえ出来れば的確だわ」

食事を済ませると、立ち上がる。

外で軽く体を動かして、霊力も練る。

そういえばこれも、やり方は知っていても理屈は分からない。溜息が出る。本当に分からない事だらけだ。

紫はしばらくそれを見ていたが。やがて言った。

「貴方が政治について覚えてくれると嬉しいけれど、それはそうと迷いを持たれると困るわね」

「政治、ね」

紫がいう政治が、多分政にて国を治める事ではない事は何となく霊夢にも分かる。だけれども、そもそも何も知らないことを知るばかりだ。

いっそこの機会に、紫の事も知っておくべきかも知れない。

「今、少し時間あるかしら」

「あら、どうしたの」

「少し腰を据えて話しておきたいと思ってね。 あんたが胡散臭い格好で色々誤魔化しているのは、何となく分かっているのだけれど。 そもそもだいたいあんたのせいにしていて、たまに私に殴られるのも、全部意図的なのかと思ってね」

「……」

紫が珍しく真面目に口をつぐむ。

勘ばかりは鋭いが、やはり霊夢は分かっていない事の方が多いのだと、こう言うときに痛感する。

今も恐らくは紫の痛いところを直進的についたのだろう。

だけれども、それがどうして痛いところなのかがよく分からない。

紫はしばらく周囲を見回していたが。

誰もいないことを確認していたのか。その後、ため息をつく。

「博麗の巫女と過剰になれなれしくするのは好ましい事では無いのだけれどね」

「あんたは充分過保護よ。 私が寺子屋にいた頃から、妖怪についての寝物語をしてくれたのはあんただったでしょうに」

「……それは、そうだけれども」

「私もいつまでも子供ではいられない。 相手を殴ってそれで解決できるなら良いけれど、どうもそうではないらしいと分かってきた。 だったら、綺麗なものは綺麗なものとして、汚いものはどうして汚いのか。 しっかり理解しておきたいと思うのよ」

そもそも、使っている力ですら。

感覚的で、実際の理論はよく分からないのだ。

この幻想郷がどうして成り立っているのか。どの勢力が、どんな風な力関係で動いているのか。

恐らく紫ですら、この間の妖怪の山の騒ぎを見る限り、把握は仕切れていないだろう。

だったら、それは負担が大きすぎる、ということ。

幻想郷は、外の世界に比べてとてもとても小さな隔離空間だと早苗に聞いている。

それだったら、なおさら。そんな場所ですら、紫のような怪物的な存在でも管理できないほど、世界は複雑怪奇と言う事だ。

ならなおさらのこと。

博麗の巫女として。幻想郷の調停者の一人として。知らなければならないだろう。

「あんたも、そろそろ自分の思い通りにならなくなってきたと思っていたでしょう」

「それは霊夢、貴方に限った話では無いけれどね。 まあいいわ。 場所を移しましょうか」

空間に裂け目が出来る。

頷くと、霊夢は。

紫についで、その裂け目に入っていた。

 

2、無知は無知

 

幻想郷の管理者階級、賢者。妖怪で主に構成されているが、中には神も存在している。

以前霊夢はその一人である、摩多羅隠岐奈と戦っている。

この摩多羅隠岐奈、外の世界でも正体がまったく分かっていない得体が知れない神らしく。

古い古い神で有りながら、天津とも国津とも違う。とにかく得体が知れない神なのだという。

幻想郷の管理者は、どいつもこいつも。紫といい摩多羅隠岐奈といい、よく分からないやつばかりだが。

霊夢だってそもそも妖怪巫女などと揶揄される事からして。

周囲からそう見られているのかも知れない。

今後も、自分のあり方を変えるつもりは無い。

妖怪に対する純粋な暴力装置。

何か問題が起きたら、音速で飛んで行って妖怪を殴り。人に害を為す妖怪がいたら、情け容赦なく退治する。

それが霊夢のあり方だ。

だが、そのあり方を続けるには、知らなければならない。

紫が作った空間の裂け目の中。無数の何か良く分からないものが浮かんでいる上、上下左右も分からない場所を行く。彼方此方に目が存在していて。普通の人間だったら気が狂いそうだ。

紫は、幻想郷内部では、ものの境を司る力を持ち、殆ど万能と喧伝しているが。

実際には他の妖怪同様自己申告に過ぎず。

その力には限界があることを霊夢は良く知っている。

他の無茶苦茶な能力を自己申告している妖怪達も概ねそうだ。

自己申告通りの力を無制限に振るえるなら、こんな狭い土地に引きこもっている理由なんてないし。

そもそも月の神々に毎度好き勝手される理由も無い。

千年前だったか。

全盛期の妖怪達を率いて月に攻めこんだ紫達は、以前霊夢もコテンパンにされた月の神々にひとたまりもなくやられてしまったらしいし。

その月の神々でさえ、たまに幻想郷に遊びに来る地獄の女神や、狂気の仙霊の前には手も足も出ない。

自己申告の能力はあくまで自己申告。

実際の限界を、霊夢は精確に知っておきたい。

その上で妖怪退治装置としてありたいし。

不公正があるなら是正したい。

ほどなく、空間の隙間を抜けて、知らない場所に出る。目を細めて周囲を確認。紫の事は信頼しているが。

余計な事を知りすぎた霊夢に対して、何をするかは分からない。

勿論霊夢も、初見殺しの能力全てに対応出来る訳では無い。

警戒している霊夢に、紫は此方へと言った。

森の中か。

何処の森だろう。或いは、幻想郷の外か。それにしては、力が失われるような感触はないし。

何より博麗大結界の気配もある。

幻想郷の中だが、知らない場所、と言う事か。

狭い幻想郷。

霊夢は大体知っているつもりでいたのだが。此処は一体、どの辺りになるのだろう。

紫は、先読みしたように、少し歩きづらい森の中を敢えて歩きながら言う。

「此処は地下に作った空間の一つ。 流石に私の屋敷に貴方を案内するわけには行かないから、別荘で話そうと思ってね」

「此処が、地下?」

「地底よりは地面に近い場所。 見えている空も全て作り物。 博麗大結界の中ではあるけれど、それは外の神々に配慮しての話」

「やはり外の神々にはかなわないのね」

紫は応えない。

まあ、知っている事だ。霊夢だって、外にどんな凄まじい猛者がいるかは分かっている。

外では素人同然のサイキッカー宇佐見菫子ですら、幻想郷を引っかき回すことが出来たのである。

しかもあの娘はただの人間。

神々となったら。それも幻想郷では考えられないくらいの数の人間に信仰されている存在となったら、どれほどの力になるか。

想像もつかない。

あの狂気の仙霊や地獄の女神ですら、外では最強では無い可能性が高い。

そんな状況で、か細い幻想郷を回していくのは。

恐らく尋常では無い負担の筈だ。

間もなく偽りの森を抜けて、小さな家にでる。内部には、早苗の家にあるような機械が幾つかあって。動いてもいるようだった。

「どういう仕組み?」

「電気を私の能力で此処まで引いているの。 河童も此処の存在は知らないわ。 後、機械類は外で捨てられたものを回収したのであって、盗んできたのではないわよ」

「まだ綺麗なのに……」

「外の状態について話したでしょう。 外の文明の精神荒廃は取り返しがつかない所まで進んでいるのよ」

灯りをつける。昼のように明るくなる。

早苗の家にもこんなのがあったっけ。

人里にも灯りはあるけれど。電気を使う灯りでも、こんなに明るくはならない。

そもそも弱い妖怪は、こんなに強い灯りを見たら、きっと悲鳴を上げて逃げようとするだろう。

妖怪にとって、灯りというものは恐怖の対象なのだ。

食事は終わっているから、お茶だけを貰う。

紫が空中に指を走らせると。現在の幻想郷にいる妖怪の一覧、妖怪にもうすぐなれそうな獣の一覧、構成組織などが映像になって出てくる。

ぐっと身を乗り出す霊夢。

「名前を押すと姿と大体の能力についてもでるわ」

「……」

言われたまま、幾つか試してみる。

命蓮寺が兎に角強力だ。知っているつもりではあったが、魔界や外の世界の神とまでコネクションを持っている。

あの住職は霊夢も知る珍しい善人だが。

彼奴がもし本気で暴れるつもりになったら、幻想郷はひっくり返りかねない。

聖徳王同様舐めて掛かっていたかも知れない。

想像以上に危険な相手だったのだと、霊夢は思わず兜の緒を引き締める気分だった。

知らない妖怪もかなりいる。

年老いた剣士がいるが、調べて見ると霊夢の知人、冥界の庭師妖夢の祖父だった。そういえば、妖夢の祖父は凄まじい使い手で、あのつかみ所がない冥界の姫君西行寺幽々子が苦手としていたと聞いているが。とにかく頑固そうで、まったく冗談などが通じそうにない雰囲気だった。これは、あのふわふわした幽々子の天敵だろう。孫娘の妖夢はどちらかというと優柔不断で憶病なのだが、性格も真逆。

親と子供で性格がかなり違う事は珍しくもないが。

祖父と孫でも、こうも変わるのか。

「あれ、行方を把握していない奴もいるの?」

「実の所、全ての妖怪の全ての居場所を把握できているわけでもないの。 例えば萃香は気分次第でどこにでも行くしね。 たまに天界にまで遊びに行っているらしいわ」

「あんた、想像以上に力が弱いのひょっとして」

「ふふ、残念だけれどそうよ。 というよりも、妖怪が自己申告で自分を強く見せているのは、そうしないと滅びるから。 私も例外ではないわ」

そうなのか。

霊夢は思わずため息をついた。

紫は情報を必要と判断して開示してくれた。これは恐らく、間違いの無い、稗田家にあるデータとは違う本物だ。

見た感じ、あまりにも霊夢が知る本人と違うデータは存在していない。

危険の印がつけられている妖怪は、実際に危険な者達ばかり。とはいっても、戦闘力が高い妖怪よりも、遊び気分で幻想郷を破壊出来る者や、人を隙さえあれば殺そうと考えている者に、優先的に危険度が割り振られているらしい。

概ねのデータには霊夢も納得出来るが。

最大の危険度が割り振られているのが聖徳王だというのは、少し驚いた。

「聖徳王は、この間真の姿を見てきたけれど……あんたも此処まで評価しているの?」

「そうではなくて、幻想郷に対する危険度が大きいのよ。 現時点で恐らく一番ね」

「どういうこと?」

「簡単に説明すると、幻想郷は妖怪にとって必要だけれども。 幻想郷に暮らしている人間にとって、妖怪は究極的には必要では無いの」

絶句する。

そういえば、その通りだ。

そして、人間の行動次第で、弱い人間は即座に滅ぶ。実例を霊夢も見たことがある。

「聖徳王は人間心理を把握する達人よ。 人間の思想を操作する事も簡単にやってのけるでしょう。 もし彼奴が本気になって幻想郷の人間が妖怪を怖れないようになったら……大半の妖怪は、その場で消滅するわ。 強い妖怪も、致命的なレベルでの弱体化を避けられない。 外の世界にでたとき以上に弱くなるでしょうね」

「冗談じゃないわ……」

「その通り。 元人間の妖怪も危ないわよ。 今魔法使いになっている者達も……将来的には、貴方の友人の森の魔法使いもね」

そうか。そういう意味では、幻想郷にとっての最大危険分子だったのか。

他のデータも見ていく。

比那名居天子は意外に危険度が低い。

不良天人と呼ばれ、能力的にも幻想郷を壊滅可能で。実際一度遊び半分で幻想郷を潰しかけた比那名居天子を、能力的に見てもかなり危ない奴だと霊夢は思っているのだが。紫の判断は違うようだ。

少し名前の所を弄ると、過去に遡ってデータを見られる。

そうすると、危険度最高から、ぐっと下がって。今はかなり低い水準で推移しているようだった。

「これはどういうこと? 比那名居天子はかなり危険な相手だと思うけれど」

「あれはもう牙を抜かれているわ。 詳しい理由は話さないけれど、幻想郷に手を出す事は無いでしょうね」

「……どういうこと?」

「下手に刺激さえしなければ大丈夫よ。 比那名居天子は結局の所、何処にも居場所が無い寂しい孤独な子供なの。 人間の精神のまま天人に無理矢理させられ、そして天人としても未熟なまま過剰な武器を持ってしまっている。 でもね、六道輪廻における天界はそもそもいわゆる天国とは違う……。 比那名居天子は其所の住人で、そしてつまはじき者と言う事よ」

何となく分かってきた。

だが、それ以上は藪蛇となると思ったので、話を打ち切る。

他の妖怪のデータも見ていくが、かなり霊夢が知らない話があった。中には、思わず口をつぐむ凄惨な内容もあった。

「……あんたは、こんなデータをずっと一人で管理していたの」

「一人で、ではないわ。 頼りにならない式神達と一緒に、よ」

「分かったわ。 これから何でも貴方を疑うのはやめる」

「いいえ、それはそのままでいて頂戴。 人間代表の貴方が、妖怪としてもっとも高位にいると「思われている」私に対して、敵対的な行動を取らないと、人間達は絶対に勘ぐるわ。 それは幻想郷の秩序を崩す。 此処に案内したのも、貴方が腹芸を覚えようとしてくれているから。 いずれ、もっと色々なデータにも触れたり、或いは私が行ってる戦略会議にも参加して貰うつもりだけれども。 ともかく表面上は、今までのままでいて頂戴」

何だかそれを聞いて、霊夢は少し寂しくなった。

紫はとても孤独だ。

このような事を一人でしていたら、胃を痛めるのでは無いか。紫の式神というと藍と橙だが、どちらもあまり頼りになるとは思えない。

頼りにならない式神、というのは本音だろう。

かといって、紫の式神をもっと増やしたら、きっとそれは良くない結果を生むはずだと、霊夢も思う。

本当にカミソリの上を渡るようなバランスなんだなと、霊夢は思い知らされた。

後は、そのまま同じ道を通って帰る。

博麗神社に戻ると。

まだ朝。

結構話したと思ったのに。或いは、時間を操作されていたのかも知れなかった。

 

何も知らないことを思い知った霊夢は、更に行動を続ける。

今度は「地底」。幻想郷のスラムに等しい場所だ。

地底の王宮に等しい地霊殿は、たまに出向くことはあるけれど。それは問題が発生したときの話。

普段は出向くことは無い。

地底の管理をしているのは、妖怪さとりの姉妹。

古くから伝承が残る、人間の心を読む妖怪だ。

地霊殿の主は、女の子の姿を取る事がスタンダードになっている幻想郷の妖怪の中でも、一際幼い姿を取っているそんなさとりの姉妹。

姉は古明地さとり。妹は古明地こいし。

姉は読心術の達人で、ようやく喋ったり走ったり出来るくらいの年頃の容姿をしていながら、実際には幻想郷でも屈指の知略戦のやり手である。ただし何も考えずに殴ってくるような相手は苦手なようだが。勿論能力にも限界はあり、格上の相手の心も読めない。

妹は逆に完全に心を閉ざしているため、隠行の達人である。

心を閉ざすと言う事は、存在そのものを知覚させないことにもつながるため。

文字通り、幻想郷において最強の暗殺者でもある。

多分霊夢でも、不意を突かれたらひとたまりもないだろう。

いつもむっつりとしている姉に比べて、妹はへらへら笑っているが。笑っているだけで内心は虚無。

最近は命蓮寺の信者になり、修行にでているようだが。

その一方で、地霊殿の内部には、こいしのコレクションである死体がいくつか展示されている。

死体を盗んでくる火車のお燐から。

気に入った死体を譲り受けているらしく。

完全な防腐処置を施した死体が、点々と地霊殿の中には展示されているのだった。

霊夢が出向くと、ざわつく地霊殿。

流石に普段霊夢が出向かない場所だ。殴り込みかと警戒したのだろう。

出迎えてきた古明地さとりは、しばし霊夢を見ると、すっと薄笑いを浮かべた。

「随分と悩んでいるようですね」

「そういうこと。 まああんたに隠し事は出来ないか」

「此方へどうぞ。 私のペットたちが怯えますから」

「……」

地霊殿は大きな建物だ。

洋風の造りで、間取りそのものが大きい。内部では戦闘が出来るほどだ。実際に以前、問題が起きたときに戦闘をした事もある。

その時に、襲いかかってくるさとりのペット。地霊殿に住んでいる妖獣達を、千切っては投げ千切っては投げした。

それを妖獣達は覚えているのだろう。

あからさまな恐怖が向けられているのを、霊夢は感じ取っていた。

案内されたのはさとりの執務室。

前に戦ったのは、長い通路のような場所だった。スペルカードルールでやりあうには、それが一番だったから。

それからも何回かさとりとはやり合ったことがあるのだが。

とにかく霊夢の苦手とするような戦い方ばかりするので、あまりやり合いたくない相手だった。

茶を配膳してくるお燐。此奴も地上では死体を盗むことで嫌がられる火車だ。猫の妖怪らしく、今は人型を取っていても、猫耳と猫の尻尾がでている。それでいて人間の耳もあるのだから四耳だ。尾は二股に分かれていて、これも色々ダブっていると言える。

「はいどうぞ、博麗の巫女」

「毒とか入れていないでしょうね」

「殺された死体には興味が無いからね。 そんな事はしないよ」

随分と挑発的な事だ。

地上では何度かしばいてやったのだが、ご主人様の側だから、であろうか。まあその辺り、縄張りでは獣が気が大きくなるのと同じなのかも知れない。

お燐が部屋を出て行くと。

さとりが幼児っぽくもない動作で、しらけた目で言う。

「それで、私の事を知りたいと言うのもまた随分と不思議な話ですね。 貴方の中には迷いが渦巻いている。 いつも何でも殴って解決する貴方が」

「少し前までは殴って何でも解決できると思っていたのだけれどね。 まあ今も大半のことは殴って解決できると思ってる」

「でも、今は、そうでは無い事にも気付いたと」

「そういう事よ。 読めているのなら、あんたという存在を知りたいから、回りくどいしゃべり方は止して頂戴」

ふっと笑うさとり。

この悟りの妖怪の姉の方は、意外に嫌われ者である。心を見透かされるというのは、あまり良い気分がしない。

それは確かに霊夢もそうだ。

そしてさとり自身がかなりの自信家で。異様に自己評価が高いタイプなのも、それを後押ししている。

ただ、さとり自身も相手の心理が全て透けて見えるというのは負担な筈。

実際妹の方は、何もかも嫌になって、心そのものを閉ざしてしまったのだから。

色々ねじくれているのも、それは霊夢としても分からないではない。

さとりは平然としているようだが。

霊夢の洞察を読んだのか。

そのまま、話をしてくる。

「うちのペットたちも怯えますし、望むような話はしましょう。 まず地底の状況ですが、現時点で問題を起こす妖怪はいます」

「ふうん……」

「口で説明するよりも、此方からデータを提示する方が良いでしょう」

何か妖術を使うと、空中に映像を出す。

紫に比べると、同じような術でも展開に時間が掛かっているが。それは妖怪としての力の差が原因だろう。

程なく、現状地底で問題を起こす妖怪のリストが並ぶ。

筆頭はキスメ。

まあ妥当なところだろう。

地底から現在は出られないようにされている妖怪で。霊夢もマークしている、極めて危険な妖怪だ。

つるべ落としの怪であるキスメは、人間の首を刈り取る事を平然と行う危険な妖怪であり。

昔人間を殺して、地底に封印された。

地底でも元気に暴れ回っていて、目についた相手に手当たり次第に襲い掛かると言う話は聞いていたが。

どうやら鬼以外の妖怪には見かけ次第あらかた喧嘩を売るようで。

今までどれだけのもめ事を起こしてきたのか、データが多すぎて把握できないほどだった。

「良くこれで鬼に殺されないわね」

「何度も殺されていますよ。 妖怪は肉体が滅びても死にません。 それだけのことです」

「殺されても懲りない……」

「この子は精神が極めて単純で、殺意だけで殆どが構成されているんです。 故に殺される事も負担にならず、蘇生も簡単なようですね」

面倒な話だ。

地底に封印されたのはかなり昔と言う事だが。

これでは永久に地底から地上に戻るのは不可能だろう。妖怪の負の側面を凝縮したような存在だ。

話してみると気が良い妖怪も結構いるのだが。

此奴については、幻想郷にいついたのもたまたま、なのだろう。

意識して幻想郷に来たとはとても思えないし。更に紫の言う事を聞かずに人を殺して地底に永久に落とされたのだろうから。

他にも危険な妖怪のデータを見ていく。

知らない妖怪も結構いる。地底については知識が足りないなと、霊夢は判断。順番に妖怪について聞いて、名前と能力、対処法を把握していく。さとりも霊夢をさっさと帰らせたいのか、すらすらと応えてくれた。

どうせ後で紫と答え合わせをするとでも思っているのだろう。

いや、その考えを読んだのか。

さとりの妖怪は、確かにやりづらい。

数十ほどの妖怪を覚える。

種族として知っている妖怪は結構いたが、個人として知らない妖怪もまた多かった。

やはり知識が足りない。

今後、何かしらの理由で地底に出向くことは少なくないはず。特に地底は今、地上との交流を考えているらしく。色々再開発で整備をしていると聞いている。

危険な妖怪とのトラブルは当然起きるだろうし。

その時でなければならないのは霊夢だ。

魔理沙辺りが面白がって妖怪退治に出向くかも知れないが。それはあくまでそれ。基本的に霊夢の場合は責務である。魔理沙は妖怪退治の専門家を自認はしているが。それはあくまで仕事。

責務とは違うのだ。

「それで、他に質問は」

「此処に貴方達姉妹のデータがないようだけれど」

「もう私達は人間を殺してはいませんよ。 昔はともかく、今はね」

「あの飾られている死体は」

苦笑いするさとり。知っている事を、敢えて聞くのでは無いと言う、圧の籠もった笑みだ。

たしかに今古明地こいしが人を殺していないことは霊夢も知っている。

無駄な時間である。

「他に必要な事はありますか」

「何か問題が起きているなら把握しておきたいわね」

「今の時点では、こちらで解決できる……」

「いや、それでは困るのよ」

さとりが黙る。

霊夢の心を読もうとしているのだろうけれど、今度は読ませない。心を読む癖がついていると、洞察力が逆に落ちるのかも知れない。敢えて心を無にした霊夢に、さとりは困り果てたようだった。

「どういうことです」

「私も、勘で何でもかんでも解決するのは止めようと思っただけ。 とりあえず、地底で起きている問題について、話しておいてくれるかしら」

「此方での問題は可能な限り此方で解決します」

「以前あんたの所のトリが地上を消し飛ばそうとした問題が起きたわよね。 あんた解決できた?」

ぐっと、痛いところを突かれたさとりが声を殺す。

通称地霊殿異変。

古くに地獄として使われていた地帯が放棄され、今は旧地獄となっている。その旧地獄で寂しく過ごしていた妖怪地獄鴉、霊烏路空に守矢の武神が八咫烏を憑依させ。そしてその結果暴走。

核融合とやらの力を手に入れた地獄鴉が、地上を消し飛ばしてしまおうとした事件である。

この時さとりは、事態の深刻さは把握できていなかった。

「地上との交流をするつもりなら、人間として問題がどの程度起きているか、どうすれば解決できるのかは把握しておかないと困るのよ。 変なところで隠蔽体質なんだから」

「分かりました。 追加でデータを出しましょう」

さとりがうんざりした様子でデータを出してくる。

その困り果てた様子を見て。

このすかした言動をとる幼児にも、色々泣き所がある事を、霊夢は知った。

 

3、知は深くへ

 

博麗神社でぐったりしている霊夢。気配を感じて半身を起こすと、霧雨魔理沙だった。

霊夢が認める数少ない戦友。

魔法の森に住んでいる自称普通の魔法使い。

テンプレの魔法使いの姿をして、箒に乗って空を飛ぶ。

年齢は少し年下。実力もまだ霊夢には及ばない。

でも、努力で必死に霊夢に追いつこうとしていて。今まで何度も大物食いを成し遂げている「友人」。

実際に霊夢は友人というものがよく分からないのだけれど。

魔理沙が来る限りは、拒まないつもりである。

「どうしたんだ霊夢、疲れ果てて。 私が知らないところでなにか異変でも解決したのか?」

「違うわよ……」

頭を振る。

ここのところ、普段怠けている分を全て働いていた感触がある。

昨日は命蓮寺に出向いて、滅茶苦茶規則正しく生活している妖怪達を見てげんなりした。勿論一緒に滅茶苦茶規則正しい生活を強いられた。余計に疲れた。

その前は河童達の様子を見に行き、こっちはこっちでいい加減な事をどいつもこいつも好き勝手にやっている様子を見てげんなり。

その更に前は守矢神社に出向き。

見た事も無い道具を早苗が操作して、守矢の武神達がもの凄く細かい数字の話を延々しているのを見てげんなりしていた。

いずれの勢力も、霊夢の話を聞いて。

喜んで、好きなように見て行くと良いと言ってくれた。

勿論、向こうが霊夢を見極めるという意味もあったのだろう。特に守矢は有意義で、ひっきりなしに山の妖怪が来ては、それを二柱が捌いて行く様子が神がかっていた。嘘をついているのは即座に見抜くし、問題が起きている場合は実に鮮やかに解決していた。この辺り、聖徳王と同じ統治者だった事が響いているのだろう。早苗はそれらの情報を、パソコンとか言う何か良く分からない機械に取り込んでいるようで。仕組みは聞かされてもまったく分からなかった。

ともかく三連続でとても疲れたのだ。

魔理沙が色々森の幸を持って来てくれたので、しばらく黙々と食べる。

魔理沙はこれでかなりの人情家なので(手癖は悪いが)。心配してくれる。

「おいおい、働き過ぎなんじゃないのか。 普段から怠けてるのに、急に働くと知恵熱出すぞ」

「そんなに柔じゃ無い……と言いたいけれど、流石に連日だと参ったわ」

「何があったんだよ」

「無知を自覚しただけよ。 だから今、色々な勢力を回って、その実情や抱えている問題を調べているの」

それを聞いて、魔理沙は何となく妖怪の山起点の問題で、霊夢も考えているのだと悟ったのだろう。

茶化すようなことは言わなかった。

「私も手伝おうか」

「駄目。 これは幻想郷の管理者としての仕事」

「そういえば、お前は博麗の巫女だもんな」

「先代まではどうしていたのかしらね」

霊夢が頬杖をつくと、魔理沙は見当もつかないと言った。

それもそうだ。

霊夢も先代の博麗の巫女とは、あまり面識がない。霊夢が歴代最強と言われていると言う事は、多分霊夢よりは力が劣る存在だったのだろう。ただし、霊夢より怠け者だったとも思えない。

歴代の博麗の巫女の中には、博麗大結界の管理で精一杯だった者もいる、という話は聞いたことがある。

博麗大結界の管理をしつつ、妖怪を豪腕でなぎ倒している霊夢のような存在が例外なのだろうとも思う。

だけれども、こういう仕事。

幻想郷を管理者として把握する仕事は。

他の博麗の巫女はしていた筈だ。

どの程度していたかは分からない。

だが、今になって漸く分かった。色々な勢力……ごく最近来た勢力を除くと、どいつもこいつも説明の際に事前にデータを用意していて、プレゼン(というらしい)のやり方を心得ている。

つまり、前に説明をした事がある、と言う事だ。

「少しは負担を分担したらどうだ?」

「それが分担をしているのよ」

「どういう……」

「前は紫がこれを全部やっていたの。 だからああいう取りこぼしがでた」

魔理沙が口をつぐむ。

妖怪の山の一件は、魔理沙も一枚噛んでいる。

そして紫が強力な妖怪であっても、無敵でも万能でもないことは、とっくに魔理沙も知っている。

勿論皆に言って回るような事はしないだろうが。

「他の賢者は基本的に政治的なことはしたがらないらしいから。 とはいっても、眠っている龍神様を起こすわけにもいかないし」

「龍神様って、幻想郷の創造神だったよな」

「そうよ。 外の世界の神々とも渡り合える実力者らしいわ」

「……」

出来る事がない。

それを悟っただろう魔理沙が、悲しそうな顔をする。まだ十代前半だ。無力を自覚すると悲しくもなるだろう。

霊夢だってあまり良い気分ではないのだ。

少し考え込んだ後、魔理沙は言う。

「だんごおごってやるよ。 疲れたときは、甘いものが一番だろ」

「そうね。 少しからだが重いけれど、飛んで行こうかしらね」

「おう、なんなら箒の後ろに乗るか」

「いいえ、遠慮しておくわ」

そのまま、人里の団子屋に出向く。

玉兎の団子屋が再開していたので其所にするが、再開した途端に霊夢が来たので。店長の玉兎はいきなり心臓が止まりそうになっていた。

だんごを注文して、完全に青ざめてぶるぶるしている玉兎を一瞥。

月は、流石に調査のしようがないか。月に関係が深い永遠亭も同じ。彼処の事実上の長である八意永琳に至っては、幻想郷どころか神々の中でも長老級と聞いている。しかも今は意図的にかなり力を抑えているとも聞く。実情など見せてはくれまい。

かといって、月そのものに出向くのは無謀だ。

二度、月には出向いた事がある。

一度は負けて、月で巫女としての神を呼び出す力を見せるように言われ。色々な神の前で力を披露した。それだけ。

ただ、その時には、恐らく月の良い部分しか見なかった。見せられなかった、というべきだろうか。

もう一度は、狂気の仙霊と地獄の女神が月に侵攻を掛けたとき。

月の都はすっからかんで、ただひたすら超々格上の相手との死闘に全力を尽くした。

魔理沙と軽く話す。

「紫自身、地底、聖徳王、命蓮寺、河童に守矢。 次は天狗を見に行こうと思っているのだけれどね」

「紅魔館は?」

「彼処は良いわ。 レミリアは結構神社に遊びに来るし、あの子がなんだかんだで悪さをしないことは分かっているから。 最近はフランも命蓮寺で力の使い方を勉強して、結果すごく大人しいみたいだし」

ふうんと魔理沙はだんごを更に注文する。

自分が食べる分だろう。

山盛りのだんごがどんどん消えていく。

霊夢は疲れているから腹が減っている。魔理沙は成長期。それはだんごの消耗量も大きい。

ちなみに、霊夢と魔理沙が来たのを見て、他の客は早々に引き上げていった。

怖いのだろう。

それでいい。

怖れられているくらいで、博麗の巫女は丁度良い。それについては、前は釈然としなかったが。

色々な勢力の所を丁寧に調べ始めてから、結論はそうなった。

むしろ人里でも、もっと怖れられている方が良いかも知れない。そう思えるほどである。

死人のような顔色の玉兎が、追加のだんごをおいていく。

これは店を再開早々にまた胃痛でダウンかな。

そう思ったが、彼奴も元々幻想郷への月からの侵攻部隊だったのだ。過剰な同情は不要だろう。虐めているつもりも別にないけれど。

だんごを食べ終わると、夜になっていた。

博麗神社に戻りながら、軽く話をする。

「何となく、貪欲にあんたが知識を取り込んでいるのが分かった気がするわ」

「何だよ急に」

「自分が無知だって事に気付くと、際限なく沼にはまるものなのね。 幻想郷が結構危ない状態になっている事は分かっていても、勘だけではどうにもならなかった。 勘が鈍らないように鍛えつつ、知識も増やさないといけないのが、こんなに大変だとは思わなかったわ」

「……そうだな。 私も負けてはいられない」

そのまま、途中の空中で魔理沙と別れる。

話してみて、少しすっきりした。

次は天狗の所を見に行こう。その後は、他の賢者について紫に聞いて。実物に会いに行きたい所だが。

いずれにしても、今日はここまで。

一度博麗神社に戻って休む。

博麗神社はひんやりと静まりかえっていて。

眠るには丁度良かった。

そして、凄く心地が良い。

此処が何を祀っている神社なのか、霊夢も良く知らない。

紫に聞くのも癪だし、聞いた事はない。

だけれども、何となく分かる事がある。

此処の神社は、霊夢にとってとても居心地が良い。そして、この疲れ果てている状態。霊夢は、元々他人と接するのにあまり向いていない。一人でいる時が、とても静かで気持ちが良い。

此処は霊夢に最適化された空間で。

むしろ此処だからこそ、他の奴と接する事も出来る。

余所では凶暴性が増すのも。

霊夢自身が孤独が好きだから。

そう思うと、少しおかしくなってきた。今まで、自己分析なんてした事がなかったからである。

いずれにしても、魔理沙と話して楽になったのも、矛盾するようでもあるが事実でもある。

その辺りも含めて、色々と面白い。

明日は予定通り天狗の所を見に行くとしよう。

まだ何も変わっていないようなら。

物理的に大掃除、も考えて良いかも知れない。

とはいっても、皆殺しは避けなければならないだろう。

天狗はやっと組織改革が始まっているところ。紫がかなり手を入れて、ようやくマシになりはじめていると聞いている。

霊夢から見て、もしもまだ問題意識がなかったり。紫の目を欺いて好き勝手しようとしているようだったら。

その時は。

何人か、粛正対象を考えておく。

どんどん考えが物騒になっている事に気付いたが。霊夢は苦笑して、リストの作成を続けた。

正直な所。

もう、天狗に負ける要素はない。

 

天狗の縄張りに堂々と上空から入り込む。唯一、白狼天狗の犬走椛だけが迎撃に出てきた。

椛は完全に混乱している天狗の組織の中で、まだやる気を残している数少ない天狗の一人で。

はたてのような若手のグループが離反するのを必死に押しとどめようとする天魔達の右往左往ぶりや。

好き勝手に動こうと絶対にするので、下手な事をやらかしたら殺すと直接紫と霊夢で脅しをかけて監視している射命丸とは違い。

下っ端という立場も。

天狗にしては真面目という例外的な性格もあるのだろう。

勝ち目がないと分かっていて。

他の白狼天狗がやる気を無くしていてもなお。

霊夢を迎撃に出てきた。

その辺り、嫌いでは無い。

完全に戦闘態勢で出てきた椛に対して、霊夢は冷徹に告げる。

「様子を見に来たわ。 どきなさい」

「此処は我等の縄張りです。 無理に通ろうとするのなら、抵抗はさせて貰います」

「そう、では好きにするといいわ」

「犬走、やめよ!」

慌てて飛んできたのは大天狗である。射命丸の上司で、中間管理職としてここしばらく窶れた姿が確認されている。

どうも相当に紫や藍に駄目出しをされているらしく。

部下の統制が上手く行っているとも言い難く。

かなり神経が参っているらしい。天魔よりも、ある意味辛い立場かも知れない。

上司に言われて、武器をしまう椛。

大天狗は、焦燥しきった様子で頭を下げる。

「すまぬ、博麗の巫女。 今天狗はかなり厳しい立場なのだ。 みな困惑していて、それで……」

「そんな事は分かっているわよ。 むしろ椛しかスクランブル掛けてこなかったことが気になるけれど」

「?」

「まあ統制が取れていなくて椛が戦闘態勢で出てきた事も問題ね」

椛は分かっていない様子だが。

そもそも様子を見に来るなら良いが。椛はそもそも戦闘態勢で出てきた。

もし今博麗の巫女と戦端を開いたら、それは天狗そのものが叩き潰される結果を招きかねない。

白狼天狗は天狗の縄張りの哨戒役だが。

それに周知が徹底されていない、という事である。

「まあいいわ。 案内して頂戴」

「……わかり申した」

大天狗が、良いからもう下がれと、椛に視線で促す。椛は頷くと、持ち場に戻っていった。

霊夢は天狗の本拠になっている風穴と呼ばれる洞窟に案内されながら、大天狗に言う。

「椛といいはたてといい、真面目でやる気がある若手をまだ制御出来ていないわね。 場合によっては許さないわよ」

「天狗の組織は数百年も変わっていない状態だったのだ。 いきなり変わるのはとても難しい。 それは理解してほしい」

「いきなり変わったじゃないの」

「……それは申し訳ない」

鬼と言う枷が外れて、間違いなく天狗は暴走状態になっていた。

それを霊夢は指摘し。

大天狗は即座に理解した。

逆に言うと、大天狗にはその程度の知能はあるという事だ。天魔が無能を晒していることは分かっているが。

大天狗自身は、無能とまで断じることは出来ないかも知れない。

「椛は不問にしてあげなさい。 私も気にしていないから」

「は、はあ……貴殿がそういうのであれば」

着地。

色めきだった鴉天狗達が数名出てくるが、いずれも恐怖を顔に浮かべていた。

藍や紫はどうやら決まった日時に姿を見せるらしいのだけれど。霊夢は以前といい今回といい、突然来る。

そして破壊的な変革を組織にもたらしていく。

故に怖れている、と言う事らしい。

射命丸の姿が見えない。彼奴にはもう負ける気はしないけれど、油断して隙を突かれたら危ないかも知れない。

聞いてみると、今紫の指示で、試験的にベテラン勢の新聞造りを一部許可し始めているらしく。

配布は許さないながらも。

はたてのように、真実をきちんと書く新聞を作るように指導し。

それがきちんと組織内で行き渡っているか、監視役をさせているそうだ。

監視役ね。

まああの射命丸の事だ。

今は隙を突く事よりも、身の保全を考えるだろう。天狗の組織に見切りをつけたら、いっそはたてや椛を煽って、分派活動の開始をそそのかすかも知れない。ただ、その場合も死んで貰うつもりだが。

彼奴は他の天狗に比べて力が強すぎるし。

性格も狡猾すぎる。

並みの妖怪に比べて力が強く、狡猾であるのは天狗の特徴だが。射命丸の場合は度が過ぎているのだ。

だから紫も警戒しているし。霊夢も監視している。

今は、少なくとも紫や霊夢に喧嘩を売るような真似はしてこないだろう。彼奴は、そういう計算が出来る奴だ。

「中を見せて貰えるかしら」

「此方へ」

大天狗が、完全に慌てている鴉天狗達を、視線で追い払う。持ち場に戻れ、というのだろう。

それにしても、今まで守矢とやりあおうと噴き上がっていた連中の萎縮ぶりはどうだ。

守矢とやり合っても勝てる訳がないのは、霊夢から見ても明らかだった。それなのに、引っ込みがつかないところに此奴らは踏み込んでいた。

だが、霊夢と紫がはしごを外したことで。

急に現実が見えてしまったのだろう。

哀れなほど狼狽し。

どうしていいか分からないと言う様子を晒してしまっている。

天狗の設備を見せてもらう。印刷装置や、早苗が使っているような機械など、色々ある。それぞれについて説明を受けるが、あまり詳しくは分からなかった。

宝物庫も見せてもらう。

不安そうにした大天狗だが。

別に霊夢は金に困っていない。ましてや、天狗の秘宝をむしり取って売るほど性格も腐っていないつもりだ。

見た所、呪具などが多いようである。また、妖怪を封印するために用いる要石なども在庫があるようだ。

目を細める。アレを使って、勝手に縄張り近辺の妖怪を封印して、領土を好き勝手にしていたのか。

いや、恐らく実際に使ったものは、紫や藍が処分したのだろう。

だとすると、在庫がまだあった、と言う事か。

他にも何かあるか聞いて、全部見せてもらう。インクリボンとか言う得体が知れないものが出てきたが。印刷に使うのだと聞く。勘からして、嘘はついていない。頷くと、倉庫を一通り見せてもらい。勘が働くものについては、説明を受けた。

冷や汗をずっと流している大天狗が、更に青ざめる言葉も投げかける。

「天魔に会わせて頂戴」

「わ、分かり申した。 しかし博麗の巫女、天狗への対応は賢者どのが行うのでは」

「抜き打ち検査よ。 実際前に起きていた問題も、抜き打ちじゃないと発覚しなかったのだしね。 賢者には此方から話をしておくわ」

「……やむを得ぬ。 此方だ」

これはなんというか、はげ上がりそうだな。

少しだけ大天狗が気の毒になる。

精神生命体である妖怪は、精神の負荷がそのままダメージになる。実体のある肉体は、実は妖怪にとって其所まで大事なものではないのだ。

ちょっとやそっと殺されるくらい気にしないのはそれが理由。

勿論拷問とか、あからさまな大物に痛めつけられたりしたら、精神の方もダメージを受けるから、無事では済まないけれど。

ただ、今回のような締め上げを受けると。妖怪には大きなダメージになる。

大天狗も、ずっと長い事天狗の組織で中間管理職を続けて来たのだろうし。海千山千の筈だが。

それでも、霊夢に対してどうして良いか分からず困惑しているのは、勘で分かる。

腹芸を使っている可能性もあるが。

こう言うとき、霊夢の勘は働く。相手が嘘をついているかどうかは、一発でわかるのである。

天魔のいる風穴の最深部に。

偉そうに御簾なんてしいて、王族か何かのつもりか。

天狗も幻想郷に逃げ込んできた妖怪。

鬼ほどでは無いが力は強いとは言え。結局人間には勝てず、500年前にこの閉ざされた土地に逃げ込んできた者達。

更に、何人か心当たりがある、外にでても死なずに済む妖怪と違い。

天狗の中には、射命丸含めて、博麗大結界の外に出られる妖怪が存在していない。

それら負の要素がいくらでもあるのに。どうしてよりにもよって、超格上の守矢の武神とやり合えると思ったのか。

「博麗の巫女、話は聞いている。 抜き打ちでの査察だそうだな」

「そうよ。 それと、話を聞かせて貰おうと思ってね」

「何か部下が問題を起こしたか」

「いいえ、今のところは。 だけれども、組織の再編が上手く行っているとは言えないようね」

ずばり告げると。

天魔は御簾の向こうで呻く。

分かってはいるのだろう。

だけれども、どうにも出来ない。その苦悩が、霊夢の所にまで伝わってくる。腹芸をしている様子は無い。

「賢者殿にもその話はしている。 我等は古い種族だ。 更には、組織に新風を吹き込むこともずっと無かった。 鬼がいなくなって、枷が外れて好き勝手をする者が多く出たのも、その弊風が故だ。 もう少し、長い目で見て貰えないだろうか」

「それを判断するのは紫よ。 今日は具体的に私の目で、実態がどうなってるか見たかったから来たの」

「……」

天魔の警護をしている生え抜きらしい白狼天狗も、完全に青ざめている。

もしもこの場で霊夢が暴れ出したら、手に負えないと分かっているから、なのだろう。

「あんた達みたいな妖怪のせいで、紫の負担は増えるばかりよ。 勿論私の負担もだけれどね。 ともかく、できる限り今起きている問題について、天魔である貴方から話して貰いましょうか」

すっと、霊夢が目を細めると。

天魔は、うろたえながらも。

順番に、今起きている問題について話す。

霊夢は頷きながら、何処まで嘘で本当か、確認していくが。少なくとも、天魔は自分の所まで届いている話については、嘘をついていないようだった。

更に、その後は下っ端の鴉天狗を捕まえて、話を聞いていく。涙目になるもの、殺さないでほしいといきなり懇願する者、酷い混乱ぶりだ。

一時期は霊夢が縄張りの近くを飛ぶだけで、スクランブルに複数の天狗を出してきたくらいなのに。

組織的に動く妖怪と言うのは、一度屋台骨がぐらつくと、こうも滅茶苦茶になるのか。

一体一体は決して弱くない。むしろ強い方の妖怪に入るはずだ。

それなのに、どいつもこいつも神経が参りきっている。

不意に、おおと声が上がる。

見ると、降り立ったのははたてだった。以前とは目つきも背筋の伸び方も違う。霊夢に対しても、堂々としていた。

「どうしたの、博麗の巫女。 こんな所に」

「抜き打ち検査よ。 紫と藍だけに任せておけないし、こっちでも改革の実態を把握しておきたくてね」

「なんなら私の新聞を渡しましょうか」

「……いただこうかしら」

天狗達が青ざめる中で、新聞を受け取る。

中身に目を通す。思わず唸った。どんどん良くなっている。前は攻撃的な論調で、内容も妄想新聞と揶揄される代物だったのに。

今では客観的にものを見て、様々な資料からデータを引っ張ってきている。それも複数の資料を使うのは当たり前で、取材対象からの話を聞きつつも、丁寧にそれを分析もしている。

外の世界の新聞は紙屑同然の代物と化しているらしいが。これは完全に別物である。しかも人間とは時間感覚が違う妖怪なのに、進歩の速度が著しい。

「これは充分に金を払う価値があるわね。 幾ら?」

「博麗の巫女からお金は取れないわよ。 その分賢者にまとめて請求するわ」

「ふふ、じゃあそうして頂戴」

霊夢が見た所、かなり天狗にとって泣き所になるような話も書かれているようだ。これをみても、はたてがもう天狗の組織に完全に見切りをつけているのがよく分かる。なお、自分も例外として書いてはいない。

何も分かっていなかった若造として、自分についても徹底的に厳しく書いている。今のはたてが新聞記者の魂と誇りを持つ者と呼ぶに相応しい存在に変わった事を示している。

新聞を元に、幾つかの施設などを見て回る。

前に早苗が言っていた発電所だの変電所だのも、天狗の縄張り内に小さいのがあった。新聞を作るのや、文明的生活を送るのに必要らしい。

はたては実家も言われると案内してくれた。

その時、両親に向けた冷たい目が。もう両親に対して、はたてが完全に壁を作っている事を示してもいた。

両親は両親で、どうしていいのか分からないようで、右往左往していたが。

「これは、人里の家に比べてとても綺麗ね。 守矢の生活区画と比べても遜色ないわ」

「いいえ、守矢の設備に比べると二世代は遅れているわ。 単に幻想郷の人里が遅れに遅れているだけ。 でもそれは賢者の意向でしょうし、内緒よ」

「ふうん……」

はたてはそれぞれ機械について説明してくれる。

霊夢にはまるで見分けがつかなかったが、守矢にあるものに比べると、性能が雲泥だという。

そういえば守矢で見かけたIHとかいう便利な調理器具はなかった。

あれについては、まだ天狗の技術では再現不可能だとか。

「ありがとう。 他の天狗の家もこんな感じなのかしら」

「うちは名家だから、他よりもかなり良い感じね。 他の天狗だと、大天狗「様」の家がこれくらいかしら。 天魔「様」もそうだと聞いているわ」

「……詳しいわね」

「理由はお察しよ」

くすくすと、はたては冷たく笑う。

先にはたてが家を出る。実家とは思えない程、冷たい態度で。霊夢に、はたての両親である鴉天狗が声を掛けて来る。

「そ、その。 博麗の巫女殿」

「何かしら」

「娘がその、家に戻ってきてくれないのだ。 説得して貰えないだろうか」

「この有様じゃ当たり前よ。 私から出来る事はないわ。 家庭の問題は自分達で何とかしなさい。 もっとも、これではもう家庭とは呼べないと思うけれど」

蒼白になるはたての両親。

これは、いずれにしてもはたてが天狗の組織から離脱する日は遠くない。離脱しないにしても、恐らくは相当に強力な派閥の長として、勢力内で大きな影響力を持つようになるだろう。そしてその勢力は間違いなくはたての両親より遙かに大きく、多分勢力内に入れても貰えない。

はっきりしている事は一つ。

はたての両親に告げたように。此処はもう、はたての家では無い。

他にも、何カ所か天狗の縄張りを案内して貰う。途中、白狼天狗の詰め所も見せてもらった。

真面目に警備をしていた椛と他の白狼天狗は違った。隠行でこっそり伺ってみると、大半の白狼天狗は大将棋で河童や山童と遊んでいる。

これは駄目だな。そう呟くと。はたてはしらけた声で言う。

「白狼天狗の大半はずっとこうだったの。 椛のような一部は孤立していたし、他の若手の一部は堕落を嫌がって、射命丸に粉を掛けられていた様子よ。 もし守矢と戦いになっていたら、ひとたまりもなくやられてしまったでしょうね」

「……ありがとう。 実態はよく分かったわ。 今度紫と話すとき、参考にする」

「いいえ。 それよりも、今度は其方を取材させて頂戴。 勿論、大まじめに取材させて貰うわ」

「そうね、今のあんたなら良いかな」

そのまま、天狗の縄張りを後にする。

やはり、何でも自分の目で見ないと駄目だ。それについては、はっきり今回も分かった。

勘で嘘は見破れる。

でも、天狗の生活水準や、その組織のグダグダぶりは、直接見てみないと細部までは理解出来ない。

頭を使うのは苦手だが、今後は今まで以上に、妖怪の知識と、その実態を見ていかなければならないだろう。

そして、霊夢自身も自覚する。

自分も、こうなってはいけない、と。

 

4、間近で見たもの

 

博麗神社に紫が姿を見せる。丁度、取材を終えたはたてが帰って行くところだった。これから記事を書き始め、初稿を霊夢に見せに来るらしい。許可を得てから、本番の新聞を作る。

そして出来上がったものも許可を取ってから、許可を得ている相手にだけ配布する。

今回はそれほど突っ込んだ取材はされなかった。だから、人里にも別に配布はしてかまわないと告げている。

もっとも、上がって来た新聞の内容次第では、それも話が別になるが。

茶を出してから、軽く紫と話す。

天狗を見にいったことについては、紫も既に把握していた。

「人間の立場から監査を入れてくれた事は助かるわ。 それでどう思った?」

「駄目ね。 もう天魔をすげ替えたら?」

「残念だけれど、現状ではそうもいかないの。 完全に骨抜きになっている天狗が瓦解するのを防いでいるのは、あの天魔なのよ。 最終的には天魔のすげ替えを行うつもりだけれど、それはしばらく先ね。 当面は組織の改革を腰を据えてやっていくつもり」

「面倒」

霊夢がぼやくと、苦笑しながら紫は茶を啜る。

霊夢としても、聞いておきたい事はある。

「妖怪の組織は近年増えたけれど、どれくらい内部については把握しているの?」

「だいたい殆どかしらね。 永遠亭と守矢だけはどうにもならないけれど、守矢については貴方やはたてがコネを作ってくれたから、其所から少しずつ友好関係を構築する予定よ」

「骨が折れるでしょうね」

「折れるわよ。 もう何人か、賢者が仕事をしてくれれば話は違うのだけれど」

紫が肩をすくめる。

今回の件で、霊夢も管理が如何に大変か思い知った。博麗の巫女は暴力装置で良いと思っていたが。

それだけでは駄目だった。だから今後は、積極的に管理に加わる。

今回はっきり分かった。勘だけではどうにもならないのだ。

勘には自信があったが、それも限界がある。歴代最強の博麗の巫女と言われても、勘とそれに基づく暴力だけでは、幻想郷の平穏は維持できない。

人間の側に立って、この小さな平和な世界を管理する。

それが博麗の巫女の仕事である以上。

今のままでは駄目。

だからこそ、紫とはもっと丁寧に関係を構築していかなければならない。できれば、博麗の巫女の立場から、他の賢者にも仕事をするように促したい。現状の幻想郷の立場は、のうのうと構えていられるほど生やさしいものではないだろう。

「賢者を増やすわけには行かないの?」

「流石に龍神様の許可を得る必要があるから厳しいわね。 あのお方が目を覚ますとどうなるかは分かっているでしょう」

「……確かに何から何までが大変でしょうね」

「そういう事よ。 勝手に賢者を増やすわけには行かないし、厄介だわ」

ひとしきり愚痴を言った後。

今後は連携を強める話を幾つかして。それから、紫は引き揚げて行った。

或いはここのところの霊夢の動きを、ある程度見張っていたのかも知れない。

だとすれば、難儀な話だ。

茶を片付けると、霊夢は出かける準備をする。

組織についても、流動的だという話は聞いている。今後、どういう感じで見張っていくか。スケジュールを作らなければならない。

それについては、霊夢の頭では無理だ。

これから人里に出向き。慧音先生と話をして、アドバイスを受ける。

苦手な相手だが。こればかりは、仕方が無いと言えた。

 

慧音先生から貸してもらった組織論という本を読む。慧音先生が書いたものではなく、生徒の一人で人里の学者になっている者が書いた本だそうだが。慧音先生から見ても、かなり良い本だそうである。

内容を確認する限り、組織というものがどう構築されるか、どうやって腐敗を防ぐか、どう管理するかといった内容で。

とにかく難しくて眠くなるが。

今後は必要だと霊夢は感じて、頑張って読む。難しい所は抜き出して、丁寧にメモを取っていく。

魔理沙が来た。茶を出すと、勉強中だから適当にその辺で遊んでいてと話す。

魔理沙が苦笑した。

「お前がこんなに真面目に勉強するとはなあ」

「色々見たからね。 仕方が無いわ」

「で、どんな感じだ」

「安定している組織は鉄壁。 だめな所はとことん駄目ね。 特に安定しているところは命蓮寺。 でも、問題がないわけじゃない。 聖徳王の所は、聖徳王一人だけが凄いのでちょっとコメントを避ける所ね。 だめな所筆頭は天狗かしら」

淡々と言うと。

勝手にお菓子を出してきて、食べ始める魔理沙。まったく手癖が悪いのだからと苦笑いする。

「それでお前、これからどうするんだ。 勘が鈍っちゃ仕方が無いし、当面は「暴力装置」のまま過ごすんだろう?」

「それは当然。 でも、人里にはわからない程度に、紫とも連携を取るつもりよ。 幻想郷の管理は想像以上に大変だわ」

「……まあ私は、順調に強くなれればそれでいい」

「それなら問題ない。 どうせ近々また異変が起きるでしょうし」

魔理沙が身を乗り出す。

霊夢は頷くと、メモの一つを見せた。

魔理沙になら見せても良いだろう。

どうせ戦友として、一緒に解決するのだから。

とはいっても、人里にこう言う問題が起きると、べらべら喋られても困る。出す情報は限定しないとまずい。

「詳しくは言えないけれど、備えておいて」

「分かった。 つぎは私が解決してやるぜ」

「楽しみにしているわ」

そうなったら修行だと、すぐに自宅に飛んで戻っていく魔理沙。

それを見送ると。

霊夢は、更に本を読み進め。

自分の強みを維持したまま、新たな力を得るべく、奮闘を続けた。

 

(終)