最果ての主の最果て
序、総力を挙げて
「悪役令嬢」は「陰キャ」と並んで立つ。
周囲は荒野。雪も積もっていない。今までの戦闘で消し飛んだのだ。雪深い北欧だというのに。
彼方此方が崩落している。
地下にあった巨大な肉塊と。今相対している邪神「財閥」の宮殿が半壊したからだ。
既に「財閥」が目論んでいたSNSクライシスの再現計画。更に言えば此奴自身がガイアそのもの……地球そのものになる計画は潰した。
「陰キャ」と「喫茶メイド」。
それに日米の電子戦部隊が連携して潰してくれた。
それについては、さっき手短に聞いた。
だが。最高位邪神一体が残っているだけで、世界にはとてつもない脅威だ。
実際問題、日本で最高位邪神「神」こと「ブラック企業社長」を「悪役令嬢」が撃ち倒すまで。最高位邪神の撃破記録は無かった。
英雄「ナード」ですら倒せなかった相手なのだ。
その中でも間違いなく最強。
此奴を野放しにしたら、単独で米国が潰されかねない。
巨大な触手がうねり続けている。
それは形を為そうとしていない。
もう、あまりにも怒りが深すぎて。
或いは色々な強さを取り込もうとしすぎて。
定型が保てないのかも知れない。
ただそれはそれで厄介だ。
今まで「財閥」を口撃してきて分かった事がある。
こいつは、自分の人間性を過剰に評価していた。要は病的なレベルのナルシストだったのだ。
だから、最終形態でもコアは探しやすいのでは無いかと思っていたのだが。
こんな形状になられてしまうと、厳しいかも知れない。
「もう手段は選ばない……言葉も必要ない……! 殺意だけに脳を塗り潰す!」
「脳ねえ」
「財閥」の声に呆れて応じつつも。
しかしながら、脅威に内心「悪役令嬢」は冷や汗を掻いていた。
邪神はその圧倒的な存在故に。人間以下と見なしている狩り手相手には力が制限される。
そして狩り手は逆に力がパンプアップされる。
SNSクライシスで世界のルールが変わってしまった今。
邪神が滅びても、当面このルールは変わらないだろう。
狩り手が人を殺す事はあまり考えたくないが。
もしも世界がこの後悪い方向に向かったら。
狩り手を軍に取り込んで、とかろくでもない事を始める奴が出てくるかも知れない。
ただ狩り手が圧倒的戦力を発揮できるのは、邪神とフォロワーに対してだ。
更に邪神がもう生まれ出ない以上。
後はフォロワーさえ駆逐していけばいいと思っていたのだが。
いずれにしても。この今を。
どうにか乗り越えないと。
この触手まみれの形態。
どうにか弱点を発見しないといけない。
こくりと、となりで「陰キャ」が頷く。
分かっている。
来る、という合図だ。
どっと、大量の触手が。もう蛇花火か何かのように、黒くて何も無い、ただの触手が押し寄せてくる。
一つ一つが凄まじい殺意をまき散らしているそれは、文字通り破壊の権化。
突貫。
足を止めるのは論外だ。流石にこの物量相手に、的を絞らせるのは即死に等しい。
触手は一つ一つがそれこそ電車ほどもある。
だが、触手それぞれを単独の邪神としてみれば雑魚だ。今生き残っている第一世代の狩り手はこの程度の邪神はなんぼでも相手にしてきている。ましてや「悪役令嬢」と「陰キャ」は、今や狩り手最高の戦闘経験を誇る。
触手を鉄扇で斬り払いながら、走り続ける。
巨大で太い触手だ。
擦っただけで即死級のダメージを受けるだろう。
それだけじゃあない。
大量の触手からは、棘のようなものもはえ。それを手当たり次第四方八方無差別に打ちだしてくる。
舌打ちすると、棘も避けつつ敵の中心に迫る。
だが、この物量に加え、四方八方から飛んでくる棘だ。
毒くらいついていてもおかしくないし。
何より「悪役令嬢」も「陰キャ」も体力消費が激甚だ。無理は出来ない。
走りながら、中心殻を目指す。
今までと桁外れの強さだ。
今までも強かった。勿論相手に対する賛辞など口にはしなかったが、今まで交戦した邪神の中では総合力でトップ。
技術こそは未熟だが、それを補ってありあまるパワーが体力を削りに来ていた。
それに加えて「悪役令嬢」も「陰キャ」も本調子では無い。
ついでに増援が来る可能性もない。
勝率は三割切るだろうと判断しているのは、客観的な情報の結果だが。
しかしながら、その確率はここでひっくり返す。
触手の一本に飛び乗ると、斬り裂きつつ根元へ向け走る。必死に「悪役令嬢」を降り落とそうとする触手と。周囲を包囲して、飽和攻撃をしようとする触手が綺麗に別れる。
この動きが、見たかった。
なるほど、この触手。単一の脳で統率していないな。
恐らく取り込んだ邪神によって統率している。
だったら、戦い方があるかも知れない。
瞬歩で飽和攻撃から逃れ、着地。
文字通り滝のように触手が降ってくるが、全てを回避。地面に突き刺さり、岩盤を砕く触手。
まあ周囲から見れば、神話の戦いだろうなこれは。
そう、どこか冷めた目で「悪役令嬢」は見ていた。
「陰キャ」は回避に専念しているようだが。なんだかもの凄く動きが洗練されている。
短期間で何かあったのか。
というよりも。あのさっきの揺れ二回。
恐らく、超越というか。驚天の技によるものだとみて良い。
それを撃って、「陰キャ」は更に伸びたのだ。
むしろ体にあるダメージが、更に伸びるためのリミッターとして機能したのだとみて良いだろう。
そう考えてみると、「悪役令嬢」も。同じ事が出来るのかも知れない。
「わたくしに倣って!」
「陰キャ」に叫ぶ。
そして、飛んできた触手を。
斬り飛ばさない程度に、あえて滅茶苦茶に傷つける。
触手が、あからさまに苦しんでいる動きをするが。
「財閥」はけたけたと笑うばかりだ。
そう、それでいい。
そのまま、飽和攻撃で飛んでくる触手に、出来るだけ痛くなるような攻撃を連続で入れていく。
恐らくだが。
「財閥」も流石に懲りただろう。
もう会話をしようとはしてこないはずだ。
奴は会話で負けるとは思っていないだろうが。
「悪役令嬢」が不愉快な事を言ってくるとは感じている。
今も微塵も自分の正義を疑っていないだろう。信じがたいことだが。
だがそれが故に、つけいる隙は減っている。
だからこそ、隙をこうやってこじ開けるのだ。
問題は体力。
こうして凄まじい攻撃の余波を受けているだけでも、もりもり削られていっている。
それでもどうにかする。
大きく息を吐くと。
連続して飛んできた四本の触手を、真正面から壁にぶつかったように。斬撃で思い切りへし砕く。
勿論激甚な痛みが「触手には」走るだろう。
それでいい。
鉄扇が一つ砕けた。
新しいのを出す。
今回、使い切るつもりで戦う。此処まで厳しいのは、日本での高位邪神と初戦闘をした頃以来だろうか。
だが、それも当然だろう。
「陰キャ」も似たようにやっている。
あえて触手を二枚に下ろしたり三枚に下ろしたりして、切りおとしていない。
切りおとせば再生までの時間を稼げるのに。
また、数本の触手が、様々な方法で飛んでくる。
無言で全てに対応しつつ、針も全て弾き返す。
致死性の毒がある可能性も高く。
今の体でも、多分喰らったら無事では済まないからである。これでも見えるように、対応できるように攻撃はしてきているのだろう。
それがこの世界のルール。
舐めきった相手に対する邪神の戦い方、だからだ。
触手が撓むのが見えた。
なる程、質量攻撃か。
だが、それは望むところである。
上空まで、どんと音を立て。勢いよく「財閥」が跳び上がる。
その凄まじい飛び上がり方は、それこそ成層圏まで届きそうな勢いだが。
それ故に、奴の全貌が分かる。
どうやらやはり。何かのコアを中心に。あの強力な触手を数十生やしている様子だ。
一つ一つが非常に強力なので、数十で充分という所なのだろう。
無言で「陰キャ」と視線をかわすと。
落ちてくる瞬間に、踏み込んで。
傘を相手に向けて投擲していた。
空気の壁を八枚、傘がぶち抜く。
触手が迎撃しようと壁になるが、その全てを撃ち抜いた傘が、確実にコアを直撃していた。
残念ながら倒せなかったが、それでも絶叫が上がる。
絶叫は何重にも聞こえた。
同時に、「陰キャ」が「悪役令嬢」にとびついて。瞬歩でその場を離れる。
一瞬だけ。猶予は。
直撃した邪神の体が。そこの岩盤を打ち砕いていた。
当然、今の火力だ。
地下にある肉の世界。
もう終わってしまっただろうが。そこまで、岩盤を貫通して、大崩落を引き起こす。
周囲が凄まじい勢いで壊れて行くが。
それでも平然と、大量の触手をうごめかせて、「財閥」は這い上がってくる。
文字通りの怪物だな。
そう「悪役令嬢」は「陰キャ」に礼を言いながら思った。
呼吸を整える。
クッキーを口に入れる。
本当に気休め程度にしかならないが。
それでも、ないよりはマシだ。
「悪役令嬢」も感覚は恐ろしく研がれている。もう少し東に行けば、あの肉宮殿が下にはなくなる。
つまりある程度岩盤強度はマシになって、戦いやすくはなる筈だ。
大きくなるだけでは埒があかないと敵に認識もさせたはず。
だから、奴はこのまま。
体力を削りきろうと、飽和攻撃を続けてくるはずだ。
それについては戦略的に正しい判断だが。
しかしながら、奴はどうしてもずっとずっと軽視し続けているものがある。
そろそろだろうか。
完全に体勢を整えた「財閥」が、また触手を展開して来る。
「陰キャ」もかなり限界近いのが見えている。
だけれども、それでも何とか耐え抜く。
触手にあえて残虐攻撃を仕掛けて、痛みをひたすらに与え続ける。
じりじりと下がっているのを見て、交代、と叫び。
代わって今度は「悪役令嬢」が攻撃を受けて立つ。
猛撃が続くが、この程度だったらどうにでもなる。どうにでもなると、自分を鼓舞する。鼓舞しているだけだが。
それでも本当にどうにかするしかない。
全身が凄まじい熱を帯びているのが分かる。
汗による排熱機能なんて、とっくの昔に終わってしまっている。
人間を超越し始めているという言葉通りだ。
本来だったら、とっくに死んでいる。
今だって、ダメージは激甚だが。
それでも熱の神と化しながらも。
「悪役令嬢」は、「財閥」の攻撃を受け止め続けながら。
ひたすら触手に、猛撃を加え続けた。
針。
激しい攻防の最中、一本が飛んできていた。
どうにか弾き返す。
だが、その死角にもう一本。
気迫を込めて、弾き返す。
だが、それで体力を大幅に消耗した。
触手が横殴りに叩き付けられて。もう一本の予備の傘で必死に受け止めるが、凄まじい距離をずり下がる。
呼吸を整えながら、何とか体勢を立て直そうとするが。
心音がおかしい事に気付いた。
まあ体熱がこんな状態だ。
心臓だって、それはおかしくなるだろう。
だが、それに対する悲壮感は無い。
そもそもだ。
邪神と戦うためにミームの権化となった。
では聞く。
ミームとは何か。
少なくとも、それはSNSクライシス前に人間扱いされている者ではなかったはずだ。
「陰キャ」のように実在していた人間を揶揄する目的で使われていたミームですらそうだ。
「悪役令嬢」のようなミームなんて、それこそ怪異と同じ。
ありもしない「要素」「属性」にすぎない。
だったら、人間のルールに縛られてやる必要なんてない。
勿論「悪役令嬢」は人間だ。現時点では。かろうじて、だろうが。
だから、少しずつミームに体を慣らしていく。
「陰キャ」が代わって攻撃を受け止め続けてくれている。
あの子の体力はかなり厳しい。
それにあの子は、下手をすると絶対にやるなといわれていた絶技を使いかねない。
駄目だ。
もし二人の内どちらかが、だったら。
「悪役令嬢」は絶対にあの子を残す。
何とか、落ち着いてきた。
勿論医者がいたら即座にタオルを投げるような状況だろうが、此処は絶対に引けないのである。
前に突貫。
「陰キャ」と共に。数本の触手を残虐にグチャグチャに斬り裂きながら、吹き飛ばしていた。
けたけた。
「財閥」が笑っている。
こっちのもくろみ通りだとでもいうのだろう。
体力をどんどん削れ。
そう思っているのだろう。
残念だが、貴様のその形態は其処までだ。
鉄扇を威圧的に閉じる。
それで、びくりと多数の触手が震えるのが分かった。
同時に、不審の唸り声を「財閥」が上げる。
触手が指示通りに動かなくなったから、だろう。
「情けない姿ですわね。 強大極まりない「エデン」に入れたはいいものの、どれだけ忠実に尽くしても結果はその姿ですわ。 SNSクライシスを再現するための道具として肉体は使われ、そして力そのものは吸い上げられた挙げ句にそいつの体の一部として戦わされている」
「……」
「貴方方もそれぞれ社会の暗部で好き勝手をしていた巨悪達でしょう。 まあ大半の巨悪は単なるクズですけれどもね。 貴方方は、その最低限の尊厳すら全否定されて、粘土のように何から何までこね回され、そこにいるエゴイストのカスの道具にされている。 悔しいと思うなら動きなさい!」
わめき散らす「財閥」の声。もう言葉の意味を成していない。
「悪役令嬢」との会話はリスクが高いと判断したからだろう。
その判断は正しいかも知れない。
だが。
そもそも全力戦闘していて、「支配」から注意が逸れてしまっている状態で。声は届いてしまったのだ。
今までも、何度か見てきた光景が。
此処でもおきていた。
触手が一斉に、「財閥」のコアへ殺到する。針を無茶苦茶に叩き込み、大質量で殴りつける。
絶叫する「財閥」。
「悪役令嬢」は「陰キャ」に頷いていた。
「不愉快ですけれども、慈悲をくれてやりなさい」
「……」
こくりと「陰キャ」は頷くと前に出て。
刀に手を掛け。そして、腰を低く落としていた。
踏み込むと同時に、一閃。
なるほど、素晴らしい。あまりにも素晴らしい一撃である故に、美しい。
これは周囲が熱狂したのも分かる。
抜き打ちの達人だった「陰キャ」だが。その腕を究極まで磨き抜いた結果。もはや刀の神と化している。
その一撃は、「財閥」に完全に反旗を翻した「エデン」の邪神どもを一瞬にして切り裂いていた。
元々力だけになってしまい。
なおかつ「財閥」の支配下に置かれるという不安定な状況に落ちていた邪神達である。
それだけで、致命傷には充分だったのだろう。
あれだけあった触手が、残らず消えていく。
それを見て、大きく「悪役令嬢」はため息をついていた。
今殺した数十の邪神だけで、億単位の人間を直接殺しているはずだ。そんなのに、戦略上の問題とは言え、慈悲を掛けてやらなければならないとは。
いずれにしても、これで手を焼かされたこの形態も終わりだ。
まだ、「財閥」の気配は残っている。
流石は最高位邪神と言う事か。
その気配が、何も無くなった荒野に収束していく。
それはなんというか。
おぞましい程のイケメンの、やたら筋肉質な男性に見えた。古代の彫像のような美しい肉体だが。流石にパンツだけははいていた。
気配で分かる。
これが此奴の最終形態だ。
或いはだが、ひょっとすると邪神共の力を引きはがさなければ、まだ形態はあったのかも知れない。
だが、それを失った今。これが最後と言う事だ。
鉄扇を構える。残りの鉄扇はこの一対のみ。「陰キャ」の刀だってもう限界だろう。
体力も、「悪役令嬢」「陰キャ」ともに限界。次で、最後の。この地獄と悲劇の世界に。決着がつく。
1、人間原理主義の末路
「優秀な人間は必然的に社会の上位に存在している。 逆に言えば、社会の上位にいる人間は皆優秀なのだ」
ぐだぐだと「財閥」が喋り始める。
今までと少し雰囲気が違うなと「悪役令嬢」は思ったが。
別にどうでも良い。
喋っている間、少しでも体力を回復する。
距離は数百メートル以上はあるか。
それでも、声はよく届いた。
「これは統計的にも証明されたことだ。 優秀な遺伝子の間にしか優秀な遺伝子は産まれないし、人間もそれを知っているから遺伝子バンクを利用するのさ」
どうでもいい話だ。
その理屈を口にする邪神は今まで何体も目にしてきた。
馬鹿な話である。
どんな王朝だって三代優秀な君主が続くケースは滅多にない。
だいたいだ。
SNSクライシス前の世界は、1%の人間が99%の富を独占しているとか言われる世界だった。
それで、その1%の人間が優秀だったのなら。
世界はさぞや暮らしやすいものだったのだろう。
事実はどうか。
違う事を「悪役令嬢」は知っている。
その時代は、文字通り「最果ての時代」というのに相応しいものだった。
要するに。
その1%の富を独占している優秀な人間とやらは。実際にはちっとも優秀などではなかったのである。
そもそも、その優秀な遺伝子云々の統計実験も、せいぜい数千程度のテータから求めたものに過ぎない。
統計というのは最低でも10万はデータが必要で。10万では少なすぎると言われる世界である。
理由は「悪役令嬢」も知っている。
例えば、人間の思想を調査する統計を取るとする。
その場合、人間はまず男女に分かれる。次に世代別に分かれる。この世代を五段階に分割しただけで、十種類のグループが出来る。
これだけでは当然すまない。
収入。住んでいる地域。家庭環境。こういうものを考慮に入れていくと、あっというまにグループは数千を超えてしまう。
それなのに、たかが数千のカスデータを集めて、統計が成立するとでも思っているのだろうか。
SNSクライシス前に腐敗しきっていたマスコミがよく役にも立たないアンケートをしていたが。
それと同じ欺瞞だ。
そんなカス論文を根拠にした理論など、その辺に落ちている犬の糞ほどの価値もない。
それだけではない。
そもそも優秀な人間なんてものを、人間そのものが定義する事すら出来ない現実から考えて。
優秀な人間とやらは。結局主観で「良さそうに見える人間」に過ぎないのだと結論出来る。
つまり「財閥」の発言は。
SNSクライシスを引き起こした脳みそが腐ったフェミニストだかなんだかと同レベルの噴飯モノの寝言であり。
何の意味も成さないゴミと言う事だ。
「財閥」の言葉なんてあくびをしながら聞いても良いが。
どうせ最後の大演説だ。
聞いてやることにする。
「僕は世界最高の金持ちで、世界最高に優秀な人間だ。 そして人間とは進化の頂点に立つ万物の霊長! 故に僕はこの世界の全てを、私のものにする権利がある! そして頂点は僕だけでいい! 故にガイアは僕のものとなるべきなのだ!」
「全てそぎ落とした結果の思想がそれとは。 もう言葉もありませんわ」
指先で招く。
来い、という意思表示だ。
決着を付ける。
「陰キャ」も、この腐ったイケメン野郎にはもうすっかり怒りしか沸かなくなっている様子だ。
此奴がやってきた事は、単なる大量虐殺だ。
それを自分は優秀だのなんだので正当化し続けている。
救いがたいゴミカスである。
「僕の計画をだいぶ遅らせてくれた罪は重いぞ。 これより誅してくれる」
「いいからさっさと来なさい。 この唐変木が」
「……」
かき消える。
今までの比では無いスピードだ。
振り向きつつ、拳での一撃を受ける。
鉄扇が曲がるかと思った。
とんでもない一撃だ。
なるほど、残った力を人型に圧縮して、パワーとスピードだけで。疲弊しきった「悪役令嬢」と「陰キャ」を押し切るつもりか。
だが此奴の今までの発言からして。
多分コアは生殖器。
動きさえ止める事が出来れば、一瞬で倒す事は出来る。
これはそもそも、このSNSクライシスを引き起こした阿呆がそういう思想だったからという側面も多いだろう。
なんだフェミニズムだのポリコレだのいっておいて。
結局考えているのは生殖のことだけ。
だからどれもこれも頓珍漢な自由ばかりを主張したし。
よりたちが悪い此奴のような奴に利用された。
SNSクライシス前に流行った自称フェミニズムの正体こそがそれだ。
しかしながら、この「財閥」等にも誤算はあっただろう。
自分がその、脳みその中身が全部性欲で満たされているようなモンスターの思考に引きずられてしまった事だ。
此奴自身は人間時代からカスそのものだった事は疑う余地もないが。
それでも、ここまで自身のレベルを下げられるとは思っていなかったかも知れないし。
或いは、だが。
現在の愚かしさに、気付けていないかも知れない。
「財閥」が利用したゴミカスやその同類は、結局「自分は常に絶対に正しい」という思考から。一歩も出ることが出来なかった。
それがまさか自分に返ってくるとは、想像できなかっただろう。
まあそれについてはどうでもいい。
そのまま、滅ぼすだけだ。
飛んでくる蹴りが、空気の壁をぶち抜く。
拳も蹴りも軽く音速越えか。
プロボクサーとやらのパンチが精々時速六十q程度だった事を考えると、凄まじい事この上ない。
だが、その程度だとも言える。
弾き返しながら、二人で「財閥」を挟む。
足捌きで移動する度に、そのフォーメーションを崩さず動く。
砂時計の砂が落ちるように、どんどん体力が削られていく。
そろそろ、仕掛けるときか。
だが、「陰キャ」に絶技は使わせない。
「悪役令嬢」は決めているのだ。
生き残るし。
最悪の場合は、それは「陰キャ」であるべきだと。
踏み込む。
「強烈な突き技。 人理の外にある奥義。 多数の邪神を屠ってきた技は、僕も何度か見たよ。 驚嘆すべき技だ。 だが、当然対策は……」
絶技は。
「悪役令嬢」も使わない。
医師に止められたから、ではない。
使ったら、動けなくなるからだ。
此処で使うつもりはない。
体に穴を開けて、絶技を避けようとした「財閥」の頭を、サッカーボールのようにけり跳ばす。
真横にすっ飛んだ「財閥」は、空中で不自然過ぎる停止をした。
苦笑いを浮かべようとしたのだろうが。
その首がこっちを向いた瞬間には、胸に「陰キャ」が繰り出した一撃が突き刺さっていた。
そして、胸の上辺りから全てが、石榴のようにはじけて。消し飛んでいた。
跳び下がる「陰キャ」。
鮮血をまき散らしながらも、再生する「財閥」。
すり足を上手に駆使しているから、中々下半身に痛撃を入れるチャンスがない。
上半身は結構隙があるのだが、これは或いは「財閥」も己の弱点を理解しているからかも知れない。
一つ、分からない事がある。
「貴方、どうして人間の姿を最終形態に? 最後だから聞いてあげますわよ」
「人こそ神の似姿だからだ」
「……あそう」
そういえばそんな神話があったな。
はっきりいってどうでもいい。
聞いただけで損をした。
まさに典型的な人間原理主義。
此奴の思想はその究極だ。今までもそれは分かっていたのだけれども。それがより醜悪でどうしようもない形で。
今、此処に示されたことになる。
もういいや。
殺してしまおう。
鉄扇を下げる。一つはさっきの蹴りで歪みかけている。「陰キャ」だって、もういつまでも戦えないだろう。
次が決着の時だ。
何があっても、此奴を仕留める。
「陰キャ」に言う。
それは事前に決めておいた暗号。
頷く「陰キャ」。
恐ろしい程無我の境地に入り込んでいる。
これは本当に、刀そのものだ。
今の状態の「陰キャ」に比べれば、「悪役令嬢」はまだ雑念がある。
そして、今の瞬間理解した。
ついに「陰キャ」は完全に「悪役令嬢」を越えた。
これほど嬉しい事はない。
後続を任せたいと思っていた天才が。ついに今まで邪神を多数屠り。世界最強の邪神キラーとして活躍を続けた「悪役令嬢」を越えてくれたのだ。
弟子が自分を超えてくれることは、武術家にとって最高の悦びだと聞く。
「悪役令嬢」は武術家ではないし。「陰キャ」は弟子では無く後輩だが。
同じ気持ちだ。
涼やかな気持ちになる。そして、鉄扇を構え直す。その静かな構えを見て、跳び下がる「財閥」。
感じ取ったのかも知れない。
今までに無い危険を。
「……何だか分からないが、何かしようとしているな。 僕の勘が告げているよ。 幾多の暴落からも資産を守りきった僕の勘がね……」
一歩。前に出る。
二歩、「財閥」が下がる。
更に一歩前に出る。
三歩、「財閥」が下がる。
逃げる事は恥では無い。
ましてや相手の土俵で戦う事は、誇り高い事ではあるが。それで負けたらそれはそれで自己責任だ。
此奴は金で全てを解決してきた存在。
金を自分の存在意義にしてきた存在でもある。
だからこそに、自分の身についての安全は、何より担保したいのだろう。
地下に大げさな仕組みを作って、準備を進めたのも。
言う事を聞きそうに無い部下を全部粛正したのも。
何もかもが、その行動原理から来ている。
だがそれが故に、もはや此奴には剥き出しの生身だけしか残った資産がなくなった。
チェックメイトだ。
仕掛ける。
最後の一撃のための踏み込みは。
自分でも想像していないほど、軽かった。
「陰キャ」は見た。
ラストダンスを仕掛ける。
そう、「悪役令嬢」が先に決めておいた暗号で言った。それは、要するに。
何をしてでも足を止めるから、その瞬間に相手のコアを砕けという意味のことだ。
二重の暗号だが。
それでも、「陰キャ」にも意味はすぐに理解出来たし。
それに分かった。
恐らく「悪役令嬢」は絶技を使わない。
「陰キャ」にも使わせない。
そのつもりだ。
仕掛けた「悪役令嬢」は、文字通り翼でも生えているかのようだった。速いのに兎に角動きが軽い。
そして「財閥」が、明らかに恐怖しているのが分かる。
「なんだ貴様っ! なんでそんな力がっ! いかれてやがる! お前は異常者だ! 異常者だああああっ!」
異常者、か。
SNSクライシス前の最果ての時代の資料をたくさん見た「陰キャ」は思う。
あの時代に「常識人」と呼ばれるくらいだったら。
「異常者」でいいと。
最果ての世界では、何もかもが最果てだった。
特に人々の心の荒み具合が次元違いに凄まじかった。
それは資料を見て知っているし。
生き証人からも聞いている。
彼方此方で。特に大阪近郊で。多くの人達を助けた。老人もいた。たまに、話を聞くことがあった。
今はとにかく酷い時代だけれども。
SNSクライシスが起きる前も、本当に暮らしづらくて、生きづらい時代だったと。
それらの具体的な話をいくらでも聞いた。
結論としては、金が何もかもに優先される世界と。
金持ちが優秀だと真面目に信じている愚かな人達と。
荒みきった貧しすぎる心が。
何もかもを台無しにしていた、というのが真相だったのだろう。
そんな世界の支配者。
それが地球をまるごと支配しようだなんて、絶対に許されない。
ガイアだったっけ。
地球そのものの意思が、とんでもなく愚かである事が分かってしまった今。それに全てをゆだねるなんて許されない。
自分の道は自分で切り開く。
「悪役令嬢」は。
そのための、最大のお膳立てをしてくれるというのだ。
これは、やり遂げなければ。狩り手になった意味がない。必ず、勝つ。
腰を落として、抜き打ちの体勢に入る。
絶技を使う選択肢は今消えた。
体力はもうか細く、最後に撃てる渾身の抜き打ちは一回、だろう。パワーを抑えれば、もう一度弱めのを撃てるかも知れない。
だけれども、それで充分。
「財閥」のコアは何処にあるかもう分かっている。
あの人は、可哀想なフロイト信者だ。他にも何体も見て来た、性欲中心主義者。そんな理屈はとっくに否定されているのに。単に自分の欲求を肯定したくて、否定された理屈にすがり続ける可哀想な人。
優秀な人間なんてどこにもいない。
それは「陰キャ」の結論。
そもそも優秀なんて定義自体が主観。IQが高かろうが運動神経が良かろうが、駄目な人は駄目。
だから、そんな愚かな主観を。今此処で、斬る。
仕掛けた。「悪役令嬢」が。
確かにラストダンスだが。その全ての技は、今までの集大成。
鉄扇を使って舞う。
回転運動と拳法を利用して、ひたすらに攻撃を叩き込み続ける。
音速を超える「財閥」の攻撃を全ていなしつつ。
体の彼方此方に余波でダメージを受けながらも。確実に敵の体を削いでいく。
「財閥」の右腕が消し飛ぶ。
再生より速く、「財閥」の左腕が消し飛ぶ。
首から上が吹っ飛ぶ。
だが同時に、全身から鮮血が噴き出す「悪役令嬢」。
ラストダンスだ。
最後の力を込め。回避より攻撃を優先し。何よりも体力を今ので使い切ってしまったのだ。
恐怖したのだろう。
「財閥」は再生も途上のまま、全力で逃げる。逃げる方向は、分かっている。「陰キャ」から最も離れるように。そのまま、「陰キャ」の正面。「陰キャ」に背中を向けて走り出す。
速度はマッハ5とか6とか、もっと出ているだろう。
本来だったら、そのまま走って逃げられていたはずだ。
しかし、次の瞬間。最後の。「喫茶メイド」が描いた「萌え絵」が炸裂する。さっき、一撃で上半身を消し飛ばしたとき。仕込んだのだ。仕込んだときに、筒に入れた。その筒が崩壊するだろう事は予想していた。で、今崩壊して爆発したのだ。
正直爆発のタイミングは何時でも良かった。内側に仕込んだ「萌え絵」が爆裂すれば、確実に動きが止まるからだ。それだけで最大の好機を作れる。
そして今、運命は「陰キャ」と「悪役令嬢」に味方した。
「財閥」の足が止まる。それはそうだろう。腰から上の何もかもが吹っ飛んだのだから。急速再生していくが、上手く逃げる事が出来ずにいる。それも数秒だが、数秒で充分過ぎる。
ここが、勝負の時だ。
踏み込むと同時に。最後の抜き打ちを放つ。
それは、空気に見えている「線」を。破壊のための最高率ポイントを。
今までにない完璧な技で。
完璧に切り裂く事に成功していた。
背後から、「財閥」がしゅっと消える。
一撃が、完璧に入ったのである。
消し飛ぶとか、肉塊になって四散するとか、それですらない。
文字通り、何もかもが一瞬にして消滅したのだ。
そして、残った小さな点が浮いているのが見えた。
柔らかく、振り抜いた刀を。
降り下ろす。
最後の体力を使って。
それは、「財閥」にとってもっともだいじな生殖器。フロイト思想に捕らわれて。自分は世界一優秀だという思想の檻に捕らわれた。スペックは高いかも知れないけれど。世界一愚かな人の。世界一他人を不幸にしたもの。
消し飛ばす。
コアが砕けた瞬間。
絶叫が、周囲の全てを蹂躙していた。
2、終わりとその先
「ごっこ遊び」に肩を借りて、応急処置が終わった「喫茶メイド」が神域の戦いが行われていた場所に到着する。
勿論歩いて来たのでは無い。
駐屯地にあったおんぼろバイクを使って、ここまで来たのだ。
流石に第二世代の狩り手。
おんぼろバイクを支えるのも。「喫茶メイド」に肩を貸すのも。難しくは無い様子だった。
現地を見て、言葉も無い。
岩盤は完全に砕かれ。
空には雲一つない。
周囲の空は曇天で、雪がじゃんじゃん降っているのに。要するに、戦いの余波で雲が吹っ飛んだのだ。
次元違いの究極の戦いの跡地には。
もうテリトリの気配はない。
そして、最初に倒れている「陰キャ」を見つけた。
飛び出す「ごっこ遊び」。
診察は任せる。
多分、生きている。
だって、「陰キャ」は前向きに倒れて。刀を握っていた。
彼女は究極の。歴史上で間違いなく、剣と呼ばれる種類の武器を使う人間としては最強の使い手だ。
そんな彼女が前のめりで。
刀を手放していないのである。
死んだなど、ある筈も無かった。
周囲を見回す。
そして見つけた。
倒れている「悪役令嬢」。血だらけだ。
「ごっこ遊び」が顔を上げる。命に別状無し。叫ぶ。叫び返す。彼方を先にと。
もうまともに動けないけれど。必死に這うようにして「悪役令嬢」の側に行こうとする。
だけれども、倒れそうになる。
不意に、支えられた。
最後まで、嫌そうにしていた「ショタ」だった。
「……どういうつもりですか?」
「さっき、これ以上巫山戯た発言してると「ごっこ遊び」に殺すぞって言われてねー」
「そう……」
なんだか、悲しくなるが。まあいい。
ともかく、「悪役令嬢」の側に。
すぐに応急処置を始めている「ごっこ遊び」。周囲にテリトリ無し。というか、恐らくだが。
世界から邪神は消滅した。
携帯端末を、ボロボロの体で必死に操作して。
米軍に連絡を入れる。
「悪役令嬢」や「陰キャ」は」最高司令部に直通のアドレスを持っている。
だけれども「喫茶メイド」は違う。
実績が違いすぎるからだ。
だから特殊部隊へとまず連絡を入れるしかない。
同じように欧州にいる特殊部隊へ、だ。
「此方、「喫茶メイド」……」
「此方米軍特殊部隊グリーンベレーαチーム! どうなっている!」
「ターゲット消滅」
「お、おおっ……! 神よ……っ!」
リアリストだろう軍人が、そんな事を言うのだ。
人間はこれほどの事があっても、結局宗教からは逃れられないのか。いや、違う。
こんな世界だからこそ。
心のよりどころとして、宗教が必要になってしまったのだろう。
しかも今連絡が入ったグリーンベレーは、欧州で活動中の特殊部隊。文字通りの決死隊なのである。
「私は軽傷。 「陰キャ」先輩は現在意識が戻らないものの、恐らくは命に別状がありません。 「悪役令嬢」先輩は……」
「ごっこ遊び」を見る。
険しい顔をして、施術をしている。
話は聞いていたのだろう。やがて、頷いた。可能性はあるということだ。
「まだ可能性はあります! すぐに軍用の飛行機を! 病院船へ!」
「分かった! 此方からも連絡を入れて、病院船に最高の医療スタッフを用意して貰う!」
英雄を絶対に死なせない。
そう叫ぶ特殊部隊のリーダー。
嬉しい言葉だけれども、本当にそうなるだろうか。
英雄の最後というのは、物語では決まっている。
めでたしめでたし。
その後は、描かれない。
どこかに行ってしまったり。幸せに暮らしたという謎の言葉だけが書かれたり。
酷い場合には、古い古い時代の物語のように。内輪もめの末に仲間もろとも全滅してしまう事もある。
それだけ古代から、為すべきをなした英雄の末路は悲惨だったと言うことなのである。
「悪役令嬢」だって同じの筈だ。
これほどの究極の英雄。今後、普通でいられるとはとても思えないのである。
処置がまだ終わっていない。
それだけ厳しい状態だと言う事だろう。
こう言うときに医者に声を掛けるのは最悪の悪手だ。
「ショタ」に周囲を守って貰う。
フォロワーは健在だからだ。フラフラだけれども、それでもできる事はあるはず。必死に駐屯地に戻って、医療物資を運びだそうとするが。
慌てた様子の「ごっこ遊び」に止められた。
「「喫茶メイド」さん、その場にいてください」
「医療物資は……」
「貴方だって本当は動いてはいけない重症なんです! ……話はしていませんでしたが、幾つかの骨が折れていて、筋肉にダメージが行っている他にも、内臓にも……」
触手に締め付けられた時にか。
確かに、凄まじい痛みがあった。
確かに内臓がダメージを受けていても不思議では無いだろう。
まだ施術をしながら「ごっこ遊び」はいう。
「「ショタ」さんは周囲を警戒! まだ彷徨いているフォロワーを近づけさせないで!」
「てめえ、俺の方が先輩……」
「……いい加減にしなさい! さっさと周囲を警戒しにいきなさい!」
「喫茶メイド」は、自分が強い言葉を吐いたのにちょっと驚いてしまった。
「ショタ」の性格が最悪なのは知っていたが。
それでも此処までの言葉を口にするとは思わなかった。
額に青筋を浮かべた「ショタ」だが。もしも此処で何か余計なことをすると、どうなるか分からないと思ったのだろう。
舌打ちすると、周囲の警戒に向かった。
ため息をつくと、横になる「喫茶メイド」。
もう、できる事はない。
それにしても本当にどうしようも無い子だ。癖が強い性格が多い第二世代の狩り手の中でも最悪なのではなかろうか。
ただ、第二世代の狩り手が色々と非人道的な目に会っている事も「喫茶メイド」は知っている。
だから、これ以上は強く言えなかった。
施術はまだ続いている。
助かるか分からないと、冷たい言葉が心の中にしみこんでくる。
だけれども。
ひょっとしたら、助からない方が幸せなのかも知れないとすら、「喫茶メイド」は思ってしまった。
横になったまま。動く手で涙を拭う。
自分を殴るわけにもいかない。
今後の事は、絶対に明るいはずがない。
「財閥」の言葉が正しければ、「悪役令嬢」も「陰キャ」ももう人間の領域を越えてしまっている。
最初は英雄として持ち上げられるだろう。
救われた人は大歓迎してくれるだろう。
だが、そんなのはすぐに終わる。
その後がどうなるのか。
悲しくて、「喫茶メイド」は直視できなかった。
程なくして、空軍の輸送機の音が聞こえてくる。米軍はどうやら、約束通り動いてくれたらしい。
ばらばらと特殊部隊が降りてくる。
そして、「ごっこ遊び」の指示に従って、てきぱきと「悪役令嬢」と「陰キャ」を収容。「喫茶メイド」も担架に乗せて、輸送機に乗せてくれた。
慌てて「ショタ」が来るので、それも乗せる。
フォロワーが呻きながら数体近付いてくるが、対戦車ライフルで撃ち抜いて動きを止める。
とどめを刺したかの確認はしない。
そのまま、離陸する。
今は一秒を争う。
邪神ならともかく、フォロワーの一匹なんか、どうでもいい。
連絡をしたグリーンベレーのαチーム隊長。屈強な黒人の男性隊員が、説明をしてくれる。
「大統領には既に連絡済だ。 これから大西洋上の病院船に向かう。 今、医師のチームを編成中で、それも遅れて此方に来るそうだ」
「分かりました。 後はお願いします」
「神域の戦いは衛星経由でだが見ていたよ。 あんたも、あのクソッタレな邪神共の心臓を破壊してくれたんだよな」
「……それしかできませんでした」
それも、それをするためにこれだけの負傷をしてしまった。
本当に情けない話だ。
でも、あの時に「陰キャ」にこれ以上体力を使わせるわけにはいかなかったのだ。
凄まじい音がしていた。
直接決着は見られなかったが、それでも駐屯地でも分かるくらい、とんでもない戦闘が行われていたのだ。
つまり、あの時わずかにでも体力を温存できなかったら。
多分「陰キャ」は死んでいただろう。
だが。もっと「喫茶メイド」に力があれば。
最終決戦に参戦して。
きっと「財閥」を相手に、もっと楽に勝つことができた筈なのである。
既に自動で強心剤などを投入してくれる機材をセットして、それでも施術を続けている「ごっこ遊び」。
特殊部隊員にも医療知識がある人間がいて、それをサポートしているが。
様子からして、状態が良い筈が無い。
「陰キャ」はねむっているが。
気絶している、という方が正しい状況だ。
意識が戻る様子は無い。
また、「ごっこ遊び」が指定をして。
それにそって処置をしている。
つまるところ、トリアージで後回しにしただけであって。
決して治療が必要ない状態ではない、と言う事なのだろう。
途中一度着陸する。
あまり安全そうな場所に見えなかったが。特殊部隊は邪神共が姿を見せなくなってから、どんどん欧州内陸に食い込んでいる。
既に人間牧場の一つにアクセスして、救出作戦の下準備を開始しているという話もある。
今回の「エデン」全滅で、それに弾みがつくだろう。
だが、弾みがつくだけだ。
燃料を補給している間、ひやひやが止まらない。
此処を拠点にしていると言う事は、ちょっとやそっとのフォロワーの襲撃は耐え抜けるし、その可能性も低いと言う事なのだろうけれども。
それでも、特殊部隊であっても。
襲われたら大勢死人が出るのは確定なのである。
「ショタ」に外に出て周囲の警戒を手伝うように指示。
舌打ちすると、性格が悪い見かけだけ良い子供は外に出て、指示通りに動いたようだった。
「助かる。 我々の言う事は聞いてくれなどしないだろうからな」
「そもそも、あんな風に戦闘兵器に子供を仕立ててしまったのが間違いだったと思うんです」
「……ああ。 これ以上は第二世代の狩り手を増やしたくは無いものだな。 だが、俺たちにそれが判断出来るかは微妙だ」
それはそうだろう。
そもそもグリーンベレーはSNSクライシスの時に一度全滅して、その後に再編されたと聞いている。
ネイビーシールズや第一空挺団などとその辺りは同じで。一度全滅した伝説的部隊を、士気高揚の目的もあって再編したのだ。
だから歴史そのものは一度断絶していて。
大統領に連絡は出来ても。
大統領に意見具申なんて出来る権限はないだろう。
それについては、第一空挺団にいた「喫茶メイド」が一番良く知っている。
燃料補給完了。
外で誰かが声を張り上げた。
すぐにばらばらと特殊部隊員が乗ってくる。そして、「ショタ」も。
飛行機が離陸する。
「ごっこ遊び」は、まだ施術をしていた。
結局、大西洋上の病院船に辿りつくまで、施術は続いていた。
というか、そのまんま集中治療室行きである。
「陰キャ」も此処でしばらく厳しい状態で過ごしたと聞く。
この病院船は、戦後英雄船として祀り上げられるかも知れない。
「喫茶メイド」も病室の一つに。
「陰キャ」も同じ。
医者が来たのは、病院船に到着して少し後。
見覚えのある顔も少しあった。
日本からもかき集めて来たらしい。
現在、軍病院が医師を最優先で確保している状況だ。
SNSクライシス前の日本とは状況が根本的に違う。
SNSクライシス前の米国は、医療崩壊でまともに医療が受けられなかったと聞いているが。
今の時代は貨幣経済の崩壊もあって、そんな事もない。
ただし、軍関係者なら、だ。
米国が首都圏近郊を含む大都市の奪回に躍起になっていたのも、その辺りが理由なのだろう。少しでも安全圏を増やしたいのだ。
そうすることでインフラを回復させ。
一般人にも充分な医療を、ということなのだろう。
幸い医療関連のテクノロジーについては、最先端のものが保存され。
それを最優先に機材や医薬品が生産もされているらしい。
事実今回の戦いや、ジュネーブの戦いでも、それらの機材は持ち込まれている。
「喫茶メイド」は診察を受けた後。点滴をつけて、本格的な処置を受けた。
内臓へのダメージもあるにはあるのだが。それについては時間が解決してくれる、ということだった。
問題は「悪役令嬢」と「陰キャ」だ。
二人については、山革陸将などに「喫茶メイド」が状況を説明しなければならない。
医師の一人。
現在、米国で現役最高齢らしい医師は。厳しい表情のまま、幾つかの資料を出してきて、説明してくれた。
「まず「陰キャ」だが、彼女の方は全身の力を極限まで使い果たしている。 どちらかというと栄養失調が近い。 体そのものへのダメージはほぼないとみて良い」
「それは、良かった……」
「ただ、それは今回の戦いで、の話だ。 今までの戦いでのダメージが随分と体に蓄積してしまっている様子だ。 恐らくだが、当分は治療に専念して貰う必要があるだろう」
いずれにしてもしばらくはベッドに磔だそうだ。
それについては、仕方が無い。
頷いて、次を聞く。
「「悪役令嬢」についてだが……」
そういえば、今翻訳で聞くと同時に英語での発音も聞いたが。
そのまま「レディあくやくれいじょう」と発音していた。要するに、適合する言葉がないのだろう。
或いはSNSクライシス前にはあったのかも知れないが。
酷い混乱の中で失われてしまったのかも知れない。
「何故生きているのか分からない程の状態だ。 何でも邪神共の首魁とほとんど一人で戦い続けたという事なのだろう」
「……はい」
「直接的に、致命傷を受けた形跡はない。 だが、なんというか、人間としておかしいのだ。 恐らくだが、体内に存在している余剰カロリーを全て使い果たしてしまっている上に、内臓の全てがおかしい」
言葉を静かに聞く。
そもそも人間を超越してしまっているという話は聞かされているのだ。
それくらいでは驚かない。
「それでいながら、体は動いている。 医師は皆驚嘆している。 ただ、このまま生命活動がいつ停止しても不思議では無い。 施術は続けている」
こくりと頷く。
いずれにしても、あまり無駄にしている時間はないそうで。
医師はすぐに施術に戻っていった。
しばし心を整理してから。
山革陸将に連絡を入れる。
山革陸将に最初連絡を入れなかったのは。特殊部隊のうち、自衛隊の特殊部隊の装備などを把握していたからだ。
残念ながら、あの戦場に最優先で救助にこれる部隊はいなかったし。
更に幾つもの段階を経由して、救援部隊をまわして貰う余裕だって無かった。
だから米軍の特殊部隊に連絡した。
その程度の判断力は、「喫茶メイド」にも残ってはいた。
山革陸将に連絡を入れる。
それだけでも、かなり大変だった。
体中がギプスだらけの上に。何よりも体が殆ど思うように動いてくれないのだから。
それでも何とかメールを送ると。
気絶するようにして、「喫茶メイド」は意識を失っていた。
目が覚めると、メールの返信が来ている。
現場がかなり混乱していると、山革陸将から連絡があるが。
それでも勝報は来ているそうだ。
現在、各地に先遣隊を飛ばし。邪神の生き残りがいないかを確認している所だとか。
「エデン」に糾合された邪神は、恐らくもう生き残ってはいないだろう。
だが、SNSクライシスの時に書き換えられてしまった世界のルールはそのままなのである。
フォロワーもそのままだ。
まだ世界中に数十億のフォロワーが存在している。
これらをどうしていくかが。
日米の今後の課題になっていくだろう。勿論国内が優先になる。誰も彼もを救う事は出来ない。
それが、今後恐らく大きなしこりを残していくことになる。
色々と、重い話だと「喫茶メイド」は思った。
気がつくと、医師のチームに続いて、看護師のチームも来ていたらしい。
額の汗などを処置してくれたので、助かった。
「陰キャ」について聞くが。
まだ目を覚まさないという。
そうだろうなと思いつつ。
今後現実的にどうするべきなのか。「喫茶メイド」は考え続けていた。
それから、数日が過ぎる。
人間である「喫茶メイド」は、数日で骨折が回復するような超人ではない。
だが、そもそも人間を超越したとまで言われていた「陰キャ」も「悪役令嬢」も目を覚ます様子が無い。
というか、「悪役令嬢」に関しては。医師団が青い顔を集めて、何か話し合っているようだった。
嫌な予感しかしない。
ギプスをつけたまま、病院船の中を移動して様子を確認しておく。
看護師に色々文句を言われたが。リハビリだといって誤魔化す。
今後も狩り手の重要な当面はある。
当面は。
だから、そこまで看護師も、五月蠅くは言わなかった。
ばったりと「ごっこ遊び」と遭遇。
話を聞く事にする。
「「悪役令嬢」先輩は」
「……」
周囲を見回した後、小声で耳元に言われる。ただ、耳を貸すのが、とても今の状態では大変だったが。
「様子が色々おかしいです。 内臓などの機能が、毎秒変化しているようです」
「……」
「体内の栄養を全て吸い尽くした後は、体が回復に向かっているようなのですが……このまま目が覚めたら、一体何にあの人がなっているのかは、私には何ともいえません。 既にあの人が邪神の新しい王になるのでは無いかとか、そんな噂まで」
「ひどい」
分かりきってはいたが。
そんな酷い状態になっていたのか。
物語の終わりで英雄がいなくなることなんて百も承知だったが。いなくなるのが速すぎやしないだろうか。
「陰キャ」についても話を聞いておく。
それについても、周りをみまわしてから「ごっこ遊び」は言う。
「あの人も同じです。 映像を見ましたが、そもそもおかしいんです。 如何に世界のルールが変わって、狩り手の力を乗せて邪神の力を利用して放ったとしても、あんな斬撃を連発。 最終戦でも放って、体があの程度のダメージで済む筈がないんです。 普通だったら、多分全身のエネルギーを使い果たして、それこそその場で塵になっている筈です」
「……」
「今、とにかく栄養をいれて様子を見ていますが。 目が覚めたときに何が起きても不思議ではありません。 米軍も備えているようです」
礼儀知らず恩知らず。
そう罵りたくなったが、我慢する。
或いは、これが「財閥」が残した最後のトラップだろうか。
あいつは人間不信の種を、世界中にばらまきまくっていった。
米軍はユダだらけになったし。
自衛隊の一部まで懐柔されていたと聞いている。
「「喫茶メイド」さん。 貴方の体の回復もかなり早い。 一週間で動けるようになると思います」
そう告げられた後。
頷かれた。
最悪の場合は、自己判断で動いてくれ。
そういう意味だと解釈する。
勿論「ごっこ遊び」が既に買収されていて。行動を誘導されている可能性だって存在しているが。
今は、その最悪の可能性を思考から排除することにする。
ベッドに戻る。
今は、何もできない。一週間で骨折やら内臓のダメージやら、重度の肉離れやらが治ってしまうのか。
恐らくあの人外の戦場にいた影響なのだろう。
邪神の最高濃度のテリトリの中で活動を続けたのだ。
如何にカウンター存在である狩り手だって、無事であるとは。事実無事ではなかったのだろう。
ただ「悪役令嬢」と「陰キャ」については。二人とも積んで来た経験が次元違い過ぎる。
「財閥」だけではなく、「神」こと「ブラック企業社長」を屠ってから、何体も何体も高位邪神や最高位邪神を屠ってきたのだ。
その度に、高濃度のテリトリの中で戦闘をしてきた。
他の狩り手だって、邪神のテリトリの中で戦っては来たが。
それでも経験量が違う。
それが、この結果につながったのかも知れない。
無言で、目を閉じて回復に努める。
目を覚ました後。
「悟り世代」ら、米国に残った「悪役令嬢」の専属チーム。日本にいる「コスプレ少女」らの戦友と連絡を取っておく。
もしもの事もある。
最悪の場合は、手札を可能な限り増やしておきたい。
山革陸将も。今の米国大統領も。
そんな最悪の行為に手を染めるとは思っていない。
だけれども、万が一に備えなければならない。
おかしなものだ。
「陰キャ」の事は苦手だった。むしろ嫌いだったかも知れない。だけれども、あの人はその上で背中を預けてくれた。
あの人は知っていた。「喫茶メイド」がずっと持っていた苦手意識を。その上で、全幅の信頼をくれた。
「悪役令嬢」はもうなんだかよく分からない。
あの人は同じ人間とすら思えないレベルだったが。
それでも「喫茶メイド」を信頼してくれた。
だったら、今度は「喫茶メイド」がその信頼に応える番だ。
可能な限りの手は打った。
後は、何が起きても大丈夫なように備えておく。
もう一週間ちょっとでこの船は港に入ると言う。
その港ですら、近郊ではフォロワーがまだ駆除し切れていない。
米国の領内だけで、フォロワーは億存在している。
それが現実だ。
普通に狩り手として、このままフォロワー狩りを続けてくれと。「悪役令嬢」と「陰キャ」に指示が出ればそれでいい。
多分そうはならないだろうなと。
ベッドで、シーツを強く握りしめながら。「喫茶メイド」は悔しくて唇を噛むことしかできなかった。
3、孤独な凱旋と孤立の戦い
目が覚める。
恐ろしい程からだが軽くなっているのが分かった。
「陰キャ」は手を見ると。体を起こす。何となく分かった。もう、人間じゃなくなったんだなと。
「財閥」に言われた。
もう人間の領域を超え始めていると。
その時既に、人間を止め始めていたのだろう。そして今は、もう人間だったのは過去の話になったのだ。
無言で手を見る。
少し動かして見る。
愛刀は。ある。
ベッドの脇にあった愛刀を手にとると。恐らく監視していただろう看護師が、慌てて部屋に入ってきた。
恐らく此処は、前に収容された病院船だなと。その時、今更ながらに思った。
というのも、はっきりいってどうでも良くなっていたからである。
「今先生を呼びます! 動かないでください!」
「……」
こくりと看護師に頷くと。
素直に横になって、愛刀をすぐに手に取れる場所に置く。
「財閥」にとどめを刺したときに、気付いた事が一つある。
あいつは呪いを世界に残していった。それは、簡単に消えるようなものではない。思いの力だのなんだので消えるような程度の呪いだったら、世界は滅びない。
その呪いを一手に……いや二人で殆ど引き受けたのだ。「悪役令嬢」と「陰キャ」が。
もしも一人で引き受けていたら。
恐らくだが、第二の「財閥」になってしまったのだろう。
だけれども、二人で何とか分散して引き受けた。
そして二人とも、人間を超越し始めていた。
故に、少なくとも形は人間のままでいる。そういうことなのだろうと、一つずつ分析をしていく。
医者が来る。
何だか診察をされたが、青い顔をしてひそひそと話している。
今も人間とはあまり話したくはないが。耳の出来が次元違いになったらしく。言っていることは全部筒抜けだった。
「脈が人間のものじゃない。 というか、こんな脈聞いた事がない」
「「財閥」との戦闘時の記録によると、人間を超越し始めていると聞いていたが……」
「そもそも体内のダメージがよく分からない。 内臓などは機能しているのだろうかこれで……」
「血液の流れもおかしい様子だ。 ともかく、データが……」
手を上げる。
びくりと、医師達が此方を見たので。
携帯端末に打って文字を見せる。
「まず、点滴を外して貰っていいですか? トイレに行きたいです」
「あ、ああ。 看護師を付き添わせるよ」
「それとあたしの刀も持っていきます。 これはあたしの分身も同じですから」
「……好きにしてくれ」
看護師に付き添っては貰うが。
全身にわき上がってくる凄まじい力は何だこれは。
「財閥」との決戦前後は、いつ死んでもおかしくないと思っていたし。絶技なんて撃ったら即死確定とまで医師に言われていたのに。
今だったら、その気になれば絶技を連発してもけろっとしていそうだ。
余剰脂肪がゼロになっているとか聞いた。
体型が変わった感じは無い。
相変わらず小柄で、子供っぽい。女性らしい体型とは程遠い。
だけれども、分かるのだ。
今まで、かろうじて生物としての人間由来だった力が。多分地球そのものの内部熱量から供給されている。
多分これは、ガイアの力だ。
「財閥」はガイアそのものになろうとしていた。
その執念が、滅び去るときに呪いになり。
「陰キャ」の体内に宿って、「ガイア」に接続したのだろう。その結果がこの圧倒的出力か。
トイレを済ませたが。
これももう必要ないかも知れないと思った。
というか、食事そのものがいらないかも知れない。今の「陰キャ」は生きている火山……いやそれ以上の出力を持っているとみて良い。
邪神なんて鼻で笑うレベルだ。
あれほど決死の覚悟で挑んでいた最高位邪神も、今だったら多分数秒で滅ぼす事が出来るだろう。
甲板に出る。
看護師が付き添ってくれているが。
明らかに怯えているのが分かった。どうでもいい。
「喫茶メイド」が来た。
こくりと頷く。そして、携帯端末に文字を打って見せた。
「ありがとうございました。 おかげで助かりました」
「後で話があります」
「……」
話の内容は聞かなくても分かる。
周囲の様子からしても、多分このまま無事で済むとは思えない。
英雄は必要がなくなれば処分されるものだ。
そんな事は分かっているが。
ここまで桁外れの力を得てしまったら。もう何があっても人間の手には負えないだろう。
はっきり分かる。
今の実力だったら、それこそ此処から米国本土を攻撃して。まあ抜き打ちで切り裂いて、になるが。
ともかくこの位置からホワイトハウス跡地を、真っ二つに切り裂く事ができるだろう。
これは妄想でも何でも無い。
単なる事実である。
それにだ。
愛刀に触っていて分かる。
これもモリブデンとタングステン合金で作った最新鋭技術のインチキ刀と言って良いものだけれども。
「陰キャ」の分身だからだろう。
今や、それ以上の力をあからさまに感じるレベルになっていた。
周囲にある鋼版などを素手でへし砕くのは簡単だろう。
だが、やらない方が良いなと判断。
そのまま、病室に戻った。
「悪役令嬢」は。
多分だけれども。この様子だと、「ガイア」の力の方では無く、「意思」の方と接続してしまったのだろう。
ガイアか。
神格化されている割りには、攻撃的なだけで、主観で何もかもを判断する愚かしい害悪ネットユーザーの寝言を真に受けてしまった愚かな意思。
地球の意思だか何だかしらないが、その実態はとんでもない愚か者だった、と言う事だ。
万物の霊長を気取る人間には丁度良い程度の神様だったのかも知れない。
今まで、色々な人達が神様に都合が良い夢を託してきたのだろうけれども。
その神様が此処まで愚かだったとは。
愚神礼讃だったっけ。
そういう本があるという事は聞いたことがある。
ニーチェという人は、一神教思想からの脱却を願って。本を書いたと言う話も聞く。
結局、人間は心のよりどころとして、宗教以上のものを発明できなかった。
アンチ宗教はたくさん出てきたが。
それは結局アンチ宗教に過ぎず。宗教を越えて先に行くものではなかったのだ。
ガイアのろくでもない本質が分かってしまった今。
人は、それをどう受け止めればいいのだろう。
病室に戻ると、後は説明を色々受ける。
大統領ともテレビ会議をした。
なんだか勲章だとかを用意してくれているそうだけれども。まあ受け取るだけは受け取る。
ただ、すぐにフォロワー狩りに戻りたいと言う話をして。
それを聞いた大統領の側近達が、ほっとしている様子だった。
この有様では、ポストを要求されると思っていたのかも知れない。
馬鹿馬鹿しい話だ。
「陰キャ」には政治なんて出来ない。
出来るのは……。
きっと、殺す事だけだ。
病院船が港に着いた。
既に「喫茶メイド」と話はついている。
彼女は「陰キャ」を嫌っていた。それは知っている。だけれども、背中を完全に任せたのが大きかったのだろう。
今は、全幅の信頼をくれているようだ。
それは「陰キャ」としても嬉しい。
ともかく、話は既にした。
ねむっている「悪役令嬢」を守る。
このままだと、何をされるか分からないからだ。
「喫茶メイド」には話をしてある。
恐らくだが、「悪役令嬢」はガイアとつながってしまった、という事を。ガイアと何を話しているのかは分からない。
それとも、ガイアと話せるように、体が急ピッチで再構築されている可能性だって存在している。
それも分からない。
ともかく、今は危険がないように守るしかないと。
病院船から、前に「陰キャ」も世話になった軍病院に「悪役令嬢」を移送する。だがその前に。
「陰キャ」は軽く力の虫干しをする事にする。
「喫茶メイド」に「悪役令嬢」は任せる。
「ショタ」と「ごっこ遊び」が都合良く側にいる。一緒に、この港周辺のフォロワーを駆除してしまう事にする。
担当地区を決めた後、散開。
軽い軽い。体が今までの比では無く、綿のように軽い。
接敵。
此方に気付いてすらいないフォロワーを、一瞬にして切り裂いていく。何度も斬る必要はない。
一太刀で充分だ。
フォロワーが気付いた頃には、既に千を斬っていた。
更に集まり始めた頃には、二千を屠っていた。
担当区画にいるフォロワーは五万ほどだが、その位置全てが分かる。感覚の研がれ方が尋常では無い。
思うにあの「財閥」の肉塊宮殿を斬ったときに。
多分最後の覚醒が、体の中でおきたのだろう。
その結果が、この圧倒的火力の爆発だ。生存者の位置も分かる。勿論斬撃には巻き込まない。
返り血だって浴びない。
わずか、一時間で。
五万のフォロワーを斬り倒した。
当然レコード更新だ。「悪役令嬢」だって、こんな記録は出したことが無いだろう。
ただしそれは過去の「悪役令嬢」の話だ。
今のあの人は。
感じるのだ。
多分、「陰キャ」を凌ぐ力を手にしている可能性が高いだろう。
刀を振るが、無駄な脂なんて一切ついていない。パーカーも殆ど乱れていなかった。
疲労、ゼロ。
もう何区画か、フォロワーを駆除しておくか。それだけこの港に集まっている人達が安全になる。
この辺りの軍司令官とは、さっき連絡をした。
既に五万を処理したと聞いて仰天したが。
更に十万を昼までに処理すると聞いて、言葉を完全に失ったようだった。
もう今の「陰キャ」は、それこそ水爆を積んだICBMの飽和攻撃でも怖れるに足りない。
狙撃銃からのライフル弾なんて、それこそ回避もキャッチも。なんなら喰らってもいい。ノーダメージだ。
有言実行で、周辺にいるフォロワーを追加で十万削りとる。
軍の兵士達が、度肝を抜かれているのが見えた。
「あれが、「財閥」とかいう邪神の親玉の宮殿を真っ二つにしたサムライガールか……!?」
「噂には聞いていたが、他の狩り手と次元違いなんてもんじゃねえぞ。 あのフォロワー一体倒すのに、どれだけ苦労するって……「アクヤクレイジョウ」とかいう同格の狩り手もいるんだろ……!?」
「と、とにかくすげえ。 あれなら水爆も効かない邪神のボスを討ち取ってくれたのも納得だぜ……」
「ムービーヒーローそのものだ……」
兵士達の畏怖が届く。どうでもいい。
虫が此方を怖がっても何とも思わないのと同じ。
あまりにも凄まじい力が体内に宿ったからだろう。「陰キャ」は、自分が覚醒させた絶技のように。
自身が闇の太陽そのものになった事を、何となく理解していた。
「悪役令嬢」の護送が開始される。残念だけれど、まだ意識は戻らない。
毎日報告を「陰キャ」は受けるが、良い報告はなかった。
一応現時点では、米国政府は「悪役令嬢」に対して最高の対応をしてくれてはいる。
だが、それもいつまで続くのだろうと思ってしまう。
これは別にひがんでいるのでも何でも無い。
ただの客観的な分析だ。
「陰キャ」は冷酷になった事を自覚している。頭も前より回るようになった。
スペックが上がるというのは、良いことだけではないなとも思う。
だけれども、今は上がったスペックを活用して、「悪役令嬢」を守りたいのだ。
自分を誰よりも評価してくれた人を。
仮に、もう人ではないとしても。
途中、飛行機を使う案は結局却下され、軍車両で行く事になった。
今見せた圧倒的な「陰キャ」の戦闘力が要因である。
軍用の強力な救急車は、一般病院用とは次元違いの性能を備え。例えばサスペンションなども性能が段違いである。
更にルートについては完全に確認されている。
後は途中にフォロワーがいる地域を幾つか抜けなければならない事だが。
別に軍の護衛なんて必要ない。
救急車には「喫茶メイド」だけ残って貰う。
「陰キャ」が露払いをする。
ついでだから、進路周辺のフォロワーも全て切り裂いていくことにする。
これは相談して決めておいた事だ。
単独で戦略級の……というか人間では勝てない事を示しておく。
ただ、人間が勝てないと判断してくれればそれでいい。
この後、人間に従えとか要求するのでは、恐らく戦争になるだろう。勝てるだろうけれど、そんな事は望まない。
これ以上戦争をして地球と資源を荒らしたら、多分外宇宙に出る選択肢すらなくなるのだから。
だが、人間が戦って勝てないと判断した場合は。
その時は、色々な交渉カードを持って、人間と応じることが出来る。
フォロワーの群れだけなら、はっきりいってそこまでの脅威じゃない。勿論脅威ではあるのだが、邪神とは段違いに脅威度は低い。
軍だけでの駆除だと、それこそ何百年というレベルで掛かってしまうだろうが。
狩り手が総出で掛かれば、多分十数年程度で地球から一掃できるだろう。
だから、今の地球の支配者は。
人間に戻っている。
その人間に対して、互角に渡り合う為のカードがいる。それを、見せつけておく必要がある。
道中で、とにかく徹底的に斬る。
愛刀はやはり次元違いに性能が上がっている。重量級のフォロワーを斬っても熱した刃でバターを、どころではない。
それこそ、素振りと同じだ。
空気抵抗しか感じないのとまるで差が無い。とにかく、進路のフォロワーは全部駆除していく。
数日かけて、最大の軍病院に到着。
その時には、既に。
道中にて、百万を超えるフォロワーを斬っていた。
これは「悪役令嬢」が混じるようなチームが、三週間かけてやっと駆除できる規模の群れである。
それを分散していたとはいえ。
今の実力を、見せつけるには充分だろう。
病院に入ると、自身も医師達に話を聞きに行く。刀は預けてほしいと言われたけれども。携帯端末に打つ。
これは自分の分身も同じだと。
そう言うと、医師達は何も言わなくなった。
或いは、表情が隠れている「陰キャ」に恐れを抱いたのかも知れない。
どちらにしても。「悪役令嬢」に悪意がない限り、手を出すつもりはない。
医療知識がある「喫茶メイド」に状況は聞いておく。
彼女は首を横に振っていた。
「医師達は何も分からないと困惑しています。 調査すればするほど、「悪役令嬢」先輩が目覚めるのか、このまま亡くなられてしまうのかさえも分からないと……」
「医療崩壊を起こしていたとは言え、米国はSNSクライシス前には世界最高級の医療技術を持っていた筈なのに」
「カルテを見せてもらいましたが、確かにあれは訳が分からないという様子でした」
カルテも読めるのだとすると、素人レベルではないなあと思ったけれど。
その辺は口にはしない。
第一空挺団で厳しい訓練をして、実戦で磨き上げてきた人なのだ。
「陰キャ」だって信頼している。
だから今更、追加で余計なことを言うつもりは無い。
「あたしはこれから、米国政府に恩を売るべく行動します。 「喫茶メイド」さんは「悪役令嬢」さんを頼みます」
「分かりました。 無理はしないでください」
「無理どころか、睡眠も食事も必要なくなりつつあるくらいです。 ……フォロワーみたいですね、我ながら」
少しだけ、憂いが浮かんだかも知れないけれど。
「陰キャ」は表情を作るのが苦手だ。
そういえば、「陰キャ」とSNSクライシス前に愚弄されていた人々は。笑い方とかも気持ち悪いとか言われていたのだっけ。
多分笑っても何をしても気色悪いと思われるだけだろうな。
そう思って、「陰キャ」は口を引き結んで。
そのまま、病院の外に出る。
既に圧倒的な破壊力は見せつけている。
軍としても、無茶はしないはずだ。
大統領に連絡。フォロワー駆除が必要な地域を指定して貰う。
「現時点だと、一日30万……その気になれば40万は狩る事が出来ます」
「そ、そうかね。 流石だな。 分かった。 それではロスの周辺のフォロワー掃討作戦を引き継いでほしい。 今ロス周辺で狩をしている狩り手達は、ワシントンやニューヨーク、或いは欧州に回って貰う」
「大都市以外は、人間牧場の開放作戦ですか」
「そうなる。 欧州ではフォロワーの密度が低くて、一度拠点を作れば簡単には落とせないと思う」
ただ、アフリカや南米、中央アジアなどは全く未知の状態だという。
人員が足りなくて、偵察衛星の情報を分析する余裕さえなかったそうだ。
軍用のスパコンで分析しようにも、電力などにも限りがある。
そこで、ロス周辺。ニューヨーク周辺などの基幹都市の周囲を掃除し。
その後、インフラに必要な原子炉周辺などからもフォロワーを駆逐し。
一段落した所で、少しずつ重要度が低い都市の周辺のフォロワーの駆除作戦に移行するとか。
ただ米国の人口が相当に削られてしまっているのも事実。
そういう事もあって、欧州で生き延びている人々を助け。国民に加えたいという意思もあるそうだ。
まあ国力回復のための行動、と言う奴である。
「邪神がいなくなったことで、軍は今までよりぐっと大胆に動けるが、それでもフォロワーの恐ろしさは健在だ。 燃料も弾薬も限られているし、下手に軍勢の単位で動かすと、とんでもない群れを引きつける可能性がある。 ロス近郊だけでも掃除してくれると、本当に助かる」
「分かりました。 その代わり、「悪役令嬢」さんに最高の医療を」
「分かっている。 それについては、私の大統領としてのプライドにかけてでも」
「……」
そんなプライドは信用できない。
だけれども、この人はどうも自分を。「陰キャ」を嫌っていないようだ。
だから。それは信じる。
日本に戻ったら、その時はその時で。各地のフォロワー狩りをしていきたい所だけれども。
日本では既に静岡と大阪、神戸が奪還完了していて、九州四国は既に安全圏。横浜もかなり斬り込んでいる状態だ。
対馬さえ安定すれば横浜を一気に奪還し、首都圏解放の足がかりに出来る可能性もある。
今すぐ、「陰キャ」が戻る必要はないだろう。
山革陸将にも話はしておく。
話を聞く限り、対馬での戦闘は安定していて、むしろ押しているそうだ。それならば、すぐに戻る必要はないだろう。
大統領に頼まれた、主要都市圏近郊のフォロワー駆除についても許可を貰った。
後は、実施するだけだ。
これは、人類に恩を売るための行動。
そう自身に言い聞かせながら。輸送機でロサンゼルスに出向く。
ロス近郊はやはりまだまだフォロワーがわんさかいる。これを、今までに無い速度で駆除して行く。
第二世代の狩り手をそれなりの数投入している様子で、かなり駆除は進展はしていたようだが。
それでもまだまだ一千万くらいはいるということだ。
これを三週間で片付けてやれば、米国政府に対してとんでもなく大きな恩を売る事が出来る。
すぐに取りかかる事とする。
一日目で、予告通り四十三万を駆除。翌日からも、更にペースを上げていく。
この過程で、各地で孤立していたり。ビルなどに籠もって救助を待っていた者を多数助けた。
ラジオなどで「サムライガール」の噂は聞いていたらしく。
文字通り疾風のようにフォロワーを駆逐していく様子を見て、彼らは最初は喜んだが。
外に出てみれば、軍でも大きな被害を出してどうにか対応しているフォロワーが赤い染みになっている様子を見て現実を理解し。
一転してその表情は恐怖に変わる。
礼を言うものもいたけれど。
明らかに怯えているのが分かった。
それについては、もう「陰キャ」はどうとも思わない。
こうなる前から。
普通の狩り手として、日本で四苦八苦していたときから。似たような視線は受けることがあったし。
助けて貰ったのに、明らかに此方を侮っている言動をしたり。
なんで助けに来なかったとか、わめき散らす相手は珍しくもなかったからだ。
その確率が更に上がっただけ。
まあ、中には本心から感謝の言葉を述べてくる相手もいたが。
相手の心理を正確に洞察出来るようになった今は。
なおさら、他の人間の心の寂しさが、浮き彫りになるばかりだった。
一日で40万以上のフォロワーを駆逐出来るのだ。
文字通りウォーキングデッドパラダイスだった……それはそうだろう。SNSクライシス直後に、邪神達に狙い撃ちにされたのだから。ロスの周辺は、見る間にフォロワーがいなくなっていった。
手がつけられないと軍が嘆いていた地下鉄なども、殆ど数日で「陰キャ」がフォロワーを片付けてしまうと。
前はあからさまに偏見を抱いていた軍の高官も。
今度は恐怖の目で「陰キャ」を見るようになっていった。
邪神に対して振るった圧倒的武力を。
その気になれば人間にも振るえる。
世界のルールが、SNSクライシス前とは変わってしまっている。
それを改めて、思い知ったのかも知れない。
やがて、予定通りというか。18日でロス近郊からフォロワーの駆除は完全完了した。
米国本土にいたフォロワーの一割が文字通り消し飛んだ事になる。
前は「悪役令嬢」が出ていたテレビ会議に時々顔を出すようになったが。
「陰キャ」が顔を見せると大統領ですら青ざめていた。
「陰キャ」は。18日目の。
ロス近郊の「掃除」が終わった日に。咳払いしながら。テレビ会議でキーボードを叩いて文字で相手に伝えた。
「ロス近郊はこれで安全になりましたね。 軍の展開、インフラの再整備、好きに行ってください」
「ざ、残党狩りは……」
「ロスは一通り回りましたが、少なくともあたしの気配探知の範囲内にもうフォロワーはいません」
特殊部隊の長が咳払い。
彼は数少ない、「陰キャ」の支持者だ。
「陰キャ」のおかげで部隊の被害を殆どゼロにする事が出来ているし。ここ十八日で、実に数千の人命が助かったのだから。
「陰キャ」に助けられて怯える恥知らずの方が多いけれども。
こういう人も中にはいるというのは、「陰キャ」にとって嬉しい事だった。
「現在、特殊部隊を中心に軍を展開して、フォロワーの残党を調査していますが、確かに全く発見されません。 最強の邪神を倒した「陰キャ」氏の言葉は信じていいと思います」
「ありがとうございます。 でも「財閥」を倒したのはあたしだけではなくて、「悪役令嬢」先輩との連携です」
「……そうでしたな。 この人ほどの存在でも、連携しないと倒せない邪神を倒してくれたということです。 その事を、噛みしめるべきだと思います」
ゆっくりと、皆に言い含めるようにして特殊部隊の長は言ってくれる。
咳払いしたのは、今度は大統領だった。
「大変に大きな借りを作ってしまったな。 「悪役令嬢」くんについては、容態が安定し次第知らせる。 後は、日本政府の意向に従ってくれるか」
「分かりました。 山革陸将」
「此方で既に帰路の飛行機を用意している。 帰路はグアムと沖縄に寄って、其方のフォロワーを駆除してから日本に戻って貰えるだろうか」
「はい」
まあ、今の「陰キャ」なら片手間だ。
ただ、「悪役令嬢」についてはちょっと気になる。
「陰キャ」は見届けたい。
実は既に「喫茶メイド」は帰国して、日本で横浜における掃討戦を行ってくれているそうだ。
かなり気合いが入っているようで、連日キルカウントを更新しているらしい。
「陰キャ」の不安を感じ取ったのか。
山革陸将が、テレビ会議に別の人を呼び出してくれた。
「「悟り世代」です。 「陰キャ」先輩、お久しぶりです」
「!」
「悟り世代」。
「悪役令嬢」とずっとチームを組んでいた精鋭狩り手の一人。
今では一日1万キルカウントを出せる数少ない第一世代狩り手の一人。拳法オンリーでの戦闘を行うと言うことだから、「悪役令嬢」の戦闘スタイルににているかも知れない。「悪役令嬢」は鉄扇と拳法に加えて火炎瓶とか傘とか変化球が混じったけれど。
「俺が命に替えても「悪役令嬢」さんは守ります。 俺のチームメイト、「腐女子」と「派遣メイド」も近隣でフォロワーの駆除作業を行うので、安心してください」
「……分かりました」
少し悩んでから、文字を打つ。
それで、恐らくは其処にいた殆どの者が安心したのだろう。
今の「陰キャ」は、米軍の機甲師団が総出でも止められない。
それくらいは、米軍の司令部も理解しているだろう。
飛行機に乗っているところを爆殺とか、ミサイルで撃墜しようとしても無駄。
それらも察知するくらいの感覚は持ち合わせている。
実際、ロス近郊での戦闘でも。不発弾を数ダース、戦闘中についでに処理しているのである。
生きている爆弾なんて、近付いただけで即座に分かるし。
そもそも爆発に巻き込まれても、爆圧を切り裂く事で即座に対応できる。
もう、そういう生き物になってしまっている、ということだ。
テレビ会議を切り上げると。
駐屯地に戻って、レーションを食べる。多少は美味しくなっている。
ロスの周辺は完全に安全になった。
明日の朝は、普通のジープで移動して。日本の飛行機に乗る。
グアムや沖縄は戦略上の要地だ。
帰りのついでに解放していくのは、それはそれでありなのだろう。
邪神を倒し尽くした今。
今度は攻勢に出る時なのだ。
それについては、「陰キャ」も一つも異論が無い。
まあ、ついでだからワシントンDC近郊のフォロワーも全部駆除してくれとか言われたら、流石に少しむっとしただろうが。
どうせ今後日本のフォロワー駆除が終わったら、それを頼まれる可能性はあるし。
出来るだけ「人類」に恩は売っておいた方が良いだろう。
「悪役令嬢」には、もう「陰キャ」は何もできないのだから。
軽く駐屯地で、丸くなってねむる。
このねむっている様子が、子供のようだと以前別の狩り手に言われたっけ。
幼い頃に両親を失った。
それが理由かも知れない。
それに栄養状態が良くなかった事を差し引いても小柄な「陰キャ」の事だってある。
余計に子供の様に見えるのかも知れなかった。
いずれにしても、実際にはもう食事も睡眠も必要ないが。
一応取るだけは取っておく。
翌朝になると、目覚まし時計など必要なく目が覚める。
というか、実際には寝ていたフリをしていただけ。
寝ている間も、遠巻きに軍の部隊が駐屯地を監視しているのは分かっていた。まあどうでもいいが。
駐屯地の外に出る。
ジープが迎えに来る前に、愛刀の手入れをしておく。ついでに軽く体を動かしておく。
軍のものらしいヘリが、飛びながら何か放送していた。
「ロスは解放されました! 偉大な狩り手「インキャ」の手によって恐ろしいフォロワーはロスから完全に駆逐されたのです! いち早く駆除が終わった事もあり、正式に合衆国の首都はロスに移動する事となります!」
そうか、まあそれがいいのだろう。
日本の政府機能はまだ東京地下に存在しているが。
今後ロスでは、おおっぴらに首都機能を地上に作る事が出来る。
今後ワシントンDCが解放されたら、其処にまた移動するのかも知れないが。
いずれにしても、貨幣経済すら行う事が出来ず。配給制で国民を養っているような状態からは、急いで脱却したいのかも知れない。
それについては、「陰キャ」は異論がない。政治家でもなくても、同意見であるからだ。
「これよりインフラの整備、原発などの発電設備の再起動、更には電車などの再起動も順次行っていきます! これらを可能にした偉大な狩り手「インキャ」に、感謝の敬礼をお願いします!」
目を細める。
これを言ってくれている人は本気かも知れないけれども。
本当に感謝なんてしてくれるだろうか。
何だか少し虚しいな。そう思いながら、「陰キャ」は迎えに来たジープを確認し。納刀していた。
日本に戻るのが、随分久しぶりな気がする。
短期間で、米国本土のフォロワーの一割を削った。
このペースなら、首都圏のフォロワーも同じくらいの期間で削りきることが可能だろう。
そうなると、既に第二東海道などを整備している日本の方が、復興が早いかも知れない。
それで余計な争いが起きなければ良いのだけれども。
そう、迎えに来た自衛官に敬礼を受けながら。「陰キャ」は思っていた。
「悪役令嬢」と同じように、胸に手を当てて敬礼に返しながら。
4、愚神との対話
目が覚めるというのは少し違うだろう。意識を取り戻した。
周囲はふわふわとした何か光る空間。なんだろう浮かんでいるのは。星々か。いや、そうではないな。
其処に「悪役令嬢」も。戦闘時のまま。ドレス姿のまま浮かんでいた。
分かっている。
此処は恐らくだが、地球の意思ガイアの中だ。
意識体との会話とかの時は、昔の創作とかだと素っ裸になる事がお約束だったらしいが。「悪役令嬢」はこの格好も含めて「悪役令嬢」。
キャラ作りが行きすぎて、もうこの格好で自分となっているということなのだ。
「財閥」をブッ殺したときに。奴が進めていたガイアとの融合計画の一端を、モロに喰らった。
奴は実の所、口にしていなかっただけで。ガイアとのアクセスそのものには成功していたらしい。
考えてみればそれはそうだろう。
あれだけの自信家で、念入りに下準備をしていた奴だ。
外道ではあるけれども、その念入りな下準備と陰湿な戦略については。本人には勿論絶対言わないが。何度か舌打ちさせられるほど、洗練されていると感じたくらいである。
奴は勝てると判断したから、人間にとどめを刺すべく、「悪役令嬢」と「陰キャ」を呼び出した。
そして実際問題、あの複雑なギミック。
「悪役令嬢」と「陰キャ」だけでは打破できなかっただろう。
奴の計算を狂わせたのは「喫茶メイド」。それに日米の電子戦部隊。
つまり凡人だった。
あれほど凡人を馬鹿にしていた「財閥」の無様な末路が凡人によってもたらされたのは、まあ滑稽ではある。
さて。これからどうするか。
浮かびながら思案していると、ガイアが語りかけてきた。
「何が起きたのかよく分からない。 説明してくれないだろうか、「悪役令嬢」というもの」
「わたくしと「陰キャ」さんが地球史上最も愚かで救いようが無いカスを撃ち倒して滅ぼした。 それだけですわよ。 愚かしいこの星の意思」
「……それがよく分からない。 あの者はIQにしても運動能力にしても、人類屈指と判断していたのだが」
「ハ」
呆れた声が漏れる。
ガイアがバカだと言う事は理解していたが。
まあ分かっていたから、呆れた声が出るくらいですんだ。
そうで無ければ、頭をかち割りに行っていただろう。
「それにしても不思議だ。 人間の総意に沿って、善意で世界を変えたと思っていたのだが……」
「それがそもそもの間違いですわよ」
「そうだろうか」
ガイアは不思議そうにしている。
ガイアは淡々と話す。
インターネットというものが出来て、人間の意思は極めて簡単に可視化できるようになった。
それまで人間は井戸端会議などの小規模単位で意思交換をしていて。全体の意思を把握するのは決して簡単ではなかった。
だから、インターネットが出来たとき。
全世界の人間が利用するようになった時。
よろこんでガイアはその観察を始めたのだという。
それについては間違っていないと「悪役令嬢」は思う。
実際インターネットに満ちているのは、人間の生の姿そのものだ。
SNSクライシス前には、「ネットのバカがどうのこうの」とほざく「芸能人(笑)」が実在していたらしいが。
そういう連中は、仕事をインターネットに奪われて。その恨み事を口にしていただけのどうしようもないアホだ。
実際にテレビからインターネットがどんどん役割を奪っていき。
それまでマスメディアと融合して貴族を気取っていたテレビ業界を事実上終了させたのは事実だ。
ただ、生のままのインターネットは。
それこそ徹底的な人間の醜悪さも露出させることになった。
絶対正義同盟のNO2などはその顕著な例だろう。
奴が作ったインターネットスラムは、あくまで一例に過ぎない。
あれが、人間の素の姿であって。
人間なんてあんなものなのである。
そういう意味では、ガイアの意思は間違っていない。
「人間は常に正義を求めていた。 正義に酔って悪を殴りたいと思っていた。 だからもっとも人間の意思を代表していると、アクセス数などから判断した存在の思考に沿って世界を変えた。 それなのに、どうしてこうも抗った。 その挙げ句に、ついにルールの担い手である……お前達が言う「邪神」をどうして滅ぼしてしまった」
「それはねえ。 ガイア。 多数派なんてものは、人間の歴史上碌な事をしてこなかった連中で。 挙げ句の果てに多数派の正義を少数派に押しつけるという行為で、散々愚行を重ねてきた。 それに対する反抗からですわよ」
「君達は同じ思想の元に動く存在になっていた。 それで満足では無いのか?」
フォロワーの事か。
確かに邪神のしもべとして作り出されたフォロワーは。同じ思想のもと動き。フォロワー以外を実力で排斥し。食糧も必要とせず。
何よりも。考える事を一切必要としなかった。
あれが、恐らくだが。同じ思考、思想を持つようになれば人類は一段階上に行けると説いていた連中の思想を。
ガイアが客観的に人間に適応した結果なのだろう。
確かにフォロワーは「多数派」だ。その上「思考する必要がない」。
実際問題、思考を放棄してカルトに逃げる人間は多数現在でも存在している。自分で考えないというのは本当に楽だからだ。
だが、その結実があれだ。
本当に、何処までも度し難い。
「……連中は近いうちに全てブチ殺しますわ」
「はあ。 よく分からないな。 ただ、一つ宣告しておく」
「伺いましょう」
「君達も分かっているとおり、もうこの星に資源はない。 このまま人間の文明をもとの形に戻しても未来はないぞ」
それも分かっている。
宇宙に進出しなければじり貧だ。
そして皮肉な話だが。
人間が極小まで減っている今こそ、その最後の好機であるのだろう。
「人間が宇宙に出るための知恵は何かありますの?」
「……現状の君達の技術では難しいだろう。 ロケットで宇宙に多数が出るのも、軌道エレベーターも現実的では無い。 もしもあるとすれば……」
どっと情報が流れてくる。
なるほど、ガイアと言うだけの事はある。
恐らくだがこれは、宇宙進出を成功させた別の星の文明のテクノロジーだ。
要するに他の星の意識と情報をある程度共有していると言う事なのだろう。
これで充分だ。
現在ある資源で、現実的に実行できる。
そして、である。
「悪役令嬢」は理解していた。
恐らくだが、「陰キャ」にはガイアの力を引き出す能力が行っている。
「悪役令嬢」は、ガイアの知識を引き出す能力を手に入れている。
その知識は、近隣の意識を持つにまで至った星との連携も可能と言う事だ。
これなら、希望はあるかも知れない。
「戻りますわ」
「……」
「この星を焼き滅ぼす前にどうにかして見せますわよ」
「分かった。 ただ一つ。 ……私に悪意がなかった事だけは理解してほしい」
ガイアはそんな事を言う。
分かっている。
ただお前は救いようが無いアホだった。
そう内心で吐き捨てながら。「悪役令嬢」は、意識の水面へと浮かぶのだった。
(続)
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