真相は臓腑に塗れ
序、薄れた意識の中で
邪神「帝国主義」を倒して。その後の記憶が曖昧だ。「悪役令嬢」が目に見えて動揺していたことは分かる。
だが。それ以外がよく分からない。
酷く全身が痛んで。
意識が茫洋としている。
途中で船から病院に移ったような記憶はあるけれど。
何もかもがぼんやりしていて、よく分からない。いつ起きているのか、眠っているのかも分からなかった。
今は。どうか。
ぼんやりとしているが。痛みが酷くて、殆ど動けない。
多分麻酔を入れられているんだなと言う冷静な思考が働く一方で。意識がぼんやりしているときは、名前さえ思い出せない有様だった。
しばらくして。戦いにどうにか痛み分けたことを思い出す。自分の狩り手としての名が「陰キャ」だということも。
ジュネーブの戦いで、邪神達をたくさん倒した。
これで、かなり人間は有利に戦える筈。
そう思ったけれども。それは果たして本当なのだろうか。
少しずつ、思い出す。
自分は日本の守りの柱を担っていたはず。
もしも体が治らなかったら。
意識が、しっかりした。
同時に、凄まじい痛みが全身に走った。すぐに麻酔を掛けられたのが分かった。動こうとしても、全身がガチガチに固められていて動きようがない。
溜息が漏れる。
「陰キャ」は。もはや戦えないのかも知れない。
そう思ってしまった。
手が届きそうな距離に刀がある。きちんと手入れをされていたようだ。
愛刀は考えたくも無い汚れを、散々「帝国主義」との死闘の中で受けた。
処置は大変だっただろう。
無言で、担架で何処かに運ばれて行くのを悟る。
手術を受けるらしい。
目を閉じる。
荒野を彷徨っていたときには、手術なんて受けられない人もいた。周囲でばたばた死んで行く人も多かった。
あの頃は、「悪役令嬢」がまだ本格的に活動していなくて。
邪神が日本にたくさんいた。
日本の邪神組織「絶対正義同盟」が好きに暴れていて。
それで、そもそも秩序も何も無かった。
狩り手もあの頃は、たくさん戦いの度に殺されて。邪神は高笑いしながら、各地で跳梁跋扈していた。
目が覚める。
痛みは多少おさまってきたが、それでも呼吸器はつけられている。
意識ははっきりしてきたが。それ故に少し不安だ。
医師が来る。
医師だと一目で分かる。
そして、説明を始めてくれた。
あの戦いから、二週間が過ぎた。
戦いの中で、「陰キャ」は手酷く負傷。それを機に撤退を開始。戦死者は出さなかったが、何人も引退者が出た。
今は日米両国が体勢を立て直そうと必死。
「陰キャ」については、連日状態を確認してきているという。山革陸将が、だ。
続いて、「陰キャ」の現在の状態について、図を出される。
一目で分かるくらい、体中ボロボロだ。
それはそうだろう。絶技で、勝つために全身の力を根こそぎ振り絞ったのだ。
体力がない「陰キャ」の弱点を的確に突いてきた「帝国主義」。
奴を倒すためには。限界を超えるしか無かった。
そしてSNSクライシス前にたくさん出ていた漫画じゃあないのだ。
限界なんて超えれば、こうなるのは自明の理である。
「特に両足のダメージが大きい。 経過を見ますが、二ヶ月は少なくとも絶対安静でしょうね」
「……」
二ヶ月、か。
他にも幾つもの内臓に大きな負担が掛かっていたそうである。
これらは、以前からのものらしい。
「陰キャ」は日本での邪神戦を一手に引き受けていた。
それゆえ、なのだろうか。
思うに、絶技を習得してから、それが原因で体を痛めつけていた可能性はある。
敵に使う以外にも、何度も練習で使っていたのだ。
ましてや「帝国主義」の時は、限界を軽く超えている状況で使った。
それは、こうなるのも仕方が無いのかも知れなかった。
医者は色々がみがみといって、それで引き揚げて行く。
まだ集中治療室からは出せないらしい。
集中治療室にいたのか。
そうとしか、思えなかった。
それから数日。
ずっと、わずかにしか体を動かせない状況が続いた。
体に色々管が入れられている事。少しずつ体の固定とかしているギプスだの何だのを外されていることが分かったけれども。
それでも、動けないことには何の変わりも無い。
悔しいと思うけれど。
一人では何もできない状況が続いていた。
看護師が話をしてくれる。
「悪役令嬢」が、カナダで戦いはじめているという。
カナダにある邪神達の始まりの地。通称「爆心地」周辺にて。周囲に展開しているフォロワーを駆除して回ってくれているそうだ。
更に、である。
看護師は、フォロワーの大軍を蹴散らしてくれた「悪役令嬢」のおかげで、助かった一人だという。
メキシコの国境付近で逃げ遅れて。「悪役令嬢」がフォロワーを蹴散らしてくれなければ、確定で死んでいたそうだ。
そう聞くと、少し嬉しい。
あの人が、「陰キャ」を後継者にと考えてくれている事は知っている。
だから。あの人の話は。武勲は。とても胸に響く。
過大評価だと思う事もある。
だけれども。今は心も体も弱り切っている。
故にその言葉を素直に受け取り。体の回復に、少しでも役立てる事とする。
人工呼吸器が煩わしいけれど。
これがないと息ができないほど、体が弱ってしまっている。それは、自分でも朦朧とした意識の中理解していた。
何しろ体にいっぱい管だの何だのが刺さっていても分からなかったくらいなのである。
それから数日して、体に刺さっている管が少しずつ減らされていった。
驚異的な快復力だと言われたけれども。
それだったら、一日二日で全回復してほしいものだ。
無論、それが無理だと言う事は分かっている。
あの「悪役令嬢」ですら、負傷したら療養していたのだ。
「陰キャ」は自分に出来る範囲で、少しずつやっていくしかない。
人口呼吸器が外れるまで、しばらく掛かると言われた。
少しずつ、何回かに分けて手術をしたようだ。意識が飛んでしまっているので、よくその間のことは分からない。
看護師が話をしてくれる。
それが恐らく、もっとも力を与えると判断したからだろう。
「悪役令嬢」は一週間で、50万に達するフォロワーを駆除。そのまま、カナダを驀進しているそうである。
目的とされている「爆心地」周辺だけではなく。厄介なカナダのフォロワーを全て駆逐しかねないということだった。
喜んでいるのが分かる。
カナダはそもそも、フォロワーの聖地と言われている程で。
この間は、「爆心地」を調査するためだけに。第二世代の狩り手が三人も大きな負傷をしたという。
フォロワー狩りに大きな適性がある第二世代の狩り手が、三人も。
それを思うと。戦績からして恐らくはチームで行動しているのだろうけれども。それでも「悪役令嬢」と三人もしくは四人のチームが、一日七万……それくらいのキルカウントをたたき出しているのは凄まじい。
米軍としても足を向けて眠れないだろう。
同じ数のフォロワーを駆除するには、相当な規模の機甲師団を編成して。それで惜しみなく弾薬を叩き込まなければならない。
邪神が来る可能性も高いし。
そんな規模の機甲師団を動かす燃料も弾薬も、そうそう用意できない。そもそも護衛のための部隊を用意するだけで、今の米軍にとっては冷や汗が止まらない筈である。
少しずつ、頭がはっきりしてきている。
目が覚めると、周囲は血だらけ。
どうやら手術が終わったばかりらしい。
慌てて麻酔を打たれる。
そのままにさせる。もういつ起きているのか眠っているのかもよく分からない。
フォロワーがうようよいる大阪近くの駐屯地で、一人で静かにしていた日々が懐かしい。
早く戦線に復帰したい。
そう思うけれども。思うように動かない体が、兎に角悲しくてならなかった。
それから数日して。
言葉を発する事が出来た。
最初はあとかうとかしか言えず。
言った後には、激しく咳き込む有様だった。
もともと喋るのは大の苦手なのだ。
だから、かも知れない。
人工呼吸器を外されて。
やっとまともな食事をして。
少しずつ、リハビリが始まる。
自分のものとは思えないくらい、体が重かった。
出来るだけ絶技を使うなと、医師に何度も言われた。これほど体を壊すのでは、それは使うべきではないと。
首を横に振る。
もともと絶技は最後の切り札として使っている。
更に言えば、使った相手は超強力な邪神のみ。
そういう輩を倒すのには、それこそどれだけの兵隊を連れて来てもどうにもならないのである。
誰かが無理をしなければならない。
勿論、無為に命を放り捨てるつもりはない。
淡々と説明すると、医師は大きく嘆息した。この意思疎通だけで、随分時間が掛かってしまった。
それから黙々と、リハビリを行う。
やっと刀を手に取ることができたのは、入院から三週間が経過してから。
愛刀が。
多数の邪神を一緒に倒して来た愛刀が。
信じられないくらい重かった。
こんなに体が衰えているなんて。
だけれども、その重さは拒絶ではないように感じた。
また鍛えて、前線に立とう。
そう激励されている気がして、「陰キャ」は決して悪い気はしなかった。
そのまま、リハビリを続ける。
山革陸将が連絡をしてきたのは、地力でどうにか歩けるようになってから。恐らく、病院に収容されたときの「陰キャ」の状態を知っていたのだろう。大丈夫かねと、最初に問われた。
大丈夫だと返した。
というか、様子からして。恐らくは、山革陸将の方が「陰キャ」の状態には詳しそうである。
医師が丁寧に毎日経過観察をしているのだろうから。
「まずは大阪に戻ってほしい。 邪神とは、戦えそうかね」
「下位のものであればなんとか。 しばらくは前線でリハビリがてらにフォロワーを狩ります」
「分かった。 手配させて貰う」
「……お願いします」
日本としても、「陰キャ」がいないことは冷や汗ものだった筈だ。
第二世代の狩り手が、邪神に対して大きな抑止力にならない事がはっきりしたから、である。
とはいっても、第一世代の狩り手だって。一部を除けば、邪神とどうにか戦える程度の力しかない。
「悪役令嬢」が出てから、状況がひっくり返ったのは。
あの人がスペシャルだから、である。
医師に説明を受ける。
まだある程度、時間をおいてほしいと。
体に掛かった負担が大きすぎて、まだ敵との戦いは認められないと。
戦うにしても。
絶対に絶技は使わないように、とも言われた。
医師は人間の体を治す専門家だ。
だから、その言う事には従うべきだろう。
だが、最悪の場合に備えて。
絶技をいつから、どれくらいなら使っても死なないかは聞いておく必要がある。
その質問をすると。
医師はしばらく黙り込んでから。
ため息をついて項垂れていた。
「次に絶技というその強力な技を使った場合、死ぬ確率は五割を超えるだろう。 体が回復していても、だ」
そうか、五割強か。
医師によると、今回どうにか修復はしたものの。内臓などの負荷が尋常ではなかったそうである。
再生医療などでかなり内臓などを取り替えたそうだが。
心臓などのクリティカルな臓器は流石に再生医療でもどうにもならない。
SNSクライシスの直前くらいなら、それをどうにか出来る設備や技術もあったらしいのだが。
今の時代は、各地の電力なども不安定で、とてもではないが厳しいのだそうだ。
工場などでも、生産している物資は基本的に軍事が最優先。
医療に回される機械類はかなり遅れていて。少なくとも、この時代が終わるまで。その状況に変わりはこないのだとか。
すまないと涙を拭いながら言われて。
それ以上は、何も聞けなかった。
それからは、しばらくリハビリに励む。
そうこうするうちに、「悪役令嬢」が猛烈な勢いで爆心地に北上して。既にカナダに入ってから、200万を超えるフォロワーを葬ったと聞かされた。
逆に言えば、それだけの期間「陰キャ」は病院に磔だった事も意味している。
口惜しいというよりも、とにかく歯がゆい。
やっと医師から許可が出た。
何とか、ある程度からだも動くようになっていた。
入院前ほどでは無いが、今なら最高位邪神でなければ相手を出来るだろう。
最高位邪神がもしも現れた場合は。
絶技を使っても、トイトイ。
ともかく、現地で実戦を兼ねてリハビリをしたいところだった。
医者が許可を出したその日の夜には、迎えの飛行機が来た。
邪神がいなくなったとはいえ、特注の飛行機でかなり低く飛ぶ事になる。
既に瞬歩ができる事は確認済み。
とはいっても、飛行機で丸一日以上は日本まで掛かる。
今の体力では、その間ずっと備え続けるのは無理だ。
飛行機は無人操縦だが。
最悪の場合、太平洋上で遭難することになる。
リスクは高いが、行くしか無い。
日本が邪神に対してはほぼ丸裸の状況が続いている。
既にかなり頭ははっきりしてきている。
だから、「悪役令嬢」の想定が楽観かも知れないと言う判断はとっくに出来ていた。
飛行機で日本に向かう。
その間は。静かにして待つ事にする。
愛刀を抱えて、日本に飛ぶ。
医師達は、最高位の邪神を倒してくれてありがとうと、何度も礼を言ってくれた。
後から聞かされたけれど。
あの帝国主義という邪神は、米国でも大きな被害を出し。幾つもの病院を面白がって地獄に変えた畜生だったという。
医師達の知り合いも、何人もやられたらしい。
それでは、確かに複雑な気持ちになっただろう。
北米の医療システムは、SNSクライシスの前には完全に破綻してしまっていたらしいのだが。
それでも責任を持って医師であろうとする者はいたということだ。
邪神から、世界を取り戻したら。
人間はきっとまた、傲慢になる。
その時は、「陰キャ」も「悪役令嬢」も殺されるかも知れない。
用済みになった存在に、人間は信じられないほど冷淡だからだ。
それでも。
膝を抱えて飛行機の隅っこに座りながら、「陰キャ」は思う。
今は出来るだけ雑念を払い。
眼前にてできる事をしようと。
その日の深夜に大阪に到着。
一番長く戦った其処は。「陰キャ」が離れたときと、殆ど変わっていなかった。
邪神が来ない以上、フォロワーは増えない。
その日はもう休むことにして、翌日から狩り手として復帰だ。
まずは大阪から、フォロワーを駆逐し終える。
その次は、各地に飛んで、安全を確保していく事になるだろう。横浜が次の目標だろうか。
「人形」かららしいプレゼントが置いてあった。
ずいぶんと良く出来たストラップだった。
元気が出る。
明日からの戦いに、気合いを入れて望めそうだった。
1、爆心地への道
随分といきがいいフォロワーどもだな。
そう思いながら、「悪役令嬢」は鉄扇を振るう。
豪快に敵を蹴散らしながら、前進する。最初の数日は後方で「派遣メイド」を休ませていたが。
それも医師が許可を出した事もある。以降は前線に加わった。
皆、良い動きをしている。
特に戦線に加わったばかりの第二世代。「ぼんやり」は。眠そうな目をしている、半脱ぎのだらしないパジャマが目立つ女の子だが。
戦闘ではチェーンソーを振り回して、大暴れする。
「悪役令嬢」自身も、連日キルカウント三万を稼いだこともある。
カナダの国境から、真正面からフォロワーの群れを蹴散らして進み続け。爆心地とやらに近付いた頃には、既に二百万を越える数を屠っていた。
そして、爆心地近くである。
敵の抵抗が一気に強くなった。
これが、第二世代の狩り手達を返り討ちにした、爆心地周辺のフォロワーかと思っているところだ。
激しい圧力だが、周囲を囲まれている訳でも無い。
冷静に指揮をして、それぞれが孤立しないように戦闘を続行する。
出来るだけ雑念は払う。
この間の戦いでは、一瞬の判断ミスで「陰キャ」を死なせる所だったのだ。
「帝国主義」だかを、「悪役令嬢」が仕留めていれば。
「陰キャ」が。彼処までの悲惨な負傷をすることはなかっただろう。
要は足りていないのだ。
力も判断力も。
だから無の境地に入って。戦闘時は何もかもを撃ち倒す殺人マシンとならなければならない。
そうしなければ、何度でも同じミスを繰り返す。
そうであってはならないのだ。
無言のまま「悪役令嬢」は夕方近くまで戦い、敵を蹴散らし続ける。
敵の動きが鈍くなったところで駐屯地に。
最初の内は医師や軍人が従軍していたのだが。もういない。危険と判断したので、下がって貰ったのだ。代わりに、軍のドローン。完全自律型のヘリが、物資を運んできてくれるようになっていた。
散開して、食事にする。
「悪役令嬢」は、更に鬼気迫っていると言われる事が増えた。
だが。それはそれだ。
ど派手な縦ロールの髪。ど派手な化粧。ど派手なドレス。
全ては「悪役令嬢」のミームのまま。
別に目が殺し屋のものであろうとどうでもいい。「悪役令嬢」である以上、邪神やフォロワーに対する絶対的な刃になる。
それで充分だ。
食事を終えて、皆が休憩に入ったところで、軽く会議をする。
米軍はやっと体勢を立て直し始めているようだ。
三人のベテランがまた引退に追い込まれたが。
アラスカ方面では、「フローター」達が敵を攪乱しつつ、連日見事な戦果を上げているようだし。
此処にいる「ぼんやり」以外の第二世代の狩り手も、再生医療を受けて間もなく前線に復帰するそうだ。
この三人は、米国本土でフォロワーを駆逐しつつ、様子を見ながらメキシコ方面にも遠征するらしい。
米国本土でも、「ギーク」をはじめとする何人かの狩り手が、都市部近辺を中心にフォロワーを狩っている。
日本にも「陰キャ」が戻った事もある。
現時点では、新しく攻勢に出る余裕はないが。
少なくとも、国内は持ち直したとみて良いだろう。
「カナダでの戦績は連日素晴らしいと言う言葉しかでないな。 このまま、爆心地に向けて作戦行動を続けてくれ」
「分かりましたわ。 それで、敵地の偵察は」
「……」
参謀達が顔を見合わせる。
顔が頻繁に変わるので、もういちいち名前を覚えていない。
やはり相当に「エデンの蛇」が暗躍しているようで。
米軍内部での暗闘は、凄まじいようだった。
こんな時代なのに、まだ暗闘を繰り返している事には色々と言いたいこともあるが。人間の弱みを知り尽くしている相手だ。
仕方が無いのかも知れなかった。
「現在、ドローンを飛ばし衛星写真での精査を続けてはいるが……敵の居場所はよく分かっていない」
「分かりましたわ。 それで人間牧場への対策案は」
「今の時点では……どうしようもない」
悔しそうに項垂れる者もいる。
「喫茶メイド」が正式に報告書を上げて来たが、人間牧場の現状は文字通り悪夢という他ないものだった。
これについては。特殊部隊として欧州に展開している者達の間では、周知の事実であったらしい。
だが戦力が足りないという事もあり、今までは手出しどころではなかったようだ。
世界の各地には、生き残りの人間がいる。
それは知られていた。
「悪役令嬢」もその話は聞いていた。
だが、「喫茶メイド」の告発で、その実態を米国政府も日本政府も知っていた可能性が大きくなった。
不快かと聞かれれば、不快に決まっている。
ただ、今は現実的に、どう救出するかを考えるべきだろう。
大統領が咳払いする。
「現在、北米の国内にてフォロワーの掃討作戦を進めており、各都市の整備をそれに伴って再開している状況だ。 これらが一段落したら、欧州の人々を救出する作戦を始動したい……と考えている」
「つまり現時点では見捨てると」
「分かってくれ。 今は国内に新たな人々を抱える余裕が無いのだ。 無理に大規模な軍事活動をしたら邪神共の好餌になる。 それが仮に上手く行っても、人々を飢えさせるだけだろう」
溜息をつく「悪役令嬢」。
誰も、それについて何か言うことは無かった。
とりあえず会議を切り上げると、風呂にする。風呂から上がると、さっさと休む事にする。
やはり分かっていたが。総力戦であれほど邪神を削りとっても、何も変わることはなかった。
恐らく邪神を滅ぼしても、人間は何も変わらないだろう。
そんな事は分かりきっているが。
だが、それでもやらなければならないのだ。
「悪役令嬢」自身も休む。
そして、目が覚める。
目覚まし時計などいらない。
日の出の少し前に目が覚めると、一人で体操をする。
「悟り世代」が一番起きてくるのが早いのもいつも通り。少し遅れて、「腐女子」と「派遣メイド」も起きてくる。
体操と朝の修練を終えると、「派遣メイド」がてきぱきとお茶を淹れてくれる。
だいぶ腕が上がっているが「女騎士」に比べるとまだまだだ。
そういえば、「悟り世代」が少し言っていたが。「女騎士」とは血縁があるらしい。その割りには余り似ていないと思ったが。
理由はなんとなく察することが出来るので、あまり言わない事にする。
軽くミーティングをしている間に、「ぼんやり」が起きてくる。
大あくびをしているが。
これは普段の「ぼんやり」キャラとは違って、恐らくは素だろう。第二世代の狩り手とはいえ、まだ幼い子供なのだ。咎めるつもりはない。
地図を拡げて、軽く話をしておく。
「今日はこの地点からこの地点に掛けて前線を展開。 目標キルカウントは75000としますわ」
信じられない数だが、連日15000キルカウントを「ぼんやり」が稼ぐ事もある。
「悪ガキ」らの戦闘データをフィードバックしているらしく。どうやら日本政府も協力していると言う事は、「巫女」の戦闘データも得ているのかも知れない。
まだ体を上手に動かす事が出来なくても。
それでも15000キル出来るのは大きい。
これにすっかり一人前に成長した三人。それに「悪役令嬢」が加わるのだ。
これくらいのキルカウントを稼げるのは、不思議な事ではなかった。
「何か質問は」
軽く質疑応答をする。
それが終わったら、一応メールを確認。日本から連絡などが来ている可能性があるからだ。
「陰キャ」からメールが来ていた。
リハビリがてらに大阪でフォロワーを狩っていて。もう大阪からは、殆どフォロワーがいなくなったそうだ。
正直な話をする「陰キャ」らしい。
まだ体の回復が途上で、最高位邪神とは出来ればやりあいたくないことや。それに医師に、絶技を使ったら死ぬと脅されたこともメールに書いている。
絶技は出来るだけ使わないようにと念押し。
勿論、最後の最後で「財閥」とやりあう時は、何とか絶技を使えるようになっておきたいが。
それまでは。リハビリに集中して貰うのが吉だろう。
目を細めてメールを見やると。
後は戦闘を開始する。
膨大な数のフォロワーが群れている。戦意は十分というか、邪神に操作されていないフォロワーとしては異常すぎるくらいに「たぎって」いる。
「悪役令嬢」が最前線にたって突貫。
皆で少しおくれて突撃を開始して貰う。
最前線で、膨大なフォロワーとぶつかり合う。
激しい激突を数分続けて、それから下がる。追い下がってくる敵の先頭を消し飛ばしながら、ゆっくり後退。
勢いは凄まじいが。
それでも弾き返しながら、戦闘予定地点に到着。
後は散開した皆と一緒に、ひたすら耐久戦を続けるだけだ。
爆心地周辺に群れているフォロワーは、此処が始まりの地だからだろうか。とにかく獰猛である。
一度此奴らに殺され掛けた「ぼんやり」だが。怖れていない様子なのは流石である。
凄まじい勢いで飛びかかってくる、もはや人では無い者達。
人権屋の牙城だったカナダに巣くったフォロワーの獰猛さは尋常ではなく、激しい戦いの中冷や冷やさせられる。
周囲の皆が、一人でも崩されたら。
そう思うと、どうしても冷や汗が出る。
一種のPTSDかもしれない。
今更、だが。
しかしながら、どんな歴戦の軍人でもPTSDには苦しむという話は聞いたことがある。
「悪役令嬢」も、それは例外では無いのかも知れない。
雪が降ってきて。
すぐにどか雪になる。
カナダでの戦闘を想定して、基本的に防寒装備は持ってきているが。素足のまま襲いかかってくるフォロワーが、雪を踏んで平然としている所を見ると、流石に閉口してしまう。
周囲に声を張り上げておく。
「また雪が激しくなりますわ! 各自足下には気を付けて!」
勿論、今更の話だが。
それでも、言っておいて損は無いだろう。
暗くなってきたが、フォロワーどもは元気だ。
数匹まとめて飛びかかってきたのを、鉄扇で薙いで瞬殺する。
時計を確認。
どうやら空に分厚く雲が懸かって暗くなっているだけで。別に時間は夕方ではないらしい。
更に雪が激しくなって来る中、数時間戦闘。
火が出るように戦ったから、まるで寒さは感じない。むしろ耐寒装備の事もあって、暑いくらいだ。
やっと夕方になり、フォロワーの動きが鈍くなりはじめる。
撤退と叫んで、皆を下がらせ。最後尾でまだ戦意が途切れないフォロワーを駆除し続ける。
やがて追いすがって来る奴がいなくなったので、駐屯地に戻った。
駐屯地で、水をぐいぐいと呷る。
この水だって貴重なものなのだが。流石にこればかりは遠慮して貰おう。
しばし水分を補給してから、皆に休むように指示。
「悪役令嬢」自身は少し戻って、「爆心地」を丘に上がって其処から観察した。
爆心地、か。
見た所、ただの都市である。
カナダには多数の都市があるが、その中の一つ。
ただ明らかに、不自然な壁のようなものが出来ている。どうも邪神の力の影響で、ああなったらしく。
戦前の地図には載っていない構造だそうだ。
しばらく観察して回るが。
フォロワーどもは爆心地に戻り、そこで呻きながら彷徨いている。
もう少し体力があればなんとか対応できるのだが。残念ながら、無理をしないと夜間の奇襲作戦は不可能だ。
戻って、軽く会議をする。
特に言う事もないので、早々に切りあげ。
ともかく、翌日以降に備えてねむらなければならない。
風呂から上がって、寝るかと思ったが。
その時、不意にメールが来た。
誰が送ってきたのか。それは分からない。
だがすぐに分かった。
「どうやら爆心地を狙っているようだね。 もう其処にあったものは回収済みなんだけれどもなあ」
「貴方は財閥ですわね」
「くくっ、その通りだ。 僕は全てを見ている。 万が一にも負けてしまってはいけないからね」
「貴方の手元にはもはや最高位邪神もいない。 まだ勝てるつもりですの?」
これは、確認だ。
「財閥」は、まだ切り札を隠しているかも知れない。
奴はあっさりと戦いを放棄して、ジュネーブを去った。その時には、恐らくだが奴にとって邪魔だった。場合によっては「エデン」を乗っ取りかねない邪神は全て始末していった筈だ。
だが、解せないことは幾つもある。
「僕は必ず勝つよ。 そのためには、幾つか打っておく手があってね。 それはもう、あらかた終わった所さ」
「……」
「このメールはメールサーバーからログごと消去される。 「悪役令嬢」。 君が周囲に訴えても、証拠は何も残らない。 君はどんどん孤立していく。 それが嫌なら黙っていたまえ」
「……何を目論んでいますの?」
けらけら。
メールの中で笑う「財閥」。
誰かを「エデンの蛇」を使って乗っ取ったのか、或いは。
いずれにしても、此奴は明らかに遊んでいる。
許せる話ではない。
「まあいい。 もう分かっているだろうに。 だけれども、思ったよりも覚えがわるい君のために教えてやろう。 僕は最初から最後まで、世界の支配だけを望んでいる。 それだけさ」
「させませんわ……」
「ああ、君はとても素晴らしい英雄だ。 君の遺伝子データは残してある。 世界の支配が完了したときには、君の子孫が地球に満ちるように手配してやろう。 ただ君の形は残してないだろうがね」
メールが消える。
本当にデータが消えたらしかった。
携帯端末をへし折りたくなったが、我慢だ。これも最新鋭の技術が詰め込まれた貴重品なのである。
感情によって破壊したりしてはいけない。
外に出る。雪の凄まじさは増す一方だ。この様子だと、明日は更に厳しい戦闘になるだろう。
だが、既に爆心地は間近。
此処をもう少し丁寧に探れば、状況も確実に変わってくる。
更にはっきりしたが、「財閥」はまだまだ世界の支配をおこなうための切り札を手にしている。
今回知らせに来たのは、「悪役令嬢」に無力感を植え付けるためだろう。
体勢を整え直した北米と日本の両政府は、もう博打に出ようとは思わないはずだ。
其処にじっくり時間を掛けて、好きかってを出来ると言うなら。奴にとっては言う事がない状況が到来する。
世界の支配とやらに、何を必要とするのかは分からないが。
そもそも爆心地の調査をしている「悪役令嬢」に粉を掛けてきたというのが色々と怪しい。
この爆心地、想像以上に危険なものがねむっているのではあるまいか。
無言で、もう一度爆心地を見やる。
確かに、邪神の強い強い気配。ただしその残り香のようなものは感じ取ることが可能である。
だとしたら、此処に残されているのはなんだ。
一つ、気になる事がある。
三十年間の調査結果によると、邪神は増える事がない。
それについては、邪神すらも認めている。
だが、それは本当に事実なのだろうか。
もしも邪神すら知らない何かがそこにあったら。
嫌な予感はするが、それでも先へ進まなければならない。
できる事はあまり多く無い。
「悪役令嬢」にできる事は。
今、ここで。
爆心地で、敵を掃討することだけだった。
数日掛けて、爆心地周辺のフォロワーを掃討する。
五十万を削りとった時には、既にかなり敵の密度は下がりはじめていた。
そして二週間目。
百万を削りとった頃には、あまりの損害に周囲のフォロワーが爆心地に流入し始めていた。
だが、この後入りのフォロワーは、最初からいた連中に比べると動きも鈍く、戦力も低かった。
三週間。
百五十万を削り取った。
昔で言えば、大都市。それも首都規模の都市を構成する人数だ。もっと大きな都市もSNSクライシスの前には幾つかあったらしいが。それでも百五十万はなかなかいない。
それを撃滅した事で、爆心地周辺からもフォロワーが減り。
更に爆心地でも、フォロワーが露骨に減り始めていた。
もう三週間も掛ければ、完全に駆逐できるだろう。
だが、この程度で充分と判断。
少なくとも、特殊部隊が調査している間、周囲を問題なく支える事は可能だと判断した。
会議でその話をして。
翌日には特殊部隊が来る事が決まった。
勿論その間、ずっとあの「財閥」の謎のメール攻撃は気になってはいたが。それでも、今はやるべき事を順番にやっていくしかない。
既に突入作戦は組んでいる。
後は、やるだけだ。
早朝。早々に爆心地にて展開する。
前回の急襲作戦では多くの被害を出した事もある。
だが、「ぼんやり」は特に気にする事もなく、むしろ爆心地への先導をしてくれた。
何だか四角いたてものだ。
内部は箱状になっていて。其処で何か色々と大事なものが発見されたらしい。
此処が。
あらゆる邪神が発生する事になった、SNSクライシスの爆心地か。
思うところは当然ある。
狩り手だったら当然だろう。
第一世代の狩り手は。家族をフォロワーに殺されたり。同僚をフォロワーに殺されたりと。基本的に邪神とフォロワーには強い因縁を持っているのが普通だ。第二世代だって、強化人間として生を受けた後は、ロクな教育を受けていない筈である。この狂った世界の元凶については思うところがあっても不思議では無い。
「悪役令嬢」だって、邪神とフォロワーに全てを奪われた同僚を何人も見てきたし。何人も失ってきた。
だから、此処はさっさと処理してほしいとも思う。
特殊部隊が来る。
かなりの規模だ。一個小隊三十人、いやもっと多いとみて良い。
これくらいの規模の部隊が同時に行動するのは、今はあまり推奨されていないのだが。
前回回収しきれなかった物資があるという事も理由なのか。
危険を承知で、米軍は部隊を出してきたようだった。
大型の輸送ヘリ四機は、重機まで乗せている。
当然フォロワーが集まってくるが、三週間掛けて最精鋭が駆除をして回ったのである。もう密度は相当に薄れており。掃討するのは容易だった。
それでも数が数だ。
時間は幾らでもある、というわけではない。
特殊部隊は自身も大型の軍用ライフルで武装していたが、あれだと精々接近された同数を対処するのが精一杯だ。
ともかく人を回して、特殊部隊を守らせる。
特殊部隊が、銃器を動かして。爆心地を崩し始める。
あの様子だと、爆心地そのものを丸ごと破壊して。全部輸送し持っていくつもりだとみて良い。
豪快なやり方だが。
米軍は昔から、ああいう工事をしたと聞いている。
さて、もし仕掛けてくるとしたらそろそろの筈だが。
しかしながら、フォロワーは散発的に襲いかかってくるものの。邪神の気配は感じない。
凶暴なフォロワーの姿も減ってきている。
どうやら、此処を見捨てたとみて良い。
だが、わざわざ「財閥」がちょっかいまで掛けに来たのだ。
本当に何もするつもりはないのだろうか。
ヘリの一機が戻っていく。
工事が凄まじいペースで行われていて。文字通り建物は地盤まで掘り返されているようである。
何だかこれは、調査と言うよりも何もかもを葬っているのでは無いのか。
そう思えたが。フォロワーのそれなりにまとまった数が来たので、対応する。全部駆除した頃には。三機目のヘリが米国の方へ去っていた。
どのヘリも低空で行く。
こういう航空兵器を邪神が優先的に狙って来るからだ。
また、ここまでの道は既に「悪役令嬢」達のチームが掃除を終えている。もしも墜落しても、100%とはいかなくとも。少なくともフォロワーの群れに投げ出されることはないだろう。
最後のヘリが去る。
どうやら、「爆心地」の全てを回収し終えたようである。
ただ、前回の調査が不十分だった事もある。
今回も、万が一に備えなければならないだろう。
これから数日は、この周辺で掃討をしつつ、調査の結果を待つことになるだろうが。
ヘリが全て去り、その前に特殊部隊が敬礼して去った。
流石に静かになったからか、周囲のフォロワーも先ほどに比べると大人しくなった。
勿論損害はない。
今回は元々フォロワーが手強いことを想定して、入念に準備を進めたから、という事もあるが。
ただ、それでも「悪役令嬢」は様々な困難極まりない戦場を目にしてきた。
油断はしない。
いささか上手く行きすぎるな。
そう思いながら、周囲を警戒しつつ。まだ散発的に攻めてくるフォロワーを全て返り討ちにしておく。
完全に爆心地の周囲は制圧完了。
これで、この辺りは当面危険視しなくて良いだろう。
だが、念のためだ。
一日か二日は残り、周辺のフォロワーは駆除しておく。
駐屯地に戻る。
また、一つ目の前の問題は片付いた。だが、目の前の問題しか片付いていない。それは、事実だった。
2、特大の暗雲
作戦行動を知らせていない「陰キャ」から、メールが来ていた。
どうやら大阪での駆除作業が完全に終わったそうだ。
めでたいと思う。
日本における魔都の一つだった場所だ。これで、色々と復旧作業を行う事が出来るだろう。
更に「陰キャ」はこれから横浜に向かい。放置されていた駆除作業を再開するのだという。
横浜が終われば、次は首都圏。
東京のフォロワーの駆除が終われば、それは文字通り歴史的快挙となる。人類の決定的勝利として歴史に残るだろう。
だが、どうもおかしい。
「財閥」は、この状況を狙っているとしか思えない。
やはり、奴が世界を支配するために必要な何かを手にしているとしたら。それは恐らくだが、人為的にSNSクライシスをもう一度起こすとか。邪神を好き放題産み出すとか。そういう致命的な事では無いかと思う。
ここでの調査結果で何が出るかは分からないが。
もしも「財閥」が、それに王手を掛けているとしたら。
皆を先に休ませてから。「悪役令嬢」はメールを知り合い全員に送っておく。
いざという時が、起きるかも知れない。
敵の攻勢はしばらく止んでいるが、それもいつまで続くか分からない。
最悪の事態に備えてほしい、と。
現在、「喫茶メイド」が負傷から復帰。
また。欧州を単身で調査に回っているという話を聞く。
恐らく敵の根拠地は欧州にある。
これはなんだかんだといっても、SNSクライシス後の文明の中心地点が、北米か欧州か、だからだ。
日本も重要地点だが、あくまで世界的に見れば「辺境」に過ぎない。
それだけ欧州は、世界的に見て重要な土地だったのだ。
中華もそうなり得たのだが。
SNSクライシスの前には自国の文化を積極的に破壊する、第二の文革とも呼べる時代が来ており。
それによって、「文化」は少なくとも中華からは離れていた。
SNSクライシスの後、中華の邪神がどうも実力的に振るわなかったのもそれが要因だと言われているようだが。
真相についてはちょっと分からない。
いずれにしても、もはや今できる事は限られている。
最悪の事態に備える。
それだけだ。
数日間、カナダの中心地で駐屯する。
この辺りは、北米の邪神組織の巣窟だった事もあるし。
何よりも凶悪極まりないフォロワーが群れている事もある。
生存者はいないが。
それでも、希に偶然生存者を見つけることがあった。
駐屯二日目。
生存者四人を発見。
いずれもが、個別のシェルターに立てこもっていた。
ただ水も食糧も尽き果てようとしていて。救助が来た事には大喜びしていたが。
いずれにしても、あまり関わるつもりは無い。
救助のための部隊を呼び。
ヘリで来た部隊が救助をするのを見届け。その間、周囲から散発的に仕掛けてくるフォロワーを蹴散らす。
それだけである。
一家は「悪役令嬢」の姿を滑稽そうに見つめていたが。一応の狩り手に対する知識はあったらしい。
それに周囲のフォロワーをまったく寄せ付けない戦闘を見せた事や。
救出に来た軍人が敬意を払っているのを見て。
それで馬鹿にするのはやめたようだったが。
北米ではカナダも含め、軍人は尊敬される。
その話は本当らしいなと、「悪役令嬢」は思った。
別に助けて貰ったのに馬鹿にするような心が貧しい輩については、特に思う事はない。
クーデターを起こした北米の軍人の中には、「悪役令嬢」に銃を向けてきた輩だっていたし。
今更人間の心の貧しさに驚くことなどあり得ないからだ。
連日七万程度のフォロワーを削りながら、カナダの中心地付近を探っていく。
カナダ全域には億近いフォロワーがいる。
カナダに侵入後、三百五十万を越えるフォロワーを狩ったが。それでも全体に比べると微々たる数だ。
まだまだ、彼方此方でとんでも無い数のフォロワーとはどうしても遭遇する。
それらを、今後のためを考えて毎度蹴散らしておく。
順番に処理を進めて、そして三日が過ぎる。
駐屯地に戻ると、軍から連絡が来ていた。
どうやら、解析が終わったらしい。
急いで戻ってほしいと言うことなので、そうする。
軍としても大統領としても、連日七万を超えるキルカウントをたたき出すチームを、現在特に危険が大きいわけでもない地域に貼り付けておくのは気が進まなかったのだろう。
「悪役令嬢」が同じ立場でも、それは変わらなかった筈だ。
だから、素直に引き上げる事とする。
「ぼんやり」は相変わらずマイペース。
ずっと隙さえあればあくびをしていたが。それも見納めか。
多分この子はこれからアラスカか、それとも北米の各地を第一世代の狩り手と共に転戦するか、どちらかだろう。
連日一万五千はキルカウントをたたき出せる。ということは、一月駐屯すれば45万のフォロワーを削り取れる。
単身で、一月でそれなりの規模の街をフォロワーの恐怖から解放できる逸材なのである。
その辺りに放置しておくことは、戦略的にもあり得ないだろう。
「悟り世代」「腐女子」「派遣メイド」の三人は、ぐっとたくましくなった。みんな、それぞれ一日10000キルカウントについに手が届いた。
前はかなりへたっぴだった瞬歩も。
練習の結果、それなりに出来るようになって来た。
好ましい話である。
三人で「悪役令嬢」と同規模のキルカウントをたたき出せると言う事は、既に充分に単独行動をさせることが可能だ。
「腐女子」は更に武器を改善したいと口にしている。
また、彼女はいわゆるBL以外の「萌え絵」も描きたいと口にしているが。
どうもBLの文法で「萌え絵」を描いてしまう手癖がついてしまっているらしく。様々な絵を勉強したいと言う事だった。
それだと「腐女子」からキャラが崩れるから注意してくれとは一応いってある。
いずれにしても、もうみんな下位の邪神なら、充分に連戦出来る実力がついてきている。
三人がかりなら、高位邪神相手にも、すぐにやられることはないだろう。
ニューヨーク近辺につく。
輸送機から降りると、軍のMPらしいのが迎えに来ていた。
古くは評判が最悪だったと聞くMPだが。
今の時代は、ちょっとどうなのかよく分からない。
敬礼をかわすと、言われたままについていくこととする。
なんでMPが迎えに来たのかは少し疑問だが。
まあ、あまり気にする事はないだろう。
ニューヨークの地下に降りる。
そういえば急ピッチで何か建造していたなと言う事は知っていたが。かなりの大深度に施設を作っている様子だ。
興味深いので、剥き出しのエレベーターの周囲を見ていると。無人の建設機械が動いている様子が見えた。
労働者を使うのは、こういう危険な場所では無く。もっと奧の方なのだろう。
ふうんと思いながら様子をみやる。
そして、エレベーターが地下最奥についた。
かなりの数の人々が行き交っている。
大深度地下とは言え、地下一キロ程度だ。真上を抑えられたら、全員がフォロワーにされてしまうだろう。
それでも皆のびのびとしているのは。
或いはフォロワーの恐怖から解放されたから、かも知れなかった。
案内されて、「悟り世代」達とともに歩く。
「悟り世代」が冷や汗をかいているようなので、問題ないと言っておく。
殺気の類は感じないから、大丈夫だ。
長い廊下を歩いて行くと、たまに敬礼を受けるので、それに返しておく。
妙ちきりんなものを見たと、顔に描いている者もいたが。それについても放っておく。
いちいち怒っても仕方が無いからだ。
見ると一部で貨幣経済に基づいた売買もしている様子だ。
実験的に、貨幣経済を再開しているのかも知れない。
フォロワーに無茶苦茶にされた地上と違う、何かしらの実験都市ということか。
あまり感心は出来ない。
どうせここだと、邪神に襲われたら単に閉鎖的なフォロワーのエサ場になるだけだし。
邪神が来た場合、防ぐ事だってできない。
各国には、大深度地下にあるシェルターが存在していたらしいが。
それも邪神の侵攻が始まると、またたくまに沈黙させられた。
それが事実だ。
ほどなくして、通路からは人気がなくなり。
たまにロボットが護衛をしているだけになった。
そのロボットも、人型などではなく、殆どが無人迎撃用の銃座だった。
どうやらフォロワーを自動認識して射撃するものらしい。
AIを組むのが大変だっただろう。
廊下の一角から、更にエレベーターで大深度地下に降りる。
エレベーターは数百メートルは下がったが、多分それが限界だったのだろう。
この辺りはもう、周囲がじんわりと暑い。
人類の現在の技術では、そろそろ熱をどうにもできなくなってくる深度だ。
そう。
地下に逃げるのでは、邪神の攻撃に耐えられない。
多分現状、人類が作れる大規模建造物で、もっとも深度があるこの建物が。それを証明していた。
エレベーターから降りた先の部屋に入る。
大統領がいた。
他にも、何名かの軍人がいる。
コーネフ元帥の顔もあると言うことは。
なる程、ユダを排除した一部の幹部だけでの話をしたいと言うことか。
勧められた席につく。
こんな場所にいようが、邪神に攻撃を受けたらひとたまりもない。
そう思いながら、勧められた茶を口にした。
あまり美味しい茶ではなかった。
「わざわざこんな所にすまなかったな、「悪役令嬢」」
「別にかまいませんわ。 ただ、こんな所では邪神の攻撃を受けたら、ただ地下深くにある棺桶に変わるだけですわよ」
「……それは分かっている」
何度か咳払いする大統領。
或いは、ここを自慢の地下都市と考えている部下がいるのかもしれない。
しかしながら、現実は早めに知っておくべきだろう。
「君達の活躍で、爆心地を根こそぎ持ち帰り、調査する事が出来た。 また、カナダの中枢にくさびを打ち込んだことで、今後特殊部隊を送り込むのも容易になったと思う」
「……」
「調査の結果を、皆に共有してほしい」
「分かりました」
参謀らしい軍人が立ち上がると、パワポでプレゼンを開始する。
三十年バージョンが変わっていないらしいが。まあこんなご時世である。仕方が無い話だろう。
なお、ハッカーの類は邪神以外では登場していない様子だ。
そもそも電気すら不安定なご時世である。
専業ハッカーなど、とてもやっていられないのだろう。
「SNSクライシスの当日何があったのかは、ずっと議論され続けていました。 今までの検証で、爆心地と呼ばれる場所で最初に何かが起き、それから世界中に拡散していくようにして邪神が短時間で出現して行ったことは分かっています。 それが何故起きたのか、仮説を立てることが出来ました」
おおと、声が上がる。
今までは、その仮説にすらたどり着けなかったからだ。
精神生命体などという、今までは作家か宗教家の脳内くらいにしか存在しなかった生物が世界に出現し。
世界のルールそのものが根本的に書き換えられたのが、SNSクライシスの当日。
以降は人類は怒れる神々なのか。彼ら自身が認めるように邪神なのか。ともかく、現在言われている定義に従うと邪神によって駆逐され続け。
短時間で、北米と日本以外の国は消滅。
以降も、北米と日本でも苦戦が続いていた。
ユーラシアではそれなりの生存者が隠れ住んでいることが分かっているが。
それでも国家を形成できるほどではないし。
貨幣経済も死んでいる。
一度、世界は破滅したのだ。
「結論から言いますと、爆心地には当時サーバが存在していました。 それほどの大きなサーバではなく、あくまで個人に作れるレベルのものです。 これを提供したのは、人権団体の一つであったことが分かっています」
「進めてくれ」
「はい。 このサーバは決して大した規模ではありませんでした。 問題は、このサーバを使っている人間でした。 この人間のパーソナルデータは分かっていますが、仮にAといたします。 このAは、狂信的なフェミニストであり。 表現規制派の急先鋒でもありました」
それはまた。
随分と腐れた存在だな。
そう思う「悪役令嬢」の前で、そのAとやらの顔写真が公開される。
一概に、「フェミニスト」になるのには理由は一つでは無い。
ただ一部の例として。スクールカーストの上位にいた存在が。学校にいた頃は何でも好き勝手を許されたのに。
いざ社会に出て。そして年老いてしまうと。
いつの間にか周囲から見向きもされなくなり、発狂するというケースがある。
これはかなり頻繁に見られるケースで、既に研究がされていたはずだ。
事実これそのものである邪神は何体も見て来たし。
口撃し舌剣で斬り伏せた事も何度となくあった。
この「A」は、典型的なそれであったそうだ。
「カナダはご存じの通り、SNSクライシスの前には人権屋の総本山と化しており、表現規制の急先鋒と化していました。 この「A」のような過激派は多数いましたが。 この「A」が違ったのは、あるSNSサービスにおける最大のαユーザーの一人だったと言う事です
フォロワー数実に三千万。
世界でももっとも過激なフェミニストであり、もっとも周囲に影響力があったαユーザー。
それが「A」だったそうだ。
そのため、様々な過激派団体を掛け持ちするほど人気があり。
過激な言動は、各国に翻訳されてばらまかれ。
笑ってそれを眺める者以上に。
それを神託のようにありがたがる者もいたし。
利用できると判断してすり寄るものも珍しく無かった。
SNSはそんなのをどうして放置していたのかと不審になったが。
客寄せパンダとして重要だと判断していたという研究成果が出て、思わず頭が痛くなった。
そういえば、医療系のカルト思想をばらまいているような輩を放置しているケースもあったのだったか。
それについても聞いていたから、何度もため息をつきたくなる。
金稼ぎがまず先で。
文字通り人が死ぬような嘘情報をばらまき散らしている医療系のカルトユーザーは野放しにする。
それが当時のSNSのスタイルだったらしいから。
まあそれも仕方が無かったのかも知れない。
最果ての時代である。
それも、まあ当然の事だったのだろう。
反吐が出る話だ。
「SNSクライシスの当日ですが、どうやらこの「A」の元には歴史上最大のアクセスがあったようなのです」
「何かあったのかね」
「はい。 簡単に説明すると、何度目かも分からない過激な発言での炎上騒ぎですね」
このαユーザーは知っていた。
フォロワー数三千万のユーザーを、SNSが簡単にブロックなどできないと言うことを。
だから連日発言は過激さを増し。
その暴力性は留まることをしらなかった。
その日、「A」は男性の胎児の事を「子宮内物質」などと呼び。これを取り除く事は女性の義務であるなどと叫んでいた。
これは過激派フェミニストにはよくある発言であり。
更に、機嫌でも悪かったのか。
炎上しているにもかかわらず、更に火に油を投じていた。
様々なログから回収出来た発言を見ていて。
流石に不愉快になってくる。
表現規制関連の話は当然として。
今まで遭遇してきた邪神共の発言を全て混ぜ合わせたよりも邪悪な発言が、ぼろぼろ出てくるのだ。
なんでこれを規制しなかったのか。
儲かるからだ。
それを思うと、流石にげんなりする。
ともかく暴れに暴れまくった「A」は。
歴史上、SNSで最大のアクセス数をたたき出していた。
その瞬間。
「SNSクライシス」がビッグバンのように発生したのである。
「幾つかの証拠から、アクセスが最大になった瞬間にSNSクライシスが発生したのは確定しました。 二度にわたる調査の結果、この「A」の思想が。 以前邪神が口にした「共通主観」と呼ばれるものにぴったり合致することも分かりました」
「世界最大の邪悪なフェミニストの一人だったのだろう。 どうしてそれを今まで特定出来なかった?」
「簡単です。 調査している余裕が無かったのです」
明確そのものの応えに、流石に大統領も渋面を作る。
まあ気持ちは分かる。
見ているだけでも、「悪役令嬢」も苛立ちを抑えられなかったからである。
今まで遭遇してきた邪神。特にフェミニスト系の輩は、本当にどうしようもない連中ばかりだった。
己の主観で他人の命を好き勝手に玩弄してもいいと考えていたし。
それで実際に他者の命を好き勝手に奪っていた。
奴らには罪悪感の欠片も存在しなかった。
何しろ、自分は正しいと考えていたからだ。
本当に、思考停止するのは簡単だ。
自分を正しいと考えればいい。
そして、邪神共の始祖。
SNSクライシスの爆心地にいた存在が、まさにその思想の集約点だった事を思うと。
色々と怒りがわき上がってくる。
「まさにモンスターだな……」
「それで、SNSでの最大アクセスが、どうしてSNSクライシスにつながったのかね」
「分かりません。 それについては、邪神という存在が科学でまだ解析できないのと同じです。 ただ、この事件で邪神が世界中に発生し。 その邪神に、この「A」の思想が植え付けられたのはまた事実です」
確かに、それなら「萌え絵」が効くのも納得だ。
ざっと資料を見るが、「A」は生理的に「萌え絵」。特に日本産のものが受けつけなかったらしく。
自分の信者に対して、熱っぽく「萌え絵」の害を訴えているが。
その主張は「如何に自分が気に入らないか」という事を喚いているだけで。
信者も、それに同調しているだけだ。
三千万のフォロワーを有するαユーザーなんて言っても、所詮はこんなものか。
そう思うと滑稽になるが。
ただ、その後思想が世界中を汚染し。
数十億の命を奪ったと思うと、ぞっとする。
また、「A」の思想には。
世界の人間の思想を一つすれば、世界の人間は更に先に行けるというものがあったらしい。
それは多様性のもっとも真逆に位置する思想だと思うが。
いずれにしても、愚か者「A」とその狂信者どもは。
それを大まじめに信じていたのだろう。
咳払いする。
「それで、です。 この人物の背後には、誰がいたんですの?」
「「悪役令嬢」くん、どういうことかね」
「この人物は、菓子を欲しがって喚く幼児と同レベルの存在ですわ。 その過激な言動が賛同者を集めることはあっても。 ここまで巨大化するには、何かの理由があったと判断して良いでしょうね」
パワポを操作していた軍人が、しばし黙り込んでいたが。
やがて、資料を出してくる。
極秘と記載されていた。
まあ、これはもはや人類の歴史における醜聞とみていい。
多分邪神共を駆逐したあとも、この醜聞は世界に公開されることはないのだろうと思う。
それほどの、人類にとっての歴史的恥だ。
そしてこれほどの巨大な怪物。
エサをやったやつがいる筈なのである。
「この「A」の背後には、ネットから様々な国に影響を……特に負の影響を与え、各国を混乱させようとする大規模な金の流れが存在していた事が分かっています。 「A」をプロデュースし、ここまで肥大化させたのは、それらの黒幕といえます」
「おお……」
大統領が呻く。
黒幕は。もはやほとんどの主要国の諜報部だ。
西側諸国の殆ど全て。
更には中華をはじめとする東側もである。
この手の、ネットで害毒をばらまく連中は、もっとも金を掛けずに各国を混乱に落とせる存在として、注目されていたらしい。
彼方此方から集められた資料が、公開される。
ロシアは、積極的に「A」のような狂人を育てていた。
何しろ、彼らは資金が不足していて。古くのようなスパイ網とかを、膨大な金を掛けて作る余裕が無かったからだ。
西側も諜報機関が過激派を援助していた。
此奴らのような異常者は、狂人をあぶり出すのに最適だったからだ。
国内の過激派の動きをある程度コントロール出来る。
だから、狂人をひそかに援助し。
そして効率よく過激派を狩っていたのだ。
頭が痛くなってくる。
つまりだ。
「A」を育てたのは、全ての主要国。
「A」がSNSクライシスを起こしたのだとすれば。
それは、全ての主要国が関与した挙げ句。制御不能になった化け物が、ビッグバンを引き起こしたのだ。
つまり。責任は全主要国に存在していると言うことである。
思わず天を仰ぎたくなる。
大統領も、完全に言葉を失ったようだった。
「分かった。 少し休憩をいれよう」
それだけ言えただけでも、大したものなのではないかと「悪役令嬢」は思った。
だが。それでは駄目だ。
邪神共は、恐らくだが次の行動に出る。
それが何を行うものなのだかは分からないが。
はっきりしている事はある。
多分、「財閥」は、「A」がSNSクライシスを引き越した経緯を知っているとみて良いだろう。
それは要するに。
その気になれば、再現も出来るのではないのだろうか。
今、「財閥」率いるエデンは、邪神の数も100を大きく割り込み。多分もう一度主要な狩り手を集めて総攻撃すれば潰せる。
「財閥」だって、アシストがあれば「悪役令嬢」が倒してみせる。
だがもう一度SNSクライシスを起こされたらどうなるか。
その時は、もはや為す術がない。
三十年で、人類は全盛期の1%まで数を減らした。
三十年掛けて、やっと戦える所まで来たというのが正しい。
そこに新しいルールで動く邪神なんて持ち出されたら、それこそ世界はひとたまりもなく終わる。
大統領に、それを告げておく。
冷や汗を掻きながら、大統領は頷く。
今のパワポによるプレゼンで、それを理解する程度の頭はあるようだった。
「財閥」の狙いは、恐らくこれだ。
或いは、そのまま勝てるようなら。消耗戦を選んでいたのかも知れない。
だが、「悪役令嬢」と「陰キャ」があまりにも頑張りすぎた。
それで、次善の策である第二のSNSクライシスを考え始めた可能性は充分にある。
敵がやたらと静かになったのは、それで説明がつく。
もう、時間はないかも知れない。
青ざめている大統領に、咳払い。
「もはやもたついている暇はありませんわよ」
「分かっている……」
もう一度、SNSクライシスを引き起こすにはどうすればいいのか。
恐らくだが、状況証拠からして。
意識を一点に向ける必要があるのだろう。
だが、今の時代。邪神と人間をあわせても、意識を一点に向けることは……あるいは出来るかもしれないが。
とてもではないが、パワーがたりないだろう。
SNSクライシスを引き起こしたのは、八十億の人間がいた時代。その人間達が。史上初といっていいほどの意識集中を引き起こしたからだ。
同じ事は再現出来ない。
いや。もしも再現出来るとしたら。
邪神の能力をフル活用するとしても、出来るだろうか。
もし出来るとしたら。
大統領に話をする。
大統領は、頷いてすぐに部下を走らせる。
恐らく、残っている時間はそれほどないとみて良いだろう。
「陰キャ」の負傷の状態はどうだろう。
少なくとも絶技は使えないと考えるべきだ。
それでも、あの子は必要に応じて絶技に。伝家の宝刀に手を掛けるかも知れない。
逆に言えば、その状況が来ないように、誘導してやるしかないだろう。
頭を振る。
「悪役令嬢」は恐らく次の戦いが最後だ。もう力の天井はとっくに迎えてしまっている。以降はどう頑張っても下がるだけだ。負傷などしたら、その下降線は更に激化する事だろう。
「陰キャ」に枷が掛かった今。
「英雄の時代」はもう終わりが見え始めている。
フォロワーの駆除だけを考えても、人類はあと二十年は要すると判断して良いだろう。
つまり、この地球の資源などを考えると。
もはや後はないということだ。
大統領が出ていったので、会議は自然解散となる。
参謀らしい軍人が資料を片付けるのを横目に、「悪役令嬢」もその場を後にする。
後は、皆で連携しながらどうにか敵の本拠を探し出すしかない。
今度は、戦力的に恐らく勝つ事が出来るだろうが。
それでも、その次はないと思う。
それに、まだアラスカと対馬では死闘が続いている。アラスカと対馬からは、人員を割けないだろう。
厳しい状況が続いていることを、皆には告げることは出来ない。
ただ、「A」についての話は、「陰キャ」にもしておきたい所だ。
メールは送っておく。
今日は解散だと、狩り手達には告げて。ニューヨーク郊外の駐屯地に。後は、休む事にする。
全身の古傷が痛む気がする。
勿論気のせいだと言う事は分かっている。
それでも、「A」の真実は、あまり気分がいいものではなかった。
主観でわめき散らす愚かしい怪物のせいで、この世界は一度滅んだのだと思うと。人間のくだらなさに拍車が掛かったと思うのである。
そして人間はその尻ぬぐいをしなければいけないわけだ。
溜息がでた。
何度も溜息がでた。
それは、止まらなかった。
あまりにも、愚かしい人類を呪うように。
その人類の一人である自分に、嫌気が差したかのように。
3、地獄の欧州
負傷から回復したばかりなのに、「喫茶メイド」は欧州を彷徨っていた。
今回は、一人では無い。
この間一緒に戦った第二世代の狩り手。
日本から「陰キャ」と「女騎士」が一緒に連れてきた者。「ショタ」である。
要するに女性受けする可愛い男の子、くらいの意味らしいのだが。
この子が育ったらどうするのだろうと思うし。
内心の虚無さがわかって、あまり「喫茶メイド」は好きになれなかった。
いずれにしてもかなり無理をして諜報活動しているのは事実なので。対フォロワー戦はこの子に頼るしかない。
普段の半分程度しか力は出せない。
今、北米の方で色々と調査をしているようだけれども。
欧州で単独行動をしている「喫茶メイド」も、内心では泣きたいくらいだった。
「悪役令嬢」が来てくれればなあ。
そう思う。
「悪役令嬢」が好きなわけでは無い。
「喫茶メイド」は、今でもあの人のことを内心では怖いと思っている。
そもそも「喫茶メイド」は、他人をあまり好きじゃ無い。
「陰キャ」の事だって内心では苦手だった。
あの子はとても強い。
それは分かっているけれども、なんというか受けつけないのだ。多分それは「陰キャ」も分かっていた。
勿論自分がどうしようも無いことは分かっている。
こんな風に考える人間が、SNSクライシス前にはたくさんいて。差別をしていたのだろうとも。
「周囲の掃除終わりました」
「休んでいてください」
「はい」
「ショタ」が報告しに来たので、精一杯の笑顔を作る。
この笑顔だって、作るのに随分苦労している。
前に、「悪役令嬢」が笑顔が素敵だとか、お世話するスキルがだの褒めてくれた記憶があるけれども。
それらは全部造りだ。
孤独になった今だから、その重荷がよく分かる。
「喫茶メイド」はあらゆる全てを偽りながら生きている。
そしてSNSクライシス前は、それが当たり前だった。
分かっている。
そんなだから人間は破滅の淵に立たされたのだと。
だけれども、どうしても自分の情けない業を抑えきれない。
弱いなあと思う。
そしてSNSクライシスの前の人達は。
この弱さをどうしても認められなかった。
自分は正しいと常に思い続けていたから。弱くて悪いと言う事を、どうしても受け入れられなかった。
その行く末が惨禍だ。
ため息をつくと、メールを見る。
欧州で、特殊部隊が活発に動いてくれている。
その結果、各地の電波中継所がある程度復旧されていて。軍用の携帯端末だと。メールが届くようになっている。
電波中継所の復旧作業には何回か参加した。
フォロワーの動きは鈍かったが。邪神が来るのではと、戦々恐々としていた。
勿論特殊部隊の人達もそれは同じだっただろう。
だが、そのおかげで、今メールを受け取れる。
「悪役令嬢」からのメールだ。
カナダで大暴れしたとは聞いているが、それ以降何があったのかはわからない。
ただ、メールの内容はシンプルだった。
SNSクライシスがまた起きる可能性がある。
出来るだけ急いで邪神共の根拠地を探してほしい。
そういうものだった。
今、米軍がドローンを必死に飛ばし。更には軍事衛星で、敵のいそうな地点を探してくれているという。
ただ、ドローンでも衛星でも、敵のテリトリは感知できない。
それが出来るのは歴戦の狩り手である「喫茶メイド」だ。
怪しいと思う場所を指定するから、全て回ってほしい。
予想以上に時間がない可能性がある。
以上だった。
ため息をつくと、移動を「ショタ」に告げる。
生意気そうな男の子は、頷くと黙々と荷物を背負い始める。
移動に何か車か使えれば良いのだけれど。
勿論そんなものはない。
バイクでもあれば話は違うのだけれども。
当然それもない。
無言で移動を開始する。
何もかもがいやだ。
勿論、それを口に出すことは出来ない。
許されない。
今、また一つ大きなものを背負ったからだ。
「喫茶メイド」が欧州に出てから、それなりに時間が経つ。
ジュネーブの戦いで皆と少しだけ顔を合わせて。その時、非常に鬱陶しいと内心では思った。
ある意味「陰キャ」の同類なのだなと気付いたのはその時だ。
治療を受けた後、またすぐ欧州に戻された。
一人だったら良かったのだけれども。
「ショタ」ははっきり言って邪魔だった。
勿論戦力としては優れている。
戦闘はほとんど丸投げしてしまってもいい。
だからこそ見えるのだ。
余裕が出来てきたからこそ、見えてくるものが多い。
たくさん、地獄がある。
周囲にある地獄は、どれもこれも救いがたいものばかりだ。
人間牧場は更に見つけた。
どれもこれも、通報しておくことしか出来ない。救助したところで、どうにもできないのだから。
邪神はそういう人間牧場にも姿を見せなくなっているらしい。
それなのに、囲われている人間達は。
映画に出てくるヒーローのように逃げ出そうともしないし。
むしろいじけたまま、陰湿な内部闘争を繰り広げ。
更には「喫茶メイド」がアクセスを図ったときには。
総出で捕まえようとさえする有様だった。
情けなくて言葉も出ないが、それが現実だ。ますます周囲の何もかもが嫌になっていく。
それでも、何とかしなければならない。
不平はこぼしている。
たくさん不満はある。
だけれども、フォロワーの群れと戦い続け。人間の敵である邪神を多数倒して来たという自負だってある。
生きるために最初は戦いはじめたが。
狩り手としての訓練を受けてからは、責任感だって芽生えた。
同僚がどうにも出来なかった邪神と戦えるように。更には倒せるようになったのだ。
自身の内に燃える責任感が、足を止めることを許してはくれなかった。
北欧に近付く。
途中で二度、廃棄されていたバイクを乗り捨てた。どっちも聞いた事がない欧州メーカーのもので、本当に酷い代物だった。
日本産のバイクが評判が良いとか聞いていたが。
乗って見て、違う事が分かった。
欧州産のよく分からないメーカーのバイクがゴミなだけだ。
メイドのスカートをたくし上げてバイクに乗るのが、とにかく億劫だった。これでも第一空挺団の精鋭だったのだ。バイクでの強襲作戦は何度も実施した。それなのに、バイクに乗るのがこうも億劫だなんて。
雪が酷くなってくる。
ジュネーブの辺りも酷かったけれども。この辺りも酷い。
地図を見る。
バルト三国に入ったらしい。
勿論、「旧」だ。
今は邪神に食い荒らされて、国家なんて残っていない。
昔はバルト三国だった場所。
それだけである。
雪の中を、バイクを引きずりながら行く。とっくに燃料はつきているし、何より性能が最悪だ。
単なる荷車と化している。
やたらうすらデカイのに、馬力は出ないし何よりエンジンが五月蠅い。そして脆い。
それでも、畜生畜生と歩く。
太平洋戦争の時。
日本軍を研究した米軍が。日本兵の手記を集め。
狂信者の集団でもなんでもなく。実際には上への不平を零しながら、それでも必死に戦っている人間であることを理解し。
それで安心した、という記録があるが。
多分今の「喫茶メイド」の様子を見た兵士は、狩り手も人間なのだと納得するのかも知れなかった。
北欧、旧バルト三国に入って数日。
以前は殆ど何も得られるものがなかった。
だが、彼方此方を歩いて見て分かる。
明らかに、様子がおかしくなっている。
大量のフォロワーが、秩序なく彷徨いているのはいい。
元々北欧は、いわゆる「意識高い系」の人間にとって聖地のような場所だったのだ。フォロワーも邪神も多かったはずだ。
少なくとも、邪神の組織が「四大組織」なんて状態だった頃はそうだった。
今は見る影もないが。
手をかざしてバルト三国の各地を見て回る。
今のところ邪神のテリトリは感じないが。同時になくなったものがある。
人間牧場だ。
どうも怪しいと思う。
米国が指定してきた怪しい地点につく。
雪が深くてしかも寒くて難儀する。
SNSクライシスの前は異常気象で、シベリアが雪解けしたりと色々おかしかったらしいのだが。
今ではそれも過去の話。シベリアは今までに無い程の雪で完全に閉ざされている。
北欧も同じ。
ジュネーブ以上の積雪で、思わず閉口させられるほどに酷いと感じたが。
一方で、見て回って思う。
何かがおかしい。
まずは「悪役令嬢」に連絡を入れておく。
メールで連絡を入れるが、やはり軍用の端末でも時間が掛かる。
以前も北欧に足を運んだことはあったのだが。
前には感じなかった違和感を、びりびりと感じていた。
連絡を終えた後、ビバークする。
建物の多くは使い物にならない状態だったが。ビルの類はなんとかなるものも多い。
それらを見繕って、内部で休む。
「ショタ」は先に休ませて。トイレなどを使わせて貰う。
もう水周りは生きていないので、使っても水を流せない。とても悲しかった。
シャワーが使えれば良かったのだけれども。
残念ながら、それらはトイレ同様もはや生きていなかった。
それでも、多少は文明の残り香を利用できる。
随分違う。
拠点を作ると、そこから中心に調べて行く。
どうしても人間でないと、邪神のテリトリは分からない。
フォロワーとの交戦は出来るだけ「ショタ」に任せる。いつ邪神が姿を見せるか分からないし。
何より「喫茶メイド」は病み上がりだ。
無言で辺りを調べて周り。
そして、気付いていた。
違和感の正体に、だ。
すぐに連絡を入れる。何となくおかしいと感じていた事が、どうやら本格的にまずいのだと確信できた。
ある街で。
何やら、変なものがくみ上げられ始めている。
呻きながら、フォロワーが膨大な数。彼方此方から集まり、何かを作りあげている。
フォロワーに元々知能なんてものはない。
人間を見境なく襲うだけだ。
それ以外の時は、呻きながら人間を探して彷徨くだけ。エサは必要としないし、基本的に寒さでも暑さでも死なない。恐ろしく頑強だ。
だが、あのフォロワー達はあからさまに何かを作っている。
手をかざして見る。
地上部分近くなので、どうしても気付けなかったと言う事はあるだろう。
フォロワーが荷車を引いて、緩慢ながら何かを運んでいる。見ると、どうも機械類のようである。
彼方此方から、膨大な機械を集めている。
あれは恐らくだが、電子機器類だろう。
双眼鏡で確認する。
極地用のもので、簡単に曇ったりはしない。
映像を記録する機構もついている。
フォロワーの動きには確実な秩序がある。あれは恐らくだが、戦闘力はともかくとして。一種の強化フォロワーだ。
フォロワーを利用して、強化したり自分の力に変える邪神は幾らでも見て来た。
間違いない。あのフォロワーには手が加わっている。
邪神共はこの近くにはいないのだろうか。いや、あれだけの物資を集めているのは少しばかりおかしい。
もう少し近付く必要があるだろう。
ハイドミッションはそれなりに経験を積んで来たが、それでも「陰キャ」の足下にも及ばない。
情けない話だが。
それでも、やるしかない。
無心で近付いていって、近くを探る。
地下にどうやら物資を運びこんでいるようだが。
邪神はかなりの広範囲にテリトリを展開する。
下位の邪神でも最低一キロ四方程度の範囲でテリトリを展開するのである。
これについては実際に戦って実感しているので、間違いではないだろう。
これだけ近付いても邪神のテリトリに入らないという事は。余程の大深度地下で何かをしていると言う事か。
近付けば近付くほど、フォロワーの密度が増える。
当然これらも、労働をさせられているとはいえ、人間に対する反応はするだろう。
しかも労働なんて事をさせられているフォロワーだ。
恐らくだが、邪神に即座に気付かれていることを伝えるはずだ。
メールの返信が来る。
米軍に連絡して、細かく調べて貰う、という事だった。
頷いて、更に近づいてみる。
危険は承知だ。
なんとかフォロワーの動きを観察しながら、近付く。だが。もはや限界だと判断していた。
内部に膨大な数の電子機器が運び込まれている。
北欧全土の電子機器の残骸が運び込まれているような有様だ。
今まで米軍も、フォロワーの細かい動きなんて気にもしていなかったのだろう。
ジュネーブでは地上部分にへんな建物があっても、雪に覆われているだけで分からなかったくらいなのだ。
米軍の衛星も、最新鋭でも三十年選手だ。
何より豪雪が続いている地帯だ。
ドローンも展開出来ないし、正直な所どうしようもない、というのが実情だろう。
ある一線を越えたところで。
全身に悪寒が走っていた。
間違いない。
テリトリだ。
あまり強くない邪神のものだが。一般人が踏み込めば、確定でフォロワーにされてしまう。
邪神がいる。
すぐにその場を離れる。
「ショタ」にも声を掛けて、一度距離を取る。
拠点まで戻ると、また何度か連絡を入れておく。邪神の存在を確認したとも。
恐らくだが。
米軍も自衛隊も、狩り手を出すのは及び腰になる筈だ。「悪役令嬢」がどれだけ説得しても同じだろう。
もう少しデータがほしい。
だが、もしも邪神の組織がこの辺りに本拠を構えていたら。ジュネーブの二の舞になる。
ましてや「ショタ」はフォロワーには対抗できても、邪神相手にはロクに戦えないのである。
呼吸を整えながら返事を待つ。
やがて、あまり良くない返事が届いていた。
「確信がほしい。 もう少し調査を続行してほしい」
「大量のフォロワーがいて、接近は困難です。 少なくとも邪神がいるのは確定です」
「邪神がいたところで、簡単に狩り手は派遣できない。 エース級の「陰キャ」はまだ病み上がりだし、米国内でも厭戦論が蔓延している。 何か、決定的な証拠を掴めないだろうか」
無茶を言ってくれる。
携帯端末を握りつぶしたくなったが、我慢する。
何度かため息をついたあと。
拠点から様子を窺ってみて、更にある事に気付いていた。
荷物を運んでいるフォロワーは。若い人間が変じたものばかりだ。
まあフォロワーになった時点で年は取らなくなってしまうのだが。少なくとも、十代の子供だったらしいフォロワーばかりが荷物を運んでいる。
確か北欧も少子化でSNSクライシスの前には苦しんでいたはず。
これはどういうことか。
恐らく欧州からもフォロワーを集めているとみて良い。
まて。そもそもだ。どうして若い子供のフォロワーばかりが、荷物を運ぶ作業を続けているのか。
無言で考え込んでしまう。
邪神の中には、テリトリを展開しても、若い人間はフォロワー化しないケースがある。これは何度か見たことがある。
フォロワー化しなくても、周囲がフォロワー化するから、貪り食われてしまうのだが。
いずれにしても、一部の邪神は。特定条件が揃った相手を、狩り手適性の持ち主以外でもフォロワー化しないケースがあるのだ。
確か子供はその条件に合致する事が多いはず。
見ていると、大人のフォロワーも見かけるが。
よく観察してみると、違和感がある。
見ていて分かった。
これはSNSクライシスの後に、フォロワー化された個体だ。各地の人間牧場から供出されたのか。或いは難民として逃げ回っている間に邪神のエジキになったのかは分からないが。
何が条件で働かされている。
というか、他のフォロワーは何をしている。
ざっと周囲を見て回るが。多くのフォロワーは、殆どが歩哨をしている様子だ。勿論人間が余程近付かない限りは反応などしないが。
しばし考え込んでから決める。
夜。フォロワーは動きが鈍くなる。
そのタイミングで、潜入する。
米軍も自衛隊も二の足を踏んでいるというのなら。
決定的な何かを抑えるしかない。
問題は地下に電子機器を運んでいるだろうフォロワーどもが入っている建物は、恐ろしく狭いという事だ。
内部構造だけでもほしいのだが。
それも内部に邪神がいるということは、迂闊に近づけないか。
邪神のテリトリに入ったら。即座に感知されるという程警戒は厳しくないだろうが。
それでも、最大限の注意を払うべきだ。
一応事前に連絡を入れておく。
気付いた事は、全て情報として送っておく。
「ショタ」を一瞥する。
恐らくだが、陽動の類は無理だ。この子も連れて行った方が、何かの役には立つとみて良いだろう。
休んで補給も済ませてから、うごく。
勿論フォロワーの動きが鈍くなる夜を狙うが。
しかし、フォロワー達はあからさまに動きが鈍くなっていない。
元から食事すら必要としない怪物だ。
夜に動きが鈍くなるのも、単に感覚とかが鈍くなるから、動くのを停止しているだけなのかも知れない。
邪神の指示があれば、動くのだろうか。
しかし働いている殆どが元子供だと言う事を考えると、少しばかり胸が痛んだ。
「ショタ」と共に、建物へ急ぐ。
なんというか、平屋だが無骨で大きな建物だ。内部に入り込んで、その殺風景さに驚く。
フォロワーに発見されないように、一度屋上に。
屋上にも数体の歩哨がいたので。音を立てずに全て処理しておく。
まあ、数体の歩哨程度だったらこんなものだ。
その後は。建物の屋上を出来るだけ丁寧に探る。
換気口を発見。だが、内部に入り込むのは難しい。
窓を確認。
確認するが。かなり天井が低い建物だ。しかもフォロワーがわんさかいて、すし詰め状態である。
それでいながら秩序だって電子機器を運んでいるのだ。
少しばかり、この手腕だけは感心してしまった。
考え込んでから、此処からドローンを。それも小型の奴を送り込むしかないだろうと結論する。
だが、その前に情報を少しでも得ておく。
内部には大型のエレベーターがあるが。
あからさまに有機物で出来ている。
あれは多分だが、エレベーターとは言い難い代物だろう。邪神の体内に、そのまま通じているかも知れない。
少なくとも、此処に巣くっている邪神は、電子機器を取り込みまくっていて。
それでいながら、地下を自分自身に改良しているとみて良い。
その上あの有機体だ。
下手に触れば、それだけで同化される可能性もある。
地下はまるごと邪神になっていると見ていい。
しかし、その割りには気配が希薄というか。テリトリがどうも弱めに思える。それは何故だ。
邪神複数の気配も感じない。
一旦、その場を離れる。
「ショタ」に対しても、指示を出してその場を後にする。
拠点まで戻ると。
「ショタ」はへらへらと生意気に言った。
「チキンですか貴方。 なんなら俺が奥まで行ってきましょうか」
「……」
全無視。
そのまま、連絡を入れる。
此方をバカにしきっている「ショタ」はどうでもいい。或いは生意気な子供と言うことで刺さる女性もいるのかも知れないが。はっきりいって「喫茶メイド」にはどうでもいい。というか子供がこんなのが普通だというなら。子供なんて産みたくない。
映像もついでに送っておくが。
その結果、通信には膨大な時間が掛かる。
程なくして返事が来る。
ぞっとした。
「バンカーバスターつきのICBMを投入する。 弾頭は水爆だ。 核はもはや無用の長物だが、もしも邪神が電子機器を使って何かをしているのなら効果があるはずだ。 強烈な放射線と中性子線がでるから、その場を即座に離れるように。 到着は二十分後になる」
「……!」
気付く。
メールを相手が送ったのは十分前だ。
要するに、猶予時間は十分しかない。
すぐに荷物をまとめると、その場を離れる。「ショタ」は不満そうにしたが、水爆が来るとなるともう猶予などはない。
調査地点からはそれなりに離れているが、なりふり構っていられないとはこのことだ。
全力で走る。
フォロワーに気付かれようがどうでもいい。
完全に何もかも舐めて掛かっている「ショタ」は、明らかに巫山戯ている。
もう、放置しておこうかと思ったが。
厳しく声を掛ける。
フォロワーが気付いて群がってくるが。荷物を運んでいる個体は全無視している。これもまた、おかしな話である。
フォロワーを蹴散らしながら、時に瞬歩まで使って移動する。
はっきりいって病み上がりの体には厳しいが。地下で爆発するとは言え、相手は水爆である。
来た。
凄まじい音と共に、火の玉が降ってくる。
思い切り地面にダイブする。
舐めた様子で此方を見ている「ショタ」にも、伏せろと叫んだ。
しぶしぶ従う「ショタ」だが。その動きは遅すぎた。
その瞬間、世界は白く染まり。
そして、耳を貫く爆音が世界を支配していた。
顔を上げた「喫茶メイド」は、数メートルを飛ばされた事に気付く。
「ショタ」は思い切り吹き飛ばされて、地面で気を失っていた。フォロワーが呻きながら近づいて来ている。
此奴らはまるで平気だ。
核が通用しないことは今までの例で分かっていたが。
それにしても、である。
多分影響を受ける範囲からは逃れたはずだ。だが、それでもすぐにこの場を離れた方が良いだろう。
そう思っていたが。
振り返って、思わず恐怖に心臓が締め上げられるかと思った。
水爆は、爆発なんてしていない。
今の爆風は、水爆以外の。更に邪悪な代物によって為されたものだったのだ。
巨大な手が、水爆を積んだICBMを。蚊を叩き潰すようにして、粉砕していた、手といっても。片方の手だけで指が十本以上あるおぞましいものだ。その巨大な手は、人間最大の武器を嘲笑うように佇立し。建物を飲み込んで、そこに圧倒的存在感を示していた。
まずい、逃げないと。
すぐに「ショタ」を抱えたまま走る。
ゲラゲラと笑うのが背後から聞こえた。人間の力などこんなものか。どれだけでも持って来るが良い。そう笑っているように思えた。
フォロワーの群れを無理矢理つっきり、更に遠い拠点に。
そこで一息ついたが。
おぞましい邪神のテリトリにすでに入っているのが分かった。
あの手は、何だか分からないが。少なくとも高位邪神のものとみて良い。
携帯端末から連絡を入れる。
手が震えて、何度も打ち間違えた。
「水爆効果無し。 超ド級の邪神出現。 気配からして、最低でも高位邪神以上の存在と判断」
それから、すぐにまた距離を取る。
歴戦を重ねてきたはずなのに。
原始的な恐怖に心臓を鷲づかみにされて。逃れる以外に選択肢が存在しなかった。
4、目覚める第二の危機
「財閥」は苦笑していた。
思った以上に人間がやるからだ。
だが、別に発見されたからといってなんでもない。
そもそもジュネーブでの戦いは、味方にいる邪魔者を排除するだけが目的だったのでは無い。勿論敵を及び腰にさせることだけが目的だったのでもない。
この計画を。
完全に成功させるための布石でもあったのだ。
既に人間は爆心地を調べたのだろう。
そして知ったはずだ。
地球の意思に接続した存在が。人類史上、始めて地球の意思に接続したものが。
己の主観だけであらゆるものの価値を決め。
気にくわないものは際限なく貶め。
自分の気分によって殺して良いと考える存在だったと言う事も。
そして地球は。
それを人間の総意と考えた。
そしてルールを切り替えた。
その結果、精神生命体が跋扈するこの世界が出現した。
SNSによってあまりにも過剰なアクセスが集中した結果。地球はそれを人間の意思の総括と判断したのだ。
母なる地球とは良くいったもので。
その時人間がもっとも世界で繁栄していると考え。
その幸せを願って。
人間の代表と判断した相手の、思うままの世界にルールを切り替えた。
多分だが、「財閥」の他には「神」しか知らない事だろう。
邪神ですら、この真相は知らない。
最高位の邪神であり。
当時の世界の究極点にいた「財閥」と「神」だけが、これを知っているのだ。
宮殿の玉座につきながら、報告を聞く。
水爆効果無し。
地下の電子機器類にはなんの問題も起きていないと。
こここそが「エデン」の本部。
そして今。
SNSクライシスを引き起こした人間がいう「A」。邪神達がいうところの「大母」を可能な限りの疑似ネットワークに接続し。
第二のSNSクライシスを引き起こす。
何、なんら問題は無い。
一度目だって、「財閥」が引き起こしたようなものだった。
自分の主観で他人の価値も尊厳も命をも踏みにじって良いと考える阿呆ども。それを利用して、世界の価値観を自分の思うとおりに変え。世界の混乱を制御し、自分の利益に変えていた。
そう。
「財閥」は、当時の1%の。富を独占していた人間の権化そのもの。
中核になったのは米国の軍産複合体のある人間だが。その人間の意思ですら、財閥の中では一部に過ぎない。
当時世界を滅ぼしつつあった富裕層の、更に究極の一として邪神に転生した存在こそ「財閥」であり。
その変革は、「財閥」がむしろ主導して引き起こしたのだ。
理由など決まり切っている。
世界を完全な形で支配するためである。
人間なんて適当に駆除すればそれで終わりだ。
SNSクライシスの前から、法など「財閥」には笑い話でしかなかった。
金さえはたけば、法治主義など「放置主義」に簡単に切り替える事が出来た。
弁護士は雇い主を勝たせるのが仕事、というように。
金さえはたけば、どんな犯罪を犯そうと無実になることができた。
法などゴミ共を支配するためのツールに過ぎず。
もしも都合が悪いようだったら自分のために書き換えれば良かった。
そして今。
更なる完全な存在になるために。
二度目のSNSクライシスを起こす。
そして二度目のSNSクライシスが起きた暁には。
此処にいるゴミども。
手下の邪神共すらいらない。
この世界は、文字通り「財閥」の私物として。永遠に「財閥」のものとなるのだ。
困惑している邪神ども。
人間が攻めてくるのでは無いのか、と思っているのだろう。
人間共はすぐには動けない。
既に手は打ってある。
それに、仮に動いたとしても。
既に大母の起動は始まっている。元はただの脳みそ花畑のあんぽんたんだが。
今では、新しい時代を作り出すための切り札として。
「財閥」のための世界を作り出すための切り札として。
確実に育ち始めていた。
(続)
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