雪山は崩れ落ち

 

序、死闘

 

ジュネーブでの戦闘は、更に苛烈になっていく。

「女騎士」は、激しい戦いの中、必死に攻撃を払っていた。吹雪の中、どんどん下位の邪神が来る。

それだけじゃあない。

前方では、凄まじい光がチカチカして。

強烈な力がぶつかり合っているのが分かる。

以前にも少しだけ交戦した、最高位邪神の気配。

それが、「悪役令嬢」と「陰キャ」に襲いかかっている。

どちらも、「女騎士」では及びもつかない怪物だ。

怪物同士が戦っている戦場がすぐ側にある。

それだけでも、生きた心地がしない。

必死に戦って、下位の邪神を撃退しているけれども。

やはり「女騎士」のポンコツムーブを残しながら戦うのはしんどい。

今も連続で斬り付けてくるカマキリみたいな邪神の攻撃を、どうにか捌いている状況だけれども。

どうしてこんな大きくて体にあわない武器を使わなければならないのか。

勿論それで相手を凌ぐことは出来る。

騎士らしい大きな武器を使う事が、そのままネットミームになる事は良く分かるのだけれども。

それでも、この戦いの中で。

明らかに体にあっていない武器を振り回すのはしんどかった。

これでも、だいぶ前に比べると武器は馴染んでくれているのだけれども。

だがそれでもなお、武器は重いと感じる。

ラッシュを突き込んでくるカマキリ。口元は人間のようでありながら、カマキリと同じように多方向に展開する。

それがいわゆる不気味の谷にモロにヒットするからか。

気味が悪くて仕方が無い。

激しい攻防の末に、何とか相手の首を刎ねる。

けらけら笑いながら、首が転がっていく。その首を、踏みつぶしたのは、「悟り世代」だった。

あまり周囲には言っていないが。

実の弟である。

姉も弟も狩り手になると聞いて、母親は泣いていたが。

しかしながら、戦えずにフォロワーにされてしまうのとどちらがマシかと言って、説得した。

「悟り世代」は寡黙で一切自己主張しない子だったけれども。

狩り手になると決めてからは、あらゆる意味で妥協しなかったらしい。

両親は泣いたようだが。

そもそも、シェルターで安楽に暮らしていて。

助けて貰って、それでもシェルターから出ようとしないで。金なんて価値が無いものにしがみついて。権利ばかり主張して。

それで安全に生きられると思っている方がおかしかったのだ。

「女騎士」は狩り手の訓練を受け始めてから、世界は地獄だと知った。自分達は優秀だからエリートだったという両親の言葉が大嘘だったとも気付いた。

実際、「女騎士」も「悟り世代」も、とてもではないが優秀などではなかった。

事実今も、戦っている「悪役令嬢」や「陰キャ」の圧倒的戦力を見ると、それだけで足が竦む気分である。

だが、それでも。

少しでも、敵の戦力を潰せるなら。

「悟り世代」は頷くと、すぐに戦線に戻る。

呼吸を整えると、豪雨の中。剣を振るって、血を落とす。凍り付く前に落とした方がいいに決まっている。

次の獲物。

周囲を見回して、不利な味方から順番に加勢する。

近くで戦っている一体に、味方が手を焼いている。他は互角以上にやりあっている事を考えると、ちょっと場違いに強い奴がいるという事だ。

突貫して、途中見かけたフォロワーは全て斬り捨てる。

見えてきた。

何だか触手を生やした巨大な眼球が空に浮かんでいる。それがレーザーを無差別に周囲に放っているのが見えた。

レーザーはいわゆる水蒸気爆発を引き起こすので、こういう場所での使用は本来は厳禁なのだが。

邪神は肉体に物理的なダメージを受けても、特に近代兵器が相手の場合どうでもいいのである。

故に、大量殺戮兵器を自爆するのをお構いなしにぶっ放せると。

とんでもない連中だ。

ジグザグに走りながら接近。

今、彼奴と戦っているのは米国の狩り手二人だ。

関係無い。

誰であろうと助けるに決まっている。

レーザーを放ってくる眼球。

一発は回避して、もう一発は剣で弾き返す。

光の速度で飛んでくるレーザーだが、放つときの動作で何処を狙っているのかは分かるようになった。

そのままもう一撃を弾き返す。

左右で爆発。関係無しに、突撃して、目に刃を突き込む。

爆発する眼球。

必死に飛び退いて、爆発した肉塊がこびりつくのを避けるが。

全てを避けきれるわけではないし。

更には眼球は即座に再生を開始する。つまり、眼球が弱点ではないということか。いや、一撃が浅かった可能性が高い。そうでなければ、迎撃してくるだろうか。

もう一度だ。もしもそれで効果がなければ、考え直せばいいのだ。

米国の狩り手達が、触手に猛攻を加えているが。それもダメージになっているとは思えない。

呼吸を整えると、鎧のダメージを一瞥。今の肉塊を少し受けて、一部が抉られてしまっている。

だけれども、体へのダメージはない。

肩当てが少しダメージが大きいので、外す。

本来はあった方が良いのだけれども、今回は流石に仕方が無い、だろう。

剣を構え直す。

邪神が眼球を再生させると、またレーザーを放ちはじめる。

他の邪神はそれほど近くにはいない。

勿論どんな攻撃をしてくるかわからないから、鎧を外すのは絶対にNGではあるのだけれども。

それでも、他の邪神に背中を撃たれる恐れがないのは助かる。

再び突撃すると、相手の下をくぐるようにして、剣を何度か振るう。

此方を見る眼球。

飛び退く。

至近で三度、連続で爆発が起きる。

凄まじい火力だが、それも中断する。

狩り手達が投げた武器が、それぞれ眼球を直撃。

大きく爆発し、吹き飛ばしたからである。

おぞましい声を上げながら、うねる眼球と触手の邪神。そのまま、無差別に攻撃しようとするが、させない。

跳び上がると、大上段から斬りかかる。

此方を見る眼球。目に光が集まっていく。レーザーを、強烈に収束させて放つつもりだ。この至近距離だと、多分確実に当ててくるだろう。

だから、あえて前に出る。

剣が思い切り眼球に食い込んだ。

水晶体が潰れて、大量の鮮血と汚らしい液体がまき散らされる。

手応えが重い。

訓練の時に分厚い廃ゴムの固まりを斬った事があるが。その時よりも重いように感じた。当時とはまるで腕が別物の筈なのに。それは要するに、それだけ重いものを斬っているという事なのだろう。

瞬歩を駆使して離れたのは、危険だと判断したからだ。

技量が低いから、思い切り雪の中に投げ出される。

邪神が爆裂するのが見えた。

呼吸を整えながら立ち上がる。手が痺れていて、剣が重い。

見ると、手が血だらけになっていた。邪神の血だけではない。今の一撃でかなり無理をした上に、何とか覚えたばかりの瞬歩で無理に逃げた事もある。それで、手がボロボロになっていた。

「「女騎士」さん!」

「派遣メイド」が悲痛な声を上げる。

そのまま下がってほしいと言われて、悔しいけれどそれに従う事にする。

すぐに車の中に入ると、手当を受ける。

「喫茶メイド」と同じ車だったので、ぎょっとした。確かに負傷者を一箇所に集めた方が良いのは分かっているが。

すぐに痛み止めなどをうたれた。

こんな時にも鎧を脱げないのは悔しいが。

しかしながら、それも仕方が無い。

下手な格好になると、即座にフォロワー化されてしまう。邪神まみれの戦場で、鎧を脱いでミームから外れるのは文字通り自殺行為。本格的な検査と治療は、この戦場を離れてからになるだろう。

「貴方も来たんですね、此処に」

「「喫茶メイド」さん。 一体いつから此処に……」

「あの怪我をしたときからです。 隠密で仕事をしてました」

「そういうのは「陰キャ」先輩の専売特許だと思いましたよ」

ほろ苦い笑みを「喫茶メイド」が浮かべる。

この人も、もう少し屈託がなく微笑んでいた気がするのだけれども。

地獄を見続けて、人が変わってしまったように思う。

戦力に余裕がある人は、まだそれでも人格に影響を受けないのかも知れないけれども。

流石に「陰キャ」や「悪役令嬢」レベルの戦闘能力を持っている人は、狩り手の中にもあの伝説の「ナード」くらいしか他にはいないのだ。

それに、「陰キャ」は対邪神戦の切り札としていつも控えざるを得なかった。

適性が低くても、誰かが代わりに隠密ミッションをやらなければならない。

その上、裏切り者がいる状態だったのだ。

こういう変則的手段も、仕方が無かったのだろう。

「強くなったつもりでした。 それでも、隠れるのが精一杯。 悔しいです」

「……私だって、今も下位の邪神相手に不覚を取りました」

「でも、相手を倒したじゃ無いですか」

よく分かったなあと思う。

まだ気配をぼんやりとしか察知できない「女騎士」は、それを聞いて感心するばかりだが。

「喫茶メイド」は全く嬉しく無さそうだ。

それからは、痛々しい沈黙が続いた。

この戦いは、まだ終わりそうもない。何処かが崩れれば、一瞬で負傷者だらけになるだろう。

最悪の場合は、再度出撃しなければいけなくなる可能性が高い。

溜息をつく。

この状況では、迂闊に撤退戦も出来ないだろう。

今は、じっと転機を待つ事しか出来なかった。

 

呼吸を整えながら、「派遣メイド」は高枝切りばさみを構え直す。

目の前にいる邪神は、下位にしてはかなり手強い。

体中がカンブリア紀にいたような訳が分からない生物の集合体になっているけれども。だからこそに、どんな攻撃をしてくるのかまったく分からない。

さっきまでは。体の一部を連続で射出してきていた。

それがとにかく読みづらく。

モロに喰らった米国の狩り手が一人、負傷して運ばれて行った。

今、呼吸を整えながら一対一で相対している。

既に記憶しているだけで、眼前で六体邪神が倒れたが。相手の数は無尽蔵に思える。

邪神をどんどん繰り出してくるというのは、剛毅な話だ。

それに本拠を襲撃したのだ。

それくらいの迎撃がある事は覚悟している。

それなのに、呼吸が上がっていて。

更には恐怖さえ感じている自分には、情けないと思うが。

それでもやるしかない。

やるしかないのだ。

大きく膨らむ邪神。

嫌な予感がする。

全方位に攻撃を放つのではあるまいな、と思ったら。

その通りだった。

全方位に、肉塊をぶっ放してくる。

思わず跳び下がったが。その肉塊は此方までこない。

空中に留まると、まるで邪神が太陽であり、その肉塊が周囲を飛ぶ惑星であるかのように周り始める。

肉塊に大量の目が生じる。

気色が悪いが、はっきりいってそれどころではない。

無言で飛び退く。

収束した大量の何かが、今まで「派遣メイド」がいた場所を抉って、爆発していた。

レーザーじゃない。

激しく回転している肉塊が、飛び出してきて爆発したのだ。

しかも相手は物理法則なんて全無視している邪神。

その肉塊は、幾らでも再生してくるとみて良いだろう。

次。

また回転している中から、不規則にぶっ放される肉塊。

爆発が連鎖する。逃れるので必死。

他の狩り手も、どんどん戦況が悪くなっている様子だ。

冷や汗を拭いながら、一撃一撃を丁寧に処置していく。

さっき運ばれて行った米国の狩り手だって、疲労が溜まっていなければ攻撃は避けられただろう。

それが出来なかったと言う事は、それだけ連戦で応えている、ということだ。

呼吸を整えると、高枝切りばさみで飛来した肉塊を連続して打ち払う。

だが。弓矢を打ち払うよりこれは難しいとみた。

このまま打ち払っていたら、その内じり貧だろう。

踏み込む。

雪の中、前に出る。

瞬歩を使って、一気に接近。

足に違和感があるが、もうそうチャンスはない。

肉塊の至近に。

大量の肉塊を一気に変化させて対応しようとする邪神だが。そうはいくか。

さっきまで観察していて、中核になっている肉塊がどれかは分かっていた。

高枝切りばさみを突き刺し。

更に、最初に「喫茶メイド」から貰った「萌え絵」をまとめて叩き込む。

連鎖する爆発の中。

断末魔の絶叫が上がっていた。

落ちてきた高枝切りばさみをキャッチ。

同時に、足に鈍痛が走っていた。

見たくないが、やむを得ない。

見ると、足は明らかに折れているようだった。呼吸を整えながら、情けなくて笑ってしまう。

未熟な瞬歩をとっさに繰り出したとは言え。

あまりにも、未熟すぎる故の結末だ。

笑うしかない。

自業自得の末の、負傷なのだから。

足を引きずって、後方に下がる。

すぐに気付いたらしく、「腐女子」が来る。

「どうしたの……! その足!」

「瞬歩でミスったみたいです」

「もう良いわ。 良くやってくれたと思う」

「腐女子」も、かなりかすり傷が目立つし。何よりもこの豪雪の中だ。しもやけとか凍傷とかで、一瞬でも油断すれば大変だろうに。

そのまま、「派遣メイド」や「女騎士」の中に混じって、治療を受ける。

足に添え木をつけて貰ったが。

これは最悪の時に、まだ戦うためだ。

「今、負傷者は……」

「貴方で五人目」

「……そうですか」

「今は休んでいて」

悲しそうに目を伏せる「腐女子」。

先輩として、此処から彼女にはできる限り邪神を倒してほしいけれど。味方の数が減っている今、戦況は厳しくなるばかりだろう。

それに、だ。

最高位邪神が出て来ていると言う事は、最前線だって此方に手助けする余裕なんてないだろう。

あの「悪役令嬢」と「陰キャ」が揃ってなお。

「神」を自称する「ブラック企業社長」の腐れ老人には、相当に苦戦したと聞いている。

最高位邪神の実力を侮るほど、「派遣メイド」は馬鹿じゃ無い。

「腐女子」が邪神達との戦闘に戻る。

もう、半数が戦闘不能になっていると見ていいのだなと思って、「派遣メイド」は慄然たる気持ちを味わっていた。

既に合計して30〜40は、後方の狩り手達で下位の邪神を仕留めているはずだ。

記録的な戦果だが、敵にはまだまだ余裕があるはず。

悔しい。

このまま何処かが崩れたら、負傷者がまとめて殺される可能性だってある。

それだけは、どうにか避けなければならなかった。

 

1、黄昏の入口

 

最高位邪神、「正しい表現」が膨れあがると。

周囲のフォロワーが、更に姿を変える。

世界最大のブランドの一つを乗っ取ったポリコレ思想、正確にはポリティカルコネクトレスの本来の意味とは完全に外れてしまったおぞましい同調圧力の権化。

それはまだまだ力を隠している。

「悪役令嬢」も、流石に立て続けの戦闘で疲れてきたが。それでもまだまだ。

クッキーをほおばる。水筒から水を飲み下す。

その間、「陰キャ」がフォローに入ってくれる。

戦闘の間は、こうやって相互にフォローを入れながら戦っていく。それが出来るくらいに、互いの事は分かっている。

ずっと日本では連携して戦って来たのだ。

絆だの何だのと口にするつもりはない。

単に連携の経験が、それだけ多いと言う事である。

食事終わり。

戦闘に戻る。

鉄扇を振るって、強化フォロワー並みの力を持つ、ねじ曲げられたウォーキングデッドどもを蹴散らして回る。

基礎スペックは高くても、攻撃は普通に通る分強化フォロワーより弱体化しているかも知れない。

顔をこれ以上もないほどねじ曲げている「正しい表現」。

自分が気に入らない相手を苦しめるのが。この世で一番楽しいという顔をしているのが一目で分かる。

これだから、思想の押しつけをしても何とも思わない連中は。

二足歩行する獣どもを蹴散らすと。

足下へと迫る。

ぼとぼとと、まるでマシュマロか何かのようなものが落ちてくる。

奴のからだの一部だ。

それが即座に形を為していく。

強化フォロワーだけではなく、肉体から新たな僕も繰り出すことが出来るという事か。

マシュマロのような肉片が膨れあがると、爆ぜ割れる。

周囲に散らばったそれを、鉄扇でまとめて薙ぎ払うが。どうも妙な手応えだ。

瞬歩で下がる。

周囲が、文字通りなぎ倒されたのは、次の瞬間だった。

あれは、そういうことか。

TNT換算でトン単位はありそうな、超高火力爆弾というわけか。

それも爆発の前にかなり削って、あの火力だ。

もしもまともに喰らったら、ひとたまりもない。

「レーザーだのなんだのハイテクに頼る奴が多いがなあ。 昔から人間が直接手でやる事が一番信頼性が高いんだよぉ……今、私がやってみせたようになあ!」

「……」

つまり自分の肉塊を爆破して、レーザーとかのように二次的な爆発を起こすのではなく。手元で火力を調整していると言う事か。

いや、何かがおかしい。

「陰キャ」が、ぼそぼそと呟く。

きちんと切り取る。

頷くと、今度は「陰キャ」が前に出る。

太くてやたら血色が良い手を、ぱんぱんと叩く「正しい表現」。

不愉快な事極まりない。

馬鹿にしているのが、一目で分かる。

「今度は忍者ガールか。 来なさい。 忍者なんか、我々が面白がって消費しているだけの文化に過ぎない! そんなもの、何の価値もないと……」

「陰キャ」がかき消える。

違う。

瞬歩ではないが、歩法を駆使して、陽炎のように姿を曖昧にさせて移動している。

思わず目を見張る「正しい表現」だが。危険を察知したか、さっきの大量の肉塊を周囲にばらまく。

だが、きづいただろうか。

「陰キャ」に躍りかかっていたあの獣化したフォロワー達が。

吸い寄せられるように、爆発肉塊に殺到していたことに。

フォロワーはオートで動いている。

手動で動いている爆発物と大変相性がよろしくない。

要するに「陰キャ」は今の一連の動きで。動物同然の強化フォロワー達を、爆弾の元に誘導したのだ。

爆破。

凄まじい火力で、周囲の雪が吹っ飛ぶ。

それどころか、遠くで雪崩が立て続けに起きたのが分かった。

爆破の瞬間、「悪役令嬢」は全力で鉄扇を振るい、爆発の火力を反らした。

後方で戦っている狩り手達を守るためでもあった。

爆発は結論として、思い切りフォロワーどもを巻き込み。

更には、「陰キャ」を巻き込めず。邪神の体ばかり削る結果に終わった。

何故だと、不審そうにしている邪神。

体の肉がかなり削られているが、何が起きたか分からない様子だ。一瞬で「悪役令嬢」の背後にまで戻っている「陰キャ」を見て、歯をむき出しにして唸る。

動物になってしまっては、表現もなにもないだろうに。

それが滑稽を通り越して、あわれでさえあった。

「仕掛けますわよ」

「は、い」

「悪役令嬢」も、流石にこんな場では携帯端末を使っている余裕は無い。

「陰キャ」が他人と喋るのは苦手なのを承知な上で、喋るしかない。

突貫。

邪神「正しい表現」は、顔を真っ赤にして肉を盛り上げていた。肉がそぎ落とされている状況で、それでも体に無理矢理肉を増やそうとしているのだろう。

愚かしい話だ。

肥満体を。それも怠惰の末に生じた肥満を正当化するために、おぞましい思想で世界最大のブランドを乗っ取ったような輩が。

今、戦うために。明らかに肥満を武器にしている。

その好き勝手な思想のために、どれだけのブランドが涙を拭う事になったか。

肉が再生する前に、足下を鉄扇で抉り取る。

巨体が冗談のようにすっころぶ。

そのまま、「陰キャ」と連携しながら、切り刻みつつ頭の方に向かう。

必死に抵抗し、手をばたばたと振るって来る「正しい表現」。何しろ巨体だから、それだけで脅威になるし。

それと同時にまき散らしてくる肉塊も、本来なら此方は警戒しなければならないのだが。

お構いなしに突貫してくる様子を見て、あからさまに恐怖の感情が浮かぶ。

理解出来ないものに対する恐怖。

何とも情けない話だなと思う。

先に頭についたのは、さっき「忍者ガール」呼ばわりされた「陰キャ」である。

同時に、気合いを込めて「悪役令嬢」も全力での一撃を入れる準備に入る。

必死に飛び起きようとする「正しい表現」だが。勿論やらせない。

顔面を、痛烈な一撃で真っ二つにする「陰キャ」。

「悪役令嬢」も、そのまま敵の体を二つに斬り下げる。

悲鳴を上げながら、周囲にまき散らした肉塊を爆発させようとする「正しい表現」だけれども。

勿論そんなことはさせない。

更に頭に一撃を入れると、「陰キャ」は瞬歩を使って離れる。

それだけは察知できたのだろう。

悔しそうに唸りながら、「正しい表現」は手足を無闇にばたばたさせて。更に周囲に肉塊をまき散らす。

爆破しても意味がないと悟っているはず。

だったら、単なる形態変化か。

形態を変えていく「正しい表現」。

腹の辺りから新しい顔が生じた。蛹が羽化するように、肥満体の中から新しい体を生じさせる「正しい表現」。

相変わらず太っていて、それもあからさまに不健康な太り方だ。

雄叫びがあがる。

乳幼児が産声を上げるのでは無い。

もっとおぞましい。自我に満ちあふれたものだ。

人間は、ありのままの姿が美しいのだ。

そんなばかげたことを口にした輩が、どこだったかにいたか。

勿論そんな事はない。

ありのままの人間など、エゴのままに周囲を蹂躙するただの獣だ。そんなものは、社会が著しく減退した現在の住人である「悪役令嬢」ですら知っている。

一応の秩序が世界を覆ったSNSクライシス前の世界でも、エゴのまま振る舞う人間がどれだけ周囲に害を為していたか。

そんな事は、分かりきっている。

エゴのままに振る舞う人間など、単なる怪物であると。

この目の前にいる邪神が証明していた。

めりめりと邪神が姿を変えていく。正確には、足下から脱ぎ捨てた肉塊の栄養分を吸収しているようすだ。

腕が増えていく。

多腕の邪神はいやというほどみた。

原初の宗教では、腕や目、頭を多数持つ神は珍しく無かった。

力をそのまま想起させるからだろう。

一神教文化圏の人間が、拗らせた末にその原典に戻っていくというのは、ある意味興味深い。

興味深い愚行だ。

それに巻き込まれる周囲の人間はたまったものではない。

だから、その愚行の輪廻を此処で終わらせる。

何か喋ろうとした邪神の頭上に、瞬歩を駆使して出る。

口を開く前に、頭に一撃を叩き込む。

絶叫しながら、「正しい表現」は何か能力を展開しようとするが。

その時には。その肥大した顔にある汚らしい口を。

既に「陰キャ」が切り裂いていた。

顔を押さえようと、多数の手が這い上がってくる。そう、這い上がってくると言うのが相応しい表現だ。

体を無茶苦茶に増築したからこうなる。

邪神はどいつもこいつも戦闘経験が極めて浅い。

だから、こういう風に切り札を隠していても。

その切り札を使って戦った事がない。

基礎スペックが異常に高いから、それでも厄介である事に代わりは無いのだが。此奴は特に戦闘経験が少ないのだろう。

文字通り抵抗も出来ない人間の軍隊を相手に蹂躙ばかりしていた。

だから、こうも弱いのだ。

「悪役令嬢」が鉄扇を振るって、かたっぱしから「正しい表現」の手を斬り飛ばしている間に。

「陰キャ」が振るった剣が、文字通り粉々に「正しい表現」の顔面を切り裂いていた。

鮮血が噴き上がる中、更に形態を変える「正しい表現」。

形態を変えるのが早すぎる。

今の形態でも、能力はあっただろうに。

とにかく纏わり付いてくる「悪役令嬢」と「陰キャ」を引きはがすために必死なのだろう。

すぽんと、脱皮するように何かが抜けた。

巨体から、力が消えていく。

上空に躍り出たそれは、肥満体がローブを羽織り、背中に妖精の羽根を生やしたような姿をしていた。

これのどこが「正しい表現」か。

芸術でも何でも無いではないかと呆れる。

豪雪が続く中、明らかにどこでも場違いな姿をした怪物もとい邪神は、金切り声を上げた。

「王者とは、その場にいて何もかもを正面から叩き伏せるもの! それを体現しようとしていたら、邪魔ばかりしおって!」

「わたくしたちは力の一割も出していませんわよ。 要するにそんな相手に王者を気取れないと言う事は。 貴方にはそんな器はないということですわ」

「……」

肉塊が急激に雪で冷えていく。

それくらい、雪の勢いが凄まじいのだ。

それでも、舌剣は敵を刺す。

下等な相手と見下している存在に、図星をさされる。邪神とは、それで大きなダメージを受ける。

圧倒的な軍隊に対する殺傷力を得る代わりに。一部ではこんなに脆くなる。精神生命体とは、不便なものである。

「不敬であるぞ……!」

「貴方に払う敬意などありませんわ。 「正しい表現」とは笑止千万。 貴方の表現など、ただの同調圧力に支えられた貴方が正しいと思っているだけのものでしょうが」

「だ、だまれ! 世界最大のブランドですら、私の表現が正しいと認め、それで……」

「貴方の表現を正しいと思ったわけでもなく、単にクレームに屈しただけでしょうに」

ふつりとキレる音がした。

それで結構。

鉄扇を構えて、「陰キャ」に目配せ。

ぶくぶくと膨れあがると、邪神「正しい表現」が、絶叫した。

まるでだだをこねる幼児だ。

ああやってクレームをばらまきまき散らしていれば、周囲が我慢してくれたのだろう。

理も論もない。

最初、ポリコレというものは思想的に間違っていなかったのかも知れない。

だが、理も論もなく「正しい」とわめき散らすクレーマーが幅を利かせるようになってから。

いつのまにか自由よりも、同調圧力が優先されるようになり。むしろポリコレは不自由の象徴となっていった。

来る。

邪神との戦闘経験は散々積んでいるのである。

「陰キャ」も、それくらいは分かるはずだ。

膨れあがった邪神「正しい表現」が。音波砲を直下にぶち込んでくる。それは凄まじい範囲に広がり。

文字通り。周囲の雪原を押し潰していた。

拡がる範囲次第では、介入するつもりだったが。

これなら避けるだけで構わないか。

最初に「陰キャ」が仕掛ける。

一撃を、「正しい表現」がかわす。

見え透いている。

あの姿、速さを極限まで強化したものだろう。だが、速さを本当に脳内で処理出来ているのか。

まあ生物では無いから、ある程度無理は利くだろうが。

それにも限界がある。

「陰キャ」に追撃を仕掛けようとした瞬間。

「正しい表現」に、火炎瓶が着弾。

投げた物が着弾したのではない。

先に投げておいたものに、「正しい表現」が自分から突っ込んだのだ。

ぼんと景気よく音を立てて燃え上がる「正しい表現」。

雪の中だろうが、燃料を入れている火炎瓶だ。そんなものは物ともせずに燃え上がる。

必死に喚きながら炎を払う「正しい表現」だが。

その頭上に回り込んでいた「悪役令嬢」が、蹴りを叩き込む。

抉るのは残像。

だが、逃れようとした「正しい表現」は。

むしろ綺麗なほどに、「陰キャ」の刀に吸い込まれ。

モロに後頭部から、刃を食い込ませていた。勿論自分から、である。

意味を成さない声を上げる「正しい表現」。

そこに、蹴りを叩き込みつつ刀を引っこぬく「陰キャ」。

跳び下がりながら、ナイフを投擲するが。それをさっとかわす「正しい表現」。

学ぶと言う事を知らないのか。

更に、火炎瓶の直撃を受ける。

攻撃そのものを回避する事に全力をおいているようだが。

その先にどうなるかを考慮していないからこうなる。

戦闘経験を積んでいたら、話は違ったのだろう。だが、こんな人間の邪心から産まれた存在に。

ましてや戦闘と言えば蹂躙戦しかやったことがないような存在に。

そんな経験を積む暇などなかった。

そういうことだ。

地面に、燃やされた蛾のように落ちる邪神「正しい表現」。

そのまま膨れあがると、背中に翼を生やしたゴリラのような形態になる。

全身真っ赤に燃え上がって怒っているぞと示しているが。

そもそも形態をどんどん使い捨て、力を失い続けている事を考慮できていない。

突貫してくる。

拳はそれなりに重い。

連撃を放ってくるから、それなりに体力を削られる。

「陰キャ」の剣撃も、するりとかわしてみせるが。その直後に叩き込んだ「悪役令嬢」の蹴りはモロに食らって吹っ飛ぶ。

悲鳴を上げながら、立ち上がろうとする翼ゴリラ。

もはや「正しい表現」も何も無い。

これを、「正しい表現」として。ポリコレだからと受け入れなければならなかったのだろうか当時の人々は。

何かが間違っていると、声を上げられなかったのだろうか。

出来なかったのだろう。

ポリコレを自称する人々に、同調圧力で汚染された分野は。この世界最大のブランドだけではない。

他にも多数の分野が汚染されていたという。

それだけ、カルトは染みのように拡がっていたのだろう。

この邪神の、大仰なものいいと裏腹の弱さは。まさにそのまま、「ポリコレ」とやらの薄っぺらさと。

その「正しい」との主張とは裏腹の邪悪さで。

まさに解答が出ているように思える。

まあ、どうでもいい。

此奴を殺し、悪しき過去の歴史を一つ断ち切る。

今はそれだけだ。

「ひゅーっ! ひゅーっ!」

加湿器のように鼻から蒸気を噴き出しつつ。「正しい表現」が立ち上がる。

翼ゴリラは全身ぼろぼろだ。

手を上げると、周囲の二足歩行獣フォロワーが集まってくる。良いだろう。それだけ後方の皆への負担が小さくなる。

もはや言葉にできない金切り声を上げるゴリラ。

どっと襲いかかってくる二足歩行獣。

「貴方たちも! 歪んだ思想に好き勝手にされて、悲しいと思わないのですか!」

一喝。

ぴたりと、フォロワー達が止まる。

鼠もアヒルも犬も。

それぞれ、今は失われてしまった巨大ブランドを代表する人気キャラだった筈だ。

それが、こんな同調圧力で正しさを押しつけるカスのために顎でつかわれて。

悲しいとは思わないのだろうか。

今、この邪神の支配力はどんどん失われている。

だから。立ち上がるのは今だ。

勿論分かっている。

この巨大ブランドは、いわゆる赤狩りに荷担したり。戦争時には米国のプロパガンダをしたりと。様々な罪を重ねた。

しかしながら、本来の意図はそこにあったのだろうか。

多くの人に分け隔てなく夢と希望を届ける。

そうだったのではあるまいか。

同調圧力に塗れた自称正義に与することが、ブランドの本来のあり方なのか。

そう、「悪役令嬢」は問題を提起し。

それに、フォロワーにすり込まれただけとは言え。

反応があった。

流石に歴史があるキャラクターは違うな。

苦笑しながら、更にもう一喝。

「もう一度問う! 貴方方は誰にでも優しい夢と希望を届けるものであって、邪神の走狗となっていて良い物だったのか! よく見よその邪神を! 同調圧力で正義を押しつけるしか能がないヒステリーを起こした猿以下を! そんな腐りきった思想に好き勝手に道具にされて、恥ずかしいと思わないのか!」

「だ、黙れ! このガラパゴスなガチャ文明が! お前達のような性欲まみれのクソ文明なんか、芸術であるこの……」

「性欲塗れは貴方たちでしょう。 そもそも何故に性的嗜好の自由ばかりを口にして、性格的自由については完全に黙殺するのか!」

「それは、キショイからだ!」

語るに落ちたとはこの事である。

そのまま。

看破する。

「キショイという言葉自体が、その腐った感覚からでているのだろうが!」

「あー、キショイキショイキショイ! 私の感覚そのものが正義で、私がキショイと思ったらそれは悪なんだよォオオオオ!」

次の瞬間。

どうやら気付いたらしい。

既に「陰キャ」は刀を納めている。

そして、「悪役令嬢」も、自身に興味を失ったと。

周囲を見回した「正しい表現」は気付く。

雪嵐の中。

自分を見やる、膨大な敵意の籠もった光る目に。

ひっと悲鳴を上げる「正しい表現」。

既に自身が「多数派」でも、ここにある「正義」でもなくなり。嫌悪と怒りをぶつけられる対象に落ちたことに。気付いたようだった。

一斉に襲いかかる二足歩行獣と化したフォロワー達。

以前も似たような光景は見たことがある。

流石にこれほどの規模ではなかったが。

それこそ万を超えるフォロワーが、一斉に支配力を失った巨魁に群がる。

「正しい表現」は悲鳴を上げて逃れようとするが。残念ながら足を止めて戦う事を選んだ以上。もはや空に逃れる事が出来ない。

そしてこう言う乱戦に持ち込まれると。

戦闘経験が無いという事は、それだけで死を意味する。

最初は必死に躍りかかってくるフォロワーを払おうとしていた「正しい表現」だが。すぐに悲鳴は絶叫に変わった。

体中に、フォロワーが噛みつき。肉を引き裂き始めている。

払っても払ってもやってくる。

宮殿もいつの間にか崩れ始めていた。

「陰キャ」は黙々とクッキーを口にしている。

次が来てもおかしくない、と判断しているのだろう。こいつが自滅している間、無駄に時間を過ごすよりはと、既に次に備えているのだ。

もはや。この独善性の塊である外道は敵ではない。既に終わった相手だ。

「悪役令嬢」もそれに倣う。

食事をおえて補給を済ませた頃には。

もはや此奴が生命の尊厳を徹底的に無視して作りあげたらしいおぞましい肉宮殿は崩れさり。

既に赤黒い骨だけになった「正しい表現」が。

呻きながら、立ち尽くしているだけだった。

流石は邪神。

これでも死なないことだけは、褒めてやっても良い所である。

「悪役令嬢」が歩み行く。

フォロワーは誰も手出しをしない。或いは項垂れ。或いは唸り。そして、「悪役令嬢」の行く道を空けた。

仲間を散々殺されたというのに。それ以上に恨みが深いと言うことだろう。この文化を蹂躙した腐れクレーマーに対する恨みが、だ。

下手に強化をするからこういうことになるのだ。

「古きカートゥーンでは、驚いたときなどに骨が露出する表現を良く用いていたそうですわね」

「あ、が、ぎ……」

「その末路だけは。カートゥーンそのものですわ。 ではさようなら、独善の塊」

鉄扇で頭蓋骨をブチ砕く。断末魔の絶叫とともに脳みそがぶちまけられ、そして終わった。

周囲のフォロワー達が溶けて行く。

あらゆる呪縛から解き放たれたのだ。

呼吸を整える。

こいつとまともにやりあっていたらかなり体力を削られていただろう。勝てる事は勝てただろうが、腐っても最高位邪神だったのだ。

最も頼りにしている「陰キャ」が来てくれた事で、「悪役令嬢」の舌剣も切れ味が増していた。

それ故の、体力の消耗を最小限に抑えての勝利だったのだ。

さて、これだけやられても、まだ敵が黙っているとは考えにくい。

次は何が出てくる。

「陰キャ」を一瞥。

今の戦いでは、疲弊を最小限まで抑えられた。それは「陰キャ」も同じだ。一応、確認はしておく。

後方の気配も確認。

戦闘を続行できている狩り手は半数くらいか。残りは負傷か。戦死していない事を願うしかない。一人一人が、欠けがきかないスペシャリストなのである。

そろそろ厳しい状況だ。特に後方は、下手をすると一気に崩される状況だとみて良い。

どうするか。

判断するよりも先に、地響き立てて降り立つ二つの巨大な影。

「悪役令嬢」と「陰キャ」を囲むように降り立つそれは。

間違いなく最高位邪神だった。

片方は中華系の格好をしている。中国の邪神組織の生き残りだろうか。

「我は黄帝……」

「!」

その名前は聞いたことがある。中華における最高神だ。ということは、此奴は中華の邪神組織の筆頭だった存在か。

最高位邪神だろうとは思っていたが、まあそうだろうと納得する。

実力は。

前に戦闘した「神」の奴よりもだいぶ劣る様子だ。それで、中華系の邪神が援軍として来ていた事情を察する。

此奴はあの「神」の外道に、力負けして、部下をむしられていたのだ。

可哀想な話ではあるが、そもそも中華で大量虐殺をしていた邪神であることに代わりはない。

この宗教的な格好からして、中華を古くから蝕んだ道教思想の権化か。或いは何か違うものか。

少し分析してみないと、なんとも言えない。

もう一体の巨大な邪神は、なんだろう。

此奴も恐らく最高位邪神のようだが。一目見て何とも正体が分からない。

というか、一秒ごとに体がうねって姿が変わっているのが分かる。

「私は帝国主義」

なるほど、そういうことか。

帝国主義。

要するに、何処かしらの国家が世界征服を目論んだ場合。その名で批判されたあれだ。

古くは英国が。その衰退後は米国が。その後には中華が。

大まじめに唱え。その度に撃退されていったもの。

得体が知れない主義主張であり。その思想そのものが一人歩きしていて。誰もある意味実態を掴めなかった存在。

主にレッテルとして使われ。それでいながらどの国が唱えても、全て中身が違っていた不可思議なもの。

確かに最高位邪神としては相応しいだろう。

二体同時。最高位邪神。一見すると絶望しかない。だが、何となく分かる。

恐らくだが、「エデン」の最高位邪神は、これでほぼ打ち止めだ。首魁である「財閥」を除くともはや最高位邪神はいないだろう。

それで、「悪役令嬢」と「陰キャ」の消耗だけを狙って、今までの邪神をぶつけてきたのだとすれば。

何もかもが推察通りだと言う事がわかる。

ここで共倒れにさせておいて。そして自身だけが最高位の存在として世界を統べるというわけだ。

残った部下は言う事を何でも素直に聞く唐変木だけ。

なるほど。世界を裏から操っていた邪悪な経済体の見本のような思想である。

ブラック企業の究極とも言える財閥の考えそうなことだ。

競争相手を最初から全て潰しておく。

自分だけ優秀で支配者は自分だけ。

それこそが、奴にとっての理想というわけだ。

本当に救いが微塵もない。反吐が出る。

この邪神どもに、それを伝えてやろうかと思ったが。止めておく。それにやらなければならない事だってある。

此奴らは、走狗として使われている存在であっても。危険な存在であることに間違いはないのだ。

此処で潰さなければならない。

「陰キャ」と頷き会う。

できる限り短時間で此奴らを仕留めなければならない。そうしなければ、後方の皆が耐えきれずに壊滅する。

そして、この二体を連携させては勝ち目はないだろう。

瞬時に、前後に跳び別れる。「悪役令嬢」は力が劣る「黄帝」から仕留める。「陰キャ」には、「帝国主義」をどうにかして抑えて貰う。

一対一で、最高位邪神と戦うのは厳しいが。それでもどうにかしなければならない。

此処で、敵のもくろみを崩し。全ての悲劇に、終止符を打たなければならない。

「黄帝」が、何やら拳法の構えを取る。だが、臆することなく。「悪役令嬢」は突貫していた。

 

2、終焉の喇叭は吹き鳴らされる

 

「陰キャ」は明らかに時間稼ぎを頼まれた。勿論それに異論は無い。だけれども、「悪役令嬢」が単騎で「黄帝」と名乗った邪神を倒しきる頃には、疲弊しきっているだろう。

どうやら「悪役令嬢」はこれで敵の戦力を打ち止めだと思っている様子だけれども。それは楽観だと「陰キャ」は思う。

理詰めで考えればそうなのだろうけれども。

「財閥」という邪神が、その通りに動いてくれるかは分からない。

どちらかというと理屈屋であるだろう「財閥」だが。

その理屈が崩れた結果、今の状況が到来しているのだ。

邪神は成長しない。

だが、それでも何かしらの対策を打ってきてもおかしくは無い。

だから、油断はしないように戦う。

出来れば、此奴を倒してしまいたい。

そう思った瞬間だった。

「帝国主義」が、雄叫びを上げる。

同時に、周囲が一気に暗くなった。雪も降らなくなる。何か、得体が知れない空間に閉じ込められたらしい。

斬り付ける。

だが、長大な矛だろうか。一瞬で手元に出現させた「帝国主義」が、一撃を防ぎ抜いてくる。

相手は最高位邪神。

「神」に比べれば力は劣るようだけれども。油断など出来るわけは無い事くらい分かっている。

だから、防がれても驚かない。

跳び下がって、距離を取るが。その時「悪役令嬢」の気配がないことを悟った。

そしていつの間にか、不定形だった「帝国主義」は屈強な、傲慢そうな男性の姿へ変わっていた。全身筋肉ムキムキで、いかにも男性的強さの結晶のような肉体だ。

「ふっ。 力が劣る「黄帝」を先に倒して、それで私を集中攻撃するつもりだったようだが、当てが外れたな。 貴様をゆっくり引き裂いてなぶり殺してやろう。 この神の空間でな……」

「……」

刀を構え直す。

独自の空間を展開して、そこに引きずり込んだ「陰キャ」を一対一の状況でなぶり殺しにする、と。

判断としては悪くないと思う。それに距離云々の関係ではなく、恐らくやられたら逃げられないタイプの能力だったのだろう。理不尽極まりないが、邪神というのはそういうものだ。

だから今更驚かない。

無言で突貫。

矛の太刀筋などを、可能な限り見る。一回の攻防で、激しくやり合う。巨体から繰り出されるとは思えない程の速さの矛は、「陰キャ」の攻撃を悉く防ぐだけではなく。棒状のポールウェポンとは思えない程精密に動き、更には反撃まで入れてくる。

掠めるが、もしも刃をモロに喰らったら何が起きるか分からないし。

そもそもクリーンヒットを受けたら即死確定である。

必死に刀を振るって、矛を弾き続ける。

手応えが重い。

踏み込むと同時に、五月雨のような連撃を入れてくるが。

瞬歩を駆使して後ろに回り込む。

しかし、それも見越していたらしい「帝国主義」は、ドンと猛烈な踏み込みを入れていた。

踏み込むと同時に周囲が揺れ、思わず飛び退いて距離を取る。

即座に振り返りつつ、矛を振るって衝撃波を入れてくる「帝国主義」。

衝撃波をかろうじて横っ跳びでかわすが。

一撃は暗い世界を引き裂き。

遠くで爆裂していた。

この暗い世界、どこまでも拡がっている様子だ。それもこの様子では、何処にいても即座に察知されるだろう。

「陰キャ」の戦歴は知っている筈。

それでもこんな一対一の戦い、それもデスマッチを挑んできたのである。

それだけ自信がある、と言う事だ。

呼吸を整え直すと、刀を構え直す。不遜に笑うと、低く腰だめした構えを取る「帝国主義」。

暗闇の中だからこそ、逆によく見える。

黒光りするほど鍛え上げられた筋肉に。

この技をどこから得たのか分からない。

だが。「帝国主義」というのは、圧倒的な暴力で世界を支配しようとする思想だと聞いている。

それならば。この戦闘スタイルも納得がいく。

そしてこんな思想だったら、「財閥」に従っているということは。

要するに「財閥」の実力が、この「帝国主義」より上と言う事なのだろう。

叫び声と共に、「帝国主義」が突撃してくる。

乱射される槍は、生き物のようにうごめき。穂先が空を穿つように放たれる。

最初の一撃を弾き返しても、その後とんでも無い数が飛んでくる。それも、どれもこれもが達人の技ばかり。

雄叫びを上げながら、「帝国主義」は吠える。

「ほう! 愉快よ愉快! あの「悪役令嬢」とやらの次に凄まじい手練れと聞いていたが、評判倒れではないようだな!」

「……」

「くっくっく! 喋らぬと言うならそれでもかまわん! 私としては、ぐだぐだ喋るばかりで自分の価値が世界よりあると思い込んでいる阿呆な女よりも、人形のように従順な輩の方が好みだ! だいたい金さえはたいてやれば人形同然に大人しくなるのだから、別にどうでもいいがな!」

ガハハハハと笑う「帝国主義」。

反吐が出る。

所詮邪神と言う事か。

相変わらず、尊敬できる所が微塵もない。

「帝国主義」か。

SNSクライシスが起きる前には、こういう思想の輩はたくさんいたらしいと聞いている。

人権を否定したり、強さによる暴虐を肯定する輩だ。

おかしな話で、その手の連中は世界が自分を中心に動いていると信じてやまなかったようである。

それでいながらいざ自分が被害に遭うと、ぎゃんぎゃん吠えたてたというのだから始末に負えない。

この「帝国主義」は、多分優性思想やら帝国主義思想やらを拗らせ、自分は世界の中心にいて何をしてもどんな暴言を吐いてもいいと思った輩の集合体なのだろう。

そうでなければ、こんな言動を素面で出来るものか。

踏み込む。

悪いが、槍の攻撃は見切った。

飛んでくる乱撃を悉く弾きながら前に出る。

顔を歪めることもなく、距離を詰められても平然としている「帝国主義」。

眉を少しひそめるが、関係無い。

乗ってやるとする。

そのまま、切り上げる。

狙いは矛だ。

神が作り出した。まあ邪神だが。その神の矛を、一刀両断に斬り伏せる。

更に返す刀で、持っている手を斬り飛ばす。

おおと、歓喜の声を上げる邪神「帝国主義」。

即座に飛び離れるのと。「陰キャ」がいた地点を、棍棒が叩き潰していたのは直後だった。

新しく生えた腕が、棍棒を手にしている。

今度は棍棒か。槍だけというのは不自然だと思っていたが、やはりか。

「私は世界征服の過程で、あらゆる技術や知識を手に入れた。 あらゆる武術の奥義もその一つだ」

「……」

世界征服、か。

帝国主義を唱えた国が、どれも上手く行かなかったことくらいは「陰キャ」ですら知っている。

一時期は隆盛を誇っても、結局はどの国も上手く行かなかった。

それはそうだろう。

そもそも地球は、人間なんて生物が単独で支配するには広すぎるのだ。

歴史上最大の版図を気付いたモンゴルでさえ、それは同じだった。

後の時代は、更に単独での支配が難しい状況が作りあげられていった。

帝国主義なんて上手く行くはずが無い。

そして、近接戦最強の武器は槍だ。

遠距離戦を想定すると銃などの飛び道具が最強になってくるが。槍を最初に出してきたのは失敗だっただろうに。

焦ることなく、構えを取り直す。

腕を四本にした「帝国主義」が、笑いながら仕掛けてくる。

槍と棍棒で猛撃を仕掛けてくるが、槍はもう敵じゃない。

此奴が言葉通りの本当の達人だったら、こうも短時間で槍を見切るのは不可能だったと思う。

だけれども、分かる。

ぶつかってみてはっきりしたが、此奴は槍に対して愛着もなにもない。槍を極めようという意思もない。

ただ、殺し合いの技として。単なる道具として習得している。

そんな技なんかに負けはしない。

激しく切り結ぶが、槍を早々に斬り飛ばす。

棍棒は動きが鋭いが、所詮は重量武器だ。

即座に槍と腕を再生する「帝国主義」だが。増やした分だけ、技があからさまに単調になっている。

棍棒を弾き返す。

それを見て、「帝国主義」が目を剥いた。

踏み込むと、棍棒を持っていた腕の手首から切りおとし。突き出された槍を弾き返す。

パワーそのものは相手の方が何十倍も上だろう。

だが、狩り手が邪神の力を逆用すること。

それに、相手の力がやはり付け焼き刃に過ぎないことが。こういう結果を招く。

挙げ句の果てに、口から強烈な酸を吐きつけてくる「帝国主義」。

奇襲技のつもりなのだろうが、文字通り語るに落ちたとはこのことだ。

瞬歩でやりすごすと、両足を一刀両断し。

倒れてきた所を、首を刎ね飛ばした。

暗い空間は消え去らない。

呼吸を整えながら、クッキーを食べる。黙々と、少量ずつしか食べられないのが苛立つ。

「悪役令嬢」みたいに豪快に食べるのが一番良いのだろうけれど。

あんなに豪快には口の形状とかからも振る舞えない。

「やりおるなあ……。 ふっふっふ。 武術にそれなりに思い入れもあるようだなあ……」

「……」

「愚かしい。 武術を神聖視する輩など、幾らでも見て来た。 だがな、実際には武術は殺しの技にすぎん」

それは確かにそうだ。

だけれども、だからといってないがしろにして良いものではない。

此奴は「殺しの技」だから「使い捨てに良い」と考えている。

槍の穂先にも、振るわれる棍棒にも。さっきの意地汚い奇襲技にも。その思想がモロににじみ出ている。

勿論体力がもりもり削られているのは事実だ。

此奴を倒し切れるかは少し不安だけれども。

まだ、絶技を撃つのは早い。

腰を落として、納刀する。刀に手を掛けているのを見て。新しく生えてきた首。カイゼル髭の、太い首に乗った頭をこきこきと鳴らしながら。「帝国主義」は立ち上がる。

腕を減らし、右に刀、左に槍というアクロバティックな姿だ。

確かに見栄えは格好良いけれど、明らかに無理がある。

無言で、腰を落としたまま出を待つ。

これは後の先の構え。

相手に仕掛けさせて、その後に仕留める一種のカウンターだ。

そして「陰キャ」は猛烈に攻めるのよりも。むしろこの方が得意だ。

「お前は寡黙だが面白い女だ。 私が勝った後は、徹底的に陵辱して子を孕ませよう」

お断りだ。

そう言いたいが、無視。

一撃に集中する。

「私は不便ながら、子孫を残せない。 だが、お前をフォロワーにして、私の技の全てを流し込めば……最強の手駒になるだろう。 それはある意味、子孫を残すとなんら変わらない事だ」

反吐が出る。

だが、その言葉は、武技で示す事にする。

「さあ、私の子供を孕め!」

セクハラそのものの言葉を叫びながら、「帝国主義」が突貫してくる。

降り下ろされる刀。

片手からの一撃だが、想像以上に重たい。

多分日本の剣術にも知識があるのだろう。

付け焼き刃の知識だが、邪神の圧倒的な身体能力で、極限までそれを伸ばしていると言う事だ。

だが、そんなもの。

付け焼き刃は、どれだけ力を上げたって。

抜刀。

一撃をかわしつつ、腕を切り裂く。

すっ飛んだ腕。

更に、四本追加で腕が生える。

阿修羅のような姿になった「帝国主義」が。一撃はおとりだったと言わんばかりに、全ての手に握った武器で、雨霰と斬撃を降らせてくる。

その全てを見きる。見切りながら、腕を一本ずつ消し飛ばしていく。

腕が増えれば増えるほど、どの動きもより単調になっていく。

どうしてそれを理解出来ないのか。邪神は成長できないとしても、少しばかり愚かしいのではあるまいか。

その時。

がくんと、足が引きずられたと思った。

手首を掴まれたのか。

違う。

今の猛撃に対処している間に、体力がそれだけ削られていたのだ。

顔を上げると、降り下ろされてきた刀を弾き返し。

更に突貫して、首を刎ね飛ばす。

鮮血が噴水のように噴き上げ。更に倒れ臥す邪神だが。転がった首は、けたけたと笑うばかりだ。

体中が重い。

非常にまずい。

どうやらこの空間では、疲労をどんどん倍加させるらしい。

武術に気を取られて、駄目出しをさせるのも或いは戦略だったのか。この空間の能力を悟らせないための。

不覚、と言いたいところだけれども。

邪神が訳が分からない能力を多用するのは今に始まった事では無い。

ぐんと、また一つからだが重くなる。

けらけらと笑いながら。首を新しく生やした「帝国主義」が。此方に歩み寄ってくる。

「はっはっはっ。 ようやく気付いたようだな。 貴様が体力に問題を抱えている事くらい調査済だ。 何しろ私は世界の全てを手に入れる者だからな!」

「……」

「武術ごっこを見せてやったのも、お前が自尊心を悪い意味で刺激されることを想定しての事だ! 最初から全て掌の上だったのだよ!」

げたげた笑う「帝国主義」。

「陰キャ」は無言のまま、深呼吸をした。

「さあて、予告通り徹底的に陵辱して私の子を孕ませてやろう。 まあ正確には少し違うが、どうでもいい。 性欲はこの姿になったときに失ったが、代わりにフォロワーになった人間を好き勝手に操る技を得た。 だから別に、支配欲を満たすことは簡単でなあ」

支配するためだけに子供を作る、か。

何というか、もはや救いがない。

見た所、今が第三形態か。

最高位の邪神と言う事は、恐らく第六形態まではあるとみて良い。

勿論、「陰キャ」は全く勝利を諦めていない。

それに。

こんな人間の愚かしさを凝縮したみたいな邪神に好きかってされる位だったら、文字通り自死を選ぶ。

立ち上がる。

邪神は、笑いながら近付いてくる。

「陰キャ」の少ない体力が、もう限界近くまで削られていると思ったのだろう。

それは正解だ。

だが、その先が間違っている。

もしも「陰キャ」の絶技を知っていたら、馬鹿な言動を続けていないで。そのまま一気に倒していただろう。

事実、ここまで追い込んだのだから。そうするのが合理的だ。

「帝国主義」を標榜しているのに合理性に欠ける。

単に欲求充足のために、何もかもを犠牲に暴れ狂っただけ。

それが分かるので。「陰キャ」は許せないと思ったし。

許さないとも思った。

雷霆のように動く。

至近にいる邪神が手を掛けようとしてきた瞬間に。垂直に跳び上がる。

邪神「帝国主義」の腕全部と、更に明らかに盛り上がっていた生殖器も吹き飛ばす。

ついでに顔を石榴のように左右に割り砕いて。着地。

「帝国主義」は完全に勝ったと思っていたのだろう。

その顔面を割り砕かれて。一瞬足を止め。その後絶叫する邪神。首を刎ね飛ばされて、それでもまだわめき散らしていた。

何となく、コアの正体も分かった。

だが、それはそれだ。

形態を変えていく「帝国主義」。余裕まみれの汚らしい男性の顔は既に消え去っていた。というか顔が人間のものではない。

不気味に全身が球体のように変わっていく。

肉団子になった体の彼方此方から、大量の腕が生え。その全てに武器を握っていた。

「頭に乗りおって……! 所詮奴隷なんだ貴様らは! それが何を考えて、このような暴挙に出た! 許されると思っているのか!」

「……貴方、なんかに。 許されなくても、かまい、ま、せん」

「はっ! たどたどしい喋りだ! そんなだからお前らはクズなんだよぉ! この世にはお前のように弱々しいしゃべり方しかできない輩はいらん! 体育会系がどうして重用されたか教えてやる! 奴隷として使い勝手がいいからなんだよォ!」

喚きながら、ばたばたと多数の手足を動かして突貫してくる肉団子。

もう一形態。

何とか削らないと。

冷や汗がダラダラ流れている。

体の方は、とっくに限界を超えている。

この状況で、もう一回。絶技を放てばどうなるか分からない。だけれども、此処で最高位邪神を倒せれば。

顔を上げる。

無数の腕から、無差別に武器が降り下ろされる。その威力は、さっきまでの比では無い。本気で殺すつもりで来たと言うことだ。

だが、だったらなんだ。

武術遊びなんて口にしていた時点で。この邪神が。武術を遊びの一つとしか考えていなかった事は事実。

そして、さっきから速度や鋭さは上がっているが。

根本的な技の気迫は一切合切変わっていない。

「陰キャ」は様々な達人の技を研究のために見て。それを我流に昇華させてきた。

そういう意味では師匠はいない。強いていうなら実戦が師匠だ。

だが。我流だからといって。

此処まで武術を馬鹿にしている相手を見ると、本気で頭に来る。

自分でも、どうして動いているか分からないほどに。

一撃一撃で、敵の武器も腕も蹴散らしていく。

叫び声を上げた「帝国主義」が突貫してくる。本来だったら、避けること何て無理だろう一撃だけれども。

完璧な足運びで避け。

そして、横一線に肉団子を切り裂いていた。

わめき散らす「帝国主義」。全身から溢れているのは体液。その正体は考えたくもない。地面にぼだぼだ落ちている体液は、じゅうじゅうと強烈な音を立てて周囲を溶かしていた。

刀を振るう。

こんな体液に、愛刀を晒させたくはない。

「お、おの、おのれええええ! ど陰気なクソ女の分際で、この私をどこまでも愚弄するかぁああああっ!」

「……」

「この私が! 世界の勝ち組である私が、好き勝手にしてやろうと言っているんだ! 頭を垂れてその慈悲を受け入れろ! それがお前達奴隷以下に許される唯一の事だというのに、そのちっさい脳みそではそんな事も理解出来ないか! Fランの大学にも行けない程度の脳みそだと、それが限界かああ!」

すごく酷い事を言われているのは分かるが。どうでもいい。

ただ、此奴を殺す事しかもはや脳裏にはない。

無の境地にかなり深く入り込んでいる事も自覚がある。

そして、これからやるべき事も。

第五形態に変わっていく邪神「帝国主義」。

だが、同時に。

「陰キャ」も絶技を使っていた。

己を全てを焼き尽くす太陽と化せ。燃え上がれ。陽光のように、触れる全てを焼き払え。

顔を上げた。

不思議な事で。

明らかに「帝国主義」が怯むのが見えた。

突撃。

巨大な肉塊になり。もはや腕なんてものを使うのが迂遠になったらしい「帝国主義」が、大量の触手につけた武器で飽和攻撃を仕掛けてくる。先以上に早い。鋭い。重い。だが、恐怖が明らかに矛先を鈍らせている。

その悉くを消し去るのに二秒かからない。

更に、大上段からの一撃で、「帝国主義」を真っ二つに斬り下げる。

掴まれる。

今の瞬間、触手の何本かが「陰キャ」に触れるのに成功していたのだ。

流石はこの辺り、最高位邪神だろう。

締め上げてくる。

みしみしと肋骨がなる。

だが、次の瞬間、触手を斬り飛ばす。

着地。

最終形態を晒してくる「帝国主義」。

その姿は時計のようであり。もはや数え切れない触手に、古今東西のあらゆる武器を生やしていた。

「私こそが時の支配者! 世界を支配するという事は、あらゆる世界の時を支配しているに等しい! そしてその時を支配していると言う事は、一気に疲労を加速させ……」

五月蠅い。

時計を操作させない。瞬歩で、至近に踊り込むと。後は徹底的に斬り伏せる。

悲鳴を上げる「帝国主義」。

喚きながら、何かどうしようもない情けない事を言っているけれども。大量の血を周囲にばらまきながらも。

「陰キャ」は灼熱の殺意に己を任せ。

徹底的に斬り伏せた。

殺意に全反応する。

飛んでくる触手も武器も、次の瞬間に斬り伏せる。

腕が、足が、血をふく。

「陰キャ」の体の、だ。

とっくに限界を超えているのだ。それくらいの負荷がある。

だけれども、此奴を倒さないと何もかもが終わる。それだけは、許してはならないのだ。

気合いを込めて、一撃を時計の一角に突き刺す。

そこに、あるのが分かっていたからだ。

絶叫しながら、必死に刀を払おうとする「帝国主義」だが。もう払える手もなければ、触手も残っていない。

更に刀を押し込み。

そして抉るように切り裂いていた。

「陰キャ」の一撃は、「帝国主義」の汚らしい生殖器を斬り裂き。徹底的に破壊したのである。

そして、この人の元になった存在は。フロイトとか言う頭まっピンクおじさんの思想を真に受けている可哀想な人であるのは確定だった。

何もかも性欲に結びつけ、それを正当化する哀れな下半身の奴隷。

せっかくある脳みそを性欲というものに明け渡した、可哀想な存在。

周囲の空間が溶けて行く。

呼吸を必死に整える。

だけれども。今、明らかに限界を超えて無理をしたのは明らかだ。一気に体が死に傾くのが分かった。

体を支えられる。

「悪役令嬢」だ。

意識が薄れていく中、笑みをこぼせていただろうか。

「貴方は! こんな所で死んで良い存在ではありませんわ! 生きて!」

「黄帝」には勝ったのだろう。だけれども、一目で分かるほどズタズタだ。最高位の邪神を相手にまともにやりあったのだ。「悪役令嬢」でも、そうなるのは自明の理である。

もう一つだけ、笑えただろうか。

「陰キャ」は、意識を失うのを感じた。全身がとんでもなくいたかったけれども。勝つ事が出来たのは、それだけは良かった。

 

3、撤退

 

「悪役令嬢」が突貫してくる。

周囲からは、凶悪な邪神の気配がどんどん消えていく。

先に、救護車両に誰かを押し込んだのが分かった。その後、文字通り阿修羅のように暴れ狂い。

周囲のブリザードを吹き飛ばす勢いで、下位の邪神達を次々に薙ぎ払っているのが見えた。

「悟り世代」は。

その圧倒的な強さに、むしろ心配した。

あの人らしくもない、と思ったのだ。

冷静に状況を判断後、すぐに医療用の車両に向かう。横たえられていたのは、話に聞いている絶技を使っただろう「陰キャ」。

日本を守り続けたトップエースの一人は。

意識もなく、バイタルも極めて危険な状態だった。

すぐに治療を開始する。

奧で寝込んでいた何人かも何事かと此方を見ていたが。休むように叱咤。

まずい。このままだと心停止する。

幾つかの薬剤を打つが。バイタルの悪化が止まらない。

なるほど、この状況なら、「悪役令嬢」が阿修羅になるのもよく分かる。

だが、誰かが止めなければならないだろう。

一番強い薬を準備する。

ともかく、このまま心肺停止にさせるわけにはいかない。

起きだしてきた「派遣メイド」が手伝ってくれる。無理をするなと叱責しそうになったが。医療知識は「派遣メイド」の方が上だ。

薬を指定されたので、それを取りだす。

そのまま、電気ショックをするように指示を受けたので、頷いて指示に従う。

電気ショック。

びくんと、小さな「陰キャ」の体が跳ねた。

全自動での電気ショック装置は、人間と違って焦らない。正確に、必要な処置を行ってくれる。

そのまま、点滴を手早く刺して。

かなり強い薬を入れる。

外では、戦いが終わった様子だ。怒り狂った「悪役令嬢」が、下級邪神を全部片付けて行ったのだ。

本人だって、負傷がひどいだろうに。

もう一度、電気ショック。

また「陰キャ」の体が跳ねる。

激しく咳き込む。

苦しそうに呻く。

大量に吐血した。

凶悪な邪神と戦闘したのだろう。それに、話に聞く絶技は負担が大きいとも聞いている。それだけしなければ、勝てない相手だったのか。そうだったのだろう。

最高位邪神が出てくる可能性がある。

それも複数。

その話は聞いていた。だが、どこかで無敵を確信していた。ゆえに、この事態でショックを受けているのは、「悟り世代」も同じだった。

「……負傷者の手当を頼みますわ」

「……」

いつの間にか、車の外にいた「悪役令嬢」が。怒りを押し殺すようにそういった。

手袋が破れている。あの人も絶技を放ったのだろう。それだけ手強い相手と戦った、と言う事だ。

ひょいひょいと跳んでいく「悪役令嬢」。

周囲からは邪神の気配が消えている。だからといって、既に此処が安全とは限らないのだ。

苦しそうな声を上げている「陰キャ」。

AI診断システムが既にさっきから動いている。

指定の薬物をセットする。投入するのは自動で任せる。

強心剤などを入れているようだ。

副作用もあるから多用はしたくない薬物なのだが。それだけ危険な状態と言う事である。

周囲にはフォロワーがいるけれど。

日本から来た第二世代の狩り手や。それに生き延びた狩り手達が、自身もボロボロなのにしっかり対応してくれた。

三時間ほどの集中治療の末、どうにか命を取り留めた「陰キャ」だけれども。

意識は戻らない。

このまま戻らないかもしれなかった。

「悪役令嬢」が戻ってくる。かすり傷などの手当もしていない。無事な狩り手は集まるようにと言われたので、集まる。

死者はいないが、負傷者は多数。この作戦に参加した狩り手の半数が、しばらくは動けないだけのダメージを受けている。

特に「陰キャ」の負傷は大きい。

しかしながら、「悪役令嬢」は言う。

「今回の戦役で、「エデン」の邪神の半数以上を削りとり、特に最高位邪神は恐らく「財閥」以外の全員を撃ち倒しましたわ」

頭に来ていない筈が無い。

これだけ「悪役令嬢」もぼろぼろになっているのだ。

それでも周囲をしっかり偵察し、邪神がいないかを確認してきてくれたのだ。

それは、感情論でどうこう言って良い相手では無い。

立派だと思う。

「撤退を開始してくださいまし。 わたくしが、守りを担当いたしますわ」

「……」

後は、何も言うことができなかった。

一番苦しいのは間違いなく「悪役令嬢」だ。それが分かっているからこそ、辛かった。

「陰キャ」の逸話は幾つも聞いている。

分かっているのは、「悪役令嬢」が唯一相棒と認める程の人員で。後継者は他にいないとまで言っていたほどの狩り手だと言う事だ。

やる場のない怒りを感じて、「悪役令嬢」の顔を見られなかった。

「陰キャ」はこのまま再起不能かも知れない。

復帰するにしても、多分一ヶ月以上は必要だろうとも思う。

その間に、本当に敵は何もせず。大人しくしてくれているのだろうか。

とてもそうだとは思えなかった。

悔しい。

それはどうしても思う。

敵の首魁には逃げられた。

それも何となく分かった。

だが、「悪役令嬢」が撤退を決めた。この作戦で、もっとも激しく暴れ回り、戦果を上げた英雄がだ。

一番苦しい思いをしたのも「悪役令嬢」だ。

それを分かっているから、何も言えなかった。

力が足りない。

それを実感して、歯をかみ砕きそうになる。

撤退の準備が終わったので、そのままロボットを操作して。飛行機の方へと移動する。

「陰キャ」が乗って来たVTOLに、全ての物資やロボットを積み込む。

後は、帰路だが。

少しでも「悪役令嬢」に休んでほしいが、そうもいかないだろう。

積み込みが終わった時には、誰も何も言わなかった。

歴戦を重ねた陽気な狩り手「ギーク」でさえ、黙り込んでいた。

「ナード」が倒れ再起不能になったときと同じくらいつらいと、「ギーク」は言っていた。

それは、大いに共感できる事だった。

飛行機がジュネーブを発つ。

ジュネーブの周辺は、吹雪で相変わらずだったが。飛行機で飛び立った直後には、雪が晴れていた。

あの悪趣味な肉の宮殿は綺麗になくなり。

それどころか、まるで核でも落ちたかのように地形が変わっていた。

勝利、だったのだろうか。

間違いなく勝利は勝利だ。

「手当を受けてください」

「不要。 この飛行機を邪神が狙って来る可能性がある以上、安全圏に行くまではわたくしが見張りをしますわ」

「し、しかし……」

「この中に瞬歩を使って邪神の遠距離攻撃を撃退出来る狩り手がいまして?」

「派遣メイド」が悲しそうに引き下がる。

何度も涙を拭っているのを見て、流石に心が痛んだ。

「悪役令嬢」は事実を告げているだけ。勿論誰も悪くは無い。「悪役令嬢」自身も相手を叱咤するような真似はせず、淡々と事実を告げているだけだ。

誰も悪くないというのに。

どうしてこんなに息苦しいのか。

ため息をついてしまう。どうしても、この勝利を喜ぶ気にはなれなかった。

 

大西洋上に飛行機が出た。

同時に、無人艦が来る。日本の護衛艦無人化技術は米国でも共有されていて。米国の港で朽ちるばかりだった戦闘艦が何隻か、こうやって無人化を既に果たしている。そもそもそれほど難しい技術ではなかった、というのも大きい。

既に攻撃班が受けたダメージについては連絡が入っていた事もある。

一旦此処で、班は二つに分ける。

軽傷者と、更には防衛の要になる何人かは即座に撤退。

後は一人だけ護衛を残して。重傷者は此処にある本格的な医療設備に移した。

「陰キャ」も集中治療室に入った。

これから、米国にこの船は飛行機よりも遙かに遅い速度で移動する。その間に、治療を進める事になっていた。

他にも何人か、重傷者は集中治療室に移された。

此処に残ったのは「悟り世代」のみ。

情けないことだが。

「悟り世代」が一番残りの面子で戦えると判断されたからである。

病院船が米国に急ぐ。

何隻かの護衛の艦もいるが。邪神が来たら文字通りひとたまりもない。「悟り世代」がどうにか此処を守るしかない。

泣いていた「派遣メイド」の事を思うと胸が痛い。

同僚が泣いていて、心が痛まないほど非人道的ではないつもりだ。

色恋沙汰に一切興味が無いということで、蔑称として言われるようになった「悟り世代」。だが、SNSクライシスの前には既に結婚制度は破綻しかけていたし。そもそもフェミ思想の異常な台頭もあって。異性と関係を持つことそのものが高リスクになっていた時代だった。

手を見る。

「悟り世代」はそんな時代の影響を受けたのか、性欲が極端に少ない。

今でも女を抱きたいとか一切思わない。

その代わりの欲求やパワーを、全て戦闘に向けている。

今までは、それで良かった。

今は、怒りがその戦闘意欲に加わっている印象だ。

邪神共が許せない事なんて分かっていた。

だが、ジュネーブでの出来事は、大きな傷を心に穿った。

仲間が大勢傷ついた。

それは仕方が無い。

邪神側だって多数を失っている。

だが、どう客観的に見ても。

人間を文字通り玩具にし。元人間の分際で、玩具にして遊ぶ邪神共は許せる存在ではない。

ジュネーブにあった肉宮殿の事を聞いて、怒りは噴出したし。

好き勝手をほざく邪神共を見て、その怒りは更に膨れあがった。

甲板に出る。

邪神が来たら、叩き潰す。

下位邪神ばかりとはいえ。今までの戦闘。更にこの間のジュネーブでの大乱戦で、七体を合計で屠った。

今はもう、戦闘経験がないとは言えない。

だから。此処で皆を守るために時間を稼ぐ。体勢を整えたらまた指示がある。それを信じるだけだ。

空模様は良くない。

全世界で降水量が増えているが、それは此処も同じだ。

船内に移動して、チェックして回る。

邪神はこういう人工物にも入り込んで、好き勝手なことをする。

それを防ぐためには、細かいチェックが必要だ。

この船も徹底的に調査はされているはずだが。どこかにフォロワーが潜んでいたりという事もあるかも知れない。

全長二百メートルを超える大型艦だ。

港に長時間放棄されていたのを、回収して改良したのである。

そういう事態があっても、不思議では無かった。

内部を丁寧に見回っているうちに、通信が入る。

「悪役令嬢」が米国本土についたらしい。やっと治療を受け始めた、ということだった。

あの人が故障すること何て想像できないが。

今までの戦闘で、何度か入院した記録が残っている。

あれほどの、文字通りの超人でも。怪我はするし、負傷入院だってする。

そう考えると、自分はまだまだだと「悟り世代」は思う。

通信で、指示を受けたのでその通りに行動。

いわゆる艦橋に移動すると、負傷者の状態をチェックした。問題は無さそうだ。だが、皆を放置もできないだろう。

船の針路を見るが、人間が北米の東海岸で確保している数少ない港に出るそうである。

昔は膨大な船が行き交っていたらしい場所だが。

今ではすっかり船の墓場になっていて。フォロワーを駆除した後も、住み着いてしまっている人々がわんさかいて。米国も管理が出来ていないらしい。

これでも、フォロワーまみれの他の港よりはあらゆる意味でマシ。

そういうことで、この港に向かっている、ということだった。

色々末期的だ。

幾つかの処理をして、データを米国に送る。

有難うと言われたが。笑顔を作るのもあまり上手にはできない。

船は最高速度で港に急いでいるようで。米軍の医療チームも準備を進めているようだけれども。

それだったら、ヘリでも飛ばして患者を受け取りに来ればいいのに。

勿論分かっている。

邪神の危険がある以上、空路を一般人だけで行くのは危険すぎる。

愚痴だ。

どうしようもない現実に対しての。

今回の戦いは、本当に勝ったのだろうか。確かに邪神の半数以上を叩き潰した事は分かっている。

だがそれでも、あまりにも犠牲が大きかったように思う。

「陰キャ」は復活できるのだろうか。

「悪役令嬢」ほどの超人では無いのだ。体力に欠ける分、どうしても厳しい状況だと思う。

そして「陰キャ」がいなくなったら。

日本は文字通り守護神を失う事になる。それは、もう色々な意味で看過できない状況だろう。

鬱屈がぐるぐる回って仕方が無い。

甲板に出る。いつ何が現れても対応できるように。

今、悩みを抱えてもどうしようもない。甲板で軽く体を動かす。今回の戦いでも、体一つで邪神と渡り合った。

やれる。

そう信じて、体を練り上げる。

いずれ、こんな大きな犠牲を目の前では出させないようにする。そのためにも、無心で今は鍛えるしかない。そう、結論に辿り着く事ができた。

そうして、体を動かしていて改めて実感する。

今回の戦いは、本当に勝ってなどいないと。

主力が何人も動けなくなっている。それだけで、充分に各地の戦線は脅かされている状態だ。

最高位の邪神は流石に各地に現れることはないだろうが。

高位邪神が出る可能性はあるし。今居残りをしている面子で、それを手に負えるのかは疑問である。

特に日本は、最悪「悪役令嬢」を戻すという話を始めるかも知れない。

そうなったら、米国との関係にも亀裂が入ることだろう。

溜息が漏れる。

また無心に戻ると、体を練り上げる。

雨が降り出した。

海が激しく荒れ始める。

この船は、その程度の揺れなどものともしない。特に集中治療室の周りは。下手な揺れ程度はサスペンションで吸収してしまう。

ただ、それでも甲板にいると危ない。

船そのものは大きく揺れるのだから。

船内に戻ると、船酔いとはそういえば無縁だったなと思い。

今更ながらだなと感じて、苦笑していた。

 

米国にいち早く飛行機で戻る。

「悪役令嬢」は、その間応急処置しかしていない。傷が痛むような事はないが。あの「黄帝」との戦いは、意外にも激戦だった。

結局温存していた絶技を使わなければならなくなった。

それくらいは、手強かったのだ。

結局それで疲弊が大きく溜まった事もある。

「陰キャ」がほぼ同時に最高位邪神「帝国主義」を倒していたこともある。「陰キャ」から聞く余裕などはなかったが。あの絶技を使ってギリギリだったと言う事は。相当に手強い相手だったのだろう。

敵が退いてくれて助かった。

内心ではそう思っている自分もいて、情けなく感じている。

あのまま戦っていたら。高位邪神か最高位邪神を、瀕死の「陰キャ」を守りながら相手にしなければならなかっただろうからだ。

本土の土を踏んでから、往復で飛行機が戻っていく。

洋上にいる患者を、一人ずつ回収するつもりらしい。

絶対安静の「陰キャ」以外の狩り手は。酷い傷を受けている者はいるが、集中治療室からは全員出ているらしい。

再生医療が必要な者もいるそうだが。

それは、本土に戻ってからゆっくり対応、という感じだそうだ。

それだけ洋上に不安感を米軍は持っているのだろう。

それはそうだ。

何しろ、SNSクライシスの直後。

米軍が誇った世界最強の艦隊はどれも狙い撃ちにされ。皆、邪神によってフォロワーの巣窟に変えられてしまったのだ。

それから三十年の月日が経過し。

今では彼方此方の海岸にその残骸の大半が漂着しているそうだが。

いずれにしても、海上の閉所にて為す術無く滅ぼされた記憶があるから。できる限り艦隊は使いたくない、というのが米軍の本音なのだろう。

飛行機を見送ると、すぐに会議を行う。

戻って来ていた無事な狩り手は休ませる。

出るのは、「悪役令嬢」だけで良かった。

大統領が疲弊しきった顔で待っている。今回の作戦で、相当な無理を通したのだろう。

立場なども悪くなったのかも知れない。

ましてや、この痛み分けと言える状況だ。

「陰キャ」が回復するまで、日本は殆ど無防備な状態である。

高位邪神を撃退出来ると太鼓判を押せる「陰キャ」がいないということは、これだけの不安を煽るのかと。

「陰キャ」を誰よりも評価しているつもりの「悪役令嬢」ですら驚かされていた。

「戦況については、此方でもカメラなどで分析は終えている。 邪神合計81体を撃滅し、敵の戦力は半減した。 更にいうならば、最高位邪神は既に一体。 敵の首魁「財閥」を除いて滅びた。 それで構わないかね」

「間違いありませんわ」

「どうして一番厄介なのを取り逃したのか……」

陰湿な声がする。

米軍はクーデターが起きてから、かなり人員の入れ替えが激しい。

最高司令官に就任したコーネフも形見が狭そうである。

今文句を言ったのは参謀格らしい。

陰湿そうな目をした男だ。

参謀なんてのはそれでいいのだけれども。ただ、当然憎まれる事も覚悟はしておいてほしいとも思う。

「あのまま無理に戦闘を続行していたら、狩り手は全滅していたでしょうね。 それとも貴方が指揮を執ったら被害を抑えられたとでも?」

「両者とも止めてほしい」

「……」

大統領が冷や汗を拭いながら咳払いをする。

そういえば。話があると言う事だった。

飛行機の中で、何かあったことは聞かされている。

体勢を整える。重要な話だとわざわざ事前に知らされるほどだ。余程の事なのだろう。

「総力戦の合間に、カナダの爆心地。 SNSクライシスが発生した土地の調査を行った」

「!」

「結果として、調査に当たった第二世代の狩り手数名が瀕死の重傷だ。 邪神は出なかったものの、とんでもない数のフォロワーを無理に食い止める事になってな。 一人などは両足を食い千切られてしまっている。 生きて戻っただけで奇蹟と考えるべきだろう」

「……」

第二世代の狩り手は、やはり立場が悪いようだ。

そもそも邪神相手に大きな戦果を上げられていないということもある。

それに、人造人間という事が大きいだろう。

使い捨て。

そう、軍人達は考え始めているのかも知れない。

それは良くない事だ。

SNSクライシスの前は、多くの社会上層の人間が。人材を使い捨てと考えていた。代わりは幾らでもいると、本気で思い込んでいた。

故に色々な悲劇が起きた。

邪神共の言動を見ているから、それを理解している。「悪役令嬢」も、SNSクライシスの原因は、腐りきった人心にあると確信しているほどだ。

「ただし、犠牲に見合う結果もえた。 これを見て欲しい」

「お……」

思わず声が漏れる。

以前、邪神が「共通主観」という言葉を口にした事がある。

そういえば妙だとは古くから思っていた。

例えば、「萌え絵」は邪神が相手なら絶対に効く。

これもおかしな話で。むしろサブカルチャー側にいながら、SNSクライシスで邪神に変じた奴もいた。

そういう奴にも普通に「萌え絵」は大きな効果を示した。

考えてみれば、これはおかしな話だったのだ。

邪神達が主観を共有している。

それは以前、邪神側が口にした話だったのだ。

この回収物は、それを裏付けていると言えた。

「カナダの「爆心地」で回収したこれらは、この爆心地にいた何者かが、典型的な反文化主義者…に傾倒していたことを示している。 それも我が国の最大ブランドだった会社に入り込んでいたポリコレなどの思想と共通している、邪悪なものを大まじめに信奉していたようだ」

「巫山戯た話だ。 文化に対する嫌悪感があったからといって、世界を滅ぼしたのか……」

誰かが呻く。

見ると、影が薄いことで知られていたコーネフだ。

普段は自己主張しないから。却って怒りに額に青筋を浮かべる光景は新鮮だった。

「まだ研究中だが。 爆心地にいた人間が、特に日本産の文化などを嫌悪していたのは確定だろう。 更に欧州の文化に、過激なほどの狂信と盲信を抱いていたのも確定なのだろうな。 今までの邪神の言動を集めてみたデータベースと、驚くほど一致している。 更にはフェミニズムも拗らせていたようだ」

「……拗らせ思想のフルコースですわね」

「これから更に研究を進めるが、そうなると疑問が生じる。 思想を拗らせに拗らせた大馬鹿者がいたとして。 それがどうして、こんな世界規模のカタストロフにつながったか、だ」

SNSクライシスの最大の謎だ。

そもそも、SNSクライシスという名前がどうして付けられたのか。それは。邪神を研究していくうちに。SNSを中心として広まった邪悪な思想が、どうも何かしらの引き金となったらしいと判明したからだ。

それまでは「破滅の日」とか色々呼ばれていたのだが。

どうにもおかしいという事が分かってからは、何年かかけて「SNSクライシス」という名前が定着したらしい。

更には、爆心地がカナダである事も既に突き止められていた。

様々なデータを分析する限り、最初の邪神がカナダで産まれ。

それから世界各地で爆発的に誕生した事は判明している。

最初の邪神が産まれてから、最後のが産まれるまでそう時間は掛かっていない。

そして、邪神の間ではフォロワーを増やす事がステイタスになった事も分かっているが。

それも最初に植え付けられた本能によるものだと言う事しか分かっていない。

謎が、全て解き明かされるかも知れない。

そうなれば、邪神に対する特効薬が作れるかも知れない、ということだ。

「研究は私しか知らない秘密施設で今後とも行う。 これはユダがいる可能性を考慮してのことだ。 敵は大きく戦力を減らしたが、それは味方も同じ。 今回の件で、無理をした狩り手が三名、引退する事になった」

一瞬背が伸びたが。

まだ「陰キャ」については保留で決定のようだ。

それで、胸をなで下ろす。

あの子がいなければ。

敵の本拠を探し当てても。決して叩く事は出来ないだろう。

挙手したのは、山革陸将だった。

「邪神共の動きは」

「今衛星画像などを解析しているが、中欧までは移動を確認した。 それ以降は、どうも空間転移をつかったようだ」

「……分かりました。 此方では守りを引き続き固めます」

「頼む。 それでは会議は一度解散しよう」

通信を終える。

ため息をつくと、医者の所に行く。

かなり医者を怒らせていた。

やっと、本格的な治療に入る。医者のいうことには、応急処置で動きすぎ、だそうである。

幸い、今回の作戦で負傷した狩り手の分くらいは、問題なく治療できる物資が整っているとか。

有り難すぎて涙が出てくる話だ。

色々と説教を受けながら、今後の事を考える。

日本に狩り手は何人か戻る事になるだろう。現在対馬でも、相変わらずの過酷な戦闘が続行しているらしい。

「女騎士」は今回の戦いでますます力不足が明らかになったが。それでも邪神を何体も倒していると言うことで、エースとして扱うしかない。

そのまま治療を受けるが。

どれだけいたい治療をされても、眉一つ動かさないところだけは褒められた。

医師に話をされる。

「出来るだけ、その絶技というのは使用を控えて貰えますか」

「今回は一度だけ。 それも、使う必要があるときだけに使っていますわ」

「……骨への負担が大きすぎる。 一度だけでこれほどになるとは……」

医師が眉をひそめていた。

確かに負担が小さい廉価版の突き技は何度か使っているが。確かに絶技で「黄帝」を仕留めたときには。腕に違和感があったのも事実だ。

ともかく、本当に最後の手段にしてほしいと言われたので、頷く。

まだいわゆる功夫が足りないなと感じた。

技の練り上げが足りないから、最終技でこうも体に負担が掛かってしまうのだ。

それは決して良くない事だとは分かっている。

これから、またしばらくはフォロワー狩りが続くだろう。性格的に、しばらくは「財閥」は動かないだろうから。

或いは日本の、しかも本土にはちょっかいを出すかも知れないが。

それも限定的とみて良いだろう。もはや虎の子になった高位邪神は出さないだろうし、なんとか対応してもらうしかない。

病院を出ると、既に夜になっていた。

大きな戦いだった。だが、同じような規模の戦いを、もう一回はしなければならないだろう。

その時には、今回ほどの戦力は揃えられまい。

通信が来る。

「陰キャ」が目覚めたらしい。まだ意識ははっきりしていないようだが。

医師はいずれも厳しい見解を見せている様子だ。

ため息をつくと、分かったとだけ。病院船にいる「悟り世代」に返す。

まだ集中治療室から出られない。

それが、全てを物語っていた。

 

4、束の間の休み

 

数日は、半ば無理矢理休まされた。

とはいっても、「悪役令嬢」は責任ある立場だ。医師が角を生やしているのを横目に、会議には出なければならなかったが。

それから、日本に戻る「女騎士」と「喫茶メイド」を見送る。「陰キャ」が連れてきた第二世代の狩り手も、一緒に戻った。

「陰キャ」自身は、港の近くの海域まで来ている。

引退が決まった狩り手達も、既に病院船から戻っている。彼らに加えて、「腐女子」と「派遣メイド」もだ。

「悟り世代」は、一人だけ病院船に残っている。

きちんと接舷するまでは、守りを全うするつもりらしい。

SNSクライシスの前は、真面目に仕事をする人間はバカの代名詞だったと聞いている。

ブラック企業ですり潰されるまで働かされ。

それをみて、愚かな重役共はけらけら笑っていたそうだ。

結果として人材は枯渇。

いつしか、金をどれだけ積んでも人などこなくなったそうだが。

そんな最果ての時代とは裏腹に。

今は真面目に働いてくれる奴は、尊敬されるようになっている。良い事だと思う。

無言で体を慣らす事もあって、フォロワーを軽く狩る。

リハビリを先にするべきだと医者に言われたが、こればかりはこっちの方が良いと思っている。

復帰一日後は淡々と、小規模なフォロワーの群れだけを狩って終わった。

そして、「腐女子」と「派遣メイド」が病院から出て来たのと合流。

そのまま、東海岸で、狩りを続けた。

連日、それなりの数を狩る。

途中、アラスカから連絡が来る。

「フローター」からだった。

彼女はアラスカ戦線の主力。今も連日機動戦を行い、フォロワーの大軍を振り回している。

話によると、アラスカに押し寄せるフォロワーの群れは、明らかに動きが鈍っているという。

ひょっとすると、この間の戦いでフォロワーを活性化させていた邪神が倒れたのかも知れない。

だとすると好機だろう。

幾つか、差し障りがない話をしたあと。連絡が来る。

カナダに、出向いてほしいと言う事だった。

爆心地の調査をしてほしい。

大統領からの依頼だ。

なんでも、爆心地で得られた資料から、だいたいの事はわかったものの。まだ分からない事が幾つもあるらしい。

爆心地周辺には数百万の、それもかなり凶悪なフォロワーが結集している。

これらをどうにかするのは厳しく、実績がある「悪役令嬢」達に頼みたいと言う事だった。

爆心地での戦いで導入された第二世代の狩り手のうち、一人だけ軽傷で戻った者。「ぼんやり」という子もつけるという。

間もなく病院船が接舷する事もある。「悟り世代」は此方に戻ってくるから、四人チーム。更に第二世代の狩り手が加われば、五人チームか。

一日当たり六万程度のフォロワーを狩ることを想定すれば、充分に勝ち目がある話である。

分かったと大統領に返す。

その後は、「悟り世代」に連絡を入れた。

明日の朝、医療チームが来ると言う。

「陰キャ」は意識が戻ったり戻らなかったり。

命には何とか別状無い様子だが。現時点では復帰の目処も分からないと言う事だった。

後継者だと思っていた天才が、このような事に。

気分が良いわけがない。

だが、それでも戦士として。狩り手として。やる事はやらなければならない。

ため息をつくと、自分の手を見た。

この手で、あとどれだけ暴れられるだろう。

医者に言われた事を思い出す。

体内の負担と疲弊が激しいと。

このままだと、三十を待たずに前線に立てなくなる可能性が高いのだと。

それでも、「悪役令嬢」はやらなければならない。

邪神と人間は相容れない。

ましてや、今邪神のトップにいる「財閥」は正真正銘のカスだ。

奴を屠らない限り、安息の時はないだろう。

今は、間近でできる事をこなして行く事しか選択肢は無い。

意識を集中すると。

迷いを払って。後はフォロワー狩りで、リハビリに「悪役令嬢」は専念した。

 

(続)