反撃は遠い
序、地獄戦線
対馬。
夜。限界が近いと思いながらも。戦闘を切り上げて戻って来た「喫茶メイド」はミーティングに応じていた。
米国アラスカにて。米国が大敗北。
それは既に聞いている。
それだけじゃあない。
今度現れた邪神「国家管制」は、長距離に能力を展開する事が出来るらしく。アラスカから、なんと米国本土まで能力を展開する事ができるらしい。
そもそも距離はあまり邪神に対して意味を成さない。
何しろ、空間転移を余裕でこなすし。
それ以上に、そもそも今まで邪神が距離を問題にした形跡が無い。
いずれにしても、この戦いで米国がアラスカを事実上失い。
「悪役令嬢」の到着が遅れたら、多分米国は狩り手の主力全てを失い。下手をすると、米国の中枢も壊滅していたのは事実だ。
「悪役令嬢」の苛烈な判断で、かろうじて全員の生還には成功したものの。
アラスカには好き放題フォロワーが流れ込み。更には、邪神がいつピンポイントで攻撃してくるか分からないという恐怖が、米国を締め上げているようだ。
アラスカに反転攻撃するべき。
そういう声も上がっているようだが。
そんな事をして、意味があるのかと思う。
邪神と意思疎通が事実上不可能なのは事実だ。それについては、何体も戦闘しているから「喫茶メイド」にも理解出来る。
邪神が甘言を囁いたときが一番危ない。
それも良く理解出来ている。
だが、今はそもそも、守りを兎に角固めるべきなのではないのだろうか。
メキシコからも膨大なフォロワーが北上を開始しかねない状況なのである。
人間が安全に過ごせる場所など一つも無い。
そのような状況で、未だに米国本土をという話をしているのが、「喫茶メイド」には理解出来なかったし。
なんならこの対馬防衛の意義も、あまり分からないと言うのが本音だ。
確かに此処を落とされたら、北九州を狙われることになるが。
こんな数、毎日送り込まれて対応出来るわけがない。
既に一千万だかのフォロワーは上陸を完了しており、それにお代わりがどんどん来ている状況だ。
連日30000キルをたたき出しながら下がっているが、もう対馬は落ちる。
その後は、海上に展開した無人艦隊を駐屯地にして、そこから無人艦隊と連携して戦うという話になっているが。
それを本当に実行できるのか。
海上とは言え、フォロワーの大軍をいなしながら戦えるのか。
それらが不安でならなかった。
不毛な会議を終えると、戻る。
「巫女」はまだ起きていて、何か儀式みたいなのをしていた。
詠唱しているのは何か日本っぽい言葉だ。
よく分からないが、奉納舞とかそういうので唱える詔だろうか。
ともかく。「巫女」には適当な所で切り上げるようにと告げて、そのまま眠ろうとする。
あの子は連日の戦闘で毎日15000以上のキルカウントをたたき出しており。更に連日キルカウントが膨れあがっている。
最悪此処はあの子だけに任せても良いのではないか。
そんな暗い欲望がわき上がりはじめているのを見て。「喫茶メイド」は情けなくて、涙が零れるのを感じていた。
頬を叩いて、それで眠りに戻る。
眠れていない。
眠ろうと横になったが、それっきりだ。
ストレスで限界が近い。
それは分かっていたが、どうしようもなかった。
睡眠導入剤を食む。
これは少し前に調合して貰ったものだ。狩り手の健康は生命線と言う事もあって、健康診断は基本的に月一度はしてもらっている。とはいっても、半日かかるような本格的なものではないが。
その結果、ストレスが激甚という診断が出たのが、「喫茶メイド」と「優しいだけの人」らしい。
いつも笑顔を浮かべているのがどれだけ大変か。
これは、端的にそれを示しているとも言えた。
ともかく無理に眠って、最低限の体力を回復する。
「女騎士」は体力がありあまっている様子で、平然としているが。流石に「喫茶メイド」はきつくなってきた。
もうどうでもいいから、「悪役令嬢」が戻って来てくれないかな。
そう思うばかりである。
勿論口に何て出せない。
そのまま、早朝の打ち合わせをした後。「巫女」に話をする。
「夜にやっていたあれは何ですか?」
「奉納舞。 巫女だという話だから、やっておいた方が力が上がると思った」
「は、はあ。 それで何処かから情報を仕入れて、儀式を再現したと」
「いや、自分で全部適当に考えた」
頬が引きつりかける。
そうか、この子こんなすっ飛んだところがあったのか。
つまり変な儀式を自分で考えて、「巫女」っぽくして。それでキャラ作りにしているわけだ。
そうかそうか。
何だか意識が飛びかけたが、どうにか引き戻す。
「女騎士」が心配そうに見ているが、何とか立ち直った。
「今日も戦闘を頑張りましょう」
「ああ」
「巫女」の言葉遣いとかは、最初は気にならなかったが。連日の戦闘で、ストレスが蓄積して行くと、そうでもなくなってくる。
もう限界だ。
それは分かっているのだが。どうしても、「喫茶メイド」にそれを言い出すことはできなかった。
「人形」と共に大阪で暴れていた「陰キャ」の所に連絡が来る。
「喫茶メイド」が戦闘で軽症を受けたらしい。フォロワーの群れが凄まじい勢いで来ているのだ。
まあ、戦闘で一瞬でもミスをしたら負傷する。
あの人は、指揮官には向いているが。前線での戦闘は若干苦手なようだし、仕方が無いと思う。
だから、それに対してどうこうと思う事は無かった。
いつかは起きるだろうと思っていたからだ。
問題は、それと付随する色々な事。
例えば、今一緒に戦っている「人形」を前線に寄越せとか。
そういう連絡が来るかも知れない、ということだ。
まだ、とても前線に出せる戦力では無いと言う説明はしてある。
だけれども、米国の戦況がとても悪化しているらしいことは聞いている。
この上、日本でも前線が崩されるわけにはいかない。
そういう判断を、政府がしてもおかしくないし。
何より「陰キャ」が思いつくくらいだ。
誰が考えても、不思議ではないだろう。
それに、だ。
「陰キャ」からみても、最近の「喫茶メイド」はいつどうなってもおかしくないように思えた。
問題はこの後。
誰が前線指揮をとるか、である。
論外なのは「陰キャ」と「コスプレ少女」。「陰キャ」はまっさきに自分で論外と結論出来る。指揮官とかには決定的に向いていない。「コスプレ少女」は本能型の戦士で、前線で暴れる事にむいているが。指揮は厳しいだろう。
「女騎士」もその辺では同じか。
能力が高いとも低いとも思わないが。前線で指揮を執るというのは厳しいように思えてくる。
一方「優しいだけの人」はどうか。
なんともいえない。
一緒にいる二人からの苦情を一切聞かないところからすると、意外と悪くは無いのかも知れないけれども。
いずれにしても、よく分からない事に、太鼓判は押せない。
昼を少し過ぎて、基地に戻ってきて。
ガラケーデバイスから情報を見て、「陰キャ」はため息をついていた。
「人形」には、奧で休むように指示。
その時間帯を利用して、「陰キャ」も一人で休んでおく。
静かにしていると、それだけでずっとリラックス出来る。
フォロワーの大軍を蹴散らしているときも、それはそれで無心になれるけれども。
膝を抱えて静かにしていると。
案の定、それを邪魔にする雑音。
山革陸将だ。
メールを受け取る。
「既に連絡をしたが、「喫茶メイド」くんが負傷した。 命に別状はないが、すぐに前線復帰できるような軽症でも無い。 これにともなって、指揮系統を一時再編する」
まあそうだろうなと思う。
指揮を執るのは、今後は当面「優しいだけの人」だそうである。
まあそれ以外にないだろうなと納得。
ただ、だいたいは放任主義だった「喫茶メイド」と違ってくる可能性はある。何より相手は男の人だ。
身構えてしまうのは、古くに言われた「陰キャ」が故か。
天然物と「悪役令嬢」に太鼓判を押して貰ったほどなのだから、そうなのだろう。
いずれにしても、不満は今の時点ではない。
連絡が来る。
メールで、だ。
「お久しぶりです、みなさん。 「優しいだけの人」です」
無言で続きを見る。
淡々と事務的なメールが後に続いていた。
「この度は指揮官に昇進する事になりました。 これにともなって、僕は異動する事になります。 僕自身は対馬で戦闘を行っている無人艦隊の指揮所に。 それにともなって、何人かの異動があります」
異動か。
見ると、「コスプレ少女」が横浜から対馬に異動とある。
「優しいだけの人」と一緒に行動していた「コンビニバイト」「アイドルオタ」の二人の狩り手は、そのまま遊撃を続行。
横浜でのフォロワー駆除については、今後新人が来てから検討する、という話らしかった。
「陰キャ」や「人形」には異動は無しか。
無言で続けて来たメールを見る。
「陰キャ」宛てだった。
恐れ入ります、などとかしこまっていたが。内容は、「人形」はいつ一人前と判断出来るのか、その基準はというものだった。
無言でガラケーデバイスを閉じたくなるが、我慢だ。
無心でメールを打ち返す。
まだ「人形」は戦闘力は兎も角、精神面で問題が多すぎる。
とてもではないが単独行動なんてさせられないので、その辺はご理解ください、と。
少しメールの論調が厳しくなったかも知れない。
そもそも基準だのなんだのと、五月蠅い。
無言でいると、メールがまたすぐにとんでくる。
どうやら、「優しいだけの人」は、とても本当は優しいだけではない様子である。まあそれはそうだろうなと思うが。
「現在、各地の戦況が非常に厳しい状況です。 とくに対馬は絶望的といっても良く、静岡だってやっと安定して無人工場を作り始めた、という所に過ぎません。 邪神がいつ何処に現れても対応ができるか厳しい現状を考えると……」
無言でメールを読むのを止める。
うんざりした。
誰もかれも、血に飢えているように思えてならなかった。
しばらく膝を抱えて黙り込んでいたが。
メールに送り返して、戦場に出る。
泣き落としをされようと、今まだ面倒を見る人が必要なのは事実。そう告げて、連絡を終える。
今のところ、日本の何処にでも一瞬で出られるようにと、「陰キャ」は大阪から動かせない筈である。
それにともなって、「陰キャ」がへそを曲げた時の事を考えると、強くは出られない筈だとも分かっているだろう。
それならば、現場で何とかしてもらうしかない。
そもそも、上司になってから、すぐに本性を現したようにも感じる。
なんというか、今までもあまり良い印象は無かったが(悪い印象も別になかった)。メールを新しく違う立場で受けてから、一気に印象が変わった。
「人形」は「陰キャ」を頼ってくれる。
だから、「陰キャ」みたいなコミュニケーション能力が云々の世界では生きていけないだろう人間でも。静かに過ごしていくことができている。
無心になって、フォロワーを狩る。
ひたすら狩り続けて、夕方過ぎになって一旦引き上げを指示する。
大阪にいるフォロワーも数百万には達するはずだが。どんどん地区を奪回していくうちに。最近は自衛隊の車両が行き交ったりするのも、目にするようになっていた。
生存者の発見は、目だって減っている。
大阪の中心部にどんどん踏み込んでいるのだから、当然かも知れない。フォロワーが凄まじい密度で蠢いていたのだ。どれだけの苦労をしても、生き残るのは尋常ではなく大変だろう。
精神を病んでしまうケースもある。
仕方が無いのだとも思う。
追撃に出て来ているフォロワーを斬り伏せる。
「人形」のキルカウントは7000を越えていた。
巨大な斬馬刀を縦横無尽に振り回して、フォロワーを撃ち倒している。成長もとても早い。
一方。「陰キャ」のキルカウントも、連日16000から18000の間を行ったり来たりしている。
随分と高い戦果だ。
体力も、着実についているように思う。
駐屯地に戻ると、連絡が来る。
議事録だった。
「優しいだけの人」が、対馬の戦況についてレポートをまとめて提出したらしい。
悲惨な戦況なのは一目で分かるが。
かといって、「陰キャ」には何もできない。
「人形」に、。風呂に入って眠るように指示すると。
自身も明日に備えて休む事にする。
悲惨な戦況なのは、どこも同じなのではあるまいか。
米国でも、「巫女」や「人形」と同じ立場のルーキー達を引っ張り出していると聞いている。
どうして、他に余裕があると思えるのか。
対馬では、「女騎士」と「コスプレ少女」、「巫女」の三人で、合計32000キルを達成したらしいが。
かといって、連日戦っても、対馬からフォロワーを駆逐するには程遠いのは一目で分かる状況だ。
メールによると、最近は連日無人のホバーを使って早朝に対馬に接舷、後はずっと戦っているという。
そうしないと、フォロワーが北九州へ進撃を開始するからだ。
昼のわずかな休憩時間も、殆ど余裕は無いらしく。その間も海上で食事をとっているらしい。
いずれにしても、そういう細かな積み重ねで、「喫茶メイド」は限界を迎えたのだろう。
そういう事が、ちまちまと書かれていた。
分かっている。
もう一人か二人、一日10000キルはできる狩り手が対馬に向かわないと、非常に厳しいと言う事は。
だからといって、この誰にも頼れない状況の子を、見捨てることができるのか。
「陰キャ」は今、自分勝手なことを言っているのだろうか。
自分勝手だとしたら、倫理を捨てないとまともにはなれないというのだろうか。
もしそうだとしたら、なんというか。
「陰キャ」はずっと「陰キャ」のままでかまわない。
そうまでして、「まともな人」に迎えてほしいとは思わなかった。
風呂から上がってきた「人形」に、できるだけ今日の細かい戦いとか、色々な事を聞いていく。
話を聞く限り、しっかり受け答えもできるけれど。
そもそも「人形」として仕上げられたせいもあるのだろうか。
極めて虚無に近いと感じて、悲しかった、
無心のまま風呂に入る。
ずっと美味しいままのレーション。米国のレーションは非常にまずいという話なので、「陰キャ」はそれだけで申し訳なくなる。
かといって。「人形」を戦闘マシーンに仕立てるつもりはない。
だから、どうしていいか分からないと言うのもあった。
眠る。
無心に。
寝ている時だけは、静かでいられる。
「悪役令嬢」が戻って来てくれればなあ。
そう思う。
あの人は、本当に頼りになった。多分上に立つ人に相応しいカリスマというのを持っていたのだと思う。
あの人が戻ってきてくれれば。
勿論分かっている。
あの人が戻ってくるのは、勝ったときか負けたときだけ。
そして負けたときは、生きているあの人と会うことはないのだろうとも。
無言で休んで、疲れを取る。
もはや今は、ひたすら静かにして。自分のコンディションを整え。それから、ゆっくり自分にできる貢献を。自分にできる範囲内でやっていくしかなかった。
その過程で「人形」に対するエゴが産まれたのなら。
それは仕方が無い事だと思う。
歴戦の狩り手が三人も貼り付いているのだ。そんな場所に、更に人員を追加してどうにかなるのなら、最初からそうしてほしいし。それ以上は望まないでほしいとも思う。
勿論それが無茶であり難題であることだって分かっている。
「陰キャ」だって日本の各地を回って、第二東海道関連の仕事を散々してきたのだ。
日本中がまだ無茶苦茶な事くらい、よくよく理解している。
でも、やっぱり欲が産まれてきているのだと思う。
それだけは、否定できない事だった。
1、ズタズタに割かれる戦線
一段と、大きな被害を受けた米国。軍も後方支援をしている人々も。なにより狩り手達も。
「悪役令嬢」は、無言のまま悪ガキ達とまだ動ける狩り手を伴って、ニューヨークの一角で狩りをする。
今動けるのは、「腐女子」「悟り世代」「派遣メイド」の日本から来た狩り手三人組。
そして悪ガキ達、F号計画の子供ら三人。
米国の狩り手で一線級の者の内動けるのは、「フローター」のみ。
この面子で、ニューヨーク近辺で狩りを行う。
悪ガキ三人組は、この間の戦闘で、高位邪神の恐ろしいプレッシャーを間近で見てしまった。
それによって、明らかに動きが鈍っている。
仕方が無い。
本番で高位邪神の恐ろしさを感じなかったより、なんぼかマシだ。
調子に乗っているところにアレを受けてしまったら、多分再起不能だっただろう。
ましてや、此奴らをいきなり最前線におくったら、自分を強いと誤認した可能性だって強い。
そうなっていたら、とてもではないが。生還の望みなど、無かっただろう。
良かったのだ。早い内に挫折を味わって。
「腐女子」と「悟り世代」は、淡々と動いて淡々と狩っている。
この間のアラスカの戦いで、「悪役令嬢」に刃を向けたことを。「腐女子」は錯乱しそうな勢いで後で謝ってきたが。
あれは強力な催眠術を受けていたのだから仕方が無い。
「派遣メイド」は。この間の戦いで邪神が絡んだ大軍相手に立ち回りをするという経験をしたからか、ぐっと動きが落ち着いている。
「フローター」は、経験を単純に積んだのだろう。
かなりのキルカウントをたたき出せる様子だ。
これならば、悪ガキ達を任せても大丈夫だろうと思う。
「悪役令嬢」自身も平気だ。
ベストコンディションとまでは言わないが、それでもこれなら28000キルカウントを出せるだろう。
一日軽く狩って、合計で50000キルを達成。
一つの戦場で、50000キルを稼いだのは流石に「悪役令嬢」も中々経験がない。
これだけキルカウントを出せるのであれば、百万のフォロワーを三週間で殲滅できる。
それが如何に凄いかは、「悪役令嬢」もよく分かっていた。
無言で引き上げる。
他の狩り手は先に切り上げて貰って、会議に参加。
早速、大統領が声を掛けて来た。
テレビ会議が始まるや早々、貪欲な事である。
「素晴らしい。 わずか一チームで、一日にあれほどのキルカウントを達成出来るとは」
「我々が今総力で、あれだけのキルカウントしか出せない。 そう判断してほしいものですわ」
「それは……そうだが」
「それよりも、負傷した方々の状況は?」
突き放しているようだが。こういう風な態度は、意図的に取っている。
基本的にこうしないと、足下を見られると判断したからである。
こうすることによって、「悪役令嬢」は相手に弱みを見せない。
弱みを見せなければ、無理難題も言ってこない。
そういう判断である。
「医療班です。 現在治療を進めていますが、「ギーク」さんら三人は、一月以内に軍病院を出られるかと思います」
「一月だと!」
「はい。 これほどの負傷だと、一月は見てもらわないと……」
「再生医療などでどうにかできないのか」
不満の声が上がるが、再生医療は簡単な代物ではない。
今生きている人間なのだ。
自分だって、再生医療を一度や二度受けた経験はないのだろうか。しらける「悪役令嬢」だが。
ただ、戦力が足りないのは事実だ。
アラスカを突破したフォロワーの群れは、放置しておいたら対応できなくなる可能性が高い。
人間の兵士だったら、はっきりいって対処は難しくなかっただろう。
だが。フォロワーは海中でサメに襲われても相手を逆に引き裂くようなパワーの持ち主であり。
なにより根本的に食糧を必要としない。
人間を襲い喰らうのも、単にフォロワーだからであって。別に人間を喰わなくても、何十年でも平然と動き続ける。
雪の中などを歩くのも苦労している様子は無い。
だから。対応を急がなければならないのは事実ではある。
「現状の戦力で、アラスカを制圧しつつあるフォロワーの大軍を押し返すのは、厳しいでしょうな。 ましてやメキシコから億を超えるフォロワーが北上を開始しつつある現状を考えると……」
「もう北上を開始したのですか? 初耳ですわ」
「……」
青ざめた大統領の補佐官。
まあ喋って良いと言われていたかは分からないし、あの反応は自然と言えるか。
いずれにしても、対応はどうにかしなければならない。
現状の戦力では、厳しいというのも事実。
それについては「悪役令嬢」も認めている。
「各地の集落はどういう状況かね」
「メキシコに隣接した地域では、既に避難を開始しています。 しかしもしもフォロワーがアラスカのように活性化したら、米国南部だけでまだ数千万のフォロワーが健在である事を考えると……」
「分かった、できる範囲でできる限りの避難を実施してほしい」
「……ルーキーは、あれだけ戦えてまだ戦線に投入できないのでしょうか」
そうぼそりと言ったのは。まだ若々しい軍司令官の一人だ。
三十代くらいだろうか。階級は中将のようである。
アラスカで激闘を繰り広げている頃、米国の中枢でも色々とあった。
それについては分かっている。
アラスカに超長距離の精神攻撃を行える高位邪神がいて。
そいつがいつ仕掛けて来てもおかしくないという事も。
とくに「エデンの蛇」が危険だ。奴が人間の居場所を察知して、精神攻撃を誘導する可能性は常に考慮しなければならない。
「分かりましたわ。 なんなら、わたくしがこの間駆除し損ねたあの高位邪神を仕留めて参りますわよ」
「確かに、悪役令嬢くんは何度も高位邪神を倒して実績を見せてくれている。 だが、あの長距離射撃をかいくぐって、至近にまで接近はできるのかね」
「何とかするしかないでしょう。 奴が居座っている限り、この疑心暗鬼の輪は解けませんもの」
「……分かった。 作戦を立案するように、作戦本部長」
指示を出すと、疲れたようで、大統領は下がる。
後は作戦本部長が後で作戦をまとめると話をして、皆会議から上がった。
風呂に入って夕食にする。
本当にまずいレーションでげんなりする。
日本からレーションだけでも送ってもらえないかなと思ったが。流石にそれは贅沢が過ぎよう。
実績を上げているからと言って、どれだけの贅沢をしてもいいというわけではないのである。
皆が休んでいるのを確認。
後から、自分のベッドに入って、休む事にする。
無言で寝ていると。
日本にいた頃の事を思い出す。
日本にだけ閉じこもるなら。ひょっとしてだが、まだ再起の可能性はあるかも知れない。そんな風に思うが。
これは夢の中だから、だろう。
日本に追い詰められた人類が、そこから逆転するのははっきりいってかなり厳しいと言える。
今米国は、無人採掘施設などを使って、大量の石油を確保しており。
これが人類が今だに戦えている一つの要因となっている。
今米国が陥落したら、かろうじて日本を支えていることができた理由も幾つもが消える事になるし。
何よりも、180前後いる邪神を、日本だけで引き受けることになる。
米国の難民を日本で引き受けるのも不可能だ。
今の人口でもあっぷあっぷしている今の日本である。
三千万とも言われる米国の生存者を引き受けるなど、とうてい現実的な話では無い。
SNSクライシスの前には、日本だけで現状の日米の生存者を合算したよりも人口が多かったと聞くが。
それも世界的にライフラインが接続されていたからで。
日本だけでそんな数の人間を養えていたわけでは無い。
ともかく、対応しなければならない。
それはれっきとした事実だった。
目が覚める。
起きだして身繕いをしている内に、今日の予定が入る。
作戦の立案などは今日中に済ませるので、引き続きニューヨーク近辺で狩りをしてほしい。
そういう事だった。
まあ、明日出るとしても。今日はゆっくり過ごせる訳だ。なんだか最後の晩餐のようだな。
ゆっくりといっても。昨日と同じくらいのキルカウントは稼がなければならないだろうし。
あまり余裕があるわけでも無い。
色々と悲しい話ではあったが。
朝から、皆が揃ったのを確認して。それからニューヨーク近辺に狩りにでる。
膨大なフォロワーが蠢いているが。一日五万削れるとしたら、むしろ少ないのかも知れない。
圧倒的な数で押し寄せてくるフォロワーにも、もはやルーキー達でさえたじろいでいない。
真正面から、敵に斬りかかる。
そして、前線が接触すると同時に、血肉をぶちまけて蹴散らす。
昼には、少しずつ皆を後退させ。
最後尾は「悪役令嬢」が引き受ける。
突出してきたフォロワーを根こそぎ蹴散らし。そして駐屯地に戻る。昼の休憩は各自自由に過ごして貰うが。
その後はまたまとまって貰い、狩りを行う。
夕方、引き上げたときには。
キルカウントは52000を越えていた。一番伸びているのは悪ガキ達だ。しかし、ルーキー三人も充分に伸びていると言える。
充分なキルカウントを稼げたとは思う。この辺りにいるフォロワーを駆除する軍の苦労を考えると、充分過ぎる成果の筈だ。
そのまま、皆は休んで貰い。会議に出る。
作戦本部長が、作戦を立案してくれていた。
「アラスカへの反攻作戦を立案しました。 フォロワーの駆除は正直な所絶望的ではありますが……高位邪神「国家管制」をどうにかするのは今後の戦いを優位に運ぶ上で必須となるでしょう。 故に、「国家管制」のみに的を絞り、駆除作戦を実施する予定であります」
それについては異存は無い。
作戦の内容についても、特に不満は無かった。
流石は米軍。
無邪気にSNSクライシス前の米国では、自国の軍はどんな相手にも勝てると信じて疑わなかったようだが。
確かにSNSクライシスで世界が破滅した後も生き延びている辺り、有能なのは確かなのだろう。
どうしようもない状況で膿が溜まり。
今になっても、出し切れていないのも事実ではあると思うが。
「作戦開始は明日の朝0600となります。 作戦の参加人員は……」
「わたくしが選出しても構いませんの?」
「かまいませんが……」
「それでは」
メンバーを選出する。作戦の内容から、現在の狩り手全員を連れて行くわけにはいかない。
三人だけしか選べないが。
その三人を、「悪役令嬢」は気を遣いながら選んだ。
いずれも、この作戦で生き残る事を前提としたメンバーである。
「この三人を連れて行きますわ」
「……」
黙り込む作戦本部長。
今回、一種の特攻作戦かなにかと勘違いしているのではないか。
当然生きて帰るつもりだ。
それだけのポテンシャルは、この三人と「悪役令嬢」にはある。
大統領が耳打ちされている。
頷くと、会議は終わりとなった。
すぐに軍が来たので、一緒に準備をする。
そして、準備をしながら告げた。
「派遣メイド」「悪ガキ」「フローター」。
この三人は、明日よりアラスカに出かけ。この間能力を把握した邪神「国家管制」を、「悪役令嬢」と共に撃つ。
この三人は、いずれ狩り手達の核となる人員だ。
「派遣メイド」は軍事知識がある、狩り手の中では重要なポジションとして。
「悪ガキ」は次世代の狩り手達の中心となるリーダーとして。
「フローター」は現状の狩り手を代表するベテランとして。
いずれもが、この戦いから生還し。そして敵を倒して、大きな経験に変えなければならない。
皆青ざめて話を聞いていたが。
やがて、「悪ガキ」が最初に顔を上げていた。
「あれよりもっと強い邪神がどんどん出てくるんだろ。 だったら、いつまでもひっこんでられねえ」
頷く。理想的な反応だ。
「派遣メイド」はただ無言で、静かに頷いていた。
この落ち着き。
「喫茶メイド」にもう少し戦闘経験を積ませることができていたら。
そう思う事はあったが。今度こそ失敗はしたくない。
今度こそ、司令塔にもなれる狩り手を育てられるかも知れない。
「フローター」も静かに頷く。
どうせ非人道的な実験の末に産み出される次世代型の狩り手で、全ての前線を押し返すわけにはいかないだろう。
必ず、現世代の狩り手がしっかり見て行かなければならない。
「ホームレス」はそれに欠ける所があったと思う。
「フローター」は、「陰キャ」と同じ天然物。
こういう天然物が中核にいてこそ、狩り手達の指標になれるだろう。
皆が装備などを確認し、準備を開始する。
移動には無人の輸送機を用いる。
また、軍衛星が「国家管制」の位置を常に把握。現状では、移動はしていないらしい。
まあ移動なんてその気になればいつでもできる邪神だ。
挑んでくることも、何となく理解しているのだろう。
だからこそ、挑戦を避けずに待っている。
精神生命体らしい、不便な生態だが。
こっちはか弱い人間らしく、それを利用して勝つ。それだけの話である。
準備が終わったら休むように指示。
「悪役令嬢」も、てきぱきと準備を整えて、さっさと休む事にする。
ニューヨーク近辺から、「悪役令嬢」単騎でフォロワーを全て駆除したら、米国に大きな貸しを作れるだろうか。
いや、それよりも先に。
今は勝つ事を、現実的に考えなければならない。
全ての準備を、皆が終えるのを確認してから寝る。
幾つかを決めておく。
戻ったら、瞬歩を叩き込む必要があるだろう。
まだ力量が足りていないルーキー三人組は無理だとしても。「フローター」と悪ガキ達には仕込んでおきたい。
瞬歩くらいできないと、今後の戦闘が厳しいというのはある。「悪役令嬢」はいつまで勝ち進められるか分からない。
「陰キャ」は既に何も教える事がない。
後継者はいる。
だから、少しでも後を継げる人間を増やしておきたい。
後を継げるというのは、少し傲慢か。
人間に可能性を増やせる人間を、とでもいうべきだろう。
眠りながら、次の世代の可能性について考えて行く。
いずれにしても、自分が無敵だなどと、「悪役令嬢」は考えた事がない。
今後も勝ち進められる保証などないし。
自分が命を落とした場合どうなるかは、常に考えておかなければならないのだ。
だが同時に、まだ当面は負けるつもりも無い。
少なくとも、あのエデンとか言う邪神組織は壊滅させておかないと気が済まない。
やりたい放題を尽くしている奴らは、正直許しがたい。
次の作戦も、どうせ敵は読んでいる。
逃げられない所に主力を引き寄せ、それを殲滅する、くらいは考えているだろう。
米国の中枢には散々くさびを打ち込んだのである。
今度は最大の障害であり、倒す事で文字通り心をへし折る事が出来る狩り手。つまり「悪役令嬢」を殺す事を念頭に置いているはずだ。
勿論、そんな作戦は正面から喰い破るだけである。
眠っていると、ふと何かに気付いた。
見た事がない光景。
なんだか、ひょっとしたら。それは「悪役令嬢」のルーツでは無いのか。そんなことを一瞬だけ思う。
何がルーツか。
「悪役令嬢」が昔なんだったかなんて、思い出すまでもない。
こうまで戦果を上げられたのも、理由は一つしか無い。
決まり切った事を、今更思い出しても仕方が無いのである。
目が覚める。
長い夢を見た気がする。
すぐに起きだして、準備を整えた。すでに輸送機は来ている。
作戦はすぐにでも開始できる。
そう言われて、無言で頷く。準備を整えた三人と共に、「悪役令嬢」は輸送機に乗り込んでいた。
2、雪原赤に染めて
アラスカに飛ぶ米軍のVTOL機。まだ生きている米軍の基地について、先に皆に周知しておく。そこにある装備についても、だ。
この輸送機そのものは無人。
勿論、決死の作戦に喜んで参加する人物もいるだろうが。高位邪神に接近する作戦の関係上、人に運転させるわけには行かないのだ。
輸送機に積んでいる装備についても周知する。
これは、いざという時。輸送機が墜落した時も、搭載した装備を使って生きて戻れという話だ。
勿論敵に接近するときにも装備は用いる
やがて、カナダ国境に接近すると。輸送機はぐんと高度を下げた。
ここからは、あの弾道ミサイルのような超長距離攻撃を警戒しつつ、低空を飛んでいく事になる。
それでも近付けば近付くほど、敵による狙撃の可能性は上がる。
故に、これだけ高度を下げなければならないのである。
そして高度を下げれば。
雪をものともしないウォーキングデッドども。フォロワーが。此方を見ているのが嫌でも分かる。
既に輸送機はそれだけ高度を下げている。
以前してきた狙撃は、敵の最低能力。
それを見越して、高度を下げているのだから当然だと言える。
まず作戦の第一段階。
こうやって高度を下げた輸送機と共に移動して、敵より10キロの地点まで行く。
何故十qかというと、地球のことを考えると、それが狙撃できる限界地点だから、である。
そこからはホバークラフトを用いて前線まで行く。
狩り手四人の内、邪神と戦うのは「悪役令嬢」であり、他の三人は短時間、フォロワーの到達を防ぐ。
そして邪神「国家管制」を滅ぼしたあと、全員でホバークラフトを用いて脱出。
脱出に用いる地点は幾つかピックアップされている。最悪の場合の退路についても、である。
これらについても頭に入れておくように。
皆に話をしているうちに、もう高度はフォロワーどもが手を伸ばしているギリギリに触れそうな程まで下がっていた。
三人とも、連れてきた面子は静かなままである。
これから致命的な作戦に参加するとは思えない程落ち着いている。
此処に「陰キャ」がいてくれたら。
何の問題も無く背中を預け、躊躇無く戦闘を開始する事が出来たのに。
本当に、人員が足りないというのは不愉快だ。
人的資源を湯水のように浪費していなければ、こんなことにはならなかったと思う反面。
日本だって、「悪役令嬢」が出るまでは、絶望的な戦闘で無為に人を減らしていたことを考えると。
この状況も、紙一重なんだなと思う他無い。
そろそろ、指定の位置だ。
皆、乗り込め。
そう指示すると、「悪役令嬢」自身も最後にホバークラフトに乗り込む。
輸送機が速度を落とし、中には飛びつこうとしてくるフォロワーもいる中、果敢にホバークラフトごと雪原に四人の狩り手は降り立つ。
輸送機はUターンして戻っていく。
実際には十三qほど敵まで距離があるが、この地点でターンしないともう間に合わない。早い話が撃墜される。
だから、これで我慢するしかない。
飛びついてくるフォロワーを、「悪ガキ」と「フローター」が展開して蹴散らしつつ、ホバークラフトの起動を「派遣メイド」が開始する。
前は色々と苦労していた「派遣メイド」だが。今は既に非常に頼もしい。手慣れた様子で、ホバークラフトの起動に向けて取り組んでくれている。
当面の露払いをする。
そのために、残りの二人は「悪役令嬢」の負担が減るように、必死に戦ってくれている。
この苦労、無駄にはできない。
「乗ってください!」
「派遣メイド」が叫んだ。
すぐに「悪役令嬢」が乗り込みつつ、ホバークラフトに集ろうとしていたフォロワーを蹴散らす。
「悪ガキ」と「フローター」がフォロワーを蹴散らしつつ、ホバークラフトに飛びつくと同時に。一気に「喫茶メイド」がホバークラフトを発進させた。
ぎゅんと加速が懸かる。
普通の人間だったら振り落とされていたかも知れないが、耐え抜く。そのまま、仁王立ちになり。
時々飛んでくるフォロワーを払いながら、前に進むように指示。
「派遣メイド」は、ホバークラフト通信装置にサポートがあるという事で、それを元に運転してくれている筈だ。
程なく、遠くに見え始める。
更に、テリトリに入ったのが分かった。
此処からだ、本番は。
相手は遠距離攻撃と、制圧、精神戦に特化した邪神。
近距離に接近しても、いつ動きを止められるか分かったものではない。
無心に距離を詰めながら、はっきり見えてきた邪神に対して「悪役令嬢」は跳躍。遠距離砲撃を飛ばしてくるが、鉄扇で弾き返した。
ホバークラフトの上部から跳び、着地。
雪が散る。
雪原を蹴って、相手への距離を詰める。
後方は、三人に任せる。
後方の三人が精神攻撃に耐えられなくなる前に、「国家管制」を仕留める。
それができなければ全滅し。四人揃って屍を雪土に曝すことになるだろう。
勿論、そんな結末は望まない。
アラスカをほぼ制圧したフォロワーは、一旦アラスカ全域に展開する。この説は、軍事衛星が確認したフォロワーの動きで確認できている。今後は輸送機を使った機動戦で、邪神を攪乱しながら、アラスカ方面でフォロワーをある程度引きつけつつ。メキシコから来るフォロワーに備えていくことになる。
その第一歩として、この巫山戯た邪神を叩き潰し。
今後の戦略を展開する第一歩とする。
「悪役令嬢」だって、米国政府には色々思うところがあるが。人類のためには一緒にやっていかないといけない相手であることは分かっている。
分かっているから、全力で戦っている。
後は、米国政府がこの努力に応えてくれることを。期待するばかりだ。
更に速力を上げて突貫。
醜くごてごてと重ねた邪神の姿が至近に見えてくる。
勿論、苛烈な迎撃が待っているが。まだまだ。全て鉄扇で弾き飛ばしながら、間合いに入る。
鉄扇を振るって、ガードをこじ開けると。
やはり近接戦はロクにできない邪神の懐に潜り込む。
「国家管制」は目に見えて怯むが。
直後に、大量のスピーカーを全身から生やし。至近距離から「悪役令嬢」に音波砲を放とうとしてくる。
此奴の原型は文字通りの代物なのだろうが。
その割りには気が小さいな。
いや、気が小さいからこそか。
自分が安全地帯にいると悟ったら、どんなことでも平気でするというその精神性が、「国家管制」という極めて悪辣な行動のコアとなっているとしたら。確かに分からないでもない。
鉄扇を振るって、スピーカーを吹き飛ばし。更に返す刀で敵の全身を木っ端微塵に吹き飛ばす。
鉄扇を振るう。
血を落としたのだ。
こんな奴からも血が流れる。
不可思議な話だ。人間を止めたのなら、血なんて流さなければ良いのに。
後方では、フォロワーの大軍と三人が戦っている。
一秒でも、もたつくわけにはいかない。
「さっさと第二形態を曝しなさい。 それとも今のが第二形態かしら?」
「お、おの、おのれえええっ!」
些細な傷を受けて激高する。
やはり相当に気は小さいらしい。
それも、鼻を鳴らしてしまう。
雪原を吹き飛ばして、第二形態とやらが姿を見せたが。
筋骨隆々の大男とでも言うべき姿で、露骨に全身が膨れあがっている。近接戦もできる中途半端な形態なのが一目で分かる。全身にスピーカーやらなにやら、近接戦には不向きな装備をつけているのもまた、色々と戦闘向きでは無いことがよく分かる。
何でもできる奴は、何にも出来ない。
この鉄扇は、鉄扇の機能だけがあればいい。
それが「悪役令嬢」の持論。
この邪神は。単にもっと邪悪な存在に指示を受けて、国家の中で動いていた飼い犬だったことがよく分かる。
この姿だけでも、明らかすぎるほど。
自分にひれ伏していれば良い。
自分に怯えていれば良い。
それ以外の存在は皆殺しだ。
さもしい精神性が全身から溢れていて、言葉も無いという所だ。そのまま、腕を六本に増やす邪神。
何も分かっていないな。
轟音とともに振るわれる拳は、速度だけは大したものだ。
拳法もそうだが、運動の九割はセンスである。基本的にこう言う攻撃は、素人は絶体に回避できない。
だが、素人以外ならどうか。
雑魚の相手に特化していたのだろうこの邪神は、至近に「悪役令嬢」のような相手を迎えて戦う事がなかったのだろう。
一閃して、六本の腕を全て斬り飛ばす。
もっと心を徹底的に折らなければならない。だから、どんどん恐怖を抱いてくれるのはむしろ有り難い。
無言で更に全身を切り刻み、粉々にする。
第二形態が赤い塵になる。手応えがなさすぎるが、多分そろそろ本気を出してくる筈である。
「国家管制」は、上空にぶわりと拡がった。
目を細めて見ている「悪役令嬢」の前で、それはひたすら巨大な人の形を取る。
今度は巨人によって体格で威圧か。
普通巨大な人型は、大きくなればなるほど無理が出てくる。
最終的にはさいころ体型になっていくのだが。
それだけは、邪神はどいつもこいつも、物理法則を無視していたのに。この「国家管制」だけは違った。
物理にでも知識があったのか、さいころ体型である。
ふっと笑う。
ちょっとだけ、面白いかも知れない。
全身が巨大と言うだけで、攻略は難しくなる。
それは自明の理だ。
だが、そんな理屈が通じるのはルーキーまで。この邪神は、恐らく狩り手と交戦するのは初めてなのだろう。
此奴にとっては不幸な話ではあるが。
「悪役令嬢」にとっては、文字通り知った事では無い。
かっと、上空に巨大な一つ目が開く。
国家管制の第三形態のコアだろう。大変に分かりやすい。
そして、全身に「国家管制」展開したスピーカーから、重音がぶっ放されていた。
音は文字通り音速。
それらが。「悪役令嬢」がいた付近四方十数メートルを、文字通り押し潰していた。雪原は先から苛烈な攻撃に曝され、滅茶苦茶になっていたのだが。それが綺麗に、円形に凹んだのである。
瞬歩を使うまでも無いが、あえて瞬歩を使ったのは。第二形態までが手応えがなさすぎたから。
高位の邪神であることは間違いないのだ。
ひょっとしたら、何かしらの厄介な能力を最終形態に秘めているかも知れない。
この形態から、使ってくるかも知れない。
邪神は即座にスピーカーを向けると、「悪役令嬢」に撃ってくる。
其処に、日本でドジを踏んだらしい「喫茶メイド」から貰った「萌え絵」を巻き付けたナイフを投擲。即座に飛び退く。
スピーカーの。一つ十メートルはありそうな巨大スピーカーの中に吸い込まれたナイフが爆裂。
鮮血をまき散らしながら、スピーカーが雪原に落ちる。
轟音が雪原を揺らす中、邪神が絶叫し。
更に間合いを詰める「悪役令嬢」に対して、邪神は多数の触手を展開。どれもが、子供の手のような形状をしていた。
悪趣味な形状だが、恐らくコレは「国家管制」が宣伝などに使っていたものなのだろうと思う。
子供を盾にして、追求を逃れるのはこの手の輩が良くやる事だし。
宣伝などで子供を利用するのもまた然り。
勿論、子供の手だろうが、泣き声だろうが、容赦しない。
スパスパと切り刻みながら、その場を飛ぶ。
第三射が、触手ごと「悪役令嬢」がいた地点を叩き伏せ。
そして子供の悲鳴が盛大に上がっていた。
悪辣な手だな。
そう思いながら、再びナイフを投擲。
巨大なスピーカーの二つを同時に爆破する。
悲鳴を上げる「国家管制」。
この辺りは雪山ではないから、雪崩に巻き込まれる恐れはないと思うが。何か嫌な予感がする。
この地にあの狡猾な「財閥」が。「国家管制」のような気弱な奴に、本拠を構えさせた理由があるはずだ。まだその理由が特定できないが。
ひょっとしたら、「悪役令嬢」を屠る何かの策があるのだろうか。
いずれにしても第四射は撃たせない。
あれを後方で戦っている三人に撃たれたら、どうなるか分かったものではないのだ。
「国家管制」は「悪役令嬢」に徹底的に恐怖し憎悪を向けてきているから、今はそれでいい。
此奴の能力を十全に生かされたら、文字通り詰む。
それだけは、避けなければならない。
スピーカーを全身に増やそうとしている「国家管制」だが。その左足に、「悪役令嬢」は着地。
巨大な文字通り天突く体を、切り刻みながら突貫して登っていく。
触手が道を阻もうと伸びてくるが。容赦なく消し飛ばし粉砕する。
そのまま足を登り終え、至近に突きつけられたスピーカーを鉄扇で粉々にして、更に登り上がるが。
不意に嫌な予感がしたので、瞬歩を使って離れる。
同時に、妙に動きが良くなった「国家管制」が、体の形状を変えると。「悪役令嬢」がいた地点に、今までとは別物の素早さで音波砲を叩き込んでいた。収束型の音波だから、距離を取ればそれほど問題は無かったが。あのまま登っていたら、かなり危なかっただろう。
雪原を揺らしながら、即座に体勢を立て直してくる「国家管制」。
無言でもう一度突貫する。
巨体が消えた。
高速で後方に移動してきた。
振り向き様にナイフを投擲して、更に飛び退く。
至近距離を、音波砲が掠め。膨大な雪を空に向けて噴き上げていた。
風圧が強烈だ。
それに、この重音で放たれる音波砲。至近で聞いてみて分かったが、ひょっとして子供の泣き声を圧縮したものか。
苛立ちが募り始めるが、焦ったら負けだ。
着弾。
ナイフが、目に突き刺さり、爆破する。
だが。揺らぐだけで巨人は消えない。あれがコアではないということか。
焦ることなく、すぐ次の手へ。
降り下ろされる拳や、突き刺さってくる触手は全て無視。邪神「国家管制」の足元へ突撃する。
「国家管制」の腹に巨大な口が開く。
縦に裂けた、醜悪な口だ。
それが、スピーカーの役目を果たしているらしい。
ふと気付くと、全周囲で、爆破が巻き起こされていた。
足を止めた「悪役令嬢」に、上からおぞましい声が降りかかる。
「詰みだ。 調子に乗りすぎたな」
爆発が巻き起こされていた。
あり得ない数のフォロワーの群れを裁きながら、「派遣メイド」は後方で大爆発が。今までに無い規模のものが起こったのを感じていた。
最悪の場合は。
撤退のタイミングの見極めは任せる。そう言われていた。
「悪役令嬢」は、嫌な予感を覚えていたらしい。
ホバークラフトはかなり距離がある。戦いながら、徐々に下がって来たのだ。
最悪の場合は、二人と共に敵を押し返して、ホバークラフトまでの道を切り開く。そして、乗り込んでこの場を離れる。
この場を離れた後はどうすればいいかは、既に頭に叩き込んでいる。
狩り手としてはルーキーだが、軍関係者としては違う。
そのくらいの厳しい作戦行動は、何度もやってきているのだ。
撤退か。いや。今は違う。
そう判断すると。高枝切りばさみを振り回して、周囲に回ったフォロワーの頭をたたき割る。
鮮血をぶちまけるフォロワーだが、死ぬまで安心できない。
それに自衛官時代の記憶が思い起こされる。
フォロワーとは、基本的に交戦するな。
狩り手に任せて、我々は後方支援に徹する。
それが、上官の口癖だった。
自走砲とMLRSで一気に壊滅させられる規模でないかぎり、軍では基本的に絶対に戦わないよう教えられる。
その上官が、それでも戦死した後。色々思うところあって狩り手になった。
そして今は、殺された同僚や上官の分まで戦い。誰かの盾になろうと決意している。
フォロワーが元は人間だった事は分かっている。
だが、今は残念ながら人間の敵だ。
ひたすらに倒し、赤い霧をぶちまけながら、一瞬だけ後ろを見る。
「悪役令嬢」が戦えているか。
また、爆発が起こる。
あの様子では、すぐに戦闘不能と言う事は無さそうだ。そう、判断し。また「派遣メイド」は、フォロワーを一息に斬り倒していた。
確かに叩き潰したと思ったのだろう。
至近に引きつけて、四方を音波砲で爆破して動きを止め。そして本命の収束音波砲を、四方から叩き込んできた。
さっきとは別物だ。
或いは、これもこの「国家管制」の特徴なのかも知れない。
音波砲を放った後、静かになっていた「国家管制」だが。
わずかな時間をおいて、空中に躍り出た「悪役令嬢」が。瞬歩を駆使して、さっきまで巨大な一つ目があった地点をけり跳ばすと。
やっと存在に気付いたらしく、驚愕していた。
まあ、もう遅いが。
体勢を崩した「国家管制」。
そのまま、多数の斬撃を振るって、全身を切り吹き飛ばしながら落下。そしてあの巨大な悪趣味な口も。その過程で吹き飛ばした。
着地。
巨体が後方に倒れる。
呼吸を整えながら、クッキーを取りだし。ばりばりと食べた。水を飲んでいると、崩れた邪神「国家管制」が、体の再構築を開始する。
「き、貴様、今のをどうやって……」
「スピーカーの向きさえ分かれば、間を抜ける事は難しくありませんでしたわ」
「理論的にそうかも知れんが……」
「理不尽というなら言いなさいまし。 別にいたくもかゆくもありませんわ。 何よりも、そもそも貴方はむしろ理不尽の専門家として君臨していたのではありませんか? それを考えると、ちゃんちゃらおかしな話ですもの」
口撃を浴びせて、少しでも削っておく。そうしないと、今のダメージを帳消しにはできない。
奴は起き上がって、見たかも知れない。
今の一撃を完全には回避できず、多少音波砲の攻撃を受けた体を。
ドレスの一部が切り裂かれた。
打撃も貰ったが、それ以上に防寒機能をかなり喪失したのがいたい。この雪原で戦えるのは、後数時間だろう。
最悪な事に、後二時間程度で雪嵐が来る。
文字通りのブリザードだ。
北極圏に近いこの辺りは、そもそもベーリング海峡が凍ってしまっていることからも明らかだが。
SNSクライシスの後くらいには、今の魔郷同然の環境になり。
古くからこの地域に暮らしていたイヌイットでさえ耐えられないような寒さと恐ろしさに曝される土地になった。
理不尽な最大の暴力。
それは自然そのものだ。
邪神がどれだけ頑張っても、なんぼでも吹き荒れるブリザードにはかなわない。
それは人間も同じ。
それを悟っているのか、知っているのか。
巨体を急激に復元しながら、くつくつと笑い始める「国家管制」。
「悪役令嬢」も悟る。
恐らくだが、この状況を見越していたのだ「財閥」は。
故に此処に引きずり込んだ。
かといって、この邪神の能力を考える限り、このまま放置することはできない。
いずれにしても多くの狩り手を此処で削る事が出来る。そう判断したのだろう。
もっと幾つもの手を打っている可能性は高いが。
その手を生かさせないためにも、此奴は次の一撃で葬る。
腰を低く落とす「悪役令嬢」を見て、人型を復元し。更に禍々しく全身に棘を生やした邪神「国家管制」は高笑いしていた。
「そのまま凍死するのを待っていれば私の勝ち、と言う事か!」
「貴方、さっきまでとは別ですわね」
「その通りだ。 さっきまでは俺の弟だよ」
「……」
此奴は双子で、国家の指示の元国家の管制作業をしていたという。
ベラベラ話すのも、恐らく此方の体力が冷気で消耗すると判断しているから。
かといって、「悪役令嬢」は勝率を上げるためにも、邪神の情報を少しでも得なければならない。
それについても、此奴は理解しているのだろう。
「俺と弟は、自称先進国のある国家で、ずっと国家による国民統制作業をしていた。 俺はかなり高位にいたが、弟は出来が悪くてな。 まあそれでも拷問に適性はあったから、俺のいる組織の下の方にいつもいた」
大柄で、ガタイだけはいい気弱な弟と。明晰であらゆる全てが優れていた兄。
そのコンビは意外に悪くなく、常に組織内で大きな成績を上げていたという。
兄が基本的に全体への統制をコントロールし。
弟が、逸脱者を拷問する。
洗脳して済むのならそうするし。駄目な場合は拷問をして、あらゆる情報を吐き出させきってから殺す。
21世紀の国家の。
それも、先進国を自称する国家の話だ。
信じられないかも知れないが、これが現実なのである。
「国家管制」はけたけたけたと笑う。
「悪役令嬢」が薄笑いを浮かべているのに、対抗してのつもりかも知れない。
更に余計なことをべらべら話す「国家管制」。
「ひょっとして読んでいるのでは無いのかな? この子供の泣き声は、弟がコレクションしていたものだよ。 でくの坊の弟だったが、拷問に関しては天才的でね。 科学的では無いと言う言葉で、否定されがちだった拷問で画期的な成果を常に上げていた。 特に効果的だったのは、親の目の前で子供を拷問してみせる事だったね」
あれは面白かったと、「国家管制」は巨大な一つ目を細めてみせる。
下衆が。
こっちはもう準備万端だが。
恐らく、状況を見てまだそれが理解出来ていないだろう「国家管制」は更に続けようとする。
だが、その更にの時間はなかった。
連続で瞬歩を駆使して、上空に躍り出た「悪役令嬢」が。
一刀両断に、「国家管制」を斬り伏せたからである。
油断を突かれたこともあって、仁王立ちしたままの「国家管制」だったが。既にコアも見抜いた。
ぴしりと、線が走り。奴の体が左右に割れていく。
「……この間の戦いで無理をして貴方を倒そうとしていたのなら。 その時には貴方に勝機はあったかも知れませんわね」
線に沿って鮮血が噴き出す。
腹の巨大口から大量に吐血する「国家管制」。
鉄扇を振るう。
恐らくまだ何かあるなと思いながら、口撃を浴びせておく。
「どうやら、盆暗だったのは兄も同じようですわね。 理論的に相手が動いてくれればどうにかなったんでしょうけれども」
「な、何を……何をしたっ!」
「コアには見当がついていましたわ。 故に仕留めたと言うだけ」
「な、何故、どうして!」
答えは簡単だ。
指を鳴らす。
コアが砕ける音がした。
悲鳴を上げて、体をかきむしる「国家管制」。全身から鮮血が噴き出していくが。その中には、明らかにもう一つ、野太いものがあった。
此奴は。弟そのものをコアとして考えていた。
或いは、弟の人格が表に出ているときは、兄がコアになっていたのかも知れない。
この言動からして。弟を本気ででくのぼうだとは考えていなかったのだろう。
だからこそに、最大級の隙を晒したというわけだ。
勿論美しい兄弟愛があったからと言って、許すつもりも無いし。
何よりもそれが美しい兄弟愛だったとも限らない。
奴の心音が二つあった。
それが疑問だった最初。
心音なんてどうやって聞きつけたのか。
それは簡単だ。
此奴を登っているとき、どうも脈の動きがおかしいと思った。その後は、練気の要領で集中し。
奴が回復している間などに音を集め。それで情報の精度を上げていったのだ。
左右に分かれた邪神「国家管制」が、おぞましい悲鳴と共に崩れ落ちていく。同時に、子供達や他にも此奴に虐げられ殺されただろう多数の人間の声が聞こえてきた。
ありがとう。
これで家族の所に行ける。
ありがとう。
これでお父さんの所に行ける。
ありがとう。
ありがとう。
やがて、声が消える。呼吸を整えた。辺りには、まだ血の臭いが濃い。それに、である。
「出て来なさい。 気配はダダ漏れですわ」
「……」
ざっと姿を見せる邪神共。
どれも下位のものばかり。
もしも決着を焦って。さっきの音波砲で詰み、とやられたときに絶技で返していたら。かなり危なかっただろう。
今回は、此処に「悪役令嬢」を誘き寄せることが敵の狙いだったと分かっていた。だから絶技は温存したのだ。
あれは体力を膨大に消耗し、使った後は強烈な弱体化を招く。
勿論今も、大きめのを一つ貰っていて、更にどんどん体が冷えているが。
しかしながら、此奴ら程度ならどうにでもなる。
邪神共が襲いかかってくる。
さて、終わりだ。
今回は、完全に勝たせて貰う。戦略を崩す一助になるかは分からないが。それでもこれで勝ちだ。
無言で突貫して、片っ端から邪神共を蹴散らす。
七体目を斬り伏せた所で、残りは逃げに転じた。逃げるだけでダメージを受けるだろうに。
呼吸を整えながら、傷口を一瞥。
これは少しばかりまずいかも知れないな。下手をすると、このまま凍傷になりかねない。
無言で、後は雪原を戦闘音に向け歩いて行く。
間に合うだろうか。
間に合わせなければならない。
体を低く沈ませると、あえて瞬歩で急ぐ。その方が、ルーキー共に居場所を知らせる事が出来るからだ。
今回の戦いは勝った。
だが、本当に完勝だろうか。
どうも嫌な予感がする。だが、それをいつまでもぼやいてはいられなかった。
3、盤外戦
フォロワーの群れを斬り払い、「北極」を抜ける。
「悪役令嬢」の傷口を一目見て、ホバークラフトの操縦を「フローター」に代わって貰い。そして手当を開始する「派遣メイド」。
自衛隊関係者だ。
軍属であるから、医療知識があってもおかしくない。
無心で、腕の治療をするのに任せる。
まあ打ち身は他にもあるが。わかりやすくドレスにダメージを受け、地肌が見えるほどに傷が一番深いのは此処である。
好きにさせておく。
「何かまずい傷ですの?」
「……」
「はっきりお願いしますわ」
「打撲傷、切り傷ともにそれほど危険ではありません」
むしろマッシブな素肌を見て驚くかと思ったのだが。そんなことも無い様子だ。
まあそれについてはどうでもいい。
少し目を細めて傷の手当てをしていた「派遣メイド」だが、やがてため息をついた。
「強いていうなら凍傷ですが、この時間受けたダメージであれば、多分大丈夫でしょう」
「煮え切りませんわね」
「……後は、代わりのドレスに戻ったら変えて、ゆっくりして休んでください。 私から言えるのは其処までです」
もう二度と戦えないとか、そういう話では無いのか。
確かにそろそろこれ以上伸びないだろうなとは思っていたが。さっきは弱めとは言え高位邪神相手に、あれだけ一方的に戦えたのである。
ひょっとしたらまだ伸びるかも知れない。そんな風に考えていた所だった。
そこにこんな面持ちで手当をされたのだ。
旗を立てると言う奴で。嫌な予感がビリビリしていたのだが。
ともかく、ホバークラフトでフォロワーの群れを抜ける。そのまま、輸送機とのランデブーポイントへ急ぐ。
輸送機は旋回しながら待っていた。そこへ、拾って貰うべく光信号を送る。
すぐに反応した無人機。
昔のAIは出来が悪くて、色々アレだったそうだが。
この輸送機はすぐにホバークラフトを拾いに来た。
低空で口を開いた輸送機の腹に、文字通り飛び込む。
丘があって、それだからできる事だったが。いずれにしても、人間が手動でやったのなら神業である。
横になって見ていた感じでは、指示を受けながらランデブーにあわせた感じだった。
流石に着地の時は揺れたが。
それくらいだった。
そのまま輸送機は南へ。
カナダ国境を越えた頃には、長距離狙撃の可能性がなくなったこともあって。上空二千メートル以上の地点にいた。
ここまで来れば安心である。
後は自動運転に任せて帰るだけだ。
「フローター」と「悪ガキ」は、どっちもかなり落ち着いていた。二人とも、此処に出る前とは別人のようである。
「フローター」が先に、横になっている「悪役令嬢」に言う。
「ワンダフルな戦いぶりでした。 こっちまで聞こえていましたよ、ドカーン、ビシャーンって」
「それは光栄ですわ」
「私は、多分すぐにアラスカに戻る事になると思います」
「悪ガキ」も頷く。
現時点の「悪ガキ」ら三人のルーキーの実力を考えれば、アラスカで再度遅滞戦術を展開する事も可能だろう。
問題はメキシコの方だが。
正直此方は前線が広くなりすぎることもあって、食い止めるのは不可能に近いと思う。
事実、SNSクライシスの前も。米国はメキシコから持ち込まれる麻薬や移民を排除しようと壁を作ったようだが。
その壁は何の役にも立たなかったそうだ。
現状では、当然そんな壁は使い物にもならないだろう。
今負傷している狩り手達は、短期間での復帰は厳しいという話である。
それならば、やる事は恐らく限られてくる。
今後は「悪役令嬢」が中心となって、対メキシコの戦線に貼り付き。
そして迫る邪神を蹴散らしていく形になるだろう。
常にメキシコの戦線で消耗しつつ、それでも戦闘を続けていかなければならない形になるけれども。
苦しいが、もう他に方法はないのだ。
ほどなくして、米国大統領からガラケーデバイスに連絡が入る。
「「悪役令嬢」くん。 見事な活躍だった。 あれほど一方的に高位邪神を屠るとは……」
「いいえ。 相手が冷静さを取り戻していたらかなり危なかった、でしょうね」
「謙虚なことだ。 戻り次第、幾つかの話をしておきたい」
疲労しているところを悪いと思ったのか。
それだけで、大統領は通信を切った。
無言のまま、頭を振る。
「財閥」の手があれだけだったとは思えない。
今回の勝ちは譲ったにしても、どうも妙な気分が晴れないのである。
まさか、コレは幻覚。
いや、違う。
相手が相手だったのだから、それも不安に持たなければならないだろうが。此処まで精緻な幻覚を作り出すのは不可能だ。
程なくして、輸送機は降下を開始。
駐屯地に着陸後、「悪役令嬢」は軍病院に運び込まれていた。
それから数日、治療が行われた。
数日の間は軽く会議に参加するだけ。案の定、フローターは悪ガキ達三人のルーキーを連れてアラスカに出向くことに決まった。
地獄の遅滞戦の再開である。
アラスカに群れているフォロワーの大軍を相手にしていくには、これしか現状方法がない。
そしてメキシコ方面に出向いてほしいと、正式に指令を受けた。
連れて行くのは「悟り世代」「腐女子」と「派遣メイド」の三人。
この三人を連れて行けば、一日30000キルは容易だ。
更に、「F号計画」の次の子らも、戦場に回す判断だという。
それについては、色々と思うところがあったが。
今更何を言っても仕方が無いと判断。
諦めて、好きなようにさせる事とした。
病院を出る。
まだ、アラスカの事が気になる。
だがそれ以上に、メキシコから北上してくる膨大なフォロワーも問題だろう。
それに、他にも手札を「財閥」が隠している可能性はある。
何度か催眠術でも掛けられていないかと疑ったが。流石に睡眠を取った後も続く催眠術など存在しないだろう。
マインドコントロールというのはもっと上手にやる奴の事を言う。
そもそも掛かった事が分からないような、である。
一応、念のために確認して見るが。
今、自分は邪神の影響を受けていない。それを確認しておく。
勿論邪神の影響下にあるなら、それにも気付けなさそうだが。
だが、一応。催眠術、マインドコントロール破りの秘術は幾つかある。それらについては、既に習得済だ。
問題は、なさそうだ。
だとしたら、何が問題になっている。
この不安感が、そもそも叩き込まれたものなのか。
その可能性は低くない。
後から「腐女子」に聞いたのだが。この間の戦いで「国家管制」に精神制御を受けた時。
何だか最初に来たのは、得体が知れない不安感だったそうである。
嫌な予感がする。だが、打てる手は全て打った。ならば。それで問題はないと思うのだが。
頭を振って、メキシコに。
最後の最後まで、頭に来る輩だったあの邪神は。
だが、今までに腹が立たない邪神なんていたか。
そう思うと、すっきりはした。
数日で気分転換を済ませて、メキシコとの国境近辺に出る。
この辺りは、SNSクライシスの前には文字通り麻薬戦争の最前線だったという話は聞いている。
法外な稼ぎをたたき出すメキシコの麻薬組織と、それと癒着した腐敗警官、それに軍。
何もかもが絡み合って、米国を足下から引きずり倒そうとしているように。米国民からは見えたのかも知れない。
一方でメキシコでは米国にあらゆる利益を吸い取られ、悪の限りを押しつけられているという不満もあったようだ。
どちらにしても、米国にメキシコがずっと虐げられていたのは、古くからの史実。
両国の国力差は圧倒的。
この辺りは、カナダと米国の関係もにているかも知れない。
古くには戦争に負け、領土の半分近くをむしられた過去もある。
メキシコと米国は、あらゆる意味での因縁の関係であり。
いずれにしても、衝突は避けられなかったのだろう。
飛行機から降りる。
国境付近は砂漠かと思ったが。少なくとも案内された駐屯所は違うようだった。
軍が駐屯していたので、話を聞く。
噂の「壁」はもっと南にある事。
既に「壁」はとっくに破られているという事も聞く。
生真面目そうな軍人は言う。
「壁からは、際限なくフォロワーが北上してきています。 この辺りでまだ何とか必死に生き残ろうとしている人々も多く、国内でのフォロワーの活性化もあって、このまま放置しておいたらどうなるか……」
「分かりましたわ。 少しでもわたくしたちが片付けます」
「よろしくお願いします。 我が部隊は、避難民の誘導を続けます」
敬礼をかわすと、その場を離れる。
ジープを貰ったので、操縦手を「派遣メイド」に任せる。後、各地の無人駐屯地についても話は聞いている。それら及び、ため込まれている物資は好きなように使っても良いという事だった。
無言で軍用の椅子が硬いジープを駆る。
機関砲はついているが、そんなものではフォロワーは倒せない。天下の米軍が、ジープの武装を変える余裕も無いのか、それとも話に聞くマフィアだとかの鎮圧に使っているのか。
周囲には街の残骸が点々と見える。
腐敗と汚辱に塗れながらも、それでも人が生きていただろうそれらの都市は。
既に死者すら歩かない、本物の空虚な場所と化していた。
手を上げて、止まって貰う。
どうやら前線に到着した様子だ。
確かに凄い数がいる。
此処は丘になっていて、見下ろす事が出来るのだけれども。文字通り丘の下は全てフォロワーだ。
それも活性化していて、いつ駆け上がってきておおかしくは無い。数は十万以上は軽いだろう。
避難民がまだ近くにいるという話を聞く限り、これは放置出来まい。
此処にいる戦力だけで迎え撃つ。
まあこの数なら、三日もあれば撃退可能だ。
先頭に立ち、無言で戦闘の指示を出す。
ハンドサインを決めた後は、「悪役令嬢」が先頭に立って迎撃開始。
リハビリには丁度良い。
徹底的にしばき倒して、体を動かすための養分としてくれる。
後はひたすら暴れ狂うだけ。
ただ戦士としての本能に任せて、敵を倒すだけだった。
エデン本拠。
邪神達は、玉座にいる「財閥」に完全掌握されている。
「財閥」にとって、邪神として並び立つ実力だったのは、実の所日本にいた「神」こと「ブラック企業社長」だけだった。
奴が最後の戦いに出向く前に言ったのだ。邪神は連合するべきであると。今四つに分かれている組織をまとめて、一つになるべきだと。
民主的とか、そういう意図ではない。
最強の個体が支配するには、それが最適だから、だと。
確かに悪くないと判断。
今までも、実力的には最強である自負はあった。だが、それはそれこれはこれ。以降、更に強力かつ絶対の支配を敷くには。一度邪神の組織を連合することに幾つも利があった。
問題は、「神」の存在だった。何しろ、「財閥」が唯一認めた同格かも知れない邪神なのである。同格の存在がいたら、絶対的権力は振るえない。当たり前の話だ。
だが、それも奴が敗れてしまえば問題はない。
奴が敗れるのを待って、この組織を結成した。
元々欧州は「財閥」が既に抑えていたし。カナダにいた邪神共も、実質上背後から操っていたも同じ。
各地に転々と散っていた邪神達も、エデンに集まるのには同意した。
このままだと、各個撃破されるだけだと悟ったのかも知れない。
いずれにしても、現時点でこの組織にはなんら問題がない。
幹部の一人が挙手。
頷いて、好きなように話をさせる。
「「悪役令嬢」は「国家管制」を打ち破り、今はメキシコ国境付近で暴れています。 一日30000以上のキルカウントをたたき出しているとか」
「アラスカでの戦いは敗北とみるべきなのか……」
「ふっ」
「財閥」が、悲観的な声に鼻を鳴らした。
不満が流石に視線に集まるが。
財閥は立ち上がると、大きく手を拡げて言う。
「心配はいらない。 確かに「国家管制」は敗れたが、奴が敗れることは事前に話をしておいただろう」
「し、しかし部下につけておいたαユーザー達も大きな損害を……」
「あれも必要な被害だよ。 「国家管制」が植え付けたのは、根本的な不信感だ」
不信感。
きょとんとしている周囲に。頭が鈍い連中だなと嘲りながら、「財閥」は話をしていく。
「現状、人間共の中で怖れるべきは「悪役令嬢」なのですよ。 奴が人間に対して不信感を抱くようになる。 それが今回の作戦での最低限での目標でした。 まあ倒せれば言う事はなかったのですがね」
「不信感、ですか」
「人間共は既に内紛を始めている。 事実あれほど多くのαユーザーを倒した「悪役令嬢」を恐れはじめているではありませんか」
「それだけのために、あれほどの犠牲を?」
不審そうに言う部下の一人。
血の巡りが悪いが、これでも此奴は選ばれた存在の一角。多少は、多めに見てやらなければならないだろう。
古くからの部下であるそれの頭をゆっくり撫でながら、言い聞かせる。
「いいですか? もし人間が我等を倒しうるとすれば、それは英雄によるしかない。 量産型の兵器人間など、恐るるに足りない。 そして人間が抱えている英雄は、今一人しかいないのです」
ゆえに、時間を掛けて不信感が宿るように仕込んできた。
今後戦況が降着するとしても、人間はしばらく組織を作り続けるだろう。そういった人間にとっても英雄は希望になる。
そして「財閥」が見た所。
今の時点で、「英雄」はただの一人だけ。
あの「悪役令嬢」だけである。
悲しい話だが、人間はそこまで弱体化してきていると言う事だ。いや、此処は笑ってしまうところかもしれないな。
丁寧に説明すると、それでも不満そうにしながら、部下共は引き下がる。
手を叩いて、今後の大まかな方針を支持した。
当面は、フォロワーの大軍で南北から北米を。日本は対馬経由で。フォロワーの大軍を送り込み続ければいい。
持久戦になればどの道北米も日本も政府が原因でどの道英雄と司令部の対立が起き始める。
特に北米は既にクーデターまで起きている有様だ。
このまま締め上げ続ければ、勝手に自壊していく。
後は、自壊したところで残党を削って行けば良いのである。
選ばれた同志たるαユーザーが削られることもない。後はただ、消耗品であるフォロワーが全てを押し潰すのを遠目に見ているだけでいい。
それを聞いて、おおと喚声が上がる。
情けない話だが、この様子では恐らく「悪役令嬢」と戦う事を恐れ始めていたようだ。後で調教が必要かも知れない。
いずれにしても、当面は見ているだけ。
そして内部崩壊を適当に促してやればいいだけだ。
少し手持ちの駒が減ってきているので、「エデンの蛇」を放っておく。
英雄や超人は、絶望的な戦況に立ち向かっても壊れないかも知れない。
だけれども、そうでない存在はすぐに締め上げれば壊れて行く。
たった三十年で、随分「財閥」は米国の要人に手駒を増やした。
これも必要がなくなればどんどん斬り捨てていたのだが。それでもなお、救いを求めて降伏を言い出してくる人間はいる。
人間の全てを、あらゆる人間よりは知っている。それが「財閥」の自負である。
故に勝つ事は難しく無い。
「財閥」こそ、SNSクライシスの前からずっと、人間を支配してきた存在であるのだから。
さて、後は日本か。
英雄の卵である「陰キャ」の周囲に撒いて置いた罠は、充分に機能し始めている。上手く行けば、英雄の卵を此方に引き込めるかも知れない。
あれは人間に対して、それほどの執着がないように思える。それでいながら人間らしい感情もなくしてはいない。
既にそれらは確認済み。
後はちょっと背中を押してやれば、簡単だろう。
くつくつと玉座で含み笑いを漏らす「財閥」。
未だに戦況は絶対的優位。
このまま行けば、負ける要素は万が一もないが。更に勝率を上げるために、手を打っておかなければならなかった。
日本にも手駒はあるが、それも適宜補充しないとならないだろう。
日本は対馬に圧力をかけ続けるだけで瓦解する。
それでも、打てる手は全て打っておかなければならなかった。
「財閥」も一応、仲間をこれ以上失いたくはない。
それについては、本音であるのだから。
4、闇宵の奥底
対馬の戦況が良くない。
連日、その話を「陰キャ」はされた。
対馬では、連日上陸艇でフォロワーを削るべく上陸して、夕方過ぎに撤退する事を繰り返しているという。
無人艦隊の試験だということで、既に回収した護衛艦という船も動かしているらしいのだけれども。
それでも連日泡を食っていると言う事は、よほど戦況が良くないだろう事は「陰キャ」にだって分かる。
かといって、「人形」なんて呼ばれて、戦闘兵器として子供をしたて上げるような人達に。この子を渡せるか。
そう言われたら、NOという他無いのが実情だ。
「女騎士」や「コスプレ少女」は以前一緒に戦った事がある。負傷して療養中の「喫茶メイド」だってそうだ。
だから当然仲間意識は感じるし、死んで欲しく無いと思う。怪我をしてほしいなんて、思った事もない。
だけれども、「人形」を渡せと言われて。
はいそうですかと応えられるほど、人間を止めているつもりは「陰キャ」にはなかった。
今日も大阪でのフォロワー駆除作戦を終える。今日は二手に分かれて、それぞれフォロワーを駆除してきた。
少しずつ「人形」は笑みを浮かべるようになってくれたけれども。それでも非常に機械的で痛々しいと思う。
親の都合が良いアクセサリとしての子供。
確かに、こんな風に育つのかも知れない。
「陰キャ」はこの子の親では無い。親として振る舞うつもりはないし、振る舞えるつもりだってない。
だから、人間として接する。
それが、最低限のできる事。今までこの子は、それさえされてこなかったように思える。無機質だった「コスプレ少女」ですら、ケアを受けていた形跡があったし。「悪役令嬢」他の狩り手も人として接していた。
この子には、それすら無いのだ。
「人形」のキルカウントは既に一日10000を越えている。凄まじい数値だが。これは対馬で戦っている「巫女」も同じらしい。
圧倒的な戦闘力で連日キルカウントを伸ばしているそうで、そろそろ「陰キャ」と並ぶのでは無いかと言う話があった。
別に、だからといって何とも思わない。そもそもキルカウントを少し多くたたき出し過ぎているから、変な夢を見るのでは無いかと「陰キャ」は思うのだ。
サボタージュでもしてやろうか。そう「陰キャ」は考え始めていた。
食事を先に済ませるように「人形」に指示。自身は風に当たると言って、外に出た。
無言で風に当たっている訳では無い。
そのまま外に出て、感じ取った気配に歩み寄る。
その気配は、するすると動いて、「陰キャ」をさそう。無言のまま、それについていく。
そろそろ用事がある頃だろうと思っていたのだ。
考えてみれば、おかしな話だった。
一連の事態の裏に、いてもおかしくは無いのだ。
そして、いるのであれば。間違いなく仕掛けてくる。
だから、誘いに乗った。
それだけである。
しばし、廃墟だらけの大阪の街を歩く。程なくして、それは月明かりに己の姿をさらしていた。
蛇だ。
「わざわざついて来たという事は。 私の言いたいことは分かるようですね」
「……」
無言のままの「陰キャ」。
良いように解釈しているようで、喋る蛇。「財閥」の欠片である、「エデンの蛇」は蕩々と言う。
「チャンスを与えましょう。 SNSクライシスがもう起きる可能性がないのは分かっていると思います。 故に新たな同胞を迎えることはできない。 もしも起きるとしても、別の世界的危機でしょう。 そのようなモノが起きるとしたら、人間が原因になるとは思えないし、何よりずっと未来の事になる」
「……」
「貴方及び、貴方の庇護したいと思っている者には、我等は手を出さないことを約束いたします。 その代わり……」
色々と喋った後。
「エデンの蛇」は何も言わずに消えていった。
勝手な輩だな。
そう思ったけれど、それ以上は何も感じない。
駐屯地に戻る。
この辺りは、既にフォロワーの完全駆除が終わっているが故に、たまに自衛隊のドローンやレンジャー部隊が昼間でも彷徨いている。そんな彼らの真骨頂は夜の闇に紛れることだが。
その気配も、今はなかった。
駐屯地に戻ると、ガラケーデバイスを開いて情報を見る。
米国での戦線は、結局南北に分けて対応を行うようだ。本土の防衛に直結するメキシコの戦線は、遊撃を行いながら「悪役令嬢」が対応。
対馬は今日も乗り切った。
合計でキルカウント38000をたたき出したという。連日凄まじい勢いで暴れている「巫女」の活躍もある。
だが既に対馬はフォローでぱんぱん。
こういう状態でも、核は効果が薄いという話だから、使う選択肢はないのだろう。SNSクライシスの直後は核でフォロワーを焼き払うという作戦を何度か実行して、もっともフォロワーの密度が厚い地域に核を落とした。それは通常核だけではなく、水爆も含まれた。
それでもどうにもならなかったのだから、やはり狩り手がやるしかない。
連絡はもうこなくなった。
最初の数日は、ずっと「優しいだけの人」から、「人形」を寄越すようにと連絡があったのだが。
もう「陰キャ」が下手な事を言うとへそを曲げる可能性が高く。
そうなると、邪神を取り逃す可能性が上がるということに思いついたのか。
以降は、特に連絡も入らなくなった。
代わりに、「悪役令嬢」から、久しぶりに連絡が入っている。
目を通しておく。
なるほど、そういう事か。納得はできる。だが、それ以上に、周囲に対する怒りが強い。
きっと、自我を強く持てるようになって来たから、だと思う。
「陰キャ」は天然物だと言われていたが。だからといって、別に「陰キャ」とSNSクライシスの前に言われた者が、誰もが弱々しくて何もできなかった訳では無いし。常に相手の言いなりだった訳でも無い。
ただ。はっきり「悪役令嬢」の言葉で分かった事がある。
それで、かなり迷いが晴れた。
メールを誰にも見られないように、ガラケーデバイスを閉じる。
どうせ横から検閲でもされているだろうかと思ったが、「悪役令嬢」はごくさわりがない内容のメールを送ってきている。
これはとても上手だと思う。
少し考えてから、「悪役令嬢」に同じく、さわりがない内容に見せて、分かる相手には分かる内容でメールを送る。
今はそれで充分だ。
奧で「人形」が呻いた。悪夢でも見ているのだろうか。
悪夢は見て当然だ。「陰キャ」だって悪夢は見る。今更になって、自分の境遇を思い知るような夢ばかり見る。
それは悪い事なのだろうか。
そうだとは思わなかった。
生まれは多少違おうと、人として産まれてきたのだ。だったら「人形」にだって、人として生きる権利がある。
もしそれが得られる場所があるのだとしたら。
いずれにしても、毒親のように振る舞ってはいけないだろう。「陰キャ」がするべき事は、人としてあるべき姿を示す事。
それには。常に対等の存在として相手と接すること。
それこそが必須だ。
後は、自分も風呂に入って眠ることにする。
もう今日はおしまい。
対馬の方は。「喫茶メイド」の代役に入った「コスプレ少女」が上手くやれている事で、安定しているとみて良い。更に「悪役令嬢」が大暴れしてくれた事で、日本各地の重要拠点も、今までとは比較にならない程物資の風通しが良くなっているようだ。
それで「陰キャ」の所にも連絡が来る。現地の人々からの感謝の言葉やら何やらが。
ベッドで丸まって眠る。
明日に備えて動けるようにする。
それだけが。今「陰キャ」にできることだった。
翌朝。
早朝のメールを確認しておく。昨日は「優しいだけの人」も上陸作戦に参加して、キルカウントを少しでも伸ばすべく奮闘したらしい。
そうか、という言葉しか出ない。
連絡のメールを全て確認した後、「人形」と共に朝一から大阪の中心部に向かう。
この辺りは以前百万以上のフォロワーが平然と彷徨いていた。だが、今は連日刈り取って数を減らしていることもあり、周辺地域にどんどん流出したこともある。更に連日近辺で狩りをしている事もあって、目だって減っていた。
レンジャー部隊が連絡をくれる。
最近はかなり大胆にドローンを突っ込んでいる様子で、生存者のマップも作っているらしい。
夜間に精鋭を募って大胆に救出したりもしているらしいが。
当然、日中の救出作戦の方が上手く行くということもあって。優先で周囲のフォロワーを駆逐してほしいと言う依頼は来ている。
自衛隊のこういう連携して動いているレンジャー部隊からは、「陰キャ」の評判は良いそうである。
無言で文字通りフォロワーを刈り取ってきてくれる、と。
まあ、その通りなので、何も言うことは無い。
わっと現れるフォロワーだが、もう怖れる理由がない。強化フォロワーでもないし、活性化しているわけでもない。
ハンドサインを出して。すぐに駆除に懸かる。
「悪役令嬢」も、連日こんな感じでメキシコの砂漠を踏んで、駆除を続けているはずである。
「戦力は無尽蔵にある」と考えている敵組織、「エデン」だったかの鼻っ柱を折るには充分な勢いで、だ。
だったら、このまま前線は任せるべき相手に任せ。
邪神にも備えている「陰キャ」は技を磨きつつ、できる事をできる範囲でやっていく。
ただそれだけだ。
大きなドスを引きずるようにして大阪の朽ち果てた街並みの中を歩いて来る、刺青だらけのヤクザ。
勿論フォロワー化している。
生前は、さぞや周囲を怖れさせたのだろう。テレビ局だの警察だのにコネを保っていたのかも知れない。だけれども、もはや今ではそれらの全てが虚仮威しだ。テレビ局など存在しないし、戦前にこのフォロワーだった者を潤したのコネなど今では何の意味もない。ましてやフォロワーになってしまえば、何もかも台無しだ。
突貫すると、他のフォロワーと同じように赤い霧に変えてしまう。そのまま、昼過ぎまで駆除を続けて。二箇所で自衛隊が生存者の救出作戦を成功させた様子だ。非常に上手くやっていると思う。
昼過ぎに一旦切り上げる。
メールが来ていた。「悪役令嬢」からだった。
内容を見て、何度か頷く。
なるほど、当たり障りがない内容で、的確に指示をくれる。あの人は既に、米国の大統領も頭が上がらない筈である。
だとすれば、このメールには大きな価値がある。
そしてあの人も悩んでいたのだなと思って、それはそれで面白いと思った。
無心のまま、周囲のフォロワーを片付けていく。
そして、その日。
まったく嬉しくは無いが。「陰キャ」は単独でキルカウント20000を記録していた。
これは「悪役令嬢」とあの伝説の「ナード」以外、誰も達成していない記録である。
全然嬉しくは無いが、苦虫を噛み潰しながら「優しいだけの人」もお祝いの言葉を贈ってきていた。
最初は良い人だと思っていたのだけれど。
今では強い警戒心しか覚えない。
メールを縦読み斜め読みもしてみるが、呪詛とか憎悪とかは感じ取れなかった。
それ以前の、せせこましいただの愚かしいねたみ辛みの積み重ねに過ぎなかった。
明日も、大阪で暴れる。
当面、「人形」を他人の好きなようにさせるつもりはない。
もしも本人が自分の意思からどこかにいきたいというのなら、好きなようにすればいいと背中を押す。
だけれども、明らかに今の「人形」は、誰かと接することに飢えている。
こんな幼い子をどんな環境で育てればそうなるのか。
「陰キャ」の両親でさえ、絶望的な状況の中。それでも必死に「陰キャ」を守ろうとしていた。
本当に度し難いと思う。
寝ようと思っていたところに連絡が来る。当面ルーキーの増援はないという話だったが。連絡の内容を見ておく。
なるほど。これならば、或いは。
だが、実行するにはまだ戦力が足りないと思う。
仮にこの作戦を実行するには、まだ幾つかの前提条件が必要になる。それらをすべて満たすのは、まだ手間が掛かるはずだ。
無言でガラケーデバイスを閉じると、明日の戦いについて考えながら眠る。
優先して救助してほしい人の事は頭に入っている。勿論自衛隊も夜に動いて、できる範囲での救助作戦はするだろうが。
それについては、もう好きなようにやってもらうしかなかった。
早朝。
いつになく強い調子のメールが来ていた。
「優しいだけの人」からだ。
連日10000キル以上を安定してたたき出している「人形」を対馬に回してほしいというものだ。
そろそろ「悪役令嬢」も、このメールのやりとりを見て思っている事はあるはずで。この内容は少し不自然だなと感じた。
この人に対する印象は最近悪くなる一方だが。それでも、幾つか言っておきたい事はある。
少し考えた後、メールを打っておく。
「そろそろいい加減にしてください。 貴方より実績を上げている私が、まだ無理だと言っています」
スパンとストレートに書く。
これくらいやらないと。多分相手には通じないと思うから、である。
そのまま、更に書いていく。
「邪神を相手に何度助けてあげたか忘れましたか。 いずれにしても、もうこういうメールは送ってこないでください。 本人が自分から行くというのでなければ、私は何度でも拒否します。 そもそも誰がこんな環境で子供を育てたのか。 許せないと、いい大人である貴方が思えないんですか」
思えないんだろうな。
SNSクライシスの前には、悪逆非道の別名が大人だった。
恥知らずの別名がカッコイイだった。
ルールを守ろうとしない輩が好漢と呼ばれていた。
30年前はそうだったのだ。
年齢的に「優しいだけの人」はそんな世界をわずかでも知っている可能性はある。
だったら、なおさら価値観を変えることは不可能だろう。
世界は爛熟しきり。
文字通り終末の、最果ての世界だった。
だからあんな邪神共が湧いてきたんだ。
そう、怒りを込めながら、メールを打つ。
「子供を守ろうともしないで、何が大人か。 次に馬鹿なメールを送ってきたら、貴方にもはやリーダーの素質無しと私は判断します」
三行半を突きつけるのと同じレベルの内容。
メールを送って、すっきりした。
そのまま、大阪の戦場に「人形」と共に出る。すごくすっきりしている事に気付いたのか、「人形」も嬉しそうに笑みを浮かべる。その様子が可愛らしくて、こんなボアだの何だのでリボン塗れにしなくても、子供はこんなに可愛いのにと寂しくなるばかりだった。
後は、ひたすら今日も大阪で戦い続ける。
移動のために、時々自衛隊のロボット車を用いるが、それくらいだ。今日は前々から調査を入れてほしいと言われていた、大きな地下鉄の駅に少し入ってみる。だが、内部に少し入ってみただけで駄目だと分かる。
凄まじい臭いと共に、フォロワーの大軍が現れたからだ。
大阪がSNSクライシスでやられたときに、みんなフォロワー化されてしまったのだろう。
天井付近はドローンが通れるはずだ。
そう考えて、一度撤退し、地下鉄の駅から現れたフォロワーを下がりながら駆除。
昼少し前までに、充分に周囲の掃討をして下がった。
昼には、余程痛烈だったのか。
特に「優しいだけの人」は連絡をしてこなかった。
まあショックを受けるなら、受けてほしいと思う。ざまあみろと思ったが。流石にそれ以上は望まなかった。
人は簡単に変わる事なんて出来ない。
「陰キャ」は今更昔で言う「陽キャ」になんてなれないし、なろうとも思わない。
自分にできない事だ。
他人にそれを求める事は、「陰キャ」はしない。
昼の休みを終えても、すっきりしているからか、「陰キャ」は体が軽いと思った。
そのまま。大阪中のフォロワーを片付けられそうだ。
ただ、調子に乗るのはそれはそれでよくない。
気分を引き締めて、フォロワー狩りを続行する。夕方になったので、後退を開始。「人形」はすっかり斬馬刀を余裕を持って振り回し、危なげなく間合いも完璧に戦えていると思った。
瞬歩を使うまでもないが。
たまに瞬歩を使って、技は見せておく。
これが使えれば、戦闘はまたかなり楽になる。「悪役令嬢」のを見て覚えたので我流の要素もあるかも知れないが。
体力もある「人形」だったら、きっとできる筈だ。
撤退を完了。キルカウントは「陰キャ」が更に伸びて21000。「人形」は130000。合計で34000。大阪から、フォロワーを駆除した事になる。
先に休むように「人形」に指示して、ガラケーデバイスを見る。
ぐうの音も出なかったのか。
「優しいだけの人」は、もはや何も言ってこなかった。
代わりに、山革陸将から、連絡が入っていた。
「「陰キャ」くん、すまなかったな。 「優しいだけの人」くんには、此方から少し言っておいた」
「……」
「これから、しばらくは大阪でフォロワー狩りを続行してほしい。 そろそろ大阪のフォロワーも狩りつくしてしまうだろうか。 そうなったら、大阪の工場地帯の方が先に解放できるかも知れない」
横浜より先に大阪か。
しかしながら、神戸が解放された事で、これで第二東海道直結の工場地帯候補が二つもできた事になる。
もしも自衛隊が空軍をもっと活用出来るようになったら、何処が拠点でもあまり代わりは無くなるだろう。
ただ、その時は。
「陰キャ」が対馬に出向いても、なんら関係はない状況が来るのだろうが。
「そのまま実力を磨いて、どんな状況が来ても備えられるようにしてくれ。 私からは以上だ」
「いえっさー」
呟くと、ガラケーデバイスを閉じる。
少しずつ、状況が良くなっているように思う。
後は邪神共を全て倒せれば、決定的に状況は変わってくるはずだ。
久しぶりに少し時間があるので、丁寧に得物を手入れしておく。
頑張ろうね、あたしと一緒に。
そう、愛用の刀に呟くと。
「陰キャ」は、気持ちよく。ずっと久々に。いや、両親が生きていた頃にも記憶がないほどに。
気持ちよく眠る事が出来ていた。
(続)
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