連携の価値
序、誰もいなくなった基地
「悪役令嬢」がその基地に辿りついたときには。既に人員は撤退を完了していた。
設備類はそのまま。
現在。総力を挙げて邪神集団「絶対正義同盟」の動きを探っているが。
何しろ相手は人間ではない。
情報戦など通用しないし。
殺傷力は核兵器の比ではない。
スカウトは命がけで動いてくれているが。
それでも、情報が届けば良い方だろう。
邪神は看破したとみて良い。
フォロワーが引いていったのがその証左だ。
狩り手を育成する施設は、日本には此処にしかない。
理由は、簡単。
物資、資料、設備。
それぞれ、冗長化するような余裕が無いからだ。
「悪役令嬢」も此処で訓練を受けた。
その頃には「陰キャ」は当然いなかった。
そして、同期は一人も生き延びていない。
邪神どもとの戦いが起きる度にどんどん死んでいって。いまでは「悪役令嬢」だけが生き残っている。
狩り手の初陣での生存率は四割弱。
以降も似たような確率でどんどん死んで行く。
邪神そのものとやり合った場合の生存率は更に下がる。
それが狩り手という危険な仕事の実態だ。
自衛官だって、米軍だってそれは同じ。
中華や欧州は状況が酷すぎて、どうなっているかすらもよく分からない。時々救援を求める通信が来るらしいが。救援どころでは無い、というのが実情だ。
オーストラリアはとっくの昔に人間が全滅したという話だし。
ユーラシアの八割は無人地帯になっているという。
北米における邪神の本拠地であるカナダにいたっては、SNSクライシスの爆心地説が存在し。
SNSクライシスが起きてから、一月もしないうちに人間が皆殺しにされたという話もある。
今は、地獄なのだ。
SNSクライシスが起きる前と同じように。
基地の中を歩いていると、こっちを伺っている小柄な姿。
咳払いをすると、歩いて行く。
物陰に隠れて此方を見ている帽子。眼鏡。マスクで顔を隠したそいつは。以前共闘した、「陰キャ」に間違いなかった。
以前の戦いから二週間ほどだが。
見た感じ、かなり手慣れてきているようだ。
報告書を見る限り、まだかなり危なっかしいし。何よりも体力面でかなり問題があるという事だが。
はっきりいって、それでも数百のフォロワーを正面から相手できるし。
邪神とも戦える。
充分過ぎる程である。
普通の人間は、邪神に近付くだけでフォロワーにされる。
邪神には核すら通じない。
それらの前提がある以上。
「陰キャ」は人類の切り札の一つであるのだ。
「オーッホッホッホッホ! この基地を見事に守りきったようですわね! 先輩として鼻が高いですわ!」
「そ、その……」
「?」
「守り……きれま、せんで、し、た」
「陰キャ」の様子から察する。
なるほど、力が足りなくて、多く死なせたと悔やんでいるのか。
だが、それは仕方が無い事だ。
此処で起きているのは戦争。
どれだけ暴れ狂う英雄ユニットがいても。
それ一人で、味方を一人も死なせず勝つなんて事は不可能である。
そういうものなのだ。
だが、そう言っても通じはしない。
慣れていくしかない。
「慣れるのですわ。 その自分への怒り、力に変えなさいまし」
「……」
「わたくしは周囲をしばらく見回ってきますわ。 自衛隊が此処の設備を移す準備を終えるのに後二十五日。 その間、この近辺にいるフォロワーを一掃しておきますわよ」
「は、い」
この駐屯地も、周囲に幾つかの街がある。
それらの街には大量のフォロワーが少なくとも「いた」。この間の大攻勢までは。
スカウトの報告によると、かなりフォロワーは減っているそうである。まあそれはそうだろう。
このあいだ、駐屯地に仕掛けて来た大攻勢にほとんどかり出されたのだろうから。
大量のフォロワーの残骸も、既に処理が終わっているが。
それでも、一体でもフォロワーがいるだけで、身を潜んで隠れている非武装の民間人は襤褸ぞうきんのように蹂躙され、殺されてしまう。
この地獄の初期、フォロワーにアサルトライフルで対応しようとした軍人達が、文字通り手も足も出ずに殺される映像は狩り手の研修中に必ず見せられる。殺傷力が高いアサルトライフルでそれなのである。ショットガンでも効果が薄く、そもそも人間に用いる用途でない対物ライフルや、対戦車グレネードでやっと効果が出る程なのだ。熊程度の脅威では無い。
だから片付けなければならない。
一匹も残さずに。
残念ながら、かなり「陰キャ」は消耗がひどい。正直仕方が無いだろう。
この間の大攻勢で、数千のフォロワーと戦い。今までに無い戦果を上げたが。
本人が言っているとおり、全てのフォロワーを倒せたわけではないし。
持ち場で味方に戦死者だって出した。
たくさん死人を見慣れてきている時代の人間とは言え。
自分の力が足りない事により、たくさんの貴重な人命を散らした。
それに耐えるのはつらいだろう。
耐えられるようになれば良い。
正直、SNSクライシスの前からいわゆるPTSDとして、それは認知されていた事だし。
しかもルーキーが、すぐに克服できる訳でもない。
数日は、その分「悪役令嬢」が頑張れば良いのである。
さて。
街の中に放たれているドローンに従って歩いていると。早速フォロワーが出てくる。
即座に鉄扇で切り裂いて周り。派手に立ち回って生き残ったフォロワーをあぶり出していく。
「オーッホッホッホッホ! まーるで手応えがありませんわ! もっとでていらっしゃい! わたくしは逃げも隠れもしませんわよ!」
振り向きもせず、背後に回っていたフォロワーを消し飛ばす。
それを切っ掛けに、わらわらと湧いて出て来た。
どれも体に欠損が目立つフォロワーだ。
それはそうだろう。
SNSクライシスが起きてから三十年。
如何に頑強なフォロワーと言っても、それぞれ無茶苦茶な体の使い方をして、それで今まで存在している。
解剖などをした結果もあるらしいが、どうしてか腐敗は一切しないらしい。
それでいて体が再生するような事もないようだ。
SNSというものが媒体になって登場した邪神。
その下僕であるのだから。
ある意味当然の事とは言えるかも知れない。
いずれにしても極めて許しがたい連中だ。
こいつらは人間を喰らっても栄養にするわけでもなく。ただ腹の中に肉を詰め込むだけだという事も分かっている。
そのため腐敗した肉の臭いを口から漏らし続けていたり。
腹が膨らんだままだったりする。
食い過ぎて動けなくなっている奴もいるが。
それは地面にいるのをそのまま撃ち倒せば良い。
そういうのは相当数倒されているが。
まだこうして、中途半端に動けるのが、街中にかなりいて。
その中途半端でも、訓練を受けた兵隊が、戦闘車両と一緒に対応するレベルなのだ。
弾薬だって限られている。
可能な限り。
こうやって各個撃破していく。
襲いかかってくるのを、立ち位置を上手に変えながら、一体ずつ旋風のように切り裂いていく。
流石の「悪役令嬢」も、まとめて襲いかかってこられると対応出来ない。
だからこうして少数ずつ釣り出して、各個撃破していくのだ。
更にドローンから人間の目撃報告があれば、すぐに其方に出向く。
そうしているうちに、数度の交戦。合計して七十ほどのフォロワーを屠った。生存者は、数人を発見でき。
すぐにロボットを寄越して貰い。
最寄りの自衛隊駐屯地に運んで貰う。
間違っても、今根城にしている駐屯地には運べない。
彼処には、これから邪神が来る可能性が高いのだ。
だから、駐屯地からあまり離れられないし。
大規模なフォロワーの群れがいると思わしき場所にも足を運ぶ事が出来ないのである。
「さて、と」
何度目かの交戦で、フォロワーを叩き伏せて皆殺しにし。
処理を終えたところで徒歩で戻る。
基地から今のところエマージェンシーコールは来ていない。
燃料は有限だ。
今の時代、流石に石油メジャーなんてものはとっくの昔に滅びてしまっている。
石油は実の所、SNSクライシスの前には自前で作り出す手段が開発されていたのだが。
石油の価値を高騰させて稼いでいる石油メジャーと呼ばれる連中によって邪魔され、作る事ができないようになっていた。
今では幾つかの施設で石油の自前での精製が行われていて。
そこで、自衛隊の貴重な燃料を生産している。
主にもはや誰も通う事がなくなった学校やジムのプールの内、安全が確保出来ている場所でそれらは行われているが。
それでも、やはりまるで足りないのが現状だ。
いずれ、国土からフォロワーを駆逐したときには、意味が出てくるだろうが。
まだまだ当面は厳しい状況が続くのは疑いようがない。
基地に戻り、インカムに着いている小型カメラを機材にセット。
これによって、フォロワーの撃破数をカウント。
また近場に倒せていなかったフォロワーが潜んでいた場合も、記録として残される。
人間の耳では色々と限界があるので。
こればかりは仕方が無いと言える。
データリンクシステムは、SNSクライシスの時にかなり破壊されていて、今では限定的にしか使う事が出来ない。
こうやって、地道な作業が必要になってくるのである。
作業を終えると、少し自室で休む。
「悪役令嬢」としての戦闘服も脱いで、自室では普段着に替える。
まあ、言動は「悪役令嬢」のままだ。
最初は造りだったキャラだが。
これも大量の邪神とフォロワーと戦闘しているうちに、身についてしまった。
恐らくだが。
世界から邪神を駆逐しても、このキャラはそのままだろう。
風呂に入っておく。
いつ邪神が来るか分からない。
邪神が来るとしたら、恐らく複数か、もしくはかなりナンバーが高い高位の者が来るだろう。
この間NO8を倒すときに共闘した二人は、今は九州での大規模なフォロワー撃滅作戦に従事中で、こっちに来る余裕は無い。
自衛隊も勿論支援はしてくれる準備を整えているが。
それでもかなり厳しい戦いになるのは確定だった。
風呂から上がる。
たまの肌とはいかない。
邪神六体を単独撃破。
二体をアシストつきで撃破。
どうしても全身には傷がつく。
また肉体も引き締め上げているから、ドレスでも着込まないと色々と傷も筋肉も見えてしまう。
故に、全身を隠すドレススタイルはとても個人的に有り難い所である。
どうして「悪役令嬢」というネットミームが出現したのかは、明確には今でもよく分かっていないらしいのだが。
それでもこのキャラは、気に入っていた。
軽くストレッチをしてから眠る。
幸いにもというべきか。
まだ体が充分に若いからだろう。
無茶な生活をしている割りには、自律神経はどうにか保てている。
三十路四十路になるとこの自律神経が壊れて、無茶な生活の代償が一気に体に来るらしいのだが。
今の時点では、その兆候もない。
しばらく快眠して。
そして起きだす。
生理的行動をすませ。まずいレーションを食べてから、基地内に。
部屋を出るときには、いつでも戦えるように。
悪役令嬢の正装を整えていた。
もうこれは、本能のようなもので、身についている。
「あら、おはようございます」
「お、おは、よ、うござい、ます」
丁度体操をしていたらしい「陰キャ」と出くわしたので、挨拶をしておく。
人間と接するのが苦手なようだし、必要なだけしか喋らないようにしておく。
無理に距離を詰めてもストレスになるだけだし。
戦闘時にストレスが出られても困る。
軽く自身も体を動かしてから、一礼だけしてその場を離れる。
がらんとした状態の基地だ。
まだ狩り手訓練生用の設備などの移設は全く進んでいない。
この間の大攻勢でダメージを受けた各地の基地の補修の方が優先だし。何よりも、此処に本当に邪神が来るのかどうかも分からない。
それにそもそも大量の設備を簡単には動かせないという事情もある。
そういう事もあるから、ともかく上手にやっていくしかない。
「此方山革陸将」
「あら、おはようございます。 良い朝ですわね」
「リラックスしているようで何よりだ「悪役令嬢」。 体にダメージなどはないかね?」
「全くありませんわ。 それよりも、戦況は」
場合によっては、「陰キャ」を此処から離脱させるつもりだ。
ここに来る邪神は複数か、或いは手練れの可能性が多い。
昨日になって、米国での詳細な戦況が入ってきたのだが。
伝説の狩り手「ナード」によって追い詰められた米国の邪神は、やはり最後に数体がかりで反撃に出て来たそうである。
邪神としては、侮っている相手に対して複数がかりで行くと言う時点で、力がある程度削がれるのだが。
それでもやむなしと判断したのだろう。
やはり相当な苦戦になり。
「ナード」の年齢の問題もある。
かなりの激戦で、楽勝とはとてもいかなかったそうだ。
ただ、米国の狩り手も「ナード」だけではない。一緒に戦って来た狩り手達も総力を挙げ参戦、激闘に勝利。
更に今は間髪入れず、米国内のフォロワー討伐に米軍全軍が動いているとか。
ただ、米国内にはまだまだ大量のフォロワーがいる。カナダには更に多くのフォロワーが潜んでいるだろう。
北米の邪神が本拠地にしている(つまり奴らの親玉がいる)カナダへの侵攻は当面先になるという。
ならば、この後何が起きてもおかしくない。
はっきりいって、油断は一ミリも出来る状態ではないのだ。
常に新しい情報を、耳に入れておく必要がある。
「九州では、幾つかの都市にいた大規模なフォロワーの群れと二人の狩り手が交戦中で、自衛隊も参加している。 九州には幸い10式を装備した部隊が多いから、二人の支援はどうにかなっているようだ」
「フォロワーだけならどうにかなるでしょうね。 あの二人、腕はおちていないようでしたもの」
「他の基地に関しては、既に仕掛けてくるフォロワーはいなくなったが。 東京をはじめとする大都市には、まだ相当数のフォロワーがいる事が分かっている。 今の時点では、どうすることもできない……」
「分かりましたわ。 ともかく、仮に緊急の救援任務などが入った場合には、「陰キャ」さんを廻してくださいまし」
どういう意味か、山革陸将は一瞬悩んだようだが。
あっと、気付いたようで口をつぐんだ。
「悪役令嬢」は、キャラ作りこそ「悪役令嬢」にしているが。
ルーキーをむざむざ死なせたくなどない。
情くらいはある。
世の中には、「絶対悪」と呼んで間違いが無い輩もいる。創作には多いが。現実にだって多い。
今暴れている邪神どもは、元がどいつもこいつも絶対悪と呼んで間違いない連中だったばかりであるし。
歴史上にもそう呼んで差し支えない存在はいくらでもいた。
そんな連中と、一緒になるつもりなどない。
「君一人で、複数の邪神を相手取るつもりかね」
「今、まともに戦える狩り手はわたくし含めて四人のみ。 その中でもっとも未来があるのはあの「陰キャ」さんだけですわ。 ともかくこの攻撃が落ち着いたら恐らくは何とか狩り手の育成を再開できるはず。 それまでの犠牲は最小限に抑えないと」
「まちたまえ。 君もトップエースで、米国の「ナード」氏も存在を認知している程の腕利きだ。 君も失う訳にはいかない」
「そう言ってくださるのは有り難いですけれども、邪神の攻撃の直撃をもらったら死ぬのは誰でも同じ。 そういうものですわよ」
今までの莫大な戦果は。
多くの犠牲の末になり立ってきたものでもある。
「悪役令嬢」だって誰もを救えたわけでは無い。
NO7との戦いでは、箱根にいた人々の大半を殺されてしまった。
到着が遅れたから。
邪神が唐突に現れたから。
そういう理由もあるが。それでも、である。
だいたい今まで勝ち抜いて来られたのも、運の要素が強いと考えている。
何よりだ。
米国本土から邪神が駆逐され。カナダの本拠地に奴らが追い込まれた今。
状況は非常に厳しいとは言え、それでも崖際に追い詰められた状態から。どうにか踏ん張って耐え抜いた、くらいの状況にまでは押し返した筈だ。
そこまで慌てる場所では無い。
「ともかく、設備の移転について急いでくださいまし」
「分かっている。 君も、ともかく死に急いでくれるなよ「悪役令嬢」」
「分かっていますわ」
通信を切る。
さて。基地の外に出て、背伸びをする。
余裕綽々の様子を見せてやれば、邪神が仕掛けてくるかも知れないと思ったからである。
疲れは取れている。だれてもいない。
来るなら、今来て欲しいものだが。
まあそう上手くは行かないだろう。それに、短時間で二体の邪神を失ったのだ。奴らがどう思っていようが、「絶対正義同盟」にとっては大きな損失である。ここで更に邪神を仕留めておけば、更に一息つくことだってできるだろう。
廃墟となった街を見つめる。まだ、邪神は来ない。気を張るのも疲れる。さっさと姿を見せて欲しいものだと、「悪役令嬢」は思った。
1、文化破壊者
文化の破壊、思想の統制には古くから歴史がある。
かの有名な焚書坑儒などもそうだが。それ以外にもたくさんの文化破壊、更には思想統制が歴史上行われてきた。
宗教の抗争などもそうだろう。
それら愚かしい歴史は、近代になっても変わる事はなく。
多様に花開いた文化は。
産まれた時代に歓迎されることはまずなく。
産まれた頃は必ず叩かれたものだった。
近年でも、映画が出たころには映画は徹底的に批判され。
テレビが出たころにはテレビは徹底的に否定され。
レジェンドであるバンド、ビートルズは「退廃文化」の象徴とされ。
ネットが出れば「ネットにいるバカ」などという言葉が出てくるようになった。
おかしな話で、新しい文化形態が出るころには、古い文化に対する否定は一段落しているのが普通で。
SNSクライシスの前には、動画文化が隆盛を迎えていたが。
もう少しSNSクライシスのようなカタストロフが発生するのが遅かったら。これも社会的に大きく認知されていたかも知れない。
一方で、SNSクライシスの前も文化否定をする輩は非常に多く。
それらは社会的に問題となっていた。
「陰キャ」は、時間があったので、それらの文化否定の歴史に目を通していた。
久しぶりに来た訓練施設。
此処を先に出ていった先輩達はみんな命を落とした。
「悪役令嬢」も此処の出身なのかも知れないが。少なくとも「陰キャ」がいたころにはいなかった。
後輩達は、この間みんな何処かに急いで避難した。
残っているのは膨大な本。記録データ。データサーバ。それに訓練用の様々な設備などである。
服などのデザインをできる場所もある。
基地の地下にちょっとした工場と運動施設、更には学校と図書館があって。
「陰キャ」はこの図書館に来るのが好きだった。
文化否定の風潮は、21世紀に入ってもまるで収まる様子が無く。
様々な文化に対する攻撃がSNSでも起きていた。
おかしなことに、複数あるSNS同士でも対立が起きていたらしい。
ただの絵に対して執拗で支離滅裂な攻撃を行い。
描いた人間を徹底的に否定する。
そういったものに始まり。
ありとあらゆる文化破壊の嵐が吹き荒れていたのが、SNSだ。
とはいっても、20世紀には文革というとんでもない規模での文化抹殺が隣国で起きたという悲劇もある。
人間は他人を否定して悦に入るために、文化を破壊したくなる習性があるのかも知れない。
究極的に、SNSクライシスがおきたからそれは止まった。
文化を破壊するどころではなくなったからだ。
それに、文化破壊は邪神が行うようになった。
生き延びている一部の人間の中には、邪神を崇拝するようになってしまった集団がいるらしいのだが。
そういう人達は、あるいは。
SNSクライシスが起きなければ、SNSで今でも文化破壊にせっせと熱を上げていたのかもしれなかった。
キャンセルカルチャーというこの文化破壊の運動は、日本だけでは無い。
全世界的な問題であったという事で。
人間が文化圏が違っても大して本質は変わらない事や。
それがどれだけの災厄の要因になるかと言う事を。
「陰キャ」に見せつけてくる。
「何人は〇〇」などという言説はだいたい嘘だ。
人間そのものが駄目な生物なのだ。
それについては、せっかく花開いた文化を踏みにじって、それで自分が偉くなったつもりでいたり。
客観性を一切持たず、自分の価値観で他人の人権や人生まで否定して良いと思っている者を実際に見たり。
それの究極である邪神を見ていると。
どうしても思い知らされてしまう。
それでも、何とか先に進まなければならない。
気が重い話だった。
今の時点では、ベルは鳴らない。
邪神がいつ現れてもおかしくないというこの状況だ。だから、ベルが鳴らないのは良い事だが。
それでもやはり、神経がきりきりと締め付けられる。
無言で、ゲーム室に出向く。
主にデジタルゲームが大量に格納されている部屋だ。
ゲームの現物はないが。大量のデータが残されている。
このゲームも、苛烈な差別と攻撃に曝された文化だった。
差別はアンダーグラウンド化と先鋭化をうむ。
結果としてモラルハザードがゲームファンの間でも起きた。言葉を失うような言動で、一瞬にして社会的地位を失った「プロゲーマー」も実在したらしい。
いずれにしても、みんなで楽しく遊ぶのがゲームだろうに。よく分からない世界だった。
外に出る。
曇天だ。
あまり良い天気ではない。
「悪役令嬢」は、今日も近場の街に出てフォロワー狩りをやっているらしい。通信が来た。少し緊張したが、山革陸将からだった。
「「陰キャ」くん。 コンディションは大丈夫かね」
「はい」
「そうか。 しばらくはその基地にある物資や設備は動かせない。 「悪役令嬢」もそれほど遠くには行っていない。 君は体力を使いすぎない程度に、体の調整を済ませておいてくれ」
「は、い」
山革陸将はちょっと怖いので、あまり直接話したくはないのだけれども。
こういう情報の共有は、文字通りいのちに関わるので、しない訳にはいかない。
しばらく周囲を見回して、邪神の来る気配はないなと判断。
軽く運動をする。
体力はつけておきたい。
基地の内部をランニングして、軽く汗を流す。
運動自体は大嫌いなのだけれども。
そんな事を言っていられる状態ではない。
今まで、体力のなさがどれだけ危機を招いたか。
それを考えれば、体力作りは急務と言えた。軽く走り込んできてから、プロテインを口にする。
まずい。
だけれども我慢して、栄養ドリンクで胃に流し込む。
トイレを済ませて。少し休憩をしようかなと、外に出たとき。
異変がおきた。
ぞわりと、おぞましい気配。
今までに無い程強いものだった。
即座にインカムに声が聞こえる。
「「陰キャ」さん! 無事ですの!」
「い、いま、気配、が!」
「分かっていますわ! 貴方はすぐに其処を離れ……」
通信が途切れる。
邪神の強い力が、電波を断ったのだろう。
いつでも戦えるように、装備はきちんといつも身につけている。
「悪役令嬢」の予想は当たったのだ。
邪神が、直接自衛隊の駐屯地に攻めこんできたことは、今まで何度かあったらしい。SNSクライシスの直後は特に多かったそうだ。
理由としては、人がたくさんいる場所だから。
都会が地獄と化した後。人々が考える事は決まっていた。
自衛隊の駐屯地に逃げ込んで、保護して貰おう、ということだった。
それを本能のまま、人間がたくさんいる場所と言う事で邪神が襲撃した。ただそれだけの事だった。
今では別にそれほどたくさんの人間がいる訳でもないし。そもそも軍隊なんて邪神は歯牙にも掛けていないので。わざわざ駐屯地に攻めこんでくる事は滅多にない。
その異常事態が、久々に起きたと言う事だ。
ともかく、邪神はもうこっちを捕捉している。
「悪役令嬢」は逃げるように指示したようだが、逃げる余裕なんてない。
気配は二つ。
一つはこの間の「フェミ医師」よりは小さい。
だがもう一つは、明らかに大きい。
最悪だ。
邪神一体でも、「悪役令嬢」と連携して戦ってやっとの相手だったのだ。NO11ですら、ベテランの狩り手である二人が負傷までしてやっと倒したらしい。
それなのに、一桁ナンバーが二体。
正直、冗談では無いというのが本音だった。
巨大な肉塊が、二体。
ずしんと音を立てて、自衛隊の基地内に入り込んでくる。
鉄条網なんて何の役にも立たない。
そのまま踏みにじりながら入り込み。オートでの迎撃を行う火砲を、五月蠅そうに巨大な肉塊が払いのけていた。
一体は、年老いた男に見えるが。傲岸不遜な雰囲気で。スーツのようなものを着て、バッヂをつけていた。
あれは確か議員とか知事とかのつける。
それで思い出す。
確か絶対正義同盟の邪神に「知事」と呼ばれる者がいたはずだ。
SNSクライシスの前にある県の知事をしていた者で、時代錯誤な政策で県を混乱に陥れた。
特にゲームに対して偏見とそれ以上に凄まじい差別を抱いていて。
県内で行った時代錯誤な政策には、怒りとそれ以上に呆れの声があがり。
実際に大きな被害が出たという。
民主主義は、人々が選んだ人間がトップに立つ。
最果ての時代。
そんな化け物が、人々に選ばれてトップになっていたのだ。
悲しい話である。
もう一体は、此方も傲慢そうな雰囲気をした男で。とにかく周囲をねめつける雰囲気の人物だった。
眼鏡を掛けていて、にやついている雰囲気だが。
口から垂らしている舌は、なんだアレは。まるでカエルだ。
そいつが手にしているのは、女のフォロワーらしい。それを口に運んで、ばりばりと貪り喰っていた。邪神がフォロワーを産み出すのは見た事がある。でも喰らうのは初めて見た。
「なんだ、もう少し歓迎があるかと思ったら、静かだなあ「兄」」
「自衛隊も知っているのですよ、我々には勝てないと言う事をね「知事」」
「ふん、何が自衛隊だ。 いずれにしてもこの基地にはゲームとか言うくだらん代物が保管されているらしいじゃあないか。 全部ぶっ壊して、この世から欠片も残さず消滅させてくれるわ」
「まあ僕としては女を残しておいてくれれば充分ですよ。 まったくどっかのバカが余計なことをしてくれたせいで、若い女を好き放題つまみ食いできる環境も壊されたし経歴にも傷がついちまったからなあ……」
口を押さえて必死に物陰に潜み、隠れながら話を聞く。
兄と呼ばれていたか。
そうなると、恐らくは奴は邪神「兄」。
詳しい経歴は分からないが、どうもテレビ局関係者だったらしく。主にアニメ関係で邪悪な利権を貪っていた輩であったらしい。
ある番組に関するトラブルでその邪悪な利権構造が明らかになり、テレビ局の株価が爆下がりするほどの大騒ぎにまでなったそうだ。
相当に強いパイプをテレビ局にもっていたため、それでも庇われていたそうだが。
株価の激減が原因と成り、更には株主総会でまで追求されたこともあって。ついに庇いきれなくなってテレビ業界から放り出されたが。
それでも信者が一定数何故かいたそうである。
今の言動を見ている限り、声優などを目指して必死に番組に出ようとしていた女性などを好き放題喰らっていたのだろう。
当時は性的な意味で。
今はSNSクライシスで邪神化し、物理的な意味で喰らっているようだが。
「悪役令嬢」は逃げろと言ったが、当然である。
「兄」一体だけでも、はっきりいって手に負える相手では無い。
ましてや「知事」などは、この間戦った「フェミ医師」よりも明らかに気配が強い。
それを考えると、はっきり言って今出るのは自殺行為だ。
だが。
知事が、腕をパイルバンカーのような形状にしたのを見て、ぞくりとする。
「このような玩具のごとき基地、ぶっ潰してくれるわ。 それで忌々しい狩り手どもが湧いて出無くなるなら、それでいい」
「狩り手が現れなくなるのは僕としてもいいですねえ。 狩り手は流石にゲテモノ過ぎて僕でも食べる気にはなれませんしね」
「はん、あんなものが蔓延っている時点で全て駄目なのだ。 一度地球は全部更地にして、美しく作り直さなければならん」
「僕が食べる女は残しておいてくださいよ−?」
その時。
流石に、看過できなくなった。
すっと姿を見せる。
それと同時に、邪神二体が此方を見ていた。
「何だァ狩り手か……!」
「ハハハ、キッショ。 何そのキャップ。 マスク。 そんな風に顔隠して……そうか、確かルーキーの「陰キャ」か」
「殺す!」
問答無用。
いずれにしても、相手に会話をする気がないのは事実のようだった。
いきなり、パイルバンカーのようにした腕で、「知事」が突貫してくる。
少なくとも、地下の設備に手出しはさせない。
三角飛びの要領で、更にフックも使い。建物の上に上がる。パイルバンカーが、至近を掠めて、風がごっと鳴った。
流石に狩り手相手だから出力が落ちているとは言え、直撃を受けたら死ぬ。
「知事」が吠える。
巨大な老人のような姿をした肉塊だが。家族だろうが何だろうが、殴って黙らせてきたという表情だ。
一瞬仁王像を思い出したが、違う。
仁王はそもそも、悪に対する怒りを示した顔である。
此奴の顔は。
悪そのものの顔だ。
主観のみで相手の全てを決めつけて、それで殺戮する。
仁王はそんな悪に対する怒りを示す仏神。
断じて、同じではない。
再び喚きながら、建物ごと叩き潰そうとパイルバンカー化した腕を振り下ろそうとする「知事」だが。
無言で突貫すると、顔面に刀を突き刺し、離れる。
ぼっと、「知事」の顔が石榴のように爆ぜ割れて、呻きながら蹈鞴を踏む。
ケラケラ笑いながら、兄が全身の肉塊を膨れあがらせる。
体中に膿まみれの肉塊が膨れあがり。
それが爆ぜ割れて出て来たのは、いずれもが女性のフォロワーばかりだった。
喰らったフォロワーをそのまま展開する事が出来るのか。
フォロワーによる物量押しをしてくるタイプというわけだ。
それも新鮮なフォロワーばかりである。いずれも動きが速い。
「知事、加勢しますよー?」
「当たり前だ!」
わめき散らしながら、「知事」がバンカーつきの腕を振り回す。陰キャはそのままバックステップして、基地の中央から「知事」を引き離していく。
だが、フォロワーが追いついてきた。
其奴らも同時に相手しながら、暴れ狂う「知事」の攻撃をかいくぐるのは無理だ。
とにかく下がりながら、追いすがってきたフォロワーを切る。面白がって、「兄」の方もついてきた。
「人間以下」として蔑んでいる相手を痛めつけるのが心の底から楽しい。
そういう顔だった。
そんな様子で、仕事が欲しくて来ていた若い女性を文字通りの食い物にしていたのだろう。
吐き気が出る邪悪だが。
こんな輩でも周囲に下僕がたくさんいたようなのだから。如何にマスコミ関係が腐りきっていたのか分かる。
テレビも出た当初は害悪扱いされていたのに。
いつの間にか自分達を特権階級と勘違いし。
新聞と癒着して、いい加減な内容の番組ばかり流し。
挙げ句の果てに、「素人弄り」と呼ばれる、テレビ業界関係者が、それ以外の人間を痛めつけて見世物にする代物をたれ流し始めた。
テレビという文化そのものは悪くは無かったのかも知れないが。
そこに膨大な金が流れ込んだ結果。
あの「兄」のようなカスが跳梁跋扈する、魔郷が誕生してしまったのだろう。
見た感じ、あの「兄」は多分一人がベースになった邪神ではないのだろう。
ああいう輩が。
当時はたくさんいた、ということだ。
それらが集合体となったのが、あの邪神。
そういうことなのだろう。
凄まじい叫び声を上げながら迫ってくる「知事」が、基地の防壁も鉄条網もまとめて吹っ飛ばす。
外は荒野だ。
丁度良い。ともかく、基地から遠ざける必要がある。
彼奴らにとっての優先順位は現在稼働している狩り手だ。基地を潰しに来たとしても。狩り手がいるなら、そっちを優先するのは当然だろう。
「知事」が自分の産み出したフォロワーごと周囲を破壊し尽くしている様子を見ても、「兄」はにやついているだけである。
別に幾らでも食いたい放題だから関係無い。
そういう様子だ。
そのにやついた「兄」が。
不意に、斜めに一刀両断され。大量の血を噴き出しながら、倒れていた。
巨大な体だ。凄まじい轟音と共に肉塊が落ちる。
「知事」が一瞬振り返ったその隙に、「陰キャ」も攻勢に出る。フォロワー数体を斬り伏せると。「知事」の足下に潜り込み。両足を一閃。納刀していた。
足が綺麗にばっくり切り裂かれ。見事に横転する「知事」。
遅くは無い。
むしろ、全速力できてくれたのだろう。
「悪役令嬢」の姿が見えた。
「オーッホッホッホッホ! 「陰キャ」! そちらの相手を続けて貰えますの?」
「……!?」
え。どういうことだ。
あ、そうか。何となく分かった。
恐らくだが、「悪役令嬢」がやりたがっているのは、一種の斜線陣戦法だ。
あの戦闘民族で知られたスパルタの軍勢を打ち破った戦法。
軍に偏りを設け。数が多い部隊は敵陣を崩し。少ない部隊は守りに徹する。
そうすることで、無敵を誇ったスパルタ軍を倒したのである。
とはいっても、その戦いで負けた頃には、スパルタは腐敗に腐敗し。軍も相当に弱体化していたという話だが。
まあそれについてはいい。
いずれにしても、こくりと頷く。
何よりも、此奴を。
「知事」を放っておいたら、多分地下にある設備を破壊されてしまう。それだけは、許してはおけなかった。
「まーた変なのが出て来たなあ。 ぼくは男を山ほど知ってるようなのはあんまり好みじゃないんだけれどなあ」
当然のように、肉塊が再生していく「兄」。まあこんな程度で倒せるなら、今まで散々討伐に失敗していない。
「兄」も「知事」も、今までに数度、討伐部隊を退けている。
NO7「フェミ医師」を倒したのが史上空前の壮挙だったのは。それまでに邪神一桁ナンバーに対する討伐が悉く失敗していたからである。
「陰キャ」だってそれは分かっている。
だから、「陰キャ」は。
「悪役令嬢」の作戦に乗る事にした。
周囲に展開しているフォロワーを全て斬り倒すと、立ち上がって唸り声を上げている「知事」に言う。
「あ、あたし、ゲーム大好きです」
「……!」
効果てきめん。
一瞬にして、「知事」の顔が憤怒に歪んでいた。
それで充分。
以降此奴は、「陰キャ」を執拗に狙って来るはずだ。それで充分。後は「悪役令嬢」が、邪神「兄」を倒してくれる事を期待して、必死に耐えればいい。
知事の全身から触手が伸び、その全てに鈍器やら刀やら、様々な武器が生えてくる。
わめき散らしながら踏み込み、一斉に武器を叩き込んでくる「知事」。
どうやら、一瞬で残っていた理性の欠片が消し飛んだらしい。
それでいい。
此奴を基地内で暴れさせるわけにはいかない。
彼処にあるのは。
人類の、文化遺産なのだから。
2、恥知らずのブルース
さて、此奴の弱点は何かな。
そう思いながら、「悪役令嬢」はひょいとバックステップして距離を取る。
此奴は物量で押してくるタイプだ。今も全身を二足歩行から四足歩行形態に切り替えて、全身からフォロワーを大量に産み出してきている。
攻撃は大量に産み出したフォロワーを使って行い。
そして自身は居座る拠点攻略型とみて良い。
もう一体は拠点破壊型だろうから。
確かに相性は抜群だ。
「陰キャ」は文字通り蝶のように飛び蜂のように刺すスタイルの戦闘を得意としているから。
長時間は無理でも、何とか耐えてくれるはず。
此奴をとにかくできる限り急いで攻略して、残りを潰す。
ただ、此奴も腐っても一桁ナンバーの邪神。
体内に取り込んでいるフォロワーの数は物理を無視している数だ。多分数万は軽く行くだろう。
要するに、フォロワーを倒しながら。本体にあるコアを叩かなければならない、ということである。
襲いかかってくるフォロワー。新鮮なものばかりだから、どれも動きが速い。
右に左になぎ倒し。
頭を叩き割り、胴を真っ二つにし、赤い霧に変えながら、徐々に距離を詰めていく。
淡々と余裕綽々の様子で、全方位を赤い霧に変えながら進んでいく事で、相手に圧迫感を与えるのだ。
邪神は精神生命体。
自分より劣っていると見なした相手に、圧迫感を与えられると、それだけでダメージを受ける。
核ですら通用しない相手ではあるが。
だからこそ、こういう初歩も初歩な戦術が、却って有効なのである。
此奴自身はやはり話しかけては来ない。
そういう事は、やはり此奴は何かに操作されているタイプではなさそうだ。
ただ、さっき派手に真っ二つにしてやったのに再生した。コアは分かりやすい場所ではなさそうだが。
じりじりと押し込んでいく。
ともかく、こう言うときは焦ると一番危ない。
フォロワーといえども、充分な危険になる。
そんなのは、狩り手になった時に最初に叩き込まれることだし。
自衛官を経験している人間ならなおさらである。
SNSクライシスが起きてから三十年。
もはや人間が安全に暮らせる場所などなくなった今の時代は。
それこそ子供ですら、フォロワーの恐ろしさは知っている。
もはやこの世界は、SNSクライシスの前とで決定的に違ってしまっているが。
人間の愚かしさが凝縮された邪神を見る度に。
此奴らだけはまったく変わっていない人間の業そのものなのだなと、思い知らされるのである。
「陰キャ」は大丈夫か。
見ると、凄まじい数の武器を作り出して飽和攻撃を仕掛けている「知事」に対して、善戦しているが。
それでも元々体力にあまり自信が無さそうなタイプだ。
しかも基礎体力がないから、伸ばそうとしてもどうにもならないタイプ。
それに関しては、「悪役令嬢」がサポートしなければならない。
ともかく今は、少しずつ「兄」に対して迫っていくしかなかった。
バカにしきった声を上げながら、全身に更に多数の膿疱を浮き上がらせる「兄」。
こいつがいた時代の、テレビ業界を示すかのような醜悪な姿である。
不思議な話で、此奴がいた時代のテレビ業界は、同じ関係者でも地位が明確に決まっていたらしく。
一番稼いでいる人間達は何故か地位が一番低く。
穀潰しにしかなっていない「大御所」がやたらと持ち上げられ。
ブラック企業どころではない悲惨な労働が彼方此方で課せられていたという。
此奴は甘い汁を吸う側だった訳で。
そのエジキになった存在の数を示すように。
無尽蔵にフォロワーを繰り出してくる。
だが、正面から全て切って落とす。
どれもこれも新鮮な女のフォロワーばかり。
動きは速いが、はっきりいって積極的に仕掛けてくる邪神の猛攻に比べれば児戯に等しい。
ただし油断はしてはならない。
背後に回った数体が、前からくる十数体と連携して押し包みに来る。
更に、殺気。
跳躍して飛び退くと。
フォロワー達を見えないナニカがまとめて薙ぎ払って消し飛ばしていた。
死骸を集めると、口に運んでいる「兄」。
壊れたら再利用、と言う訳か。
醜悪な精神性の輩だ。
反吐が出る。
無言でそのまま着地すると、心を落ち着かせる。
いわゆるアンガーマネジメントというのだったか。
これは人によってできたりできなかったりするのだが。
「悪役令嬢」は比較的できる方だった。
また「兄」の全身に膿疱がわき上がる。
さて、そろそろ本格的に攻めないとあぶないな。
今の不可視の攻撃、「陰キャ」の方に届く可能性もある。
此奴の攻撃は、少なくとも「悪役令嬢」で全て引き受けなければならない。
体勢を低くすると、突貫。
殺気。
上空から三度、連続で何かが叩き付けられる。
全てを鉄扇で払う。
そのまま突貫。
今度は前から。
弾き返す。
その瞬間に、見えた。
どうやら、骨だ。
超高速で骨を飛ばしてきていたから、何か分からなかったのだ。
しかし、骨。
一体何だ。
まあいい。ともかくそのまま接近する。
今飛ばした骨がどこから出て来たのかを解析したいが、正直時間があまりないというのが本音だ。
時間を掛ければ掛ける程、ルーキーに近い状態の「陰キャ」が消耗する。下手をすると倒される。
もしも「陰キャ」が負けた場合、劣勢を覆すのは「悪役令嬢」にも無理になるだろう。
敢えて強い方を任せたのだ。
一気に此奴を仕留めるくらいでないと話にならない。
後方。
触手。地面から噴き出る。口がついた気色が悪い奴だ。
それが立て続けに、「悪役令嬢」を頭上から丸呑みにしようと襲いかかってくるが。全て鉄扇で弾き返して消し飛ばす。
邪神の特性として、「人間と見なしていない相手をバカにしきっている」から。精神生命体の特性として、どうしてもこういうのは予備動作つきで放たないといけない。さっきの不可視攻撃を打ち払えたのもそれが理由である。
それにしても、今の触手。
どこかで見た事があるような。
更に今度は、「兄」の背中から、巨大な剣が出てくる。
これもまた、どこかで見た事があるような気がする。
いずれにしても、なんか斜めのポーズを決めた後に、叩き込んでくる。
太刀筋は素人そのもの。
弾き返しつつ。火花を散らしながら、更に接近。
届く。
顔面に二発。
吹っ飛ばす。
更に横をすり抜けながら、膿疱ごと全身を切りつける。
爆裂する「兄」。
体の表皮が消し飛んだだけだ。
まだまだの筈。
そのまま振り返りつつ、一撃を浴びせてやろうと思ったが。次の瞬間、悪寒を覚えて飛び退く。
どんと、凄まじい音と共に。
巨大な剣が、地面に突き刺さっていた。
「兄」が四足歩行形態から、更に腕を二本生やし、その剣を引き抜く。
振り返りさえしない。
からだを完全に再構築して、「悪役令嬢」が抜けた後方に顔を作り出す。
その顔は、どうしてか。
妙に、カエルに似ていた。
だんだん、違和感がはっきりしてくる。
なるほど、分かってきた。
此奴の正体が、だ。
此奴が使っている技の正体も、である。
ならば、恐らくコアは、体の中にあるものなのだろうが。あまり狙いたくない場所にあるとみて良い。
ある意味この間殲滅した「フェミ医師」と真逆の邪神だ。
その精神性の醜悪さは、全くと言って良いほど共通しているが。
「その剣……確かあるアニメで主人公が使っているものですわね。 現物とは似ても似つかないほど醜悪ですけれども。 とにかくデザインに品がありませんわ」
一瞬硬直する「兄」。
だが、そのまま剣を降り下ろしてくる。
ばちんと音。
わずかに動いてかわしつつ、弾いてへし折ったのだ。
その中身の空っぽさ加減を示すかのように。
剣は鉄扇の一撃であっさりへし飛んでいた。
「更に先の人食い触手。 某有名なバトルアニメで敵が自己強化するために捕食をするときに使ったもののパロディですわね。 センスの欠片もありませんけれども」
また、一瞬硬直する。
やはりな。
此奴が使っているのは、さっきから劣化パロディばかりだ。それも、元に愛があるようなものではない。
元に対して敬意の欠片もなく。
醜悪極まりない改変を行い。
「改善してやった」とにやついている類のものである。
そうそう。
SNSクライシスの直前には流石にかなり減ってきていたらしいが。アニメ製作でも余計な口を突っ込む制作者がいて。そいつが内容をあからさまに改悪しながらも「素晴らしい内容に改善してやった」とほざくことはよくあったそうだ。アニメを実写映画などにした場合はその傾向が更に顕著だったという。
此奴は、そういう存在。
だからこそに。
今の「口」撃は強烈に効く。
なぜなら。
此奴らは、SNSクライシスが発生する前には、既に時代の遺物となっていた。
業界内の狭い世界でだけふんぞり返っていたが。
それもSNSで実態が即座に暴露され。
全くという程、業界外では相手にされない存在となっていた。
更にテレビという媒体そのものがSNSクライシスの前には、この手の輩のせいで終わりかけていたこともある。
動画文化の隆盛は。すなわちテレビ文化がそれだけ衰退することを意味していた。
芸能人と称する連中が、ひたすら「ネット」(その時代ネットを使っていない人間なんていなかったのに)に敵意を示していたのも。
自分達の衰退を、明らかに引き起こしている存在だったからだ。少なくとも彼らの脳内では。
事実は真逆だったのだが。
思い切り笑ってやる。
「貴方のような穀潰しがいたから、テレビという文化は衰退に衰退を重ねていったのですわよ。 ネットのせい? 貴方たち自身のせいですわ」
一瞬完全に凍り付いた後。
爆発するような怒りの声を上げた。
即時で耳を塞いでいたから直撃は避けた。
見ると、「陰キャ」も上手に音の爆撃は避けることに成功したようだ。
全身を膿疱だらけにしながら、更に全身を膨れあがらせていく。
これでいい。
後は四足歩行から二足歩行に切り替えてくれれば、更にやりやすくなるのだが。
滅茶苦茶に新たに増やした二本の腕を振り回しつつ、口を大きく開く「兄」。というか、なるほど。
そういうことか。
見えた見えた。醜悪なものが。
本来は宗教のシンボルになったりする事もあり。古くはそもそも汚らわしいものではなかったという。
それはそうだ。
生殖をしなければ人間は増えないのだから。
だが此奴の場合は、暴走したエゴと直結した存在。
おかしな話だ。
いわゆるフェミニズム系の人間と此奴らは、むしろ仲が良かった。
金を落としてくれるからだ。
邪神になった今も同じだろう。
「フェミ医師」が女性の負の面の結晶体だとしたら。
こいつは男性の負の面の結晶体だ。
いずれも小物で。
更に大物がいると思うと、うんざりするが。
コアが見えた以上、もはや躊躇する必要はない。
驟雨のように叩き付けられる攻撃を、全て捌いていく。
体力が文字通りゴリゴリと削られていくが、その度に相手も自分の力が通用しないと言う事で、ダメージを受けていく。
精神生命体としては。
人間と見なしていない相手に遅れを取るという事が、一番ダメージを受ける。
勿論「悪役令嬢」だって人間だし、体力もある。
一発でも被弾したら終わりだ。
相手が「人間だと見なしていない」からこそ、攻撃を捌けるのであって。
そうでなければ、初太刀で死んでいる。
膨れに膨れあがった「兄」の膿疱。
内部には、今まで食い散らかしまくってきただろうフォロワーの姿が見える。爆発したら、多分千を超えるフォロワーがあふれかえる。
だがあれは、「兄」と直結している存在の筈。
ならば。
足を止めての殴り合いを止めて、真っ正面から突っ込む。
わめき散らしながら、「兄」が叫ぶ。
一人称も変わって、完全に地が出ていた。此奴の会話は「陰キャ」のインカム経由で遠隔で聞いていたし。ついでに少し話すのを直接聞いたから。さっきまで此奴が「ぼく」と自分を呼んでいたのを「悪役令嬢」は知っている。
「もう頭に来た! オーディションに来た声優を好みで食い散らかすのだって、製作委員会方式を利用して甘い汁を吸うのだって、俺だけがやってるんじゃねえ! そもそも俺がプロジェクトを立ち上げたクソアニメは草刈り場だったのに、変な奴が妙に人気がある作品に仕上げやがって! 草刈り場が台無しだ! 挙げ句の果てにネットである事無い事騒ぎやがって、俺のキャリアも丸つぶれだ! お前みたいなネットのミームごときが、俺の貴重な時間と金を、全部台無しに……」
「黙りなさいこの恥知らず。 いや、カス」
「な……」
「お前のような輩は、もはやカスで充分ですわ。 蛆虫と比べたら蛆虫に失礼なレベルですわよ」
黙り込んだ後。
絶叫する「兄」。
好都合だ。
そのまんま、口に飛び込む。まさか口に飛び込んでくると思わなかっただろう「兄」は、そのまま口を閉じようとするが。
一瞬早く、「兄」の喉の奥にあった巨大な男性器を文字通り切り裂き打ち砕くと、跳び離れていた。
ばくんと口が閉じるのと同時に。
「兄」は、自分のコアが打ち砕かれた事を悟り。
絶叫し、もがいてなんとかしようとするが、手遅れである。
その時、面白い事が起こった。
膿疱の中にあった人影が、一斉に「兄」の体の内部に向けて動き出したのである。これは、「悪役令嬢」も予想外の事だった。
「な、なんだお前達! やめろ! お、俺は仕事を提供する代わりに、見返りを求めただけだろう! 当たり前の事だ! 声優なんてヤクザな仕事、それくらいしないと食っていけないのは知っていた筈だ! おれ、おれは! あぎゃああああああああああっ!」
爆裂する「兄」。
あれは、此奴に食い散らかされた怨念が。最後に自分に向けて全部返ってきたという事なのだろうか。
いずれにしても、何一つ同情する余地がない輩だった。
反吐が出るな。
そう思いながら、鉄扇を振って汚らしい粘液を落とし。
そして悪役令嬢は、振り返っていた。
気配も消えた。
「絶対正義同盟」の一桁ナンバーの恐らく現NO8。邪神「兄」の最後だった。後は、もう一体。
「知事」を仕留めるだけ。
消耗しているからそれが厳しい事は分かっているが。それでもやらなければならない。
「悪役令嬢」によるとどめの一撃は、「陰キャ」からも見えた。まさか、口に直接飛び込んでいくとは。
コアを見つけたとは言え、とんでもない度胸だと、「陰キャ」は舌を巻いていた。
完全に激高した「知事」は、もう何もかもを破壊し尽くす勢いで多数の触手と、それについた武器を振り回して。周囲の全てを。文字通り万象一切灰燼と帰せという勢いで、薙ぎ払い破壊している。
攻撃は文字通りうなりを上げる苛烈極まりない代物だが。
何とかできる。
体力の配分を考えながら、確実に下がる。
此奴に、基地内で暴れられていたら、もうとっくに設備も訓練施設もやられてしまっていただろう。
貴重な文化資産もだ。
こいつのように、文化そのものを憎む人。見下す人が。人間という生き物の中にはどうしてもいた。
それは一種の病気なのだと、訓練の時に聞かされた。
偉人だろうが文豪だろうが、他の文化に敬意を払えなかった者はいる。
それは高名なアニメ作家だろうと同じ。
他の人間が作るアニメを一切認めず、年を取ってからはファンまで侮蔑するような発言を続けた者もいた。
その者は、若い頃。アニメーター時代は、本当に素晴らしい仕事をしていたのだという。
また、ありもしない、人間が届いていない技術を勝手に評して。
人型ロボットが活躍する作品はSFではないなどとほざいたり。テラフォーミングはこういうものではないとほざいたり。艦隊戦は宇宙ではおきないとか抜かしたり。
自分が所属している文化に対して、激しい制約を設けて外から入ってくる人間を排除し続けた者もいた。
そういった存在は、こう呼ばれていたそうだ。
老害、と。
それらよりも更にタチが悪いのが、今目の前で破壊の限りを尽くしている「知事」。
悪役令嬢が、勝った。
ならば、「陰キャ」も。
足下がふらつく。
体力が露骨に不足しているのに、こんな凶悪な相手とまともにやり合い続けているのだ。まあ当然だとはいえる。
だけれども、此処だけは。
絶対に引くわけにはいかない。
納刀すると、腰を落とす。
わめき散らしながら、多数の武器を一斉に降り下ろしてくる「知事」。
目を閉じる。
本来は、絶対にやってはいけない事だけれども。
今なら、きっとできる。
目を見開く。
その間、0.1秒くらいの筈。
脳内物質が、全力で出続けていて。それであまりにもゆっくりと周囲が動いているように見えた。
多分明日から、筋肉痛だろうな。
そう思いながら、「陰キャ」は抜刀。
全ての武器が、どう殺到してくるのかが見えていた。
大太刀。弾き返す。
チェーンソー。横殴りに斬り飛ばす。
ハンマー。切り返して弾き散らす。
槍。かわしながら、柄を斬る。
更に恐らくこの知事がつかっていただろう車、街宣車といったのか。たまに街中で朽ちているのを見かけた。人の名前とスピーカーがついている車。訓練所に入ってから、正体は知った。
選挙で使われた、動く騒音公害だ。
こいつも知事と言う事は、これを乗り回して騒音をばらまいていたのだろう。
恐らくこれが、こいつにとっての最初の城で。
周囲に迷惑を掛けてもいいと錯覚させた、最初の牙だったのだ。
いやこのような性格の人間だ。
そんなもの関係無く、最初から歪みに歪みきっていたと言っても良いだろうか。
無言で、ばっさり真っ二つに。
それで、一瞬の静寂が訪れる。
傷をつけられたり、斬られたりした武器は悉く爆散する。
パーカーに大量の血を浴びる。
体勢を低くしていたから、露出部分には血を受けなかったけれど。多分パーカーはもう使えないだろう。
顔を上げる。
「知事」は、巨大な肉塊に、触手を更に増やし。
更に武器をそれらに生じさせていた。
今破壊した武器も、全て再生させたようだが。
いずれにしても、此処からはこっちの番だ。
「オーッホッホッホッホッホ!」
「何っ!」
その時、やっと「知事」は気付いたらしい。
「兄」が倒されたことに。
ゆっくり歩み寄ってくる「悪役令嬢」の、炸裂するような威圧感。
狩り手を何人も返り討ちにしてきているだろう「知事」が、明らかに隙を作る。
今だ。
跳躍すると、足下を切り裂く。
体勢を崩した知事の横を掠めた「悪役令嬢」が、その触手を全て鉄扇で薙ぎ払い吹き飛ばしていた。
「もう一匹は片付けましたわよ」
「さ、すが、で、す」
「息が上がっているようですわね。 速攻で決着を付けますわ」
「でも、まだ弱点……」
立ち上がりつつ、肉体の損傷を回復していく「知事」。
こいつも何度も攻略作戦に失敗している強豪。確かNO6だったから、あの「フェミ医師」よりも更に格上の邪神。
「フェミ医師」との戦闘の時よりも技の冴えは増している感がある「陰キャ」だけれども。
あの時ですら、本当に大変だったのだ。
今だって、避けるのに専念していたから戦えただけ。
此奴を簡単に倒せるとは思えない。
事実、倒れていた「知事」の背中が割け。
其処から、巨大な肉塊が噴出される。
大量の触手の集合体で。
さながら何かの麺類のように見えた。
カップラーメンしか食べた事がない麺類だが。麺類そのものが日本人にとってのソウルフードだったと聞いている。だからSNSクライシス前は多種多様な麺類の専門店が、しのぎを削っていたのだとか。
「文化を……美しい故郷を……!」
何やら呻きながら、触手の塊が人型になっていく。
今までの肉塊部分は四つ足から八足に増え、まるで蜘蛛のようだ。
「知事」。文字通りの地位にあったらしい。
「陰キャ」も以前は聞かされた。
SNSクライシス前の選挙は、三バンと言われていて。「鞄」「地盤」「看板」が大事だったという。
「鞄」とは金。「地盤」とは人脈。そして「看板」とは知名度だ。
そんなもののいずれもが、政治家としての性能に何ら関係していないように思えるのだけれども。
民主主義は、凡人が廻していくものだったとも聞く。
でも、それでもなお、どこかおかしい気がする。
いずれにしても、「地盤」を強固に持っていて。明らかに時代錯誤な政治をしていた存在だというのなら。
蜘蛛のように、辺りを巣に見立てるのも納得だと言えた。
ぴんと、地面に何か嫌な感触。
「悪役令嬢」も気付いたようだった。
「「狩り手」どもが……同士を殺した事を後悔させてくれる!」
喚きながら、降り下ろされる無数の武器。
倍増していた上に、更に人型から、触手も飛んでくる。
破壊力がさっきまでの比ではない。
だが、今度はもう本気だとみて良い。
邪神との戦闘は、本気を引きだしてからが本番だ。それは「フェミ医師」との戦闘でも分かったし。
今まで研修で見て来た記録に残った戦闘でも知っている。
もう、破壊のみが繰り出される世界で、ひたすらに攻撃を弾き、避け続ける。飛んでくる土塊や石だけでも、全身の体力を確実に奪ってくる。
もはや全方位隙無し。
武器を破壊されても即座に次を作り、徹底的に飽和攻撃を浴びせる。
対狩り手の必勝戦術と言う訳だ。
恐らくは、数で勝ちに行く「民主主義」そのものを戦闘スタイルにすれば、こうなるのだろう。
確かにある意味民主主義らしい戦いではある。
その最大の負の側面を、モロに曝しているという意味で。
「壊す! 不快な文化を! そして作りあげる! 美しい世界を! そのためには、ネットも! お前達のような存在も! 何もかも不要! 民衆はわしが指示をするままに動き、そのまま美しい世界を作れば良いのだ!」
なんだその発言。
本当にこの人、民主主義世界の政治家だったのか。
この言い分、なんか聞いた事があるような。
そう思いながら、必死に全範囲への飽和攻撃を捌き続けていると。
「悪役令嬢」が、ぼそりと言う。
「はっ。 民主主義世界の政治家が聞いて呆れますわね。 その言い分、さながらクメールルージュのサロットサルの言葉ですわ」
「……」
「アジア的優しさ、でしたっけ? どこかのもう存在しない新聞は、あの邪悪な独裁者を褒める記事を掲載しておきながら、その後実態が判明しても謝罪文の一つも書かなかったそうですわね。 まあ仲が良くなれそうなことで」
サロットサル。
そうだ、思い出した。
ポルポトという呼び名の方が有名な、近代最悪最低の独裁者。
国民の四分の一もしくはそれ以上を粛正もしくは餓死させ。国内から学問と文化を徹底的に全て破壊しきった究極最悪の独裁者の一人。
確かにこんな主張をしていた。
純粋な世界を作る為に知識人を皆殺しにし、周囲を子供だけで固めていたという文字通りの邪悪の権化。
身震いした。
確かに今の言い分、驚くほど似ている。
スケールが桁外れに小さいだけで。
雄叫び。
狂気そのものの声を上げながら、「知事」が全力での猛攻に出てくる。
だが、何となく分かった。
疎密ができている。
今、足下にできた何かの違和感。
蜘蛛のような姿になったのと、無関係ではないだろう。
それに、攻撃が今までのような雑な面制圧ではなく。賑やかしの攻撃と、狙って来る攻撃に明確に別れた。
多分だけれども。
足下に張られたのは、蜘蛛の巣と同じ。
蜘蛛と言っても色々種類がいるけれど。
足下に糸を張り巡らせ。
それに伝わる振動を感知して、獲物を狙う者もいると聞いている。
それと同じ事をしているとなれば。
「陰キャ」の体力はもりもり削られていて。多分後三分もたないだろう。
怒濤の猛攻の中、「陰キャ」は敢えて動く。
残った全ての力を動員して、ジグザグに「知事」に突貫する。
その動く度に正確に武器が飛んでくる。間違いない。やはり地面に張り巡らせた何かしらの力で、対策をしているとみて良い。
かといって空中では、人間は自由に動けないし。
更に敵の触手を逆利用して立体攻撃を仕掛けようにも、「知事」の本体から放たれるあの麺状の触手の飽和攻撃でやられてしまうだけだ。
ならば。
確実に、敵に迫る。
見える。
正確すぎるほどに飛んでくるから、迎撃はできる。だけれども、もう体力が保たない。「悪役令嬢」なら気付いてくれる。そう信じて、とにかく前に前に前に。
数個の武器が、同時に飛んでくる。
その瞬間。
敢えて攻撃地点に移動し続けた「陰キャ」の意図を見抜いてくれたらしい「悪役令嬢」が、全ての触手を薙ぎ払いつつ、直線で「知事」に迫り。
距離をゼロにしていた。
足をまとめて薙ぎ払う。
同時に、「知事」の動きが止まる。
蜘蛛は足で糸の振動を察知している。
蜘蛛の特性を取り込んでいるのなら。それが却って徒になる。
聞き苦しい声を上げながら横殴りに倒れていく「知事」。
後は弱点。
だけれども、もう一太刀放つのが精一杯だ。
それでも、今の攻撃に対する怒濤のカウンターで、身動きが取れない「悪役令嬢」を援護はできる。
納刀しつつ、腰を落とし。
全火力で突貫しつつの抜き打ちを入れる。
「知事」の体が、上下二つに切り裂かれる。
だが、それと同時に。
文字通り、触手の一つが、「陰キャ」を吹っ飛ばしていた。
意識が飛ぶ。
後は、きっと「悪役令嬢」が何とかしてくれる。
死んでも手放さないと決めた刀をもったまま、「陰キャ」の意識は闇に落ちた。
3、二体落つ
「陰キャ」による最後の力を込めた一太刀で、文字通り「知事」の動きが完全に止まった。
さて、弱点はどこだ。
勝負は一瞬。
此処をつけなければ、もう勝ち目はない。
今の「陰キャ」のファインプレーがなければ、文字通り「陣」。中華の飛仙が使うような「陣」を突破することができなかっただろう。
そして一瞬の好機を掴めなければ。
「悪役令嬢」も「陰キャ」も死ぬし。何よりも体勢を立て直したこいつに、基地内の設備も資料も、何もかもが破壊され。
人間の勝機がまた大きく後退することになる。
それだけは、絶対にさせない。
舌か。
いや、違うな。
「知事」はどちらかというと、典型的な政治屋だ。政治権力を取る事だけに特化したタイプの人間で、政治的実務能力は皆無に等しい。そんな輩だからこそ、無能極まりない政策を立ち上げ、自身が担当している「県」という単位の行政を大混乱させたし。頂点に立ったと思ったから、強引極まりない政策を平然と実施した。
脳か。
それも違う。
この手の主観で相手の人権も人命も奪って良いと考える輩は、自分はすべからく絶対だと考えている。
だったら脳なんて、優れていて当たり前。
コアに何てならない。
だったら、後は一つしか無い。
賭だが、狙う。
跳躍し、最後に背中を割って出現した人型の前面部分を無言で徹底的に薙ぎ払い、吹き飛ばしまくる。
恐らくあるとしたらこの辺り。
そして、顔面から腹にまで掛けて吹き飛ばし、敵が触手を再生した瞬間。
空に輝くそれが見えていた。
触手が一斉にそれに殺到する。
なるほど、其処にあったか。
議員バッヂ。
「知事」にとっては、恐らく最大の宝。
当然だろう。
自分の権力の象徴であり。
自分が何をしてもいいと錯覚させるに至った存在なのだから。
ただ、問題がある。
「悪役令嬢」も、体力に限界が近い。
当たり前だ。
「陰キャ」よりも多く敵と戦い。特に「兄」とは正面からのガチンコをやったのだ。その直後にこんな手数の多い相手とやりあったのである。
厳しいに決まっている。
あれを触手に取られたら、多分即時で体内の何処かに移されて勝機は消滅する。
ならば、賭ける。
パンと鋭い音を立てると、鉄扇を閉じ。
完璧なフォームで投擲していた。
基本投げて使う武器では無いのだが。
投擲はそれなりに自信はある。
元々あらゆる手段で邪神を倒して来たのだ。どうしても投擲が必要になる場面はあった。あらゆる訓練を、常にしてきた。
何もかもが、ゆっくり動いて見える中。
一瞬早く届いた鉄扇が。
議員バッヂを、粉々に粉砕していた。
絶叫が上がる。
同時に、ポルポトの小さな子孫とも言える「知事」の全身が、崩壊を開始していた。
「わ、わしの力が! わしの美しい世界が! わしがいなければ、世界を一体誰が美しく戻すというのか!」
「周りを見なさい、権力欲まみれの老人っ!」
思わず叫ぶ。
それで、「知事」は、崩壊しつつある体で。
周囲を見て、ようやく気付いたようだった。
もはや何もかも破壊し尽くされ。
何も残っていないと。
此処は枯れ果てた森だったが。それすらももはや残っていない。此奴がもしもこのまま好き勝ってしていたら。
地球上の全てが、こうなっていただろう。
思想的にはあのポルポトに近い存在。強いていうならその子孫とも言うべき輩であっただろうが。
此奴が直接殺した人数はポルポトにも劣らないし。
絶対正義同盟が滅茶苦茶にした何もかもだって、それは同じだ。
絶叫しながら、それでもわしは正しい、わしは正しいと泣き言をほざき続けながら。「知事」は消えていく。
文字通り、最後の最後まで泣き言を言い続けていた。
はっきりいって反吐が出る。
あんなのを知事にしてしまったSNSクライシス前の世界も。
あんなのがふんぞり返って幹部になっていた絶対正義同盟もだ。
正義は主観的なものだ。
そんなことは「悪役令嬢」にだって分かっている。「悪役令嬢」にも良心くらいはあるが。
それはそれとして、優先されるのは邪神の抹殺。
そんな事は、分かりきっていた。
呼吸を整えながら、「陰キャ」を探す。
此処が基地で無くて良かった。
地面に強か叩き付けられて気を失っていたが、息はある。致命的なダメージも体にないようだった。
気絶しても絶対に刀は手放さない。
立派だ。
SNSクライシス前だったら。運良く何か特技を行かせる職業にでも就かない限り、一生「陰キャ」と呼ばれて虐げられていただろうこの娘だが。今は、文字通り人類を救えるかも知れない希望の一つとなっている。
年齢的にも、二十代中盤をすぎた「悪役令嬢」は、これ以降飛躍的な実力向上は望めない。
それに対して「陰キャ」は基礎体力に問題こそあるものの、今後まだまだ伸びる十代後半だ。
優先するなら此方。
もしも、今後更に有望な新人が現れなければ、その時は。
インカムに通信を入れる。
「こちら「悪役令嬢」」
「こちら山革陸将。 望遠で戦況は見ていた。 見事だ……! 一度に二体の邪神討伐、類を見ない快挙と言って良い」
「それよりも救援のヘリを。 急いでくださいまし」
「既に送っている。 五分以内に到着するはずだ」
嘆息。
流石に短期間で四体の一桁ナンバーを失った「絶対正義同盟」である。 しばらくは動けないだろう。
その間に、何とか此処にある資料と設備を他に移す事が出来る筈だ。
残りは六体。いずれも劣らぬ強敵であることが分かっている。
特に危険なのはNO1だろう。
何しろ、今まで情報が得られていない。
縦社会で上の者の指示には絶対服従である絶対正義同盟のボスだ。一体どれほどの邪悪なのか検討もつかない程である。
戦わなければならない事を思うと、正直あまりぞっとしないけれども。
それでもやらなければならないのだ。
すぐにヘリが来た。救急隊員に、気絶したままの「陰キャ」を任せる。応急処置は済ませてある。
幸い、最後にモロに一撃をもらった割りにはダメージが小さい。
これも邪神の性質の故だ。
邪神クラスの攻撃になってくると、触手を振るうだけで戦車が吹っ飛ぶし。ソニックブームを起こして戦闘機を撃墜する程なのだが。
相手が狩り手であり。
「人間と見なしていない相手」には、侮る故に本気を出せない。
もしそうでなければ、触手が直撃した時点で赤い霧になっていただろう。
「悪役令嬢」も決して無傷では無い。
あれほどの相手と至近でやりあったのだ。
如何に防刃防弾加工をしているこのドレス越しでもダメージはあったが。
はっきりいって寝ていれば治る程度のものだ。
それよりも、今は此処にある設備を運び出すのを急いで欲しい。
流石に更に新手を寄越すほど絶対正義同盟は愚かではないと思うが。
それでも油断は出来ないのである。
一応医師の問診を受けた後、基地の防備は引き受ける。
「陰キャ」は近くの自衛隊の臨時診療施設で一旦治療を受けるが、まあ数日で戻ってこられるだろう。
狩り手が邪神とぶつかった場合、手足の一本くらい失う事は当たり前で。殆ど傷を受けずに戻ってくる「悪役令嬢」のような狩り手の方が例外なのだ。
だから損耗率が凄まじく。
今は四人しか生き延びていないのである。
ともかく、また無人になった基地を適当に彷徨いて、確認をしておく。監視カメラなどは、邪神が来た時に一度電源を落として影響を受けるのを防いだのだが。一部にダメージを受けているようだった。
再稼働後、インカム越しに連絡を取り、何処が駄目になっているとかの連絡をしておく。
なけなしの部品を廻してくれるはずだ。
それよりも、地下にある設備や、膨大な資料の持ち出しの方が先である。
これをきちんとやっておかないと。
またいずれ、体勢を立て直した絶対正義同盟が、確定で狙って来るだろう。
一応のダメージを確認。
「陰キャ」が基地から邪神二体を引き離してくれたおかげで、迎撃用のオート重火砲など以外の損害はない。
それらの損害も大きいが。
人類の遺産ともいえる文化の損失はそれ以上のダメージになる。
感傷だけの問題では無い。
今はカルチャーが、邪神に対抗する唯一の手段なのだ。
更には、中華や欧州に展開している強大な邪神組織二つの詳細がほぼまったく分かっていない事もある。
どのような文化であっても、失う訳にはいかないのだ。
数日、滞在しているうちに。
自衛隊がなけなしのトラックや輸送部隊をかき集めて来てくれた。
コンボイを編成して物資を運び出すのだが。
勿論途中にいるフォロワーをどうにかしなければならない。
攻撃ヘリや自走砲、MLRSで掃射して片付けるのに時間が掛かったらしく。
ようやく輸送部隊を動かすことができたようだった。
ここから先、何処に物資が運ばれるかは分からない。
狩り手も、護衛につかない方が良いだろう。
途中から地下のトンネルに入るらしい。
古くは地下鉄が使っていたトンネルで。此処も一時期はフォロワーの巣になっていたのだけれども。
そいつらの駆除に関しては、苦労の末に完了している。
地下鉄のフォロワー撃退を目的として活動していた狩り手もいた。
「悪役令嬢」の先輩だった人だ。
既に鬼籍に入ってしまった。
残念な話だった。
運び出されていく物資。一度に全てを運ぶのでは無く、順番に壊れやすいものなどから運び出していく。
訓練用の設備などは後回し。
最悪、再建はできるからだ。
データを収納しているファイルサーバなどの電源は、この事態が来る前に専門家が落とした。
だからそのまま、配線を外せばサーバを持ち出すことができる。
かろうじて生き延びている自衛隊も。
山賊のような集団に落ちることはなく。
むしろ人間の最後の砦として。
必死に頑張って戦い抜くことができている。
米軍も似たような状況らしい。
米国もSNSクライシスの前は文字通り地獄のような有様であったらしいのだが。
それでもSNSクライシスが起きた後は、人類のためにと米軍が団結して立ち向かい、邪神に対して必死の戦闘ノウハウを積み上げることができた。
中々できる事では無い。
立派だと、「悪役令嬢」も思うのだった。
しばらく基地の側を巡回する。フォロワーの姿はもうない。
基地の近くの街に出向けば、まだフォロワーはいるかも知れないが。いずれにしても相手にするのは余裕が出来てからだ。
物資の搬送作業中は、護衛に当たらなければならない。
トラックへの物資の積み込みが完了。
ファイルサーバをはじめとする最重要物資を最優先として、後は貴重な書物などを先にし。
運び出していった。
敬礼する自衛官に、胸に手を当てて応じる。
そのまま、コンボイを見送る。
すぐ近くにあるトンネルから地下に潜るから、邪神も簡単には捕捉できない筈である。
この基地だってどちらかといえば僻地に存在していたものだったのだが。
この間、「陰キャ」を真っ先に守りにつかせたのが失敗だった。
或いはだが。
SNSクライシス前に公然の秘密だった、ある駅に存在するシェルターを活用するのかも知れない。
彼処は今総理大臣をはじめとする要人も使っているらしいから。
機能集中を防ぐために、総理大臣は別の場所に移って貰う他無いだろう。
今は狩り手の育成が最優先事項で。
総理大臣ですら、優先順位は後回しだ。
その程度の事は理解していると信じたいが。
まあ、何とも言えない。
「悪役令嬢」は何度か現在の総理大臣には会ったことがある。
それはそうだ。単独で六体。今回の二体を含めると、連携戦で四体の邪神を屠った立役者である。
一応表彰のような事はされたことがある。
とはいっても、リモート越しだったが。
総理大臣は寡黙そうな老人で。
この事態で、よく自衛隊を統率できている。
いわゆる政治屋あがりではなく。
政治家としての実務ができる人間をと言う事で選ばれた人物らしいが。
あまり興味は無かった。
通信が入ったのは、コンボイが悉く基地を出立した後。
一応、周囲を見回ってフォロワーがいないかは確認していたが。先の邪神二体との戦いの前に、かなりの数を駆除し終えている。
今のところ接敵する事はなく、何とかそのまま進む事は出来ていた。
「「悪役令嬢」。 良いかね」
「山革陸将。 どうなさいましたの」
「「陰キャ」くんが目を覚ました。 予後の経過も悪くないようだ。 数日で復帰出来るだろう」
「それは好ましい事ですわ! オーッホッホッホッホッホ!」
流石にインカムの向こうで辟易したらしいが。
知った事では無い。
こうやって内外共に「悪役令嬢」としての存在を知らしめれば知らしめるほど、対邪神戦では優位になる。
養殖したネットミームとしてのキャラづけだが。
それでも徹底的に作り込むことで、本物以上にはなれる。
それが、色々な文化を研究した末に、「悪役令嬢」が出した結論だった。
「第二弾のコンボイが出るのもそのタイミングになる。 悪いが、しばらくはその基地の専守防衛を頼む」
「分かりましたわ。 監視カメラの復旧は先の部隊にして貰いましたので、次は防衛設備の復旧を。 周辺のフォロワーを駆除しながら邪神の到来に備えますので」
「うむ、急ぐことにする」
「それと、九州の戦況は」
もっとも戦況が悪い九州。
今のところ明らかになってはいないのだが。ひょっとすると絶対正義同盟の本拠地は九州にあるのでは無いのかとも言われている。
この位置は誰にも特定出来ておらず。
東京説、畿内説、九州説など色々あり。
邪馬台国が何処にあったのか論争などと並ぶようにして、現時点でも結論が出ていない様子だ。
まあ、近付けば手練れなら分かるだろうが。
現時点でも六体の邪神が健在である。
流石に今は、攻めこむことはできない。
彼方さんが守りに入ってくれればまだ勝機はあるのだが。
最低でも後一体か二体は削らないと、多分攻めこむのは厳しいだろう。
そもそもNO1の能力が完全に未知数だと言う事もある。
奴だけで、今いる狩り手全員掛かりでも歯が立たない可能性だってある。
何もかもが不安要素だらけなのだ。
敵は残り六体。当初の三分の一にまで削ったが。
それでも決して日本の戦況は有利になったとは言えないのである。
ましてや九州は、フォロワーによる被害が最大とも言われる悲惨な戦況が続いている状態だ。
「「デブオタ」くん、「ガリオタ」くんは、どちらも頑張ってくれている。 現在、基地周辺や、フォロワーが多数存在している地区で力戦を続けてくれているよ。 連日数カ所の地域を奪還し続けている。 ただあまりにも派手に暴れすぎると、邪神側が思わぬ反撃に出てくるかも知れない。 二人は更に戦うつもりのようだが、休みを入れながら戦って貰っている」
「そうですの。 もう何名か狩り手がいれば、少しは手が増えますのにね」
「それについては、ともかくその基地から物資を急いで動かすしかない。 しばらく邪神に対する攻勢に出るわけにはいかないだろう。 相手の出方を見ながら、フォロワーだけでも削り、生存者を救出していくしかない」
「そうですわね。 ともかく、その辺りはお任せいたしますわ」
うむというと、山革陸将は通信を切った。
まあこれで良いだろう。
次だ。
基地にある監視塔に上がると、周囲を確認。
軍用の強力なスコープを使って、周囲の様子を見ておく。
この辺りはもはや身を隠す場所すらない枯れ果てた森。
そして廃墟ばかりだ。
あの廃墟にも、身を隠し寄せ合ってフォロワーの恐怖に震えている人が生き延びている可能性が高い。
助けに行くことが出来ないのは本当にもどかしい
無言でスコープを降ろす。
周囲の地形は把握した。
今までフォロワーを駆除した地点は覚えている。
基地内に戻ると、無事だった地図を確認して。「陰キャ」が戻って来たら、交代で駆除に出向くスケジュールを組んでおく。
「悪役令嬢」とはすなわち「令嬢」でもある。
流石にSNSクライシス後に産まれた「悪役令嬢」は、高等教育を受けることはできなかったが。
訓練場で貪欲に勉学を続け、基礎的な事は身につけている。
スケジュールの組み方なども自分でできる。
色々できるからこそ、様々な攻撃を繰り出してくる邪神どもを六体単独討伐できた訳であって。
そうでなければ、今生きていないだろう。
「陰キャ」がとんでもなく有望なことは今回の戦いでよく分かった。
ならば、少しでも実戦経験を積んで貰うのが良いだろう。
「悪役令嬢」はもう少しすると体力などでも衰えが出始める。
今はクローンによって子孫を作る事が出来るようになって来ているが。遺伝子だけコピーしても、同じ戦闘力を作る事が出来るわけではない。
「悪役令嬢」の遺伝子は渡してあるから、最悪「悪役令嬢」の遺伝子だけなら同じ狩り手は作れるだろうが。
経験や知識も完コピしないかぎり、とてもではないが役には立たないだろう。
そうなると、現在いる若手を鍛えるしか無いし。
後続の後輩を、できるだけ大事に育てていくしかないのである。
研修場に放り込んで洗脳することを教育だと考え込んでいた愚かしい経営者が、この国を滅茶苦茶にしたようだが。
そんな連中はみんな死んだ。
ともかく、効率を考えて教育をしていかなければならない。
それが、今後必須の事だ。
色々考えた後。
一番守りが分厚い部屋で休む事にする。
「悪役令嬢」は残念ながら人間。
疲れはもうピークに達している。今は眠らなければならない。
体力を回復してから、次に備える。
何、邪神の気配が接近したら目だって覚める。
その時は、その時。
やれる装備で、やるしかないだろう。
いつの間にか、夢の中に落ちていた。
訓練所に「悪役令嬢」もいたことがある。
邪神が一番暴れていた頃の話だ。
絶望的な戦況の中、米軍が初めて邪神討伐の通信を入れてきて。それをベースに訓練プログラムが組まれた。
初期メンバーはあの「デブオタ」と「ガリオタ」も含む二十人ほど。
それから順次戦場に送り出されたが。毎回多数の死傷者を出して、「デブオタ」「ガリオタ」以外の初期メンバーは全員が死んだ。噂によると、負傷の結果現役を退いて後続の育成に当たっている人物もいるらしいのだが。それについては詳しくは知らない。
「悪役令嬢」は第四期の訓練生の一人だった。
当時は正直頭角が出ず。先輩達が文字通り血涙を流し命を散らしながら集めて来たノウハウを叩き込まれながらも。こんなので本当に邪神に勝てるのかと懐疑的だった。
同期の中でも最強と自分を考えて等いなかったし。
バカみたいなキャラづけを始めた時は。なんだか何をやっているのか情けないとまで思ったものだ。
だが、戦場で邪神を屠った時。
全てがひっくり返った。
価値観が徹底的に変わった、と言うべきなのだろう。
以降、むしろ「悪役令嬢」であることは誇りになった。
自分に対する疑念はなくなった。
それ以降は、人員の減少もあって、「狩り手」の育成は規模がどんどん縮小していく事になったという。
消耗に追いつかなくなって、今では四人しか「狩り手」がいないのもそれが故。
ともかく、五人目、六人目以降の狩り手を育成してもらいたい。
今は邪神と戦える。
最低でも時間稼ぎは出来るくらいの人員が必要なのだから。
眠りが浅いのだろうか。
眠りながら、余計なことを考えている気がする。
目が覚めて、起きだすと。
さっさと正装に着替えて。おっそろしくまずい紅茶を淹れて飲む。
メイドか何かの狩り手がいれば相性が良さそうなのだけれど。
確かメイドルックの狩り手は今まで何人かいて。全員が戦死している筈だ。
まずい紅茶もいたしかたあるまい。
まずいけれども、勿論そんな事を口にするつもりはない。
今の自衛隊の備品で、紅茶をまわして貰っているだけでも、とんでもない贅沢であり。
紅茶を嗜むことで「悪役令嬢」としてのミームを補強し。更に邪神と戦うための力を得るためだったら。
それこそ毒物同然の味であっても、喜んで啜るつもりである。
身繕いなどを済ませた後は、基地内に出向く。
数日内に「陰キャ」が戻って来て、コンボイの第二弾が来る。
この基地がすっからかんになった後は、また次の作戦に出なければならないだろう。
フォロワーはこの間の戦いで大量に減ったが、まだ数百万が日本中に散らばって、生き残りに害を為している筈。
休んでいる暇など、本来は一秒でもなかった。
4、魔界
絶対正義同盟NO1、「神」の元に連絡が届く。
NO5からだった。
九州でフォロワーを動員して、狩り手二人を引きつける作戦をしていたのだが。
「知事」「兄」の敗退を受けて、どうするかという指示を求めるものだった。
本来上位のものに口を利くことは絶対に許されないのだが。
こうやって指示を求めることだけは許される。
ただ求め方にも様々な作法がある。
それを守れない場合は、NO1も許すつもりは無かった。今回は、NO1の気分が良かったので許す。
SNSクライシス前に流行っていたマナーは、ようするにご機嫌取りの技術であって、教養を示すものなどではない。
マナー講師などという詐欺師達が好き勝手にねつ造したマナーは毎日のように変動していき。
適当にそいつらが書いた本をブラック企業の社長共は読みあさり。
その知識をまぜこぜにしたものがルールになっていた。
ルールを守れないものには何をしても良い。
つまり、実際にはブラック企業で奴隷を虐げるために利用されていたのが。マナー講師が作り出した複雑怪奇なマナーである。
今も、構造は変わっていない。
絶対正義同盟NO1とそれ以下とでは、文字通り天地ほどの力の差があるのだから。
「もう少し陽動を続けるように。 狩り手二人は基地にて防衛任務に当たっている様子で、しばらく攻勢どころではないでしょう」
「分かりました。 そのように」
連絡を終えると。
手を叩いて、丁度戻って来ていたNO3を呼ぶ。
NO3は元国会議員だ。
もとの社会的地位そのものは「知事」ほどではないが、SNSクライシス前にはこの国にもっとも強烈な悪影響を与えた人物の一人と言える。
元になった人間は核になっていて、実際には多数の存在が融合したものなのだが。
いずれにしても、その力は凶悪。
NO2がいうならば「魔王」とも呼ぶ存在であるから、流石にそれには及ばないとしても。
NO3の実力は、はっきりいってそれ以下の連中とは比較にもならない。
「フェミ議員。 君にひとつ頼み事があってね」
「は、如何いたしましょう」
「中華と欧米の様子を見てきて欲しい。 向こうの邪神組織はほぼ無傷だろうから、どのように今は動いているのか状況が知りたい」
「分かりました」
NO3は神経質そうな顔をした女に見えるが。それ以上に兎に角攻撃的な視線が目だった。
ただ命令には忠実で、すぐに海外へ文字通り飛んで行った。
生前もこいつのベースになった者は、論理も何も無く喚き散らすだけで。人権を最悪の形で利用し。更に他国から賄賂まで受け取っていた。
一方で、不思議な事に「海外情勢のプロ」と認識されていたこともあるようだ。
……ある意味海外に「パイプ」を持っていたのだから、あながち間違いではないのかも知れないが。
いずれにしても、NO3を派遣する事には意味がある。
中華や欧州の邪神は、現在撃破報告が届いていない。
ユーラシアは今生き延びている人間が五百万人を切っているとも言われ、各地で少人数が転々と流浪しながら逃げ延びているに過ぎないという話であり。要するに組織的抵抗ができない状態にある。
仮に、弱い邪神が何体かいるのなら、借りて来るのもありだ。
恐らく狩り手は当然中華や欧州の邪神にも通じるだろう。
SNSクライシスというのは、そういう呪術だったからである。
さて、残りは六体か。
正直な話、狩り手を一体ずつ倒せばいい。
NO1、2、3が同時に出れば、絶対に勝てる自信もある。
だが、それはしない。
NO1は生前から、とにかく慎重だった。
だからどれだけ邪悪の限りを尽くしても社会問題にまでなっても、法曹につけいる隙を与えなかった。
どれだけ恨みを買っても、身を守りきった。
SNSクライシスの後、どいつもこいつも邪神になって人間時代の自我をわずかに残すだけになった今も。
当時の記憶を残しているのは、それだけ凶悪な自我を当時から持っていたから。
SNSクライシスが起きたときには、既に死にかけの老人といえる年齢だったNO1だが。
それでも絶対者として君臨していたのは。
その慎重さが所以である。
新NO6が来る。
地方の小さな都市に出向いてきたのだが。人間が殆ど生き残っておらず、数千人をフォロワーにするだけだったようだ。
日本の人間共はとにかく小分けになって邪神が来た時に対応するように訓練を徹底的に受けていて、非常にフォロワー化の効率が悪くなってきている。
それでも数千人を殺したのだ。
相応に戦果を上げたのだから、褒めてやる。
褒めてやると、新NO6は相応に喜んだが。
まあそれはどうでもいい。
褒めてやっている。
その事が大事なのであって。
実際にNO1がどう考えているかを新NO6が知る必要はないのだ。
さて、しばらくは手詰まりか。
まさか一桁ナンバー二体を同時に退ける程まで、狩り手が育っているとは思わなかった。
それでも、まだまだ優位は此方にある。
焦れば負ける。
ならば、焦らずに確実に進めていくだけだ。
丁寧に計算しながら、次の策を練る事にする。
まずはNO3が戻ってくるのを待ってから、だ。
あれは文字通りの快足。
一週間もしないうちに、おそらく中華と欧州を回って、様子を確認してくるだろう。上手く行けば、増援を連れてくる事が可能かも知れない。
邪神は新たに産まれる事はない。
だが、もう人間がいない場所に邪神がいても仕方が無いだろう。
人間をフォロワーに変えたい。
そう考えるのは、邪神の本能だ。
人間だった頃の記憶や人格を維持していながら、そう冷静に考えられるNO1「神」は。
もはやそういう意味でも。
あらゆる意味で、もはや人では無いのかも知れないが。
そのようなこと、文字通りどうでも良かった。
自分さえ生き残れば。
ただそれで良いのだから。
(続)
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