悪役令嬢出陣す

 

プロローグ、悪夢の邪神群

 

東京「近郊」、第三自衛隊駐屯地。

其処に、急報が飛び込んできた。

軍司令官をしている山革陸将は、その話を聞いて来たか、と呟く。

いつかは来る話だったからだ。

「箱根に「絶対正義同盟」の一員と思われる「邪神」出現! 既に周辺の住民が多数殺害され、或いは「フォロワー」に変えられていると思われます!」

「即座に防衛部隊を出陣させ、避難誘導を! 動ける「狩り手」は?」

「二人だけです!」

「すぐに出撃の準備をさせよ」

絶対正義同盟。

世界に幾つも存在する「邪神」の群れの一つ。

大きなものでは四つの集団が知られているが、その中の一つ。ここ極東に本拠を置く、十体の邪神から構成される集団である。

現在世界の人口は一億人たらず。

三十年前に発生した大事件、通称「SNSクライシス」によって、世界のルールは根本的に変わってしまった。

当初は突如出現した邪神の群れに人類は為す術無く。SNSクライシスの前後で発生した混乱もあり。何より近代兵器が一切通用しない邪神と、それによって洗脳されて配下とされてしまった人間の成れの果て「フォロワー」の猛攻により。人類は壊滅的な被害を受けた。

ともかく今まで人間を殺すためだけに特化されていた兵器群が改められたのはこの時である。

いずれにしても現時点では、邪神の討伐にも成功例が出始めており。

邪神を倒すために専門家として「狩り手」という存在が出現し始めているのだが。

それでも人類の劣勢は否めない。

既に広大な無人地帯も存在しており。

そこでは邪神が己の領土として我が物顔に土地を汚染しているのだった。

極東は米国と並ぶ人間の最後の砦の一つ。

昔は二十いた「絶対正義同盟」も現在は半数にまで減らす事が出来ている。

米国でも似たような状況だ。

いずれにしても、まだ人類はやっと反撃を始めた段階に過ぎない。

そもそも狩り手だって毎度無事で済むわけでは無い。

指揮所で声が飛び交う中。今回動員される狩り手の情報を見る。

一人は。通称「陰キャ」。

常に野球帽と眼鏡、それにマスクで顔を隠した小柄な女性だ。

狩り手としては完全にルーキーで、まだ大物邪神を討伐した実績はないどころか、今回が初陣だ。

そうなると、もう一人が本命か。

データを確認する。

その名前は、「悪役令嬢」。

そうか、彼女が出てくれるか。少しだけ安心する。狩り手の中でもトップエースだからだ。

悪役令嬢というのは、実際にはよく分からない。陰キャというのは今でも色々と情報が伝わっているのだが。

いずれにしても、SNSクライシスにて発生した邪神には、通常の人間では太刀打ちができない。

近代兵器が通用しない相手である。

仕方が無いとは言える。

更に核などを使って無理矢理倒しても、再生される。

それを防ぐには。

狩り手によって、ロジックエラーを引き起こすしかないのである。

そうしなければ、人類はじり貧になる一方。

二人を可能な限り支援するしかない。

「急行していた第一戦車師団が現地に到着! 映像でます!」

「おお……!」

恐怖の声が上がる。

モニタに映し出されたのは、文字通り地獄だった。

悪鬼のような形相に変わった元人間であるフォロワーどもが、逃げ遅れたらしい民を喰らっている。生きたまま、である。

子供だろうがなんだろうが関係無い。

邪神によって産み出すフォロワーは違う。

現在、絶対正義同盟の構成邪神数は十である事は分かっているが。その中にはデータがない存在も多いのだ。

「フォロワーの形状から、邪神の特定は可能か」

「……恐らくナンバー3,5、7のいずれかであるかと思われます」

「フェミか……」

呻く。

SNSクライシスが発生したとき。

邪神化したのは、当時情報流通の要であったSNSにて、暴虐の限りを尽くし、人権と人心を弄んで金を稼いでいた者達だった。

何が原因でSNSクライシスが発生したのかは分からない。

混乱期に必死に体制を立て直しながら人間が情報を集め、その結果膨大な被害の末にようやく分かったのが。

当時人権屋と呼ばれていた連中が、そのまま邪神になった事。

彼らは実際にどう考えていたかなどは関係無く。

SNSで垂れ流していた主張のまま人外の存在になり果て、行動しているという事だ。

フェミというのは、女尊男卑思想を拗らせたタイプの人権屋で。当初の目的は男女平等を掲げるごくまっとうなものだった筈なのだが。歪みに歪み、落ちに落ち。挙げ句人権屋に金儲けの材料として目をつけられた事が切っ掛けになり。同性ですら攻撃する極めて排他的な事で知られていた集団だ。

絶対正義同盟で現在生き残っている邪神の中には三体が確認されていて、いずれもが数十万単位で人を殺している。

既に箱根からは通信が途絶しており。

現地にいた男性は皆殺しにされ。

女性はあらかたフォロワーに変えられているとみて良いだろう。

フォロワーなら、なんとか戦車砲等で対応はできる。

ただし軽火器では、それすらも厳しい。

故に今自衛隊に渡されている主力武器は、大口径の対物ライフルだ。これくらいでないと、足止めにもならないのである。

「フォロワーは見境なく男女関係無く子供も襲っています! オスガキ、名誉オスなどと口にしているようです! 妊娠した女性に対しても攻撃を繰り返しています!」

「言動から邪神の特定を急げ! 狩り手が到着するまでの時間は!」

「まだ三時間ほど!」

「可能な限り敵の足を止めろ! 救出作業を最優先! 邪神の位置確認はできそうか?」

現在、生きている人工衛星を使って熱源探索などをしているが。

上手く行っていないという言葉が返ってくる。

まあ、そうだろうな。簡単に見つけられるなら、邪神の討伐に誰も苦労していない。

邪神は一応物理的な実体を持ってはいる。

これを利用して、当初は核攻撃などを試みる事もあった。

だが、核攻撃しても体がすぐに再生してしまうこと。

基本的に体力という概念がなく。

体を破壊しても無駄だという事が分かってからは。

どうにか四苦八苦の末に。

狩り手という専門家をぶつけ。

軍はその支援をするという体制をくみ上げたのである。

「狩り手の一人、陰キャが現地に到着しました」

「回線をつなげるか」

「はい。 すぐに」

山革陸将は頷くと、無線を手にする。

向こう側から聞こえてきたのは。

戦場に到着した戦士の声とはとても思えなかった。

「……そ、その。 つ、つき、ました……」

「君はルーキーだと聞いている。 まずはもう一人、「悪役令嬢」が到着するまで、避難の支援と、フォロワーの撃破に専念してほしい」

「もうやって……まふ」

「そうか、頼む」

通信を切る。

ため息をつく。

陰キャ、か。

言葉通りの性格のようだ。

この言葉は、古くはそう認定されたら人権を奪っても良いと周囲に錯覚させるほど良くないものであったらしい。

どんな姿だろうが言動だろうが、人権なんて奪って良い筈が無い。SNSクライシスが発生した頃の人間はどれだけ心が荒廃していたのか分からない程だ。

今、人間が滅亡の淵に立たされて。

ようやく人間は命の大事さを理解出来たのだろうか。

どうもそうは思えない。

未だに見かけで相手を判断する阿呆はいるし。

自分の主観で全てを決めつける輩もいる。

挙げ句の果てに、進んで邪神のフォロワーになろうとする邪教集団まで存在する程である。

何を守っているのか。

何のための戦いなのか。

時々山革も分からなくなる。

「前線より通達! 陰キャの参戦により、フォロワーを相当数撃退! 救助活動を本格的にできるようになりはじめました!」

「よし、本隊を投入して前線を構築、被害者を一人でも多く救い出せ!」

「了解!」

幸い、兵士達の士気は高い。

この時代になってから、自衛隊はまだ存続している。

昔からそれなりに士気は高かったらしいのだが。

それでも、今の時代は更に士気が高いと言える。

絶対正義同盟参加者の、ランクが下の方の者ばかりとは言え。半数を討ち取る事に成功しているのも。

これが故とも言える。

狩り手と連携して戦闘を行い。

そしてそれを最大限支援。

逃げ遅れた無辜の民を救い。

邪神の魔の手から救う。

それに最大限専念する事が出来る。

逆に言うと、明確な人類の敵である邪神が現れ。それとの戦いに注力することができるようになったのが。

士気を挙げた最大の要因だったのかも知れない。

昔は、どうしても戦う相手は人間だった。

人間が相手である以上は。

どうしても、武器は人間に向けなければならなかったのだ。

今は、もう違うのである。

「間もなく悪役令嬢が現地に到着します!」

「よし、連携して支援攻撃の準備に入る。 自走砲、MLRS、それぞれ配置についているだろうか」

「問題ありません。 既に展開は終えています」

「うむ……」

生身の人間であっても。

フォロワーになる事のない存在。

狩り手。

その理屈は一応は理解はしているが。聞けば聞くほど、邪神の不愉快さに頭を痛めるばかりである。

いずれにしても、もしこれで勝利すれば、絶対正義同盟の邪神は九体に減らす事が出来る。

全世界ではまだまだ多数の邪神がいる。

故に人間にとっての安全圏は存在していない。

だからこそ、安全圏をまずは作らなければならないのだ。

「総理より連絡がありました!」

「つなげ」

総理。

見る影もなく人間が減ったこの時代にも。何とか民主主義は細々と機能している。

混乱期なのだから、いっそ王政か帝政に戻すべきでは無いかと言う意見もあった。

だが、それはどうにか却下し。

混乱期でありながら、どうにか民主主義は生きている。

権力は以前に比べてぐっと集中しているが。

それでも、この混乱が終われば。

だが、以前の民主主義は、文字通り愚物達が道化のダンスを踊るだけの代物だったとも聞いている。

もしも守り抜いた末にそんなものが来てしまったら。

それは、誰もが悲しむだろう。

「山革くん。 箱根の件は聞いている」

「は。 最低でも被害は数万を超えると思われます。 絶対に邪神を討ち取らなければなりません」

「ああ、分かっている。 我が国の人口は……いや世界中の人間は減る一方だ。 少しでも邪神を倒して、それに歯止めを掛けねばならん。 頼むぞ」

「分かっております」

そんな事を言うつもりで通話してきたわけでは無いだろう。

続きを聞く。

「現在調整して、もう二人狩り手を準備させている」

「この間邪神とほぼ相討ちになって、大きな負傷をした者達ですか?」

「そうなる」

呻く。

今出ている二人がもしも敗北したら。

その二人を出さなければならないのか。

狩り手は極めて稀少な存在で、更に言えば殉職率だって高い。

これ以上無為に減らすわけにはいかないのだが。

それでも、出さなければならないか。

場合によっては、決断をしなければならないだろう。

「此方では医療班と連携し、増援の準備をしておく。 君達は目下の任務に集中をしてほしい。 軍などで動かしたい部隊があればすぐに対応しよう」

「分かりました。 現時点で他の邪神が動く気配がないか、偵察を欠かさぬようにお願いいたします」

「分かった。 各地方面軍に連絡を入れておく」

「……」

通話を切る。

ため息をつくと。戦況を見やる。

狩り手、「陰キャ」は敵前面に展開しているフォロワーの掃討をほぼ完了。

また、ついにもう一人の狩り手。

「悪役令嬢」が現地に到着したようだった。

流石だな、というべきか。

フォロワーは、対戦車ライフルでも倒すのがやっとというほどの存在である。

一時期はゾンビと呼ぶ案もあったのだが。

強制的に邪神によって下僕にされた存在と言う事もあり。

あまりにもゾンビと呼ぶのは不謹慎だという声も上がったこともあって。

そもそもSNSクライシスの以前に使われていた言葉を利用するようになった、という経緯がある。

いずれにしても、もはやフォロワーになってしまうとどうにもならない。

SNSクライシス前にも、カルトや疑似科学にはまったり、人権屋の手下になってしまうと。洗脳を解除するのには著しい苦労を要したらしいのだが。

それよりも更に悲惨だと言える。

流石に人間を襲って喰らい、見境なく殺すようになってしまったら。

それはもはや人間とは言い難いのだから。

戦況報告が入る。

フォロワーが、恐らくだが敵の存在に気付いたらしい。

箱根の山中を彷徨いて生き残りを見境なく殺していたようだが。それも止めて、一気になだれ込み始めていた。

「狙撃部隊、配置についているか」

「はっ」

「山麓に降りて来たフォロワーの対処は、狩り手二人に任せろ。 山中にいるまだ残っているフォロワーを狙撃して、隠れている生き残りの人間を救助する」

「分かりました」

とはいっても、邪神にある程度近付くだけでフォロワーにされる。

生き残っている人間の数は、決して多くはないだろう。

また、規律も秩序もなくどっと降りて来たフォロワーの群れに、榴弾を叩き込んである程度は数を先に減らす。

狩り手が突入して、邪神を討ち取るのが少しでも楽になるように。

支援攻撃は続けなければならないのだ。

勿論今の時代だ。

榴弾一発ですら貴重品である。

だから、徹底的に最大効率を追求しつつ、攻撃をしなければならないが。

しかしながら手を惜しめば、それだけ狩り手への負担があがる。

難しい所だった。

戦況図を見ながら、山革は細かい指示を出していく。

しばらくして、解析班から声が上がっていた。

「邪神の素性、特定!」

「うむ、すぐに狩り手に送れ」

「分かりました」

素性を特定した所で、簡単に勝てるとは思えないが。

それでもやるしかない。

最初に邪神を撃ち倒し、人類の希望が見えたかに思えたときですら。自衛隊は二千、狩り手六人が犠牲になった。

今回は、歴戦の狩り手とルーキーの組み合わせ。

既に全世界で四十。

この国でも十の邪神が倒されている状況だが。

それでも全くノウハウの蓄積は足りていない。

勝てるのかと言われたら。

分からないとしか応えられない。

深呼吸すると。

山革は、ここからが本番だと、指揮所に声を張り上げた。皆、それで気合いを入れ直したようだった。

それでいい。

此処からは、誰もがベストを尽くさなければならない。

前線で狩り手と一緒に戦えない今。

それしか、自衛隊にはできないのだから。

 

1、狩り手

 

狩り手、「陰キャ」は小柄で陰気な女である。

それは自分でも認めている。

だから帽子を目深に被って人相を隠し、マスクをして。場合によっては伊達眼鏡までして顔を隠している。

単に周囲が怖いから、である。

そして皮肉な事に。

それが故に、狩り手になる事が出来たのだった。

古い時代。

陰キャと呼ばれる人間には、事実上人権がなかった事を知っている。

あらゆる虐めが許され、正当化された。

そもそも古い時代は主観が最優先されていて。

あいつはキモイから何をしても良い。

彼奴はうざいから暴力を振るってもいい。

そういう顎が外れるような理屈が、平然とまかり通っていた。

SNSクライシスの後、大混乱の中で、そういった理屈のままに動く邪神を見て。とことん「陰キャ」は世の中が嫌になった。

他の人間の視線も怖いと感じる。

だから今でも、この格好は崩していない。

邪神や、フォロワーと戦う事は怖いとは思わない。

今まで「陰キャ」が受けて来た扱いに比べれば。直接殺そうとしてくるだけで、随分とやりやすいからだ。

はっきりいって今までよりも楽。

そうとさえ感じていた。

フォロワーが向かってくる。

「名誉オスの、手下ダ!」

「殺セ! こロせ!」

「気持ち悪い! だから殺せ!」

喚きながら群がってくる。

その姿は、いずれもがもはや人間とは思えない。形相が凄まじく、顔中体中血だらけだ。歯はサメのように鋭く尖り。それによって多くの人間を食い殺してきたことは一目で分かる。

跳躍。

同時に、手にしている武器を振るう。

すぽん、と綺麗な音がして。

首が飛んでいた。

手にしているのは日本刀だ。日本刀ではあるが、敢えて無駄にゴテゴテ装飾をつけている。

理由はきちんとある。

フォロワーや、そのボスである邪神にとっては。

こういった装飾をつけた武器。

古くは「オタク」といって、そういう存在であると判明したら社会的に死に追いやってもいいとされていた人達。

その人達が好んだカルチャーにて、よく使われていたような武器。

それに似せる必要があるのだ。

自分達が決定的に見下している存在によって殺される。

傷つけられる。

それが、主観だけで生きている存在にとっては決定的な致命打になる。

だから首を切りおとす程の力は必要ない。

傷つけるだけで、邪神の強い影響を受けているフォロワーには致命打が入るのである。

そのまま、回避を中心に。

片っ端から斬り伏せる。

ルーキーとは言え。狩り手の素質があると言われてから。捕獲したフォロワーを使っての実戦は散々経験してきた。

狩り手候補の内、一割程度はこの時点で素質無しとして脱落するし。

フォロワーにかみ殺されて死ぬ事もあるそうだ。

幸い「陰キャ」はそんな事もなく、生き残る事が出来続けている。

優れた動体視力と、冷静な判断力が故だ。

それに、正直な話。

フォロワーからぶつけられる侮蔑的な言葉なんてどうでもいい。

人間に対してこれっぽっちも期待をしていない。

故に心が傷つくこともない。

他の狩り手は、フォロワーの発言に激高したりして。それが原因で被弾したりもするらしい。

だが、「陰キャ」はどうやら上手くやっていけそうだった。

大柄な、太ったフォロワーが、凄まじい唸り声を上げながら躍りかかってくる。

口の端からは、食い千切った内臓の一部らしいのがぶら下がっていた。

大量の鮮血をまき散らしながら突貫してくるフォロワーだが。

遅い遅い。

「名誉オス! オタクの手下! 殺ス!」

喚いているフォロワーの上を飛び越えると。

その太ったのの首は落ちていた。

ゾンビ、と名前をつけなくて良かったのだと思う。

此奴らは精神が完全に邪神に汚染されて、もう人間に戻る事はないとはいえ。

首を落とせば死ぬのだ。

ゾンビ映画に出てくるゾンビは、首を切りおとした程度では死なないこともある。

それが、違う所だった。

一段落ついたか。

呼吸を整え、刀を振るう。

初期訓練が終わった後は、それぞれにあった武器を選出して。

それを使いこなす訓練を必死にやった。

スパルタとかそういうのはなかった。

ただひたすら科学的に訓練して、技量を伸ばすことだけに終始した。

最初は木刀を振るったが。

何度も足の脛を打ったりした。

いきなり真剣は持たせないと言われた。

絶対に足を斬るからだ、だそうだ。

実際問題、真剣をふるうようになってからその言葉の意味がよく分かった。確かに力を入れすぎると、簡単に足を斬る。

こういう長モノというのは恐ろしい。

「オーホホホホホ! ルーキーにしてはやりますわね」

「あ、ヘヘ、エヘヘ……」

近付いてくる高笑い。

知っている。

狩り手の中では、現在この国で最大邪神討伐数をたたき出しているエース。

通称「悪役令嬢」だ。

悪役令嬢はど派手なドレスを着たど派手な女性で、髪の毛を縦ロールとかにしていて、いかにも悪そうなメイクをしている。オプション装備として傘などを手にしていることもあるが、必要がなくなれば腰にぶら下げるようである。

「悪役令嬢」というものが具体的に何なのかは、正直「陰キャ」にはよく分からない。

SNSクライシスの前に、ネットミームとして存在していたらしいと言う事は知っているのだけれども。

少なくとも調べてはみたが。「乙女ゲー」と呼ばれるジャンル。女性向けの男性攻略恋愛シミュレーションゲームには、「悪役令嬢」なんてものは存在しないそうだ。少なくともメジャータイトルにはいないらしい。

強いて言うのであれば、それよりもずっと古い時代のテレビアニメには「悪役令嬢」の概念に近い存在がいたらしいが。

それがベースになったのかはよく分からない。

いずれにしても、SNSクライシスの前辺りには。その「悪役令嬢」はネットミーム化しており。

ありもしない存在が、フリー素材のように使い回されていたという。

そしてSNSクライシスで出現した邪神だからこそ。

当時のネットミームで小馬鹿にされる存在というのは、大きな意味を持ってくるのである。

実態がどうだろうと、だ。

「そ、その、か、片付いた、ですか」

「わたくしを誰だと思っていますの? 当然ですわ。 オーッホッホッホッホ!」

「そ、そうです、か」

「それよりも。 さっさと行きますわよ。 この上にいる不埒な邪神を討ち取りに参りましてよ」

こくりと頷くと。

悪役令嬢は大股で歩いて行く。

殆ど返り血を浴びていない。

「陰キャ」はパーカーを着込んでいるが、これは返り血を防ぐためのものだ。

一応調査の結果、フォロワーの血に危険性はない事は分かっている。

ゾンビものとかだと、噛みつかれれば一巻の終わりというケースがよくあるのだが。

それもない。

ただフォロワーは顎の力が凄まじいので。

もしもまともに噛みつかれてしまったら、それだけで致命傷は避けられない。そういう話である。

此処箱根は古くは温泉街だったらしいのだが。

周囲を見ても、廃墟だらけだ。

SNSクライシス後の混乱で、都市部から逃げてきた数万人が此処で身を寄せ合って暮らしていたらしいのだが。

今回の騒動で、それも終わりだ。

箱根に身を寄せ合っていた人達を、邪神は蹂躙した。

許せない、と思う。

自分の主観で不愉快だから。

邪神が人間を殺すのはそれだけが理由だ。

余程気が狂った独裁者でもない限りはそんな事はしなかった。愚かな人間の歴史でもそうだった。

それが、主観を極限まで肥大化させ。

エゴを最大限まで怪物化させた邪神達は。

このように数万人単位で息を吸うように人を殺す。

「陰キャ」は両親を邪神、正確にはフォロワーに殺された。

「陰キャ」が生き延びられたのは奇蹟に等しかった。

何とか救出されて。狩り手が邪神を倒したと聞かされて。色々と思うところはあった。

その遺品で、幼い頃は寂しさを紛らわせた。

だから、こういう格好をしていて。周囲の人間と接するのも苦手だけれども。

今は逆に。

この格好で、邪神を倒すのに、高揚さえ感じる。

「け、けんきゃ、くですね」

「鍛えていますもの。 さて、と」

インカムに、「悪役令嬢」が何か呟いている。

同時に、砲撃が来た。

恐ろしい程の正確さだ。ただ、着弾音はもの凄いので、反射的に耳を塞いでいたが。

やがて、周囲の岩陰などに伏せていたフォロワーが消し飛んだ。

流石の練度だ。

自衛隊の人に、自分も前線で戦えなくて悔しいと言われたのをよく覚えている。

邪神に近付くと、それだけでフォロワーにされてしまうからだ。

だから自衛隊の人達は、訓練を必死にやっている。

「陰キャ」や「悪役令嬢」のような狩り手を支援するため、である。

ふんと鼻を鳴らすと、「悪役令嬢」は歩き出す。

「ルーキー、足は大丈夫ですの?」

「へ、へいき、で、す。 一応、鍛えて……ます」

「そう。 ルーキーなのですから、それほど無理しなくてもかまいませんわよ」

「あり、がとう、ござ……ます」

不意に物陰から飛び出してくる影。

刀に手を掛けたが。悪役令嬢は身動き一つしない。

それは、フォロワーに左腕を食い千切られたらしい男性だった。一瞬の虚脱の後、すぐに駆け寄って止血処置をする。

「悪役令嬢」が、通信を入れている。

無人の輸送用ロボットを送るように、と。

「陰キャ」は止血だけ終えると、青ざめている男性にゆっくり声を掛けつつ、周囲も警戒した。

「よく、がんばり、ましたね。 他に、誰か、います……か?」

「つ、つまと娘が……取り残されて……フォロワーが……!」

「場所は……」

残った腕で、震えながら指さす男性。

頷くと、文字通り「悪役令嬢」はかき消えた。

同時に、周囲にわっと気配がわき上がる。

どうやら敢えて泳がせていたらしい。

フォロワーだ。屈強なのばかりである。

伏せていて、と言うと。

男性は震えながらなんども頷いて、地面に必死に伏せる。

刀を抜き放った「陰キャ」に、一斉にフォロワーが襲いかかってくるが。

踏み込むと同時に初撃を打ち込む。

左側から来た数体を、一刀で二体。返す刀で更に一体。

まさか、見本のような「陰キャ」に致命傷を受けるとは思わなかったのだろう。罵ることさえできずに消えていくフォロワーは無視。

そのまま振り返り様に、男性に襲いかかろうとしていたフォロワーを兜に割り。

更に二、三、四、はいとリズムを入れながら。

順番に、襲いかかってきていたフォロワーを全て斬り捨てた。

麓から、無限軌道の着いた遠隔操作の車が上がってくる。

これが輸送用ロボットだ。

中には人は乗れない。

危険すぎるからだ。

此処にいても、邪神の影響を受けるかも知れない。

ほどなく、「悪役令嬢」が戻ってくる。

泣いている幼い女の子。それと必死に悪役令嬢にすがっている女性。

この人達も、フォロワーのターゲットだ。

既に今回の邪神の素性は聞いている。

SNSクライシスの前に、フェミニストと呼ばれる女尊男卑思想を拗らせた集団がいたのだが。

その中でも大きな発言力を持って、あるSNSに君臨していた人物だ。

自称では医師だったらしいが、正体はよく分かっていない。

はっきりしているのは、男性に対してオスなどと異常な攻撃性をむき出しにした言葉を吐きかけ。

男性と交際している女性を名誉オス。子供もオスガキだの、オスの子供などと言って暴力的な言動を浴びせかけていたという事である。

その攻撃性は凄まじく、フォロワーの見境のない殺戮ぶりからもよく分かる。

ともかく、わずかな人間だけでも救えて良かった。

子供は恐怖で泣くばかり。

夫婦だって、此処にいつまでもいたら、途中でフォロワーになってしまうかもしれない。

すぐにロボットには山麓を降ってもらう。

幸い自衛用の砲くらいはついているので、途中で一体や二体のフォロワーに襲われても大丈夫だし。

此処までの道は、狩り手二人がフォロワーを排除しながら来た。

また既に自走砲とMLRSでの集中砲撃が開始されていて。

拡散しようと山を下りているフォロワーは、悉く殲滅されている。

心配はいらないだろう。

「此処からは、更に凄惨な地獄になりますわよ」

「……」

「ルーキーなので、無理はしなくてもかまいませんわ。 最悪の場合は、戻したって誰も嗤いませんわよ」

「い、いえ……だ、だいじょう、ぶです」

上手に意思を伝えられないが。

それでも、小さな声で。

精一杯意思を絞り出す。

「悪役令嬢」は頷くと、歩き出す。

「陰キャ」はそれに続く。

すぐに、言葉通りの地獄が、周囲に拡がり始めていた。

この辺りは、フォロワーによっての殺戮が、もっとも激しく行われたのだろう。

辺りは真っ赤な骨や内臓が大量に散らばっている。

みんな、フォロワーに殺され、食われたのだ。

男性器がそのままに引きちぎられて捨てられている。

フォロワー達のボスである邪神の思想を体現するかのように。

男性経験どころではなかった「陰キャ」だが。何しろ暮らしている時代が時代である。

地獄を逃げ回る間に死体は幾らでも見た。だから別に見た事がないわけではないが。

それにしても、ここまで無惨に引きちぎられ捨てられていると、思わずどうして此処までと呟きたくなる。

腹が破裂するまで喰らって、動けなくなったらしいフォロワーが呻きながら地面にもがいている。

「陰キャ」は無言で、その首を刎ね飛ばしていた。

澄んだ音がして。

それが切っ掛けになって、周囲から一斉にうめき声がする。

どうも最初に調子に乗って喰らいすぎて、身動きが取れなくなったフォロワーがたくさんいるらしい。

勿論生存者がいる可能性もあるが。

それを見越したように、「悪役令嬢」は首を横に振った。

「既にデッドラインは越えていますわ。 この辺りは邪神のテリトリですのよ」

「……分かりました」

つまり生きた人間がいても、フォロワーにされてしまっていると言う事だ。

子供のものらしい、バラバラになった赤い骨。

体型からして女の子のものだろう。

どれだけ歪んだ思想の元作り出されたフォロワーが、無秩序な暴力を振るった結果なのか。

どこまでも許せない。

ぎっと刀を握る手に力が入るけれど。

「悪役令嬢」は。冷静なままだ。

それを見て、ベテランとルーキーの差を思い知らされ。

そして心が鎮まるのを感じた。

辺りはどんどん凄まじい光景になっていく。

まだ呻いているフォロワーは、あまりにも人間を殺し喰らうのに夢中になったからだろう。殆ど身動きできない様子だ。

後で砲撃によって、まとめて吹き飛ばして処理する事になるだろう。

それよりも大問題なのは。

これから邪神を討伐しなければならない、という事である。

「悪役令嬢」が既に多数の邪神を屠ってきていることは知っているが。

それでも緊張する。

足を引っ張ってしまわないか。

それが不安だ。

それに撤退する事になったら。

二人、まだ負傷が癒えていない人達が前線に投入される事になっているらしい。二人とも相応の経験を積んだ狩り手だ。どちらも傷の回復が長引くのはとても良くない事だろう。

失敗は絶対に出来ない。

気合いを入れ直す。

凄惨さと血の臭いは増す一方。

滅茶苦茶に破壊された旅館が見えた。

此処に、身を寄せ合って何百人もが過ごしていたのだろう。文字通り血肉の山と化していた。

誰も生きていない。

フォロワーになったか、なるまえに食い千切られたか。

辺りには尊厳を冒涜するような死体が多数散らばっていて。

とてもではないが、正視できるものではなかった。

それでも平然と歩いている「悪役令嬢」。

どれだけの修羅場をくぐってきたのか。もう、どんな悲惨な遺体をどれだけ見ても、何とも思わないようだった。

無言で続く。

山の起伏が激しくなってくる。

もう道路なども、殆どアスファルトが残っていない。

SNSクライシスの混乱後、インフラの整備どころではなくなった。こういう僻地から、どんどんインフラは痛んでいったと教わっている。

この辺りはもう、血の跡もなかった。

邪神が降臨した時に、粉々に消し飛んでしまったのだろう。

そして、気配も分かる。

びりびりと感じる。

強烈なオーラだ。

どうして狩り手がフォロワーにならないか。

それは簡単だ。

ミームを少なからず取り込んで邪神になっているものにとって。自身が「仲間にしてやるに値しない」と判断した「ゴミ」は、フォロワーにする価値も無いからである。

だから狩り手の中には、ミームで貶められていた存在になりきることで、フォロワー化を防ぐ。

既に戦死してしまったが。

大きなワニの姿をしていた人もいたそうだ。

SNSクライシスの前の情報は、断片的にしかしらないので。私にはよく分からないが。何かのミームだったのだろう。

「どうやらお出ましのようですわよ。 戦闘態勢をとりなさい」

「悪役令嬢」の言葉に頷く。

悪役令嬢は、ぱちぱちと手を鳴らした。

とにかく悪そうな顔をしている。

キャラ作りという点では完璧だろう。無意味にぐるぐるまいている縦ロールが、とにかく良い味を出している。

髪の毛も多分染めているのだろう。

よく分からないほど鮮やかな金色だ。腰まである長い髪なのに。こんな色に染めていたら、手入れが大変だろうなと「陰キャ」も思う。

実績を上げているから許される事なのかも知れない。

「瞬く間に箱根の山を血に染めたαユーザー。 素晴らしい手際ですわね」

皮肉混じりの言葉に、唸り声が聞こえる。

それだけで、腰がくだけかけた。

邪神というのは、SNSクライシス前に。如何に支持されていたかで実力が決まってくる。

こんな思想の人間が何故支持されたのか、はっきりいってよく分からないが。

「陰キャ」もSNSクライシス前のSNSについては、どういうものだったのか記録映像を見せられている。

確かにそこは、地獄だった。

人が死ぬことを笑いながら喜んでいるもの。

飛び交う差別。

暴言。

自分の主観で全てを決めつけて、相手の人権も人命も否定する輩が、堂々と蔓延っている魔郷。

SNSの運営は何も対応せず。

それどころか、そういった輩の言う事を聞いて。何の罪もないただの絵を削除したり。絵を描いたユーザーを迫害したりと言った、暴虐に手すら貸した。

化け物が出現するのも、当然だったのだろう。

そしてその化け物は。

理由は分からないが、何かの切っ掛けで。

本当の怪物。

邪神となってしまったのだ。

肥大化しきったエゴのまま、人外になったのである。こんな惨劇を引き起こすのも、当然だと言えた。

なお、邪神は自分達の事を「αユーザー」と呼んでいるらしい。

何がαユーザーだか知らないが。

せり上がってくる、巨大な体。

箱根の山を割るようにして出てくるその巨体は、なんとも凄まじい。

全身が解けたマグマのようで、全身に目がついていて。女体であるようなのだが。それが何故かとても平坦だった。

そういえば聞いた事がある。

この手の人間は、女性の体の起伏を極端に嫌がって、「奇形」等というとんでも無い侮辱を口にしていたのだった。

恐らくだが、この膨れあがったおぞましい、女体の痕跡がわずかに残っているだけの体が。

この化け物にとっての、理想的な形なのだろう。

「名誉オスが二匹も、どうやって私の領域に入ってきたあ……!」

「オーホホホホ! 見ての通り、貴方の思想と相容れない存在だからですわ!」

「オタク共の喜びそうな弱々しい名誉オス! それに乙女ゲーの負けを代表するようなゴミカスか……! そんなもの、存在すら烏滸がましい! 消え去れ!」

いきなり、巨大な手を降り下ろしてくる。

二人、即座に左右に飛ぶ。

手形が地面に残る。

手だけでも、五メートルはある。

全身は百メートルを超えているだろう。

あんな巨体、物理的に支えられる訳がない。核を叩き込んでも死なないというのが、よく分かるというものだ。

以降、会話は通じない。

エゴを極限まで肥大化させ、客観性という概念が存在しない邪神にとって。自分が気にくわない相手は、それすなわち好きなように殺してよい存在以外の何者でも無い。

こいつが箱根にいた数万の人々を殺戮したのも、単に自分から見て「キモイ」からで。

それがこの怪物には全て肯定される事なのだ。

ぐっと唇を噛みしめる。

無言のまま、手を叩き付けてくる邪神。絶対正義同盟NO7、「フェミ医師」。

その手が、音もなく消し飛んでいた。

「悪役令嬢」が傘を降ろす。そして、にっと笑っていた。

もう「悪役令嬢」にも会話するつもりはないようだ。

それはそうだろう。

そもそも、相手が会話するつもりがないのである。

どうしてそんな相手と、会話をしなければならないのか。

腰を落として、刀に手を掛ける。

「陰キャ」がこれからしなければならないのは。支援戦闘だ。

心を研ぎ澄ませ。

一瞬の隙を突いて、敵を斬る。

それだけを、今しなければならない。

 

2、邪神というもの

 

腕を吹き飛ばされても、邪神はまるで気にする様子も無い。即座に腕が新しく生えてくる。

邪神というのは、そういうものだ。

狩り手などの、邪神が徹底的に見下している存在からダメージを受けた場合。

どちらかといえば精神生命体に近い邪神は、ダメージを回復する事が出来ない。だから、新たに腕を生やす。

SNSクライシスの前。

邪神が人間だった頃。

場合によって主張をころころと変えたが。

それが今。こういう能力になっている、と言う事だ。

そして邪神にとって、その無茶苦茶な行為は決して悪でもなんでもない。

自分が言う事は全て正しい。

そういう世界に育って来た。

或いは周囲に持ち上げられてきた。

更に上位にいる邪悪な人権屋の支配者層に吹き込まれてきた。

だから、そういう怪物になった。

今、文字通り本物の人外になった今も。

その精神性から能力は派生しているし。

それを恥ずかしがることもない。

何しろ常に自分は正しい、からだ。

無茶苦茶に増やした腕を、それこそ驟雨のように連続で叩き付けてくる。

通常兵器は通用しない。

邪神が認識した、「自分より劣る存在」が繰り出した攻撃によって受けたダメージが、初めて邪神には通る。

何故か。

詳しくは「陰キャ」も良くは知らないのだけれども。

どうやらロジックエラーを起こすから、というのが理由であるそうだ。

自分より劣っているはずの存在に、傷などつけられてはならない。

それなのに、傷をつけられた。

それが邪神にとっては。

精神生命体にとっては、それこそ核を受けても平気な肉体にほころびが入る切っ掛けとなるのである。

猛烈な土煙。

轟音。

次々手を新しく生やして、「悪役令嬢」に叩き付けているのが分かる。

「陰キャ」は先輩の支援をするつもりだが。

その前に、相手を見極める必要がある。

殆ど本能的に、抜刀。

飛んできた巨大な何かを、斬り払っていた。

極限まで集中していたから出来た事だ。

飛んできたのは、なんだ。

切り裂かれて消えていくのは、邪神の体から生成されたもののようだが。

爪とかそういうものには見えなかった。

紙か。

いや、分かった。

チラシだ。

また飛んでくる。

チラシと言っても、それは形状だけの事。

下手な戦車砲より火力があるだろう。

本来だったら防げるような代物ではないのだが。

相手が、つまり「陰キャ」が「狩り手」である事が大きい。

要するに自分よりも劣っている相手である。

それに対して、戦略級の攻撃など出来ないのである。なぜなら、「バカにしきっている」からだ。

通常の人間に対しても邪神はゴミ同然と考えているが。

それでもまだ人間の一種くらいには考えている。

だが「狩り手」は違う。

邪神にとって狩り手は、「存在すら許されない者」であり。そんなものは触るのも汚らわしいし。そもそも全力を出すことなど沽券に関わるそうだ。

これは試行錯誤しながら邪神と戦い続けた過去の勇者達が、多くの犠牲を出しながら得ていった情報だ。

そして邪神に共通している事も分かっている。

最初の狩り手であり、今も現役の「ナード」。米国の狩り手だが。

彼は偶然邪神との戦闘に生き残り。

それ以降、彼の証言を元に対邪神の戦術がくみ上げられていき。やがて最初の邪神討伐に成功した。

恐らく、SNSクライシスという限定的な条件で発生したからなのだろう。

邪神という存在は基本的に精神構造が同一で。

例外は存在しないのだ。

それが、つけいる隙なのだ。

とはいっても、まともに攻撃の直撃を受ければ耐えられない。

「狩り手」だって、今まで多くが命を落としているし。大けがをして引退に追い込まれた人だっている。

皆が、情報を蓄積してくれた。

その蓄積してくれた情報を元に。

「陰キャ」というコードネームを持つ「狩り手」のルーキーは。

戦うのだ。

また飛んでくるチラシ。近距離戦闘で「悪役令嬢」の動きを封じつつ、「陰キャ」による横やりを防ぐというわけだ。

邪悪ではあるが、戦術は一応練られている。

相当な戦闘経験を積んでいるからなのだろう。

その戦闘経験を積む過程で。

この「フェミ医師」と呼ばれる邪神が、どれほどの人を貪り殺して行ったのか。許しがたい話だ。

だが、心を燃やしながらも。

あくまで静かであれ。

無言でまた納刀。

土煙が時々吹き飛ばされる。

邪神はもう、何十本と腕を生やしながら、無作為に「悪役令嬢」に叩き付けているようだ。

数の暴力で押していく、と言う訳か。

戦術としては間違っていない。

だが、叩き付けられる度、「悪役令嬢」が放つ状態正体不明の攻撃が、致命傷になりうる腕だけを吹き飛ばしている様子である。

だんだん邪神が苛立ってくるのが分かる。

やがて、わめき散らし始める。

「名誉オス! 孕み袋! オスの機嫌を伺ってそんなに気分が良いか!」

肥大化した邪神の全身から、腕が一斉に生える。

邪神は「狩り手」から逃げる事もできない。

生物とすら認識していない相手から逃げるというのは、それすなわち己の存在のロジックエラーを引き起こすからだ。

それは明確な優位と言える。

こんな核も通じないような怪物である。

逃げ回られたらたまったものではないのだから。

「陰キャ」は深呼吸すると、全力で飽和攻撃を始める邪神を一瞥。見ると、チラシを生成しながら、上空で旋回させている。

なるほど、あれを時々叩き付けてきていた訳か。

昔の学校の授業の映像を見た事がある。

クラスぐるみの虐めの映像だ。

何かを丸めて、イジメを行う生徒が後ろからいじめられっ子に投げつけ。

それを他の生徒はヘラヘラしながら見ている。

教師もまるで気にする事もない。

学校での虐めは、そういう風にクラスぐるみで行われる事が多かった。

それが更にエスカレートすると、いじめられっ子が殺される事だって多かったし。

殺された場合も、イジメを行った場合は「虐められた側にも責任がある」だの、「虐めを行った生徒にも未来がある」などという謎の理論で。酷い場合は無罪放免。酷くない場合も、一年の年収分程度で解放されることが多かった。

勿論その後は同じ事が繰り返される。

「陰キャ」というのは。

そういうときに、虐めのターゲットになる存在であったらしい。

なるほど、そういうこと。

あの「フェミ医師」は、SNSクライシスの前の時代。

スクールカーストの上位にいて。思うまま虐めを振るう側だったのだろう。

確か「フェミ」という思想を拗らせるのは、そういったスクールカーストで暴君として君臨し。

会社でも好きかってし。

いつの間にか年を取って、誰にも相手にされなくなって。

若さだけが財産だったことを認められずに、凶暴化してあらゆる暴虐暴言を振るうようになった人間だという分析を聞いた事がある。

典型的なそれ。

同情の余地は一切無し。

また、チラシが飛んでくる。

凄まじい速度だが、全てを切りおとす。

金切り声を「フェミ医師」が上げる。

「抵抗スるんジャねえ! カーストの下位にいる奴が、口なんか利く権利あるとおもってンのかあぁ!」

「3,2、1……」

全部無視。ただ、リズムを認識していく。

教官に教わったとおりだ。

本当に、何一つ擁護できる余地がない存在。

それが、SNSクライシスで邪神になった存在だ。

人間として生きていた頃から、どれほどの数の人を不幸にしてきたのだろう。それを社会が容認してきたから、こんな怪物が実際に産まれてしまったし。そもそも人間だった頃から、この存在じゃ邪神だったのだろう。

「0!」

呟くと同時に、前に突貫する。

チラシが、「陰キャ」のいた空間を抉る。

残像を切り裂く。

「悪役令嬢」がどういう攻撃をしているかは分からない。「狩り手」の攻撃手段については、それぞれ秘すのが基本だからだ。

だから、いきなり直角に飛び退き、更にジグザグに走りながら邪神の背後に回り込む。

チラシはその間も飛んでくるが。

此奴の攻撃パターンは全て見切った。

わざわざ抜刀して叩き落とす必要もない。

腕が、降り下ろされる。

これもリズム通りだ。

「3,2,1、0!」

呟きながら、抜刀。

腕を叩き落とす。

吹っ飛んだ腕は再生しない。悲鳴を上げながら、邪神が全身を膨れあがらせていく。形態を変えるつもりか。

邪神には形態変化をするものも珍しく無い。

戦闘が困難を極めるのも、それが理由だ。

恐らくこのままだと、両方から迫られて斬られると判断したのだろう。

戦術的な判断ではない。

「生物以下」の存在に、ダメージを受けるのが気にくわない。

それだけの理由である。

飛び退いて、距離を取る。

リズムが変わる可能性もある。その間にチラシが残弾全て飛んでくるが、それら全て叩き落とす。

リズムさえ分かっていればどうということもない。

これでも動体視力には自信がある。

本来の戦車砲のような火力だったらどうにもならないだろうが。

今のなら、それこそ「陰キャ」でなくても。居合いを勉強した人間だったら対応出来るだろう。

最後のチラシを切りおとす。

邪神は更に巨大に膨れあがり、全身にかっと目が開く。

腕も何千あるか知れたものではない。

ここで、初めて。

「悪役令嬢」が、鼻で笑っていた。

「オーホッホッホッホ!」

「……」

「陰キャ」はルーキーだ。

邪神に対しての戦術はコーチを受けただけ。

だから、様子はただそのまま見る。

戦闘時に喋る余裕も無い。

リズムを取るのが精一杯だ。

「なんですのその醜いお姿。 まさかあ、それで私達よりも美しいとでも思っていらっしゃるので?」

「今……何をほざいた」

「醜いといったのですわよ。 私達よりも遙かにね」

「……っ!」

邪神の頭部、だろうか。

目がたくさん肉塊の全身に浮き上がっているから、もう何とも言えないのだけれども。

ともかく上部にある血管が、全部ぶちぶちと切れたのが此処からも見えた。

なるほど。

そもそもミーム上の存在として、「幾らでもバカにして良い」相手に。対等な立場から侮辱を浴びせられると言う事は。

己を「絶対正義」と確信し。あらゆる暴虐を振るって良いと考えている邪神にとっては、最大の侮辱になる訳か。

「殺す殺す! コロスコロスコロスコロスコロスコロス!」

邪神が全力で、全身から血を噴き出す。

躊躇なく「悪役令嬢」が飛び退くのが見えた。勿論「陰キャ」もそれに従う。

多分邪神が放出している血は。人間を「フォロワー」に変える力を更に凝縮したものだ。

ひょっとしたら、「狩り手」が触れてもあぶないかも知れない。

喚きながら、無数の手をまるで針のように伸ばしてくる邪神。

まずい。

飛び退きながら、即座に斬り払うが。数発が掠めた。

体が裂かれる熱い感触。

昔、廃墟で膝を抱えて座っていた。

助けられて。風呂に最初に入れられたとき。初めて全身が傷だらけだと言う事を認識した。

両親が殺された後の事だ。

その時のトラウマが、一瞬フラッシュバックするが。

歯を食いしばって耐える。

更に、腹を狙っての一撃。

刀を盾にして、吹き飛ばされつつ耐える。

地面に叩き付けられ、受け身も取れない中、頭に飛んでくる数本の腕。そのまま叩き潰すつもりだろう。

動け。

うごけあたしの体。

必死に呻きながら、体を動かそうとするが。

まるでスローモーションのように、凄まじい勢いで腕が伸びてくるのが分かる。

諦めるな。

言い聞かせて、必死に顔を上げると。

不意に、視界が防がされた。

「悪役令嬢」である。

そして、腕を全部吹っ飛ばしたのが分かった。

「頑張りましたわね。 立てますかしら?」

「は、い」

「いいですわ、いいですことよ! 見えましたわね。 相手はどうやらもう全力のようですわよ。 ここからが本番ですわ」

「悪役令嬢」が至近にいて。初めて、何をしているのか分かった。

手にしている鉄扇で、超高速で飛んでくる全ての攻撃を弾いているのである。

また、至近で見て分かった。

どうやらドレスなどは対弾装甲が仕込まれているようで。

攻撃の余波で飛んでくる小石などは、全て防いでいるらしい。

いずれにしてもこの鉄扇捌き、まるで人間業じゃない。

鉄扇というのはあまり実用的な武器では無いと言う話を聞いたことがあるのだけれども。

恐らく「悪役令嬢」くらいの達人になると関係無いし。

何よりも、「実用性がない武器」でダメージを与えることが、相手に更に傷を深くさせているのだろう。

何から何まで、邪神を狩るための装備。

合理性なのだ。

バカみたいな格好も、言動もなにもかも。

全てが合理の塊なのである。

それに気付いて戦慄する。

まだ、「陰キャ」はルーキーもルーキーなのだと。

わめき散らしながら、邪神が総攻撃の第二弾に入ろうとする。

そこで、やっとチラシが見えた。

何かの病気に対するワクチンが毒だの何だのと書いてある。

唖然とした。

そういえば、SNSクライシスの前に暴れていた人権屋には、主張が被る者が多かったという。

反ワクチンとかいう危険な集団も存在していたらしいが。

どうやらこの邪神「フェミ医師」も。よりにもよって、医者でありながら反ワクチンだののエセ科学に荷担していたらしい。

肩書き通り本当に医者だったのか。SNSで医者を詐称していたのかは分からない。

だが、大学教授がこの手のエセ科学にはまるケースもあったと聞く。

どちらにしても、救えない話だった。

「もう気付いているでしょうけれども、わたくしの本領は防御ですのよ。 貴方がとどめを刺しなさい」

「はい……っ!」

「気合いが入った良い返事ですわ。 ……リズムそのものは変わっていませんわよ」

立ち上がると、納刀。刀はモリブデンやチタン合金などを組み合わせた、近代技術で作りあげた最強高度のものだ。

ふうと息を吐くと、突貫する準備に入る。

同時に、わめきながら邪神「フェミ医師」が、数百に達する腕全てを伸ばし。更に上空に展開していたチラシを、一斉に投擲してきた。

あれのごく一部しか、「陰キャ」は防ぎきれなかった。

全てを、「悪役令嬢」は防いで見せたと言う事だ。

とんでもない手練れである。

「3,2,1……」

呟く。

「悪役令嬢」が、凄まじい鉄扇捌きで、殺到する殺意の塊を悉く粉砕しているのが分かる。

リズムは。

確かにある。

多分だが、邪神自身も気付いていない。

だが、確かにリズムがあるのなら。

これでも、動体視力とリズム感だけは自信があるのだ。

任されたのだ。やってみせる。

腰を落とし。

0と同時に突貫。

確かに、攻撃が途切れる。

邪神の腕が全て消し飛び。

たわごとが書き散らされたチラシも、全てなくなった。邪神は全身にある眼をぎらつかせながら。腕とチラシの再生成に入るが。

既に、その時には。

「陰キャ」が全ての力を振り絞って、至近距離にまで迫っていた。

抜刀。

側を抜けながら、四度の斬撃を刹那の間に叩き込む。

勿論こんな巨体に、刀の斬撃なんてのは、本来ダメージになどなりえない。

だけれども、それが「狩り手」の。

邪神となった連中が、人間と見なさない。ミームの権化の攻撃であったらどうなるだろうか。

邪神の体が、見事にまっ二つに抉り斬られ。

そして絶叫していた。

だが、「陰キャ」自身も、今の渾身の一撃で殆ど身動きができない。

膨大な鮮血を噴き上げる邪神が、それでも崩壊していく体を、無理矢理生やした腕で支えようとしているのを見る。

なんだあの腕。

今まで気付けなかったが。手がまるで幼児だ。

至近だから、返り血も防げない。

ああ、これは死んだかも知れない。

近付いただけで普通の人間をフォロワーに変えてしまう邪神の鮮血だ。こんな量を浴びたら、どうなるか。

その時。

ひょいと抱えられて。

距離を取られる。

やったのは、「悪役令嬢」だった。

「お見事。 陽動としては充分ですわ」

「!?」

必死に二つに切り裂かれ。崩れゆく全身を無理に生やした新しい大量の腕で支えていた邪神が。

上下二つに切り裂かれた。

ああ、そういうことか。

「陰キャ」をたき付け。

邪神がその対応に全力を注いだ瞬間に、本命の全力での一撃を叩き込む。

最初からそういう判断だった、ということだ。

少し、苦笑いしてしまう。

ずるい人だなあと思ったのだ。

ルーキーにこう言うときは花を持たせてくれるものだろう普通。

それよりも、そもそも危険度マックスの仕事をルーキーにやらせるか。

邪神に対して、「悪役令嬢」が顎をしゃくる。

邪神の全身が、崩壊していく。

肉の塊が、全て崩れ溶けて行く。

致命傷を受けたのだ。

「ばかな、私は正しい、正しい、世界で一番正しくて、美しいのに……!」

「ばかばかしい。 客観性の欠片も持たず、主観だけで人間の命どころか権利の全ても奪えると錯覚し、多数の人間を不幸にしておきながら何一つ思うところすらなく、挙げ句にその醜い行動の数々。 そのような存在が、美しいとでも思うたか!」

邪神の繰り言に。

文字通り、とどめとなる一撃が叩き込まれた。

全身が崩壊し始めている邪神にとって、その言葉は文字通り致命傷である。

何しろ精神生命体だ。

己が徹頭徹尾見下している存在から。

存在を全否定されたのだ。

精神が完全なロジックエラーを引き起こす。

すなわち、死である。

聞き苦しい悲鳴を上げながら、邪神の全てが溶けて行く。やがて、そのおぞましく太りきった醜い人間の体が、一瞬だけ虚空に浮かび上がった。

そして、その歴史が、周囲に垂れ流され始めた。

昔スクールカーストで上位を占めていた頃の姿が見える。まあその頃は見かけだけは美しかったのかも知れない。まあ、「陰キャ」から見ても容姿は整っている方では無いかと思う。

だが、暴虐になれて悪しき成功体験を積めば積むほど、その体は加速度的に醜くなっていき。

やがて気付いたときには、誰も見向きもしなくなるほどにおぞましい姿になっていた。

それを本人だけが認められなかった。

最悪な事に。

SNSで彼女はαユーザーと呼ばれる存在で。取り巻きがたくさんいた。

実際の姿さえ知られなければ、そういう事も出来た。

取り巻きは奴隷だった。

彼女の言葉に逆らう事はできなかった。

なぜなら、境遇が極めて似ていたからである。

どいつもこいつもスクールカーストで上位だった存在が。年を取るに連れて周囲に相手にされなくなっていった怪物達。

その集まり。

SNSでそれらが集合体と成り。

やがて声だけ大きい、論理性のかけらも無い怪物の集団が誕生した。

時代が悪かった。

声だけ大きい集団が、無駄に力を持つ時代だった。

SNSで暴れるだけで、会社が謝罪に追い込まれ。クレームにひれ伏す者も多かった。

それが二度目の成功体験となった。

医師と偽っていること何て、誰も気にしなくなった。

勿論あいつは医師では無いと言う奴もいたが。

少なくとも取り巻き達は、全員が盲信していた。

やがて人権屋に接触された「フェミ医師」は。反ワクチン思想に染まり。

そこで歴史が途切れた。

邪神、「絶対正義同盟」NO7。「フェミ医師」の最後だ。

「陰キャ」の口から大きな溜息が漏れた。

こんな愚かしい存在に、箱根で身を寄せ合って暮らしていた、何万もの人達が殺されたというのか。

こんな存在の主張する正義で。

どれだけの人間が不幸になったのか。

映像の片隅に流れてもいた。

学校でこの「フェミ医師」は虐めで同級生を精神病院送りにしている。それでいながら、何一つ咎められることは無かった。

その成功体験が、怪物を作り出す決定的な切っ掛けになったのだ。

要するに、SNSクライシスが起きる前の時代そのものが。この怪物を作り出したのである。

肩を叩かれる。

「悪役令嬢」だった。

「帰りますわよ」

「は、はぃ……」

「なんだ。 さっきの気合いは、もう無くなってしまったようですわね」

「す、すみま……せん」

この人は、苦手だ。

ちょっとずるい。

そう考えているのを悟ったのか、「悪役令嬢」は高笑いする。

腰まである、無駄に長い縦ロールの髪を揺らしながら。

「おーっほっほっほっほ! わたくしがずるいのは当然ですわ! 何しろわたくしは、「悪役令嬢」なのですから!」

「は、はあ……」

「悪役令嬢」が無線を取りだし、邪神の撃破を告げる。

これで、日本に残る邪神は残り九体。

過半数が倒されたことになる。

だが、世界にはまだまだ多数の邪神がいる。

立ち上がると、手を見た。

ルーキーになったばかりの「陰キャ」だが。そもそも初陣を生き残れる「狩り手」のルーキーは四割を越えないと聞いている。

次からは、或いは単独で邪神と戦わなければならないのかも知れない。

今の力では、「フェミ医師」には勝てなかっただろう。

だけれども、次は。

ずるくて、それ以上にずるがしこい戦い方をしていた「悪役令嬢」。

あの人の強さを取り入れたい。

そう、「陰キャ」は思った。

程なく、防護服を着込んだ自衛隊の人達が来る。彼らが調査のためのキャンプを作り出し、そしてヘリが来た。

帰りはヘリだ。

この陰鬱な山道を歩かなくて良い。

それだけが、救いなのかも知れなかった。

散らばっている遺体には、何もできない。そう、何もできないのだ。

だから、勝つ事が出来た。生き残る事が出来たという事実だけを手に。戻るしかなかった。

 

3、戦い終わりて

 

箱根麓の駐屯地に到着して、ヘリを降りる。ローターの音がもの凄くて、風も凄くて。帽子が飛びそうで怖かった。

この帽子は特注品で、内部に色々仕込みがある。小石くらいだったら防げるし、ナイフくらいなら突き立てられても大丈夫。そういう素材の帽子なのだ。

それでも、やっぱり頭の至近で、恐ろしい音がしているのは怖い。

何より「狩り手」だって、特別な訓練をしているとはいえ人間。

「悪役令嬢」と同格の手練れですら、年に何度も戦死報告が上がる。

今回「陰キャ」だって、単独で邪神「フェミ医師」と戦っていたら、きっと勝てなかっただろう。

帽子を押さえながら、周囲を見回す。

自衛隊はこれからが本番だ。まだ生きているかも知れない生存者を救出し。殺し切れていないフォロワーがいたら殺さなければならない。

新しく邪神が産まれたという話は聞いたことがないが。フォロワーは一度邪神によって変えられてしまうともう元には戻らないし。存在するだけで人間を殺し続ける。

ただでさえ人がたくさんいなくなってしまったこの世界。

人間の敵は、排除するしかないのだ。

マスクを外して、深呼吸。

眼鏡も外して、返り血を拭いて拭った。

「陰キャ」というスタイルで狩り手をやると決めたとき、マスクとか眼鏡とか、全て特注で作ってもらった。

履いている靴だって、着ているパーカーやシャツだってそう。

全てが邪神との戦闘を意識した戦闘用のものだ。

ポーチに入っているのは応急処置用の道具類。中には無理矢理痛みを消すための注射もある。自害用のクスリさえある。

邪神に負けた狩り手の最後は悲惨だ。

何しろ此方を人間だと思っていない。

どれだけ悲惨に陵辱されて惨殺されるか何て、いうまでもない。そのまま一息に殺してくれれば大ラッキーなくらいなのだ。

使う機会がなくて良かった。

そう、「陰キャ」は思うのだった。

こうしてみると、分かるのだが。「陰キャ」というのはキャラづけでもなんでもない。

元々、性格がそうだった。

周りの何もかもが怖かったし。

周囲と話すのだって苦手だった。

両親が殺された時、もう死ぬんだって思った。

たまたま隠れていて助かって。

それから訓練を受けているときも。他の狩り手候補とは、ほとんど喋る事もなかった。

ただ、素質はあった。

実の所、あまり復讐とか、そういう事は考えていない。

邪神については、とにかくその醜悪な心に反吐が出るとは思うけれども。

「陰キャ」の両親を殺した邪神は既に殺されているし。

復讐する相手なんて存在しないのも事実だったからだ。

「悪役令嬢」がヘリから続いて降りてくると、鉄扇を自衛官に預ける。

ずんと強烈な重さが掛かったようで、受け取った自衛官が腰を抜かしかけていた。

なる程、日本の誇るトップエースの武器なだけはある。

この人、あの戦いですらも。

まだ手を抜いていたのかも知れない。

自衛官の偉い人。確か山革陸将だったか。口ひげを蓄えた、責任感の強そうなおじさんがきた。

敬礼されたので、ぶきっちょに敬礼を返す。

「悪役令嬢」は胸に手を当てて応じていた。

それが「悪役令嬢」なりの挨拶なのだろう。

「生存者は絶望視されていたが、それでも数名が発見されて良かった。 それに何より、ついにナンバー10以上の邪神が討伐された。 素晴らしい実績だ。 ありがとう、「悪役令嬢」。 それに初陣をよく生き延びたな、「陰キャ」。 昔は悪口として使われていたらしい言葉だが、こう呼ぶ事を許してくれ」

「い、いえ……その……はい」

「オーッホッホッホッホ! わたくしといたのだから生存も勝利も当然ですことよ!」

胸を反り返して大笑いする「悪役令嬢」。

周囲の自衛官が呆れている。

「狩り手」でも、此処までキャラに入り込んでいる人は珍しいのだろう。

ただ、実力は確かだ。

それに日本に潜伏する邪神の組織、「絶対正義同盟」の構成邪神がまた一つ欠けたのも事実である。

これが大きい。

先の戦いでも見せつけられたが。

邪神は単独で、またたくまに数万、数十万の人間を殺傷し。それどころか、核すらも耐え抜く。

狩り手にしか、邪神を倒す事は出来ない。

今回の成果は、大きいのだ。

「ちなみに、他の邪神どもは?」

「現時点では発見はされていない。 更に言うと、まだバディで行動していた二人組の狩り手が行動不能なことを含め、しばらくは人手不足が続くだろう。 狩り手の育成も進めてはいるが、中々に厳しい状況だ。 自衛隊にしても、物資や兵器、弾薬の補給を各地の工場で急いでいるが、それでも足りていない。 いつ仕事が入るかも分からない。 すぐに出られるように……体調だけは整えてくれ」

「分かりましたわ」

また敬礼すると、陸将は去って行った。

戦闘の経緯は、確か望遠レンズだかで記録されているはずで。レポートととかは自衛官がやってくれるらしい。

「陰キャ」はこれから。

次の仕事に備えて休むだけだ。

狩り手の訓練を受けていたときに。

先に狩り手になった子もいたけれど。みんな死んでしまった。

後から狩り手になる子もいるだろうけれど。

まだ日本だけでも九体もあんな強力な邪神が残っているのだ。互角に戦えている米国でも、相当に苦戦していると聞いている。ユーラシアは劣勢で、かなり悲惨な戦況だという。

現在四つの大きな邪神の組織があるが、そのうちの二つ。欧州と中華に存在するものはほぼ無傷と言う事だ。

日本にある絶対正義同盟をもしも潰す事が出来たら。

今度は米国か、或いは欧州か中華か。

どちらかに支援に行かなければならないだろう。

ふと気になったので、先に休みに行こうとする「悪役令嬢」に聞く。

「そ、その……」

「何ですの?」

「その……素、で、すか」

「ああ、この格好とか言動とかの事ですのね?」

とても会話がしやすくて助かる。

この人、バカみたいな格好してるけれど。実の所はとても賢いのかも知れない。

少なくとも、あの自分は絶対正義で賢い存在なんだと思い込んでいた邪神「フェミ医師」よりも、よっぽど頭はきれるだろう。

「勿論最初は造りでしたわ。 こんな格好して、こんな言動する現代人がいると思いますの?」

「い、いえ……おも、い、ません」

「素直で結構。 でも、このキャラを始めてから、なんだかんだで今ではお気に入りですのよ。 何より自分の正義を信じて疑わないあのいけ好かない邪神共をぶちのめしてぶっ殺せると思うと、この格好も言動も悪くはありませんわ!」

オーッホッホッホッホと、また高笑いが上がる。

この高笑いも考えてみれば不自然極まりないけれども。

まあ確かに。

この程度の事で、邪神と対抗できるのであれば。確かにこの格好もありだろう。

それに邪神達は、己を「正義」だと信じて疑わない。

そんな存在を斬るのであれば。

「別の正義」を主張するのではなく。

情け容赦なく断罪を行う、「ダークヒーロー」の方が好ましいのかも知れない。

そういえば、ミームと化した「悪役令嬢」という存在も。

そもそも、途中からは何故か創作で主役として抜擢されることが多くなり。

むしろ良い側のキャラクターとして、不可思議な扱いをされるようになっていったのだとか。

いずれにしても、あの絶対正義同盟の邪神達のような。SNSクライシスで邪神化したような連中にとっては、文字通りゴミ以下の存在としてしか認識出来なかっただろうけれども。

「その、何か、気を付け、た方が良いこと、とか」

「ルーキーとしては充分にやれていますわよ。 次の戦いのために、反射速度と技のキレを更に上げておきなさい。 わたくしからはそれだけですわ」

「……分かり、ま、した」

「……」

頷くと、悪役令嬢は駐屯地の休憩用プレハブに消えていく。

しばらくぼんやりと陰キャは立ち尽くしていた。

どうしようかな。

戦闘が終わると、どっと頭が疲れて。何も考えられなくなる。

訓練の時もそうだった。

教官役を実戦想定の訓練で負かしたとき。周囲の狩り手候補生がどよめいたのをよく覚えている。

多分あの「悪役令嬢」はキャラを養殖したけれど。

「陰キャ」は元からの天然物。

そこが違っているのだと思う。

しばらく棒立ちで突っ立っていたが。やがて、自分用に貰っているプレハブに歩いて戻る。

戻った後は、まずはベッドで眠りに眠った。

 

起きだした後、「陰キャ」はまずは診断を受けた。

戦闘で幾つも傷を受けた。

かすり傷ばかりだが、何しろ大事な身だ。

それに何よりも、邪神の側で戦っていたのだ。

どんな変異が起きていてもおかしくない。

丸一日掛けて健康診断を終えた後。問題なしと太鼓判を押して貰って、解放して貰う。

診察衣からいつもの服装に着替える。

そして、自分が与えられているプレハブに移動するのだった。

また、眠る。

とにかく、今は体力を蓄えなければならない。

「SNSクライシス」が起きてから既にかなり時間が経っている。

都会はどこもガラガラ。

殆ど人がいない。

「SNSクライシス」の初期に、邪神どもが狙ったのが都会だった。どこの軍でも手に負えなかった。世界最強と言われた米軍ですらどうにもできず、一千万とか人がいる都会であっても、瞬く間に地獄へと変えられた。

日本で言うと東京や大阪、横浜などの大都市は何処も壊滅的な打撃を受け。

国の統治機構は地下に潜る事を余儀なくされた。

邪神達は人間を百分の一に減らしても、まだ殺戮への渇望に酔っている様子で。

まだまだ殺したりないようだ。

今回箱根で討伐した「フェミ医師」でもそうだった。

或いは邪神の等級が、信者がSNSが存在していた時代にどれだけいたかで決まっているのも大きいのかも知れない。

研究によると、邪神の間での等級は絶対であるらしく、上下関係を覆す事はできないらしい。

ただ、邪神もコアになっているのは人間の精神。生物であることには変わらない。

だから本能として、強くなるためにフォロワーを増やそうとしているのかも知れない。

だとすると、極めて迷惑な存在だ。

そうとしか思えなかった。

昨日の戦いで、邪神が討伐されたこと。

箱根で出た死者が二万五千人に達したこと。救助できたのが山麓付近にいた人間を中心にわずか二百七十名だったことが全国に告げられ。

「陰キャ」も自室で黙祷した。

膝を抱えてしばらく黙り込んでいた。

生き残る事は出来たけれど。

「狩り手」になれる人間は決して多くはないし。なった所で緒戦を生き残る人数だって四割に達しないのだ。

しばらく、膝に顔を埋めてぼんやりしていると、チャイムが鳴った。

まだ早朝だ。それも三時である。

顔を出すと、自衛官が敬礼していた。

「お疲れの所申し訳ございません。 東京へのサルベージ作業に出向きます。 同行を願います」

「わか、り、ました」

こくりと頷くと、そのまま自衛隊の装甲車両に乗り込む。

戦車ではないのは、重すぎないこの車両の方がいいから、らしい。

燃料とかの消費も少ないし。

何よりも、戦車だろうが戦艦だろうが、邪神に襲われた場合盾にもならない。

現在無数のドローンが都会の跡地には撒かれていて、邪神がいつ現れても対応出来るようにはしているが。

それでも地域によっては駆除し切れていないフォロワーが彷徨いていることは普通にあるようだし。

邪神やフォロワーが現れる事を知っていても、行き場がなくてまだ都会に住み着いている人もいる。

そういう人は、何をしでかすかわからない。

だから武装した自衛隊が、貴重な物資を回収するために動いているのだ。

灯りが消えた都会は、文字通り闇の世界だ。

数両の装甲車両が、隊列を組んで闇の中を行く。

ライトを照らしているのは、自分の居場所を知らせる事にもなるが。

同時に人間を轢かないようにするためだ。

邪神によって人類の文明はただでさえ壊滅的な打撃を受けている。

これ以上人を無意味に死なせる訳にはいかないのである。

しかも邪神は医療関係者や学者などの、知識を持つ人間を優先的に狙う傾向があると聞いている。

何となく理由は分かる。

あのエセ科学をばらまいていた「フェミ医師」の言動を見ていれば見当はつくが。

それこそ、きちんと積み上げられてきた技術としての医療や科学は、邪神にとっては邪魔なのだろう。

自衛官の人達は殺気立っているが。

「陰キャ」は膝を抱えたまま、ぼんやりしているだけだ。

勿論野良のフォロワーが現れたら出る。

フォロワーも群れる事があるし、何よりも複数で襲われると、駆除が間に合わない可能性が高い。

フォロワーだったら、今のコンディションなら襲われてもそれなりの数を倒せる。

少なくとも、皆が逃げ延びる隙を作ることはできるだろう。

自衛隊の車列が止まった。

燃料の補給地らしい。どういう場所かは「陰キャ」にはよく分からない。周囲を確認しながら、燃料を回収していく自衛官を見て。自分は見張りに着く。

ライトが周囲を照らすけれども、やっぱり此処がどういう場所だったのかは分からない。

自衛隊の駐屯地だったのか。

それともただのガソリンスタンドだったのか。

周囲の建物もよく分からない。

ただ邪神は教育や科学、医療に関する施設を優先的に襲った。

此処が焼かれていないと言うことは。

そういう施設ではないということなのだろう。

自衛隊の人達だけに警備は任せておけない。

装甲車両に守られている、大型の燃料輸送車を、「陰キャ」も守る。

屈強な自衛官に囲まれると、余計に小柄な自分が目立ってしまうので、ちょっと恥ずかしいかも知れない。

女性の自衛官も当然いる。

今の時代は、戦えるなら誰だって戦う。

当たり前の話だ。

ホームレスらしい人が近づいて来て、自衛官が一斉に対物ライフルを向ける。慌てて手を上げたホームレスが言う。

「た、助けてくれ。 野良のフォロワーが彷徨いているんだ……」

「確認を」

「朝になると百体くらいは出てくる! 早く保護してくれ。 この近くにまだ結構人が取り残されていて、ここ数日たくさん殺された……! もうもたない!」

「た、対処……し、ます」

刀に手を掛けながら、頷く。

自衛官が数名、私に随伴。ただし、虚言の可能性もある。

ホームレスになって心が荒んで。ただの夜盗になってしまうような人もいる。

まだ日が上がりきっていない。

この暗い街では、いつどこから奇襲を受けてもおかしくはないのだ。

一個小隊が周囲に展開する。スナイパーも配置についたようだった。

「陰キャ」はそのまま。前に進む。

酷い臭いだ。

腐敗臭。

糞尿が垂れ流しなのだから、当然なのだろう。

それに、だ。

どうやら嘘ではないらしい。

酷い血の臭いがした。

怪我人の血の臭いじゃない。酷い状態になった死体から溢れた血が、腐敗した臭いだ。

うめき声を上げながら、窶れ果てた姿が現れる。

フォロワーだ。

叫んだホームレス。庇いながら、自衛官が制圧射撃を浴びせる。流石にフォロワー一体だったら、どうにでもなる。

だが、今の射撃音を聞きつけて。

彼方此方から、フォロワーが集まって来たようだった。

「支援要請!」

自衛官が叫びながら、集中射撃を浴びせる中。

納刀したまま、体勢を低くして「陰キャ」は突貫。

どうしたのだろう。

初陣の時よりも、体が随分と軽い気がする。

そのまま、抜き打ちに数体を瞬時に斬り倒す。次々に湧いてくるフォロワーだが、一体だって逃がしはしない。

「此方、あたし、だけ、充分で、す」

「分かった! 装甲車両を中心に方陣を組め! それと「悪役令嬢」にも支援を要請!」

「分かりました!」

無言のまま、躍りかかってくるフォロワーを次々斬り倒す。

立ち回りを意識しろ。

一度に複数を相手にするな。

それは、訓練の基礎の時に、何度も何度も繰り返し言われた。

どんな達人だって、複数に同時に襲われたらどうにもならない。

相手が素手の人間だったらどうにでもなるかも知れないが。

フォロワーの牙は下手な刃物よりも鋭く。

その腕力は、人間を素手で引きちぎるのだ。

だから一体ずつ確実に仕留めろ。

フォロワーを想定した性能を与えられたロボット(高級品なので実戦投入はとてもできないそうだ)を相手にしながら、何度もそう言い聞かされた。

覚えだけはいい。

それに、「陰キャ」は他にすることもできなかった。

途中で狩り手への道を諦めて、自衛官や医師になる事を決めて。養成所を出て行った子もいた。

それで賢明だったのだと思う。

先に狩り手になって養成所を出て行った子はみんな死んだ。

斬り伏せる。

首を刎ね飛ばす。

次々現れるフォロワーは、もう人間を殺す事だけしか考えていないようだった。

邪神に染められたのなら、それは仕方が無い事なのかも知れない。

箱根でも見た通り。

腹が破裂してでも食い続ける。

狂った邪神の正義に沿って動くが故に。

そして狂った理屈に沿って人間をひたすらに殺し続ける。

そうすることだけが、自分の存在意義のように。

増援部隊が来たようだ。

それで、少しだけ油断した。

激しく突き飛ばされて、吹っ飛んで地面に叩き付けられる。アスファルトはバキバキだから、叩き付けられるのは酷く体を傷つけられる事も意味する。

立ち上がる「陰キャ」に、圧倒的な数のフォロワーが殺到してくる。

もう一度、集中。

集中しているときは、危険な相手だけを目に入れて。

それで順番に斬っていた。それを高速で、脳内で回す事が出来ていた。

多分平和な時代だったら、ゲームとかで相当な腕前を発揮できたのかも知れない。

今は、それどころではない時代だが。

ひたすらに、斬る。

傷ついたからだなんて、どうだっていい。

自衛官の人達なんて、接近されたらそのまま死を意味するのだ。

多数を「陰キャ」が引きつければ、それだけ死ぬ人が減る。

だが、それでも。

やっぱり血が流れすぎたのか。

思考が鈍くなってきた。

至近。

今までに無い程の距離で、かっと口を開いたフォロワーが襲いかかってくる。

かろうじて首を刎ねたが、続いて飛びかかってくるもう一体。

まだ子供だ。

それでも、殺傷力は充分。

仕留めなければならない。

向かいから、兜割りに仕留める。

だが、三体同時に、飛びついてくる。

ああ、邪神とさえ戦わずに終わりか。

いや、終わってたまるか。

最後まで、一体でも多く道連れにして。

生き残る。

残った力を込めて、一瞬で三体を斬り伏せる。だけれども、それが本当に最後の力のようだった。

至近で銃撃の音が聞こえる。

呼吸を整えながら、顔を上げる。ゆっくりと、襲いかかってくるフォロワーが見えた。

手が、動かない。

そのフォロワーが、対物ライフルで消し飛ばされる。

だけれども、まだ来る。本当に、凄い数が潜んでいたのだと、思い知らされる。

動きすぎた反動だ。

膝が、いつの間にか折れていた。

刀を杖に立ち上がろうとするけれど、できない。

もう、ここまでかな。

一回だけは生き残れたけれど。それまでだ。

きゅっと、唇を噛む。

マスクに隠れていて見えないけれど。でも、やれることはやった。フォロワーだけなら、きっと自衛官の人達が何とかしてくれる。

意識が薄れ征く中。

「陰キャ」は充分に満足していた。

 

戦い抜いて、気を失った「陰キャ」を助け起こしたのは。「悪役令嬢」だった。

既に周囲に残存フォロワーはいない。自衛官に被害も出なかった。

二百を越えるフォロワーを単独で引きつけて倒した「陰キャ」のおかげである。

そのまま、装備品も回収し。

後は自衛官に任せると。

「悪役令嬢」は、装甲車両にて後送されていく「陰キャ」を見送った。

小隊指揮官が敬礼をしてくる。

「有難うございました。 急行してくださったおかげで、誰も死なずに済みました」

「バカですの貴方は。 まだこの辺りの住民の被害が確認できていませんわ」

「分かっています。 今、医療班と主力部隊が此方に向かっています」

「……」

ネットミームでひたすら貶められた「陰キャ」。

内向的な性格の持ち主をこうやって貶め。更には何か趣味を持っていたりすると役満。

それだけで、「社会的に殺して良い」という風潮が出来上がっていた。

今は文字通り地獄以外の何者でもないが。

こうなる前から、世界は地獄だったのかも知れない。

「悪役令嬢」は、今の自分のキャラづけが気に入っている。

だからこそに、ああいうルーキーを死なせたくはなかった。

「スカウトより入電! 北より先の数倍の規模のフォロワーの群れが接近しています!」

「わたくしが出ますわ。 貴方方は要救助者の保護に注力してくださいまし」

「わ、わかりました」

さて、命がけでルーキーが守り抜いた者達だ。

ベテランとして、少しは格好の良いところを見せなければならないだろう。

フォロワーの千や二千。

ゴミのように斬り裂かなければ、「悪役令嬢」の名が廃るというものだ。

見えてきた。

無数のフォロワーの群れ。女ばかり。子供もいる。オス。名誉オス。殺す。と呻いている。この様子からして、この間の「フェミ医師」と同類の邪神のフォロワーか。

邪神が死んでもフォロワーは死ぬわけでは無い。

仮に邪神を滅ぼしたとしても、世界に億以上はまだ存在しているらしいフォロワーを滅ぼすまで、何年もかかるだろう。

無言で突貫して、見る間にフォロワーを打ち砕いていく。

恐怖も何も無く、ただ襲いかかってくるフォロワーを瞬く間に粉々に消し飛ばしていき。

少しでも世界の状況をよくする。

千体前後のフォロワーを片付けるまで、十五分と掛からない。

その頃には、燃料補給も完了し。更には救助者の回収も進んだようだった。

「救助者の救出はまだ終わっていませんわね。 しばらくはいますから、さっさと進めなさいまし」

「分かりました!」

先の三倍ほどの規模になっている自衛隊の部隊が、救助活動を続けていく。

この様子だと、まだフォロワーの群れが姿を見せる可能性は否定出来ないだろう。

鉄扇を振るって、汚らしい血を落とすと。

「悪役令嬢」は装甲車両に座って。

周囲で何が起きても即応出来るように。

心の爪牙を研ぎ続けた。

 

4、邪神の会合

 

邪神の集団。「絶対正義同盟」。

普段は実の所、ある場所に集まっている。そしてたまに、本能が抑えられなくなると、出ていってフォロワーを増やす。

行動には基本的に秩序がない。

ただし、序列は絶対。

それが邪神という存在だ。

「SNSクライシス」で発生した邪神達は。当時社会に存在したカーストにこの上なく忠実な者達だった。

だからこそに、階級には絶対。

誰も、それに文句を言うつもりすらもない。

「NO7が倒されたようだ」

絶対正義同盟の長。

「神」がそう呟くと。無言で邪神達が移動を開始する。今の瞬間、NO7は旧NO7になった。

広い空間だが。其処には席次順に居場所が作られている。NO8から10までの三体が。それぞれ序列を上げた。

死んだものに対しては何も言わない。どうでもいいからだ。

裏切った者(主観)には、SNSでαユーザーとして暴れていた頃にはおぞましいまでの凶暴性を発揮した邪神達だが。

今はそもそも、もう邪神から人間になることはないし。

既にSNSで醸造された性格は絶対。

代わる事もないのである。

NO4が発言する。

「これで11名が敗れた。 そろそろ何か対策を考えなければならないのでは?」

「此方は確かに過半数を失いましたがね、人間共も「狩り手」とか呼ばれるカースト弱者から選抜した我等を倒しうる者を殆ど失ってるでしょ。 別に我等は不利になってはいないですよ」

それに対してNO2が応える。

NO4は風船のように太った男。

NO2は、逆に痩せこけてとにかく他者を馬鹿にした目つきの男だ。

NO4の発言に対しては、上位者であるNO3以上しか応える事は許されない。

これが、「絶対正義同盟」の基本ルールである。

この基本ルールは、そもそも誰ともなく邪神が集まり始め。二十体の邪神で「絶対正義同盟」が構成されたときからまったく変わっていない。

倒されたNO7、「フェミ医師」は、別に邪神に男性出身者が混ざっていることに対して何か文句を言うことは一度もなかった。

旧NO7と似た性質を持っているNO3や5も同じ。

理由としては簡単である。

己より上だと判断しているからだ。或いは同類と判断しているからだ。

邪神となる前からそうだった。SNSのαユーザーは、自分より格上と判断した相手には絶対に逆らわなかったし、事だって構えなかった。

なぜならば、如何に金を稼ぐかが重要だったからだ。

この者達は人間時代は人権屋と呼ばれる存在だった。

社会でデリケートな問題だった人権を見せびらかして他人を煙に巻き、そして金をむしり取る。

洗脳して自分の都合が良い奴隷にする。

それが彼ら彼女らの目的だった。

だから、金づるに対しては絶対に悪さはしなかった。

序列にも忠実だった。

例えば、援助交際を行うような社会のクズに対しても、彼ら彼女らは恐ろしい程に寛容だった。

理由は簡単で、金を落としてくれるからだ。

金持ちを批判していても。

金を落としてくれる存在には媚態を尽くす。

それが人間だった頃からの彼ら彼女らの習性で。

邪神になっていても変わっていないのである。

古くから、ならず者は身内にだけは寛大。それは、人ならぬ者になっても、変わらぬ事実だった。

新しくNO8になった者が発言する。見た目は子供だが。マリオネットのように糸が全身に着いている。

後方にいる者が、本体なのだ。

「いずれにしても、旧NO7が撃ち倒されただけでは無く、特に米国では同胞が多く倒されていると聞いています。 そろそろ本拠であるカナダへの侵攻計画すら持ち上がり始めているとか」

「情報通だな相変わらず」

「国際社会では当然ですので」

「まあよい。 ともかくこの国でまともに稼働できる狩り手は二体のみ。 残りは負傷しているかルーキー以下。 確かにNO2の発言通り此方が有利なのに代わりは無い。 ただ狩り手が厄介なのも事実だから、これ以上数が増える前に叩き潰してしまおう。 二つ、先に手を打つとしよう」

NO1の言葉に、皆が一斉に着目する。

そして、NO1は大げさすぎるほどに言う。

「NO8よ」

「はい」

「そなたが次に出よ。 比叡山に人間共が一万ほど集まっているという。 殺しに行け」

「分かりました。 僕にクラウドファンディングしなかった奴らは、皆殺しにするだけです」

頷くと、NO1は更に指示を出す。

「他の者達は、フォロワーを使って自衛隊の施設を偵察させよ。 狩り手の実力は、この間の旧NO7戦を見たが、我等を複数同時に相手取れるほどではない。 新しい狩り手が産まれる事がなければ潰す事は難しくは無い。 狩り手を育成している施設を探し出せ」

「ははっ」

邪神達が散る。

事実上捨て石にされているNO8も何一つ文句を言わない。

というか、そもそも彼奴は。

まあいいか。

NO1は、ふっと笑う。

彼は邪神の中でも珍しい、人間だった頃の意思を残している存在だ。

そして単独で五百万に達する人間を直接殺したが。それを何とも思っていない。

部下に人間をもっと殺させた人間の独裁者は歴史上にいるが。邪神の中では、トップレコードの殺戮数を誇る存在。

それが「絶対正義同盟」のNO1である。

「神」という存在だった。

 

(続)