滅びの神話

 

序、誰かのために出来ること

 

ラーンは、その絶望的な光景を見つめることしか出来なかった。フレイに言われたように、神殿跡地に来た。徹底的に破壊された、ただの更地。もはや何も残っていない其処が、人間の最後の居場所。

五十三名のみ。

それが、生き延びた人間の総数。その上全員が怪我をしていて、戦う気力も体力も残っていなかった。

気丈なアルヴィルダでさえ、その美しい顔には憔悴が浮かんでいる。

だが、絶望は無かった。

何度も涙をこすっているワルキューレのサーニャ。アネットが、彼女の背中を撫でていたが。泣くのを、誰が止められようか。

ラーンは思うのだ。サーニャの反応こそが、本来の自然なものではないのかと。神々の理屈で生体兵器として改造された人類こそが、おかしな反応を見せているのでは無いのだろうか。

もう、この先はどうなるか、ラーンには分からない。

フレイとフレイヤは、スルトとの決戦に赴いた。

二柱が破れれば、此処にいる皆も死ぬのだ。勝ったなら、どうなるのだろう。世界は再び、再生に向かうのだろうか。そうはとても思えない。崖の下から、見た。世界が本当に消えてしまっている様子を。

フレイは勝つと、ラーンは思う。

でも、その後は、どうなるのか。分からない。こうなってしまった世界に、希望があるのだろうか。

普通、この状況なら、絶望するだろう。

だがラーンは、不安を何度も感じながらも。不思議と、心の奥は涼やかだった。

咳払いしたアルヴィルダが、アネットを見下ろす。サーニャでは使い物にならないと判断したのだろう。

「ワルキューレよ。 そろそろ、頼めるか」

アネットが、無言で頷いた。

小さな体のアネットは、傷だらけの顔に疲労を浮かべたまま、剣を抜いた。そして更地になっている地面に、線を書き始める。

魔法陣を作っているのだと、ラーンにも分かった。線の間にはルーン文字が書き込まれ、見る間に複雑な図形を作り上げていった。

「ワルキューレとは、そも死神だ。 戦場でめぼしい戦士を見つけ、死したのちにヴァルハラに連れてくる」

アルヴィルダが、疲れ切っている兵士達に言う。

強烈なカリスマがある彼女で無ければ、もはや生き残った戦士達は、耳など貸さなかっただろう。

「つまり冥界に関係が深き存在でもある」

「姫様、何が言いたいの?」

「アスガルドの死せる神々に、我らへの助力をさせる。 正確には、神々への、だがな」

そんなことが出来るのか。

顔を見合わせる兵士達。ラーンも、希望がわいてくると同時に、そんなうまい話があるのかと、疑念を抱いた。

出来ると、皆の不安を見越したように、アルヴィルダは言う。

「ただし、出来たとしても一回だけだ。 それも、たいした事は出来ないだろう。 しかし……フレイ神の寿命を延ばし、フレイヤの魔力を全回復させる、くらいのことは出来る可能性がある」

寿命。どういうことだ。

そういえば。

ラーンも気付いていた。サーニャの反応がおかしかったことを。それに、どこかフレイも、死に急いでいるように見えた。

フレイは、スルトと心中するつもりなのか。

それは駄目だ。絶対に認められない。

「私、手伝います!」

「俺も……」

ヘルギが、はっきり自分の意思を示した。他の兵士達も、反対する様子は無いのだが。しかし、何か腑に落ちない。

アルヴィルダ姫は咳払いする。

「最後だから言っておくが、危険な術じゃ」

「危険、ですか」

「ワルキューレのアネット、説明をしてくれるか」

「元々、もう冥界と此処をつなぐこと自体、困難。 それを無理にすると、きっとみんな無事じゃ済まない」

勿論、アネットとサーニャの消耗が著しいことも原因となる。

さっき神酒を口に含んでいたが、それだけでも足りない、ということか。一気に酒を大量に飲んで、酔っている暇も無い。フレイとフレイヤは、あの恐ろしいスルトと、今頃死闘を演じているのだ。

ずたずたになっている体で。

一刻一秒の猶予も無い。

「死んじゃうの?」

「それはないけれど」

「どうなるの。 大体の事は、我慢する!」

「多分、だけれど。 冥界の力や、神々の力が体内を一気に通り抜けるから。 人間では、いられなくなるとおもう。 肉体は死んでしまうかも知れない。 ただ、心の方は、この場で……エインヘリアルに近い存在になるかも」

歯切れが悪い。アネットも、何が起きるか、よく分からないと言うことなのか。

サーニャはと言うと、へたり込んで泣いているままだ。

「そんな無茶をしたら、冥界にはいけなくなる。 この世界が滅んだ後も、虚無の中を、永遠にさまようことになる」

流石に、兵士達が青ざめている。

ラーンだって怖い。

元々、バルハラの現実を見せられたときだって、怖いと思ったのだ。人形のようなエインヘリアル達。人間が、神々によって品種改良された、生物兵器も同然の存在だと知って、良い気分などしなかった。

そして今、死ぬ事と。最悪、無限の虚無に落とされるなどと告げられて。心が、平穏であるはずがなかった。

だが、それでも絶望までは行かない。

きっと心の何処かが、壊れてしまっているのだろう。

「アルヴィルダ姫は……」

「妾の覚悟など、とうに出来ておる。 家臣達を皆殺しにしてくれた巨神共や死者、それにムスペルにスヴァルトヘイムの魔物共。 許すはずがなかろう。 妾の命など、この戦いに勝つためなら、いくらでもくれてやるわ」

明快に、剛毅な姫はこたえてくれた。

そうだ。この人は、弱気になる事はあっても、それでも誰よりも心が強い人であった。英才教育を受けて育ったからだろうか。

いや、違う。

以前この人が、フレイと話しているのを、聞いたことがある。

王族は、民のためにいる。

民の幸せのためであれば、アルヴィルダ姫は、命だって惜しくないと。

戦闘狂だと思っていたのだけれど。実際にはとても立派な為政者なのだとその時、ラーンは知ったのだ。

だからこそに、怒りは深いのだろう。

「それに、この場で生き延びて、何が出来る。 たとえ何があろうとも、奴らに一矢報いなければ、死んでも死にきれぬわ」

「アルヴィルダ姫は、怖い者知らずですね」

「怖いに決まっておろう。 だが、無為に死ぬのは、それ以上に嫌じゃ。 ただそれだけの事よ」

ラーンは頷く。

青ざめてうつむいていたヘルギも。

他の兵士達も。

皆の覚悟は、決まった。

ラーンはサーニャの隣に座る。

「サーニャ、お願い。 貴方の力を貸して。 みんな、フレイ様と、フレイヤ様の力になりたいの」

泣きはらした目で、気弱なサーニャは顔を上げる。

ごく普通の反応をするこのワルキューレは、むしろこの場では異質だった。だが、どうしても、彼女の助力が必要だ。

ラーンの表情が意外に柔らかいこと。

それに、サーニャ自身も、きっとこのまま死ぬだけというのは、いやだったのだろう。どうにか心を落ち着けて、立ち上がってくれる。

準備は整った。

アネットが、魔法陣を書き終える。

サーニャが其処に、幾つかの変更点を加えた。魔術に関しては、やはりサーニャの方が、だいぶ上のようだ。

魔法陣の周囲に、皆で並ぶ。

そして、手をつなぐように言われた。

アネットとサーニャは、魔法陣の真ん中に立つ。そして、なにやら、魔術の一種らしい、歌をはじめた。

二人、いや二柱とも、かなり声が張る。

世界の理に干渉する歌だ。それは神秘的で、そして何処かとてももの悲しい歌だった。

歌詞は全く理解できない。

ルーン文字でも無い。きっと強い魔術的な意味がある音声なのだろう。

アネットと、サーニャの体が光り始める。

全身を、何か訳が分からない力が、通り抜けていくのが分かった。それはとても冷たくて、優しいものではなかった。

「オーディン様。 聞こえますか」

アネットが問いかけている。

ヨムルンガルドに喰われて死んでしまったアスガルドの最高神は、きっと冥府に行っている。

自分がアネットになったかのように、声は自然に聞こえていた。三度、同じ問いかけが成される。

返事が来た。

「余はオーディン。 アスガルドに、まだ生き残りがいるとは、思ってもみなかったぞ」

無責任な言葉だが、今は怒る気になれなかった。

冥府はアスガルドやミズガルドとは、独立した世界であると言う。だからムスペルにも滅ぼされなかった。

オーディンの顔が見えてくる。

一目でその老人がオーディンだと分かった。

しかし、かの神は、随分と年老いているように見えた。それだけではない。神の力のようなものも、殆ど感じ取れない。

冥界では、誰もが無気力になると、ラーンは以前聞かされた。オーディンも、その法則からは、逃れられないのだろう。

「フレイ様とフレイヤ様が、今まさに、スルトとの戦いに臨んでいます。 お二方を助けたいのです。 助力を願います」

「そうさな。 冥界に落ちたアスガルドの神々の力を結集すれば、フレイの傷を癒やし、フレイヤの力を引き出すくらいのことはできるだろう。 だが、そなたらも、無事ではすむまい。 良いのか」

「構いません。 指をくわえて見ているくらいなら」

「そうか。 神々よりも、お前達の方がむしろ戦士としての素質に恵まれていたようだな」

恨み言は、たくさんある。

人間を生物兵器として扱ったこと。エインヘリアルの真実を隠して、バルハラに夢を持たせたこと。

何より、巨神の侵攻当初、及び腰で多くの人達を見捨てたこと。

だが、今は我慢できる。

フレイを助けたい。

それだけが、ラーンの全てだ。

トールがいた。座り込んでいた雷神は、此方を見上げると、にっと豪快な笑みを浮かべた。隣には、マグニとスルーズもいる。

どうしてか、トールだとまた一目で分かった。アネットやサーニャの記憶から、かも知れない。

「オーディン、俺は力を貸すぜ。 構わないよな。 俺たちの時代はもう終わったが、だが世界が残る可能性があるって言うんだ。 神々の力なんて、いくらでもくれてやらあ」

「トール殿、ならば私も力を貸しましょう」

その隣にいるのは、テュール。

そうか。かなり消耗していたようだが、異世界に逃れてすぐ、死んでしまったのか。だが、冥界では、むしろ若返っているように見えた。

「最後まで戦い抜いたフレイとフレイヤ。 それに、生き延びた人間達のために、我らアスガルドの神々、出来ることを成しましょうぞ」

「さすがはテュール殿。 私も乗りましょう。 最後の戦いに、これ以上貢献できるというのであれば、望外の幸せです」

そういって力強く自身の胸を叩いたのは、ヘイムダルだ。

自身の力のなさに対する嘆き。最後の行動。ラーンの目にも、焼き付いている。彼がその命を投げ出さなければ、此処の誰もが生き延びてなどいなかっただろう。

その隣には、小柄な女性の神。

フレイとフレイヤに時々助力していたという、イズンだろうか。

ワルキューレ達の声も聞こえる。ブリュンヒルデもいた。

「皆の覚悟、無駄には出来ません。 力をこれより送ります。 そして、スルトについて、持ち合わせの全ての知識も」

「有り難うございます」

「これくらいしか、我々には出来ません。 そして、許してください。 私達アスガルドの神々が非力であったから、誰一人救うことが出来なかった。 本当であれば、我々が最初から差し違えてでも、全ての敵を滅ぼさなければならなかったのに」

「我々の最後の力、貴殿らに預ける。 必ずやフレイ様に、届けて欲しい」

この世界にとって、アスガルドの神は慈悲に溢れた存在では無かった。有能な支配者でもなかった。

だが、彼らの素の言葉が聞けた今。

もうラーンには、悔いは無かった。

彼らは人とは違ったが、心の形はとてもよく似ていた。そして彼らなりに、世界を救うために、様々に力を尽くしたのだ。

人間にとっては過酷な世界だったし、彼らが傲慢であったのもまた事実。

だが、神々は、その代償を払った。

それで、もう良いでは無いか。

力が、膨大な神のエネルギーが送り込まれてくる。

自分が、人間では無くなっていくのが、ラーンには実感できた。そして、フレイとフレイヤの力が、一段階上に上がっていくのも。

それだけではない。

周囲に、幾つもの人型が見え始める。

光の奔流が収まったとき。

その懐かしい人達は、此方を見つめていた。

神の力による、ごくわずかな時間だけの奇跡。最後にくれた、アスガルドの神々の、意地の結晶。

これで、フレイとフレイヤ以外の存在は、全て等しく死者だ。

それでも、ラーンは悔いが無かった。

「どうやら、最後の決戦を行うのに、相応しい面子がそろったようじゃのう」

アルヴィルダ姫が、最初に手を離し、剣に手を掛けた。

兵士達も円陣を崩すと、めいめいにそれぞれの武具を手にする。ラーンも、フレイにもらった弓を確認。まだ充分に動く。そればかりか、きっと体を通り抜けた神の力の影響だろう。

以前とは比較にならない力を発揮できそうだ。

「ゆくぞ、皆! あの不埒な黄金の騎士に、鉄槌を下す!」

アルヴィルダ姫が音頭を取ると。

皆が、喚声を爆発させた。

此処に、ラグナロクの最終幕。最後の戦いが、始まったのである。

 

1、黄金の騎士

 

どうして、この世界はこうも中途半端なのだろう。

矛盾に満ちた構造と、何より作りかけである事が一目で分かってしまう仕組みの数々。世界の管理を行うべくユミルに造り出された通称運命の三女神。その中間、現在を司るヴェルザンディは、疑問から自我を生じていた。

その時のことは、よく覚えている。

世界樹と呼ばれる中枢システムの中で、ヴェルザンディは、ふと気付いてしまったのだ。このまま管理を行う事に、何ら意味が無いのだと。

世界は確実に滅びる。

どのようにオーディンが振る舞っても、それは無為なことなのだ。ユミルがどうして、そんないい加減な設計をしてしまったのかは、よく分からない。或いはこの世界は実験的に作り上げたもので、よりよき次のための踏み台であったのかも知れなかった。

いずれにしても、この世界は駄目だ。

対策が無い以上。新しく造り出すしか無い。

そのためには、一度この世界を全て壊して、エネルギー化してしまう必要がある。

結論を出したヴェルザンディは、それをなせる最高の存在を捜し求めた。そして見つけ出した者こそ。

野心溢れるヴァン神族の戦士、フリムだったのである。

フリムと融合し、一体化したヴェルザンディは、年月を掛けて、世界を滅ぼすための作戦を着実に進めていった。

やがて、フリムの野心の影響を、ヴェルザンディも、少なからず受けていった。

最初の動機は、世界を管理する人格としての、ごくまっとうな結論だった。だがやがて、その心は、大いに野心に染まり、何より憎悪に歪んでいった。

ムスペルが、ヴェルザンディの支配下に入ったのも、無理も無いだろう。

世界の愧死機構として作られた、最果ての存在ムスペル。その力の源は、なんであるか、ついにアスガルドの神々はおろか、誰もが知らなかった。

中途半端で、いい加減な世界のせいで。

滅び、歪み、死んでいった者達の憎悪。

それが、ムスペルの力の源だ。だから、神々より強い存在と言われていても、当初はそれほどでもなかった。

一万年という月日が、圧倒的な力を、ムスペルに与えた。

ヴェルザンディが、フリムを動かして、世界の滅亡を開始させたのは、何もヴァン神族の戦力が整ったからでは無い。

ムスペルの戦力が、充分になったから、なのだ。

更にムスペルの中核管理システムであるスルトを、ロキ=ユミルの力を利用してよみがえらせた時点で、既に勝敗は決していた。

世界は、その死を迎えるための存在を、呼び込んだのだ。

ヴェルザンディは、新しい世界を作ったのち、自身がフリムそのものとなり。ヴァン神族を主体とした世界の頂点に君臨するつもりだ。

その世界では、全てが完璧に管理される。

中途半端だった世界の仕組みは完璧になり、何もかもが無駄の無い動きをする。世界そのものが、理想の形となるのだ。

だから、それを邪魔するものを、ヴェルザンディは許さない。

有能なものは配下として使ってやってもいい。だが、無意味に逆らう者は、全て潰して廻る。

そもそも、スルトとは。

そのために造り出された存在だ。

 

黄金の騎士は、想像を絶する身軽さだった。

フレイヤが牽制で放った火球を軽く手で弾く。だが、それは視界を塞ぐための一撃に過ぎない。

その隙に、死角に潜り込んだフレイが、斬撃を浴びせかける。

だが、斬撃が放たれるのを見てから。

黄金の騎士スルトは、悠々とそれを避けて見せたのである。斬撃は残像を抉り、むなしく地面を穿っただけだった。

早すぎる。

それだけではない。巨体なのに高々と舞い上がり、地面に衝撃波を叩き込んでくる。爆裂した地面が、フレイとフレイヤを、吹き飛ばした。

「どうした。 先までの威勢は、どこへやった」

立ち上がろうとするすぐ側まで、スルトが来ている。

起き上がりつつ、即座に剣を振るうが、やはり当たらない。上空に逃れたスルトは、空中で姿勢制御して、追撃のフレイヤの火球をかわしてみせる。殆ど本気を出していない。とんでも無い怪物だ。

今までの三悪魔の中でも、間違いなく最強。

その圧倒的な力が、肌を通して伝わってくる。フレイヤが火球を乱射する中、フレイは走る。

渾身の一撃を、大上段から叩き込むが。

目を細めたスルトは、それをよけもせず。兜で受け止めて見せた。

地面に、ひびが入る。

それなのに、スルトは。

まるで打撃を受けている様子が無かった。

「既に気付いているかも知れないが」

スルトの右手に、火球が出現する。それは、紅い騎士達が主力の攻撃手段として用いてきたものと、そっくりだった。

投擲される火球を、中途で撃退する。

後ろ。

回り込んでいたスルトが、踏みつけてきた。神の速度を駆使して、飛び退くが。だが、待っていたように、爆破の魔法陣が炸裂する。

轟音と共に、フレイは地面に叩き付けられていた。

全身が、砕けるかのようだった。

「ムスペルは、全てまとめて一つ。 私は、今までお前が倒してきたムスペルの知識と情報を、ことごとく統括して、戦闘に生かしている。 お前の動きの癖、火力、攻撃のパターン、何もかもが手の内にあると知れ」

立ち上がろうとするフレイから、スルトは適切な距離を保っている。反撃に対応し、なおかつ即座に攻撃できる位置だ。

そもそも斬撃が直撃しても、ノーダメージだった相手だ。本当に、対処が出来るのだろうか。

一体どうすれば良い。

一点に攻撃を集中して、突破を狙うか。

自分の不安を、追い払う。

此処までの路を作ってくれた幾多の者達のためにも、負けるわけにはいかないのだ。

「兄様」

フレイヤが、直接精神に語りかけてくる。

この距離なら、口を開かなくても、喋ることが可能だ。

「スルトの恐ろしさは、あの強固な防御力にあると思います。 今こそ、私が温存してきた、武具を使います」

「なるほど、まだ使っていない武具なら、効果があるかも知れない」

「はい。 厳しいと思いますが、兄様はスルトの気を引いてください」

「任せておけ」

どのみち、もう負けるわけにはいかない戦いだ。

ゲイボルグは、この距離からでは当てる自信が無い。フレイヤの持ってきている武具がどれほどの破壊力を持つかは分からないが、使う価値は充分にある。立ち上がると、フレイは真っ向からスルトに挑む。

どのみち、フレイの体はもう保たないのだ。

絶対に、スルトだけは道連れにする。この狂った女神に汚染された破滅の巨神だけは、世界に残すわけにはいかない。

「スルト! いやヴェルザンディ!」

「何だ今更。 配下にはもはや加えてはやらぬぞ」

走り込みながら、一撃。

鎧の一点を、ひたすらに狙う。狙うは、首筋。二度、攻撃を受けて目を細めたスルトは、三撃目を手で受け止めた。

右から左に走りながら、何度も斬撃を見舞う。その殆どがかわされてしまうが、フレイにも相手の動きが少しずつ見え始めていた。

だが、分かる。

まだスルトは、まるで本気を出していない。この程度で、ヨムルンガルド以上という筈が無い。

ならば、本気を出す前に、決着を付けるのみだ。

フレイヤが氷の杖から魔弾を斉射する。スルトの鎧に撃ち当たるが、まるで傷がつかない。しかし、炎で熱した後、急激に冷やしたのだ。更に、濡れているところに、王錫から雷撃。

面倒くさくなってきたらしく、スルトが頭上に火球を出現させる。

だが、それを、フレイは読んでいた。

火球を斬って、爆破する。

スルトが残像を残して、爆発から逃れたところに。フレイヤが、回り込む。逃れようとするが、フレイが連続して斬撃を放って、退路を全て塞いだ。

フレイヤが手にしている小さな剣。

見たことが無い武具だ。

だが、とてつもない魔力を感じる。あれならば、或いは。

フレイヤが、剣を振り下ろすと同時に、極太の魔力光が複数、スルトの鎧を直撃する。今まで、どれほど攻撃を浴びても平然としていたスルトが、はじめて顔を歪ませるのが分かった。

迸る光の中、爆発が巻き起こる。

スルトは、爆発の中に消えた。吹っ飛んだ鎧の欠片が、周囲に落ちてくる。嫌みな黄金作りの鎧も、流石にこの破壊力の前には、無力であったか。

フレイヤが肩で息をついている。

魔力を消耗したのでは無いだろう。今の状況を作り出すために、かなりの無理をしていたからだ。

「すぐに距離を取れ」

「はい、兄様」

ただでさえ、装甲が弱いフレイヤが、スルトに接近戦をするのはリスクが高い。

ましてや、相手はあのスルトだ。この程度でどうにかなるとは、思えないのだ。

爆炎の中に、フレイは容赦なくトールの剛弓から矢を叩き込む。

フレイヤが、此方に逃れてくるのを守るように、二矢。三本目をつがえたとき。煙幕を突き破るようにして、スルトが姿を見せる。

黄金の鎧が、半分以上消し飛んで。

紅い騎士と同じ、おぞましい肌色が、露出していた。再生が始まっている。トールの剛弓から、矢を出会い頭に浴びせてやるが、手で掴まれる。

だが、その隙に。

フレイヤが真横から、ディースの弓から斉射を浴びせていた。

全身を魔力の矢で貫かれたスルトが、溶岩のような血をしぶかせる。

効いた。

このまま押し切る。

わずかに動きが止まったところに、斬撃を連続で叩き込む。鎧は壊せないとしても、今の一撃で壊れた箇所の肌になら、通る。

そしてわずかにでも動きが止まれば、それでいい。フレイヤが手にしている武具から、連続して魔術を叩き込み、スルトの傷を更に抉り、追い打ちを掛けていく。

「生意気なっ!」

残像を残して、スルトが左右ジグザグに動く。

そして、フレイヤの背後に。拳を振り上げた。その拳には、途方も無い熱量が収束しており、一撃を受けてしまえば、フレイヤにはひとたまりも無い。

だが、フレイも。

それにフレイヤも。

そのスルトの行動は、読んでいた。

性根が腐った相手だ。たとえ相手に此方の動きが分かっていたとしても。此方も相手の動きを読み返すのは、不可能では無い。

振り返ったフレイヤの手には、ユミルの杖。

しかも、発動準備は整っている。

目を見開いたスルトが、至近距離から、ユミルの杖からの殺戮の光を浴びて、よろめく。

其処に、フレイがゲイボルグから、全力での一撃を叩き込む。三十以上に分裂した槍の一撃が、スルトの全身を打ち据えた。

だが、さすがはムスペルの王。

それだけでは、なおも倒れない。腕を振るうだけで、狂風が巻き起こり、吹き飛ばされそうになる。

足を踏み下ろすだけで、衝撃波が此方に飛来して、爆発に巻き込まれる。

地面に再び叩き付けられる。

鎧は、とっくに限界を超えている。そろそろ壊れる。鎧が壊れたら、おそらくフレイ自身も、長くは保たないだろう。

だが、せめてスルトを倒すまでは。

フレイヤが、更に一撃、ユミルの杖から殺戮の光を叩き込む。明らかに爆発の火力が上がっているのが分かった。

「ほう……!」

スルトがむしろ、感心したような声を上げた。

嫌な予感がする。

此奴は本気を出していないだろうが、そうなる前に押し切れば良い。そう思っていたのだが。

まさか、手を抜ける理由がある、などと言うことはあるまいか。

鎧の修復が始まっているのが見えた。させない。踏み込んで、再び渾身の一撃を叩き込む。

スルトの左腕が吹っ飛んだ。

いける。もう一撃。

だが、瞬時に左腕が再生する。スルトは遊んでいる。それが分かっている。だが、冷静さを保つのに、苦労する。

再生した左腕には鎧が無い。

もう一度斬り飛ばしてやろうとしたが。剣撃は、残像を抉っていた。どちらに逃げた。上か。

上で、爆発。フレイヤが即座に追撃を仕掛け、ユミルの杖から殺戮の光を放ったのだ。分かる。フレイヤの魔力が、限界に達しようとしている。これ以上無理をすれば、全身の魔力化が始まってしまう。

爆発の煙の中、スルトは落ちてこない。

煙が晴れたとき。

その巨体には、おぞましい巨大な翼が一対、生えていた。

「神の特権は、空を舞うこと。 お前達も、鷹に変じることで出来る技だったか」

「貴様……その姿は」

「何、結論はこれだ。 私は創造神に相応しい姿とは、どのようなものか、常日頃からフリムの中で考えていた。 ユミルのように雄大であるべきか。 オーディンのように才智に長けるべきか。 いや、それらでは足りぬ。 創造神に相応しき姿とは、すなわち空を征服したもの。 翼はえし存在よ」

アスガルドの神々は、基本的に人間と同じ姿をしている。

このような異形は、いない。

むしろヴァン神族や、巨人の発想と言うべきなのだろう。他の世界では、むしろこういう人間に直接畏怖を与える姿こそ、神のとる御形なのかも知れない。

だが、フレイは認めない。

少なくとも、アスガルドで、そのような神は不要だ。今後のアスガルドでは、神々は決して傲慢に支配しない。

敬意を持って、全ての生き物と、共にあることを選ぶ。

相手をひれ伏せさせることを、神として求めることは無い。ただ、神々は人々の側にあることだけを選び、搾取も殺戮もしない。

「フレイヤ、私はあのような姿は認められぬ。 お前はどう思う」

「私も、兄様と同意見です。 あれは、おそらく、支配に向いた形でしょう。 我々は、オーディン様と同じ過ちは繰り返しません。 オーディン様も、もう一度機会があったら、きっと兄様の意見を受け入れられると思います」

「ふむ、支配者たる高貴なる姿を受け入れられぬか。 所詮は民草に毒されし、泥にまみれた神々よ」

それで良いと、フレイは弓を引き絞る。

拡散型の弓だ。トールの剛弓は今、引いている暇が無い。

矢を無数に放つ。

スルトは恐ろしい速さで動き回る。神の矢でさえ、追いつけない。翼を動かしているのでは無い。あの翼は、おそらく魔力を制御するための一種の装置であって、羽ばたいて飛ぶためのものではないということだ。

炎の杖で、フレイヤが弾幕を張る。

スルトは爆圧をものともせず、高笑いしながら飛び回っていた。やはり、あの翼は、飛行を直接行うための器官では無い。

「ハハハハハハ! それが攻撃か!」

急降下してくるスルトが、薙ぎ払うようにして、膨大な数の火球を叩き込んでくる。

まずい。

これは手の打ちようが無い。

元々フレイとフレイヤは、ワルキューレのように空を飛ぶことが出来ない。神の中には、空を飛べないものがかなりの数いる。だから、鷹などに変じて空を飛ぶことが、一般的なたしなみとして普及していたのだ。フレイも、フレイヤと一緒に、イズンに鷹に変じる術を習った。

「空を自由に舞うことは、生物の願望! だが鳥は、空を舞うために、体に大きな無理をさせている! このように、自由自在に空を舞うための翼を得ることは、それすなわちが、生物としての究極型! すなわち最高神としての姿である!」

辺りに、また爆撃してくるスルト。

あの長広舌を切り落としてやりたい。フレイは矢を連射するが、当たったところで落ちてこない。滅多に当たりさえしない。

残像を残して飛び回るほどの存在だ。

神の矢の速度も、それこそ隼を射落とせるほどのものなのだが。それにしても、まず当たらない。

一体どれだけの速度で、スルトは飛んでいるのか。

フレイヤが呼吸を整えている。

魔力を使いすぎたのだ。このままでは、打つ手が無い。ゲイボルグの槍から放つ刺突には、追撃する機能もついているのだが、あの速度では当たるかどうか。その上、フレイもフレイヤも、万全にはほど遠い状況なのだ。

また、スルトが旋回して、此方に来る。

両手に巨大な火球をそれぞれ出現させている。あれを直撃させられたら、まず助からないだろう。

しかも、かなり上空から、スルトは火球を連射してきた。

矢を放って中途で叩き落としていくが、全ては無理だ。幾つかが、周囲で爆裂する。フレイヤが、逃れられない。

兄様。

フレイヤが、叫ぶのが聞こえた。

フレイの方にも、飛んでくる。

「ヒャハハハハハ! 仲良く兄妹で死ぬとよい!」

横殴りに飛んできた光。

それが、火球を全て撃墜する。

それだけではない。スルトも滅多打ちに打ち据えて、地面に叩き落とした。流石に唖然としたスルトが、立ち上がろうとする。

其処に、間髪入れずに躍りかかったフレイが、大上段から一撃を叩き込んだ。再生しきっていない黄金の鎧を砕き、剣がスルトの体に食い込む。

力が、沸いてくる。

フレイヤも、同じようだ。

フレイが滅多切りにしているスルトに、横からユミルの杖で何度も爆破を叩き込む。その度にスルトがおぞましい絶叫を上げた。手足が消し飛ぶ。再生する端から。そして、全く相手に回復の暇を与えず、フレイが敵の体を、切り刻んでいった。

首筋にも、刃が食い込む。

兜が吹っ飛び、フリムそっくりな顔が現れる。いや、この顔は。ひょっとすると、ニーズヘッグにも近いかも知れない。目の雰囲気が似ている。

そうか。

ヴェルザンディが取り込んできた強者の、力をそのまま形にしているのか。

「まだ雑魚がうようよしておったか……!」

「雑魚などでは無い!」

今の光。

エインヘリアルの槍からの光に、よく似ていた。

数百の影が、此方に来る。

皆、うっすらと発光していた。そして、フレイとフレイヤの力が、見る間に滾るようにして、回復していく。

これは、冥界からの力か。

「フレイよ」

「師よ!」

思わず、フレイは叫んでいた。

この声は。異世界に去ったテュールのものだ。だが、冥界から力が来ていると言うことは。

そうか、憔悴しきっていたテュールは、あのまま命を落としたのか。

「私の神としての力、全てお前に託そう。 今のお前は、私と並び、越えた。 力を全て渡す。 この世界の未来を、頼むぞ」

「おう、俺の力も、送っておく!」

今度は、トールか。

トールは相変わらず、豪放に笑っていた。冥界に落ちて、苦悩した様子はない。フレイヤの魔力も、とっくに全開状態を越えて、限界を上回るほどに増えている。これは、二柱とも、力の上限が遙か高みまで伸びた、という事か。

「トール殿。 貴方も、力を貸してくださるのか」

「おうよ。 俺は結局、人間を誰も救えなかった。 この世界も、壊させるままにしちまった。 最強の雷神が聞いて呆れるよな」

それは、私も同じ。

フレイが言おうとするが、しかしトールが遮る。

「お前は、まだこれから先がある。 この世界を、滅ぼさせるな。 そのいかれた管理システムなんかに、好きなようにさせるなよ」

「分かって、おります!」

力が、みなぎってくる。

そして、今度は。

オーディンの声も聞こえてきた。

「若き神々よ。 アスガルドの神々から、力を送り。 そして、増援も送ろう」

思わず、手が止まってしまった。

此方に歩いてきているのは。

エインヘリアルとなった、英雄達。

レギンがいる。ヴェルンドも。ハーゲンもグンターも。

そして、その先頭にいるのは、シグムンド。

彼らの手には、光り輝く、生前と同じ武具。そうか、武具までもが、エインヘリアル化したときに神の領域に達したのか。

「これが精一杯の助力だ。 必ずや勝て。 そして、余と同じ間違いを、決して繰り返すでないぞ」

「は……っ!」

思わず胸に拳をあてて、フレイはこたえていた。

死した英雄達だけでは無い。

ラーンもアルヴィルダも、ヘルギもいる。

皆、おそらくこの驚天の術を使うために、人の命を終えてしまったのだろう。生き延びた兵士達は、半エインヘリアルとでもいうべき、特殊な状態になっている様子だ。いや、あれはむしろ、ワルキューレ達と同じ、半神に近い。

そうか、ワルキューレだ。

アネットとサーニャもいる。

彼女らの術式で、冥界に直接回線をつないだのだ。そして、フレイとフレイヤに、力を送り届けてくれた。

フレイの中から、死の気配が消えている。

師やトールが、力を分け与えてくれたからだ。

フレイヤはユミルの杖を握ったまま、今までに無い強い魔力を全身から放っている。これは、オーディンの魔力を受け継いだ状態だから、成し遂げることが出来た事なのだろう。

勝てる。

「ふん……死に損ないがどれだけ群れようと、私に勝てると思うたか!」

スルトが舞い上がる。

その全身は、既にずたずた。頭もフレイが何度も斬り付けて、半壊している状態だ。手足も半ばから切り落とされて、自慢の翼も焼き払われるようにして、無くなっていた。だが、スルトはなおも不敵に笑う。

この状態でなお、展開できる切り札があると言うのか。

スルトの全身が、ふくれあがる。

黄金の鎧がパージされて、吹き飛んだ。内部から、肉塊が溢れるようにして、形を変えていく。

シグムンドが、隣に来た。

「最後の最後だ。 あまり長くはいられないが、助力に来た」

「助かる。 だが……」

「誰一人守れなかった、などと言うな。 最後まで、戦士であれ。 それこそが、お前がするべき事だ」

その場の全員が、頷く。

スルトが凶咆を上げながら、見る間に巨大化していく。神に相応しい姿だとほざいていた、あの翼つきの人型を捨て。その体は、ヨムルンガルドに勝るとも劣らないほどに、巨大に、醜悪に、変化していく。

だが、この場の誰もが、その恐ろしい変化を。無言で見つめている。

「あのような醜き者を、新しい世界の支配者にさせてなるものか」

フレイが音頭を取ると、全員が雄叫びを上げた。

ほどなく。

まるで巨大な傘のような化け物が、その姿を現していた。

傘の下四隅からは、四本の巨大な槍がぶら下がっている。中央部分には、巨大な柱。合計五本の柱をぶら下げたその全身は、さながら熱の塊。

これこそが、スルトの真の姿か。

「最終攻撃形態起動。 どうやら私も、お前達を本気でブチ殺さなければならないようですねえ。 此処からは遊びは終わりだ。 何もかもを滅ぼす、ムスペルの最終要塞にして究極決戦兵器であるこの姿でお相手させていただこう。 スルト=ヴェルザンディ、全力にて参る!」

世界を滅ぼす者が。

その全ての能力を、今此処に、解放していた。

 

2、溶けゆく世界の戦い

 

轟音と共に、火球が降り注ぐ。

この場の全てが、既に人ならぬ者か、神か、それに近い存在だ。だがその力をもってしても、この巨大すぎる破滅の神には、及ばないように思えた。

当然だろう。

この存在は、破壊と再生を司る者。

三悪魔の中でも最強の存在。

神々が封印してきた、「破滅」そのものなのだ。そして破滅の先には、未来がある。だが、その未来を歪めるこのスルトだけは、必ず滅ぼさなければならない。破滅を斃す事が如何に困難かは分かっている。

だが、戦場で共に戦っている皆は、誰も怖れていない。

剣から光が放たれる。

槍から光が出て、敵を貫く。

巨体のスルトの槍からは、際限なく火球がばらまかれ続けていた。しかも、それだけではない。

中央にある柱のような部分からは、次々とムスペル眷属が出現している。

爆破が凄まじく、周囲が見えないほどだ。シグムンドが、声を張り上げた。

「俺たちは、邪魔っ気な雑魚を潰す!」

「任せる。 良いだろうか」

「いつものことだ。 しかも今の俺たちは、ひと味違うぞ」

シグムンドが人間離れした跳躍を見せると、親指型の眷属を一刀両断して見せた。ヘルギがそのすぐ側で、大剣を一振りして、数体の人形型を、まとめて輪切りにする。

ラーンが放った矢は、数個に分裂し、敵を追尾しながら直撃、爆散させる。

フレイは頷く。

「フレイヤ、左側は任せる。 私は右側にある二つを叩く」

「分かりました。 兄様、お願いします」

飛び離れる二柱。

フレイヤにはサーニャが、フレイにはアネットがついてくる。そして、人間の戦士達は散開し、アルヴィルダとグンターの指揮で、敵の軍勢を迎撃して廻っていた。エインヘリアル化した人間達はせいぜい数百。それに対し、際限なく降下しているムスペル眷属だが。今の戦士達は、それでも充分に、互角以上の勝負をしていた。

火球が飛んでくる。

割って入ったハーゲンが、余裕を持ってはじき返した。

頷くと、フレイは跳躍し、柱に師の剣をふるって、斬り付ける。ぎいんと、凄い音がした。

その柱は、大巨神の八倍以上はある。とんでも無く巨大で、素材も硬い。

だが、フレイの一撃は、確実に通った。

二度、三度と容赦なく斬り付ける。柱から生み出される火球に吹き飛ばされるが、すぐに立ち上がる。

迫るムスペル眷属は、全て戦士達と、アネットが引き受けてくれた。

アネットは、かなり強い光を纏っている。きっと、オーディン達が送ってくれた力の余波を、身に取り込んだのだろう。

一閃ごとに、数体のムスペル眷属が切り裂かれる。アネットの剣の腕は、既にフレイに並んでいた。

手応えがある。

大きなひびが入った。スルトが、怒りの雄叫びを上げる。

打ち上げられた何かが、落ちてくる。

稲妻か。

辺りを爆砕する、青白い光の殺戮。誰かが吹き飛ばされ、地面に叩き付けられる。だが、立ち上がってくる。

「まだ、時間はあるっ!」

エインヘリアルとして、増援で来てくれた戦士だ。おそらく、北ミズガルドの民だろう。軽装だが、その弓の腕は凄まじく、先ほどから一発も誤射を出していない。走りながら、瞬く間に二体のムスペル眷属を叩き落としてみせる。

稲妻まで降り注ぐ中、フレイは走る。

何度も吹き飛ばされるが、耐え抜く。

皆が戦ってくれている中、神だけがのうのうとしていられるか。本来、神は民を導くものだ。

急降下しながら、アネットが数体をまとめて斬り伏せた。

爆発の中、フレイは至近距離で、ゲイボルグを全力斉射する。柱に入った罅が、確実に大きくなっていく。

柱の周囲に、火球。

だが、それを待っていた者がいる。

ヴェルンドだ。

「離れろ!」

ヴェルンドが放った矢が、火球全てを、次々貫き、爆散させた。威力が著しく強化されているエインヘリアルの矢だ。火球は通常以上の凄まじい破壊を周囲にまき散らし、柱の罅を更に大きくする。

好機。

アネットが此方の状況を見て、もう二本ある柱の一本を抑えに向かう。

柱の周囲にはムスペル眷属が多数屯して、此方に遠距離での爆撃を仕掛けてきている。このままでは消耗戦だ。少しでも敵を殲滅する速度を上げないと、如何に今の状態でも、いずれ押し負ける。

気迫と共に、フレイは剣を振り下ろした。

柱に入った罅が、上から下まで、一気に貫通する。柱が紅い光を放ちながら、崩れはじめる。

そして、震えるように揺れると。

爆発四散した。

スルトの巨体が、明らかに揺らぐ。これは間違いなく好機だ。

だが、スルトの上部に、無数の穴が開いた。

「掃射ミサイル発射」

無数の、炎を噴く矢が飛んでくる。それは正確に此方を追尾し、次々に炸裂し、爆裂する。

フレイも数発を浴びて、吹っ飛ばされる。

立ち上がり、矢を放ちながら、走る。アルヴィルダが、指揮をしているのが見えた。

「ミサイルだか何だか知らぬが、今は多少なら充分に耐え抜ける! それよりも、出てくる穴を撃ち抜け!」

「任せてください!」

ラーンが弓を引き絞り、そして数本同時に放つ。

穴から顔を出した掃射ミサイルが、即座に貫通され、爆発。その周囲の穴ごと、吹き飛ばしていた。

喚声が上がる。

そして、皆が、ラーンに習い始めた。

スルトはとてつもなく巨大だ。一つや二つ、穴を潰しても埒があかない。しかし、この形態になってから、スルトは再生していないのだ。更に言えば、今此処にいる戦士達は、神々の全力支援を受けて、凄まじい技量を身につけた。その上、神々の武具並みの装備を纏っている。それは、大きい。

勿論ムスペル眷属は、この時も沸き続けている。だが、それは逆にいえば、スルトが血肉を削っていると同じ事。

如何に奴が桁違いの怪物であっても、その能力は有限。あのユミルでさえ、全盛期の時に、だまし討ちとは言え殺されたのだ。スルトが絶対的な存在であるわけもない。ましてや、このスルトは機械。ヴェルザンディという狂った管理システムに支配された、哀れな道具に過ぎないのだから。

アネットが飛び回り、ムスペルの眷属を片っ端から処理してくれている。今のアネットなら、紅い騎士と単独で戦っても勝てるかも知れない。

人間の戦士達も、接近戦が得意なものは、奮戦していた。

特にレギンの活躍は凄まじい。

斧を振るう度、その容赦の無い一撃が、ムスペルの眷属達を消し飛ばす。配下だったらしい狂戦士も、何名かエインヘリアル化して来てくれていた。

「今だ、抜けろ!」

フレイが走る先にいた眷属を、レギン達が蹴散らしてくれる。フレイは感謝しながら、その場を抜ける。

シグムンドが走りながらついてくる。直衛をしてくれるのか。

「俺は、お前に感謝している」

「何故だ。 私は……」

「お前が来てくれなければ、北ミズガルドは巨神どもになすすべもなく蹂躙されてしまっただろう。 だが、お前が来てくれたから、我々はラグナロクの時を精一杯戦って、生き抜くことが出来た。 その末で死んだことに、悔いなど無いさ」

シグムンドが立て続けに、ミサイルの発射口を撃ち抜いた。

流石だ。二本目の槍が見えてきた。フレイヤも奮戦しているようだ。このまま、スルトの抵抗能力を、奪い去ってやる。

だが、レギン達の奮戦を嘲笑うような物量を、敵は投入してくる。

数百体のムスペル眷属が、不意に塊になって襲いかかってきた。柱のすぐ側まで来て、それで、だ。アネットも上空で、追尾ミサイルの群れとムスペル眷属の大軍に纏わり付かれている。

だが、此処でも、戦士達は諦めない。敵に立ちはだかったのは、グンターと、親衛隊らしい戦士達。あの若い戦士、アンリもその中にいた。

冷静な観察眼で、敵の動きを見ていたのだろう。そうでなければ、此処まで完璧なタイミングで、介入できない。

「此処は余が支える。 神よ、スルトの柱をへし折ってしまえ」

「すまん、任せる」

「何、恨んでなどいない。 おそらくはシグムンドが既に告げているだろうが、冥界で同じ話をした。 シグムンドと、余の想いは同じだ。 フレイヤ神と貴殿が来てくれなければ、ブルグンドも手も足も出ずに、巨神によって蹂躙されてしまっただろうからな。 感謝している。 戦う路をくれたことを」

背中は、任せられる。

周囲から飛んでくるムスペル眷属は、シグムンドが引き受けてくれる。

だが、スルトは次々に新しい兵器を繰り出してくる。

激しい戦いは、過酷さを増すばかりだ。

 

フレイヤの前で、スルトの柱が轟音と共に燃え落ちていく。

ユミルの杖から浴びせかけた爆撃の光が、容赦なく打ち砕いたのだ。

魔力はまだ余裕がある。体の奥底からわき上がってくるようだ。オーディンの魔力と、イズンの魔力と、それにブリュンヒルデの力も。

多くの神々の、最後に残った力が、フレイヤを立ち上がらせてくれる。フレイヤの奥底から、力を引き出している。

勿論、無傷では戦えない。

至近で何度もミサイルが爆裂し、火球に吹き飛ばされる。だが、その度に、サーニャがいやしてくれた。

サーニャの回復力は、凄まじい。

イズンよりも上では無いかとさえ思わせる。周囲一体が、サーニャから放たれる光で守られているかのようだ。その内側にいる戦士達は、何度倒されようと立ち上がり、スルトへ矢を放って、兵器や武装を削り取っていく。

「急いでください。 時間は有限です」

「分かっています」

フレイヤは走る。

サーニャ自身も、戦いを怖れている様子が無い。敵の数は圧倒的だが、それでも、だ。あの臆病だったワルキューレが、どうしたのだろう。

だが、今はそれが、有り難い。

スルトの巨体は、ヨムルンガルド以上だろうか。とにかく円状の体の直径は、三千歩四方は軽くある。

柱から飛んでくる火球を、氷の杖から放つ魔弾で撃墜しながら、フレイヤは周囲にも気を配る。

如何に冥界から舞い戻ってきた戦士達とは言え、無敵では無い。長時間だらだら戦っていれば、いずれ肉体を失い、冥界にまた戻ってしまうことになるだろう。それはフレイヤも同じ。

如何に力がわき上がってくるとはいっても、いつまでもだらだら戦ってはいられない。可能な限り迅速に、スルトを倒さなければならない。

「何故確定した滅びを拒絶する」

頭の中に、声が響いてくる。

ヴェルザンディの狂気に満ちた声では無い。もっと機械的で、荘厳でさえある声だ。おそらくこれが、スルトの素の声なのか。

スルト自体は、機械そのもの。

それは、この形態をみればよく分かる。邪悪でも残虐でも無い。ただユミルの作り上げたシステムのままに、世界を壊して再構成する。それだけが、スルトの為すべき事であり、憎悪するべき存在では無い。

生物の体内にも、似たような仕組みがある。

「私を壊したところで、この世界は既に滅亡が確定している。 どのみち再構成はしなければならない」

「そうかも知れませんね。 しかし、あらがわせていただきます。 滅びと再生の存在、スルト」

「理解できぬ」

中央部分にある柱から、極太の光が迸り、周囲を容赦なく蹂躙する。

残っている数少ない地面が、砕かれる。地盤ごと。

そして砕かれた地面は、そのまま虚無へと変じていく。もはや抵抗する存在を無視して、直接世界を滅ぼしに懸かろうというのか。

させはしない。

柱の下につく。火球を乱射している柱に、ユミルの杖から爆撃を浴びせかける。

兄たちも、残る一本の柱に集中攻撃を浴びせており、間もなく壊せるはずだ。破壊したら、最後はあの中央部分の、巨大な柱。

あれこそ、スルトの弱点に違いない。

非常にわかりやすいが、それ故に守備も鉄壁。無数のミサイル発射口が上部に据え付けられている上、ムスペル眷属が次々に姿を現し、護衛のために二重三重の防壁を展開している。

敵の数は圧倒的だ。

それだけではない。スルト単独で、これだけの力を発揮するとは。

一刻も早く、柱を破壊しなければならない。

しかしどうしてだろう。心の方は、水面のように静かだった。心を乱しがちだったフレイヤは、もういないように、自分でも思える。

魔光の宝剣に、力をため込んでおく。

今なら、ユミルの杖から爆撃を行いつつ、それが出来る。もう一撃、魔光の宝剣から全力での攻撃を叩き込めば、スルトの中枢に致命打を浴びせられるはずだ。あの巨体も、中枢を叩いてしまえば。

兄が、攻撃していた柱を砕くのが見えた。

シグムンドも助力しているのだから、当然か。

フレイの至近。

人形型が数体、迫っていた。ヘルギとヴェルンドが防衛線を作ってくれていたのだが、それをかいくぐった奴がいたのだ。

繰り出される拳。

だが、巨大な盾をかざして、攻撃を軽々とはじき返した者がいる。

ハーゲンだった。

「ご無事ですか、女神よ」

「ハーゲン、守りを頼みます」

「分かりました。 お任せを」

心強い。

元々ハーゲンは、生前超一流の武人だった。渡しておいた神の武具である盾を手に、著しい活躍をしてくれた。

エインヘリアル化した今、その武芸は掛け値無しに神域に達している。

盾の力だけでは無い。フレイヤの周囲を、文字通りの鉄壁として、守り抜いてくれていた。

周囲の掃討は、ヘルギとヴェルンドがやってくれているからこそ、その守りも生きてくる。

フレイヤは、心強いと思った。

兄に続いて、フレイヤが放つユミルの杖からの爆撃が、スルトの四本あった隅の柱の、最後の一つを打ち砕く。

罅が全体に走り行き、柱が炎を噴き上げながら轟沈していった。

スルトの金切り声が聞こえた。

だが、どうしてだろう。

まだ、余裕があるように思えるのだ。スルトは、まだ何か、強力な隠し球をもっているのかも知れない。

可能性は高い。これほどの力を持つ存在だ。世界そのものの滅びを司るほどの神である。何が出来ても、不思議では無い。

既に兄は、スルトの中枢に迫っている。

フレイヤは周囲から、それをサポートした方が良いだろう。よくしたもので、アルヴィルダもグンターも、スルトのミサイル発射口を叩き、ムスペル眷属を削るように指揮をしているようだ。

フレイヤはディースの弓を引き絞り、ムスペル眷属を根こそぎ撃破しにかかる。

放たれる光の矢が、兄を迎撃しようとするムスペル眷属を、片端から撃ち抜いた。今の魔力なら、連射が可能である。見る間に砕かれていく敵の堅陣。そこに、この戦いにはせ参じてくれた勇者達が、襲いかかって傷を広げる。

フレイが突入。

一気にスルトの中枢へ到達した。

「兄様、今です。 周囲は掃討します」

「うむ。 任せろ」

兄が取り出したのは、大槌だ。

跳躍した兄が、渾身の一撃を叩き込む。

周囲四隅の柱よりも、倍は大きいスルト中枢の柱だが、流石に今の兄の、しかも大槌の一撃を受けてしまうと、無事ではすまない。

ひびが入るのが見えた。

勇者達が歓声を上げる。

だが、まだ戦況は、予断を許さない。スルトはまだ余裕を見せている。操作しているのがヴェルザンディである事を考えれば、大きな切り札を隠している可能性が高いという結論に達する。

あの黄金の騎士形態など、スルトにとっては力のほんの一部。

文字通り、遊んでいるに過ぎなかったのだろう。むしろ、このタフな形態で、此方の手の内を全て見切ろうとさえしているのかも知れない。

或いは、それは過大評価である可能性も、捨てきれない。

もう一撃、フレイが大上段から大槌を、中央の柱に叩き込む。ぐわんと、凄い音がした。衝撃がフレイの手に走ったのが、フレイヤからも見えた。文字通り、はじき返されたという感触だ。

「何っ……!」

「その槌の解析は完了した。 もはや何度叩こうと通用せぬ」

「……っ!」

兄が、流石に絶句する。

相手の武具に対する完全解析。その結果の、無効化。

今フレイが振るっている槌は、神々が鍛えたものだ。ただの重い鉄塊などではない。その破壊力は、文字通り城壁を砕くほどで、単純な衝撃だけでも相当になるはず。実際、一撃目では、大きな罅をスルトの柱に入れたのだ。

ユミルの杖から光を叩き込もうかと思ったが、躊躇した。虚空から、無数のムスペル眷属が舞い降りてくるのが見えたからだ。

数が一気に増えた気がする。

冥界から来てくれた戦士達も、凄まじい物量に、徐々に押されはじめた。

周囲を掃射しながら、フレイヤは気付く。

いつの間にか、形勢が逆転している。今までは押しに押していたが、不意にスルトが盛り返しはじめていた。

 

シグムンドが立て続けに矢を放ち、数体のムスペル眷属を撃墜する。

フレイの側で戦っている人界の勇者は、死してなお、生前を凌ぐ技を見せていた。冥界で研鑽したとは思えない。神々のバックアップがあってこそのことだろう。だが、それでも。シグムンドは力を使う事を惜しんでいない。

槌は駄目だと、フレイは悟る。

しかし、テュールの剣も、通じるか分からない。師の剣が通じなくなったら、もはやスルトに効くと思われる武具は、ゲイボルグくらいしかない。そしてゲイボルグさえ通じなくなったら。

「慌てるな、フレイ」

「そう、だな」

シグムンドが、周囲の敵を片付けてくれている。

焦るな。時間は有限だが、考える事は出来る。考えなくなれば、ただがむしゃらに武器を振るうだけ。

テュールが側で戦ってくれているようで、安心できる。

いや、実際そうなのかも知れない。シグムンドは、神々の助力を得て、今一度此処で戦ってくれているのだから。

何故通じないのかを、解析した方が有益だ。そうフレイは判断。如何に凶悪な術の使い手といえど、単純な物理衝撃を無力化するのは簡単では無い。空間を操作でもしているのか、或いは衝撃を吸収しているのか。

もう一度、違う振り方で、槌を叩き込む。

やはりはじき返された。傷一つつかない。

同じ場所にもう一撃。駄目か。色々力加減などを調整してみたのだが、どうしても通る気配が無い。

しかし、妙なことにも気付く。

攻撃を弾いた瞬間、スルトの柱全体が、揺らいだように見えたのだ。

「フレイヤ、気付いたか」

「兄様、或いは柱そのものが振動することで、槌の衝撃を拡散しているのかも知れません」

「やはりそうか。 もしも振動を操作しているのだとすれば……」

シグムンドが、側で敵を斬り伏せている。

頼んだのは、一つだけ。シグムンドは怪訝そうに頷いたが、落ちている剣を飛びつくようにして拾った。ヴィーグリーズ平原では、延々と戦いが続いていたのだ。剣くらい、いくらでも落ちている。

フレイはテュールの剣に持ち替えると、周囲に群がるムスペル眷属を、片端から叩き落としはじめた。

代わりにシグムンドが、柱に特攻する。

そして、フレイが作った罅に、剣を叩き込んだのである。

あまりにも巨大な、先端部分が少し地面から浮いている柱。其処に、剣は柄まで完全に潜り込んだ。

だが、中央の柱は、あまりにも巨大。

シグムンドが差し込んだ剣は達人の技で傷口に潜り込んだが、棘が刺さったほどにも効いていないだろう。

しかし、異物が中に入っている。

それこそに、意味がある。

「シグムンド、代わってくれ」

「ああ」

シグムンドは、疑問を口にしない。

理解してくれたのだろう。今の行動に、大きな意味が合った事を。再び大槌に持ち替えたフレイが、全力で一撃を叩き込む。

柱は再び、大槌の攻撃を、振動することで防ごうとした。

だが。

その瞬間、シグムンドが刺した剣から、一気に罅が拡大したのである。

シグムンドも驚いていたが。フレイもそれ以上に驚いた。まさか、此処まで激烈な効果があるとは思わなかったのだ。

柱全体の振動を使って衝撃を殺しているのなら、異物が入り込めば逆に被害が拡大することは、予想は出来ていた。

だが、まさかこれほどとは。

シグムンドが、立て続けに矢を柱に叩き込む。どれも実体のある矢だ。突き刺さった矢はさほど大きくない。

だが、フレイが大槌を叩き込むと、それらは破壊のナイフとなって、柱の罅を目に見えて拡大した。

スルトが咆哮する。

これは、はじめて有効打が通ったかも知れない。

だが、スルトの攻撃は、今だ苛烈。全く予断を許さない状態だ。支援に来てくれている戦士達も、いつまでも保たないだろう。敵の物量は、何しろ圧倒的だからだ。

数百を超えるムスペル眷属が、一度に襲いかかってくる。

フレイが斬る速度が、追いつかない。

其処に飛び込んできたのは、レギンだった。

「何だ、情けねえ。 押されてるじゃねえか」

「すまん、レギン。 力を貸して欲しい」

「お……」

レギンが、嬉しそうに目を細めた。フレイが此処まで露骨に助力を願ったのは、初めてだった、からかも知れない。

いずれにしても、レギンは雄叫びを上げると、手当たり次第に敵を倒しはじめた。遅れて乱入してきた狂戦士のエインヘリアル達も、辺り構わず暴れまくり、敵を片っ端から潰して行く。

フレイの周囲に、わずかながら生存空間が出来た。

そこへ、フレイヤが炎の杖から爆撃を連続して浴びせ、更に敵の数を削り取る。此処が、勝機。

フレイヤは再び槌に持ち替える。

スルトはうめき声のような音を、ずっと立て続けている。明らかに弱点である中央の柱に、痛打を浴びせられ続けているのだから当然だ。

辺りがいきなり爆破されたのが分かった。

頭上。スルトの傘の下から、殺戮の光が無差別に放たれたのだ。ムスペル眷属も多数巻き込まれたが、もうなりふりは構っていられない、という事なのだろう。

フレイも吹っ飛ばされ、地面に叩き付けられる。

だが、まだまだ行ける。

それに、今の一撃で、ムスペル眷属もかなり減った。むしろ、敵は自分で自分を追い込んだのだ。

立ち上がったフレイは、槌を構えて突進。

進路を塞ごうとした数体のムスペル眷属を、横殴りに飛来した矢が貫き、爆散させる。今の爆破の中、同じように立ち上がったシグムンドからの斉射だ。爆発を突き抜け、フレイは加速。

一気に柱との距離をゼロにした。

「その攻撃は、既に通じぬと……」

「いや、通じる」

至近でフレイはステップターンすると、回転の遠心力を槌に乗せる。

そして、加速を最大限まで高め、横殴りの一撃を、柱に叩き込む。それは奇しくも、シグムンドが撃ち込んだ剣を、釘のようにして、更に柱の奥に突き刺す結果を生んだ。

ゆえに。柱は、その振動による自壊を、更に内部深くから発生させることとなったのだろう。

柱の罅が、更に大きくなっていく。

スルトが、金切り声のような音を立てた。これは、効いている。

明らかに、周囲に降り注ぐミサイルや、破壊の光も弱まってきている。このまま押し切る。

フレイは柱の罅を蹴って高々と舞い上がる。

一番大きな罅が見えた。中に大巨神が丸ごとは入れるほどの大きさだ。

「フレイヤ、あの罅に、今からゲイボルグの一撃を叩き込む。 反対側から、最大威力で、ユミルの杖からの爆撃を頼むぞ」

「分かりました、兄様」

フレイヤだったら、必ず完璧にタイミングを合わせてくれる。

ましてや、いまのフレイとフレイヤの技量であれば。力を合わせれば、どんな無理だって、通るはずだ。

殺到しようとするムスペル眷属を、人間の戦士達が全て叩き落としてくれる。

路は出来た。

ゲイボルグに持ち替えたフレイが、一番大きな柱の罅に、渾身の一撃。数十に分裂した神の槍が、ことごとく柱に生じた罅を穿ち、抉り、砕く。そして、その衝撃を殺そうとする柱に、反対側から、フレイヤの放った極大威力の爆発が炸裂した。

柱が、揺れる。

木どころか、丘ほどもある巨大な柱が。

罅が凄まじい勢いで上下に走り、大量の紅い液体が噴き出した。きっとあれは、ムスペル眷属の、形になる前の姿。

スルトが苦痛の声を上げるのが分かった。

もう一撃。

フレイが今度はテュールの剣に持ち替えて、袈裟の斬を叩き込む。罅を更に深く抉られたスルトの中枢は、洪水のように、大量の紅い液体をばらまき続けた。

着地。

フレイは呼吸を整えながら、更に大槌を構える。

あの柱が、スルトの中枢ならば。

今のが、確実な致命傷となった筈。膨大な紅い液体が降り注ぎ続けた地面は、溶けるようにして消えていく。

地盤まで砕かれたアスガルドは、もはや一個の大きな岩に過ぎなくなりつつあるのに。更にその岩が、どんどん削られていく。

死に瀕してなお、スルトは世界そのものを、滅ぼそうというのか。

いや、違う。

「どうやら、お前達をまだ見くびっていたようだな……。 手を抜いていたつもりはないのだが、もはや手段を選んではいられないようだ」

ヴェルザンディの声だ。

愉悦を多々含んだ声には、おぞましい余裕がまだまだ含まれている。やはりまだ切り札を隠し持っていたか。

中枢の柱は崩れ落ちているのに。スルト本体は、まだ壊れる様子が無い。一体この状態から、何をするつもりなのか。

完全に壊れた柱が、崩落する。

いや、違った。何かに押しのけられて、柱そのものが、はじき出されたのだ。これは、新しい柱か。

より強固な装甲に覆われた、一回り小さい柱。

スルトの本体そのものも、昆虫が脱皮するかのように、外側の部分が崩れ落ちていく。此処まで戦い抜いてきた戦士達が、どよめきの声を上げる。

新しく、四隅にまた攻撃用の柱らしきものが生えてくる。形状は、最初とあまり変わりが無い。

だが、その形態は、更に禍々しく、おぞましい。

感じる力も、段違いに大きかった。

まだ力が上がるというのか。世界の破滅と創造を司る神だけの事はある。機械仕掛けの神であっても、その戦闘能力は、文字通り最強という訳か。ヴェルザンディが自信満々だったわけである。これほどの切り札を隠し持っているのであれば、あの余裕も当然だと言えた。

しかしながら、希望はある。

フレイは、何となく感じ取ることが出来た。スルトの最終形態こそが、この姿であると。つまり、これ以上の変形は出来ない。

「まさか此処まで追い詰められるとは思わなかったわ。 だが、これで正真正銘の最後の時が来たれり! 残ったアスガルドの残骸もろとも、貴様ら全て消し飛ばしてくれようぞ!」

スルトの四隅の柱から、まるで隕石のように、多数の火球が周囲に降り注いだ。

同時に、スルトの上部から、おぞましきミサイルが降り注ぐ。しかもその数は、先の比では無い。

中央の柱に、フレイヤがユミルの杖から、爆撃を叩き込む。

しかし、フレイは唖然とさせられる。

まるで効いていない。

柱を覆っている装甲は、フレイヤの今の魔力でも、傷一つついていない。この装甲に、そのような攻撃が通じるものか。

ヴェルザンディが、そう高笑いしているのが聞こえた。

この場に集った勇者達も、怒濤のスルトの猛攻には、もはやなすすべが無いようにさえ思えた。

最強最悪の神の、惜しみなき力の猛攻は。

しかしながら、一人の人間の心だけは、砕く事が出来なかった。

「怖れるな! 最後まで戦士でいろ! この場にいる者達は、どのような化け物が相手でも、戦い抜いた勇者だ! 戦士の中の戦士しか此処にはいない! それを誇りに、立ち向かえ!」

シグムンドが吼える。

その怒りの雄叫びが。周囲に、さざ波のように広がっていった。フレイにも、フレイヤにも、その勇気が伝わる。

今こそ、最後の力を、結集するとき。

そしてその力を、フレイが導くときだ。この破滅の権化を相手にして、最後まで戦い抜こうとしているのは人間だ。

神々が、それを導かないでどうする。

フレイは誰一人守れなかった。

だが、人間達は、それを恨んでいないという。何故か。それは、フレイが、彼らの先頭に立ち、自ら傷つくことを厭わずに、導こうとし続けたからだ。

ならば、このからだが砕けようと。

最後まで、人間達を導くのみ。本来の人間とは、違うかも知れない。生物兵器として調整されたミズガルドの人間達は、元とは闘争心も戦闘力も、全く違う存在だ。おそらくは倫理観念も、本来持つべきだったものとは、根源から違っているだろう。

「まずはあの四隅の柱から、再び砕くぞ。 私に続け。 全員で集中攻撃を仕掛け、一つずつ打ち砕く!」

「よう言った! 総員、隊形を密集! 神を守れ! なんとしても、あの化け物の攻撃を、神には通すな!」

アルヴィルダが激励する。

グンターも、麾下の戦士達に、指示を出してくれる。

「密集隊形だ。 ムスペル眷属共を、絶対に近づけるな!」

本当の意味で、最後の戦いが。

此処から、始まる。

 

3、終わりの時

 

冥界で、イズンはスルトの解析を続けていた。オーディンの助力を受けて、一体かの存在がどうやって構成されたのかを、調べ続けていたのである。

冥界では、著しく気力が削がれる。

生きる意欲も、何かを為そうとする心も。存在するだけで、弱まっていく。途中で投げだそうと、何度もイズンは思ってしまった。

だが、フレイとフレイヤは、まだ戦い続けている。特にフレイヤは、イズンの愛弟子だ。絶対に投げ出すことは出来ない。弟子が必死に戦っているのに、師がいい加減なことなど出来るはずがない。

それだけではない。フレイもフレイヤも、送り出した勇者達と共に、破滅そのものであるスルトに抗っているのだ。多くの罪を犯したアスガルドの神だが、その最後くらいは、償いをしたい。

調べていくと、幾つか分かってきたことがある。

スルトの弱点は、やはり中央の柱だ。

正確に言うと、あの柱はスルトの核となる部分であり、力の大半があの柱から生じている。

しかしながら、装甲は文字通り鉄壁。

如何にして、あの装甲を砕けば良いのか。それが、イズンにも解析できない。オーディンに何度か意見を求めたが、やはり分からない様子だった。

四隅の柱に、フレイとフレイヤが、攻撃を集中している。

攻撃ユニットである四隅の柱は、破壊することが不可能では無い。だが、中央の柱を砕かない限り、スルトは死なない。

何か、弱体化させる術はないものか。

しばらく、解析を続けていると、オーディンが想像もしなかった存在をつれて戻ってきた。

でっぷりと太った、貫禄のある巨神。

いや、巨人だ。ユミルの直系の子孫である、最も古き神々の一柱だ。ユミルの派閥の一員として、オーディン達に討伐された神。当然、オーディンのことを恨んでいるだろう相手である。

だが、巨人はとても穏やかな表情だった。

巨人と言えば粗野で野蛮で、文化など欠片も無い連中という印象はあるが。しかし、ユミル直系の者達は、むしろ政争に明け暮れた陰湿なアスガルドの神々よりも、むしろ遙かに紳士的に思える。

この巨人も、例外では無かった。

「スルトの対策に苦慮していると聞いて来たのだが」

「貴方は」

「ボルソルンという。 そこにいるオーディンとは遠縁に当たるな」

遠縁も何も、確かオーディンの祖父に当たる存在の筈だ。祖父さえも政争で葬らなければならなかった、当時の過酷な状況を考えると、イズンも胸が痛い。

それに、今は藁でも掴みたい状況なのだ。

「何か、よい策はありませんか」

「スルトはそもそも、何で出来ているのか。 それを考えれば、対策も出来るのでは無いのかな」

「スルトの素材……」

「私も、ユミルの死や、君達の専横については、思うものがある。 これくらいしか手助けは出来ないが」

それでも、大きなヒントをもらった。

礼をして、ボルソルンを送り出す。テュールが死者達に話を聞いて戻ってきた。死の寸前は悲惨なほど老いて衰えていた軍神だが、冥界に来てからはむしろ生前最盛期のように闊達としている。

「ヴァン神族の技術者達に会ってきた」

「何かいいヒントは得られましたか」

「うむ。 実はフリムに反発して殺された技術者や、粛正された者達の中には、ムスペルの脅威を訴えていた者達がいたらしい。 何名かは見つけたのだが、いずれも気力を著しく失っていてな」

地面にだらしなく寝転んだ巨神を、テュールは一瞥する。

彼らに何か聞き出せれば、大きく状況は好転する。しかし、冥界に長くいれば、気力は失われ、知力だって減衰する。

イズンはわずかに逡巡したが。

しかし、覚悟を決めて彼らに向け歩き出す。フレイヤと通信するのは、難しい。力を振り絞って、あと一回。短い情報を伝えるのが精一杯だろう。

何か核心を突く事実を得られれば。

フレイとフレイヤに、勝たせてやりたい。イズンの、それは一種の親心だったのかも知れない。

巨神達はイズンが歩み寄っても、だらりと寝転んだままだった。

テュールが話しかけても、面倒くさげに体を揺するだけである。スルトという名前を出しても、反応は決して大きくなかった。

「今、最後に残った戦士達が、スルトと決死の戦いをしています」

「ああー、そうかい。 破れるのはー、時間の問題ー、だなあ」

非常に間延びしたしゃべり方をされる。

本当に無気力になっているのだと分かって、むしろイズンは悲しくなった。スルトについて、知っている事は何か無いか、教えて欲しい。そう四回頼むと、巨神は此方に寝転んだまま振り向いた。

まるで、感情の無い顔だった。

ずっと無気力に晒されると、こうなってしまうのか。戦慄するイズンに、巨神の戦士は絶望的な事を告げてくる。

「ムスペルの体を構成しているのは、怨念そのものだ。 つまり、ラグナロクという怨念で引き起こされた災厄の、具現化した破壊そのものだとも言えるなあ」

「その後の再生も司るのでは無いのですか」

「無論再生はするさ。 ただし、ユミル神がいじくろうとした前の状態。 カオスにまで、全ては戻るだろうねえ」

つまり、ヴェルザンディは新たなユミルになろうとしているわけだ。

他の巨神達にも、話は聞いてみる。

おおざっぱな事は聞くことが出来たが、それだけだ。これだけの情報から、どうにかスルトを倒す手立てを見つけなければならない。

テュールやトールがいても、勝てるか分からない相手だ。

人間の戦士が一人、挙手した。

いや、戦士では無い。技術者だった、エルファンという子供だ。最後まで戦い抜いた、勇気ある子供だったと、テュールは太鼓判を押してくれた。

「スルトの図を書いてみました」

「見せてください」

地面には、詳細なスルトの絵が描かれている。

全体的には、やはり巨大な傘のよう。中央にある巨大な柱。傘状の部分からぶら下がる、四本の攻撃用柱。

「この柱が弱点だというのは分かりました。 しかし、どうしてこんなに分かり易く、弱点を晒しているんでしょう」

「余裕の表れなのか、それともどうしてもそうしないとならない理由があるのか」

「僕には魔術の類は分かりません。 何か、魔術的な意味があるとすると、お手上げです」

「……」

イズンは腕組みして、考え込む。

時間が、刻一刻と過ぎていく中。今までの情報から、必死に有効なものを探し出そうとする試み。

勝たせてあげたいのだ。

冥府に、二柱がなすすべ無く落とされるのだけは、避けたい。

そもそもこの柱は何だ。どうすれば砕ける。

オーディンが戻ってきた。

そして、天啓をくれた。

別に、核心を突く言葉を発したのでもないし、路を示してくれたのでも無い。手にしているグングニルに、ヒントがあったのだ。

賭けてみる価値はある。

「協力してくれそうな存在皆に声を掛けてください。 全ての力を結集して、フレイヤに、スルトの弱点を伝えます」

イズンが魔法陣を書くと、神々が集まってきた。

多くの人間達も。

巨神達の中にも、手を貸してくれる者がいるようだ。遠くで見ているだけの者もいる。フリムやフルングニル、ファフナーはそうだ。特にフルングニルは、ただ事の顛末を見届けることだけに、興味がある様子だ。ファフナーはドラゴンの姿のまま、小心に首をすくめて、だが状況の推移を見ていたいらしい。

邪魔をされないだけでもいい。

「イズン、我が弟子を勝たせたい。 頼むぞ」

テュールの言葉に、イズンは頷く。

それは、イズンも同じなのだ。

 

四隅にある一つ目の柱に、ひびが入り始めた。

先ほどまでの形態とは、強度が段違いだ。フレイとフレイヤが怒濤の猛攻を浴びせて、ようやくこれである。

しかも、展開してくる火力が桁違いだ。火球一つ一つをとってしても、まるで別物のように破壊力が大きい。

冥界から来てくれた戦士達は、それでも心折れず戦ってくれている。

だが、スルトからは、殆ど際限なく、眷属が出撃し続けている。フレイの側に来たラーンが、連続して矢を放って、片端から眷属を叩き落とすが。とてもでは無いが、その程度では足りない。

このままだと、確実に押し切られる。

更に言えば、スルトはこの形態になった上で、更に切り札を隠している。そうフレイには思えてならない。ヴェルザンディの性格からして、消耗戦に持ち込んで押し切るなどとするのがおかしいのだ。これは単に、此方を弱らせようとしているだけでは無いのか。

伝令が来た。

何度か見かけた、黄金の鎧を着たアルヴィルダの親衛隊。全員がアスガルドや、それ以前の戦場で倒れた。今は、冥界からの援軍である。

「フレイ様。 伝令にございます」

「如何した」

「姫様は、戦略の転換をしたいと仰せです」

「……そう、だな」

柱を馬鹿正直に全部砕いていたら、確かに此方が先に力尽きる可能性が高い。

それでも、この柱だけでも砕いておく。

フレイヤが連続してユミルの杖から爆撃を加え、柱の罅を広げていく。其処へ、フレイが二度、大槌を叩き込む。

周囲の戦士達が歓声を上げた。

罅が柱の根元にまで届いたからだ。

更に一撃、フレイがゲイボルグから、閃光の雨を撃ち込む。柱が崩れ、粉々になって溶け崩れていった。

「それで、どうする」

「は。 お耳を」

腰を落として、親衛隊の話を聞く。

なるほど、それは名案だ。しかし問題が一つある。短時間で中央の柱、つまりスルトの根源を破壊できなければ、詰む。

しかし、フレイヤの魔力減衰と、フレイの受けている打撃、それに戦士達の消耗率を考えると。

このまま、残り三つの柱を壊してから、スルトの中央にある柱を破壊していたら、おそらくもたない。

いずれにしても、このままでは詰みだ。

此処で賭に出るのは、悪くない判断だろう。

ただ、スルトが傍観しているのが気になる。本当に、一体奴は何をもくろんでいる。その企みを看破しない限り、総攻撃は徒労に終わる気がしてならない。

不意に、フレイヤが片耳を抑えて、周囲に静かにするようジェスチャーをした。

あれは、或いは。

冥界から、イズンがアドバイスを送ってきたのか。

何度か頷いていたフレイヤだが、顔を上げる。あまり、よい報告では無い様子だった。

「兄様、全面攻撃を行うべきです」

「理由は」

「あの柱を見て、おかしいと思ってはいました。 イズンが解析してくれました。 あの柱は、どうやら残った地面を吹き飛ばすために、わざわざ伸ばされているようなのです」

流石に、愕然とする。

確かに、残されたアスガルドの大地を残さず砕かれたら、もはや戦いどころでは無くなってしまう。

おかしいとは思っていたのだ。あのような弱点を、何故伸ばしているのか。最悪の場合、一気にアスガルドの残った大地を完全破壊することで、勝利を確定するためだったのだろう。柱の先から、今までとは比にならない破壊の光でも放つつもりなのか。

そう分かってしまうと、ヴェルザンディが妙に静かだった理由が分かる。

なるほど、仮に此方が盛り返して、あと少しという所まで相手を追い詰めたとして。そこで、此方の絶望する顔を見たいがために、奈落の底に突き落とそうという腹なのだろう。下劣極まりない。

運命の三女神、現在を司るヴェルザンディが。どうしてこのような鬼畜に落ちてしまったのかという嘆きはある。

今更それを言っても仕方が無い。今は戦うのみだ。

しかし、現実問題として、現状ではあの中央の柱の装甲を抜きようが無いのも事実なのだ。

何か、フレイヤには名案があるのか。

先ほどからフレイヤは、隙を見ては中央の柱に何度かユミルの杖から爆撃を撃ち込んでいた。

だが、それでも毛ほども傷ついていないのである。

ラーンやヴェルンドも、同じように光放つ矢で攻撃をしてくれている。結果は同じ。全く通用する気配が無い。

無策に突撃しても、スルトの真下は地獄だ。残った四隅の柱から、怒濤のごとく火球が降り注いでいる。

そのような状況だ。流石にフレイも、無策では無理だと思う。

しかしながら、フレイヤは、幸いにも。イズンから策を得たようだった。

「スルトの力の根源は、憎悪にあります。 つまりあの巨体は、世界に対する憎悪そのものを結集したものだとも言えます」

「うむ。 それならば、あれほどに強大なのも頷ける」

「そこで、です。 アネット、サーニャ」

不意に、アネットとサーニャに、フレイヤが声を掛ける。

いかなる事か。

最初に舞い降りてきたアネット。話をする間、周囲を勇者達が固めてくれて、ムスペル眷属を近づけずにいてくれる。

「アネット、スルトの装甲を死者の怨念と見立てた場合、その装甲を冥界に送ることは出来ますか」

「スルトの装甲を、怨念と見なすのですか」

「そうです。 スルトは、世界に対する怨念が結集した存在です。 それは死者ではありませんが、似通った存在です」

人間の怨念だけでは無い。

ヴァン神族の。粛正された巨人達の。地の底に追いやられたドラゴンや魔物達の。あらゆる憎悪と怨念が、スルトに力を与えている。

この世界を滅ぼせと、咆哮している。

「可能ですか?」

「……」

サーニャも遅れて舞い降りてくる。

アネットが、サーニャと二言三言会話し、頷き合った。

「少し、時間がいります」

 

サーニャとアネットが、なにやら儀式めいた事をはじめる。

死者の操作は、ワルキューレの専売特許だ。フレイヤでも、アネットには及ばないだろう。ましてアネットもサーニャも、今はオーディンらによるバックアップで、相当な力を得ている。

その間に、可能な限り、スルトの戦力を削る。

フレイの側では、シグムンドが走っている。近づくムスペル眷属を、片端から処理してくれていた。

既にアルヴィルダが戦力の集結を指示していたから、ヘルギも、レギンも、ヴェルンドも、近くで戦い続けていた。

ムスペルの眷属達は、近寄ることも出来ず、射すくめられていく。

ただ、問題は、上部にある無数のミサイル発射口。それに、四隅の柱から放たれる、殺戮の光と火球だ。

こればかりはどうにもならない。

儀式だけは邪魔させない。何度も火球に爆発に吹き飛ばされ、殺戮の光に焼かれても、その度にフレイは、彼らと一緒に立ち上がった。ラーンがスルト上部のミサイル発射口を、片端から潰してくれてはいる。それでも、あまりにもスルトが巨大すぎるのだ。

「フレイ」

「どうした、シグムンド」

シグムンドが、手近に迫った人形型を一刀両断にしながら語りかけてくる。

元々、剣の技量は、達人級だった。神の武具に近い力を得てしまえば、シグムンドもこれだけの圧倒的制圧力を手にすることが出来る。

「俺には今戦っている奴の心が見えん。 一体どうして、こうも世界そのものを偏執的に憎む」

「ヴェルザンディは狂気に囚われている、というのでは回答になるまいな」

「ああ。 或いは、何が動機か分かれば、心理戦で隙を突けるかも知れん」

「仮説だが」

ヴェルザンディは、この世界の「ユミルが作りかけで放棄した」、という点を憎んでいるのかも知れない。

フリムを操って、裏側からこのラグナロクを引き起こしたとも思える存在だ。ユミルさえ、或いは憎んでいたのでは無いかと、フレイは疑っている。

「なるほど、中途半端に作られた世界の、中途半端な管理人格だから、か」

「そうだ。 ただ、それならば、何故ラグナロクについて、オーディンらアスガルド上層部に伝えていたのか」

数百体のムスペル眷属が一度に迫ってきたので、しばらく無言で迎撃する。今のフレイと、皆の力が合わされば、迎撃は難しくない。

フレイヤはアルヴィルダが指揮する主力と一緒に、もう一つ、四隅の柱を潰すべく奮戦してくれている。すぐ側には、もはや鉄壁と言うにも生ぬるい防護力を持つハーゲンがついてくれているから、心配は無い。グンターは全体の様子を見ながら、確実に兵力を移動させてくれている。

何も口出しの必要は無い。後は先頭に立って、フレイが皆を導けば良いだけだ。

「或いは、ヴェルザンディに残った、最後の良心だったのではないのか」

「……」

狂気に落ちる前のヴェルザンディは、或いは素直に世界を憂いていたのかも知れない。しかし、彼女を失望させたのは、不完全な状態でなおも権力闘争を繰り返した愚かな神々。先行きの見えない世界の不透明さが、ヴェルザンディを徐々にむしばんでいたとすれば、頷ける。

疑念から生じる疑惑。

そして、やがてそれは独善と狂気へと偏執していく。

「俺たちの世界でも、独善的な考えから、暴走していく指導者はいた。 その場合、孤独にさせたのは、殆どの場合周囲だった。 多くの場合、お前達が粛正してしまったが、それは秩序維持よりも、むしろ人間というエインヘリアルを生み出すための存在に、都合が悪かったからだろう?」

「耳が痛いが、その通りだ」

「もしも神々の中に、そういった存在がいたら? 事実、オーディンはそうなりかけていたのではないのか」

「なるほど。 確かに、その通りかも知れん」

シグムンドの一族にも、或いはそういう存在がいたのだろうか。

いたのだろう。

そうでなければ、こうも断言は出来ないはずだ。

それが誰かは、今は聞かない。

シグムンドのおかげで、何となくヴェルザンディの心が見えてきた。或いは、スルトを倒す切り札になるかも知れない。

伝令が来る。

アネット達の準備が出来たという。

ただし、好機は一度だけ。スルトはまだ、此方が切り札を手に入れたと気付いていないだろう。

逆に言えば、気付かれてしまえばおしまいだ。

こうしている間にも、スルトの凄まじい攻撃は続いている。火球はひっきりなしに降り注いでいるし、ミサイルとやらも多数飛来してきている。全てを迎撃はしきれない。もう、時間は、限界が近づいている。

フレイヤが、大きな罅を四隅の柱の一つに入れた。

無言のまま、フレイが全力でゲイボルグを投擲する。分裂した槍の切っ先が、柱の罅を拡大し、打ち砕いた。

これで、二本目。

同時に、作戦開始だ。

誰も何も言わずとも、おそらくは悟ってくれたのだろう。

即座に、全員が動き出した。

この機会を逃せば、もはや勝機は無くなる。心が通じた、というのとは少し違うだろう。

この場にいる全員が、相当な戦術判断能力を有していると言うことだ。勿論、アルヴィルダのように、率先して皆を動かしてくれている者もいる。グンターも、おそらく全戦力を、一気に投入してくれたはずだ。

今度こそ、スルトを葬る。

そして、その背後にいるヴェルザンディの、野望を砕くのだ。

 

ヴェルザンディは、スルトの無数のカメラアイを通じて見た。スルトの頭脳部分、メインコンピュータと直結しているから、そう言う形でしか、既に視界情報を得ることが出来ないのだ。

思えば不便な体だが、別にどうでもいい。新しい世界では、自分の好きなように体を再構成するだけだ。カオスの中でどのような姿にするか、考える事だけでも面白い。

人間共が、フレイとフレイヤを先頭に、突入してくる。

まだ四隅の柱は、二つ残っている。しかしこのまま消耗戦をしても勝てないと判断したのか。

無為なことを。

二つも残っていれば充分だ。

それに何より。中央の柱の守備は鉄壁。これを突破するのは、グングニルでも不可能だろう。

だが、どうもおかしい。

何かしらの対策を得たのだろうか。奴らには、冥府に叩き落としたアスガルドの連中が助力している。何か、余計な入れ知恵でもあったのか。

念のため、全力で迎撃した方が良いだろう。

これまでも、何度となく、フレイとフレイヤには凄まじい底力を見せられた。本当だったら、もっと早く戦いは終わっていたはずなのだ。

それが、今だアスガルドは完全に砕けず。

そればかりか、エインヘリアル化した多数の人間共と、アスガルドの神フレイとフレイヤ、それにワルキューレ二匹が、頑強に抵抗している。

予定を完全に崩された。

徐々に、怒りがわき上がってくる。ヴェルザンディは命じた。

「ジェノサイド砲、発射準備」

「目標は」

「アスガルドの残った地面」

「承知」

中央の柱。

それはある異世界に存在する、巨大な星間文明からユミルが得た知識の一つ。殺戮と破壊の兵器、ジェノサイド砲を発射する機能を有している。

もとの兵器には色々と欠点もあったのだが、このスルトに搭載されているジェノサイド砲は、アスガルドの残った地面くらい、簡単に砕き尽くす。ミズガルドを瞬時に焼き払うほどの破壊力なのだ。もはや、山とも呼べない規模になっている残った地面など、木っ端みじんに打ち砕ける。

殺到してきた人間共の中に、ワルキューレ共がいる。

どうしたことだろう。奴らの武勇は、以前よりぐっと増しているのを、今までの戦闘で確認した。

何故か、人間共に守られるようにして、前に出てきている。

何か企んでいるか。やはり、最終攻撃に出るべきだと判断したのは、間違っていなかったようだ。

「ジェノサイド砲発射までの時間は」

「およそ十二分」

「短縮は」

「不可能。 発射準備に入ります」

舌打ちする。

どうやら、フリムの悪い癖が移ったようだ。ヴェルザンディは、フリムを長い間かけて洗脳したが、多くの悪い癖も引き取ってしまった。

その一つだ。だが、それが或いは人間共が言う「人間味」なのかも知れない。

おかしな話で、この世界の神々は、精神構造が人間と大差ない。或いは、他の世界の神々も、同じなのかも知れない。

「迎撃火力を集中。 人間共を薙ぎ払え」

「ジェノサイド砲へのエネルギー集中開始。 もしも迎撃火力にエネルギーを裂けば、発射までの時間が延長される」

「……」

融通が利かない奴だ。

それでも、本来のエネルギーを、迎撃に回す。

二つ残った柱からは、火球を乱射。ミサイルはあらかた撃ち尽くす勢いで発射する。内部で生産できるミサイルのペースを、明らかに越える勢いだ。

爆発が連鎖。

残った大地が砕けていく。

ジェノサイド砲を使わなくても充分かも知れない。人間共が吹っ飛ぶ。フレイとフレイヤを、何度も空に舞わせ、地面に叩き付けた。

どれだけ力を回復しても。

いや、オーディン並みの力を得ていたとしても。

もう耐えられまい。

少なくとも、この中枢部分を砕く事など、出来るはずがない。そう、ヴェルザンディが思った瞬間だった。

「システムエラー発生」

スルトが、致命的な事態を告げてくる。

何だ。何が起きた。

この最終殲滅形態に、隙など無いはず。ワルキューレ共がやろうとしていた、何かが原因か。

「装甲、剥落」

「何……っ!」

何が起きた。分からない。

このスルトの装甲は、世界そのものへの憎悪を凝縮した、この世における最強の壁の筈。先までの形態とは、圧縮率も段違い。もはや、破る術など無いはずだ。どうやって、この壁を。

見る。

壁に、ワルキューレ共が手をついている。

奴らが何かの術を使っているのは分かる。だが、その正体が分からない。どうして、壁が崩れていく。

「装甲強度、減少中。 このままでは、敵攻撃による貫通が懸念」

「装甲を強化せよ! ジェノサイド砲が露出したら、破滅的な事態になる!」

「不可能。 エネルギーはジェノサイド砲と、火力迎撃に展開中。 装甲へ回す余剰エネルギー無し」

「おのれ、でくの坊がっ!」

汚い言葉をぶつけても、スルトは傷つく様子も無い。機械なのだから当然か。

こうなれば、手は一つしか無い。

「ジェノサイド砲の火力を削り、迎撃に重点を移せ。 時間は少々掛かっても構わぬ」

「承知」

「特にあのワルキューレ共を、生かしておくな!」

いつの間にか、ヒステリックに叫んでいる自分に、ヴェルザンディは気付く。そして、察する。

まさか、追い詰められつつあるのか。

 

やはりそうだ。

フレイが見ている先で、アネットとサーニャが、中央の柱に、手をついている。その掌から溢れる光が、スルトの装甲を、見る間に削り取っている。削られていると言うよりも、むしろ救われている、という所なのか。

ワルキューレは死神だ。

それは、死をもたらす神ではない。死んだ者を、迎えに来る存在なのだ。つまり逆に言えば、死者を救済する役割を得ているとも言える。

アネットとサーニャは、己の中にある「救済」の要素を、術式で最大限にまで増幅したのである。

そして、この世に絶望し、憎悪した魂を。

全てを怨んだ積もり積もった怒りを。こうして、救済に懸かっているのだ。勿論全ては救済しきれないだろう。

だが、中枢部分の装甲は、目に見えて薄くなってきている。

苛烈な攻撃が、更に増す。

無数のムスペル眷属が、一気に殺到してくるのが見えた。天井部分から、あらゆる兵器が露出する。

もはやなりふり構わずだ。

「通すな! 絶対に守り抜け!」

シグムンドが叫び、立て続けに数体の敵を斬り伏せる。

レギンが雄叫びを上げて、斧を振るって、周囲の敵を無双の活躍で蹴散らして廻った。ヴェルンドは冷静に立ち回りながら、フレイとフレイヤに迫ろうとする敵を、確実に潰してくれる。

ヘルギはその豪腕を生かして、敵を叩き潰し、場合によっては投げ飛ばした。

ラーンはこの状態でも、恐ろしいほどの冷静を発揮して、天井にある敵の兵器を、片端から射貫く。

アルヴィルダは黄金の鎧を纏った親衛隊の先頭に立ち、自らが戦の神であるように、敵を屠り続けている。

ハーゲンは、グンターと一緒に、フレイヤの側に。そして、最後の防衛線となって、近づいてくる敵を一匹も通さず倒し続けていた。

フレイは。

フレイヤと共に、最後の一撃を叩き込むべく、残った力を貯めている。

師の剣が、淡く輝いているのは、フレイが力の全てを注いでいるからだ。

フレイヤが、魔光の宝剣を、地面に突き刺す。

そしてユミルの杖を横に構えると、何か詠唱をはじめた。おそらく、創世神の杖の、力を全て引き出すつもりなのだろう。

皆の奮戦のおかげで、アネットとサーニャの作業は、誰にも邪魔されない。

狂気さえ感じるほどの凄まじい攻撃の中で。

此処だけは、とても静かにさえ思えた。

降り注ぐ殺戮と悪意の中で、戦士達が、倒れていく。

倒れると、光の粒子になって、消えていく。冥界に戻っていくのだ。

誰もが、悔いが無いという顔をしている。最初に死んだときと、同じように。あばよ。そう、声を掛けていく者もいた。

「おのれ! どうして崩れぬ!」

慌てきったヴェルザンディの声が、届いた。

むしろ滑稽だった。

フレイは顔を上げる。準備が、整った。既に、力は残っていない。オーディン達に分け与えてもらった力も、使い尽くした。

最後の一撃で、決める。

「兄様、いきましょう」

「ああ」

フレイヤも、既に、杖の力を引き出しきったようだ。

アネットとサーニャが、息を合わせて、飛び離れる。

もはや鉄壁の城塞に思えたスルトの中枢は。砕けぬ存在では、なくなっていた。

後一手。

それを、これから打つ。

「ヴェルザンディ。 貴様の孤独、今から晴らそう」

「何……!」

「愚かな世界の理は、スルトの力を使う事で、我らが晴らす。 貴様の無念は、無駄にはせぬ」

ヴェルザンディが、絶句するのが分かった。

きっと、そう言われたことは、一度もなかったのだろう。人格を得てしまった管理システムが、思考停止に陥る。

最後の、そして最大の好機が来た。

フレイが、渾身の一撃を、大上段からスルトの中枢に叩き込む。

同時に、フレイヤが、魔光の宝剣から、最大出力の魔力弾を叩き込んでいた。

絶叫。

スルトが、身をよじって、苦痛の声を上げているように思えた。機械が、そのような事をするはずが無いのに。

あふれ出す無念の凝縮した、紅い液体。

フレイヤが掲げたのは、ユミルの杖。

多くの戦士達が見上げる中。

ユミルの杖から放たれた殲滅の光が、スルトの体を、上空高くへ打ち上げていく。その光の奔流は、天の川が現世に降りてきたかのようだ。

これほどの、途方も無い光を、ユミルの杖は秘めていたのか。

完全に制御を失ったスルトの体が、上空へ、運ばれていく。遠ざかっていく巨大な破滅の神の体が、崩壊していくのが見えた。

何かを、放とうとしている。

最後の抵抗か。

だが、フレイヤが、更にユミルの杖からの光を増す。その時、気付く。この光は、今までの、殲滅と破壊の力とは違う。

見ると、アネットとサーニャが、ボロボロになっているフレイヤの背中に手をついている。力を送り込んでいるのだ。

スルトの体が、溶けていく。

嗚呼。

何処かで、嘆きが聞こえた。それは、きっとヴェルザンディの。このラグナロクを引き起こした、現在を司る世界の管理者の声。

「私をやぶるなら……」

せめて、次は。

きちんと仕組みが確立された、滅びが約束されない世界に。

そう、最後のヴェルザンディの声は。届いていた。

 

エピローグ、終末の先へ

 

やったな。

そう、声が聞こえた。

見るとシグムンドだ。既にその体は透けている。最後の戦いでも、一番の活躍を見せた人界の勇者は、冥界に帰り行こうとしていた。

手を伸ばすが、拒否される。

お前は、やり遂げた。俺も。それで良いでは無いか。

そう言い残し、シグムンドは消えていった。

さらばだ、人界の勇者。フレイは、そう言うので、精一杯だった。

あばよ。新しい世界を頼むぜ。

同じように聞こえた声は、レギンのものだ。

最強の狂戦士は、そういうと不器用に笑って、消えていった。

北の民は再建できなかったが、それでも全てが消えるのだけは防いだ。それで、満足だ。そう言って消えていったのは、ヴェルンド。

新しい世を頼むぞ。

グンターも、そう言い残していった。

ハーゲンは最後まで武勲を残したことに満足したか。無言のまま、王と一緒に消えていった。

残る者達もいる。

最後の戦いまで生き延びた五十名ほどは、どうやら冥界の住人とはならなかったらしい。ただし、もう人間と呼ぶのにも、無理があるだろう。

アスガルドの大地も、ほんのわずかだけ残った。

そして空には、スルトが散じたことで、創造の力が解き放たれている。

それは太陽のような、巨大な火球の姿をしていた。

「フレイ様、これからどうなさるんですか」

「世界は終わってしまった。 だが」

ラーンの言葉に、フレイはこたえる。

だが、このまま終わらせる気は、ない。再建しなくてはならない。その力は、今目の前にある。

「新しい世界を、作る」

「どのような世界にするんだ?」

「そうさな」

ヘルギにこたえながら、フレイヤを見る。妹神は、静かに頷いた。

もう決まっていることだ。

神々は、好き勝手をしてはいけない。創造したからといって傲慢に振る舞っていては、やがて全てを滅ぼすことになるだろう。

先神の失敗は、繰り返さない。

「人も、神々も、魔物も。 互いに干渉せず、生きていける世界が良いだろう。 そう、随分前から決めていた」

「なるほど、自律の世界か。 人間にとっては苦難の道になるが、むしろそれくらいの方が面白そうじゃ」

アルヴィルダが肯定してくれる。それはとても嬉しい。

人がこの世界の終わりまで、一番勇敢に戦ったことを、フレイは知っている。

それだけではない。

この結果に至るまで、多くの涙が流された。繰り返してはならない。

勿論人間だけの世界が、楽園になるとはフレイも思っていない。ただし、其処にこの世界のように、神々が干渉を続けるのも、おかしな事なのだろう。

冥界がパンクしないように、工夫もしなければならない。

人間達へ、いや生き残った者達にフレイは振り返った。

「皆の知恵を貸して欲しい」

この場に残った戦士達には、そうするだけの権利がある。

フレイは、空に燃えさかる、創造の力に手を伸ばした。

これから、新しい世界が始まる。

そのためには、フレイとフレイヤだけの力では足りない。最後の戦いまで生き延びてくれた、この場にいる戦士達の知恵を必要とする。

同じミスは繰り返さない。

フレイとフレイヤが導く事で、新しい世界の理を作る。今までやってきたように、やっていけばよいのだ。

誰も、それで異存は無い様子だった。

フレイは力に干渉をはじめる。この終わってしまった世界から、全てを新しくはじめるためにも。

 

その新しい世界の一つは、地球と呼ばれた。

そして、世界を新しく作った神々の話は、其処には実話としては伝わっていない。あくまで物語として、残っている。

人間達が支配する世界。

猥雑で、残虐な理屈がまかり通り。ほんのわずかだけ、良心や信念が存在している、そんな場所。

日々同族での殺し合いが行われ、文化は暴力に否定され、弱者は踏みにじられている。その一方で、愛や弱者への思いやりが語られもする、不思議な世界。

世界の理は残酷であると認識はされているが。

全ては、人間達が自分自身で決めている。

フレイはその世界を見下ろして、時に満足し、がっかりもする。人間達の繁殖力は旺盛で、神々が手を貸さなくても、好き勝手にやって行けていることに関しては、常に安心していたが。

ふと、気付く。

その片隅で、フレイとフレイヤの神話について、話をしている兄と妹がいた。

温かい気持ちで兄妹を見守りながら、フレイは願う。

いずれ、この地球が、よりよくなりますように。

神々は、干渉しないと決めたのだ。

人間達が、その世界では。全てをよりよくするよう、努力を続けていかなければならない。

それが、世界を守り抜いた、戦士達。今は小さなアスガルドの大地で、新しい神々となった全ての者達の願いだった。

 

(斬撃のレギンレイヴ二次創作、積怨のラグナロク 終)