黄昏の終焉へ
序、前哨戦
それぞれの時間が終わる。
フレイがトールの剛弓を手に取ったのは、時が来たことを、悟ったからだ。
迫り来る無数のムスペル眷属。
結界の外縁に集まってきたエインヘリアル達。
戦いが始まったら、どうするかは、既に決めていた。
結界が保つ内に、可能な限りムスペルの眷属を削り取る。これは、エインヘリアルと、人間の戦士達が担当する仕事だ。
その間にフレイとフレイヤは、最大級の火力で、紅い騎士を可能な限り削り取る。
だが、紅い騎士は一回の戦闘ごとに強くなっている。トールの剛弓でも、今ではもう埒があかない可能性が高い。
結界が保つまでに、どれだけ敵を削れるか。それが勝負の決め手になる。フレイは入念に剛弓の状態を確認する。準備は万端だ。
グンターとアルヴィルダが来た。
「おう、壮観であるな」
アルヴィルダが崖下を覗き込んで、そんな脳天気な事を言った。酒を飲んで眠った、からだろうか。随分とすっきりしているように見える。疲れも取れている様子だった。
崖の下は真っ赤だ。
ムスペルの眷属がひしめいている。そして前衛の眷属達の向こうには、二十近い紅い騎士が見えた。
数を数えてみると、十九だ。
理由は分からないが、一体いないのだから、それだけで此方に有利と見てよい。
シグムンドを呼ぼうとして、フレイは口を閉ざす。そうだ、もうかの人界の勇者は冥界に去ってしまったのだ。
グンターが手をかざして、崖下を見る。
「いるなあ。 神よ、どれくらいと見るか」
「眷属の数は十万というところだろう。 しかも一体一体が、巨神より強い」
「笑えてくる話だ」
「しかし、おそらくスルトの戦闘力は、その全てをあわせたより上だろう。 ヨムルンガルドよりも、強いかも知れない」
あのおぞましき狂気に染まったヴェルザンディの事だ。捕らえた獲物を、全て喰らって、自分の力にしていてもおかしくない。
スルトがあの狂気の女神が肉体となっているのであれば。どれほどの力を得ていても、不思議では無いだろう。
「スルトとやらはそれほどか。 あのヨムルンガルドよりも恐ろしいとなると、もはや何も怖い者はいないな」
「人間は強いな」
「そうでもない。 何処かがおかしくなっているだけだ」
「そうか」
軍は解散したと言うが、兵士達は皆今まで通りの組織編成で動いている様子だった。
とはいっても、もはや千名にも足りない兵力だ。軍と言うには、あまりにも小規模で、ささやかではあったが。
武具の備蓄はいくらでもある。
というよりも、本来蓄えられていた分量は、五十万からなるエインヘリアルのためのものだったのだ。
今此処にいる四千程度の戦力であれば、それこそ何年でも戦い抜ける。
ましてや、今日中に決まるだろう戦いだ。物資はそれこそ、湯水のごとく浪費しても、何ら問題ない。
物資を惜しむよりも、命を惜しまなければならない状況だ。いくさでは、その逆の状況もあるが、今回に限っては違う。
まずは、小手調べだ。
フレイは無造作に、矢から指を離した。ぎゅん、と凄い音がして、矢が飛んでいく。そして、ムスペル眷属数十体を、風圧で、或いは直接貫いて、粉々に吹き飛ばした。
喚声が上がる。
マグニも、隣で弓を引き絞る。
宝物庫にあったトールの剛弓だ。マグニでも、充分に扱うことが出来る。ましてやマグニは、トールの実子だ。扱う資格はある。
マグニが矢を放つ。
同じ程度のムスペル眷属が消し飛んだ。にっとマグニが笑い、周囲の戦士達がやんややんやとはやし立てた。
「すまないな、親父が最初から出ていれば、皆の国や村を守れていたかも知れねえ」
悔しげにマグニが言う。
しかし、もうそれを恨んでいる者はいない様子だった。
事情はフレイから話してある。
アスガルドは、この事態が来る事を知っていた。だから、戦力を出せなかったのだ。勿論、それがベストの選択では無かっただろう。もっと多くの戦力を確保する方法が、あった可能性も高い。
続けて、フレイが矢を放つ。
紅い騎士の周囲は、分厚く眷属達が固めている。多分この距離では、トールの剛弓の矢は、敵の体に届かないだろう。
アウトレンジから、今のうちに可能な限り敵の戦力を削る。
相手がたとえ十万でも、絶望することは無い。百回トールの剛弓から矢を叩き込んでやれば、数千は削り取れる。勿論そう上手くは行かないだろうが、敵も対応せざるを得なくなる。それだけで、此方は先手を取ったことになる。多少は有利になるのだ。
七回目の矢を放った後、親指型と人形型が、此方に向けて飛んでくるのが見えた。
此処からは、エインヘリアルと人間の戦士達の出番だ。
「構え!」
アルヴィルダが指示を出すと、全員が一斉に矢を番え、槍を構えた。
結界の高度まで飛んできてから、攻撃する。それまではフレイとフレイヤ、それにマグニで対応する。
そういえば、ブリュンヒルデは、意識が戻ったと聞いた。
それならば、そろそろ来てくれるだろう。
アネットが剣を抜いた。そして踏み込みと同時に、フレイでも驚くほどの鋭い斬撃を見舞う。
人形型が一刀両断になり、戦士達が歓声を上げた。
次々飛来するムスペル眷属達。アルヴィルダが、猛々しく攻撃の開始を宣言した。
「放て!」
矢が、槍から光が、一斉に放たれる。
見る間に周囲は爆発の光で覆われていった。だが、流石にムスペルの眷属達である。相当に頑丈で、一撃や二撃では埒があかない。
結界に攻撃を開始する敵。
フレイヤが、氷の杖から制圧射撃を開始する。その間も、無言でフレイとマグニが、交互に矢を敵陣に打ち込み続けた。
敵のうち、攻撃に参加しているのは二万ほど。残りは悠々と登ってくる紅い騎士を護衛するように、周囲を飛び交っている。
「東に敵、多数飛来!」
「私が行きましょう」
歩いてきたのは、ブリュンヒルデだ。
片目を布で覆っている。フリム=ヴェルザンディとの戦闘で、爆発の直撃を浴びていた時の怪我だろう。回復が残念ながら間に合わなかったのか。
フレイは頷く。彼女ならば、信頼出来る。
「追い払うだけで良い。 結界の外まで追撃はするな」
「分かっています。 これはまだ前哨戦。 此処で力を使い切ったら、元も子もありませんから」
「うむ」
フレイヤが、西の方へ行って、制圧射撃を行う。
敵の被害は見る間に増えていくが、結界の消耗も少しずつ大きくなり始めた。紅い騎士の火球射程距離まで来たら、一気に結界が削られるだろう。それまでに、敵を可能な限り削る。
巨大な爆発が起きて、無数のムスペル眷属が吹き飛ぶのが見えた。
呆然とへたり込んでいるのはサーニャだ。
ラウリーンの杖と呼ばれる、火焔系の大魔術を起動する神の武具からの一撃を放ったらしい。
敵百体以上が一度に消し飛んだが、危険すぎておいそれとは使えない。
また、消耗も激しいようで、サーニャは真っ青になっていた。
せっかくの神の武具だが、ここぞと言うとき以外は使わない方が良いだろう。
ラーンが矢を放ち、敵を叩き落とす。神の弓矢をもらっているラーンは、一矢で確実に一体の敵を仕留めていく。周囲の兵士達もそれを見て勇気づけられ、次々に敵を叩き落としているようだ。
今の時点では、順調すぎるほど。
だが、そのまま、敵がやられてくれるとは思えない。
予感は当たった。
フレイが三十本目の矢を放った直後だった。
不意に一万を越えるムスペル眷属が、上昇。そして、結界のすぐ側に、蜂が巣を作るようにしてたかりはじめたのである。
連続して矢を叩き込むが、数と密度が多すぎる。途中まで食い込んだところで、勢いを減じて落ちてしまう。
それでも、敵を削るべく、フレイと、西側から戻ってきたフレイヤは集中攻撃をする。風刃の杖がまだ残っていれば多少はましになったかも知れないが、そうも行かない。無いものは、ねだれない。
しかも、ムスペル眷属が、何かを作り始めているのだ。
フレイヤが炎の杖から連続して火球を叩き込んでいるが、相手の数が数だ。とても足りない。
しかも、他の場所にも、一万ほどの敵が不意に集りはじめている。
「なにやらもくろんでいるようじゃな」
がらがらと、大きな音がした。
サラマンデルだ。
そういえば、サラマンデルにはアスガルドの物資をすきに使って良いと言ってある。今のサラマンデルならば、神々の武具並みの火力を出せる可能性もある。
サラマンデルが、地面にかぎ爪のようなものを食い込ませた。
そして、轟音と共に、紅い光をはき出す。
「耳を塞げ!」
アルヴィルダが叫び、皆が一斉に倣う。
爆発が巻き起こったのは、直後だった。劫火が敵の大集団を、まとめて薙ぎ払い、粉々に吹き飛ばして行く。
光の奔流は、十数秒も続いた。
光が収まると、一万集っていた敵の三分の一以上が消し飛んでいた。
今だと、皆で集中攻撃を浴びせる。敵が崩れ、ばらばらになって飛び散りはじめた。どうにか、何か怪しい作業をするのは止めさせることが出来たか。
もう一つの敵は、ヴィ−グリーズ平原の方の結界に集っているという。
「フレイヤ、すぐに向かってくれ。 私は此処から、紅い騎士を狙撃する作業に入る」
「分かりました」
敵の数は、確実に減っている。
今までの戦闘で、一万以上は削ったはずだ。それでも、紅い騎士はまだ一体も倒れていない。
思った以上に、敵の動きが激しい。
今までの機械的な動きを見せていたムスペルとは、全く別物だ。やはり、頭脳が入ったから、だろうか。
敵がまた、かなりの数押し寄せてくる。
固まっている敵の支援をするつもりだろうか。或いは、また別の所で集まって、何かをする気か。
「これじゃあ、本命が来る前に、つかれちまうなあ」
マグニがぼやきながら、矢を放つ。
フレイも、同じ気分だった。
1、第二次ヴィーグリーズ平原会戦
フレイは汗を拭いながら、結界の東へ向かう。
二刻ほどの死闘の末、ムスペルの眷属は二万以上が削り取られた。だが、敵は攻撃意欲が極めて旺盛で、引く様子がまるで無い。
機械だから、だろうか。死ぬ事を怖れていない様子が、露骨だった。
既に紅い騎士は、射程に入っている。
だが、眷属の攻撃と動きが激しく、フレイはそちらにばかり集中していられなかった。結界の外縁を走り回りながら、ひたすら敵を斬り伏せて廻る。
既に来ていたアネットが、一心不乱に敵を斬っている。既に彼女の戦闘力は、ブリュンヒルデに並んでいるかも知れない。
「フレイ様、敵がたくさんいます」
「うむ……」
また、敵が塊を作っている。これで三度目だ。
二度目までは攻撃を集中して潰した。だが、サラマンデルのあの凄まじい爆発は、何度も使えないらしい。
攻撃自体は出来るそうなのだが、機体が保たないのだそうだ。
フレイもアネットと並んで、敵を片っ端から斬り伏せはじめる。だが、敵は次から次へと塊に加わっていて、とても倒しきれるものではない。真っ黒になるほどの数が、塊に集っているのだ。
無言でフレイは、ゲイボルグを取り出す。
そして渾身一閃、槍を突き出した。
無数に分裂した槍が、一気に敵の群れを突き崩す。一つ一つの光が、敵の複数を粉々にしている。
もう一撃。
腕への負担が大きい。火山の弓ほどでは無いが、そう乱射できる攻撃では無い。だが、敵の群れに、目に見えて大きな穴が開いていた。
駆けつけてきたブリュンヒルデが、槍から連続して光を叩き込む。敵の塊が崩れはじめる。
ほどなく、これ以上は無理と判断したか。
ムスペル眷属達は散り、別々に飛び始めた。追撃を浴びせて可能な限り削るが、倒しきれる数では無い。
ムスペルの紅い騎士だけでも二十体近くいるのだ。
欲を言えば、眷属は半分まで削りたい。
無理だとしても、結界が壊れるまでには、三万以上はどうにかして減らしたかった。そうしなければ、そもそも戦いが成立しないのだ。
また、敵が固まりはじめているという。
しかも結界からかなり離れている。ヴィーグリーズ平原の真ん中ほどだ。どうやら、結界のすぐ側では、作業できないと判断したのだろう。
「フレイ様、如何なさいますか」
「今、結界から出るのは、危険が大きいな。 やむを得ぬ。 放置して、結界に攻撃を続けている敵をたたく」
「分かりました。 そのように伝達します」
アネットが数度地面を蹴った後、虚空に舞い上がる。
そして、アルヴィルダかグンターを探して、飛んでいった。フレイはそれを見送ると、まずは手近な相手を切り伏せるべく、剣を振るう。
時間は、確実に、容赦なく過ぎていく。
報告があったのは、それから半刻ほどのち。そろそろ、崖際に移動しようと思っていた時であった。
血相を変えて、伝令の兵士が来る。
何度か見かけた、若い戦士だ。グンターが近衛として目を掛けていた男で、伝令として戦場を駆け回り続けていた。
「紅い騎士、ヴィーグリーズ平原に出現!」
「何ッ!」
「ムスペル眷属の塊が、紅い騎士を呼び出すゲートに変化した様子です! 崖下の紅い騎士も、続々と姿を消しています!」
してやられた。
そういえば、紅い騎士がムスペル眷属達の命を賭けた術で、遠くから転移してくるのを、以前見た事があったのだ。
今回も同じ手か。
だが、これはある意味好都合かも知れない。敵はこれで、ヴィーグリーズ平原の方へ集中してくる。
結界は短時間で破壊されてしまうかも知れないが、全火力を叩き込めば、敵を少なからず削り取れるはずだ。
しかも、そのゲート作りのため、ムスペル眷属はかなり数を失っているはず。
此方に不利なことばかりでは無い。
「全員を、ヴィーグリーズ平原の方面に集結。 敵の主力に、集中攻撃を浴びせ、戦力を削り取る!」
「分かりました!」
「そういえば、貴殿、名前は」
「僕はアンリと言います。 フレイ様」
伝令が、愛馬に跨がって駆け去って行く。
名前を忘れずにいようと、フレイは思った。この次の戦いで、生き残れる可能性は、決して高くないだろうから。
フレイ自身も、すぐにヴィーグリーズ平原へ向かう。フレイヤの所にも伝令は行っているはず。
神の速度を利用して、走る。結界の外縁を走り、見かけた眷属は全てその場で切り伏せた。
到着。
敵は文字通り、雲霞のごとく集まっている。
既に数は数万に達しており、紅い騎士も十体以上が、姿を見せていた。
これ以上集まられると、各個撃破も出来なくなる。
マグニが来た。フレイヤも。
「紅い騎士を、可能な限り減らすぞ」
予想よりも遙かに早く、結界が壊されるかも知れない。だが、どのみちこの結界は、長くは保たないことが確実だったのだ。
そう、前向きに考える事にして、フレイはゲイボルグを持ち、意識を集中した。
轟音と共に放たれた神の槍が、数十に分裂して、しかも一体の紅い騎士を集中的に貫いた。
流石の紅い騎士も、ひとたまりも無い。
溶け崩れていく紅い騎士を見て、ヘイムダルは目を細めていた。これほどの一撃、連射は出来ないだろうが、それでも紅い騎士を一撃必討したのは大きい。
どうやら、心置きなく、若者に未来を託すことが出来る。
ヘイムダルは、情報を扱うことしか取り柄が無い。武芸は並で才能に恵まれず、かといって知性が優れているわけでも、魔術が出来るわけでもない。結局徳を磨くくらいしか路は無かった。
多くの神々とコネクションを築いたが、ヘイムダル自身も知っていたのだ。
ラグナロクで、自分は役に立てないだろうと。
情報を集めて来ても、役に立つのは自分では無い。自分は戦いの時は、じっと手をこまねいて見ているだけ。
剣を振るって、ほんの少し敵と戦いもした。
だが、それで倒せた敵など、ごくわずかしかいなかった。
オーディンとトールが死んだ後、必然的にアスガルドの代表となったのはフリッグだったが。彼女は根本的に、戦や修羅場には向いていなかった。昨日記録を見たのだが、そもそもフリッグは、オーディンが自身のパートナーとして都合が良い神を作ろうと考えて、先代フレイヤの情報を基本に様々な要素を混ぜて作り上げた神だったのだ。
オーディンの補助をすることだけを前提としていた、哀れな女神。それが、フリッグの正体だった。
オーディンが死んで、壊れてしまったのも、無理は無かったのかも知れない。
ヘイムダルが手にしている武具は。
無駄に余っている神の力を、全て爆発力に変える、必殺のものだ。
敵が無数に集っている今こそ、使う好機である。此処でヘイムダルが全ての命を燃やし尽くせば、上手く行けば数万の敵を一瞬に消し飛ばせる。そうなれば、勝てる、とはいかなくても、戦いはだいぶマシになるだろう。
フレイヤが側に来たので、ヘイムダルは言う。
「これから、私が敵の真ん中に突入する。 支援をして貰えるだろうか」
「ヘイムダル様!?」
「私は、ようやく役に立てる。 武芸もなく魔術もなく、戦闘指揮も得意ではない。 そんな私の無駄に余っている神の力を、活用できる時が、ようやく来たのだ」
フレイヤも、意味を悟ったのか。青ざめ、それから頷いた。
フレイも来る。
「貴方は役立たずなどではない、ヘイムダル殿。 貴方の情報で、どれだけ助けられたか分からない」
「ありがとう。 そう言ってくれるだけで嬉しいよ。 君達は必ずや生き残り、この滅びかけた世界を再建するのだ。 私は、他のアスガルドの神々同様、罪を犯しすぎた」
ヘイムダルは、人間を監視する役割も果たしていたのだそうだ。
人間の中に、まだ魔術を使おうとしている者がいないか。
神々が定めた以上の破壊力を持つ武器を造り出す者が出ていないか。
それらを調べ上げ、そして場合によっては直接天誅を加えていたという。ヘイムダルは、紳士然とした男であるが。
だが、その内心には、苦悩もあったのだ。
それに、とヘイムダルは言う。
このままヘイムダルが居座っていては、来るべき未来に、むしろ邪魔な存在になってしまう。
「フレイ、フレイヤ。 君達こそ、アスガルドの新しい代表に相応しい。 私では、きっとそれは無理だ」
「そのような……」
「良いのだ。 せめて、この戦いを有利に運ぶため、行かせて欲しい」
もはや、覚悟を翻す気は無い。そうヘイムダルの目は告げていた。
この絶望的な戦力差を、多少でも覆すことが出来るのなら。ヘイムダルはそう言い残すと、ゆっくりと結界の外へ歩き始めた。
既に敵の総攻撃は始まっている。紅い騎士一体を失っても、まるで火力は衰えないようにさえ見える。
フレイヤが取り出したのは、ユミルの杖。
「弾幕を、張ります」
光の弾が放たれる。
凄まじい爆発が巻き起こされ、ムスペル眷属達が消し飛ぶ。一発一発の破壊力が尋常では無い。
だが、フレイヤの消耗も、大きいようだ。
敵陣に穴が開くが、すぐにふさがる。その一瞬の隙を突いて、ヘイムダルは飛び出していた。
フレイは、ヘイムダルが何をしようとしているか、最初から知っていた。
本当だったら、止めるべきだったのだ。
だが、止められなかった。
ヘイムダルの苦悩に、気付いていたからかも知れない。それに、フレイも知っていた。今の戦力差では、どうあがいても勝てない事は。
飛び出したヘイムダルを守るように、一斉に攻撃が開始される。
ゲイボルグの二射目。狙い澄ました一撃が、ヘイムダルを踏みつぶそうとした紅い騎士の全身を徹底的に貫き、粉砕する。マグニの放った矢が、もう一体の頭を直撃し、首を変な方向にねじ曲げた。紅い騎士は倒れないが、一瞬だけでも時間を稼ぐことが出来る。
サラマンデルが咆哮し、炎を敵陣に投射。
強烈な爆発が、群れるムスペル眷属を薙ぎ払う。
勿論、その間、ムスペルも黙ってはいない。
結界の負荷が、見る間に上昇していく。このままだと、半刻も保たずに消し飛ぶだろう。
フレイヤが再び、ユミルの杖から光を放つ。
密集していた敵が、数百体まとめて薙ぎ払われた。惜しみなく投入される火力により、敵も凄まじい勢いで削り取られているが、それでもまだ足りない。
ヘイムダルが、敵陣の真ん中に。
紅い騎士達が、ヘイムダルを取り囲む。無理な突破で、ヘイムダルの全身は既に傷だらけ。
鮮血にまみれている様子だった。
ヘイムダルが取り出したのは、爆発を巻き起こす神の武具。紅い騎士達は、全く構わず、踏みつぶそうとする。
だが、ヘイムダルが潰されたときには。
既に、武具の効果は、発動していた。
誰もが、耳を塞ぎ、目を閉じる。
世界が一瞬だけ、白一色になった。
耳を塞いでなお、鼓膜が破れるかと思うほどの衝撃が来る。地面が揺れ、結界の外で何もかもが壊れるのが分かった。
目を開ける。
ヴィーグリーズ平原に、大穴が開いていた。
紅い騎士六体と、ムスペル眷属一万以上を道連れに。ヘイムダルは、己の最後の責務を、果たしたのだった。
敵の勢いが、目だって減じる。
だが、それでも結界の負荷が大きいことに変わりは無い。このままもたついていたら、一気に結界を破られるだろう。
敵陣は大穴が空き、流石に埋まる気配も無い。
紅い騎士も、十一体にまで目減りしている。今が、好機である。
「神よ、紅い騎士に集中攻撃を。 このまま、結界が破られるまでに、もう数体を倒せば、或いは」
「うむ、勝てるやも知れぬ」
無事だった紅い騎士も、まだ再生に夢中になっている者が何体かいる。今攻めれば、倒しきれる。
多少無理をしてでも、戦力を削る。
マグニが矢を放ち、再生途中の紅い騎士の一体を、串刺しにした。倒れないが、そのまま矢を浴びせ続ければ、倒せるはず。そいつは任せる。
フレイは無理をしながらも、更にもう一度、ゲイボルグの一撃を放つ。
爆発の外縁にいて、既に再生が終わっている紅い騎士の一体を、それで容赦なく貫いた。再生が終わったとはいえ、全身にダメージは残っていたのだろう。全身を貫く光になすすべなく、紅い騎士が悲鳴を上げながら横転し、溶けて消えていく。
更にもう一体、フレイヤがユミルの杖で光を放ち、消し飛ばした。だが、フレイヤは今ので魔力切れだ。
魔力補給用の神酒を、エインヘリアル達が運んでくる。ただしこれは、魔力を回復できるが、副作用も大きい。あまり連続して飲むと、体へ無茶な負荷を掛ける事になる。スルトとの戦いを考えると、それは好ましくない。
いずれにしても、これで残り九体。
ゲイボルグを連続で使用して、腕がしびれている。呼吸を整えて、腕のしびれをゆっくりと確認。
舞い降りてきたアネットが、回復の術をかけ始めた。
「フレイ様、へいきですか」
「いや、かなり厳しい。 回復術が心地よい。 助かるぞ、アネット。 もう少し回復を頼む」
「……」
アネットが嬉しそうに目を細める。
これで、九体。マグニが更に押し込んでいるから、もう一体はつぶせるか。サラマンデルは今放熱をしている。少し時間が掛かりそうである。
敵が徐々に集結を開始している。
ムスペルの眷属はかなり数を減らしているが、まだ数万はいる。此方に続々と紅い騎士も転送されてきている様子だ。
そして、来た。
一目で分かる。黄金作りの嫌みな鎧を身に纏った奴がいる。あれこそが、スルトだろう。ただし、此方に近づいてくる様子は無い。
結界負荷も、大きくなってきた。伝令のエインヘリアルが、告げてくる。
「このままだと、後半刻程度しかもちません!」
「そうか。 ならばせめてもう一体、葬っておこう」
此方に火球を連続で投げつけてきている紅い騎士がいる。そいつに向けて、フレイはゲイボルグの槍から、光を放った。
まだ敵に耐性は生じていないと信じたいが、おそらくは無理だろう。紅い騎士の恐ろしさは、その進化にある。
頭も首も貫かれて、紅い騎士が絶叫する。一撃では、それでも屠れなかったか。やはり耐性は生じてきている様子だ。これ以上、ゲイボルグを用いるのはまずいだろう。スルトが紅い騎士と同じ力を持っていないとは、考えにくいからだ。悲鳴を上げながら横転して転げ回っていた紅い騎士に、ラーンが放った矢が突き刺さる。何度も何度も。胸を貫いた一撃が、致命傷になった。
溶けて崩れていく紅い騎士。
マグニも十二本目の矢で、紅い騎士を屠った。これで、残るは七体か。
四体まで削れば、どうにかなる。
今までも、四体で編成されていたムスペルの部隊を、何度となく倒してきた。其処まで削り取ることが出来れば、戦術を応用できる。ムスペル眷属も脅威だが、紅い騎士さえ倒し尽くしてしまえば、その戦力は四半減するはずだ。
だが、敵が、反撃に出る。
紅い騎士達が少し距離を取り始める。各個撃破の好機かと思ったが、違った。
一体の紅い騎士が、不意に態勢を低くしたのである。
しかもそいつに、無数のムスペル眷属が集いはじめた。見る間に紅い騎士の熱量が上がっていくのが分かる。
まずい。
本能的に悟る。
非常に危険なことを、しようとしている。
低い態勢から、弾き出されるようにして、突進してくる。紅い騎士が、こんなに速く動けるとは。
「攻撃を集中しろ!」
フレイが指示を出すが、その時には既に遅かった。
紅い騎士は自ら溶け出しつつ、全力で走ってくる。そして見る間に火の玉になり、全力で結界にぶつかり、爆発したのである。
ひとたまりも無いとは、この事だった。
完全に吹き飛ばされた結界。唖然としているアスガルドの軍勢に、ついに壁を破ったムスペルの大群が、襲いかかってきた。
爆発が連鎖する。
フレイはその中を走りながら、叫ぶ。
「各個撃破だ! 一体ずつ紅い騎士を引き離し、倒す!」
残る紅い騎士は六体。
問題は数万のムスペル眷属が無事なことだろう。スルトは今の時点では、動こうとしていない。
奴が此方を侮っている内に、可能な限り敵を屠る。
全力で突進していくフレイの前に、紅い騎士が立ちはだかる。三体が固まっていて、大威力の火球を連射してきた。
視界の隅で、一隊の紅い騎士に、ブリュンヒルデが飛び回りながら光を浴びせるのが見えた。
まるで効いている様子が無い。
アネットも、一体の紅い騎士に、果敢に接近戦を挑んでいるようだが、実力の差は歴然だ。
倒されずにいるのが、精一杯という状態。
マグニが矢を放ち続けているが、ムスペル眷属達が壁になって、その事ごとくを紅い騎士へ届かせない。
フレイヤは。
見ると、大量のムスペル眷属に、物量攻撃を浴びている様子だ。大量の光がフレイヤに浴びせかけられ、倒しても倒しても新手が沸いてくる。
人間達もそれぞれ戦っているが、数が違いすぎる。
今は、とにかく、何をしてでも。
紅い騎士を屠り去らなければならない。
跳躍。火球の隙間をかいくぐって、フレイはテュールの剣から、一撃を先頭の一体に浴びせかける。
槍を回して、それを受け止める紅い騎士。
二度、三度。技の限りを尽くして斬り付けるが、紅い騎士は巨体から槍を鋭く動かして、剣撃の全てを受け止めてみせる。
焦るな。
師の声が、脳裏に響いた気がする。
技だけでは駄目だ。体だけでも。心も整えて、敵と相対しなければならない。こんな基本的なことを、忘れてはいないか。
飛び退く。
火球が飛んでくる。爆破の魔法陣が、次々にフレイの足下に出現する。神の快速を生かして走り回りながら、一撃。通った。足を斬られた紅い騎士が、わずかに態勢を崩したところに、怒濤の連打を叩き込む。
そして懐に飛び込むと、武器を大槌に切り替えた。
渾身のフルスイングで、紅い騎士のすねを全力で殴り倒す。ぎゃっと鋭い悲鳴を上げた紅い騎士が、よろめいた。
多数のムスペル眷属に絡まれていたフレイヤが、その瞬間、ユミルの杖から一撃を叩き込む。
放たれた光が、防ごうと槍で弾いた紅い騎士の注意をそらす。虚空で光が爆裂し、多くのムスペル眷属を巻き込み、粉々にした。
その時、フレイは大上段に、テュールの剣を構えていたのである。
渾身の一撃で、紅い騎士の首を叩き落とす。
首を失った紅い騎士は、大量の血を間欠泉のごとく辺りにまき散らした。血に触れた地面が溶けていく中、紅い騎士の姿を失っていった。
これで、残るは五体。
吹き飛ばされ、叩き付けられる。
後ろから、ムスペル眷属の人形型が、拳を叩き付けてきたのだ。更に、倒れたところに、爆破の魔法陣が出現。
フレイは高々と打ち上げられた。
さらに、既に至近にまで迫っていた紅い騎士が、槍を振り下ろす。地面に叩き付けられ、バウンドし。だが、フレイはその反動を利用して、体勢を立て直す。
効いたが、致命傷では無い。
まだ、鎧も保つ。
火球を連続で叩き付けてくる一体に、真っ正面から迫る。すぐ後ろが連続して爆炎を噴き上げているのは、もう一体が爆破の魔法陣を叩き付けてきているからだ。爆発が、一瞬ごとに近くなってきている。
フレイの動きを、読んでいるという事か。
四方八方から、光が飛んできた。
数千にも達する親指型が集結し、フレイに攻撃を集中してきているのだ。走りながら、目につく奴は斬り倒すが、きりがない。
正面を塞ぐように、人形型の群れが降りてきた。
だが、横殴りに叩き付けられた矢が、人形型を吹き飛ばす。ラーンだ。
更に飛び込んできたヘルギが、大剣を振るって、人形型を斬り伏せた。意外に、息が合っている。
「早く行って! フレイ様!」
ラーンが煤だらけの顔で、矢を立て続けに放ちながら叫ぶ。
向きを変えて移動しながら、再び紅い騎士に向かう。ヘルギとラーンは、後ろで激しく眷属共と戦っているが、長くは保たない。
紅い騎士さえ屠りきれば。
跳躍して、中空から紅い騎士に躍りかかる。
焦ることなく、心を鏡のように保て。
自分に言い聞かせながら、剣を振るう。一撃。防がれる。二撃、はじき返される。
ひょっとして紅い騎士は、一体が倒されるごとに学習しているのでは無い。知識が、集約されているのか。
懐に飛び込み、両足を斬る。此処なら、槍があろうと関係無い。
紅い騎士が倒れかかるところに、切り上げようとして、慌てて飛び退いた。味方の紅い騎士の下に、もう一体が爆破の魔法陣を設置したのだ。連続して爆発が巻き起こり、フレイは必死に飛び退いて、直撃を防ぐので精一杯だった。
しかも、味方に爆破されても、紅い騎士は全く打撃を受けていない。
ムスペル同士だと、攻撃が直撃しても、通らないのか。理屈は分からないが、魔術的な理論なのだとすると。残念ながらフレイには理解が及ばない。
ぼやいていても仕方が無い。
まだ体勢を立て直している紅い騎士を、このまま倒しきる。連続して剣撃を浴びせ、槍を持っている手を叩き落とした。
だが、大量の眷属が群がってきて、四方八方から光を拳を叩き込んでくる。
味方は。
この状況で、フレイに加勢できる者など、いる筈も無い。フレイヤも身を守るので精一杯だ。
むしろフレイが、皆を助けるために動かなければならないのに。紅い騎士一体を倒し、二体を引きつけているとはいえ、まだ活躍が足りない。
叫ぶ。
そして真上に跳ぶ。人形型を踏み台にして、更に高く。
旋回するようにして周囲を斬り、着地と同時に最大加速。後ろが焦げるほどに近く、爆破される。
魔法陣が、地面を這うようにして飛んでくる。
しかもフレイが動く先を読むようにして回り込み、次々と爆破。先に倒した紅い騎士は既に槍を持つ手を再生させ、立ち上がろうとしている。二体がかりで集中攻撃をしてきたら、もはや勝ち目は完全に失われてしまう。
フレイは走る。
味方が、少しでも敵を引きつけてくれている。それが、フレイが動ける余地を作ってくれている。
だから、屈する訳にはいかない。
フレイヤは、兄が二体の紅い騎士と死闘を演じているのを横目に、氷の杖から魔弾の連射を行い、敵を削り取ることに専念していた。氷の魔弾の破壊力は、この杖を最初に握ったときより格段に増している。その上、アスガルドの宝物庫から見つけた増幅装置を付けているので、一度に射出できる魔弾の数も三倍に増やすことに成功していた。
見かけ次第敵を叩き落としながら、神の速度を生かして走り回る。一瞬だけ足を止めては、また氷の杖から魔弾を放つ。
皆、必死の戦いをしている。
戦力差は絶望的にもかかわらず、闘志は誰もが衰えていない。そんな勇敢な戦士達のために、フレイヤは隙を見ては、紅い騎士にユミルの杖から狙撃して、敵の戦力を削ぐ。殺戮の光の破壊力は凄まじく、ムスペルの手足を軽々ともぐ。ただ、倒しきるほど打撃を与えられないのが口惜しい。敵が群れてくるから、離れなければならないのだ。また杖を氷の杖に切り替えて、周囲の敵を粉々に砕く。
だが、周りにいるムスペル眷属が多すぎる。
しかも、フレイヤを自由にさせないように、常時追加されている様子だ。ムスペルはいつも機械的に戦っていたのに。
遠くで此方を見ているスルトらしき騎士をにらむ。あの者が、フレイヤを苦しめるためだけに指揮をしているのは疑いない。戦士達が命を燃やして戦っている場を汚すやり方だと、フレイヤは思った。
不意に、空中で特大の爆発が巻き起こされた。
ラウリーンを、またサーニャが使ったのか。使うなと指示はしたはずなのに。だが、それによって、空中に明らかな空白地帯が生じた。
敵の密度が減れば、動きもしやすくなる。
神の速度で、不意に動く。そして、敵の包囲をかいくぐった。追いかけてくる眷属達に、三回連続でユミルの杖から爆破の光を叩き込む。瞬時に千体以上のムスペル眷属が蒸発した。だが、フレイヤの魔力消費も加速していく。
剣を引き抜くと、目の前に落ちてきた親指型の眷属に突き刺す。相手の目に突き刺さった剣から、魔力を一息に吸い上げる。見る間にひび割れていく親指型。
これで、少しは回復できたか。
敵の包囲を抜けた。苦戦している味方を、支援に行ける。だが、包囲されて攻撃を受け続けていたのだ。鎧の負荷も、相当に高まっている。やはり兄の所に行くべきか。だが、視線を向ける限り、兄は単独でやれる。
一番苦戦しているのは、アネット、ではない。
ブリュンヒルデだ。
ワルキューレ随一の使い手は、今までの戦いで蓄積した傷が相当に響いているようだ。それに対して紅い騎士は気迫も充分。
空中に特大の火球を次々に放ち、爆圧でブリュンヒルデを翻弄している。吹き飛ばされたブリュンヒルデが、かろうじて飛行しているところに、更に追撃の火球を放とうとする紅い騎士。
フレイヤは、その死角から、ユミルの杖で破壊の光を叩き込んだ。
しかし、一瞬の隙に、ムスペル眷属が、射線に入り込んでくる。
爆発。しかし、それは紅い騎士の直前。
効いたには効いた。しかし、直撃はさせられなかった。
首を変な方向にへし曲げた紅い騎士が、うめき声を上げる。その声は無念のものというよりも、獲物を捕られた猛獣の怒りだった。
「ブリュンヒルデ、今です!」
叫び、氷の杖で制圧射撃を行う。
周囲のムスペル眷属を蹴散らし、ブリュンヒルデを支援しようと思ったのだが。しかし、ブリュンヒルデが、力なく地面に墜落したのを見て、フレイヤは愕然とした。あれほどの使い手が。
紅い騎士が、槍を振り上げ、吼える。
爆破の魔法陣が、無数に出現した。必死に走り回って逃げるフレイヤだが、動きを読むようにして、次々着弾。
横っ飛びに爆破から逃れながら、必死に考える。どうすれば、戦況をひっくり返すことが出来る。
魔光の宝剣は、まだ使うには早い。
あれはスルトに対して用いると、決めている。
走りながら、追いすがってくるムスペル眷属を叩き落としていく。しかし、奴らが放つ光や伸ばしてくる腕が、至近に着弾するだけで、フレイヤの鎧は見る間に力を削り取られていく。
ましてや、紅い騎士の攻撃をまともに浴びでもしたら。
王錫に持ち替え、魔法の稲妻を連続して放つ。
虚空で爆発したムスペル眷属だが、それを払い抜けるようにして、ぬっと紅い騎士が顔を近づけてくる。
のっぺりした、表情の無い顔。
憎悪に歪んだ巨神の顔と、どちらがマシなのだろう。
発作的に、炎の杖から火球を叩き込む。相手の視界を塞いだところに、氷の杖に切り替え、全身を魔弾で滅多打ちに。
だが、明らかに、敵の再生速度の方が速い。
唇を噛むと、ユミルの杖に持ち替えるが。しかし、その時。
伸びてきた紅い騎士の槍が、フレイヤを薙いでいた。
吹っ飛ばされ、地面に叩き付けられた。
強く背中を打った。呼吸が一瞬出来なくなる。その隙に、四方八方から、ムスペル眷属が殺到してくる。
紅い騎士も、上空に巨大な火球を出現させていた。
万事休すか。
紅い騎士の右手が、消し飛んだ。
倒れていたブリュンヒルデが、渾身の一撃を叩き込んだのだ。
跳ね起きたフレイヤは、紅い騎士の顔面に、ここぞとユミルの杖から破壊の光を浴びせかける。
分かっている。
この杖の力は、まだまだこんなものではない。創造神が作り上げた、おそらくは新しい世界の鍵となるだろう杖だ。
だが、今は。
使いこなせる部分で、使っていかなければならない。
顔面を爆破、は出来なかった。
紅い騎士は槍を盾のように回転させて、一撃を防いだのだ。腕は消し飛んでしまっていたが。
両腕を失った紅い騎士が、口をかっと開ける。
その口から、おぞましい火線が迸り、フレイヤの至近に着弾。連続して爆発が引き起こされる。
腕も高速で再生が始まっている。
せっかく此処まで追い詰めたのに、とてもではないが、攻勢に出る余裕が無い。疲弊が酷いが、もう一度ユミルの杖で。
そう思った瞬間、事態が動いた。
最後の力を振り絞って飛んだブリュンヒルデが、槍を紅い騎士の首筋に叩き込んでいたのだ。
そして、残った力の全てを、撃ち込む。
紅い騎士の首に大穴が開いた。
大量の血が前後左右にばらまかれる。まるで溶岩のような強い殺傷力を持つその血は、容赦なくブリュンヒルデも襲っていた。
墜落するブリュンヒルデ。
抱き留める。
ブリュンヒルデは、フレイヤを兄だと勘違いしたようだった。
「フレイ様。 私は貴方の、役に立てましたか」
「私は……」
それ以上は、言葉に出来なかった。
ブリュンヒルデは満足そうに目を閉じると、魔力化して、その命を終えた。神としては決して長いとは言えない命だったが。それでも、悔いが無さそうに、フレイヤには見えたのだった。
紅い騎士が減ったことで、敵の動きが鈍くなりつつある。
だが、アネットの戦況は、決して良いとは言えなかった。
アネットが渡り合っている紅い騎士は、右手一本しか、先ほどから使っていない。完全にアネットをそれで封殺し、周囲に介入する隙を狙っている様子だった。
アネットは無言のまま、相手と切り結ぶ。
舐めているなら、それでいい。
気付いているかどうかは分からない。アネットが可能な限り力を抑えながら、周囲のムスペル眷属を、戦いの合間に叩き落としていることに。
ブリュンヒルデから預かったこの神の剣は、今やアネットの分身だ。一振りすれば必ず敵を斬る。勿論フレイの使っている神剣ほどの威力は無いが、必中という点では決して負けていない。
サーニャの自爆覚悟でのラウリーンの爆撃、それにフレイヤによる高火力の殲滅で、目だってムスペル眷属は減ってきている。
人間達の奮戦もある。
此方を舐めている紅い騎士の気を、今は可能な限り引きつける。フレイとフレイヤが、敵を必ず撃滅してくれる。そう信じて。
紅い騎士が面倒くさそうに、槍を持ち替える。見た事がある構えだ。ブルグントの兵士達が、槍を主体として戦うとき、あんな構えをしていた。腰を引いて槍を両手で持ち、やや穂先を上に向け、足を心持ち前後に開く。踏み込んで一息に相手を貫くための構えである。
アネットが飛び退く。
紅い騎士は今まで、あの槍を防御にしか使っていない。攻撃をするときも、槍を魔術の媒介にしても、槍自身で突いてくる事はあまりなかった。
急に行動を変えてきたのは、何故なのだろう。
距離を保ったまま、アネットは後ろから迫っていた人形型を斬り伏せた。振り向きもせず、紅い騎士から視線も外さない。
への字に結んだ口が、ぎゅっと縮む。
紅い騎士と単独で戦えるとは、アネットだって思っていない。相手がいざ本気になってしまったら、勝ち目なんて。
風が鋭い音を立てた。
槍が、至近を抉り抜いたのだと気付いたときには、本能的に横っ飛びに逃れた後だった。戦闘で磨いてきた勘がなければ、瞬時に串刺しだっただろう。
紅い騎士は、あの巨体で。
武術まで使いこなすのか。
巨神も武術や魔術を使う奴がいたが、紅い騎士とは身体能力が根本的に違いすぎる。この脅威、計り知れない。
二撃目が飛んでくる。
必死に避けながら、間合いを計る。だが、紅い騎士の槍は、明らかに目測以上の距離まで伸びている。
しかも、味方を上手く使って、アネットを囲もうとしている。退路を塞いだところに、槍の一撃を叩き込むつもりだ。
虫のように不規則に飛ぶ軌道を変えながら、アネットは槍の一撃をかわしていくが、しかし。
一撃ごとに、狙いが正確になってくる。
足を薄く斬られた。
肩当てが吹き飛ぶ。
必死に体勢を立て直して、此方に光線を放とうとしていた親指型をまとめて斬り伏せる。だが、突き飛ばされるようにして、吹っ飛んだ。
地面に叩き付けられたアネットは、呻く。
背中から、突きを喰らった。
幸い射程距離からは外れていたから、即死とは行かなかったが。しかし、起き上がろうとしたところを、踏まれた。
人形型だ。
至近で見上げると、大きい。通常の巨神に匹敵するほどのサイズだ。
神の武具があったから渡り合えた相手だ。唇をぎゅっと結んで、反撃の機会をうかがう。このまま踏みつぶされてなるものか。
ぎゅうぎゅうと力を込めてくる。
槍の一撃でダメージを受けた鎧が、大きな負荷に軋んでいるのが分かった。力も強くて、脱出できない。
しかも、アネットの頭に向けて、他の人形型が、拳を繰り出そうとしているのが見えた。万事休すか。
不意に、軽くなる。
飛び上がりつつ、前にいた人形型を斬り伏せた。爆発が巻き起こる中、アネットは距離を稼ぎつつ、見る。
傷だらけのラーンが、アネットを踏んでいた人形型を、射貫いたのだ。
側ではヘルギも戦っている。
人間の戦士達が、周囲で必死にムスペル眷属達を倒していた。下級の神の武具を渡されている戦士達もいる。彼らは、互角以上の戦いを、恐るべきムスペル眷属を相手に行っていた。
紅い騎士が、人間達を見る。
やらせない。
アネットは、急加速して、相手に迫る。親指型が放った光が、途中何度もかすめてきたが、不規則に軌道を変えて避ける。
此方を面倒くさそうに見た紅い騎士が、ゆっくり槍を旋回させる。
あれは、繰り出す穂先を悟らせないための手か。
予想は当たった。まるで蛇のように、槍の穂先が飛んでくる。軌道がまるで読めない上に、稲妻のような速度だ。
一撃目はどうにかかわす。
だが、槍を引くのも速い。まるで巨大な達人を相手にしているようだ。
即座に二撃目が飛んでくる。
鎧を削り取られるのが分かった。これは、長くは保たないかも知れない。でも、逃げれば、人間の戦士達が、此奴に蹂躙される。
そんなこと、絶対にさせない。
アネットは斬り付けた。
狙うは紅い騎士の目。一撃で、左目を抉り去りながら、頭上を抜ける。振り返るようにして軌道を変えた瞬間。
吹っ飛ばされ、虚空できりきり舞いをさせられた。
すぐ至近に、親指型が多数。今の動きを読み切って、光線での爆撃を浴びせてきたのだ。これは、まずい。
鎧の魔力が、急激に失せてきている。
後一撃、いやもう耐えられない。
紅い騎士が、目を高速で再生させている。右目は健在。振り返ってくる。そして、槍を構えた。
への字の口を、少しだけ開ける。
そして、深呼吸した。
紅い騎士を倒せる手札は、無い。でも、一つだけ、倒す好機がある。
再び、相手の懐に躍り込む。
人間達が、支援をしてくれるのが分かった。特にラーンの放つ矢が、路を塞ごうとした人形型を、潰してくれる。
うねるように空を飛びながら、アネットは紅い騎士に迫る。
飛行は昔、あまり得意ではなかった。
だが、歴戦で、いやでも鍛えられた。それに何より、アスガルドで受け取った幾つかの魔術の道具で、飛行速度も精度も上がっている。
その力を借りて、今アネットは、紅い騎士を討つ。
紅い騎士が、構えを取る。
その構えが、一瞬だけ、揺らいだ。
足下。
ヘルギが、紅い騎士の足に、渾身の一撃を浴びせたのだ。他の兵士達も、紅い騎士に集中射撃をしている。
紅い騎士の、わずかな隙。
アネットが、相手の脇を抜けながら、右目を切り潰していた。
紅い騎士があげた雄叫びは、怒りの咆哮だったのだろうか。槍は嫌に正確に、アネットを狙って迫ってくる。
不意に速度を落とし、真下に。
そして地面すれすれまで落ちると、地面を蹴って、今度は最高速度で上がる。
狙うは、紅い騎士の首筋。
首を切り裂けば、動きも止まる。そうなれば、集中攻撃を浴びせて、押し切ることだって、出来るはず。
だが。紅い騎士の動きは、アネットの予想を超えていた。
残像を残すほどの速度で動いた手が、アネットを掴む。反応も出来なかった。目も見えていないのに、どうやったのか。
一機に締め上げられる。
悲鳴が零れた。情けないと思うけれど、鎧の負荷はもう限界。これで、どうやら終わりらしい。
紅い騎士の側頭部に、巨大な矢が突き刺さる。
フレイか。
いや、マグニだ。マグニがもう一矢をつがえているのが見えた。紅い騎士が五月蠅そうに、頭から矢を抜く。
だが、その時には、既にアネットは、拘束から抜け出ていた。
そして、頭の傷に、全力で斬撃を叩き込む。流石に身をよじった紅い騎士。倒れない。だが、頭から盛大に血を噴き出している状態だ。効いていないはずがない。
もう一撃。
腕の感覚がなくなりそうだ。至近、右で爆発。ラーンの援護射撃で、親指型が消し飛んだのだ。
剣を構え直すと、全力で傷に向けて突撃。
傷口に、渾身の一撃を叩き込む。
紅い騎士の頭の向こう側から、大量の鮮血が噴き出した気配があった。傷が、頭を貫通したのだ。
これなら、どうだ。
だが、紅い騎士が、ぐるんと此方を見る。
お前も、道連れだ。
溶岩のような血を大量にまき散らしながら、破滅の騎士は、そう言っているように見えた。
もう、動けない。
腕もしびれて、神としての力も、限界だ。
マグニが更にもう一矢を叩き込むが、紅い騎士はまだ動いている。その口が、ゆっくり開いていく。
口の中に、恐ろしい魔術の光が見えた。
ああ、死ぬ。
アネットは、恐怖に竦んだまま、動けない。
紅い騎士が、ゆっくり横に倒れていく。足を、完全に斬り倒されたのだ。下で、ヘルギがやったらしい。
同時に、気力の全てを使い果たしたアネットも、そのまま墜落した。
神の武具である盾を構えたまま戦場を駆けるハーゲンは、気付く。
マグニ神が、苦闘している。
残り三体まで、紅い騎士は削り取られた。だが一体が、だからなんだと言わんばかりに、進んできている。フレイは二体を相手にするので精一杯。フレイヤは、無数のムスペル眷属に纏わり付かれて、身動きが取れない。
そして、マグニ神の力では、どうみても紅い騎士を相手にするには不足だ。
今も爆破の魔法陣を連続で放たれて、逃げ惑うことしか出来ていない。口惜しそうにしているが、紅い騎士の周囲にはムスペル眷属も多数いる。
この戦場、もはや秩序は無い。
王が心配ではある。ただし、乱戦になるのは戦闘の開始前からわかりきっていたから、動揺は無い。
火球を、紅い騎士が放つ。
マグニは避けられそうに無い。口惜しそうに肩で息をついている。
割って入ったのは、その時だ。
神の武具の盾を構えて、一撃を受け止める。爆圧で本来なら消し飛ばされているだろうが、流石に神の武具。衝撃も最小限に押さえ込んで、防ぎきることに成功した。ただし、盾がもの凄く熱くなっている。
「お前、確か騎士団長」
「神よ、好機です。 急いでください」
「……っ」
マグニが弓を引き絞る。
そして、煙幕の向こうにいる紅い騎士に、撃ち込んだ。
まさか、この状況から反撃されるとは思わなかったのだろう。紅い騎士が態勢を崩すのが分かった。
マグニの腰には、ハンマーがある。
他の神の武具同様に、使っていないときはごく小さい。戦闘で用いるときだけ、非常に巨大なものに変化するのだ。
あの名高いトールの息子であるから、マグニもハンマーが得意なのかと思っていたのだが、どうも違うらしい。弓矢で戦うところは何度も見たが、結局ハンマーで戦うところは、見た覚えが無い。
更にもう一矢。
だが、高い音と共に、矢がはじき返されるのが、ハーゲンにも分かった。煙幕から、ぬっと紅い騎士が姿を見せる。顔面に矢が突き刺さっているが、一本だけ。二本目は、あの恐ろしい槍で防いだか。
「もう何柱か神が生き残ってたら、此奴とも渡り合えたかも知れねえが。 くやしいが、俺だけじゃあ此奴の相手は難しい」
「隙を作ります」
「お、おい」
ハーゲンは、既にこの戦場から、生きて戻れるとは考えていない。
王だって無事に済むとは思えない。神の武具である、敵の攻撃を吸収して自損する鎧を受け取ってはいるが、それでも焼け石に水だろう。
上手くすれば、フレイヤが此方の苦戦に気付いてくれるかも知れない。フレイはとても介入する余裕が無いだろうが、或いは。
ハーゲンが、火球を防いだことに、気付いたのだろうか。
紅い騎士が面倒くさそうに、ハーゲンを見た。
周囲に支援できそうな味方は一人もいない。せめて十人でも兵士がいれば、少しはましだったのだろうが。
マグニが、再び弓を引き絞る。
紅い騎士が槍を振り上げるのが分かった。マグニを狙っている。大剣を手にして、ハーゲンは突進。
紅い騎士の足下に入り込むと、指に突き刺した。二度、三度。
苛立ちを込めて、紅い騎士が足を振り上げる。
マグニが矢を放った。軸足に突き刺さり、紅い騎士が態勢を崩す。そして、ハーゲンも、軸足に渾身の一撃を振りかぶって、叩き付けた。
気付く。
爆破の魔法陣が、周囲に十以上出現した。
神を倒すために、紅い騎士が使っているものだと、ハーゲンだって知っている。余程頭に来たのだろう。
だが、好都合だ。
一番外側の魔法陣まで、どうにか逃げる事に成功。盾をかざすのは、かろうじてまにあった。
吹っ飛ばされる。
火球の比では無い衝撃だった。
地面に叩き付けられる。物心ついた頃から武術の英才教育を受け、徹底的に鍛えてきた体でも。これは、致命打になるに充分だった。
それでも、ハーゲンは立ち上がる。
紅い騎士が、此方に本気の一撃を叩き込んできた、という事に意味がある。マグニがその隙を突いてくれれば。
マグニは。
矢を放った態勢のまま、固まっていた。
なんと紅い騎士は、ハーゲンに爆破の魔法陣を放ちつつ、槍でマグニの矢を防いで見せたのだ。
それだけではない。
もう面倒くさいとばかりに、紅い騎士の頭上に、多数の火球が出現する。まとめて周囲を焼き払うつもりか。
盾が熱い。
もう一撃を受けたら、おそらくは木っ端みじんだ。
だが、あの攻撃である。放った直後は、相当に大きな隙が出来ることは疑いない。盾を剣で叩く。挑発するためだ。
「貴様、此方を見ろ! 私はまだ生きているぞ!」
紅い騎士は、ハーゲンを一瞥だけする。
だが、マグニから視線は外さない。マグニはまだ、紅い騎士にダメージを与えられる可能性があるからだろう。
戦士としてのプライドもあるが、それ以上にハーゲンは戦場で生きてきた男だ。どうすれば勝てるかを、まず第一に考える。
マグニからの注意を外させなければならない。だが、敵は周囲の全てを薙ぎ払うつもりだ。どうすれば、隙が出来る。
フレイヤを見る。
駄目だ。千以上の敵に纏わり付かれている。とてもでは無いが、此方を支援擦る余裕は無い。
フレイは。
二体の紅い騎士と同時に戦っている最中だ。
ワルキューレも、戦える者は此方の近くにはいない。ならば、もう自分で、どうにかするしか無い。
此処で紅い騎士を屠ってしまえば、敵の勢いは一気に減じる。マグニで力不足なら、ハーゲンが戦うほかあるまい。
確かに人間はムスペルに比べれば、著しく非力だ。英雄と讃えられたハーゲンでさえ、例外では無い。どれほど神々によって品種改良され、強化されてきたといっても、小さくて弱い生き物でしか無い。
だが、人間は。
少なくともハーゲンは、容易に屈しない。その事だけで、差を幾分か埋めてやる。
火球が、一斉に放たれる。
世界が、朱に染まる。
マグニが、高々と吹き飛ばされるのが分かった。あれは、致命傷だろう。ハーゲンも、灼熱に包まれる。
全身が、溶けるような熱だ。
爆炎が収まる。
紅い騎士は、クレーター状に吹き飛んだ周囲を見て、満足そうに目を細めた。
だが、その目が、驚きに見開かれる。
ハーゲンが、足下に。しかも、剣を突き刺していたからだろうか。爆発が、紅い騎士にダメージを与えないだろう事は、分かっていた。つまり、紅い騎士の体の真下こそが、唯一の生存スペースだ。
失敗していれば、蒸発してしまっただろう。
だが、どのみち、あの攻撃はどうにも避けようが無かった。これで、良かったのだ。
後は、出来る事をするだけだ。
さっき付けた傷は、まだ回復しきっていない。もう一度剣を叩き込み、更に抉ってやる。流石に面倒くさくなってきたのか、紅い騎士が踏みつぶそうとしてくる。
「マグニ神! 今だ!」
紅い騎士の喉に、矢が突き刺さる。
流石に愕然とした紅い騎士。喉に矢が突き刺されば、普通は致命傷だ。それでも倒れないのは流石だが、しかし動きが露骨に鈍くなる。
軸足を更に突き刺し、走りながら抉り抜く。
ハーゲンは、口から血が伝っているのに気付いていたが、そのままにしていた。今の爆発、受けて無事で済むはずが無い。右耳の鼓膜は破れてしまっているようで、さっきから雑音が酷い。
体の方はというと、殆ど痛みが無い。
つまり、もう死が間近だと言うことだ。
それもいい。
此処で紅い騎士を倒せば、王を守ることに直接つながる。もはや軍を解散するほどの状況だ。ハーゲンが側にいるよりも、めぼしい敵を倒した方が、よほど王の安全に貢献できるというものだ。
紅い騎士が喚く。槍を振り上げ、また辺り中に火球を撒こうとする。
だが、その手首に、光の矢が突き刺さる。
ラーンか。
槍を振るう手が、一瞬だけ止まる。マグニが、更に一本、紅い騎士の喉に矢を叩き込んでいた。
白目を剥いた紅い騎士が、尻餅をつく。
だが、ハーゲンは、限界だった。膝を突いて、必死に呼吸を整えようとするが、上手く行かない。初陣の小僧のように、無様な動悸を晒してしまっていた。盾も赤熱してしまっていて、手指も動かせない。火傷どころか、骨まで焼け付いてしまっていると見ていい。生き残っても、左手は手首から先を切り落とさなければならないだろう。
「騎士団長!」
ラーンが叫ぶ。
顔を上げると、まだ紅い騎士が動いている。
良いだろう。
ガルムとも呼ばれ敵に怖れられたこのハーゲン、一世一代の晴れ舞台だ。紅い騎士の足に這い上がると、そのまま走る。立ち上がろうとしている紅い騎士の額に、マグニが矢を直撃させた。
首をがくりと後ろに折る紅い騎士だが、まだ生きている。
倒すなら、急所を抉るしか無い。
手が飛んできて、ハーゲンを掴もうとする。
掴ませる。
ただし、熱くなっている盾をだ。左手の手首から先も持って行かれたような気がするが、もうどうでもよかった。
溶けそうなまでに熱している盾を掴んで、熱の化身の筈の紅い騎士が、雄叫びを上げた。何だか、それが酷くおかしい。
跳躍。
もう、それさえ、出来なくなりつつある。だが、渾身の力を込めて、飛んだ。
空中で一回転して、狙うは。首筋。
如何にムスペルでも、首を飛ばされれば死ぬ。紅い騎士でも、それは同じ事だ。今まで、フレイから話を聞き、他の兵士達からも戦闘の様子を聴取して、しっかり理解していた。
だから、その灼熱の血を浴びることも厭わず、飛び降りつつ頸動脈を切り裂く事に、迷いは無かった。
膨大な血を浴びる。
ああ、死ぬ。
分かっていながらも、ハーゲンは叫ぶ。
「今だ、マグニ神!」
任せろ。勇敢な騎士。あんたの剣は、冥界の魔獣の牙なんか、目じゃない鋭さだったぜ。
それが、ハーゲンの聞いた、最後の言葉となった。
紅い騎士が、頸動脈を貫いた矢を抜こうとしながら、断末魔の悲鳴を上げる。
生き残っている戦士達が、四方八方からその体を切り刻んでいるのが分かった。溶岩のような血に沈みながら、ハーゲンは王に対して、戦勝の報告をしていた。王がほほえんでくれるのが、何よりも嬉しかった。
2、増幅される灼熱
グンターの元に、報告をするため、ラーンは戻った。
間近で見た。
ブリュンヒルデと、ハーゲンの死を。ブリュンヒルデは気に入らないところがあったが、綺麗だったし、戦士としては尊敬できる所があった。ハーゲン騎士団長は、多少お堅いところがあったが、それでも立派な上司だった。
王に報告をするとき、涙が零れるのを、止められなかった。
「そうか。 あのガルムが逝ったか……」
限りない数の部下の死を見てきた筈の王も、声を震わせている。
ラーンは涙を拭うと、そばにあった神酒をつかみ、一息に煽った。酔うためでは無い。魔力を回復するためだ。
ラーンが渡された魔法の弓は、生体魔力を極限まで増幅し、光の矢として放つ。勿論フレイの持っている神の武具ほどの力は無いが、ムスペル眷属だったら落とせる。今日、人間に限定すれば、誰よりも多くのムスペル眷属を倒したのはラーンだ。
「戦場に、戻ります」
「後紅い騎士は、あの二体だな」
「はい。 フレイ様の負担を、少しでも減らさないといけませんから」
この期に及んでも、ラーンはフレイのことが好きだから、役に立ちたいとか思っている。きっと、周囲は呆れているだろう。
でも、ラーンはそれでいいと、自分の事を諦めている。結局、恋愛体質である事に、変わりは無かった。
グンターの側には、サーニャがいる。
あの気弱なワルキューレは、自分を砲台として活用する事に決めたらしい。回復を使える神はもう生き延びていない。
つまり、回復などしている暇があったら、その間に敵を潰す、と言うわけだ。
実際、ムスペル眷属は、サーニャが放った爆発で、相当数が落ちている上、組織的な行動が出来なくなってきている。
ラーン自身も、体中痛い。
火傷の数はどれほどかも分からない。切り傷や打撲傷も酷い。
だが、フレイはさっきから、ラーンが喰らったら粉みじんになるような攻撃を、何度も浴びながら、それでも立ち上がって戦っている。
分かっているのだ。
フレイが苦悩して、必死に戦っていることくらい。神様だって、完璧では無い。それは、アスガルドを直に見て、よく分かった。
痛くないはずがない。あんなに仲が良かったシグムンドが、酷い死に方をして。守ろうとしていた人達が、ばたばたと死んでいって。
認めたくは無いけれど、フレイヤだって同じだろう。
ラーンに出来るのは、フレイの敵を少しでも減らすこと。敵の注意を、ほんのわずかでも引きつけること。
この恋が実らないとしても、やれることは、全てやっておきたいのだ。
矢を放つ。
親指型を叩き落とした。既に弓矢の腕前なら、神業と言われていたシグムンドにも負けない自信がある。勝てるかは分からない。死んだ人とは、勝負が出来ないからだ。
味方に襲いかかろうとしていた人形型を、速射して二体連続で。歩きながら、右へ左へ矢を放ち、次々敵を射貫く。まだ、此処は最前線じゃ無い。だが、乱戦が酷くなるにつれて、敵の浸透も増してきている。
このままでは、いずれ王がいる本陣にも、敵が到達するだろう。
紅い騎士が見えてきた。
二体がフレイと激しく戦っている。フレイは不利だ。アネットは倒れて担がれ、連れて行かれた。マグニは傷だらけで、とても参戦できる状態ではない。フレイヤはと言うと、凄い数のムスペル眷属どもに纏わり付かれ続けていて、とても兄の苦戦を助けられる状態には無い。
幸いにもと言うべきか、ムスペル眷属はかなり目減りしている。
フレイヤに集っている連中を除けば、もう飛んでいる数は、交戦開始時とは比較にもならない。
しかし、それと同等かそれ以上に、味方も倒れているのだ。
紅い騎士が残り二体になったとはいえ、もう殆ど人類には戦う力が無い。エインヘリアルも、もうわずかな数しか戦っていない。
フレイヤが、集中攻撃を浴びている。
フレイも苦戦中だが。今、フレイを救えるのは、フレイヤだけだ。ラーンだけでは、紅い騎士の注意を一瞬そらすのが精一杯。それでは、二体の紅い騎士を相手に、フレイが勝つことはできない。
ヘルギを見かけた。
血だらけだが、まだ頑張っている。
「ヘルギ!」
「なんだよ、敵よりおっかないのが来たのかよ」
「くだらないこと言ってないで。 フレイ様を助けるわよ」
フレイを助けるために、まずフレイヤに懸かっている敵の圧力を削る。ラーンの剣腕は正直豪傑達に比べるとどうと言うことも無い。だから、前衛がいる。
近づいてくる相手は、ヘルギにまかせる。
距離を適当に取ったまま、ラーンは速射を続けた。
次々に落ちる。フレイヤの殲滅速度にはとても及ばないが、それでも意味はある。フレイヤの後ろに回ろうとしている奴を叩き落とし、上を取ろうとしている奴を貫く。三十匹ほど倒した時だろうか。
眷属共の部隊が、明らかにラーンを見た。
そして、一斉に向かってくる。
下がりながら、矢を連続して放つ。数百はいる相手だ。その猛攻は途方も無い。何度も至近で爆発が起こる。
味方の兵士も殆どいない今、その負荷はあまりにも大きかった。
だが、分かっていたことだ。敵は案山子では無いのだ。撃たれていれば、当然反撃に出てくる。
むしろ数百もこっちに来てくれたのは好都合である。
走りながら、一匹、二匹、と数えつつ、落としていく。だが、爆発がどんどん近くなってきた。
ヘルギが何匹か、フルスイングで吹き飛ばすのが見えた。
口さえあれじゃなければ、優れた戦士なのに。ラーンはぼやく。もっとも、ラーンは周囲と価値基準が同じでは無い。強い戦士というのは、決して恋愛の対象にはならない。
フレイヤに懸かっている圧力が、明らかに小さくなるのが見えた。
此方を一瞥するフレイヤ。
つまり、それだけの余裕が出来ている、ということだ。悔しいけれど、フレイを助けるには、あの嫌いな妹神に頼るほか無い。
矢を連続して放って、ムスペル眷属を落とす。味方は。周囲で殆ど残っていない。わずかな味方も、自分に纏わり付いてくるムスペル眷属を相手にするので精一杯だ。ラーンは走る。矢を放つ。
フレイ様。
気がつかないうちに、呟いていた。
この思い、届きますように。
また、呟いていた。
気がつくと、高々と舞上げられていた。どうも、親指型の放つ光の爆発が、至近の地面に直撃したらしい。
地面に叩き付けられ、転がる。
息が出来なくなった。
ラーンは鍛えているとはいえ、超人では無い。今までも、戦いでは散々に酷い目にあって来たが、これははっきり言って、駄目かも知れない。
ふと気付くと、空に綺麗な花が咲いていた。
ぼとぼとと大量のムスペル眷属の残骸が落ちてくる。そして、フレイヤが、自分を見下ろしていた。
「陽動、ありがとう。 貴方に感謝するのは、正直気分が悪いのだけれど。 助かりましたし、礼を言います」
「何よ、私が貴方を嫌いって、気付いていたんだ」
「目を合わせてくれないし、兄様との会話に割って入ろうとするし。 子供であっても気付きます」
「いい加減兄離れしなさいよ。 あんたのせいで、私の数少ない夢が、邪魔されてるんだから……」
それは違う。そんなことは、ラーンにも分かっている。
フレイヤがいなかったとしても、フレイはラーンなど眼中には入れないだろう。あの神様は絵に描いたような朴念仁だ。そもそも恋愛感情があるかさえ怪しい。神殿に飾られていたフレイ様の像には説明が書かれていて、欲望に忠実とかあったのだけれど。それとは正反対だった。
だから、当てつけで、筋違いだとラーンだって知っているのだ。フレイヤがラーンを嫌うのも当然。
でも、フレイが自分を見てくれない悲しみをぶつける相手は、他にはいなかった。
フレイヤには、悪いと思う。
でも。決して口にはしない。
ヘルギが来た。
ラーンと同じくらいぼろぼろだ。
フレイヤに促されて、ラーンを担ぐ。周囲はフレイヤが一掃したらしい。敵の戦力がかなり削られた隙に、大威力の攻撃で一気に粉砕した様子だ。ラーンはもう身動きが取れないが、フレイヤは敵の檻から解き放たれた。
ただ、魔力があまり残っているようには見えない。
「本陣に戻るぞ。 凄い手柄だな」
「ちょっと……触らないでよ……」
「じゃあどうやって担ぐんだよ」
「運んでもらうなら……フレイ様がいい」
悪かったな、フレイじゃ無くて。ヘルギがぞんざいにラーンを脇に抱えて運びながら言う。
今は休んで、次の戦いに備えよう。
アネットもサーニャも回復どころでは無い様子だから、しばらく痛みを抱えて唸らなければならないだろう。
武勲の代償は。決して小さくは無かった。
フレイを追い詰め、槍を振り上げた紅い騎士の側頭部に、爆発の光が炸裂する。ユミルの杖からの狙撃だ。
フレイヤによる援護射撃である。
フレイはこの機を逃さず、剣を振るい上げる。顔面を割られた紅い騎士は、それでも死なず、槍を振り下ろしてくる。
槍が地面に突くと同時に、爆発の術式を発動させたらしい。
吹っ飛ばされるフレイ。
だが、威力はそれほどでもない。同時に後ろに飛んだから、耐え抜くことも出来た。鎧の負荷は酷い状態だが、まだ耐え抜ける。
膝を突いた紅い騎士。
もう一体が、庇うようにして、前に出てくる。フレイヤが、またユミルの杖に力を貯めているのが、遠くに見えた。
纏わり付いているムスペル眷属は、殆どいない。
人間達がやってくれたのか。厳しい戦いが続いていたから、殆ど見る余裕は無かった。
「兄様、支援に入ります」
「うむ。 今、大きく傷ついた紅い騎士に集中攻撃を。 私は、無事な方に、打撃を与えることに専念する」
「分かりました」
妹神と思念で会話すると、フレイは躍り出る。残りは事実上、この一体だ。大きく傷ついた一体に、フレイヤが負けるはずが無い。一気に斬り伏せ、スルトと勝負が出来る体制を作り上げる。
真正面からの一撃を放つ。
予想通り、槍で防がれる。紅い騎士の槍術は、一秒ごとに恐ろしい向上を果たしている。それは分かっている。
だからこそに、敢えて受けさせたのだ。
更に前に出る。懐に入ってしまえば。
しかし、もくろみは、即座に瓦解した。
接近してくるフレイを見て、紅い騎士は槍を振り上げた。火球が、紅い騎士の周囲に、無数に出現した。
そして、紅い騎士を守るように、周りに無差別に跳び、爆破を開始する。槍からは火球が際限なく出現し、爆発し続けている。
どうあっても近づけないつもりか。
いや、違う。
火球が幾つか、フレイに飛んでくる。それも、かなり精度の高い飛び方で。つまり、近づけないようにしつつ、フレイに攻撃をする。なおかつ、隙を見て防御から攻撃へと切り替える気か。
想像以上に、紅い騎士は、進化している。
爆発を必死に避けながら、フレイは走る。剣圧で火球を切り裂き、吹き飛ばし。だが、相手の火力は無尽蔵だ。その上、フレイの消耗が酷い事を見越した上で、長期戦に持ち込もうとしている。
長期戦になると、どんな事故が起きるか分からない。しかし紅い騎士の火力は、文字通り圧倒的。
すぐ近くで、炎が爆ぜる。
既に面影も無いほどに壊し尽くされたアスガルドが、更に灰になり、その灰が更に焼き尽くされていく。
草木も全滅。
虫も、もう生き延びてはいないだろう。
アスガルドを出てしまえば、其処には虚無が永遠と広がるばかり。
紅い騎士達は、それでも。己の本能に従って、全てを壊そうとしている。そうは、させてなるものか。
フレイは、神だ。
導かなければならない。人々を。
守らなければならない。
剣を振るって、数個まとめて火球を爆砕する。徐々に、フレイが振るう剣が、相手の攻撃を押し返しはじめる。
紅い騎士が炎を放ちながら、右足を上げる。
何をする気か。
足を振り下ろすと同時に、紅い騎士の周囲全てが、爆音と共に吹き飛んだ。
灼熱の中、フレイは見る。
紅い騎士に、表情が浮かんでいることを。これは、この狂気に満ちた顔は。ヴェルザンディ。いや、スルト。
奴は、部下に自分の心の一部を移すことも出来るのか。
だが、それはむしろ好機。自分に言い聞かせる。鎧の打撃は、もうどうしようもない所まで来ている。
それでも、フレイは、空中で剣を振るっていた。
紅い騎士の顔面に、横一文字の傷が走る。更にそれが二つ増える。
着地。
全身に、鈍い痛みが走った。
これは或いは、既に肉体負荷が限界に近づいているのか。鎧だけがダメージを受けるのでは無い。肉体にも、当然打撃は入る。
しかも、フレイはここしばらく、殆ど休みも取れず、無理な回復を続けてきているのだ。限界は来る。
紅い騎士が、再び足を上げる。
火球の連続攻撃に、あの爆砕を組み合わされたら。もう一度は、耐え抜けないだろう。
フレイは吼えると、火球を切り裂きながら、強引に敵の懐に飛び込んだ。そして、せせら笑う顔に対して、テュールの剣から大槌に切り替え、渾身の一撃を叩き込んでいた。
顔が陥没する。
首がへし折れる。それでも、紅い騎士は、死なない。
頭が損壊しながらも、紅い騎士はなお、フレイを掴もうとした。だが、その手に、矢が突き刺さる。
マグニか。
フレイは地面に落下しつつ、紅い騎士を滅茶苦茶に斬り付けた。大量の鮮血をばらまきながら、紅い騎士が崩れ落ちていく。
そして、同時に。
フレイヤが戦っていた紅い騎士も、肉体を崩壊させ、地面に溶けていった。
呼吸を整える。
咳き込んだのは、辺り中がおぞましい赤い霧に覆われているからだ。紅い騎士の置き土産である。
全ての紅い騎士が、これで倒れた。
ムスペル眷属だけなら、駆逐は難しくない。
フレイヤが駆け寄ってくる。妹神もずたずたにやられていた。アスガルドの貴公子などと呼ばれたこともあったフレイだが、もはや他人が見たらどう思うだろう。煤だらけで血だらけで、鎧も輝きを失った。
回復の術を掛けようとするフレイヤ。
だが、今はいいと、首を横に振る。まだ、スルトがいる。フレイヤの魔力は、スルトに叩き込むために、残しておくべきだ。
敵陣を見据える。
高笑いが響き渡ったのは、その時だった。
ムスペルの眷属達が、一斉に引き上げはじめる。
紅い騎士が全て倒れたからだ。しかし、引き始めるのは、それはそれで異常だ。
ヘルギは、生き残った戦士達と一緒に、最前線に向かう。もうみんな傷だらけだ。目を覚ましたアネットや、魔力を回復に切り替えたサーニャが、特に酷いけが人を回復して廻っている。
皮肉な話で、数があまりにも減ったから。回復自体は、手が足りるようだ。
最前線が見えてきた。
マグニと、フレイと、フレイヤが立ち尽くしている。
既にアスガルドにて生きている神は、あの三名のみ。サーニャとアネットは半神らしいと、ヘルギは以前聞いていた。
不意に、高笑いが聞こえてくる。
不快感に、眉をひそめたヘルギ。
後ろでは、グンターが、槍を取って馬から下りていた。
「これで勝ったつもりとは、滑稽なり」
「あの化け物が喋ってやがるのか」
「何よ、偉そうなしゃべり方をして」
ラーンが毒づく。
ヘルギも、罵声を浴びせてやりたいが。今は、そんなわずかな体力でも、温存して残したい。
「紅い騎士はもういない! お前の直衛はないぞ!」
「それはどうかな」
信じがたい光景が、見せつけられる。
空に集まった三万程度のムスペル眷属達が、三つの塊になっていく。そして、唖然としている皆を嘲笑うように、見る間に紅い騎士の姿に変わっていくのだ。
そうか、こういうことだったのか。
ムスペル眷属は、元々同じ種類の何かなのだ。それが分散しているか、固まっているかで、紅い騎士か、雑魚かに分かれる。
新に出現した、三体の紅い騎士。
「ムスペルがきよる。 次から次へと……!」
流石のアルヴィルダも、無念と共に怒りをはき出すのが精一杯のようだった。わずかな眷属をつれて、殺気と熱気を纏った滅びの紅い騎士が、満身創痍の此方に向けて歩いて来る。フレイ達も、見るからに限界だ。
だが、闘志は捨てていない。
ヘルギは自分の顔を叩いた。
北の民は、もうヘルギしかいない。最後に残った戦士の一族として、やらなければならない。
「神々を、助けるぞ!」
「うむ、よういった。 皆、紅い騎士は神々がどうにかしてくれる! 我らはあの小うるさい眷属共を、神々から遠ざけ、倒す!」
「最後の戦いじゃ。 皆、力を振り絞れ!」
喚声が爆発した。
紅い騎士が此方に歩きながら、攻撃を開始する。フレイとフレイヤに向けて、火球を乱射する。爆破の魔法陣を大量に放ち、撃ち込んでくる。
戦士達はもう、軍も陣も無い。
ばらばらに分かれて、走る。ムスペル眷属も、まだ千や二千はいる。こっちよりも数が多い。
回復なんて、わずかにしかされていない。
サーニャは魔力切れでへたばっているし、アネットはもう飛ぶ力も無い様子だ。
人間が、やる。
それだけだ。
ラーンが傷だらけの手を動かして、矢を放つ。敵の先頭の一匹を叩き落とす。戦士達が矢を放ち、次々敵を叩き落とす。
敵も反撃してくる。
光が閃く度に誰かが吹っ飛び、人形型の拳が繰り出される度に、地面が爆砕される。直撃を受ければ、ひとたまりも無い。
だが、神々は、ムスペル眷属の猛攻から、それで解放される。
まず一体。
ヘルギが、敵を斬る。
更に一体。
吹っ飛ばされる。だが、立ち上がって、また斬る。五、六、数えながら、敵を屠っていく。
全てを打ち倒し。
神々が紅い騎士を倒すための、助力となる。いや、そんな理由は、どうでもいい。フレイとフレイヤが、生き残れるように。ヘルギが、負担を減らす。
それでいいんだよな、シグムンド。
叫ぶ。
一体をまた斬り伏せた。人形型が大量の紅い血をばらまきながら、粉々になる。肩を揺らして息をしながら、ヘルギは見る。
マグニが、爆撃のような集中攻撃を浴びて、炎の中に消えた。
だがその隙に、フレイヤが先頭の一体に集中攻撃。至近まで走りながら、あのユミルの杖というのから、恐ろしい攻撃を浴びせる。
頭が吹っ飛んだ紅い騎士が、倒れた。
後二体。
時間を、稼ぐ意味はある。
気付くと、周囲の戦士達は、殆ど倒れていた。敵も必死なのだ。敵も、殆ど生き延びていない。
サラマンデルが、傲然と前に出るのが分かった。
「エルファン!」
アルヴィルダが叫ぶ。
だが、サラマンデルは止まらない。
エルファンは、嬉しかった。
最後まで一緒についてきてくれたサラマンデル。自分の、夢の結晶。代々の、努力の成果。
動かしている人達も、悔いはないようだった。
全ての火薬を投入。
紅い騎士を、一体でも打ち倒す。マグニはどうなったか分からないが、今のフレイとフレイヤでは、もはや紅い騎士二体を同時に相手には出来ないだろう。一体は、誰かがどうにかするしか無い。
そして無事な戦士が殆どいない今。
サラマンデルしか、紅い騎士に対抗できる者はいないのだ。
アルヴィルダ姫には、あんな話をしたけれど。エルファンだって分かっているのだ。この後、スルトを相手にしなければならない状況で、人間なんて生き残れない。いや、生き残ることが出来るかもしれないが、それは。あらゆる努力をした末のこと。戦略を間違えたら。戦術をミスしたら。
その時点で、詰みが確定する。
サラマンデルを乗り捨てるのでは無い。サラマンデルを、最高の形で生かすのだ。神々よりも強い怪物を、一体でも道連れにすることが出来れば。技術者としての成果は、示せる。
決して、無駄にはならない。
紅い騎士が、此方に気付く。速度を上げるサラマンデル。
「拘束用アーム解放!」
機体の左右から、巨大な爪が露出する。それを見て、紅い騎士はサラマンデルが、もろともに自爆するつもりだと判断した様子だ。火球を無数に浮かべて、投擲してくる。
一発が、直撃。
機体内部まで、炎が入ってきた。
やられた人達もいる。
人間の焼ける臭いがした。エルファンは冷静に、火薬の状態を確認。もう一撃、至近に着弾。
有効射程まで、まだ少しある。
もってくれ、サラマンデル。祈りながら、エルファンは、最後の一撃を放つべく、照準を合わせる。
サラマンデルは、エルファンの願いを聞き遂げるように。
エルファンと同じように、アルヴィルダ姫を愛しているみんなの気持ちを届けるように、動いてくれた。
射程圏内に入る。
二発動時、機体の左右に火球が直撃。相手はまだ本気じゃ無い。だが、それが故に、勝機がある。
人間なんかが作った道具風情と、サラマンデルをみくだしている。
だからこそ、その道具風情が、自分を殺せる剣を持っているなんて、思っていないのだ。故に、勝てる。
神々から提供された物資を込めた火薬の、全力での斉射。
紅い騎士が、何が起きたか分からないという顔をしていた。
爆発音が、遅れて届く。
紅い騎士の胴体には大穴が空き、左腕も消し飛んでいた。崩れはじめる紅い騎士。だが、紅い騎士は、最後の力を振り絞り、右腕をふるって火球を投擲してくる。
避けられない。
エルファンは、それを悟ると、静かに目を閉じた。
アルヴィルダ姫。
貴方は僕の太陽でした。
邪悪な灼熱が、サラマンデルを木っ端みじんに打ち砕く。
その時には、エルファンは、満足したままその決して長くは無い命を終えていた。
サラマンデルが、爆散する。
唇を噛むフレイ。
あれに乗っていた技術者は、まだ幼ささえ残していた。それなのに、滅び行くアスガルドに残った、勇気ある戦士だった。
また、守れなかった。
誰一人、守れない。
これで、神と言えるのか。
最後の紅い騎士。敵の様子からして、本当に最後の最後であろう一体が、此方に歩いて来る。
フレイヤはもう限界だ。魔力をほぼ使い果たし、地面に手を突いて、必死に呼吸を整えている。
フレイだって、同じような状態だ。
一体をフレイヤが、無理をして瞬殺してくれたから、どうにか立っていられる。
しかも後には、スルトが控えている。
あの恐ろしい三悪魔の中でも、最強だというスルトが。しかもその精神は、狂気に満ちたヴェルザンディが支配しているのだ。
「兄様、力を結集して、一気に葬りましょう」
「そなた達だけに、無理はさせぬ」
目に怒りの炎を燃やしたアルヴィルダが来る。グンターも、槍を手にしたまま、此方に来る。
ヘルギとラーンもいた。
ムスペル眷属達は。
どうやら、人間達が勝ったらしい。
ならば、スルトを除けば、彼奴が正真正銘、最後のムスペルだ。
だが、人間達も、もはや百名程度しか生き延びていない。エインヘリアルは、ついに全滅してしまった。満身創痍の彼らを戦わせるのは、本当に心苦しい。
「俺も、いる……」
マグニが、来た。
全身酷い火傷の上に、左腕は手首から先が無い。もう、得意の弓は引けない。だが、マグニは、腰からハンマーを抜く。
一度だけなら、投擲できるかも知れない。
そう言って、マグニは半ばヤケばちの笑みを浮かべた。
「俺が、ぶち込む。 連携で、仕留められるか」
「やってみよう」
勝負は、一瞬だ。
連携で倒しきれなければ、その時点で負けが確定。これ以上戦うには、此方の疲弊が酷すぎる。仮に紅い騎士を倒せたとしても、スルトの前になすすべもなく敗れ去ることとなるだろう。
フレイもフレイヤも、対スルト用の切り札を持ち込んでいる。フレイはゲイボルグを。フレイヤは魔光の宝剣を。
だが、それを使う状況にさえ持ち込めないのは確実。
紅い騎士は、来るなら来いと言わんばかりだ。ゆうゆうと歩きながら、火球を連射してくる。
あの余裕は、分かっているからだろう。
此方は連携が上手く行かなければ、その時点で詰むのだと。
あれだけ戦力を削られても平然としている恐るべき余裕。倒しても、なおも恐れる事は無いのかも知れない。
化け物の相手は大変だ。
この世界は、とんでも無い化け物に、食い尽くされようとしている。
「フレイヤ、下がって魔力を回復。 まだ神酒はあるはずだ」
「兄様、囮くらいにはなります」
「今は下がれ。 スルトとの戦いのために、下がってくれ」
「兄様……分かりました」
フレイヤは、悔しそうな表情のまま下がる。フレイが、あまりにもとりつく島が無かったから、だろうか。
いや、違う。妹神は、今はフレイと同等にまで成長している。
ラーンとこの間フレイヤが言い争いしているのを聞いたのだが。確かにフレイヤは、兄離れしていない所があった。
最近は意図的に距離を置くようになっており、なおかつ他者と少しずつ話すようにも。つまり、それだけ成長しているという事だ。戦士としてと言うよりも、精神的な話だが。それは神としては中々出来ることではない。素晴らしい事だと、フレイは素直に思う。
ならば、妹神の成長を歓迎するのが、兄としての役割だ。
サーニャはおろおろしていたが、アネットが剣を抜くのを見て、覚悟を決めた様子だ。頷くと、フレイに駆け寄り、回復の術をかけ始める。鎧は少しでも回復できたか。しかし、体の方は。
「フレイ様、その……」
「何も言うな。 今は、可能な限り、回復を進めてくれ。 もう少し近づいたら、総攻撃に入る」
「……どうしてこんな」
フレイは死ぬ。
サーニャは戦闘は兎も角、回復に関してはこの場にいる中で、最大の力の持ち主。それに気付いてしまったのだろう。何故か、自分の事でも無いのに、泣きそうになっていた。ひょろっとした気弱なワルキューレは、結局最後まで、戦闘向きの性格思想にはなれなかった。ラウリーンも魔力が残り少ないから使えそうにない。サーニャは魔力を消耗していても、空を飛ぶ事で十二分に囮になる。戻そうかと思ったのだが、残ってもらう事とした。。
フレイはたとえ戦いに勝ったとしても、長くは保たないだろう。シグムンドも、こんな気持ちでいたのだろうか。
アネットはと言うと、自分のおなかを押さえるようにして、回復を続けている。彼女にも、これからの最終攻撃は、頼りにさせてもらう。
紅い騎士の火球を、また一つ切り裂き、破裂させる。
だが、敵との相対距離は、もうかなり近づいている。
そろそろ、戦いが、本格化する。
行くぞ。
皆に声を掛け。フレイは、先頭に立ったまま、歩き始めた。
皆を導き、敵の攻撃を自分に集中させることで、少しでも、被害を減らす。これから最強の敵と、最悪の条件で戦わなければならないという悲壮感は、無い。
3、動き出す黄金の炎
ラーンは、何となく、この後の展開が分かっていた。
フレイとフレイヤは、きっと紅い騎士を倒した後は、この場を去るように言うはずだ。あのヨムルンガルドよりも強いという相手から、皆を守る自信が無いから、だろう。今ならそれが分かる。間違っていないと、断言できる。
フレイのことが、好きだから。あの朴念仁で生真面目な神様が、何を言うのかが、わかりはじめている。
そしてフレイは、きっと帰ってこない。
見ていて、何となく分かるのだ。今まで、多くの帰るつもりが無い戦士達と、同じ背中をしている。
行かないでといいたい。
だがラーンは戦士でもあるから、分かってしまうのだ。フレイにしか、紅い騎士は倒せない。
マグニは既に隻腕だし、ワルキューレ達も力を使い果たしている。フレイヤもそうだ。神酒を飲みに戻ったほどなのだ。
側でアルヴィルダがフレイに続いて歩き出す。
部下達を、ついに残さず失ってしまった戦姫。彼女のことを、ラーンは嫌いではなかった。きっと、この世界における、最強の女性だろうから。
だが、彼女についても分かる。
泣きたいのをこらえている。部下想いの、良い王族。荒々しくて粗雑なところはあるけれど。それでも、ラーンは彼女が好きだ。姫様の部下達も、誰も戦いで死んだことを、悔いてはいないはずだ。
ヘルギも前に出る。
ヘタレだけれど、戦士としては頼りになる奴。サーニャが回復してくれて、どうにか戦えるようにまでなったとき。ヘルギはまだ、血だらけのまま、ムスペルの眷属と戦っていた。
あの口さえ駄目じゃ無ければ、きっと誰もが文句を言わない、立派な戦士になっていただろうに。
グンター王が進む。周囲には、もう殆ど兵士もいない。それでも、年老いた王には、悲壮感は無い。
ラーンは知っている。
王が、非常に苦悩していたことを。戦況が悪くなると、神に対して悪態をついたり、自身の非力を嘆いたりもしていた。
だが、それでも王は、最終的には地力で立ち上がった。既に年老いてはいるが、グンター王こそ、皆の上に立つべき人だ。ラーンは心から、そう思う。きっと死んだ兵士達も、誰もグンター王を恨んだりはしていないだろう。
そういえば、あの若い伝令は。
そうか、いないと言うことは。戦いの中で、命を落としたのだ。騎士団長でさえ、戦死したのだ。誰が死んでも、おかしくない。
紅い騎士が、近づいてくる。
「散開。 各自、生き残れ」
グンター王が叫ぶと、この場に残ったわずかな生き残り達は、皆さっと散った。グンター王とアルヴィルダ姫さえ、一戦士として、あの紅い騎士に挑む。
紅い騎士が、散った此方を見て、目を細める。
あんな感情があるような行動を見せるなんて。あいつは進化し続けていると聞いたけれど、恐ろしい。
槍を、紅い騎士が振り上げる。
火球かと思ったが。違った。
そのまま、槍を地面に突き刺す紅い騎士。本能的に、危険を悟ったときには。地面がひび割れ、紅い騎士を中心に、炎が吹き上がっていた。
もはや粉々に破壊され、もう再建もならないだろうアスガルドが。一面の荒野が、更に焼き尽くされていく。
それだけじゃない。
あれでは、近づけない。
炎の中を歩きながら、紅い騎士が一歩を踏み出すごとに、その周囲に魔法陣が出現して行く。
全てが爆破の魔法陣。
そして、一斉に、此方に向けて。
地面を滑るようにして、飛んできた。
爆発が、連鎖する。
誰かの悲鳴が上がった。誰かが吹き飛んだ。
灼熱の中、それでもフレイが先頭になって、突撃を開始する。誰かが死ぬ。此処まで生き残ってきた、誰かが。容赦なく。あまりにもあっけなく。
紅い騎士の、最後の一体の力は圧倒的だ。
フレイが、斬り付ける。
紅い騎士の、姿がかき消える。頭上。マグニが既に飛んでいた。ハンマーを、残っている腕で、振りかぶっている。
だが、紅い騎士は、素手で優しく、そのハンマーを受け止めていた。マグニが、凄絶な表情を浮かべた。
「おおおおおおおぉおっ! 舐めるなああああっ!」
マグニが、神の力を。
おそらく、残った全ての力を、ハンマーに込める。
紅い騎士が、押されるが、空中で態勢を崩すことは無い。その時、フレイが真下から、ゲイボルグの斉射を叩き込む。
紅い騎士の身が貫かれ、爆発しながら、地面に落ちた。
皆が、一斉に集中攻撃を始める。
ラーンも弓を引き絞った。狙うは、紅い騎士の目だ。立ち上がる紅い騎士。落ちてくるマグニが、時間をわずかに稼げたことに満足してか、魔力になって消えていく。貴方のことも、嫌いじゃなかった。そう呟くと、ラーンは矢を放つ。
目に直撃。
だが、紅い騎士は、身を起こす。フレイは剣を振るう。その剣が、あっさり弾かれる。頭蓋骨に、滑ったのか。
まさか、フレイほどの達人が、そんなはずは。
いや、違う。
剣撃と、頭蓋骨の角度を、一瞬で斜めに調整したのだ。槍の技術も向上してきていたが、まさかこんな。
アネットが、死角に入り込む。
しかし、剣撃を、上げた腕で防がれる。巨大な体格の割に細い腕なのに、今のアネットの一撃を、防いでみせるなんて。
勿論、アネットが酷く疲弊している、という理由もあるのだろうけれど。
唇を噛む。
こんな奴、勝てるのか。いや、押し切らなければ、押し切られる。
紅い騎士が、腕を振るう。
辺り一帯が、再び爆発した。とんでも無い火力だ。ラーンは無事だったが、サーニャとヘルギは、今の爆発に巻き込まれた。
フレイも。
どうなったか、分からない。
アルヴィルダ姫が、至近に。体に登りはじめている。五月蠅そうに紅い騎士が体を揺するが、落ちない。
グンター王が叫ぶ。
姫を死なせるな。
ラーンは再び矢を放つが、紅い騎士は首の角度をわずかに変えて、目から矢をそらした。そして、立ち上がろうとする。
その足に、炎の中から飛び出したフレイが、一撃を叩き込む。
ヘルギも、全身を酷く焼かれながらも、同じようにして、剣撃をぶち込んだ。ラーンは速射して、その傷を三度、続けて撃つ。
体の中を巡る魔力が、もう無くなりつつある。
紅い騎士が、凄絶な表情を浮かべた。
フレイを踏みつぶそうとする。ヘルギが、フレイを突き飛ばした。あっと思った時には、フレイを守ったヘルギは、紅い騎士の足の下に。
ヘルギ。
叫びながら、ラーンは矢を放つ。
どうしてだろう。あんなに嫌っていた相手なのに。怒りが、こみ上げてくる。紅い騎士の目を撃ち抜く。両目を失った紅い騎士だが、再生が異常に速い。もう、視力が回復しつつある様子だ。
畳みかける。
アルヴィルダ姫が、紅い騎士ののど元を突き刺す。何度も何度も。
皆が、それぞれの武器で、紅い騎士を撃った。斬った。
フレイも、渾身の一撃で、紅い騎士の両足を斬り飛ばす。今度こそ紅い騎士は倒れ、起き上がれない。
アルヴィルダ姫が、紅い騎士に掴まれる。
その時、代わりに紅い騎士の首筋に、グンター王が登っていた。そして、首を槍で何度も突き刺す。
王は、戦いの前に、フレイに言っていた。
最後の供が、年寄りですまんなと。
老いてなどいない。
貴方は、我らの王だ。最後まで、王でいて欲しい。ラーンは再び矢を放つ。フレイも、剣を振るう。
紅い騎士が、アルヴィルダ姫を取り落とす。だが、蠅を叩くようにして、首筋にいたグンター王は。
叩き潰されていた。
倒れたままの紅い騎士が、かっと口を開く。
炎が辺りに放たれ、爆発が連鎖した。生き延びていた多くの戦士達が、巻き込まれて倒れていく。
倒したのに、まだこれだけの火力を展開できるなんて。
フレイが、ゲイボルグに力を込めていく。紅い騎士が、かっと目を見開いた瞬間、ラーンが再び矢を叩き込むが、稲妻のように動いた手が、目を守る。
だが、それ以上は、フレイがさせなかった。
放たれたゲイボルグからの矢が、紅い騎士の口の中に集中する。紅い騎士の頭の上半分が、消し飛んだ。
紅い騎士が絶叫した。
だが、まだ動いている。
「いい加減に、死ねっ!」
爆発の中から、飛び出してきたのは。なんとヘルギだ。
踏みつぶされたのでは無かったのか。アルヴィルダ姫も、矢を放つ。首筋の、グンター王と、姫自身が穿った傷を抉る。
跳躍したヘルギが、その傷を、更に斬った。
盛大に血が噴き出す。頭半分を失い、首を切られてもなお、紅い騎士は動きを止めない。なんて怪物。最後に残った一体は、これほどの化け物なのか。アネットが更に切り裂く。首が殆どぶらぶらになって、大量の血を流しているのに。紅い騎士は槍を振るって、周囲を薙ぐ。被害が、更に増える。
フレイが、最後の剣撃を放つ。大上段からの、渾身の一撃。
紅い騎士が、正中線から真っ二つに切り裂かれた。
流石に、これがとどめの一撃となった。
紅い騎士は、断末魔を上げながら。その場で、溶け崩れていった。
倒れているグンター王。
爆発の中から、よろよろと姿を見せたサーニャが、回復をかけ始めたが。涙を流すワルキューレに、王は言った。
「よい。 助からぬ」
「陛下!」
ラーンは、涙が止まらなかった。
ムスペルは滅んだ。
だが、その代償は。あまりにも、大きかった。
魔力を回復したフレイヤが戻ってくる。こうなることはわかりきっていた。彼女を責める事も出来ない。
「この場に生き残った者達は、皆アスガルドの、私の神殿跡地に避難せよ。 もはや何も無い更地だが、此処にいるよりはましだ」
フレイが言う。
血を吐きそうな表情だった。
「グンター、それに戦い抜いてきた皆。 お前達の奮戦を、私は忘れない。 必ず、スルトを滅ぼしてみせる」
「最後まで……」
一緒にとは、言えなかった。
アルヴィルダ姫でさえ、あの黄金の化け物騎士と戦うとは、言い出さなかった。
足手まといどころか、囮にさえならない。
ヨムルンガルドとの戦いを思い出してしまう。あれ以上の化け物だというのならば。此処にいても、もはや蠅ほどの戦力にさえならないだろう。
「良いのだ。 路を此処まで作ってくれた。 それだけで、充分だ」
生き延びたのは、此処にいるわずかな者達のみ。
五十名にも足りない。
「必ずや、勝ってくれ。 異世界に逃れた皆を、守って欲しい」
フレイが、グンターの手を握る。皺だらけの手から、力が抜けた。王の目から、光が消えた。
フレイもずたずたに傷ついている。
フレイヤも、魔力が少しは回復したとは言え、あまり無事なようには見えない。
アルヴィルダが、大きく嘆息した。
「皆、行くぞ」
「姫様、私は」
「我々には、出来る事がまだある。 ワルキューレよ。 以前聞いたことを、これから実行して欲しい」
サーニャが驚いたようにアルヴィルダ姫を見た。アネットが、後輩の肩を叩く。
「神々よ、必ずや勝って欲しい」
「勇敢なる戦士達よ。 奮戦には、必ず報いる」
アルヴィルダが、もう一度、皆を促した。
ラーンは、絶対許さないと呟いて。向こうで腕組みしている、黄金の鎧を着た騎士をにらんだ。
アルヴィルダ姫が嘘をつくとは思えない。
ラーンは、自分が出来る助けをしたい。
生き延びたのだ。
最後まで、生き延びたい。そう、ラーンは思った。
(続)
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