落日の戦い

 

序、魔竜の最後

 

地面に叩き付けられて、ファフナーは背骨が折れる音を聞いた。

まずい。

これは、死ぬ。

まさか奇襲されるとは思っていなかった。此処は完全に、味方の勢力圏内であったのに。これほど大規模で大胆な奇襲を仕掛けてくるなんて。

立ち上がろうとして、もがく。

だが、顔面に、鋭い痛み。地面に叩き付けられる。

空中から、何かが降下してくる。ワルキューレだ。しかも、二柱もいる。悲鳴を上げながら、這って逃げようとするが。これではもはや、どうしようもない。

「ひ、ひいっ! 助けてえ!」

情けない声を上げてしまう。

魔力消去砲は、地面に転がっていて、拾うどころでは無い。尻尾を切られた。続けて、翼も。

「往生際が悪いぞ、それでも巨神族随一の魔術師か!」

叱責が飛んでくる。

見ると、周囲を固めていた魔術師達は、殆どが倒されてしまっていた。残った者達も取り囲まれ、圧倒的な猛攻を浴びせられている。これでは時間の問題だ。

必死に呼吸を整えながら、どうすればいいかを考える。

土下座して命乞いをすれば、助かるか。

助かるわけが無い。敵には捕虜など得ている暇も余裕も無いだろう。その場で頭をたたき割られるだけだ。

逃げ切れるか。

それも難しい。翼を斬られてしまっている上に、背骨に損傷がある。

これは作り物のからだとはいえ、ダメージはダイレクトに自分に返っても来る。

また、背中から首に掛けて斬られた。

思わず頭を庇った手も、続けて鮮血を噴き出す。容赦の無い攻撃に、ファフナーは何度も悲鳴を上げた。

気付くと、周囲に味方はいなかった。

しかも正面では、恐ろしげな戦神が、巨大な弓を引き絞っている。あんなものを喰らったら、痛いどころではない。

打つ手は、一つしか無かった。

ファフナーは、覚悟を決める。此処で死んでしまっては、研究の成就も何もない。たとえ寿命を削っても、生き延びなければならない。

首に、痛み。

空から稲妻のように舞い降りてきたワルキューレが、斬り付けてきたのだ。鱗を両断しながら、皮膚を裂いた刃には、殺気しか籠もっていなかった。

怖いのは嫌だ。

痛いのも。

だが、ファフナーには、やりたいことがある。どうしても生き残って、成し遂げなければならない。

奥歯をかみ砕く。

その中には、凝縮された魔術が詰め込まれているのだ。

ファフナーがいつも姿を変えているドラゴンの、身体能力、強度、いずれをも飛躍的に強化する術。

しかし体への負担が大きく、一度使うと大きく寿命を縮めてしまう。禁断の技でもある。

ヴァン神族随一の魔術師であるファフナーだが、こればかりは他人に学んだ技だ。術よりも、技に近い。

何しろ、使い手は。

全身の傷が、修復されていく。

そして、理性が、薄くなっていく。

周囲が動揺するのが分かった。気弱で脆弱だと思っていたファフナーが、急に恐るべき存在に変容していくからだろう。

牙も爪も鋭くなり、体自体もふくれあがっていく。

そして何より、全身が黄金へ変色していく。

ヴァン神族は、黄金を神聖なものとしている。最高の色だ。だから、黄金色であれば強い。

単純な理屈だ。だが、こういう単純で分かり易い理屈こそが、最大限の力を引き出せる。

空に向けて、ファフナーは咆哮する。

ああ。見ていて欲しい。

これで、貴方を。やっとまた、再生することが出来る。私はどうなっても構わない。貴方だけが、ほほえんでくれれば、それでいい。

ファフナーにとって、その存在は、フリムよりも偉大だった。

だから、フリムに頭を下げてまで。新しい世界を造り、そこで王となってほしかったのだ。

研究とは、死者の復活。

その者は、もはや冥府にさえ存在しない、いにしえの神の一柱。神々との戦いに敗れ、魂までも打ち砕かれて、消滅してしまった悲劇の主。

翼も再生したから、空に舞い上がる。

驚く人間共とワルキューレに向かって、ファフナーは今までとは比較にもならない破壊力の火球を叩き込む。

飛翔速度だって、以前とは完全に別物だ。迫ってくるワルキューレを悠々と引き離し、空中で旋回して、火球を連続して叩き込んでやる。ワルキューレは回避で精一杯。なんという痛快な光景だろう。

弱い臆病と敵にも味方にも笑われ続けたファフナーだが。

恐怖や理性を取っ払ってしまえば、こうも戦闘力が高くなるのか。勿論この術を使った後は、寿命が著しく縮む。アース神族が持っている寿命延長の技術を使わなければ、長くは生きられないだろう。

もっとも、アース神族の技術なんて、もはや残っているとは思えない。

残った命の全てをかけて、あの方を救いたい。

虚無から、救い出したい。

死は、神にとって必ずしも絶望では無いのだ。

笑いが漏れてきた。

どうやら、この形態になると、精神が高揚するらしい。逃げ惑う敵どもが、見ていてとても面白い、というのもあった。普段だったら、逃げる敵を見て面白いなんて、絶対思わなかったのに。

魔力消去砲は既に破壊されてしまっているが、それが何だ。今の実力なら、アース神族の貧弱な結界なんて、即座に破壊できる。

笑いながらファフナーは、周囲に火球をばらまく。

みんな死んでしまえ。

何もかも、破壊し尽くしてやる。

着地。矢を打ち込まれるが、痛くもかゆくも無い。翼に打ち込まれても、以前と違って、破られる怖れも無い。

火球をまき散らし、人間共を蹴散らす。

背中にちょっとした衝撃。

振り返ると、まだ生き残っていたアスガルドの神だ。放った矢が、直撃していた。大変に鬱陶しい。

更に、首筋に衝撃。

追いついてきたワルキューレが、斬り付けてきたのだ。二匹いるワルキューレは、同じくらいの速度で飛びながら、何度も斬り付けてくる。はっきり言って、面倒くさくて仕方が無い。

雄叫びを上げると、周囲が露骨に怯える。

私は、最強の、ドラゴンだ。

言葉にせず、吼える。

今のファフナーは、かって神々とも渡り合った最強の存在、ドラゴンに恥じぬ力の持ち主だ。

スヴァルトヘイムの眷属に成り下がった今のドラゴン共とは違う。リンドブルムに品種改良された、家畜共とは根本的に違うのだ。

手をふるって、ワルキューレを叩き落とす。

火球を放った。アスガルドの神が吹っ飛ぶ。

わはははは。

笑い声が漏れる。尻尾をふるって、人間共を蹴散らすのが、あまりにも楽しすぎる。寿命が消えていく。残された時間を湯水のように消耗していくが、それでも構わなかった。

フルングニルは、いつもこんないい思いをしていたのか。強いっていいなあ。ファフナーはそう思いながら、また一つ、火球を吐いた。

不意に、空から、稲妻が降り注ぐ。

全身を稲妻に打たれて、絶叫するファフナー。これは、痛い。

だが、その痛みさえもが、今は心地よい。振り仰ぐと、フレイヤだ。あの小生意気な女神が、着地する。

そして、飛んでくる、矢。

首をふるって叩き落とす。体がしびれるほどのこの威力。トールの剛弓とかいう奴に間違いない。

フレイも来たか。

丁度良い。

二匹とも、叩き潰して、ミンチにしてやる。それで、フルングニルに、見せるのだ。どうだ私はこんなに強くなったぞ。だからぶつな。これ以上、虐めるな。何というステキな考えだろう。

だが、その考えは、即座に消し飛んだ。

フレイヤの方が、制圧射撃を仕掛けてくる。無数に飛んでくる氷の魔弾。全身を打つ氷の魔弾は別に痛くもかゆくも無かったが、一瞬だけ動きが止められる。

その隙に、懐に入ってきたフレイが、斬り付けてきた。

文字通り、鱗が裂かれ、鮮血が噴き出す。

何だこの剣は。

今までのフレイが使っていた剣とは、根本的に違う。絶叫したファフナーに、二度、三度と斬撃が浴びせられる。

人間共もやる気を取り戻し、矢を放ってくる。

なんだ。どうしてだ。

フレイとフレイヤが現れただけで、どうしてこうも士気が戻る。目に突き刺さった矢を引き抜くと、ファフナーは見る。

高々と跳躍したフレイが、至近にまで迫っている。

そして、大上段からの一撃を、振り下ろしてきた。

あっと思った時には、翼を切り落とされていた。首を落とされるのを避けただけでも、まだましか。

此奴らは。

いつの間にか、こんなに強くなっていたのか。

「ファフナー!」

不意に、フレイに呼ばれる。

斬り付けられた。鎧のような黄金の鱗が、いともたやすく切り裂かれる。これは、トールやオーディンに、匹敵する強さなのではあるまいか。

雄叫びを上げ、炎をはきかける。

だが、その炎が、中途で相殺される。今度はフレイヤだ。氷の杖から魔弾を集中的に放ち、炎を相殺してくる。普通の氷の塊なら、とうてい出来ない。強い魔力が籠もっている魔弾だから、出来る事だ。

「そのような姿になってまで、強さを得たいか!」

「黙れっ!」

私は、ただ。

死にたくないだけ。

夢を、かなえたいだけだ。

フルングニルの援軍など、間に合うはずが無い。だから、自分でどうにかするしかない。追い詰められた鼠の発想だが、別にそれでも構わない。

私は弱い。だが、弱いなりに、生きたいのだ。

夢を叶えるために。

飛ぼうとして翼を広げる。まだ再生しきっていないが、滑空くらいはできるはず。後ろに飛び、空中で炎を連射して、弾幕を作る。爆発の余波で煙が広がり、煙幕になった。これなら、逃れられると思ったその時。

後ろ足に、違和感が走る。

鱗の隙間に、剣が突き立てられていた。人間か。頭から血を流しているその人間は、肩を揺らして呼吸しながら、いう。

「捕まえたぞ……!」

「人間ごときが……!?」

足が、燃え上がりはじめる。これは何かしらの魔術による追加効果だ。足を振って人間をはじき飛ばそうとするが、身軽に避けられる。見ると全身がずたずたになっているにも関わらず、まだ闘志を捨てていない。

こいつらは、本当に生物兵器なのだ。そう思い知らされる。

再び飛ぼうとするが、足に力が入らない。それだけではない。

無理に力を上げたつけだ。全身から、力が抜けはじめる。雄叫びを上げたファフナーは、周囲に手当たり次第に炎を吐き散らす。こうなったら、走ってでも逃げる。血路を開いて、逃げ延びる。

時間は掛かるかも知れないが、この戦いはヴァン神族の勝ちだ。

増援も見込めないアース神族は、無惨な籠城戦を続けるしか路が無い。いずれは、必ず滅ぼすことが出来る。

つまり生き残りさえすれば、望みはまだあるのだ。

だが。それは、打ち砕かれる。

衝撃波が飛んできて、まだ燃えている足を撃ち抜かれる。悲鳴を上げて、態勢を崩してしまう。

神々の武器らしい斧を持った人間が、目を怒らせて立っていた。あれは、噂に名高い狂戦士か。熊の毛皮を被っている。

矢も次々体に突き刺さる。

魔力が落ち始めているから、防御も弱くなってきている。まずい。このままでは、もとの形態に戻ってしまう。

気付く。もう、後ろの至近まで、フレイが迫ってきている。

駄目だ、勝てない。

多分力が弱まりはじめているからだろう。徐々に、吹き飛んだ理性も戻りはじめていた。必死に逃げようとするが、無理だ。

尻尾を切り落とされる。

地面に倒れ込んだところを、滅多打ちに斬られた。ああ、これは死ぬなと、ファフナーは思った。

ヴァン神族の中でも、ファフナーは魔術師として、若い頃から名声を得ていた。同時に、戦士としては全く使い物にならないと、嘲笑されてもいた。

頑張れば頑張るほど、周囲は言ったものだ。

あの貧弱者がと。

悔しかったけれど、ファフナーには戦士としての素質が、決定的に不足していた。生来臆病だった上に、戦いが怖くて仕方が無かったのだ。だから、強さが大きなステイタスになる、ヨトゥンヘイム移行後のヴァン神族の世界では、笑われるだけの存在だった。

どれだけ努力をしても、報われなかった。

そんな中、ファフナーに手をさしのべてくれた存在がいた。

ファフナーが魔術師として認められたのも、その存在。ヴァン神族の有力者であった、ベルゲルミルの口添えがあっての事だった。

だが、ベルゲルミルは。

仁義なき神々の抗争の中で、命を落とした。

ヨトゥンヘイムに追いやられた後も、ヴァン神族の世界は混乱が続いていた。アース神族を倒すために、平和的だった性格を好戦的に変え、巨人達とまぐわい、種族そのものを改造していった。

その結果、ベルゲルミルのような良識派は邪魔になったのだ。

フリムが王としての権限を確立してからは、混乱も止んだ。だがその時には、ベルゲルミルの事を思い出す者は、いなくなっていた。

悔しいと思うよりも、悲しかった。

それこそが、ファフナーが戦士として向いていないことの証左だったのだろう。復讐心を滾らせて、何があっても政敵を殺すような心構えで無ければ、戦士としては駄目だったのかも知れない。

ファフナーの体は、既に金色の輝きを失っていた。

必死にもがいて逃げようとするが、周囲からの攻撃は苛烈で、容赦が全く無かった。

やがて、ドラゴンとしての姿さえ、維持できなくなった。

地面に無様に這ったファフナーを、フレイが見下ろしていた。目は冷厳で、わずかな容赦も感じられなかった。

戦士の目だ。

ファフナーが、ついに得られなかったもの。

そして、本当は。

生来を通じて、軽蔑してきたものだ。敵を容赦なく殺戮し、その存在を否定できる目。フルングニルだって本当は嫌いだった。戦士なんていない世界。それこそが、ファフナーの夢だったのかも知れない。

ベルゲルミル様。

ファフナーが呟くと、わずかにフレイが躊躇したようだった。だが、もうこれ以上は、哀れなだけだ。

「殺せ。 私は、どのみち死ぬ」

「そうさせてもらおう」

「戦士なんて、滅びてしまえば良いのだ。 私は、やっと静かな世界に行くことが出来ると思うと、むしろ嬉しい」

そう言い残すことだけが、精一杯の抵抗だった。世界など呪われてしまえ。いや、怨恨つもりつもったからこそ、この世界は自業自得の滅亡に向かっているのだ。さっさと滅びてしまうと良いだろう。

最後に、ファフナーはそう考えると、笑った。

何だ、自分が何もしなくても、世界は思うとおりに動いているでは無いか。ミズガルドは既に消失し、アスガルドも間もなく消える。そして最後には、戦士も何も、いなくなるのだ。

剣が、振り下ろされるのが分かった。

ファフナーの命は、思考と共に絶たれた。

 

1、一進一退の殺戮

 

かろうじて逃げる事が出来た魔術師一体が、フルングニルの陣にまで到達した。そして、ファフナーの死を、確認することとなった。援軍は、間に合わなかった。既に敵は引き上げた後だった。

ファフナーは、巨神の姿になって、事切れていた。

首だけを切り落とされて死んでいたのは、フレイによる慈悲だろう。いずれにしても、フルングニルの最も重要な部下の一柱が、これで死んだのだ。

そうか、あのファフナーが。

フルングニルは、少し前から気付いていた。ファフナーが恩神であるベルゲルミルの蘇生を願っていたと。その理由も。気付いたのは些細な切っ掛けだった。アスガルドでの戦闘が始まってから、ファフナーの陣にいったとき、ふと見かけたのだ。ファフナーが大事にしているという杖を。それは、ベルゲルミルの紋章が刻まれた、古い古いものだった。

ベルゲルミルは、ヴァン神族でも有数の良識派だった。だから政争に敗れた。ファフナーが戦士に対して決定的な苦手意識を持っていたのも、それで理由が分かった。恩義がある相手の、影響を受けていたのだ。

自分が一番嫌いな存在である戦士が、いない世界に行きたかったのだろう。

動機などどうでもいい。ファフナーは部下として有能であり、使いこなすことが出来れば充分以上に役に立った。それ以上に、もやもやするものもあった。だが、どうも形に出来る感情では無かった。

しばし黙祷すると、フルングニルは気持ちを切り替える。

魔力消去弾は失ったが、此方の戦力はまだまだ充分だ。リンドブルムは大きな損害を出しているが、味方の戦力の内主力は健在である。これから攻撃を仕掛け、敵の二枚残っている結界を、打ち砕いてやればいい。

「大戦場槌、前へ」

がらがらと音を立てて、車輪をつけた戦場槌が動き出す。

結界をこれで攻撃しつつ、他の巨神達によって総攻撃も同時に仕掛ける。フレイとフレイヤが邪魔に入ってくるだろうが、そのまま押し切る。

「全軍、突撃開始!」

「突撃開始!」

一斉に巨神の軍勢が動き出した。

エインヘリアルによる陽動部隊は、既に防御結界の内側に引っ込んでいる。突入を開始した部隊に対しての迎撃もしてくるだろう。

だが関係無い。

結界の内側から、無数の光が飛んでくる。前衛にいる巨神達が、次々に貫かれ、横転した。

だが、味方を乗り越え、躍りかかる巨神達。

倒れた巨神も、致命傷で無い限りは、地力で立ち上がり、結界への攻撃に向かう。前衛が消耗していく中、二番目の結界に肉薄。

棍棒や鉄槌をふるって、結界に攻撃開始。

残っているリンドブルムも総動員して、一斉に火球を吐かせた。このまま、一気に結界を削り取っていく。

腕組みして戦況を見ているフルングニルだが、騎兵の部下が戻ってくる。騎兵隊は激減している現状、彼らは殆ど伝令限定の存在だ。

「ご注進!」

「うむ」

「左翼方面に、フレイとフレイヤが現れました! 結界の内側から攻撃をしてきます!」

「大巨神を前衛に出せ。 生き残りの魔術部隊は」

後方に控えているという話を聞いて、フルングニルは少しだけ考え込んだ。だが、結論はすぐに出る。

即座に投入させる。

フレイとフレイヤがいる地点の結界に、攻撃を集中させるのだ。

ファフナーがフルングニルを嫌っていたことはよく知っている。だが、それでも、フルングニルは。

部下として、ファフナーを大事には思っていた。

折檻の類もしたが、それは成長して欲しいと思っていたからだ。勿論、ファフナーとは最後までわかり合えなかったことも知っている。それでも、感傷的にならないといえば、嘘になる。

フルングニル自身も、駒を前に進めた。

結界が見えてくる。内側からの攻撃は意外にも苛烈だ。アスガルドの連中にしては、随分作戦指揮がしっかりしている。

これはひょっとすると。

指揮官が、変わったのか。

「波状攻撃に切り替えろ。 敵の疲弊を誘いながら、結界にダメージを与える」

「分かりました」

部下達が動く。

何にしても、敵が結界の内側にいる以上、打つ手は限られている。大戦場槌が前に出てきた。

敵の反撃は苛烈だが、巨神族のタフな肉体を活用して、敵から守りつつ、結界の側にまでつける。

「よし、撃てっ!」

フルングニルが吼えると同時に、大戦場槌が咆哮した。

叩き付けられた槌が、結界を激しく削り取る。光が零れているのは、負荷が尋常では無いからだろう。

第二射まで、少しかかる。

一端大戦場槌を下げさせ、通常の攻撃に戻す。敵が組織的に反撃してきているから、味方の被害も馬鹿にならない。

近くで見て確認したが、敵にはエインヘリアルだけではなく、人間の戦士もかなりの数がいる。

皮肉なことに、生物兵器であるエインヘリアルに劣らない働きを、人間の戦士達もしているようだった。

「結界負荷、三割を越えました!」

「順調だな。 攻撃を……」

「後方より伝令!」

後方となると、スヴァルトヘイムの魔物か。大戦場槌で地下空間を崩落させてやったが、流石に全滅したとは、フルングニルも思っていない。

伝令はかなり慌てているようで、乗騎から転げ落ちそうだった。

「後方に敵出現! フリム陛下の部隊が、攻撃を受けています!」

「敵は何者だ。 数は」

「分かりません! スヴァルトヘイムの魔物では無い様子です!」

思わず、フルングニルも停止した。

フリムが着込んでいるウートガルザの鎧は、生半可な攻撃では敗れない。心配は無いと思いたいところだが。

戦場に絶対は無い。

フルングニルは手近な精鋭をつれると、すぐに後方に向かう。攻撃はそのまま続けるようにと、部下の将軍達に指示。相手がなんであれ、好き勝手にさせるわけにはいかない。フリムが万一にも倒されるようなことがあれば、ヴァン神族の悲願は達成できなくなってしまうのだ。

途中、スリヴァルディが待っていた。配下の荒くれの騎兵達もいる。

短距離空間転移を繰り返すフルングニルに追いついてくるのだから、たいしたものだ。

「スリヴァルディ、状況は」

「既に襲撃者は去った様子です」

「何……!」

襲撃地点に到達。

周囲は焼け焦げていて、フリムは腕組みして立ち尽くしていた。親衛隊代わりにつけていた手練れ達が、役に立たなかったのか。

「陛下」

「フルングニルか」

妙な違和感を覚えた。声が、微妙に違うような気がしたのだ。

いや、これはおかしな事では無い。フリムの兜の下を、フルングニルは知っている。あの正体を考えれば、この違和感にも納得がいく説明が出来る。

「この有様は、何事です」

「フレイだ」

「……!」

「どうやら地下通路を経由して、奇襲を仕掛けてきたらしい。 左翼にいるというフレイらしき奴は、偽物だろう」

からからと、フリムは笑った。

これは不覚だ。此処が敵地であり、地の利は相手にあることを失念していた。確かに大戦場槌で地盤は砕いたが、アスガルドに張り巡らされている地下通路の全てが失われたわけでは無い、ということだ。

この様子から、使われた武器は、火山の弓だろう。偵察などから情報は知れているが、グングニルやミョルニルに次ぐグレードの強力な神の武具である。今までに二度使用が確認され、一度はフリムの鎧に相当な打撃を与えた。

フリムの鎧は。どうやら、親衛隊が命を賭けて守って、直撃から防いだらしい。不幸中の幸いだとも言える。

「奇襲を受けると面倒です。 主力部隊に合流してください」

「うむ……」

生き残った周囲の部隊をまとめると、フルングニルは歯ぎしりした。

こうも立て続けに先手を取られるとは。ファフナーを倒され、当初の戦略が瓦解した事も大きい。

それにこの奇襲、おそらくはヘイムダルによる情報収集の結果だろう。敵は神材を上手に活用し、拠点防御戦でするべき事をしっかりこなしてきている。事前の調査による堕落しきったアスガルドの軍勢とは、まるで別物だ。

スリヴァルディは無言のまま、フリムを見ている。怪訝に感じたフルングニルが問うと、愕然とさせられる答えがあった。

「陛下がどうかしたか、スリヴァルディ」

「あれは陛下ではありますまい」

「……何故そう思う」

「勘です。 ただし私の勘は、ヨトゥンヘイムで鍛え抜いたものです。 外れていたとしても、あながち的外れでもないのでは」

スリヴァルディは魔術の類を使えないが、ヨトゥンヘイムにいた強大な怪物や魔物を多数斃す事で、戦場で磨きに磨いた勘を大きな武器にしている。十頭の巨神というあだ名は、伊達では無いのだ。

フルングニルも、それが半ば真実である事は、知っている。

「黙っておけ。 いずれ話す」

「知っておられましたか」

「ああ。 ただし、陛下は陛下だ。 別の存在になったというわけではない」

「ならば、そういうことにしておきましょう」

スリヴァルディは無口だが、皮肉屋でもある。

おそらくスリヴァルディは、急に残虐になったフリムに、不審を覚えてもいるのだろう。少なくともヨトゥンヘイムにいた頃のフリムは、部下を使い捨てにするような事は無かったのだ。

スリヴァルディは寡黙だが、頭の中ではよく考えている。今、ヴァン神族が分派運動を起こすのは、百害あって一理も無い。それは理解できているはずだから、問題は起こらない。そう信じたい。

前線に到着。

攻撃は相変わらず、組織的かつ的確に続けられている。このままだと、敵の結界をそう時間を掛けず破る事が出来るだろう。

奇襲を警戒するように、周囲に指示。

敵の反撃は相変わらず苛烈で、なおかつ組織的だ。まだ、結界を破壊するには至っていない。

「大戦場槌を前に」

「まだ敵の結界は二枚残っていますが、大胆に攻勢に出ますね」

「いいから早くしろ」

これでいいという確固たる確信が、フルングニルにはある。

指揮の癖を見る限り、アスガルドの軍勢を指揮しているのは、人間だ。多分ブルグントの王だろう。ゴートの姫の方だったら、もっと荒々しい用兵になる。

とにかく過不足なく、的確に此方を削ってくる用兵だ。逆に言えば、それは冒険に出ないことを意味してもいる。

つまり、それを逆用する。

フルングニル自身も、最前衛に出る。まだフレイが来るには時間があるはずだ。此処で、一気に攻勢に出る。

フルングニルが姿を見せると、結界の向こう側にいる人間やエインヘリアルが、恐怖の声をあげるのが分かった。

別に今更、何も思わない。戦場では、素直に相手を恐怖させることが、強い戦士の条件の一つだ。

精神力では、身体能力は伸びない。力を発揮できるとしても、一割増しか二割増しがせいぜいだ。ただし、相手に気迫で負けると、力が大きく削がれることは、確かにある。

「攻撃開始!」

敢えて荒々しく、フルングニルは叫ぶ。

そして自らは短距離空間転移を繰り返しながら上空に出て、大斧を振るって結界に滅茶苦茶に斬り付けながら、飛び回る。一撃ごとに、青い火花が散った。斧の速度が突風が如き故に、出る火花の温度も高いのだ。

敵の攻撃が、フルングニルに集中してくる。無数の光の槍が、串刺しにしてやろうと飛んでくる。勿論数が数だから、かする。刺さる。

しかし、そのようなもの、気にしない。

腕から足から血をしぶかせながらも、フルングニルは再生能力を全開にし、攻撃を敢えて受けながら飛ぶ。

敵に、威容を見せつけるためだ。

結界が敗れたら、瞬時に鏖殺される。そう敵に思い込ませるためには、あくまで徹底的に、化け物ぶりを見せつけなければならない。

そうすることで、より効率よく勝てる。

着地と同時に、大戦場槌が、一撃を敵結界に叩き込む。

そして、ヒットアンドアウェイの基本のまま、味方の陣に引き戻される。フルングニルも敵の追撃を切り払いながら、下がった。

これでいい。またフルングニルが前に出れば、敵はそれだけ警戒しなければならなくなる。

「敵の結界は」

「今ので残り耐久が五割を切ったようです」

「そのまま手を休めるな。 敵を一気に押し込むぞ」

夕刻まで、攻撃を続ける。

フレイはまだ姿を見せない。フルングニルは時々前に出ては、結界に対して容赦の無い攻撃を加え続けた。

夜になって、ようやく結界の耐久が一割を切る。そろそろ、敵が動きを見せる頃だろうと思ったフルングニルの所に、伝令が来た。

「伝令です!」

「何が起きた」

「今度は最後尾の軍勢が攻撃を受けております! 間違いなく、スヴァルトヘイムの魔物かと思われます!」

「数は」

およそ五万と、伝令はいう。

スヴァルトヘイムの魔物共が、いまだ戦力を残していることくらいは、わかりきっていた。五万、だけでは無いかも知れない。大戦場槌での地盤粉砕で、相当数を潰してやったはずだが、スヴァルトヘイムの魔物は地底の専門家だ。

予想外の数が生き延びていても、不思議では無い。

「守勢のまま、迎撃。 敵が引いても、追撃するな」

「分かりました」

伝令が去る。

二カ所で攻勢に出るのは愚の骨頂。前面で攻勢に出ている今、後方に敵が現れたら、そちらは守勢に徹するのが基本だ。

基本を守るのは当然として、それ以上のことをフルングニルは考えなければならない。たとえば、これを奇貨としての敵の出方、などだ。

フルングニルは念のため、フリムを前衛まで連れてくるべきでは無いかと思った。もしもフレイ達が奇襲を掛けてくるとしたら、横腹からか、或いは。

真正面から。

攻撃に徹している真正面は、防御が一番薄い場所でもある。

フリムが姿を見せていれば、溜まらずフレイ達が出てくるかも知れない。そうなれば、此方のものだ。

勿論フリムに危険はある。

だが、そろそろフルングニルとしても、フリムにもある程度の責任は取ってもらいたいのだ。

勿論死なせないように、最大限の注意を払う必要はある。

スリヴァルディが鼻を鳴らした。兜を被っている奥の顔がどうなっているかは分からない。無口なだけに、それだけ迫力がある。

「陛下を此処に呼び出すおつもりで?」

「そのつもりだ。 お前が考えているような理由でな」

「おっと、それは流石に過激だ」

此奴は。口を開けば、危険な野心家としての側面まで見せるか。あまり喋らせない方が良いかも知れない。

フリムを呼びに、スリヴァルディを行かせる。

腕組みして敵陣を見ていたフルングニルは、妙なことに気付いた。敵が撤退しようとはしていないのだ。

既に結界が崩壊寸前なのは分かっている筈。それなのに、どうして。

左翼と右翼にも伝令を行かせ、情報は把握している。今の時点で、フレイもフレイヤも、現れていない。

今正面に展開している一万ほどに集中攻撃をしようとしたところで、側面を突くつもりだろうか。あり得る話だ。正面にいる軍勢全てを囮として使い、引き寄せた敵を本体でたたく。

用兵としてはありふれている。そして、効果も大きい。

ならば。敵が採用する可能性が、大きいとみた。

フルングニルは伝令を飛ばし、左翼と右翼の動きを調整する。結界が壊れた後、敵が此方を誘い込もうとするのなら。

それを逆用して、殲滅する。

知恵比べは、加熱していく。

 

フレイは気付く。

シグムンドが、先ほどから様子がおかしい。体の何処かが痛いようなそぶりは見せていないのだが、魔力の低下を感じるのだ。

視線が合う。

急いで地下通路を走っている最中である。アネットが、けが人の回復をしながら、だが。フレイヤとブリュンヒルデは、他の北の民達をつれて、別の地下道を行っている最中である。

ファフナーとの戦いで、予想外に大きい被害を出した。だからこそ、作戦行動にも、少なからず問題が出ていた。それを緩和するためにも無理は必須だったのだが。シグムンドの不調は、気になる。

シグムンドの側に行くと、小声で語りかける。

「どうした。 問題があったか」

「何でも無いと言いたいところだが、ファフナーとの戦いで、どうやらハラワタをやられたらしい」

「なにっ……」

「大きな声を出すな。 痛みはそれほどない。 ただ、どうも助かりそうに無いな」

フレイも分かっている。

シグムンドは、文字通り人類を代表する勇者だ。弓の腕前も剣の腕も、もはや比べる者がいないだろう。

戦場での活躍も比類無く、猛者揃いの北ミズガルドの戦士達の中でも、突出していた。生き残っているブルグントの兵士達の中には、シグムンドは実は神なのではないかと噂する声があるほどだ。

「巨神どもの長を倒すくらいまでなら保たせてみせる」

「無茶なことをいうな」

「それは承知だ。 アネットに、さっき回復はしてもらったが、どうも内臓の方はどうにもならんらしいな」

正確には、時間さえ掛ければどうにか出来る。

だが、今はその時間が無いのだ。

巨神族に、スヴァルトヘイムの魔物が攻撃を仕掛けてきている。この機を逃しては、勝利は永遠に失われてしまうだろう。

勿論戦いには、シグムンドの助勢も必要不可欠。

フレイとフレイヤだけで、どうにか出来るほど甘い相手ではない。敵はフルングニルが前線に出てきている。知恵比べにおいても、グンターが薄氷を踏む思いで挑んでいるほどだ。

「すまん、シグムンド。 お前達北の民を、私は誰も……」

「老人や女子供は、多くを異世界に逃すことが出来たじゃないか。 後は巨神共を滅ぼして、異世界に攻めこんでくる可能性をなくせばいい。 それだけで、俺は充分だ。 これ以上は謝るなよ。 俺も同意の上なんだからよ」

「そうか。 ならば、最後まで共に戦おう」

「おうよ。 バルハラも生きている内に見たし、後は冥府とやらを見るのが楽しみではあるかな」

地下通路を、抜ける。

一端結界の内側に出た。既に結界は消耗し尽くしていた。

作戦では、グンターの主力部隊と、彼が率いる一万ほどのエインヘリアルが、此処に敵を引きつける事になっている。

少し遅れて地下通路を抜けたアルヴィルダが、敵陣に向けて手をかざした。

「ほう。 随分と派手に攻撃してきておるのう」

「間もなく結界は破れるな。 グンターは」

「ここにおる」

馬から身軽に下りたグンターの側は、ハーゲンの率いる精鋭が固めている。ラーンも敵に向けて、神の矢を連続で打ち込んでいた。ラーンの射撃は正確極まりなく、リンドブルムを矢を放つごとに叩き落としている。

フレイも拡散型の弓を引くと、連続で矢を放った。とりあえず、手近な所にいるリンドブルムは、可能な限り落としておく。

作戦開始までに、少しでも敵を削らなければならない。そして、此処にいると、フルングニルに示さなければならないのだ。

「グンター、敵の動きは」

「さすがはフルングニル。 とにかく的確で、隙が無い」

「この短時間で、これだけ結界を削ってくるとはな。 此方の準備は」

「ぬかりないが、やはり最後の結界の内側まで下がった方が良いのでは無いのか。 危険が大きすぎるように思えてならぬ」

やはりグンターは慎重な用兵を行う。その意見自体が、とても貴重だ。

結界が崩壊を開始する。

最前列でひしめいていた巨神達に向けて、エインヘリアルが槍を低く伏せ、水平射撃を開始した。

巨神が次々と体を抉られ、頭を吹き飛ばされる。

人間の兵士達も、それぞれが矢を放ち、助勢した。フレイも斉射に加わり、敵を削り取る。

「可能な限り被害を抑える。 そののちに、最後の結界に撤退だ」

「やれやれ、しんどいな」

グンターが馬に跨がり、指揮剣を振るった。

同時に、全軍が一気に陣形を縮小する。敵が、それを見て、わずかに動揺するのが分かった。

フレイが火山の弓を取り出し、引く。

放つのは、結界が崩壊する瞬間。敵陣の前衛だ。

この弓は、文字通り火山の噴火がごとき破壊力を秘めているが、その代わり負担が大きく、連射が出来ない。

結界が、完全に崩壊した。

同時に、敵がどっと押し出してくる。フレイが、火山の弓の矢から、指を離した。

目もくらむような閃光と共に、アスガルドそのものが揺動するほどの爆発が巻き起こる。敵の前衛の一部が、文字通り消し飛ぶ。密集隊形にこれを喰らったのだ。ひとたまりも無いだろう。

だが、敵の士気は衰えない。

爆炎を乗り越えるようにして、次から次へと押し寄せてくる。

大巨神も中巨神もいる。巨神族も、流石にその再生能力は無限では無い。敵も歴戦を乗り越えてきているのだ。凄い向かい傷を受けている巨神の姿が目だった。

フレイは手がしびれていて、即座に殲滅戦には参加できない。

その間は、グンターの指揮で、守に徹するしかない。

グンターが指揮剣を振るうと、エインヘリアル達が水平射撃をしながら、後退を開始する。それと同時に、人間達も。

下がりつつ、敵の先頭を狙うようにして、斉射を浴びせる。後ろに下がりながら、ラーンが立て続けに三体、巨神を射貫いて見せた。

最前列に飛び出したハーゲンが、神の武具である盾をかざして、中巨神のハンマーをはじき返してみせる。

あまりにも巨大なハンマーだから、非常に印象的な光景となった。兵士達の間から、喚声が上がる。

「押し返せ!」

「おおっ!」

勇気を声に含ませながら、兵士達が矢を放つ。

フレイはテュールから受け継いだ剣を引き抜くと、縦横無尽に振るった。だんだん、斬る速度を上げていく。

まるでじゃじゃ馬のような剣で、制御がかなり難しい。

だが、一撃で、巨神を紙のように切り裂く。剣撃が届く範囲も恐ろしく広い。これならば、或いは。

事前の予定通り、下がる。分かっていたが、敵は左翼も右翼も突出してこない。

おそらく、敵がうってくる手は。

「後方に敵! フルングニルです!」

伝令が絶叫する。

フレイは頷くと、シグムンドに、剣を振るいながらいった。

「此処は、任せるぞ」

「応。 フレイヤだけでは勝てまい。 急いで行ってやれ」

「うむ」

此処からは、神域の戦いが始まる。

如何に勇者と呼ぶが相応しき戦士であるシグムンドといえども、割っては入れないだろう。

最悪の敵とかしているフルングニルを倒すのは、フレイの責務だ。そして、フレイヤの仕事でもある。

行きがけの駄賃に、大巨神を一体両断していく。兵士達が歓声を上げる中、フレイは神の速力を最大限に発揮して、フルングニルを討ち取るべく、走った。

フレイの代わりになるように、アネットが飛び出す。そして、巨神を数体、見る間に斬り伏せた。

 

2、巨神の守護将

 

やはりフルングニルの予想通りだった。

敵は此方が奇襲を警戒すると踏んで、後退しながら戦力を削る作戦に出た。そこでフルングニルの出番である。

敵陣の後方に短距離空間転移し、退路を塞ぐ。

作戦の指揮は、スリヴァルディに任せる。フルングニルが敵の後方に出た一瞬の遅滞を利用して、右翼と左翼を前進させ、敵をたたく。

フレイとフレイヤは、フルングニルに向かわざるを得ない。それを利用しての作戦だ。

スリヴァルディは策を告げると、皮肉混じりにいう。

「フルングニル様らしい作戦ですな。 敵の選択肢を削り取り、詰みへと誘導する」

「だが、これが最善の策よ」

「問題があるとすれば、フレイとフレイヤが、今や神界の猛虎とでもいうべき存在に成長している事でしょう。 フルングニル様が黄金の形態を取っても、勝てるかは分かりませんよ」

「かまわぬ。 俺が負けても、最終的な勝利には持ち込める作戦だ」

そう。フルングニルは既に、この時。戦いで敗れることも、視野に入れていた。

様々なデータを総合するに、フレイとフレイヤは、既に二柱あわせれば、トールを凌ぐ実力を手に入れているとみて良い。

フルングニルの切り札である黄金の形態を用いても、なおも勝てるか分からないほどの相手だ。

むしろ、フルングニルが挑戦する立場と言っても良いかも知れない。

心が躍るのは事実だ。

だが、それ以上に。指揮官としての責務として、なおも勝てる策を立てる必要が生じてくる。

フレイとフレイヤさえ倒してしまえば、ヴィーグリーズで行われるだろう決戦は勝ったも同然。

差し違えても、フレイとフレイヤを、此処で仕留める。

「流石ですな、フルングニル様。 自分さえも駒として扱うとは」

「司令官としては当然の行動だ。 もしも俺が倒れた場合は、後を任せるぞ、スリヴァルディ」

「任されましょう」

頷くと、フルングニルは空間を渡った。敵の上空を経由して、後方に出る。

着地と同時に、横殴りに氷の魔弾が飛んできたので、斧を盾にして受け流しつつ、何度かバックステップする。

完璧なタイミングだった。

フレイヤがいる。ワルキューレの手練れも。確か、ブリュンヒルデであったか。

なるほど、ここまで読むようになっていたか。

「フルングニル!」

「妹だけか。 兄の方は」

「兄様の手を煩わせるまでもありません。 此処で、貴方を討ち取ります」

「ヘルを倒したという話を聞いているが、強く強く成長したようだな。 以前戦ったときとは、威圧感が別物だ」

左肩を掴み、フルングニルは前に出る。

フレイヤが、間髪入れず、炎の杖から火球を連射してきた。空間転移してかわしながら、斧を投擲。

ブリュンヒルデが前に出ると、槍から光を集中して放ち、斧の軌道を変える。

だが、その時には、フルングニルは敵の上空。

数個の斧を出現させ、連続して投擲する。地面を爆砕しつつ、また短距離空間転移して、着地。

斧を投擲して、斜め後ろから飛んできた火球を迎撃、爆破した。

今の斧での爆撃の煙幕を利用し、フルングニルが跳ぶ位置を予想、更に後ろに回り込んできたか。

襲いかかってくる、無数の氷の魔弾。

手足に数発が着弾するが、再生能力に任せる。人間の軍勢は、神域の武闘に巻き込まれないように、進路を変えていた。

左翼と右翼の部隊を、此処で最大戦速の前進をさせる。

「さて、フレイもそろそろ到着する頃かな?」

「……っ!」

「遅い!」

上空から光を乱射してきていたブリュンヒルデの更に上に出ると、蹴りを叩き込む。槍でガードしようとしたブリュンヒルデの、ガードの上から吹き飛ばす。地面に直撃して、クレーターを作るブリュンヒルデは無視。正確にフルングニルに稲妻を放ってくるフレイヤに対して、此方も退路を完璧に読みつつ斧を投げつけた。

連続して地面が爆裂する。

斧の一つを火球で爆砕して逃れたフレイヤが、再び対空砲火を放ってくる。

これは以前、二対一で戦ったときよりも、今のフレイヤ単独の方が遙かに手強いとみた。面白くて、含み笑い。

この素晴らしい戦いに、更にスパイスを加えたい。

だが、その欲求は、司令官としてはあるまじきものだ。

着地と同時に加速。フレイヤが下がりながら、ありったけの火力を叩き込んでくるが、それの全てを正面から打ち破る。斧を振るって氷の魔弾を消し飛ばし、火球を吹き飛ばし、稲妻を残像に抉らせる。

至近。フレイヤが、逃れ得ない。

斧を振り上げる。

そして、飛び退いた。

一瞬前までフルングニルがいた空間を、斬撃が抉っていた。フレイが到着したのだ。

「待たせたな、フレイヤ」

「兄様、予定通りです」

「うむ……」

素晴らしい。だが、此処までだ。

フルングニルは着地すると、斧を二本とも側の地面に投げ捨てた。

「今のお前達になら、俺の奥義を見せても良いだろう」

「やはり、隠し球をもっていたか」

「うむ。 作戦上必要な戦いだが、それでも全力で行かせてもらおうか。 この姿を見せる相手は、ごく数が限られる。 お前達なら、戦歴的にも実力的にも、それに相応しい」

両掌を、胸の前であわせる。

全身の魔力を、最大限に活性化させた。

唸り声が、体の芯からあふれ出てくる。戦士としての自分が、前に出てくる。そして、全てを支配していく。

かってヴァン神族は平和的な種族だった。好戦的なアース神族に敗れたのも、それが故だった。

フルングニルは、その頃から好戦的な性格だった。若い頃はとにかく粗暴だった時期もあった。

ヨトゥンヘイムに一族が追いやられてから、むしろフルングニルは自分を制御する術を身につけた。

他のヴァン神族達とは、真逆の生き方だったとも言える。

異相の存在だとも言えた。

かっては鼻つまみ者だったフルングニルだが、アース神族との死闘をへて、周囲から認められるようになっていった。その頃はトールと何度も刃を交えた。奴の必殺武器であるミョルニルには、何度もひやりとさせられたものだ。

今は。むしろトール以上に成長した若き虎たちを相手に、練りに錬った技と術を試すことが出来る。

今だけ。

今だけは、粗暴だった頃の、自分に戻る。戦士であった頃に。いや、戦士という面しかもっていなかった頃に。戦いだけを考えていた、昔に。

そして、悲願である、フリムを覇王にするという夢を果たすのだ。

全身が、金色に染まる。

フレイとフレイヤが、構えるのが分かった。威圧感が、二柱の神を、完全に越えたからだ。

この形態になったら、もはや斧など必要ない。

ただ拳と蹴りと、そして極限まで上がった再生能力だけで、戦い抜くことが出来るのだ。拳そのものが、神々の武具以上の破壊力を発揮できる。全身が凶器。神々の中でも、間違いなく最強の肉体。

これぞ、フルングニルの戦闘形態。黄金の勇者。

「行くぞ……!」

声を掛けたときには、既にフレイヤの背後に回っている。

爆発が巻き起こったのは、移動の方がそれよりも早いから。フレイヤが振り返るよりも、フルングニルが拳を振り下ろす方が早い。

フレイヤを抱えて、フレイが飛ぶ。

地面が、吹っ飛んだ。

爆炎よりも先に、フルングニルが動く。逃げながらフレイヤが放ってきた火球の全てを身体能力だけでかわしつつ、上空に。

短距離空間転移を繰り返し、フレイとフレイヤの背後に回る。

踏みつぶしにかかる。

一撃一撃が、地面を爆砕し、空間に殺戮の風を巻き起こす。

フレイが切り返してきた。斬撃を、わずかに身をそらすだけで避ける。遅い遅い。遅すぎて、あくびが出る。

二度目の斬撃を、頭突きではじき返してみせると、流石にフレイも青ざめた。

何も、言葉は必要ない。

拳だけで風圧を造り、吹き飛ばす。フレイは吹き飛ばされながらも、何度も斬り付けてきた。フレイヤも兄と違う方向に飛びながら、氷の魔弾を乱射してくる。

綺麗な連携、見事な十字砲火。

残像を残してかわしながら、地面を蹴る。

上空で、空間転移を繰り返し、落下速度さえ加速に変えて、地面へ。雄叫びを上げながら、まずはフレイに、拳を全力で叩き込む。

フレイが盾をかざす。

おそらく、テュールの剣に付随していた、アスガルド随一の盾。

だが、それでさえ、フルングニルの拳に比べれば、脆く柔い。吹っ飛ぶフレイが、何度も地面を蹴りながら、体勢を立て直す。

追撃してきている味方の軍勢が、エインヘリアルと激しく交戦している。右翼と左翼の到着が遅いが、まあそれはいい。

走る。

体勢を立て直したばかりのフレイに、拳を連続して叩き込む。文字通り真上から叩き込まれる拳に、フレイは吹き飛ばされながらも、神ならではの速度を利用して、必死に逃れつつ、反撃してくる。

一刀左腕を裂くようにして入るが、瞬時に回復。

フレイが呻く。

だが、感心している暇など与えない。

「おぉおおおおおっ!」

左拳に力を込め、魔力を爆発的に高める。

フレイが再び斬り付けてくる。残像を残して、虚空に。後ろから、正確なタイミングで飛んでくる稲妻。面倒くさいから、そのまま体で受ける。痛くもかゆくも無い。頭上。いつの間にか立ち直っていたブリュンヒルデが、槍から光の雨を降らせてくる。気にしない。

消し飛べ。

拳を振り下ろす。フレイは、盾をかざすが、防ぎきれる筈も無い。

巨大なクレーターが生じた。

一瞬遅れて、大爆発が巻き起こる。着地したフルングニルは、青ざめるフレイヤに視線を向けると、距離を瞬く間に侵略した。

無造作に足を上げて。振り下ろす。

フレイヤが真横に逃れるが、それは拳の範囲内だ。今のフルングニルは、拳圧だけで、周囲を自在に砕く事が出来る。

この破壊力でも、ヨムルンガルドには通じなかっただろう。

だが、此奴らが、相手であれば。

ブリュンヒルデの槍の光が、ちくちくと刺さってくる。再生能力で即座に無力化。そのまま、拳を振り下ろす。

拳に遅れが生じ、その隙にフレイヤは間合いの外に逃げ延びた。

足下に、鈍い痛み。

振り返ると、フレイだ。全身血まみれ。鎧には罅が入っているにもかかわらず、テュールの剣を振るったのか。

面白い。

そうこなくては、この形態になった意味が無い。フルングニルにとっても、黄金の勇者形態は、命を縮める危険なものなのだ。しかも、ただの一度しか使う事が出来ない、切り札中の切り札。

開戦前は、トール相手に用いようと思っていた。

だが、今は、その予想を超える相手と戦って、全身に喜びがあふれかえっていた。

足の傷も即座に修復。

フルングニルは直上に飛び上がると、空中で空間転移して、そっくり上下を入れ替える。これにより、加速をそのまま、向きだけを変えることが出来るのだ。

フレイが、剣を振るい上げてくる。

衝撃波を、拳で爆砕。

フレイヤが、九本の矢を、同時に放ってくる。一本一本が、かなり強力な魔力を込めた、恐るべき矢だ。

だが、その全てが、虚空を抉る。フルングニルの速度についてこられないし、何よりも空間転移の前には無力。

途中、ブリュンヒルデが、横殴りに光を叩き込んでくる。手で弾いて、そのまま着地。至近に、フレイ。

勢いを殺さず、拳を振り下ろす。

さっきの全力での一撃を耐え抜いたのは見事だ。だが、二度も奇跡は起こらない。

 

ニーズヘッグは、目を細めて遠くで行われる闘争を見やっていた。

素晴らしい。

フルングニルが切り札を隠している事は知っていたが、まさかあれほどの戦闘力を発揮できるとは。

あれならば、トールであっても、勝てなかった可能性が高い。事実あのフレイとフレイヤを前に、フルングニルは終始圧倒している。

本当に、ヴァン神族は徹底した準備の末に、出てきたのだとよく分かる。

軍勢の多くを失ってしまったが、まだまだニーズヘッグには勝機がある。フルングニルとフレイとフレイヤを共倒れさせることだ。

まさか、あれほど的確に、此方の弱点を突かれるとは思わなかったが。

まだまだ味方の兵力は三十万を越えている。充分に逆転の好機は存在しているし、それを逃すつもりも無い。

味方の魔物は、ヴァン神族の軍勢の後背に食いついて、守りに徹している敵の戦力を擦り取っている。それでいい。

今の時点では、このまま戦況を推移させる。

フルングニルが、また拳をフレイに叩き付けた。フレイはのがれる暇も無く、クレーターの底に埋もれる。

フレイヤが放った光の矢が、フルングニルの身を直撃。

わずかに動きが止まるが、それだけだ。常軌を逸した再生能力で、フルングニルは即座に立ち直る。

フレイヤが、槍を持ちだした。

相当な魔力を感じる。おそらくは切り札だろう。フルングニルは短距離空間転移を繰り返し、左右にステップするように移動しながら、フレイヤに近づく。それも、殆ど時間を掛けずに。

勝負あったか。

フレイヤでは、近接戦でフルングニルにはとても叶わない。フレイがあのように潰された今、逃れる術は無いだろう。

だが、この時。

ブリュンヒルデが、上空から光を降らせた。

面倒くさそうに飛び退いたフルングニルが、驚いて振り返る。

立ち上がったフレイが、盾を捨てるのを見たのだ。

なるほど、盾を最初から、二重にしていたのか。しかもそれぞれが、神々の武具に相応しい、最高級のものだった。

だから、二度もフルングニルの全力の拳に、耐えることが出来たという訳か。

素晴らしい戦いだ。

思わずニーズヘッグも見入ってしまう。

だが惜しいかな、フルングニル自身も、あれほどの戦闘力は長く維持できないだろう。どうみても乾坤一擲の技だ。フレイとフレイヤも消耗が酷い。そろそろ、決着がつくはずだ。

ニーズヘッグは、残った部下達の内、手練れを前衛に集める。数は十万を超えた。

この戦力を、フルングニルが倒れた途端、敵の後衛に全て叩き付ける。ニーズヘッグ自身は、フリムを狙う。

このラグナロクの真の元凶を、おそらくフレイとフレイヤは知らない。

ニーズヘッグとしてはそれを売ってやっても良かったのだが。しかし、最終的に共倒れさせるのだから、どこに荷担しても同じだ。

ニーズヘッグの目的は、この世界の覇王となる事。

そのためには、フリムもアスガルドも、それにムスペルも、邪魔だ。

フルングニルが仕掛けた。

虚空に舞い上がると、反転。かなりの距離を取る。

なるほど、助走距離か。

これに対し、フレイは大上段に構えた。またフレイヤは詠唱を開始。あの槍から、特大威力の攻撃を放つつもりだろう。此処まで届いている魔力からして、おそらくは雷撃だろうか。

フルングニルは一見殆ど傷ついていないが、あの様子ではもはや戦闘形態を維持できないのだとみた。

ブリュンヒルデが空中を旋回している。

仕掛ける隙を、見定めようとしているのだろう。

三者、いや四者の膠着は一瞬。

静は、動へ。

フルングニルが地面を蹴った。地面を飛ぶようにして、走る。地面を蹴っているのは、走るのでは無い。水平に飛ぶ際に、地面を蹴ることで加速しているような有様だ。翼が無くても、空に舞い上がるほどの速さである。

神としても、あれほどの速さで動いた者はいないだろう。

己の持てる最高の力で。

最高の相手と、勝負したい。

ニーズヘッグは、鼻で笑ってしまった。フルングニルも、結局は戦士だったという事だ。ヴァン神族の守護者とも言える武将だったかの男も、最終的には戦士の本能に勝つことができなかった。

どうだ、あの嬉しそうな顔。

楽しそうに歪んだ口元。

最初に仕掛けたのは、ブリュンヒルデだ。渾身の一撃らしい、極太の光を、フルングニルの動きを見ながら、その目前に叩き付ける。

フルングニルは、その光をものともせず、真っ正面から突っ込む。

全身を焼かれながらも、フルングニルは光を強引に突破。

フレイとフレイヤを、つかみ潰そうと、躍りかかる。

此処からは、ニーズヘッグも何が起きたのか、完全には理解できなかった。地底の王者たる最強のドラゴンニーズヘッグでも、である。

場所を入れ違えて、フルングニルとフレイとフレイヤが立ち尽くしていた。

フレイが持っていた盾。音を立てて砕ける。

フレイヤが、膝を突く。元々脆いだろう鎧は、大きな損傷を受け、肩から脇腹に掛けて、一文字にひびが入っていた。フレイヤ自身も大きな打撃を受けた様子で、口から血を流している。

そして、フルングニルは。

左半身の殆どを黒焦げにし。そして、肩口から足先に掛けて、どうみても致命傷と分かる傷を受けていた。

黄金に染まっていたフルングニルの体が。

もとの色に戻っていく。

分析すると、こういうことか。

フルングニルの一撃より、わずかに早く、フレイが仕掛けた。フレイヤも。それでわずかにフルングニルの打撃が弱まり、二柱とも死を免れた。そして、フルングニルは。再生能力を超える攻撃を浴びて。

何か、フルングニルが言っている。

この位置からでは、口を読むしか無い。

「見事だ。 だが、ヴァン神族の勝ちは、揺るがん」

ニーズヘッグはくつくつと笑った。

フレイとフレイヤが、フルングニルを思いやるような言葉を掛けているのが分かったからである。

だから、死ぬのだ。

もっと冷徹に、残虐に振る舞っていれば。フリムさえ押しのけて、ヴァン神族の王になる事さえ可能であっただろうに。

いずれにしても、これで奴らの指揮官はスリヴァルディだ。

これは面白い事になる。ニーズヘッグはもう一度くつくつと笑うと、さらなる攻勢の強化を、部下達に命じた。

 

3、ヴィーグリーズ決戦

 

鎧のダメージは深刻。肉体への打撃も、鎧を貫通してしまった。魔力の流出が始まる寸前まで、痛めつけられていた。

フレイは、倒した強敵の事を思う。

フルングニルに、最後フレイはこう言ったのだ。

「勝負はもういい。 導くべき者達を、一人でも生かすために。 私は、最後まで戦い抜くつもりだ」

フレイは、消えていくフルングニルの亡骸を見つめる。

凄い戦士だった。

これだけの力を秘めていながら、総司令官としての指揮能力は絶大。まさに、ヴァン神族の至宝だったのだろう。アース神族にいたら、どれだけの力になったことか分からない。世の中は、本当に上手く行かないものだ。

フルングニルの死を受けて、しかし巨神の軍勢は動きを止めない。

そろそろグンターが指揮する部隊の、支援に戻らなければならない。フレイヤが、呼吸を整えながら立ち上がる。

ブリュンヒルデが、側に降り立った。

「ご無事ですか、お二方」

「ブリュンヒルデ、状況は」

「左翼、右翼共に攪乱は上手く行っています。 ただし、もう時間は稼げないでしょう」

「すぐに後退の指示を。 私はフレイヤと共に、グンターの支援に廻る」

敵がこう動く事は、分かっていた。

だから最初から、左右から回り込んでくる敵の部隊には、陽動のみを目的とした戦力に当たってもらっていたのだ。

左翼はヘイムダルに。右翼はアルヴィルダに。

ヘイムダルは総司令官には向いていないが、こういう攪乱作戦にはかなりの力を発揮できる。

ブリュンヒルデが飛び去るのを見送ると、フレイヤに頷く。

妹神は自身に回復の術を掛けながら、此方を不安そうに見つめた。

「兄様、そのおけがでは」

「敵の主力を支え続けている味方の方が、負担が大きい。 それにオーディン様の加護を受けた盾だ。 死にはしない」

それを砕いたフルングニルにもう一度敬意を払うと、フレイは味方の所へ急ぐ。

フレイが駆けつけると、グンターは指揮を続けていた。疲弊した部隊を下げ、無事な部隊を前衛に入れ替え、変幻自在の用兵を行って、敵の浸透を阻み続けている。その手腕は確かで、エインヘリアル達も生き生きと動き回っていた。

「神々よ、あの恐るべき化け物を倒したのか」

「フルングニルは、優れた戦士だった。 どうにか、勝つことができた」

「そうか」

皺の刻まれた目尻を細めて、グンターは言った。きっとフレイの心中を、察してくれたのだろう。

状況を確認するが、一進一退だ。敵も味方も、相手を効率よく削ることのみを考えて、進軍している。

そして、被害の状態から考えて。

このままだと、味方には、決戦を行う余力が無くなる。

フレイとフレイヤのダメージも深刻で、このまま戦うと、かなり厳しい状態になるだろう。

「一度、結界の内側へ引く」

「それが良かろう」

「フレイヤ、行くぞ」

頷き合うと、前衛に。

そして、敵の大軍勢を見て、やはりフルングニルの時に比べると、若干動きが鈍いなと思った。

敵軍にテュールの剣を振るう。横薙ぎすれば巨神が胴斬りになるほどの破壊力だ。フレイヤも、精霊の弓から、魔弾を叩き込む。

味方が後退する。その隙に、フレイ達も、敵と距離を取る。

勿論、撤退は容易には行かない。敵は命を捨てて、攻撃を続けてくる。追いすがってくる敵の表情は、いずれも悪鬼のようだ。

切り払い、薙ぎ払いながら、下がる。

だが、ある一点で、敵がぴたりと止まった。そして追撃を止め、軍勢をまとめはじめる。むしろ、後退を開始したほどだ。

同じく最前衛で、盾をかざして敵と戦い続けたハーゲンが、怪訝そうに眉をひそめた。

「神よ、何が起きたのでしょう」

「分からないが、今は撤退した方が良いだろう」

「それもそうですね。 総員、負傷者を救助しつつ撤退! 息がある者は、一人も見捨てるな!」

後の事は、ハーゲンに任せる。

フレイ自身は、酷く傷ついた鎧の回復に入った。歩きながら、殆どの力を、鎧の回復へと振り分ける。

目を閉じて、意識を集中。

結界を抜ける。味方が、撤退してくるのが分かった。

かなりの被害は出したが、それ以上の損害を敵に与えた。特に、ファフナー、フルングニルを倒したのは大きい。

自身と、フレイヤの神殿に出向く。どちらも神殿とは呼べないほど慎ましい規模であり、実際神殿とは呼ばれていなかった。自分たちで、住めば都、これは神殿と決めていただけだ。

ここに来るのも久方ぶりだ。フレイの神殿は潰されてしまっていたが。フレイヤの神殿は、かろうじて残っていた。

先に戻っていたフレイヤは、自身の部屋に入ると、鎧と魔力の回復をはじめたようだった。今は声を掛けない方が良いだろう。

更地になってしまった自身の神殿の、基礎の上にフレイは座る。

アスガルドでも、自分に最も適した魔力が集まってくる場所だ。鎧の回復には、此処が最適である。

敵が引いた理由は分からないが、これで時間を稼ぐことは出来た。

しかし、嫌な予感がする。

その予感は、程なく適中した。

大股で、ヘイムダルが此方に来るのが分かった。血相を変えている。余程のことが起きたのだろう。

「フレイ殿」

「ヘイムダル。 何かあったのですか」

「ムスペルだ。 もう、麓まで来ている」

思わず腰を浮かせかける。

なるほど、そう言うことか。あの撤退ぶりからして、ヴァン神族は、ムスペルに襲われない理由があるのだろう。

続報が来た。

ムスペルは紅い騎士が二十体。やはり、相当に目減りしている。だが、それでも二十体だ。アスガルドに乗り込んでくるときは、その殆どを同時に相手にしなければならなくなる。

巨神族と共同で攻めこんでこられたら、文字通り勝ち目が無くなるだろう。

敵が引くわけだ。

これでは、総力を挙げて出撃せざるを得ない。まずは巨神族を全滅させ、それからムスペルと戦う。

それしか、アスガルドに選択肢は残されていないのだ。

結界がある内に、巨神族を葬り去らなければ。

シグムンドのことを思うと、心苦しい。本格的な回復の魔術さえ掛けてやれば、救うことは出来る。

だが、今は。

その時間が無いのだ。

鎧に対する応急処置は終わった。フレイヤも、自身の神殿から出てくる。ヘイムダルの話を聞くと、頷く。

「戦うしか、無いようですね」

「敵はヴィーグリーズ平原に戦力を集結させている様子だ。 此方も残る全ての戦力を集めて、攻撃を仕掛けるしか無い」

「もはや、アスガルドにしか生きている者はいないというのに」

フレイヤは悲しそうだ。フレイだって、嬉しくは無い。

フルングニルとだって、アース神族とヴァン神族で無ければ。或いは、話が出来たかも知れないのに。

ヘイムダルは、既にグンターとアルヴィルダに話を付けていてくれた様子だ。

すぐに二人とも来た。

「今、動けるのはエインヘリアルが三万、我らの軍が四千五百というところじゃな」

一割弱減っている。これは激しい戦いが続いたためだ。

敵も、損害は一割程度とみられている。今、スヴァルトヘイムの魔物達と戦っているようだから、戦うときには十万を切っているかも知れない。過剰な期待は禁物だが。

ムスペルが到達するまでの猶予時間は、おそらくは半日程度。

それまでに、巨神族の王であるフリムを討ち取り、敵を壊滅させなければならない。壊滅させるだけでは駄目で、ムスペルを迎撃するための準備もしなければならないことを考えると、すぐに出撃しても遅いくらいだろう。

敵は減っているとしても、だいたい十万。

此方の三倍だ。

しかも、おそらくはフリムを討ち取ろうと此方が考える事くらいは、読んでいると見てよい。

敵がムスペルと連携できるとなれば、此方の攻撃を単に捌くだけで良いわけで、非常に有利な状況だ。

「両手を縛られて、虎と戦うようなものじゃな」

アルヴィルダが、その困難さを表現してくれた。むっと黙り込むヘイムダル。フレイは時間が惜しい。話している間に、少しでも鎧を回復させるために、自分の神殿だった場所に座ったままである。

フレイヤも、その側で、わずかな時間を活用すべく、座っている。

「敵はヴィーグリーズ平原に布陣を開始した様子じゃ。 おそらくは、縦深陣を敷いてくるだろう」

「数段に分かれて、此方の突撃を受け止める構えだ。 しかもそれを巨神が敷く。 突破するのは、困難極まりないだろうな」

その上、犠牲を問わない戦い方であれば、次のムスペルとの戦いで、息が続かない。そればかりか、スヴァルトヘイムの魔物共も、虎視眈々と此方を狙っているとみて良い。文字通りの、八方ふさがりだ。

名案は無いだろうか。

アルヴィルダが席を外す。兵の編成を行うためだ。

アスガルドに戻ってきた他の若き神々は、負傷者の手当に大わらわである。ワルキューレのサーニャなどは、倒れそうなほど働いていた。とはいっても、重傷者を助けている余裕が無い。

口惜しくて、ならなかった。

フルングニルを倒しても、戦況はいっこうに好転していない。フルングニルが残した言葉の通りだった。

フレイは、立ち上がる。

敵に陣を固めさせる前に、出撃した方が良い。最悪の場合、すぐにスヴァルトヘイムの魔物とも、戦わなければならないだろう。

鎧のダメージは深刻だが、フリムには火山の弓から、無数の矢を叩き込んでやったダメージが残っているはず。火山の弓の間合いまで入る事が出来れば、どうにかなるはずだ。そういえば。さっき奇襲で火山の弓から矢を叩き込んだとき。敵は親衛隊が壁になって防いできたが。

あの時、本当に攻撃は通らなかったのだろうか。

何か嫌な予感がする。

幾つもだ。

全軍が、出撃を開始する。

巨神族も、全面的に受けて立つ構えを崩さない。結界を出て、ヴィーグリーズ平原へ進む。殆ど時間を掛けずに、到達する。

不気味なほど敵は静まりかえっていて、まるで此方など眼中に無いがごとく。

そして、敵の背後には、スヴァルトヘイムの魔物の大軍勢がひしめいていた。数は軽く十万、いやそれ以上はいるだろう。

敵は予想通り、重厚な縦深陣を敷いている。

味方も布陣をはじめるが、突撃用の凸字陣を敷くほか無い。フルングニルは徹底的に、部下に指示を残してから、出てきたのだろう。

フレイとフレイヤの力も削がれている今。

選択肢は、限りなく少なかった。

最前列に出ると、北ミズガルドの戦士達がいた。シグムンドが、フレイを見て頷く。此処を、死に場所と決めているのだろう。

止めたい。

だが、止めるわけにはいかない。

レギンが斧を何度か素振りして、敵の様子をうかがっている。此方に対して、攻勢に出ようという気配は、一切感じ取れない。

「野郎、此方の手が無いって事を熟知してやがるな」

「厄介な相手だ。 本当に正面から攻めるのか」

「それ以外には無い」

スヴァルトヘイムの魔物がどう動くか分からない今、それ以外に取るべき手は存在していない。

そして正面から戦って、三倍の敵を打ち破らなければならないのだ。

勿論、敵は縦深陣をしいたまま、黙って待っていてはくれないだろう。隙を見ては迂回の別働隊を出してきたり、或いは逆攻勢をかけて中央突破を狙ってくるかも知れない。相手の指揮官がフルングニルでは無いとは言え、油断は禁物だ。

間もなく、布陣が終わる。

最前衛の指揮はアルヴィルダが執る。だが、彼女は不機嫌だった。フレイが行くと、早速隠さず不満をぶちまけてくる。

「このような策は、策とは言えぬ。 敵に選択肢を限定されたとはいえ、不愉快極まりない」

「何か代案はあるか、戦姫」

「一つある」

サラマンデルは、三機とも最前列に来ている。フルングニルがいない今、決戦兵器として充分な活躍をするだろう。

戦場をサーニャが駆け回っているのが見えた。

ぎりぎりまで、けが人を回復しておきたいのだとか。ワルキューレでは無く、医療の神にでもなれていれば、幸せだったのだろうか。

「敵将の居場所は、確か三列目の中ほどであったな」

「うむ。 今も動いていないと、ヘイムダルから連絡が来ている」

「ならば、其処へ神の攻撃を叩き込む好機を作れば良いのであろう」

その通りだが、上手く行くのか。

何も真正面から突っ込むだけがいくさでは無いと、アルヴィルダが言う。無論その通りだが、常に最前線で戦い続ける猛将である彼女に言われると、どうも妙なおかしさがあった。

「敵の陣列を見よ。 おそらく、フルングニルに言われたとおりのことを、忠実に守っているのだろう。 つまり、あまりにも突飛な行動を此方がしたらどうなるか」

「たとえば」

「神よ、貴殿が単騎で敵陣に突入する、というようなことだ」

なるほど、それは面白い。

勿論、アルヴィルダはフレイに死ねと言っているのでは無い。如何にフレイといえども、巨神族の大軍勢に単騎で突入すれば死ぬ。それはあくまで、敵を混乱させるためにする事であって、勿論味方との緊密な連携が必要になる。

フレイヤは心配そうに話を聞いていた。

フレイの鎧は消耗が激しい。あのフルングニルと、全力で渡り合ったのだから当たり前だ。しかももう替えの鎧は存在しないのである。

後にムスペルとの決戦がある事を思うと、不安を想起されるのだろう。

だが、フレイにも考えはある。

「よし、それでいこう。 敵陣の乱れを、上手く突いてくれ」

「無論よ。 それでは、征こうか」

サーニャがシグムンドの所で足を止め、話をしていた。

青ざめているのが分かる。シグムンドの体のことを、察したのかも知れない。だが、シグムンドは首を横に振る。

この戦いを、抜けるわけにはいかない。

巨神族は、まるで長城のように、壁を作っている。あれを、これから力尽くで突破し、なおかつ王を倒さなければならないのだ。

フレイは、歩き出す。

シグムンドの横を通るとき、頷かれた。

必ず、王を倒そう。

そう、視線は語っていた。

フレイも頷き返す。

シグムンドの覚悟と心、絶対に無駄にはしないと。

巨神達は、歩き来るフレイを見ても、動かない。まるで彫像のように、無音無言で立ち尽くしている。

不気味でさえある光景。

其処へ向け、一直線にフレイは歩いて行く。

 

ニーズヘッグは、軍勢を待機させたまま、様子を見ていた。

狙うのはフリムの首のみ。

フレイに殺させても構わない。

距離を取ったまま、ニーズヘッグは戦況を見つめる。どうやら、双方とも、戦闘態勢が整ったようだった。

アスガルドの軍勢は三万五千。

これに対して、ヴァン神族は十一万。三倍強の兵力だ。

しかも、ヴァン神族にとって、ムスペルは敵では無い。正確には少し違うのだが。敵としてカウントしなくても良い相手だ。

つまり、守りきれば勝ち。

著しくヴァン神族に有利な状況である。ニーズヘッグがフレイの立場だったら、とっとと逃げ出しているほどに不利だ。

だが、それでもフレイどころか、アース神族と人間共は逃げない。

此処で負ければ、全てが終わりだと思っているのだろう。ある意味正しくはあるのだが。この茶番を仕組んだ輩から見れば、腹を抱えて笑いたくなる事例だろう。

ニーズヘッグはもう少し距離を取るよう、部下達に指示。

物言わぬ部下達は、無言で敵陣から整然と下がった。それでいい。一見するとヴァン神族が圧倒的優位に見えるが、実際には大して優劣に差は無い。

勝った方も、無事では済まないだろう。

結局の所、上手に立ち回り、最大限の兵力を保持したニーズヘッグ有利の状況に、変わりは無かった。

菓子でも食いながら、様子を見たいところだが。

だが、フルングニルが、そのような楽をさせてくれるとは思えない。死してなお、奴はヴァン神族のために、幾つもの手を打っていたのだから。

さて、どうでる。

ほうと、思わずニーズヘッグは呟いていた。

フレイが単騎で進み始めたからだ。いくら何でも、挑発か何かだろうと思ったが、違った。

ある一点から、いきなり加速。

敵陣に、真っ正面より突っ込んだのである。

「おやおや、これはこれは」

テュールの剣を縦横に振るい、暴れ狂うフレイ。見る間に巨神達が斬り倒され、陣形が崩れる。

勿論、巨神も黙ってはいない。

押し包むようにして、フレイに襲いかかる。四方八方から棍棒が振り下ろされ、フレイも哀れ肉塊になるかと思えたが。

その横腹を抉るようにして、閃光が戦場に炸裂する。

フレイヤの援護射撃と。

竜のような兵器からはき出された炎が、巨神達の陣列を抉ったのだ。

フレイは必死に味方の方へ逃げつつ、弓を引き絞り、連射を浴びせる。混乱から立ち直った巨神の軍勢は、ゆっくり、だが確実に進み始める。

防御陣を維持したまま、押し潰す構えだ。

陣に開いた穴も、瞬時にふさがっていた。

おそらくフレイは攪乱の末に、陣に穴を開けるつもりだったのだろう。いや、違う。陣列に開いた穴がふさがった瞬間。

穴が開いていた箇所に、今度こそ本命らしい攻撃が、炸裂していた。特に、フレイヤが放った爆発する矢は、陣列を埋めたばかりの巨神達を、見る間に消し炭にしてしまった。囂々と、燃えさかる炎に、流石に巨神達も躊躇する。

飛来した矢。フレイの剛弓から放たれたものだ。

炎の中に飛び込み、陣列を維持しようとする巨神達を、数体まとめて吹き飛ばす。混乱しながらも、前進する巨神達。

これは、面白い事になってきた。

高みの見物をさせてもらう事とする。あの死闘の中に入り込んで、戦力を削り取られるのはごめんだ。

アスガルドの軍勢と巨神、双方の前線が接触する。

否応なしに二手に分かれた巨神に対して、人間側は見る間に陣形を変えた。一種の斜線陣である。

片方はフレイと、わずかな精鋭。

もう片方は、主力部隊とフレイヤ。

それぞれが、前進してくる相手を迎え撃つ。見る間に死闘が開始され、血肉が飛び散る修羅場と化す。

さて、どちらの戦力を本命と考えているのか。

巨神の軍勢は、混乱している。

フルングニルも、此処までの状況は想定していなかったのだろう。二手に分かれた軍勢を埋めようとしているが、竜の形をした兵器が連続して炎を吐いて、割り込もうとする巨神達をその都度焼き払っていた。

徐々に、巨神の軍勢に、混乱が波及していく。

フレイが精鋭と一緒に下がりはじめたからだ。それに対して、主力部隊は、巨神の軍勢に積極的な攻勢を仕掛け、事実押しはじめている。

意図的な兵力分散により、敵陣を混乱させる。

見本のような、斜線陣での運用か。この辺りは、ニーズヘッグも、フルングニルの授業で覚えた事である。配下としてくっついていたときに、吸収した知識だ。もっとも、今やフルングニルの配下達よりも、むしろ用兵には詳しいようだが。

巨神の軍勢の縦深陣に、乱れが生じ、大きくなりつつある。

流石にそれに気付いたか、フレイと戦っていた部隊が下がり、主力と戦っていた部隊が踏みとどまろうとする。

馬鹿な連中だ。

ニーズヘッグが嘲笑うと同時に、フレイが飛び出した。

 

敵陣に、大きな間隙が出来た。

アルヴィルダのもくろみ通りだ。此処までは、だが。

まずフレイが敵陣に突入。挑発して、後退。敵の混乱の隙に、敵陣の一部に穴を穿つ。その後はその穴を維持しつつ、左右に分かれた敵の進軍を、意図的に散らせる。そして、敵の縦深陣が乱れたところに。

フレイが、精鋭と共に、全力で突入。

主力部隊も、それを支援に廻る。

迎撃しようとするも、横腹を主力部隊の決死の猛攻に叩かれた巨神の軍勢は、動きが鈍い。

フレイはテュールから授かった剣を縦横無尽に振り回し、敵を片っ端から斬り伏せた。師が、守ってくれる。だから、もはや何も怖くない。

フレイヤの支援砲撃。飛来した精霊の魔弾が、大爆発を引き起こし、敵軍の一角を消し飛ばす。

フレイも負けじと、此方に向かって棍棒を振り下ろそうとした大巨神の顔面を切り裂く。わずかに怯んだところを、袈裟に斬り伏せた。

北ミズガルドの戦士達も、追いついてくる。

だが。

敵が、不意に体勢を立て直した。今までの混乱が、嘘のような見事さだった。陣が伸びきった此方に、怒濤の反撃が開始される。縦深陣を敷いていた敵が、花が開くようにぱっと陣形を展開し、此方の全軍を包囲しに掛かって来たのだ。

その動きはあまりにも見事。

フルングニルの後継者は、相当な戦上手かと、一瞬フレイは思ったが。

いや、違う。この用兵、選択肢をそぎ落とし、自分の意図通りの状況に持っていくやり口は、フルングニル本神のものだ。

これも、奴が予言していた状況、というわけか。

シグムンドが、後ろから飛びかかろうとしていた巨神に、先に躍りかかった。膝を蹴って飛び上がり、顔面に剣を突き刺す。

悲鳴を上げながら炭になっていく巨神は捨て置き、着地と同時に速射。フレイの眼前にいる相手の両目を抉っていた。相変わらず、頼もしい手並みだ。

「罠か」

「ああ。 だが好機でもある。 後ろは任せる」

フレイは、むしろこれこそを奇貨にしたい。敵陣の奥深くまで来ている事は確かなのである。

テュールの剣はかなり遠くまで剣撃を届かせることが出来る。こういった乱戦の中では、文字通り最強の武器だ。

縦横に師の剣を振り回しながら、フレイは活路を探す。巨神族の猛攻は凄まじく、味方がどこでも押されに押されているのが分かる。だが、むしろそれが故に、好機でもあるのだ。

この状態、敵は防御をおざなりにしているとみて良い。

つまり、押し込めば。フリムの所まで、たどり着ける可能性が上がると言うことだ。

此方と敵の戦力差は三倍。つまり、敵が包囲すれば、それだけ陣容は薄くなる。もはや、長城のようにとはいかない。

肩に鎧を着けた大巨神が来る。

口に髭を蓄えた、威厳のある容姿だ。敵の将軍格だろう。

踏み込み、棍棒を振り下ろしてくる。巨大な棍棒に対して、フレイは後ろに跳びつつ、敵の体に斬撃を飛ばす。だが、見事な動きで左足を引き、半身をずらすようにして、一撃を回避してみせる。

今度は横薙ぎに迫る棍棒。

斬撃を、切り上げるようにして叩き付ける。爆発のようなつばぜり合い。弾き合う。敵が、構えを取り直す。

フレイも、大上段に構えた。

真横から、飛びかかってくる巨神。だが、シグムンドが矢を放ち、目に直撃させる。横やりを入れようとした巨神が地面に叩き付けられ、バウンドするのと同時に、双方が動いた。

踏み込んでくる大巨神。

渾身の力がこもった、棍棒での一撃。

フレイは精神を集中し、剣へ全ての力を集める。時間が、ゆっくり流れていく。その中で、自分だけは例外だとでも言わんばかりに、棍棒が恐ろしい速さで迫ってくる。否、それだけ時間を遅滞させても、棍棒が桁違いに元々速いので、そう見えるだけだ。

フレイも、渾身の一撃を込めて、振り下ろす。

敵の棍棒に、閃光が走る。

そして、中途から真っ二つになり、バランスを崩して地面にバウンドした。フレイの位置からは、わずかに着弾点がずれるが、それでもクレーターが出来るほどの衝撃だ。無事に済むはずも無い。

フレイも吹っ飛ばされる。

まだ、鎧の負荷は危険域にまでは達していない。跳ね起きると、棍棒を失った巨神に、一太刀を浴びせる。

肩口を斬られ、呻きながら下がる巨神に、更にもう一太刀。大量の血が噴き出す中、巨神は膝から崩れ、やがて前のめりに倒れた。

呼吸を整える。

フルングニル戦のダメージが、やはり残っている。周囲は、大乱戦だ。味方も敵も、次々に倒れていく。奮戦していたサラマンデルの一機に、大巨神が近づいていく。対応が、間に合わない。

棍棒が振り下ろされ、サラマンデルの最上部に直撃した。

耐熱装甲が吹っ飛び、巨大な機体が拉げる。それでもサラマンデルは炎を噴き、致命傷を与えてきた大巨神と相打ちになる。

進む。

あのサラマンデルに乗っていた者達のためにも、立ち止まれない。

斬って斬って斬り伏せながら、敵の防御陣を力尽くで引き裂く。後ろの方で、爆発が連鎖して巻き起こる。フレイヤによる支援爆撃だろう。一騎では微力ながら、ブリュンヒルデも上空から光を放ち、めぼしい巨神を打ち倒してくれている。

味方が、また動きを変えた。

不意に全軍を一つにまとめ、フレイと一緒に突入を開始したのである。敵の囲は既に此方を包むまでになっていたが、それを逆用した構えだ。凸字陣を錐状にまで極端に編成し、そのまま総力での突入を開始したのだ。

中央突破の態勢である。

させじと、巨神の軍勢も、隊形を変えはじめるが、此処こそが勝機。敵が集中していくのを見やると、フレイは手を振って、時間を稼いで欲しいと周囲に指示。わっと味方が押し寄せて、フレイの周囲に壁を作る。

そして、フレイは。

火山の弓を引き絞った。

巨神達も、フレイが引き絞っている弓の正体に気付いたのだろう。決死の覚悟で押し寄せてくる。

だが、その横腹を抉るようにして、精霊の魔弾が飛来。

完璧なタイミングだ。

大爆発が引き起こされ、引きちぎられた巨神の体がたくさん空に打ち上げられた。敵陣に大穴が開く。それでも押し寄せて来る巨神達の勢いは衰えない。周囲で原始的な噛み合いが如き闘争が続く中、フレイは目を閉じて、弓を引くことだけに集中する。人間達を信じているから、出来る事だ。

引き絞り終える。

目を開けると、敵の騎馬隊が少数ながら、此方に迫っているところだった。丁度良い。まとめて消し飛ばす。

矢を放つ。

眼前が、真っ赤になるほどの。特大の爆発が、殺戮と共に引き起こされた。

手がしびれるが、以前ほどのダメージでは無い。火山の弓の特大の負荷にも、慣れはじめてきたか。

呼吸を整え、ゆっくりテュールの剣に持ち替える。溶岩さえ踏み越えて迫ってくる巨神達は、それでも指揮が衰えていない。

少しは兵力差が縮まっているか。

味方の被害も大きい。このままだと、どちらも全滅して終わる。

敵の包囲が崩れはじめている。アルヴィルダが不意に錐陣を敵の弱い箇所に向けて、何度も破城槌のような突入を行ったからだ。

数体の巨神を斬り伏せながら、フレイは全体の戦況を把握するべく、目をこらす。

敵は、まだ戦意を捨てていない。

一端包囲を解くと、陣形を再度縦深陣に組み替えるつもりのようだ。時間を稼ぐためか、残ったリンドブルムを根こそぎけしかけてくる。

戦いは、苛烈さを増す一方だ。

まだ、フリムは姿も見えない。

 

アスガルドの軍勢は、思った以上に善戦している。

軍を待機したまま高見の見物を続けているニーズヘッグは、良い傾向だと思った。善戦していると言っても、圧倒ほどでは無い。ヴァン神族も今だ混乱や潰乱にはいたらず、フリムには敵を近づけてもいない。

放っておけば、それで全てが終わる。

後は勝った方を、悠々と数に物を言わせて押しつぶせば良いだけだ。フリムさえ倒してしまえば、切り札を発動できる。

しかし、事態が予想もしていない方向へ動く。

アスガルドの軍勢を横切るように通過したリンドブルムの群れが旋回し、此方に向かってきたのである。

残った全てが投入されての攻撃だ。

その数は、十万以上には達している。

なるほど、フリムも考えている。横やりを入れさせはしないということか。

思念を飛ばして、迎撃を開始させる。

リンドブルムは高度を維持したまま、炎の雨を降らせてきていた。一見すると此方には対応策が無いように見えるが、きちんと存在している。

対空砲火を放てる魔物が列をなして火を吐き始め、次々リンドブルムを叩き落とす。主力の蠍達も、毒液を吐いて、近くまで来ているリンドブルムに的確に命中させた。そして常時全軍が動き回ることにより、リンドブルムに楽をさせない。

ただ、やはり地上と上空という相性の悪さはある。

味方が不利とみたニーズヘッグは、温存していた全部隊を結集させることとした。

このままだと、スヴァルトヘイムまでもが、仁義なき殲滅戦に巻き込まれる。そうなれば、大きな損害を受けるだろう。

それでは駄目だ。

ムスペルとの戦いが控えていることに違いは無いのである。フリムさえ倒せばかなり楽になるだろうが、絶対では無い。

地面からわき出すようにして、ニーズヘッグの部下達が、姿を見せ始める。

温存していた紅い魔物の部隊もいる。戦闘力は、量産型の紫蠍とは比べものにならない。一息に叩き潰せ。ニーズヘッグは指示を出すと、自身は戦況をよく観察するために、少し前に出た。

衝撃に襲われたのは、その時だった。

何が起きたのか、一瞬分からなかった。

気がつくと、全身にダメージを受けて、転がっていた。周囲には、死んだ部下が点々と散らばっている。五体満足なものは殆どいない。

必死に、頭を動かす。

何が起きたのか、よく分からない。周囲の状況から見て、何かしらの爆発に巻き込まれたのは、間違いなさそうだが。しかし、これほどの大魔術を使える者が、どこにいる。フリムか。いや、フリムは違うはず。

気がつくと、リンドブルムに味方が押されはじめている。翼を広げて飛び立つと、極限まで零落したドラゴン共に、ニーズヘッグは襲いかかる。炎を吐いて薙ぎ払い、近づいてきた相手は尻尾で叩き落とす。

本能的に危険を感じて、回避。

また大爆発が引き起こされる。

味方の陣の一部に、大きな穴が開いていた。更にリンドブルムが有利になるのが分かった。

じわじわと、恐怖がわき上がってくる。

これは一体、何が起きているのだ。

アスガルドとヴァン神族の戦いは、泥沼の消耗戦に変わりつつある。一進一退の戦況が、双方に多大な被害を招き、死者を量産しているのだ。このままだと、この世界の生き物は、最後の一匹まで殺し合うだろう。

乾いた笑いが漏れてきた。

はっきりしているのは、この攻撃は、明らかにスヴァルトヘイムの軍勢を狙ったものだという事だ。

ならば、打つ手は一つしか無い。

誘引されているようで不快だが、仕方が無い。これ以上高みの見物はしていられないだろう。

「全軍突撃」

乱戦に持ち込む。

元々数は三十万。巨神族とアスガルドの軍勢をまとめて屠れるだけの戦力が揃っているのだ。

スマートではないし、危険が増すからやりたくはなかったのだが。この爆発の正体が分からない以上、もはや猶予は無い。ニーズヘッグがこれ以上直撃を受け、もし死にでもすれば、スヴァルトヘイムはその時点で崩壊してしまう。

リンドブルムに攻撃され、右往左往していた魔物達が、ニーズヘッグの思念を受けて一斉に動き出す。

狙うは巨神の軍勢の最後尾だ。

大地を埋め尽くす大軍勢が、敵陣に殴り込みを掛ける。ニーズヘッグも火球を乱射しながら、複数対ある足をせわしなく動かして、躍り込んだ。頑強に支えようとする巨神の軍勢だが、数に物を言わせて前線を蹂躙し、そのまま中軍へ。敵を各個撃破などする必要は無い。雪崩で飲み込むようにして、潰してしまえば良い。

突入したスヴァルトヘイムの魔物による蹂躙で、更に戦場は大混沌へと向かっていく。ニーズヘッグは歯ぎしりした。もっと秩序に基づいて、美しく勝ちたかったのに。これでは無様すぎるでは無いか。

そもそもあの爆発は何だったのか。

それを突き止めるまで、危険を承知で敵と乱戦を行うしかない。実に腹立たしい事だ。くせ者を自認し、相手の足下を掬うすべに関しては誰にも負けない自信があるニーズヘッグであるのに。

良いように踊らされているようで、不快きわまりなかった。

敵の後列は蹂躙してやった。そのまま精鋭の魔物を中心に、敵陣の深くへと突入させていく。

巨神の反撃も凄まじいが、アスガルドの軍勢と丁度挟み撃ちにされた形だ。見る間に、戦力が削り取られていくのが、目に見えて分かった。

このまま巨神共を飲み干したら、次はアスガルドの軍勢も押し潰す。

そして、フリムの亡骸から、あれさえ手に入れれば。

不意に、横腹に衝撃が走った。一瞬速く飛び退いて空中に逃れたが、遅れれば腹に大穴が開いていただろう。

体当たりを、極めて凄まじい速度で浴びたのだと気付いて、空中で体勢を立て直す。周囲のリンドブルム共を薙ぎ払うと、見つけた。

あれは、スリヴァルディか。

槍を構えている。巨神共が跨がっている騎獣の、更に大きな奴を従えていた。

寡黙で陰険な印象があった男だが、的確なタイミングで奇襲してくる。高度をゆっくり下げながら、ニーズヘッグは敵の隙をうかがう。

「これはこれは。 お久しぶりですね、スリヴァルディさん」

「お前のような知り合いはいないな」

「ほう……」

流石に王に対してのこの態度、許せるものでは無い。

ただし、此処で怒っては敵のペースに巻き込まれるだけだ。殺すときに徹底的に残虐に潰してやればいいのであって、今怒って思考を乱すのは得策では無かった。

スピードに関しては、ニーズヘッグも自信がある。

着地すると、周囲にも気を配りながら、ゆっくり間合いを詰める。

相手はおそらく速いのではない。最高速度が凄まじいのだ。

いわゆるチャージ。騎兵の最大の武器。速さと重さを武器にして、敵を吹き飛ばす突撃のことだ。

あの巨体が突進してくれば、城壁ぐらい吹き飛ぶだろう。だが、そもそもそのようなことはさせない。

懸かれ。

思念を飛ばすと、周囲彼方此方から、一斉に酸が飛んできて、スリヴァルディに襲いかかる。

ひらりと身軽に跳んだ騎将だが、狙いは奴では無い。

跨がっている騎獣だ。

着地した騎獣が、魔物を踏みつぶし、頭の先にある犀のような角をぶつけて吹っ飛ばす。だが、魔物は雪崩を打って、騎獣に躍りかかり、酸をよってたかって浴びせた。スリヴァルディが目を細める。

「姑息な手を使うな。 流石畜生」

「ええ、畜生ですとも。 だからこんな手も」

あの騎獣が、足を弱点にしている事くらい、ニーズヘッグも知っている。だから、まずは酸を浴びせに浴びせて、まずは機動力を削ぐ。

不意に、鋭い痛み。

羽の一部が、吹き飛ばされていた。

飛び退く。

これは、スリヴァルディからか。手にした槍が無くなっている。ニーズヘッグでも認識できないほどの速度で、飛ばしてきたのか。

再び、スリヴァルディの手に槍が戻る。フルングニルと同じ、魔術による槍の創造かと思ったが、違う。一度に槍は一度しか投げていない。同じ槍だろう。強力な神々の武具という訳か。

そして、騎獣が嘶くと、後ろ足立ちして、地面にその巨体を叩き付けた。周囲にいた魔物達が、まとめて吹っ飛ぶ。

ニーズヘッグに、騎獣を向けて走らせるスリヴァルディ。

周囲は乱戦で、巨神も魔物も必死だ。その中を、騎獣の負担も気にせず、自身も無敵のように、スリヴァルディは駆ける。

あの槍は厄介だ。

速度も精度も、非常に面倒くさい。何となく、スリヴァルディが無数の魔物を殺した事で、十頭の巨神と呼ばれるようになった理由が分かってきた。

戦闘時と、通常時の性格が、違う。

身を低くして、火球を乱射。

スリヴァルディの前に炎の弾幕を作る。そして、用意しておいた、「こんな手」を使う。

炎を飛び出してきたスリヴァルディに、飛びつく数体の魔物。

いずれもが、体内に脂を蓄えている種類だ。振り払おうとするスリヴァルディだが、もう遅い。

火球を叩き込み、着火。

爆音が、辺りを薙ぎ払った。

キノコ雲が出来るほどの爆発である。ニーズヘッグはさっさとその場を離れると、指揮に戻る。

死んだかは分からないが、無事では済まないだろう。

今はそれで良い。乱戦の中、徐々に歩を進めていく。フリムを殺すためには、もっと進まなければならない。

さて、何匹生き残れるかな。

別に何匹だろうと構わない。ニーズヘッグがフリムが持っているあの道具さえ手に入れてしまえば。

世界は、この手に落ちる。

 

大乱戦の中、もはや陣も何も無い。

誰もが決死の戦いをする中、フレイは眼前の大巨神を斬り伏せ、そして気付いた。

今、矢を放ち。巨神の目を射貫いたシグムンドが。膝を突き、剣を抜いて杖にするように地面に刺して、呼吸を整えていた。

戦場で、あんな隙を見せる男では無かったのに。

縦横無尽に周囲の敵を斬り伏せるフレイに気付くと、シグムンドははっと顔を上げる。そして、悔しそうに渋面を作った。

見せたくなかったのだろう。

限界に近い自分など。

走り始めるシグムンド。導く必要がある。フレイヤが、追いついてきて。敵陣に連続で王錫から稲妻を放った。巨神達が稲妻に焼かれ、悲鳴を上げながら魔力化していく。飛び散った血肉で、辺り全てが汚染されるかのようだ。

「兄様、シグムンドが!」

「死なせるな!」

「はい!」

それだけで、意図が通じる。

走りながら、フレイはシグムンドの周囲の敵を斬る。シグムンドも、フレイに躍りかかろうとしている巨神の目に、矢を叩き込んだ。

味方も追いついてくるが、おそらく最先頭にいるのがシグムンドだろう。だが、まだフリムの姿は見えていない。フレイにも。

「巨神の王! どこだ! どこにいる!」

シグムンドが叫ぶ。声には、少なからぬ焦りが含まれていた。この乱戦だ。陣は乱れに乱れ、フリムがどこにいるかなど、もはや誰にも分からない。痛々しくて、フレイは唇を噛んだ。

まだ戦える内に、シグムンドは接敵したいのだ。

そして、残った最後の命を、燃やし尽くす気でいる。

歴戦の北ミズガルドの戦士達も、次々倒れている。巨神数体を道連れに、誰もが満足した顔で逝く。

フレイの横に躍り出た巨神を、矢が吹き飛ばした。

マグニだ。呼吸を整えながら、笑ってみせる。

「さっき、スルーズが見つけた! フリムはこの先にいる!」

「よしっ! マグニ、後ろを任せる! フリムがいる位置を、アルヴィルダとグンターに伝えてくれ!」

「おうっ!」

これで、少しは勝機が見えてきた。

敵を斬り伏せながら、ひたすらに進む。無傷では済まない。魔術も跳んでくるし、棍棒も降って来る。全てを、避け切れはしない。

鎧の負荷も、うなぎ登りだ。

フレイヤと互いにかばい合いながら、周囲の敵を殲滅していくが、それでも制圧はしきれない。

人間達も、可能な限りやってくれている。

だが、この戦いは、既に消耗戦に突入しつつあった。どうしようもない状態だが、それでも投げ出すわけにはいかない。

シグムンドに追いついた。

フレイヤが回復の術をかけ始める。少しだけしか、マシにはならないが。フレイが周囲の敵を斬り伏せ、倒し、必死に時間を作る。味方が追いついてくれば、或いは。

「この先に、フリムがいる」

「よし……!」

シグムンドが咳き込む。血が出ていた。

フレイヤが目を背ける。もう長くないことを、理解できたからだろう。

「俺の命に代えても、フリムを討つ……!」

だが、なおシグムンドは立ち上がった。

この勇者の足を止める事が出来る存在は、死以外にはありえない。そう、フレイは思った。

 

(続)