アスガルドへ
序、溶解するミズガルド
大地が溶け落ちる。
その向こうには、なにもない空間が広がっている。川も無ければ、山も無い。水も無ければ、おそらくは息をするための空気も。木々は燃え果てる間でも無く、溶解した地面に沈んでいく。
ドロドロに溶けた大地を、歩き来る紅い巨神。
終焉の戦士。神々よりも強き存在。ムスペルの、紅い騎士達だ。
「取り巻きが少ないな」
シグムンドが、身を伏せたまま言う。
ブルグント王都から南下すること一日半。予想よりも早く、ムスペルと接敵していた。敵はまだ此方に気付いていない。フレイはシグムンドの言葉に頷くと、視線で溶けゆく世界を指した。
確かに、騎士一体につき一万の取り巻きが、三分の一もいない。せいぜい二千数百だろう。
もちろんそれでも大きな戦闘力を持つ厄介な敵には代わらないが、敵の大戦力からの悲惨な撤退戦を考えれば、これくらい。どうにでもなるように思えた。
「世界を溶かす事で、数が減ってきているのだろう。 不快だが、好都合でもある」
「紅い騎士は、四体のままだな」
「護衛なのだろう。 奴らにとって、重要な存在は紅い騎士だ。 高い戦闘力を持つから、抵抗勢力がある場合、確実に排除できる」
フレイも、最初はまさかこれほどまでの相手だとは、思っていなかった。
紅い騎士の戦闘力は、確かに神々以上だ。オーディンやトール、テュールであれば互角に戦えるだろうが。
既に、オーディンもトールも身罷り、テュールは片腕を失って、前線から退いた。
フレイとフレイヤと、それに人間達だけで、やるしかないのだ。
フレイは、トールの剛弓を絞り終えている。
少し下がったところで、フレイが精霊の弓を構えて待っている状態だ。フレイと、精鋭部隊で其処まで引きずり込んで、一気に紅い騎士を排除する。最低でも、此処で二体潰しておきたい。
その後は血戦だ。残り二体の騎士を排除しつつ、数がかなり減っている人形型と親指型のムスペルしもべ達を制圧する。
「これから一日以内に、ああいうのを五グループ始末するのか。 ぞっとしねえなあ」
「だが、見ての通り敵もかなり数を減らしている。 此処で二十体の紅い騎士を処理しておけば、アスガルドの決戦で、我らは優位に立てる」
「それはそうだけれどよお」
ヘルギが、相も変わらずぼやく。
大きくため息をついたのは、ラーンだ。
「ヘタレ」
「何だよ、怖えものを怖えっていって、何が悪いんだよ」
「だったらヘタレをヘタレっていって何が悪いのよ。 戦士としては認めるけど、その口いらないんじゃないの?」
「其処までだ。 そろそろ、打ち込むぞ」
シグムンドが呆れたように、二人を仲裁する。フレイも頷くと、中腰の姿勢になり、狙いを絞る。
菱形の陣形を組み、進んできているムスペルの、先頭の一騎を狙う。ムスペルは恐ろしく頑丈だが、顔面に直撃させれば。
綺麗な菱形の陣形を保っているが、以前よりそれぞれの距離が離れている。フレイは、充分に引き絞った矢から、指を離した。
吸い込まれるように、紅い騎士の顔面に、矢が叩き込まれる。
大きくのけぞった騎士だが、首は飛んでいない。急いで矢を持ち変えると、フレイは連射を浴びせかける。全身を滅多打ちにされた紅い騎士は、それでも踏みとどまると、足を踏みならして魔法陣を此方の足下に出現させてくる。
爆炎。
急いで下がるように、皆に指示を出しつつ、制圧射撃を行う。両目を撃ち抜いた手応えがあったが、それでも紅い騎士は動いていた。
爆炎を盾に、もう一撃トールの剛弓を叩き込む。
首が吹き飛ぶ手応えがあった。どうにか斃す事が出来たか。しかし、三体が集合せず、隊形を保ったまま進んできている。このままだと、上手に誘引することが出来ない。無理をしてでも、もう一体か二体、仕留めておかなければならない。
煙を払うようにして、地面を爆破しながら、紅い騎士達が進んでくる。
やはりこの者達、一戦ごとに此方の手の内を読んでいるとみた。人間が思った以上に厄介と考えて、露払いをしながら進んできているのだろう。
トールの剛弓を引き絞る。
次に狙うのは、左側にいる騎士だ。まだ、接近戦に持ち込むのは早い。空から、人形型と親指型が、降下してくる。
「彼奴らは、任せろ」
「頼むぞ」
フレイは、矢から指を離した。
直撃。頭を狙うのでは無く、腹に当てる。かなりの距離を吹っ飛んだ紅い騎士だが、踏みとどまる。腹に穴は開かなかった。
そして、右側の紅い騎士が、火球を放ちはじめる。真ん中も、そろそろ攻撃範囲に入るだろう。
三角形の陣形が崩れない。
火球を中途で迎撃しながら、フレイは下がるように指示。少し戻ったところに、山がある。それが視界を塞ぐのを利用しながら、左側の紅い騎士に致命打を与える。制圧射撃に切り替えたフレイは、火球を撃ち落としつつ、手が空いた瞬間を狙って、ムスペルの眷属達も処理していった。
フレイヤが伏せている地点まで引っ張っていくのが、かなり難しい。
これは、あまり考えたくは無いが。ひょっとして、ムスペルの眷属が減って、ようやく五分という状態なのではあるまいか。
フレイとフレイヤの戦術を敵が学習し、対策してきているというのであれば。
後ろ、至近。人形型が、拳を繰り出してくる。
跳躍して避けるが、其処には無数の親指型が、光線を放つ準備を整えていた。剣を振るって半数を打ち倒すが、しかし。
残りの半数からの光線が、全て直撃。
地面に叩き付けられたフレイは、立ち上がりつつ、舌打ちした。
敵の組織的な攻撃が、激しくなってきている。
このままだと、被害が増える一方だ。進撃も、予想以上に早い。しかし、敵の内紅い騎士二十を仕留めなければ、ブルグント王都が直撃される。もはや継戦能力が無い人間の軍では、ムスペルには対抗できないだろう。
王都で準備中の移動大魔術も、時間が掛かる。
此処で、敵を撃滅しなければならないのだ。
フレイの至近に、また敵が来る。どうやらある程度の犠牲は覚悟の上で、フレイを狙い撃ちする方針に切り替えたようだ。
トールの剛弓も、一撃で敵を倒せなくなってきている。風刃の杖も破損してしまったし、ムスペルに対する戦況は、厳しくなる一方だ。
だが、其処は、シグムンド達。
確実なフォローを入れてくれる。
後ろに回った人形型の、更に背中。シグムンドが飛びつくと、剣を突き刺した。レギンが雄叫びを上げて、光を今まさに放とうとしていた親指型に衝撃波を叩き込む。爆散する二つの朱。
時間が、出来る。
トールの剛弓を引き絞り、精神を集中。
頭に直撃させても死なないのであれば。狙うは、一カ所しか無い。
今までの戦いで、効果があることは分かっている。世界が狭まって見えるほど、フレイは集中した。
見えた。
紅い騎士が、歩いて来る。山に、手を掛ける。
そして、ぬっと体を前に出してきた瞬間、矢を放った。剛弓の矢は、その首筋に直撃し、頸動脈ごと、首の一部をえぐり取った。
悲鳴を上げながら、紅い騎士が横転する。即座に剣に持ち替え、周囲に群がってきた人形型と親指型を斬り伏せる。可能な限り、短時間で。
そして、ムスペルの紅い騎士が立ち上がる前に、トールの剛弓を準備。
溶岩のような血をばらまきながらもがいていた紅い騎士に向け、引き絞る。幸いにもと言うべきか。シグムンド達はムスペル眷属との戦いに習熟しはじめており、フレイに近づく敵を、確実に打ち倒してくれている。
気付いて、叫ぶ。
「下がれ!」
周囲に出現する、無数の爆破魔法陣。ムスペル得意の、遠隔攻撃の一つだ。
皆が我先に逃げ出す中、フレイは矢から指を離す。轟音と共に飛んだ矢が、紅い騎士の首をへし折るのと。爆破が発動するのは、同時。
一体を屠るのと引き替えに、フレイは高々と空に打ち上げられ、地面に叩き付けられていた。
鎧のダメージが、目に見えて大きくなり始める。
ヨムルンガルド戦でのダメージは、決して小さくは無かった。一日半で修復できるだけ修復したが、それでも完全とは言いがたい。
立ち上がると、周りを囲もうとしていたムスペル眷属共を、戻ってきたシグムンド達と一緒に斬り伏せ血路を開く。
下がりつつ、拡散型の矢を斉射し、敵を制圧。後の二体、紅い騎士を誘い込まなければならない。
ムスペル眷属達は距離を取る。
同時に、魔法陣がまた周囲に出現した。紅い騎士からは死角の筈なのだが。ムスペル眷属達は、紅い騎士達の目にもなっているのか。立て続けに、周囲が爆破される。
「くそっ! 最初からこれかよ!」
いつものように、ヘルギがぼやいた。
矢を放ちながら下がり、時々至近に出現する魔法陣を跳んで避ける。場合によっては、逃げ遅れた戦士を抱えて飛び退き、爆破から救った。だが、撤退戦は基本的に困難だ。追いすがってくる敵の飛行部隊を退けながら、逃げなければならない。
目標の地点に到達。
谷間になっている、迎撃に有利な地点だ。下がりながら、敵を誘い込んでいく。谷の左右に伏せていた味方の兵士達が、入り込んできたムスペル眷属に、一斉射撃を浴びせた。
紅い騎士が来るまで、もう時間が無い。
それまでに、眷属共を、始末しておかないと、被害が甚大なものになる。
フレイヤが来て、氷の杖から制圧射撃を開始する。
フレイの弓と一緒に、しかも逃げ場の無い谷での制圧射撃である。其処へ、生き残った人間達の中でも、精鋭といえる者達の援護が加わったのだ。
見る間に敵は四半減し、壊滅していった。
だが、轟音と共に、紅い騎士の造り出した魔法陣が、崖の彼方此方を爆破しはじめる。アルヴィルダが狼煙をあげさせ、狙撃手達を引き上げさせた。フレイヤは精霊の魔弓の準備を始める。
「兄様、タイミングの指示を」
「任せろ」
シグムンド達が、周囲を固めてくれる。
紅い騎士はまだ姿を見せないが、特大の火球を谷の外側から何度も放ってきているようだ。爆発の威力は凄まじく、谷そのものが揺動している。フレイは拡散型の弓を使い、生き残った眷属を確実に処理していく。取りこぼしが飛んでくるが、シグムンド達が寄せ付けなかった。
紅い騎士一体目が、ついに姿を見せる。
フレイヤが、四つの精霊の魔弾を、同時に放った。以前より倍増しているのは、弓そのものに改良を加えたからだろう。弾速も、遅いながら以前より上がっている様子だ。
紅い騎士が、火球を放とうとする。
精霊の魔弾を、迎撃しようというのだろう。
だが、そうはさせない。フレイが弓を引き絞り、放つ。
狙うは、火球を造り出す槍、ではない。槍を掴んでいる手の指だ。放った矢が、五回連続で、同じ指を直撃。
わずかに紅い騎士が怯んだ瞬間には、精霊の魔弾は、至近にまで迫っていた。
爆発。
燃えさかる炎の中で、紅い騎士が悲鳴を上げながら溶けていくのが見えた。
後は一体。
だが、そこで予想外の事態が起きる。
ムスペルの紅い騎士は、谷から行儀よく入ってこなかった。なんと谷の上に回り込み、其処から滑り降りてきたのである。
一体を囮に、もう一体が至近まで迫る。
単純だが、効果的だ。
しかも、生き残っていた眷属共が、一斉に周囲から襲いかかってくる。どうやら、相応の被害を覚悟しなければならない様子であった。
アルヴィルダが腕組みしている。
人間の被害は、幸いにもさほど出なかった。だが、フレイもフレイヤも、予想以上に鎧を傷つけられてしまっている。
最後、至近での殴り合いになったからだ。
当然ムスペルの紅い騎士は強かった。斬っても斬っても死なず、そればかりか槍は近接戦闘でも使えることを十二分に証明して見せた。
「随分とやられたな。 流石に神々より強き者と言われるだけのことはある」
今回、アネットは緒戦、後ろに下げていた。
連戦、しかも長期戦が確実な状況だ。回復術者が重要になるからである。アネットは無言のまま兵士達を治療して廻っていたが、もうおそらく、時間は無い。
「後四組はこっちに向かってるんだろ」
「今、ヴェルンドが偵察に出てる。 この谷で、もう一隊くらいは殲滅しておきたいところだが……」
「難しいな」
レギンが、たき火の側で、肉を炙りながら言う。
狂戦士達も、戦闘の後で腹が減るのか。荷駄から供給された鹿肉を、うまいうまいとほおばっていた。
「どうやってるかはわからねえが、ムスペル共、一戦ごとに此方の戦い方に対応してきてるみたいじゃねえか。 このままだと、あの剛弓も通じなくなる。 此処の谷だって、さっき敵が奇襲を掛けてきたくらいだ。 次は通じないだろうよ」
「そうだな……」
「おい、大変だ」
ヴェルンドが戻ってきた。血相が変わっていることからして、大変なことが起きたとみて良いだろう。
腰を上げたフレイは、後ろにいたラーンに押し戻されて、座らされる。
「今は鎧の修復に専念してください、フレイ様」
「そうだな。 それでヴェルンド、何があった」
「敵が進路を変えやがった」
地図を広げて、ヴェルンドが指を走らせる。その後ろには、今回遠くまで偵察に出てくれていた、ブルグントの騎馬隊の兵士達がいた。
ヴェルンドが言うには、均一に進んできていた敵の四隊の内、三隊がまとまろうとしているという。
しかも残った一隊は進撃速度を急に上げ、明らかにブルグント王都を狙っているというのだ。
「なるほど、此方が各個撃破に出る事を、読んだな」
「やっかいなのは、一番遠い敵が速度を上げているって事だ。 この敵を迎撃していたら、敵の三隊の集結を許すことになる。 分かっているだろうが、十二体の紅い騎士を相手にするって意味だ」
「厄介だな」
アルヴィルダが此方を見た。
判断を聞きたいというのだろう。
「フレイヤ、ブルグント王都に連絡。 王都で留守をしているマグニに、時間を稼いで欲しいとつげよ」
「分かりました、兄様」
ブルグント王都を直撃されたら、もはやなすすべが無い。
だから此処は、戦える神を総動員してでも、時間を稼ぐしか無い。
残る敵三隊には、これから強襲を順番に掛ける。そして、可能な限り迅速に各個撃破する。そう言うと、ヘルギが身震いした。
「またガチンコで殴り合うのかよ……」
「他に方法が無い」
シグムンドが苦々しげに言った。
もはやアスガルドが壊滅している現状。、頼りになる戦力など、どこにも欠片も残っていない。
実質上継戦能力があるのはこの部隊だけなのだ。
絶望と言うも生やさしい状態だが、それでもやらなければならない。世界が文字通り、滅ぶか滅びないかの瀬戸際なのだ。
「アルヴィルダ、作戦指揮は頼むぞ。 まず一番近い敵部隊に、此方から接近し、その頭を叩く」
「神よ、それは分かったが。 その鎧で、大丈夫か」
「どうにか出来よう」
実際には。
今と同じペースで消耗したら、三戦目ではもう戦闘不能になる事が確実だったが。それでも、フレイは顔色を変えずに言った。
強襲作戦であれば、或いは。
「神が其処まで言うのであれば、我らとて信じねばなるまい」
アルヴィルダが立ち上がると、作戦の詳細を告げる。フレイは頷くと、立ち上がった。精鋭だけをつれて、先行するのは同じだ。
サラマンデルが動き出す。
今度は移動作戦本部としてでは無く、戦闘でも活用するためだ。幸いにも、偵察の話によると、他のムスペルの部隊も、眷属は著しく消耗しているという。今ならば、強襲を仕掛け紅い騎士を短時間で葬れば。勝ち目は大きくなる。
一千にも足りない戦士達が動き出す。
少しでも、この終わりが見えない戦いに、勝ちの目を作るために。
もはや守るべきものさえ無い兵士達が多い中。
それでも、戦いは、止めるわけにはいかなかった。
1、朱との激戦
呼吸を乱しながら立ち尽くすフレイの前で、ようやく斬り伏せた紅い騎士が、溶けながら地面に消えていく。
辺りはまるで火口だ。溶岩状の地面が沸騰し続けている。
矢を放ち、残っていたムスペル眷属を叩き落とすシグムンドが見えた。周囲の戦士達も、かなり消耗していた。
どうにか、集結しようとしていた敵の三部隊は撃滅した。
だが味方の被害も大きい。
後ろではサラマンデルが全体から煙を上げ、軋みながらどうにか立ち尽くしている。負傷した兵士達はアネットが回復して廻っているが、それでも手が足りるかどうか。
フレイヤも鎧が殆ど壊れかけている。
フレイも、それは同じだ。
辺りの溶岩を、フレイヤが氷の杖から放つ魔弾で冷やして廻る。顔色は真っ青で、魔力ももう殆ど残っていない。
強襲で、ムスペルの紅い騎士に総力戦を三度挑んだのだ。
いずれも、壮絶な血戦となった。結果、どうにか勝つことはできたが。残る一隊がブルグント王都に向かっていることを考えると、のうのうと休んではいられなかった。
「神よ」
アルヴィルダが来た。
あまり顔色は良くない。彼女の親衛隊と一緒に、ムスペルの紅い騎士と戦い続けたからだ。
親衛隊の数も、目だって減ってきている。
これだけの激戦をアルヴィルダと一緒にくぐり続けたのである。多くの戦死者が出るのは、仕方が無い事だった。
「偵察の話だと、既に残った一隊が、マグニ神との交戦を開始しているそうじゃ。 急がねばなるまいが」
「躊躇している暇は無い。 急ごう」
「その鎧で、行けるか」
フレイの鎧は、既に光を失っている。
もう一度、敵の攻撃の直撃を受ければ、壊れてしまうだろう。
勿論今は回復に入っているが。これから北上して、接敵したときに、回復が間に合っているかどうか。
「やるしかあるまい」
「今、神に死なれては、我らの希望は潰える。 かといって、ブルグントに残っている負傷者達では、敵の囮にもならぬだろう」
しかも、である。
伝令が何度か来たが、ブルグント王都に何度となくスヴァルトヘイムの魔物が襲来してきているという。
いずれもが小規模のため今の時点では撃退できているが、あまり長居は出来ないだろう。嫌がらせのためだけに、攻撃を仕掛けてきているのは明白だったが。今はそれに対応する余裕さえ無い。
ブルグント王都に迫っていた20体の紅い騎士の内、16体を今の時点で屠った。
しかし、それで力を使い果たしてしまった。
周囲を見ると、味方の戦力も限界の状態だ。
強力な紅い騎士を相手に、強襲を続けたのだ。当然の結果ともいえる。むしろ今、無事なことを感謝しなければならないだろう。
フレイヤが、困惑しきった顔で来た。
そして、通信をフレイにもつなげてくる。そして、飛ばされてきた立体映像を表示した。通信をして来たのは、フリッグだ。完全に取り乱しており、見る影も無いほどやつれ果てていた。
もはや、オーディンの妻であり、アスガルドにおけるナンバーツーの権勢を誇った神の面影は無い。
そこにいるのは、取り乱し、怯えきった、哀れな弱者だった。
「おお、そこにいたか!」
「フリッグ様、如何なさいましたか」
「巨神共じゃ! その数も知れぬ!」
どうやら、冷静さを完全に失っている様子だ。
かつてなら兎も角、今の巨神族はその戦力の大半を喪失している。フルングニルがいるということは、侮れない組織戦をする可能性が高い。だがそれでも、せいぜい十万か、多くても十三万という所だろう。
今、アスガルドにはまだ数万の軍勢が無事の筈。
守に徹して防ごうと考えれば、まだまだ持ちこたえることは出来るはずだ。
当然、巨神達もそれに対抗して、様々な戦術を使ってくるだろう。だが、それは此方も同じ。
「人間共などどうでもよい! はよう、はよう此方に戻ってくるのじゃ!」
「今、アスガルドに戻る準備をしている所にございます」
「急ぐのじゃ! おお、何という恐ろしい光景じゃ!」
通信が切れる。
アルヴィルダが、あきれ果てたようにいった。
「人間共など、どうでもよいとな。 フリッグ神には今まで多くの貢ぎ物を捧げてきたし、熱心な信者も多かったのだが」
「すまぬ」
「そなたが謝ることでは無い。 だが、巨神共の気持ちが分かるような気がしたわ」
吐き捨てたアルヴィルダが、部隊の編成に戻ると言い捨てて、大股で去って行った。様子を見ていたらしいシグムンドが来て、嘆息する。
他の戦士達も、何名かは今のやりとりを見ていたようだ。良い気分がした者は、一人もいなかっただろう。
「アスガルドは、内部から滅びるやもしれんな」
「ヨムルンガルド=フェンリルとの戦いで、若き神々も多く冥界に去ったが。 今になって思えば、それでもアスガルドに残しておくよりは、ましだったのだろう」
「俺たちが、可能な限り補助をする。 急ごうか」
「戦えるか」
シグムンドは、当然だとうそぶいた。
やはり、人間は頼りになる。フレイは移動を開始した人間達に周囲の警戒を任せ、フレイヤと一緒に鎧の回復に入る。
今の状態では、一撃もらっただけで即死だ。
せめて、一撃でも耐えられるようにすれば、多少は勝率も上がることだろう。マグニを死なせるわけにもいかない。少しでも急ぎつつ、なおかつ回復もしっかりこなさなければならない。
空は、不愉快なほどに青い。
ヨムルンガルド=フェンリルが消えてから、まだ世界は何者かの魔力に汚染されるような事も無い。
これは残った三悪魔であるスルトが、世界を支配する存在では無く、消去に特化しているからだろう。
幸いにも、ブルグント王都は近い。
負傷した戦士達の中で、継戦が望めない者は、先に送り返している。其処ならアネットよりも回復術が得意な神もいる。
アネットが来た。
フレイと並んで歩きながら、話しかけてくる。
「次は、私も出ます」
「そう、だな」
長期戦の締めだ。それに何より、戦力が激減している状態である。アネットに出てもらわなければ、対応は難しいだろう。
アネットはしばらく無言でちょこちょこと歩いていたが、やがて言う。珍しく、今日は多弁だ。
「さっき、フリッグ様が取り乱しているのを見ました。 アスガルドの状態は、絶望的なようですね」
「ああ。 もはや陥落は免れぬだろう」
「フレイ様まで、そのように言うのですか」
「アスガルドは、命数を使い果たしたのだ。 むろん私も努力はするが、これ以上の引き延ばしが、良い結果につながるとは思えない」
思えば、前からその傾向はあったのだ。
オーディンの死で、それは決定的になった。たとえスルトが滅びたとしても、再びアスガルドが世界の覇者に返り咲くことは無いだろうし、そうさせてはならないとも思う。
此処にいるアネットも、それにアスガルドにいるエインヘリアル達も。
皆、アスガルドによる支配政策の一端で誕生させられた、一種の生体兵器ではないか。そのようなことを繰り返していたから、今の事態が来たのだろうと、フレイはもはや隠さず考えている。
アネットは唇を噛む。
ただひたすらに、悔しそうだった。
「このまま、世界は滅んでしまうのでしょうか」
「そうはさせない。 たとえアスガルドはもう駄目だったとしても、世界までは滅ぼさせない」
「巨神族が仮に勝ったとして、彼らは世界を作り替えられるのでしょうか」
「それは分からない。 だが、少なくとも人間達は、虫のように絶滅させられてしまうだろうな」
そのようなこと、許すわけにはいかない。
鎧の回復は思うように進まない。無茶な使用を繰り返して、その度に再生してきたのだから当然とも言える。
如何に神々の武具とは言え、限界なのかも知れない。特にこの間のヨムルンガルド戦では、時をあるべき状態に戻すという、神々にとっては最悪の攻撃を受けてしまったのだ。壊れていない方が不思議なのだろう。
アネットはその場を無言で離れた。
戦士としては、既に一人前の彼女だが。しかし、まだ悩みは多いようだ。ある意味人間的な事である。
むしろ、それはとても喜ばしい事なのでは無いかと、フレイは思った。
ほぼ半日ほど、無言で北上を続ける。脱落する兵士もいたが、皆ブルグント王都に送ることとした。
既に戦力は半減。
負傷者のことを考えると、更に半分とみて良いかも知れない。
アルヴィルダさえ、口数が減っている。レギンは最前列で、黙々と歩き続けていた。その大きな背中は、後続の兵士達に勇気を与えている。シグムンドは時々倒れた兵士を助け起こしては、アネットを呼んで回復させていた。
偵察を主体にしてくれていたヴェルンドも、既に前衛に合流。敵の位置ははっきりしているし、何よりもうすぐ側だからだ。
丘を越えると、緊張が走る。
ついに、ムスペルの部隊が見えてきた。紅い騎士は四体とも健在。迸っている矢から見て、遅滞戦術に持ち込んだマグニは、まだ頑張っているようだ。
そして此処は、計らずともブルグント王都のすぐ近くである。
此処を突破されれば、もはや後は無い。ブルグントの疲弊した戦力には、もはや頼れない。
フレイは周囲を見回す。
少し大きな岩があった。やるならば、此処からだ。
「フレイヤ」
「はい、兄様」
「此処から精霊の魔弾を、紅い騎士に叩き込んでくれ。 私は他の皆と、近接戦闘を挑む」
「危険です。 鎧の耐久力が」
危険でも、やるしかない。
マグニは押されに押されている。悠長に十字砲火に引きずり込んでいる暇など無いと言って良いだろう。
最初はトールの剛弓からだ。
アルヴィルダが指示を出し、周囲に兵士が展開しはじめる。兵士達の疲弊が、見て取れるほどだ。
長期戦には持ち込めない。
マグニが、矢を放ちながら下がる。それを、紅い騎士が弾いた。トールの剛弓に勝るとも劣らないだろう矢を、である。
おそらくは、焦ったマグニが、慌てて指を離してしまったのだろう。今の矢は、よく見ると威力が足りなかった。
気を取り直して、狙う。
四体の紅い騎士は、交代しながらマグニの攻撃を受け止め、追い詰めていたらしい。だが、それも此処までだ。
矢を放つ。
紅い騎士が振り返ろうとするが、遅い。側頭部に直撃した矢が、紅い騎士の首を、あらぬ方向にへし曲げた。
だが、それでも死なない。こらえた紅い騎士が、体勢を立て直そうとする。
其処へ、フレイヤが精霊の魔弾を叩き込んだ。首から上が消し飛び、凄まじい悲鳴を上げながら、紅い騎士が横転する。頭が無いのだから、或いは悲鳴では無いのかも知れないが、音が出ている原理はフレイにもよく分からない。
あと、三体。
此方に気付いた紅い騎士が、火球を放ちはじめる。
事前の打ち合わせ通り、フレイヤが炎の杖を構え、火球を中途で撃墜しはじめた。フレイは拡散型の弓を構えたまま、前に躍り出る。
「神に続け!」
アルヴィルダが叫び、兵士達も喚声を挙げた。
後方から、フレイヤの援護がある。周囲を、歴戦の人間達が固めてくれている。
それだけで、どれだけ安心できるだろう。
不意に前に躍り出たアネットが加速。何度か地面を蹴ってから、宙に躍り上がった。先頭にいる一体の顔面近くまで飛び上がると、切りつけながら上に出る。
顔を切られたにもかかわらず、紅い騎士は気にもしていない。アネットの剣撃くらいなら、痛くもかゆくも無いというのか。手を伸ばして、アネットを掴もうとした。
しかも、その間も、視線はフレイに向けていて、全く油断をしていない。
シグムンドが出る。
相手の足下に、矢を放つ。狙ったのは、相手の足の小指だ。むき出しになっている足の指に突き刺さり、爪が吹き飛ぶ。
ほんの一瞬だけ、紅い騎士の動きが止まる。
それで充分だ。
フレイはその間に、トールの剛弓を、引き絞り終えていた。
ぶっ放した矢が、紅い騎士の腹を直撃する。体をくの字に曲げた紅い騎士が、かなりの距離をずり下がった。顔を上げ、此方をにらむ紅い騎士に、横殴りにマグニが放ったらしい矢が立て続けに突き刺さる。
だが、その程度で死ぬような相手ではない。
槍を地面に突き立てる紅い騎士。辺りが激しく揺動し、地面に罅が入った。罅からは溶岩が噴き出し、さながら周囲は地獄と化す。
上空では、立て続けに爆発が巻き起こる。後ろにいる二体の紅い騎士が放った火球を、フレイヤが迎撃したのだ。
「くそっ! やっぱり前より強くなってやがるな!」
シグムンドはそう吼えながら、速射。やはり紅い騎士の足を狙って、何度も矢を放つ。紅い騎士は面倒くさそうに、群がってくる人間達を見据えると、槍を振り上げた。その上に、火球が出現する。
好機。
上空から彗星のごとく躍りかかったアネットが、火球を斬りながら着地。
爆発した火球のあおりを喰らった紅い騎士が、態勢を崩す。其処へ、至近に迫ったヴェルンドとレギンが、それぞれに矢と斧を叩き込む。ヴェルンドの矢は紅い騎士の左目を抉り、レギンの斧が放った衝撃波は紅い騎士の右手の親指に突き刺さる。
更に、その傷を狙って、ラーンが矢を放つ。
放たれた矢が、親指を半ばまで引き裂いた。更に、この隙に後ろに回っていたヘルギが、大剣をフルスイングで叩き付ける。紅い騎士のふくらはぎがぱっくり裂けた。
紅い騎士は面倒くさそうに、周囲に魔法陣を出現させる。
逃げ散る人間達。
しかしその間に、フレイがトールの剛弓を引くことは出来なかった。紅い騎士が指示を出しでもしたのか、ムスペル眷属達が大挙して襲いかかってきていたからである。
剣で切り払い、拡散型の矢で制圧していたが、とても紅い騎士に攻撃する余裕は生じない。
辺りで立て続けに爆発が起こる。
紅い騎士は、フレイを見て、笑ったようだった。或いはそう見えただけかも知れない。
もしも、紅い騎士が記憶を共有しているのだとすれば。
フレイの鎧が消耗しきっていることを、知っていてもおかしくない。
群がってきていた数十のムスペル眷属の内、中空に舞い上がった親指型が、一斉に光線を放ってくる。
かろうじて飛び避けたが、その後ろには第二射を放とうとしている者達が。
二段、三段に分かれての斉射。
しかも、着地した瞬間を狙ってくるという事か。
人間達は、敵の魔法陣攻撃を避けるので精一杯で、此方にまで手が回らない。
爆発。
吹き飛ばされ、地面に叩き付けられる。
鎧が、ついに力を失う。後が無くなった。これ以上攻撃を受けたら、フレイでも魔力の流出が始まってしまう。
飛び起き、剣を振るって、親指型をまとめて打ち倒す。
ばらばらになって吹っ飛ぶ親指型のムスペル眷属達の上空に、巨大な火球が出現。紅い騎士は、魔法陣と同時に、火球も作り出せるのか。
しかも、火球は飛来したアネットに向けて投擲される。
アネットは慌てて回避するが。
回避した直後、火球は爆発した。アネットは失速して、地面すれすれでかろうじて体制を立て直す。
フレイは、覚悟を決める。
そして、紅い騎士の至近まで迫ると、剣を振るった。
先ほどヘルギがつけていた傷を抉った一撃が、紅い騎士を揺るがす。ここぞとばかりに、シグムンドが完璧なタイミングで矢を放った。紅い騎士の右目、回復しかけていた左目を、連続して立て続けに抉る。
それだけやってくれれば、充分だ。
跳躍し、相手の膝を蹴りながら、フレイは高々と空に舞う。
同時に、体勢を立て直したアネットが、空へ躍り上がった。
そして、丁度×の字を描くようにして、剣撃が紅い騎士の首筋を襲う。両の目を潰されていた紅い騎士は、悲鳴を上げながら大量の血をぶちまけた。
まだ死なないか。
だが。
着地と同時に、フレイは剣を大上段に構えあげる。
襲いかかってくる無数のムスペル眷属。
しかし、今度は魔法陣に追われていない人間達が、周囲を固めてくれる。至近に迫った人形型を、ヘルギがフルスイングの一撃で吹き飛ばすのを横目に、フレイは渾身の一撃を振り下ろしていた。
頭を真っ二つに割られた紅い騎士が、流石に全身から血を噴き出しながら、崩れ落ちていく。
これで、残りは二体。
呼吸を整える。マグニも戦況を見たらしく、残り二体の紅い騎士に射撃を集中しはじめる。特に一体は、火球を出現させた瞬間に撃ち抜いたため、態勢を崩していた。
「後二匹か!」
「てめえら、下手打つんじゃねえぞ!」
レギンが吼え猛る。
先ほど、魔法陣が猛威を振るっていたとき。一つが、レギンを巻き込んだ。狂戦士の長の額からは血が流れているが、そのくらいは屁でも無いと言う風情だ。
だが、疲弊していない筈も無い。
着地したアネットが、レギンに駆け寄る。そして、無言で回復をはじめた。レギンは後で良いと言ったが、アネットは動かない。
「頭蓋骨に罅、入ってる」
「それがなんだ」
「今回復しないと、死ぬ」
舌打ちしたレギンが、好きにさせる。
その間に、フレイはトールの剛弓を引き絞った。敵の戦力が削られてきたことで、ようやくマグニとの十字砲火が、現実味を帯び始める。
しかし、である。
紅い騎士はそのように甘い相手ではなかった。
ムスペル眷属数百が、マグニに殺到していくのが見えた。攻撃を一点に集中すると言うことか。
フレイヤが少し前に放った精霊の魔弾が、そろそろ紅い騎士に着弾する。
だが、紅い騎士は精霊の魔弾を見ると、眷属をけしかける。接触で爆発すると、学習しているからか。虚空で爆発した魔弾。勿論、紅い騎士は二体とも無傷だ。
「接近して、一気に打ち倒す」
「フレイ、その鎧は……」
「問題ない。 身を案じていて、倒せる相手ではない」
指を、矢から離す。
数十のムスペル眷属を吹き飛ばしながら飛んだ矢が、紅い騎士が振るった槍で、撃ち落とされる。
一体の紅い騎士が、噴き出す溶岩の中、此方を傲然とにらんでいた。
だが、それは想定の範囲内。
トールの剛弓を撃ち落とされたことにも、もはや動揺は無い。一戦ごとに紅い騎士が強くなっていることは分かっているし、おそらく同種の攻撃に対する対抗能力を、全体で共有しているのだろう。
それならば、あり得たことだ。
周囲を固めている人間の戦士達も、今更もう動揺してはいない。それなのに、神であるフレイが取り乱すわけにはいかなかった。
それに、ムスペルの眷属も、今までに無いほどに目減りしている。
むしろ今は、好機なのだ。
敵が此方を近づけないように、弾幕を張ってくる。
中空に親指型眷属が綺麗な列を作り、光線を斉射。しかも三段に分かれて此方の足下を狙うようにして、順番に放ってくる。
その向こうから、紅い騎士が爆破の魔法陣を飛ばしてくるのだ。このままでは、近づくことが出来ない。
人形型は親指型の上空で待機していて、接近したら一斉攻撃を仕掛けてくる態勢だ。下手に近づけば、取り囲まれて袋だたきだろう。
サラマンデルが来る。
突破のために用いて欲しい、という事か。
サラマンデル一機では心許ないが、無いよりはマシだ。それに、サラマンデルの頭の上には、既にフレイヤが上がっていた。
「フレイヤ、力を合わせて、敵の防衛線をまず叩くぞ。 フレイヤはその位置から、紅い騎士の攻撃を警戒してくれ。 私は拡散型の矢で、アウトレンジの攻撃を仕掛ける」
「分かりました、兄様」
ある程度離れると、爆破の魔法陣は届かなくなる。
かなり厳しいラインではあるが、其処からならアウトレンジ攻撃で、親指型ムスペルの眷属を叩くことが出来る。
ただし、敵も黙ってはいない。アウトレンジ攻撃に切り替えた途端、十数機を失った時点で、陣形を変えてきたのだ。
人形型が、殺到しはじめる。
更に、親指型も、降下。一気に距離を詰めてきた。
下がりつつ叩く引き撃ちをしようにも、敵が早すぎる。何しろ、空を自由に飛んでいるのだ。
アネットが飛んできた。
敵陣に切り込むと、敵を片っ端から斬り始める。
しかし、とてもでは無いが、手が足りない。
「フレイ、フレイヤ! 下がっていろ!」
シグムンドが声を張り上げると、人間の戦士達が、フレイ達を守るべく前に出る。
激しい駆け引きが続く。
シグムンド達が矢を放ちはじめ、次々に人形型に着弾。シグムンドやラーン、ヴェルンドの矢は、強い魔力を帯びていて、敵を次々爆砕した。特に下級ながら神の弓矢を渡しているラーンは、見事な働きで、次々に敵を撃ち落としてみせる。
サラマンデルが火を噴き、数体の敵を瞬時に焼き払った。
勿論敵もそのままやられてはくれない。人形型が腕を伸ばし、遠隔から拳を放ってくる。親指型が光線を放つ度に、誰かが吹き飛ばされる。
だが、人間達は怖れていない。
その勇気に、負けてはいられない。
フレイも走り回りながら、敵に対して制圧射撃を続ける。光線を放とうとしている親指型や、戦士を狙って手を伸ばそうとしている人形型を率先して撃ち落とす。
危険を承知で、フレイヤが精霊の魔弾を放つ。
中空で陣を組もうとしていた親指型十数機が、瞬時に爆炎の中に消えた。そのまま、氷の杖を使っての制圧射撃を続け、周囲の敵を見る間に減らしていく。
マグニからの射撃が止んでいるのに、その時気付いた。
まずい。
マグニの気配は、まだある。だが、紅い騎士の攻撃を受けた可能性が高い。まだ上空には、数百以上のムスペル眷属が残っている。一刻も早く殲滅して、紅い騎士との戦いのみに集中しなければ、マグニを救えない可能性もある。
更に言えば、紅い騎士の一体が、此方に進んできている。
このままだと、魔法陣の射程圏内に入る。もう一体はマグニの方へ進んでいて、少しずつ距離が離れているが、相互支援できないほどの距離では無い。
親指型ムスペル眷属が、フレイヤに一斉射撃を放つ。
サラマンデルが傲然と進み、フレイヤの盾になった。側面の装甲が、激しい爆発に晒され、サラマンデルの巨体が揺らぐ。装甲版が吹っ飛び、煙が上がっているのが見えた。内部では火災が起きているかも知れない。
直後、フレイヤが放った火焔の杖からの斉射で、親指型が叩き落とされる。
フレイも燃え上がるサラマンデルを蹴って飛び上がり、剣を振るった。
「まずい。 東の空に、ムスペル眷属がいる!」
ヴェルンドが叫ぶ。
見ると、東から、少なくとも千以上のムスペル眷属が接近しているのが見えた。サラマンデルからは、必死に戦士達がけが人を救出しているが、助けている余裕が無い。アネットが心配そうにサラマンデルを見て、その一瞬の隙に。親指型数十機が、アネットに斉射を浴びせていた。
爆発に、アネットが覆われ、灼熱の中に消えたかに見えた。
だが、一瞬早く、アネットは逃れていた。鎧にかなりのダメージがあるようだが、流石だ。
むらっけが、自分の不利に働いていることを、学習してきているのだろう。
むしろ今の自分の隙を、有利にさえ活用している。
フレイヤが火焔の杖から連続して火球を放ち、アネットに斉射を浴びせた親指型を根こそぎ殲滅し、爆破する。
フレイも、地上近くにいた人形型を、あらかた排除し終えていた。
追いついてきたアルヴィルダが、サラマンデルからの負傷者救出の陣頭指揮を執っている。もう周囲のムスペル眷属はわずかだ。
「神よ、女神も。 急いであの紅い騎士を打ち倒すのじゃ。 此方は妾達に任せよ。 手は患わせぬ」
「すまぬ」
「者ども、新手を神に近づけるな!」
負傷者も多いのに、人間達は士気も衰えない。
着地したアネットの左右に、遅れて砕かれた親指型の残骸が落ちてくる。どうやら、近場の敵の殲滅は完了したらしい。
今こそ、攻勢に出る時だ。
「アネット、これから紅い騎士に強襲を仕掛ける。 行けるか」
「どうにかして見せます」
アネットが剣を振るって、汚れを落とす。溶岩のようなムスペル眷属の血が、少し剣についていた。
つまり、剣の魔法の力。遠隔で敵を斬る能力が衰えてきていて、剣そのものの切れ味に頼らざるを得なくなっている、ということだ。
アネットの剣は、ブリュンヒルデから預かっている、アスガルドでも屈指のもののはず。それはつまり、もはやアスガルドの力が、其処まで落ちてきている事に他ならない。アネットのような半神では、なおさら影響は大きいだろう。
それに対して、ムスペルの紅い騎士は力を増すばかりだ。今でさえ苦戦しているのに、このままでは。
ブルグント王都に近づく敵を撃退してから、アスガルドへ向かうという戦略は、間違っていなかったのだとフレイは知る。眼前の紅い騎士達を潰しておけば、敵がアスガルドに到達する頃には、どうにか勝負が出来る。紅い騎士だけに限定すれば、十数体にまで数を減らしているはずだ。それならば、決死の戦いを挑めば、どうにか出来る。
此方に向かってきている紅い騎士が、足を踏みならす。
激しい地響きと共に、無数の魔法陣が、アネットを取り囲むようにして出現した。中空に躍り上がり、逃れたアネットを、炎の雨が出迎える。なんと紅い騎士が投擲した火球が、中途で自動的に爆発したのである。
こんな事まで出来るようになっていたのか。
フレイヤも火焔の杖からの火球を爆破できるが、着弾点や放って何秒後という具合に、制御はかなり限定される。
それなのに、あのムスペルは、明らかに任意の地点で火球を爆破して見せた。
必死に横っ飛びに逃れるアネットだが、紅い騎士はターゲッティングを外さない。更に数発の火球を放つ。
フレイはその隙に、敵の至近に。
フレイヤと、先ほど短くハンドサインで作戦を決めた。短時間で、紅い騎士を倒すには、方法がもうない。
危険だが、やるしかない。
紅い騎士が、フレイに気付く。
そして、槍を振るって、斬撃を受け止めて見せた。フレイが渾身の一撃を振るい下ろしたのだが、それを槍で衝撃波ごとかき消したのだ。
紅い騎士の顔に、表情は存在しない。紅い騎士もたまに笑ったように見えたりもするのだが。今戦っている奴は、顔に変化を見せなかった。
大巨神に比べると細身のその体は、至近に迫るとかなり熱い。シグムンドが登って喉を切ったことがあったが、生半可な勇気で出来ることではない。
二度、三度と切りつけながら、フレイが下がる。
紅い騎士は槍を振るい、その斬撃の全てを受け止め、魔法陣を出現させようとした。だが、その動きが止まる。
気付いたのだろう。
死角に潜り込んでいたフレイヤが、精霊の魔弓を引き絞り終えていることを。しかも、至近だ。
雄叫びを上げる紅い騎士。
精霊の魔弾を放つのと同時に、フレイヤが飛び逃れる。
如何に弾速が遅くても、至近での一撃だ。逃れる術など、存在しない。
轟音と共に、紅い騎士が爆炎に包まれる。紅い騎士の左手が吹っ飛ぶのが、フレイにも見えた。
だが、その程度で死ぬような相手ではない。
爆炎の中に、数度剣撃を叩き込む。フレイヤも、炎の杖を乱射して、爆炎の中にいる紅い騎士に追撃を加えた。
爆音が連鎖し、フレイの斬撃がそれを切り裂く。態勢を崩した紅い騎士を滅多打ちにする。
更にアネットが紅い騎士の後方に着地し、何度も斬り付けていく。
煙が晴れてくる。
流石のフレイも、生唾を飲み込んでいた。
紅い騎士は片膝を突き、左腕を失い、全身傷だらけになりながらも、まだ死んでいない。そればかりか、立ち上がろうとさえしている。
左腕は高速で修復されつつあり、このままでは危険だ。
そう思った瞬間、瞬時に再生した左腕が、フレイを掴み取っていた。
凄まじい握力に、もはや魔力での防備を失っている鎧が、ひび割れはじめる。当然の話で、ただの鉄の板と同じ強度しか無いからだ。剣を紅い騎士の指に突き立てるが、力が入らない。
フレイヤが放った火球が、紅い騎士の顔面を直撃するが、それでも紅い騎士は離さない。いや、そのまま地面に叩き付けられる。
鎧が、壊れるのが分かった。
儀礼用の鎧に即座に切り替えるが、今まで着込んでいた鎧は、もはや駄目だ。
唸り声を上げながら身をよじる紅い騎士の喉を、アネットが深々と切り裂く。更に立ち上がったフレイが、大上段からの渾身の一撃を叩き込み、紅い騎士の頭を唐竹に割る。噴火のように溶岩が如き血が噴出するが、紅い騎士はそれでもまだ、消えない。フレイヤが最大威力の火球で、紅い騎士の頭を完全に吹き飛ばし、それでようやく息の根が止まった。溶け始める紅い騎士を眼前に、フレイは肩で息をつく。
あと、一体。
人間達は、必死の戦いで、増援のムスペル眷属達を叩いてくれている。
あの眷属を従えている紅い騎士が現れたら厄介だ。もはや攻撃を受け止める余裕さえ無いフレイは、トールの剛弓を引き絞る。
マグニが必死に食い止めてくれていた紅い騎士は、射撃が止んだためか、我が物顔にブルグント王都へ向かって歩いていた。もはや、火球の射程に、崩れ果てた城壁が入っている。もう少し進ませたら、転送の術式を準備しているブルグント王都が、丸ごと射程に入るだろう。
させはしない。
矢から指を放ち、背中に一撃を叩き込む。
流石に背後からのトールの矢をどうにもできず、大きく態勢を崩した紅い騎士に、フレイヤが炎の杖から火球を乱射し、追撃を加えた。アネットと同時に走る。中空に浮かび上がったアネットが、先に仕掛ける。
振り返りざまに、アネットの一撃を槍で受け止める紅い騎士。
フレイヤの火球が全身を抉るように爆発しているのに、まるで意に介していない。フレイヤは近づきながら王錫に切り替え、雷撃を浴びせるが、これも目だった効果は、残念ながら見えない。
氷の杖も同じだ。氷の魔弾が無数に着弾するが、紅い騎士の動きをわずかに鈍らせる程度だ。
紅い騎士が、フレイの斬撃の射程内に入った。
アネットを掴もうとした腕に、斬り付ける。流石に面倒くさそうに手を引いた紅い騎士だが、ダイレクトにフレイを踏みつぶそうと、足を振り下ろしてきた。しかも、飛び退いた先に、魔法陣での爆破攻撃をあわせるおまけ付きである。
爆発の中、必死に逃れる。
一撃でももらえば、即死は確定の状態だ。壊れた鎧は、もはや修復できない。アスガルドで、新しいものを入手するしか無いだろう。
不意に、矢が、紅い騎士の後頭部を直撃。轟音と共に、紅い騎士の巨体を揺るがせる。
生きていたか。姿は確認できないが、今の一撃、マグニに間違いない。そしてこの好機、逃すわけにはいかない。
態勢を崩したところに、渾身の一撃を浴びせる。
肩口から、腹の辺りまで、一気に切り裂く。鮮血が噴き出し、溶岩のような血が周囲に降り注ぐ。
更に、紅い騎士の後ろに回ったアネットが、頭頂部に一撃。
フレイヤが、ディースの弓から矢を放ち、紅い騎士の全身を同時に撃ち抜く。なおも抵抗する紅い騎士ののど元に、フレイは剣撃を滑り込ませた。
喉から大量に血を噴き出しながら、紅い騎士はついに横転。
そのまま、溶け始めた。
これで、どうにか二十体。
紅い騎士の多くを葬り去った。時間は、作る事が出来ただろう。
人間達に加勢しなければならない。マグニは無事か不安だが、今猛攻を受けている人間達を、守らなければならない。
更に紅い騎士が現れでもしたら最悪だ。
「アネット、人間達に加勢を」
「わ、わかり……」
「アネット!?」
アネットが、そのまま倒れる。
敵の至近で戦い続けていたからだろうか。
アネットの鎧には、大量の紅い騎士の鮮血が付着している。かなり体調も悪そうだ。そういえば、ぶっ通しで回復と戦闘を続けていたのだ。
横たえると、フレイヤが回復の術式を使い始める。
フレイは唇を噛んだ。こんな事にも、気づけていなかったとは。元々アネットは無理をする事が多いと、シグムンドにも指摘されていた。命じれば命じるだけ無茶をしてしまうのはわかりきっていたのに、どうして失念していたのか。
無言でフレイは、トールの剛弓を引き絞る。
今、自分に出来る事は、これしかない。
矢を放ち、敵の密集地帯を貫通。数十機を爆砕する。更にもう一矢。此方に気づく敵だが、人間達が此方には来させない。
更に、拡散型の弓で、制圧射撃を開始。
人間達も一斉攻撃に転じた。ほどなく、ムスペル眷属は、全てが地面に叩き落とされ、粉々に砕けて散った。
呼吸を整えながら、フレイヤを見る。
アネットは目を閉じていた。フレイヤの表情は芳しくない。
「もう少しで、魔力の流出が始まるところでした。 無理を続けていて、それが祟ったようです。 先ほどの戦いでも、ムスペルの眷属の攻撃を、人間達を庇ってかなり浴びていたのでしょう」
「そうか、すまない。 アネットを、見てやってくれ。 私はマグニの方を見に行く」
「分かりました」
時間稼ぎとは言え、紅い騎士四体を引きつけ続けたのだ。無事でいるとは思えない。
フレイが行くと、マグニは、いた。
全身から煙を上げながら、肩で息をついている。魔力の流出は起きていないが、魔法の掛かった皮鎧は焼けただれていて、もはや使い物にならない事が明白だった。マグニの愛用している剛弓も、かなり痛みが酷い。
「よお、遅かった、な」
「一柱だけで、敵を食い止め続けたのか」
「そうさ。 ブルグント王都に敵の雑魚が時々飛んでいったからな。 スヴァルトヘイムの雑魚どももちょっかいをだしに来ていたし、俺以外は、出られなかった」
無言で、肩を貸す。
そのまま、ブルグント王都へ、撤退を指示。
人間達の被害も決して小さくは無い。だが、少なくとも、これでブルグントで生き延びている人間を、全員アスガルドに転送する術式を準備する時間は稼げた。
それに、ムスペルの主力である紅い騎士も、相当数を削ることが出来た。アスガルドでの決戦の際、これがかならず大きな意味を持ってくるはずだ
半日ほどで、引き上げが終わる。
だが、誰の表情も芳しくない。特にグンターは、フレイを見ると、悔しそうに目を伏せた。
「もはや、組織が機能するほど、人が生きておらぬ」
ゴートに続いて、ブルグントも滅亡したも同然だと、グンターは吐き捨てた。民はまだ、数万が生き延びている。
だがそれは、人間にとって、必要最小限の生息数、なのだという。
「もっと絶望的な情報もある。 何度か試算したが、これ以上減ってしまうと、人は種族としては存続できなくなる。 かろうじてこの戦いを生き延びることが出来たとしても、いずれ衰退して、滅びてしまうだろう」
「そうか。 私がふがいないばかりに、すまぬ」
「貴殿は、最大限の事をしてくれている。 だが、打つ手がもはや思い当たらぬなあ」
既に、転送の魔術は準備が終わっていると、報告は来ていた。トールの娘であるスルーズが、若き他の神々と協力して、成し遂げてくれたのだ。
全員を、一気にアスガルドに転送できるのは大きい。
フレイヤが来た。
アネットをワルキューレのサーニャが回復しているが、思わしくないとフレイヤは零した。
「やはり疲弊が相当に溜まっていたようです。 少なくとも二日は眠らせないと、確実に魔力の流出が始まってしまうとか」
「もはや猶予は無いな」
予定していた四日よりも、敵の進撃が早かった事もあって、一日の猶予が出来ている。今は一刻一秒が惜しい状況だ。もたもたしている暇は無い。
「グンター」
「この年寄りに何用かな」
「そのようなことを言うな、賢王。 アスガルドへ行く。 民はどうしている」
「皆、滅びの時を待っているよ。 残念な話だが、既に生き延びようという気力がある者は、ごく少数だ」
そのような者達を、戦わせるわけにはいかない。
しかし、此処に置き去りにすれば、確実に死が待っているだけだ。
方法は一つだけある。
本来なら禁じ手に近いものだが、今や方法を選んでいられる時は終わった。フレイにとって、人間達の方が神々よりも重要になりつつある事は、自覚している。しかし、実際問題、この過酷な状況の中で、人間が一番頑張ってきたのを、フレイは間近で見てきたのだ。
フレイはフレイヤを呼ぶ。
既に廃墟に等しい街を眺めながら、一緒に歩く。ここに最初来たときとは、もはや別の場所のようだ。
多くの蹂躙にあった結果、既にこの街は死んだ。
フレイがふがいないから、死んでしまったのだ。
人々が、すがるように此方を見る。アスガルドにこれから行くと言う話は、彼らにもグンターから行き渡っているはずだ。
彼らだけでも、確実に救う。
出来れば、一緒に戦って来た戦士達も。
「フレイヤ、他の神々と協力して、回復にいそしんで欲しい。 特に魔力の蓄積は、最重要事項だ」
「分かりました。 兄様は、どうなさるのです」
「うむ……」
具体的な名を出さなくても、二柱の間では通じる。フレイの完全に破損した鎧のことだ。
これからアスガルドに出向いて、最初に行うべき事はそれだろう。既に多くの神々が死に、エインヘリアルも殆どいない。
武具だけなら、余っているはずだ。
「巨神族も、アスガルドに攻めこんでくるでしょう。 最低でも十万はいます」
「どうにかして、守り抜かねばなるまい」
アスガルドはとっくに三重の防御結界を復旧させているはずだが、それが安心する要素に全く結びつかない。
相手はおそらくフルングニルである。そのくらい、簡単に突破してくるように思えてならないのだ。
だが、戦略的に考えれば、これ以上も無く重要な防壁である。無為に抜かせることは無い。どうにかして活用したい。
ただでさえ、既に主な神々は冥府に行ってしまっているのだ。テュールも腕を一本失うという手酷い負傷をしていて、未だに癒えてはいないだろう。防壁が使えるのなら、どうにかして使う事を考えなければならない。
街の辺縁に出た。
もはや城壁は存在しない。点々と散らばっているのは、スヴァルトヘイムの魔物の死骸である。撃退されたものだろう。
「フレイ、フレイヤ」
後ろから、声が掛かった。
シグムンドが、立っていた。
「転送魔術の準備が出来ているそうだ。 グンターの方も、民に説明を終えたらしいから、いつでもいける」
「分かった。 即座に転送してくれと、伝えて欲しい」
フレイはフレイヤを促して、王宮へ戻る。
この時。
名実共に、人間の世界は終わった。ミズガルドは、文字通り滅びたのだ。残るのは、アスガルドだけ。
そして残る生者は、ことごとくがアスガルドへ集結しつつあった。
2、光の都
街を、淡い紫色の光が包む。
徐々に、光が強くなっていく。
空間を移動する術式は、珍しいものではない。戦闘で連続して用いるのが凄い、というだけの事だ。
街全体を包む巨大な魔法陣が、回転をはじめた。街の外には荒野しかなく、其処も毒で汚染されていたり、ムスペルに溶かされていたりで、人が住める環境では無い。どのみち、アスガルド以外に、行く場所など無いのだ。
回転する魔法陣が、速度を上げていく。直前にフレイヤが確認を取ったのだが、既にフリッグは会話が出来る状態には無く、おつきの若き女神達に、一刻も早く来て欲しいと懇願されてしまった。
元々戦に秀でた神ではないヘイムダルが、現在は総指揮を執っている、ということからも、アスガルドの窮状がよく分かる。
しかも案の定、巨神族は既に麓に迫っているという。確かに、時間はもう、残ってなどいなかった。
ふつりと、光が消えた。
そして、一瞬で周囲の光景が切り替わっていた。
多くの人間達と共に、空間転送の術で移動が完了したのだ。
其処はアスガルドにて最大の広さを持つ平原。ヴィーグリーズ。
ミズガルドとアスガルドをあわせても、揺らぐ事なき最大の高原である。多くの軍勢がぶつかり合うことが出来る場所で、ほぼ間違いなく、巨神との決戦は此処で行う事になるだろう。
出迎えは一切無し。
「此処が、アスガルドか」
「なんてこった。 見ろ、神殿が……」
ヴェルンドが指さしたのは、正確には神殿では無い。だが、今はそんなことを指摘している余裕も無かった。
破壊された、神々の宮殿。
死者との戦いで徹底的に蹂躙されたとは聞いていたが。此処までとは、フレイも思っていなかった。
「神よ、アスガルドは、このような有様であったのか」
「死者に破壊されたのだ。 フレイヤがヘルを倒していなければ、更に酷い有様になっていただろう」
「これで、民を守れるのか」
「一つ、方法がある」
グンターが不安そうに眉をひそめるが、フレイはついてくるように促す。民がまだ歩ける気力があるうちに、辿り着かなければならない。
アスガルドの城壁も、彼方此方が壊されていた。本来ならばアスガルドの全域を戦略的に覆っているのだが、その殆どが駄目になっている。死者の攻撃が如何に苛烈だったか、一目で分かるほどだ。
多くの神々の宮殿が破壊されている。
小走りで来たのは。ヘイムダルだ。髭を蓄えた紳士然とした、情報を司るこの神が、今はアスガルドの代表か。
「フレイ殿、よく戻られた。 人間を連れていると聞いていたが」
「うむ。 もはやミズガルドに安全な場所など一つも無い。 故に、つれてまいった」
「そうか。 やむを得ぬか」
それに、今は兵力が少しでも欲しい。
そうヘイムダルは露骨には言わなかったが。人間達を黙認した理由は、それ以外に考えられなかった。
人間達は、何か言いたそうにしている。ヘイムダルは神々と言うには小柄で、人間とさほど変わらない。だからこそ、だろう。
アスガルドの神々を信じていた人間達には、いくらでも言いたいことがあるはずだ。だが、今は不和を噴出させるわけにはいかない。無為に戦いで損害を増やすことになるだろう。
「我が師は」
「まだ眠っている。 回復の術がほとんど効かず、腕も再生しないのだ」
「……」
予想はしていたが、酷い容体のようだ。
回復が効かないとなると、ヨムルンガルドの攻撃による影響だろう。歩きながら、幾つか話をしておく。
フレイの鎧については、手配してくれるとヘイムダルは言った。やはり、武具の類は、余っているという。
フレイヤの魔力の補給も、どうにかなりそうだ。アスガルドを神々が拠点として選んだのには、豊富な魔力の湧出が理由の一つとしてあげられる。事実フレイヤも、此処に戻ってから、少しずつ顔色が良くなっている様子だ。
エインヘリヤルについては、三万二千がどうにか戦闘可能な状況にあると、ヘイムダルは言った。
「もはやこれが、アスガルドの全戦力だ」
「そうか。 何とかするほかあるまい」
人間達の戦闘可能な兵力が、かろうじて一万。
あわせて四万で、巨神族と、スヴァルトヘイムの魔物と、それにムスペルの軍勢を防がなければならないのだ。
しかも、人間の兵力は、これから更に目減りする。
「ヘイムダルよ、避難用のシェルターを使う許可が欲しい」
「もはや、許可など必要あるまい。 人間達を退避させるのか」
「そうだ。 このシェルターであれば、外が全滅しない限り、守りきる事が出来るだろうから」
「……好きにすると良い。 どうせ、スペースは有り余っている」
頷くと、フレイは人間達に振り返った。
もはややる気を失っている神々には何一つ期待出来ない。一番意欲があるだろうヘイムダルでこれだ。
年老いた神や、傷ついた神々は、死を待つばかりの存在になり果ててしまった。これが、本当にアスガルドの今の姿なのだと思うと、悲しくなる。
ラグナロクで、世界は滅びる。
その伝承は、本当だったのだと、今更にフレイは強く感じていた。
「これから、安全な場所に案内する」
「安全、ね」
ほろ苦い声を漏らしたのはレギンだ。気持ちはよく分かる。この有様を見て、もはやアスガルドは信頼に値しないと思ったのだろう。
シグムンドも同じ意見のようだ。
「フレイ、お前の事は信じているが、アスガルドはもはや信用できん。 おそらくこの場にいる全員の意見が、一致しているだろう」
「分かっている。 だが、これから案内する場所は、そもそもラグナロクに備えて作られた避難所だ」
「何……」
「神話にあるように、アスガルドの神々も、ラグナロクのことは知っていた。 だから、万が一に備えて、この世界から切り離した小さな空間を作ったのだ」
勿論、絶対の防壁では無い。
だが、その小さな世界に敵が侵攻してくるとすれば、数千年は掛かるだろう。空間そのものの壁というものは、存外に大きいものなのだ。
実はこの避難所について、フレイも詳細を知ったのはつい最近だ。昨日ヘイムダルと通信をしていて、話題が出た。
元々は、ユミルが作りかけていた用途不明の小さな世界だったという。今は、その空っぽの世界が、最後の希望となっている。
「だが、そのような場所に行って、戻ってこられるのか」
「今の時点では」
「つまり、これからその道を、遮断するというわけだな」
ヴェルンドが、フレイの言葉の意味に気付いた。他の人間達も、悟ったらしく、顔を見合わせる。
つまり、この先に行くと言うことは。
この世界を捨てて、別の世界に逃げ込む、ということだ。
「私はその世界には行かない」
フレイは、先に告げる。
フレイが行かないのなら、フレイヤも行かないだろう。妹の性格を、フレイはよく知っている。
アスガルドの神々の内、何柱かは既に逃げ込んだと、ヘイムダルがいう。
「狭い世界だが、ミズガルドの半分以上の面積はある。 お前達全員が暮らしていくのに、不足は無いだろう」
「私からも、それは保証する。 戦いに疲れた者、敵を前にして武器を握れぬ者、この世界から去ることに抵抗がないものは、この先の世界へ向かってくれ」
案内した先は、小さな神殿の残骸。
打ち壊された岩の塊を、大槌を使って吹き飛ばし、どける。
魔法陣が姿を見せ、淡い光を放っているのを確認。まだ、接続魔法陣は生きている。
「民よ、並べ」
グンターが、ついてきている民を整列させる。
軍の兵士達も、言われるままに列を作った。生き残っている騎士達が先導して、列を作っていく。
フレイが感心するほど、列が出来るのは早かった。アルヴィルダは腕組みして、生き残っていた人間達が列を作るのを見つめていた。
「ヘイムダル、神々に声を掛けて貰えないか。 死にたくない者、戦えない者は、集まるようにと」
「分かった。 此処は、任せる」
態勢は決している。
それだけではない。
此処からは、守る者を考えていては、勝てる戦いも勝てなくなる。
だから、此処で民は、安全な場所に移さなければならないのだ。
グンターは、皆が安全な場所に行けることを説明。更に戦士達に向けても言う。
「これより、アスガルドに残った敵が全て押し寄せてくるだろう。 安全な場所に逃げなかった者は、雲霞の如き大軍を相手に、決死の戦いをすることになる」
ヘルギが、泣きそうな顔を、更に歪めた。
一方ラーンは平然としている。表情には、余裕さえ感じられた。
戦士達は、それぞれが達観しているようだ。ヘルギももう、顔を歪めはしたが、逃げようとは言い出さなかった。
「誰も止めはしない。 安全な場所に去りたい者は去って欲しい。 それに、怪我をしているものや、戦えない者は、此処に残る事を禁じる」
「陛下!」
兵士の一人が、悲痛な声を上げた。
彼は左腕がない。今までの戦いで失ったのだろう。疲れ果てた顔の老人や、何も分かっていない様子の子供が、続々と魔法陣に向け、歩いて行く。
途中、魔法陣から戻ってきた兵士達が報告してくる。
「陽光は若干弱めですが、大勢の人々が暮らすには問題無さそうな土地です。 大地には草も茂り、危険な獣も見当たりません」
「そうか。 それでも、念のためだ。 負傷した兵士達も、向こうへ送ろう」
「陛下……」
「良いのだ。 それに、此方に残る戦士達には、大きな役割もある」
フレイが無言で見つめると、グンターは疲れ切った表情で、ほほえんだ。
「敵を滅ぼさなければならん。 数千年もかければ、空間を越えて敵が攻めてくるというではないか。 そのようなこと、させてはいかん」
「グンター。 手を貸してくれるか」
「どれだけ残るかは分からぬが」
アルヴィルダは、もとより残るつもりの様子だ。その周囲にいる親衛隊も。一緒に来た三機のサラマンデルに乗っていた技術者達も。どのサラマンデルも、部品を継ぎ足したり交換したりして、ぼろぼろだ。
もう、長い時間戦えそうには、見えなかった。
「俺は向こうにはいかん。 ……少し休む」
レギンは、別世界に逃げ込んでいく民達を見ると、鼻を鳴らしてその場を離れた。
狂戦士達も、その後に続いた。シグムンドは腕組みしたまま、避難していく民を見守る。ヴェルンドはヘルギをつれて、レギンと一緒の方へ去った。休むのだろう。ラーンはフレイの側にいたいようだったが、ハーゲンに連れて行かれて、行列の整理や、病人やけが人の補助にかり出されていた。
フレイヤは、魔力を出来るだけ温存しながら、民の怪我を癒やして廻っている。もはや手足を再生するような大魔術は使える段階に無い。今後の戦いを考えると、どうしでも魔力が足りなくなるからだ。
だが、民は何度となく自分たちを救ってくれたフレイヤを忘れていなかった。感謝しながら、異世界へと去って行った。
若い神の中の何名かも、異世界へと去る。いずれもが、もはや戦えないと言っていた。心に宿ってしまった恐怖は、もはやどうしようもない。戦いの中で宿った恐怖は、精神だけでは無く、肉体もむしばむのだ。
「兵糧は可能な限り運んでいけ。 新天地ではゼロからの生活になる。 神々も、以前のように力を持たず、人間と共にある程度の存在でしか無いだろう」
ハーゲンが指示を出し、兵糧の大半を持って行かせていた。
ブルグント王都が崩壊したとき、サルベージした兵糧は、それほど多くなかった。アスガルドにはそれなりに蓄えられているし、此処に残る者達が飢えることは無いだろう。
神々も、避難をはじめる。
女神達につれられて、フリッグが姿を見せた。
美しかった女神は、もはや面影も無いほどにやつれ果てていた。フレイヤが思わず視線をそらしたほどである。目の下には隈ができ、輝いていた黄金の髪は乱れはて、唇は乾いていた。
これが、女神の中の女神と言われたほどの存在の末路かと思うと、悲しくなってくる。
目の光だけは強いフリッグは、フレイを見ると、奇声を上げた。
「おお! フレイ、来てくれたか!」
「遅れて申し訳なく、女神フリッグ」
「よいのじゃあ。 オーディン様も、これでお喜びになられる」
もうオーディンは、冥府に去った。
そう言われても、女神はけたけたと笑っているばかりであった。
「哀れな」
「オーディン様が、巨大な蛇に喰われてしまうのを、間近で見たのです。 それからすっかりおかしくなられて」
側についていた下級の女神が、涙を拭った。
最高指導者がこの有様なのである。もはや、アスガルドの命運は尽きていた。これからは勢力に関係無く、生き残ることを考えなければならない。
ヘイムダルにつれられて、足弱の老神や、戦闘向けでは無い神が、続々と集まってくる。人間の戦士にも劣るだろう彼らは、不死も失ってしまっているだろう。やがて新しい世界では、人間と血が混じり合い、神々という存在は消えるとみて良かった。
ワルキューレ隊も来る。
隊とはいえないほどに、すり切れてしまっていた。もはや十名も生きていない。
その先頭にいたブリュンヒルデは、フレイを見ると、顔を輝かせて近寄ってきた。よほど心細かったのだろう。
ワルキューレ達は、手足を失っていたりで、五体満足な者はブリュンヒルデだけだった。彼女らにも、異世界に行ってもらう事にする。だが、ブリュンヒルデは残ると言った。
「巨神共に一矢を報いずして、死ねませぬ」
「死ぬぞ。 いいのだな」
「フレイ様の側にいられるのなら」
嬉しい言葉だ。其処まで慕ってくれるのであれば。
ほぼ半日掛けて、避難の列が、魔法陣の向こうへと消えていく。
ヘイムダルは残るという。フリッグはもはや此処にいても何ら意味が無い。先に、向こうの世界へ行かせた。
テュールはどうしたのだろうと思っていたのだが。
担架が運ばれてくる。
右腕を失ったテュールが、担架の上で身を起こす。いたましい姿だった。
「フレイ、来た、か」
「師よ。 おいたわしい姿に」
「どうやら私は、これ以上戦えぬらしい。 せめて最後は戦場で過ごしたかったが、全身に老いが回り始めている今は、無理だ。 足手まといには、なりたくない」
師の目からは、涙が流れていた。
戦う事だけを生き甲斐にして、剣を振るい続けてきた軍神の、あまりにも哀れな末路である。
シグムンドが、前に出る。
「軍神テュール。 俺は北ミズガルドのシグムンドだ」
「おお、そなたが。 フレイから話は聞いている」
心なしか、師はしゃべり方まで老けてきている。
おそらく、ヨムルンガルド=フェンリルと戦った影響なのだろう。時間が、正常な状態に戻りつつあるのだ。
「俺の村では、あんたをずっと祀っていた。 あんたこそが、戦士の神だと信じていたし、今もその考えに変わりは無い」
「すまぬな、哀れな姿を見せて」
「もういい。 あんたは充分に戦った。 休んで、くれ」
「そう、させて、もらおう」
テュールが、すっかりやせ衰えた左腕で、剣を差し出してくる。
これは。
テュールの武具。アスガルドでも最強を誇る神剣だ。
「今こそ、お前に託そう。 今のお前ならば、使いこなせるはずだ」
「有り難き……」
跪いて、剣を受け取る。
これ以上は、言葉にならなかった。
既に黄昏を過ぎて、夜になろうとしている。最後の避難民が魔法陣をくぐる。残ったグンターが、兵士達を整列させていた。
周囲には、エインヘリアル達もいる。
「残った兵士が、五千二百か」
「半数以上残ったでは無いか。 さすがはグンター王。 兵士達をよう鍛えておる」
「そういうアルヴィルダ姫は、親衛隊から欠員を出しておらぬではないか」
「ふむ、そういう取り方もあるな」
くつくつと、アルヴィルダが笑った。
魔法陣が、皆が見ている前で、除去される。
少し遠くに座っていたレギンや、ヘルギが、じっとその様子を見つめていた。
それから、全員に肉が振る舞われた。巨神族の動きから言って、明日には攻めてくるのが確実である。
作戦については、もはやどうしようもない。
酒も出た。
陽気に騒ぎ出す兵士達を横目に、フレイは地図を広げる。アスガルドの周辺は、敵を示す紅い旗がびっしり立っていた。
勝機があるとすれば、一つ。
フルングニルを、討ち取る。これ以外には無い。
ヘイムダルが、鎧を持ってきた。壊してしまったものと、ほぼ同等のグレードのものだ。無傷のまま残っていた。
だが、替えは無いと言う。
「この鎧が壊れたら、後は無い。 フレイ、頼むぞ」
「必ずや、敵を打ち払ってご覧に入れまする」
たとえ、出来るとは思っていなくても。
此処では、大言壮語を吐かなければならなかった。意気消沈してしまうだろう皆のことを思えば。
肉を食べて歌って踊り、それから気持ちよく眠った人間達を見て。
フレイは、明日からは、彼らと肩を並べて戦おうと思った。異世界に逃れた者達を救うためにも。
夜はゆっくりと更けていく。
もはや神無きこの世界でも、夜は来る。そして、朝もまた、来るのだった。
3、最後の戦いの始まり
夜明けと同時に、フレイは一番高い神殿の屋根に上がった。
此処からなら、崖から上がってくる敵を、一網打尽に狙撃できる。同じようにして、マグニも神殿の屋根に上がる。
フレイヤも、である。
巨神族の戦力は十万以上。
しかし此方にも、手練ればかりが残った人間達をはじめとして、心強い仲間が多くいるのだ。
巨神共の後に控えているムスペルの事を考えると、なおさら負けるわけにはいかない。緒戦で敵の出鼻を挫き、可能な限りの損害を与える。
巨神が、近づいてくるのが分かる。
戦線は可能な限り縮小した。彼方此方に兵力を分けると、一気に崩される可能性があるからだ。
もはやアスガルドを守りきる戦力にさえ乏しい現状で、兵力の分散は愚の骨頂。
既に、トールの剛弓は、引き絞り終えている。
そろそろか。思ったフレイは、気付く。
不意に、巨神共の足が、止まったのである。何かあったのかも知れない。勿論、罠である可能性も濃厚である。
しばらく、冷や汗を流しながら、待機する。
敵は動く気配が無い。
側に降り立ったのは、ワルキューレのサーニャである。アネットの側についていた筈だが。
「で、伝令です!」
「何が起きた」
視線を向けず問うと、いくさ乙女らしくも無い気弱なサーニャは、何度か失敗した後一気にまくし立てた。
「巨神が、スヴァルトヘイムの怪物達と、戦っています!」
「何っ!」
仲間割れでは無い。
スヴァルトヘイムも、現在の状況に乗じ、世界の制覇を狙っている勢力だ。巨神族が疲弊している今、好機とみて巨神から攻撃してもおかしくない。
崖を見下ろせる位置にまで行く。
見ると、巨神族は、崖から次々現れるスヴァルトヘイムの魔物達に苦戦を強いられている様子だ。
崖を立体的に這い回るスヴァルトヘイムの魔物達は、空を舞うリンドブルムの火球に次々焼かれながらも、怯む様子が無い。そればかりか、無尽蔵な数を見せつけるかのように、ぞろぞろと穴から這い出し続けている。
目に見えて、巨神族は混乱していた。
フレイヤも駆け寄ってくる。
「兄様、これは好機では」
「まて、様子がおかしい」
あまりにも、巨神族の狼狽が見苦しすぎるのだ。
あのフルングニルが指揮をしていて、こうも易々と奇襲が成功するのだろうか。嫌な予感がしたフレイは、状況の観察を続ける。
不意に、ヘイムダルの神殿に据え付けられた鉄の雄鳥が鳴く。魔術で作られた、一種の通信装置だ。
ヘイムダルがよく使う道具であり、雄鳥がどれだけの回数、どのような長さで鳴くかが、そのまま暗号になっている。
無論フレイは、解読が可能だ。
「西から、敵襲。 かなり大規模、だと」
「敵は既に崖を登り切り、結界の内側からの攻撃をはねのけながら、猛攻を加えてきているという事です!」
「やはり陽動だったか」
だが、それでも、まだ何かが引っかかる。
フレイはこの場に最小限のエインヘリアルを残すと、フレイヤをつれ、最大速度で、西の端まで急ぐ。
其処はヘイムダルの担当防御地区である。
かなり頑強な要塞が築かれていたのだが。しかし、その要塞が、霞むようなしろものが今、巨神族によって持ち出されようとしていた。
巨大な破城槌とでもいうべきか。
大巨神が丸ごと入れそうなほどに大きな筒に、世界樹から切り出したと思われる大きな槍が入れられている。
しかも筒の中で魔術による爆発を起こし、槍を撃ち出してきているのだ。
問題は、結界に対してそれを使っているのでは無い。地面に対して、叩き込んでいる、ということだろう。
大破城槌とでもいうべきそれの周囲には、巨神が分厚く陣を組んで、仕掛ける隙が見当たらない。
空には無数のリンドブルムもいる。
結界は、リンドブルムらによる火球で常に攻撃されており、負荷も高まりつつあった。
「まずは結界を守れ! リンドブルムを叩き落とせ!」
ヘイムダルが指揮を執っている。エインヘリアル達は槍を揃えて光を放ち、リンドブルムを片っ端から叩き落としていた。
フレイは無言で弓を引き、空に向けて拡散型の矢を放つ。
見る間に落ちてくるリンドブルム。
だが、巨神族はどういうわけか、リンドブルムを支援しようとは、一切しなかった。それで確信できる。
矢を放ちながら、ヘイムダルの所に。
「ヘイムダル!」
「フレイか、見事な腕だ。 リンドブルムどもを、これなら蹴散らせそうだ」
「これは罠です」
「何っ!」
大破城槌が地面に叩き付けられる度に、結界を通り抜けて、振動が此方に来ている。しかも、徐々に大きくなってきている。
地盤にダメージが与えられているのだ。
ヘイムダルが詰めているのは、アスガルドでも有数の要塞だが。魔術で強化しているとはいっても、所詮は石造りである。
石造りの建物が如何に衝撃と振動に弱いかは、フレイは身をもって経験している。ブルグント王都が、ヨムルンガルドの墜落で、どのような有様になったか。記憶に、生々しく刻まれているからだ。
「すぐに要塞からエインヘリアル達を避難させてください!」
「し、しかし!」
「お急ぎを!」
それでも躊躇していたヘイムダルだが、自分が戦争の専門家では無い事を知っているからだろうか。
伝令を呼び出し、要塞からの退避を指示してくれた。
フレイは近くの丘に陣取ると、リンドブルムに対しての制圧射撃を続ける。リンドブルムそのものは、削っておいて損は無いのだ。
やがて、何度目かの大破城槌での一撃が地面に叩き込まれた時。
地面を伝わって、衝撃が襲いかかり。
何千年もアスガルドを守っていた要塞が、根元から打ち砕かれていた。しかもその衝撃で、結界にも大きなダメージが入ったのは明白だ。
リンドブルムは、次々に増援を投入されている。
各地の戦線で、それは同じ様子だ。
どのみちこの先は、捨て石として以外の利用方法が無い。この際に、在庫を一切残さずに投入するつもりなのだろう。
「な、何という恐ろしい光景だ……」
「ヘイムダル、結界の負荷は今どれほどですか」
「既に三割を超えている」
「七割に達したら、二番目の結界に撤退する準備を」
ヘイムダルは頷くと、後方に下がる。
嫌な予感がする。フルングニルは、一体何をもくろんでいる。
腕組みしたまま、フルングニルは戦況の推移を見守っていた。
一番外側の結界は、強度確認のために、リンドブルムだけを使って破壊する。最初は此処にも魔力消去弾を撃ち込もうかと思ったのだが、スヴァルトヘイムの魔物どもが横やりを入れてきたこと、手札が増えたこともあって、実験も兼ねて戦術を色々と試しておきたい。
三つ目の結界を抜いた後は、アスガルドの神々はヴィーグリーズ平原に残存勢力を結集させるはずだ。
そこでとどめを刺してやるのは確定事項だが。
まずは。スヴァルトヘイムの魔物どもに、引導を渡してやる必要がある。
「大戦場槌の様子は」
「負荷、限りなく小。 まだ当分使用が可能です」
「よし。 今の振動の分析を進めよ」
地底から出られる穴を利用して、ヒットアンドアウェイを繰り返してくるスヴァルトヘイムの魔物ども。
奴らのホームグラウンドである地底に乗り込むことは、そのまま死を意味する。地の利が相手にある上、数が違いすぎるからだ。
だからニーズヘッグの陰険蛇は、悠々と構えているのだろう。
だが、それも此処までだ。
大戦場槌を守らせながら、移動。フルングニルも、フレイが著しく腕を上げて、リンドブルムを薙ぎ払ってきている事は知っている。これにフレイヤが加わってくれば大きな脅威になるだろう。
既に二柱がかりなら、トールを越えている。
ようやく、フルングニルが全力で立ち向かうに相応しい相手に成長したと言えた。
大戦場槌が移動していく先にある要塞から、エインヘリアルが退避していくと報告が入った。
決断が早くて結構だ。それくらいでないと、フルングニルとしても、全力で戦う意味が無い。
目標地点に到達。
大戦場槌を地面に何度か叩き込み、振動の伝播を測定させる。
程なく。結論が出た。
「よし、砕け」
フルングニルが命じると、地面の一点に向けて、大戦場槌が咆哮する。
何度も叩き込まれる槌。
地盤が、ある一点で。砕けるのが、分かった。
縦横無尽に地面にひびが入り、崖の一部が雪崩のように崩落したと報告がくる。既に振動の割り出しから、その地点の配下達は退避済みだ。大量のスヴァルトヘイムの魔物の死体も、土砂に混じっているという。
無論、狙ったのは、縦横に走っている地下通路の崩落である。アスガルドの要塞を砕きつつ、地下に潜っている虫共を根こそぎにする。一石二鳥の策だ。
もう一撃、地面に叩き込ませる。
明らかに戻ってくる振動が弱くなっていた。地下がずたずたに切り裂かれ、多数の通路が埋まった証左だ。
「スヴァルトヘイムの魔物、動きを止めました! 相当数の損害を出した模様!」
「よし、この隙を逃すな。 ファフナーに連絡」
一番外側の結界を砕き次第、ありったけの魔力消去弾を、アスガルドの防御結界に叩き込む。此方の戦力を削りながら徐々に後退、などと考えているだろう敵を、それで一気に動揺させることが可能だ。
そして追撃を仕掛ければ、戦力の過半を削ることも出来る。
フリムを、これでようやく覇王にすることが出来るのだ。
温存していたリンドブルムを、全て敵にけしかける。空を覆うほどの飛龍の群れが、結界に纏わり付き、一斉に炎を放つ。
結界の消耗が、目に見えて早くなり始めた。
「敵の反撃が弱いな」
「我らに恐れをなしているのでは」
腕組みをしたフルングニルは、どうも妙だと考えていた。
部下の言葉にも、一理ある。元々アスガルドは一線級の神々を殆ど失い、残っているのは雑魚ばかりだ。
フレイとフレイヤは強いが、残念ながらそれは求心力には結びつかない。
如何に強いとはいえ、年老いた神々が、今更若き猛虎を尊ぶだろうか。
しかし、相反する結論になるが。
敵には既にフレイとフレイヤが合流していることが判明している。直前に、ミズガルドの生き残った人間達も、全てが大魔術で一気にアスガルドに移動したらしい事も。それならば、この抵抗のなさはおかしい。
たとえ兵力差が百倍に開こうと、奴らが膝を屈するとは思えないのだ。
神々が抵抗意欲を失うことがあっても。フレイとフレイヤ、人間共は、最後まで戦おうとするはずだ。
ならば、この状況は。不自然。
不意に、大威力の矢が飛来して、陣の外側にいた大巨神を直撃。頭を吹き飛ばし、即死させた。
部下達が動揺する前で、空中で爆発が連続して巻き起こる。
爆風と衝撃波にやられたリンドブルムが、多数叩き落とされた。地面に落ちてもがいているリンドブルムの上に、粉々になった屍が降り注ぐ。
敵が、反撃に出てきたか。
「リンドブルム、損害多数!」
「そのまま攻撃続行」
「はい!」
魔術師達が、リンドブルムへ攻撃命令を送り続ける。
順調に結界が消耗し続けているが、その代わり敵の反撃も凄まじさを増した。ほぼ間違いなく、フレイとフレイヤが前線に出てきている。
好都合だ。
此処で奴らを屠ってしまえば、アスガルドの抵抗意欲は、完全に潰えるだろう。
勝負を焦った者は負ける。
戦場の鉄則だ。
フルングニルは、何度も左手で右手を押さえた。そうしないと、逸って前に出てしまいそうだったからだ。
大きな被害をだしながらも、リンドブルムは確実にアスガルドの最外装結界を削っていく。三枚ある結界の内一枚だが、残り二枚は魔力消去弾で一気に片を付ける。つまり、此処さえ破ってしまえば、アスガルドは丸裸だ。
しかし、どうして急にフレイとフレイヤが前に出てきた。
この大胆な攻勢が、魔力消去弾に気付いたからだとは考えにくい。単純に、兵力を削れるときに削るつもりなのかも知れない。
また、轟音と共に矢が飛んだ。
空を舞っていたリンドブルムが、まとめて叩き落とされる。散るリンドブルム達だが、結界の内側から矢が飛んできて、次々と射落としていった。
いいようにやられているが、リンドブルムの役割は其処にもある。
今は、敵に勝ち誇らせておけばいい。
「結界負荷、八割を突破!」
「敵の様子は」
「軍勢は完全に退避した様子です。 フレイとフレイヤだけが、地形を利用して、結界の内側から攻撃してきている模様」
「ふむ……」
既にリンドブルムは、千以上が落とされている。
フレイとフレイヤの力は、予想以上に増しているのかも知れない。やはり、此処で葬ってしまわなければ危険だ。
「全軍、突撃の態勢をとれ」
「は。 しかし、よろしいのですか」
「敵にはまだ三万前後のエインヘリアルも温存されている上、人間の兵士も数千はいると見て良いだろう。 フレイと、フレイヤと連携されると厄介だ」
フルングニル自身は、陣のやや中央後方に位置。
状況を確認し、フレイとフレイヤを追い詰めたら、切り札を使う。
結界の負荷が九割を超えたと、連絡が来た。
そろそろだ。
前線のヴァン神族達も、出る準備をしている。結界が敗れたら、突出しているフレイとフレイヤを、一気に葬る。如何に奴らがトールに匹敵するほどまでに強くなっているとしても、数の暴力には叶わない。
結界が、砕けた。
相当数のリンドブルムを失ったが、これで一気に作戦が進展する。まずは、ファフナーに指示。
通信をつないでいた魔術師が、怪訝そうに顔を歪めたのは、その時だった。
「フルングニル様」
「何が起きた」
「ファフナー様が、敵に襲撃されていると。 護衛の部隊が、大きな被害を出している模様です」
謀られた。
それに気付いたときには、フレイとフレイヤと思われる反撃も、止んでいた。
アルヴィルダが、結界に纏わり付く大量のリンドブルムを見て、おかしいと言った。フレイはそれを素直に聞くこととした。
「考えてもみよ。 この外側の結界よりも強靱なものがまだ二つもあると言う。 それなのに捨て石のように部下を使い捨てる意味は何じゃ」
「時間が無いか、或いは」
「結界を瞬時に破る武器を持っているか、であろう」
言われれば、思い当たる節がある。
ロキ=ユミルと戦ったときだ。落ちた始祖神が放とうとした巨大な魔力弾が、かき消された。
あれは考えて見れば、誰かが横やりを入れたのに間違いない。
そしてそれは、あの時点で考えられる勢力を加味すると、巨神達以外にあり得ないのだ。
「フレイヤ。 防御結界に、魔力をかき消す攻撃を浴びせたら、どうなる」
「壊れます。 質にも寄りますが、ロキ=ユミルの全力での攻撃を打ち消したあの恐ろしい武器を投入すれば、そう難しくは無いでしょう」
「なんてこった」
シグムンドが、胸の前で手を合わせる。
フレイは頷く。
分かれば、対処策はある。
此方に来たサーニャを手招きする。気弱なワルキューレは、おそるおそるという風情で此方に来る。
「まだアネットは眠っているか」
「先ほど、目を覚ましました」
「ならば、悪いのだが、すぐに動いて欲しい」
負傷しているが、充分に戦えるマグニと、それに人間達の軍勢に、この作戦に参加してもらう。
おそらく敵は、結界をまとめて吹き飛ばすつもりだ。外側の結界だけ壊せば、内側の結界を充分につぶせる自信があるのだろう。
ならば、外側の結界は捨てる。
そして、結界をつぶすのに必要な装置を狙う。
アスガルドは、先ほどの巨神族の攻撃でかなり崩落してはいるが、それでも相当自由に地下通路で行き来できる。
地の利を生かすときだ。
問題は、誰が、どのようにして、結界を破壊する弾を撃ち出すか。
ヘイムダルに頼み、周囲を徹底的に索敵してもらう。確認するべきは、空。それも、此方が着目していないような場所だ。
その間、フレイとフレイヤは、結界の側まで行って、敵を攻撃し続ける。
もしも、敵がそのような恐ろしい魔術の道具を投入してくるとすれば、使い手は間違いなくファフナーだろう。
気弱な魔術師だと聞いているが、人間だけでは倒せまい。
地下に、北の民を中心とした精鋭千名ほどが潜る。マグニとブリュンヒルデ、それにアネットが加わる。
周囲の巨神を抑えつつ、ファフナーを釘付けにするくらいのことは出来るはずだ。
其処へ、遠くからフレイが、トールの剛弓で一撃。
以上が作戦の概要だ。だいたいの作戦はアルヴィルダが立てた。指揮をするのも、彼女が妥当だろう。
「アルヴィルダ、頼めるか」
「任せよ」
「グンターは、残りの戦力をまとめて、陽動をして欲しい。 フレイヤと協力して、敵の主力を可能な限り掻き回す」
「うむ……」
疲れ切った様子のグンターだが、それでも身軽に愛馬に跨がって見せた。
更に、これにエインヘリアル一万を加える。エインヘリアル達の指揮は名目上ヘイムダルに執ってもらうが、軍事の専門家であるグンターの方が兵を活かせるだろう。そう説明すると、ヘイムダルは納得してくれた。少なくとも、表向きは。
「フレイ殿、フレイヤ殿。 頼もしくなったな」
ヘイムダルはすぐに、索敵に向かってくれる。
元々情報を統括していたヘイムダルは、索敵のスペシャリストだ。フレイとフレイヤは前線に出る。
おぞましいほどのリンドブルムが、結界に群がりはじめていた。
頷き合うと、すぐに掃討作戦に掛かる。
恐ろしいとは、思わない。
シグムンドは、揺れる地下通路を駆けた。
残り少ない北の民を中心に編成された千名は、つい先ほどヘイムダルが見つけたというファフナーに向けて、全力で走っている。
地下通路は驚くほど長く、時々崩落さえしていた。だが、どうにか目的地までは、最短距離に近いルートで辿り着く事が出来た。
先頭にいたブリュンヒルデが、不意に闇の中、姿を見せる。
「此方だ」
「共に戦うのは久しぶりだな」
「ああ。 更に腕を上げたようで何よりだ」
ブリュンヒルデは、シグムンドを見てにこりともしなかった。だが、以前ほど雰囲気は剣呑では無い。
そのまま、闇を走る。
通路の先から、光が差し込んできた。
外に出たのだ。そのままシグムンドは息を殺して、周囲をうかがった。
虚空にはあの巨大な竜がいる。ファフナーとか言う奴だ。以前戦ったときはてんで意気地が無かったが、実力自体は相当に高いだろうとシグムンドはにらんでいた。そして奴が抱えている巨大な筒のような武具。あれが結界を破壊するという、恐ろしい武器か。
更にその周囲。
巨神の魔術師が、多数いる。何かの魔法陣がたくさん描かれていて、今まさに呪文詠唱を行っているようだった。
「あれをぶっ潰せば良いんだな」
レギンが舌なめずりしながら言う。
そういえば、シグムンドは見ていた。レギンは弱き者達を異世界に送り出すとき、随分と感謝されていた。
北ミズガルドの生き残り達は、レギンによってかなりの人数が救われた。
荒々しく敵を殺し、雄叫びを上げる狂戦士である彼だが。時には子供に優しい表情を見せたり、老人をいたわったりもしたと、周囲から聞かされた。
血も涙も無い恐ろしい相手だと思っていたのだが。どうやら、真相は違っていたらしい。
いや、レギンは元は、恐ろしい狂戦士そのものだった。頭は切れるが、それは獰猛な肉食獣としての知恵だった。
きっと、情が生まれたのだろう。
だからこそに、今は以前より遙かに怒っている。弱い者を踏みにじるというのが、いかなる事か。やっと知ったのだろうから。
マグニが出てきた。
アネットもいる。まだ本調子では無い様子だが、それでも。行けるだろう。
「俺たちがファフナーを食い止める」
「分かった。 ならば、俺たちで魔術師を仕留める」
「人間が、巨神の魔術師を倒せるのか……というのは失礼だな。 期待している」
マグニが、剛弓を引き絞る。
以前使っていた弓はムスペルとの戦いで駄目になってしまったという。今手にしているのは、以前よりもっと無骨で、更に大きなものだ。
或いは、父の形見だろうか。
シグムンド達は、最前列に伏せた。隣にヘルギが来る。
相性が悪いラーンが陽動部隊の方にいるらしくて、ヘルギは妙に嬉しそうだった。ラーンはヘルギが大嫌いらしく、非常に態度がわかりやすい。フレイの側にいるときはでれでれなので、タイプと正反対のヘルギはそれこそ蛇蝎のように嫌っているというわけだ。
「あのおっかねえ女、あっちにいるみたいだし、安心だな」
「巨神より人間が怖いのかよ」
「いうまでもないだろ」
くすりとさせてくれる。こんな状況でも、このいとこは。
隣で、レギンが声を殺して笑っていた。
ヴェルンドも、隣に来た。
「ヘルギも、この戦いを生き残ったら、妻を娶るか? いい女を紹介してやるぞ」
「怖くねえ女がいいんだけど」
「アホか。 そんな女はいねえよ」
ヴェルンドの言うことももっともだ。
兵士達が、続々と穴から出てくる。その間に、シグムンドは、巨神魔術師を、数え終えていた。
二十三体。
大きさは、それぞれが大巨神にも劣っていない。恐るべき相手だ。
だが、今更、この程度の相手に、怯んではいられない。
「勇者達、そろそろ仕掛けるが、いいか」
「分かっている。 それぞれが敵に奇襲を仕掛け、自由に動ける奴を作らない。 初撃で半数は仕留めたいな」
「無茶を言う」
だが、シグムンドは実際、初撃で敵を屠る自信もあった。
手にしている剣には、今や敵を焼き尽くす神の力が宿っている。それに、元から強いシグムンドの生体魔力が合わされば。
それになにより、あの紅い騎士に比べれば、この程度の相手。
全員が、伏せるようにして進む。それぞれが配置についたとき、どうやら結界が限界を迎えたようだった。
アルヴィルダが、立ち上がり、叫ぶ。
「懸かれ! 人類と神々の興廃、この一戦にあると知れ!」
雄叫びが上がり、慌てる魔術師達に、人間達が襲いかかっていく。
空を舞ったブリュンヒルデとアネットが、即座にファフナーのいる高度にまで到達。逃げようとするファフナーを、マグニが狙い撃つ。
翼を、へし折った。更に、首をブリュンヒルデとアネットが、同時に切り裂く。
大量の血をまき散らしながら、ファフナーが墜落してきた。
シグムンドは巨神によじ登って駆け上がると、首筋に剣を突き立てた。絶叫しながら、炎を巻き上げ、崩れゆく巨神の魔術師。
まずは一体。着地と同時に、シグムンドは周囲を見た。
一体、奇襲に失敗した奴がいる。そちらに矢を速射しながら、走る。魔術を唱えようとしていた奴の左目に、矢が突き刺さった。一瞬だけ動きが止まる。兵士達がよってたかって足を斬り、巨体が揺らぐ。
後は任せて大丈夫。次。
爆発。魔術師が苦し紛れに放った魔術が、戦士達を吹き飛ばした。血みどろだが、まだ片膝を突いて立っている。シグムンドは叫びながら、矢を放つ。一本目は、魔術師が杖をふるって防ぐ。だが、その隙に、自分の敵を倒していたレギンが、後ろから大上段の一撃を叩き込んでいた。
流石にフレイのように真っ二つとは行かないが、魔術師が頭から血を噴出させ、絶叫する。
周囲に群がった兵士達が、よってたかって矢を浴びせた。魔術師が呻き、前のめりに倒れる。
次。
考えた瞬間、シグムンドは飛ばされていた。
どうやら、至近に魔術師が放った攻撃が、炸裂したらしい。直撃はしなかった。だが。
地面に叩き付けられる。
どこか、大事な器官が、潰れたらしい。
そう、シグムンドは悟っていた。
(続)
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