冥王ヘルの箱庭

 

序、宮殿へ

 

開かれた巨大な門に導かれるようにして、フレイヤは宮殿に入る。この先に、冥界の支配者ヘルがいる。

感じる魔力は凄まじく、以前総力戦でも勝ちを中々拾わせてくれなかったロキ=ユミルを、更に凌ぐことが確実だった。自分は、人格化という矮小化処置を受けているとは言え、世界そのものと戦おうとしているのだ。

宮殿の中はひんやりとしていて、何より整備されている様子が無い。

床はむき出しの土で、天井はさながらどんよりと曇った星空だ。ぶら下がっている巨大な照明装置は、骨で出来ているように見えた。

しかも、部屋や通路が無い。

宮殿と言うよりも、巨大な屋根とでも言うべき存在なのか。

外で見たとき、それなりに衣装が凝らされた造りに見えたのに。これでは、穴蔵か、洞窟だ。

歩きながら、周囲を確認。

水晶が埋まっている。色とりどりの美しい水晶が、散らばるようにして、地面から生えていた。

とがった水晶は無いが、ぶつかれば相当に痛いだろう。

辺りには光が満ちている。

薄暗いのだが、周囲が見えると言うことは、光があるのだ。光源は最初何か分からなかったのだが。どうやら、天井全体が、うっすら光っているらしい。

これはこれで、宮殿としてはありかも知れない。

周囲を歩き回るが、ヘルは姿を見せない。

どれほどおぞましい存在なのか知らないが、宮殿に招いておいて、姿を見せないとは、どういう了簡か。これから戦うとは言え、最低限の礼儀くらいは守って欲しいものなのだが。

フレイヤは適当なところで足を止める。

「ヘルよ! 姿を見せなさい!」

声が、わんわんと閉鎖空間でこだまする。

ヘルは、どこにいるのか。歩いていると、気付く。

入る時にくぐった扉がかなり後ろにある。しかも、扉はいつの間にか閉じていた。おちょくられている事が分かって、フレイヤは苛立ったが、しかし此処は我慢だ。心を乱したら、勝てる戦いにも勝てなくなる。

「アスガルドの神、フレイヤが相手です! 冥界の作法では、宮殿の主が客人を迎えないとでもいうのですか!」

「そう怒鳴らなくても、聞こえています」

不意に、声が帰ってきた。

しかも、敵意を感じない、若干面倒くさそうな口調だ。意外に紳士的なしゃべり方だが、声は老人のようにしわがれてもいた。

ずるりと、何かが這いだしてくる。

前方の地面が、歪んでみえるほどの高密度魔力だ。

這いだしてきたのは、骨の塊。それが全体的には、巨大なヒトの形を取っている。それだけではない。

全身から、骨で出来た鞭のような、触手のようなものが生えている。合計六本も。それらの尖端には目がついていて、此方をじっと見ているのだった。

「やっと戦うための形を構築できた所なんです。 あまり急かさないでくださいな、招かざる客よ」

「貴方が、冥界の王ヘルですか」

「正確には不死者男女王ヘル、だったと思います。 貴方たちアスガルドの神々が、好き勝手に歪めてきた死という概念が、人格を得た存在です。 以後お見知りおきを」

ヤケに丁寧な輩だ。ただ、押し籠もった雰囲気もあるから、部下にまで丁寧、という事は無いだろう。此処まで来たフレイヤを客としてと認め、敬意を払っているという感触だ。だとすれば、礼節は充分にわきまえている印象である。

ヘルの全身からは凄まじい魔力が漂っており、アスガルドを単独で壊滅まで追い込んだ化け物に相応しい威圧感を纏っている。

これと、兄の支援無しで戦うのか。

臆しては駄目だ。ヘルも無敵では無い。さっきもいっていたではないか。戦うための形を、やっと構築できたと。

その程度の相手だ。高度な戦術や、緻密な作戦行動を取れるとは思わない。

「貴方を、討ちに来ました」

「当然のことでしょうね。 勿論、私も貴方を返り討ちにするつもりです」

「一つ、聞かせてもらいたいのですが。 貴方は、一体どうして、このような無情な真似をするのですか。 ユミルに言われたからですか」

「それもあるのですが、私には、この世界が歪んでいて、再構成をしなければならないという理屈が、正しいと思えています」

貴方は冥界を見てきて、どう思いましたか。

そんなことを、ヘルに問われる。

一瞬フレイヤは精神攻撃の一種かと思ったが、違う。会話には応えつつも、ゆっくりヘルの右から左に回り、仕掛ける隙を探す。もしもやるとすれば、一瞬での大火力集中、そしてコアの粉砕。

どれだけ魔力があっても、生まれたばかりの冥王だ。

逆に言えば、戦いの術を身につける前に、さっさと打ち倒してしまうのが良いだろう。手が付けられなくなる前に。

しかし、イズンが言っていたように、心理戦に持ち込めば、相手に隙を作る事が出来る可能性も否定は出来ない。

「雑然とした世界でした。 地上では絶対になしえないような、人と神、アース神族とヴァン神族、時には魔物とも友情が作られている。 その反面で、怠惰に落ちる者は徹底的に怠惰になり、死なないことを良いことに、好き勝手な時を過ごしている。 そう見えましたが」

「その通りです。 この冥界は、ユミルがそもそも、構築途中だった世界だったのです」

「情報の循環システムが無い、ですか」

「その通り。 途中で此処に落ちた神々にでも聞きましたか?」

黙ったまま頷く。

ヘルは意外に話が通じる相手だ。少なくとも、コミュニケーションは取ることが出来ると、フレイヤは判断した。

それが見せかけの可能性もある。

だが、もしも卑劣な行為に出るようなら、それ相応の手を打つだけだが。

「ならば、分かっている筈です。 一度、全ての存在は、速やかに冥界に移動してもらいます。 その後、我々が、世界を再構築して。 そして新しい世界で、しかるべき立場についてもらいましょう」

「勝手な事を言わないで」

「人間や、小人にはそういう権利もあるでしょう。 しかしあなた方、暴利を貪り続けたアース神族に、その言葉を吐く資格があるとは、私には思えません」

「それならば、貴方にも、命を無為に奪う資格はありません。 冥王だろうと、本来ある生を歪めて、命を縮める権利など、あるものですか」

フレイヤは、アース神族がしてきた事を、今は正しいとは思わない。

必ず是正するべき事だと考えている。

だが、だからといって。ヘルがやっていることが、それより正しいとも、また思えはしないのだ。

しばらく無言が続く。

今も、アスガルドの周辺には膨大な死者がいて、攻撃の機会をうかがっていることだろう。もたもたしてはいられない。

「貴方は予想以上に強い信念を持っているようですね。 感心しました。 ならば、このままだと、世界は自壊すると聞いても、同じ考えを保ってはいられますか? それに興味があります」

「世界が、自壊する……?」

「世界樹という中心のシステムに、無理が来ているのです。 そもそもあれは、ユミルが仮の統治補完システムとして、ただの木に手を加えて造り出したもの。 世界樹というものの実体が存在しないことは、貴方も知っているでしょう?」

意味が分からない。

確かに世界樹の具体的なものは、一部分しか見たことが無い。

アスガルドの近くからも巨大な枝が張りだしているし、世界の各地に根が出ている。あれは、世界樹の実体では無いのか。

ヘルは、じっと此方を見つめている。

ふと、フレイヤは気がつく。

ヘルの口自体は、動いていない。つまり、喋り掛けているのは、口からではないという事か。よく見ると、触手を振るわせて、空気を動かして音を出しているようだ。色々と、器用な輩である。

「まさか、アース神族は、世界樹や、三女神について知らない?」

「貴方は何を言っているのです」

「ああ、すまんすまん。 ヘルよ、それは言っていなかったな」

不意に、聞き覚えのある声が割り込んできた。

やはり此奴か。

魔力を感じたのだ。

「久しぶりだな、フレイヤよ。 以前は手伝ってやったが、感謝しているか?」

「小人アウテン! いや、スクルズーと言うべきですか」

「気付いていたか、流石だなあ」

ヘルの腹部中央に、顔が浮かび上がる。

酒好きで、欲深で。だが腕は確かだった、小人族最後の生き残り、アウテン。

だが、そもそもどうして彼だけが、生き残ることが出来たのか。確かに、不思議ではあったのだ。

つまり、この小人は。

最初から、生きてなどいなかった。スヴァルトヘイムの魔物に襲撃されたとき、死んでいたのだろう。

「察しの通り、俺はスヴァルトヘイムの魔物共に襲われて死んだのさ。 その時に、たまたまお前達が運命の三女神って呼んでる存在の一つが、入り込んだんだよ」

「な……」

確かに、運命の三女神の一つは、スクルズと言われていたはず。勿論、フレイヤも顔を見たことは無いが。何かのタチが悪い偶然かと思っていた。二つ名を使う事はミズガルドでは珍しくないと聞いていたし、何かの気分転換で名を変えたのかも知れないからだ。

しかし、皆はそれでも、スクルズーを信頼していた。

最初からこの小人は。皆を裏切っていたという事か。

「どういうことですか、スクルズー」

「なあに、アスガルドはな。 というよりもオーディンとイズンは、他の神々には、世界の真相に触れさせていなかったのさ。 俺の中に入った三女神の一つは、ユミルの復活に呼応して意識を持ったんだが、それも偶然でなあ」

「そんなことはどうでも良いのです! 説明しなさい! どういうことですか! 貴方は最初から、全てを裏切っていたんですか!」

「おお、怖い怖い。 何、説明するも無い、簡単なことだ」

アウテンは、別に邪悪に顔を歪めるでも無く、愉悦に醜く笑うでも無く。

ただ、ごく当たり前のように、言い放ったのだった。

「全部、最初から決まり切ったことだったんだよ。 なんで未来なんぞ分かったと思ってる。 それはなあ。 三女神ってのが、世界を管理する世界樹の頭脳システムだったからで、しかも其処には何も無いからなのさ。 俺はたまたま保護してくれたアスガルドにいて、スクルズと同化して力が覚醒するまで時間を稼がせてもらった、ってわけだ。 お前達を手伝ったのは、覚醒するまでの安全を確保するまでの、ギブアンドテイク、だよ」

空っぽの世界の、がらんどうの頭脳。

空白の中に何があるかはよく分からない。

だが、フレイヤは、何となく理解できた。このちぐはぐな世界の、あまりにもおぞましい秘密が。

神が作りかけで、放置されてしまった世界。

その真ん中には、軸になるべき木があったが。その木そのものが、おそらくは作りかけのままだったのだ。

だから頭脳は、本来だったら予知など出来るはずもない未来が分かるようになってしまった。

中身が空っぽなのだ。

単純すぎる構造なのだから、当然だろう。

「何もかも、利用していただけなんですか」

「いんや、少しはお前達に期待もしていた。 ロキ=ユミルの復活と同時に、ヘルが目覚めるのは知っていたが、あれだけの戦力差を覆し続けたお前達だ。 ひょっとすれば、新しい打開策でも見せてくれると思っていたんだが」

アウテンの頭が、ヘルの腹の奥に引っ込む。

ヘルの全身から伸びた触手が、一斉にフレイヤに向く。

「三悪魔ってのは、結局の所、俺たちの負の側面なんだよ。 死も老いも破滅も、いずれも時に関係するものだ。 俺もこんな風になるのは、いやだったんだけどなあ」

「……貴方を討ちます」

「おう、そうだろうよ。 じゃあ、そろそろはじめるか」

触手の尖端についている目から、一斉に光が放たれた。

着弾と同時に、魔力の光が爆裂する。

横っ飛びに避けたフレイヤは、このおぞましい骨の巨神とどう戦うか、既に考えを決めていた。

 

1、ヘル猛攻

 

ヘルの触手は、それぞれが人間の背丈の六十倍以上は長さがある。しかも骨で出来ている割には動きが柔軟で、無数の関節部分を生かすようにして、フレイヤに照準をつけ、連続して破壊の光を放ち続けていた。

厄介な相手だ。

炎の杖を取り出すと、即座に触手の尖端についている目玉を爆破する。

木っ端みじんに吹き飛ぶ目玉。

だが、他の死者と同じように、即時に再生する。巨大な体格に、圧倒的な再生能力。だが、その程度の力など、今まで嫌と言うほど見てきている。今更怖れるようなものではない。

続けて、二つの触手の尖端の目玉を吹き飛ばす。

一瞬だけ敵の弾幕が弱まった。

フレイヤは、突進を仕掛ける。あまり長時間の戦いは好ましくない。それに、出来れば様子見で魔力を使い切りたくも無い。

炎の杖には、突入前に魔力を蓄えてある。まだそれは健在で、目減りしつつある自分の魔力を削らなくても、攻撃が可能なところが嬉しい。

顔面、胸、腹、肩。

立て続けに、爆発を浴びせかける。

ヘルの巨体が、かなり脆く崩れる。即時に再生していくが、体自体は、さほど硬くないとみてよさそうだ。

足下に火球を連射して、態勢を崩させる。そして、飛び離れつつ、面倒くさい光弾を放ってくる触手を、連続で爆破した。

辺りに、粉々になった骨が、雨のように降って来る。

「随分と脆い体ですね」

「いんや、そうでもない」

アウテンの声。

まるで操り人形が糸で引っ張られるように、態勢を崩したヘルが、見る間に修復されていく。

不自然な動きだ。或いは、この者。

何処かに操作している存在がいて、これは文字通りの人形では無いのか。

今、接近してみたのには、もう一つ意味がある。コアの位置を探ろうと思ったのだ。だが、ありそうな場所に仕掛けた攻撃はあまり意味をなさず、コアがあるとは思えなかった。

冷静になれ。

自身に言い聞かせながら、走る。走りながら、炎の杖から、爆破の力を放ち続ける。

「スクルズー。 貴方が私の所に来たのは、貴方が時を司る、世界の管理者だから、なのですか」

「そうだ。 それで御前さんは完全体になった。 覚えがあるだろう?」

「そういえば、そうですね」

ヘルとアウテンが、脳天気な会話をしている。

好機だ。戦闘中、気をそらす方が悪い。

案の定おざなりになった光の弾幕をかいくぐり、至近に再び。今度は腹を重点的に爆破し、徹底的に巨体を削り取る。

ヘルが、折れる。

上半身が吹っ飛び、地面に激突。

それで、確信できたことがある。上半身に、どうやらコアは存在しない。しかし、足にあるとも思えない。

ならば、腰か。

連続して火球を放ち、今度は足を砕いていく。左足が、完全に砕ける。見れば、上半身から生えていた触手は、機能を停止している。

どうやら、フレイヤの予想は、正しかったようだ。

「ふふん、流石に手慣れているな」

不意に、嫌な声がした。

男の声だが、聞き覚えがありすぎる。そして、その声の主は、こんな嫌らしいしゃべり方はしない。

「先代フレイ……!」

「お、すぐに分かったか」

「じゃあ、私の事も、知っているかしら?」

背筋に寒気が走った。

知っているに決まっている。

考えられる限り、最低最悪の相手だ。殆ど発作的に飛び退き、滅茶苦茶にヘルの体に火球を浴びせていた。

爆発が、ヘルの全身を包む。

呼吸を整える。

炎の杖に蓄えられた力を、浪費してしまった。其処には、巨大な骨の山が出来ている。再生する前に、根こそぎ吹き飛ばさなければならない。

そう思ったのだが。

不意に足を掴まれた。

地面から生えてきていたヘルの触手が、フレイヤを高々とつり上げ、振り回したのである。

何度も地面に叩き付けられ、くぐもった息を漏らす。

げたげたと、ヘルの方から、下品極まりない笑い声が聞こえた。

それは、自分そのものの声。

そうだ。この声を持つ者は、アスガルドにも自分の他には、一柱しかいなかった。全ての神々の恋人とさえ呼ばれた、淫蕩の権化。

爆炎の中から、高速で再生しているヘルが姿を見せる。今の乱射では、本体に届かなかったか。

ヘルから生えている触手の尖端に、見たくも無い二つの顔。

一つは、権力欲の権化だった、アスガルドの男神。最強の剣を持ちながらそれを武に生かすこと無く、ただ己の権力だけを求めた俗物中の俗物。先代フレイ。

そしてもう一つは、フレイヤの母とも言える存在。

あらゆる快楽を知り尽くしたと豪語し、気分次第で小人や人間、場合によっては動物とさえ交わった性欲の権化。

先代フレイヤ。

声は兄様と同じなのに。その嫌らしく歪んだ顔は、おぞましくて見ていられない先代フレイが、舌なめずりしながら言った。

「いい声で鳴くじゃないか。 お前が仕込んだら、面白い事になりそうだな」

「あら兄様ったら。 実の娘も同然の相手を、性奴隷にでもするつもり?」

「それも悪くない。 背徳的で最高だ」

下郎。

吐き捨てたくなったが、今は我慢だ。

此奴らは、元々戦に長けた神々では無かった。ならば何故かというと、おそらくはアスガルドを攻略するための情報を得る必要性があったからだ。かなりの高位にいた此奴らを、ヘルはアスガルドの防備を抜くために、取り込んだのだろう。

自分の母親も同然の相手を、此奴などというのは、本来なら気が引けることだが。

フレイヤは、幼い頃から先代に対して、何一つ良い思い出を持っていない。先代は、子供よりもまず自分ありきの存在だった。スリルを味わうために浮気をし、快楽のためなら殺しもためらわなかった。

幼い頃から、母親はこういう存在だとフレイヤは思い、膝を抱えて泣く日々が続いた。

恨みこそあれど、慕ったことは無い。

少なくとも、物心ついた頃には。この女は敵だと、はっきり認識していたほどである。

何かほざこうとした先代フレイヤの顔面に、炎の杖から一撃を叩き込む。嫌いというのもいやな相手だ。顔を吹っ飛ばそうが、何とも思わない。

そのまま、足を拘束していた触手を、剣で切る。

ゲタゲタと笑い声がして、煙を斬り破って現れるのは、全く無傷な先代フレイヤの顔。

「躾がなっていないわねえ」

「そりゃあ、躾なんてしてないからだろ」

「そうだったかしら。 子供なんか興味が無いから覚えてないしー」

「ひひゃひゃひゃひゃ、まったく、どうしようもない女……」

同じようにして、先代フレイの顔も吹き飛ばす。立て続けに、先代フレイヤも。さっきのは、高速で再生したのであって、効かなかったわけではないと、分かっている。こうすれば、多少は動きを封じられる。

そして、自身は、その隙に一気に前に出た。

余裕を見せている間に、可能な限り敵の弱点を探り当てておく。腰の辺りにコアがある事は、何となく分かりかけてきた。

炎の杖に蓄積している魔力は、連続使用でどんどん目減りしている。

耳障りな笑い声は、まだ聞こえる。

自分と同じ声だというのに、下劣な感情がこもると、こうも邪悪に聞こえるものなのかと、驚いてしまう。

少なくとも、会話をするのさえ嫌だ。

横っ飛びに飛び退いたのは、真上から触手が降ってきたからだ。

辺りを煙幕で覆っているが、視界が悪いのは向こうも同じ。かわすことは、さほど造作もなく出来た。

相手の大まかな位置は分かっている。氷の杖から、氷の魔弾を乱射しながら、右から左に敵を横切るように走る。火力を集中して、再生しつつあるヘルの体をへし折り、倒れたところで確認。

やはりコアがあるのは、腰の辺りだ。

不意に、ヘルが足を振り上げ、斧を振り下ろすようにして叩き付けてきた。

「流石に歴戦の勇者ですね。 私も戦闘経験が足りないことは自覚していますから、可能な限り効率的に戦わせてもらいますよ」

「生真面目な奴ー!」

濛々たる煙幕の中で、フレイヤは回避が遅れ、相当な距離を吹っ飛ばされた。

激しくクリスタルに叩き付けられ、鎧が損傷する。今の衝撃、紅い骨の巨神の足の一撃より、数段上だ。

それだけではない。

煙幕の中、奴の魔力が、収束していくのが分かる。

まずい、避けないと。必死に体を起こそうとするが、間に合わない。

閃光が、視界の全てを蹂躙した。

 

ヘルから放たれた光線が、分厚い宮殿の壁を撃ち抜いて、遙か遠くまで破壊をばらまいていった。

宮殿に光が差し込む。

冥界にも光はあるのだ。ミズガルドやアスガルドに比べると、非常に淡くて、不健康な光だが。

フレイヤは、身を起こす。

肩に激痛。肩の辺りを覆っていた鎧が、完全に消し飛んでいた。直撃を喰らえば即死である。

今の瞬間、炎の杖を最弱威力で発動して、爆発で自身を光線の射程から外したのである。そうしなければ、即死していた。

酷い痛みに耐えながら、立ち上がる。

ヘルは、上半身を再生することを止めたようだった。二本の足のみで体を支え、無数の触手を周囲に蠢かせている。

腰の辺りには、淡い紫の光が見える。

やはり、コアはアレか。

至近距離まで近づければ、風刃の杖を叩き込み、一気にコアに痛打を浴びせることが出来るはず。

再び、ヘルに魔力が収束していく。

早すぎる。

詠唱も何もしていないのに、ヘルは神域の魔術を、無尽蔵に使えるというのか。化け物じみているという表現を、完全に通り越していた。

至近距離の地面を、炎の杖で爆破。そのまま、横っ飛びに逃れる。掠った。光線が、わずかに掠っただけで、激しく吹き飛ばされて、地面に叩き付けられる。

宮殿にまた大穴が開いて、光が差し込んでくる。

「む。 二度までかわされましたか」

「流石だ。 やるなあ」

感慨深そうに、アウテンの声がする。

不快な下郎。黙りなさい。そういおうと思ったが、イズンの言葉を思い出して、頭をクールダウンする。

さっきから、ヘルは頻繁に話しかけてきている。

紳士的で冷静な本体。頭のネジが外れている先代フレイとフレイヤ。それに、得体が知れないアウテン。

この四つの人格が存在していることは、よく分かった。おそらく、制御系は、四つが共同しているはずだ。

というのも、主人格が喋っている間は、他の奴がしゃしゃり出てこないからである。或いは先代フレイと先代フレイヤはセットかも知れないが、それはどうでもいい。

いずれにしてもはっきりしているのは、案外この連携は厄介だと言う事である。おそらく、互いの得意分野を生かし、苦手分野を補っているのだろう。

それならば、その連携を、崩してやればいい。

しかし、話しかけてくるというのは、どうしてなのか。隙を敢えて見せるようなものではないのか。

何か秘密がある筈だ。

また、魔力砲を放とうとするヘル。

何度もはやらせない。炎の杖から、最後に蓄積されていた魔力を、連続で叩き込む。コアの近くに、数発が着弾。ヘルが体を揺らして、それで照準がぶれる。少し上に放たれた魔力砲が、宮殿の天井に、また大穴を開けた。

立ち上がりつつ、氷の杖に切り替える。

不意に跳んできた触手が、至近の地面を打ち据えた。反応が遅れて、横っ飛びに跳ぼうとして、地面に背中を打ち付けてしまう。

「あっはははははぁ! 無様ねえ」

触手の尖端に、自分と同じ顔。

先代フレイヤは、舌なめずりしながら、顔を近づけてきた。

「ねえ、降伏しなさいよ。 そうしたら、ありとあらゆる快楽を仕込んであげるわ。 結構良い体に育ったみたいだし、その方が得じゃ無いの?」

無視。

目も合わせない。

以前、他の同年代の女神に聞いたのだが、アスガルドの神々とは言え、妙齢になれば恋愛に興味を持つのが普通だそうだ。フレイヤはそうはならなかった。先代フレイヤの奔放というには淫売すぎる私生活を、常に見てきたからだろう。

来ると、思った。

やはり、跳んでくる触手。

先代フレイヤが気を引いて、その隙に先代フレイが仕掛けてくる。下郎なりの、心理の隙を突いた上手い罠だが。

二度は喰らわない。

これでも、ミズガルドに降りてから、普通の神が一万年に経験するものの何倍もの修羅場をくぐってきたのだ。

そして、自分より凄いとも思わされる人間達を見て、大敵に対する戦術や、何よりも屈しない心を学んだ。こんな下郎に、負けるものか。

跳ね起きると、触手をかわす。それでもにやにや笑いを浮かべていた先代フレイに、王錫から稲妻を叩き込む。悲鳴を上げて爆ぜ割れる先代フレイの顔。振り向きざまに、先代フレイヤも吹き飛ばす。

そして、その隙に、魔力砲発射の態勢に入っていたヘル本体に振り返る。

凄まじい魔力の持ち主だが、しかしやはり経験が足りていない。戦術がお粗末極まりない。

戦いは、刹那が勝負を分ける。

フレイヤが放った稲妻が、ヘルの足を打ち砕く。態勢を崩したヘルが、魔力砲を下に放つように、氷の杖で、更に魔弾を叩き込んで調整を加えてやる。

この程度の技、万を超える巨神の大軍勢に制圧射撃を加え、浸透を阻み続けてきたフレイヤにとっては、朝飯前。

凄まじい光が、ヘルの薄暗い宮殿を満たす。

轟音と共に、火柱が吹き上がった。至近距離から、地面にあの凄まじい光線を放てば、当然そうなる。

爆音の中、鋭い悲鳴が上がった。

確実にコアまで届いた。呼吸を整えて、肩の傷を抑える。このままでは、酷い痛みで、集中が途切れてしまう。今のうちに回復しておかないとまずい。どのみちヘルも、すぐには立て直せない。これだけのダメージが入ったのだ。魔力がフレイヤの三十倍あろうが五十倍あろうが、関係無い。

ぼとぼとと、骨の塊が落ちてくる。

今の爆発は凄まじかった。地面に向けて直撃した破壊力が、そのままバウンドして直上のヘルを襲ったのだから当然だ。

フレイヤは必死に動いてクリスタルの影に隠れ、なおかつ盾でとっさに身を守ったが、それでも防ぎきれなかった。

頬を拭うと、血が出ていた。

肩の傷から手を離す。回復にはほど遠いが、痛みと出血は止める事が出来た。見ると、館の天井には大穴が開いている。今の爆発の影響だろう。

呼吸をゆっくり整えながら、次の手を順番に考えて行く。

ダメージは与えたが、この程度で倒せるとは、フレイヤも思っていない。何しろ相手は、単独でアスガルドを滅ぼそうという化け物なのだ。

煙が晴れてくる。

宮殿の真ん中には、巨大なクレーターが出来ていた。

ヘルの姿はある。

巨大な骨の塊だ。コアは見当たらない。炎の杖の蓄積魔力は、既に切れてしまっている。氷の杖は、まだ少しある。王錫は余裕があった。

ゆっくり近づきながら、相手の魔力を探る。

かなりダメージを受けたようだが、まだまだ余力がある。

とっさに横っ飛びしたのは、さっきまでの奇襲に、散々泣かされたからか。或いは、地面の下から、触手を伸ばせると気付いていたからか。

股を掠った触手が、血をしぶかせる。

転がって受け身を取って跳ね起きる。その動作を瞬時にこなすと、フレイヤは氷の杖を向け、触手を粉砕した。

「やるじゃあないか」

声が聞こえる。先代フレイか。

あの兄と同じ声で、下劣な事ばかり喋る口を塞いでやりたい。同じ存在だというのに、育ち方が違うだけで、こうもおぞましい人格になるというのか。テュール様は本当に偉大な師なのだと、再確認させられる。

「もうちょっとかわいげがあると思ったのだけれど。 えげつない攻撃してくるじゃないのよぉ」

今度は先代フレイヤだ。

不快なほど甘ったるい声。フレイヤと同じ声だというのに、どうしてこうも淫欲に満ちているのか。

どこから声が聞こえてくるのが分からない。だが、また反射的に飛び退く。今度は、二本同時。地面から触手がつきだしてきた。すぐに氷の杖で粉砕するが、眉をひそめる。意図が分からない。

時間稼ぎのつもりか。

それとも、不意を突いて、息の根を止める気か。

時間稼ぎなど、させない。

無言で走り、骨の山に突進する。させじと、地面から次々に触手が飛び出してくるが、全て走り際に剣で切るか、氷の杖で粉砕する。

今のは、やはり時間稼ぎとみた。

無数の触手が、まるで柵のように飛び出してくる。

フレイヤは無言で王錫を振るい、雷撃で触手を根こそぎ薙ぎ払った。吹っ飛んだ触手を飛び越えて、頭上に。

既に、手には風刃の杖を構えている。

雷鳴の槍を使うまでも無い。

この距離からなら、関係無い。風刃の杖で、コアを根こそぎ消し飛ばす。触手が無数に伸びてくるが、もはや遅い。

炸裂した暴力的風圧が、盾になった触手ごと、骨の山を吹っ飛ばした。

フレイヤ自身が、反発して戻ってきた風圧に、体を浮かされたほどである。

着地。

肩で息をしながら、風刃の杖を下ろす。かなり熱くなっている。しばらくの間、風刃の杖は使えないだろう。今のフルパワーでの射撃で、杖自体にかなりの負担が掛かったからだ。

ヘルの魔力は、どうなった。

脇腹に鈍痛。

見ると。

触手の一本が、鎧を貫通して、突き刺さっていた。

 

フレイヤは悲鳴を漏らす。

剣で触手を切り払ったが、どうしてか、耐えがたい痛みが体を駆け巡っていた。ひょっとすると、毒か。

脇腹を押さえて、前を見据える。

回復の術を掛けるが、正直な話、待って貰えるとは思えない。脂汗が流れるのが分かる。今まで、戦いの過程で酷い傷は何度も受けたが。これほどの痛みを味わうのは、初めてだった。

ヘルが。

起き上がってくる。

宮殿の中央。光が集まっているその場所。

屋根中央部は既に吹き飛び、そのほかも穴だらけになっている宮殿である。当然というべきか、ヘルが居座っていた中央部には、必然的に差し込む光が集中していた。

さっきまでと、ヘルの形状がだいぶ違う。

「さすがは歴戦の猛者。 手強いですね」

「アッハハハハハ、ざまあ無いわねえ」

先代フレイヤが、ケタケタ笑っている。

ヘルの形状は、まるで巨大な蜘蛛だ。二本の太い足と、複数の触手で体を支えていて、触手の全てがフレイヤに向いている。

適当に喋らせておく。

余裕の表れなのか、或いは心理攻撃なのか分からない。ひょっとすると、フレイヤの窮状に、気付いていない可能性もある。

「思った以上に効いているみたいですね。 それは、死者達の中から抽出した、極上の痛みですよ」

「死者達の……!?」

「これでも、死を司る王ですから。 今までは上手に記憶や戦術を抽出できませんでしたが、それもこれまでです。 どうやら一つに限って検索を掛ければ、結構良いものが引き出せるようでしてね」

不覚。

これは毒というよりも、呪いに近いものか。

やはり一筋縄ではいかない。ただし、ヘルの魔力が、かなり弱まっているのも感じ取ることが出来る。

今の一撃は効いたのだ。

回復の術式を、呪いの解除に切り替えたが、簡単にはいかない。やはりヘルを倒さないと、この痛みは消えないか。

視界に、もやが掛かる。

淡い桃色の霧が出てきた。触手の一本が、まき散らしている。

これも、同じような呪いか。

「じゃ、今度は極上の快楽をプレゼントしてあげましょうねえ。 痛みだけじゃあ可哀想だしねえ」

ぞっとして、飛び退く。

こんなものを吸ったら、兄に顔向けできなくなる。だが、そう思った瞬間、しなった触手の一本が、腹に直撃し、吹き飛ばされていた。

一瞬気絶していたらしい。

立ち上がる。

既に鎧はボロボロだ。体の方も、限界が近くなってきている。酷い痛みが体中を覆っていて、魔力の流出が本格的に始まる寸前だ。

だが、ヘルも。見れば、コアが既にむき出しになっている。

「権力を得るって事は、好き勝手が出来るって事だ。 いひゃひゃひゃひゃ、世の中の様々な珍味も味わうことが出来る。 一方で、外れもあってなあ」

触手が、無造作に突き刺さってきた。

避けようが無かった。

剣で発作的に切り払うが、同時に、口の中に味わったことも無い感触が来る。凄まじいまでの嘔吐感だ。

感覚が破壊されそうなほどの刺激。

まずいとか、苦いとか、そう言う次元では無い。

「私が味わった中でも、最も酷い味だ。 山海の珍味などというが、まずいものはまずいんだよ。 あひゃひゃひゃひゃひゃ!」

呼吸が出来ないほどの、酷い味だ。

気がつくと、またしなった触手に吹き飛ばされ、地面に叩き付けられていた。もはや、受け身を取る余裕も無い。

だが、それでも。

フレイヤは、闘志を捨てない。

こうなったら根比べだ。ヘルはさっきから、懲りたからかは分からないが、あの必殺の破壊力を持つ光を放ってきていない。

そればかりか、感じる魔力も、かなり弱くなってきている。

ヘルも、苦しい状況なのだ。

心が先に折れた方が、負ける。

立ち上がり、杖を構える。既に全身が痛い。もはや、回復の術など、掛けている余裕などは無い。

鎧も、どこが壊れているか、もはや把握できていない。

「なあ、フレイヤよ」

アウテンの声だ。

何処か、遠くから聞こえるかのようだ。

「お前はこのままで良いと思っているのか? 仮にこの戦いにアース神族が勝ったとして、それで世界はどうなる。 そもそも世界自体の構造が未完成で、中途半端なものだったのだぞ」

「そうそう、ぶっ壊しちゃおうよぉ」

「黙れ」

アウテンがぴしゃりと言うと、先代フレイヤが黙り込む。

これは、アウテンの方が、上位人格なのか。

あり得ることだ。もしも奴の言葉が本当だとすると、その正体は世界の管理者たる運命の三女神と呼ばれた者の一柱だ。

「この色ボケ女と違って、御前さんは有能で、確固たる意思を持って動ける。 それならば、新しい世界のために是非働いてくれんかね。 そうすれば、新しい世界はより素晴らしいものになると、確信できるのだが」

何が新しい世界か。

世界を作ったユミル。その世界を奪った神々。そして、利権争いに夢中になって、今まで世界の未完成さを放置してきたアース神族。

確かに問題はある。大ありだと言って良いほどだ。フレイヤ自身も、ユミルの言い分はよく分かる。

だが、それでも地上で必死に生きてきたのだ。人間も魔物も。

彼らにも、それぞれの生活があった。それを勝手に破壊して、何の正義を語るというのか。

だいたいそのような話に乗ったら、兄に二度と顔向けできなくなる。それだけは、絶対に嫌だ。

雷鳴の槍を握る。

これを発動するには、残りの魔力の殆どをつぎ込まなければならないだろう。

つまり、手札はあまり残っていない。

既にフレイヤは、ヘルと差し違える覚悟を決めていたが。それでも、最後の最後まで、手札を切り尽くす事は、勇気がいる。

兄が側にいれば、少しは踏み出すための勇気も減らすことが出来ただろう。

兄は兄で、北ミズガルドで今敵の大軍と戦っている可能性が高い。それに、此処でフレイヤがやらなければ、アスガルドは全滅確定なのだ。ただでさえ、既にイズンが命を落としている。

これ以上、好き勝手はさせない。

「お断りします」

「人間共に情が移ったのかね」

「それもあります。 でも、もっと大事なのは、貴方の言うことを認めるわけにはいかない、という事です」

地上に降りる前、フレイヤは人間を認めてはいなかった。野蛮で粗野で、残忍で強欲な存在だと思っていた。

実際それは間違っていなかった。

だが、違う者達もいた。武芸しかしらないが、輝くような魂を持つ戦士達。彼らと知り合えたことを、フレイヤは今誇りに思っている。

人間に情が移ったといわれれば、確かにその通りだ。

だが、それだけではない。

フレイヤは、実際に見てきたのだ。踏みにじられてきた者達の悲しみと、怒りを。

アウテンの言い分も理解できるが。

それを認めるわけにはいかなかった。

「そうか。 ならば仕方が無い。 多少グレードダウンはするが、御前さんを殺した上で、従えるとしよう」

無造作に、無数の触手が、一斉に振り下ろされる。

もはや避ける余力など、存在しなかった。

 

2、好機の矛

 

吹雪の中でも、堂々とした佇まいのアルヴィルダが来る。

既に用意しておいたらしい毛皮を被っているが、その着こなしも、何処か優雅だった。シグムンドは感心させられる。訓練すれば、ちょっとした動作でも、優雅と呼ばれるものに、変えることが出来るのだ。

それでいながら、アルヴィルダは、戦場では猛々しい。きちんと使い分けが出来ているというのは、羨ましい事だ。

「無事で何よりだ、アルヴィルダ姫」

「うむ。 堅苦しい挨拶は良い。 早速だが、戦況を見せて貰えるか」

側には、サラマンデルも来ている。

吹雪を遮るにはもってこいだからか、ヘルギはちゃっかりその影に移動して、たき火を作り始めていた。

サラマンデルの中は、負傷者を収容するのにも良い。

今、フレイはアネットと一緒に、ある男を探しに行っている。この間アネットが見つけてきた状況証拠から、生きている可能性が濃厚となったからだ。

見つけ出せば、決戦を挑む事となる。

巨神共は、此処にいる戦力で押さえ込む。

そしてフリムは、フレイが倒す。

単純な構図だ。

あまり時間は無い。フレイとアネットが戻ってきたら、すぐに作戦開始だ。一気にこの巫山戯たラグナロクとやらに、けりを付ける。

フレイヤが必ずヘルを倒すとも、シグムンドは信じていた。

陣図を見ると、アルヴィルダは即答。

「なるほど、堅陣であるな」

「何かに備えているように見えるのだが、何だと思う」

「妾には、どうも何かが現れた場合、いち早く察知し、被害を減らすための布陣に思えるが」

なるほど、そういう視点もあるか。

盲点だったというよりも、進んだ戦術を持つゴート国の、最も優秀な教育を受けているだろう姫の発言である。専門家の言うことなのだから、かなり信頼出来る言葉である。

「仕掛けるなら、此処からだ。 神がこの地点で、フリムとやらに仕掛けるのを支援擦るのであれば、この地点から攻撃を仕掛けて、敵を引きつけつつ、神の負担を減らす」

「分かった。 俺たちは単純な戦いだけを担当したい。 指揮はあんたが執ってくれるか」

「良かろう。 貴殿らの勇戦は何度も目にしておる。 宛てにさせてもらうぞ」

敵に張り付いて、偵察を続けてくれていたヴェルンドが、戻ってくる。

陣図に軽く訂正が加えられるが、作戦自体に変更は無い。

吹雪が濃い今こそが、仕掛ける好機だ。

少し、焦りも出てくる。フレイが早く戻ってこないものか、子供のように気が急いてしまう。

アネットが降り立つ。

つれている者はいない。だが、いつも通りのへの字口で、不測の事態が起きたとは思えない。

「アネット、どうだった」

「見つけました。 戦力としても、それなりの人数が残っていました」

「おお、そうか」

「反撃に対して、連動して動いてくれるという事です」

これで、決まった。

ヘルギを呼ぶ。いやそうにサラマンデルの影から出てきたヘルギだが、アネットを見て、すぐに事態を悟ったようだった。

「仕掛けるぞ。 巨神共を、俺たちの土地からたたき出す!」

戦士達が歓声を上げる。

この吹雪だ。多少の雄叫びくらいなら、問題は無いだろう。

アルヴィルダが連れて来た兵士達にも、彼方此方からかき集めてきた耐寒装備が、どうにか行き渡っている。潰された村などから、毛皮を集めてきたのだ。かって知ったる土地だから出来る事。

そして、これで戦備は、完全に整った。

彼方此方に分散している戦士達に声をかけて、戦いの準備につく。

今回の戦いでは、視界が悪い中での連携が重要になってくる。大巨神はサラマンデルでどうにかする。それ以外の巨神は、シグムンド達で倒す。特に中巨神は、北の民が相手をすることで、先に決めていた。

単独で中巨神を相手にするのは、今でも厳しい。

だが、それでも、場合によってはやらなければならないだろう。

戦闘開始の合図は、フレイが打ち上げる。

火山の弓とやらで、フリムとその側近を、まとめて消し飛ばすところからはじめるそうだ。フリムは敵の至宝である鎧を着ているとかで、即殺出来る可能性は高くないという事だが。

それでも、ダメージ無しで耐えきるのは無理だろうとも、フレイはいっていた。

「前衛はゴートの兵士達で努める。 者ども、巨神との戦いの基本戦術を思い出せ! それさえ守れば、必ずや勝てる!」

「おおっ!」

今度は、きんきらの鎧を着た親衛隊や、ゴートの兵士達が歓声を上げた。

アルヴィルダは、少し最前衛より下がった地点に陣取る。シグムンドも、すぐ側で、戦いに備えて弓矢を手に取った。

普段だったら最前列で指揮を執るそうだが、今回は別だ。視界が極めて悪いため、不測の事態を避けるためにも、最前列からわずかに距離を取るという。それでも、総司令官としては、異例の位置だそうだが。

全員が、配置につく。

巨神共は、陣形を保ったままだ。全く動きを見せていない。

フレイは、既に配置についているはずだ。

あのフレイが失敗するとは思えないが、万一のこともある。シグムンドは弓に手を掛けたまま、アルヴィルダに話しかける。

「もしもフレイが失敗したときは、どうする」

「あの神にそのようなことはあり得まい。 だが、そうさな。 失敗したと判断した場合も、攻撃を即座に仕掛けよう」

「それが良いだろうな」

集中砲火を浴びるフレイを支援するためにも、総攻撃は有効だ。撤退してくるフレイを迎え入れたら、攻撃と防御を切り替えながら、敵を討ち取る算段をすればいい。

勿論その辺りの判断は、アルヴィルダの方が上手いだろう。シグムンドは、戦う事にだけ集中すればいい。

爆音。

吹雪の中でさえ、露骨に分かるほどの地響き。

「よし、懸かれっ!」

アルヴィルダが叫ぶと、一斉に攻撃が開始される。

小隊単位で分散している敵に、十二カ所から同時に仕掛ける。まず弓隊が矢を浴びせかけて足を止め、其処に斬りかかって打ち倒す。

喚声が、とどろきはじめた。

アルヴィルダの所に伝令が来る。攻撃成功。敵の小隊を十二カ所全てで撃破。前進を開始。

だが、当然敵も馬鹿では無い。

即座に反撃を開始してくる。

中巨神が、吹雪の向こうから姿を見せる。大巨神もだ。

いきなり小巨神達が、吹雪を斬り割るようにして殺到してくる。流石に吹雪をものともしていない。

シグムンドは、無言で矢を放つ。

飛び込んできた巨神が、棍棒を振り回す前に、その目を両方とも射貫く。親衛隊の者達が、よってたかってその巨神を斬り伏せた。

「やりおる。 そのまま頼むぞ」

「任せておけ」

矢筒から、新しい矢を取り出すシグムンドは、サラマンデルが傲然と進み始めるのを横目に、立て続けに三矢を放った。それぞれ、巨神の目や足を、視界に入った直後に射貫いている。

他の戦士達も、皆奮戦していた。剣を振るうのは、もう少し敵と近づいてからだ。

今は奇襲を仕掛けているから、此方のペースで動けている。

だが、この吹雪は敵の味方だ。速攻で勝負を付けないと、どんどん不利になっていくだろう。

全体的な戦況が、いまいち分からない。

アルヴィルダは剣を抜いたまま、無言で立ち尽くしている。時々伝令に指示を出しているが、おそらく頭の中では、めまぐるしく戦況が動いているのだろう。

不意に、前進が停止する。

フレイが、吹雪の中、後退してくるのが見えた。

「フレイ! どうした!」

「仕留めきれなかった。 だが、打撃は与えた。 大巨神を二体撃破。 フリム自身も、左腕を吹き飛ばした」

「む……」

巨神の再生力は凄まじい。

腕くらいなら、切り落としても再生してしまうことは、シグムンド自身がよく知っている。当然王であるフリムも、それくらいはできるだろう。

ただし、時間は稼げるはずだ。

フレイが弓矢を引き絞り、吹雪の中に打ち込みはじめる。拡散型の、制圧射撃にいつも用いているものだ。

「アネットが、北側に廻っている。 フリムを逃がさないために、待ち伏せは有用に作用するはずだが……」

「今は戦おう」

アルヴィルダは横目でやりとりを見ていたが、伝令が来る。

かなりのまとまった数の巨神が、押し寄せてきているらしい。前衛が苦労している様子だ。

前に出て欲しいといわれたので、ヘルギと一緒に出る。

吹雪の中で、巨神と近接戦闘。ぞっとしないが、フレイが支援してくれる。それに、戦士として生きると決めている。当然、死に方も自分で決める。

不意に、吹雪を斬り割るようにして、大巨神が姿を見せた。

即応したサラマンデルが炎を浴びせかけ、振り上げた棍棒ごと腕を吹き飛ばす。だが、瞬時に腕が再生していく。

他にも巨神は多数いて、他の兵士達はサラマンデルに群がろうとする巨神を食い止めるので精一杯だ。

シグムンドが、やるしかない。

「ヘルギ、彼奴をやるぞ」

「ぞっとしねえなあ……」

ヘルギが、大剣を構え上げる。

頷き合うと、まだ腕が再生しきっていない大巨神の前に、躍り出た。

 

おそらく、敵の数は二千前後かと思っていた。

だが、それが想定外だと、すぐに悟った。

敵が次から次へとわき出してくるかのようだ。フレイが制圧射撃を続けてくれているが、戦いが終わる気配が無い。

また、大巨神が姿を見せる。

吹雪が弱まる気配が無い。シグムンドは呼吸を整えながら、けが人を連れて下がるように叫ぶ。

その声も、周囲に中々届かない。

「ようやく体が温まってきた所か?」

「ああ、そうだな」

サラマンデルが、不満そうに下がる。周囲を守りきれなくなってきたからだ。搭載した負傷者の数も、そろそろ限度を超える頃だろう。

せめて吹雪の外側に敵を引きずり出せれば、戦況も少しは変わるのだが。それにしても、どこにこれほどの数の敵が潜んでいたのか。

伝令が来る。

「シグムンド殿、アルヴィルダ姫から、後退の指示が来ております!」

「分かった! ヘルギ、下がるぞ!」

「何だよもう」

ぶつぶつ文句を言ういとこを促して、シグムンドは下がる。何度か牽制の矢を放つが、大巨神は棍棒をふるって、矢を叩き落とした。

五体しかいなかったはずの大巨神も、既に七体目だ。

偵察は念入りに行った。どこにこれほどの敵が潜んでいたのか。

いずれにしても、このまま戦闘を継続するのは危険すぎる。もとより極めて不利な気象状態での戦闘なのだ。出来れば、吹雪の外側に、敵を引っ張り出したい。幸いなことに、敵には騎兵はいないようだが。

アルヴィルダの判断は正しいと、シグムンドも思った。

フレイが、後方に制圧射撃を行っているのが見える。巨神を次々に射すくめてくれているが、それも限界がある。

時々倒れている味方がいるので、担いでいく。無事な他の戦士に任せると、再び弓を引く。

巨神も、ある一線で不意に追撃を止めた。来た伝令にそれを告げると、負傷者の回収を急がせる。

アネットと合流してから反撃に出たいところだが、この様子では難しいか。

「シグムンド、敵が下がっていく!」

「こっちも被害が出ている。 攻勢にすぐ出るのは危険だ。 とにかく様子を見るぞ」

別方向にいるヴェルンド達は無事なのか、不安だ。伝令が忙しく駆け回っているのは、被害を確認しているからだろう。

フレイが来た。

作戦の失敗を責めるつもりは無い。事前に念入りに確認はしていたし、フリムが無事だったら、敵の攻勢はもっと大胆だっただろう。

「シグムンド、無事か」

「この程度で俺がくたばるわけは無かろう。 フリムとやらの鎧は、そんなに頑丈だったのか?」

「ああ。 おそらくユミルの時代のものだろう。 ミョルニルかグングニルでも、貫けるかは分からないだろうな。 しかし、ダメージは与えた。 次は仕留められる」

あれほどの強力な鎧、そうそう作れるものでは無いと、フレイはいう。

確かにその通りだ。

問題は、敵がどうしているか、だ。これからまた忙しく動いて、状況を確認しなければならないだろう。

戦っている間は良かったが、こうして立ち尽くしていると、毛皮の保温効果を超えて寒さが伝わってくる。

早く負傷者を助けないと、助からない者も出てくるだろう。

「アネットはどうしているだろうか」

「まだ来ていないな。 私がこれから様子を見てくる。 防御に徹して、敵の挑発には乗らないようにしてくれ」

「分かっているさ」

フレイが鷹に変じると、吹雪などものともせずに飛んでいく。

たいしたものだと思いながら、シグムンドはヘルギと別々に、負傷者を探した。

そうして助けられるだけは助けた。

ビバークしていた地点まで戻り、状況を確認する。アルヴィルダ姫は、難しい顔をしていた。

負傷者も死者も、思ったほど多くは無いと言う。

ただ、偵察の戦士達が、厄介なものを見つけたのだそうだ。

「死者の群れが近づいている」

「死者だと」

「アスガルドに向かわなかった死者達の残りであろうな。 数は万を超えるそうだ」

「万……」

単独では、さほど手強いとも感じない死者達だが、数が数だ。

此方は継戦能力のある戦士が二千と少ししかいないのである。しかも、敵の異常なタフネスを考えると、簡単に退けられる相手ではない。

巨神共との決戦を急ぐしかないだろう。

「敵を巨神にけしかけられないか」

「その巨神共が、吹雪の中を下がった。 今どこにいるか、見当もつかぬ」

アルヴィルダも、フレイを責めることは無かった。

攻撃を叩き込んだタイミングは完璧で、実際周囲を護衛していた巨神は一網打尽で消し飛んだというのだ。

それならば、どうして責めることが出来よう。

フリムとやらの鎧が、想像以上に頑強だったという事だ。

それに、敵には此方が予期しなかった援軍が出てきていた可能性が高い。本当に一体、どこに潜んでいたというのか。

アネットが戻ってきた。

宛てにしていた援軍について聞くと、彼女は悔しそうにいう。

「出撃の寸前、死者の軍勢が来ました」

「そちらにもか」

「はい。 どうにか片付けましたが、フレイ様が来た時には、もう戦いは終わっていたようでして」

「うむ、やむを得まい。 どうしてかは分からぬが、死者の動きが活発化しているのは事実のようだ。 合流は出来そうか、若きワルキューレ」

頷くと、アネットは地図上に、彼らの行動進路を指で書いた。

それならば、迎えに行った方が早いか。

「先に後顧の憂いを断つか」

アルヴィルダが、目に苛烈な光を宿らせる。

「死者どもを片付けるのか」

「その通りだ。 このままでは、死者共に背後を襲われかねん。 かといって巨神にけしかけるには、相手の位置が分からぬ。 せめてもう少し早く死者が現れていれば、巨神と共倒れにさせることも出来たであろうが」

こればかりは仕方が無い。

全員で同意の上で攻撃を開始したのだ。

フレイが戻ってきた。ヴェルンドもいる。彼らにも、死者から片付ける旨を伝えると、すぐに同意は得られた。

相手は万を超えているとは言え、動きそのものは鈍いし、死者としてはさほどの数では無い。アスガルドを攻めている死者は数百万に達するとフレイヤから聞かされていたし、フレイもそれを否定していない。

此処で一支隊を処理することは、背後の安全を守るという意味もある。

アネットは、もう一ついう。

「生き残りの北の民達ですが、非戦闘員がいくらかいます。 彼らの安全を確保するためにも、死者の排除は行っておきたいです」

「分かった。 合流後、妾の部下から少数の護衛を付けて、ブルグント王都に先発させよう。 馬車も持ってきている。 一台は提供する」

「ありがとう、アルヴィルダ姫」

冷酷な言動が目だったブリュンヒルデに比べると、アネットは無口だが、その一方で情が深いようだと、シグムンドは見ている。

実際問題、此処で非戦闘員のことを気にするようなことを、口にするのだ。

「不埒な死者共を、速攻で片付ける。 その後、フリムとやらを追撃する」

方針をまとめてアルヴィルダが口にすると、これから何をするか分かり易くて、兵士達も俄然やる気が出るようだ。

何より、死者は吹雪いていない地点で迎え撃つことが決まっている。

それで喜んでいる兵士達も、また多いようだった。

 

体制を整えた後、吹雪を出る。

ライン川の西、かって敵を食い止めた谷間の砦の少し先で、死者どもを迎え撃つ。

そのためには、急いで合流を計らなければならない。

巨神の方に関しても、偵察を行っている。だが、未だに、どこへ逃げたのかは分からない。あまり人数を割くわけにも行かないし、難しい所だ。

死者共も、此方に気付いて、集結をはじめているようだ。

手強そうなのが何体かいる。橋を渡るときに手こずらされた紅い骨の巨神や、それよりグレードは劣るが侮れない紫色の骨の巨神。ドラゴンの死者も、何体か混じっている様子である。

巨神の死者もいる。

人間の死者が大半のようだが、全体的に質そのものはかなり高い様子だ。侮って懸かるのは危険だろう。

なるほど、これはアルヴィルダの判断が正しい。

これを全て片付けた後、巨神の追撃に懸かるのが一番だ。

めぼしい死者に、目処を付けておく。

フレイのトールの剛弓で、遠くにいるうちに吹き飛ばしてしまった方が良い。人間の死者は、比較的経験が浅い戦士でも充分にどうにか出来る。巨神の死者に関しては、サラマンデルで焼き払うのが一番だろう。あの耐久力は、流石に人間の手には負えない。

フレイとアネットが戻ってきたら、作戦開始だ。

あまりもたついている余裕は無い。

フレイヤも、冥界で死闘を行っているのだ。片付けられる敵は、こっちで片付けてしまう。

「なあ、シグムンド」

「どうした、ヴェルンド。 何か見つけたのか」

吹雪の中から戻ってきたヴェルンドが見せてくれたのは、凍り付いたまま砕けた手だった。人間の手とは思えない。

おそらく、死者のものだ。

魔力化していないと言うことは、ついさっき、少なくとも数日以内に壊されたという事か。

「どこで見つけた」

「狂戦士の村があったあたりだそうだ。 人間と交戦した結果とは思えない。 おそらく、その辺りにも巨神がいるぞ」

「……分かった。 後で重点的に調べよう。 今は、彼奴らとの戦いに集中だ」

フレイが戻ってくるまで、少しある。

何度かアルヴィルダと話し合うが、やはりフレイの力をある程度宛てにしたい様子だ。サラマンデルの力は確かに頼りになるのだが、此処には一機しかいない。敵の強力な死者と戦える戦士となると、味方にはかなり数が限られてくる。

「神の力を宛てにして戦うのは心苦しいが、現状では残念ながら味方の戦力が不足しすぎておる。 妾やそなたら北の民は兎も角、殆どの兵士は、大型の敵を相手にするのは難しいのが現状ぞ」

「全くだ。 フレイが到着し次第攻撃開始、と言うことになるな」

「それなのだが、敵はそうもさせてくれない様子だ」

敵の一部が、動き出しているという。

もとより単純な命令しか与えられていないだろう死者達だ。高度な作戦行動など、取るわけが無い。

「時間が無い俺たちに配慮してくれているのかもな」

ヘルギが面白い事をいったので、ヴェルンドは笑ったが、アルヴィルダはにこりともしなかった。

相性が悪いようで、ヘルギは恐縮して縮こまってしまう。アルヴィルダは或いは、冗談が嫌いなのかも知れない。

戦闘時の様子は、存在自体が冗談のようなのに。

「ならば、防御に徹して、フレイが来たら攻撃に転じるだけだ。 いっそのこと、俺は前線に出ようか」

「今回に関しては必要ない。 死者との戦闘は、むしろ妾達ゴートの人間の方が、経験を積んでおる。 むしろ巨神共が此方の状況に気付いて、背後を突こうとする場合に備えてくれると有り難いのだが」

「分かった。 ただし、力が必要なときには、遠慮無く呼んでくれ」

おそらく、動き始めた死者に即発されたのだろう。

他の死者達も、一斉に動き始める。

五倍以上の兵力だ。

だが、今までシグムンドは、それ以上の戦力差での戦いを、何度も何度も乗り切ってきている。

味方も動き出す。

アルヴィルダは親衛隊と一緒に、最前線に出た。サラマンデルは最前線よりも少し後ろに下げて、敵の大物が前衛に出てきたときに備えている様子だ。

敵陣側面から、見覚えのある、凄まじい矢が飛んでくる。

それが前線に進み出ようとしていた、紫色の骨の巨神を吹き飛ばす。

フレイが到着したらしい。

それだけではない。

遠目にも見える。あの、熊の毛皮を着た男は。フレイが再びトールの剛弓を引き絞る。死者達が殺到しようとするが、その男は仁王立ちして、まるで敵を寄せ付けなかった。周囲には、狂戦士達もいる。

伝令に、あちらの支援に廻りたいという。

アルヴィルダも、時間をおかずに、許可をくれた。

北の民達をつれて、シグムンドは走る。途中敵の小集団と何度か出くわすが、鎧柚一触に薙ぎ払う。

戦っているその男が、見えた。

両手に大斧を持ち、風車のように振り回して、敵を打ち砕いていた。

死者との戦い方も心得ているようで、まるで危なげが無い。

「レギン! 無事だったか!」

「おう、シグムンド。 お前達も、随分苦労したようだな!」

話しながら、レギンは躍りかかってきた魔物の死者の頭をかち割る。シグムンドが間髪入れず、横からコアを貫いて、敵にとどめを刺した。

かっては対立していたことなど、今はどうでもいい。

これ以上も無いほど、心強い。狂戦士を敵に回した死者どもは、気迫に押されているかのようだ。恐怖など感じないはずなのに。

「よく生きていたな!」

「あの時、一斉にライン川に飛び込んだのさ。 巨神共め、泡を食って追ってこなかったぜ」

「それは痛快だ!」

「その後は逃げ遅れた奴とか、けが人とかをまとめて、巨神共の後ろで大暴れしてやっていたのさ。 数が違いすぎるから、逃げたり隠れたりもしなけりゃならなかったけどな!」

巨神の死者が近づいてくる。

這うようにして。

レギンが舌打ちした。

「あれだけはどうにもならん。 再生速度が速すぎて、手におえねえ」

「私がどうにかします」

アネットが剣を構え上げると、突撃。ヘルギが無言で走り、大剣を引き抜くと、鞭のように振るわれた死者の腕をはじき返した。

その隙に真横に入り込んだアネットが、敵の胴体に一閃を浴びせる。

露出したコアに、ヴェルンドが矢を叩き込む。

そして、動きが止まったところに、シグムンドの速射が入った。コアが砕け、巨神の死者が溶けるように消えていった。

「さすがはワルキューレだ」

「あいつ、どうやってお前を見つけたんだ」

「ん? 俺の方が見つけたんだが。 何だか知らないが、変な声に導かれて、外に出たら、槍を持った眼光の鋭いじいさんがいてな。 いわれるままについていったら、ワルキューレがこっちに来るところだった。 爺さんはいつの間にかいなくなってたが」

「おかしな話もあるもんだな」

死者の群れの中央に、おぞましい魔力の光が見える。

どっと死者がわき出してくるのが見えた。

増援を呼んでいるのか。

フレイがトールの剛弓を引き絞り、また骸骨の死者を一体、遠くから片付ける。紅い骸骨の死者は敵の中央部で微動だにせず、戦況をじっと観察しているようだ。

「味方の本隊と合流するぞ」

「おう! 非戦闘員は、先に少し迂回して進ませて、ゴートの連中の背後に行けるようにしてある」

「それは助かる」

「ただ、爺や子供も多くてな。 早くちゃんとした飯を食わせてやりてえんだ。 さっさと決着つけようぜ」

レギンが、とても怖れられ続けた狂戦士の長とは思えない言葉を言ったので、何処かおかしかったけれど。

シグムンドも、共に戦う内に、知ってはいた。

この男は、厳しい戦士ではあるが、邪悪で残虐な存在ではないという事を。

主力が押されはじめている。

増援として、ほぼ全軍と同じほどの死者が現れたからだ。敵が倍になった事もあり、アルヴィルダはかなり状況が厳しいだろう。

フレイは冷静にトールの剛弓で、本隊に近づこうとしている敵を仕留めていたが、そろそろ限界を悟ったか。剣を抜くと、自ら敵陣に突入した。当たるを幸いに、敵を蹴散らしはじめる。

「俺たちはどうする!」

「こっちに敵が主力を向けてくると面白くない! 味方と合流する! で、いいのか、俺に指揮を任せて」

「俺はどうもやっぱり指揮を執るのが苦手みたいでな。 任せられる奴がいるなら、気楽に戦士として振る舞いたいんだよ」

「そうか、分からんでも無い」

敵の数は増え続けている。

だが、何となく分かるのだ。北ミズガルドにいる死者は、これで全てだと。あの紅い骸骨の死者さえ仕留めてしまえば、此処から敵は駆逐できる。

敵陣の一部を蹴散らしながら走る。

アネットは無言で、背後や側面に廻ろうとする敵を、その手にした神剣で蹴散らしてくれていた。

本隊にフレイが合流。最前線に仁王立ちすると、神の剣技で、敵を薙ぎ払いはじめる。閉口した敵が、少し下がり、再び増援を呼ぼうとするが、そうはさせない。アルヴィルダが反転攻勢を指示、兵士達が守勢を投げ捨てた。

同時に、シグムンドも向きを変えて、敵陣に突入する。

突撃しながら、味方と合流できればいい。緩慢に下がろうとする死者達の群れを薙ぎ払いながら、進む。

形勢は、完全に逆転した。

だが、死者達も、また増援を呼び始めているようだ。それにそもそも、連中は完全に動きを止めるまで、戦意を失わない。

また、巨神の死者が姿を見せる。

アネットが処理に懸かるが、別方向からも来た。

乱戦が、徐々に混戦に変わっていく。

敵を撃退しながら、無我夢中で進み、どうにか味方と合流。サラマンデルが放熱のために後退している。

それだけ激しい戦いを続けているという事だ。

「アルヴィルダ姫は!」

「妾は此処じゃ」

フレイの少し後ろで、姫は剣を振るって、迫る死者を一閃二閃と、蹴散らして廻っていた。

ドラゴンの死者が、少し前から、前線に少しずつ進んできている。

以前見たファフナーにも匹敵する体格で、簡単には仕留められそうに無い。空も飛ぶことが出来るだろう。

「敵に更に増援!」

「どうやら、このままではじり貧じゃな」

「フレイ、増援を止める手は!?」

「おそらくは、奴を仕留めるほか無いだろう」

フレイが敵を斬りながらいう。一閃ごとに十体以上の死者が両断されているが、巨神の死者や骸骨の死者が来ると、対応にかかり切りになる。フレイだけに任せるわけにはいかない。

フレイがいうには、奥にいる紅い骨の死者が、増援を呼び寄せているという。

既に敵の兵力は二万五千近くまでふくれあがっている。

「彼奴を仕留められるか」

「気をそらすことが出来れば、やれる。 ただし、時間も必要になる」

ドラゴンの死者が、徐々に前線に迫ってきている。あれをどうにかしないとまずい。

それだけではない。

吹雪の中に偵察に行っていた戦士が、息せき切って戻ってきた。

「まずい! 巨神共が戻ってきた!」

「数はどれくらいだ」

「二千か、三千か、かなりたくさんだ! 大巨神もいる!」

確かに、それはまずい。

紅い骨の巨神の気をそらすことくらいなら出来る。だが、トールの剛弓で彼奴を仕留める事を考えると、何かしらの遠距離攻撃を用いなければ危険だろう。

偵察の戦士達の話を総合すると、巨神との接敵まで一刻というところだ。

つまり、それまでに、死者共を片付けなければならない。

「難儀なことよの」

アルヴィルダがぼやく。

フレイが、剣を上段に構え上げた。混戦が酷くなってきた。トールの剛弓を使うよりも、近接戦を行った方が早いと、判断したのだろう。

「私があの紅い骨の巨神を打ち倒してくる」

「あのドラゴンの死者が、そうなれば此方に来るであろうな」

「対応を頼めるか、アルヴィルダ、シグムンド」

「任せておけ。 彼奴一体だけなら、どうにかしてみせるさ」

アルヴィルダは無論と、短く答える。

シグムンドは、周囲を見る。

レギンとアネット、ヘルギにヴェルンド。それにシグムンドとアルヴィルダ、サラマンデル。

全員で懸かれば、どうにかなるか。

フレイが突入を開始した。

一斉に矢を放ち、その突撃を支援。

目指すは敵の司令官。仕留めてしまえば、敵の混乱を誘うことも出来る。このままでは前後を挟まれて全滅しかねない。

やるしかない。

やはりフレイが動くと同時に、ドラゴンは此方の前線に突入してくる。味方の死者さえ蹴散らしながら、黒い鱗を持つ、半分腐敗した竜は、凄まじい雄叫びを上げつつ躍りかかってくる。

まずは、動きを止めなければならない。

他の死者共はサラマンデルに任せ、アネットにいう。

「彼奴の動きを止める。 舞い上がった瞬間、翼を切れるか」

「やってみます」

ドラゴンの厄介なところは、空中からの攻撃を得意としているところだ。

中空から火球を乱射されたら、此方ではなすすべが無い。逆に、落とす事が出来れば、どうにか勝負の土俵に相手を上げることが出来る。

勿論、相手はただのドラゴンではない。

首を落とした程度では死なないだろう。ようやく其処から、勝負が出来るという状態なのだ。

放熱を終えたサラマンデルが、前に出てくる。

だがその瞬間、ドラゴンが吐いた火球が、サラマンデルを直撃した。

耐熱装甲版が吹っ飛び、サラマンデルが揺らぐ。

死者を切り払い、冷静に路を作る。その作った路を、アネットが突進し、ドラゴンの下をくぐりざま、一刀に羽を切り裂いた。

揺らいだドラゴンが、地面に激突し、横転する。

「一斉に懸かれ! コアを砕けば勝ちぞ!」

アルヴィルダ自身も剣を抜き、地面に落ちてきたドラゴンに躍りかかる。

だが、何しろ相手は、大巨神も恐れ入るほどの巨体だ。尻尾を振り回すだけで周囲が薙ぎ払われ、腕を振り下ろせば完全武装の戦士が潰れる。

アルヴィルダ自身も、暴れるドラゴンに吹き飛ばされる。

冷静にシグムンドはまず第一矢を放つ。ドラゴンの右目に着弾。炎を吐こうとするドラゴンだが、死角に入り込んだヘルギが、神の武具である大剣を振るって腕を切る。腐った液体がまき散らされ、凄まじい腐臭が此処まで来た。

立て続けに、二矢を。

だが、ドラゴンは首をふるって、両方とも顔の硬い皮膚ではじき返す。そして、炎を吐こうと、口を開ける。

だが、その瞬間こそ、待っていたものだ。

後ろに回っていたアネットが、背中に飛びつき、剣を突き立てる。

ドラゴンが体を揺すって振り落とすが、その時には後ろ足にレギンが組み付き、斧を何度も振り下ろしていた。

「てめえら、やっちまえっ!」

「殺せーっ!」

奇声を上げながら、狂戦士達もドラゴンに組み付く。そして斧を振るって、鱗をはじき飛ばし、肉を抉り、或いは指を切り落とした。

勿論、生きている間のドラゴンには通じなかっただろう。だが、死者は体が腐れ、劣化している。

だから斧は鱗を破って食い込み、肉を抉る。

再生速度が如何に速くても、この人数での猛攻で、無事である筈が無い。

人間を振り下ろすことに必死になるドラゴンに、矢を。

今度は左目に命中。完全に視界を塞ぐことに成功。シグムンドも剣を引き抜くと、合図を送った。

サラマンデルが、火焔をドラゴンに叩き付ける。

巨体が燃え上がる。腐って湿っていた体とは言え、炎は通った。否、おそらくは生前だったら無理だったのだろうか。

ドラゴンが、燃え上がったまま、腕を振るい、尻尾を振るい、暴れる。

もう何も見えていないドラゴンは、それでも一撃がとてつもなく重い。だが、二足で立ち上がろうとしたところ、レギンのつけた傷から、足がへし折れる。蓄積したダメージが、ついにものをいったのだ。

そして力が無理に懸かったからか、ヘルギの大剣の傷も広がり、前足も折れた。

もがくドラゴンの脇腹に潜り込んだヴェルンドが、一気に傷口を切り上げる。アネットも、ドラゴンの首を二度、三度と切りつけ、ついに大量の鮮血が噴き出す。

それでも、死したドラゴンは、暴れる。

高速で傷を回復させて、立ち上がろうとする。

シグムンドが、ヴェルンドが広げた傷口に、剣を突き刺す。立ち上がったアルヴィルダも、別方向から傷口に剣を突き立てる。

全身を焼き上げられたドラゴンの死者が、口から己のものではない炎を噴き上げる。傷口が内側から爆ぜ、その一つから、ついにコアが露出した。

間髪入れず、アネットがコアを両断。

ドラゴンの死者が、言葉も無く、消えていった。

「押し返せ!」

ドラゴンを倒した猛気に包まれたアルヴィルダが、頭から血を流したまま、部下達を死者にけしかける。一気に全面攻撃が開始され、死者の群れが薙ぎ払われていく。大物の死者はフレイがある程度片付けてくれていたし、こうなれば勢いがものをいう。

遠くで、フレイが紅い骨の死者と死闘を演じているのが見えた。

サラマンデルの炎が、巨神の死者を丸ごと焼き尽くす。シグムンドも三体、四体と敵を斬っていく。

ふと、気付く。

死者達が、一斉に足を止めた。

空の色が、変わっていく。

血を落としたような赤だったのが、見る間に青に戻っていった。地面に溶け落ちながら、死者達は。

皆、満ち足りた表情となっていた。

冗談のように、世界を覆い尽くしていた死者達が、消えていく。

いや、本来の姿に戻り、いるべき場所に戻っていくのだと、シグムンドは悟った。

フレイが戻ってくる。

直前に、敵を屠っていたらしい。ヘルギが、大きくため息をつきながら、腰を下ろす。

「もう手があがらねえ……」

「疲れただろう。 少し休んでいろ」

「シグムンドは」

「俺はもう少し働く」

アルヴィルダが、兵をまとめているのが分かる。巨神の軍勢が戻ってくることを考えると、休んでなどいられないだろう。

誰が言わなくても、分かる。

フレイヤが、勝ったのだ。

アスガルドも、これで救われたに違いない。

「損害は」

「思ったよりは小さいが、けが人は多い。 ワルキューレ、回復を頼めるか」

「分かりました」

アネットが、すぐに治療に入る。

どうやら、絶望的な戦況に、ようやく光が見え始めたらしい。

ドラゴンの炎の直撃を受けたサラマンデルは、すぐに中の技術者が出てきて、手入れをはじめていた。

誰もの目に、希望が宿りはじめている。

あれほど圧倒的だった死者が、全ていなくなったのだ。他にも恐ろしい敵はいるようだが、勝てる。

それを確信できただけでも、大きな収穫だ。

三悪魔とやらは、絶対に倒せない相手ではない。

それならば、神々と人間が手を合わせれば。きっと撃退できる。シグムンドも、少し諦めかけていた部分があったが。やはり、最後まで戦い抜くべきだと、この時思い知らされた。

巨神はまだ進んできている。

接触まで、もう半刻を切っている。

だが、必ずや勝つ。

そして不埒なる巨神の王フリムとやらを、この地で葬り去るのだ。そう、シグムンドは、新に決意していた。

 

3、死闘の果ての勝利

 

もはや避けている暇は無い。

だから正面から打ち砕く。余力など気にしていられない。こうなれば、根比べだ。

一体何度、ヘルは形態を変えたのか。

壊しても崩しても、形を変えて反撃してくる。二本足だけで歩き、人型に代わり、そして凄まじい魔力を収束させて、砲撃してくる。

経験が絶対的に足りないのは、戦っていて分かった。

だが、フレイヤの方も、相手に対して力が決定的に足りていない。

だから必然的に泥仕合になった。

既に鎧はぼろぼろ。

魔力も、もう殆ど残っていない。

だが、フレイヤは決めていた。差し違えてでも、冥王を倒すと。たとえ死んだとしても、死者となって相手に支配されるより早く、冥王を滅ぼすのだと。

氷の杖をしまう。

使いすぎて、オーバーヒートしたからだ。炎の杖も、王錫も、既に使える状態には無い。あと、残っているのは。

精霊の弓矢は、この状況では使えない。

風刃の杖も、フレイヤ自身の消耗が悲惨で、もし使ったら死ぬだろう。

雷鳴の槍。

魔力をある程度蓄えてある。これで倒せなければ、最後だ。

もはや、手札を隠す必要も無い。というよりも、余裕が無いと言うべきか。雷鳴の槍を具現化して、構えを取る。

ヘルは、既に人間の三倍程度にまで、大きさを減らしている。

辺りには、身にまとえなくなったらしい骨の山。

コアを中心として、ずんぐりとした人型を取っているヘルは。向こうも覚悟を決めたのか、いう。

「さすがは幾多の戦いを勝ち抜いてきた、本当の意味での戦いの女神ですね。 心の底から尊敬させていただきます。 貴方と対するには、どうやら、私も最後の力を結集する必要がありそうですね」

ふつりと、辺りの気配が、途絶えた。

同時に、ヘルの全身から、凄まじい魔力がふくれあがる。

何となく、分かった。

死者達の支配を解いたのだ。地上にいる死者達は、これで動くのを止めるだろう。冥界にいる死者達も、解放されたに違いない。

しかし、その代わり、ヘルは支配に使っていた魔力を、全て己の戦いに、集中させることが出来る。

ヘルの全身が、ふくれあがったかと、錯覚したほどだ。

戦闘開始当初に、匹敵するほどの途方も無い魔力。

この様子からして、ヘルは。

最初から、半減させた力で戦っていたと言うことか。何というとてつもない存在か。だが、まだ勝機はある。

魔力は戻っても、ヘル自身が消耗していることに、変わりは無いのだ。

それに何より、既に他の連中の声は聞こえなくなってきている。あの厄介な連携は無い。ヘルは本気になったからこそ、精神を一本化してしまった。つまり、勝機が、より大きくなっている。

むしろ、今こそが、万が一の勝利を狙うべき瞬間だ。

前に、出る。

触手が伸びて、串刺しに来る。魔力が充填されたからか、動きが凄まじく速い。だが、もはや関係無い。

剣を抜き、直撃だけを避けながら、ひたすら前に進む。

光弾を撃ち込んでくる。ヘルの全身から、もはや詠唱も無く打ち込まれてくる光弾が、フレイヤの体を鎧を、容赦なく削り取る。

肩に腕に足に脇腹に、次々痛みが来る。

人間だったら、もう身動きが取れないだろう。

神であるフレイヤでも、もはやその痛みは、我慢できる次元に無い。だが、どうしてなのだろう。

フレイヤは、もはや精神が、肉体を完全に超越しているのか。

走る。

致命的な攻撃だけを、最小限の動きで避けながら。

ヘルが、大型の術式を準備。

一瞬だけ詠唱して、そして。

極太の稲妻を、頭上から叩き込んできた。既に宮殿は屋根部分が完全に消し飛んでいるから、稲妻は、その威力を余すこと無く発揮して、フレイヤに襲いかかる。

視界が漂白される。

直撃したら、トールやオーディンでも即死しかねないほどの、超絶の術式。

だが、ヘルの好きにはさせない。

稲妻が来ると分かった瞬間、フレイヤは剣を地面に突き刺し、最後の魔力を殆どつぎ込んで、詠唱実施。

剣を避雷針にして、自身は更に前に飛んでいたのだ。

後方で、爆発。

これでは、剣は無事では済まないだろう。

だが、爆発そのものに背中を押させ、フレイヤは更に加速する。もはやからだがどのような常態かさえ分からない。分かっているのは、気迫が途切れれば、その瞬間、死ぬだろうと言うことだ。

「凄まじい……!」

ヘルが感嘆の声を漏らす。

フレイヤは、雷鳴の槍の起動術式を既に詠唱し終えていた。

触手を全て戻すと、ヘルは一点に集中し、巨大な槍としてフレイヤに繰り出してくる。もはや、触手を防ぐ手立ては無い。

刹那の攻防。

フレイヤが雷鳴の槍の出力を、完全解放する。

ヘルが、己の魔力を全て込めた触手の巨大槍を、フレイヤに向けて全力で射出する。

圧力が、前から来た。

そして、吹き飛ばされた。

 

フレイヤは、気付く。

どうやら、死にはしなかったらしい。

何となく覚えている。

ヘルを、討った。

コアは打ち砕いた。ヘルの最後の渾身の力を、フレイヤの一撃が、上回ったのだ。立ち上がろうとして、出来ない。

「私の娘よ」

自分と同じ声。

先代フレイヤか。気付くと、淫売の権化であった先代が。随分優しい表情のまま、半透明になって、浮かんでいた。

「……」

「私は生前、己の強すぎる欲望に振り回され、この冥界に来てようやく他並みの感情を手に入れました。 ヘルと一体化して生前の状態に戻っていましたが、むしろこの状態の方が、自分を取り戻せたように思います。 私の娘よ、数々の非道を、許してください」

先代フレイも、隣に立っている。

権力欲の権化だった男は、威厳ある、アスガルドの重鎮に相応しい落ち着いた存在に変わっていた。

「私からも頼む、今のフレイヤよ。 妹を許して欲しい。 生前我々は、欲望のコントロールがどうしても出来なかった。 今の状態で、ようやく他と同じになれたのだ。 今だから、謝罪も出来る。 すまなかったな」

何だか、悲しい話だ。

凶暴な欲求に振り回され続けた存在。

強すぎる自我は、時に存在を不幸にする。

「先代フレイヤ。 貴方を今更母として認めることは出来ません。 しかし、分かりました。 貴方の悲しい生そのものは、覚えておきます」

二柱の神は、うっすらほほえむと、もやのように消えていった。

きっと死者として消耗しすぎたから、これから再生に入るのだろう。いや、少し違う。フレイヤの力が、わずかに戻っている。

二柱が、分け与えてくれたのか。

歩み寄ってくるのは、アウテン。

やはり、体が透けている。

「これで完全に、小人族は滅んじまったか。 だが悔いは無いわい」

「貴方は……」

「俺もスクルズの意識とはある程度共存していたから、自分が何をしていたかは分かっていたよ」

その上で、反省した様子は無い。

何というか、たいした男だと、フレイヤは思った。支配はされながらも、結局は自分の意思で、選択し続けていたのだろう。

「最後の力で、あんたが動けるようになるまでには、剣は直しておいてやる。 他の武具もな」

「どういうつもりですか」

「俺も、この世界が歪んでいるって思っていた。 実際、あんただってそう思っているんだろう? 歪んでいる世界を強制的に直すか、それとも別の手段を模索するか。 結局、選択肢はもうその二つしか無い。 今回は、あんたが勝った。 だから、勝者の理論に従うさ」

何だか、少しおかしい。

空っぽの世界の頭脳である女神が、この男に入った理由が、何となく分かる。飄々としていて、快楽主義で。

だが、柔軟だったから、なのではないか。

ヘルは、どうしたのだろう。

向こうにある、漠然としたもやがそうなのか。

三悪魔としての存在は、コアを砕いたときに、おそらく消えた。あれは、本来のヘルなのだろう。

無数の人格を持つ、この冥界の管理者。

「素晴らしい。 貴方には、負けるべくして、負けたように思えます」

「ヘル、貴方は……」

「私は結局の所、信念という名のものさえ他者に与えられて、踊らされていただけだったのかも知れません。 死は概念であるべきで、それ自体が怒りや憎しみを持つのはおかしな事でした。 平等であるべきが死。 そうでしたね」

「……」

アスガルドの神々は、それからさえ逃れてきた。

だから、ヘルが完全に間違っていたとは、フレイヤも思わない。

宮殿は、既に完全に消し飛び。

薄紫色の、あまり綺麗とは言えない空が、頭上には広がっていた。

まだ、動く事は出来ない。

少し体を休めなければならないだろう。

 

意識を失って、目覚めたときには、既に地上にいた。

空は青く澄み渡っている。

手には、精霊の弓では無い。別の、魔法の弓があった。

「フレイヤよ、聞こえていますか」

「イズン!」

イズンの声だ。

ただし、以前よりもずっと弱々しい。

イズンは既に死者だ。冥界からでは、力を発揮しきれないのだろう。だが、地上にいると言うことは。イズンが送り届けてくれたのか、或いは先代達が力を貸してくれたのか。

「その弓は、私が用いていたものです。 きっと役に立つでしょう。 持って行きなさい」

「イズン、貴方は」

「良いのです。 私はこうなる運命だった。 そして、覆すことが出来なかった。 今、アスガルドもミズガルドも、極めて厳しい状況に直面しています。 もしも覆すことが可能だとすれば、貴方たち若き神々と、人の英雄達が、手を携えあうしか無いでしょう」

弓には、ディースの弓と銘が掘られていた。

頷くと、フレイヤはまず今の位置から確認する。

北ミズガルドの、ライン近くだ。かなり南に、ライン河の大橋が見える。兄たちも、この近くで戦っている筈である。

死者の脅威は、もうない。

だが、三悪魔はまだ二体も残っている。

ヨムルンガルドとスルトといったか。どちらも倒さなければ、この世界に未来が来る事は無いだろう。

アスガルドに通信を入れる。

フリッグが出た。苦手な相手だが、しっかり話をしておかなければならない。

「フリッグ様、フレイヤです」

「おお、遅かったな。 首尾はどうじゃ」

「ヘルを、討ちました」

「そうか、それは重畳。 丁度此方でも、死者共の消滅を確認した所じゃ。 次の襲撃に備えて、防備を固める時間も、多少はあるじゃろう」

フリッグは、戻ってこいとはいわなかった。

何となく分かる。彼女は宰相であるが、今は戦時で、立場が極めて微妙なはずだ。此処でヘルを討ったフレイヤに戻られると、更に足下が危ないと思っているのだろう。こんな時も、政治では無く、政治闘争でものを考えてしまっているのだ。

それとも、多くの神が死んだことで、心が壊れかけているのかも知れない。フリッグはどちらかと言えば平時の有能な宰相だったが、臆病で取り乱しやすい性格でもあったと聞いている。凄まじい数の死者に襲われ続けて、心がおかしくなっても、不思議では無い。どちらにしても、もう憎しみは感じない。同情は覚えるが。

ヘルと戦って、フレイヤは少し心が広くなった気がする。ヘルは確かに世界の敵だったが、非紳士的な存在では無かった。むしろ、紳士的で、理知的でさえあった。

それが故に、これだけ悲劇は大きくなったのだとすれば。やはり、この世界の歪みの大きさは、計り知れない。

頭を振って、意識を統一する。

まずは、兄と合流しなければならない。

魔力は全快とは行かないが、地上に出たことで、かなり力は戻ってきている。そればかりか、瀕死にまで追い込まれたことで、かなり力そのものも鍛えられているはずだ。河に顔を映すと、酷い状態だったので、まずは身繕いからはじめる。

魔術で汚れを落とし、鎧を修復。

鎧は酷い状態で、素肌が晒されてしまっている場所も、何カ所か合った。人間に見られないで良かったとフレイヤは思う。というのも、先代と同じ肉体だ。下手に直接目にでもしたら、そのものは発狂しかねない。

先代も、冥界にいる時は、あのように分別があって威厳も備えた存在だったのだと思うと、複雑である。

欲望とは、そうも恐ろしいものなのか。

フレイヤも、欲に狂ってしまうと、あのように頭がおかしくなってしまうのか。恐ろしい事だと思いながら、顔を洗い、髪の汚れも魔術で落とす。

綺麗さっぱりして、フレイヤはやっと一息つくことが出来た。

気付くと、河の一部が、紫に染まっている。

それだけヘルとの戦いで、凄まじい汚染に晒されたという事である。

だが、ラインの水量は凄まじい。きっと、すぐに海まで汚れを流してくれることだろう。

ふと、気付く。

汚れを落としたからか、無数の世界の要素、いわゆる精霊が辺りに漂いはじめている。最高位の神になると、いわゆるみそぎで下級の神を生み出すことも出来るというのだが、フレイヤには其処までの事は出来ない。

だが、うつくしく舞う精霊達の事は、好ましいと思った。

兄にも連絡を入れる。

兄は、すぐに応じた。

「兄様。 今、冥界より生還いたしました」

「そうか、よくやった」

兄は嬉しそうだった。フレイヤが武勲を立てたから喜んでいるのだろう。生真面目な男である兄らしい。

それでいい。フレイヤは、兄がそう言う存在だから、好ましいと思う。側にいたいとも願う。

軽く、状況を聞く。

フリムの軍勢に打撃を与えたが、仕留める事はできなかったそうだ。フリムがそれだけ強固な防備に身を固めていた、という事だろう。

兄に出来なかったのなら、フレイヤにも無理だったはず。それよりも、合流可能な今が好機だ。戦力を集中して、一気に敵を倒しきりたい。

「今から、そちらに向かいます」

「うむ。 これからこちらも、フリムの巨神軍に、決戦を挑む所だ。 お前もヘルとの戦いの後で消耗が激しいだろう。 無理はせず、体調を整えてから来て欲しい」

「分かりました」

兄との通信を切ると、鷹に変じる。

鎧の修繕は後だ。出来るだけ魔力を蓄えて、すぐにでも合流したい。味方の戦力は、お世辞にも多くは無い筈だ。

周囲を北の民をはじめとする優秀な戦士達に固めてもらえば、鎧の破損は支援で補うことも出来る。問題は体の方だが、それはどうしてか、不自然なほどに調子が良い。先代達に、力を分けてもらったからかも知れない。

魔力そのものは殆ど尽き掛けている状態なので、無理は出来ない。氷の杖や炎の杖は、修理が為されているのを、さっき見て確認した。剣の状態も悪くない。

最悪、戦いながら魔力を補充するほか無いかも知れない。

味方が見えてきた。

既に敵との戦いを始めている。吹雪の中で戦う事をよしとしなかったのか、人間達はライン川東の平原に陣取り、次々に迫り来る巨神を撃退して廻っていた。

巨神はおそらく二千から三千。人間より少し数が多い。だが、此方には兄がいる。簡単に、敵に陣を突破はさせないだろう。

だが、人間側も疲弊が激しいようだ。見事な指揮はアルヴィルダによるものだろうか。無事だったのは、フレイヤも嬉しい。しかし、その指揮と重厚な布陣があっても、敵の勢いは凄まじい。

あまり楽観できる状態ではない。

フレイヤは高度を落とすと、人型に変じる。

それを見て、兵士達が歓声を上げた。

「勝利の女神だ! 救世主が来たぞ!」

「フレイヤ様! 我らにも勝利を!」

兵士達の士気が、一気に上がるのが分かった。

そのまま敵を蹴散らすとはいかないのが悔しいが、兵士達をがっかりさせるわけにもいかない。

巨神共も、それで臆するようなことも無い。

兄の側に舞い降りる。

「よくぞ戻った」

「はい、兄様」

「だが、疲弊が酷いようだな。 最前列から少し下がり、シグムンド達と合流すると良いだろう」

「分かっております」

直接兄の声を聞くことで、少しでも元気が欲しかった。

そのまま、いわれたように、少し下がる。敵には幸いリンドブルムはいない。ただ、どうして巨神の増援が出てきているのかが、分からない。

また、フリムの姿も見えない。まだ吹雪の中に潜んでいるのか、それとも。

シグムンドが来た。

「本当に死者どもの親玉を倒すとはな。 だが、やっぱり無傷とはいかないようだな」

「ええ。 傷そのものはふさがりましたが、消耗した魔力があまりにも大きくて、すぐに大威力の術を使うのは無理です」

「そうか、まあ無理はするな。 こっちも士気は上がってるからな」

見れば、レギンもいる。

無事だったのかと、今はただ、好ましく思えた。

 

4、希望の終わり

 

吹雪の中、憮然とフリムは戦況を見ていた。

人間とほぼ同数の味方が、押されに押されている。フルングニルが指揮を執っていたのならともかく、戦略だけを担当させたのでは厳しいか。だとしても、フレイが敵にいるとは言え、何たる醜態か。

フルングニルがいつも不機嫌そうにしていた理由が、何となく分かった。

ヴァン神族は確かに力を得た。だが、実戦経験に関しては、ミズガルドの人間共に遠く及ばないのが実情だ。

それに、生物兵器として一万年調整された人間共は、恐ろしいほどまでに磨き抜かれた戦闘的思考を持つに至っている。連中は、侮ってかかれる相手ではない。死者の軍勢とほぼ連戦になっているはずなのに、事実味方は大きな打撃を受けているのだ。

雪の下から、部下達が出てくる。

事前に隠れさせていた者達だ。

巨神にとって寒さは力。勿論、雪は活力の源。かってフロストジャイアントと呼ばれたのは伊達では無い。

「陛下、我々も前線に向かいましょうか」

「いや、よい」

既に、北ミズガルドの北端海岸に張り付かせている部下から、連絡が入っている。奴らが来たと。

此処からはもくろみ通り、奴らをアース神族と人間共に押しつける。

わざわざ少数の兵を連れて此方に来たのは、そもそもそれが目的だ。途中で兵を増員したが、それも空間転移の力を使っただけ。人間共と直接指揮でぶつかり合ってみて、危険だと判断したので、したことだ。

不意に、空が静かになる。

吹雪が、晴れる。

此処まで影響が来たか。腰掛けていた玉座を片付けさせる。もはや、時間的な猶予は、ない。

「総員、撤退の準備をせよ」

「は。 予定通りに」

此処からは、一手の間違いが致命的な事態を招きかねない。味方は多くの戦力を保持しているが、その優位も、一度でも失敗すれば即座に崩れてしまうだろう。

連絡を取り、空間転移が出来る魔術師部隊を呼び寄せる。

部下達を次々に引かせて、フルングニルの部隊と合流させる。そして最後に自身が、同じようにして空間転移。

まずは北ミズガルドに来た、あの終焉の使者達が。これより、全てを焼き払っていくのを、傍観する。

そして、人間共が交戦しはじめるのを、遠くから確認するだけだ。

初手は、これでいい。

 

シグムンドは見た。

吹雪が、不意に消えていく。

そればかりか、旺盛な戦意を発揮して戦っていた巨神共も、我先に撤退して行くでは無いか。

追撃をと言う声も出たが、シグムンドは止めさせた。

明らかな異常事態である。このような不可思議な状況が来ているのに、深追いするのは危険すぎる。

既に戦場を迂回して、非戦闘員はラインの向こうに避難させた。撤退に関しては、だから気にしなくても良い。

問題は、あのすさんでいた吹雪が、何事も無かったかのように消えてしまったという事だ。

「フレイ!」

手をかざしているフレイの元へ走り寄る。

アネットにけが人を、出来るだけ急いで回復するように、途中で頼んでおいた。どうも最大級に嫌な予感がする。

フレイも、呆然として立ち尽くしているようだ。

フレイヤも来た。

さっきまでの勝利の喜びは、何処かへ飛んで行ってしまった。

「フレイ、何が起きた」

「分からないが、また大きな異変が発生したようだな。 これだけ広域で起きていた自然現象がかき消えるような事態だ。 十中八九、三悪魔の残りが目覚めたか、或いはミズガルドに到達したとみて良いだろう」

「冗談じゃないな。 あのヘルと、同じような力を持つ奴が、まだ二匹もいるんだろう?」

「……そう、だな」

フレイは何かを感じ取っているようで、じっと北の方を見つめている。

アルヴィルダが来る。きんきらの護衛達をつれていたが、あまり表情は芳しくない。

「神よ、何が起きたのか」

「分からない。 だが、斥候には出た方が良いだろう。 シグムンド、北の民の精鋭と共に来て欲しい。 フレイヤ、魔力を補充しながら、皆を回復しておいてくれるか。 いざというときに備えて欲しいのだ」

「いえ、兄様。 私も、行きます。 三悪魔と交戦した経験がありますし、何より回復はアネットに任せて大丈夫なはずです」

フレイヤが、フレイの言うことに口答えするとは。

一番驚いたのはフレイのようだ。

だが、妹の言うことに一理あると感じたのだろう。頷くと、分かったと行った。

そのまま、偵察に出る。

どのみち、味方は連戦できる状態には無い。先に斥候をして、敵の戦力を精確に把握する必要がある。

一緒に来たレギンが、不意に足を止める。

「おい、なんだか暑くねえか」

「本当だ。 雪が……」

分厚く大地を覆っていた雪が、溶け始めているのが分かった。

一体何が起きている。

分かっているのは、またとてつもない異変が、ミズガルドを覆おうとしている。それだけだった。

 

(続)