死雪猛攻
序、白い幕
言葉ではどうしても理解できなかった現象が、シグムンドの前に立ちはだかっていた。寒い、などという次元ではない。アドバイス通り毛皮を着込んでいなければ、一瞬で凍死していただろう。
雨のように雪が降ることは、今までの戦いや、その結果見てきたもので知っていた。
しかし、これほど激しく雪が降るとは。吹雪とは、雪の嵐なのだと、シグムンドは思い、毛皮をかき寄せる。
これでは、軍事行動どころでは無い。
とにかく、可能な限りの短時間で慣れなければならない。
アネットが魔術を使って、毛皮の保温効果を上げてくれているという。ただし、手指を絶対に大気に晒すなとも念を押された。凍って腐れて落ちるという。信じがたい話だが、この白い幕を見てしまうと、納得だ。
先に行っていたフレイが戻ってくる。
今、砦を越えて、かって知ったる筈の森に戻ってきたところなのだが。周囲が完全に未知の世界も同然である。木々も枯れてしまっているようで、其処に雪が際限なくつもり、まるで化け物のような造形がそこらじゅうに出来ていた。
「巨神族がいる。 小隊規模だ」
「おいおい、連中こんな所で、平気なのかよ」
「元々連中はこの雪の権化、なのだろう?」
久しぶりにヘルギが泣き言を漏らした。だが、それに応じるヴェルンドの言葉に、フレイは頷く。
フレイはと言うと、毛皮も着ず、鎧のままだけで大丈夫な様子だ。
木の影になっているところで、点々と休む。吹雪の中に立つと、それだけで体力が奪われていくのが、よく分かる。
吹雪の中を、死者も巡回している。あの手強かった、骸骨の巨大な死者だ。だが、此方には気付かないようで、そのまま歩み去ってしまう。
それだけが、幸いだ。
「巨神共がいるってことは、フリムとかって野郎がいる事は確定らしいな」
「だと願いたい。 そいつを殺して、巨神族を混乱させれば、勝機が出てくるってわけか」
シグムンドとヴェルンドが話している横で、ヘルギがたき火に薪を足す。たき火そのものも、周囲から見えづらいように、雪よけをしている者達を廻りながら、フレイが指導しているようだ。
少しずつ慣れてきているとは言え、この寒さは桁違いだ。
寒くて力が出ないから、肉を食いたい。荷駄に積んできている肉は凍ってしまっていて、温めないととても歯が立たない有様だった。この様子だと、吹雪とやらのせいで、北ミズガルドの動物は全滅状態かも知れない。
フレイが戻ってきたので、聞いてみる。
「酷い有様だが、かってはこの寒さが自然だったのか?」
「そうだ。 かって、ミズガルドはむしろ全域が氷河に覆われ、寒さに適応した種族が暮らしていたらしい」
「氷河? なんだそりゃあ」
「簡単に説明すると、凍った河だ。 凍ったまま、ゆっくりゆっくり流れていく」
ヘルギが、身震いした。想像も出来ない、恐ろしいものだと思ったのだろう。フレイも苦笑すると、薪を一本足す。
フレイの側にいると、神の力なのか、少し暖かい。
「戦うにしても、簡単にはいかないな」
「ずっと吹雪いているわけではない。 晴れるタイミングを見計らい、奇襲を仕掛けよう」
はぐれた者がいないか、確認して回った後、ヘルギと一緒に偵察に出る。
フレイが言っていた通り、巨神族の小隊がいる。中巨神もいない、小さな部隊だ。すぐ側を、死者が通り過ぎる。
驚いたことに、巨神側が先に動いて、距離を取った。
という事は、敵対しているとみて良いだろう。少なくとも、友好的な間柄では無さそうだ。
「寒い、早く戻ろうぜ」
「少し静かにしろ」
この吹雪の中、ヘルギは随分と気弱になっているようで、シグムンドはあしらうようにして接しなければならなかった。
シグムンドだって、このような奇っ怪な気候の中で、いつまでもいたいとは思わない。こんな状態で敵に襲われたら、ひとたまりもない。
ただ、それは敵も同じ筈。特に、死者はそうでは無いだろうか。実際問題、寒さで動きが鈍っている上に、近くにいる巨神族のことも認識できているようには思えない。これを利用して、奴らを争わせることが出来ないだろうか。
少しずつ、吹雪の中での動き方が分かってくる。
方角の見定め方も、だ。
一度巨神族の部隊から距離を取り、他の方角も確認していく。幾つか、巨神族の小隊が駐屯している様子だ。
中巨神を見つける。攻撃を受けた場合、他の部隊から支援を受けられる位置にいる。上手い配置だ。もしも仕掛けるなら、フレイにトールの剛弓で消し飛ばしてもらうのが、一番効率的かも知れない。
一度戻って、地図を作る。
敵は駐屯したまま、位置を変える様子が無い。駐屯している目的が、よく分からない。領土として確保するというのなら、この吹雪いている有様で、充分なように思えてくる。フレイに、聞いてみる。
「敵の目的は、何だと思う」
「分からない。 ただし、兵を散らして配置しているという事は、奇襲を受けたときに対応するためとみて良いだろう」
「此方の動きが読まれている、って事か?」
「可能性はある」
そもそも、イズンを疑うわけではないが、あまりにもタイミング良く情報が入ったのだと、フレイがぼやく。
別方向に偵察に出ていたヴェルンドが戻ってくる。
村の一つの残骸から、干し肉や酒を持ってきたという。俄然戦士達が沸く。北ミズガルドの物資が手に入ったのだ。懐かしい味である。
皆、めいめい食事を開始する。
ヴェルンドが、もう一つ、面白い情報を持ち帰ってきた。
「でかい巨神を見かけた。 フリムって奴かも知れない」
「本当か。 どの辺りだ」
「まあ待て。 護衛の大巨神が三体一緒にいた。 もしも仕掛けるとすると、総力戦になるだろうな」
ヴェルンドが、偵察に出ていた村の方から、かなり離れた地点を指さす。
これは、山の間に幻が見える現象か。
この辺りでは、幻が見える山が存在している。それは別に怪しげな現象ではなく、単に霧などが原因で起きるものだと、誰もが知っている。今回の場合は、吹雪が原因になっている、というわけだ。
手慣れた狩人になると、幻の様子から、実体がどこにいるかを把握する。ヴェルンドも、それが出来る一人なのである。
偵察の幅を広げた方が良いだろう。そう提案すると、フレイも頷く。
うまいうまいと涙を流しながら、嬉しそうに肉をほおばっているヘルギを見ると、すぐに行くとは言い出しづらい。だが、言わなければならない。
「それを食べ終えたら、行くぞ」
「わーってる。 もうちょっとだけ」
シグムンドも、それ以上はがみがみ言わない。フレイヤも今頃、冥府で頑張っているだろう。もたついてはいられない。しかし、北の民にとって、故郷に戻ってこられた貴重な時間なのだ。
少しは、喜びをかみしめさせてもやりたい。
焼いた干し肉を口に突っ込むと、ヘルギも立ち上がる。少し、元気が出たようだ。
「よし、行こうぜ。 そいつがフリムって奴かどうか、確認するんだな」
「そうだ」
「フレイ、フリムって奴の特徴か何かは分からないか」
「そうだな。 フリムは調べてみたところ、かなりふるい巨神のようだ。 そうなってくると、フルングニルにも劣らぬ巨体だとみて良いだろう。 それに、鎧を着けている可能性が高い」
鎧か。
勿論大巨神よりも大きな奴がつける鎧だ。相当に頑強なのだろう。しかも王がつけるくらいだから、恐ろしい魔術が掛かっている可能性も否定できない。
皆に集まってもらって、ヴェルンドが見つけたフリムの話をしておく。それから、偵察の規模を拡大する。
皆、北の戦士だ。
そろそろ体も慣れてきている。巨神共の王を見つけたかも知れないとなれば、俄然士気も上がってくる。
「フレイヤとどっちが先に狙った相手を仕留めるか、競争だぜ」
ヘルギが言うと、周囲に笑いがこぼれた。
吹雪だから、多少は笑っても問題は無い。小隊規模での行動を必ず行う事、無理な交戦は絶対に避けること。それを皆で復唱すると、さっと散る。
アネットは、小競り合いで怪我をした者達と一緒に残ってもらう。これは、後方を襲われたときのための保険だ。
獲物を狙う狼のように、北の民の戦士達が動き出す。その剽悍さは、吹雪の中でも変わらない。
戦いは、もう始まっている。
1、女神フレイヤの冥界行
鷹になって、ヘルを目指すフレイヤは、冥界の光景を堪能している暇も無かった。
何しろ、全ての存在が、ヘルの走狗となっているとみて良いのである。もしも何かに見られたら、その時点で大規模な敵との交戦を覚悟しなければならない。
だから、高高度は飛べない。
かといって、低空を飛べば、視界がそれだけ狭まる。時々岩山に着地して様子をうかがいながら、可能な限りの短距離を急いで飛び、また身を伏せる。そうやって、少しずつ進むしかなかった。
時々、イズンが話しかけてくる。
アスガルドの戦況はあまり良くない様子だ。それでも、イズンが気丈に振る舞っているので、痛々しかった。
「イズン、ヘルの気配は近づいていますか」
「ええ。 そのまま、進んでください」
「ヘルは、どのような存在なのですか」
「……私は以前、冥界に駐留していたことがあります」
驚くべき事を、イズンが言う。彼女はアスガルドでもオーディンに次ぐ古株だ。経歴に、冥界の駐留があってもおかしくはないだろう。
その割にヘルの宮殿の位置が分からなかったのは、何故かよく分からない。そういえば、細かい地図も知っているのが普通の気がする。
聞いてみると、イズンは苦笑いしたようだ。
「冥界は流動的に形を変えています。 宮殿も、私が知っていた頃とは、随分違っているかも知れません」
「そうなのですか」
「大まかな場所についてはわかりますが、それも何とも。 空間が歪んでいる箇所が彼方此方にあるので、冥界にいた頃には、移動にも苦労していました」
戦いの音が、イズンの声の側からするようだ。
イズン自身も、戦いながら、話しているのかも知れない。
「ヘルは本来神と言うよりも、管理のための仕組みで、それに人格が宿ったため、アスガルドの手で冥界の支配者として操作され続けていました」
「しくみ、ですか」
「機械細工に近いものです。 貴方たちが撃墜したナグルファルを覚えていますか?」
当然だ。
兄と力を合わせたとは言え、勝てたのが不思議なほどの、本当に手強い相手だった。
イズンの周囲で、爆発が起きているようだ。イズンは声を可能な限り乱さないようにして、教えてくれる。
「あれは、おそらくは、ヘルの体に使われていた技術の一部が用いられていた形跡があります」
「それは、秘中の秘では?」
「或いは、同系列の技術であったのかも知れません。 どうやってフリムがそれを入手したのかは、私にも分かりません」
なるほどと、フレイヤは呟いた。
有益な情報だ。つまりヘルは、ナグルファルと似た気配を発していると考えて良い。そうなると、俄然探索がやりやすくなる。
ただし、あまりにもニブルへイムは広い。
要所要所には死者の軍勢がいるし、いつまでも見つからずには進めないだろう。更にもう一つ、嫌なことが起きていた。
フレイヤの体から、魔力が剥落しはじめているのだ。
これは、フレイヤがニブルへイムの存在、つまりは死者では無いからだろう。イズンに聞いてはいたが、此処では生者はあまり長くはいられない。生者こそが、ニブルへイムにおいては異物なのだ。
何か食べ物を口にしたら致命的だという。二度と、冥界からは戻れなくなる。
かってニブルへイムに駐屯していたアスガルドの神々は、このため交代を多めにして対応していたらしい。
見ると、岩山の間に、無数の死者が群れていた。人間の死者ではなく狼のものだ。どれも体が崩れ、舌をだらんと垂らして、全ての個体が明後日の方向を向いている。それぞれが、別の方向を警戒しているのだろう。
狼の視力は知り尽くしている。
テュールと兄と一緒に修行したとき、覚えたのだ。
テュールは狼たちを手なづけていて、その習性を知り尽くしていた。どうすれば喜ぶか、嫌がるか、怒るか。どのようにして友情をはぐくむか、相手のことを尊重するのか。そういったことと一緒に、狼の生態的な能力についても、詳しく知った。
死者になった分を差し引いても、相手に捕捉される距離は分かる。高度を落として、岩山の影に隠れる。
ヒトの形に戻ると、フレイヤは一息ついた。
魔力の流出が収まらない。わずかずつなのだが、確実にフレイヤの力はそぎ落とされて行っている。
このまま、あまり長い事ここにいると、本当に死んでしまう事になる。そうすれば、ヘルを討つどころか、兄の足を引っ張ってしまう。
兄は、フリムを倒せただろうか。
通信は出来ない。
冥界と地上では遠すぎる。アスガルドから冥界に通信できるイズンの力が段違いに強いのである。フレイヤから同じ事を、兄に対しては出来ない。
周囲を念入りに確認してから、再び鷹に変じた。
空に舞い上がり、出来るだけ低空を行きながら、ヘルの魔力をたどる。しかし近づけば近づくほど、底なしに強く感じるようになるのは、全くもってぞっとしない。どれほどの化け物なのか、想像も出来ない。
少しでも戦う前に、勝率を上げておきたい。
「ヘルの弱点は何か分かりませんか」
「おそらくは、ですが。 ユミルによって無理に呼び起こされた存在だとすれば、ヘル自身は不死ではないと思います」
「どういうことですか」
「現象として人格が与えられている。 つまりは神となっているからです」
なるほど、納得した。
たとえば、気象現象などは殺す事は出来ない。しかし、巨神のように人格を持ち出した場合は、形を取り、しかも殺す事が出来るのだ。
死という現象が、人格と形を持った場合。
非常に強力である事は、容易に想像が出来る。その一方で、現象に形が与えられている以上、破壊することも出来るのだ。
つまりは、フレイヤ達と同じ次元に相手が存在しているという事である。
ある意味、好都合であるとはいえた。
「これは推察ですが、ヘルが操っている死者達と、根本的には同じ存在になっているのではないでしょうか」
「つまり、コアが存在し、破壊すれば殺す事が出来ると」
「あくまで推察です。 そうだと思い込むのは危険ですよ」
「分かっています。 しかし、希望に変えていきたい」
再び着地した。
アスガルドから叩き返されたらしい、巨大な死者達が、集まってなにやら話し込んでいる。おそらく編制をされている最中なのだろう。
知性の一部は残っているようで、彼らはゆっくりずつ、何か喋っていた。耳を傾けてみる。
「巫山戯た話、だ。 我らがまさか、顎で行使されるとは、な」
「しかも、その相手は、ヘルなどと言う若造の神よ。 不快きわまりない、話だ」
「……だがな。 父祖ユミルの作りかけの世界を、完成させようとしなかった我らにも、原因はあるのやも知れぬ」
最後に他の者達をたしなめた死者の雰囲気に覚えがある。
というよりも、似ている。テュールに。
「特に、情報の再循環システムは、作っておくべきであった。 一度死ねばみなニブルへイムに落ちておしまいというのは、問題があったな。 冥界からでもアスガルドに働きかけて、改善を図るべきだったのだ」
「うむ。 それは確かに。 だからエインヘリアルなどと言う極めて半端な転生の仕組みだけしか、実現しなかったとも言える」
「口惜しいが、ヘルには意見できぬ。 我ら皆、冥界で惰眠を貪り続けたつけが廻ってきたのかも知れん」
「……」
死者達が、編制を済ませたらしく、行軍を開始する。
多くの人間の死者と、狼の群れ。それに魔物の死者達も、従えているようだ。見ると、軽く数万には達するほどに数がいる。正面から戦うには、リスクが多すぎる。潜んで、通り過ぎるのを待つしか無かった。
中途半端な世界、か。
確かに、ユミルが死や老い、破滅などを神格化してけしかけてきたのも、それが事実であるから、だろう。
ニブルへイムが如何に広大でも、放っておけばそのうち満杯になってしまうのは、目に見えていたのだ。
それならば、ニブルへイムからミズガルド、アスガルド、ヨトゥンヘイムやスヴァルトヘイムに、命が戻る仕組みを作るべきだったのかも知れない。
エインヘリアルは、ミズガルドをアース神族が支配した一万年に達する歴史で、五十万にしか達しなかった。
ワルキューレによる死者の救済は、あまりにも限定的すぎた。
アース神族は、もっと視野を広げるべきだったのかも知れない。だが、今更それに気付いても、もう遅すぎた。
「イズン、気をつけて。 とても強い死者の軍団が、そちらに向かいました」
「分かっています。 到着まで、あまり時間は掛からないでしょう」
「どういうことですか」
「アスガルドの近くに、冥界は出口を作ったようなのです。 今、それを潰すために、精鋭が戦っています。 私も、その中にいます」
それで、激しい戦いの音がしていたのか。
無事を祈るしか、フレイヤには出来ない。
ヘルの気配が、ますます禍々しく感じ取れるようになってきた。
死そのものが、今まで世界に存在しなかった、というわけではない。だが、アース神族にとって、それは都合良く制御できる存在に過ぎなかった。今、神として形を得ている死は、おぞましいまでに力強い。
ニブルへイムの、かなり奥に来たから、だろうか。
辺りには簡易な集落が見える。ニブルへイムに来ると、誰もが気力をそぎ落とされてしまうと言うことだが。それでも、家を作るくらいの余力がある者はいた、ということなのか。
家は石造りで、土まんじゅうのような、最低限の造りだ。
見ると、青白い顔の、弱々しい人間の死者達が、家の周囲で膝を抱えて空を見上げている。
弱すぎて、兵隊にするには値しないとヘルが判断したのだろうか。
そういえば、ヘルの兵の中には、小動物や戦闘向きでは無い種族は、存在していないように思える。
イズンに呼びかけるが、返事はない。
激しい戦いの最中なのだろうと、納得。無理もない。死者の拠点を潰すとなると、どれほどの数の敵が相手になる事か。
ニブルへイムの中心に向かう。
少しずつ、家の数が増えていくようだ。広大なニブルへイムといえど、ヘルがいる辺りは中心地に近く、その周囲には古い死者が住んでいるのかも知れない。家も、少しずつ、立派になっているように思える。
これはおそらく、長い年月を掛けて、少しずつ改良してきている、という事なのだろう。
どれだけ気力をそぎ落とされていたとしても、最低限のものがあれば。少しずつは、進歩できるという事か。
それが分かって、少しだけ嬉しい。
ただ、集落が増えてきているという事は、それだけ目撃される可能性も上がると言うことを意味している。
あまり楽観は出来ない。
集落を、可能な限り避けながら進む。
「フレイヤよ」
不意に、イズンの声。
作戦が一段落したのだろうか。成功していると良いのだが。
「イズン、無事ですか」
「あまり無事とは言えません。 作戦は成功し、どうにか冥界との路は塞ぎましたが、参加した五万ほどのエインヘリアルは、その八割を失いました」
それは、尋常ならざる被害だ。
作戦は、周辺のめぼしい死者の駆逐も含んでいたという。大きな被害をだしながらも、敵の橋頭堡を砕いたことで、時間を稼ぐことも出来た。結界の修復も、今は行えているのだとか。
「時間を稼ぐことは出来ましたが、それもあまり長くはありません。 敵が体制を整えてしまえば、すぐに圧倒的な大軍を揃えて、再びの波状攻撃を仕掛けてくる事でしょう」
「分かりました。 可能な限り、急ぎます」
今までのイズンの話を総合する限り、既にアスガルドは二割以上の兵力を喪失している。もう一度結界を破られれば、短時間で壊滅する可能性が高い。これ以上は、文字通り一刻の猶予もならない。
場合によっては、強行突破も視野に入れる必要がある。
焦りを抑えながら、フレイヤは飛ぶ。
また、死者達の集落だ。かなり出くわす頻度が増えてきた。人間達ばかりかと思ったら、なんと魔物が一緒に暮らしている。魔物はミズガルドで散々戦った者では無く、大きなトカゲのような姿をしていた。
食事については、どうやら泥をそのまま食べているようだ。大河ギョッルの水を冥界の土と混ぜ合わせ、口に運んでいる。
「これは……」
「死者達の食事を見たのですか」
「ええ。 あのような、子供のままごとのようなことをして、死者達は糧を得られるのですか?」
「死者達は、冥界の魔力を直接食べているようなのです。 彼らの体は我々神々と同じく魔力で構成されていて、情報に冥界の土を混ぜることで、固定しているのだとか。 仮に固定を失っても、冥界の泥を食べる事で、またすぐに元に戻るようです。 だから、厳密には我々の食事とは、意味が異なっているようですね」
そうなると、死者達は、文字通りの不死なのか。
ある意味当然か。彼らは一度死んでいるのだ。
しかも、あり得そうもない事まで実現できている。まさか、魔物と人間が、死んだ後とは言え、共存できているとは、思わなかった。
魔物は人間と共同して、土を運んだり、家に使うだろう物資をこねたり錬ったりして、集落に溶け込んでいる様子だ。家畜のように使われていることもなく、互いの長所を分担し合っている。文字通りの共存だ。
一万年、あったのだ。
古い死者の中には、そういう関係を、魔物と築いてきた者もいるのだろう。皆、動きは非常にゆっくりだが、本当に驚かされた。
いたたまれなくなって、集落を離れる。
冥界は、必ずしも、悪いばかりの場所では無いのかも知れない。
少なくとも、あの場所を蹂躙する権利は、フレイヤにはなかった。否、どんな神にだって、ないだろう。
何度も、集落の側を通りがかる。
その度に驚かされる。
ある集落では、なんとアスガルドの神々の死者が、巨神の死者と机上遊戯に興じているでは無いか。
どちらにも敵意はなく、ゆっくりと駒を動かしながら、一喜一憂している様子がよく分かる。
また別の集落では、巨神族の死者が、人間の子供の死者を両肩に乗せて、歩いている。ミズガルドにいるときのような新鮮な喜びはないようだが、子供達に嫌がっている様子は無かった。
地上では出来ないことが。
此処では、時間がいくらでもあり、欲求が存在しないため、出来てしまう。もしも、アスガルドの神々がヴァン神族に敬意を払い、人間達も神々を敬い、世界を良くしようと皆で手を取り合っていたのなら。地上には、こんな光景が、現出し得たのだろうか。
否、難しいだろう。
これは、死者であるからこそ、出来た事だ。悲しいが、フレイヤはそう結論せざるを得なかった。
勿論良い光景ばかりでは無い。
ある集落では、どの死者も何もかも面倒くさいのか、横に雑魚寝に転がって、そのまま身動き一つしない。
文字通り、息をしているだけの存在になっていた。
別の集落では、岩壁に向かって、人間の死者の男が、延々と何かを呟き続けていた。聞いてみるが、どうにもこうにも、何ら意味の無い繰り言である。見ると、他の死者達も、めいめい勝手な事を、誰にも邪魔されずに行っている様子だ。狂気が充満し、其処には秩序も何も無い。
死者が二人、向かい合って何か話している。
だがよく話を聞いてみると、そもそも会話が成立していない。互いに勝手な事を言い合っているだけで、しかもそれで満足してしまっているのだ。相手に話を聞かせる気も無ければ、相手の話を聞く気も無いのである。
ある所では、冥界の長所を見せられ。
またある所では、おぞましい狂気に満ちた世界を見せられてしまう。
幾つもの集落の側を影のように飛び抜けながら、フレイヤはヘルのいる場所を目指す。その過程で聞くが、ヘルも宮殿のような場所で生活しているという。それならば、一目で分かるはずだ。
時間は、無情に過ぎていく。
広大な平野が見えてきた。迂回している時間は無いかもしれない。だが、此処で焦っては、今までの隠密行の意味が無くなってしまう。
平野には多数の狼の死者が群れていて、彼方此方好き勝手な方向を見ている。平野の向こうには、大河があった。ギョッルの本流かも知れない。
「ヘルの宮殿は、ギョッルの中流近くにあるはずです。 周囲は岩山がそそり立ち、乱気流で守られているので、空からは近づけないでしょう。 地上から行くしかありません」
「どの程度に備えていると思いますか」
「アスガルドにこれだけ大胆な攻撃を仕掛けてきているとは言え、最低でも十万は精鋭の死者を配置しているとみて良いでしょうね。 その中にはいにしえの神々の死者も含まれているはずです」
「気を引き締めて行きます」
今までに無いほど、強くヘルの力を感じている。
間違いなく、この近くに宮殿はあるとみて良い。フレイヤの魔力はまだ余裕があるが、十万の軍勢を相手に戦うほどの力はない。
やるとすれば、攪乱を活用し、一点突破を計る他ない。
それには、宮殿の正確な位置把握が必要だ。
一端平野の影に降りる。
そこで、フレイヤは魔術を展開して、周囲の探索を開始した。まずはめぼしい強力な死者の配置を見る。
続いて、地形の把握だ。
どちらも、大まかにしかできない。
細かい精度の魔術を展開している余裕は無いし、何より下手をすると敵に逆探知されてしまうからだ。ヘルにこの場所を悟られでもしたら、即座に十万を超える死者の強者が、殺到してくるだろう。
強力な死者のことが、少しずつ分かってくる。
どうやらいにしえの神々の死者らしい者が、三十ほどいる。中でも五体ほどは、非常に強い力を持っているようだ。
全てを相手にしていたら、ヘルを斃す前に力尽きる。
もしもやるのであれば、おびき寄せて各個撃破していくほか無い。それでも、苦戦は免れないだろう。
地形については、だいたい分かってきた。
ヘルの宮殿は、意外に慎ましい規模だ。六百歩四方という所だろう。これはアスガルドの神々の宮殿と比べると、かなり小さい方である。
強い敵に探査を絞ったから、弱めの死者の居場所はよく分からない。ただ、分かったのは、宮殿そのものが岩山に埋もれるようにして存在していて、周囲は乱気流で守られ、行くには一本道を通り抜けるしかない。
しかもその一本道は曲がりくねっていて視界がさえぎられ、路自体も決して歩きやすい場所ではない、という事だ。
もしも、やるとすれば。
策をくみ上げる。
兄ならどうするか。シグムンドなら。考えて行くと、取ることが出来る策は、さほど多くないことが分かる。
一本道というのは、逆に好機でもあると、前向きに考える。人間の戦士達は、いつもそうして危機を乗り切っていた。フレイヤも真似する。
周囲全てから包囲される畏れはない。退路さえ塞いでしまえば、追撃を受ける可能性は消えるのだ。
ヘルを倒せなければ、どのみち皆終わりだ。
敵は要害で、アナグマのように籠城を決め込んでいる。だが、逆に言えば、それは袋の鼠だと考えて良い。
勝機が見えてきた。
十万の敵を殆ど無力化できるかも知れない。ただし、それには、念入りな準備が必要になってくる。
「イズン、これからヘルを討つために、準備をします。 そちらは、持ちこたえられそうですか」
「何とか頑張ってみます」
イズンらが、冥界の穴を塞いでから、既に丸一日が経っている。死者の軍勢が、体制を立て直すには、充分な時間だっただろう。
今頃アスガルドは、死者の軍勢による猛攻を、再び受けているに違いない。
結界を多少は修復できたとしても、保って二日。それ以上経ってしまえば、もはや勝機は無いとみて良い。
ヘルの推定戦力は、感じる魔力だけでも、フレイヤの三十倍から五十倍。勿論、戦闘経験も豊富なことだろう。
だが、人間達はこう言うはずだ。
最後まで、戦士であれと。
フレイヤは雷鳴の槍を取り出す。これを切り札として用いる。
ヘルも不自然な死者だとすれば、イズンが言ったように、かならずやコアがあるはず。むき出しのコアに、全力で雷鳴の槍からの稲妻を叩き込むことが出来れば。
一瞬だけ、なにやら覚えがある魔力を感じた。
正体は、ヘルに遭遇してから、確かめれば良い。
思ったよりも早い再会だったと思いながら、フレイヤは雷鳴の槍をしまい、制圧火力に用いる氷の杖と、炎の杖、それに強敵相手に温存していた風刃の杖を、順番にチェックする。雷の王錫も、充分に魔力が充填されていて、しばらくは消耗を考えなくても良いだろう。
さて、まずは、どうやって平野を突破するかだ。
此処でもたついていたら、おそらくはヘルに対応する時間を与えてしまうことだろう。可能な限り、強引でも良いから、短時間で突破する。問題は、平野の向こうにあるギョッルの突破だ。其処には数体の強力な死者が、監視網を張っている。
だいたいの位置は分かった。ヘルに対して、これから強行突破を掛ける。アスガルドの状態を考えると、もはや猶予はない。
危険を顧みてはいられなかった。
2、蹂躙される神の城
フレイヤとの通信を一端切ると、イズンは大きく嘆息した。
足の傷が、痛んで仕方が無い。
冥界の穴を塞ぐ作戦を実施したとき、激しい戦いになった。テュールと一緒に出撃したイズンは、ディースの弓と呼ばれる魔弓を手に、敵の大軍と戦った。
この弓は一度に複数の敵を狙い、それを余さず撃ち抜くという強力な魔術の弓であり、アスガルド最高幹部であるイズンが所有しているもののなかでも最強の逸品の一つだ。魔力が強いイズンには、非常に相性が良い武器でもある。しかも魔力の矢を放つため、非力なイズンにも都合が良い。
突破作戦を実施する最中は良かった。下り坂だし、何よりテュール達の加護もあった。敵陣を不意を突いて切り裂き、一気に進んで、そして冥界の穴へ。
場所を特定したところで、オーディンにグングニルを打ち込んでもらったのだ。
アスガルドの至宝、最強の槍グングニルは、文字通り最強の閃光となって、一撃で冥界との通路を破壊した。
更に、タイミングを合わせて全軍で一斉攻勢に出て、アスガルドの結界に纏わり付いている死者共を一気に駆逐した。
そして、テュールと一緒にイズンは撤退する軍の最後尾に残り、ディースの弓を手に敵を撃ち抜き続けたのだが。
結界内部に戻ろうとした瞬間だった。
遙か遠くから飛んできた槍が、イズンの華奢な足を、貫いたのである。
すぐに槍を引き抜いて手当をしたのだが、状況は芳しくなかった。イズンの腕前であれば、たとえば千切れた足くらいはつなぐことが出来たのだが。槍には、神々が尻込みするような、強い呪いが掛かっていた。傷を塞いだ後、回復の術を掛けたが、足はまだ治らない。
びっこを引きつつ、イズンは結界の外縁に出る。
フレイヤは、どれくらい結界が保つと考えているだろう。一日か、二日か。
おそらく、今までの敵の攻勢のペースを計算すれば、それは正解だ。
ただし。目の前に展開している、予想外に多い死者を考慮すると、結果は変わってくる。
敵の駆逐作戦は、成功した。
アスガルド近くに作られていた冥界からの穴も塞いだ。
だが、ヘルはおそらく、それで本腰を入れることとなったのだろう。ミズガルドに展開していた死者を、根こそぎ集めてきたのである。
数は算定不能。
青ざめた下級神の計算によると、六百万とか七百万とか。空は真っ暗になるほどの死者で覆い尽くされ、山裾から此処まで、びっしり死者が覆っている。
連中は定距離を保ったまま、攻撃開始の合図を待っているようだった。
テュールが、急いで周囲の配置を見て廻っている。
結界が破られたときのことを、考慮しているのだろう。オーディンも流石に本腰を入れて、最前線の指揮所で、敵をにらみ据えていた。
「敵、動き出しました……」
誰かが、間抜けな報告をする。
言われなくても、分かっている。
敵の全軍が、怒濤のごとく進撃を開始したのである。
トールが先陣を切った。
ミョルニルハンマーを、全力で投擲する。真っ黒なほどの敵の大軍勢に稲妻を放ちながら飛び込んだ必殺のハンマーは、敵をなぎ倒しながら回転し、トールの手に戻る。
テュールも、アスガルド最強の剣を振るう。
死者が一閃ごとに数十ずつ、真っ二つに切り裂かれ、消えて爆ぜる。
イズンも弓を引きしぼると、連続で矢を放った。魔力をそのまま矢にするため、いちいちつがえなくて良いのは嬉しい。
無心に、そのまま死者共を撃ち抜き続ける。
イズンは、最古参の神の一柱だ。オーディンと同時期に生を受け、代替わりをする事も無く、アスガルドの創設に関わってきた。
オーディンの苦悩も、一番間近で見続けてきた。
確かにオーディンは聖人君主ではない。狡猾で乱暴で、特に若い頃は残忍な面が目立っていた。
だが、それでもアスガルドの事を考えていた。
全体の、総合的な幸福についても、である。
この世界を維持して、可能な限り平穏に運営して行くにはどうすれば良いのか。腐心し苦心し、そして今の世界が作り上げられた。
ユミルの告発については、イズンも聞いた。
確かに、断罪されるべきかも知れない。少なくとも、オーディンや、最初の頃から治世に関わっているイズンはそうだろう。世界の秘密を知ってしまったトールやテュールも。だが、全ての神々を、死なせるわけにはいかない。
結界に襲いかかった死者達が、暴力的な数での攻撃を始める。
エインヘリアルも総力で敵の駆除に当たっているが、とても追いつかない。神々も総出で戦っているが、敵の数があまりにも多すぎるのだ。
「結界負荷、上昇中!」
「後どれくらい保ちますか」
「四刻保てばいいほうかと……」
イズンに長く仕えている下級神が、諦めきった様子で言った。彼は禿頭の老人だが、実際にはイズンの方が年上である。
「アルネース、今までよく仕えてくれましたね」
「そんな、もったいなきお言葉にございます」
何となく、感じていた。
イズンの命は、間もなく尽きる。この戦いで死ななくても、受けた呪いは、徐々に全身に広がり続けている。
槍を放ったのは、おそらくいにしえの神の死者だろう。
もしも直すのであれば、本腰で治療を行わなければならない。今は、その時間が、存在しないのだ。
呼吸を整える。
アルネースが、額の汗を拭ってくれた。既に四百回以上、矢を放っている。だが、死者はまるで数が減る様子が無い。足の力は、入らなくなりつつある。
「このアルネース、最後まで姫様の側におります」
「私は姫ではありませんよ」
「お許しください。 若い頃には、貴方のことをリンゴの姫様とお呼びして、慕っておりました」
「勝手な事を……」
しかる気にはなれなかった。それに、アスガルドの神は老いでは死なない。下級神といえどもだ。このようなことを言うのには、意味がある。
アルネースも、分かっているのだろう。イズンが既に、生きることを諦めてしまっていることは。
おそらくは、身に受けた呪いの深刻さも。
呼吸を整えて、魔力を練り直すと、再びディースの弓を引き絞る。そして、群がる死者達に、連続して魔力の矢を浴びせた。
だが、どれだけ敵を屠っても、まるで焼け石に水だ。
必死の戦いを嘲笑うように、残酷な現実が牙を剥く。
「結界、崩壊します!」
結界が、ついに打ち砕かれた。
耳障りな笑い声を上げながら、膨大な数の死者が押し寄せてくる。エインヘリアル達が奮戦しているが、とても数が足りない。
「死者共。 私は逃げも隠れもしません。 アスガルドの神、イズンが相手です!」
本当は。本当ならば。
いずれ、戦って死ぬときにでも、秘密は全て冥界に持っていきたかった。
オーディンも、それを願っていたかも知れない。あのようなおぞましき世界の真実など、誰にも知られるべきではなかった。
見る間に、前線が打撃を受けていく。
数が違いすぎる。トールもテュールも奮戦して、めぼしい死者は削り取ってくれていたが、それでもこの有様だ。
びゅんびゅんと矢が飛び交っている。死者も、弓矢は使うのだ。先ほど槍を投げてきた奴がいたが、飛び道具はそれだけではない。
槍から光を放っていたエインヘリアルが、イズンの目の前で、串刺しになって即死した。槍のようなサイズの矢が飛んできたのだ。
エインヘリアルは、人間を無理に神の座に引き上げたような存在だから、死ぬと魔力化して光になって消えてしまう。
もはや、怖れている場合ではなかった。
何度目だろう。ディースの弓を引き絞り、言う。
「アルネース。 私も、年を取ってみようかなと思います」
イズンは、必要に応じて若さを保っていた。
オーディンの愛人ではないことを示すためだ。妙齢の姿だと、どうしても最古参のイズンは、そういった目で見られる。
実際問題、スキャンダルをこれ以上増やすわけにはいかず、イズンはずっと若い姿のままでいた。というよりも、流石に奔放なアスガルドの倫理観でも、幼子に手を出すことは許されないため、面倒な求婚を回避するという意味もあった。
ただし、それだけではない。
イズンも昔は伴侶がいた。
ブラギという神だ。紆余曲折の末にうしなったが、代替わりはしなかった。結婚していたときよりもだいぶ幼い姿に、イズンはなっている。
ずっと若さを保ってきたのには、それも理由の一つであったのかも知れない。表だって言うことでは無かったが。
アルネースの返事はない。
気がつくと、隣に矢が突き刺さっていて、アルネースは魔力化して消えていた。そうか、最後まで、逃げずにいてくれたのか。
周囲の味方は壊滅状態だ。
だが、イズンの戦いは、敵をある程度周囲に引きつけることに成功している。此処が捨て石になれば、ある程度時間を稼ぐことが出来る。
フレイヤが、冥界で行動を開始している。
どうやら、上手にヘルの宮殿の近くにまで迫る事が出来たようだ。イズンは、静かに笑った。
其処まで行けば、きっとフレイヤなら、やり遂げてくれるはずだ。
いつのまにか、イズンの周囲に味方はおらず。イズン一柱になっていた。エインヘリアル達も、もういない。
怖くないと言えば、嘘になる。
空で、ワルキューレの一柱が、叩き落とされるのが見えた。死者の数は圧倒的すぎる。魔力化して消えていくワルキューレを見て、イズンは悲しい事だと思った。もはや、イズンも、同じ運命を逃れられないだろう。
気付くと。
足の傷に、また矢が突き刺さっていた。
たまらず倒れるイズンの前に、骸骨の死者がいる。
「あ、足が……っ!」
思わず、情けない悲鳴が漏れていた。最後まで頑張ろうと思っていたのに。骸骨の死者が、イズンの足を掴んで、つり上げた。
そのまま振り回して、何度も床に、辺りの瓦礫に叩き付ける。
「さっさと、死ね」
骸骨の死者が、ドスの利いた重苦しい声でそう言うと、どうしてかおかしい。全身がもうずたずたで、骨も何カ所も折れているのに、恐怖よりも痛みよりも、おかしさの方が先に立っていたのは。
きっと神々としてではなく、生物としての本能からだろうか。
薄れ行く意識の中で、妙に冷静に、イズンは呪文詠唱をしていた。
そして最後の力を振り絞って、骸骨の死者のコアに向け、渾身の魔力で火焔の術式を放っていたのである。
コアが燃え尽き、骸骨の死者が消えていく。
裕福な子供に飽きられた人形のごとく投げ出されたイズンは、ぼんやりと遠くを見た。どうやらフレイヤの所に、いつのまにか通信をつなげてしまっていたらしい。
「イズン! イズン! 無事ですか!」
「フレイヤ、貴方は、生き延びて。 私は……」
死の寸前に、気付く。
そういえば、オーディンはどうして、ブラギを自分にあてがったのだろう。ブラギは、どうして代替わりしなかったのか。
ああ、そういうこと、だったのか。
魔力化して消えていきながら。
イズンは、ようやく肩から荷が下りたことを、感じていた。
オーディンは、ワルキューレやエインヘリアルの仕組みを作る前に、実験的な神の生成を何度か行っていた。
テュールはそれを知っていた。
世界の真実に到達したとき、偶然に見てしまったのである。
自身の情報から、神を作る実験。現在、神の代替わりに、一般的に使われている技術の、原型になったもの。
そして、初期には、実験的な神が何柱も造り出された。
オズという神もいた。
そして、ブラギという神もいた。
それらはオーディンに対しては極めて従順だったが、オーディン自身が実験作品として満足し、後継に技術をつなげることで満足したからか、なんだかんだ理由を付けて処分してしまったそうだ。
もちろん、技術の漏洩を怖れた意味もあったのだろう。
イズンには、ブラギをあてがい、監視役にしていた。
そして、イズンに反意がない事を確認した後は。
謀殺は、していない。
ただし、初期の神々には欠陥が多く、不完全な存在であったため、不死でもなかったそうだ。
勿論処置をすれば死ななくはなったそうなのだが。オーディンはその必要性を、感じなかった。
イズンが戦死したと聞いて、テュールはその事を、思い出していた。
血塗られた歴史の一端。
イズンさえ、知らされていなかった。歴史の闇の真実である。
剣を振るい、めぼしい相手を斬り倒しながら、テュールは戦線を縮小し、少しでも被害を小さくする努力を続けていた。
人間の死者が纏わり付いてくる。
数が多くなってくると、流石にそれも面倒だ。エインヘリアル達にも、強い相手を優先的に斃すよう、指示は出してある。雑兵とは言え、あまりにも数が増えると、それなりに厄介である。
「どけ」
短く言うと、剣を一閃。
群がってきていた、数百の人間の死者を、まとめて一刀両断した。
だが、そんなことをしている時間があれば、巨神や神々の死者を、一体でも打ち倒すべきだったかも知れないと、次の瞬間には舌打ちしている。
既に、アスガルドの中心部にまで、死者が侵入している。
打ち砕かれた屋敷が燃え上がり、蹂躙された神々の悲鳴も聞こえてきていた。
数の圧倒的すぎる差が、質の違いを完全に覆している。たとえ非力な人間の死者であっても、呪いの武器をそれぞれが手にしていれば、数が揃えば神を殺しうるのだ。
次々と、戦っていた神の、戦死の連絡が来る。
肝を冷やす。
「トール様、負傷」
その報告を聞いたときは、流石にテュールも青ざめた。
戦いながら報告を聞くと、致命的なものではないという。多数の死者の群れに突入し、それを力尽くで殲滅し、その結果受けた傷であるとか。今、陣の奥に下がって、手当を受けているそうだ。
「テュール様!」
悲鳴を上げて駆け寄ってきたのは、ワルキューレの一柱だ。かなりの古株である。
彼女が震えながら指さしている先では、ワルキューレ隊が壊滅しつつあった。もとより精鋭中の精鋭の筈だが、それでもワルキューレは恐怖に怯みきっている。
空には、ドラゴンの死者を中心とした、空を舞う敵の大軍勢がいた。
大軍勢などと言うのは、生やさしい表現かも知れない。
ドラゴンは、ヴァン神族の走狗に成り下がる前は、ミズガルドに多くいた。ただし、アース神族によって、人間の繁殖に邪魔となると判断され、駆除された。
今でも生き延びているのは、その時駆除されたドラゴンたちの中では、下位の者だ。知能も低く、戦闘力も決して高くはない。
死者として、此処に攻めこんできているドラゴンどもは違う。
いずれもが神々に対する敵意をむき出しにしている。「邪魔だから」という理由で駆逐されて、気分が良いものなどいるわけがない。
ファフナーのような魔術師は、ドラゴンから多大な技術の供給を受けて、現在の能力を実現していると聞いている。ヴァン神族が大量に保有している戦力、リンドブルムに関しても、同じ事が言えるだろう。
空を舞う敵はそれだけではない。
首だけになっている巨神の死者や、それにアスガルドの神々もだ。
既に、少数のワルキューレ隊が、手に負える相手ではない。
「お助けください! このままでは、ぜ、全滅……」
息を吐き出すと、彼女は前のめりに倒れて、魔力になって消えてしまった。
背中に、巨大な槍が突き刺さっている。
恐怖に駆られて逃げ出したところを、巨神の死者に、背後からやられたのだろう。消えてしまった彼女を嘲笑うように、地面には槍が転がっていた。
無論、空の軍勢を、援護している余裕など無い。
アスガルドに乱入してきている死者は、幸いなことに、まだ組織的に神々を殺して廻るほどではない。
ただし前線は彼方此方が破られていて、もはや修復不可能な場所も多くあった。
トールやテュールの館には、神々が避難しているようだが。其処を破られたら、文字通りアース神族は全滅の危機にさらされるだろう。
敵にも、大きな被害は与えてはいる。
だが、航空戦力が敵の主力である事、それに何より敵が全く死を怖れていないことが、此方の被害を増やし続けている。
どうにか、めぼしい死者を全て斬り倒して、苦戦している別の戦線へ。
一気に敵は主力を投入してきているから、此処で撃退できれば、一息はつけるはずだ。そう自分に言い聞かせて、テュールは戦いを続ける。
此処で負ければ、文字通りアース神族は全滅するのだ。
意地とか、誇りとかもある。
だが、負ければ、絶滅が掛かっている戦いなのである。一歩でも引くわけにはいかなかった。
一昼夜の凄まじい激戦の末、どうにか敵の大軍勢を退ける。アスガルド内部に侵入した敵は駆逐し、空軍も追い払うことに成功した。全滅させたのではなく、敵が再編成のために後退したのだが、それでも生き延びたのだ。
ただし、味方の損害も壊滅的だ。
イズンほか、多くの神々が戦死。その中には、アスガルドの幹部をしていた神も、少なからず含まれていた。非戦闘員である神々も、多数敵の餌食になっていた。
オーディンやトールは戦死を免れたが、アスガルドの軍勢は半壊状態である。ワルキューレ隊は、既に十指を割り込むほどまで、数を減らしている。エインヘリアルは、三十万を切っていた。まだ正確な算定は出来ていないが、下手をすると二十六万を下回るかも知れない。
山の麓には、敵の第二陣が集結しつつあると言う。
前回と殆ど同じ数。それも当然だろう。死者なのだから、これ以上は死なない。消されても、また冥界から上がってくれば良いだけのことなのだから。
次の攻撃を受けたら、おそらく支えきれない。
兵の再編成を急ぐように指示を出しながら、テュールはオーディンの所に出向く。
前線の陣営にいたオーディンは、憮然としていた。
側に控えているフリッグは青ざめていて、泣きはらした様子である。多くの神々が死んだからでは無い。
おそらく、恐怖に駆られていたのだろう。
「無事であったか、テュールよ」
「は。 報告は受けていると思いますが、既にエインヘリアルは半減しています。 次の攻撃は、支えきれないでしょう」
「うむ……」
おそらく、敵の再編成が終わるのは、明日。
今回と同規模の敵が、再び押し寄せてくるだろう。フレイヤが冥界の深部にまで潜入していることは、分かっている。
だが、今は。
次の手を、考えるべきかも知れない。
「いざというときは、私とトール殿で、冥界に参ります。 そして、ヘルを討ち取って来ます」
「テュール殿! 我らを見捨てて逃げるというのか!」
ヒステリックに喚き散らしたフリッグが、美しい顔を恐怖に歪めていた。
テュールは辟易したが、オーディンがぴしゃりと言ってくれる。
「黙れ、フリッグ」
「し、しかし、オーディン様」
「黙れと言っている」
流石にフリッグも黙らざるを得ない。
ただ、フリッグが取り乱すのも、分かる。彼女の宮殿であるフェンサリルは死者共に蹂躙されており、中に避難していた神々は皆殺しの目にあっていた。アスガルド一美しいと言われた宮殿だが、内部は徹底的に破壊され、もはや廃墟と化している。美しい庭園も美術品も、もう何も残っていない。
その美術品の多くが小人に作らせたり、人間が作ったものを召し上げたものだった。いずれもが、アスガルドの権力の象徴であり、ある意味蹂躙されたのは、当然の結果だったのかも知れない。
やりきれない話だ。
フリッグは、どちらかと言えば、人間から見ればあまり良い神ではなかったかも知れない。
だが、今の彼女は、文字通りの身一つが残った状況である。
夫であるオーディンの庇護がなければ、何も出来ない。宰相と言っても、戦時では文字通り、役に立てない。
「分かった。 フレイヤからの報告はどうなっておる」
「私が」
手を上げたのは、イズンの部下だった下級神の一柱だ。
中間報告を受けると、どうやらフレイヤはヘルの宮殿の側まで迫っているという。そうか、其処まで行っていたか。
だが、フレイヤの報告によると、ヘルの魔力は、現在のフレイヤの最低でも三十倍に達しているとか。
話を聞いただけで、フリッグは卒倒しそうになる。
テュールは、だが。
それならば、或いは勝ち目があるかも知れないと思った。
「フレイヤからの連絡が途絶えたら、即座に私に知らせよ。 トール殿と共に、冥界に向かう」
「分かりました」
「その場合はオーディン様、アスガルドの戦線を最大限に縮小して、命だけをつなぐことをお考えください。 私とトール殿であれば、ヘルを討ち取ることは可能かと思われますので」
「うむ……」
その後の事は、もはや考えられない状態となっている。
最初に来た三悪魔で、この有様なのだ。アスガルドが今まで無理矢理に押さえ込んできた世界の歪みは、どれだけの大きさであったというのか。
ユミルが世界を一度作り直そうとしたのは。
或いは、正しいことだったのかも知れない。
だが、今生きている者達を守るためにも、テュールは立ち上がり、剣を振るわなければならなかった。
3、迫りくるさらなる脅威
一度戦力をまとめ上げたヴァン神族は、ミズガルドの東北部にまとまっていた。大河ラインの東側北部であるそこは、ヴァン神族のかっての根拠地にも近い。其処に八十万に達する総兵力を集中させ、なおかつスヴァルトヘイムの魔物達も、周囲にはいた。
フルングニルは、北ミズガルドで第二、第三の三悪魔の動向を観察しているフリムと連絡を取りながら、死者の軍勢に攻撃を続けさせている。
まだ、アスガルドを陥落させるわけにはいかない。
もしもアスガルドが今落ちると、残りの二体の攻撃は、ヴァン神族へ集中することになる。
それだけは避けなければならない。
ヴァン神族の現有戦力は、既にアスガルドを凌いでいるが、それは比較対象として、だ。ヘルの実力を見る限り、残りの二悪魔の戦力も、同等かそれ以上と見るのが自然である。戦って勝てるかと言われれば、微妙と言わざるを得なかった。
フリムの計画については、既にフルングニルもある程度は聞かされている。
文字通り世界の覇者となるには、此処からまだ柔軟な立ち回りが必要になってくる。ヘルには、もう少し苦戦してもらわなければならない。
ファフナーを中心に、魔術師達が円陣を組んで、情報を収集している。
フルングニルが歩み寄ると、魔術師が一名、振り返った。
「フルングニル様、如何なさいました」
「新しい情報は」
「冥界に動きがあったようです」
無言で、続きを促す。
ヘルの軍勢は、第一波をアスガルドに凌がれた。アスガルドにも壊滅的な打撃を与えたが、死者の群れも再編成が必要なほどに削られた。
そこで、第一波と同じ規模の攻撃を、準備しはじめているという。
「ざっと計算したところ、アスガルドの麓に集結しつつある死者は、六百万を超えています」
「それでは、アスガルドは落ちるな」
「ほぼ間違いなく」
勿論、アスガルドも黙って滅亡を待ちはしないだろう。
既にフレイヤが、冥界に侵入したことは、フルングニルも掴んでいる。フレイが率いる人間共の精鋭が北ミズガルドに侵入し、フリムの首を狙っていることも。
全て計画通りだ。
ただし、ヘルを斃す事に関しては、まだ不確定要素が多い。
おそらくアスガルドは、フレイヤが失敗した場合、トールとテュールを冥界に送り込むことだろう。
それは邪魔しない方が良い。
おそらくその二柱であれば、ヘルを斃す事は可能だ。
ただし二柱が帰ってくる前にアスガルドは継戦能力を失い、次の三悪魔の攻撃に耐えきる事は出来まい。
そう、フルングニルは判断していた。
「死者の総攻撃を遅らせる方法は」
「スヴァルトヘイムの魔物は集結を開始していますが、しかし数が少しばかり足りません」
「ふむ……」
状況は頭に入れてあるが、もう一度陣図を確認する。
現在、スヴァルトヘイムの魔物は、死者の軍勢に横やりを入れて、集結を阻害している。敵の一群が此方の押さえとして配置されているが、フルングニルがその気になれば、蹴散らすことは可能だ。
しかしその場合、スヴァルトヘイムの軍勢だけでは足りない。
いま温存しているヴァン神族の主力部隊を導入しなければならないだろう。
どのみち、もう少しアスガルドには存在してもらわないと困る。ある程度大胆なヘルに対する攻勢を仕掛ける必要性があった。
「あのう……」
ファフナーが挙手する。
一度話を止めた魔術師。勿論上司の発言を遮るわけにはいかないからだ。
「どうした」
「はい。 実は、妙なものを見つけました」
「ほう?」
三悪魔の内、スルトについては動向が分かっている。
問題はヨムルンガルドだ。ファフナーには、それを探知するように指示を出しておいた。そして戦闘以外に関しては、特に探査においては、ファフナーは有能だ。
「此方を見てください。 ミズガルド南部の海なのですが」
「海がどうかしたか」
ミズガルド南部の海と言えば、難所として知られている。ヨトゥンヘイムからも離れている海域で、閉じた世界の中でも、果てと言って良い場所だ。噂によると、アース神族でさえ把握していないような種類の魔物も生息しているのだとか。海流も複雑で漁獲高も少ないため、人間共の手も当然及んでいないという。
ファフナーが展開した図には、その海の温度が、異常な数値を示していることが表示されている。
「海底火山か何かの活動か?」
「いえ、それが……」
温度異常を示している海域の周囲に、火山の類は存在していないと、ファフナーは言う。
可能性として考えられるのは、三悪魔だ。スルトはどこにいるか分かっているから、残るは消去法でもう一つ。
ヨムルンガルド=フェンリル。
好都合だ。この位置に出現された場合、丁度ヴァン神族との間にいるアース神族を襲いに行くことだろう。
「よし、観測を続けろ。 ヨムルンガルド=フェンリルの可能性が高い」
「分かりました。 あ、ええと、その。 フルングニル様」
「まだ何かあるのか」
「ええと……はい」
実は似たような現象が、各地の海で確認されているという。
それは、どういうことなのか。
或いは、ヨムルンガルド=フェンリルではないという事なのだろうか。いずれにしても、単純な問題では無さそうだ。
「分かった、同一の問題かも知れないし、違うかも知れない。 いずれにしても、三悪魔の一つ、ヨムルンガルド=フェンリルの動向を読み損ねることは致命的な事態を招く。 集中して調査に当たれ」
「……分かりました」
ファフナーは何だか元気がない。
まあ、それは別にどうでも良い。此奴は下手に元気でもあまり意味が無いし、成果さえ上げていれば不満も感じない。
部下達と軽く会議をしておく。
今の時点で、戦力の不足は感じていない。思うに、自分たちを犠牲にすることを最初から念頭に置いたヴァン神族と、自身は手を汚さず世界を支配することを続けてきたアース神族と、差が此処で生じているという事だろう。
死者達の戦力配置を確認。
状況から考えて、敵の戦力集中は順調だ。ただし、まだ戦力が集結しきるまでは、多少の時間がある。
「死者共のアスガルド攻撃開始まで待ちますか」
「いや、様子を見る。 冥界にいるフレイヤが、ヘルを討つべく動いている。 上手くすれば、ヘルの軍勢は自滅する。 無駄に戦力を削ることは好ましくない」
「なるほど。 それで、もう一つ気になる点があります」
部下の一人が指さしたのは。
ブルグント王都だ。
人間にとって、もはや唯一の領土と言っても良い場所である。残った人間の殆どが逃げ込んでおり、数は三十万ほどに達しているようだ。
そのうち軍勢は五万程度。
しかも、装備も雑多で、精鋭とは言いがたい。
「人間共は、今の時点で放置しておいて構わないだろう」
「私も最初はそう思ったのですが、これを見てください」
地図周辺を確認する。
殆ど、死者がいない。押さえとしておかれている部隊が一つ残っているが、それ以外は存在していない。
数日前まではいたのだが、これはどういうことか。
アスガルド攻撃のため、ミズガルド各地の死者達が、移動はした。だが、ブルグント王都周辺の死者に関しては、移動していない事も確認されていたのだが。
「この機に乗じて、人間共が駆除作戦を実施したようです。 既に周囲の無人化した都市なども人間が奪回し、物資を王都に運び込んでいる模様。 もとより数年分の生活物資を蓄積していたようですし、かなり手強いかと思われます」
「意外に地力があるな……。 単純に戦闘能力だけが高い種族だと思っていたが」
「私も同感です。 ブルグント王都は何度かファフナー殿が攻撃を以前に仕掛けましたが、その時も攻撃を耐え抜いたかなり堅固な要塞都市です。 此処を拠点にフレイとフレイヤが、生き残ったアース神族と連携すると、かなり厄介なことになるのでは」
部下の懸念には、一理ある。
実際問題、ブルグント王都には、フルングニル自身も、フレイヤを追って一度攻撃を仕掛けているのである。
その時に防壁などを見たが、確かに堅固だ。
しかも、これは確認情報ではないが、フレイとフレイヤ以外にも、人間と一緒に戦っているアスガルドの神がいるという噂がある。
或いは、アスガルドは壊滅の未来を察知して、有能な神を再建のために人間と合流させたのかも知れない。
その力が人間側に加われば、かなり面倒な事になる。
この軍勢をぶつけて敗れるとは思わないが、手を打っておいたほうが良いだろう。
人間の底力は、何度も戦ったフルングニルが、よく知っている。
「我々も、奉仕種族を作っておくべきだったか」
「リンドブルムがいるではありませんか」
「……そう、だな」
苦笑すると、会議を切り上げた。
幾つか、打っておかなければならない手がある。
空間転移を繰り返して、死者の張った防衛線の裏側に出る。そして、狼煙を上げさせた。
ニーズヘッグ率いるスヴァルトヘイムの軍勢が、進撃を開始。防衛に出ようと動き始める死者を確認すると、フルングニルは声を張り上げた。
「攻撃開始!」
雄叫びを上げた部下達が、一斉に山を滑り降りていく。
死者達が緩慢に振り返ろうとするが、その時には今までとは違い、全力で突撃したニーズヘッグと部下達が、既に前線に接触していた。
更に、後背をフルングニルと、スリヴァルディ率いる騎兵が蹂躙する。たまにいる強力な死者は、フルングニルが斧を振るって、コアを叩き潰した。
敵が効果的な抵抗を止めるまで、一刻程度。
敵は死を怖れないから、皆殺しにするまで向かってくる。スヴァルトヘイムの魔物に掃討戦は任せて、意気揚々と此方に来たニーズヘッグと合流した。
ニーズヘッグは死者をもぐもぐやっていたが、やがて魔力化してしまったらしく、ぺっと唾を吐き出す。
「やはり本物の死体が一番ですな。 フルングニル卿、見事な後方攪乱でありました」
「ニーズヘッグ殿も」
「それで、どうするので。 アスガルドを包囲している死者共に、攻撃を仕掛けるのですか?」
「いや、それは止めておく。 ヘルが此処に兵力を配置しようとするのを、遠巻きに見ているだけで良い」
ほうと、ニーズヘッグは呟く。
にやにやしているのは、此方の意図を読もうとしているのだろう。フルングニルとしては、今の時点では別に隠す必要も無い。
「アスガルドには、まだ壊滅してもらっては困る」
「なるほど」
「知っているのではないのか? 目覚めた三悪魔が、この世界を滅ぼそうとしている事は」
「知っていますとも。 というよりも、あなた方が意図的にそうしたのだと余は思っていましたが?」
ニーズヘッグに、部下が苛立ちの目を向けるが、フルングニルは気にしない。
此奴は今の時点では腰を低くしているが、元々は別の勢力だ。そして、ヴァン神族としても、今は少しでも同盟者が欲しいのも事実である。
利害の一致が、今の時点では、互いを結びつけている。
見ていると、ヘルの対応も早い。
アスガルドを包囲していた軍勢の内、二十万ほどを此方に差し向け、更に十五万ほどの部隊を二つ、遊撃に回したらしい。
勿論二十万は防御のためだけに使うのだろう。別にそれで構わない。
次は攪乱だ。
ヘルはその総兵力をアスガルドに向けたため、進軍路の守りが疎かになっている。其処に、遊撃戦を仕掛けて、更にヘルの兵力を削る。
元々ヘルの集結させようとしている戦力は、六百万という非常識なものだ。もとより、五十万弱の兵力があったアスガルドは、それを退けたが、今は兵力が半減しているはず。再度の攻撃を少し遅らせた方が良い。
しかし、ヘルが今度は此方に全力を向けてくる可能性はないだろうか。
説明をすると、ニーズヘッグがそんなことを言った。
「いえね、此方の軍勢も、簡単に負けるほどヤワじゃあありませんが。 ヘルというお方が、気が短かったら、そう言う展開もありうるのでは?」
「その場合には、フリム王に考えがあるそうだ」
「なるほど、了解いたしました。 それでは、フルングニル卿。 余の配下の内、飛行能力を持つ者を何体かお貸しいたしましょう」
「うむ、頼む」
スリヴァルディの騎兵隊を、先発させる。
フルングニルは空間転移を利用して、何度か跳ぶと、既に調べ上げている進軍路に伏せ、進撃中の死者に無差別攻撃を開始した。
四刻ほどすると、おそらくヘルも気付いたのだろう。
更に、アスガルドの包囲戦力が減る。
ヘルはこの様子では、まだフルングニルの真意には気付いていない。
フルングニルの目的は、アスガルドを攻撃する死者の数を削ることではない。ヘルの判断を遅らせて、総攻撃までの時間を空けさせることなのだと。
血相を変えてと言うべきか、流石に憤激でもしたのか。二百万ほどの死者が引き返してきた。進軍路の護衛のためである。
というよりも、もとよりミズガルドに満ちていた死者を此処まで徹底的に集中しなければ、フルングニルも容易に奇襲などは出来なかったし、したところで進軍路を削り取ることなど出来なかったのである。
フルングニルはそれを見届けると、ニーズヘッグにも撤退命令を出し、一度全軍を再集結させる。
さて、ここからが見所だ。
アスガルドの反撃を見て、更に手を打つべきか、考えなくてはならない。
ファフナーは文字通りに同じどころをぐるぐると廻って歩いていた。
無理矢理に前線に出てきたとは言え、元々ファフナーは本質が研究者である。考える事と分析することは、ヨトゥンヘイムの誰よりも上だ。ちゃんとした情報さえあれば、誰よりも正確な結論を出す自信もある。
だからこそに、中途半端な情報しか与えられていない今は、気味が悪くて仕方が無いのだ。
海水の異常な水温上昇は、十七カ所で、ほぼ同時に発生している。そのうえこれは、たまたま観測している地点で、というだけの数値だ。実際には、もっと多いだろう。
しかもこの発生地点は、ミズガルドを囲む海の海域の中で、帯状に発生しているのだ。まるで、ミズガルドの周囲を取り囲んでいる何かが、目覚めようとしているかのように。フルングニルはヨムルンガルドの可能性が高いと言っていた。だが、ファフナーは、それが何かを知らされていないのである。三悪魔と言われてもぴんと来ない。ヘルは何となく分かるのだが。
フルングニルは、フリムに知らされているようで、それが口惜しい。
ファフナーに出来るのは、分析を進めるだけ。
それにしても、海水温の上昇は著しい。
既に魚や海獣が住める環境ではなくなりつつある。この有様では、ラグナロクが終わった後には、海の生態系は全滅しているだろう。もしもフリムが最高神となったのなら、海の生態系も再構築しなければならないはずだ。
フリムから通信が来た。
フルングニルを通してではなく、直接来るのは珍しい。
「ファフナーよ」
「はい、フリム陛下」
「海水温の異常が起きていると聞く。 説明せよ」
「はい。 ええと、ですね」
資料を持ってこさせると、一つずつ説明していく。
フリムのいる所は吹雪いているようで、声はよく聞こえない部分もあるので、話しながら資料も一緒に転送する。
しばらく話をすると、フリムは嬉しそうに笑った。
「なるほどな。 それは間違いが無さそうだ」
「ヨムルンガルドとやらなのですか」
「そうだ。 それ以上は、お前は知らなくて良い。 これから奴が目覚める時には、その動向を最も早く確認せよ。 おそらく見境なしに攻撃を仕掛けてくるはずだ」
見境なしか。
そういえば、ヘルもそうだった。一体このお方は、何を目覚めさせたのだろう。恐ろしい事だ。
通信を切ると、部下達を交代で休憩させる。
そして自身は、資料を並べて、検討に入る。一体どうして、海水温が上がっているのか、それがこれほどの広範囲で起きているのかが、よく分からない。原因を突き止められれば、ヨムルンガルドとやらの正体についても、理解できるはずなのだ。
思いついたことがあるので、部下を呼ぶ。
そして、地図上の一点。
此方で確保している海域の、水温が上がっている場所を、ファフナーは巨竜の指でさした。
「この地点の海底に、これを打ち込んできて欲しい」
「はい。 直ちに」
打ち込むのは、大巨神の身長ほどもある杭である。ユグドラジルから削りだした杭で、強度は申し分ない。
それに、ファフナー自身が術を掛ける。
もしもヨムルンガルドとやらに意思があるのなら、コンタクトを取れるかも知れない。たとえそれが敵意をよびおこすにしても、どのみち見境なしに攻撃をするような化け物なのだ。
どのような相手か先に知っておくことには、大きな意味がある。
フルングニルからも通信が来たので、フリムに言われたことと、話したこと、それにこれからやろうとしていることを、全て洗いざらい伝えておく。
ファフナーは悲しき中間管理職だ。
「なるほど、面白い発想だ」
「それでは、実施させます」
「うむ……」
フルングニルは戦闘の最中であったようで、周囲では叫び声や怒号が飛び交っている。
首をすくめたファフナーは、おっかないなあと思った。
望んでここに来たとは言え、やはり戦いは怖い。目的を果たすためとはいえ、こんな事は、一刻でも早く終わって欲しいと、ファフナーは思った。
4、冥界の深奥
ヘルの宮殿は、まさに要塞だ。
まず、周囲の地形からして、難攻不落の様相を呈していた。
どうやらヘルは、アスガルドに途方もない軍勢をけしかけているらしい。イズンからの通信はしばらく途絶えてしまっているのだが、逆にその事からも、フレイヤは事情を推察することが出来ていた。
平原といえど、遮蔽物が全く無いわけでもない。
鷹に身を変えて、地面を飛び跳ねながら進むのは初めてのことだ。狼の死者に見られないように、ひたすらに進む。連中は上や横をじっと見ていて、視界にさえ入らなければ何もしてこない。
一度などは、羽が触れたにもかかわらず、動こうとはしなかった。フレイヤはひやりとさせられたのだが、狼の死者はつんと向こうを向いていて、反応さえしなかった。
平野をこえた後は、人型に戻って、川に飛び込む。
大河ギョッルの、最も激しい支流か、或いは本流だろう。流れはかなりダイナミックで、何度も体を翻弄されそうになる。人間だったら力尽きて、流されてしまったことは疑いない。
流れが緩やかな地点は何カ所もあるようなのだが、骸骨の死者が重点的に見張っていて、通るのは無理だと判断した。水を飲まないように、慎重に行く。
そこで、ふと思った。
あの狼の死者達、ひょっとしてフレイヤには気付いていたのかも知れない。
しかし、視界に入ったものを攻撃しろと命令されていたから、無視した。もしそうだとすれば、好き勝手に冥界を蹂躙もしているヘルに、彼らなりの反抗をしていた、という可能性もあった。
あり得ぬ事ではない。
死者達の集落を見る限り、彼らは彼らなりの生活をしていたのだ。
其処へ不意に目覚めて戦いを強要し、あまつさえ意思さえ奪われれば。死者達としては、嬉しいはずも無いだろう。
対岸に着く。
此処からは、強行突破しかない。
というのも、ヘルの宮殿に続く細い崖の入り口には、骸骨の死者が見張りに立っているからである。
ただし、当初の予定より、上手く行くかも知れない。
視界に入ったのは、かなり都合が良い大岩だ。
そいつを動かしてやれば、崖の入り口を塞ぐことが出来る。勿論、転がすわけではない。精霊の魔弾で吹き飛ばして、根こそぎ崖の出口を埋めてしまうのだ。出る事は、今の時点では考えなくても良い。追撃さえ塞いでしまえば良い。
骸骨の死者を叩き潰す。そして大岩を動かす。退路を塞ぎ、追撃を防ぐ。結果作られた閉鎖空間にいる敵を全て倒して、ヘルとの直接対決の状況を作る。全てを終わらせるまでに、ミスは許されない。
やはり崖の上空は、凄まじい乱気流が渦巻いている。あの様子では、ただでさえ動きが鈍い死者は、近づけないだろう。
作戦を、立て終える。
これなら、最小限の被害で、最大限の効果を上げられる。
問題は、崖を塞いだ後、骸骨の死者数体と、紅い強力な骸骨の死者二体が相手になる事だ。しかも閉鎖空間なので、逃げようが無い。
しかしもたついていると、ただでさえ目減りしている魔力が、もっと削られていくことになる。
やるしかない。動こうとしたところに、不意にフリッグからの通信が入った。
フリッグは冷厳な印象のある女神で、若干フレイヤは苦手な相手だった。よくしたもので、フリッグも無言でフレイヤのことは避けていた印象がある。通信を入れてきたという事は、何かあったということだろう。
「フレイヤよ、まだ無事かえ」
「これより、ヘルの宮殿に突入を開始します。 私が失敗したときのために、周辺状況の座標軸をおくっておきます」
「重畳」
座標軸を伝えておく。
もしフレイヤが失敗した場合、アスガルドは一か八かの反攻作戦に出るはず。その時には、トールやテュールが冥界に乗り込むだろう。
兄の師であるテュールの実力であれば、おそらくヘルは倒せるはず。
居場所さえ分かれば、なおさら時間は短縮できるだろう。冥界が流動的に地形を変えていると言っても、この短時間では、流石にそれもないだろう。
「イズンはどうしたのですか」
「あの者は戦死した」
戦慄が、背を走り抜ける。
イズンが死んだ。
アスガルドでも、オーディンに次ぐ魔術の使い手であり、重鎮だったのに。それだけではない。
イズンが死んだことを、まるで感情も動かさず言うフリッグに、フレイヤは恐怖さえ覚えていた。
まさか、フリッグは昔から、イズンを邪魔だと思っていたのか。
あり得る話だ。フリッグはアスガルドでも平時では第二位の地位を持つ女神であり、宰相の地位も持っている。政務の大半を司り、最高神オーディンの手足となって、様々な事をして来た。
その中にはダーティワークも含まれる。フレイヤも噂に聞いただけだが、かなりの数の神の粛正に、フリッグは関わっているという事である。
にもかかわらず、イズンは若さを管理するという立場上、非常に強力な勢力を持っており、文字通り目の上のたんこぶであったはずだ。
「アスガルドの周囲には、なおも数百万の死者がひしめいておる。 まだ総攻撃は始まっておらぬが、急げ。 そなたの行動の結果を、早めに知りたいのじゃ」
「分かりました。 これから、作戦に移ります」
「急げ」
通信が乱暴に切られる。
誰のために戦う。そう、フレイヤは呟いてしまった。勿論兄のためだ。ミズガルドのためだ。
イズンは、フレイヤの魔術の師匠でもあった。
彼女の死を黙祷して悼むと、作戦に取りかかる。
まず、引き絞るのは、精霊の魔弓だ。以前よりも込められる魔力が増えてきていて、フレイヤの実力が激しい戦いで鍛えられていることがよく分かる。神も成長するのだ。それが分かると、少し嬉しい。
骸骨の死者は、気付いていない。
精霊の魔弓から放たれる弾は、飛行速度が遅いのが唯一の難点だ。此処では、それを逆利用する。
狙うのは、さっき目をつけた岩の少し下。
呼吸を整えつつ、魔弾にフルパワーで力をため込む。そして、放った。
流石に、骸骨の死者が、飛来する魔弾を見て、身じろぎした。しかし、自分とは関係無い方向に飛んでいくのを見て、躊躇する。
それさえもが、作戦の一つ。
フレイヤは飛び出す。骸骨の死者が魔弾を見ている、その視界の死角から。
そして、全速力で、崖に飛び込む。骸骨の死者が気付き、巨大な剣を振り上げるが、その時には、既に遅い。
崖の中腹に、魔弾が炸裂。
致命的な大爆発を引き起こしたのである。
凄まじい熱風に背中を押され、フレイヤは思わず呻いていた。転がり落ちてくる大岩に、骸骨の死者がひとたまりもなく叩き潰される。更に、崖が崩落していく。乱気流の下である。
崖の周囲には、警備の骸骨の死者が巡回していたが、これではもはや通りようがない。
間髪入れずに、フレイヤは風刃の杖を取り出した。
充填されている魔力は充分。足を止めると、前方に向け、フルパワーでぶっ放した。
轟音に気付いて此方に来る骸骨の死者が、数体まとめて圧搾空気の暴力的破壊力に巻き込まれ、消し飛ぶ。
そして、その破壊力は、紅い強力な骸骨の死者も、一体巻き込んでいた。
コアが消し飛び、ばらばらになって吹っ飛ぶ死者達。
崖の中にいた死者達も、大勢巻き込まれて、蒸発するようにして消えていく。じきに再生するのだろうが、少なくともヘルがコアを与えるまで、それはない。
走る。
前方に気配。
今の一瞬、盾を構えて、冷静に攻撃を凌ぎきった紅い骸骨の死者がいたのだ。大巨神と同等かそれ以上の体格で、じっと此方を見つめてくる。
生前は、名のある神だったのだろう。
にらみ合いは一瞬。
骸骨の死者が、巨大な槍を振り上げてくる。叩き付けてくるのかと思ったら、その端から紫の光が放たれ、周囲に流星雨のごとく降り注ぐ。
此奴、おそらく気付いている。
フレイヤがもう後がなく、決死の覚悟で躍り込んできていることを。
走りながら、降り注いでくる殺戮の光を避け、氷の杖から制圧射撃。周囲に残っている雑魚の死者を散らしながら、骸骨の死者にも乱射を浴びせる。だが、盾で冷静に防ぎつつ、骸骨の死者は、踏み込み、槍を繰り出してきた。
槍から、風刃の杖ほどではないにしても、獰猛な破壊力を持つ魔力弾が撃ち放たれた。
飛び退こうとするが、避けきれない。
吹っ飛ばされて、壁に叩き付けられる。
気付くと、至近まで骸骨の死者が迫っていた。その足にはおぞましい紫の魔力が纏わり付いていて、踏みつぶそうと振り下ろしてくる。
飛び退きながら、今度は火焔の杖から、爆破の魔力を浴びせかける。
右足が吹っ飛ぶ骸骨の死者。
わずかによろめくが、その程度でどうにかなる相手ではない。足が即座に再生していくのを見て、フレイヤも飛び退きながら、更に連続して爆破の魔力を浴びせつつ、距離を取る。
風刃の杖をもう一度、至近から浴びせるしかない。
爆炎を吹き飛ばすようにして、骸骨の死者が躍り出てくる。紅い禍々しい体は、冥界の空の下に、余すこと無く存在感を誇示していた。振りかぶった槍を見て、フレイヤはとっさに盾をかざしていたが。
空から降り注いできた殺戮の光が、集中的にフレイヤの周囲に降ってくる。
まずい。再び、はじき飛ばされ、地面に叩き付けられる。立ち上がろうとするフレイヤは、見る。
至近で、足を振り上げている、骸骨の巨神を。逃げようとしていては、間に合わない。だから、むしろ骸骨の巨神に向け、跳んだ。
振り下ろされた足が、地面を爆砕する。
その風圧を背中に受けながら、至近距離で骸骨の巨神に、氷の杖から乱射を浴びせかける。不意を突かれた骸骨の巨神が、フレイヤを掴もうとするが。
その時には、奴の体の中央には大穴があき、コアも砕けていた。
着地。
呼吸を整える。
今の戦いでの打撃は、想像以上に大きかった。ただでさえ魔力の消耗が激しい冥界での戦闘である。
それに、何よりだ。
既に、冥界の主であるヘルの宮殿は、すぐ間近である。
まだ雑魚の死者は、ある程度の数が残っている。囲まれており、戦わなければ突破は難しい。
氷の杖を向け、制圧射撃を開始する。
狼の死者の中にも、大型の個体が混じっている。殆どは飛びかかってくる最中で撃墜できるのだが、大型は氷の杖の斉射に耐え抜き、至近で牙を剥く。冷静に立ち位置をずらしながら、至近で射撃を集中し、消し飛ばす。
人間の死者もいるが、氷の杖の破壊力がかなり増している上に、相手の動きがそもそも鈍い。
盾も鎧もまとめて、氷の魔弾で消し飛ばす。
見ると、北ミズガルドの戦士達の成れの果てと思える死者もいた。おそらく、戦場で死ねなかった者達なのだろう。悔しそうに顔を歪めながら、剣を緩慢に振りかざし、迫ってくる。
「今、楽にしてあげます。 すぐに再生するでしょうけれど、当座はしのげますから、我慢してください」
向きを変えながら、四方八方から迫る死者達に、制圧射撃を浴びせていく。
此処が難攻不落の要塞であるから、入り口さえ塞いでしまえば、却って好都合だ。内部にいる敵さえ駆逐してしまえば、ヘルとの間に邪魔はもういない。
だが、相手の数が数だ。
ヘルの宮殿周囲には、十万近い敵がいたのだ。大半は切り離したが、この狭い崖の路であっても、数千はいる事に変わりない。
一番手強い相手は潰したが、それでも牙を立てられれば傷つくし、剣を受ければ当たり所次第では死につながる。
無言で斉射を続け、制圧。
二刻ほど、戦い続けて。
氷の杖を下ろしたときには、既に息が上がっていた。
至近に、ヘルの気配がある。
宮殿の中にいるのだから、当然だろう。その魔力はフレイヤの三十倍以上はあるだろうとみていたが。
至近で感じる力は、更に強い。
これは、もはや本当に勝てる相手なのか、判断できない。確かに単独でアスガルドを滅ぼそうとするほどの相手なのだ。その力は、文字通り驚天動地の代物である。
だが、フレイヤにも、武器はある。
あの、ロキ=ユミルにも致命打を与えた雷鳴の槍だけではなく、風刃の杖も。格上の相手にも、戦い方次第では、必ず勝てる筈だ。
「フレイヤよ」
不意に、声が聞こえてくる。
これは、イズンの声か。
戦死したと聞いているから、既に冥界に落ちている、という事だろう。
「イズン!」
「私がもう死んだことは、知っているようですね。 あまりヘルに支配されるまで、時間は掛からないでしょう。 だから、私の遺言だと思って聞いてください」
「はい」
「冥界に落ちて分かりました。 本来のヘルはともかく、今いるヘルはおそらく、冥界という存在そのものです。 ユミルがどういう構想を立てていたのかは分かりませんが、此処はミズガルド、アスガルド、スヴァルトヘイム、ヨトゥンヘイムのバックアップ環境として、作られていたのでしょう」
頷きながら、傷の手当てをしつつ、歩く。
周囲には、もう死者の気配はない。
ヘルの気配だけが、前から獰猛なまでの威圧感を示している。
「現象が人格を得た存在こそ、神です。 そう言う意味では、ヘルは死と言うよりも、死を司るという意味で、神の神と言っても良いかも知れません。 或いは、世界そのものが神となった、と言っても良いでしょうか」
「なんと恐ろしい。 そのような相手と、これから戦うのですね」
「いえ、これがむしろ好機となるはずです」
イズンは言う。
本来、その性質は広大無辺。方向性を持たず、統率性も無く、ただ其処にあり続けるだけの存在。
それが、今ヘルとなっているもの。
それを無理矢理封じ込んだが故に、まるで火山の噴火のように暴れている。
だが、それは逆に言えば。
「人格という枠を当てはめることによって、存在を矮小化させているという意味もあります」
「つまりは、精神に対する攻撃も、有効と言うことですか」
「それだけではありません。 おそらくヘルには、有力な死者も取り込まれている筈です」
もしも相手の正体を見極める事が出来れば。
かってと同じ弱点を突くことで、大きな隙を作る事が出来るかも知れない。そう、イズンは言った。
なるほど、確かにそれは素晴らしい情報だ。
もしもそれを突くことができれば。
五里霧中だった戦いの経過に、光明が見えてくる。
それに、ヘルをおそらく殺す事は出来ないだろうと考えていたが、神という枠に現象を閉じ込めているのであれば、殺せる。少なくとも、その心は、殺す事が出来る。ただの現象にさえ戻してしまえば。世界に死が満ちることはあっても、それは理不尽な殺戮としてではなく、自然な出来事として、ごく優しいものとなるだろう。
もちろん、神々の特権は失われる。
それでも、世界が滅んでしまうよりは、ずっとマシだ。
「フレイヤよ。 私も、意識が薄れてきました。 通信を切り、以降は私が何を言っても、耳を貸してはなりませんよ」
「はい。 イズン、私の師よ。 貴方を救えなかったこと、本当に申し訳なく思います」
「そのようなことは、気にしてはいけません。 貴方のような弟子をもてて、私は誇りに思います。 必ずや大望を果たして、地上に戻りなさい」
通信が切れた。
フレイヤの側からも、通信を切る。
大きなため息がこぼれた。
涙を流している暇は無い。
全ての悲劇を、此処で断ち切らなければならない。
巨大な門が見えてきた。装飾は殆ど無く、無骨な鉄の扉だ。大きさは人間の背丈で換算すると、四十人分にはなるだろう。とてつもなく巨大。アスガルドの城門に匹敵するかもしれない。
崖の奥にある小さな空間を、宮殿は全て埋め尽くすようにして建てられていた。
まだ踏み込むのは早い。
周囲を回って調べる。通用口などがあれば、そこから入って、ヘルに奇襲を仕掛けられるかも知れない。だが、壁が岩と一体化している場所も多く、あまり見て廻ることは出来なかった。通用口どころか、窓さえもない。内部はさぞや暗いだろうが。冥王の立場を考えると、それでむしろ心地よいのかも知れない。
宮殿の外側から見て、ざっと造りは理解する。
ヘルの宮殿は、どうやら要塞としての機能は有していないらしい。要塞化は周囲の地形に一任して、純粋な宮殿としての機能だけを持っているようだ。そういえば、来る途中に少し聞いたのだが、アスガルドの神々が冥界に駐屯していたときには、監視の機能も、この宮殿に置いていたそうである。既に監視の神々はヘルに殺されてしまったようだが。
そうなると、この地形も、難攻不落の要塞であると同時に、或いは冥王という監視対象を閉じ込めるための檻であったのかもしれない。それならば、窓がないというのも、納得である。
扉が、内側から開き始める。
膨大な冷気が、内側から漏れてきた。
既にヘルは、フレイヤに気付いているという事か。
来いと言うのだろう。
ならば、行くだけである。
兄様、必ずフレイヤは、ヘルを討って戻ります。自身に言い聞かせるようにして呟くと、フレイヤは、冥界の主が待ち受ける宮殿に、足を踏み入れたのであった。
5、極北の白幕
フリムらしき巨神の周囲には、見張りが小隊単位で存在している事が分かっている。ビバークしながら地図を埋めていき、敵の配置を確認していく。
地味な作業だし、時間も掛かる。
だが、フレイは知っている。フレイヤが冥界に行っていることを手助けすることは出来ない。アスガルドの脅威を除くには、一つずつ手を打っていくことしか出来ない。
アスガルドの苦戦は、何となく理解できている。しかし、今フレイに、アスガルドに対して出来る事は、他に無い。
フレイが戻ってきたときには、だいたい地図は埋まっていた。
シグムンドが顔を上げる。
フレイが鎧に積もった雪を払いながら、腰を下ろす。たき火の周囲には、北ミズガルドの戦士達も、集まってきていた。
「敵の数はざっと二千という所だな。 百カ所以上に、小隊がある。 そのうち三カ所に大巨神がいる。 一カ所に一体ずつが二つ。 フリムの所には、三体集中している」
「かなり強力だな」
「しかも、だ。 吹雪の中で、互いの悲鳴が聞こえる位置にいやがる。 普通の巨神なら、声も出さないうちに仕留める事ができるかも知れないが、大巨神はそうは行かないはずだ」
確か大巨神は、巨神千体当たり一体という割合で配置されているはずで、それを考えると、かなり重厚な布陣である。
更に、中巨神もいる。
「中巨神は三十体くらいだな。 やはり小隊の中に紛れている場合がある。 こっちも厄介だな……」
「それより、一つ気になることがある」
ヴェルンドが挙手する。
そして、敵陣を全体的に俯瞰したように、ぐるりと地図上に指を走らせた。
「フレイ、あんたはどう思う。 この布陣、作為的なものを感じないか」
「非常な堅陣だな。 だが、確かに……おかしいな」
「どういうことだ、フレイ」
シグムンドに、ヴェルンドが説明をはじめる。
要するに、これは確かに理想的な堅陣だが、一体何に備えているのか、それが分からないのである。
フリムからすれば、そもそも少数で、何故に北ミズガルドにでむかなければならないのか。
しかも、イズンに察知されたのは、本当に偶然なのか。これに関しては、フレイも前からおかしいとは思っていた。ただ、単純な罠とも思えないのである。
「俺たちをおびき寄せる罠、という事は無さそうだな」
「そうなのか?」
ヘルギが素っ頓狂な声を上げたので、これもヴェルンドから解説していく。
そもそも現状、人間の勢力圏は、ブルグントの一部にまで後退してしまっているのである。
巨神族からすれば、邪魔だったとすれば片手間に潰してしまえば良いような小勢力だ。一部の英雄がいても、数の暴力にはかなわない。
フレイとフレイヤが率いていたとしても、だ。
そう言う状況なのだから、散らすよりも、むしろ集めておいた方が良いはずなのだ。フリムはかなり戦略的な思考をしていることが、今までの一連の戦いで分かっている。その程度の事が、分からぬはずもない。分からない場合でも、側にいるフルングニルが、好き勝手にはさせないだろう。
「仮に、もしも罠だったとした場合、目的は何だと思う」
「罠では無いと思うが」
「あくまで仮の話だ」
「……やけに引っ張るな」
シグムンドが頷く。
今度は、シグムンドが、状況についての考察をはじめた。
「そもそも、もしもイズンに情報を意図的に流したとして、だ。 フリムって巨神の王が、わざわざこっちに本当に来る意味があるのか? それに巨神共は確かに精鋭揃いのようだが、フレイを倒すのには確実な数とは思えない」
「光栄なことだ」
「いや、妥当な評価だと思うぞ。 それで、だ。 たとえば、俺たちじゃなくて、フレイを引きつける目的だったとしたら、何があるんだろう」
「そう、だな」
フレイとしても、この段階で裏を掻かれるというのは致命的だ。出来れば避けておきたい。
「ブルグントを攻略するつもりって可能性は?」
「いや、あり得ない。 奴らの軍勢は当初百万とか言っていただろ? 今だって八十万以上は軽く健在の筈だ。 それに対して、ブルグントはせいぜい五万で、しかも正規兵じゃない連中が殆どだ。 わざわざフレイを引き離す必要も無いだろう」
「侮ってくれているなら、むしろ好都合だしな」
今、ブルグントには、マグニをはじめとする若き神々が何名か避難してきている。
彼らの実力はフレイほどではないにしても確かで、巨神の中途半端な攻撃くらいなら、堅固なブルグントの城壁と、何より正規兵では無いとは言え後がない状態で守りをしっかり固めているブルグント軍が、充分に撃退してみせるだろう。
問題は、それ以外の場合。
何か、面倒な策がある時に、どう対応するかだ。
ヘルギが、唐突に言い出す。
「なあ、ロキだかユミルだかの野郎がいってやがった、ヘル以外の悪魔とかってのは、どうなってるんだ」
「ヨムルンガルド=フェンリルと、スルトだったか」
「まだ何とも分からないが、姿を見せていないことだけは確かだ」
フレイとしても、それは分からない。
何しろ、アース神族とヴァン神族の戦いの時代の、更に前の時代の産物だ。ユミルが無理矢理に引き起こしたとしても、すぐに目覚めるとは限らないのではないのか。だが、それは希望的観測という奴である。
咳払いしたヴェルンドが話を戻す。
「仕掛けてみるか?」
「敵は散開しているが、今の状況だと攻撃を受ければ、すぐに集結を開始するだろうし、難しいんじゃねえか?」
「そのとおりだ。 フレイ、どうする」
フレイもどうするべきか、悩ましいと考えているところだ。
トールの剛弓を使えば、確かに大巨神の一体は瞬時に片付けることが出来るだろう。だが、他の四体を含めた、二千近い巨神が、次の瞬間には殺到してくる。
更に言えば、ヴァン神族にとって、この雪はホームグラウンドも同然。連中はまるで通常時と変わらぬ動きで、此方を迎え撃ってくることだろう。
更に、少し前から、死者が動きを見せなくなっている。姿もである。
殆どはアスガルドの攻略に行ってしまったとみて良いだろう。つまり、死者を巨神にけしかけて、戦力を削らせる策は使えなくなっている。
やるとしたら、火山の弓での、フリムを瞬時爆殺だが。
それも上手く行くかは分からない。何しろ奴が着ている鎧は、おそらくヴァン神族の至宝であろう。
火山の弓は文字通り火山の噴火にも等しい破壊力を持つ神域の武器だが、それでも瞬時に倒せるかは、微妙なところである。
それに、罠かどうかが分からない。
しかし、時間は有限だ。もたついていると、アスガルドが陥落してしまう可能性もある。
偵察に出ていた戦士達が戻ってくる。
ほぼ、敵の情報は分かった。やはり敵の数は、二千から二千百という所らしい。この辺りの地形に詳しい戦士に聞いてみるが、やはり裏を掻けるような場所はないという。
アネットが戻ってきた。
けが人の手当が一段落し、耐寒の術式も一通りかけ終わったので、偵察に出てくれていたのだ。
彼女はワルキューレの快速を生かして、海の方にまで行っていた。広域で敵の動きを把握することで、奇襲を防ぎ、より深く敵の配置を分析するためである。
勿論、それ以外にも、おかしなことが無いか、丁寧に確認する意味もある。
「アネット、何か情報はあったか」
「それが、巨神ではないんですが」
「何か妙なものでも見つけたか」
「はい。 海が、変なんです。 凄くたくさん魚の死骸が浮いていて、海岸にまで流れ着いています。 それだけじゃなくて、海自体の温度も、もの凄く上がっているみたいで」
吹雪が起きているというのに、海の温度が上がっていて、魚が死んでいる。
しかも、海岸に魚の死骸が大量に漂着している。
「何が起きていると思う」
「ひょっとして、海の底で、何か目覚めたとかだったりしてな」
ヘルギが軽口を叩くと、全員が黙り込んだ。
なるほど、それだ。
ヴェルンドがひざを叩いて言う。
「おそらく、三悪魔の一体だな。 スルトとヨムルンガルド=フェンリルだとすると、どっちだと思う」
「海が熱くなるって言うと、炎の騎士とかいっていたスルトじゃないのか」
「いや、そうともいえまい。 いずれにしても、フリムがわざわざ此方を誘引しようとしているにしても、奴自身がここに来ている理由の一つは、間違いなくその異常現象を何かしらの目的で使う事だろう」
考えて見れば、巨神族の王がわざわざ出向いているのである。
何かしらの目的で、ここに来ているのは当然のことだ。フレイを呼び寄せるために情報を流したとしても、だから何だという程度の事なのだろう。
或いは、ひょっとすると、余技に過ぎないのかも知れない。
本来の目的は三悪魔との接触であり、ついでで何かしらの目的で、フレイをおびき寄せた。人間の最精鋭ごと。
すべてがしっくり来る。
だが、だからといって、相手の策に乗ってやる事は無い。
「ならば、フリムって奴を先に倒しちまおうぜ」
ヘルギが身を乗り出す。
確かに、それも手の一つだ。しかし敵の布陣に隙が無い。この布陣だと、正直な話、今の戦力では攻めきれない。
壊滅させることは出来る。
だが、その間に、フリムは確実に逃げてしまうだろう。此方も無事では済まない。こんな所で、無駄に捨てて良い命など、ない。
ならば、どうするか。
後二手欲しい。
一手は人手。もう一手は、敵の動きを何らかの形で攪乱する。
フレイが、周囲の雑魚を掃討するとする。そうなると、人間達で、どうにかフリムを倒す必要が生じてくる。
今の時点で、シグムンド、ヴェルンド、ヘルギには、低級とは言え神の武具が手渡されているが。
フリムの身を守っている防具は、ヴァン神族の至宝とみて良い。
如何に彼らが掛け値無しの英雄といえども、仕留める事は極めて難しいだろう。しかし、何か、他に手はあるか。
アネットが、何かを無言で差し出してくる。
「海岸で、落ちていました」
「!」
それは、まだ新しい巨神族の死骸の一部。正確には指。
巨神族は神々なので、死ぬと魔力化して消えてしまう。あまり長時間、死体は残らないものである。
巨神族はそれでもどういうわけか死体が残るのだが、一月以上はもたないだろう。そうなるとこれは、つい最近殺された死骸という事になる。
「話を聞いている限り、フレイ様が殺した巨神ではないようですね。 そうだと思ったのですが、万が一を考えて、拾ってきました」
「でかした。 まだ、北の地で交戦している人間がいる」
一人思い当たる。
別れる際に、あの男は言っていた。後方での攪乱を続けると。まだ続けてくれているとなれば、合流すれば大きな力になってくれるはずだ。
更にもう一手。
もう一枚、味方に手札があれば、フリムに肉薄できる。フリムはおそらく、人間の力を舐めている。
それを覆せる武器が、何かあれば。
後方の橋に行っていた斥候が戻ってきた。
「フレイ! 朗報だぜ」
「どうした」
「あのおっかねえ姫様が生きてた! こっちに向かっているらしい。 あのサラマンデルって武器も一緒だ!。 今、親衛隊ってきんきらの奴らの斥候が来てて、偵察していたら出くわしたんだ」
「どうやら、俺たちにも運が向いてきたみたいだな」
シグムンドが立ち上がる。
全員が続いて立ち上がり、頷いた。
「アルヴィルダも来ているのなら、実に心強い。 フリムの野郎に、必ず一泡吹かせてやれるはずだ」
「よし。 私がフリムを討ち取る。 周囲の雑兵を任せてしまっても構わないか」
「ああ。 大巨神も、サラマンデルがいるならどうにかなる。 フレイ、フリムの野郎を、必ず討ち取ってくれ」
「承知した」
吹雪はますます強くなってくる。
だが、此処に、人類の中でも屈指の使い手達と、その英知の結晶と、アスガルドでもテュールに次ぐ剣技の持ち主が揃った。
これならば、勝てる。
「アルヴィルダに伝令を出して、合流する。 それから、総攻撃開始だ」
「おうっ!」
全員で、戦意をあわせ、雄叫びを上げた。
この場にいる全員が、ラグナロクの元凶の一つであるフリムを、必ず討ち取れると。今、確信したのだった。
(続)
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