迫る死者の軍勢

 

序、全ての真相

 

テュールは、トールと共に、オーディンに呼び出された。非公式に、である。

既にテュールは真相を知っている。ただし、オーディンにはまだそれを知られていないはずだが。

或いは、トールが喋ったのかも知れない。

既にミズガルドから登り来た死者の大軍勢が、アスガルドの周囲に姿を見せ始めているという報告がある。ゴート国周辺が最初に蹂躙され、今まで巨神による被害を受けていなかった南部の小国群も壊滅的な打撃を受けているという。文字通り、全滅してしまった国もあるようだ。

まだ、結界に対する攻撃は始まっていない。

臨戦態勢に入っているアスガルドの軍勢だが、テュールが見たところ、とても勝ち目はない。

あまりにも数が違いすぎるのだ。

その上、おそらく敵は倒されてもまた冥界から登ってくればいい。此方は一度死ねば終わりなのである。

宮殿に入ると、空気がひりつくのを感じた。

トールが舌打ちする。

「何だ、ぴりぴりしてやがるな」

「戦の高揚ではないですな」

「戦だったら俺も大歓迎なんだがなあ。 こりゃあ死へのおびえと絶望がない交ぜになったもんだ」

ロキとフレイ、フレイヤの戦いの詳細は、箝口令が敷かれたにもかかわらず、アスガルドで既に広まりはじめている。

今まで封じられてきた、神々にとって都合が悪い現象が、最悪の形で解き放たれた。フレイとフレイヤをあしざまに名乗る神もいた。あいつらがぐずぐずしていたせいで、世界が滅びようとしていると。

そう広言していた神を、一人テュールは殴り倒した。

ならば貴様が、あの場にいて、何か出来たのか。そう問い詰めると、その神は何一つ反論できなかった。

アスガルドからの脱走者が出ないのは、どこへ逃げても無駄だとわかりきっているからである。

既に、アスガルドの天下は、終わったと言っても良かった。

宮殿にも、神がまばらである。

「トール殿、貴殿の息子達は」

「ああ、既に動く準備をさせてある」

真相を見た今、トールの二柱の息子は、希望をつなぐ大事な存在だ。ミョルニルを託すことまで、トールは考えているようだ。

若い神も、リストアップを進めている。ワルキューレの中にも、生き残ることが出来る者がいるかも知れない。いずれも、早めに此処を脱出させ、フレイとフレイヤと、合流させる必要があった。

宮殿の最奥。

憂鬱そうに玉座についたオーディンが待っていた。隣にはイズンもいる。

そういえば、フリッグの姿が見えない。どこに行ったのだろう。

「来たか」

「如何なさいましたか」

「そなたら、見たな?」

口をつぐむ。やはりそれが理由か。

イズンが嘆息した。彼女に罪はない。ただ、幾つか解らない事がある。

この場には、真相を知る者しかいない。だから、口に出して聞いてみることとした。

「見ました。 そして今では、後悔しております」

「テュール!」

「いいのだ、トール殿。 もはや我ら二柱、滅びは免れ得ぬだろう。 最後まで戦士としてある覚悟を決めるためにも、全てを知っておこう。 それがどれだけ、血塗られた歴史であったとしてもだ」

「ぬぬ……」

オーディンは冷厳に此方を見つめていたが。イズンが耳打ちすると、首を横に振った。

自身で話すと言うことか。

是非そうして欲しい。真相を知った今だからこそ言える。オーディンは元凶ではないが、責任がある。

「話して、くださいますか」

「……まあ良いだろう。 もはやそなた達の罪を問うても詮無きこと。 まずはどこから話すか。 ユミルという始祖の巨人が、この世界を作り始めたときから、か」

蕩々と、懐かしそうにオーディンが語りはじめる。

アース神族を世界の覇者に導き、そして今、世界滅亡の元凶ともなろうとしている最高神の、独白だった。

 

ユミルは巨大な体格を持つ存在で、世界は最初全てが彼の肉体だった。

つまり、逆に言えば、どこからか来たユミルが、世界を作り始めたのである。ユミル自身のルーツについては、オーディンも知らないのだという。

今は封印が解除されしその名前を聞くと、テュールは色々と考えが浮かぶ。そして、正体も、だいたい見当がつく。おそらくユミルのような存在は、このアスガルドを内包する世界の外側には、かなりの数がいるのだろうと言うことも。

ともあれ、ユミルは始祖の巨人とも呼べる存在だった。

人格も、決して攻撃的や邪悪ではなく、むしろ穏やかで、心優しい存在であったという。敬意を払える父親だったと、オーディンは言う。

ならば、何故神々は、ユミルを殺したのか。

「この世界は、ユミルが最初、おもうままに作ったのだという」

「思うまま、でありますか」

「ユミル自身が見た事のある、巨大な木があったらしい。 その木を中心とした世界を、漠然と作ったのだそうだ。 そして作っていく内に、気付いた。 この世界は、無理があると」

全体的に、とても存在を維持できるものではない。

全ての世界が有限というわけではない。不完全で無理のある世界が一つあると、それだけ場所が逼迫し、可能性の目が潰されてしまう。

ユミルは決断した。

一度この世界を潰して、全てをやり直すのだと。

勿論その時には、自身の要素を全て回収し、何もかもを破壊し尽くす必要もあった。偉大なる父はまた一つに戻り、最初から全てを作り直す。そう、子供達である神々に、言い放ったのだそうだ。

神々は、当初従うふりをした。

だが、誰もが、この未完成だが心地の良い世界で、感じ始めていたのだ。

生きたい。

死にたくない。

生があるのなら、謳歌したい。

不完全な世界だからと言って、何もかも壊されてたまるか。自身の都合で造り出されたあげく、殺されて報われるのか。

ユミルの言っていることも、分かる。確かにもっと巨視的な考えで言うのならば、ただしいのだろう。

しかし、神々は、そのまま殺される事をよしとはしなかったのである。

こうして、創造神殺しが行われた。

ほとんどの神が、結託したのだ。当時は巨人とアース神族、ヴァン神族という区別さえなかった。

現在巨人と呼ばれているユミルに忠実だった神々達には、そもそも計画が知らされなかった。ユミルは神々が造り出した原初の毒を飲まされ、弱体化したところをよってたかって突かれ斬られ、ずたずたにされて殺された。最後まで、自分が何をされたのか、どうして殺されるのか、分かっていない様子であったという。

ユミルは殺された後血の一滴に至るまで解体され、その体は世界の部品とされた。要素の塊であったユミルである。あらゆる現象を、その体を魔術的に分解することで、取り出すことが出来た。

この時にも、多くの神々が生まれた。現在、中級、下級とされている者達である。

凄惨な。

テュールは呟く。

真相を知ったといっても、そういった細かい部分については、分かっていない事が多い。オーディンの口から生々しい話を直接聞くと、そのおぞましさがよく理解できる。

ユミルが死ぬと、神々は協力して、ある仕組みを作り出した。

それが。テュールとトールが見た、例のものだ。

後は、テュールが知っている通りだった。

ユミルに忠実だった神々は、殆どが殺され、知性さえ奪われて霜の巨人と呼ばれる存在となった。

神々は派閥ごとにヴァン神族とアース神族となり。やがて覇権を巡って争ったあげく、敗れたヴァン神族はヨトゥンヘイムへと去った。その時、ロキという道化者がユミルの残留思念に支配されたが、致命的な事態が来る前に、オーディンが封印した。敗れ去ったヴァン神族はヨトゥンヘイムで原生の野獣とかしていた巨人を見つけ、己の血に取り込み、強靱な肉体と、爆発的な繁殖を実現したのである。

血塗られた歴史だ。

「ユミルの血塗られた憎悪と怨念が、今世界を滅ぼそうとしている。 否、それは少し違う」

「元々無理があった世界が、ユミルが言ったとおり、壊れようとしている。 そう言うことでありましょうか」

「そうだ。 そもそもこの世界は、ユミルが言っていたとおり、構造上無理がある欠陥品であったのだ。 だから無茶な仕組みを作って無理矢理に維持を続け、本来あるべきものを封印してまで、今まで世界を守ってきたのだ」

だが、それも限界だと、オーディンは言う。

事実、ユミルが解き放たなくても、世界の封印されし要素は、いずれ表に姿を見せたことだろう。

その時に備えて、アース神族は人間という奉仕種族を造り、エインヘリアルという軍勢を作るための素材とした。単純な戦闘力を引き上げるため、強さを崇拝する思想を持たせ、一方で魔術を奪って抵抗できないようにもした。

現在、アスガルドの主戦力であるエインヘリアルは五十万に達しているが。結局の所、それでさえ足りない。

「世界が敵に回る。 その恐るべき現実の前には、神々の力でさえあらがえぬ」

「何か手は無いのですか」

「思いつく手はない。 或いは、襲い来る世界そのものを撃退できれば、活路が見えるかも知れぬ」

オーディンは、冷厳を装っている。

だが、その内実は、疲弊しきっていたのかも知れない。アスガルドでも神々は、陰険な権力闘争を止めようとはしなかった。

狭い世界を奪い合い、その中で井戸の中の蛙の王を目指そうとしていた。

最初、アース神族の王だった先代トールをオーディンが謀殺したのも、それが理由であったという。

先代トールは、満足してしまっていたのだ。小さな世界の権力を維持することに。巨視的に世界の事を考えるのであれば、先代トールは駄目だった。

「……」

トールは、不快そうに顔を歪めている。

当然だ。彼の先代となれば、いうまでもなく父に等しい存在なのだから。

「イズンよ、提案があります」

「何でしょうか」

「今、ヘルはおそらく、アスガルドにだけ注力しています。 ならば、逆撃してヘルを屠ってしまえば、或いは」

勿論、そのようなこと、並大抵の神に出来ることではない。もし出来るとすれば、此処にいる者達か、或いは。

ロキに憑依していたユミルを屠った、フレイかフレイヤだろうか。

しかし、二柱は、戻ってくるようにという指示を蹴った。地上の混乱を見過ごすことは出来ず、人間達を守りたい、というのが理由であるらしい。先に戻ってきたブリュンヒルデの言葉を聞いて、むしろテュールは感心した。其処まで弟子が成長したことは、師としても鼻が高い。

今更、二柱にどのような顔をして、そんなことを頼めるだろうか。

戦略的な判断力を持つフレイが、或いは死を覚悟での決死行を行うかも知れない。しかし、それに期待するのは、いささか虫が良すぎる。

「どうすれば良いのです」

「アスガルドに、死人達が群れ集まってきたタイミングで、状況を二柱に伝えていただきたく」

「何だか、回りくどいなあ」

「他に方法はありますまい」

弟子を死地に赴かせるのは、テュールとて本意であるはずがない。

だが、もはや他に方法がない。

ヨムルンガルドやスルトというとてつもない存在が今だ控えている現状、もはやアスガルドを離れる訳にはいかないのだ。

「好きにするがよい」

「分かりました。 そのように」

イズンが先に席を立つ。

テュールはしばらく黙っていたが。言う。

「オーディン様。 提案が」

「何か」

「若き神々を、地上に援軍として遣わしたく思います。 ワルキューレ達の中から選抜した者達や、それにトール殿の息子二柱。 それに、下級とは言え、若く歴史の浅い神々を」

「そのようなことをして、何の意味がある」

トールも、分からないと言う風情で、テュールを見ていた。

咳払いすると、最初から説明していく。

「もはやアスガルドは、たとえ三つの邪悪を退けたとしても、壊滅を免れますまい。 であれば、この不肖テュール、命に代えても三つの邪悪を討ち滅ぼしましょう」

「俺だって、同じだ」

「うむ。 我らと三つの邪悪が差し違えれば、若き世代に未来を引き継ぐことも可能でありましょう。 そのためには、むしろ若き神々は、一度アスガルドを離れさせた方が良いかと想います」

「破滅に巻き込まないようにしてやると言うことか」

然りとテュールが頷くと、オーディンは大きく、大きく肩を揺らして嘆息した。

覚悟を、決めてくれただろうか。

死にたくないという理由で、ユミルを殺した神々の一柱であったろうオーディンである。その戦い方は基本的に狡猾で、常日頃から自分が傷つかないようにする事を第一としていた。

だからこそ、テュールは言いたい。

今回ばかりは、そうではなく。未来のために、自身を捨てて欲しいのだ。

「この武神テュール、過分な名をいただき、誇りとしております。 その誇りの全てをかけ、アスガルドのため最後まで戦いましょう。 トール殿、貴殿は」

「おう、俺もだ。 アスガルド最強の雷神トール、敵に見せる背中はねえな」

「うむ。 ならばオーディン様、貴方も。 未来のため、アスガルドだけではなくこの世界のため。 未来の礎となっていただきたいのです」

「……」

オーディンは何も言わない。

神々は、殺されなければ死なない。老いも病気も、神々を殺す事は出来ない。

だからこそ、神々は死を怖れるのだ。最古の神の一柱であるオーディンであれば、なおさら死は怖いだろう。

今、アスガルドを、あらゆる手を使って繁栄させてきた狡猾な最高神は。

死んで欲しいと言うも同然の言葉に。

静かに頷いた。

「分かった。 もはや、他に手はないであろう」

「ただちに、死者の軍勢を叩き潰す準備に取りかかります」

「おう。 体が腐った貧弱な軍勢なんぞ、俺だけで百万は片付けてやる」

「頼もしいことだ」

もちろん、そのように上手く行くはずが無いことなど、皆が分かっている。

それでも。この場所に。

今まで、ずっと何をしても得られなかった連帯と、それに情報を共有した事による信頼が、生まれたのだった。

 

1、襲来せし醜悪

 

王都に近づくと、まず死臭がした。フレイは全軍を率いている騎士団長ハーゲンに、小走りで並びながら語る。

「まず私が突入する。 血路を開くから、すぐに軍を展開して欲しい」

「ははっ! 全軍、これより神を先頭に、不埒なる死者共より王都を奪還する!」

「おおーっ!」

精鋭五千が歓声を上げる。

強行軍を続けてきた部隊だが、脱落者は出ていない。いずれも屈強な戦士ばかりだ。フレイは速度を上げると、まず最初に、燃え落ちかけている、三重の城壁の一番外の門を走りくぐる。

そして、あまりの光景に、絶句していた。

街が、腐り落ちている。

燃えているとか、砕けているというのではない。死んでいるのだ。

辺りを徘徊している人影が、一斉にフレイを見る。

それは、死人だ。

体が腐り、だがどうしてか人間だと分かる。点々としている亡骸には、乱暴に首をへし折ったり、体を引きちぎった跡があった。

体が腐れた巨神もいる。

体を引きずって、呻きながら進んでいるその周囲には。腐敗した内臓を腹から垂らしている巨大な狼や、空を舞う首だけの巨神。そして、虚ろな目の、大柄な人型。ああ、なんということか。

あれは、アスガルドの、権力闘争に敗れたり、ヴァン神族との戦いで死んだ神々。

まだ、周囲に生の気配はある。

フレイは向かってくる死体共に向けて、剣を容赦なく振るう。一閃ごとに、体が脆くなっている死体が吹っ飛び、千切れ飛ぶ。しかし、それくらいでは、死体はとまらない。斬られても潰されても、確実に迫ってくる。

「本当に死者だ……」

「どうするんだよ、これ! もう死んでる奴を、どうやって殺すんだ!」

一緒に来ていた北の民達が、悲鳴に近い声を上げる。泣き言を漏らさないのは、シグムンドだけだ。

フレイは相手をもはや塵も残さぬほどに斬るか、或いは焼き払うしかないと判断。片っ端から近づく敵を斬りながら、手を振って来るように促す。

「徹底的に叩き潰せば、再生はしない! 動きそのものは鈍い! 立ち回りを工夫して、複数人数で掛かれ!」

「神に続け! 王都を死者共から取り戻せ!」

ハーゲンが、見事な剣技で、近づく敵を斬り伏せる。

勇気づけられた兵士達が、死臭に覆われた王都に殺到。フレイは周囲を走り、敵を見かけ次第斬り倒していく。

上から膨大な腐汁が降ってきた。しかも邪悪な魔力が掛かっていて、掛かるだけで地面が溶ける。どうにか飛び退いて回避はしたが、これはまともに食らえば無事では済まないだろう。

どうやら、首だけの巨神が、口から吐いたらしい。明らかにあんなものを吐ける状態ではないはずだが、或いはヘルの魔力により、邪悪な力を冥界から呼び寄せているのかも知れない。

アネットが家の壁を利用して三角に跳ぶと、首を縦一文字に斬り割る。そうすると飛翔能力もなくなるらしく、地面に落ちてきた。其処を、兵士達がよってたかって叩き潰す。ある程度細切れにすると、流石の死者も、魔力に変わって消えていくようだ。

シグムンドが、死人の首を叩き落とし、間髪入れずに唐竹割にする。それでも死者は動いて、つかみかかってくる。

「くそっ! きりがない!」

「任せろッ!」

ヘルギが巨大な槌を振り下ろす。死人がぐちゃりと音を立てて、豪快に潰れた。

死人が魔力になって消えていく。なるほど、こういう攻撃の方が、体が柔らかい相手には効果的か。

確か、テュールが送ってくれた武具の中に、あったはずだ。少し死者との戦闘になれてきたら、使用してみるか。

「相手の動きは鈍い! 足を落として、身動きを封じよ!」

既にハーゲンは大剣を振るって、相当数の死者を片付けているようだ。

フレイも負けてはいられない。路を塞ぐ死人を冷静に、確実に処理していく死せる。巨神が、体を引きずりながら近づいてくる。おそらく巨体を支えられないからだろう。足は役に立っていない様子だ。

頭を叩き潰し、体を切る。

だが、巨神の死骸は、凄まじい勢いで再生していく。

必死に剣を振るうが、おぞましい巨神の腐肉がばらまかれるばかりである。

「フレイ。 フレイよ。 聞こえていますか」

「イズンか。 聞こえている」

連続して、剣を振るう。巨神の体は少しずつ削れていくが、とても完全に叩き潰すには至らない。

頑強すぎる。ただでさえ強力な巨神の再生能力が、死者になる事で更に増している。動きは鈍いが、このままでは、押し切られる。

「胴の辺りに、邪悪な魔力の塊があるはずです。 それを破壊しなさい」

「なるほど、そうか」

振り回される骨が露出した腕をかいくぐりながら、左に回り込む。途中、死者が数体まとめて飛びかかってきたが、体当たりで吹き飛ばし、近寄らせない。

気合いと共に、剣を振り下ろす。

巨神の柔らかくなっている胴が派手にえぐれ、黒いおぞましい結晶が露出した。更に一撃。肉が守ろうとするところを蹴散らし、斬撃が結晶に食い込む。

凄まじい悲鳴を上げながら、死した巨神が、闇に帰って行った。

「巨神の死体は胴に弱点があるぞ!」

「おうっ!」

「死人共は、核のようなもので動かされているようだ! それを破壊すれば殺す事が可能だ!」

兵士達に、叫んで敢えて伝えていく。兵士達がそれを復唱して、周囲に伝え、少しでも戦況を改善していく。

道を開く。

逃げ惑う人々が見えた。まだ、抵抗している兵士達もいるようだ。

フレイは躍り込むと、死者を片端から薙ぎ払っていく。神々の成れの果てが、剣を振るって、飛びかかってきた。一合、二合。かなりの腕力だが、剣技はたいしたことが無い。一息に、唐竹に切り落とす。

核が潰れたのか、おぞましい黒い魔力をまき散らしながら、死せる神が消えていく。

「民を守れ!」

兵士達がなだれ込んできて、敵を駆逐しはじめる。

しかし、たいした相手ではない。これならば、どうにかなるのではないのか。

隊長らしい兵士がいた。フレイが歩み寄ると、敬礼してくる。

「神よ、来ていただいて光栄です!」

「戦況は」

「王都は残念ながら壊滅状態です。 巨神の死者以外は我々でも対処が可能なのですが、斃しても斃しても沸いてきて、手に負えません」

なるほど、死者の軍勢としては正しいやり口だ。

少しずつ精鋭が、勢力圏を拡大しているのが見えた。死せる巨神がいる場所は、狼煙を上げてくる。フレイが、其処は出向かなければならない。流石にあの再生速度、人間が突破するのは難しいだろう。

ハーゲンが来たので、出来るだけ早めに民を保護するように指示。頷くと、騎士団長は敵を駆逐した地域に、負傷した者達を回し、王宮へ民を誘導するようにしていた。

死者の増援が、いつ来るか分からない。

二つめの城壁を突破。其処も、死者で一杯だった。兵士達が出てきて、どうにか王宮と此処までは突破口を作ってくれたが、それも今のままでは長くは保たないだろう。フレイは彼方此方を走り回り、死せる神々や、巨神を斬り倒して廻った。だが、戦況は決して良くない。とにかく敵の数が多すぎる。

気付くと、うしろに巨神の生首が浮かんでいた。

大量の邪悪な液を吹きかけられる。飛び退いて直撃は避けるが、それでも鎧へのダメージが凄まじい。腐食した液体が、鎧をおぞましく侵食して、煙を上げている。回復が、追いつかない。

無言で生首を切り割り、呼吸を整える。

剣はすっかり死者の脂で汚れ、何度振るっても落ちない。アネットも苦戦しながら、兵士達を守っている様子だ。

王宮を守っている将軍が、護衛と共に来た。

話を聞くと、かなりの人数が、まだ取り残されている地域があると言う。王都には五千に達する留守部隊がいたはずだが、攻勢に出る余裕は無く、取り残されているそうだ。一つずつ、救援しなければならないだろう。

死せる巨神が、暴れ狂っている。下半身は動かず、上半身だけで地面を這い回りながら。兵士達は遠巻きに牽制するだけで、手が出せずにいた。フレイが飛び込むと、両腕を瞬間的に切り落とし、再生するより早く左に回り込む。だが、巨神は不意に横転するようにして、押し潰しに掛かってくる。

盾をかざしてその猛烈な突進を防ぎ止めるが、防ぎきれず、吹っ飛ばされる。

城壁に叩き付けられ、苦痛の声を漏らしていた。死せる巨神は既に両腕を再生し終え、呻きながら迫って来る。

死しても、巨神。

手を抜ける相手ではなかった。

跳ね起きると、顔面を真っ二つに切り割る。瞬時に再生を開始する巨神だが、今度こそ横に回り込み、胴を一息に切り裂いた。

紫色の魔力を揺らめかせながら、核が露出する。

「今だ、あれを砕け」

「お任せを!」

兵士達が飛びかかり、核を砕く。核そのものは脆く、人間の振るう剣で充分に砕けるようだった。

鎧のダメージを一瞥。回復まで、しばらく時間が掛かるだろう。下手に巨神の棍棒を喰らうよりも、むしろ今のは効いた。動きは遅いが、打撃自体は著しく重いと見た方が良さそうだ。

墓場を一瞥するが、死体がよみがえった様子は無い。

やはりこれらの死者は、ヘルの魔力を核に、死者にかりそめの肉体を与えている存在のようだ。

支援が必要だという地区に、つれられて向かう。

区分けされている何カ所かでは、死者が我が物顔に歩き回っていた。必死の抵抗をしている兵士達の姿が見える。良く保ってくれたというべきか。

「神が来てくれた! 皆、心を奮い立たせよ!」

「おおっ!」

兵士達の先頭に立ち、フレイが進むと。後に続く兵士達も勇気をふるい、死者の群れに立ち向かっていく。

フレイが剣を鞘にしまう。代わりに魔術で小型化していたそれを、実体化させる。

神々の中では、雷神トールが使い手という事もあって、比較的人気のある武器。大槌。投げるタイプと叩き潰すタイプがあるが、フレイが手にしたのは後者。槌の部分が人間の成人男子ほどもある巨大なもので、神の鍛えた鉄で作られているため、フレイといえど神速の取り回しが出来ない。

だが、相手も動きが遅い以上、これで充分。

槌を振り回し、めぼしい相手を文字通り叩き潰して廻る。これなら、相手をそのまま、核ごと粉砕することが可能だ。

陽が、くれようとしている。

真っ赤に染まった空の下、フレイはひたすらに槌を振るい、死者を撃砕する。死せる巨神を潰し、大量の腐敗血を浴びる石畳を一瞥。夜が暗くならないのは、ある意味ありがたいかも知れない。

渾身の一撃を振り下ろしたから、巨神は前後に真っ二つになり、上半身は近くの溝まで飛んでいった。後の核は兵士達に処理を任せながら、剣に切り替える。大物は潰したし、後は掃討戦だ。

「負傷者の救出、病人の搬送、民の避難、急げ!」

「王都さえ、全区画を容易には制圧できないとは……」

てきぱきと動くハーゲン。

その隣で、老いた将が、悲しげに呟いていた。また死者が現れる可能性が極めて高い。もたついてはいられない。

次の地区に行く。

門を破られそうになっていると、悲鳴混じりの狼煙が上がっているという。閉じこもることには成功したが、内部の兵士達が少なく、門を破られたらなすすべがないらしい。

アネットが一度合流してきた。

「王宮の中を見てきましたが、負傷者で一杯です」

「食糧などの備蓄は」

「補給を出来る程度にはあるようですが、おそらくもう遠征軍は出せないという話を、将軍達がしていました」

人間の兵士達は、食糧がなければ動く事は出来ない。

確かに、もう無理かも知れない。この様子だと、おそらく前線の砦も壊滅状態だろう。可能な限り兵を早く引かせた方が良い。少しでも多くの人間を集中した方が、まだ守りきれる。

門に群がっている死者が見えてきた。死せる巨神が扉に何度もタックルを繰り返していて、今にも破れそうだ。

追いついてきたハーゲンが、文字通り髪を逆立てるほどの怒気を見せた。

「おのれ、好き勝手をしおって!」

「私が行く。 アネットは、雑魚を掃討。 制圧は頼めるか」

「お任せを。 神よ、もっと我らを頼っていただいても平気です」

「ああ、充分に頼らせてもらっている。 背中は預けたぞ」

夜さえ来ない空の下、フレイは走る。死者達が気付いて、一斉に此方に向き直った。人間も神々も巨神も、魔物さえいる。皆表情がなく、ただ生きる者を殺そうとしているのが明白だった。

冥府に戻れ、死者達。

此処は、お前達が好き勝手にして良い場所ではない。

そう言おうとして、止める。そうさせている奴がいるから、こうして攻めてきているのだ。彼らを責めるのは、筋違いだろう。

ひたすら無心に槌を振るう。突破口を開く。

死せる巨神が振り返る。やはり下半身が崩れていて、上半身だけで這いずっていた。哀れな姿だ。

横殴りに、槌を叩き付ける。

文字通りすっ飛んだ巨神の首が、他の死者を巻き込んで、遙か遠くまで転がっていく。だが、それも即座に再生を開始する。

後ろはアネットやハーゲンが守ってくれている。今は、此奴を、一秒でも早く、冥界に返さなければならなかった。

 

もはや時間も分からない空の下での殲滅が一通り終わる。

とりあえず、王都の中にいた死者は一掃できた。王宮の内部は負傷者で満杯。アネットが早速回復に取りかかったが、あまりにも数が多すぎる。フレイヤも到着に時間が掛かるだろうし、心配になった。アネットの性格は、最近フレイにもわかりはじめてきた。生真面目なのである。だから、平気で無理をしてしまう。だからフレイがしっかり見ておかないと、倒れるまで働いてしまう。

王都はかろうじて制圧できたが、全ての場所の制圧を維持するのは難しいかも知れない。

門の外も、またいつ死者が現れるか分からない。ハーゲンが将軍達をまとめて話をしていたが、ほどなく外で敵を警戒しているフレイの所に来る。

死者は生者を殺す事にしか興味が無いらしく、城壁は無事だった。殆どの建物も。フレイは見張り塔の一つを使って、街の周囲を見ていたのだ。

「神よ、今後の状況について、ですが」

「うむ、聞かせてくれ」

「もう聞いておられるやも知れませんが、残った物資でどうにか軍の補給と、民への食糧配給は出来ます。 ただし、もはや軍を編制して遠征は不可能でありましょう。 王都を守る事くらいしか、出来そうにありません」

各地の街も、壊滅状態だと報告が入っているそうだ。

無事だった民は、グンターの兵力がどうにか護衛して王都に向かっていると信じたい。あちらにはフレイヤもいるし、簡単に崩壊することはないだろう。前線の砦もやはり死者に襲われる場所が出てきており、既に放棄の命令を出したのだとか。これでは、もはや戦どころでは無い。

「巨神との戦いで大きな打撃を受けたところに、これです。 もはやブルグントという国家は、復活できないかも知れません」

「苦境は理解できるが、今は世界が滅びる瀬戸際だ。 すまないが、耐えて欲しい」

「分かっております。 神よ、皆にお姿を見せていただきたく。 少しでも、民の不安を和らげたいのです」

「良いだろう」

その程度の事なら、造作もない。

王宮に出向くと、アネットが汗水垂らして、回復を続けていた。戦闘能力がなくても、回復の術が使える神は少なからずいる。そういった者でも一柱二柱回してもらえば、戦闘要員であるアネットが、酷い苦労をする事も無くなってくるのだが。下級の神であるディースの中にも、回復の術が得意な者はいるはずだ。

しかし、無理だ。オーディンは、もう何も支援をしてくれないだろう。フレイはそう諦めていた。

民を見回っていると、やはり安心してくれる。

絶望の中にいた民は、アネットの回復術をみて感動し、フレイを見て希望を取り戻してくれているようだ。

弱き者達だと言って、彼らを馬鹿には出来ない。

強者だけでは、世界は成立しないことは、フレイもよく知っている。今までの戦いでも、単純な戦闘力で劣るはずの人間達に、随分フレイは助けられた。だから、フレイも人間を助けていく。単純な理屈だ。

アネットを少し休憩させる。二刻ほど眠るようにと指示。アネットは案の定ふらふらになるまで術を使っていたので、指示を出すとそのままこてんと横になってしまった。

抱え上げて、開いている部屋の一つに運ぶ。兵士達に見張りを頼むと、外に。

フレイ自身も、少し休みたいところだ。

遣いにしている鷹が来た。

テュールに出していた手紙には、戦況報告を記している。最近は返事がなかったのだが、足には手紙がくくりつけられていた。

久方の師の手紙。

師には、ロキ=ユミルが言ったことは、全て余さず伝えた。それに対する返事であろうか。

手紙を見ると、書かれていたのは、相変わらず無骨な字だった。

「フレイよ、苦戦している所を支援できずすまぬ。 報告に関しては、受け取らせてもらった。 今後も苦しい戦いが続くだろうが、耐えて欲しい」

覚悟は、とうに決めている。

師の文字が懐かしい。

正直な話、近況や生活の様子を書いてくれるだけでも嬉しいのだ。フレイにとって、先代は父ではあったが、身近な家族とは言いがたかった。やはりテュールこそが、師であり親代わりの存在といえた。

まだ親離れが出来ていないのかも知れない。そう考えると少し情けないのだが。

文面を読み進めていく。

武器の補充については、なんとかしてくれるそうだ。トールの剛弓の矢を、幾らか送ってくれるほか、古めの剣を十本ほど。これらは神の鍛えた武具だが若干力が弱いという事で、精鋭の人間でも扱えるかも知れない。

それに、嬉しい一文があった。

「若い神々の中から何名か、そちらに送る予定だ。 オーディンは、ようやく重い腰を上げてくれた。 アスガルドは敵と差し違える覚悟を決めたのだ。 その時、若い神々は、むしろアスガルドから離れていた方が良い。 これからも連絡無しに、そちらに若い神が赴くかも知れない」

トールの二名の息子の名が其処にある。武名高い二名であり、来てくれれば必ずや戦力になるだろう。ただし、トールほどの武芸はない。それに、戦闘経験も、フレイよりずっと少ないはずだ。

それに、ミョルニルとトールの戦車は、当然持ち出すことが出来ないだろう。

トールの末娘のスルーズは、確か回復の術が使えるはず。一時期ワルキューレ隊の指揮を執っていたことがあると聞いているが、向いていなかったらしく、今ではトールの屋敷で静かに暮らしているという。手が空いているのなら、回して貰えれば助かる。

テュールがまだ此方を気遣ってくれていたこと、オーディンを根気強く説得していてくれたことが分かって、フレイは嬉しかった。

フレイヤにも、早くこの事を聞かせてやりたい。

もはや絶望しかないように思えた状況だが。わずかに、希望が見えてきたかも知れなかった。

 

2、死からの退却戦

 

背筋が凍るような光景だった。

死者が闊歩している。あらゆる種類の死者が。人間も神々も巨神も魔物さえもいる。それらをフレイヤは、稲妻の王錫で薙ぎ払い、精霊の弓から魔弾を放って吹き飛ばす。厄介なのは死した巨神だったが、それもイズンから斃し方を聞いて、どうにか対処できるようになった。

王都へ向かいながら、幾つかの街を通ったが、その殆どが壊滅状態だった。

死者はあらゆる場所から沸いてきている。それだけではなく、その場にいる生者を殲滅した後は、アスガルドにめいめいが向かっているようだった。

行軍中、避難民が死者に襲われる光景を、何度も見た。

半数ほどは、助けられなかった。

伝令がひっきりなしに行き交っている。報告が来る度に、グンターの表情が曇っているのが、フレイヤにも分かる。吉報など、無いのだろう。

「駄目だ。 無事な街はほとんどないようだ。 向かわせた部隊は、生存者を救出しながら、撤退をしている」

「避難を急がせなさい。 王都は兄が守ってくれているはずです」

「うむ……」

死者の群れは、殲滅しても殲滅しても沸いてくる。

狙いは当然アスガルドなのだろう。ミズガルドの生者を、片手間に踏みつぶしながらと言う風情であった。

単体では弱い。死せる巨神も、大巨神に比べてタフではあるが、手強いとは感じない。

だが、数が多すぎる上に、いつ沸いてくるか全く分からない所が、あまりにも恐ろしい。

幸いにもと言うべきか、死者は倉庫を焼いたり、備蓄した食糧を奪ったりはしない。

このため、制圧した街では、足りなくなっていた物資を補給できた。しかし、それが今更何になるだろうか。

兵士達の中には、発狂してしまう者も出始めていた。

世界の終わりが、これ以上のないほど分かり易く、示されているのである。これでは、平常心を保つ方が難しい。

悲惨な撤退戦が続く。

四つ目の街も、全滅状態だった。死者を掃討して、わずかに生き残っていた者達を救出して。

物資を回収すると、後は逃げるように、その場を後にすることしか出来なかった。

既にミズガルドは崩壊状態だ。この様子だと、既に南部にある小国家群は全滅だろう。住民達が、逃れる暇があったとは思えない。

人間は、アスガルドの神々が奉仕種族として作った存在だ。

だが、だからといって、この破滅の運命が正しいとは思えない。一体どうして、このようなことが起きるのか。

分かってはいても、問わざるを得ない。

兵士達の負傷者を回復して廻っていると、グンターが来た。疲弊が色濃い。

「ゴート国に放っていた斥候が戻ってきた。 どうやら、ゴート国の王都が陥落し、司令部は全滅したそうだ」

「そんな。 アルヴィルダは」

「まだ不確実な情報だから、何とも言えぬ。 あの豪傑が、簡単に死ぬとは、余にも思えぬが」

ゴートは思えば、死者の攻撃に最初に晒された場所であった。

アルヴィルダの到着が遅れたという事も無かった筈。どれほどの数の死者に襲われたというのだろう。

伝令の兵士が来た。

「こ、この先は進めません!」

「如何したか」

「死者の大軍勢が、東に向かって進行中! あまりにも数が多すぎて、かぞえられません!」

「おそらく、アスガルドに向かっている兵でしょう」

静かな怒りがわいてくる。

ヘルという存在は、ロキ=ユミルが言ったように、無理がある世界を矯正するためだけに生まれてきたのか。

それは分かるにしても、どうして冥界にいる者達を、こうも虐げる。

死んでしまえば、神々も巨神も人間も、同じ筈。

静かに眠っていた死者を、このようにおぞましい姿でよみがえらせ、鉄砲玉として酷使する。

許されることではない。

風刃の杖で掃射を浴びせて、陣列に穴を開けることは可能だ。ただし、味方の軍勢が通り抜けるのは難しいだろう。

やり過ごすか、迂回するしかない。

「位置からして、ゴートを滅ぼした軍勢であろうか」

「どちらにしても、無視して通るわけにはいきますまい!」

そう吼えた将軍は、故郷の街を滅ぼされたという事だった。

死者に対する目つきが非常に危険になっている。同じように、ヘルへの憎悪を滾らせている人間達は多い。

だが、今は。

向かってこない相手に攻撃を仕掛けて、消耗している暇は無いはずだ。

「迂回、しましょう」

「神よ!」

「今は、民と負傷者を、一刻も早く王都に届けることが先です。 アスガルドは容易には陥落しません。 反撃の機会をうかがう、などということは、今は言いません。 此処は、生き残ることを最優先しましょう」

悔しそうに、将軍は拳を振るわせていた。

だが、頷いたグンターが、肩を叩く。

「いずれ、仇討ちの機会はあろう。 今は怒りを押し殺し、いきるのだ」

「陛下……」

軍勢が、向きを変える。

王都へ急ぐ。膨大な死者の群れは、ただ東に向かい、そのままアスガルドのある山へと登りはじめていた。

当然アスガルドでは、複数張っている結界で、敵を防ぎに掛かるだろう。

問題は、あまりにも敵の数が多すぎる、という事だ。

しかもヘルの魔力は、死者の特性を見ている限り、底なしだと考えて良さそうである。冥界そのものと一体化しているのかも知れない。ヘル単独で、アスガルドを攻めている。そういう状況なのだ。

ユミルの事を考える限り、出来ない話ではない。

そもそもユミルは、世界そのものといっても良い存在だったのだ。それが造り出した、死の権化。

冥界が、その内部に包括されていても、おかしくはない。

ならば、アスガルドはどれだけ賢明に防いでも、やがてどうしようもなくなってしまうだろう。

無限の物量を持つ相手だ。しかも、今地上に出てきている死者は、さほど強くない連中である可能性が高い。

物量で結界を突破したら、おそらく本命の強力な死者を投入しはじめるだろう。優れた使い手だった巨神や、先代の神々、それにユミルの時代に生きていた古き神々や巨人達。考えるだけで、寒気が走る。

力が衰えているとしても、戦闘経験まで減衰しているわけではないだろう。その恐ろしさは、想像を絶する。

王都へ、あと一日の距離まで到達。

陣を張って、兵士達を休ませる。フレイヤは負傷兵を回復して廻っていたが、そこで兄からの魔術による通信が来た。

巨神の魔術師はいないが、少し前からヘルの魔力の影響で、通信が出来なくなっていたのだ。

兄の声を聞くと、表情が和らぐ。

「兄様、今の状況は」

「王都は制圧した。 しかも、吉報がある。 師が、オーディン様を説得してくださった様子だ」

「それは、いかなる事でしょうか」

「増援が来る可能性が高い。 アネットやお前の負担が減るぞ。 若い神を中心に、何名かを送ってくださるそうだ」

兄は喜んでいるが、フレイヤは不意に不安になった。

何か、アスガルドでとんでも無い事が起きているのではないのか。あれだけ頑なで腰が重かったオーディンが、何故今になって不意に心を変えたのだろう。

トールの子供達である三名や、ほかにもワルキューレの中から若い者を何名か、選抜してくれるらしいと言う話を聞いて、多少は安心する。

しかし、ただでさえ薄いアスガルドの守りが、それでは更に脆くなってしまうのではあるまいか。

「兄様、そちらにも既に情報は届いているかも知れませんが、ゴート国は既に壊滅状態のようです」

「む……そうか。 残念な話だ。 死者の軍勢の侵攻は、予想以上に早いようだな」

「早急に対策を考えなければなりません。 一刻も早く、ブルグント王都にて合流いたしましょう」

「分かった」

通信を、一度切る。

嘆息すると、真っ赤に染まったままの空を見上げた。

腐敗したドラゴンまでが、飛んでいる事がある。刺激しなければあまり積極的には襲ってこないが、それでも危険な存在である事は間違いない。それにしても、あの腐った翼で飛べるとは。

ヘルの魔力が、それだけ凄いという事だ。

王都周辺にも、死者がかなり徘徊している。

王都の掃討戦は終わったという事で、それらを突破すれば、何とか王都には到達できるだろう。

問題はその先だ。

今まで、戦略はほとんど兄が考えてきた。しかしフレイヤも、これからは状況に応じて、兵士達を導かなければならないかも知れない。

回復術による負傷者の手当が、一段落した。木陰に入って休む。

若い兵士達が、此方を見て何かを話しているのが分かった。内容を聞こうとは思わない。フレイヤが先代とは正反対の性格だと言うことはもう知れ渡っているようで、無礼なことをいう兵士はいない。

もっとも、死にかけた兵士に、無茶な懇願をされたことは、実は何回かあった。

人間から見て、魅力的に見える容姿というのも、考えようによっては問題だ。最近は、気を利かせて、忠誠度の高い兵士を見張りにつけてくれるようにはなってきた。

それにしても、戦いは激しくなる一方だ。

人間達が、刹那的な行動に走るのも、仕方が無いのかも知れない。

しばらく目を閉じて、魔力の回復に努める。鎧の回復は、少し前に完了している。けが人はまだある程度残っているが、王都まで行けばどうにかなるだろう。

今の時刻については、自動で動かしている魔術で、かろうじて分かる。

夜半を少し超えたところだ。星空さえ見えない混沌そのものの紅い空の下にいると、やはり感覚がおかしくなってくる。

眠るのは、感覚を戻すために必要な作業となり始めていた。

二刻ほど休んで、それで目を覚ます。

覚ませるように、時限式の術式を先に仕込んでおいた。目が覚めてから、辺りを見回すと、兵士達が一方を見て騒いでいる。

起き出して、それを見て。フレイヤは絶句した。

おそらく数万に達する死者が、王都と此方の間を塞ぐように、平原に充満しているのだ。合流してきた兵もあわせて、此方は二万いるかいないか。改装した鉄の牛を四機とも並べて、既に臨戦態勢は取っている。何故起こしてくれなかったのかと聞こうと思ったが、死者達の動きを見て納得した。

どうやら死者の大軍勢の一部が、向きを変えたらしい。違う向きから、アスガルドに迫ろうというのだろうか。いや、それにしては動きが見えない。どういうことかは、すぐには判断できなかった。

この数なら、おそらく通るまでの殲滅は可能だ。

しかし、被害も無視できないだろう。兄と通信しようと思ったが、上手く通らない。ヘルの魔力の影響だろうか。

グンターが、一番先頭で、腕組みして状況を見ていた。

死者はまるで大河が枝分かれしたように、凄まじい数のまま、平原に満ちている。動く様子は無い。

将軍の一人が、王に意見を言っている。まだ若い男だ。

「上手く行き先を誘導できずに、溜まっているのでしょうか」

「神よ、意見をお聞かせ願いたい」

「……」

フレイヤも、少し前に出て様子を見る。

死者は、少なくとも人間の継戦能力を奪った。その後は、アスガルドへひたすら攻撃を繰り返している。

そして重要なのだが。

鷹を放って確認したところ、どうも一度潰した場所では、もう沸いてきていないようなのだ。

人間など放置しても問題ないと判断しているのか、或いは。

アスガルド攻略に全力を注いでいるのか。

「迂回は出来ませんか」

「距離が倍になりますが」

「構いません。 斥候を放ちなさい」

「分かりました。 すぐに」

若い将軍が駆けていった。伝令に指示を伝えに行くのだろう。

距離が倍になると、一日でブルグント王都に到着する所が、二日かかる。しかも、険しい地形を通らなければならなくなる。

自分がヘルだったら、どうする。

無駄な兵力を作らないことは、戦の鉄則だ。ヘルは、兵を遊ばせておくほどに、余裕があるのか。

そうは思えない。

如何にヘルが強大だと言っても、単独でアスガルドを相手しようとしているのだ。何か、理由がある筈。

人間の軍勢に対する押さえか。

確かに、人間の都市を片っ端から潰した後の行動である。まだかなりの人数がいるブルグント王都近くに、押さえの兵を置くというのは、理にかなう。

叩き潰すにしても、今は消耗が大きくなる可能性が高い。

「伝令!」

兵士が来た。

狼煙を使って、偵察に出ている兵士達から、素早く情報を伝達してきたらしい。

騎兵の一部は、既に王都に到着している様子だ。つまり、死者を避けていけるということである。

此処は、無理をするべきではない。

戦うべき所で戦うのが、戦士だ。

「敵は完全に王都を塞いでいるわけではありません! 北は充分に通ることが可能です!」

「迂回しましょう」

「うむ。 無意味な損害を出すことは避けねばならん。 全軍、敵を刺激せず、北を通って迂回する!」

兵の進路を変え、移動。

その間、死者は襲ってこない。正確には、人間などもはや攻撃する価値も無いと思っているのだろう。

ならば、むしろそれは好都合だ。

人間の強さを、フレイヤはよく知っている。

一日掛けて、平原を迂回。その後は南下して、雑然と散っている死者を蹴散らしながら、王都へ。

どうにか軍の先頭が王都に到着。それを見届けると、フレイヤは後方に戻り、殿軍の部隊の所まで移動した。

最後まで、兵が王都に入るのを、見届けなければならない。

勿論、民もだ。

ようやく、兄との通信が出来るようになってきた。何度か連絡を取りながら、状況を確認する。どうやら死者の群れが間に入ると、通信は出来なくなるようだ。

王都では救護用の物資などを準備し、避難民の受け入れをはじめていた。

前線から撤退、集結してきた兵も、王都に集まりはじめている。ただし、全部で五万を超えることは無さそう、だそうである。しかもこの兵の殆どは予備役や、前線で徴募された成り立ての新兵だ。

中には南の小国から逃げてきたり、ゴートから命からがら此処まで来た者までいるそうだ。

人類の領域は、ブルグント王都だけになりつつある。

死者の大軍勢は、一瞬にしてミズガルド全域を、自分たちの楽園と変えてしまったのだ。なんというおぞましいことか。

「アスガルドからの援軍は」

「少し前に、ワルキューレが一名来た。 間もなくトール様のご子息達が、到着為されるそうだ」

何でもそのワルキューレは、成り立ての新神だという。アネットの後輩に当たるそうだ。

アネットだけが行っていた回復術を分担できるため、かなり効率が上がっているという。ただし、その反面、武芸は極めてお粗末だとも、兄は言っていた。

ワルキューレは猛者が揃っているが、中には戦闘向きでは無い者もいる。回復や後方支援を主体としたタイプだ。

そのものも、後方支援型なのかも知れない。

いずれにしても、これでフレイヤが回復に奔走しなくても良くなる。奔走する場合も、手間がだいぶ減らせる。

「物資の備蓄は大丈夫でしょうか」

「ゴートとの戦を想定して、全軍が数年養えるだけの物資は、事前に蓄積していたらしいから、問題は無い。 見せてもらったが、矢玉が尽きることはないだろう」

むしろ、その前に人間の数が尽きそうだ。

人間は、この数日だけで、一体どれだけ死んだのだろう。

しかも死んだ人間は、すぐに冥界から兵士となって押し寄せてくる。最悪のサイクルである。

最後尾の方で、小競り合い。

死者の小集団が、民を襲っている。フレイヤは無言で駆けつけると、風刃の杖を至近からぶっ放し、死者の群れを塵にした。

だが、それも小物が相手だから出来る事だ。

死せる巨神や、アスガルドの神々の死者は手強い。何度か交戦したが、いずれも楽には倒せなかった。

「兄様、死者の小部隊を片付けました」

「怪我はないか」

「民に何名か。 今から回復に掛かります」

通信を切ると、治療に取りかかる。酷い怪我をしている者はいない。

民は、フレイヤに口々に礼を言いながら、南へ急ぐ。軍はまだ各地に斥候を派遣して、逃げてきた民を収容しているようだが、その数はもう殆ど無い様子だ。

そろそろ、頃合いかも知れない。だが、それでも。

救える命は、一つでも拾いたかった。

 

3、死人の悲しみ

 

どうにか民の収容が完了。

王都の周辺に死者は集まっていない。城壁から見える範囲の死者は、ことごとく片付けた。人間の死者は、たいした相手ではない。魔物の死者も、それほど強くはない。体が脆いことで、もとの強みが消されているからだ。ただし、兵士達にとっては、面倒な相手であることに違いはない。

近くの平原に、数万に達する死者がいるが、今までの状況から考えて、あれはやはり押さえだろう。兄と合流した今であれば、どうにか撃退も出来る。

問題は、この先にどうするか、だ。

王都は復旧するどころではない。かろうじて逃げ込んできた民も、食糧を配給する以上の事は出来ない。

諍いの類も頻発しているようだ。

誰もが怖れているのである。このおぞましい空と、いつ死んでもおかしくない状況を。

辺りを見回っていると、ヴェルンドが来た。

「フレイヤ、ようやく来たか」

「ええ、どうにか」

「一つ、頼みがあるんだが、良いか」

ヘルギも来る。

何か、嫌な予感がした。ヴェルンドは信頼出来る男だが、フレイヤも公私の区別は付けている。ヴェルンドは荒々しい北の民の中では紳士的な反面、女性関係はだらしないという噂話も聞いていた。

「私に出来る事であれば」

「実はな。 東に集結しているって言う死者の中に、俺の親父がいたって言う話があってな」

どうやら、予想とは違う内容ではあった。

まあ、それならばいい。正直な話、怪我を治しているときにそう言う話をする兵士に何度か出会って、辟易していたのだ。

「確認したいが、見つかったときの危険がでかい。 支援を頼めないだろうか」

「やはり、父の尊厳を汚されて、怒っているのですか」

「……俺の親父は、調停者の一族らしく生きた男でな」

争い耐えない北の民の中で、全ての村と交流を持ち、致命的な激突を避けるために存在していた一族。

ヴェルンドがその長である事は、以前から聞いていた。

その地位は、父から受け継いだという事か。

「どんな凶暴な村長とも冷静に話をし、腹を割って語り合い、戦士ではないのに誰からも尊敬されていた、そんな男だったよ」

「立派な人ですね」

「だが、北の民の中で、戦士ではなく、戦場でも死なない奴は、バルハラには行けないって事になっていた」

鬱屈が、相当溜まっていたのだろう。

ヴェルンドの声には、いつもにはない激しさがあった。

「現物のエインヘリアルを見て、バルハラがろくでもないところだってのは何となくは分かったんだ。 だが、だからといって、ヘルにこき使われなければいけないような男だったのか、親父は」

「……」

「あんたを責めてるんじゃ無い。 あんたも、エインヘリアルのことを良く想っていないことは、何となく分かるからな。 それに、あんたアスガルドじゃそんなに偉くないんだろう? どうしようもないことだって、分かる」

ヴェルンドはしばしまくし立てた後、視線をそらした。

すまんと、二度呟く。

フレイヤは、戦士としては尊敬できる男だと、ヴェルンドを思っていた。いや、今でも思っている。

だが、やはりその心には。人間らしい闇も抱えていたのだ。

「やっぱり、親父がどんな有様なのか、見ておきたい。 けじめのためにも、だ」

「後悔することに、なりますよ」

「今、真実を見なかったら、もっと後悔するだろうよ」

フレイヤは頷く。

丁度アネットが来たので、兄への伝言を頼んでおく。此処からなら、ヘルギとヴェルンドと一緒に行けば、一刻も掛からない。最悪の場合は、二人を先に逃がして、鷹になって逃げてしまえば良い。

死者には空を飛ぶものや魔術を使うものもいるが、基本的に動きが鈍い。充分に逃げ切れるはずだ。

シグムンドは呼ばないのかと聞いたのだが、ヴェルンドは首を横に振る。

「シグムンドの親父シグルズは、エインヘリアルになったのが確定だ。 シグムンドと殆ど匹敵するくらいの腕前で、最後は勇敢に戦って死んだ男だからな」

「そうだったのですか」

「戦士としては、尊敬できる男だよ。 だがな、何時からだろうか。 尊敬できるはずのシグルズも、好敵手だったはずのシグムンドも。 素直に尊敬できなくなったのは」

ヘルギはずっと黙っていた。

この陽気な男は、どうしてこの場に来ているのだろう。むしろシグムンドの側にずっといる印象があった。

それなのに今は、シグムンド抜きで、話を進めようとしている場にて、抗議の一つもしない。

「ヘルギ、貴方はどうしたいのです」

「ヴェルンドに言われて、思い出したんだ。 俺の親父はさ、おそらくバルハラにはいかなかったってな」

「……」

「勇敢な戦士だったんだぜ。 なのに、大けがをして、それで生きながらえて。 戦士達の師を努めていたんだ。 凄い技の持ち主で、きっとシグルズよりも腕前は上だった」

それなのに、戦場で死ねなかった。

だから、バルハラには、きっといけなかった。

それが、心残りになっている。そう、ヘルギは言った。

「俺の親父もいるかも知れねえ。 もしそうなら、見ておきてえんだ」

「そうだったのですか」

「なあ、フレイヤ。 この世ってのは、どれだけ残酷なんだ? 俺たちはよりどころを奪われて、その上世界の異分子だから殺すって……。 シグムンドみたいに強い奴は、それでも戦えるのだろうよ。 でも、俺は心が折れそうだ」

ヘルギの言葉は、けっして弱者の嘆きではない。

立派な戦士が、涙の代わりに言葉で流す慟哭だった。

二人だけを連れて、門を出る。

門の外は、兵士達が警備しているが、フレイヤだという事が分かると、すぐに通してくれた。

「お気をつけください。 散発的な死者の攻撃があります。 生者とみれば、木々や小動物まで襲っているようです」

「なんと無体な。 分かりました。 気をつけます」

そういえば、聞かされたことがある。

この世界にある木々には、寿命がない種類がある。育てれば、際限なく巨大に育つ。勿論、必要に応じて間引いたり斬り倒したりしているから、あまりにも巨大になる事は、滅多に無い。

しかし、それで前に思ったことがある。

ユグドラジル、世界樹とは。ただの巨大な木なのではないかと。

そうなると、決して人間や神々だけではない。木々も、三悪魔とやらの憎悪の的になるのかも知れない。

逃げてきている人間が、たまに見かけられる。

誰もが憔悴しきっている。情報をハーゲンが必死に収集しているが、死者が現れなかった国などなかったようだ。

三悪魔の力は、あまりにも底知れない。

最初に現れたヘルだけで、しかも極めて短時間で、ミズガルドを壊滅させてしまった。他の二体は、いったいどれだけの事が出来るのだろう。

東の平野に出る。

ヴェルンドとヘルギと一緒に、平野を見渡せる丘で、体勢を低くする。強烈な魔力が満ちているので、相手を探索する魔術は使えない。だから、単純に姿を拡大する魔術を用いて、死者達を見る。

無数の死者が蠢いていた。あらゆる種類の死者がいる。

中には、見覚えがある顔もあった。あっと思わず声を上げそうになる。見間違えるはずがない。フレイヤが幼い頃、よく面倒を見てくれた下級の神である。親代わりだとさえ思っていた神だ。

彼女は先代フレイヤに仕えていた神である。先代フレイヤの乱行を快く思っていなかった一柱で、よく諌言をしていたらしい。二代目の事くらいは、性欲に優先してくださいと、叫んでいるのを聞いたことがあった。

しかし、姿を消した。

良くない噂が流れているのを、フレイヤは聞いていた。男神と駆け落ちしたとか、何か不祥事を起こして辞めたのだとか。

どうしていなくなってしまったのか、分からなかった。兄以外に、殆ど唯一と言って良い、フレイヤをかわいがってくれる相手だったから。その当時は、悲しくて随分と泣いたものだ。先代は気にもしていなかったようで、その後はますます淫蕩の度合いを酷くしていたが。

此処にいると言うことは。

嗚呼、言われなくても分かる。先代に殺されたという事か。先代はフレイヤと違って、アスガルドの幹部だった。

部下の下級神を密かに殺す事なんて、それこそ造作もないのだろう。ただし、そういった乱行が、やがてオーディンに目をつけられた、と言うわけだ。

ヴェルンドが青ざめているフレイヤに気付いた。

「知り合いか?」

「……幼い頃、親代わりだった神です。 私の先代は、性欲を満たす事以外には興味が無く、当然子育てなどには関心を見せず、私は寂しい生活をしていました。 そんな先代に諌言してくれる、正義感の強い方でした。 しかし、いつのまにかいなくなっていたのです。 まさか、謀殺されていたなんて。 アスガルドの幹部だった先代には、鬱陶しい相手を謀殺することなんて、それこそ造作もなかったのでしょう」

「おいおい、なんてこった。 アスガルドの神々も地上と同じだな。 まるでゲスそのものじゃないか」

「ひでえ話だ……」

二人が怒ってくれるのが、せめてもの慰めだ。

此処で彼女を斃したところで、どうせまた冥界から上がってくるだけだ。元を断たなければ、彼女は救えない。

ヘルを殺さなければならない。

この時、フレイヤはそう決意していた。

ヴェルンドとヘルギの親はいないだろうか。彼方此方に、映像拡大の魔術を向けてみる。ヴェルンドは目を皿のようにして、映像を覗き込んでいた。

あまり、時間は掛からなかった。

「親父だ……」

ヴェルンドが呻いた。

映像の向こうにいたのは、髭を蓄えた、紳士然とした中年男性だった。体も顔も崩れてしまっているが、何となく気品というか、威厳というようなものが感じ取れる。

他の死者達が意味をなさない言葉を発してうろついているだけなのに対して、その死者はある程度自我でもあるのか、口を引き結び、自身の境遇を嘆いているかのように見えた。

首だけの巨神が浮遊しながら近づいてきたので、少し位置をずらす。

見つかってしまったら元も子もない。一斉に攻撃してくるだろう。勿論、ヴェルンドの父も、同じように動くのは間違いない。生前、どれだけ意志が強かったとしても、凶悪なヘルの魔力には逆らえるはずがない。アスガルドの神々の死者でさえ、従えているほどなのだ。

「くそっ……」

声を押し殺して、ヴェルンドが涙を流しているのが分かった。

声のかけようがない。

死者の中に、大きいのがいる。

骨だけになっているのだが、ずんぐりとした巨神とは、明らかに体格が違っていた。あれは或いは。

いにしえの神々である、巨人族の死者か。

骨だけと言っても、強力そうな剣を手にして、丸い盾も持っている。しかも、全身から放つ魔力の強さは、尋常では無い次元だ。

「強そうだな」

「ええ。 出来るだけ、手を出さない方が良いでしょう。 戦いは可能な限り避けるべき相手です」

ヘルギはしばらく映像を見ていたが、首を横に振った。

いないのだろう。

幸いなのか不幸なのか、それはフレイヤには分からなかった。

帰り道、散発的に出くわす死者を斃しながら、ブルグント王都に入る。ヴェルンドは途中で、ヘルギと一緒に離れた。会議に先に言っているとだけ、言い残して。

シグムンドはこんな時も気丈で、王宮で今後について話しているという。けが人も、かなり減っている。アネットと、新しく来てくれたというワルキューレが、回復を頑張ってくれているのだろう。

兵士に呼び止められた。

「フレイヤ様、少し前から、北の方で死者の群れが徘徊しているようです。 規模が大きくなる前に、叩いておきたいとハーゲン様が」

「分かりました。 兄と話し合いをしておきます」

小規模の敵をたたいて、それが何になるというのか。

そう言おうとさえ思ったが、どうにかこらえた。

この壊滅的破滅的な状況を覆すには、元を断つしかない。あの許しがたき悪行を働いているヘルを、だ。

王宮に入ると、憔悴しきった空気があった。

兵士はかなりの数がいる。だが、ブルグント全土、いやミズガルドの他全てから逃れてきた民や兵士達だと思うと、少なすぎる。

人間の領域は、わずか数日で、ブルグント王都だけになってしまったのだ。

兄がハーゲンをはじめとするブルグント軍幹部達と話し合っていた。先ほど話をされた、敵の小部隊を潰すものも内容に含まれているらしい。ただし彼らも、既に領域を取り戻すどころではないことは理解しており、どうやって身を守るかが、話の主題となっていた。

グンターはいない。

老齢だし、今まで精力的に指揮を執ってきた疲れが出ているのだろう。責める気にはなれなかった。

会議には、ラーンも加わっていた。今までの奮戦が認められたのだろうか、下級の将軍の勲章を付けている。

もっともそれが、今更何の役に立つのかは、フレイヤにも分からない。

シグムンドもいた。腕組みして、戦況図を見ている。敵を示す紅い印が、地図上に充満していた。味方の部隊は、もう王都にしかいない。

「兄様、戻りました」

「うむ。 調度良いところだった。 これから、反撃のための作戦について、説明がある」

反撃。

もし反撃をするとしたら、手は一つしか無い。ヘルを殺す事だ。

しかし、生きたまま冥界に行く方法は少ない。スヴァルトヘイムを通って、冥界ニブルへイムに出る路へ入るしかない。

更に冥界に行っても、敵の大軍勢が待ち構えているだろう。

それをかいくぐって、ヘルを殺さなければならない。困難という言葉では語り尽くせないほどの苦闘が待っているはずだ。

「今、アスガルドと冥界が、交戦しています」

不意に、イズンの声が聞こえてくる。

映像も現れた。

ハーゲンをはじめとする人間達が驚く。イズンを見るのは、初めてだろう。兄がイズンについて説明すると、困惑しながらも、彼らは話を聞く体勢に入った。

「イズンよ、やはり戦況は良くないのか」

「はい。 冥界はその兵力の殆どを上げて、アスガルドに攻撃を仕掛けてきています」

とんでも無い数の死者が、アスガルドに押し寄せ続けていると、イズンは言う。

今まで死んだ存在が全て攻めこんできているというのなら、それも当然か。

「現在は、トールが迎撃の指揮を執っています。 死者は単独では弱いのですが、何しろ数が多く、全ての方角から攻めこんでくるので、とても対応しきれません。 前線は下がる一方です」

何か、違和感を感じる。

イズンはフレイヤに、何かを伝えようとしているのではないのか。

「ただし、それだけではありません」

「まだ、何かあるのか」

「絶対の好機が訪れたやも知れません。 巨神族のフリム王が、どうやら北ミズガルドに戻ったようなのです。 しかも、現在は死者の攻撃で、北ミズガルドも大混乱に陥っています。 非常に危険ですが、巨神族も死者とは距離を置いているようで、大規模な軍勢はつれていないでしょう」

今なら、フリムを倒せるかも知れない。

イズンはそういった。

ヴェルンドが、その時眉を少し動かすのを、フレイヤは見た。

「良いのか、貴重な情報を」

「せめて、出来る事をしたまでです。 善後策は此方でも協議します。 貴方たちも、独自の動きを続けてくれて構いません」

「……」

イズンが消える。

誰だろう。最初にそれに気付いたのは。だが、誰が言わなくても、きっと兄は言ったはずだった。

「好機だ。 ヘルを討てるかも知れない。 それに、フリムもだ」

「しかし、反撃しようにも、兵力が……」

悔しそうに、将軍の一人が言う。

一応、味方には相当数の兵力があるが、物資は足りないし、何より死者があまりにも多すぎる。

今、急速に王都の守りを固めているが、逆に言えばそれが精一杯なのだ。巨神族がもう一度攻めこんできたら、一気に王都まで抜かれるだろう。

「冥界には、私が行きます」

「正気か、フレイヤ」

「ヘルはおそらくロキ=ユミル以上の怪物でしょう。 しかし、今奴は、力の大半をアスガルド攻略のために振り分けているはずです。 どのような化け物であろうと、魔力が無限にある筈もありません。 私が単独で向かって攻撃すれば、或いは勝機が見いだせるかも知れません」

「それならば、私はフリムを討とう」

兄が、予想していた言葉を返してくれる。

これだから頼もしい。

「シグムンド、手を貸して欲しい。 ヴェルンド、ヘルギも」

「おう、任せろ」

シグムンドが快活に応えてくれる。

ヴェルンドは一方、寡黙に頷くばかりだった。やはり、先に見た、父の変わり果てた姿が影響しているのだろうか。

しかし、人間を冥界に連れて行く訳にはいかない。

神々でさえ、力を奪われる場所なのだ。

「ならば我々は、陽動作戦を行いましょう」

「ハーゲン、頼めるだろうか」

「はい。 遠征は不可能ですが、近場の死者を引きつけることであれば可能です。 その隙に、不埒なる死者達の王を斃していただければ、未来に希望をつなげることが出来ましょう」

「危険な任務になります。 くれぐれも、気をつけて」

フレイヤの言葉に、ハーゲンは光栄の極みと、短く応えてくれた。

人間達は、頼りになる。

その認識は、既にフレイヤも、兄と同じであった。

アネットはどうするべきか。

冥界には、連れて行けないだろう。経験が浅いワルキューレを連れて行っても、おそらくは死なせるだけだ。

兄の方は、想像を絶する激戦になるのが間違いない。

回復術が使える者がいると、心強い。

会議に、遅れてアネットが来た。寡黙そうな、ひょろっと背が高いワルキューレをつれている。眼鏡を掛けていると言うことは、視力も弱いのだろう。

視線を一斉に浴びて、新人らしいワルキューレは、見る間に真っ青になった。

アネットは説明を受けると、頷く。

「分かりました。 フレイ様と行きたいのですが、よろしいでしょうか」

「此処の回復は、サーニャに任せるか」

「はい。 サーニャの回復術の力量は、私を軽く凌いでいます。 負傷者の手当は、彼女だけで充分です」

アネットの受け答えは、急速にしっかりしてきている。

一方で、少し気を抜いたとき、子供らしい可愛いしぐさが見られることも、フレイヤは知っていた。

新人のワルキューレははじめて見たが、どうみても戦闘向きでは無い。

オーディンは覚悟を決めてくれたと言うが、一番最初に、もっとも使い物にならなさそうな子を送ってきたのは目に見えている。

トールの息子を此方に回してくれるという話だが、本当なのだろうか。

不安は、大きくなるばかりだ。

だが、やるしかない。

どうにかして、冥界の最奥に潜んでいる邪悪、ヘルを討ち果たすのだ。

ハーゲンが、地図上に指を走らせた。

「近場の死者の掃討作戦を開始します。 おそらくそれに引き寄せられて、近場の死者も集まってくることでしょう。 その際、巨神や神々、巨人の死者については、お二方で排除していただきたく」

「心得た」

「有り難きことです。 それ以外の死者は、我らでどうにかいたします。 敵軍に風穴を開けたら、其処から先へお進みください。 後は王都で敵を可能な限り引きつけ、お二方に立ちふさがる敵の兵力を少しでも減らす努力をします」

軽く作戦の打ち合わせをした後、ヴェルンドに呼ばれる。

ヴェルンドはしばし悩んだ後、いつも腰からぶら下げていた短刀を差し出した。

「これは、親父が大事にしていた形見だ。 あんな姿にされているのを見た後だと、渡して良いものか分からないが。 ヘルの野郎に、ぶち込んでやって欲しい」

受け取ってみて分かる。

これは神代の武器だ。非常に素朴な造りの短刀だが、強い力が込められている。驚いたことに、修羅の世界だったはずの北ミズガルドに存在していたにもかかわらず、人を斬った形跡が無い。

おそらく、アスガルドの神々が、北ミズガルドにおける要として調停者の一族を配置したときに、管理のために渡したものなのだろう。

さほど強い力はこもっていないが、調停者の一族に代々秘蔵され、大事にされてきたことが分かる。

「親父の無念が籠もっているはずだ。 これで、ヘルとかって野郎を」

「分かりました。 必ずや、無念は晴らします」

「頼む。 あんたには、世話になりっぱなしだな」

うつむいていたヘルギも、シグムンドに促されて、会議室を出て行く。

此処からは、時間との勝負になるだろう。

「反撃開始だ。 フレイヤ、無茶は承知だ。 必ずや、本懐を遂げよう」

「はい、兄様」

これが、今生の別れかも知れない。

いや、そんな予感はない。

ならば、必ずや、生きて再会できる。そう、フレイヤは確信していた。

 

4、混沌の情勢

 

フルングニルがフリムの所に戻る頃には、既にミズガルドは死者の制圧した世界となっていた。

死者は見境為しに巨神族にも襲いかかってきたので、その度に撃退しなければならず、少なからず損害も出る。ただし、それはヘルが放った死者の特性であって、彼らが目指しているのは、あくまでアスガルドだ。

可能な限り、相手にはしないように。

そう部下達に命じて、凌ぐほか無かった。だが、それにしても、損害は決して小さくない。

フリムは上機嫌であった。

というよりも、泰然としていると言うべきか。

本陣を敷いた丘で、悠々と酒を口にしている。周囲を守っている精鋭の巨神達が、フルングニルに一礼をして来たので、適当に応じながらフリムの前に出た。

「フルングニルよ、ご苦労であったな」

「ははっ。 陛下の御為であれば」

「そなたの働きは見事であった。 予定通り、ユミルが封じた三体の邪悪を、解き放つことが出来たわ」

やはり、最初から予定していた行動であったのか。

ヨトゥンヘイムの最高幹部であるフルングニルでさえ知らなかったことだ。フリムと、ごく限られた巨神しか、知らないことであったのだろう。

「それで、これから如何なさるのです」

「三悪魔とアスガルドを、互いに消耗させる」

やはり、そう来たか。

そうなると、その後にフリムがしようとしていることも、だいたい見当がつく。フリムの目的は、この世界の完全なる支配だろう。

そのためには、アスガルドも、三悪魔も、等しく邪魔なはずだ。

「現状で見て、フレイヤかフレイのいずれかが、ヘルに勝てると思うか」

「厳しいかと思われます」

「ならばヘルの戦力を削いだ方が良いだろう」

また、玉杯から酒を呷るフリム。

酔眼が、フルングニルを見据えた。

「死者の軍団に、攻撃を行え。 ヘルの怒りを引き出して、冥界にいる軍勢を、ある程度此方に引きつけさせよ」

「手薄にさせるのでありますな」

「アスガルドの神々も、おそらく決死の反攻作戦で、ヘルを討とうとするだろう。 既にアスガルドの軍勢は大きな被害を受けている。 此処からフレイなりフレイヤなりが攻めこんでヘルを討ったとしても、再起不能なまでに打撃を受けていることだろう」

問題はヘルを倒せるかどうかだ。

フルングニルが見たところ、これほどのことは、ロキ=ユミルにも不可能だろう。次元が違う魔力の持ち主だ。

膨大な死者を操ることで、その魔力の大半を使っているとしても、手強いことに変わりは無い。

この作戦は、薄氷を踏むも同じだなと、フルングニルは思う。

だが、やらなければならない。そもそも今回の作戦そのものが、世界の全てを制圧する目的で行われているものなのだ。

危険くらい、伴うのが普通である。

「それともう一つ、罠を張っておく」

「お聞きいたしましょう」

「余自ら、北ミズガルドに赴く。 無論、アスガルドにわざと情報を流して、だ」

一瞬意図が分からなかったが。

しかし、すぐに理解できた。なるほど、アスガルドに、徹底的に三悪魔を押しつける、という事か。

アスガルドも長らくこの世界の覇権を握ってきたのだ。簡単に三悪魔に屈することもないだろう。

だが、それにしてもえげつない策略だ。フルングニルも分かってはいる。今は戦士としての誇りよりも、世界の覇権をどう握るかが重要だと言うことは。

フリムは様々な準備もしている。アスガルドが早々に敗退した場合にも、打つべき手があると、言ってもいた。

事実、フルングニルが知るだけでも、オーディンが持つグングニルに匹敵する秘宝が複数、フリムの手にはある。更には、死者の攻撃を受けているとは言え、まだ八十万を超える数が健在の軍勢もあるのだ。立ち回り方によっては、悠々とこの世界を手中に収めることが出来るだろう。

それでも、フルングニルは、正直に言うと賛成できない。

リスクが大きすぎるからだ。

実際問題、ヘルの能力を見る限り、三悪魔はそれぞれが世界を滅ぼしうる力を持っているとみて良いだろう。

如何に準備を入念にしてきたと言っても。どうしても、危険を排除することは、出来そうにない。

「早速、陽動を開始せよ」

「分かりました。 しかしフリム陛下、北ミズガルドに赴かれるとなると、当地は死者で満ちております。 危険はどう回避なさいますか」

「何、それに関しても、手はある」

フリムが纏っているウートガルザの鎧は、相当な強度を持ち、生半可な魔術では貫通できない。

だが、もしも死者の精鋭が多数襲いかかってきて、しかも味方との連携がとれなくなった場合は。

フリムは平気だと言っているが、何かが気に掛かる。

この王は、他にもフルングニルに隠している事があるのではないのか。

だが、いずれにしても、世界の覇権を握ることが出来る可能性は高い。覇気が滾るのも、また事実だ。

フリムが側近を連れて北ミズガルドに出る。

それと入れ替わるようにして、おどおどした様子のファフナーが来た。

あまり良くない報告のようだった。

「フルングニル様、あのう……」

「報告は手短にせよ」

「は、はい。 実は先ほど、スヴァルトヘイムから連絡がありまして。 フルングニル様に、御用がある、とのことです」

スヴァルトヘイムとの交渉は、ファフナーに任せているはずだが。どうしてそれを報告してくるのか。

ファフナーがおそるおそる、水晶球を差し出す。

映り込んでいたのは、ニーズヘッグだった。

スヴァルトヘイムの王とも言うべき、地底の怪蛇ニーズヘッグは、竜族としては最高峰に位置する最強の存在でもある。

とにかく巨大で、全長は大巨神の軽く三倍ほどもある。日を浴びない地下で生活しているため全身は真っ白で、非常に口が巨大。ごつごつした岩状の鱗で全身を覆っており、ユグドラジルの地下空間にある汚れきった湖で体を浸して生活している。

残虐な性格だが、意外なことに主食は植物である。ただしそれは世界樹の根なので、あまり世界に優しいとはいえないが。

背中に翼はないが、空を飛ぶことが出来るとも言われている。八対ある足は、全身を支えるために必要なものなのだろうか。

数々の邪悪な魔術を使いこなす強者であり、とにかく数が多いスヴァルトヘイムの魔物を従えている元締めでもある。

巨神族にとっては、今のところ最大の同盟者だ。

「久しいな、フルングニル卿」

朗々と、ニーズヘッグは言った。

卿というのは、古い古い貴族の呼び方であるらしい。最初聞いたときは面食らったのだが、今では何度か応じたので、慣れてはいる。

ニーズヘッグは邪悪な性格だが、言動自体は紳士的だ。喋っていて、心的負担も感じない。

「何用ですかな、ニーズヘッグ殿」

「うむ。 そろそろ我らも地上に出ようと思っている」

「な……」

スヴァルトヘイムの魔物は、単独ではさほどの戦力はないが、その数がとにかく多い。今までも、相当数が神々や人間との戦いで死んでいるが、それでもまだわき出す湯水のごとく存在している状態だ。

しかも、ニーズヘッグが出てくるという事は。

これより、本隊が姿を見せる、という事だろう。

あの虫のような者だけでは無く、地下で独自に進化を遂げた、おぞましい魔物が無数に、という事だ。

「以前かわした密約の通りだ。 我らも、フリム王の作る世界に参加させてもらう。 それには、そろそろ積極的な介入が必要であろう」

「……」

フリムには、スヴァルトヘイムの魔物は自由にして良いとは言われている。

だが、念のため、連絡を入れて確認を取る。フリムは、すぐに許可をくれた。

「分かりました。 ニーズヘッグ殿、いきなりで悪いのですが、地上に出次第実施していただきたい事があるのです」

「だいたい見当はついている。 ヘルの手勢の駆除であろう?」

けたけたと、ニーズヘッグは巨大すぎる口で笑った。巨神も丸呑みにしかねない巨大さだ。

このおぞましい蛇竜は、その貪欲な食欲で、ユグドラジルをかじり続けてきた。

地上に出てきた後は、当然植物以外にも、食欲が向くと言うことだろう。

「任せておけ。 余にとっても、死者は好物ぞ」

「ならば、お願いいたしましょう」

「うむ。 我が手勢と共に、地上に参る。 間もなくである故、楽しみにな」

通信が切れた。

不安そうに此方を見ているファフナーには、何も言わない。

腕組みして、考え込んでしまう。

スヴァルトヘイムは、何を考えている。

ニーズヘッグは頭が回る悪竜だ。以前、二千年がかりでファフナーが契約をしたと聞いたとき、よく上手く行ったなと思ったものだが。考えて見れば、ファフナーとの契約内容には、最初から問題が無かったのだ。

利害関係は一致していた。

それなのに、ニーズヘッグは、何故二千年も掛けて契約した。

もう一つ解らない事がある。

スヴァルトヘイムは、現在相当な戦力を蓄えている。正直な話、ヨトゥンヘイムとさほど変わらぬほどに。

どうして、フリムの麾下に入ることを、あっさり受け入れたのか。

申し訳なさそうに頭を下げているファフナーに、怒鳴り散らしても意味が無いことだ。

「ファフナーよ」

「はい、フルングニル様」

「アスガルドの戦況を、逐一知らせよ。 無差別攻撃してくる死者は、俺が対処する」

「分かりました」

不安そうにしている阿呆な部下を下がらせると、フルングニルはどっかと腰を下ろして、胡座を組む。

状況が混乱してきた。

フリムは何処かで、何か情報を得ていると見て良いだろう。しかしそれは、一体何だ。何から得ている。

どうして、フルングニルの進言には従うのに、教えてくれる情報が、いつも遅い。

謎は多い。

ただし、覇権に近づいてきているのも実感できる。王を本当の意味での玉座に据えるのが、フルングニルの仕事。

である以上、これ以上躊躇はしていられなかった。

 

既に廃墟になった王都を、アルヴィルダは呆然と見つめていた。

どうしてこうなったのか。

思い出す。何が起きたのかを。

巨神共との戦いのあと、異変が始まって、いやな胸騒ぎを覚えて。全力で帰路を急いで、かろうじて間に合った。

死者の攻撃で壊滅状態のゴート国を走り抜け、王都に到着は出来た。麾下の軍勢も著しく消耗はしていたが、親衛隊をはじめとする中核の精鋭は生き残っていた。王都にはびこっていた死者共を、サラマンデルの火力に物を言わせて粉砕。

新たに建造されていたサラマンデル十五機を接収し、更に急ピッチで持ち込んだサラマンデルを改修させた。

各地から逃げてきた兵もあわせて、およそ三万がいた。半数は予備役だったが、装備はある。

無能な王や将軍達はどう出るかと不安はあったのだが。謁見の間で戦闘の汚れも落とさず出頭したアルヴィルダに、父王は驚くべき事を言ったのである。

「全軍の指揮を委任する」

アルヴィルダに敵対している将軍達や、兄弟達は、目を見張った。

だが、父王の意見は変わらなかった。

「陛下、何故に」

「この危機を乗り切れるのは、アルヴィルダしかおるまい」

嬉しかった。

謁見の間を出たとき、アルヴィルダは思ったのだ。やっと、父が自分を認めてくれたのだと。

父との対立は長かった。兄弟達とも。

部下に慕われることはあっても、常に無能な家族や重臣達と、アルヴィルダは折り合いが悪かった。

心を痛めなかったと言えば、嘘になる。

実際、アルヴィルダは勇んで、死者共を撃退すべく、部隊の再編成に掛かった。ブルグントと協力して、死者共をミズガルドからたたき出すのだと、本気で息巻いていた。だが、翌日のことである。

ようやく一眠りして目を覚ましたアルヴィルダの寝所に、不意に父が飼っていた間諜が来たのだ。

何か起きたのだと、すぐに分かった。

「何事か」

「は。 陛下が、亡くなられました」

「な……」

暗殺の可能性を考慮し、すぐに兵を連れて寝所に向かったが。

父は口から血を吐いて、寝床に突っ伏すようにして息絶えていた。側には愛用の玉杯と、葡萄酒。何よりも、毒の瓶があった。

見聞させるが、暗殺された形跡は無い。

自害したのだと、一目で分かった。

そして、父の真意も理解できた。

投げたのだ。何もかもを。絶望的すぎる状況に、よりにもよってそれを一番嫌い抜いているアルヴィルダに救われたという事実。もう後は勝手にしろと、父は放り捨てて、冥府に逃げたのだ。

腹が立つという以前に、心の何処かが壊れた気がした。

それから、どうにか軍の再編成を二日で完了したが。本当にどうして良いのか、分からなくなった。

もとよりアルヴィルダは前線で指揮を執ってきた。師についたのも自発的な行動であったし、戦術理論が理解できなければ最前線で指揮を執ることも出来ない。それは逆に言えば、自分の能力を信頼していた事も意味している。

よりどころが、軋んでしまった今。

心のダメージが、露骨に能力に現れていた。

死者が攻め寄せて来たのは、それから二日後。

勿論陣頭に立った。戦えば、少しは気も紛れたからだ。死者はまるで大河のように、撃退しても撃退しても押し寄せてきた。

サラマンデルを並べ立て、火力に物を言わせて追いすがる死者を、最初の内は小気味よく撃退できた。

だが、何日経っても、死者は全く変わらない規模で、押し寄せ続けたのである。

兵士達が悲鳴を上げはじめた。

物資がつき始めた。

もはや、ゴートの王都では防ぎきれないことが明白だった。民の避難を急がせる。二万五千の兵を進発させて路を開かせ、一緒に避難民を逃がした。アルヴィルダは王都の城塞に閉じこもり、親衛隊の者達と一緒に、死者を撃退し続けた。サラマンデル隊も五機が残り、最後まで運命を共にすると言った。

少しは気が楽になった。後は、此処でみなと一緒に死のう。そう思った。

鬼神のように其処からは暴れ狂った。最後の力を結集し、死んでも構わないと思って、ただひたすらに敵を倒し続けた。

王都が、火に包まれていった。

気がつくと、王都は完全に更地になっていた。継戦能力の喪失を見届けた死者達は、此方を嘲笑うように通り過ぎていった。

気付いた。それで。アスガルドを攻撃する際の、路が必要だった。だから、小石をどけた。その程度の事で、敵はゴートの王都を滅ぼしたのだと。

親衛隊も殆ど生き延びていなかった。サラマンデルも、残ったのは一機だけだった。

伝令が、力なく声を掛けてくる。

先発させた部隊が、生き残っていた王族達の内輪もめで混乱して、行軍がもたついているところを、死者に襲われたと。

「兵は半数が戦死。 サラマンデル隊は全滅。 王族の方々は、巨神の死者に襲われて、逃れる暇も無く……」

「民は……」

「多くが死にました。 どうにか、死者を迂回してブルグントの王都に届けましたが」

これで、ゴートは名実共に崩壊か。

周りに残っている兵は二千程度しかいない。むしろそれだけよく残ったものだと感心してしまう。

ぼんやりと、空を見上げる。

今、アルヴィルダには、何も残されていなかった。

更地になった王都を離れて、黙々と北に歩いた。

途中、潰された街の残骸が幾つもあった。物資は手つかずだったので、補給をする事は出来た。

一機だけ残ったサラマンデルは、残っていた職人達が、既に補修を終えていた。いつでも戦える状況である。

だが、如何に決戦兵器といえど、一機だけで何が出来るというのか。

死のうかと、発作的に何度も考えた。手にした剣は、死者の脂にまみれていたが、まだ自分の血管を切る役くらいには立つだろう。

親衛隊の兵士達も、皆青ざめている。

アルヴィルダが死ぬと言えば、彼らは皆後を追ってくるだろう。冥府に行けば、いじけた父王や、兄弟達の顔を見ることになる。それどころか、この事態を引き起こした忌々しいヘルめの走狗となって、フレイやフレイヤと戦わされるかも知れない。

「それは、いやじゃな」

「アルヴィルダ様?」

「ヘルめの走狗となるのは嫌だというたのじゃ。 そなたらはどう思う」

「実は、我らの同僚も、死者に少なからず加わっておりました」

それは気付かなかった。

自分でも周囲が見えないくらい、修羅になって暴れていたという事だろう。或いは、かっての部下達を斬っていたかも知れない。

「奴らは、どうしていた」

「殺して欲しいと、懇願しておりました。 そうしてやることしか、出来ませんでした」

「許せぬ……ヘルめ……!」

ヘルとやらの走狗となる事は、絶対に許せぬ事だ。

ならば、死ぬわけにはいかなくなった。

北上して、死者達の群れを駆逐しながら進んだ。巨神の死者も、或いはアスガルドの神々だったらしい死者もいたが、サラマンデルの火力にものを言わせて突き進んだ。誰一人、死ぬ事は許さぬ。そう言い聞かせ、部下達を鼓舞して、北上した。

途中、残骸になったサラマンデルを、何機か見つけた。中には、比較的機体の状態が良いものもあった。

そうして、二機を改修して、運び出すことが出来た。

 

ブルグント王都の南、死者の群れがいた。

大河のように流れている。或いは、アスガルドへ攻撃を仕掛けている部隊かも知れない。此処を通らなければ、ブルグント王都へは向かえない。

此処で立ち往生していても、何にもならない。

「突破する」

「アルヴィルダ様の仰せのままに!」

途中、はぐれた兵士や、合流してきた者も合わせて、兵は三千程度までふくれあがっていた。

先発隊の者達は、三分の一はどうにかブルグント軍に合流できたと思いたい。向こうでは、今一人でも多く戦える者が必要なはずだ。合流を果たせれば、決して悪いようには扱われないだろう。

「ただ、単独での突破は被害が大きくなる可能性が高かろう。 出来ればブルグント軍と連携を取りたい。 ブルグント王都の様子は分からぬか」

「周辺の死者に対して、掃討作戦を実施している模様です」

「ならば、或いは、合流がはかれるやも知れぬ。 狼煙は残っているか」

「は。 この場から上げると危険ですので、近くの山から上げて見ます」

早速工兵が出る。

もう残り少ない兵士達だが、士気は高い。しかし負傷兵は非常に多い。

アルヴィルダ自身も、兵士達には伏せているが、負傷している。死者と戦っている内に、何カ所か傷を受けていたらしい。致命的なものは無いが、左腕にあまり力が入らない。早く手当てしないと、傷口が壊死するかも知れない。

狼煙が上がるのが見えた。

死者達は、全く反応していない。ブルグント王都からは見えるはずだが、上手く行っているだろうか。

二度目の狼煙が上がる。

「反応がありませんな……」

部下達の不安が広がるとまずい。

かといって、アルヴィルダ自身も、今は自分の精神状態が不安定である事を理解できている。

腕組みして、表情を保ったまま、状態を見る。

技術者の一人が、サラマンデルから降りてきた。煤だらけの少年で、確かサラマンデルに使う耐熱鉄の開発立役者だ。ずっと戦場でサラマンデルの修理と管理をしていた、頼りになる子供である。まだ背はアルヴィルダよりも更に低く、頬にそばかすが残っているような、顔立ちも整っていないありふれた子供だが。しかし技術者としてはいっぱしだ。

今はもう、一個師団の半分に達しない程度の兵しかいない。だから、比較的、アルヴィルダは兵士達にとって、身近な存在になっている。

「アルヴィルダ様、あの、提案がございます」

「エルファンであったな。 何か」

「狼煙の位置が悪いのかも知れません。 ええと、もしも主力の兵士達が掃討作戦に出ているとすると、あちらの山からなら見えるのかも」

なるほど、それは気付かなかった。

というよりも、普段だったら誰でも気付く程度の事だ。この子供、中々に冷静である。

「すぐに工兵を動かせ」

「分かりました!」

親衛隊が走り、狼煙を出している兵士達に指示。

少し時間を無駄にしたが、それでも単独での行動よりは、ずっとマシだろう。

再び狼煙が上がり始める。

果たして。

ブルグント側からも、狼煙が上がるのが見えた。兵士達が、歓声を上げる。これで、突破の可能性が一気に上がった。勿論、死なせる兵士の数も、ずっと減るはずだ。勿論、エルファンは常識的な事を指摘しただけだ。だが、アルヴィルダも含めて誰もが一杯一杯になっている中、それが出来た功績は、大きい。

「見事じゃ、エルファン。 いずれ褒美を遣わす」

「あ、ありがたき幸せ!」

不器用に頭を下げる少年技術者を、アルヴィルダは下がらせる。

此処からは武人の仕事だ。

残っている兵士達を一カ所に集める。負傷が酷い兵士達は、三機だけいるサラマンデルに乗せた。

ブルグント側は、今五千ほどの兵士を動かしており、その中にはアスガルドから来た増援の神がいるそうだ。

フレイかフレイヤなら更に信頼性が高いのだが、其処までは流石に望めないか。それにしても、今頃になってどうして増援が来たのか。

疑念を抱いていても仕方が無い。今は、とにかく生き残ることだ。

死者の大河の対岸に、ブルグント軍が見えた。

先頭にいる若い神が、弓を引くのが見えた。ぶっ放された矢が、死者の群れをまとめて薙ぎ払う。

吹っ飛んだ死者達を見て、兵士達が歓声を上げた。

「よし、サラマンデル隊で道を切り開く! 親衛隊は妾に続け!」

「おうっ!」

突撃が、開始される。

風穴を開けた死者の群れに、強引に割り込む。サラマンデルを敵が現れる方向に三機とも並べ、火力を最大解放。敵を火力の網で捕らえ、焼き尽くさせる。敵を薙ぎ払い、斬り伏せ、押し通る。

アルヴィルダ自身も、剣を振るう。国宝の剣だが、既に脂まみれで、痛みが酷い。もってくれよと呟きながら、立ちふさがる死者の首を叩き落とし、唐竹割にする。巨神の死者は相手にしない。動きが鈍いのを利用して、さっさと側を走り抜ける。

先頭部隊が、敵を突破。

見えた神は、筋骨たくましい、若者だ。

巨大なハンマーを手にしているが、若すぎる。おそらくトールではないだろう。ただし、その縁者とみた。

手を振って、快活な笑みを浮かべる神は、背丈が人間の三倍半はあった。一番小さい巨神より、少し大きいくらいの背丈だ。

「おう、噂通りの猛々しい姫様だ。 こっちへ急ぎな!」

「神よ、感謝いたす!」

「マグニだ! 全部終わったら、その後で良いから俺の神殿を建ててくれよな!」

「みな、神の方へ急げ! ぐずぐずするでない!」

アルヴィルダは兵士達を行かせると、最精鋭と共に最後尾に残る。サラマンデルを後退させ、自身は追いすがってくる死者共を切り払いながら、下がった。突入してきたブルグント軍が、火矢を放ち、油壺を投げて、支援してくれる。

「まだ百名ほどが敵中に!」

「見捨てるな!」

サラマンデルの一機が咆哮し、火焔の滝を敵に浴びせる。巨神の死者が吹っ飛び、コアが砕けるのが見えた。

群れる死者は全く統率がなく、それが救いだ。

人間の武器である組織戦を味あわせてやる。無心に敵を切り払いながら、突破口を開き、遅れた兵士達を救い出した。後は、追いすがってくる敵を、寄せ付けないだけだ。マグニが、ハンマーをふるって、死者共を潰している。

フレイほどの活躍ではないが、それに近い武勇だ。これは頼りになる。

最後のサラマンデルが、敵を離脱。取りすがっていた死者どもは、マグニがハンマーで叩き潰した。

アルヴィルダが、丘に兵士達を集結させる。

一度穴が開いた死者の大河は、既にふさがっている。そして、もう此方には興味も無いようで、黙々とまた進軍をはじめていた。

おぞましき奴らだ。人間性の欠片もない。

周囲に声を張り上げる。

「遅れた者はいないか!」

「全部隊突破完了!」

「損害は」

「百二十名ほどを失いました」

そうかと呟く。

この規模の敵を突破するのに、それだけの損害で済んだのは、むしろ喜ぶべき事なのだろう。

だが、死んだ者達が、ヘルめの手先となり、あの死者の群れと一緒になると思うと、気分が悪い。

ブルグント軍の指揮を執っていたのはハーゲンだ。ハーゲンは最初アルヴィルダを良く想っていなかったようだが、今は敬意を払ってくれていた。

「ご無事で何よりです、アルヴィルダ姫」

「もはやゴート国は存在せぬ。 姫というのも、おかしいな」

「貴方はゴートの民の希望であるべきでしょう。 それならば、即位なさいますか」

「考えておこう」

いずれにしても、虚名だ。

ただし、民の希望となる必要はある。しかし、その前に、今はやる事が多い。まずはブルグント王都で、兵士達の傷を癒やす。そして情報を収集し、反撃の糸口を探らなければならないだろう。

ヘルめを許すつもりはない。

他の三悪魔も、可能ならアルヴィルダが叩き潰す。出来ないのであれば、神々に助力して、粉砕してやる。

伝令が来て、ハーゲンに耳打ちする。

「アルヴィルダ姫、受け入れの準備が整いました。 湯とけが人の手当の準備が出来ております」

「うむ」

「姫様も怪我を為されております。 手当をお願いいたします」

「心得ておる」

親衛隊の一人がそう言ったので、アルヴィルダは驚いた。

そうか、気付いていたのか。

自分は、自分で思っていた以上に、部下達に見られていたらしい。きっと気を遣って、今までは黙っていたのだろう。

王都に歩きながら、ハーゲンから情報を聞き出す。

「そうか、フレイヤが冥界に向かったのだな」

「陽動作戦を行い、敵を掃討している最中です。 既に王都の周辺では、ある程度の秩序を回復しております。 孤立していた民も、わずかですが救出できました」

「フレイは、北ミズガルドか」

「巨神の王を討つことが出来れば、少しは状況も改善するはずです」

流石に冥界に人間が入り込むのは難しいだろう。神々でさえ危険なのではあるまいか。

ならば、アルヴィルダが出来る助力は一つしか無い。これだけの事をされて、黙っているという選択肢はない。

ブルグント王都に到着。

内部は酷い状況だ。

避難してきた民がごった返しており、先に進ませたゴートの民も見受けられた。アルヴィルダを慕う声もある。

何も出来なかった事を、彼らは責めていなかった。

ゴートより逃げ延びていた兵士達を集める。どうにか、一万程度は集まった。だが、経験の浅い新兵が大半で、負傷している者ばかりだった。己の境遇を恥じて、出頭しない兵士もいるようだったが、責める気は無い。

熟練兵の内、怪我を回復させれば、三千はどうにか動かせるだろう。

迅速に動くのであれば、サラマンデルは一機連れて行くのが精一杯か。

謁見の間で、グンター王に再会。

王は、やつれきっていたが。それでも、まだ目には気力があった。

「姫よ、無事で何よりだ」

「グンター王も」

社交儀礼をすませると、アルヴィルダはいう。

「二日ほど休んだのち、フレイを追いたい。 物資の提供と、兵士達の治療を頼めるだろうか」

「本気か」

「妾は運命にこのまま屈するつもりはない。 必ずや不埒なる巨神や三悪魔共を下して、未来を掴んでみせる」

しばし黙り込んでいたグンターは、力を落としたように、分かったといった。

此処から、反撃開始だ。

これ以上好き勝手をさせてはならない。

アルヴィルダは兵の再編成を進めながら、連れて行く人員の選抜を、頭の中ではじめていたのだった。

 

(続)