激突する二つの力

 

序、待ち伏せ

 

しばらくの間、シグムンドは二名か三名一組で、ブルグント中を走り回っていた。偵察のためである。

既にブルグントの北半分は巨神の手に落ちた。防衛線は南下する一方であったが、しかしこの間の勝利で持ち直し、今はフレイが言う所の、ロキを巡っての攻防に主軸が移りつつある。

どちらの主力部隊が先に、ロキの封印に達するか。

激烈な前哨戦は、各地で繰り広げられている。持ち直したブルグントは、フレイとフレイヤに導かれて、巨神に対して良い勝負をするまでになっていた。其処に、ゴート国から新兵器が到着したとかで、人間側の士気は高まっていた。

両者の力は、拮抗しつつある。

それならば、其処から勝敗を決めるのは、やはり情報の有無だ。

北の民には、組織力はない。

単独では強くても、やはり組織力がある軍の前では、どうしても活躍できない部分はある。

局地戦では無類の強さを発揮できるし、地の利があれば大多数の敵も攪乱可能だ。

だが、巨神が相手になってくると、やはり難しい場面も多かった。

北の民が力を生かすには、これしかない。

フレイと話し合った末の結論だ。

勿論、いつまでもこのような戦いを続けるつもりはない。いずれ、大決戦に参加して、巨神を蹴散らしたい。

それが、シグムンドの願いであった。

既に陽は落ちている。

巨神の軍勢は、動く気配がない。勿論手を出せば反撃はしてくるが、連中は夜の進軍を避ける。

それは周知となっていて、偵察を行っている北の民は、夜に動き回ることが多くなっていた。シグムンドも、例外ではない。

事前に決めておいた山の上に集まる。ここしばらく使っている拠点である。誰もいない山小屋があり、集まるには丁度良い。多少埃っぽいが、それくらいの方が、シグムンドには丁度良かった。

欠けたものはいない。この程度の事で、へまをする北の民はいないということだ。馬から、ヘルギがウルズを下ろしていた。最近、ヘルギはウルズと組んで行動することが多くなっている。

非戦闘員とは言え、ウルズは北の民だ。王都でぬくぬくとしているよりも、戦場の近くにいる方が良い。巨神族への強い復讐心は気になるが、それ以上に、予言の力も役に立つ。シグムンドとしては、可能な限り側に置いておきたい。そうしたら、ヘルギが自分が近くで守る事を提案したのだ。

それ以降、ヴァイキング出身の心が壊れた女の子は、ヘルギと一緒にいるようになった。勿論、本格的な戦闘が始まったら、後方に下がってもらう事になるだろう。

「新しい情報は、何かあったか」

「ああ。 巨神の魔術師が、東に大急ぎで向かっているぜ」

挙手したのは、シグムンドの村とは違う場所の出身者だ。ヴェルンドがもう少し東に先行していて、其処との繋ぎ役をしている。

「またか。 数はどれほどだ」

「それが妙でな。 三体か四体でまとまって、速度だけを重視して進んでいるみたいなんだ。 護衛も殆ど連れていねえ」

「何かもくろんでいるのか」

「それについてだが、ヴェルンドから知らせがあった」

口ひげを蓄えた年かさの戦士が、戦図を広げる。彼もシグムンドとは別の村の出身であり、名の知れた戦士だ。

たいまつで照らした戦図の上を、傷だらけの指が走った。

「此処だ。 此処で、敵がブルグントの軍を待ち伏せしていやがる」

「待ち伏せか……」

「ただな、巨神はほとんどいない。 スヴァルトヘイムの魔物ばかり、何万もいる」

ぞっとしない光景だ。

何度か交戦した敵だが、生理的な嫌悪感を誘う化け物である。実力的には巨神よりぐっと劣るが、動きは俊敏で、大きさの割に身軽さを見せる。一度に現れる数も多く、侮りがたい相手だ。

だが、それだけで、ブルグントの兵だけではなく、フレイとフレイヤも相手に出来るとは思えない。

まだ他に罠がある筈だ。

「重点的に近辺を探るぞ」

「此処。 それに此処」

不意に、ウルズが喋る。

ウルズの予言の力については、もはや疑う者がいない。皆が注目する中、彼女の小さな指は、二点を差した。

「其処に敵が待ち伏せしているのか」

「そう」

「……ヴェルンドに連絡。 足が速い奴が二人ずつ、二組で出向いてくれ」

「分かった」

即座に、四人が動く。

後は、軽く話をした後、解散となった。

シグムンドは一人山小屋に残ると、壁に背中を預けて、腕組みして座り込む。眠るのは、最近昼間、木陰でするようにしている。寝るのではなく、考える必要がある事が生じたからだ。

魔物は確かに面倒な相手だが、今まで見ている限り、戦術的な行動が取れるとは思えない。リンドブルムも、それと同じだ。

神が加わり、意気も上がっている人間の軍勢に、万を超えているとは言え、魔物だけでの待ち伏せで、何の成果が上げられるのだろうか。

考える事は重要だ。

さっき、ウルズが指していた地点にも、魔物はいるのだろう。三方向から包囲していたようだが、何故分散して配置しているのか。

ふと、気付く。

フレイとフレイヤを、別個に対応させるつもりか。そうなると、人間の反応を見たいのだろうか。

あまり詳しいことは分からないが、そうすることで、何か意味が生じるのかも知れない。フルングニルは何度か戦ったが、極めて緻密な思考をする奴だと、刃を交える度に思った。無駄に、戦力を捨てるようなことをするだろうか。

ただの時間稼ぎではない。そう、シグムンドは結論した。

山小屋を出る。

夜のうちに、探索の主軸を、もう少し東へ移動する。早めに、ヴェルンドとも合流しておきたい。

日が昇ってきた辺りで、事前に目をつけておいた洞窟へ。

他の戦士達も、皆北の民だ。

一晩走るくらいで、疲弊はしない。

日が昇ってからは、休憩の時間だ。巨神に見つからないよう見張りだけを立てて、交代で眠る。

そして、夕方に、また動き出す。

夜半過ぎに、シグムンドはヴェルンドを見つけた。ほぼ予定通りの地点である。軽く挨拶した後、歩きながら情報を交換する。

「やはり、三カ所に魔物がいるのか」

「いや、うち一カ所はリンドブルムだな」

そのリンドブルムも、数は万を超えているという。

早めに、後方に情報を伝達した方が良いだろう。ブルグントの偵察部隊とも、連携はしている。彼らに書状を渡した方が良い。

ヴェルンドに、書状を書いてもらった後、戦士の一人に託す。

戦士が闇夜に消えるのを見送った後、シグムンドは、ヴェルンドにも違和感について話してみる。

ヴェルンドの方が、調停者の一族である以上博識だ。何か分かるかも知れない。

「敵の、目的か」

「ああ。 ただの時間稼ぎには思えなくてな」

「そういえば、ゴート国が新兵器を携えて参戦したという話はもう聞いているな」

「ああ。 サラマンデルというそうだな。 まさか、その新兵器の性能を見るためか」

もしも可能性があるとすれば、少し違うとヴェルンドは言い、説明してくれた。

やはりヴェルンドは博識だ。

「新兵器といっても、それだけで勝負が決まるわけじゃない。 新兵器を作るだけじゃあ駄目で、それをどう戦術的に生かすかが問題なのだそうだ」

「つまり、新兵器を主軸にして、戦い方が全く変わると」

「そう言うことだな。 ゴートの新兵器サラマンデルは、戦い方を変えるほどのものなのかも知れん」

だとすれば心強いが。どうも、それだけだとは思えない。

考え込んでいるシグムンドを見て、咳払いしたヴェルンドは、他の可能性についても話してくれた。

「或いは、新兵器云々を関係無しにして、単純な人間だけの対応力を見るつもりなのかも知れないな」

「なるほど、フレイとフレイヤを引き離し、捨て石と戦わせて、どれだけの被害を与えられるかを確認する訳か」

「そう言うことだ。 フルングニルとしても、巨神ではない魔物やリンドブルムなら、多少浪費しても惜しくない、という事なのだろうが」

だが、それでも。

好き勝手されるのは、此方としてもあまり面白くない。何か、出来るのならば、裏を掻きたい所だ。

「ヴェルンド、皆を集めて、一端ブルグントの軍と合流して欲しい」

「何かするつもりか」

「巨神の魔術師が、どこに集結しているか、確認しておきたい。 作戦の目的はどうであろうが、魔物をけしかけるつもりなら、奴らも待機しているはずだ。 そうでなければ、制御できないだろうからな。 お前は先にブルグント軍と合流して、魔物の待ち伏せについて知らせて欲しい。 俺はもう少し調べて、魔術師共がどこにいるか、はっきりさせておく」

別働隊を指揮して、魔術師どもを直接叩ければ。

或いは、此方の情報が敵に漏れるのを、遅らせるか、防ぐか、出来るかも知れない。それくらいの成果は上げたい。

最終的に、巨神族に勝つためには、フルングニルを斃すことは必須項目になるだろう。奴の作戦を打ち破れば、その機会も早く訪れるはずだ。

「あまり、無理はするなよ。 巨神の魔術師が戦いに不慣れなことは分かっているが、それでも奴らは、根本的に人間よりもずっと強い」

「分かっているさ。 皆を頼むぞ」

シグムンドは闇に溶けるようにして、走り出す。ヘルギを連れて行くのは、ウルズに一緒に来て欲しいからだ。

ウルズを乗せている軍馬は良く訓練されていて、嘶かないし、夜道でも月明かりだけで巧みに走る。

今まで接してきて、ウルズの能力についても、シグムンドはだいたい理解できていた。

その予知には限界もあるし、見極められないこともある。此方の行動で、結果を覆すことも出来る。

また、あまりにも少ない敵を発見することも出来ないし、緻密な動きも読み切れない。

見たことが無い地形を言い当てることも出来ない様子だ。あくまで、何か危険がある場合、その予言は力を発揮する。

便利なようでいて、制限が大きい力である。万能の予知とはとうてい言いがたい。

それでも、単独に近い行動時には、頼りになる能力である。

ヘルギが、夜道を走りながら、小声で語りかけてくる。馬の手綱は引いて、自身で走っているのは。操騎が苦手だからだ。

「シグムンド、俺たちだけで行くのか? せめてもう何人か連れて行った方が良いんじゃないのか?」

「泣き言を言うな、ヘルギ」

「だってよお。 何だか最近、変に寒いし、敵の中に孤立したりするのはこええよ」

確かに、ここ最近異様な寒さに襲われることが多い。

とんでも無く冷たい風が吹いてきたり、時には地面が凍っていることもある。北の民の戦士には、それらを非常に怖れる者も少なくなかった。

ヘルギもその一人だ。

陽気で皆を和ませる事も出来る男だが。恐がりなところは、いつまで経っても直らない。だが、ヘルギはそれで良いと、シグムンドは思っている。

しばらく、無言で走る。

ウルズは何も言わない。つまり、今のところは、危険が無いと言うことだ。それでいい。山の稜線を越えると、左側に、夜空を舞っているリンドブルムが多数見えた。リンドブルムが布陣している山だ。

右側には、黒い何かが大量に群れている山が見える。

あれが、スヴァルトヘイムの魔物共がいる山だろう。

木々の影に、身を潜める。

見つかってしまったら、ひとたまりもない。逃げ切れるかどうかも怪しい。

敵の位置が確認できたので、戦図を見直す。

少し戻って、迂回路を取る。今の路をそのまま進んでいたら、ほぼ確実に見つかることだろう。

声を潜めて、ヘルギが言う。

「それで、宛てはあるのか」

「戦図を覚えているか。 魔物がいる山は、これから来るブルグント軍とゴート軍を、押さえ込むように配置されていた。 発見させることを前提にしていやがるのさ」

「よくわかんねえ」

「魔物については、多分それぞれが連携できるようにしているんだろうよ。 一カ所が攻撃されたら、他の二カ所から挟み撃ちにするとかな」

ましてや、この山深い地形だ。

新兵器が圧倒的な強さを誇るとしても、その力をどこまで発揮できるか分からない。一見すると、的確な条件で、戦いを挑んでいるようにも思える。

しかし、それは見せかけだ。

シグムンドは、月明かりが出てきたので、戦図をもう一度ヘルギに見せる。

「もしも、戦いを見るなら、どこが良いと思う」

「そうだなあ。 洞窟か何かがあって、高い所かな。 見晴らしが良くて、身が隠せるもんな。 で、いざというときには、すぐに逃げられる方が良い」

「流石だな」

「んあ?」

どうして流石と言われたのか分からない様子で、ヘルギが小首をかしげた。

苦笑しながら、シグムンドは戦図をしまう。逃げる事に関しては、ヘルギに聞けば今後も問題は無さそうだ。これでいて、いざというときはきちんと戦えるのだから、頼りになるいとこである。

「全部とは言わないが、それらの条件を満たしている場所を、一つずつ当たろうか」

「魔物共の真ん中じゃないのか?」

「それはまずない。 考えても見ろ、そんなところにいたら、真っ先にフレイヤの爆発する矢が飛んでくるぞ。 お前、アレを喰らった巨神がどうなっているか、何度も見ただろう」

「そ、そうだよな」

ましてや、巨神の魔術師は、非常に臆病なことも分かっている。

フレイヤやフレイと、真っ向から戦う事は、絶対に避けるだろう。

ずっとウルズは黙っていたが、不意に虚空を指さす。

気付いたシグムンドは、身を伏せるように小さく言う。ヘルギが慌てて茂みに身を隠すと同時に、一瞬月が隠れた。

巨大なドラゴンだ。

あまり飛ぶのは速くないが、それでも力強い翼で、我が物顔に夜空を蹂躙している。話には聞いた。ファフナーという巨神の魔術師がいて、そいつはドラゴンに変化するという。あれがファフナーに間違いない。

ファフナーは、しばらく辺りを旋回していた。

時々、ウルズが苦しそうに頭を抑える。

「魔術で、何か喋ってる」

「お前、分かるのか」

「フレイヤが、同じ事を時々してる。 でも、フレイヤのは、こんなに嫌な感じじゃなくて、優しい」

やがて、ファフナーが飛び去っていく。

一つ、はっきりしたことがあった。

この辺りに、巨神の魔術師どもは潜んでいる。探す価値は、充分にある。

フルングニルは手強いが、裏をかければ必ず隙を作る事が出来るはず。その時には、フレイとフレイヤが、何とかしてくれる。

だからこそ、シグムンドは、闇を駆ける。

「今日中に、四ヶ所当たるぞ」

「おいおい、勘弁してくれよ……」

ヘルギが、泣きそうな顔で呟いた。

 

1、奇襲と反撃

 

ブルグント軍が停止した。不意の停止だったので、少し遅れて進んでいたゴート軍は、慌てて停止し、隊列に乱れが生じた。

山深い地域に、既にさしかかっている。

このような場所で進軍が混乱すると、それだけで危険な事態になりかねない。

フレイヤは最後尾にいたので、前衛で何が起きているか分からない。しばらく手をかざして見ていたが、結局何が起きたのか、分かりそうなものは見えなかった。

点々と並んでいる赤い点は、サラマンデルである。

少し前に実戦での破壊力を見たが、確かに凄まじい兵器だ。下級の神ぐらいなら、簡単に焼き払うことが出来るだろう。

だが、動きが基本的に鈍い。

あれは、陣形を組んで戦って、はじめて真価を発揮できる兵器だ。

側についているアネットが、しきりに背伸びして、遠くを見ようとしている。アネットは怪我も既に回復し、以前より元気なくらいだ。

フレイヤの周囲には、他にアスガルドの関係者はいない。

エインヘリアルも、前衛に殆どが集中している。現在、フレイとフレイヤに次ぐ戦闘力を持つワルキューレ、ブリュンヒルデは中軍で睨みを利かせていた。ブリュンヒルデは強いのだが、何となく苦手なので、距離があるのは少しだけ嬉しい。

何か、おかしな事が起きたのでなければ良いのだが。アネットがひょいひょいと跳んで、近くにあるサラマンデルの上に登った。跳躍だけでそれをやってのけたのを見て、周囲の兵士達が、おおと感嘆の声を上げた。

アネットはすぐに降りてきた。

結局、何も見えなかったという。少なくとも、奇襲を受けているという事はないそうだ。

しばらく待たされる。

伝令が来たのは、空を飛ぶ鳥を数えて、それが120を越えた辺りだった。

「軍議を行います。 すぐにフレイヤ様は来てください」

「分かりました。 アネット、後は任せます。 何かがあったら、皆を逃がすことを優先しなさい」

「はい。 フレイヤ様」

まだ幼い娘に見えるアネットだが、持っている神剣の切れ味は凄まじいし、充分に巨神を倒せる腕前もある。

ただ、まだ未熟が目立つので、無理はさせられない。

中軍に急ぐ。アネットの負担を減らすためにも、出来るだけ急いで軍議は終わらせなければならないだろう。

ブリュンヒルデに会うかと思うと、少し憂鬱だ。

少し前、北の民に助けられて、やっとブルグント王都に戻ったフレイヤは、兄に会えてほっとしたのだが。それを遮るように、ブリュンヒルデに嫌みを言われたのである。

「フレイヤ様、貴女の腕前は大変に素晴らしい事を、私も承知しております。 しかし、そろそろ兄君への依存から脱却してはどうでしょう」

「私と兄様は、一心同体です。 依存などではありません」

「そうでしょうか。 アスガルドでも轟く貴方の魔術の腕前に、それが一つの足かせとなっているように、私には思えてなりません。 フレイ様は確かにアスガルドでも上位に入る剣豪ですが、貴方も引けを取らない使い手の筈。 そろそろ、自分の足で歩くときでは、ありませんか?」

周囲の人間達がはらはらしながら見ているのが分かって、フレイヤはげんなりした。

フレイは何も言わなかった。女同士の会話には、昔から兄はあまり興味が無い様子であったから、これは仕方が無い。

昔から、ブリュンヒルデとは相性が悪かった。

互いに力を認め合った間柄ではある。だが、何故か分からないが、ブリュンヒルデはフレイヤには、特にフレイがいる時には、意地悪をするのである。だいぶ年下と言う事もあって、ブリュンヒルデは最初の頃、しおらしかったのだが。手足が伸びきった頃から、そんな行動を取るようになって、今ではすっかり苦手な相手だ。

フレイヤのことを、認めてくれてはいる。

それは分かっているのだが、どうしても対立が消えないのも、事実だった。

中軍には、程なくつく。

その頃には、サラマンデルは一端低地に降りるか安定した場所に移り、周囲を兵士達が分厚く固めていた。

前衛にいたフレイが来ている。

という事は、敵の奇襲を受けたのではない。

陣には、アルヴィルダやグンターに混じって、ヴェルンドがいた。ヴェルンドはフレイヤを見ると、丁度良いと言った。

「これで揃ったな。 説明しても良いだろうか」

「お願いします」

「この先で、敵が待ち伏せている。 この地点と此処、それに此処でもだ」

「む、我らの頭を抑えるような布陣であるな」

グンターの言葉通り、厄介な布陣である。ただ、配置されているのが全て魔物ばかりと聞いて、フレイヤは眉をひそめた。

魔物だけでは、此方を止められないことは分かっている筈だ。

そうなると、捨て石か。

分からないのは、魔物とは言え、十万を超える数をどうして捨て石にするか。その意味だ。

一番考えられるのは、時間稼ぎである。

この複雑な地形で足止めをかけ、背後から本隊で強襲する。敵の戦力を考えれば、十万や二十万くらいなら動員できるはず。しかし、今のところ、敵が追いついてきているという話はまだない。

斥候として出てくれている北の民達は信頼出来る。ましてや巨大な体躯を持つ巨神達だ。その上大軍である。まさか、北の民の目を誤魔化して進軍するなどという事は、出来ないだろう。

こういうときは、彼らの巨大さがネックになるのだ。

ただし、対応にもたついていれば、間違いなく追いつかれる。迎撃の態勢を整えるためにも、敵は各個撃破しなければならない。

フルングニルの戦略は、此方の対応策をそぎ落としていくようにして、展開される。それは分かっていても、使える手段が限定されるのが、もどかしい。

軽く、皆で話し合う。

だいたい、意見はフレイヤと同じだ。ただ、ヴェルンドが、気になることを言う。

「シグムンドが、魔物共を操っているだろう、巨神の魔術師を探しに出ている。 何を敵が企んでいるかは分からない。 だが、精鋭で巨神の魔術師を叩ければ、敵の裏を掻けるかもしれない」

「なるほど、一理あるな」

「巨神の魔術師は、戦い慣れしていない。 シグムンドが奴らを見つけることさえできれば、短時間での殲滅が可能なはずだ」

「分かった。 私が出よう。 夜の間に、シグムンドと合流する。 合図があるまで、攻撃は控えて欲しい」

フレイが名乗り出る。

そうなると、陣営を少し変えなければならないだろう。話し合って、フレイヤが前衛に出る事とする。

代わりに伸びきっていた陣をまとめ、後衛にはブリュンヒルデも入る。それで、どうにかなるだろう。

ブリュンヒルデとは、今回も結局一言も喋らなかった。

戦闘時は、話すこともある。だが、ブリュンヒルデもフレイヤを避けているようで、必要なとき以外は口を利かない。

空気がぎすぎすして、どうも嫌だが。こればかりは、どうしていいのか、フレイヤには分からなかった。

後衛が進軍を開始する。

それに対して、前衛は進軍の速度を落として、陣形の組み替えに入った。サラマンデルと、戦塔を守るようにして、整然たる方陣を組む。

この山地を越えると、ガラテア高地と呼ばれる平原に出る。更に其処を抜け斜面を越えると、モン高原だ。

以前、フレイヤが修行中、テュールにつれられて魔物退治をした場所だ。かなり寒冷な場所で、それが故にヴァン神族の放った偵察の魔物にも、都合が良い環境だったのだろう。ミズガルドで独自の進化を遂げた魔物が、少なからず生息していた。

其処に出れば、フレイヤにも地の利がある。

兄と一緒に、最初の敵を倒した場所だ。命のやりとりをして、地べたを這いずり回り、泥をすすって生き延びた。

テュールが迎えに来てくれたとき、本当に嬉しかった。

それまで、ミズガルドの基準で数年、生き延びるのはとても大変だったのだ。

今となっては懐かしいその場所に。なんとしても、辿り着かなければならない。そのためには、魔物の群れなど、蹴散らすだけだ。

ただ、ヴェルンドとシグムンドの言うことにも一理ある。

待たねばならないのが、もどかしい。

兄が先発して、丸一日。

進軍速度を調整して、後衛と合流。分厚い陣容に切り替えた。

敵が見えてきたのは、その日の夕刻。

大軍になれば、夜間での行軍が不利になるのは、何も巨神だけの話では無い。ブルグントの軍勢も、行動を停止する。

後方にいるアネットから、連絡が来る。

アネットのいる後衛周辺には敵影は無し。偵察の巨神も、まだ姿が見えないという。

そうなると、戦いは明日か。

シグムンドが間に合わなかったら、一気に攻撃を掛け、魔物を蹴散らすことに決まっている。相手の数が数だが、今までの戦いで、対応策は人間達も学んでいる。ましてやこの山の中である。戦術的な対策は、いくらでも錬ることが出来る。

三方向に配置されている魔物のうち、リンドブルムはフレイヤが数を削る。

スヴァルトヘイムの魔物達は、近づいてきたところを、サラマンデルで焼き払う。更に接近してきたら、一斉に射撃を浴びせて制圧する。近接戦闘にまで持ち込まれることがないように、細心の注意を払う。

最悪の場合は、兄が出る。フレイの剣技であれば、スヴァルトヘイムの魔物程度なら、当たるを幸いに蹴散らせるだろう。

それでおそらく行けるはずだ。

兵士達は、交代で休みはじめている。

フレイヤは空を見上げた。

明日の決戦に備えて休むべきではないのかとも思うのだが。

これも、全てフルングニルの計算通りかと考えると、やはりシグムンドの偵察が実を結ぶのを待った方が良い気がする。

フルングニルは手強い相手だ。

せめて、此処で裏を掻くことが出来れば。

しかし、もたついていても、敵の本隊に、背後から襲われるだけだ。それは軍議で確認したとおりだと、フレイヤも思う。

もどかしくて、何度も辺りを行ったり来たりした。

援軍が来てくれて、少しは楽になったはずなのに。

兄と二人で人間を助けていたときよりも、何だか、ずっと息苦しく感じる。

まだ若い騎士団の者がきた。何度か見かけた、勇敢な戦士だ。

「フレイヤ様」

「何か起きましたか」

「いえ、此処は見張りますので、どうぞお休みください」

「分かりました。 此処は任せます」

こういったとき、好意は素直に受けるべきだ。それに、最初思っていたときより、ずっと人間は頼りになる。

フレイヤはそれを知っている。

だから、一端陣地の奥に行くと、提供されている天幕に入った。多少狭苦しいが、それでも休める。

万が一のために、防御の術式を掛けて、それから横になる。

迷いがある。

それは、中々消えない。眠って、目が覚めた後も。まだ、迷いは消えていなかった。

 

早朝、陣の縁に出たフレイヤは、思わず足を止めていた。

魔物が、かなり陣形を変えている。

五万はいると推察された左右のスヴァルトヘイムの魔物達が、山全体を覆うような形から、此方に向けての斜面に密集するようになっていた。

リンドブルムはと言うと、一端飛ぶのを止め、それぞれが山裾に張り付いている。蝙蝠のような張り付き方だが、強靱な飛龍である。その気になれば、即座にまた飛び立てるのだろう。

すぐに、軍議が招集される。

後方の軍勢は、続々と中軍に合流している。戦いそのものは、いつでも出来る状態にあるし、敵が仕掛けてくる可能性もある。

前衛は緊張を保っていて、フレイヤが足を運ぶと、かなり兵士達はぴりぴりしていた。巨神ほどではないが、あの魔物共が巨大で、並の猛獣など苦にもしない相手だと知っているからだろう。

山の斜面は、殆ど魔物で埋め尽くされている状態だ。木々など見えない。

発作的に魔術を叩き込んでやりたくなるが、そんなことをすれば、戦闘開始は確実だ。戦術的な意図があるなら兎も角、そうで無いのなら、無計画な攻撃は避けたい。

「妾としては、攻撃して様子を見たい」

「しかし、神が攻撃を控えて欲しいと言っていたが」

「いつまでも待っていては、後続に追いつかれる可能性もある。 フレイヤよ、フレイの様子は分からぬか」

「今のところ、無事なことは確実です」

不意にアルヴィルダに話を振られたので、フレイヤは少し困惑しつつも、返事をする。以前、フレイが人間達に呼び捨てで良いと言ってから、様を付けずに呼ぶものが増えた。北の民達はそうだし、王族の中にも何名かいる。アルヴィルダもその一人である。とはいっても、個人差がある。

グンターは神とだけ呼びかけてくるし、ハーゲンは必ず殿とつけて呼んでくる。これは、建物を現す敬称で、現在では上位の相手に対してつけるものだそうだ。そういえば、テュールが使っているのを、何度か見かけた。

「ならば、もう少し陣形を整えながら様子を見るか」

「巨神共を蹴散らすのだ。 魔物程度に後れを取るようでは、どのみち無理であろう」

アルヴィルダは非常に獰猛な物言いをしているが、一理ある。

スヴァルトヘイムの魔物は、数に頼った雑兵だ。勿論巨神に比べて圧倒的に劣るというわけではなく、単純な運用方法の違いの問題である。彼らは雑兵で有り、それ自体を強みにしている。

兄たちは、巨神の魔術師を見つけただろうか。

見つけたのなら、魔物が一気に混乱に陥ると思うのだが。こうして、軍議で時間を潰している事そのものが、フルングニルの罠ではないのかと思い、フレイヤは慄然とした。何もかもが、疑わしく思えはじめている。

「フレイヤよ。 確か、フレイと連絡は取ることが出来ても、巨神の魔術師がいる場合は、控えた方が良い、と言っていたな」

「その通りです。 通信を傍受される可能性があります」

「それならば、やむを得ん。 攻撃に移るべきだと妾は思うが」

「まあ、待たれよ」

グンターが、制止しなければそのまま敵に攻撃を始めかねないアルヴィルダに、柔らかく声を掛ける。

アルヴィルダは、フレイヤが見る限り非常に人望のある王族であり、高慢なようで強い理性と、民を思う心を持っている。だが、一方で戦場では人格が変わるとしか思えない。何度かの小競り合いで戦う様子を見たのだが、北の民も驚くほどの猪武者ぶりで、巨神に自ら斬りかかったり、至近からクロスボウを打ち込んだりしていた。文句のない腕前ではあるのだが、指揮官がやる事ではない。

常に先陣を切っているようだし、戦闘時の軽率さは、普段の言動とギャップがありすぎる。周囲の親衛隊達も、止められるわけがないと半ば諦めているようだ。

或いは、ある一点を超えると、興奮を抑えきれなくなるタイプかも知れないと、フレイヤは分析していた。そう言う人間は、少なくない。

「それならば、後続の合流の事もある。 昼までは、待ってみるとしよう」

「ふむ、昼か……」

「仮にフルングニルが追撃してきているとしても、まだ後方の偵察部隊から連絡は来ておらぬ。 まだ、敵の軍勢は遠いとみて良いだろう。 勿論巨神族を手足のように操って見せた名将だ。 どのような動きをするかは分からない怖さがあるが、それでももう少し神を信じて、待つのも良いだろう」

「……分かった。 それが良かろう」

アルヴィルダが、グンターの言葉に納得したようで、引き下がった。アルヴィルダは、グンターを年が離れた好敵手とみているらしい。いや、この関係は、或いは尊敬する年老いた武人に接する若き猛将、というのが近いだろうか。

軍議以外の状況では、談笑している事さえある。意外に、仲の良い二人だ。

兄は無事だろうか。

昼までは待つと決まって、とりあえずは安心したが。前線で、山にびっしり張り付いている魔物を見ていると、やはり気分はあまり良くない。スヴァルトヘイムで見たおぞましい魔物まみれの洞窟を思い出してしまう。

しばらく、柵に囲まれた陣の内部を、うろうろする。

前衛には、多くのエインヘリアルもいる。彼らは例外なく無表情で、兵士達は最初敬意をもって見ていたのだが。今では、明らかに恐怖を感じ始めていた。士気が落ちる前に、全員を兵士達とは混ぜないように配置した方が良いかも知れない。

エインヘリアルの正体を話すのは、まだ早い。

陽が高くなってくると、魔物の様子も、少しずつよく見えるようになってきた。

見ていると、日の光を直接浴びないように、それぞれが工夫して斜面に張り付いている。或いは岩陰に入ろうとしたり、別の個体を盾にしたり。体を震わせているのは、何だろう。理由は、すぐに分かった。どうやら外骨格の一部を振るわせて、風を作っているようなのだ。

生き物らしい生態が分かると同時に、魔物の異臭も流れ込んでくる。

兵士達が、顔をしかめる。フレイヤだって、正直うんざりだ。

リンドブルムの方はどうしているだろう。斜面に張り付いたままで、じっとしている。時々呼吸しているようで、胸の辺りが膨らんでいるが、それ以外に動きはない。

リンドブルムは、魔法で作られた生物だからか、非常におとなしい。戦闘目的で動かしているときを除けば、ひょっとすれば牛や馬よりも、よほどおとなしい生物なのかも知れない。

グンターが、柵の側まで来た。

「そろそろ、昼だ。 神よ、攻撃を仕掛けようと思うが、どうだろう」

「……やむを得ませんね」

やるとしたら、リンドブルム。

フレイヤは、精霊の魔弓を引き絞る。まずは陣の中央部に叩き込み、敵を可能な限り殺傷する。

その後は至近に来るまで、精霊の魔弓を連続で浴びせかける。

爆発と風圧でリンドブルムをできる限り減らした後は、アスガルドから新しく届いた、新型の氷の杖を用いて、敵を制圧射撃する。この杖は、フレイヤの魔力を通常時からため込んでおき、使用時に一気に爆発させて、大量の氷の魔弾を造り出して敵を撃ち抜くというものである。一度に射出する魔弾の数が多く、しかも多方向に放つため、制圧射撃にはもってこいだ。耐久力も高く、何度かの実戦で試してみた限り、よほど無理をさせない限りは壊れないだろう。

これで、人間が戦う状態になるまでに、相当数のリンドブルムを削り取ることが出来るはずだ。

日時計が、そろそろ影を失う。

フレイヤは、精霊の魔弓から、指を離そうとした。兄なら、この状況を、怒ろうとはしないだろう。

その時。

不意に、魔物達が、一斉に動き始めた。

リンドブルムは困惑したように左右を見回し、羽ばたいたりもがいたりしていた。スヴァルトヘイムの魔物達は、どうしてこんな所で密集しなければならないのだと言わんばかりに、一斉に散り始める。

何が起きたのかは、一目瞭然。

勝機だ。

「フレイ様が、敵の魔術師を屠られたぞ!」

「よし、総攻撃開始! 敵を追い散らせ!」

柵の側まで来ていたサラマンデルが、一斉に凄まじい炎を浴びせかける。まるで火山弾のように、それは敵陣へ飛んでいった。

 

巨神族の魔術師は、一カ所に固まっていた。

シグムンドは手を振って、ヘルギに来るよう促す。

ここ数日の夜中はずっと走り回り、三十カ所以上ある候補地を全て潰した。そして、その中の一つ。あまり可能性は高く無さそうな場所に、巨神の魔術師達が集まっていたのである。今は、まだ夜明け前。巨神どもは、動かない時間である。

もちろん、今まで動いていた魔術師の数から計算して、あそこにいるのが全部ではないはずだ。

敵も危険の分散くらいはするだろう。だが、巨神の魔術師は八名もいて、なにやら魔術を使っているのが分かった。輸送型にしても戦闘型にしても、魔術師はあまりたくさんでは群れないのを、シグムンドは何度も見て知っている。何か、やっているのだ。それはほぼ確実に、魔物の制御に関係することである。そうでなくても、奴らには重要な作業である事は疑いない。

此処を叩けば、必ず敵は混乱する筈だ。

「いるなあ。 シグムンド、仕掛けるのか?」

「いや、フレイを呼ぶ」

二人で仕掛けて、よほど上手に奇襲したとしても、倒せるのは精々一体か二体。

此処は素直にフレイを呼んで、共同で敵をたたくのが一番良い。勿論、もたついていると、敵に気付かれる。

そもそも、ヴェルンドに話したとおり、最初からフレイとは合流するつもりだったのだ。単独で仕掛ける意味はない。勿論戦士としては、少人数で武勲を上げる事には心が躍るものがある。

だが、シグムンドは四つの村を束ねてきた。己の野心と、多くの者達の命と、天秤に掛けた場合、どちらを優先するべきかは知っている。

フレイに対して呼びかける合図は、事前に決めてある。

ヘルギには、そのままウルズと一緒に見張りを任せる。危険察知能力が高いウルズがいれば、不意を突かれることはないだろう。

低木の下を選んで駆ける。敵に発見されたら終わりだが。もたついていれば、それだけ見つかる確率が上がる。

偵察は楽な仕事ではない。

だが、シグムンドは、このスリルが、少しずつ楽しくなり始めていた。

適当なところで、山の中腹から、向こうをのぞき見る。

進軍している部隊を見かけた。偵察隊に間違いない。フレイがいるかは分からないが、連絡手段は持っている筈。

そこで、事前に合図しておいた通り、鏡を使って光を送る。兵士が気付けば、フレイに話は行くはずだ。

少し、待つ。

やがて、フレイが来た。十名ほど、エインヘリアルをつれていた。

「シグムンド、話はヴェルンドから聞いている。 その様子では、巨神の魔術師を見つけたか」

「ああ。 こっちだ」

山の中を、フレイと一緒に駆ける。

だが。此処で、思わぬハプニングに出迎えられる。ヘルギが途方に暮れて、向こうを見つめているではないか。

巨神の魔術師が、いない。

八名もいたのに、煙のように消えてしまっていた。

「魔術師はどうした」

「そ、それがよお……」

フレイが、地面を調べはじめる。

そして、眉をひそめた。

「空間を転移した形跡がある。 ついさっきまで、此処にいたのだ」

「こっちに気付いたのか」

「いや、わかんねえ。 ただ、いきなり消えちまったんだよ」

魔物の様子を見る限り、おそらくまだ近くにはいるだろう。そうなると、用心して、場所を移して廻っているのかもしれない。

そうだとすれば、夜通し調べて廻った場所の何処かにいる可能性は高い。

戦図を広げる。

「最初から探し直しだな」

「フレイ様。 あれを」

エインヘリアルの一人が指さす。感情がない目と、表情がない顔。言葉もどちらかといえば片言で、しゃべり方には抑揚がなかった。シグムンドの父であるシグルズは勇敢な戦士で、村の民に慕われる男だった。最後も戦場で迎えたし、エインヘリアルになっているはずだ。

父も、こうなっているのだろうか。そう思うと、シグムンドは憂鬱だ。フレイのことは信頼しているが、アスガルドやバルハラに対しては、既に疑念が絶えない。フレイが援軍を送ってくれないとぼやいている姿を、何度も見ている。それに、フルングニルが語っていたこともある。

エインヘリアルが指さす先で、山にたくさん張り付いていた魔物達が動き出す。

陣形を変えているのだ。

ブルグント軍とゴート軍が、夜中のうちに、かなりの数が集結して、堅陣を組んでいる。それに対する備えだろうか。

まだ、仕掛けるつもりは無い様子だ。

だが、これはまずい。血の気が多い人間がいたら、敵の動きを見て、攻撃をするべきだと言い出すかも知れない。

実際問題、フルングニルの率いているだろう敵の本隊が、いつ追いついてくるか分からない状況なのだ。魔物程度など、簡単に蹴散らせなければ、この先には進めないというのも、また事実ではある。

「手分けして探すほかないだろう」

「おいおい、また最初から、探して廻るのかよ」

泣きそうな顔でヘルギがこぼす。

ずっと黙り込んでいたウルズが、今度は人間側の陣を指さした。

「まずい。 急がないと、攻撃始まる」

新兵器が、柵の近くにまで出てきている。あれは敵の攻撃の備えと言うよりも、柵際から敵を焼き払うためのものだ。

敵の巨神を潰してからの攻撃と、今すぐの攻撃ではまるで意味が違ってくる。それは事前に伝えているはずだが、確かに悠長に待ってはいられないという意見も、理解は出来るのだ。

グンター王は、攻撃をある程度は引き留めてくれるかも知れない。

だが、それもせいぜい昼までだろう。

「散るぞ。 敵を見つけたら、手鏡で合図して欲しい」

「分かった」

「巨神が動き回る昼間から偵察かよ。 命が幾つあってもたりやしねえぜ」

ヘルギは泣き言を言いながらも、ウルズを乗せている軍馬の手綱を引いた。シグムンドは少し考えてから、山の中を走り出した。

もしも巨神族が、場所を移したとすれば。それは、本当に用心のためか。

人間が攻撃する場合、隠れていた場所が危険にさらされると思ったからではないのか。或いは、もっと良く、戦況を観察するためではなかろうか。

では、今までは何故此処にいた。

一つずつ、手近な場所から、順番に確認して廻る。昼間の方が、巨神は活発に動きから、より注意して当たらなければならない。

時間が、容赦なく過ぎていく。

冷や汗が流れるが、こればかりはどうしようもない。まさか、此処まで展開が急になるとは。

だが、戦場では良くある事だ。

物心ついた頃から、戦いのことばかり考えてきたシグムンドには、慣れ親しんだ状況である。冷や汗は掻いても、慌てることはない。

一端陣形を変えた後、魔物は動く様子が無い。

やはり、人間がどう出るか、巨神の魔術師どもが待っている、と見て良いだろう。ならば、遊撃で動いているフレイが巨神の魔術師どもに気付かれる前に、さっさと敵を潰す。それに限る。

四つ目の予想地点が空振りに終わった所で、シグムンドは舌打ちした。

次に廻る。ヘルギも、順番に可能性が高そうな場所から見て廻っているはずだが、成果はないだろうか。

木の上に出るが、手鏡での合図はない。

人間の陣から感じる戦意は高まる一方だ。いつ暴発して仕掛けてもおかしくない。

だが、こういったときは焦った方が負けだと。シグムンドは経験的に知っていた。木を這い降りると、すぐに走り出す。

徐々に、影が短くなっていく。

七つ目の予想地点を覗き込んだとき。

ついに、見つけた。

巨神魔術師が十体、固まって何か魔術を使っている。さっきより増えているのは、より重要な魔術だから、だろうか。

とにかく、今はフレイを呼ばなければならない。

手鏡を使って、フレイを呼び出す。

時間が過ぎていく中、気付いたらしいヘルギと、フレイが、殆ど同時に姿を見せた。もう、昼直前だ。

「そっか、此処だったか。 此処だったら、戦況も見られるし、逃げるのも簡単だもんな」

脳天気にヘルギが言う。

ただ、ヘルギを責めるわけにはいかない。この辺りは山ばかりで、同じような条件を満たした地形はいくらでもあるのだから。

その横で、フレイはトールの剛弓を引き絞った。密集して魔術を使っている所に叩き込めば、一気に数体は仕留められるはずだ。

エインヘリアル達も、槍に光を集め始める。

あれが、遠距離の敵を貫くことが出来る神々の武器だと、シグムンドも知っていた。ウルズを物陰に隠すと、ヘルギも弓を引き絞る。

シグムンドは、皆を冷静に見て、狙っていない一体の目に向けて、矢を引き絞った。

フレイの指が、矢羽根から離れる。

空気を蹴散らすような爆音と共に、巨神の魔術師数名が、消し飛んだ。慌てて此方に向き直る巨神の魔術師達。

魔術がきれたからだろう。

山にいる魔物達の統率が、消滅するのが分かった。

エインヘリアル達が、一斉に槍から光を放つ。それらが、混乱する巨神達を、次々に撃ち抜いた。一撃必殺とは行かないが、突き刺さった場所は爆発し、腕が引きちぎれ、足がもげている。

「行くぞっ!」

茂みから飛び出したシグムンドが速射。ヘルギも矢を放つ。

巨神の目に、矢が突き刺さる。

フレイが飛び出し、剣を振るった。逃げはじめる巨神の魔術師達の背中に、次々エインヘリアルの放った光が打ち込まれる。大混乱の中、爆音が轟く。おそらく、魔物の混乱に乗じて、人間の軍が攻撃を開始したのだ。

シグムンドは落ちてきた巨神に飛びつくと、魔力を込めて剣を振り下ろす。

首筋に食い込んだ剣が、盛大に血をぶちまけた。ヘルギも、隣で一体を仕留めている。

二体、逃げられた。

だが、残りは全て斃した。

フレイが皆の無事を確認すると、山の方を指さす。

「これから、皆と合流して、魔物を叩くぞ」

「よし……」

久々の大戦だ。

勿論、この少人数だけで戦いを挑むには、敵の数が多すぎる。

山を迂回して味方の陣に入り、其処から連携して戦うのだ。走る。まずは、味方と連携できる位置まで。

不意に、ウルズが声を上げる。

「とまって」

「! 皆、止まれ!」

大岩が、転げ落ちてきた。目の前に直撃。もしも気付かなかったら、フレイが下敷きになっていた。

サラマンデルの炎が炸裂したか、フレイヤの魔術か。

分からないが、魔物だらけの山に無差別攻撃していた結果だろう。少し迂回する距離を伸ばさないと、危ないかも知れない。流れ弾に当たって死んだら、死にきれない。

「フレイヤか? 張り切ってやがるなあ」

爆音がひっきりなしに響いている。

時々、木々を押し分けるようにして、魔物が飛び出してくる。ヘルギが無言で飛びかかって、分厚い剣で頭を斬る。急所を抉られると、魔物は殆ど動けず、その場で死ぬ。数体飛び出してきた時は、フレイが剣を振るって、一撃で全て斬り伏せる。シグムンドは、前に集中。前に魔物がいたときは、速射を浴びせて即座に斃した。

数が多ければ脅威にもなるが。数体だったら、この通りだ。

しかし、魔物はどうも雑然とした動きを見せている。統率されているようには思えない。やはり、魔術師を葬った影響か。

「完全に統率がなくなっているようだな」

「いや、魔術師も、あれで全員だったとは思えぬな」

フレイがあくまで慎重な意見を言いながら、剣を振るう。

今度は、大きめの木が飛んできた。それを一刀両断にして、空中で吹き飛ばしたのだ。

岩以降、何もウルズは言わない。

危険を感じないのだろう。ならば、油断せず、道を開いていくだけだ。

「後方から敵」

「迎撃しながら下がれ」

エインヘリアルが槍を並べ、後ろから来た十匹以上の魔物を、次々光の槍で貫いていった。

ひっくりかえって足を縮める魔物には構わず、走る。

森を抜け、山が見える地点まで来る。

なるほど、魔物が此方に来るはずだ。山が、丸ごと燃えている。新兵器の火力を、完全解放したのだろう。

逃げ惑う魔物は、時々散発的な攻撃を人間の陣に行っているようだが。正直なところ、柵を越えられるものさえ出ていない。右往左往しているうちに、火に巻かれてしまう魔物も、少なくないようである。

リンドブルムは、算を乱して、既に逃げに入ったようだ。

別に宣言するまでもない。

人間の、大勝利である。

時々迫ってくる魔物を蹴散らしながら、陣へ急ぐ。むしろ降ってくる火の粉や、時々落ちてくる岩の方が厄介なほどだ。

新兵器を見上げる。

話を聞いてはいたが、確かに巨大な竜のような兵器だ。以前見たブルグントの戦塔より、少し小さいか。

ただし全身が赤く塗られていて、その口に当たる部分から炎を噴射する光景は、確かに迫力満点である。炎の火力も凄まじい様子で、しかも射程距離も長い。魔物は近づくことさえ出来ずに散っている。

陣に辿り着いた。

呼吸を整えつつ、戦況を見る。フレイが出るまでもないようだった。

新兵器の側で、高笑いしている女がいた。

「ハアーッハッハッハッハッハ! 皆の者、魔物共の醜態をわろうてやれ!」

金色の鎧を着た兵士達が、言われたとおりに大爆笑する。

何とも言えない光景で、シグムンドはどう反応して良いのか分からず、困り果ててしまった。

「なんだあれは」

「アルヴィルダだ。 多少変わってはいるが、指揮官としては大変に有能だ」

「あれが噂の戦姫か」

山が丸ごと燃え、周囲の木々にまで延焼が広がっている。

一端陣を片付けると、延焼が広がらないように、木々を切り倒す作業が開始された。魔物はとっくに逃げ散るか、或いは焼き払われてしまっている。統率が取れない魔物がこうも脆弱だったとは。

フレイは前線に出ていった。まだ、残存兵力がいるにはいるからだ。敵の残兵に襲われて被害を出しては、確かに面白くない。

フレイヤが来た。氷の杖を使って、炎を消して回り始める。

新しい氷の杖は強烈で、瞬く間に山火事が消えていく。ただ、かなりの広範囲で燃えているので、フレイヤも全て消すわけにはいかず、兵士達に作業を手伝ってもらっていた。

その間、シグムンドは水をもらって、喉を潤す。

ここ数日、ずっと走り回り続けていたのだ。

戦況が一段落した今、少しくらいは休んでも良いだろう。

水を飲み、汗を拭いた後は、前線に出る。フレイヤが、まだ氷の杖で、消火作業を続けていた。

かなりの数の氷の魔弾が、一度に出るらしい。また、フレイヤ自身の負担も減っている様子だ。

ただし、使うまでに、時間をおく必要があるようだ。

氷の杖から魔弾を連射し、陣に迫っていた火はあらかた消し終えたフレイヤが、作業をしながらシグムンドに言う。

「流石ですね。 巨神の魔術師を斃したのですか?」

「俺は見つけただけだ。 斃したのはフレイだ」

「そうでしたか」

「危ないところだった。 もう少し発見が遅れていたら、かなり戦いで被害が出ただろう」

魔物は実際の所、焼け死んだ数の方が多いだろう。勿論、逃げていった魔物も、相当数に登るはずだ。

焦げている山肌の、石や木々を片付けはじめる。

そして、先陣が安全を確認すると、新兵器が動き始めた。人間が動かしているようなのだが、意外に斜面でも安定した動きを見せている。

さっき馬鹿笑いしていた女が、黄金の鎧を着た兵士達と一緒に、新兵器の側を歩いているのが見えた。馬を使わないのか。南ミズガルドの人間としては、珍しい。グンター王でさえ、馬を使っているのに。

向こうが、シグムンドに気付いたらしい。

「おう、そなたがシグムンドか」

「ああ。 あんたがアルヴィルダか。 武名は聞いている」

「ほう、南ミズガルドの男とは随分違うな。 今回の戦は、そなたが一番手柄であろう」

黄金の鎧を着た兵士達が、驚いたように顔を見合わせている。

確かにシグムンドは敵の司令部を発見することに成功したが。まさか、ゴートの王族に、そんなことを言われるとは思わなかった。

「それは光栄だ」

「そなたらは褒美として何を喜ぶ。 名誉か、武具か。 妾に出来る事であれば、相談に乗ろうぞ」

「ならば、マシな飯が食いたい。 北ミズガルドの戦士達に、肉を振る舞ってくれはしないか」

「たやすいことである。 すぐに手配しよう。 荷駄に連絡を取れ」

アルヴィルダが気前よいのは、少なくとも事実のようだった。

 

山を二つ越えて、その日は野営した。

久しぶりに、北ミズガルドの戦士達が揃った。彼らは皆、アルヴィルダが手配してくれた鹿と牛の肉を見て、大喜びしていた。

手柄としてもらった事が嬉しいのでは無い。戦い続けてきて、誰よりも多くの巨神を斃してきたと、全員が自負している。戦って死ぬ事は、北ミズガルドの民にとっては普通のことで、其処には名誉以外はない。

単純に、肉を食べる事が出来るのが、嬉しいのだ。

「ゴートの姫様、最初見た時は大丈夫なのかって不安になったけどよ、物わかりが良くていいじゃねえか」

「ゴートの連中は羨ましいなあ。 いい上の人間がいるって、幸せな事じゃねえの」

北の民が、たき火を囲んで、口々にいいながら久しぶりの肉を口に入れる。口は悪いが、皆アルヴィルダに自分なりに最大の敬意を表していた。

シグムンドも、久々に腹一杯肉を楽しんだ。

穀物にも、少しずつ慣れてはきたのだが。やはり生まれ育った土地でそうしてきたように、肉が何よりだ。

ヘルギが、氷を持ってきた。

木に引っかかっていたという、フレイヤの氷の杖から放出された魔弾だ。そういえば、以前かじったとき、もの凄く美味しかったと言っていたか。

ただし、今度の魔弾はかなり冷気が強烈であるらしく、木が凍っていたそうだ。しばらくは触るだけでも危ないと判断して、放置していたという。夕方、ようやく発する冷気が弱まってきたと思って、取って来たのだとか。

皿に載せると、ひんやりとした魔弾の空気が、此処まで来る。

「本当にこんなもん、かじって平気なのか?」

「大丈夫だって。 ほら」

手慣れた様子で、ナイフで割るヘルギ。

小さな欠片をもらったので、口に入れてみると、確かにうまい。水自体に強い魔力が籠もっている様子で、それがおいしさの理由だろうか。

「やっぱり、今度フレイヤに頼もうぜ。 川の水までまずいんだもんよ。 肉は今日食えたから、今度はやっぱり水だよな」

「贅沢を言うな」

調子が良いいとこのそばから離れると、皆を見て廻る。

酒については、少しだけならと、渡されている。酔うほどは飲めないのが悲しいところだが。

「シグムンド、感謝してるぜ。 今まで普通だった事の一つだけでも、これで戻ってきたんだからな」

「ああ。 早く巨神共を滅ぼして、北ミズガルドに戻りたいところだ」

多くのものを失ったが、逆に言えば一から作る事が出来るという意味でもある。

誰かが、調子っぱずれの声で、歌い始めた。

やんややんやと囃す声が聞こえる。

ヴェルンドがいたので、隣に座る。あまり周囲には迷惑を掛けるなと言いたいが、まあ今日くらいは良いだろう。

「やったな。 相変わらずだ」

「そう持ち上げるな」

「何だか、久しぶりに気分が良い勝利だった」

まだ残していたらしい酒を、ヴェルンドが口に入れる。

焼いた肉を差し出されたので、シグムンドは遠慮無くもらった。しばらく無言が続いたが、ヴェルンドは不意にいった。

「俺の親父は、調停者として活躍し続けたから、結局最後は床の上だった。 悔しがっていたが。 お前も見ただろう、エインヘリアルを」

「ああ。 まるで人形だ」

「そうだ。 親父はむしろ幸せだったんじゃないかって、思えはじめてる」

無邪気に喜ぶ皆の中で、ヴェルンドは一人、うつむいていた。

気持ちは分かる。バルハラを信じられなくなったとき。ミズガルドの民のよりどころは、多くが消えてしまう。

「フルングニルの奴、意外に真相を言い当てていたのかも知れないな」

「ああ。 だが、真実がどうであろうと、俺は最後まで戦うつもりだ」

「お前は強い。 剣の腕では負けぬつもりだが、何か根本的な部分で、お前には勝てない気がする」

ヴェルンドが残った酒を飲み干す。

酔眼で、ゆっくり空を見上げるヴェルンドは、やはり迷いが晴れないらしい。

「俺も、お前には負けないさ。 最後まで、戦い続けるつもりだ。 自分なりのやり方でな……」

「それでこそ、調停者の一族だ」

「ああ。 今では、むなしい響きだが……」

南ミズガルドの陣でも、騒いでいる場所があるようだ。大勝利なのだし、無理もない。翌日の行軍に響くかも知れない。

適当なところで、シグムンドは切り上げた。

こんな程度で、敵が諦めるわけがない。

今回はおそらく、フルングニルの裏を掻くことが出来たはずだ。完全勝利である。しかし、あの三つ首の巨神は手強い。今まで、その実力を、散々見せつけられてきた。ようやく一回、しかも本人のいないところで勝ったくらいで、浮かれてはいられない。

多少騒がしくても、眠ることは出来る。

シグムンドが切り上げたのを見て、他の戦士達も、適当なところで騒ぐのを止めたのか。眠くなってきた頃には、静かになってきていた。

 

翌朝。シグムンドは、朝日が出ると同時に目が覚めた。二日酔いはないし、体の調子は良い。久々にしっかり肉を食べたからだろう。全身に力がみなぎっている感触が、確かにある。

しばらく外で体を動かしてから、フレイ達の所に顔を出す。

ヴェルンドも、少し遅れて、顔を出した。

早朝だというのに、もう軍議が始まっていて、すでに難しい話が行われていた。グンター王は、此処から一気に精鋭を選抜して進むべきではないかと主張している。

「この先には、高地が広がっている。 敵の追撃を受けるのは不利だ。 余が大多数の部隊を率いて、防衛線を張る。 神は少数の精鋭と共に、ロキの封印をどうにかして貰えないだろうか」

「山地であれば、敵の軍勢と戦いやすいのは事実だ。 しかし、一つ問題がある」

フレイが、軍図の上で指を動かす。

大きく山地を迂回して、高原に出るルートがある。

「フルングニルが此方のルートを来る可能性が、決して低くない」

「それだと、明らかに行軍速度が落ちるのではないのか」

「巨神には転送を行う魔法がある。 それを上手に活用すれば、或いは数万単位の軍勢を、先行させることが出来るかも知れない」

なるほど、確かにその危険はある。

実際問題、巨神は魔物の大軍を、先行させて待ち伏せしていたのだ。巨神そのもので同じ事を出来ないと、どうして言い切れよう。

陣図を見ると、先発の部隊は、既にかなり先まで進んでいる様子だ。このまま問題なく進めば、封印には先にたどり着けるはずだが。

「なるほど。 フレイの言うことは正しかろう。 しかし、此方から巨神が来る場合、防ぎ止める手段が存在せぬな」

「後方からの偵察はどうなっておる」

「今だ、巨神の存在は確認できず。 魔物も姿を見せておりません」

「ふむ……」

偵察に出ようにも、軍図を見る限り、片道だけで数日はかかるような場所だ。巨神より先に帰ってくる事は、不可能に近いだろう。

挙手したのは、騎士団長ハーゲンだ。

「私が一万の兵を率いて、後詰めとなります。 陣を築いて攻撃に備えます故、背後から敵の追撃があった場合、増援をいただきたく」

「なるほど、残りの軍を使って、最大限の速度で進軍するか。 確かにそれが一番現実的であるが」

「伝令!」

飛び込んできたのは、汗だくの兵士だ。

おそらく、最前衛から馬を飛ばしてきたのだろう。王の前に跪くと、急を知らせる使者らしく、息も絶え絶えにいう。

「前方の平野に、魔物が布陣しております! 数は十万に達するかと思われます!」

「十万……!」

「また時間稼ぎか。 よい。 妾とサラマンデルが、蹴散らしてくれるわ」

「いずれにしても、無為に仕掛けるは得策ではない。 中軍が合流するまで待つようにと、前衛には指示を出した方が良かろう」

すぐに、伝令が何名か動く。

軍議も切り上げとなった。ハーゲンが一万を率いて後詰めとなる事が決まり、他の部隊は最大限の速度で、前衛と合流する。

しかし、十万の魔物か。

その上平原となると、山での戦いのように、一方的な展開になるとは考えづらい。此方も被害を想定しなければならないだろう。

軍議を切り上げると、兵士達が一斉に動き出す。

今度は、先のように簡単にはいかない。

気合いを入れないと、危ないかも知れない。そう、シグムンドは思った。

 

2、高原の死闘

 

フルングニルの元に、第一報が届く。

人間の新兵器サラマンデルの破壊力分析と、戦術に関しての中間報告だ。

山岳地帯で人間達との戦闘の結果、魔物を操作していた魔術師達が先制攻撃を受け、統率を喪失。

混乱したところで大規模な攻撃を受けた。

人間に殆ど被害を与えることは出来ず、敵新兵器の火力により、スヴァルトヘイムの魔物達は、一方的に薙ぎ払われた。

情報が届いたのは、操作役とは別に、監視班がいたからである。

念のために、フルングニルが先に手配していたのだ。人間側には優秀な戦士がおり、斥候が操作をする魔術師を発見するかも知れない。その場合に備え、魔物と視界をリンクして、遠くから監視を行う班を作るようにと。

結果、サラマンデルの能力については、分析がほぼ出来た。

動員した魔物の半数を喪失したが。

残った魔物は、かってモン高原と呼んでいた地域に後退させ、そこで改めて陣を組ませた。

今度は純粋な時間稼ぎをさせるためである。

進軍中のフルングニルは、空を見上げる。停泊中のナグルファルは、フル稼働で戦力を運んでいる。

二十万弱の軍を、一カ所から進軍させるような真似はしない。

一部の軍勢は、敵をそのまま追撃させる。

だが、本隊は、敵が備えようがない北から進撃中だ。既にフルングニル自身も、モン高原に入っていた。

ただし、此方のルートは道程が厳しい。

まだ到着した兵力は一万ほど。敵と主力決戦を行うには、少々心許ない数だ。既に騎兵隊は揃っているが、それを生かすための歩兵が足りない。

「敵の状況についての、追加報告は」

「魔術師からの連絡によると、既に一万程度が展開している用です。 既に神は二柱とも前線に出てきているとか」

「よし、そのまま待機だ。 攻撃を受けたら、反撃してかまわん」

「分かりました。 そのように伝えます」

キャリアとしての魔術師は、既に後方に下げてある。

魔物は完全に使い捨てだ。

敵の前面に展開している十万の後方には、更に追加の増援が控えている。三重に展開された縦深陣だ。

サラマンデルの性能はよく分かった。あれは攻撃にも使えるが、むしろ防御に真価を発揮する兵器とみた。火力は確かに驚くほどに大きい。だが機動力に欠けるため、追撃や、進撃には向かない。

おそらくはブルグントの騎馬隊や戦塔を主軸とした戦闘に対するため、造り出された兵器なのだろう。

「本隊の態勢は、いつ整う」

「明日中には、もう三万が到着します。 明後日には、更に三万」

「……遅い。 少し無理をしても、進撃させろ」

「分かりました」

部下が、駆けだしていく。

数日待てば、此方には十五万の兵が整う。だが、全てが整ってからでは、敵が縦深陣を突破する可能性がある。

別働隊五万が、敵が後方に残した防御陣地に接触するのは、おそらく明日。

敵の兵力は、おそらく各地からの増援を含めて四万程度だろう。此方の総力に照らしあわせればかなり少ないが、もしも封印の周辺に堅陣を組まれると、かなり面倒な事になる。

後続の部隊を増援に寄越して貰えれば楽なのだが、まだ北ミズガルドにいる部隊も多い。それに、あまりフリム王の周囲にいる護衛戦力を裂くわけにもいかないだろう。少数とはいえ、エインヘリアルが出てきている以上、アスガルドが総力を挙げて来ないとは言い切れないのだ。

手元にある戦力だけで、どうにかやりくりするしかない。

夕刻、前線から情報が来る。

「人間側の戦力が整った模様! 展開している兵力、およそ三万八千!」

「サラマンデルは」

「既に着陣している様子です」

「俺が前線で指揮を執りたいほどだが……」

口中でぼやくと、フルングニルは、可能な限り開戦を遅らせるようにと、指示を出した。

臆病なファフナーだが、故に粘り強く守るのには向いている。こういうときは、下手に手出しをしない方が、時間を稼げる。

味方の軍は、まだ三万に達していない。

 

フレイが着陣した時には、ブルグント、ゴートの連合軍は、完全に戦闘態勢を整えていた。

完全に日は暮れている。殆ど梟の声がしないのは、辺りに満ちている戦意に気付いているからだろう。

意思なきはずの魔物も、どうしてかざわついているように見える。

大軍が行動するのに、夜は危険だ。開戦するのは、朝方にするべきだという意見は、当然出た。

しかし、これに異を唱えた者がいる。

「今こそ、アスガルドの神々から承った勝機。 攻勢に出るべき時であろう」

そう言い放ったのは、アルヴィルダ姫だ。既に周囲は暗くなりつつある。こんな状況で開戦する状況は、軍事学の教練書にはない。

ただし、フレイ自身は、教科書が現在の状況に当てはまるとは思えない。状況に応じて、柔軟に動きべきだと考える。

だから、アルヴィルダ姫に否定的な意見を出さず、話を見守っていた。

アルヴィルダ姫は度肝を抜かれた周囲を制するように、順番に説明を行っていく。

「敵は分厚い陣を敷いているが、巨神は見当たらぬ。 これはおそらく、敵の本隊がまだ高原まで辿り着いていない証拠であろう。 ならば各個撃破の好機。 時間稼ぎなどさせず、一気に敵を蹴散らすのみ」

「余も同感だ」

なんと、ブレーキを努めるかと思われたグンター王までが、それに賛同する。

もっともフレイが見たところ、グンター王が開戦に賛成した理由は、後方からついに巨神の軍勢が姿を見せた、という所が大きいだろう。

数は推定五万。

今の時点では、騎士団長ハーゲンが率いる一万余で、どうにか防げる数である。山々に依って張り巡らせた堅陣を、易々と突破は出来ないだろう。

だが、その後方から追加の軍勢が来たらどうなるか。

それだけではない。別ルートから、巨神の本隊が来ている可能性は、決して低くはない。敵の兵力は、文字通り無尽蔵なのだ。

「問題は、どう明かりを作るか、だが」

「私が照明弾を打ち上げます」

フレイヤが挙手した。

敵にはリンドブルムもいる。それを迎撃する際に、精霊の魔弓を用いる。大きな爆発が引き起こされる事になるから、照明弾の代わりにはなる。

それに、これから嫌というほど敵陣を燃やすのだ。

「ならば、明かりは問題なかろう。 全軍、進撃あるのみだ」

「神よ、貴方はどう思う」

話を振られたフレイは、少し考え込んでから、応じる。

「夕闇に包まれてからの本格的な開戦は、確かに危険が大きい。 だが、皆が言うことにも、利があると私は思う。 戦いには反対しない。 ただし、入念な注意を払うことが必要になるだろう」

「分かった。 余が中軍に入り、全軍の指揮を執ろう。 アルヴィルダ姫、貴殿は前衛で、敵の突破と制圧に注力を」

「うむ」

アルヴィルダが、自慢のサラマンデルをけしかけるべく、前線に出て行く。

こうなると、止める事は不可能だ。フレイも、前衛に行くこととした。エインヘリアルの大半と、ブリュンヒルデも連れて行く。

アネットは残す。フレイヤもだ。

「フレイヤよ」

「兄様、私は中軍に残れば良いのですね」

「うむ。 グンターと、それにシグムンドやアルヴィルダと共に、敵の行動に対して、柔軟に備えて欲しい。 先の戦いは大勝したが、相手は何しろフルングニルだ。 どのような奇策を用意しているか、まるで知れぬ」

「分かりました。 フレイヤは、いつも兄様と心を共に」

どうしてか、ブリュンヒルデとフレイヤが、視線で火花を散らしているのが分かった。

前衛に出ると、既にサラマンデルが、傲然と動き出していた。

金色の鎧を着た親衛隊に囲まれたアルヴィルダが、胸を反らして、夜闇に沈みつつある平原を見やる。

兵士達の何名かに一人は、たいまつを手にしていた。

近くに敵が来たとき、できる限り早めに察知するためだ。フレイは、無言のまま、最前列に出る。

敵の動きに、最も早く対応するためである。

「見たか! 神は最前列に立たれる!」

早速アルヴィルダ姫が、味方を鼓舞に懸かった。何度かの戦いで見たが、既にアルヴィルダの鼓舞は、ブルグント兵にも勇気を与えているようだった。

魔物の軍勢は高原にびっしり布陣したまま、動かない。

アルヴィルダが片手を上げると、不意に全軍が静かになった。

一瞬の間をおいて、アルヴィルダが叫んだ。

「サラマンデル! 放て!」

「全軍火矢を打ち込め! 敵陣を焼き払う!」

「エインヘリアル! 敵陣に水平斉射! 一匹たりとて、汚らわしい魔物共をフレイ様に近寄らせるな!」

どっと、凄まじい閃光が迸る。

それが一斉に魔物達の群れの中に着弾すると同時に。

魔物も、反撃の狼煙を上げた。

地面を揺るがす一斉突撃を開始したのである。凄まじい勢いで、此方の攻撃をものともせず、真っ黒い塊のようになって迫ってくる。

二度の斉射を終えたエインヘリアルが下がり、今度は弓兵が敵陣に矢を放つ。全てが火矢だ。曳光する矢が、大量の敵の中に沈み込んでいく。

フレイは、剣を低く構えると、全力を込めて振るい上げた。

敵の前列にいた十数匹が、瞬時に真っ二つになる。

送り届けてもらった剛剣。どうやら異界の技術を用いているものらしく、タチと呼ばれる武器の一種らしい。

初撃にわずかに隙が生じるが、その破壊力は絶大。左右に剣を振るい、片っ端から魔物を薙ぎ払っていく。

サラマンデルが斉射を続け、彼方此方に炎の花が咲く。

その度に魔物が吹き飛び、高々と打ち上げられ、木っ端みじんに消し飛ぶ。だが、仲間の死など一切気にすることなく、黒い群れが、怒濤の勢いで迫ってきた。

前衛の兵士達が、盾を構える。

強烈なぶつかり合いが起きた。

吹っ飛ぶ兵士も出る。再び前衛に出たエインヘリアル達が、槍を構えて、光を水平に投射する。それに貫かれた魔物は吹っ飛び、削り取られ、血泡を吹きながらひっくり返る。だが、はさみを片方失ったくらいでは、魔物は動じない。

前衛で、血まみれの戦いが始まる。

サラマンデルは少し下がりながら、炎を連射。

黄金の鎧を着たアルヴィルダの親衛隊も、前線に出る。アルヴィルダ自身が剣を抜き、前衛に躍り出たのだから、当然だろう。

「無謀な! 止めろ!」

「無茶を言うな! とまりっこない!」

ゴートの兵士と、ブルグントの騎士が、言い合いをしている。アルヴィルダは心底楽しそうに高笑いしながら、近づいてくる魔物を切り伏せ、或いは至近距離からボウガンを叩き込み、鬼神のように暴れ回っている。

確かに戦姫と呼ばれるだけのことはある。たいした手並みだ。

黙々と、フレイは近づく魔物の大軍を、片っ端から切り払っていく。無尽蔵に思える大軍だが、フレイの一撃は数体の魔物を瞬時に切り伏せる。

至近。真横に回り込んだ魔物が、体当たりを仕掛けてくる。だが、横殴りに飛んできた紫の光が、魔物の上半身を消し飛ばす。

ブリュンヒルデだ。

走り寄ってきたワルキューレは、槍から光を連射しながら、下がるようにいう。

「敵の勢いが想像以上です。 このままでは、フレイ様が囲まれます」

「それならばそれで構わぬ。 むしろ、そのようなことは起こらぬだろう」

「しかし……」

「神を孤立させるな! 全員、押し出せっ!」

アルヴィルダの叫びが轟くと、兵士達が凄まじい雄叫びを上げた。

そのまま、一気に魔物を押し返しに懸かる。見たかと唖然とするブリュンヒルデにいうと、フレイは踏み込み、痛烈な斬撃を敵陣に見舞う。

全力を込めた一撃だ。

数十匹の魔物が、風圧に押され、吹っ飛ぶ。

それを見た兵士達が、歓声を上げる。たいまつをかざしながら、えい、えい、と叫びながら、前進を開始した。

魔物の群れが、恐怖したかのように、じりじりと下がる。

その分、アルヴィルダ姫とフレイを先頭に、人間達が進む。

 

前衛の凄まじい熱気が、中軍まで届く。戦は有利。だが、敵の数が数だ。もしも連携が崩れれば、一気に押し潰されることもあり得る。

高原はサラマンデルの炎で、凄まじい燃え上がりを見せていた。前方は、まるで灼熱地獄にでもなったかのような有様である。

そして、中軍も、すぐに戦禍に巻き込まれる。

伝令が来る。下馬すると、グンター王に最敬礼する。

「伝令! リンドブルム、上空より多数接近! このままでは、左側面を突かれます!」

「前衛はアルヴィルダ姫に任せよ。 神よ、迎撃の支援を頼みたい」

「分かりました。 しかし、両方で攻勢に出ることは」

「それほど余は未熟な用兵をせぬよ」

すぐに、ブルグントの戦塔が防衛の陣形を取る。

フレイヤはシグムンドとヴェルンド、ヘルギに声を掛けると、小走りで左側面に向かう。アネットは、無言でついてきた。

北の民達が、周囲で弓矢を引き絞る。

負けじと、ブルグント兵達も、迫り来るリンドブルムの群れに対して、クロスボウを向けた。

皆の戦意が高まる中、フレイヤは精霊の弓を引き絞る。

フレイヤは兄に比べて大火力な分、近接戦には弱いし、持久力もない。周囲を信頼出来る戦士達が固めてくれている現状は、とても嬉しい。

「可能な限り減らします。 後は、貴方たちが!」

「分かっている! お前達! リンドブルム狩りの時間だ!」

「おおっ! 十匹は叩き落としてやるぜ!」

「余も加えてもらおうか」

乗馬したまま、グンター王がクロスボウを構える。側には親衛隊の兵士達もいた。見覚えのある女性戦士がいる。確か、ラーンだったか。

射程距離に、敵が入る。

フレイが、精霊の魔弾を撃ち放った。

中空で、光の花が咲く。

無数のリンドブルムが衝撃波にやられて落ちてくる。だが、その数は、随分と少ない。敵も学習しているという事か。リンドブルム自身ではなく、それを操っている魔術師が、だろうが。

二発目。

轟音の中、敵影が近づいてくるのが見えた。

それなりの数を削ったが、それでも敵はまだまだたくさんいる。ブルグントの兵士達が緊張する中、シグムンドがフレイヤの隣に進み出て、無造作に矢を放った。

先頭にいたリンドブルムが、喉の奥を貫かれ、きりもみ回転をして落ちる。

おおと、歓声が上がった。

「見事!」

グンター王と同意だ。

フレイヤは氷の杖に切り替えると、上空に制圧射撃を開始する。氷の魔弾の雨をかいくぐって、リンドブルムが急降下爆撃を掛けてきた。ブルグント兵達も、負けじと打ち返す。北の民も、応射し始めた。

彼方此方で爆発が轟く。

それ以上に、リンドブルムも落ちてくる。

ラーンが矢を放ち、今にも火を吐こうとしていたリンドブルムを叩き落とした。

ラーンという戦士、実戦になると鋭い集中を見せるようで、今も音が聞こえている様子が無い。機械的に手を動かして、視界に入った敵を片っ端から撃ち落としている手並みは、見事だ。

リンドブルムも黙っていない。

上空を旋回しながら、ギリギリの距離を保ち、火球を吐いてくる。

爆発に吹き飛ばされた兵士も多い。負傷者を引きずっていく兵士を、狙いに来るリンドブルムを、ヴェルンドが的確に撃ち落とす。

フレイヤの制圧射撃の効果は高いが、それも絶対ではない。うち漏らしを、人間達が処理していくが、それでも斃しきれない者が出てくる。

火力の網をかいくぐった個体が火を吐くと、それだけで犠牲者が出ていく。

アネットが跳躍し、真上に廻っていたリンドブルムを切り捨てた。着地と同時に、旋回して二体を斬り伏せる。

徐々に、フレイヤの制圧射撃を抜けたリンドブルムが増え始める。

「此方も兵を散らせ。 固まっていると、まとめて斃されるぞ」

「分かりました!」

「前衛の状況はどうなっておる」

「アルヴィルダ姫が、魔物を蹴散らしはじめました。 神の奮戦も凄まじく、魔物は見る間に押し込まれています」

爆音が轟いている。サラマンデルによるものだろう。

フレイヤは落ちてきたリンドブルムに剣を突き立てると、魔力を吸い上げる。そして、再び、氷の杖での制圧射撃に戻った。

魔術師を斃しに行きたいが、二カ所で同時に攻勢に出ることは得策ではない。此処はあくまでリンドブルムの攻勢を引きつけ、前衛の動きに合わせて戦術を展開すべき場所だ。グンター王も、敵を追おうとする兵士は厳しく戒め、向かってくるリンドブルムだけを相手にするよう、指揮を続けている。

また、リンドブルムが落ちてきたので、剣を抜いて突き立てる。

魔力の消耗が、少しずつ激しくなってきた。

氷の杖も、無尽蔵に魔力をため込んでいるわけではない。そろそろ、違う武器を使う方が良いだろう。

氷の杖をしまうと、とり出したるは炎の杖。

少し前まで使っていたものとは、誘導、射程距離、破壊力、いずれもが増強されている。

ただし、その分消耗する魔力が大きく、使えばそれなりのリスクが伴ってくる。しかし、一つの武器を使いすぎると、今度は武器自体が消耗してしまう。

上空に向け、火球を放つ。

リンドブルムは逃れようとしたが、緩やかに軌道を変えた火球は、容赦なく直撃。爆発を巻き起こし、周囲数体の敵の翼をへし折った。

ばたばたと落ちてくる飛龍に、兵士達がとどめを刺す。

連続して火球を打ち込み、近くを飛んでいるリンドブルムを片っ端から叩き落とす。

疲弊が、見る間に蓄積していくのが、自分でも分かった。

おそらく、巨神の魔術師も、それを待っていたのだろう。手近なリンドブルムを叩き落とし終え、散らばっているリンドブルムに剣を突き立てて魔力を回復していると、フレイヤは兵士達の警告の声で、顔を上げざるを得なくなった。

「敵! 多数接近!」

「もの凄い数だ!」

「怖れるな!」

リンドブルムの大軍勢が、空を覆い尽くして迫ってくるのが見える。今までのは、おそらくフレイヤの疲弊を誘うための囮に過ぎなかったのだろう。

しかも、前衛は大胆な攻撃に出ており、中軍と少しずつ離れはじめている。

「戦力を立て直す! 後退して、前衛と合流!」

「私が後詰めを努めます」

「よし、頼むぞ、神よ。 戦塔を後退させよ! 負傷した兵士は戦塔に乗せるのだ! 急げ!」

「直ちに!」

軍勢が、粛々と下がる中、フレイヤは精霊の魔弓を引き絞る。

アネットが、側に残る。

この子は、放っておくといくらでも無理をしてしまう。どれだけ怪我をしても、臆することがない。

それがフレイヤには痛々しくてならない。

敵陣に二度、精霊の魔弾を叩き込む。

敵の密度が上がっているから、殺戮の効率も凄まじい。大量のリンドブルムが、一気に落ちてくる。

だが、数に物を言わせ、味方の損害など気にすることさえなく、飛龍の大軍は一気に押し込んできた。

下がる。

下がりつつ、炎の杖で、追いすがる相手に射撃を掛ける。魔力の消耗が、徐々に危険域に近づいてきた。

至近で、火球が炸裂。

爆圧に翻弄されそうになりながらも、フレイヤは、アネットの名を呼ぶ。

アネットが剣を振るって、近づいてくるリンドブルムを斬る。だが、次々に火球は炸裂する。

鎧が焦がされる。

真横で、爆発が巻き起こる。吹き飛ばされそうになる。まずい。数が多すぎる。

後退中の味方の最後尾には、北ミズガルドの戦士達がいる。的確な射撃で、確実にリンドブルムを叩き落としてくれる。

待っていたブルグントの兵士達も、一斉に射撃を浴びせはじめた。

じりじりと味方は下がり、リンドブルムは死を怖れずに押してくる。敵が進んだ分だけ、味方は下がる。

フレイヤの鎧にも、傷が増えていく。

 

サラマンデルが何度目か分からない斉射を浴びせ、敵が吹き飛ぶ。どう見ても、味方有利な状況。

だが、アルヴィルダ姫が、足を止めた。

鋭い目を、後方に射込んでいる。

「神よ、少しとまられよ」

「何事か」

フレイは淡々と剣を振り、近場にいる魔物を切り伏せ、駆逐しながら、アルヴィルダに話しかける。

既にスヴァルトヘイムの魔物は算を乱し、散り散りになって、各個に撃破されつつある状況だ。

だが、確かに様子がおかしい。

後方での喚声が、少しずつ大きくなってきている。

騎馬兵が来る。

「伝令です!」

「うむ、何事か」

「後方側面に襲来していたリンドブルム、勢力を増しています! 既に数は二万を超えている模様! アルヴィルダ様には、攻勢を一端控えて欲しいとの事です」

「……そうか。 分かったと伝えよ」

伝令が戻っていく。

後衛にはフレイヤがいるとはいえ、心配だ。

「ブリュンヒルデ、後方にエインヘリアルと共に廻ってくれ。 今度は此方が守勢に回り、リンドブルムを撃退した方が良いだろう」

「もしも、スヴァルトヘイムの魔物が攻勢に出てきたら、如何なさいますか」

「此方にはサラマンデルと私がいる。 ある程度なら、支えてみせる」

「分かりました。 すぐに妹神を助けに参ります」

ブリュンヒルデが一声掛けると、感情なき兵士達はすぐに後方に向け走り出した。当然、敵としてはスヴァルトヘイムの魔物を集めて、攻勢に出るのが常道だ。

二カ所での戦線を統合できればいいのだが、この状況、そうもいかない。

上手く連携が機能しない場合、前後左右から嬲られ、巨神との戦いが始まる前に、戦力を消耗し尽くしかねない。

「一端後退し、体勢を立て直す! 追いすがる敵を焼き払いつつ、陣形を整えよ!」

「アルヴィルダ様の仰せのままに!」

フレイは最後尾に残ると、敵の残存勢力を斬り伏せて廻る。既に燎原は炎に包まれており、敵の奇襲があり得ない事だけが救いか。

上には、星をちりばめた黒絨毯のような空が広がっている。とても美しい。だが、その下では、残虐で原始的な殺し合いが続いている。

魔物の操作をしている魔術師は確実にいる。だが、仕留めるのは、この状況では難しいだろう。

「敵、来ます! 数万に達するスヴァルトヘイムの魔物が、此方に向け進撃中!」

「きおったか。 サラマンデルは!」

「整備完了!」

「陣形を整え直せ! 迫る敵を薙ぎ払い、軍神テュールへの贄と為すぞ!」

師はそれを聞いたら苦笑するだろうと、フレイは思った。

だが、何も言わず、剣を構え直す。ゆっくり力を蓄えながら、目を閉じ、呼吸を整える。

無数の足音が迫ってくる。多節の足が、装甲に覆われた体を運んでくる音。味方の死骸さえ踏みつぶし、燃えている草も気にもせず、無言のまま迫り来る。

目を、見開く。

そして、渾身の力を込めて、横に薙いだ。

数十の魔物が、瞬時に両断される。

飛び退きつつ、下がる。

アルヴィルダも、攻めるだけが取り柄ではないらしい。的確に陣を変化させ、敵の大軍を迎え撃ちに懸かる。

「薙ぎ払って近づけるな! サラマンデル!」

爆薬の残りは大丈夫だろうか。

炎を噴く竜の塔を横目に、フレイはただ無言のまま、剣を振るい続けていた。

後方での喚声が変わる。

空に向け、光の槍が打ち込まれはじめる。おそらく、増援としてエインヘリアルが入ったのだ。これでフレイヤの負担も、少しは小さくなるだろう。勿論ブリュンヒルデも、加わってくれているはずだ。

どういうわけか、ブリュンヒルデは、フレイヤと仲が悪い。

面と向かって悪口を言い合うことはないようなのだが、ただ何かと正論を妹に向けてぶつけるのだ。

妹は妹で、他者との付き合いが苦手だから、何を言われても反論しないことが多い。ただ、むすっと黙り込んでしまう。

この辺りは、母とは性格が正反対である。それは必ずしも、良いことばかりではないのだと、分かる。

まるで小山のような敵の大軍が押し寄せてくるのが分かった。

サラマンデルが放熱している。連続して火を吐きすぎたのだろう。少し休ませないと、使い物にならなくなる。

「弓隊、サラマンデルが放熱し終わるまで時間を稼ぐ! 斉射準備!」

「応っ!」

敵が至近まで迫っていても、アルヴィルダは怖れる様子が全く無い。この勇猛さ、流石である。

フレイも、迫る敵を薙ぎ払いながら、少しずつ下がる。

即興で作られた馬防柵の内側に、跳躍して飛び込む。そして、何度か跳んで、サラマンデルの上に出た。

弓を引き絞る。

トールの剛弓ではない。

拡散して魔法の矢を放つタイプの弓だ。敵がこれだけ密集している状況である。制圧射撃が最大の威力を発揮する。以前使っていた弓よりも、更に発射する矢の数が増えている強化型だ。

ただし、その代わり、射撃にわずかに多めの時間が掛かる。

ためらう理由はない。

燃え上がる燎原に、フレイは矢を連射しはじめる。左から右へ。流すようにして、片っ端から矢を叩き込む。

まるで黒い海のように迫るスヴァルトヘイムの魔物を、矢は片っ端から射貫く。

だが、射貫ききれるものではない。

膨大な魔物が押し寄せて来て、ついに馬防柵にとりつかれた。

肉弾戦が始まる。

最前線で剣を振るい続けるアルヴィルダに勇気づけられて、兵士達は自分より何倍も大きいスヴァルトヘイムの魔物に、果敢に立ち向かっていく。

だが、フレイにも。

確実に、味方の被害が増えていくのが分かった。

 

3、封印への血塗られた路

 

日が昇りはじめた頃、壮絶な死闘は終わった。

高原は悪夢の地と化していた。魔物と人間の死体が、折り重なるようにして散らばっている。魔物は制御された上で突撃を繰り返し、逃げる事も許されず、引くことも考えず、ただ愚直に命を散らしていった。

フレイは剣を振って血を落とす。体力だけはある。だが激しい戦闘で、やはり流れ弾や、死角からの攻撃は何度か受けた。無傷とは言いがたい状態だ。フレイヤは、更に疲弊が酷いと、既に伝令から聞いている。

流石に皆が疲れ果てている中、被害がまとめられていく。

戦死者は三千五百を越えていた。

一割には達しないが、継戦可能な限界数である。主に、肉弾戦の結果であった。

敵陣を焼き払うのにサラマンデルは活躍したが、それでもこれだけの損害が出たと言うことになる。

しかも、夜通し敵は波状攻撃を続けてきた。

兵士達は休むことも許されず。それが被害を増やした一因となった。

軍議が開かれる。

グンター王が、軍図を広げた。フレイヤも軍議には来たが、確かに鎧が煤まみれで、ぼろぼろになっていた。

だが、誰もが似たような状態である。ブリュンヒルデも、紫色の鎧に相当な傷を受けていたし、アネットも同じだ。

「偵察の兵によると、三重に備えていた魔物の軍勢は、夜通しの戦闘で継戦能力を失った様子だ」

「うむ。 妾が前線に立ったのだ。 当然であるな」

リンドブルムの攻撃が絶えてから、全軍は押して押して、押し抜いた。

敵の防衛線が現れたが、その度に食い破った。アルヴィルダ姫は最前線で大暴れを続け、親衛隊の兵士達の方が、先にへばっていたほどである。

勿論、フレイと、攻勢に廻ったフレイヤが、周囲でめぼしい敵を倒して廻っていたというのも大きい。

三つ目からの敵陣では、かなり大きなスヴァルトヘイムの魔物もいた。全身が赤く、頑強で、非常に手強かったが。これもフレイが率先して突入し、兵士達と接敵する前に打ち倒した。

フレイの銀色の鎧の肩口には、大きな傷が出来ている。

魔物の爪が抉った後だ。

自己修復機能を持つ鎧だが、まだ回復しきっていない。それだけ凶猛な一撃だったという事だ。

グンター王が、幾つかの前線の報告に頷き終えると、話を切り替える。

「だが、良くない情報が二つある」

一つ目は、北から迫っている巨神の軍勢についてだ。

既に数は四万に達し、更に増えているという。後方から来ている五万は、今のところハーゲンが展開した防御陣地に足止めされている。この四万は、やはり迂回路を取って来たとみるべきだろう。

もう一つは、封印の状態について、である。

「斥候によると、封印の周囲にまだ巨神はいない。 しかし封印自体が、禍々しい光を内側から放ちはじめているそうだ」

「む、それは」

「解析してみないと封印が破壊される時刻まではわかりませんが、ロキが内側から出ようとしている、と見て良いでしょう」

フレイヤが指摘すると、周囲がしんとなる。

ロキが現れてしまえば、巨神は更に勢いづくこととなる。人間に、勝ち目はもうなくなるだろう。

この場にいるエインヘリアルも、足りない。

ロキの戦闘力は、並の巨神一千に匹敵すると、フレイは聞かされている。そのような怪物が敵に加われば、もはやなすすべはない。

単独でも危険だが、敵の軍と組織的な行動を共にされたら、巻き返しの手段はなくなるだろう。

何となく、フレイは気付いている。

アスガルドは、ミズガルドを見捨てるつもりだ。

ロキについても、放置するつもりなのだろう。もっと大きな危険があるのか、或いはアスガルドだけなら何が来ようと守りきる自信があるのか。

実のところ、グンター王も気付いている節がある。戦場では暴れ者だが、それ以外では理知的なアルヴィルダ姫も、或いは悟っているかも知れない。

だからこそ、フレイは全力で人間達の味方をする。

シグムンドが挙手。

アルヴィルダ同様夜通しで戦っていたのに、元気なものだ。軍議の前に少しだけ寝てはいたようだが。

「俺たちが先に行って、封印とやらを抑えようか?」

「封印を抑制する方法が分からぬのだ。 その場に行ってなんとする」

「巨神を近づけないだけだったらやってやるさ。 フレイかフレイヤに来て貰えれば、かなり長い時間持ちこたえられる」

「北の民の勇者シグムンドよ。 心強い言葉ではあるが、今は組織的に動いた方が良いだろう。 兵力を分ければ、各個撃破の好餌となるだけだ」

アルヴィルダが止めると、シグムンドも流石に意見を取り下げる。

あれだけ好戦的なアルヴィルダでさえ、今は引いた方が良いと考えているのだと、悟ったからだろう。

まずは、現実的な問題から、対処していかなければならない。

「兵力の再編成は、どれほど掛かる」

「は。 三日ほどあれば」

三日か。

その間に、巨神の軍勢は、おそらく十万近くまでふくれあがっているだろう。フルングニルの事だ。進軍しながら、兵力の再編成をする事も可能かも知れない。

此方も同じように進軍しながらの兵力再編成をするとしても、兵は既に三万四千にまで目減りしている。

エインヘリアルにも、数百の被害が出ていた。

此処で、アスガルドが追加で一万ほどエインヘリアルを派兵してくれれば、まだ勝機があるのだが。

もはや、フレイとフレイヤの武器以外で、アスガルドは頼れない。

考え込んでいたグンターが、別の案を出す。

「五千の兵の編制なら、一日で行けるか」

「それならば、半日ほどで」

「ならば、神よ。 五千と北の民で、先に封印を抑えるべく動いてもらいたい。 その間に余とアルヴィルダ姫は本隊の陣営を整え、汝らを追おう」

「なるほど、それが一番良いかも知れぬ」

どのような戦略だとしても、フルングニルの第一目標はロキの奪還になるだろう。巨神族にとっては、アスガルドと戦うために必要不可欠だからだ。

ならば、手は一つだ。

「ブリュンヒルデ、此処に残ってエインヘリアルの指揮をして欲しい。 作戦行動については、グンター王に従って貰えるか」

「ワルキューレの私が、王とはいえ人間に従えと」

「此処はそれが最善だ。 頼む」

「貴方にそう言われれば、従うほかありますまい」

若干不満そうだが、ブリュンヒルデは引き受けてくれた。

後は、封印まで急ぐだけだ。

五千の兵の準備が整う間、いろいろな事をやっておく。補給物資の確認や、武具の手入れなど。

それに、フレイヤには話しておく事があった。

群議を終えて、天幕に戻る。天幕の側に腰を下ろすと、ついてきたフレイヤに告げる。

「フレイヤよ」

「兄様、如何なさいましたか」

「ロキの封印のことだ」

再封印の意思をオーディンが見せない以上、ロキは復活してしまうだろう。その場合、どうにかして、ロキを葬るしかない。

巨神より先に封印を抑えるのは、ロキを捕らえるためではない。

殺すためだ。

「ロキがまた現れたとして、お前は捕らえられると思うか」

「無理でしょう。 オーディンでさえ、隙を突く事でどうにか封印することが精一杯だったと聞いております」

ふと、その言葉に、妙な違和感が生じる。

だが、それは顕在化するほどのものではない。

「ならば、封印から出てきて、体がなれていない状況を利用して、一気に葬るしかないだろう」

「多少卑怯なようにも感じますが……」

残念ながら、他に方法はない。

いくつか、ロキを殺すための神の武器は見繕ってある。顔を出したら、できる限り迅速に、何も語らせる余裕さえ無く、葬ってしまう。

それだけで、巨神族は希望を失い、絶望に転じるだろう。

後は、巨神への対応方法を身につけはじめている人間達と一緒に、時間を掛けて敵を殲滅していくしかない。巨神を滅ぼすことは出来なくても、そうすればヨトゥンヘイムに押し返すくらいはできるはず。

地味だが、それが一番確実だ。

シグムンドは、老いるまでに北ミズガルドに帰してやれないかも知れない。

「それでも、他に方法がない」

「兄様は、人間が好きなのですね」

「ああ。 お前は」

「私も」

ならば、するべき事は決まっていた。

決して人間の全てが好きなわけではない。だが、ミズガルドで肩を並べて戦って来た者達の事は好きだ。

兵が、準備を終える。

ブルグント騎馬隊の残存兵力に精鋭を加え、其処に北の民が加わった、現在考えられる限り最強の、人間の精鋭部隊だ。

敵も、同じ事を考えてくる可能性がある。

出来るだけ迅速に封印周辺の掌握を行い、フルングニルの先を越す。

そうすれば、勝機が見えてくるはずだ。

 

高原は非常に広大で、此処が山の上だとは考えられないほどである。

前に来たときとは、だいぶ状況が違う。前は生き残ることで必死だった。今回もそれには変わりがないが、戦闘経験は随分蓄積した。だから、周囲を見る余裕も生じていた。

アスガルドに似ていると、フレイは思った。

フレイとフレイヤは文字通りの神速で進むことが出来る。フレイヤは魔術でそれを為し、フレイは鍛え抜いた技で実現している。人間は馬を使ったり、鍛え抜いた足で走ったりする。だから、行軍速度を最大限にしても、あまり差は出ない。

北の民は鍛え抜いていて、人を乗せた軍馬にさほど遅れずについてくる。フレイはフレイヤに後衛を任せて、自身は最前列を進んでいた。

ヘルギが連れて行くと行ったので、ウルズも来ている。ウルズは騎馬兵の一人が鞍の前に乗せていた。ウルズは文句一つ言わず、体調を崩す様子も無い。予言を行える子供と聞いて、騎馬兵達も邪険には扱わなかった。

三刻ほど走ったところで、小休止を入れる。

小川が見つかったからだ。

馬に水と草を与え、体を拭かせる。一端北の民達も座り込んで、休憩に入った。彼らはその気になれば、一晩中でも走ることが出来る。ずっと走り倒しだったのに平然としている北の民達に、騎馬隊の精鋭兵士達も、度肝を抜かれているようだった。

シグムンドが来て、側に座る。

フレイは、対ロキ用に師に準備してもらった槍を磨きながら応える。

「なあ、フレイ」

「どうした」

「何だか懐かしそうにしているな。 アスガルドに似ているのか」

「ああ」

流石の洞察力だが、ぴたりと当てられて、フレイは苦笑した。

聡明な人間の中には、観察力が優れていて、相手の考えている事を読むことが出来る者もいるとは知っていた。

シグムンドは、その一人だろう。

「アスガルドも、こういう場所なのか」

「美しい土地だ。 堅固な山の上にある高原で、神々の宮殿が建ち並び、多くの文化と技術が保存されている」

「そうなると、一つの世界ではないのか」

「生態系などは完全に独立した世界だ。 人間では、普通はアスガルドに来る事は出来ない」

フレイヤの護衛を兼ねて、アネットだけは連れてきている。

アネットは心配そうに此方を見たが、フレイはシグムンドになら話しても良いだろうと判断したのだ。

「そうなると、ヨトゥンヘイムとは何だ」

「私も資料でしか見た事はないのだが、ミズガルドの周辺に広がる海の向こうにある、大きな岩場だと聞いている」

「岩場……? 島でさえないのか」

「面積は広いが、元々、荒れ地が広がっていて、開拓にも開発にも向かないと判断された土地だそうだ」

かって、戦いに敗れたヴァン神族は、其処でならアース神族も攻めこんでこないだろうと判断した。

何しろ、遠くまで遠征する価値もないような土地だったからだ。

逃げ延びたヴァン神族は、作物も取れず、奉仕種族もいない中、苦労を続け、神々への恨みを蓄えていった。

唯一、其処に住んでいた種族もいたと、何処かで見たが。

フレイは知らない。

どうしてか、名前を思い出す事が出来ない。

「それじゃあ、巨神共がアスガルドの神々を恨むのも、無理は無いのかも知れないな」

「だが、彼らはやり方を間違えた」

「ああ。 俺たちは負けてやらん。 殺されてもやらん」

休憩を終えると、再び走り出す。

落伍者は、今のところ出ていない。屈強な兵士ばかり選抜したのだ。無言で、ひたすらに高原を駆ける。

夕刻。

走り続けたフレイは、手を横に出した。とまれという指示だ。

山が、眼前にせり上がっている。

さほどの大きさではないが、戦図にはない地形だ。警戒して当たる必要があるだろう。

シグムンドが、手をかざして、向こうを見る。

「何だ、変な丘だな」

「調べるぞ。 此処が封印の落下点である可能性が高い」

しかし、事前に封印を調べに行っていた兵士達の話では、こんな丘はなかったはず。

不意に、大地が揺れる。

地面にひびが入り、山がわずかに高くなった。

そして、山の向こうから、おぞましいまでに凶悪な邪気が感じ取れる。

無言で、フレイは山の上に躍り出る。文字通りの神速で走れば、さほど大きな山でもない。上に出るのは、難しくない。

それを見てしまったフレイは、息を呑む。

巨大な剣が、地面に突き刺さっていた。

その剣は禍々しい光を放つ球体を射止めているのだ。そして球体からはひっきりなしに邪悪な波動が発せられ、地面を紫色に染め、おぞましい臭気を放ち、辺りの地形を歪めている。

このままでは、魔物が自然発生するかも知れない。

此処が、封印だ。

フレイヤが来た。フレイヤも、即座に状況を理解した。

「封印ごと、ロキを殺せるか」

「難しいでしょう。 封印はロキを封じるために極めて堅固です。 此処から見ただけでも、どうしてこれを破壊できたのか、理解できません」

「ロキの力が、それほどまでに凄まじいという事なのか」

「……」

フレイヤが小首をかしげる。

どうも、妙な違和感がある。ロキとは伝承上、それほどまでに強大な存在として扱われていたのか。そんな記憶がないように思えてならないのだ。

追いついてきた部隊と共に、防御陣地の構築に入る。

なんとしても。

此処に、巨神族を入れてはならない。どうしたとしても、ロキを此処で斃さなければならない。

それが、最低限、守らなければならないことだった。

 

4、ささやかな増援

 

赤ら顔の小人が、酒を呷る。

スヴァルトヘイムの唯一の生き残り。鍛冶士アウテンだ。中年の男で、アスガルドに来てから、酒ばかり呷っている。ただし鍛冶の腕だけは、神々の奉仕種族である小人族に相応しいものだ。

テュールは、嘆くばかりである。

どうにかオーディンに許可された追加の人員が、エインヘリアル100名と此奴だけ。確かに腕が良い鍛冶士だが、それでも出来る事には限界がある。

「それでわしは、また戦場にいかなければならんのかね」

「そうだ。 苦戦しているフレイとフレイヤを助けて欲しい」

「ほう、フレイヤ!」

「いや、お前が想像したフレイヤとは別神だ」

そう指摘すると、好色そうな小人は、心底残念そうに何だと呟いた。

小人族は地底世界スヴァルトヘイムに住む鍛冶の一族だ。ニーズヘッグ配下の魔物に襲われ全滅した小人族の、最後の生き残りこそアウテンである。

体調が回復したので面会したのだが、何とも酒臭い男で、テュールの前でも平然と酔っ払っていた。信じがたいほど図太い奴だが、小人族にはこういう者が多い。

先代フレイヤの大事にしていた首飾り、ブリージングガメンに関わる逸話などは、語りぐさになっているほどだ。

小人といっても、背丈は人間より少し低い程度。筋骨はきわめてたくましく、戦士としての素養も高い。

ドワーフとかドヴェルグとかいわれる彼らは、本来は戦士としても価値が高い存在だ。

それだけに、スヴァルトヘイムの壊滅は、テュールには残念であった。

「まあいいだろう。 あの胸くそ悪い虫共には、わしの斧をぶちこんでやらなければ気が済まんしな」

「それもそうだが、フレイとフレイヤの武具の手入れを頼みたい」

「分かっておるよ。 どうせ小人族がいない今、アスガルドに新しい武具を造り出す余力はあるまい?」

その通りだ。

アスガルドの鍛冶は、殆どが小人族の力に頼っていた。

勿論神々にも、鍛冶が出来る者はいる。しかしやはり技術の大部分は、小人族の手によるものであったのだ。

「百名ほどのエインヘリアルを派遣することとなった。 彼らと一緒に、この地点に向かって欲しい」

「ほう、モン高原か」

「知っているのか」

「知っているも何も、此処はヴァン神族にとっての聖地じゃないか。 ははあ、それでロキも此処に逃げ込んだな」

テュールが顔を上げると、にやりとアウテンは笑った。

どういうことか。

此奴は、本当にただの小人なのか。

「アウテン、何か知っているのか」

「さてね。 わしは一度死んだ。 そういうことさよ。 強いていうなら、わしの今の名前はスクルズー、とでもいうところかな」

その名前は。

そういえば、フレイの側にも、ウルズと名乗る予言が出来る子供がいると聞いている。

不審はあるが、フレイは一刻を争う状況の筈だ。ワルキューレの増援も送れないと決まった今、できる限り迅速に援軍を届けたい。

エインヘリアルの、本当に小さな部隊を送り届ける。

肩を落としたテュールだったが、失意のまま酒を呷る暇は無かった。

既に、オーディンは信頼出来る状況にはない。トールも少し前から、不満を抱えているようだった。

勿論、クーデターなどは考えていない。

これ以上隠し事をされては、勝てる戦いも勝てなくなる。一体オーディンは何を知っている。巨神族を上回る脅威とは何か。地上を見捨てるのは、どうしてか。

それより何故今まで、幹部にさえそれを話そうとはしなかった。

全ての鍵は、封印された場所にある。

すなわち、運命の三女神のいる泉だ。

宮殿を夜中に出る。

外で、トールと落ち合った。姿を変える魔法のマントを被ると、急ぐ。

「何だか、ガキの頃に戻ったようで、わくわくするな」

「トール殿、荒事はできるだけ避けてくだされ」

「分かっている」

警備の者も、神々やエインヘリアルなのだ。怪我をさせるのは気の毒である。

厳重な警備が張り巡らされている泉の側にいくまでもが、そもそも一苦労だ。山肌を這い上がり、地面を突きやぶり顔をだした巨大なユグドラジルの枝を渡り、見張りのエインヘリアルの視線をかいくぐる。

非常に不便な所にある泉だ。なんと驚いたことに、オーディンが使っている空飛ぶ馬、スレイプニールは、ここに来るためだけに用いられているという噂があると言う。

時々、トールと協力し合って、険しい岩肌をとにかく行く。

アスガルドの最上部に、泉はあると聞いている。人間の背丈の、ゆうに八千倍はある高度にある泉だ。

普通だったら寒さで凍っているはずなのだが。其処は常に、春のように暖かだとも聞いている。

屋敷には、信頼出来る部下をおいてあるが、ごまかせる時間はさほど長くない。

「うげえ。 なんて高さだ」

トールが下を見てしまったらしく、ぼやく。

テュールは手をさしのべ、雷神を一気に岩盤の上に引っ張り上げた。

どれだけの時間、登り続けただろう。

不意に、平らなところに出る。

ついたのだと、本能的に理解できた。

生唾を飲み込む。

これ以上進めば、おそらく引き返すことは出来なくなるだろう。オーディンには、全ての情報を開示してもらわなければならない。そうでなければ、何もかもが報われない。それが出来ないと分かった今。

事態に対する策を練るためにも、運命の三女神への接触は、絶対だった。

「行くぞ、トール殿」

「ああ。 ご開帳だな……」

魔法のマントをしまうと、一歩を踏み出す。

既に、未知の領域に、踏み込んでいた。

 

(続)