躍動する火竜

 

序、内幕の混乱

 

フルングニルは、目だって不機嫌になっていた。周囲の巨神達は、困惑して顔を見合わせるばかりである。だが、だからといって、フルングニルも周囲にあわせて、いい顔をしてやる気など無かった。

ユラン平原で、巨神軍は勝った。

人間側の重要拠点であるユラン平原を完全に制圧。その軍にも大打撃を与えた。だが、最後の一手が、及ばなかったのである。

戦いで、完璧な結果は求めてはいけない。

それは分かっている。完璧に勝ってしまうと、それが奢りにつながりやすい。だが、完璧に勝とうと努力するのは、当然のことだ。そして、フルングニルは、努力を怠った覚えはない。

不機嫌なのは、敵の奮戦よりも、味方のふがいなさが目だったからである。

たとえば、遅れて到着した魔術部隊は、肝心なところでドジを踏んで、フレイヤを逃がしてしまった。

話を聞く限り、フレイヤは死の寸前まで追い込まれていたという。アスガルドでも上位に入るだろう魔術の使い手を、討ち取る好機だったのだ。軍勢も、充分に投入していた。それなのに、取り逃がした。

乱入してきた人間が、奮戦したことは、フルングニルも認めている。

しかし、それ以上に、経験不足の魔術部隊がおかした失態の方が目立つのだ。

更に、フレイの方も、追い詰めはしたが逃げられてしまっている。

アスガルドの援軍が、最悪のタイミングで現れたからである。逆に言えば、それまでにフレイを斃してしまえば、各個撃破は可能であったのだ。

戦略的には、勝った。

大きく軍は前進し、敵にかなりの損害を与えることにも成功した。

だが、アスガルドが軍を出してきたこともある。全体的に見れば、無邪気に勝利を喜べない。

後一歩が、及ばなかった。

それが、口惜しくてならない。

おそるおそるという風情で、ファフナーが来る。びくびくしている様子が、余計にフルングニルのかんに障る。

「あ、あのう……」

「何をしているかっ!」

「ひいっ! ごめんなさい!」

頭を抱えたファフナーを見て、怒りが冷めてくる。こんな輩を怒鳴りつけても、仕方が無い。

フレイヤを取り逃がした失態は魔術兵団全体の問題であって、此奴の責任ではないからだ。

「例の球体についての解析結果か」

「は、はい。 此方になります……」

ファフナーは側にちょこんと腰を下ろすと、書類を広げた。書類と言っても、紙ではない。

立体的にタスクが格納されている、魔術で作られた映像だ。それを広げて、ファフナーは説明してくる。

「どうやらあの球体は、ロキ様が封じられていたもの、らしいのです」

「ほう……」

作為的だ、それは。

ロキは今回の奪回目標の一つ。アスガルドに捕らえられている巨神側の最有力戦力の一つであり、奪回で大きく戦況を動かすことが出来る。この戦いでは、アスガルドのアース神族を皆殺しにすることが第一級最優先の目的だが。それに次ぐ目的を上げるとすれば、ロキの奪回が上げられるだろう。

かって、ヴァン神族がアース神族と対等だった時代があった。

その頃には、巨神ではなく、巨人と呼ばれる存在がいた。それはいにしえの時代より存在した、神とは違い、アスガルドの神々が造り出した人ともまた異なる種族。猿とは進化の系統が異なる、全く別種の生き物だった。知性の類は存在せず、ただひたすらに凶暴で、貪欲に何もかもをむさぼり喰う者達だった。

既にそれは存在していない。

巨人がいた頃には、ヴァン神族とアース神族は交流が深く、時に争いもしたが、互いに愛をかわすこともあった。

そんな中に、ロキという、ある意味怪物めいた存在がいた。

ロキについては、フルングニルはあまり良い印象を持っていない。奴は文字通りのトリックスター。巨大な魔力を得た経緯も、あまりにも非道であり、ある意味破滅的な行動の結果だった。

フリムが、側近達を連れてくる。

おそらく、ファフナーから全ての話を聞いたという事だろう。跪くフルングニルに、フリムは前置きせずに言った。

「フルングニルよ。 ロキの件は、既に聞いたか」

「は。 ロキの奪回については、確かに我らが悲願。 勝利につながる事でありましょう」

「うむ。 だが、気になるな」

アスガルドで、ロキはおそらく最大級の厳重な警備の元、守られていたはずだ。奇襲的に、奪回作戦をする計画はあった。かなり細かい所まで、作戦自体は決められていた。だが、実施の予定は、最低でも敵の主力を、ミズガルドに引っ張り出してから。まだ当然、動いてはいなかったのだ。

ロキ封印の防御はオーディンも直接関与しているはず。ましてやずっと封じられていたロキが、弱りこそすれ強くなることはあるのだろうか。

そもそも、だ。

今回の侵攻作戦についても、幾つか気になることが、フルングニルにはある。

たとえば、スヴァルトヘイムだ。ファフナーがずっと交渉を続けてきた結果、同盟を組むことには成功したスヴァルトヘイムだが。そもそもあの世界は非常に独立的で、今回の侵攻に遭わせてどうして小人族を滅ぼしたのかよく分からない。結果として利にはなっているが、意図が読めないのである。

アスガルドの対応が遅れたのも、スヴァルトヘイムの首魁、ニーズヘッグの行動があまりにも急だった事が原因の一つだろう。

更に言えば、アスガルドの動きの鈍さも、どうも気になる。

調べたところ、今回地上に派遣されているエインヘリアルは、五千程度だというではないか。

それは確か、エインヘリアルの最小単位の筈。

どうして、兵力を出し惜しみする。何か、知っているというのか。

おそらくフリムはそれを知っている。

少し悩んだ末に、フルングニルは聞いてみることとした。

「陛下。 何か、心当たりはありませぬか。 あまりにも作為的なこの一件、何か裏にあるとしか思えませぬ」

「フルングニルよ。 余も全てを知るわけではない。 ただ、もしもオーディンが何かを知っているのだとすれば、運命の三女神から情報を得ている、その可能性が高いであろうな」

運命の三女神。

ヴァン神族出身とも言われる、未来予知を司る三柱の神である。神々よりも更に高位の存在であると言う説があるのだが、フルングニルも直接見た事はないので、姿については知らない。

だが、ヴァン神族とアース神族が交流していた頃から、きな臭い噂はあったのだ。

それは、本当は女神ですらなく、もっとおぞましい何かなのだと。

そもそも、どのような魔術を使っても、過去を改変したり、未来を知ることは出来ない。たとえオーディンでもだ。オーディン以上の魔力を持つと言われた、ロキであってもそれは同じだろう。

ユグドラジルの力を抽出しているという説もあるが、それもどうもきな臭い。ユグドラジルの解析は長年ヴァン神族でも行っているのだが、どうも妙なのである。そもそも、神々と同一の存在では無く、下手をするとただ巨大なだけの木。そうとしか、思えない節があるのだ。

「しかし、それならば何故ロキの逃走を防げなかったのです」

「分からぬ。 とりあえず、我らがすることは一つ。 ロキの奪回だ」

「解せませんな。 私がオーディンであれば、エインヘリアルの全軍と共にアスガルドに降り、ロキの封印を再奪取いたします。 オーディンは動く様子も無く、そればかりかトールやテュールと言った側近を派遣する気配もない」

他の巨神達も、顔を見合わせている。

フルングニルは、勿論ヴァン神族の勝利を願っている。アース神族を滅ぼし、ミズガルドを取り戻し、ヴァン神族の王道楽土を建設しようと考えている。そのために、フルングニルの持つ全てを傾けても良い。

しかしながら、この状況の奇怪さには、小首をかしげざるを得ないのだ。

「この状況が、罠ではないとすれば。 まさかとは思いますが、何者かが糸を引いている、という事はないでしょうか」

「我々神々以上の存在がいると?」

「どうもこの状況、おかしいと思いませんか。 全てが、「ラグナロク」という存在に向け、都合良く動きすぎているように思えるのです」

そもそもだ。フルングニルも今までのヴァン神族の苦闘の歴史は見てきているが、準備が整った途端、好機が来たというのもおかしいのである。

ヴァン神族は10000年掛けて、戦いの準備をしてきた。

効率の良い輸送システムとして、魔船ナグルファルを完成させた。元々数が少なかったヴァン神族の戦力を補うために、ある工夫をして、一族の数を爆発的に増やした。神としては、現在の数は異常すぎるほどなのである。

だがしかし、その準備が整った途端、いろいろな事が起きすぎている。

実際フルングニルは、上陸した途端に水際殲滅による反撃を受けて、ろくに身動きも出来ないまま、軍が壊滅する事さえ予想していたのだ。

それがどうだ。上陸してみれば、迎撃してきたのは、二柱の神と人間どものみ。

エインヘリアルは、人間の最大国家ブルグントが主力決戦に敗退してから、ようやく思わせぶり程度の戦力でミズガルドに出てきた。

今のところ、ワルキューレが二柱いる事も分かっているが、それも目だった戦力ではない。

しかも、神々の強力な戦力となり得る小人族に至っては、これまたタイミング良く侵攻したスヴァルトヘイムによって、根絶やしにされている有様だ。

「確かに不審な点は多い。 だが、今はロキを奪還することが、第一なのではあるまいか」

「……」

ロキが目覚めた場合、おそらくヴァン神族の王位を要求してくる。

封印される直前の事は、よく分かっていない部分もある。だが、知る限り、ロキはウートガルザと呼ばれる称号を、その時得ていた。

ヴァン神族の長という意味である。

現在、フリムが纏っているウートガルザの鎧も、その称号に相応しいものが纏うという意味を持っている。

フリムはその時、ロキの前に膝を突いて、頭を垂れ、王位を譲るのだろうか。

それとも、何か考えがあるのか。

ロキは残忍で狡猾な性格だ。今までは、ロキの奪回というのはあまり現実的ではなかった。ロキが既に封印の中で息絶えているという事さえ、視野に入れていたのだ。

それも現実的な色を帯びてくると、感覚が違ってくる。

「分かりました。 ロキの奪還に、全力を尽くします。 ただし、どうもこのきな臭い空気、このまま進むとおかしな事になるとしか思えません。 まさかとは思いますが、世界の軋みが影響しているのでは」

「いうな。 皆の士気に関わる」

フリムの言葉は強く、これ以上の発言は許さない空気があった。

頭を下げて、フルングニルは、フリムに従った。

フリムが行くのを見送ると、フルングニルは立ち上がり、空の星々を見る。

この世界は、無理が来ている。いろいろな不自然が、世界そのものを壊そうとしている。神々が、あまりにも都合良く、法則から逃れたためだ。このままでは、世界は文字通り崩壊する。

それはフルングニルも知っている。だから、この大規模な侵攻作戦には、むしろ積極的に賛成した。

だが、今になって、得体の知れない恐怖が浮かんでくる。

もしも、世界そのものが、意思を持っているのだとしたら。それが、今まで世界を歪めに歪めてきた神々に、意図的に何もかもが不利に働くように動いているのだとしたら。それは、確かに、神々よりも上位の神による、世界の破滅。

そもそもラグナロクというものは、世界の破滅と再生を意味している。アスガルドの神々を皆殺しにして、ヴァン神族が新しい世界を作るのならば、それでいい。

世界が、神々と名のつく存在全ての破滅を望んでいるのだとしたら。その時には、何が起きるのだろう。

ファフナーが、何か言いたそうにしていたので、顎をしゃくる。

「何か言いたいことがあるのなら、言うてみよ」

「はい。 実はヨトゥンヘイムに残った観測班から、気になる報告が来ているのです」

「気になる報告?」

「ムスペルへイムが、近づいているらしいのです」

ぞっとした。

ムスペルへイムは、文字通り世界の果て。ヨトゥンヘイムよりも更に外側にある世界で、実際は世界でさえない場所。

空間の壁が、ヨトゥンヘイムとムスペルへイムを隔てている。

ムスペルへイムには、何があるか分からない。ムスペルと呼ばれる強大な炎の騎士が住んでいるという噂はあるが、それ以上でも以下でもない。何しろ、神々でさえ見たことが無いのだ。

この世界の外側に、ムスペルへイムが、殻のようなものとして存在しているという説もある。

「陛下は既にご存じか」

「はい。 ただし、フルングニル様以外には言わないように、と」

「……」

まさかとは思うが。

上位の神々の正体とは。そして、世界の軋みの顕在化とは。

これは、ますます勝利を急がなければならないだろう。

「魔術兵団は、既に動けるか」

「えっ? ええと、はい。 現在は主力が、ブルグント王都を目指して南進中です」

「よし。 騎兵団も、我が精鋭もブルグント王都に向かう。 フリム王には別働隊を率いて、ロキの封印解除に向かっていただこう」

今後障害になるのは、間違いなくフレイとフレイヤだ。

此処からは本気で討ち取りに行く。

奴らさえ潰せば、一気に状況を此方有利に傾けることが可能だ。そうすれば、ロキの封印に、王手を掛ける日も近い。

全体的に見れば、確実に勝利を積み重ねているのだ。被害は予想外に大きいが、それでも気になるほどではない。

不安要素は、ある。

だからこそに、それが顕在化する前に、勝負を付けなければならない。

フルングニルは立ち上がると、自分の迷いを消す意味もあって、自陣に向けて歩き始めた。

悩みがあるときは、仕事をするに限る。

万を超える年数を生きてきたフルングニルにとって、それは鉄則であった。

 

1、アスガルドの混沌

 

アスガルドの守備隊が右往左往する中、オーディンはテュールとトールを伴い、アスガルド宮殿の深部にある宝物庫を訪れていた。

白磁の宮殿の中でも、地下に位置している其処は、薄暗い。狭い通路の左右は石壁になっていて、点々とたいまつがくべられており、魔術によって永遠に燃え続けるように、なおかつ煤を出さないように調整されている。

長い通路を行ききると、光が差し込んでいた。

元々アスガルドの大地は、ミズガルドと違って、非常な高地にある。別に世界樹の枝のように張り出しているわけではなく、巨大な山の山頂部分が、アスガルドになっているのだ。

その中でも比較的広い平野が幾つかあり、その中の一番奥まったところに、宮殿が作られている。

更にその地下である。光が差し込んでいるというのは、どういうことか。

覗き込んでみると、惨状が明らかだ。

地下深くにあった宝物庫に、風穴が開いている。巨大な穴が、地下を抉り、地上にまで飛び出しているのだ。

其処には、ロキを封じた、アスガルドでも最も屈強な魔術結界が存在していた。だからこそに、それが見事に食い破られているのを見て、テュールはうめき声を漏らしていた。まさか、これを破る事が出来るとは。しかも、岩盤を砕くというおまけ付きで、である。

テュールも、代替わりした直後、この宝物庫を警備していたことがある。だからこそに、知っている。

此処の防備は、破ろうと思って破れるものではない。

トールが自慢のミョルニルで殴りつけても、埒があかないほどに強固なものだったのだ。勿論、テュールの剣技を持ってしても、たやすく破れるものではない。それが、まるで空間ごとえぐり取ったように消し飛んでいるでは無いか。

宝物が奪われた形跡は無い。

ただ、ロキを封じた箇所だけが、綺麗になくなっている。

オーディンは鋭い目で左右を見回していた。見張りに立っていた下級の神が、平伏している。黄金の武具で武装した神は、文字通りオーディンが魔法の稲妻を落とすのではないかと、縮み上がっていた。

「状況を」

「は、はい。 見張りをしておりましたら、突然巨大な音と共に、揺れが来ました」

宝物庫に飛び込むと、巨大な穴が開いており、禍々しい光が飛び去った所であったという。

それでは、この者を責めるわけには行かないだろう。

「何か、異変は起きなかったか」

「それが、おかしな話で、全く……」

これほどの大穴を、宮殿のある地盤に開ける術式を使ったのなら、オーディンが察知している。確実に。

それだけではない。此処で詰めている警護の者は、下級とは言え神だ。間近でそんな魔力変動が起きれば、察知出来る。

つまり、二重の意味であり得ない出来事が、此処で起きたのだ。

トールが辺りを調べて廻る。巨神族や、その尖兵が侵入した形跡は無し。テュールも見て廻るが、結論は同じだ。魔術的な侵入についても、可能性は低い。オーディンも何も言わないところを見ると、間違いないだろう。

フリッグが来た。既に彼女はアスガルドのナンバー3に降格しており、戦時の体制に移り変わっている。現在は、トールが軍司令官という立場だ。

思うところがあるのか、フリッグはトールを一瞥だけすると、オーディンに耳打ちした。オーディンは、鷹揚に頷く。

「場所を移す。 アスガルドの幹部だけを集めよ」

「分かりました。 此処の補修は」

「適当にやっておけ」

投げやりだが、もうこのようなところはどうでも良い、とでも言う所か。

テュールはため息をつくと、散乱している武具を一瞥する。フレイとフレイヤの所に送ってやりたいが、そうも行かない。エインヘリアルの部隊を派遣し、ワルキューレを二柱出すだけで、大変な苦労だったのだ。勿論努力はするが、時間は取られるだろうし、何より書類仕事が大変だ。

今回のような密談の場合、公式な謁見が行われる大広間や、テラスは使われない。

アスガルドの宮殿の奥にある、小さな部屋が用いられた。トールは狭い部屋に大柄な神々が並んでいるのを見て、窮屈だなと呟く。テュールも同意だ。

オーディンが席に着くと、その隣で、フリッグが話し始める。

「ロキが逃亡した先が判明しました。 ミズガルドの地理で言うと、ブルグントの東の辺境となります」

「すぐに奪還すべく、兵を出すべきでは」

テュールが至極当然の提案をする。

だが、何となく、オーディンの反応は分かっていた。

「ならぬ」

「何故です。 ロキが敵の手に渡れば、脅威は計り知れません。 封印を守るか、もしくは奪取しなければ、アスガルドは未曾有の危機にさらされましょう」

「そろそろ、そなたらには告げておこう。 巨神共や、ロキなどは、まだこれから来る災厄に比べれば、脅威度が低い。 比べものにならぬほどにな」

最初の反応は、予想していた。

だが、その次については、正直想像もしていなかった。

思わず、テュールは言葉を失った。

この上、一体何が攻め寄せるというのか。

巨神の他というと、スヴァルトヘイムが想定される。スヴァルトヘイムの魔物は、単独の能力が低く、数がいてもさほどの脅威にはならない。勿論ニーズヘッグやその側近は手強いが、倒せないというほどではないはずだ。

他には、神々に敵対しそうな勢力は、あまり思いつかない。

強大な勢力を持っているとすれば冥界だが、彼処はヘルと呼ばれる女王が没してからは、完全にアスガルドの制御下にある。他にはムスペルへイムが想定されるが、あれは神々の中でも伝説的な存在で、そもそも実在するかも疑われているほどなのだ。

「それらは、運命の女神らによる情報ですか」

良識派で知られるヘイムダルが言う。口ひげを蓄えた、紳士然とした男だ。武人としての技量には乏しいが、その温厚な性格から仲介役として神々の中でも頼りにされている。また、ヘイムダルは諜報に関しても一手に引き受けている神だ。

そのヘイムダルが、言う事である。彼の所には、情報が来ていないとみて良いだろう。

「そうだ」

「一体何が来るというのです」

「世界そのもの」

「なんですと……?」

思わず、テュールは聞き返していた。

世界そのものが攻め寄せるとは、どういうことか。神々は、世界の中の要素を切り取り、人格を得た存在では無いのか。

「まだ、具体的にどのような存在が姿を見せるかまでは分からぬ。 だが、それら世界の意思は、アスガルドにこれからも不利なよう、あらゆる面で作用することだろう」

「ロキの逃亡も、その作用の一つであると?」

「少なくとも巨神族がこの件に関わっていないことは事実だ。 ロキが単独で、脱出をなしえたとも思えぬ。 ならば、結論は一つであろう」

しかし、世界そのものが敵とは。

あまりにも非現実的すぎて、ぴんと来ない。トールも困り果てているようで、此方を見る。

「今まで兵を出し渋っていたのは」

「籠城に適したアスガルドで、敵を迎え撃つためだ。 もはやミズガルドは、最初から諦めていた。 今回のロキの件で、世界そのものによる干渉は決定的になったと、余は判断した。 今後も、ミズガルドに援軍を出す予定はない。 人間が滅びたら、また作ればよい」

思わず、テュールは呻く。

確かにミズガルドにいる人間は、アース神族が作り出したものだ。猿の一種に知能を与え、文明も与えた。その後は、管理もしてきた。

テュールは知っている。人間が如何に無邪気にアース神族を信仰し、バルハラの教えを守って、アスガルドの管理政策に従っているか。

それがエインヘリアルをえるための政策だと、人間は知らない。

人間はアース神族に、好きなようにもてあそばれているのではないか。それはあまりにも非情ではないのか。

オーディンの周囲を見る。

事情を知っているだろうイズンは、黙り込んでいた。オーディンに反論しようという神はいない。

これでは、フレイやフレイヤは、何のために命がけで戦っているのか。

此処での事は他言無用と言われてしまうと、もはや何も言い返せなかった。

思えば、必要最小限の範囲内で、事前に人間達には備えさせてはいたのだ。フリッグも、どうやら北の民に、巨神に対して備えるよう、防備を命じていた形跡がある。

しかしそれは、おそらく勝つための備えではない。

時間を稼ぎ、対応策を練り、巨神族の戦力を削るため。ただそれだけの備え。

フレイとフレイヤに、あわせる顔がない。

テュールは、そう自嘲していた。

むなしい会議が終わる。会議の後、エインヘリアルの一部隊を出して欲しいと、もう一度懇願書を出すが、受け入れられないのは明白だった。

自分の宮殿に戻ったテュールは、久々に酒を呷った。侍従が心配するほどの量を。そうでもしないと、正気を保てそうになかった。

庭に出ると、剣を振るう。

酔っていても、軍神と呼ばれるテュールだ。太刀筋は鈍らない。無心に剣を振るい続ける。

剣は、テュールにとっては、一番の友。技術を磨けば、それだけ応えてくれる。長い寿命の中、ただひたすらに、共に歩んできた友。陰謀も策謀も、剣にはない。ただ、振るえば、応えてくれる。

しばらく無言で剣を振るい、テュールはようやく落ち着いてきた。

今でも、ミズガルドでは、苦戦が続いている。

かくなる上は、テュール自身が出向くか。

だが、先を読んだように、オーディンからの使者が来る。携えていた書状を見て、テュールはもう一度失望していた。

「先ほども告げたが、ミズガルドは放棄する。 後はフレイとフレイヤに、好きなようにやらせてやるように。 多少の武器防具は送ってやっても構わぬが、そなたが行くことは許さぬ」

オーディンよ。テュールは呟く。

そして、書状を震える手で握りつぶした。

 

フレイとフレイヤから、書状が来た。

やはりエインヘリアルの増援を求めるものだ。五千の兵は非常に心強いが、出来ればもう五千か一万、エインヘリアルを送って欲しいと、書状にはあった。

戦況についても、記されている。

ユラン平原で行われた会戦についての詳細も、テュールはそこで知ることが出来た。

人間側も良くやっている。

だが、それ以上に巨神側の用兵は見事で、隙がない。フルングニルという巨神、10000年の間に著しく進歩したとみて良いだろう。テュールが噂に聞く所では、ただの猪武者だったという話なのだが。

この書状は、トールには見せられない。

おそらく、戦いたいと言い出すだろうから。

兎も角、武具については、送ってやらなければならない。特にフレイヤの武具は消耗が激しいらしい。大威力のものだけではなく、特に欲しいのは、身を守るためのものであったり、制圧射撃に使えるものだそうだ。

丁度良い機会なので、イズンの所に出向く。

イズンには、幾つか聞いておきたい事があった。

アスガルドの中心部には、幾つか神々の宮殿がある。中央にある宮殿は、王城でありオーディンのもの。その周辺にトールのものをはじめに、主要な神々の宮殿が建ち並んでいる。

イズンの宮殿はかなり広大だが、これは不死を司る魔法のリンゴを内部で栽培しているからだ。

中に入ってみると、目立つのは建物ではなく、まずは厩舎だ。これはリンゴに使うための堆肥を得るため、特殊な品種改良をした牛を飼っているからである。この牛はミズガルドで人間が飼っているものより三倍も大きく、性質もおとなしい。勿論、堆肥を取るためだけでは無く、食用肉としても活用している。厳重に個体管理されており、祝いの時などに屠られて神々に振る舞われることがあるのも、大体は此処の牛だ。厩舎の隣には巨大な発酵施設がある。牛の排泄物を発酵して、堆肥にするための場所だ。此処は漏斗を逆さにしたような形状をしていて、魔術による臭気の封印が何重にも行われているのが、見て取れた。

働いている下級の神々も、粗雑な格好をしている者が多い。アスガルドの表面は武断だが、一歩入ってみると、こういった光景もある。

知恵のリンゴは奥にあるのだが、他にもイズンの宮殿では、神々が口にする野菜や作物が育てられている。神酒の材料となる特殊な麦や葡萄も、此処で育てられているものが圧倒的に多い。

神の宮殿らしく、魔術による臭気の排除は彼方此方で行っている。

それでも、全体的に土臭い宮殿だ。

入り口から、イズンの住む本殿までは、石畳がまっすぐ延びている。今日は、テュール以外、よそからの訪問者は誰もいない。

神々の中には、リンゴを分けて欲しいとイズンに取り入るものが後を絶たないという話だが。

イズン自身は首を縦に振らないし、何よりオーディンがそれを許さないので、実現したという話は聞いていない。流石に、謀略と陰謀が大好きな神々であっても、オーディンに粛正されて、代替わりするのはイヤなのだろう。

本殿を訪れると、すぐに主であるイズンが姿を見せる。

中に案内してもらうが、この本殿も思ったよりもずっと質素だ。穏やかな空気が其処にはあり、無骨ものであるテュールには、少し居心地が悪い。どうやらもぎたてらしいリンゴもあったが、手に取るのは控えた方が良いだろう。

テュールは椅子と机しかない居間に案内されると、早速フレイヤからの書状を見せる。武器の手配に関しては、イズンは首を縦に振ってくれた。イズンは多くの魔術の武器を管理している。その中には、フレイヤなら使いこなせるような武具も、多数存在しているのだ。

これで、目的の一つは達成できた。

フレイ用の武具に関しては、テュールが見繕えば良い。魔術に関しては、どうしてもイズンの方が詳しい。専門分野は、専門家に任せるに限る。

問題は、その後だ。

「イズン殿。 貴方はオーディンが言ったことを、事前に知っていましたな」

「……」

「何故、もっと早くに言っていただけなかったのです」

「色々と、事情があるのです」

それ以上は、喋ってくれそうにない。

テュールは苛立ちを抑えながら、もう一つ聞いてみる。

「貴方は、オーディンの決断を、無情だとは思いませんでしたか? 元々ミズガルドの人間を、我々がどれだけ非道に扱っているか、貴方が一番ご存じの筈です。 無邪気にバルハラを信じるように仕向け、エインヘリアルを生産するためにどれだけの無意味な殺し合いを続けさせたか。 その上で、アスガルドを守るためだけに、彼らを見殺しにするというのは、あまりにも無体ではありませんか」

アスガルドの繁栄を維持するために、神々は多くの無理を人間に強いている。

価値観の統一。勢力の管理。数の調整に、文明の制御。

その中には、仕方が無い部分もある。

人間の進化は速い。放っておけば魔術や科学技術は、あっという間に進歩していく。そして進歩すれば、傲慢になる。実際、一時期は一部のドルイドが、ヴァン神族と通じて「真の独立」を得ようとしたくらいなのだ。

人間から魔術を奪ったのは、それら勢力を粛正した後。

以降は、人間を危険視したオーディンの指示によって、科学技術についても、入念に管理されるようになった。

たとえば爆薬の破壊力も、ある程度までしか許さない、と技術者達には通達してある。それ以上の破壊力の爆薬を開発した場合は、即座に粛正の対象になる。

王族についても、様々な制約を掛けてある。

だが、それらは、アスガルドと人間が上手くやっていくための工夫だと、テュールは考えていた。というよりも、そう考えなければ、反吐が出そうだった。結果、人間はバルハラを無邪気に信じて、非戦闘員は戦争の土台となり、戦士達は嬉々として殺し合うようになった。

エインヘリアル供給の仕組みが、上手く廻るようになったのだ。

人間の戦闘種族化も加速した。

だが、だからといって、人間を神々の家畜として考えるのはおかしいだろう。下位種族として考えるのまでは、百歩譲って理解できなくもない。同じような存在として、小人がいるからだ。

しかし、これだけの事を強いてきたのだ。

神々にも、人間を守る義務が生じる。守りきる事が不可能だから見捨てて、後でまた作れば良いというのは、あまりにも傲慢だ。

「貴方の気持ちは分かります」

「しかし、オーディンの方が正しいと?」

イズンは首を横に振る。

そうして、一端奥の部屋に引き上げた。テュールはその場で待たされる。途中、イズンの侍従である神が神酒を持ってきたが、謝絶。

今は、飲むような気分では無い。

イズンは程なく戻ってくる。テュールの厳しい表情は、和らぐことがない。

「まだ、真相を話すことは出来ません」

「今、オーディンと話していましたな」

「お察しの通りです。 私にもオーディンにも、守るべきものがあるのです。 しかし、貴方の言葉にも、理解を示すことが出来ます」

イズンなりに、人間に支援をしている事は分かる。

フレイヤの武器を提供する事は、その一つだろう。実際問題、アスガルドだけを守るのなら、そもそもフレイもフレイヤもミズガルドにいかせはしないのだから。武器の提供も行わないだろう。

だが、せめてもう少し、支援を増やしてくれれば。

巨神との全面戦争になれば、エインヘリアルが大多数失われることは目に見えている。優れた武器を有しているエインヘリアルは確かに強いが、巨神族はそれ以上に能力が高い。単純な戦闘力もさることながら、指揮能力に優れたフルングニルのような者や、魔術に優れた者も多く、一筋縄ではいかない相手だ。巨神族との全面戦争を行い、仮に勝ったとしても。何かしらの脅威が来るのであれば、その後に対応することは出来ないだろう。

ならば、テュールが出向いてもいい。

ワルキューレ達でも、良いではないか。

「それならば、せめて一つ約束していただきたい」

「何でしょうか」

「人間達が最後まで雄々しく戦ったのであれば。 エインヘリアルにするのではなく、その魂に敬意を払い、ラグナロクの後の世界で彼らをそのまま再生して欲しいのです」

「分かりました。 オーディンに相談してみましょう」

席を立つと、テュールは大股でその場を後にした。

生真面目なフレイは、今頃悔しい思いをしているだろう。テュールも、手紙を握りつぶすような真似しか出来ないのだ。

フレイヤだって、それは同じの筈。

それに、死んだ人間達をそのまま再生するというのも、自分で言っていながら、おかしいと思う。生きてこそであろう。

ただでさえ、神々は人間に、戦いを至上とする価値観を叩き込み、それを強制しているのだ。

これ以上神々の都合で、人間を好き勝手にするのは。やはり、テュールの理念には、あわない事だった。

軍神と呼ばれるテュールなのに。

屋敷に戻ると、テュールは早速フレイに手紙を書く。

最初に、わびから入った。

すまない。援軍を送る目処は立っていない。ただし、武具に関しては、充分なものを遅らせてもらう。

おおむね、それだけを書いた。言い訳をするつもりはない。全てはテュールの力が及ばないことが原因だ。

ため息をつくと、テュールは手紙を送り出す。武具と共に。フレイヤの武具も、まもなく発送されるだろう。

テュール自身が出向くか、せめて武闘派の神を数名。或いはワルキューレでもよい。エインヘリアルが出せないのなら、それくらいは許可して欲しい。

勿論、それらの申請もしてある。

通らないのは、目に見えていたが。

宮殿から出る。

山の上にあるアスガルドから、ミズガルドを見下ろすことが出来る。今も彼処では、巨神によって弱き民が殺戮されているのだ。

人間を見捨てる。

そういったオーディンにも、苦渋があるのかも知れない。しかし、テュールは、それでもなお、言いたかった。

そのような傲慢なことでは、今度こそアース神族が、滅びてしまうと。

 

2、火竜の塔

 

囂々と燃えさかる炎は、竈に収まっていた。鞴で風を送り続けて、更に炎は勢いよく踊り狂っている。

緊張する皆の前で、最終試験を行わなければならない。

掛けているのは光から目を守るための特殊な色眼鏡。目を全て覆う特殊な形状の色眼鏡を掛けた小柄な子供であるエルファンは、炎の中に鉄箸を突っ込むと、赤熱した塊を取り出した。

エルファンのほほには、まだそばかすが残っている。まだ、大人と見なされる年齢にもなっていないのだ。

エルファンは、火箸の先にあるインゴットを、慎重に金どこの上に載せる。

恐ろしいほどの熱を帯びているそれは、神々に許可された、最大強度にまで硬度を高めた鉄。

現時点での通称は、赤熱鉄。熱すると、独特の赤い色を帯びることが理由だ。

ハンマーを振り下ろす。

火花が散る。

殆ど、赤熱鉄のインゴットは、形状を変えていない。

おおと、職人達の間から、声が上がった。

「これだけの熱を帯びても、まるで強度が落ちぬ!」

「神々の命令による硬度は保っている。 なおかつ、灼熱にも耐えるとは……」

「やったなエルファン!」

口々に、親や、場合によっては祖父ほども年の離れた職人達が褒めてくれた。嬉しいというよりも、涙をこらえるのに必死だった。

ゴート国の職人として、生涯を費やした祖父と、それに父の悲願。

祖父は、神々に粛正された。最高硬度を超える金属を、造り出してしまったからだ。製法は全て破棄され、一生を費やした成果は、神々に没収されてしまった。

父はその技術を再現することに、一生を費やした。

安定収入期に入った父が子をもうけて、エルファンが生まれたが。エルファンが物心ついた頃には、長年の苦労で、父は老人のように老け込んでしまっていた。母は元々戦士の妻を志望していたらしく、父と終始あまり仲は良くなかったが。それでも、浮気はしなかった。ゴートで浮気は最大の悪徳とされていて、もしもした場合は理由がどうであれ世間から相手にされなくなるのが普通だった。それが、理由だろう。

父は、祖父の技術を再現。

三年前に、全てをエルファンに託して死んだ。

父の完成させた技術が、まだ大人にもなっていないエルファンを、国の工房における技術者の座へ引き上げた。戦士になりたがる男はいくらでもいるし、子供の頃はむしろそれが普通だ。

だから、工房に入ってきたエルファンを見て、筋肉質な男達は、皆不思議そうな顔をするのだった。しかし、エルファンの父と祖父の名を聞いて、納得したように頷きもするのだった。

此処にいる人達は、父と祖父を理解してくれる。

それだけで、エルファンは嬉しかった。仕事にも、当然やりがいが出た。

エルファンは、父の遺産にさらなる工夫を試みた。

それが、最高硬度を維持したまま、高熱にも耐える金属の生成である。

そして、ついに今。

三代の悲願が、達成されたのだ。

ざわついていた職場が、ふいにしんとなる。

赤いドレスを纏った、険のある美しい女性が、黄金の鎧を着込んだ親衛隊の兵士達と一緒に姿を見せたからである。ドレスの腰の部分には、装飾のついた美しいクロスボウと剣がくくりつけられていて、女性が貴種であると同時に戦士であることを示していた。

職人達が、一斉に跪き、最敬礼する。右膝を地面につき、両手のひらを顔の前で組み合わせて、少しうつむくのがゴート国での最敬礼だ。

慌てて、エルファンもそれに倣った。

職人長が、慌てたように、最敬礼のまま言う。不意に現れたその人物は、ゴートの誰もが知る存在である。

「これはアルヴィルダ殿下。 このようなむさ苦しい場所に足をお運びいただき、光栄の極みにございます!」

「よい。 それよりも、長年の悲願である、サラマンデル鉄が完成したと聞いている」

赤熱鉄は、あくまで仮称。火竜の鉄の意味を持つ、サラマンデル鉄と正式に名付けられるかも知れないと、エルファンは聞いていた。

若干小柄なアルヴィルダ姫は、カリスマに欠ける現在の国王とは裏腹に、非常に民から尊敬を集める存在である。

アルヴィルダ姫がグレンデルと呼ばれる人食いの凶悪な魔物を単独討伐した、無類の勇者である事も理由の一つである。ミズガルドの他の国々同様、ゴートでも優れた戦士は性別関係無く尊敬される。他にも、常に戦場では先陣を切って武勲を上げる猛将であると同時に、常に市井や技術者の元へ足を運んでは国家繁栄のために尽力する姿勢が、民の尊敬を得る所以である。

多少ナルシストで猪武者な所もあると聞いたことがあったが。赤熱鉄の説明を受けて頷いているアルヴィルダは、とても冷静で、理知的な存在にエルファンには見えた。ただ、まだ十代後半の可憐な娘と言うには、眼光が鋭すぎる上に、雰囲気が落ち着きすぎていたが。

近年、ゴート国の王族には、これといった人物が輩出されていなかった。長年凡庸な王が、優秀な臣下に支えられて、ようやく強大なブルグントに対抗するという時代が続いていた。

アルヴィルダ姫は、ゴートの第二位時代を終わらせることが出来る人物かも知れないと、国中から期待されている存在なのだ。

まさにゴートの至宝、輝く星。

エルファンとたった数歳しか離れていないとは、とても思えない。全身にまばゆいような魔力と生気を纏っているのが、そのまま見えるほどだ。

見合いの話も多数来ていると言うことだが、歯牙にも掛けないというのも、頷ける気がする。忙しくて、結婚どころでは無いのだろう。もっとも、見合いを受けないのは、凡庸な父王とは仲があまり良くないからだという話も聞いているが。

「それでは、これでいよいよ、炎を吐く竜の塔が作成出来る、というわけだな」

「ははっ! 量産までは一年程度を有するとは思いますが!」

「うむ。 予算を計上せよ。 さっそく作成に取りかかれ」

現在、ゴート最大の敵であるブルグントが有する戦塔の群れに、対抗する手段がない。騎馬隊、弓隊も強大だが、移動する戦塔の群れに対する対策は、ゴートの長年の悩みの種であった。

そこで考え出されたのが、火竜の塔である。

弓隊と組み合わせ、あくまで高さで勝負するブルグントの戦塔に対し、火竜の塔は根本的に設計構想が異なる。

神々に許可された最大威力の爆薬を、連続発射しながら着火することで、想像以上の破壊力と爆発力を生み出す兵器なのである。

しかし、今までは、熱に耐えられる素材が存在しなかった。特に発射口は致命的で、今までの素材では数度爆薬を着火して発射するだけで歪んでしまい、場合によっては本体が燃え上がってしまうのだ。

この赤熱鉄、いやサラマンデル鉄の完成で、ゴートは最強の剣を手に入れたことになる。

無邪気には、喜べないかも知れない。

それだけ戦闘が激しくなる可能性が、示唆されていたからだ。

だが、少なくとも守勢はこれで覆せる。後は、アルヴィルダ姫の手腕次第だろう。

気付くと、アルヴィルダ姫が、最敬礼しているエルファンを見下ろしていた。

「そなたがエルファンであるか」

「は、はいっ!」

「見事なる功績である。 いずれゴートの重鎮として取り立てよう。 今後もさらなる業績を上げるべく、励むがよい」

感動に、それ以上の声も出なかった。

姫に褒められたから、では無い。

祖父と父の苦労が、報われた気がしたから、である。

顔を上げるように言われた。

涙でぐしゃぐしゃになってしまって、姫の顔は、あまりよく見えなかった。だが、この人に一生仕えよう。そう、エルファンは決意していた。

 

火竜の塔の設計図は、既に完成されている。

後は試行錯誤を繰り返しながら、実用に近づける。やはり、机上の設計図には、無理のある要素も散見され、何度か設計の見直しもしなければならなかった。完成はしていても、実用は出来ないのは、少しもどかしい。

最大の問題となったのは、サラマンデル鉄が予想よりもかなり重くなったことだ。これが原因で、装甲を維持するには全体の形状を若干ずんぐりしたものにしなければならず、なおかつ動くようにするためには、車軸や車輪を工夫しなければならなかった。

だが、それらは設計図を見直すことで克服が可能となり、プロジェクトは再び進展する。

様々な形状のサラマンデル鉄を、エルファンは作成するように指示された。その度にエルファンは応えて、四ヶ月後。ついに、火竜の塔は実用に成功した。ただし、かなり当初の予想よりも建築費用が高くなる事が分かり、最終的には量産できる数も減る事が分かってしまったが。

それでも、完成したサラマンデルは、圧倒的な威容を誇った。

大破壊力の炎を吐く火竜の塔を見て、歓声が上がる。

アルヴィルダ姫も満足そうに試運転を見学して頷いていた。火竜の塔は、文字通り竜の頭部が如き意匠になっており、全身をサラマンデル鉄で覆っている。これぞ、ゴートの誇る切り札になるだろう。

そう言って、アルヴィルダ姫は満足したように頷いていた。その様子を見るだけで、エルファンは誇り高い気持ちになれた。

サラマンデルの内部についても、エルファンは設計段階から関わっていた。実際に現物を見なければ、構築は出来ないことが多かったからである。

サラマンデルの内部は、専門の操縦者が四名入る事となる。

移動は兵士達が押したり引いたりすることで行うのだが、内部でしか出来ないのが、灼熱の炎を射出する操作だ。

いかめしくても、内部は単純な構造である。

頂上部近くに大きな炉があり、爆薬をシャベルで掬って投入することで、一気に着火。生じた膨大な熱を、サラマンデルの口から吐き出して、前方に投擲する。その火力たるや、城壁を瞬時に赤熱させるほどである。

内部の様子をアルヴィルダ姫が見たいというので、案内する。

職人長が、耳打ちした。

「姫はあれで、自分の体に傷がつくことを厭うと聞いている。 もしもの事があったら、首をはねられると思え。 慎重に、案内するのだぞ」

「はいっ!」

エルファンは力強く頷いた。

姫が事故に巻き込まれるなんて、冗談じゃあない。サラマンデルの運転演習は、何十回とやっている。その上、設計段階からエルファンが関わっているのだ。どこが危ないかなんて、見るだけで分かる。

親衛隊と一緒にサラマンデルの内部に。

天井はさほど高くない。巨大なサラマンデルの割には、若干手狭なほどだ。

木材も使われている。そのため、爆薬の扱いには、絶対の慎重が求められる。サラマンデルは現在五十機の生産が予定されているが、一機ごとに訓練を受けた操縦者が四名必要となる。更に予備の人員を考えると、三百名は専門の操縦者を訓練しなければならないだろう。

それらの説明は、親衛隊の戦士がしてくれた。

親衛隊の戦士達は、みな荒くればかりだ。姫が下町や戦場でスカウトしてきた、屈強だが鼻つまみな者達だと聞いている。元々実力の割に冷遇されていた彼らは、姫にスカウトされて、しかも認められる事で、絶対の忠誠を誓っているという。

自分と、そう言う点では同じだ。

元は荒くれとはいえ中には賢い人物もいて、親衛隊の隊長をしているホルクもその一人である。

「ふむ、なるほど。 それで、これが炉か。 丸っこい形状であるな」

「エルファン」

「は、はい。 爆薬の炸裂の威力を、均等に受け流すためです。 炉には一カ所穴が開いていて、其処から一気に熱を放出します」

「やって見せよ」

一緒に乗り込んできていた、寡黙な大男がのそりと動く。

顔中に傷があるたくましい男で、ただし左腕がない。

爆薬は、それぞれが不揃いで、石のような形状をしている。常温では安定しているが、一定の温度に達すると、一斉に反応して、爆発する。

「投入する量は、訓練で見極められるようにします。 あまりに多く入れすぎてしまうと、炉が傷みます」

炉は三重の防爆構造になっていて、ちょっとやそっとでは爆裂はしない。

ただし、投入後に、即座に蓋を閉じる動作と、入れる際に量を見極める目が必要になってくる。

蓋を閉じ損ねた場合は、熱が炉の上部にも噴き出すようになっている。その時の事故に備えて、サラマンデルの上部には、ドーム状の空間と、穴が設けられている。この穴は、常時は薄い皮で塞がれている。もしも熱が噴き出した場合は、皮は瞬時に破れ、熱が空に噴くこととなる。

動作を、完璧に実施する大男。

外で、歓声が上がった。的が、吹き飛んだらしかった。

「ふむ、まだ工夫が必要であるな」

「姫様、どのような工夫でございましょう」

「まずは動いているとき、この動作を的確にこなせるか? 車軸を工夫して、揺れを減らすようにせよ」

「はいっ! 対処します!」

確かにその通りだ。

サラマンデルは移動しながら、攻撃が出来るように設計されている。だが、移動時は揺れるのだ。

的を定める人員もいる。

前面に、外からはわかりにくい覗き穴が一つあり、其処から見て的を定めるのだが。姫は実際に覗き込んでみて、だめ出しをする。

「この穴にも欠陥があるな。 もし敵が外に張り付いてきた場合、手も足も出せなくなるだろう。 覗き穴は不便を承知でもう少し高い位置に造り、其処から見るようにした方が良いかも知れぬ。 サラマンデルは攻防の中核となる。 当然敵が群がってくるだろう」

「ははっ! そちらも対処いたします!」

まだ、この機体は試作品だ。

実戦の指揮官である姫の発言には、絶対の重みがある。幾つか欠点は指摘されたが、他はおおむね完璧と言ってくれたので、設計に関わった人間の一人として、エルファンは嬉しかった。

すぐに改良を行い、再度の試験まで一月。

その時には、様々な工夫をしてもいた。爆薬はあらかじめ量を定めて、専用の小皿に乗せておくことが出来るようにもした。

蓋についても、安全性を考慮して、爆薬を入れると自動で閉じるようにもした。更に、外には発射時に合図が出るようにもして、味方への誤爆を避ける工夫も行った。

サラマンデルの機動についても、工夫を凝らす。

旋回がもう少し早くできるようにもした。

実験機としては充分すぎると言うほどに、完成度は上がっていた。

再実験の際、姫が満足してくれたことで。エルファンの努力は、報われた。

「うむ、妾もこの出来であれば安心して軍の決戦兵器として投入できる。 即座に量産に入れ。 まずは十機。 続けて十機ずつ。 最終的には五十を今年中に生産せよ」

「直ちに取りかかります」

「そなた達の腕に、ゴート国の未来は掛かっておる。 そなた達は、前線で戦う戦士達と同じか、それ以上に重い責任を背負っていると自覚せよ。 その代わり、サラマンデルの戦力が立証されたときには、必ずや出世を約束しよう」

出世よりも。

今は、その言葉が嬉しい。

その時、気付く。

いつの間にか、サラマンデルの完成よりも。姫に認められていることの方が、嬉しくなっていることに。

エルファンは、それからも、毎日サラマンデル鉄を作り続けた。

素材はいくらでも送られてくる。

部品はいくらでも必要になった。職人達と一緒になって、毎日素材をいじくり、サラマンデル鉄を作った。

品質には一切妥協しなかった。

やがて、サラマンデルの生産が、軌道に乗り始めたとき。

その情報が、耳に飛び込んできたのである。

 

金床で、赤熱したサラマンデル鉄の強度実験をしていたエルファンが、その言葉を小耳に挟んで、愕然とした。

「どうやら、ラグナロクが始まったらしい」

「え……」

実験が終わったので、顔を上げる。

他の職人達も、騒然としていた。

「どういうこっちゃ。 海の向こうから、巨神が攻めてきたとでもいうのかよ」

「その通りだそうだ。 既に北ミズガルドは蹂躙されて壊滅して、人間は皆殺しにされたっていうぜ」

「あの勇猛なことで知られる、北ミズガルドの戦士達が、簡単にやられたっていうのか?」

エルファンも、北ミズガルドが修羅の世界で、其処に住まう戦士達がいずれ劣らぬ強者揃いである事は知っている。

ゴートにも、確か北ミズガルド出身の戦士が一人いて、彼は王宮で武術指南役をしていたはずだ。

アルヴィルダ姫の師匠である。

北ミズガルドから来る者は滅多にいない。定住者になると皆無に近い。だからこそ、彼はゴートで殆ど国賓待遇に近いものを得ていた。実際、その戦士に手ほどきを受けたアルヴィルダ姫は、凶悪な人食いの魔物を単身で撃破しているのだ。

「神々はどうしているんだ」

「さあ、全く分からん。 ブルグントから援軍を求める使者が来ていて、アルヴィルダ姫が対応為されているそうだが」

「そうなると、サラマンデルの相手は、ブルグントの騎馬隊では無くて、巨神って事になるのか?」

こいつはすげえと、誰かが声を上げる。

実際問題、単純な火力において、サラマンデルの上を行く兵器は、人類には作る事が出来ないだろう。

防御力に関しても、現時点でサラマンデルはぬきんでた存在である。これさえ量産すれば、ブルグントの騎馬隊でさえ、敵ではないと豪語する職人さえいた。エルファンも、そう思い込んでいた。

だが、相手がいにしえの邪悪、巨神族であるとどうなるのか。

興奮して、その日の夜は眠れなくなった。

サラマンデルが人殺しの道具であるという事くらいは、エルファンにも分かっている。祖父も、父も、常々言っていたのだ。

作る鉄は、人を殺すために主に振るわれる。

使い手さえ、選ばれることはない。

だから、せめて作るときには誇りを込めろ。

小人族でさえ唸らせる武器を作る事で、戦いを一瞬でも早く終わらせると、気概を込めろ。

そうすれば、誇りはお前に応えてくれる。

分かっている。

だが、子供らしい興味も、胸に宿るのだ。

神々は、我々の作った武器を見て、どう思うのか。

職人は、決してアスガルドの神々を、良く想っていない。エルファン達職人にとって、神々がどうしようもない壁であることは常識だ。技術の発展を許してくれない。そればかりか、創意工夫を否定し、死さえ賜る。

神々の逆鱗に触れないよう、職人は必死に工夫を重ねてきた。彼らが指定してくる条件内で、如何に強い武器を作るか。それが職人にとっての名人芸となっている。

それが故に、思う。

巨神族に、サラマンデルは通じるのかと。

現在、稼働中のサラマンデルは三十機。来月にはもう十機が稼働に乗る。五機は、既に試運転を待つ状態だ。

動かせるのは、三十機。

これで、巨神をどこまで迎え撃つことが出来るのだろう。

眠れない夜を過ごした翌日。

アルヴィルダ姫が、険しい表情で、職場に来た。

サラマンデル鉄を打っていたエルファンは、姫が来たと言うだけで、胸が高鳴る。最近は少しは余裕を持って、姫の尊顔を拝むことが出来るようになっていた。

「どうやら、ブルグントからの情報は本当であるらしい。 父王は反対しているが、妾はこれよりブルグントに助力すべく、出陣することとする。 動員兵力は、今すぐ動かせる一個師団八千のみだがな」

ブルグントは軍団制を採用している。一個軍団は五千。

これに対して、ゴートは師団制を用いている。一個師団は四個旅団から五個旅団で編制され、一旅団は二千の戦力となる。

この師団が、正式戦力として六つ、常時は配備されている。

アルヴィルダ姫が指揮下においている師団は、紅鷹師団と呼ばれる。実戦経験が豊富な部隊で、ブルグントとの小競り合いでは常に先陣を切り、大きな戦果を上げてきた精鋭である。

「勿論サラマンデルも動員する。 巨神族は、現在ブルグントに侵入しているだけで二十三万。 全体では百万を超えるそうだ。 しかもこれに、無数の魔物が雑兵として参加しているという」

「巨神だけで二十三万!」

驚きの声が上がる。無理もない。

エルファンも、思わず手を止めてしまったほどだ。

「巨神族は、人間を皆殺しにしながら南下しているそうだ。 ブルグントは主力を用い、更に神の助力を得てユラン平原で戦ったそうだが敗れ、現在はアルカラト山脈まで防衛線を後退させている。 言うまでも無く、これは人類の危機である。 ブルグントとゴートの遺恨など、今は水に流すとき。 妾の考えは、必ずしも父王と臣下共には支持されはしなかったが……」

お前達は、どうする。

アルヴィルダ姫は、そう言って、皆を見回した。

考えなど、決まっている。

どうせ天涯孤独の身だ。母は父が死んでからすぐに再婚し、今は再婚相手の所で暮らしている。

此処にいても、できる事などない。

アルヴィルダ姫が後ろ盾にいたから、サラマンデル鉄の開発を自在に行えた、という事情もある。

それに、戦場にサラマンデルが出向くのであれば。技術者の存在は、必須だ。

「アルヴィルダ姫と、共に参ります!」

「我らがサラマンデルの破壊力、巨神共に見せつけてやりましょうぞ!」

「ぼ、ぼくも、行きます!」

追従するように言うのがやっとだった。

アルヴィルダ姫は頷くと、すぐに出立するように支持。流石に行動が早い姫は、既に荷駄隊を用意させていた。

否、間諜を放って、既に情報を知っていたのかも知れない。流石に紅鷹師団の準備は、整いすぎている。

常備軍およそ五万のうち、二割近くが動くのである。それが国家にとって、かなり大きな出来事であることは間違いない。勿論、アルヴィルダ姫を良く想わない勢力も多い。彼らとの折衝は大変だっただろうと、エルファンは同情した。

ゴートの王都は、ブルグントのように肥沃な土地にはない。

城壁を出ると、其処は荒野だ。肥沃なブルグントの土地を得ることは、ゴートの悲願。ラインの支流の脇には耕作地帯が広がっているが、作る事が出来る作物は限られている。荷駄隊の馬車に揺られながら、エルファンは不安よりも、期待の方が大きかった。

サラマンデルが本当に巨神に通用するのか、知りたい。

軍の中央部で、サラマンデル三十五機が、威容を見せつけながら進んでいる。

あの機械仕掛けの火竜は、エルファンの三代にわたる誇りが作り上げたといっても過言ではない存在だ。

否、それだけではない。

武人ではないことでどうしても社会的地位が低いながらも、自分たちなりの仕事を続けた職人の魂が、籠もっている。

多少の岩場などびくともせずに、サラマンデルは進んでいく。

歩みは多少遅いが、それでもブルグントに辿り着いたとき、王都が陥落しているという事はないだろう。

夜は兵士達と一緒に、たき火を囲んだ。

アルヴィルダ姫の麾下は、荒くれの兵士が多い。だが、彼らも、嬉しい事にエルファン達を認めてくれていた。

親ほども年が離れた兵士が言う。

「あの火竜が、巨神共を薙ぎ払ってくれるって、みんな言ってる。 姫様と火竜の周りは、俺たちが固める。 お前達は、火竜の世話を頼むぜ」

「分かりました! 絶対に、巨神を斃して見せます!」

「その意気だ」

ゴート王都を出て、十七日目。

ついに、ブルグント王都に到着。

そこで、エルファンは。息を呑むような、惨状に直面することとなった。

 

王都からはみ出すほどに、張られている野営陣地。ミズガルド最強を誇るブルグント軍の、無惨な姿。

ブルグント王都は巨大だった。ゴート王都で生まれ育ったエルファンが、見た事もない規模の都だ。

元々、ブルグントに比べてゴートは新興の国家だ。荒野を走り回って勢力を伸ばし、ようやく近年ブルグントに次ぐと呼ばれるようになってきた。だが急激な伸張には無理も多く、国内には問題が山積みだ。

だから、本来は国力の差に驚くところなのだろうが。

それ以上に、この国家を叩き伏せた巨神の凄まじさに、言葉もない。本当に、サラマンデルは、こんな事を為す化け物に、通用するのか。

野戦陣地の多くが、そのまま野戦病院だと知らされて、愕然とする。

軍の多くが失われ、ブルグント自慢の移動戦塔が、殆ど破壊されたのだという。アルヴィルダ姫は、近衛をつれて、すぐにブルグント王グンターに会いに行った。おそらく、兵士達の不安を抑えるためだろう。

城壁の外で、エルファンは待たされる。

職人達は、皆不安げにしていた。

まさか、此処までの敗北を喫しているとは思わなかったからだろう。しかも聞こえてくる話を総合する限り、これでも全面潰走は避けて、可能な限り被害を抑えた結果だというでは無いか。

ブルグントもゴートも、使っている言葉は同じだ。多少なまりがあるくらいで、言葉は通じる。

近衛の一人が、ブルグントの兵士を一人連れてきた。

青ざめているその男は、最前線から生還したのだという。

「巨神と戦うためには、事前に情報がいる。 俺たちも、弱点や、戦い方を先に聞いておくから、お前達もサラマンデルを運用するために、情報を仕入れておいてくれ」

「分かりました」

「しかし、これは容易ではないぞ。 国王陛下が出陣して、軍の全てを連れてくるべきだったのではないのか」

「今更言ってもどうしようもないことだ」

近衛の兵士達が、話し合っている。

連れてきた軍勢は八千。

親子の確執もあって、紅鷹師団は四個旅団で構成された、規模が小さめの集団だ。勿論精鋭で戦闘力は高いが、本来だったら次期女王の指揮する精鋭である。一個師団の中でも、大きな規模になるのが普通というものだ。

ゴートは、内部に大きな確執を抱えている。

「で、俺は、何を話せば良いのかね」

職人達は、顔を見合わせる。

巨神の大きさ、強さ、つれているという魔物。聞きたいことは、いくらでもある。その全てに、対策を立てなければならない。

「巨神は、どれくらい大きいんですか」

「小さい奴は、俺たちの三倍くらいだ。 更にそいつの三倍くらいある奴がいて、中巨神って呼ばれてた。 中巨神の倍はデカイ奴が、大巨神。 こいつは、千体に一体しかいないって話だ」

「な……」

小さい奴でも、人間の三倍。

言葉を失うエルファンに、青ざめている兵士は言う。

「俺たちには、神がついていた。 フレイヤって言うとても綺麗な女神で、魔術の技で巨神共を薙ぎ払って、戦場で大暴れしてくれたよ。 でも、その神でも、ぼろぼろになって、逃げ帰ってきたんだ」

「神でも、勝てないんですか」

「数が多すぎるんだよ。 今、ブルグントに入り込んでいるだけでも、二十五万とか、三十万とか聞いている。 確かに巨神一体一体は、フレイヤ様の敵じゃなかったさ。 だがな、巨神が地平の果てまで埋め尽くして攻めてくるんだぞ……」

当然のことだが、前回聞いた数よりも、更に増えている。

言葉もない。

人間の三倍の三倍の二倍というと、城壁を越えるほどの背丈になる。それが三十万の中に、千体に一体いるとすると、三百。

城壁よりデカイ奴が、三百攻めてくるのだ。

雑兵でさえ、人間の三倍。それが、大地を埋め尽くして攻めてくる。

サラマンデルでも、大巨神ほどの背丈はない。神々さえ怖れる化け物だという話は聞いていたが。

サラマンデルだけでは勝てない。

戦う前に、それをエルファンは悟った。

他にも巨神は、空を飛ぶリンドブルムと呼ばれる飛龍や、サソリのような怪物を多数引き連れているのだとか。

兵士は、撤退命令が出てから、這うようにして逃げ帰ってきたのだという。巨大な獣に跨がった巨神に部隊は蹂躙されて、大きな被害を出したというと、兵士は身震いした。

「俺だって、訓練を受けた戦士だ。 冥府よりもバルハラに行きたいし、一緒に戦った仲間の仇だってとりてえよ。 だがな、あんな恐ろしい奴には、勝てないとも思っちまうんだよ……」

兵士は悔しそうにうつむいた。

強気な者なら、臆病者と叫んでいただろうか。否、無理だ。

神々でさえ押し返し、地平を埋め尽くして攻めこんでくる、とんでも無い数の巨神。それを人間が怖れて、何が悪いというのだろう。

職人達も、言葉も無い様子だ。

エルファンは頭を振ると、気持ちを入れ替える。

荷駄から部品を出すと、サラマンデルのメンテナンスをはじめる。車軸が痛んでいないか、装甲は大丈夫か。

他の職人達も、それを見て、動き始めてくれた。

今は、これしか出来ない。

エルファンの戦いは、もう始まっているのだ。アルヴィルダ姫を失望させたくなければ、サラマンデルを万全の状態で戦いの場に連れて行かなければならない。

メンテナンスが一通り終わると、アルヴィルダ姫が戻ってきた。近衛の兵士が、告げてくる。

「北上する。 此処から北の、琥珀砦に敵が攻め寄せてきている。 それを叩いて、反撃の足がかりにする、だそうだ」

「防衛線が、また下がったんですか」

「敵の数が数だ。 砦を守りきれなくて、ここ一週間だけで、二つ放棄したそうだ」

だが、その結果、敵の一部隊が突出してきている。

それさえ叩けば、一気に敵の中枢にくさびを打ち込むことも可能だと、近衛の兵は説明してくれた。

「突出してきている敵の数は二万。 神も反攻作戦には参加してくれるという話だ。 これにサラマンデルが加われば、必ず勝てる。 お前達に、勝利は掛かっているとみて良いだろう」

身震いした。

武者震いではない。きっと、責任の重さを感じて、体が怯えてしまっているのだろう。

此処から、本当の意味での戦いが始まる。

 

3、再反抗

 

ユラン平原の戦いは、酷い負け戦だった。

ラーンは結局、グンター王の側でずっと戦況を見ていたが、味方は終始敵の巧妙な用兵に振り回されているのが、一目瞭然だった。一人一人は頑張っていたし、何よりラーンが見る限りフレイは最高の働きをしていた。

それなのに、全体では終始敵に押されていた。

決定的になったのは、敵の増援が現れてから。あんなにたくさんの巨神が、追加で出てくるとは思わなかった。

騎士団長ハーゲンに言われるまま、王を守って撤退。逃げる途中、フレイとフレイヤが死んだという噂を、何度も耳にした。

ひょっとしたら、そうかも知れない。

心がくじけかけた。

だが、そんなときも。王はずっと毅然としていて、撤退戦の指揮を執っていた。防衛線を構築して敵の進撃を遅らせる処置をして、更には王都に使者を出して負傷者の手当をさせるべく、手配を整えさせていた。

結局王都に辿り着いたのは、ユラン平原会戦から一週間後。

呆れた話だが、王都に辿り着いて、その時やっと風呂にも入っていない事に気付いたのだった。

これが、戦の現実だ。

半日ほど休憩をもらって、風呂に入ってすぐに寝た。起きると、もう休憩時間は終わってしまっていた。

近衛に抜擢されたのは、嬉しい。

望み通り、優秀な結婚相手を探すには、事欠かない立場になったのだ。このまま活躍すれば、フレイの好感を得られるかも知れない。

一眠りして、ようやくそんなことを考えられるようになった。

身繕いして、きちんと武装して、王の元に出向くと。ずっと仕事をしていた王は、やっと眠ったらしいと聞かされた。王宮は既に大混乱であり、大臣達は青い顔を集めて、皆話し合っているらしかった。

巨神と和平を結びたいという意見さえ出たらしい。

騎士団長の姿はない。

防衛線の再構築をするべく、王都で集めた予備役の兵を連れて、前線の砦に向かったらしい。それを聞くと、ラーンはただ大変だなと、思うばかりだった。

とにかく、他の兵士達と交代しながら、王を守るしか、ラーンにできる事はない。

負傷した兵士が、毎日王都に運び込まれ、逃げ込んできた。正規軍は被害が大きいと聞いている。もう一度巨神と決戦をする余力は無いと。

色々と、不安な噂も流れてくる。

この機に乗じて、ゴートが攻めてくるとか。

負けたことに怒った神々が、粛正に乗り出すとか。

責任に耐えかねた大臣の中には、自殺しようとして、止められた者まで出たという。王が冷静に敗戦処理をしていなければ、きっとブルグントは崩壊してしまっただろう。箝口令は敷かれなかったが、ラーンは黙々と作業を続ける王を見て、自分から何も余計な事は喋らないようにしようと決めた。

四日後に、やっと神が無事であると言う報告が届いた。

最初に、フレイヤの無事が報告される。

素直には喜べなかったのは、彼女がフレイとラーンの関係が構築される場合、最大の障害になると本能的に悟っているから、だろうか。

実はその日の前、フレイヤの護衛についていたアネットというワルキューレが、先に王都に運び込まれていたのだが。あまり関心がなかったからか、失念していた。失礼な話だと自分でも分かっているのだが、気にする心の余裕が無かったのである。

アネットは自分の怪我を自分で治しながら、野戦病院に入って、傷の酷い負傷者を回復して廻っているという。間違いなくブルグントのために活躍してくれているのに、本当に酷い話だと、ラーンは自省していた。

そう思えるようになったのも、フレイの無事を聴いてからである。

しかも、やっとアスガルドが重い腰を上げたらしい。エインヘリアルを五千、派遣してくれたのだそうだ。

エインヘリアルは単純な戦闘力でも巨神に拮抗するとかで、一気に王宮の空気が軽くなった。

王も元気を取り戻したようで、ラーンはほっとした。それまでは、自身の苦悩を押し殺して、必死に平静を取り繕っていると、何となく感じ取れていたからである。

更に翌日、吉報が来た。

ゴートからの援軍が、到着したのである。

 

ゴートには、アルヴィルダというとても獰猛な姫がいる。その噂は、ラーンも聴いたことがあった。

何でもグレンデルという人食いの怪物を退治した勇者だとかで、身の丈は並の男よりも頭二つ分大きく、全身は筋肉の塊で、毎日肉を子供の体重ほども食べるのだとか。顔は巨神よりも恐ろしく、普通の戦士などつかみ殺してしまうという。だから、アルヴィルダが一個師団と新兵器をつれて王都に来たという話を聞いて、最初どんな怪人が現れたのかと、ラーンは思ったのだが。

実際に部隊の再編をするために出払っている王の代わりに迎えに出てみると、むしろ若干小柄で、とても綺麗な人だった。勿論筋肉の塊などと言うことは無く、細やかな気配りで身繕いしている様子が見て取れる。ただしかなりきつい雰囲気で、生まれながらの王族と言うべきか、傲慢不遜な空気を纏っていたが。

それに、赤いドレスは戦闘用に調整されたものである事が一目で分かる。腰には剣とクロスボウをぶら下げているし、戦士なのだと、動きを見て判断できた。纏っている魔力も、とても強い。

必ずしも、王族は優れた存在では無いことを、近衛に抜擢されてからラーンは知った。グンター王の子孫達は誰もが凡庸な者ばかりであったし、ゴートの現王も然りと聞いている。白馬の王子などと言うのは幻想だとは知っていたが、現実はそれ以上だ。実際の王族は非常に生臭い連中で、兄弟姉妹で殺し合うことも辞さないような精神の持ち主だった。しかも権力欲ばかり強くて、自制心も働かないのだからタチが悪い。何人かそういう実例を、しかも短期間で見せられて、ラーンはうんざりしていたのだ。

グンター王は違う。非常に優秀な人なのだと、見ていて理解できる。この姫も、おそらく同類だと、ラーンは思った。

最敬礼して近衛の兵である事を名乗ると、アルヴィルダ姫は頷く。

「すぐにグンター王の所に案内せよ」

「はい。 ただちに」

何しろ国賓である。

ゴートは敵対国だが、今はそれどころでは無い。緊張している他の近衛達と違って、ラーンは警戒はしていなかった。

城外で、王は将軍達と話し合っていた。

先にラーンが出向いて、アルヴィルダ姫の到着を告げると、王はラーンがはじめて見る、喜びの表情を浮かべる。

「すぐにお通しせよ」

「ただちに」

どうやら、血を見るようなことにはならずともすむらしい。それは、幸運なことだと、ラーンは思った。

グンター王は年老いているが、優秀で立派な王様だ。

このアルヴィルダ姫は多少傲慢だが、好感の持てるカリスマ溢れる人だ。

巨神が攻めてこなければ、この二人は戦う事になっていたのだろう。そう思うと、この瞬間だけは。

巨神に感謝すべきなのかも知れなかった。

「おお、久しいな。 随分お綺麗になられた」

「グンター王は変わりになられず。 いや、多少御髪に白いものが増えられたか」

「流石の余も、年並みには勝てぬでな」

「だが、巨神との戦いで、それでは困る。 貴方こそは、妾が用兵で打ち破るべき目標なのだから」

物騒なことを言いながらも、アルヴィルダ姫には殺気がない。

姫が、部下達に促す。

「炎を噴く鉄の塔、サラマンデルを持って参った」

「おお。 ゴート国の最新兵器であるか」

「我が国の技術者達が、魂を込めて作り上げた決戦兵器よ。 本当であればブルグントの騎馬軍団に対して猛威を振るう筈であったがな。 このサラマンデルをもって、巨神共に一泡吹かせてくれようぞ!」

多少余計な事を言いながらも、アルヴィルダ姫がサラマンデルを運んでこさせる。

見たところ、大きさそのものはブルグントの鉄の巨塔に比べると、若干小さい。しかしながら、周囲を鉄で覆っており、動く際の重量感は相当なものだった。

巨大な竜をかたどった塔は、赤い独特の色を帯びた鉄の装甲を纏っている。動かすのは、相当数の兵士達を必要とする様子だ。

演習場で、サラマンデルは停止する。目標として、岩がてこところで運んでこられた。

王とアルヴィルダ姫が並んで、試運転の様子を見守る。

巨竜塔が、凄まじい轟音と共に、炎を噴き出す。それは着弾点で爆裂し、目標の岩を、木っ端みじんに吹っ飛ばす。

ものすごい。ラーンは、耳を塞ぐのも忘れて、粉々に砕け、しかも赤熱した岩を見やっていた。

あの巨神達を相手に、これならば戦えるのではないのか。

「素晴らしい破壊力だ。 しかし、神々の怒りを買わぬか」

「心配はいらぬ、グンター王。 妾の技術者達が、その辺りは調整済みだ。 神々の怒りを買わぬ最大威力の爆薬を用いることで、あの破壊力を実現している」

「ふむ……興味深い。 さっそくだが、この破壊力を、発揮していただきたい戦場がある」

即座に、軍図が広げられる。

現在の最前線では、十を超える砦に兵が分けられ、二十万を越える巨神の軍勢を少しずつ下がりながら食い止めている。

食い止めきることは出来ず、進撃速度を遅らせるのがやっとという状態だが。予備役の兵を招集し、体勢を立て直すためには、どうしても必要なことだ。

その一角に、王の指が止まった。

「この砦を故意に放棄し、敵の軍勢を此処に誘い込む」

「なるほど、周囲から袋包みにして、一気に殲滅する訳か」

「二万程度の敵を誘引できるだろう。 後は、このサラマンデルの火力を用いて、敵を屠る」

「面白い作戦だ。 流石にグンター王よ。 よい参謀達を抱えているようであるな」

アルヴィルダ姫は満足そうに頷くと、早速黄金作りの鎧を着た親衛隊の兵士達に、命令を下しはじめた。

グンター王も、精鋭部隊をつれて、北上するように指示。

反攻作戦の第一歩だ。ラーンも、無事だった部隊と一緒に、北上する近衛の部隊に加わって、北に向かった。

北では、砦でフレイが転戦しながら、敵の戦力をそぎ取っている。

まだ傷を癒やしている最中のフレイヤも、まもなく戦線復帰すると、ラーンは聞かされた。

ユラン平原の敗戦から、およそ一月。

巨神に対する戦いは、これからが本番だ。そう、ラーンは自分に、気合いを入れ直していた。

 

ゴートの軍勢およそ八千は、まるで隙無く布陣を完了していた。

ラーンはグンター王率いる主力一万の、丁度真ん中に位置する。フレイはと思って見回すが、神は誘引作戦の最後尾で奮戦していて、此処からでは見ることが出来なかった。

平原は丁度盆地になっている。

なだれ込んでくる巨神は、どうしても此方のことが見えない。撤退も容易ではない。

神が誘い込んだ敵兵を袋だたきにして、可能な限り削り取る。これが、この作戦の趣旨だ。

上手く行けば、巨神を相手に、初めての画期的大勝利を得ることが出来るだろう。

ずらりと並んだサラマンデルは、まるで獲物を狙う猛獣のよう。

出来たばかりのブルグントの戦塔も、わずかな数だが、戦いには加わっている様子であった。

不意に、空が暗くなる。

その正体を、すぐにラーンは悟った。

「リンドブルムです!」

「む……」

巨神も馬鹿では無い。

おそらく斥候として、派遣してきたのだろう。あのリンドブルムを通じて、此方を見ている巨神の魔術師もいるに違いない。

サラマンデルの試運転は何度か見たが、対空戦闘を行うようには出来ていない。

だが、此処はグンター王が歴戦の猛者らしい機転を利かせた。

「近衛よ、余に続け! 敵の後方を圧迫し、盆地に押し込む!」

「おおーっ!」

「神に伝令を出せ! 一端盆地を迂回して敵の後方に廻り、誘引を止め敵を押し込む作戦に協力して欲しいと!」

「分かりました! ただちに!」

若い兵士が、すぐに馬に跨がって飛び出していく。

何度かの戦いで、馬は巨神を恐れないようになっていた。慣れてしまいさえすれば、馬は賢い生物なのだ。

ラーンは走る。

全軍が馬というわけではない。走ることで、充分に行軍にはついていける。山道を駆け抜け、時々はぐれたらしいリンドブルムを撃ち抜きながら。ラーンは、走る。戦士となった自分を、自覚しながら。

訓練を受けて、ラーンも戦士になったのだ。ましてや最近は、桁違いの戦場に、何度も参加している。

既に、意識の切り替えは、完璧に出来る。

今やラーンは、リンドブルムの顎の下の急所を、速射で確実に射抜けるようになっていた。

実戦で鍛えたからか、ラーンの魔力自体も上がっていて、リンドブルムの上下の顎を縫い付けるほどの破壊力も、実現できるようになった。

「すげえな!」

「俺たちも負けるな!」

ラーンが四匹目を叩き落とすと、歓声が上がる。勿論無駄な矢は、一本も使っていない。装填自体も、以前よりずっと早くなった。

少し気持ちが良い。

これだけ活躍できれば、きっとフレイ様も見てくれる。自分に言い聞かせて、ラーンは山道を駆け抜ける。

山道を、強引に突破。巨神が、陣形を組み直し、後退しようとしている様子が見えてきた。

此方の待ち伏せに気付かれたのだ。

させない。

このために、砦を一つ失っているのだ。

もしもそのまま逃がしたら、砦を死守していた人達は、無駄な努力をした事になる。リンドブルムが、巨神達の上を飛び交っている。敵の数は、やはり万を超えているようだった。

ただし、狭隘な地形にひしめいている。しかも、ほぼ後方を取ることが出来た。

これは、勝機だ。

「突撃! 敵を押し込め!」

「懸かれーっ!」

坂道を駆け下りるようにして、グンター王と精鋭が、巨神の軍勢の後ろ横腹に突っ込む。同時に、敵陣の逆側で、数体の敵が爆発に吹き飛ばされるのが見えた。続けざまに、巨人の軍勢が大混乱に陥る。

あれは、フレイヤの魔術だ。もう復帰したのか。

混乱する巨神が、必死に押し戻そうとしてくる。だが、何しろ狭い路に密集している上に、どこへ行っても岩壁だ。大巨神が来る。巨大な棍棒を振り上げるが、ラーンは冷静に叫んだ。

「足を狙ってください! 集中的に! 倒れたところで頭を潰せば殺せます!」

「うむ!」

腕利きの兵士達が、一斉にクロスボウを構える。

そして、大巨神の間合いに入る前に、一斉に撃ち放った。勿論ラーンも、矢を放った一人に入っている。

大巨神の足に、強い魔力を含んだ十本以上の矢が突き刺さる。

ただの矢だったら、蚊に刺されたほども効かないだろう。だが、ブルグントの精鋭の矢である。

穴が、目に見えるほどの大きさで、開く。

体勢を崩した大巨神が、倒れてくる。グンター王の左右を固めていた騎士達が剣を抜くと、大巨神のはげ上がった頭に襲いかかり、滅多切りにした。

強い魔力を含んだ上に、おそらく名工の剣だ。大巨神が見る間に血みどろになり、動かなくなる。

兵士達の歓声が上がった。

あの、神々でなければ倒せそうもなかった大巨神を、倒すことに成功したのだ。

グンター王が声を張り上げる。

「今だ! 敵を盆地に押し込め!」

崖の上から、氷の弾が敵陣に大量に撃ち込まれている。着弾地点の周囲が、瞬時に凍るほどの冷気だ。あの武器は、フレイヤが使っているのを何度か見たが。別物なのか改良したのか、まるで火力というか冷気力というかが違う。

ブルグント精鋭の勢いと、悔しいがフレイヤの火力に押されて、敵軍がじりじりと盆地に押し込まれていく。

リンドブルムが飛んできた。相当な数だ。

それだけではない。

「伝令! 敵の援軍が後方に現れました! 数は五千を超えます!」

「まずい、挟まれるとかなり危険だ」

「それは私が引き受けよう。 この地形であれば、食い止めることは難しくない」

いきなり、側に降り立つ銀色の影。

フレイだ。

思わず息を呑んだ。やはり側で見ると、胸が高鳴る。

ただ、フレイの周囲には、光を放つ鎧を着た戦士が、数名いた。それだけではなく、紫色の鎧を着た、非常に険しい表情の女性もいた。彼女が、新しく加わったというワルキューレだろうか。ブリュンヒルデというらしいが。

「よし、後方は頼むぞ、神よ。 全軍、そのまま敵を押せ! 盆地に押し込んで、巨神共をサラマンデルの餌食にせよ!」

「心得た。 敵を通しはせぬ。 存分に戦え!」

これほど、心強いことはない。

勢いづいた味方の闘気が、ラーンの心を燃え上がらせる。どんなに残虐な現実が前にあっても、燃えるような勢いの前には無駄だ。

巨神に飛びかかり、躍りかかり、味方が敵を打ち倒していく。

ラーンは殆ど時間が止まるような錯覚さえ覚えていた。

装填しては、撃つ。

一匹、落とす。そいつが落ちてくるよりも早く、装填をはじめる。

クロスボウのバネを巻き上げる。矢を装填する。

そして、飛びかかってきた巨神の目に打ち込み、横っ飛びに跳ねる。態勢を崩した巨神が、頭から地面に突っ込む。

集中が極限まで達しているから、できる事なのだと。どこか、頭の片隅で悟っていた。撃つ。また一匹、リンドブルムを落とす。

大爆音が、此処まで届く。

盆地に追い込まれた敵が、サラマンデルに焼き尽くされているのだと分かった。

敵も必死に反撃してくる。命を怖れず、飛びかかってくる。

だが、最前線で自ら剣を振るっているグンターを守ろうと、兵士達が敵以上の勢いで、走る。中には目を血走らせ、巨神に噛みつく兵士までいた。

獰猛な闘争心が、その場の全員の脳を焼き尽くすほどだった。

気がつくと、ラーンは矢筒が空になっているのに気付いた。

周囲には、十匹以上のリンドブルムが、亡骸になって転がっている。無言でラーンは、リンドブルムに刺さっている矢を引き抜いて、クロスボウに装填した。

そして、今できる、最後の一射を放った。

当たった。

前で暴れ狂っている、大巨神の目に。

自分でも、今の狙撃はどうやったのか、分からなかった。神の領域に、一瞬踏み込んだとしか思えない。

大巨神がわずかに態勢を崩した瞬間、周囲の兵士達が、一斉に矢を放った。大木のような大巨神の足が、ハリネズミのようになる。

大巨神が、横転する。

後は、狼が牛に群がるようにして、兵士達が大巨神を切り刻んだ。

その時、やっとラーンは気付く。

どうやら、リンドブルムの火球の爆発が掠っていたらしい。近衛の鎧の肩当てが吹き飛んで、肩の辺りの肌が露出していた。内臓をぶら下げたまま戦っているような兵士もいる状態である。誰も気付いていない。

慌てて、マントを羽織る。

既に、味方の勝利は確定していた。

「大勝利だ! 勝ち鬨を上げろ!」

王の叫びに、兵士達が応える。

えいえいおう。えいえいおう。歯をむき出しにして、誰もが叫び狂っていた。

 

ずっと悲惨な負け戦ばかり経験していた。

最初にラーンが参加した戦いからして、そうだった。砦を必死に守り抜くものであっても、勝てる見込みがない戦いだった。

盆地には、焼き尽くされた敵の死骸が山積みになっている。

その数は、二万に達していると、他の兵士達が話していた。おそらくは、巨神に対して、人間がはじめて上げる事が出来た、画期的な勝ち星でもあると。

戦闘時、アルヴィルダ姫と、その近衛は凄まじい働きであったという。

アルヴィルダ姫はまるで近衛の者達を、自分の一部であるかのように操り、敵をたたき伏せたとか。

鼓舞も自らの働きも、尋常では無かったという。

サラマンデルの火力は、結果を見れば一目瞭然だ。押し寄せた巨神を寄せ付けず、手当たり次第に薙ぎ払ったのだという。

流石に、ブルグントの騎馬隊を相手にすることを想定した、決戦兵器だけの事はある。

ただし、サラマンデルの力だけで勝てたのではないという。

兵士達が、囁きをかわしている。

あれが、バルハラの勇者達だと。

先の戦いでも、少しだけその姿を見た。発光する鎧を着込んだ戦士達。エインヘリアル。それぞれが、神々が鍛えた槍を手にしていて、戦闘力は巨神族に匹敵するという。非常に頼もしい話だ。

その戦士達が、サラマンデルに近づこうとする敵を、片っ端から薙ぎ払ったのだとか。サラマンデルには、炎を吐く際に時間差が生じるという

だが、彼らを見ていて、ラーンは不安を感じる。

表情が存在しないのだ。

フレイが来た。王としばらく、話をしていた。

あの後、後詰めとして、フレイは完璧な仕事をした。流石に王との話に割り込むことも出来ないから、ラーンは見ているしか出来ない。

だが、なんと王が、ラーンの活躍を説明してくれた。

「大巨神を二体、斃す際のアシストを的確に努めてくれた。 リンドブルムの襲来に真っ先に気づきもした。 有能な戦士を紹介してくれて、余は嬉しい」

「そうか。 一人でも多く優秀な戦士が増えれば、戦いも有利になるだろう。 めぼしい戦士を見つけたら、紹介していくこととする」

「助かる」

戦勝の宴の中、フレイは他の軍高官達と話していて、なかなか近づけなかった。

だが、きっとラーンのことを、覚えてくれているだろう。

酒がで回り始める。

全戦線で、巨神が兵力の再編成のために、一時後退したという報告が来ている。攻撃部隊の一割が消し飛んだのだから当然だろう。

たき火を囲んで輪になって踊り始めたり、歌い始める兵士もいる。大騒ぎが酷いが、誰も止めない。みんな鬱屈が溜まっていたのだ。巨神には勝てないと、悲観的になっている者達だって少なくはなかった。

今日は、人間が巨神に決定的な勝利をした、記念すべき日なのである。

ここぞと口説きに来る兵士もいるが、相手にしない。

ラーンが思うのは、フレイだけだ。

そういえば、あの野蛮だが勇敢な北の民はいない。今回の作戦でも、参加していなかった様子だ。

酒は、適当なところで止める。

グンター王の護衛という仕事も重要だ。見張りは交代で行っているが、それでも酒が入りすぎるのは危険だろう。

丁度騎士団長が来たので、聞いてみる。すると、意外なことを知らされた。

「彼らは、斥候をしてくれている」

「斥候ですか?」

「敵の勢力圏内での行動だ。 彼ら以外には出来ないだろう」

ユラン平原会戦の最後の方で、空から降ってきた禍々しい球体は、ラーンも目撃した。あれについて、敵の動向を調査しているという。

今の時点で、巨神族は、ブルグント辺境に落ちた球体に対して、進軍する気配を見せているという。

ブルグントの軍勢も、それを阻止すべく、再編成を実施中だ。詳しい話は聞いていないが、フレイによると、巨神族には渡すわけにはいかないものなのだとか。

今回の決定的勝利が、弾みを付けることになれば良いのだが。どちらにしても、グンター王は戦場に出向く。つまり、ラーンも出陣すると言うことだ。

宴は夜半過ぎまで続いた。

翌日は、二日酔いの兵も多い中、みなで敵の死体の始末をした。それだけでほとんど一日が終わった。巨神の死体を、盆地の隅に穴を受け、埋める。馬を使って、小さな巨神を運ぶだけでも一苦労。リンドブルムは驚くほど軽く、驚かされる。大巨神は切り刻まないと運べなかった。

焼却処分する死骸もあった。火を吐くサラマンデルを近くで見たが、凄い迫力だ。

戦わずに済んで良かったとも思う。

仕事をしていて、夕方になった頃だろうか。不意に、冷たい風が吹いてくる。

「なんだ……?」

「おい、巨神の死骸が……!」

兵士達が騒ぐ中、巨神の死骸が消えていく。

同時に、地面に凄まじい音と共に、亀裂が走った。しかも、その亀裂は、凍っているのだ。

巨神の死骸を埋めていた辺りだ。

「どうしたの?」

「今、確認中!」

嫌な予感がする。

巨神は殺しても、ただでは死なないのか。

地面を踏むと、じゃりじゃりと音がした。思わず身をかき寄せたくなるほど、空気が冷たくなっている。

グンター王が、フレイヤと何か話しているのが見えた。

「フユ……? 一万年も前にあったという季節、冬のことか?」

「そうです。 これは、局地的に再現された、冬でしょうね」

「にわかには信じられぬが……」

聞いたこともない単語だ。

けが人は幸い出ていない。だが、兵士達は皆怯えてしまって、巨神の死骸に近づくのを嫌がりはじめていた。

腕組みしたグンター王は、呻く。

「せっかくの士気を下げてしまっては意味がない。 今は死体の処理を後回しに、出撃を優先した方が良さそうだ。 死体の処理は、住民にやらせよう。 それも、時間をおいた後とする」

ラーンに発言権はないが、賛成だ。

あのような恐ろしい現象、見た事もない。地面がじゃりじゃり言っているのも、氷が小さな柱状になって、地面を持ち上げているのだと分かってからは、気持ち悪くて仕方が無かった。

氷なんて、今まで殆ど見た事もない。氷室というものが存在していて、洞窟の奥から取り出した氷を蓄えているのは見た事があったが、それも例外的な事例だ。地面が凍るなんて気持ち悪い現象、出来れば味わいたくない。

一端盆地から退避すると、軍は再編成を行う。二日ほどで、物資の補給と、編制が完了した。

すぐに、軍が動き出す。

防衛線の再構成は部下の将軍達に任せ、グンター王は騎士団長をつれて、そのまま東に向かうことにしたという。

当然ラーンも、それに同行する。

サラマンデルも動き出す。驚いたことに、アルヴィルダ姫は徒歩で進んでいる。馬を進められても、断っていた。

「サラマンデルは、今後の中核となる決戦兵器だ。 妾が精鋭と共に側につき、不測の事態にも備えられるようせねばならぬ」

グンター王に、そう姫は語っていた。

どうやら、相当に責任感の強い人であるらしい。戦闘時に高笑いしていたとか、兵士達に笑わせたり吼えさせたりしていたとか変な話も聞いたが、それは多分何かの間違いか、或いは特殊な趣味に違いない。

途中で、次々にブルグント軍の予備役部隊が合流してくる。

三万五千にまでふくれあがった連合軍は、今だ巨神が到達していない、禍々しい球体へ向けて、進撃を開始していた。

 

4、広がり続ける暗雲

 

巨神軍の本陣で、フリム王を守り、ロキの封印に向けて進撃する精鋭を編制していたフルングニルは、敗報を聞いて思わず手を止めていた。

ユラン平原の少し南、見通しがよい岩山の上に作り上げた陣営である。周囲には幾つかの陣が点在しており、急な攻撃を受けても対応できるほか、退路も確保できる。故に、山頂に布陣したのだ。本来であれば、高所にのみ布陣することは避けるべきなのだが、フルングニルの手には多くの戦力がある。それを適切に配置すれば、高所への配陣は間違いではなくなる。

続報が来る。

前衛の一部、二万に達する軍が盆地に引きずり込まれ、全滅したというのだ。

まさか人間を相手に、これほどの被害を出すとは思わなかった。将軍達は揃って混乱している。

しかも、生き残った部隊の証言によると、敵は並の魔術を凌ぐ強力な火焔兵器を実用化したというのである。

「リンドブルムの記憶情報を解析しましたが、大巨神の手足が吹き飛ぶほどの破壊力でした。 誘い込まれた部隊はなすすべなく、飽和攻撃に焼き尽くされてしまった模様です」

「一度前線を下げよ」

どのみち、敵に反転迎撃する余力が無いことはわかりきっている。

ただし、味方も前線にいる戦力の一割近い数を失ったのだ。このまま押し続けることは、戦略的に面白くない。

敵に余裕を与えるのは更に面白くないが、此処はそれ以上に、味方の確実な勝ちを得るべきだ。

敵側に地の利がある事もある。今回などは、前線に兵を散らしていたから、起きた出来事だとも言えた。

フルングニルは、戦略を切り替えることにした。

封印には自分が当たる。

フリム王に自身が出向くことを告げるべく、王のいる場所に歩く。

歩きながら、追加の情報を、順次仕入れていった。

それによると、敵の新兵器はブルグントの戦塔よりも若干小柄な移動型の塔だという。どうやら爆薬を用いて、大破壊力を実現したようだ。

人間世界に許されている技術は、限られていると聞いている。ならば、よほどの創意工夫で実用化した兵器なのだろう。

手強いことは、ほぼ間違いない。勿論、おめおめと敵の誘引に乗ってしまった味方にも、原因がある。

「敵の新兵器についての情報を集める必要があるな」

「それもあるのですが、もう一つ良くない情報が今飛び込んできました」

「何か」

「敵の主力が、ロキ様の封印に向けて進発した模様です。 数は既に三万を超え、四万に近づいているとか。 しかもこの中には、五千のエインヘリアルが加わっています」

それは確かに面白くない。

これだけ敵が早く動いたという事は、神々もそれに随伴している可能性が高い。

六万のブルグント軍はかなり手強かった。勝ったには勝ったが、戦術を誤れば大きな被害を出していた可能性が高い。

フルングニルは考えた末に、騎兵を動かすことに決めた。

「現在、前線に散っている以外では、どの程度の予備兵力を動かせる」

「後続部隊が、およそ七万。 王を守る部隊から、十万という所です」

「ふむ、予想以上に進軍に苦労しているな」

残りはまだ北ミズガルドだ。何しろ進軍路が狭いのである。

これに、フルングニル自身が動かしている十万と、高い破壊力を持つ騎兵が加わる。だが、もう少し欲しいと、フルングニルは思った。

魔術部隊を動かして、スヴァルトヘイムの魔物を動員する。

フレイとフレイヤの実力を考えると、十万では少ないと思えるのだ。未知の兵器を作るほどの技術、この状況で反撃に至れる組織力、それに指揮能力を加味すると、戦うためには二十万はほしい。

「進撃してきたばかりの部隊を、移動しながら此方に向かわせつつ編制せよ。 出来るか」

「可能ではありますが、兵力はそれを加味しても、二万程度かと……」

「ふむ……」

ナグルファルを用いてのピストン輸送でも、足りないか。

あれはそもそもヨトゥンヘイムからの輸送システムの色彩が強い。しかも現在は、北ミズガルドに設置した転送装置を使っているので、高空支援母艦としての役割の方が主体だ。

わずかに、二十万に足りない。

しばらく悩んだ末、フルングニルは決めた。

「やむを得ぬ。 この兵力で勝負する」

どちらにしても、敵の五倍。

スヴァルトヘイムの魔物とリンドブルムを加味すれば、更に倍という所だ。

敵の補給線を断つ事は、今のところ難しい。

ならば、敵の主力を一気に撃砕する。

問題は、敵の新兵器の解析が、少し足りていないと言うことだ。

「魔術部隊を先行させ、スヴァルトヘイムの魔物とリンドブルムによる飽和攻撃を仕掛けさせるべきだな」

「足止めでございますか」

「それもあるが、戦闘を観察して、敵の新兵器の性能を測定する」

使い捨ての駒としては、スヴァルトヘイムの魔物が一番適切だ。あれも雑兵である上に、スヴァルトヘイムのニーズヘッグでさえ、捨て駒と考えているような生物だ。

今回は誘引された部隊が壊滅したことが、特に痛い。

情報を間接的にしか解析できないからだ。次は、出来ればフルングニル自身が、敵の戦力を見極めておきたい。

王が駐屯している場所に到着。ユラン平原の少し南。かって、ヴァン神族の大きな宮殿があった場所だ。アース神族によって徹底的に破壊されてもはや面影は存在しないが、遺跡はわずかに残っている。

フリム王は、気前よく軍勢の編制を認めてくれた。全幅の信頼を寄せられているのだ。それに応えなければならない。

ファフナーは、既に南部の戦線から呼び戻していた。

どの人間の砦も対応力を身につけはじめていて、スヴァルトヘイムの魔物やリンドブルムでは、必ずしも有効とは言いがたい状況になり始めていたからだ。数で押そうにも、人間も油を流して火を付けたり、或いは網を投擲する装置や爆薬を使った衝撃波を用いたりして、効率よくリンドブルムもスヴァルトヘイムの魔物も斃していく。

此処は被害を怖れぬ複合的な攻撃が有効なのに、戦線にファフナーがいても役には立たない。

ファフナーも不向きな戦場にいたことは自覚していたらしく、しかしフルングニルの事はもっと怖いようで、おずおずとドラゴンの姿のまま出頭してきた。

「フルングニル様、その……」

「お前は魔術部隊と共に先行し、スヴァルトヘイムの魔物をこの地点に五万ほど召還しておけ」

「ご、五万!?」

召還地点は、人間の進軍路を見下ろせる、小さな山だ。

五万となると、山を丸ごと覆い尽くしてしまうだろう。それでいい。奇襲をするつもりなど、最初からない。

「更に、この地点にもう五万」

両側から挟むようにして、スヴァルトヘイムの魔物を進撃させる。

神が出てくるのは想定の範囲内。そこで、連中の手を封じさせる。

「この地点から、リンドブルムを一万出せ」

「は、はあ。 可能ではありますが、三方向からの攻撃をするのですか?」

「そうだ」

この戦いは、最初から勝つ気が無い。

三方向からの同時攻撃を行う事により、神を引きつけ、なおかつ敵の新兵器の性能を見ることが目的だ。

分析が終了したら、騎兵を含む主力部隊で、一気に敵を蹴散らす。

「戦闘時は、敵と距離を取り、分析に注力」

「もしも勝てそうな場合は……」

じろりとフルングニルが見つめると、ひいっと悲鳴を上げてファフナーは頭を抑えた。ぶたれるとでも思ったのか。

その通りだ。

拳骨を一発、脳天に見舞っておく。

「いいか、もしも勝てそうに見えたら、それは敵による陽動だ。 その程度の戦力で、此方のことを学習した上に、フレイとフレイヤがいる人間の軍勢をつぶせるとは、私も最初から思っていない。 勝てそうだから進撃、などしたらその場で全員処刑する。 敵に誘い込まれて、叩き潰されたいのかお前は」

「い、痛いれす……」

「痛いように殴ったのだから当たり前だ。 いいから、絶対に何があっても敵とは距離を取ることを、部下達にも徹底せよ。 作戦に背いたら処刑という命令についても、周知するように」

ファフナーは飛び上がると、情けない鳴き声を上げながら走っていった。

これでいい。

あいつは調子に乗らせると駄目だ。フルングニルが手綱を取って、恐怖を利用してしばっておけば、想定通りに動く。

後は敵の前線に張り付いている二十万をどうするか、だ。

勿論再編成が終わったら、攻勢を強めた方が良い。敵に対して、後方の憂いを覚えさせれば、心理的に戦力を削ぐことが出来る。

フルングニルは移動しながら、部隊の再編成を続けた。

途中で合流してくる部隊は、動きを見ながら編制をして、最適な部署に配置していく。敵には、追いつきながら決戦を挑むことになるだろう。有利な体勢だが、敵には地の利がある事を忘れてはならない。

黙々と戦いの準備をするフルングニルの元に。行軍開始後二日目に、ある情報が届いていた。

「北ミズガルドにて、冬が開始しました」

「……それは、重畳」

いよいよ、悲願が近づきつつある。

この土地から駆逐されたヴァン神族が、ついにその勢力を取り戻したのだ。不自然に歪められた自然が、元に戻りつつある。

急がなくてはならない。

歪んだ世界は、軋みを挙げ続けている。悲願と共に、世界を守る事もまた、フルングニルの重要な使命だった。

「フリム王は」

「無論、喜んでおいでです」

「そうか」

フルングニルは、笑みがこぼれるのを覚えていた。

寒さはヴァン神族の力の源だ。

「進軍速度を上げるぞ」

吉報が来た時こそ、好機。

フルングニルは、兵士達の士気が高まるのを、感じていた。

 

(続)